diary 2011.5.

diary 2011.6.


2011.5.31 (Tue.)

運動会モードということで、部活の試合が終わってもまだジャージで登下校しているのである。
湿っぽい梅雨時だが汗をかいても気にならないし、どんなに雨に濡れてもへっちゃらだもんね。実に便利ですな!
一日ジャージのままで過ごしていると、いかにも教員(小学校の先生って感じか)って雰囲気になってしまうのだが、
さすがにこの利便性は捨てがたい。スーパークールビズよりもむしろジャージである。目指せ、一億総ジャージ。
ジャージーカントリー。


2011.5.30 (Mon.)

今日も雨がシトシト、はっきりしない天気が続いている。
参ったなあと思って仕事の合間にネットをチェックしてみたら、梅雨入りが宣言されてしまっていた。
まさか5月中に梅雨入りとはなあ……と呆れるが、なっちゃったものはなっちゃったんでしょうがない。
こうなったら頭を切り替えて、今年の夏が梅雨を引きずらないことを祈るのみである。
1993年や2009年のような夏はもうこりごりなのだ。去年の猛暑のほうがはるかにマシだ。
楽しい夏を想像して、切ない梅雨をどうにか耐えていこうと思う。ニンともカンとも。


2011.5.29 (Sun.)

今日はのんびりしっかり休むぜーと思うが、雨なのでまったく気分が晴れず。
おかげでなんとなく、うまく気分転換ができなかったなあという感触が残る日曜日となってしまった。
やはり休みの日に気が済むまで自転車を乗りまわしてストレス発散ができないのはつらいのだ。
というか、相変わらず雨の日の対処がヘタクソということか。こればっかりは上手くならないなあ。


2011.5.28 (Sat.)

本日はサッカー夏季大会の初戦である。例年はできるだけ3年生の引退を遅らせてあげようという配慮から、
6月に入ってからの開催になるのだが、今年はどうしても会場の都合がつかず、5月に初戦となってしまった。
天候は雨。でも雷が鳴るような気配はないので、試合は行われる。そもそも延期できる日程の余裕もない。
完全に雨の中で試合をやるのは初めてのことなので、監督としてはかなり不安である。

第1試合で副審をやる。どうにか慣れてきて、最初の頃に比べれば多少は落ち着いてこなせるようになってきた。
雨の試合はふだんどおりの力が出せないことでイライラが募り、試合が荒れる可能性が出てくるものだ。
そしてこの試合では中学生としては珍しく、イエローカードが4枚も出る内容となってしまった。
試合の結果も前回大会で2位のチームがPK戦の末に敗れるという波乱に満ちたものとなった。
ハーフタイムには顧問の先生方で試合展開の予測(主に警告・退場の予測)をしていて、さすがだなあと思った。
僕にはその辺の機微がまだわからない。どれだけ本当にサッカーのことを知っているか、というのを見せられた気がする。
それにしてもサッカー部の顧問の先生方は一見するとコワモテというか迫力のある方が多いのだが(→2009.4.11)、
現場でやりとりを実際にしてみると、ものすごく親切で礼儀正しい方ばかりである。スポーツマンっていいですな!

さてわれわれの出番は第3試合。第2試合の間にパス練習をしたりグラウンド状況を観察したりして過ごしたが、
どうも部員連中はイマイチ緊張感がない。相手は区で3位なんだから、もっと集中を高めろよと思うのだが、
変にリラックスしているというよりはやはり、緊張感に欠けると形容したい感じなのだ。こっちが不安になってくる。

そしてキックオフ。開始早々、ドリブルで突破されて失点。またよけいな失点をしてしまった。「下向くな!」と叫ぶ。
しかしここからの彼らは違った。攻め込まれても落ち着いてマークをして対処し、攻めるときにはきちんと押し上げる。
なかなかこちらが攻める機会はなかったのだが、守備が集中していてゴールを割らせない。
ハーフタイムになり、僕は今できていることを継続するように指示。それから選手交代の意図を説明しておしまい。
細かい相談は彼らに任せた。そして彼らは自分たちで考えて、後半の動きを確認している。非常にいい状態だ。

後半に入って相手の攻撃を抑えることに自信が出てきたようで、中盤では互角にやりあう場面も少し出てきた。
ショートパスがある程度つながるようになってきたのだ。少しだけだが、かつての甲府のサッカーの匂いを僕は感じた。
このサッカーを定着させることができれば、もっとチームを強くできるのではないか、と思えたのだ。
でも、こちらがゴールを奪うにはまだ要領が悪い。パスだけではダメなのだ(→2011.5.15)。
ドリブルを織り交ぜてボールを決定的なエリアまで運んでいかなくては、ゴールは奪えない。そこまではつなげない。
守備の集中力は相変わらずで、ディフェンスがうまく連動している。それで相手が焦っているのがわかる。
ベンチには3年生がひとり残っていて、このままだと最後の試合になってしまう彼を入れなくてはいけない。
だが、替えられるポジションがない。チーム全体がひとつに機能しており、抜くことのできるピースがないのだ。
試合はいよいよ終盤になり、思い切って決断をして、選手交代の準備を始める。
それで僕の声が途切れたタイミングで(それまでずっと叫びどおしだったのだ)CKとなり、こぼれ球を押し込まれた。
またしてもCKからの失点だ。本当に悔しい。だが残り時間、彼らは集中し続け、結局0-2のスコアで負けた。
区で3位のチームと(スコア上は)これだけの接戦を演じられるところまで来た。オレが顧問であるにもかかわらずだ。
相手はサッカーが専門の顧問がふたりいる、選手もいっぱいいる、グラウンドも広い、そういうチームなのだ。
でもむしろ、勝てなかったことが悔しい。連中を勝たせるためには、まだ監督として足りないものが山ほどある。

雨の中、様子を見に来てくださった体育の先生に異様に褒められた。あれだけ連動して、あれだけ集中して、
という試合はプロでもなかなかない、という大げさな言葉だったが、まあそれだけの価値があったのは確かだと僕も思いたい。
連中も試合をやっている中でここまで大きな自信が得られた経験は初めてだろうから、本当によかったと思う。
3年生がこれで引退となってしまったことはとても残念だが、美術部から引き抜いた彼らが完全なズブの素人から始めて、
たった1年でここまで戦えるようになったのは信じられない。オレが顧問であるにもかかわらずだ。
(まあ実際には体育のサッカーの様子を観察して、こいつらできるだろ、と思ったからスカウトしたんだけどね。→2010.4.9
試合内容をしっかり整理して、今後はより高いレベルで動くチームにするために、じっくり考えていくことにしよう。
ゴリアテを倒すダビデを思わせるような、ひ弱でも十分に賢いサッカーをやるチームに、いつかなりたい。


2011.5.27 (Fri.)

部活が佳境であるのと同時に、学校内は運動会に向けてまっしぐら!なのである。
昨年度まで運動会は9月に行われていたのだが、今年度は6月アタマの開催。もっとも、それが標準的なんだそうだ。

運動会の華といえばけっこういろいろあるけど、ウチでは男子の組体操が一番!ということになるだろう。
この組体操で4段タワーと5段ピラミッドを完成させることが、いわば最上級生の通過儀礼となっているのである。
まずは風のない体育館の中でタワーを立ててみる。ウチの最上級生は勉強も運動も苦手な子が多いと評判なので、
例年よりもはるかに不安視されていたのだが、これが思ったよりもあっさりと成功してしまう。
……しかし後になってみれば、それがいけなかったのかもしれない。

次の段階として、実際にグラウンドに出ての演技となる。すると、体育館でできたはずのタワーが立たない。
油断が焦りに変わり、さらに自信喪失へと変化する。こっちもケガさせないために必死でフォロー。ケガは本当に怖い。
タワーをあきらめると意気消沈していることもあって、5段のピラミッドも立たない。何度やってもうまくいかない。
体重の軽い下級生が成功させると、それがさらなるプレッシャーとなってしまう。悪循環にハマってしまった。
結局、今日も不完全燃焼のままで練習を終えることになってしまった。果たして本番では成功できるのか。

とはいえ僕はそんなに心配していない。人間、複数の人間が心をひとつに集中して臨めばできないことはない。
それに、少しくらい失敗を続けて伏線を張っておく方がいいドラマに仕上がるというものだ。
確かに練習ではなかなかうまくいかないけど、連中の顔つきは決して悪くない。悔しがることができている。
練習で変にうまくいってヘラヘラしているよりは、よっぽどいい状態であるとすら僕は考えているのだ。
たぶんあいつらはうまくやりきるだろうから、むしろ今の追い込まれた心理状態をきちんと記憶しておいて、
いずれ訪れる別の危機に直面したときの自信の根拠としてほしい……なんて具合に事態を見つめているのである。
人が成長する場面に居合わせられるのってとても幸せなことだなあ、と思っている。


2011.5.26 (Thu.)

そういえば今年のALTの授業はすでに2回目。今年お世話になる方はやっぱりマジメで、恵まれているなあと思う。
僕としてはいろんな方のいろんなやり方に触れるのはとっても勉強になるので、ALTの授業はけっこう楽しみなのだ。
お前だって教える立場なのになんたる他人ごと!と思われるかもしれないし、まあ実際そんな態度ではあるのだが、
純粋にいろんな引き出しを自分の中に貯め込むことができるというのは、それだけで快感なんだからしょうがない。
まあそんなわけで、こっちも生徒以上に好奇心を全開でやっております。新たな発見ばかりで面白くってたまらん。


2011.5.25 (Wed.)

