diary 2011.1.

diary 2011.2.


2011.1.31 (Mon.)

単語テストをやっていて気がついたのだが、中学生連中は「movie」を「動画」と訳すのである。
僕らは「movie」といえば「映画」しかなかったのだが、動画という概念を映画よりも優先する世代が現れているのだ。
これはちょっとショックなのであった。つーか、動画ばっかり見てないで勉強しろよと言いたい。


2011.1.30 (Sun.)

ここんとこ、週末が見事にサッカー漬けだったので、久々の休みは思う存分自由に過ごそう!と決めていた。
で、何をしようかいろいろ考えてみたのだが、なんとなく美術館に行きたいなあという気分になったので、行くことに。
大物の美術館で行ったことがないところがいいなあ、ということで考えた結果、東京国立近代美術館に決定。

東京国立近代美術館は皇居の近く、北の丸公園にある。というわけで、皇居方面へと自転車を走らせる。
日曜日ということでちょうどパレスサイクリング(→2001.7.8)が実施中。その中に混じってのんびり竹橋まで行く。
そしたら当然、目の前にパレスサイドビルが現れるわけで、デジカメで撮影。日建設計・林昌二の名作だ。
なんといってもファサードのサッシュがかっこいい。皇居に面した建物の中では群を抜いてすばらしいと思うのである。

  
L: パレスサイドビル。1966年竣工で、毎日新聞がメインのテナント。竹橋駅と直結してレストラン街などもある。
C: ファサードのサッシュを撮影。  R: 竹橋を渡って振り返って撮影。円筒のコアがやっぱり非凡だと思う。

さて竹橋を渡ってすぐにあるのが東京国立近代美術館なのだが、この施設、ご存知のとおり2ヶ所に分かれている。
本館は竹橋を渡ったところにあるのだが、もうひとつの工芸館が首都高の代官町出入口の辺りにあるのだ。
まずは先に工芸館から訪れてみることにする。工芸館の建物は陸軍技師・田村鎮(やすし)が設計した近代建築。
1910(明治43)年竣工で、かつては帝国陸軍近衛師団の司令部庁舎として使用されていたのだ。
中では「現代の人形―珠玉の人形コレクション」という企画展が開催されており、のんびり見てまわる。
さまざまな作風の人形が並んでいたが、僕が最も圧倒されたのは平田郷陽の作品。
人形ってのは個人の好みによって評価がずいぶん変わるんだろうなと思った。人の数だけ好みが分かれそうだ。
あともうひとつ印象的だったのは、展示スペースに何種類もの名作椅子がさらっと置いてあったこと。
美術館の中に椅子があるのは珍しくないのだが、名作椅子を付け合わせとしてとても上手に使っていたのは独特だった。

  
L: 東京国立近代美術館・工芸館。  C: 角度を変えて撮影。  R: 階段を上がったところにある2階ホール。名作椅子がさらりと並ぶ。

工芸館を後にすると、途中にある科学技術館に寄り道する。
北の丸公園はけっこういろいろな施設があるもんだなあ、とあらためて思う。
科学技術館は平山嵩の設計で1964年に開館。宇宙に散在する星をイメージしたという六角形の星の穴で、
建物が覆われている(この六角形の星の穴はぜんぶで22392個もあるんだってさ)。
科学技術や産業技術を紹介する施設ということで、国立科学博物館や名古屋市科学館(僕にはおなじみ)を想像し、
中に入る。するといかにも昭和っぽい薄暗い無機質な公共施設の雰囲気。といってもそれは懐かしさを喚起するものだ。
まずは売店があったので見てまわるが、なかなか魅力的である。思わず「はやぶさ」のクリアファイルを買ってしまった。
その奥にいよいよエントランス。家族連ればっかりで気が引けたが、思い切って入館するお一人様の僕。

  
L: 科学技術館。  C: 六角形の星型の穴をクローズアップしてみた。  R: コインが延々と回って最後には落ちる。募金完了。

科学技術館の中はかなり独特だった。建物の平面は星型になっており、まずは中心にあるエスカレーターで移動する。
そして各階では星型ということで、5つの展示スペースが中心から外へと広がっている形になっているのである。
展示内容も科学技術の各テーマに基づき、企業や団体がそれぞれ出展しているという印象がした。
基本的には来館者が自分で操作するものがほとんど。ゲームっぽいものは特に人気だった。
しかし大人で独りの僕はなんだか完全に場違い。もうちょっと高度な学習ができる展示を期待して訪れたのだが、
内容はかなりお子様向けのものばかり。それにやっぱり各企業や団体の色が強すぎるようにも思う。
全体的には、ここは家族連れが暇つぶしのために来るような場所、という印象なのであった。ちょっとがっくり。

  
L: 核分裂について学ぶゲーム……なのだが、子どもにとっては単なるエアホッケーなのであった。
C: 球形のガラスに手を乗せると、そこに電気が来るやつ。昔、東急ハンズで売っていたなあ。
R: 鉄をテーマにした一角。鉄パイプをそのまま使ったすべり台がかなりの人気なのであった。

  
L: 案内をいきなりしゃべりだすロボット。本当にいきなりなのでめちゃくちゃ驚いた。っていうか、もっと美人につくれよ!
C: すっかりゲームセンター状態。  R: なぜかオオサンショウウオがいた。水をつねに流しているってことは、模型じゃないよね?

  
L: 視覚による体の錯覚を体感させるコーナー。まあなんというか、乗り物酔い的に気持ち悪くなること請け合いです。
C: このような実験室も。これいいなあ。めちゃくちゃかっこいいなあ。こういう部屋って、かなりあこがれるんですけど。
R: 科学らしく、壁には「ゲノム」について解説するマンガも。絵も上手いし内容もわかりやすいし、非常に面白かった逸品。

なんだかんだで科学技術館ではじっくりひとつひとつ見ていったせいで、思いのほか時間がかかってしまった。
体力に不安を感じながらも、ようやく東京国立近代美術館の本館へと入る。いやー、長い道のりだった。

東京国立近代美術館は1969年に谷口吉郎の設計で開館。実はこの建物ができるまでには紆余曲折があった。
当時は国有施設を新規に建設しないという制約があったため、近代美術館の収蔵庫はパンク寸前の状況だったという。
そこでブリヂストンの創業者・石橋正二郎が個人で建物を新築して、それを丸ごと寄贈してしまったのだ。
確かにこのやり方なら法的には問題がない。しかしまあ、それにしてもなんともスケールのデカい話だ。

 
L: 東京国立近代美術館本館。  R: 休憩室。平川堀越しに皇居の緑を眺めて一服とは、なかなか。

まずは企画展「日本画の前衛」展から。これは戦前~戦中における日本画界で発生した動きを、
日本画の前衛運動として振り返ろうというもの。まあ要するに、キュビズムやデ・ステイルなんかをはじめとする、
抽象画のブームが当時は世界的にあったわけで、その影響を受けた日本画を紹介する内容だった。
が、僕としては日本画のメリットを失った作品ばかりに思えて、それほど楽しめはしなかった。
そんな中で最も印象に残ったのは、水墨画にピンクの花を咲かせた船田玉樹『花の夕』だった。

常設展では明治以降のさまざまな作品が展示されており、なかなか日本美術史の勉強になる内容。
岸田劉生『切通しの写生』や和田三造『南風』など、非常に有名な作品もいくつかあって、
久しぶりに美術館でゆっくりと優れた絵を眺めることができてよかったよかった。
特に和田三造の『南風』はテレビ東京の『美の巨人たち』(この番組はすごくいい!)で扱われていたのを思い出し、
近づいたり遠ざかったりしながら、かなりじっくりと楽しませてもらった。至福の時間なのであった。


2011.1.29 (Sat.)

今日は練習試合を組んでもらったのでひたすら一日中サッカー。しかしそれもあまりいいものではなく、
最後はみんな満身創痍の状態でプレー。疲れも溜まっていたし、顧問として考えなくちゃいかんと反省。

サッカー・アジアカップはついに決勝戦、日本×オーストラリア戦だ。
オーストラリアの監督はこないだまで浦和を率いていたオジェック。それでゴリゴリのフィジカルサッカー。
パス志向の日本とはまったく対照的な相手で、世界的には日本びいきがだいぶ多かったみたい。ともかく、決勝だ。

徹底的にクロスを放り込んでくるオーストラリアに対し、日本は吉田と今野、そして川島が必死で防戦。
オーストラリアの2トップにボールが渡ってからの危ないシーンが多くって、かなり心臓に悪い試合展開だ。
日本は香川をケガで欠いた影響か、リズムのいい攻撃がなかなかできないでもどかしい展開に。
後半に入ってもオーストラリアのやり方は変わらず、日本はパフォーマンスのよくない藤本に代えて岩政を投入。
そして今野が左に入って長友のポジションが上がる。ザッケローニの大胆すぎる采配に鳥肌が立った。
その後はどちらも惜しいシーンがあったが、見ているこっちはオーストラリアの決定機が多く思えて本当にヒヤヒヤ。
延長戦に入るとその後半4分、長友が相手を振り切ってクロスを上げると途中出場の李忠成がなぜかどフリー。
左足でのボレーシュートがゴールに刺さってついに日本が先制。これを集中して守りきって優勝したのであった。
しかし李の矢を放つゴールパフォーマンスは最高にかっこよかった。全広島サポが泣いたんじゃないか。

アジアカップってのは本当にドラマティックな展開になる大会だ。負けてもおかしくない試合だらけで見ごたえがあった。
日本の優勝に至るまでの軌跡は、まさに少年マンガの主人公のようだった。完全にマンガの世界だった。
これだけポジティヴに日本代表の戦いぶりを受け止められるとは思わなかった。ザッケローニの実力は本物だ。
今後、日本代表はこのポジティヴな流れをどこまで続けて伸びていくことができるのか。本当に楽しみでしょうがない。

ところでA代表の試合をタイトルマッチに見立て、サッカーの国際試合で最初に勝利したイングランドを初代王者として、
チャンピオンに勝った国が新チャンピオン……とやっていくと、なんと日本は現時点で非公式だが世界王者になるそうだ。
先のW杯で優勝したスペインに勝ったアルゼンチンを倒したことで(→2010.10.8)、王座に就いたのだ。
あくまでジョークの類ではあるのだが、悪い気はしない。ぜひコパ・アメリカで優勝して、とことん防衛してほしいね!


2011.1.28 (Fri.)

上級生が受験で大忙しだというのに自覚のない2年生はなんとかならんもんかしら!


2011.1.27 (Thu.)

AKBの板野効果ということなのか、アヒル口になりたい女子がいて、ヒマなときに練習してやんの。
掃除中にドアの窓ガラスに口元映して練習していたら通りかかった男子にその様子をばっちり見られて顔真っ赤。
アヒル口なんてものはすでに10年くらい前に習得済みな僕としては(要するに僕も根っからの中二病なのである)、
そいつの前で「ホレホレ」なんてやって見せて悔しがらせていい気になるのであった。どっちもアホである。


2011.1.26 (Wed.)

