diary 2018.5.

diary 2018.6.


2018.5.31 (Thu.)

五百蔵容『砕かれたハリルホジッチ・プラン』。発売と同時に買うことにしていた新書である。

「いほろい・ただし」、この上も下も読むのが難しい名前を知ったのは、最大級の衝撃と同時のことだった。
昨年9月のネットニュースに「ハリルが豪を破壊した『開始30秒』。徹底分析・オーストラリア戦」という記事があって、
この内容が本当に衝撃的だったのだ。読み終えた直後、永久保存すべく自分のメールアドレスにURLを転送したほどだ。
一瞬で消費されるたかがネットニュースの記事に対しわざわざそんなことをしたのは、後にも先にもこのときだけである。
この記事は日本がロシアW杯の出場を決めたホームのオーストラリア戦(→2017.8.31)についての戦術解説で、
オーストラリアが何もできないまま日本に敗れた、その経緯を恐ろしいほど論理的に解き明かすものだった。
僕自身この試合は、「日本代表史上」ではなく「日本史上」最も戦術が完璧に機能したサッカーだという感触は持ったが、
それを具体的に説明することは到底できなかった。「なんだかえらく作戦がハマっていたじゃん?」止まりである。
しかしこの記事に書かれていた内容は、今までに読んだどんな記事よりも精密で、論理的で、納得のできるものだった。
記事を書いた人の名は、五百蔵容。……読めない。ふりがなで「いほろい・ただし」と知る。でも難しくて覚えられない。
とりあえず後日、「五百」「サッカー」で検索してほかの記事を探してみたら、そのどれもが宝の山で、再び驚愕した。

ハリルホジッチの解任については、僕は怒り以外の反応ができないくらいに、本当に荒れ狂った(→2018.4.9)。
言葉にならない怒り、それだけ。そしてその怒りの根源にあるのは「恥」という認識だ。恥ずかしくて怒りが収まらない。
日本サッカー協会が全世界に向けて、日本国そして日本人に「恥」のレッテルを全力で塗りつけてみせたのである。
慎み、武士道、勤勉、礼儀正しさ、そういった美徳を全否定する行為に及んだのだ。これで怒らない方がどうかしている。
我が国に全力を尽くしてくれる人に対して、その恩を全力にして最大級の仇で返す。日本人の劣化を象徴する行為だ。
だから今回のW杯では日本代表を一切応援しない。今回の日本代表は、僕の知る日本という国の代表ではないので。

話が逸れかけたが、この解任劇によって方向性を狂わされたことで、五百蔵さんの本は大いに話題になることになった。
W杯におけるハリルホジッチの戦術を予測するはずだった『ハリルホジッチ・プラン』という本は、タイトルを変更し、
『砕かれたハリルホジッチ・プラン』として世に出た。それも、希望ではなく絶望を予言しかねないものとして。
内容はやはり、今まで読んだどのサッカー本よりも精密で、論理的だった。オフト以後の日本代表のサッカーを概観し、
彼らの残した宿題を整理し、それを今までどう解決しようとしてきたかをわかりやすく追っていくことから始まる。
次いで現代の頂点であるヨーロッパサッカーで常識となっている戦術論を紹介し、それを援用したハリルホジッチが、
いかにアルジェリア代表でドイツを追い詰め、いかに日本代表でオーストラリアを完膚なきまでに叩きのめしたかを示す。
そこからロシアW杯のGLで対戦するコロンビア・セネガル・ポーランドとの戦い方についてまで論じているのだが、
その内容を検証する楽しみは永遠に奪われ、ただの空想としてしか味わえなくなってしまったことが本当に悲しい。
昨夜ちょうど西野監督率いる日本代表がガーナにあっさりと敗れたが、前任者との落差の凄まじさにはため息すら出ない。
唯一の救いは、最高の分析眼を持つ五百蔵さんが彗星の如く現れ、知性と良識のある人々に認められていること。
サッカーに携わる者というレヴェルではなく単なるサッカーファンであっても、この本は基礎教養として読むべきだ。

面白いのは、これだけ的確にサッカーを論じることのできる人が、実はサッカーとはまったく異なる経歴を持つことだ。
五百蔵さんは、セガでゲームをつくっていた人なのだ。そしてスポーツ観戦のエッセンスは、ラグビー由来であるそうだ。
思えば僕が最も頼りにしているサッカーブロガーも、やはりサッカーの選手経験はなく、野球をやっていたという。
ほかのスポーツをベースにしている方が、かえって冷静にサッカーという競技を客観的な目で見られるのかもしれない。
日本サッカー協会がハリルホジッチという良薬を異物として排除して、病を膏肓に入らせて絶望に苛まれている現状に、
異なる領域からやってきた異分子が警鐘を鳴らしている。彼の建設的な批判に耳を傾けなければ、何も始まるまい。


2018.5.30 (Wed.)

体育祭の予行である。天気を心配しながらの予行だったこともあり、テンポよく進める必要があったので大変だった。
そもそもが予行というものは、まったく休む暇がないものだから、ある意味では本番よりも忙しいのである。
特に僕が担当する用具係は、競技はやらなくても実際に用具を配置して感触をつかむことが重要なので、
出し入れだけを延々と繰り返すことになる。仕方がないけど、これはキツい。生徒がよく動いてくれるからいいけどね。


2018.5.29 (Tue.)

昨日から状況が何ひとつ変わらなかったので、ついに静かにキレるのであった。自分では精一杯穏やかなつもり。
「ベンチがアホやから野球ができへん」と言うお前は利口なのかというブーメランもありうるし、
そもそもが雰囲気を壊すことは本意ではないので、そこは穏やかに。しかし現状がこのまま続くのは我慢ならんのだ。
できるだけ抑えつつも、言いたいことはぜんぶ言う。そうして言いたいだけ言ったら、もはやスッキリなのであった。
相手に理解してもらうつもりはさらさらございません。理解させることを目的にしても、無理なのはわかっているから。
そういうもんだ、と割り切ってやっていくしかないもんね。いやあ、今までが本当に恵まれていたなあと実感するわ。


2018.5.28 (Mon.)

