diary 2008.12.

diary 2009.1.


2008.12.31 (Wed.)

今日は年に一度の大晦日で、今年は実家に帰ることもなく、まったくいつもどおりに過ごしている。
おかげで例年以上に、年末という感じがしないでいる。世間の慌しさとは見事に無縁な毎日なのであった。

それにしても年末特番のつまらなさといったらない。どの局もテンポの悪いバラエティ番組ばかり。
ムカついてNHK教育を見てみたら、「クラシック・ハイライト2008」ということで延々とマイペースにやっている。
こりゃBGMがわりにいいやと思って、クラシックを聴きつつ本を読んだり日記を書いたりでテキトーに過ごすのであった。
そのうち弦楽四重奏でスティーヴ=ライヒの『ディファレント・トレインズ』が流れて、こんなのもやるんだなあと思ったり。
やっぱりたまにはきちんとクラシック方面にも触れておかないといかんなあ、なんて考えてみる。

子どもの頃には、クリスマス~正月の一連の流れはそれなりに楽しいものだったが、
こうして切羽詰まった毎日を送っていると、それがまるで前世のことだったんじゃないかってほどに思えてしまう。
変化のない生活というのはよろしくないものなので、来年はもうちょっとなんとかなるようにしたいものだ。


2008.12.30 (Tue.)

年末モードのコンビニはひどくヒマだぜ。客が来ない時間が15分くらい続いて手持ち無沙汰になることも少なくない。
入荷した商品を並べていっても、いつもより量が少ないのですぐに終わってしまう。
ほかの店員と「張り合いないっスねえ」なんて話をしていても、なかなか時間が経たない。
平日の忙しいときには息をつく余裕もなく動き回ることになるのに、ヒマなときは本当にヒマ。極端である。


2008.12.29 (Mon.)

日記がかなりの大スランプに陥っている。

まず、書く気がなかなか起きない。何を書いても面白く思えない。それでしばらく放置。
で、 このままじゃいかんわと反省し、ずくを出してノートパソコンに向かってどうにかキーをたたいてみる。
しかしそうすると、とにかく内容がまとまらないのである。書きたいことはハッキリしているのだけれども、
それがきれいに整理された形の文章として出てこないので、書くべき順序がわからず右往左往してしまう。
僕の日記は情報量があるので、順序が整理されていないとすぐに読み手は混乱してしまう(と思っている)。
だから情報を出していく順序にはいつも気をつかっているのだが、その辺の力加減がどうにもおかしいのだ。
何度書き直してみても、頭の中にある「書くべき情報」がこんがらかったまま解きほぐされず、
それがそのまま文章に出てきている。情報の流れが上手くコントロールできず、一気にあふれ出すような印象だ。
しょうがないので、とりあえず文を書くだけ書き出してみる。「書くべき情報」をいったん表に出すというわけだ。
そして前後関係を意識しながら表現・文節・文を入れ替えるなどして文章を整理していくが、なかなかしっくりこない。

こういうときはもう、あきらめるしかない。体調にいいときと悪いときがあるのと同じように、
文章を書くにも調子がいいときと悪いときがあるのだ。そして日記のスランプは数日続くので、耐えるのみなのだ。
しばらくすれば元に戻って、どうでもいいことを特に気にせずチャッチャカ書けるようになるだろう。たぶん。


2008.12.28 (Sun.)

和辻哲郎『風土 人間学的考察』。この本を買ったのはもう10年以上も前、浪人していたときだ。
たまたま模試の現代文で出題されて(文庫のP.173辺り)、こりゃ読まねばと思って、帰りに名駅地下の三省堂で買った。
で、読んだはいいが内容について日記で書いたことがなかったのに気づいたので、このたび読み返してみたのである。

まず第一章で筆者の態度を明らかにしているが、用語が現象学的なフィルターを通っているため、あまり一般向きでない。
とりあえず「自己」や「人間」という語は、社会性を持った存在ということを前提としているので複数形なんだな、
という理解だけしておいて先へ進んでいくことにした。特にわからなかったのが「自己了解」という言葉で、
これは自然からの作用に対して人間が無意識に反作用をしていることに気づく、意識的に自覚するということなんだろうが、
現象学の勉強をきちんとやっていない僕にはイマイチ自己了解の必要性・重要性がつかめなくて困った。
しかしながらその辺が曖昧でも、第二章以降の文章は読みやすくなるし、論旨は独創的で非常に面白いので心配ない。
あれこれ深くこだわるのはもう少し勉強をしてからでもいいようだ。

内容としては、自然と人間の空間的な相互作用として風土を規定し、そこから人間性や文化について考察を加えていく。
湿潤と乾燥のバランスからモンスーン・沙漠・牧場の3類型を提示し、またさらに細かく分析をしている。
日本を含むアジアのモンスーン型においては、恩恵と脅威をもたらす自然に対して人間は受容的・忍従的になる。
沙漠型では自然は乾燥そのもので、絶対的な脅威だ。それに対抗すべく人間は部族で団結し、人格神を信仰する。
牧場型はヨーロッパを対象に南北に性質が分かれるが、人間にとって従順な自然を征服して合理的な近代を生んだ。
重要なのは、気候や植生などの地理的条件を通した生活という面から人間の歴史を問い直していった点である。
地理的な特徴のみを描写することはなく、そこに暮らす人間の反応から「風土」として読む、という姿勢を貫いているのだ。
そうして世界各地における自然と人間の関係性をアナロジーとして、人間性や文化の相違について大胆に論を展開する。

筆者の感受性はあまりにも鋭すぎる。圧倒的な知識量と旅行の際に天才的な直観で見抜いた事実をもとにして、
世界各地の人間が自然とのやりとりの中でそれぞれどのように歴史を生み出していったのかが論じられる。
言われてみるとうーむなるほど、と納得してしまうのだが、その論理展開は落ち着いて考えてみるとかなり荒っぽい。
というか、科学的に証明のできないことなのである。書かれている内容は確かに納得できる。なるほどそうか、と思える。
でもそれは天才的な直観で結びつけられており、筆者以外の一般人がそれを再現することなど到底できないのである。
そういうものは、科学ではない。社会科学でもないし人文科学でもない。そういった範疇を超えてしまっている本なのだ。
逆を言えば科学というまどろっこしい手続きが追いつけないほどのスピードで、事実とぶつかっているということでもある。
つまり、学術的な論文などでは決して扱うことのできない領域を、この本は鮮やかに示しているということでもあるのだ。
そういう危険な魅力を大いに秘めているところこそ、この本の真骨頂なのだろう。

沙漠の宗教がキリスト教として牧場のヨーロッパを席巻していった辺りはかなり荒っぽい論理展開だが、
宗教社会学の観点からもこの本がある程度の価値を持っているのは確かだと思う。
また、日本人らしさやら日本文化やらについて見た場合、日本人の得意分野だとか日本でウケる秘訣だとか、
そういったことを考えるうえでも参考になる部分が多くある。自分の足元を見つめなおす(=自己了解か?)という意味で。
とりあえず、天才的な直観を持たない一般人としては、ヒント集として有効活用できそうである。

ところでこの本、「環境」や「アフォーダンス」という言葉を用いて再解釈した場合、どのような文章に変わるのだろうか。
『風土』が発表されたのは1935年である。21世紀向けにリミックスを試みるツワモノが出てきてもよさそうなもんだと思う。


2008.12.27 (Sat.)

『古畑任三郎』全42話をすべて見終えたので、思ったことをあれこれ書いてみるのである。
といっても、古畑任三郎というキャラクターに関する考察は以前に詳しく書いているし(→2008.11.22)、
この作品をとおしたミステリというジャンルそのものについての僕の考えもすでに書いているので(→2008.12.5)、
それらをふまえたうえで、『古畑任三郎』という作品全体について感じたことを気ままに書いてみることにする。

僕は常日頃からミステリは嫌いだー三谷幸喜は好きじゃないーと言っているわけだが、
さすがに『古畑任三郎』は全体を通して十分に面白かった。その最大の要因はなんといっても、
ゲストの俳優・女優を招いて人間らしい欠点を持った犯人をたっぷりと描いたことだ。これが効いている。
対峙する田村正和のクセが強いので、スムーズに演技をこなす役者より、こってりと独自の味を出す役者の方が面白い。
見れば見るほど、肝心なのは人間関係のストーリーであり、それを役者がいかにつくりあげていくかだと実感させられる。
殺人トリックは伏線と組み合わさって決まれば最高にカッコいいが、全体の中ではわずかな味付け程度のものにすぎない。
例えるなら、よくできたトリックは80点を90点に引き上げる効果を持つが、それでも50点を80点にすることはできない。
だからストーリーの部分で80点のレベルまでもっていかなければ、そもそもどうにもならない、ということだ。

貸出中になっていたものを後回しにしていったせいで、見ていく順番は完全に飛び飛びになってしまった。
そうしてランダムに見ていくと、『古畑任三郎』というドラマの完成度は、後にいくにしたがって上がっていくことがわかる。
第1シーズンがまあハッキリ言ってしょうもないデキの連発だったのに対し、第2シーズンはしっかり見られるようになり、
あの手この手の工夫を凝らした第3シーズンはもう面白くって面白くってしょうがなかった。
最初のうちは無理な理屈を押し通してばかりいたのだが、制作側が慣れてきたことで格段に進歩していくのである。
このように発想で勝負するドラマが、尻すぼみになることなくどんどん円熟味を増していくというのは、それだけですごい。
そして『古畑任三郎 FINAL』の三部作で確かに頂点を迎えているのがまたすごい(イチローの回は正直やや落ちるが)。
おそらくは脚本家・スタッフ・役者らすべてのつくり手の中の「古畑任三郎」がドラマと同時に成長していったということだろう。
そういう瞬間がしっかりと記録されているこのドラマは、その点だけでも十分に見る価値を持っている。

しかし『古畑任三郎』について述べるのなら、なんといっても本間勇輔によるテーマ曲について触れないわけにはいくまい。
モノクロにひとつだけ赤を入れた映像に、あのテーマ曲が流れる。そしてもったいぶった末に犯人役のゲストの名が出る。
雰囲気のつくり方がとにかく圧倒的で、見る者は問答無用でドラマの世界へと引き込まれてしまう。
このテーマ曲、構成としてはずいぶん変だ。どこがサビなのかわからない。というより実は、見事に全体がサビになっている。
冷静に聴いてみると、曲としてはまったくつかみどころがないのだ。でも確かに、唯一無二の特徴の塊とも言うべき曲だ。
この曲が流れるだけで、事件が起きて古畑が出てくる予感がしてしまう。音楽の持つ威力を強く実感させられる。

まあそんなわけで、前にも書いたが、このドラマは恐ろしいくらいに売れる要素が満載になっている。
僕としては、いろんな役者(芸能人もそうでない人も)によるいろんな犯人を見たい。
そして、ドラマとしてもっともっと成長していくところを見たい。だから復活してほしいと心から願う作品である。


2008.12.26 (Fri.)