部活中、いつも寒いんだけど今日は特に寒い!と思っていたら雪が降ってきた。
それを見て「この冬初めての雪だー!」と部員どもは素直に喜んでいるのであった。うーん、お子様だ。
まあ、喜んで騒いでいるうちが華ってことかね。


2011.1.25 (Tue.)

サッカー・アジアカップ、日本×韓国戦。

前半はポゼッションの日本対カウンターの韓国。まずは韓国がPKで先制。正直、パク=チソンに対する今野の動きは、
あれがファウル?という感じ。流れの中ではそういう判定でもおかしくなかったということらしいが、素人には納得できん。
しかし日本は本田からのパスを受けた長友がドリブルで切り込み、最後は前田が素早くシュートを決める。
やはり日本の攻撃は美しいなあ、とあらためて感心させられるゴールだった。
それにしても審判がやたらめったら笛を吹くので試合の流れがひどいブツ切りになってしまい、
パスをつなぎたい日本はどうしてもリズムに乗れない。見ているこっちもイライラさせられたが、選手は冷静。
延長戦に入ると岡崎が倒されたPKを本田が真正面に蹴って防がれたが、途中出場の細貝が詰めてリードする。
あとは日本が守りきれるかが焦点となったが、やっぱり韓国は手ごわかった。
日本のヨルダン戦(→2011.1.9)並みのハイペースな攻撃が始まり、日本は5バック気味にして対応しようとする。
しかし結局押し込まれて2-2。PK戦となってしまう。ここで川島が川口が乗り移ったかのようなプレーを見せ、
韓国を3連続ストップで抑え込んで日本が決勝進出。これには本当にしびれた。これなら文句も出まい。
しかしまあ、パク=チソンはこれで韓国代表を引退となってしまったが、コメントも謙虚で、本当に尊敬できる選手だ。

ところで先制のPKを決めた韓国の選手のパフォーマンスが問題となったが、テレビで一瞬とはいえそれが映って、
見ているこちらとしてはかなり不快さが残った(パク=チソンやチャ=ドゥリは制止しようとしていたらしいが)。
日本協会としては事を荒立てるつもりはないのかもしれないが、毅然とした対応を求めたいところだ。


2011.1.24 (Mon.)

最近の中学校では、日本文化をきちんと勉強しなさいよ、ということで琴を演奏する授業が年に2日ほどあるのだ。
それで僕はちょろっと見学させてもらいつつ、その様子を写真撮影しつつ、爪をつけて弦をはじくのであった。
感想としては、手の動きがなじむのがけっこう時間かかりそうだなあ、といったところ。奥が深いものだ。

午後には英語の研修ということで、ALTとの授業についてあれこれ説明を受ける。
法律の関係で、ALTの英語の授業では教員がALTに指示を出すことができない。
ALTが担当する時間をきっちり設け、その時間、教員は生徒のフォローをするに留めないといけないのだ。
だから、授業の中で教員とALTが会話をしてデモンストレーションすることもできないのである! アホか!
コミュニケーション能力がどーのこーのとか言っておきながらこれって、もう完全にやっていることが破綻しているじゃないか。
それにこれはつまり究極的には、ALTの人格を否定して英語をしゃべる道具扱いすることにつながるとすら思うのだ。
日本の英語教育は本質を完全に欠いている。マトモにつきあっているとオレの頭までおかしくなりそうだ。


2011.1.23 (Sun.)

今日もサッカーの試合である。今日の相手は唯一「もしかしたら勝てるかも」な相手ということで、
昨日のことは忘れて新たな気持ちで試合に臨む部員たちなのであった。ちなみにマツシマ監督は、
「勝つとしたら3-2。意地でも2失点に抑えろ。どうにか3点もぎとれ」とハッパをかけて部員をピッチに送り出した。

やはりイージーに失点するクセは抜けず、相手に先制されてしまう。ドリブル突破からの失点あり、
コーナーキックからの失点ありと、昨日の反省を生かせていないのがつらいところだ。
しかし今日はこっちも勢いに乗って相手陣内に入り込む時間をつくることができ、
こらえられなかった相手DFがこっちのFWを倒してPK、というのが2回。PKながら得点を決めることができた。
結果は2-3で敗れたのだが、その差がスコアよりも大きいことに悔しさがまた倍増、といったところ。
監督の読みはイイ線いっていたのだが、そこを実現するためにはまだまだ練習の質を上げなくちゃいかんですね。


2011.1.22 (Sat.)

午前中は学校で英検。ウチの学年はだらしないので、1年生の方が積極的に上の級を受けている感じ。
こんなんじゃ来年の受験が厳しくなるなあ、と肩を落とすのであった。

午後はサッカーの公式戦。今日の相手はもう一校の私立。なかなかの強豪なのである。
相手は部員も多いようで、背番号「80」なんてやつもいる。そんなん見たのはオシムんときのアジアカップ以来じゃ。

前半はどうにか2失点で切り抜ける。ハーフタイムの部員たちの表情は、オレたちやれてるぞ、と明るい。
集中してどうにかひっくり返そうぜ、と声をかけて送り出すが、足が止まった後半にやっぱり大量失点。
一度下を向いてしまうとなかなか気持ちを奮い立たせることができないようで、監督もがっくりである。
結局0-11でした。まずは守備のときにみんなボールウォッチャーになるところから改善しないとなあ……。


2011.1.21 (Fri.)

サッカー・アジアカップ、日本×カタール戦。ホスト国相手ということでどう考えても苦戦するにきまっている。
先日のサウジ戦と違って見ていて胃の痛い展開になりそうだ。うう……やだなあ……。

前半12分にカタールが先制。オフサイドだろなんでやねん!と思ったら伊野波がしっかりと残っていた。
オフサイドを掛け損ねたら、そりゃあやられるだろう。これはかなり苦しい展開になるなあ、といきなりがっくり。
カタールは地元開催のホームゲームということもあってか、非常に積極的でいいプレーを連発してくる。
しかし28分、岡崎の浮かせたシュートに香川が詰めて同点に追いついた。ふたりとも実に頼もしい。
後半に入って案の定というかなんというか、アウェイの日本に退場者が出て10人に。
そこからFKをニアに決められてリードを許す、かなりキツい展開になる。ホントにアジアカップは苦しい戦いばかりだ。
ところがまたしてもゴール前の混戦から抜け出した香川がこぼれ球をうまく扱って鮮やかにゴールを決め、また同点。
そして最後の最後、シュートかと思うような長谷部の強いパスを受けた香川がシュートを打とうとする。
これは後ろから倒されたものの、なぜかそこにSBの伊野波が詰めていて日本が逆転。信じられない展開だ。

超アウェイ、明らかにカタールびいきの判定、10人、相手リード。不利な状況に置かれ続けながらよく勝った。
予想どおりに胃の痛い展開になったのだが、それをしっかり打ち破る日本代表の強さを実感できて本当にうれしい。
今の日本代表は、明らかに勢いに乗っている。アジアのほかの国にとっては脅威だろう。
この流れを維持して優勝まで突き進んでもらいたいものである。


2011.1.20 (Thu.)

実技教科でつくった作品の展示会があるのだが、本日はその会場準備。
で、全校テーマで「自分を漢字一文字でたとえる」というものをやることになり、教員もやることに。
僕はどうせやりはじめたら手が抜けなくなるのがわかっていたので面倒くさって逃げていたのだが、
結局、生徒の監視に引っかかってしまって編集者に居座られたマンガ家よろしく職員室でお絵かき。

まずはインターネットで孔子の肖像画の画像を拾ってきて、適度な大きさでプリントアウト。
次にその上に紙を重ねてそのまま鉛筆でトレース。仕上がったらペン入れをしていく。
インクが乾いたら消しゴムをかけ、残ったペンの線を筆ペンでなぞる。強弱がいい感じについてそれっぽく見えるわけだ。
まあはっきり言って、僕は絵が上手いわけではなく、上手そうに見せる技術があるだけのことなのだ。
とはいえ手間と時間はそれなりにしっかりとかかる。そうやってできあがったのがこんな絵だ。

 (2011.6.13 再製作)

どうだ、文句あるかコノヤロー!(僕だけリキ入れすぎて結局会場で浮いた)


2011.1.19 (Wed.)

授業でeitherを説明するのに数学の集合論を使ってみた。なんでわざわざそんなことをしたのかというと、
「AとBの両方ともダメ」という全否定でbothを使っちゃうやつがいっぱいいるからである。
全否定をするときには正しくはeitherを使うのだが、日本語ベースで考えるとbothを使おうという発想になる。
これはいくら日本語で説明しても理解してもらえないので、じゃあ数学で説明しよう、ということでやってみた。

1. both

「both A and B」というのは「AとBの両方」ということで、ベン図を描くとこうなる。

 both A and B =「A∩B」

間違いやすいのだが、「both A and B」というのは「Aの要素とBの要素を両方持っている」ということなのだ。
「Someone who likes both baseball and soccer」といったら、野球とサッカーの両方を好きじゃないとダメでしょ。
だから数学的に言うと、「AとBの積集合」つまり「A∩B」ということになる。

2. either

「either A or B」というのは「AかBのどちらか」ということで、ベン図で描くとこうだ。

 either A or B =「A∪B」

「either A or B」は「Aの要素とBの要素、どちらか一方を持っていればよい」ということ。両方あっても可だ。
「Someone who likes either baseball or soccer」といったら、野球かサッカーのどちらか一方でOK。両方も可。
数学的には「AとBの和集合」つまり「A∪B」ということになる。

3. not both

急にわかりづらくなるbothの否定。日本語で考えると上述のように「両方ダメ!」という結論になってしまいがちだが、
実はそうではない。ベン図でbothの補集合を考えてやればいいのだ。するとこうなる。

 not both A and B =「A∩B」=「AB

和訳すると「AとBの両方というわけではない」みたいになって、ややこしいことこの上ない状態である。
英語ではbothという言葉に狙いを定めて否定することになるので、bothつまり「A∩B」だけが否定されるのだ。
つまり、「Aの要素とBの要素を併せ持ったとき(これが本来のboth)」だけが否定される。
日本人は「両方」を否定の範囲を表す言葉として使うが、英語のbothはあくまで否定される対象でしかない。

4. not either A or B = neither A nor B

まだまだややこしいままの人が多いと思うので、最後に一発、eitherを否定してみよう。

 not either A or B = neither A nor B =「A∪B」=「AB

見てのとおり、「A∪B」の補集合というのは、「Aの要素を持っていてもBの要素を持っていてもいけない」ということで、
つまりは全否定になる。これが日本語における「AとBの両方ともダメ」にあたるわけだ。
英語では「どちらか」の否定が「どちらもダメ」という全否定に即、なるわけで、ここの感覚のギャップが難しい。
でも数学的に考えると、英語の方が合理的というか、理にかなっている言葉の使い方なのである。

というわけで、これはド・モルガンの法則(A∩BABA∪BAB)の守備範囲になってくる。
both(A∩B)を否定する場合、否定されるのは「両方そうじゃないといけない」という「縛り」の部分(∩)もそうで、
「片方だけならまあ許してあげてもいいんじゃないの(AB)」という考え方をすればいいのではないか。
そしてeither(A∪B)を否定する場合、否定されるのは「どっちでもいいよ」という「緩やかさ」の部分(∪)もそうで、
「そんなもん、どっちだろうがダメなもんはダメにしちまうぜ(AB)」というように考えてしまえばいいのである。

ちなみに「neither」とは「否定を意味するn」+「either」として捉えればよい。
「never(=n+ever)」や「nor(=n+or)」も同じようなもんである(英語史的にはかなり短絡的な考え方だが)。

こうしてみると、いかに日本語は数学向きではなくて、英語が数学向きにできているかがわかる(→2010.8.3)。
(たとえば、not either A or B = neither A nor Bなんて、完全に分配法則が成立しているじゃないか。)
それは決して言語的な優劣ということではない。あくまで各言語の特性、というレベルを超えるものではないのだ。
日本語は日本語で、繊細な“曖昧さ”の美を遠慮なく磨き上げていけばいいのである。
ただ、このような数学と英語のリンクから学ぶべきものがあるのも確かなわけで、それを今回は取り上げてみたしだい。


2011.1.18 (Tue.)

