diary 2012.7.

diary 2012.8.


2012.7.31 (Tue.)

午前中に部活をやって、終わるとe-ラーニングして帰る。午後は休暇をとってあるのだ。
職員室にもほとんど人がいない。いよいよ夏休みって感じになってきた。

それはつまり、昼間に自分の部屋にいると暑くてたまらんということでもある。自転車で出かけて日記を書く。
そういう意味で、夏休みは日記がたまっていくと同時に、処理ががっつりはかどる時期でもあるのだ。
どっちが勝つかは僕のやる気による。今年は土曜授業の反動でこまめなお出かけが増えそうなので、
その分やや処理するのが遅れそうな気配がする。免許の更新もあるし。困ったもんだ。

とりあえず、MacBookAirには大車輪の活躍をしてもらって、ちょっとずつでも処理を進めていくのだ。がんばるのだ。


2012.7.30 (Mon.)

前に日記に書いたように、今年の夏、僕は教員免許の更新のためにお勉強をしないといけない(→2012.5.11)。
クソくだらねえ教育学の内容ど真ん中の「必修」12時間と、何でもござれの「選択」6時間×3=18時間。
そのうち選択科目は大学へ講義を聴きにいくことにしている。内容はけっこう楽しみにしているのも前に書いたとおり。
で、必修科目の方はe-ラーニングで済ませることにしたのも前に書いたとおり(単位認定の試験は受けに行かないとダメ)。
でもあれだよな、大学側は新たなメシの種を確保してホクホクしてやがるんだろうな。なんかムカつくわ。

本日は日直だったので、ひたすらe-ラーニングに明け暮れたのであった。でもオリンピックのモロッコ戦を見ていたんで眠い。
眠気と戦いつつ、時には勝ったり時には負けたりしながらも、どうにか一気に進めることができたのであった。
理解できないところは何度もチャレンジでき、逆立ちしても理解できるところは軽めの集中力で乗り切っていける、
そんなe-ラーニングって素敵!と心底思うのであった。PDFで講義のスライドを印刷できるのもまたいい。
蛍光ペンでポイントをマークすればそれでノートのできあがりなんだもん、本当に負担が少なくって済む。
これは大当たりだったわ!とホクホクしております。時代は確実に進化しておるのう。


2012.7.29 (Sun.)

本日はサッカー部の練習試合。すっかりお馴染みになっている顔合わせで新チームの動きを見る。
会場を提供してくれている学校は部員数が一気に増えた一方、こっちは11人すらそろわないという惨状。
様子を見に来た(と言ってはいるけど出る気満々な)3年生を「オーバーエイジ」と称して参加させる。
といっても各ポジションは1,2年生を優先して配置し、あまったところに3年生を入れる。
3-3-1-3は自信がないからイヤです、と言うので(そりゃそうだ)、まずはシンプルな4-2-3-1で送り出す。
やっぱり3年生は動きがよくって、ボールに絡んでいくセンスが違うなあ、と思いつつ眺める監督であった。
しかし炎天下で下級生より先にギブアップするやつが出たり、なんだかんだでしっちゃかめっちゃか。

思ったほどはボコられなかったけど、やっぱり課題がいっぱい出てきた。そういう意味ではいい練習試合だった。
実戦の中でどういったプレーができたのか/できなかったのかをもう一度きちんと整理して、
ポジションを意識させながら練習を進めていきたい。あとは基本的な部分である強気さがまだ足りない。
守備のときにはきちんと体を当てる、攻撃のときには相手をはずして積極的にボールに触っていく、
そういうところを確認しなければ。フォーメーションは変えてもスタイルを変えるつもりはない。
そもそもこれはスタイルではなく、サッカーの常識だから。そこをしっかり植え付けていかないといかん。


2012.7.28 (Sat.)

東京事変というものを借りてきてですね、聴いておるわけですよ。解散したから、それーっ!と一気に。
もともと椎名林檎については大学時代にHQSのみんなと一緒に熱狂的に聴いていたのだが(→2006.7.14)、
3rdアルバムの大迷走で一気に熱が冷め(→2003.3.8)、東京事変の存在は完全に無視していたのである。
で、解散した今なら冷静に評価ができるんじゃねえかってことで、一気に借りて一気に聴いてみたというわけだ。

結論から言うと、「なかなかすばらしい」である。大絶賛できる曲と、どうでもいい曲と、真っ二つに分かれる。
大絶賛できる曲のクオリティはかつての椎名林檎全盛期にまったく劣らない破壊力を持っている。中毒になる。
でも、どうでもいい曲は本当にどうでもよくって、かつてのような熱をそこに見出すことはどうしてもできない。
ものすごく大雑把に僕の中の感覚で言うと、くるりに近い落差(→2006.10.17)を感じる、ってなところか。
くるりの場合はアルバムごとの波が激しいのだが、東京事変はどのアルバムも一定以上の完成度にあると思う。
しかし収録曲でいい曲は絶対的にいいし、どうでもいい曲は絶対的にどうでもいい。いい曲が確実に一定量あるので、
それで「アルバムの完成度は一定以上」「なかなかすばらしい」という評価に落ち着く、そんな感じなのだ。
単純に打率で言えば、確実に『勝訴ストリップ』『無罪モラトリアム』よりは劣る(超えるのは難しすぎるが)。
でもホームランは出る。まあ素直に、好きな曲が確実に存在するミュージシャンというのはうれしい存在である。

東京事変で僕が完全にノックアウトされた曲は、『シーズンサヨナラ』である。これはもう、究極といっていい。
作詞も作曲も椎名林檎ではないのだが(浮雲)、もうこれだけで僕は東京事変の存在を全肯定できる。それぐらいいい。
何から何まで完璧にしか思えん曲というのは久々に聴いた。それ以外に言葉が見つからない。繰り返すが、これは究極。

僕の中ではあまりにも『シーズンサヨナラ』が突出した存在なので、それ以外はどうしても評価が抑えめになってしまう。
でも『電波通信』『遭難』『修羅場』『ブラックアウト』『新しい文明開化』『恐るべき大人達』『21世紀宇宙の子』もいい。
『群青日和』『能動的三分間』『閃光少女』などもいい曲だが、絶賛というほどではないかな。ほかがもっといいから。
全般的にジャズの要素が含まれるようになったことが、東京事変における椎名林檎の成長ってことかなと思う。
当然ながら、かつての『勝訴ストリップ』『無罪モラトリアム』のような若さ、荒削りな魅力はないのだが、
バンドメンバーの高い演奏レヴェルと作曲の才能をうまく椎名林檎の個性と融合させて、新たな魅力をつくり出している。
その新しい魅力の基軸となっているのが、ジャズ的なセンスのもたらす安定感だと思うのである。勝手気ままな解釈だが。
まあそんなわけで、結論としては、東京事変は予想していた以上のバンドだった。もうちょっと長く活動してほしかったな。


2012.7.27 (Fri.)

オリンピックでサッカー・日本代表がスペインに勝った余韻がまだ続いてるぜ!
試合前にはまるで南アフリカW杯の岡田監督を思わせるバッシングを浴びていた関塚監督だが、
この人の実績を考えればまるっきり無能なことはもちろんないわけで、まさかのジャイアントキリングを実現。
日本がハードワークした以上にスペインが日本をナメていたと思うのだが、完勝なのは間違いない。
サプライズではあったが、日本は勝つべくして勝った。そして強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ。

徹底したカウンターサッカーを実行したことで「本来のパスサッカーを捨てた」と批判する人がいそうだが、
カウンター時に人もボールも一気に動いていくサッカーは、従来のスタイルが明らかに土台になっている。
ロングボールを蹴り込むサッカーと一緒にするとは、どれくらい物ごとをわかってないんだ、と言いたい。
むしろ、ふだんアジアで発揮している「しっかりとポゼッションしたパスサッカー」と、
世界レヴェルで発揮できる「ショートカウンターからのスピードに乗ったパスサッカー」と、
両方を完全に使い分けられるようになったとしたら、これは日本独自のスタイルとして誇れることだと思う。
南アフリカW杯のカメルーン戦の勝利(→2010.6.14)と今回のスペイン戦の勝利は、その証拠として語り継がれるだろう。

とはいえ重要なのは当然、次の一戦。オリンピックに出てくる国はどこも強いのだ。
モロッコにもしっかり勝って、行けるところまで行っちゃいましょうぜ!


2012.7.26 (Thu.)

夏季補充教室で英語の出番のない日が一日だけあったので、こりゃいいや、と休みをもらって日帰りの旅に出る。
そう、計画を立てて以来、なぜか実行する機会がなかなか訪れなかった房総半島一周(→2012.3.20)をやるのだ!

こないだも書いたが(→2012.7.21)、千葉ってのは意外と広いものなのだ。
江戸川を越えて千葉県に入ってから、三角形を描くように丁寧に一周しようとすると、
まず最初の東へのルートでとても時間がかかってしまうのだ。大岡山を出てから千葉駅に到着するまでが1時間半。
そこから最初の目的地である勝浦までたどり着くのに、同じく1時間半もかかってしまうのである。
というわけで、勝浦駅の改札を抜けたのが、8時半過ぎ。滞在できる予定は2時間弱となっている。

まずは毎回恒例、市役所へと向かう。勝浦市役所は街はずれにあり、意外と歩かされた。
市役所に着くまでの道は交通量のわりにかなり狭く、またよく曲がりくねっている。近代以前のスケール感である。
歩けば歩くほど、どこか懐かしい感覚になる。そう、勝浦は今も徹底的に「漁師町」なのだ。
山に囲まれた天然の良港としての雰囲気が、面白いくらいにそのまま残っているのである。
狭い土地の中にぎゅっと人々の生活が詰め込まれている感じ、その空を海の匂いが覆っている感じ。「漁師町」だ。

そんなことを考えながら炎天下を歩いていると、丘の上に平成以降らしい大きめの建築があるのが見えた。
常識的に考えて、あれが勝浦市役所だろう。高低差に気分が重くなるが、行くしかないのである。
覚悟を決めて坂道を上り、ゴールを目指す。最初がこういう郊外型庁舎だと、正直ちょっとやる気がそがれる。

  
L: 勝浦駅。千葉県は東京の隣のはずなのに、ここまで来るのに3時間。房総半島は巨大でござるよ。
C: 高台の上にある勝浦市役所。炎天下の中、あそこまで行くんか……。  R: 勝浦市役所への入口。がんばって歩いたよ。

勝浦市役所の竣工は1992年。設計は横河建築設計事務所による。写真を見てのとおり高台に建っているが、
ここはもともと勝浦市の総合運動場だったそうだ。現在は市役所の隣で何やら工事中。市民会館か何かですかね。

  
L: 勝浦市役所。  C: エントランス部分に近づいて撮影。  R: 裏側はこうなっております。

撮影を終えると、来た道をトボトボ戻って中心市街地を目指す。市役所ほどではないものの、
勝浦の市街地も駅からやや離れた位置にある。曲がった幅の狭い道を車がけっこう頻繁に通っていく。
商店街はさびれ気味だが、しっかりと昭和の匂いを残している。個人商店の垢抜けない雰囲気がいとおしい。

 勝浦の商店街を行く。道は狭く曲がっていて、車やバイクがよく通る。

さて勝浦といえば朝市だ。高山(→2009.10.12)・輪島(→2010.8.23)とともに日本三大朝市に数えられるほどで、
1591(天正19)年に領主の植村土佐守泰忠によって始められた歴史を持つ。盆と年末以外の毎週水曜日が休みで、
いつも早朝5時から11時くらいまでやっているという。月の前半は下本町、後半は仲本町と場所が変わるのも面白い。
訪れたのは9時過ぎだったが、正直なところ高山や輪島と比べると、ちょっと活気に欠ける感じはした。
売られている農産物は新鮮で、見るからに品質が良さそう。海産物や干物もたくさん売られている。
しかし、いかんせん客が少ない。平日だからそんなもんかもしれないが、売る側の高齢化と中心市街地の衰退とが、
朝市を直撃している印象は否めない。せっかく朝市をやっているのに、うまく機能していない感触が漂っているのだ。
勝浦市の人口にはいくつか特徴がある。まず、首都圏で唯一、3万人未満の市となっている点。
そして国際武道大学(略称:IBU、国際基督教大学(ICU)より一文字分先を行っている!)がある関係で、
20歳前後の人口が突出している点。つまり、せっかく大学があるのに、その資源を活用しきれていないってことだ。
(ちなみに潤平の中学時代の担任は国際武道大学のOBなので、我が家では妙に有名なのだ。すげーいい先生だった。)
朝市はけっこう長い距離でやっているけど、やや歯抜け状態で、もう少し工夫しないと苦しいと思う。

  
L: 勝浦の朝市発祥の地である高照寺の辺り。  C: 仲本町での朝市の様子。  R: 観光案内所もこんな具合でやっている。

そのまままっすぐ、漁港の方まで歩いてみる。親子連れを中心に観光客の姿がチラホラあって、ポテンシャルは感じる。
どうやって活性化させるか、うまく歯車を回すことができれば面白いことになりそうだ。そう思いつつ勝浦駅まで戻る。

勝浦を後にすると、外房線の終点である安房鴨川まで行く。鴨川市が外房線の終点というのもよくわからない。
僕の感覚だと館山辺りが外房と内房の境界線なんだけど、まあ現実にそうなっているんだからしょうがない。
そんなことを考えながら改札を抜けると、まずは駅から出てすぐ右手にある観光案内所へ突撃。
毎度おなじみレンタサイクルの申し込みである。鴨川といえばなんといっても鴨川シーワールドである。
無料のバスが出ているが、やはり市役所が郊外なので、レンタサイクルを借りてしまう方が便利なのだ。

 安房鴨川駅。外房線と内房線はここで交わるのだ。

なかなかオシャレな感じの電動自転車を貸してもらうと、まずは線路を越えて西側へ。市役所から攻める。
さっきの狭苦しい勝浦とはまったく違い、鴨川は完全に郊外型の大規模な道路に飲み込まれているという印象だ。
交通量たっぷりで渋滞気味の国道128号が海岸線と並行するように走っているので、まずはそっちまで出てしまう。
そして駅に通じる交差点まで来たところで、山側へと針路を変える。地図だとそこそこ距離がありそうに思えたのだが、
ひどくあっさりと消防署に到着。鴨川市役所はそこからきれいに整備された道をまっすぐ行くだけだ。

鴨川市役所は1973年の竣工。ちょっとだけメタボリズムの匂いを感じさせるように思う。
郊外の畑に囲まれた高台に位置しており、市役所のすぐ裏側も畑である。なかなか珍しい、のどかな光景だ。
たいていの市役所は市街化区域内にあるものだが、鴨川の場合は市街化調整区域かもしれない。
(参考までに、多摩地区で2002年に調査したときは、あきる野市以外はすべて市街化区域内だった。)

  
L: 鴨川市役所を正面より撮影。周囲に邪魔になるものがまったくないので、これは本当に撮影しやすい市役所だったわ。
C: 駐車場より少し斜めで撮影してみた。この角度から見ると、なんとなくメタボリズムっぽくないですか、これ。
R: 裏側にまわり込んでみたところ。ここまで周りが農地な市役所もそうそうない。僕は嫌いじゃないよ。

気が向いたので中に入ってみたのだが、真っ先に目に飛び込んできたのは千葉ロッテマリーンズ関連のアイテム。
鴨川市は千葉ロッテのキャンプ地になっているということで、市を挙げて支援しているようなのだ。
けっこう徹底してやっており、なんとも微笑ましい光景だった。そうやって誇れるものがあるというのは、すばらしいことだ。

 市役所の玄関先は千葉ロッテにジャックされている感じ。いいと思う。

建物じたいも個性的だし、中に入っても個性的。鴨川市役所はなかなか面白い場所だった。
そんなわけで満足感に浸りながら来た道を戻り、さっきの国道128号に出る。今度はひたすら北へと走っていく。
たっぷりと女子高生を乗せた観光バスと抜きつ抜かれつを演じながら進んでいくと、道の両側が松林となる。
スケール感がふつうの郊外という印象から、よけいな要素のないリゾート地のそれへと変化した。
同じ外房の街でも、勝浦と鴨川はぜんぜん違うんだなあ、と驚きながらペダルをこぐと、鴨川シーワールド入口に到着。

  
L: いかにもリゾートな感じに染まる国道128号。同じ外房でも狭苦しい勝浦と鴨川はぜんぜん違いますな!
C: 鴨川シーワールドに到着なのだ。割引券をあちこちにバラまいており、お得な感じがうれしいのだ。
R: 鴨川シーワールドの駐車場から東条海岸に出てみたところ。砂浜にはカモメがいっぱい。湾を挟んでリゾートなビルが見える。

鴨川シーワールドは1970年に開業した水族館で、特にシャチのパフォーマンスが有名である。
現在は、かつて夕張(→2012.6.30)で活躍した北炭の流れを汲む会社が経営しているという。へぇー。
知ってのとおり、僕は博物館にしろ動物園にしろ植物園にしろ水族館にしろ、そういう施設が大好きなのだ。
男一人で後ろめたさを感じているようではいかんのじゃ!と、堂々と割引券を提示してお一人様で入場。文句あっか。

そんなわけで、鳥羽水族館のとき(→2012.3.31)と同様、デジカメでいろいろ撮影したので貼り付けてみるのだ。

  
L: タコが泳いでいたので撮影。軟体動物ってすごい泳ぎ方ですな。ちなみにタコは寿命が短いかわりにめちゃくちゃ賢いんだぜー。
C: アルビノのナマコなんだけど、これ完全にハルキゲニアじゃないの。  R: アカウミガメがこっち向いたので必死で撮った。

  
L: 生で見るマンボウの大きさに驚いた。本当に大きい。傷つかないように水槽の内側にフィルムを被せてあるみたい。
C: クラゲを集めたスペースがあった。クラゲの生命の形は人間とはあまりに異なっている。見るたび不思議だと思う。
R: ベルーガ(シロイルカ)が巨大な水槽で泳いでいる。北極圏での生活に特化した生態なんだとさ。

  
L: 「トロピカルアイランド」ではキリバスのサンゴ環礁を再現。屋根も工夫があって、なかなか興味深い設計だった。
C: いい感じにきれいですな。  R: 地下から水槽を見上げたところ。スキューバダイビング気分になれるわけですな。

いやー、水族館ってのはもう、無条件で面白い。さまざまな生命の形を目の当たりにして、夢中でシャッターを切る。
そうして屋外に出ると、何やらアナウンスと歓声が聞こえる。オーシャンスタジアムなる施設でシャチが泳いでいるらしい。
しかもシャチは子どもが生まれて一緒に泳いでいるんだそうで、そりゃ見るしかねえや、と小走りで急ぐのであった。

  
L: 飼育員のおねえさんの指示に従って尻尾を振る。手の代わりに尻尾を振る、というわけである。
C: シャチすげえな! こんなことできるの?  R: 上のボールめがけてバック宙のジャンプ。いやはや、恐れ入りました。

シャチの賢さに思わず感動してしまったよ。ウチの部員たちより賢いんじゃないか?……などと思ってしまったわ。
親と並んで泳ぐ小シャチは実にかわいい。結局ショウが終わるまでしっかり堪能したことよ。いやあ、楽しかった。
あとは屋外にいるアザラシやイルカたちをのんびり眺めて、最後にポーラーアドベンチャーへ。

  
L: 外はとにかく炎天下。それでも元気な家族連れがいっぱいなのであった。
C: アザラシもこんな表情になるのであった。  R: イルカもプカプカ浮かんで暑さをやり過ごす。

 
L: 冷房のがっちり効いている室内で仁王立ちのキングペンギンたち。  R: ラッコが珍しい角度で浮かんでいた。

思う存分に水族館を堪能すると、国道128号をひた走って駅まで戻る。時間的な余裕が少しあったので、
駅のコンビニで何か面白いものはないかと物色してみたら、とんでもないものを発見してしまった。

 千葉の醤油サイダー!

