当方、まったくもって鉄分がないつもりである。旅行に行くのは旅や街が好きだからであって、
断じて鉄道が好きだからではないのだ。そもそも僕はいまだに時刻表が満足に読めないし。
ところがインターネットで自分が全国の鉄道にどれだけ乗っているかを調べられるサイトがあったので、
どれどれどれくらいなもんだろうと思ってやってみた。そしたらなんと、JRのうち37%を制覇していることが判明。
これは自分が予想していたよりもずっと多い数値である。貧乏旅行をしていたら、いつのまにかここまで来ていた。内訳を詳しく見てみると、最も乗車率が高いのがJR東海で、73%を記録している。
これは単純に、JR東海にはマニアックな路線が少ないということだと思う。
その次がJR四国の70%。まあこれは四国一周をやっているので(→2007.10.5)、当然といえば当然だろう。
ちなみにJR東日本は広大な面積を抱えるため46%にとどまっている。特に東北が弱い。
逆に最も乗車率が低いのは、JR北海道。函館へ行った(→2008.9.15)だけなので、実に5%という有様である。
JR西日本も18%である。山陽本線と近畿周辺以外乗っていないので仕方がない。
なお、JR九州は39%と平均的な数値である。2回行って(→2008.4.25/2009.1.6)この数値なら上等だ。
(正確に言うと下関旅行で徒歩で門司に上陸しているので3回行っているのだが、このときは鉄道には乗っていない。)まあそういうわけで、今後もチマチマと数値を上げていくんだろうなあと思う。
でも手段と目的を取り違えるようなことはしたくないので、特にこだわるつもりはない。
とはいえ、日本全国の面白い風景に出会うきっかけと考えれば、それは決して悪いことではないのだ。
気ままにのんびり、記録をとっていくことにしようか。
まあ結局、なんとなくボクシングの内藤×亀田戦を見ちゃったんだけどね、うーん。
まあやっぱりどうしても内藤の方に肩入れしてしまうんだけどね、うーん。亀田が巧かった。
さすがにあれだけ内藤の鼻が腫れちゃうと勝負にならないよなあ。残念。
それにしても視聴率が43.1%だと? なんだかんだでみんな見ていたってことか。
でもぜったい、今後亀田はこの視聴率を超えることはできないだろうな。
亀田が視聴率を持っているんじゃなくって、相手が内藤だったからみんなわざわざ見たんだよな。そう思う。
浦沢直樹『MONSTER』。一気読みしたのでレビューをば。
物語は1986年に始まる。
天才的な腕を持つ脳外科医・テンマは、頭を撃たれた少年・ヨハンを院長の許可なく手術したことで、
出世コースからはずれてしまう。が、院長らは何者かに殺害され、ヨハンと彼の双子の妹は失踪する。
そして1995年、外科部長となったテンマの前にヨハンが再び現れる。
しかしヨハンはテンマの患者を平然と射殺し、9年前の院長らの殺人を告白する。
テンマはヨハンという「怪物」の命を救ってしまったことを悔い、彼を殺すべく旅に出る。浦沢直樹のマンガをしっかり読むのは『20世紀少年』(→2008.7.11)以来になるが、
やっていることはどっちもあまり変わらないという印象である。人が多く死ぬ分、こっちの方がひどい。
浦沢の「思わせぶり」が炸裂するたびに登場人物の誰かが死ぬ。延々とその繰り返しで辟易した。
東西ドイツのゴタゴタを背景に、きな臭いキャラクターが次から次へと出てきて謎が深められる。
でもそいつらが次々と死んで話が転がされる。浦沢がこのマンガを通して何を描きたいのかわからない。
レベルの低いミステリ好きには楽しいのかもしれないが、生産性のなさにこちとらウンザリである。
初期設定はなかなか魅力的で、浦沢の「マンガのセンス」が、ある程度は読ませる。
しかし「物語を創るセンス」の欠如があまりにひどく、人を殺すことで現状維持する悪循環に陥っている。
(現状維持とはつまり、読者の興味を惹くこと。言い換えれば連載を続けるということだ。)
正直、このマンガを面白いと感じてほしくない。作者は自分のつくったキャラに責任を持ってほしいもんだ。そもそもヨハンの存在が失敗なのである。絶対悪? 怪物? 完璧なカリスマ? ないない。そんなのない。
人間は不完全だから面白いし、そこを衝いていくことで物語は始まる(これは譲れない僕の持論だ)。
不完全を埋めようとする本人の努力、そして周囲との関係を、僕たちは求めているのだ。だから物語が生まれる。
完全なもの(ここではヨハンという怪物)を想定するから人間が相対的に小さくなってつまんなくなるのだ。
(伊坂幸太郎のどうしょうもなくくだらない本(→2005.8.18/2006.3.22)が犯した失敗に近い印象を受ける。)
かといって途中からヨハンを人間らしくしようとしても、初期設定がブレて話は混乱するだけである。
で、しょうがないから「なまえのないかいぶつ」だの「3匹のカエル」だの「赤いバラの屋敷」だの、
新しい即席の設定を用意して延命治療をするしかなくなる。視野が狭いのに大風呂敷を広げるからそうなる。
『MONSTER』は、殺人とその場しのぎの追加設定だけで18巻までもたせたマンガである。
それを支えていた読者がいたってことが悲しい。情けなくなってくる。この後、浦沢直樹は『20世紀少年』を連載するのだが、振り返ってみるとやはり、
「物語を創るセンス」が欠如したまま突っ込んでいってしまった感は否めない。
とはいえ登場人物の扱いという点からいえば、まあ多少は改善されているかな、とは思う。
そうやって少しずつでも浦沢本人の不完全さが埋められていくのは、読者としてもうれしい(なんだか偉そうだ)。
今ある浦沢への評価は不当に高い。が、それに見合う可能性のある努力がなされているのもまた感じる。
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』の最終回を収録した23巻が出たので買って読んだ。
作品全体の感想については、きっちり書くのにもう何年かかかることになると思う。とりあえず、23巻の感想。いちおうきれいにまとまっていはいるんだけど、あまりにも小さくまとめてしまっているので本気でガックリ。
本来ならもっと大きなスケールで、もっとたくさんのキャラクターを魅力的に包み込んで話が収束するはずだったのに、
さっさと終わらせてしまったということがありありとわかる。そんなに子育ての方がいいのか。
みんな各キャラクターの活躍をもっと見たいんだよう! 簡単に終わらせてなんてほしくないんだよう!
以前のレビュー(→2005.8.20)で書いた「第4期」は、ついに来ずじまい。あーもったいないもったいない。もっとも、今後は作者のペースでのんびりと番外編を連載していくようだ。
安定したファンをつかんだ現状からすれば、そっちの方が都合がいいのかもしれない。
ともかく、いったん終わらせるというその判断が賢明なものだったのかどうか、冷静に見守っていきたい。
まあ読者としては、楽しめればそれでいいんだけどね。熱い状態で楽しみ続けられますようにっと。
かなり緊張してスタートしたALTとの授業だが、やってみたらかなりスンナリ進んだ。
僕としてはALTをメインにしてフォローを入れていきつつアイデアを盗むという展開が理想なのだが、
だいぶそれに近い内容になって一安心。慣れてくるともうけっこうな阿吽の呼吸ぶりなのであった。
授業がぜんぶ終わってからALTに「あンたは最高のチームティーチングをしてくれたよ!」と言われる(英語で)。
生徒にも好評だったようでよかったよかった。こっちとしてもアイデアや経験の貯金ができてよかったよかった。
いつものALTがお休みということで、別のALTが明日の授業の打ち合わせにやってきた。
もはやすっかりALTに任せっきりな僕としては、かなりピンチな状況である。いざご対面して打ち合わせ。三人称のsについてやるということで話は通じたのだが、
具体的にどうするか訊かれて困る僕。いつも任せっきりなので、これこれこうしてくれ、というものがない。
もう好きにしてチョーダイ、ということでお任せにしようとするが、向こうは向こうでマジメなので困った様子。
結局、ワークショップ的に互いのアイデアをすり合わせながら進行の段取りが決まっていったのであった。残った時間でALTは教科書を熟読し、こっちはこっちで頼まれたプリントの作成。
いちおう準備は整ったものの、本番では何がどうなるかわからない。大いに不安になるのであった。
ながいけん『神聖モテモテ王国』。
1996年に始まったマンガなのだが、連載は中断されるわ作者は音信不通になるわで未完のままとなる。
それでも新装版が出たので久しぶりに読んでみたしだいである。ちなみにバヒサシさんは熱狂的なファン。基本的には記憶喪失の学生・オンナスキーが宇宙人のファーザーにそそのかされてナオン(女)にモテようとし、
ファーザーのキテレツな行動で失敗してファーザー血まみれ、という展開で毎回終わる。それ以上でも以下でもない。
連載中盤以降はオンナスキーすらファーザーを見限ってファーザーが単独行動で血まみれ、というパターンが多い。ガンダムのパロディが多いがそれ以外にも実にさまざまなネタを盛り込んで独自の世界を構築する。
特に言語感覚が強烈で、細かいダジャレからファーザーのセリフ、そしてポエムまでやりたい放題が繰り広げられる。
この作者には生成文法の理論が通用しないんじゃないかってほどに、言葉がめちゃくちゃに積み上げられるのだ。
これはもう、ふつうの人間にはマネのできない才能というよりない。もしくはそういう病気。
ファーザーのセリフはそのひとつひとつが常軌を逸している。おかげで読むのにめちゃくちゃ疲れるんじゃよー。
まあなんというのか、ある意味でこのマンガはマンガの限界を超えているわけで、レヴューの書きようがない。
一線を超えちゃった言語とファーザーが血まみれに至る様式美を堪能できるかどうか、ただそれだけですな。モテたいんじゃよー ギャワー
早朝、東京に戻ってくるが案の定、本日の僕は役立たずなのであった。
◇
神戸のカプセルホテルに高橋留美子『うる星やつら』が置いてあったので読んだのだが、途中で飽きてやめた。
『うる星やつら』は前にもチャレンジして5~6巻あたりで飽きてやめたことがあるのだが、今回もそうなってしまった。
世間での評価は高いんだけど、このマンガはどうも僕には面白くないのだ。なぜか疲れるだけなのだ。キャラクターに魅力を感じられないことが大きいと思う。まず僕はラムにまっっっっっっったく惹かれないのである。
諸星あたるは好きだが、そこにからんでくる面々がみんなつまらない。大ボケに全員ツッコミきれていない。
話じたいに方向性がないので、錯乱坊・あたるという大ボケキャラは強烈な存在感をみせて活躍しているものの、
それをツッコんでまとめて動かしていくキャラクターが出てこず、すべてが放ったらかしになっているのだ。
世間的にラム・あたる・錯乱坊以外のキャラクターの存在感が薄いのは、偶然ではない。まあそういうわけで、全員がボケの舞台は見ていても面白いと思えないのである。
るーみっくワールドは意外と弱肉強食なんだっちゃ。
早朝の神戸はなかなか気持ちがいい。いつもの人ごみはなく、そこに街だけがある。
でもそれはこれから訪れる人を待つ、前向きな雰囲気が漂っている街だ。何かが起きる予感にあふれている。三ノ宮駅(「ノ」が間に入るのはJRだけで、検索するときここが引っかかって厄介。なんとかならんか)を7時に出て、
20分ちょっとで大阪駅に到着。環状線に揺られて新今宮まで行くと、南海に乗り換える。目指すは堺だ。
今は政令指定都市が量産されている状態だが、そのトップをきったのが堺市(と僕は思っている)。
都市社会学を勉強した者として政令指定都市ぐらいはぜんぶ行っとかなきゃね、と僕は考えているのだが、
このたびやっとこさ堺市をきちんと訪れる機会ができた。まずは堺東駅で降りて、堺市役所を見てみるのだ。堺東駅周辺。規模は大きくないが「都会」な雰囲気。
堺市役所は堺東駅からすぐ南西。複数の棟からできているが、かなりのヴォリューム感で圧倒された。
丸い屋根が本館、ガラス張りの背の高い方が高層館である。本館の1~3階には堺区役所が入っている。
先につくられたのは高層館で、1991年の竣工。その後、本館が2004年に竣工した。
かつては1944年竣工の市役所(旧)本館があったのだが、2005年に取り壊されて広場になっている。
L: 堺東駅側から交差点を挟んで眺める堺市役所。 C: 隣にある大阪地裁堺支部の駐車場から眺めたところ。
R: 裏手から本館を中心に見上げる。朝日を反射してまぶしいです。
L: 本館。 C: 府道30号を挟んで眺める。 R: エントランス部分。アトリウム的ガラス張りホールがある。堺市役所の撮影を終えるとそのまま府道30号を南下する。すぐに国道310号に出るので左折してそっちへ。
そうしてしばらく歩いたところにあるのが、大仙古墳。いわゆる仁徳天皇陵である。
中に入れるわけではないので来たからどうだというわけではないのだが、やはり堺を訪れたからには寄りたい。
水と緑を眺めながらのんびり一周するほどの心理的余裕はないので、正面までは行ってみることにする。
(前方後円墳だから南西側の平らな辺が正面になるのである。『キン肉マン』では鍵穴扱いだったが……。)
とっても閑静な住宅街を抜けると、一周コースはちょっとした公園の雰囲気になる。
ランニングコースっぽい雰囲気だが、走っている人はいなかった。犬を散歩させている人はそれなりにいた。
L: 大仙古墳(仁徳天皇陵)にはこのような案内が出ている。一周すると2850mと、さすがにけっこうな距離になる。
C: 立入禁止の表示も、「宮内庁」とあると妙な迫力がありますな。しかし宮内庁も仕事の範囲が広いなあ。
R: 大仙古墳の外観はこんな感じである。上空からだと見事な形をしていても、地上の目線ではピンとこない。
L: 一周コースは住宅地から穏やかな緑の中へと変化する。 R: 正面はこうなっているのだ。さすがに天皇の陵墓だけあり、正面にまわり込むと風格は十分。
それまで「きったねー水だなあ、木なんて勝手に生い茂ってんじゃん」なんて思っていたのだが、
こうして正面で向き合ってみると、古墳全体が人造物としての矜持をしっかりと保ちながら、
かつ千何百年も自然との間で調和とせめぎ合いを複雑に続けているのが感じられる。
そういった歴史を思うと、現代に頑として場所を占めている過去の質感が非常に興味深い。
この古墳の中は、今も過去のままなのだ。近づけばその分だけ、過去にタイムスリップしてしまいそうだ。さて、堺の名所は古墳だけではない。そのまま西の方へと歩いて南宗寺(なんしゅうじ)を目指すのである。
道は静かな住宅街だったのだが、さっきの府道30号と交差して突然広くなる。
そして一気に郊外型の道へと変化してしまう。特に国道28号(第二阪和道路)の辺りは強烈で、
