なぜか沖縄・奄美と関東だけが梅雨明けしているという不思議な状況である。こんなことってあるの?
まあ沖縄に関しては、先週私が訪れたことで梅雨が明けたのだが(ということにしておくのである)、
関東に戻ってきてこっちも梅雨明けってのは、さすがにちょっとふざけている。部活がつらいんだよ!というわけで、今日も午後に部活。とんでもない快晴ぶりに加え、湿度が微妙に残っているのがつらいところだ。
水を撒いてもあっという間に乾いてしまう。職員室の製氷機にある氷をボトルにガンガンぶち込んでいく。
最終日とはいえ6月からコレかよ……と、来たる夏休みに恐れおののくのであった。いや、これは本当に厳しい。
日本×ポーランド戦の総括。ここまで書いてきたとおり、日本が決勝Tに進出しようがしまいが知ったこっちゃない。
応援は、しない。ただし、「負けちまえ!」的なことは考えない。ニュートラルに試合を見る。それだけである。日本はセネガル戦同様、縦に入れさせない守備をきちんとやっている。ちゃんとやっとりゃ失点しない感じ。
ただ、スタメンを6人替えたこともあってか、攻撃は迫力がない。一方、ポーランドは組織的な感じがない。
GL敗退が決まっているからやる気がないのか、いつでもカウンターで得点できると日本を舐めているのか、
どうなのかよくわからない。せめて1勝したいのが人情だろうけど、個による散発的なサッカーという感触。
そうこうしているうちにFKから日本があっさり失点して、そのまま時間が進んでいくのであった。GL最終戦最大の魅力は、同時進行する2つの試合を追いかけることだ。これはJリーグの最終節もそう。
(J1最終節は、スタジアムも悪くないがTV中継で楽しむに限る。→2005.12.3/2012.12.1/2013.12.7)
W杯は2つの局がそれぞれに中継してくれるので、それをザッピングしながら見ていくのがたまらないのである。
昨日はメキシコ×スウェーデン戦からスタートしたのだが、終盤に韓国×ドイツにチャンネルを変えたら、
まあ恐ろしいことになりよった。ドイツにとっては悪夢でしかない展開だよなあ。VARは歴史を変えるか。やがてグループHのもうひとつの試合で、コロンビアが得点したというニュースが入る。
これによって日本は、このままセネガルがコロンビアに敗れれば、ポーランドに0-1で敗れてもOK、となる。
すると急にこちらの試合がペースダウンし、後半37分に長谷部が入ってパス回しが確定した感じに。
ポーランドもGLでの1勝が保証された格好になったのでご相伴。僕はセネガル×コロンビア戦にチャンネル変更。
必死の形相で選手を鼓舞するシセ監督。セネガルが意地の一発を決めれば、日本のパス回しは世紀の愚策となるのだ。
僕としては、やっぱり選手が一生懸命にサッカーをプレーしているところを見たいのである。
日本の選手たちも脂汗を垂らしながら別の意味で一生懸命にサッカーをやっているのは痛いほどわかるのだが、
それは僕の見たいものではないのだ。いま目の前の試合でない試合にすべてを賭けるのには、違和感がある。
セネガルの選手たちは目の前のコロンビアだけでなく、日本からのさらなる敵視を浴びつつ懸命に走っていて、
それがなんとも切ない。一生懸命にやっている選手やイケメンのシセ監督を応援したらいけない、という矛盾が苦しい。
今までにない、得体の知れない時間はすぐに終わり、日本は決勝T進出を決め、セネガルはGL敗退となった。今回の時間稼ぎのパス回しについて、サッカーの厳しさを知っている人ほど肯定的だし、それは当然のことと理解できる。
が、僕自身の中に、釈然としない気持ちは持っておきたい。また今回のパス回しに批判があることこそ健全だとも思う。
セネガルが得点する可能性は、(低いと日本のスタッフが西野監督に報告したんだろうが、)ゼロではない。
そこに頼ってほしくなかった。自分を利するために他を貶める、その要素を含む行為だから、素直に納得したくないのだ。
「日本勝て!」と応援するのではなく、「セネガル負けろ!」と祈らないといけない状況が、倫理的に情けないのである。
(だからパス回し肯定派にもわずかでいいので「後ろめたさ」は感じてほしい。「少し後ろめたいが、あれでいい」と。)
西野監督の視点からすれば、大きな賭けに勝った格好だ。これは単に、決勝Tにコマを進めた、というだけではない。
スタメンの大半を休ませ、サブに試合勘を持たせ、しかも使えない選手の洗い出しができた。そこまでの成果を得た。
結果論だが、まるで針の穴を通すようなことを見事にやってのけている。そこには素直に脱帽するしかない。これで日本はベスト16入りを果たしたわけだが、僕はうれしくもなんともありません。非国民でもありません。
まあそもそもが教員としては、どんなに西野監督や選手ががんばっても、やっぱりハリルホジッチ解任を許せないわけで。
担任が厳しくてイヤだからって理由で、親を通して教育委員会へ文句を言って圧力をかけて担任をはずしたってことだろ?
そんなの認めて結果だけで喜んでいるようじゃ、日本国民はいつまでもガキである。冷静さが必要だよね。
(ハリルホジッチで負けた場合も想像して、「教える内容がいくら正しくても生徒がやる気にならないとダメだよね」と、
反省しておいてこそ、フェアで冷静ってことかもしれない。いずれにせよ、次につながる教訓を得ることが大事なのだ。)
いきなり夏風邪である。昨日の夜からメシが上手く消化できない感じで変な苦しみ方をしていたのだが、
そのうち全身を触られる感じの悪寒に完全にやられてしまった。ああこりゃ明日は夏風邪だわ、と自覚して寝る。仕事に行かないと現場が混乱することは見えていたので、あえて早めに出発し、できるだけ無理せず通勤を試みる。
そうして学校に着くと更衣室で横になって仮眠。自分でも涙ぐましいほどの責任感ある社会人っぷりである。
で、時刻がくるとサッと起きて当番の仕事をこなし、気合いでリスニング流しと質問対応と試験監督をやる。
どうにか混乱は回避した。正午をまわったら帰り、餃子定食で栄養分を補給すると、あとはただただ眠りこける。起きたらポーランド戦の前半15分ぐらいだったので、横になったまま観戦。内容に悪態をつくぐらいには元気が出る。
パス回しが始まったので、こりゃしょうもねえやとチャンネルを変えてコロンビア×セネガル戦を見届けて就寝。
詳しいことは明日の日記で。
山種美術館に行ってみた。『琳派 ―俵屋宗達から田中一光へ―』ということで、またまた琳派。
客はジジイとババアがたいへん多く、平日の午後だってのに大盛況。みんな琳派大好きね。オレもだけど。
しかしあらためてじっくり見てみると、抱一から其一へは一気に解像度が上がる感覚があるのが面白い。
其一は師匠にはない華やかさを持っていて、師匠が全体の構図にこだわるのに対し、其一は細部にも力を込める。今回の展示で最も興味深かったのは、菱田春草を琳派の系譜に置くという発想だ。
確かに『月四題』の墨の引き方は琳派のやり方だ。でも彼はそれ以外を広げていった人だからなあ、とも思う。
春草といえばわが飯田市の誇る画家なので贔屓目もあるけど、展示されていた近代の作品では図抜けていた。
結局のところ、琳派が目指したのはデザインの方法論の蓄積なので(→2016.10.12/2017.10.31)、
その価値観を少しでも採用した作品はすべて琳派の系譜に入っちゃうのである。それはそれで楽しい美術運動だ。最後にちょろっと田中一光の作品。本人が琳派を意識した作品をいくつも残しており、文章で言及もしている。
これはせっかくだから、もっとしっかり紹介してほしかったところである。「デザイン」というキーワードから、
琳派の価値観と田中一光の仕事の共通項を掘り下げていく。もうこれだけでひとつ企画展が打てるではないか。今回、山種美術館を初めて訪れたのだが、なかなかいい絵もってんな!というのが感想である。
展示されている作品のかなりの割合が山種美術館の所蔵で、派手さはないけど確かな目を持っている印象。
ミュージアムショップのヴァリエーションを上手く広げてくれると面白いことになってくるのではないか。
問題点は、行くのがとにかく面倒くさいこと。恵比寿駅から炎天下の坂道を歩くのが面倒くさかったです。
今日からテストだが、とにかく呆れた。というのも、教科書だかワークだかを片手に登校する生徒がいっぱいなのだ。
テスト監督の際、思わず「お前ら本当に頭が悪いな!」と毒づいてしまったよ。物事を短絡的に考えるやつが多すぎる。勉強ができる人間から言わせてもらうとですね、テスト当日というギリギリになってまでやっていること自体がバカ。
ギリギリまで教科書やワークを見たって、その問題しか頭に入らないだろう。全体から見れば、ほんの知れた程度だ。
ふだんから勉強をちゃんとやっていれば、当日慌てる必要はまったくない。当日はコンディションを整えるのみである。
だからむしろ、リラックスすることを考える。しっかりリラックスして、実力をすべて発揮させることに集中するのだ。
必要なのは、余裕である。ギリギリまで教科書を見ているってのは余裕のない証拠だ。そんなに不安なのかね、と思う。
やるべきことをぜんぶやったという自信のある人間は、そういうみっともない行動は絶対にとらないもんね。
でもその事実に自分で気づけないからバカなのである。頭のいい人間はそんなこと、生まれながらに知っているものだ。
一方、バカは教科書片手に登校して、自分は一生懸命勉強している気になっている。そういう自分に酔っている。
そうして交通事故に遭うリスクを増やしていることに気づいていない。自己満足が他人に迷惑をかけることに気づけない。
ちょっと考えればわかることがわからないのはバカである。そういう生徒が年々確実に増えているなあ、と感じた朝。
東京では考えられない日焼けで全身が赤黒くなっていて、これはもう、ごまかすことなどとてもできないのだ。
「市役所を見るために週末一人で沖縄へ行ってきました」という“恥ずかしい”告白は絶対にしたくなかったのだが、
他ならぬ僕自身の身体が(あっちこっちへ落ち着きなく動くけど)動かぬ証拠なのである。言い逃れは不可能だ。
というわけで、しょうがないので紅芋タルトを配ってまわる。予想どおりの反応をされていたたまれない気持ちになる。
なんなんすかね、この沖縄の「特別感」って。リゾート以外の要素がゼロのごとく、自他ともにふるまうじゃないすか。
別に沖縄に佐渡島と同じような日常を求めたっていいじゃん、と思うんですけどね。なんか、周りが許してくれない。
まあ佐渡島にしろ淡路島にしろ小豆島にしろ猿島にしろ、「島」ってのは少なからずリゾートな何かがあるんですかね。◇
日本×セネガル戦。勝てば決勝T進出が決まるが、やはり積極的に応援する気にはまったくなれない。
まあそれはそれとして客観的に試合を見るチャンスと思うことにする。EUROと同じような気持ちで見ることにする。第一印象は、日本の個の力は確実に上がったということ。やはり海外組(スタメンの国内組は昌子のみ)はふだんから、
世界のトップレヴェルでやってんだなと実感させられる。特に段違いに思えたのは守備だ。コースの切り方が上手い。
