diary 2010.6.

diary 2010.7.


2010.6.30 (Wed.)

NODA・MAP『ザ・キャラクター』。

物語は宮沢りえ演じる「マドロミ」が弟を探す場面から始まる。モノローグでマドロミの置かれた状況が説明される。
やがて舞台は町の小さな書道教室に移る。そこでは家元(古田新太)が絶対的な権力を持って君臨しており、
ギリシャ神話をふまえた「ギリ書道」なるものを始めて多くの生徒を抱えていた。
しかし書道教室は徐々に宗教団体の様相を呈していく。生徒に犯罪を目撃させて共犯者としての負い目を持たせ、
その思考をコントロールしていく。現実を「テクスト」であるギリシャ神話の世界と混同させることで、
書道教室の生徒たちは世間から隔離され、極めて閉塞的な価値観の中に取り込まれていく。
というわけで、この作品のテーマは数々のテロを起こしたオウム真理教である。
オウム真理教とギリシャ神話をモチーフにして、閉ざされた世界に捕らわれた人々の悲劇を描く作品だ。

結論から書いてしまおう。野田秀樹は現実の事件をモチーフにするとどうしてこんなにつまらなくなるんだろう。
以前にも『THE BEE』という作品を観たことがあるが(→2007.6.26)、そのときと同じ退屈さが全編を覆っていた。
野田が圧倒的な想像力にものを言わせてフィクションの世界観をつくりあげた作品は例外なく面白いのだが、
現実にあった事件を解釈して表現した作品は例外なくつまらない。さすがの野田の想像力をもってしても、
現実には勝てないということか。事実は小説より奇なりというが、現実を超えることは不可能なのかと思ってしまう。

相変わらず、言葉遊び、多数の身体を活用した表現、辻褄合わせ(特に今回はギリシャ神話の取り込みが上手い)、
そういった部分の完成度はすごく高くて、観ていて「おお!」とうならされる場面が連続していた。
でもそれだけに、観客がオウムの事件を想起する段階まで進んでくると、そっちの「事実という重さ」がどうしても
観客の頭の中を支配してしまうのである。野田の武器である軽やかさが、逆に薄っぺらく感じられてしまうのだ。
対象があまりにも重すぎる。それだけに、観客の心は無意識にシェルターを用意し、鈍くなろうとする。
笛吹けど観客の心は躍らない。むしろどうにもならなかった現実を思い出し、打ちひしがれることしかできなくなる。

演劇とは「play」という英語で示すように、本来は「遊ぶ」ことであると思う。
現実ではなく想像であることに最大の価値がある。想像力を尽くして遊ぶことこそ、本質だと思うのだ。
ところがあまりに重いテーマを扱うと、「遊ぶ」ことができなくなってしまう。
特に演劇は観客が仕上がりを決めるメディアである。映画と違い、演じる側だけで決まるものではないのだ。
観客たちが「遊ぶ」ことを拒否してしまう以上、演じる側がどんなに「遊び」を喚起しても、それは成立しない。
むしろ『ザ・キャラクター』は表面上は「遊び」の皮をかぶって実際は熱意を伝えようとしていた作品なのだが、
「不謹慎」という社会的なコードに縛られている観客たちには、その境界線が見えることがなかった。
カーテンコールの際、明らかに客席には戸惑いが見えた。舞台と客席の齟齬が形になって現れていた。
現実と想像、舞台と客席、遊びと社会性、さまざまな戸惑いに包まれた作品で、正直残念な仕上がりだった。


2010.6.29 (Tue.)

パラグアイ×日本。これまでの経緯を考えると奇跡とも言える16強入りを果たした日本が、南米の古豪に挑む。
午前3時のキックオフでも根性で起きて見るのである。この生活にももう慣れつつある。

日本は岡田監督が「現実路線」に転換したことで、守備を最大の売りとするチームとなった。
対するパラグアイも堅守速攻を基本戦術としており、世間では似たもの同士の対戦と見ているようだ。
しかしそこは南米。ふだんからブラジルやアルゼンチンにもまれているうえに、ズルさを存分に持っているはずだ。

いざ試合が始まってみると、戦前の予想以上に膠着した展開に。
日本の守備ブロックは恐ろしいくらいに機能しており、パラグアイにチャンスをつくらせない。
しかし対照的に攻撃は迫力不足で、カウンターを警戒して攻撃の人数が足りずにしぼむ、その繰り返し。
パラグアイも南米だからもっと狡猾にやってくるんじゃないかと思っていたのだが、意外に淡白。
結局、どちらも得点するチャンスがなくはなかったが、それを決めきる迫力を出せないまま120分が過ぎた。
日本は岡崎・中村憲剛・玉田を投入して以前の攻撃サッカーに切り替える姿勢を見せた点は評価したいが、
やはりその判断は遅かった。90分で決めきる、そうでなければ負け同然、という覚悟で戦ってほしかった。
(勝ったら次がスペインもしくはポルトガルということで、メンバーを固定化して戦うしかない日本の状況からして、
 このパラグアイ戦は90分で終わらせないとどうしょうもないダメージを受けることになるのはわかっていたはず。)
正直なところ、「どっちでもいいから早く点を決めやがれ!」という気持ちで試合を見ていた。
日本が決めればうれしいし、パラグアイが先制しても試合が動くことには変わりない。
その方が日本に新鮮なチャンスが舞い込んでくる可能性が高く思えたのだ。それくらい退屈な展開だった。
(コーヒーを飲みながら試合を見ていたのだが、飲んでいなかったらたぶん途中で寝ていた。)

最後は0-0のままPK戦にもつれこみ、得意としているはずの駒野が外して日本のベスト8進出は阻まれた。
これは、120分以内に決着をつけることのできなかったことへの「罰」であるように思えた。
(もちろん駒野を責めてはいけない。彼はただ運が悪かっただけ、そして次への成長のきっかけを得たにすぎない。)
ラウンド16で「負けなかった」というのは、大いに誇っていい事実であることは間違いない。
しかし、ここで感じた不完全燃焼の感覚を、この先ずっと忘れないようにしなければならない。
客観的にみればいつ負けてもおかしくない状況の中、ここまでやれた、でもまだやれた。
それってかなり、幸せなことじゃないか。

さて、試合中に駒野とマッチアップしていたパラグアイのバルデスが、PK戦で決着がついた後に駒野のもとに来て、
「お前が外したゴールは俺がスペインゴールにぶちこんでやる」って言ったそうだ。そういうチームと戦えたってことは、
とても誇らしいことだと思う。悔しくはあるけど、パラグアイのベスト8進出を素直に祝いたいという気持ちにさせる話だ。


2010.6.28 (Mon.)

オランダ×スロバキア。イタリアを倒して16強に飛び込んできたスロバキアが、
優勝候補に挙げられているオランダと戦うわけで、判官びいきとしては当然、
ジャイアントキリングを期待しつつテレビの画面を眺めるのである。

前半18分にロッベンが決めてオランダが先制。やっぱり強い国は強いなあ、と思う。
スロバキアはイタリア戦のときのような躍動感はなく、オランダがうまく対処している印象がする。
後半に入ってスロバキアもチャンスをつくるが決められず、逆にスナイデルがいやらしく(偏見)追加点を取る。
最後は敢闘賞です、と言わんばかりにスロバキアにPKを決めさせたところで試合終了。
スコアとしては2-1なんだけど、実力の差は明らかにそれ以上あった。
サッカーの強弱の差は、野球とは比べ物にならないくらい残酷な気がする。見ていて切ない。


2010.6.27 (Sun.)