今週末の土曜日はサッカーの公式戦なのである。夏季大会ということで、負けたら3年生は引退。
5月中に3年生が引退する学校が出てしまうような日程を組むのは誰もが避けたかったに決まっているのだが、
スケジュールの都合が本当につかなかったので、こればっかりはどうしょうもない。あきらめるしかないのである。
で、肝心の対戦相手はというと、今度は区で3位。毎回強豪ばっかり引いてすまんと思ってはいるんだけど、
サッカーのトーナメントは強いチームどうしがなるべく当たらないように組んでいくので、しょうがないのだ。
(たとえば天皇杯でJリーグのクラブが登場するあたりの組み合わせ方をみればわかってもらえると思う。)

そんなわけで、今日が試合前最後のグラウンドでの練習なのであった。
もしかしたら(いやたぶん)、3年生にとって最後になるかもしれない練習。
いつもより少し多めにゲームの時間をとったのだが、それにしても不思議と時間の経過がゆっくりだった。
部員みんなもそのことに気がついていて、「妙に時計が進むのが遅いですよね」なんて言ってくる。
僕は「時間の神様が練習時間をくれたのさ」なんて気取ったことを言いながら大声で指示を出す。
おかげでしっかりと集中してゲームにみんな取り組み、いい状態で準備をすることができた。
結果がどうなるかはわからない。でも、そんなこととはまったく関係なく、僕は胸がいっぱいになっていた。
ド素人が自分の価値観だけで慣れない種目の部活を守って、それについてくる生徒たちが運良くいてくれて、
そいつらが素直にサッカーを好きで集中して取り組んでいてくれて、どうにかここまできている。
2年前にはまったく想像のできなかった未来で、僕はあのときと同じ「最後の公式戦」を迎えようとしている。
僕は部活は顧問のものではなく生徒のものだと思っているので(実はそういう意識の教員は恐ろしく少ない)、
生徒たちへのご褒美として時間の神様がサービスしてくれたのであれば、もうそれ以上僕は何もいらないのだ。
いろんな思いが頭の中をよぎったが、それは言葉にして出すことはなく、自分の胸の中だけにしまっておく。
部員たちには部員たちなりの思いがあるに決まっているから、そこに僕の意識を勝手に上乗せするつもりはない。
「これまでのすべてを出しきることだけを考えろ。後悔のないようにやりきれ」とだけ言って解散する。
さあ、奇跡を起こせますかどうか。


2011.5.24 (Tue.)

授業に部活に宿題チェックで毎日が非常に変化に乏しい!
朝起きてから夜寝るまで、それはもう金太郎アメのようなルーチンっぷりなのである。
生活に変化をつけるには家に帰ってからの時間が勝負になるのだが、疲れて気力が残らないので動けない。
ムリヤリに音楽を聴いてもいつの間にか寝ちゃって睡眠時間が不安定になるだけだし、なかなかうまくいかない。
どうにかして現状を打破しないといけないなあと思うのだが、それを考えるだけのエネルギーが残らない。
まあ裏を返せばそれだけ職場で一生懸命やっているということなので、夜になって無理に暴れるよりは、
できるだけ昼間スムーズに動けるように慣れることを心がけるほうが賢そうだ。ニンともカンともだぜ、まったく。


2011.5.23 (Mon.)

雨のしつこい天気でイヤになる。僕はいつも15分間の自転車通勤をしているわけだが、
雨が降ると30分間の徒歩+電車+徒歩という面倒くさいこと極まりない通勤形態になってしまうのだ。
そうして職場に着いたところで全身びしょ濡れでは、もう、やる気も何もあったもんじゃない。
しかも帰る頃になって雨がやんでいたらもう最悪だ。イライラしながら家に帰ることになり、どうしょうもない。
そういうわけで梅雨というのには早いこの時期に雨に祟られて、毎日不機嫌である。なんとかならんもんかねえ。


2011.5.22 (Sun.)

試合の1週間前ということで今日も部活だったのだが、午後から急に天気が悪くなって、結局、雨の中でゲーム。
グラウンドが荒れる直前のところまで粘ってゲームを続けるが、寒くて風邪を引きそうで参った。
家に帰ると今日もがんばって日記。3月の柳川の分を終わらせて、今月観たJリーグの試合についても書き上げる。
あとは1月の両毛線と水戸線の分を早く仕上げて楽になりたいところだ。でもどっちも進みが悪くって困る。


2011.5.21 (Sat.)

髪の毛切って部活で日記。ようやく日記を書くだけの余裕ができてきた。


2011.5.20 (Fri.)

というわけで本日が英語のテストなのだ。難しめの問題も上位陣はしっかり対処できていて、実に頼もしい。
しかしながら勉強が苦手な連中は今回も解答欄がスッカスカなのであった。底上げが本当に課題である。
とはいえさすがに最高学年になってわずかながらもやる気を表に出すようになったやつは、
それなりに惜しい解答を書くようになってきている。歯車が回りだすまであとちょっと、という感触がするのである。
英語って科目には特徴があって、同じ不正解でも、救いがたい不正解と惜しい不正解の2種類にはっきり分けられる。
だから点数では「伸び」を感じられなくても、確実にゆっくり成長している潜伏期間が英語には確かに存在するのだ。
まるっきり異次元の解答を書いていたやつが、英語のルールに慣れて惜しい不正解を出すようになるとしめたもの。
そういう生徒には必ず「自分で気づいてないかもしれないが、お前は伸びている。このまま勉強を続けろ」と言っている。
「やっているうちに突然、コツがつかめるようになる。そうなったら英語で点が稼げるようになるぞ」とも言う。
実際には順調に悟りを開いてくれる生徒ばかりではないのだが、結果と自信を手にする生徒がチラチラ出てきはじめた。
受験までには全員間に合いますように、と祈るような気分で毎日フォローを続けている感じである。


2011.5.19 (Thu.)

テスト問題づくりが佳境である。情けないことに今回も直前になってのドタバタで、泣きながら調整をする始末。
不幸中の幸いで、今回のクロスワードは夜中に2時間ほどこねくり回していたら運よくできあがったのであった。
文法問題はルーズリーフに手書きのメモをもとにして、Illustratorの中にテキストとして打ち込んでいく。
今回から入試を視野に入れて他県の公立の過去問を組み込むようにしたおかげで、長文はそれほど苦しくはない。
でもそのかわり、表の空欄を埋めさせるような問題も用意したので、そこのバランスをとるのがちょっと手間。
凝り出すと本当にキリがないし難度も上がってしまうので、どの程度で抑えるか、理性をフル回転させて微調整をする。
まあなんというか、きっちりとやっているのはレイアウトだけではないのである。けっこうちゃんとやってますよ。


2011.5.18 (Wed.)

テスト直前ということで1年生の英語の授業で演習問題をやってみたのだが、これができないのなんの。
僕はすっかり気づかないでいたのだが、連中は問題文が何を要求しているのかが理解できていないのである。
実はこれは冷静に考えると当たり前の話だ。だって英語のテストというものを受けるの自体が初めてなんだから。
ただそういう面を斟酌しても、日本語でのコミュニケーション能力について正直不安に感じてしまう、
それほどの「あさって」ぶりだったのだ。こう書いてあったらこう考えようね、と教えることの虚しさったらない。
そんなわけで、大いなる不安を抱えつつ1年生は初めてのテストに向かって突き進むのであった。ホントにどうなることやら。


2011.5.17 (Tue.)

南米選手権(コパ・アメリカ)辞退と児玉清の訃報という2つのニュースが飛び込んできた。

いちサッカーファンとして、南米選手権は本当に楽しみにしていたのだ。強化ということを考えると、
こっちから本場に乗り込んで強豪と同じ舞台で戦う機会があるというのは、本当にすばらしいことだった。
しかし未曾有の震災によって、結局参加を断念せざるをえなくなってしまった。
優先されるべきは、代表よりも国内リーグである。だから、結論は尊重されるしかない。
国内での公式戦を何よりも優先させないことには、何も始まらないのである。だからしょうがない。
次回呼んでもらうことを期待して、今は少しでもレベルの高い試合をJリーグでやっていくしかないだろう。残念。

そして児玉清の訃報である。われわれクイズ研究会出身者としては、ひとつの時代が終わったという感覚になる。
『アタック25』に出場して児玉清からアメ玉をもらうというのは、ひとつのステータスなのであった。
(潤平は仕事ついでにスタジオ見学をして、そのときに児玉清からアメ玉をもらったという。なんということだ!)
僕は大学時代の後半あたりからクイズ番組への出場は一切目指さないと決心をしてしまったので、
正直なところ『アタック25』にもそれほどの思い入れがあるわけではない。クイ研的には大変申し訳ないのだが。
だが、児玉清が亡くなってしまったことで、完全に「もういいや」という気分になってしまったことは事実だ。
自分の中で冷めてしまった熱がもう二度と戻らなくなったことを自覚した、そんな感じだ。

日々さまざまなニュースが飛び交っているが、それらにふれるたび、現在とつながる過去と未来について考えさせられる。
今日は特にその要素が強いニュースに触れて、いろいろ考えてしまった。


2011.5.16 (Mon.)

今日は今までの人生の中で、体力的にいちばんキツい日だったかもしれん。よく無事に家まで帰れたと思う。
オレがんばった。オレがんばったよ。


2011.5.15 (Sun.)

