合唱発表会の振替休業日ということで、本当に久々の平日休みである。ひっひっひ、どうしてくれよう。
……しかし何をするかはずっと前にすでに決めてあるのだ。いいかげん、絶対に、行かなくちゃいけない場所がある。
それは、東京都庭園美術館こと旧朝香宮邸である。行かなくちゃいけないと思いつつ十ウン年も経ってしまった。
建物の一般公開があるのが秋だけで、しかも自由に撮影できるのは平日だけ。意外と制約が多いのである。
で、今年こそは!と満を持して自転車で乗り付けたわけである。雨にならなくて本当によかった。しかし、せっかく目黒駅の向こう側に行くのであれば、目黒通りの途中にある大鳥神社に寄らないわけにもいくまい。
目黒通りを自転車で走るのは本当に久しぶりで、新しい建物にかなり新陳代謝していて驚いた。世間は動いているなあ。
そんなこんなで大鳥神社に着いたものの、さすがに山手通りは朝から車がいっぱい。すっきり撮影させてくれない。
L: 山手通り越しに眺める大鳥神社。目黒通りに左折しようとする車の列がぜんぜん途切れないんでやんの。
C: 鳥居をくぐって境内。堂々たる雰囲気である。 R: 拝殿を見上げる。さすがになかなか見事なつくりだ。「大鳥」というと和泉国一宮の大鳥大社(→2012.2.24/2014.11.8)を思い出す。直接の勧請関係はないようだが、
やはり日本武尊の白鳥伝説にちなむ歴史を持つ神社だ。もともとは最初の神様のひとりである国常立尊を祀っていたが、
後に日本武尊を主祭神とし、妻の弟橘媛命も合祀した。なお、御守を頂戴しようとしたが、社務所が開いていなかった。
どうやら平日はお休みのようだ。「御朱印はやっていません」という貼り紙もあったし、なかなかとっつきにくい神社だ。
(※後日、僕の勘違いで授与所の位置を間違えていたことが発覚。きちんと対応していただき御守を頂戴できた。)
L: 末社の目黒稲荷神社ごと本殿を眺める。 C: 境内の様子。 R: 向かい側には神楽殿がある。目黒駅周辺で朝ご飯をいただくと、いよいよ東京都庭園美術館に突撃だ。開館5分前に着いたらすでに5人ぐらいいて、
順に並んでチケットを買う。900円也。庭園だけなら(旧朝香宮邸の外観だけを見るのであれば)、100円で済む模様。
L: 東京都庭園美術館の入口。自転車で簡単に来ることができる場所なのに、中に入るのが初めてでスイマセン。
C: チケット売り場も旧朝香宮邸を意識したデザインとなっているのね。 R: 緑の中を抜けると旧朝香宮邸が登場!旧朝香宮邸の何がすごいのかというと、日本におけるアール・デコの究極的な存在であるということ。
アール・デコといえば旧朝香宮邸、旧朝香宮邸といえばアール・デコなのだ。真っ先に旧朝香宮邸の名前が出る。
(海外ではニューヨークのクライスラー・ビル(→2008.5.11)がとにかく有名。マンハッタンの女王だぜ。)
「1925年様式」という別名から察することができるが、アール・デコはわりと短命で微妙な存在である。
アール・ヌーヴォーからモダニズムへと20世紀美術が動いていく中で、両者をつなぐ役割だけを果たした感じ。
世紀末の流れを汲んだ曲線的なおどろおどろしさを含んだアール・ヌーヴォーに対し、アール・デコは幾何学的。
しかし同時に植物をモチーフにして単純化するような価値観も含んでおり、そこがヌーヴォーと少し重なるわけだ。
その後、装飾じたいを否定するモダニズムが広がる中で、アール・デコはヌーヴォーと一緒に捨てられた印象である。
日本人の美的感覚とアール・デコは非常に相性が良かったため、全国各地にアール・デコ的価値観の装飾は残っている。
しかし旧朝香宮邸ほど金をかけて徹底した事例はない。ゆえに旧朝香宮邸は日本のアール・デコ総本家と言えるのだ。
L: 車止めが異様に目立っている。このモダニズム一歩手前のバランス感覚がやはり非常に独特である。
C: 車止めの前には狛犬がいた。 R: 向かって右は子持ちだけど、よく見たら左右どっちも吽形じゃねえか!まずは建物の外観の写真を貼り付けてみる。旧朝香宮邸の竣工は1933年。設計は宮内省内匠寮(権藤要吉)、