僕がテスト前で特に予定がないということで、掲示板で姉歯メンバーに招集をかける。
が、リョーシさんが指摘したように直接連絡をとることをしなかったので、直前になっても、
いや、当日になっても反応がいまひとつという人まで出る始末で、ろくに何もできないまま終わりかける。
結局、夜に集合して飲んで終わり、という、今まででは最も小規模な姉歯祭りとなってしまった。困ったもんだ。

「下町で渋く飲みたい」というのと「東西線でどうにかなりませんかね」というのとで、出てきた答えが門前仲町。
門前仲町で渋いのはどの辺なのかという具体的なことはメンバーで誰も知らないという状況なのだが、
まあそこは勢いに任せて集合してしまうのである。そしてその後、途方に暮れつつ地道に答えを探せばいいのだ。
まず僕とニシマッキーが合流し、次いでみやもり夫妻とも合流。今回はこの4名での飲みとなる。

渋い飲み屋はないか、と探しつつ、駅から鶴岡八幡宮の辺りをブラブラ。
この辺りの「深川公園」は東京になって最初に指定された5箇所の公園のひとつなんだぜー、などと、
僕は相変わらずのムダ知識を披露するのであった(ほかは上野・浅草・芝・飛鳥山。→2002.8.25)。
ダベっている中で、みやもりもニシマッキーも、W杯の日本×デンマーク戦の翌日に有給を取っていたことが判明。
授業があるので休めるはずもなく、8時には職場に着いていた僕からすれば驚愕の事態である。
まあそんな感じであれこれしゃべっているうちに、渋いかどうかは別にして店が見つかったので中に入って飲む。

飲み会なのでバカ話与太話満載で非常に楽しい時間なのであった。
個人的には真希波・マリ・イラストリアスことみやもりの嫁がわれわれの頭の悪いトークに引かないか心配だったが、
それはまったくの杞憂に終わってよかったよかった。思いのほか嫁さんはわれわれの話を楽しんでいたようだった。
今回は夜に飲むだけという最低限の姉歯祭りだったわけだが、それが続くとどんどんエネルギーがしぼんでいくので、
やはり事前にきちんと予定を組んで、何か一発やらかしてから飲むことを徹底したいものだと思う。

ドイツ×イングランド。世間的には強豪国同士の対戦とみられているようだが、僕はまったくそうは思わない。
なんだかんだ言って、イングランドは弱い。もう言い切っちゃう。優勝したのは自国開催の1966年のみで、
以後は1990年の4位が最高。基本的にはベスト8ぐらいの位置から永遠に抜け出せないチームだと思う。
プレミアリーグがある関係で強豪国に数えられてはいるのだが、僕は代表チームから絶対的な強さを感じない。
今のイングランドで絶対的と言えるのは、スーツ姿のベッカムのカッコよさだけだ。

そんなイングランドの対戦相手は試合を重ねるたびに評価がうなぎ上りのドイツということで、
世間では熱戦を期待していたようだが、僕としてはドイツがどれだけ格の違いを見せつけるかが焦点だった。
試合が始まると案の定、ドイツが面白いようにパスを回してイングランドを翻弄する構図に。
あっさりと2点取られたものの、CKから泥臭く1点返す辺りはさすがにサッカーの母国の意地を感じた。
ランパードのシュートがゴールと認められない誤審に対しても紳士的に冷静に対応し、かなり好印象。
しかしながら地力の差はいかんともしがたく、終わってみれば4-1というスコアでドイツがあっさり勝った。

まったく的外れな指摘なのかもしれないが、書いちゃう。
イングランドが弱っちいのは、英国4協会が別個に活動しているからではないのか。
4協会はFIFAよりも古い歴史を持ち、特にFA(イングランドの協会)はサッカーのルールを決めたというプライドがあり、
さらに4協会同士が非常に仲が悪くて統一など夢のまた夢とわかっていはいるのだけど、
それを実現しないことには絶対に二度と優勝することはできないと思う。
まあ、優勝よりも各協会の独立を優先するんならそれでいいんだけど、でも現状より強くなることはないだろう。


2010.6.26 (Sat.)

本日よりワールドカップは決勝トーナメントである。グループリーグでは有象無象とは言わないが、
さまざまな国のさまざまなサッカーが一気に展開されて、すごく華やいだ印象を受ける。
それがなくなって1試合1試合がクローズアップされるのは、どこかさびしさを感じてしまうのだ。
ウルトラクイズではチェックポイントが進んでいくにつれ、人が減って真剣勝負の色合いが濃くなっていくが、
それとともに雰囲気が落ち着いていって、そこに終わりが近いこと特有の物悲しさを感じる、それに似ている。
……そう思ってしまうのは僕だけなんだろうか。ともかく、カウントダウンが始まった。

決勝トーナメント最初のカードは、ウルグアイ×韓国である。
南米の古豪にアジアが挑むという構図は、3日後の日本もまた同じなのだ。だから非常に気になる試合だ。
先制したのはウルグアイ。ゴール前で広く使って韓国守備陣の予想を超えたクロスが上がり、
スアレスがあまり角度のないところから見事にゴールを決める。やはり決勝トーナメントの戦いはシビアだ。
後半に入り、韓国は粘り強い攻撃が奏功。ゴール前の混戦からヘディングが決まって同点に追いつく。
正直なところ、韓国には同じアジアの代表として南米相手にしっかり通用してほしい気持ちもあるし、
でも韓国ばかりが目立ってしまうのは癪で、日本にこそアジア代表として目立ってほしい気持ちもあるし、
複雑な思いを抱えつつ観戦するのであった。そうこうしている間に、ウルグアイが2点目を奪う。
CKからスアレスがギリギリの位置に、カーヴをかけたあまりにも美しすぎるシュートを入れたのだ。
これを打たれちゃあどうしょうもない。南米のリズムというか巧さというか研ぎ澄まされた得点感覚を感じる。
韓国はパク=チソンがスペシャルな選手として一味違う動きを見せるが、それ以外の選手がいまいち足りなく見える。
試合巧者のウルグアイが韓国の攻撃を上手くかわして2-1で逃げ切ったのであった。
繰り返すけど、いかに決勝トーナメントがシビアかを見せつけられる試合だった。


2010.6.25 (Fri.)

3時起きである。いよいよグループリーグ第3節、デンマーク×日本戦が行われるのだ!
ドキドキしながらテレビの電源を入れる。まだキックオフまで30分あるのでパソコンで情報収集しようとしてビックリ。
なんと、イタリアがスロバキアに2-3で負けたではないか。つまり、イタリアはグループリーグ敗退となったのだ。
昼間もたなくなるのが心配でテレビ観戦を回避したのだが、まさかこんなサプライズが起きていたとは。
これがワールドカップということなのか。油断すれば、どんな強豪でも足をすくわれる可能性がある。

さてデンマーク×日本がキックオフ。序盤はトマソンが自在に動いて日本のピンチが続く。
堅守を武器にしてここまで来たというのに、今日の日本はどうも少し危なっかしい。
疲れがあるのかなあ、大丈夫かよオイ、と心配していたら、そのうちに中盤をいつもの形に戻したようで、
デンマークの攻撃をきっちり止めるようになる。しかし見ている方としては安心できない。
そのうちに日本はFKのチャンスを得る。距離的には本田かなあ、ガツンと入れちゃえよと思っていたら、
無回転のキックが炸裂してあっさりと日本が先制。日本は引き分けでもいい状況なので、これは非常に大きい。
そして前半のうちにもう一回FKの場面が来る。やっぱり本田で行くのかな、と思いきや遠藤。
1本目の本田のキックが効いていて、右足から柔らかく放たれたシュートはきれいにゴールに収まった。
これで2-0。いわゆる「危険なスコア」ではあるけれど、これで日本の突破の可能性は飛躍的に高まった。
試合前にはこんなに余裕のある気持ちでハーフタイムを迎えることになるとはまったく想像できなかった。

