本日は運動会ではなくて体育祭の予行である。まあ大した違いはないのだが。
いきなり障害物競走の担当者にさせられて、何もわからないまま「担当者なんだから指示を出せ」と要求されて、
「この学校で例年やってたルールをまだ知らねえのにできるわけねえだろ」と返していた私なのであったが、
実際に動いてみてようやくイメージができた。そもそもそのための予行なんだから、そんなもんである。
確かに僕には自分の中でイメージがつかめないと一歩も踏み出せない性質があって、そこが弱点なのも理解しているが、
どうにもならんものはどうにもならんのだ。自分の中でどうにもなっていないものをスタートさせるほど無責任ではない。
今日の予行でようやくスタートの切り方がつかめた。そうなりゃ、あとは着々と作業を進めていくだけである。
異動したからには何かひとつ、授業でも新しいことにチャレンジしてみよう!と思ったわけで。
前々から構想を練っていた、教科書のCDをぜんぶiPodに入れてしまってbluetoothスピーカーで流す作戦を実行する。
思いきってiPod nanoを購入し、教科書から問題集までありとあらゆる音声データをiTunesに入れてnanoにも入れる。
それを自分の持っているBOSEのMicro SoundLink Mini IIで再生してみたのだが、思った以上に便利である。
問題はnanoの操作性で、たまに機嫌が悪くてつながりづらくなる点と、一時停止時の素早いタッチの認識がやや甘い点。
まあ慣れていけばなんとかなる範囲なので、しばらくいろいろ試行錯誤してみることにする。面白がっております。
メンタル的にもフィジカル的にもキツい状態で一週間が始まったが、どうにか無難に乗り切った。自分を褒めてあげたい。
というわけで、帰りにいつもと違う駅の近くで金沢カレー(加賀カレー)をいただいてしまうのであった。
異動は面倒くさいが、前向きに捉えて積極的に情報収集をすれば、新たな発見があちこちにゴロゴロと転がっている。
それまでの決まりきった生活とはまた違う冒険が、疲れの中でも張りを与えてくれる。そんなことを思いつつ食べる。しかし金沢カレーも店によって確かな違いがあって面白い。東京で食べられる店でも十分、食べ比べができそうだ。
日記のネタとして、なかなか興味深いではないか。ぜひ近いうちにやってみたいと思います。お楽しみに。
前任校は夏季大会予選リーグの真っ最中で、ようやく予定が合ったので応援に出かける。
先週は5人しか生徒が集まらずにまさかの不戦敗という体たらくで大いにずっこけたが(→2017.5.21)、
今週は9人も集まって試合が成立したよ! ヤッタネ! ……っておい! 11人揃わないのかよ!!
2ヶ月ぶりにコーチにお会いして、いきなりそんな先制パンチを食らったのであった。よろけたねえ。
しかしコーチも顧問の先生も、相手より2人少ない状況だがどこか余裕を感じさせる口ぶりである。
それだけ前の試合がいい内容だったようで、チームの仕上がりぶりには一定の自信があるようだ。試合が始まると、確かに生徒たちは見違えるほど積極的なプレーを連発。数的不利でも相手をしっかり押し込む。
人数が足りないので逆サイドにボールが出ても人がいない、という残念な攻撃が続くが、リズムは非常にいい。
守備でも相手のカウンターを落ち着いてつぶす。GKも風格を感じさせるプレーぶりが出てきたではないか。
体が小っちゃい生徒も相手のプレーを止めるわ的確なパスは出すわで、「おおお」と思わず唸ってしまった。
CFに入った生徒もひ弱な印象から一転、ターゲットとしてしぶとくプレー。チーム全体が着実に成長している。
前半はスコアレスだったが、後半の給水タイム直前にCKからのボレーが決まってこちらが先制すると、
足が止まった相手を面白いように突き崩して点をもぎ取っていく。終わってみれば4-0の完勝なのであった。お見事!僕がいたときには、競らない、スペースに走らない、声を出さない、そんな3拍子のチームだったのだが、
それらの弱点を完全に克服して、実に応援しがいのあるサッカーをやっている。本当にたくましくなったものだ。
こういう魅力的なサッカーができるんなら去年からやってくれよと思うのだが(自分の指導力が不安になる)、
先生がいなくなることで生徒が奮起する事例も今まで実際に見てきたので、そっちのパターンだと信じたい。
いやもう、本当にいいものを見せてもらったなあと思います。人に勇気を与えられるサッカーでしたよありがとう。
『けものフレンズ』一挙放送をすっかり忘れて寝っこけておりました。世間についていけてない。
昨年と比べると劇的に授業数が減っているはずなのに、ずーっと仕事している状態が続く不思議。
確かになんだかんだで余裕は感じられる程度ではあるのでそこは助かるんだけど、ずっと何かしらやっとるね。
結局、定期的に行事が入ってくるので、平常作業のほかにやるべきことがつねにあるのだ。貧乏暇なし。
何が驚いたって、明治のカールが東日本で販売終了になるというニュースだ。これぞまさに青天の霹靂。
確かに最近はカールを食っていない。そもそもスナック菓子を食う習慣がないから。食うタイミングがつかめない。
しかし私がどれくらいカールを愛しているかというと、富士登山の際に大気圧の変化をこの目で検証すべく、
わざわざ持っていったお菓子がカールなのである。しかも2回ともだ(→2012.7.15/2013.8.6/2013.8.7)。
つまり「袋に入っているお菓子っていったらやっぱりカールだよな!」という意識があるからこそのカールなのだ。
このカール、どっちもわざわざ選んでカールを買っているんですよ。ほかの装備と一緒に必需品として買ったのよ。
僕にとって袋に入ったスナック菓子で、真っ先に思いつくのはカールなんだもん。それはもうみんなそうでしょ?