納得のできない事態の積み重ねで、そうとうに不満が溜まりまくっている状態である。
具体的なひとつひとつが自分の中で帰納的にまとまって、本質的な部分でかなりの不満ができているのだ。
それでも理性で相手の事情を斟酌するが、そこに収まらない部分があるのも確かで、イライラモヤモヤ。
結局、午前2時に目が覚めて、そこからずーっとイライラモヤモヤ。今までが恵まれすぎていたんだよなあ。


2018.5.27 (Sun.)

しかし関西学院は事件をめぐる対応のどれもが完璧にかっこいい。期せずして最高のPRになっている格好だが、
それはもともとこの学校が、一朝一夕では磨き上げられない教育機関としてのきちんとした姿勢を持っているからこそ。
こういうピンチのときに本性は現れるわけで、関西学院の底力の凄みにはただただ感心するばかりである。

翻って日大は……もう、ニンともカンとも。加害選手が身の危険を感じている状況というのは、最高にマズいだろう。
片や何から何までかっこよく、片や何から何まで最悪。格の違いというものがここまで露わなことに僕もションボリ。


2018.5.26 (Sat.)

西城秀樹が亡くなったというのは、とてつもなく衝撃的なニュースだ。まだまだ若いのに、どうして。
僕にとって西城秀樹はまずやっぱりバーモントカレーでYMCAなんだけど、歌を聴くと上手すぎてもう。
こんなに自在に歌を歌いこなせるなんてと、歌手としての偉大さにあらためて衝撃を受けている。
音楽的にはロックが根底にあるそうだが、とてもそんな枠じゃ収まらない。アイドルとして歌謡曲の枠を広げ、
「西城秀樹」という枠をつくった感がある。そしてこの枠を通してJ-POPと洋楽が行き来する、という要素がある。
あまりにも歌唱力があるので、どの音楽ジャンルも西城秀樹を欲しがっている、そういうレヴェルだと思う。
残念ながら僕は絶頂期を知らない世代なので、日本における音楽の歴史の1ページとしてきちんと聴き直したい。

それにしても、盟友・野口五郎の弔辞が泣けてたまらない。本物の友情ってこういうものなのだと。
何から何までかっこいい人が亡くなってしまったなあ。つらいなあ。


2018.5.25 (Fri.)

白バラコーヒーフィーヴァーじゃー! 白バラコーヒーについては以前語ったとおりであるが(→2017.7.16)、
これが関東でも成城石井で買えるということで(→2017.12.3)、1000mlパックをいくつか職場に持ち込んだのね。
で、そこから職員室で試飲会がスタート。さながら私は大山乳業協同組合のセールスマンですよ。回し者ですよ。
鳥取県とは縁もゆかりもないのに。でも旨いんだからしょうがない。本日の布教活動は順調でありました。


2018.5.24 (Thu.)

先日の移動教室の下見の際にこそっと買っておいたんですよ、「真澄」。協会7号酵母でおなじみの真澄(→2016.8.21)。
真澄ってけっこう旨いですよね。僕は酒に弱いんで良し悪しはよくわかんないんだけど、雑味がないんで(→2018.1.10)。

落ち着いてのんびり飲んでみると、確かに日本酒には甘みがあるなあと感じる。焼酎は香りで100%なんだけど、
日本酒は嗅覚だけでなく味覚による部分があるのがわかる。そしてこれが太るもとなのかと。アルコールもいろいろねー。


2018.5.23 (Wed.)

この土日にきちんと休めなかったこともあって、正直ちょっと精神的にも肉体的にもキツい状況である。
自分でも余裕のない対外的にイヤな精神状態なのがわかっているので、不機嫌なりにグッとこらえて早めに撤退。
そうして日記を書けるだけ書く。これで気分転換というわけにはなかなかいかないが、気は紛れるに違いないので。

体育祭が終わるまでがまず大変で、終わっても今度は部活の夏季大会がある。その後はテスト、そして移動教室と続く。
ストレスの原因ははっきりしているが、受け入れざるをえない要素もあるので、そこは冷静さを失わないようにする。
なんとか上手くセルフコントロールせねば。言い換えると、適度な力の抜き方の上手さ、その見せどころというわけだ。


2018.5.22 (Tue.)

日大フェニックスの反則暴行事件について、当該選手が謝罪会見をしたことだし、そろそろ書いておくか。
といっても僕の感じ方も世間の大多数とだいたい一緒。鉄砲玉よりも使用者責任だよね、といったところである。
もともとアメフトは好きだし、日大の通信教育部にはとってもお世話になったし、今回の件は本当に本当に残念至極だ。
ただ救いがあるとすれば、反則をおかした当該選手が誠意のある謝罪をし、それを好意的に受け止める声が目立つこと。
罪は罪であり事実は消えないが、加害者はそれを正直に認めて謝り、周囲は彼が再び立ち上がるチャンスを与える。
そんな当たり前のことが、きちんと当たり前に機能しようとしている。そのこと自体に心の底からほっとするのだ。
嘘をつきとおしてバレなければそれでいい(→2018.4.13)、そういう性根の人間たちが確実に増えているこの日本で、
そういう性根の人間たちがこの国を動かしている絶望的な状況の中で、久々に信じられるものに触れた気分である。


2018.5.21 (Mon.)

体育祭の練習が始まったこともあって、今日は朝から夜の7時半までずっと仕事。部活にすら顔を出せなかった。
自分にとって不本意な形での仕事の割り当てや依頼が多かったので、かなり不機嫌で取り組む。それが長時間続く。
おかげで、本当に疲れ切った状態で家に帰るのであった。一日中ずっとイライラするのは耐え難い苦痛であります。


2018.5.20 (Sun.)

やりたくないけど休日出勤。昨日の写真をまとめる必要があったからだ。まとめた写真を使って生徒に説明をするのだが、
それが明日の1時間目だから休日出勤せざるをえないのである。前もってわかっていたことなので、覚悟は十分できている。
やりたくないけど覚悟はできている。そんなわけで、ただ粛々と作業をするのであった。やった分だけ報われたいわあ。


2018.5.19 (Sat.)