相手がドリブルで抜けるにしてもパスを通すにしても、簡単にはやらせないポジションをきちんと押さえている。
ポジション取りは一瞬で決まるものだが、その一瞬の判断でつねに優位に立っている。今まで海外サッカーでしか見ない、
隙のない一瞬のポジション取りを日本の選手が当たり前のようにやっているのを見て、これは上達していると実感。
しかもアフリカ勢相手にぜんぜん当たり負けしていない。がっちりと対等に戦っている。それが当たり前に見えている。
W杯のアジア予選はあれはあれで死闘だが、まったく別世界のセンスが要求されるサッカーに日本の選手が対応している。結果は2-2ということで、決勝T進出は次戦に持ち越し。ただ、ポーランドが2連敗でGL敗退が決定したのは意外だった。
それにしても、セネガルのシセ監督のイケメンぶりがとんでもない。アフリカ系には引き締まった良さはあるが、
私はモンゴロイドなので、そこまで魅力を感じているわけではない。コーカソイド系もしかり。女性はまた別だけどね。
ところがシセ監督は、こりゃもう文句なしにかっこいいのだ。知性と野性味がドレッドヘアの先から爪先まで溢れとる。
スーツ姿のベッカムも印象に残っているが(→2010.6.23)、あれ以来の凄まじいかっこよさ。本物のイケメン様じゃ。
沖縄最終日(実質2日目だけど)は、地獄のサイクリングなのだ。暑さ対策をすれば大丈夫だろうと高を括っていたが、
やってみたら凄まじい地獄なのであった。灼熱地獄に加えて無限の起伏が襲いかかる。これは本当にオススメできない。
ともかく、朝に那覇の自転車屋で自転車を借りた時点では、そんな地獄が待っているとは想像できなかったのだ。
でも冷静に考えるべきだったんですよ、観光都市である那覇なのにレンタサイクルの店がほとんどない理由を……。朝7時過ぎ、美栄橋駅に近い自転車屋からスタートすると、目指すは南城市役所なのだ。これサラッと書いているけど、
地図を見てもらえばわかるとおり狂気の沙汰である。南城市は沖縄本島の南東端。だいたい13kmほどの距離がある。
しかしスタートしたばかりの僕はテンション高く、「せっかくだから途中の旧大里庁舎にも寄ってやるぜ!」と、
勢いまかせにペダルをこぐのであった。昨日の日記でも書いたように、沖縄の道は国道レヴェルの幹線道路でも、
起伏が激しくカーヴも多い。きれいに矩形になっている街区などほとんどないのだ。3次元的な移動を強いられる。
ふつうなら、起伏のある土地には等高線に沿って道がつくられるはずなのに、沖縄ではその感覚は皆無といっていい。
直進するわけでもなければ起伏を避けるわけでもない、意図の読めない曲がりくねった道が延々と連なっているのだ。
結局、スマホを確認しながら走ること1時間半で旧大里庁舎に到着。僕の感覚だと自転車で10kmは40分なのだが、
倍以上の時間がかかったことになる。南城市役所の新築移転で旧大里庁舎は閉庁済みっぽい。何しに来たんだか……。
L: 南城市役所の旧大里庁舎。新しい市役所へ行く途中にあるので寄ってみたのだが、ここまで時間がかかるとは……。
C: 南東にくっついている総合保健センター。 R: こいつら周囲よりちょっと高いところにあるのだ。本当に疲れた。近くのスーパーで一休みすると、南城市役所の新庁舎に向けて進軍を再開する。が、またしても問題が発生する。
そのまま県道86号を突き進んでいったのだが、すぐ北にあるはずの南城市役所新庁舎に出ることができない。
ふつう道を進んでいくとどこかに交差点があって、2回曲がれば並行している道に出ることができるはずなのだ。
あみだくじのようなものだな。が、沖縄にはその交差点がないのである。道路じたいが袋小路になっている感じ。
スマホを頼りに細い道を強行突破しようとしたら、なぜか丘の上の行き止まりにたどり着くし。絶望的である。
L: 車道をはずれるとすぐにこんな感じの道になる。 C: 丘の上の行き止まりで途方に暮れる。 R: 現実逃避する。結局、県道に戻ってゴルフ場の脇を大きくカーヴして市役所へ。そのカーヴもアフリカマイマイの貝殻だらけで……。
南城市役所の新庁舎にたどり着いたときにはさらに1時間が経過していたのであった。ひたすらつらかったなあ。
L: 南城市役所。建材の感触は平成っぽさがあるが、やはりデザインとしては格子を感じさせるなあと思う。
C: 東側の側面。 R: 南東から背面も眺める。南城市役所の南側は崖となっており、その下を県道が通るわけだ。というわけで南城市役所である。そもそも南城市は佐敷町・知念村・玉城村・大里村が合併して2006年に誕生した。
合併後は旧玉城村役場を南城市役所としていたが、今年5月にこちらの新庁舎が完成。移転したてのホヤホヤなのだ。
プロポーザルで設計者を選定したようで、設計は国建・総合設計玉城JV。昨日に続いて今日も国建の名前を聞くとは。
L: そのまま背面をまわって南西から眺める。 C: 西側の広大な駐車場から見た側面。 R: 北西から見たところ。南城市役所は4階建てだが、その4階に議会が入っている。正面から見るとその4階ガラス窓がかなり目立っているが、
これは災害時に光源とすることで避難先としての目印になるように意図したそうだ。高台にあるのでわからんでもないし、
広大な駐車場も用意されているけど、アクセスがこれだけ悪けりゃどうにもならないんじゃね?とツッコミを入れたい。
L: 正面から見たところ。議会の入っている4階の大窓が確かに特徴的だ。 C: 少し角度を変えて眺める。
R: エントランス。昨日も思ったんだけど、沖縄県の市役所ってピロティを使ってアプローチするのが好きなのかな。中を覗き込んだら何やら式典準備の真っ最中。竣工から1ヶ月経っていないこともあり、まだまだ落ち着かない雰囲気。
撮影を終えると次の目的地へと急ぐ。今日はのっけから大きく予定が狂ってしまった。できる限りで取り返さないと。沖縄の樋川(ヒージャー)群はヘリテージング100選になので、その代表として垣花(かきのはな)樋川に行ってみる。
「ヒージャー」で検索するとヤギが出てくるが、このヒージャー(樋川)は湧き水を水路で引いて水たまりにしたもの。
垣花樋川は、先ほどのゴルフ場脇のカーヴから東へ下っていったところにある。最後は石が敷かれた坂を下るが、
やっぱりでっかいアフリカマイマイがいるのね。勘弁してくれい、と思いつつさらに下ると緑に包まれた池に出た。
L: 垣花樋川へ行く通路。うーん熱帯。 C: 垣花樋川。子どもたちが水遊びをしていた。 R: 男が使ったイキガンカー。池には水が流れ込むルートが2つあり、向かって左上がイナグンカー(女の川)、右がイキガンカー(男の川)という。
イキガンカーは2段になっており、途中の小さな水たまりはンマミシガー(馬浴川)と呼ばれ、馬を洗うのに使った。
池全体はシチャンカー(下の川)と呼ばれ、水浴び・洗濯・野菜洗いに利用された。今でも名水百選でちゃんと飲める。
ちなみに地元住民は、和名集落のカー(湧泉・川)ということで「ワナガー」と呼び、垣花樋川とは呼ばないらしい。
L: 女性向けのイナグンカー。奥の石で囲まれた場所で沐浴をするそうで。流れ出た水は手前側に迂回して池へ。
C: 中はこんな感じになっている。 R: 角度を変えて眺める。このように湧き水を水路で引いてきているのだ。垣花樋川を後にすると、せっかくなので、ちょっと前まで南城市役所の本庁舎だった旧玉城村役場を訪れることにする。
国道は交通量が多そうなので一本北側の道を進んでいくが、そこはまあやはり沖縄ということで起伏のあるキツい道。
素直に国道を走った方がよかったかなあ、と思いつつペダルをこいでいると、目の前を何かが素早く通り過ぎていった。
見たことのない動物だが、はっきりと5本指が見えた気がして「小人!?」と思ってしまう。そんなはずはないのだが。
カメラを構えて地面の枯れ草の中に身を潜めるその動物に近づくと、そこにはなんとも奇妙な顔をしたネズミがいた。
後で調べてみたらリュウキュウジャコウネズミというらしい(沖縄方言ではビーチャー)。われながらよく気がついた。
L: リュウキュウジャコウネズミ。 C: 鼻が異様に長いが、ほかはどことなく子猿っぽい。 R: 奥武島(おうじま)を望む。じっとりとした坂道を上っていくと、その途中に旧玉城村役場がある。付近には陸上競技場、体育館、中央公民館、
さらに小学校や中学校まであり、この一角に公共施設がまとめて整備されたようだ。しかしかなり起伏がある土地で、
あまり余裕を感じさせない密集ぶりとなっている。1994年竣工の旧玉城村役場も全容がつかみづらい建物である。
L: 旧玉城(たまぐすく)村役場。さっきの南城市役所が完成するまではこちらが市役所だった。
C: 幅の狭い坂道にあるのでとにかく撮影がしづらい。意地でエントランス付近を撮影。 R: 正面。
L: 南西側から側面を見る。 C: 北から見た背面。 R: 駐車場越しに北東から見たところ。これまで沖縄モダニズムというくくりで市役所建築を評価することが多かったが、旧玉城村役場はダメな平成建築。
キッチュ全開な表側と何の工夫もない背面と、褒める要素がない。狭くて高低差のある敷地で難しいのはわかるが。
L: 中を覗き込む。 R: エントランス脇にいた野良猫に猫じゃらしを見せる。沖縄の猫はあまりフレンドリーではない模様。時刻は11時半になろうというところ。当初の予定ではこのまま沖縄本島南部の市役所を攻めるつもりだったが、
さすがにもういいかげん自転車で島を突っ切って動くことには懲りたので、北へ向かって浦添市役所をターゲットとし、
そこから国道で那覇へと戻るという作戦に切り替える。そうして今のうちにがんばって広範囲に動いておくことで、
次回の行動範囲を南部に集中させるわけだ。那覇・豊見城・糸満の各市役所はまた今度。いつになるかはわからんが。起伏はあるし曲がりくねっているものの、比較的まっすぐ北へ行ける県道があるので、聖クララ教会を次の目標に設定。
そう、県道と国道だけを選んで走っていけば、派手に道に迷うことはないはずだ。スマホでこまめに確認しつつ北上。
そうしてどうにか与那原町に入り、国道329号に出る。そこからすぐに坂道に入り込んで与那原町役場へ向かう途中に、
聖クララ教会ことカトリック与那原教会がある。こちらはDOCOMOMO物件(100選)ということで訪れたのだ。
1958年竣工で設計は片岡献。遠慮して外観のみの見学としたが、わりと気軽に中を見せていただけるみたい。しまった。
L: カトリック与那原教会(聖クララ教会)入口。 C: 敷地内はこんな感じ。 R: 南西側より。
L: 思わず「おお!」と唸ってしまった。これは沖縄モダニズムの最も端正な事例では。 C: 近づいてみる。
R: スロープを下って側面を眺める。中から見るとこちらのステンドグラスがいちばんの見どころ。いやあ、しまった。
L: スロープの下から見上げる。 C: 北側のエントランス。 R: 北の眺め。丘の上にあるので景色がよい。こうやって日記を書いていて、なぜ内部の見学をお願いしなかったのかとしみじみ後悔しております。