だから、本当は生産終了も視野に入るほど売り上げが落ちていた、という話にはショックを受けざるをえない。
西日本では意地で販売を続行する、という状況をポジティヴに捉えないといけないのがつらい。今でも信じられない。
いつまでもあると思うな、親と金とカール。それにつけてもおやつはカール♪ともう歌えないなんて。
わざわざ西日本まで行かないとカールおじさんに会えなくなるなんて。日常が失われる悲しみを噛み締めております。
時間割編成をしてくれる便利な小人さん状態ですよ。次から次へと「こうならないか」という話が湧いて出てきて、
そのたびにその日のうちにどんな要求も実現しとるもんね。自分で自分に呆れるくらいの便利な小人さんぶりである。以前も書いたように、時間割編成は囲碁・将棋のような空間的な感覚を要求される仕事なので(→2015.4.13)、
できる人(ほとんどいない)とそうでない人(ほとんどみんな)の差がものすごく激しい。というよりむしろ、
もうこれってできる人専門の仕事になっちゃうんですよ。誰にでもできる仕事ではない専門任務、という認識。
僕としてはそんな才能なんてまったくいらないので、もっと他のところに分配したいんだけど。なんとかならんか。
近所の学校と合同の研修で、ありがたい講演を聴く。話の内容はまあ許容範囲で、それなりに平和な気分で解散。
もっと旅をしたい、もっと本を読みたい、もっと映画を見たい、もっと音楽を聴きたい、
もっと面白い自分でありたい、もっと賢い自分でありたい、もっと魅力的な自分でありたい、
限られた時間を制御し、つねに好調を保ち、やれることをすべてやり尽くす、望むことはそういうことだ。
欲の深さを肯定して、かつ満足できる人間になりたい。そして最後に「吾唯知足」、そう言い切ってみたい。
前任校の試合に応援に行こうとしたら、修学旅行の疲れなどによる体調不良多数で不戦敗とのこと。……おい!
午前中は日記を書きまくり、午後は部活。その後は渋谷に出て買い物をして、スタ丼を食って帰る。
めっちゃくっちゃにいい天気で旅行に出られるものなら出たかったが、異動初年度はなかなかそうもいかない。一時期、旅行に対する欲が急激に落ちたのだが、お勉強終了の見通しが立ってから熱がぶり返してきた。
ちょうど昨年の夏休みの旅行を日記で追体験しているところで、その影響が大きいのかもしれない。
昨年の夏休みは力の限りあちこちに出歩いていて、自分でも呆れるほどだ。ようこれで単位を取っていたなあ。
どうやら今年の夏は思っているほど休めそうにないので、旅行のルートを厳選する必要がありそう。
まずは日常を充実させつつ、旅行もしっかりと楽しむ、と。一日たりとも無駄にすることがないように。
よーし、艦これやめるぞ! やっぱり手間のかかる運ゲーはつらい。育成の要素は楽しいんだけどねー。
何年ぶりになるのかわからんが、新しいシェーバーを買っちゃったもんね。けっこう奮発してしまった。
しかしおかげで髭剃りの調子が非常にいい。毎日ストレスなくヒゲが剃れるって、地味だけどうれしいことなのだ。日常生活でよく使うものほどきちんとお金をかけた方がいい、つまり生活の満足度が上がることは経験的にわかっている。
たとえば醤油、たとえばシャンプー、たとえば歯磨き粉。買うときには高い値段だと感じても、分母が大きいので、
一日あたりの値段としては実はほとんど安物と差がない。それなら毎日安物でみじめな生活を続けるよりは、
ほとんど変わらない値段できちんとした物を使う方が豊かな生活となるのではないか。そう思うのである。
これは「塵も積もれば山となる」の逆となる考え方で、だから金が貯まらないのも事実だが、毎日を充実させるコツだ。
まあそもそも、「豊か」とはお金をたくさん持っていることではなく、お金の使い方が上手いということだ。
本当の金持ちとは、単純にお金を持っている人ではなくて、お金の使い方をよく知っている人のことなのだ。
そうして「金は天下の回り物」をきれいに実践してみせる。こっちもできる範囲でそれをやっていきたいじゃないの。
SNSをテーマとした道徳の授業を見学させてもらった。それでいろいろと考えてしまった。テーマとしては、
すべての人間の言語において、「話し言葉」と「書き言葉」がどうしても一体のものとならない不思議についてである。
口語は口語で独自の世界を構築し、文語は文語で独自の世界を構築する。そしてこれらがどうしても一致しない。
なぜそうなのか。なぜ同じ言語であっても、「話し言葉」と「書き言葉」でズレが生じてしまうのか。ラテン語やサンスクリット語は宗教を通じて知識を共有するベースとなったし、中国文化圏には漢文が広がった。
漢文は書き言葉として洗練・完成されたもので、魯迅なんかはそこからの脱却で白話運動をやっていたわけで。
これらのような「書くためだけの言語」が、洋の東西を問わず教養の源泉として機能する点は非常に重要である。
そしてもう一方でアイヌ語のように、文字を持たないゆえに「話すためだけの言語」もまた存在している。
こちらはこちらで知識・教養を口承で蓄積しているが、それが民族を超えることはなかった。実に対照的である。
サンスクリット語はまだ母語とする話者がいるらしいが、ラテン語も漢文も現実の生活で使われることはもうない。
つまりは、「書くためだけの言語」は誰にとっても平等に他者の言語であるからこそ、教養の母体となれるのだろう。
