新しい環境になって1ヶ月が経ったのだが、まあ慣れないこと慣れないこと。
自分の適応能力についてはごくふつうだと思っているのだが、それでも全然ダメである。
まあ、全然ダメなことに気づけるだけ、4年前(→2009.4.30)よりも成長しているのかもしれないが。
僕はもともと、要領がつかめるまでは完全なるデクノボウで、ある日突然要領がつかめるというタイプで、
過去のバイトではけっこうご迷惑をおかけしてきている。きっと今も迷惑をかけている真っ最中だろうなあと思う。
そこをある程度開き直れると信頼関係のきっかけになることもあるわけで、でも迷惑はできるだけかけたくないしで、
なかなか歯がゆい毎日を送っているところだ。周りの皆様にはなんとか、長い目で見ていただきたい……。それにしても、新しい職場に移るということがこんなにも疲れることだとは思わなかった。
今までは環境が変わるたびに自分の立場や職業が大胆に変化していたので、このことは完全に盲点になっていた。
職業が変わらないまま職場が変わるというのは、目に見えないズレのひとつひとつで神経を使わされて、本当に疲れる。
その事実に直面して、ただひたすらに愕然としている感じである。いや、これは本当にエネルギーを食うわ。
昨日見た映画のレヴューでも書きましょうか。『HK 変態仮面』。
なぜ今ごろになって映画化されたのかはよくわからないのだが、原作はジャンプの『究極!!変態仮面』。
まあ当然、中二病丸出しのわれわれからすれば一般教養レヴェルの存在のマンガである。
ただ、連載された時期が個人的にジャンプがツボだった時期よりやや遅かったため、きちんと読んではいない。
そのため、原作マンガと比較してどーのこーのということは、あんまり書けない。映画単体について書いていく。まず、チケットを買うところから。僕は何の気なしに「19時半の『変態仮面』を1枚」と言ったのだが、直後に気がついた。
チケット売り場で応対してくれたのが、若い女の子だったことに。気がついた瞬間、すごく恥ずかしくなってきた。
ところがこの女の子がまた正直者で、「はい、『変態仮面』ですね」とか、「ただいま『変態仮面』のお席は……」とか、
「こちらが『変態仮面』のチケットになります」とか、何度も何度も「変態仮面」「変態仮面」と繰り返しちゃうのである。
もう本当に申し訳なくって。まあそんな具合に、映画が始まる前の段階からすでに変態仮面が大暴れなのであった。さて映画が始まると、主演の鈴木亮平がなんだか熱海ロマン旧メンバーの奥田君そっくりに思えてならないのである。
どっちも筋肉質ってだけで顔はそんなに似ていないはずなのだが、やたらと奥田君に見えて仕方なかった。なぜだ。
一方、ヒロインは……すいません、鼻が気になって、どうにもそこまで「おぉ、美人だ!」とはなれませんでした。
見る前から十分わかっていたつもりだったのだが、予想を上回るB級感に終始圧倒されてしまうのであった。腹の立った点を先に書いておく。変態仮面の敵としてさまざまな個性派俳優が登場するのだが、どうも内輪感覚が強い。
大金玉男にしろ真面目仮面にしろ戸渡にしろ、個性派俳優のやりたい放題っぷりを前面に押し出していて、
それが僕には合わなくて大いに困った。だってつまんないんだもん。面白がっているのはスタッフとわかる人だけ。
僕みたいに『変態仮面』ということでわざわざ見に行った人間にしてみれば、原作と関係のない内輪のパフォーマンスを、
延々と見せられるのは苦痛でしかない。『変態仮面』の名を利用しただけの、ただの悪ふざけじゃねえか!と思うのだ。
おまけにストーリーとしては完全に破綻しており、もうめちゃくちゃ。優先順位を明らかに間違えているのである。しかし、そんな不満を吹き飛ばしてしまうほどに、変態仮面の肉体美というか体のクオリティは凄まじい。
まさにマンガのイメージそのままなのだ。これを見るための拝観料として1800円を払うのがまったく惜しくない。
変態仮面の実写化という意味では、これ以上のものはありえないだろう。本当に、完全にマンガの映像化そのもの。
原作から15年以上経って、完璧な変態仮面が再現されるというのは、ただただ驚きである。みんな好きなんだねえ。
ゴールデンウィークの前半戦は、体力の回復に努めるのが最優先。しかし遠くにも行きたい。
そこで、3連休の中日である本日のみの予定で、宮城県方面へと出かけることにしたのである。
夜行バスで行って夜行バスで帰るという強行軍。よけいに疲れがたまるだけな気もするが、行くしかない。
市役所に県庁に100名城に一宮に乗りつぶしにJリーグまである盛りだくさんな一日なのだ。やりまっせ。◇
夜行バスは予定どおり、5時30分に仙台駅の東口にあるバスターミナルに無事に到着した。
東口界隈は6年前にも訪れているのだが、当時と比べてかなり建物が増えて様子が変わっている(→2007.5.2)。
いちばん驚いたのは、早朝にもかかわらず歩いている人の姿がかなり目立っていることだ。
仙台駅東口は東北地方でもトップレヴェルの交通の要衝ぶりであるらしく、大きな荷物を持った人でいっぱいだ。
それに比べて客を収容する店の数は圧倒的に少なく、マクドナルドも商業施設の定食屋も満杯になっている。
それでもどうにか定食屋の一角に相席で滑り込むと、格安のかけそばをいただいて目を覚ます。
周囲は時間の感覚が不安になるほどの賑わいぶりで、なんとも不思議な世界に紛れ込んだ気分である。動くんなら早め早めに動いてしまおうということで、予定よりも早く最初の行動をスタートさせる。
朝の余裕のあるうちに、東北本線の利府支線に乗っておくのだ。この見事なる盲腸線を押さえておかないと、
なんとも中途半端な感覚が消えなくって困るのである。電車に乗り込んだところ、今日は陸上の大会があるのか、
車内はジャージ姿の高校生たちでいっぱい。終点の利府駅まで一緒に揺られると、僕ひとりだけ最果てを味わう。
L: 仙台駅東口は6年前(→2007.5.2)からだいぶ様変わりしとるね。 C: でも西口は全然変わっていないなあ。
R: 利府駅の最果て光景。利府支線はかつては東北本線のメインルートだった。宮城スタジアムって遠いんだなあ……。最果てを味わう以外にやることは特にないので、そのまま引き返して岩切で東北本線の本線に乗り換える。
そして降りたのは、国府多賀城駅。2001年に地元の要望で開業したという、かなり新しい駅である。
駅の北口にはロータリーの脇に遺跡(館前遺跡)がそのまま残っており、これがかなりの存在感となっている。国府多賀城駅より見下ろす館前遺跡。
国府多賀城駅からとりあえずまっすぐ歩いて県道35号に出ると、左に曲がってしばらく進む。
すると親切に多賀城跡の案内板が出ているので、それに従って素直に北へと入っていく。左手は小高い丘だが、
遺跡らしい雰囲気がしっかりと漂っている。多賀城跡はなかなか駅から近くてすばらしい。上機嫌でそちらへまわり込む。多賀城は日本100名城にも選出されているし、自治体の名前にもなっている。が、歴史はだいぶ古い。
律令時代に設置された城で、陸奥国府や鎮守府として機能した。つまり、北端に置かれて蝦夷との境界となったわけだ。
ちょうど、西端の大宰府(→2011.3.26)に対応するような関係をなしていると思えばいいようだ。
で、その小高い丘は多賀城の南門跡である。桜の木が植わっているが、今年は開花が早かったので見頃は過ぎている。
丘のゆったりとした高低差がそのまま残っている中、南門跡のところだけが真っ平らになっていた。
その南門跡を越えるとお堂のような建物がある。中を覗き込んだら、ぬりかべみたいな格好で石碑が建っている。
これが重要文化財にも指定されている多賀城碑。762(天平宝字6)年に多賀城修復を記念して建てた碑だそうで、
1200年以上の歴史がそこには刻まれているのだ。想像力を必要とする跡地の中で、強烈なリアリティを放っている。
L: 多賀城・南門跡。城内の高低差を放ったらかしにしている事例はあまり見かけない。歴史が古いんだなあ。
C: 多賀城碑の覆屋。なかなか上品でよろしい。 R: 覗き込んだら奈良時代の石碑とご対面できるのだ。道路を渡って北側に入り、石段を上っていったところが多賀城の政庁跡地である。
さっきも書いたが、多賀城は単なる軍事的な城ではなく、国府・鎮守府としての要素も持つ施設だったのだ。
やはり周囲は高低差がそのままになっているのだが、政庁部分だけはその起伏が削られている。
ただし、非常にゆるやかに山から里に向かって傾斜している。これは大宰府にもあった(→2011.3.26)。
振り返ればその穏やかな斜面の先には、いかにも「人里」という響きがしっくりくるのんびりとした光景が広がっている。
かつてこの地にいた人々も、同じように人々の生活を眺めていたのだろう。少しタイムスリップ気分になってみる。
L: 多賀城政庁跡へと続く道。当時もこんな感じの起伏がそのままだったのかねえ。
C: 政庁跡はけっこう広くて、デジカメの視野にうまく収まってくれない。とりあえず正殿跡を撮影。
R: 周囲は土塁で区切られている。これは政庁の門のところから東側を眺めたところ。山の上だが広い。かつて多賀城は歌枕にも多く登場するほどの憧れの地であったそうだ。今ではすっかり夢の跡ではあるのだが、
政庁跡からしばらく人里を眺めていると、それもなんとなくわかる気がしてくるから不思議なものだ。こんな感じで建物の礎石が整備されているのだ。
いったん国府多賀城駅に戻り、今度は南口に出る。そこにはすぐ、東北歴史博物館があるのだが、
さすがにまだ開館時間前なのだ。その庭先を通って林の中の散策路を抜けて、多賀城廃寺跡を見学する。