久しぶりに「日記書きたくねー病」にかかっている。ネタもないし、やる気も出ない。
さらには、天気がいいのにどこにも行く気が起きない。本を読む気も起きない。テレビもつまんない。
日記に限らず、すべてにおいてモチベーションが上がらない状態で、正直かなりひどい停滞である。
こういうときに金があれば、わーっとエネルギッシュに動くことができるのだが。


2008.12.25 (Thu.)

最近はどうも、見えないストレスが自分に乗っかっているような気がする。
なるべく金を使わないように日々粗食でがんばっているのだが、それがどうも限界に近づいているように思える。
かつて浪人中には寮の食事にずいぶんと助けられていたわけで、メシってのは重要なものなのだ。
食べることはストレスの解消につながる。しかし、上手く節制しないと財政的にも健康的にもよろしくない。
その辺のバランスが危うくなってきているなあ、と自分で自分に危機感を抱いている状況である。


2008.12.24 (Wed.)

クリスマスイヴ? 古畑任三郎のDVDを見てたら終わってたよ!


2008.12.23 (Tue.)

青春18きっぷを使ってなんとなく日帰りの旅に出てみることにした。
こないだ北関東に行ったしなあ、西の方にもちょくちょく行ってるしなあ、ということで、
あまり馴染みのない南東方面、つまりは房総半島にターゲットを絞ることにした。
Googleの地図とWikipediaを見て、何か面白そうな場所がないか探りを入れてみる。
それで調べていくうちに、そういえばこの辺は戦国時代に里見氏が支配していたな、と思い出す。
ということでわりとあっさり、里見氏の城下町めぐりということにテーマが決定したのであった。

朝の5時半には電車に乗り込んで千葉県を目指す。朝に働く習慣のせいで全然眠くない。
まったく馴染みのない総武線の快速に乗り換え、7時前に千葉駅に到着。
空はようやく明るくなったところで、時間経過がいまいちピンとこない。千葉が遠いのか近いのか、よくわからない。
さてそこからは内房線に乗り換える。最初の目的地は房総半島の先っちょ、館山だ。
あらかじめ調べておいたスケジュールでは、さらにここから2時間近くかかる予定となっている。
のんびりと文庫本を取り出して、たまにチラチラ車窓の風景を眺めつつ、ゆったりと過ごす。
それにしても内房線は特急(房総ビューエクスプレス)がやたらと走っていて、
各駅停車は特急の通過待ちが非常に多い。特急には客が全然乗っていないのに、生意気なものである。

 館山駅。こちらは東口のロータリー。

館山駅に着いたのが9時ちょっと前。リゾートってことを意識しているのか妙に外国風な駅舎を撮影すると、
館山城址の城山公園へと歩き出す。県道・国道になっている街道は非常に狭く、歩いていると車がけっこう怖い。
観光案内所で入手した地図を片手に城山公園へと進んでいくと、やがて小高い丘の上に城が見えてくる。
地図で予想していたよりは近い感触。途中の道には昭和初期のものと思われる小じゃれた店舗兼住宅が点在していた。

街道に面した公園の入口からは、城への上り坂を行く。途中で「孔雀園」という案内を見かけて寄ってみる。
そこはクジャクを中心にさまざまな鳥を集めた小さな動物園だった。和歌山城の「水禽園」(→2007.2.12)を思い出す。
檻の中では30羽以上のクジャクが地面のエサをついばんでおり、しばらく観察して過ごす。それにしても見事な色だ。
朝っぱらだったせいか、結局オスが羽を広げることはなかったのであった。けっこう残念。
園内にはほかにも烏骨鶏や鴨、オシドリなどがいた。面積のわりにかなりの数の鳥がいたのが印象的だった。

 
L: 孔雀園のクジャク。あらためて見ると、その派手な色彩には驚かされる。真っ白いクジャクも数羽いてびっくり。
R: こちらはオシドリ。動物の模様って本当に不思議なものだなあと思うのであった。

孔雀園の裏手は田舎の山ん中の住宅裏という感じで、そこを抜けると突如として城の天守が現れる。
この再建された館山城天守の中身は館山市立博物館の別館になっている。せっかくなので150円出して中に入る。
そしたら『南総里見八犬伝』の資料を徹底的に集めた展示になっていてびっくり。これがものすごい充実ぶりなのだ。
現実の里見氏の歴史についてはふもとの本館で扱い、こっちのお城はフィクションの作品専門となっているわけだ。
まあつまりは、それだけ『南総里見八犬伝』が大きな影響力を持っていた、ということの証左である。
そして最上階からの眺めがとても美しい。右手には房総の大地が広がり、左手には真っ青な東京湾。
平地を住宅と農地が埋め尽くし、木々に覆われて盛り上がっている台地を囲んでいる光景は、まさに千葉県である。

  
L: 館山城。東京湾の入口に外様大名がいる状況を江戸幕府が許すはずもなく、里見氏は結局ここから追い出されてしまう。
C: 右手(東)を見れば、平地を住宅と農地が埋め尽くして緑の山が残るという、典型的な千葉県的風景。
R: 左手(北西)を見れば、青く輝く東京湾。夏場に来たらもっと生き生きとした色になるのだろう。

館山城址からの眺めに満足すると、山を下りて途中の博物館本館に寄り、里見氏についてお勉強。
本館の展示内容はかなり貧相だったが、里見義堯を中心に里見氏の歴史の大まかな流れはつかめたので、よし。
帰りは同じルートを歩いてもつまらないので、海岸に面した道を行く。部活でトレーニング中の中学生や釣り客がチラホラ。
あちこちにある海水浴の施設を眺め、夏に来ればまた印象も違うんだろうなあ、と思いつつ駅まで戻るのであった。
で、そのまま館山市役所まで行ってみる。こっちは予想していたよりも遠くにあり、小走りで急いでの撮影となる。
駅のホームにたどり着いたときにはすでに電車が停まっていた。やがて電車は動き出し、館山を離れる。

 
L: 館山駅西口からは浜辺までまっすぐ道が伸びている。行く先に何もない道というのは、山国育ちには違和感のある光景。
R: 館山市役所は、町役場かと思うくらいの小ぢんまりとした建物。石本建築事務所の設計により1960年に竣工。

館山を出てから1時間20分、木更津駅に到着である。こうしてみると、千葉県は広い。
次の列車が出るまでは20分ということで、急いで改札を抜けてラーメンを食べると駅の中へと戻る。
そうして乗り込んだのが久留里線。次の目的地は久留里城なのだ。
やがて電気で動く車両とは明らかに形の違うディーゼルの車両は軽快に走り出す。
山に囲まれた平らな部分を緩やかに上っていくので、久留里線の沿線風景は本当にのどかなものだ。
首都圏という印象のまったくない、穏やかな田舎の中を行くこと40分、久留里駅に到着である。

 
L: 久留里駅。へ、平和だ。  R: 久留里商店街のアーチ。これまた大胆な。

久留里というのも非常に不思議な場所である。行政区域としては君津市の一部だが、
今も久留里街道(国道410号)沿いには商店街が残っているのである。
街の中にはあちこちにやたらめったら「久留里」「くるり」という文字が並んでいて、なんだか目が回る。
山城全盛の戦国時代なら水の豊かなこの場所が栄えるのはまあわからないでもないのだが、
いまだにこの山の中にぽっかりと小規模とはいえ商店街がある、というのはちょっと驚きである。
そもそも「久留里」という地名の由来はまったく謎に包まれているのである。何をどうしたらこんな名前が生まれるのか。
一度気になるとクセになる、久留里はそんな不思議な魅力を持っている場所なのだ。

商店街を抜けて、歩行者のまったくいない車のための山道、そんな印象の国道410号を行くと、
しばらくして久留里城の入口が見えてくる。完全に田舎の住宅地で、なんだか懐かしさを覚えつつ歩いていくと、
すぐに左手に急な上り坂が現れる。その先はトンネルになっている。これを行くわけだ。
トンネルを抜けた先は駐車場。右手に折れて、さらに坂を上っていくこと約500m、久留里城址資料館が見えてくる。
旧二の丸にあるこの資料館のすぐ隣は薬師曲輪となっていて、ここからの眺めはまさに絶景。
かつて関東統一を目指して攻め込んできた北条氏康を里見義堯が退けたという古戦場がよく見える。
その頃から大して変わっていないんじゃないかってくらいに穏やかな景色をしばらく眺めると、その資料館に入ってみる。
中は里見氏よりも、江戸時代になってやってきた黒田氏の資料が目立っていた。城下町だなあ、と思うのであった。

  
L: 久留里城入口。この辺りはかなりキツいカーブになっており、右も左も見通し最悪なので横断するときは要注意。ホントに危険。
C: 久留里城へと向かう道。コンクリートで舗装されているが、気分は完全に登山。お年寄り向けに杖を貸し出しているくらい急な坂。
R: 薬師曲輪から眺める久留里城下。複雑な地形の中の平らな部分に農地や住宅がつくられ、やっぱり千葉県だなあと思う。

資料館の先にあるのが久留里城の本丸である。天守台跡の隣に復元天守がつくられているのだが、
これがまあ何のためにつくったのかよくわからない建物なのである。中に何かあるわけではないし、
中から外はろくすっぽ見えないし、いったいどうしてわざわざ、と大いに疑問に思うのであった。

 久留里城本丸。山城なので天守付近からの眺めは良くない。

列車の時間の関係で、帰りはかなりのハイペース。勢いよく坂を下って入口のところまで戻ると、早足で商店街へ。
駅前のブリワン(ブリッジワン。かつて一橋大学小平キャンパス前にあった商店)みたいな店で牛乳を買って飲み、
久留里駅前でしばらくぼーっとして過ごす。観光資源というと酒と城で、その城も好き者でなければ面白みがないのだが、
なぜだかなんでか、久留里というのはやっぱり妙な魅力のある場所である。どこかノスタルジックな匂いがするせいか。

