diary 2017.3.

diary 2017.4.


2017.3.31 (Fri.)

4年お世話になった職場での最終日。本当にあっけなく終わったのであった。
『ストッパー毒島』に出てくる「終わりってのはいつもあっけないもんだ」という加瀬のセリフを思い出す。
まあ、あっけない方が正しいわけで。変に未練を残すのは間違っているし、自分は次の場所で全力を尽くすべきだし。
本当にチームワークのいい職場なので、そこから抜けるのは正直さみしいが、次もまたいいチームワークで働けるように、
切り替えて全力を尽くすことしかできないのである。4年間、楽しい時間をありがとうございました。


2017.3.30 (Thu.)

昨日に続いて、職場近くの神社をご紹介。今日は、毎日目の前を通って通勤した十番稲荷神社である。
戦後の区画整理の際に、戦災で焼失した末広神社と竹長稲荷神社を合祀して現在地に遷座したとのこと。

  
L: 鳥居坂下と新一の橋交差点の中間地点にある十番稲荷神社。これまた実に都会ならではの神社である。
C: 境内入口。  R: 石段を上っていくとすぐに拝殿である。授与所はそのすぐ左手となっている。

十番稲荷というと「かえる」で有名で、カエルが描かれた御守が非常に充実しているのが特徴である。
1821(文政4)年に麻布古川周辺で火災が発生したが、山崎主税助の屋敷だけが焼けずに済んだということがあった。
これは山崎邸の池にいた大カエルが水を吹きかけて猛火を退けたからだ、という話になり、御札を求めて人が殺到。
結局、「上の字様」という御札が末広神社を通して与えられるようになり、それを十番稲荷が引き継いでいるのだ。

  
L: 授与所側から拝殿を見たところ。  C: そのまま右に視線を移すと手水舎。  R: 本殿を覗き込むが……見えん!

なんせ麻布十番じたいが商店街らしい商店街なので、十番稲荷も都会型の神社だが、祭りなどはかなり盛大。
ある意味、何もかもが東京らしい神社と言えるのかもしれないなあと思う。なかなか面白いものである。


2017.3.29 (Wed.)

異動してしまう前に、職場近くにあるちょっとした神社を紹介しておくのだ。本日は朝日神社をご紹介。
六本木交差点から芋洗坂を下っていく途中にある神社で、門前で芋が売られていたのが芋洗坂の由来だとか。

  
L: 朝日神社。芋洗坂に面する境内入口はこんな感じ。  C: 鳥居をくぐる。左が授与所。  R: 拝殿。狭いなあ。

もともとは弁財天を祀っていたが、筒井順慶の姪・朝日姫が稲荷像を見つけて合祀したとのこと。
都会のど真ん中で小規模な神社だが、御守などはきちんと充実していてデザインも独自のものである。

 本殿を覗き込んだところ。

東京にはこういう都市型神社がいっぱいあるので、どれだけ押さえられるものなのか、と思いつつ参拝。


2017.3.28 (Tue.)

本日の部活は高校3年生(つまり僕がこっちに異動してきたとき中3だった人々)の参加で非常に充実していた、
と言いたいところだったが、彼らはあっさりと足が攣ったりヘロヘロだったりで、いったいなんなんだ、と呆れる。
ふつう18歳っつったらもっとバリバリだろーがよー!とツッコミを入れるが、恐ろしく虚弱になってやんの。
大学受験とはそんなに身体能力を劣化させるものなのか。不思議なものである。まあ楽しかったからいいけど。

ところで、彼らの世代でサッカー部のキャプテンだった生徒が残念ながら第一志望の大学に行けなかったそうで、
僕まで全力でがっくりである。こういう人が東大行くんだろうなあ、とうっすら期待していたんだけどなあ。
まあぶっちゃけ彼の第一志望は一橋だったそうだが、うーん、浪人してなんとか引っかかった私としては、
なんか本当にスイマセンと。当たり前のことだけど、受験の難しさと大学の優劣は必ずしも比例しないので、
切り替えていい友達つくって充実した学生生活を送って出世しまくってください。陰ながら応援していますので。

サッカー日本代表のタイ戦をテレビ観戦。久保のキレキレぶりが凄まじい。シュートが上手いだけでなく、
チャンスメイクも一流かと感心。当方、彼が高校生Jリーガーだった頃からチェックしていたが(→2011.11.27)、
順調に成長しているようでひたすら感慨にふけるのであった。それにしても日本のシュートシーンの質は本当に高い。
香川のシュートは止められないし、岡崎もさすがの貫禄である。4-0というスコアもいいが、点の取り方がいい。

一方で守備は微妙。どちらかというと失点を重ねてもモチヴェーション高く攻めまくるタイを評価すべきなのか?
なんとも不思議なゲームだ。でもタイは将来面白いチームとして定着してきそうな予感。今後絶対に伸びてくるね。


2017.3.27 (Mon.)

午前中は部活で、雪よりも冷たい雨の中でサッカーの試合ですよ。それでも一生懸命やる中学生たちは本当に偉い。

夜は学年の納め会。去るのは僕だけだが学年も解体ということで、いい感じだったチームワークをひたすら惜しむ。
学校全体のチームワークが非常に良かったが(クズが一人いるけど、みんなメンバーに数えていないので問題なし)、
特にわれわれの学年はスムーズにやりとりができていたので、ひたすら楽しかった楽しかったで話が進んでいく。
あらためて、こないだ屋上で撮った写真(→2017.3.17)は僕の永遠の宝物だなあと思う。泣けるほど楽しいです。


2017.3.26 (Sun.)

埼玉県立近代美術館でやっている『カッサンドル・ポスター展 グラフィズムの革命』が最終日なので行ってきた。

カッサンドルはグラフィックデザイナー。最も有名な絵は沢木耕太郎『深夜特急』(→2010.2.19)の装丁だと思う。
あの非常に印象的で力強い絵は、もともと1920年代から30年代にかけて最先端だった交通機関のポスターなのである。
この年代とはつまりアール・デコのど真ん中であり、カッサンドルはモダニズムの絶頂期を象徴する人物の一人だろう。

ポスター作品は大まかに年代に沿って展示されている。若い頃から彼の独特な大胆さは作品にはっきり出ていて、
それが時代の空気とともにどんどん洗練されていくのがわかる。作品からは1920年代という時代特有の躍動感、
資本主義も工業の発展もすべてがポジティヴだったあの勢い、そういったものが生々しく香ってくるのである。
テクノロジーの革新が無限の荒野を拓き、自分たちの生活が工業とともに大きく変化していく!というゾクゾク感。
時代の空気に煽られカッサンドルの作品は熱を帯び、また彼の作品じたいが時代の空気を激しく煽る。その共犯関係。
1920年代という一瞬にまさにマッチしたポスターたちを眺めていると、当時の雰囲気がきわめてリアルに感じられる。

この時代の芸術運動としては、ロシア構成主義も有名である。ウクライナに生まれたせいか、カッサンドルの眼差しは、
単純なアール・デコよりはむしろそっちに近いものがある。共通するのは、力強い「動力」を直に抽出した表現だ。
テコでも動かないクソ重い金属の塊が、人力とは比較にならない強大な力を生み出す(→2012.7.162015.1.2)。
生活どころか世界観を変えるエネルギー、その本質となる「動力」を礼賛すべく、機関部を極端なまでに強調する。
人間が人間をコントロールするのではなく、人間が機械をコントロールすることでより大きな効果を得るようになった、
そのある種の開放感をポスターの画面いっぱいに描き出す。ノール・エクスプレスとノルマンディーはその白眉だ。
(『深夜特急』の装丁は、そのいちばん優れた作品群を非常に贅沢に使っていることがよくわかった。ホントに贅沢。)

しかし時代は混迷を深めていき、ヨーロッパは再び戦争の舞台となった。カッサンドルは戦後アメリカを訪れ、
シュールレアリスムの影響を受けて画家としての活動に力を入れる。結果、グラフィックデザイナーとしての力量は落ち、
無残なほどの迷走ぶりが見て取れる。無邪気な憧れの眼差しで「動力」をもてはやす時代はすでに終わってしまっていた。
後半生の作品たちからは、時代の寵児だった人間が時代に消費され尽くしてしまった苦悩が色濃く感じられるのである。
大戦間の工業化社会の絶頂とともに生き、時代の変化とともに居場所を失った――カッサンドルの悲しい最期からは、
どこまでも冷徹な時代という波と、それでもそれに乗らんとする芸術家たちの果てのない競争との恐ろしさをただ感じる。

だからといって、カッサンドルは1920年代と30年代にしか通用しない人物だったかというと、決してそうではない。
やはり『深夜特急』の装丁となった作品たちは本質を衝いているからこそ、今も当時のワクワク感を明瞭に呼び起こす。
イヴ・サンローランの有名な「YSL」のロゴをデザインしたのは彼だし(1963年)、ペニョー体をつくった功績もある。
これらは時間という強固な束縛を抜け出した普遍性を確かに獲得していると思う。きちんとその点を評価したい人だ。

ところで埼玉県立近代美術館では館内のあちこちに有名な椅子を置いていて、自由に座れるようになっているのだ。
大学時代に武蔵野美術大学に行き、ムサビがコレクションしている椅子を(古くて座れないものは除いて)すべて座った、
そんな経験を持つ僕としては、これはちょっと無視できない。1階から3階までざっと座ってまわるのであった。
(僕がムサビの椅子を座り倒したことでマツシマ家では椅子熱が盛り上がり、circo氏が本格的なコレクションを始めた。
 もともとcirco氏はインテリアデザインも専門にしていたわけで。以来、椅子論は最も熱いテーマのひとつである。)

  
L: 奥がヴァシリー。M.ブロイヤーがカンディンスキーのためにつくった椅子ね。あとの3つはミースのバルセロナ・スツール。
C: 手前からアントチェア(A.ヤコブセン)、チェスカ(M.ブロイヤー)、ダイヤモンドチェア(H.ベルトイア)。どれも名作だねえ。
R: 駅でよく見かけるコイツ(ホームベンチ)は、なんと剣持勇だった。1964年ってことで、新幹線開業と同時に登場したのかな。

コンセプトじたいは大好きなので、もっと徹底的にやってほしいところである。やはりミッドセンチュリーを中心に、
体系的にやってほしいなあ。現状はどうにも中途半端。椅子はそれだけで美術館を建てられるほどの奥の深さなのよ?

