今回の小笠原旅行はニシマッキーにほぼすべてお任せである。有能な後輩を持つと楽ちんでいいわい。
で、ニシマッキーは大晦日の本日に海でのアクティヴィティを、元日の明日に山でのアクティヴィティを設定。
おがさわら丸が片道25時間半かかってしまう関係で、小笠原に実際にいられるのは3泊になってしまう。
感覚的には3泊3日半といったところだ。それを考えると、妥当な詰め込みっぷりであると思う。8時20分ごろに大型のワゴン車の迎えが来た。途中でなんと女性ひとりのツアー参加者を拾い、そのまま二見港に到着。
本日の海でのアクティヴィティはイルカとクジラがターゲット。とはいえどちらも気まぐれな野生動物なので、
確実に会えるという保証はない。プロの経験と運に任せるしかないのだ。天気は曇り、波は予報よりも高い感じ。
そして今日は南島への上陸も予定している。なんせ南島は一日に100人しか上陸できないのだ。これは行くしかあるまい。
しかし南島の貴重な生態系を守るため、ボートに乗り込む前に靴底をブラシで洗わなくてはならないのだ。
土や何気ない草の葉っぱが靴底には意外としつこく付着していて、きっちり洗うのはそこそこ手間がかかった。ボート2隻でいざ出航。天気晴朗じゃないし波もそこそこ高い。
まずは二見湾から出て、様子を探る。ツアーのスタッフは無線を使って業者同士でイルカやクジラの出現情報を交換し、
狙いを定めて船を走らせる。イヤな予感がして出航直前に酔い止め薬を飲んだのだが、それが大正解。
僕は船の後部右側に陣取ったのだが、乱高下する波を上から下から眺める感じになって、海の厳しさを実感させられた。
すると、わりと早い段階でイルカの出現情報をキャッチ。現場に急行したところ、見事にイルカの群れを発見。
ハシナガイルカという種類で、その名のとおりくちばし部分が長いイルカとのこと。船の上からしばし観察。
しかし波が大きくって、ボートを止めるとまるで木の葉のように頼りなく揺られ放題になってしまって、
カメラでじっくり撮影なんてとても望めない状況なのであった。それでも根性でシャッターを切ったオレ偉い。
L: 二見湾から出たところ。昨日おがさわら丸で来たときとはえらい違いなんですけど! 波が立体的に迫ってくる。
C: ハシナガイルカの群れを発見! 揺れるボートの上から撮影するのはめちゃくちゃ大変だったけど、どうにか撮った。
R: イルカのイルカらしいシーンが撮れたのはこの一枚ぐらいなのであった。まあでも、いちおうイルカを見たぞ。ハシナガイルカはつねにわれわれ人間の前にその姿を見せてくれるわけではなく、潜っている時間の方がずっと長い。
そうなってしまうと彼らの居場所を突き止める手段はなくなってしまう。360°注意しながらじっと待つしかない。
それで「出たー!」となると、その場所へ急行。そして波と格闘しつつ観察。それをひたすら繰り返すのであった。
この日は波が高かったので、ぱっと見ても波なのかイルカなのかクジラなのか何なのかよくわからない。
しかし海面上に黒いトゲがいくつも現れると、それがハシナガイルカなのだ。本当にトゲが生えたように見える。
ところで小笠原周辺で見られるイルカはもう一種類、ミナミハンドウイルカというのがいる。
こちらは船上で観察するしかないハシナガイルカとは違い、なんと一緒に泳ぐことができるのだ。
本当はそれを期待して海に出たのだが、残念ながらこの日はミナミハンドウイルカに遭遇することはできなかった。
まあ、相手は野生動物なので、ハシナガイルカにきちんと出会えたことを素直に喜んでおくのだ。やがてハシナガイルカの群れが姿を完全に消してしまったので、われわれもあきらめて次の行動に移る。
一日100人限定の南島上陸を果たすことにした。南島は父島のすぐ南西にある小さな無人島で、
小笠原諸島ならではの独特な固有種をたくさん保っていることと美しい景観とで、非常に有名なのだ。
本当は11月~2月上旬は自然保護のために上陸が禁止されているのだが、書き入れ時の年末年始は特別にOK。
そんなわけでボートはぐんぐん南へ。途中でジョンビーチやジニービーチという珊瑚礁らしい美しいビーチがある。
陸路で来るのはまあ不可能で、シーカヤックでアクセスするしかない。だからこその、この美しさなんだろう。
周辺は南島瀬戸と呼ばれる場所で、珊瑚が海底を埋め尽くした浅い海なので、透きとおった青い輝きに目を奪われる。
空は厚めの雲に覆われており太陽の光は鈍いが、それでも海は確かに輝いていた。これには船酔いが吹っ飛んだ。南島へのアクセスは南側にある鮫池という湾からになる。ここはその名のとおり、暖かい時期にはサメが来るという。
といってもネムリブカというきわめておとなしい夜行性のサメなので、ホラーな事態になることはない。
もっとも、湾の浅瀬が埋め尽くされるほど大量に来ることもあるらしいので、それはそれで気持ち悪いかもしれない。
さて、鮫池にボートを停泊させて上陸準備を済ませたのはいいが、目の前にはかなり険しい絶壁のような岩場がある。
実はこれ、よく見たら珊瑚の跡の石灰岩。「ラピエ」というらしいのだが、これがやたらと鋭くあちこちが尖っているのだ。
ツアーガイド曰く、「ここが南島でいちばんの難所」。しっかり注意しながら一人ひとり慎重に登っていく。
さすがに刺さりはしなかったが、それでもラピエをつかんだ素手には尖った部分の跡が5分ほど残る有様だった。
L: 鮫池の湾内に入って眺める南島。南島は全体が国の天然記念物に指定されており、世界遺産の舞台でもある。
C: 上陸者数をカウントする東京都職員。ひたすらずっと監視。上陸可能なときは青い旗、これが黄になり、赤だと上陸禁止。
R: この写真は実は南島から帰るときのものだが、行きもだいたい同じような光景だったので、参考までに貼り付けてみた。無事に全員上陸すると、ガイドの後について南島の中心部へと歩いていく。が、みんな一列になって、
踏み石の上をきちんと歩かないといけない。石の周りに自生している芝も、貴重な種なんだそうだ。
足下に気をつけながらデジカメのシャッターを切るのは意外と難しかったが、そこはきちんとルールを守りましたよ。
L: 鮫池の浅瀬。ここにネムリブカがウジャウジャってこともあるそうで。しかし水がきれいだなあ。
C: 無事に南島に上陸。ガイドの指示に従って注意深くコースを歩いていく。 R: 左手にはラピエの山が。しばらく進んだところで、右へのルートに分岐。東尾根に登ってみるのだ。
本土ではまず見かけない木々の間をかき分けるように進んでいく。けっこう急な石段となっており、
しっかり注意しながら黙々と登っていくと、都職員の皆さんがカウントしている現場近くまで到着。
そこからさらに進んでいって尾根に到達すると、少しだけ開けた感じになっていた。
L: 東尾根へのルートを行く。それほど難度が高いわけではないのだが、急なので十分な注意が必要。
C: 東尾根から眺める父島の南西端。ジニービーチやハートロックが見える。とにかく海がきれいだわー。
R: 北の陰陽池方面を眺める。珊瑚礁によるカルスト地形ということで、秋吉台(→2007.11.3)にすごくよく似ている。しかし東尾根からの眺めでなんといってもすばらしいのは、やはり南島の象徴といえる扇池を見下ろす光景。
鮫池からパノラマで撮影してみたのだが、いかがなもんでしょうか。カルスト満載な感じに仕上がりました。東尾根からの眺めを堪能した後は、来た道を戻っていよいよ扇池へ下りてみる。
西からの波によって浸食され、もろい石灰岩に穴が開いてしまってできたのが、この扇池。
珊瑚礁の海岸特有の青をたたえたその姿は、観光ポスターなどでよく見かける。それが今、目の前にある。
欲を言えば、もうちょっと天気がよくって少しでも太陽光線を直接受けることができれば、
海はなおいっそう見事な輝きを見せただろう。でもまあ、ここに来ることができただけでも御の字なのだ。
L: 扇池。世界自然遺産・小笠原を象徴する景観と言っても過言ではあるまい。 R: 記念撮影してもらったのだ。扇池に面している浜辺もまた、非常に独特な姿をしている。砂浜が斜面のけっこう高いところまで続いているが、
そこに何やらびっしりと置かれているものがある。よく見ると、それは無数の巻貝の殻のようだ。
実はこれ、1000年ほど前のカタツムリの殻なのだそうだ。多い時期にはもっと大量に出現するという。
小笠原諸島がカタツムリの島々なのは知っていたが、さすがにその証拠を圧倒的な迫力で示されるとびっくりだ。
その手前には羽と骨の固まりが落ちていたのだが、これは巣立てなかった鳥の子どもの死骸なのだそうだ。
南島はすべてが天然記念物で、動かすことができない。そのため、死骸が残ったままになっているというのだ。
夜になるとオカヤドカリたちが現れてスカベンジャーしていくらしいが、なんとも驚かされる光景だった。
L: 砂浜にある点はすべてかつてのカタツムリの殻。 C: 近寄ってみるとこんな感じ。いろんな種類がある。
R: 砂浜に転がったままの鳥の死骸。南島ではすべてが自然の状態のままとなっているのがよくわかる光景だ。無線でクジラの目撃情報が入ったらしく、ツアーガイドさんはソワソワしだす。サービス精神旺盛なのだ。
そんなわけで南島の主要な部分はしっかり体験できたので、先ほどのラピエの難所を越えて船に戻る。尖っているのがかえってうまく引っかかるので、落ち着いて下りれば怖くない。
クジラの動向を気にしつつ、南島から父島の南に出て、そのまま東側へと抜けていく。
父島の、海に面した部分は断崖絶壁になっているところが非常に多い。そして、それらは独特な紋様を描いている。
専門用語では「枕状溶岩」と呼ばれるもので、紋様は火山の噴出物が急激に冷やされることでできるという。
しかしそんな黒くて豪快な断崖絶壁の中に、なぜか赤く露出している部分がある。千尋岩というのだが、
一般にはその形から「ハートロック」と呼ばれる。父ちゃん(父島)から母ちゃん(母島)へ向けてのハートマークになっている。
ちなみにこのハートロックの上まで来るツアーもあるのだが、てっぺんに柵などは一切設けられていないそうだ。
ガイド曰く、「小笠原はオトナの観光地だから、自己責任でお願いします」。柵なんてあったら興ざめだもんな。波が穏やかな巽湾内でボートは停止。プカプカ浮かんでいる船内で弁当をいただく。おいしゅうございました。
休憩を終えて父島の東側に出ると、潮の関係でやたらと波が高い。しかし朝から空を覆っていた雲はだいぶ消えてきて、
青い空からまぶしい日差しが降り注いでくるようになってきた。おかげで高い波はむしろ、
ボートでのクルーズを彩る演出となってくれた。南の島らしい真っ青な海の上、ボートは飛沫をあげて走る。
さながら、ジェットコースター感覚。全身ずぶ濡れになりながら北へ走る時間は実に楽しゅうございました。
特に、乗り物に強いみやもり夫人・マユミさんはとってもノリノリなのであった。よかったよかった。
L: ハートロック。高所恐怖症としては、これは海からボートで眺めるものだと思うんですが。
C: 父島の枕状溶岩による断崖絶壁。南側から東側まではずーっとこんな感じの光景が続いている。
R: ザブンザブンとひっきりなしに飛沫を浴びながら、東島を撮影。この角度からだとゾウみたいだな。やがて兄島と父島の間にある兄島瀬戸に入る。この兄島の南西端にあるのがキャベツビーチだ。
ノヤシの幼い葉っぱは、軽く丸めるとキャベツの葉に似た見た目になる。そんなノヤシが多くあったので、キャベツビーチ。
ここでシュノーケリングを30分ほどやったのであった。新しいデジカメの防水パックが威力を発揮し、
いろいろと面白い写真が撮れた。魚の種類は沖縄(→2007.7.23)や八丈島(→2009.8.23)とあまり変わらない。
でも数はかなり多かったこともあって、まったく飽きない。膀胱が限界になるまでずっと泳いで過ごした。
ただ、キャベツビーチは少し潮が速くてわりと流された。フィンがなかったらちょっと大変だったかもしれない。
L: エサを撒いていたのか、大量の魚が集まっていた。 C: 近いっての! R: うおー、デカいの(ナンヨウブダイ)がこっちに来た!