公式戦のリーグ戦の真っ最中ということで、ジャージ生活をしております。
いつもならネクタイ姿なんだけど、ジャージで過ごすことで自分や部員に気合を入れているわけで。
まあなんつーの、男は恰好から入っていくものなのさ。

放課後の練習では、失点の半分が相手のコーナーキックからということで、特訓をする。
こういうときに僕は非常に便利な存在で、左右の足からインスイングもアウトスイングもポンポン蹴って、
コーナーキック対策に取り組んだのであった。やっぱり左足も利くってのは便利だな。


2011.1.17 (Mon.)

サッカー・アジアカップ、日本×サウジアラビア戦。グループ首位の日本は負けなければいい。
対するサウジは2連敗ですでに敗退が決まっている。失うものがない相手に勝ちきることができるのか、注目なのだ。

いざ試合が始まると、最初から完全に日本のやりたい放題。先発した岡崎が縦横無尽に動いて2得点。
さらに前田も左からのクロスを右足アウトサイドで合わせて3点目。これを決めることができるってのが信じられない。
後半には前田のヘッドと岡崎のスーパーゴールで5-0。サウジがグダグダだったとはいえ、こうもきれいに勝つとは。
あまりにあっさりとした大勝に、むしろサウジの凋落ぶりの方が心配になってしまうほどだ。

次は開催国のカタール戦。どう考えてもホームタウンデシジョンで苦戦するにきまっている。それがアジアカップだから。
なんとか勝ちきってできるだけ上まで行ってほしいものだ。


2011.1.16 (Sun.)

本日はリーグ戦の2試合目。そしたら最初の試合の副審をやることに。来るべきときが来たとはいえ、
大いに緊張しつつ試合に臨むのであった。ふだんからJリーグの試合はちょこちょこ観てはいるのだが、
審判にクローズアップして観戦したことなど一度もない。だいたいこんな感じ?と戸惑いつつ旗を上げる。
そしたらオフサイドの誤審を1個やらかした。主審の先生がフォローしてくれたので大事には至らなかったが、
一度誤審をやらかしてしまうと頭の中で整理ができていないうちに試合が動き出すので、
その後がものすごく大変だった。ただまあ誤審をやらかしたとはいえ、初めてにしてはそこまでは悪くなかったみたい。
こちとらJリーグでもっとひどい誤審を見とるしな。そういう意味では反省しつつ自信を持ってもいいのかも。

さて肝心の試合は優勝候補の私立との戦いである。前日のだらしなさをみんな大いに反省したのか、
前半をCKからの2失点で抑えるという大健闘を見せたものの、後半に入ると昨日と同じく9失点。
結局、0-11というスコアで負けてしまったのであった。相手はひとつひとつの基本的なプレーが巧く、
攻撃のイメージも共有できている。何から何まで後手後手のウチとは別次元なのであった。
試合後には部員みんなで相手の先生から競り合いの際の体の使い方についてアドバイスを受けたのだが、
これがものすごく参考になる内容。ぜひ練習で定着させて、少しでも安定感のある試合運びができるようにならねば。


2011.1.15 (Sat.)

今日はわがサッカー部の公式戦初陣である。今回の大会はリーグ戦ということで、
4チーム中で勝ち点上位の2チームが決勝トーナメントに進むという形式になっているのだ。
私立2校にまずまずの規模の公立が1校、そしてウチということで、草刈り場になる予感がうっすら漂う。
そしたら本日の対戦相手である私立は上級生がスキー旅行なんだそうで、下級生中心の構成。
まあそれでも世の中そんなに甘くないよね、と覚悟しつつ、ベストと思われるスタメンで勝負を挑む。

そしたら前半はどうにか3-3で折り返したものの、全員に試合を経験させるべく後半に入ってメンバーを入れ替えたら、
それが効いて3-12で負けてしまった。一度バランスが崩れてからのもろさは半端ないなあ、とがっくり。
サッカーの動きになっていないやつがいたもんなあ。指導者が悪いんだよな、きちんと考えないとなあ。


2011.1.14 (Fri.)

サッカー・アジアカップ、日本×シリア戦。前回のグループリーグ第1戦で目が覚めたのか、今日の日本はいい展開。
ゴールに向かっていく姿勢がいつも以上に感じられる攻撃ぶりで、前半35分の得点シーンはその最たるもの。
香川のシュートをGKがはじき、詰めた松井が冷静に長谷部に任せてミドルを決めさせるその連携には鳥肌が立った。
前半の内容は文句なし。日本代表は強くなった! これは絶対に勝てる!と実感できるプレーぶりだった。

が、後半一気におかしくなる。バックパスからのよくわからない流れで川島が一発退場。
PKを決められて同点に追いつかれてしまう。やはりアジアカップってのは一筋縄ではいかないのだ。
こうなると雰囲気は急激に重苦しくなってくる。前の試合と同様、アジアカップ独特の空気がテレビ越しにも伝わってくる。
そして今度は岡崎が倒されて日本にPK。もうワケがわからん。レッドはやりすぎだったってことでお返しの匂いがプンプン。
まあ審判だって人間だからそれでバランスを取りたい気持ちはよくわかるんだけど、それが当たり前になるのは困る。
このチャンスを瞳孔開きまくりの本田がど真ん中に決めて勝ち越し。この気の強さは素直に褒めるしかない。
結局、6分という異様なロスタイムも切り抜けて日本が勝利。やはりアジアカップはアジアカップだった。

それにしても解説の松木はやりたい放題だ。「なんなんすかこれ」に「ふざけたロスタイムですねー」ときたもんだ。
まあ確かに視聴者はそういう気持ちになっているのだが、解説がまず先陣を切ってそういう発言してどうする、と思う。
近所のおっさんがブーブー言うのと変わらないではないか。もうちょっとなんとかしていただきたい。無理だと知ってるけど。


2011.1.13 (Thu.)

久々の授業4つはやっぱりキツいなあ。休みが明けていざ4つ授業をやると、本当に疲れる。
じゃあふだんは慣れているから大丈夫なのかというと、たぶんそんなことはなくって、確実に疲れが蓄積していると思う。
どうにかして自分なりの省エネ授業を確立しないことには、いざってときに動きが悪くなってしまう。
うーん、できるようにならなくちゃいけないことだらけだぜ。


2011.1.12 (Wed.)

今週末はいよいよサッカー部初の公式戦なのである。ところが今日は試合前最後の練習だというのに、
どうもイマイチ緊張感がないのだ。去年見ていた連中は、公式戦直前の一週間ともなれば、
それはもうものすごい形相で、こっちを殺さんばかりの迫力でゲームをやっていたものだが……。うーん。

部活が終わると夜遅くまで宿題チェック。泣きたいけど、泣いていても終わらないのでガマンしてやるしかない。
英語や数学の先生って、宿題チェックがある分だけ、絶対にほかの教科よりもつらいと思うんですけど!


2011.1.11 (Tue.)

本日より新学期なのである。年が明けて久しぶりに会った連中はムダに背が伸びてやがるぜ。悔しいぜ。
さて休み明けはなんといっても宿題チェックが鬼。出さないやつも多いが、出すやつはきっちり出してくる。
相手がマジメにやった分だけこっちもマジメにやんなきゃね、という性格をしている僕としては、
それまでの平穏な生活が一転して急にいろいろ忙しくなるのがつらい。どうにかバランスをとらなければ。


2011.1.10 (Mon.)

北関東3連戦のラストを飾るのは、水戸線の旅である。まずは初戦で沼田・高崎を攻め(→2010.12.26)、
次いで両毛線で群馬から栃木まで移動した(→2011.1.5)。最後は水戸線で茨城まで出るのだ。
ところで僕は水戸線に乗るのは初めてだ。純粋に行ったことがない街を目指すわけで、けっこうワクワクする。

●05:02 大岡山-05:10 目黒

まずは始発で目黒まで。朝早い電車で山手線まで出るのにも、もうすっかり慣れたなあ。

●05:14 目黒-05:40 上野

本日も慎重に山手線に乗り込む。寝ちゃって乗り過ごすことのないように気をつけて、上野で降りる。

●05:46 上野-07:29 宇都宮

水戸線は小山から出ているので小山で降りればいいのだが、そこをあえて宇都宮まで行く。
あらためてきちんと下野国一宮である宇都宮二荒山神社にお参りして、栃木県庁と宇都宮市役所を撮影しよう、
そう考えたからだ。まあおかげで始発でのスタートを余儀なくされたわけだが、別に苦ではないもんね。

駅を出ると早朝の宇都宮市街をひたすら西へと歩く。駅から距離があるのは十分わかっているが(→2005.11.13)、
わかっていても遠い。おまけに今日はかなり寒い。また風邪を引いたらイヤだなあ、と思いつつトボトボ歩く。
やがて15分ほどすると、宇都宮のPARCOに到着だ。宇都宮二荒山神社はその大通りを挟んだ反対側にある。
とりあえずPARCOんところから撮影するかな、と入口にまわり込んだら、敷地内に小さな神社があるのを発見。
実はこれ、宇都宮二荒山神社の下之宮。なんと、PARCOを建てるための再開発によってここに移ったのだという。
なんとも珍しい例もあるもんだ、と驚きつつ参拝。というか今までこの下之宮の存在に気づかなかったのかオレは。

 
L: 早朝の大通りを行く。  R: 宇都宮のPARCOと、そのすぐ足下にある下之宮。PARCOが神社をよけて建っている。

下之宮のお参りを済ませると、あらためて二荒山神社にお参りをする。前に来たとき(→2005.11.13)には、
こんなにきちんと整備はされていなかった気がする。いいかげんな性格なのできちんと思い出せないのが恥ずかしい。
調べてみたら2008年に鳥居を建て替えたそうなので、その機会に周囲を整備し直したのかもしれない。
アバウトな記憶でたいへん申し訳ないけど、そんな気がするんだよなあ。

  
L: PARCO側から眺める宇都宮二荒山神社の鳥居。周囲は建物も含めて、最近になって整備した匂いが非常に強い。
C: 鳥居をくぐる。まだ工事中のようで、どことなく閑散とした雰囲気。  R: 石段の途中で両側に末社が並ぶ。面白い。