むしろ日常的な話し言葉というノイズを排除できたところにこそ、「書くためだけの言語」の本質的な価値があるのだ。なお、日本語でも文語と口語のズレは大きいものだった。もともとはアイヌ語と同じく文字を持たない言語だったが、
漢字の輸入とひらがな・カタカナの生産により「書かれる日本語」が発生する。やがて明治時代に言文一致運動が起こり、
文語がかなり口語の側に寄る。戦後はつづりが実際の発音と一致する形となり、さらに口語に近づくこととなった。
この影響でわれわれは、「話し言葉と書き言葉はまったく別物である」という本質をすっかり忘れてしまっているのだ。
その摩擦が最も激しく現れている最前線こそSNSであり、われわれは本質から離れてただ混乱しているだけじゃないのか、
そう思ったのである。同じ言語だから錯覚しているだけで、「話し言葉」と「書き言葉」は絶対に一致しないものなのだ。
なんだか当たり前の結論に戻ってきてしまったが、しかし今は日本史上最もこの当たり前が忘れられている時代である。「書き言葉」で重要になるのは、相手に誤読させない技術である。受け手にどれだけの純度で意思を伝えられるかだ。
それに対し、「話し言葉」で重要になるのは、時間を共有するライヴでの共鳴である。つまり、目指すところが違うのだ。
同じ言語であっても目的がまったく異なっている。時間や空間という制約を前提としてそれを超えようとする「書き言葉」と、
時間や空間を同じくする相手とのコミュニケーションに特化した「話し言葉」は、そもそもの目的が正反対なのである。
時間を共有しても空間を共有しない電話での会話で「話し言葉」がうまく活躍できないのは、至極当然のことなのだ。
われわれはその違和感をとりあえず気にしないでいるが、通信技術の発達はその鈍感さを助長する結果となっている。
この混乱を解決する最も理知的な方法は、文語の復権にあるだろう。「話し言葉」の限界をきちんとふまえた上での、
通信技術の発達に対応した「書き言葉」の更新。そのことを理解できるだけの頭のない者に、SNSは向かないってわけだ。
(ちなみに東工大の大学院でやった「言説編成」は、相手に誤“読”させない「話し言葉」の技術を磨く授業だった。
現実的で現代的な問題意識だ。→2001.10.19/2001.11.9/2001.12.7/2001.12.14/2002.1.10/2002.2.1)まあこれは、英語教育に何を求めるか?という話にもつながっていくんだけどね。
「話し言葉」のことしか考えないバカに、「書き言葉」の教養の世界は理解できないだろう。薄っぺらい世の中である。
昨日の疲れが出て、授業がいつもより少ないにも関わらず、なかなか思うように動けなかったのであった。
それにしても、そろそろ旅行の計画を練りたい気分である。今年どうしても行ってみたいのが、十津川。
日本一長い路線バスで縦断しつつ玉置神社とか、余裕があれば田辺に出て和歌山の市役所つぶしとか、どうなんずら。
あれこれ可能性を探ることで、どうにか気晴らしとしております。それくらいしか楽しみがないのよね……。
3年生が修学旅行で、本日はだいぶ楽ができた。まあ実際はプリントづくりや臨時時間割編成で休憩がなかったけど。
……授業がなくなったのに休憩がないほど働いているって、これってけっこうヤバい状況なのでは? 実に不思議である。
昨日の調子の良さをそのままに、午前中はリポートの下書き作業。実際にリポート用紙を使ってしまって、
図も入れながら書いていく。この作業をやることで、クオリティがしっかり上がるのだ。念には念を入れるというわけ。
そして午後は清書作業。この際、一気に片付けてしまおうという魂胆である。図以外の本文を先に仕上げる。
夜になって図の描き込みに入るが、細かい部分まで丁寧に手をかけるので、結局最後までは終わらなかった。
でもまあ、あともう少しで完成というところまでこぎ着けたのでヨシとする。ものすごいエネルギーをかけております。
GW明けのつらい1週間をどうにか乗り切ったが、週末は週末で部活なのである。雨の予報なのに。トホホ。
まあでも生徒のやる気があるんならしょうがない。雨が激しくなるまで2時間ほど練習をやるのであった。
内容が以前よりは良くなっているので褒めて、あとはボールを相手より遠い方の足で持つように指導して解散。しかしその後も僕の修行は続くのである。広尾に移動して昼飯を食うと、都立中央図書館でリポートづくりを開始。
懸案の国際法はしっかり良い評価をもらって無事に単位を取れたので、あとは経済学のリポート1本だけとなったのだ。
いよいよラストスパートである。苦手の経済学だが、じっくりやれば倒せるラスボスということで、集中して取り組む。
結果的に閉館まで4時間くらい作業していたのだが、あまりに集中していたので時間経過をまったく感じなかった。
特に最後の1時間は脳みそがかなりの疲労状態だったけど、それを上回るキレ具合なのでやってて楽しかったねえ。
細かいところを確認するのは落ち着いてからとはいえ、これで目処が立ったという確信が持てて満足して帰る。で、最後は21時まで日記。自分でも呆れるほどにストイックな生活であります。
PTA歓送迎会が職場近くのホールで開催されたのであった。思ったより規模が大きくて緊張しまくりよ。