L: ナガブダイのオスかな。優雅なもんだ。 C: いろんな種類がのん気に集まっている。 R: これは魚類のウミヘビで、アナゴの仲間。
L: ニセフウライチョウチョウウオ。 C: 海面近くでも、底の方でも、いっぱい魚がいる。 R: ウメイロモドキは本当にきれい。
L: 密談中ですか。 C: スジクロハギの群れ。 R: タテジマキンチャクダイ。魚は頭を上にして考えるのでこれは縦縞です。シュノーケリングを終えると、いよいよクジラ探しのリヴェンジである。イルカは見ることができたので、
やはりどうしてもクジラも制覇しておきたいわけだ。イルカはわりと沿岸にいるのだが、クジラがいるのは沖合。
今の時期は派手なアクションを見せてくれるザトウクジラが期待できる。やはりこれは見てみたい。しかし、なんといっても懸案事項はどんどん荒くなってくる波である。父島から離れて西島方面を攻めたのだが、
これがもう凄まじいとしか形容しようのない荒れっぷりで、もう本当に、「笑うしかない」レヴェル。
水平線の果てまで際限なくうねる波は、つねに角度を変えながらも目の前にそびえる青い壁でしかない感じ。
サーフィンと同じく波の進行方向に対して垂直に進むとき(つまり、波に乗ってしまうとき)には多少楽になるが、
ちょっとでもその角度がズレるともうしっちゃかめっちゃか。終わることのない上下動に翻弄されるのみとなる。
波に高く押し上げられれば、360°を荒れ狂う波に囲まれている光景を目にして絶望的な気分になる。
その次の瞬間には急降下し、今度は360°を背の高い青の壁に囲まれてほかに何も見えなくなる。その繰り返し。
賢いみやもりはボートの後部中央でじっと座ってやり過ごすが、マユミさんはそれでも楽しそうに見えた。強い……。
僕は僕で、どうにかこの厳しすぎる状況をカメラで記録できないかと考えてはみるものの、
すぐに「やっぱ無理ー!」とあきらめる、でもさすがに記録しておきたい、ああやっぱり無理だ、という無限ループ。それでも多少の運があったようで、波に頼りなくもまれているボートたちが集まってきたところで、
視界の先にクジラが噴き出したブロウ(潮吹き)を一瞬ながらも小さく小さく見ることができた。いちおう。
その後もツアースタッフはクジラを追いかけてけっこう長い時間、荒波をかいくぐり続けたのだが、
海の男ではない(そもそも海なし県人ですもん)僕としては、正直、命の危険とはこういうものか、と思うのであった。
たぶん本当に危険なレヴェルには達していなかったんだろうけど、日常とは違う種類の覚悟のスイッチが入りかけたね。
大晦日なんだけど、2011年でいちばん怖かった。地震はいつか終わるけど、荒波は陸に帰るまで続くんだぜ。
そんでもって自分のいる位置が50cm外にズレたら、そのまんま重力に引かれて地球の奥までサヨウナラなんだぜ。結局、クジラ探しを続けたところでコンディションが悪すぎるのは明白なので、ほどほどのところで切り上げた。
この日二見湾にやってきた大型客船「きそ」が、湾内のブイに繋留されて優雅に構えていた。この差はなんなんだ。
夕日に染まりつつある「きそ」を尻目に、二見港に帰る前にちょっと寄り道。境浦のそばで座礁している船を眺める。
これは第二次世界大戦中に攻撃を受けた貨物船「濱江丸」で、すっかり真っ赤に錆びきった姿となっている。
ちょっと前まではもう少し船らしい姿をしていたらしいのだが、最近かなり腐食が進んだという話である。
そしてこの濱江丸はもはやいい感じの魚礁となっており、シュノーケリングの名所になっているそうだ。
L: 船体がほとんど沈んでしまっている濱江丸。第二次大戦以来のランドマークというところに、小笠原の凄みを感じる。
C: それでもまだがんばって海上に姿を現している部分をクローズアップ。 R: 海から眺めるおがさわら丸。二見港に接岸すると、本日のアクティヴィティはこれで終了。いやー、地面が揺れないってすばらしいですね。
帰還というよりは「生還」って感じである。本当に楽しかったんだけど、最後の強烈さが凄まじかったですなあ……。しばらく放心状態になりつつも、気を取り直して支度を整え、宿までに戻り、態勢を整える。
夕食は買い出しして宿でつくろうか、ってなことになって大村のメインストリートに再び繰り出したのだが、
散策がてら土産物を見て過ごしているうちに、もういいや、店で食っちゃえ、といった雰囲気に。
そんなわけで本日のディナーはちょいとアメリカンテイストを漂わせたレストランでいただいたのであった。
値段がそこそこ高いなあ、と思ったのだが、出てきた料理はそれにしっかり見合うだけのヴォリュームがあった。
そういう経緯もあり、昨日のことを考えても、小笠原のメシ屋はどこもそんなにハズレはなさそうな印象がした。メカジキのステーキをいただいた。とにかく柔らかく、ナイフで切りたいように切れる。
宿に戻るとお菓子をつまみつつ『紅白歌合戦』。僕としてはもう紅白なんてまるっきり興味がないのだが、
世間一般ではまだまだ大晦日の風物詩であるらしい(そして『ガキ使』の「笑ってはいけない~」は録画するようだ)。
ちょうど芦田愛菜と鈴木福のコンビが歌うところで、民放のドラマから始まったブームに我が物顔で乗っかるNHKに、
どうも釈然としない感情を覚えるのであった。AKBもちょこちょこ出てきて、「こじはるだけでいいわい!」と叫ぶ僕。今回の紅白は韓流ブームということでK-POPのグループが出ていたが、正直、楽曲のクオリティはかなり低いと感じた。
KARAはさすがに多少はポップだが、少女時代も東方神起も場の雰囲気を落とす曲だった。ない方がずっといい。
他方、日本の歌手もレヴェルの低さが目立っていた印象だ。独りよがりな自己満足の産物でしかない歌は必要ない。
とはいえ椎名林檎はさすがの貫禄を見せてくれたし、郷ひろみには格の違いを感じた。
また、震災復興関連ということで歌われた歌は、全般的にすばらしかった。それだけで固めてもよかったくらいだ。
さらに今回は演歌勢の実力が実感できたことと、カヴァー曲のパフォーマンスが優れていたことも特筆すべきだろう。
そんなわけで、『紅白歌合戦』はカヴァー限定、持ち歌禁止でやってみたらどうかと提案したい。
そうすると、本当に優れている歌手の実力を、本当に優れている楽曲で、正当に味わうことができるのではないかと思う。
結果的にはその方が、歌手にとっても楽曲にとっても幸せなことで、さらに新たな名曲の発見の場にもなると考える。
この条件で成功する方が、「祭り」としての『紅白歌合戦』の完成度はより高まるはずだ。NHKは本気で検討してほしい。EXILEが出てきたのを合図に、もう一度大村へ行く準備を始める。大神山公園でのカウントダウンパーティに行くのだ。
着いたらちょうど、小笠原の一年を振り返るスライドショーの真っ最中。ローカルながらもけっこう凝った内容だ。
来場者にはサービスで「緑のたぬき」がもらえたのだが、僕らが並んでいた直前でなくなってしまったのは残念。
あれこれ雑談していたら、いよいよカウントダウンがスタート。これがなぜか、1秒1秒がやたらと速く感じられ、
本当にあっという間に2012年になってしまった。時間の流れの速さにオロオロしている間に新年を迎えてしまった。2012年になって、ステージでは太鼓の演奏が始まった。
こんな遠い場所で2012年を迎えることなんて、ちっとも想像できなかったなあ……なんて思っているうちに、
太鼓の演奏は終了してパーティじたいも終了。参加者はかなりあっさりと会場を後にするのであった。
ここから朝までいろいろやらないんだ、とちょっと拍子抜けした。でもよく考えてみれば、正月になったとはいえ、
明日もどうせ観光客はアクティヴィティだし、地元住民は観光客の相手をすることになるのだ。
書き入れ時の小笠原村民の皆さんは、元日もいつもと同じように、朝から弁当をつくって店を開けて過ごすのだ。
年が明けたという感覚が、ほとんどまったく持てない。こんな感触の正月は人生で初めてである。
まあでも、そのこと自体も愉快でたまらない。2011年は愉快に終わり(海は怖かったが)、2012年は愉快に始まった。
船に乗っていてムダにテンションが高まっているのかなんなのか、日の出を見るのだ!ということで早起き。
みんなで外に出て、船の進行方向の左側で太陽が現れるのを今か今かと待ち構える。
大量の観光客が乗っていることもあり、考えることは一緒で、みんなデジカメを準備して固唾を飲むのであった。
しかしまあ、きれいな朝焼けでございましたな。というわけでハイ、日の出。
昨日のこともあるので、朝食はちょっとピークをずらしてレストランに行ってみることにした。
そしたらわりとあっさり、ありつくことができたのであった。ご飯とみそ汁がおいしゅうございました。
朝メシを食ったら元気がありあまる状態に。そして9時過ぎには東に聟島列島が見えだした。
海岸線から突き出たその外観は非常に複雑で、自然の神秘にただ驚くしかないのであった。その後はスカパー!でサッカーの試合が映ったので、しばらくそれを観戦。
3月の震災直後に行われた松本山雅×FC東京のチャリティーマッチの再放送で、松田が山雅の3バックの中央にいる。
山雅にしても松田にしても、その後の経緯を知っているから、なんとも複雑な気分になりながら見るのであった。
そんなこんなで11時近くになると、いよいよ目の前に父島列島が現れた。船は兄島を越え、ゆっくりと二見湾内へ。
L: 複雑なグラフみたいな形をしている聟島列島の島々。聟島列島はすべて無人島だが、この環境じゃ暮らしづらいわなあ。
C: いよいよ父島列島に入った! 父島列島で人が住んでいるのは父島だけ。母島列島は母島だけ。まあ無理もないよな。
R: 二見湾内に入ると、対岸に集落があるのが見える。本土から南にはるばる1000km、ついに小笠原に来たのだ!竹芝から父島の二見港までは25時間半の予定だったが、ほとんど揺れることなくきわめて順調に航海できたので、
20分ほど早く到着することができた。二見港では南国らしく、スティールドラムの演奏でお出迎え。
この年末年始が小笠原最大の書き入れ時であるのだが(まとまった休みが取れるのはみんなここしかないもんな)、
宿の名前を書いた札を持った皆さんがいっぱい集まっての歓迎ムード満載である。うーん、すばらしい。さて、おがさわら丸の定員は1031名。そして今回乗り込んだ乗客は総勢880名ほどということで、
実は9割ほどの乗船率だった。しかし乗っているこっちの感覚としては満員にかなり近い感じであり、
下船するときには各デッキから乗客が2箇所の下船口に集中するのでしっちゃかめっちゃかなのであった。
小笠原に上陸する際には環境保全ということで靴を消毒したりするのかな、と思いきや、それはなかった。
(後で聞いたが、父島は被害をかなり受けているため、むしろ「父島から外に出さない」対応となっていた。)
なんでもないコンクリートの地面だが、揺れることのない地面、何より東京から遠く離れた島に上陸したわけで、
ついに来たー!とちょっと興奮。ついにあの小笠原にやってきてしまったのだ! ウホホホホーイ!
L: 二見港では小笠原の皆さんが大集合して船を迎える。スティールドラムの演奏が南の島に来たんだという気分を加速する。
C: おがさわら丸を下船して振り返る。今は空前の小笠原ブームなのだが、しかしまあ本当にいっぱい観光客がいるなあ。
R: お世話になった(後でまたお世話になる)おがさわら丸をパチリ。定期運航する旅客船としては国内最大なのだ。ところで小笠原には、ニシマッキー夫人であるところのミユミユさんの元同僚である先生がいらっしゃり、
わざわざお出迎えに来てくださったのであった。サッカー部の顧問なんだそうで、見るからに体脂肪率が低そう。
着ている上着の胸にはリヴァプールFCのエンブレム。うーん、こりゃ顧問の段階でウチの負けですね。まずはさっそく宿とレンタカーの手続き。といっても仕事のできる男・ニシマッキーさんにすべてお任せ。
今回われわれがお世話になったのは、島の中心部からはちょっと離れた位置にあるコテージ&トレーラーハウス。
そのまますぐに現地へ向かったのだが、最後の猛烈な坂道に圧倒されるのであった。まあ、島だしな。宿から眺める二見湾。雰囲気満点でございますな!
男子がトレーラーハウスで女子がコテージ。それぞれ荷物を置いて街へ繰り出す準備を済ませると、いざ出発。
運転はみやもり夫人(いいかげんちゃんと呼ばんといかんな。というわけで、以後「マユミさん」と書く)がやってくれ、
その後も大いに助けられたのであった。本当にありがとうございました。さて父島の中心部に再度到着すると、まずはやっぱりびゅく仙さんのために行っとかなきゃね、というご厚意により、
真っ先に小笠原村役場に向かうのであった。いや、なんだか申し訳ないけど大興奮の僕なのであった。
村役場前にはさまざまな場所の方向と距離を示した案内があり、「1007km 東京」の文字に小笠原に来たことを実感。
25時間半かかる船でしか行く手段がなく、その船は6日に1便しかない。だから小笠原へ行くのには、決断が必要だ。
その障壁を乗り越えた者だけが訪れることのできる場所に、いま僕たちはまさに立っているのだ。
L: 小笠原村役場と、その手前の様子。鯉のぼりみたいなのはクジラのぼりですな。植えられているのは名物・タコの木。
C: 父島からの距離と方向を示した案内。やはり「1007km 東京」がの文字が光る。思えば遠くへ来たもんだ。
R: 小笠原村役場前で記念撮影。札幌土産のテレビ父さんTシャツを着て南の島に上陸する、というのがミソでござる。ちなみに半袖短パンだとけっこう寒くて、夕方になって大いに後悔しましたとさ。
村役場へ行くというタスクを完了し、周辺を散歩してみる。人混みがしていたのでなんだろうと思って近寄ったら、
テレビ局のスタッフが総出でリハーサルをやっているのであった。後でわかったのだがNHKの『ひるブラ』で、
小笠原からの中継をやっていたのだが、どうもそれっぽい。さすが小笠原、今いちばん旬な秘境だぜ、と感心したもんだ。
そのリハの現場は二見港すぐ隣のビーチで、浜辺は白い珊瑚でいっぱいだった。歩くと珊瑚どうしがぶつかって、
高く澄んだ音がかすかに鳴る。視覚だけでなく、聴覚でも南の島に来たことを実感させられて、もうたまらない。公園からビーチにかけての散策に飽きると、とりあえず空腹を満たさねばということで、父島のメインストリートを歩く。
と、「サメバーガー」という文字を発見。サメが目をハートにしてハンバーガーに食いつこうとしている絵もある。
サメバーガー以外にもいろいろメニューがありそうな気配なので、みんなで中に入ってみることにした。
肝の座っているニシマッキーは迷わずサメバーガーに挑戦。僕は同じ物にするのもどうずら、ということで、
島魚のフィッシュバーガーにした。年が明けてから実家に帰省した際に見た『ひるブラ』ではサメバーガーが見事に登場。
しまったあのときオレも食っておくんだった、と後悔したのだがもう遅い。島魚のバーガーもおいしかったけどね。小笠原ではおがさわら丸により食料や生活必需品が運ばれてくるため、入港日が店にいちばん品物が揃っているという。
そんなわけで、昼飯を食べ終わると、さっさと食料品や酒やおやつなどを早めに買い込んでしまうことにした。
小笠原における主要な食料品店は、生協とスーパー小祝の2つのみ。どちらもまさに品出しの真っ最中なのであった。
(小笠原では高校生がおがさわら丸から店までの品物の運搬や店内での品出しをしていることが非常に多い。
都立小笠原高校の生徒たちは実に働き者なのであった。やっぱり小笠原での生活ってのは独特なもんだと思う。)
で、われわれ「先んずれば人を制す」と言わんばかりに急いで店に入ったのはいいが、よく考えてみたら、
特にこれといって買わなくちゃいけないものはないのであった。たいていのものはすでに持ってきているのだ。
しょうがないので何も買わずに店を出て、結局そのまま近くの土産物屋で買い物を始めてしまうのであった。
まだ小笠原に上陸したばかりだというのに。まあ、品切れになったり出航直前に慌てるよりはいいだろ、という判断。