後半、デンマークはどんどんパワープレーを仕掛けてくるが、日本はしっかりと対処。
長谷部が倒してとられたPKも、川島が反応してみせる。惜しくもトマソンの意地の前に1点を返されたが、
交代枠を使い切った状況下でトマソンが足を痛めたようで、日本の有利さに変わりはない。
逆に大久保のパスから本田がドリブル、めちゃくちゃきれいに相手をかわして岡崎にパスしてダメ押し。
対戦国は3つともぜんぶ格上、グループリーグ突破は厳しいと言われていたのもなんのその、
その格上相手に3-1で堅実に勝っているではないか。こうなるなんて、いったい誰が想像できただろう。
試合終了の笛が吹いて、いろんなチャンネルをザッピングしてみたら、どこも大騒ぎ。
ここまで安定した試合運びを見せたうえで決勝トーナメントに進めるなんて、もう夢じゃないかとすら思う。

学校へ行くと、サッカー好きな生徒たちも顧問の僕にあれこれ話しかけてくる。
授業になって「Did you watch the soccer game this morning?」と訊いてみたら、
半分以上が手を挙げるクラスもあったくらい。男子だけでなく女子もけっこう見ていた。
仕事の合間にはネットで各種記事をブリブリ閲覧。いやー、実に幸せだー。

夜は教育実習生お疲れ様会&アメリカの先生いらっしゃい会。
僕は当然のごとくアメリカの先生の近くの席を割り当てられるのであった。
あれこれと気合で通じさせて話すのだが、聞く方は余裕。むしろ日本語での飲み会より新鮮で面白かった。

やはり午前3時からのサッカー観戦は疲れをもたらすものなのか、家に帰るとあっさりおねむ。
ポルトガル×ブラジルも見たかったけど、さすがにあきらめた。


2010.6.24 (Thu.)

ちょっと前に書いた(→2010.6.20)歌が上手い歌手の議論について、ここできっちり書いておこう。

正月に帰省した際、潤平と「歌が上手い歌手は誰だ」という話題になった。
僕は最近のオリコン事情にはすっかり疎くなってしまったのでこれといって名前を挙げることができなかったが、
(苦し紛れに挙げたのが「デーモン小暮閣下」だったくらいで、そうとうに最近の歌手事情がわかっていない。)
潤平は「いきものがかり」と「Superfly」を挙げてきた。まあ、わからんでもないなあというのが第一印象。
しかしながら、そのときには僕はどっちにも賛成しなかったのであった。

いきものがかりについて、僕は歌が上手いとはまったく思わない。
歌が上手いのではなく、ヴォーカルの声が特徴的なのだと思っている。
思うに、潤平はふつうの人間にはない要素、言ってみれば歌手としての天性の要素を評価する傾向がある。
それゆえか、いきものがかりのオリジナリティある声を「天性の要素」として見なしているように思うのだ。
確かに声は極めて重要な要素ではあると思うのだが、歌の上手さ云々はそれとは別のことだと思う。
僕の見解としては、歌の上手さってのはまず狙った音程に的確に音を出せること、次にそれを維持する声量、
最後にそれを自在にコントロールし続ける表現力だと思っているので、声質は対象外となるのだ。
だから僕のいきものがかりに対する評価は、面白い声質の女の子を持ってきたな、というもので、
それ以上でも以下でもない。だから声を抜きにした歌い方だけを判断すれば、大したことなし、となるのだ。
ちなみに去年まで同僚だった女性の先生は「声が嫌い」と言っていた。好みは人それぞれってことだ。

で、Superfly。前にも述べたように『めざましテレビ』での過剰なフィーチャーで飽き飽きしていたため、
僕は潤平の意見に対して難癖をつけにかかるのであった。いやー、いま考えると大人げない。
潤平はSuperflyについてその圧倒的な声量を歌が上手い理由として挙げていた。これには異論がまったくない。
とにかく歌手は声がデカくないとダメで、その点においてSuperflyの声量は文句なしにすばらしい。
しかし僕が難癖をつけたのは音程の部分。ライヴでの歌が『めざましテレビ』で放送された際に思ったのだが、
微妙に低い方に音程が下がっていたのだ。もっともこれはよくあることで、人間、しっかり訓練していないと、
歌声はだいたい低い方に下がっていくものである(それを意識しているためか、僕はよく高い方にすっ飛ばす)。
中島美嘉を全力で嫌っていることからもわかるように、僕は音程に対する評価が非常に辛い。
だから音程が下がっていたSuperflyの歌を耳にしていた僕は、うーんまだまだ!という反応をしたのであった。
ある意味、スタジオ録音とライヴでクオリティにまったく変化のない渡瀬マキ(→2009.4.25)の方が、
「歌が上手い」と形容できるかもしれないな、と思っているのである。

でもまあ、いい時代になってきたかな、という気もするのだ。
1990年代後半から2000年代前半は、「記憶に残る歌手」という意味ではとてつもなく不毛な時代だった。
小室哲哉がプロデュースした歌手はことごとく歌が下手だった。そして世間ではカラオケが浸透していった。
つまり、小室哲哉はカラオケで素人が歌うことを想定してプロデュースしていたのだ。
素人が「自分も○○くらい歌えるんだ」と勘違いして満足感を得られるように、下手な歌手ばかり連発した。
そうやって小室哲哉はCDの売り上げとカラオケの著作権料で稼いで稼いで稼ぎまくったわけである。
日本ではそれ以来、「カラオケで素人がそれなりに再現できること」が絶対的な価値観としてまかり通った。
連発されるオーディションによって、次から次へと素人が歌手に祭り上げられた(モーニング娘。もね)。
しかし最近の傾向を見てみると、かつての「選ばれた才能を持つ者しか歌手にはなれない」という価値観が、
着実に復活してきているようにも思える。潤平の挙げた名前には、確かにその可能性を感じるのである。


2010.6.23 (Wed.)

スロベニア×イングランド。勝てないイングランドは内紛になりそうな雰囲気だったらしいが、
フランスの惨状を目にしてか、どうにか団結。この第3戦に決勝トーナメント進出を賭ける。
テレビの解説によるとこの日イングランドが先発起用したデフォーは戦術理解度は高くはないが、
鋭い動きで切り込むタイプだそうだ。それが当たって、素早い動きで先制ゴールを決める。
その後もイングランドは攻め続け、守備ではテリーがシュートに対して体を投げ出す場面も。
個人的にはスロベニアのアップセットを期待していないでもなかったのだが、
こうもイングランドにがんばられてはしょうがない、と納得するのであった。

それにしてもスーツ姿のベッカムのカッコいいことといったら、もう、なんとも形容しようがない。
特にチョッキというのかベストというのかウェストコートというのか、ジャケットを脱いだときの恰好。
あれは本当にすごいな。別格だわ。イングランドのどの選手よりも目を奪われる。
ファッションなんかに異常に鈍感な自分でさえ、彼の凄みに一瞬で圧倒されてしまう。
こういうのが本物のカリスマってことなんだな、とため息ばかりついているしだい。


2010.6.22 (Tue.)

アメリカの先生が来るのは刺激があっていいんだけど、通常の授業が進まなくなってしまうのは困る。
1ヶ月近くこれではかなわないので、どうにかいいバランスの進め方を模索していかなければ。

フランス×南アフリカ。今回のフランスはあまりにもダメすぎ! プレーもひどいがチーム状態があまりにもひどい。
いろんな情報を総合すると、協会・監督・選手ともに問題があり、それをここまで野放しにしてきたようだ。
協会は人間関係の好き嫌いをもとにドメネクを続投させ、ドメネクは自分の地位を守ることしか考えておらず、
選手たちはそれにつけ込んで勝手に振舞うという悪循環があったそうな。それがここにきて一気に露呈した。
ホスト国として懸命にプレーする南アフリカに対し、フランスの醜態は目を覆うばかりのひどさ。
(まず、リベリーのあまりの人相の悪さに驚いた。左半分の横顔を見たときに、異様な「ねじれ」を感じたのだ。
 右側にあるもともとの傷は別にして、内面にあるドロドロとしたものが直に顔に出ている印象を受けた。
 あのねじれ方を見ると、未成年売春疑惑とかグルキュフへのイジメとか、そりゃコイツやるわなと思えてくる。)
プレーオフで誤審に助けられた形でアイルランドを破って本大会に出場したのも今考えるとひどい話だ。
それでも本番でしっかりと活躍できればまだよかったのだが、まあはっきり言って、
今回のフランスはワールドカップに出場するのにふさわしくないチームだったとしか表現しようがない。
とりあえず人のふり見てわがふり直せということで、日本で将来こういう事態が起きないように祈るのみである。


2010.6.21 (Mon.)