やはり夜行バスの寝心地というのは最悪で、寝ながらしかめっ面をしてうなっているところを起こされた。
ありがとうございます、大丈夫です、と返事してバスを降りる。目の前にはすっかり見慣れた大阪駅桜橋口。
まだまだ寝ぼけた頭を左右に振り振り、Suicaでそのまま改札を抜ける。とりあえず、すぐに京都に行こうと思う。
ホームに出ると、目の前に見慣れない光景が広がっていた。ガラスを多用した真新しい建築がそびえている。
これはいったいなんなんだ、と首をひねるが答えは出てこない。大阪には去年も来ているはずで(→2010.7.18)、
僕のまったく知らないうちにこのような事態が発生するとは、まさに狐につままれた気分である。
眠ることもなくあっさりと京都駅に到着すると、立ち食い蕎麦屋に寄ることもなく改札を抜ける。
しかし京都駅周辺はまだまだどの店も開いておらず、しばらく食事はおあずけとなるのであった。

なんでこんな無理をしてまで日帰り(夜行バスで来て夜行バスで帰る)の京都旅行を敢行したのかというと、
単純にJ2の京都×富山の試合を観たかったからである。そう、今回はそのためだけに訪れたのだ。
どこまでお前はバカなんだ、と怒られそうだが、甲府サポ休業中の僕にしてみれば、これははずせない試合なのだ。
京都の監督は大木さん、富山の監督は安間さん。師弟対決をこの目で見ないわけにはいかないのである。

とはいえサッカー観戦だけで帰るのもどうかと思うので、まずは京都のDOCOMOMO建築を見てみることにした。
まずは京都駅前にある関西電力京都支店。この建物は京都電灯株式会社として1937年に建てられた。
設計は武田五一。居並ぶ周囲のビルと比べても違和感がないが、しかし確かに戦前のモダニズムの品格がある。
こういう建物の本当の面白さはその中身・内装にあるのだが、まあそれは素直にあきらめるとしよう。
そんなわけで、朝から力強い日差しを浴びる建物をしばらくジロジロ眺めて過ごす。

 
L: 京都電灯株式会社(現・関西電力京都支店)。曲線の美しさがいいよなあ。  R: 反対側はこんな感じ。

満足すると、地下鉄に乗って丸太町へ。京都の碁盤目の街に対して地下鉄というのは実に無力で、
点在するさまざまな観光地にアクセスするのにはとっても不便である。やっぱりレンタサイクルが最強だ、と思う。
そんな具合に前回の京都旅行(→2010.3.262010.3.27)を思い出しつつ、いったん京都府庁へ。

 
L: 京都府庁へと続く並木道。  R: 並木道を抜けると重要文化財の京都府庁が現れるわけで。

次のDOCOMOMO物件は、この京都府庁からさらに進んだところにある。
あらかじめ地図で確認しておいた、ほとんど路地としか言えないような細い道を歩いていくと、それは現れる。
今はNTTの建物なので、なんとなく雰囲気でわかるのだ。そうしてワクワクしながら正面にまわり込むと、
凝ったファサードに思わず声が漏れてしまう。逓信省営繕課に所属していた岩元禄の設計による、
京都中央電話局西陣分局(現・NTT西陣別館)だ。竣工は1921年で、当時のモダンな価値観がよくわかる。
1985年に保存工事が完了し、現在は「西陣IT路地」として、ベンチャー企業向けスペースとなっている。

  
L: 北西側から眺める。西洋的な価値観を反映した装飾がふんだんになされている。それにしても電線がジャマだ!
C: 狭い道幅に苦しみつつ正面から撮影したところ。  R: 反対の北東側より撮影。

まだ朝早かったのだが、中に入ることができたので(自動ドアがめちゃくちゃうるさかった)、侵入してみる。
1階はまるで旅館かホテルのように各部屋の入口があり、それぞれオフィスとして利用されているようだ。
古くなった建築の活用例としては、かなりうまく機能しているような感触である。よかったよかった。

 オフィスというか、旅館感覚というか。

さてこの西陣電話局周辺をうろついていたら、かなりインパクトのある建物を発見。
レンガ造りの古い建物が、今もしっかりと残って使われているようなのだ。形は教会のように思えるが、
それにしては洗濯物が干してあるなど、どうも生活感がありすぎる。これは実際に行ってみるしかない!
まわり込んでそれらしい入口がないかチェックしていくと、いかにも学生寮っぽいエントランス空間が見つかった。
正面はレンガ造りになっていないが、建物の形からして間違いない。中はやっぱりアパートになっていた。

 
L: 左にくっついている木造建築もいい味だが、やはりレンガ造りのインパクトは非常に大きい。これはなんだ!?
R: 正面にまわり込んでみた。いかにも京都の学生寮らしい雰囲気が満載である。

この建物、名前を「梅香荘」という。もともとはなんと、変電所だった建物だ(旧京都電気鉄道堀川変電所)。
変電所がアパートになったというのはまったくの初耳である。いったいどんな紆余曲折を経たらそうなるのか。
実に1895(明治28)年頃に建てられたというのだが、住む人がいるせいか、雰囲気は決して暗くない。
やっぱり京都って街はひと味もふた味も違うなあ、と大いに驚かされたのであった。

丸太町駅に戻って再び地下鉄に乗る。烏丸御池で乗り換えて、降りたのは東山駅。
前回の京都旅行ではレンタサイクルを利用して京都市内を狂ったように走りまわったが(→2010.3.262010.3.27)、
それでも時間の都合で訪れるのを断念せざるをえない場所があった。それは、岡崎公園と八坂神社である。
今回はそのリベンジということで、サッカーが始まるまでの午前中に一気にまわることにしたのだ。

 この大鳥居を見ると、岡崎公園!って感じになる。

調子に乗って大声でわめく修学旅行生たちが行動を開始しつつある時刻、琵琶湖疏水を渡って岡崎公園に入る。
このエリア、もともとは六勝寺と総称される6つの大きな寺の伽藍があったところである。
しかし戦乱の末にそれらはなくなり、幕末には広大な空き地になっていたそうだ。
そして明治に入るとこの地で内国勧業博覧会が開催されたのだ。その跡地に造営されたのが平安神宮で、
以後、文化施設が集中して建設されて今のような姿になったのである。

まずはやっぱりDOCOMOMO建築ということで、京都会館の敷地を一周してみる。設計は前川國男で1960年に開館。
上野の東京文化会館(1961年竣工 →2010.9.4)とまったく同じで、いかにも前川モダニズム全開のホールである。
老朽化により改修工事が予定されているが、費用はネーミングライツで確保するとのこと。
地元の電子部品メーカー・ロームが50年間で総額52億5000万円を出すというとんでもない契約で、
今年の2月にそのニュースを聞いて大いにたまげた記憶がある。なんともスケールのデカい話だ。

  
L: まずは裏側から見たところ。  C: 正面より。並木に遮られて全容がつかめない。  R: ファサードはこんな感じ。

  
L: エントランス。高度経済成長期のモダニズムの定型的なパターンだ。  C: 中庭に出たところ。
R: 中庭より第1ホールを眺める。ピロティで持ち上げてコンクリートで、もう本当に定番のモダニズムホール。

続いては平安神宮。ここは7年前にも訪れており(→2004.8.7)、そのときには外国人観光客の多さに驚いた。
しかし今回訪れてみたら、午前中だったせいもあるのか、ほとんどが日本人という印象だった。

  
L: 平安神宮・応天門(神門)。1895(明治28)年の創建当時からの建築。朱色に碧瓦でいかにも外人ウケしそうだ。
C: 境内の様子。広い! 明治期に創建された神宮は広さで勝負するものばっかりだな!(→2009.1.82010.3.29)。
R: 対になっている蒼龍楼と白虎楼(写真は白虎楼)。やっぱり平安神宮は和風っていうよりも中国風だよなあ。

あとは仲良く並んでいる公共建築群をさらりと撮影していく。美術館は中に入っていろいろ見るのもよかったが、
それはけっこう時間のかかることなので、今回はおとなしく外観の撮影だけにとどめることにした。

  
L: 京都府立図書館。阪神大震災で被害を受けて、2001年に現在の建物が竣工した。
C: 京都市美術館。設計は前田健二郎で、1933年(昭和8)開館ということでガッチガチの帝冠様式である。
R: 京都国立近代美術館。1986年竣工で設計は槇文彦。ここは7年前に中に入っている(→2004.8.7)。

岡崎公園を後にすると、そのまま南下して知恩院へ。
ここは前回も訪れているが(→2010.3.26)、七不思議のひとつ「忘れ傘」にリベンジすべく寄ってみた。
本堂に上がって、置いてあった注意書きをよく読んでそのまま軒を見上げたら、あっさり発見。
というか、これに気づかなかったオレっていったいなんなのよ、と自分で自分に呆れてしまった。

  
L: 知恩院の本堂。前回とは角度を変えて撮影。  C: 置いてあるやたら長い棒を使って「忘れ傘」の説明をする人。
R: というわけで見上げてみた。左甚五郎が火災から本堂を守る魔除けに置いたという。面白いなあ。

そのまま円山公園へと入る。ここはもともと八坂神社の境内の一部だったそうで、
さっき京都電灯(関西電力)のところで出てきた武田五一が園内のプランをまとめたという。
日本庭園は小川治兵衛が作庭し、1886(明治19)年に開園した。

 春には桜の名所として賑わう。前回は桜には早かったのでスルーしたのだ。

そうして八坂神社の境内へ。舞殿の軒にぶら下がっている提灯の数に圧倒される。
本殿は拝殿と屋根で一体となって覆われている「祇園造」として有名。重要文化財である。
しっかりと派手な色彩で固められているので古そうな印象はあまりないが、1654(承応3)年の築。
お参りをすると参道を下って西楼門へ。八坂神社の参道は末社が並んで独特の雰囲気がするのが面白い。

  
L: 円山公園から八坂神社の境内に入ると、まずは舞殿が目の前に現れる。提灯がすごい。
C: 八坂神社の本殿。やはり見事。  R: 参道を行く。出店と末社のコントラストが雰囲気を醸し出している。

西楼門の向かいには京都らしく和風な外装のローソンがあったので、記念に撮影しておく。
そして横断歩道を渡って今度はローソンの側から八坂神社の楼門を撮影。さすがにいかにも京都って感じだ。

  
L: 京都ということで、コンビニらしさを一切排除した落ち着いた外観となっているローソン。
C: 八坂神社の楼門。本殿同様に派手な色彩だが、1497(明応6)年築とかなりの歴史を誇る建造物である。
R: 鴨川では納涼床が準備中。やる気でございますな。夕方にはいい雰囲気になるんだろうなあ。

そんなわけで、とりあえずこれで本日の京都観光はおしまい。次回は修学旅行で4ヶ月後に来る予定であります。
観光客でいっぱいの四条通を歩いて河原町駅に行くと、阪急に揺られていよいよ西京極へ乗り込む。

西京極駅に到着したのはキックオフのだいたい2時間前。こんなに余裕のあるサッカー観戦は初めてかもしれない。
ぼちぼち客が集まって賑わいが本格化する頃合いで、人の流れに沿って野球場から陸上競技場へ歩いていく。
するとパッと開けた一角に出た。テントの出店ではさまざまな食べ物や京都サンガグッズが売られており、
なかなかの盛り上がりぶりである。せっかくなので僕も京都のタオルマフラーを購入。今日は京都サポでいくのだ。
スタジアムを一周して雰囲気をつかむ。選手のバスを待つサポーターたちの姿が印象的だった。