この時点でみやもり家もニシマッキー家も僕も、4000円以上の買い物でもらえる袋をぶら下げていたもんなあ。一段落ついたところで、ニシマッキーのナヴィゲートで父島のあちこちに行ってみることにした。
まずはメインストリートの最果てということで、洲崎という場所へ。何もない、ただの海岸なのだが行ってみる。
実際に行ってみると採石場になっているようで、土ぼこりの舞いそうな砂利ばかりの空き地でしかなかった。
海岸に近づいてみたら無数のタニシみたいな貝が岩に貼り付いていた。あまり気持ちのいい光景ではなかったな。
そこからさらに南西の最果て・小港海岸を目指すが、途中で車は入れなくなってしまっていた。
天気もよくないしわざわざ歩いて行ってみる感じもしなかったので、近くの八ッ瀬川を散策。
流れは非常にゆっくりで、水はよどみ気味。どうもさっきからすっきりしない光景ばっかりである。ただ、小笠原に来てやはりいちばん印象的なのは、その植生だ。明らかに本土とは異なっている。
何気なく植わっている木々の姿が本土のそれとはまったく違うのである。暖かい場所にいる植物というのは、
植物本来のたくましさを感じさせる。そこで暮らしている動物たちにもより複雑な生存競争を喚起させるような、
そういう野性味にあふれている。背の高い木々が少ない分、地を這う植物たちがエネルギーをぶつけあっている感じ。
L: 洲崎にて。何もない、ただの岩だらけの海岸なのであった。 R: 八ッ瀬川。植生が本土とぜんぜん違う。せっかくなので、そのまま父島を一周してみる。一周といっても、父島をきちんと一周できる道路は存在しない。
山の中を夜明道路という道が走っており、これとさっきのメインストリートで一周ということにしておくわけだ。
(父島の主要な道路はすべて都道240号となっている。ちなみに、小笠原諸島に国道はない。)
父島はまるで、首を少し丸めたクビナガリュウが「大」の字になって海に浮かんでいるような姿をしているが、
市街地と呼べるようなエリアは、実にその頭と喉ぐらいの範囲にしかない。本当にごく一部分だけなのだ。
胸の辺りまでは研究施設などが点在しているが、そこから南はほとんど手つかずの自然状態が残っている。夜明道路はなかなか激しいアップダウンとなっており、中央山の脇を抜けて北上していくと、夜明山。
ここから初寝浦展望台まで歩いてみた。途中には旧日本軍の建物があって、薄暗い中で見るととっても怖い。
「これはとっても中に入る気が起きませんなー」などと言いながら進んでいくと、展望台に到着。
ただし展望台の手前にも軍事施設跡があり、なんとも言えない迫力を漂わせているのであった。
それでも初寝浦展望台から見下ろす北初寝浦と青い海は実に美しい。小笠原に来て初めての絶景だった。
L: 初寝浦展望台のすぐ手前にある旧日本軍の施設跡。小笠原の特殊な歴史を否応無しに実感させられる。
R: 初寝浦展望台より眺める北初寝浦。木々が生い茂る急斜面に囲まれており、徒歩で行くのはどう考えても無茶。さらに北へと進んで三日月山展望台、いわゆる「ウェザーステーション」へ行ってみた。
ここは夕日やクジラを眺める名所として有名なのだが、着いたときにはすっかり日が沈みきっていた。
観光客もすでにみんな撤退した後だったようで、それはそれは寂しい雰囲気でございました。
でも帰りに二見港周辺の夜景を見ることができたので、まったく問題ないのだ。これでいいのだ。ライトアップされたおがさわら丸と父島のメインストリート・大村周辺。
さていよいよ小笠原に上陸して初めてのディナーである。島っぽいのがいいな!ということで島寿司に決定。
父島ではメインストリートから一歩奥に入ったところに飲食店が集まっているのだが、その中のひとつに入る。
ところで小笠原名物の食材というと、アオウミガメがよく知られている。ニシマッキー曰く、煮込みが定番とか。
かつては貴重なタンパク源ということで珍重されたのだろうが、保護したり食ったり忙しいもんだなあと思う。
あれこれ相談した結果、やはり小笠原に来たからには食わねばなるまいという結論に至り、
そこからさらにあれこれ相談した結果、無難に刺身でいっとくかという結論に至ったのであった。
そして出てきた刺身は……やはり動物の肉という感じ。ネギとショウガが用意されて、やや馬刺感覚である。
食ってみての感想としては、食えなくはないけど、積極的に食べたい感じではないな、というのが正直なところ。
まあ島寿司がしっかり旨かったのでそれでいいのだ。ちなみに島寿司は八丈島(→2009.8.22)経由の名物である。ちなみに酒はタコの木の実で味付けしたサワーをいただいた。タコの木の実は繊維質で食べるのには適さないが、
酒に入れると甘い風味がつくということで、確かにほんのりと爽やかに甘い味がした。面白いもんである。
男子3人それぞれ違う酒を注文してみようぜ、ということで、ニシマッキーはパッションフルーツサワー、
みやもりはラム酒と焼酎のサワー。パッションフルーツはそのまんまで、選んで間違いのない感じ。
しかしみやもりのラム酒サワーは焼酎のアルコール臭さが強く、どの辺がラム酒なのかよくわからず。残念である。あ、そういえばこの寿司屋では面白い湯呑みが出てきた。寿司屋にはよく魚偏の漢字が並んだ柄の湯呑みがあるが、
ここの場合はまず「鮨盗用漢字」と書いてあり、そこからはあの手この手のウソ漢字のオンパレード。
「魚」に「脂」で「トロ」、「魚」「車」「倉」で「シャコ」といった具合。「魚」に「家来」で「カレイ」などのダジャレもあった。
考えさせるところでは「魚」に「切無」で「コイ(切ない)」、「魚」に「乳」で「タコ(ちゅうちゅうたこかいな?)」、
さらに「魚」「片思」で「アワビ(磯のアワビの片想い)」、「魚」に「一服」で「フグ(一服盛る)」なんてのも。
くだらないところでは「魚」「口」「忠」で「キス」、「魚」に「アチ」で「コチ」。最後は「魚」「屁」で「ブリ」だった。
正直、僕が小笠原土産としていちばん欲しかったのは、この湯呑み。もらえるかいちおう訊いてみればよかったなあ。
L: アオウミガメの刺身。特に臭みもなく、固すぎるわけでもなく。積極的に食いたくはないのは慣れの問題ですかねえ。
C: 島寿司はよろしゅうございますね。乗っているのはサワラのヅケで、もちろんワサビではなくカラシが入っている。
R: 問題の「鮨盗用漢字」の湯呑み。これは欲しい! 僕だけじゃなくって皆さん欲しがっていたよ。小笠原では星がすごくきれいということで大いに期待していたのだが、宿に戻って空を見上げてみても、
厚い雲が邪魔してひとっつも星を見ることはできないのであった。なんだよー、とため息をついたそのとき、
ひらひらと視界を黒い影が泳いでいった。飛び方からして、コウモリっぽい。サイズはちょっとした鳥より大きめ。
おそらくあれが小笠原で唯一の固有の哺乳類・オガサワラオオコウモリだろう。災い転じて何とやら、だ。
小笠原の初日は上陸したのが昼近くということもあって、目一杯存分に動けたわけではないのだが、
これは十分すぎるほどに小笠原を体験できているじゃないか、と思うのであった。いいスタートを切ることができた。
さあ本日は、いよいよあこがれの秘境・小笠原に向けて出発なのである。
いちおう東京都ではあるものの、交通手段は船のみで、なんと25時間半もかかってしまうという究極の離島なのだ。
ことの発端は大学時代の後輩・ニシマッキー(都畜)が仕事で小笠原を訪れたことだ(→2009.12.1)。
以来ニシマッキーは「次はぜひ遊びで行きたい」という野望を抱いており、この年末年始に旅行を決行したわけだ。
そうなりゃ物好きで旅行好きな僕としては一緒に小笠原に行きたい。行くしかない。喜んで参加表明をしたしだいである。
が、問題がひとつ。誘いに応じてみやもり夫妻が参加(みやもり夫人はバイトを辞めての参加である。うーん、すごい)。
ニシマッキーのところも当然、夫妻で参加なのだが、2組のカップルに対してこちとら独り身ということで、
そりゃもう何度も「ぼく行ってもええの?」と繰り返し訊いて確認をとるのであったことよ(→2011.12.18)。
まあ皆さんイヤな顔ひとつしないで歓迎してくれたので、どうにか僕も無事に小笠原に行けることになったわけである。朝9時に竹芝桟橋に集合。さすがに今回は着替え関係に気をつかわないわけにはいかないので、荷物がいつもより多い。
少し早めに着いて周囲の様子を探って過ごす。小笠原諸島は今年、世界遺産に登録された(もちろん自然遺産)。
そんな経緯もあってか、いかにもこれからおがさわら丸に乗ります、といった雰囲気の観光客でごった返している。
これがそっくりそのまま小笠原に移動し、これまたそっくりそのまま帰ってくる。なんとも妙な気分がする。そうこうしているうちにニシマッキー夫妻が到着。チケットを渡されたので必要事項を記入していったのだが、
職業欄で「公務員」の隣に「公務員(教職員)」という文字があって驚いた。やはり教員の利用が多いということか。
前に八丈島まで船で行ったことはあるが(そのときもニシマッキーと一緒だった →2009.8.21/2009.8.22)、
さすがに24時間以上もかかる航海、そうまさに航海らしい航海というのは初めてである。思わず緊張してしまう。
周囲の観光客たちが乗船を始めたところでみやもり夫妻が到着。チケットへの記入を済ませて僕らもいよいよ出発だ。
推奨されている酔い止め薬「アネロン・ニスキャップ」を飲み込むと、僕らも行列の後ろに並ぶ。
L: 早朝の竹芝桟橋。広場には船のマストをかたどったオブジェが。左の行列は2等船室行きの行列。
R: おがさわら丸のチケット。いちいち記入しなくちゃいけない点に、船旅であることをはっきりと自覚させられる。ニシマッキー夫妻とみやもり夫妻はともに1等船室(4人で1部屋)。独り者の僕は2等船室である。
乗船すると4人は1等船室のあるAデッキへ。僕は遅く手続きしたので最下層のEデッキ。しかも奥のE-1ブロックだ。
おがさわら丸のデッキは5層になっており、上から下までA~Eの記号が割り振られている。乗船口はCデッキ。
いったん4人と分かれていちばん下まで下り、渡された番号を参照しながら自分の場所を探す。
船室いっぱいに並べられている枕と毛布が実に壮観である。とりあえず荷物を置くと、一気にAデッキまで上がる。
おがさわら丸は今まさに出航せんというところ。見送りに来たのか単なる散歩ついでなのか、
何人かの物好きが船上のわれわれを興味深そうに眺めている。そして両者の間には「行く奴」「行かない奴」という、
距離にして1000km以上の絶対的な隔絶が横たわっているのである。僕は「行く奴」側に入ったことをうれしく思った。遅れた客を収容すると、おがさわら丸は汽笛を鳴らしてゆっくりと岸から離れる。もう引き返せない。もう逃げられない。
朝10時、ここから小笠原諸島まで24時間以上の大移動が始まったのだ。船は後ろ向きのままゆっくりと進んでいき、
晴海から豊洲の間の辺りでようやく向きを変えた。そこからはさすがに、なかなかのハイペースで南へと進んでいく。
感覚的には八丈島のときの「かめりあ丸」よりも数段速いような気がする。きわめて快調な出航ぶりである。
L: 船が後ろ向きのままゆっくりと進んでいく。行く手にはお台場、そしてレインボーブリッジ。
R: レインボーブリッジの下をくぐったところ。船はここからしばらく海岸線沿いを行く。ずっとボケーッと陸地を眺めていても別にいいことなんてないので、船の中に戻って過ごすことに。
そしたらあっという間に船内のあちこちでゴザやシートが敷かれて酒盛りが始まっていた。これには呆れた。
犬を連れた家族もいたのだが、航海の気配を察してか、どことなく犬は不安そうな表情をしているように見えた。窓の外ではしばらく横浜の景色が見えていたのだが、地デジのテレビはわりとすぐに見られなくなってしまった。
BSはさすがに大丈夫だったが、韓流とテレショップばかり。しょうがないので、各自が持ち寄ったDVDを見て過ごす。
今回はニシマッキーが持ってきた『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』が大いに威力を発揮。
もともと面白いことはわかっていたが(→2006.9.28)、これをまとめて見るというのは本当に贅沢である。
L: 2等船室の様子。これはおがさわら丸に入ってからすぐのタイミングなので、まだ人が全然いない。
C: 2等船室で記念撮影の私。言っては悪いが、2等船室はすぐに「避難所」の雰囲気に染まってしまったのであった。
R: 夕暮れのおがさわら丸。「小笠原海運」「東京⇔父島」なんてのを見ると、なんだか武者震いがしてくるぜ。太平洋に沈む夕日をみんなで眺めると、再びDVDを見て過ごす。そして晩飯。
おがさわら丸のレストランは18時オープンなので15分ほど前にCデッキに行ったら、すでに長い行列ができていた。
行列はCデッキの階段付近では収まらず、2等船室の方まで続いていた。しょうがないのでまわり込んで後ろに並ぶ。
それぞれみんな食いたいものが食えるか不安だったのだが、さすがに船は大量の食料を用意しているようで、
あっさりと名物「島塩ステーキ」をいただくことができたのであった。これはソースの代わりに、
父島で採れた粗塩を牛肉にかけるのだが、シンプルなだけに旨かった。なかなか斬新でようございますね。
それにしてもカフェテリア形式だと、大学時代の生協の食堂を思い出してしまう。
まあ、おがさわら丸は揺れ対策ということで椅子がチェーンで固定されているので(1等船室の椅子もそう)、
それを見ると「おお、これは外洋を行く船だぜ」と、生々しい現実に引き戻されるのではあるが。夜はゲームの時間ということで、みやもり夫人が用意したすごろくをやってみた。『古墳時代出世すごろく』である。
高崎にある「かみつけの里博物館」で売っていたもののようだ(みやもりはそこで買ったらしき埴輪Tシャツを着ていた)。
さてこのすごろく、ただのすごろくではない。ゴールはなんと、「巨大な前方後円墳に葬られる」なのだ。
運悪く途中で死んでしまうと円墳や帆立貝形古墳に葬られてやり直し。前方後円墳でないと不十分らしいのである。
王様になって活躍しておしまい、ではなく、いかに周りから尊敬を集めた証拠を死後も残すことができるか。
出世とは厳しいもんじゃのう、と思うのであった。ラッキーアイテムも鏡・金の靴・鉄刀など歴史に忠実で面白かったですな。
L: 島塩ステーキ。中央下にある粗塩を肉にかける。使い切るつもりでたっぷりかけるとおいしいでございます。
R: 『かみつけの里 古墳時代出世すごろく』。古墳にランク付けがある、という発想じたいが新鮮でございましたな。まあこんな調子で、なかなかのハイテンションで夜は更けるのであった。
冬の外洋は荒れると聞いていたのだが、大して揺れることもなく実に快適に過ごすことができたなあ。
明日はいよいよ小笠原に向けて出発だというのに、いろいろやらなくちゃいけないことばっかり。
自転車にまたがって家を出たら午後3時近くになっていた。それでもまだ、荷物をぜんぜんまとめていない。まず、有楽町までわざわざ行って時計を点検に出す。本当は電池交換くらいで済むかと思ったが、
オーヴァーホールもしてくれるそうなので、素直にお願いすることにした。2~3週間かかるらしいが、
まあ保証期間内だし、ばっちり調整してもらえるならありがたい。末永く使いたいもんな。続いては神保町に移動して自転車を修理に出す。ここんところひどく調子が悪くって、無理をしていたのだ。
考えてみればもう7年近く乗っているわけだから、当たり前のことのようにも思える。
これまた1週間ほどかかるということなので、自転車屋に預けた状態で旅行と帰省をしてしまうことにした。
あとは晩飯までの時間を日記の改修作業に充てて、家に帰って一気に荷物をまとめる算段である。それにしても、年末になると必ず、日常生活で調子の悪い部分が実体化してくるように思う。
毎年、12月のボーナスが設備投資で消えていく気がしてならない。必要な投資だからしょうがないけど。
いちばん怖いのが冷蔵庫と洗濯機の寿命。特に前者についてはけっこうヒヤヒヤしている(冷蔵庫だけに! ……うわぁ)。