「二荒山神社」という名前を聞くと日光の神社(→2008.12.14)を思い出す人が多いだろうが、宇都宮と日光、
両者の二荒山神社に直接の関係はないらしい。同じ県内の大きな神社どうしなのに珍しいこともあるものだ。
宇都宮の地名の由来はもちろんこの二荒山神社による。といっても、「一宮」が訛ったなどさまざまな説があるそうだ。
さすがにお参りをするにはちょっと早い時間に訪れたため、ひと気はあまりない。
まあその分、地方都市のど真ん中にある神社の厳かな姿を目にすることができたので、ヨシとしよう。

  
L: 階段を上りきると、なかなか見事な神門がお出迎え。  C: 拝殿。  R: 奥の本殿。

二荒山神社・PARCO周辺まで来てしまえば、栃木県庁はもうすぐそこなのだ。
前にも撮影したことがあるが(→2008.8.20)、せっかくなのでもう一度訪れてデジカメのシャッターを切る。

 
L: 朝日を浴びる栃木県庁。栃木県庁は南向きで敷地に余裕があるので撮影しやすい。
R: こちらは昭和館。東側にあるので逆光の影響を受けるのであった。まあしょうがない。

北の栃木県庁に対応して南にあるのが宇都宮市役所。こっちにも行かなくちゃ不公平ってなもんだ。
てなわけでやっぱりこっちも撮影。宇都宮市役所は初めて来たとき(→2005.11.13)から何も変わっていないなあ。

  
L: 宇都宮市役所。久米建築事務所(現・久米設計)の設計で1982年に竣工。  C: 事務棟。  R: 議会棟。

やはり前にも訪れたが(→2008.8.20)、市役所の東には宇都宮城址公園がある。城郭が矩形ではなく丸っこいところ、
石垣ではなく土塁で守りを固めているところが中世風。つまりはそれだけ宇都宮が歴史のある街だということでもある。
城は戊辰戦争で焼失したのだが、現在は城跡の半分ほどがきれいに復元されている。

  
L: 宇都宮城址公園の堀の辺りから眺める宇都宮市役所。  C: 宇都宮城址公園の土塁と櫓。中世風である。
R: 宇都宮城址公園内の様子。ちょうど半分ほどが復元されている感じ。残りは住宅地となっている。

ここまででようやく前哨戦は終わりである。小山まで戻ると、いよいよ水戸線に乗り込んでの旅となる。

●08:59 宇都宮-09:25 小山

小山駅では駅構内のコンビニで朝食を準備。そしたらミニサイズのレモン牛乳を発見したので購入。
久しぶりに飲むレモン牛乳だったが(→2009.8.28)、飲んでみたらやっぱりベタ甘なのであった。

 飲んでみて、そうだったそうだった、ベタ甘だったわ、と思いだす。

水戸線に揺られて最初の目的地は結城市。かつては下総国に属していたが、現在は千葉県ではなく茨城県である。
そういう微妙な地域なのだが、まあつまりこの辺りは県境意識がそれほど強くない地域ということなんだろう。
(実際、結城紬の絹は小山で育てられた蚕からとる、という関係が成り立っているのだそうだ。)

●09:34 小山-09:42 結城

結城駅の改札を抜けると、まずは地図で市役所の位置関係を頭の中に叩き込む。と、僕の目に留まる文字。
「仙太郎」とある。おうおうおう、なんだいこりゃ!とじっと見てみると、「仙太郎稲荷塚」と書かれていた。
これはもう、問答無用で行ってみるしかあるまい。手がかりになりそうなランドマークの位置を記憶しておく。
そうして駅北口の右手にある結城市民情報センター内の観光案内所で市内のパンフレット地図を手に入れる。
だが残念なことに、パンフレット地図のほうには「仙太郎稲荷塚」は記載されていなかった。きっと小規模なんだろう。
でも僕にとって規模の大小は関係ない。駐輪場でレンタサイクルを借りると、真っ先に訪れてみることにした。

 
L: 結城駅。結城市制40周年ということで、ふるさと創生1億円助成金を使って建てたんだと。
R: 結城市民情報センター。2004年に開館。図書館、子育て支援センター、ホール、天体ドームなどを内蔵。

駅を出ると結城の街は見事に住宅ばかり。地図があるから混乱することはないが、かなりわかりづらい空間だ。
仙太郎稲荷塚があるのは市街地の東側。記憶しておいた寺を通過し、お目当ての方向へと自転車を走らせるが、
気づかずにスルーしてしまった。案内板がないかじっくり観察しながら再挑戦してみるが、見当たらない。
あの辺りだと思うんだが、と見当をつけた方向を眺めると、住宅に囲まれた農地の中に木々の塊があった。
仙太郎稲荷塚の「塚」という文字と僕の中の感覚とがリンクする。現場は、あそこだろう。
問題はどこから入るかだ。木々の塊を守るがごとく囲んでいる住宅を舐めるように探っていったら、1箇所だけ、
ぽっかりと空いた路地があった。またしても僕の中の感覚がリンクする。飛び込むように進んで抜けると、
そこは砂利の敷かれた空き地となっていた。空振りか、と思ったが、奥を見るとさらに抜ける道がある。
迷わず進んだその場所こそ、まさしく仙太郎稲荷塚だった。さすがオレ、比較的あっさりと見つけたぜ!

  
L: この路地が仙太郎稲荷塚への入口。これをわりかしあっさり見つける自分は正直すごいと思います。
C: 路地を抜けると砂利の空き地。でもまださらに奥がある。こういう嗅覚だけは自信があるのだ。
R: というわけで仙太郎稲荷塚に無事、到着。観光マップにも載らない場所だが、きちんと来れたよ。

さて現場に着いても特にこれといった説明書きはなく、ただ「仙太郎稲荷塚」と書かれた案内板があるだけ。
後になってインターネットで調べてみても、「曽我殿台1号墳」という別名程度の情報しか得られなかった。
「少なくとも6基からなる古墳群だが現存するのは2基」だそうで、古墳である以上のエピソードがわからない。
せっかくわざわざ訪れたのに、なんとも淋しいものである。暇なときに市史でもあたってみようかね。

  
L: これが仙太郎稲荷塚だ!  C: 証拠の案内板。でも情報なさすぎ。  R: いちおうお参りはしておきました。

仙太郎稲荷塚に思わぬ時間を割いてしまった。おかげで結城市街をのんびり見物するというわけにいかなくなった。
必死で結城市内を走りまわる。前回の桐生(→2011.1.5)で懲りることなく、今回の結城の滞在時間はやはり1時間。
それでどうにかしようという方が無理があるのだ。しかし今さら後悔しても遅い。泣きそうになりながらペダルをこぐ。

 健田須賀(たけだすが)神社。明治期に健田神社と須賀神社を合祀した。

というわけで最低限のタスクは達成しようと結城市役所へ。駅から住宅地をひたすら北へ抜けたところにある。
敷地の周りは瓦をかぶせた塀で囲まれており、ミニチュア化した橋を渡って中に入るようになっている。
おそらく実際に敷地の周囲はかつてちょっとした堀になっていて、それを後で埋め立てて歩道がつくられたのだろう。
やはり結城は歴史のある街だけあってか、市役所の空間構成もどことなく近代以前の雰囲気を残しているように思う。
肝心の建物も和風の匂いを持たせてあるが、いかんせんプレハブ風の安いつくりなのがいただけなかった。

 
L: 結城市役所。敷地の雰囲気は旧来の奉行所の雰囲気が残る。冠木門が似合いそうでしょ。
R: 東側の棟。というかどちらもほぼプレハブなのだが。新しい庁舎でも建てる予定があるのかな?

さてせっかく結城の街に来ておいて、結城紬について勉強しないでこのまま街を後にするというのは、
なんだか非常に間違っているような気がする。というわけで、ちょっと展示施設におじゃましてみる。

 「つむぎの館」の資料館におじゃましてみました。

結城紬はもともと養蚕が盛んだったこの地域で、農閑期の副業として始まったそうだ。
その歴史は奈良時代にまで遡り、原型といえる布が正倉院にも収められているという。
やがて結城家が保護したことで「結城紬」と呼ばれるようになったのだそうだ。
資料館にはさまざまな結城紬の現物だけでなく、使われる道具なども展示されていた。
本当に時間がなかったので超駆け足での見学となってしまったが、その歴史の一端にはいちおう触れたぞ。

最後に、結城市街を往復している間に撮影した古い建物たちの写真をいくつか紹介しておく。
結城は鎌倉時代からすでに城下町として成立していたそうだ。駅から市役所まで商店街が入り込む余地がないほどに、
ずーっと住宅が続いているのはそういった経緯が関係しているのかもしれない。そしてその住宅地の中には、
蔵造りの建物が多く混じっているのだ。中にはバリバリにリニューアルされてほぼ新築な雰囲気のものもあるが、
ひとつの通り沿いだけでなく、文字どおり点在しているのは結城の街の風格を大いに感じさせる部分である。

  
L,C,R: 結城市街には蔵造りの建物が数多く点在している。リニューアルされたものも多いが、古いものも豊富。

やっぱり結城駅まで戻ったのは列車がやってくるけっこうギリギリの時刻で、自転車を返そうとして、
係のおじいちゃんがいなくてかなり焦った。トイレから戻ってきたおじいちゃんに自転車を返し、
急いで改札を抜けると程なくして列車がやってきた。毎回こうだなあ、と思うのだが、これが治らない。

●10:46 結城-10:59 下館

続いて訪れたのは下館である。下館は現在、茨城県筑西市の中心部ということになっている。
つまり、平成の大合併によって下館市という名称は消えてしまったのだ。これはけっこう残念なことだ。
「下館」の名の由来は、平将門の乱にまで遡る。藤原秀郷が平将門を討つべく3つの館「上館・中館・下館」を築いた。
その「下館」が地名として現代まで続いたというのである。これを簡単に消してしまうとは、どれだけアホなのか。

 
L: 下館駅。今や「下館」は駅の名としてしか残っていない。その愚かさには呆れるよりほかにない。
R: 下館駅前にある「下館SPICA」。かつての商業施設はスカスカで、市役所の一部機能をムリヤリ入れている。

さっそく下館市役所……じゃなかった、筑西市役所へ。敷地が広く、駐車場をたっぷりと用意していることもあり、
かなり余裕をもって撮影することができた。それにしても1973年竣工の建物はかなり大きく、造形的にも面白い。
コンクリートの風味全開なうえに、モダニズムらしい大胆な持ち上げ方をしており、なかなか興味深い事例だ。
しかし見とれているヒマがないのが悲しいところ。ひととおり敷地をまわって撮影を終えると、五行川沿いに北へ。

  
L: 筑西市役所(旧下館市役所)。1970年代らしい大胆な建築である。  C: この持ち上げっぷりがいい。
R: 市役所のすぐ脇では、五行川沿いに新しく道路が整備されようとしていた。そんなに必要なのかね。