寺や神社だと建物の内部空間は撮影しないのが当たり前なので、その習慣が染み付いているのだろうか。
教会によって対応は本当にまちまちだけど、まずは訊いてみるようにしないと損をするなあと深く反省。せっかくなので与那原町役場。1975年の竣工で、建て替えが決定している。
次の目的地は沖縄県公文書館。最短距離となる県道240号を西へと走るが、やっぱりこれが大きくカーヴする上り坂。
あまりに強烈で足が攣りかけて、途中からはペダルをこぐのを諦めて、自転車を押して歩く破目に。つらくてたまらん。
日差しも容赦ない。坂を上りきったところにあるコンビニでパピコを買うと、まず真っ先に顔に押し付けるのであった。
冗談ではなく、本当にそうしないとヤケドしそうなくらいの勢いなのだ。沖縄は何もかも本土と違うのだと思わされる。落ち着いたところで沖縄県公文書館を眺める。こちらも昨日の沖縄コンベンションセンターと同じく公共建築百選。
竣工は1995年。設計者は沖縄県の業者によるコンペで決められており、国建+エー・アール・ジーJVの案が当選した。
戦前に多くみられたという茅葺屋根の高床式倉庫である「高倉」の集落(ブリグラ)をイメージした建物となっている。
L: 沖縄県公文書館。南東側から見たところ。 C: 正面(東側)より撮影。 R: 北東より眺める。確かに屋根が巧い。ここから西へ行くと、すぐに識名園なのだ。かつて琉球王家で最大の別邸だった庭園だが、第二次世界大戦で壊滅。
その後、復元工事が行われ、2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録された。
入場料を払って中に入ると、そこは沖縄の植生が全開。石造の部分は日本の石垣とは異なる曲線を描いており、
11年前にみやもりとふたりで圧倒された中城の城跡を思いだす(→2007.7.24)。ああ、琉球文化だなあ。
L: 識名園の入口。すでに亜熱帯の植生がやる気である。 C: 園内にて。曲線を描く石垣とねじれる木々が沖縄。
R: 育徳泉。沖縄戦で壊滅した識名園だが、この泉は往時のまま残った。泉の水はかなりきれいで、魚やカニ、イモリがいる。御殿(うどぅん)に上がって一休み。外側の木材は適度に古びて見えるが、中はわりと最近に復元された感触。
奥にある冊封使を迎えた部屋は「一番座」で、それに続いて「二番座」「三番座」などの名前がついているのが面白い。
L: 御殿。軒の庇を延ばして雨風を防ぐ民家の雨端(あまはじ)を採り入れ、チャーギ(イヌマキ)の柱で支えている。
C: 手前から一番座、二番座、三番座。識名園は資料がしっかり残っていたため、往時に忠実な復元ができたとのこと。
R: 池を眺める。「心字池」というそうで、回遊式庭園である点といい、本土の影響を感じさせる部分である。池の方へと歩いてみる。池に架かる石橋は溶岩のような激しい凹凸のあるものやきちんと切り出して組んだものがあり、
こちらは中国風の趣。御殿の対岸にある六角堂も中国風で、琉球・日本・中国のいいとこ取りをした庭園というわけだ。
L: 中国風の石橋。手前と奥で対照的につくってある。 C: 六角堂。こちらは黒い屋根瓦で御殿と差をつけている。
R: 築山付近から御殿と心字池、六角堂を見渡す。風土に適応した基本を持ちつつ他文化を受容するのが沖縄ってわけだ。最後に南側の街を見下ろす勧耕台へ。ここからは海を見ることができないのがポイントだそうで、中国からの使者に対し、
沖縄は島ではあるが海が見えないほど広いんだ、というアピールとなっていたという。また、畑を耕す人々の姿を見せ、
琉球王の徳を示す目的もあったそうだ。「勧耕台」という名前はそこからついたそうだ。今は住宅だらけだけどね。
勧耕台から眺める市街地。かつてこの起伏に畑地が広がっていたのか。
北上して琉球八社の識名宮を目指すが、途中で霊園の脇を通ったので、ちょっと失礼して資料写真を撮らせてもらう。
11年前の日記で書いたように、沖縄と本土の違いで実は大きな要素となっているのは、墓だろう(→2007.7.22)。
墓石を建てるスタイルではなく、はっきりと廟なのだ。斜面を利用して廟が建っているところを押さえておきたかった。
文化の違いを示す社会学的な学術資料ということで、すいませんけど1枚だけ。参考ということで貼らせてください。沖縄のお墓の例ということで。
霊園を抜けると識名宮に出る。昨日のログで普天満宮について書いたとおり、沖縄の神社は熊野信仰の影響が強い。
熊野三山を訪れたときに那智駅近くの補陀洛山寺に参拝したが、その際に補陀洛渡海について書いた(→2013.2.9)。
この補陀洛渡海で運良く沖縄に漂着した僧侶が複数いて、それが琉球における熊野信仰の起源となったという。
補陀洛渡海はかなり衝撃的な話だったが、旅行で実感するとインパクトが違う。知識は繋がるなあ、としみじみ思う。
識名宮の公式サイトによると、末吉宮は熊野新宮、普天満宮は熊野那智、識名宮は熊野本宮に見立てられたそうだ。
なお、識名宮も本殿付近に洞窟があり、社殿はもともとその中に築かれたそうだ。しかし腐食がひどくて外に出たとか。
戦災で社殿は焼けてしまったため、1968年に再建された。拝殿はコンクリだが本殿は木造でどちらも沖縄らしい赤瓦。
なお、授与品は夕方でないと直接はもらえないらしく、後日郵送していただけた。お手数をおかけしました。
L: 識名宮の入口。 C: 参道を抜けると堂々とした拝殿。 R: 本殿裏の洞窟。沖縄の神社は洞窟が重要なようだ。細かい路地に悪戦苦闘しながら北上し、首里城をスルーして、どうにかゆいレールのある県道まで出る。大変だった。
しかしこれからの方がもっと大変なのだ。目指すはこれも琉球八社の末吉宮。航空写真を見るに、完全に緑の中なのだ。
東側のルートから攻め込んだのだが、道は完全に亜熱帯の植生に呑み込まれているのであった。いかにもハブがいそう!
ハブの毒は消化液から発達したものだから組織や細胞をどんどん壊死させていくんだよなあ……とか、考えて怖くなる。
出版社時代に毒の本をつくった経験で、よけいなことばかり頭に浮かんでくるので困る。いや、本当に怖かった。
L: こんな感じの道を行くんですぜ。末吉宮の社殿まで500mくらいある。 C: 社号標。 R: 社務所が見えた!社務所の先には見事な石垣。ぐるりとまわり込んだら黒い柱で持ち上げられた社殿が現れる。末吉宮である。
かつての本殿は石造階段とともに旧国宝に指定されていたが、沖縄戦により破壊される。現在の社殿は1972年の復元。
L: 末吉宮の石造階段。アーチの部分は通り抜けられる。 C: 上っていくとこの光景。美しい。 R: 拝殿と向き合う。さて、事前の情報では末吉宮で授与品を頂戴できるのは正月三が日だけということだったが、理由はわからないが、
この日この時だけはなぜか神職さんがいらっしゃり、御守を頂戴することができた。なんたる幸運! 本当にすいません。
ここで運を使い果たしてハブに咬まれたらイヤだなあ……と思いつつ、帰りもがんばって密林の中を抜けるのであった。
L: 拝殿前から振り返るとこの光景。南から北へと高さを増していく地形とそこを越えていくゆいレールが見える。
C: 本殿の奥。やはり沖縄って感じ。 R: 北側の大名参道。こっちからの方が圧倒的に近いが、そりゃ密林抜けなきゃね。沖縄独特の起伏と複雑な道にだいぶまいっていたのだが、末吉宮の御守を頂戴できたことで勇気百倍である。
自転車を置いておいた路地に戻ると、気合いを入れて再びペダルをこぎだす。目指すはさらに北、浦添市だ。ここで自転車を記念撮影。こいつでよくまあ縦横無尽に走ったもんだ。
末吉宮から先は素直に県道153号を行けばよいので、道に迷うことはない。しかしそれなりに起伏がしっかりあり、
全体的には上りが続くので本当につらかった。那覇スタートで南東端の南城へ行き、浦添まで北上するんだから、
もうこりゃどう考えてもチャレンジする方が悪い。この日記を読んでいる人は地図を見て呆れ果ててください。そんなこんなで浦添市役所に到着である。東側の議会棟と西側の行政棟が並ぶ構成となっており、規模が大きい。
設計は佐藤総合計画+浦添市庁舎設計共同企業体。後者は複数の地元設計事務所だが、細かい構成まではわからず。
行政棟が1997年の竣工であるのに対し、議会棟は1999年の竣工。行政棟の竣工後、議会棟に取りかかったのだろう。
詳しい取材が「浦添の魅力みつけ隊」琉球大学工学部チームの記事で読めるので、興味のある人はどうぞ(⇒こちら)。
L: 浦添市役所。手前の議会棟と奥の行政棟の2棟が並ぶ構成。 C: 北から2棟を見る。 R: 北西から行政棟を中心に。
L: 正面(北側)から見た議会棟。 C: 敷地内、北西から見たところ。 R: 中庭(西側)から見た議会棟の側面。
L: 北側から見た、議会棟(左)と行政棟(右)をつなぐ通路。 C: 行政棟の手前、前庭はこんな感じである。
R: 行政棟のエントランス。コンクリートの格子が全開である。手前にはシーサーも置かれている。
L: 北東側から見上げた行政棟。 C: 通りを挟んで北から見た行政棟。 R: 角度を変えて正面から。勾配がある。
L: 行政棟の中に入ると大規模なアトリウム。 C: 進んで右を向く。ここまで大規模なのは珍しいのでは。
R: 浦添はヤクルトスワローズのキャンプ地なので、グッズや選手のサインが市役所内に展示されている。
L: 外に出て一周を続ける。これは議会棟の北東側の側面。 C: 東から見た議会棟の側面。 R: 南東から眺める。
L: 行政棟を南東から見たところ。 C: 南から見た議会棟の背面。 R: 南西から見た議会棟の背面。
L: 駐車場から見た行政棟の背面。 C: 南西側から見た背面。 R: 南西側から見た側面と背面。昨日の沖縄市役所と同様、メインは大手の組織事務所だが、格子を使って沖縄モダニズムに配慮していると感じる。
モダニズムについての沖縄のこだわりぶりは、きちんと検証してみる必要がありそうだ。明らかに特別視されている。体力的にも時間的にも限界なので、那覇へと戻る。途中でおもろまちに寄り、琉球八社の安里八幡宮に参拝する。
場所としてはおもろまちビル群エリアのすぐ南にあるのだが、そこは沖縄、素直にアクセスできないのである。
西側の県道から住宅地(高低差たっぷり)を抜けてようやく見つかった。そして誰もいなかった。しょんぼり。
L: 安里八幡宮の入口。おもろまちから直で来れず、ここまでに沖縄の道の複雑さをしっかり味わうことになる。
C: 境内の様子。隣の保育園の一部と化している。後ろのおもろまちビル群との対比もすごい。 R: 拝殿。安里八幡宮は琉球八社で唯一、八幡神を祭神としている。尚徳王が喜界島に攻め込む際に矢を放った場所で、
勝利できたのは八幡大菩薩のご利益ということで創建されたとのこと。そのためか、他にあるような洞窟もない。
沖縄戦では南下してくる米軍に対する那覇防衛の激戦地となり、南端の安里八幡宮に日本軍の指揮所が置かれたという。本殿を覗き込む。これは……ちょっとひどすぎるんでないかい?