思えば大宰府でも古い寺がいくつか残っていたが(→2011.3.26)、あれと同じようなもんだ。
さすがに律令時代ということで、仏教が大和朝廷の中央集権化のツールとして利用されていた時期で、
建物こそ残っていないものの、当時の権威を十分に感じさせる空間構成はよく残っている。
でもその礎石の上ではおばあちゃん軍団が早朝太極拳の真っ最中なのであった。盛者必衰なのである。
L: 東北歴史博物館。1999年にオープンしたそうで、東北代表としての気合を感じさせる規模の施設だ。
C: 多賀城廃寺の塔跡。周囲よりも一段高いところにこのような礎石がしっかりと残っている。
R: 塔跡から太極拳に夢中なおばあちゃん軍団を眺める。かつての権力の容器も、今では便利な公園である。国府多賀城駅から電車に乗って1駅、次の塩釜駅で降りる。東北本線と仙石線は近くを走っているくせに、
これがぜんぜん接続しないのだ。塩竈市の中心部に行くには仙石線の本塩釜駅の方が近くて便利なのだが、
東北本線からだと塩釜駅で降りて歩くなりバスにするなりタクシーにするなり、その3択ということになる。
こちとらすっかり覚悟は完了しているので、グイグイ北へと歩いて緩やかな坂を上って下っていく。
すると県道3号との交差点に出る。これを右折すれば、陸奥国一宮である鹽竈(しおがま)神社に到着するのだ。
そうして鹽竈神社の鳥居・参道と向き合うと、その石段の長さに思わず息を呑む。これはかなり面倒くさそうだ。
でもやる気を出して上っていくしかない。霊験あらたかな神社はそういうもんなのでしょうがないのだ。
L: 東西方向に延びる道から横参道の形で入り、南北方向に延びる鹽竈神社の石段を上っていくことになる。
C: これはなかなか強烈である。しっかりと高さがあるのだ。 R: 石段を上っていくと随神門。さすがに立派。さて鹽竈神社だが、「鹽」とは「塩」の旧字体で、「竈」とは「かまど」のこと。その名のとおり、
かつて塩竈は製塩業で大いに栄えた場所であり、塩は殺菌能力があり長期保存に役立つことから神聖視されたそうだ。
先ほどの国府・多賀城との位置関係もあって、東北でも屈指の崇敬を集める神社となって現在に至っている。
鹽竈神社は1700年前後に伊達家が造営した社殿がたっぷり重要文化財となっている。その辺も見どころなのだ。
石段のきつい神社はけっこう参拝してきたのだが、鹽竈神社の表参道はその中でもしっかり上位に入るレヴェル。
しっかり汗をかいて上りきると、なぜかいきなり神輿が置いてあった。後でわかったのだが、今日はお祭りのようだ。
それで特別に神輿を置いてあったのだと思う。で、その神輿の奥に最後の石段があって、随神門がそびえている。
さすがに立派で、できればきれいに撮影したかったのが、石段からすぐのところにあって距離がとれない。残念である。
L: 四足門(唐門)。 鹽竈神社の空間構成は非常に独特で、まっすぐ行くと左右の本殿と拝殿、右手に別宮。
C: あーあ、またこれだよ。せっかく来たのに左右宮拝殿は修復中。でも左右の本殿の鏡が直接置かれて参拝できる。
R: こちらは別宮。これを見て左右宮拝殿の姿を想像するしかないのが切ない。塩竈桜も見頃を過ぎているし……。というわけで、せっかく来たのに本殿の手前にある左右宮拝殿は修復中でシートをかぶっていたのであった。
参拝して軽く散歩してから御守をいただくと、お隣の志波彦(しわひこ)神社方面へと抜ける。
L: 四足門を出て志波彦神社方面へ。周りは塩竈桜をはじめとして桜の木がいっぱい。
R: お祭りだからか、舞殿ではこれから舞が行われる模様。かなり見やすい舞殿である。というわけで志波彦神社へ。志波彦神社が鹽竈神社の境内に移ったのは明治に入ってからのこと。
もともとは利府支線が分岐する岩切にあったそうだが、土地がなかったのでこっちに来たそうだ。
門の前からはなかなか見事な庭園を見ることができる。庭園の先には塩竈港が見えて、それがすごくいい。
庭園の隣には鹽竈神社博物館。1965年竣工ということで、まさに時代を感じさせるデザインの建物である。
中に入ってもやっぱり当時の昭和な雰囲気が満載で、収蔵品も刀剣を中心になかなか見応えがあった。
L: ハトがいっぱいの志波彦神社。拝殿はこの奥。 C: 志波彦神社前の庭園が見事。塩竈港の借景ぶりがいい。
R: 鹽竈神社博物館。昭和な展示がノスタルジー。屋上から街を見下ろせるが、もう少し高さが欲しかったなあ。裏参道から塩竈の街に出る。さっきの表参道の石段が強烈だったが、その分だけしっかり位置エネルギーがあるわけで、
裏参道は石段が急でない分だけ距離を歩かされた感じ。でもその道は古道っぽい風情があってなかなかだった。こちらが裏参道の鳥居。表参道より東にあって駅に近い。
せっかくなので、もうひとつ神社に寄ってみる。その名も、御釜(おかま)神社だ。おかまの神社なのだ。
といって面白がるのは失礼な話で、鹽竈神社の末社の中でも特別な存在なのである。面白がってはいかんのである。
実際に御釜神社には「塩竈」の地名の由来となった神器の竈が収められているのだ。というわけで参拝。
L: 御釜神社は街の一角に鎮座しているのだ。お祭りということでか、地元の皆さんが何やら準備中なのであった。
C: こちらに神器の竈が収められている。 R: ご本殿。何も知らないとただの街の神社に見えちゃうんだろうなあ。海と山に囲まれた街なので、塩竈の都市構造はわりと複雑。印刷した地図を手に、わけのわからないまま市役所へ。
塩竈市役所はごくごく小さい山の麓に貼り付くようにして建っていた。調べたら1960年竣工ということで、
見事に当時の庁舎建築の典型的なデザインである。狭苦しい駐車場も当時のままって感じで、いとおしさすらおぼえる。
L: 塩竈市役所。この感じ、実に昭和30年代である。 C: 角度を変えて真正面から。 R: こちらは側面。裏は山。ちなみに東北地方ではポストの上にオブジェを設置する事例が散見されるが(→2007.4.29/2007.4.30/2007.5.1)、
塩竈ではマグロなのであった。こういうところに地元のプライドが垣間見えるので面白いんだよなあ。市役所の撮影を終えると、ぐるっとまわり込んで本塩釜駅へ。先ほどの東北本線・塩釜駅よりも、
こちらの仙石線・本塩釜駅の方がずっとメジャーである模様。駅の周囲には真新しい商業施設があるなど、
ずいぶんと元気な印象がある。特に今日は祭りということで、駅前はどっちの出口も大賑わいなのであった。
L: 塩竈市役所前のマグロポストをクローズアップ。 C: お祭り中の本塩釜駅。 R: 歩行者天国は大賑わいだ。今ごろになってようやく青空が広がってきた。僕はまだ新しいデジカメの扱いに慣れていなくって、
曇り空だとまったく魅力的な写真が撮れない。だから曇天の下で鹽竈神社を訪れたことが悔しくてたまらないのだ。
でもこればっかりはしょうがないので、気持ちを切り替えて塩竈の街を後にする。次の目的地は隣の多賀城市役所だ。東北本線と仙石線の関係はやっぱり面倒くさい。多賀城駅で降りるのは2回目なのだが(→2008.9.11)、
本格的に周辺を歩きまわるのは初めてになる。といっても、すでにさっき多賀城跡には行っているので、
さらっと多賀城市役所を撮影したら引き返すだけなのだが。ちなみに多賀城駅から多賀城跡まではそんなに遠くなく、
十分徒歩で移動可能な圏内である。さっき訪れた場所と今の場所がどうつながるのか確かめてみたい気持ちもあったが、
朝から歩きまわる日帰り夜行バス旅行中なので、それを実行するだけの気力はさすがになかった。無理なもんは無理。すぐに多賀城市役所に到着。交差点の向こうには東北学院大学のほか、さまざまな公共施設や住宅が集まっている。
どうやらこの周辺は一気に開発された場所のようで、市役所の建設がそれに一役買っていたんじゃないかって匂いがする。
多賀城は歴史ある場所であると同時に、仙台のベッドタウンとしての側面も非常に強い場所なのだとあらためて納得。
L: 多賀城市役所(西棟)。こちらは1989年に増築されたもの。 C: 右が東棟で左が西棟。東棟は1970年竣工。
R: 駐車場を挟んだ南には1976年竣工の母子健康センター。多賀城市はホームページで公共施設の竣工年を公表していて偉い!目的を達成すると、さっさと仙台まで戻ることにする。仙石線の終点・あおば通駅で、そのまま地下鉄に乗り換える。
ちなみに地下鉄の仙台駅は、JRの仙台駅よりもあおば通駅の方がアクセスしやすい。僕にはわけがわかりません。
で、土日だと600円で買える地下鉄の一日乗車券を購入して勾当台公園まで。そこにあるのは当然、役所である。
6年前にも訪れているのだが(→2007.5.1)、宮城県庁と仙台市役所をあらためて撮影しようというわけだ。
さっきまでの曇り空は完全にどこかへ行ってしまい、仙台の街には初夏の日差しがしっかりと降り注いでいる。
前回撮影したときにはバッチリ曇っていたので、絶好のリヴェンジの機会なのだ。気合を入れてデジカメを構える。
L: まずは仙台市役所から。前回訪問時にも感じたが、派手ではないがきれいに使っていて、古びた感じはあまりない。
C: 噴水広場から撮影。 R: さらに議会棟の側面を眺めてみる。1960年代モダンの雰囲気が全開である。仙台市役所は山下寿郎の設計で1965年に竣工。ちなみに先代の市役所は現在の噴水広場の位置にあったそうだ。
本庁舎はいかにも当時の完成されたモダン庁舎スタイルだが、向かって左の議会棟は細かいところで凝っている。
手前の噴水広場もそうだけど、派手ではないが、確かな誇りが感じられる空間となっているのだ。
L: というわけで議会棟を正面より撮影。モダンの中の装飾が面白いのだ。 C: 交差点より裏側を眺める。
