diary 2012.6.

diary 2012.7.


2012.6.30 (Sat.)

梅雨のない世界に行きたかったんですよ。
東京はあまりにジメジメしていて、グラウンドの隅っこの砂場はずっと水溜りになっていて藻が生えだしている。
そんな天候の中、テスト前の休みを取ったところでどこへ行っても楽しめるわけがない。さあ困った。
……と思った次の瞬間には閃いちゃうわけですね。「北の方には梅雨のない世界があるっていうよ!」
中間テスト前に休めなかった分、ここは一丁飛んじゃいますか!ということで、ドキドキしながらも羽田空港へ。
目指すは北の大地・北海道なのだ。AIR DOよ、僕を梅雨のない世界に連れて行っておくれ!

AIR DOの始発に乗ったのだが、羽田空港に着いたときには思ったほどの余裕がなくって少しだけ焦った。
でもスムーズに手続きを済ませると、飛行機はすんなりと離陸した。久しぶりのジェットの感覚に汗がにじむ。
朝の飛行機はミニチュアの都心を後にすると、田畑の広がる関東平野の上空へと入っていく。
そのうちにびっしりと緑に包まれた山々が眼下に広がるようになり、どこを飛んでいるのかがわかりづらくなる。
それでも湖のすぐそばに鋭い山がそびえる光景を見て、中禅寺湖と男体山はきちんと見抜くことができた。
やがて意外と小さく見える猪苗代湖が現れて、磐梯山の裏側に桧原湖も姿を現した。
3年前には移動教室で訪れた場所である(→2009.6.11)。思わず懐かしい気分に浸ってしまう。
しかし震災と原発事故の影響で、ここを移動教室で訪れることはしばらくないだろう(菅平に変更になった)。
なんだか悲しくなって目を閉じたら軽く眠ってしまい、着陸態勢に入ったところで起きた。
東側は晴れているのに西側には分厚い雲がかぶさっており、飛行機はカーヴを描いて厚い雲の中へ切り込む。
新千歳空港は東京とさほど変わらない曇り空の下にあった。北海道は梅雨のない世界じゃなかったのか。

さてその北海道だが、何もテーマを設けないで訪れるのはもったいない。そこで今回は、3日間の旅程それぞれに、
「最果て」を感じさせる場所をメインとして組み込んでみた。最果てというとまあふつうは岬巡りなのだろうけど、
初日はなんといきなり夕張である。陸の最果て、あるいは財政難の最果て。納得していただけましたでしょうか。

 北の大地 3days 1/3: 夕張

ほぼ定刻どおりに新千歳空港に到着した。できるだけ夕張での行動時間を長くするため、あえて新札幌まで出る。
新札幌からは夕張鉄道の路線バスが出ているので、それを利用しようというわけだ。鉄道より1時間以上早く着く。
僕は初めて知ったのだが、新札幌駅の下は大規模なバスターミナルとなっていて、バスがひっきりなしに出入りしている。
少し時間に余裕があったので向かいのコンビニで飲み物でも買っておこうかと思って外に出たら、寒い。
夕張をレンタサイクルで走りまわるつもりだった僕は、プラクティスシャツにプラクティスパンツという恰好だったのだが、
(つまり、the サッカー部な恰好でそのまま飛行機に乗っていたわけだ。靴もトレーニングシューズで完全にサッカー部。)
シャツ一枚だと北海道はしっかり肌寒いのであった。バスターミナルは全面ガラスで覆われていたので気づかなかった。
そしてやはり、東京と比べると湿度が段違いに低い。空気にジメジメした感触は一切ないのだ。
やっぱり北海道は北海道だわ、と体感すると同時に、バスターミナルの寒さ対策の徹底ぶりにもあらためて驚かされた。

バスが僕だけを乗せて新札幌駅を出発したのは午前9時半。ここから約1時間半をかけて夕張へと向かうのである。
走り出したバスの窓から常口アトムの看板が見える。それで「ああ、北海道へ来たんだなあ」と実感する。
いったん逆方向へ行き大谷地バスターミナルで女性を2人乗せてから東へ。国道274号を走って女性1人を乗せ、
北海道道3号にスイッチ。由仁駅で女性2人が降りて、そのまま夕張に入ったのは僕ともう1人だけなのであった。
夕張市の市街地は、石狩平野東端の山地を越えたところにある川に沿って南北に延びている。
山をグイグイ登って夕張市街を目指していると、確かに石炭産業がなくなった後の夕張の不便さが身にしみる。

 この山を越えた先に夕張市街があるわけだ。

バスは夕張市街の実に中途半端な位置にある夕鉄本社バスターミナルでストップ。北の夕張駅までまだ4kmもある。
僕はてっきり夕張駅まで運んでもらえるものと思い込んでいたので、予測していなかった事態に軽く途方に暮れる。
しかし10分ほど待ったら北へ行くバスがやってきた。北海道名物のガラナジュースを飲みつつ夕張駅まで揺られる。
たった4kmで240円という運賃に夕張の財政の厳しさを実感したが、とりあえず駅には到着した。街歩き、スタートだ。

  
L: 立派なホテルマウントレースイと、その手前にある小さな夕張駅舎。駅舎といっても駅の機能はなく、カフェと観光案内所のみ。
C: 駅舎を出てすぐにある夕張市内の観光案内板。夕張の誇るやりたい放題・メロン熊(⇒詳しくはこちら)が大活躍である。
R: まずは今回の旅行で最初の最果て。昔は石炭の歴史村の辺りにまで線路が延びていたそうだが、今はこんなに質素。

まずはなんといってもレンタサイクルの確保だ。「ホテルマウントレースイで借りることができる」という情報を得ていたので、
さっそくお邪魔してフロントに訊いてみる。けっこうそういう観光客は多いみたいで、マウンテンバイクを貸してもらった。
ありがたかったのは荷物を預かってくれた対応。コインロッカーはスキー客の来る冬季にしかやっていないそうなのだが、
快く僕のガラクタセットを預かっていただいた。レースイ最高、レースイ万歳。本当にありがとうございました。

さあ、予定どおりに足を確保した。夕張でまず最初に目指すのは、ズバリ、三弦橋だ!
夕張市街からは山地を川沿いにまわり込んだ東側にあるシューパロ湖に架かる橋なので、めちゃくちゃ遠い。
常識的には、レンタサイクルで行く場所ではない。でも無理して行っちゃう。そのためのこの恰好だ。覚悟はできている。
なぜこの三弦橋にこだわっているのかというと、この橋、来年に夕張シューパロダムが完成すると沈む運命にあるから。
保存運動もあるけど、おそらく沈んでしまうだろうな、と思う(そうなると僕みたいに物好きな観光客が減るだろうに)。
確実に見られる今のうちにぜひ見ておこう、というわけだ。気合を入れると、いざ出発。

自分で言うのもナンだが、それはもうめちゃくちゃな勢いでペダルをこいで一気に南下。
さっきの夕鉄本社バスターミナルなんぞ、ものの3分ぐらいで通過。とにかく時間がもったいないのでぶっ飛ばす。
しかし夕張市街の中心を貫く道道38号は意外と起伏が多く、上り坂では少し苦しむ。
サドルが低いのと自転車じたいが重いのが、苦しむ原因。でもしょうがないからガマンするしかない。
あっという間に清水沢駅前を抜け、左折して国道452号に入る。ダム湖沿いの何もない道を黙々と突き進むのみ。
走れども走れども進んでいる感触はしない。わかっちゃいたけど、これはつらい。手応えがまったくないのだ。
つらい描写が続くだけなので愚痴はそれぐらいにして、まだ進む。遠幌を抜けて南部に着いたら正午になった。

 
L: 国道452号をぶっ飛ばす(写真は実は帰り道で、西向き)。まあだいたいこんな感じの道を走っていくわけ。工事車両多し。
R: 夕張駅を出て約40分で南部に到着。かつての賑わいがまったく想像できない、穏やかな風景となってしまっている。

さてこの「南部」という地名、いったいなぜそうなったのかというと、ここが「南大夕張」、略して「南部」だから。
じゃあ「大夕張」とは何かというと、シューパロ湖の上流にあった集落だ。地名としては夕張市鹿島になる。
最盛期の人口は実に約2万人にのぼったというが、1973年に三菱大夕張炭鉱は閉山となる。
そして上述の夕張シューパロダム建設のために1998年に全住民が移転して無人地区となってしまったのだ。
南大夕張こと南部地区も、1990年に三菱南大夕張炭鉱が閉山となったことですっかり閑散としている。
しかし過去の栄光を示すものが、今も南部にはしっかりと残されているのである。それは、南大夕張駅の跡だ。
1987年に三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は廃止となったが、その車両が保存されているのだ。
中には大夕張鉄道の写真を中心に豊富な資料が展示されている。客車もきれいな状態にしてある。

  
L: 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線・南大夕張駅跡に残る車両。先頭は見てのとおり、雪かき車なのだ。
C: 内部の展示の様子。その丁寧な内容ときれいな保存ぶりから、地元の誇りが実感できる。
R: 定番ですが、駅名標とレンタサイクルを記念撮影。客車にはきちんと三菱マークが入っていたよ。

南大夕張駅跡から少しだけ先に行ったところ(ほぼ隣)には、夕張シューパロダムインフォメーションセンターがある。
実はここ、けっこう楽しみにしていた施設なのだ。まず、大夕張の昔の写真が見られるというのが興味深い。
それからシューパロダムの工事の様子がディスプレイに映し出されているのだそうだ。なかなか面白そうだ。
しかし何より、石炭がもらえるっていうじゃないの! 夕張産の石炭! そんなもん、欲しいに決まってるじゃねーか!
そんなわけで鼻息荒く建物に近づいていったら、ドアに張り紙。「休館日:土日・祝日」……社会人なめんなや!
ということで、かなりしょんぼりしながらさらに先へと進むのであった。欲しかったなあ、石炭……。

どうにもならないものはどうにもならないので、気合を入れてシューパロトンネルの中へと突撃。
事前にGoogleマップで確認したところ、このトンネルを抜ければ三弦橋を見ることができるはずなのだ。
トンネルは妙に新しい。そして「全長2310m」と案内板に書いてある。テンション最大だった僕はそんなの気にせず、
「おう、2kmがなんぼのもんじゃ、オラ!」と飛び込んだのだが、いま冷静にGoogleマップを見ると、明らかにおかしい。
Googleマップのシューパロトンネルは500mもないのだ(正確には449m)。いろいろ調べた結果、以下の事実が判明。
国道452号は2011年12月16日をもって新たなルートに付け替えとなったのである。Googleマップは付け替え前なのだ。
それまで夕張川とシューパロ湖に沿うように約90°の角度で西から北へと大きく曲がっていた国道452号は、
2009年3月竣工だという新たなシューパロトンネル(3代目だってさ)によってしっかりとショートカットしたのである。
その結果が2310mという距離なのだ。しかしこのときの僕はそんな事実を知らずにトンネル内をレンタサイクルで爆走。
さすがに最新鋭とはいえトンネルの中を自転車で走るというのは、純粋に怖い。とっても恐怖を感じる行為なのだ。
「やっぱりトンネルの中は異様にヒンヤリしておりますなあ!」などと叫んで気合を維持して走り続ける。
途中で何台か車が僕を追い越していったが、遠くの段階から音がけっこうすごく、追い立てられる恐怖感がイヤだった。

 2310mがなんぼのもんじゃああああ!!!

そんなこんなでトンネルを抜けると、三弦橋を探して振り返る。Googleマップの感覚だとわりと間近に見えそうだが、
実際に眺めたらずいぶん遠い。シューパロトンネル分の距離だけ離れたわけだからそれは当たり前なんだけど、
国道付け替えの事実を知らなかったそのときの僕は、なんか変だな?と思うのが精一杯。こりゃどうにもならん。
旧シューパロトンネルを抜けた旧国道452号と比べると、2kmほど離れた位置から眺めることになるわけだ。
それにしても角度が急で、三弦橋の全貌がうまく見えない。もうちょっと先へ進めばきちんと見えるかなと思い、
千年(ちとせ)橋という橋を渡ってあらためて三弦橋に向き合う。デジカメのズームをほぼ最大にして撮影。
もっと前に来ていれば、もっと近いところから撮影できたんだろうな、と思う。でも後悔してもどうしょうもない。
ここは素直に、水没する前にその姿を直接目にすることができたことを喜んでおこうじゃないか。

  
L: 快晴の空の下、美しい色をたたえるシューパロ湖。夕張シューパロダムが完成するとさらに大きくなる。
C: まっすぐズームしていった先にようやく現れる三弦橋。もう遠くて肉眼じゃほとんどわからんです。淋しいもんだ。
R: 最大ズームでその姿を撮影してみる。うーん、この程度じゃあその価値をきちんと把握した気にはなれないよ。

もし余裕があればさらに先、ダムの完成とともに沈む予定となっている大夕張・鹿島地区まで行こうかと企んでいた。
しかしシューパロトンネルを通って眺めた三弦橋がこの結果、ということで、イヤな予感しかしなかったので、パス。
撮影を終えると気合を入れ直し、おとなしくシューパロトンネルへと戻る。できるだけ早く夕張市街に戻ろう。
そしてちゃんとメシを食って、夕張の観光名所をあちこち味わおう。そう決心してペダルを踏みしめ、トンネルの中へ。
帰りはただ黙々とペダルをこいで、夕張市街までのキロ表示板をカウントダウンしながらひたすら走る。
どう考えても僕は三弦橋のために20km以上の距離を走ってきているわけで、それをまた一気に取り戻す。
高緯度とはいえ日差しはしっかり夏のものだ。湿度がないのが唯一の救いである。本当にハードな体験だった。