参拝を終えると、おもろまちにある東急ハンズ・那覇メインプレイス店へ。やはりワンフロアのハンズで豊洲っぽいが、
沖縄土産が充実しているのが印象的。上述したが、このおもろまち周辺は沖縄戦の激戦地(シュガーローフの戦い)で、
戦後は米軍牧港住宅地区となった。1987年の返還後に那覇新都心として整備されたが、広い道路に整然とした街並みは、
これまでさんざん苦しめられてきた沖縄らしさとは真逆のもので、幕張辺りと似た雰囲気。暑さだけが沖縄って感じ。国道58号に出て南下し、自転車を返却。本当にとんでもない一日だった。コインロッカーから荷物を回収すると、
そのままゆいレールで那覇空港へ。順当にソーキそばを食べて土産物を見繕って日記を書いて過ごすのであった。
L: ゆいレールの駅から見た那覇空港。 R: 沖縄名物・バヤリースのヴァリエーションが美しい。全種類制覇したくなるね。一日ずっと全力で走りまわっていたせいで、肌についた細かい塩の結晶が光ってラメみたい。キャハッ☆
沖縄県に鉄道はない。モノレールのゆいレールが走っているが、那覇空港と首里城付近までをつなぐ程度である。
その気になって見てみるとわかるが、実は沖縄県はバスだらけなのだ。主要都市間のバス交通はかなり発達している。
というわけで、沖縄旅行の1日目はバスに乗りまくりである。朝の7時に那覇バスターミナルを出発してから1時間、
コザで乗り換えて30分。到着したのは石川市場前ということで、まずは旧石川市役所から攻めるのである。やるぞー!
かつては「都道府県の名前がついている市」という引っかけクイズでお馴染みだった沖縄県の石川市だが、
2006年に具志川市・勝連町・与那城町と合併し、うるま市となった。現在の旧石川市役所は、うるま市石川庁舎。
L: うるま市石川庁舎(旧石川市役所)。 C: 南側の事務棟をクローズアップ。 R: 南西側から眺めたところ。旧石川市役所は1986年の竣工。最大の特徴は、約1000人を収容できる大ホールが一体的に整備されていること。
エントランスは役所部分と共用だが、そこから北に入れば即、ホールとなる。1980年代では珍しいかなと思う。
L: 南側、石川公園の手前から見たところ。この日は少年野球の大会があるようで、関係する家族連れで賑わっていた。
C: 南東から見た背面。マッシヴな印象の正面とは対照的である。 R: さらにまわり込んで東側から見たところ。海がすぐそこなので、建物はだいぶ潮風にやられている感触。同じ素材であるはずだが、背面は色が違っている。
裏手の建物は保険健康センターだが、エントランスには堂々と「石川市保険相談センター」という文字が付いている。
合併してから12年も経つのに、役所のすぐ裏だというのに、「石川市」。わざとそのままにしてあるんじゃないか。
L: 「石川市保険相談センター」。 C: 北東から眺める。これはホール部分。 R: 北西より。ホールは純粋にコンクリ色。せっかくなので、東隣にあるうるま市石川体育館も撮影してみる。これまたマッシヴさ全開のコンクリ建築なのだが、
黄色という信じられない色に塗ったところに潮風での劣化がけっこう激しく、独特の存在感。沖縄らしいっちゃらしいが。
L: うるま市石川体育館。市役所の裏、北西から見たところ。 C: ファサードこんな感じ。 R: 南西、エントランス。ほかにやることもないので、バスで素直に南へと戻る。安慶名(あげな)バス停で下車すると、商店街を北へ少し歩く。
まあ商店街と言っても郊外型店舗が並木道に密集した感じで、やや独特。区画整理でこうなったんだろうな、という感触。
交差点を右に曲がると規模の大きい建物が現れる。1987年に具志川市役所として竣工した、うるま市役所の西棟だ。
L: うるま市役所西棟(旧具志川市役所)。 C: 通りを挟んで正面から見たところ。 R: 敷地内に入って見上げてみる。具志川市役所(うるま市役所西棟)の設計者は沖縄県内の業者を対象とした指名コンペによって決められ、
建設コンサルタントの国建(くにけん)の案が当選となった。国建は沖縄県の有名建築にJVで多く関わっている。
ネットで検索すると国建の社史がPDFでいろいろ出てくるので、わかりやすくて助かる。みんなこうならいいのに。
L: 西棟のエントランスをクローズアップ。 C: 東棟の手前、南東側から見た西棟。 R: そのまま北東へと抜ける。パッと見、非常に大胆なデザインの建物だが、よく見ると実はほかの1980年代市役所と要素としては変わらない。
意識して見せ方を工夫しているように思う。まずオープンスペースで周囲から少し距離をとり、高さを強調している点。
幅がないおかげですごく撮影しやすい。実際には、さっきの石川庁舎の方が延床面積はあるんじゃないかと思うが、
上の階を張り出して柱で支えるデザインとしており、オブジェとしてのインパクトがかなり強烈な仕上がりである。
L: 北東から見た背面。 C: 北西側にまわり込んだところ。 R: 西から側面を見上げる。実はコンパクトな建物。隣の東棟は2015年の年末に完成し、翌年の年明けから業務を開始した。設計者はプロポーザルによって選定され、
アトリエ・門口、久友設計、創設計、タイラ建築設計事務所JVが当選した。勝連城址をモチーフに設計したという。
L: うるま市役所東棟。こちらは高さを感じさせず、建物全体を曲線で囲んでいる。 C: 南から見る。 R: 南東から見る。東棟は西棟とは対照的に高さを感じさせない建物で、地下1階に地上3階建てという規模となっている。そして真っ白。
建物の周囲は曲線によって構成されており、それを無数の柱で囲って立体的に見せている。しかしその中身の建物は、
実際のところけっこう無骨というか質実剛健。外套を剥ぎ取ったら、無難な庁舎建築が現れるはずである。
ある意味、西棟とよく似ていると思う。時代による見せ方の変化という点で、とても興味深い共演ぶりである。
L: 東側、市民広場から見たところ。 C: 北東から。奥に西棟が見える。 R: 北から見る。こちらからだとわりと無骨。ちなみにGoogleマップで上から見ると、東棟の方が西棟よりも面積が大きい。東棟はほぼ正方形をしており、
そこから角を削って円のドット絵に近づけていくと西棟になる、という印象。設計チームは東棟のプランを練るにあたり、
西棟がやったことを冷静に分析して上手くバランスを持たせたと思う。凝っている2つの庁舎があるのは贅沢な状況だ。
L: 北西から。 C: 北エントランス。車だとこちら側がメインになるのかな。 R: 中の様子。やはりシンプルである。暑くてたまらないので、市役所向かいのスーパーでブルーシールのカップアイスを買って一休みするのであった。
ブルーシールアイスを食べるのは初めてだったが、密度がなくて「軽い」印象。個人的にはもっとこってりの方が好き。うるま市役所前からコザ十字路までバスに揺られる。コザ十字路はかつて嘉手納基地に近くて非常に賑わっていたが、
今は国道・県道が交差するノードにしてランドマークに純化している印象。つまり商店街が寂れきっているということ。
ここから国道330号を西へ行き、コザにおけるもうひとつの重要な交差点・胡屋(ごや)十字路まで歩いてみるのだ。
どちらも有名な交差点だし、両者をつなぐルートは国道だし、それなりに都会なのだろうと思っていたら、違った。
銀天街を挟んで国道330号に面する建物には「コザ十字路絵巻」という壁画が約170mにわたって描かれているのだが、
それが終わるとふつうに道路である。もちろん両側には建物がずっと並んでいるが、商店街と呼べるものではない。
ゆったりとした起伏とカーヴに沿って約1.5km、ふつうに店舗やらオフィスやらが脈絡なく続いていくだけだった。
そうして胡屋十字路に出る手前には中央パークアベニューがあり、こちらは純粋なアーケードの商店街となっている。
もともとは商業の中心ということで「BCストリート」と名付けられ、1982年に現在の姿に整備されたとのこと。
L: コザ十字路。現在はただ規模の大きい交差点なのであった。 C: 銀天街の脇にある建物の壁画「コザ十字路絵巻」。
R: 中央パークアベニュー。いかにも地方都市のアーケード商店街という雰囲気だが、木々の印象がすばらしく南国風。中央パークアベニューと真逆の南東へと入っていくと、沖縄市役所に到着である。1974年にコザ市と美里村が合併し、
沖縄市が誕生した。かつてコザは越來(ごえく)という地名だったが、その中の胡屋に「キャンプ・コザ」が建設され、
それが定着してカタカナ市名となった。その後、美里村との合併の際、那覇への対抗意識もあり沖縄市となった模様。
L: 沖縄市役所。市役所前は県道20号(くすのき通り)までオープンスペースを兼ねた並木道として整備されている。