そりゃまあ確かに野田に銚子に、千葉は醤油どころである。しかしそれを飲み物にするとは!
迷わず購入して、そのまま待合室でテイスティング。醤油の濃度は0.05%と、かなり控えめ。
むしろジンジャー風味が強くって、ショウガの強めなちょっとしょっぱいかもしれない謎の炭酸となっていた。
興味のある強者の人はぜひ挑戦してみてください。僕は積極的にはオススメしません。お察しください。

安房鴨川駅を出た電車はだんだんと海岸線から遠ざかっていき、山の中を抜けていく感触となる。
そうしていきなり街っぽくなったと思ったら館山駅に到着。ここで降りて駅前のロータリーに出る。
館山には前にも来たが(→2008.12.23)、今日は街歩きはしない。館山の郊外に用があるのだ。
目的地は安房国一宮・安房神社。駅からはかなり離れており、バスでそこまで行くのである。

しかしその前に空腹をなんとかせねばならない。しかし館山駅周辺にはこれといった店がない。
困ったなあ、と思って駅の方を振り返ってみて、気になる文字を発見。「名物 くじら弁当」とある。
お値段は1000円ということで少し迷ったのだが、ほかにこれといった選択肢もないし、気になるのでチャレンジだ。
注文したら「3分ほどお待ちください」との返事。つくり置きはしていないってことは、つくりたてをいただけるわけだ。
せっかくだから、安房神社まで行ってから食べることにした。あわてて食べるよりも風情があるじゃないか。

くじら弁当を確保すると、ほかの皆さんと同じように日陰で隠れるようにしてバスを待つ。
やがてやってきたバスに乗り込む。狭くて曲がった道をくねくね走って、バスは国道へと出る。
バスは快調に南へと進んでいき、20分ほどして安房神社前のバス停に到着。周りは田んぼと林の緑一色だが、
そこにホームセンターのコメリがいきなり建っていて、なんとも違和感。もうかるんかね、このコメリ。
で、そのコメリの脇から東に入ってしばらく歩くと安房神社の鳥居が現れる。鳥居を抜けると桜に砂利の参道。
神社の参道の両脇に桜というのは、よく考えると珍しい光景である。なかなか堂々としていて雰囲気がある。

  
L: 安房神社入口。この写真のすぐ左側はコメリ。三角だとルコックで、丸だとコメリ。米屋の利右衛門で「米利」=コメリだとさ。
C: 安房神社の鳥居。生け垣で囲まれているような農村の住宅地にいきなり現れるので少しびっくりだ。
R: 桜の参道を行く。こういう光景を見ると、さすがに一宮としての威厳を感じる。花が咲いていない方がいいかもね。

参道を抜けると社務所前を通って安房神社の境内へ。けっこう独特で、社殿へのルートは右へと曲がっている。
しかし落ち着いた雰囲気はさすがに一宮なのだ。木陰に包まれて厳かな気分になりながら社殿へと向かう。
安房神社には「上の宮」と「下の宮」がある。厳密には「上の宮」が本宮であり、「下の宮」は摂社となる。
これは伊勢神宮の内宮・外宮に倣ってのことだそうだ。上の宮に祀られているのは安房国開拓の神・天太玉命。
ほかの一宮と比べるとローカルな印象である。まあでも地元の神様を大切にするのはいいことだ。

  
L: 安房神社の境内の様子。90°カーヴして社殿へと向かう。適度に広くて、なんとも言えない清々しさである。
C: 上の宮。2009年に改修されたばっかり。  R: こちらは下の宮。上下2つの社殿があるのも面白い。

参拝を終えると、参道のすぐ横にある千葉県立館山野鳥の森という施設でくじら弁当をいただく。
クジラの佃煮がしっかりと食えておいしゅうございました。駅弁の世界も面白くってキリがないぜ。

  
L: くじら弁当のパッケージ。  C: 中はこんな感じ。左にほぐした肉、右に塊の肉があり、それぞれしっかり味わえる。
R: 安房神社の隣にある千葉県立館山野鳥の森。中では小学生の女の子ふたりが宿題をやっていた。存在意義がイマイチわからん。

安房神社から、さらにバスで先へ行ってみる。すぐに南房総市に入って海にぶつかり、針路は東へと変わる。
そう、房総半島の先っぽ、野島崎まで行ってしまうのだ。せっかくここまで来たんだから、最果てまで行ってみないとね。
平成の大合併で房総半島の最南端・白浜町は南房総市の一部となった(館山市は南房総市に完全に囲まれている)。
実は旧白浜町に来るのは2回目になる。初めて来たのは大学1年、入学したてのオリエンテーション合宿のときである。
自分でもよく覚えているなあと思うのだが、1泊2日で語学クラスを単位に飲んだ、その記憶しかない。もう断片的。
そのときには飲んだくれてばっかで「これが野島崎か!」なんてことはしていないと思うので、ちゃんとやっておこうと。

さらに20分ほど揺られて終点の安房白浜バスターミナルに到着。周りは住宅と営業しているか微妙な商店、そして旅館、
あとは農地である。せっかくなので日帰り入浴ができそうな温泉施設があればよかったのだが、旅館ばかりだ。
しょうがないので野島崎灯台を目印に歩いていく。海岸沿いの国道410号に出て、トボトボと西へ戻る。

海に突き出ている野島崎は、その部分だけ土産物屋が集中していたり神社があったり芝生の広場があったり、
周りとはちょっと違った雰囲気になっている。岬を一周できる遊歩道があるので、東側から歩いてみることにした。
さてこの野島崎の出っぱりだけ雰囲気が異なるのは、もともとここが「野島」という名前の島だったから。
1703(元禄16)年の「元禄大地震」で隆起して地続きとなったのだ。遊歩道を歩くと岩の塊であることが実感できる。
やがて最南端の地点に到着する。岩山の上にベンチがあって、なぜかおっさんが独り、たそがれていた。

  
L: 野島崎・最南端の岩。東向きにベンチが置いてあって、朝日を眺めるポイントになっている。面白いもんだ。
C: ベンチのところから南を向く。小笠原からの帰りに房総半島が見えたときはうれしかったなあ(→2012.1.3)。
R: 振り返って陸地側を眺めるとこんな感じ。野島崎のところだけ丸く出っぱっているのがよくわかるのだ。

国の登録有形文化財・野島埼灯台にも寄ってみたのだが、正面入口から眺めるとけっこう興ざめなのであった。
この灯台は海側から芝生と岩場越しに眺めるとすごく美しいのに。日本の洋式灯台では2番目につくられたが、
関東大震災の際にボッキリと折れてしまったそうで、現在の八角形の塔は1925(大正14)年の竣工だという。

 灯台ってのは本質的に、海側から眺めてナンボ、なんだろうなあ。

野島崎をたっぷり堪能すると、そのまま北へ歩いて野島崎灯台口のバス停まで行く。
地図も何もないけど、さっきバスで通ったから感覚的にどの辺かわかる。こういうときには便利な能力だ。
バス停に着くと、コンクリートで固めた待合室の中で水分補給をしながらMacBookAirで日記を書いていく。
やがてバスが来て乗り込んだら客は僕だけだった。心なしか、運転手のおっちゃんがうれしそうである。
バスの中では気がついたら寝ていた。起きたら乗客はお年寄りを中心にけっこう乗っていた。

館山駅から各駅停車で揺られて千葉まで戻る。これにて房総半島一周の完了、というわけだ。
内房線の車内ではクロスシートを一人で占領する余裕があったので、MacBookAirで日記を書きまくる。
醤油サイダーとは違う、いかにも千葉らしい飲み物を飲みたくなったので、それを買って列車に乗り込んだ。

 千葉といえばなぜかジョージア・マックスコーヒー!

原材料名が「加糖練乳、砂糖、コーヒー」という順番で表示されるくらいバカ甘いコーヒーなのだが、
なぜか千葉ではこいつが人気なんだよなあ。ゴミ箱を見ても見事にこいつの空き缶ばっかりなのだ。
でもその甘さが、疲れた体には最高にうれしいのだ。おかげで家に帰るまで快調に日記を書くことができたよ。


2012.7.25 (Wed.)

2006年の日記改修工事を無事に完了したのだ。写真があると、なんだかんだでけっこう時間がかかってしまう。
まあともかくこれで、残すところあと2005年だけとなった。ぶっちゃけ、思ったよりも早いペースで来ている。
改修工事を始めた当時は10年くらいかかるんじゃねえかと思っていたくらいで。それがあと一年分とは感慨深い。
とはいえ本編が終わってもGoogleマップの修正があったり都道府県庁所在地ひとり合宿ページの修正があったり、
細かい作業はまだまだしっかり残っている。できれば画像も見やすく直していきたいしなあ……。
はい、キリがないです。


2012.7.24 (Tue.)

今日の日記は、気になったことをつらつらと。

イチローのヤンキースへの電撃移籍には本当に驚いた。このままマリナーズのレジェンドになるもんだと思っていた。
解せないのが背番号を「31」にした件。バーニー=ウィリアムズへの配慮という名目はわからないでもないのだが、
マリナーズでイチローよりも前に「51」をつけていた選手といえば、かのランディ=ジョンソンがいるじゃないか。
ランディ=ジョンソンの実績に臆することなく「51」をつけた選手が、今度は“逃げた”ってのがわからない。
僕なりに思うのは、イチローは現状に飽きてしまったのではないか、ということ。低迷するマリナーズに、
低迷する自分の成績に飽き、大胆な変化を求めた。背番号さえも変えてしまうほどの変化を求めたということか。
かつてイチローはCMで言っていた、「変わらなきゃ」と。まあ、僕らは変わらず応援するだけだけどね。

AC長野パルセイロのJリーグ準加盟が認められた。これは、長野県レヴェルを超えたすばらしいニュースだ。
スタジアムの収容人数の関係で、今年JFLで優勝しても即、J2に上がれるわけではない。こればっかりはしょうがない。
でも、Jリーグ側も信州ダービーの開催を心待ちにしていることが明確になったわけだし、ポジティヴな話だ。
いよいよ日本における究極のダービーが、Jリーグを舞台に開催される可能性が生まれたのだ。楽しみに待っている。

本日も昼間はサッカー部で補習をやったのだが、数検のために高校でやる内容の数学を勉強している生徒に質問される。
問題を解く方向性は一瞬でわかったのにもかかわらず、細部の記憶が完全に消えてしまっていて、結局ミスをした。
ミスは基本的な約束ごとの部分だったので、個人的にはものすごくショックで、一日ずっと悔しがって過ごした。
きちんと時間をつくって訓練すれば大丈夫だとは思うんだけど、忘れてミスしたという事実に「衰え」を感じてしまうのだ。
数学的センスを磨いておくという意味で、高校数学のおさらいをしないといけないわ、と大いに反省するのであった。


2012.7.23 (Mon.)

夏休みが始まって最初の平日、今年も夏季補充教室が無事にスタートしたのであった。まあ、しょうがないよね。
さっそく1年生と2年生で英語の授業をやったのだが、1年生は1学期の復習ということでまあいいとして、
2年生が恐ろしくできねーできねー。さっき1年生相手にやったはずの内容がお手上げ状態なのだ。もう愕然としたね。
罵詈雑言の限りを浴びせたい気分だったけど、浴びせたところで成績が上がるわけではないので、ぐっとこらえる。
とりあえずこの補充教室では徹底的に1年生の内容をやり直す。同じことを何度も言わせるな、と少し脅し気味でやり、
危機感を持たせる方向で行く。集中力を発揮すれば一発で覚えられるのは、去年の卒業生を見て十分わかった。
やる気にならねえやつは放っておく。どうぞ後で苦労してください、ということだ。

午後にはサッカー部を対象に毎年恒例の補習。1年生から3年生まで、予定のないやつは全員集まって黙々と勉強。
ほかにそういうことをやる部活がないのが不思議である。「文武両道」とか言っとる部活に限って「武」に偏っとるのよね。


2012.7.22 (Sun.)

「避難所設置訓練」なるものがあって、力持ちな若手がいた方がいいんじゃねーかってことで参加することになった。
まあ要するに、学校を避難所として使う際には現実にどんな問題・課題があるのかを確認するってわけである。
役所の人と町内会の皆さんとよい子な生徒と一緒に校内を見てまわったのだが、僕の知らない学校の姿に驚いた。
当たり前のことではあるのだが、学校には非常時に対応できる機能がいろいろあるものなのだ。
学校を設計する際にはそれらの条件をきちんとクリアしたうえでの意匠設計となるわけで、
いやはや建築家とは大変なもんですなあ、と思うのであった。今さら。自分の能天気ぶりを実感したわ。
水のタンクに非常用電源に備蓄倉庫に簡易トイレにその他もろもろ、いっぱい仕掛けがあるなあとひたすら感心。
ふだん「しょぼくれた昭和の遺物使わせやがってはよ新築せえやボケ」と校舎に悪態をついているわれわれだが、
こういう隠れた機能を見せつけられると、薄汚れている校舎もなんだかかっこよく見えてきてしまう。現金なものだ。


2012.7.21 (Sat.)

デル=ピエロがわざわざ日本に来て、わざわざ今年の復興支援マッチに出場するんだそうだ。
ユヴェントスを退団して、まだ新しい所属先が決まっていないからこれは可能になったみたいだけど、
それにしてもそのためにわざわざ来るってのは、本物の日本びいきなんだと思う。なんだか、すごくうれしい。
じゃあせっかくだから、僕もわざわざ生のデル=ピエロを観に行くことにしよう。青春18きっぷを使って。
試合会場はカシマサッカースタジアム。もうこりゃ、青春18きっぷを使ってくれと言わんばかりじゃないか。

天気がよければもうちょっと早めに家を出て、我孫子市役所や手賀沼なんかをぶらっとしてみたかったのだが、
どこが梅雨明けだよと言いたくなるような厚い雲が空を覆っていたので、寄り道は最小限に留めることにした。
品川駅からは総武線の快速電車に乗ったんだけど、そこはちょっと贅沢してグリーン車に乗っちゃう。
遠出するときのグリーン車がかなり快適だと知ってしまったら(→2011.10.8)、もう戻れないのである。
そうして成田まで優雅な時間を過ごす。成田からはロングシートで地道に揺られる。ふと乗客を見ると、
すでにユニを着ていたりサッカー関連の本を読んでいたり、明らかに今回の復興支援マッチ目的の人が多い。
中にはどっからどう見てもラテン系な顔つきの人もいる。デル=ピエロ効果はてきめんなようだ。
(ちなみにその人は佐原(→2008.9.1)で途中下車した。佐原をついでに観光するとは、おぬし、できるな!)
で、僕は佐原からさらに3駅行ったところにある潮来で降りる。どれちょっと歩いてやろうというわけだ。

 潮来駅。観光案内所は開店休業状態で、レンタサイクルを借りられなかった……。

地理には自信のあるはずの僕だが、けっこう局地的に記憶が曖昧なところが中には正直あって、潮来はその典型。
利根川の河口付近ということだけははっきりわかるんだけど、たまに千葉県か茨城県かあやふやになりかける。
JR鹿島線が佐原を出ると、香取神宮の最寄駅・香取に至る。ここまでが千葉県だ。そして利根川を渡り、
次は十二橋(じゅうにきょう)という駅。ここはけっこう面白く、川沿いの広い水田地帯に高架で取り残された感じの駅だ。
そして潮来。つまり潮来は利根川の北で、しっかり茨城県なのだ。ここまで来るのに3時間弱。千葉県の広さに呆れる。
僕が潮来という土地をこの目で見るのは2回目だ。微妙な表現を使ったのは、前回はただバスで通過しただけだから。
そのときもカシマスタジアムへのサッカー観戦で、大木さんが甲府を指揮する最後の試合となってしまった(→2007.12.8)。
で、このときの潮来の印象は実はかなり強烈で、当時は「平野と水辺でできた街」なんて書き方をしている。
見渡す限りの平野につくられた水田の中に、どうやってアクセスするのかわからないバスターミナルがいきなり現れるのは、
山国育ちの僕にはかなり違和感のある光景だったのだ。これが「水郷」ってやつなのか、と妙に感心したものだ。
レンタサイクルが使えないため、時間的にも体力的にもそのバスターミナルまで行く余裕はないのだが、
Googleマップで確認できる水田地帯を歩いてみようとは思う。それを以て潮来の水郷ぶりを理解したことにするのだ。

駅から潮来市役所まではそこそこの距離がある。とりあえずは駅からほど近いところにある前川あやめ園に寄ってみる。
潮来といえばあやめなのだ。どれくらいのあやめっぷりかというと、駅の所在地の地名が「潮来市あやめ」なくらいだ。
あやめのシーズンは当然、梅雨入りの頃合いである。7月も下旬となると、天候に梅雨の雰囲気は残ってはいるものの、
花はほとんど残っちゃいない。わかってはいたのだが、前川あやめ園は「あやめ祭り」の跡形もない状態なのであった。
それでもがんばって咲いている花が園内に5輪ほど点在していたので、感謝の念を込めつつ撮影。ありがとよ!

  
L: 前川あやめ園の「潮来の伊太郎」像。当然のごとく『潮来笠』の橋幸夫がモデル。曲も流れるぜ。
C: 6月下旬ならとんでもなく美しい光景なんだろうけどねえ。7月だとただの伸びきった草の集合体って感じ。
R: それでもかわいらしく咲くあやめの花はゼロではなかった。この花が一面埋め尽くすとなると……絶景だよなあ。

根性であやめの花が園内を埋め尽くす光景を無理やり想像して過ごす。でもやっぱり実物を見たいもんだ。
花はやっぱり時期をはずすと台無しだなあ、と思いながら先へ進んでいく。潮来は有名な観光地ということで、
駅前にはそれなりに規模の大きいホテルがいくつかある。でも商業施設はあまり充実しておらず、
すぐに住宅中心の片田舎となる。交通量が多くて歩道の狭い、いかにも首都圏のはずれっぽい国道を歩いていくと、
思っていたよりもすんなりと潮来市役所に到着した。潮来市街は地図から予測していたよりもスケール感が小さかった。

  
L: 潮来市役所。かつての町役場の規模そのままの、ちんまりとした庁舎である。  C: 正面より撮影してみた。
R: 裏手はこんな感じ。潮来市役所は駐車場もけっこうコンパクトで、本当に「旧来の役場」ってイメージそのもの。

潮来市が誕生したのは2001年のこと。潮来町が牛堀町を編入したことで市制施行したのだ。
したがって現在の潮来市役所はもともと潮来町役場として建てられたわけである。こうなると、過去のデータは拾いづらい。
けっこう古いはずなのに、きれいにしているのが好感の持てるところだ。「正しい役場」って感じがほほえましい。

撮影を終えると、そのまま市役所からまっすぐ南へと進んでいく。雰囲気は完全に田舎の住宅地。
その中を突き抜けて前川を渡る。橋は小規模ながらもしっかりアーチを描いており、水郷・潮来らしさを存分に感じさせる。
さりげなく流れる川と住宅の近さがまたその感覚を強める。そして橋の上に立った僕の目に飛び込んできたのは、
見渡す限りの水田だった。遠い端っこが建物に縁取られている以外は、青々とした稲の色だけに染まっている。

 
L: 広大な水田の先にあるのは潮来駅周辺の市街地。この平野っぷりにはあらためて圧倒された。
R: 水田地帯の真ん中を突っ切って駅まで帰る。山国育ちの僕に、延々と続く大地はなんだか落ち着かない。

駅へと戻る間も、水田と住宅ばかり。個人商店は点在していても、これといって商店街はなかった。
潮来は農業と観光に特化しており、特に商業が発展する必要がなかったってことなのかな、と勝手に解釈する。
穏やかでいいんだけど、なんとも独特な感触の街だった。歴史的に大きく変化していない場所って気がする。

駅の高架のホームに出ると、本数の少ない鹿島線がきちんとやってきた。やはり復興支援マッチな客が多い気配。
列車はさっき歩いた道を見下ろしながら斜めに緑の中を進んでいき、山を抜けると住宅地に出た。延方駅だ。
そうして今度は豪快に水面の上を行く。なかなか広大なこの湖は、北浦だ。霞ヶ浦を構成する第二の湖である。
だいたい霞ヶ浦ってのがけっこうわかりづらい。茨城県南部にある日本で二番目に大きい湖なのだが、
V字の湖は正確には「西浦」であり、霞ヶ浦とは西浦・北浦・外浪逆(そとなさか)浦・北利根川・鰐川・常陸川の、
集合体を指す名前なのである。しかし「the 霞ヶ浦」ということでか、西浦のみを霞ヶ浦とすることも多い。難しいものだ。

 鹿島線は豪快に北浦を横断して走る。北浦は南北に長く、南端を走る感じなのだ。

列車が終点の鹿島神宮駅に到着すると、階段を下りて改札を抜ける。久々の鹿島神宮への参拝をするのだ。
5年前にはのんびりと鹿島神宮を参拝していたせいでカシマスタジアムまで走る破目になってしまったが(→2007.12.8)、
本日の試合のキックオフは19時なのだ。今はまだ13時半なので余裕ありすぎ。列車の時刻も調べたし、問題ないのだ。

5年前と同じように、駅から延びる参道を歩いて鹿島神宮を目指す。季節は違うが、あのときとまったく変わらない印象だ。
考えることは皆さん一緒のようで、復興支援マッチの前に参拝しておこうという皆さんがけっこういるため、
歩いていても一人ぼっちということはない。でも参道沿いの店の呼び込みは少しパワーダウンしていたかな。

  
L: 鹿島神宮駅のホームより見下ろす駅周辺の様子。鹿島神宮駅は市街地から少しはずれた位置にある。
C: 参道の途中にある塚原卜伝の像。鍋のフタを持っていればいいのに、と前回訪問時(→2007.12.8)と同じことを考えたのであった。
R: 参道の交差点にはこんなボールも。アントラーズは鹿島の誇りなのだなあ、と実感させられるオブジェである。

あらためて鹿島神宮に来たのは、「カシマスタジアムに行くついで」ということだけではない。きちんと目的があって来た。
それは、徳川秀忠が造営した各社殿をきちんと味わうことと、常陸国一宮としての威厳をしっかり感じるということ。
前回の参拝ではその辺がかなりいいかげんだったので、あらためて勉強し直して日記に書こうということなのだ。
そしてなんといっても、鹿島神宮といえば勝負事の神様なのだ。ちったあウチのサッカー部が強くなるようにお参りなのだ。

参道沿いの店の呼び込みは、神宮に近づいたところでようやく復活。懐かしさを感じながら歩いていくが、違和感がする。
そう、神社の境内に来たのに、鳥居がないのだ。実は東日本大震災の地震で鳥居が壊れてしまったというのだ。
2014年に再建完了の予定だそうだが、さすがに茨城県も被災地なのだ。あらためてそのことを実感させられたわ。
しかし境内の雰囲気は5年前とまったく変わらない。日本三大楼門に数えられる楼門をあらためて眺める。
前回参拝時にはそれほど古びている印象を受けなかったが、近くで見るとやはり歴史を感じさせる威厳があった。
鹿島神宮は横参道で、楼門をくぐって右が拝殿と本殿、左が社務所である。参拝客がけっこう多い。

  
L: 鳥居がなくなってしまった鹿島神宮。  C: 楼門。1642(寛永19)年に初代水戸藩主・徳川頼房が造営した。
R: 1618(元和4)年築の拝殿。本殿が蝦夷に睨みを利かせるために北を向いており、そのせいで拝殿も北向き。本殿は工事中。

