diary 2020.6.

diary 2020.7.


2020.6.30 (Tue.)

本日は受け持つ5クラスの授業がすべてあるというハードな一日。もっとも、まだティームティーチング段階なので、
様子を見ながら合わせるのだ。まあそれが意外と神経をつかうのだが……。なんだかんだで終わったらヘロヘロだった。


2020.6.29 (Mon.)

本日より一日6時間のフルタイム授業。どさくさ紛れでどうにか乗りきった感じである。勢いで押し切ったなあ。

個人的な勉強の方は、世界史・日本史・地理それぞれで取り組んでいたセンター試験の過去問チャレンジが終了。
正直なところ、世界史の大穴と日本史の中穴を塞ぐことができないまま終わった感じだが、こりゃもうしょうがない。
できなくて悔しい記憶はたっぷり手元にあるので、それをきちんと補強していくことが大事なのだ。がんばるなり。


2020.6.28 (Sun.)

世の中、他の人がやらないことをやるから、よけいに金を儲けることができるわけである。
「他の人がやらないこと」、これはポジティヴな意味では、「他の人がまだ気づいていないこと」である。
しかしネガティヴな意味では、「品性がないから他の人がやらないでいること」という種類のものもあるのだ。
つまり、品性と財力は比例しないのである。品性と財力は、本質的にまったく関係のない因子なのだ。
(ただし厳密に言うと、収入は品性と無関係だが、支出は品性と大きく関係する。→2014.11.112015.8.92017.5.18
ここを鋭く揶揄する言葉が「成金」というわけだ。最近は「セレブ」という変な横文字でごまかしていてタチが悪い。
まあとにかく、都知事選のホリエモン3連ポスターを見て、品性と財力は比例しないなあとあらためて実感したしだい。
(アメリカの大統領を見ていても、品性と財力は比例しないことがよくわかる。最近はそういう事例が多いねえ。)

歴史を見ると、経済はつねに欲望を充足することで発達してきた。つまり経済とは欲望に深く関わるものだから、
本質的に品がないということなのか。だから節度が求められるものなのか。道徳経済学を真剣に考えないといかんよ。
経済倫理学ではなく、道徳経済学。道徳的観点から経済をどのように動かしていって社会的な善を実現するかを考える。
(僕は道徳の授業で近江商人の三方良しの精神を紹介したことがあるが、学問としてきっちりやるべきでは? →2013.1.10
それが経済学の現代社会に対する責任であり、経済学が学問としての存在意義を主張するなら当然の姿勢であると思うが。


2020.6.27 (Sat.)

土曜だけど授業日。午前は1年生の授業2つに、午後は評価評定説明会と進路説明会である。
1年生はどちらも反応がいいが、やや小学生っぽい反応を示すクラスがあり、久々の授業ではなかなか大変だった。
勢いは削ぎたくないんだけど、放っておくわけにもいかなくて、対処もソフトにいきたいし、制御に神経を使った。
しかも内容は好き放題にできるわけではなく、学年で足並み揃えないといけない部分が非常に多くて。
午後は受付がメインだったのでまったくつらくはないが、やはり長い時間拘束されることだけで疲れが溜まる。
終業時刻になってもしばらく立ち上がる気力が出なかったくらい疲れた。午後までフルタイムになる来週が本当に不安。


2020.6.26 (Fri.)

仕事が終わって睡眠時無呼吸症候群の病院へ。CPAPを使いはじめて2ヶ月ということで、効き具合を診るのである。
結論から言うと、CPAPは問題なく効いているようだが、睡眠時間じたいが短いのが難点となっているとのこと。
今後は早寝とスヌーズ頼みからの脱却が必要であるようだ。規則正しい生活をしないといけないってことね。


2020.6.25 (Thu.)