ある保護者の方とはなぜか北九州トークでめちゃめちゃ話が盛り上がって、ああ旅行しておいてよかったなと。
全都道府県制覇のいいところは、国内ならどんな人とでも共通の話題を持つことができるという点にある。
相手がどう思っていようと、どんな土地でも褒めるところはあるものだから、それを強調すればいいのである。
北九州市役所はモダンだし、グリーンパークこと響灘緑地はバラもいいし、皿倉山の夜景もいいし、ミクスタ行ってみたい。
そんなわけで時間いっぱい、思い出の北九州(→2015.11.21/2015.11.22/2015.11.23)を褒めまくった。
日記書いている今もまた行きたくなってきたぜ。そう、旅行のいいところは、一粒でも思い出すたび味わえる点にある。
疲れがひどいの。新しい環境に慣れないままにGW中もいっぱい動きまわって部活もやって、疲労困憊である。
仕事も遊びも全力で、体を休める暇がない。というか、休む暇を惜しんでやりたい放題やっているのでしょうがない。
客観的には充実しているってことなんでしょうけど、欲張ってコケる一歩手前って気もする。気をつけなければ。
先月、GWに檜原村に出かけたとき(→2017.4.30)に考えたことを、軽く書いておこうと思う。
GWの人出は、どう考えても異様である。確かに外へ出かけるには心地よい陽気な季節ではあるのだが、
そのことを考慮しても、ここまで観光客が詰め掛けてくるものだろうか。あまりにも人が多かった。
そして混んでいるのは何も檜原村だけではないのだ。日本全国、ありとあらゆる場所が人で溢れている。瞬間、ハッと頭の中によぎったのは、マルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』の冒頭の一節である。
「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」
いや、まさか、GW中の日本には幽霊が出ているのではないか? 実際の日本の人口を上回る数の幽霊たちが、
本物の人間たちの中に混じって、ここぞとばかりに遊びまわっているのではないか? ――ふとそんな気がした。
もしかして、さっき都民の森ですれ違った家族たちは、実際には存在していない、幽霊だったのでは……?
「日本全国に幽霊が出る――ゴールデンウィークに浮かれる幽霊である」
本来ならお盆に帰ってくるはずの皆さんたちが、GWのドサクサに紛れて現世に戻って楽しんでいるように思える。
そうでなきゃ、あの人出は説明がつかないだろう。自分にはこの妄想が現実味を帯びて感じられてならない。
結局、みんな動いちゃうから狭くなるのである。……あ、サッカーの話ね。
誰かひとりが動かない勇気を持つと、広いパス回しができる!という逆説があることに気がついた。
それはつまり、適切なポジショニングがわからないということでもある。わからないから、とりあえず動いちゃう。
ボールに集まる小学生ほどひどい状態ではないものの、カウンターで簡単に裏を取られまくって練習が成立しないの。
テレビでもスタジアムでもふだんサッカーをきちんと観戦してりゃ感覚的にわかるだろ、な自分には新鮮な発見。
っていうか、試合を見ないで「サッカーが好き」と言う資格はないと思うんですけどね。モヤモヤが止まらないぜ。
GW明けはキツいなあ。しかし教育委員会もそのことを理解してか、今日は教育会の総会なのであった。
つまり、授業は午前だけで午後は出張、区内の先生が1箇所に集まって定時で解散。助かります……。出かけていった先では初任校のサッカー部でよく練習試合をさせてもらった先生にお会いしたり、
その初任校でさんざん世話になった先生が副校長になっていてご挨拶したりと、いろいろびっくり。
世間は狭い!と笑いながらしゃべる。こういうのも悪くないものだなあと思う。おかげで充実した一日でした。
本日の試合は1-1で勝ちきれず。スコアも内容も昨日よりはマシだが、組織的なプレーがゼロなんだよなあ。
ぜんぶ個人での仕掛けばかり。パス、ドリブル、ボールを失う。その次もパス、ドリブル、ボールを失う。
延々とその繰り返しである。ワンツーのひとつもやってみろってんだ。練習でさんざん言っているんだけどなあ。前任校は、コーチが前年度から継続してじっくりと指導してくれている恵まれた環境だったとはいえ、
いきなりやってきた顧問の言うことを直立不動で聴く、そういう謙虚な生徒ばかりだった(→2013.4.14)。
生活指導上ちょっと問題のあった生徒でも、サッカー部の活動中に怒ることは一切なし。尊敬できる生徒ばかりだった。
それと比べて、今回の生徒は生活指導上の問題はほとんどないし、成績も悪くない。しかし面従腹背とまでは言わんが、
こちらのアドヴァイスが右から左に抜けていっているのがわかる。私、明らかに小馬鹿にされております。
まあいきなりやってきた他人に素直に従う方が珍しいのは理解できなくもないが、それじゃ成長せんだろうにねえ。
案の定0-5でした。今回の春季大会は、引退を賭けた夏季大会前のオープン戦といった要素が強いものの、
それにしてもこれはひどい。自分の場合、大会となると自動的にテンションが上がると思うのね。
そういう「本番になると勝手に全力が出る」能力、それだけで受験から何からやりきってきた人間なので、