ついさっきまでの過去の香りは完全に吹き飛んでしまった。堺というのもいろんな表情を持つ街だ。
やがて阪堺の路面電車の軌道が見えてきた。その手前で右に曲がって住宅街の中、南宗寺を探す。「松仙」という酒屋があったので記念に撮ったよ。
住宅街をぐるっとまわり込むと南宗寺の入口である。案内がつねに出ていたのでよかったが、けっこうややこしい。
しかし門をくぐるともっとややこしい。というのも南宗寺の周囲にはさまざまな寺が混在しているからだ。
南宗寺の境内に面してそれぞれの入口があり、素人にはどこをどう行けばいいのかよくわからない。
奥まで行ったら案内が出ていたので一安心。しかしこの寺の密集地帯は実に独特な雰囲気だ。
L: 南宗寺の甘露門(山門)。1647年の建立とのこと。 R: 独特な雰囲気が漂う境内。中に入ると施設の管理をしている人に400円払う。軽い起伏のある土地に建物や供養塔などが密集している。
堺とこの寺と茶道の関係を示す千利休一門の供養塔があり、創建した三好長慶率いる三好一族の供養塔もある。
(戦国時代ファンとしては三好一族の誰が供養されているのか具体的に知りたかったが、よくわからなくて残念。)
先へ進むと枯山水の庭園に仏殿・唐門がお出迎え。狭い範囲に濃い密度で歴史の香りが漂っている。
L: 古田織部によるという枯山水。 C: 1653年建立の仏殿。 R: 唐門。お茶会のときに使うみたい。過去と現代がくっきり分かれて共存している。堺ってのも不思議な街だなあと思いつつ阪堺の駅へ。
今日は大阪を歩きまわるつもりでいる。できるだけ大阪を歩きまわってデジカメのシャッターを切っていくのだ。
大阪には何度も来ていてそれなりに歩いているが、2004年に訪れたときにはデジカメというものを持っておらず、
写真としての記録が残せていないのである(→2004.8.10/2004.8.11)。今回はそれを補完する気でいるのだ。
それにしても空模様がだいぶ怪しくなってきたのが気がかりである。どこまで歩いてまわれるか。考えている間に路面電車がやってきた。のんびり揺られて北へと向かう。
さてこのまま大阪へ行くのはもったいない。せっかくだから住吉大社にお参りしなきゃね、ということで、
住吉鳥居前で下車する。最近はすっかり城跡・寺・神社めぐりばっかりだが、できるときにやっておくのだ。
L: いざ、住吉大社に参拝だ! C: 淀殿が寄進したという反橋は修理中。残念である。
R: 門をくぐると本殿が……あれ? いくつも並んでいるぞ? そう、住吉大社の本殿はぜんぶで4つあるのだ。世間は七五三シーズン真っ最中で、住吉大社もお子様連れで大賑わい。
それじゃあさっそくお参りしましょうかと思って門をくぐって、さあ困った。住吉大社の本殿は4つあるのだ。
奥(東)にあるのが第一本宮で、そこから縦に第二と第三ときて、第三本宮の右に第四本宮が並んでいる。
ほとんど同じデザインの本殿がL字に配置されており、どこからどうお参りすればいいのか戸惑う。
もっとも今は式年遷宮の関係で、第一と第二の御神体が第三本宮に移されているとのこと。
これでいいのかなあと首を傾げつつ第三と第四にお参りしたのであった。
L: 手前左側が第三本宮。 C: 真ん中が第二本宮。 R: いちばん奥が第一本宮。区別がついている人はエライ!手前右側が第四本宮。北を上として、実際と同じように並べてみました。
住吉神社の参拝も無事に終わったので、いよいよ大阪の市街地に乗り込むことにする。
しかし空はどんどん暗い気配に染まっていく。天気予報でも雨が降ることは確実というトーンである。
しょうがないので、雨が降った時点でゲームセットということにして、歩けるだけ歩きまわってみる。南海で新今宮まで出ると、まずは新世界から天王寺公園周辺を歩く。
天王寺動物園はステンレスの柵に囲まれており、どうしても異様な雰囲気を感じ取ってしまう。
南西にあいりん地区があり、不法占拠者を出さないための処置なのだろうが、露骨すぎてどこか奇妙だ。
その無機質な感じが、頭上の阪神高速の巨大なコンクリートとセットになって、なぜかアメリカ的に思える。
道行く人がコテコテの関西人なので中和されているが、この感触は確かにアメリカのそれなのである。
L: 妙にアメリカ的な天王寺動物園付近。無機質で大掛かりなスラムクリアランス志向が共通しているように思う。
C: 天王寺動物園のエントランス。デザインがなされているものの、これまた巨大な柵である。どっちが檻だか。
R: エントランスの脇の階段を上がると大阪市立美術館(→2004.8.10)への通路に出る。戻ってそのまま新世界の中を行く。休日にしても、とてつもない数の人たちでいっぱいである。
アーケードのジャンジャン横丁は胡散臭い雰囲気と健全な賑わいの両方を兼ね備えていて、非常に大阪らしい。
見ているとどうも、新世界周辺は串カツ屋が多く、ここに来ている人たちはそれを目的にしているようだ。
新世界は大阪の…いや日本の串カツの首都として、完全にその地位を不動のものとしていると断言できそうだ。
どこもめちゃくちゃな行列になっており、どれどれちょっと食ってみるかという気にはとてもなれない。残念。
L: ジャンジャン横丁。オリジナルのテーマソングが流れる中、串カツ屋に観光客が行列をつくる。でもちょっと胡散臭い。
C: 新世界から眺める通天閣。5年前はここまで賑わっていなかったような気がするけどなあ。
R: 新世界はどこに行っても人だらけだった。いや本当にものすごいことになっている。せっかくだから通天閣に上ってみようか!と思ったのだが、次の瞬間にはあきらめた。
冷静に考えれば、新世界の混雑ぶりがそのまま鉛直方向に積み上げられた状態に決まっているわけで、
串カツ屋の比ではない行列がガッチリとできあがっているのであった。もうこれは本当にムリ。
こうして通天閣はまたもおあずけになるのであった。いつになったら上れるやら。
L: 通天閣を見上げる。1956年竣工ということで古き良き昭和の匂いがプンプンである。 C: 行列がギャー
R: 通天閣の足元にあるものといえば阪田三吉の王将の碑。しかしまあ、世の中には凄い人がいるもんだよなあ。通天閣本通商店街から恨みがましく通天閣を眺めたところ。
国道25号に出るとそのまま東へ。途中でアジア系の外国人に道を訊かれ、持っている地図で対応する。
地図は持っているし英語交じりで説明するしで便利な男に道を尋ねたあなたはラッキー。
そのせいかていねいに礼を言われたのであった。こちとらいつかモテる日のために善行を重ねるしかないのである。天王寺動物園の敷地が終わっても国道25号をしばらく行くと、「安居天満宮」と看板が出ているのが目に入る。
そう、ここが大阪夏の陣で真田幸村が討ち取られた現場の神社なのである。真田ファンの聖地である。
5年前にも来たことがあるのだが、その際に「六文銭」のつもりのお賽銭が1枚分足りなかった(→2004.8.10)。
今回の関西旅行はそのとき足りなかった分を納めるという目的もあったのである。というわけでいざ参拝。さて安居神社だが、本殿は入口からけっこう奥まった位置にある。
完全に路地だろこれ、という道を抜けると、ちょっとした高台の上で木々に囲まれた本殿が右手に現れるのだ。
L: 安居神社の入口。ここから左手にある参道を抜けて参拝することになる。 C: でも参道というより路地。
R: 境内にある「真田幸村戦死跡之碑」。来月には左側の台に真田幸村の像が設置されるんだってさ!まずは5年前に足りなかった1円玉を賽銭箱の中へ。これで前回の分がようやく完了である。
そしてここからは今回の分。やっぱり六文銭は真ん中に穴が開いてないとね、ということで5円玉を6枚用意した。
手のひらに6つ並べてみると、なるほどやっぱり真田の紋はかくあるべきだな!という気分になる。
L: 安居神社の本殿。大宰府に流される途中で菅原道真が休んだのが、その名の由来だとか。
R: ほれ! 見事な六文銭だろ! ちなみに六文銭は、三途の川の渡し賃を意味している。真田ファンには常識か。参拝を終えると社務所へ。手ぬぐいをはじめとしてさまざまな真田幸村グッズを売っていたので驚いた。
5年前に来たときにはただの静かな何もない神社だったのだが……って話を神職の方とする。
やはり「歴女」に代表される昨今の戦国ブームはかなりの勢いのようだ。実際、神社は賑わってはいないものの、
つねにひと気が絶えないくらいに誰かしらがいる状態で、「メジャー化」に思わずため息が漏れた。
あ、もちろん手ぬぐいと御守はゲットしたよ。手ぬぐいは今回、十勇士がいるヴァージョンにしてみた。5年越しの懸案事項を解決したので気分よく安居神社を後にする。そのまま東へ進むと四天王寺である。
ここは5年前には訪れていないものの、スルーするには恐れ多いので迷わず行ってみる。
四天王寺の境内に入ろうとしたところで最初に出迎えてくれるのは……鳥居! いきなり神仏混淆だ。
聖徳太子が建立したという超由緒正しい寺なのだが、つまりそれだけ神仏混淆は強烈だったってことか。中に入ると見事な伽藍。ここは奈良ではなく、大阪なのだ。でも奈良に来たような錯覚がしてしまう。
大都市・大阪にこんなものがしっかりと残っている(建築物は鉄筋コンクリートでの再建)のが信じられない。
なんでかよくわからないが本日は中央伽藍の中を無料公開しているということで、遠慮なくあちこち見てまわる。
五重塔も特別公開中ということで上ってみる(100円の心づけが必要だった)。鉄筋コンクリートで内部は味気ない。
周囲は背の高いビルが目立ってそれほどいい景色ではなかった。かえって伽藍の存在感が強烈に思えた。
L: 四天王寺の石鳥居。1294年建立の重要文化財である。でもこれは正式な入口ではなく、南大門が本来の正門だと。
C: 金堂と五重塔。気分はすっかり奈良って感じ。 R: 太子殿。四天王寺は中心伽藍のほかにもいろいろあるのだ。中心伽藍を出るとテキトーに散歩してみる。さっき拝観料が無料になっていたように、
どうもこの日は四天王寺の行事があったようで、境内のあちこちに出店が並んで実に壮観だった。
当然、観光客もいっぱいである。その光景に圧倒されつつ六時堂と石舞台へ。これがまた見事。
歴史と伝統を誇る四天王寺だが、この賑わいもまたずっと昔から繰り返されてきた光景なのだろう。
こりゃもう寺というよりちょっとした都市かもしれないな、なんてことを思うのであった。
L: 奥にあるのが六時堂で、手前にあるのが石舞台。四天王寺の中でも独特の存在感を放つ。
R: 簡単なテントの出店が並ぶ。売っているものは実に多彩で、スーパーマーケット状態。昔もこうだったのかな。四天王寺の次は地下鉄に乗って北に移動し、旧大坂城真田丸である真田山公園へ行ってみる。
歩こうと思えば歩ける距離なのだが、曇り空の下、特に面白みのない谷町筋を延々と歩くのも気が滅入るので、
おとなしく地下鉄で移動してみる。玉造筋を北に進んでテキトーなところで左折すれば上り坂が現れる。
この小高い丘の端を占めるのが真田山公園だ。プールにスケート、テニスに野球とスポーツ施設が充実している。
地名としてバッチリ残っているからいいのだが、特に大阪冬の陣を思わせるものは周辺にはない。
L: 真田山公園の東側。 C: 巨大な屋内運動施設。 R: 夏場はプール、冬場はスケート場。なかなか快適そうだ。テニスコートも野球場もある。なんでスポーツ公園?という疑問も正直あるが。
さあ空はいよいよ暗くなってきた。そろそろ降りだしそうな気配がするが、行けるところまで行くのだ。
もう一度地下鉄に乗ると、難波周辺いわゆるミナミに移動する。いかにも大阪らしい賑わいが広がっていて、
歩いているだけでも楽しくなってくる区域だ。地上に出ると、まずは新歌舞伎座がお出迎え。
設計したのは村野藤吾。前面唐破風だらけという常軌を逸したデザインがあまりにも強烈である。
残念ながら老朽化により今年の6月に閉館しているが、これだけの存在感のある建物を失くすのは惜しすぎる。
そしてそこから南へ行くと、南海の難波駅である。高島屋が入っているのだが、迫力のある外装だ。
もともとは1933年竣工の有名な建築で、リニューアルが完成したのは今年の9月、つまりほんの2ヶ月前なのだ。
かつてのデザインをそのままきっちり残していて好感が持てる。さすがは天下の高島屋だなあと思う。
L: 大阪の新歌舞伎座。目の前に立つと思わず「うわー!」と声が漏れてしまうこと必至。
C, R: 南海難波駅にして高島屋大阪店。以前のファサードをそのままきれいにした感じでお見事。……と、ここでついに雨が降りだした。残念ながら今回の大阪デジカメツアーはここでいったん終了。
次回はいつになるのかわからないが、できるだけ近いうちにまた訪れたい。折りたたみ傘を取り出すと、もうひとつの目的である関西でのFREITAG探しをスタート。
アメリカ村周辺に2店、梅田の方に1店を確認しているので、さっそくチェックしてみる。
難波からアメリカ村はわりとすぐである。肝心の店はどちらもちょっと奥まった住宅地にあった。
結論から言うと買うことはなかったのだが、品揃えは思いのほか充実していた。
どちらの店でも店員さんと軽く小粋なFREITAGトークを交わすのであった。
地下鉄で梅田に戻って残り1つの店を攻める。が、残念なことにお休み。またいずれ勝負だ。せっかくキタこと梅田に来たので、雨の中、リニューアルされた阪急百貨店うめだ本店(阪急梅田駅前)を撮影。
僕はちょくちょく大阪に来ているわけだが、そのたびに阪急百貨店を目にしては圧倒されていた。
大阪駅西側にある大阪中央郵便局と、梅田駅につながる阪急百貨店は、キタの偉大な近代建築コンビだ。
しかし阪急百貨店は1929年築ということで、老朽化やら何やらを理由に建て替えとなってしまった。
その結果できあがったのがこれ。現在の阪急百貨店うめだ本店。
以前の風格のかけらもないものができあがってしまった。小林一三が見たら卒倒してしまうに違いない。
ミナミの南海難波駅の圧勝である。大阪中央郵便局のリニューアルといい、キタは何をやっているのやら。
大阪の顔としての誇りはないんですかね、と苦言を呈したい。そんな権限はないけど、大いに呈したい。梅田周辺をウロウロしていたらすっかり暗くなってしまった。
本屋に入って持っている地図の最新版はないかと探してみたのだが、まったく見つからず。
京阪神のほぼすべての駅を網羅しているすばらしい地図だったのに、絶版になってしまって久しいようだ。
帰りのバスは21時40分発ということで、テキトーに食事をして本を読んで時間をつぶす。
でも天気は悪いし建築もショボいし地図もなくなっちゃったしで、大いに落胆して過ごすのだった。歩き疲れていたためか、来るときにさんざん苦しんだ4列シートも気にせず爆睡。
やり残したことの多い旅行だったので、できるだけ近いうちにリベンジしたいと思う。何年後になるかなあ。