 マリリン(スタジオ65)。こういうポストモダン椅子は座りやすさが命。

なお、埼玉県立近代美術館は常設展ならぬ「MOMASコレクション」ということで、テーマ性を重視した展示をしている。
ざっと見てみたのだが、玄人好み(と言えるほど僕は詳しくないが)というか、やや地味ながらも実力派の確かな作品を、
しっかり押さえて展示している印象である。地方の県立にしては、なかなかいいセンスでがんばっている美術館だと思う。


2017.3.25 (Sat.)

午前中はどうも気分が乗らなくて家でうだうだしていたのだが、昼も近くなって一念発起して街に出る。
本来なら美術館に行く予定だったが、それを明日に延期して新宿へ向かう。今日はFC岐阜が味スタに来るので、
その観戦ついでに一仕事しようというわけだ。実は、circo氏からバスタ新宿の写真を撮影するように頼まれた。
こないだ帰省した際に絵コンテ付きで「こういう写真を撮ってほしい」と依頼されたので、まずそのタスクをこなす。

  
L: 小田急とサザンテラスをつなぐ陸橋から撮影したバスタ新宿。  C: バスタといえばこの大エスカレーターだよな。
R: 今日も大混雑のバスタ新宿。個人的には一箇所に集めた弊害しか感じない。詳しくはcircoさんの記事を待ちましょう。

しかしバスタ新宿もひどいが隣のNEWoManはもっとひどい。一刻も早くつぶれてしまえばいいのに、と本気で思う。

 新宿南口を象徴する建築とSuicaのペンギンの像。

昼飯を食べると京王線に揺られて飛田給へ。寝過ごして府中まで行って引き返すという情けない有様である。

  
L: 東京ヴェルディのホームタウンとなっている市の名前と市章が描かれた横断幕がお出迎え。立川・多摩・日野・稲城……。
C: 選手入場時の東京Vゴール裏。以前より減ってないか?  R: 岐阜からようこそ。そんな僕も2週連続の観戦だよ。

というわけで、東京V×岐阜である。しかしまあ客が少ないこと。バックスタンドのホーム側がいちばん入っているようで、
僕が陣取ったバックスタンドアウェイ側から見るとスカスカ感が強調される。ストレスなく観戦できるのはありがたいが。
とはいえ肝心の大木監督率いる岐阜のサッカーがストレスフルなのでニンともカンとも。今日も悪い方の大木サッカーだ。

 攻撃時にサイドのこの位置で必ずバックパス。前を向けないなんて情けない!

まあ客観的に試合じたいを見れば、見せ場はそれなりにあるのだ。序盤は岐阜がよく攻めたが決めきれず。
これはむしろ東京Vの守備を褒めるべきか。で、岐阜のミスからカウンターで東京Vが反撃する。そんな展開。
攻めて守っての動きがややバスケットボール的で、膠着した感じではない。惜しいシュートも多かったし。
でも岐阜贔屓の目線だと不満の多い内容となる。ペナに入りきらないで横パスバックパスばっかりなんだもん。

  
L: 岐阜のシュートが決まったと思ったら、この後に国立市出身の安在(6番)が掻き出した。安在は毎回いいプレーするなあ。
C: 前半は岐阜がよく攻めたが、シュートを決めきれず。  R: 東京V・高木善のオーヴァーヘッドを岐阜のGKビクトルが弾く。

今日の岐阜はパウロと風間弟がスタメンから外れており、庄司のプレー位置も先週(→2017.3.19)よりは高い。
大木さんはこの日記を読んでんじゃねえかと思ってしまうではないか。しかし根本的な問題は解決されていない。
サイドで勝負を仕掛けずにバックパスする癖、パスコースをつくるあと少しの動きが足りない点、カウンターの遅さ、
ディフェンスの不用意なパス、そういった改善点がまだまだいっぱいだ。縦に速くないサッカーは怖くないのよ。

  
L: パスコースがないの図。ラインを上げ、中央に庄司が構えているべきなのだ。山口時代にはそれが効いていたのだが。
C: で、結局、アラン ピニェイロ(左端)がシュートを決めて決勝点。東京Vは縦に速く仕掛け、岐阜は対応できなかった。
R: 岐阜のカウンターはボールを持ってからビハインドとは思えない遅さ。お前ら負けてる自覚あんのかと思うほど全体が重い。

時間が経つにつれて東京Vの動きはよくなっていく。相手の裏、空いているスペースにボールを出して走り込む、
そのシンプルな攻撃が効いて岐阜の余裕がない状態に。足元へのパスしか出さない岐阜に足りないものは明らかだ。

 東京Vは最後までよく走っていたなあ。

岐阜は大木さんの戦術が悪いのか、選手の判断が悪いのか。僕はまず、選手の質に疑問を感じてしまう。
甲府のときはそんなに観戦していないのでなんとも言えないが、以前の京都と比較すると技術が明らかに低い。
少なくともディフェンスラインでの変なパスはなかった気がする。今の岐阜は恐る恐るの変なパスが多すぎる。
結局のところ責任は監督がとるものなので、選手の質を嘆いたところで、指導しきれない大木さんが悪い、となる。
この状況を打開するためには……まずは守備なんじゃないですかね。攻めきれないなら4バックはやめた方がいい。
3バックで中央固めてラインを上げて、その前でシシーニョに危機管理させれば、庄司はもう少し自由に動けるかと。
岐阜はもともと降格危機のチームなんだから、その立ち位置を謙虚に受け止めておいた方がいいと思います。

夕方から姉歯メンバーで新年会の予定だったが、体調不良だったり急な仕事だったりで結局ポシャってやんの。
全力でがっくりだよ。しっかりしてくれよみんなー。


2017.3.24 (Fri.)

異動が発表になったけど、出るのは実質オレだけやんけと。なんか一人だけ仲間はずれ的な感じがなくもないが、
すでにこっちは切り替えてせいせいしている気分なので、この状況を面白がるのみなのであった。なんじゃこりゃ!と。

夜はみなさんであれこれ思い出話。やっぱりどうしても話題の中心になるのは「ヤツ」を刺したときの記憶である。
偉そうなことを言うつもりはないが、僕が異動することでようやく完全に過去のことになるんだろうなあと思う。
あとは僕の授業スタイルが立川流に例えられたことか。ぼく、家元なんなのさ。まあ授業のやり方が確立されているし、
熱狂的なファンはいるし、僕がいなくなったら弟子たちが大混乱だし、そう言っていただけるとありがたいものだ。
あんまりしんみりしたムードにならないで、気ままにみなさんとお話できたのはたいへんよかったなあと。


2017.3.23 (Thu.)

今の学校で最後の授業である。生徒たちはうすうす感づいていて、来年度のことを不安がっている感触がする。
しかしこちとらどうすることもできないわけで、「来年度は……まあがんばれ」としか言いようがないのだ。
オレがいなくなってもこれまで習ったことを応用して強く生きろよ、とエールを送るしかないのである。
まあ実際、それだけのものは残したつもりだし。頼る相手がいなくなることで成長した人を僕はいっぱい見てきた。
不安になるのはわかるけど、きみたちはクズ一人にめちゃくちゃにされるようなレヴェルではもうないだろう。
だから自信を持ってやっていけ、としか言えない。そう言い残して安心して去れるだけのものをすでに持っているのよ。


2017.3.22 (Wed.)

国際法のテスト勉強を準備してみたのだが、出題範囲が限定できないので対策の立てようがない。
過去問をチェックしてみても、出題される問題に脈絡がまったくないのだ。もともとヤマを張るのは苦手だし。
また、どこまで詳しく覚えておけばいいのかの加減もわからない。ただただ頭を抱えるよりない状況である。
まったく気分が乗らない。でもやるしかない。これほどやりにくい戦いはそうそうないと思う。

そんなわけで、今日からまたしばらく日記の更新を控えます。頭を勉強に集中させないとマズい。


2017.3.21 (Tue.)

授業がスカスカすぎるとなんか拍子抜けするね。英語は忙しくって当たり前の教科なので、
卒業生も送り出して異動するしでの消化試合モードになると、なんかどうも変に落ち着かない。
かといって荷物を整理する気力が湧いてくるわけでもない。抜け殻と言えば抜け殻っぽいかもしれないな。


2017.3.20 (Mon.)

東京へ帰るのに例のごとく両親に岡谷まで連れていってもらったのだが、スマホで喫茶店を探していたら、
市役所近くにレイクウォーク岡谷というショッピングセンターがあるのを発見。アピタ岡谷店の後継になるようだ。
もともと両親はこの手のショッピングセンターが大好きなので、レイクウォークに大興奮しとるんでやんの。

それにしても、潤平の子供たちからの僕の呼ばれ方は「オジキ」ですか。そこだけは確定しているとのことで。
まあ、面白がれる材料となるんであれば、いいんじゃないでしょうか。「びゅくびゅくのオジキ」だってさ。


2017.3.19 (Sun.)

3連休の初日は部活だったわけだが、じゃあ残りの2日間はどうするか。当初は特にアイデアはなかったのだが、
青春18きっぷを使わないともったいないし、実家へのお土産もあることだし、岐阜×横浜FCが観戦できそうだし、
ということで、朝の5時から電車に揺られること7時間ほどで岐阜へ行き、サッカーを観戦し、実家に帰ることにした。

横浜から東海道線でひたすら西へ。三島、静岡、浜松と予定どおりに静岡県を通過したまではよかったのだが、
豊橋に着いたところでまさかのトラブル。岡崎辺りで問題が発生したそうで、復旧に時間がかかりそうとのこと。
とりあえず改札内のラーメン屋でズルズルすすりながら様子を探るが、JRは運休を連発してどうにも旗色が悪い。
学生証を提示して当日券の自由席というお安い観戦もできたのだが、今回は奮発してメインスタンド指定席だ。
指定席ならそんなに焦ることもない。が、のんびりしているわけにもいかない。しょうがないので名鉄にスイッチ。
慌てず騒がず次善の策を講じるのだ。そんなわけで名鉄岐阜駅を目指すのであった。なんとか12時台に到着できた。

 JRの岐阜駅に到着。悪運が強いというか、悪運で済ませる判断力があるというか。

メモリアルセンター行きのバスに乗ったはいいが、これがけっこう遠回りしてくれやがって、13時過ぎにスタジアム着。
大木監督や選手たちの幟がお出迎えである。対戦相手の横浜FCは前節にカズが50歳ゴールを決めたこともあり、
スタジアムはなかなかの賑わいである。長良川競技場に来るのは3回目になるが(→2014.8.102015.8.8)、
今回がいちばん盛り上がっている印象。なんだかんだでFC岐阜は着実にサポーターを増やしているように感じる。
ちなみにFC岐阜では入場時に両チームのスタメンを印刷した紙をくれるのだが……カズ、ベンチ外じゃん!!