スーパーあずさと路線バスで移動教室の下見(→2018.4.25)に出かけるのだ。女性の先生2人と3人旅イエーイ。
……なんて喜んでいられるわけないのだ。「使えねえ男だな!」とならないように気を張り続ける一日なのである。

茅野駅から路線バスで車山高原へ。リフトなどを確認すると、八ケ岳中央農業実践大学校へ移動して打ち合わせ。
そしてここから南へ林を抜けると、八ヶ岳自然文化園である。こちらは雨天時にお世話になる予定なのだ。
が、バスの時刻が迫っており時間的な余裕がない。しょうがないので僕が走って往復して打ち合わせをして戻る、
という強行軍でどうにか任務を完了したのであった。打ち合わせや手続きをひととおり済ませてほっと一安心。

僕にしてみりゃ単独行動なんてまさにいつものスポーツ市役所めぐりとほとんど変わらない感じだったのだが、
女性の皆さまはオサレなランチを求めたりお土産を見繕ったり。旅行スタイルの違いをしみじみ実感するのであった。


2018.5.18 (Fri.)

ホンダジェットのCM、かっこよすぎないか。そう思って調べてみたら……え、これがONE OK ROCKなの?
完全に洋楽やんけ。森進一×森昌子からこうなるとは、ちょっと想像がつかねえ。いや、素直にかっこいいですね。


2018.5.17 (Thu.)

今さらだけど、Nintendo Laboってすごいですね。段ボールをゲーム機とつなぐって、何を食ったら思いつくんだ!?
最初ネットニュースでその発売を知ったとき、本当に開いた口が塞がらないほど驚いた。やっぱすげえな、任天堂。

思えば段ボール工作というのは、われわれ(少なくとも僕個人)にとっては小学生時代に避けて通れなかった儀式だ。
僕の場合は特に厚紙を切っては貼ってはして立体工作物をつくっていたのだが、段ボールは手のひらサイズを超えて、
全身との関係性というスケール感になりうる。Wii Fitも「任天堂そんなところまで目を付けるの!?」と衝撃的だったが、
さらにここまでやってくれるとは。『できるかな』世代には夢のようなアイテムである。想像力が本当に凄い。


2018.5.16 (Wed.)

iPhoneを卒業してスマホをAndroidに替えてから(→2018.1.6)、どうにも気になることがある。
頼んだわけでもないのにケータイ会社からメールがバンバン送られてきて、この内容が実にしょうもないのだ。
「○○プレゼント!」「必ずもらえる!」「ポイント還元!」「今なら無料!」「おトクに○○!」などなど、
釣られるバカがいるから数撃ちゃ当たる的にメールを出しているんだろうけど、品がないったらありゃしない。
こちとら商品が必要だから買い物をするわけで、ポイントがもらえるからという理由で出費するほどアホではない。
頼むからそういうアホな世界に巻き込まないでくれ、と心から思う。スマホなんて本当は使いたくないんだってば。


2018.5.15 (Tue.)

『機動戦士ガンダムZZ』を見たら(→2018.4.16)、30年ぶりくらいにガンプラつくりたい欲が出てきた。びっくり。
僕はハタチになるまでに一生分のプラモをつくり尽くしてしまったのだろうと自覚していたので(→2010.12.5)、
そんな気になるなんて思ってもみなかった。老いらくの恋ってやつですかこれは。違いますか。違うわな。

いま本気でつくったら、どれくらいできるんかなという思いも正直ある。そんなセミプロなモデラーではなかったが、
きちんとつくったら当時よりも美しくつくれるのか、これはちょっと気になる。昔の僕は本当に雑だったからなあ。
接着剤の匂いはお祭りの思い出である(→2008.12.4)。そんな過去を思い出しつつチャレンジするのもいいかなあと。


2018.5.14 (Mon.)

先週から夏休みの計画を立てているが、ここにきて方向性がある程度絞れつつある。東北地方を優先してみようか、と。
というのも、最近の旅行は西日本がわりと多めで、東北地方がだいぶ後回しになっている感触が自分でもあるのだ。
理由は簡単で、北日本は天候の不安定な日が多いから。冬は雪の影響も大きい。旅行に適した時期が限られるのだ。
しかし夏休みは貴重なチャンスなので、ここはひとつ、意識して集中的に東北地方を攻めてみようかと思ったのだ。
すでに先月の日記で「今年は島へ一人旅するぞ宣言」をしており、そっちの予定もしっかり入っている(→2018.4.20)。
なので夏休みだけではなく、その後も隙をみて継続的に東北地方にチャレンジしていこうというわけである。
そうなったら、あとはもう、できるだけ日頃の行いを良くしていくのみだ。まあいつも真面目に仕事してるけどさ。


2018.5.13 (Sun.)

山田芳裕『へうげもの』。このたびついに完結ということで、残りの巻を揃えて一気読みなのだ。
なお、中盤までのレヴューはこちら(→2011.8.252013.1.12)。今回は後半を中心にして書いてみる。ネタバレ上等。

このマンガは各登場人物の成長が克明に描かれている作品だが、後半に入りその手腕が冴えに冴えわたっている。
それが最もはっきりと現れているのは徳川秀忠。織部に感化されて徐々に人間的な深みを増していく描き方が秀逸だ。
これはそもそも、秀忠が石田三成化しないようにと、あえて織部に弟子入りさせた家康の慧眼ということになる。
ところがその家康が、齢を重ねて明らかに余裕がなくなっていく。そのふたりの対照的な様子を克明に描き出し、
同じ人間が時間により変化していく真実、いわば人間ならではのブレというものを的確に表現している点がすごい。
これをしっかりと史実を押さえながらやっているのだから、作者の想像力とリアリティの持たせ方には舌を巻くしかない。
作品の根底にある一貫したテーマも、用意した伏線も、史実もフィクションも、すべて作者の強い意志で統率されている。
わざと物語に穴を開けて読者の議論を期待するような卑怯な手は使わない。これだけ強い意志で、これだけの完成度で、
完全につくり込まれた世界を提示できるものなのか。完成された器を見るように、息を呑んでページをめくるのみだ。

