diary 2012.5.

diary 2012.6.


2012.5.31 (Thu.)

教育実習生が来ているんだけど、そして授業を見学に来るんだけど、参考にならない授業でたいへん申し訳ない。
1年生に英語の数字を教える授業はまだ授業らしい授業の体をなしていたのだが、こないだは2年生のテスト返却。
ひたすらオレが生徒に罵詈雑言を浴びせ続ける(ような感じ)という、いたたまれない内容となってしまった。
そして3年生の授業では、黙々と長文のディクテーション(書き取り)と暗写(本文を暗記して書き出す)。
もうちょっとインタラクティヴでコミュニケーションな授業だと外向けでよかったんだけど、
なんせ受験を視野に入れて英作文の力をつけようってことでそっちを優先しているので、しょうがないのだ。
とはいえさすがのオレもそこそこ反省。余裕ができたらぜひ、バランスをとる内容を入れていこうと思うのであった。


2012.5.30 (Wed.)

本日は運動会の予行なのである。僕は去年と同じく放送係の担当。今年新たにウチの学校に来た先生と組むのだ。

放送係の仕事は去年までの財産をもとにして、本番直前になって変更点を一気に反映させていく感じになるので、
予行はどちらかというと去年との相違点を確かめていく、初歩的な準備段階の機会となる。
そんなこともあって僕は比較的のんびりと構えていたのだが、相方の先生は思っていた以上にしっかり者で、
きっちりと問題点を洗い出していく。「仕事できるねー、オレの出る幕がないわ」なんてぼんやりしている僕は、
とことんダメ人間だなあ、と思うのであった。まあ、客観的に見れば、アナウンス方面は相方の先生が担当し、
楽曲管理は僕が担当して、バランスよくやりくりしていたことになるのかもしれないが。……だといいなあ。

予行では生徒が細かいミスを連発。それが本番で出ないように意識を高めさせるのが当面の仕事。
しっかり連携をとりながら、着実にやっていきたいと思っているわけであります。


2012.5.29 (Tue.)

(※一部編集していますが、大方の話の中身は変わっていないようにしたつもりです。)

件名: Re: RE: 潤平です 送信日時: 2012/05/25 22:18

潤平さん

> ご丁寧にどうもありがとうございました。

こちらこそどうも。最近マジメに考える時間ないんで。けっこういいトレーニングになりました。

> 意識的にデザインの為された市庁舎はサンプル数として少なすぎて傾向が抽出できるようなもんじゃない
> ということだね。了解です。

どこまでが「意識的なデザイン」なのか線引きできないと思うけど。
逆に、市庁舎はサンプル数が多すぎると言いたいんだよ。だから結論に合わせて「どうサンプル数を絞るか」を
考えてほしいってこと。それは論文を書くときの初歩の初歩だと思うんですが…。大学院でさんざん言われたな、これは。

> まぁ誰のための論文かといえば建築設計手法に知見を与えるという名目の論文なので、
> ファサードに興味を持って市庁舎を見る、という視点も狭い業界学問内的にはわからんでもない動機と
> お考えください。(ちなみに市庁舎のヴォリュームとか配置の研究は既に結構あります)

いやいやいや、オレは市庁舎のファサードを見るために旅をしてるんだぜ。
調べてみたら今の市はぜんぶで787。そのうちオレが見たのは260ちょい。日記の写真を見てもらえばわかると思うが、
オレの一番の興味はファサードよ。割り切って、数で勝負(つまりすべての市を扱う)すれば、それはきちんと
有意義なデータが得られると思うよ。数は力、なんだよね。その度胸はあるのか?ってだけの話。ホントにそう。

> 保守と革新の手法傾向は相当おもろいね。

でも大学院じゃ書かせてくれなかった。ムカついたねー

> 一応付け加えさせてもらうと、ファサードは後から貼り付けるもんじゃなくて
> どんな建築にも生まれちゃうもんだからさ。建築家じゃないどんな設計者だって
> 考える余裕がないくらいシビアな設計条件でもそこを無視する人はいないんじゃないかな。

> 建築家は多少、立面に対する情報と絵心を持っているとは思うけど、エゴイスティックな絵心を発揮したい、
> いまこういうファサードが作りたい、なんて気持ちで設計している人はもはやいないです。
> そんなんで仕事させてくれる施主なんていないっす。

> コールハース以降は設計条件に対して最もふさわしいプログラムを考えて、
> それを実現するダイアグラム(図式・形式)を作って、そのダイアグラムそのものを建築表現する、
> それこそがスペシフィックな建築だ、という心持ちだと思います。

> そのプログラム→ダイアグラムの設計に作家性がある、という時代で、
> ファサードはダイアグラムから勝手に滲み出てくるもんだという感じです。

> それは公共のみならず、住宅でも当たり前の流れになってます。

オレは逆にね、その発想が建築をダメにしたんじゃねえかって気もするの。
建築がダメっつーか、なんつーのか、きれいな建物は増えたけど、利用者に保存しようって気を起こさせる建物って
本当にないじゃんか。それ。建物を永遠に残させようって野望が消えたことが、なんかさみしい。
丹下健三の東京都庁舎が示唆するものってけっこう大きいよな。
でもあれだけの説得力を出すにはめちゃくちゃなエネルギーがいるわけで、
現代の消費社会においては、それは非常に非効率どころかナンセンスなんだろうね。

「プログラム→ダイアグラムの設計」って、そんな手法の建築、ぜったいに後世に残るわけないじゃん。
利用者は利用方法を更新するもんだからさ。古い建物が保存されて、用途を変えて活用されている現状を、
今の建築家はもっとうらやましく思わないとダメなんじゃない? 全国あちこちの文化財が別の形で
有効利用されているのを見ると、ホントそう思う。「建物が末永く愛される」ってことを、もっと真剣に追求すべき。
時間軸のことを考えないで現在のプログラムだけこねくりまわしているとすれば、
それこそがむしろ建築家のエゴなんじゃないのか、って逆説が成立するでしょ。
古い建物が歴史や物語を背負って、それがまた新たな物語を生み出す舞台となる。そういう空間をつくる努力を
してくれませんかってオレは強く思う。ま、それはオレが旅行をするようになってから、感じることができたわけだが。

建築というものがショボくなったとしたら、それは建築の利用者がショボくなったから。市庁舎がショボくなったとすれば、
市民のレベルが下がったってことなのね。政治にきちんと権威を持たせないと建物の品格は下がるし、
政治に権威を持たせすぎると厳密な民主主義からは遠のいていく。
結局、それぞれの人の、市民(民主主義の意味で)としてのバランス感覚しだい。オレが市庁舎にこだわるのは、
市民の誇りを体現する空間(試す空間)として、市庁舎という存在を信じているからなんだよね。
でもそんな日本人、ぜんぜんいない。

> だからテーマにしようとした学生も「現代の市庁舎建設においてどんなファサードが
> 設計プロセスにおいて生き残るのか」という感覚が動機にあるんじゃないかな。

だったらホントに、数で勝負すべき。大学院時代に「ぜんぶを調べれば文句は言われない」って聞いたけど、
それは確かだなあと今は思うね。楽して本や先行研究で済ませよう、って姿勢じゃあ中身のあるものは
何もできないよね。まずは自分の目を信じて動きなさいよ、と歳を食ったオレはより強く思う。
逆に、動いているうちに自分の視点やら立場やらは自然と固まってくるから。
その拠って立つものがないうちは、発言する権利はもらえませんよ。

> まぁ建築家なんて政治家にとってみれば利用材料でしかないバカなんだから
> そこを自覚してどうやっていくか、と皆考えてますよ。

昔(昭和になる前くらい)はもうちょっと対等な共犯関係だったけどな。
建築家が「利用材料」に成り下がってしまった過程は、これはきちんとまとめて論文にすべきだわ。
建築史と政治史の中間。……オレの守備範囲じゃねえか。めんどくせー

> とりあえずいただいた内容は伝えますがまぁちょっとどうなるか…
> お騒がせしました、となる可能性大ですがご容赦ください。

潤平の話を聞いて思うのは、やっぱりオレは素人なのね。だから、プロの論理はまったくわかっていないわけよ。
あくまで社会学の視点だよね、どうしても。オレがぜんぜんわかっていないこともいっぱいあるんだな、と思った。
それぞれの背景が違うんで、やっぱり噛み合わない部分は大きい。でもその「噛み合わなさ」をどう止揚するか、は見たい。
だからなんていうのか、オレの噛み合わない部分を、その子にはきちんとそれなりのサイズで受け止めてほしいわけだ。

建築の専門家には、自分の建築の利用者とのステキなお付き合い、をつねに意識してほしい。
利用者ってのは、未来の利用者も含むよ。今でも淘汰されずに残っている古い建築には、それがあるのね。
オレはその現場を見たいから旅をして、建物を見てまわっているんだよ。
潤平さん、「尊敬される建物」をつくってください。

びゅ

明らかに潤平の感覚は現場ならではの現在進行形だし、明らかにオレの感覚は古い。
しかし、オレには古くさいゆえにブレようのない部分もある。また、評論家的に一歩退いたズルさも多分にある。
どちらが正しいというわけではないし、結論を急いで出すべきことでもないが、
僕と潤平の考え方の違いや僕の考え方のわかりやすい部分が出ているやりとりだと思ったので、
潤平の許可をもらって日記に出してみた。なんつーか、僕は成長しとらんね。目立って退化もしてないが。

この後、もう一丁やりとりがあるんだけど、オレが眠くてわりとケンカ腰で説明不足で支離滅裂なので、
とりあえずこの2通だけ出しておく。電話も嫌いだけどメールも嫌いだ。やっぱ面と向かって話さなきゃ。


2012.5.28 (Mon.)

(※一部編集していますが、大方の話の中身は変わっていないようにしたつもりです。)

件名: Re: 潤平です 送信日時: 2012/05/24 23:12

潤平さん

びゅく仙です。

> 今年度から博士課程に入学したわけですが、4年生で卒業論文に「市庁舎のファサードをテーマにしたい」と
> 言っている学生がいまして。扱いたいのは現代の市庁舎のファサード表現みたいなんだけど、
> 戦後年代ごとの表現の変遷も抑えないとダメだということになり、
> その辺が記述された資料とか詳しい情報を知ってそうなので連絡した次第です。

ファサード表現なんて気取った概念が出るのは1970年代から(多摩地区をまわったときのオレの個人的な感触による)。
それまでは純粋に鉄筋コンクリートのオフィス建築(3~4階建て)がほとんど。よっぽど金があったり有名だったりする市なら
別かもしれんが。つまり、市の規模により千差万別すぎるので、論文として書けるほどきれいにまとまってくれる気がしない。

> おそらく香川県庁舎に影響を受けたナショナリズム表現で 「日本というネットワークに属していますよ、」
> という中枢とのつながりを感じさせる画一性から

それはないとオレは思う。画一性があるのは、あくまで予算の制約の結果と考えるべき。香川県庁舎が特別すぎるの。
あれを意識できる自治体は県レヴェルを含め、全国に5つもないくらい。市庁舎にナショナリズムがあるって発想じたい変。

> だんだんと地域の個別さ・特別さを前面に押し出したローカリズム表現に取って代わってるとか
> そういう話になるんじゃないかと。

その考え方についてもオレは批判的だなあ。それよりは、設計者選定と絡んで、安くて一定の技量がある
組織事務所による無難なデザインが広がっていっただけだと思う。公共建築の設計者選定は本来、
入札にするものだと会計法・地方自治法で決められてんだし。

> 最近の市庁舎はガラス面積を大きくして町に開いている印象を出しながらコンテクストを捏造して地場産の
> 素材とかを使いたがる感じだと思うので。権威的でなく、地域の顔を立てるような面構えになってきてると。

市レヴェルは地場産の素材にまでこだわらんと思う。それは都道府県レヴェルだと思うよ。
よほど木材の特産品などない限り、それはないでしょう。

整備計画とか自治体は練るんだけど、そこにはお役所らしい中身のない言葉が並ぶわけだ。
それを現場の組織事務所(が大半)が都合よく解釈してデザインを決めるわけな。
そこで2つの研究レヴェルが発生する。ひとつはお役所言葉の分析。オレもさいたま新都心でやった。
もうひとつがそれを受けた組織事務所(が大半)のデザイン手法の分析。
前者は完全に言葉遊びだし、後者は無難なファサードのつくり方を追いかけるだけだから、つまんないよ、きっと。
後者を分析しても前者のような言葉遊びに終わるだけかもしれんしな。

> その間の70、80、90年代はどんな風に定義されるのかな。

ファサードというより、執務スペースつまり延べ床面積の増大ってことになるかな、と。
その結果として階数・高さが増えるという考え方。建てるときはファサードなんて考えず、まずは現状の分散・狭隘を
なんとかしようぜ、というところからスタートするから。役所ってのは、建築学科の皆さんが思っているほど
ロマンのあるものではない。それをあちこちの市役所に行って痛感させられたのが、オレの大学院時代の経験。

年代で考えるのであれば、オレが考えたのは「政治の影響」だな。市のトップが保守(自民)か革新(社会・共産)かで
デザインがどう変わったか考えた。結果、保守はシンプルなオフィスを志向し、革新は市民会館を隣に建てて、
市庁舎との間にオープンスペース(市民向けというロジック)をつくる傾向はあった。
保守はオープンスペースよりも駐車場をつくりたがるんだよ。つくっても端っこ。特に多摩地区は1970年代に、
革新市長が多く誕生している。都知事も革新だったしな。1980年代になると保守に回帰し、空調技術の発達やら
公開空地の容積率緩和やらで、オープンスペースはアトリウムになりましたとさ、というのがオレなりの結論。
ただし、これは1970年代の革新ブームと建築技術の発達ぶりが、たまたまそう分析できるように重なっただけ、
という批判的な指摘はもちろん可能だろう。よってまだ考える余地はある。単にファサードだけでなく、
もっと総合的に見る必要があるよ。建物を建てる権力によって、デザインは変わる。オレの持論。
まあこの辺の政治とデザインの話はいつかもっと深めてどっかに出したいという意思はあるが。

> ま、上記が合っているかどうかは別としても、

だからどうもその「ストーリー」を見ると、建築家の視点が強すぎる理想論に個人的には思える。かつてはともかく、
今の建てる側(自治体)はあんまりそこまでものを考えていないよ、きっと。特に市レヴェルではそう。
とりあえず試しに政令市の市庁舎をざっと並べてみ。それぞれバラバラでまとまんないから。
800近いそれぞれの市が勝手にやっていることだから、ファサードをキーワードにそれをまとめようというのは、
本来とっても乱暴な試みなんですよ。

> そういった研究が記載された論文、または本、データベースなどご存知でしたら教えていただきたいのですが。
> それを読め、と4年生に投げればいいだけの話なんで。ちなみに対象は県庁ではなく、市庁舎です。

市庁舎レヴェルだとわからん。僕は見たことない。探したこともないけど。すまんけど、先行研究をチェックするのは
本当に苦手なんだよ。だから多摩地区のぜんぶの市庁舎に行って写真を撮って聞き取り調査をしたんだよ。
いくつか市庁舎を実際に見に行って、話を聞いてるのかな? やってなきゃ話にならんよ。