ただし内装はフランス人芸術家のアンリ=ラパンが担当している。まあ要するに、本場仕込みのアール・デコってわけ。
L: 新館側から見たところ。玄関のちょうど反対側。 C: まわり込むと灯籠があるぞ!? R: 食堂の外側。外観については、かなり簡素であると感じる。まったく装飾が施されていないわけではないが、かなりおとなしい。
1933年というと時期的には鉄筋コンクリート建築によってアール・デコ的価値観がすでに展開されていたわけだが、
(関東大震災を契機に鉄筋コンクリートで建てられた、いわゆる「復興小学校」の事例が特に有名である)
それらと比べても正直もっさりしているというか、イマイチ垢抜けていないような印象を受けてしまう。
F.L.ライトの旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館、→2012.2.26)なんかとはかなりの差を感じてしまうではないか。
L: 庭に面するテラス部分。 C: 距離をとって眺めた西側。 R: こちらは旧朝香宮邸の裏にある庭園美術館の新館。外観からは旧朝香宮邸の偉大さがイマイチ感じられないなあと思いつつ、玄関から建物の中に入ろうとしたら、
いきなり足元のタイルの模様に圧倒された。吊るしてある照明の模様も凝りに凝っている。この時点でもうノックアウト。
受付を済ませて正面が一段低いトイレっぽい空間なのだが、もうそこのタイルからして面白い。そしてホールへ出ると、
そこからさまざまな部屋を見ていくことになるのだが、内装のこだわりが今までに見たことのない徹底ぶりなのだ。
装飾性がやはりアール・ヌーヴォーっぽさを漂わせているのだが、あの独特の嫌味さというか暗さというかがない。
全体的に軽めに抑えられているが、しかし装飾が空間を埋め尽くしている。いや、デザインが部屋を埋め尽くしている。
L: 玄関。外観で油断していたら、いきなりコレですよ。 C: ホールの奥から入口方面を振り返ったところ。
R: マントルピース周辺。装飾性はアール・ヌーヴォーを思わせるが、デザインとして軽い。これがアール・デコか!さっき例に挙げたF.L.ライトの旧山邑家住宅ではライト個人の価値観が炸裂していたが(→2012.2.26)、
こちらはあくまで時代に即した感触が確かにある。装飾が否定される直前の、最後の装飾性が思う存分展開されている。
とにかく目に入ってくるものすべてがデザインなのである。例えが非常に変だが、耳なし芳一状態というか何というか。
内部空間がデザインで埋め尽くされていると書いたが、それらは偶然の産物ではなく、すべて意図して設計されている。
ロラン=バルトは日本を「表徴の帝国」と言ったけど、旧朝香宮邸はデザインの帝国なのだ。デザインに囲まれている!
L: 大食堂。 C: 壁面がエラいことになっている。 R: マントルピース部もデザインだらけ。2階に上がるが、階段がまたすごいことになっている。アール・デコについて「最後の装飾」とさっき書いたが、
つまり、なんでもアリなのである。近代以前の価値観も受け継いでいるし、アール・ヌーヴォーも受け継いでいるし、
それでいて幾何学的な新しいこともやってのけている。アール・デコというのはまさに、装飾の総決算なのだ。
粉飾決算じゃないよ! 装飾としてやれることをぜんぶ受け止めてしまうだけの度量がある。度量がありすぎる。
だからこそ次の一手は強烈に装飾性を否定するモダニズム、インターナショナルスタイルだったわけだ。
上下左右前後すべて360°がデザインで埋め尽くされている旧朝香宮邸は、その事実を僕らに突き付けてくる。
L: 第一階段の装飾が本当に見事。もう言葉がないよ。 C: 第一階段を上がったホールを振り返ったところ。
R: 殿下居間。こちらはオーソドクスな「豪華な部屋」という印象。アール・デコはこれも受け容れるのだ。1階がパブリックな用途だったのに対し、2階はプライヴェイトな用途となっている。しかしそれだけにまたすごい。
特に衝撃的だったのが書斎である。単なる角部屋ではなく、円形の空間となっているのだ。この発想はなかった!