織部の最期について考えてみようか。9巻で師である千利休を介錯した織部が、どのような最期を迎えるのか。
介錯役で現れたのは小堀作介……ではなく、なんと家康。弟子が斬るという相似形を用意しながら、大胆に裏切った。
留意しておきたいのは、この時点の家康はすでに権力を秀忠に握られてしまっている状態であるということか。
だから最高権力者が独裁体制の下で自ら手を下そうとしたのではなく、秀忠のクーデターへの反抗、とも取れる。
大坂の陣も決着がついており、家康の登場はただの私怨ということになる。その家康を織部は最後に笑わせるのだ。
(織部の理想こそ、かつて家康が見せた「一笑(あじか売りの必死さ)」であると、ここで吐露するのが凄い。)
しかし家康が刀を振りかざしたところで織部は物語から退場する。そして最終話では時間が大きく飛び、
岩佐又兵衛と上田宗箇が織部の生きた痕跡を訪ねて琉球まで足を運ぶこととなる。織部は、どうなったのか?
伏線は2つ。ひとつは、南の海で自由の身となった高山右近。もうひとつは、生きて脱出することに成功した豊臣秀頼。
秀頼は、彼が先達として生き延びる可能性を示したことで、織部が危機を回避して南国へ逃げた未来を示唆する。
そして右近は、キリスト教を棄てることなく南国で芸術を愛して暮らす。織部の信仰にも似た「ひょうげ」への思いと、
南国での数寄三昧の生活が重なる。やはり宗箇が確信したとおり、実際の織部はしぶとく生きていた、と考えてよかろう。
実は現地での生活ぶりについては、こちらも伏線が2つ張られている。ひとつは、歌に生きる木下勝俊が示唆する生き方。
もうひとつは、おせんとの別れの茶で示される姿。織部本人でなく周囲の人々は、彼の未来を正確に見据えていたのだ。

では彼の切腹をどう介錯……いや解釈すればいいのか(変換間違いが面白かったのでそのまま残しておこう)。
これはもう、織部が武士としての「甲」の死に方を許されなかった、それが家康のせめてもの抵抗である、ということ。
どんなに見苦しかろうと笑いが取れればいい、そんな織部は、自らの死すらも笑いの対象に変えてしまったのだ。
織部が死んでも数寄は続く。「一笑」「ひょうげて和を成す」「笑福の世」この価値観が後の世までつながっていくこと、
それが果たされれば織部は満足なのである。すべての人との関係を断って、社会的には死んだ存在となっても構わない。
キリストがゴルゴダの丘で磔になったことで神となったのと同じように、織部は数寄に殉じて「乙」に人生を閉じたのだ。
右近が織部との最後の別れの際、ひょうげの居心地の良さに棄教を宣する一歩手前までいったのは、見事な示唆である。
「乙」をはじめとして、作中では現代でも通じるさまざまな言葉・表現が生み出されているが、それらはすべて、
織部が数寄やら芸術やらを通して、われわれの精神の中で、日常生活の中で、現代でも生き続けているということだ。
神とは少し違うが、でもまるで神のごとく、われわれの織部先輩はこの世界に今もうっすらと存在しているのである。

それにしても、琉球王仕込みの三線を弾いてジェームズ=ブラウンのパフォーマンス(マント・ショウ)をやる描写と、
柳生宗矩相手の一本足打法には大爆笑である。このマンガ的には、「笑福ここに極まれり」とでも言えばいいのかな。


2018.5.12 (Sat.)

溜まっている日記を書かなくちゃいけないけど、どうしてもやる気が出ない。スランプである。
それでも負債の清算に向けて少しでも近づくため、未加工の画像を整理して過ごす。できることをコツコツやる。


2018.5.11 (Fri.)

驚いてしまったのだが、自分の子どもがどれくらい勉強ができないのか具体的に把握できていない親がいる。
というよりむしろ、自分の子どもについて客観的に知る能力がない親だから、子どもの成績が「推して知るべし」なのだ。
それでいて根拠のない淡い期待を平然と口にするんだから、まいってしまう。いやもう、呆れ果てた週末である。


2018.5.10 (Thu.)

女性の先生ってのはどうして細かいことにこだわるのかねえ。男が大雑把ってのは否定しないけど、それにしても細かい。
僕なんか「そんなことに手間をかけても得られる見返りは少ないからやりません」という考え方なので、よけいそう思う。
もう少し具体的に言葉にしてみると、女性の先生は1を1.2にするためならどんな手間でも惜しまないでやる感じなのだ。
(0.8を1にする努力ではなく、1を1.2にする努力。満足できるものを、さらに上げるようとする努力である。)
しかし僕は「その+0.2のために10や20のコストをかけるのは無意味」と割り切って、1で十分OKとする考え方である。
そんな細かい部分にこだわっても大して結果は変わんねえよ、よけいな混乱を引き起こしてかえってマイナスになるかも、
その時間と労力はおとなしく内部留保しておいて、全体のバランスを見て無理なく配分していこうぜ、と思うのだが。
僕にはどうしても、やっている側の自己満足にしか見えないんだよなあ。これについてはたぶん永遠にわかりあえない。


2018.5.9 (Wed.)