建築家の視点から市庁舎の流れを見たいんなら『新建築』のバックナンバーでいいんじゃない?
そうすりゃ凝っている「話題の市庁舎」は網羅できるでしょ。でも凝ってない無数の平凡な庁舎はスルーされることになるね。
日本において、市庁舎とはほとんどがそういう存在でしかないのだからしょうがない。
一般市民のそういう「市庁舎なんてどうでもいい」という感覚を十分ふまえないと、
建築家の視点で空振りすることになりそうに思える、というのはオレが社会学部だからかな。

これはオレも大学院時代に直面したことだが、結局は仕事をたくさん受けている組織事務所の作品紹介に
ならざるをえなくなるよ、きっと。佐藤総合計画(佐藤武夫死後)と石本建築事務所(石本喜久治死後)が強いので、
その辺の仕事の流れを追うだけという、実りの少ないものになる予感。ファサードを研究テーマにしたい気持ちはわかるけど、
公共建築だけに、設計者を決めるプロセスに踏み込まないことには、非常にうすっぺらくなるはず。

逆に、プロポーザルやコンペでつくった市庁舎だけを対象にするのであれば、それはそれなりの成果となるかもしれんけどね。
どうしてもやりたきゃ、自力ですべての市にアンケートを送り、竣工年と予算と設計者選定方法を調査するところから
始めるべきだね。それが面倒くさいんなら、このテーマやめな、というのが先輩からのあたたかい意見。

> お忙しいとこすんませんが、ご対応いただけたら幸いです。ではでは

乱暴な口調というか文体で申し訳ない。多少オブラートに包んでくれるとうれしい。
とりあえず震災の関係で今はわりかし新庁舎建築ラッシュなので、そこでの動向をしっかりキャッチしたうえで
攻め方を決めてほしいねえ。県庁所在地なら甲府。太平洋岸なら平塚、茅ヶ崎。
伊賀(旧上野)は坂倉作品をぶっつぶして新築することを決定。ちなみに鳥取はこないだ住民投票で新築が否決された。
そういう動向を調べることは、歴史を調べることでもある。くどいけど、公共建築を扱うんなら、
税金を出す人たちの気持ちをきちんと反映しないとダメ。金の動きやその正当性を見ないで建物だけ見ても、
得るものは少ないと思うんだよなあ。組織事務所のカタログみたいな論文にすることだけはやめてもらいたいです。
市という特殊から一般解を抽出したい気持ちはわかるんだけど、その特殊の母数が大きすぎ。
とりあえず対象とする市を絞って(人口・財政の規模でもいいし、設計者選定方法でもいい)、自分の立ち位置を
はっきりさせるべきでは。話はそれからだな。って言っといて。
まあ、オレ自身の市庁舎を見る目がまだまだまとまっていないな。まず。
んじゃ。

びゅ


2012.5.27 (Sun.)

いよいよ今日は区の夏季大会、グループリーグ1戦目・2戦目が行われる当日である。
今まで公式戦を何度も戦ってきたが、ひとつも勝てていない。その原因は明らかで、負け癖が染み付いていることだ。
練習では発揮できる力が、本番になるとどうしても出せない。そういうメンタル面での弱さが一番の課題なのだ。
いろいろ試行錯誤をしながら「なんとか1勝を」と、もがいてきた。そして3年生の最後の大会まで来てしまった。
同じリーグに入っている学校はどこも格上ばかり(そもそもウチより格下なんて区内にはいないのである)。
勝てないまま終わるか、最後の最後で勝ちの味を知るか。3-3-1-3による戦術はすでに完成されている。
あとはその実力を出しきるのみ。監督は生徒たちのメンタル面を盛り上げることに必死になってこの日を迎えたのであった。

初戦、私立の元強豪校。以前はもっと強かったが、ここ最近はそれほどでもない。
前回大会ではいつも練習試合をやってもらっている学校にアップセットを食らっている。でも、もちろん地力がある。
『SLAM DUNK』を元ネタに、生徒たちに「オレたちは強い!」(→2005.2.15)と叫ばせてキックオフ。
ところが開始早々、何も考えていないバックパスを奪われ1失点。さらにGKとDFの呼吸が合わずにボールを見送り2失点。
あまりにも下らない失点の連続に監督ブチ切れ、動きの緩慢なアンカーをさっさと代えて足の速いWBを投入し、
生徒たちに緊張感を持たせる采配を見せる。これがうまく当たったようで、全体が崩れることなく中盤で競り合える展開に。
そのうちにゴールキックを起点に相手を押し込んでいくランバージャックぶり(→2012.4.8)が機能しはじめ、
相手は自陣で狭いプレーを強いられる。苦し紛れにロングボールを蹴っても、こっちの3バックが高い位置をとっており、
ことごとくオフサイドで攻撃の芽がつぶされる。3-3-1-3はもちろん厚みのある攻撃重視のシステムなのだが、
守備時にはラインを高く上げきることで、敵の攻撃を「俊足FWのカウンター」のみに限定するという効果もあるのだ。
相手FWが上手く抜け出してきても、こっちのCBだって俊足で体の強い生徒を入れていて、ドリブルに追いついてしまう。
結果、相手はシュートまでもっていくことができないまま、再びこっちが押し上がって相手陣内でのサッカーが始まるのだ。
しかし相手の守備も集中していて、こっちはヴァイタルエリアまでは侵入するものの、決定的なシュートが撃てない。
後半に入ってもこっちが圧倒的にボールを保持するのだが、得点できないジレンマを抱える展開が続いていく。
そして終盤、相手FWが勇気を持ってロングボールを追って抜け出す。こっちのGKが中途半端な対応をした結果、
しぶとくグラウンダーでゴールに転がされて3失点目。これで足が止まり、プレスが鈍くなったところをミドルで4失点目。
全体的な内容では引けを取らなかったが、ミスの部分と攻撃の精度の部分で差がついて、0-4で負けた。

マツシマ監督、「お前らのがんばりは認めるが、負けた以上、絶対に褒めない!」と今までにない怒りの表情を見せる。
まだ生徒たちは勇気が足りない。ボールを持つ相手に対してもう一歩深く踏み込む勇気、ボールを持とうとする勇気。
自分たちから積極的にボールに触っていこうという意志をプレーで表現できていない、と怒鳴るのであった。
怒鳴るだけ怒鳴った後は、次の試合の主審をやらなくちゃいけないので、素早く着替えてピッチへ。
主審なんて絶対に上手くできないのだが(→2012.4.8)、炎天下の中、どうにか根性でやりきった。
そう、よく考えれば僕には選手の経験はないのだが、こうやって審判はへたっぴながらもいちおうやっているわけで、
そういう意味では立派にサッカー経験者と言えるわけだ。もうサッカーをまったく知らない人間ではないのである。

そんなマツシマ監督、次の試合も3-3-1-3で、やるべきことをやるように指示を出して生徒たちをピッチへ送り出す。
次の相手はやはりいつも練習試合に参加してくる別の学校。ある程度スタイルがはっきりわかるので多少はやりやすい。
もっともそれは相手も同じで、この試合では少しメンバーを落としつつ、3トップを採用してはっきり3バック対策を立ててきた。
通常、ディフェンスは相手フォワードよりもひとり多い人数を配置するものなので、これは明らかに相手有利な状況だ。
しかし僕はそのまま3バックでやりきることを選択。J1広島の守備を意識して、アンカーに積極的な上下運動を指示。
さっきあっさり交代させられたアンカーにしてみれば、ここをやりきらなきゃ男じゃない。結果、十分に守備は機能した。
中盤で競り合う感覚を学んだこっちの選手は、さっき以上のランバージャックぶりを発揮して相手を押し込んでいく。
すると右サイドからウィングが鋭いドリブルでゴール前に侵入。中央にもこっちの選手がいてマークが絞りきれない相手に、
しっかりウィングがシュートを決めて先制する。その後もしばらくこちらが優位に展開するが、中央でボールを持った相手が、
ドリブルで中盤を突破。体を入れる守備が甘くなった一瞬を衝かれ、一気にゴール前に迫られると、そこから同点に。
失点して足が止まるいつものパターンを防ぐべく、マツシマ監督は「お前らはまだ何も失っちゃいないんだ!」と絶叫しまくり。
それが功を奏してか、3-3-1-3で押し込むサッカーは機能し続ける。そうして前半の終わりへ差しかかったそのとき、
苦し紛れのロングボールが相手の右サイドに渡った。副審の旗が上がる。相手はそこからループを蹴り込みネットが揺れる。
ところが主審は副審を見ることなくゴールの判定。僕もオフサイドだと思ったが、審判は絶対なのだ。判定は覆らないだろう。
(生徒や保護者曰く、「あのときあの場所でオフサイドじゃないと思っていたのは主審だけ」とのこと。そうだよなあ。)
前にオフサイドの誤審から崩れた苦い経験(→2011.10.23)のある僕は、「集中しろ! 足を止めるな!」とひたすら叫ぶ。
しかし生徒たちは意外と冷静に対処し、引き続き粘り強い攻撃を続けると、再び右サイドから崩して同点に追いついた。

2-2で迎えたハーフタイム、まず失点の検証から始める。1点目は前からの守備を徹底できなかったことが原因。
あの場面以外では集中が続いてピンチを防げているので、あと25分間集中を続けるように指示をする。
2点目は誤審かどうかはともかく、セルフジャッジをしてしまったこと。つまりどっちも油断だ、と言いきる。
3-3-1-3は今まででいちばん機能しており、炎天下でつらいが負ける方がつらいだろ、と残り25分間やりきるように指示。
生徒たちは完全に、自分たちの3-3-1-3に自信を持っている。前半と同じことを続けるだけでいいんだ、と言って送り出す。

後半は完全にこっちの試合だった。相手は主力をどんどん投入してくるが、何もできない状態が延々と続く。
前からの積極的な守備からセカンドボールを拾うことが徹底され、相手陣内のみでのサッカーが続く。
さらには覚醒したディフェンスが、相手の攻撃を事前に予測したポジションをとってボールを刈り取り、前に送り続ける。
相手ディフェンスラインの裏はつねに脅威にさらされ続け、こっちは攻撃参加する選手が後ろから続々と湧いて出てくる。
自慢ではないが、GKを除く10人全員が代わるがわるボールに触り続け、両サイドからも中央からも延々と攻め続けた。
僕は中学生がこれだけ魅力的なサッカーをやっていることに感動……するヒマもなく、12人目のプレーヤーとして、
声で状況を説明しながら指示を出し続ける。誇張でなく、きちんと計ればポゼッション率は7割前後に到達したはずだし、
シュートの本数は5倍以上の差がついていたはずだ。個人の技術だけに頼らず、明確な戦術をもって全員の力で攻める。
僕の目指していた組織的超攻撃サッカーが、目の前で実現されているのだ。保護者の皆さんも他校の先生方も、
驚きの目でそれを見ていた(と思う)。断然格上のはずの相手が何もできないのに、こっちは波状攻撃を繰り返し、
シュートを撃ち続ける。でもこれがウチの本来の姿なのだ。ここではっきりと言わせてもらおう。
区内でいちばん「応援したくなるサッカー」をやっているのは、オレの生徒たちだ。

しかしどうしてもゴールが遠い。攻め続けてシュートも撃ち続けるが、ポストに嫌われたり精度を欠いたり、入らない。
そのたびに僕はポジティヴに褒めて「同じことを続けろ!」と叫ぶ。そして生徒たちは時間の限り攻め続ける。
シュートへのこぼれ球へ詰めて、それがこぼれてもまた詰めて。練習の成果が出て、次々と選手がシュートを撃ち続ける。
が、3点目が入らないまま、笛が鳴った。勝てる試合で、勝ち点3を逃した! 振り返ってみるとそんな感情は初めてだった。

試合後、「自信を持って自分たちのスタイルを貫き、それなりの結果を得たことは誇っていい。オレたちは正しい。
でも3点目が遠かったのは、結局、日頃の練習の質がまだ足りなかったってことだろ」と言うと生徒たちは神妙にうなずいた。
1敗1分け、グループリーグの突破は非常に厳しい。でもそれはもう関係なく、次の試合に向けて全力を尽くすのみなのだ。
ちなみに次の相手は前回大会で優勝した学校である。監督のオレは言わせてもらう。「それぐらい骨がないとつまらねえ」

帰り道、部長に「オレが監督として有能なことが、やっと自分ではっきりと理解できたわ」とあくまで謙虚に言ったら、
「そんなの、ずいぶん前からわかってますよ」と返された。「だったらもっと早く自信持ってオレの指示どおりやりきれよ!」
「いやあ、すいませんねえ……」そんな感じでのんびり学校まで帰る。生徒たちは、なんだかいつもどおりだった。
理想とするサッカーが実現できて、震えが止まらないくらい興奮している。でも引き分けで終わった以上、満足はできない。
2週間後にもう一度、最初から最後まで自分たちのサッカーができるように、残された日常をきちんと過ごすだけなのだ。
えーと、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。


2012.5.26 (Sat.)

明日は3年生たちによって最後となる公式戦が始まる。いつもより少し多めに時間をとって、練習をする。
が、変にテンションが上がってケガなんかされちゃたまらん。メリハリをつけつつ、リラックスさせつつ、
いつもどおりの練習メニューをていねいにこなしていった。実力を発揮できるメンタル状態にすることが大事なのだ。

午後3時半、品川駅へ。前回の姉歯祭り(→2012.5.5)で『テルマエ・ロマエ』の映画を見よう、という話になった。
で、みやもり夫妻とニシマッキー、そして僕の4人で集合したのだ。みやもり夫妻は遅刻ぶっこいたので、
僕は執拗に「晩飯はいくら保護費を出してくれるのかなー?」と言い続けるのであった。そらそうよ。

映画まで少し時間があったので、駅前のイタリアントマトカフェで一服しつつ、とりとめもなくダベる。
今回は古代ローマがテーマなので、なんでもかんでもイタリア関連でいこう、ということになったのだ。
シチリア産のブラッドオレンジジュースなどをいただきつつ、優雅な午後を過ごしましたな。
ところで、しっかり日焼けした顔でいかにもサッカー部な恰好で現れた僕は(着替えるのが面倒くさいの)、
自分で思っている以上にどっぷりサッカー関係者に見えるそうで。話の内容もなんだかサッカー寄りだしな。

頃合いを見て坂を上って映画館に移動し、いざ『テルマエ・ロマエ』である。
古代ローマの浴場建築技師が現代にタイムスリップして……というのが設定というかあらすじなのだが、この映画、
最大の特徴はなんといっても「濃い顔」をしている俳優を古代ローマ側の主要なキャストに配していることだ。
主人公ルシウスに阿部寛、ハドリアヌス帝が市村正親、その次の皇帝となるアントニヌス(・ピウス)に宍戸開、
そして悪役のポジションであるアエリウスに北村一輝。なんてズルいキャスティングなんだ! 見たい!
ということで、今回の映画鑑賞会が急遽行われたわけなのだ。まあ、そりゃそうでしょう。

映画はマンガの流れをていねいに追っている印象。フジテレビが映画化を手がけているようで、
なるほど『のだめ』(→2010.1.292010.4.30)での経験が生きているのか、と思う僕。
(海外ロケで一定量の国産俳優と多数の現地のキャストを使って、わりとコンパクトに話をつくりきる手法もそうだ。)
しかし、それにしても主演の阿部寛は古代ローマ人としてまったく違和感がない。それに純粋にかっこいい。
もうこのキャスティングだけで勝ちだなあ、と思う。阿部寛を見ているだけで十分面白いんだもん。