まず最初に、言い訳を書いておく。
本当は、この秋の3連休を使って滋賀に行くつもりだったのだ。
県庁所在地ひとり合宿でまだ訪れていない街、大津に行くつもりだったのだ。
しかし、1ヶ月前に宿の手配をしようと思ってネットをつないでみたら、どこもいっぱいで予約が取れない。
こんなことは初めてだ。滋賀なんてマニアックな場所、宿が確保できないはずがない。
そう思っていろんなサイトをチェックしたが、どこもダメ。狐につままれたような気分になる。
その後何日かして、学校で修学旅行のパンフレット(2年前から予約するのだ)を眺めていて、気がついた。
この時期に大津の宿が確保できないのは、京都の紅葉を見に行く客が押さえているからなのだ、と。
大津駅から京都駅まではわずか2駅。なにも京都に泊まらなくても、大津が拠点で十分京都観光は可能なのだ。
これは迂闊だった。こういう世間の真理に気づけない自分の視野の狭さがイヤになる。
というわけで、滋賀攻めは延期せざるをえなくなり、それなら同じ近畿の姫路城を見に行こう、と切り替えた。
ちなみに姫路城は来年から本格的な修復工事に入るため、今後しばらく天守を見ることができなくなる。
金はないけどタイミングとしては今しかない!ということで決断したしだい。昨日の日記でも書いたように、4列シートの深夜バスはかなり強烈で、ヘロヘロになって大阪駅に降り立った。
桜橋口の切符売り場をしばらくムダに歩きまわって目を覚ましつつ足の正常な感覚を取り戻したくらい。
時刻は6時を過ぎたが、空はまだまだ暗い。こんなんでホントに市役所を撮れるかな、と心配しつつ電車に乗り込む。
最初のターゲットは、尼崎市役所だ。村野藤吾が設計したということで、通にはたまらない建物だろうと想像する。
でも困ったことに、尼崎市役所はややこしい位置にある。いやそもそも、関西は私鉄とJRが入り混じってややこしい。
尼崎駅はJRと阪神の両方にあるのだが、それぞれ離れて別個に存在しているのである。ややこしい。
そして尼崎市役所の最寄駅はそのどちらでもなく、JRの立花駅になるのだ。これまた、ややこしい。
しかもその立花駅も、最寄駅というには距離がある。迷わず行けるのか不安になる程度に遠い。ホントにややこしい。立花駅の改札を抜けて南口のデッキに出ても、辺りは完全に真っ暗。7時が近いというのにこれはないよと思う。
が、悪態をついていてもしょうがないので、とりあえず歩く。ポケットには2004年に梅田で買った京阪神の地図がある。
これだけを頼りにして市役所の印がついている場所を黙々と目指すのであった。
いかにも下町の住宅街を抜けたら、大通りに出た。地図を見るとここで左折するようになっているので、曲がる。
それにしても寒くてたまらない。東京よりもずっと寒い。今日がたまたま寒い日だとしても、関西とは思えない寒さだ。
冗談ではなく、震えるせいで歯がカチカチと鳴る。こんな状態になったのは何年ぶりか、思い出せない。
途中でコンビニを見かけたので飛び込んだ。中でゆっくり温まり、パンとホットドリンクを買う。
外でゆっくりと食べて燃料補給を済ませると、寒気もどうにかおさまった。空もだいぶ明るくなってきた。
一度明るくなりはじめたら、あとは早い。尼崎市役所に着いたときには十分写真撮影ができる空になっていた。
L: 尼崎市役所。パターンとしてはそんなに珍しくないのだが、さすがにファサードが凝っている。
C: 真正面から眺める。目の前の南館が大きくて後ろの中館がほとんど見えない。 R: 角度を変えて眺める。
L: 近づいて撮影。中館のファサードがようわかりますな!
C: 南館のエントランス部分。市長室はこちらの2階にあるんだそうだ。
R: 議会棟は中館の東側にあるこちら。議会にしてはかなり独特なデザインである。
L,C: 後で増築された北館を裏手から眺めるとこんな感じ。やはり中館の正面からほどのインパクトはない。
R: 右手が中館、左手が北館。尼崎市役所についての詳しい説明は、尼崎市のホームページに掲載されている(⇒こちら)。
1962年、前述のとおり村野藤吾の設計により竣工している。なんでも公園の池を埋め立てて建てたそうだ。
同時期に建てられたほかの一般的な市役所と比べると、やはり細かいところがオシャレである。
ただ、公共建築ということもあってか、ほかの村野の作品に比べるとおとなしさも感じる。敷地を一周して市役所を撮り終えると、立花駅には戻らずに、そのまま阪神の尼崎駅へと向かう。
次のターゲットは西宮市なのだが、西宮といったら甲子園球場なので、ちょっと寄り道をするのだ。
JRの甲子園口駅と甲子園の間は死ぬほど歩いた記憶があるので(→2004.8.12)、おとなしく阪神に乗るのだ。
阪神の尼崎駅前は8時過ぎということもあり、まだまだ静かだった。アーケード街も眠ったままだった。
映画『下妻物語』(→2005.7.12)では尼崎のことを「ジャージーカントリー」と表現していたのだが、
(要するに、住民がみんなジャージばかり着ているヤンキーだらけの街ということだ。)
そういう側面にはまったく触れることがないまま尼崎を離れてしまったので、ちょっと残念な気分である。わずか5分ちょっとで甲子園駅に到着。駅から球場までのオープンスペースが何やら騒がしい。
今シーズンはもう終わったというのになんだこりゃと思ったら、本日はファン感謝デーなのであった。
それでテントの売店が一斉に準備をしているというわけである。熱心なファンがすでに物色を始めている。
L: 甲子園駅。いかにも野球場に隣接する駅という感じ。でも駅舎は非常に小さい。道を挟んだ東側にも駅舎がある。
C: ファン感謝デーに向けて準備中の風景。朝早くからエネルギーがみなぎっているのであった。
R: 阪神高速道路の下を抜けると甲子園球場である。景観ということを考えた場合、この高速道路はジャマすぎる。前述のように甲子園球場には以前にも来たことがある。2004年の夏、高校野球をここで見たのだ(→2004.8.12)。
そのときに「遠いから」という理由で応援した駒大苫小牧がそのまま優勝。うれしい思い出である(→2004.8.22)。
さてその甲子園球場だが、昨年・一昨年と外装をリニューアルしており、以前とはまったく異なる外観となっている。
かつてはびっしりと壁面を覆っていたツタがなくなり、ベージュが剥き出しになっている。正直、違和感がある。
一時期のメジャーリーグで流行した、いかにも「ボールパーク」の雰囲気を強く漂わせているのである。
僕としてはむしろ、「甲子」園であるからには、大正ロマンを前面に押し出したデザインにしてほしかった。
だからあまり撮影していても面白くないのであった。甲子園なんだから、きれいならいいだろうってもんじゃないと思う。
L: 甲子園球場の正面。リニューアル時にレリーフが飾られるようになったが、それほど魅力的に思えず。
C: 球場内のショップ。阪神の帽子を意識したデザインだ。植えられているツタが全体を覆うまで何年かかるだろう。
R: 外野側の外観。まあ確かにきれいではあるんだけど、ほかにもこういう球場ってあるじゃん、って思っちゃうんだよなあ。甲子園駅に戻るといよいよ西宮駅へ。まずは「えべっさん」にお参りをして、それから市役所を撮影するのだ。
駅からまっすぐ南へ進み、ちょいっと西へ行ったら西宮神社である。全国のえびす神社の総本社だ。
ちなみに神社の敷地の東側を走る道路には、「えべっさん筋」と案内板が出ていた。さすがだなあ、と感心。表大門をくぐってしばらく進むと参道が右へと折れ曲がる。なるほど、このカーブでみんな転ぶわけだと思う。
西宮神社といえば毎年正月に福男選びの競走が行われることで有名だ。テレビでもよく話題になる。
勢いよく走っていた人たちが鈍角のカーブを曲がりきれずにバタバタと倒れていくシーンはもうおなじみだ。
今まさにその現場に来ているが、11月のなんでもない朝の神社は、その映像とは別世界の静かさだ。
的屋のおじさんが営業準備に勤しむ中、境内をさらに進んでいくと拝殿である。
L: 西宮神社表大門。1604(慶長9)年に豊臣秀頼が寄進したとのこと。福男選びはここからスタート。
C: 福男選びの難所としておなじみのカーブ。ちなみに福男選びは女性も参加可能だが、まだなった人はいないそうだ。
R: 西宮神社拝殿。正月の十日戎ではすさまじく混みあうというが、ふだんは落ち着いたものである。時刻は8時半を過ぎたところ。拝殿では神社にお勤めの皆さんが集まって何やら儀式が始まっている。
せっかくなのでその様子を観察してみる。どうやら皆さん、声をそろえて昔の文章を暗唱しているようだ。
古事記なのか日本書紀なのかそれともまったく別の何なのかわからないが、歴史の物語の匂いがする。
それぞれの声のトーンの微妙な違いが重なり、今までに聞いたことのない和音があふれている。
低音の要素が薄く、雅楽を聴いているかのようだ。でも確かに、言葉が紡がれている。これは不思議だ。もしかしたら、神社の由来を暗唱していたのかもしれない。
結局、この朝のお勤めが終わるまでずっと聴いていた。日本ってのは面白いもんだとあらためて思う。
なんだか心が洗われたような気分になって西宮神社をあとにするのであった。阪神の西宮駅を抜けると東へと歩いていく。国道2号を少し行くと、すぐに西宮市役所である。
電車の中から見たときにはなかなかのインパクトがあったのだが、あらためて見るとごくふつうの庁舎だ。
さっそく敷地を一周して撮影してみる。道の幅が広かったり公園があったりして、撮影じたいはしやすい。
L: 西宮市役所を国道2号から眺める。 C: 東側にある小さな公園から市役所を眺める。こちらが正面入口になる。
R: 北側にある(真ん中の写真の右隣にある)議会棟。ふつうです。
L: 南隣の西宮市民会館アミティホール。 R: 南側にも公園があり、そこから眺めた市役所。撮影を終えるとそのまま東へと抜けてJRの西宮駅から電車に乗る。次のチェックポイントは、明石。
東経135°の子午線とタコで有名な街にも寄り道するのだ。山陽本線は快調に西へと進んでいく。明石に着くと、まずは観光案内所で地図を入手。それから北口にある明石城址を歩いてみることにする。
ちなみに明石の観光案内所は規模は大きくないもののパンフレットなどが充実していて実用性が高そう。
観光に関するアンケート用紙をもらったのだが、確かに観光資源は豊富だ。ぜひ盛り上げていってほしい。
明石の市街地は線路の南側にあり、北口の明石城址はそのまま公園となっており、見事に区切られている。
夏に訪れた白河も同じような構造である(→2009.8.10)。成り立ちの共通性がちょっと気になるところだ。さて意気揚々と明石城址の入口でデジカメのシャッターを切ったら、「バッテリーを交換してください」の文字が。
こりゃいけねえやとジーンズのポケットから予備のバッテリーを取り出して装填したのだが、デジカメは動かない。
一瞬で事態を悟った。この予備バッテリー、充電し忘れていたのだ。そんなバカな、と思うが事実は変わらない。
いつもならBONANZAにデジカメバッテリーの充電器を入れているのだが、今回はDRAGNETで来ている。
つまり、充電器がないのである。これは実に困ったことになってしまった。姫路城までまだまだあるというのに。
しょうがないのでデジカメでの撮影を極力控えることにする。そして、市街地で大きめの電器屋を探し、
どうにかして充電器を入手するように心がけることにする。時間をムダにしない現実的な選択である。気を取り直して明石城址の中を歩いていく。なかなかの規模の石垣が残り、本丸には櫓も2つ残っている。
坤(ひつじさる)櫓と巽櫓で、どちらも重要文化財になっているのだ。月替わりで片方を一般公開している。
今月は坤櫓を一般公開していたので、中に入ってみる。ちなみに雨のときは中に入れないそうだ。
櫓の中では上の階に行くことはできないが、外の様子を眺めることはできる。市街地の様子を見る。
L: 明石公園(明石城址)入口。駅からすぐである。 C: 公園内の様子。本丸の石垣が立派である。
R: 明石城では最大の規模をもつ坤櫓。天守台のすぐ南にあり、天守に代わる役割を果たしたそうだ。坤櫓から眺める明石市街。宮本武蔵が都市計画をしたとか。
さて、明石に来たからには、東経135°というものを体験したい。実際に線が引いてあるわけではないけど、
頭の中で線を合成して風景の中を突っ切る子午線を想像したいのである。そのきっかけがほしいわけだ。
東経135°は明石駅や明石城址よりも東側にあるので、そのまま東に出てみることにした。
途中で桜堀の景色にうっとりし、2つ並ぶ図書館(兵庫県立図書館と明石市立図書館)に首を傾げ、
自転車競技場がわざわざつくられていることに驚くのであった(競輪場が廃止されて競技場化した)。
L: 桜堀。色づきはじめた木々がなかなか美しいのであった。
R: 兵庫県立図書館と明石市立図書館は1974年に同時にできたが、中を行き来することはできない。謎だ。ところが困ったことに明石城址の東側は完全な住宅街で、高低差があるだけでなく道もかなり曲がっている。
手元の地図を見るのだがどうにも大雑把で、気づけば間違った方角へ歩いていってしまっていた。
あわてて方角を修正するものの、道が曲がっているので思う方向に進めない。のんびりしている時間的余裕はなく、
焦りばかりが募っていく。最終的にはどうにかランドマークである明石市立天文科学館を見つけることができたが、
正直このおかげでかなり疲れた。それでもやる気を振り絞ってすぐ南にある山陽電鉄の人丸前駅へ。
この駅は東経135°の子午線が通っている駅なのだ。せっかくなんで、入場券でホームまで行ってみる。
すると現場にはタイルで印があった。その上に立ってみる。まあ単にグリニッジから135°の差というだけなのだが、
地理をきちんと勉強した身にしてみれば、それなりに感慨深いものなのである。頭の中で頭上に線を引いてみる。
L: 明石市立天文科学館。塔の時計が目立っているが、それにしても手前の墓地がすごいインパクトである。
R: 山陽電鉄・人丸前駅ホームにて、東経135°を示す線と天文科学館を眺める。駅の改札を抜けるとそのまま南下して、中崎公会堂の脇を通る。この公会堂は明治末期の和風建築で、
とりたてて特別な観光名所というわけではないのだが、こういうものを今後きちんと残していくことが大事だと思う。
さらに南へ行くと海に出るので、右折して海岸沿いの国道28号を行く。しばらく行くと左手の海側に市役所が現れる。
L: 中崎公会堂。1911(明治44)年築でこけら落としに夏目漱石が記念講演を行ったそうな。
C: 明石市役所の議会棟。 R: 明石市役所本庁舎。市街地からはややはずれた、港のすぐ横にある。いつもなら市役所相手には多めにシャッターを切るのだが、今日は即断即決で済ませる。