途中の清水沢駅近くにあるセイコーマートでスポーツドリンクを補給。水分と糖分を摂取すると、そのまま清水沢駅へ。
さっき夕張駅の観光案内所で、清水沢駅の駅舎内で三弦橋の写真展をやっているという情報を得ていたので、
せっかくなので寄って見てみる。遠景からでは確認できなかった三弦橋の近影写真を眺めるが、どれも面白い。
遠景ではまったくわからないが、三弦橋のオリジナリティは、その断面が三角形になっているところにあるのだ。
こんなシンプルで美しくてほかに例のない橋が簡単に消えようとしていることが、なんとも切ない。
オレは実物をこの目で見たぜ、と言える経験をしたことが、ようやく誇らしく思えた。行ってよかった、と心から思ったよ。

  
L: 清水沢駅に展示されていた写真をいくつか撮影しちゃいましたゴメンナサイ。  C: 断面が三角形の橋なんて初めて見たよ。
R: 三弦橋は1958年に完成したのだが、ここを走る森林鉄道が1963年に廃止となったため、わずか6年で使用されなくなった。

清水沢駅まで来たので、あとは道道38号を北上していくだけ。でもこの道は上述のように起伏が多いとはいえ、
当然ながら全体的には上りになっているので、重くてサドルの低いレンタサイクルには非常に厳しい。
メシ食いてえという思いと根性だけでペダルをこぎ続けるが、途中にある観光名所にはきちんと寄る。
最初は行くつもりはなかったのだが、せっかくだし、ということで「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」に行ってみる。
これは山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)のロケ地を観光地としている場所だ。
申し訳ないことに僕はまだこの作品を見ていないが、今後の勉強ということで先にロケ地を見ることにしたのだ。

  
L: 「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」の入口。いかにも夏の北海道って感じが出ていますなあ。
C: ラストシーンの舞台になったという炭鉱住宅(「炭住」と呼ばれたそうな)。この中がかなり凄いことになっているのだ。
R: 映画を見たことのない僕でも、さすがにこの光景は知っている。興奮している年齢層高めの夫婦がけっこういた。

炭鉱住宅は「幸福を希うやかた」という名前になっている。そのセンスはどうかと思う。ふつうでいいのに。
で、中に入ると全面真っ黄っ黄の中に、これまた真っ赤なファミリア。なかなかに異世界である。

 
L: 建物の中は願いごとが書かれた無数の黄色い紙で覆われている。赤いファミリアとの対比が凄い。
R: 奥には高倉健と倍賞千恵子の人形が。もうちょいなんとかならんですか。ほかにも映画の資料が多数展示されている。

映画に感動した人ならいいと思うんだけど、東京に帰ってから見ようと考えている僕にはネタバレの宝庫でしかない。
これは夕張に来る前にきちんとDVDを見ておくべきだった!と後悔したのであった。いやなんかホントに申し訳ないわ。
「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」までは冗談抜きで猛烈な上り坂になっているのだが、その分、帰りは楽ちん。
一気に下って道道38号に復帰すると、再び勢いよく夕張駅へ向かって走りだす。目指せ昼メシ。

ところが鹿ノ谷駅の近くに来て、「夕張鹿鳴館」の看板を発見。行くしかないわな。昼メシはまたもおあずけ。
脇道に入ってやっぱり坂を上って、夕張鹿鳴館に到着。夕張で炭鉱を経営していた北海道炭礦汽船が、
1913(大正2)年に「北炭鹿の谷倶楽部」として建てた施設だ。一般公開されたのは1994年から。
しかし現在もレストランや宿泊施設が営業をしており、現役バリバリのセレブ向けな空気が漂う空間となっている。
なんというか、いい意味で敷居の低さがない感じ。風格がきちんと残っている。でも遠慮なくあちこち歩きまわるよ!

  
L: 夕張鹿鳴館を正面から。かつては上流階級の皆さんしかこの姿を見られなかったそうな。日本は階級社会じゃのう。
C: 昭和天皇も今上天皇も宿泊したという部屋。  R: 洋室だけでなく和室もある。調度品も豪華でございますな。

ステンドグラスのランプが置かれた光の回廊にも行ってみる。こっちは少し俗っぽいかな、という印象。
まあでも、かつての夕張の繁栄ぶりを実感するには、これ以上ない施設なのは確かだ。
こういう豪邸や別邸を一般公開した施設はけっこう見ているけど、夕張鹿鳴館は雰囲気が残っているのがいい。

  
L: 庭園も一面の芝がなかなかいい。  C: 階段を上がって光の回廊。  R: 観光客の女性向け、かなあ。オレは好かんな。

夕張鹿鳴館を後にして、道道38号を一気に北上。坂を上って夕張駅前に到着したら、14時を少しまわったところ。
帰りは鉄道を利用するので、観光できるのは残り2時間ほどだ。やはり三弦橋までは尋常じゃなく遠かったぜ。
それにしても実際に走ってみると、夕張の街の印象は寂れきった炭鉱の街というよりも「高原のリゾート」といった感じ。
そういうふうに無理に開発してきたんだからそりゃそうだろうけど、立派な運動施設もあるし、本当にそういう印象。
温泉が武器になるのであれば、この街ももうちょっと活性化するんだろうになあ、と思いながら走っていた。
街の背骨はとにかく道道38号。営業しているのか仕舞屋なのかわからないが、商店と住宅とが入り混じっている。
元気に営業しているのは、名物の夕張メロンを売る店だけ。店の前には車が列をつくって停まっていた。
僕は「食うのが面倒くさい」という理由で、それほどメロンに対して憧れを持っていない。
(小さい頃は緑色が好きで、メロン味は緑色が多かったので、それでメロン味が好きだった傾向はあるけどね。)
だからメロンに群がる皆さんを見て、なんとも違和感がぬぐえなかった。メロン買ってそれで終わりじゃないでしょうに。
そう、夕張はなんでもかんでもメロンだらけだ。道端に転がっている段ボール箱に必ずメロンの絵があるくらいに。
全国的な知名度のある立派な名産品があるのはいい。でもそこに僕は、なんともやりきれない虚しさもまた感じるのだ。
夕張は、プランテーション作物をつくる農場ではないはずだ。でもメロンは圧倒的な存在感を持ってこの街を支配している。
たとえば漁港で有名な街ならさまざまな海産物があって華やかだろう。でも夕張には、メロン以外には何も売っていない。
メロンがかえって問題をややこしくしているように思えた。メロンとは別の軸が、夕張には必要だ。そう思った。

 
L: 北海道道38号、夕張の最も中心的な部分はこんな雰囲気。住宅と商店がただひたすらに並んでいる。
R: メロンを売る店の活気は実にすごい。でもメロン以外には何も売っておらず、「豊かさ」は感じられない光景だった。

夕張駅に到着したのはいいが、肝心の市役所と石炭の歴史村はまだノータッチだ。先を急がねば。
でも食うもんを食わないと動くエネルギーが湧いてこないのだ。というわけで、夕張名物をいただくことにする。
夕張駅のすぐ南には「バリー屋台」という愛称のついている屋台村がある。そこでいただくのは……カレーそば。
どの店も個性があってうまそうで迷ったのだが、名物としてパンフレットがつくられていたカレーそばにするのである。
カレーそばはもともと「藤の家」という店の名物だったそうだが、2009年に惜しまれつつ閉店。
しかしカレーそばを食べたい夕張市民の皆さんが、それぞれの店でその味を再現しようとがんばっているみたい。
つまり、もともと純粋に地元住民の大好物だったものがなくなってしまって、それを再現しようと各店が切磋琢磨しており、
じゃあちょうどいいやってことでそれが夕張名物としてPRされているわけだ。これは非常に独特な経緯と言えるだろう。
でも、変につくられた地方B級グルメよりも、よっぽど正しいエピソードだと思う。失われたカレーそばを求めて。

 とろっとろのカレー南蛮のネギを玉ネギにしたと思えばだいたいOKかな。

大盛をいただいたのだが、確かにかなりのヴォリュームがあったのだが、空腹のせいもあって一気に平らげた。
カレーってのは不思議なもので、飽きずに食えるものだ。スパイスを複雑に調合するせいか、単調にはならないのね。
暑い日に大汗をかきながらピリッと辛くて熱いそばをいただくのは、なかなか刺激的でございました。おいしかったです。

エネルギーを十分すぎるほどに充填できたので、まっすぐ市役所に行かずに、少し遠回りをしてみる。
セイコーマートを左に行くとすぐに市役所の裏側に出るのだが、右から坂を下っていく。
坂の底にあるのは、かつて中学校だった建物だ。そのすぐ先には、やはりかつて小学校だった建物がある。
最盛期の夕張の人口は11万人以上(1955~1960年ごろ)。小学校は最大で26校、中学校も10校あったのだ。
しかし現在の夕張の人口は10,588人で、全国で3番目に少ない(人口密度は最低とのこと)。
財政が破綻した影響もあって、小学校も中学校もわずか1校だけに統合されてしまったのだ。
これだけのジェットコースター的な人口の増減は全国的にもきわめて珍しいはずだ。
今はただ放置されているかつて学校だった建物を眺める。建物の古さは僕の職場とそう変わらないだろう。
かつては当然のものだった子どもたちの姿のない建物の古び方を見て、狐につままれたような気分になるしかなかった。

 
L: 旧夕張中学校。  R: 旧夕張小学校。学校の統廃合ってのは、本当はかなり重要な問題なのだがなあ。

小学校跡を過ぎると今度は一気に上り坂である。もともとが山の中なので、夕張の起伏は非常に激しい。
坂を上りきると少し西へと入る。まず現れたのは、アディーレ会館ゆうばり(夕張市民会館)。
ネーミングライツで法律事務所の名前がつけられたのだが、なりふりかまっちゃいないなあ、と思うしかない。
その隣には夕張市役所。1978年竣工とのことで、当時はこの規模の庁舎を建てるだけの力があったわけだ。
しかしながら、ふつうの庁舎なら無視できないレヴェルで外壁の塗装がはげてきているのにそれを直せていない。
劣化していく建物の姿がこれほどまでにむき出しになっているのは、なかなかショッキングだった。

  
L: アディーレ会館ゆうばり(夕張市民会館)。  C: 夕張市役所。遠くて見ると立派な印象だが、近づくと劣化具合がかなりのもの。
R: 角度を変えて撮影。「夕張市庁舎」で検索すると、市庁舎売却に関するログがいっぱい出てくる。切ないなあ。

 
L: 夕張市役所の裏側。  R: なんと、廃止された夕張図書館。現在は保健福祉センター内の図書コーナーでやりくりしている。

ところで夕張の市役所周辺をウロウロしていると、やたらと目につくものがある。
それは、映画の看板だ。邦画・洋画を問わず、名作映画の看板があちこちに掲げられているのである。
商店の真っ正面はもちろん、駐車場に面した住宅の壁面にも看板があり、どこを見ても必ず視界に入ってくる。
夕張は財政破綻を乗り越えて、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭を現在も開催している。
きっかけはどうだか知らないが、夕張の誇りが形として現れている光景であることには間違いあるまい。

  
L: 個人の住宅にも看板。  C: 空き家の壁面にも看板。本当にめちゃくちゃな数の看板が掲げられている。
R: 商店街にも看板。映画が好きなら、「ぜんぶ見たことがあるぜ!」って言えるんだろうなあ。それはそれでかっこいい。

市役所の撮影を終えたので、あとは残った時間で石炭の歴史村を押さえるのだ。
ペダルを猛烈にこいで北へと爆走していくと、石炭の歴史村の手前でずいぶん広い場所に出た。
駐車場となっているようだが、さすがにこれだけの広さを埋めるほど観光客は来ないだろう、ってくらいに広い。
これはもともと初代の夕張駅があった周辺の場所のようだ。しかしながら炭鉱が閉鎖されたことで、
2代目の夕張駅は今の市役所周辺に移転。今はそこからさらに南に短縮してホテルマウントレースイ前になったわけだ。
左を見れば鳥居がある。かつては祭りの際に大いに街が賑わったという、夕張神社だ。今は緑に包まれ、ただ静か。
いちおうきちんと参拝して、この3日間が天候に恵まれますように、とお願いをしておく。神頼みの定番事項である。
そしてその向かいには花畑牧場の売店と工場。少し離れた高台に「夕張希望の丘」という、いろいろ詰め込んだ施設。
花畑牧場の人気ぶりは相変わらずで、大勢の観光客が買い物したりソフトクリームをかじったりしている。
でもまずは、先を急ぐのだ。帰りに時間があったらぜひ寄ってみることにしよう。

 夕張神社。やや寂れた雰囲気になっているが、社殿はきれいだった。

広大な駐車場を抜けると、いよいよ石炭の歴史村である。この施設、けっこう広くって、
もともとはさまざまな施設が複合してテーマパーク的な感じになっていたようだ。でも今はその痕跡ばかりで、
それが非常に痛々しい印象となってしまっている。そんな中で夕張市石炭博物館、炭鉱生活館、
ゆうばり化石館の3箇所は元気に営業をしている。僕はまず目についた炭鉱の生活館に入ろうとしたのだが、
坂を上ったところにある石炭博物館で入場券を買ってそこから見ていくのがお得です、と言われて素直に坂を上る。

  
L: 石炭の歴史村内部はこんな感じ。テーマパークになりそこなった寂寥感が漂っており、なんとも虚しい。
C: 炭鉱生活館。外観は1920(大正9)年竣工の旧北炭・夕張工業学校の校舎を復元したものだそうだ。
R: 夕張市石炭博物館。建物を見てのとおり、非常に大規模。でもその分、内容はかなり充実していた。