試合前には各種のセレモニー。南山大学チアリーディング部のふとももが大変まぶしゅうございました。
あとは岐阜バスのキャラクター「あゆかちゃん」の着ぐるみが登場したのだが……、頭身が恐ろしいことになっておった。
お願いだから早くなんとかしてあげてください。完全に百鬼夜行に出てきそうな感じですよありゃ。

そんなこんなで見どころ満載の前座の後は、いよいよ試合である。FC岐阜は今季、大木さんが監督に就任したが、
第3節が終わった時点で早くもいろいろ話題を提供してくれている。第2節では史上初となる名岐ダービーが開催され、
J1から降格してきたばかりの名古屋を相手に互角以上に戦って、ドローに持ち込まれたものの大きな話題となった。
そして前節はここ長良川に松本山雅を迎えたものの、ユニの色が近くてパスミス連発、ホームの岐阜が着替える破目に。
結局負けちゃって、なんだかんだでいまだに勝ち星がないという状況なのである。なんとか今日は勝ちたいところ。

大木監督といえばショートパスをつなぐサッカー。甲府でも京都でも狭いエリアを高い技術で抜ける戦術だった。
今シーズンから指揮を執る岐阜で鍵になるのは、山口から移籍してきた10番・庄司。山口もパスサッカーを標榜し、
非常に攻撃的なスタイルを貫いてきたクラブだ(→2016.4.3)。両者のエッセンスがどう融合するのか、とても楽しみ。
ところがどうにも、庄司の位置が低いのだ。得意の縦パスは健在なのだが、CBの位置まで下がってしまっており、
前線ではなく中盤にパスが入るというレヴェルなのである。これでは彼の良さがまったく生きないではないか。
そしてもうひとつ、右WGの田中パウロ淳一がボールを持ちすぎる。ドリブルから中に切り込んで左足のシュート、
これを狙ってばかりで完全に読まれている。確かに大木サッカーにパサー以外の異分子は必要だが(→2013.12.8)、
それはドリブラーではなくバレーや長谷川太郎といった純粋なストライカーなのだ。CFが風間弟って、なんで?

  
L: 10番・庄司の位置が低すぎる(副審=ディフェンスラインからわかるはず)。横浜FCのコースを切るボジショニングも巧み。
C: 攻めあぐねる岐阜の図。岐阜はパスをつなぐのはいいが、肝心のペナルティエリア内に侵入する策がなかったと言えよう。
R: それでもPKで岐阜が先制する。ワンツーから切り込んだシシーニョのプレーはこの後のヒントになるものだったが……。

先制した後も岐阜はボールを保持して攻めるが、気になるのが縦への推進力の弱さだ。効率が悪いというか。
パスをつないで隙をつくる、そこまではできている。でもその瞬間的な隙を突く判断が絶対的に遅いのである。
言い換えると、岐阜のパス回しには緩急の「急」がない。崩すためのスイッチが全然入らないパス回しなのだ。
そうこうしている間にバックパスのミスからあっけなく失点。逆にさっきPKを与えた横浜FCの佐藤はいいプレー。

  
L: 42分、パスミスからあっけなく失点。自滅でリードを守れずハーフタイムに入るって、けっこうキツいものがある。
C: ハーフタイムにインタヴューを受ける大木監督。この試合は大木さんの良くない部分ばかりが目立ってしまったなあ。
R: 「清流の国ぎふ」キャラクター・ミナモ。確かに岐阜県の川はきれいな印象がある(→2009.10.112009.10.12)。

後半に入っても構図は一緒。岐阜はボールをつなぐがペナルティエリアの中に入れず、その手前で横パス。
横浜FCはそれをかっさらうとカウンター。しかしへニキの兄貴が圧倒的な身体能力にモノを言わせてつぶす。
特に目立っていたのは、横浜FCのFWイバの着実さ。デカくて強いだけでなく、欲しいプレーを確実にしてくれる。
イバが体を張ってチャンスをつくってくれれば、そりゃあ抜け目のないカズはゴールを決められるわなと納得。
そんなイバとへニキのマッチアップはJ2レヴェルとは思えない迫力。この2人だけ別世界の戦いをしていた感じ。

  
L: ゴール裏の岐阜サポはかなりの数になっている。Jリーグ参入10年目となるが、サポーターは着実に増えている。
C: イバとへニキの兄貴の異次元フィジカル対決。どっちもいい選手だなーとウットリしながら見るのであった。
R: 62分、横浜FCがスルスルとボールをつないで途中出場の野崎が逆転ゴールを決める。岐阜はお株を奪われた格好。

攻めあぐねる岐阜は逆に横浜FCにボールをつながれ、クリアしきれないところにシュートを撃たれて逆転される。
岐阜のGKビクトルは立っている姿はいいのだが、ビッグセーヴはできないタイプのようで。ニンともカンとも。
その後も岐阜は攻めたてるが、人数をかけてペナルティエリアを守る横浜FCを崩せず。ペナの中で前を向けないのね。

  
L: ゴール前でシュートにもっていけないの図。ボールを入れても、結局セカンドボールを横浜FCが押さえてしまう。
C: サイドで攻めあぐねるの図。岐阜はペナの中へ入れない。  R: ペナに入っても前を向かせてもらえないの図。

というわけで大木サッカーの悪いところ全開で岐阜が敗れたのであった。パスをつないでいるつもりなんだろうけど、
緩急のスイッチを入れるだけの連携ができていない。だからパスミスして失点するのだ。まだまだ完成度が低すぎる。
あとは湘南のようなフィジカルの強さがないのも実は致命的だと思う。身体的接触を避けるのが悪い方向に作用している。
体を上手く使って相手をかわすことでパスコースがぐっと広がるのだが、それがないままで攻めるので効率が悪い。
しかしサポーターは予想外にポジティヴな反応をしていた。降格危機が当たり前の状況に置かれているからだろうか。
期待値が低いのは大木さんにとってやりやすいだろうから、腰を据えて取り組んでほしいものだ。頼みますよ。

岐阜駅で一休みすると、名古屋に移動してそこからバスで飯田へ。いや、なかなかに疲れましたわ。


2017.3.18 (Sat.)

本日の部活は卒業生のお別れ試合ということで設定したのだが、そしたら気のいい高校1年たちまで来て大賑わい。
大勢でやるサッカーは本当に楽しいなあと、足を攣りながら思うのであった。いやもう本当に楽しかったねえ。
部活はつらさをバネに成長する側面があるからいつでも楽しいわけじゃない。成長が実感できるから楽しい、が正しい。
しかし気の合う仲間と同じことをやるから楽しいという本質が、部活とリンクしたときの喜びは何物にも代えがたい。
今日のお別れ試合はまさにそれで、何から何まで楽しかった。足を攣ってもなお楽しい。部員たちには感謝しなきゃね。


2017.3.17 (Fri.)

卒業式である。今年度は3学年の担当なので、裏方で音響をやるのではなく、じっと席に座って式を見つめる。
実に短い3年間であった。あっちで戦い、こっちで戦い、その一方で自分の仕事はしっかりやってまっせ、
それを粘り強く続けているうちに3年経ってしまった。本当に面白い3年間だったと思う。苦しい部分も多かったし、
腹が立つことは数えきれない。でも部活の一生懸命さと職場のチームワークでポジティヴな時間を過ごせた。
振り返ってみればプラスの時間として記憶されたのだから、それでヨシとしよう。納得して僕も去ることができる。

生徒たちを送り出してから、学年の先生方で揃って屋上で記念撮影をした。ふだん立ち入れない屋上で、
みんな横一列に並んで笑顔で写真に収まる。もうそれだけでうれしい、ありがたい、そういう感情が溢れてくる。
屋上は昔っから、僕にとってなぜか特別な空間なのだ。モノを書くときも、屋上はつねに特別な意味を持っていた。
この日このときだけに開放された空間で、これまでの努力を象徴する笑顔を揃って残すことができた、
それがたまらなくうれしい。今後僕はどこで何をしようと、この感覚を忘れることは絶対にないだろう。
最高のチームワークによる最高の達成感。3年前の函館も最高だったが(→2014.3.222014.3.23)、
次の一周でもそういう楽しい時間を自分の中に刻みつけることができたのは、ただただ幸せである。


2017.3.16 (Thu.)

発音記号について教える。生徒たちはかなり興味津々で反応はいいのだが、母音で1時間、子音で2時間かかるので、
やるのにはかなりの決意が必要になるのだ。それで毎回思うのは、きちんとプリントにまとめておくべきだということ。
なかなかやる機会がないし手間がかかるのでプリントをつくらないで済ませているが、いざ授業をやってみると、
内容を整理したプリントがある方が絶対にいいなあと痛感するのである。でも手間がかかりすぎるので、いつも後回し。
いいかげん、どこかで意を決してプリントをつくらないといけないんだけどなあ……。うーん……。


2017.3.15 (Wed.)

システム上の問題もあって、遅くまで残って作業。卒業前のこまごまと忙しいところにこの作業。疲れる……。


2017.3.14 (Tue.)

卒業モードはかえってどうも調子がつかめない。やっぱり思うように休めないのがつらいなあ。これには慣れない。


2017.3.13 (Mon.)

卒業モードに入ると卒業式練習などで空き時間がなくなるので、授業がなくなってもかえって忙しいのよね。
むしろ他学年の授業のときだけ3年生相手から離れる感じになるので、授業時間の方がマイペースにできる感じ。


2017.3.12 (Sun.)