まったく間抜けなミスである。あと何枚撮れるのか逆算ができないのがつらいところだ。
すっかり弱りつつ市役所をあとにすると、そのまま海沿いに西へ行く。
しばらくすると明石淡路フェリー乗り場にぶつかる。「たこフェリー」という愛称がついていて、
でっかくイラストまで描かれている。いつかこれに乗って淡路島にも行ってみたいと思うのであった。フェリー乗り場から北上すると、明石の市街地を突っ切って駅へと向かう道になる。
あとはテキトーに魚の棚(うおんたな)商店街の写真でも撮って姫路に向かうかな、と思ったのだが、
途中の交差点で行列を発見。店には「玉子焼」とある。そうだ、明石といえば明石焼(現地では玉子焼と言う)だ。
駅の観光案内所で明石焼の店のマップをもらったのでそれでテキトーにどこかに入ろうかと考えていたのだけど、
さすがにこれだけすごい行列を見ると気になって仕方がない。時計を気にしつつ列の最後尾に並んでしまった。
さて、たこ焼きならお持ち帰りで何の問題もないが、明石焼というのは通なら店内で食べるものなのである。
家族連れが多くて思ったほど回転がよくない。お持ち帰りの人には早くつくってわたしてくれるようなので、
店内で食べるのは諦めて、お持ち帰りにしてもらった。これも余裕のない旅程が悪いのだが、まあしょうがない。というわけで、お持ち帰りの明石焼をぶら下げて魚の棚商店街を歩いていく。
鮮魚店がびっしりと両脇を固め、その合間に明石焼の小さな店舗が挟まっている、そんな印象である。
中心市街地のアーケード商店街がこのような状況になっていることから、明石ではどれだけ海産物が重要かわかる。
また、明石焼がどれだけ観光客の需要に応えているかもわかる(関東人には今ひとつピンと来ないのだが)。
L: 明石といったら明石焼(玉子焼)。専門店にはすごい行列が。つくっているところが見られて楽しいのはいいが。
C: これが明石焼だ(姫路で食ったときに撮影)。いかにも関西風のタレに浸していただくのだ。外見は確かに玉子焼。
R: 魚の棚商店街。鮮魚店と明石焼の店が見事な存在感をみせる。観光資源に恵まれている街だと思う。明石駅前の電器店に充電器は置いてなかったので、次の目的地である姫路で探すことにした。
時刻表で確認すると電車がすぐに発車するということで、あわてて改札をくぐる。
結局、明石で明石焼を食べることはできないのであった。明石を出るとすぐに加古川、そして姫路。さすがに世界遺産の姫路城を抱えるだけあり、姫路駅はコンコースが大きい。もちろん観光客も多い。
北口の脇にある観光案内所に飛び込むと、近所に大手の家電量販店がないかと問い合わせ。
「つい何ヶ月か前には駅前にあったんですけど、移転しちゃったんですよ」とおねえさんは申し訳なさそうに返事。
親切に地図をコピーしてくれたのだが、なるほど確かに遠い。山陽電鉄の線路端まで行くのがひとつ、
さらに手柄山の向こう側にあるのがひとつ。こんなところまで歩いていったら、大幅な時間のロスになってしまう。
しかしここまで来ておいてデジカメで撮影できないというのは絶対に避けたい事態だ。
姫路城の修理が本格化すれば、5年は見られなくなってしまう。最悪、手柄山の向こうまで歩く覚悟を決める。そうはいっても腹を満たさなければ始まらない。駅前で落ち着いて明石焼を食えるところはないかと歩きまわり、
バスターミナルで空いているスペースを見つけたので、さっそく座ってビニール袋から中身を取り出す。
そしてまだ温かい関西風の澄んだタレをたっぷりと浸して写真を撮ろうと構えたところ、
「あらぁ? それどこで売ってはりましたぁ?」と声が。いかにも買い物中といったおばちゃんが訊いてきたのだ。
「すいません、これ明石で買ったんです……」と答える僕。淡い期待を抱かせてしまって申し訳ないのであった。で、肝心の明石焼の味はというと……、20個はやっぱり多い。ダシを上品に利かせた玉子と柔らかいタコは、
確かにおいしい。しかしこれが20個連続というのはやはり単調なのである。もうちょっと少ない数で、
じっくりと味わいたかったなあというのが正直なところだ。1回につくる数が1人前なので20個になっているが、
もうちょっとフレキシブルになってほしいと思うのであった。20個で800円という値段は妥当だとは思うが。そんなこんなで明石焼を食べ終わったときには13時をけっこう過ぎていた。
ボサッとしていると店をまわって姫路城にたどり着く頃には冗談ではなく日が暮れてしまうのだ。
早足で駅南大路という大通りを南下し、観光案内所で教えてもらった家電量販店を目指す。駅南大路。やたらと広いが人も車も少ない。
地図で確認して右折し、西へとトボトボ歩いていく。人間の足というのは意外と速いものだ。
しばらく歩いて振り返ってみると「もうこんなに歩いたのか!」と驚くことがよくある。
しかしながらそれにしても最初の家電量販店までは距離があった。秋の日はつるべ落とし。
計画では姫路をクリアした後には神戸に戻って北野の異人館の辺りを歩き、夜景を眺めるつもりだったのだが、
今の季節、15時半を過ぎれば夕日がキツくなってくるので、北野は難しいかもしれないな、と思う。
そうこうしているうちに量販店に到着。駐車場の柵をまたいで越えると店内に入って問い合わせ。ないとの返事。
どうやらある程度大きな店にならないとデジカメのバッテリー充電器は置いていないのだ。旅行の際、最悪の事態はつねに想定しているので、さっさと次善の策を探す方向に頭を切り替える。
まず北野は諦め。神戸でFREITAG探しを優先させることを考えると、夜景も諦めた方がよさそうだ。
そもそもデジカメの電池がなくなってしまえば北野も夜景も撮影できないわけだし。
このまま手柄山を越えてもうひとつの家電量販店にチャレンジし、結果の如何にかかわらず引き返し、
戻って姫路市役所を撮影。駅まで戻ってさらに直進して姫路城。今日はここまで!という結論に至る。というわけでここからはデジカメの電池をよりいっそう温存する作戦をとるのであった。
妙に車がごった返している手柄山を抜けると、陸上競技場を目印に北上する。
陸橋で線路を越えるとヤマダ電機が見えた。郊外型店舗なので歩かされて恨めしいが、今はここだけが頼り。
店内に入ると問い合わせ。充電器じたいはあるというが、ショーケースの中にある種類は非常に少なく、
結局自分の持っているデジカメのタイプのものは置いていないことが判明。いよいよ困ったことになったが、
そこはポジティヴにとらえる。北野と夜景は完全に諦めるしかなくなったが、その分だけ姫路を歩ける。来た道を戻ってそのまままっすぐ進んでいき、姫路市役所に出る。なかなか巨大な建物である。
デジカメの電池節約のため、角度やら構図やらをエイッと決めてから素早くシャッターを切るのであった。
L: 姫路市役所。ホームページには「姫路駅から南へ1.3kmの便利な場所にあります」とあるが、ウソこけ。
C: 本館高層棟。1980年竣工。 R: 低層の議会棟は木々に包まれて見えない…。
L: こちらは東館。本館と同時に竣工している。 R: 北別館。隣は姫路市防災センター。姫路は金があるなあ。しかしこのデジカメは意外と粘るなあと思う。明石で最初の電池切れを起こしたときにはまだ午前中だったが、
気をつかってシャッターを切っていることもあってか、思いのほかがんばって動き続けてくれている。
この調子なら姫路城でもけっこう撮れるかもしてないな、なんて思うのだが、油断してはいけないのだ。
そんなことを考えつつ早足で一気に駅まで戻る。コンコースを抜けて北口に出たら、
並木ばかりで閑散とした南口とは風景が一変したので驚いた。姫路は、都会じゃないか!姫路駅北口周辺の様子。デパートが建ち並ぶ都会なのであった。
姫路城を目指して大手前通りを歩いていくが、観光客を含めて人通りはなかなか多い。
見ればアーケード商店街の入口があちこちにある。デパートの数も多い。やっぱり姫路は都会なのだ。
神戸と岡山の中間、どちらからもやや距離があるということで、きちんと賑わいをつなぎとめておくことができている、
そういう印象を受ける。さすが姫路、あややを生んだ街である(よくわからん)。歩いているうちに、駅から出たときには遠くに見えた姫路城がだいぶ大きく見えてきた。
途中で観光案内所があったので、ちょっと寄ってみる。中は小規模な博物館的展示になっていた。
パンフレットをいくつか頂戴するとさらに北上。連休中だからか、姫路城の目の前にある大手前公園は、
全国の名物を集めたテントのフードコートになっていた。のぼりの地名を見て、全国あちこち行っていることを実感。
ここには後で寄ることにして、まずは肝心の姫路城だ。観光客がワンサカいる中、僕も橋を渡って城内に入る。まずは三の丸広場である。かつては陸軍の部隊が置かれていたというが、非常に広い。
そして小高い丘の上に天守が堂々と鎮座しているのが見える。このスケール感はほかの城にはない。
料金を払って菱の門を抜けると三国堀で、ここから眺める天守がまた見事。観光客が必死でシャッターを切る。
「姫路城ってのは、どの角度から眺めても『THE 日本の城』だな!」と思いながら僕も撮影。
L: 三の丸広場から眺める姫路城天守。広場もデカいが、天守もデカい。
C: 三国堀付近から眺めた天守。僕らは知らないうちに、姫路城を基準に「日本の城」を考えているのだ。
R: 本丸を目指す。城内は曲がりくねった細い通路が多く、きわめて実戦的なつくりである。いったん天守の北側をまわり込んでから備前丸(池田輝政が住んでいた本丸の一部)に出る。
巨大な天守が目の前に立ちはだかる。あまりの迫力に、しばらくその場で茫然と眺めることしかできなかった。
個人的に、やたらと豪華だったりサイズの大きさにモノを言わせたりするものは好きではないのだが、
実際に姫路城の天守を目にしたら、そういうことを言う気はなくなってしまった。
わかりやすく立派で、それはそれとしていいことじゃないか、と思えたのである。
L: 大天守のほか、小天守が目の前に迫ってきて圧倒されてしまう。これはすごい。
R: 備前丸より夕日を浴びる姫路城天守を眺める。確かに文句なしで日本一の城だわ、こりゃ。天守の中に入る。見た目の巨大さに比例して、中もほかの城に比べて広い。
博物館的展示があまりなく純粋に建築として味わうことができるのはいいなあ、なんて思っていたら、
行く先にものすごい行列ができていた。天守に一気に上がることはできないので、制限をかけているのだ。
もはやすっかり神戸観光を諦めているので、まあこんなもんだわなと、おとなしく気楽に並ぶのであった。さて最上階には神様が祀られていた。堂々としたもので、こんな天守は初めてである。
せっかくなので猛烈な行列の中、僕もお賽銭を入れてお参り。そんでもってデジカメで撮影。けっこうハードだった。
外側の回廊へと順路は移り、窓から姫路の街を眺めながら進んでいく。雲の隙間から差す光を浴びて、
街は誇らしげに映った。それにしても大手前通りは大きい! 姫路はいろんなものがデカい。天守を出ると、あらためて備前丸からしばらく観察。もちろん振り返って街の方も眺める。なかなか飽きない。
とはいえずっとそのままでいてもしょうがないので、天守に別れを告げて備前丸を後にする。
途中で「腹切丸」という曲輪に寄る。恐ろしい名前だが、実際にここで切腹をした事例はなく、
空間構成が切腹の場面を想像させるのでいつしかそう呼ばれるようになったとのこと。なんとなくわかる。
L: 姫路城天守最上階。人ごみがあまりにすごすぎて、どんな神様を祀っているのか結局確認できず。
C: 最上階より眺める三の丸広場と姫路の街。大手前通りの存在感が半端じゃないです。
R: 腹切丸。昔の人は実にうまい名前をつけたもんですな、と言いたくなるような場所である。城を出ると、空はすっかり夕方の光加減。もう覚悟を決めて姫路を堪能しちゃうのだ。神戸の夜景はまた今度。
というわけで、まずはさっきのフードコートに戻る。歩きまわってすっかり小腹が空いているので何かないかと探す。
すると「姫路おでん」の文字を発見。ちゃんとした店で食べるような時間帯にはまだ早いので、ちょうどいいやと購入。
姫路おでんの特徴は、生姜醤油で食べる点。それ以外に定義はなく、生姜醤油をつければもうそれでいいようだ。
(特に具材に制約があるわけでもない。要するに姫路周辺ではおでんに生姜醤油をかけるぞ、ということなのだ。)
思えば僕が実家で暮らしていたときには、たまに冬におでんを食べたこともあったのだが、今ひとつ冴えなかった。
でもこうして生姜とセットだと味に変化がつくし、何よりあったまる。これはなかなか賢い工夫だぞ、と思う。
L: 姫路城前にできた即席フードコート。全国各地の名物が大集合。それでむしろ自分があちこち行っていることを自覚。
R: 姫路おでんを食べる。なるほどこういう食べ方があったのか!と納得。日本には面白いものがいっぱいある。あとは気ままに姫路のアーケード商店街をブラついていく。ぜんぶ合わせるとそうとうな総延長距離になるはずだ。
やはりそのせいか、大賑わいという感触ではない。が、人通りが決して消えることのないたくましさも感じる。
全体的にどこか懐かしい昭和の匂いが残っている。世界遺産・姫路城と共存して末永くがんばるだろうな、と思う。
L: 西二階町アーケード。ここは本当に昔ながらの商店街という感じがする。
C,R: みゆき通り。大手前通りの東側を並行して伸びており、かなりの距離がある。さて姫路駅の近くまで来たところで、岡山在住のリョーシさんから着信があったことに気がついた。
あわてて電話をかけてみる。まあ確かに、東京から姫路まで行ったら岡山はすぐそこなのである。
リョーシさんに相談もなく今回の旅行をやらかしたのはけっこう水くさいのである。なんだか申し訳ないのである。
まあ話が急なので無理に合流することはナシにして(こっちは気楽だがリョーシさんに負担がかかる)、
近いうちにまた会いましょう、備中松山城も行きたいし津山のホルモンうどんも食いたいし、なんて話をする。さて姫路を出ると、神戸へと向かう。FREITAGを扱っている店が何軒かあるので、チェックを入れるのだ。
しかしながらすっかり日が落ちて目的の店がどこにあるのかよくわからない状態に。
いちおう事前に住所は調べておいたのだが、店舗としての存在感がまったくないのである。
結局きちんと訪れることができたのは、渋谷にも系列の店がある1箇所だけという有様だった。
それにしてもこの日は連休の友引だったからかオシャレな港町の神戸だったからか、
あちこちで結婚式の2次会をやってやがんの。本当に冗談抜きで、歩いていった先々で2次会。
お前ら、オレがクラウザーさんの衣装を持っていなくてラッキーだったな!と思ったことよ(→2009.9.20)。もしかしたらと考え、元町で家電量販店を探す。そしたらやっぱりヤマダ電機があった。