そうして現れたのはけっこう規模の大きな建物。高い櫓もついていて、夕張の財政危機の理由がなんとなくわかる。
1200円の入場料を払って、その石炭博物館の中に入る。1階は石炭ができるまでの博物館的な展示。やや平凡。
対照的に2階は炭鉱での仕事ぶりを撮った写真や住民たちが生活で使っていたものをたっぷり展示しており、
かなりリアリティを感じることのできる内容となっている。特に、顔を真っ黒にした男たちの働きぶりが深く印象に残る。
しかしそれだけで終わることなく、死者93名を出した1981年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故もしっかり扱っている。
事故の対応に追われて疲れきっている背広組の姿やその後の労働者たちへの説明会を撮った写真まであって、
この事故が夕張に落とした影の大きさを生々しく感じることができる。全体を通して非常にレヴェルの高い展示だった。

2階の展示室を抜けると、いよいよこの施設の一番の売りである地下坑道へと至るエレベーターがある。
さっき外から見えていた櫓は、この坑道へ下りるためのものだったわけだ。中に入ると妙にライトアップされた感じで、
これは本当に地下にもぐっているのかなあ、と疑いたくなる。しっかりと時間をかけてエレベーターは下りているようだが、
乗っているとあんまり変化を感じない。そして、地下坑道に到着。首を傾げつつ外に出ると、いきなり空気がヒンヤリ。
それで「ああ、本当に地下坑道に来たんだ」と納得した。しばらく人形による各時代の石炭採掘現場の再現が続き、
続いて実際に使われていた採掘道具の展示。そして機械が動いているところの再現。リアリティ満載である。
そうして進んでいった先で、係の人からライトのついたヘルメットを渡される。史跡夕張砿の実体験、スタートだ。

  
L: 古い時代から新しい時代へと、人形による採掘現場の再現がかなり細かくなされている。ヒンヤリ感が説得力を醸し出す。
C: 再現されている大規模な機械。暗い穴の中に作業音が大音量で響くのだ。本当に厳しい現場だったんだなあ、と思わされる。
R: 炭鉱に入る際には捜検所でタバコなどの危険物がないか入念な身体チェックをしていたそうだ。そこの鏡で撮ってみました。

なんせ暗くて狭いので、カメラでの撮影にはぜんぜん向かねー向かねー。これはもう、実際にもぐらないとわからんわな。
中はまっすぐ掘られているんだけど、それがあっちに進んでこっちに進んでと、とても複雑な構造になっている。
坑道内はゆったり、ゆったりと下りていく感じなのだが、ところどころに人形や実際の機械による展示がある。
危険な重労働の現場としての緊張感はそれほどなく、ある意味ではテーマパーク的なお手軽な感触もしてしまう。
でも、延々とこの状況下で石炭を掘り続ける仕事を、それが実際に行われた暗く冷たい穴の中で想像してみると、
やはり説得力がまったく違うのだ。「際限なくエネルギーを必要とする人間たちの業」とでも言えばいいのかな、
僕たちの快適な生活を現実的に支えている苦労、そういう種類の生々しさを肌で感じることができた。

  
L: 地下坑道はこんな感じ。水がしみ出していてちょっと滑りやすい箇所も。ヘッドライトがなくてもそれなりに明るさは確保されている。
C: 坑道の出口。これにて石炭博物館の見学は終了。ヘルメットは炭鉱生活館前のテントで返却する。本物は凄いね!
R: 出口のすぐ横にある、石炭大露頭。青黒く光っているのが石炭だ。「黒いダイヤ」と呼ばれていたのが納得いく輝きだった。

坑道の出口からすぐ近くのところに炭鉱生活館。なるほど、石炭博物館へ行くまでのさっきの坂道は、
坑道分の高さと距離だったか、とやっと理解した。炭鉱生活館内をさらっと見学し、石炭博物館に戻る。
そうしてレンタサイクルを回収すると、勢いよく坂を下ってそのまま石炭の歴史村を後にした。

夕張における石炭の重要性がよくわかった。石炭が見つかったことで、この街は生まれた。
すべては、1874年にアメリカ人の地質学者・ライマンが、この地に石炭があると見抜いたことから始まったのだ。
(何もなかった山の中なのにどうやって気づいたのか、なんでそれがわかるんだよ、と感心せずにはいられない。)
でもその石炭の価値が下がってしまったことで、この街は回復することのできないダメージを負った。
石炭が見つかったことは、果たして本当に幸せなことだったんだろうか、なんてことをふと考えてしまった。
でもそれは、「幸せなことだった」という結論を出すことしか許されない問いであると思う。
そのための努力はこれからも営々となされる。夕張という街に人が暮らしている限り。

広大な駐車場を抜け、花畑牧場の売店に寄る。のんびりできるほどではないが、時間的な余裕はないことはない。
花畑牧場というとやはり生キャラメルなんだろうけど、僕としてはいちばんありがたいのはおいしい牛乳。
でも牛乳はなかったので、ここは素直にソフトクリームにしておいた。夕張メロン味にも惹かれたが、バニラでいく。

 いただきます!

350円ということで、ちょっとだけ高い。が、なんというか、お値段相当のヴォリュームがきちんとある。
ソフトクリームを食って少しだけど満腹感をおぼえたのは初めての経験である。これは……すばらしい!
クリームもよく見ると、バニラビーンズの黒い粒が混じっている。それだけちゃんと味が濃い。
コーンもちゃんとしたものを使っているので手が汚れにくく、つぶれる心配もない。見事である。
マサルだったらまちがいなく、おかわりで夕張メロン味も食ってるなコレ、と思った。実際、僕も食おうか少し迷った。
値段は少し高くても、品質のよいものを提供するという田中義剛の方針は大正解だわ。やるなあ義剛、と感心したわ。

夕張駅まで戻ると、ホテルマウントレースイのフロントでレンタサイクルを返却。預かってもらった荷物を整理する。
レンタサイクルは2時間まで500円で、以後1時間ごとに100円追加。〆て800円の出費となったのだが、
おかげで存分に夕張の街も山も堪能させてもらった。本当にありがとうございました、ということで、
ホテルの売店に寄って土産物を買うことにする。やはり夕張経済に少しでも貢献せんとねえ。
……なんて思っていたら、僕の隣で買い物をしていたおばさんも同じことを言ってレジに品物を持っていったのであった。
考えることはみんな一緒か。てなわけで、いちばんの売れ線であるメロン熊のストラップを買った。やっぱそうなるわな。

16時19分、ディーゼルの音を軽快に響かせながら、列車は夕張駅を後にする。
さっき自転車で爆走した道の脇を、列車はするすると走っていく。いやあ、夕張に来ることができてよかった。
だいたい1時間ほど走って、列車は南千歳駅に到着する。札幌には安くて快適に泊まれるカプセルホテルがあって、
2年前に世話になった。今回もそこに泊まるのだ。南千歳駅から札幌駅まで30分。19時ごろの到着である。
ちょうど晩メシのタイミングということで、今回も札幌名物スープカレーをいただく。
でも前よりもちょっと豪華なメニューにしてみる。北の大地は本当に豊かだなあ、と思う。

 
L: 夏の札幌駅前広場はビアガーデンになっている。いくらサッポロビールのお膝元とはいえ、豪快である。
R: やっぱり今回もスープカレーをいただくのであった。エビにコーンにホタテにアスパラと、北の大地は豊かだなあ。

しっかり食っていい気分になって外に出たら、すっかり暗くなっていた。すすきのの交差点に出る。
今夜も相変わらずキング・オヴ・ブレンダーズが輝いている。札幌に来ちゃったんだなあ、としみじみ思う。
2年前、初めて札幌に来たときの感動といったら、そりゃもうものすごいものがあった(→2010.8.7)。
思わず震えちゃったくらいだ。それだけ北海道というのは僕にとって馴染みのない、まさに憧れの土地だったわけだ。
東京で暮らしていると、やはり北海道というのは海を挟むのでどうしても遠い場所というイメージがあるのだが、
こうして思いきって来てしまえば、実は身近に感じようと思えばそれなりに訪れることのできる場所なんだな、と思う。
新幹線で大阪まで往復するよりも安く来ることだって可能なのだ。旅ってのは勇気の問題なんだと気がついた。
そして僕の中では、その勇気は、感じることと学ぶことによって正当な対価を得ることになるのだ。
今日、夕張を訪れたことは、きっと僕の中でより大きな価値を導く経験となるだろう。そのことに、自信が持てた。

宿にチェックインしてMacBookAirにデジカメのデータを移し終えると、なんとなくテレビを見る。
BSで浦和レッズとセレッソ大阪の試合をやっていた。後半15分くらいで、1-0でホームの浦和が勝っている。
ドイツへ移籍する清武の最終戦であるセレッソだが、FC東京戦(→2012.6.23)同様になんとなく冴えない。
対照的に浦和レッズは、ペトロヴィッチ監督がまさに「広島らしいサッカー」(→2012.4.28)を展開していた。
「広島らしいサッカー」の最大の特徴は、アクチュアルタイム(実際にプレーしている時間)の長さ。
とにかく浦和はボールを外に出さない。ぜんぜん出さない。プレーが延々と続いて、セレッソが外に出してプレーを切る。
浦和は選手がスイスイと動いて非常に速いテンポでパスを回していく。気持ちいいほどにボールがつながる。
その様子を見て、ペトロヴィッチが就任して半年も経たないうちに、こういうサッカーができていることに驚いた。
それはつまり、浦和の選手たちの能力がとんでもなく高いということだ。冷静に考えると、浦和はすごいことをやっている。
でも試合はセレッソが根性でボールを浦和ゴールに押し込んで同点。それがサッカーなんだよなあ。
昼間の夕張を全速力で駆け抜けた疲れが出て、試合が決着する前に眠ってしまった。いやもうホントにヘロヘロで。


2012.6.29 (Fri.)

鎌池和馬『とある魔術の禁書目録』。けっこう前に買ったみたいだけど全然読んでいなかったので、読む。
そういえばこないだ卒業したおたくな生徒がレールガンレールガン言っていた。なんだか人気があるみたいだ。
その理由を探るためにも、まずは基本となるライトノベルから押さえなければいかん、ということで読むのだ。

……つまらん!! なんだこりゃ!? 人をバカにしてんのか? こんなの売り物なの? そういうレヴェル。
何から何までヘタクソ。これを評価しているライトノベル好きの皆さんは本当に救いがたいバカだな。
まずセリフが下手だし気持ち悪い。説明だけど会話になっていないからだ。もちろん地の文も下手だ。特に比喩がひどい。
どうしょうもないのが、ふりがなの使い方。すごく狭い範囲での価値観による受け狙いって感じで、はっきり言って変だ。
世間に散らばるファンタジー的要素をうまくつぎはぎして設定を組んでいるんだけど、逆にそのことで、
ファンタジー的価値観に引きこもっている印象を受ける。つまりライトノベルを読まない人が大多数を占める現実の生活、
そこからの乖離を感じるのだ。まあこの点は完全に好みの問題だからいいけど、オレは価値をまったく感じない部分だ。

レヴューを書くためにあらためて読み返してみたんだけど、これは本当にひどい。
こんなものが売れている日本という国はまずいんじゃないか、と本気で危機感をおぼえてしまうくらいにひどい。
小説として世間に放たれる日本語のはずなのに、ずいぶんと安くなってしまったもんだな、というのが正直な気持ちだ。
日本語が安っぽいのである。知性を感じさせない。書き言葉を操る能力が本を出せる一人前のレヴェルに達していない。
もう二度と「ライトノベル」と称するものを読むのはやめよう、と固く心に誓ったくらいにひどかった。日本語文化の破壊だ。


2012.6.28 (Thu.)

肋間神経痛に苦しみながらもテストをだいたいつくり終えたぜ。今回は2年生の分だけつくればよかったので、
前回に比べれば内容的にはだいぶ楽だったはずだ。でも旅行に影響を与えたくないプレッシャーがあったせいか、
あとはまあテスト範囲と授業の進度とのバランスが少し厳しかったせいか、肋骨が痛えのなんの。
そしてつくり終えると神経痛が跡形もなく消える。なんだかんだで精神的に弱いな自分、と情けなくなってしまった。


2012.6.27 (Wed.)

ももクロは嫌いです。給食のBGMで2年生が担当の日にやたらと流れるんだけど、聴いていて、オレは好かんわ、と。

ももクロの「声」があるのは、そこはすごいな、と素直に思う。
女性アイドルグループの声ってのは、何人かの声が合わさった結果、どれも似た感じになるものだ。平均化する。
しかしももクロの声だけは、「ももクロの声」なのだ。画面を見なくても「ああももクロですか」とわかる声をしている。
僕の好きな声ではないんだけど、独特な声を持っているのは強みだと思う。だからそこについては、認めたい。

最近はAKBに次いであちこちでプッシュされている感のあるももクロだけど、僕はまったく魅力的だとは思わん。
まず、かわいくない。僕は舞美や真野恵里菜のレヴェルが基準になっているので、それに比べちゃうとねえ。
そして楽曲。京大卒のヒャダインですか、まるでダメだね。テンションが一様で聴いていてつまらない。
ライヴでは盛り上がるという話だけど、オレが歳を食ったのを差っ引いても、楽曲がどれも同じに聞こえるのよ。
その点、AKBなんかもっとひどいんだけど、ももクロも十分ひどい。むしろ「ももクロの声」が悪い効果になっている。

AKBも嫌いだし、ももクロも嫌い。これは「今を楽しむ」ということでは、けっこう損をしていると自覚はしている。
でも無理して乗っかる気はしない。そんなのに興味を持っているヒマがない。本物になら熱狂しちゃうだろうけどさ。


2012.6.26 (Tue.)