午後に出張して研修。内容は新しい学習指導要領の評価のつけ方について。
……というとみなさん、僕がブンむくれで話を聞いていたとお思いでしょうが、かなりクソ真面目でしたよ。
積極的に質問しちゃったし。いや、純粋に気になって訊かないと気持ち悪くて。遅刻で後ろめたかったのも否定せんけど。
自分で言うのもナンですが、かなり核心を衝いた質問で、以降は場の空気が変わった感じ。有意義な研修になったと思う。

しかしまあ、文科省は理想を掲げて現場に負担をかけてくるのが本当に大好きですなあと呆れるばかりである。
理想じたいは完全には否定しないけど、そこにかかるコストを考える頭がまったくないのが逆にすごいと思う。
膨大なコストをかけて、プラスが得られるとしてもごくわずか、ということがまったく理解できていないのである。
ちょっと考えればわかることがわからないのはバカであり、そこを自覚できている人はバカから抜け出せる。
僕は最近そう思うことが多いのだが、文科省の救いがたいバカっぷりには辟易するばかり。もう近視眼的なのヤメテ。

研修が終わった後に、変にすっきりした気分だったので神保町まで散歩。せっかくなのでカレーを食おうと思い立つ。
どこで食おうか思案しつつすずらん通りに行ったら、キッチン南海(→2019.11.5)にウルトラ長蛇の列ができていた。
明日で閉店ということで、ファンが開店前から押しかけているのである。さすがにこれは並ぶ気になれないレヴェル。
あらためてヒナタ屋(→2019.12.5)で食ってみたいなあと、そのまますずらん通りを東へ。そしたらコロナのせいか、
夜の営業をやめてランチだけになっていた。これは残念。爽やかな香りのキャラウェイシードを味わいたかったのだが。
そしたらすぐ近くにカレー屋ばんび(→2019.12.10)があるのを発見。こちらの方に移転していたとは知らなかった。
神保町は激戦区だからか、カレーライフで食べ歩いていたのはついこの間なのに、閉店や移転がこんなに激しいとは。

 バターチキンカレー(辛口)、1080円。特盛までお値段いっしょでこちらは大盛。

今回はお店的にオススメとなっていたバターチキンカレーをいただいた。バターの風味は非常に強いし辛さも無理なく、
これは王道だなあと思うのであった。奇を衒ったところがまったくないのに、カレー専門店としての矜持が満載だ。
スパイスで差をつけろみたいな安易さがなく、それでいてチェーン展開の店には出せない丁寧な味なのである。
最後の一口までバターチキンカレーらしいまろやかさを新鮮な感覚で楽しめる。雑に食わせないって、すごいことよ。


2020.6.24 (Wed.)

身体計測と体力テストである。生徒の登校時間には雨が降っていたのに、身体計測中にどうにか雨はやんで、
最終的には晴れになって無事に外も使って体力テストができた。湿度高いし日は差すし、おかげで変に疲れたけどね。
梅雨時だからしょうがないんだろうけど、疲れが何割かプラスされている感じ。精神的なコンディション維持も大変。


2020.6.23 (Tue.)

本日は3年生の英語の授業。結論としては昨日と一緒で、いかにスピーディーに「自分ならでは」を入れ込むか、である。

ほかの先生の授業を見ていて、文法理論は上手く説明できる人が少ないから忌避されているのか?という気がしてきた。
それでひたすらしゃべらせることでごまかしてんじゃないの?という疑念が消えない。僕なんかは理屈が大好きなので、
がっちり理論をやるのが楽しくてたまらないし、その根底の部分で生徒に納得してもらうのがこの上ない快感なのだが。
(実際に、納得のいった生徒たちが高校生になってから中学校に顔を出して、僕にわざわざ礼を言ってきたし。)
申し訳ないけど、女性の先生の授業を見ていると、女性と理論は相性が悪いんじゃないかという気もしてくる。
生徒にとってどうプラスなのかの論理的思考を避けて、ひたすら実践。それも生徒の様子を見て修正するのではなく、
あらかじめ決めておいたことを順番にやって「自分はちゃんとやりました」で済ませている人が多いように思えてしまう。
極言すると、生徒の理解より自分の責任逃れを優先している人が多い印象があるのだ。そうでない人もいるけど、少ない。
やはり理論をできるのはこの上ない強みであると確信する一方、英語教育じたいに諦めの気持ちが加速度的に増している。
正直言って、英語をやるのは今年一年が限界だ。仮に「好きにやっていいよ」と言われても、もう気持ちが離れちゃって。


2020.6.22 (Mon.)

