diary 2010.11.

diary 2010.12.


2010.11.30 (Tue.)

本日は職場体験。基本的にこちらはじっと待機して不測の事態に備えるのだが、ヒマをみて現場に出かける。
ちゃんと仕事をやっているかの確認、あるいはそのちゃんとやっている様子をアルバム用に撮影する、そういう任務。
合法的にいつもの職場を離れられるわけだ。僕の担当は自転車で行くのが便利な場所のグループということで、
まあ当然、寄り道などは一切していないけど、昼間にペダルをこぐだけでもいいリフレッシュになる。
そんな感じでスイスイ行ってホイホイ撮影。みんな特に迷惑をかけることなく済んでよかったよかった。


2010.11.29 (Mon.)

L.ニールセンが亡くなった。
ご存知、『裸の銃を持つ男』シリーズ(→2009.7.272009.8.32009.8.6)でおなじみの俳優だ。
マサルなんかは「尊敬するコメディアン」として堂本剛とともに彼の名を挙げているほどリスペクトしている存在であり、
僕以上にショックを受けていることだろう。みやもりも前日にDVDを見たということでショックを受けていた。

なんというか、バブルがはじける前までは「バカバカしいこと」が実に大げさに行われていた。
それは洋の東西を問わずそうだった気がする。21世紀の足音がすぐ近くに聞こえるまで、世界はバカ騒ぎをしていた。
しかしそれは21世紀に入るとともに決定的にしぼんでいき、今やバカバカしいことをしようとする場合、
いかに金をかけないかが争って追求されているように思う。だから今はスケールの小さい笑いばかりがあふれている。
『裸の銃を持つ男』は、アメリカにおける大げさ路線の正統派コメディの代表的な作品である。
(マサルはむしろ、その前身であるTVドラマ『フライング・コップ』を推すだろうけど。→2009.2.22
その価値が今の状況下で十分に検証される機会がないままL.ニールセンが亡くなってしまったのは、非常にもったいない。
L.ニールセンとともに、かつてあった笑いのスケール感が、いっそう過去に追いやられてしまった。これはちとマズい。

こうなってしまったからには、一刻も早く『裸の銃を持つ男』三部作をBlu-rayのBOXで発売してほしい。
どうにか次の世代に向けて、スケールの大きなコメディの跡をしっかりと残させてほしい。
(って話をしたら、マサルは「『フライング・コップ』を先に出すべきなんよ」と言っていた。そんなに面白いのかよ!)


2010.11.28 (Sun.)

Yahoo!の知恵袋って、たまにチラッと覗くことがあるんだけど、その中にはもうなんというか、
「お前はなんだ、神様か!」って言いたくなるくらいものすごい見事な回答が出ることがある。
集合知ってのは、ああいうのの積み重ねでできているんだろうなあって思うわ。


2010.11.27 (Sat.)

こないだ鎌倉の下見に行ったばかりなのだが、まだまだ見ておかなくてはならない場所が多いので、
個人的にちょっと出かけることにした。しかしただ鎌倉に行くだけでは芸がないのである。
JRの鎌倉・江ノ島フリーきっぷを使い、まずは藤沢からスタートし、江の島に行ってみることにした。
プライヴェイトな江の島観光を終えてから、優雅に鎌倉に入ろうというわけである。

 というわけで藤沢駅だ。

藤沢駅に着いたからといって、素直に江ノ電に乗るような僕ではない。当然、藤沢市役所に行ってみる。
北口を出て線路沿いに東へ歩いていくと、やがて藤沢市役所の新館にぶつかる。その脇を抜けて橋を渡ると、
藤沢市役所の本館である。飾りの少ない建物で、第二次大戦前後の役所建築の典型という感じがする。
調べてみたら1951年築ということで、やっぱりなかなかの古さだ。市としては早いところ移転したいのだが、
金がなくって身動きがとれないという状況にあるようだ。まあどこも似たり寄ったりである。

  
L: 藤沢市役所本館。周辺には新館をはじめとして、さまざまな建物が分散して配置されている。
C: 藤沢市役所新館のエントランス。  R: 新館手前のオープンスペース。

市役所を撮影して満足すると、藤沢駅に戻る。南口に出てペデストリアンデッキを歩き、江ノ電の乗り場に行く。
江ノ電は明治製菓が全面的に支援しているのかなんなのか、カールおじさんがめちゃくちゃフィーチャーされている。
一企業がこれだけ鉄道会社と積極的にコラボしている例は初めて見た。それだけ江ノ電のイメージがいいのだろう。

 
L: カールおじさんが大々的にフィーチャーされている売店。江ノ電グッズ自体も非常に充実している。
R: 江ノ電・藤沢駅のホーム。さすがは観光名所を走るだけあり、乗客がけっこう多い。

江ノ島駅で降りる。江ノ電の江ノ島駅から江の島まではけっこう距離があるのだが、まあいい運動だ。
洲鼻通りという半分住宅地な商店街を抜けると国道に出る。江の島へ行くには地下通路を通るのだ。
下がって、上がると、目の前には木々に包まれた島が現れる。これが江の島なのだ。

  
L: 江ノ電・江ノ島駅。やはりここでもカールおじさんたちがフィーチャーされている。うーん、見事なイメージ戦略だ。
C: 鳥が止まっているステンレス製の車止めがあるのだが、その鳥たちに服を着せている。ようまあやりおるわい。
R: 江の島だ。いったいどんな場所なのか、ワクワクしつつ到着。

江の島は小さい。そして主要な観光地へ行くのは、ほぼ一本道である。高低差があるのが大変だが、
そこさえガマンすればむしろ迷わず観光できる便利な場所であると言えるだろう。
まだ10時前なので、開いている参道の店は半分ほど。戻ってくる頃には賑やかになっているだろう、
なんて思いながら坂道を上っていき、まずは江島神社辺津宮(へつみや)へ。

 
L: 江島神社辺津宮・瑞心門。竜宮城を模したそうだ。  R: 辺津宮の社殿。1675(延宝3)年の再建とのこと。

瑞心門に上る脇には有料エスカレーターのエスカーがあるのだが、せっかくだから歩いてみる。
途中のちょっとした公園には猫がいた。江の島の猫は野良ではあるもののずいぶん人に慣れており、
まったく逃げようとしないし顎の下をなでられて目を細めることすらある。のん気なものだ。
江島神社中津宮へ向かう途中からはヨットハーバーだかマリーナだかが一望できた。実にいい眺めだ。

  
L: 江の島のヨットハーバー。  C: 江島神社中津宮。江島神社の三宮の中では最も歴史が古いそうだ。
R: エスカーはこんな感じで神社を意識したデザイン。正直、階段がつらい人以外はいらんでしょう。上り専門だし。

江の島のてっぺんにあるのは、サムエル・コッキング苑という植物園だ。
明治時代の貿易商・サムエル=コッキングが個人的につくった植物園が、藤沢市によって再整備されたものだ。
苑内には展望灯台があり、それも込みだと入場料は500円。迷わず中に入る。

  
L: サムエル・コッキング苑入口。  C: 苑内には藤沢市の姉妹都市・友好都市をイメージした広場がある。
R: 入口付近の様子。さまざまな種類の植物があちこちに配置されている。学術的な分類は関係ないようだ。

季節も季節なので植物園じたいはイマイチ楽しめず。奥へと進んでいくと、展望灯台が現れる。
江ノ島電鉄が所有する日本初の民間灯台だそうで、2003年にオープンしたものだ。
ゴテゴテした感じのない、シンプルなデザインでなかなかよい。エレベーターで一気に展望階まで上がる。

  
L: 江ノ島展望灯台。あっさりしたデザインで好感触。展望台の中も板張りメインですっきりしていてオシャレだった。
C: 北の藤沢方面を眺める。トビが悠々と飛びまわっている。  R: 南側。冬の静かな空と太平洋がどこまでも続く。

外見のシンプルさは中に入ってもそのままで、木材を多く使った展望スペースは小さいながらも居心地がいい。
空気がもう少し澄んでいれば富士山まで見えたのだろうが、この日は残念ながら見ることができなかった。
それでも十分、相模湾は美しい。ゆったりと弧を描いて伸びていくさまを眺めていると、その先を旅してみたくなる。
東を向けばそれと対照的に、三浦半島の入り組んだ海岸線が猛々しい。江の島は両方を眺めるベストスポットだ。

天気がいいおかげで、景色を見ているだけでもずいぶんと気分がよくなる。そのまま地上に降りるのはつまらない。
いったん2階レベルのデッキに出て、再び眼下の景色を眺める。デッキは何もない分だけ広々としており、
のんびりと時間を過ごすにはよさそうだ。1階に出て、売店付近で明治乳業の紙パックジュースで一服。
サムエル・コッキング苑を後にする。苑内の木を遠慮なく引っかいて爪を研ぐ猫がいた。穏やかな休日だ。

 
L: 展望灯台のウッドデッキ。何もないけど、ボケッとするにはよさそうだ。  R: 引っかく猫。コラコラ。

サムエル・コッキング苑の向かいはガーデンパーラーというフードコート的な空間。
ここでもカールおじさんの看板があり、明治製菓のやる気に驚いたのであった。
奥へと進むと、石段を下りる。江の島には「山二つ」と呼ばれる場所がある。南北から侵食が進んだ結果、
島の尾根(変な表現だが許してくれ)がベコッと陥没したような形になっているのだ。
ちょうどこの部分から土産物屋や食堂が再び現れるようになる。そしてまた上り。
進んでいった先にあるのは江島神社奥津宮。神聖な木に岩に鳥居といろいろ集まっている。
拝殿の天井には酒井抱一による『八方睨みの亀』。ギョロッとした視線がちょっと気味悪いのであった。

  
L: こんなところにもカールおじさん。そういえば高尾山にもいたなあ(→2010.5.3)。明治製菓はなかなか戦略家だ。
C: 山二つのところにある店。なかなか歴史を感じさせるたたずまいである。ここから先は昭和以前の匂いしかしない。
R: 江島神社奥津宮。今は本殿などが修復工事中。ここから先は海面近くまで一気に下りとなる。

奥津宮の先はひたすら石段での下り。そのまま一気に海に出ると、そこは稚児ヶ淵と呼ばれる場所だ。
この日は天気がよかったからか、とても多くの釣り人が磯釣りをしていたのであった。
ここからさらに海沿いに南へとまわり込んでいくと、岩屋に出る。岩屋とはつまり、海食でできた洞窟だ。
この洞窟が霊場・修行の場となっていたのである。今は観光地として500円で中に入れる。

最初はまず、岩屋についての説明板。そこを抜けると本格的に洞窟の中へと入っていくことになる。
洞窟の入口で蝋燭の明かりを借りると、暗い奥へと進んでいく。彫られた仏像やら何やらが照らされているが、
基本的にはかなり暗い。やはり蝋燭というのが雰囲気抜群だ。閉所恐怖症の人には絶対に薦められない。
岩は浸み出してきた水で濡れており、怪しげな空気をさらに強く演出してくる。
似たような場所なら鍾乳洞もあるが(→2007.11.3)、こっちの方が圧倒的に狭苦しい。貴重な体験だと思う。
第一岩屋の奥は二手に分かれていて、片方は空海や日蓮が修行した場所、もう片方は江島神社発祥の地。
いったん外に出てから訪れる第二岩屋はこれといった霊場ではなく、龍のつくり物と音でごまかすだけの場所。
これは第一岩屋だけの方がいいのになあ、どうしてこう雰囲気をぶち壊すようなことをするかなあ、と思った。

  
L: 稚児ヶ淵周辺。釣り人たちが占拠していた。けっこう釣れているみたいだった。何が釣れたのかはわからんが。
C: 蝋燭の明かりで岩屋の中を行く。場所じたいは怖くないのだが、もし地震が起きたらとか考えるとすごく怖い。
R: 奥にある、江島神社発祥の場所。しかしまあ、昔の人はわざわざこんな場所で修行したのか。物好きだなあ。