冷蔵庫を買い替えるタイミングってのがわからん。デカいし、なんだかものすごく難しいことのような気がする。
どうかできるだけ長くもってくれますように。いや本当に切実な願い。
程度はそれほどひどくないのだが、原因不明の腹痛というか、腹が鈍く重い感じがしたので、病院に行った。
なんせ3年ほど前に苦しんだので(→2009.2.23/2009.2.24/2009.2.26/2009.2.28/2009.3.5/2009.3.16)、
これは早めに対応しなくちゃ!ということで決断したわけだ。小笠原で本格的な腹痛に苦しむわけにもいかないしな。午後も遅くなっての病院は空いていていい。で、いざ医者に診てもらうが、症状がそれほど重くはないせいか、
薬を出してもらって様子見ということになった。3年前はけっこうシャレにならない状況になっていたのだが、
まあそのカルテを参照してのこの結果なので、ポジティヴにとらえておくことにしよう。なんとかなりますように。
紀伊国屋書店で洋書フェアが始まった!ということで、仕事帰りに新宿へゴー。
最近は英訳されたマンガに凝っているので(→2011.11.3)、この機会を利用して欲しかったものを購入して帰る。しかし好きなマンガを英語で読めるとは、いい時代になったもんだ。もちろんぜんぶわかるわけではないが、
意外とわかる、その感覚がなかなかいい。それに、英語というクッションを挟むので、比較的じっくりと読めるのもいい。
まあそんな感じでぼちぼちやっていくのだ。読んでおくとどこかでプラスになりそうな気がするんだよな。
サッカー部、冬の大会予選リーグ2試合目。1年生だけで部員が30人以上いる、強い学校が相手。
当然、ウチを相手にベストメンバーを組んでくるわけはないが、強い学校はメンバーを落としても強いもんだ。
昨日の無様な敗戦の後、天皇杯を観戦して心に整理をつけた僕は、「知恵と勇気を持って戦え」と部員たちに言った。
システムも3-3-1-3のままだし、スタメンも大きな変更はなし。基本的な約束ごとをポジション別に確認すると、
強いやつらを相手に自分たちのやるべきことを思い出してこい、とピッチに送り出すのであった。結果は1-5で負けたのだが、まあ納得のいく内容だった。昨日の1-5とは天と地ほどの差のある中身だ。
こっちが押し込む時間帯もきちんとつくれたし、失点もシュートを打った相手を褒めるしかないものがほとんど。
(毎度おなじみCKからの失点も初めてゼロに抑えた。まあ相手のセットプレーが下手だった、ってのはあるが。)
何より球際の厳しさ、戦う気持ちというものがプレーに現れていた。それでも負けてしまったのだから、
そして決定力の部分でも圧倒的に差をつけられていたのだから、100%納得できるわけではない。
でも、昨日決定的に足りなかったものをきちんとピッチで表現できたわけだから、そこは素直に褒めた。
あとはこの悔しさをずっと忘れることなく、日頃の練習に落とし込み続けることだ。ここがいちばん肝心だ。公式戦が終わった後は、練習試合を組んでもらったので1年生主体のメンバーを出す。
相手は主力を後半に出してきた感じだが、その分だけ1年生には非常に中身の濃い試合になったと思う。
結果として負けはしたのだが、1年生たちの「できる部分」が随所に出ていて、指揮していて本当に面白かった。
どうにか連中の「穴」を小さくしながら「できる部分」を武器にさせていかないとな、と決意を新たにしたのであった。まあ冷静に考えれば、「できるだけ長い時間、相手陣内でサッカーをやる」という目標は確実に達成されてきている。
どこを相手にしてもボロ負けの状態から始まって、失点を極力減らすサッカーへとどうにか移行して、
今は攻め込むゆえの失点を抱えつつも攻め切るサッカーを試行錯誤している段階へと入っているのである。
成長のペースは遅いが、客観的に見て少なくとも退化はしていない、とは思う。たぶん。
次の練習が年内最後なんだけど、そこから球際に厳しい習慣づけを意識してやっていきたい。厳しく、厳しく。
サッカー部、冬の大会予選リーグ1試合目。ここになら絶対に勝てる!と僕が密かに考えている学校が相手。
今回は大きなケガ人もなく、久しぶりに思うようなメンバーで試合ができる状況である。
鼻息荒く、「ぶっツブして来い!」と言って送り出す。が、ぶっツブされたのはわれわれなのであった。先制点を取った後も相手陣内でサッカーができているのはよかったが、攻めきれず追加点が奪えない。
とにかくボールに対して淡白。パスミスすると相手がセカンドボールを拾うのをただ見ているだけ、の連発。
相手に対して寄せに行く、というアクションがほとんどないのだ。守備のときもきちんと体を当てようとしない。
いわゆる「球際の厳しさ」という要素がまったくもって欠けていた。「闘争心の欠如」と言い換えてもいい。
ディフェンスラインも押し上げるのはいいが、戻るのがとにかく遅い。攻守の切り替えが恐ろしくできていない。
中盤より前でボールは保持しているのだが、ブロックをつくって守る相手にイージーなパスを出して引っかかり、
そこからロングカウンターを食らって俊足FWにブチ抜かれて失点を重ねる。何度も何度も同じ場面の繰り返し。
修正点があまりに多すぎて、とてもピッチサイドからの逐一の指示でカヴァーしきれるもんじゃない。ハーフタイムにディフェンスラインの位置について再確認し、競り合いでの弱さを厳しめの口調で指摘する。
また、攻撃時にサイドから中央へ早くパスを出すのではなく、前の空いているスペースへ仕掛けていくように指示。
それで後半に入ってもこちらが押し込む時間帯を続けることはできたものの、スペースが使えないのは相変わらず。
これはスペースを見つけて移動する手間を面倒臭がっていることが原因で、つまりは動けていないということ。
攻撃が手詰まりになったところからまたしてもカウンターで脅かされるようになり、集中力が途切れはじめる。
そして毎度おなじみCKからの失点で糸が切れると、突っ立ているDFが抜かれておまけの失点。1-5でボコられた。
もう本当に、二度とこいつらの指揮はとりたくない!と思うほどに惨めな敗戦だった。顧問を辞めたくなった。ウチのチームの悪い面がすべて出た試合だった。もう悔しくて悔しくてしょうがない。
声を荒げて怒鳴りつけたいところだったけど、そこはぐっとこらえて、日頃の練習までとっておくことにする。
敗戦のいちばんの原因は、日頃の練習の意識と質が低いことだ。だからここで怒鳴らない分、日頃の練習で怒る。
部活ってのは生徒が主体でやるべきだ、と僕は常々考えているが、生徒がそう考えないことにはしょうがない。
いいかげん、目を覚まさせるしかないよな。ああもう本当に腹が立つ。◇
そんなムカムカした思いを抱えつつ、自転車で武蔵小杉へと向かう。
今日は天皇杯準々決勝・湘南×京都が川崎市立等々力陸上競技場で行われるのだ。
年末になっても京都のサッカーが近所で観られるとは実にラッキー。こりゃもう、行くしかあるまい。
観ていてもやっていても面白いパスサッカーの原点を確認するのである。
L: 天皇杯モードの川崎市立陸上競技場。天皇杯はさすがにJリーグとは違う独特な雰囲気があるなあ。
C: 試合前、アウェイのゴール裏を埋める京都サポに挨拶する選手たち。予想以上に京都サポの数は多かった。
R: こちらはホーム側。湘南のチームカラーは蛍光グリーンがなんとも鮮やかだと思う。天皇杯の試合を観戦するのは2007年の12月以来(→2007.12.8)。カシマスタジアムでの鹿島×甲府戦だ。
この試合は大木さんが甲府を率いる最後の試合となってしまったが、その大木さんが京都を率いてベスト4に挑む。
対戦相手の湘南は反町監督の退任が決まっている。歴史は奇妙な形で繰り返されるものだ、と思う。
湘南も京都も所属するカテゴリーはJ2で、今シーズンはホーム&アウェイの2試合とも京都が1-0で勝っている。
そういった背景もあるだけに、この3度目の対戦は好ゲームになること間違いなしである。期待して観戦。序盤は京都ペースで進む。大木サッカーの代名詞であるショートパスがきれいにつながり、湘南を押し込む。
メインスタンドの端っこで観戦したのだが、パス&ムーヴを繰り返して全体が相手陣内へと押し上がり、
ボールを奪われれば高い位置からプレスをかけて素早く回収してしまうサッカーは実に鮮やか。
今年の5月に京都の試合を初観戦したとき(→2011.5.15)と比べると、段違いの進化ぶりを見せている。
ただ、逆サイドの空いているスペースに興味を示さずパスをジグザグに通して中央へ持っていくのは変わらない。
湘南もその辺はよくわかっていて、ゴール正面の守備を固めてシュートを簡単には打たせないようにしている。
これがかっちりハマって、だんだん京都の攻撃は通用しなくなってくる。湘南がサイドに大きく出してカウンター。
しかし京都も最終ラインがよく対応し、試合は膠着状態へと収束していく。それでも京都の攻撃意識の高さはしっかり続いており、前半40分のCKのチャンスをものにして先制する。
ドゥトラがペナルティエリア内の混戦状態に巻き込まれながら、ゴールへ飛んだ秋本のヘッドに触って得点。
L: チョン=ウヨンの蹴ったCKに秋本が合わせたシーン。これにゴール手前のドゥトラが触ってコースを変え、京都が先制。
C: ドゥトラのゴールパフォーマンス。京都ということでか、殺陣がテーマになっているみたい。
R: チョン=ウヨンが斬られてパフォーマンス終了。京都のゴール裏は大盛り上がりなのであった。後半に入ると、これを反町監督のラストゲームにしたくない湘南が奮闘する。
京都はパスを回してチーム全体が攻撃に参加するが、湘南はわりと前と後ろで役目がはっきり分かれている。
その分だけ一瞬の怖さはある。高い位置にいるサイドの選手をうまく使うパスが出て、FWが中央に入り込む。
京都は湘南の攻撃をカットしても、ショートパスで組み立てたいので大きなクリアがほとんどない。
そこに湘南の選手がしっかりと圧力をかけていく。それによって湘南の押し込む場面が増えていく。
終盤には湘南が怒濤の攻めを見せてゴール前が大混戦になるものの、京都のGK水谷が抜群の反射神経でセーヴ。
最後は湘南のミドルシュートがバーを叩いて飛んでいくが、その直後に試合終了の笛が鳴った。いやー、怖かった。この試合最大のピンチを切り抜けた京都が勝利。いい試合だったなあ。
リーグ戦終盤の好調を維持した京都が準決勝進出を決めた。次の対戦相手は横浜・F・マリノスとのこと。
会場は国立競技場だが、僕は小笠原へと旅立ってしまうので試合を観ることができない。ちょっと残念。
まあでもJ2ながらここまで残ったことで大木サッカーが評価されるだろうから、それで満足しておこう。
L: 試合終了後、歓喜の輪をつくる京都の皆さん。 C: 笑みを浮かべて帰る大木さん(左)。さすがだなあ。
R: 京都サポの皆さんは試合が終わっても大騒ぎなのであった。いいクリスマスプレゼントになったようで。今日は本当にいいことなくってつらかったのだが、それを補ってあまりある内容の試合を観られてよかった。
あらためてがんばるか!という気分になれたもんなあ。大木京都にはとことんがんばってもらいたい。
3連休とかクリスマスとか、そんなのオレには全然関係ないんだよ。
今日は部活の練習、明日は部活の試合、あさっても部活の試合。しかも明日は天皇杯を観戦。サッカー一色なんだよ。というわけで、試合前最後の練習ということで、かなり気合を入れて部活の指導。
いつもなら人数の足りないところを補充するかたちで僕も生徒に混じって練習に入るのだが、
今日はひたすら外から声を出す。できていないところは厳しく指摘して、できているところは褒めて自信につなげる。
延々と繰り返し叫んだのは、「スペースを埋める動きをしろ!」と「スペースに出して走らせろ!」、ひたすらこれ。
相手よりも先にスペースを押さえることで、ボールを保持して圧倒する、そのための指示ばっかり。
もう何回「スペース」という言葉を使ったかわからない。でもそういうサッカーをやりたいんだからしょうがない。
今日は本当に寒い日で、コンディションとしてはかなりキツいものがあったのだが、生徒たちはよく動いていた。
最後のゲームはかなり白熱し、試合前としてはまずまずの締め方ができたように思う。あとは本番で実力を出すだけだ。
頭を使って生徒たちに実力を発揮させるような指示を出していくのが、ここからの僕の仕事。さあ、どこまでできるか。
本日は職場の忘年会。会場は横浜中華街で、これがなかなか新鮮で面白かった。
好むと好まざるとにかかわらず、華僑がエネルギッシュなのは事実で、街にはそのポジティヴさがあふれている。
寒さを吹き飛ばす街の雰囲気は純粋にいいものだ。歩いているだけでこっちも楽しくなってくる。四川料理をいただいたのだが、名物であるという麻婆豆腐がとにかく強烈。山椒がすさまじく効いていて、
食べると舌の感覚が変わってしまうくらいだった。みんなでこれは凄い!と大騒ぎしながら食ったのであった。
料理じたいももちろんそうなんだけど、円卓の仕組みなんかも宴会には非常に合理的で、
中華料理の奥の深さというものをあらためて実感させられた。旨いし面白いし勉強になるし、言うことなしだわ。
(出てきたビールに「関帝廟150周年記念」という特別なラベルが貼られていて、そのことを初めて知った。
中華街向けにわざわざそういうことをやっているのね。もう、いろいろ面白くってしょうがなかったわ。)二次会はカラオケだったのだが、道で売っている天津甘栗を大量に買っちゃった方がいて、
歌っている間以外はみんなひたすら甘栗の皮を剥いているのであった。まあ旨かったし、いいけど。
そんなこんなで寒さも忘れて騒いでおひらき。大変ようございました。
2011年の最高傑作とあちこちで言われているアニメ、『魔法少女まどか☆マギカ』を見た。
この作品、先のまったく読めない怒濤の展開で知られており、どのレヴューも基本的にネタバレを慎重に避けている。
そこで僕も、できるだけネタバレをしない形でこのアニメについて書いてみたい。
その分、文章の切れ味は鈍るだろうけど、どうせあちこちでいろいろきちんと鋭く論じられているだろうから、
僕は僕なりの鈍さで素直に感想を書いていく。そしてなるべく多くの人に、この作品への興味を惹ければよい。最初は絵柄がまったく自分の感覚に合わなくって苦労した。もともと魔法少女もののアニメに興味はないのだ。
しかしアニメファンの枠を超えて評判になっている作品なので、ガマンして見ていく。そして慣れた頃、話が動いた。
だんだんとポジティヴな要素はなくなっていき、「イヤな予感」が話の全編を覆っていくようになる。
そうして事態は次から次へと悪い方へ悪い方へと流れていく。根暗と言ってしまえばそれまでだが、
魔法少女というきわめて楽天的な存在の裏側をここまで思いつくものなのか、と驚かされた。本当によく考えてある。
あるアイドルファンのブログでこの作品についてふれていたのを思い出し、ああなるほど魔法少女とアイドルは似た感じだわ、
そう客観的に思ったのも束の間、ほむらの過去が明かされたことで(第10話)、僕は一気にこの話に引き込まれてしまった。
すべての伏線がただただ感心するしかない鮮やかさで回収される。そうして物語は明確に未来を向き、結末へ向かう。
最終話は僕にはちょっと演出が過剰で言葉が足りないように感じられたが、思い返せば思い返すだけ中身が濃くなる。
つまり噛めば噛むほど味が出るということだ。視聴者をそういう状態にしてしまうということは、傑作ということなのだ。
(かつてはマミさんが不憫で不憫でしょうがなかったのだが、今はもうさやかが不憫で不憫でしょうがない。
でもさやかが納得しているということは、それは彼女の願いが本当に命を賭けてのものだったということの証明だ。
……というようなことを書かずにはいられないところが、やっぱりこの作品の持っている価値なんだろうな。)結界の中にいる魔女の演出には、『モンティ・パイソン』のギリアムのアニメが大きく影響しているように思う。
カワイイ系のキャラクターとの対比が非常に強烈で、こういうやり方があったのか!と思わず叫んでしまった。