参拝を済ませると、せっかくなので宝物館に入って国宝の直刀を見てみることにした。
宝物館はさすがに武甕槌神を祀る神社ということで、刀剣や馬具などの武士ならではの品々が奉納されている。
日本刀ってのは、刃そのものを端整な美しさに鍛えてある点がやはり独特だなあと思いつつ見ていくのであった。
そして国宝の直刀が登場。異様に大きい。手前には実際のサイズと重さを実感できる鉄の棒が展示されているのだが、
それを持ってみて常識はずれなサイズを体感。まったく実用的でないこの大きさこそ、鹿島神宮への敬意の表現なのだ。
長さは実に2.24m。奈良時代末期から平安時代初期の作だそうで、4ヶ所でつなぎあわせて一本の刀にしているという。
当時の技術の粋を集めた工芸品だったんだなあ、なんてあれこれ想像してみるのだった。

鹿島神宮の面積は広い。参道はそのまままっすぐに延びており、宝物館から出るとその先へと歩いてみる。
両脇を大きな杉の木がかためる道を行くと、左手に鹿たちのいる鹿園がある。子どもたちがエサをあげている。
鹿のツノはだいぶ立派だが、それだけ重そうでもある。これだけ大きいツノが生えたら邪魔だろう、としみじみ思った。

 
L: 拝殿のあるエリアを抜けると、いかにも神聖さを感じさせる森となる。これが神社の面白いところだ。
R: 鹿島神宮は鹿を神の使いとしており、実際に鹿がいるのだ。だいぶツノが重そうな感じに伸びていた。

さらに先へ行くと、奥宮である。1605(慶長10)年、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ったお礼として奉納したという。
もともとは鹿島神宮の本殿だったが、上で述べたように後に秀忠が本殿と拝殿を建てたので、奥宮となったそうだ。
静かな威厳に満ちていて、いかにも神社らしさが満載である。日本らしい聖地、という感触が強い場所だ。
そこから南には要石。地震を起こす大ナマズを押さえているという石である。どれどれと覗き込んでみたのだが、
思っていたよりも小さくて驚いた。でも、見た目は小さくとも地中では大きく、決して抜くことはできないという。

  
L: 鹿島神宮の奥宮。緑に包まれて雰囲気抜群。  C: 要石のある辺り。鳥居が横向きに建っており、要石はその奥。
R: こちらが鹿島神宮の要石。地上に出ている部分は本当に小さい。周囲の小銭とサイズを比較してみてください。

奥宮まで戻り、道なりに坂をぐるっと下りていくと、御手洗池(みたらしのいけ)に出る。やたらと澄んだ水である。
この池、大人が入っても子どもが入っても水位が変わらないという伝説がある。いかにもパワースポットっぽいせいか、
女性の参拝客がけっこう食いついている印象だった。この辺りは土産物や食事の店があって穏やかに賑わっていた。

 
L: 御手洗池。木陰ときれいな水の池という組み合わせが、どこか不思議な印象を与える。
R: 鹿島神宮の参道を突き抜けるとこのように整備された一角に出る。親子連れが多かった。

さて、僕は鹿島神宮への参拝を終えた後はそのまま鹿嶋市役所まで行ってしまおうと考えていたのだが、
地図で確認したところ、どうやら境内を素直に突き抜けてはいけないようだ。途中で気づいてよかった。
あらためて奥宮まで戻り、要石に行く途中にある遊歩道みたいな道が正解で、これを東に進んで国道に出た。
それまでの自然がいっぱいな森から、歩行者のことを考慮していないような郊外の国道に放り込まれ、
しばし呆けながら歩くのであった。茨城県の国道は特に歩行者に優しくない印象があるのだが、いかがだろうか。

完全に車社会となっている中をトボトボ歩いて、どうにか市役所へ入る交差点に着いた。
そうして市役所の方へと曲がると、なんだか見覚えのある光景に出くわす。5年前、バスの中から見た光景だ。
「鹿嶋市の中心部はほぼさびれかけている田舎の街」なんて書いたけど(→2007.12.8)、見事にその光景のまま、
鹿嶋市街は今も中途半端なさびれ感をキープしているのであった。市役所はその中にさりげなく紛れている。

  
L: 鹿嶋市役所。もともとは鹿島町役場だった建物だ。  C: 正面より撮影。  R: 裏側はこんな感じ。

 交差点に面する部屋にはアントラーズを応援する旗が。

無事に市役所の撮影を終えると、近くにあった中華料理のチェーン店でチャーハンと餃子のセットをいただいた。
ようやく栄養分を確保して、歩く元気がまた出てきた。国道を横断すると、鹿島神宮駅方面へと戻る。
途中でバスのルートに合流して、やはり懐かしい気分になるのであった。しかしわれながらよく覚えているもんだな。

青春18きっぷをかざして鹿島神宮駅の改札を抜けると、鹿島臨海鉄道のディーゼル車両に乗る。
しばらく待っていると対面のホームにJRの列車が停車し、大量の乗客がこちらに入り込んできた。
半分近くがすでに鹿島アントラーズのユニを着込んでいた。それ以外のサポもいるが、鹿島サポが圧倒的だ。
みんなで仲よく1駅分揺られて、カシマサッカースタジアム駅でごっそり降りる。ホーム上は改札作業で大忙し。
しかし青春18きっぷの僕は切符を見せてそれでOK。帰りの切符も買う必要がない。これはものすごく便利である。
カシマサッカースタジアム駅はサッカーの試合があるときしか停車しないのだが、ここまでがJRなのだ。ありがたい。

  
L: カシマサッカースタジアム駅。ふだんは単なる通過点なので、線路にホームを浮かべて歩道橋を付けただけになっている。
C: 歩道橋の上から眺めるカシマサッカースタジアム。茨城県が本気を出してこれをつくったことで鹿島がJリーグ入りしたそうな。
R: ジーコ像。代表監督としてはアレだったけど、鹿島ではレジェンド。ジーコもまた、鹿島をJリーグ入りさせた存在なのだ。

ジーコ像を撮影して、じゃあスタジアム内に入りましょうかねと横断歩道へ。そしたらバスが来て、係員に止められる。
僕はいつもの感じでボケーッとバスを眺めていたのだが、フロントガラスにある文字を見ると(貸切バスだと見ちゃうよね)、
「TEAM AS ONE 様」とある。「え?」と思ってさらにボーッと眺めていたら、中に乗っていた外国人と目が合った。
僕に気づいたその外国人は、気さくに手を振ってくる。……じょ、じょ、ジョルジーニョじゃねえか!!
まさか鹿島の監督その人に手を振られるとは思っていなかったので、すっかりうろたえてしまったアドリブに弱い僕。
どうすることもできずに日本人特有の曖昧な笑顔を返すしかなかったわ。トゥーシャイシャイボーイ。
ジョルジーニョは今回、TEAM AS ONEのコーチとして参加していたのだが、現役選手かってくらいに若い印象だった。
いやー、いきなりこんなラッキーな展開に出くわすとは……わざわざ観戦に来てよかったわー。

そんなこんなで興奮したまま指定席へ。やはりこういう試合はメインスタンドで高い金出して観るべきなのだ。
試合開始まではまだまだ時間があるのだが、MacBookAirで日記を書いていればいいのだ。ひたすら書きまくる。
すると、ピッチ上で百鬼夜行のごとき行進が展開される。茨城県内のゆるキャラが大集合とのこと。
鹿島アントラーズのマスコットである「しかお」ファミリーを先頭に、次から次へと得体の知れないキャラが登場。
日本は本当にゆるキャラ天国だなあ、とあらためて呆れるのであった。もう、なんでもかんでもゆるキャラだもんなあ。
ちなみにしかお(夫)・アントン(息子)・しかこ(妻)に続いて登場したのは、地元・鹿嶋市の「ぼくでん」、
そして潮来市の「あやめ」。どちらも街歩きで見かけていたので、これが本物かー!という感じ。

  
L: 久しぶりのカシマスタジアムなのだ。  C: ゆるキャラたちが登場! まずは「しかお」ファミリーと「ぼくでん」「あやめ」。
R: 茨城県内だけでもこれだけのゆるキャラがいるのね。ゆるキャラから日本文化を分析できるんじゃないか。マジで。

いちばん端っこにはJリーグ百年構想キャラクターのMr. ピッチがさりげなく紛れ込んでいた。
Mr. ピッチは身長180cm、スリーサイズは上から200・200・200、血液型はJ型だそうで。
動くMr. ピッチを生で見るのは初めてで、正直、これはけっこう面白かった。やるな、Mr. ピッチ。

 
L: こうして見ると、Mr. ピッチのデザインは秀逸だな。動いたところがまた面白い(隣は大子町のたき丸)。
R: Mr. ピッチの裏面はこういうことになっています。よく考えたらMr. ピッチの裏側ってけっこうレアだよな。

百鬼夜行が終わると、いよいよ両チームの選手たちが登場して練習を開始する。今年の震災復興記念試合は、
被災地である仙台・鹿島の選手+東北地方出身Jリーガー+デル=ピエロの「TEAM AS ONE」と、
J1の選抜選手による「Jリーグ選抜」の試合なのである。Jリーグ選抜の面々は当然ながら、日本代表クラス、
あるいはちょっと前まで日本代表の常連だった選手たちがずらりと並んでいる。実に豪華な面々だ。
代表の試合は2月に観たけど(→2012.2.24)、レジェンド級の選手たちをこの目で見るのは初めてだ。興奮する。

  
L: Jリーグ選抜の皆さんが登場。左から遠藤(G大阪)・佐藤寿人(広島)・中澤(横浜FM)・小野(清水)……豪華すぎるわ!
C: TEAM AS ONE側のゴール裏は主に鹿島サポが占拠。巨大なジーコが登場。そしてピッチには再びゆるキャラが……!
R: Jリーグ選抜側のゴール裏。各クラブのサポーターが雑居状態。距離的な関係からか、柏サポがやや目立った印象。

試合の内容については、スペシャルマッチということもあるので、特に詳しくは書かない。
しかしながらそれぞれの選手が持ち味を存分に発揮してくれて、とても見応えのある試合だった。
真剣にプレーするだけでなく、各自のいいところを積極的に出してくれたので、それだけで感動できた。
序盤に輝いていたのは柳沢。現在は仙台でプレーする柳沢は長く鹿島で活躍しただけあって、
応援するサポーターの気合の入り方が半端ではない。そしてそれに応えようとするプレーぶりは圧巻だったね。

  
L: 開始4分、デル=ピエロから柳沢へ絶妙な浮き球のパスが出た。このパス一本でスタジアムが大歓声に包まれる。
C: FKをデル=ピエロに譲る小笠原。明らかにTEAM AS ONEはみんな、デル=ピエロにゴールさせようとしていたな。
R: 中村俊輔のプレー。中村俊輔は身のこなしが何から何まで、誰が見てもわかる「俊輔らしさ」が満載。

中村俊輔のプレーってのは非常に独特で、そのアクションのひとつひとつが「俊輔らしい」のである。
誰が見てもすぐに「俊輔だ」とわかる体の動きをする。このオリジナリティが、彼をスーパースターたらしめたのだろう。
レジェンドとして語り継がれるプレーヤーは、その本人にしかできない体の使い方をするものなのか、と思った。
その点では、ヨーロッパはシーズンオフということもあって、デル=ピエロの動きは非常に重かった。
しかしボールを扱ったときのプレーは、そのひとつひとつがものすごい切れ味で、これはさすがだ、と圧倒された。

  
L: わざわざイタリアからこのためだけに来日したデル=ピエロ。この人は本当に本物ですな。Jでプレーしてくれんかのう。
C: 遠藤のFK。美しい弧を描いてきわどいコースへ飛んでいくが、GK林に阻まれゴールならず。これを見られるとは眼福じゃ。
R: 小野のプレーもとんでもなかった。とにかく視野が異様に広く、技術も恐ろしく正確。ケガさえなけりゃ無敵だよこの人。

梁勇基が駒野の胸トラップをかっさらってTEAM AS ONEが先制。1-0でハーフタイムを迎えるが、
後半に入ってTEAM AS ONEはゴールラッシュとなる。特に2点目はデル=ピエロのGKの逆を衝く速いシュートで、
カシマスタジアムはとんでもない興奮状態となった。結局、デル=ピエロは両チームでいちばん長くプレー。
もう本当に「ありがとう」以外に言うことがない。生観戦した甲斐があったなんてもんじゃないわ、もう。

それぞれに選手たちはいいプレーを見せてくれたのだが、個人的に強く印象に残ったのは、広島の高萩。
高萩はふだん攻撃的なポジションでのプレーが多いのだが、この日は守備的MFの位置に入ってチャンスを演出。
気の利いた守備と高い技術でTEAM AS ONE側の大量得点を呼び込んだ。マルチなプレーヤーだというけれど、
とにかくボールにたくさん触って流れをつくる。ここまで高いレヴェルで守備的MFをやる選手だとは知らなかったので、
これはすごい!と大いに感動したのであった。ふだん絶対、器用貧乏的な扱いを受けて損していると思う。

さらに86分にはゴン中山が登場。これ以上の贅沢はあろうか、っていうくらいの展開である。
膝の故障を抱えながらも中山は前線で懸命にプレー。そして終了間際に左足シュートを放ってみせた。
残念ながら枠を大きく越えてしまったが、もうね、オレは生で中山のプレーを観られただけでいいの。

  
L: 中山雅史登場! 目の前をレジェンドが走っとる!と何回感動したことか。とどめがこれだもん、もう言うことない。
C: 終了間際、シュートを放つ中山。これを決めていたらあまりの展開にショック死する人が出たんじゃないか。いやホントに。
R: 試合終了。Jリーグ選抜のもっといいところも見たかったが、本当に満足度の高い試合だった。観戦できて幸せですよ。

あらためて思ったのは、やはり代表レヴェルの選手のプレーは、絶対に生で見ておかないといけない、ということ。
プレーが参考になる/ならないは別にして、その選手のプレーを目にしておくという経験こそが重要なのだ。
そういう点で、この試合はスペシャルマッチではあったけど、それぞれの選手の特徴が真剣勝負の中で存分に出ており、
これほど素直に感動できる試合というのは初めてだった。いやもう、本当に、言うことない。うれしい。

 帰り際に撮影したカシマスタジアム。美しいわ。

臨時の列車が出たおかげで、想定していたよりも早く家に帰ることができた(でも日付は変わったが……)。
カシマサッカースタジアム駅は時刻表がないので、時間が読めなくて本当に不便。そこはなんとかならんですかね。


2012.7.20 (Fri.)

本日は水泳大会&終業式なのであった。なんだそのむちゃくちゃなスケジュールは、と思うのだが、どうしょうもない。
水泳大会は7月とは思えない寒さの中での開催となったのだが(水中の方がずっとあたたかったようだ)、
真っ向勝負で大盛り上がり。プールに入れない生徒たちも仕事をがんばってくれて、無事に大成功で終わった。
でも僕ら1年生は曇りのうちに終わったからいいものの、後に続いた2年生たちは途中で雨に降られて大変だったようだ。
教員は「晴れ男/雨男」を異様に気にする商売だけど(一つ覚えかと言いたくなるくらいにこだわる人がいてなんとも)、
仲のいい先生はまたひとつ伝説がつくられてしまったようで、いたたまれない。まあとにかく、お疲れ様でした。

午後になって終業式が終わると、職員室でぐったり。やっと1学期が終わった……と呆けるのであった。
いやもう、本当に今年度は毎日ヘロヘロである。ようやく一息つくことができる、このありがたさといったら!
でもどうせ夏休みなんてあっという間に過ぎちゃうんだろうなあ。特に今年はぎっちり講習などの予定が詰まっているし。
遊べるときには思いっきり遊ぶぞおおおう!!と固く心に誓うのであった。ストレス解消しまくったるぞなもし!!


2012.7.19 (Thu.)

というわけで、引き続き懐かしくて恥ずかしい昔の写真シリーズ。今回は熱海ロマンのレコーディング風景である。

  
L: 作詞中のマサル。レコーディングする曲について、その場で作詞をしていたんだからいいかげんなものだ。
C: ドラムセットにはしゃぐ僕。東工大ロック研のスタジオを借りてレコーディングをしていたのだ。
R: 手前でミキサーを操作する潤平と、歌うマサル。さっき作詞した曲をこうやって即、録音していた。

 これはまた別の日に録音した様子。『黄門乱心』のリテイクをしたときだね。

今は熱海ロマンのホームページが閉鎖中になっているので、当時の写真はネットでは公開されていない。
それももったいない話なので、出せるものはできるだけきちんと編集して出してみた。以下がそのリストである。

「熱海ロマン 写真秘宝館」より
 ・『熱海ロマソ』ジャケット撮影(→2001.5.19
 ・熱海ロマンディナーショウ マラソンビデオメイキング(→2001.6.16
 ・熱海ロマンがダンスの練習をする(→2001.6.23
 ・熱海ロマン 2ndLive(ディナーショウ) 「熱海ロマンを囲む夕べ」(→2001.7.1
 ・熱海ロマンが今はなき談話室滝沢で打ち合わせ(→2001.10.8
 ・熱海ロマン 3rdLive「東大コンプレックス2001@一橋祭」(→2001.11.3
 ・熱海ロマン3人のディズニーランド慰安旅行(→2002.5.11

当時を知る人も、そうでない人も、こんなバカが連中がいるんだってことで、懐かしがってください。
なお、熱海ロマンは現在も解散中。機会があれば再始動したいんだけど、みんなあまりにも忙しすぎるんだよなあ……。
定年退職するまでは無理かもしれんが、いちおういつかきちんと再始動したいという意思はありますのでその節はよろしく。


2012.7.18 (Wed.)

おとといの日記で熱海ロマンの暴れっぷりについてちょっと書いたんだけど(→2012.7.16)、
いい機会なのでパソコンのデータをあさってみることにした。そしたら恥ずかしい写真が出てくるわ出てくるわ。
2001年当時の写真は、過去ログにそのまま貼り付けることにする。で、2001年以前の写真は、ここに公開してみる。
とにかくひどい写真ばっかりなので、できれば見ないでください。お願いします。

まずは最も古い写真と思われる、2000年11月4日の「熱海ロマン・筆下ろしライヴ@一橋大学1304教室」から。
当時の僕の趣味があちこちに出ていて恥ずかしい。そしてその趣味が大して変わっていないのがもっと恥ずかしい。

  
L: なぜか『T.M.N.T.』の合言葉「カーワバンガー!」でライヴ開始。熱海ロマンであれこれ話し合った結果そうなった。
C: 『人間独楽』では巻いた帯を独楽のようにくるくるはずす演出をしたのだが、そこには「帯をギュッとね!」の文字が!
R: 『爆走天使☆』で「オギャー」の声に合わせてアホの坂田の動きをスムーズに披露するマサル。

  
L: 『輪ゴムの十代』で「輪ゴムのおじさん」に扮し、観客に輪ゴムを飛ばしたり、あやとりを始めたり、やりたい放題のマサル。
C: 潤平のギターソロ中に長篠の合戦の三段鉄砲を再現し、最後は組体操というメチャクチャなオチ。アイデア転がしすぎだわ。
R: 『ウソゆず』でオレのつくった「御神体」を持って狂ったように飛びまわるマサル。御神体に装着したクラッカーが先から飛び散る!

 ノリノリで『黄門乱心』を演奏するわれわれ。

いやー、若い若い。それにしても当時のマサルが今とは別人のように痩せているのがショックである。
まあ、「まるで別人のようだ」という点では、オレの方がはるかに上をいっているのだが。はっはっは。


2012.7.17 (Tue.)

本日は部活で卒業アルバムの撮影があった。われわれサッカー部もユニフォーム姿でグラウンドに集まって撮影。
ここんところ少ない人数での部活に慣れていたので、久しぶりの大人数が集まると、なんだかそれだけで感動である。
3年生たちに混じって、監督も端っこで腕組みして写真に収まる。すっかりみんな背が伸びたなあ、と思いつつ。

撮影が終わっても、せっかくなのでということで、3年生のほぼ全員がそのまま部活に参加したのであった。
やっぱり人数の多い部活は楽しいわ、とみんな喜ぶのであった。来年度はたくさん部員が入るといいなあ。


2012.7.16 (Mon.)