稚児ヶ淵まで戻って、そのまま先まで行ってみる。そこは遊覧船の発着所になっており、
10分ほどで本土に戻れるようになっている。疲れちゃったお年寄り相手には非常にいい商売になりそうだ。
でも僕はせっかくなので、また石段を上って下りて、江の島の感触を確かめながら帰ることにした。

 いい商売しとるのう。

とはいえ石段を一気に上るのは、さすがにつらい。ヒーヒー言いながら奥津宮まで戻った。
と、そこで龍恋(りゅうれん)の鐘に出る道があったので、まったく縁はないんだけど冷やかしに寄ってみた。
龍恋の鐘とは、カップルで来て南京錠をかけて帰るというアレである。さっき山二つの土産物屋で、
なんで南京錠なんて売っているんだろう、と首を傾げて通ったのだが、なるほどようやく答えがわかった。

で、龍恋の鐘へと続く道は見事な山道。でも距離は短く、すぐに鐘のある展望台まで出る。
はっきり言って、すぐ近くにまで緑が迫っている非常に狭苦しい場所で、そんなにきれいな印象もない。
なんかぜんぜんロマンチックじゃねえなあオイ、と思うのであった。いやホント、これはガックリ名所でしょう。

  
L: 龍恋の鐘へ行く道。途中に猫がいたけど、やっぱり逃げなかった。機嫌がよくないのかそっぽを向いたままだった。
C: 龍恋の鐘がある展望台はこんな感じ。すぐ後ろは林で、なんだかぜんぜん雰囲気がよくないぞ。
R: 鐘。まあなんつーか、ここで南京錠とか、誰かに軽ーく踊らされている感じがしますな。

一本道をそのまま戻って参道へ。昼も近くなって狭い道には観光客がぎっしり。
そこを配達の車やバイクが遠慮なく上がってくるのでなかなかしっちゃかめっちゃかなのであった。
ほかに道がないからしょうがないんだろうけど、これはもうちょっとなんとかなりませんかねえ。

 
L: 江島神社辺津宮へと向かう参道。さまざまな土産を売る店と観光客でたいへんな賑わい。
R: 江の島観光のスタート地点となっている鳥居。これがあるから雰囲気が出るんだなあ。

江の島を後にすると、そのまままっすぐ歩いて江ノ電・江ノ島駅へ。程なくして電車がやってきて、東へ。
江ノ電は腰越駅までの間は道路のど真ん中を走る。完全に路面電車状態なのだが、道幅は決して広くない。
すぐ両側には商店や住宅が並んでいるわけで、そこを電車で走り抜けるのはなんとも不思議な感覚である。
そして次の腰越から鎌倉高校前までは、住宅の間をすり抜けて走る。遊園地のアトラクション並みだ。
実にさまざまな表情を次から次へとコロコロと見せる江ノ電は、確かに魅力的な電車である。

なんて感心している間に長谷に着いた。改札を抜けると、必死でメシを探す。
長谷の辺りには「鎌倉丼」なるものを食べさせてくれる店があるそうだ。それを食わないことには落ち着かない。
さんざんウロウロした挙句、蕎麦屋に鎌倉丼のセットがあるのを見つけたのでそこで決着。
休日のお昼ということで店内はかなりの混み具合だったが、おとなしく並んでガイドブックを読んで待つ。

 鎌倉丼でござい。

鎌倉丼というのはつまり、カツ丼の卵とじのカツのかわりにエビが入っている丼なのである。
これはこの周辺で獲れるイセエビを「鎌倉海老」と呼んでいたことから、エビの丼=鎌倉丼としたそうだ。
かなり乱暴な名物のでっち上げに感じられるが、もともと鎌倉には豊富な観光資源があるわけで、
次から次へとやってくる観光客は何も詮索することなく「まあ鎌倉丼ですってキャー」と食いついて浸透している。
まあ、かく言う僕もそこに引っかかって食っているのには違いがないわけで、偉そうなことは言えない。
とりあえず、やったもん勝ちだし、名物なんてそんな感覚で生まれるもんだし、否定する気はさらさらないのだ。
個人的には、エビの海の風味は卵とじとは微妙にマッチしない気がする。おいしくいただいたけどね。

しっかり食べて落ち着いたところで、いよいよ先週は入れなかった長谷寺に乗り込むのである。
江の島も観光客は多かったが、鎌倉市内に入るとその数は跳ね上がる。鎌倉が、人気すぎるのだ。
日本人だけでも多くなるのに、外国人観光客が特に増える。人混みをかき分けて進んでいく感じである。

  
L: 提灯が目立つ長谷寺の山門。  C: 中に入るとフォトジェニックな庭園がお出迎え。
R: 観音堂は石段を上ったところにある。関東大震災により建て替えを開始したが、完成したのは1986年だと。

長谷寺は高低2段階の構成になっており、主なお堂は高台の上にある。端っこには机とベンチがあり、
海を眺めて弁当を食べたり休んだりするのには最高の場所だ。もっとも、トビが頭上から狙いをつけているが。
この日はインド人と思われる皆さんが御手製のカレーを広げて談話していた。国際色豊かなものである。
巨大な十一面観音にお参りした後は、石段を下りて弁天窟に入ってみる。内部はきれいに整備されており、
おどろおどろしい感じはまったくない。さまざまなご利益のある弁財天の眷属・十六童子が壁面に彫られていたが、
童子によって人気があったりなかったりがけっこう激しく(供えられた蝋燭の数で人気がわかってしまう)、
なんとなくテレビで見たAKB48の握手会の光景を思い浮かべてしまうのであった。まあ似たようなもんずら。

  
L: 高台の休憩所。休憩したい人たちでびっしりなのであった。そして頭上ではトビが隙をうかがっている。
C: 卍池。そのままだ。  R: 弁天窟の入口。行列がすごいー。やっぱりどこかアトラクション的だったかな。

鎌倉へと向かう江ノ電はすさまじい混雑ぶりだった。朝の出勤時のラッシュにも負けないひどさで、もうヘトヘト。
鎌倉駅に着いたらまず東口へ出て、レンタサイクルの申し込み。ママチャリのくせにけっこうな値段がしやがる。
でも効率よく鎌倉の名所をチェックしていくには、これはしょうがないことなのだ。

自転車にまたがると、勢いよく金沢街道を東へと向かう。つい1週間前に歩いたばかりの道をひた走る。
なんだか変な気分がするが、まあ悪い感じではない。どんどんどんどん東へと進むが、道は狭くて走りづらい。
山に囲まれた狭い土地に引かれた道路は、車のスケールに改修されているとはいえ狭いのだ。
歩道と車道で精一杯で、自転車が走る可能性は考慮されていないのである。実にしんどかった。

鎌倉の観光名所地帯からははずれたところにある十二所(じゅうにそ)神社から、僕はスタートする。
遠足でここを訪れることは絶対にないだろうが、とりあえず十二所神社まで行き、そこから戻ることにしたのだ。
で、その十二所神社は規模の小さいいかにも集落の神社といった感じ。付近には案内すら出ていない。
境内は一面、イチョウの黄色い葉で覆われていて、それと小ぢんまりとした印象が重なって、妙に微笑ましい。

滑川に沿って戻って、ちょっと北に入った明王院。境内は撮影禁止ということで、入口の冠木門を撮って済ます。
中はこれまた実に小ぢんまりとしているが、その分だけ山に近いわりに清潔感があるというか、雰囲気がいい。
茅葺きの本堂もこれまた大きすぎずに上品な印象がする。穏やかな時間が流れる場所なのであった。

 
L: 十二所神社。社殿に掛かる額を見てようやく確認できたよ。  R: のんびり穏やか明王院。

ぐるっと戻って浄妙寺。周辺の地名は「浄明寺」なのだが、寺の名前は浄妙寺なのだ。よくわからん。
まあ地名になるくらい、かつては広い寺域を誇っていたという。今もけっこう奥行きがある。
ここは中に入るのに100円が必要。だが、中に入ると有料なのが納得いく光景。
本堂へとまっすぐ伸びる石畳の道は両側に木々が植えられており、純粋に美しい。
右手には紅葉が混じってこれも美しい。本堂の縁側では猫がのん気に眠っており、観光客に大人気だった。

  
L: 浄妙寺の境内。これはきれいだ。  C: 本堂。左手奥にはオープンカフェやレストランがある。うーん、やるねえ。
R: 気持ちよく昼寝している間に太陽が動いて日陰に入ってしまったが、気づかず眠り続ける猫。かわいいもんだ。

ちょっと戻って南に行くと報国寺だ。ここは1000本を超えるという竹の庭で有名な場所なのだ。
ところがこの辺まで来ると観光客でいっぱいで、庭に入るのに行列ができている状態。
そのまま庭の中へと入るので、わびもさびもあったもんじゃない。何が目的なのかよくわからない感じで、
ぐるっと一周してしまった。もっとも、竹林を抜けると鎌倉名物のやぐらがあったりちゃんとした日本庭園があったり、
全体としては悪くない。でもやっぱり、竹林というものは大勢で騒がしく通るものではないなあ。

  
L: 報国寺の竹林を行く。……が、観光客が多くて落ち着けないのは大きなマイナス。これじゃ雰囲気も何もない。
C: 奥にあるやぐら。これもまた、鎌倉らしさだ。  R: 日本庭園も日当たりが悪いもののまずまず。

報国寺の先にあるのが、旧華頂宮邸。1929年に建てられたのだが、現在は鎌倉市が所有している。
将来的にはしっかりと整備して観光名所化されるのだろうが、現段階ではまだその途中で、
入場料のかわりに募金箱で寸志を募っているのであった。ぜひいずれ中に入ってみたいものだ。

  
L: 旧華頂宮邸。正面にある木々がけっこうジャマである。  C: 建物の正面はこんな感じ。無理して撮った。
R: 裏側の庭。さまざまなバラが植えられていた。庭園も建物もきちんと整備すればかなり魅力的になるはず。

 庭から眺めた旧華頂宮邸。いいですなあ。

金沢街道に戻り、西へ進んで杉本寺へ。ここは鎌倉で最も古い歴史を持つ寺なのだ。
入口は金沢街道に面してあっさりとしたものだが、石段を上っていくと、そこは独特な空間になっている。
かつて使われていた石段にはびっしりと苔が生し(梅雨の季節にはとてもフォトジェニックらしい)、
茅葺きの本堂も中に入ると木造の感触に圧倒される。しかも仏像を間近に見ることができていい。
鐘楼の脇からは金沢街道沿いの谷戸を一望できて、これが本当に見事なのだ。
そしてその金沢街道は車で渋滞していて、その光景にもまた「うわぁ」と声が漏れること請け合い。
鎌倉最古というのは伊達ではない。ただ古いだけではなく、ひとつひとつが美しい。これは素敵な場所だ。

  
L: 石段を上った先に仁王門。  C: 苔びっしりの石段。まず石段じたいが崩れ気味で、これを上るのは無茶だったろう。
R: 杉本寺の本堂(観音堂)。1687年の再建だそうだ。この中がまた木造の雰囲気満載でいい。仏像もいっぱいあるよ。

  
L: 北畠顕家との戦いに敗れた斯波家長らを供養したという五輪塔。  C: ツバキがきれいに咲いていた。
R: 杉本寺は高台にあるので、金沢街道沿いの谷戸一帯を一望できる。これは本当に興味深い光景だ。

もう一丁、北に出て鎌倉宮の脇を抜けると、そのまま東へと進んでいく。奥にあるのは瑞泉寺。
人里から山の中へと入りかけたところにあるのだが、観光客の姿はけっこう多い。
中に入ると、まずは左手にちょっとした庭園。さまざまな木々が植えられ、ちょっとした植物園といった感じだ。
そこから右手に分かれて緑に囲まれた石段を上っていく。途中で二手に分かれるが、結局は同じ場所に出る。
門を抜けるとこれまたさまざまな木々が植えられた庭園。その奥に仏殿がある。
そしてこの仏殿の裏側が、この瑞泉寺の一番の名所なのである。