来たときと同じように40分ほどで木更津駅に到着。というわけで、本日最後の目的地は木更津である。
昨日が冬至だったわけで、まだ15時ちょい過ぎだというのに、すでに日差しはだいぶ夕日の感触がしている。
東口の観光案内所で各種の地図を入手すると、小走りでまずは證誠寺へ。
♪しょ、しょ、しょうじょうじ の童謡で有名な寺である。おかげで木更津市内のタヌキ密度はとんでもないことになっている。
歩いている人の数と同じくらい、市内にはタヌキの絵や像があふれているのである。誇張なしでこれは本当に多い。
どんな場所でも周りを見渡せば視界のどこかに必ずタヌキが潜んでいる。ここまで徹底している街はまずほかにないだろう。

 
L: 木更津駅。『木更津キャッツアイ』(→2004.1.23)ではおなじみの建物。実際に訪れてもやっぱり、ふつうの小汚い駅。
R: 富士見通り。奥に見えるのは木更津駅だが、衰退ぶりがかなり激しい印象である。

木更津は房総ではけっこう大きな街だと認識していたのだが、その衰退ぶりにはかなり驚いた。
商店街はかつてに比べて異様にスカスカになってしまっている、という感触がするのである。
千葉市の湾岸区域が開発されたことの影響なのだろうか。とにかく、中身が漏れ出して外枠が残った、そんな感じ。
なんだか寂しいなあと思いつつしばらく行くと、證誠寺である。これがまあ小さいのなんの。
ごくごくふつうの、住宅地に紛れ込んでいるようなよくあるお寺なのである。
まあよく考えれば、童謡で有名になったからといって儲かるわけではないのだ。そんなものなのだ。
デジカメで撮影するとお参りを済ませて次の場所へ。モタモタしていると太陽はどんどん傾いていってしまう。

 
L: 證誠寺。いつも冷静な和尚を驚かそうと、夜中にタヌキたちは腹を叩いて大騒ぎ。和尚は三味線で応戦する。
  連日の戦いの末、腹が破れたタヌキは死んでしまう。和尚はかわいそうに思って丁重に弔ってやった、という話。
R: 石の台は新しいが上の鐘楼は古びていて、なんだか違和感がある。もう除夜の鐘の季節かぁ……。

急いで木更津市役所へ。市役所の手前には漁船がたくさん停泊していて、なんとも独特な雰囲気である。
正面にまわり込んだら、妙に道が広い。建物もそれに合わせてか、けっこう大きい。
そんなに混雑する場所でもないだろうに、なんでこんなに大きいスケールになっているのか、まったくわからない。

 
L: 船だまりから眺める木更津市役所。これも「木更津らしさ」ということなのだろうか。
R: 正面から見たところ。周囲より少し高い位置につくられていて、隣には警察署もあり、「ミニ県庁」といった趣である。

さて證誠寺も見たし市役所も撮ったので、あとは『木更津キャッツアイ』(→2004.1.23)関係の場所に行くのだ。
やはりバンビがモー子をおんぶして渡り、オジーが大暴れした場所である中の島大橋には行ってみなければなるまい。
というわけで必死で歩いて木更津港へ。木更津の街は全般的に地図で見るよりもずっと広い。
で、中の島大橋なのだが、これがめちゃくちゃ大きい。遠くからでもその雄姿はハッキリと見えて、
高所恐怖症の僕としては、近寄るだけで鳥肌が立ってしまうくらいのド迫力なのだ。
しかしせっかく来たからには一番高いところまで行ってみなくちゃ男がすたるのである。いざ尋常に勝負勝負!

  
L: 中の島大橋。デジカメの広角レンズでひしゃげて見える……いや、実物にも本当にこれくらいの迫力があるのだ。
C: 海風が強くて泣きそうになりながら撮った。木更津の観光名所として定着しているようで、人がいなくなることがない。
R: 橋はけっこうな傾斜がついていて、歩いていったらなんだかこのまま空まで飛んでいっちゃいそうな感じ。ヒー

フェンスがある部分はいいけど、手すりだけの部分は怖くて怖くてしょうがない。海風が強くって本当に参った。
しかしながらやっぱり眺めはとてもいい。特に東京湾側、君津の工業地帯越しに眺める夕日は格別である。
無数の煙突が並ぶ中、ゆっくりと力を弱めた太陽が海面にまっすぐな光の線を落としながら沈んでいく。
(このあと電車に乗って帰る際、木更津駅を出たところでオレンジを通り越して赤紫に輝く夕焼けが見えて、
 中の島大橋でこの夕焼けを見なかったことをひどく後悔した。ここは夕焼けを眺めるには最高の場所だったのだ。)

 工業地帯が輪郭を描く東京湾へと沈む夕日。

本格的に『木更津キャッツアイ』のロケ地めぐりをする時間なんてないが、せっかくなので「みまち通り」にも行ってみる。
(駅前の観光案内所には今も『木更津キャッツアイ』のロケ地マップが置いてある。なぜか英・韓・中・台の4ヶ国語。)
駅前の商業施設・アクア木更津の裏にある「みまち通り」には、ぶっさんやアニ、バンビの家があるという設定なのだ。
実際に歩いてみたら、これがものすごく狭く、そしてものすごく寂しい雰囲気の商店街だった。
夕方ということを差っ引いても、これはちょっとひどい。ドラマと現実の落差に切なくなってしまった。

  
L: みまち通り入口。正直、高齢化・空洞化が進みきっていて、かなり衝撃的な商店街だった。タヌキがいっぱい。
C: 商店街の酒屋には『木更津キャッツアイ』関連の資料が所狭しと並んでいたよ。
R: 真ん中の写真の端っこに写っているオジーのタヌキ像をアップで撮影してみた。

みまち通りも富士見通りも見事にスッカスカで、ここまで中心市街地の衰退が残酷に現れている例も珍しいなあ、
なんて思いながらアクア木更津に寄ってみて、驚愕。この建物はもともと木更津そごうで、破産後に改装したものだ。
食料品やスポーツ用品・楽器の売り場、アミューズメント施設、スポーツジム、100円ショップ、さらにはハローワークなど、
ありとあらゆる店舗・施設が入って今もがんばっており、全体的にはけっこう粘っている印象がするほどの来客数なのだ。
しかし、各フロア間のつながりが決定的に欠けていて、都市の衰退をはっきりと感じさせる雰囲気しかしなかった。
(特に3階はまるごと「準備中」となって電気が落とされており、そこにはなんとなく怪談の匂いが漂っていた。)
商店街にしてもデパートにしても、店と店の間、フロアとフロアの間のつながりが欠けてしまうと、
その途端にここまで猛烈な寂しさが染み出してくるものなのか、とあらためて思うのであった。
とにかく、木更津市民の皆さんには申し訳ないが、都市の衰退しきった姿を目の当たりにして背筋が凍った。

千葉へと帰る電車に揺られながら、今回の旅を総括してみる。
とりあえず館山・久留里・木更津を歩きまわってみたわけだが、共通しているのは、「千葉県」という意識の薄さである。
いや、正確に言うと、館山はいまだに「安房」という意識が強く、久留里・木更津は「上総」という意識が強かった。
今回おじゃました範囲では、街を歩いていても「千葉」と書かれているものを目にすることは、ほとんどなかった。
しかし「房州」や「上総」「かずさ」といった表現は、やたらめったらあふれているのである(特に後者は半端ではなかった)。
大学時代の恩師が言っていた「千葉の独特の文化」(→2008.9.1)の秘密は、どうやらその辺りにありそうだ。
あちこちに行ったり地方出身者と話したりすると、分け方としては現在の都道府県よりもかつての令制国(旧国)の方が、
いまだに実態を反映していることを実感することになる。もうちょっときちんと歴史を勉強せにゃならんかな、とちょっと反省。


2008.12.22 (Mon.)

文科省は本当に、本当にどうしょうもないバカだ。
ニュースを見て、呆れたのと怒りとで力が抜け、思わずその場にへたり込んでしまった。


2008.12.21 (Sun.)

バイトの飲み会に参加する。学生だけでなく、店長をはじめ社員の人やおじさんおばさんもいるので、
いざ出席者の顔ぶれを見てみると、なんだか「大家族」という印象がする。平和な職場である。

始まってみたら、とにかく話題があちこちに飛ぶ飲み会なのであった。
世間はいきなりの就職氷河期。社会人経験者ということで学生の皆さんから就職についてあれこれ訊かれたので、
内心「オレに訊いちゃいかんらにー」などと思いつつ、僕はとりあえずもっともらしいことを答えるのであった。
あとはわりと本格的に音楽、それもクラブ方面のインスト好きが何人かいて、かなり細かい話になっていた。
かつてはYMOからそっちの方に少し踏み込みかけた人間として、なんとなく話を聞いていたのだが、
あまりにマニアックというか細分化が進んでいて、内容が1ミリも理解できなかった。ここまでついていけないとは。
あとはエヴァのアスカの話でいまだに盛り上がる人々を見て「エヴァってすげえなあ」と心底思ったり、
猛烈な勢いのシモの話をよそに鍋を黙々と食べたり、そんなふうに過ごしていたらあっという間に2時間経過。

最近は本当に金がないこともあって、愉快な飲み会はずいぶんと久しぶりなのであった。貧乏はいかんね。


2008.12.20 (Sat.)

久しぶりに髪を切りに行く。

髪の毛は起きている間に伸びる、という話は前に聞いていた。
朝の労働のおかげで起きている時間が長くなった影響なのか、いつもよりも妙に伸びた感触である。
本当はもうちょっとガマンして節約したかったのだが、モサモサして気持ち悪くなってきたのでしょうがない。
ニンともカンともである。


2008.12.19 (Fri.)