  
L: 西京極球場と陸上競技場の間のスペースは、さまざまな出店が並んで非常に賑やかだった。
C: 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場。  R: ピッチはこんな感じ。バックスタンドはけっこう見やすい。

キックオフまでまだまだ時間があるので、マッチデープログラムに目を通し、眠くなってきたので素直に寝た。
もうこっちは連日の仕事と夜行バスで、体力が本当に限界なのである。寝なきゃやってらんないのだ。
炎天下の中、タオルマフラーで顔を覆って座席に寝転がる。いやもう本当に参りました。
で、両チームの練習が始まる頃にむっくりと起き上がる。アウェイ寄りのバックスタンドはけっこう余裕があるが、
京都のゴール裏はなかなか熱い入り具合。対する富山のゴール裏も決して少なくはない感じ。
ところで西京極のゴール真裏には池があるので、サポーターは少しズレた位置に陣取ることになる。
京都ではサッカー専用スタジアムの建設を求める署名運動をやっているのだが、それもまあ納得できるかな。

 京都サポが臨戦態勢でございます。

さて両チームのここまでの状態を整理しておくと、富山が11位で京都はなんと17位。
この日記でもたびたび書いているが、富山は戦力のわりにはまずまず健闘していると言えるのだが、
J2に降格したばかりの京都は正直、かなり期待を裏切る成績となってしまっている。
やはり大木さんのパスサッカーは浸透するのに時間がかかるようで、なかなか結果が残せないでいる。
前節のFC東京戦(→2011.5.8)で敗れはしたが粘るサッカーを展開した富山と、
昇格の可能性があると言われながらも開幕からずっと苦しみ続けている京都。
単純に考えれば京都が有利とされるだろうが、富山の戦いぶりを知っている僕にはまったくの五分に思える。
攻撃サッカーを標榜する元甲府の師弟対決、いったいどんな展開になるのか。固唾を飲んでキックオフを待つ。

試合が始まると、まずは京都が縦横無尽にショートパスをつないで敵陣に攻め込んでいく。
かつて大木さんが率いた甲府とはやや異なり、バックパスが前へ出るための布石として積極的に活用されている。
360°の細かなパス交換を繰り返しているうちにスペースが複数生まれ、そこに選手が飛び込んでいくのだ。
実際にパスコースが一気に5個くらい生まれた瞬間があって、これには思わず「うわっ!」と叫び声が出てしまった。
しかし富山もただ黙ってパスを通されるだけではない。3-3-3-1の格子をうまく動かしてパスを切り、
そのまま全体が上がって分厚いカウンターを仕掛ける。個が分散してブラウン運動を繰り返してゴールに迫る京都、
1トップの苔口をサイドに動かして複数の2列目がゴール前に侵入する富山。双方の持ち味が遺憾なく発揮される。
やはり大木さんの指導するチームは足下の技術が高い。思いどおりにボールをコントロールして前へ運ぶ京都に、
富山は集中した守りで対抗する。そしてボールを奪うと富山もサイドからパスを展開。攻守が激しく入れ替わる。
どちらもサッカーの試合にしては選手どうしの距離が近い。人もボールも目まぐるしく動いて目が離せない。
前半終了時まで間延びしたシーンはほとんどなく、ピッチ上の全体でパス回しが展開されるゲームとなった。
だがどちらのチームもシュートを決めることはできず、すべてが膠着したままハーフタイムを迎えた。

  
L: 前半、富山の惜しいシーン。組織の連動性でゴール前まで攻め込むが、甲府から移籍の秋本がスライディングでブロック。
C: 後半に入っても京都は積極的にパスを回すが、富山の守備を崩しきれない。甲府時代からの悪癖が顔を覗かせる……。
R: しかしこの両チームの対戦は本当に選手どうしの距離が近い。敵も味方も一瞬の隙をうかがっており、目が離せない。

後半に入ると、京都のサッカーにデジャヴを感じるようになる。かつて甲府のゲームで見た光景が、繰り返される。
それはパスをつないでいった先でミスが起きて、攻撃が中途半端なところで終わってしまうという寸止めの感覚だ。
選手が疲れてくると当然、ミスは増える。それでイメージしていた動きができなくなり、パスがいきなり止まるのだ。
富山はそこを押さえてカウンターに転じる。息の合った連動性で敵陣に素早く食い込み、決定機をつくってみせる。
甲府がJ2に降格したあのシーズン、何度も何度も目の前で繰り広げられたあの徒労感が、スタジアムを包みだす。
大木さんのサッカーは確かに面白い。そして美しい。だがそれと引き換えに、ゴールという完成形に至るまでに、
無数の徒労感を味わうリスクも負っている。それはつまり、シュートで終わることが極めて少ないという事実だ。
シュートで終わる、攻めきった形で攻撃を終えることは、ゲームの流れを引き寄せるうえで重要なことである。
しかし大木さんのパスサッカーは途中で攻撃がしぼんでしまうことが多いため、前向きな流れを引き寄せづらいのだ。
観客は無意識ながらもその事実にとても敏感で、時間が経つにつれてため息ばかりが増えていく。
対照的に富山のチャレンジングなサッカーは、時間とともにゲームの雰囲気を支配していくようになる。
端的に言えば、富山の選手とサポーターは審判の笛が鳴るまで安間監督に対して100%の信頼を置き続けていた。
しかし、京都の選手とサポーターの大木監督への信頼感は、時間経過とともに明らかに薄れていった。
試合後、安間監督は「本当に大木さんのやっているサッカーというのは難しくて、
本当に覚悟が決まらないとできないと思うんです。(中略)まだまだ京都さんの選手を観ていると効率よくとか、
まだ潔さを感じないと思う」とコメントしている。その差がピッチ上でははっきりと現れていた。

つまり、僕が言いたいのはこういうことだ。大木さんのサッカーは途中で攻撃がしぼんでしまい、流れが悪くなる。
そのリスクを乗り越えるには、最後まで大木さんのやり方を信じきることしか道はないのだ。
もちろんパスを5回ほどつないだ時点でドリブル等の変化をつけ、パスのカウントをまたゼロに戻すという戦略もある。
(現実的に、少なくともそういう時間帯をつくるぐらいの柔軟性は絶対に必要だと僕は考える。)
でもパスサッカーの理想を求めるのであれば、京都が「エレベータークラブ」と揶揄されるのを脱したいのであれば、
選手もサポーターも、監督の目指すものをもっともっと尊重しなければ話にならない。これは戦う以前の問題だ。

そういうわけで、この試合はスコアレスドローに終わった。富山のサポーターが大きな歓声で選手を迎え、
チームに関わる全員が満足感に包まれていたのに対し、京都のサポーターは選手と監督をブーイングで迎えた。
(大木さんはスタンドに挨拶しようと歩く選手たちの列の最後尾にいた。そんなことをする監督は初めて見た。)
この差だと思う。この差が、同じ勝ち点1でも富山には誇りを、京都には苦さを与えたのだと思う。
大木さんは監督として、シュートで攻撃を終えるために何をしなければならないかを考えなければならない。
そして京都のサポーターは、目先の勝利につられる自分たちの価値観を謙虚に改めなければならない。
自分たちの現実の実力を正確に自覚しつつ、でも自分たちのやり方を信じきること。
目の前でそのことを見せつけたチームがあったことに、果たして京都の選手とサポーターは気づいただろうか?

 
L: 選手と喜びを分かち合う富山サポーター。今年の富山は本当に芯の強い、いいチームだ。
R: 挨拶に向かう京都の選手。左端のほうにいるのが大木監督。この後、彼らはブーイングを浴びた。

梅田行きの電車に揺られながら、僕はなんとも言いようのない胃のむかつきを押し殺していた。

梅田駅の改札を抜けると、JR大阪駅方面へ。短い期間で増改築が繰り返されて、歩いていてよくわからない。
よくわからないままでもどうにかたどり着けてしまう。大阪人はこの状況をどう捉えているのやら。
さてJR大阪駅はこのたび、「大阪ステーションシティ」として生まれ変わったのだ。
まず南口が増築されるなどして「サウスゲートビル」となり、北口に「ノースゲートビル」が新たにつくられた。
ちょうどこの5月4日にグランドオープンしたばかりなのである。今朝、大阪駅のホームでまごついたのはこれが原因。

 右手がノースゲート、左手がサウスゲート。間にJRの線路が走っているのだ。

サウスゲートビルの10~12階には新たに東急ハンズがオープンしたので、行ってみる。
エスカレーターで10階まで上がるのは軽く苦行だったのだが、まあハンズなので許してやるのだ。
で、肝心の中身はというと、銀座店でノウハウを得たのか、けっこうオシャレな雰囲気が漂っている。
業務用向けの商品がいっぱいというよりは、一工夫あるオシャレで便利な商品を重点的に扱っている感じ。
でも売り場面積じたいはけっこうあるので、3階分しかなくても品揃えはまずまず充実している印象だ。
なるほどハンズは今後こういう方向性で売っていきたいと考えているのかーと思った。
僕としては旧来のハンズ精神を失ってしまうことだけは避けてほしいので、店舗によって変化というか、
うまく個性をつけて幅広くやっていってほしいと願うばかりである。

そして大阪の東急ハンズはもうひとつ、天王寺駅の南西、阿倍野エリアにもオープンしたので行ってみる。
「ViaあべのWalk」と「あべのマーケットパーク Q's MALL」からなる「あべのキューズタウン」、
それがこの4月から営業を開始したのだ。ハンズはQ's MALLの地下1階に入っているのだ。

 あべのキューズタウン。阿倍野らしいやや下町的な雰囲気もかすかに残る。

こちらのハンズは「ららぽーと型」と形容すればいいのか、ワンフロアを広く浅く占めている感じ。
僕のなじみのあるところでは、川崎や豊洲のハンズとだいたい同じような雰囲気である。

うろうろ歩きまわって、東急ハンズがフロア数に応じて店舗の特徴を持たせているのがよくわかった。
渋谷・池袋・横浜はハンズが建物全体を占めているわけで、これがいちばんハンズらしいハンズ。
地方都市では札幌・広島・あと大阪の心斎橋もこのパターンだ。名古屋ANNEXもそうだろう。
それに対して新宿・銀座・名古屋駅・梅田・博多はビルの複数フロアを占めるパターン。
この場合、ハンズらしさよりはオシャレな雰囲気を優先しているように思う。新興タイプだ。
最後に豊洲・北千住・川崎・柏などのワンフロアタイプ。これは広く浅くで、あると便利なんだけど、
ハンズらしさを味わうことを目的として訪れるにはちょっと物足りない。でも確かに便利。

そういうわけで、ハンズの真髄に気がついた後は梅田に戻って日記を書いてバスに乗り込む。
本当にハードな一日だった……。明日、出勤するのが怖いわホントに。


2011.5.14 (Sat.)