円形にすることで、どことなく屋根裏っぽさ、秘密基地っぽさが生まれる。これは絶対に居心地がいいに決まっている。
L: 書斎。この発想は本当に衝撃的だった。 C: ヴェランダ。床の市松模様がまた素敵。 R: 第一浴室。廊下を挟んで北側には、夏場に涼むためにつくられたという、中庭を望む北の間がある。中庭はイマイチだが、
北の間はやっぱりタイルをはじめとする内装がしっかり凝っていて独特。こういう用途の空間は初めて見た気がする。
L: 北の間。 C: タイルを中心に眺める。 R: 中庭はやや暗ったいのが残念。まあ北側にあるからしょうがないけど。あと思ったのは、空間の要所要所にアーチを配していること。単純に四角形の出入口とするのではなく、
わざと上を円くしたアーチにすることで、それだけでデザイン性を持たせつつ、空間の区切りを意識させる。
L: 妃殿下居間。 C: 廊下。左側の明るいところが北の間。 R: 第二階段。姫宮側は中2階の高さなのだ。なお、企画展の会場となっている部屋は暗いところでの展示だったので、内装の様子はよくわからず。
1階は1階であちこちで日本語の音声を流していて、何度かいきなり声がしてドキッとさせられた。
なんだかよくわからないフランス人の品のない展示で旧朝香宮邸の印象を悪くするのはやめてほしい。
L: 姫宮寝室。置いてある椅子がアール・デコですな。 C: 姫宮居間。床のつくりがもう違いますもん。
R: 第二階段を下りきったところ。丸窓の装飾がまたいかにもなアール・デコ。どこへ行ってもデザインだらけ。以上でひととおり部屋の写真は貼り付けた。では、ここからは気になった細部のデザインを特集していくのだ。
まずは床のタイルの模様から。タイル張りになっている箇所はそれほど多くないが、必ず凝ったつくりになっていた。
L: 1階、トイレっぽい箇所のタイル。 C: 次室のタイル。おーこりゃアール・デコじゃ。 R: 2階バルコニー。続いて、純粋に装飾をピックアップ。旧朝香宮邸はとにかく細かいところにいちいち装飾が付いているのだ。
植物をモチーフにしつつもアール・ヌーヴォーほどしつこくないのがアール・デコ。その良さが満載なのだ。
L: 第一階段の有名な装飾を裏側から見上げたところ。ショップで売っている栞にもこのデザインが採用されている。
C: 植物がモチーフなんだけどスッキリ。それがいい。 R: これは幾何学的形態。こういうのをいちいち付ける。しかし旧朝香宮邸で最も多種多様なデザインの面白さを感じさせてくれるのは、ラジエーターのカヴァーだろう。
これが本当に秀逸なのだ。部屋ごとに異なるデザインとなっているのだが、ここに凝るセンスにもう脱帽である。
L: ちょっとクライスラー・ビルっぽい? C: こいつすごいです。見づらくって申し訳ない。すごいです。
R: 妃殿下居間にあるやつなんだけど、幾何学的形態でありつつ花のデザインになっている。これもいい。
L,C: ショップで売っているトートバッグはこのデザインを採用。 R: 青海波なんだけど波間を鳥が飛んでいる。すごい!