ダメでもともと、充電器を探したらあっさり発見。姫路でのあの苦労は何だったんだ、と愕然とするくらい。
まったくもって余計な出費だが、自業自得である。ま、おかげで明日はある程度プランどおりに動けそうだ。
そのまま南京町でメシを食う。相変わらずどこで食うかさんざんグルグル迷った挙句、テキトーに店に入る。
ちょっといいチャーハンを食べていい気分になるのであった。旅行ならではの贅沢である。
L,R: 夜も南京町は大賑わい。本日は神戸のカプセルホテルに宿泊。カプセルの中はけっこう久しぶりである。これもまた青春の感触だ。
見た目には窮屈でも、寝転んでみると不便さは一切感じない。日本人の丁寧さを実感できるつくりである。
(カプセルホテルで快適に過ごせるというのは、世界的にはレベルの高いことじゃないかと思う。
治安が良くて技術がないと、こういうものを成り立たせようという発想は生まれない。日本ならではだ。)
そんな感じで、今日もいろいろと面白がりまくって一日が終わるのであった。◇
そのカプセルホテルのインターネットで、甲府と湘南の直接対決で甲府が敗れたことを知る。がっくり。
まだJ1昇格の可能性は残っているけど、ここで勝てなかったのは非常に痛い。どうなっちゃうんだいったい。
あまりにもテストのデキが悪かったので、この3連休を遊ばせないようにテストを返却した。
今日が期末テストの最終日で、今日のうちに返却するというのは極めて異例のことなのだ。でもやった。
教室は阿鼻叫喚と青ざめて無言のどちらかという地獄絵図になるのであった。反省するのだ!◇
夜になって支度をととのえて家を出る。宿に泊まるのは1日だけなので、今回は荷物を極力減らした。
いつもなら持っていくノートパソコンも持たず、FREITAGのDRAGNETでサラッとお出かけである。高速道路が週末1000円になった影響か、大阪行きの深夜バスは価格破壊が進行している。
おかげでそれほどの罪悪感を覚えることもなく関西へ行けるのである。これはうれしいことだ。
しかしながら久しぶりの4列シート深夜バスは予想外に強烈で、出発して早々酔ってしまった。
脂汗をびっしょりかきつつどうにか寝て気分の悪さを紛らわすのだが、今度は尻が痛くてたまらない。
確かに寝ているはずなのだが、頭の中では「エコノミー症候群!」という言葉がリフレイン。
お値段相当にハードな夜なのであった。でもまだ安い方を選ぶ若さの私。
いよいよ本日は英語のテストである。三単現のsがテストに初登場ということでできないことはわかっていたのだが、
その想像をはるかに超える究極的にひどい結果が出た。……まあ僕がユルい問題を入れなかったこともあるが。
授業で基本的なことを繰り返し何度も言っているのに、聞こえていないのか日本語がわからないのか……。
センスのかけらもない間違いを連発されて、今後何をどうしていけば事態を改善できるのかまったく見えてこない。
日記を書いていて本格的に腹が立ちはじめたので、もうこの話はこれでおしまい!◇
NHKの『ブラタモリ』が面白い。毎回きちんと追いかけているわけではないものの、見ると目が離せなくなる。
『タモリ倶楽部』の大ファンとしては、似た系統だなあと思う部分は正直ある。が、そこはさすがにNHK。
テーマに据えられた街の、歴史を通したさまざまな姿が克明に描きだされる工夫がなされて、非常によろしい。
時間と空間がここまでないまぜになって展開される番組はほかになかったと思うのである。
将来的にはきっとDVDが発売されるだろう。今から貯金をしておこう。
渋谷にて若手飲み会が開催されたので僕も参加。
ふだん酒を飲む習慣のない僕にはまるで縁のない、地下の隠れ家的居酒屋で飲む。
去年まで講師をされていた先生も交えての飲み会だったのでそれなりにけっこう盛大で、
しっかりと楽しませていただいたのであった。いやー、愉快愉快。2次会はダーツである。出版社時代に一度やっただけなのだが(→2005.12.20)、やっぱり面白い。
慣れている人もいたのだが、だからといってそれがすべて結果に反映されないのが楽しいのだ。
完全に野球の投げ方でビシビシ高得点を出す人、運を完全に味方につけた人、それぞれに活躍。
非常に熱い展開となって大いに盛り上がったのであった。最後はラーメンで締める。すばらしい息抜きになってよかったよかった。
修学旅行についての話し合い、つまりはプレゼンテーションがあった。
業界では1年生のときからプランを練る慣習になっているのである。
1年生で大まかな案を練り、2年生で金を貯め、3年生で実行する。そうなっているのだ。
旅行代理店が決まるとまずは宿の予約。次いで交通関係が押さえられる。
早ければ早いほどいいものだとはいえ、ふだんいいかげんな旅行をしている身としては驚きだ。
実際に自分がその旅行に帯同する保証はないのだが、話は進んでいく。いや、進めなくてはならない。それにしても、今年の新型インフル騒動が修学旅行業界に大混乱を引き起こしたことを考えると、
あまりのんびりと構えていられない気分になる。いつどんなトラブルが降りかかってくるかわからないのだ。
無事にものごとを進めることができるってステキなことなんだなあとあらためて思うのであった。
それにしても連中はとにかく英語ができない。同じことを何度言っても覚えられない。
「絶対に一般動詞とbe動詞は混ぜるな」と言っても通じないし、「まずは主語から考えろ」と言っても伝わらない。
テストづくりしつつ、ひたすら悩み続けて一日が終わった。勉強のできる/できないは、目の良さ/悪さに通じるように思える。
目が悪いと周囲のものがぼやけて見えるが、勉強ができないことはそれと似た状態に思えるのだ。
逆に、すっとクリアに視界にあるものが見通せる状態と、勉強がわかることは似ているように思う。
目が悪い状態に長年慣れていると、周囲がぼやけていてもある程度は状況が読めるのだが、
連中はぼやけている英語の世界で完全に立ち往生してしまっている。
まずは動いて手当たりしだいに触ってみればいいだろと言っているつもりなのだが、動かない。
勉強の世界には眼鏡やコンタクトレンズなどの劇的な矯正器具なんてないから、
地道にやっていくしかないのだが、そのことをどうしてもわかってもらえない。もどかしくってたまらん。
まず自由が丘で髪を切る。さっぱりする。
次に鮫洲で免許を更新する。今度の免許証はICチップが内蔵されているようでちょっと厚くなった。
最後に秋葉原で外付けハードディスクを買う。データのバックアップ用である。
あとは中古ゲームミュージックCDを物色するなどして晩飯まで過ごす。いかにもな休日である。
むっくり起きたら朝7時くらい。流されるままにメシを食い(朝からビールが飲める人間の体の構造が理解できない)、
じっくりと温泉に漬かって非常にいい気分になり、そのままマイクロバスで宿を出る。
僕の価値観ではきちんとした宿に泊まって夜遅くまで宴会騒ぎというのがまったくもってわからない。
それ相応に金がかかっているのだが、そのコストパフォーマンスの悪さがむずむずするのである。さて2日目は伊東駅からタクシーに分乗し、道の駅でお買い物である。
土産を買って帰る相手のいない僕としてはそこそこ退屈な時間だ。でも土産物を眺めて傾向を読み取ったり、
朝霧高原産の低温殺菌牛乳を飲んだりしていたら意外と楽しめた。静岡は広いだけあり名産品も多い。その後は水中の様子を眺めることができるという遊覧船に乗る。
今日はなかなか激しい雨が降っており、その影響で海も透明度がイマイチ低い。
それでも沖に出てからエサをまいたら大小の魚が乱舞する様子を堪能することができた。
船はそれから川奈方面へ向かう。視界はそれほど良くなかったが、初島が要塞のように浮かんでいたのが見えた。
天気が悪かったせいか波がけっこうあって、そのせいで軽く酔ってしまった。
L: 水中の様子が眺められる遊覧船。ゴテゴテしてるなあ。 R: エサに群がる魚たち。もうちょっとはっきり見たかった。陸に戻ると市街地にある料理店へ。昼とは思えないほど豪勢な料理をたっぷりいただいたところで解散となる。
店を出たら雨がやんでいたので非常にラッキー。けっこう激しく降っていたので、こんなにあっさりやむとは意外だ。
帰りは各自の自由ということだったので、僕は伊東市役所へ行ってから帰ることにした。
個人で伊東に来ることなんて絶対にないから、この機会を逃したら二度と街歩きができないように思えたのだ。
というわけで、伊東駅のコインロッカーに荷物を預けると、市役所へ向けてのんびりと歩きだす。
L: 伊東駅。団体旅行じゃなきゃこんなところ来ないもんなあ。
R: 駅からまっすぐ伸びる道を行く。真正面に見えるでっかいのが伊東市役所。けっこう距離がある。歩いている途中で気になる建物を発見。「東洋館」という旅館だった建物で、なかなかの迫力。
現在は観光・文化施設となっており、土・日・祝日には中にある風呂に入ることができるようになっている。
玄関先ではおそらくイタリア語(スペイン語かも)の会話が繰り広げられており、なんだか国際的なのであった。
L: 東洋館の玄関先。いかにも絵に描いたような、見事な木造温泉旅館建築である。
R: 裏側から見ても面白い。三角形と丸の対照的な塔が最上階にくっついている。道はどんどん地方都市の奥まった雰囲気へと姿を変えていく。観光都市としての面影はなくなり、
坂道に昔ながらの暮らしの匂いが漂いだす。地図を頼りに田舎の住宅街をトボトボ歩く。
すると上り坂の両脇から突然、緑があふれる一角に入る。コンクリートの感触が新しい。
ここだけ郊外のつくられ方をしていることから、市役所が近いことを悟る。
案内板に従って左に曲がると、巨大な伊東市役所がお出迎え。ガラスが嫌味なくらいに青く輝いている。
これだけ行政がやりたい放題をやっている市役所を見るのは久しぶりだ。圧倒されてしまった。
L: 伊東市役所。ガラスを使いたい放題、過剰に複雑な形。よくまあ批判も恐れずつくりきったもんだ、と呆れた。
C: 市役所の敷地内にある遺跡。縄文時代の住居跡だってさ。 R: 市役所の側面。無効なオープンスペースが広がる。
L: 裏側のエントランスはこのようになっている。 C: 弧を描く高層棟。 R: エントランスをもう一度クローズアップ。敷地内を一周しながらシャッターを切ってまわったのだが、良く言えばすごく表情が多彩、
悪く言えば節操のかけらもない建物で、所変われば品変わるとはまさにこのことだなあと思うのであった。市役所の隣は物見山公園。そこにあった伊東祐親像。
市役所の撮影を終えたので、あとは気ままに街歩きをするだけだ。地図を参考にフラフラと駅を目指す。
しかしただ駅へ戻るのでは面白くないので、まずは海岸に沿って歩き、それからメインストリートを歩くことにする。
海岸沿いの国道135号をのんびりと行くと、伊東市観光会館が現れる。1966年竣工らしいのだが、
いかにもその時期らしい意匠のホール建築である。「市民会館」ではなく「観光会館」なのが伊東らしい。
そこからさらに進んでいくと三浦按針の像があり、その先はオレンジビーチという海水浴場である。
沖を眺めるとテトラポッドの向こうに初島が浮かんでいる。雰囲気が熱海とまったく一緒だ。
L: 伊東市観光会館。 C: 三浦按針の像。日本初の洋式帆船を建造したことを記念してつくられたそうな。
R: オレンジビーチ。なんでそんな名前なのかよくわからんが、とにかく非常に伊豆っぽい海岸だと思う。初島。家を継ぐ子ども以外は島を出て、島内人口を一定に保っているとか。
海岸から市の中心部に戻ると、昨日マイクロバスに乗っていたときに気になった風景をもう一度見てみることにした。
それは、ハトヤホテルの威容である。♪伊東に行くならハトヤ 電話は良い風呂♪でおなじみのハトヤホテルだが、
山の斜面に合わせて建てられていることもあってか、ものすごく巨大に見えたのだ。
夜に明かりがついていたことで誇張があったにせよ、あらためて確認してみるべく歩いてみる。
しばらく行くと、駐車場の空き地からハトヤホテルが見えた。昨日の夜ほどのインパクトはないが、やはり大きい。
伊東にはでっかいホテルがいくつもあって、そこで夜な夜な大宴会が開かれていることを想像すると、
いったい日本人はここでどれだけのエネルギーを消費しているんだろう、と途方に暮れてしまう。ハトヤホテル。近くまで行けばなお凄い迫力なんだろうなあ。
デジカメで撮影して気が済んだので、商店街へと戻る。伊東の商店街は思っていたほど賑わってはいなかった。
土曜日の昼ということを考えると、ちょっと淋しいところである。僕らが昨日そうしたように、
観光客は夕方になってから宿が用意した乗り物で直接宴会場へ行ってしまうのかもしれない。
昔ながらのスケール感を残しているのか、道幅が全体的に狭いように思う。
L: キネマ通り入口。 C: キネマ通り内部。なんだか寂しい。 R: アーケードを抜けても狭い道幅の商店街が続く。以上で伊東市探検は終わりである。帰りに乗った電車が普通列車であるにもかかわらず、特殊な形だった。
山側はクロスシートの4人がけなのだが、海側の席は海と向き合うように配置されていたのである。
横向きで窓の外を堂々と眺めながら電車に乗るというのは初めての体験だ。伊東線はなかなか変で面白い。
今日は「社員旅行」だ! 仕事が終わるとみんなで一斉に出発。
参加メンバーが駅の新幹線の入口に集まると、ホームに移動してまず缶ビール。
新幹線の車内でもビールとおつまみが乱れ飛ぶ。正直、僕は引き気味でありました。熱海で新幹線を降りると伊東線に乗り換え。今回の目的地は伊東市なのである。
出発時刻が出発時刻なので遠くに行けず、だいたい湯河原~伊東ぐらいに落ち着くらしい。妙に納得。
で、伊東線の車内でも飲む人は飲む。JRなのに東急マークがついてる電車って変なの、と思う。
(伊豆急が東急グループで、直通運転をやっているので伊東行でもそういう車両もあるんだろう。)
伊東に着くと旅館のマイクロバスに詰め込まれて移動。何がなんだかわからないまま連行される。旅館に着くとわずかな自由時間の後、宴会スタートである。
酒代と料理代は毎年奮発しているらしく(確かに1泊2日とは思えない料金だ)、食事は非常に豪勢。
アワビというものを自覚して食ったのは初めてである。まあ要するに海の風味がするから珍重されるのね。
頃合を見て余興スタート。クイズ研究会出身ということでクイズを頼まれていたので出題。
さすがに皆さん僕が予想していたよりも強かったのであった。スルーなかったもんなあ。その後はカラオケで大騒ぎし、気がつけばビール漬けの僕はノックアウト。
脱落者部屋に無事収容されて一命は取り留めましたとさ。
L: 伊豆横断ウルトラクイズ、ということらしく帽子をかぶらされるの図。 C: カラオケでの私。
R: この写真はいつ撮られたのか、まったく記憶がない。おかしいなあ。慰安のはずが、なんだか思いっきり疲れているんですけど!