土曜参観。ほぼフルコースで授業があり、終わったときにはもうほとんど瀕死の状態。
1年生の授業でも2年生の授業でも、これといって凝ったことはせず、素直にいつもどおりの内容にした。
というかもう、外向けの見栄えのいい授業なんて考える余裕がない。それにそもそも、僕はそういう発想が嫌いだ。
ふだんの授業の質を上げることこそが理想なのだ。研究授業みたいな生徒をダシにした自己満足は、
本質からまるっきりはずれた行為だと思うのだ。そう割り切っているから、いつもどおりにやる。
慣れている3年生の授業では「辞書を引く練習じゃー!」ということにしてみんなでスクラブル。
まったく参観向けではない内容で本当に申し訳なかったのだが、もう気力の限界じゃ。無理じゃ無理。
でもスクラブルはどんなに英語が苦手な生徒でも真剣に辞書を引いて取り組むので、そこがすごくいいのだ。
そういう表情を見られるだけでもいいんじゃないの、と割り切ってやりきるのであった。お疲れ、自分!


2011.5.13 (Fri.)

宿題チェックと明日の土曜参観の授業準備でキリキリ舞いじゃー! テストつくってるヒマなんてねぇー!

いつもの「テスト1週間前」の週末は、部活がないので旅行に行っちゃってギャー! テストつくるヒマねぇー!
というのがお約束である。帰りの電車の中や飛行機の中でスンスン泣きながら長文を組み立てることしばしばである。
しかし今回はそこに土曜参観が入ってきたので、さすがに旅行している余裕なんてないわ、と思ったのも束の間、
京都×富山の試合がこのタイミングで入ってきちゃっていたのである。気がつけば夜行バスを予約しておりました。
したがってこの週末は土曜が授業、日曜がサッカー観戦で、しかも東京に戻るのが月曜の朝ということになり、
まったくテストづくりに充てることができないのである。いや、まあ、自己責任ではあるんですけどね、まあ。
テストづくりは余裕を持ってやろうと毎回反省しているのに、結局できない。ダメ人間でございますね。


2011.5.12 (Thu.)

僕はサッカー部の顧問なので、授業にイエローカードとレッドカードを導入してみた。
授業中によろしくない行為があった場合、まずは注意。それを聞かないで行為を繰り返すと、イエロー(警告)を提示。
そんな感じでやってみたら、意外とこれが効く。もちろんお調子者の男子がカードコレクターぶりを発揮したりもするが、
一回の授業の中で2枚イエローをもらうとレッドということで、最低限のラインは守ろうとするのがほほえましい。
レッドが出ると廊下に退場!というわけにはいかないので、代わりに宿題を2倍やらなくちゃいけないということにする。
2倍の分がないと、提出したと認めない。ちなみにJリーグのルールに合わせて、イエローは累積4枚で宿題2倍である。
まあなんだかんだでイエローやレッドの提示を嫌がるところは素直でいい子どもたちだなあ、と思う。
そんな具合にまたひとつ、面白おかしくマジメな取り組みを目指してやっております。


2011.5.11 (Wed.)

連日この話題で申し訳ないのだが、もう宿題チェックでフラフラだ!
まだ英語に慣れていない1年生のノートは、毎日見るたびに暗い気持ちになってしまうよ!
2年生は2年生ですごく数が多くて、しかもみんなマジメに宿題をやるから、こっちもマジにならざるをえない。
僕のやり方に慣れている3年生のチェックがいちばん楽。早いところ全学年がそうなってほしいなあ。


2011.5.10 (Tue.)

毎日授業と部活と宿題チェックで、家に帰ってから日記を書く気力が残らん。
そもそもきちんと日記のネタになるようなことをしていないのだ。特に平日は。
もっと本を読んだり音楽を聴いたりDVDを見たりしなけりゃいかんのだがね。その気力が残らん。
そこを無理して習慣づけていかないと、教養のあるオトナとして成長できないのだが。うーむ。
もっともっと効率よく動いて、もっともっとエネルギッシュにやっていけるようにならなくちゃいかんなあ。


2011.5.9 (Mon.)

2年生連中が、どうも自分の宿題のできばえが丁寧であると過大評価をしているようだ。
僕から見ればぜんぜんなっていないのだが、どんなにアドバイスを書き込んでも直そうとしないのだ。
そこで、連中に僕が会社勤めをしながら通信教育でヒーヒー言ってた時期のノート(→2007.4.11)を見せることにした。
そしたらみんな目を丸くしていたね。さすがにこれはけっこういい刺激になったようで、以後、
連中の宿題ノートはだいぶ見るに値する内容になってきた。いやー、あのとき努力しておいてよかった。

午後、近所の小学校に出張して英語を教える。というか、僕がメインで教えるというよりは、ALTの代役。
カードに描かれた果物だの動物だの色だのを読み上げる役。オレの発音でいいの?と思うんだけど、やる。
なんとも不思議な気分でやったけど、これはこれでALT気分になれる貴重な機会だったわけで、
まあたまにはこういうふうにいつもと違う視点になれるというのは大切なことだな、と思うのであった。


2011.5.8 (Sun.)

部活を終えると急いで電車に飛び乗って新宿へ。そこから京王線に乗り換えて飛田給へ。
安間監督率いるカターレ富山が東京スタジアム(味スタ)に来るっつーんだから、観ないわけにはいかないでしょう。
富山を迎え撃つFC東京は、ダントツのJ1昇格候補に挙げられながら、ケガ人続出で浮上のきっかけがつかめないでいる。
とはいえ代表クラスの有名選手をそろえるFC東京と、3-3-3-1という勇気あるチャレンジを続けるプロヴィンチャ・富山。
どう考えてもFC東京のほうが有利なのだが、そこを富山がどう戦うのかこの目で確かめるのだ。

  
L: 道に置かれたコーンもFC東京のチームカラー・青と赤という洒落っ気全開。ヴェルディのときはどうだったか覚えてないや。
C: けっこうな賑わいで、J2に降格したとはいえFC東京はしっかりとファンに支えられているなあと思う。
R: 試合直前、ピッチに水が撒かれる。ハイテクだ! 今日はGW最終日だが、夏よりも強烈な日差しだった。

いつものようにバックスタンドの最もアウェイ側に近いエリアに腰を下ろす。凄まじい日差しが直撃する。
しょうがないのでさっきまで部活で来ていたウェアを頭に巻いて観戦することに。脱水症状になりそうだ。
ゆっくりと広い客席を埋めていくFC東京サポに負けないくらい、富山のサポはなかなか熱い。
『You'll Never Walk Alone』の間もまったく関係なく自分たちのチャントを歌って士気を鼓舞する。
そしてそれができるだけの声が出ている。がんばるアウェイサポを見ていると、こっちの気分も良くなるってものだ。

試合が始まると、やはり富山が果敢に攻める。3-3-3-1の完成度は3月より高まっており(→2011.3.6)、
プレーに迷いがみられない。相手よりも多く走ることで自分たちより巧い選手たちに対抗しようとしている。
ところがさすがにこの天候ではコンディションが狂うのか、富山は前半のうちから負傷での選手交代が発生。
前半で2名を代え、さらに後半に入った57分にも池端が負傷退場。これではゲームプランも何もあったもんじゃない。
しかもこの試合、富山の安間監督は「一泡吹かせよう」ということで、DFの選手を帯同させなかったのだ。
(そもそも富山は資金的に厳しいこともあって、この試合のベンチ入り選手は規定より2名少なくしていた。)

プランが崩れた富山だが、それでも攻める姿勢は変えない。相手より力が劣っていても、決してひるまない。
FC東京の方が攻める時間は圧倒的に多い。でも、カウンターでは全員が勇気を持って前へと進んでスペースを埋める。
僕が見たかったのはまさにそういうサッカーなのだ。しかし、やはり現実は甘くない。
富山は何度も攻めかかるが、今野と森重という日本代表レベルのCBに確実に止められてしまう。
FC東京はほかの選手たちもひとつひとつのプレーを効果的にこなし、富山のスタミナを確実に奪っていく。
それで富山のプレーにミスが目立つようになる。正確にプレーを続けていくFC東京と、途中で止まる富山。
サッカーが強いというのはどういうことか、僕はいつも試合を観ながら言語化を試みるのだが(→2010.6.14)、
この試合では「選手の気が利くこと」ではないのか、と思った。FC東京には気が利く選手が多いのだ。
富山が走ってつくったパスコースを素早くつぶす。それが繰り返される。まるでモグラたたきだ。

 ゴール前まで迫る富山だが、あともう一歩先へと進むことができない。

運動量の落ちた富山のカウンターは目に見えて減り、その分だけFC東京が押し込むようになる。
そして81分、途中出場の元日本代表MF羽生がゴール前の混戦状態に飛び込んで、決勝ゴールを決めた。
富山は極限まで粘ったものの、最後の最後で残酷な力の差を見せつけられることとなった。
だが、試合をその目で見た者ならわかったはずだ。自分を信じることのできるチームである富山が、
どれだけたくましい戦いをしていたか。汗をかくことの美しさを教えられたゲームだった。

  
L: ゴール裏へと向かう富山の選手。後ろの空気を調節することで踊る(ように見える)人形が妙に面白かった。
C: 選手の健闘ぶりを大いに讃える富山サポ。今の富山は迷いのないサッカーができている。それが共感を呼んでいる。
R: こちらはFC東京の選手の皆さん。おおー今野だー権田だー徳永だー。

あらためて、富山のひたむきなサッカーにすっかり魅了された。周りのFC東京サポに富山のサッカーはどう映ったのだろう。
それは負傷退場を出しまくった末の、無名な選手の必死のもがきにしか映らなかったのかもしれない。
あるいはもしかしたら、ひとつのことをひたすら信じる意志の強さに畏怖を感じたかもしれない。
格上クラブならではの悩みに苦しむFC東京と、格下クラブらしからぬ自信を貫く富山との勝負。そして格上が勝った。
この一瞬の交差が持つ意味はなんだったのか。まあその繰り返しこそがまさにサッカーだ、ってなことなんだろう。


2011.5.7 (Sat.)