  
L: 入ると左手に広がる庭園。植物園の雰囲気。  C: 石段を行く。右手は新しくて上りやすい。左手は古くてやや大変。
R: 仏殿。瑞泉寺の建物はほとんどが大正時代以降に再建されたものだそうだ。しかしこちらの庭園も花や木が豊かだ。

それは、夢窓疎石の作だと言われている庭園だ。山肌というか岩肌に大きく穴を開け、
手前に水を引いてつくり出した池やそこに架けた橋、細く流した滝とで庭園を構成している。
これが絶妙なバランスで、巨大な空(くう)を中心にしてさまざまな要素を多面的に配置したことで、
かなり見事に禅の宇宙観が再現されているように思える。禅の心なんてよくわかんないけど。
でも、目の前に展開されている世界に圧倒されて、一言も発することができずにたたずんでしまった。
人工と自然の境界線が巧みに処理されているのも凄い。これには時間を忘れて眺めるしかなかった。


まあ、古図面と発掘調査にもとづき1970年に復元されたものだそうだけど、でもやはり見事。

鎌倉には確かに名所が多くて、いいなあ!と思わされる場所はいっぱいあったけど、
ここまで惹きつけられるというか、鑑賞するこっちをぐにゃりとつかみとってしまう場所はほかになかった。
もう本当に、これには素直に参りましたというか、参ったもクソもなくただただその場にいるしかない感じ。
ところが女性の観光客ってのは困ったことに、どうもそういう境地がわからないようで、
この庭園で表現されている精神性までまったく届かない、目についたものについてしか言わない。
女性を差別するつもりはない。実際に生きていくうえで、そんな精神性なんて役に立たないものだから。
ただ、その役に立たない精神性は生物で人間だけが持っているものだから、僕は大切にしたいと思っている。
そういう僕の気持ちとはまったく別の次元で、女性は目の前のことだけを勝手にしゃべる。
ひどい言い方だが、男に生まれてよかったなあと心から思った。彼女たちとは見えているものが違うのだ。
この巨大な空を中心にして表現されているものが、女性には見えないのだ。それは僕には悲しいことだ。
時間だとか物語だとか宇宙だとかが、この庭園には本当に見事なやり方で詰め込まれている。
それを汲み取り、個々人で意味を探し出すことを認めないのは、人間性が否定されることに等しいと思う。
生物学的に優位な女性の皆さんには、その点を少しでも男性に向けて譲歩していただきたいと切に願う。

時刻は15時半。まだまだあちこちまわることのできる時間だが、光の加減がちょっと厳しい。
冷静に考えれば冬至まであと1ヶ月しかなく、写真を撮るには制約の多い時期なのである。
欲張ってもいいことはないだろう、と考えて、本日の鎌倉見学はこれで終了とする。
やっぱり江の島ではしゃぎすぎたか。もっと早く鎌倉入りできればよかったのだが。
あとなんとかしてもう1回、鎌倉をウロウロする機会をつくりたいところだ。

レンタサイクルを返却すると、フリーきっぷを利用して江ノ電の鎌倉駅構内に入ってみる。
鎌倉駅に到着した電車からは、どうやったらそんなに詰め込むことができるんだと呆れるほど、
大量の乗客が溢れ出した。そしてかわりに、これまた尋常ではない量の人間が中へと入っていく。
観光地・鎌倉の人気は本当に凄まじい。凄まじいとしか形容しようがない。
そして僕は、その光景を鎌倉コロッケをかじりながら眺めるのであった。
鎌倉コロッケは近所の東急ストアでいつもCM曲が流れていて、頭の中に刷り込まれてしまっている。
せっかくだから食ってみようと、列に並んだわけだ。そう、列ができるほどに人気があるのだ。
1個90円でお手ごろ価格だが、サイズは小さめ。揚げたてなので熱くって食べるのが大変だったが、
中のジャガイモはとてもクリーミーで、味の濃い牛肉と混じりあって確かに旨い。
食べ終わると多種多様な江ノ電グッズを眺めて感心。よくこんなにグッズを思いつくものだ。

 
L: 大混雑の江ノ電・鎌倉駅。  R: 鎌倉コロッケ。100円に値上げして一回り大きくしてほしいです。

帰りの横須賀線もかなりの混み具合でヘトヘト。でも充実した一日で大満足である。


2010.11.26 (Fri.)

Berryz工房が給食時にかかる。内心ちょっとビビるが平静を装う。
℃-uteだったら立ち上がって吠えていたかもしれん。まあとにかく、驚いた。
イナズマイレブンがなぜか女子の一部に人気があるから、その関係だったのかねえ。


2010.11.25 (Thu.)

子どもが一日が終わってしまうことを惜しむ。だから時間の流れが遅い。
大人は一日が早く無事に終わってくれと願う。だから時間の流れが速い。

最初に時間の流れが速まったと感じたのは、大学時代に仕送りを待ったときかもしれん。
だからだいたい20歳ぐらいがこの逆転現象の始まりだったと言えるかもしれない。
以後、どんどん時間の流れが速まっている。僕の生きる時間と中学生連中の生きる時間は、
同じであっても速度が違っているというのは、けっこう残酷なことなのである。


2010.11.24 (Wed.)

近所の小学校も巻き込んでの研究授業があった。僕は今年は担当でなかったので穏やかに見守る。
で、終わってから反省会ということで飲み屋に全員集合。都合で遅れて行ったら小学校の先生たちと同じ席に。

あれこれ話をしているうちに、東京出身なのだが信州大学卒という先生がおり、長野トークで盛り上がる。
ふだん飲み会嫌いで有名な僕が大盛り上がりしていたので周りは驚いていたとさ。しょうがないよね。


2010.11.23 (Tue.)

ヴァンフォーレ甲府のJ1再昇格について、思いのたけを語ることにする。

僕がヴァンフォーレ甲府というクラブを応援するようになったのには、いくつかの確固たる理由がある。
まずはなんといっても、いま住んでいる東京都と故郷の長野県の間にあるという地理的特性。
長野県内に応援するクラブを持たない僕には、これはけっこう重要な理由なのである。
そしてそれよりも大切なのは、決して経済的に、タレントに恵まれているわけではないのだが、
それでもなおきちんと攻撃サッカーを標榜している点である。甲府は攻撃にこだわる。
地方の弱小クラブでは守りに入った方が安全なのだが、それをよしとせず攻撃のスタイルを追求している。
この2点がそろえば、もう十分だ。ユニフォームやマスコットが少々ダサくてもかまわない。

上記の2つの理由のうち、後者を決定づけたのは大木武元監督である。
彼の極端なサッカーを直接目にして、Jリーグというものに興味を持つようになった(→2007.8.18)。
(宮崎で偶然お会いできたのが今でも信じられない(→2009.1.8)。あれは本当にラッキーだった。)
続く安間貴義前監督でもショートパス重視の攻撃サッカーはクラブの特性として引き継がれた。
さすがにサイドチェンジを拒否するサッカーではなかったが、流れるようなパスワークは見応えがあった。
この方向性が保たれる限り、甲府を応援し続けるつもりでいた。

今シーズンになり内田一夫監督が就任したが、ハーフナー=マイクの獲得によって甲府のサッカーは変質した。
ショートパスをつなぐ場面もないことはなかったが、パワープレーが大いに目立つようになった。
リスクを冒して攻撃参加するプレイヤーの数は減り、ボールと比べて人はそれほど動かなくなった。
正直なところ、昇格という目標は果たしたものの、このサッカーを評価する気にはなれない。
そこにあったのは、毎試合1万人以上が集まるようになったことでJ2では経済的に優位に立ち、
J2では恵まれた戦力によって長身FWめがけて蹴り込むサッカーだった。もはや、以前の甲府ではない。

今回の昇格劇を、僕はどのように捉えればいいのだろう。ぶっちゃけ、あんまりうれしくない。
個性のないサッカークラブが1コ、J1に登場したところで、何も面白くないのである。
「あの甲府がJ1に復帰したんだぜ! お前ら、究極のパスサッカーがJ1で見られるぜ!」
という言いたくて言いたくてたまらなかったセリフが、もう出てこないのである。
確かに、個々の選手のがんばりは認める。特にキャプテンでCBを努めあげたオミ(山本英臣)には、
熊本空港のとき(→2008.4.29)みたいに直接おめでとうって言ってやりたいくらいだ。
でも、個々の選手の喜びはわかるが、全体としてクラブを眺めたとき、これでいいのか?と、
首を傾げたい気持ちは消えない。それは僕が本当に甲府を愛していないからだ、と言われればそれまでだ。
愛することに理由はいらない、だからお前の態度は間違っていると言われればそれまでだ。
すべてのものは、変化からまぬがれることができない。しかし進化と呼べない変化など、まっぴらごめんだ。


2010.11.22 (Mon.)

職場体験の事前訪問についていく。今回は福祉をテーマにしているので、高齢者介護の施設に行った。
そこでは今まで僕が触れることのなかった現実を見たのであった。おのれの人生、まだまだ薄っぺらいのう!


2010.11.21 (Sun.)

今日は秋葉原でのんびりと中古ゲームミュージックCDをチェックしたり日記を書いたりして過ごした。

ヨドバシカメラのおもちゃ売り場を覗いてみたら、なんと、ロックマンのプラモを売っていた!(⇒これ
こ…これは欲しい。もうノーマルロックマンだけじゃなくって8色分(もちろん『ロックマン2』基準)、
いや、さらにアイテム1号2号3号のカラーリングまでして揃えたいくらいだ。ファンにはたまらないよ。
できれば『ロックマン3』あたりまでの敵キャラも出してほしいが、さすがにそれは無理か。
まあとにかく、15年ぶりにモデラーとしての血が騒いだね。ホントに沸騰したね。
今年のサンタさんへのお願いは決まりだね。

……正直、こういうことを20年前にやってほしかったんですよ。
まあ、僕が20年間成長してないとも言えるけど。


2010.11.20 (Sat.)

HQSのOB会に行く。もう何年ぶりかわからないくらい久しぶりの参加である。
マサルもみやもりも遅れて参加ということで、非常に大きな不安感に苛まれつつ新宿駅に到着。
よく知っているニシマッキーもえんだうも幹事なので、僕の相手ばかりしてくれるわけではないのだ。
なんとも乗り切れないまま会場へ。

まあ酒飲んであれこれ話し出すとほぐれちゃうんだけどね。
驚いたのは僕らと入れ違いの後輩・タカクワさんの痩せっぷりですなー。最初気づかなかったぜ。
現役のHQS会員の皆さんは僕らと違ってきちんとマジメにクイズをやっているらしい。偉いものだ。
僕なんか会長職にありながらマサルとどんどん形而上的な方向へ行ったもんなあ。
就職難で大学がどんどん実学志向に突き進んでいる中、サークル活動、特にクイズをがんばるというのは、
かなり度胸のいることだと思う。でもそういうサムライがまだまだ何人もいるというのは心強いものだ。

2次会に移動するぞ、というタイミングでみやもりとマサルが到着。これで完全にホームという気分である。
マサルは『すごい文房具』を何冊も用意してきて営業するのであった。まったく大したものだ。
2次会では久しぶりにナラマさんとも話す。おそろしく成績優秀な先輩であるナラマさんは風格が増していた。
ナラマさんは個性派ぞろいの僕らの世代を気に入ってくれているようで、僕らのバカ話に適度にツッコミを入れてくださる。
しかしまあなんというか、やっぱりサガの話をする場合には、本人がいないとダメですなー。説得力が欠けてしまう。

そんなこんなで楽しい時間はあっという間に過ぎるのであった。来年もぜひ参加しようと固く誓うのであった。
店を出るとマサルが「カラオケ行こうよ!」と主張するが、夜遅かったので次の機会に行くことにして解散。
ではまた皆さん、また来年よろしく。


2010.11.19 (Fri.)