今週から午前授業。給食までは通常時と同じ形となった。校内には先週の2倍の生徒がいて、それだけで忙しさが段違い。
とりあえず本日は2年生の英語の授業をティームティーチングがてら見学。思うところはいろいろあるが、まずは学ぶ。
どれだけタスクをやりつつ自分の色を出せるか、しっかり考えておかないとなあとふんどしを締めなおすのであった。


2020.6.21 (Sun.)

結成40周年記念ということでYMOのアルバムがリマスタリングで再発売されていたことに今頃気づくという。
しかもSACDハイブリッド化ということで、コロナ巣篭もりの中で全10枚を買ってしまったのであった。

アルバムや曲じたいについてはすでに書きたいことを書いているのでそちらを参照(→2017.3.3)。
いざ聴いてみると、1音1音がよりはっきりして、耳に入ってくる音がより強くなった印象を受ける。
また音質がよくなったためか、リズムセクションが目立ったことで特に強調されているようにも感じる。
結果として、曲全体の雰囲気より周囲の音を優先、メロディよりサブの音を優先しているって感じはある。
海に潜って視界全体がきれいという感覚から、水族館で亀が!エイが!近くてはっきり見える!になった感じかねえ。
演劇で言えば、演じられる物語はもう当然知っているから、俳優の演技に注目しましょうって言われた感覚だなあ。
だから人によっては曲じたいへの感動がやや薄れ、流れる音じたいへの興味が優先されてマニアックと思うかも。
まあこりゃ海じたいの美しさに注目するか、生物学的・学術的関心が強いか、という好みによるのでなんとも。
すでにYMOを聴き込んでいる人に新たな発見を与えたいって感じのまとめ方かな。新規のファンはどうなんだろう。


2020.6.20 (Sat.)

なんだかんだでストレスを感じている毎日である。来週から本格的に授業が始まるが、内容を強制されるのがつらい。
考え方の合わない人は今まで相手にしないことでやりくりしてきたが、相手に合わせないといけないのは本当につらい。
(僕は相手がこっちに合わせることを一切求めない。だって僕と同レヴェルの授業が他人にできるわけないじゃん。)
ちょっと考えればこんなのやっても無駄ってわかるだろ、ということを生徒に強要することの申し訳なさったらないわ。

愚痴から入ってしまったが、最近はいい気晴らしが見つからないのが悩みだ。コロナが始まって以来深く考えないことで、
精神的なバランスを保ってきた。ストレスをストレスとしないで受け流す、というスタイルを目指して過ごしてきたが、
それでも知らないうちに溜まるものは溜まるようで、なかなかスカッとした気分になれない。なる方法が見つからない。
今まで旅行という非日常でごまかしてきたものの代替物が、日常では見つからないのだ。それが最大のストレスである。

今のところ、現実を忘れられる社会の勉強がいちばん楽しい。もちろん「採用されなかったら……」という不安があり、
それを棚に上げて集中して取り組むことで、純粋に知識が増えて教養が深まる時間として社会の勉強を楽しんでいる。
地理だけでなく世界史・日本史・倫理・政経を含めた社会の教科に集中できる毎日が本当に理想。それに向けてがんばる。


2020.6.19 (Fri.)

生徒がおとなしい。

ふつう中1といえばランドセルの方が似合うようなクソガキの方が多数を占めているはずなのだが(女子は除く)、
今年担当している中1の生徒たちは借りてきた猫よりもおとなしい。呼吸以外のこともしろよ、と言いたくなるレヴェル。
まあ中にはチョロチョロするやつもいなくはないが、それが各クラスで平均1人を切るとか、ちょっと信じがたい。
思うに、彼らも彼らなりにコロナの危機感をしっかり感じているからなのだろう。それぞれの生徒たちの良心において、
置かれている状況を我慢することで事態の好転を願っているというか。そういう精神をはっきりと感じるのである。
我慢の姿勢が過剰な気もするが、彼らがそうしたくてそうしているのだから、しょうがない。見ていて大人は切ないよ。

しかも追い討ちをかけるように、移動教室が中止となってしまった。せめて、ためになる授業で楽しませてやりてえなあ。


2020.6.18 (Thu.)