本日は姉歯祭りなのである。こないだニシマッキーと観劇した際に僕が思いついた案にのっとり、
震災復興支援という名目で東京都内にあるアンテナショップを訪れまくるのだ。
アンテナショップとはつまり、企業・自治体などが商品を紹介したり客の反応を調べたりする目的で出す店のことだ。
特に自治体の場合には、特産品と地元のPRが主たる目的となっており、手軽に旅行気分がちょっとだけだが味わえる。
今回はそれらを時間と体力の許すかぎりあちこちまわって、各県をネタにしていろいろ楽しもうという魂胆なのである。

朝の10時に東京駅八重洲口に集合するが、生憎の空模様。でもまあ今回は特に天気を気にしなくていい内容なので、
まあそんなもんだわな、と淡々と受け止めるのみ。北方領土を返せという昭和な看板をボケーッと眺めて待つ。
10時を過ぎてしばらくして全員集合。今回は僕・ニシマッキー・みやもり・マサル(到着順)というメンツである。
さて東京駅に集合したのには理由がある。なぜか各県のアンテナショップはこの界隈に集中しているのだ。
社会学的にその謎をさらっと解けないのが悔しいが、わからんものはわからん。
この辺りにはほかにも地方銀行の東京支店が多く存在しているが、それと関連があるのかもしれない。

まずは日本橋三越方面へ。東京都区分地図を片手に歩く僕とスマートフォン片手に歩くニシマッキーは対照的である。
最初に訪問したのは、島根県のアンテナショップ。島根というとかなりマイナーなイメージしかないのだが、
店内はさすがに品物が豊富。1県目にして早くもマサルはあれもこれもと買い物三昧なのであった。
地方牛乳マニアの僕としても「今日は(牛乳を)飲むぜぇー!!」とテンション最大でレジへ。
そんなふたりをニシマッキーとみやもりは冷静に見つめているのであったことよ。

島根の次はすぐ近くの奈良県。やはりせんとくんグッズが異様に充実しているのであった。
クリアファイルマニアの僕としても仏像クリアファイルの充実ぶりに興奮せざるをえなかった。
店内では奈良県出身の堂本剛がニューシングルを出すということで大規模にキャンペーン中。
彼をコメディアンとして尊敬してやまないマサルはひたすら「縁(えに)を結いていこうや!」と繰り返すのであった。
そして新潟県も期間限定で店を出していたので(本来の店舗は青山にある)、新潟県出身のニシマッキーを先頭に入る。
笹団子を100円で売っていたので全員購入。餅の歯ごたえといいヨモギの風味といい、大満足の逸品でしたな。

 日本橋にてアラサー男どもが笹団子をかじるの図。

その後は山口、山梨……と周辺のアンテナショップをしらみつぶしに制覇していったのだが、
もういちいち書くのが面倒くさいのでカット。各店の店先でマサルに記念写真をムリヤリ撮らされて、
それを編集した画像を用意したので、それを見て何があったのかをテキトーに想像してください。

驚かされたのは北海道の充実ぶり。質と量、ともに他を圧倒する魅力的な品々が所狭しと並んでいた。
町村農場のバターも売っていたので「おう、買わいでか!」と買ってしまったよ。まあしょうがないやね。師匠だもん。
北海道のアンテナショップには小規模なフードコートも併設されていたのだが、予想に反してこれがよくって、
安くて旨いメシをしっかりといただくことができた。これは誰にでもオススメできる店ですわ。

で、肝心の東北地方のアンテナショップだが、福島県は僕らと同じように復興支援ということで訪れる人が多く、
魅力的な商品はすでに売れてしまっていたのかな、という感触。マサルはその状況に対してずっと悪態をついていたよ。
岩手県のアンテナショップは広くて品数も豊富。ただ、隅にある休憩コーナーには被災者情報のファイルが置かれ、
被災地の衛星写真や現地の人々の姿を映したポスターなどもあった。東京にいる僕らにはなかなか想像のできない、
厳しい現実を突きつけられた。アンテナショップの賑わいも被災地の惨状も、どちらも同時進行の現実なのだ。
青森県は街のコンビニを改装した感じの地味な店舗。商品の8割はリンゴとニンニク。しかしリンゴジュースの味は格別。

ところで岩手県のアンテナショップには、東京駅周辺のアンテナショップの分布をまとめたパンフレットが置いてあった。
むしろ他のアンテナショップに一切置かれていない理由がよくわからないのだが、これが非常にわかりやすくて重宝した。
というわけで、それ以降は便利なパンフレットを片手に歩きまわることに。

熊本県の店で一休みした以外はひたすら歩きどおしで、さすがにみんな疲れてしまい、ゴールを設定することに。
有楽町にある「東京交通会館」は合計11店舗が入っているいわばアンテナショップの「聖地」なのだが、
ここに長野県の店もあるということで、自然とそこがゴールという雰囲気になるのであった。
でも実際に訪れてみると、ろくすっぽ物を売っていないんでやんの。長野県の勝負弱さを痛感させられたなあ。

東京交通会館を制覇すると、復興支援のラストボスということで、池袋の宮城県の店まで移動することに。
そしたらマサルが空気を読まずにここで勝手に帰りやがるのであった。何しに来たんだ。ケーキ代返せ。
池袋の店に着くと、みやもりもニシマッキーも積極的に買い物。僕も本日何本目かわからない牛乳をいただく。
ほかはみんな東京駅周辺なのに、なんで宮城は池袋なんだろうね、なんて話をしながら2階に上がると、
そこには『戦国BASARA』の伊達政宗と片倉小十郎が。実際、女性の来店者が何組か吸い寄せられており、
そうか、これは乙女ロードを生かした立地だったのか、と疲れてハイになった脳みそで結論づけるのであった。

最後は飲んでダベっておひらき。しかしさすがに日本の半分を一気に制覇したせいで、今回は本当に疲れた。
でも東京ってのは日本全国のあらゆる名産品が手に入る、すごく素敵な場所だということがわかって満足である。


2011.5.6 (Fri.)

宿題チェックに追われてヒーヒー言っております。今年は全学年の英語を担当しているわけで、
今まで僕の宿題スタイルに慣れているやつが相手ならまだいいんだけど、そうじゃないやつが大半となったのだ。
特に1年生は今が肝心で、変なクセをつけないためにも、最高レベルの懇切丁寧さでチェックを入れなければならない。
ひどいときには一日で100人分近い量のノートを見ることになっているのだが、これがまたミスだらけで、
ひとつひとつそれを指摘していくのにとんでもなく時間がかかる。授業の空き時間なんて知れているわけで、
結局それらは部活が終わった後に本格的にチェックしていくことになるので、最近は帰宅時間が遅いのだ。
家に帰ってリフレッシュする暇もなく、気がつけば寝ていたなんてこともちょろちょろ。参った。
まあ連中が慣れてくれば状況も改善されるだろうから、今はガマンするしかない。手が抜けないんですよ、ホント。


2011.5.5 (Thu.)

『ウゴウゴルーガ』のプレゼントBOXをもったいなくて開けずにそのままにしておいたら、
時間が経ってうまく変化して別の種類の中身に変わっていた、という素敵な夢を見た。


2011.5.4 (Wed.)

GWでせっかくの休み、どっかに行かなきゃやってらんねーぜ!ということで、近場の市役所めぐりに出る。
今回はJRのホリデー・パスを利用して、相模線沿線の市役所を一気に攻めるのだ。

朝早く起きて大井町に出ると、ホリデー・パスを購入。これは青春18きっぷのようなものだが、
使える範囲がけっこう狭い。でもまあ、自由気ままに乗り降りするにはなかなかよろしいアイテムである。
それで今回のスタート地点である平塚に移動。湘南ベルマーレの試合がらみで来るのもよかったが、
まあそれはそれということで、とりあえず今回は平塚からスタートして神奈川県の市役所をいろいろ訪れる。

それにしても平塚駅は都会だ。バスがやたらめったら停まっているし、道を頻繁に行き来している。
駅ビルの規模も大きい。いつもは東海道線で気にすることなくスルーしている街なのだが、
こうしてあらためて訪れてみると、今まで無視してきたことがとても申し訳なく思える。
そんな具合にキョロキョロ周囲を見まわしながら国道1号を渡ると、そこは平塚八幡宮。そのまま参拝する。

  
L: 平塚駅と駅前で並ぶ無数のバス。平塚ってこんなに都会だったのか!と今さら驚くのであった。
C: 平塚駅から北へ進む。まずはその道の広さに圧倒された。  R: 平塚八幡宮。地震をきっかけに創建されたそうだ。

平塚市役所はその平塚八幡宮のすぐ裏にある。駅からわりとすぐの距離である。
神社の木々が途切れると、1964年竣工という市役所が姿を現すのだが、これが見事に典型的な庁舎建築。
絵に描いたような高度経済成長期のモダニズム庁舎そのもの、なのである。もう、すばらしいとしか言いようがない。
しかし(僕にとっては)大変残念なことに、老朽化と狭隘によって全面的な建て替えが決定してしまった(⇒経緯はこちら)。
現在地で業務を続けながらの建て替えということで、まずは議事堂を今月末から解体して高層部を先につくり、
次いで今の庁舎を解体して低層部と駐車場をつくるんだそうだ。つまり僕は最後の瞬間に立ち会ったわけだ。
これは見事だなあと思ってデジカメのシャッターを切ったが、これがお別れだと思うと切なくてたまらない。