C: そのまま沖縄市役所に近づいてみた。 C: 少し位置をずらして眺める。これは南西側から見たところ。定礎によると竣工は1993年。この年に兄弟都市の大阪府豊中市から新庁舎竣工記念に「友好の壁画」が贈呈されている。
ネットの検索では設計者として二基設計が出てくるが、「石本建築事務所を中心として共同設計受注」という記述がある。
これをもとにすると「石本建築事務所・二基設計JV」ということになるが、石本側の資料がなくイマイチよくわからない。
L: 南側から見た側面。 C: 沖縄市役所の東側は崖と言っていいほどの高低差がある。その下り坂の途中から見た側面と背面。
R: その分、市役所から東側を見たときの景色は絶景。沖縄本島の複雑な起伏と建物がそれを埋めて連続するさまは圧巻である。沖縄市役所は正面である西側からアプローチすると、整然としてかなり土地に余裕がありそうな印象を受けるのだが、
いざ裏手の東側にまわってみると様相が一変する。沖縄市役所は高台の突端というか崖のギリギリ端っこに建っており、
コザの街を見下ろす絶好の位置にあるのだ。詳しくは明日の日記で書くことになるが、沖縄本島の道は非常に特殊で、
南北に貫く幹線道路の両側は高低差をまるで無視した袋小路の連続体である。完全なる無秩序に限りなく近い。
だから眼下に広がる建物たちは、てんでばらばらの方向を向いたままうねる大地を埋め尽くし、地平線の先まで広がる。
斜面に住宅が貼り付く光景なら神奈川県も大したものだが(→2018.4.30)、沖縄のそれはすべてが無秩序そのものだ。
L: 沖縄市役所の北西側は歴史公園として整備されている(室川貝塚)。その公園から市役所の背面を見上げたところ。
C: 駐車場へと上がる途中で歴史公園と市役所の北側を見たところ。 R: 駐車場に上がって西から見た沖縄市役所。沖縄市役所の北西側は歴史公園として整備されている。もともとここには「室川貝塚」という貝塚があった。
少々キツい表現をすると、沖縄市役所は貝塚の遺跡をぶっつぶして建てたわけだ。公園の脇には説明板があるが、
なかなか大胆に市役所を建てたことがわかる。そしてその近くには「ハブ注意」という看板。一気に怖くなった。
L: あらためて正面手前から見上げる沖縄市役所。 C: エントランス前は通路空間となっている。 R: 内部の様子。沖縄市役所の撮影を終えると、くすのき通り経由で胡屋十字路に出る。まず目を惹くのはコザ・ミュージックタウン。
こちらに入っているミュージックタウン音市場にはホールやスタジオがあり、エイサー会館も併設している。
日本どころか極東最大のアメリカ空軍基地である嘉手納基地を抱えるコザは、沖縄におけるロック文化の中心地だ。
周辺にはライヴハウスが現在も多く存在しており、「音楽のまちKOZA」と書かれた大きな案内板に圧倒される。
夜にハシゴすれば昼間の今とはまったく異なる光景(そしてそれは沖縄本来の貌でもあるが)を見られるのだろう。
少なくとも僕の一人旅は街の一面だけを掠め取るような旅なんだよな、とあらためて自覚しながら徘徊する。
L: 胡屋十字路にあるコザ・ミュージックタウン。中心市街地活性化のため、2007年に建てられた。エイサー会館は今年の開館。
C: 胡屋十字路から国道330号の北側を見たところ。 R: アーケードの一番街。「エイサーのまち」の旗が目立っている。コザを後にすると、バスで国道330号を南下して普天間のバス停で下車。こちらにあるのが普天満宮だ。
地名としては「普天間」だけど、神社名は「普天満」。かといって菅原道真が関係していることはないようだ。
こちらの祭神は熊野権現と琉球古神道神。沖縄にも神社がいくつかあるが、ある程度きちんとした規模のものは、
かつて琉球王府に認められた「琉球八社」に限られる。詳しいことは明日の日記に書く予定だが、沖縄の宗教は独特で、
自然崇拝がベースにある(→2007.7.24)。そのうえで、沖縄の神社は熊野信仰を通して独自の神仏習合をしている。
L: 普天満宮の境内入口。 C: 拝殿。神社建築の意匠だが、沖縄らしい赤瓦葺きとなっている。 R: 本殿。普天満宮ももちろん琉球八社に数えられる神社である。もともとは洞窟に琉球古神道神を祀ったのが始まり。
その後で熊野権現が合祀され、洞窟から現れた仙人が「我は熊野権現なり」と言った、という伝承も存在する。
洞窟には手続きのうえ拝殿脇から入ることができ、中には奥宮が鎮座している。撮影していいのかわからなかったので、
とりあえず撮影は控えておいたが、自然崇拝と渡来した宗教が混ざって聖地として確立している様子は非常に独特。
また御守も独特で、標準的なものは干支によって分けられている。どうも沖縄は干支入り御守がふつうであるようだ。参拝を終えると、南へ徒歩20分弱歩いて宜野湾市役所へ。普天間の商店街を抜けると右手がずっと普天間飛行場で、
コザ、普天満宮、米軍基地と、先ほどから沖縄らしさを存分に味わっての旅である。空間体験が本当に強烈である。
そんなことを思いながら坂道を上っていくと、左手に宜野湾市役所が現れる。木々に囲まれ、全容が少しつかみづらい。
宜野湾市役所は1980年の竣工。あろうことか定礎が竪樋(雨樋の水を落とす筒)の陰になって見づらいのなんの。
設計者はコンペによって選定されており、設計同人GAN(赤嶺和雄)の案が当選。ネットでわかるのがありがたい。
L: 宜野湾市役所。普天間飛行場に食い込む形の宜野湾市民広場、その向かいに位置している。国道を挟んで眺める。
C: エントランス。市章を挟む「健康都市」の文字が目立つ。 R: 南西にある宜野湾市第二庁舎から見たところ。
L: 先ほどとほぼ同じ角度、歩道橋の上から眺める。 C: 南に隣接する市民会館から見たところ。 R: そのまま南東側へ。
L: 近づいてみる。 C: 北東に抜けて振り返る。背面はこんな感じ。 R: 通りを挟んで見たところ。右は増築された部分。
L: その増築部分をクローズアップ。1階はピロティ駐車場。 C: 増築部分を北東から見る。 R: 北から見た増築部分。
L: 北西から見た増築部分。 C: 敷地内に入る。 R: そのまま奥へ入って本体を北西側から見る。これにて一周完了。
L: 定礎が竪樋の陰に隠れてしまっているの図。定礎をこんな雑な扱いにしている事例は初めて見た。
C: エントランスから中に入ると吹抜ロビーとなっている。正面左を見たところ。 R: 正面右はこんな感じ。国道を挟んで向かいには普天間飛行場に食い込むように宜野湾市民広場があるが、宜野湾市第二庁舎はその手前側だ。
こちらには水道局と教育委員会が入っており、竣工は1985年度。第二庁舎は北隣の消防庁舎と一体になっているが、
消防庁舎の手前にあるシーサーの土台には、「消防庁舎落成記念 1986年1月」とある。いろいろなかなか微妙で困る。
L: まずは北側の消防庁舎。 C: こちらは南の第二庁舎。歩道橋が邪魔だが、国道は交通量が多いのでしょうがない。
R: 間を通り抜けて、宜野湾市民広場を背にして駐車場越しに眺めた背面。左が消防庁舎で右が第二庁舎となる。
L: 歩道橋から見下ろすエントランス。左手前が第二庁舎で右奥が消防庁舎。 C: 地上からアプローチするエントランス。
R: 両者のエントランスはこのようなピロティ空間となっている。左へ行けば第二庁舎で右へ行けば消防庁舎となる。しかしこうしてじっくり見てみると、沖縄県の市役所建築には確固たる思想を感じさせるものが多い。少なくとも、
安易に組織事務所の案に乗っかって済ますような「なあなあ」な感触はない。特にモダニズムを感じさせるものが目立つ。
台風などの影響もあって、もともと沖縄では石造建築技術や素焼きの瓦と漆喰で固めた屋根などが発達しており、
コンクリートによるモダニズム建築を受容しやすい風土があったのではないか。また、さっきの具志川やこの宜野湾、
有名なところでは名護もそうだが(→2007.7.22)、市役所の設計者を選定するコンペも盛んに行われたようだ。
そうして琉球文化の現代的な再現を問いながら「沖縄モダニズム」と呼べるものが醸成されていったのではないか。
まあさすがに名護市役所は極端な例ではあるが、モダニズムの文脈で本土と異なる建築を追求する流れは確実に存在する。
几帳面な格子が本当に多いのが気になる。これは真面目に研究すれば、いくらでも論文が書けるテーマとなるだろう。
L: 市役所の南隣には宜野湾市民会館。こちらは1983年の竣工。 C: エントランス。 R: 市役所側から見た側面と背面。当初の予定では普天満宮と宜野湾市役所を手早くまわって浦添市役所へ行くつもりだったのだが、それは無理だった。
だってどっちも面白いんだもん。というわけで、大謝名までバスに揺られて、ぎのわん海浜公園へと歩いて向かう。
しかしその途中にあるのが、東急ハンズ・宜野湾コンベンションシティ店なのだ。当然、寄るに決まっているのだ。