市役所を撮影したからおしまい、ではつまらないのだ。せっかくだから下館城址まで歩いてみることにした。
下館の土地はけっこう起伏があり、市街地の中心部はちょっとした高台の上に位置する格好になっている。
まずはその高台をよけるように歩いていったのだが、これがけっこう古い建物が残っていて驚いた。
具体的には、国道50号の金井町交差点の辺りから北へ進んで三峰神社に至るまでのエリアだ。
目についたものをひたすら撮影して歩く。しかしまあ、見事なものだ。

  
L: 国道50号に面している住宅。  C: こんなふうに並ぶと壮観だ。  R: きれいなもんだなあ。

古い建物が連続する通りを抜けると、坂道を上ってよいよ下館城址へ。城跡の小学校の隣には八幡神社がある。
ここが本丸跡なのだ。一見するとただの小さな神社で、周囲の住宅地に完全に塗り込められている。
さっきの宇都宮もそうだったが、歴史があった分だけ鈍感な開発で削られてしまった、そんな印象である。

 
L: 下館城址の八幡神社。  R: 境内には小さい社が建っている。かつての歴史の匂いはほとんどない。

最後にそのまま下館の高台の市街地を歩いて駅まで戻る。と、この日はちょうど「下館大町だるま市」で、
大町通りは歩行者天国になっていた。これがすさまじい人混みで、歩くのにも苦労するほど。
出店も通りに沿ってずっと続いていて、まったく途切れることがない。これはすごい賑わいだ。

  
L: 下館大町だるま市で大賑わいの大町通り。  C: 下館羽黒神社。だるま市の影響でこちらも多くの参拝客がいた。
R: しもだて美術館。池原義郎設計で2003年に開館。これでもかってくらいのガラスっぷりだ。

少しだけ時間に余裕があったので、下館駅前の下館SPICAの中に入ってみた。しかしそのさびれ方はひどいもので、
2分としないうちにいたたまれなくなって出てきてしまった。一方ではだるま市の爆発的な賑わい。
そしてもう一方では完全に空洞化した駅前の元商業施設。何をどうすればバランスがとれるのか、僕にはよくわからない。

●12:00 下館-12:31 笠間

列車が下館を出て東へ進んでいくと、のどかな農村地帯の向こうに、実に存在感のある山の姿が見える。
なるほどこれが筑波山か!と食い入るように眺める。僕は今まで筑波山をきちんと見たことがなかったのだ。
筑波山は標高871mの男体山と標高877mの女体山、2つの峰からなる。電車が進むにつれて峰が姿を変える。
でもその雄大な印象が変わることはない。これは見事な山だな、と感心しながら過ごす。
筑波山の頂上からは関東平野が一望できるという。ぜひいつか登ってみよう、と思うのであった。
どうですかね、HQS同期の皆さん。去年高尾山も制覇したことだし、今度は筑波山で。

 水戸線より眺める筑波山。抜群の存在感を見せてくれる。

そんなこんなで笠間駅に到着したのはいいが、思っていたよりもずっと規模の小さい駅だった。
駅舎を出るとすぐに観光案内所があって、そこで地図をもらってレンタサイクルを申し込む。
笠間駅から笠間の市街地までにはそうとうな距離があることはすでに知っていたのでそうしたのだが、
実際にこれ、自転車で走ってみても遠い。そんでもって道幅がとっても広い。
まずは笠間の市役所支所まで行ってみることにしたのだが、その道の途中には何もない。誰もいない。
気がついたら奥田民生の『イージュー★ライダー』を歌っていた。本当に、そういう気分にさせられたのだ。

  
L: 笠間駅。思っていたより小さい。  C: 駅から笠間市街へと伸びる道。車の姿はまったくない。
R: とりあえず市役所支所を目指すが、見事に何もないし誰もいない。関東平野が広がるのみ。

さてさっき下館が合併によって名前が変わってしまったことはすでに書いた。
笠間の場合はそれとは異なり、合併しても市の名前は変わらなかったが、かわりに市役所がよそに移った。
だから笠間駅の近く(といってもちょっと距離がある)にあるのは、今はもう市役所支所なのである。
自転車だからさらっと訪れることにしたのだが、市役所だけがほかへ移るのは、どうも気持ちが悪いものだ。
(日光市も名前はそのままで市役所が旧今市市役所に移ったのだが、これも気持ちが悪い。→2008.12.14

高低差のある農地だらけで家は点々としている。そんな光景の中にある坂道を上って市役所支所へ。
上りきって現れたのは、いかにもモダンなお役所建築だった。いかにも典型的なパターンなのであった。

 
L: 旧笠間市役所(現・笠間市役所笠間支所)。  R: エントランス付近をクローズアップ。

市役所支所を撮り終えると、いよいよ本格的に笠間観光を開始する。笠間といえば、なんといっても笠間稲荷神社だ。
日本三大稲荷(実際にはさまざまな組み合わせがある)のひとつとして厚く信仰されている神社である。
笠間駅前は閑散としていてただ広い道が伸びているだけだったが、笠間稲荷周辺はさすがに賑やか。
いかにも門前町らしく、土産物屋に食堂などが笠間稲荷への道をびっしりと埋め尽くしている。
この道、いかにもかつての街道らしさを残すスケール感で、車が通るとちょっと危ない。
でもそこを多くの車と観光客が行き来しており、かなり活気にあふれている。駅からは想像のつかない姿だ。

  
L: 笠間稲荷の参道がわりになっている通り。かなりの賑わいぶりである。  C: 笠間稲荷の参道。
R: 参道の両脇には仲見世通りがある。干物を売っていたり神棚を売っていたり、なかなか個性的だ。

笠間稲荷の境内にはなかなか古い建造物がいくつかある。境内に入っても人の多さは相変わらずだが、
正月ということでいつも以上に賑わっているのかもしれない。建物を撮ろうとしても、どこか落ち着かない。

  
L: やたらと重厚な手水舎。  C: 1899(明治32)年築の絵馬殿。なかなかの迫力がある。
R: 東門。1816(文化13)年に再建されたもの。笠間稲荷は重たいものを持ち上げる感じの建造物が多い?

拝殿は正月モード。お賽銭を入れてお参りをすると、おみくじを引いてみる。そしたら凶が出た。
まあ僕としては凶はそれほど嫌いではないので、前向きに受け止めるのであった。

 笠間稲荷の拝殿。この奥の本殿は重要文化財だが、こちらは1960年築。

さて笠間といえば、稲荷のほかにもさまざまな美術館が名物として存在していることで有名だ。
というわけで、それらの中でも特に有名な、笠間日動美術館に行ってみた。
笠間日動美術館は日動画廊の創業者である長谷川仁・林子夫妻によって設立された。
説明の展示があったのだが、もともと長谷川家は笠間藩の藩医だったんだと。

 笠間日動美術館の入口。ここから奥へと広がっているのだ。

まずは企画展示館。「没後25年 鴨居 玲」ということで、鴨居玲の作品がたっぷりと展示されていた。
Wikipediaによれば「社会や人間の闇を描いた画家」とのことだが、なるほど、
暗い色調から力強い存在感をみせる人々の姿を描いた作品が多いような印象を受ける。
ずいぶんとエネルギッシュだなあと思う反面、もうちょいサワヤカな絵を描いてもいいだろうに、と無責任なことも思う。

3階から喫茶室つきの通路に出て庭園へ。庭園を下っていくと右手にフランス館、左手に日本館がある。
敷地の高低差をうまく利用しているが、企画展示館が山の陰になって少し暗い印象が残るのが惜しい。
フランス館には画商の美術館だけあり、モネだのドガだのルノワールだのマチスだのの有名どころの絵がそろっている。
対照的に日本館では絵の展示よりもめちゃくちゃ遅いエレベーターの方が印象に残ってしまった。
なんだあの遅さは。オレが今まで乗った中でもダントツに遅い! しかも1人分の大きさしかない! なんだありゃ!
とはいえパレット画コレクションはやはり面白い。画家の愛用するパレットに何かしら絵を描いてもらってあるのだが、
それがめちゃくちゃ大量に並んでいるのである。不勉強な僕は知っている画家なんてほとんどいないのだが、
パレットの中にそれぞれのアーティストが込めたプライドがひしめきあっている光景は、非常に贅沢。

日動美術館を出ると、せっかくレンタサイクルを借りているので、さらに東の方へと足を伸ばしてみることにした。
もともと笠間は焼き物の街であり、そのことから茨城県が陶芸美術館をつくったのだ。
その周囲は笠間芸術の森公園ということで整備されている。郊外なので起伏が激しいが、そこは根性。

 
L: 笠間芸術の森公園。小ぎれいに整備されている空間である。  R: 茨城県陶芸美術館。

茨城県陶芸美術館ではちょうど、「古陶の譜 中世のやきもの―六古窯とその周辺」という企画展をやっていた。
焼き物のことはよくわからないのでそれほど期待せずに見てみたのだが、これが面白かった。
瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前の六古窯のほか、全国各地の中世の焼き物が数多く展示されていた。
数をたくさん見ていくと、なんとなくだが確かに良し悪しがわかってくる(つもりになれる)。
器としてのデザインと装飾がマッチすることが大前提。そこに釉薬が表情をつけることで名作が生まれる。
そもそも、空間に土で区切りをつくって無用の用を生み出すという行為じたいが面白いのだ。
鎌倉~室町期の無名の天才たちがつくり出した世界にしばし見とれて過ごすのであった。
それに対して常設展に展示されている最近の名人の作品は派手なだけでつまらなかった。完全に負けてますよ。

やはり美術館めぐりってのは時間がかかっちゃうもんだなあ、と思いつつ駅に戻ってレンタサイクルを返却。
駅に戻るまでにいくつも笠間焼の窯元があって作品を売っていて、焼き物界の元気さに驚いた。
駅舎の中でしばらく待った後、やってきた列車に乗り込む。いよいよ水戸線の終着駅だ。

●15:31 笠間-15:40 友部

友部駅に到着すると、これで水戸線はおしまいである。改札を抜けると、そのまま駅舎を出る。
向かったのは、かつての友部町役場。今は「笠間市役所」という名前になっている。
そう、最後は合併によって移った笠間市役所を追いかけて訪問しようというわけなのだ。

笠間市が友部町・岩間町と合併したのは2006年のこと。その際に市役所は人口の多い旧友部町に移ったのだ。
駅から南へトボトボ歩き、次いで西へとトボトボ歩き、現在の笠間市役所に到着。
もうだいぶ夕日のきつい時間帯で、それでもどうにか撮影を終えると、特にどこかへ寄ることもなく駅に戻る。

 
L: 友部駅。笠間駅とは比べ物にならない立派さ。  R: 旧友部町の現・笠間市役所。

せっかくここまで来たので、水戸駅へ行って晩メシを食えないか探ってみる。
しかし水戸駅付近はいつも東京でおなじみのチェーン店ばかりで、これといったものはなかった。
しょうがないので結局、駅構内のファストフード店で空腹をごまかしつつ日記を書いて過ごし、
頃合いをみて上野まで戻って晩飯となるのであった。うーん、なんともつまらない結末。
まあとにかく、いろんな街を訪れて楽しむことができたことには満足しておりますです。


2011.1.9 (Sun.)