いざ鎌倉へ遠足の下見である。大ベテランの先生に連れられて電車に乗り込み、まずは北鎌倉へ。
東京の中学校では修学旅行の予行演習として鎌倉遠足をやることが定番になっているようなのだ。
なるほど確かに適度な距離だし範囲も広くないし文化財もあるし歴史の勉強にもいい。
だから先生方はみんな鎌倉についていろいろ詳しい。僕もどんどん知識をつけていかなくてはいけないのだ。

当方、鎌倉へ行ったことは今までに2回ある。人生初鎌倉は国立在住のときで、近代美術館が目的だった。
DOCOMOMOについての展示があるということで、よくわからんまま訪れて、よくわからんまま帰った。
2回目はおととし(→2008.9.3)。このときは神奈川県の各市を青春18きっぷでまわるというムチャをしており、
小田原・逗子・横須賀の各市とセットで訪れている。まあいいところ2時間程度の滞在なので、
鎌倉の真髄に触れたとは到底言えないレベルの訪問なのであった。まあつまり、ほぼ完全に素人である。
今回の下見は自分自身にとってもいい勉強の機会ということで、前々からかなり楽しみにしていたのだ。

北鎌倉駅で降りる。もともと横須賀線は海軍の街・横須賀と東京をつなぐ役割をもった路線だそうで、
住民の請願によって北鎌倉駅はつくられた。結果、ものすごく狭いところに無理に駅がつくられており、
線路を横断してホームを移る点や半端な改札など、見回してみると確かにかなり強引なつくりをしている。

まず最初に向かったのはその北鎌倉駅からすぐ……というより、横須賀線のために境内を削られた円覚寺。
駅の正式な改札を抜けて円覚寺へとまわり込んだのだが、横須賀線の豪快なぶった切り方には呆れた。
軍事目的という無理が道理を引っ込めたのが今でもよくわかる。踏切を越えると気を取り直して中へ。

  
L: 円覚寺の境内なのだが、この先に横須賀線の踏切がある。それを越えるとすぐに円覚寺の門に出る。
C: 踏切を越えてすぐに現れる円覚寺の門。北鎌倉らしい落ち着いた雰囲気満載なのだが、とにかく観光客が多い。
R: 円覚寺の三門。1785(天明5)年の再建とのこと。重そうな上半分に対し、下半分は質素である。

平日なのだが、とにかく観光客が多い。いや、その半分以上はまぎれもなく学生だ。
つまり、平日だからこそ学校行事で訪れている小学生・中学生・高校生(少なめ)たちで溢れかえっている。
首都圏における鎌倉の重要性をあらためて実感させられた。鎌倉って通過儀礼になってるのね。

  
L: 仏殿。1964年の再建だが、江戸時代の設計図をもとにしているとのこと。
C: 神奈川県唯一の国宝建造物・円覚寺舎利殿。中に入ることはできず、入口のところからズームで撮影。
R: 北条時宗を祀る開基廟。1811(文化8)年築。扉が開いていることは非常に珍しいそうだ。

いちばん奥にある塔頭の黄梅院まで往復すると、国宝の鐘楼を見に行く。
ちょいとばかし急な石段をグイグイ上っていったところにあり、確かにかなり立派である。
反対側は展望所となっており、大船方面へと続く住宅地の先には富士山が見えた。

 
L: 円覚寺の鐘楼。  R: 色づきはじめた山々の向こうには富士山が見えた。実にいい眺めである。

丁寧に見ていったせいか、円覚寺で予定よりもかなり時間をオーバーしてしまい、しばらく駆け足。
東慶寺も浄智寺も入口を眺めた程度でクリアとし、浄智寺の脇から葛原ヶ岡ハイキングコースに入る。
しばらくは石段が続くが、やがて完全に土の尾根となる。といっても周囲は木々が生い茂っており、
高低差もそこそこある。生徒たちの顔を思い浮かべ、いくらあいつらでも道に迷うことはないよな……、
なんて心配な気分になるのであった。去年の裏磐梯で登山ができていればなあ。

 こんな感じの山道をしばし歩く。

山道から開けたところに出ると、そこが葛原岡神社。鎌倉幕府転覆を図った日野俊基を祀っているそうだ。
周囲はお昼ご飯が食べられるように机や椅子があるなど、休憩スペースとしては充実している。
そのまま右に曲がって急な坂道を下っていくと、銭洗弁天(宇賀福神社)だ。鎌倉遠足の定番とのこと。
入口はトンネルになっており、その先で湧いている水でお金を洗うと、お金が増えるんだってさ。

  
L: 銭洗弁天の入口。この鳥居の下にある穴をくぐっていくのである。後述するが、鎌倉はかなり穴だらけなのだ。
C: 社務所の対面にあるのは土産屋兼駄菓子屋で、小学生たちが群がっていた。こりゃすごい。
R: お金を洗う銭洗水はこの洞窟の中にあるのだ。100円を納めてザルを借りるシステムになっている。

銭洗弁天は遠足の小学生たちでごった返していた。さすがは遠足の人気スポットだ。
みんな必死で小銭を洗っているのを見て、なんとも浅ましいのう、と思うのであったことよ。

 
L: 洞窟内部の様子。  R: お金を洗おうと群がっている小学生たち。いやはやなんとも。

坂道を引き返して、今度は反対側へ。もう一度二手に分かれる道を上っていくと、そこが源氏山公園。
スカッと開けた場所になっており、久しぶりに空を見た気がする。真ん中には源頼朝の像がある。
ハイキングで訪れた人々が弁当を食べていたのだが、上空ではトビがつねに舞っており、
隙を見せると急降下して食べ物に襲い掛かる。実際にその場面を見たのだが、
うーん、なんだかトビに対する好意的な今までの見方が変わってしまいそうだ。

源氏山公園を後にすると、化粧(けわい)坂を通って人里へと戻る。
化粧坂はなんとなくきれいそうなその響きにつられて歩きたがる人がたまにいるそうだが、
実際にはツルツルした滑らかな岩場に水が湧き出して、めちゃくちゃ歩きづらい危ない坂道である。
そもそも平家の武士に死に化粧をして首実検したのがその名の由来ということで、
かなり雰囲気の暗い場所なのであった。いやー、これには参った。

  
L: 源氏山公園。源義家が源氏の白旗を山頂に立てて勝利を祈った山だそうだ。
C: 源頼朝像。うむ、偉そうだ。  R: 化粧坂。晴れていたからまだいいけど、雨の日には絶対に歩きたくない。

扇ガ谷(おうぎがやつ)の人里に出ると、レンガ造りの横須賀線のガードを抜け、亀ヶ谷(かめがやつ)の切通しを行く。
これまたなかなかの傾斜の坂道で、鎌倉幕府が防御を十分に考慮して本拠地を決めたことがうかがえる。
実際に歩いてみると、当時の軍事的な意図などがうっすらと読み取れて、なるほど実に勉強になる。

 亀ヶ谷の切通し。狭くて傾斜もあり、攻めづらさが実感できる。

鎌倉街道に出ると、鎌倉の中でも屈指の名所である建長寺へ。「けんちん汁」の語源にもなったというこの寺は、
鎌倉幕府の第5代執権・北条時頼が創建した寺だ。宋から来た蘭渓道隆が開山したので、
かなり中国色の強い寺だったそうだ。三門・仏殿・法堂と重要文化財が三連発となっている。

  
L: 建長寺・三門。1775(安永4)年に再建された。でけえ。  C: 仏殿。芝の増上寺から1647(正保4)年に移築。
R: 法堂は1814(文化11)年築。何か行事に当たったようで、中に入って見学することができた。よかったよかった。

なんせ時間がないので主要な建造物をチェックしたところで建長寺を後にする。
なんとかヒマを見て、また訪れてじっくりといろいろ見てみたいものである。

さて時刻は正午近く。ボサッとしているとランチタイムの大混雑に巻き込まれてしまうのは目に見えている。
ベテランの先生オススメの店に、少し早めに入ることにした。オススメされるがままに豚肉のバラ丼を注文。
うどんとのセットだったのだが、いやもうこれがパワフル。やる気湧いてくるね! チカラ湧いてくるね!

時間に追われて、肝心の鶴岡八幡宮は境内を通り抜ける程度。まあここは今さらチェックするまでもない。
ただ、折れてしまった大銀杏(→2010.3.12)は、痛々しくって切ないのであった。うーん、がんばれ。

ぜひ訪れておきたいということで、やや距離がある覚園寺(かくおんじ)へ。最初は歩いていたのだが、
途中で運よくタクシーを拾うことができた。覚園寺は中に入れる時間が1時間ごとに決まっており、
これを逃すとかなり大きなダメージとなってしまう。どうにか奇跡的に間に合い、無事に中に入れた。

  
L: バラ丼。千切りキャベツの上にタレで焼いた豚バラ肉が乗る。いやもう、肉食ったぜ!という感じ。
C: 覚園寺の入口。画面やや左にあるのはモミの木。ものすごく背が高いのだ。
R: 覚園寺の境内。右にあるのは愛染堂。ここから先は残念なのだが撮影禁止となってしまう。

覚園寺ではお坊さんがあれこれ話をしながら案内をしてくれる。非常に勉強になる内容である。
まずは本堂(薬師堂)。1354(文和3)年、足利尊氏によって建立されたが、
1689(元禄2)年に改築に近い大修理が行われているという。しかし見上げると今も、
足利尊氏直筆という銘が残っている。歴史上の人物の筆跡を目にして、その時代を想像する。
本尊の薬師三尊もいいが、いかにも鎌倉時代な十二神将立像もまた面白い。
半分は残念ながら国宝館に貸出中だったが、6体だけでもヴァリエーション豊かでいい。
これがもし12体そろっていれば、かなりの迫力だろう。また機会をみて訪れたいものだ。

外に出れば、まだ紅葉には早いが、境内の木々は秋の気配を漂わせている。
さまざまな種類の植物が集まっており、鎌倉の自然の豊かさが実感できる。
次は江戸時代の名主の住宅である旧内海家住宅。以前は中に入れたのだが、
傷みが激しくなってきたので現在は外から見るだけ。これまた残念なことである。

そして、やぐら。「岩ぐら」が訛ったのがその名の由来だというが、これは鎌倉の特徴と言っていいものだ。
鎌倉は山がちで、平地部分が非常に狭い。鎌倉時代の最盛期にはその狭い範囲に人口が集中して、
墓地の不足が深刻な問題になったのだそうだ(当時はいちいち法華堂というお堂を建てていたため)。
そして平地に埋葬することが禁じられ、仕方なく岩を削って穴を掘り、そこに死者を葬ったのだそうだ。
これには鎌倉周辺の岩場が軟らかいという事情もはたらいたそうだ(その分、崩れるやぐらも多い)。
そういうわけで、鎌倉はやぐらだらけの穴だらけなのである。鎌倉だけで少なくとも2000のやぐらがあるそうだ。
実際にやぐらに入ってみると、そこは人工的な洞窟であるのだが、異世界という雰囲気が強い。
特に壁面に彫られた仏がいくつも並んでいるのを見ると、別のどこかを訪れている気分になる。

最後は重要文化財の黒地蔵を納める地蔵堂を見学。ゆったりと見ていって45分くらいだったが、
かなり密度の濃い時間だった。やっぱり、しっかりと説明を聴く見学ツアーというのはいいものだ。

無事に覚園寺を見学できたので、満足感にひたりつつ鎌倉宮まで戻る。
鎌倉宮はこの地で亡くなった護良親王を祀る神社で、獅子頭が名物なのだそうだ。
これは護良親王が戦の際、兜に獅子頭の御守を忍ばせて無事を祈ったことに由来しているとのこと。
鎌倉宮では拝殿に獅子頭が置かれているだけでなく、土産物にも獅子頭グッズが充実しており、微笑ましい。

  
L: 鎌倉宮。明治になって建武の新政が再評価され、護良親王を讃えるために造営された。
C: 拝殿。  R: 拝殿に置かれている獅子頭をクローズアップ。

歩いてそのまま荏柄天神へ。住宅地にある参道は急にアスファルトから土へと変わってびっくり。
石段を上って小高い丘の上に出る。そこが荏柄天神で、室町時代築にしては妙にきれいな本殿があった。
荏柄天神では受験の当日に本人に代わってお祓いをしてくれるサービスがあるようで、
その申込用紙が妙に目についた。別にいいんだけど、なんか過保護なサービスじゃね!?