まああんまり書くとアレなんだけど、午後になっていきなり研修なのであった。
運よく今日はALTの授業だったからどうにか対応できたけど、レギュラー授業だったら大混乱だったぜ。
で、移動して仲間の皆さんと集まって保護者対応について話を聞いたりお互いの事情を伝え合ったり。有意義だった。

それにしても、会場についてすぐに別の学校のサッカー部顧問の方から練習試合を申し込まれたのにはまいった。
話があるだろうなとは思っていたけど、ここまでグイグイ来られるとは、いや、もう、感慨深い。
練習相手としてほかの学校から認められるところまで来たか、と。ありがたくお受けさせていただきますですよ、ええ。


2012.6.25 (Mon.)

気がつきゃテスト1週間前ということで部活が休みなので、その分早く職場を後にして都心へ出る。
そう、いよいよ新しい自転車を買おうと決心したのである。店は今の自転車を買ったのと同じ系列店だ。

定価より2万円も安く売っていたやつは、サイズが完全に小さくて、つまりはそういうワケあり品だったから。
最初はそいつを狙っていたのだがどうにもならないので、うまい話はないわな、とそれに関してはあきらめる。
でも新しい自転車は必要なのである。結果、今の自転車よりちょっといいやつをできるだけ安く購入した。
組み立て等の関係で、引き渡しは来月になってから。でもこれで、新しい自転車への乗り換えが確定したのだ。

帰り道、今の自転車のペダルをこぎながら、いろいろと記憶を引っぱりだして過ごす。
感謝の気持ちを込めながらペダルをグイグイこいでいくのであった。


2012.6.24 (Sun.)

新しい自転車を買うべきか否か、という問題にいよいよ直面する。避けられないところまで来た。
ちなみに今の自転車を買ったのは、2004年8月20日。でも日記ではそのことについて一切書いていないんでやんの。

今の自転車は大きく破損したことはないものの、これまで何度も修理に出している。
なんとか10年はもたせたいと思って乗ってきたが、年末年始に修理した際に(→2011.12.28)、
自転車屋から「そろそろ限界」とはっきり宣告された。それは僕にもうすうすわかっていたことなので、
次に修理が必要になったタイミング新しい自転車に乗り換える、そう心に決めていた。そして、その時期が来たと思う。

僕は、いま自分が乗っているこの自転車が好きだ。初めてまたがった瞬間からフィーリングが合って、
本当にあちこちに連れていってもらった。この自転車だからこそ、僕は自転車という道具を便利に使う気になったのだ。
この自転車が好きで、別れたくない。そういう気持ちがものすごく強い。でも、もう潮時だということはわかっている。
たかが自転車、されど自転車。今はとにかく、できるだけ切ない気持ちになっておきたい。それが僕なりの誠意なのだ。


2012.6.23 (Sat.)

今年も月に一度はサッカーを観戦をがんばっているわけだが、梅雨どきは動きが鈍くて6月の観戦が下旬になってしまった。
3年生最後の試合で自分の勉強不足を痛感したこともあり(→2012.6.10)、京都以外の試合もしっかり観ようと考え、
今回はJ1・FC東京×セレッソ大阪というカードを選んだ。J1仕様のポポヴィッチのサッカー(→2011.12.11)を観たいのと、
セレッソの清武がドイツに移籍してしまうので、その勇姿を直接目にしておきたいという思惑、それが理由である。

もう3年も放ったらかしにしている「Tokyo Sweep」の続きをやってから東京スタジアム(味スタ)に乗り込むつもりだったが、
今日もなんだかやる気が出ず、動きだしたのは昼前になってから。「Tokyo Sweep」の続きは快晴の日にとっておくのだ。
意図せずブランチになってしまった本日初のメシをいただきながら、日記の改修作業を進める。2006年も手間がかかる。
そうして調布に向けてペダルをこぎ出したのは、午後3時過ぎ。自転車の調子がよくない。もう7年になるし、潮時か……。
それでも1時間ほどで調布に着くのだから、もうちょいなんとかなるかな、と思っておく。で、早めにスタジアムに入ってしまう。

今回は2階バックスタンドの指定席にした。あまり応援に巻き込まれたくないのでアウェイ側である。ピッチまでけっこう遠い。
余裕を持ってスタジアム入りしたのには訳があって、さっそくFREITAGからペンとルーズリーフと英語の教科書を取り出す。
そう、期末テストを早めにつくってしまわないと、来週の旅行がパーになってしまうのである。気がつきゃテスト1週間前。
キックオフ時刻になるまでウンウンうなりながら格闘するのであった。まったく、いろいろと面倒くさい商売だよなあ。

それでもマスコットたちが面白い動きを始めると、夢中になってデジカメを構えてしまうのは悲しい性。
FC東京はヤクルトスワローズとタイアップしていて、ヤクルトのアクロバット担当・燕太郎(えんたろう)ががんばる。
僕の名前から「S」を抜いただけなのに、運動神経にとんでもない差があって悲しくなるのであった。ってか、燕太郎すげえ。

  
L: いきなりこんなポーズをとってみせる燕太郎。バファローベルのスカートの中を覗くだけのキャラじゃないんですよ。
C: これは見事だ!  R: と思ったら、さらにここまでやる!? 燕太郎の特技はブレイクダンスなのだが、いやーすげえ。

  
L: こちらはFC東京のマスコット・東京ドロンパ。実物はなかなかどうして、確かにカワイイじゃねえか。
C: 燕太郎のブレイクダンスには心底感心したわ。  R: 見事にポーズをとる両名。うーむ、きまっとる。

かつてFC東京にはマスコットがおらず、そこをいいなあと思っていたので、東京ドロンパの登場は個人的にうれしくなかった。
しかし東京ドロンパは登場するやいなや、一躍人気者となったのだ。なるほど、動いている実物は確かにカワイイのである。
そりゃポポヴィッチも「チェルシーにはドログバがいるけど、ウチにもドロンパがいますからね!」って言うだけのことはあるわ。

  
L: というわけで東京スタジアム(味スタ)。今日は特にスタンドからピッチが遠いぜ! まあ味スタだからしょうがないのか。
C: 円陣を組むセレッソの皆さん。セルジオ=ソアレス監督もいる。練習後には珍しい光景だけど、清武の退団が近いからかな?
R: セレッソの清武(右端)と話す柿谷。このふたりのドリブルが炸裂するところを見たくて来た、と言っても過言ではない。

さて、いつもだったらゴールシーンの写真を中心にして試合経過を細かく書いていくのだが、
それじゃあ単なるニュース記事と変わらない。もっと監督としての能力を磨くべく、試合の見方を変えなければならんのだ。
とりあえず、「ピッチ上で何が起きているか」を探りながら試合を観戦することにするのだ。今日から勉強に徹するのだ。
したがって、日記の書き方もいろいろ試行錯誤してみるのだ。まとまらないと思うけど、それでいくのだ。

まずは前半、セレッソの守備とそれに対するFC東京の攻撃について。セレッソの守備は4バック。
左から高橋・藤本・茂庭・酒本。ラインを高くしているが、これがけっこう横方向にもコンパクトに守っている。
これは守備時には確かに強固なブロックとなるのだが、その外側には広いスペースが空いていて、
FC東京は何度も逆サイドからの崩しを企図していた。前半のうちにこのブロックが破綻することはなかったが、
どうもイヤな予感がするなあと思いながら見ていたら、後半になってボロが出た。まあ詳しくは後述。

  
L: セレッソ(白)の4バック。写真はセレッソの中盤がカウンターを仕掛けた瞬間。高いラインを維持しているが、横方向もコンパクト。
C: FC東京は4バックの前のスペースで横パスを回し、縦に入る隙をうかがう。でもどちらかというと、パスを回させられていた印象。
R: 4バックがピッチの左半分に集中している。さすがにこの守備はまずいんじゃないのか、と思うんですけど。

前半は基本的にFC東京がボールを保持。セレッソは中盤から複数の選手でFC東京の選手をサイドに追い込み、
そこからカウンターを仕掛ける場面が目立った。セレッソはカウンター時にワンツーをとにかく多用する。
見ていると、ワンツーは意外と距離を稼げる攻撃だった。それでゴール前に侵入して決定機をつくりだすのだが、
FC東京のGK・権田がスーパーセーヴを連発。なかなかゴールを決めることができない。

  
L: 権田が飛び出した後も森重がクリア。  C: これはセレッソのGK・キム=ジンヒョンのセーヴシーン。すばらしい。
R: セレッソはカウンターから何度も決定的な場面をつくりだすのだが、どうしても権田に阻まれてしまう。

さてポポヴィッチは昨シーズン、JFLだった町田で見事なパスサッカーを披露していた(→2011.12.11)。
そのときの大きな特徴は、逆サイドの前線への的確なロングパスである。町田の選手は、とにかく「見えて」いた。
観客も気づかないタイミングで、対角線の選手に大きなボールを出す。これがガンガン機能するサッカーは面白かった。
FC東京でもそれは健在で、選手たちは逆サイドの前線に見事なロングパスを出していた。すごい指導力だわ。

  
L: ハーフウェイライン付近のFC東京の選手がボールを持っている。セレッソの4バックは相変わらず横にコンパクト。
C: そこから手を上げていた逆サイドの前線に一気にロングフィード。4バックの高いラインに対して大きな脅威となっていた。
R: やっぱりオシャレなポポヴィッチ監督。FC東京はポポヴィッチが監督をやっている間にどれだけ勝ち癖をつけられるかが勝負。

しかしながら以前書いたように、J1は選手の能力が高い分、集中力の勝負となる。隙を見せた瞬間、一気に動く。
この試合は前半のうちはどちらも高い集中力で試合に臨んでおり、なかなか隙が生まれない。
それでもセレッソの4バックは高いラインを維持してFC東京が押し込めないように踏ん張っており、
中盤もカウンターから素早く組み立てていく攻撃で押し返す。が、FC東京は権田のおかげで失点しない。
後半はセレッソがいかに権田から点を奪うかになるな、という雰囲気でハーフタイムへと入ったのであった。

 
L: 日本代表にも選出された高橋秀人がボールを持つ。パスコースはあるが、セレッソの守備ブロックがその後ろに控える。
R: ボールは回るが、縦に入らないFC東京。セレッソの狭い4バックは、的を絞ったFC東京のパス対策ということなのか?

後半に入ってまずはセレッソが猛攻をみせる。しかしこれをしのいだFC東京は60分、右サイドを徳永が駆け上がる。
ここから田邉を経由してボールは長谷川アーリアジャスールへ渡る。中央でセレッソのDFを引きつけながら左に動き、
そのまま左足でシュート。これがキム=ジンヒョンの指の先をするっと抜けて、FC東京が先制する。

  
L: 右サイドを駆け上がる徳永。ブロックを敷いてパス対策をとってくる相手には、やっぱりドリブルだよな。
C: ワンタッチで田邉から長谷川へ。次の瞬間、左足から弧が描かれる。  R: ゴール。これは長谷川を褒めるしかない。

実は梶山がケガで抜けて米本に代わったことで、長谷川のポジションが1列前に上がっていたという。
米本の守備力が長谷川の攻撃的な姿勢を引き出したと考えられるわけだ。でもそんなん、遠いスタンドからじゃわからん!

1点ビハインドとなったセレッソだが、攻撃の呼吸がイマイチ合わないことが徐々に露呈してきた。
もともとワンツーで抜け出す攻撃を得意としていたように、セレッソの攻撃は人数をあまりかけない。DFも上がってこない。
セレッソは前から4人が柿谷・ケンペス・清武・キム=ボギョンという実に豪華なメンバー構成なのだが、
FC東京守備陣の隙を衝いて決定機をつくるものの、わりと単発的なのである。1回攻めて、終わり。
ちなみにセレッソのDMFは山口蛍と扇原。U-23でお馴染みの、将来性いっぱいなコンビだが、
そこを含めた守備陣6人と攻撃陣4人に分断されている印象。サイドバックが積極的に攻めるシーンもほとんどない。
攻撃は前の4人の創造力にお任せで、DMFふたりがその下支え。でも4人の呼吸が合わないので、攻めが厚くならない。
セレッソは交代策に活路を見いだそうとするものの、やっているサッカーの内容が変わらないので効果なし。
繰り返すがJ1は隙を見せると一気にやられる。ゆえにどうしても選手交代が消極的なものとなってしまうのだろう。
さっきの米本が入った効果も、偶然性が高いのかもわからない。ピッチ上で起きていることが、ぜんぜんわからん!

  
L: 右サイドを突破するケンペス。しかし前線の枚数が少ない。対照的にFC東京はしっかりと人数をかけた対応となっている。
C: セレッソは前の4人の創造力で勝負する。しかし攻撃のヴィジョンが噛み合わないようで、権田の出番が減るばかり。
R: セレッソのカウンター。とりあえず真ん中に預けて、というシーンが多かった。DFを絡めた人数をかけた攻撃がほとんどなかったな。

そうこうしているうちにFC東京がチャンスをつくり、ゴール前の混戦から再び田邉がパスを出す。
フリーで受けたルーカスがきっちり決めて2-0。あそこでルーカスをフリーにしちゃいかんよ、と思う。
セレッソは自分の攻撃陣が個の能力で押し切る選手が多いからか、守備陣はボールホルダーに意識がいきがち。
そうして狭く守っているところをやられた印象である。このシーンではラインが低くなっちゃっていたかな。

  
L: サイドでチャンスをつくっても、FC東京の集中力がそれを防いでしまう。このシーンも結局、ゴールならず。
C: 選手交代のタイミングで給水中。梅雨で湿度の高い中でのプレーはつらいわな。なんとなくノーサイドな雰囲気。
R: で、セレッソのコンパクトな4バックは抜け出たルーカスを見逃してゴールを決められる。ついに破られたか。

退団する清武に花を持たせたいセレッソは必死の攻撃をみせるが、権田の壁を破ることはできずじまい。
FC東京は選手の1/3がケガで離脱している緊急事態だったらしいのだが、それを感じさせない快勝となった。

  
L: この決定機もはずすし。  C: ドリブルで中央に切り込む天才・柿谷。パスか、そのまま行くか。現場の判断は難しいなあ。
R: 最後、柿谷がボールを浮かせてボレー。これも入らず。柿谷は才能の片鱗は見せてくれたが、まだまだ。もっとやれるだろうに。

それにしても、やっぱりスタンドからピッチまで遠いと、何が起きているのかぜんぜんわからん!
ボールを持っている選手もパスを待つ選手も守備をする選手も、誰が誰だかぜんぜん見えないんだもん。
日記を書いてみても、いつもと内容があまり変わっていないし。写真が多くなっただけって気がする。今日だけで32枚だぜ。
なーんかあんまり勉強できなかったなあ。まだまだちゃんとした監督への道のりは遠いわ。とほほ。

スタ丼食って帰る。しかしホント、サッカーでもなんでも、キリがねえもんだよなあ。


2012.6.22 (Fri.)