景気の悪い話が続いて、ニュースを聞いているとそれだけで滅入ってしまいそうになる。

スポーツ界からはアメフトのオンワードとアイスホッケーのSEIBUプリンスラビッツが活動休止というニュース。
ライスボウルは毎年テレビで見ているし、アイスホッケーはついこないだ試合を見に行ったばかりだ(→2008.12.14)。
特にプリンスラビッツの休部は、日本のアイスホッケーにとっては死活問題どころの騒ぎではない。
面白いスポーツがひとつ、日本から消えてしまうかどうかの瀬戸際、と言ってもいいほどの事態なのだ。シャレにならん。

鉄道業界からは、JRのムーンライトながらが毎夜運行から臨時列車になる、というニュース。
大学1年のときのルーキー合宿でも乗ったし、今年の2月に突発的な旅行をしたとき(→2008.2.1)にもお世話になった。
バスはモタモタしていると予約が取れなくなってしまうが、ムーンライトながらにはその心配があまりない。
だからこそ臨時列車になってしまうのだろうが、そういう点での利便性がなくなるのは、これはかなり大きな問題である。
僕みたいに気まぐれに旅に出る人間には、実に困ったニュースだ。

そんなわけでここんところ、どうにも毎日スッキリしない。自力ではなんともならないだけにイヤな感じだ。


2008.12.18 (Thu.)

ハローワーク。年末にぶつかるってことで今回についてはいつもより早めの認定日となったのだが、
次回の認定日は本来のペースに戻ることが判明。これは由々しき事態である。
つまり、今回は補助金がいつもより少なくなるのに、次に補助金が出るまでの期間は長くなるということだ。
地味にピンチである。本来、旅行の計画を練って浮かれている場合ではないのである。
しょうがないから正月に気合を入れて働くとするのだ。ホントに困ったんがー

夜はやっぱり、テレビでクラブW杯のガンバ大阪×マンチェスターU戦を見るのであった。
前半はどっちも極力ケガをしないように、また疲労をためないように、様子見のプレーという印象。特にマンUはそう。
しかし後半、ガンバの得点で状況は一変。まるでドイツW杯のブラジル戦(→2006.6.22)のように、マンUは本気モードに。
強豪国の選手はとにかく球際で強くて速くて巧い。ボールの足への吸い付き方からしてまったく違う印象なんだけど、
そこへ至る身体の小さな動作ひとつひとつに決定的な差があるように感じた。見ていてもう、悔しくてしょうがなかった。
が、そこはさすがに西野ガンバ。5点取られようと攻める姿勢をまったく変えず、最終的には3得点をあげてみせた。
5点取られたのも正当な実力なら、3点取ったのもまた正当な実力。その美しい負けっぷりに何ひとつ文句はございません。


2008.12.17 (Wed.)

ちょっと前までは今日はそんなに悪くない天気になるはずだったのに、急に天気予報が悪い方へと路線変更。
そしてそのとおりに一日中、雨となった。しょうがないので地道に日記の続きを書いて過ごす。
それにしても、旅行をすると日記を書くのが一気に大変になる。細かいことまでいちいち書きすぎるんだよなあ、自分。


2008.12.16 (Tue.)

本日は日記を書きまくって過ごす。読書と旅行のレビューということで、今回更新分はなかなかの重量級である。
読書のレビューなんか、もうちょいサラッと書けるといいのだが、これも才能の限界ということでしょうがない。
テキトーな感想だけならどうにかなりそうなもんなのだが、気になった内容の要約を始めるからドツボなのである。
でもまあ、純粋な勉強のために読んでいるわけで、自分の言葉でまとめておくことは大切なことのはずなのだ。
だから変に手を抜くわけにもいかず、結局、ウンウンうなりながらパソコンのキーをたたくしかないのである。
まあ、自分のための日記ってことでやっているんだから、しょうがないよなあ。トホホ。


2008.12.15 (Mon.)

昨日やたらめったら走ったせいか、筋肉痛がひどいのなんの。日ごろの運動不足を痛感したのであった。
会社勤めでも運動不足、会社を辞めても運動不足。結局は怠惰な性根の問題のようですな。


2008.12.14 (Sun.)

朝の仕事が終わると急いで家に戻り、素早く支度をととのえて駅を目指す。
目黒からはJR。青春18きっぷにハンコを押してもらうと、いよいよ旅が始まった、という気分になる。

本日は久しぶりの遠出である。前からどうしても見てみたかった、栃木は日光に行くことにしたのだ。
社員旅行で奥日光には行ったことがあるのだけど(→2006.10.20)、日光の二社一寺には行ったことがない。
そういうわけで、青春18きっぷを利用してふらっと行ってみたというわけである。
しかし天気はよろしくない。そもそも9時まで仕事をしていたわけで、到着するのは昼過ぎになってしまう。
それでも日光行きを強行したのには理由がある。だってほら、日光の名物は二社一寺だけじゃないでしょう。
アイスホッケー・HC日光アイスバックスの試合も見ちゃうのである。冬の日光ならではの楽しみなのだ。

宇都宮線に揺られている間はずっと読書。宇都宮に着くと、途中下車して昼飯を食べる。
メニューは宇都宮ということで餃子である。正午のちょっと前に着いたので、それほど混乱もなく焼餃子にありつけた。
食べ終わると日光線の出る時間まで周辺をフラフラする。市街地まで行く時間はないのであった。

さて日光線に乗り込んだものの観光客の姿はまばらで、地元住民という印象の人のほうが多い。
車窓の外を見てもなんだか薄暗く、あんまり「観光!」って感じではない。どうにもテンションが上がらない。
とはいえ毎度のことながら時間的な余裕は全然ないわけで、腕時計を眺めつつ気合を入れ直すのであった。

日光駅に着くと小走りで国道119号に出る。日光駅の周辺は休日だというのに閑散としており、こっちまで寂しくなる。
しばらく行くと東武日光駅に出た。こちらは土産物屋が一列に並んでいた。ずいぶんと対照的である。
雨の中、そのまま国道の上り坂を早足で急ぐ。二社一寺へと向かう道は土産物屋や飲食店が点在していて、
元気いっぱいで賑やかというわけではないが、さびれて困っちゃうというほどでもない。
もっとも二社一寺まではなかなかの距離があったので、それを考えればよくがんばっているかな、ってなところである。

途中で日光市役所日光総合支所を見かけたので、撮影。1924年築で、もともとは「大名ホテル」だったそうだ。
その名のとおりに石垣までつくって城を意識した帝冠様式となっている。貴重な日光の近代遺産のひとつである。
ところで日光市は2006年に今市市などと合併して、栃木県全体の約1/4、北西部を占領する巨大な自治体となった。
それで市役所が旧今市市の方に移ったため、「日光総合支所」となったわけである。

国道をまっすぐ進んで大谷川(だいやがわ)にぶつかると、神橋(しんきょう)が見えてくる。
これは日光二荒山神社に属する橋で、日本三大奇橋のひとつに数えられているんだそうだ。
2005年に修理が終わったとのことで、そのせいかまったく古びた感じがせず、いまいちありがたみがないのであった。
渡るのが有料ということで、パス。下を流れる大谷川の水が非常にきれいで、これは外から眺める橋だなあ、と思う。

  
L: JR日光駅。1912(大正元)年竣工の駅舎はいかにも大正ロマンである。貴賓室もあるそうな。
C: 日光市役所日光総合支所。帝冠様式で元ホテル。  R: 神橋。ぶっちゃけ、橋より川の水の方が見ごたえあり。

神橋を越えるといよいよ二社一寺のエリア。二社一寺とは、日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺のこと。
これらはもともとは神仏混淆で「日光山」とひとくくりにされていたのだが、明治の神仏分離で分けられたのだ。
その影響で輪王寺に属する建物があちこちに点在しており、また帰属先をめぐって係争中の文化財も存在している。
実際に訪れてみると、どこからどこまでがどの寺社なのか、確かにややこしい状態である。
東照宮は特徴があるし、二荒山は神社、輪王寺は寺ということでなんとなく区別はつかないでもないのだが、
あいまいな境界を経て緩やかにそれぞれくっついている印象があるのだ。まあそれもまた日本らしさではある。
二社一寺では2日間有効の社寺共通拝観券を用意している。でもどこも肝心なところは別料金。しっかりしているわ。

まずは輪王寺から拝見。東日本最大の木造建築という三仏堂に入ってみる。
1645(正保2)年に徳川家光が建て替えたそうだが、現在は保存修理中。裏手はけっこう派手に布がかかっていた。
肝心の建物の中は、せっかくの広さをまったく感じさせないつくりになっていたのであった。なんだかもったいない。
三仏堂の奥には大護摩堂があり、中ではお坊さんが護摩を焚いていた。
こういう密教的な現場を目にするのは初めてだったので、うーむなるほど、としばらく眺めるのであった。

 三仏堂は輪王寺の本堂なのだが、なるほど確かにデカい。

続いては日光東照宮だ。徳川家康を祀っているので、天気が悪いのはそのせいかもしれない、と思う(→2007.9.16)。
しかし東照宮はぜひとも来てみたかった場所なので、ワクワクしながら境内へと歩いていく。
まず石鳥居(すでにここから重要文化財)をくぐると五重塔(これまた重文)。色づかいが派手で、妙に中国風な印象だ。
さすがに世界遺産の二社一寺では最も有名な場所ということで、国内のほか、外国からの観光客もやたらと多い。
中国語や韓国語だけでなく、フランス語やスペイン語っぽい響きも聞こえる。インド人やイスラム圏の人もいる。
逆に考えれば、外国の世界遺産では同じように日本語もうるさく響いているのだろう、ってなことを思う。

  東照宮の五重塔。東照宮の境内は重文と国宝で埋め尽くされている。

表門(重文)をくぐると三神庫(重文)。その向かいには神厩舎(重文)。全般的に色づかいが非常に派手で、
いわゆるふつうの日本の神社とはまったく異なった空間になっている。でも建物の配置は確かに神社なのである。
極端なことを言えば、表門をくぐってからは、現世にいる気がしないのである。どうにも現実味がないのだ。
本来静かなはずの神社がド派手な色彩で固められ、なんだかあの世にいるような、そんな不思議な感覚を呼び起こす。
極彩色の極楽浄土を現実の空間としてつくった、日光東照宮はまさにそんな場所なのだった。

  
L: 神厩舎の三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)。本来は、猿の一生を通して平和な人生の過ごし方を説いた彫刻の一部分。
C: 三神庫。この建物が、東照宮の現実離れした印象を加速しているように思う。
R: 経蔵。輪王寺と帰属先をめぐって係争中。「お経の蔵」だし寺っぽいデザインだが、とても東照宮らしい建物でもある。