本日、ようやく2010年8月の日記を書き上げた。
北海道や北陸など旅行に行きまくっているし、勉強についての強烈な論考もあるしで、もう本当に参った。
実際に過去ログで最大の容量となっており、よくやりきったもんだと自分でも惚れ惚れするほどである。
この日記をチェックしてくれている奇特な皆様は、ぜひご覧になっていただきたい。
特に勉強についてのログ(→2010.8.22010.8.32010.8.42010.8.52010.8.6)はオススメです。

正直なところ、8月の日記を書ききることができたのはMacBookAirのおかげ、という気がする。
MacBookAirは本当に軽くてコンパクトで、持ち歩くのにまったくストレスにならない。
それで集中して取り組むことができていると思う。奮発して手に入れて正解だったと感じている。
しかしながらまだまだ課題は山積みだ。9月の都庁と長野を筆頭に、10月には四国、11月には熱海も残っている。
それどころか、Dreamweaver CS5による過去ログの改修作業が8年分くらい残っている(2001年と2010年は完了)。
道のりはあまりに遠いが、一歩一歩確実に進めていきたい。少しずつでも継続していくことが大事ですよっと。

サッカー・アジアカップ、日本×ヨルダン戦だ!大いに期待してテレビにかじりつく。
試合が始まってまず目についたのが、パスのスピード。いつもよりも格段に速い。そしてテンポよく回していく。
後ろの選手が追い越していく動きも目立っている。どうやらこの分なら安心して見られそうだ。
ところがヨルダンの守備がかなり堅く、日本は中盤を思いどおりに押さえているものの、その先に進めない。
また、シュートチャンスまでもっていっても、肝心の最後のところで噛み合わなくってイライラが募る展開に。
そして前半のロスタイム、相手のシュートが吉田の足に当たってしまって先制される。
責められないプレーだが、一瞬の隙を衝かれたのは事実だ。重苦しい気分でハーフタイムを迎える。

後半に入って残り時間が少なくなってくると、ヨルダンが中央を固めているところにクロスばかり。
ペナルティエリア内が大混雑になっているのに、クロスを放り込んでは返される無策ぶりに腹が立ってしょうがない。
ドリブルで切り込める選手がいるのに、ミドルでリズムを変えられる選手がいるのに、それをまったくしない。
多様な攻撃で守備側の意識を混乱させないことには事態は動かない。相手が判断しきれない状況をつくるべきなのに。
そして日本はロスタイムに入り、今までに見たことのないめちゃくちゃなハイペースで攻めまくる。
あまりにも無我夢中で攻め続けるので、ヨルダンも雰囲気に圧倒されて集中力が続かない。
そこにショートコーナーから上がったクロスに吉田のヘッドが決まって同点。
正直まさか追いつけるとは思っていなかったのでびっくり。なおも日本は攻め続けるが、1-1でタイムアップ。

「勝てる試合を落とした」というのが一般的な評価だろう。僕も基本的にはそう思っている。
しかしあれだけ攻撃のフィニッシュが噛み合ないというのはちょっとおかしい。まだ連携不足ということだ。
ヨルダンの守備がGKを中心にW杯の日本並みに堅かったことを考えると、むしろよく追いつけたって気もする。
とにかく、次戦に向けて攻撃の呼吸を合わせることが必要だ。ザッケローニの手腕をしっかり見せてもらおう。


2011.1.8 (Sat.)

東急ハンズでAKB48のドンジャラを見かけたよ! 歴史は繰り返すということか(→2001.9.152002.10.16)。


2011.1.7 (Fri.)

職場に『ハーバード白熱教室』のDVDを持ち込んで見まくった。
勤務時間中にDVD鑑賞とはケシカラン!とならないのは、僕の今の仕事が立派なエクスキューズになるから。
音声を英語にして、「講義の仕方の研究をしています!」って言えばまったく問題ないのである。
しかし同じく職場に持ち込んでいるモンティ・パイソンのDVDは、まださすがに見ていない。
いつか「英語の勉強してます!」ってことで勤務時間中にモンティ・パイソンを見るのが、僕のささやかな夢である。

さて、『ハーバード白熱教室』の感想を書いておく。といっても7枚のディスクのうち2枚を消化した段階での感想だ。
サンデル教授の英語はさすがにわかりやすい。学生の早口とはかなり対照的で、字幕とセットだとまずまずわかる。
ちょっとした表現や返事、褒め言葉、声の掛け方など、純粋に授業の参考にできる部分があるのだ。

しかしながら、肝心の講義の内容については、世間の評判ほどではない、というのが正直なところ。
この講義はまず、身近な問題や話題になっている問題を提起し、学生に自分の立場を明確にさせることで始まる。
そうしてさまざまな意見を学生たちに言わせながら、哲学の古典的/現代的トピックへともっていく形をとっている。
つまり講義の前半はサンデル教授が意見を出させてまとめて進み、後半はサンデル教授のしゃべりっぱなしとなる。
これはすごく効率が悪い。ハーバードといえども学生の質はピンキリで、全員が空気を読めているわけではない。
そういう蛇行する議論を経たうえで結論にもっていく授業をやる必然性を、僕は感じないのである。
それなら従来どおりにすべてを教授のしゃべりにしてしまった方が、よっぽど充実した中身となるだろう。
議論じたいに価値があるのは否定しないが、どうも教授の講義とうまく接続できていない感触しかしないのだ。

教授のしゃべる内容も、そんなに深いものとは思えない。結局は古典の紹介の段階で終わっている印象で、
学生の議論も中途半端、教授の締め方も中途半端で、当初の問題提起を消化しきれていない。
たとえば遭難した船で殺されてしまう少年の話では、誰も少年の将来の可能性を考慮しないで功利主義を論じ、
(中東で中絶が禁止されるのは生まれる子どもの生存権を重視するから。功利主義の言う「最大多数」は、
 そういう未来の話や環境問題のリスクを考慮すると、とても定義しきれるものではない。そういう意見が出ない。)
リバタリアニズムの検証では、人間の成長という側面をまったく考慮することなく自己所有を論じている。
(現実的に子どもは親に所有(名目上は保護)されている。成人するということをどう捉えるか、後見とは何か、
 ここをきちんと考えないと、自己所有の問題はあっさりと机上の空論になってしまう(→2001.11.28)。)
やっぱりアメリカの大学での英語での講義ということもあってか、議論のベースに価値観の多様性を感じないのだ。
本腰を入れて議論をするならもっと多角的にいろいろ考えることができるだろうに、
また教授も言いたいことがあるんなら、ガス抜きみたいな感じで学生にしゃべらせずに自分で言えばいいのに、
そういう中途半端さがありとあらゆる場面で目につくのである。冒頭で用意される実践的な問題と、
哲学が連綿と続けてきた問題意識が合致することがないまま、毎回変なところでブツ切りになっているのである。
というわけで、世間のもてはやしぶりと比べると、大して立派な内容ではないと僕は思う。


2011.1.6 (Thu.)

2011年の初蹴りである。つまり今年最初の部活。
僕も部員も正月ですっかりたるんでいるので、じっくりと感覚を取り戻すように練習をしていく。
初めのうちはオイオイいくらなんでもそりゃたるみすぎだろ、というプレーが目についていたのだが、
締めのゲームになる頃にはだいたいリハビリが完了。まずまずの感触で終えることができた。
今年は僕も部員もすべからく上達する年になりますよーに。


2011.1.5 (Wed.)

前にも書いたように、僕はこの冬、最初のうちは青春18きっぷを買うことは考えていなかった(→2010.12.12)。
でも実家への帰省に18きっぷを使うことになり、年末に急遽、群馬を訪れたわけだ(→2010.12.26)。
それで結局、あと2回分をなんとかムリヤリ消化することになったのである。要するに、いつもどおりってことだ。
いい機会なので今シーズンは群馬から栃木に出て最終的には茨城に至る、北関東3連戦とするのだ。
それで本日は群馬から栃木までの両毛線の旅を敢行する。両毛線でいろいろ途中下車するのは初めてだ。

●05:15 大岡山-05:23 目黒

早起きして暗いうちに大岡山を出発。山手線のホームにたどり着いてもまだ暗い。

●05:30 目黒-05:56 上野

寝ぼけて内回りと外回りを間違えるというボケを以前かましているので(→2008.9.11)、
以来早朝の山手線には慎重になっている。上野駅に到着するといよいよ高崎線へ移動。

●06:03 上野-07:47 高崎

ホームから眺める空はまだまだ暗く、寒い。こないだ風邪を引いた記憶が蘇る(→2010.12.26)。
列車がやってくると急いで乗り込む。ほっと一安心。そのまま高崎駅までのんびり揺られる。

●08:05 高崎-08:35 伊勢崎

高崎にはついこないだ来たばかりなので特に新鮮味がない。今回はお昼を食べる予定があるので、
だるま弁当を買い込むことなく両毛線に乗り込む。30分ほどで伊勢崎駅に到着。
本日最初の市役所訪問は伊勢崎市からなのだ。南口は工事中で、外に出るまでちょっと厄介だった。

伊勢崎には前にも来たことがあるが、そのときは市街地へ向かう道を途中で引き返した(→2008.8.20)。
それだけ伊勢崎駅と市の中心部は距離があるのだ。でも今回は、それを早歩きで突き進む。
最初のうちはかなりローカルな街道だったが、やがて県道2号(古河街道)に出ると商店街の雰囲気となる。
しかし基本的には街を歩く人よりも通過する車のほうが主人公という印象を受ける。

 伊勢崎市の中心市街地、県道2号(古河街道)沿いを行く。

そこからさらに南に進むこと15分、国道462号にぶつかってようやく伊勢崎市役所とご対面である。
古い庁舎を取り囲むようにして増築しており、かなり複雑な形状をしている。中はもっと複雑だろう。
個人的にはそのフルアーマーぶりがなかなか面白い。角度によってさまざまな表情に見えるので、
これはややこしいですなーなどとつぶやきながら、どんどんデジカメのシャッターを切るのであった。

  
L: 国道462号の交差点から撮影した伊勢崎市役所。まずは増築された東館がお出迎え。
C: 前に張り出しているのは北館。右側の本館は1968年竣工だが、かなり大胆に改修されている。
R: 本館をクローズアップ。改修工事には佐藤総合計画が関わった。

実は伊勢崎市役所は耐震補強の改修工事がほぼ終わろうというところ(工事は2月いっぱいまで)。
ちょうどラストスパートの時期に訪れたことになるわけだ。今後、こういう形で市役所を使い続ける例は増えるだろう。
そういう点では非常に興味深い事例をいいタイミングで眺めたと言えそうだ。

 
L: 裏手にまわって本館を撮影。こちらは工事前の雰囲気がやや残っているかな。  R: 東館。平成オフィス建築だ。

のんびりと市役所を撮影していたら意外と時間を食ってしまった。少し慌てて伊勢崎駅まで戻る。
ふつうよく知らない街を訪れた場合、往路に比べて復路はあっさりめに感じるものだが、
伊勢崎の場合は市街地から駅まで再びしっかりと歩かされた感じである。いやー遠かった。