姉妹都市から教員を派遣するというワケのわからんことをやっているせいで、職場にアメリカの先生が来た。
これから1ヶ月近く英語の授業を中心にいろいろ参加するということである。
日々テンパりながら必死で乗り切っている身としては、「よけいなことをするな!」と叫びたくなる状況である。
が、そうかといって失礼な態度で臨むことなどできるはずもない。半ばヤケになりつつ素直に受け止める。

この日はそれに加えて、午後になって近所の小学生がやってきた。
これまたよけいなことに、小学校と中学校の交流ということで英語の授業をしなくちゃならないのである。
成果が少ないわりに現場につまらない負担をかけることが好きな自治体だなあと心底呆れてしまう。
とはいえ愚痴を言っても始まらないので、これまたヤケになりつつやるべきことを進めていく。
うまくできたかどうかはわからないけど、苦情が直接来なかったからヨシということにする。

ポルトガル×北朝鮮。雨の中での試合だが、グループリーグ第2節ということで熱気は十分。
まずは北朝鮮がピッチで躍動。力強い動きでポルトガル陣内へと果敢に攻め込んでいく。
しかし1トップのチョン=テセがしっかりマークされており、ボールがそこまで行かない。
そのうちに北朝鮮が攻め上がって空いたスペースをポルトガルが使うようになり、パスで崩して先制。
後半になると完全にポルトガルが試合を支配し、次から次へとゴールを奪い続ける展開となってしまう。
終わってみれば7-0。北朝鮮の選手たちの今後が本気で心配である。FIFAは安全を保証せい。

チリ×スイス。ビエルサ監督の攻撃サッカーと、スペインを1-0で破ったチームとの激突である。
戦前に想定された焦点は鉄壁スイスをチリが崩せるかどうか、この一点で、実際にそのとおりの展開となった。
とにかくカードが出まくる試合で、スイスは前半ですでに10人となったのだが、それでもチリの攻撃を凌ぎ続ける。
しかしながら後半、スイスはワールドカップの無失点時間の新記録を達成したものの、チリに得点を許した。
まあ後で映像を見ると微妙にオフサイドだったのだが、そういう際どいプレーでないと得点できなかった、
そう考えればいいんじゃないの、と部外者の僕は思うのであった。


2010.6.20 (Sun.)

スロバキア×パラグアイ。チェコが出ないでスロバキアが出るというのはちょっとさびしい。
試合展開はパラグアイが南米らしいサッカー慣れした感じを漂わせ、先制してから試合をコントロール。
終了間際に追加点を入れてしっかりと勝ったのであった。南米強いなあ。

引き続きイタリア×ニュージーランドを見る。今回個人的に最も気になるチームはニュージーランドだ。
0.5枠のオセアニアから来たこのチームには、アマチュアの選手が混じっているのである。
こりゃもう、男だったらニュージーランドを応援しなくちゃいけないでしょ!となるでしょそりゃ。
今日の対戦相手は前回優勝のイタリアということで苦戦が予想されたのだが、
フタを開けてみたら開始7分でセットプレーからニュージーランドが先制。
こうなるとイタリアのプライドが黙っちゃいない。攻め込んでPKを得るときっちり同点に追いつく。
しかしその後はGKがスーパーセーブを連発するなど粘り強い守備でニュージーランドが踏ん張る。
そしてなんと、そのまま引き分けとなったのであった。やーい、ザマーミロ。

ところでSuperflyのNHK中継テーマ曲はかなりいい。世間でもかなりの評判になっているようだ。
Superflyは『めざましテレビ』でイヤというほど流れたせいで一時期かなりの拒否反応が出ていたのだが、
今回の曲はワールドカップの昂揚感にとてもマッチしていて聞こえてくるたびに「おう!」と気合が入る。
正月に潤平が「歌の上手い歌手」ということでSuperflyを挙げていて、その意見にはある程度納得いっていたが、
(このときの議論はけっこう面白い内容だったので、いずれきちんと書くことにする。)
このたびあらためて「うーん、まいった!」と思わされた次第である。
今まで「『すげえハエ』って何だその名前」とか言っててすいませんでした。


2010.6.19 (Sat.)

朝は雨が降っていたのだが、奇跡の晴れ間が発生して昼から部活ができた。
シュート練習やらリフティング練習やらゲームやらを生徒と一緒にやる。これを利用して痩せたい。
部活が終わると「お前ら、今夜はちゃんと試合見ろよ!」と言って解散。まあ、いつものことだ。

グループリーグ第2戦、日本×オランダ戦である。初戦では超守備的な戦いをした日本代表だが、
そのまま戦術を継続するか、玉砕覚悟で去年と同じようにガンガンいくのか、非常に気になるところだ。
そしてスタメンが発表された。カメルーン戦とそっくりそのまま同じメンバー、同じフォーメーションだった。
まあおそらく、前半はガッチリと守って、後半も終盤まで守って、最後の最後で仕掛けるつもりなのだろう。
去年のオランダ戦で見せた攻撃を、最後の15分くらいで一気にやるつもりなんだろうな、と思って見る。

オランダの上手さは5日前の試合でわかっていたので、ひとつひとつのアクションが怖くてしょうがない。
しかしカメルーン戦で自信を深めたようで、日本の守備は非常に安定感がある。
そのせいかオランダはとてもやりにくそうで、初戦のようなスピード感がどうもないのだ。いいペースだ。
ポゼッションは圧倒的にオランダなのだが、時折日本のカウンターが入り、それがゴール前まで行く。
前半終わってボール支配率はオランダが7割。でもシュート数は日本の方が多いという、
なかなかしてやったりなデータが出た。日本にしてみれば、まさに計算どおりといったところだろう。

後半に入ってオランダは攻撃のギアを一段上げてきた。日本はそれに対し、微妙にルーズな対応になる。
その一瞬の隙を突いてスナイデルがミドルを決めてしまう。これは本当に悔しくて仕方ない点の取られ方だ。
しかし日本は集中力を切らさずにプレーを続ける。そして松井の交代を合図に果敢に攻め込みはじめる。
確かに1点のビハインドだ。しかし、それまでの守備的な動きから一変して連動した攻撃が始まった。
カメルーン戦では防戦一方だった終盤戦だが、このオランダ戦では日本が圧倒的に攻めているのだ。
結果からいうと決定力不足は解消されることなく、日本は0-1で惜敗する。
しかし、確かに日本はどうしょうもなく強いオランダを相手に自分たちの戦い方を貫いたのだ。

いろんな見方があるだろう。美しいドリブルと入らないシュートの大久保、ブレ球以外は止め続けた川島。
長友は途中から入ったエリアも完全に封じ込めたし、闘莉王について文句を言う人はもはやいないはず。
攻撃の物足りなさを嘆く人もいれば、守備の頼もしさを誇る人もいる。不思議な色合いのサッカーだった。
だが確実に、今日の日本は強かった。絶対的な守備をベースにした戦術を採用していたが、
日本がカウンターを食らわせる際の連動性は、これまで試行錯誤し続けた日本らしさが現れていた。
カメルーンの最後の猛攻と日本の最後の猛攻を見比べれば、確かな成果があることに気づくはずだ。
日本が超守備的な戦いをすることを、決して悲観してはいけないと思う。
われわれが理想とする攻撃は、90分続けることができない。ならばその時間を試合展開に合わせて限定し、
残りの時間(ほとんどの時間だが)を完璧な守備で埋めれば、それは十分に知的なサッカーであると言える。
オランダ相手に、日本はその萌芽を十分すぎるほど見せつけた、そうは考えられないだろうか。
落ち着いて数えてみれば、チャンス自体は日本の方が多かった。でもスナイデルのようには決められなかった。
時間を限定して分厚い攻撃を仕掛けるのであれば、絶対に決めないといけない。まだ伸びしろがあるってことだ。


2010.6.18 (Fri.)