Jリーグも開幕していろいろ盛り上がっているようで、そろそろ今年の月イチ観戦も始めないといけない。
それでどの試合がいいかチェックしてみたところ、J3開幕戦で長野パルセイロが相模原に来るということで即、決定。
しかしただサッカー観戦するだけではもったいないので、近くで何かしら組み合わせられないかを考える。
相模原のスタジアムは相模線の原当麻が最寄駅で、これは自分にとって非常に面倒くさい位置なのである。
なんとかならんかと調べてみたら相模大野からバスがあるので、じゃあ町田に寄って新しい市役所を見よう、となる。

まずは長津田まで東急で揺られて、横浜線で町田へ。町田といえば大学時代の同級生・ダニエルの出身地である。
当時は「神奈川の属国」ということでさんざんからかったが、自転車で実際に町田に行ったら都会で驚いた記憶がある。
そのときに出迎えてくれたダニエルにいろいろ案内してもらって、JRとはまったく異なる私鉄の街の面白さに目覚めた。
そんなわけで、僕にとって町田はちょっと特別な街だ。去年の6月にも来たけど毎回必ず迷うんだよな(→2016.6.19)。
初町田の2年後、大学院生だった僕は多摩地区全市の市役所について聞き取り調査をやっており、町田を再訪問した。
このときにはまだ町田街道沿いの旧庁舎で、「これから移転を計画しまーす」というところだった(→2002.9.24)。
あれから10年、町田市役所は横浜線沿いの自転車工場跡地に移った(旧市役所跡地は芝生広場になったそうだ)。
今回は時間的余裕がそんなにないので、町田では現市役所の撮影のみとする。芝生広場もいずれ行きたいね。

カフェで朝食をとりつつ時間調整すると、町田市役所へ向けていざ出発。スマホのおかげでどうにか迷わず進む感じ。
小田急町田駅の北に抜けると住宅地としての雰囲気が急に濃くなり、町田のややこしさをあらためて実感するのであった。
そうして町田市民ホール前の交差点に出たら、ちょうど町田名物・神奈中バスのツインライナーが走り去るところだった。
やっぱり町田というのは面白いところだなあと思う。神奈川に囲まれた東京は、そのせいか独特な進化を遂げている。

 
L: 町田市民ホールの前を走っていくツインライナー(→2016.6.19)。ゼルビアの試合はぜひこれで行こう。
R: 町田市民ホールはもともと1972年竣工のボウリング場だったそうだ。1978年にホールとしてオープン。

町田市民ホールの裏にあるのが町田市役所。ホールと市役所を隣接して建てる手法はかつて革新自治体で目立ったが、
町田の場合は30年以上の時を経てそうなったわけだ。ちなみに町田は1970年から20年間にわたり革新の市長が治めた。
2002年の聞き取りでは、道路整備より福祉を優先したので町田の道路は複雑、との話を聞いて妙に納得したもんだ。
実際に自転車で走ってみると、町田の道路は迂回迂回でまっすぐ目的地に行けないことがよくわかるはずである。

  
L: 2012年竣工の町田市役所。多摩地区ではここ10年で、青梅・国分寺・福生・立川など市役所の新築が続いている。
C: 東側より撮影したところ。こちらが正面かな。  R: 少し北に進んで振り返る。手前にバス停がある。町田はバスの街ね。

町田市役所は槇文彦の設計により2012年に竣工。なお、設計者の選定は3段階のプロポーザル方式で行われている。
仕上がりを見るに、どこかの組織事務所が手堅く設計したような印象。なんか誰が建てても大差ない時代なのかね、と。
さすがにきれいだなあとは思うのだが、個性的ではないと感じる。建築の作家性とは何なのか、と考えてしまうなあ。

  
L: 交差点を挟んで北側から眺める。  C: 近づいてみた。  R: 横浜線を背にして西側から眺める。

敷地のすぐ西を走る横浜線の向こう側に出られたので、そこからも撮影する。少し距離をとって眺めやすいと思ったら、
電車の電線が邪魔なのであった。まあとにかく、なんだかんだで新しい町田市役所はスケールが大きいということだ。

  
L: 横浜線の線路を挟んで眺めた町田市役所。  C: これは線路より手前から見上げたところ。  R: 南西側より。

南側からまわり込んで、エントランス付近を撮影しながら建物の中へと入る。オシャレだがやや殺風景に感じるのは、
日曜日に訪れたからだろうか。しかし窓口はしっかり開いており、休日にしてはわりと頻繁に人が出入りしている。

  
L: 南側から見た市役所前のオープンスペース的空間。   C: 建物のすぐそばに寄るとこんな感じ。  R: エントランス。

町田市役所の中はかなり開放的。1階北側にはカフェが堂々と併設されている。そして中心部は巨大な吹抜空間。
イヴェントか何かを開催できるようにするためか、窓口を端に寄せて真ん中をかなりしっかりと空けている。
何も置かない空間をこれだけ広くとっている市役所は初めて見た。具体的にどう活用してきたのか知りたいところだ。
そして奥に進んだところにあるエレヴェーターからは屋上階に行くことができる。せっかくなので屋上に出てみた。

  
L: 1階北東側のカフェ。役所を見てきた人間として、こういう店舗空間を堂々と用意するようになった点に時代を感じる。
C: 1階のど真ん中にはこのような巨大な空間がある。ここまで大胆な事例は初めてだ。どう活用されてきたのか気になる。
R: 屋上に出てみました。このガラス張りの部分からスロープで外に出るというわけ。詰めている警備員さんも大変ですなあ。

最上階を展望スペースとする市役所はけっこう多いが、実際に屋上に出られるようになっている市役所はわりと少ない。
パッと思いつくのは安曇野市役所だが、屋上全体が開放されているわけではなく、北西側の一角に出られるだけである。
安曇野市役所の場合、自販機のほか椅子やらテーブルやらがあって屋上でくつろげるようになっていた(→2016.4.9)。
しかし町田市役所は安曇野同様に北西側の一角が開放されているが、何もない。コンクリート上から景色を眺めるのみ。
案内板を見て驚いたが、横浜線のすぐ西を流れる川は境川といい、その名のとおり東京都と神奈川県の境界とのこと。
もしかしたら、町田市役所は最も県境に近いところにある市役所なのかもしれない。その端っこぶりにびっくりしたわ。

  
L: 北側を眺める。すぐ脇の横浜線を電車が走り抜けていく。それにしても平地いっぱいに住宅が広がっているなあ。
C: 南西側の都会は相模大野か。すぐ手前を流れているのは境川。町田市役所の立地って市域の端っこすぎるでこりゃ。
R: 南側のフェンスの向こうをクローズアップ。町田駅周辺はさすがの都会なのであった。屋上一周できないのが淋しい。

市役所の撮影を終えると、小田急で1駅移動して相模大野へ。ムーンライトながら目的の乗り換えで来たことはあるが、
この場所を目的地にして来たのは初めてだ。ペデストリアンデッキで北口に出てみると、すごく都会ではあるんだけど、
なんとなく空間に余裕を感じない。相模原の都会はそれぞれに独特な個性がありそうだけど、詳しくないのでよくわからん。
相模原市は立派な政令指定都市なのだが、個人的には「とらえどころのない街」という印象しかない(→2011.5.4)。
人口の多い東部と山の中の西部、JRと私鉄、宅地と商業地と米軍の土地など、対立する要素が含まれすぎている。
相模原市が開発されていく経緯も複雑で、昭和初期の軍都計画と小田急による林間都市構想が並行していたのだ。
もちろんこれらの多層性は独特の魅力につながるが、相模原という都市の特徴をつかみづらくしているのも確かだ。
いずれ都市社会学的にきちんと考えてみたいテーマではある。でもスケールがデカすぎて、なかなか踏み切れないのね。

昼飯を食べると、女子美術大学行きのバスに乗り込む。相模原麻溝公園競技場(相模原ギオンスタジアム)は、
西を走る相模線の原当麻駅からは徒歩圏内だが、東の相模大野駅からだとバスでのアクセスとなるのだ。それにしても、
女子美術大学がここにあるとは知らなかった。バスは狭っこい住宅地を抜け、フェンスで囲まれた米軍の住宅の脇を行き、
広い工業団地の中を通って麻溝公園に到着。20分ほどの旅だったが、相模原の多層性がはっきり確認できたなあ。

 女子美術大学。アート系の女子がいっぱいいるんかなあ……。

女子美術大学の脇を抜けると相模原麻溝公園競技場に到着するのだが、バックスタンドのアウェイ側に出るようだ。
初訪問のスタジアムなのでいつものように一周してみる。開幕戦ということもあってなかなかの賑わいなのだが、
やはりオレンジ色のユニフォームが目立っている。長野サポも松本に劣らない「熱」が徐々に入ってきたかな、と思う。

  
L: 相模原麻溝公園競技場(以下、ギオンス)。  C: バックスタンド。赤い線はランニングコースとのこと。
R: 正面入口は東南側のようだ。グッズ売り場に人だかり。SC相模原のエンブレムは六角形で、なんとも珍しいなあ。

正面入り口に掲げられたSC相模原のエンブレムのフラッグ前には、昨年9月に採用された新入社員のガミティがいた。
広報部ホームタウン担当であり、さらにマスコット業務をやっているとのことで、いろいろ考えているなあと。

 ポーズつけてもらってありがとうございました。

ギオンスの特徴としては、ホーム側サイドスタンドの外側にあるスタジアムグルメの充実ぶりだろう。
そして並んでいる客も多いので、ものすごい人口密度で通り抜けるのが大変だった。なんとかならんか。
ハーフタイムには空腹に耐えかねて買い出しに出たのだが、どれもイマイチ高い印象。なんとかならんか。

  
L: どうにか人混みを抜けてメインスタンド側。  C: メインスタンド。  R: 反対側から眺めたところ。

本当は指定席でのんびり観戦するつもりだったのだが、ボサッとしていたらなんと売り切れになってしまった。
それでしょうがなくメインスタンドの自由席にしたというわけ。でも悔しいからできるだけ指定席に近い席を確保。
もちろんアウェイ側である。さっきも書いたようにオレンジ色の長野サポが目立っていたが、混み具合の予想がつかない。
席の埋まっていく様子を興味津々でチェックしていたのだが、最終的にはキツキツではないがまずまずの入り具合だった。
ゴール裏は長野の方がはっきり優勢だったが、バックスタンドはほぼ圧倒的に相模原。メインスタンドは互角っぽい。
そこから察するに、相模原の存在は定着しつつあるが、コアなファンはまだ少なめといったところか。今後に期待なのだ。

  
L: スタジアムのメインスタンドとサイドスタンドの間には、このように橋を模したオブジェがついていた。なんじゃこりゃ。
C: メインスタンドの端っこからピッチを眺める。陸上トラックのあるスタジアムとして、平均的かつ典型的な印象である。
R: メインスタンド側を眺めたところ。雨のときにはちょっとキツいかなと。今回はいつもより高い位置から観戦したのだ。

さて、両チームのサポーターの様子を見ていると、開幕戦ということもあってか、長野サポが面白い動きをみせる。
ゴール裏の人たちが大きな輪をつくって気合いを入れたのだ。芝生席じゃなくても今後もやるんだろうか。気になるわ。

  
L: 大きな輪をつくって気合いを入れる長野サポ。なかなか面白い試みである。  C: ゴール裏の相模原サポはやや少数。
R: 練習を始める前に挨拶する長野パルセイロの皆さん。選手の後ろで浅野監督が丁寧に礼をしているのが印象的だった。