(「魔女」と言いながら明らかに人間の形から離れているデザインは、エヴァンゲリオンの使徒っぽさも感じる。)
さらには影絵、ペープサートといった野心的な演出もなされており、魔法少女ものの皮をかぶりながらも、
狙いがもっと大きいところにあるのは明らか。魔法少女に対するこっちのナメてかかる態度をうまく利用して、
そこに少女の成長を真正面からとらえたきちんとした物語を差し挟んでくる真摯さは特筆に値する。
が、この作品はそのレヴェルにまったくとどまろうとしない。その「枠」から完全にひとまわり上をいった展開、
メタ的な魔法少女の物語を描いてみせる。魔法少女の裏側の話で、少女の成長の話で、やはり魔法少女の話なのだ。
これは凄い。様式美がすでに確立されているはずの、つまりすでにやり尽くしているはずの魔法少女というジャンルで、
裏側から入っていったと見せかけて、実はちゃんと正統派の方法論を踏んでいる。社会性もきちんと盛り込んだうえで。
だからこれは魔法少女ものの総決算になりうる作品だ。もうこれ以上、魔法少女ものはつくれまい、最初そう思わされる。
でも、まどかの出した結論によって、魔法少女ものという方法論が今後も生き延びる道がつくられているのだ。
魔女がいなくなっても魔法少女は存在し続けることができる。だからわれわれは魔法少女ものを今後もつくることができる。
そこまでできるものなのか、と舌を巻くことしかできない。この作品は、論理的にも本当によくできている。
物語の中でやっていることが、物語の外側であるわれわれの生きる現実にも無理なく影響を与えてしまっているのだ。なるほど、この作品は確かに傑作だ。たかが魔法少女ものだが、「されど」という部分を存分に見せつけてくれる。
その「されど」っぷりの見事な手腕は、アニメに興味のない層も十分にうならせることができる。
先行する同ジャンル(つまり魔法少女もの)の作品への敬意をたっぷりと含んでいるからこそできることだ。
そういう実はとんでもなく礼儀正しいところもまた魅力的である。すべてにおいて、レヴェルが非常に高い作品である。
クラブW杯決勝・バルセロナ×サントスの映像を見る。バルセロナは現在、文句なしに世界最強のクラブである。
圧倒的にボールを保持して攻めるサッカーは「目指すべきもの」とされるようになって久しい。
では実際のところどういうことをやっているのか、自分なりに確認するつもりで見てみた。いきなり結論。個人技がめちゃくちゃに優れているとこうなる、という究極形なのがよくわかった。
個人技があまりに優れているので迂闊にボールを取りに行くことができない。下手に寄せてもあっさりかわされるし、
いま自分の空けたスペースをうまく使った攻撃をされてしまう。それでボールを持たせておくしかなくなる。
そんな相手を、バルサは足下への速いパス回しでさらに釘付けにしてしまう。じわりじわり、ゴールへにじり寄り、
一瞬の隙を衝いてペナルティエリアに侵入する。ここでも個人技が炸裂し、アイデアに富んだシュートを止められない。
バルサ側は必死に走る必要がないので、よけいな体力も消耗しない。こりゃもう、どうしょうもない。なんというか、バルセロナのサッカーは、サッカーではなく異質な物に見えてしょうがない。
サッカーという種目の枠からはみ出した、別の何かを見ているような気分になるのだ。
ルールという数学的・論理的な枠組みにのっとってはいるものの、できあがったものはずいぶんと違う形をしている。
言葉は悪いんだけど、進化の行き着く先にある奇形性って印象を持ってしまうのだ。これは、喜ぶべきことなのか。
やっぱり走らないサッカーはどうも好きになれねえなあ、と思っている僕は時代遅れなんだろうか。うーん、困った。
昼休み、自分の机に戻ってきて何の気なしにインターネットを見てみたら、金正日が死んだというニュースがあり、
思わず声をあげてしまった。瞬間、首の後ろにナイフの冷たい感触を覚えた感じ。東アジア情勢が、一気に緊迫化した。金日成が死んだのは僕が高校生のときで、これで夜のラジオが聞きやすくなるかなと思ったら全然そんなことなかった。
(田舎では東京のAMラジオにかぶせるように、強烈な朝鮮語の電波が割り込んでくる。これと毎晩格闘していたのだ。)
それから17年、東アジアをめぐる状況はぜんぜん変わることのないまま二代目は死んだ。
北朝鮮を冊封国とする中国が経済的に成長してしまったことが現状を維持させてしまったのだろう。
おかげで20世紀末にはまったく想像をすることのできなかった三代目による北朝鮮の国家運営がスタートすることになった。
核を持ったままただ疲弊していく北朝鮮の存在は、非常に厄介だ。しかし中国が経済的な力をつけている以上、
平和的な解決は望めない。とりあえずは日本人は外交的に賢くなっていって自己防衛できるようにするしかない。
生きていても面倒臭いし、死んだら死んだでやっぱり面倒臭い。そういう意味で、金正日ってのは存在感のある男だった。
部活が終わると自転車で日本橋まで移動。今日は小笠原部の結団式なのである。
丸善でみやもり夫妻・ニシマッキー夫妻と合流すると、みやもりが予約しておいた店へ。
カラオケボックスを改装したと思しき個室居酒屋で、まずは乾杯を済ませると、「僕、行ってもいいの?」
夫婦2組+オレということで、本当にオレが参加していいのかどうか、そこの確認をしないことには、ねえ。
しかしながら、みやもりもニシマッキーも今回の小笠原の旅を「帰省する小笠原出身の女の子をびゅく仙にゲットさせ、
そのまま小笠原に定住させる計画」の第一段階として位置づけていることが判明。なーんだ、じゃあオレ行ってもいいんだ。
みやもりにいたっては『小笠原で暮らしたい!』という本をわざわざ図書館で借りて見せてくれるほどなのであった。まあそんな感じで小笠原旅行に必要なものの確認やどーでもいいダベりなどで楽しく時間は過ぎるのであった。
こういう雰囲気で過ごせるのであれば大丈夫そうかな、と一安心する僕なのであった。いやホントに。
小笠原がどんなところなのか、もう楽しみでたまらないわ。
どこかへ行きたいなあという気分なんだけど、当然、派手な動きはできない。
それなら9月の千葉ぶらり旅(→2011.9.19)の借りを返すことにしようと、ホリデー・パスでひたすら東へ。千葉駅で外房線に乗り換えると、終点の上総一ノ宮駅へ。本日は上総国一宮・玉前(たまさき)神社からスタートだ。
駅から北西へ伸びる参道を歩いて神社を目指す。5分ほどで国道128号と交差して、それを越えると鳥居が見える。
住宅地の中にボコッと神社が現れる感じで、なんだかカジュアル。あまり一宮っぽくないなあと思いつつ鳥居をくぐる。
神社の敷地を取り残すように宅地化したようで、周囲の街割りとは空間の使い方が明らかに異なっている。ちょっと上ったところで参道は右に折れて、狛犬の陰から手水舎が現れる。なんともコンパクトな印象である。
非常に寒い朝で、手水の冷たさに悲鳴をあげつつ最後の鳥居をくぐって、愕然とする。
灰色のシートの上に「平成の大修理」という大きな看板が乗っかっているのである。なんと運の悪い。
工事期間を見てみたら、なんと平成十九年度~平成二十五年度ということで、もうどうしょうもないのであった。
拝殿の奥を覗き込もうとしたら、なんと写真パネル。鏡を祀っている写真が賽銭箱のすぐ上に鎮座している。
とりあえず賽銭を入れて二礼二拍手一礼したけど、どの程度のご利益なのかちょっと不安だ。
修理が終わったらリベンジしないといかんなあ、と思う。それにしても妙に巫女さんの多い神社だった。
L: 玉前神社は住宅地の中にある。周囲はこの神社を残したまま宅地化していった感じ。
C: 境内の様子。あまり広くないのだが、その分だけ密度の高さは感じる。
R: 玉前神社の拝殿は見事に工事中なのであった。中からは工事の音が聞こえてきたよ。本殿の工事はすでに終わっているのか、妙にピカピカしていた。
朝イチからコレってのは、けっこうへこむ。なんとか気を取り直して駅まで戻ると、そのまま外房線を引き返す。
実はまだ房総半島を一周したことはないので、さらに先へと行ってみたい気持ちはあるのだが、
今回はあくまで前回のリベンジなのである。というわけで、次の目的地は雨で寄れなかった山武市役所だ。
大網駅でいったん降りて、東金線に乗り換える。そうして終点の成東駅で下車。成東駅周辺には特にこれといった名所もないようなので、素直に市役所までの往復だけで済ませることにする。
いかにも千葉県っぽい住宅地の中を歩く。館山も木更津も(→2008.12.23)も茂原(→2011.9.19)もそうだったが、
千葉の片田舎の住宅地には独特の匂いがある。かつての街道を思わせる雰囲気と農地の残り香が微妙に混ざり、
なんとも形容しがたい空気を生み出しているのだ。うまく言葉にできないのが悔しいが、でも確かに感じる。
L: 成東駅。駅舎はなかなか立派だが、周囲にはほとんど店がなく、いきなり片田舎の住宅地がはじまる。
R: 山武市役所周辺は新たに開発された場所のようで、幅の広い道と公園がつくられた大雑把な空間となっている。2006年、合併によって山武市が誕生する。山武郡も旧山武町も読みは「さんぶ」なのだが、
山武市は「さんむ」と読む。「さんむ」の方が歴史のある呼び方らしいのだが、非常にややこしい事態である。
1985年に竣工した旧成東町役場が、そのまま山武市役所となって現在に至る。気ままに撮影してみる。
L: 山武市役所(旧成東町役場)。 C: 大きく張り出している車寄が個性的。 R: 車寄を別の角度から。迫力あるなあ。けっこう歩いて千葉っぽさを満喫すると、総武本線で西へと戻る。成東の2駅西にあるのが八街駅。
当然下車して、駅にほど近い八街市役所へと向かう。市役所があるのは北口で、ロータリーが新規に整備されたようだ。八街といえば落花生。駅北口にはさすがに落花生の像があった。
八街市役所はけっこう大きいが、それは特大の車寄がもたらす印象だと思う。車寄以外はごくふつう。
八街市の歴史を見てみると、市制施行は1989年と意外と新しい。そして現在地に庁舎が建ったのは1979年。
旧八街高等学校の跡地に八街町役場が移転してきた、という感じであるようだ。
特大の車寄がいつくっついたのかは結局わからず。広大な駐車場の影響もあって、不思議な印象の場所だった。
L: 八街市役所。敷地の周囲に木はほとんどなく、あっさり。庁舎の手前に集中して植栽やパブリックアートが配置されている。
C: 特大の車寄をクローズアップ。この豪快なオブジェひとつで建物の印象が変わってしまっている感じである。
R: 車寄がくっついている左側の建物が第一庁舎で、こちらは右側の第二庁舎。旧八街高時代からの建物かな?市役所の撮影を終えて駅まで戻ると、そのまま南口に出てみる。いかにも区画整理したばかりといった北口と違い、
こちらには店がチラホラある。だが、ちょっと歩けばすぐに千葉っぽい住宅地になってしまう。
どうも八街という街は、僕が思っていたよりもずっと田舎のようだ。千葉県は千葉市から外に出るとぐっと田舎になるみたい。八街駅。2004年竣工で、曲線のデザインはやはり落花生を意識したらしい。
八街駅の次は佐倉駅で下車。時刻はぼちぼち正午になるくらいなのだが、本日これ以降はずっと佐倉市内で過ごす。
佐倉にはけっこういろいろ見たい場所があるのだ。駅舎1階にある観光案内所でパンフレットをあれこれ入手する。
そしてレンタサイクルもあったので、これ幸いと申し込む。佐倉の名所は点在しているので、これでずいぶん楽になる。JRの佐倉駅。市街地からはけっこう遠いのでレンタサイクルは大助かりだ。
まず最初に目指したのは、旧堀田邸。明治維新の際に佐倉藩を治めていたのが堀田氏で、
旧堀田邸は1890(明治23)年、江戸から佐倉に戻った最後の佐倉藩主・堀田正倫が建てた。
重要文化財に指定されているということで行ってみることにしたのだが、これがけっこうわかりづらい。
そもそも佐倉の城下町は全体が丘の上にあり、JR佐倉駅からだとけっこうな上り坂となるのである。
変速機能のないママチャリで坂を上っていくのはなかなかしんどいし、旧堀田邸の入口はわかりづらいしで、大変だった。現在、旧堀田邸の周囲には佐倉厚生園という病院と老人ホームの複合施設がつくられており、
その敷地を抜けた奥に旧堀田邸の冠木門が現れるかたちになっている。実にややこしい。
門をくぐり、料金を払って(今回は旧堀田邸・佐倉順天堂記念館・武家屋敷のセット券にした)中に入ろうとしたところ、
重要文化財なのでカバンが壁をこすらないように前に抱えるように注意される。しょうがないので素直に従う。旧堀田邸の見どころは、明治期の和風建築ということで、伝統的な部分に西洋の技術が盛り込まれている点、らしい。
あとは『侍戦隊シンケンジャー』や『坂の上の雲』などのロケで使用されたことか。各部屋にその説明がある。
でもまあ正直、リニューアルがだいぶしっかり行われていたので、建物としての雰囲気はあまり面白くなかった。
重要文化財だからカバンを前に抱えろと言われたが、悪いけどそこまで貴重な建物には感じられない。
むしろ建物の中よりも、タダで出入りできる庭の方が面白かった。ところどころに松が植えられている芝生の庭は、
大胆になめらかな高低差がつくられており、崖に向かって緩やかに下っていくつくりになっている。
実際に歩いてみると、この波打つような高低差が妙に斬新に感じられる。つまらん建物よりもずっと楽しかったな。
L: 旧堀田邸の入口。明治期の和風建築、ということ以上の存在意義をイマイチ感じられなかったのが残念。
C: 邸内の様子。まあ悪くはないのだが、オリジナリティはそれほど感じられず。リニューアルがキツめ。
R: 面白かったのは庭の方。今日みたいに天気のいい日はここでボケッとするのが楽しそうだ。続いては佐倉順天堂記念館。佐倉に招かれた蘭学医・佐藤泰然が設立した診療所が順天堂。
後に泰然の弟子で養子の佐藤尚中がその名を冠した大学を設立するが、そのルーツといえる場所、というわけだ。
幕末に老中を務めた佐倉藩主・堀田正睦は蘭学を大いに奨励していたそうだ(その後、井伊直弼と対立して蟄居)。
したがって佐倉順天堂記念館は幕末の最先端医療の現場となっており、資料も多く残されている。
個人的に面白かったのは建物の内装で、入口側が和風なのに対し、奥へ行くと洋風になっている。
これは明治に入ってからの改装とのことだが、かなり大胆な合体ぶりが非常に興味深かった。
L: 佐倉順天堂記念館の入口、冠木門をくぐったところ。1858(安政5)年築の母屋のみが現存している。
C: 入口のある北側はこのように和風。 R: 奥にある南側のは洋風となっている。豪快である。佐倉順天堂記念館を出ると、「蘭学通り」と名付けられた道を一気に西へと走る。かぎの手のクランクを抜けて、
さらに西へとぶっちぎると麻賀多神社があり、それを合図に南へ。そうしてしばらく進んでいくと、
武家屋敷地帯に入る。緑の生垣と背の高い木々が組み合わさって、とっても閑静な一帯となっている。
実は佐倉は、関東地方ではトップクラスの、非常に多くの武家屋敷が現存している街なのだ。
現在は旧河原家・旧但馬家・旧武居家の3棟が一般公開されている。リニューアル具合はまあそこそこ。
L: 最も東にある旧河原家で料金をきちんと支払いましょう。裏手には井戸や小さい畑がちゃんとある。
C: 旧河原家の中の様子。鎧があったりなんかして、いかにも武家屋敷っぽく演出されております。
R: 真ん中の写真の反対側にまわったところ。生活感がしっかり伝わってくるのは非常にいいと思う。これで佐倉市内の主要な歴史的建造物はだいたい押さえたはずなので、佐倉城址方面へと移動。
途中に佐倉市役所があるので当然寄ってみたのだが、これがなんとも大胆な造形をしていた。
一目で「違い」を感じさせる建物だ。設計者は黒川紀章、1971年の竣工。なるほどそう言われてみれば確かに、
菊竹清訓の旧都城市民会館(→2009.1.8/2011.8.11)なんかとどことなく同じ系統、メタボリズムの香りが漂う建物だ。
(メタボリズムの建築には、高度経済成長期らしい独特の「ポップさ」がある。ミッドセンチュリーに通じる感じもある。)