もう、まったくモテる気がしねえぜ! なんでいつもこうなんだよ! とことんがっくりだよ!


2012.6.21 (Thu.)

事件からもう17年も経っているというのに、中学生たちは今日もショーコーソングを歌いまくるのな。
当時の学校の先生方がどれだけ苦労されたか、もう本当に心から同情する。同情せざるをえない。

それにしても今時の中学生たちには、あの事件はいったいどのように映っているんだろう。
付随する要素があまりにも特殊なので、少なからず面白おかしいものとして受け止めているだろうけど、
きちんとその痛みはそれとして理解しておいてほしいと思う。そう、あまりにも特殊な事件だった。
でもその「恨み」の部分は、今も形を変えて個人レヴェルでしばしば現れている。やりきれない。


2012.6.20 (Wed.)

英語の教科書というのは単純に英語を読みましょうってだけではなくって、社会的なテーマを盛り込んでいる。
環境問題だとか異文化交流だとか平和教育だとか、そういったテーマを絡めたものになっているわけだ。
まあその辺は地理歴史の免許も持っている僕にしてみれば、「オレに任せてくれや!」ということになる。
そういう部分でより踏み込んだ内容を教えて生徒の興味を惹けるというのは、僕の大きな強みなのである。

今回の範囲では広島(→2008.4.23)の原爆がテーマとなっていたので、長崎(→2008.4.27)や沖縄(→2007.7.24)、
さらには小笠原(→2012.1.1)のことも絡めて、第二次世界大戦について幅広くトークを展開してみた。
旅行の際に撮っておいた写真を資料としてたっぷり出したら、生徒の食いつきぶりは凄まじいものがあった。
いやもう、あちこち旅行しておいて本当によかったわ、と思った。実際に行った人の説得力ってのはやっぱり違うのだ。
ただ原爆ひどいで終わらせるのではなく、広島・長崎・沖縄・小笠原など個別の要素が全体としてどうつながっていたのか、
さらにそれが現代の問題としてどう現れているのか(特に沖縄の基地問題ね)、そこをていねいに追ってみた。
政治的に微妙な問題でもあるので、事実と受け止め方の紹介という程度に抑える。いちおう自分の見解も述べるが、
あくまでひとつの意見にすぎないときっちり言っておく。どう捉えるかは生徒自身に委ねる。うまくできたかはわからんが。

思うのは、東京も東京大空襲という悲劇を経験しているのだが、その痕跡を残すものがないことで、記憶が薄れている。
だから広島だとか長崎だとか沖縄だとかの絶望的に極端な事例だけをヒントにするしかないのが現状となっている。
いや、そもそも日本全国ほとんどの都市は空襲を経験している。空襲によって都市構造が変化した事例はいっぱいあるし、
貴重な現存天守もそれで3/5に減った。高度経済成長は「もはや戦後ではない」の言葉とともに、その痕跡を消した。
僕が生徒に言っているのは、自分の身体のリアリティで事件を感じなさい、ということ。
時間が経って他人事になってしまったことを、自分の経験として捉えなさい、と。それが歴史に学ぶってことだ、と。
そのために旅行をして、現地で人々が事件をどう受け止めたのかを自分のものとして感じて来い、と。そいだけ。


2012.6.19 (Tue.)

冷凍みかんが許せない。たまに給食で冷凍みかんが出てくるのだが、この冷凍みかんの意味がわからない。

かつては汽車の中で食べるものの定番だったということは知っている。それはそれでいい。
汽車での旅行は時間がかかるから、みかんを冷凍しておいて、それをいい頃合いでいただく。それならわかる。
しかしなぜ給食で、半分霜がかかっている冷凍みかんが出てくるのか。冷たすぎてぜんぜんおいしくない。

……ということを東京出身の養護の先生に力説したところ、「アイスの代わりなんじゃない?」という的確なお答え。
それならアイスを出せばいいじゃねえか、とは単純に言えない。給食費の関係があるからね。
とはいえ、アイス代わりにみかんを凍らせるという発想には素直に賛成しかねる。
いちおう寒いとされる地域出身としてはやはり、みかんはコタツの上でのんびりいただくべきものなのだ。

すでに生徒たちは冷凍みかんが出てくると僕が眉をひそめることを知っている。
口の中に半分凍ったみかんを放り込むたびに、目を白黒させながらゆっくり解凍作業に専念する僕の顔を見て、
ニヤニヤと笑っている。連中が平然と冷凍みかんを飲み込んでいくのがまた腹が立つ。なんであいつら平気なんだ。

冷凍みかんの意味がわからない。冷凍みかんが許せない。「先生、そんならちょうだい」「やらねえ」


2012.6.18 (Mon.)

森高夕次/アダチケイジ『グラゼニ』。森高夕次の正体はコージィ城倉だとさ。南信出身とは知らなんだ。

「グラウンドには銭が落ちている」とは、かつて南海の黄金時代を築いた名将・鶴岡一人の言葉。
この作品では「グラウンドには銭が埋まっている」略して「グラゼニ」として、その言葉が使われる。
主人公は高卒プロ8年目、左の中継ぎ投手・凡田夏之介。彼の趣味はプロ野球選手名鑑で年俸の欄を見ること。
金額が選手の能力を評価する物差しなのは事実だが、凡田は自分の年俸1800万円より高い低いで相手を見てしまう。
そんな彼の目を通し、主にお金の面からプロ野球の世界の表と裏を描いたマンガである。

プロ野球にちょっとでも興味のある人なら、間違いなくこのマンガは面白く読める。
とにかく目の付けどころが秀逸。一軍に登録されているが冴えない立場の中継ぎ投手を主役に持ってくるのがいい。
そうすることで、プロ野球の光の部分と影の部分を実にバランスよく描き出している。このマンガにしかできない強みだ。
こういう視点の野球マンガが生まれたということに、日本のプロ野球とマンガの豊かさ、文化レヴェルの高さを感じる。
作者のプロ野球への愛と、プロ野球選手への底の知れない敬意があふれているのが伝わってくる。本当にいいマンガだ。

序盤はおいおい大丈夫かよと言いたくなった絵も、どんどん上手くなっていくのがまたいい。
スポーツマンガこそ、最も画力が要求されるジャンルだ。現実の身体の迫力に負けないだけの描写ができないといけない。
その点で『グラゼニ』は正直なところ、いかにも原作のアイデア勝負といった絵柄でスタートしているのだが、
話が進むにつれて絵がメキメキ上手くなってくる。キャラクターの造形もヴァリエーションがあっていい。
現実のプロ野球選手同様に、実にさまざまな顔の野球選手が登場する。そしてそれぞれにみっちりと個性がある。
出てくる人たちがみんな、応援したくなるキャラクターなのである。もうそれだけで面白くってたまらん。

設定だけでもすばらしいのに、絵が急激に進化しており、その結果、何をどうやっても面白いマンガになりつつある。
作品の世界だけで完結する強烈な想像力のマンガ(それは従来型のマンガと表現できそうだ)も読んでいて楽しいが、
現実にあるものをルポルタージュ的に掘り下げていく内容のマンガもまた楽しい。マンガ文化の成熟ぶりがなせることだ。
『グラゼニ』は後者のマンガとしては白眉と言っていい存在だろう。しかもフィクションを交えて独自の地位を確立している。
こういうマンガがある国に生まれて幸せ、とは言い過ぎかもしれないが、文化レヴェルが高くないとこのマンガは出てこんぜ。


2012.6.17 (Sun.)

和月伸宏『るろうに剣心』。みやもり家の本棚で『ラブひな』の隣に収まっているマンガ。
実写映画化だの文庫化だので盛り上がっているようなので、きちんと読んでみることにした。

まず、絵が合わない。Gacktみたいなのばっかやんけ。江戸と明治の中間ということで微妙な時期が舞台だけど、
そこに大胆なフィクションを差し入れるのはアリだと思うんだけど、どうにもヴィジュアル系にすぎる。
ヴィジュアル系じゃなけりゃアメコミの影響を受けたマッチョという要素が強くて、どうにも両極端。
いやもうこれは完全に好みの問題で、オレの個人的な趣味嗜好の問題だけど、この人の絵を上手いとは思わんなあ。
キャラクターの造形の幅が狭いと思うんだよなあ。あんまり「ふつう」な人間が出てこない感じが合わない。
作者はキャラクターについて延々と解説をしてくれるんだけど、マニアックすぎてベースにしているものが狭い印象。

ではストーリーはどうかというと、志々雄の方は非常によくできていると思う。でも、縁の方が完全に蛇足。
志々雄真実というのはあまりにも、あまりにも完璧すぎる敵役である。主人公である剣心との因縁といい、
カリスマ性の強さといい、なんといっても野望のスケールの大きさといい、本当に見事としか表現しようがない。
そんな究極の敵役・志々雄真実がわりに早い段階で生まれてしまったことが、この作品にとっては「不幸」であったと思う。
だって志々雄に比べると、どんな敵役もみみっちくなってしまうから。縁じゃとても相手にならんのよ。
いきなり志々雄が出てきてしまったことで、『るろうに剣心』はマンネリ化すら許されなくなってしまったのだ。
縁との戦いが決着した時点で終わらざるをえなかった。これ以上どんな敵を出しても、志々雄を超えることは無理だから。
縁編ではどうにかしてうまく対処できないかと粘った形跡があるんだけど、こりゃもうどうにもならない。
それでも縁との戦いの中で、うまく伏線を拾う形で剣心の過去を描ききったのは、作者の力量を感じさせる部分だ。
だから縁編は蛇足ではあっても駄作ではない。ダラダラ続けずにそこで連載を終えたのも優れた判断だ。

作者にはもう一発、『るろうに剣心』での経験を生かした作品をつくりだしてほしいと思う。
若さゆえにコントロールしきれなかった部分を冷静に対処して、もっと上をいく作品を生み出してほしいと思う。
二番煎じは絶対によくない。『るろうに剣心』を否定するくらいにぶっ飛んだ設定で挑戦してほしい。
『るろうに剣心』は作品としてはすでに、志々雄真実の死とともに終わっているのだ。その事実に気づいてほしい。


2012.6.16 (Sat.)

土曜授業とかふざけんな! 疲れがぜんぜんとれん! オレは先週からフルスロットルのままなんじゃー!

大和田秀樹『ムダヅモ無き改革』。ちょっと前のHQSではこのマンガが大ブームになっていたそうだ。
表紙を見た時点である程度面白いことは十分わかっていたので、本腰を入れて読んでみたのだ。

日本の首相・小泉ジュンイチローが世界の首脳たちと麻雀で外交するというところからスタート。
発想がいい意味でくだらないんだけど、それを徹底しているからしっかりと面白い。
「くだらない」ってのは失礼なんだけど、なんというのか、基本的にはバカバカしいわけだ。
でもそれを現実にのっとってやり通しているからいい。政治のパロディとしてこれ以上に絶妙のものはないと思う。
麻雀という方法論で面白おかしく味付けして、きちんと形にしている。バカバカしいけどレヴェルはとても高い。
これは簡単に聞こえるけど、実際やるには非常に難しい。非常に優れたバランス感覚だ。

ところが世界各国の首脳たちがひととおり登場すると、どうしても新たな敵役は現実の世界からは出せなくなってくる。
で、結局、ナチスを出しちゃうのね。安易といえば安易だが、だからといっていい解決策がないのも事実ではある。
実際の政治の茶化し方とかものすごく賢いマンガなんだけど、ことストーリーの組み方については、
従来の少年マンガの枠を超えることはできていない。パロディゆえに政治問題への踏み込み具合も限られてくるし。
そういうわけで、バカバカしいけどレヴェルは高い、それゆえに読者は面白いけど作者はつらい、そういうマンガ。
それで心機一転、7巻からは「獅子の血族編」に突入。これについてはもうちょっと展開をみてからでないとなんとも。

最後に一言。このマンガに「萌え」の要素はいらないのではないか。硬すぎてもダメなのは確かなのだが、
それは「萌え」で中和するものではないと思う。僕には「萌え」が、パロディをパロディしきれない方向に感じられたんだけど。


2012.6.15 (Fri.)

放課後、こないだ卒業した女子2名が、高校のテスト問題を僕に渡すために来た。くれ!とお願いしておいたのだ。
さっそくテスト問題をコピーさせてもらったのだが、終わってもふたりとも帰ることなく職員室に居座るのであった。
僕は宿題チェックでヒーヒー言いつつも、向かい合ってあれこれ雑談に応じる。……なんだこのまったり感。
コタツにみかんでテレビを見る家族のごとし、である。まあ楽しいには違いないんですが。

夜になり、明日でお別れとなる教育実習生との飲み会に参加。内容としてはまあいつもどおりだったけど、
やはり若い人が参加するというのはいいもんである。いつもと違って華やかですよ、華やか。
で、さっき卒業生とのんびり過ごしていたことを、皆さんからなんとなくうらやましがられた感じ。
まあある意味ではナメられているには違いないのだが、当方、信頼される指導を3年間続けておったもんでな。
これもオレの人徳だ、と思っておくことにする。


2012.6.14 (Thu.)