L: これも単純な網目ではなく波模様なのだ。床の六角形の板目にも注目。 C: 波と百合の花で市松模様にしている。
R: これはアール・ヌーヴォー的なデザイン。でもそれを受け容れるところにアール・デコの面白さがあるんだよね。最後は照明をクローズアップ。キリがないので特徴的だった3つの例を挙げてみる。どれも面白くってたまらん。
L: アール・デコの典型のようなシャンデリア。天井に刻まれているジグザグ模様にも注目。これまたアール・デコ。
C: 円をつないでつないでこの形。 R: 何コレ、超かわいいんですけど。これ売ったらバカ売れだと思うんですけど。というわけで、旧朝香宮邸は噂以上にとんでもない建築なのであった。外観はおとなしいのに、中は異空間だよ。
目に入るものすべてがデザインで、その場にいるだけで眩暈がするほどにデザインセンスが刺激され続ける。
「東京都庭園美術館」という看板には偽りありだね。もう「東京都デザイン美術館」にして展示を特化しちまえよ。
日本シリーズが終わって一夜明けたのだが、日本ハムってのは本当に強いなあと感心させられたのであった。
今年は内弁慶シリーズな展開で、広島で行われた2試合を広島が取り、札幌で行われた3試合を日ハムが取った。
そして広島に戻っても日ハムの勢いは衰えることなく、そのまま4勝2敗で押し切ったのであった。いやー、強かった。ヤクルトファンとしては今年の広島の強さは圧倒的に感じていて、黒田のラストイヤーだし広島が優位かなと思ったが、
4年前に日本シリーズを経験していた栗山監督が短期決戦の戦い方に徹して広島を破った。采配の差が大きかったなあ。
いちばん凄かったのはやっぱり、大谷をわざとネクストバッターズサークルに立たせてピッチャーに圧力をかけた場面。
栗山監督は評論家としていろいろ取材した経験があるから、グラウンド内外であの手この手を繰り広げられるんだなと。
大谷の二刀流もそうだし、地域やファンをすごく重視する日本ハムにとっては本当にベストな監督なのだなと思う。
そんでもって、「死せる孔明、行ける仲達を走らす」じゃないけど、打席に立たないで勝利を手繰り寄せた大谷もすごい。
黄金時代を予感させる選手たちが揃った広島に対し、やるだけのことをやって運もしっかりと引き寄せた日本ハムが勝つ。
今年の日本シリーズはどの試合も面白かったし、伝説的なシリーズとして今後も語り継がれることになるんだろうな。
合唱発表会。飲み会もたいへん楽しゅうございました。教員だけでなくサポートしてくださる皆様も含めて、
本当にいいチームワークだなあと、あらためて感動した。これだけ気の置けない飲み会ができるのはありがたい。
2次会のお店では大画面で日本シリーズの中継を映し出しており、適度にダベりつつ、それを見ながら語りつつ飲み食い。
どっちのファンでもない僕は「できるだけ混戦になった方が面白いし、第7戦まで見たいじゃん」という理由で、
なんとなーく広島を応援しつつ見ていたのだが、日ハムは短期決戦の戦い方をやりきって勝利。お疲れ様でした。
またその一方で、栄養士さんやスクールカウンセラーさんと甲子園球場の思い出やヒガシマル醤油について語り合う。
どこを向いて何の話をしていてもとにかく面白いという、本当に贅沢な時間でございました。いやー、うれしい。
本日はひたすら尻拭いですよ。呆れ果てる。短時間にまとめきったオレ偉い、と自分で自分を褒めてあげるのであった。
それにしても、同じ人間とは思いたくない。でも現実にそういうやつがいるんだなあと。ホント、この世は不条理よ。
びゅく仙的名盤紹介・第3弾をどうにしかしてやりたかったのだが、第1弾や第2弾に匹敵するだけのものがない!