R: バス停の辺りから側面を眺める。エントランスのピロティ部分がいかにも当時っぽい価値観である。道を挟んだところにある青葉区役所もいちおう撮影。今回は側面からの角度で撮ってみたのだ。
青葉区役所。仙台市役所側から交差点を挟んで。
続いてはやはり、お隣の宮城県庁である。1989年の竣工で、三菱地所が行政庁舎を設計している模様。
議会・行政・警察の庁舎が3連発で実に堂々と並んでいる。東北の雄としての規模を見せつけるような迫力がある。
L: 宮城県庁・議会庁舎。 C: こちらは中心に立つ行政庁舎。 R: 行政庁舎(左)と警察庁舎(右)。いちおうデジカメのシャッターを切りながら敷地を一周してみるが、あまりに背が高いのでなかなか面白くない。
派手にならない色彩でマッシヴに建てたオフィス建築ということで、実に典型的な事例となっている。
外から眺めると木々の配置にあまり脈絡が感じられず、駐車場も建物の周囲にただ配置してあるだけなので、
どうしてもフォトジェニックでないのだ。きれいに建物を撮影できるポイントがない。閉じている印象がある。
結果、隣の仙台市役所とは非常に対照的な仕上がりとなっている。なんとも貧しい建物だと思う。
L: 仙台ということで、宮城県庁の脇には林子平の像がある。『海国兵談』ってとんでもない本だったんだな。
R: 二代目県庁舎の頂塔は、目立たないところにひっそりオブジェとして残されている。この扱いはどうなんだ。まあこんな具合に晴天の下で6年前のリヴェンジを果たすと、地下鉄に乗って戻ってそのまま終点へ。
途中で地下鉄は地上に出て、その建物の脇を走り抜ける。そうして到着した泉中央駅は同じ目的の人々で、
すでに混みあいつつある。人の流れに沿って歩いていくと、さっき脇を通った建物の前に出た。今回、ゴールデンウィーク前半戦に宮城県への旅行を組んだのは、冒頭でも書いたように、
市役所に県庁に100名城に一宮に乗りつぶしにJリーグまで盛りだくさんな内容が味わえたからである。
で、その最後を飾るJリーグの試合が、ここ仙台スタジアムで開催されるというわけなのだ。
(僕は施設の命名権売買を認めない立場をとっているので「仙台スタジアム」の呼称を使っております。
でも何度も書くのは面倒くさいので、以後「ユアスタ」と表記するのだ。その辺はテキトーなのだ。)
さてこのユアスタ、サッカーファンからの評価はきわめて高く、「西のベアスタ、東のユアスタ」と言われている。
ベアスタこと鳥栖スタジアムのすばらしさはもう大変なもので、今でも僕は感動しているほどだ(→2011.8.6)。
そのベアスタと並び称されるとは、いったいどれだけ凄いんだ!?と鼻息を荒くしてまずは敷地を一周してみる。
L: ユアスタの正面。こっちがホームのゴール裏になる。いかにも球技場らしいスケール感がいいですな。
C: バックスタンド側にはベガルタ仙台のエンブレムが掲げられていた。 R: アウェイゴール裏側の光景。……ところが、困ったことにユアスタはスタジアムの周りを一周できない構造になっていたのである。
メインスタンド側は七北田(ななきた)公園と接続していて、気づけば公園内に入り込んでしまう形になっている。
そして七北田公園からユアスタの正面へは直接アクセスができず、泉中央駅の辺りまで戻されてしまうのだ。
評判のいいスタジアムということで、今回は奮発してメインスタンドの指定席なのでよかったけど、
意外なところで変に時間がかかってしまったのは残念だった。まあ一周するやつなんてそうそういないんだろうけど。
L: ユアスタのメインスタンド側と、その手前を走っていく地下鉄。 R: ユアスタの中はこんな感じなのだ。本日、ここユアスタで行われる試合は、仙台×鳥栖である。こないだ平塚で観戦した鳥栖がまた相手となるのだ。
ともにJ2時代の長かった仙台と鳥栖だが、仙台は昨季2位、鳥栖は5位と大変すばらしい結果を残している。
しかし今季はどちらも昨季ほどの勢いはなく、上昇のきっかけをつかみたいクラブ同士の戦いとなるわけだ。試合は最初からはっきりと鳥栖のペース。中盤からディフェンスラインで「つぶし合い」がやたらと展開される試合で、
どっちもなかなかスムーズにボールを前に運べない。が、仙台と比べると鳥栖の方が迫力を感じさせるプレーが多かった。
鳥栖は10番・金民友(この日記で鳥栖の試合のときには毎回何かしら褒めているな)が左SBに入るという驚きの采配で、
この金から前のスペースに効果的なパスが供給されるシーンが多く、その分だけ鳥栖が有利に試合を進めていた印象だ。
何度も書いているが、サッカーはより相手陣内の深いところまでボールを運んでいくスポーツだと僕は思っている。
鳥栖の攻撃は仙台のそれよりもはっきりと深い位置まで入り込んでおり、仙台が肝を冷やすシーンの方が多かった。
L: 前半15分、仙台の角田がペナルティエリア前で鳥栖の選手を倒してしまう。鳥栖にとっては大チャンスだ。
C: このプレーで得た直接FKを藤田が決めて鳥栖が先制。ゴールまで遠くて何が起きたのかまったくわからなかった。
R: 鳥栖は守備ブロックが非常に安定していた。仙台はこのブロックを破るだけのアイデアが全然出てこない。仙台はACLの影響があるのか、どうにも動きが重い感触である。鳥栖の堅実な守備ブロックを破るアイデアがなく、
やたらめったら途中で引っかかってカウンターを食らうのであった。何よりパスワークの中でのミスが多すぎるのが痛い。
先制された後は仙台も守備陣が奮起して、体を張って鋭い鳥栖のカウンター攻撃をがっちりと封じてみせる。
特に絶好調のFW豊田には厳しい守備を徹底して何もさせなかったのだが、守備から攻撃へのスイッチがうまく入らない。
肝心の攻撃が、とりあえずウィルソンに当てて「あとはどうにかして!」というサッカーなので、可能性が感じられない。
2列目以降の攻撃参加もほとんどなく、体の強いウィルソンと走りまわる赤嶺任せで、実にワンパターンである。後半に入るとホームで負けられない仙台が圧力をかけてくる。が、ミスが多いのは相変わらずで、ボールを持ちきれない。
仙台がつなごうとしてミスするたびに、鳥栖のカウンターを食らってヒヤヒヤ、という膠着気味の展開になる。
しかしそこはさすがJ1と言うべきか、仙台は梁勇基のパスを武器にして、着実に前半よりも深い位置への侵入を始める。
鳥栖は鳥栖でその分空いたスペースをカウンターで使ってきて、膠着気味ではあるものの、見応えのある内容となってきた。
そして54分、ウィルソンに預けたボールが、後半から入った左サイドの武藤に出る。武藤はシュートを放つが、
ポストに当たってはね返る。これを素早く赤嶺がねじ込んで仙台が同点に追いついた。J1らしい一瞬のできごとだった。
L: 菅井と金の1対1。ユアスタは評判がいいけど、僕としてはそんなに大騒ぎするほどではない印象。
C: 54分、左サイドから武藤がシュートを放つ。 R: そのはね返りを赤嶺がゴール。仙台はよく攻めたな。結局、後半から梁が中央に入ったことで、ウィルソンともう1ヶ所、ボールの収まるところができたため、
2枚のFW(ウィルソンと赤嶺ね)頼みだった仙台の攻撃が多彩なものに変化したということらしいのだが、
遠くでコチョコチョやっとるもんでよくわからんのよ。正直、ユアスタはそんなに観戦しやすくないぞ。その後、試合終了時刻が近づくにつれて、プレーのスピードがどんどん上がっていった感じ。
仙台の攻撃が鋭さを増すとともに、鳥栖のカウンターも鋭くなっていく。「鋭い」ということはつまり、
ゴールを脅かす精度が上がっていっている、ということだ。やがてノーガード戦法の応酬とでも言えそうな、
そういうガンガンの打ち合いをやり合ううちにタイムアップ。仙台は目が覚めるのが遅すぎたな、と思う。
L: ゴール前で仙台の選手がフリーだ! ……が、はずしてしまう。ウィルソンと代わった柳沢(左端)はいいパスを供給していたよ。
C: 今度は鳥栖が猛攻を仕掛ける! ……が、これも失敗。 R: 仙台は結局、序盤のだらしなさが響いてドローに終わった。ユアスタは交通至便とは言え、地下鉄の駅まではものすごい混み具合。道路は一時的に歩行者天国化しているようで、
道幅いっぱいの人間がそのまままっすぐ前へと動いていく光景は、なかなか凄まじいものがあった。この状態のままずるずると前へ移動していくのであった。
駅も改札で入場規制をかけつつ器用に人混みをさばいて、ラッシュ状態をギリギリで回避させる感じ。
皆さんなかなか慣れているようで、その分だけ仙台でのベガルタ浸透度合いがよくわかった。
それにしても「西のベアスタ、東のユアスタ」とは言い過ぎだな! 確かにそりゃあ悪くはないんだけど、
千葉のフクアリがちょっと良くなったかもしれない、って程度にしか思えない。ベアスタとは比べ物にならんわ。
(後でわかったのだが、フクアリはユアスタを参考につくったんだってさ。なるほど、僕の感覚は正しかったか。)そのまま地下鉄で長町南まで行ってしまう。夜行バスの時刻までまだまだたっぷり時間があるので、
いい機会だから『変態仮面』の映画を見ちゃおうというわけなのだ。われながら詰め込みまくりの旅である。
で、映画を見終わると仙台駅まで戻る。それでもまだ時間があまったので、駅近くのビルにあるゲーゼンで読書。
あんまりずっと読書ばっかりしていても店の人に悪いので、残り1時間を切ったところで1ゲームやった。
久しぶりの『クイズマジックアカデミー』(→2007.4.27)である。相変わらずのツンデレさんを選んでいざ勝負。
それはもう、鬼のような強さで圧勝させていただきましたとさ。はっはっは、相手が悪すぎたな!