小学校との部活交流ということで、われわれサッカー部は近所の小学校に出張しての合同練習なのであった。
多数の小学生が集まったこともあり、引退したばかりの3年生にも手伝ってもらってみんなで指導しつつ練習。
合同練習とはいっても時間が十分にあるわけではないので、申し訳程度の基礎練習とパス練習、そしてシュート練習、
最後にゲームといった内容。部活動紹介の域を出るものではない。そんなわけで空気の読めない中学生を叱りつつ、
もしよかったら来年よろしくお願いしますーなんて感じで通す。ま、営業ですな、営業。

ところが今回は6時まで小学校のグラウンドを使ってOKという許可をもらっていたので、中学生だけでゲームを続行。
そこの小学校の副校長先生がサッカー経験者ということで、やはり「よかったら入れてもらえますか?」ときたもんだ。
「ぜひ!」と力強く返事。むしろこっちからお願いしたいくらいでございますよ。しっかりもんでやってください。

人数構成がちょうどいい感じに2年生×2チームと3年生×1チームに分かれた。勝ち抜きで延々とゲームができる。
ハンデやるぜ、ってことで副校長先生には2年生チームのひとつに入ってもらい、僕は3年生チームに入る。
下克上を目指すべくガンガン来る2年生たちだったが、まあ3年生チームが強い強い。連勝がずっと続く状態。
これは3年生チームの構成がよかったのもある。攻撃は左右のサイドが得意なやつがそれぞれいて、中央は体の強いやつ。
守備では気の利くセンターバックが左と後ろを担当し、中央から右にかけてのスペースは僕がつぶしまくる。隙がないのだ。
パスを読んでインターセプトしまくっては前にボールを出す僕のプレーが面白いほどハマって、2年生は打つ手なし。
困って出した横パスも、かっさらってそのままドリブルでブチ抜いたし。すいません、めちゃくちゃ楽しかったです。
それでもあきらめないのが2年生たちのいいところ。副校長先生の個人技も炸裂して贅沢なゲームとなったのであった。

終わって学校に戻ったら、ウチの校長・副校長・僕宛に副校長先生からメールが届いていた。
内容はとてもありがたいもので、部員たちもしっかり褒めてもらっていた。副校長先生もそんなに楽しかったんか、よかった。
またぜひ参加していただいて、いろいろ勉強させていただきたいもんです。そしてまた楽しくできれば言うことなしです。


2012.6.13 (Wed.)

井上雄彦『SLAM DUNK』。バーンアウト状態のオレがこのマンガを手に取るっつーのもニンともカンとも。
まあ生徒に「オレたちは強い!」と叫ばせたのはオレだし。責任とらないとな。

実は最後まできっちりと読んだのは今回はが初めて。あやふやな記憶を整理して、しっかり味わい直した。
作中で素人の花道は徹底的に基礎を叩き込まれるだが、読者たちも部活動の基礎の部分を徹底的に叩き込まれる。
それが『SLAM DUNK』の序盤。華々しい試合の気配など全然ないまま、ただただ花道の日常がじっくり描かれる。
ギャグの要素を多分に含みながらも、地道な練習の日々が続く。そこに『SLAM DUNK』の価値の源があると僕は思う。

三井が体育館に乱入してまさかの「バスケがしたいです……」宣言、そこから『SLAM DUNK』は離陸を始める。
圧倒的な才能を持つ5人が揃ったことで、湘北高校バスケ部はついに実戦へ向かって解き放たれたのだ。
陵南との練習試合で仙道という天才が花道と流川の前に立ちはだかったが、県レヴェルではさらに強豪がいっぱいいる。
『SLAM DUNK』の世界は急に広がる。ライバルたちが一気に登場して、群雄割拠の神奈川に読者も放り込まれる。
2位の翔陽を下し、勢いに乗る湘北は海南大附属にぶつかる。が、僅差で敗れてしまう。夢と現実が交互に読者を襲う。
そして満を持して陵南との再戦。勝利を呼び込んだのは木暮の3ポイントシュート。これにシビれない読者なんていない。
全国の舞台で湘北は豊玉を下し、山王工業と対戦する。極限までの激しい戦いの末、湘北は奇跡的な勝利をあげる。
だが、湘北も花道も作者も負ったダメージはあまりにも大きく、物語は事後処理をして終わってしまう。まるでバーンアウト。

これは本当にレヴューが書きづらいマンガだ。傑作……本当に傑作で、とにかく読めとしか言いようがない。
グダグダと言葉を費やす必要はないのだ。とにかく、みんな読め。それで足りる。そういうマンガだからだ。
恐ろしいほどに丁寧な絵で、理屈を超えたドラマが圧倒的なスピード感で展開される。間違いなくスポーツマンガの頂点。
このマンガではスポーツにおける奇跡の瞬間が、たっぷりと詰め込まれている。バスケという種目の特徴もあるが、
時間が伸び縮みするあの瞬間、永遠のような一瞬がきわめて的確に描かれているのだ。そこに読者は酔わされる。
そしてそのドラマを支えているのが、地道な練習の描写だ。「庶民のシュート」「置いてくる」「左手はそえるだけ」
数々のキーワードとともに花道はバスケの基礎を貪欲に吸収していく。さらには2万本のシュート練習をやりきってみせる。
この描写があるから、試合での奇跡のような活躍が許される。努力は嘘をつかない、それが『SLAM DUNK』の本質だ。
(湘北・木暮や海南大附属・宮益の活躍、同じく神の成長も努力の全肯定だ。田岡監督の潔い姿勢もその証拠だ。)
あえて『SLAM DUNK』の特徴を一言でまとめるならば、部活の美しさを描ききった作品、ということになるのだろうか。
毎日地道な努力を続ける部活動、その努力が華開く瞬間を非常に理想的に描き、またその陰となる残酷さにもふれる。
学生だからこその輝かしい日々、若さという特権が与えられた時間、それが等身大のドラマとなって現れているのだ。
『SLAM DUNK』は読者の共感(一般)を広く集めながら、奇跡の瞬間(特殊)を描く。両者が絶妙なバランスなのだ。
そういうわけで、『SLAM DUNK』とは究極の部活マンガである、とここで定義させていただきたい。

山王工業戦で花道は突如、選手生命の危機となるケガを負う。マンガとして考えるなら、ここでケガさせてはいけなかった。
しかし、現実に花道はケガをした。ケガをしてしまった。これによって、王者・山王工業を倒すという理屈を超えた奇跡と、
全国制覇の夢があっけなく次の試合で潰えてしまう現実とが交差する。『SLAM DUNK』は花道のケガにより終わったのだ。
もし山王工業戦で花道がケガしなければ、『SLAM DUNK』は少年マンガとして続かざるをえない。当初はその想定だった。
しかし花道は選手生命に関わるケガをして、理屈を超えた活躍をみせ、山王工業に勝利し、そして燃え尽きた。
そう、湘北も花道も作者も、バーンアウトしてしまった。すべては花道のセリフ「オレは今なんだよ!!」に集約される。
作者が花道に託して放った言葉の前に、そして山王工業戦の驚異的な描写の前に、
すべての読者がただ黙ってそれを認めることしかできなかった。そうして突如、『SLAM DUNK』は終わった。
何ごともなかったように代替わりして湘北高校バスケ部は再始動し、花道はリハビリに励み、物語は終わる。
最高の試合で勝利した記憶を鮮烈に残して、しかし時間は進んでいく。『SLAM DUNK』は夢から現実に戻ったのだ。
最後の最後で読者たちは強烈な現実を突きつけられる。それでも読者たちは不思議とその展開に文句を言うことはない。
なぜなら、『SLAM DUNK』に刻まれた時間は、夢を見ることで美しく輝く現実の記録にほかならないからだ。
花道がケガをして物語が終わっても、今度は読者たちにその時間が接続されていく、そういうマンガだからだ。
夢と現実のバランスという点でも、読者たちにバトンタッチするフィクションという点でも、『SLAM DUNK』は傑作である。


2012.6.12 (Tue.)

「バーンアウト」の影響でぜんぜんEUROを見ていないんだけど(いちおうHDに録画はしてある)、
さすがにW杯アジア最終予選のオーストラリア戦を見ないわけにはいかない。まったく世の中サッカーだらけだ。
しょうがないので、大量にゆでたそうめんをつるつるといただきながらテレビ観戦。抜け出せないねえ。

オーストラリアはアジア杯決勝(→2011.1.29)と同様に、ロングボールをガンガン入れてくる。もうそればっかり。
日本は必死で対処するんだけど、やっぱり危ない場面がチラホラ。見ているこっちはヒヤヒヤしてたまらない。
それでもさすが、川島がピンチをしのいで徐々に日本もリズムをつかむようになっていく。
日本は左サイドの香川から崩す場面が多かったが、プレーがどうにも他人任せでチャンスを決めきれない。
ミドルシュートをもっと撃てよ、ゴール前でパスじゃなくてお前が撃てよ!と何度思ったことか。積極性が足りない。

後半に入って千葉所属のマーク=ミリガンが2枚目のイエローで退場。10人になったオーストラリア陣内はスカスカで、
日本のパスサッカーが威力を発揮するようになる。押し込む日本に、耐えるオーストラリア。なかなかいい構図じゃ。
そして65分にショートコーナーから本田がゴール右横でひとり抜いてからマイナスのパス。栗原が合わせて日本が先制。
高さのあるオーストラリアに対して接近戦を挑んで結果を出す、本田の実力が存分に発揮されたゴールだった。
あの位置にいた栗原ももちろん偉い。これで栗原は代表のセンターバックとして誰からも認められた感じか。よかったねえ。

ところがやっぱりアウェイということで審判の帳尻合わせが始まって、日本はCKのピンチから内田が謎のファウル判定でPK。
これを決められて同点に追いつかれると、さらに栗原がこれまた謎の判定で退場。いくらなんでもこれは露骨すぎる。
日本もよく攻めたのだが、相手GKのシュウォーツァーがファインセーヴを連発。これはさすがとしか言いようがないなあ。
で、結局、1-1で勝ち点1をゲット。アウェイであの審判でこの結果なら文句なしだ。出場停止のダメージは大きいが。

この試合はとにかく審判のレヴェルの低さがあちこちで話題となった。そりゃ当然のことだと思う。
審判がいかに大変で報われない仕事かは重々承知しているが、さすがにあれはひどい。いくらなんでも、あれはない。
FKを蹴る直前でホイッスルという、前代未聞の終わり方がまたなんとも。自分の仕事に少し自信が持てたわ。

最後に、本田という選手について。北京五輪の際、僕は本田に対して厳しい批判をしている(→2008.8.18)。
「MFのアイツは二度と日本に帰ってくんな」とは当時の僕の正直な気持ちで、今もそう書いたことを後悔していない。
そのときの本田はやっぱり若かったんだと思う。しかしすごいのは、そこからわざと自分に厳しくして結果を出したこと。
南アフリカW杯のときも僕は北京五輪当時の本田に対する嫌悪感があったので、それほどきちんと評価しなかったが、
よく考えてみればすでにあの時点からすでに献身的なプレーを連発していたじゃないか(→2010.6.142010.6.25)。
そう、本田が日本代表に定着したのは、体の強さを生かして周りを使うプレーが抜群に上手くなったからだ。
本田の発言は確かにビッグマウスだが、それはどちらかというと自分を追い込むためにわざとやっているものととれる。
かつては違ったと思う。でも、今はプレーを見ればわかる。今の本田はエゴと気をつかうバランスが絶妙にとれている。
そこを素直に見抜けないできた自分は実に情けない。本田さん、すいませんでした、と素直に謝っておくのだ。
ぜひ本田には早いところロシアを脱出して主要リーグでプレーしてほしいと心から思うわ。くれぐれもケガには気をつけてくれ。


2012.6.11 (Mon.)

いい加減な一言でまとめると、「バーンアウト」ということでいいと思う。
授業でもマツシマ監督は燃え尽きたから辞任したい辞任したいとあちこちで言っていて、ヘロヘロ。
みんな優しいから生徒も先生方も「しょうがねえなあ」と笑って受け止めてくれるんだけどね。

というわけで、サッカー部が予想外の惜しい逆転負けを喫したという話はすでに学校じゅうで広まっていて、
顧問としてのマツシマさんの評価は各方面できちんと上がっているみたいなんですけど、やっぱり、
この3年間のことをきちんと分かち合った人に褒められたいの。でもそういう人っていないの。
本当に褒められたい相手がいないってのは、救われることがないってことで、つらいのである。

今日の放課後からすでに1・2年生だけでの練習になったのだが(6月中は3年生も遠慮なく出ていいって話したんだけど)、
あまりにオレが「辞任したい」と発言しすぎたためか、生徒たちはいつも以上に必死に練習していた。
どうも、生徒たちが「必死な姿を見せて先生の辞任発言を撤回させよう」ってやっていた感触がするんだよなあ。
まあどうせ、顧問、続けますけど。でも少しは休ませてくれよ。今の精神状態で何ごともなくサッカー続けるなんてできない。


2012.6.10 (Sun.)