うーん……。
授業で黒板に「どせいさん」(→2008.11.18)を描いたら、生徒たちがかなり食いついてきた。
これをきっかけにして『MOTHER』話に花が咲くかと思いきや、意外な事実が発覚したのである。
それは、今の中学生は、どせいさんを「投げるもの」としてしか認識していない、ということである。『MOTHER2』では「知的生命体」としてさんざんどせいさんのお世話になるのだが、
今どきの中学生たちはそのことをまったくと言っていいほど知らないのである。
そのかわり、『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ(DXとX)』で投げて相手にぶつけるもの、
と思っているのだ。どせいさんを単なる「投げるもの」としてしか認識していないとは!これは由々しき事態である。文部科学省は早急に対策を講ずるべきだ。
やはりきちんと学力を重視した教育に転換しなければいけないのだ。
そしてできれば小学校のうちから「どせいさんは投げるだけのものではありません」と教えていくべきなのだ。
家庭教育の弱体化が問題となっている昨今、どせいさんについての正しい認識は、
すべてを家庭に任せるのではなく、ある程度は学校の授業の中でフォローしていかなければなるまい。
民主党政権の英断に期待しよう。ところで、どせいさんを描こうとすると、『ウゴウゴルーガ』の「おやじむし」が混じって困る。
白い犬で大人気のソフトバンクのCMだが、「犬のお父さん」を面白がるのは日本人だけって気がする。
もしほかの国だったら、犬が人間の親とはけしからん!ってすぐに抗議が殺到するんじゃないかと思う。
こういうところをいいかげんに済ますというか、別にいいじゃんと受け入れて面白がることができるというのは、
非常におおらかで日本人のいいところなんじゃないかと僕は勝手に思っている。まあ、それだけ。
Googleマップのマイマップが面白い、ということは以前の日記にも書いた(→2009.6.26)。
その後、地道に作業をしていったらそれなりの量になったので、ここで発表してみるのである。トップページのreferenceからcitiesをクリックすると今までに訪れた都道府県の一覧が出るが(これね)、
その各都道府県の画像もしくは名前の部分をクリックすると、別窓でマイマップが出るようにしてある。
まだ県庁を訪れていない場所についてはマイマップをつくっていないが、大半はもうできあがっている。
ちなみになぜ日本語版ではなくわざわざGoogle.comにしてあるのかというと、そっちの方が便利だから。
漢字にローマ字表記がついてくれるので難読地名もどうにかなる、というわけである。
それにつられてすべての項目が英語表記となっている。まあ、英訳の訓練も兼ねた。
カンのいい人はすでにチェックしてくれているみたいだが、初めて知った人はぜひ見てみてほしい。僕はあちこちに行った旅行の記録を個人的な日記として残しているが、
いちおうは「見本にはならないが参考にはなる観光ガイド」という側面も持たせて書いているつもりである。
そういう目的意識からすると、マイマップというのは非常に強力な武器である。
まあ所詮は僕の自己満足にすぎないのだが、これで少しでもお役に立てれば幸い。
いやしかし便利な世の中になったものだ。
親が上京してきた。母方の伯母さんが亡くなったので、その関係で。なんともやりきれない気分だ。
昼メシはオヤジと大岡山の王将で餃子定食をいただく。すっかり大人気の王将の看板メニューである。
意外と量が多かったとオヤジは言うものの、しっかりと完食したのであった。◇
この日行われたJ1の試合で、ついにジェフ千葉の降格が決定してしまった。
オシムが去ってからは坂道を転がり落ちるごとくだったが、ついにここまできてしまった。残念である。
そしてJ2ではC大阪と仙台の昇格が内定してしまった。つまり甲府は湘南と一騎討ちということになった。
単純計算でいえば昇格の可能性が3/4から1/2に減ってしまったということだ。これは痛い。
次の小瀬での直接対決(21日)で勝てば有利になるのだが、もう心配で心配でしょうがない。
巨人が日本シリーズで勝ったので、ケリがついたということで今年のプロ野球についてあれこれ書いてみる。
まず、どうしょうもないくらいに今年は巨人が強かった。
以前のようにFAで入団した選手ばかりが重量打線を構成しているのであれば批判も簡単だが、
内海・山口・東野・越智・坂本・亀井・松本と生え抜き選手が投打で活躍しているうえに、オビスポもブレイク。
これには文句のつけようがない。まっとうなやり方でまっとうに強かったのである。
アンチ巨人でもそのすばらしさを認めざるをえない。悔しいけど、参った。ヤクルトファンとしては、どうにか3位を確保してクライマックスシリーズ出場を果たしたことを喜ぶべきだろうが、
正直言って僕はCS出場を辞退してほしかった。勝率5割を切って出場するのは、恥でしかないと思うのだ。
そういうわけで、CSに限ってはヤクルトよりも中日を応援していた。負けてよかったと思っている。
来年は確実に勝率5割を超えてCSに出場してほしい。それさえできれば文句は言わない。今シーズン、特筆すべきは楽天のがんばり具合だろう。ついに堂々の2位である。
野村監督の最後のシーズンということもあって大いに盛り上がったが、最後は日ハムの前に力尽きた。
やっぱり日本人としてどうしても判官びいきになってしまう。ノムさんのボヤキが「弱い楽天」のイメージを加速する。
楽天が日本シリーズに出て巨人の悪役扱いを期待したのだが、現実はそこまで甘くないのであった。
岩隈もマー君もものすごいけど、いちばん恐ろしいのは不惑の大砲・山崎武司だと思う。
中日時代の山崎からは、今の凄さはまったく想像できなかった。人間、いつまでも成長するもんなんですなあ。最後に、引退する選手について。今年は例年になく、名選手が多く引退することになった。
中日からは井上と立浪。物心ついたときからずっと立浪は中日の主軸だったから、歳をとっていたことに驚いた感じ。
広島の緒方の引退も惜しい。本塁打を30本打ったときは「なんで緒方が?」と思ったが、すばらしい選手だった。
それ以外でも礒部に清水、江藤と、個性の強かったスラッガーが引退。一気に淋しくなってしまった。
でも小宮山は近いうちにどこかでまた現役に復帰しそうな気がする。
伊賀大晃/月山可也『エリアの騎士』。原作の伊賀大晃の正体はMMRのキバヤシさんとのこと。
去年の教育実習で一緒だった数学の先生が一押ししていたサッカーマンガである。世界でも屈指の才能を誇るU-15日本代表の「10番」・逢沢傑を兄に持つ、逢沢駆が主人公。
駆は小学生時代に相手をケガさせたトラウマから選手をあきらめ、チームのマネージャーとして日々を過ごす。
自分の才能を封じ込めようとする駆の姿が傑には歯がゆく、ふたりはうまく打ち解けられないでいた。
そして互いにサッカーについて話をしながら登校していた朝、事故に遭って傑は脳死、駆は重体となってしまう。
傑の心臓が移植されたことで駆は奇跡的に回復し、兄の求めていたストライカーとなるべくがんばるという話。さすがにキバヤシさんはマンガのツボをよくわかってらっしゃる。
ふつうの中高生にとって違和感がなく、かつオタク層にもガッチリ受けそうな絵柄を用意して、
ていねいに少年スポーツマンガを展開してくるのである。しかも熱血なだけでなく理詰めな部分も多い。
勢いで納得させてしまう部分と根拠のある説得が、非常にバランスよく提示されるのだ。
それでいて随所にしっかりとギャグ(あと少々のお色気)を挟み込んでくるのでまったく飽きることがない。
さらには上述のような兄の死などショッキングな展開もあり、読者は巻き込まれっぱなし。実に巧いのである。
作者がプレーヤーなら読者はボール、プレーヤーはボールの細部まで知り尽くしている、そういう感覚にすらなる。そういうわけでこのマンガは、まずサッカーが好きか嫌いか、次いで絵柄が好きか嫌いか、
そしてキバヤシさんの手のひらの上で転がされるのが好きか嫌いか、というところで好みが分かれると思う。
上述のように売るための要素は満載であり、素直にその手腕を味わっておいて損はないだろう。
個人的には、魅力的な敵を出すことも大事だが、もうちょっとチームメイトの描写を深めてほしい。
11人(以上)いて大変なんだけど、そこをしっかりしなければやっぱり面白さが半減してしまう。
ゲームの進行、物語の進行、描写の比率、そして現実でのサッカーのトレンド。
週刊連載というのはミスの許されない猛スピードのドリブルのようなものかもしれないが、
ぜひとも鮮やかなタッチでゴールまで突っ切ってほしいものである。
西森博之『お茶にごす。』のレビューを書くのである(タイトルに句点がついていると体言止めしづらい)。
最強最悪の不良として恐れられている「悪魔(デビル)まークン」こと船橋雅矢は、
高校入学をきっかけに平和な日々を送ろうと決意する。そして勧誘してきた茶道部部長・姉崎の心の広さに触れ、
彼女のような「優しい人間」になることを目指して茶道部に入部するのであった、という話。作者得意の不良マンガをベースに茶道という異色の世界を掛け合わせた意欲作。
結果、あまりまとまりのない内容のままで終わってしまった印象である。
主人公の船橋雅矢同様に、物語は不良の世界と茶道の世界の綱引きとなるのだが(直線上=1次元のやりとり)、
最後までその綱引きから脱することはできず、別の大きな次元を加えて話を広げていくことはできなかった。
茶道にハマっていた戦国大名とケンカ三昧の不良との最大の違いは教養の有無にあるわけで、
教養のない不良たちと茶道の接点が生まれえない以上、何も変化は起きない運命にあったのだ。
夏帆との掛け合い、樫沢との掛け合い、不良たちとの掛け合い、そういった散発的な動きが、
全編を通してローテーションのようにただ展開されていくだけ、となってしまっている。茶道部の「ロハス」な価値観に触れることで、また部員たちとのやりとりを通し、船橋は確かに変化していく。
さらに絶対的なヒロイン(「開架高校の良心」)である姉崎への想いをめぐり、船橋は葛藤する。
そして裏ではそのふたりを眺めながら夏帆もまた考えていた。描きどころは実にいっぱいあったのだ。
しかし残念ながら、そこまできちんと踏み込まれることはなかった。最後になってバタバタと出てきただけである。
船橋-山田の不良ラインに対し、茶道部という枠が弱すぎてバランスを欠いているのが根本的な問題だ。
また個人的には、樫沢を使いこなせなかった点がとても象徴的であると思う。
樫沢を出さなければその分、茶道部内での動きを描くことができて話が深まっただろうし、
樫沢を存分に動かせればその分、客観的に船橋を描くことができて話が深まっただろう。
だけど、そのどちらもできずに終わってしまった。できあがったのは不良と茶道のただのキメラでしかなかった。でもこのマンガが、作者が新機軸を打ち出すための通過点となる可能性は十分あるので、次に期待したい。
朝、学校に行ったら職員室が騒がしい。なんだろうと思って訊いてみたら、後ろの黒板を見るように言われる。
視線を移すとそこはびっしりと生徒の名前で埋め尽くされていた。耳なし芳一の話を思い出したくらい。
後ろの黒板には、インフルエンザに感染した生徒の名前を書くことになっている。
ということはつまり、文化祭後の3連休で、すさまじいパンデミックが発生したということなのだ。
1年生は学級閉鎖ならぬ学年閉鎖。僕がいつもいるクラスは、2/3が一気に感染してしまった。
勢いは3年生にも飛び火しており、結果として実に全校生徒の半分が校内から消えてしまったのである。
自分もかかったことで、ある程度流行が拡大しているかもなとは思っていたのだが、
さすがにここまでひどい事態になっているとは想像がつかなかった。呆れるしかない。結局、僕も熱が下がってから十分な時間が経っていないってことで、今日は帰らされるのであった。
1年生たちがいないため、今週は授業がほとんどない状態になってしまったし、まったく困ることはない。
ただ、期末テストに向けてどう授業を進めていくか、かなり難しいところである。うーん、大混乱。
快晴である。新プロジェクト「TOKYO SWEEP!!」の幕開けにふさわしい天気なのである。
インフルエンザの影響で体力がまだ完全には戻っていない感じがしないでもないが、走らずにはいられない。
本当なら面倒くさい西多摩から片付けていこうかと思っていたのだが、無理せず近場の多摩地区から攻める。
そういうわけで、挑戦第1回目となる今回は、狛江→調布→府中→国立の市役所を訪れるのだ。環七を北上して若林の交差点から世田谷通に入る。広い世田谷区を必死で走って環八を抜け、
大きな起伏を越えると日大商学部の前からまた大胆な下りになる。カーブしながら下りていって野川を渡る。
すると、狛江市である。狛江市にはこれといった観光名所がないので、そのまま市役所を目指す。
世田谷通の終点近くで分岐する狛江通にスイッチし、ちょっと行くとすぐに狛江駅前。
狛江市役所もそのすぐ近くにある。ここも自転車で数え切れないほど来ている場所だなあと思いつつ撮影。
L: 狛江駅。こちらは北口。 C: 狛江市役所の入口。右手の建物が市役所で、左手が市民センター。