 
L: 荏柄神社への参道。この木々が鳥居代わりってわけだ。住宅地にいきなりコレなので驚いた。
R: 本殿は、室町時代初期に建てられた鶴岡八幡宮の旧若宮社殿を江戸時代に移築したらしい。

お次は源頼朝を祀る白旗神社だ。もともと頼朝を祀った法華堂があったが神仏分離令により廃止され、
1872(明治5)年に白旗神社として建立された。かつての最高権力者を祀ったにしては、なんだか小規模。
石段を上った先には島津重豪が再建したという源頼朝の墓がある。これまた非常に小規模で、
なんというか、栄枯盛衰の切なさを大いに感じさせられた。盛者必衰でございますか。

  
L: 白旗神社の辺り。小ぢんまり。  C: 頼朝を祀る白旗神社。スケール的には町内の小さな神社そのもの。
R: 頼朝の墓。これがホントに頼朝の墓?と言いたくなるほどあっさりとしたものだ。

再び鶴岡八幡宮の境内を抜けると、そのまま西へ。途中で鎌倉市川喜多映画記念館の前を通る。
川喜多とは川喜多長政・かしこ夫妻のことで、映画プロデューサーとして国際的に大活躍をした人だそうだ。
旧川喜多邸を改装したというその記念館の敷地の奥には、和辻哲郎がかつて住んだという家があった。
これはもともと、神奈川県にあった古民家を和辻が東京に移築したもので、
その後、川喜多夫妻が1961年この場所に移築してゲストハウスにしたという。

 旧和辻哲郎邸。けっこう気になる。

横須賀線の西に出て寿福寺・英勝寺をざっとチェックすると、鎌倉市役所で資料をもらうことに。
職場では僕が市役所マニアだということは知れ渡っているので、「よかったですね」などと言われるのであった。
記念に一発撮影させてもらうと、中に入る。狭い通路の両側にはみっちりオフィス。非常に密度が高い。
観光担当の部署で資料をもらうが、さすがは鎌倉、いろいろと充実している。使えそうな資料はすべてもらった。

 鎌倉市役所。詳しくは前回のログを参照(→2008.9.3)。

市役所を出ると、向かいにあるスタバで一休み。時間がないので本当にちょっと一服しただけ。
下見ということで立派な仕事の一環だからしょうがないが、しかしこれはいつもの僕の旅行と変わらない。
まあつまり、それだけ僕の旅行スタイルがキテレツということだ。毎回余裕がないもんなあ。
ところで鎌倉市役所前のスタバは、日本で一、二を争うオシャレなスタバとして有名である。
ここはもともと、『フクちゃん』で有名な漫画家・横山隆一の邸宅だった場所だと教えてもらった。
スターバックスは横山邸を再現しつつ営業しているそうで、なかなかすばらしいリスペクト精神である。
なるほど確かに店の奥にはさりげなく『フクちゃん』の絵が飾ってある。開放感のある店内も居心地がいい。
敷地内には横山邸時代のプールが残されており、それがかえって公共空間と私的空間の折衷を感じさせる。
神戸の北野でも異人館を改装したスタバがあったが(→2010.7.17)、スタバはこういうのが実に上手い。
きっとそういうマニアがいるんだろうけど、全国のオモシロスタバ巡りもけっこう楽しそうだ。

11月にもなると日が傾くのは早い。写真を撮りながらの下見なので光の具合を気にしなくてはいけないのだ。
次は江ノ電に乗って長谷に行くのだが、その前に「面白い建物を見ましょう」ということで、ちょっと寄り道。
それは、鎌倉市役所のすぐ裏にある御成小学校である。まずは大きな冠木門に圧倒される。
くぐると左手に現れるのが、木造の古い建物。もう使っていないのかもしれないが、しっかり残っているのが凄い。
調べてみたら意外にも1933年築。旧講堂で、鎌倉時代の遺跡が発見されたことで取り壊しを免れたそうな。

  
L: 御成小学校の冠木門。もともとは御用邸の正門。校名の看板は高浜虚子筆だそうだ。うーん、すごい。
C: 御成小学校・旧講堂。  R: 八角形の校舎は学校の歴史を意識したものだろう。凝っている。

いくらベテランの先生で鎌倉に詳しいとはいえ、こんな場所までご存知とは本当に参りました。
下見で仕事なんだけど、当初の予想以上にめちゃくちゃ楽しませてもらっております。

で、鎌倉駅から長谷まで江ノ電に乗る。オシャレな湘南に縁のない人生を送ってきたので、初の江ノ電である。
江ノ電は今年が開業100周年ということで、それを記念する車両がくっついていた。やはり細部までオシャレだ。

 江ノ電の鎌倉駅。改札を抜けると江ノ電グッズ売り場があった。

長谷駅で降りると、まずは長谷寺へ。といっても時間がないので入口を眺めるだけ。
トイレと公衆電話の位置を確認してさっさと元の道に戻り、そのまま北へと進んでいく。

 長谷寺へ向かう道の途中にある旅館・対僊閣。

長谷といえば鎌倉の大仏なのだ。鎌倉の大仏は高徳院というお寺の境内に座っている。
受付に行こうとしたら、鎌倉名物・タイワンリスが2匹、木の枝をつたって走るのを見た。
前に鶴岡八幡宮で見かけたことがあるが、高徳院もよくリスが現れるスポットなのだそうだ。
境内の中に入ると、さっそくうつむいて座禅を組んでいる大仏様が目の前に登場。
座っているせいか、それほど大きい感じはしない。無意識のうちに奈良の大仏と比較してしまっている。
色合いのせいか、僕は長崎の平和祈念像(→2008.4.27)を思い浮かべてしまったのであった。

  
L: 鎌倉の大仏。ちょっとうつむいているのが、居眠りしているように見える。
C: 近づいて撮影。アレだ、ハンズで売ってる大仏のかぶり物にすごく似てるなあ、と思ってしまった。
R: 角度を変えて見上げてみた。この脇のところから大仏の中に入ることができる。

ニューヨークの自由の女神もそうだが、鎌倉の大仏も中に入ることができるのである。
20円を納めて狭苦しい階段を下りていくと、そこは何の色気もなく純粋に大仏の中、裏側。
「これでもう、地震が起きて津波が来ても僕たちは大丈夫ですね」なんて冗談を言うのであった。
(鎌倉の大仏は、津波で大仏殿が流されたにもかかわらず大仏自身はそのまま残ったという話がある。)
しかしこれは閉所恐怖症の人にはキツいだろうなあ。20円というのは絶妙な価格設定だと思う。

 
L: 失礼して大仏の中をフラッシュ撮影。うーむ、面白い。こうやって面白がれるってステキ。
R: 観月堂。戦前にソウルの朝鮮王宮にあったものをもってきちゃったそうだ。ずいぶんと乱暴なものだ。

大仏をチェックしたことで、本日の下見の任務は終了。まだまだ見ておきたいところはあるのだが、
それは後日、個人的にまわってみようと考えている。帰りは鎌倉駅まで由比ヶ浜大通りをのんびりと歩く。
途中でいくつか面白い建物があったので、気ままに撮影。歴史のある街はさりげない建物も面白い。

  
L: 鎌倉彫の店・寸松堂。1936年築。めちゃくちゃなのだが、ギリギリのところで下品になっていないのがすごい。
C: 旧横浜興信銀行由比ヶ浜出張所。1927年築。現在は「THE BANK」って名前のバーなんだってさ。面白い!
R: 六地蔵。かつてこの辺りに処刑場があり、そこで処刑された罪人を供養したのが起源だそうだ。

鎌倉駅の近くでお土産の鳩サブレを買う。駅ビルの中にある「まめや」では試食し放題。
ものすごい豊富なラインナップのほとんどを味わうことができる。そんでもってどれもおいしい。勉強になるなー。
学校に戻ったときにはけっこうヘロヘロ。さすがに一日中フルパワーで歩きまわるのは疲れた。
でもめちゃくちゃ面白かった。平日に学校を抜け出しての街歩きサイコー!……ってイヤイヤ、下見サイコー!


2010.11.18 (Thu.)

本日はテストということで即日開票じゃなかった即日採点。
採点してみたら今回のテストについては成績が妙にいいのである。
範囲は不定詞の3用法ということで中学生の英語では最大のヤマ場のひとつなのだが、
意外なことに要領よく切り抜けたやつが非常に多い印象なのだ。これは意外だった。
僕はテストをスポーツだと思っているので、なるべく難易度は高めに設定しておく。
そうしておいて、オレのテストで点が伸びれば実力がついたってことだ!というふうに指導している。
デキのいい生徒であればゲーム感覚とは言わないまでも、課題をクリアする楽しさが感じられるはずなのだ。
毎回そんな感じで手を抜くことなくテストをつくっている僕とすれば、この好調ぶりは信じがたい。

ひとつ考えられるのは、不定詞はヤマ場だからということで、かなりていねいに教えたことだ。
研究授業に挟まれて時間調整に苦労したということもあるのだが、しっかりと時間をかけて教えた。
いつもより時間をかけて取り組んだ分、苦手な生徒がじっくりと理解するだけの余裕を持てた、
そう考えるしかない。もしそうだとすれば、災い転じて福となったってことになる。

まあ今回は素直にこの結果を喜んでおくとしよう。そうして時間をかけるべき単元と、
あっさり済ませた方が効率的な単元とを選り分けてみることにしよう。
そして、せっかくできて自信がついた不定詞を忘れさせないようにしよう。
ここ最近は苦しい状況が続いていただけに、これはうれしいできごとである。よかったよかった。


2010.11.17 (Wed.)

研究授業が終わると今度はテストの問題づくりである。もう本当にヘロヘロ。
前にも書いたけど社員旅行(クイズもつくった)に研究授業に職場体験の準備に部活にと、
ここんとこ、もう気が狂いそうなほど忙しかったのである。で、その総仕上げがコレなのだ。

まあ正直なところ、僕のテストづくりは細かいところまで凝りすぎるので、
それで負担を自分で増やしているというのは否めない。でも凝らないと気が済まない。
できるだけ多様な問題を用意するだけでなく、レイアウトにも一工夫入れないとダメなのだ。
あと大変なのが長文問題。駆け出しの僕には豊富な資料があるわけではないし、
まあそもそも自分である程度つくり込まないと納得できないしで、これが非常にキツいのである。
そんな感じでやっているので、テストづくりだけで確実に何キロか痩せるくらい(希望)の消耗ぶりだ。

すべてが終わって家に戻ると倒れるように眠る。本当に厳しい日々だったが、ようやく一段落だ。
もう明日採点が終わって以降はしばらく何もしないぞー!と固く心に誓うのであったことよ。


2010.11.16 (Tue.)

というわけで本日は研究授業である。ふつうなら校内での研究授業で済むところなのだが、
今年の僕はその辺の運が異様に悪いので、同期の皆さんの目の前で授業なのである。
内容としては動名詞の導入なので、それほど難しくはない。むしろこないだの不定詞の導入が応用できる。
前回と比べれば、条件としては悪い方ではないのだ。いつもの度胸で切り抜けることにするのだ。

さすがに二度目の研究授業ということで、前回はカチンコチンに固まっていた連中も今日はスムーズ。
そこに不定詞と動名詞の違いを『ハートで感じる英文法』式のやり方をもってきて教えることで、
生徒だけでなく見学している皆さんまで納得させちゃう作戦を実行する。これが効果覿面で、
それだけで英語の苦手な先生方にポジティヴな印象を残すことに成功したのであった。やったやった。
というわけでまたひとつ問題を無事にクリア。あともう少し。でも一歩一歩着実にやるしかないのだ。


2010.11.15 (Mon.)