特にネタもないので、某議員夫妻の逮捕についてちょろっと。

報道されている内容をまとめると、首相が自分をバカにした議員を蹴落とすために手下の嫁に10倍の資金を党で用意し、
買収して切り崩したら見事そいつが落選したので手下を法務大臣に抜擢した、という話が状況証拠的に成り立つ、と。
一言で言うと、「子どもか!」という感じ。ワガママな子どもが我を通し、それがまかりとおる日本の政治って何なの。
もう一言付け加えると、「ヤクザか!」という感じ。タマを取るためならどんなことでもやる。日本の政治って何なの。
しかもこの逮捕劇を都知事選の告示日に合わせるというね。無理やりな国会閉幕との落とし所。日本の政治って何なの。
こないだマサルと会ったときにも「オレたちは未来の世代からそうとうバカにされるんだろうなあ」なんて話したが、
今の日本の政治がこうなったのはわれわれの責任。恥を感じない日本人が増えていって、それって日本と言えるのかね?


2020.6.17 (Wed.)

昨日、研修に行く際に会場まで歩いたのだが、その際に「ぜんぜん日陰がないですね……」という話題になった。
そこで即、「夏至が近いですもんね」と言えた僕はちゃんと地理の勉強が進んでいると信じたい。

自分で言ってはじめて気づいたが、来週は夏至なのである。今年は暖冬から始まってコロナによる巣篭もり生活で、
見事に季節を感じないままでここまで来ている。梅雨入りのニュースもどこか遠くのことのように感じていて、
梅雨に関係なく鬱々とした毎日が続いているこちらとしては、不快な要素が今さらひとつ増えたところで変わらない。
だからこそきちんと例年を振り返り、この特殊な毎日が何を失った結果なのか、きちんと確かめる必要がありそうだ。
正常な状態とのブレや距離感をつかんでおくことが、次に来る危機への適切な対応につながる。毎日を大切に過ごさねば。


2020.6.16 (Tue.)

中堅研修。いわゆる「10年研」ってやつである。これを受けるまでに教科を社会にチェンジできなかったのは悔しいな、
それ以上の感情はない。興味がないものに感情なんて生まれるわけがないでしょう。だから無感情で受けるのみである。

炎天下を歩いて会場に入る。これは寝るかも……と正直思ったが、「採用試験に向けていい復習では?」と考えたら、
目がギンギン。人間、気合いしだいでなんとかなるもんだなあと自分で自分に呆れるのであった。当事者意識が大事ね。

本日の内容は学習指導要領についてあらためて振り返りましょう、というもの。実際、かなりいい感じの復習になった。
ただ、落ち着いて話を聴いてみると「これはひどいなあ」と思うしかない。平成に入ってからの迷走が本当にひどいのだ。
成長神話が崩れて安易に解答が得られない社会状況となったことで、教育現場は本当に振り回されまくっている。
興味深かったのは、1996年に「生きる力」と「ゆとり」がセットで登場したという事実である。いや、これは面白い。
教育関係者ならとりえあず「『生きる力』がいちばん大事です」と言っておけばいいくらいのパワーワードが、
世間に徹底的に叩かれまくった「ゆとり」とセットになっていたとは。そして「生きる力」はまったく叩かれない。
「生きる力」と「ゆとり」のセットが登場したのは、それ以前の「詰め込み教育」が知識偏重だという反省によるものだ。
学校が荒れたのもそのせいだ、とされる。で、「ゆとり」が消えた今も「生きる力」だけはのうのうと生き残っている。