いつもと同じような調子で淡々とやってあっさりと負ける、そういう感覚がまったく理解できない。わからん。
部活とは難しいものだと思う。生徒たちは試合前日としての意識がぜんぜんないのな。
「本番を前に緊張していない」というポジティヴなものではなく、「本番前という認識が足りない」という方向。
その度合いは年々ひどくなっているように思う。これはもう、各学校の個性云々ではない。日本が弱っとる。
circo氏が上京してきたのであった。せっかくなので、ふたりで銀座松屋で開催中のディック=ブルーナ展へ行く。
美術館なら慣れているが、デパートの催し物でやっているものに行くのは初めてである気がする。新鮮である。正式なタイトルは、『シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン展』。「シンプルの正体」とは思いきったな。
ペーパーバックや絵本の原画、スケッチ、ポスターなどをたっぷりと展示。最後には現代のアーティストたちによる、
ブルーナからインスピレーションを受けてつくったという作品があったが、これは蛇足もいいところなのであった。ディック=ブルーナといえばオランダ、オランダといえばデ・ステイルなのだ。目立つ原色をとことん重視し、
限られた線で構成するブルーナの手法は、完全にデ・ステイルの正当な後継者だ。ブルーナにおいて完成した感じ。
グラフィックデザインとしていいねえと、circo氏とウットリ見てまわるのであった。いくら見ていても飽きない。展示を抜けると広大な物販売り場がお出迎え。なるほど、デパートの催し物はここがハイライトであったか。
ここに母親を連れてきたらどんな恐ろしいことになったか、想像する気すら起きない。凄まじい人混みにただ戸惑う。
それでもやっぱり公式カタログぐらいは買っておきたいなと思ったら、あまりに人気すぎて後日配送しますとのこと。
まあでもそれだけの価値を感じたので、お金を払って宅配便の伝票に住所を記入したのであった。そんなの初めて。展示を見ているうちはグラフィックデザインの完成度について考えさせられたのだが、終わってみれば興味は別方向へ。
それは、「アートと資本主義」という問題である。2年前に東京国立博物館でやっていた鳥獣戯画展で思ったことだが、
優れたデザイン素材は金になるのである(→2015.5.29)。草間彌生の水玉&カボチャもそうね(→2014.8.22)。
アートを評価する方法はいくつかあるが、その価値をお金という形に換算するのも非常に正当な方法である。
デザインの誕生は、産業化の進展により大衆がパトロンの地位を獲得したことによって成立したわけだが、
アートはそれ自体だけでなく、デザインという経路からもお金と結びついて価値を再生産することができるのだ。
つまり、僕らが思っているよりも本質的にずっと資本主義と相性がいいものなのだ。あらためてそれを突きつけられた。
アートはデザインという経路を抜けてグッズとなる。大量生産された芸術性のかけらを所有して、われわれは満足する。
「グッズ」という言葉は、goodの複数形という点からも、社会学的にものすごく深い意味を持っている予感がする。
恐ろしく深い思索の入口に立たされてしまった。でもそんなこと考えない人も、「良さ」は直感的にわかるもんなのよね。
せっかくのGWなので、近場でもう一丁お出かけをしてみようじゃないかと。で、大山詣りをすることに決めた。
しかしついこないだの檜原村での経験があるので(→2017.4.30)、どうせねやねやに混むことはわかりきっている。
(「ねやねや」……人出がいっぱいで賑やかな様子のこと。調べてみたらガチガチの飯田弁でやんの。)
素直にそれを受け入れて、朝から早め早めに動いて参拝してしまうことにした。夕方にはJ2湘南×山口戦を観戦。
それまでの時間は伊勢原市役所や神社めぐりをやればいいのである。実に充実した一日になりそうではないか。
L: 伊勢原駅にて。ギャー!! R: 伊勢原駅北口にある大山阿夫利神社の鳥居。長い道のりだなあ。……というわけで意気揚々と伊勢原駅にやってきたはいいが、バス停に想像を上回る行列ができていて思わず仰け反る。
しかし怯んでなどいられないのだ。最後尾についてしばし待ち、バスに乗り込むと終点の大山ケーブル停留所まで揺られる。
バスを降りると鈴川沿いの坂道を進む。すると「こま参道」という名前の道となるので、そこをじっくりと上がっていく。
大山詣りではかつて「もみじ坂」を上がっていったが、関東大震災で崩れてしまったため隣に新しい参道をつくったそうだ。
それが「こま参道」。大山名物の「大山こま」が売られていたのがその由来とのこと。「金運がついて回る」縁起物なのだ。
L: こま参道。 R: 参道はこんな感じで土産物屋が並んでいる。さすがの大山詣りだなあと感心。面倒くさいのでケーブルカーのお世話になろうかなあと思っていたのだが、GWならではの凄まじい行列を見て諦める。
さっきまで大行列で満員のバスに揺られていたのに、また大行列で満員のケーブルカーなんてたまったもんじゃない。
覚悟を決めて男坂に挑むのであった。まあその方が、いかにも大山詣でって感じがするじゃんか!と。
しかし石段は昔ながらの状態でいちおう整備されているものの、とにかく斜面の角度が急なのである。
一歩ずつ高さを増しながら上っていく感覚が、ほかの寺社よりもかなり強烈。これは正直けっこうキツかった。