昼間の仕事があまりに多岐にわたっているので、現実逃避がてらぼんやりと夏休みの計画を立てはじめてみる。
夏休みのことなんて正直、ハンフリー=ボガート的に「そんな先のことはわからない」と言いたいレヴェルの話だ。
とはいえ、今のうちにある程度は固めてしまわないと、後でかえって困ったり損したりすることもありうるわけで。

カレンダーを見てみると、今年の夏休みはお盆がちょうど一週間のど真ん中を占領している。
これはこれで、かえって予定が立てづらいところもある。休みが“all or nothing”という感じになってしまうからだ。
そして次の段階として、Jリーグの試合日程と組み合わせて、旅行先を絞り込んでみる。ところが今年はなかなかどうも、
観戦したことのない都市がうまくハマらない。明らかに、夏休みよりも9月や11月の方にハマってくる感じなのだ。
そっちは具体的にイメージが湧いてくるものの、肝心の夏休みはどっち方面を目指すべきか、どうにも散漫である。
自分としてはどうしても「理由」が欲しい。日にちと旅先を選ぶ理由となる「必然性」である。Jリーグはいい基準だが、
それがうまくハマってくれないとなると、なかなか決断をしづらいのだ。さあ、困ったことになってきたぞ。
まあでも最優先で考えるべきは、日記の負債を清算することだ。ちびちびと書きつつ考えがまとまるのを待つとしよう。


2018.5.8 (Tue.)

雨の中、埼玉方面へ2ndユニフォームの注文に行く。頼りにしていた業者が東京から撤退してしまったからしょうがない。
わざわざここまで手間をかけなくてもなあ……と思う反面、前の注文データがあったおかげでスイスイいったのも確か。
客観的に考えれば、お値段的にも非常にいい結果となったのではないか。できあがりが楽しみである。

帰りの乗り換えついでに池袋でスタ丼でも食うかなと思っていたが、駅近くでぎょうざの満洲を発見してあえなく撃沈。
多摩地区の中央線沿線で大学生をやっていた自分には、西武線沿線でおなじみのぎょうざの満洲は近くてちょっと遠い、
そういう存在なのである。ホームからちょっと離れた位置にある、でもどこか身近、そういう絶妙なポジションなのだ。
というわけで、結局はダブル餃子定食をおいしくいただいた。でも手作り感が前より少し減ったのは気になるかな。
それにしても、満洲の「3割うまい!!」が何を基準に3割なのか、いまだにわからない。やっぱ王将の3割増しなの?
コストパフォーマンスは確実にいいけどね。でも満洲が近場にあったら間違いなく連日バカ食いしてしまうので、
やっぱり「近くてちょっと遠い」くらいの存在感がちょうどいいのだ。久しぶりに満洲の餃子が食えてよかったよ。


2018.5.7 (Mon.)

かこさとし先生が亡くなったとのこと。僕の幼少期は間違いなく、かこさとし先生の作品で彩られていた。
食らいついた絵本の作者が「かこさとし」という名前で、漢字で書くと「加古里子」。そこがまた面白くってねえ。
そしたら経歴が東大出の工学博士で技術士なんだもん。たまげた。もちろん「だるまちゃん」シリーズも好きなのだが、
『かわ』とか『海』とか『宇宙』などのシリーズはもう延々と見続けたもので、経歴を知ってその魅力に納得したっけ。

結局、僕は理系に進むことはなかったが、根底には理系的な精神や科学への興味があると信じている。
また、ものごとを図解したり絵で描いたりするのが得意な背景には、絵本で鍛えられたセンスがあると信じている。
だから僕の中では、かこさとし先生がものすごく深いところに根ざしているのだ。原点といっていい位置にある。
本当に、いちばん最初に作者の名前を意識した絵本作家なのだ。冗談抜きで、人生で最初にお世話になった他人ですよ。
ご冥福をお祈りするとともに、その作品の魅力を伝え続けていかなくちゃなあ、とあらためて思うのであった。


2018.5.6 (Sun.)

GWにまったくお出かけをしないのも、それはそれで不健全なのではないか、と思うのであります。
とはいえ混み合っている中へ突撃する気はないので、あくまでマイペースな日帰りの遠出を計画したわけです。
ちょうど平塚で湘南ベルマーレの試合があるので、気になる公園と神社を午前中に組み合わせましょう、と。
GWで興奮した観光客があんまり出現しないであろう、気ままなルートを気ままにたどるのであった。

朝8時、降り立ったのは本厚木駅だ。ちょうど7年前のGWに訪れて以来になる(→2011.5.4)。
ちなみに7年前の目的も、市役所と神社である。違いはサッカー観戦があるかないか、くらいなものだ。
まるで成長していない………。安西先生でなくてもそう言いたくなってしまう。

立ち食い蕎麦を啜ってバスに乗り込むと、向かったのは神奈川リハビリテーション病院。そのひとつ手前で降りる。
少々歩いて東側にある山の方へと入っていくと、そこは七沢森林公園。日本の都市公園100選なので行ってみたのだ。

  
L: 七沢森林公園。山の中へと向かう坂道を上がっていくとこの「森のかけはし」がお出迎え。こいつには後で苦労させられた。
C: かけはしを抜けて左手、入口の様子。  R: 野外ステージもある。ただ、周囲は完全に山の中。けっこうな高低差がある。

入場は無料。バスの時間を考えると、1時間程度でクリアしたいところである。テンポよく歩けば問題なかろう。
そう思って公園内に入ってすぐ目に飛び込んできたのが、「ヤマビル注意報発令中」という大きな文字である。
もうこれで完全にテンションがどん底までダウン。おまけに入口からすぐのところに忌避剤と塩が置いてあるし。
そんなにいっぱいヤマビルがおるんか、とガックリうなだれるのであった。しょうがないので長袖の上着を羽織ると、
酢でできた忌避剤をスプレーで脛に吹き付ける。しばらくずーっと、足から酸っぱい匂いが漂い続けるのであった。

さて、ボケッとしている暇はない。準備が完了するとさっそく森林公園の奥の方へ。まずは北側へと行ってみる。
歩いてみると「森林公園」というより実態はもはやしっかり「山」であり、高低差がかなりある。うーん、面倒くさい。
しかしその分だけ見晴らしの良い場所もある。神奈川の平野越しに新宿副都心が望めるのはなかなか贅沢であった。