奥に入ってみると、そこにはまったく異なる曲線的なデザインの議会棟があった。この組み合わせも面白い。
L: 黒川紀章設計、佐倉市役所。その凝り方に、思わず「おう」と声が出た。こういう特徴のある市役所は楽しい。
C: 角度を変えて撮影。 R: 裏手には曲線的な議会棟。上にあがれないように柵を立てざるをえないのが残念だなあ。土曜日だが中に入ることができたので、お邪魔してみる。と、いきなり1階と2階をぶち抜いたホールになっている。
ファサードに対して45°の角度がついたV字型の空間となっており、とっても斬新。単純ではない分、インパクトがある。
こういう凝った建物を市役所として使っているところに、佐倉という歴史ある街の矜持を感じる。
やっぱり役所の建築ってのはこうじゃなくちゃいかんよ、と思う。無個性なオフィスじゃいかんのだ。
L: エントランスをクローズアップ。建物の表面に対して45°ずらした四角形(□に対して◇)を強引に配置しているのがわかる。
C: ホール部分。45°ずれたエントランスをがっちり受け止めてV字の空間となっている。ちょっと狭いが、実に個性的。
R: 中央の写真に写っている階段を上がって、そこから右手を眺めたところ。いやー、面白い。市役所を後にすると、そのまま坂を下って北へとまわり込み、佐倉城址・国立歴史民俗博物館の入口へ。
さっき坂を豪快に下ったばかりなのにかなり厳しい上り坂になっていて(愛宕坂という)、悲しくなってしまった。
坂を上りきると、右手に巨大な博物館。脇の歩道にはバス停があった。ここまでバスが来てくれるなら楽だな。
とりあえずは博物館をスルーして、さらに先へと進んでいく。佐倉は台地の街ということもあり、
台地の西端を占めている佐倉城址はかなり広い。ただし城址内の高低差はほとんどないので快適ではある。
そんなわけで自転車に乗ったまま、一気に本丸跡まで到着してしまった。広大な芝生の広場となっており、
端っこに天守台の跡があった。佐倉城は中世の城郭からスタートしていることもあってか、
本丸跡を囲んでいる土塁が非常によく目立つ。この土塁のおかげで城跡としての雰囲気がよく残っている。
かつての城は陸軍の駐屯地を経て、今ではすっかり地元住民の憩いの場となっているようだ。
L: 佐倉城址本丸跡への入口。左はタウンゼント=ハリス、右は堀田正睦の像。日米修好通商条約を記念したものですな。
C: 佐倉城本丸跡。本丸にしてはかなり広い。が、それをしっかりと土塁が取り囲んでいる。
R: 天守台跡。ただし佐倉城は御三階櫓を天守の代わりとしていたそうで、それっぽいサイズである。佐倉城址を堪能したら、いよいよ国立歴史民俗博物館に入るのだ。来た道を戻って駐輪場に自転車を止めると、
さすがに国立の博物館らしい迫力のあるエントランスから中へ(設計は芦原義信で1980年竣工だとさ)。
L: 本丸跡へ行く途中に撮った国立歴史民俗博物館。さすがに非常にデカい。「歴博」の文字が目立っている。
R: 国立歴史民俗博物館のエントランス。いかにもな感じである。県立以上の美術館や博物館ってこんな感じだよなあ。歴史をテーマの中心に据えた初めての国立博物館ということで、歴史民族博物館はなかなか気合が入っている。
それは常設の展示室が6つもある点からもよくわかる(ただし第4展示室は2013年までリニューアル工事中)。
が、まずは企画展の「風景の記録 −写真資料を考える−」から見ていくことにする。学校の地理の先生をしながら大量の風景写真を残した石井實さんという人がいて、今回のこの企画展では、
そのフォトライブラリーを中心に展示。そこに江戸の街のパノラマ写真、観光絵はがきなどが加えられ、
かなり充実した内容となっていた。特に石井實フォトライブラリーは強烈で、地理教師ならではの視点から、
すでに失われて久しい数多くの日常風景が大量に展示されていた。これがもう本当に面白くて、
思わず図録を買ってしまったではないか。僕が目にすることのできなかった日常が、鮮明に記録されている。
モータリゼーションを経た道路の拡張が日本全国の隅々にまで行き渡った現在のわれわれの身体スケール感覚は、
明らかに戦前のそれとは異なったものとなっている。それをはっきりと痛感させられる内容だった。
単純に都市社会学的な意味での時代の記録だけでなく、身体感覚の変容までもが味わえるクオリティなのだ。
何気ない日常の風景写真をわざわざ撮る物好きなんて本当にきわめて少数しかいないのだが、
僕も「そっち側」の人間として、ものすごく共感できるし尊敬できるし、感動しまくってしまった。
空間の記憶というのは、信じられないくらい脆いものなのだ。建物が更地になった瞬間、もう思い出せなくなる。
それをきちんと記録に残しておく価値が満載で、心の底から楽しませてもらった。さて肝心の常設展である。第1展示室の中に入ると、まず右手に鏡が張ってある。
まずは現代を生きる自分の姿を確認することからスタートしましょう、という意図らしい。気合を感じる。
そうして各時代を生きた人々の姿が描かれた空間を抜けると、縄文土器の展示が迎えてくれる。
複製もあるが、本物も多い。日本全国各地の縄文土器が並べられており、比較して眺めることができる。
いかにも火焔型の土器をつくった天才芸術家は北陸地方に多かったようだ。北陸産の土器が群を抜いて面白い。
そしてわりとすぐに弥生時代へ。石器から青銅器、そして鉄器へ。古墳もつくられ、日本人は都市の住民となる。
L: まず最初に現れるのが、鏡。なので2011年を生きている自分の姿を撮影してみました。
C: 縄文土器の博覧会。これは面白い試みだ。地方による特徴の違いを一発でつかむことができていい。
R: 前方後円墳の建造当時と現在を比較した模型。なるほど、とってもわかりやすい。日本の歴史を本気で紹介していこうとすると、さすがにすさまじい分量になってしまう。
そこで博物館としてはどうしても情報の取捨選択をすることになる。ここがセンスの発揮しどころであるわけだ。
で、国立歴史民俗博物館が選んだのは、「複製による豊富な展示」という作戦だった。
結論から言うと、僕にはそれはありがたくないやり方だった。本物ならではの説得力がないことで、
本を読むのとあまり変わらない効果しか得られないように感じられたのだ。延々と説明が続くだけ。
選び抜いた本物の資料を展示して、それを中心に周辺の知識をリンクさせていく、そういうやり方のほうが、
結果的には歴史の本質を来場者にうまくつかませることができるんじゃないかと思う。
とにかくどこもかしこも複製ばかり、本物があっても二線級のものがほとんどで、
気合は感じるのだが受け取る方にしてみれば空回りになっている感触しか残らないのである。
L: 鎌倉の地形の立体模型。海と山に囲まれた鎌倉の防御力がよくわかるし、鎌倉七口の存在意義も実感できる。
C: 地図に関する展示コーナーでは、部屋の真ん中に置いてある椅子も伊能忠敬の日本全図なのであった。いいねえ。
R: 江戸の街並みの模型。これは非常にクオリティが高かった。やっぱり面積の大きい模型は迫力が違うなあ。国立歴史民俗博物館のもうひとつの問題は、展示室の配置というか順路の設定が非常にややこしいこと。
歴史が時間経過そのものなのと同じように、展示を順路に沿って見ていくという行為には時間がついてまわる。
つまり、展示室という空間を媒介に、かつてあった時間を体験するという行為をすることになるわけだ。
いろんな枝葉があるものの、時間は基本的に不可逆な1次元的の線として流れていく。これが現代人の認識だ。
(時間経過に関する感覚については、真木悠介『時間の比較社会学』を参照(→2008.1.9)。すごい本だよ。)
歴史は確かに複雑に絡み合ってはいるのだが、大局的にみればひとつの線として認識することしかできないのだ。
だから展示の順路設定には細心の注意が払わなければならない。歴史全体を伏線の詰まった物語として眺めるには、
それだけの工夫と手際のよさがなければならないのだ。しかし、ここの展示からはそれが感じられなかった。
焦点を事件や物に絞り、それをめぐる動きを紹介する。説明が重複する部分は伏線として処理してしまえば、
来場者には多角的な視点から見たことになるのだから、それがかえって快感やひらめきになるのではないか。
現状は偽物と漠然とした順序の時間のオンパレードが延々と続くだけになっており、本当に損をしていると思う。
L: かつての繁華街を再現。左側は全盛期の映画館、右側は妖しい内容の広告・貼り紙でいっぱい。生々しく、リアルだった。
C: 軍国主義まっしぐらな戦時中の展示は、どことなく軍隊の営舎を思わせるレンガ風の内装。これは非常にいい工夫だと思う。
R: すべての展示の最後にあるのは、なんとゴジラ。これで終わるってのは、かなり思いきった演出だ。やりますな。ところどころにめちゃくちゃ鋭い演出がなされているのに、全体としては焦点がぼやけている感じ。
なんとももったいない見せ方だったなあ、と思いつつ博物館を後にする。いや本当、もったいなかった。
ありがたかったのは、基本的に写真撮り放題だったこと。まあ、偽物ばっかりじゃ撮る気も半減だけどね。愛宕坂を一気に下って京成佐倉駅にも行ってみた。もうちょっと都会かと思ったが、千葉の田舎レヴェルだった。
千葉の地方都市はどこも農地が猛烈に宅地化された場所ばかりだからか、街としての核をあまり感じることができない。
佐倉は城下町だから違うかと思ったのだが、駅はJRも京成も台地の下にあるから、駅前は田舎のままだった。京成佐倉駅。千葉の地方都市の駅前は本当に貧弱だ。
再び台地を縦断して(つまり坂を上って下って)JR佐倉駅までたどり着くと、レンタサイクルを返却。
佐倉はママチャリだと本当につらい街だった。まあ、街の特性を実感できたという意味ではよかったけどね。
だいぶ佐倉の坂道で体力を削られてしまったせいか、千葉に寄り道する元気もなく東京に戻るのであった。
わりと地味だけど、中身のとっても濃い一日だったなあ。
授業が終わった午後、入試相談に出かける。僕はそういう仕事が初めてなので、めちゃくちゃ緊張。
自分のことであれば、何かミスをやらかしてもテメエの責任でテメエに迷惑がかかるだけだからいい。
でもこれは他人のことなので、ミスをするわけにはいかないのである。そう考えるから緊張してしまう。
で、よくわからずにオロオロしながらも目的の高校にたどり着き、非常にスムーズに手続きを終えた。
こっちはもう、就職活動以来のガッチガチな精神状態だったのだが、先方が慣れているので助かった。
まあ、手のかからない生徒の分を担当するように周囲が配慮してくれたからこそ、なのだが。ともかく、一安心。◇
本日、ついに日記の負債を完済した! これもすべてMacBookAir(と冬で時間短縮になった部活)のおかげだ。
今後はひたすら過去ログの改修作業に集中することになるが、完済のノウハウが確立されたことは非常に大きい。
できるだけ早く改修作業を完了させて、余裕のあるサイト運営をやっていきたいものである。いやー、よかったよかった。
受験生どもは都立高校入試に向けて、自己PRカードの文面を必死で練っている。
いちおう僕にも塾講師時代のノウハウや就職活動の経験があるので(→2004.4.14/2004.5.8/2004.5.12)、
今日はそれを生徒たちに紹介してみた。その内容をおおまかに、ここに記録しておくことにする。◇
受験や就職の際の作文は、究極的には2つのことだけを書けばいい。それは、過去と未来だ。
過去とは、「自分が今までしてきたこと(=自分ができること)」である。
未来とは、「自分がこれからやりたいこと(=自分ができるようになりたいこと)」である。
すべてはこの2点に集約される(→2006.6.29)。具体例をたっぷりと盛り込んで、自分の過去と未来を書けばいい。
過去を書くには自分の経験を、未来を書くには自分の想像力を、フルに活用することが必要になる。
これは訓練すればできるようになることなので、書いて書いて書きまくって慣れていくのがいちばんの近道だ。では実際に、制限時間内に一定量の文章を書かなくてはいけない場面になったら、どうすべきか。
僕の場合、たとえば60分の時間が与えられたら、最初の20分は構成をひたすら練る。マス目に文字は一切入れない。
そして次の30分はひたすら書きまくる。考えた構成に沿って、ここで一気にマス目を埋めていくのだ。
最後の10分で読み返しながら細かい修正をする。僕は誤字脱字をしないので、接続語の確認が主である。この作業プロセスをもうちょっと具体的に紹介していくとこうなる。
1. まず、「書かなければいけないこと(=課題のテーマ)」に対する答えをメモ用紙に箇条書きにしていく。これが骨格。
2. 次に、「書かなければいけないこと」へ持っていくための、使えそうな具体例を思い出す。骨格に対する肉付けだ。
3. そしてこの段階で、箇条書きにしたものの順番と分量を決める。つまり、構成を確定させるわけである。
4. 構成が定まったら、あとはひたすら書いていくだけ。できるだけシンプルに、でも重要なことは表現を変えて二度書く。
5. 書き上がったら最初から読み返しながらチェックを入れていく。“読ませる”流れになっているかも確かめていく。
以上の手順をきちんと踏んでいけば、誰でも一定水準をクリアする作文を書くことができると思う。◇
……ということを生徒たちに示したところ、かなり真剣に考え込む姿があちこちでみられた。いい傾向である。
そうやって、自分は何者なのかというレヴェルまで立ち戻って、きちんと熟考する経験を持つことがいちばん大切なのだ。
この根源的な部分を押さえておけば、作文にとどまらず面接でも通用するものが得られるはずだ、という話。
クラブW杯の準決勝、開催国枠からここまで勝ちあがった柏レイソルが、南米王者のサントスと対戦した。
給食の時間、生徒からスコアはいくつになると思うか訊かれて「2-0でサントス」と答えたのだが、
柏は僕の予想以上の善戦を見せた。3-1というスコア以上に、内容が良かった。
確かに決定力は欠けていたが、完全にサントスを押し込む連動性があったし、気迫も感じさせた。
Jリーグのクラブがここまでできるのか、と思って見ていた。本当に面白い試合だった。柏は高いレヴェルの組織力で戦ったのだが、本場ブラジルの決定力は桁外れだった。それだけで敗れた感じすらある。
切り返した次の瞬間に放たれた、絶対に取れない位置へのネイマールのコントロールされきったシュートにも、
がっちり囲まれているにもかかわらずゴールの右上隅ギリギリに決めてみせたボルジェスのシュートにも、
ダニーロの本当にポストすれすれのとんでもない精度のFKにも、開いた口が塞がらなかった。
ああいうシュートを打っちゃえる/打てないということが、世界との差ということなのだ、とただ実感。
日本は着実に積み上げて追い上げをみせてはいるが、まだトップには遠い。
でもまあ、希望がないわけではないので、これからもポジティヴに地道に続けていけばいいのだ。
受験に向けて佳境なのである。推薦や併願で私立高校を受験する場合、その相談を事前に高校とすることになる。
で、あさってがその解禁日ということで、まずはそのための書類をつくらないといけないのだ。
田舎者の僕にはまったくワケのわからん世界なのだが、とにかく書類の下書きを手伝うのであった。
それから相談の予約も電話で入れる。もう何がなんやらなのだが、先方が慣れているので助かる。
ともかくこれも経験、しかも必須の経験なので、感覚を徹底的に研ぎすましてやっていくしかない。
しかし自分がミスして自分が困る分には別にいいのだが、自分のミスが他人の迷惑になるのはかなわん。
こういう緊張感って、けっこう苦手である。まあそれをほぐす特効薬こそ、経験にほかならないのだが……。
このたび、しりとり対決に決着がついたので、その件について報告いたします。赤ペンが僕です。
勝負あり。
ノートでのやりとりだと考える時間がたっぷりあるので、終わらねーだろコレ、と思っていたらあっさり負けやがった。
しかもノートが返されて初めて自分のミスに気がついたという間抜けっぷり。大丈夫かよ、受験生……。懲りてねえっ!!