朝起きたらフランスがメキシコに2点差をつけられて負けていた。いよいよもってフランスはピンチである。
まあやたらと評判の悪い監督を不可解に引っ張り続けてこの結果なので、甘んじて受け入れるしかあるまい。
次期監督のブランがだいぶやりそうな雰囲気だから、今回はまあいいんじゃないの。

ドイツ×セルビア。ドイツが初戦でオーストラリアを4-0で倒したのがいまだに信じられない。でも現実。
このやたらめったら強い相手に対し、PKでガーナに屈したセルビアが挑む。やっぱりなんとなくセルビアびいき。
まあ確かに激しいプレーが多かったのは事実だと思うのだが、それにしても審判がカードを乱発しすぎ。
当方、ヴァンフォーレ甲府の試合を通して、カードが出まくる展開の悲しさをよく味わっているので、
これはイヤだなあ、と顔をしかめながら観戦するのであった。そして前半で早くもクローゼが退場。
そしてセルビアは一瞬の隙を突いて得点すると、それを守りきって金星をあげた。
クリーンなゲームじゃなかったのだが残念だけど、でもやっぱりちょっとうれしい。


2010.6.17 (Thu.)

梅雨の晴れ間で、本日は超絶蒸し暑い天気なのであった。
せっかくALTが来てくれたのに、生徒たちはみんなダメダメ。まったく対応できていなかった。
かく言う僕だってちょっとギブアップ気味になりかけた。いろいろと反省の多い日なのであった。

午後には上級学校訪問ということで、生徒たちが班に分かれてあちこちの高校へ見学に行った。
引率抜きでの班による本格的な単独行動ということで、僕は職員室でやきもきして過ごす。
対照的にベテランの先生方は泰然自若。うーん、これが若さということか。とかなんとか考える。

本日は強豪アルゼンチンに韓国が挑むということで、飲み会から急いで家に帰ってテレビをつける。
そしたらスコアは4-1ということで、唖然とする。初戦で好調だった韓国が、大差をつけられている。
アジアと世界の差はまだまだ大きいのか……と肩を落とすしかないのであった。参った。


2010.6.16 (Wed.)

ホンジュラス×チリ。過去ログからわかるように、個人的にはチリにけっこう肩入れしている。
というのも、チリのサッカーはある意味で日本の理想形に近いと思っているからだ(→2008.1.26)。
で、さすがにチリはビエルサ監督の下、躍動感のあるサッカーを展開し、きっちり勝利。
この大会が終わったら、ビエルサが日本の代表監督になってくんねーかな、と思う。悪くないでしょ。

スペイン×スイス。EUROに優勝したことで今回のワールドカップで最も期待されているスペインが登場。
ところが結果はスイスが1-0で勝利。今大会最大の番狂わせが発生したのであった。
(といっても、決してスイスが弱いというわけではないのだが。)
まあある意味、日本とカメルーンの試合も客観的に見れば似た感じだったのかもしれない。

しかし日本がカメルーンに勝って2日経つのだが、マスコミの浮かれっぷりには心から呆れる。
決して圧倒して勝ったわけではない。考えられる中で最も勝つ確率の高い作戦を遂行しきっただけだ。
それなのにマスコミは急に手のひらを返してお祭り騒ぎ。どの局を見ても良識のかけらもない対応だらけだ。
特にひどいのが本田の祭り上げ方と、岡田監督に対する評価の激変ぶり。ふざけるな、と言いたい。
お前らどれだけ叩いてきたか自覚あんのか、と。肝心の部分を見つめてモノ言ってんのか、と。
当方、オシムが倒れて以来岡ちゃん全肯定、大木さんコーチ就任以来もっと全肯定で来ているが、
そういう立場からすれば、自分たちに都合のいい部分だけをトリミングしてさっさと使い捨てる姿勢には、
はらわたの煮えくり返る思いである。お前らに日本代表を応援する資格はない、と言いたい。
でもそんな資格を決めることのできる者などもともといない。僕らには信じて応援することしかできないのだ。


2010.6.15 (Tue.)

やんなくちゃいけない仕事が多すぎて、パニック寸前。ホントどうにかしてほしい。
教育公務員をふつうの公務員と一緒にするんじゃねー!と叫びたい(ふつうの公務員も忙しいと思うけどね)。
これ以上いろいろ押し付けてくるんじゃねー! しわ寄せはぜんぶ子どもにいくんだぞコノヤロー!

コートジボワール×ポルトガル。ウチの田中がドログバさんをケガさせちゃってすいません、と
観戦した日本人の全員が申し訳なく思っているであろうコートジボワールがクリロナ擁するポルトガルとぶつかる。
個人的に今回のワールドカップの第1戦目はドローのゲームが多いような印象がある。やはり緊張があるのか。
それでこちらの強豪対決もスコアレスドロー。でもドログバが途中出場したのでよかったよかった。
その瞬間、日本人はみんなほっと一息ついたんだろうなあ。


2010.6.14 (Mon.)

朝起きたらオーストラリアが4-0という大差でドイツに負けていた。驚愕する。

さて今日はいよいよワールドカップに日本が登場ということで、サッカー好きはテンションが上がる一日だ。
わがサッカー部では日本代表の試合をきちんと見ないと罰走があるので(ひでえ監督とか言うな)、
生徒たちは「ビデオに録って後で見ます」と言うのであった。そっか、中学生って寝るの早いんだ。
でもオトナは午前1時に試合が終わろうが知ったこっちゃないので、テレビにかじりついて過ごすのである。

まずはオランダ×デンマーク戦から。アホみたいに強い国のひとつであるオランダに対し、
かつてダニッシュ・ダイナマイトと呼ばれたデンマークがどれだけ食い下がるか、という試合である。
いざ始まってみると、やっぱりオランダが強い。ひとりひとりが速くて強くて正確なのだ。
人間の生身の身体があるとする。だいたい半径15cm、高さ180cmの円柱をイメージしてくれればいい。
そこにボールが転がってくるとする。上手いヤツは、そのボールを意のままにすることのできる範囲が広い。
半径15cmのはずだった身体が、1m、いや2mと瞬間的に広がって、ボールを見事に操ってみせる。
そしてオランダの選手はみんな、自分の周囲半径3mくらいを自分の身体の範囲にしているように見えるのだ。
そういう「広い身体」がデンマークの選手を押し込んでいく。やがてまずオウンゴールでオランダが得点し、
次はポストに当たったはね返りを冷静に押し込んで2点目。そうしてオランダが勝った。
いまだに身体の範囲が狭いままの日本が勝てる気がしない。見終わって、なんだか悲しくなってしまった。

そしていよいよ日本×カメルーンの試合である。冷静に考えればカメルーンの方が強い。
日本はイングランド戦(→2010.5.30)で見せた超守備的な戦い方をするようだが、守りきれるのか。
選手入場から丁寧に中継するテレビ画面を見つめていると、こちらのテンションもゆっくり上がっていく。
そうして展開された試合じたいは、はっきり言って客観的に見れば面白みに欠けるものだったはずだ。
でも、これまでの日本代表の戦いぶりを見てきた者にとっては、100%納得のいく内容だった。
とにかく徹底的に守り、隙を見つけてカウンター。初戦特有の緊張感が重くのしかかる中、
前半のワンチャンスを松井と本田が決めてみせた(真ん中でつぶれた大久保も評価しないといけない)。
それまでの体力切れ必至の戦い方とは対照的な、頭をフルに使った戦い方で、
最後のカメルーンの猛攻も凌ぎきった。そりゃあ世界の強豪国に比べれば美しくはなかったかもしれないが、
知性とハートを感じさせる戦い方だった。恐ろしく冷静に、本来の意味で試合を支配してみせたのだ。
そしてその冷静さの裏には、勝利を求める熱さがあった。それが伝わる、いい意味で変な試合だった。


2010.6.13 (Sun.)