でも1ゲームであれだけしっかりと遊べる(そして最終的にオレが勝つから楽しい)のは、大したものだと思う。
クイズの種類も、飽きさせないようにすごく工夫がしてある。あらためていいゲームだと感心したのであった。で、定刻どおりにバスに乗り込んで東京に帰る。夜行バスで来て夜行バスで帰る日帰りの旅ってのはやはり、
あまりにも体へのダメージがデカい! 翌日の僕は本当に使い物になりませんでしたぜ!
ゴールデンウィークだ!
……といっても初日からどっかへ行ったわけではなく、髪を切った後は自転車で買い物に出かける。まずは有楽町の無印良品で新しいメガネを受け取る。このたび無印ではメガネの販売を終了してしまうということで、
全品30%オフの大セールをやっているのである。そんならもう一丁買っちまえ!ということでアルミの黒縁を購入。
それにしても無印がメガネをやめてしまうのは甚だしく残念である。そんなに人気がなかったのかなあ……。神田のファストフード店で昼メシを食いつつ日記を書く。最近は日記を書く気力が残らなくて困っていたのだが、
しっかり寝たからか今日はじっくりと書くことができた。正月に帰省した際にcirco氏に対して力説した内容を、
あらためて腰を据えて文章に起こしてみたのだ。名付けて、「そこそこ資本主義」(→2013.1.10)。読め!それから秋葉原をスルーして上野へ。ネットで予約しておいた夜行バスの発券を京成上野駅でしてもらうのだ。
コンビニで発券できればいいのだが、そういう仕組みがないみたいで(だから安かったのかねえ)、わざわざ行くことに。
手続きを終えると秋葉原に戻ってゲームミュージックCD探索。気になった安いやつを買ったら10%オフのキャンペーン中。
これは今まで高くて手が出なかったやつを買うチャンスではないか!と思うが、一気に買うのは気が引ける。
まあ、また余裕があったら買いましょう、ということでそのまま秋葉原を後にする。まだまだ明るいうちに晩メシも食わずに都心から帰るのはなんだかもったいない気分だが、やるべきことはまだあるのだ。
国道1号から中原街道を南下していき、途中で『GIANT KILLING』の新刊を買いつつ、郵便局へ。
必要なものを受け取ってメシを食って家に戻る。家では日記の調整をして風呂に入ってのんびり過ごす。夜の11時になったら夜行バスに乗るべく出発なのだ。一日好き放題に動いて、いいストレス解消になったぜ。
昨日のログでも書いたとおりに、ここんとこはひどいヘロヘロ具合なのである。ヘロヘロのまま歓送迎会へ。
移籍初年度でありながら親睦会幹事ということで、しばらく受付作業。その後、会場内に入って料理をいただく。
新しい職場は、なんというか、皆さんトークが非常に上手いという印象。オトナなしゃべりの面白さに圧倒される。
深夜ラジオからまったく抜け出ていない僕としては、とってもコンプレックスを感じざるをえないのだ。
こっちのギャグが大スベリした話は恥ずかしいので書かないでおく。地域の文化差をイヤというほど痛感したさ。
で、2次会はカラオケ。始まってから「しまった、オレはこっちのノリだったのか!」と思うのがみっともない。
いろいろ皆さんの個性がわかって有意義でございました。ちなみにALTも最後まで参加なのであった。すごいですな!
少人数授業をやるぞー!ということで僕が今の学校へ移ることになったはずなのだが、まだやっておりません。
というのも、クラスを分けるためのデータがないから。きちんとテストをやらないことには分けられないのである。
それで、しばらくの間はALTを含めて3人でのチームティーチングをやる、ということに落ち着いたのだ。このチームティーチングが、意外と体力を消耗している気がしてならないのだ。
単純に考えれば3人がかりだから、1人あたりの負担は減るはずなのだが、どっこいそういう感じはしない。
自分の出番でないところでは、ひたすら生徒の間を歩きまわってアドヴァイス。ひたすらフォローフォローである。
また自分ひとりであれば、クラスによってどうしても生まれる違いの埋め方は自己責任で思いのままにできるが、
チームティーチングだと毎回多少なりとも擦り合わせが必要で、そこにけっこう神経を使うことになるのだ。
結果、前の学校のときとは比べ物にならないくらい、授業が終わるとぐったり疲れてしまう。
自分でもここまで体力を消耗するもんだとはとても想像できなくて、だいぶ周りから心配をされているほど。
まだあらゆることに慣れていないとはいえ、なんとかしなければいかん、とあれこれ模索中。いやー、困った。
ゴールデンウィークからその先まで、旅行の計画をあれこれと練る。
ここんところ、なかなかじっくりと趣味方面を考える余裕がなく、ひたすらヒーヒー言ってばかりだったのだが、
いいかげん計画を進めないとどうにもならないので、鈍い頭を懸命に回転させてアイデアをシェイプしていく。とりあえずゴールデンウィークの動きは固まっていて、前半はのんびり休みつつちょろっと仙台周辺を攻め、
後半はサッカーが入ってこないところで伊勢湾周辺を攻める予定でいる。とにかくリフレッシュしたいのだ。
恒例のテスト前旅行では、少しだけ大胆に動いてしまうつもりでいる。それくらいさせてほしい、そういう気分だ。
中学生の不寝番でラビーの結婚式にも行けなくなっちゃったし、ストレス解消のはけ口が少しでも欲しいのである。
夏休みは夏休みで漠然と考えているテーマがあるのだが、これはどこまで実現できるか、まだまだわからない。大袈裟ではあるんだけど、最近はとにかく授業の準備とサッカーの練習で24時間が染め上げられている感覚で、
家に帰ってもなかなか日記をしっかり書く気分にもならなけりゃ、旅行の計画を組み立てることすら億劫なのである。
まだまだ新しい生活スタイルに馴染んでいなくて、ペース配分がつかめない。スムーズに動けない。
ゴールデンウィークってのは本当にいいタイミングで設定されているなあ、と心底感心しているしだいである。
なんとかこの一週間をうまく切り抜けて、いい状態で5月以降につなげていきたい。いま考えているのはそのことだけ。
今年度のスケジュールでは火曜日がいちばん余裕があるので、嵐のような月曜日を切り抜けて一息つく感じである。
もともと英語科は授業数が多くて大変なのが宿命なので覚悟はできているけど、さすがにやっぱり疲れる。
だからせめて、この火曜日は落ち着いて物ごとを考えながら授業に必要なものをつくっていきたいわけである。
今日はおかげでどうにか、ある程度新しいプリントづくりを進めることができた。3学年分あるので手間が3倍なのよ。で、放課後はサッカーの練習。できるだけ生徒と同じメニューをこなすようにがんばっております。
コーチが課すメニューとその意図を指導者として地道に勉強しつつ、生徒たちと密にコミュニケーションをとりつつ、
がんばって選手としてもサッカーを上手くなってしまおうという狙い。一石三鳥を目指しているわけなのだ。
客観的に見ればこれは非常に充実している状況だと思うのだが、いかんせん体力的にはハード極まりない。
結局、今日もフラフラになって家にたどり着くのであった。気がつきゃ寝ている、その繰り返しなのだ。
月曜日はいきなり授業が5連発だぜ! これは本当にハードだ。でもやるしかないのでやる。
この5連発をまずまずの状態で切り抜けると、放課後はみっちりと部活なのだ。本当にみっちりだぜ。本日のミニゲームでは1・2年生と一緒にプレー。まだまだ周りを見ないで個人技に走る1年坊主に指示を出しつつ、
自分は自分でFWのポジションに入ってハイプレスでショートカウンター狙いのプレーを徹底してやりきる。
おかげで大の大人のくせしてわりとどしどしゴールを決めさせてもらいました。大人げなくって申し訳ないね!