そんな感想ばかりではつまんないので、きちんと分析もしてみましょうか。
この映画(マンガも)、構造としては『JIN -仁-』(→2011.8.24)とまったく同じものを持っているのだ。
それはつまり、「過去に現代の知識を持ち込んで活躍する物語」という構図である。もう、まったく一緒。
あっちは現代人が過去に戻ったが、こっちは過去の人間が現代へとやってくる。そうして現代の知識を身につけ、
それを過去の世界で発揮して活躍する。『テルマエ・ロマエ』では後半に現代人が過去にやってくるようになるが、
それでもやっていることは一緒で、現代の知識で過去の世界を改善する。『JIN -仁-』ではタイムパラドックスがあったが、
『テルマエ・ロマエ』では逆に、過去に積極的に干渉することで歴史を史実のとおりに戻す、という仕掛けがある。

というわけで、最近の人気作の傾向として「過去に現代の知識を持ち込んで活躍する物語」という構造を指摘できる。
あとはこのパターンをどのようにヴァリエーションをつけてやりくりしていくか、といったところなんだけど、
それを差っ引いても、『テルマエ・ロマエ』は十分に楽しめる作品だった。きちんと娯楽になっている作品だった。
受け手のモノをつくりたい感性を刺激するレヴェルではあまりないんだけど、肩肘張らずに楽しめる作品である。
こういう作品が一定期間ごとにつくられて、映画館に行った人たちが「面白かったね」と言って帰ることができる、
それでいいと思うのだ。娯楽としての映画の本質をきちんと押さえている作品で、僕は好感が持てた。

映画を見終わると、そのまま品川駅の港南口に出てみんなでメシをいただく。
上で述べたように、今回はなんでもかんでもイタリア関連でいくことになっているので、当然イタリア料理店を探す。
こないだの横浜での迷走(→2012.5.5)を軽く彷彿とさせるウロウロぶりを発揮しつつ、どうにか店に入る。
パスタは期待していた以上に量があったし味もよかったので、非常に楽しゅうございました。
それにしても品川インターシティの常軌を逸した迷路っぷりにはまいったわ。なんだありゃ。

その後はイタリアにも飽きたということで、近くの居酒屋にテキトーに入ってダベるのであった。
翌日にはサッカー部の試合を控えている僕としては、あまり酒は飲みたくないので困っていたら、
「キリンフリー」なるものをメニューに発見。ノンアルコールビールなんて、今までまったく飲んだことないのだ。
こりゃもう、経験してみるしかない!と思って注文してみる。コップにつがれたそれをおそるおそる飲んでみると、
なんとも妙な味。みんなで回し飲みした結果、「ジャワティーを発泡させたもの」という感想が出てきて、なんだか納得。
僕としてはジャワティーはかなり好きだけど、わざわざノンアルコールビールとして飲もうという気は到底起きない。
「ぼくどうしてこんなもの飲まなくちゃいけないの?」(→2007.5.4)と言うしかなかったわ。

そんな感じで『テルマエ・ロマエ』鑑賞会はおしまい。みんなで映画鑑賞というのもなかなか楽しいものだ。
集まろうと思えばきちんと集まれるわけだから、今後もこまめに集まってのんびり楽しく過ごしましょうぜ、皆さん。


2012.5.25 (Fri.)

デヴィッド=リンチ監督作品、『エレファント・マン』。

エレファント・マンことジョン=メリックは実在の人物。そしてこの物語も多少の脚色はあるだろうが、史実に基づいている。
19世紀のロンドン、生まれつきの奇形で醜い姿をした男が見世物小屋にいた。母親が妊娠中にゾウに襲われたとされ、
「エレファント・マン」という名前で呼ばれていた。彼の姿を見た医師・トリーブスは研究対象として彼を病院に招く。
当初、おびえた彼は知性もほとんどないのではないかと思われたが、聖書の一節をそらんじたことからそれが誤解とわかる。
特異な外見とは対照的に豊かな感性を持つ彼は人々に受け入れられていく一方、やはり物珍しさからからかわれもする。
そしてトリーブス自身も、自らが人間性によるものではなく興味本位で彼に接近したのではないか、と自問自答する。
まあそんな感じで「デヴィッド=リンチ」という名前からはあまり想像できないヒューマニズムど真ん中の作品。
(とはいえどこかB級感覚が漂う特殊効果があちこちにあって、そこが確かにデヴィッド=リンチだなあ、と。詳しくないけど。)

具体的には書けないが、何かしらの事故で顔が変化してしまった人に会った経験は僕にもある。
何の気なしに行った聞き取り調査先で、その人に出会った。そりゃもう、間違いなく、僕の驚きは表情に出たはずだ。
人として、しまった!とは思ったのだがもう遅い。どうしょうもない。表面上何もなかったように聞き取り開始。
まあ結局、1時間ほどやりとりをしているうちにすっかり打ち解けてしまって非常にいい調査ができたのだが、
しかし今でも、「僕は驚きを素直に顔に出してしまう人間なんだよなあ」と、ひっそり申し訳ない気分になってしまうのだ。
でもジョン=メリックはトリーブスに心からの感謝をする。きっかけはどうあれ、彼は心からの満足をしている。
きっと、それで十分なのだ。人間は外見に反応する生物だ。でも、それを乗り越えて関係性を築くことができたのであれば、
それでいいのだ、と思わされる。また、素直に厚意を厚意として受け取る心こそ美しいとも思わされる。そういう作品。

いろんな意見があると思う。ヒューマニズムの傑作といえばそうかもしれないし、偽善といえばそうかもしれない。
でも確実に言えることは、これほどに人間という存在を多様に、かつ確実に描ききった作品はそうそうあるまい、ということ。
好奇心から始まるも、心の底からメリックを受け入れたトリーブスとその妻。
やはりありのままのメリックを受け入れた舞台女優のケンドール夫人にイギリス王室関係者の皆さん。
自分の立場を利用して小銭を稼ぎ、かつメリックを珍しい生き物のようにからかい続ける病院の管理員。
金づるであるメリックを奪い返して見世物小屋に立たせ、気に入らなければ容赦なく虐待するバイツ。
逃げ出したメリックを執拗にからかう子どもたち、またメリックを怪しい人間として追いかける一般市民。
そして、人々に認められることで、自らの人間としての存在をはっきりと認めたメリック。
ありとあらゆる人間性、善の面も卑しい面も、この映画にはしっかりと刻み込まれている。そこに価値がある。
エレファント・マンという人類史上でも非常に極端かつ特殊な事例を扱ったことで、
人間という存在の一般的な特性が比較的ポジティヴな角度から描かれている。それだけで十分に傑作だ。


2012.5.24 (Thu.)

というわけで、今日はテスト本番なのだ。1年生はわりとスムーズに解いていたのだが、2年生の方は激ムズだったようで。
だが僕に言わせれば、1年生の内容をたっぷり復習するテストが難しいようじゃ話にならん、ということになるのだ。
僕のつくるテストは確かに楽ではないが、「英語っぽさ」が理解できていればきちんと点が取れるようになっているわけで、
点が取れないということはつまり、日頃の勉強が中身のあるものになっていないということ。反省するのだ。
ちなみに1年生で最も正解率が低かったのは、日本人の名前や地名をローマ字表記させる問題。本当にできない。
「香川真司」も「妻夫木聡」も「松山ケンイチ」も「鳥取」も「築地市場」も満足に書けないんでやんの。もっと慣れろよ。

そんな具合に「お前ら反省しやがれ!」と思っていたら、2年生のテストで誤植が発覚。
疲れていたのか、直前で変更した部分と連動する箇所が直っていなかった。もう本当に恥ずかしくってたまらん。
僕はどうも、2学年分のテストを担当するときには、大なり小なりどこかミスが出るような気がする。
いつもの2倍の集中力を使うんだもん、もたないよ。……というわけで、なんだか屈辱的な気分になるのであった。
テストでへこむのは生徒だけじゃないのだ! 先生だってへこむのだ! 期末テストはもっと完成度を高めるぜ!


2012.5.23 (Wed.)

最終調整ってことで、今日もテストづくりに追われまくりだぜ! やっぱり2学年分をつくるのはつらいぜ!

意外と面倒くさいのが解答用紙づくりなのね。生徒が気持ちよく問題を解くためには、ここはきちんとつくらないと。
ある意味、解答用紙というのはデザイン・設計のセンスが最も出るところなので、僕としてはサボれない部分なのだ。
Excelで割付をしていたときはここがいちばん面倒くさかったのだが、Illustratorだとわりと思いどおりにできる。
けっこうクセモノなのが1年生の解答用紙。まだ英語初心者ということで、4本線を入れないといけないのだ。
これがなかなか幅を食ってしまうので、いまいち思うようなレイアウトにならなくって四苦八苦。
まあでも、やっぱりIllustratorだとかなり自由が利くので、それほど危機的な状況になることなく完成。よかったよかった。


2012.5.22 (Tue.)

昔の知り合いから小学校の教員になったという連絡をもらった。あまりに久しぶりで軽く狼狽した。とりあえず今はそんだけ。


2012.5.21 (Mon.)

本日は金環日食フィーヴァーなのであった。なんでも日本で金環日食が見られるのは1987年の沖縄以来とのこと。
次回は2030年の北海道ということで、このチャンスを逃すと18年も待たないといけなくなるのだ。
そもそも今回の金環日食は日本の総人口の2/3にあたる8300万人の生活圏で観測できるということで、
これだけの広範囲で見られるのは平安時代以来932年ぶりとのこと。東京に限っても173年ぶり。
そして次に東京で見られるのはきっちり300年後の2312年ということで、まさに千載一遇のチャンスなのだ。
(3年前の皆既日食フィーヴァーのときの過去ログはこちら(→2009.7.22)。あのときも面白かったなあ。)

日本全国けっこうな盛り上がりとなっていたのだが、わが学校でも理科の先生の呼びかけにより、
7時15分くらいから集まってみんなで見ようぜ、ということで、当然ながら元天文少年の僕も参加したのであった。
生徒たちは意外と多く集まっていて、サッカー部員も思っていたよりたくさんいた。よしよし。
みんなで太陽の観察グラスを貸し借りしながら大騒ぎ。日食が始まると、明らかに空が暗くなっていく。
心配されていた天気も雲が絶妙の薄さでフィルター代わりにかかって観察しやすいくらい。
ときどき雲が晴れると観察グラスでじっくり眺める。東京で月が太陽のど真ん中に入るのは7時34分30秒だが、
それはもう、みんなばっちりと観察することができた。天体ショウ自体も神秘的でもちろん興味深いのだが、
やっぱりこういうのはみんなで集まって味わう方が面白いに決まっているのだ。その点でも、非常に満足。
というわけで、金環日食はしっかり楽しむことができたので、今度はいつか皆既日食を味わいたいもんだ。


2012.5.20 (Sun.)

いいかげん、テストをつくらないとマズい。今までさんざん「気分が乗らねー!」ということでサボってきたが、
さすがにもうこれ以上逃げると取り返しのつかない状況にまで追い込まれるぞ、というところまで来ているので、
朝起きると近くのカフェに行って、朝飯を食いつつルーズリーフとにらめっこ。根性全開でがんばる。

1年生の1学期の中間テストというのは、つくるのが非常につらい。3年前に経験済みだが、
なんせ初歩の初歩しか教えていないので、テストで訊くことのできる範囲がおそろしく狭いのだ。
その狭い中でどうにかやりくりして問題をつくらないといけない。結局、同じような問題の繰り返し。
そこは割り切ってやるしかないんだよなあ。しかし「is」が使えないのは厳しい。この苦しみをみんなにも味わわせたい。

2年生は2年生でまた面倒くさい。文法問題などは1年生の復習をガンガン混ぜているので別になんともないんだけど、
長文を組み立てるのが本当に大変なのだ。まあ長文が面倒くさいのは2年生に限ったことではないのだが、
習った範囲という制限がある中で読ませる長文をつくるというのは、これはもう本当に難しいのである。
やっぱりこれも割り切るしかないんだけど、凝り性な僕はなかなか納得のできる長文にならなくって苦しんでいる。
読んでいて面白くない長文ってやだじゃん、という思いがよけいに自分の首を絞めているのだ……。
自力で長文を組んでいると、関係代名詞がいかに便利な表現か実感できる。
逆に、thatを省略した関係代名詞がないと、表現の自由がガクンとなくなるのだ。
もっとも、きちんとした英語のセンスがあれば、そんなこと考えないで済むのかもしれない。
簡単な言葉で書く能力こそ、本物の語学のセンスだと思う。それがないから苦しいのだ。ただただ、つらいです。

午後になって、サイクリングがてらやっぱりファストフード店に入って、Illustratorを使って割付を開始。
実際に割付をやって形にしてみないと見えてこない課題もあるので、これまた根性全開でがんばる。
1年生のテストの方はある程度の完成形が見えてきたんだけど、2年生の方に入る前にエネルギー切れ。
それでこうして日記を書いておるわけです。気分転換ついでに4月の日記を仕上げたよ。やったぜ。
どうして本業が切羽詰まっているときに限って、別のことがはかどってしまうのだろう。

これから家に戻って2年生の方の割付。もう今日は一日丸ごと使ってのテストづくりだ。
テストはなあ、解くよりも問題をつくる方がずっと大変なんだぞ! クイズ研究会の頃から問題つくってばっかだ。

ところで、6月17日に大町で『黒部の太陽』(→2010.8.8)の上映会があると、おとといネットのニュースで知った。
大町は母親の実家がある街で、親も誘って見に行こうかと思ってcirco氏と連絡をとり、いざチケットを買おうとしたら、
もうすでに売り切れでやんの。大町だぜ? そんなプラチナチケットになってしまっているとは、まったく予想していなかった。
是非とも見たい、という思いはみんな同じなのか。これには本気でがっくりした。ついてないなあ。


2012.5.19 (Sat.)

月に2回の忌み日、土曜授業である。本日はALTを迎えての公開授業なのだ。
僕はひたすらALTがやりたいようにやるためのフォローを入れるだけなので、わりと気が楽。
でもやっぱり、入学したばかりの1年生たちの保護者が熱心に見ているのには緊張するのだ。
まあ別に変なことをしているわけではないので、ふだんどおりに堂々とやっていればいいだけなんだけど。

しかしALTは相変わらず(→2012.5.1)で、自分のMacの『ロックマン』壁紙を嬉々として見せてくるし、
廊下を歩いていてもやっぱり『ロックマン』の話題になるし、職員室でも『ロックマン』の話題になるし、
ほかの若手の先生と「『ロックマン4』以降は原理主義者としては許せない、やっぱ『3』までだ、
イエローデビルとの戦いを経験してなきゃファンとは言えないぜ」なんて話をしていたら食いついてきて、
「イエローデビルは楽だ」とか言っとるし。イエローデビルは決して楽とはいえないと思うんだけどなー。
まあそんな感じである。しかしここまで『ロックマン』話が通じる外国人がいるってことにびっくりだ。

本日は午後も保護者会などでみっちりお仕事なのである。当然、給食は出ないのでお昼は弁当。
先生方はこぞって例のカレー(→2012.4.4)に挑戦するのであった。みんな好きだなあ。
僕はトンカツ弁当に逃げたよ。やはりカレーはここ一番というときにとっておかないとね!