●09:32 伊勢崎-09:50 桐生

伊勢崎の次は桐生だ。群馬県ってのは、西側はいかつい山々で長野県と接しているのに対し、
東側は実になだらかに栃木県と接続している。その曖昧さすら感じさせる境目にあるのが桐生市だ。
桐生は日本でも指折りの織物の街なのだ。関ヶ原の合戦が勃発する直前の徳川家康は、
上杉景勝を討伐すべく小山にいた。それで挙兵した石田三成を倒すために西へ引き返そうとするが(小山評定、後述)、
軍旗が足りなくなってしまった。それをあっという間にそろえてみせたのが桐生の職人たちだったという。
そして今も桐生駅前には住宅に混じって織物関係の工場が多く点在しているそうだ。

桐生駅にある観光案内所でレンタサイクルを貸し出すのが10時から。置いてあるパンフレットをチェックして待ち、
10時になると同時に申し込み。そしたら優先的に電動自転車を貸してくれた。実は僕、電動自転車に乗ったことがない。
うまく運転できるか不安だったが、こういう機会でもないと乗ることがないので、素直に貸してもらうことにした。

まずは南口から市役所へ。桐生市役所は駅からほど近いところにあるので、まったく苦労することなく到着。
桐生市役所を設計したのは久米設計。1965年の竣工ということで、ちょっと凝ったモダニズム建築である。
同じく1965年竣工の市議会議事堂がまた面白い。高度経済成長期の「やる気」が伝わってくる佳作である。

  
L: かなり造形的に特徴のある市議会議事堂。  C: 市役所の側面。なお、裏手にある新館は1982年竣工だそうだ。
R: 南側、通りに面した側のファサード。基本的にはコンクリートのオフィス建築なのだが、かなり複雑な形をしている。

 市役所の奥には桐生市市民文化会館。坂倉建築研究所の設計で1997年に竣工。

市役所の撮影を終えると北口に出る。いよいよ本格的に桐生の街を走りまわるのだ。
桐生は奈良時代からの歴史を誇る絹織物の名産地で、それを反映して街の中には古い建物が今も多く残っている。
滞在予定はたったの1時間。もう自分でもバカだとは思うが、今回は広く浅くでガマンするのである。
レンタサイクルの力を借りて、できるだけ多くの古い建物を見てまわるつもりなのだ。

 桐生駅北口。両毛線は桐生駅どまりがけっこう多い印象。

まずはいちばんの大物であると思われる、重要文化財の「桐生明治館」を攻める。
この建物、市街地の中心部からはやや離れた場所にあるので、それでレンタサイクルを借りたのだ。
しかしながら電動自転車というのはスタートダッシュは非常になめらかでいいのだが、
だいたい時速15km以上のスピードが出ないようになっているらしく、いくら必死でペダルをこいでも進まない。
どうやらこちらの回転数を吸収してしまう仕組みが備わっているみたいだ。安全性を意識してのことかもしれないが、
これは本当に迷惑。こっちは時間との戦いを強いられているというのに、とんだとばっちりが入ったものだ。
もう二度と電動自転車なんて乗らねえや、と固く心に誓って走り続け、どうにか目的地に到着。

桐生明治館はかつて「群馬県衛生所」といった。1878(明治11)年、衛生所兼医学校として前橋に建てられたのだ。
その後、相生村(現在地)に村役場として移築された際に改築されたが、重要文化財指定後に当初の姿に復元された。
時間があればもちろん中を見学したかったのだが、そんな暇は当然なく、外からの写真を撮るのみで終了。
非常に交通量のある道で、撮影するのにけっこう手間がかかった。ぜひもう一度訪れたい施設である。

その後、桐生市街の中心部へと戻る。さすがに桐生は確かな産業で歴史的に栄えてきた街だけあり、
古い建物が多く残っている。先ほど観光案内所でもらったパンフレットには地図でしっかり紹介されていたが、
とてもとても1時間でチェックしきれる量ではないのだ。とりあえずゴールを群馬大学工学部に設定し、
走って走って走りまくる。ひたすらペダルをこいで過ごす。まったく、オレは何しに来たんだか。

  
L: 桐生明治館。衛生所兼医学校の後、県立女学校、小学校、群馬県農会などに転用され、相生村役場として現在地に移る。
C: 西桐生駅。1928年開業からの駅舎で、国の登録有形文化財にも登録されている。風格が違いますな。
R: 群馬大学工学部。1915年設立の桐生高等染織学校の流れを汲む。染物から工学部へってのはなかなかかっこいい。

やはり1時間しか滞在できないというタイトなスケジュールを組むべきではなかった。
桐生の街をじっくりと楽しむことなど到底できないのであった。どうにか意地で、
点在する古い建物をデジカメに収めるのがやっと。桐生の街に申し訳ない。
これはぜひ、いつかリベンジしなければならないだろう。日記を書いている今も悔しい。

  
L: 森合資会社。1914(大正3)年ごろに金融業の建物として建てられたそうだ。
C,R: 有鄰館・矢野商店。この有鄰館の倉庫群では土蔵や煉瓦蔵がイベントスペースとして活用されている。

大慌てでレンタサイクルを返却すると、両毛線のホームへ。どうにか間に合った。
動き出した列車は気づかないうちに栃木県に入っていた。群馬と栃木の境目は本当にどこにあるのかわからない。

●10:59 桐生-11:14 足利

列車に揺られていたのは15分ほどで、すぐに足利駅で降りる。もう本当に全然休むヒマがない。
でも改札を抜けると臨戦態勢に入ってしまうのだ。われながら困ったものだ。

 足利駅。1933年に竣工だそうで、やはりどこか雰囲気が違う。

足利市にはさまざまな名所があるが、まあなんといっても筆頭に挙がるのは足利学校だろう。
平安時代からとも鎌倉時代からとも言われるほど古い歴史を持つ学校で、かつては関東における最高学府だった。
しかし江戸時代には朱子学が公式な学問とされたため、易学中心の足利学校は徐々に衰退していくことになる。
そして1872(明治5)年には廃校となってしまった。1990年に整備がなされ、現在は観光名所として定着している。

足利駅から北西へ10分ほど歩いていくと、足利学校に着く。駅から足利学校に至るまでは交通量のある道が続き、
地方都市にしては比較的元気な街かな、という印象を受ける。実際、足利学校の観光客の数もそれなりに多い。
400円を払って中に入る。われわれは現在の小学校・中学校・高校・大学の空間構成には慣れきっているが、
近代以前の学校の空間には馴染みがない。グラウンドの有無が最も大きな差かな、とあらためて思う。
門をくぐるとまず左手に図書館。あまり趣味のよくない和風コンクリだなと思ったら、1915(大正4)年の建物だそうだ。
戻って北側の奥まった位置にあるのが1668(寛文8)年築の孔子廟。新しくつくられた空間の中で異彩を放っている。
先へ進むと1990年に復元された方丈と庫裏。南北に庭園があり、かつての学校はこんな雰囲気だったのか、と思う。
何百年も前にこの場所で勉強している自分を勝手に想像してみて面白がって過ごすのであった。

  
L: 足利学校の入口。現在の足利学校は生涯学習の拠点となっているそうだ。  C: 孔子廟。江戸時代の学校っぽいなあ。
R: 左手が方丈、その奥が庫裏。右手は庭園。かつての学校はこんな感じだったみたいだ。

 方丈を角度を変えて撮影。

続いて訪れたのは鑁阿寺。「ばんなじ」と読む。ここはもともと足利氏の居館だった場所だ。
寺となっている今でも境内の周りには土塁と堀があり、四方にある門をくぐって入ることになるので、
有力武士の館に入るという雰囲気をしっかりと味わうことができる。これはなかなか貴重な場所だ。
(ちなみに「日本100名城」にも「足利氏館跡」ということで選出されている。)

境内の中では重要文化財の本堂がかなりの存在感でどっしりと構えている。1299(正安元)年建立だそうで、
かなりの風格だ。境内をふらふらと歩いてみたのだが、中央部は寺としての雰囲気ががっちりしているのだが、
西側の端っこはすっかり子ども向けの公園になっており、足利氏の居館だった過去が遠いことを実感させられる。

  
L: 山門と太鼓橋を真正面から。これで堀を渡って境内に入る。鑁阿寺は今でも武士の館の雰囲気を漂わせている。
C: しかし先へ進むと確かに寺となっている。見事な本堂のほか、鐘楼や多宝塔などさまざまな建物があるのだ。
R: 子ども向けの公園となっている場所もある。 時が流れれば空間の用途も変わるものだなあ。

 市役所を目指して鑁阿寺の脇を行く。居館跡としての雰囲気は残っている。

最後に足利市役所。鑁阿寺からさらに北へと進んでいくと、歩道橋の先に茶色の四角い塊があるのが見える。
これが足利市役所の本庁舎で、石本建築事務所の設計により1974年に竣工。ところがこれだけじゃない。
敷地の北側にまわり込むと、本庁舎別館のファサードが現れる。こちらも石本建築事務所の設計だが、
1952年竣工でありなかなかの迫力。さらに道を挟んだ向かいには白い水道庁舎が建っている。
これは本庁舎と同じで1974年竣工、やはり石本建築事務所の設計。この一帯は、足利市行政の中心地となっている。
三者三様に特徴のある建物が並んでおり、見ていて飽きない。庁舎マニアにはかなり贅沢な環境である。

  
L: 足利市役所本庁舎。オフィス部分とホール的な要素の部分をしっかり分けて用意してあるのがいかにもだ。
C: 1952年竣工の本庁舎別館。すばらしい風格だ。  R: 道を挟んだ水道庁舎。ムダのない感じが実にクール。

 足利市章入りのマンホールのフタ。足利市章はなかなか面白いデザインだ。

足利も見どころ満載だったが、距離的に徒歩でもそれほど無理がなくまとまっていたので、
先ほどの桐生に比べればそこそこ余裕を持って駅まで戻ることができた。が、疲れていることにかわりはない。
だいぶヘロヘロな状態になって列車に揺られるのであった。これでやっと午後に入った……。

●12:11 足利-12:22 佐野

佐野といったら佐野ラーメンなのだ! 今日の昼は佐野ラーメンをいただくのだ!
ということで、なんとかやる気を出して改札を抜ける。佐野駅は建て替えられたばかりのようでずいぶん新しい。
まずは駅舎の1階にある観光案内所を訪れて、佐野ラーメンが食べられる店のマップを入手する。
しかし困ったことに、佐野ラーメンの有名店は駅から遠い場所に散らばっているようで、どこも歩きでは厳しそう。
またその影響で、マップじたいが大雑把。駅周辺の道の状況がいまひとつつかめない仕上がりなのだ。
とりあえず、歩きながらなんとかしよう、といつもの見切り発車全開で駅を後にするのだった。

 佐野駅南口。北口は城山公園にそのまま接続しているのだ。

佐野駅南口から歩いてすぐのところに佐野市役所はある。駅からまっすぐ伸びる道に面しているくせに、
その道はあまり広くないので、けっこう撮影がしづらかった。佐野もよくわからない街だなあと思う。
佐野市は1964年に首都圏内の都市開発区域という指定を受けたそうで、それにより工業・住宅団地が造成された。
また国道50号から佐野藤岡ICの辺りには佐野新都市がつくられ、アウトレットなどの大規模商業施設がある。
田舎なのか都会なのか。古い住宅地なのか新しい住宅地なのか工業地帯なのか商業地帯なのか。よくわからない。