でも生徒には、僕がゴールを決められる理由をきちんと考えてほしいわけだ。そんなに上手くないのになぜ点を取れるのか。
答えは簡単で、左足でもそれなりの精度で蹴られることと、シュートを撃つタイミングの早さにある。
実際、今日は左足の方がゴールが多かった。その辺をきちんと見られるようになってほしいなあと偉そうに思っているのだ。
客観的に自分がどれだけ賢いプレーができているのかはまだよくわからない。実はものすごく愚かな動きなのかもしれない。
その辺の感覚がまだ磨かれていないってことは、まだまだ上手くないってことだろう。単純に喜んではいられませんな。
ここ数年、一宮めぐりが趣味になっているマツシマさんとしては、ぜひ行かなければならない美術展が始まったのだ。
鼻息荒く上野駅の公園口改札を抜けると、まっすぐ東京国立博物館へ。そう、『国宝 大神社展』を見るのである。「国宝・重文160件 神社パワー全開!」というなんとも勇ましいキャッチフレーズに、大いに期待しつつ見学スタート。
全体は6部構成で「古神宝」「祀りのはじまり」「神社の風景」「祭りのにぎわい」「伝世の名品」「神々の姿」となっている。
まず強烈に印象に残ったのは熊野速玉大社(→2013.2.9)の国宝群。現地で宝物殿の充実ぶりに感心したばかりだが、
あらためてそのお宝ザックザクぶりを実感させられた。数は力で、量があるってのは、純粋にすごいことなのである。
目にしたお宝について、奉納された当時のことを現代的な言語感覚で想像してみるのが個人的には好きなのだ。
苦しいときの神頼み感覚ってのは、昔の人も現代人も大差がないと思うのだ。その辺を勝手に想像するのが楽しい。
続く「祀りのはじまり」では福岡県の沖ノ島で発見された古墳時代のお宝が登場。でも時系列が遡る形になっているので、
そこの意図がイマイチわからず、やや混乱。そして「神社の風景」では各地の神社を描いた絵や曼荼羅が登場。
曼荼羅ってことはそれだけ神仏習合の度合いが深かったことを示すわけで、そういう社会学的な価値はわかるが、
美術品としてのクオリティにはそれほど冴えを感じないものが多い。なのでなんだか冷めてしまったのであった。後半の展示では工芸品が登場。やはり質の高いものを見るのは楽しい。鹿島神宮の直刀(→2012.7.21)に再会したり、
石上神宮(→2012.2.18)の七支刀に興奮したりと、ここで少し持ち直す。われながらワガママなもんだと思う。
そして最後はたっぷりと神像の展示。もともと神道において、神は姿を持っていない存在であるはずだった。
山や岩や木など、自然の中にある「すごいやつ(いわゆる神奈備)」を依代として神性を見出し祀っていたわけで、
人間の姿をした神の像がつくられるようになったのは、明らかに仏像をつくる仏教からの影響なのである。
そういう意識もあって、美術品としては素朴すぎる(平安時代のものが多いのだ)神像のオンパレードに、
なんだか尻すぼみな感覚になって終了。彫刻では身体を誇張する鎌倉期以降の想像力が基本的に好きな僕としては、
神像の展示がやたらと長くて非常に冗長な印象しか残らなかった。というわけで、全体的には不満。確かにこの企画展は「よく集めた」のだろう。でも、そこに力点が置かれた結果、美術品としての質はイマイチだ。
もうちょっと量より質で勝負できなかったんか、と思ってしまう。だったらもっと国宝にこだわれよ、と。
個人的な好みの問題なのでしょうがないんだけど、やはり建築に対する関心が低かった点はとっても疑問である。
建築なんだから展示できるわけがない、ということでそうなったとしたら、これはあまりにレヴェルが低すぎる。
つまらん神像を展示するくらいなら、有名神社の境内とその周辺の模型を展示した方がよほど有意義だと思う。
そうして神社の存在じたいに焦点を当てる方が、より中身の濃いものになったはずだと僕は考える。
まあそんなわけで、景気のいいキャッチフレーズのわりには肩透かしを食った感じ。この程度じゃダメでしょ。
土曜授業で疲れております。なんだかんだでこの一週間はかなり神経を使っていて、それプラス3時間の授業。
おまけに今日は予報よりもずっと早く雨が降りはじめたこともあって、家に着いたらけっこうぐったりしてしまった。そんなわけで午後になって上京したcirco氏がやってきても、なかなか元気に応対することができなかった。
いつもなら一緒にどこかの街へと繰り出すところなのだが、それすらできなかったくらいにヘロヘロなのであった。
circo氏が去った後、気がついたら寝ていた。環境に適応するまでの疲れってのは相当なもんだな、と呆れているしだい。
本日は離任式。長野県では終業式でやるものだったので、新年度になってわざわざ手間をかけてやるのは違和感がある。
それに、わざわざ機会をつくって送り出されるというのは照れくさいものがある。何から何までムズムズしてしまうのだ。午後になって前任校に移動し、校長室で待機。ついこないだまで好き放題にやっていたはずの見慣れた場所なのだが、
今日はしっかりお客様扱いでなんとも変な感じだ。こういうかしこまることが生み出す距離感こそ、きっと現実なのだろう。
そんなことを考えている間に「準備ができました」ってことで、体育館へ。生徒たちの拍手に包まれて入場である。
生徒っつっても1/3は僕らのことを知らないわけで、そういう皆さんに無理やり拍手してもらうってのもバツが悪い。
なんだか申し訳ない気分になりながら壇上へ。下から見上げる生徒たちの慣れない視線がなんとも息苦しい。
校長が替わったので、僕のことをよくご存知ない校長先生が僕のことを「国際的な英語教育が云々」と紹介する。
思わず声を出して笑いそうになってしまったではないか。もっとちゃんとオレのことを調べろよ、と思ったがもちろん言わない。
で、僕にメッセージを読み上げてくれたのは、サッカー部のGKなのであった。うーん、この人選は意外だった。
この時点でようやく、僕はこの学校の皆さんからどういうキャラクターと認識されていたかの一端を知ることになったわけ。
それにしても、うーん、GKの子ですか。そうですか。彼が入学したときにはこうなるとはまったく想像できんかったがなあ。離任式が終わるとしばらく職員室に滞在して雑談。近況をあれこれ聞くが、まあ大して変わっているはずもなく。
そのうちに帰りの学活が終わった連中が職員室前にたむろしだして、そのお相手をしなくちゃいけない状況に。
3年生になった生徒たちに囲まれていろいろ話したのだが、僕が担当していたはずの2年生になった連中はあまり来ず。
そこはちょっと残念だったが、付き合いの長さがそのまま出たわけで、まあ、そんなもんなんだろうな。
さんざんオレのことをキモイキモイ言ってた女子がしゃべりたがって、うーんツンデレどもめ、と思うのであった。
ちなみに3年生に囲まれる僕の姿を見た先生曰く、「なんか、ちょっとインフルエンザで休んでましたって感じですね。
ぜんぜん違和感がありませんよ」とのこと(僕がインフルエンザにかかって倒れたことってそんなに多かったのか!)。
午後4時を過ぎると噂を聞きつけた高2になった生徒も到着。これまたいつもどおりにからかって過ごす。夜になって目黒に移動して歓送迎会。こういう形で出席するというのが、なんとも変な感じである。
机の上を片付けることができないほどに忙しい、ということでネタにされたのであった。しょうがないよね事実だよね。
で、最後はカラオケ。カラオケじたいが非常に久しぶりなのだが、「ああ、これはホームじゃ!」と心底実感。
すっかり様式化されてしまって面倒くさいこと極まりなかったはずのカラオケだったが、その様式が懐かしい。
その様式をきちんとなぞるたびに、「ああ、ホームだ」となるのであった。そうなってしまうこと自体が淋しいんだよねえ。まあそういうわけで、僕は前任校に別れを告げた。人はこうしてオトナになっていくのねと、本当にそう思う。
常駐ALTの起用法が難しい。正直に書くけど、ALTによる「活動」は勉強というよりは遊びの要素が強く、
これを毎回入れるとなると、授業のクオリティが著しく下がってしまう。適切なバランスがなかなか見つからない。
誤解してほしくないのだが、ウチのALTは本当によくやってくれるのだ。彼自身について、何ひとつ不満はない。
しかしALTの主導する「活動」が有効に英語をしゃべる機会につながっているかというと、疑問を感じざるをえない。
もっとも、それは生徒の質によるところが大きいのも事実だ。ちゃんとできる生徒なら、それなりに効果があるだろう。
でも、どこにでもある公立の中学校で、遊びではないレヴェルでそれができるかというと、やっぱり疑問なのだ。