世間はにわかに「はやぶさ」ブームである。みんな「はやぶさ」のことを忘れていたと正直に言えよ、と思う。
少なくとも僕は完璧に忘れていた。だから厚顔無恥な「はやぶさ」ブームに対していい印象がしない。
でも元天文大好き少年として、「はやぶさ」が戻ってきたこと自体にはとても感動している。
しかしながら、あれだけがんばって戻ってきたにもかかわらず、大気圏に突入すると本体が燃え尽きてしまう、
というのが非常に悲しい。リアルにお星様になってしまうなんて。人間は感情移入する生き物なのである。

アルジェリア×スロベニア。フランス代表に移民の選手を送り込んでいるアルジェリアと、
オシムがダークホースに挙げる旧ユーゴのスロベニアの一戦ということで、テレビ中継が非常にうるさい。
やっぱりなんだかんだ言ってNHKの中継は品があっていいなあ、とあらためて思うのであった。

セルビア×ガーナ。勝手な話だが、ガーナは前回のワールドカップで僕が支持していたチェコを叩き落したので、
個人的にはあまりいい印象がない(→2006.6.17)。そのせいか、なんとなくセルビアびいきで見る。
セルビアは退場者を出してもがんばったんだけど、ガーナの守備が非常に堅く、PK1発に泣く結果となった。
それにしても初戦特有の緊張感が包む中、必死に走る選手たちの姿はいいものだ。日本もこうだといいな。


2010.6.12 (Sat.)

自転車でお出かけ。神保町の馴染みのスポーツショップで自転車を修理してもらうのだ。
いいかげんタイヤが古くなっているのとサドルがボロボロになっているので、そこを直すのである。
午前中に店に到着すると、さっそく相談。ありがたいことにここ最近は自転車がらみのトラブルがなく、
気がつけばあちこち老朽化していたようだ。いい機会なので思いきってそれらを新しくした。
おかげで修理後の愛機は地味に調子がいい。よかったよかった。

その後は秋葉原に移動してあれこれがっつり買い物。
といってもそれほど金を出していろいろ買ったわけではなく、あちこち見てまわったということ。
最近のデジカメ事情を調べてみたり、最近のプラモ事情を調べてみたり、そんな感じ。
いいかげんそろそろCD・MDのコンポを新しくしようかと思って、店員に訊いてみる。
(いま使っているコンポは丸13年も使い続けているんだぜ! 自分でもこれはすごいと思う。)
しかし著作権の関係なんかでMDを光デジタル出力できるものがもはや存在せず、断念。
家に大量にある伊集院ラジオMDをMP3化したいのに、これは困った。

久しぶりにじっくりと家電量販店に滞在すると、本当に天国にいるような気分になる。
前にも似たようなことを書いたけど(→2007.6.16)、最先端の家電が並ぶ店内はまるで夢の世界だ。
高度経済成長以来、日本の家電は人類の夢を切り開き続けてきた(この表現は大袈裟ではないでしょう)。
家電が敷き詰められた店内はまさにテーマパーク。明るい未来が現実となって目の前に現れている。
この夢のような光景が続く限り、日本は日本らしくいられるのかな、と思う。
社会学的に、家電をめぐる光景は非常に重要な研究対象であると確信している。いや本気で。
家電の社会史を通して日本文化と経済と都市論を分析する。一橋の卒論なら十分いけるテーマだろう。
いつかじっくり、本格的に考えてみたい。っていうか、誰か書いてよ、『家電の社会史』。

夜はもちろんワールドカップ。家電量販店の地デジテレビ売り場では細かいところまでものすごくきれいで、
世間はここまで見えちゃうの? 見えすぎちゃって困らないの?と思ったもんだが、ウチのテレビは14インチ。
ブラウン管の画面で精一杯目を凝らすのである。動きがわかればそれでいいやい、と開き直る。

韓国×ギリシャ戦は、韓国がCKからまず1点、そしてパク=チソンがカッコいいところを見せて2-0。
ギリシャは6年前のEURO(→2004.7.5)の記憶があるのでもうちょっとやるかと思ったのだが、
ワールドカップになると弱くなるのかいいところなく負けてしまった。うーん、強いな韓国。

続いてアルゼンチン×ナイジェリア。スーパーイーグルスことナイジェリアはアフリカの雄として有名。
対するアルゼンチンはメッシをはじめタレントぞろいなのだが、いかんせん監督が監督で、
さあどうなると思いきや、アルゼンチンがきっちり勝利。やはり初戦は緊張するのかやや硬い感じもしたが、
マラドーナが監督という状態に選手は慣れたのか問題なく勝ち点3を手に入れたのだった。
でもこの試合でいちばん活躍したのは、ナイジェリアのキーパーだろう。
アルゼンチンの雨あられと放たれるシュートを、1つを除いて防ぎまくったんだから。これには感動した。
しかし白と水色の縦縞って配色はシンプルなくせに世界に唯一無二で、あらためて考えるとすごくかっこいい。


2010.6.11 (Fri.)

ついにサッカー・ワールドカップの南アフリカ大会が開幕した。
これからしばらく、なんだかんだでサッカー三昧の日々が続くというわけである。
やはり地上波のテレビで世界レベルの試合が見放題というのはうれしいことなのだ。

というわけで開幕戦の南アフリカ×メキシコ戦を見る。
南アフリカは特別強いというイメージがないのに対し、メキシコは中堅の筆頭格というイメージがある。
地元開催だけどメキシコ優位かなこりゃと思って見ていたら、目の覚めるようなミドルで南アフリカが先制。
そういえば4年前もドイツの派手なゴールで始まったように思う。ああ、ワールドカップが来たのだと実感。
さすがに開幕戦ということでかどっちも硬い動きだったが、セットプレーからメキシコが決めて同点。
そして試合終了。これが貫禄ってやつなのね、と思うのであった。

しかしテレビを見終わって気がついたのだが、ワールドカップ期間中は日記が進まない!
いつもならチビチビと日記を書き足していく時間が、サッカー観戦によってつぶされてしまうのである。
これはなんとも困った事態だ。まあせめて、観戦した感想ぐらいは早くアップできるようにがんばろう。


2010.6.10 (Thu.)

『ONE PIECE』のスリラーバークから天竜人を殴ってバーソロミュー・くまに飛ばされるところまでをレヴュー。

だいぶ飽きてきた。まあ猛スピードで50巻以上の分量を読んでくれば無理もないことだが、飽きてきた。
最大の要因はやはり、バトルの分量に対するストーリー展開の遅さである。物語の進行に対して、
倒さなくちゃいけない敵の量が多い。バトルの連続で食傷気味である。
フォクシー海賊団とのデービー・バック・ファイトはあんなに長々とやるもんじゃないだろ、と私は言いたい。

作者の脳内ではキャラクターの棲み付き具合がさらに加速度を増しているようで、
これは円熟味とも表現できると思うのだが、とにかくキャラクターたちのボケとツッコミの動きが激しい。
ブルックのセリフのギャグ密度は作者の脳内が面白くなっちゃってたまらない現状を示すものだろうが、
細かいところまでボケとツッコミが容赦なく展開されるようになり(バトルシーンも含めて)、
作者がより自由にこの作品の世界観をコントロールできるようになってきているのを感じる。
ただ、妙にハイテンションになっており、読むのに疲れた状態だとついていくのがややつらい。

また一方では、泣かせるエピソードづくりが安定してきているのも感じる。
しゃべればギャグだらけのブルックだが、彼の回想シーンは読者を泣かせる工夫に満ちている。
物語が始まった当初と比べて、伏線も駆使して読者の反応をうまくくすぐる技術が非常に高まっている。
(個人的にはナミの過去を描ききったことで最初のコツをつかんだんじゃないかと思うのだが、どうだろう。)
そしてその技術が天竜人の描写で存分に炸裂している。読者のフラストレーションを溜めに溜め、ドカン。
また巧いのが、その後の処理だ。海軍大将まで出てきて麦わらの一味の限界が露呈し、
引っ込みがつかなくなったところでバーソロミュー・くまが登場して一味をひとりひとり飛ばしていく。
飛ばしちゃえば捕まえられてジ・エンドになることはない。くまの真意という伏線も埋め込めるし、一石二鳥だ。
で、再集結するまでには全員何かしら成長して、問題解決ができるようになっているはずなのだ。

スリラーバークでは作者のハイテンションと相変わらず冗長なバトルで飽きがきたのだが、
その後のシャボンディ諸島でハチが再登場したりレイリーが存在感を示して物語を引き締めたりし、
かなり持ち直した。やっぱり『ONE PIECE』は話が進まなきゃ面白くないし、話さえ進めば抜群に面白いのだ。
ぜひぜひバトルのあり方を再考して、トップレベルの面白いマンガであり続けてもらいたい。


2010.6.9 (Wed.)