さて佐野市役所は1962年の竣工。見るからに、いかにも昭和30年代の庁舎である。
後に東日本大震災で被害を受けて今年度中の取り壊しが決定するのだが、さもありなんって感じだ。

  
L: 1962年竣工の佐野市役所。  C: こちらは本庁舎。  R: こちらは議場棟。後に東日本大震災で損壊する……。

 佐野市役所の裏側(議場棟)。古さを隠さない。

市役所の撮影を終えると、いちばん駅から近い佐野ラーメンの有名店を目指す。
どうも「森田屋総本店」というのが良さそうなのだが、マップの異様なまでの大雑把さ、そして何より、
佐野駅周辺は商店街がなく完全に住宅地となっていることで、大いに迷いそうになる。
ランドマークになるものが、マップにも現地にもまったく存在しないのである。これは本当に強烈だった。
しょうがないので道路の雰囲気、つまり勘だけでまっすぐ進んで右折して歩いていく。
結論から言うと、運のいいことにまったくムダなく店にたどり着くことができたのだが、
駅からずっと住宅しかない佐野の街にはものすごく奇妙な感触を覚えた。

さて佐野ラーメンである。森田屋総本店の店の前はまずまずの広さの駐車場となっているのだが、
それが完全に埋まっている。しかもナンバープレートを見ると、実にバラエティに富んだ地名のオンパレード。
それだけあちこちからわざわざ食べにくるのか、と呆れてしまった。扉を開くと店内に行列。
行列の横にあるガラス越しの部屋では青竹を使って麺を打っている真っ最中。正しい佐野ラーメンの姿である。
店内はけっこうな広さなのだが、家族連れを中心に見事に満席。正月早々、すばらしい繁盛ぶりだ。
先に注文をしてしばらく行列で待ってから席に案内されるスタイル。喜多方の坂内食堂と一緒だ。

やってきた佐野ラーメンは、なるほど正統派の醤油ラーメンである。麺の太さが不揃いなのが、
青竹で打った手づくりであることを如実に物語っている。ところが実際食ってみると、ゆですぎでは……?という食感。
ネギ・チャーシュー・メンマとスープの組み合わせはシンプルでよかっただけに、ちょっと残念なのであった。

 森田屋総本店の佐野ラーメン。もちろん大盛りをいただいた。

行列で待って食べたことで、少し余裕を持ってスケジュールを組んだつもりがギリギリになってしまった。
やっぱり佐野ラーメンは正統派の手づくり醤油ラーメンだから人気があるなあ、と実感させられた。

●14:17 佐野-14:44 小山

佐野を出ると、今回は栃木市をスルーして終点の小山へ。小山というと桜金造の「小山ゆうえんち~」かもしれないが、
残念ながら2005年3月に閉園。まあとりあえず、僕の目的は市役所なのだ。西口を出て市役所を目指す。

 小山駅。さすがにけっこうな都会っぽい駅だ。

交通の要衝であるからか、小山はなかなか道が広く、いかにも「県庁所在地に準ずる都市」という風格が漂っている。
しかしながら、これといった特筆すべき観光資源に恵まれているわけではない。
そのためか、小山市は懸命に「開運のまち」ということでアピールをしている。
これは前述のように、家康が石田三成の挙兵を聞いて西へ引き返す決断をした「小山評定」のエピソードによる。
それで小山市は徳川家康が天下人となるきっかけとなった地、ということで「開運のまち」を名乗っているのだ。

途中でかつての古い八百屋の建物を改装した小山市まちの駅でいくつかパンフレットを入手する。
そうして小山駅から西へ歩くこと10分、国道4号に出る。小山市役所はそこからすぐだ。
小山市役所は1964年、石本建築事務所の設計によって竣工した。足利も石本だったが、
石本は一時期、市庁舎の設計で圧倒的な強さを誇っていたようだ(調べたら多摩地区も多かったのだ)。
それまで3階建てだった鉄筋コンクリート庁舎が4階建てになりだした、そんな時期らしい建物だ。

  
L: 小山市役所本庁舎。いかにも1960年代庁舎といったデザインだが、スケールが大きく、そのまま4階建てになった感じ。
C: 向かって左にある市役所別館は1989年の竣工。  R: 駐車場を挟んだ反対側にはプレハブの庁舎が。なかなか大変そうだ。

 東の思川側は少し高さが下がっており、駐車場になっている。

小山の中心部にはこれといった観光名所がないので、とりあえず古い建物を見ておこうと思い、
小山市文書館を訪れてみることにした。途中でちょっと立派な感じの神社があったので寄ってみる。
須賀神社といって、小山城の築城時に城の鎮守として現在地に移ったのだそうだ。

  
L: 須賀神社。まだ松の内ということでか、出店が出ていた。  C: テントで拝殿が見えん!
R: 小山市文書館。まあ、特にこれといってどうこうということはないですね。

日差しも夕方のものに近づいてきたし、これでとりあえず小山の観光はおしまいということにする。
住宅街を抜けて小山駅まで戻ると、駅に隣接するデパートのタリーズでマンゴータンゴスワークルをいただきつつ、
MacBookAirで日記を書いて過ごす。今回はFREITAGのWILLY(→2005.10.14)にMacBookAirを入れてきたのだ。
さすがMacBookAir、WILLYにスポンと入ってしまうのだ。そして重さがまったく気にならない。最高な気分だ。
おかげでけっこう快調に日記を書き進めることができた。この勢いでどんどん負債を返済していくのだ!

 やっぱり栃木県ではレモン牛乳関連商品が大人気なのであった。

宇都宮まで出て餃子を食べる気力はさすがになく、おとなしく宇都宮線で上野まで戻る。
まあ風邪を引くこともなく無事に東京まで戻ることができたからヨシとするのだ。次回は水戸線だぜ!


2011.1.4 (Tue.)

本日東京に戻ってきた。当初は沼津経由でバヒさんのところに寄って帰るつもりだったのだが、
バヒさんが急にインフルエンザになってしまったので、素直に中央本線で東京に戻ることになってしまった。
なんだか妙にツイてない。しょうがないので明日はムリヤリにでも青春18きっぷでどっかに出かけることにする。


2011.1.3 (Mon.)

今日は一日テレビっ子なのであった。

午後1時にノコノコ起きてきて、まずはライスボウル。毎年学生側を応援するのがならわしになっているのだが、
立命館は強いのであまり応援する気になれず。まあとりあえず、いいプレーが見たいなあと思って画面に向き合う。
結論から言っちゃうと、立命館はQBをはじめとする攻撃陣がまったくいいところがなく、
(逆を言えばつまりオービックの守備陣が地味ながらもすばらしい活躍をしたということだ。完封だし。)
最後まで追加点を狙って攻めまくるオービック攻撃陣に対してギリギリのところで踏ん張る立命館の守備陣の戦いに。
しかしこれがけっこう熱く、確実に見ごたえはあった。まあその分、立命館の攻撃のショボさが際立ってしまったのだが……。

夜になったらお笑い番組。なんせ僕には世の中学生と話題を合わせなくちゃいけないという大義名分があるのだ。
だからガハハとくだらないギャグで笑っていても何の問題もないのである。しかし楽しんごはやたらデカいな。

それが終わるとビートたけしの仏教についての番組を父親と一緒に見る。
僕は旅行であちこちの神社仏閣を訪問しまくっているのだが、仏教の細かい部分についてはけっこういいかげんで、
何がなんだかめまいがするので放ったらかしにしていたのである。いい機会なので勉強してみることに。
再現VTRをカンニング竹山と小島よしおだけで押し通す低予算な側面をうかがわせつつも、中身はきっちり濃くって満足。

深夜は爆笑問題が司会で懐かしのボキャブラ芸人が「伸び悩み芸人」として出てくる特番を楽しむ。
しかし明らかに皆さんレギュラー芸人の勢いに圧倒されて静かで、そこがちょっと残念なのであった。

そこからさらに海外のメジャーリーグについてのドキュメンタリーまでがんばったのだが、
大学時代くらいに仕入れた知識をなぞる内容だったので途中でギブアップして寝た。
正月のテレビ番組は、1月1日には見るべきものが何もないくせに、2日や3日は面白いものが目白押し過ぎて困る。


2011.1.2 (Sun.)

初売りということでみんなで松本まで出かける。蕎麦の旨い店があるということで、ぜひ食べようと。
そんでもってPARCOに行こうと。ウチは本当に松本PARCOが大好きだな!

目的の蕎麦屋は松本駅の駅ビル内に移転しており、駅まで歩くことに。
しかしながら手間がかかった分だけやっぱり旨いのであった。4人全員で大盛りの盛り蕎麦を平らげる。大満足。
その後はPARCOを各自ぶらぶら。僕はアンブロのジャージを安く売っているのを見つけて衝動買い。珍しや。
これを着ると全身が青と水色になるので、ロックマンのコスプレ気分になれること請け合いな逸品である。
最上階ではヴィレッジ・ヴァンガードの隣の特設スペースで、東急ハンズのトラックマーケットをやっていたので見てみる。
しかしながら東急ハンズのいいところを1%も持ってきていないその貧相さに泣きたくなるほど悲しくなるのであった。
最後に地下のアイス屋で4人それぞれアイスを食ってPARCOを出る。
僕はまずバニラ、それがない場合にはそこに置いてあるいちばんワケのわからん味に挑戦するという主義なので、
「ボルスブルー」という味にしてみた。カクテルらしいのだが、いざ食ってみたら上品なヨーグルトチーズケーキ風味だった。
これは新年早々当たりを引いた気分。こんなんで機嫌よくなれるんだから幸せなものだ。


2011.1.1 (Sat.)

元旦といえば! 天皇杯!
鹿島が優勝したところでまったくもってつまらんのである。
当然、この試合を最後に長谷川監督をはじめ数多くの選手がチームを去ってしまう清水を応援。
しかしながらゲームが始まると清水の選手の動きは重く、対照的に鹿島の動きはいちいち気が利いている感じ。
こりゃこのままじゃ負けるなあ……と心配しつつテレビにかじりつく。やっぱり地デジはサッカー中継もきれいだ。
そしてCKから鹿島が先制して前半終了。しかし後半に入ると清水の動きが軽くなり、ヨンセンが技ありのゴール。
やったぜと喜んだのも束の間で、結局野沢がFKを直接決めて優勝したのであった。うーん、(妥当だが)つまらん!

夜には大晦日にできなかった麻雀大会を開催。今年大きな変化のある潤平がめちゃくちゃなツキを発揮して大暴れ。
そのしわ寄せがまず僕のところに来て、なんとトんでしまいました。人生でハコは初めてでショック。
しかしながら点を借りて続けていたら、これまたなんと大三元を和了ってしまった。まさに天国と地獄。もう何がなんやら。
どうやら今年はとんでもない年になりそうな気配がビンビンである。


diary 2010.12.

diary 2011

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