また、ALTの「活動」を確保する以外に、こちらが主導で授業をやっているときにどうALTに参加してもらうか、
その方法が確立されていない点も大いに困るところだ。生の英語を読んでもらうだけ、じゃ意味がないのである。
かといって、英語で文法の細部について説明されても生徒はついていけないし。英語はどうしても大雑把な言語だし。
そんな具合に、あれこれ試行錯誤をしてみてはいるけど、なかなかこれといったいいバランスが見つからない。
悩んでいてもすぐ次の授業の時間が来てしまうので、じっくり考える暇がないのもつらい。どうしたものか……。
水曜日なのでサッカー部は朝練があったのだが、なんと校長がポロシャツ姿で登場。
校長は高校時代にはサッカー部だったそうで、上機嫌でGKへの個人指導を開始したのであった。
まあ僕としては「やりたきゃどうぞ」で、生徒が納得できるならヨシ、納得できなきゃ別の手を打つ、それだけだ。
学校内において僕の立場を悪くすることではないので、しばらく様子を見ることにする。焦ってもよろしくないし。◇
あさっての離任式に向けて前任校への手みやげを買うべく、仕事帰りに渋谷に寄る。
地下街をあれこれ見てまわって何がいいか考えようというわけ。しかし副都心線開業後の渋谷地下街はかなりの迷路で、
地上にあった東横線が地下に移ったこともあって、もう何がなんだかまったくわからないダンジョンそのものだった。京都の「仙太郎」(→2011.9.12)が渋谷駅に店を持っていることは知っていたので、まずはそこを目指す。
でも地下街にそのまま移ったという保証はないのだ。ダンジョン探検して手みやげ候補を絞りながら「仙太郎」を探す。
何度か同じ場所で格闘しながらも、かなり奥まった位置にあった「仙太郎」にどうにかたどり着くことができた。
よく発見できたなあと自分でも呆れるほどに複雑だった。しかし努力の甲斐もなく、ラインナップは生のものばかり。
京都では買えたどら焼きのようなものはなく、保存のききそうなものは見当たらないのである。これには落胆。
しょうがないので職場の近所の地名を冠したおかきセットを大量購入するのであった。ニンともカンとも。混み合っているであろう東横線に乗るのがイヤだったので、帰りは久々に洗足駅行きのバスに乗ってみた。
すっかり暗くなっているので周りの景色はよく見えないが、やはり電車と違うルートはとても新鮮に感じる。
バスは目黒区総合庁舎前のバス停に停車して、それで、前回乗ったときは目黒区役所移転前だったのか、と驚いた。
その後は目黒区内の住宅街を縫うように走る狭苦しい道路を進んでいって、洗足駅に到着。けっこう時間がかかった。
たまにはこういう日があってもいいよな、としみじみ思うのであった。
いよいよレギュラー授業がスタートなのだ。昨日は常駐(!)ALTを主役に自己紹介だったので、
本格的な内容は今日からということになる。2年生と3年生の様子を見て驚いたのは、とにかくしゃべれること。
昨年度まで教えていた先生がしゃべることを徹底的に鍛えていたそうで、なるほどこりゃすごい。
2年生も3年生も、まず照れずに大きな声を出せるところが偉い。リズムもいいし、反応も早い。
どの生徒も自信を持ってよどみなく英語で受け答えができる、そんな時代が実際に来ているとはびっくり。
ところが今度は書かせてみると、唖然としてしまうほど基本的なミスが多い。生徒たちもどこか自信がなさそう。
これだけしゃべれりゃ簡単に書けるだろ、と思ったら、ぜんぜんそうじゃないのである。バランスが悪すぎる。
英語業界では「話」「聞」「書」「読」の4技能で区分けされており(まあ、鵜呑みにするヤツはたいていバカだが)、
この4つをバランスよく身につけさせることが文部科学省からは求められている。いちおうそうなっている。
僕は言語運用能力を4つに縦割りしている時点で無意味だと思っているのでそういう尺度で考えたことはないのだが、
どれかひとつの能力を高めるとほかの能力を高める暇がなくなる、という事実が示唆されているように思える。
言語だから技能に得意不得意はあっても、全体的にスキルを上げるべきだろと僕は考えているわけで、
なんとも不思議な光景に出くわした。まあでも、今後はこういう勘違い教育と戦うことになっていくのだろう。
とりあえず現時点での武器はそのままに、うまく教養を足していけるようにがんばりたい。
常陸太田で左足をぶつけて以来(→2012.12.16)、親指の爪がかさぶた色のペディキュア状態になっていたわけです。
ケガをしてから4ヶ月間、その親指だけまったく爪が伸びることがなくって、どうしたものかと思っておったのですが、
痛みはまったくないしサッカーボールもバリバリ蹴られるので、とりあえず気にしないで過ごしておりました。
そしたらここ2週間ぐらいで急に爪が盛り上がるように浮き上がってきて、よく見たら爪の根元が復活してきている。
ヘタにいじるのもグロくてイヤなので、そのままずーっと放っておいたところ、昨日風呂に入ったときに爪がめくれまして、
でもやっぱりヘタにいじるのもグロくてイヤなので、そのまま眠ってしまったところ、朝起きたら爪がとれておりました。
それはもう、アサリか何かの貝殻のように、爪がポロッとベッドに転がっていたわけです。痛くないけど深爪感は少しある。
で、爪のとれた親指がどうなっているかはグロくてイヤなので見ていません。とりあえず気にせず仕事に行きましたとさ。
いやー、4ヶ月かかったけど、特に困ったことのないまま回復してきているのはうれしい。よかったよかった。
昨日は前任校の試合だったが、今日は現在勤務している学校のサッカー部の試合である。
会場がえらく遠く、しかもいったん学校に集合ってことで、なんと5時前に起きて準備をする破目に。
なんだかいろいろ面倒くさい。でもこればっかりはしょうがないんだよなあ。前までいた区では選手のチェックがいろいろユルかったのだが、こちらの区ではずいぶんと厳格である。
まあ本来はそういうものであるはずで、今までのなあなあな感覚を見直すいいきっかけになった気はする。
部員たちも試合開始の1時間半前には制服で会場入りし、着替えてからしっかりとウォームアップをやっていく。
僕はきわめていいかげんな性格をしているので、笛が鳴ったらいきなりトップギアに入れるもんだと思っちゃうのだが、
そういう無神経に本番に強い人間は現実には少数派なのである。そんな事実をあらためて突き付けられたのであった。部員たちもコーチも「ウチははっきり弱い方です」と言っているが、練習風景を見る限り、悲観的になるほどではない。
みんなマジメにやっているし、練習で見せている実力をきちんと発揮できれば、どこが相手でもいい試合はできるはずだ。
僕はそう思っていたので、0-0のまま試合が進んでいっても別に驚くことはなかった。むしろ妥当な展開と納得である。
しかし部員たちはそう思っていないようで、相手の攻撃をしのぎきってハーフタイムを迎えたことに少し興奮していた。
ボールをつないで崩そうとしてくる相手に対し、こちらの守備陣は万全の集中力で対応。まったく穴をつくらないのだ。
そして相手の攻撃を切ったところでカウンターを仕掛け、FWがスピードに乗ってスペースへと飛び込んでいく。
しかし「自分たちは格下」というやや卑屈な意識があるためか、攻撃は散発的である。攻めても前の2人が上がるだけ。
守備意識が高いのはいいのだが、その分だけリスクを負ってでもチャンスを決めきろうという気持ちは弱いようで、
なかなか決定的な場面をつくれないままで時間が過ぎていく。結局、スコアレスドローでPK戦へともつれ込んだ。
今までPK戦をやる展開にまで持ち込めなかったこともあってか、みんなが慎重になりすぎたことは否定できない。
慣れないせいかうまく枠に入らないシュートが多く、残念ながら1回戦敗退となってしまった。でもまあ、よく戦ったと思う。試合が終わって、部員たちは誰も相手をゼロに抑えてPK戦にまで持ち込むことができるとは思っていなかったようで、
その表情はどこか晴れ晴れとしていた。コーチも「以前のことを考えると、ここまでやれるとは思わなかった」とのこと。
以前の姿を知らない僕としては、守備をがんばれていたのでこの結果は妥当なものとしか思えないのだが、
とりあえず部員たちの集中力を褒めておく。「でも、もっとやれると思うよ」と付け加えることを忘れずに。◇
午後は武蔵小杉でお買い物。お誘いの電話はあったけど、東京駅には悔しくて行っていません。
いちおうきちんと書いておくと、ラビーの結婚式で福岡に行く姉歯メンバーたちは東京駅で打ち合わせだったのだ。