研究授業前日だけど、開き直っちゃってるもんね。ジタバタすることなく、泰然自若。
まあ言い換えれば、すでに怒られる覚悟はできてるぜ、ってことなのだが。はっはっは。
とにかく生徒に迷惑がかからないようにすればいいのだ。オトナの事情なんて連中には関係ないもんな。
ま、がんばってみましょうか。


2010.11.14 (Sun.)

テストつくるのめんどくさいよーとうなりながら寝床でゴロゴロして『サンデージャポン』を見ていたら、
いま文具が大ブームということで、KKベストセラーズの文具ムックが軽く紹介されたではないか。
以前、マサルが文具のムックをつくるということで相談を受けたことがあったが(→2010.9.4)、
それがついに完成したってことじゃないか。しかも売れているっていうではないか。
オレはそんな話ぜんぜん聞いていなかったぞオイ、ということでマサルにメール。
「(僕のつくった本が)初めて売れた」と返ってきた。「くれ!」と返信。「やる!」と返事。
そこで僕は実家の住所とcirco氏の名前も併記してメールを送る。届くのが実に楽しみだ。

いつまでも寝床でウニャウニャしていても問題ができあがるわけではないので、
資料を抱えて自転車にまたがる。外で気分転換しつつ、自分をだましてやっていくしかないのだ。
遠出は疲れて後で何もできなくなるので、近場の大森へ。しかし大森は生徒に見つかる危険があるので、
メガネと帽子を着用し、FREITAGはDRAGNETでお出かけ。メシ食ってベーグル食って問題を考える。
例のごとくルーズリーフに0.4mmの水性ボールペンで小さい字を書いていく。長文以外、意地でやりきる。

問題づくりを何時間もやって飽きると、パソコンを取り出して日記の続きをちまちまと書く。
北陸旅行があともう1日分で完結するのだが、一向に終わりそうな気配がない。いつになるやら。
これが完了しても、郡山・いわき日帰り日記、東京都庁&国際フォーラム探検記、長野で県庁めぐりクリア日記、
さらに10月の四国旅行日記もあるのだ。おまけに昨日は職員旅行ついでに熱海市内を徘徊したし、
来週には遠足の下見ということで鎌倉に行く予定がある。もう、日記を書き終わる気がしないのだ。
特にここ最近は研究授業と職員旅行のクイズとテスト問題づくりのせいで、本当に日記を書く余裕がなかった。
かといって手を抜こうにも、いつも懸命に書きすぎているせいで、手の抜き方がわからなくなっているのである。
しょうがないのでそういうもんだと納得して、時間をかけてやりきる方向で覚悟を決めている。困った。

家に帰って本日のサッカーの結果を調べる。甲府がJ1に昇格した。湘南と京都がJ2に落ちた。諸行無常じゃ。
テレビでは女子バレーの日本×アメリカの3位決定戦をやっていて、メダルを賭けて熱い戦いをしていたのだが、
ネットではすでに「日本、銅メダル獲得! 3位決定戦で米国に勝利」って結果が出ちゃっててもうガックリだよ!
でもおめでとう!


2010.11.13 (Sat.)

朝、熱海駅で社員旅行が解散となると、当然のごとく熱海市内を徘徊しはじめる僕なのであった。
職場に僕の市役所マニアぶりは知れ渡っているので「ハイハイどーぞ行ってらっしゃい」と送り出される。
熱海に来るのは久しぶりだ。ふだんの僕には「熱海に行く」という発想がないので貴重な機会なのである。
さっそく勢いよく商店街を抜け、まずは市役所を目指して歩きだす。

  
L: 熱海駅。朝っぱらから温泉目的の観光客が激しく往来している。呆れるほどの賑わいである。
C: 土産物屋が軒を連ねるアーケード商店街。熱海は起伏の大きい土地で、ここを一気に下っていくのだ。
R: 干物屋の店先にて。面白い光景なんだけど、電柱に立てかけているのがなんだかちょっと不安だ。

実は駅の観光案内所でレンタサイクルがないか訊いてみたのだが、あっさり笑顔で「ないです」と返された。
熱海の街を実際に歩いてみると、けっこうキツい坂が連続している。おまけにカーヴもある。確かに自転車では厳しい。
それにしても熱海は古くから温泉地として知られているためか、街並みがなんとなく昭和っぽくて懐かしい。
さっき駅前の観光客の多さに圧倒されたことから考えると、もうちょっと新しい建物が多くてもいいように思う。
でもどうせ僕らがそうだったように、みんな送迎の車やタクシーが駅と温泉旅館を往復しているだけで、
街を歩いてみようと考える人はずっと少ないのだろう。坂だらけで大変とはいえ、なんともつまらない風潮である。

さて熱海市役所は、そんな昭和の情緒満載の街中に隠れるように建っている。本当に一歩奥に入った陰に隠れていて、
最初見つけるのに少し戸惑った。おかげで敷地も高低差があるうえに凄まじく狭く、まともに撮影できやしない。
南側の消防署と北側の観光会館に挟まれている熱海市役所は飾りっ気がほとんどなく、存在感もない。
1953年に竣工したのが今もそのまま残っているのはすごいが、それはこの存在感の薄さによるんじゃないかと思う。
あまりに目立たないので、みんな改修するのも新築するのも忘れて放ったらかしにしているんじゃないかってくらいだ。
まあ実際には新庁舎への移行を模索してもう何年も経っており(かつてはヤオハンの建物を購入する計画もあった)、
リース方式での運営までは決まったものの、財政難で身動きがとれずに計画が引き延ばされている状況である。
(ところで観光会館は、ほかの都市のような「市民会館」という名ではなく「観光会館」であるところが興味深い。
 市民よりも観光を優先するという姿勢がはっきりと名称に現れているように僕には感じられるのだ。)

  
L: さあ問題です。熱海市役所はどこにあるでしょう?  C: 正解は真ん中のベージュでした。よく残っているなあ。
R: 敷地がとにかく狭い! 日本全国いろんな市役所を見てきたが、これだけ狭苦しい市役所は初めてだ。

  
L: 隣の観光会館の方が凝っている。  C: 観光会館側から見た熱海市役所。存在感がないなあ。
R: こちらは裏手にある第二庁舎。この周辺は市庁舎・観光会館・市民会館などが集中しているのだ。

どんなにがんばってもちゃんとした写真が撮影できないので、もうあきらめて市役所を後にする。
あとは気ままに熱海市内を徘徊してみることにするのだ。というわけで、まずは市役所のすぐ南へ。
ここには熱海芸妓見番歌舞練場があるのだ。何やらイベントがあるようで、のぼりがいくつもはためいている。
すぐ手前の川の上には特設のお座敷が用意されている。でも見番の建物じたいに面白みがなかったのは残念。

熱海は基本的に温泉旅館で構成されている街なので、商店街はさっきの駅前の土産物屋が目立つくらい。
それ以外には熱海銀座というアーケードの通りが糸川の北側にだいたい並行して存在している。
ただやはりそれほど元気がなく、歩いてさみしかった。打って変わって夜にはギンギンになる可能性もなくはないが。

  
L: 熱海芸妓見番歌舞練場。熱海の芸妓さんの事務所で、踊りを見ることもできる施設みたい。
C: ちょっと戻って熱海銀座を行く。正直あまり元気がなかったのであった。  R: 熱海商工会議所。これはなかなかだ。

熱海銀座を抜けてそのまま海岸まで出てしまう。この辺りは大学のゼミの卒業旅行(熱海で一泊)でも散歩した。
あのときと全然変わらない光景だ。海から陸の方に振り向くと、視界はほぼすべて温泉旅館のビルで覆われている。
卒業旅行のとき朝に出されていたゴミ袋を見て、「この袋には桜の真ん中に温泉マークの熱海市章が描かれているけど、
中身は客が出したゴミがほとんどなんだよな。温泉街の熱海は観光客に支配されている街なんだなあ」と思ったもんだ。
その印象は、今もまったく変わっていない。かつてと変わらぬ賑わいの中、確実に街の商店たちは衰退している。

  
L: 熱海ムーンテラスと名づけられた一角。なんか、桂由美が選定に関わったという「恋人の聖地」なんだとさ。
C: 外国のリゾート地をイメージしている親水海岸。なんだかすごくキッチュ。  R: 熱海サンビーチと大型ホテル・旅館群。

ただ歩いているだけなのもつまんないので、きちんと観光名所に行ってみることにした。
本当は熱海というとDOCOMOMOに選出されている旧日向別邸を見てみたいところなのだが、
事前予約が必要ということであきらめる。いずれきっと、訪れたいものである。
で、起雲閣に行ってみる。ここはもともと内田信也(のぶや)の別邸からスタートした建物群。
内田信也は内田汽船を設立して海運王と呼ばれた実業家で、政治家としても活躍したそうだ。
次いで東武鉄道で有名な根津嘉一郎の別邸となり、その後は旅館として営業していた。
現在は熱海市が所有する観光施設として定着している。

まずは1919(大正8)年築の「麒麟」から。内田信也が建てた和風建築である。
手前から奥へだんだんと低くなっていく日本庭園を見下ろす建物は、お手本のような和風の住宅。
中にいても外から見ても見事に和風で、とても居心地がいい。畳に正座して過ごしてみる。

 
L: 「麒麟」より日本庭園を眺める。すごくいいのだが、奥にあるマンションが超ブチ壊しである。
R: 室内はこんな感じ(2階)。派手さはないが、しっかりとつくられていて落ち着く空間だ。

続いては根津嘉一郎が1932(昭和7)年に建てた「玉姫」と「玉渓」。こちらは洋風建築である。
といっても西洋風をベースにしながらもところどころに中国風が混じって妙に和洋折衷。
でも金がしっかりとかかっているのは素人目にもよくわかる。「麒麟」とは本当に対照的なつくりだ。

  
L: 手前にあるのが「玉姫」のサンルーム。光がたっぷり入る設計になっていて非常に明るい。
C: 「玉姫」の本体。基本的には西洋風なのだが、細かいところに和風のデザインが採り入れられている。
R: 「玉渓」。手斧の跡を残す名栗仕上げがとてもよく効いている。いかにもヨーロッパ山荘風だ。

「玉渓」を出ると、旅館時代の建物となる。こちらはさまざまな文豪が訪れた場所のようで、
それぞれの部屋でここを訪れた文豪たちの業績が展示されている。いい時代だったんだなあ。
さらに進むと「金剛」。こちらも根津嘉一郎が1929(昭和4)年に建てた洋館で、
ローマ風の浴室が見どころとなっている。でもこういうものは利用してこそ価値があると思うのだが。

  
L: 文豪の業績を展示しているかつての旅館部分。  C: 「金剛」の中はこのようになっている。
R: 金剛の隣にあるローマ風の浴室。確かに豪華だけど、使わないことにはねえ……。

一周すると、日本庭園に出る。今度は内側からそれぞれの建物を眺めてみるのだ。
「麒麟」はさっきも書いたけど、見事に和風の住宅。昔の日本にはこういう建物ばかりだったのだろう。
対照的に隣の「玉姫」「玉渓」はいかにも洋風の別荘。それが日本庭園に面しているのが豪快だ。
いや、それぞれに特徴のある建物が一気に集まっているのが起雲閣の面白いところなのだ。