1階のワンフロアだけなので、印象としては非常に豊洲ハンズっぽい。ゆえに見どころはほとんどないのであった。
外に出ると沖縄の天気が本気を出してきて、それまで晴れたり曇ったりだったのに、全力で焦がしにくるモードに。
コンビニで棒アイスを買って素早く食べるも、中盤ですでに溶け出す容赦のなさ。やはり沖縄の暑さは別次元なのだ。
そんなこんなで、どうにか沖縄コンベンションセンターに到着。公共建築百選ということで見てまわろうというわけ。
L: 沖縄コンベンションセンター。沖縄県の復帰10周年記念事業の一環として建設。 C: 西側の劇場棟。 R: 近づいてみる。沖縄コンベンションセンターは1987年竣工。設計は大谷幸夫+大谷研究室+国建JV。大谷幸夫でこの手の施設というと、
まず真っ先に挙がるのが国立京都国際会館だろう(→2013.6.17)。あちらのオープンは1966年で、20年の差がある。
どこまでも直線的な京都国際会館に対し、大胆に曲線を用いた沖縄コンベンションセンター。しかし両者の差は、
時間的経過によって生まれたものだけではないのは確かだ。京都国際会館はすでにポストモダンに近い作品であり、
「モダニズムを発展させたもの」という点でむしろ両者は似通って見える。さっき述べた「沖縄モダニズム」の存在、
そして具志川市役所を並行していた地元の建築家である国建がJVで関わったこと、その要素は無視できないだろう。
上述した国建のPDFによれば、大谷幸夫が粘土模型でデザインをつくり、それを大谷研究室のメンバーが図面に起こした。
国建は設備設計をメインに関わったそうだが、ここで若手に経験を積ませて後のホール施設建設につなげたとのこと。
L: 劇場棟を正面から見る。 C: 中庭と奥にある会議棟。中庭の中心は池になっている。 R: 少しずれて見る会議棟。沖縄コンベンションセンターは西から、劇場棟・会議棟・展示棟の3つの建物からなる。これまた国建のPDFによれば、
劇場棟は夕日を背にする「洞」、会議棟は海亀で「海」、展示棟は羽ばたく鳥で「空」をモチーフとしているそうだ。
いかにも自分で図面を引かなくなった巨匠の趣味という印象だが、現物を見るとコンクリートへの信頼感が非常に強い。
その辺りに、大谷幸夫の生来の趣味志向と沖縄モダニズムの興味深い融合が、きちんと示されているように思う。
L: 東側の展示棟。なるほど、羽を広げている感がある。 C: 展示棟の反対側。 R: 展示棟の南端にある塔。11年前のみやもりとの沖縄旅行では、申し訳ないので僕の趣味は抑えていたが(それでもけっこう付き合ってもらった)、
思う存分に僕の趣味を全開にすると、やはり濃い内容になるなあと思う。やはり文化的なバックボーンが独特なので、
都市や建築という視点で見ると、沖縄というのは本当に面白い場所だ。もっと気軽に遊びに来れるといいんだけどなあ。さて、時刻は15時をまわったところ。夏至が近いし西の果てにいるから建築物の撮影にはまだまだ困らない時間だが、
次の予定を考えると移動をしなければならないのだ。このタイミングで沖縄に来た理由のひとつが、FC琉球の試合だ。
試合会場は沖縄県総合運動公園陸上競技場で、位置としてはさっき訪れた沖縄市の南東端となる。ちょっと遠いのだ。
そしてこちらにアクセスするバスが限られているので(那覇からだと直通バスがある)、早めに移動しないといけない。
えっちらおっちら大謝名まで歩いて戻り、40分ほどバスに揺られて県総合運動公園北口で下車。なかなか大変である。バス停から公園内を抜けてスタジアムへ。北口からだとちょっと歩く。
なんだかんだで沖縄県総合運動公園陸上競技場に到着したのが16時半過ぎ。市役所、神社、サッカーと濃い一日だ。
まずは恒例のスタジアム一周から。J3ということで規模は大きくなく、出店などはメインスタンド前に集中している。
しかし雰囲気は他のスタジアムと変わらない。着実に客を増やしてJリーグ文化が定着しているんだろうなあと思う。
L: 沖縄県総合運動公園陸上競技場。 C: メインスタンド外観。 R: ゴール裏を覗き込む。芝生は開放されていない。
L: バックスタンド裏。 C: メインスタンド席からこんにちは。 R: 座席はFC琉球カラーであるベンガラ。いいですね。本日の対戦相手はアスルクラロ沼津。昨年10月の藤枝戦は衝撃的で(→2017.10.8)、J3初年度で3位に食い込んだ。
今シーズンも沼津は吉田謙監督の下で好調を維持しており、現在2位につけている。対する琉球も好調で、現在4位。
金鍾成監督は「3対1で勝つサッカー」を標榜しているそうで、カテゴリーなんて関係なく、いい試合が見られそう。
L: はるばる沖縄まで来たサポーターに挨拶する沼津のみなさん。まあ、アウェイで沖縄旅行はむしろうれしい口実だよね。
C: FC琉球の公式マスコット・ジンベーニョが踊る。 R: FC琉球の選手たちとバックスタンドにサポーター。やや少なめ。さて、試合が始まると両チームは対照的なサッカーを見せる。沼津はやはり積極的にプレスをかけてくるのだが、
琉球は徹底してグラウンダーのパスにこだわる。まるでかつての日本代表を見るようなサッカーをやっている。
FC琉球の金鍾成監督は元北朝鮮代表(江東区出身)ということで、フィジカル重視のキックアンドラッシュかな、
なんて僕は勝手に想像していたのだが、正反対のスタイルだった。人を国籍で判断するのはよくないですね、すいません。
L: 攻める琉球に対して沼津は早めのチェック。前の選手はパスコースをつくろうとするも沼津の守備が足りている。
C: 別のシーン。ここでも沼津は琉球のパスコースをしっかり切っている。しかし琉球はあくまでパスにこだわる。
R: CKのチャンスになると琉球はおねーさんたちが出てきてタオルを振るように呼びかけてくる。ご苦労さまです。でもそのグラウンダーのパスサッカーは、沖縄の気候を考えれば合理的なことなのだ。「ボールは疲れない」、
それを地で行くサッカーをやらないと選手たちはもたないだろう。過酷な気候でも90分動ける体力さえ確保すれば、
全日程の半分は沖縄でやるんだから、実は相手よりも有利な条件で戦うことができる、ということにもなるわけだ。
南米予選で高地のスタジアムで番狂わせが起きるのに似ているかもしれない。去年の鹿児島もそうかな(→2017.8.19)。
L: ハーフタイム。再入場が可能なので、メインスタンド前の売店エリアはなかなかの盛況ぶり。わかりやすくてよい。
C: 後半も琉球はパスサッカー。こうして見ると、沼津がしっかりとブロックをつくって対応しているのがよくわかる。
R: 後半の給水タイム。時刻は19時過ぎとはいえ、沖縄でサッカーをやるのは本当に過酷である。交通費も過酷だし。家族連れが多いこともあってかスタジアムの雰囲気は非常に良く、荒っぽい声は一切あがらず和気藹々としている。
こういう穏やかさを失わないで、きちんとチームを鼓舞できるクラブは躍進する。今シーズンのFC琉球が好調なのは、
パスサッカーがハマったことだけが理由ではないようだ。僕もオリオンビールでいい気分になりつつ琉球を応援する。
琉球はパスを中央につけたいが、そこはさすがの沼津で、守備にしっかり対応されてなかなか思いどおりにいかない。
トラップにも正直、難がある。それでも愚直にグラウンダーをつないで攻め続ける。CKもすべてショートコーナーで、
浮き球のクロスはほとんどない。実にひたむきなサッカーを貫いている。そして琉球は守備の落ち着きぶりも立派だ。決勝点はクロスからのヘッド。この写真だけブレちゃったんだよなあ……。
やがて終盤に入り、琉球はそれまで控えていた浮き球のクロスを使うように戦術を変え、攻撃の強度を高めてくる。
そして後半38分、決勝点は左サイドからの柔らかいクロスにMF朴が頭で合わせて決めた。きれいにフリーになっており、
最後まで集中力を切らさず戦った琉球の良さが現れた得点だった。これで琉球は2位に浮上。J2昇格圏に入ってきた。帰りも公園北口のバス停に行き、那覇バスターミナル行きのバスを待つ。しかし真っ暗な公園内を抜けるのは怖い。
なんせハブがいそうでな……。バス停でじっと待っているのも怖い。そして那覇に戻ったら22時。いや本当に疲れた。
仕事が終わると羽田空港へ移動する。そして飛行機に乗ること3時間弱、那覇空港に到着である。
そう、今回の期末テストの隙をついてやってきたのは沖縄! 11年ぶりの沖縄県! 一人旅での沖縄県!
念願の沖縄県の市役所めぐりをやってやるのだ。時間的に少しの無駄もつくりたくないので、気合いの前乗りである。ゆいレールに乗るべく那覇空港の建物を出ると、圧迫感のある暑さ、さらに湿度が全身を包み込む。
空気の質感が本州とはぜんぜん違う。いきなりの先制パンチに圧倒されつつ宿へと向かう。やったるでー!