そうこうしている間に試合前の練習が始まる。今シーズンから長野の指揮を執るのは、前鹿児島監督の浅野哲也。
2010年にはJ1福岡の監督にシーズン途中で就任し、評価は高かったが降格してしまったことで退任している。
長野としてはできるだけ浅野監督に長くやってもらって、「J2に定着する力を蓄える」ことが目標になるだろう。
つまりはJ3レヴェルで甘んじているわけにはいかないのである。クラブにとっても監督自身にとっても勝負どころ。

 
L: 選手のウォーミングアップを見守る浅野監督。試合前にこれだけ選手を見ている監督は大木さんとプシュニク以来。
R: さらに選手のシュート練習にまで、ボールを落とす役割で参加。これはもはや、監督というより部活の顧問状態だ。

開幕戦らしいセレモニーが終わるといよいよキックオフ。相模原のホームではあるが、構図としては長野の方が格上。
それで全体的には長野が攻める時間が多くなるものの、動きは明らかに相模原の方がいい。ストレスの溜まる展開だ。
パスの判断が遅い長野に対し、相模原のチェックは非常に速い。なかなかいい状態でボールを蹴らせてもらえない。
それでも長野はなんとかペナルティエリアまで入り込むが、最後のところが決まらない。重い展開で前半が終了する。

  
L: 長野の判断も遅いのだが、それ以上に相模原のプレーがよかった。複数でコースを消しつつプレスをかけるの図。
C: ゴール前まで迫るもシュートをはずすの図。なんだかんだで長野が攻める時間の方がかなり長かったが、決めきれない。
R: SC相模原の広告塔的な存在となっているのは川口能活。残念ながらこの日は控え。がんばってほしいものであります。

後半に入っても前半と同じような展開で時間が進んでいく。気になったのは長野の4バックの重さ。特にSB。
攻撃時の位置どりが非常に低く、「お前は一人でどこを守っているんだ?」と言いたくなる。サイドが重たいので、
チームとしては当然、中央からの突破が第一の選択肢となる。でもそこで相模原のプレスを受けて後ろを向かされる。
相手陣内の深い位置に入ったSHにボールが出ないことはないが、後ろに無駄な人員が余るのを見るとイライラする。
浅野監督がどういうヴィジョンで攻撃を組み立てようとしているのか、この試合ではまったく見えなかったなあ。

 CBがボールを持っているときの長野。ここからの創造的な攻め手がまるでない。

で、試合は結局、60分にFKがバーに当たったところを折り返し、最後は勝又が決めて長野が1-0で勝利。
やはり相手を押し込んだところから得たセットプレーから点をもぎ取るスタイルにならざるをえないのか、と思う。
もちろん勝たなきゃ何にもならないので、それは悪いことではないのだが、特徴のないクラブだなあと感じてしまう。
放り込んでばっかりの松本とは一味も二味も違うスタイルを期待したいんだけどね。J2昇格が最優先なんだろうけどね。

  
L: 60分、長野のFKがバーに当たる。  C: これを折り返すと、  R: 最後は勝又(スキンヘッド)がシュートを突き刺した。

高い目標を持ってJ2をぶっちぎった湘南ベルマーレというクラブを知っているので(→2014.4.262014.11.15)、
贅沢なのはわかっちゃいるが、今日の長野のパフォーマンスには不満しかない。こんなサッカーじゃJ3を制覇できない。
これから浅野監督がどのように独自のスタイルを構築するのか、あるいはしないのか、そして勝利を続けられるのか、
しっかりと見届けていきたい。長野の目標とするものは、「松本のいる位置」なんかに収まってほしくないんだよ。

 でも純粋なサポーターにはうれしい1勝だよね、そりゃ。

帰りのバスは臨時バスに混じった定期便だったので、散々な目に遭った。満員になっても定刻まで出発しないし、
バス停から出たところで大渋滞に巻き込まれ、麻溝公園を出るのに10分以上かかる始末。その後もダラダラペースで、
相模大野駅に着いたときにはかなりヘロヘロになってしまった。これは本気で改善してもらわないと困るひどさ。

本来なら早めに帰るつもりだったけど、ヘロヘロついでに相模大野で日記を書いて晩飯食ってから帰宅。


2017.3.11 (Sat.)

震災から6年。昨年ようやく、いわゆる「被災地」を訪問することができた(→2016.9.182016.9.19)。
そしてそこにあったのは、それぞれに個性を出しながら復興を果たさんと邁進する都市空間たちであった。
(陸前高田を除けば)被害を受けてからある程度の時間が経過し、落ち着いてからの訪問となったので、
どこか都市の力に魅了されるだけの余裕のある旅だった。でもそれは、いちばんつらい現実をはずしておいた、
本当の痛みに触れることのない気楽な旅行だったのも確かだ。継続的に見つめることで、過去を想像せねばなるまい。
そして、その中で最も厳しい状況を露わにしていた陸前高田の復興を見届けること。できる支援をすること。
東北沿岸部が僕の感覚の一部となった以上、それについての責任はきちんと背負っていきたい。あらためてそう思う。

青春18きっぷを使って近場への日帰りの旅に出る。まずは御殿場線沿いの市役所をきちんと押さえていき、
沼津から引き返して熱海の新しい市役所も押さえ、神社も押さえ、最後は公共建築百選も押さえる。実に盛りだくさん。

朝の8時少し前に御殿場駅に到着。市役所撮影にはちょっと早いが、この後の予定がキッツキツなのでしょうがない。
最初のターゲットは御殿場市役所である。いちおう9年前の日記に2枚ほど写真を貼り付けているが(→2008.9.27)、
建物としてはけっこう複雑な形状をしているので、あらためてちゃんと記録しておこうと思ったしだいである。

  
L: 御殿場市役所。まずは道路を挟んで全貌を眺める。複数の庁舎が密集しているのがわかる。  C: 正面から見たところ。
R: 南西側より攻める。過去の広報を見るに、こちらの低層棟も本庁舎の一部という扱いになっているようだ。ようわからん。

  
L: さらに西側にまわって議会棟。かなり大規模なピロティ建築である。  C: 西側。  R: 少し北寄り。

  
L: そのまま背面へとまわり込んでみた。  C: 本庁舎背面。だいぶ派手に耐震補強がなされている。
R: 議会棟。なんだかマンモス的な建築である。後述する東館が完成した後、議会棟は解体されるようだ。

  
L: 議会棟の下にもぐってみた。  C: 本庁舎エントランスは議会棟側にある。  R: 玄関をクローズアップ。

  
L: あらためて本庁舎の南側へ。こちらにも、いかにもエントランスな庇がある。竣工当時はこっちが正面か?
C: 角度を変えて撮影。御殿場市役所の南側の敷地は複雑怪奇な構造になっていて、撮影するのが本当に大変。
R: 建設工事も大詰めの東館の手前から眺めた本庁舎。工事が終わったらもうちょいすっきり見渡せるようになるのかね?

御殿場市役所は1972年竣工とのこと。しかし本庁舎と議会棟の関係など、詳細は残念ながらよくわからない。
現在、東館が工事中で、今年の7月に完成する見込みである(設計は金丸建築設計事務所)。東館が完成した後は、
議会棟を解体する工事に入るようだ。来年にはまるっきり違う姿になっているかもしれない。ついていけねえ……。

  
L: 最後に、竣工間近の東館。面白みがないねー。  C: 近づいてみた。  R: これは裏手の北東側から見たところ。

ただ建物の写真を撮るだけなのだが、御殿場市役所はとにかく複雑で本当に疲れた。敷地の形が悪すぎるんだよなあ。
ヘロヘロになりながら駅に戻ると、ちょっと揺られて裾野駅で下車。次のターゲットは当然、裾野市役所である。

 裾野駅前の商店街を行く。妙に狭っこい感じのする不思議な空間である。

裾野駅前もちょっと不思議な感じで、きゅっと密度が高くなっている印象がすごく強い。でも都会ではない。
愛鷹山と箱根山のカルデラに挟まれた細長い平地にあるのが裾野市なので、その空間的な特徴が見事にそのまま、
市街地の特徴としても現れているように思う。少ない平地を大切に分け合ったからこの密度なのだろうか。
そんなことを考えながら西へと歩いていくと、すぐに裾野市役所に到着。市街地とは対照的にどっかり鎮座する。

  
L: 裾野市役所。敷地の入口から眺めるとこんな感じ。  C: 狭っこい裾野市だが、駐車場はかなり広くとっている。
R: 近づいて正面より撮影してみた裾野市役所。マルーンというか、そういう凝った色にしているあたりが70年代ね。

裾野市役所は1977年の竣工。なお、2012年にはかなり強力な耐震工事を施した模様。場所が場所だけに、
やはりふだんから神経を使うのだろう。富士山にしろ箱根にしろ、いつかまた噴火するかもしれないからねえ。

  
L: エントランス。トラス構造の屋根が実にとってつけたようである。  C: 角度を変えて北東側より眺める。
R: エントランス脇のこちらは「グリーンカフェ花麒麟」。NPO法人が運営する障害者就労支援のお店。やる気だねえ。

それにしても「裾野市」とは大胆な名前である。「The 裾野」というわけだが、富士山の裾野は360°存在するが、
そこからさらに愛鷹山と箱根山のカルデラに挟まれている状況を考えると、それも納得のいく裾野っぷりである。
もともとは国鉄の裾野駅(開業当時は「佐野駅」だったが他都市と紛らわしいので「裾野駅」になった)が先で、
小泉村と泉村が合併したときに駅名から採って裾野町となったという話。裾野アイデンティティがすごそうだ。

  
L: 背面にまわり込む。南東側から。  C: どうにか隙をみて背面を撮影。  R: 南西側の駐車場より眺める。

裾野市役所をクリアすると、そのまま御殿場線で沼津へ出る。そして東海道線を戻って熱海駅へ行き、メシをいただく。
これで箱根山の周囲を270°回ったことになるわけで、なんだか面倒くさいルートを動いている感じだが、しょうがない。
そういえばかつて御殿場線が東海道本線だったのは有名な話だが、それだけ箱根山が強烈な存在ということなのだ。

熱海から1駅、わざと伊東線に揺られて来宮駅で下車する。東海道線の線路がすぐ脇を通っているというのに、
スルーされてしまう来宮駅。ここでわざわざ下車したのは、まあ要するに来宮神社に参拝する気分を盛り上げるため。
駅舎を出て東に歩き、ガードを抜けるとそこがもう来宮神社の境内である。そういえば大学のゼミの卒業旅行で、
来宮神社には参拝しているはずなのだ。だから二度目の参拝になる。来てみてああそうだったと気づくいいかげんさ。