で、午後も勤務時間いっぱいずーっと仕事。これじゃテストつくれねーよ、ホントに。
新緑の鮮やかな季節だから、ぜひとも旅行へ行きたいのになあ……。フラストレーションはたまる一方。

昨日修学旅行から帰ってきた3年生のサッカー部員たちからお土産をもらった。
ひとり100円ずつ集めたんだそうで、そうなるとそこそこの額になるので、2種類ももらってしまった。
定番の生八ツ橋と宇治茶ゴーフレットで、仕事の合間においしくいただいております。
しかしまあ、なんかすげーうれしいなコレ。なんかホント、ありがとうございます。木刀じゃなくてよかった。


2012.5.18 (Fri.)

最近の日本はどうもおかしい。夏、暑い時期の夕立ならわかるんだけど、今はぜんぜんそんな季節じゃないのに、
いきなり空が真っ暗になって大雨が降り出す。1時間弱、雨をたっぷりと吐き出し終えると空は明るくなり、
まるで何ごともなかったかのように元の空に戻る。ここんとこ、どうもそういう急激に襲ってくる雨が多いのだ。
雨の勢いは本当に凄まじく、あっという間に校庭は水浸しになってしまう。こうなると、いくら水はけがいいとはいえ、
激しいサッカーができるまでにはそうそう回復してくれない。サッカー部にとってはイヤガラセ以外の何物でもないのだ。

この日は大雨に加えて地震まで発生。平安時代なら陰陽師が暗躍するくらいの怪しげな雰囲気である。
昔のこの時期の天気って、こんなんだったか? 不安定な天気にしても、ここまで雨が激しく降ることはなかった気がするが。


2012.5.17 (Thu.)

テストまであと1週間しかないのだが、テストをつくるモチベーションが上がらない。
しょうがないので(?)、1ヶ月以上先の旅行の予定をあれこれこねくりまわして過ごしている。
自分の知らない土地についてあれこれ調べて、あちこちまわるプランを練るのが面白いのだ。
新しい発見に触れる喜び、それを最大値にすべくあの手この手を考える。もうたまらない。
まあ一時期に比べるとだいぶこのこと自体に熱中することはなくなっているのだが、それでもやっぱり楽しい。
今年は隔週で土曜日に授業をやることになったので、その影響はだいぶ大きい。
でもそれだけに、チャンスが来たらいろいろ行ってやるぜー!と鼻息が荒くなっている。無理もないのだー。


2012.5.16 (Wed.)

3年生が本日より修学旅行ということで、いろいろドタバタ。ふだん担当していないクラスの英語はやるし、
いつもは少人数なのにクラスの人数分ちゃんと教えなくちゃいけないしで、よけいにヘロヘロになっている。
何より部活に出てくるのが2年生と1年生しかいないということで、人数が一気に半分になるので大変だ。
生徒が増えても減っても教員は大変なのである。なんとも難儀な商売なのだ。

本日の部活は自分もできるだけ練習に参加したのだが、おかげで半端なく疲れたよ!


2012.5.15 (Tue.)

明日から3年生たちは修学旅行ですか。自分が担当している学年だったらもう少し現実感があるかもしれないが、
気がつけば「僕たち明日から部活にはいません!」という状況で、なんだかどうもピンとこない。
僕と彼らの付き合いも3年目になるので、一緒に行けないということが少し悔しい気持ちもある。
あいつらの旅行は絶対に面白いだろうなあ、いいなあ、正直そう思うわけだ。
去年面白かっただけに(→2011.9.102011.9.112011.9.12)、いっそう。

サッカー部の部員どもは僕にお土産を買ってきてくれるつもりのようだが、
「先生、楽しみにしててね!……木刀!」「木刀いらねえええええー!!!」

君たち、そういうギャグが言える賢さが素敵だよ。


2012.5.14 (Mon.)

今日は夏季大会の組み合わせ抽選会があったのだが、区内の学校はどこもスケジュールがキツキツで、
日程的に無理のないグループ分けをするところからスタートして、抽選できるところだけ抽選することに。
つまり、純粋にクジを引いて決めた組み合わせなんてあんまりなくって、仕方なく相手が決まるって感じに。
結果、われわれはけっこうしっかり強い学校ばかりを相手にしなくてはいけなくなってしまった。
予選リーグの最終戦なんて前回優勝の学校だし。部員のみんな、すまん……。でもオレは悪くないもんね!
こうなったら徹底的に自分たちのサッカーをやりきるしかないのだ。開き直って初勝利をあげてやるのだ!


2012.5.13 (Sun.)

晴れて2007年の過去ログの改修工事が完了したのだ! 長かった……。本当に長かった……。
過去ログをわざわざ読むような物好きさんなんていないだろうから、モチベーションの上がらないこと上がらないこと。
それでもどうにか仕上げることができた。いやー、本当に大変な作業だった。お疲れ、自分。

あと残りは2005年と2006年だけとなった。会社に入ってどっぷりネガティヴな気分になっていたこともあるので、
そういう過去ログと向き合うのはなかなかつらいことだ。でもその一方で、本や映画などのインプットの多い時期でもある。
がんばってコツコツと改修を進めていくことにします。レヴュー系のログって、直すのに意外と時間かかるんだよなあ……。


2012.5.12 (Sat.)

たまーに、あだち充の『タッチ』(→2004.12.142008.7.15)を読み返すことがあるのだが、
いつ読んでも最後の須見工戦が凄すぎて、ついつい夢中になってしまうのだ。本当に凄まじいとしか言いようがないのだ。
須見工戦は当然、『タッチ』の一番のクライマックスである。考えに考え抜かれた試合展開もさることながら、
キャラクターたちの熱演ぶりが最高なのだ。特に柏葉英二郎を中心に据えて読む場合、これは究極のドラマとなっている。

ご存知のとおり柏葉英二郎は明青学園野球部で暴虐の限りを尽くすものの、結果的にはそのスパルタぶりが功を奏して、
地区予選の決勝戦まで行ってしまう。この時点での柏葉監督代行、目の病気がかなり悪化している。
そして西尾監督が退院し、「須見工に勝つために必要なのはわしではない。本物の監督だ。
まかせたぞ、柏葉英二郎」と言って、須見工戦の指揮をそのまま柏葉英二郎に任せてしまう。
柏葉英二郎にしてみれば、初めて自分という人間が認められた瞬間でもある。ここから物語がさらに魅力を増していく。

いざ試合が始まると明青は先制するものの、達也は不調で須見工にリードを許してしまう展開。
この試合の中で柏葉英二郎と達也が交わす言葉は、ひとつひとつが生々しく、かつ、気が利いていて、とても高度だ。
柏葉の挑発。「華やかな舞台にたった兄を、暗闇でみつめる弟の気持ちがわかるか?」
「弟が舞台から転げおちるのを期待したことなど、一度もなかったというのか?」「―こいつはな、
上杉達也がめった打ちされるところをみたいんだよ。おれがいなきゃ甲子園なんかいけるもんかと言いたいんだよ!」
しかし達也は「もう少し素直ないい方を覚えもらえると、こっちも助かるんですけどね。」とかわしてみせる。
本来のピッチングを取り戻した達也は監督の隣で言う。「華やかな舞台から人をひきずりおろすことばかり考えているから
自分の出番を見逃してしまうんですよ。」その後も柏葉が監督として打線をつなげる役割をするようにと諭し続ける。
きっかけは他愛のないことで、達也が鼻血をネタに血染めのボールを投げるとおどけたこと。
ここから柏葉は佐々木の集めたデータをもとに部員たちに指示を出し、本来の監督としての能力をついに表に出す。
しかし目の病気は進行し、達也に実況をさせることになる。このとき、すでにふたりの間に信頼関係ができあがっている。
もうこの辺から話の展開は最高に面白い。柏葉英二郎は、ついに華やかな舞台へと上ったのだ。
そしてホームスチールのサインを出し、達也はそれを成功させる。個人的に『タッチ』のいちばんの頂点は、ここである。
(……といっても、『タッチ』の凄いところ、特に須見工戦の凄いところは、頂点が波のように続いて押し寄せるところだ。)

「おまえも忘れるな。おれはおまえがきらいだってことをな。」
「はいはい。どうせなら徹底的にきらわれてみたいもんですね。」「―だったら、甲子園にいくんだな。」
ここの会話は、もはや芸術としか思えないほどに完璧なやりとりだ。双方を認め合ったうえでの素直でない、確かなエール。
そして達也は自らだけでなく、チームメイトの希望や柏葉の因縁も背負い込んで投げる。そこに達也の優しさがある。
試合の緊張感と人間関係の緊張感とを背景にして、達也/和也と柏葉英一郎/柏葉英二郎という相似関係が、
達也自身の力によって解放されていく。新田への最後の一球を投げる直前に達也が見たものは、
おそらく「和也を超えようとする自分」からの解放、そしてそれは「和也との和解」であると僕は解釈しているが、
それは同時に柏葉英二郎の時間を進めるものでもあった。これだけのものを描ききった作者の力量はただ、恐ろしい。

というわけで、ぜひとも柏葉英二郎の動きを中心に据えて須見工戦を読んでみてほしい。
一人の人間の再生をもたらす達也のピッチング、という視点に立てば、須見工戦の見え方が格段に違ってくるはずだ。


2012.5.11 (Fri.)

教員免許更新の講習を受けないとマズいだろ、という話になる。ええ、マズいです、確か。
いろいろ調べるのが面倒くさいので放置していたのだが、さすがに上から「ちゃんとやってください!」と言われると、
やらざるをえない。それで重い腰を上げて、ネットで何をしなくちゃいけないかしぶしぶチェックしました。初めて。

調べてみてわかったのは、年齢の下一ケタが「4」になるシーズンから受講が可能で、翌シーズン、「5」になった歳の、
年度が終わるちょっと前までに手続きを完了させないといけない、ということ。つまり、受講には2年間弱のチャンスがある。
12時間の「必修」 と6時間×3の「選択」の合計30時間を受講して認定試験を受けないといけないんだってさ!
だから僕の場合は昨年度から受講していれば問題なかったわけだけど、そんなの興味ないから受けるわけないじゃん。
というわけで、僕は今年中に受講して単位を認定されないと失職してしまうのである。なるほどこりゃ上が慌てるわけだ、と
ようやく気がつく大らかな僕。民主党政権は何をやっておるのじゃ、と言ったところでしょうがない。
「このまま失職したら面白いですかねー」と言ったら隣の先生にお前の頭は大丈夫か、という目で見られました。すいません。

面倒くさいけど、どうやら僕以外の人にも迷惑がかかってしまうらしいので、どれを受講しようかしょうがなくリストを見る。
開講する期間をチェックすると、多いのが夏休み。まあそりゃそうか。でも夏休みの予定もまだぜんぜん決まっていないのに、
どうすりゃいいのよ、オイ、と途方に暮れる。こちとら旅行と部活で忙しいっつーのよ。教育学の授業とか受けてられるかよ。
おまけに、あまりにも開講している授業の数が多すぎて目がくらむ。こんなにたくさんあったらかえって選べねえっつーのよ!
かなりむくれて「やめたやめた!」と席を立とうとしたとき、一通の新着メールになんとなく目がいった。
教育委員会からのメールが転送されたもので、教員免許更新の講習を宣伝する大学からのメールだったのだが、
これが偶然、明日から申込み開始とのこと。内容は……選択科目は社会学的にかなり面白そうじゃないか、これ!
ということで即決。面倒くさくってたまらなかった免許更新講習が、がぜんめちゃくちゃ楽しみになってきた。
うまく申込みができたら、その内容を軽くまとめてこの日記に備忘録として残しておく気満々。それくらい楽しみでたまらん。

家に帰ってもいい流れは続いていて、必修科目もe-ラーニングでなんとかなりそうなものを発見。
いやーオレって運がいいなあと、非常にポジティヴな気分で申込み手続きを済ませるのであった。
自分の悪運の強さをあらためて実感した。どうやら来年以降もこの仕事を続けていけそうな気配である。


2012.5.10 (Thu.)

運動会では応援団によるパフォーマンスがあるので、生徒たちは放課後、その練習に追われている。
今日はそのBGMの編集をしたい、ということで、生徒たちが職員室からラジカセを借りていったのであった。

……しばらくして、悲鳴にも似た声をあげて職員室に生徒たちが駆け込んでくる。
ラジカセでどうしても録音できなくてBGMの編集がぜんぜんできない、壊れているかも、と訴えてきたのだ。
そうして差し出されたのはミュージックテープ。「先生は機械に強いでしょ、助けて」と女子が言う。
案の定、テープはツメが折られているんでやんの。セロテープを貼ってあっさり解決となったのであった。
「先生、すごーい!!」と生徒たちは口々に感嘆の声を漏らしたのだったが、もうなんというか、
こっちはジェネレーションギャップにがっくりするよりないのであった。お前ら知らないんか、テープの扱い方……。
まあそりゃ確かにさ、MDだってもう昔のメディアなのに、テープなんて触ったことないのかもしれないけどさ、
それくらいは常識として……やっぱわかんないか……。生徒にお礼を言われれば言われるほど悲しくなったことよ。


2012.5.9 (Wed.)

運動会の練習が始まっているんですけどね、今年の3年生の忙しさはもう本当に尋常ではないな、と。
部活の夏季大会(引退試合)、修学旅行、運動会、進路にかかわる中間テストと、4つの行事が一気に来ているのだ。
これだけのとんでもない状況は、さすがの僕でも恐ろしくって背筋が凍る。本当に3年生はよくやっている。
まあ生徒たちが将来、この時期のことを振り返ったときには、きっとものすごくいい思い出になっていることだろう。
文字どおりの嵐のような日々を彼らは過ごしているわけだが(その嵐の3/4に僕も巻き込まれているのだが……)、
それを切り抜けたときには、まちがいなく誇らしい未来にたどり着いているはずなのだ。だからがんばれ。


2012.5.8 (Tue.)

調子に乗って連休中にはたっぷり宿題を出すわけで、おかげでチェックしなくちゃいけない宿題の量が半端ない。
机の上に積まれているノートの山を見て、周りの皆さんが呆れている。しかもその机は自分の机じゃないよ!
自分の机の上はすでに書類でいっぱいなので(「重力を利用して時系列に沿って立体的に配置している」という言い訳)、
講師の皆さんの机をお借りして勝手に砦を建設させてもらっているんだよ! モノポリーなら大金払ってるよ!
ヒマを見てそれをコツコツ、ちまちま、少しずつ消化しているしだい。自業自得とはいえ、なんとかならんか。


2012.5.7 (Mon.)

ゴールデンウィーク明け、久々の授業は見事にヘロヘロになりましたとさ。
なんせ授業数がピッチピチなので、どの曜日もほぼフルスロットルになってしまうのだ。
しかも久しぶりだから力加減を忘れていて、ついつい最初から飛ばしていってしまう。そりゃあ、ヘロヘロになるさ。


2012.5.6 (Sun.)