  
L: 「ながめの丘」にて。  C: 遠くに新宿が見えるぜ。  R: 別の場所からは大規模にトンネル工事をしている様子も見えた。

トレイルランをやっている人もいて、そういう方面の人気もあるのかな、と思う。僕は好きで小走りなわけではないが。
道は尾根を行くようになっていて、木々に包まれているが雰囲気は明るい。緑の鮮やかな季節でとても心地よい。
そういえば去年のGWは檜原村で、やっぱりいい感じの新緑の中を散策したっけな、と思い出す(→2017.4.30)。
特に狙ってGWに新緑の中を歩くようにしているわけではないが、結果的にそれを存分に楽しめていると思う。

  
L: 「とうげの広場(順礼峠)」。まあこの辺りがだいたい北端ってことで。  C: ぐっと下ると森のアトリエ。
R: 尾根の道を行く。七沢森林公園の奥の方はだいたいこんな感じの道が続いている。急ぐと足首の捻挫がちと怖い。

距離的にはそれほどでもないのかもしれないが、高低差があるので移動するのに時間がそれなりにかかる。
本当は南側のバーベキュー場やアスレチック広場までまわりたかったのだが、「おおやま広場」までとする。
特にバーベキューは七沢森林公園の売りみたいなので気になるが、他人が肉焼いてるのを見たってしょうがない。

 「おおやま広場」。昼寝をしている人がたいへん気持ち良さそうだった。

急いで「森のかけはし」を渡って北側のエリアに戻るが、これがキツかった。というのも、戻されすぎるのである。
すぐ下に公園の入口があるにもかかわらず、さっきの野外ステージまで一本道となっているのだ。なんだこりゃ。
結局、慌てて入口までよけいに走ることになるのであった。強制トレイルランはぜんぜん楽しくないです。
ちなみにヤマビルはまったく現れず。忌避剤が良かったのだ、と思っておこう。足はまだ酸っぱいけど。

バスで本厚木駅に戻ろうと思っていたら、伊勢原駅まで直接行けるバスがあることがわかって予定変更。
なんだよ、バーベキューやアスレチックを見る余裕があったじゃねえか、と思うが、まあしょうがない。
しばらく待ってバスに乗り込み、伊勢原駅の手前で降りてバスを乗り換える。ここからは恒例の神社めぐりだ。
相模国の一宮は寒川神社で、これはすでに参拝を済ませている(→2014.8.11)。そして二宮の川勾神社、
総社の六所神社も3月に参拝している(→2018.3.11)。本日は、相模国三宮と四宮を一気に制覇するのだ。

まずは三宮である比々多(ひびた)神社から。しかしこの神社、バスのルートがいくつもあってなかなか複雑。
今回は面倒くさいが、道灌塚というバス停から20分ほど歩くことにした。住宅と農地が入り混じる中を西へ行くと、
平地が終わって山にぶつかる。比々多神社はその山の端っこ、高台のような位置に鎮座している。実に神社らしい。

  
L: 比々多神社。平地からカーヴして山へと上る途中にある。参道がしっかり曲がっているうえに斜めに入る珍しい構造。
C: 右手は駐車場兼お車祓所。この奥が社務所。  R: 境内の様子。真ん中にある木がそのままなのが、歴史を感じさせる。

比々多神社は昔から聖地だったようで、大山信仰(→2017.5.3)と結びついて確かな地位が確立されたようだ。
実際、参拝客が絶えずやってきていたのが印象的だ。昔の人にしてみれば大山の手前にあり畑を見下ろすいい場所だが、
現代人の感覚からすると行くのが少し面倒な位置にある神社である。人気があるんだなあと感心したのであった。

  
L: 境内左手には鐘楼。本来なら寺のもので、神社にはない。つまり神仏習合を意味する。大山との絡みかな、と思う。
C: 拝殿を正面より眺める。やや平面的な印象。千木も鰹木もなくって、やっぱり寺のお堂に近い建築様式である。
R: 奥の本殿の方を覗き込んでみた。どうやら覆屋となっており、本殿は中に入っている模様。違ったらすいません。

御守を頂戴すると、バスの時間が合わなかったので、結局さっきの道灌塚まで戻ることに。いい運動と思っておこう。
道灌塚でも余裕があったので少し下ってみたら、大山阿夫利神社の二の鳥居があった。もうあれから1年経ったのか。
まだそのときの日記を書けていないのが情けない。いいかげんちゃんとしないとなあ、と反省するのであった。

 大山阿夫利神社の二の鳥居。1年経つのに大山参りの日記を書けていない……。

伊勢原駅に戻ると昼飯をいただく。栄養を補給しながら考えた結果、いったん本厚木駅に戻ってからバスに乗ることに。
その方がどうも、相模国四宮を参拝するには都合が良さそうなのだ。レンタサイクルがあれば一気に解決できるのにねえ。

というわけで結局、スタート地点である本厚木駅に戻ってからバスに乗る。なんとも間抜けな気分がする。
バスは本厚木駅からまっすぐ南へ下っていくが、大量の客が乗り込んでくる。そんなにメジャーな路線なのかと思う。
その名も「前鳥神社前」というバス停で下車したが、降りたのは僕だけなのであった。降りるのがなかなか大変だった。
さて、この前鳥(さきとり)神社が相模国四宮である。バス停から東へ行くとちょうど側面、拝殿の前に出る感じになる。
せっかくなのでいったん南の表参道入口まで遠回りして参拝したが、これがなかなかの距離だった。規模の大きい神社だ。

  
L: いったん南端の参道入口まで行ってみたが、参道はしっかり距離がある。やはり規模の大きい神社なのだ。
C: 参道を進んでここからはっきり境内に入る感じ。  R: その右手には鐘楼。こちらも神仏習合の影響ありか。

前鳥神社は場所としては相模川の右岸、実は相模川を挟んで寒川神社のわりとすぐ南西にあって、意外と近いのだ。
ただ、寒川神社周辺が農地と住宅で穏やかな雰囲気なのに対し、こちらは平塚ということで道路が大きく交通量が多い。
といっても前鳥神社は工場の並ぶ平塚の中心部から少し離れており、住宅が緩衝地帯を形成している感じである。
前鳥神社の周りにはしっかりと木々が残っていて、開発が進む中でも大切にされてきたのがよくわかる立地なのだ。