  
L: 来宮神社の境内入口。まあとにかく人気があるようで、参拝客がひっきりなしにやってくるのよ。
C: 神社の向かいにある食事処。神社直営とのことで、小ぎれいでちょっと凝ったつくりになっている。
R: なんとか隙をみて鳥居と社号標を撮影。もともとは村社なのだが熱海人気とともに有名になり別表神社に。

観光地としての熱海人気が復権して久しいが、それとともに来宮神社もかなりの人気スポットとなっているようだ。
大学時代に来たときはそんなに混み合っているイメージはなかったのだが(まあ所詮うろ覚えなんですけどね!)、
縁結び大好きっぽい女性たちやら外国人観光客やらで大賑わいなのである。いやはや、恐れ入りました。

  
L: 参拝客の多さは神社側の営業努力によるところが大きいみたい。こちらはスマホ撮影用のスタンド。
C: 実際にスタンドを使って撮影するとこんな感じになる。インスタ映えってやつですか、ふーん。
R: 境内の様子。右側で神職さんが落ち葉を集めているんだけど、ハート型にしているんですよ。あざとい。

正直なところ、参拝客が多すぎると撮影が大変なのでうれしくない。やっぱり神社は厳かな雰囲気でいてほしいし。
しかし神社の営業努力については、純粋にきちんと評価しなくてはいけないという気持ちは持っているのだ。
残念なことに、ウチは有名だからと生意気な態度で参拝客を見下して接してくる神社も確かに存在するのである。
でもどんなに偉い神様だって、参拝する人間がいなければ意味がない。神様は人に拝まれてはじめて意味を持つのだ。
だからあの手この手で参拝客の側に立とうとする神社は、それだけ誠意を持っている神社ということになる。
その点において、来宮神社の努力は間違いなくトップクラスである。自らを魅力的であろうとする努力が本当にすごい。

  
L: あらためて拝殿の混雑ぶりをクローズアップ。いやもう本当に人気があるのよ。  C: 本殿を覗き込む。
R: こちらが来宮神社の参集殿・授与所。若林建築設計事務所の設計で2014年に竣工。やる気のある神社は素敵だ。

いちばん驚いたのが、参集殿・授与所である。とにかくオシャレな建物で、しかも脇には茶寮「報鼓」を併設。
つまりカフェである。しかもオープンカフェ。置いてあるおやつを買って、境内で好きに食ってOKときたもんだ。
伝統や自然とうまくバランスをとりつつ、モダンな要素も取り入れて空間全体の魅力を確かなものにする。
来宮神社のやっていることは先進的だが、実はかなり根源的な本質を見事に衝いているのではないかと思う。

 天然記念物の大楠。巨木は存在するもうそれだけで偉大だよなあ。

混雑ぶりにヒーヒー言いながらも、非常に楽しませてもらった。来宮神社の営業努力は本当にすばらしい。
余韻に浸りながら感心しつつ坂を下っていく。熱海の街は勾配が急すぎることもあり、道路が複雑怪奇である。
スマホ片手になんとか熱海市役所にたどり着くが、やっぱり敷地に余裕がないので撮影は極めて難しかった。

  
L: 熱海市役所。これは東側から眺めたところ。  C: そのまま正面側の1階ファサード。  R: 中を覗き込んでみた。

さて熱海市役所は以前にも訪れたことがあったが(→2010.11.13)、1953年竣工の庁舎は建て替えられてしまった。
現在の庁舎は2014年に竣工しており、少し北東側に動いている。つまり観光会館を先に壊して新しい市庁舎を建設し、
その後で旧庁舎部分を駐車場にしたわけだ。なお、熱海市役所の敷地はかつて大正天皇の熱海御用邸があった土地。
さらにその前には、徳川家光が湯治御殿を建てた場所とされている。熱海市役所は非常に由緒正しい立地なのである。

  
L: 現在駐車場となっているこの辺りが前の庁舎があった場所。  C: そこから眺める現庁舎。実にシンプルである。
R: 東側にまわり込んだら消防車。こちら側は消防庁舎となっているのだ。土地にまったく余裕がないから当然か。

高低差といい周囲の建物の密集具合といい、これだけ条件の厳しい市役所は全国を探してもそうそうあるまい。
本庁舎を建て替えたものの、複数の建物がそのまま残っており、市役所としての分散ぶりは相変わらずとなっている。

  
L: 背面をどうにか覗き込む。  C: 相変わらずの第2庁舎。土地の高低差がすごいので、分ける方が合理的なのか。
R: 市役所の敷地内にある御殿稲荷神社。家光が湯治御殿を建てた際に伏見稲荷から勧請したものが残っているのだ。

せっかくなので敷地をぐるっと一周してほかの庁舎も見てまわる。もっと利便性の高い場所はいくらでもありそうだが、
この場所にこだわって市役所を置いているその精神が美しいと思う。とはいえここは高低差の激しすぎる土地なので、
スキップフロアならぬ「スキップ庁舎」として複数の建物を連結する方が合理的なのだろう。それもすごい話だが。

  
L: 第3庁舎。  C: 第3庁舎の裏側にまわり込む。  R: エレヴェーターに乗って、このボタンを見て驚愕した。

せっかく熱海に来たのならのんびりと温泉に浸かりたいところだが、次の目的地があるから急いで熱海駅まで戻る。
途中で「本家ときわぎ」と「常盤木羊羹店総本店」をそれぞれ撮影。初代は同じ人物だが、まったく別の会社だそうで、
その辺のややこしい事情には興味がないのでニンともカンとも。しかしインパクトのある景観を提供してくれている。

  
L: 「本家ときわぎ」(左)と「常盤木羊羹店総本店」(右)が熱海駅へ至る坂道を挟んで向かい合う。
C: こちらが「本家ときわぎ」。1947年竣工だが宮大工による建築とのこと。  R: 「常盤木羊羹店総本店」。

熱海を後にしてやってきたのは真鶴である。お恥ずかしいことに、わざわざ下車したのは初めてなのだ。
その名のとおり鶴っぽい形をしている真鶴半島の、その先っぽまで行ってみようというわけ。バスで20分揺られる。
ケープ真鶴という施設があって、そこが真鶴岬のいちばん先にあるバス停の名前にもなっているのだ。

 ケープ真鶴。なぜ英語混じりなのかはよくわからない。

バスを降りるとさっそく真鶴岬の突端へ。岬のいちばん先っぽは、高い場所から岩場へと下りるパターンが多い。
真鶴もそうで、階段をするすると下りていくと、ちょっと広くなっている海岸に出る。岩はそんなにゴツくないが、
その分だけ海の先にある三ツ石がしっかり尖っている。なるほどこれは神秘的なものを感じさせる光景である。

  
L: 途中から真鶴岬の突端を見下ろす。手前の海岸が比較的穏やかな印象な分だけ、三ツ石の存在感が際立っている。
C: 海岸に下りて三ツ石をクローズアップ。注連縄がさすがである。タイミングが合えばあそこまで行けるそうだ。
R: 右手に見える初島。いっぺん行ってみたい気もするが、行っても別にやることがあるわけじゃないんだよなあ。

ケープ真鶴の2階は真鶴町立遠藤貝類博物館となっているのでお邪魔する。地元出身、理科の先生だった遠藤さんが、
91歳で亡くなるまで集め続けた貝殻を展示する施設だ。似た施設で海のギャラリーを思い出すが(→2015.2.28)、
あちらが「ギャラリー」という気ままさだったのに対し、こちらはカッチリした学術的な感触がある。理科の先生だし。

  
L: 博物館エリアに入ってまず目についたのがこちら。クジラの骨で、来館者が実際に触ることができる。
C: ドーム状の舞台で展示されている貝類。こうしてみると、貝殻というのは本質的に美術品なのではないかと思う。
R: 日本でいちばん小さい貝だというミジンワダチガイ(4粒いる)。どうやって採取したのか想像がつかない。

展示室は真鶴・相模湾、日本、世界とそれぞれテーマが分けられており、膨大なコレクションを堪能できる。
この博物館のいちばんの名物はオキナエビスガイの貝殻とのこと。カンブリア紀後期から現代に至るまで生息しており、
「生きている化石」と呼ばれている。貝殻は美しいが薄くて非常に壊れやすく、かつては高値で取引されていたという。
個人的には、大きな貝よりはさまざまな形の小さめの貝たちに魅了された。黒い背景に置かれたそれぞれの貝たちは、
まるで宇宙空間の銀河をミニチュア化したような姿をしている。なんとも不思議な気分になってしまうのであった。

  
L: 展示風景。博物館らしい科学的な展示で、海のギャラリーとは対照的。  C: オキナエビスガイ。現代では深海に生息。
R: こうして小さい貝殻たちを見ていると、その形が銀河に似ていることに気づく。銀河とは広大な宇宙に浮かぶ貝殻なのか。

ケープ真鶴は真鶴半島の本当に先っぽにあるので、そこから本日最後の目的地までは1kmちょっと歩くことになった。
それにしても岬の植物というものはなぜもこんなに元気なのか。南国はジャングルの勢いで猛烈に生い茂っている。
明らかに和風の穏やかさからはかけ離れた、遠慮を知らない繁殖ぶりである。植生とは不思議なものだと思いつつ歩く。

 なぜ海に囲まれた土地では植物たちが南国風に勢いづくのか。

植物たちの勢いに圧倒されつつたどり着いたのは、真鶴町立中川一政美術館。柳澤孝彦設計で公共建築百選である。
柳澤孝彦というと東京都現代美術館だが、こちらは個人の作品をテーマにした美術館ということで、それ相応の規模だ。

  
L: 真鶴町立中川一政美術館。周囲の緑の勢いが半端ない。  C: エントランス付近。現美とはだいぶ違うな……。
R: エントランスを正面から見据えるとこんな感じ。脇の丸っこい銀色の車ではカレーや飲み物などを売っている。

真鶴にアトリエを構えた画家・中川一政の作品を展示しているわけだが、まあ正直、僕には何がいいのやらサッパリ。
ああいう画風は単なるヘタウマにしか見えないんですなあ。駅弁でおなじみの「ますのすし」のパッケージがあって、
なるほどこれかー!と納得。よく見てみるとトリミング具合が絶妙なのである。うまいことやったもんだ、と感心。

  
L: 建物表面のコンクリートをクローズアップ。  C: 奥から眺めるとこんな感じ。ちなみに反対側は崖になっている。
R: そのまま丁字路側の敷地入口まで後退してみた。木々や崖で、見られる範囲がかなり限られている建築である。

真鶴を後にすると小田原まで戻って、これで箱根山の周囲を360°回って見事に任務を完遂。中身の濃い一日だった。
箱根山本体の方もいずれきちんと訪れたいものである。混んでそうだし、ガスが出ているし、なかなか大変だけど。


2017.3.10 (Fri.)