L: 男坂のスタート地点。いきなり急勾配の石段で戦慄する。 C: 石段はしっかりしているが、とにかく斜面が急。
R: 男坂を行く。昔の参拝客のことをあれこれ想像しつつ、とにかく黙って足を動かすしかないのである。つらい経験を日記でネチネチ書いてもしょうがないのである。とにかく20分ほどの格闘の末、下社の前に出た。
しかしまず目に飛び込んできたのは、参道沿いの売店の暖簾に書かれていた文字である。とにかく写真を見てくれ。ル……ルーメソ……? 下の「もこみちOK」も謎だが……。
まあつまり、「ラーメン」の幟を横にして暖簾に使っていたわけだが。「もこみちOK」の方がよく見ると修正があって、
「もちこみOK牧場」という看板なのであった。これはルーメソ、わざとやっとるね。そうなるとなんか興ざめだなあ。
L: というわけで大山阿夫利神社・下社に到着である。ケーブルカーだと一気にここまで来れるけど、それは味気ないなあ。
C: 石段を上って鳥居をくぐる。GWだから参拝者マシマシね。 R: 境内の様子。みんな登山の格好で、奥社を目指す模様。できれば人の並んでいないスッキリした写真を撮りたいが、GWでそれは無理なのだ。さっさと写真を撮ってまわり、
二礼二拍手一礼を済ませると御守を頂戴する。それにしても、境内から眺める相模湾はめちゃくちゃ絶景なのであった。
L: 大山阿夫利神社・下社の拝殿。 C: 角度を変えて眺める拝殿。 R: 境内から眺める相模湾。これは見事だ!なお、大山阿夫利神社の「阿夫利」とは「雨降(あふり)」つまり雨乞いの山であることによる(大山の別名が雨降山)。
いかにも日帰り登山客っぽい人ばかりなので、どうしてもそっち目的の山という印象が強く残ってしまうのだが、
社殿の規模や各種寄進物を見てみると、落語の演目となるほどの人気を博した信仰の舞台としての威厳がものすごい。
L: 大山獅子。日本三大獅子山と刻まれていた。獅子山は神田明神も有名らしい。千葉神社もすごかったな( →2016.12.25)。
C: 拝殿脇、「川越」という大きな鋳出し文字のある天水桶(上に載るのは玄蕃桶)。なるほど、大火( →2008.8.19)か。
R: さらにまわり込んで、下社の本殿を眺める。堂々たる拝殿に比べ、付属物って感じがちょっと強いかなあと。ではいよいよ、本社・奥社に向けて登山を再開するのだ。下社の社殿の脇に登拝門があるが、面白いのはその手前、
お祓いをする入山祓所がある。そこで100円を納めるのだが、道中安全御守が置いてあるのだ。ありがたく頂戴する。
L: 拝殿の脇を抜けると入山祓所。ここで道中安全御守を頂戴するのだ。登山で捻挫はもう御免なのだ。
C: 登拝門。鳥居と冠木門が合体していて面白い。 R: くぐるとまたしても急な石段。気合いを入れて上っていく。下社までは石段だったが、ここから先は純粋に登山道。しかも土の中に地味に岩が埋め込まれている感じで、
かつて捻挫した足にはちょっと面倒くさい。また、岩場は岩場で角度の安定しない岩ばかり。ちょっと厄介だ。
それでも途中で見える富士山の威容には惚れ惚れしてしまった。なるほど、これも含めて大山は聖地ってわけか。
L: 登山道は土に岩が混じる面倒くささ。 C: 途中の富士山に圧倒される。 R: 岩場。実に面倒くさい。そんなこんなで登拝門をくぐって45分、立派な銅造の鳥居が現れる。ほどなくして今度は石造りの鳥居と社殿。
これは髙龗神を祀る前社で、さらにその先には大山祗大神を祀る本社がある。無事に到着できて一安心である。
L: 立派な鳥居が出現。やはり大山阿夫利神社は篤い信仰に支えられている。 C: 鳥居と前社。 R: その先にある本社。本社に参拝すると、頂上本社限定の御守を頂戴する。いやあ、よかったよかった。喜びもひとしおなのだ。
さらに奥へとまわり込むと、大雷大神を祀る奥社と展望スペースがある。人が多くて撮影がなかなか大変。
L: 本社の拝殿。 C: こちらが本社の本殿。 R: いちばん奥にある奥社。「奥の院」と書いてあるけど、奥社。いつかやってやろうと思っていた大山詣りが果たせて満足である。こういうものだ、と実感できるようになってうれしい。
しばらく景色を眺めて悦に入っていたのだが、次から次へと登山客がやってきてなかなか落ち着かないのであった。
L: 社殿の脇にある大山山頂の標識。 C: 山頂もあんまり余裕がない感じ。 R: 景色はさすがに見事である。では下山なのだ。さっきも書いたが足場はあまりよくない山なので、往路とそんなに差がない時間がかかった。
下社に着くと、せっかくなのでさっきは行かなかった二重社・二重滝にも行ってみた。なかなか涼やかな場所だった。
L: 二重滝。なかなか涼やかである。 R: すぐ近くの二重社。往路は男坂を上ってきたので、帰りは女坂を下ることにした。すると大山寺の境内に裏から入っていたのであった。
あらためて正面側に向き直ると、実に見事な本堂なのであった。廃仏毀釈の影響で1885(明治18)年の再建だが、
これまた大山詣りの人気ぶりをうかがわせる。よくこんな狭苦しい場所につくったもんだと、その点でも感心する。
L: 女坂を下っていたら大山寺の本堂裏に出た。 C: 正面にまわり込むとその威容に圧倒される。