R: 狛江市民センター。要するに、公民館と図書館がセットになった建物である。ちょうどこの日は文化の日で、菊の展示だか販売だかが行われるようでじいちゃんばあちゃんが菊を運んでいる。
おかげで市役所は微妙にいつもと違う雰囲気なのだが、気になるほどではない。さて、狛江市役所である。向かって右に事務棟、左に議会棟を配しており、両者はホールでつながれている。
オープンしたのは1980年11月。ちなみにお隣の市民センターは1977年にすでに建てられていた。
両方あわせてプロポーザルを実施し、設計者を選定している。その際に審議会が設置されたらしいのだが、
どちらかというとお飾りで、本格的に市民参加の門戸を開いたわけではないようだ。当時にはよくあるパターンだ。
なお、別の公共施設とセットにする手法は1970年代に多く、多摩地区では革新行政ブームと並行していたが、
当時の狛江市長は保守系である(ただし現在の狛江市長は共産党。非常に珍しい存在である)。
まあ政治的な面はそれほど濃くなく、むしろ後のアトリウムにつながるホールをエントランスに持つ点が特徴だろう。
L: 狛江市役所。右が事務棟、左が議会棟。10年前からまったく変わらない姿だ。
C: 議会棟とエントランス。狛江市役所は四角と三角のインパクトがなかなか強い建物である。
R: 事務棟と、その目の前につくられたオープンスペース。かつては水を張っていたが、今はほったらかし。狛江市役所の敷地を一周してみる。狛江は東京都の市では最小、全国でも3番目に面積の小さい市だ。
人口密度が非常に高く、あちこち住宅だらけである。北側の議会棟が大胆に斜めにカットされているのが、
いかにも狭苦しい狛江の住宅事情を想像させるではないか(付近の日照権を配慮した?)。
L: 狛江市役所エントランスと向き合う。 C,R: 裏側から見た狛江市役所。これで記念すべき1つめの市役所をクリア。狛江通を走って次の市役所を目指す。
それにしても狛江通は走りづらい。以前に比べれば歩道が拡張されて着実に改善されているのだが、
幅の狭い道を車がスピードを出していくのは相変わらずだ。国領駅に近くなるほど混雑が増す。
そしてその国領駅の踏切が、かなりの開かずの踏切っぷりなのだ。多摩地区で一番ひどいのではないかと思う。
L: 車の交通量が多くて歩道が狭い狛江通。自転車で走るのが非常に大変な道なのだ。
R: 国領駅の踏切。国領駅前の再開発は見事に進んだが、踏切の状況は10年前から改善されないまま。国領駅の踏切を抜けると、まずは旧甲州街道と交差する。いつもはこの道を西へと進むのだが、
今日はちょっと寄り道をしてみる。そのまままっすぐ進んで、現在の甲州街道・国道20号まで行って左折。
車の交通量が多く、歩道は狭く、しかも車道との間に柵がある。おかげで国道20号の方が圧倒的に走りづらい。
わざわざこっちを選んだのは、途中にある布多天神にお参りするためだ。多摩地区の天神様は谷保だけではない。
国立に住んでいたころ、夏場にこの辺りを走っていて熱射病気味になってしまったことがある。
フラフラになっていたのだが、ここの手水を頭からかぶって意識をハッキリさせたという罰当たりな思い出がある。
L: 現在の甲州街道・国道20号。車道は交通量が多く、歩道は狭くて並木が植わっている。自転車にはキツい道だ。
C: 布多天神の鳥居。電通大のすぐ隣にあり、小さいけど堂々としている神社。 R: 今日は七五三の子どもが多い。「ちったあ賢くなりますように」と定番のお願いをして再び自転車にまたがると、ちょっとだけ西へ。
トシユキさんの母校である電気通信大学である。中は相変わらず「THE 理系の大学」といった雰囲気である。
四角くて白くて規模の大きい建物が無数、キャンパスに建ち並ぶ。ランドマーク性に欠ける分、本当に迷路のようだ。
L: 電気通信大学正門。「U.E.C」(University of Electro-Communications)の文字が円形の板に彫られている。
R: この風景、いかにも電通大だなあ。僕はいい意味で、電気回路的迷路な印象を持っているのだ。さて、せっかく調布に来ているわけだから、ぜひ寄り道しておきたい場所がある。それは、深大寺だ。
旧神代町、つまり深大寺や神代植物公園の周辺は、駅からのアクセスがよくないエアポケット的な位置にある。
でも自転車だと気軽に行けるわけで、いい機会だからちょっと足を伸ばして訪れてみることにした。国道20号を右折し、電通大の脇を北上。中央道の下を抜けると最近になって区画整理されたのか、
妙に小ぎれいな幅の広い道路ができている。道はゆったりとした坂道となって北へと伸びている。
信号機の案内板によると御塔坂というらしい。車はそれほど多くなく、交通量のわりにぜいたくな印象の道だ。
本格的な坂に差し掛かる前に野川を渡ることになる。看板を見ると、なぜか「野」だけひらがなになっていた。「一級河川の川」?
坂道の中腹にある信号機に「深大寺入口」とあったので、そこから奥へと入ってみる。
すると新たに開けた印象から緑の生い茂る中へと雰囲気が大きく変わる。道の両側には蕎麦屋が点在。
有名な「深大寺そば」だ。こりゃ今日のブランチは決まったな、と思うのであった。緑によって俗世と隔絶されている。そういう感覚を強く持たせるところに深大寺は位置している。
調布駅前の騒がしさ、電通大の無機質さ、御塔坂のきれいに塗装された鉄やアスファルト、
そういったものと時間的にも空間的にも切り離されている陸の孤島、そういうイメージがする。
緑によって注意深く隠されたところに、いきなり懐かしさを感じさせる賑わいがあるのだ。
蕎麦や土産物を扱う店が門前町らしい穏やかさを漂わせつつ、緑と溶け込みながら並んでいる。ちょっと独特だ。
自転車を停めると、あてもなく歩いてみる。参拝者が多い。アジア方面からの観光客もしっかりといる。
いざ蕎麦をいただこうと思って品定めをするが、店の数があまりに多くてどこに入るか大いに迷う。
結局、迷い疲れてテキトーに選ぶ。麺は平べったく切られていたが、それが深大寺そばの特徴なのだろうか。
L: 深大寺の門前町。あふれる緑の中に蕎麦屋や土産屋が軒を連ねる。なかなかほかにない雰囲気だ。
R: 深大寺そばである。深大寺名物は正しくは蕎麦がきらしいのだが、これはこれで非常においしい。食べることで精神的にも落ち着いたところで、さっそく深大寺に参拝してみる。
やっぱり七五三シーズンということで小さいお子さん連れで境内はいっぱいである。
調子狂うなあと思いつつあれこれ撮影してまわるのであった。
L: 深大寺山門。深大寺は主要な建物が火事でことごとく焼失しており、古いものは1695年に建てられたこの山門ぐらい。
C: こちらが本堂。 R: 奥にある元三大師堂。厄除け祈願のためか、本堂よりもずっと賑わっているのであった。せっかくなので神代植物公園の方にも行ってみることにする。本当なら中に入れるといいのだが、
今日はあくまで多摩地区の市役所が目的ということでパス。また機会をみてしっかり訪れたい。
L: 深大寺側から神代植物公園に行く途中にある店。やっぱり、昔懐かしい独特の雰囲気がする。
C: 神代植物公園の深大寺門。意外と入場者が多い。 R: こちらが正門。アクセスが悪いわりに繁盛している。いいかげん寄り道にばかり熱中しているわけにもいかないのだ。本題に戻らないといけない。
というわけで国道20号に戻ってくると、そのまま南下して京王線の線路をまたいで調布市役所を目指す。古びたビルが建ち並ぶ調布駅南口において、郡を抜いた存在感を示している建物がある。
しかしながらこれは「文化会館たづくり」であり、調布市役所ではない。市役所はこいつの隣なのだ。
せっかくなので(僕の場合、市役所に隣接する公共施設も十分調査対象になるので)、たづくりの中に入る。
たづくりは、「文化会館」の名のとおりホールを持つほか、図書館も3フロア分ある。会議室もいっぱいある。
茶室もスタジオも映像シアターも調理室も美術室も図工室も調布エフエム放送もある、なんでもありの施設なのだ。
(ここの図書館がなかなか強力で、意外かつバラエティに富んだラインナップを誇る。一度訪れて損はない。)
L: 調布市役所・文化会館たづくり前のオープンスペース。後述するが、この空間は重要な役割を持っている。
C: 文化会館たづくり。周囲と比べてかなり強烈なインパクトを残す威容である。辺りは道が狭く、圧迫感がある。
R: 交差点より眺めたたづくり。なお、たづくりは1995年オープンである。最上階の12階には展望ロビーもあるので、そこから多摩地区を眺めてみることにした。
エレベーターに乗る人がけっこう多くてびっくり。この公共施設は有効に活用されているようだ。
さてエレベーターを降りると東側の眺めが目に飛び込んでくる。23区がはるか向こうに望める。
新宿副都心。ブルックリンから見たマンハッタン(→2008.5.10)に少し似ている。
公共施設らしい味気ない廊下を歩いて西側にまわり込むと、そこそこしっかりした展望スペースがあった。
右手には東京スタジアム(味の素スタジアム)、左手には富士山が見える。南にはよみうりランドもあった。
走り慣れている多摩地区も、こうして高いところから眺めるということはめったにない。実に新鮮である。
今日は富士山がとってもきれいだ。
たづくりからの眺めに満足したので、いよいよ本来の目的である調布市役所へ。
調布市役所のオープンは1971年11月である。当時としては非常に画期的なことに、
オープンスペースの整備によって高度制限の緩和が認められて8階建てとなっている。
(ただし現在のオープンスペースは、たづくり建設時に改装されたものである。)
また、市役所のこの立地は調布町(当時)と神代町(当時)の合併によって決まったとのこと。
今はたづくりの脇にひっそりと建っているが、なかなか深い歴史を持った建物なのだ。
L: 調布市役所。たづくりのせいで目立たないが、確かに高さがある建物だ。
C: 今となっては非常に狭苦しい感じがしてしまうエントランス。 R: こっちの中には議会が入っていると思うのだが。
L: グラウンドレベルから眺めた調布市役所。2階のエントランスとの間に駐車場を確保しているわけだ。
R: 歩車分離ってことですな。決して広くない土地をよく工夫して活用していると思う。敷地を一周して裏にまわり込む。京王相模原線の線路がすぐ近くにあり、裏からだと撮影しづらい。
やはり実際には、調布市役所はけっこう大きな建物なのだ。それにしてもFC東京を応援する横断幕が派手だ。
L: 調布市役所の裏手。「調布市庁」の文字が目立っている。
R: 角度を変えて撮影。京王線の乗客に向けてFC東京をアピール。さすが調布。市役所の撮影を終えたので、さらに西へと進んでいく。が、途中でさっき上から眺めた東京スタジアムに寄ってみる。
東京スタジアムはサッカー観戦でこないだ訪れているが(→2009.7.22)、あらためて撮影してみるのだ。
L: 東京スタジアム(味の素スタジアム)。FC東京も東京ヴェルディもどちらもホームスタジアムとしている。
C: やっぱりスタジアムは昼間のうちに眺めるものだなあと思う。デカくてキレイでいいなあ。
R: 東京スタジアムから南に行った旧甲州街道の様子。国道20号とは対照的な、アットホームな道。走りやすい。深大寺・たづくり・東京スタジアムと、調布で思いのほか時間を取られてしまった。
少し慌てて旧甲州街道を走って府中市へと入る。府中は旧甲州街道だと東西にしっかりと長さがあるので、
わりと単調な時間が続く。白糸台の住宅地を抜けるとちょっと複雑な東府中の交差点に出る。
府中競馬場へと分岐する京王線の踏切を越えるとまた住宅。でも府中が近づいてなんとなく気分が軽くなる。
やがて右手がいかにも再開発された雰囲気になると、府中駅はすぐ北。大国魂神社を合図に右折する。
……が、今日はその大国魂神社がお祭りで、かなりの賑わい。慎重に府中駅へと進んでいく。
L: 府中のシンボル・けやき通り。自転車で走るとわかるが、府中市内は意外と緑が豊富なのである。
R: 府中駅。いかにも京王線の駅って感じだ。この下のグラウンドレベルはバスターミナルになっている。府中市は、かつて修士論文を書く際に研究対象とした街である。来るたび当時の記憶が蘇る。
(市の規模が拡大するにつれて公共施設が整備されていく様子を論じた気がする。内容をよく覚えていない……。)
というわけで、お世話になった場所に寄ってみることにした。駅に近い公共施設・府中グリーンプラザに行く。
ここに入っている「府中NPO・ボランティア活動センター」では聞き取りもしたし資料ももらった(→2003.4.17)。
懐かしさを感じつつデジカメのシャッターを切る。当時と比べてあまり変わらないように思うのだが、
それはつまりNPOなどの活動がそれほど進化していないということなので、やや複雑な気分になる。
L: 府中グリーンプラザ。中身はホール、展示室、各種会議室など。京王線の高架下には分館もある。
C: 1階の府中NPO・ボランティア活動センター。 R: 地下1階のほう。こっちは本日お休みのようだ。お祭りの人並みをかいくぐって府中市役所へ。府中市役所は増築を繰り返して現在の姿となっている。