  
L: 平塚市庁舎の本庁舎。もう、絵に描いたような高度経済成長期のモダニズム庁舎建築だ。美しさを感じませんか?
C: この部分も本庁舎。低層と高層を交差させるスタイルなのだ。  R: こちらは本庁舎が伸びた先にある消防庁舎。

 
L: 角度を変えて芝生のオープンスペースより撮影。品があるよ。  R: さらに近づいて撮影。うーん、ピロティ。

もうすぐ解体されてしまう議事堂がまたいい。庁舎の南側にかなりの存在感で建っているのだ。
側面には立体的なオブジェが貼り付いており、戦後らしいパブリックアートへの意識を感じさせる。
議事堂じたいにこれだけ熱い装飾を施している事例はそうそうない。壊してしまうのは本当にもったいない。

 
L: 平塚市議会議事堂。端整な市庁舎とは対照的に、立体的に施されている装飾が熱い。
R: 側面をじっくり眺めてみる。こんな凝った議事堂は珍しい。なんとかならなかったのだろうか。

平塚の次は茅ヶ崎。茅ヶ崎というとサザンオールスターズなんだろうけど、当方まったくサザンに興味が湧かない。
どこがいいのかよくわからない。でもみんな支持してんだから、きっといいんだろう。ちょっと淋しい気もするが、
わかんないもんはわかんないんだからしょうがないのだ。高校の物理班でもファン多かったしなあ。わかんねえなあ。

 茅ヶ崎駅。ペデストリアンデッキの存在感がかなり大きい。

茅ヶ崎市役所は茅ヶ崎駅のペデストリアンデッキを降りて、そのまま国道1号をくぐる地下道を抜けたところにある。
竣工したのは1974年、設計したのは山下設計だ。1970年代中盤には凝った庁舎建築も登場するようになるが、
茅ヶ崎市役所は色づかいも真っ白で、かなりシンプルな部類と言えるだろう。でも各階で伸びる庇は個性的だ。

  
L: 茅ヶ崎市役所の入口。地下道からのアクセスだと、そのまま2階へ入ることになる。こちらはその2階入口。
C: 角度を変えて撮影。これも2階入口。  R: 歩道橋から裏側を撮影。茅ヶ崎は歩車分離が大好きだなあ。

この茅ヶ崎市役所も、老朽化によって建て替えが予定されている。市役所のHP(⇒こちら)を見ると、
耐震工事では防災拠点として必要な強度を確保できないという主張が盛んになされており、
それが新庁舎建設の理由とされている。東日本大震災の影響はこういった面にも現れているようだ。
津波の心配がある海辺の自治体では特に深刻なんだろう。なるほどなあ、と思う。

  
L: 裏手にあるプレハブの仮設庁舎。  C: こちらは頑丈そうな分庁舎。  R: 駐車場から見た本庁舎の側面。

さて茅ヶ崎からは、いよいよ相模線である。今まで乗ったことがないのでどんなもんずら、と思いつつ窓の外を眺めるが、
風景は都心から離れた穏やかな住宅が中心。土の色や緑が家並みに混じる、のどかな時間が流れている。

宮山駅で降りる。せっかくなので相模国一宮である寒川神社にもお参りしておこう、というわけだ。
この日は寒川神社で何やらイベントがあったのか、僕と同じように宮山駅で降りてのんびり神社へ歩く人がわりといた。
Wikipediaの説明によれば、寒川神社はテレビ業界では「視聴率祈願の神社」として知られているんだそうだ。
何がどうしてそうなのかはよくわからないが、わりとオールラウンドに祈願のできる神社のようである。

三の鳥居と太鼓橋のところからまわり込んで参拝開始。しかし太鼓橋は工事中のようで、非常に味気ないのであった。
すぐ近くに緑が迫って鬱蒼としている参道を抜けると神門が現れる。これを抜けると回廊に囲まれた中、
左右に砂利が敷かれた参道がすらっと伸びて本殿へと至る光景となる。平成に入っての建築なのだが、
使われている木材の色が深くて威厳を感じさせるようになっている。見事なもんだ、と思う。

  
L: 寒川神社の三の鳥居。太鼓橋は工事中で姿が見えず。しかしこれはなんとも味気ない。
C: 1993年竣工の神門。  R: 1997年竣工の本殿。廻廊もあって厳かな雰囲気がうまく演出されている。

寒川神社はほかの神社以上に、参道から拝殿に至るまでの参拝コースをできるだけ小さく抑えている印象だ。
広大な敷地の端っこだけを参拝コースにしておいて、残った空間を贅沢に使っている、そんな気がする。
それは別に悪いことでもなんでもないし、神社の勝手なので文句はないが、なんかこう、相模国一宮なんだし、
もうちょっと一般の参拝客に対してその威厳をはっきり見せつける空間構成にしてもいいんじゃないのと思う。

宮山駅まで戻ると、近くのコンビニで一服して電車を待つ。ホームに出たら、住宅と農地ばかりの中に突如、
建設中の高速道路か何かの高架が空を塞ぐようにして伸びている光景が見えた。実にアンバランスだ。
もう何年後かには、この辺りは今とまったく違った光景になってしまうのだろうか。

 宮山駅のホームにて。高架が完成したら周りも変化するのかな。

さて相模線は厚木駅を通過するが、厚木市役所は厚木駅からだと遠い。小田急線の本厚木駅が最寄なのだ。
だからって無視するのももったいないので、いったん海老名駅まで行ってしまう。そこから小田急に乗り換えて、
本厚木で降りて厚木市役所に行ってみるのである。わざわざ面倒くさいのだが、好奇心の方が上なのだ。
さてこの本厚木は「いきものがかり」のゆかりの地ということで、電車が来るときのBGMが『YELL』なのである。
このメロディは短調だから電車には適してないだろうに、と首をひねる。そもそも「いきものがかり」は、
あらゆる点において売れるために狙っている感が満載なのであまり好きではない。リーダーが一橋だけど。

 本厚木駅。小田急って感じですなあ。

本厚木駅前の商店街を抜ける一歩手前で右に曲がると厚木市役所本庁舎だ。
本庁舎の正面は中央公園側なので、まずは裏側からご対面である。写真を撮って表にまわるが、
あまり裏と変わらない姿だ。これまた典型的な庁舎建築だなあと思いつつ、あらためて撮影。

  
L: 厚木市役所本庁舎。中央公園から県道を挟んで撮影。  C: 角度を変えて撮影。うーん典型的。
R: 裏側もほとんど一緒なデザイン。2005年に佐藤総合計画が免震工事をやったみたい。

本庁舎にしっかりとした耐震補強を施したのは、すぐ近くに背の高い第二庁舎をすでにつくったから。
厚木市はこの二本体制でしばらくずっとがんばるつもりなのだろう。市によって考え方もそれぞれだ。

 厚木市役所第二庁舎・厚木ビジネスタワー。

海老名駅まで戻ると、そのまま海老名市役所へ行ってみる。相模線の海老名駅は荒野の中にたたずんでいるが、
小田急線の海老名駅から南口に出ると、そこはまるで別世界。ペデストリアンデッキからそのまま商業施設に出るのだが、
これがまあ原色だらけでずいぶんとド派手。しかもゴールデンウィークということでかなりの大賑わいなのだ。
この一帯は「ビナウォーク(ViNA WALK)」と名付けられているようだ。海老名は恐ろしく都会だと呆れる。
しかし男ひとりで商業施設に興奮していてもしょうがないのである。歩道に降りて南へ歩く。

ビナウォークを後にして進んでいくと、左手にまたも商業施設が見えてきた。しっかりと賑わっている。
これは大したもんだなあ、と思ったのも束の間、しばらく行ったら右手には広大な田んぼが現れた。
そしてその向こうに真四角の巨大な建物がたたずんでいるのが見える。まああれが海老名市役所だろう。
さっきの海老名駅の賑わいとは対照的な、のどかな農村地帯の光景、そしてマッシヴな市役所。
地元住民と思われる人々はみんな自転車に乗っており、歩いている人などほとんどいない。
海老名ってのも実にさまざまな面を持つ街のようだ。確実に言えるのは、広大な土地があるということか。

 海老名市役所が見えてきた。海老名が都会なのは駅周辺だけなのか?

さて海老名市役所に到着すると、デジカメで撮影を開始する。巨大なので広角で歪む。
幸いなことに駐車場も広いので、たっぷりと距離をとって撮影する。海老名の土地はありあまっているようだ。
海老名市役所は1989年の竣工。いかにも平成オフィス建築らしい巨大さである。ガラス面積はそれほど大きくない。

  
L: 海老名市役所の側面。四角いなあ。  C: 正面に少しまわり込んだところから撮影。やはり四角い。
R: 広大な駐車場のおかげでわりと余裕を持って撮影することができる。これは正面の逆サイドからの撮影だ。

撮影している間にも、地元住民たちが次から次へと自転車で駆け抜けていく。
どうやら海老名は郊外型社会の代表的な存在であるようだ。興味深い街である。
海老名駅に戻って、あらためてビナウォークの賑わいぶりに圧倒される。神奈川ってのはやっぱり都会な場所なのだ。

 
L: 小田急線海老名駅に直結しているビナウォーク。海老名中央公園と隣接して広いが、しっかり賑わっている。
R: 小田急線の海老名駅からJR相模線の海老名駅へと向かう。周囲は開発中の荒野といった印象。土地だらけだ。

相模線の終点は橋本駅。そこで横浜線に乗り換えて、ちょっと戻って相模原駅へ。
本日の市役所めぐりの最後を締めるのは、相模原市である。相模原市は昨年4月1日に政令指定都市になった。
やっぱり政令指定都市の市役所ぐらいは制覇しておかんとな、ということでの訪問なのである。

相模原駅に着いてまず驚かされたのは、線路の東側を完全に占領している在日アメリカ陸軍の相模総合補給廠だ。
平和な日本で巨大な外国の軍事施設が、街の真ん中を押さえている。慣れていない僕には異様な光景である。
もっとも、もともと相模原は軍事都市として計画された街である。それが今でも生きているだけのことだ。
東京近郊で地価の安い平らな土地ということで、1930年代後半から陸軍の施設が集中してつくられるようになる。
そして1940年に軍事施設を軸にした都市計画事業が本格的に始まるが、第二次世界大戦で頓挫する。
戦争が終わると旧日本軍の施設はアメリカ軍に接収される一方で、区画整理事業も進行していき現在に至る。