そして陽明門(国宝)である。なるほどこれは確かに見事。
ここまでたっぷりと装飾を盛り込んでいるのに、全体として破綻がなくバランスがとれているってのはすごい。
柱の中には一本だけ逆柱(木が本来生えていたのと上下を逆にして立てた柱)があるという。
「建物は完成と同時に崩壊が始まるから、わざと柱を未完成にして災いを避ける」という意図なんだそうだ。
だてに国宝じゃないわ、さすがは日光東照宮だ、とただただ感心するのみなのであった。

  
L: 陽明門。360°全体が飾りでできている。しかし遠くから眺めてもきちんとまとまりがある。見事なものです。
C: 門を見上げたところ。何がどうなってるやら。  R: 本殿側から見た陽明門と境内。なんだか現世にいる感じがしない。

さてせっかく日光東照宮に来たんなら、左甚五郎作の眠り猫(国宝)も見ておかなくちゃなるまい。
というわけで、別料金で奥宮へ。入口に「眠り猫」と大きめの案内があり、矢印の指す方向を見上げると確かにいた。
思っていたよりも小さく、自然な状態でそのままさらされているので、案内が出ていなかったら気づかなかったかもしれない。
僕は色の塗られた彫刻というのはどのように鑑賞すればよいのかどうにもイマイチつかめないので、
「これがそうかー」と思うしかないのであった。裏面の雀もまたしかり。光の加減のせいか、撮影する際、妙にブレて困った。

  
L: 奥宮入口。まっすぐ進んでいったところに「眠り猫」とでっかく書いてあり、観光客はそれをアホ面で見上げるわけです。
C: 左甚五郎作・眠り猫。猫が寝るほど平和ってことだそうだ。  R: すぐ裏で雀が鳴いていても猫は起きないほどの平和。

奥宮には徳川家康の遺骸が納められている。応仁の乱以降の日本は大混乱の状況にあったわけだが、
それにケリをつけた人を祀っているわけで、平和を強調する数々の装飾は、戦国時代の苛烈さの裏返しということなのだ。
苔の生した参道を行く。濡れた石畳を早足でグイグイと歩いていたら、家康の言葉が書かれた看板が目に入った。
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し いそぐべからず」……そのとおりでございますな、とペースを落として進む。
石段を上りきると、朝のうちまで降っていたと思われる雪が徐々に姿を消していく、そんな静けさに奥宮は包まれていた。
小さな休憩所の自販機は全面「お~い お茶」だけが並んでおり(しかも小さい缶で150円)、やっぱり異世界である。

お賽銭を入れてお参りをすると、木造の通路を歩いて家康公の遺骸を納めた霊廟を一周する。
木々や年季の入った銅製の像・宝塔などの深い緑と、わずかに残った雪と靄の白さが、辺りの色彩をすべて消している。
すぐ横で観光客の話し声がしているんだけど、目の前には無音の景色があるのみだ。まるで時間が止まったかのよう。
いちおうデジカメを取り出しはしたのだが、人のお墓を撮影するのもどうずら、ここは静かにしておくべきかなと思い、
そのままシャッターを切ることなく奥宮をあとにした。

 
L: 奥宮へと通じる参道。今にしてみれば、まさに天国へ通じる道という印象。
R: 日光東照宮奥宮拝殿(重文)。この建物のすぐ奥が徳川家康の遺骸を納めた霊廟となっているのだ。
  (ところで、ここに写っている後姿の男性2名は外国人。彼らはお賽銭をあげて日本式のお参りをきちんとやっていた。)

奥宮から陽明門の辺りへと戻り、時間を確認してびっくり。東武日光駅まで戻る予定の時刻まであと45分しかない。
しょうがないので東照宮の御本社をかなり大雑把にお参りすると、そのまま境内を戻って敷地の外に出る。
やっぱり時間的な余裕のない旅ってのはダメだよなあ、なんて具合にいちおうは反省をするのだが、
次に計画を練るときにはそんなことすっかり忘れちゃっているのである。われながら、お粗末なデキのオツムである。

二社一寺の最後は日光二荒山神社。「二荒山」は「ふたらさん」と読むが、この音読み「にこう」が「日光」のもとだとか。
本当は日光連山・華厳滝・いろは坂までも境内に含んでいる広大な神社なんだそうだ。
しかしながら、時間がないので本殿の周辺を最低限あれこれ見てまわると、テキパキとお参りしてその場を離れる。
なんとも罰当たりな話である。日光にはもう一度、あらためてきちんと観光に来ないといけないなあと思うのであった。
二荒山神社の次は、徳川家光を祀っている輪王寺大猷院(たいゆういん)を見る。
敷地内にある建物(特に門)は東照宮をかなり意識していて、その辺がやっぱり家光らしさ、ということなるのかも。
と同時に、二社一寺の神仏混淆ぶりを再確認した。ここでもやっぱりテキパキとお参り。いま考えると非常にもったいない。

 
L: 日光二荒山神社。日光の山々の神を祀った神社であり、つまりそれだけ歴史のある神社なのである。
R: 大猷院・二天門。非常に東照宮っぽい色彩をしているが、あっちは神社でこっちはお寺。

時間がないので、ここまでで最低限の世界遺産めぐりは果たした、ということにして、急いで国道を戻る。
本日のHC日光アイスバックスの試合は16時フェイスオフ(アイスホッケーの試合開始は「フェイスオフ」。クイズ界の常識)。
その30分前に東武日光駅から無料バスが出るということで、それに乗らないと大変なことになるのだ。
空を見上げると、いつの間にやら雨はすっかりやんでおり、西の方からゆっくりと青空が広がりつつある状況。
今ごろになって晴れるんじゃねえよ!と心の中で目いっぱい悪態をつきながらも足は必死で動いている、そんな具合。
日光のさびれかけているようでいてそうでもない街並みを、わき目も振らずに走り抜ける31歳。まったく成長していない。
で、戻りの行程は緩やかな下りになることもあり、東武日光駅に着いたのは15時25分と、どうにかギリギリセーフ。

 東武日光駅近くは土産物屋が元気でJRとは雲泥の差。しかし晴れるの遅すぎ!

ところが! この5分ぽっちの余裕で油断ぶっこいていたのが大失敗なのであった。空になったペットボトルを捨てに行き、
さてバス停はどこじゃらホイ、なんてフラフラしていたら、30%ほどの乗車率のバスがゆっくりと目の前を通り過ぎていった。
フロントガラスに「Bucks」と書いてあったような気がする。慌てて周囲を見回し、時計を見ると、15時30分を過ぎていた。
ぎゃー! 乗り損ねたー!と心の中で絶叫するが、後の祭りである。バスはどんどん小さくなっていき、そして消えた。
先日買っておいたチケットを握り締めて途方に暮れる。あと30分で試合が始まってしまうのだ。
JR日光駅で入手した観光地図には、会場である栃木県立日光霧降アイスアリーナは載っていない。
何日か前に、いちおうGoogleのマップで「駅からは北の方角かー」と確認した記憶が残っている、そんな程度である。
残り30分、場所知らない、所要時間知らない、わかるのはだいたいの方角だけ。さすがにこれは、終わったな……。

しかしながら僕の下した決断は、「北に向かって走る!」なのであった。だってタクシー代がもったいないじゃん、と。
フェイスオフには間に合わないかもしれないが、やれるだけのことはやってみよう、そう思っていざダッシュ。
まあどうせそのうち案内板が見つかるさ、と楽天的に考えて坂道をひたすら走って上っていく。
さすがに冬の日光の空気は冷たく、熱くなる体と冷えていく外気との温度差が激しくて、すぐに疲れてしまう。
それでも、いかにも高原っぽい道路のわりには車の交通量が多めなことだけを支えにして、また走り出すのであった。
そして交差点に出たところで、ようやく霧降アイスアリーナへの案内板を発見。とりあえずは正解ということで、少し安心。
これは歩きで来る人なんていないだろうなあ、という地ビールの店を越えたところで、いよいよアリーナの入口となる。
そこからは緩やかな上りがダラダラと続いて非常にキツかったのだが、上りきったらついにゴールなのであった。
全身からモーレツな湯気を立たせて、ケダモノのような目で建物の中に入る僕。フェイスオフにも間に合った。奇跡だ。
なんかいっつもこんなんばっかりだが(→2007.9.152007.12.8)、無事にたどり着いたからオールオッケーなのだ。

 HC日光アイスバックスのホーム、栃木県立日光霧降アイスアリーナ。

奮発してけっこういい席を取ったので、リンクが近い。アイスホッケー観戦は人生で初めて。非常にドキドキする。
グッズ売り場で小さなメガホンを購入して準備はOK。あとはフェイスオフを待つばかりだ。
やがて両チームの選手が登場。始球式みたいなフェイスオフの儀式をやって、それぞれ自陣で滑ってウォーミングアップ。
さて、日本のアイスホッケーリーグは2004-2005年シーズンより大幅に再編されており、
現在のトップリーグは「アジアリーグアイスホッケー」となっている。
その名のとおり、日本だけでなく、中国・韓国のチームとの国際的なリーグとなっているのだ。
で、本日のバックスの相手は、はるばる韓国からお越しのアニャン(安養)ハルラである。
観客席の端っこには、わざわざアウェイの応援にやってきた熱狂的ファンもいた。海を越えるとはすごいもんだ、と感心。
そして16時過ぎ、いよいよフェイスオフ。バスケットボールのジャンプボールのようにして、パックが動き出す。

  
L: 本日のフェイスオフの儀式。始球式みたいなものですな。  C: ウォーミングアップするバックスのみなさん。
R: 第1ピリオドが始まった。試合中はリンクが小さく見える。それくらい動きが素早く、攻守も鮮やかに入れ替わる。