雨で順延となったサッカー夏季大会のグループリーグ最終戦が行われた。
場所も比較的狭い校庭から広い埋立地のグラウンドに変更ということで、ウチには若干不利な条件。
相手は春季大会で優勝した学校である。勝ち方しだいで決勝トーナメントに行けるわけで、やるしかない。

移動している間、生徒たちはわりとリラックスした感じ。緊張と緊張感は違うのだ、と思う。
緊張はしてほしくないが、もう少し緊張感を持ってほしいなあ、と思いつつ歩いていきバス乗り場へ。
バスを降りると試合会場のグラウンドへ。次の試合の主審をやることになっているので、本部へ行って挨拶。
その後は生徒にスタメンの確認とウォーミングアップの指示を出す。そうして本部に戻って支度をする。

公式戦の主審はまだ2回目ということで、わりとやりやすい(と思われる)カードでやらせてもらえた。
このオレがサッカー公式戦の主審をやっているとは、と試合中に何度も不思議な気持ちになるのであった。
ちょっと前ならまったく考えられなかった光景だぜ。サッカーのサの字もなかったはずなのに。
10代のオレに「お前は将来サッカーで主審をやるぞ」と言っても絶対に信じないだろう。人生何がどうなるかわからん。
しかし、元気な中学生とまったく同じペースで走りまわってもぜんぜん息があがらない体力からすると、
明らかに僕は「向いている」のである。やっていて、その事実に気がついてしまった。この才能、なくはないわ。
特にトラブルもなく試合は無事に終了。これが最後の試合になる中学生も多いので、無事にできて本当によかった。

そこからはあっという間にウチと前回優勝校の試合。審判の短パン(ホントに短い)のままベンチの脇に立つ。
円陣を組んだ生徒たちは、今まででいちばん大きな声で「オレたちは強い!」とやる。そう、きみたちは強いんですよ。
3-3-1-3でスタートするが、相手の圧力が強いのとグラウンドが広いのとで、気がつけば4-2-3-1になっている。
でも右SMFから右SBに下がってしまった生徒が賢いので、しっかり機能している。監督、そのまま続行させる。
ポゼッションでいったらだいたい4:6。前の試合ほどセカンドボールを拾えていないが、体を寄せて守備はできている。
ボールホルダーだけに釣られず、相手のパスの受け手となる選手をマークできている。安定感はある。
サッカーはコンパクトに守ってワイドに攻めるのが定石だが、校庭の狭いウチの攻撃はどうしてもワイドになりきれない。
そこで大木サッカーの要素を取り入れて狭いエリアでのパスワークを磨いてきたつもりだが、
狙いどおりにできるだけ多くの味方を巻き込んで攻める攻撃ができている。でも、もう少し逆サイドの裏をとりたい。
そのためにはディフェンスラインが速く上がって全体を押し上げないといけない。そこがイマイチ遅い。
それを示すように、前の試合では面白いようにオフサイドをとりまくっていたが(→2012.5.27)、今日はそれがない。
原因は、中盤での競り合いが五分五分だからだ。それだけ相手が上手いのだ。思いどおりではないが、よくやれている。
これまでの試合で攻める感覚をしっかりつかめたようで、全体が押し上がる攻撃じたいはきちんとできている。
そして相手ゴール前で混戦となり、そのままこっちが先制。グラウンドが広いので詳細はわからなかったが、
一歩も引くことなく攻めての先制点に会場は大いにどよめく。まさかみんな、ウチが先制するとは思ってなかったろう。
オフサイドにかけることはできないものの、相手の攻撃を集中して止めることができ、そのまま1点リードでハーフタイム。

「これは当然の結果だ」とマツシマ監督。やるべきことを50分間やりきれば、勝てない相手ではないのは知っている。
「同じことをあと25分続けるだけでいい。簡単なことだ」とシンプルな指示。といってもそれだけで終わりってことはなくって、
オフサイドをかけられないことからディフェンスラインの動きが遅いことを指摘したり、攻撃が中央での消耗戦になっているので
相手サイドバックの裏をとるように言ったり、グラウンドの規模に合わせてひとつひとつのプレーを大きくするように言ったり、
ちゃんと監督らしくいろいろ指示を出していますよ。でも選手交代のタイミングが今まででいちばん難しい試合で、
そこで監督としての力量がはっきりする試合であることがわかっていて、ハーフタイム中に僕がいちばん慌てていたな。

後半に入っても、しばらくは同じ状況が続く。が、相手が積極的に交代カードを切ってきた。
こっちは交代しても体格面で戦える生徒が少ない。決して層は厚くないのだ。慎重に考えて入れ替えないといけない。
膠着状態がそのまま続くが、今までのことを考えるとそれは大健闘なのだ。でも、そう思わせない試合ぶりだ。
右SBになっていた生徒が体力的に厳しいと判断して出し、デカくて足の速い(ただし足下は上手くない)生徒を入れる。
すると生徒はみんなベンチに向かって「えー!」と叫ぶ。「中体連には再入場があるからそれまでがんばれ!」と返す。
われながらずいぶんと牧歌的なサッカー部だと思うが、そういう部活にしたのはオレなんだからしょうがない。
相手は遠慮なく、次から次へとどんどん選手を代えてくる。さすがはチャンピオンチーム、層が厚い。
ウチのメンバーもよくがんばっていたのだが、左SBになっている2年生が裏をとられる場面が出てきたので、
こちらもムードメーカーの生徒に交代。残り時間は10分を切ったか。その左サイドからFKのピンチとなり、
必死で守るものの押し切られてついに失点。1-1となってしまう。まあ、1-0で勝てるなんてハナから思っちゃいない。
2-1で勝つためには、もう一度、ランバージャックフットボールを徹底的にやるしかない。やりきるしかない。

賢く走ることのできる左SMFが疲れていたので、さっき抜いた右SBを再入場させる。ポジションはそのまま左SMF。
僕は生徒に自由にポジション交代する権限を与えているので(いい加減な監督だが、現場の判断がいちばん正しいはず)、
できるだけボールに触りながら調整していくように指示。同点にされても崩れることなく押し戻して攻めるが、
シュートを撃つ判断が遅かったりシュートが弱々しかったりでゴールは決められない。小さい雨粒が下りてくる中、
押したり戻したりが延々と続く。しかしこっちの疲労は確実に相手より大きく、動きは無意識のうちに小さくなる。
そして残り3分を切っているくらいで、相手がミドルシュートを放った。まさかこの位置で、という意識があったのか、
GKが反応できないままネットが揺れて逆転される。ぽっかり穴が空いたのを見逃さなかった相手が巧かった、と思う。
こっちは最後まで攻める姿勢を見せたが、時間は残酷に流れていって試合終了。1-2。ついに、勝つことはできなかった。
試合が終わると選手は相手ベンチに挨拶に行くのだが、妙に長い時間頭を下げられて困った。それだけ追いつめたか。
大阪夏の陣で徳川家康を追いつめた真田信繁(幸村)になんだかそっくりだ。グッドルーザー、か。

試合後、本部にいた他校の顧問の先生方からお褒めの言葉をたっぷり頂戴する。
「今日は見応えのある試合が多かったですけど、その中でもいちばん面白かった」「ひたむきで応援したくなるサッカー」
「審判をしていて走らされて本当に疲れた」「よくここまでいいチームになりましたね」「ベンチとの一体感がすばらしい」
「この大会でいちばん成長したのは間違いなくこのチーム」「ぜひ来年も今年と同じようなチームをつくってください」などなど。
正直、僕としては、そんなことはわかっていて、もっと早い時期にそういうチームに仕上げなくちゃいけなかったのに、
それが最後の試合までズレ込んでしまったことが悔しくてならない。褒められてうれしいけど、悔しくてたまらんかった。

最後にみんなで記念撮影をしたけど、泣いているやつが一人もいなかったのも悔しい。お前らはよく戦えたってことで、
うれしさが勝ったのかもしれないけど、オレはお前らの勝てる部分を最後まで引き出せなくて泣きたい気分だったよ。
監督の能力が足りないことも実感した。逃げ切るための的確な指示、追加点を取るための的確な指示を出せなかった。
ベンチから、ピッチ内で起きていることをきちんと把握できていないのだ。そこの経験不足(選手経験がないのも一因だ)、
それをはっきりと自覚させられて絶望的な気分になった。オレはもっとサッカーを勉強しなくちゃいかんのだ。

学校に帰るまでもつらかったし、家に帰るまでもつらかったし(川崎に寄ってスタ丼食って帰ったから長かった)、
家に帰ってからはもっとつらかった。オレが生徒と一緒にサッカーをやってきた3年間の価値、それがつかめない。
他校の先生方に褒められるだけのことはやった。保護者にお礼を言われるだけのこともやった。やり尽くした。
しかし自分の監督としての力、指導者としての力ははっきり不足している。満足していいけど、とても満足できない。
でも褒められたい。客観的に褒められるだけのことをした、でも主観的には満足できない、でも褒められたい。
「あなたはよくがんばった」そう言ってもらいたい。でもそう言ってくれる人がいない。そこだったか、と思う。
そういうことだったか、と思う。オレの3年間の話にじっと耳を傾けてもらいたい、でもそういう人がいない。

悔しくて、結局2時間くらいしか眠れなかった。保冷剤を頭に貼り付けて無理やり寝た。


2012.6.9 (Sat.)

『ガープの世界』。オススメしている人がどっかにいたので、見てみた。
監督が『スティング』(→2004.11.18)のジョージ=ロイ=ヒルということで、これは期待できそうだと思いつつ再生。

ベストセラーとなったJ.アーヴィングの小説を映画化したものなんだそうだ。原作は日本でも話題になったらしい。
話はとにかく二転三転、ものすごい勢いで次から次へと展開していく。まあそれがガープの人生そのものだからしょうがない。
看護婦のジェニーは結婚はいやだが子どもは欲しいということで、死にかけている兵士と強引に関係を結び、ガープを生む。
ガープはパイロットだったという父親に憧れて少年時代を過ごし、そのまま母親の職場である学校に入学する。
そうしてレスリング部に入ってコーチの娘・ヘレンと仲良くなって、そいつが読書家だったので小説を書くようになって、
つられて母親のジェニーも自叙伝を書いたらこれが大ヒット。ジェニーは一躍、ウーマンリブの担い手となってしまう。
ガープはガープできちんと高い評価を得てヘレンと結婚。主夫をしながら小説を書き、2人の息子が生まれる。
しかしこれでめでたしめでたしになるわけもなく、ジェニー支持者の過激な運動を批判したり車の事故に遭ったりいろいろ。
最後はもうしっちゃかめっちゃかで、あらすじを書く気も起きません。性転換したフットボール選手が名脇役なのは同意。
あとはエレン=ジェームズがえらい美人で驚いた。そんぐらいでございますでしょうか。

この作品は人によって本当に評価が真っ二つに分かれるようだが、見たところ絶賛する意見の方がやや多い印象。
で、僕の感想は、「何のためにこの作品をつくったのかサッパリ」という非常に低評価なところに落ち着いている。
だって、『スティング』のジョージ=ロイ=ヒルだぜ!? なんでこんなつまんないことになっちゃってんの? 理解不能だ。
どんどん変化していく波瀾万丈な人生をしっかり描いているということでは、なるほど確かにそうだとうなずけるけど、
だからってどこが面白いのかは僕にはさっぱりわからん。オレが他人の人生に興味を持っていないからなのか。
オレの思考回路が単純すぎるからなのか。思い当たる節はいろいろあるけど、やっぱりつまんなかったのは変わらない。
つまらないと感じたのは、感情移入ができなかったからか。ガープの人生に、自分と同じ要素をうまく見つけられなかった。
だから展開されるドラマを距離をもって見つめたままで終わってしまったわけだ。だってオレ、ガープほどモテないもん。
なんだよ、結局そこかよ、ということでおしまい。いやでもホント、それを抜きにしてもこの作品の意義が理解できん。


2012.6.8 (Fri.)

放課後に英検やっている最中に近所で火事が発生。サイレンがうるせーうるせー。窓を閉めきってどうにか対応。
英検の邪魔ってだけでなく、火事が起きるってこと自体がうれしくない。こういうの、どうにかなりませんものか。

サッカーW杯・アジア最終予選のヨルダン戦。日本代表は今までヨルダンに勝ったことがないということで、
テレ朝は不安をあおり立てるような演出で宣伝していたのだが、フタを開けてみれば6-0のお祭り騒ぎでやんの。
CKから前田、遠藤のスルーパスに本田、岡崎のシュートのこぼれ球を本田、内田の横パスを香川。前半終わって4-0。
最終予選でここまでのやりたい放題ができるもんなのか、と驚くしかない。いくらなんでも強すぎるんじゃないか。
後半に入っていきなり押し込まれるものの、そこを抑えると前田がPKをゲット。ボールを持って仁王立ちの本田に爆笑。
で、これを本田が決めて5点目。さらに終了間際に栗原が高い打点のヘッドで6点目。うーん、ホームとはいえ圧勝すぎる。
前線の破壊力はもちろんだが、この日は遠藤のパスがキレまくっていて、その視野の広さには鳥肌が立ったわ。
香川のマンU移籍が確実と言われているけど、日本はどこまでいくのやら。日本のサッカーにとってこれほど幸福な時間は、
後にも先にもなかなかあるんじゃあるまいか。いや、この先あってもらわないと困るのだが。
ともかく、今までとは何か違うレヴェルに到達した感がある。なでしことともに、いけるところまでいってくれ。


2012.6.7 (Thu.)