僕はこの「生きる力」という言葉が大嫌いだ。だって、「生きる力」が最も強いのって、ゴキブリじゃん。
生徒たちにゴキブリのように強く生きろと? そう、「生きる力」という言葉には「知性」という視点が完全に欠けている。
逆を言えば、生きて学校を卒業してくれればそれでいい、という責任逃れだ(教員にとって生徒の自殺は最大の失策)。
「『どのように』生きる力」なのか、その「どのように」の部分が欠落していることを偉い人は誰も指摘しないんだよね。
そこをツッコまないなんて、まるで文科省が愚民化教育をやっているようだと思わないの? 僕はそう思っているけど。
僕にとって「生きる力」なんて、ゴキブリに向けた言葉でしかない。大切なのは知性と教養、そう信じてやっている。
生徒に教養をつけさせることを目標にすれば、高レヴェルな「生きる力」が身につくものだ。そこが本来の目標のはずだ。

もうひとつ印象的だったのは、やっぱり中教審のクソっぷりである。本当に最低最悪の諮問機関だ。
2005年に「知識基盤社会」という教員だけに通用する言葉を生み、2015年には「予測できない社会」と匙を投げている。
政治と教育の関係がまことに不健全な現状である。教育が政治の担い手(日本は国民主権だよ)を鍛える手段ではなく、
政治の目的になっている。偉い人は「Society 5.0」という妄言をよく吐くのだが、これで子どもは幸せになれるの?
今、少子化・過疎化が急激に進んで学校統廃合や学級数の減少が猛スピードで進んでいる。子どもが不利益を被っている。
それに対して大企業の商機を広げるものである「Society 5.0」が、どんな解決策を具体的に提示してくれるというの?
大切なのは妄想でしかない未来を夢見るよりも、現実の困難に目を向けることだ。政治はそのためにあるはずなのにね。
そこのところをきちんと考えないで、企業のいいなりの中教審のいいなりになって、恥ずかしくないのかなあと思う。
僕は社会学が専門であることもあって、基本的に上からの指令は疑ってかかる。それが本当に社会にとってプラスなのか。
日本は戦前に教育現場が率先して国民を不幸にしていった過去があるわけで、その過去に学んでいないのかとも思う。
(自衛隊は、鹿屋の史料館にしろ江田島の教育参考館にしろ、二度と隊員を不幸にしねえぞ!という意志を感じたが。)

ついでにもう一丁。コロナでオンライン授業が万能みたいな風潮を感じるが、あれはテレビ番組や電話と変わらない。
その場で生徒の様子に合わせてフレキシブルに解決策を図っていく、本物の授業の価値を決して軽んじてはならない。
オンライン授業で十分って人は、本質的にコミュニケーションを、対面することの価値を、信頼していないんですよ。
「be」という言葉の意味を理解するだけの頭と経験がないんですよ。そういう人の声を真に受けることは非常に危険です。


2020.6.15 (Mon.)

マスクが暑い! 考えてみればふだんこの季節にマスクをつけることなんてなかったわけで、その保温効果に驚いた。
しかも授業では発音がはっきりしなくなるので致命的である。暑くてこもるマスクの特性をあらためて実感している。
そしたら職員室で、スガキヤの店員さんがつけているような感じ(わかるかなあ)の透明の口元ガードが配られた。
マスクがイヤだ、という消極的な理由ではあるが、つけてみるとアゴに違和感はあるもののマスクよりずっと快適。
やはりみなさんも続々とマスクから口元ガードに移行していったのであった。行動様式の収斂を見ているなあと思う。


2020.6.14 (Sun.)

『月経エンタテインメント!!』の電子化プロジェクトが無事に完了。マサルにその「月経電子版」を送ったのだが、
「ちょっと精神病んでるようなミニコミ」「ポップさのかけらも無い」「タイムカプセルの恥ずかしさを初めて実感」
などと供述しております。コンプライアンスのコの字もない内容なので、これは軽々しくネット公開できそうにない。
というわけで、希望者はメールで連絡ください。僕のふだんのやつでもいいし、当サイトのprofile記載のものでも可。
マサルはもちろん、僕の若気の至りもたっぷり載ってます。認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを。


2020.6.13 (Sat.)