本日はマサル主催で突如姉歯祭りが開催されたのであった。あまりに突如すぎて、参加したのは僕とみやもり夫妻のみ。
今回マサルが用意したテーマは……「偏食」。東京のあちこちにある一筋縄ではいかない店を訪れようというのだ。
富士下山による筋肉痛に耐えながら午前中に部活をやりきった僕は、ノロノロと集合場所の西荻窪へ向かう。
休日の西荻窪は快速が通過してしまうこともあり、電車もノロノロ各駅停車で到着。おかげで少し遅刻した。
そしたらすでにマサルもみやもり夫妻も改札の向こうで僕が現れるのを今か今かと待っていた。しまった。
みやもりは前回の姉歯で僕から執拗に遅刻の罰金を強要されたこともあり(→2012.5.26)、大喜びでやんの。
富士山制覇失敗のショックと疲労もあって、僕は非常に不機嫌な状態になるのであった。ごめんねごめんねー

で、西荻窪に何があるのかというと、パイナップルを使ったラーメンの店である。その名も、「パパパパパイン」。
店内はカウンターで6席ほど。けっこう話題になっているようで、食券を買った僕らの後ろにすぐ行列ができた。
しかしまあ券売機でメニューを見る限り、かなり個性的である。パイン入りラーメンは看板メニューだからいいとしても、
油そばがチョコレート味やらコーヒー味やら、とんでもないことになっている。マサルもみやもりも興味津々だったが、
やはり素直にそれぞれ塩ラーメンと塩つけめんに。僕は初めての店ではいつも最もベーシックなメニューにするので、
一番人気だという塩ラーメン、ただし全部のせの「いっぱいん」にした。けっこうしっかり待った末、着席。
カウンターには各種パイナップルのグッズが並んでおり、よく集めたなあと感心。これだけ揃えるのはすごい。
また、壁には有名人の色紙が数枚並んでいた。みやもりから解読を依頼されるが、こっちは身も心も疲れているのだ。
田中みな実しかわからんやったわ。個人的には『パパパパパフィー』のPuffyのサインがないのが残念だったと思う。

 
L: 本日の第1ラウンド・西荻窪「パパパパパイン」。 パイナップルとラーメンが好きだから、こんなことになっちゃったそうで。
R: 塩ラーメン・いっぱいん。ごていねいに味玉はパイナップル味。甘いお菓子っぽい感じ。どうやってあの味をつけるんだろう。

いざ食ってみると、ふつうに旨い。女性に受けるヘルシー志向ってことでサッパリ・酸味系統を利かせるラーメンがあるとして、
パイナップルを使うことでその酸味を実現した感じ。「わざわざパイナップルを入れなくても……」という意見はわかるが、
ないと平凡で無個性な現代ラーメンになってしまう。話題性を持たせる意味でも、わざわざパイナップルを入れて正解。
ちなみにマサルはいつも面白Tシャツを着ているのだが、迷うことなく「パパパパパイン」Tシャツを購入した。着るんか。

さて、最初の目的を無事に達成したことで、マサルはすっかり満足してしまった様子。
この後は秋葉原に移動してたまごかけご飯の専門店に行き、アイドルがカップラーメンのお湯を入れてくれるカフェに行く、
最後はパクチー料理専門店でパクチー責め(ただしみやもりはパクチーが苦手。好き嫌いの多い奴だなあ)、
なんて予定を立てていたようだが、もうどうでもよくなってしまったのであった。いいかげんさにあらためて呆れたわ。
マサルはiPhoneを片手にあれこれ面白そうな店を検索。西荻窪から近いってことで中野がリストアップされ、
中野ブロードウェイにすごいアイスがあるらしい、という話になる。が、正直歩くのは勘弁願いたいオレが難色を示し、
そのまま中野をスルーして、なぜか祐天寺へ行くことになった。僕にしてみれば家に帰る方向なので、脱力。
それでも新宿で乗り換え渋谷で乗り換え東横線の各駅停車で祐天寺へ。この徒労感は何なんだろう。

そうまでしてマサルが祐天寺にこだわったのは、「ナイアガラ」があるから。ここはかなりの有名店で、僕も知っている。
店内が徹底的に鉄道一色になっており、よくマスコミに取り上げられるからだ。でも行ったことはない。ま、いい機会だ。
マサルを先頭に店内に入ると……うーん、すごい。テーブル席は懐かしのクロスシートになっており、
壁には無数の縦型駅名標、それもホーロー板の古いやつが並んでいる。天井を見上げれば、色紙がいっぱい。
よく見るとどれも全国各地の駅長さんが書いたものばかり。ナイアガラに色紙を贈るのが駅長業界のステータスなんだろか。

店の看板には「カレーとコーヒーの店」とあるので、われわれ素直にコーヒーを1杯いただいておきましょうか、と、
券売機(やはりこれも駅の切符売り場を多少なりともイメージしているようだ)でお金を払って飲み物を注文。
マサルはアイスクリームも注文。で、しばらく待つと、ナイアガラ名物である模型のSLが席に品物を運んでくる。
が、手前の子どもがSLに触ってしまった影響か、連結がとれてしまった。マサルはこれでかなりテンションが下がっていたな。

あれこれダベっているうちに、さっきラーメンを食ったばかりだというのに、マサルはカレーライスを注文してしまう。
ここの売りは鉄道だけでなく、カレーもそうなのだ。「特急(辛口)」を注文すると、今度はSLがきちんと運んできた。
無事にカレーをテーブルに下ろすと、役目を終えたSLは素早く戻っていく。溜飲が下がるとはまさにこのことか。
ナイアガラはそもそも「カレーとコーヒーの店」なのだ。だから正直なところ、僕もみやもりも密かに期待していたのだ。
カレーを食いきれなくなったマサルが途中でギヴアップすることを。そしたらぜひ、後を受けていただいてやろうと。
しかしマサルは「これは昔ながらの味だけど本当においしいね」などと言って結局完食してしまった。目論見がはずれた。
いま日記を書いていても悔しい。しょうがないからまた後日、きちんとカレーを味わいに行くことにするのだ。

  
L: 本日の第2ラウンド・祐天寺「ナイアガラ」。後日、ウチの部員の鉄っちゃんに訊いたらやっぱり聖地だそうで。
C: 料理や飲み物をSLが運んでくる。よい子はさわっちゃダメだぞ。  R: カレーをいただくマサル。うらやましい。

ナイアガラではわれわれ、予想外にかなりまったりと過ごしてしまった。おばちゃんが本やら写真やら、
いろいろ持ってきてくれるのね。そんなにオレらは鉄っちゃんっぽく見えてしまったのか。鉄道好きはマサルだけなのに。
確かにオレは日本全国のJRの約66%を制覇したけど(ここまで来たか……)、それは旅行のついでですからね。
でもそうして鉄道にまつわるエトセトラをじっくりと拝見させてもらうと、やっぱりそれなりに感じ入るものはある。
昔の鉄道は、なんていうか、独特の品格があったなあ、と思う。決定的なのは自動改札以前/以後だと思うんだけど、
もしかしたら国鉄の民営化でも線引きできるかもしれないんだけど、とにかく、昔の鉄道には威厳を感じさせるものが多い。
端的に言うと、それは「重さ」ってことになりそうな気がする。切符も昔の硬券は重かった。車両も見るからに重そうだった。
そういう重いものを動かす力は、今のそれよりも強さがあった。その力強さが品格・威厳へと通じていたように思うのだ。
(「国鉄」ってことはつまり、国を背負っていたわけだもんな。国鉄の民営化は大事件だったんだなあ、としみじみ実感。)
ナイアガラ店内にはそんな古きよき鉄道の記憶がたっぷりと詰まっている。今の鉄道ブームはだいぶライトなノリだけど、
そんな軽い風潮に左右されないものに満ちている。この店はどの鉄道の博物館よりもかつての雰囲気を味わわせてくれる。

 
L: ノリノリなみやもり夫妻。本当にふたりとも楽しそうね。  R: モテないボーイズ。みんなすっかりまったりムードである。

そんな具合にとことんまでナイアガラを堪能した後は、マサルの本領である文房具方面の店に行ってみる。
表参道にその名も「文房具カフェ」なるものがあるというのだ。もうこうなりゃとことん楽しませてもらおうじゃないの。
渋谷に戻って銀座線。地下鉄のくせしてビルの3階から出発するが、程なくして地下に潜ってしまう。渋谷は谷だねえ。
表参道駅から地上に出ると、いかにも港区の裏側といった気取った雰囲気の店が点在する中を歩いていく。
その一角、地下にあるのが文房具カフェ。いかにもオシャレ軍の領土であるが、臆することなく突撃なのだ。

 本日の第3ラウンド・表参道「文房具カフェ」。みんなで行けば怖くない。

まず文房具が置かれたスペースがあって、その奥にカフェが広がっている。壁に直接、プロジェクターで画像を投影。
いろんな人たちが文具を使っている写真や、さまざまなマンガで文具を使っているシーンが続々と映し出される。
その背景にはこれ見よがしに、文房具カフェのコンセプトのアイデアマップだかマインドマップだかが残されている。
これはイヤミだな。

カフェのテーブルには引き出しがあって、700円出して会員になると引き出しの鍵がもらえる。
当然のごとく、マサルは公開会員登録ショウを開催したのであった。おめでとう。
みんなでジュースを飲みながら、引き出しの中を片っ端から開けていっていろいろ物色。品がなくてすいません。
「クレヨンを描いてください」とお題の書かれたメモ帳があって、みんなが「マツシマ、行け」と。
しょうがないから当然のごとく僕はクレヨンしんちゃんを描くんだけど、どことなく西郷隆盛風になってしまった。
しょうがないから当然のごとく僕は「もうここらでよか」とセリフを付け足すんだけど、このギャグを理解しきった人は偉い。
あとは「女性はシールが大好きで(実際ハンズに行っても群がっている)、メールの絵文字はシール感覚」ってな話が出る。
この事実に気がついたマサルが異様に大感動していたのが印象的だった。宇宙の真理を知ったぐらいの感動ぶりだったな。
そんなわけで文房具を中心に、ここでもいい感じにダベりながら過ごすのであった。これはこれで優雅な休日だなあ。

地下鉄に戻ると銀座線で末広町駅へ。結局、秋葉原まで来てしまったのであった。
でもアイドルにカップラーメンのお湯を入れてもらうようなことはせず、中古ファミコンショップへゴー。
みんなでそれぞれに興味があるものをじっくりと時間いっぱい物色するのであった。やっぱりファミコンは楽しいよ。
マサルは店頭にあった『ロックマン』の続きをプレー。がんばってアイスマンとファイアーマンとボンバーマンを倒すが、
さすがにイエローデビルを相手にするほどのヒマと意欲はなかったので、そこで終了。やはりロックマンはいいなあ。
その後はみやもり夫妻がゲームミュージックCDを物色するのをフォロー。結局ふたりとも任天堂ものを買ったのだが、
僕としては、この際限のない世界にようこそ、と言いたい気分である。仲間とCDの貸し借りをするのがええんよ。

本日の最後は、そのまま秋葉原の居酒屋に入って飲んだり食べたりである。
さっき文房具カフェで発想の形跡を追えないほどギャグが転がっていった件から、熱海ロマンの話になる。
僕やマサルが熱海ロマンでかましたギャグは、アイデアを転がしすぎてほとんどが説明不足になってしまっていた。
(熱海ロマンはネタが多次元に転がっていくので、アイデアマップだかマインドマップだかじゃたぶん記述しきれないな。)
客は僕らが転がしに転がしまくった結果だけをいきなり突きつけられるわけで、そりゃ戸惑ったわな、と今ごろ気づく。
みやもり夫人にとっては初耳になる熱海ロマン伝説があまりにひどくて、僕もマサルも自分たちで呆れるのであった。


2012.7.15 (Sun.)

真っ暗な中を登っている様子なんて克明に描写しても面白くないし、書くことで思い出す僕がつらいだけである。
延々とそんな時間を繰り返していたわけで、それをしつこく書いていってもしょうがないのだ。

登りながら考えたことは、山ってのは案外、登りはじめがいちばんつらいのかもしれないな、ということ。
平地に慣れている状態からいきなり厳しい運動を強いられることになり、順応するまでがかなり大変だ。
ある程度「登る」という運動に慣れてくるとテンションの高まりとともに勢いがついてくるので、それまでの辛抱だ。
登山中にテンションが上がるできごとはそれなりにある。今回は徹夜での登山だったので、なんといっても夜景だ。
休憩しながら眼下に広がる光の粒を眺め、僕もバヒさんもしばし言葉を失ってたたずむ。これは、贅沢だ。
飛行機から見下ろすよりも「具体的な」サイズの夜景がそこにある。夜景にはさんざん力をもらったわ。
また、けっこう多くの登山客がそれぞれのペースで登っていくので、途中で道を譲られたり譲ったりが発生する。
その辺の些細なコミュニケーションもなかなか乙なものであった。同じ目標を共有する仲間意識が確かにある。

  
L: カロリーメイトをかじりながら眺める夜景は格別なものがある。徹夜の富士登山にはこういう魅力があったのか。
C: これは駿河湾側が見えるようになって、その夜景。高所恐怖症の僕でも、この美しさにはただ息を呑むのみだった。
R: 麓から山小屋の明かりはけっこうよく見える。すぐ近くにあるように見えるのだが、これが遠いんだよなあ……。

登っていて、とにかく眠くて眠くてたまらなかった。もともと睡眠にやたらと弱いということもあるが、
気圧が低くなった関係で眠気とあくびが止まらない。高山病にはならなかったが、そういう要素は十分に体感した。
本六合目を越えた辺りでバヒさんのパフォーマンスが急に落ちる。適度に休憩を入れつつ、着実に上を目指す。
また、僕はそんなに水分を摂らなかったはずなのだが、そのわりにはトイレにはそこそこ頻繁に寄った。
富士山のトイレは有料で、200円払わないと中に入れないシステムになっている。まあこれはしょうがない。
ジュースは500円、ビールは600円など、仕方がないとはいえ、いろいろと金がかかるのだ。
そのため、富士登山ではとにかく小銭を用意しておかないと不便になる。特殊な場所だけに独特なものだと思う。

ところで富士山には「n 合目」と「本n 合目」があって、それぞれに山小屋がある。
200円で金剛杖に焼き印を押してもらえる山小屋もあれば、そうでないただ寝るだけの山小屋もある。
須走口は寝るだけの山小屋が半分以上を占めており、がっくり。焼き印は意外とモチベーションになるのだ。
さて、その「n 合目」と「本n 合目」の定義が気になったので、東京に戻ってから調べてみたのだが、けっこういいかげん。
戦前は正確に何合何勺とやっていたらしいのだが、戦後に登山客が増えて山小屋はすべて小数点を切り上げたのだ。
だから山小屋の「n 合目」は正確な数字ではないようだ。「本n 合目」は戦前の「n 合目」なので、そっちは正しそう。
まあ富士山は天然の産物だから、そう都合よくキリのいい数字で山小屋を建てるのは難しいわな。

大雑把に、五合目から六合目は林の中を抜ける感じで、六合目から七合目は低木混じりの岩場を抜ける感じ。
本七合目を越えた辺りからは草木の姿はなくなり、ただただ荒涼とした岩と砂だけの世界となる。角度も急になる。
ゆっくりと空が明るくなって、地面がシルエットとして見えるようになる。ここで初めて、僕は怖くなった。
「バヒさん、オレ、怖くて怖くてたまんねえよ」と何度も繰り返す。今までは闇雲に登ってきたけど、周りが見えて、怖くなる。
中学2年のときに学年で乗鞍岳に登ったのだが、強風の中、角度のついた岩場を登るのは本当につらかった。
あのときの記憶が生々しく蘇ってくる。恐怖感から逃れるように、何も考えずに黙々と足を動かす。

質素な山小屋が続いて僕もバヒさんもションボリしていたのだが、本八合目の山小屋は複数あって都会だった。
久々に焼き印を押してもらって(ここだけ2種類押すので300円だったぜ)満足すると、やる気を奮い起こして先へ行く。

 
L: 都会な本八合目。山小屋が複数あるのなんて本当に久しぶりで、賑わいになんとなくほっとした。
R: 本八合目の山小屋から眺める景色。時刻は午前4時をまわったが、雲が多くて御来光は見られず。残念!

しかし急激に霧が濃くなってきて、霧が霧雨になってきて、強風にあおられて顔が痛い。まさに怪しい雲行き。
七合目辺りまでは天候の心配なんて全然していなかったのだが、頂上付近はまったく事情が違っていたようだ。
それでも気合で八合五勺の山小屋までたどり着いたが、霧の状況はよくなるどころか、かえってひどくなる感じ。
手袋が濡れてとにかく寒い。そして渋滞がひどい。ゴールデンウィークの高尾山(→2010.5.3)を思い出した。

空は明るくなったものの、霧に包まれてほとんど何も見えない。行列も遅々として進まない。
これまでの疲れが一気に出てきて、思わず立ち寝。バヒさんに「器用だね」と言われつつ、一歩ずつ上へ。
やがてどうにか九合目を抜けた。一歩一歩、ゆっくりと階段を上るようにして歩みを重ねていく。
そして頂上まで残り200mに来たとき、強風に邪魔されながらも、前の方からこんな声が聞こえてきた。
「ただいま、強風のために富士山の山頂まで行くことができません」
猛烈な勢いの風の中で途切れ途切れに聞こえた声は、確かにそう言っていた。信じたくないが、現実だ。
雨もひどいが、風もかなりひどい。この風はこないだの襟裳岬(→2012.7.2)よりも強く、体があおられる。
あと200m。あとたった200m先に、頂上がある。でもそこへ立つことをどんなに熱望しても、
それが許されるコンディションではないのだ。断腸の思いとはまさにこのこと。バヒさんと撤退を決める。
実は頂上でパンパンに膨らんだところを撮影してやろうと明治の「カール」を買っておいたんだけど、
それをそのまま持ち帰るのも虚しい。「カール」が破裂するんじゃねえかって五合目からずっと心配していたのに。

  
L: 九合目付近。うっすらと鳥居が見える。ここまで一歩一歩積み重ねてきたのだが、厳しいと言わざるをえない状況。
C: 残り200m、山頂に行くことはできないとの知らせが入る。信じたくないが、信じないで無茶をしても危険なだけなのだ。
R: 断腸の思いで撤退。山頂から猛烈な勢いで霧混じりの風が吹き下ろしていく。その合間で絶景が顔を覗かせる。

とにかく安全に下山することへと目標は変わった。足下に気をつけながら、テンポよく下りていく。
あきらめきれない人たちが山小屋周辺で粘る中、僕らは淡々と下りる。きっと大丈夫と信じて登ってくる人が多い。
頂上の状態をきちんと知らせる仕組みがないのかね、とバヒさんと首を傾げる。今から登る人たちがかわいそうだ。
本七合目辺りに戻ってくると、やはり霧雨はなくなっていた。山のちょうど上の部分だけが悪天候に包まれている。
一定の高さになると天気ってのは全然違う変化をするもんなんだな、とあらためて実感して呆れるのであった。

登っているときには暗くて気づかなかったが、富士山の素肌は完全に、冷えて固まった溶岩の黒い色だった。
だいぶ地を這う緑が増えてきて、広がる山裾の先には思わず声が漏れてしまうほどに美しい景色があった。
まるで目の前のスクリーンに映し出されたかのように、さまざまな緑色が繊細な濃淡を描き出している。
富士山の高さと傾きとが、僕らの視覚を惑わせているのだ。景色は眼下ではなく、本当に眼前に広がっている。
三日月のような形をしているのは山中湖だろう。山梨県側に広がる緑のスクリーンに向かって風が吹き抜ける。
霧を乗せた風は渦を巻きながら緑を隠して去っていく。来年はもっといいもん見せてやるよ、きっとそういうメッセージだ。
振り返れば苦々しいくらいに青い空が眩しい。でも、山頂にあるグレーの厚い雲は微動だにしないままだ。

 
L: 風は強く、山頂から霧を吹き下ろし続ける。渦を巻く霧の合間に、美しい緑の壁が姿を現す。これには息を呑んだ。
R: 山頂を振り返ったところ。延々と続く登山道の先には消えることのない雲。山ってのはイジワルな美女だよな。

本六合目の山小屋で、しっかりと休憩をとる。バヒさんは山頂で飲もうと思ってつくっておいたというココアをくれた。
いやー、沁みたねえ。そういうところに気を配れるのがバヒさんとオレの大きな違いなんだよなあ、と思ったわ。
さて、大胆な砂走りを楽しめるということで須走口ルートを選んだのだが、なんだかよくわかんないけど走れないみたいで、
地道な山道を延々と下りていくことになってしまったのであった。特に最後の六合目から五合目までが長いこと長いこと。
僕はもう目が疲れてしまって、両目を開けているのにまったく遠近感がつかめない状態になってしまったのだが、
(細かい砂が飛ぶというのでコンタクトではなくメガネで登ったのだが、水滴がひどくて途中から裸眼で下りた。)
木の根っこだらけでひどく凸凹なルートを歩かされて本当につらかった。色しか認識できないくらいの目じゃ無理だよ。

僕もバヒさんも完全にヘロヘロの状態でどうにか五合目に到着。山小屋兼土産物屋のおねえさんがきのこ茶をくれて、
それが大変ありがたかったのだが、じゃあご馳走になったから店内を見させてもらいましょうか、なんてする体力がなく、
謝りながら気力だけでどうにか帰りのバスに乗り込むのであった。本当に、異様な疲れ方だったな、あれは。
そんでもってまた、バスの車内ではなぜか延々とけっこうな音量で童謡が流れ続けるというアナザーワールドぶりで、
ふたりとも頭がおかしくなりそうなのを必死で耐えたのであった。大げさでなく、最後の山道と童謡で死にかけた気分。

命からがらどうにかバヒさんの車に戻ると、そのまま沼津の日帰り入浴施設へ直行。お値段は決して安くなかったが、
温泉パワーでどうにか精神的にはだいぶ回復しましたな。かなりぬるい湯だったけど、おかげで癒されたわ。
それから昨日の夜以来まともなメシを食っていないので、しっかり食えるとバヒさんオススメのラーメン屋へ行く。
ラーメンと半チャーハンのセットをいただいて体力的にもどうにか回復。しかし尋常じゃないダメージだったわ。
夕方になる前に解散。やはり食らったダメージを完全には回復しきれておらず、見事に腕時計をバヒさん宅に忘れた。

というわけで、初めての富士登山はなんと、頂上まで200mのところまで登ったにもかかわらず引き返すという、
なんともほろ苦いものとなってしまった。いや、もう、さすがにこれはこのままじゃ終われないわ。
世話を焼いてくれたバヒさんには悪いけど、ここで宣言させてくれ。「I shall return!」
来年の日記ではぜひ、はち切れんばかりにパンパンに膨らんだ「カール」の写真を載せたいもんだね!


2012.7.14 (Sat.)

世間は3連休だ! でも部活のある僕は、いいとこ2連休だ! いや、連休できるだけいいのだ! どっかに行くのだ!
……というわけで、こないだ北海道に行ったばかりだというのにまた遠出。でも今回はかなり安上がりなのだ。
目的地は……とりあえず、沼津。そう、バヒサシさんのお世話になるのだ。そして懸案事項を解決するのだ。

東日本大震災が発生して以降、全国各地で地震が多発している。それに連動して富士山が噴火の兆しを見せている、
なんて話もある。それなら噴火する前に登るしかねーじゃねーか!ということで、富士山に登るのだ!
ちなみにバヒさんはすでに2回も富士登山に成功している強者である。「バヒさん、私を富士山に連れてって」
てなわけで、筋金入りの高所恐怖症であるこの僕が、ついに日本の最高峰に挑戦するのである!