運動会のときに、放送室でクモを見つけた。体長が7mmぐらいで、ピョンピョンと軽快に跳ぶあいつ。
家にもよく出て、気がつけば部屋の中をピョンピョンと闊歩している。家のやつは黒と白のツートンカラーだが、
放送室で見かけたやつは同じ形だけど茶色っぽい。生徒たちと一緒に優しく捕まえると窓から外に出したのだが、
ハテ、あいつは何て名前のどんなクモなんだろう、と気になったので調べてみた。

インターネットというのは非常に便利なもので、とりあえず「トビグモ」といういい加減な検索をしても、
「アダンソンハエトリ」という正解に簡単にたどり着くことができる。本当にいい時代になったなあ、と思う。

で、アダンソンハエトリ。ハエトリグモの一種で、アダンソンさんが発見してその名になった。
面白いのは、「アダンソンハエトリ」と検索すると、「アダンソンハエトリ かわいい」という検索履歴も出ること。
確かにこいつ、めちゃくちゃかわいいのだ。やっぱり考えることはみんな一緒なんだなあ、としみじみ思った。
さすがにクモなのでドアップで見ると「うわっ!」ってことにもなるのだが、動きが本当に愛らしいので許す。
ふだん家に出る黒白パターンはオスで、放送室に出た茶色はメスだったのだ。なるほどなるほど。
『攻殻機動隊』(→2005.3.6)に登場するタチコマのモデルになっているという話もある。言われると確かに似ている。

 
L: 後日、家にオスが現れたので撮ってみた。不快に思う人がいたらゴメンナサイ。でもこいつ、本当にかわいいんだよ。
R: こうしてみると、確かにタチコマに似ているなあ。皆さん、こいつが出現したら、ぜひかわいがってあげてください。

世の中にはかわいいアダンソンハエトリをあえて飼っている人もいるようだし、
アダンソンハエトリ自体、人家に住み着くことが当たり前になっているクモのようだ。
こうなったら、もう、しょうがないので、今後アダンソンが出た場合には、素直に同居しようかな、と思う。
(今までは捕まえて外に出していた。虫嫌いの人はともかく、アダンソンは本当にかわいい動きをするのでとても殺せない。)
もっとも、アダンソンは僕の気づかないところで今も僕の部屋に住み着いているだろう。それを認める、それだけのこと。
しかしまあ、身近な疑問が解決するってのはたまらなく面白いな。アダンソンハエトリは小さいけど満足は大きいぜ。


2012.6.6 (Wed.)

今年は天体ショウの当たり年ということで、本日は金星の太陽面通過なのであった。が、見事に曇天。
これを逃すと次のチャンスは300年後ということで、さすがにそこまで生きていられる自信はないので残念がる。
しかし幸運なことに、生徒たちが下校するタイミングで雲の中から太陽が現れた。廊下に遮光グラスが用意され、
みんなでギリギリ最後のタイミングで金星観察。ギリギリすぎてイマイチよくわかんなかったのだが、
言われてみればちょっと太陽の円形がいびつ?という程度に金星の存在を確認できたので、ヨシとするのだ。
金環日食(→2012.5.21)が観察できなかった西日本の皆さんにはばっちり見えたようなので、そこはよかったと思う。

で、その後は別の学校に行って研究授業。授業の内容じたいはいい意味でふだんどおりで勉強になったんだけど、
それについての協議会がもう本当に嘘くさくていやだ。研究している気になっているけど、何も効果がない。
何から何まで建前のオンパレード。僕は生徒に教養をつけさせればもうそれで十分!と思っているので、
こういうごっこ遊びのムダな時間が本当に嫌いなのだ。そんなヒマがあったら名作映画を一本見て教養を深めたい。
頭の悪い教員ほど「ねらいどおりに生徒に教えられるいい教員になろう」としているんだけど、そんなもん、
生徒がどれだけ心を開いているかで決まるもんだと思う。生徒に心を開かせるには尊敬できる大人であればいいと思う。
尊敬できる大人になるには教養が必要だ。オレは絶対に「いい教員」にはなりたくない。「尊敬できる大人」でありたい。
だからどんなに「子どもへの接し方が幼稚だ」と言われても、誰にでも本音で話す年上の人のままでいることにしている。
ほかの人にはほかの人なりの正しさがあるけど、オレにとってはオレが正しい。邪魔される筋合いはない。


2012.6.5 (Tue.)

職場パソコンのハードディスクがぶっ飛んだ影響はとんでもなく大きく、新しいシステムで現状復帰させるだけで一苦労。
さらに失われたデータの量を考えると、もう本当に、怒りを通り越してやるせない気分にしかなれない。
勤務時間中は授業だらけでとてもとてもデータをつくり直すヒマなんてないので、放課後にちょこちょこやるしかない。
宿題チェックと部活がある中、一度つくったデータを少しずつつくり直していくというのは、非常に虚しい。

どうもここんところ、自分の力じゃどうしょうもない部分でがっくりとさせられることが多い。
いいかげんにしてくれ、とつぶやいたところで事態は改善しない。この状況をもたらした相手に届くことはない。
こういうときには前向きにコツコツやっていくしかないとわかっているので、おとなしくそうしている。
ちょうど2006年の日記の改修作業をやっていることもあって、出版社時代の閉塞感に似ているなあ、と思う。
あのときには使える時間をフルに活用して本を読んだりDVDを見たりして、ひたすらインプットに努めていた。
ならば今も、そういうタイミングなのかもしれない。気軽に物語に触れて、適度に現実逃避しながら切り抜けましょうか。


2012.6.4 (Mon.)

運動会の振替休日なのだが、今週末には試合を控えているので当然のごとく部活。
前回の試合で僕たちが引き分けた学校が、0-4で僕たちに勝った学校を破ったとのこと(→2012.5.27)。
つまりこれで、僕たちにも予選リーグ突破のわずかな可能性が残されたということだ。
もともと僕らは「とにかく1つ勝とう」という立場だったわけだが、勝ち方によってはプラスαのご褒美が見えてきた。
でもそんなものはどうだっていい。前回優勝の学校を相手に自分たちのサッカーをやりきる、ただそれだけなのだ。
日差しは厳しいし運動会の疲れもあるので無理はさせられないが、そのことを意識させつつ練習を進めていく。
が、どうにも生徒たちに今ひとつ緊張感がない。これじゃ勝てる気がしねえなあ、と思いつつも、
最高潮のメンタル状態を再びどうつくっていくか考えながら練習。頼むからもうちょっと賢くなってほしい。
生徒たちは、自分の置かれている状況を客観視できるだけの賢さを身につけてほしい。今のままじゃお子様すぎるよ。

実は昨日の運動会の最中、職場で使っているパソコンがぶっ壊れた。運動会が終わったら変な画面になっていて、
ハードディスクをぜんぜん認識してくれない。この症状は2日ほど前に音楽の先生のパソコンで出ていたもので、
まさか自分のパソコンでもこんな事態になってしまうとは、と茫然とするよりない状況である。
ほかの先生たちが慌ててネットワークにバックアップをとっているのがなんとも恨めしい。運が悪いぜ、トホホ。

この件でどれくらいの大ダメージを食らったかというと、まず、生徒の成績をつける資料が完全に全滅。
そして僕自身がコツコツやってきた財産であるプリントも全滅。すっからかん。個人的にはそっちの方が痛い。
部活が終わって職員室に戻ったら、今まさにパソコンの症状チェックの真っ最中だったのだが、
データを回復させられる可能性は非常に低いと言われて、かえって開き直ってしまっている心理状況である。
この損失は、具体的にどんな形で埋め合わせてもらえるのかね。まさかなんにもナシかね。
こっちだって誇りを持って毎日コツコツ仕事をしているわけで、その辺を誰がどう責任をとってくれるのか。
なんともやりきれない。


2012.6.3 (Sun.)

運動会なのだ! 昨晩遅くにかなりの勢いの雨が降ったそうで、校庭の端っこはまだ濡れている。
朝から係の生徒と先生が雑巾を持ち出し、水を吸わせては絞るという非常に地道な作業を繰り返している。
天気予報では午前中と正午近くに雨が降る可能性があるとのことで、いろいろ不安はあるが、9時にスタート。

わが放送係は本番にならないとわからないことがけっこう多いポジションである。
予行とは比べ物にならない歓声なので音量調節もやり直しだし、選手入場のタイミングも早くなっている。
そこをどうにかやりくりしながら、生徒と一緒にあれこれ必死で動きまわるのであった。
といっても、今年の相方の先生はどんどん動いてくれるので、僕はそれほど仕事をした実感がない。
なんだかんだでミスが多かったのは反省点である。特に「生徒ができるだろう」と油断したミスが多かった。

運動会の内容じたいは非常に白熱して盛り上がった。テンポもよかったし、文句なしの内容だ。
若手の先生が主体となって考えた騎馬戦の演出は非常に秀逸で、これはやっていて面白かった。
(入場前に法螺貝のSEを流し、BGMには『パイレーツ・オブ・カリビアン』のエンドクレジット曲を使った。
 きちんとこだわってやるといいものができる、ということをあらためて学ばされた感じである。)
一橋オープン(→2006.7.14)ではそういう面白さの連続だったわけで、最近は「そこそこ」で流していてばかりだ、
という事実に気づかされた。でもリキを入れても休むヒマがないんだよなあ……。

まあ、そんなこんなで今年も無事に運動会が終わった。すぐに切り替えて部活に集中しないと。

夜は早めに帰ってサッカーW杯・アジア最終予選のオマーン戦を見る。後半から見たのだが、3-0で日本の勝利。
最終予選に楽な試合などない、というのは百も承知だったのだが、これは考えられるかぎり最高のスタートだ。
得点シーンも見事なものばかり。1点目は前田・長友で鮮やかに崩した左サイドからのクロスに本田がボレー。
2点目は前田が厳しい角度から貫禄を見せつけるゴール。3点目は前田のシュートのこぼれ球を岡崎が押し込んだ。
正直、もっと点が取れたんじゃないかってくらいのパフォーマンスだったが、相手GKがさすがに上手かった。
まあ、きっちり3-0で勝ったというのは十分すぎるぐらいの結果であると思う。日本は本当に強くなったなあ。


2012.6.2 (Sat.)

土曜だけど授業、そして運動会の前日準備。テントを立てるのを手伝うと、放送係を引き連れて放送室へ。
昨日忘れていた分のアナウンスを録音・編集し、生徒たちにアナウンスとミキサーの通し稽古をさせる。
ご存知のとおり僕はテキトー人間なのだが、もうお一方の先生が非常にきっちりと確認をしてくれたので、
生徒たちも予行と比べてずいぶん成長した感じ。これなら本番はそれほど混乱なく仕事を進められそうだ、
という十分な感触を得て解散。今週の勤務状況は半端ないので、午後はのんびり過ごすことにする。
本当なら予定を入れて楽しく過ごしたかったのだが、まあしょうがない。いい休息の機会とするのだ。

というわけで、自転車を軽く走らせつつ日記を書いて過ごす。晩飯は気合を入れてスタ丼じゃ!
しかしスタ丼ってのは本当によくできた料理だと思う。僕は飯田生まれスタ丼育ちなのだ。スタ丼食ってりゃ幸せ。
そんな生活でモテるはずなどないのだが、スタ丼が旨いからしょうがないのだ。


2012.6.1 (Fri.)

職場はすっかり運動会モードで動いていて、自分が頭で考えているよりも体はずっと忙しい感じ。
おかげで日記を書く気力が出ない。大掛かりなログでなく、ちょっとした内容のものであっても、なかなか書く気が起きない。
まあ書く気が起きないのは仕事のせいだけじゃなくて、ちょっと(いやだいぶか)引っかき回されていることがあって、
それで精神的にいっぱいいっぱいになっているせいでもあるのだ。これについてはもう、自分のメンタルの弱さを笑うしかない。

というわけで、運動会雑感。連日、1年生たちの組体操の指導にあたっているのだが、連中はとにかくお子様である。
ちょっと痛いとわめくし、もう少しだけガマンすればできるのにそのガマンができない。
何かあるととにかく自分のことは棚に上げて、やたらめったら口を出す。情けないくらい小学生そのものなのである。
短気な僕はそのたびに「大人は黙って行動で示すもんだ!」とダメ出し。「他人のことなんてどうだっていいんだ、
まず自分がきちんとできているか考えて、そこでやるべきことをやれ!」このオレにそんなことを言われちゃうとは、ねえ。
で、今日、「叫びたいのをぐっとこらえて、それを力に変えて耐えてみろ!」と言ったら見事に5段ピラミッドができあがった。
コツをつかんだ生徒たちは大喜び。これで精神的にもひとまわり成長してくれると大いにうれしいのだが。
でももう片方のクラスは口ばっかりの甘ちゃんがもっといっぱいいるので、最後のところでどうしてもピラミッドが立たない。
寡黙に構える男の方がいざってときに力を発揮するもんですな、と同僚の先生方とうんうんうなずき合うのであった。

放課後、放送係のアナウンス収録。生徒が全員参加の種目に出ていてアナウンスできないときに流す音源をつくるのだ。
狭い放送室にぎゅっと集まって作業をしたのだが、なんせ日程に余裕がないので、どうしても仕事が同時並行になる。
校庭で踊る応援団のBGMを流しながらアナウンス練習をして、さらに放送手順の確認もやるというめちゃくちゃさ。
それでもマジメな生徒が多かったので、比較的順調に本日分の仕事は終了。放送室であれこれ機材をいじっていると、
オレは小学生のときから中学・高校とぜんぜんやっとること変わらんなあ、大学のクイ研でも音響のエキスパートだったし、と、
なんともノスタルジックな気分に浸りながら作業。生徒が帰った後も、放送室に一人残って曲を整理して過ごす。
本当にやっていることが変わっとらんわ、と思っていたら地震が発生。いくらなんでもドタバタすぎますぜ。

そんなこんなで毎日ジタバタ忙しくしているのだが、なんというか、やっぱりパーッとどっかに旅に出たい気分である。
いやまあ今月末にはしっかりその予定を入れているんだけど、中間テスト前が旅行に使えなかった分だけ、
どうにもフラストレーションがたまっているのだ。あと1ヶ月、黙々と耐えることができるんかな、とぼんやり思うのであった。
なんかこう、仕事と違うところでワクワクドキドキでうわーっとなっちゃうようなこと、起きませんかねえ!


diary 2012.5.

diary 2012

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