どうも、仕事でしか東京ディズニーシーに行ったことのない男です(→2012.2.92014.2.25)。
今年も仕事で東京ディズニーシーに行く時期がやってまいりました(→2012.3.82014.3.7)。義務です義務。

あんまり詳しく書くとアレなんだけど、行きのバスの中でとんでもないミスが発覚。これには自分でも唖然とした。
結局はきちんとディズニーシーに入ることができたけど、油断大敵という事実をあらためて痛感した。初歩の初歩が大事。

とはいえ、中に入っちゃえばそれはそれで切り替えていくのである。今回は特に、ディズニー大好きな先生がいらして、
プロフェッショナルであるその先生と一緒に動いて言われるがままにしていればいいのだ。ファストパスを駆使した結果、
並ぶことは並んだのだが信じられないほど効率よく、次から次へとアトラクションに乗ることができたのであった。
海底2万マイルから始まって、マジックランプシアター、ジャンピン・ジェリーフィッシュやらなんやら、
次から次へと移動しては乗り、移動しては乗り。昼飯をみなさんでいただいた後もまた移動してアトラクション。
もはや自分には都市伝説的な存在だった、噂のタワー・オブ・テラーもしっかり堪能することができた。
やたら長い行列を見るだけでゲンナリしていたインディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮も堪能。
僕は今まで「並ぶのがとにかく面倒くさい」という理由でそんなにアトラクションには興味を持てないでいたのだが、
さすがにここまで効率よくアトラクションを味わえると、「アトラクションええやん!」という感覚になってくる。
自分でも現金なものだなあと思うが、毎回このペースで楽しめるのであれば、食わず嫌いになることはないだろう。

 
L: ハドソン・リバー・ブリッジとS.S.コロンビア号。エレクトリックレールウェイの高架と並んで僕の好きな光景だ。
R: 噂のタワー・オブ・テラーにもついに挑戦することができた。ファストパスが面倒くさくて一生乗らないと思ってた。

最後の追い出しは僕の担当だったが、終わってみればどの生徒よりもディズニーシーを堪能してしまったではないか!
いやあ、こんなに素直に楽しめるとは思わなかった。もう本当にディズニー大好きな先生様様。ありがとうございました。


2017.3.9 (Thu.)

『攻殻機動隊ARISE PYROPHORIC CULT』。「ARISE」4部作の続編で、『新劇場版』の手前に位置付けられるそうで。
(border:1→2013.7.2/border:2→2013.12.12/border:3→2014.7.8/border:4→2014.9.12/新劇場版→2016.12.7

ファイア・スターターが物語の軸なのだが、結局のところ人がたくさん死ぬのはいつもの「ARISE」と一緒である。
ヴァン=ダインの二十則・第7項「長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。」
これを地で行く内容そのままで、底の浅いミステリ価値観を押し付けられてゲンナリ。面白いと思ってやってんのかね?

今回はいつも以上に、舞台が情報空間に限られている。確かにドンパチはあるが、メインとなる戦闘の舞台は情報空間。
本来、放火魔は空間を通してダメージを与える存在だが、「情報空間における放火魔」という概念を持ってきたのは、
実はかなり興味深い試みだと言える。しかしそうなると、情報空間における火災が人間にどのような被害を与えるか、
そこを熟考しなければ意味がない。簡単に表現すれば、「精神における火傷とは何か?」という問いにつながるだろう。
現実の火傷は体表の20%を超えると重症化する。これを精神に置き換えた場合に、どのような症状として表現するか。
あるいは「情報空間を焼失させられることで、人間はどのような生活上の困難に直面させられるか?」という問いもある。
つまりは火災をめぐる社会学という論点が広がっているのである。社会を描かなければ『攻殻機動隊』である意味がない。
『STAND ALONE COMPLEX』であれば間違いなく、火災からの復活・復興を通して人間性を描いてみせたはずである。

飛び火、バックドラフト、フラッシュオーヴァー、火災旋風……。そういった示唆に富む事象をまるっきり無視して、
よくわからないプログラム上のメカニズムで人間をあっさり殺してしまう。わざわざ火災をテーマにした意義がないのだ。
「ARISE」は本当にくだらない。つまんねえものはとことんつまんねえ、バカはとことんバカだ、と実感させられた。


2017.3.8 (Wed.)

異動先の学校で来年度の話をしてきたけど、校長がクソマジメそうで困った。無事にやっていけるんかなオレ……。


2017.3.7 (Tue.)

トラス構造の偉大さを手軽に実感できる方法。

この安定感ハンパないっス。


2017.3.6 (Mon.)

画像整理がやっぱり大変なんだよなあ。旅行した際、気づけば膨大な量の写真を撮っているわけで。
多いときには一日300枚ちょっとで、それを軽く取捨選択しながら日記貼り付け用の加工をする。これが第1段階。
終わるとだいたい一日あたり150枚くらい。これをいったん実際に日記に貼って、今度は厳しめに取捨選択する。
この第2段階で、一日あたり100枚を切るように減らす。でもこれが意外と神経を使う。市役所など建物の写真は、
この作業がいちばんつらいのだ。で、使う写真が確定したところでWindowsによる第3段階の色調の調整となる。
それぞれの段階で、日記の執筆とは別で何時間も集中して作業をすることになるので、本当に大変なのである。
でもこれをやらないと自分が納得のできるレヴェルの日記が仕上がらない。自分で自分を追い込んでいるわあ……。


2017.3.5 (Sun.)

いろいろ精神的に負担の大きい一週間だったからか、何もやる気が起きず。指一本動かすのがつらい日もある。


2017.3.4 (Sat.)

なんか先輩方が男子中学生みたいやった。

いや、飲み会だったんですよ。若い女性の講師がいて、このたび飲み会に初参加で、先輩方は大喜び。
それでもう、ここぞとばかりにあれやこれや訊いちゃう。で、彼氏がいないと聞いて大興奮しちゃうわけで。
先輩方は既婚者でしょうに。なにを興奮なさっておるのか。完全に中学生状態になっちゃう既婚者の皆さんって、
なんか、もう、すげえなと。その若々しい部分には素直に敬意をおぼえるのだが、どこか尊敬できない気持ちも。


2017.3.3 (Fri.)

びゅく仙的名盤紹介(→2016.10.252016.10.262016.10.27)」の続きの続きである。
前回は中学から高校前半にかけてのインスト一筋ストイック生活についてご紹介したが(→2017.2.18)、
高校に入ってしばらくするとMIDIをいじりだし、そこからフュージョンだけでなくYMOにも手を染めるようになる。
これで完全に僕の10代が固まっていくわけである。実に偏った10代であった。小室哲哉とか見下していたねえ。
というわけで、後半戦はHQSで揉まれたこともあってJ-POPにも興味を示すようになっていった軌跡を追ってみる。

まずはYMOから(→2004.10.212004.11.7)。そもそも結成が1978年で、僕はその前年に生まれているわけで、
そんなものに高校になってからハマるってのが妙な話なのだ。きっかけは僕が高校1年だった1993年の一時的な復活で、
YMOに対する再評価が一気に湧き起こった。このとき平安堂で借りた『TECHNO BIBLE』で一気にやられたわけです。
そうなると当然、MIDIでカヴァーをどんどんつくる。そうやってDTMのイロハを自学自習していったのであった。
アルバムという観点だと、自分にとってのベストは中期YMOの『BGM』か『テクノデリック』のどちらかになる。
『BGM』(1981年、アルファ)は初期のライトなファンを切り離すアルバムだが、「バレエ」で始まるのがすごくいい。
重くて暗いが美しく、見事に全体を方向づけている。そこから「音楽の計画」はまあいいが(常識の範囲内ってことだ)、
「ラップ現象」「ハッピー・エンド」という進み方は明らかにおかしくて、ちょっと……いやだいぶ病的な気配が漂う。
しかし「千のナイフ」「キュー」で聴きやすく戻り、「ユー・ティー」がまたおかしくて、「カムフラージュ」に至る。
で、「マス」と「来たるべきもの」でまたおかしくなって終わる。まあとにかく現世の音楽とは思えないアルバムで、
未来のディストピアを容易に想起させる曲ばっかりである。非常にSF的。それだけに唯一無二の存在となっているのだが。
『テクノデリック』(1981年、アルファ)はリズムのアルバム、という印象。当時最先端のサンプリングで再現される、
あの手この手のリズムの見本市といった様相だ。もともとYMOはベースの人とピアノの人とドラムスの人によるので、
単純に楽器だけで言えばピアノトリオ的なバンドのはずである。そこからピアノがミニマル、ドラムスがサンプリング、
そんな実験に走ったところでベースは効果的に生音を響かせる曲が目立つ。やはり単なるテクノという枠では収まらない。
リズムセクションを主体にして主旋律を潜らせる曲が多いのでどうしても雰囲気は暗いが、突き抜けた感覚も同時にある。
前作『BGM』のディストピアがさらに進んで廃墟だけが残った、そんなような音楽である。妙にカラッとしている。
やはり僕にとって『BGM』と『テクノデリック』の両者はセットで、1992年と1993年の日本シリーズくらい不可分。

YMOから興味が派生した坂本龍一のアルバムで、個人的なベストは『音楽図鑑』『未来派野郎』の2つとなるだろうか。
『音楽図鑑』(1984年、ミディ)はYMO散開前後に制作されており、YMOの坂本部分を抽出したような内容なので、
そりゃYMOが好きなら気に入るだろうというアルバム。『未来派野郎』(1986年、ミディ)はその続きのようなもん。
どちらも前半に聴きやすい曲が入っていて、後半は趣味の世界。両アルバムの前半の曲たちは強烈な引力を持っており、
ベストアルバムの『グルッポ・ムジカーレ』は実に見事ないいとこ取りとなっている(『OPERA』でさらに補完できる)。
坂本龍一はキャリアが長くてワケわかんない印象の人も多いと思うが、上記2つのベストアルバムをオススメしておく。