西庁舎が1960年1月、東庁舎が1970年3月、北庁舎が1988年1月のオープンである。
立川市役所が新庁舎に移転を完了した場合、この府中市役所西庁舎が多摩地区で最も古い市役所となる。
府中市は多くの工場を抱えており、平和島競艇を持っていることもあって財政的にはかなり豊かな市である。
ほかの多摩地区の市が次々に革新行政となる中で、最後まで保守であり続けた市でもある。
そういう市が新築ではなく増築を選択してきたというのは、市民や市政の現実的な感覚の強さを示す点だと思う。
ちなみに大正時代に建てられた旧府中町役場は博物館施設「郷土の森」に移築・保存されている。
そのことを考えると、庁舎へのこだわりがないわけではないのだ。やはり、すごく個性のある市なのである。
L: 府中市役所西庁舎。2009年11月現在では築49年となり、多摩地区で2番目に古い市役所である。
C: 角度を変えて撮影。歩道に面してオープンスペース的なものがつくられている。
R: 敷地内にある「府中小学校発祥之地」の碑。小学校だった土地を庁舎に転用する例は非常に多いのだ。
L: 敷地の北西側から撮影。8階建ての東庁舎が見えるようになった。 C: 右が西庁舎、左が東庁舎。
R: 真ん中の写真の反対側から見上げる東庁舎。ここも「府中市庁」とでっかく書いている。
L: 大国魂神社に面する東庁舎のエントランス。いちおう、極めて小規模なオープンスペースがついている。
R: 北庁舎。駐車場と会議室が主な用途となっている。こうして見ると複雑で要塞っぽいなー。周囲が住宅街で道が狭いのと敷地いっぱいの増築ぶりで、府中市役所の全体像は非常につかみづらい。
大学時代に訪れたときもなんだかよくわかんねーなーと思ったものだが、その印象は変わらない。大賑わいの大国魂神社。
庁舎をテーマに府中に来ているので、せっかくだから郷土の森にある旧府中町役場も見てみることにした。
南下して多摩川まで出ると、河川敷をのんびりと走る。天気がよく、サイクリングをしている人でいっぱいだ。
オーバーランしてしまわないように地図で確認し、タイミングをみて河川敷のコースを離れる。是政橋。多摩川の右岸へ渡るときにときどき利用する。
多摩川から程近いところに郷土の森はある。そんなに魅力のある展示があるとは思えないのだが、意外と客がいた。
入場料を払って案内図をもらうと中へ入る。博物館にはプラネタリウムがあるのでそれが目的の人もいるのだろう。
郷土の森は入って右手すぐの博物館と、復元・移築された建物が点在している公園がセットになった施設だ。
本日の僕の目的は旧府中町役場なので、まっすぐそちらへと向かう。一目でそれとわかる木造建築だ。
L: 大正10(1921)年竣工の旧府中町役場。役場としての役割を終えた後は、図書館として使われていたこともあった。
C: 角度を変えて撮影。 R: 内部(1階)の様子。役所の事務作業がこの部屋だけで完結していた平和な時代を思う。
L: 裏手から見るとこんな具合。 C: 宿直室の向かいにある炊事場。今の役所じゃ考えられませんな。
R: 2階・応接室の天井にあったクジャクの飾り。これが部屋の四隅に配置されていた。オシャレである。この役場が建てられた当時の行政と今の行政は、もちろん大きく変化をしている。でもそれは基本的には連続している。
連続した変化の臨界点に役所の新築は位置している。建物がもたらす非連続的な変化、それが僕の研究テーマだった。
何がこのような建物を求めたのか、そしてつくられた建物は何を与えたのか。めちゃくちゃ難しいテーマだと今でも思う。
L: 復元された旧府中尋常高等小学校校舎。中は教育資料館となっているほか、詩人・村野四郎記念館も併設。
C: 旧島田家住宅、こちらも復元。店蔵(みせぐら)といい、蔵がそのまま店になっている。 R: 中はこんな感じ。さていよいよ本日最後の目的地である国立市を目指さなければならない。ここまで寄り道ばかりしているので、
やっぱりまっすぐ国立市役所を目指すのではなく、フラフラと大回りで行ってみることにしよう。
実は個人的に気になっている空間がある。府中の西端から国立の南部にかけての一帯だ。
この辺りは中央道のインターが近いこともあって流通関係の建物や施設が多くつくられているのだが、
それがあまり多摩地区らしくなく、むしろ湾岸の埋立地を思わせる要素が満載なのだ。
特に国立市の中央道以南の部分は「くにたち」のイメージとはかけ離れた場所となっている(→2002.2.9)。
しかしながらそれもまた真実なのである。というわけで、「もうひとつの国立」を探してみるのだ。
L: 府中から国立へと通じる、新しくつくられた道。ひと気がまったくなく、東京湾岸の埋立地(→2008.7.27)のようだ。
C: 府中や国立にこんなに広大な空き地があるってのが信じられない。何があったのか、何をつくるのか想像つかない。
R: 国立・泉の集合住宅。大学時代、初めてこれを見たときは別の市に迷い込んだのかと思った。周囲は倉庫と農地。
L: 右手のフェンスの向こうは中央道。無機質なアスファルトと大雑把な土木・自動車整備関係の基地や倉庫が点在する。
C: 農地と流通関係の施設とわずかな住宅が入り混じる光景。これでも国立市なのだ。
R: 中央道にある、国立市に入ったことを示す看板。しかしこの看板に描かれている光景は、ここにはないのだ。10年前にこの辺りを「探検」したときには、もう少しゴチャゴチャしていて汚かった。
久しぶりに訪れてみたら、とにかく新しいアスファルトがあちこちに引かれていたのが印象的だった。
湾岸の埋立地のような「ほったらかし感」は変わらないが、小ぎれいになったとは思う。
国立の歴史を紐解けば、国立駅や一橋大学を中心に宅地化した経緯が簡単に読み取れるだろう。
しかしなぜ南部はこのような姿になっているのか、それを明確に示す史料を僕は知らない。
無視されたままのもうひとつの国立が、僕には無性に気になって仕方がない。甲州街道・国道20号に戻ると、毎度おなじみ谷保天神にお参りである。
最初お参りに来たときには参道が下へと石段を下りていくようになっているので驚いたのだが、
これは甲州街道が北へずれたせい。かつては標高の低い南側を甲州街道が走っていたので妙なこともなかった。
一橋大学で青春を過ごした自分には、谷保天の存在は絶対的なところがある。気合を入れてお参り。谷保天神への入口。ここをまっすぐ下って右に曲がると拝殿。
谷保天を後にすると南武線の踏切を越える。こうするといよいよ国立に来たぞ、という気分になる。
いつもなら右折して谷保駅前に出て大学通りを一気に北上していくのだが、今日の目的はあくまで市役所。
線路を越えたところですぐに左折して線路沿いに走る。周囲は100%住宅で、国立のイメージどおりの風景だ。
やがて右手に国立市役所が現れる。3階建ての高さしかないが、その分だけしっかりと幅がある。
ファサードの大部分を占めている黒いサッシュがとても印象的である。個人的にはけっこう気に入っている役所だ。
市役所のすぐ西側は谷保第四公園で、市役所は公園の端っこで静かにたたずんでいるような印象を受ける。
L: 国立市役所の西端部分。議会傍聴席への入口がある。 C: 角度を変えてやや正面から。
R: ロータリーの逆側からエントランスを眺める。市役所の建物はここから右へずーっと伸びている。かつての国立市役所は、谷保第四公園の北側にあった。1977年に市役所が現在地に新築されると、
跡地には市民総合体育館と芸術小ホールが相次いでつくられ、公共施設の集中した一帯となっている。
この辺りは1966年に公団住宅の建設されたのにともなって大規模な区画整理が行われた(住宅は今も健在)。
なお、国立市役所が3階建てと控えめなのにはワケがある。敷地のすぐ北には小学校が接しており、
それに配慮して予定から1フロア分を削ったのだ。建物に幅がしっかりあるのはその影響かもしれないが。
コンペも実施したらしいのだが、調査でその詳しい中身にまでは迫ることはできなかったのは残念。
L: 建物の東端から眺めたところ。長いなあ。 C: 東側の入口はこのように非常に質素。
R: 北側の裏手も正面とほとんど変わらないデザインとなっている。
L: 市役所に隣接する谷保第四公園。よく考えてみたら国立市富士見台は公園だらけ。区画整理前が想像できない。
R: 旧国立市役所の跡地にある、くにたち市民芸術小ホール。国立市民だったけど行ったことないや……。国立といえばわが母校・一橋大学なのである。11月3日ということでちょうど一橋祭期間中かなと思ったのだが、
やっているのは「くにたち秋の市民まつり」だけだった。一橋祭は片付け日で大学の中に入れなかった。非常に残念。
というか、曜日の都合があるとはいえ、市民まつりと一橋祭が連携しないってのはどうかと思う。
なんだかなあと思いつつ、かつての自分のアパートを撮影したりスタ丼を食ったりして過ごすのであった。
L: くにたち秋の市民まつり開催中。広い広い大学通りが歩行者天国になるが、それでも人でいっぱいの大盛況。
C: かつて住んでいたアパート。懐かしい。あまりに大学に近いので、一橋祭期間中は食料庫になっていた。
R: スタ丼。イタリア産の豚肉に切り替えたらしい。確かになんとなくマイルドになったが、迫力は減ったな!今日はここまで。次回の「TOKYO SWEEP!!」は、一橋大学からスタートして小平など西武線沿線を攻めるつもり。
仕事場が忙しかったりインフルエンザにかかったりで公にするのがすっかり遅れてしまったが、
このたび、新しい企画を考えた。題して「TOKYO SWEEP!!」である(⇒特設ページ)。
といっても別にハイレッド・センターのように東京を掃除しよう(→2004.12.20)というわけではない。
思えば「県庁所在地ひとり合宿」を軸にして、日本全国の地方都市めぐりをヒマをみて実行しているが、
今自分が暮らしている東京についてはかなりおざなりにしている。日記でテキトーに書いているだけだ。
そこで今一度、きちんと「東京を総ナメにする」ことをテーマとしてみようと思いついたのだ。
「TOKYO SWEEP!!」のsweepには、そういう意味を込めている。以前に東京23区の区役所を一日で制覇するという荒行をやっているが(→2007.6.20)、
さすがにアレは乱暴すぎた。だから今回はその逆で、23区を懇切丁寧にまわってみようと考えている。
目安としては、一日あたり1区というペースである。自転車を使ってくまなく見てまわる。
当然、達成するには23日かかることになる。だから一年以上かかるプロジェクトになるはずだ。さらに、多摩地区を無視することなど許されない。こちらもくまなくまわるのは非常にキツいので、
多摩地区については市役所・役場を中心に、著名な場所や名所を選んで見てまわることにしたい。
これまでに多摩地区の市役所めぐりは、実は2回も敢行している。1回目は大学在学中の2000年で、
当時住んでいた国立を中心に27市(当時)を南西を除く7方位に分け、全7回で実行した。
そのときの記録はHQSの会報に記事として載せた。機会があればここでも紹介してみたい。
(その際にデジタルではないカメラで庁舎を撮影しているので、それも合わせて出したいと考えている。)
2回目の市役所めぐりは大学院在学中の2002年。修士論文のための聞き取り調査を全市で行った。
3ヶ月にわたって自転車での往復を繰り返し、体重を8kg落とした伝説をつくったプロジェクトだったが、
最終的に「多摩地区の市役所」というテーマはお蔵入りになり、膨大な資料だけが残った(実家にある)。
データをざっとまとめたファイルがあったので、それをHTML化してみた。ぜひ目を通してみてほしい(⇒こちら)。
で、今回のチャレンジは3回目となる。三度目の正直となるような、充実した記録を残したい。というわけで、いつもの地方都市への旅行と同じように、23区+多摩地区30市町村について、
いろいろと魅力を掘り出してそれを体験していきたいと考えている。
完了まで何年かかるかわからないが、焦ることなくのんびりと楽しみながらチャレンジしていきたい。
インフルだけどいい天気だったので自転車を走らせて新宿まで行ってみる。
思えば新宿を目的地にするのはけっこう久々だ。やっぱりじっくりと走るサイクリングは気持ちいい。
でもいつもに比べてやたら汗ばんで息も荒くなるし、体力が明らかに落ちていてキツい。
インフルになっていなければ多摩地区の市役所めぐりをしようと企んでいたのだが、こればかりはしょうがない。
新宿へ着くとテキトーに本屋をブラつくなどして過ごす。パソコンは重いので持ってこなかった。
ウイルスを撒き散らしてもよくないので、なるべく人のいないところを選んでこっそりと動きまわる。◇
帰りに餃子の王将に寄って昼飯を食べたのだが、昨今の王将ブームのせいでどの店もいつも混んでいる。
ちょっと前までは気軽に食えたのに、今じゃ店の外で並んでいるのが当たり前。特に大岡山店の混雑ぶりはひどい。
今日だって常識的には決して混むはずのない時間帯なのに、席がびっしり埋まっている状態だった。
いいかげん早くこのブームが去ってほしい。ブサイクな男が気兼ねなく食える王将に戻ってほしいものだ。