試合が始まったはいいが、超初心者の僕にはルールが一切わからない。大まかな展開はわかるんだけど、
何がどうなったら反則なのか、何がどうなったらプレーが切れるのか、まったくもってわからないのである。
でもまあ、しばらくしたら基本的なことは理解できてきた。ゴーリー(キーパーのこと)がパックをキャッチすると、
ゴール手前のところでフェイスオフになる。サッカーのコーナーキックに近く、これはアイスホッケーの独自性が強いところだ。
選手の配置は、FWが3人(センターと左右のウィングが1人ずつ)攻め込み、DFが2人遠い位置に残る。あとはゴーリー。
FWがパスを交わしてゴールに切り込んだり、DFがショットを放ってFWがこぼれパックに詰めたり、そんな感じで試合が進む。
そしてアイスホッケーといえば「氷上の格闘技」との異名があるわけで、かなりの頻度で選手がクリンチ状態になる。
それでエキサイトすると即刻、2分間の反省房(正式名称はペナルティボックス、念のため)行きとなる。
リンクの上では人数が増えたり減ったりしながら、パックがあっちからこっちへと猛スピードで撥ねまわる。
ときには観客席に飛び込むことすらある(めちゃくちゃ危険)。ボンヤリと見ていることなどとても許されないスポーツなのだ。

  
L: 序盤はアニャンハルラが攻勢をかけ、パックを的確に拾って攻めまくる。バックスはホームなのに防戦一方。
C: エキサイトする選手たち。なんでアイスホッケーはこんなに簡単にエキサイトするのか、なんだか不思議である。
R: で、反省房に入れられる選手。2分間のペナルティだが、これが意外と長い。よくできたルールだと思う。

アイスホッケーは何から何までとにかく速い。いちいち審判に許可をとって選手交代をするわけではないので、
目まぐるしく選手のグループが入れ替わってパックを追いかける(体力の消耗が激しいので選手は頻繁に交代する)。
そしてもうひとつアイスホッケーの特徴として、試合中に大音量でガンガン音楽を流す点が挙げられる。
有名な洋楽のリフが多いのだが(『Walk This Way』、『My Sharona』、『We Will Rock You』……挙げればキリがない)、
プレーが切れるたびに曲を流し、観客がリズムに乗る。そうして集中力を保ったままフェイスオフして試合再開、となるのだ。
このように、アイスホッケーはほかの何物にも似ていない、誇るべき独自の文化を持っている。
それを肌で感じ、ああもっとこのスポーツにもきちんと注目をしていかないといかんなあ、と思うのであった。
僕はここんとこサッカーと都市の関係を強く意識しているけど、それはほかのスポーツについても同様なのだ。

さて肝心の試合はというと、序盤からアニャンハルラが勢いに乗って攻めまくり、
バックスが反則で退場者を出して数的不利になっている(キルプレーという。数的有利はパワープレー)間に先制する。
しかしその後、バックスはゴーリーを中心に耐え抜いて、第1ピリオド終盤にカウンターを決めて同点に追いついた。
第2ピリオドになってもバックスの防戦一方の展開は変わらなかったが、終了直前に意外なほどあっさりと勝ち越し。
どうやらアイスホッケーというのは、ものすごい集中力が要求されるスポーツのようだ。
「試合の流れ」という要素が非常に強く、相手の流れを耐えきる集中力、チャンスを逃さない集中力が、
勝負の分かれ目となる。アイスホッケーは20分(ただし、時計は頻繁に止まる)のピリオドが3つで1試合である。
リードした状態で最後の第3ピリオドを迎えることになり、観客席は穏やかなムードに包まれるのであった。

 
L: 第2ピリオド、逆転した直後のバックス応援席。得点した瞬間に全員がワッと立ち上がり、旗が頭上を舞う。気持ちがいいものだ。
R: ピリオドの合間には製氷車が出てきてリンクを整備。なんだか牧歌的な時間である。

アイスホッケー観戦は、かなり寒い! 氷がキンキンに冷えている温度の中でジッとしているわけで、非常に寒いのである。
だから休憩時間に食べる肉まんのうまいことうまいこと。そんなこんなで気合を入れて、いざ第3ピリオドのフェイスオフ。

ところが、である。ここまで相手の攻撃を凌いできたバックスだが、第3ピリオドに入って集中力が完全に欠けてしまった。
それまではきちんと防げていたのに、DFのチェックが急に甘くなってあっさり同点に追いつかれると、そのまま3連続失点。
途中には、どっからどう見てもバックスのゴールだったのに不可解なジャッジで認められないという不運もあったのだが、
それにしても、防げるはずのゴールを相手に立て続けに与えてしまってはお話にならない。
その後なんとか1点差に詰め寄り、最後にはゴーリーを下げて6人攻撃を仕掛けたのだが、攻めきれないままタイムアップ。
せっかくのホームゲームだったのだが、残念ながらバックスは負けてしまった。

  
L: 最後の最後、ゴーリーを下げて6人攻撃を敢行するバックス。反対側、バックスのゴールはガラ空きで、これもアイスホッケーの醍醐味。
C: 試合終了。アイスホッケー初観戦、せっかくだから勝ってほしかったんだけどなあ。  R: 非常に悔しそうなセルジオ越後。がんばれ。

今回、ベンチに近い席だったおかげで、選手にゲキを飛ばすセルジオ越後シニアディレクターの姿もよく見えた。
セルジオ越後はバックスの運営にかなり本気で取り組んでおり(日光在住)、とても偉いなあと思うのであった。

帰りは無事にバスに乗ることができ、悔しい気持ちを抱えつつも、充実した一日だったなあとほっと一息。
日光の夜は寒くて寒くてたまらず、自販機でホットレモンなる飲み物を購入してようやくあったまった。
(コンビニ仕事をしていてホットレモンはよく売れているんだけど、飲んだのは初めて。なかなかよろしい。)
ふと空を見上げると、ここ15年ほどで最も地球に近づいているという月が、妖しく輝いていた。

帰りはやっぱり宇都宮で餃子をいただく。今度は水餃子である。いい気分になりつつ寝っこけて東京まで戻る。


2008.12.13 (Sat.)

J1・J2入れ替え戦(第2戦)が開催された。来シーズンからはJ1下位3チームとJ2上位3チームが自動交換となるので、
入れ替え戦が開催されるのは今年が最後ということになる。J2的にはうれしいことだが、正直ちょっとつまらない。
冷静に考えれば、来シーズンはJ1もJ2も18チームになるので、現状の2.5枠を維持するのは小さすぎる。
かといってJ1の15位とJ2の4位で入れ替え戦をやるのはどうみても無茶だ。しょうがないことだ、と納得はしている。

今年はジェフが奇跡的な残留を果たしたため、磐田がJ2で3位の仙台と対戦することになった。
磐田が入れ替え戦というのも信じられない話だが、現実にその程度のパフォーマンスだったんだからこりゃしょうがない。
甲府サポ的観点からは弱い磐田としぶとい仙台なら磐田のほうが来年若干戦いやすい気がするし、
仙台もそろそろJ1に上がらないとかわいそうだし、ということで、なんとなく仙台びいきなのであった。
(Jリーグ開幕時にヤマハ発動機を応援していた人間(→2007.11.12)としては複雑。でも磐田が強すぎて飽きたしなあ。)
で、肝心の試合は磐田に松浦という超ラッキーボーイが出てきて仙台の負け。また来年もお仲間かあ、と思うのであった。

それにしても入れ替え戦の雰囲気というのは本当に独特で、なんというか、関係のない自分でも鳥肌が立ってくる。
J1とJ2の両方を知っているクラブを応援するようになると、身にしみてわかってくることがあるのだ。
それは、J1とは本当に文字どおり「天国」であり、J2とは本当に文字どおり「地獄」であるということ。
片方のクラブは、芥川龍之介『蜘蛛の糸』よろしく一縷の望みをつかもうともがく。
そしてもう片方のクラブは、今まさに自分たちを包み込もうとしているおぞましい世界から逃れようと泣き喚く。
現代の日本において、ここまではっきりと天国と地獄を目にすることができる光景はほかにないだろう。
誇張でなく、入れ替え戦というのはデスマッチそのものなのである。真剣勝負、殺し合い。
ある意味、リーグ戦の優勝のかかった試合や天皇杯の決勝よりも、テンションは高い。
勝っても夢を手にすることはできず、負ければ街ごと奈落の底に叩き落されるのだ。そこには厳しい現実しかない。
だから入れ替え戦がなくなるということは、現代の日本において究極の真剣勝負を目にする機会が消えてしまうわけで、
それは純粋に、とても残念なことだと思うわけである。

地方のクラブがどんどんがんばって早くJ1が20チームになって、17位とJ2の4位とで入れ替え戦をやるようになりますよーに。


2008.12.12 (Fri.)

野球にしても、Jリーグにしても、ストーブリーグが熱い。特にJリーグが熱い。
各クラブでは例年以上に、契約更新をしない(つまり戦力外、クビ)選手が多く出ている。
わがヴァンフォーレ甲府も例外でなく、「おいちょっと待てよ!」と言いたくなるような状況がチラホラみられる。
ディッキーこと井上はサイドバックのほかにアンカーとしても活躍したことがある選手で、
いるといないとでは選手層の厚さの印象がかなり違ってくる。いくらサイドの若手が伸びたとはいえ、来季が不安だ。
まったく納得いかないのがGK桜井のレンタル終了。僕は前半戦の活躍とサポーター内の人気を直接目にしている。
攻撃重視の甲府において最も安定した守備をみせた選手が戦力外というのには呆れてしまう。
そして宇留野の戦力外もいまだに信じることができない。確かにケガなどで実力が発揮できない場面は多かった。
しかしまだまだ伸びる余地はあるだろうと思うのである。というか、あってほしい。そしてそれを見たかった。
ともかく、目の前で活躍した姿を見た選手が「不要」と烙印を押されるのが、たまらなく悔しいのである。

今年のJ2は広島が爆発的な強さで優勝したのだが、その強さの最大の要因は、どう考えてもペトロヴィッチの続投だ。
降格しても監督を代えず、独自のスタイルを貫いた。そこが、甲府から見て差のついてしまった最大の理由だと思う。
もし大木さんが今年も甲府の監督だったらどんなことになっていたのか。ひょっとしたら、山形の位置にいたかもしれんのだ。
現監督の安間さんが悪いとは思わない。キャリア1年目でよくやってくれたと思うし、続投ということで大いにホッとしている。
個人的な見解だが、正直なところ、僕は甲府がまだJ2よりJ1がふさわしいクラブだとは思っていない。
J1に上がっても、どこかのように、クラブのスタイルがはっきりしなくて迷走するようなことにはなってほしくないのである。
相手がどこだろうがガンガン攻めるクラブという方針をがっちり固めたうえで、満を持してJ1に上がってほしいのだ。
そうしてエレベータークラブをバッタバッタとなぎ倒し、ビッグクラブにゃジャイアントキリング、そういう展開を期待しているのだ。
確かにクラブの運営という観点からすれば、早いところJ1昇格を達成しないといけないのはわかる。
でもJ1での2年間で、甲府はただ昇格すればいいクラブではなく、昇格して旋風を巻き起こすべきクラブになっている。
アウェイにおいても、甲府は攻めまくる地方クラブであることが期待されているはずである。そこを忘れないでほしい。


2008.12.11 (Thu.)