朝イチの高速バスで甲府へと向かった。目的はもちろん、J2の甲府×京都である。
2005年、甲府は大木監督の下でJ1昇格を果たした。翌シーズンは戦力のわりに安定した成績で残留したものの、
2007年シーズンに力尽きてJ2に降格してしまう(→2007.11.24)。大木さんはそのシーズン終了とともに甲府を離れる。
その後、岡ちゃんこと岡田武史に請われ日本代表のコーチとなり(僕は宮崎でなぜか運よく遭遇したのだ(→2009.1.8))、
南アフリカW杯終了後は祖母井GMのいる京都の監督となった(→2010.12.10)。その大木さんが、甲府にやってくる。
僕の興味はただ一点、甲府サポーターが大木さんをどのように迎えるのか、だ。それに尽きる。
それをこの目で確かめたいという欲が、佐久間がGMに居座っている小瀬になんか行くかボケ、という気持ちを上回った。
だから本当はチケット代を出したくなかったのだが、恥を忍んで(?)甲府へと乗り込んだのである。

  
L: 甲府駅北口。おそろしくきれいに整備されて、まったく別の街に来たかのような印象すら覚える。
C: 甲府市藤村(ふじむら)記念館。1875(明治8)年に睦沢学校として建てられた擬洋風建築。島崎藤村の記念館ではない。
R: 2007年に復元された甲府城山手御門。こちらは甲府城内から見て内側にある山手渡櫓門。2階は資料展示室。

甲府に来るのはずいぶん久しぶりのことになる。青春18きっぷを使って各駅停車で来ていた頃から、だいぶ時間が経った。
南口の風景はぜんぜん変化がなかったが、対照的に北口はその時間経過を残酷なまでにはっきり僕に告げてきた。
甲府駅北口はとてもきれいになっており、まるで別の街に来たかのような印象さえするほどだ。
でも、まったく変わらない姿のままで、ひどく印象的な建物がそびえている。丹下健三設計、山梨文化会館だ。
キックオフは15時なのだが朝イチの便で来たのは、見てみたい建物があちこちにあったから。
その中でも特にクローズアップしたかったのが、この山梨文化会館だ。あらためて、きちんと眺めてみる。

  
L: 山梨文化会館。山日YBSグループが建てたので、中には山梨日日新聞社・山梨放送などマスコミ関連の会社が入っている。
C: 真正面から眺めてみたところ。1966年竣工ということで、確かにメタボリズムど真ん中な建築である。
R: 側面(東側)を眺める。竣工後に、延床面積が2割ほど増える増築しているとのこと。うーん、メタボリズム。

  
L: 少し角度を変えて、あらためて側面を眺めたところ。しかし本当に面白い構造をしているな、これは。
C: 背面。建築なんだけど、ホームエレクターやルミナスなんかのスチールラックを想起させるデザインである。
R: 北西側から撮影。なるほど、これは確かに丹下の設計だ。同じコンクリでも香川県庁(→2007.10.6)からの飛躍が凄い。

甲府駅北口は現在、駅の周りだけでなく、周辺をしっかり巻き込んだかなり大規模な再開発の舞台となっているようだ。
駅前広場の向かい、山梨文化会館の隣には、今にもオープンを待つばかり、といった感じの新しい建物ができている。
これは新しい山梨県立図書館とのこと。劇場やホールなどはなく、純粋に図書館の機能が中心の施設のようだ。
もともと北口は駅から少ししたところからすぐに住宅地が広がっているので、あまり賑わいのない場所だった。
この再開発がうまく機能すれば、甲府の街に新たな種類の活気が生まれてくるかもしれない。
南口商店街のさびれ具合は深刻だが(→2005.9.24)、甲府はそもそも狭苦しい街なので、
北口で何かしら特徴が出せると南へも波紋が広がって、街全体が面白くなってくるような気がする。

 新・山梨県立図書館。オープンは今年11月の予定。

大型連休の最終日ということで、それにふさわしい強い日差しである。そんな中、しばらく北口周辺をフラフラ歩く。
というのも、地図に示された場所にレンタサイクルの事務所がなかったからだ。山手門の奥にあるはずなのだが、
行ってみたら建物が見事に取り壊されている。それで途方に暮れてさまよい歩いていたわけだ。
そのうちようやく、武田通り(その名のとおり武田神社にまっすぐ通じる)の起点の住宅が事務所になっているのに気づいた。
喜び勇んで申し込むが、レンタサイクルに慣れている僕としては係の方の対応は懇切丁寧すぎてちょっと参った。

ちょっとMTBっぽいデザインの電動自転車にまたがると、いざ武田通りを北上していく。
前にも日記で書いたと思うが、甲府は扇状地の街なので、中心部から離れることは坂道を上ることを意味する。
僕は電動自転車という文明の利器を信用していないのだが、今回はわりとよく実力を発揮してくれて快調だった。
6年前、県庁所在地めぐりの第1回目として訪れたときにはトボトボ歩いていったわけで(→2005.9.24)、
それと比べると月とスッポン、レンタサイクルってのは本当に便利だわ、とあらためて実感させられるのであった。

 山梨大学も知らないうちにずいぶんきれいになっていた。

ものの10分ほどで武田神社に到着。言わずと知れた武田氏の居館・躑躅ヶ崎館の跡地である。
中世の守護大名からスタートした甲斐武田氏は、信玄の存命中に城を築くことはなかった。
(「人は城、人は石垣、人は堀」って言ってたくせにーという無粋なツッコミはなしで。)
それは甲斐国に攻め込んでくる相手がいなかった、という矜持でもあるのだ。
さて、武田神社を訪れるのは2回目なので、あっさりと新しい写真を紹介する程度にしておきたい。
(戦国期以前の支配者の居館は、足利の鑁阿寺(→2011.1.5)、大分の大友氏館(→2011.8.12)も参照なのだ。)

  
L: 武田神社。防御にこだわった空間にはなっておらず、今も中世の守護大名の居館の雰囲気を色濃く残している場所だ。
C: 境内に入って参道を行く。ツツジが植えられているのは「躑躅ヶ崎館」という名前によるものですかね。
R: 手水が見事に武田菱。ヴァンフォーレもそうだけど、山梨県人には武田菱は特別な意味合いを持っているのね。

  
L: 武田神社の拝殿。武田神社は1919(大正8)年に創建されたということで、歴史はかなり新しい神社なのだ。
C: 神社の東側(大手)にはこのように、土塁などが復元整備されていた。せっかくだからもうちょっとPRすればいいのに。
R: 裏手を散策してみたら、こんな光景に出くわした。小さい祠が3つに狐の像が置かれている。これはなんだかすごい。

 躑躅ヶ崎館跡(武田神社)の北側入口。今もしっかりと空堀や石垣が残っていた。

武田神社の敷地を一周するぞ、という頃合いになって、急に空からポツポツと雨粒が落ちてきた。
見れば、さっきまでほとんど夏のような青さをたたえていた空は、すっかり黒い雲に覆われてしまっている。
こりゃマズい、と急いで坂道を下っていき、そのまま甲府駅の南口まで出てしまう。
ファストフード店に逃げ込んだところでちょうど、まるで嵐のような勢いの風雨が甲府の街を包み込んだ。
MacBookAirを開いてハンバーガーをいただきつつ、窓の外で繰り広げられるその光景を呆れて眺める。
すると20分ほどで風は収まり、日差しが出てきた。いったいこれはなんなんだ、と再度呆れる。
しかしこれで再び街へ繰り出す準備は十分に整ったのだ。ジンジャエールを飲み干すと、レンタサイクルにまたがる。

雨が降らなきゃもうちょっと探索範囲を広げるつもりだったのだが、まあしょうがない。晴れただけヨシとするのだ。
次の目的地は山梨県立美術館。ここは山梨県で唯一、公共建築百選に選ばれている施設なのだ。いちおう見ておく。
甲府市内における県立美術館の存在感はなかなか大きく、国道52号には「美術館通り」という愛称がついている。
ミレーのコレクションに力を入れており、けっこうな来館者がいるそうだが、なぜミレーなのかはいまいちよくわからん。
ひたすら西へとかっ飛ばす。県立美術館は市の中心部から少しはずれた位置にあるのだが、行けない距離ではない。
途中の道路が整備中で少し複雑になっていたものの、どうにか到着できた……と思ったら、また雨である。
もういい加減にしてほしい。少しムカっ腹を立てながらデジカメのシャッターを切る。本当に雨は面倒くさい。

 
L: 山梨県立美術館。設計は前川國男で、1978年に竣工。外観は特にこれといって切れ味を感じませんが。
R: こちらは美術館の向かいにある山梨県立文学館。芥川龍之介と飯田蛇笏が主力らしい。1989年の竣工。

中に入ってのんびり美術鑑賞しているヒマなどない。本当は鑑賞したいけど、美術作品に対峙するのは疲れるのだ。
いつかその機会があるといいなあ、と思いつつ、そそくさとその場を後にして甲府市の中心部へと戻る。

ところで甲府市役所は現在、新築工事中だ。前の小さな庁舎(→2008.3.16)はすっかり取り壊されて、跡形もない。
完成したらしたでまた訪れようとは思っているのだが、とりあえず今回はその建設中の様子を軽く撮影して通り抜ける。
では仮の市役所はどこにあるのかというと、甲府駅からまっすぐ南に延びる平和通り沿い、旧相生小学校を使っている。
わざわざ仮の庁舎を撮りにいくほど物好きではないのだが、次の目的地の途中にあったから軽く寄って撮っちゃった。

 
L: 建設工事中の甲府市役所。来年の5月に竣工予定とのこと。設計したのは日本設計のJVとな。
R: 現在はずっと南に行ったところにある旧小学校跡地を仮の市役所としている。学校と役所の関係も調べるとけっこう深いのだ。

ということで、平和通りを一気に南下して、ついに小瀬陸上競技場に到着。素直にバスに乗るのも面白くないので、
レンタサイクルで来てしまったのだ。こっちの方が安いし、地図なしで行けるか試してみたかったし。
キックオフのほぼ1時間前にスタジアム入りしたのだが、メインスタンド甲府側はすでにかなりの混雑となっていた。
なかなか空いている席が見つからなかったのだが、どうにか要領よく席を確保することができた。ほっと一息。

  
L: かなり久しぶりの小瀬陸上競技場。本当は佐久間が辞めるまで来るつもりはなかったのだが……まあしょうがない。
C: よく考えたら小瀬のゴール裏以外の席で観戦するのは初めてなのだ。こうして見ると、ピッチが遠いなあ……。
R: 両チームのスタメンが発表され、京都の監督として大木さんの名前がアナウンスされた瞬間。拍手でした。

しばらく待ったところでGK、続いてフィールドプレーヤーが練習に出てくる。拍手で迎える甲府サポの勢いは強い。
やがてスタメンが発表される。リザーヴメンバーの紹介の後、監督である大木さんの名前が呼ばれた。
甲府サポの反応は実にふつうで、拍手でそれを迎えた。といっても、それほど大きい拍手ではなかった。
大木さん以後にスタジアムに来るようになったサポーターが多いんだろうか。とにかく、少し拍子抜けした。

甲府はダヴィの相棒に青木を指名。あとは左サイドにピンバを入れてきた以外、いつもどおりな感触。
対する京都はなんと、3バック。3-5-2で中盤を厚くして、新加入したサヌの攻撃機会を増やそうってことだろうか。
とにかく、戦いの火蓋は切って落とされたのだ。敵として小瀬に現れた大木さん、古巣相手にどう戦うのか。
あ、でもよく考えたら、僕は大木さんが小瀬で甲府を指揮する姿を実は一度も観たことがなかった。
大木さんの試合はすべてアウェイゲームでしか観たことがなかったのだ。これってけっこう虚しい話だわ。

試合は序盤から京都が怒濤の勢いで押しまくる。ペナルティエリアの前、いわゆるヴァイタルエリアを完全に押さえ、
かつての甲府の代名詞であったショートパスを面白いほどつなげてくる。速く正確なパス回しに足が止まる甲府守備陣。
その隙を京都の前線は容赦なく突いていく。パス回しに引きつけられたところで、一気にスペースに入れて飛び出す。
また、ボールを取られても今日の京都はかなり積極的にプレスをかけて、なるべく高い位置で奪い返そうとしている。
それで甲府はどんどん押し込まれていく。そして開始わずか4分、京都が右サイドでワンタッチパスを華麗に回し、
宮吉が上げたクロスにスピードに乗った中央のサヌが合わせる。あまりにも美しく、そしてあっけない先制点だ。
ゴールを決めたサヌはその圧倒的な身体能力を見せつけるかのようにバック宙を決めてみせる。いやはや、すごいもんだ。

  
L: ヴァイタルエリアでショートパスをつないでみせる京都。甲府の守備の対応は遅れ、どんどん後手にまわってしまう。
C: 先制点となるシュートを放ったサヌ。これは本当に鮮やかなゴールだった。この日の京都はものすごく強気だった。
R: 戦況を見つめる大木さん。あくまで京都の監督として、無慈悲なまでに独自のスタイルを小瀬の観客に見せつけた。

この日の京都はとにかく強気なパス回しが目立った。もちろん、ミスはある。
しかし、それをカヴァーする動きが非常に強かったのだ。取られても、すぐに取り返そうとする。
この勢いが、よりパスの通りやすい状況を生んでいくのだ。サイドでも中央でも狭いパス交換を繰り返し、
相手守備の足が止まって生まれたスペースに一気に入り込む。そこから崩してゴールに襲いかかっていく。
それはまさに、かつて大木武に率いられたヴァンフォーレ甲府というチームが得意としたサッカーだった。
頑なまでに美学を貫いた指揮官は、敵として降り立った小瀬でもその姿勢を貫いてみせた。
甲府サイドのゴール裏で、サポーターたちはその光景をどのような思いで見つめていたのだろうか。

甲府のカウンターは、この日は右サイドに入った地元出身のドリブラー・柏が起点。
狭いスペースで攻める京都の攻撃を封じると、右サイドにフリーで張り出している柏にボールを送る。
柏はそこから迫力のあるドリブルで持ち上がるが、京都の守備陣が体を張ってそれを止めにかかる。
京都の3-5-2は中盤を制圧することにしっかり成功しており、ボールを保持することで守る時間を減らしている。
ショートパスで抜け出してもなかなか決められない時間が続くが、京都は焦れることなくゲームを支配し続ける。

後半が始まる時点で両チームとも動きをみせる。京都は中村に代えて黄を投入。つまり、4バックとなった。
これは右サイドで躍動する柏への対策なのは明らかだ。中盤の枚数を減らしてもパスを回せると踏んだのだろう。
甲府はFWを青木から永里に代える。今ひとつキレのないダヴィへの負担を減らす措置といったところか。
しかし効果的だったのは、京都の方。前半と比べると確かにヴァイタルエリアでのパス回しは減ったのだが、
その分だけ相手の隙を突くプレーが出てくるようになった。50分、左サイドを素早く押さえると、
黄のクロスから中山がシュート。これがきれいに決まって2点差となる。やがて雨は激しくなってくるが、
京都の勢いは収まらない。ホームの意地を見せたい甲府の攻撃をしっかりいなして鋭い攻めをみせる。
そして68分には宮吉がボールごと一気にゴールに飛び込んで、京都に決定的な3点目が入る。
これでメインスタンドの甲府ファンは雪崩を打って帰りはじめた。雨とはいえ、こういう状況で帰るような連中は、
本物のファンではない。今の甲府を支える層が、まだまだ成熟していないことを実感する光景だった。

 
L: 京都の2点目。左から入ったクロスに中山が合わせる。こういう点の入れ方ができるのはいい兆候だ。
R: ボールごとゴールに転がり込んだ宮吉の3点目。京都も良かったが、それ以上に甲府の守備が動けなすぎた。