 
L: 庭園から見た「麒麟」。うーん、日本だ!  R: こちらは「玉姫」と「玉渓」。洒落たもんですね。

音楽サロンでは英語のスピーチコンテストが行われているようで、出番を待つ中学生が練習していた。
正直、僕よりもかなりいい発音をしていたので、なんだかガックリきてしまったよ。
建物が特徴的で面白かったので満足しつつ、でもちょっとヘコんで起雲閣を後にするのであった。

あとはまあ、熱海に来たわけだからぜひ、ということでお宮の松を見てみる。
今の松の木は二代目だし、そもそも『金色夜叉』はフィクションなので、ありがたがるのも変な気がする。
でもまあ、こういうものは素直に受け止めておく方がいいのだ。ひねくれたっていいことないのだ。
それにしても男が女を足蹴にする像が観光名所として堂々と置いてあるのって、冷静に考えるとすげえな。

 
L: お宮の松。もともとは「羽衣の松」と呼ばれており天女伝説にからんだ木だったようだが……。
R: 貫一・お宮の像。こういう構図って世界的にみればすごく珍しいんじゃないか。

以上で熱海の市街地を徘徊するのはおしまいにする。やっぱり熱海は観光地として見るべきものは少ない。
熱海ってのはあくまで温泉を楽しみ旅館でくつろぐ場所なのだ。空間の名所を期待してはいけないのだ。
でも最期に一発、大物が残っている。それは山の中にあるMOA美術館だ。
MOAとは「Mokichi Okada Association」で、つまりは岡田茂吉による宗教団体・世界救世教が関与している。
宗教団体ってのは大いに気に食わないのだが、かといってせっかく熱海にいるのに行かないってのもさみしい話だ。
さすがにもう坂道を歩く気はないので、バスに乗って行ってみたのであった。

MOA美術館は世界救世教の敷地内にあるので、なんとなく雰囲気がふつうとちょっと違う感じ。
バスを降りると目の前に美術館。でもその隣には世界救世教の救世会館。アウェイな気分である。
警備員の制服すらもう、なんかふつうと違う感じで、なんとなくおそるおそる写真を撮影するのであった。
チケットを購入して中に入るが、受付のおねえさんが美人。美人が宗教団体の施設で……ああもう悔しくなる。
対抗するにはオレが宗教を興すしかないのか。美人のおねえさんしか入信できない宗教をつくるしかないのか。
……とまあ、軽く取り乱しつつ先へ進んでいく。美術館は山腹に建てられているので、まずはエスカレーターに乗る。
ひたすら乗る。延々と乗る。終わりが見えない。でもエスカレーターはまだまだ続く。
白い内装を照らす原色のライトがゆっくりと色を変えていき、良く言えば「未来の雰囲気」、
悪く言えば「おっ、オレを遠くに連れていって何をするつもりだ、イニシエーションか! イニシエーションなのか!」
設計したのは柳澤孝彦だそうだが、まあなんというか、現美とちがっていかにもな演出だったです。
エスカレーターをようやく上りきった先でもやっぱり色の変わる明かりの演出。改造人間にされそうな気分だったよ。

  
L: MOA美術館。ここは長大な通路の入口にすぎないのだ。宗教施設があるので周辺はちょっと妙な雰囲気。
C: こんな感じのエレベーターを延々と上っていく。本当にこの光景がずっと続いて変な気分になること請け合い。
R: 円形ホール。来館者はここでショッカーによる改造手術を受けることになります(大ウソ)。

その先は外に出られるようになっていたので、ちょっと出てみた。そしたら超マッシヴな建物が目の前に広がる。
人間ってのは力を物の大きさで表現する性癖があるわけだけど、露骨にそれが連続しているのでうんざり。

 ムア広場。ヘンリー=ムーアの彫刻が置いてある。

階段を上っていってあらためてそのマッシヴな建物に入り直すと、ようやく美術館の展示が始まる。
空調を調整している都合があるからか、最後のところだけ妙に扉が大きく、そして重かった。変なの。

まずは企画展だ。ルーシー=リーというアメリカの女流陶芸家の作品が大量に並んでいる。
思ったよりも東洋風というか、少なくともヨーロッパの有名どころの高級陶磁器のような雰囲気はない。
特に彼女が東洋の陶芸の影響を受けまくっていたという説明はなかったのがまた意外。
西洋ベースでもこういう作品をつくる人もいたんだなあ、と思った。先入観はよくないね。
それが終わると常設展。岡田茂吉が死の直前に手に入れたという国宝の野々村仁清『色絵藤花図茶壺』があり、
なるほど確かにこれは見事だと感心。焼き物は形がいいことは大前提で、そのうえで描かれた絵が重要になる。
360°ぐるぐる回ってジロジロ眺めるのであった。陶磁器の世界もイヤになるほど奥が深いものだ。

MOA美術館は日本や東洋の古美術が中心ということで、なるほど訪れる価値のあるレベルだ。
いちばん印象に残った作品は、高村光雲の『妙音天』。妙音天とはつまり弁財天のこと。
これが伸ばした手のひらと同じかやや大きいくらいのサイズで彫られているのだが(木彫)、
ものすごく緻密で、それでいて立体造形としてひとつも破綻がなく、しかも表情が本当に美しい。
やっぱり彫刻も360°ぐるぐる回ってジロジロ眺めるんだけど、すべてが完成されている。
このサイズでこれだけのクオリティのものを鮮やかにつくってしまう力に、もうため息しか出なかった。
これは本当にすばらしかったなあ。これを見るためだけにまた来てもいいかも、って思っちゃうくらい。
そんな具合に素直に堪能させてもらったのであった。以上で熱海観光はおしまいなのだ。

さて帰りの電車の中でつくるつもりだった期末テストは……1問たりともできてないぜ!
さすがに歩き疲れてしまって1ミリもやる気が起きなかった。寝っこけているうちに横浜に着いてしまった。
まあ、僕はここんとこ日頃の行いがいいから、きっとどうにかなるだろう。


2010.11.12 (Fri.)

先日の白熱授業があまりに好評だったので、せがまれて結局、レギュラー授業の中で圧縮版をやることに。
もっとも補習に参加するくらい意欲的な生徒ばかりではないので、寝ているヤツもチラホラ。
しかし今日に限ってはそいつらは放っておく。聴いているヤツだけを相手に、ノンストップで走る。
文科省的には好ましくないやり方だとは思うのだが、生徒に高い次元を見せることもたまには必要だろ、
なんてふうに開き直ってやりきった。ふだんと違うアプローチだけに、かえって生徒の特徴が出て、
冷静に観察してみればこれはこれで意義のある授業になったかなあと思う。

17時をまわって、急いで品川駅へ。本日は職員旅行なのである。買い出しをして集合すると新幹線に乗る。
今はまさに横浜でAPECの真っ最中ということで、警察の徹底的な警戒ぶりがすさまじい。
「なるほど、僕らは今まさにテロの脅威にさらされてるんですねー」なんて言いながらビールで乾杯。
今年の旅行の目的地は熱海である。ひかりで揺られること30分、本当にあっという間に到着してしまった。

宴会がスタートすると、余興ということでクイズを出題。どうにか間に合った。
今年は『ネプリーグ』の「ファイブリーグ」形式で、3文字の答えをひとり1文字ずつ書いてもらう。
しかしながら、問題が難しいと不評なのであった。クイズ研究会には常識でも一般人にはそうでない、と。
誰かには簡単な問題が誰かには難しい。それがどの問題にも言えるという状況で、実に困った構造だ。
とはいえこっちは時事問題を中心に出しており、アンテナ張ってりゃできるでしょ、と声を大にして言いたい。
だから難易度の下げようがないし、下げたらそれはもうゲームにならんしで、身動きがとれんのである。
学園祭クイズってどうやってつくってたっけか、なんて思っているうちにカラオケ。そしてまた飲み会。
広州アジア大会のオープニングを見ているうちに寝てたわい。


2010.11.11 (Thu.)

今日は今月末の職場体験の準備ということで、自転車で打ち合わせに出かける。
詳しいことを書くとアレなのだが、要点だけかいつまんで書くと、福祉に重点を置こうという方針。
それで僕は公共交通だとめちゃくちゃ行きづらい場所が担当になり、ちょいと自転車をかっ飛ばしたわけだ。
先方の担当者がまた意欲満々な方で、みっちりしっかり打ち合わせ。充実したのはいいが、時間がかかった。
戻ったときにはけっこうヘロヘロ。それでもこの後にはテスト前ということで補習があるのだ。ヒー

というわけで、疲れているけどやる気を振り絞って補習をやっていたら、もうだんだんこっちのタガもはずれて、
ハーバード白熱授業的にbe動詞の説明になる。世界史も交えた宗教社会学だとか、数学の式の計算だとか、
日本語の文法との比較だとかをやりつつ総合的にbe動詞とは何かを説明したのであった。
そんな感じで2時間しゃべりっぱなしなのに、受講した生徒からの評判はめちゃくちゃよかった。
まあ僕がやりたい放題やると、最終的には「教養とは何か」という内容の授業というか講義になるのだが、
そういう教養という視点から学校で勉強することを再確認することができると、生徒はうれしいらしい。
こっちが引くほど、生徒たちは異様な興奮状態になっていた。まあ、それは非常に誇らしいことだ。
ふだんの授業じゃできない、こういう科目横断型の講義を定期的にやってみようか、という気になる。
何回かやっているうちに、この日記にとっても有益なものを生み出すことができるかもしれないし。
そんなわけで今日はかなりポジティヴな一日なのであった。


2010.11.10 (Wed.)

仕事が立て込んで勘弁してほしい状況である。もう本当に泣きそうである。
まずはやっぱり研究授業の準備。指導案とかなんで2ヶ月連続で書かなくちゃいかんのだ!と泣きそう。
そしてテストの問題づくり。ほかの科目と違い、英語は長文問題をつくるのが超面倒なんじゃ!と泣きそう。
さらに宴会の余興のクイズづくり。クイズ研究会出身ということで余興のクイズが定番になりつつある。
これこそテキトーに済ませればいいのだが、悲しいかな凝り性が染み付いててこれが手を抜けんのよ。
そのうえ宿題チェック、職場体験の準備、補習の準備などがあって、もう、しっちゃかめっちゃか。
「無能な人間に仕事をいっぱい振るとどうなるか思い知れ!」と血走った目でつぶやく危ない人と化しております。


2010.11.9 (Tue.)

今日は部活動交流ということで、近所の小学生と一緒にサッカーなのである。
いちおう形のうえでは中学校の部活を体験する、ということになってはいるのだが、
時間もそれほど余裕があるわけではないし内容も僕が顧問だからアレだしということで、
基礎練習とシュート練習の後はさっさとミニゲーム。来年へ向けての宣伝以上の意義を見いだせない。
ニンともカンともである。


2010.11.8 (Mon.)