お気に入りの曲を取り出して聴くのではなく、きちんと全曲通して聴きたいアルバムとなると、本当にないのだ。
強いて3つ目を挙げるなら、東京スカパラダイスオーケストラの『グランプリ』(1995年、エピックソニー)。
でもこれは全曲通すよりは、やっぱり一曲一曲を気分に合わせてピックアップして聴きたいアルバムだ。次点だね。冷静におとといと昨日のログを眺めてみると、どちらも僕が10代のときの作品であり、完全にインストの作品である。
「名盤」という概念は結局のところ、個人が10代のときに衝撃を受けた好みのものでしかないのかな、と思えてくる。
こうなると、皆さんの「自分のオススメの曲」ではなく、「自分が衝撃を受けたアルバム・ベスト3」を訊いてみたい。
「あなたの人生を聴かせてちょうだいよ」(→2005.4.28)とは、わが父・circo氏の名言だが(イイ線いっているよね)、
iPodのレート5つ星曲をメドレー再生していくよりももっと手っ取り早く、しかもだいぶいい具合に尖ったまとめ方で、
それぞれの人の人生を追いかけていくことができそうな気がする。あなたの人生を3枚、ぜひぜひ紹介していただきたい。
びゅく仙的名盤紹介・第2弾、川井憲次『PATLABOR ORIGINAL SOUNDTRACK ALBUM VOL.5 “INQUEST”』。
長いタイトルだが、つまり『機動警察パトレイバー THE MOVIE』(→2008.7.30)のサントラである。
最近になって再発売されているけど、いちばん最初のものは1991年にワーナーから発売されている。25年前とな!?こちらのCD、実は私が生まれて初めてレンタルしたCDアルバムなのであります(→2003.6.8)。
そういう思い出補正がかかっているのは否定しきれないが、それを差っ引いても全曲通して聴きたい名盤なのだ。
コンピューターウイルスによる実体を持たないテロと、空間的に限られた暴力による「予防」というストーリーが秀逸で、
それをとても手際よくまとめながらアクションシーンも充実しているという、非常に高いレヴェルの映画作品である。
そしてこの作品の各場面を的確に盛り上げるのが、川井憲次による劇伴だ。スティールドラムを印象的に使った音楽は、
どこか乾いた感触と無国籍風な響きを持つ。リアルな生音が、かえって実体の欠けた犯人のつかみづらさを表現する。アバンタイトルの1曲目「夏の嘲笑」で、まずそれを披露。続く2曲目「ヘヴィ・アーマー」は自衛隊レイバーの暴走を描写。
緊迫感のある低音からの曲調の変化が事件の展開と完璧に重なっているのに、オープニング曲としても高度な仕上がり。
この時点でもう、サントラを聴いているだけだとしても、まるで今、作品を見ているかのような感覚となるのだ。
そしてスピード感のある3曲目「暴走事件」へと入り、特車2課へと焦点が移っていく。この後の曲は短いながらも、
場面場面でしっかりと役割を果たしていくヴァリエーション豊かな構成となる。特に6曲目「HOS」の怪しいジワジワ感、
8曲目「政府広報」のインパクト、どちらもものすごいアクセントとなっている。聴いていて心地よい変化でもある。
一方で、刑事が取り残された東京を歩きまわる7曲目「虚栄の街」ではスティールドラムが復活し帆場の存在感を演出。
9曲目「GEGE」はBGMというよりは純粋にインスト曲として聴きたくなる。軽い曲調はここが最後なのも印象に残る理由か。
テロの狙いが浮かび上がると、11曲目「出撃命令」、13曲目「突入」、15曲目「方舟」と1曲おきに聴きやすい曲が入る。
しかし11曲目は準備段階、13曲目の作戦開始の勢い、15曲目は疾走感と緊張感を織り交ぜた表現と、個性が異なる。
そして、その間にはそれぞれ短い曲が入る。10曲目「共鳴」は不気味さ、12曲目「海へ」は重苦しい中での勇ましさ、
14曲目「ID:666」は心拍音を思わせるじっとりしたリズム。表現されているものはそれぞれ異なっているのだが、
後半の構成は陰と陽を交互に置くことで、聴き手にカタルシスを上手く与えている。通して聴くと効き目が本当にすごい。
16曲目「バベルの崩壊」は静かにスタートするが、リズムとHOSの不気味さが際立つ曲調。そこから盛り上がっていき、
また静かに戻る。そうして一曲の中で静と動を繰り返してクライマックスへとつながる。ラストがまたきれいなのだ。
そしてみんなが大好きな17曲目「朝陽の中へ」で締める。確かにエンディングとして使うのがベストと感じる曲だが、