M.ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。いわゆる『プロ倫』である。
社会学・社会科学の古典中の古典ということで、今さら読み終えたというのも恥ずかしい話なのだが、感想を。

この本の内容をものすごく簡単に要約すると、僕の言葉ではこうなる。
「プロテスタントの日常生活に浸透している禁欲が、近代資本主義が動き出す下地をつくった。」
われながら、いくらなんでもこれは乱暴すぎる要約である。でもまあ、方向性としてはこんなところだと思う。
(橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学入門』(→2006.5.31)での、わずか20行の要約もチェックすべし。)
過去の日記でも書いているが、訳者・大塚久雄の解説がとんでもなくすばらしい(→2008.8.20)。
そこさえ読んでおけばもう十分ってくらいだ。僕はプロテスタント各宗派についての知識が乏しいため、
ヴェーバーの本文を読んでいて頭が何度かフニャフニャになりかけてしまったのだが、
最後に解説をもう一度読んでみてスッキリ。これだけ切れ味の鋭い解説は、読めるだけでもう幸せってくらいだ。

この本の最高にかっこいいところは、単純な発想では絶対に気づかない逆説を鮮やかに提示したところだ。
だって考えてみてほしい。ヴェーバーは、金儲けしてナンボの資本主義を、あろうことか禁欲が推し進めたというのだ。
歴史をみてみると、人間は世界じゅうのあちこちで、ずっと昔から金儲けをしてきている。
でも、今の世界を包み込んでいる資本主義が最初にスタートしたのは欧米、それもプロテスタントの土地である。
なんでほかの宗教・宗派では世界を巻き込む資本主義が生まれなかったのか。ヴェーバーはそこから切り込んでいく。
そして、プロテスタント(特にピューリタン)の日常生活に浸透している禁欲こそが、
近代の資本主義が世界を相手に動き出すきっかけをつくったのだ、と主張するのである。
鍵になるのはルターが聖書のドイツ語訳をやったときに初めて出てきた「天職」という言葉。
プロテスタントは、カトリックの修道院のような隔離された場所ではなく、日常生活の中で神との関係を求めた。
それで、日常の仕事を「天職」としてわき目も振らずクソマジメにこなすこと(=世俗内禁欲)を神への信仰と捉えたのだ。
そうすればイヤでも金が貯まる。でも禁欲だから浪費することは罪である。貯まった金は信仰の篤さを証明する。
やっているうちに金を稼ぐシステマティックな様式が固まっていき、いつしか信仰はだんだん薄まっていく。
そうしてできあがるのが、労働力をストイックに使ってひたすら金を稼ぎまくる近代の資本主義、というわけなのだ。

「資本主義の精神」というのは、まあつまりは「資本主義に適応した心構え」って感じで、それは「近代の心構え」だ。
プロテスタント(特にピューリタン)にとっては、まるで機械の部品のように働くことが神への信仰の証だったわけで、
(人間は神様につくられたもの(被造物、creature)なので与えられた天職を全力で務めるべきだって発想なのだ)
そのクソマジメな信仰がムダのない洗練された労働の様式、つまりは近代の行動様式をつくりあげたのである。
だから僕は『プロ倫』を読んで、フーコーの『監獄の誕生』(→2008.2.27)を思い出さずにはいられなかった。
『監獄の誕生』では刑罰の面から、いかにして近代の身体・精神がつくられたか、ということが論じられた。
近代というものを考えていくうえで、両者の共通点はきちんと整理しておかないといけないと思った。
そしてまた『プロ倫』は、ドゥルーズ/ガタリの『アンチ・オイディプス』(→2004.7.1)とも接続をしている。
『アンチ・オイディプス』は精神病の観点から資本主義の行く先を論じていたが、
世界観の構築作業そのものである宗教と精神病(ある意味、究極の「異端」)が資本主義と関係する、
そういう地点を見つめることは、近代というものの性質を考えるうえではずせないことだとも思わされたのである。
まあとにかく、『プロ倫』は、社会における大いなる逆説を掘り起こした最高にかっこいい本であり、
そして僕らがいまだに(ずっと)その中を生かされている仕組みについて暴き出したコンテンポラリーな古典なのだ。
いや、コンテンポラリーだからこそ古典たりえるのだろう。おそらく永遠に古びることのない、恐ろしい鋭さを持った本だ。


2008.12.10 (Wed.)

休日ということでのんびりと川崎まで出かけて過ごす。川崎はデパートがいろいろ多いのが強みである。
で、ハンズをうろつきまわったあと、本屋で来月の旅行のための情報収集をする。
『るるぶ』などの旅行ガイドをざっと眺め、自分の中でチェック漏れがなかったか確認するのだ。
その後は喫茶店に入って日記を書く。特に可もなく不可もない一日なのであった。


2008.12.9 (Tue.)

久しぶりに日記の過去ログのリンク調整作業をする。
昔の日記はリンクの張り具合がイマイチ甘いので、誤字・脱字を直しながら細かく確認をしていくのである。

2003年までの分はすでに終わっている。それで今回は2004年の日記を直していく。
けっこうスイスイと作業が進んだので、欲張って2005年の日記についてもやっていったのだが、これが大失敗。
僕の日記は2005年から急に分量が増えていたのだ。さっさと終わらせようと思っていたのに、全然進まない。
大げさでなく、丸一日かかった。どっと疲れた。

2005年というと、就職した年である。これ以降、旅行に行ったり本を読んだりDVDを見たりといったことが増えた。
それで一気に日記の内容が複雑化したのだ。それだけきっちりインプットをしている、ということではある。
しかしまあ、日記を久しぶりに読み返してみても、今とあんまり考えていることが変わっていない。
ぜんぜん成長してねーなーと思うのだが、まあ所詮そんなもんである。


2008.12.8 (Mon.)

貴重な休日だというのに、自分でも信じられないくらい寝っこける。

言い訳になるが、今やっている朝6時から9時までの3時間の仕事は、意外と疲れる。
というか、仕事をするということは、時間に関係なく本質的に疲れるものなのである。
6時間働いて、3時間働いたときの2倍疲れるかというと、そんなことはない。せいぜい1.2倍程度だ。
そして、この「本質的に疲れる」部分が昼間に出てくることに、大いに悩まされているのである。
おかげで一日の睡眠時間が安定しない。朝5時起きということもあり、睡眠が飛び飛びになりがちだ。
結果として、覚醒している時間に効率的に動くことができないでいるように思う。

しょうがないので昼間の眠気をコントロールするためにコーヒー飲料を買い込んだ。
なかなか頭で考える理想どおりには動けないものだ。しばらくいろいろ試行錯誤してみることにする。


2008.12.7 (Sun.)

冬には色が鮮やかな日がある。研ぎ澄まされた空気に触れて、すべてのものが輝いて見える日があるのだ。
なぜかはわからない。でも確かに、目に映る光景が特別なものに思える、そんな日がある(→2008.2.13)。
今日がまさにそれだった。信じられないほど寒いけど、信じられないほど世界が美しく見えた。

ふと思い立って買い物に出かけた。ついでに学芸大学辺りでメシを食うつもりだったのが、
あまりに景色がきれいに思えて、もうちょっと遠くまで行かないともったいなく思えた。
それで気ままに自転車を走らせて、砧公園まで足を伸ばした。

砧公園の中に入るのは、実は初めてである。休日ということで無数の家族連れが遊んでいた。
運動施設も散歩道も遊具も広場もある。砧公園は、なんでもありの空間のようだ。
フラフラと自転車をこいでみる。奥の方は自転車進入禁止になっていたが、走れる部分をのんびり走ってみる。
冬には珍しいくっきりとした日差しの中、園内の葉っぱは緑・黄・赤とさまざまな色に染まっていた。
そこに鮮やかな空の青が足された光景は実に見事で、デジカメを持ってこなかったことをひどく後悔した。
試しにケータイのカメラで撮影してみたけどやっぱりダメで、しょうがないので頭の中へ目にした光景を焼き付ける。

次にこういう日に出会えるのがいつになるかはわからないが、そのときにはこの特別な光景をきちんと撮ろうと思った。
撮影したからってどうということはないのだが、「日常の中にある特別」の証拠をちゃんと押さえておきたい、そう思ったのだ。


2008.12.6 (Sat.)

本来なら休みの日なのだが、イベントスタッフ派遣事務所に泣きつかれて働くことになった。
横浜でとある会社の創立30周年記念式典があるとかで、その誘導の仕事をする。

スーツ姿で自転車をこいで横浜へ。会場に着くと駐輪場に自転車を停め、辺りを軽く歩きまわって時間をつぶす。
その後、集合場所で名前を告げてスタッフの一団に合流し、時間になったので現場へと移動。
この手の仕事は1ヶ月以上も間が空いたため、ああそうだったそうだったと感覚を取り戻しながら動く。

今回のポイントは、来場者入場時の誘導と、立食パーティーへの場面転換(「ドンデン」と呼ぶ)、その2点である。
逆を言えばこの2点をきっちりこなせば大した問題もないわけだ。説明をしっかり聞いて困らないようにする。

9時から仕事が始まっているのだが、来場者が来るのは11時。なんとも間延びした待機時間の後、お仕事。
最初のヤマ場は特にこれといったトラブルもなく、あっけなく終了。弁当を食って午後の場面転換に備える。
で、14時になって場面転換。会場にある1000脚の椅子を一気に片付けるのである。
当初の予定では30分以上かかるとみられていたこの作業だが、全員が気合十分でやったせいか、秒殺。
信じられないほどあっけなく2つめのヤマ場も終わった。人間、本気を出すとすごいもんだ。

パーティー終了後にはクロークの大混雑が予想されたので、業務終了時刻近くになってそっちの応援にも行く。
しかしこちらも全員がバリバリと仕事をこなしたせいか、予想よりもずいぶん早く終わった。よかったよかった。

記念式典はWiiを使ってのゲーム大会などで、なかなかの盛り上がりをみせていた。
かつて自分が勤めていた会社の忘年会と比較して、正直、少しうらやましい気分になった。


2008.12.5 (Fri.)