安上がりに御殿場線で沼津に到着したのがちょうど正午。迎えに来てきれたバヒさんの愛車に乗せられて沼津港へ。
沼津港は観光客たちでだいぶ盛り上がっていた。というのも、沼津港深海水族館という施設がオープンしたからだ。
周辺は小ぎれいにリニューアルされており、見たことのある街並みに混じって見たことのない建物がいくつもできている。
これはずいぶんとすごい勢いだなあ、と呆れていると、バヒさんが「珍しいものを食べよう」とその一角にある店に入る。
その名も、「沼津バーガー」。沼津といえば新鮮な魚が売りだが、メニューになんと「深海魚バーガー」があるのだ。
最も標準的なハンバーガーはアジフライバーガーらしい。特殊と一般、悩みどころである。
で、いろいろ考えた結果、深海魚に挑戦する。ふたりして深海魚バーガーのセットを注文し、ドキドキしながら待つ。
やがてやってきた深海魚バーガーは……うーん、ふつうに旨そうなフィッシュバーガーだ。
いざガブリと味わってみると、うん、ふつうに旨い白身魚のハンバーガーなのであった。本当においしい。
バヒさんも僕も、深海魚ということである程度とがった味を期待していたのだが、あっさりと裏切られましたな。
まああんまりクセのある味だと客も喜ばないだろうしね。値段はとがっていたけどね(単品600円、セットで1000円)。

 
L: 深海魚バーガー。ニギス(沼津近辺では「メギス」と呼ぶみたい)という深海魚を使用。ふつうに旨い。
R: 沼津港深海水族館周辺の光景。沼津駅前の西武は撤退が決まったが、どこ吹く風って感じの勢いである。

いい感じに腹が膨れた後は、のんびりお茶をいただこうってことで、沼津港のすぐ向かいにある店へ。
この店、とても本格的なお茶の店なのだが、喫茶スペースもある。そこでお茶をいただくというのである。
僕がやたらと喉が渇いていたので、バヒさんが「たくさん飲める」と薦めてくれた玉露のセットをいただいた。

店主は20年以上お茶の専門店に勤務して独立されたんだそうで、正しいお茶の淹れ方を丁寧に教えてくれる。
まずお茶の葉っぱを見せられる。京都の玉露は針のような葉を長めにしているそうだが、静岡は短めに刻む。
言われるままに匂いを嗅ぐと、確かに海苔のような香りがする。これが最高級の玉露なのか、と思うのであった。
1杯目は少し少なめにお湯を入れる。いったん湯冷ましに移して、温度は50℃ほどにしてから急須に入れるのだ。
温度が高いとお茶の苦み成分まで一気に出てしまうので、低温でじっくりと抽出するのだという。
3分待ってから、最後の一滴が出るまでじっくり出す。そうして注がれた玉露を口に含むと……、
「うおっ!」思わず下品なうなり声をあげてしまったのだが、ふだんのお茶とのあまりの違いに驚いてしまった。
店主は「旨味のアミノ酸を抽出するようにしているので、これはもはや出汁ですね」と言う。な、なるほど。
とにかく味が濃く、飲んでも口の中にずっとその旨味成分が残っている。玉露とは、鼻に抜ける香りを楽しむものなのか。
お茶の「最もお茶である部分」を濃縮しきったものを、口の中で転がすように味わう。これは不思議な感覚だった。

2煎目は少しお湯の量を多くして、30秒ほど待って淹れる。店主によると玉露は3回いただくものだそうで、
1煎目は玉露の甘みを味わい、2煎目は渋みを味わい、3煎目は苦みを味わう。これを「甘・渋・苦」と呼ぶそうだ。
やはり最後の一滴までじっくり出しきっていただく。なるほど、強烈な風味がなくなって、さっきよりも渋い。
そして3煎目。今度は苦みということだが、日頃慣れているお茶の味にだいぶ近づいてきた。
われわれがふだん雑に淹れているお茶との違いには愕然とさせられるしかなかったですなあ。
最高級の玉露は何杯淹れても味がまったく薄まらず、それはもうたっぷりといただいたのであった。
このお茶を和菓子付き525円でいただけるというのは、素晴らしいを通り越しておかしい。サーヴィスしすぎ!

帰りにバヒさんと車の中で話したのは、「沼津ってめちゃくちゃ文化度の高い街だな!」ということ。
東京のような大都会ならわかるけど、県庁所在地でもない一地方都市でこれだけのものを味わえるのが信じられない。
VICTORYのお酒にしてもあずみ野のコーヒーにしても、そしてこの瑞節庵のお茶にしても、
とんでもない高いレヴェルの店が目白押しなのだ。さすがは沼津御用邸(→2011.11.20)のあった街なのだ。
もっとも、そういう店を見つけるアンテナをきちんと張っているバヒさんは偉い、ということでもある。
オレはそういう感覚、ホントにないからなあ。毎度毎度しっかりと堪能させてもらっております。
あともうひとつ思ったのは、沼津という街の広さ。沼津駅の南口にはアーケード商店街をはじめとして、
旧来の市街地がしっかりと広がっている。そして北口にはリコー通りという軸があり、郊外型の店も広がっている。
全国あちこちを歩きまわっている僕の感覚でも、これだけ「市街地」と呼べる範囲が広い街は、なかなかない。
細かいところを見るとそれなりの浮き沈みはあるんだろうけど、とにかく沼津は広いという印象なのだ。

で、明日は富士登山なわけだが、山をナメている僕は装備がぜんぜん揃っていないに決まっているので、
登山用品を中心にあれこれ買い込む。大規模なスポーツ用品店に行って登山用の合羽を購入。
高所恐怖症の僕はどうせそんなに山に登る機会なんてないので、信じられないほど安い上下のセットにしたのであった。
(でもなんだかんだで結局、山をナメているので登山靴は買わなかった。サッカーのトレーニングシューズで挑戦だ。)
しかしながらふだんこういう郊外型の大規模店舗に来ることのない僕は、大量に並んでいるサッカー用品に大興奮。
アンブロのいい感じの練習用シャツを売っていたのでそっちばっかり買い込むのであった。おかげで一気に金欠。
あとはカロリーメイトをはじめとする食料や飲料を購入。しっかり者のバヒさんに任せてお気楽な僕なのであった。

いったんバヒさんの家に戻って作戦会議。バヒさんはついに購入してしまったiPadを取り出して情報収集。
その情報をもとにして方針を決め、荷物の確認をする。日本でいちばん高い山に登るわけだから、油断なんてできない。
しかし本格的な登山なんてしたことないから実感が湧かない。なんとも奇妙な感覚で準備を進めていくのであった。
準備が終わるといつものリラックスムード。バヒさんが思わず買ってしまったという脳波で動くネコ耳を装着してみる。
電池切れで動かなかったのがたいへん残念である。というか、単4を4本消費するとか、どんだけ電気食うんだよ。

 にゃー

登山に向けて気合を入れるべく、晩ご飯は沼津港の定食屋・むすび屋で魚とご飯をいただくことにする。
リーズナブルな価格でしっかり食える店なので、僕は沼津のメシ屋でいちばんのお気に入りかもしれない。
刺身の盛り合わせ定食でエネルギーを充填すると、バヒさん宅に戻ってから軽く仮眠をとる。

夜9時、バヒさん宅を出発。国道246号から138号にスイッチ。電光掲示板では土砂崩れで通行止めと出ていたが、
行けるだけ行ってみることにする。そしたらマイカー規制の駐車場までまったく問題なく行けたので、ほっと一安心。
五合目まで行くバスの10時発の最終便に間に合ったので、往復のチケット1500円を買って乗り込む。さあ、いよいよだ。

ここで富士登山について軽くまとめておく。富士山への登山道の入口は4つ。最もメジャーで短いのが「富士宮口」。
今回われわれが選択したのは帰りが楽しいという「須走口」。あとは距離の長い「御殿場口」があり、この3つが静岡県側。
山梨県側は「吉田口」の1つだけである。ちなみに須走口の登山道は本八合目から吉田口の登山道と合体する。
駐車場からバスで揺られること20分ほど、五合目の登山道入口に到着。登山客でいっぱいである。

  
L: 須走口・五合目登山口の様子。夜10時半なのに大繁盛である。徹夜で登って御来光を見ようというわけである。
C: 完全装備のバヒサシさん。富士登山は3回目ということで余裕の表情。  R: やる気満点の僕。やったるでー

まず山小屋で金剛杖を買う。コンパクトな方が持ち帰るのにいいと思って小さいものを買おうとしたのだが、
身長からするとコレですね、と兄ちゃんに差し出されたのは「大」サイズ。素直にそれでいくことにする。
スタート前に記念撮影をすると、いざ登山開始。石畳の道をしばらく行くと、いよいよ土の道となる。
木々の生い茂る中に飛び込んでいくが、とにかく暗い。僕が中学時代から使っている懐中電灯じゃどうしょうもない。
バヒさんがLEDの小型電灯を貸してくれたので、それでどうにかなった感じ。いきなり洗礼を受けた感じだ。
須走口は人がいないと完全に真っ暗闇になってしまうので、油断するとルートがわからなくなってしまう。
ゴツゴツとした鋭い岩がところどころにのぞいている、そんな土の道をLEDで照らしながら着実に登っていく。


2012.7.13 (Fri.)

原発事故のせいで移動教室の行き先が裏磐梯でなくなった(3年前の記録 →2009.6.102009.6.112009.6.12)。
で、どこになったのかというと、菅平なのである。そうなると、長野県出身の僕に「ちょっと生徒に話をしてよ」と依頼がくる。
僕としては当然、「や、僕は南信出身なんで菅平なんてよく知りませんが」という気分だけど、さすがにそうは言わない。
その辺の長野県の盆地事情も絡めたうえで、真田家の活躍ぶりも交えつつ、軽く長野トークをするのであった。
サッカー部には入ってないがクラブチームに在籍している生徒もいるので、信州ダービー(→2011.4.30)の話も盛り込む。
まあ要するに、僕の趣味嗜好もけっこう入れながら、長野県民としての生の情報を生徒たちに披露したわけである。

終わってからほかの先生といろいろ話したのだが、その中で面白い意見が出てきた。
「長野県って、スペインみたいなんだね」……信州ダービーの話のせいでそういう印象になったのかもしれないけど、
うーんなるほど、そういう側面は確かになくはない。レアルとバルサとはえらく差はあるけど、そういう要素はある。
まあその辺はぜひ、映画『クラシコ』(→2012.3.10)を見て確かめてみてくださいってなところである。

実際のところはどうなんだろうね。スペインの地方ごとの独立心と、長野県の盆地ごとの独立心。
これはスペインに行って体感しないとわからないことだろう。でも長野県民はラテン系とは正反対の気質だしなあ。
南北の格差という点ではむしろイタリアなんだけど、やっぱりラテン系じゃないしなあ。
とりあえず、面白おかしく県の特徴を説明できる点は、いいことだとは思う。奥が深いんですよ、長野県って。


2012.7.12 (Thu.)

武論尊/原哲夫『北斗の拳』。
なんと僕はまだ、『北斗の拳』をきちんと読んだことがなかったんですよ。「ホクロの仙」とか冗談言ってたのにね。
いちおう世代的にはギリギリ引っかかる。アニメの主題歌をどっちも歌えるし千葉繁の次回予告のマネもできる。
単行本でなく『少年ジャンプ』で連載されていたのをリアルタイムで目にしたこともある。
しかしながら、10代のうちに興味を持って読み返すということをしなかったので、登場人物を一部しか知らないのだ。
そんなわけで、一般常識ということであらためてきちんと『北斗の拳』を読んでみたわけだ。

これは非常に極端なマンガだ。それは残虐表現と「あべし」「ひでぶ」に代表される叫び声のギャップが、ということではなく、
キャラクターのめちゃくちゃなかっこよさと、ストーリーのめちゃくちゃなつまらなさとが非常に極端であるということだ。
『北斗の拳』の話の展開は死ぬほどつまらない。理由は、ただ戦ってばかりだからだ。ワンパターンで退屈極まりない。
しかし、登場する男たちは全員ドラマを背負っていて、非常に魅力的なのである。例外なくかっこいいキャラクターばかり。
結果、クソつまらないストーリー上で魅力的な男たちが戦いを繰り広げるという、なんとも極端な作品になっている。

だが逆を言うと、それが世間の圧倒的な支持を受けた理由でもある。ストーリーはあくまでキャラクターの飾り。
次から次へと魅力的なキャラクターが生まれては死んでいく。読者はその新陳代謝に酔えばそれでよかったのだ。
そう、キャラクターがとにかく死にすぎるのも僕にとっては難点だ。生き残らないから世界はいつまでたっても変化しない。
でもそんな世紀末が続いているからこそ、ケンシロウがひたすら戦っていけるのだ。いちばんわかりやすいのはレイの存在だ。
ケンシロウとレイがいると、何かが生まれる。それは人々が生きる希望、具体的には理性による秩序ということになる。
でもそうして秩序が発生すると、ケンシロウが戦う必要がなくなる。これはマンガ的によくない。じゃあどうするか。
秩序を崩さないといけない。だからレイが死ぬ。この論理が繰り返される。つまり、ケンシロウ以外は死ぬしかないのだ。
『北斗の拳』はただ戦うだけのマンガであり、何も生まない。ストレス解消の娯楽作品に徹したから爆発的に売れたのだ。

そういう論理的「欠陥」を持っている『北斗の拳』において、非常に上手く機能したのがケンシロウの強さの理由だ。
北斗神拳の真髄は「極限の怒り」「哀しみ」と設定されている。ケンシロウが強いのは、哀しみを背負っているから。
また、北斗神拳は一子相伝である。つまり、ケンシロウ以外のキャラクターは、すべて否定される仕組みなのである。
(唯一ケンシロウと争うことのないトキは、不治の病に冒されてしまっている。最初からケンシロウに対抗できない。)
そしてこのシステムは、ケンシロウ自身がそれを哀しみとして背負い続けることで増幅されていく。
自分以外のキャラクターが「強敵(とも)」として死ねば死ぬほど、ケンシロウは強くなるのである。
魅力的なキャラクターたちはすべて、ケンシロウの血肉となる。そしてケンシロウの魅力が増す。実によくできている。

『北斗の拳』は、断じて名作とは呼べない。売れたけど、これは名作ではない。ただ消費されるだけの娯楽にすぎない。
しかし、よくできている。キャラクターの構築、この一点において、絶対的なまでによくできている。
世間で高く評価されているのはわかるけど、僕は批判的にとらえたい。でも、キャラクターだけはよくできている。


2012.7.11 (Wed.)

バヒさんに電話して、富士登山計画についての詳細を詰める。バヒさんもいろいろ大変なのはまあわかるのだが、
挑戦3日前になって具体的な話をようやく進めるというのも、ニンともカンともである。しょうがないけどさ。
まあバヒさんはすでに富士山に2回登っているので、僕としてはバヒさんの意向に沿うのみである。
急にリアリティが出てきた。もうすぐそこの今週末に、あの富士山に登ってしまおうというのだ。
日本一高い山のてっぺんはどんな景色なんだろう。どれくらい大変なんだろう。楽しみで楽しみでたまらん。


2012.7.10 (Tue.)

西尾維新『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』。西尾維新っつーものを読んでみようと。
やたらと分厚かったりそれに応じて値段が高かったりしたけど、まあしょうがねえかなと。

密室ミステリだったのだが、まあつまんねえことつまんねえこと。ミステリだからつまんねくて当然だが。
犯人が誰なのか想像しながら読むなんて面倒くさいことをしない僕には冗長極まりない内容だった。ホントに冗長。
ミステリってのは作者の頭の中での想像の産物なわけで、描かれている内容はつまり、人間ひとりよりも小さい。箱庭。
僕はそんなものに興味を持てないのだ。人間たちが属している、それよりも大きな世界を描いていないとつまらない。
本来描ききれない大きなものを、小さな人間ひとりが自らの視点から切り取る。作品とはそういうものでないといけない。
犯人なんてどうだっていいのだ。どうしてその犯罪が引き起こされたのか、その社会的な引き金にしか興味はない。
そういう要素が欠落している本に、僕は価値を見出すことができないのだ。おたくの自己弁護に付き合うヒマなんてない。
まあそういう僕の価値観を差っ引いても、この本はムダなモノローグが多すぎてダメだ。本の厚さに意味がない。

孤島に天才がいて殺人が起きて……という設定は前に読んだことがあって、でも内容は完全に忘れているんだけど、
森博嗣も確か同じようなことをやっとったな(→2005.12.19)、という外枠の記憶だけはある。非常によく似ている。
饒舌に文章を書く人間が、自分の小さい箱庭を披露して満足している、ああいう気持ち悪さ。幼稚なワンパターンだ。
そういう人間はどうして天才に憧れるのか。自分が天才でいたいからなのか。この心理は本当に理解できない。
僕なんかは、人間の欠点を別の人間がカヴァーしようとするところから物語は始まるものだと信じているので、
ひとりで完結してしまっている天才を登場させても何も面白くならないと思うのだが。キャラの成長も見込めないしねえ。

というわけで、出版界はもうこれ以上こういうタイプのひきこもりバカを頼って金を稼ぐことをやめなきゃいかんよ。
こういう森博嗣や西尾維新やついでに伊坂幸太郎(→2006.3.22)みたいなチンカスがのさばっている限り、お先真っ暗だ。
ミステリ好きの狭くて根暗な嗜好ばかり相手にしているから、賢いみんなが本というメディアから逃げていくんだよ。
本が売れなくなっているのは、出版社が売りたい本のレヴェルが下がっているから。現実を見ないといかんよ。

精神衛生上よくないので、今後はもう二度とミステリを読まないようにしようかとも思ったんだけど、
ライトノベル(→2012.6.29)と違って、ミステリにはきちんと社会に対して踏み込んだ作品もいっぱいあるから、
一括禁止というわけにもいかないのが困ったところだ。とりあえず、変なイラストが入っているやつはやめておこうかね。


2012.7.9 (Mon.)

3年生の引退にともない、新しい背番号を決めた。現在の部員はぜんぶで12名(うち幽霊になりかけ部員が1名)。
ということでつまり、1~11番までのレギュラーナンバーをきっちり当てはめていくことになるわけだ。
ウチのサッカー部では、背番号を決めるときに希望がかぶった場合、PK戦で決めることにしている。
生徒どうしの根回しもあって今までそれは行われなかったのだが、ついに今年は開催されることになったのだ。

希望がかぶったのは8番と10番で、希望者がいなかったのは7番と9番。1~11番はどれも人気の番号なので、
PK戦で負けたところでいい番号がつけられるには違いない。でも正直、7番と9番が空くというのは意外である。
それは生徒も同じで、今まで7番を付けていた3年生は「なんでだよ」とひどくおかんむりなのであった。
まあ当然、僕としては「お前の日頃の行いが悪いからじゃないの?」とからかってやるわけだが。

結果、10番は無事に(と言ったら変だが)チームの大黒柱的なプレーのできるやつへと渡り、
7番は最後まで不人気となってしまった。でもまあ最終的にはいい感じに背番号が配分できたのでよかったよかった。


2012.7.8 (Sun.)