  
L: 前鳥神社の境内の様子。平塚は工場が多くて交通量も多いが、この辺りは住宅に囲まれて非常に穏やかである。
C: 拝殿と授与所。  R: あらためて正面から眺めた前鳥神社の拝殿。こちらは神社らしい神社となっている。

前鳥神社の拝殿の東側には「神戸(ごうど)神社」「奨学神社」という2つの境内社があり、そちらも参拝する。
奨学神社には菅原道真が祀られており、主祭神の菟道稚郎子命は日本で初めて漢籍を学んだ人物ということで、
前鳥神社は勉強方面にご利益ありということでがんばっているようだ。ちなみに東日本で菟道稚郎子命を祀る神社は、
この前鳥神社だけだそうだ。菟道稚郎子命は兄・仁徳天皇に帝位を譲った人物で、宇治系の神社の祭神であるという。

  
L: 拝殿向かって右の神戸神社。天照大神とスサノオを祀る。  C: その右隣に奨学神社。  R: 中には無数のダルマが。

御守を頂戴すると、拝殿の脇からバス停方面に戻ろうと境内を出る。と、駐車場の奥に祭壇があるのに気がついた。
どうやらこちらも車の交通安全は駐車場でお祓いするようである。神奈川の文化なのかな、と思うのであった。

  
L: 前鳥神社の本殿。  C: バス停に近い側面入口。ちなみに社号標には「前取神社」とあった。  R: 駐車場の奥に祭壇。

参拝を終えるといよいよサッカー観戦なのだ。前鳥神社から西へと歩き、国道129号を越えると雰囲気は工業地帯。
車がやたら多いけど道幅は狭くて、少々怖い思いをしながら平塚市総合公園に到着。売店をチェックしつつ入場する。

本日のカードは湘南×仙台である。観戦を決めた時点では3バックを採用した仙台が非常に好調だったのだが、
ここにきて6戦勝利なしと失速中。仙台の強さをチェックするつもりだったはずが、なんともションボリな展開である。
というか、どうも今年のJリーグは例年以上の混戦ぶりが凄まじい。昨年降格危機だった広島の快進撃が不可解だし、
ペトロヴィッチ体制がハマった札幌も絶好調。そしてその一方で横浜FMは大荒れ模様であるし(→2018.4.15)、
名古屋に至っては開幕時の好調さ(→2018.3.11)はどこへやら、最下位を独走している有様である。なんなんだ!?
ちょっと前まで好調だったクラブが暗転し、ちょっと前まで名采配を見せた監督が解任を取り沙汰される。そんな印象。

  
L: はっきりと3バックの仙台。確かにその分だけ中盤から前に人を多く割くことができており、安定した戦いぶりだった。
C: 仙台がよくボールを保持して攻める。湘南のプレスも確かに甘かったが、仙台は選手間の連携が非常にスムーズだった。
R: 開始3分に仙台が先制。右サイドからの折り返しをフリーになっていた野津田が決める。湘南の守備は何をやっていたのか。

試合が始まると、あっという間に仙台が先制。6戦勝利なしというわりには動きがいいなと思ったら、野津田が決めた。
その後の展開を見ていると、まあ仙台が良いというよりは湘南が悪すぎる印象。とにかく動きが重たいのである。
僕の後ろの席に陣取った連中が、仙台サポの男女とその知り合いの湘南サポ男性という3人組だったのだが、
いろいろしゃべってうるさいんだけど見る目は確かで、何より選手の悪口を絶対に言わないのがすばらしかった。
で、彼らが指摘していたのが、湘南の右サイド・高山の不調だ。かつての高山はスピードにモノを言わせてぶっちぎる、
それが最大の持ち味だったそうだ(僕が湘南に興味を持った2014年は、高山が柏に移籍していたのでよく知らない)。
でもこの試合の高山はサイドで敵陣の深い位置に入り込むことがまったくできず、その分だけ湘南の攻撃は停滞。
逆に仙台はテンポよくパスをつなぎ、J1らしい隙の少ないプレーをきちんとやってしっかり優位に立っていた。

 さらにPKで仙台が追加点を奪う。このPKで以後のジャッジが難しくなったなあ。

試合は合計で3本のPKが与えられるという不安定なもので、後ろの連中はジャッジのバランスについて語っていた。
カードを要求する幼稚な声をあげる者とは対照的に、判定の基準について冷静に論じる彼らはさすがなのであった。
さてそんな彼らも驚嘆していたのが、仙台のFW石原の技術だ。石原は湘南でプロのキャリアをスタートしており、
この日も拍手で迎えられていた。石原というと黄金時代の広島での活躍が印象的だが、その実力はやっぱり本物。
前線でボールを収めて確実にキープし、絶対に奪われることがない。湘南が後手にまわった最大の原因は彼だろう。
そしてこの日は上空をかなり強い風が吹いておりボールが安定しなかったが、それも足元にきれいに収めてしまう。
こんなプレー、素人にできるわけがねえ!と思わされるプレーを連発していた。いやー、いいものを見させてもらった。

  
L: 仙台の石原がとにかく上手かった。ボールは絶対に失わないし、強風に翻弄されるボールも足元にピタリと収めるし。
C: 後半アディショナルタイム、カウンターのロングボールに抜け出した西村がダメ押しの3点目を決める。勝負あり。
R: ゴール裏のサポーターと喜ぶ。6試合ぶりの勝利なので喜びも一入か。でもサポーターは中指立てちゃダメよ。

湘南は日程的に厳しいものがあったそうで、精彩を欠いたのはやむをえない面もある模様。でも曺監督は認めないわな。
「湘南スタイル」とは言うが、僕がスタジアムで観戦した限りでは、J1相手にきちんとやりきった試合を見たことがない。
やはりそれだけJ1とJ2の間には大きな差があるということなのだ。でもちょっと気を抜けばどこも降格する可能性がある。
そしてJ2はJ2で確実にレヴェルが年々上がっている。これは日本のサッカーは底上げが進んでいるということなのか?
エレヴェーター湘南のだらしなさ、なんだかんだJ1に定着している仙台の狡猾さ、高山と石原のパフォーマンスの差、
さらには横浜FMや名古屋などオリジナル10の苦戦、そういったものを踏まえて総合的に考えてみるが……、うーん難しい。


2018.5.5 (Sat.)