NHKでやっていた『ハートで感じる英文法』(→2005.12.27)のDVDをあらためて見直したのだが、まあすごい。

ご存知のとおり僕は中学・高校とほとんどまったく勉強をすることなく過ごしたわけで、
まあ浪人中にどうにか人並みに勉強して追いついてやっとこさ大学に入ることができた人間である。
そんな僕なので、英語の文法についての知識は本当にひどいものだったのだ。
SVOという概念すら知らない状態のまま大学に入ったほどだ(誇張なし。本当に知らなかった)。
ではそんなおバカな僕がどうやって英語の問題を解いていたかというと、すべて勘任せ。
勘だけで大学に入ったわけである。まあ勘と言ってしまうと身も蓋もないが、言い換えるとセンス、
「こっちの表現の方が英語っぽいな」という感覚だけで乗り切ったのだ(参考までに →2005.1.2)。

その後、塾講師として英語を教えるようになり、当然のごとくひとつの問題にぶち当たる。
文法の知識のない人間が、「こっちの方が英語っぽいな」という感覚をどう教えるのか。
そのときの生徒たちは優秀だったので、コツコツと宿題をやらせることを通して、
そして僕がその宿題で間違えた部分にいちいち注釈をつけて返すことを通して、
「なんとなく英語っぽいやり方」を感覚的に身につけさせることができたのである。
しかし僕としては、その方法論がうまく言語化できていなくてモヤモヤしていた。
そこに現れたのが、『ハートで感じる英文法』だったのである。これは本当に衝撃的だった。

『ハートで感じる英文法』では従来の文法用語を切り口として使っても、それ以上は踏み込まない。
各文法事項について、ネイティヴの持っている感覚・イメージをていねいに紹介していくのだ。
たとえばto不定詞が抽象的なイメージのある用法であるのとは対照的に、
動名詞では躍動感が重要だと指摘する。そうして、その躍動感が文法にどう作用するかを説明する。
そうして文法を理屈ではなく勘やセンスのレベルで使えるようにすることを試みる。
つまり、僕が学生時代にやってきたことを、そして僕が塾講師としてやりたかったことを、
完全に言語化してみんなで共有できるようにしてしまっているのだ。
このアプローチをここまで徹底してやろう試みている番組・本を僕はほかに知らない。
詳しい中身については発売されている本やDVDを実際に見てもらうのが一番だろう。
日本語とはかけ離れた文法を持つ英語だが、考え方のヒントがぎっしり詰まっており、
英語を勉強したことのある人全員(つまり日本国民全員)にぜひチェックしてもらいたい逸品である。


2010.11.7 (Sun.)

実父・circo氏が上京してきたので一緒に出かける。
われわれ毎回どこかをブラブラ街歩きしているのだが、今回は有楽町・銀座をブラブラしてみた。
有楽町や銀座の辺りは、ふだんの僕にはあまり馴染みのないエリアである。
しかしよく考えてみると、マツシマ家の趣味に非常にマッチした店がある場所なのだ。

まず最初に訪れたのは無印良品有楽町店。かつて都庁の敷地だった場所で(→2010.9.11)、
TAKARAZUKA1000days劇場を経て、現在はそのまま無印良品の国内最大店舗・旗艦店となっている。
1階はビックカメラだが、2階と3階は無印。仮設の建物をそのまま利用したむき出しの内装が実に大胆。
2階と3階のフロアもズレることでアトリウムが生み出されており、この開放感がたまらない。
circo氏は自分のホームページ向けにデジカメのシャッターを切りまくるのであった。
ちょっと洒落た雑貨をお土産ということでいくつか買い込むと、2階のカフェで一休み。
中に入るのに少し並んだのだが、高い天井を見上げながらのんびりしていると、
それだけの甲斐はあったかな、という気分になってくる。やっぱりさすがは無印の旗艦店だ。

次は東急ハンズ銀座店だ。マロニエゲートにオープンした新しい店舗で、僕も行くのは初めてである。
面積はそれほど広くないものの、5階から9階までをしっかり占めている。
場所が銀座ということで、少し外国人向けのお土産を意識した品物が多い印象である。
ほかのハンズと比べるとどこかファッション重視という匂いはするものの、
一方でネジなどの部品がたっぷり置いてあり、ハンズらしさはきちんと守られている。
まあ、オシャレなハンズの進化形といった感じの店舗である。場所により個性があるのは悪いことではない。

最後はもちろん、文具好きならお馴染みの伊東屋だ。circo氏は「補助軸がほしい」ということで、
一緒に探して各階を見てまわる(補助軸とは短くなった鉛筆にくっつけるアレのこと。念のため)。
もちろん途中ではFREITAGにチェックを入れつつ、階段を上って各フロアを軽く見ていく。
circo氏はお目当ての伊東屋ブランドの補助軸を見つけると、2本ほど買うのであった。よかったよかった。

最後に松坂屋を軽く歩きまわってわれわれの銀ブラは終了。非常に充実した街歩きでござんした。

ところでみんなでメシを食った際に、「わざわざ北海道へイサム=ノグチを嫌いになりに行かんでも」
と、潤平に言われてしまった。これにはもう、苦笑いを返すしかなかった。
うーん、まあ、確かにそんなふうに見えてしまうのはわからんでもないが(→2010.8.9)、
僕としては純粋にイサム=ノグチを好きになる最後のチャンスと思ってモエレ沼公園に行ったのだ。
行ったのだが、結局怒りしか湧いてこなかったのだ。決して最初から嫌おうと思っていたのではないのだが。参ったなあ。

まあそんな具合に潤平とわりとつっこんだレベルで公共建築をめぐる話をした。
いちばんの論点は、妹島和世の金沢21世紀美術館に対する評価の違い、だった。
僕の意見は以前ログに書いたとおり、「安っぽい」ということで否定的(→2010.8.22)。
しかし潤平は「現代建築における新しいモデルケースを切り開いた」として肯定的な立場である。
(ちなみにcirco氏も僕と同じく否定的な立場だった。「ああいうことをしちゃいかん」とまで言っていた。)

やはり潤平は建築家としてのプライドが論拠の軸にある。それは僕には決定的に欠けているものだ。
だが、一市民として、会社や個人の私的な建築なら建築基準法と社会性の許す範囲で何をしてもOKだが、
(たとえば電通本社ビル(カレッタ汐留 →2005.11.20)は、ジャン=ヌーヴェルの意向に沿えばよかったのに、と思う。)
公共建築には建築家のプライドよりも優先されるものがあるんじゃねえの、と考えるわけである。
(だから、たとえば伊東豊雄がTOD'S表参道ビルやMIKIMOTO GINZA 2で提示した問題意識をそのまま、
 公共建築であるまつもと市民芸術館(→2007.1.2)にまで引っ張ったことについて僕はかなり批判的な立場である。)
それは結局、金の出どころを意識しようよ、ということなのである。税金で建てる以上は、
建築家の立場ではマイナスの要素となるものも、素直に受け入れざるをえないでしょ、ということなのである。
ここを無視したら民主主義は崩壊してしまうわけで、建築家にはこの視点をきちんと持ってほしい。
(そういう僕の問題意識が、公共建築の設計者選定を卒論のテーマに選ばせたわけなのだ。)

もっとも、かつてはそうではない時代があったわけだ。首長が建築家に特命で依頼するパターンだ。
戦前の庁舎建築は「地元のプライド」が絡んでいたので一概にそうだと言い切れない部分があるが、
たとえば戦後なら丹下健三の香川県庁舎(→2007.10.6)などが、建築家のプライドが「勝った」実例だと思う。
建築家のプライドが何よりも優先されることで名建築が建つ、という可能性はもちろん否定できない。
しかしながら僕の見解では、その時代はすでに終わって久しい!(可能性は限りなく低くなった)ということになる。
建築家の問題意識をそのまま公共建築に投影できる幸せな時代はもう終わったのだ。
だから建築家の仕事は、昔と比べてよけいなものがひとつ増えた状況にあると思っている。

(ちなみにcirco氏は上記の議論を受けて、パトロンの要求に応じて職人が作品を生み出す体制から、
 大量生産によって作品の所有者が一般大衆に広がる変化があったことを指摘した。
 その大量生産時代のデザインを研究したのが、まさにバウハウスだった!ってわけなのだ。)

で、潤平に「じゃあアニキは結局どんな建築を評価するのよ」と訊かれて、
ちょっと悩んだ末に出たのが「残ることが住民たちから許されている建築が好き」というセリフだった。
建てた当時の葛藤はともかくとして、その存在を未来に伝えたいと認められた建築、
言わば建築家のプライドが地元の誇りにまで高められた建築、それが好きなのである。
だからどうしても、古い歴史的な建造物を見てまわるのが趣味になるわけだ。
そして、特に庁舎建築においてその誇りを探し出そうと企んでいるわけだ。
建築における美と時間(時代性という意味も含む)の問題は、もうちょっと深く議論しないといけないが、
とりあえず今のところはそんな感じで僕は建築の善し悪しを捉えているのである。


2010.11.6 (Sat.)

研究授業の案を練るが、becomeじゃ何もできないことだけはわかった。


2010.11.5 (Fri.)

放課後、研究授業に向けての会議がウチの学校で開かれた。
今月の僕の研究授業は採用2年目の人たちが対象となる研修の一環ということで、同期の皆さんで集まったのだ。
で、会議は踊れど進まず。お菓子をポリポリ食いつつあれこれ話すが、まあ参考になるわけありませんわな。
雑談とまでは言わないが、特にこれといって引っかかりのないまま飽きて終了。ごちそうさまでした。


2010.11.4 (Thu.)

体育の先生の代わりに女子のソフトボールの面倒をみることに。
……しかしそこで繰り広げられたのは、世にも恐ろしいソフトボールなのであった。

まず連中は打球をノーバウンドでキャッチするとアウトになることがよくわかっていない。
まあ無理もない。連中は一塁がホームベースから見て右側にあることを覚えたばかりなのだ。
だから塁に戻らずダブルプレーが連発される。そのことを指摘すると、「偉そうにしないでよ!」と返ってくる。
「女子なんだからルールに詳しくなくて当たり前じゃん!」と。野球のルールは男子のみの常識なのか。
基本的に内野を越えればツーベース。ゆえに打球の飛距離を競う別のスポーツとなってしまっている。
もう授業時間中ずっと頭を抱えたまま過ごしたよ。体育の先生って本当に大変だと心から思いましたとさ。


2010.11.3 (Wed.)

文化の日だからって文化的な生活を送るわけでもなく、洗濯してサッカーして日記書いて過ごす。
日記は相変わらずのチンタラした進度なのだが、情けないことにこれでもけっこう一生懸命やっているのだ。
さすがにこの状況には反省して、日記の返済を終えるまで旅行は自粛しようという気分になっている。
つまり、どうにか今年中には決着をつけたい。なんとかがんばらねば。

10月は中途半端な雨が多くて困ったけど、今週になってようやく秋らしい青空にお目にかかれるようになった。
そしてずいぶん寒くなってきた。寒くなって、空気が澄んで、もう冬はすぐそこだなあ、なんて思う。
時間の経過に振り回されて毎日を過ごしているが、そのペースに応じた成長ができている気がしない。
なかなか思うように本を読む時間、映画のDVDを見る時間がないのが悩みである。いろいろ味わいたいのに。
で、冷静にその原因を考えてみると、結局、日記を書くのに時間を猛烈に食われちゃっているのである。
やっぱり、どうにかして今年中に日記の決着をつけねばなるまい。道のりは険しいが、がんばる。


2010.11.2 (Tue.)

11月2日は弟であるところの潤平の誕生日である。ヤツもとうとう31歳なのである。
30歳というのは絶対的な線引きなのだが、「30」という数字は感覚的には20台の延長線上にあるわけで、
「30代ではあるけど20台に近いから20代に近い」という言い訳が成立しなくもないように思う。
しかし31歳となってしまうと、もうその言い訳は利かない。もう、紛れもない30代ということになるのだ。
その辺のことを潤平がどう受け止めているのか知りたい気もするし、どうでもいい気もする。
だってもう、なっちゃったものはなっちゃったものでしょうがないから、グジグジ言ってもどうにもならないからだ。
30歳という線引きに向かって突っ走っているうちは、30歳が怖くて怖くて仕方がないんだけど、
なってしまってからその辺のことを振り返ることはしないものなのだ。考えても歳は戻らないからね。
まあそういう無責任なところが、先に生まれちゃった人の思考回路というわけなのである。

うん、久々にまったく中身のない日記だ。


2010.11.1 (Mon.)

原因は非常に間抜けなことなので詳細は特に書かないが、実はここ1週間ほど肋骨が痛くて、
さすがにこれだけ痛みが続くのはおかしいぞ、と思い、仕事終わりに医者に行ってレントゲンを撮った。
で、結果としては、ほんのわずかにヒビが入っているんだか骨がわずかに欠けたんだか、そんな感じらしい。
とはいえまったく危機的な状況ではないので、特に気をつかうことなく生活していいとのこと。
まあ、ホントにちょっと運が悪かっただけ、ということだ。大事に至らなくてよかった、と思うことにするのだ。


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