しかしこういう音楽的嗜好の何が困るって、カラオケである。高校時代の僕には、まともに歌える曲がほとんどない。
でもカラオケには行く。で、どうやってやり過ごしていたかというと、チェッカーズとユニコーンと「過激な淑女」の三択。
小学生のときに好きだったチェッカーズだが、当時は歌番組をテープで録音していた生活で(時計の時報に邪魔される)、
アルバムをCDで買うなんて文化はなかった。「ONE NIGHT GIGOLO」から「Friends and Dream」までが直撃しており、
まあだいたいそれ以降の主要な曲は歌えるといった状況なのであった(しかし鶴久のメロディメーカーぶりは凄まじい)。
シングル中心に押さえていったので、アルバムは正直今もよくわからない。いずれ掘り返して聴いていきたいものだ。
もうひとつの柱であるユニコーン(→2005.6.1)は、潤平からの紹介で僕もどんどん好きになっていった経緯がある。
まずベスト盤の『THE VERY BEST OF UNICORN』から入る。つまり、気に入ったときにはすでに解散していたのである。
奥田民生の才能は凄まじく、正統派のロックで対抗する阿部義晴も華やかな色を添える。しかしテッシーもすごくて、
「自転車泥棒」の一曲だけで崇拝できる。何より、川西幸一のスネアの音は、僕の最も好きなスネアの音なのだ。
EBIは……えーと、ほら、高音いいじゃないすか。そんなわけで5人が5人とも輝いている。理想形のバンドなんだよなあ。
アルバムはやっぱり『服部』の衝撃が大きい。前作『PANIC ATTACK』からここまで変わるか!という点だけではない。
やりたい放題がここまで高いレヴェルで結実するものなのか、と呆れるしかない完成度だ。何があったんだろう。
ユニコーンはどのアルバムにも独特の世界観が詰まっていて、歌詞だけでなく曲調もヴァリエーションが本当に豊富。
何をどうやっても面白い、という団体活動の究極形であるとすら思う。彼らに対しては再結成まで含めて憧れしかない。

さて、大学時代になると、潤平から一人の女性歌手を大絶賛とともにオススメされた。椎名林檎である(→2003.3.8)。
(こうしてみると、僕の10代後半の音楽的嗜好は潤平の影響がきわめて大きい。洋楽の基礎も潤平仕込みである。)
ちょうどHQSに在籍しはじめた頃でもあり、椎名林檎とモーニング娘。によって僕の芸能界への興味は解凍されていく。
HQSではカナタニ先輩をはじめわれわれの世代はみんな椎名林檎が大好きで、第9回一橋オープンのコーナータイトルに、
椎名林檎の曲名をすべて当てはめたほど。問題集の表紙として看護婦コスプレの椎名林檎を潤平に描いてもらったなあ。
アルバムはまず『無罪モラトリアム』が若さと才能のバランスが異常で、こんな恐ろしい1stアルバムは二度と現れまい。
そんでもって、さらにその上を行く完成度を2ndアルバムの『勝訴ストリップ』であっさりと実現してしまった。
僕にとって椎名林檎とは「圧倒的な才能を振りかざす若者」の象徴そのもの。ジェームズ=ディーンのようなもんね。
それだけに、3rdアルバムへの拒否反応は猛烈だった。東京事変についても活動中はわざと一切無視しておいて、
解散したら「きちんと固まった評価ができるぜ!」と(マンガと同じような扱い)、しっかり聴いたしだい(→2012.7.28)。

モーニング娘。はラブマショックがやはり大きかったが、それ以前からHQSでは人気があった。主にマサルに。
やっぱりマサルの影響が大きかったんだよなあ。僕としては「つんくがやっとるんかー」ぐらいなもので、
鈴木あみとの対決も特に興味はなかった。だけど後藤真希加入の世間への衝撃の大きさにさすがに興味が出てきて、
4期加入ですっかり狂ってしまいましたとさ。で、シングル曲を中心に聴き返していくと、さすがにプロの仕事。
(バックトラックのベストは「Memory 青春の光」、アレンジ全体のベストは「LOVEマシーン」。これは絶対。)
詳しくは過去ログでいろいろ書いているのでそっちを参照してもらうとして(→2002.5.62004.3.13)、
アレンジャー視点で曲を聴く面白さはモーニング娘。で学んだと胸を張って言える。いわゆるアイドル系統は、
シングル曲とアルバム曲で扱いが大きく違うというか、一般に向けるシングル曲とファンに向けるアルバム曲、
そういう差異を感じる。初期なら「未来の扉」とか「乙女の心理学」とか好きだけどマニアックなんだよなあ。
ベスト盤の『ベスト!モーニング娘。1』はシングル曲のほかに収録されている曲が本当に絶妙なラインナップで、
その後で出た『4th「いきまっしょい!」』はキャラクターが確立されたこともあって、お祭り騒ぎだったなあ。
いま聴き直しても、この辺りのモーニング娘。は面白い。送り手と受け手の共通解が見つかった喜びがあるのだ。
でもその後は、その「解」にどちらかというと受け手が慣れちゃった感じになって、いつしか熱が冷めていった。
今も熱を持ってハロプロを見つめている人は、その辺どんな感触なんだろうか。アイドル史は業が深いですなあ。
「背伸びした場末のセクシーさ」から「ミニモニ。的幼児受け」への変化は、社会学的にも重大な意味があると思う。

ほかに大学時代に面白がったのは、T.M.Revolution。これは浅倉大介が大好きだったみやもりの影響だが、
実際当時面白かったもんな。僕らにとっては「面白い」という形容詞がぴったりなんですよ、西川さんは。
「HIGH PRESSURE」以降、出すシングル出すシングルみんな面白いんだもん。「HOT LIMIT」はその頂点ね。
あと衝撃的だったアルバムとしては、ピチカート・ファイヴ『さ・え・ら ジャポン』(→2006.9.6)がある。
「日本」を多種多様な楽曲で見事に表現した作品で、これは小西康陽やりきっちゃったな、という凄みに溢れている。

ここまで振り返ってみて、スカパラにしろユニコーンにしろ椎名林檎にしろ『さ・え・ら ジャポン』にしろ、
テーマが設定されていても、一枚のアルバムの中に多様性を詰め込んだ、そういう作品が個人的には好みである。
それに比べるとYMOはアルバムごとの統一感の方が強く、アルバムごとに新たなジャンルを切り開く凄みに惹かれる。
だからYMOの存在感は、僕にとってはちょっと特別というか特殊なのである。脱皮し続けている感じなんだよなあ。


2017.3.2 (Thu.)

テストの採点が終了。今回は受験が終わった3年生の中学校生活最後のテストということで、難易度は落とさないが、
パズル的に頭を使う問題を盛り込むなど、ちょっと毛色を変えて楽しめる問題を用意した。いつものことだけどね。
しかし採点してみたらやっぱり、ダメなものはダメ。ちゃんと勉強していれば解ける問題ばかりのはずなのに、ダメ。

結局、身の程知らずが多いってことなんだなあとため息をつく。それで受験でも痛い目に遭ってしまったわけでなあ。
実力がないくせに現実を見ないで高望みをして、失敗したら他人のせい。実力をつけるチャンスはたっぷり与えたのに、
それを面倒くさがってスルーしたのはいったい誰なのかね。根拠のない過信のツケを払わされていることすら気づけない。
哀れである。自分が哀れみの対象となっていることすら理解できない哀れさ。恥知らずが本当に増えてきている。


2017.3.1 (Wed.)

『みうらじゅん&いとうせいこう 20th anniversary ザ・スライドショーがやってくる!「レジェンド仲良し」の秘密』。
昨年は電気グルーヴのドキュメンタリー映画を見たが(→2016.1.7)、今度は仏像大好きでおなじみのコンビ。
なお、ふたりは「ROCK'N ROLL SLIDERS」という名義のユニットでザ・スライドショーをやっている。

僕はきちんとザ・スライドショーを見たことがないのだが、往時の『VOW』のようなものと理解している。
もうちょっと考現学・路上観察学方面に寄ると、トマソン(→2004.12.222006.9.14)。ああいうものだろうと。
ザ・スライドショーの場合、みうらじゅんが撮影してきた写真にいとうせいこうが即興でツッコミを入れていくスタイル。
面白いのはスライドの機械も「スライ」という名前で「ROCK'N ROLL SLIDERS」の正式なメンバーとしている点。

ザ・スライドショーはみうらじゅんを中心として、2つのボケとツッコミという二重構造から成り立っている。
まず、みうらじゅんが彼ならではの感性と観察眼というフィルターを通して森羅万象から対象を拾い上げてくるのだが、
この時点ではその対象がボケということになり、その違和感に気づいたみうらじゅんがツッコミということになる。
しかしこれを写真として採取した瞬間、役割が見事に変わるのだ。みうらじゅんは対象の代弁者としてボケにまわり、
いとうせいこうが観客の代弁者としてツッコミを入れるのである。このみうらじゅんのツッコミからボケへの転移こそ、
ザ・スライドショーの肝である。ツッコミとして対象を採取して紹介する行為であれば、正直なところ誰でもできる。
しかし対象の側へとのめり込んでしまう、物への極度な愛情を持つみうらじゅんだからこそ、ショーとして成立するのだ。
(上で述べたように「スライ」を正式なメンバーに数えている点こそ、みうらじゅんの奇妙な愛情を的確に示している。)
なお、いとうせいこうのツッコミの巧拙は僕にはよくわからないのだが、みうらじゅんが絶対的な信頼を置いている以上、
それでいいんだろうと納得するよりない。もはやいとうせいこうにツッコんでもらうためにやっている面もあるようだし。

映画の中でも言及があったが、冷静に考えるとおかしなコンビなのである。いとうせいこうは早稲田から講談社に入り、
バブルの最先端をスイスイと進んできたエリートの業界人。それに対し、みうらじゅんはずっとアングラの漫画家だった。
クラスのカーストでいえば生徒会長と帰宅部よりも差のあるふたりだ。それがお互いの親を紹介するほどの仲になるとは。
「レジェンド仲良し」を自認するほどの関係になるとは。この映画ではその友情が成り立ってしまった純粋な好奇心が、
微笑ましさたっぷりににじみ出ている。僭越ながら、なんかオレとマサルを見るようだなーとちょっと思った。
おそらく、この映画を見た人は「ああ、オレとあいつ」と思い当たる相手がいるんじゃないか。このふたりは極端な例だが、
そういう種類の「交差すると思わなかった意外な友情」をほっこり思い起こさせてくれるのは、うれしい誤算だった。

とはいえ、これはあくまでドキュメンタリー。いちばん面白いのは間違いなく、ザ・スライドショー本体なのである。
次の機会にはぜひザ・スライドショーの本番を見にいきたい!と思った。これは無理してでも見にいきたいねえ。


diary 2017.2.

diary 2017

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