本日は土日なので日記の作業を進める。といっても写真の取捨選択が中心なので旅行記は進まず。

コロナのこともあり(→2020.6.1)、採用試験の方に集中していることもあり、旅行を計画する気にまったくなれない。
お盆の帰省も、採用試験の日程が出ないとはっきりしない。おそらくは寄り道せずに実家に顔を出す程度になりそうだ。
夏休みも削られたし、8月いっぱいまで趣味の旅行ゼロということになりそう。それはそれで、従容と受け入れるのみ。
われながらメリハリのすごさに呆れてしまう。自然とモードが切り替わる、なんとも便利な性格である。


2020.6.12 (Fri.)

やっと金曜である。本当に、どうにかたどり着いた感があるなあ。来週も分散登校で、慣れた感覚になれるといいが。

昼間しっかり働いているので、夜の勉強がなかなか大変。どうしても途中でガス欠っぽい感じになってしまうのだ。
今日は脳に糖分がなくてカラッカラに干からびている感じになってしまったので、記憶の解像度がひどすぎて困った。
重要なのは問題を解く方よりも、解答を復習して覚えていくことなのだ。この作業に支障が出たのは大きな課題だ。
頭がまったく回らない状況で勉強するのは時間の無駄でしかないので、どうにか対策を練らないといけない。
それにしても、世界史も日本史も「そんなわけないだろ」という選択肢がある程度見えるようにはなってきたのは成長。
この感覚をポジティヴに捉えて、なんとか理解を深めていきたいものである。勉強じたいはけっこう楽しめている。


2020.6.11 (Thu.)

梅雨入りのせいなのか、やたら風が強かった。なんせ、登校チェック場所のテントが風で飛びかけたくらいで。
給食の準備と片付けは相変わらず大混乱である。生徒が当番でやるスタイルがいかに合理的か身をもって実感している。

仕事が終わったらまっすぐ家に帰ることなく試験勉強である。世界史はあまりに範囲が広くて手に負えず、
日本史は重箱の隅をつつく感覚ながらも力技でどうにかってところ。どちらもまだまだ点数は低いが復習で底上げしたい。
どちらかというと日本史の方が点数がマシなのは、旅行の効果であると思う。空間的なリアリティが少し効いている。


2020.6.10 (Wed.)

昨日から授業が始まっているが、英語の出番は今日から。ティームティーチングでガイダンスに終始するが、
4時間分すべて授業があったので本当に疲れた。しかも学年の4クラスを分散登校で2つに分けているので、
同じ授業を8回やることになるわけだ。これはなかなか精神的にもハード。うまく切り抜けていかないとなあ。

授業より大変だったのが給食。教員が配膳するのだが、初めてのことなので大混乱。置き場所を確保する必要があるし、
午前組の片付けが午後組の登校時間と重なるし、もう何がなんだか。生徒がみんな真面目なのはいいけどね、大変。


2020.6.9 (Tue.)

地理はもちろん、世界史・日本史・倫理と政経のセンター試験過去問を解きはじめる。
理解度チェックにはセンターが一番なのだ。しかし、2択までは絞れるが……というパターンが多い。
やはり求められる記憶量が膨大なので、うろ覚えだとそれがはっきり点数として出てしまう。
重要なのは、間違った悔しさをバネにして、選択肢ひとつひとつについてきちんと覚えていくこと。
正解/不正解だけでなく、それぞれの選択肢についての解説まで覚えていくことが大事なのだ。復習あるのみ。


2020.6.8 (Mon.)

入学式が無事にできて何よりである。三度目の正直ですよ。

コロナの関係で採用試験の内容に変化ありとの連絡。2次は論文なし、模擬授業なしで面接のみとのこと。
去年、驚くほど面接の点数が悪かった自分としては、なんとも困った事態である。開き直るしかないなあ……。


2020.6.7 (Sun.)

マサルの学生時代の行状録である『月経エンタテインメント!!』の電子化を目論んでおります。まさに月経電子版!
皆の者、全裸待機せよ!

そろそろ本格的に試験勉強を開始しますので、日記の更新が遅れます。よろしくお願いします。


2020.6.6 (Sat.)