でも異動したことで降って湧いて出てきた修学旅行により福岡に行けなくなった僕は、お誘いを拒否したのである。
いや、もう、本当に悔しくて。一緒に行けない遠出の話で盛り上がられたら、もう、耳から血を噴き出しちゃうよ絶対。
まあ、いつか土産話を聞かせてくれれば、それでヨシとさせてください。でも今は無理。本当に無理っすよ。
前任校が春季大会の1回戦なので、応援に行く。僕のベンチ入りを許可してくれる粋な本部に感謝なのだ。
しかし挨拶した際、対戦校の先生の「○○区を無事脱出できておめでとうございます」には爆笑しちゃったよ。部員たちに最後に会ってからまだ半月ほどしか経っていないが(→2013.3.30)、心なしか背が伸びたやつがいる。
そのわずかながらも確実な成長ぶりに、なんともちょっと悔しい気分がしてしまった。ま、それが教師の宿命だが。
半月ぶりに味わう前任校のサッカー部の雰囲気は、やっぱり穏やかでいい。そのせいで弱いんだけどね。
もはや僕には何ひとつ出る幕はないので、部員たちが練習する姿をただ黙って見守るのであった。さて試合になると、フォーメーションは3-3-1-3。後任監督は4-2-3-1が大好きと公言していたので、
まさかこれでやるのか、と少し驚いた。別に無理してランバージャック・フットボールを継続する必要はないけど、
あまり広くないピッチでハードワークするには悪くないフォーメーションではある。それで採用したってことか。
そもそもサッカーはフォーメーションだけでやるもんじゃございませんので、連中がどこまで体を張れるか、
どこまでチームとして一体感を出しながら戦えるか、そこの成長ぶりをしっかりと見させてもらう。試合開始早々、GKのミスで失点してしまう。さらにバックパスが弱くてかっさらわれて失点。
おまけにもう一丁、相手にカウンターをきっちり決められて失点。あっけなく0-3で前半が終わってしまった。
ぜんぜん成長しとらんやんけ!と思う僕。やはり監督交代から半月では何もどうにもならないようだ。
ハーフタイムにはコーチ的な立場からアドヴァイスってことで、もっと球際を厳しく競り合いなさい、
攻撃のときにはボールをつなぐよりも前に出して全体を走らせていくようにしなさい、とコメント。後半はこっちが押し気味で、左サイドからうまく押し込んで相手ゴールを脅かす機会が増えていく。
相手の右サイド裏のスペースにボールを出し、そこで競り合って起点がつくれるようになったことで、
ずいぶんと試合の様相が変化してきた。ウチは体が小さくてフィジカルの弱いやつがほとんどなので、
中央でのつぶし合いで主導権は握れない。しかしそこから変化をつけて押し込むコツはつかめたようだ。
何度もチャンスをつくると、相手はたまらずペナルティエリアでファウル。PKをきっちり決めてついに得点。
しかしカウンターで粘られて、結局失点。後半だけ見れば実にいい勝負だったのだが、1-4で敗れてしまった。この後半の戦い方をきちんと整理して、自分たちの攻撃の形をつくりなさいってことでコメント。
でも具体的にどうしていくかは当然、後任監督の仕事である。ぜひがんばってくださいと激励してその場を去る。
僕も新しい環境で勉強をしているわけで、立場は異なるものになってもお互い成長していきたいものだ。◇
午後は今の自分のサッカー部の練習。理論がなく、どうしても感覚的にやらざるをえなかった前任校とは違い、
きちんと明確な狙いをもってひとつひとつの練習をこなしていくわれわれ。やっぱりクオリティが違うのだ。
そんなわけで、サッカーについては着実に勉強が進んでいる感じである。精進あるのみ。
生徒の顔と名前がだんだん一致しはじめている。まあなんだかんだでまずまず言うことは聞くかな、という感触。
新顔なので相手もこっちのことがよくわからないため、とりあえずおとなしく従っているということだと思うが、
なんでもかんでも反抗してくることはないだけ上出来である。授業と部活でこっちのペースにもっていくぞー。
3年の初授業で語る。内容は恒例のアレ(→2010.8.2/2010.8.3/2010.8.4/2010.8.5/2010.8.6)。
聴きたきゃ聴け、寝たきゃ寝ろ、オレはひたすらしゃべり続けるぞ、といういいかげんな50分間である。
でもオレの場合はこれをやんなきゃ始まらないんだよね。異動して早々、やりたい放題にやっとります。◇
本日より本格的に部活に参加してみた。生徒とだいたい同じメニューをこなしていったのだが、正直きつい!
やはりきちんと専門のコーチがついて地道な練習をするというのは、甘くないことなのだ(今までが甘すぎたのだが)。
いちおう顧問なのでそれ相応の権力は持っているのだが、それは発揮せず全面的にコーチに任せていくつもり。
謙虚に指導法を学びながら、決定的に欠けているサッカーの基礎的なスキル自体を生徒と一緒に上げていくのだ。
そういう意味では、これほどまでに恵まれた環境はほかにあるまい。人生ひたすら勉強だぜ、と思っております。しかし冷静に考えてみると、オレはどんどんサッカーの世界に引き込まれているなあ。
この歳になって、ここでさらにみっちりとサッカーの勉強をすることになるとは想像していなかった。
神様は僕をいったいどこまで持っていきたいんですかね。本当にそう思っちゃうくらい恵まれた環境だ。
本日はわが3学年の出発式。それまで縁のなかった大都会の夜景を眺めながら料理をいただいた。
そんでもって職場の実態についていろいろ話して、思わずうーむと腕を組んでしまったのであった。
この10日間で、先生方のチームワークは前任校以上に良いことをすでに十分実感しているのだが、
その分だけアレがアレだとは……。これは正直、全方位外交を目指す僕にとっては面倒くさい事態だ。
とにかく、できるだけ賢くふるまってやっていくしかないのだ。ホント、賢さが問われる環境だね!
まあでも学年内のコンビネーションは非常に良い感触なので、これを伸ばしていけるようにがんばるわ。
本日は入学式。受付を担当したのだが、所変わればやっぱり若干品が変わるもんだな、と思った。
これで本年度のメンバーは揃ったわけで、いよいよ本格的に始動なのである。早く適応せんとね。◇
夕方になってサッカー部の顧問会に参加する。春季大会の組み合わせ抽選が主な目的で、
ワケもわからんままにくじを引いて対戦相手が決まる。相手が強いのか弱いのか一切わからないので、
何もかもがほとんどわからないままで解散。やっぱり所が変わると若干品は変わることだけはわかった。帰りに中高両方ある私立校の先生と一緒になった。4年前、僕が初任だったときのサッカー部の生徒で、
そこの高校に進学したやつがいたので動向を訊いてみたら、なんと運よく、そいつをご存知だった。
残念ながら高校ではレギュラーになれなかったそうだ。高校サッカーの層の厚さをあらためて実感させられる。
そしてその先生の口から飛び出すのは、高校サッカーの激しい練習っぷり。いやー、これは本当に大変だ。
サッカーってのはメジャーなスポーツであるだけに、いろんな世界が広がっているものだと思うのであった。
新しい職場での始業式。新2,3年生たちとついにご対面なのだが、なんだか4年前(→2009.4.6)を思い出す。
ああオレはまたゼロからのスタートをしなくちゃいけないのか、そう思うと苦笑いがこみ上げてくる。
世の中こんなもん、所詮はこんなもんなのだ、とわかっちゃいるんだけどね。地道にやっていくだけですよ。
川崎でお買い物なのであった。なんで川崎かっつったら、ハンズがあるからに決まってんじゃねーか!
しかしあらためて冷静に考えてみると、川崎ってのはどんなにがんばってもオシャレになりきれませんな。
だから疲れないわけで、そこが川崎のいいところなんだけど、今日はそのことを実感したのであったことよ。
船戸与一『蝦夷地別件』。
ここ最近、僕は猛烈な不安感に苛まれている。英語教育をめぐる動きが明らかにおかしくなっているからだ。
高校の英語の授業は英語で行うことが基本とされ、授業を英語で行おうとする大学が急激に増えてきて、
TOEFLの点数を大学受験資格と結びつけようとする動きがあり、英語教育を行う幼稚園の人気がニュースとなっている。
その状況に、僕は危機感をおぼえずにはいられないのだ。新自由主義の動きが英語への一本化を押し進めていく。
これは経済が引き金となっている言語的な植民地化じゃないのか? そんなことすら考えてしまうほどの状況なのだ。
そのうちに、「日本語は英語よりも下」という価値観が生まれてしまうのではないかと危惧している。
日本は英語を公用語とし、母語であるはずの日本語が顧みられなくなる国家になってしまうのではないか?