天気がよければ、新しい自転車で一気に千葉まで行ってしまおうと計画していたのだ。
昼に千葉ロッテの試合でも観て、夜に蘇我球技場(以下「フクアリ」)で千葉×京都でも観よう、と。
しかしながら朝のうちに雨はなかなかやまず、完全にあがったのは10時過ぎくらい。まだ路面は濡れているわけで、
そこを延々と千葉まで自転車をこいでいくほどのモチベーションはなかった。結局、日記を書いて過ごす。
でも千葉×京都のチケットは確保していたので、15時くらいに自転車にまたがって中目黒まで行く。
そこから日比谷線と京葉線で蘇我へゴー。少し早めにフクアリに着いて、日記書いたり読書したりしてキックオフを待つ。

  
L: 夕方になり、なんだかいい感じに晴れ上がったフクアリ。蘇我まで自転車で来たとしても、ナイトゲームは帰りが絶望的なんだよなあ。
C: 選手入場のタイミングで千葉のゴール裏には巨大なユニフォームが登場。妙にデキがいいなあ、と感心したのであった。
R: 千葉の木山監督。非常に評価の高い監督みたいだが、僕にはイマイチその凄みがわからんので、今日はそこもお勉強なのだ。

いろいろ分析するのは疲れるので、最初のうちは、純粋に大木京都のパスサッカーを堪能しようと思っていた。
しかしJ1レヴェルの戦力を持つと言われる両チームの戦いぶりを見ているうちに、やはりどうしてもあれこれ考えてしまう。
千葉はここ3試合で1分け2敗と元気がなく、京都にいたっては6試合連続で勝てていないのである。
そんな両チームが、何を狙って、どうやって浮上のきっかけをつかもうしているのか、どうしても考えてしまうのだ。

前半は0-0。京都はFWサヌ・宮吉、MF工藤・中村・中山・チョン=ウヨンというテクニシャンぞろいの構成で、
(千葉から京都に移籍してきた工藤は予想以上に盛大なブーイングを受けていたのであった。)
足のあらゆる部分を使ってパスをつないでいく。が、やっぱりシュートまでなかなかもっていけない。
これは千葉の守備がいいから。集中して守る千葉は、しっかりと体を当てるディフェンスでミスを誘うのだ。
そしてボールを奪うとカウンター。ボールを渡された深井が左サイドから一気に持ち上がり、アーリークロスを入れる。
この攻撃の形が非常によく目立った。ただ、アーリーすぎて中央の準備が整っておらずに不発、の連続でもあった。
僕はつねづね「J1は隙を見せると一気にやられる」と書いているが、この千葉×京都の前半はJ1っぽい試合だった。

  
L: 自慢のパスワークで攻める京都。中盤と前線に配置されたテクニシャンたちがショートパスを素早くつないで押し上がる。
C: 京都の選手の間隔はこれくらい。対する千葉はブロックをつくる感じではなく、中盤からひとりひとりをつぶしていく守備で対応。
R: ボールを横に回す京都のDFたち。後述するが、京都はディフェンスに致命的な欠点を抱えているので点が取れないのだ。

膠着状態の前半から、僕の目には京都の欠点がはっきりと見えていた。それは主に、攻撃に関する欠点だ。
京都の攻撃が京都の攻撃である限り、ツボを押さえておけば失点する心配はない。おそらく千葉はそれを見抜いている。
問題は、千葉がいかにして千葉らしさを追求しながら点を奪うのか、だ。そのために木山監督はどういう攻撃をするのか。
ハーフタイムのときには、この試合に対する僕の視点は明確になっていた。京都に何が足りないのか、それを考えよう、と。

京都の最大の弱点。それは、CBが攻撃をビルドアップできない点だ。これはかなり逆説的なのだが、そう僕は考える。
京都の攻撃がなかなかシュートまでもっていけないのは、FWとMFのショートパス祭りに原因があるのは確かだが、
そのショートパス祭りを引き起こしているのはほかでもない、CBの攻撃力不足なのだ。この日のCBはバヤリッツァと秋本。
SBは右が安藤、左が福村で、これはどちらもそれなりによくやっていた。安藤はMF出身らしくパス回しに参加し、
福村は特に終盤、積極的に高い位置をとって攻撃の起点になろうとしていた。もしポポヴィッチ(FC東京監督)のような、
逆サイドの対角線へのロングパス(→2012.6.23)が京都の戦術にあったら、千葉は大混乱に陥っていたはずだ。
ではCBふたりはどう動いていたかというと、体の強さを生かして千葉のカウンターに備える、それだけ。
ディフェンスラインにボールが渡ったときの無策ぶりは目に余るものがあった。特に秋本はパスコースをまったく見つけられない。
お前は林健太郎の何を見とったんじゃ、オラ!と言いたくなったわ(林は現役終盤を甲府のアンカーとしてプレーした)。
まあつまり、京都はこないだのセレッソと数が違うけど、前の6人と後ろの4人にだいたい分断されているってことだ。
ディフェンスラインが一味違う動きをすることで、相手の前めの選手が混乱する。そこを衝けば、中盤に穴ができる。
そういう下ごしらえをせずにMFがボールを回す京都は毎回、準備万端の千葉の守備に引っかかってはカウンターを食らう。

サッカーのフォーメーションは崩れるためにある、が僕の持論だ。僕は崩れやすいからこそ、部活で3-3-1-3を採用した。
フォーメーションには崩れにくいものと崩れやすいものがある。4-2-3-1などは攻めても守ってもかなり崩れにくい。
一般に、崩れやすいフォーメーションの方が難度は高い。混乱状態からの回復が遅くなり、隙ができやすいからだ。
しかし利点もある。それは、フォーメーションを自ら崩すことで相手の予測のつかない攻撃を展開できることだ。
戦術というか約束ごとがきちんと守られていれば、フォーメーションを崩すことはそれほど怖いことではない。
この約束ごととフォーメーションの関係がきっちりと結びついている場合、フォーメーションは「システム」と呼ばれうる。
僕が3-3-1-3システムであえてフォーメーションを崩して攻めさせたのは、焦点を絞って数的優位をつくりだすためだ。
局地的な数的優位により相手が守りきれない状況をつくる、それは甲府時代の大木監督から学んだ戦術だ。
攻撃のヴァリエーションとフォーメーションを崩すことは、比例関係にあるのである。

で、何を言いたいのかというと、京都はMFとFWの上手い奴だけでパスを回すんじゃなくて、DFからのパスを重視しろ、
ということなのだ。いや、それではまだ不十分だ。DFにリベロを採用するくらいして、ドリブルの要素を混ぜてもいい。
リベロは究極的にフォーメーションを無視する仕事だ。それくらいの混乱を相手に与えてしまえば、
今あるショートパスをもっと効果的に使っていけるだろう。もちろんリスクは大きい。でもリスクを負わなきゃつまらない。
点を取るためには圧倒的な技術か、相手の意表を突くことが必要だ。京都は明らかに、後者への努力が足りない。
ショートパス、ショートパス、ショートパス……と見せかけてドリブル、強引なミドル、あるいはバックパスからフィード。
相手が守りきれない状況というのは数的優位によって生み出せる。それは選手の数という意味で「数的」であり、
攻撃の選択肢の数という意味での「数的」でもあるんじゃないか。選手が前のスペースを埋めることで、それが生まれる。

57分、中央でスライディングしてボールを奪った兵働を起点に、相手ディフェンスをはずすためのショートパスが回り、
最後はフリーになった大塚がゴール。69分、武田の左からのクロスにフリーの藤田がきれいに頭で合わせて2点目。
78分、兵働がドリブルでDFを引きつけて、最後にこれまたフリーの山口智にボールが出て、あっさり決めて3点目。
人のいない方へと入り込んでいくプレーで、千葉が一気に3-0とリードした。フクアリのヴォルテージは最大級だ。
中盤でショートパスを仕掛けていく京都の非効率をあざ笑うように、千葉はカウンターからの攻撃がしっかりと機能した。
部活で僕はいつも「同じボールを失うんなら、より相手の深い位置まで持っていってから失え!」と言っているのだが、
千葉の方がそれをうまく実践したわけだ。京都はいつも、中盤のまだ浅い位置のうちにボールを失ってしまう。
(ちなみに、上のセリフの後には「それが『相手を押し込む』ということだ!」と続く。ランバージャック・フットボールだ。)

  
L: 味スタと比べると、フクアリのバックスタンドはピッチに近いなあ。迫力のあるプレーが間近に見られるのはやはりうれしい。
C: 京都のボールホルダー(駒井)を囲い込む千葉のディフェンス。千葉はパスの出し手と受け手を押さえるプレスが機能。
R: 京都で光っていたのは中村充孝(あつたか)。相手に体を寄せられても何ごともなかったようにかわすドリブルには背筋が震えた。

大木監督が宮吉・工藤を原・伊藤と2枚一気に替えたのは73分で、「前だけ替えてもダメだよ!」と思ったのだが、
案の定、その後に山口に決定的な3点目を決められてしまった。オレだったら秋本を下げて安藤をCBにずらし、
右SBに運動量のある酒井を入れるけどなーと思う。そっちの方が攻撃が活性化したと思うのだがいかがだろう。
しかしその後、80分にCKから安藤がゴールし、ロスタイムには中村がシュートを押し込む感じでゴール。
点を意地で絞り取れるんなら最初から取れや!と文句を言いたくなる攻撃への集中力だった。
まあ千葉が3点取っていたから、この2点を取ることができたと思うんだけどね。油断とは言わんけどねえ。

 
L: 試合終了後、ピッチにへたりこむ両チームの選手たち。今日の試合はユニフォームの色合いも派手できれいだったと思う。
R: オーロイでけえー。千葉にはオーロイめがけての空爆戦術もある。それはそれでけっこう見てみたかった。

おそらくこれは、千葉の木山監督が京都の攻撃や守備を読み切っての勝利ってことだろう。
京都はディフェンスからの攻撃の欠如に気づかない限り、なかなか勝てない状態が続きそうな予感がする。
でも大木さんはショートパスを磨くことで現状の打破を目指すんだろうな、と思う。師匠、問題はそこじゃないですよ!

最後に蛇足。僕は千葉が嫌いになってきた。J1昇格のためになりふりかまっていられない事情があるにせよ、
実績のある選手を次々と引っ張ってくる姿勢がちょっと露骨すぎる。リカルド=ロボにはさすがに呆れた。
何よりサポーターが千葉の順位しか見ていない点が気に食わない。他のクラブの動向を、順位でしか見ない。
「ヴェルディ、松本に負けちゃってるよ、それヤバイだろ」――サッカーの中身に興味を持たず順位しか見ていない。
みんながみんなそうとは思わないけど、前にも同じことを書いているので(→2011.8.21)、そうなんだろうと思ってしまう。
あとJ2のわりにチケットの値段が高いのもイヤだ。そんな感じで、申し訳ないけど、どうも千葉にはいいイメージがない。


2012.7.7 (Sat.)

土曜日なのに生憎の授業、七夕なのに生憎の雨。午後のサッカー部の練習は中止なのである。
でもテスト前課題のチェックを終わらせておかないといけないので、夕方までずっと職場で黙々と作業をしていた。
ところでテストのデキが1年生も2年生もあまりに悪くて、昨日の解説のときに怒鳴り散らしていたら、完全に喉が壊れた。
おかげで今日は声を出すのが非常につらいし、自分の声が他人の声に聞こえてしょうがない。早く治るといいのだが。

仕事を終えるとJRに乗って池袋へ。北海道で買った「北海道&東日本パス」が今日まで使えるので、久々に行ってみる。
池袋には中古ゲームを売る店があって、そこでゲームミュージックCDを見たいのと、東急ハンズで買い物をしたいのと。
結果、CDは空振りだったのだが、ハンズでいろいろ納得のいくものが手に入ったので、わざわざ来た甲斐はあった。
その後はカフェで日記を書いて過ごす。とにかく早いところ北海道日記を仕上げたいのだが、手間がかかってたまらない。
まあそれだけ中身の濃い経験をしてきたのだからしょうがないのだ。記憶を文章という形に残しておかないといかんのだ。


2012.7.6 (Fri.)

査定の結果、やはりとことんまで使い倒したこともあって、金額は出ないのであった。でもこれは十分に想定内なのだ。
むしろタダで引き渡した方が大特価で売られて早く新しいご主人様が見つかるんじゃないか、と思う。それがいいのだ。
ということで、約8年乗った自転車とのお別れとなった。運がよければどこかで会おう。きっと会おう。


2012.7.5 (Thu.)

自転車の売却手続きをする。テキトーなリサイクルショップに売り払うという方法もあったのだが、
きちんとメンテナンスしてもらったうえで新しいご主人様が見つかってほしいのだ。ぜひまた誰かに使ってほしい。
そう考えて、きちんとした店で売却手続きをすることにこだわったわけである。買い取り金額はどうでもいい。

仕事が終わって目的の店へ。営業時間の関係で査定の結果は明日出ます、とのこと。別にそれでかまわない。
僕の性格のせいなのだが、長年乗った自転車と別れるということに、なんだかものすごくセンチメンタルな気分になる。
店を出るときの淋しさといったらない。でもそれは新しい自転車に対して失礼なことであるようにも思うのである。
道具に対して感情移入するのは小さい頃からのクセなのだが、それがとことん染み付いていることを実感したわ。


2012.7.4 (Wed.)

満を持して新しい自転車の受け取りに行く。仕事が終わると電車に乗ってお茶の水へ。そこから歩いて神保町。
店に入ると必要なものを買い足して、取り扱いであれこれ気をつける点を教えてもらって、いざ引き渡し。
これが新しい自転車かー!と感動するけど、それと同じくらいに切ない気持ちがあって、素直に喜べない。
軽く秋葉原まで行ってみて、スタ丼食って、いつものコースで家まで帰る。実に快調である。
切ない気持ちになってばっかりじゃなくって、新しい自転車のことを素直に喜んであげないとダメだな、と思う。
惣一郎さんも好きだけど裕作さんも好きな響子さんの気分……って、ちょっとちがうか。でもまあそんな感じ。


2012.7.3 (Tue.)

雨のせいで自転車を受け取ることができず、しょうがないからひたすら北海道の画像整理に勤しむのであった。

EURO 2012決勝戦。残念なことに、今回の大会を総括できるほどきちんとは試合を見ていない。
せめて決勝戦くらいは、ということで録画しておいたので、それを見た感じたことをちょこちょこっと書いておく。

決勝はスペイン×イタリアの組み合わせ。序盤からスペインがどんどん押し込んでいく。
グループリーグでも同じ対戦があって、そっちはかなり均衡した試合だったはずなのだが、今回ははっきりスペイン優勢。
イタリアは積極的にボールを動かそうとするものの、スペインの守備の集中力になかなか前へ運べない場面が目立つ。
ボールを保持するスペインに対してイタリアはプレスをかけるけど、まったく動じない。スペインは本当に強い。
特にスペインは、狭いエリアでのボール扱いがめちゃくちゃ上手いのだ。相手をギリギリでかわせる落ち着きが凄い。
ゴール前もドリブルですり抜けてしまい、イタリアは神経をすり減らすような守備の時間がどうしても長くなる。

それにしてもさすがにこのレヴェルになると、判断もプレーもとにかく速い。
ひとつひとつのプレーが本当に速くて正確で、「止める」「蹴る」を一発で正確に決めてくる。イメージどおりでブレない。
見ていて頭の中で次のプレーを想像するんだけど、それとまったく同じスピードで現実が展開するのだ。
一言で表現するなら、「処理速度が速い」って感じ。ふだん日本のサッカーに見慣れていると、本当にそう思う。
日本のサッカーには、日本人だからか、「間」があるんだなと気づかされる。でもヨーロッパではその「間」をすっ飛ばす。
この判断スピードにきっちりと対応する審判もすごいなーと呆れながら見るのであった。まいったまいった。
そしてボールの扱いが正確なのでほとんどタッチラインを割らない。アクチュアルタイムが長いことにあらためて驚いた。

試合は結局、スペインがイタリアを4-0で押し切った。グループリーグで1-1の見ごたえあるドローだったのが信じられない。
本調子のスペインはもはや、手のつけられない領域にまで達しているということか。しかし4-0とはねえ……。
しかしまあ、カッサーノとバロテッリの2トップとか、いろんな意味でめちゃくちゃ怖いわ。
もうそれだけでビビっちゃいそうなのに、スペインはぜんぜん力を発揮させないんだもんなあ。恐ろしい恐ろしい。


2012.7.2 (Mon.)

いよいよ本日で3日間にわたる北海道旅行も最終日なのだ。最終日ということで、それにふさわしい最果てを訪れるのだ。
昨日とまったく同じ時刻の電車で千歳まで。それから東室蘭行きに乗り換えるところもまったく同じ。
しかし、今日は終点まで行くことなく、途中の苫小牧で降りる。そのまま向かいの列車に乗り込み、発車を待つ。
8時3分、たった1両の列車は苫小牧駅を後にした。列車はゆっくりと角度を変えて緑の中へと飛び込んでいく。
そう、僕が乗り込んだのは日高本線。今日の目的地は北海道の南の最果て、襟裳岬なのだ。

 北の大地 3days 3/3: 襟裳岬

日高本線はその名のとおり、日高地方を海沿いに一気に走っていく路線だ。「本線」だけどディーゼルで1両。
起点の苫小牧以外でほかの路線と連絡することはなく、ひたすらのんびりと我が道を行く、そんな印象の路線だ。
終点の様似駅に到着するのは11時過ぎ。実に3時間もゆったりと揺られることになるのだが、車窓の風景は個性的だ。
というのも、競走馬を多く産出する日高地方を走る路線ということで、馬たちの姿を眺めることができるというのだ。
その土地ならではの風景に触れられるというのは、僕が最も楽しみとするところである。ワクワクしながら揺られる。

しかしながら、僕の目にまず飛び込んできたのは、「植物たちの王国」とでも呼べそうな光景だった。
この日の苫小牧は昨日よりも重苦しい雲たちに包まれており、かなり暗い。苫小牧の周辺部は完全に緑一色、
まるで湿地帯の中を抜けていくような場所すらある。2年前の宗谷本線(→2010.8.11)を思い出す。
あの日は雨だったが、高木も低木も草たちもただひたすらに視界を覆い尽くしており、人間の痕跡が感じられなかった。
日高本線の苫小牧郊外は、あれにかなり近いものがある。人間を寄せ付けないままでいる、植物たちの王国。
それでも工業都市・苫小牧の意地はところどころに垣間見え、湿った緑の先に港湾らしい大規模なクレーンが立っている。
植物の支配する領域と人間が切り開いた領域とが、とても大雑把に折り重なっていて、現実味のない風景となっていた。

 植物たちの王国と、郊外の風景。非人間的なイメージだけは共通している。

もっとも、JR北海道の列車に乗っていると、比較的簡単に「植物たちの王国」に出会うことはできる。
札幌から新千歳空港に行くまでの間でさえも、広大な緑が人間の侵入を許していないエリアが点在しているのが見える。
やりたい放題に生い茂る植物たちの様子を見ていて、僕はふとカビや粘菌のミクロの姿を思い出した。
隣の細胞と連結しながら自分たちの領域を広げていく、同質な集団による空間の支配。それが「植物的な攻撃」だ。
この「植物的な攻撃」を繰り広げる点では、カビも北海道の木々も埋立地の木々も変わらないのだ。
いや、この同質な集団による空間の囲い込みという戦略をとることこそが、植物の本質であるのだろう。
北海道は、植物が人間に飼い馴らされることなく、今もその本性をむき出しにしている土地なのだ。そう思う。
関東や東北の上空を行く飛行機の眼下に広がっていた緑は、宗谷本線や日高本線の緑とまったく同質なだけでなく、
風呂場なんかに広がるカビとも同質なものなのだ。僕は生まれて初めて、菌類が植物であることを本能的に理解した。
広大な仲間をバックに、根気よく隙をうかがい続ける北海道の緑たち。植物ってのは、容赦がないもんだ。

想像力はさらに広がる。この広大な植物たちの王国を、かつて自在に出入りしていた人々がいた。
正確に言えば今もいるのだが、かつてのその方法論は失われてしまった。そう、アイヌの人々だ。
アイヌの人々は植物の王国をそのままに、つまり空間を改変することなく、狩猟で生活を立てていた。
対する現代の日本人たちは、植物に対して空間を大胆に改変することで対抗している。さっきのクレーンがいい例だ。
でも植物たちは、ミクロレヴェルの風化や侵食を試みて、人間の構造物を劣化させていく(→2012.1.1)。
目の前に広がる緑を背景に僕は、天竜川の渓谷を駆け抜けた川村カ子ト(→2010.8.10)のことを思い出す。
かつてのアイヌの人々が持っていた空間の見え方は、今のわれわれのものとはまったく異なっているのだろう。
植物たちが囲い込んでいる空間を、いかに自在に走り抜けていくか。自然との共存、なんて陳腐なものじゃない。
たとえば「ガーデニング」なんて気取った言葉があるように、僕たちは植物たちを手なずけた気分でいるけれど、
実際のところ、手のひらで転がされているのは僕らの方なのだ。きっとかつてのアイヌの人々は、
そのことを十分に自覚しながらも、うまくやり抜いていたんだと思う。北海道の緑から、そんな過去が透けて見える。
どちらが正しいとか、そういうことじゃない。ただ、北海道の緑の強大さを見せつけられるたびに、
その隙をぬって暮らしていたアイヌの人々のたくましさ、しなやかな強さを想起させられる。

鵡川で高校生たちが一気に下車すると、列車の中は閑散とした雰囲気に染まる。なんだか眠くなってきた。
せっかくの日高本線だ。コンビニで買っておいたレッドブルを飲みつつ、車窓の風景を半ば無理やり堪能する。
すると、やがて汐見駅を越えた辺りから、チラチラと柵で区切られた芝生が海と反対側の車窓に広がるようになってくる。
馬の姿はときどきしか見かけないが、午前中はそんなものかもしれないな、と思う。

 まあこんな感じですかね。

様似駅に着くと、まずは窓口でバスの「えりも岬散策切符」を購入する。本来は片道料金の1800円で往復できるのだ。
それから駅舎に併設されている観光案内所をひとまわりしてみる。パンフレットをいくつかもらっておく。
最後に、帰りにお世話になるであろうセイコーマートの位置を確認して準備万端。やってきたバスに乗り込む。
僕のほかにもうひとり、一人旅の男を乗せてバスは様似駅を出た。ここから1時間弱、さらに南東へと行くのだ。

途中でアポイ岳の山荘に寄り道したのを除いて、丁寧に海岸線をなぞる国道336号をバスは走っていく。
海側を見ると漁師の皆さんが何やらお仕事中。よく見ると、砂利の上に昆布を干しているのだった。
海と国道の間にある何気ない砂利地帯に黒い帯が並んでいる。そっか、これが名物の日高昆布か!と思う。
反対側では家がポツポツと並んでおり、やはりその前庭には砂利が敷かれ、上に昆布が乗っていた。
こうやって干しているとはまったく知らなかった。旅行するといろんな発見があるなあ、と実感したわ。

 
L: 帰りに撮影したのだが、バス停の脇で昆布を干しているの図。  R: 砂利の上にはとことん昆布。おいしそうだな。

運がいいことに、だんだん空が明るくなってきた。天気予報では浦河方面は本日は曇りということで期待していなかったが、
これならそこそこきれいな襟裳岬の写真が撮れそうだ。昨日の地球岬とは比べ物にならない写真が撮れるだろう。
襟裳岬の1つ前・油駒のバス停の辺りでは青い空もチラチラ見えるようになった。うれしい展開にウキウキしていると、
バスは一気に坂を上っていく。そして、度肝を抜かれた。そこに広がっていたのは、完全に高原の風景だったのだ。
しかも、その高原は霧に包まれている。ついさっきまで、ごくふつうの漁村が点在する海岸だったはずなのに!