R: さらに奥の方へとまわり込みつつ振り返って眺める本堂など。境内が狭いので堂宇の配置がややこしい。大山寺の山号はズバリ「雨降山(あぶりさん)」。先ほどの大山阿夫利神社も鋳造の寄進物が目立っていたが、
こちらも銅造の宝筐印塔がかなりの迫力である。なお、御本尊は珍しい鉄造の不動明王で、重要文化財とのこと。
L: 銅造の宝筐印塔。 C: 本堂へ向かう石段も物が多くて迫力がある。 R: 来迎院客殿。これまたすごいなと。以上で大山詣りは完了である。バスは伊勢原駅へと戻っていくが、素直にそのまま駅まで揺られる僕ではないのだ。
大神宮前のバス停で下車する。そう、目的地は伊勢原大神宮。伊勢原市は大山阿夫利神社が圧倒的に有名だが、
そもそも「伊勢原」という地名は、ここに伊勢神宮が勧請されたことによる。そしてその神社こそ、伊勢原大神宮なのだ。
L: 伊勢原大神宮。駅からの道がカーヴする箇所にあり、境内の形は独特。 C: 鳥居を抜けると開放感のある境内。
R: まっすぐ進んで拝殿へ。外宮と内宮がきちんと同じ規模で2つ並んでおり、こちらは向かって右にある外宮。この地は山田曾右衛門と湯浅清左衛門という人によって開拓されたのだが、山田曾右衛門が伊勢出身ということで、
1620(元和6)年に伊勢神宮から両祭神を勧請して神社が創建されたというわけ。すっきりはっきりした由来である。
律儀に外宮と内宮を分けて祀っているのは創建以来の伝統とのこと。確かに一緒にした神明社が多いもんなあ。
L: 外宮・内宮の拝殿の間はこんな感じでつながっており、中には何個もおみくじが置かれている。
C: こちらは向かって左の内宮。 R: 境内の裏の道路に出て眺める本殿。やはりきちんと2つ並んでいる。御守を頂戴すると、現代の伊勢原の中心部である伊勢原市役所を目指す。県道63号でそのまま東へ行くのだが、
近道をしようとちょっと踏み込んだら、道は旧来の農地の間を抜ける形になっており、かなり複雑なのであった。
どうにかこうにか抜けると急にヒューマンスケールを超えた感触の一大行政エリアとなっていて、市役所が見えた。
近くには図書館と子ども科学館や市民文化会館、奥には病院もあって、合わせて大規模に開発されたことがよくわかる。
L: 伊勢原市役所。一大行政エリアの中心となっている。 C: 少し近づいて南西側より撮影したところ。
R: スケールが大きくて撮影するのが大変。道を挟んだ南側にある行政施設に踏み込みながらカメラを構える。伊勢原市の公式サイトによると、伊勢原市役所は1977年の竣工とのこと。北側にある市民文化会館は1980年竣工で、
別の年表では西側にある伊勢原郵便局は1976年完成という記述があった。やはり一体的に整備されたのであろう。
なお市役所北西の図書館・子ども科学館は、やや遅れて1989年にオープンしている。ビッグプロジェクトだったのだ。
L: まわり込んで南東側より撮影。 C: 病院の手前、東から見たところ。 R: 北東側。なかなか複雑なのだ。建物の印象としては、規模が大きいので1980年代に入り込んでいる感触がある。77年というのは少し意外だった。
よく見ると全体は3つのブロックからなり、南東側の高層棟と北東側の立方体を西側のピロティ建築でつないでいる。
さらにピロティの内部はガラスで囲むことでホール部分をつくっているわけだ。当時は先進的な事例だったと思う。
L: 北西側に抜けたところ。ピロティが大規模。 C: ちょい北の西側。感覚的にはこれは正面ということになるのか。
R: ちょい南の西側。これで一周が完了。複数の棟をつなぐやり方がわりと先進的。どこが設計したのか気になるなあ。敷地の南側には、市役所よりも古い造りの施設が今も分散して建っている。伊勢原の歴史は江戸期の開拓以来だが、
どういった形で都市化してきたのか、きっちり追ってみると面白そうだ。The 郊外社会って感じなんだろうなあ。こちらは分室。市役所の南側にはこんな感じの建物が複数ある。
いちおう、市役所周辺の施設群の写真も貼り付けておく。面白いのは市役所と市民文化会館の間にある食堂。
独立して存在しているのである。2014年にリニューアルして「お食事処 しいの木」となったそうだが、
夜は居酒屋としても営業しているとのこと。ヤマザキYショップも入っており、だいぶ便利そうな感じ。
L: 駐車場越しの図書館・子ども科学館。 C: 市民文化会館。市役所とホールを並べるのは1970年代後半によくあった手法。
R: 市役所と市民文化会館の間にある食堂は、厳密には市民文化会館の併設とのこと。カフェテリア方式で気軽に利用できる。伊勢原市役所を後にすると、10分ちょっと歩いて駅まで戻る。いやあ、なかなかの大冒険であった。
昼メシをしっかりいただくと、駅のカフェで日記を書いて時間を調整し、今度は南口に出てバスに乗り込む。
便利なことに、平塚駅行きのバスに揺られれば、平塚競技場の近くまで連れていってもらえるのである。
というわけで、いつもと反対側から優雅にスタジアムに入ると、湘南×山口をじっくり観戦なのだ。
L: うーん平塚。このピッチまでの遠さが切ないのよね。 C: 道具で役割を表現する審判団の表示が面白い。
R: 湘南名物の円陣からのダッシュ。ここから3-4-2-1のフォーメーションに散らばっていくのが様式美。山口といえば、上野監督による超攻撃的なサッカーである(→2016.4.3)。対する湘南も攻撃志向が強い。