それだけでは終わらない魅力を持った曲だ。アレンジは映画のエンディングだが、メロディにもっと汎用性がある感じ。
このメロディとアレンジのバランスが、われわれに特別な何かを訴えかけるのではないか。とにかく名曲ってことだ。以上のように、実体のない犯人を追いかけていくうちに事件の焦点が絞れて、最後はかっこいいアクションへと移行する、
そんな展開を見事に再現している構成となっているのだ。秒、いやコンマ単位のドラマ本体展開とぴったり噛み合って、
曲は変化していく。つまり一曲一曲がものすごく濃いドラマトゥルギーを持っているのである。もはや物語そのものだ。
突然だけど、びゅく仙的名盤紹介をしてみるのである。僕はふだん日記でいろいろレヴューを書いているけど、
最近は音楽についてのレヴューが少ない。歳をとって新曲を聴く習慣がなくなっているのである(→2003.5.19)。
いちおうiPod再生回数ランキングは過去2回やっているが(→2005.9.30/2013.5.28)、好みの曲という単位だ。
そこで今回は、今まで聴いてきたアルバムで、僕が本当に「捨て曲がない!」と思った傑作アルバムを紹介したい。
条件としてはまず、ベスト盤ははずす。そしてぶっちぎりのキラーチューンでどうにかなっているものもはずす。
純粋に、1曲目から再生していって最後までツルッと聴いてしまう、そういう魅力の塊であるアルバムだけを紹介する。その第1弾は、矩形波倶楽部『HOPE』(キングレコード、1993年)だ。発売はもう20年以上前になるのか……。
フュージョンからベストを選ぶとすると、間違いなくコレ。T-SQUAREでもなくCASIOPEAでもなくコレなのだ。
矩形波倶楽部はコナミのサウンドチームから生まれたバンドで、ギターの古川もとあきが絶対的な中心である。
1990年には1stオリジナルアルバムである『矩形波倶楽部』を安藤まさひろプロデュースの豪華メンバーで出している。
『HOPE』はメンバーチェンジをしたうえでの2ndオリジナルアルバムで、ゲストもベースの田中豊雪のみとシンプル。
しかし内容はゲームミュージックのアレンジ曲を一切入れずにアコースティック風味のオリジナル曲のみで構成しており、
最初から最後までメロディで聴かせる曲を揃えている。友人に貸したらなかなか返ってこないアルバムNo.1である。タイトルチューンである4曲目「HOPE」、ラジオのジングルとして使われたこともある7曲目「WE LOVE PEOPLE」、
7/8拍子ながらテレビでたまに耳にすることもある1曲目「A HEARTY WELCOME」が有名どころだと思われる。
(変拍子で穏やかなこの曲を一発目に持ってくる度胸が信じられないが、それに応えるだけの芯がある名曲である。)
非常にポジティヴな曲調であるこの3曲が人気なのは納得のいくところだが、それだけに終わらないのが『HOPE』の凄さ。
しっとりとした曲調の2曲目「IN THE BACK OF MY MIND」、5曲目「A GENTLE BREEZE」、8曲目「ABOUT YOU」も、
オトナの味わいがきちんとある。そしてピアノ主体でメルヘンな雰囲気の3曲目「DREAMER'S DREAM」に、
甘い曲調というか歌謡曲っぽいメロディラインを持つ6曲目「THE WAY I BELIEVE」と9曲目「DEAR MEMORIES」もある。
つまり、万人受けする1-4-7、オトナ向け2-5-8、コドモ向け3-6-9という麻雀的なスジによって曲調をローテーションし、
聴き手に飽きがこないようにしているのだ。そして最後の10曲目「MOVING ON」は万人受けと歌謡曲の中間で締める。確かなメロディを持つヴァリエーション豊かな曲、フュージョンならではの清潔感のあるアレンジ、そして巧みな構成と、
アルバムとしての完成度の高さという点において、僕が今まで聴いてきたすべての中での最高峰の位置を占めている。
まあそれはつまり単純に全曲が僕の好みということにほかならないのだが、でもそれ以上の何かを持っているアルバムだ。
一度、人に貸したら本当に返ってこないんだから。それはつまり、みんなにとってハイレヴェルなアルバムってことだろう。
残念ながら、矩形波倶楽部は権利関係に異様にうるさい一企業の社員によるバンドなので、世間的な知名度は低い。