 海岸からいきなり高原へ。一瞬、何が起きたのかまったく理解できなかった。

今日の僕は想像力が豊かなようで、バスが事故に遭って天国に来ちゃったのかとも思ったのだが、
いくらなんでもそれは妄想が過ぎるってもんだ。でも本当にそんなことを考えてしまうくらいに大胆な変化だ。
ここまで急激に景色が変化したのは初めての経験だ。呆れて口が塞がらないでいると、「次は襟裳岬」とアナウンス。
半信半疑のままボタンを押す。程なくしてバスは停車。もうひとりの男性とともに運転手に礼を言ってバスを降りる。

……その瞬間! 「寒っ!」そして「風、強っ!」思わず叫んでいた。いきなりの展開に、ワケがわからず立ち尽くす。
周囲を見回すが、霧が濃くって何がなんだかよくわからない。混乱してしまい、しばらく動けなくなる。まるで寝起きだ。
時計を見てみる。12時半を少し過ぎたところ。予定どおりだ。予定どおりに、襟裳岬に着いたみたいなのだ。
このまま突っ立っているわけにもいかないので、とりあえず歩きだすことにした。しかしあまりに寒くてかなわない。
慌てて着ているシャツのボタンを閉じる。それにしても風が強い。東から西へ、たっぷり湿り気を吸った風が飛んでいく。
昼間のいい時間帯だからか、観光客の姿はけっこう多い……はずなのだが、霧で全貌はわからない。なんなんだ、こりゃ。

  
L: 襟裳岬の駐車場。霧で50m先もよく見えない状況。寒いし風は強いし、本当にここは別世界だ。
C: 襟裳岬 風の館・入口。灯台の明かりを遮らないように地下につくられている。カルマン渦をイメージしたデザインだってさ。
R: さっきと反対側、襟裳岬 風の館から駐車場・土産物屋を見たところ。雰囲気は完全に高原のドライブインって感じ。

襟裳岬に滞在できる時間は1時間。帰りのバスを逃すと今日中に東京に帰れない可能性が発生してしまう。
霧で何がなんだかわからないので、とにかく岬の先っぽの方へ急ぐことにした。丘の上が展望台になっていて、
そこにはさまざまな記念碑があった。『襟裳岬』の歌碑は2種類並んでいて、右が島倉千代子、左が森進一。
森進一は知っているけど、島倉千代子も襟裳岬をテーマに歌っているとは知らなかった(まったく別の曲)。
展望台の真ん中には倉嶋厚の書による「風極の地」という碑があった。この風の強さに、心底納得してしまったよ。

  
L: 目指せ襟裳岬の先っぽ。しかし風はやたら強えーわ霧で見えねーわで、もうなんだか、笑えてきた。笑うしかないわ。
C: 襟裳岬灯台。あまりに霧が濃くって、ちょっと距離をとるとすぐに霞んじゃう。下界は晴れてきていたのになあ。
R: 『襟裳岬』の歌碑2種。実際の襟裳岬のインパクトはあまりに凄くて、もう前と同じ感覚でこの曲を聴けないと思う。

しかしまあ当然ながら、展望台であるにもかかわらずほぼ何も展望できないという有様で、途方に暮れるのみ。
襟裳岬の沖合では暖流の黒潮(日本海流)と寒流の親潮(千島海流)がぶつかり、その温度差から霧が発生しやすい。
実に一年の1/3が霧に包まれるという場所なのだ。打率3割、それにしても見事なクリーンヒットである。
襟裳岬の売りのひとつが、400頭にもなるという野生のゼニガタアザラシを見ることができる点だ。
しかしながらあまりの強風と濃霧のせいか、その姿はまったく見ることができない。これは非常に残念だった。

展望台からさらに岬の先っぽを目指して進めるようになっていたので、迷うことなく歩いていく。
とんでもない強風なので高所恐怖症が発症してもおかしくなかったのだが、あまりの極限状態に感覚がマヒしたようだ。
この状況を面白がる方のスイッチが入ってしまい、嬉々としながらひょいひょいと階段を下っていくのであった。

  
L: 襟裳岬 風の館の上にある展望台より眺める岬の先っぽ。強風と濃霧にもう笑うしかないのであった。
C: さらに先っぽへと歩いていく。こんな状況でそんなことをする観光客は僕ひとりだった。襟裳岬を独り占めだぜ。
R: 先っぽの展望台。ゼニガタアザラシの説明があるけど、その姿はまったく見えず。けっこう楽しみにしていたんだけどなあ……。

どうも襟裳岬の先っぽの先っぽには人が住んでいるらしく、住宅らしき建物がある。いわゆる番屋かもしれない。
湾ではコンブ漁をしていると思われる人がいて、荒波の中で黙々と着実に作業しているのが見えた。
こんな強風の中でも平然と仕事をしているその姿には、ただただ尊敬の念をおぼえるしかない。怖くないのかな、と思う。

先っぽの展望台からさらにその家の方へ下りることができたので、邪魔にならないように気をつけつつ行ってみた。
西側は砂利が敷かれており、明らかに昆布を干すための場所となっている。そっちには立ち入らないようにして、その先へ。
かつて神社があったことを示す鳥居の先、コンクリートの土台がある突端まで行ってみる。ここが本当の襟裳岬だ。
目の前には黒い岩礁があるのみ。強風の中、そこに無数のカモメたちが群れて白い斑点をつくっている。
デジカメをズームして確認してみるが、やはりアザラシの姿はない。カモメのたくましさばかりが目立つ。

  
L: 強風の中、コンブ漁をしている人。プロってすげえ、と思わされた。  C: 岩礁のカモメたち。風をものともしない。
R: 襟裳岬の先っぽの先っぽから眺める岩礁。7月とはとても思えない荒涼とした光景である。

あまりに風が強くて、デジカメを構える手がブレる。7月なのに、手が軽くかじかむほどの気温である。
さっきの油駒のバス停までは、確かに7月の日本だった。でもここは、完全にそれとは異なる世界だ。
まるで襟裳岬の先だけ魔法がかけられているような……、本当にそうとしか思えない空間の変貌ぶりなのだ。
風の強さは絶対に風速20m/sを超えている。もしかしたら、25m/sより強いかもしれない。それくらい激しい。
横からの風が強いと、口の中にうまく空気が流れ込んでこなくなり、呼吸がしづらくなることがある(→2008.7.22)。
なんとなく息苦しさを感じている僕は、明らかに体を斜めに傾けてバランスをとって立っている。
襟裳岬の全力での「襟裳岬らしさ」のアピールに、僕はただ笑ってシャッターを切ることしかできなかった。
しばらくそうして過ごしていたら、信じられないことに岩礁の先に青空が顔を覗かせてきた。礼を言って、来た道を戻る。

 最後の最後にちょっとだけ微笑んでくれた襟裳岬。

戻って来ても、風の館や灯台の周辺は霧に包まれたままだった。せっかくなので風の館の入口に入るが、
岬とじゃれ合っていた時間は意外と長く、残された時間にあまり余裕はない。風の館で何ができるかチェックしてみたが、
風の強さの体験コーナーやアザラシ観察コーナーなどがメインのようだ。でも今日はアザラシがいないし、
強風は外に出れば簡単に本物を味わうことができるコンディションである。というわけで、入館はしなかった。
ちなみに強風体験コーナーのガラスに襟裳岬の萌えキャラの絵が貼ってあって、ニンともカンとも。
日本はゆるキャラと萌えキャラばっかりじゃのう、と思うのであった。襟裳岬のは『青春☆こんぶ』っていうらしいよ。

 
L: 左が岬襟萌(みさき・えりも)で、右が千島霧夏(ちしま・きりか)だそうです。ププッピドゥ。
R: 近所の立て看板にも描かれている。千島さんは民宿の一人娘だそうです。聖地巡礼とかしに来るのかね。

13時半過ぎ、帰りのバスに乗り込んだのは僕ひとりだけなのであった。来た道を丁寧に戻って様似駅へ。
襟裳岬からしばらくは、やっぱり霧に包まれた高原の風景そのもの。とても海のすぐ近くとは思えない。
やがて坂を下っていくと、さっきまでの光景がまるで嘘のように、7月の夏の日差しが海岸を輝かせていた。
あらためて、これは魔法だ、と思う。こんな不思議な体験、めったにできることじゃない。

バスが様似駅に到着すると、セイコーマートまで猛ダッシュ。素早く食料を見繕ってレジで支払いを済ませると、
これまた猛ダッシュで駅まで戻る。様似のセイコーマートは思っていたよりも遠く、本当にギリギリでホームに到着。
バスが着いてから列車が出るまで9分しか余裕がなかったのだが、それを目一杯使うとは思わなかった。本当にまいった。
運転手が少し心配そうな表情で僕のことを見つめる。「大丈夫っす」と言って乗り込むと、ゆったりと列車は動き出した。

  
L: 美しい青空の下の様似駅。やっぱり日高本線には青い空が似合う。  C: 日高本線の最果ての光景。
R: 日高本線の車両に描かれているイラスト。ローカルな路線にしては妙にオシャレで感心した。

ここから再び3時間以上、のんびりとした時間を過ごすことになる。復路は日差しが出てきたこともあり、
きれいな写真を撮るチャンスができた。ある程度は日高本線らしさを切り取ることができたかな、と思うので、
往路のものも含めていくつか貼り付けてみる。列車の中から馬をきれいに撮影するのは、かなり難しかった。

  
L: 駅の近くにいた馬。後ろ向きだったのが残念。  C: 日高本線はこんな感じの風景が多いのだ。
R: ここからは復路の写真。空と低い山脈、そして穏やかに広がる芝生の大地。ここでのんびりと馬が草を食む。

  
L: ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の舞台はこんな感じの場所なんですかね。
C,R: サラブレッドの世界の過酷さを知らない僕には、実に優雅でうらやましい生活ぶりに見えてしまう。

 
L: 大地を疾走する馬たち。元気だねえ。  R: 馬だけじゃなくて牛もいるよ!

のんびり気ままに音楽を聴いたりシャッターを切ったりしながら過ごしているうちに、苫小牧駅に到着。
苫小牧に着いてから新千歳空港へ行くまでには少し余裕があったので、本屋で何か気楽に読める本はないか探す。
と、ハヤカワSF文庫のサイズがことごとく大きくなっており、しかも装丁も新しくなっていたことに気づいて驚愕する。今ごろ。
なんでそんなことをしてしまうのか。文庫はコンパクトだからいいのに。なんだかバカにされている気分だよ。

テキトーに1冊選んでカヴァーをかけてもらうと、そいつを片手に列車に乗り込む。
勢いに任せてグイグイ読んで、途中で乗り換えて新千歳空港に到着。飛行機には少し早いが、遅いよりはいい。
新千歳空港はけっこう広くて、その分だけ土産物屋も多い。途中でうろつく気も失せて、ひたすら読書。
そのうち腹が減ったので、食事のできるエリアへ移動。ラーメン屋の集まっている場所があったのだが、
こういうのはどれにすればいいのかがわからなくて迷いまくるので、思いきってラーメンをやめにする。
結局、北海道らしく海鮮丼の店に入って、おいしく丼をいただいた。店員のねーちゃんも美人でよかったです。

少し早めに手続きを済ませて飛行機の出発を待つ。喉が渇いたので売店に行ってみたら、面白いものを発見。
まずは「い・ろ・は・す」のハスカップ味。ハスカップは不老長寿の薬とも言われる果実で、勇払原野に自生している。
今回の旅行では苫小牧周辺を動きまわったので、ハスカップ関連商品を見かける機会がけっこうあった。
で、「い・ろ・は・す」ハスカップ味を実際に飲んでみたのだが、強いて言うならブルーベリー風味、やや甘め。
そしてさらに、町村農場の瓶牛乳。以前、東京のアンテナショップでバターを買ったことがあるが(→2011.5.7)、
瓶の牛乳は初めて見た。これはぜひ買わねば、ということで、腰に手を当てて一気飲みするのであった。
いい感じの低温殺菌ぶりで、なかなかおいしゅうございました。瓶は記念に持って帰るよ、当然。

 町村農場は僕の大学時代の恩師の実家なのだ。ご無沙汰で申し訳ないのだ。

というわけで、3日間にわたる北海道の最果て巡りの旅はこれにておしまい。実に中身の濃い3日間だった。
「梅雨のない世界に行きたい」ってことでの北海道旅行だったのだが、正直、天気はある程度本州と連動している印象。
(いちおう「蝦夷梅雨」という言葉があって、梅雨の終わりごろに北海道でぐずつくことを指すらしい。)
今回の旅行中は雨に降られていないので(降った痕跡の残っている場所はあったけど)、セーフといえばセーフ、
なのかもしれないけど。襟裳岬は特殊すぎるしなあ。まあとにかく、存分に楽しめたので、オッケーなのだ。

次回はぜひ、ずーっと青空の下で動きまわることができるといいなあ!


2012.7.1 (Sun.)

目が覚めたら、テレビの画面には原色の帯が並んでいた。おー東京事変、と思いつつ体を起こす。
頭をはっきりさせるために、早朝だけど風呂に入ることにした。最上階の風呂に行って、体を洗い、湯に浸かる。
お湯はかなりぬるい。熱い風呂で一気に目を覚まそうと思っていたのだが、これではなんともリラックスモードだ。
しょうがないので早々に上がって、きちんとした服に着替える。the サッカー部の恰好のまま寝てしまったのだ。
ヒゲを剃って、歯を磨いて、使い捨てレンズを入れて、髪の毛を立てて、準備は万端。フロントにキーを預けて街に出る。

  
L: 早朝の大通公園。夏の北海道はやっぱり涼しげでいいなあ。  C: 反対側のテレビ塔。逆光なので撮影は大変。
R: 晴れた朝の札幌駅。実にサワヤカである。めちゃくちゃ動きまわる今日の予定も、ここからがスタートなのだ。

本日の目的地は、まず室蘭の地球(チキウ)岬。それから室蘭市内を徘徊した後、苫小牧に戻ってまた徘徊。
つまり、前回の北海道旅行で果たせなかった室蘭と苫小牧の街歩きをしようというわけなのだ。リヴェンジなのである。

 北の大地 3days 2/3: 地球岬(室蘭・苫小牧)

さて本日は7月1日、青春18きっぷの発売日である。例年、青春18きっぷを買うために北海道に来るマニアがいるそうだ。
というのも、機械で出てくる青春18きっぷではなく、赤い紙にきちんと印刷された青春18きっぷを買うためだという。
JR北海道・JR西日本・JR四国の一部の駅でそれは買えるんだそうで、発売日には激しい争奪戦が起きるんだそうな。
しかし今年の夏からJR北海道では赤い青春18きっぷを扱わなくなったそうで、しょんぼりするマニアが続出しとるようだ。
……なんでそんなことを知っているのかって? いや、まあ、1回くらいは使ってみたいじゃん、赤いの。
でも売らなくなっちゃったんならしょうがないよね、ってことで、それはスパッとあきらめるのだ。僕はマニアじゃないもん。

本日は7月1日ということで、もうひとつ、「北海道&東日本パス」の使用開始日である。
これは10,000円でJR北海道とJR東日本の普通と快速が7日間連続で乗り放題というありがたい切符なのだ。
前に東北旅行でお世話になったときは5日間連続だったが(→2008.9.11)、その後、2日延びたのだ。
北海道に滞在するのは今日と明日で終わりだが、それでも十分もとがとれるし、東京に帰ってもしばらく使える。
というわけで、昨日新千歳空港駅で買っておいたのだ。貧乏旅行はこういうアイテムをフル活用しないとね!

7時前に札幌を出発すると、千歳駅のホームに降りる。反対側に停まっている列車に乗り込むと、
そのまま終点の東室蘭まで揺られる。千歳科学技術大学の学生っぽい連中が妙にはしゃいでいた。
そういえば教員免許更新の関係で千歳科学技術大学が関係しているe-ラーニングの受講手続きをしたのだが、
ぜんぜん勉強を始めていない。なんとかせにゃなあ、と思っているうちにぐっすり。

9時過ぎ、東室蘭駅に着くと自動的に目が覚める便利な僕。室蘭支線に乗り換える。ここからは、知らない風景だ。
緑と道路の境界線上を列車は走っていく。輪西駅を越えると大胆なカーヴとなり、御崎駅に停車。
そして終点のひとつ手前である母恋(ぼこい)駅で降りる。アイヌ語の当て字とわかっちゃいるけど、イヤな名前の駅だ。
ここで20分近くボーッとする。駅の向かいにあるスーパーのトイレを借りてスッキリすると、バス停へ。
そう、地球岬行きのバスを待っていたのだ。母恋駅は地球岬への最寄駅となるので、宣伝の看板がけっこう激しい。
駅から南へとまっすぐ延びている道には「地球岬通り」という名前がつけられており、標識も出ている。
駅の脇にはバス停があるが、地球岬団地行きのバス停は地球岬通り沿いにあるので、注意しないといけないのだ。
で、定刻どおりにバスがやってきたので乗車。終点の地球岬団地で地元のおばあちゃんたちとともに降りる。

  
L: 母恋駅。ボコイとはアイヌ語で「ホッキ貝のたくさんある場所」だそうで、ホッキ貝の炊き込みご飯の駅弁・「母恋めし」が人気みたい。
C: 地球岬通り。これをまっすぐ進んで行けば地球岬だ。  R: 地球岬団地に到着。ここからはひたすら上り坂なのであった。

しかしまあ、せっかく梅雨のないはずの北海道に来ているというのに、空は分厚い雲が覆っていてとっても暗い。
地球岬から眺める景色は非常に美しいと評判なのだが、これではその美しさをまったく味わえそうにない。
僕は北海道というとどうしても2年前のトラウマがあるので(→2010.8.72010.8.82010.8.112010.8.12)、
特に今回の旅行では天気のことでムダにドキドキしてしまっている。天気予報を目にするたびに一喜一憂している。
数日前の予報によれば、今日は曇りとのこと。そして明日は雨まじりの天気になるという。たまったもんじゃない。
坂道を上りつつ空を眺めて、「明日はこれよりもイヤな天気になるのかねえ……」とつぶやくのであった。

坂を上りきると、海が見える。T字路になっており、右へ行けば地球岬。左へ行けばトッカリショ。どっちもまた上りだ。
でもまずこのT字路のところが、「室蘭八景」のひとつに数えられている「金屏風」なのである。
なんでも、高さ約100mの崖面に朝日が当たると金の屏風を立て連ねたように見えるんだそうだ。でもこの暗さじゃなあ。
さすがに海に面する崖の上だけあって、風がとても強い。この風の勢いで雲が飛んでくれねーかな、と思いつつ撮影。
帰りのバスまでは約1時間ということで、せっかくなので逆方向のトッカリショにも行ってみることにした。
アスファルト以外には植物しかない上り坂を粘り強く歩いていくと、峠のてっぺんで急に視界が開けた。
背の低い植物たちが起伏の多い地面を覆っており、その中に家々が点在している。道の先は再び上り坂となるが、
ゆったりと広がる景色に「さすが北海道」と思わず声が漏れていた。トッカリショはその光景の端、海との際にある。

  
L: 地球岬団地から坂をまっすぐ上ると、まずこの金屏風に到着。天気がよければ見事な岩肌のコントラストを味わえるんだろうけどね。
C: トッカリショ。もともとは「アザラシの岩」という意味だけど、現在はこの湾を指す言葉らしい。天気がよけりゃあなあ!
R: 湾の反対側はこんな感じ。まあこれでも十分に美しい景色ではあるんだけどね。わざわざ遠回りしてよかったよ。

なかなかに豪快な景色で満足してシャッターを切ると、来た道を戻って今度こそ地球岬を目指す。
ぐるりとまわり込むようにしてだんだん標高が上がっていくと、やがて駐車場に出た。こんな天気だけど観光客はそこそこいる。
さっそく展望台へと上ってみる。1920年竣工の真っ白いチキウ岬灯台の先には、青い海が広がっている。
曇天のせいで水平線の先は曖昧だ。おかげで岬特有の世界の広がりを感じさせるような感覚は、なくなってしまっている。
でも、緑と白と青という原色のコントラストがこの岬の愛されている理由なのだ、とすぐに気がつく。それはどうにか味わえる。

  
L: 地球岬ということで、地球儀のオブジェをかぶせた電話ボックスを発見。鉄の街・室蘭らしいし、デザイン的にもなかなかいい感じだ。
C: 展望台に突撃。それにしてもこの感じは、宗谷岬の望楼(→2010.8.11)を思い出すなあ。こっちの方がずっと規模が大きいが。
R: 展望台より眺める地球岬と灯台。よく晴れた日には、それはそれは美しい色の競演を味わうことができるんだろうなあ。

ところで、母恋駅で降りてからここまでずっと、ほぼすべての表記が「地球岬」となっていたことは少し意外だった。
唯一「チキウ岬」となっていたのは、灯台の入口だけだった。あとはことごとく「地球岬」という表記がなされていた。
まあ確かに「地球岬」という名前だと、とっても物語性が豊かであるように感じられる。「地球岬」だから観光客が来る。
とはいえそれは、アイヌ語の記憶を遠くへ追いやることもである。正直、なかなか難しいところだ。
断崖を意味する「チケップ」がいろいろ訛った結果が「チキウ」なので、もはや「地球」になったところで大差ない気もする。
とりあえず僕は、地元住民が徹底して「地球岬」と表記しているので、それに倣っておくことにするのだ。それだけ。

 
L: 展望台には世界の各都市が現地語で表記された広場がある。その先にあるのは鐘。鳴らして幸せを祈るんだかなんだか。
R: 海と反対方向、母恋駅方面を眺める。これはこれでなかなかよい景色でございますね。……晴れていれば。

高低差がそうとうあったのと、トッカリショまでの往復で意外と時間を食っていたようで、少し急いでバス停まで戻る。
バスに乗り込むと、そのまま一気に室蘭市役所前まで揺られる。郊外から一気に市街地へと入ったのだが、
市役所のある室蘭の中心部はけっこうスカスカしている感触のある場所だった。規模のわりに道が広くてゆったりしている。
僕を降ろしたバスは、かわりにたっぷりと高校生たちを乗せて西へと走り去っていった。
街全体がどことなくスカスカ感があるので人口密度は感じないが、出歩いている人の数はそれなりだ。不思議な街だ。
振り返れば草の明るい緑に包まれた山のけっこう高いところまで、住宅が点在してへばりついている。独特だと思う。

さて、肝心の室蘭市役所である。1952年の竣工で、北海道では小樽(→2010.8.8)に次ぐ古さとなっている。
ただし後から、建物の東側に福祉事務所のある棟を増築している。もともとの本庁舎はかなりシンプルな建物だ。

  
L: 室蘭市役所。後から大規模な区画整理があったのかなんなのか、正面側が裏手みたいな印象になっている。
C: 北東側から眺めたところ。正面にあるのが、後から増築された福祉事務所のある棟だ。形がだいぶ違うぜ。
R: 大通り側には明らかに何かを撤去した後って感じの公園がある。その辺りから眺めるとこんな感じになっている。