今日は一日完全にオフである。いや、もともとGWはオフなのだが、予定を一切入れないということで完全オフ。
しかしそういう日に限ってどこかへ行きたくなる快晴なのね。もったいないけど遠出は明日するのでしょうがない。

午前中は御守の物理的な整理に勤しむ。撮影の終わった御守を、各種データを記入したビニール袋に入れて保存する。
以前は壁一面に貼っていたが、思いのほか紫外線に弱くて変色してしまう御守が多く(メーカーでかなり差があるのだ)、
現在は予備のあるものに限って壁に貼っている状況である。まあそもそも量が増えすぎて貼りきれなくなってきたし、
保存方法を変えるいいタイミングだったと思っておこう。しかし収集癖というのは困ったものだと心底実感している。

午後は昼メシを食いがてら有楽町へ買い物に出る。本屋と東急ハンズと無印良品という3つの目的があって、
それを定期券で満たそうとしたら有楽町という選択肢になるのである。異動してから有楽町頻度が増えている。
本屋はあまり惹かれるものがなくて何も買わずにスルー、東急ハンズでは御守の保存に関係する物の買い足し。
無印良品は10%割引週間なのでいろいろ買おうと思ったが、まさかのスルー。ボタンダウン以外のシャツが貧弱で困る。
あっさりと戻ってくると、そのまま夕食まで御守の整理を続ける。あらためて膨大な量があることに自分で呆れる。

夜はドラッグストアで買ってきたウェットティッシュを利用して掃除を開始。埃っぽさが見事に解消されていい感じ。
今までこんな便利な道具があることに気づかなかった自分はいったいなんなんだろうか、と愕然とするのであった。
ウェットティッシュで埃を拭き取りモノを移動させながら断捨離を進めていくというスタイルが確立されると、
何年間も手をつけていなかった部分が劇的に整理されていって実に快感である。これは平日も時間を決めてやりたい。

整理すべき箇所があまりにも多いので、表面的にはそんなに片付いていないものの、下ごしらえは十分できた感じだ。
あとはこれを継続的にやっていくのが肝要である。その習慣のきっかけづくりとしては悪くないGWだったと思う。


2018.5.4 (Fri.)

GWということで、ふだんなかなか乗り気にならない作業を一気にやってしまうのである。
午前中は昨夜から取り組んでいる、デジカメ画像データのバックアップ作業。2015年から飛躍的に量が増えて、
これがもう本当に厄介。しかしやっておかないと、いつか後悔する日が来るかもしれない。根気よく続ける。

午後は部活。コーチがテンポよく指導してくれるので助かる。今日もゲームに入ったが、やっぱり動けない。
ボレーは1個決めたけど。動けないのとグラウンドが狭いのと攻めたがる生徒が多いのとで自然とCBをやっているが、
いまだに自分の適性のあるポジションがどこなのかよくわからない。運動量があった頃ならSBとか向いていたのかも。
中学生のときのサッカーの授業ではパスカットの鬼だったので自然とアンカーになっていたけど、どんなもんだか。

夜はいよいよ部屋の片付け作業。夜にやるなよとツッコミが入りそうだが、昼間の明るいうちは集中できないのね。
『家政夫のミタゾノ』の時間ぐらいまで作業を続ける。このドラマは時間帯がいいからか今シーズンはぜんぶ見ているが、
脚本の丁寧さに本当に感心する。きちんと手間をかけてつくっているのがよくわかるから好感が持てるのである。
あとは主演の松岡メンバーがんばれと。うん、結局オチはそこだぜ。


2018.5.3 (Thu.)

天気が悪いという話だったので、午前中は集中して御守の撮影に勤しむ。明るすぎるとダメなのよね。
ボーッとしているうちにけっこうな量が溜まっており、カメラの電池が切れるまで黙々と撮影を続ける。
ところがだんだんと窓の外は明るくなってきて、気がつけば、これはもう明らかに晴れなんじゃないの?って塩梅。
天気予報では嵐になるかも、なんてトーンだったのに、良い方に大ハズレして正午を迎えるのであった。

で、午後は部活である。コーチの先生の希望により、クソ重いゴールを動かしてサイドを広くしての練習。
最後のゲームには僕も久々に参加したのだが、まあ体が動かないこと。徹底したリハビリが必要である。困った。

いざGW後半戦に突入すると、いちおう時間を有効活用できてはいるものの、それでも時の流れは容赦がない。
やりたいことややるべきことがあまりに山積みで、4連休だけでは消化できない量になってしまっているのだ。
取捨選択してテンポよく気分転換しながら、できるだけ効率よく動いていくしかない。試されるGWである。


2018.5.2 (Wed.)

今日も今日で忙しかったぜ! 英語の授業は3学年分それぞれにやり方が違うので様子を探りながらだし、
そろそろ移動教室の計画を練らなきゃならなくってその下見の計画を正式に動かして予定を立てるし、
極め付けは部活動保護者会なのだ。話し合っているうちに結局、2ndユニフォームを部で所有することに決定。
昨年と違ってありがたくご協力をいただいたうえでの長時間の検討だったのでむしろうれしいくらいだが、
それはそれとしてエネルギーをだいぶ消耗したのは事実である。働くって本当に大変ね。


2018.5.1 (Tue.)

トイレが詰まって大洪水! 用務主事の皆様には多大なるご迷惑をおかけしました。旅行のお土産、奮発します。
それにしても、トラウマというほどではないものの、なかなかショッキングな経験であった。思い出すと背筋が。
今後、用を足してちょっと流れが悪いときにあの瞬間がフラッシュバックするんだろうなあ。いやだなあ。


diary 2018.4.

diary 2018

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