果たしてそこに日本はあるのか? 言語を奪われた民族は解体するしかなくなる。それは歴史が証明していることだ。
(逆を言うと、言語さえ残すことができれば民族は再生できる。イスラエルのヘブライ語なんかがいい例だ。)
だから、今の急激な英語崇拝にはとてつもない危険性を感じるのだ。今まさに日本人としての品格が問われている、と。船戸与一の本のレヴューでいきなりそんな話から入るのは意外に思われるかもしれないが、僕の中ではつながっている。
こないだやっとこさ昨年8月の日記を書き終えたのだが、最後まで手こずったのは27日の分だった(→2012.8.27)。
北海道の都市化を探っていくうちにアイヌの歴史を調べることになったのだが、そこでひとつの結論に達したのだ。
「アイヌは和人によって資本主義体制に強引に組み込まれた。そしてアイヌたちは和人への同化を強いられた。
同じことが今、日本人と英語圏の間に起きているのではないか? 日本人は世界規模の経済に組み込まれる代償として、
日本語という言語を捨てようとしているのではないか? アイヌの悲劇が、日本人にも起ころうとしているのではないか?」
(このことはこないだの姉歯祭り(→2013.3.17)でもワカメ&ナカガキさんとの飲み(→2013.4.4)でも熱くしゃべった。
酔っ払ってはこんなことばっかりグチっちゃって申し訳ないね。でも、それが僕の今いちばんの問題意識なのだ。)
今回読んだ『蝦夷地別件』は、場所請負制によって生活を完全に破壊されることとなったアイヌの姿を描いている。
そしてクナシリ・メナシの戦いに立ち上がる彼らの動きを追いかけた作品なのだ。そこをきちんと勉強するために読んだ。とにかく長い。文庫本で読んだのだが、しっかりとした厚さで上・中・下の3冊分もある。
実家でcirco氏は「船戸はやたらと長いんだよ」と言っていたのだが、確かに長い。読破にたっぷりと時間がかかった。
正直なところ、削られる部分はそれなりにあるとは思う。でも、削ったら削ったで世界観の構築に関わってくるのも確かだ。
そんなわけで、バランスを探りつつもう少しスリム化してほしかった。長いことで焦点がぼやけるマイナスだってあるのだ。
しかし長い分だけ、とても綿密に調べたうえで書かれている。登場人物も多く、それぞれが非常に深い背景を持っている。
アイヌに300挺の鉄砲を用意して反乱を起こさせることで、祖国ポーランドへのロシアの干渉を回避しようとする男。
和人への蜂起を周到に画策しつつも、虐げられている同胞たちの暴発を抑えようとしているアイヌのリーダー。
蝦夷地に乗り込もうとする幕府と、それに抵抗しようとする松前藩。蝦夷地に派遣されたふたりの僧侶と謎の侍。
そして、将来を嘱望されるアイヌの少年。時代のうねりに呑み込まれていく蝦夷地が舞台の群像劇である。結論から書いてしまうと、なんというかもう、「非常に残念な作品」なのであった。ただただ残念。
クナシリ・メナシの戦いがテーマなので、何をどうしたって救いのない話になるしかないのだが、それにしてもこれはひどい。
途中までは生き生きとしていた登場人物たちだが、とにかくどんどんあっさりと死んでいく。使い捨て感覚である。
船戸はここまでしっかりと組んできた物語を、なんでこんなに簡単に自分で壊せるんだ?と不思議でならない。
いくら、何をどうしたって救いのない話になるしかなくても、それなりに上手い着陸のさせ方はいくらでもあるはずなのだ。
しかし船戸はその中でも限りなく最悪に近い形の結末を選んだ。作家としての能力に疑問を感じざるをえないレヴェルで。
読み手としては、物語に触れることで自分の中にその要素を取り入れて、日常の糧としているわけである。
でも『蝦夷地別件』は作者が最後、壊して壊して壊しまくるので、読み手が糧にできるものは何も残らない。
残るのは絶望的な虚無のみだ。それはアイデンティティを奪われたアイヌの直面した絶望と同じ種類なのかもしれないが、
そこを描いただけで終わってしまっては、次の世代には続かないのだ。読み返す気もまったく起きないし。
時間を返せ、とは言わないけど、この作品を描いたことで何が始まるの? 何も始まらねえよこれじゃ、ということなのだ。
せっかくこれだけの手間をかけておいて、お前はこの結果でいいのか? 襟首つかんでそう問いかけたい気分である。長い分だけ読む方もエネルギーが必要なのだ。しかしこの結末。これじゃ船戸のほかの作品を読む気が起きないわー。
月曜日が新学期のスタートなので、土日を挟んでその前日に当たる今日は、下準備が一気に進んだのであった。
それぞれの学校にはそれぞれのやり方があるので、その流儀を探りながら仕事を受けていく感じ。
こういうときに自分からグイグイ行く人の方が、積極的だとみなされて世間では評価が高いのだろう。
しかし僕はそういう人の「自分が思っているほど仕事ができていないっぷり」がまったく好きではないので、
とにかく全体のバランスを見つめるように、まずは一歩引いておくタチなのである。
「同じ仕事ができないのなら、迷惑をかける範囲をできるだけ狭めよう」というこのネガティヴさ。
まあ正直、自分でも情けないとは思わなくはないのだが、その分だけ攻められるときに攻めたいとは考えているのよ。
他人にはできない仕事をしたいと思うのはいいけど、みんなできないといけない仕事を回避しているのは事実だ。
新しい職場ではその辺のことが問われてくることになるだろう。賢くふるまえるようにがんばりたいものだ。
仕事が終わって中目黒へ。久しぶりにワカメ・ナカガキさんと飲むのだ。
早めに到着してブリブリと日記を書き倒して過ごすと、呼び出しが入って改札前に集合。ふたりとも変わらんなあ。当時学生だったわれわれが出会ってから、もう10年以上が経つわけで、今やすっかり社会人が板についている。
でも僕は職場が職場ということもあって、(中)学生のノリをしっかりと保持している。ギャップを感じざるをえない。
また、日記を書いて記憶力が鍛えられていることもあるせいか、時間の感覚の違いもはっきり感じる(→2013.1.2)。
そんなわけで、少々困りながらも、マツシマさんそろそろきちんとモテないと取り返しのつかないことになるよ、
という親身なアドヴァイスをいただく感じで話すのであった。いや、まあ、確かに、ふたりの方が正しいけどさ……。だけど僕はやっぱりバカ話が好きなのね。ワカメの職場のAKBにハマりまくっている皆さんのダメな話が楽しいのさ。
ハロプロの今昔を比べてかつてのわれわれのエネルギーを冷静に分析する、そういうダメな話の方がずっと楽しいのさ。
野球やサッカーについてのとりとめのない話が楽しいのさ。色恋沙汰の話なんてぜんぜん興味ないもんね!
あと、最近の僕が苛まれている話をさせてもらった。ふたりの反応は、そこそこ納得をしてくれつつも、
「いや、それよりもあんたのモテてない状況をなんとかしなさいよ!」というきわめて妥当なものなのであった。
ああそうさ、世界の痛みを引き受ける前にまず嫁を探せと言っているお前らが全面的に正しいよ!そんなわけで今回も楽しませてもらいました。次回もいつになるかわからないけどまたよろしくなのだ。
雨がひどくてイヤになるけど、そこをガマンして朝の6時半に家を出る。さすがに電車は余裕のある乗車率で、
わりと快適に目的の駅に着いた。さっさとカフェに入って朝メシをいただきつつ文庫本を読んで過ごす。
そうして頃合いを見計らって店を出ると、歩いて職場まで行く。なかなか悪くない時間の配分だ。
早起きしての移動はつらいけど、満員電車はもっとつらいので、このスタイルでいこうと思う。まあ、悪くない。午前中は片付けの手伝いをしたり部活の室内練習の見学をしたりして過ごす。それからパソコンの調整。
なんと、今年度から勤務する区では、個人パソコンでインターネットを使わせてもらえない。この措置にはたまげた。
いろいろと調べ物をするのに、あまりにも大きすぎるハンデである。メールのやりとりももちろんできない。
これから、なんとか上手い方法を考えないといけない。その方策を練っているうちにランチタイムになる。昼メシは新たな同僚の皆さんといただいたのだが、趣味が市役所めぐりである話をしたら予想外に大ウケ。
教員になるまでの紆余曲折ぶりといい、節操のない多趣味っぷりといい、皆さんの想定を超える存在だったようで。
まあ、それが仕事をするうえでプラスにはたらくんならありがたいけどね。人間関係が良好でないとどうにもならんし。インターネットが使えない以上、午後は特にできる仕事がない。休みをもらって家でデータを移す下準備をすることにした。
今のところはそんな感じで平和だが、この後いったいどうなることやら。まあ、問題のない職場なんてないわけだから、
これまでやらかした失敗を繰り返さないようにがんばるしかないのだ。地道にいきましょ、地道に。
直で区役所へ行って入区式である。雨が鬱陶しいが、そこはガマンして早めに家を出る。
区役所の最寄駅に到着すると、ちょっと歩いてスタバに入り、朝飯をいただきつつ日記を書いて時間調整。
入区式が終わったらそのままお休みをいただいてしまって、昼飯まで日記を書く。家に帰る途中で昼飯をいただき、
自宅の近所まで来たらまた日記を書く。ここんところの不調の分を一気に取り返すべくがんばるのであった。
家に帰ったら最終調整して出せる分を出す。と同時に、ネットで裏を取りながら次の分の下準備を進める。
まだまだ完済までは程遠いが、着実に進んでいるのは間違いない。春休み以降も順調に進むといいなあ。
本日より新しい職場での仕事である。といっても春休み期間中なので大した動きはなく、
各種説明を受けて新しい職場の中をいろいろと見てまわって軽く打ち合わせしてで終わる。
慣れた環境を離れる淋しさでだいぶダウナーになっていたのだが、いざ始まってしまえば割り切るしかない。
ポジティヴに捉えればきちんとポジティヴになれる要素は確認できたので、前向きになってがんばるだけだ。
まあ、詳しいことは追々。いいチャンスだと思って地道にやっていきます。◇
今年もエイプリルフールということで、参院選出馬宣言というネタを用意したのであった。
その場の思いつきで毎年やっとります。もうちょっと労力をかけたい気もするけど、それほどのもんでもなし。