TSUTAYAの半額キャンペーンを利用して古畑任三郎DVDレンタル祭りを個人的に開催しているのだが、
何本も何本もこのドラマを連続で見ていくのは、正直言ってけっこうキツいものがある。
やっぱり一話完結型のドラマは、ある程度の間隔を空けて、余裕を持って見るのが正しい鑑賞法なのだ。
でも借りちゃったものはしょうがないので、がんばって見ているしだい。ニンともカンともである。

古畑任三郎を見るのがある種の苦行になってしまっているのには、個人的な理由がある。
それは、僕がミステリというものを大いに嫌っているという点に尽きる。ミステリ嫌いだから、本当につらい。

なぜ僕はミステリを嫌っているのか。それは、「殺人犯を探すことは、もはやダサいことだ」と思っているからである。
まず僕には、「なんで人が殺されなきゃならないのだ?」という疑問がある。なぜ、殺人が実行されなくちゃいけないのか?
人が人に対して暴力を行使するのには理由があるはずで、そもそも僕の興味はその理由の部分に尽きてしまうのだ。
だからその暴力を行使するに至る経緯をすっ飛ばしてトリックに凝るようなミステリには、まったく惹かれないのである。
つまり、僕の興味は殺人という行為そのものにはなく、殺人を決意させる過程、人を殺人犯に変えた過程にあるのだ。
犯人に殺人という究極のカードを切らせたものは何か?というところを描いてこそナンボでしょ、という考え方なのである。
(だから逆を言えば、コンテンポラリーな社会的背景をきちんと盛り込んだミステリ作品はそれなりに評価しているはずだ。
 宮部みゆき『火車』(→2004.8.1)、桐野夏生『OUT』(→2005.9.15)、横山秀夫『半落ち』(→2005.10.31)など。
 海外ではJ.エルロイ『ブラック・ダリア』(→2006.1.23)。舞城王太郎『阿修羅ガール』(→2005.12.13)もそれなりに。
 そもそもミステリとは19世紀の都市化の中で生まれたもので、ベンヤミンが都市空間とのつながりを指摘しているように、
 本質的に犯罪を通して都市生活者を描く要素を持つ……ええい面倒くせえ、Wikipedia「推理小説」の項を読むれ。)

そもそも、殺人のトリックはたいてい、作者の頭の中で都合よく現実を編集した結果でしかないじゃん、と思っている。
おいおい実際にはそんなに上手くいかないだろーという反証が、トリックを目にした瞬間に頭の中に浮かんでしまうのだ。
僕の目には、ミステリのトリックがどうしても、外的要因の都合のいい部分だけをいいとこどりしているようにしか見えない。
不都合な部分は「偶然性」や「意外な過去」で片付けられることが多いように思う。そこが納得できない(→2005.8.24)。
たとえば世間が『金田一少年の事件簿』で盛り上がっていたときも、僕はひとりウンザリしていた。
だって金田一(読者)が本来関知できないはずの過去の因縁が、殺人の理由に占める割合があまりに大きすぎたから。
だいいち、金田一の周りで人が死にすぎじゃん、と思ってしまうのである。人を殺さなくたってミステリはつくれるだろ、と。
でも人間は慣れてしまう生き物だ。殺人という最も衝撃的な発端、犯人探しの最も強い動機が当たり前になってしまった。
(ヴァン=ダインの二十則・第7項「長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。」)
その辺のマヒした感覚が非常にイヤなのだ。人間の存在を消すという根本的な部分への問いの欠如、それが許せない。

前にも書いたけど、ミステリ好きな人は、先生に褒められたい子どもなのだ(→2006.3.31)。
現代におけるミステリとは、断片的なヒントをもらって推理をして、当たっているかどうか答え合わせをする、そういうものだ。
だから先生に褒められることで自己肯定をする優等生だった人が、当時と同様の満足感を得るために読むものだと思う。
でもそこで示される「正解」は、学校での勉強と違い、実際に手を動かして確かめることができない。
次の知へもつながらない。そういうことに頭を使うのが、僕にはひどく虚しいことに思えてならないのである。

古畑任三郎を見ていて気になる点は、古畑が犯人に対して怪しいと目星をつける理由だ。これがどうにも納得できない。
「おかしいじゃないですか、○○のはずなのに、あなた××でしょう」と古畑は犯人に言うのだが、
僕はそのたび、「いや、そんなのは人それぞれずら」と思ってしまうのだ。無数の反証が頭の中に浮かんでくる。
その辺の可能性の黙らせ方がどうにも気に食わないまま見ているので、やたらとストレスが溜まる。

まあとにかく、僕みたいに、ああいう手もある、こういう手もある、ということをつねづね考える人間には、
ひとつの答えで押し切ろうとするミステリというものは、究極的に相性が悪い。
願わくば、ミステリというやり口にとっくに飽きてしまった賢い人がいっぱいいる、そういう世の中になっていてほしいものだ。


2008.12.4 (Thu.)

オシャレ軍に属するわがコンビニでは、ふだんはBGMとしてジャズが店内に流れているのだが、
12月ということで、今月に入ってからはずっとクリスマスソング責めなのである。
おっさんの英語で、Santa Claus is comin' to town~♪と繰り返されて、働く立場としては単調である。

それにしても条件反射とは恐ろしい。クリスマスソングを耳にすると、なんとなくウキウキとした気分になるのだ。
大人になってからロクなクリスマスを過ごしたことがないというのに、幼少期の楽しかった記憶がまだ残っている。
『ジングルベル』のメロディを聞けば、今も鮮やかにおもちゃ屋のカラー広告が脳裏に浮かぶのである。

僕は小学生のときにはガンプラ狂いで、アニメを見ないのにやたらめったらガンプラをつくっていた。
肝心のアニメのストーリー展開なんて全然知らない。でもガンプラをつくりまくる。いま思えば妙な習性である。
まあおそらく、得意分野だった立体の造形が面白くてたまらなかった、ということなのだろう。
ほかのおもちゃには目もくれず、ひたすらガンプラばっかり組み立てては喜んでいる子どもなのであった。

そんなわけで当然、毎年のクリスマスプレゼントで所望したのはガンプラである。
ふだんなら1個しか買ってもらえないガンプラだが、クリスマスには3個くらいまでお願いすることができた。
おかげで年末年始はガンプラ祭りになるのである。冬における最大の楽しみであった。
(マツシマ家では飯田市内の各神社のお祭りのたびにガンプラ購入が許されるという妙な風習があったのだ。
 つまり、夏や秋にはハイペースでガンプラをつくることができるが、その分、冬はじっと耐える必要があった。)

そういう過去があるためか、クリスマスソングを聞いていると、今でもなんとなくガンプラをつくりたくなるのである。
プラモなんて上京して以来ひとつもつくったことがないのだが(おそらく高校までで一生分つくってしまったのだろう)、
すっかり忘れていた昔の熱が、フッとぶり返してくるのを感じるのだ。懐かしい感触である。


2008.12.3 (Wed.)

というわけで、すっかり脳ミソが旅行モードになってしまった。本日は次の旅行の各種予約を入れたのであった。

県庁所在地ひとり合宿を始めた頃(→2005.9.24)は、交通手段を工夫することもなければ宿を予約することもなかった。
いま考えるとずいぶんムダが多かった。でもまあ、いろいろ経験したことで工夫できるようになったわけだし、しょうがない。
転機は紀伊半島半周関西旅行(→2007.2.10)だ。ここで「ネットで宿を予約した方がずっと得じゃん」とようやく気づき、
そのまま津の宿でノートパソコンを使って翌日以降の予約を入れていった。これが去年の話ってのがちょっと信じられない。
で、宿の予約ができると昼間に時間的な余裕が生まれ、県庁所在地以外にも寄り道をするのが当たり前になっていった。
(だから北陸旅行(→2006.11.2)では県庁所在地にしか行ってない。今なら無理して高岡や輪島に行ってみるが……。)
そして移動手段についても、四国旅行(→2007.10.6)からお得な切符を活用するようになっていった。
また、ネットの時刻表を駆使して寄り道するのに命を賭けるようにもなった(おかげで急速に鉄分が濃くなってきた……)。
結果としてこのような状態(→2008.2.26)へと至ったわけで、人間はエスカレートする生き物だとあらためて思うのである。

県庁所在地めぐりを完了するためには、おそらくあと4回、大物の旅行をすることになるだろう。
どうせ僕のことだ、それが終わっても、行ってみたい場所は限りなく増えていくに違いない。
10代の頃、まさか自分が毎日(いちおう)欠かさず日記を書くような文章書きまくり人間になるとは夢にも思わなかった。
そして、時間的経済的余裕をつくってあっちこっちに出かけるような旅行好きになるとは夢にも思わなかった。
人生とはわからないものだ。こういう予測もつかない展開が、今後、いい方向に転がっていくのをのん気に期待するとしよう。


2008.12.2 (Tue.)

鉄分の少ない僕にとっても、青春18きっぷというのは実に魅力的なアイテムである。
僕の場合、メインの旅行は県庁所在地めぐりになるわけだけど、そこで18きっぷを消化しきれない分が出てくる。
この「あまり」の旅行計画を立てるのもなかなか楽しいのだ。あれこれ考えていくと、なかなかキリがない。
経済的に無理をしたくないので、基本的には日帰りで関東近郊を再発見する旅を考えることになる。
でもその気になれば関東を脱出することだってできなくはない。そうして小さな旅行の計画がどんどんできていく。
いろんな場所へ行っていろんなことを知ると、さらに知りたいこと、体験したいことが増えていく。好ましい循環である。


2008.12.1 (Mon.)

ユーラシア旅行計画断念ということで、そんなら代わりに県庁行ってやるぜ、と計画をブリブリと練って過ごす。
ふつうの人ならムチャな計画でも、こちとら体力で実現できてしまうのである。机上の空論になどならんのである。
で、例のごとく青春18きっぷを使ってのプランがまとまった。あとは無事に費用を確保できれば問題なし、だ。
行きたいところの候補をあれこれ挙げて、旅行の計画を練るのはやっぱりすごく楽しい作業である。


diary 2008.11.

diary 2008

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