本日は小中学校の部活動交流ということで、近所の小学校に行って一緒に部活動。
凝ったことをするような時間的余裕もないし、そもそも凝ったことできないしで、いつもどおりのメニュー。
ところで小学校の先生にサッカーの指導がきちんとできる方がいて、いろいろ手助けをしていただいた。
どうせ交流するんなら顧問の先生レベルで交流してくれりゃいいのになあ、と思うズボラな僕。


2010.6.8 (Tue.)

実は今週から教育実習が始まっていて、今日はさっそく教育実習生に授業を見学されてしまった。
こちとらそんな見て学ばれるような立派なことを毎回やっているわけではないのだが、
やはりそこは職務上そうと言えないし、実際に努力の要素ゼロでテキトーにやっているわけでもないので、
まったく飾ることなくふだんどおりにやってあとは好きにしてちょーだい、という姿勢に終始するのであった。
ただまあ、個人的には古典的な読解中心のネチネチとした授業(英語を通して一般教養を学ぶ)が大好きで、
それと昨今のしゃべりましょう授業(二言目にはコミュニケーション)とのバランスに苦しんでいるのが正直なところで、
そういう葛藤を抱えたままでいるのをじっくりと見学されちゃうというのはなかなか心苦しい。
でもやっぱり、それはどうにもならないので、結局ふだんどおりにやってあとは好きにしてちょーだい、なのだ。
なんか人生いっつもこんな感じだなあと思う。


2010.6.7 (Mon.)

本日のサッカー部はミーティング。今まで決めていなかったこと(部長を誰にするとか)をいろいろ決めた。
背番号も決めた。希望がかぶったらPK戦で勝ったほうを優先というルールにしたのだが、意外とかぶらず。
ゆっくりと、生徒が考える時間を与えつつ部活動の体裁を整えていっております。決してズボラなのではない。


2010.6.6 (Sun.)

『ONE PIECE』のウォーターセブン~エニエス・ロビー編についてレヴュー。

まあ正直なところ、僕は登場人物の中でニコ・ロビンがいちばん好きだ。
だからというわけではないのだが、いや、だからそう思えてしまうのかもしれないが、
このエピソードはどうしても、ニコ・ロビンが麦わらの一味になることの正当性を与えるために用意された、
としか僕には思えてならないのだ。最初は敵として登場したロビンを仲間にすることにそうとう気をつかっている。
客観的にはここではゴーイングメリー号の最期と船大工フランキーの加入というターニングポイントを迎えるが、
それ以上に、麦わらの一味にニコ・ロビンの必要性を語らせることにエネルギーを集中させているように思える。
もう自分は仲間ではないと繰り返すニコ・ロビンを、麦わらの一味はしつこくしつこく追いかける。
読者にとってはまだ「いちおう仲間」というポジションなのに、キャラクターたちが読者よりも強く彼女を必要とする。
その演出が何度も何度も繰り返され、やがてエニエス・ロビーでCP9と劇的に対峙するシーンが描かれる。
次の瞬間にはルフィの命によりそげキングが世界政府の旗を焼くという衝撃的な宣戦布告により、
いよいよ「オレたちは世界を敵に回してもニコ・ロビンが必要なんだぜ!」と彼女の正当性が示されるのだ。
こういう経緯を考えると、このウォーターセブンからエニエス・ロビーにかけてのエピソードは、
ニコ・ロビンを麦わらの一味に加えるための通過儀礼というか、ひとつの慎重な手続きに見えてくるのだ。

そもそも、ニコ・ロビンの肩書である「考古学者」など、海賊船のメンバーとしては本来必要ないものなのだ。
しかし麦わらの一味はそれを必要とした点で、ほかの海賊との違いを上手く際立たせている。
理由はわからないが(妄想はこちら →2010.6.1)、ニコ・ロビンには特別な役割が課せられている。
それは不足しがちな頭脳派キャラの数を補う、というレベルではなく、物語の根幹に関わるものだ。
ニコ・ロビンが乗船していることで、麦わらの一味は世界政府にとって特別危険な存在となる。
それはニコ・ロビンの読み解く思想が将来、ルフィの父親が企む革命と絡み合うことで発動すると思われる。
この先の、作者の「ニコ・ロビン愛」がどのように展開していくか実に楽しみである。

アラバスタ編ではクロコダイルという敵が絶対的な悪として立ちはだかったが、
ここからは正義の名の下に動く世界政府のキナ臭い部分がいよいよ本格的に描かれはじめた。
麦わらの一味は決して正義のために動いているわけではなく、気に入った冒険をしていくだけだ。
その中で筋の通らないものに対して敢然と立ち向かう、というスタイルが確立されたと思う。
いかにも少年ジャンプである。

さて、最後に個人的に思うことをひとつ。ギア2、ギア3はやっちゃいけないだろ、と思うのだ。
これをやっちゃあキリがないし、強さのインフレが一段階ひどくなることになる。
やっちゃったものはしょうがないが、これで冗長なバトルがさらに冗長になると思うとさびしい。
その点はチョッパーの暴走もそう。もっと頭を使って戦ってくださいよ。


2010.6.5 (Sat.)

『ONE PIECE』の空島編。ニコ・ロビンが転がり込んで空島へ移動、「バトルロワイアル」的なサバイバルの末、
やたら無敵なエネルと戦って途中で大胆にうそつきノーランドの回想を挟んで鐘を鳴らして宴会。

作者の尾田栄一郎は『キン肉マン』の影響を強く受けているというのは有名な話なのだが、
なるほど確かに『ONE PIECE』で直接的にそれが形となって現れている部分があった。
それは海賊にかかっている賞金だ。お金の単位は「ベリー」で、これがその海賊の厄介さを表すのだが、
これってつまり、『キン肉マン』の超人強度(「95万パワー」とかのアレ)や、
あとは『DRAGON BALL』のスカウターでわかる戦闘力などと同じ役割を果たしているわけだ。
本来漠然としている「強さ」を数値化するこの辺のやり口も、少年マンガの王道らしさを感じさせる部分だ。

さて空島。偉大なる航路に入って以降、舞台設定はなんでもアリが許されるようになったのだが、
ついに空中にまで飛んでいってしまった。が、もはや読者は慣れて無理なく読めるようになっているので、
「上手いこと舞台を思いついたな」という感覚である。作者の想像力は実にたくましい。
展開としてはニコ・ロビンの目的意識を描き出しつつ、やや複雑な二大勢力の対立に麦わらの一味を絡ませる。
麦わら側は「鐘を鳴らす」という単純な目的を貫こうとする中でバトルに巻き込まれる構図となり、
勧善懲悪を変則的にすることで物語に抑揚をつけている。やっぱりこの作者は非常に凝っている。

個人的に空島編の一番のハイライトは、バトルの最中に大胆に挿入される「うそつきノーランド」のエピソード。
ここでの伏線の回収ぶりは見事の一言。正直かなり感動させられてしまった。強引さがまたよけいに効いた。
鐘を鳴らすという単純な目的に400年分の重みを一気に付けることで、ものすごい引力で読者を大団円に引き込む。
作者は巻頭の言葉でストーリーの構築を「テトリス」に例えているが、ここはかなりの爽快感があったに違いない。
伏線の回収の仕方には2種類あって、意図的なものと意図的でないものに分けられる。
この世の中のほとんどの伏線は前者なのだが、『キン肉マン』は後者のエキスパートといっていい存在で、
過去のちょっとした思い付きを驚くほど鮮やかに再解釈して提示してくる稀有な作品である(→2008.9.18)。
そして『ONE PIECE』は、ストーリー(登場人物の行動)を分岐させることで意図的な伏線をうまく活用するうえに、
登場人物のその後を緻密に考えることで意図的でない伏線もしっかりと生み出してくる作品なのだ。
(扉絵に出てくる敵のその後や、「ミス・オールサンデー」として登場したニコ・ロビンに課せられた使命もそうだ。)
両タイプの伏線を自在に操っている作者の「テトリス」の才能は、かなりのものだ。脱帽するしかない。


2010.6.4 (Fri.)