うっかりしていた。今年は毎月最低1回はサッカーの試合を観に行くと決めていたのだが、
12月といえばもうぼちぼちシーズンオフ。先週、柏レイソルがJ1を初制覇してしまったではないか(→2011.12.3)。
こりゃ困ったなと思ったのも束の間、すぐにすばらしい代案を思いついた。そう、JFLがあるじゃないですか。
すでに松本山雅がJ2昇格を確定させているが、もうひとつJ2昇格がほぼ確定しているクラブがある。
しかもそのクラブはかなり攻撃的なサッカーをやっているという評判である。JFL最終戦、最後のチャンスだ。
そんなわけでチケットを確保すると、午前9時半、自転車で家を飛び出した。目的地は……町田市である。いちおう東京都内ではあるが神奈川の属国としてお馴染みの町田市(そうやって町田出身のダニエルをいじめたなあ)。
実はこの街、東京都内で一番といっていいサッカーどころなのである。この町田市のクラブこそ、FC町田ゼルビアだ。
ふつうのクラブは県レヴェルの支援や複数の市町村による支援を受けているが、町田ゼルビアはあくまで町田市のクラブ。
サッカーどころとしての矜持で成り立っているクラブと言える。今年ついに念願かなってJリーグの入会審査をパスし、
得失点差で今シーズンのJFL4位以内がほぼ決まっており、来シーズンはJ2に舞台を移すことが決定的となっているのだ。
そんな町田ゼルビアのJFLでの(たぶん)最後の試合を観戦しようというわけである。細かい観戦ポイントは後述。町田といっても広い。試合会場である町田市立陸上競技場があるのは野津田公園なので、そこを目標に走る。
ルートは複数候補があったが、神奈川の属国・町田ということを少し意識して、川崎市内を多めに走ることにした。
まずは駒沢通りで二子玉川に出ると、多摩川を渡って川崎市へ突入。道が狭くて急に走りづらくなる。
府中街道に出ると、ひたすらそのまま北西へと進んでいく。走って走って向ケ丘遊園駅に着くと、とりあえず朝メシ。
明治大学の理工学部が近いので、やはり学生の姿が目立つ。明大生田キャンパスといえば堀口捨己なのだが、
今はのんびりと建築めぐりをやっている余裕はない。いずれまた訪れてあちこち見てみたいなあ、と思う。府中街道に復帰して小田急線の線路を越えると、今度は神奈川県道3号・津久井道を西へと進んでいく。
この道は都道3号・世田谷通りと接続しており、素直に環七から世田谷通りを来た方が楽だったような気がする。
それはともかく津久井道を進んでいくが、ゆったりとした上りとなり、風景も田舎っぽさがぐっと増してくる。
具体的に言うと、土っぽいのである。細かいところで土が現れ、砂っぽく汚れた住宅が目立つようになるのだ。
津久井道は小田急線ときれいに並走しており、新百合ケ丘のような完全郊外社会もときたま出現するものの、
それだけに、いかにもかつて農地だったところが急激に開発された感触の落差が生々しく迫ってくる。
柿生を抜けるといよいよ町田市だ。でも東京に戻ったぜ、という感覚は正直あまりしない。
ムリヤリ宅地化した田舎の匂いがそのまま続いている。それを切り裂くように、グイグイ西へとまだ走る。走りながら、思い出す。かつて多摩地区の市役所について聞き取り調査をしたときのこと(→2002.9.24)。
町田市の大きな特徴として、他市と比べて道路がきわめて不便なことが挙げられる。
市内をまっすぐきれいに通っている道が皆無なのだ。面積の広い市だけに、どこへ行くにもアクセスが悪い。
なんでこんな状態なんだ、と職員の方に訊いたら、町田市では道路の整備よりも福祉を優先したとのこと。
1960年代から70年代にかけて、多摩地区では軒並み革新自治体が誕生していたのだが、
このときの町田市長(もちろん革新系)が福祉政策をとっても手厚くしたんだそうだ。
その分だけ道路整備が遅れて、町田の道路は複雑なまま今に至っている、そんな話になった。
町田を走ると、土建行政もある程度は絶対に必要だ、という気にさせられる。それくらい道がややこしい。派手な高低差がイヤだったので、北からまわり込んで野津田公園に入ろうと考える。
見れば、僕と同じように自転車で公園入口へと向かう人たちがけっこういる。青いユニを着ている人がチラホラ。
しかし僕は町田サポではない。ただの無所属の社会学者だ。社会学的にサッカーを眺めるために来たのだ。
そんなことを思いつつ公園の中に入ると、これがけっこうな坂道なのであった。公園内がいちばんキツかったわ。
坂道を上りきるとゲートが現れる。すでにキックオフまで1時間を切っており、かなりの賑わいとなっていた。
スタジアムの前にはアスレチックと芝生の広場があり、どちらも親子連れでいっぱい。
町田ゼルビアのユニやシャツを着ている割合が高く、町田の地域密着ぶりを見せつけられた感じである。
近くに自転車を駐輪すると、まずはスタジアム周辺の様子をチェック。駐車場は出店でいっぱいで、
やはり町田ゼルビアのユニやグッズを身につけた人たちで埋め尽くされていた。この勢いには圧倒された。
L: 町田ゼルビアの本拠地・町田市立陸上競技場に到着。芝生の広場ではたくさんの親子がボールを蹴っていた。
C: 駐車場の出店はとにかく人でいっぱい。これだけの賑わいはちょっと想像していなかった。さすがは町田の矜持、か。
R: スタジアムの正面を撮影してみた。ふつうに市レヴェルの陸上競技場だが、来年からはここでJリーグが開催されるのだ。いつものように、初めて来たスタジアムを一周してみる。が、町田の場合、山の中にドカンとつくってあって、
バックスタンド側の裏手は完全に自然が残っている感じなのである。正直、メインスタンドに帰れないかと思ったわ。
結局、さっき必死で上がった坂まで戻る破目になってしまった。でもどうにかいちおう、一周はできた。ここはどこー? ホントにスタジアムの裏手なのー?
チケットを提示して中に入る。今回はバックスタンド観戦なのだが、驚いたことに、中は観客でいっぱい。
アウェイ側のコーナー付近まで行ってもまだ客がしっかりいるのであった。すごいもんだ。
そしてもうひとつすごかったのが、逆光。太陽が真っ正面からがっちりと照りつける。これは正直つらかった。町田市立陸上競技場の内部。可もなく不可もない感じですかね。
本日最終戦の町田ゼルビアの相手はカマタマーレ讃岐。長野パルセイロと同時にJFLに昇格したが(→2010.12.6)、
いきなり2位に入った長野とは対照的に、讃岐は11位とJ2昇格の可能性がなくなってしまっている。
しかしいい形で来シーズンにつなげるためにも勝ちたい試合であることは間違いない。
遠路はるばる香川から来たサポーターも気合十分のようである。JFLのアウェイにしては多い方だろう。
いちばん面白かったのが、選手入場の際に『瀬戸の花嫁』を歌って選手を迎え入れていたこと。
甲府の場合は少し音のズレた『威風堂々』でありきたりだが、こういうところで個性が出せるのはすばらしい。冒頭で書いたように、町田ゼルビアの試合を観に来たのは、単に月イチ観戦のノルマを果たすためだけではない。
町田が展開するという攻撃サッカーをこの目で確かめるために来たのだ。監督は、ランコ=ポポヴィッチ。
2009年、シャムスカ更迭後の大分を指揮したセルビア人監督である。結局大分はJ2に降格してしまったが、
ポポヴィッチのサッカーは高い評価を得た。翌シーズンも年俸を減額しての契約を自ら希望したが(かっこよすぎだ)、
残念ながら財政が危機的状況にあった大分は、ポポヴィッチとの契約を継続することができなかった。
(外国人監督は、通訳を必要としたり税金をクラブ側が負担したりと、よけいなお金がどうしてもかかってしまう。)
そして相馬直樹が川崎の監督に転身した今シーズン、ポポヴィッチは町田ゼルビアを引き継ぎ、J2昇格を果たしたのだ。
町田がポポヴィッチを監督に迎えたという話を聞いて、僕は「こりゃ町田の試合を観に行かなきゃ」と思ったのだが、
最終戦にしてようやく重い腰が上がった格好である。さらにメディアでは、ポポヴィッチが来シーズン、
FC東京の監督に就任することが報じられている。ここできちんと来シーズンの予習をするのも目的のひとつなのだ。
(2年連続で監督をかっさらわれた町田は気の毒だが、逆を言うとそれだけ監督選びが優れている証左でもある。)キックオフすると、まずは町田が攻勢をかける。ポポヴィッチはパス主体の攻撃サッカーを展開するとの話だったが、
そのとおり、サイドからリズムよくパスをつないで仕掛けていく。対する讃岐は猛烈なプレスで応酬する。
JリーグとJFLには確かにレヴェルの違いがある。それはプレーの精度とミスの頻度という形で現れる。
町田は10番のセルビア人選手・ドラガン=ディミッチを軸にして攻める。ディミッチの実力は頭ひとつ抜けていた。
相手選手のチェックが入ってもボールを簡単に失わないし、プレスを受けても確実に味方にパスを出せる。
右サイドのディミッチのところで起点ができるため、町田は高い位置での攻撃を続けることができていた。
L: 積極的に攻撃を仕掛ける町田。複数の選手がきちんとパスコースをつくる動きができており、観ていて心地よい。
C: 町田のポポヴィッチ監督。いつもラフな格好で指揮を執るのだが、それがビシッと決まっているんだよなあ。
R: 10番のディミッチが起点となり、町田は高い位置でパスコースをしっかりつくって押し込んでいく。強い!もっとも、町田で優れているのはディミッチひとりだけではない。サイドバックがかなり積極的に上がり、
ボランチもヴァイタルエリアをしっかりと押さえて相手陣内でサッカーを展開することができている。
町田がシュートを打つ際、ペナルティエリア付近ではつねに4~5人の選手がスペースを埋めている。
これだけ厚みのある攻撃をしっかりとできているチームは珍しい。チーム全体で攻めているのである。
何より、選手の視野がみんな広い。逆サイドに出すロングパスがどれも絶妙なのだ。本当によく見えている。
だから観客は、選手がその場ではじき出す「答え」にうならされる場面が多い。つまり、面白いサッカーなのだ。先制点は42分。中央に入っていったディミッチが左足ボレーを決めた。町田は余裕を持ってプレーしていた印象だ。
讃岐もチャンスをつくってはいたが、精度を欠いており得点の予感はなかった。その差が現実となった得点だったと思う。
後半になっても雰囲気は変わらない。もっとも後半早々の47分に讃岐にひとり退場者が出ており、そういう意味では、
讃岐はよく穴をカヴァーしてプレーしていたと思う。でも自在に攻める町田に翻弄される展開となっていた。
L: ディミッチが左足ボレーで先制点を決める直前の光景。どうもオレはシャッターを切るタイミングが早いんだよなあ。
R: 喜ぶディミッチと町田の皆さん。J2昇格へ向けてその勢いは止まらない、って感じ。ショートパスも良いし、ロングパスも良い。確かに町田のサッカーは娯楽性が非常に高い。
後半88分には、途中出場で町田出身の星が追加点を奪う。左サイドからのロングパスで始まった攻撃で、
右サイドの深い位置に一気に侵入すると、ゴール前に選手がしっかり入って得点を奪いきった、そんな感じ。
ポポヴィッチ監督のサッカーがここまで面白いとは。来シーズンのFC東京はかなり期待できそうだ。
L: きっちりと追加点を決めてみせる町田。 R: 最終戦を文句なしの展開で進めて、そりゃうれしいわなあ。讃岐もよく戦ったが、最後まで町田の集中力は切れることがなかった。GKの凡ミスが2つあってヤバかったけどね。
自分たちのカラーをしっかり出しきった町田がそのまま2-0で勝利し、3位に浮上して今シーズンを終えた。
L: 最終戦を勝利で飾り、J2昇格が確定したことで盛り上がる町田のゴール裏。おめでとうございます。
R: 挨拶に来た選手やスタッフを暖かく迎える讃岐のゴール裏。讃岐サポは非常にクリーンな応援が印象的だった。シーズン終了のセレモニーが行われるということで、せっかくなのでスタジアムに残って見物する。
実に7268人もの観客が入って、試合中にその数が発表されたときにはどよめきが起きたのだが、
そのうちけっこうな人数がセレモニーにも残った。運営サイドにしてみれば、たまらないことだろう。
で、社長と代表に次いでポポヴィッチ監督が挨拶したのだが、これが本当に面白かった。
「胸ロゴのスポンサーになっていただいた玉川大学さんには感謝しております。
大学ということで、われわれに『賢く』プレーする意識を持たせてくれました。
また、小田急電鉄さんの『速く正確に』という面をわれわれはリスペクトしております。
チームの調子が悪く、建て直す必要があるときには、イーグル建創さんが……」といった具合で、
スポンサーをうまく絡めた言葉にスタジアムは爆笑に包まれた。こういうコメントができることからして、
いかにポポヴィッチ監督が頭の良い人かを思い知らされた感じである。そりゃチームも強くなるわ。
最後に主将のDF津田がコメント。町田の出身で2005年から町田でプレーする彼の言葉は、
そのひとつひとつに気持ちがこもっており、町田サポではない僕も心を動かされた。
L: セレモニーを前に、選手・スタッフ・マスコットのゼルビーが一団となって喜ぶのであった。
C: スタジアムを一周してスタンドと喜びを分かち合う町田の皆さん。とても和やかなムードである。
R: ポポヴィッチ監督。来シーズン、この人が指揮するFC東京は、かなり魅力的になりそうな予感がする。セレモニーが終わって選手・スタッフらがスタジアムを一周する。
拍手に包まれる中、それに応えながらゆったりと歩く彼らの姿はとても晴れやかだった。
今は素直に、町田のJ2昇格を祝福したいと思う。そして彼らのサッカーをしっかりと覚えておきたいと思う。歓喜に包まれる町田市立陸上競技場にて。
野津田公園を後にすると、そのまま北へと針路をとる。せっかく町田まで来たので、国立に寄ってメシを食うのだ。
(常識的には、町田から国立までは、とても「寄る」と表現できるような距離ではないのだが、まあそこはそれ。)
鎌倉街道を北へ進むが、やっぱり高低差がキツい。大学在学中に多摩地区の市役所完全制覇をやったのだが、
あのとき以来11年ぶりに走る道は、まったく変わっていない。いかにもニュータウンな大雑把さ全開だった。
東京湾岸の埋立地と似た雰囲気があるが(→2005.11.3/2008.7.27/2008.7.28)、なんせこちらはもともと山の中。
起伏が激しくてたまらない。でも上りがあれば下りがあるので、峠を越えればあとは楽チン。
一気に下って多摩市に入り、やや東に針路を変えながら多摩川を渡って府中に入った。さて府中に入るとまず京王線のガードを抜けて、次いでJR南武線とぶつかることになる。
南武線沿線は大学時代にさんざん自転車で走っているので慣れているのだが、ひとつだけ、よく知らない駅がある。
それは、2009年に開業した西府駅だ。国立に住んでいたころ、谷保から南武線に乗るたびに、
駅の設置を求める立て看板を眺めていたのが懐かしい。ちなみに「西府(にしふ)」というのは新しい名前ではない。
かつてこの地には西府村があったのだが、戦後に府中町と合併してその名が消えてしまっていたのである。
だから僕としては、新駅の設置とともに歴史が掘り起こされた感覚になる。なかなかいいじゃないか、西府駅。というわけで、初めて西府駅に行ってみた。さすがに周囲に店などはまばらで、空き地がほとんど。
まあおそらく今後派手に開発されることはないだろうけど、南武線っぽい雰囲気がきちんとあってよろしい。西府駅北口。甲州街道からすぐのところにある。
あとはもう、甲州街道を飛ばして国立市内に入るだけである。
当然、元国立市民としては、谷保天満宮(→2009.3.26/2009.11.3)を無視することはできない。
夕日で薄暗くなりはじめている中、きちんと参拝する。鳥居をくぐって石段を下りようとしたら、
なんと頭上でニワトリの声がするではないか。驚いて見上げたら、そこにはニワトリたちが群れをなしていた。
飛べないはずのニワトリが、夜になると木の上で寝ようとするとは知らなかった。いやー、びっくりしたわ。参拝を終えると大学通りを北上して本格的に国立市街に入る。けっこう久しぶりである。
そういえば最近はスタ丼の店が都内で増殖しているのだが、元祖である富士見通りの店は元気かな、と行ってみる。
そしたら昔ながらの「サッポロラーメン」の看板でがんばっているのであった。うおー、懐かしい!