 
L: 南側から眺めるとこう。もとからある部分と増築部分の差がけっこう激しい。
R: 1991年誕生の室蘭市のマスコット「くじらん」。室蘭市内の本当にあちこちに描かれているのだ。

「くじらん」の写真を載っけたついでに書いておくと、このキャラクター、室蘭のありとあらゆるところに描かれている。
冗談ではなく、室蘭の市街地でくじらんを見ないことは絶対にないはずだ。市街地であればどこであっても、
360°ぐるっと回転すれば必ず最低3個ぐらい確認できるんじゃないか。誇張ではなく、本当にそれくらいの密度でいる。
それはもう、「節操がない」と言ってしまっていもいいくらい。これだけやたらめったらキャラクターが描かれている、
そんな事例は初めてだ。まるで室蘭はくじらん教の宗教都市なんじゃないかってくらいの勢いなのだ。異様である。

市役所の撮影を終えると、室蘭駅へと歩いていく。歩きながら、この街がなっちの聖地かー、と思うのであったことよ。
で、室蘭駅。かなり新しい雰囲気だと思ったら1997年の竣工。とりあえず中に入って地図を確認してみる。
室蘭では室蘭駅の旧駅舎が観光案内所として利用されている。それを押さえるべく位置関係を確認すると、駅を出る。

 室蘭駅。駅がここになったのは最近だからか、周辺は妙に閑散とした雰囲気。

かつての室蘭駅はさらに約1km西へと進んだ場所にあった。つまり旧駅舎だけを残し、室蘭支線は短縮したのだ。
もっとも、今の室蘭駅のある場所は初代駅舎の位置なんだそうで、そういう意味では由緒正しい場所にあるわけだ。
道道699号をトボトボと歩いてさらに先へと行くと、かなり迫力のあるトタン葺きの屋根の駅舎が見えてきた。
1912(明治45)年竣工で、室蘭駅の駅舎としては3代目になるのだそうだ。微妙に和洋折衷なのが面白い。
現在は室蘭観光協会の観光インフォメーションセンターとして使用されている。

  
L: 旧室蘭駅舎。けっこうリニューアルしてあるが、扉の古めかしさがすごくいい。扉って古いパーツが残りやすい箇所だよな。
C: 内部は展示スペースとしても活用されている。反面、駅っぽさはそれほどなくなってしまっている感じもある。
R: 裏側はこんな感じ。かつてはここに線路が敷いてあったわけだ。なんとなく、それっぽい空間にはなっている。

市街地の地図がいくつかあったので、それをもとに、アーケードの商店街を目指す。でもその前に、神社に寄ってみる。
旧室蘭駅舎の向かいにある室蘭産業会館の脇の階段を上がっていくと、室蘭八幡宮の鳥居があるのだ。
鳥居をくぐると、なかなか厳しい石段が続く。昨日の夕張神社もそうだったが、北海道の地方都市の神社は、
街を見下ろす高台の上につくられる傾向があるのかな、と思う。室蘭八幡宮は函館八幡宮を勧請した神社で、
1874(明治7)年に漂着したクジラを開拓使に売って造営費用を賄ったため「鯨八幡」とも呼ばれているそうだ。
なかなか面白いエピソードだと思う。むしろそっちを正式な名前にした方が観光客を集められると思うのだが。

  
L: 室蘭八幡宮の鳥居。北海道の神社というのも、きちんと調べていけば、社会学的にはかなり興味深い対象であると思う。
C: 室蘭八幡宮の拝殿。今の拝殿は1938年竣工なので、クジラ資金で建てたものとは別物。でもかなり立派ですな。
R: 室蘭中央通りの商店街。駅との間の浜町商店街にはかつてアーケードが架けられて大いに賑わったというが……。

室蘭八幡宮への参拝を終えて、そのまま市街地へと下りる。そこは商店街だったが、誰ひとり歩いていなかった。
時刻は11時半。昼メシをいただくには絶好のタイミングだ。さっき観光案内所で確認しておいた室蘭名物をいただく。
中央通りの商店街から少しだけはずれたところに、「味の大王 本店」がある。ここでカレーラーメンをいただくのだ。
暖簾をくぐって店内に入ると、ムダなく配置されたカウンター席もテーブル席も、かなりの混み合いぶりとなっている。
商店街なんて誰も歩いていなかったのに、この繁盛ぶりはすごいなあ、と驚いた。そうとうな人気店なのだ。
周りのお客さんはみんな、ただ「カレー」とだけ声を発して注文。カレーラーメンは地元密着の名物のようである。
僕は一見さんらしく「カレーラーメン、大盛で」と注文。待っている間にも客はどんどん押し寄せる。そして、「カレー」。
こりゃもう、いやがうえにも期待は高まる一方だ。空腹のせいもあったけど、待つのが本当につらかったです。

で、ついにカレーラーメン大盛が登場。まずドライカレーで炒めてあるモヤシからいただく。うむ、カレーだ。
麺は黄色い縮れ麺。カレースープは少し甘めの味付けになっているが、複数のスープを混ぜているのか複雑な味わい。
夢中でおいしくいただいたのだが、正直な感想としては、たぶんこの店はほかのラーメンも間違いなく旨いはずだ。
正油ラーメンも正統派でおいしいだろうし、味噌ラーメンも塩ラーメンも高いレヴェルで食べさせてくれる予感がある。
そういう店だと思った。だからカレーラーメンは、この店の魅力のほんの一部でしかないんじゃないか、と思うのだ。
なんだか変な感想なんだけど、確かに名物でおいしかったんだけど、カレーラーメンを食ってもったいなかったかも、
そんな気もした。まあつまり、カレーだけで完結することのない味の深みってものに触れたってことなのだ。
もっとも、そんなことを考えたのは、僕がこの旅行中にカレーばっかり食っているせいかもしれない。
僕はすっかり忘れていたのだが、夕張でカレーそばを食い、札幌でスープカレーを食って、室蘭でカレーラーメンなのだ。
そりゃあ飽きもくるはずだ。僕がその事実に気がついたのは、店を出た直後のことなのであった。われながら、鈍い!

 
L: 室蘭名物・カレーラーメン。室蘭近辺の6割のラーメン屋には、カレーラーメンがメニューにあるんだそうだ。
R: よく見たら、カレーラーメンののぼりを持つボルタがいた。結局この旅行ではボルタを買うことができなかった……。

というわけで、ボルタについてもふれておこう。室蘭はもともと新日本製鉄や日本製鋼所による製鉄業の街として知られる。
そんな室蘭にある室蘭工業大学の学生が、体験溶接でボルトの人形をつくっちゃったことがきっかけなんだそうだ。
これが市民団体によって製品化され、公募で「ボルタ」という名前がつき(正式名称は「ムロランワニシボルトマン」)、
室蘭発の人気キャラクターとなったのである。目がプラスのネジで、やや『21エモン』のゴンスケ風である。
第1弾の「考えるボルタ」に始まり、現在は100種類を超えるさまざまなボルタが製作・販売されている。
(スペシウム光線のボルタ、相撲にうるさいボルタ、ラブ・イズ・オーバーのボルタ、大根を抜くボルタなどなど。)
さらには女の子キャラクターの「ナッティ」まで登場。ボルタ人気はかなりのもののようだ(⇒公式ページはこちら)。

室蘭駅に行けば売店でボルタを売っているんじゃないのか、と単純に考えていたのだが、残念ながらなかった。
結局、ボルタを売る店を見つけることができないまま北海道から戻ってきたのだが、日記を書くために調べてみて、
思わず腰が砕けた。室蘭市内のサンクス各店、市役所、東室蘭駅のキヨスクなど、そこらじゅうで売っていた。
むしろ室蘭駅だけは売っていない、そんな感じだったのである。さらに札幌の旧道庁赤れんが売店でも売っているし、
新千歳空港でもバッチリ売っていたのであった。夕張のホテルマウントレースイにもあるらしいし。なんだよ、もう。

閑話休題。そろそろ列車が出る時刻だ、ということで室蘭駅の改札を抜けてホームに立つ。高校生だらけである。
地球岬にカレーラーメンにと、いちおう室蘭観光のツボは押さえたつもりだ。しかし市街地にあまりにも観光資源がない。
街はやや閑散とした雰囲気があるものの、若者の姿が多くて活気はそれなりにある。なんだかもったいない街だ。
もうちょいなんとかならんもんか、と思っていると、列車は室蘭駅を発車する。

 室蘭における最果て。今回の旅行は毎日最果て三昧だわ。

室蘭から15分ほどで東室蘭駅に到着。ここで40分ほど列車の接続待ちということで、せっかくなので改札を抜ける。
東室蘭には「中島町」という、昭和40年代以降に発展した市街地があるのだ。その分、中央町が衰退したわけだ。
せっかくなので東室蘭駅からまっすぐ北西へ歩いていき、中島町の中心部付近まで往復してみることにしたのだ。

東室蘭駅から中島町の中心部までは少しだけ距離がある。歩いていると、ふつうに地方都市の中心部という雰囲気。
やはりわざわざ室蘭支線の終点まで行くよりは、函館と札幌をつなぐ幹線の途中にある方が便利なのだろう。
知利別川を渡ると、中島町の1丁目へと入る。雰囲気としては、郊外のロードサイドな雰囲気と商店街らしさ、
両方がけっこう独特にブレンドされた風味の街だった。じっくり体験する時間をとらなかったのが悔しい。
近くに新日鉄のアパートがいっぱい建ち並んでいて、住民の皆さんにはかなり利便性が高そうだ。
賑わいがコンパクトな分、また有利。まあこりゃ確かに、中央町にしてみればたまったもんじゃないわな。

  
L: 東室蘭駅(西口)。中島町はここから1km弱。東口もイオンがあるなど元気いっぱい。
C: 駅からまっすぐ行ったヤマダ電機周辺。従来の商店街を小ぎれいにリニューアルしました、みたいな印象。
R: 左に曲がって中島通り。ちょっと郊外ロードサイド的な匂い。この先は商業施設が並ぶエリアになるけど、行く余裕なし。

東室蘭を出て1時間、14時過ぎに苫小牧まで戻ってきた。今日は日が暮れるまで苫小牧の街歩きをするのだ。
苫小牧駅の周辺は2年前にもフラフラしているのだが(→2010.8.12)、市役所にはまだ行ってない。
室蘭同様、苫小牧も市街地にこれといった観光名所がない街なのだが、まあテキトーに歩いて過ごすことにする。
いちおう駅ビルの中にある観光案内所に寄って、パンフレットと地図をいくつかゲットする。
苫小牧の名所となると郊外のウトナイ湖ということになるようだ。苫小牧グルメはもちろんホッキ貝。
でも、どちらも公共交通機関に頼る一人旅にはイマイチ向かない感触である。それはまたいずれ、ってことにしよう。

苫小牧駅の南口から出て、そのまままっすぐ南下していく。と、ミスタードーナツの前に人が集まっている。
妙に若い女子が多い。いったいなんだこりゃ、と思っていたらバスがやってきて、大量の人間を出して乗せて発車。
バスには「イオンモール行き無料送迎バス」とある。なるほどと納得したが、それは「苫小牧らしさ」の序章にすぎなかった。

  
L: 苫小牧駅をあらためて撮影。駅周辺はこれから再開発が行われるのか空洞化しているのか、微妙な雰囲気である。
C: 駅からまっすぐ南下していったところで振り返る。そう、苫小牧の道はとにかくやたらと広いのだ。
R: 国道36号にて。右手に見える背の高い建物は苫小牧市役所。苫小牧は全体が郊外社会になっている感じ。

Googleマップを見ても、苫小牧の道の広さはとにかく別格だ。そして実際に歩いてみると、これが本当に遠い。
前も書いたが、苫小牧は八王子千人同心が移住・開拓した街としてスタートしたのだ。開拓という経緯があるためか、
とにかくスケール感が異様に大きい。街路の大きさが歩行者のスケールではない。でもスカスカ感はあまりない。
感覚的には、福島県の郡山(→2010.8.29)に近いものがある。ただ、苫小牧は大規模な施設が多いという違いもある。
ホテルや病院、スケート場などの大規模な施設が広い道路の中に点在していて、住民の生活感もなくはないのだが、
どちらかというと埋立地っぽい「勢いに乗って開発された」という匂いが濃い。でも本物の埋立地にあるような、
「人間の管理から逸脱する植物」(→2008.7.27)は一切ない。これはおそらく、王子製紙の力によるものだろう。
(現在の王子製紙は、初代・王子製紙の後継会社として設立された苫小牧製紙が母体となっているのだ。)
苫小牧の市街地は、王子製紙がきっちりとコントロールしながら大規模施設を並べていって今の姿になったのだろう。

しっかりと歩かされて予期していた以上の疲れを感じつつ、どうにか苫小牧市役所に到着した。
少し距離をとりながら敷地を一周するように、さまざまな角度から撮影してみる。

  
L: まずは国道36号に面する北側から。手前の低層の建物が北庁舎で、奥の高層の建物が南庁舎。南庁舎の設計は岡田新一。
C: 東側の駐車場越しに撮影。低層と高層の差がくっきり。高層の南庁舎は12階建てで、てっぺんは展望回廊。11階は議場。
R: 南西側より撮影。背の高い建物も余裕を持って撮影できるくらい、苫小牧の道は広いってわけですな。

苫小牧市役所は北庁舎が1970年、南庁舎が1983年の竣工。市のHPに詳しい変遷が載っている(⇒こちら)。
それによると、もともとこの場所に市役所が建設されたのが1952年で、今の北庁舎はそこに増築されたものだ。
で、その後に南庁舎が北庁舎に増築する形で建設されたというわけだ。なかなか面白い事例である。

 西側より撮影。北庁舎と南庁舎をつなぐのはロビー棟。

撮影を終えると、さらに東へと歩いてみる。さっきも書いたように、苫小牧の市街地にこれといった名所はない。
でもまあせめて苫小牧市民文化公園までは行ってみようと思ったのだ。で、その途中にあるのが苫小牧市総合体育館。
弓道場は大会の真っ最中のようで、袴姿の高校生らしき皆さんが集まっている。正面にまわり込むと、カメラを構える。
苫小牧市総合体育館は1973年、太田實の設計により竣工。この年は苫小牧市の開基100周年ということで、
かなり大規模に都市開発事業が行われていたようだ。白と黒のツートンカラーに苫小牧市章が取り付けられ、
苫小牧市がスケート以外のスポーツについても力を入れているのが感じられる建物である。

 
L: 苫小牧市総合体育館。  R: 側面には苫小牧市章。これがかなり目立っているのだ。

総合体育館の敷地から市民文化公園へと抜けていくことができる。緑が多く、すぐに公園に入ったとわかる。
やはりこの公園も1973年の開基100周年が建設のきっかけとなっている。図書館や博物館などの文化施設があり、
のんびりと過ごしている家族連れの姿も多い。みんな車で来ているんだろうな、と思う徒歩な僕。

面白いのは、図書館に併設されているサンガーデンという施設。図書館とともに1988年に竣工しており、
設計したのは苫小牧市役所と同じく岡田新一。中はそれほど大規模ではないが、無料の植物園となっているのだ。
2階には椅子とテーブルが置かれており、勉強する学生の姿も。なかなかうまい場所をつくったもんだ。

  
L: 苫小牧市民文化公園。芝生に噴水、その周囲を図書館や博物館などの公共施設で囲んでいる。
C: サンガーデンの外観。図書館にこういう建物をくっつけた事例は珍しい。なかなか面白い可能性を感じる。
R: サンガーデンの内部。喫茶店があり、のんびり過ごすことが可能。もうちょっと規模を大きくしてほしい気もするなあ。

市民文化公園はこれでクリアということにして、のんびりと西へと戻っていくことにする。
せっかくなので途中にある苫小牧市白鳥アリーナの前を通ってみる。苫小牧はスケート、特にアイスホッケーが盛んだが、
白鳥アリーナはスケートも屋内競技もできる施設として、1996年、王子製紙の社宅跡地にオープンした。
設計したのは久米設計と王子不動産のJVということで、やはり苫小牧における王子製紙の力は強大なのだ。
そしてこの白鳥アリーナは、アイスホッケーチーム・王子イーグルスの本拠地になっている。
王子イーグルスは昨シーズンのアジアリーグで優勝。末永くがんばってほしいものである。

 苫小牧市白鳥アリーナ。とにかく幅があるけど、撮影しやすい。苫小牧広すぎ。

西へ西へと歩いていくと、市街地の背景に白と赤で交互に彩られた巨大な煙突が見えてきた。
いわゆる「王子の煙突」で、苫小牧のシンボルにもなっているという。前にもデジカメで撮ったが(→2010.8.12)、
高さ200mというこの煙突の誇らしい姿は、そのまま王子製紙の力の象徴なんだな、と思う。

 苫小牧市街から眺める「王子の煙突」。1974年完成。

フラフラと引き寄せられるように、そのまま王子製紙の工場方面へと歩いていく。
と、緑の木々に包まれて、絵に描いたような団地があるのに出くわした。子どもたちが遊んでおり、なんと、
女の子たちは「花いちもんめ」をやっているではないか。完全なる昭和の風景に、思わず感動してしまった。
苫小牧の街路が大規模で大雑把なこともあり、団地の隅々にある緑はどこか開拓時代からの野性味を感じさせる。
2年前に旭川の「川村カ子トアイヌ記念館」を訪れた際にも、その匂いが強く漂っていた(→2010.8.10)。
「高原の別荘地にやや似た独特な『放ったらかし』の雰囲気を感じた」と書いたのだが、その感覚がしたのだ。

  
L: 王子製紙の工場近くにある団地の風景。昔ながらの感覚が、今も色濃く残っていると思うのだ。
C: 子どもたちはこういう空間で「花いちもんめ」をやっていた。  R: 団地エリアから眺める王子製紙の工場。

この周辺には、「山線」と呼ばれた軽便鉄道の機関車が今も置かれている。
なんでも王子製紙が1908(明治41)年に千歳発電所を建設する際(今も王子製紙は発電所を持っているのだ)、
これを使って機材や物資を運んでいたそうだ。1996年に東京の「紙の博物館」から苫小牧に戻ったとのこと。
そこから通りに出ると、カルチャーストリート。苫小牧でようやく人間らしいスケールの商店街を目にした気がする。
でもちょっとさびれ気味な感触がなくもない。都市のスケールの問題は、考えるとキリがないなと思いつつ駅まで戻る。

 
L: 山線。地元で愛されているらしいのだが、そのわりには少し奥まった位置にひっそり置かれている印象。
R: シンボルストリートで苫小牧駅まで戻る。苫小牧みたいな広すぎる街だと、商店街も苦労すると思う。

苫小牧駅まで戻ったときには、正直なところ、けっこう足が疲れていた。やはり広い街をバカ正直に歩いていくのは大変だ。
明るいうちに札幌駅まで戻ることにする。駅からすすきのの宿まではまた歩くことになるので、列車内でしっかり足を休める。

札幌駅に到着すると、空が暗くなりはじめたところ。急ぎ足で大通公園を横切り、久しぶりに「味の三平」に突撃。
老舗なので18時半前に閉まってしまうのだ。どうにかギリギリのタイミングで暖簾をくぐると、すぐに閉店準備が始まる。
僕が本日最後の客となったのであった。今回は常連が好んでいると思われる正油ラーメンをあえて注文してみる。

 やっぱり大盛。酸味の利いたキムチがついてくるのは相変わらず。

感想としては、やはり独特の味である。醤油の風味はそれほど強いわけではなく、なんとも不思議な味だ。
味噌ラーメン(→2010.8.7)から味噌を抜いた味そのままという印象で、いまいちパンチが弱い気もする。
まあこれは「味の三平」の味噌ラーメンが旨すぎるからしょうがないのだ。味噌ラーメンの旨さをあらためて実感さ。

しっかり食って満腹になると、歩きどおしで疲れたので、さっさと宿に戻って明日に備えることにした。
途中でセイコーマートではないコンビニに寄ってみたところ、紙パック飲料のコーナーで衝撃的な光景を目にした。
北海道でソフトカツゲンを売っているのはごくごく当たり前の光景なのだが、そのすぐ近くに、なんと、ヨーゴがある!
ヨーゴは沖縄で売られている乳酸菌飲料で(→2007.7.21)、期間限定なのだろうが全国のコンビニで売っているみたい。
僕の夢であった「ソフトカツゲンとヨーゴの飲み比べ」(→2010.8.8)がこんなに簡単に実現できるチャンスが来るとは!

 まさに夢のコラボレーションですよこれは!

宿でさっそくソフトカツゲンとヨーゴの飲み比べ大会を開催する。まずは北海道代表・ソフトカツゲンから。
飲んでみると少しトロトロ感があり、乳酸菌飲料らしいのどごしである。前にも書いたように微妙なラムネ風味があるが、
「ラムネを乳酸菌で包んだ」とでも表現できそうな味である。主役はあくまで乳酸菌なのだ。
対する沖縄代表・ヨーゴはというと、非常にサラサラ感のある液体で、ラムネの味の印象がかなり強い。
森永乳業の製品だけあってか、「マミー」のキャラメルがラムネに置き換わった感じ、と表現できそうだ。
(ちなみにソフトカツゲンは、雪印乳業→日本ミルクコミュニティ→雪印メグミルクの製品。)
ヨーゴはパックに書かれた「あまずっぱくて、すっきりおいしい。」というキャッチコピーそのままの味である。
多少強引ではあるけど、ソフトカツゲンにはサッポロビール的な「正統派の味を求める」気質を感じる。
対照的に、ヨーゴにはオリオンビール的な「ドライ最優先」という気質を感じる。強引だけど、本当にそう思う。
というわけで、ソフトカツゲンとヨーゴを実際にその場で飲み比べてみると、全然違う。これは面白い発見だった。


diary 2012.6.

diary 2012

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