マサルから「元気ですか」と連絡が来て、あれこれ話しているうちに「ぼく、ジンギスカン食べたいんよ」となり、
買い物がてらマサルのホームである池袋まで出かけることに。ステイ(マサルの)ホームである。

東急ハンズに用があったりなかったりなので、ふたりで入店。最初に検温・ジェル消毒さえすればあとはごくふつう。
1階では家で遊べるボードゲームを大々的に特集しており、「時代が追いついたね(→2017.8.8)」なんて話をする。
ちなみに首都圏のボードゲームカフェはどこもお休み中とのこと。さすがにこればっかりはどうしょうもない。
ハンズでは7階からあれこれツッコミを入れながら下りていくというスタイル。というわけで、まずパーティグッズ。
その下が文具で、文具をじっくり見ているうちに閉店時刻となった。わずか2フロアでゲームオーヴァーでやんの。
マサルが手帳を買うかどうかで盛大に悩んでいたが、そんなもの、包装ビニールを開ける前になくすに決まってるだろ。
そんな感じのやりとりばかりなのであった。他方、僕はドラえもん50周年グッズの大魔境に引っかかりまくったが。

その後はマサルが予約した北海道推しの居酒屋へ。「ぼく、どうしても石狩鍋が食べたいんよ」とのこと。
なんだかさっきと言っていることが違う気がするが、石狩鍋は鮭が入荷せず品切れとなっていたのであった。無念。
しかしコロナの影響は大変凄まじく、店内に客がぜんぜんいない。これはイヤでもキープディスタンスである。
ただ、店員さんも特にキッチンスタッフが人員削減されているようで、料理が出てくるのが遅めだったのがつらい。

 
L: ハンズで買った曇らないメガネ拭きを喜んで使うマサル。なんかお前、悪役みたいな貫禄が半端ないぞ。
R: ホッケを骨までしゃぶる酔っ払い。マサルが「なんでみんなホッケに夢中になるのかわからない」とかほざくので。

コロナ自粛期間中に僕が名作映画のDVDを見まくっていたことから、まずは話題がそっち方面に。
といっても、マサルは物語が苦手なので(→2002.7.1)、それぞれの映画についての断片的な知識しか持っていない。
たとえば黒澤明『七人の侍』(→2005.4.9)を象徴するものとして挙がるのが「 休 憩 」とのこと。これはひどい。
そんなこんなで、岩崎マサル監督が主演に志村喬を迎えて撮る映画はどんなのか、という話になるのであった。

まず監督が、AI黒澤明。余命の短い志村喬が過去を振り返りながらクイズ$ミリオネアで次々と正解していく話で、
喘息の吸入器を持ち歩いて死体探しをして線路を歩いていたら電車に轢かれかけ、ところどころでABBAの歌が流れ、
「おみくじクッキー(フォーチュンクッキーは不可とのこと)の上を歩いている感じだぜ」と言いながら虫の上を歩き、
父親であるダース・ベイダーに負けて雨に唄えばを歌いながらレイプして、雷の夜にデロリアンに乗って逃げるけど、
物質転送装置で蜘蛛と混ざったことで壁に貼り付いたり糸を発射したりする能力を持つようになり、
レインボーブリッジを封鎖できなくて「事件は現場で起きているんだ!」と叫んだところで「休憩」。
休憩が終わって目覚めたらカプセルの中でコンピュータの動力源として培養されていたことに気づき、
そこから増殖するエージェント・アキラ(黒澤明)に追いかけまわされ、裸になったら股間が手前にある物で見えなくて、
その手前にある物を取ったらもっと小さい物が置いてあってやっぱり股間が見えないというシーンを挟んで、
最後はサムズアップしたまま溶鉱炉に消える。そして死の間際に「rose bud」とつぶやくけど、
サイボーグ化されて生き返って警察官になり、犯人を捕まえて「いい腕だ。名前は?」訊いてきた社長に、
「志村喬」と答えたところでタイトル、『生きる がんばろう東京2020(エピソードIV)』……だってさ。新作落語かよ。
(※僕は日本酒と焼酎でいい気分になっていたが、マサルは完全に素面。延々とコーラを注文していたのであった。)

あとは第9回一橋オープンの話。敗者復活でマサル提案の事後出題◯×クイズ(先に答えの◯×を決める)をやったのだが、
そこでの「Q. なんでも酒のせいにしてはいけない。◯か×か?」という問題の答えが、考えれば考えるほど「◯」だよな、
ということでまた爆笑。こういう問題を思いつくマサルの能力はやっぱり特殊だなあと呆れる夜なのであった。


2020.6.5 (Fri.)