どっちもガンガン攻めたがるチームなので、どれだけ激しいゲームになるのかと大いに期待しながら観る。
昨年観た山口の試合は相手がカウンター志向の讃岐だったので、つないで攻める姿勢がよけいに強調されたと思うが、
相手が湘南であっても山口はひるむことなくパスをつないでいく。ただ、縦パスで速く攻めるというよりは、
サイドも使いながらワイドに前進したがる感じ。しかしクロスを上げる意識はあまりなく、やや中途半端な感触もある。
湘南は手堅い守備で山口のチャンスをつぶし、余裕のある印象。山口にとってはストレスの溜まる展開が時間が経過。
L: 湘南はCFジネイにとにかくボールを預ける。かつてはウェリントンが打開役だったが、彼に比べてジネイはやや弱い印象。
C: 相手陣内、サイドの深い位置でつなぐ山口。シンプルにクロスを上げる気はないようで、湘南の守備につぶされていた。
R: 山口はディフェンスラインもつないでかわそうとする。湘南はショートカウンターを狙い、危ない場面も何度かあった。すると前半終了間際、湘南がセットプレーから得点する。CKのボールを山口のGKがクリアしきれず逆サイドへ。
これを落ち着いて菊地が蹴り込んで湘南が先制点を奪った。時間帯もいいし、湘南の試合巧者ぶりがうかがえる。
L: ゴールシーンを連続写真で。湘南のCKに対し、山口GKが必死のパンチング。しかしこれがかすってしまう。
C,R: これをファーにいた菊地が落ち着いて蹴り込み湘南が先制。山口は5人ほどブロックしようとしたが時すでに遅し。後半も山口はつなぐサッカーで攻め込むが、得点を奪いきるほどの迫力がイマイチみられない。
まあそれは湘南の守備が粘り強いということなのかもしれないが。山口には去年ほどのギラギラ感がないのだ。
それもしょうがない話で、岐阜に移籍した庄司(→2017.3.19/2017.3.25)を筆頭に、主力のほとんどが流出。
そんな状況でもパスサッカーを再構築しようとしているところなのだ。地方J2クラブのつらいところである。
L: 後半も山口はサイドをつないで抜けようとする。が、中央に君臨した庄司(→2016.4.3)の穴を埋めきれていない。
R: 試合終盤には惜しいところまで攻め込むものの、湘南の守備陣は最後まで集中を切らすことなく対応してみせた。終盤に攻め込む山口はゴール前のいいところまで入り込むのだが、最後の最後で精度に欠けるプレーを連発。
対照的に湘南は、ウノセロでいいやと割り切って守備に集中。山口は消化不良な感触を抱えたまま敗れてしまった。
なお、山口はこの20日後の5月23日に上野監督の退任が発表された。去年の試合内容の良さを考えると、
調子が上がらないとはいえ上野監督を手放すのはかなりもったいないように思うのだが。我慢できなかったんかなあ。
L: 試合終了後、湘南の選手と山口のGKが熱い抱擁。移籍の多いサッカー界、いろいろあるんだろうなあと思う。
C: アウェイゴール裏に挨拶する山口の選手たち。お疲れ様でした。 R: メインスタンドに挨拶する湘南の皆様。捻挫のトラウマと戦いつつも、大山詣りに神社に市役所にJリーグにと、今日もしっかり無事にすべてをやりきった。
お毛が(怪我)なくっておめでたい……なんて具合に、坊主頭じゃないけど無理やりオチをつけて今日の日記はおしまい。
自転車安全教室である。スケアードストレイトでスタントマンが危険なシーンを実演してくれるやつ。
こっちの学校でもやるんだなと、だいぶ浸透していることを実感。まあ百聞は一見に如かずだもんな。
しかし今日は天気が良すぎて、直射日光がとってもつらかった。炎天下で本当にお疲れ様でした。
新しい環境で1ヶ月経ったが、案の定やっぱり神経を使って疲れてしまう毎日である。
別に環境に不満があって疲れているのではなく、「相手に合わせる」ことを徹底することから疲れが生じるのだ。
「相手にとっての当たり前」が「こちらにとっての当たり前」とまったく異なっている部分がどうしてもあるわけで、
そこを慎重に探ることにまず疲れ、次いで相手に合わせることに疲れ、自分の中で馴らすことにまた疲れる。
とにかく折れて折れて折れまくる。この作業が地味ながら延々と続くことになるので、正直けっこうまいっている。
僕という人間は、みなさんが思っているほど強情ではなくて、譲るべきところはそれなりにきちんと譲る人間なのだ。
ただ、絶対に譲らない部分が頑丈かつ目立つので、強情なイメージの方が強いのではないかと思う。損じゃのう。
実際のところは85%くらいまでは平然と譲っちゃう人間なのだが。残り15%を何があっても守りきるだけでねえ。
で、僕はこの85%をできるだけスムーズに相手と接続しようとするので、環境が変わると負荷が本当に大きいのだ。意外なところでボディブローのように効いているのが、授業で使う教科書の違いである。
英語という教科の宿命は、教科書が変わると教える内容が完全に変わってしまう点にある。これがつらい。
文法の順序は大差なくても、登場する単語の順序が違っちゃうのでプリントをゼロからつくり直すことになる。
おまけに他の先生方と歩調を合わせるのがまた大変。3人体制で教科書に慣れていないのが自分だけという状況で、
今回はこの部分でいつも以上に神経を使っているのである。しっちゃかめっちゃかでございますよ、もう。