どこかダヴィ頼りの甲府だったが、さすがにキャプテンの山本はひとり気を吐くプレーをみせていた。
ポジションを高めに上げて積極的にボールに触るようになり、前線にいくつか決定的なパスを供給してみせる。
(この山本のプレーを見ないで、どうして甲府のファンと言えるのだろうか。途中で帰るなんて本当にありえない。)
しかし集中する京都ディフェンスと冴えない甲府の前線は、そのチャンスをつぶし続ける。
4点目をうかがう余裕を見せつつ守りきった京都が、まさに完勝して試合は終わった。

 
L: 試合終了後、ピッチ上で歓喜の輪をつくる京都の皆さん。この瞬間、かつての甲府の幻影は消えた……かもしれない。
R: 甲府サポと笑顔で言葉を交わしながら引き上げる大木さん。この試合は大木さんにとっても大きな意味を持っていたのだ。

客観的に見れば今日の試合は京都の完璧な勝利ということになるのかもしれないが、贅沢を言わせてもらえば、
まだまだ不満点はある。それは、特に前半だが、ショートパスによるとんでもなく華麗な崩しを見せながら、
得点につながらない場面がいくつもあったことだ。見事に崩した後には、絶対に得点で終わらなければならない。
その意識をもっと強く持たないと、崩すことが手段ではなく目的になってしまう。目的はあくまでゴールだ。
それはかつての甲府が陥った罠でもある。完勝の陰で、その罠がうっすらと姿をちらつかせていたのは事実だ。
ショートパスから崩してゴール、それで完結するわけだ。前半のうちにもう2点取っておかなきゃいけなかった。
とはいえ後半のような鋭いゴールも必要となる。バランスが取れているのは確かなので、そこは評価しておきたい。
あと、新たに加入したサヌは文句なしにすばらしい。大木サッカーにふさわしい技術をきちんと持っているし、
何より周りの選手、追い越してくるMFを使うことに長けているのだ。サヌの活躍が続けば、京都は全体がもっと強くなる。

対する甲府にとっては、なんともいえない厳しい敗戦となってしまっただろう。かつての自分たちがやっていたことを、
そのままやられてなす術もなく敗れてしまった。しかしもう、あの頃に戻ることは決してできないのだ。
救いは以前(→2012.3.11)に比べて「ムービング」している選手がチラチラと出てきたことだろう。
前半の柏のドリブルは十分脅威になっていたし、終盤の山本のプレーはまさに鬼気迫るものがあった。
今後戦術が浸透して動ける選手が増えていけば、選手の能力が高い甲府はそれなりの順位に納まると思われる。
ただ、今はまだ、その選手個々の能力頼みのサッカーになってしまっている。それでは絶対に限界がある。
城福さんの目指すスタイルはまだまだ見えてこないので、早くそれがピッチ上で表現されることを祈るとしよう。

小瀬からの帰りは、雨の中をひたすら電動自転車で北上して30分ほど走る、という非常につらいものだった。
でも走っている間の僕の感情は喜びも悲しみもなくて、ただ無心だった。無心のままペダルをこいでいた。
大木さんが自己のスタイルを披露して甲府と完全に決別してしまったことは悲しかった。
でも正直、それは僕が望んでいた光景だったのもまた事実だ。プラスとマイナス、その結果としてのゼロだった。
そしてまた、上記のように大木さんのスタイルの陰に潜んでいる罠のこともすごく気になった。
そんなこんなの複雑な感情を経て、サッカーに正解はないのだ、そういう結論にようやくたどり着けた気がする。
人間は子どもから大人に成長する際、必ず反抗期を迎える。今の僕は甲府に反抗し、大木さんにも反抗しつつある。
だからその先には、何かしらの成長があるんじゃないかなって気がしている。うっすらと、そういう予感がある。
僕は現在、3-3-1-3で攻めきるサッカーを目指しているへっぽこ監督である。でも、そこにこだわるつもりはない。
今後、自分はどのように変化していくのか。僕はもっともっと、いろんなサッカーを観ていかなくちゃいけないのだ。


2012.5.5 (Sat.)

姉歯祭りなのだ! 相変わらず掲示板で「久々に集まろうぜ!」となったのはいいが、具体的なプランは何も出ず、
ゴールデンウィークの前半も終わってしまったところでようやく具体案が出てくる始末。成長せんなあ、われわれ。
で、ニシマッキーの「島へ行きたい」「日帰りがいい」という本来は別の要望を僕が勝手に合成して、
出てきたアイデアは「猿島へ行こうぜ!」というもの。これにニシマッキーが「軍港めぐり」を追加して一丁あがり。
急に話をまとめたわりには、なかなか魅力的な予定ができあがったのであった。よかったよかった。

さて当然のことながら、予定が直前に決まったので、軍港めぐりのチケットなど予約できるはずがない。
というわけで、晴れれば発売されるという当日券をゲットすべく、横須賀というアイデアを出した僕が動くのであった。
軍港めぐりのプランを聞いて、「これは絶対に面白い!」と直感したので、それくらいへっちゃらなのである。
朝5時起床で6時出発、7時ちょい過ぎに汐入駅に到着すると、横須賀軍港めぐりのチケット売り場へと向かった。
そしたら僕が3人目ということで、無事に好きな時間の当日券を入手できる見込みとなった。よかったよかった。
MacBookAirで日記を書いたり港の潜水艦を観察したりしているうちに9時になり、発売開始。
マサルも奇跡的に8時半の品川駅集合に成功したようで何よりだ。念のために11時の便のチケットを確保すると、
すぐ近くのスタバで再び日記を書きはじめる。時間をかなり有効活用できてよかったぜ。

そのうちマサルから「オシャレなスタバで日記を書いてないで出てきてくれませんか」と電話が入る。
横須賀に着いた皆さんは僕の行動を予測し、しっかりと確認し、そのうえで電話をかけてきやがったのであった。
まあとにかく、これで無事に今年もゴールデンウィークの姉歯祭りを挙行できる運びとなたのだ。めでたいめでたい。

11時便までまだまだ時間がある、ということで、隣のダイエーに寄ってダベって過ごすことに。
パンフレットを見てみたら、なんとフードコートにドムドムがあるということで、こりゃ行くしかねえや!と突撃。
「ドムドムなんて、そうそう食べられないんよ!」とはマサルのセリフ。それはそうだが、はっきり言うなよな。
セットメニューにハンバーガーをもう1個追加するマサルは、相変わらず食べることにお金を惜しまない。
でもマサル以外の全員が「昼メシに食べる予定の横須賀海軍カレー、絶対に食えなくなるだろうな……」と思ったとさ。
それにしてもやはり、ドムドムのハンバーガーは正しい国産ハンバーガーって感じがしてよろしい。
なんというか、いい具合に庶民的なのである。変に高級感がない分だけ、気軽に食える良さがある。これ、褒めてるよ!
まあそんなわけでバカ話をしながら過ごしたのだが、ドムドムにはけっこうな行列ができて人気でしたな。
ドムドムは日本初のハンバーガーチェーンということもあるし、ぜひともがんばってほしい。

  
L: 8時だョ!全員集合。潜水艦の上では何やら朝礼っぽいことが始まった。ふだん見ない光景だから妙に面白いぜ。
C: 無事にチケットを購入した後、軍港めぐりの当日券売り場の行列を撮影してみた。予想どおりの大人気ぶりだ。
R: 希少価値のあるドムドムのハンバーガーということで大興奮のマサル。お前、本当にうれしそうだな。

11時が近づいてきたので、軍港めぐりの乗船場へ。すでに長い行列ができており、その後ろへ並ぶ。
やがて朝一番の10時便が戻ってきて、満員の乗客を吐き出す。しばらく経って、僕らが乗船する番になる。
そりゃもう2階に上がるしかないぜ、と迷うことなくそのまま上へ。とんでもない快晴で直射日光がなかなか厳しい。

  
L: 軍港めぐりの船。お世話になります。  C: 船の上はこんな感じ。45分間、こんな調子で両岸の軍艦が見放題なのだ。
R: 双眼鏡を借りたマサルがなんだか『ドラゴンボール』の桃白白(サイボーグ後)っぽい、ということで撮った写真。舌で相手を倒すの図。

船は出港すると、ディズニーランドの「ジャングルクルーズ」感覚の軽妙なアナウンス説明が入る。
まずは向かって右側にあるアメリカ海軍基地に停泊している自衛隊の潜水艦から紹介スタート。
なんでも潜水艦の司令部はアメリカ海軍の基地にしかないそうで、それで潜水艦だけアメリカ側にいるそうだ。
潜水艦の乗務員の方がこちらに手を振ってくれる。こういうのも立派な任務なんだなあ、と思う。
軍事業務に従事する皆さんは地元の協力を得るべく、フレンドリーにできる部分はそうしてくれる。
まあかつてのソ連や現在のロシア・中国・北朝鮮のことを考えると、米軍にしろ自衛隊にしろ、いないと困る。
いないと困る存在なのに、不祥事が起きるとバッシングというのは教員に似ているかもしれん、と思うのであった。

続いてはアメリカ海軍のイージス艦。イージス艦とはイージスシステムを搭載した艦船の総称である。
イージスシステムとは非常に高度なレーダー・情報処理機能・ミサイル発射能力を統合したシステムで、
これがとんでもなく金がかかる。でもその分、敵からの攻撃に対する防衛という点ではかなりの威力を発揮する。
ギリシャ神話に登場する最強の盾の名(ギリシャ語では「アイギス」)を冠しているのは伊達ではないのだ。
船がイージス艦かどうかを見分けるポイントは、台形の上部構造物に白っぽい八角形が貼り付いているかどうか。
この八角形がイージスシステムのレーダーなのだ。複数のレーダーを組み合わせて広範囲に情報を集めているとのこと。

  
L: アメリカ海軍のエリアに停泊している海上自衛隊の潜水艦。なんで日本には自前の司令部がないんだろ。
C: アメリカ海軍のイージス艦。こんなのが何隻もいて、アメリカの経済力をまざまざと見せつけられている気分である。

R: 空母でっけえ! 海に空港を浮かべて戦おうって発想じたいが凄いわ。昔の日本は無理しすぎていたんじゃないのって思っちゃうよ。

イージス艦の次に登場するのは、原子力空母ジョージ・ワシントンだ。全長が333mってことで、東京タワーといっしょ。
そしてこの中には5000人以上が乗っているとのこと。空母ってのはとんでもないスケールなのだ。もはやひとつの街だ。
空母が1隻いるといないとでは横須賀の街も大きく変わる。その凄まじい影響力に一同呆れるのであった。
ここまで大きくないにしても、第二次大戦までは日本も空母を持っていたわけで、そりゃちょっとがんばりすぎだろ、と。
今の世界情勢や経済状況を考えると、日本が空母を持っていたというのが信じられない。これはケタが違うわ。

  
L: 正面より見るジョージ・ワシントン。規模が大きすぎて、船と島の中間的存在に思えてしまうほどだ。
C: この日はごくうっすらと東京スカイツリーのシルエットを望むことができた。富士山も見えたし、なかなか運がよかった。
R: アメリカ海軍の台船。開国花火大会のときにはこれを借りて、この上から花火を打ち上げるんだそうだ。

その後はしばらく、横須賀湾をゆったりとまわる感じの航海となる。窓のない日産の工場やゴミ処理施設など、
周辺の軍事的ではない施設も紹介されるのだ。「しんかい6500」の開発・運用元である海洋研究開発機構もあった。
そして長浦港に入ると、いよいよ海上自衛隊の艦船のオンパレードとなる。大げさでなく、息つく暇もないほどに、
次から次へとさまざまな任務にあたる艦船が紹介されていくのである。あまりにも多種多様なので、
とりあえず写真を紹介して軽く説明をつけていくことでお茶を濁したい。本当にキリがないんだもん。

  
L: 左から「わかさ」「しょうなん」「にちなん」。どれも潜水艦の航行や機雷設置に関係する海底地形・海流を調査する海洋観測艦。
C: 掃海母艦「うらが」。後ろはヘリコプター用の甲板になっていて、とても独特な形をしている。
R: 掃海艦「はちじょう」と「やえやま」。機雷を避けるため木でつくられている。職人がいなくなったので今後はFRPに移行するんだって。

  
L: 潜水艦救難母艦「ちよだ」。当たり前かもしれないが、軍艦って本当に、多様な用途に合わせて多様な船があるんだねえ。
C: クレーンがめちゃくちゃ大きい。  R: 新井掘割水路を行く。1886(明治19)年から3年がかりで人力で山を崩して掘ったのだ。

  
L: 左から「やまぎり」「やまゆき」「あすか」。左の2隻は護衛艦、「あすか」は試験艦なので最新兵器を積めば、ある意味最強って説も。
C: 護衛艦「いかづち」。テロ対策でインド洋に派遣されていた船。正面の白カプセルみたいなやつは機関砲(ファランクス)だそうだ。
R: 手前が「はたかぜ」、奥が「きりしま」。どちらも護衛艦。「きりしま」は八角形のレーダーが貼り付いているのでイージス艦ですな。

単純に船を紹介していくだけでなく、いろいろと細かいトリヴィアを教えてくれるのがうれしい。
たとえば、船の速度の単位「ノット」が時速何kmなのかを知る方法。1ノットとは1時間に1海里進む速さ、
つまり毎時1852メートルなのだが、ノットの数字を2倍してから1割引すればだいたい時速何kmかわかるという。
苦しみながら小笠原から帰ってきたわれわれとしては(→2012.1.22012.1.3)、もっと早く知りたい知識だった。
また海上自衛隊の艦船についても、「3ケタのナンバーは実戦用、4ケタは後方支援用の船」とのこと。
2ケタのナンバーがついている現役の船は1隻しかないそうで、それについての詳しい説明は残念ながらなかった。
後でニシマッキーがスマートフォンで調べたら、VIPの接待に使われる「はしだて」と判明したのであった。
(スマートフォンって調べ物をするのにはものすごい威力を発揮するけど、それしか用途を思いつかんなあ。)

というわけで、45分間の軍港めぐりは実に面白かった。軍事おたくとかそういうことは関係なく、純粋に楽しめた。
洗練された各種の機能を持った船をたくさん眺めることができるだけでも、これは有意義な企画だと思うのだ。
海の上には……いや、海の中にも無数の仕事が存在していて、それをそれぞれ専門につくられた船が担当している。
さまざまな機能を持った船が協力して成り立っているその分業ぶりは、本当に印象的なのであった。

さて、陸に戻って話題は石原都知事の尖閣諸島購入発言になり、都職員のニシマッキーはどうなのよ、なんて話になる。
するとマサルが「東京都が軍隊をつくって尖閣を守ればええんよ!」と提案。「『首都海軍東京』とかつくればええんよ!」
もうここからアイデアが際限なく出てくるのなんの。「『原子力空母イシハラ・シンタロウ』って、しっくりくるやん!」
「じゃあ後方支援する船は『イノセ・ナオキ』ですね」「空母には歴代の東京都知事の名前をつけていけばええんよ!」
「おい待てよ、『空母ミノベ・リョウキチ』って、なんかすげえ矛盾してないか!?」まあそんな具合にみんなで大爆笑。
極めつけが「『空母アオシマ・ユキオ』なんて最高やん! 『軍艦マーチ』の代わりに『スーダラ節』がテーマ曲なんよ」
「『空母イシハラ・シンタロウ』がエリート集団なら、『空母アオシマ・ユキオ』は完全にギャグマンガの舞台じゃねーか!」
「無責任一代空母」「うるせーよ!」……そんな感じの漫才トークが繰り広げられるのであった。いやー、これは凄かった。
マジで誰かそんなギャグマンガ描かねーかな。設定としてはかなり高度に練れていると思うんだけどな。