相模原駅のペデストリアンデッキから下りて、国道16号を目指す。道はゆったりと広く、スケールが大きい。
国道16号に出るとそのスケール感はさらに大きなものとなる。というのも、4車線道路の脇に自転車用の道路があるのだ。
車道との間に分離帯を挟んで余裕たっぷりに自転車専用の道路があり、さらに街路樹つきの歩道がある。
どれだけ贅沢に道路をつくったんだ、と呆れるが、それにふさわしい交通量があるのもまた事実。
そしてこの余裕のありすぎるほどの広大な空間構成は、上記の戦前~戦時中の都市計画によるものなのだ。
戦前の日本軍の持っていた権力ってのはこんなにも大きかったのか、と思いながら歩いていてずっこける。
目の前には「焼肉小倉優子」の巨大な看板があったのだ。昔は昔、今は今、だなあ、と苦笑いして横を通りすぎる。
まあでも正直、一度くらいは実際に入ってみたいりんこ。HQS同期会の姉歯祭りでいかがでしょうか。

そして国道16号ともうひとつ、東西方向の軸として計画されたのが市役所さくら通りである。
戦後になって桜並木として整備され、市を代表する道路となっているのだそうだ。やはりこちらもスケールが大きく、
車道と歩道の間に桜並木のほか、もう1車線分の道路がある。車止めがあるおかげで、この道の用途がよくわからない。
相模原の中心部ってのはスケールが巨大すぎて、なんとも独特な空間になっているのであった。

  
L: 相模原駅。郊外の住宅地以上の存在ではないため、商業施設はそれほど大規模ではなかった。
C: 国道16号を行く。車道・自転車専用道路・歩道と、実に贅沢な空間の使いっぷりである。
R: 市役所さくら通り。国立で言ったら大学通りみたいなものか。春にはかなり見事な光景になりそうだ。

さてそんなこんなでかなり歩かされて相模原市役所に到着。1969年に竣工したらしいのだが、
市域や都市空間と同様に、デザインのわりにオーヴァースケールな建物である。変にデカい。
昭和40年代の保守系庁舎としては珍しくない形をしているのだが、低層部分がやたらと大きいのである。
敷地の入口のところから撮影を試みるが、うまく収まらない。それで位置をずらして斜めに撮影するが、
やはりこれもダメ。しょうがないのでやけくそでパノラマ撮影してみたら、これがうまくいく。
なんとも不思議な市役所なのであった。スケールの大きさで勝負する、ということでは一貫しているかな……。

  
L: 相模原市役所を正面の入口より撮影。  C: ちょっと入って向かって左側が入るように撮影。
R: 敷地の南東端より撮影してみた。わりときれいに撮れたけど、これだとちょっとスケール感がわからない。


おまけ気分でパノラマで撮影したら予想以上にうまくいって動揺してしまった。デカいんですよ、相模原市役所。

  
L: 相模原市役所の側面。  C: 裏手にある第1別館。  R: 敷地を一周して眺めてみた第2別館。

というわけで撮影を終えると、そのまま市役所さくら通りを歩いて駅まで行くことにした。
駅に近づくと商店街らしき雰囲気が漂うようになるが、いかんせん街のスケールが大きすぎるので、
どうしてもさびれている印象がより強調されてしまっている。青森市の柳町通り(→2008.9.14)に雰囲気が似ている。

 パブリックアートが置かれるなど、贅沢な空間の使い方である。

相模原駅前でメシの食える店があれば迷わずそこに入るつもりだったのだが、イマイチ琴線に触れるものがなく、
しょうがないので改札を抜けて立ち食いのうどんをいただくのであった。貧相な昼メシで、どうもいかん。
さてこれで今回の市役所めぐりはいちおうおしまいである。しかしまだ時間があるのでどこかへ行きたい。
それでよく考えてみたら、横須賀線の最果てまで行ったことがないという事実に気がついた。
というわけで、横浜線でそのまま横浜に出て、横須賀線の終点・久里浜を目指すことに。

さすがに歩きまくって疲れたので、横浜線の中の記憶はない。横浜駅に着く直前でしっかり目を覚まし、
横須賀線に無事に乗り換える。これまたあとは終点を目指すだけなので、記憶をぶっ飛ばして眠る眠る。

横須賀駅を抜ける辺りで目を覚ます。ここから先は未体験ゾーンなので、しっかりと外の風景を眺めることにする。
が、いきなり長いトンネル。前にも書いたが、横須賀は山がちで平らな場所は少ないのだ。
電車は山腹を一気に突っ切って、三浦半島の先端を目指す。そうしてトンネルを抜けると衣笠駅。
衣笠から先は平作川と並走する。住宅と運動場と工場が混在する景色を進んでいき、電車は止まった。

久里浜駅に着くと、まずは際果てチェックということで線路の先を眺める。
横須賀線の際果てはカーヴしており、ホームの端からうまく見ることができなかったのは残念。
さてせっかくここまで来たわけだから、テキトーに辺りをウロついてみることにするのだ。
改札を抜けると、人の流れに沿ってそのまま京急久里浜駅方面へと歩いていく。
ガードを抜けて京急の線路をくぐり、京急久里浜駅とご対面。ずいぶんしっかりとした駅ビルだ。
さっきのJRの久里浜駅とはえらい違いだなあ、と驚く僕なのであった。

  
L: 久里浜駅のホームにて際果てを眺める。先はカーヴになっていて、何がどうなっているのかわからない。
C: JRの久里浜駅。横須賀駅のときもそうだったけど(→2008.9.3)、特にこれといって特徴がない。
R: こちらは京急久里浜駅。JRとはかなり規模が違う点がやっぱり横須賀に似ている。立派だなあ。

久里浜は横須賀市の一部である。横須賀の中心部は以前に訪れたことがあるが(→2008.9.3)、
ここまで来たことはないのでよくわからない。とりあえずアーケードの商店街を軽く散策すると、
海まで歩いてみようか、という気になったので、素直に行ってみることにした。

 アーケードの久里浜黒船仲通り。少し元気がなかった。

久里浜は完全に宅地化されており、歩いても歩いても住宅ばかり。古くからの住宅もあれば、
そんなに歴史のなさそうなマンションもある。それに対応して商店も点在しているが、
久里浜駅前の商店街が終わってしまうと街の表情はだいぶ変化に乏しいものとなる感じである。

15分ほど歩いたところで、ついに海に出た。道路を渡るとそこは砂浜になっている。
ゴールデンウィークということでか、やたらめったらバーベキューをやっているのであった。
見た感じ、茶髪に日焼けの派手な感じの皆様が多い。大音量で音楽をかけたりなんかして。
砂浜の先には埋立地の工業地帯があり、大きな煙突が複数立っている。横須賀火力発電所だろう。
子どもたちが遊ぶ砂浜の向こうに火力発電所というのは、なかなかシュールな光景に思えた。

しばらくバーベキューの脇を歩いていくと、砂浜に面した公園に着いた。これがペリー公園。
ペリーが最初に日本に現れたのは浦賀沖だが、久里浜はその浦賀の山を挟んだ隣に位置しているのだ。
そして久里浜は、実はペリーが初めて日本に上陸した場所なのである(つまり浦賀には上陸はしていない)。
ペリー公園で最も目立っているのは、なんといってもペリー上陸の記念碑。
伊藤博文が揮毫して1901(明治34)年に建てられたというこの記念碑、戦時中には倒されてしまったそうだ。
でも戦争が終わって再び建てられて今に至る。裏側は英語が刻まれており、勉強に使えそうな気もする。
そして奥には1987年開館のペリー記念館。入館無料で展示にヴォリュームはないものの、
ペリーの人となりや当時の状況などが非常にわかりやすく説明されており、見応えは十分あった。

  
L: 久里浜の海岸。子どもたちが遊び、大人たちがバーベキューで盛り上がる向こうには火力発電所の煙突。
C: ペリー上陸の記念碑。  R: 記念碑の裏側。書体が雰囲気があっていいよなあ、と思う。

ペリー記念館を出ると、しばらく海辺を歩いて過ごす。でもアウェイな気分が少々切なかったので、
来た道を戻って駅まで帰る。メシまで時間をつぶそうか、と京急久里浜駅の駅ビルの本屋に入ったら、
『GIANT KILLING』の最新巻が出ていたので迷わず購入。まあ、よく動いた休日だったわ。


2011.5.3 (Tue.)

朝から部活、昼からは日記漬けさ! おかげで本日どうにか2010年分の日記を書き終えた。
長かった……。実に長かった。でもまだ年が明けてからも両毛線の旅をしたり水戸線の旅をしたりしているので、
日記の負債完済はしばらくかかりそうである。3月の柳川の分もあともうちょっと手間がかかりそうだし。
そういうときにはGWといえどもどこかへ行かずに日記を書くのに専念すればいいもんなのだが、
まあやっぱ天気がよければデジカメ片手にふらっと出かけちゃうもんなのよね。明日はどこへ行こうかな。


2011.5.2 (Mon.)

詳しくは書けないのだが、去年がんばったことが紙切れ一枚で全否定されるできごとがあって、心底落胆した。
なんというか、いわれのない差別を受けるってのはこういうことなのか、と思わされた。
これだけキツい事態になってしまったのなら、どこかで大きなプラスがないことにはやっていられない。
もう本当に、最低の気分だ。誰かオレの気持ちを引き上げてくれる人はいないのか。つらくてたまらん。


2011.5.1 (Sun.)

3連休の初日(→2011.4.29)と2日目(→2011.4.30)をがんばりすぎてしまったためか、本日はけっこう低調。
それでもどうにかふんばって部活に出る。サッカーをやっているうちに調子が出てくるのは現金なものである。

部活が終わると日記をひたすら書く。たまっている分を飛び飛びで書いていくので、なかなか完成までいかない。
それでもどうにか根性で終わらせた……のは、おとといの分(→2011.4.29)。これじゃあいつまで経っても追いつかないよ。


diary 2011.4.

diary 2011

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