本日は今年度3回目となる入学式の準備。1学年は教室・廊下の飾りつけなどを中心に動く。
いろいろと気を利かせる先生方を見ていて、あらためて自分にはきめ細かさがないなあと思う。
会場準備は他学年の先生方がバッチリやってくれて本当にありがたい。ようやく、いよいよ、か。

それにしても今日は非常に眠気が少なかった、毎回こうならいいのだが。頭が軽いと心も体も軽くなりますな。
そしてようやく一週間を乗り切った。金曜日が待ち遠しくてたまらなかったが、これが本格的に続くのだ。
異動疲れを微妙に感じる週だったなあと思う。とにかくメンタルを上手くコントロールしていかねば。


2020.6.4 (Thu.)

CPAPを使うようになってから、かえって寝起きがつらくなっている。朝起きる際、とにかく体が重いのだ。
思うに、これはCPAPが効いていないからではなく、効いて睡眠が充実しているからこそ起きづらいのではないか。
逆を言えば、今までわりとあっさりと起きていたのは、もともと一晩中眠りが浅い状態だったからではないか、と。
もしこれが事実であるとすれば、恐ろしいことですよ。パッと起きることができる程度の睡眠しかしていなかった、
それが何年も続いていたわけだから。詳しいことはまた医者に訊いて確認してみたいが、そんな気がする。

とはいえまだまだ睡眠に改善の余地はありそうなので、試行錯誤してみたい。就寝時刻を早めるくらいしか手はないが。


2020.6.3 (Wed.)

本日も分散登校で校庭開放。今日は3年生の番だったが、サッカーに参加する生徒が(教員も)多くて大変だった。
なんせこっちは(僕だけでなく教員のほとんどが)筋肉痛に苦しんでいたのでな。若い連中は動きが良くてうらやましい。


2020.6.2 (Tue.)

午前中は分散登校で、午後は校庭開放。前半は1年生、後半は2年生が体を動かしに来るのである。
で、教員も監督という名目で運動。本日は生徒を相手にみんなでサッカーなのであった。やたらと蒸し暑い中、
なんだかんだでボールを追いかけて走る走る。着替えを用意しておらず、本日の終盤はけっこう悲惨な状態に。まいった。


2020.6.1 (Mon.)

本日より学校再開。まずは3年生だけが分散登校なので、まだまだ本格的な再開ではない。
明日の準備を進めつつ、英語のプリントを先回りしてつくりつつ過ごす。だんだんギアを上げていかねば。

修学旅行の各種プランの話になって、奈良・京都以外にもこんなのどうでしょう、なんて話が出る。
旅行業者の方でつくったリストがあるらしく、それをひとつひとつ挙げてみよう、というわけなのだ。
そしたらなんと、リスト入りしている場所のほとんどに僕は行ったことがあった。笑えてくるくらいの高打率。
それで、コロナで旅行できなくて残念ですね、なんて話になるのだが、僕としてはしょうがないよね、という感じ。
無理して出かけたところで行った先がふだんと違う様子であるのなら、それは僕にはまったくうれしくない事態だから。
旅先のごくごくふつうの日常を味わうこと。そうして、その土地の特徴をつかむこと。それができないのであれば、
家でおとなしくしていても構わないのである。 むしろ日記書いて旅行の復習をする方がはるかに効果的な時間なのだ。

期末テストが7月なので、そのタイミングでどこか行けないか考える。でも旅先の日常が戻っていないと意味がない。
そうなると、どうやら夏休みまではおとなしく過ごすことになりそうだ。日記書いて勉強して、やるべきことをやろう。


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