上機嫌で大爆笑しながら横須賀の市街地へと歩きだす。やたら規模の大きい横須賀芸術劇場を越えると、
そこはかの有名などぶ板通りである。スカジャン発祥の地としても知られるが、米兵向けの店が今も多く軒を連ねている。
店先だけでなくちょっと奥を覗き込むとすっかりアメリカ、なんて雰囲気のバーも決して珍しくないのだ。
植民地っぽいとまでは言わないが、やはり広告の出し方などで独特の匂いがある。まあそれもまた、この街の魅力だ。

 
L: 横須賀・どぶ板通りを行く。前回来たときは夕方だったが(→2008.9.3)、今回は昼間の光景を撮影したのだ。
R: ミリタリーショップもある。中学生くらいのときにはこういうのが大好きで、ドッグタグなんて本当に欲しかったなあ。

どぶ板通りはイベントをやっているようで大賑わい。マサルは「どぶ板食堂」という名前の店に惹かれていたようだが、
時刻は正午ぐらいということで猛烈な行列ができており、そこでの昼メシはあきらめた。まあどこも混んでいたが。
横須賀では「横須賀ネイビーバーガー」という佐世保バーガー(→2008.4.27)的な名物を新たに投入してきたようで、
それもまた人気があった。もっとも、僕らはドムドムですっかり満足してしまい、残念ながらそこまで食指は動かなかった。

どぶ板通りの中心的なエリアを抜けて、横須賀海軍カレーの有名店へ。僕もニシマッキーも以前に食ったことがある店だ。
外から見るとちょっと行列ができはじめたかな、といった感じで、迷った末に並ぶことにした。
しかし入口から店舗まではけっこうな距離があり、かなり待ったのであった。まあ、相変わらずバカ話で盛り上がったけどね。
ちなみにここでは、昔マサルが『ダイナマイト節』に勝手に曲をつけて歌っていたという話になった。
おかげでマサルは『ダイナマイト節』の歌詞を完全に覚えており、役に立たない場面でのマサルの記憶力に一同呆れた。
なんだよ、言ってくれれば熱海ロマンでカヴァーしたのに。若しも(カヴァーが)成らなきゃダイナマイトどん。

ゴールデンウィークでの30分待ちというのは、まあ考えようによっては妥当なところかもしれない。
それで結局ありつけた横須賀海軍カレーは、残念ながら以前と比べるとだいぶ量も質もダウンしてしまった印象だった。
ザイカレー(→2007.8.26)みたいに、忙しいゴールデンウィーク限定のことかもしれないけど、これは本当に残念。

 これには心底がっくりである。

カレーを食って元気が出ると、横須賀の中心市街地へと歩く。が、それを横切ってそのまま進み、三笠公園を目指す。
三笠公園は前にも訪れており、日記に詳しいことを書いている(→2008.9.3)。あのときは知識ゼロで中に入ったが、
今回はニシマッキーとともに姉歯メンバーを半ば先導するような感じで甲板の砲台や設備やらを眺めていくのであった。

  
L: やっぱり三笠公園っていったらこの構図ですかね。東郷平八郎の像と戦艦三笠。  C: 中に入るとまず主砲がお出迎えだ。
R: 艦橋を見上げる。こんな高いところで揺られながら砲撃を受けながら波の飛沫を浴びながら指揮するとか信じられん。

三笠は砲台をある程度好きに動かすことができるようになっているのだが、やっぱりマサルは大興奮。
やたらめったらぐるぐる回しては喜んでいるのであった。沖合の船に狙いをつけてはしゃいでみたり。

 
L: 全力でぐるぐる回して喜ぶマサル。  R: 船に狙いをつけて喜ぶマサル。お前、本当に楽しそうだな!

ある程度甲板を散歩して楽しむと、いよいよ艦内の展示を見てまわる。三笠の展示はかなり丁寧で、
じっくり本気で見ていくと日が暮れる。マサルとみやもりの福田ゼミコンビは相変わらずのゆったりペース、
対照的に僕とニシマッキーはスイスイ見ていくので、途中で迷子になった人が出たよ! 言わずもがなだよ!

  
L: 『坂の上の雲』ブームということもあってか、秋山真之の出身地・松山の俳句ポストがあった。デザインがすごい。
C: 船尾の司令長官公室。作戦会議や晩餐会が行われたそうな。  R: 三笠神社。艦内に神社とは、いかにも日本風なのだ。

この後に予定があるというマサルは、ここでお別れ。残った3人で最後にもう一度甲板に出ると、
艦橋に上って司令官気分で立ってみる。僕は観光客があまりに多いので、うまく身動きがとれずに困ったのであった。
それにしても、冷静に考えると海軍の司令官ってのはとんでもない商売だ。今の三笠は固定されているから揺れないが、
本気を出した外洋がどれくらい揺れるかってのは体験済みなので(→2012.1.22012.1.3)、もう本当にたまらない。
まあいつもあれほど揺れるわけではないにしても、揺れに加えて足場が海水で濡れて滑りやすい状況を想像してみる。
そして戦闘時にはそこにガンガン砲撃が加えられているわけで、それでもこんな高い場所にいられるなんて、
高所恐怖症の僕からすると、尊敬を通り越して崇拝すらしたくなるほどにとんでもないことなのだ。凄すぎるわ。

めいっぱい三笠を堪能すると、少し休憩を挟んでいよいよ猿島へ渡る。さっき三笠公園の中に入ったときには、
猿島航路の乗船口にはとんでもない行列ができていた。船も15分間隔の懸命のピストン輸送を実施しており、
長い行列が見事に消えてはまたできて、を繰り返していた。中は奴隷船みたいになってんじゃねえか、なんて呆れた。
しかし15時半ごろになって行列はだいぶ常識的な範囲に収まってきており、余裕を持って並んで乗ることができた。
しかも横須賀軍港めぐりの半券を見せると猿島航路の料金は半額になるのである。なんてお得なんだ、と一同大興奮。
上の階にある前側の席をしっかりと押さえて、いざ出航。猿島が近づくにつれ、ビーチの混み具合がよく見えるようになる。
そして帰りの船を待つ行列がこれまたとんでもないことになっていることにも気がついた。長蛇どころではない列だ。

 
L: 目指せ猿島。船に揺られること10分足らずであっさり到着できるのだ。  R: ビーチがえらいことになっているんですけど!

無事、猿島に上陸を果たすと、まずは軽く途方に暮れる。あまりに人が多くって、めまいがするほどだ。
とりあえずは島内を歩きまわろう、ということで、奥へと進んでいく。地図で場所を確認するが、
猿島の中に設定されているルートは非常に単純明快で、まっすぐなメインと、くねるサブの2種類しかない。
距離もまったく長くなくって、これはあっさりと一周できそうだ。3人とも軽い足取りで坂を上って進んでいく。

猿島は東京湾最大の自然島である。海水浴・バーベキュー・釣りなどが人気の無人島で、黒船が来航した幕末以来、
首都東京を防衛する拠点となった。明治に入ると要塞として砲台がつくられ、現在もその痕跡ははっきり残っている。
その要塞としての側面は、猿島をちょっと歩けば簡単に味わうことができる。さっそく僕らもそれらを堪能するのだ。
坂を上ると道は切り通しになっており、片面には緑が生い茂っているものの、もう片面はしっかりレンガの部屋である。
どのような用途となっていたのかはわからないが、その頑強さに軍事要塞としての猿島の迫力を十分感じることができる。
地方ならまだしも、東京湾内にまだこんな場所があったのか、と今さらながら驚くのであった。

  
L: 切り通しを進むわれわれ。バーベキューで賑わうビーチからちょっと入ると、そこはしっかり要塞跡地なのだ。
C: レンガが積まれた空間。それにしても海に浮かぶ島だからか、妙に湿っぽい。緑もどこか元気いっぱいな感じだ。
R: 切り通しの壁面には落書きを彫った跡が多数残っていた。こういうバカはどうにかならんのかね。

レンガのトンネルを抜けてさらに奥へ。トンネルはずいぶんときれいで、最近になって改修されたのかと思ったが、
どうも明治期のものであるようだ。薄暗いのでカップルが自然と手をつなぐことから「愛のトンネル」と呼ばれるそうだ。
要塞跡地で何が愛だバカヤロウ、と思っているから僕はモテないんでしょうかね。ニンともカンともだ。

そんなこんなであっという間にいちばん北の奥までたどり着いてしまった。そこから鉄の階段で海面の高さまで下りていく。
途中、日蓮洞窟という弥生人の住居跡の洞窟をかすめる。もともと「猿島」という名は日蓮の伝承に由来しているのだ。
日蓮が安房から鎌倉へ渡る途中で嵐に遭ったのだが、そのとき一匹の白い猿がこの島に案内して難を逃れたという。
ちなみに日蓮つながりということでか、日蓮洞窟は江の島の岩屋(→2010.11.27)まで続いているという伝説がある。
いちばん下のヨネノ根というところまで行ったのだが、浸食された岩場に波が打ち付けるのみ。うん、島だ。
しばらく対岸の都会を眺めて呆けると、階段を戻って元の場所へ。次へ東の広場を目指してみよう、と再び歩きだす。
こっちはそれほど整備されている感触はなかったが、それでもゆったりと下っていくと、すぐに海に出る。
オイモノ鼻という名前で、やはり浸食を受けた岩場となっている。釣りの客が多くいて、ちょっと混雑気味だった。
やはりここでもしばらく海を眺めて呆けると、元の道へと戻る。これで猿島の北部は探検終了。呆気ない。

帰りは砲台跡からくねるサブの道を行く。サッカー部監督らしく体力のあるところを周囲に見せつけつつ歩く。
と、展望台のある場所に出た。しかし肝心の展望台は老朽化して危険なためにロープでぐるぐると封鎖されていた。
道はそこから切り通しのすぐ上を沿うように通っており、ウグイスの声を聞きながらのんびり歩いていく。
やがて大きな広場に出た。上陸地点である砂浜が近いこともあってか、のんびり滞在しやすく整備されている。
対岸の三浦半島・観音崎がよく見える。東京湾は広いなあ、とあらためて思うのであった。

  
L: 猿島より眺める陸地。これは川崎あたりか? ……そんなわれわれの目の前を、さっきマサルが狙いをつけていた船が通る。
C: 砂浜に最も近い広場はこんな感じ。先にある陸地は三浦半島の観音崎だ。東京湾はがっちり陸地に囲まれているのだ。
R: 広場には四等三角点があった。四等三角点の設置間隔は約2km。全国に約6万9000点もあるんだってさ。

というわけで、わりとあっさり猿島探検は終わってしまったのであった。しかし帰りの船を待つ行列はおさまる気配がない。
今日は一日しっかりと歩いてばっかりだったので、3人ともボードウォークでのんびりとダベって休むのであった。
17時近くになり、意を決して行列のいちばん最後に並ぶ。船はなかなかの収容能力で、われわれけっこう後ろにいたのに、
並びはじめてから2回目の入港のタイミングで乗れてしまった。特に困ることもなく、すんなり横須賀に戻る。

 
L: 猿島の管理棟兼売店兼レンタルショップ。ゴールデンウィークということで、さすがの大混雑なのであった。
R: 帰りの船を待つ行列。わりとあっさりはけた。ビーチでは無数のトビが何かを狙って急降下を繰り返していた。

陸に戻ると横須賀中央駅へ。横須賀でいちばん賑わっているエリアを歩いていったのだが、
横須賀があまりに活気のある都会なことにみやもりは驚いていたのであった。まあ僕も前はそうだった。
結局、佐世保もそうだったが(→2008.4.27)、軍関係の基地がある街は一定の若い人たちがつねにいるので、
それだけで活気が出るのだ。特に横須賀は空母が寄港するなど、多数の外国人がいるので多国籍な活気が特にある。
そんな話をしながら改札を抜け、京急の列車に乗り込んだ。ここから横浜に移動して飲もうというわけだ。

 横須賀は人口41万人の大都会なんだよ。

さて横浜に着いたはいいが、いい感じの店を求めて東口をうろついたものの混んでいたり高級感がありすぎたりで、
なかなか決定打が出ない。結局、さんざん歩いた末に西口に出て、そこでテキトーな居酒屋におさまったのであった。
いやー、本当に今日は歩いたわ。僕が企画に絡むとのんびりペースにはならないのだが、それにしてもよく歩いた。
で、乾杯してあれこれ話して食って解散。気のおけない仲間での際限のないテキトーなトークってのはいいもんだ。
話しているうちに『テルマエ・ロマエ』の映画が見たい、キャストだけで見たくなる映画はあれだけだ、となり、
近いうちに鑑賞会をやろう、ということになるのであった。というわけで皆さんよろしくなのだ。


2012.5.4 (Fri.)

ヤクルトの宮本が2000本安打を達成した。先月の稲葉に続いての(→2012.4.29)、ヤクルト関係者による快挙である。

宮本がヤクルトに入団したときの僕の感想を素直に書くと、「池山とポジションかぶるやつ入れるなよ」。
当時、ヤクルトのショートといえば池山以外に考えられなかった。池山というと「ブンブン丸」のイメージが先行するが、
僕にとってはホームランバッターである以上に堅守のショートストップだった。池山の守備は本当に美しかった。
そこに、見るからに守備の人がやってきたわけだ。しかも大学から社会人を経ての入団である。意味がわからなかった。
しかしやがて池山は負担の少ないサードにコンバートされる。池山には絶対に2000本安打を打ってほしかったけど……。
で、新たにショートに入った宮本は、その堅実な守備を武器にスタメンに定着。そのままずーっと何年も過ぎていった。

気がつけば宮本の打撃は勝負強さを増していく一方。それとともにキャプテンシーも発揮するようになり、
オリンピックでは日本代表の主将として、その能力を遺憾なく見せつける活躍をしたのであった。
その後、宮本もかつての池山と同じく負担の少ないサードに移ったが、打撃は一向に衰えることなく2000本安打に到達。
ケガもないし守備もいいので選手生命は長いだろうと思っていたが、打撃面でこの記録を残すことは想像していなかった。
でも、宮本の偉業を振り返って思うのは、2000本安打を打つ選手ってのはただ淡々と安定した成績を残すのではなく、
絶対に勝負強さを持っている、ということだ。ファンとして、絶対にやってくれるという安心感が持てる、そういう選手だ。
プロで長くやっていくというのは、そういうことなのだと思う。誰もが信頼できるものがなければ、そうはなれない。

宮本は41歳5ヶ月での2000本安打達成ということで、これは落合を抜いて最年長の記録である。
恐ろしいことに、ではこれで終わりかというと全然そんな気がしなくって、この先もう5年、いやもしかしたらもっと、
宮本が現役でバリバリと活躍しそうなイメージがある。もう本当に、とんでもないことだと思う。
そういうわけで、宮本を入団させたヤクルトの偉い人の慧眼ぶりには脱帽である。アホなファンですいませんでした。
宮本は今のヤクルトの誇りそのものだと思うんだけど、なんというのか、冷静によく考えればよく考えるほど、
ほかにはない種類の誇りだと思うのだ。宮本って、なりたいと思ってもなれない、そういう特別な選手だと思う。


2012.5.3 (Thu.)