今日は4つフルで授業があって、そのあと放課後に補習が始まって、もう本当に疲れた。
部活がない曜日ということで金曜日に補習をやることになったのだが、これだけ疲れると部活と変わらない。
これでは休める曜日、体力や気力をコントロールする息継ぎの曜日がないではないか。なんとかならんか。


2010.6.3 (Thu.)

ケン=グリフィーJr.が引退したというので、それについて書いておく。

僕は特にジュニアのファンというわけではないが、彼の全盛期にMLBに興味を持ちはじめたこともあり、
やはりさすがに彼については「特別な選手」「スーパースター」という印象を強く持っている。
ホームランバッターなのにやたらめったら守備が上手くて、理屈抜きでかっこいい。そういう存在だ。

マリナーズからレッズに移籍して以降はほとんどと言っていいほど情報が入ってこなくなったが、
バリー=ボンズが歳をとるにもかかわらずあまりにも不自然な数のホームランを量産していったのに対し、
ジュニアはケガに苦しみながらもクリーンなプレーを続けていて、そこに彼の偉大さを感じたものだ。
人間、誰だって歳をとる。歳をとれば衰える。衰えながらも必要とされる限りプレーを続けた。
そしてこのたび、彼が引退を決めた。月並みな表現だけど、僕の中でもひとつの時代が終わった。

もう一度、あの頃に夢中になって眺めていた「Number」を引っぱり出してきて、
1990年代のカラフルな賑やかさと落ち着いた美しさの同居するMLBの選手たちの写真をじっくりと見ようと思う。
もちろん、その中心には若き日のジュニアがいる。そういう時代のメジャーリーグに惹かれたのがきっかけで、
僕はニューヨークまで飛んでいくことになってしまったのだ(→2008.5.10)。Take me out to the ball game.
シェイ・スタジアムで直にジュニアの姿を見たことを、いつまでも忘れないっつーか忘れられるわけがない。


2010.6.2 (Wed.)

本日はほかの学校で行われた研究授業を見学したのであった。
けっこうキャリアのある先生が、おそらくふだんどおりに授業を進めていったのだが、
生徒たちはやるべきことをよく理解していて非常にスムーズな内容なのであった。ウチとえらい違い。
こういう素材を使ってこういうことをやればいい、というのが明確になっているのがうらやましい。
いや、まあ確かに、それは僕がグータラで素材の研究を怠っているといえば確かにそうで……ゴニョゴニョ。
こりゃあ自分の番にはそうとうがんばらないといけないなあ、と決意を新たにすることなんてまったくなく、
とにかくブルーになって帰るのであった。まあオレなんてそんなもんだ。


2010.6.1 (Tue.)

尾田栄一郎『ONE PIECE』について。今回のレヴューはアラバスタ編だ。
偉大なる航路(グランドライン)に入ってバロック・ワークスの存在が明らかになり、巨人と一緒に戦って、
トニートニー・チョッパーが仲間になり、アラバスタでクロコダイルと決戦。その一連の流れについて。

正直、あんまり考えている感じがしないが、どうにかなっちゃってる、というのが第一印象である。
まずバロック・ワークスという悪の存在を知らせておき、バトルをして、その敵キャラが実は……という展開で、
作者自身が物語をかなり行き当たりばったりで構築していっている印象がするのである。
(バトルを物語より優先するのはジャンプの伝統だが、この作者はバトルの間に次の展開を考える。→2010.5.31
もっとも、それは失敗すれば悲惨なことになるが、成功すれば読者の裏もかけるし大きな実りとなる。
どうやら作者はその危険な賭けに勝ったようだ。物語を制圧する作者の強力な理性が動いた形跡を感じる。
むしろ作者自身が少年マンガの登場人物のように、1ランク上にレベルアップした感覚をおぼえたのではないか。

それにしても、チョッパーのエピソードを挟んでいるから、読んでいて本当に長い。
前回のレヴューでも書いたが、『ONE PIECE』の大きな特徴に、ストーリーを分岐させることが挙げられる。
アラバスタ編では大エピソードの中に複数の小エピソードを挟み込むという「実験」が行われている。
そうすることで大筋のストーリーの壮大さが強調できるし、うまくやれば読者を飽きさせない工夫となる。
今までのジャンプ作品にはそういう構成上の工夫はあまりみられなかった。実に賢い作者だと思う。
でもバトルの冗長さは相変わらずで、毎回毎回クソ長い戦いが繰り広げられるので、
いいから早く話を進めろや!とページをめくる手を早めることが何度もあった。どうにかなりませんかね。

さてアラバスタ編を読み終えて、『ONE PIECE』におけるほかのマンガとの決定的な違いを発見した。
それは、物語が一段落つくたびに、極めて丁寧に宴会シーンを描くということである。これは今までなかった。
宴会シーンのもたらす効果はエピソードの終了をはっきりと宣言する意味もあるのだが、実はそれ以上に、
「仲間たちと心から楽しむ時間はすばらしいものだ」ということの表現となっているのだ。これが重要。
ほかのジャンプの王道マンガと同じく、『ONE PIECE』は友情・努力・勝利の体現そのものとなっている。
そして宴会シーンは、特にジャンプのモットーの筆頭である友情を、今までになく強調する効果を持っている。
さらに実は、宴会を細かく描写することで、読者もそこに参加しているという錯覚を強く印象づけているのだ。
まるで自分が麦わらの一味に加わったかのように、読者は喜びを享受する。この点が大きな魅力となっている。

もうひとつ、次の次の大エピソードに絡んでくることなので、ここでまずは問題を提起しておきたい。
それは、ミス・オールサンデーことニコ・ロビンについてである。別に僕がロビンびいきだからということではなく、
ニコ・ロビン……いやこの段階ではミス・オールサンデーと呼んでおこう、その存在についてここで論じておきたい。
僕が思うに、ミス・オールサンデーは作者にとってかなり特別な存在なのではないか。
この先、ミス・オールサンデーは本名を明かし、麦わらの一味にくっついて行動するようになる。
それは当初予定されていたものとは到底思えないのだ。作者の特別扱いしたい心理がそうさせたのではないか。
理由はいくつかあるだろうが、最大のものはおそらく、ミス・オールサンデーの絵柄、タッチにある。
どういうことかというと、作者はミス・オールサンデーを描くことで、新しいタッチを開発しようとしたのだ。
明らかにそれまでの女性キャラとは違う、不自然な造形のキャラをあえて出すことで、自らの可能性を広げようとした。
そして、結果的に作者はそのタッチをものにした。だからミス・オールサンデーは作者にとって特別な存在となった。
繰り返すが、やがてミス・オールサンデーは本名をさらして麦わらの一味とともに行動するようになる。
その部分の(絵のタッチ以上の)不自然さは、そう考えることで説明がつくような気がするのだ。
本当のことはわからないが、作者の物語をコントロールする力を強く感じずにはいられない箇所である。


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