日記もそこそこに、テストをつくっております。2年生のテストをつくるのは、実は久しぶりなのだ。
前任校で出した問題を軸にしつつ、整理整頓しながらどうにかこうにか組み立てていくしだい。
研究授業を見るために出かける。内容は盛り込みすぎだったけど、そのおかげで協議会のトピックは多かった感じ。
いま勤務する区では協議会の際にKJ法を徹底していて、慣れない相手でもそれなりに話し合いが機能するのが面白い。
お互いの小さな一歩を増幅させることができるので、やはりKJ法というのは極めて優れた手法なんだなあと思う。アクティブラーニングが話題に出たのだが、まあやっぱ中学校の現場としては懐疑的な人が多いわけですよ。
「下手の考え休むに似たり」ってことで、うまくいかねーだろと。授業で毎回KJ法やるわけにもいかないもんねえ。
まあしょうがないから、ロシアW杯のコロンビア×日本戦について書きますか。
いきなりのハンドでレッドとは……。まずその前からどうにもコロンビアは集中していなかった印象がある。
言い換えると、日本を舐めていたのだろう。そこにああいう速攻でコロンビアにまず一泡吹かせたプレーは、
これは最大限に評価しなければならない。あの入り方ができたことがすべて。ハリルホジッチの遺産バンザイ。
さすがに西野監督もバカではないのだ。というか、采配でペケルマンに完勝してみせた感じで、やはりすごい。
(西野監督の実力はマイアミの奇跡、Jリーグ最多勝、マンUから3点取る(でも5点取られて負ける)で存じております。)
思えば2006年のドイツW杯でも、ペケルマンは選手交代で失敗している(→2006.6.30)。完全にあの二の舞だ。
そんなペケルマンを尻目に、日本は最後まで冷静にゲームを支配。オトナになったなあ、というのが感想である。さて、大迫のゴールで突如として「大迫半端ないって」ブームである。一番笑ったのがスポーツ報知の記事タイトルで、
『大迫半端ないって。アイツ半端ないって。W杯で勝ち越しゴール決めるもん。そんなん出来ひんやん、普通。』
これを本当にやっちゃうあんたたちも半端ないって!といったところである。さすがはスポーツ新聞の頭の柔らかさ。
大迫に対する形容詞として「半端ない」が完全に定着しているという事実は、冷静に考えるとものすごく面白い事態だ。
枕詞や係り結びのレヴェルで「大迫=半端ない」のである。日本史上でもここまで固く定着している形容詞は珍しい。
それもこれも、「半端ない」にふさわしい活躍を大迫が続けているからこそ。一過性の活躍ではこうはいかない。
代名詞ではなく、褒める一般的な形容詞を自分固有のものにできるなんて、最高にうらやましい。
あまりにも忙しすぎて職場の机の上がまったく整理できていない。散らかりまくりである。
用事があって職員室に来た女子生徒に「先生、机の上を整理しなよ」と諭される始末。お前はオレのオカンか。
書類のまとまりがあちこち立体的に配置されており、もはや事務机というよりもドラムセットの趣。
行きつけの自由が丘の美容院(と書くと意識高いように思えるから不思議だ)へ、髪の毛を切りに行く。
いつもだいたい1ヶ月半から2ヶ月のインターヴァルで切ってもらっているが、今日については特別だ。
というのも、その行きつけの店が来週末に閉店してしまうからだ。通いはじめて15年。時間の経過に愕然とする。思えば、最初はこんな感じ(→2003.5.1)であった。当時まだ僕は大学院生ですぜ。メガネもかけていたなあ。
美容院でメガネのかけはずしをするのが面倒くさくなったのがきっかけで、日常生活も脱メガネしたのである。
会社を辞めてイヴェントスタッフのアルバイトで食いつないでいる貧乏時代も、カット代だけはケチらなかった。
「ここを削ったらただのブサイクに戻ってしまう!」と意地でふんばったものである。すべてが懐かしい。これで最後なんだなあ、と思いつつビルに入り、エレヴェーターに乗り込む。中に美容院の香りが漂っていて、
当たり前だったこの香りも最後なのか、と思う。まず嗅覚という本能に近いところで感傷的になるのが興味深い。
そして店内へ。本格的におなじみの香り、白とクリーム色、おしゃれな音楽に包まれる。この場違いな感じが、
なんとも愛おしく思えるのがまた面白い。シャンプーの合間に、モニターに映った映画の断片を見る。
今回は『ヘアスプレー』だ。最近は映画をぜんぜん見ていない。ミュージカルという文化をもっと勉強せねばと思う。
カットされている間もいろんなことを思い出す。いつもは疲れて気がつきゃ寝ているのだが、今日だけは起きていた。すべてが仕上がって鏡を見ると、その向こうには15年前と似ているような似ていないような、おっさんがいるわけです。
自分は何も気にせず過ごそうとしているが、あえて鈍感を演じて過ごしているが、変わらないものなどないのだ、と思う。
15年間、ブサイクの矯正をありがとうございました。けっこう大切なことを学ばせてもらったと思っている。
前任校から練習試合のお誘いが来たので、代替わりした新チームみんなでお邪魔する。
といっても、学校説明会が終わった3年生も1名合流してくれたので、3年生の成仏試合も兼ねるのだ。体育館でバスケットボール部が試合をしていたこともあり、OB・OGや生徒たちが声をかけてくるのであった。
みんな元気そうで何より。サッカー部のOBも3人ほど試合に入ってくれて、充実のプレーぶりを見せてくれた。
(ちなみにOBのひとりはFREITAGのFRINGEをいつも使っていて、僕と固い握手を交わすのであった。
我が家同様、ご家族でFREITAGのファンだそうで。「FREITAGはね、増えていくんだよ……」ニヤリと笑う僕。)
当初は「人数そろうのかよ……」と不安がっていたウチの生徒も、試合が始まって夢中でボールを追いかける。
大人も子どももOBもみんなが入って真剣にやるのが前任校のいいところ。サッカーを楽しむという本質そのもの。
まあこっちとしても、新チームでどのポジションに適性があるか模索していくのにちょうどいいチェックができたし。
生徒にとって、通用するプレーとそうでないプレーを精査できる、非常に貴重な機会になったように思う。
選手として成長できるのは真剣勝負の公式戦が一番だが、試行錯誤して細かくチェックできたのは大きなプラスだ。というわけで、ウチのコーチは先週の公式戦に来られなかったこともあって真剣勝負を望んでいたようだが、
あれこれ試して新チームの特徴も見えて、終わってみればきちんと収穫があって満足してくれた模様。ほっと安心。
W杯が開幕したけど、気持ちが全然盛り上がらないぜ! 最大の原因はもちろんハリルホジッチ解任だが、
前回のW杯でテレビ観戦をがんばりすぎて、日記でレヴューを書くのに死ぬほど苦労したこともけっこう大きい。
チェックする試合をなんとか上手く絞っていかないといけないが、それを考えるのがなかなか億劫なのだ。
そもそも絞ったところでGL中は確実に毎日1試合は見るべき試合があるわけで、それでもう2時間拘束である。
1試合につき2時間の拘束+レヴューに書き起こしていく、となると、ただでさえ破綻寸前のこの日記はもう……。
とりあえず開幕戦でサウジがロシアに惨殺されるのはボケーッと見ていたけど、これをあれこれ書くのはつらすぎる。
そんなわけで、今回のW杯は本当にテキトーに、思ったことをちょこちょこっと書くだけにさせていただきます。
いかにも梅雨な天気にやきもきさせられております。なんせ旅行が絡んでおりますんでな!
大丈夫か、来週末。今年は早めに梅雨入りしたんだから、早く梅雨明けしてくれよう! 全力で祈っております。
昨日、史上初の米朝首脳会談が行われたわけだが、いやはやなんとも。中身のなさは噴飯ものだ。
わずか9ヶ月前に「ロケットメァ~ン」と小馬鹿にしていた相手とニコニコ握手できる神経がわからねえ。どっちもよ。
そのときの気分でコロコロ変わる躁鬱外交を平然とやってのけちゃうんだから、こんなのまともに相手してらんねえぞ。
まあ民主主義である以上、そういうトップを輩出しちゃう人々が悪いというわけで。変な時代になってきているよ。
本日はスポーツテストということで、僕は上体起こしの担当となる。要するに、腹筋の記録をつける係だ。
体育係の生徒が説明役で、僕はひたすら補足説明と「ちゃんと背中つけろ、勢いつけずに腹筋だけで起きろ」の声かけ。
すべてのクラスが終わると、あとは体育係の生徒が個別にやってくるのでその対応。つまり、けっこう暇になる。
あまりに暇なので、敷いてあるマットで左右両方の前回り受け身に横受け身、後ろ受け身の自主練習をするのであった。
25年ぶりくらいのわりには意外と上手くできて、様子を見ていた生徒に「先生、柔道やってたんですか?」と訊かれる。
ぜんぜんやったことないんですけどね。でもこれで生徒に「怒らせたらヤバい人」とか誤解されたら面白かったりして。
一日中雨が降り続ける、見事に梅雨らしい天気である。ここ最近、特に、低気圧特有の低調さというか、
雨が降るとなかなか調子が上がらなくなることを実感している。以前よりも「体の重さ」が気になるのである。
これは体重がどーのこーのという話ではなく、体を動かすのが妙に億劫になるということだ。純粋に体を重く感じる。
みんなそうだと言うけど、自分の場合はかつては全然そんなこと意識することがなかったので、なんとも悔しい。
(そういう機微がわからないバカだった、ということも否定できない……というより積極的に肯定できるのだが。)
まあとにかく、雨だと体が重い分だけ、精神を集中させるのによけいなエネルギーが必要になるので厄介である。
どうにか自分をポジティヴな方向に騙しながら、体を動かしている感じ。……痩せたらもう少し楽に動けるもんかな?