ダンスを見る機会があったので、そこで感じたことをつらつらと書くなり。

まず、僕はダンスを習ったこともやったこともないので(せいぜい熱海でのパラパラぐらいですいません)、
ダンスをダンスそれじたいとして受け止めることができない。どうしても、自分の中にある別の要素との比較になる。
具体的に言うと、それはドラムスとサッカーということになる。まずはその2つを経由して考えさせてもらう。

ダンスとドラムスとの関連。まあもっとも、ドラムスというのは数ある楽器の中では、かなりダンスに近い。
(実際、僕がかつてドラムスを習っていたときの講師は、ダンスを習っていた。いろいろ発見があったそうだ。)
ドラムスは両手両足を使って楽器を叩いて音を出す。つまり、身体の全体を使って音という表現の結果を得る。
身体の全体を使って視覚的な結果を出すダンスとはやはり異なっているが、身体性という点では似たものがある。
ドラムスは音という結果を得ながら、音楽の中へと入っていく。ダンスはより直接的に、音楽の中に入り込む。
僕はドラムスを媒介に、リズムを通して音楽と同化する経験を味わっている。ドラムスの場合、配置が決まっているので、
リズムに合わせてそれぞれの楽器の位置に身体を調整する。そうして演奏して、音楽と一体化する。それが表現になる。
ダンスの場合、その種類にもよるし、音楽の種類にもよるんだけど、やはり音楽のリズムに合わせて身体を調節することで、
ダンスは表現として成立する。ってことはつまり、ダンスとは演奏行為なのか?……そんな疑問が湧いてくる。

その問いに対するヒントのひとつが指揮であり、またもうひとつはかつて1960年代にあった前衛芸術の音楽だろう。
指揮は直接音が出ないけど演奏で(→2010.1.29)、それが視覚的表現である点で、ダンスに非常に近い存在である。
そして1960年代の前衛芸術の音楽だが、赤瀬川原平『東京ミキサー計画』(→2004.12.20)には、
自分の体で糸を巻き取っていく行為を「演奏」としていた例が書かれている。まあそれは極端な例ではあるけど、
身体の動きと音楽の関係という点で、僕は明確にそれらのことを思い出しながら見ていた。
でも、演奏が運動の結果として音楽を引き出すのに対し、ダンスは音楽に合わせての運動となる。当然だが順序は逆だ。
しかし運動を独立させていく音楽、そして音楽を引き出すダンスという領域は確かにあるとも思う。境界は曖昧になりうる。
その境界の曖昧さが手品のようなフィクションとして成立したとき、新たな評価軸が生まれる気がするのだ。

うーん、さっそく考えがまとまらない。

続いて、ダンスとサッカーの関連。僕はダンスを見ていてずっと、サッカーとどこか似ているんではないかと考えていた。
その結果出てきたのが、リフティングである。僕はリフティングが死ぬほど苦手で苦手でしょうがないのだが、
サッカーのリフティングとは、ボールの存在を自己の身体の内部に取り込む訓練なのかもしれない、と思った。
つまり、ボールという身体の外にあるものを、自分の身体の一部として扱うための訓練だと感じたのだ。
ダンスには、身体の位置を瞬時に決める能力が求められると思う。それは、サッカーのトラップと関連している。
ボールを一発で自分の思いどおりの位置に置くことと、ダンスで一発で自分の思いどおりの体勢をとること。
ボールを自分の内部へ取り込むリフティングを媒介に、両者はかなり近い問題意識をとる、と考えられないか。
サッカーでは、身体の結果としてボールの動きがある。ヘタクソなトラップだとボールは残酷に大きく転がり、
上手なトラップは「まるで足に吸い付くような」と形容される。ボールは正直で、嘘をつかないのだ。

ここからはもうちょっと、見ていて感じたことを素直に気楽に書いてみたい。

子どもと大人の身体の違い。最も大きな違いは、頭身の違いである。
やはりダンスというものは、手足が長い方が圧倒的に有利だ。身体が実際より大きく見えることが魅力となる。
大きく、速く、それを柔らかく一瞬で他人が見て最も美しい身体の位置を選択することが重要だと思うのだ。
渡辺直美や芋洗坂係長なんかはそういう点で、ダンスに関する逆説、あるいは最低限の要素を示しているように思える。
(ついでに言うと、パラパラはダンスの要素と反ダンス性を同時に含有している興味深い存在である。)
また、子どもにはもうひとつ不利な要素がある。それは、子どもは自分の体を思いどおりに動かせないということだ。
小学生から中学生へと成長するにつれて運動能力を劇的に改善させた経験のある僕としては、
頭身の小さい子どもたちが自分の身体をうまく扱えないままで踊る姿には、ある種の共感を覚えずにはいられなかった。

先ほどのドラムスについてとも少し重なるのだが、リズム感の重要性も強く認識させられた。
ラジオ体操には大の字になってジャンプする動きがあるが、これをやるたび僕は毎回、周りのリズム感の悪さがイヤになる。
みんな音楽のリズムに合わせて着地できるように高さを調整して跳ばないのかよ、滞空時間を変えろよ、と思うわけだ。
ダンスではどうしても、時間と空間の中にある身体というものを自覚させられる。自らを取り巻く時間と空間に合わせて、
身体を思いどおりにコントロールしようという試み。リズムを基準にしながら、それは達成されようとする。

ダンスは視覚的表現であるがゆえに、踊り手の身体が観客と共有されることになる。
踊り手がコントロールする身体は、観客から見て共感を得られるレヴェルに到達しなければならない。
観客の側の感覚としては、踊り手の自由な身体をまるで我が物のように所有できる感覚が快感へとつながる気がする。
さて、身体の共有ということから考えると、われわれはマイケル=ジャクソンの身体をすでに共有していたということなのか。
僕は以前、マイケル=ジャクソンの身体について日記で書いたことがあるが(→2009.6.27)、
その際にマイケルの死を「マイケルの身体が一個人の所有物ではなくなった」瞬間として捉えた。
でもダンスを見ていて、実は僕たちはマイケルの身体を、生前からすでに彼と共有していたのではないか、と思った。
比喩でもなんでもなく、芸能人とは身体や精神を無数の他者に預けることで成立する商売なのだ。
(だから差別の対象となってきたし、ハイリスクな分だけハイリターンであるのだ。)
その究極の位置にいたマイケルという存在は、死によって同時代性が失われただけで、生前と大差ないのかもしれない。

もうひとつ視覚的表現としてのダンスについて考えた場合、当然ながらファッションも重要な要素となってくる。
今回のダンスでは、わりと「よさこい」に似た系統の衣装が目立っていた(→2005.7.92008.1.10)。
まああっちもダンスだし、こっちもダンスだから、そりゃまあそうなって当然というところもあるだろう。
やはり「ヤンキーくささ」が魅力的なポイントとなっている。ダンスという、身体をめぐる制度からの解放が、
非日常、社会からの逸脱、かっこつけること、そういった匂いを多分に漂わせながら、実行されていく。
服を着ることは身体の表皮を加工することであり、特定の集団への帰属を意味することになる(→2004.1.11)。
衣装によって加速された身体は、よりいっそう強く意味を主張する。とことん、キリのない世界だと思う。

ダンスを踊る人間の数というのも興味深い。それぞれのダンスには適正規模というか、最適な人数があるはずだと思った。
一人で演じられるダンスと二人で演じられるダンスの間には明確な違いがあるはずだ。
人数が増えていくと空間的なフォーメーションが生まれ、表現についての新たな軸が発生する。
さらに増えていくと、北朝鮮なんかでおなじみの行進やらマスゲームやらになっていくのか。
個人を集めていってもそのまま社会になるわけではない。社会には個人に還元されない社会独特の動きがあるのだ。
同じように、ダンスは個と集団の力学の狭間で、非常に細かいせめぎ合いがあるはずなのだ。
ダンスの適正規模の問題は、これまたキリのない世界だと思う。社会学・社会心理学に似た難しさがある。

たとえばフラダンスにはひとつひとつの動きに言語的な意味があるんだそうで、曲に合わせて踊るということは、
手話を経由するまでもなく、歌を歌う行為へとつながっていく可能性がある。さっきの演奏についての議論もそうだ。
言語的なコミュニケーションということはつまり、文法=ルールの存在を前提とすることになる。
踊りにおける文法とは何なんだろうか。踊りのルールと各言語の文法の間には同じ構造が存在しているのか。
生成文法と人間が身体を認識するやり方との間には、共通項が存在するのだろうか。
あるいは、日本語ではぜんぶ「指」でも英語だと「thumb」と「finger」に分けられるように、
言語が身体を規定することは当然ありうるから、言語により踊りが変化することもありうるのか。

今回のダンスでは流行りということでか、AKBの曲とダンスが一部あったんだけど、AKBってどうなんですかね。
僕はいいとこ10年くらい前のハロプロしかわからないので、なんともコメントしがたいんだけど。
AKBの曲についてはすべてユニゾンでハモらない点に「日本のポップミュージックはここまで堕ちたか」と驚愕したけど、
ダンスについても同じようなことが言えるのだろうか。韓流と合わせてきちんと勉強しないといけないのか。
あと、いかにもタカラヅカのトップスターっぽいソロがあったけど、やはりヅカ(→2012.2.26)は究極の位置にあるのか。

ダンスの世界はあまりにも奥が深くってまいった。考えても考えても、オレの脳みそじゃキリがないんだもん。


2012.5.2 (Wed.)

上田美和『ピーチガール』。オススメされたので、素直に読んでみた。
主人公は日焼けしやすい体質に悩む元水泳部・安達もも。マンガのタイトルは彼女を指すと思われる。
ももは派手そうな外見をしているが、中身は素直でマジメ。中学からの同級生である東寺ヶ森(通称・とーじ)にあこがれ、
彼に好かれようと一生懸命。そんなももにいろいろとちょっかいを出してくるのが岡安カイリ。ももは両手に花でございますな。
しかしももに近づき、ありとあらゆる手段を駆使して幸せを邪魔しようとしてくるのが、柏木さえ。
天性の「イヤな女」ぶりをこれでもかというほど発揮してくるさえに対し、ももは地道な戦いを強いられる。

このマンガを読みはじめてすぐに思ったことは、「女子って怖い!」である。とにかく、さえが凄すぎる。
最初はももの真似をすることで親しくなっていくのだが、そのうちにあることないこといろいろ言って、ももを陥れようとする。
思考回路は単純で、いかにターゲットの幸せを奪うか、である。その戦略は徹底しており、まったく隙を見せない。
周囲を自分の思いどおりに操っていくさえに対し、正直で要領のよくないももは外見で誤解されることもあって防戦一方。
おバカな男どもがさえに簡単にだまされてしまうのが悲しい。自分の過去を振り返ると、つねに真実を見抜けないできて、
外見だけはかわいい女の子にいとも軽々とひねられちゃっていたんだろうなあ、と思う。でもこれはもうどうしょうもないの。

そんな具合に、序盤はももの孤独な戦いが非常にていねいに描かれる。僕はひたすら、女子の怖さに震えるのであった。
さらに巻末には読者が自分の周りにいる「さえ」を吊るし上げるコーナーがあるのだが、これがまあ勉強になること。
おバカな男子にはぜんぜんわからない女子のバトルが赤裸々につづられ、もう何もかも信じられないって気分になる。
いまオレの眺めている世界は実際はどうなんだ!?と考えるとキリがない。いやもう本当に、パラダイムシフトな体験だった。

というわけで、このマンガの前半は非常に意義深い。おバカな男子は現実をきちんと直視しやがれ!と言われた感じ。
でもどんなにがんばっても、鈍い男子は永遠に真実に到達できないわコレ。「さえ」の実態、見抜けないって絶対。
それでもまあ、人類の半分はこういう世界で日々戦っているのだ、と気づかされるだけでも間違いなく読む価値はあるね。
女子って本当に大変。気楽でおバカな男子として30年以上生きている僕にはまったく想像のつかない領域だわ。

ところが! カイリの活躍と芯の強いとーじによってさえの野望が打ち砕かれると、物語の焦点は完全に変化する。
さえは純粋なトラブルメーカーとしてしか機能しなくなり、ももはひたすらとーじとカイリの間で揺れる存在となる。
ラブコメ定番の不可抗力による壁があっちに立ったりこっちに立ったりで、そのたびにももの気持ちは揺れ動く。
前半の緻密な心理戦はすっかり消えてしまい、「よくある少女マンガ」のステレオタイプそのままの光景が繰り広げられる。
なんでこんなことになっちゃったのー?と思いながら最後まで読んだのだが、うーん、ニンともカンとも。

厳しい言い方になるのだが、このマンガは完全に終わるタイミングを間違ってしまったと思う。
いや、もともと難しかったのは事実だ。とーじとカイリ、どちらもすばらしく魅力あふれる男子で、
このふたりだったからこそ、さえの野望を打ち砕くことができたとは思う。そう思わせるだけの説得力がある。
しかしそれだけに、さえが明確な敵ではなくなった後、ももがふたりの間でやたらと長く揺れることになってしまった。
ももがとーじとカイリのどっちとくっつくべきなのかは、鈍くておバカなオレにはわからん。まったくわからん。
でも、さえというとんでもない脅威を回避したところで素直に終わっておくべきだった、ということはわかる。
読者がとーじかカイリか結論を要求したのか、大人の事情で続いてしまったのか、僕には知る由もない。
確実に言えることは、まるで『ドラゴンボール』を思わせる蛇足ぶりが、前半の持っていた価値をかなり落とす形で、
作品全体の評価を下げることになってしまったということだ。本当にもったいない。
せっかく薦めてもらったのにそんな結論で、なんだか申し訳ない。でもそれが僕の素直な感想なのだ。


2012.5.1 (Tue.)

完全に忘れていたのだが、本日は今年度最初のALTの授業日なのであった。朝、ALTがいらして初めて気づいた。
自分でも呆れてしまうほどのスケジュール管理能力である。いやー、いくらなんでもこれはひどい。

本日の授業はALTの自己紹介と質問コーナーが中心。あれこれやりとりをしていくうちに、
今年度のALTは日本のゲーム大好き、アニメ大好きというタイプであることが判明。おたくな生徒どもが大興奮。
それとともに、これがまたオレといろいろと話が合ってしまうのなんの。彼はアニメというか少年ジャンプ好きで、
そうなるとこっちだって際限なく語れてしまうわけだから、そうか! それがわかるのか!という感じになってしまうのだ。
いやー、それにしてもまさかアメリカ人と『ロックマン2』の音楽がいかに魅力的かって話題で盛り上がるとは思わなんだ。
だってDr.ワイリーとか言ってくるんだもん! ワイリー1&2面の曲(いわゆる「おっくせんまん」)を歌ってくるんだもん!
そんな外人がこの世に存在するとか、日本のアニメ・ゲーム文化はどんだけアメリカを侵食してんだよ! 本当に驚いた。
職場の僕の机の上には『ニューロマンサー』(→2005.1.8)のペーパーバックが置いてあるのだが(かっこつけてるだけ)、
それも目ざとく見つけてSFの話も振ってくるしなあ。なんというかまあ、いい意味で親近感が湧くタイプではある。

彼はしゃべる日本語はやや苦手だが、聞き取りはけっこうしっかりできる模様。生徒の日本語もよく理解している。
それはしゃべる英語が苦手だけど聞く方はまあなんとか、という僕の状態とよく似ている。似た者同士なのか。そうなのか。


diary 2012.4.

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