どういう経緯があって旭通りの国立東店とまったく異なる道を歩んでいるのかは知らないが、
これはやはり、近いうちにきちんと食べに来なくてはなるまい。谷保天へ受験生どもの合格祈願ついでに、
年明けにお邪魔してみることにしよう。でもとりあえず、今日はロージナでシシリアンを食わせてくれ。増田書店で立ち読みしたりタリーズで日記を書いたりして晩飯までの時間を有効活用。
そして満を持してロージナ茶房のシシリアンをいただく。ロージナはいつ行ってもハイソな感じで、
店員のねーちゃんも美人だし、どうも緊張してしまう。それでもやっぱりシシリアンは最高なのであった。
L: ニワトリって木の上で眠るもんなのか。びっくりだ。 C: 昔ながらのサッポロラーメン。スタ丼食いたくなるね。
R: ロージナ茶房のシシリアン。前も日記に載っけたことあると思うが気にしない。昔に比べて量が減ったのは残念。久しぶりの国立グルメを堪能し、大いに満足して家まで帰る。最高に天気がよくってサイクリングは気持ちよかったし、
ポポヴィッチ率いる町田のサッカーはものすごく見応えがあったし、シシリアンは旨かったし、もう言うことなしだ。
たいへん楽しい日曜日でございました。ニンニン。
部活の練習。こないだ京都の試合を観戦した際にやっていたウォーミングアップをウチもパクったのだが(→2011.11.28)、
いかにも足元の技術にこだわる大木さんらしいなあ、と思う。たかがウォーミングアップでも、なるほどとうならされる。
明確な狙いがあって、それに向けてひとつひとつの練習を考案できる能力が本当にうらやましい。中学生の場合、ちゃんとやればちゃんとできるはずの練習を、変に簡略化していくことが多い。
それで、せっかく考えたのに、と毎回がっくりしている。こうやれ、と指示を出してもすぐに安きに流れてしまう。
そう、練習で選手のレヴェルは露わになる。レヴェルの低いやつ、意識の低いやつほど簡略化したがるのだ。
逆に意識の高いやつは、単純な練習でも細かいところまで手を抜かずに簡略化することなくやりきる。
困ったことに、レヴェルが低いと自分が簡略化していることに気づけない。それを指摘するのが顧問の腕の見せ所。
この点で僕自身のレヴェルがまだまだ低いわけだ。まあ厳しさがないからそうなってしまうんだろうけど。
生徒にばかり頭の良さを期待してはいけないのだなあ。まずはこっちが賢くならないといけないんだよなあ。
人生相談っつーほどではないが、悩み相談を生徒から頼まれる。
そんなもん、偉そうなことが言えるような人生を歩んでいるわけではないので、とにかく時間をかけて話してみる。
お互い納得いくまで話をすることで得るものもあるだろう、と考えたわけだ。話すこと自体が癒しになるし。
それに、KJ法ほどきちんとしていないけど、雑談から見えてくるものもある。そんな感じで、ただひたすらに話す。
おかげでこっちもいろいろ発見があったし、向こうも発見があったようだ。ガス抜きになったんならよかったよかった。
部活の最中、どうにもダラダラやっているように見えるやつがいる。
よく見てみると、実際には特にダラダラやっているわけではない。にもかかわらず、そう見えてしまう。
単純なパスの練習でも、ちゃんとやってはいるのだが、あまりキビキビやっているようには見えないのだ。
これはいったいなんなのだ、と部員たちとあれこれ話をしてみたのだが、出た結論は「手足が長いから」。
手足が長くてひょろっとしている人は、なぜかダラダラやっているように見えてしまうのである。たとえば同じ動きでも、手足が短い人だと一生懸命動いているように見える。
でも手足が長いと、より大きく体を動かさないと、同じようには見えないのだ。
手足の長い人が手足の短い人と同じアクションをそのままやっても、相似形にならないのである。
これはあくまで仮説にすぎないのだが、でもある程度、的は射ていると思う。
そうなると手足の長い人たちは損をすることになるのだが、でも実際そう見えてしまうのだからしょうがない。で、顧問である僕は手足の長い部員たちに、「そういうわけだから、お前らいっそうキビキビ動け」と言うのであった。
この錯覚によるダラダラの印象は、解決しようがない。解決するには、そう見えないように動くしかない。
上級生として下級生たちにいい影響を与えるためには、ダラダラの印象をなくしていくしかないのである。
まあ、面倒臭がらずに細かいところまでアクションを起こすのはサッカーには絶対に必要なことなので、
部員たちには納得してもらうしかない。全身でキビキビのムードをつくっていくのも、能力のうちなのだ。
まずは全身でちゃんとやっている様子を表現しないと、そういう空気を生み出して周りを巻き込むことはできない。
裏を返せば、手足の長い人にはチャンスがある。大きく体を動かすことで、集団全体をより劇的に動かすことができる。というわけで、人はやっぱり見かけだよな、という話でした。
それもただ単純に外見がどうこうというだけでなく、身体のふるまいのレヴェルで考えないといけない。
演劇なんかはその辺を非常にしっかりやっているのだろう。身体論の根源的な部分をちょっとだけ覗き見た感じ。
城福さんが甲府の新監督に就任すると発表があった。いいんじゃないの、と思う(→2011.11.26)。
ただ、佐久間が居残ることだけは絶対に許せない。佐久間がいる限り、小瀬へ行くことは絶対にしない。
信じられないのは、佐久間が取締役に納まっており、それをGM留任の理由に挙げていることだ。
こんなことを許して、何がプロのクラブだ! さっさと寄生虫を追っ払え。山梨県民はいい加減目を覚ませ!
毎日コツコツと日記の作業をしております。新潟旅行記も終わり、もう少しで過去ログの清算が終わりそうなのだが、
残っているのがレヴュー系のログなので、これがまた手間がかかる。どうにか少しずつ解決の方向へ進めてはいるが、
いいかげんに書けない分だけしっかりエネルギーを消耗するので、なかなか思うようにいってはくれない。
でもきちんと書いておかないと後悔するし、こりゃもうしょうがないのである。日記とは難儀なもんじゃのう。
本日は比較的近くにある都立高校から先生がやってきて、出前授業が行われたのであった。
もちろん単に授業をやるだけではなく、高校のPRも込み。DVDを再生してアピールする場面もあった。で、結果、いちばん高校に行きたくなったのは間違いなくオレ。だってすげえ楽しそうなんだもん。
いや、生徒だけじゃなくって先生もめちゃくちゃ楽しそうなのだ。本当にうらやましい。全身ムズムズしっぱなし。
早く高校の教員になりたい~!と妖怪人間ばりに叫ぶ僕なのであった。(ところでベラ役に杏をキャスティングした人、天才すぎるだろ! もちろん受ける杏も偉いと思うけど。)
松本山雅のJ2昇格が確定とのこと。ついにサッカー後進国の長野県にJリーグクラブが誕生することになったのだ!
とはいえ、僕はあんまりうれしくない。しょせんは中信のことだから。南信には関係のないことだから。
そもそも山雅のサッカーが好きじゃない。むしろ長野パルセイロの方が昇格に値するサッカーだと思うし。長野は2位だし。
まあ冷静に考えればとんでもないことなんですよ。JFLで長野県のクラブが2位と3位に入る! これはとんでもない快挙だ。
長野県のサッカーレヴェルからしてみれば、これだけでも奇跡すぎるほどの奇跡なのだ。いまだに信じられん。
で、ゆがんだ南信人の僕は正直、山雅は「長野より下位でJリーグ入りしてもうれしくない」って昇格拒否しねーかな、
そう本気で思っているのである。これをやったら信州ダービー自体が神格化されるよ。伝説つくるべきでしょ、こりゃ。
町田ゼルビアのJ2昇格も確定したので、つまり来年のJ2は22チームで定員いっぱい、ということである。
ここで山雅が昇格を拒否してイスを1個空けて、それをめぐって来年あらためて山雅と長野が争ったら、
これ凄いことになるよ。JFLへの注目度と長野県への注目度は今年とは比べ物にならないほど上がるよ。
冷静に客観視すれば、絶対にそっちの方が経済効果とか都市への帰属意識とかいろいろ得だと思うんだけどなあ。
そういう理由からも、山雅のJ2昇格はうれしくない。これ傍観者の南信人のワガママですか? そうですか。っていうか、素直な僕の気持ちとしては、長野が昇格しないことが惜しくてしょうがないのだ。
今年初めてJFLに来たくせに、2位なんだよ。山雅だけ上がって長野上がらないとか、なんだよそれ。
山雅だけって、すごく片手落ちな感じなんだよ。信州ダービーをもっと頻繁にやってくれよ。
……というわけで、来シーズンに関しては、長野パルセイロについて少し贔屓してみようかな、と思う。
北信のクラブだからサポにはならんけどね。でも山雅ばっかり世間が注目する状況は絶対に気に入らない。
長野県内の複雑怪奇な関係や感情がサッカーというスポーツを通してうまく昇華して可視化して娯楽になる日まで、
まだまだ道のりは遠い。でもできるだけ早くその日が来るように、祈ってはいるのである。まあ正直、南信にちゃんとしたクラブができないことにはねえ。でも南信といっても伊那と飯田はまた違うから、
そこで小さいダービーが発生してしまうのだが。長野県ってフラクタルに面倒臭い県だな! 自分で呆れるわ!
柏が優勝してしまった!
今年もJリーグは大混戦で、最終節まで優勝争いが続く展開となった。だが、いつもと大きく違ったのは、
その優勝争いのど真ん中にいたのが柏レイソルだったことだ。名古屋やG大阪と互角以上に戦い抜いて、
首位で最終節を迎えた。そしてアウェイで浦和を破ってリーグ戦を初優勝。J2から昇格したばかりだったのも凄いが、
やはり柏というクラブの規模を考えると、優勝したという事実だけでも十分すぎるほどに快挙である。
僕は以前、非常に下らない理由から柏のことを凄まじく嫌っている時期があったのだが、
甲府と入れ替わりでJ2に落ちた頃からそういう感情はなくなっており、今回の優勝争いは当然、柏を応援していた。
優勝の原動力はなんといってもやはり、監督のネルシーニョの手腕に尽きるだろう。あまりにも凄すぎる。
(もしかつてネルシーニョが日本代表監督になっていたら今の日本はどうなっていたのか、まったく想像がつかない。)
監督の手腕と選手やスタッフの努力があればどんなクラブでも優勝できる、というすばらしい事実が証明されたと思う。
そういう点で、今シーズンの柏の優勝は非常に大きな意義がある。歴史が変わった、と言っていいレヴェルだ。その一方で、柏に次いで2位でJ1に昇格したはずの甲府は、16位でJ2に逆戻り。情けないったらありゃしない。
開幕前の僕の危惧はもう笑えてくるほど完全にそのまま現実のものとなってしまった(→2010.12.1/2010.12.13)。
誰も監督を引き受けてくれないから仕方なくGMが監督に就任したものの、流れを変えることができずに降格。
日本全国の笑い者になってしまったではないか。佐久間はきちんと責任をとる気があるのだろうか。
次の監督が誰になろうと、そこだけが気がかりである。社長も減俸ぐらいやんないとダメだぜ。J2はJ2で順位が確定。FC東京のぶっちぎり優勝はまあしょうがないとして、2位に鳥栖、3位に札幌が入った。
鳥栖はJ2参戦から13年目にしてのJ1昇格ということで大変めでたいのだが、素直に祝福したいのだが、
実際に試合を観戦した限りでは、あんまり強いイメージはない(→2011.8.6)。去年の甲府みたいな感じだ。
大きな欠点がないことが最大の武器だったのだろう。でもクラブ消滅の危機からよくがんばった。すばらしい。
札幌は徳島とのデッドヒートを制しての昇格だが、これまた特にサッカーの特徴がパッと出てこない。
今年のJ2は5~10位までがダンゴ状態だったので、そこに巻き込まれる隙の少なさが昇格に直結した感じか。
大木さん率いる京都は終盤に勝ちまくって7位に入った。来シーズンは若手もプロの環境にもっと慣れるだろうし、
サッカーも成熟してくるだろう(京都のスタメンの平均年齢はJリーグ全体で最も若かった)。大いに期待したい。
今年は震災の影響で首都圏で観戦する機会がぐっと減ってしまったので、ぜひその借りを返したいと思う。
安間さんの富山は目標の13位に届かず16位。ビッグネームがいなくても組織のハードワークで戦う姿勢は、
シーズンを通して貫かれていた。これからどう順位を上げていくか、その手腕をしっかり見させてもらおう。来シーズンは甲府がJ2に入るわけで、京都や富山と因縁の対決がある。これまた、観ないわけにはいくまい。
たぶん今シーズン以上に観戦に行くことになるだろうから、今シーズン以上に楽しませてほしいなあ、と思う。
まあとりあえずはお疲れ様でした。来年またヨロシク。
3年生の担当となっているからには当然、進路指導に関わる機会が去年よりも飛躍的に増えているのだが、
それをやっていくうえで、とにかく私立の各高校についての知識が必要だなあと痛感させられている。
学区に私立高校が1校、しかも女子校しかない田舎で育った僕には、東京の高校受験事情は不思議がいっぱい。
絶対評価と各種の推薦が入り交じったその状況に「それでいいのか?」と首を傾げてばかりいるのだが、
現実にそうなっている以上、そっちに合わせないといけない。正直、なかなか慣れない中でいろいろ考えている。
で、都立志向の生徒でも抑えに私立を受けるのが当たり前なので、各私立高校の特徴がわからないと話にならない。
しかし自分の教科や部活のことでいっぱいいっぱいになってしまっている自分は、そこまで手が回らないでいる。
まあとにかく今年しっかりとその辺の力加減というかバランス感覚を記憶しておかなくてはいけない。
経験ってのは何物にも代え難い武器だよなあ、とあらためて思っているしだい。こっちの方もがんばらんとなあ。
寒い寒い寒い寒い寒い寒い! もう12月なんだから寒いのは当たり前のことなんだろうけど、それにしても寒い!
ちょっと前まで暖かかったのに、急に冬らしい寒さに切り替わるような気温の乱高下が続いて、もうたまったもんじゃない。
昔は気温の変化なんぞまったく気にならなかったのに、今年はどうも例年以上に寒さに翻弄されている気がする。
これも歳をくったということなのか、と切なくなっている。やはり賢く、寒さに備える習慣をつけないといけないのか。
和辻哲郎の『風土』(→2008.12.28)の表現を借りれば、寒さに対して何も対処をとらないということは、
自己了解ができていない、ということになるだろう。己を知らないダメ人間ということか(※ひどい曲解です。あしからず)。
人間とは、自分の感じた寒さに対して的確に対処をとってきた生き物なのである。
(それで和辻はその対処のとり方を手がかりに、気候と向き合うことで生まれる各地域の人間性を分析しようとしたのだ。)
寒いにもかかわらず面倒臭がって寒いことを忘れてしまうことで寒さを無力化しようという僕のやり方は、
人間として発展する可能性がないのである。つまり賢くないのである。きちんと寒さに向き合ってがんばろうっと。