一種の燃え尽き症候群で、一日中ぶっ倒れていた。まあどうせ雨で動けないしで、わかって倒れていた部分もある。
◇
こないだのワカメたちとの飲み会のせいもあって、無性に『同級生2』をやりたくなったので、久々にやってみた。
『同級生』『同級生2』『下級生』はDMMでダウンロードできるので、何年か前に購入してあるのね。それを起動。
まずはやっぱりイチオシの可憐だぜ(ハセガワさんと固く握手を交わした)、ということで軽くプレーしてみた。
やっぱり往時の無限なやる気は出てこないが、それなりに楽しく街を闊歩する。歳をとるとゲームが面倒くさくなるが、
それを上回る好奇心でプレーできたのはさすが『同級生2』。でも八十八町も如月町もこんなに小さかったっけ、と思う。
昔は舞台となる街をもっと大きく感じていたのだが。訪問できる場所ももっと多かったような気がしたんだけど。
この感覚の変化はけっこう不思議だ。歳をとった分だけ空間の感覚が広がったんだろうか。昔の世界が小さかったのか。『同級生』シリーズについては、もう少し遊んだうえで、いずれ日記でしっかりと語るとしましょう。
これらのゲームについては、きちんと書かなくちゃいけないことが多すぎる。文字どおり青春の1ページなんだよね。
夏季大会の1次リーグ。3チーム中、勝ち上がるのは2チームだが、ウチがいちばんの格下という位置付けである。
しかも困ったことに、ふだん練習をリードしてくれるコーチの都合がつかず僕一人だけでの引率となってしまったうえ、
ウチのチームだけが1日2試合をこなす日程なのだ。不利な要素がガンガン積み重なって、正直イライラしながらの指揮だ。初戦は春季リーグの2位グループから来たチーム(ウチは3位グループ)。ここでなんとか勝ちたいところだ。
コーチの案による4-2-2-2で戦うが、一見するとほぼ互角な戦いぶり。ただ、相手がしっかりサイドを使うのに対し、
こっちは中央でつぶされる場面が目立つ。プレイエリアの差は明らかで、向こうはペナルティエリア付近まで侵入するが、
こちらはペナルティエリアよりも前で相手に捕まってしまうため、攻撃がどうしても遠くからのシュートに偏るのだ。
しっかり競り合ってボールを持ったらサイドに出せ、と指示する。また相手が体の強い選手を前に置いているので、
不安定なDFにボールを持たせるように追い込めとも指示を出す。しかしその一歩を踏み込む勇気がなかなか出ない。
そうこうしているうちに前半アディショナルタイム、CKから失点。ここまで耐えたのに、いかにも弱者な失点にがっくり。
後半もよく粘ってチャンスをつくるが、どうしても相手陣内の深いところまで行かないうちにシュートを撃ってしまう。
そしてやはり終了直前にFKから横につながれた末に失点。下を向いたところを突かれてまた失点。0-3で敗れた。これでいよいよ後がなくなった。1位グループから来たチーム相手に、できるだけ点を取って勝つしかない状況になる。
生徒たちは相手を見て「体が大きい……」「部員がいっぱいいる……」と漏らすが、特別怖気づいている様子はない。
試合に入れば見事に集中してひとつひとつのプレーをこなす。この試合はコーチの案をもとにして、5バックで戦う。
1試合目で慣れたこともあり、守備ではサイドでギリギリの対応ができていたが、やはり攻撃のときに後ろが重い。
どこかで後ろから攻め上がらないといけないのだが、なかなかそのタイミングがつかめない。我慢比べな展開となる。
しかしまたしても前半アディショナルタイムに失点。サイドからのグラウンダーのクロスに合わされて決められた。
ハーフタイムに後ろが重たいのとGKが勇気を出して前に行かない部分を指摘して修正を図るが、後者は改善するも、
さすがに相手の前からの圧力は強く、思うように中盤から先へ進めない。そして終了間際にまたしても失点し、
立て続けとなるおまけの3失点目を食らって試合は終了。客観的に見て3失点は明らかに善戦だが、悔しさでいっぱい。
見ていて応援したくなる粘り強いサッカーを披露してくれて、特に3年生たちの体を張ったプレーは見事だった。
惜しむらくは、前線の下級生たちが視野の狭いプレーでチャンスを広げられなかったこと。まあしょうがないのだが。
コンディション的には梅雨の湿度に最強の紫外線という最悪な状況だったが、よく生徒たちは走りきったとただただ感心。最後の最後に、記念撮影とミーティングで3年生たちのコメント。悔し涙を流した後で笑顔になれたのはよかったかなと。
応援に駆けつけてくださった保護者も先生方も、本当にありがとうございました。いいチームだけに、勝たせたかった。
本日は教育実習生を主賓に迎えた飲み会だったが、面白い先生はやっぱりどこまでも面白いんだなあと感心。
天然の笑いあり、計算の笑いありで、さすがだなあと思うのであった。こないだの体育祭の反省会では、
僕は計算できっちり笑いをとれたけど、天然さの要素はないので、その点でうらやましくってたまらない。
マサルもそうだけど、本当に面白い人ってのは天然でつくった笑いのポイントを計算でぐっと上乗せできるんだよね。
教員をやっていると構成や表現などのトーク力は鍛えられるんだけど、天性の部分の足りなさも自覚しちゃうのよね。
僕の場合、計算を重視する島田紳助最強説(→2006.1.17/2011.8.23)でやっているので、特にそうなのだ。
一人では面白くできないスタイルで、他人の天然を借りて全体の雰囲気を上げていくタイプなんだよねえ。
先週末の顧問会で夏季大会の対戦相手が決まったのはいいが、試合のスケジュールがようやく決まって少しキレる。
というのも、ウチにとってはイヤな条件が重なっていたから。おまけに他校には不戦敗があって、これ本決まりなのかと。
確認のために電話してみたけどこれで確定とのことで、ひたすらモヤモヤ。すべては僕のくじ運のせいですかね。くじ運ってのは不思議なもので、弱いチームに対しては、くじ運というものはつねに味方してくれないのである。
逆を考えるとこの真理は明白になる。強いチームはどの組み合わせであろうと、弱いチームをひたすら蹴散らすだけだ。
言い換えると、強いチームは最初からくじ運など気にする必要がないのである。くじ運という概念すら存在するか怪しい。
つまり、くじ運に命運を左右されるのは、弱いチームだけなのである。そしてたいていの場合、強いチームに食われる。
したがってくじ運というものを意識せざるをえない時点ですでに弱者であり、運を味方にできていないということになる。
そして僕が預かってきたチームは、今までくじ運を意識しなかったことがない。まあ、染み付いちゃっているからねえ。
ワカメが上京してきたので仲間で飲むのだ。今回はナカガキさんが家庭のご都合でお休み。うーん、真人間。
恒例の大井町に集合したのだが、ワカメが真人間なだけで、僕もふぐさんもハセガワさんも独身。こりゃホームですぜ。職場を素早く脱出した僕とワカメがまず合流して店を探すが、なぜか街は水曜日なのに謎の賑わいっぷりで、
なかなか店が決まらない。大いにうろついた結果、オシャレだがかなり狭い焼き鳥屋の地下で妥協するのであった。
ところがこの地下がむさ苦しいサラリーマンでいっぱい。発展途上国の刑務所みてえだな、と呟いてしまった。
で、周囲を観察しているうちに、結局この謎の賑わいの原因はノー残業デーと働き方改革ではないか、と結論が出る。1年ぶりの再会なのと周りの客が近いのとで、話題の中心は無難な近況報告。「今年は誰と戦ってるの?」とか訊くな。
ふぐさんがいつの間にか転職していたくらいで、あとはみんなだいたい今までと同じような感じ。まあ無事で何よりだ。
2時間で次の店に移ることになったが、発展途上国の刑務所は釈放と収監を繰り返し、受刑者の総数は変わらず。
ワカメもふぐさんも実際に残業はかなり抑えめだそうで、ここ最近で日本の労働環境は大きく変化しているようだ。さて次の店ではみんなそれぞれ、オススメのマンガやらアニメやら映画やらの紹介タイム。これがいちばん楽しい。
とりあえず今回話題に出たものを並べていくと、『湯神くんには友達がいない』、『ランウェイで笑って』、
『あおざくら 防衛大学校物語』、『ライジングサン』、『銀の匙』、『ハイスコアガール』など。みんな読んでるなあ。
あとは『ベイビーステップ』の打ち切りっぷりがあまりにもひどすぎる、ということでワカメとハセガワさんが憤慨。
みんな少年マンガをよく追いかけていて、僕は聞き役に徹しつつオススメのタイトルをひたすらメモしていく。
上記のマンガは、いずれどうにかして読んでみて、この日記でレヴューを書いてみたいと思います。最後はなぜか、僕がひたすら『同級生2』の魅力を語りまくるという展開に。それにハセガワさんが同調する感じ。
PC-9801全盛期のエロゲーについて語る機会ってのもなかなかないので、マツシマ先生は大ハッスルでしたとさ。
週末の決戦に向けて部活も静かにヒートアップ中である。「静か」じゃ困るんだけどな。闘志を前面に出してほしい。
それはさておき、面白いことを発見したのでここにちょこっと書きつけておくのだ。
注文していた2ndユニフォーム(→2018.5.8)が先日届いた。前任校でも採用したナイキのいちばん安いやつで、
これが「Made in Georgia」なのである。ジョージア、昔のいわゆる「グルジア」だ。これにはびっくり。
そういえば、かつてドイツW杯でにわかチェコファンになったが(ネドヴェドが最高やった →2006.6.12)、
その際に購入してしまったチェコのアウェイユニフォームはブルガリア製だった。これにもびっくりしたなあ。
東欧とか旧ソ連とか、ユニフォームづくりに定評があるんだろうか。まあサッカーについてははるかに先輩だし。
グローバル化は好きじゃないけど、いろんな国の製品が身の周りにあるのは単純にうれしい。よろしくジョージア。
貴重な平日休み。でも腰痛。動く意欲が湧かないのだ。これから夏季大会や梅雨のシーズンに入ることを考えると、
絶対に無駄にしたくない平日休みなのだが……。いちおう昨日と同様、できる範囲で日記の作業は進めている。
腰痛もあって、思うように動けない。せっかくの天気のいい休みだというのに、どこかへ行く意欲が湧かない。
いや、最低限どうにか日記を書こうとがんばって過ごしているが、部屋にいる間はどうにもなかなか動けない。
せっかくの日記チャンス、掃除チャンスの休みなのに、不本意である。まったく何もやってないわけではないのだが。
体育祭である。絶好の好天に恵まれすぎるのも問題で、ほぼずっと直射日光を浴びて過ごすのであった。
生徒たちは今年からテントが支給されたからいいが、僕の陣取っている用具係担当教員席はその手前なのである。
ちょうどテントの影に入らない位置で、おかげでしっかり黒焦げに。まあサッカー部顧問らしい箔が付いたと思おう。今年は昨年よりも生徒の出番が全体的に多く、係の仕事は人手不足。でも生徒はよく動いてくれたのでよかった。
学年種目では人数バラバラのリレーをやって、1人はラケットにソフトボールを乗せ、2人は二人三脚に縄跳び、
3人はふたりが持ち上げた棒に豚の丸焼き方式でひとりがぶら下がる、というもの。これを順番に繰り返すのだ。
練習の段階では二人三脚の縄跳びが悲惨なことになっており、これは競技として成立するのかと大いに危惧されたが、
本番ではみんな見事に形になって、なかなか盛り上がる接戦ぶりなのであった。いやー、本当によかった。すべての競技が無事に終わって片付けをしていたら、テントのペグを引っこ抜く際に腰を痛めてしまった。
完全なる油断である。せっかく腰痛から解放されたと思ったら(→2018.3.6)、3ヶ月経たずにまた腰痛。
本格的に痛める寸前で手を離したが、痺れる感じのじっとりとした痛みが貼り付いているというイヤなパターン。
なんとかして早いところ治したいものだが、サッカーで体を適度に動かす以外の治療法を思いつかない。困る。
体育祭の前日準備である。生徒がいるうちは人海戦術でなんとかなるからいいが、生徒が帰ってからが大変なのだ。
ウチの職場はとにかく絶対的に男手が足りないので、力仕事のほとんどがこちらに降りかかってくるのである。
クソ重いハンマーで異様に入りづらい杭を打ったり、絡まりまくった紐を解いたり、水を撒いたり線を引いたりと、
非常に大変なのであった。生徒のいるうちにうまく分担させる工夫がないと、これは苦行でしかないわい。そして準備が整ったところで、部活対抗リレーに参加する教員のリレー練習。グラウンドが小さい分だけカーヴがキツく、
確かにぶっつけ本番は危ないのである。でもここで真剣に走ったせいで、なんだかハムストリングスに張りが……。
なんとも困ったもんだなあ、と思いつつ、いつもより遅い時刻に帰宅。賢く省エネできない環境はつらいです。