しかし「アマチュア」の才能が究極的に凝縮された作品として、完成度はどのフュージョンバンドのアルバムよりも高い。
本当に音楽を好きな人間なら(特にインストが好きなら)、絶対に手元に置いておかなければならないアルバムである。
昨年のたてかべ和也師匠に続き(→2015.6.19)、今度は肝付兼太師匠まで亡くなってしまった。勘弁してほしい。
当然ながら、われわれは藤子アニメで育った世代である。その藤子アニメに必ず出ているのが、肝付兼太師匠。
僕にとって肝付師匠の声は藤子アニメそのものであり、まさに象徴だった。あの声こそが藤子アニメの安心感。
F先生はもうずっと前に亡くなってしまったが、この肝付師匠の訃報で僕の少年期が本当に終わった気がする。声優ってのは、生まれながらに特別な声、他の誰でもない声を持っている人でないとなってはいけない職業なのだよ。
世界中でたった一人しか許されなかった声、まさしく空前絶後の声を持っていた人がこの世を去ってしまったのだから、
これは取り返しのつかない事態なのである。いやあ、この喪失感のデカさは例えようがない。ただただ無念であります。
遠州は浜松の地で30代最後の一年を迎えることとなりました。でも誕生日とかどうでもいいもんね。
それより本日の旅程をしっかりとこなすことが重要なのだ。朝メシを食ったらさっそく焼津へと移動する。
そして昼前には静岡へと移動。今日も今日とて重伝建に御守にサッカー観戦なのである。せわしないねえ。焼津駅前の観光協会でレンタサイクルを確保すると、北側に出て新幹線と並走する国道150号を突き進む。
道がわかりやすくまっすぐなのはいいが歩道がだいぶいいかげんな造りで、高くなったり低くなったりが激しい。
おかげで前カゴに入れておいたケータイが衝撃で飛び出してしまったではないか。カヴァーが凹んでしまった。やがて道路は山にぶつかる。国道も新幹線も東名高速・東海道線と束になって一緒にトンネルをくぐるという箇所で、
僕は針路を直角に変えて海を背にして山へ突撃する。その先にあるのが本日最初の目的地である「花沢」なのだ。
花沢は2014年に伝統的建造物群保存地区になった山村集落。そこにレンタサイクルで突撃するのがいかにも僕らしい。
電動自転車だとけっこうどうにかなっちゃうレヴェルの傾斜だった。さっきの歩道の方が不便で困ったくらいだわ。
L: 花沢の入口。ここから川沿いに坂道を上がっていく。 C: こんな感じで西側に家屋が並ぶ。 R: さらに進む。航空写真を見ると一発でわかるが、駿河湾西側の海岸線は平野と山が交互になっている。湾の真ん中が富士市で、
そこから西へ山を越えると旧清水市、さらに九能山(日本平)を挟んで静岡市、そしてまた山を越えて焼津市となる。
花沢はこの静岡市から焼津市へと峠を抜けた場所に位置しているのだ(ちなみに焼津の先は、牧之原台地で御前崎)。
上述のように現在はあらゆる陸路が日本坂トンネルに集約されている分、花沢は旧来の姿を保っているというわけだ。
L: 花沢ではどの住宅もだいたい同じような配置で複数の棟が建てられている。街道沿いには石垣と附属屋。
C: 附属屋を正面から見るとこんな感じ。脇の通路から奥にある主屋へ入る。 R: こういう景観が続くのだ。まず街道に面して建てられているのが附属屋。みかん栽培をメインに、農作業用に幅広く利用されたそうだ。
その脇にある路地が住宅の入口となっており、奥に主屋がどっしりと構えている。単純に塀とするのではなく、
附属屋を主屋の前に置いて、プライヴェイトな空間と作業スペースを用意している工夫が非常に独特で面白い。
L: 失礼して住宅を法華寺から見下ろしたところ。手前が附属屋で奥に主屋という構造が非常によくわかるすいません。
R: これまた失礼してちょっとだけ主屋方面を覗き込んだところ。 R: 軒下には必ず法華寺のお札が掲げられていた。集落のいちばん高いところ、つまり峠を下りはじめてすぐのところにあるのが法華寺。市指定文化財の仁王門も立派だが、
本堂もなかなかの風格を感じさせる。何より、無人で賽銭箱スタイルであるものの、御守をきちんと置いてあるのがいい。
L: 法華寺の仁王門。 C: 抜けると本堂。場所が場所なのでコンパクト。 R: しかしなかなかの風格なのだ。花沢集落のだいたいの感じがつかめたので、国道で再びガクガク揺られながらも焼津駅方面まで戻る。
が、そのまま南へ抜けて焼津神社まで行って参拝。参拝じたいは2回目だが(→2013.3.10)、御守は初めてだ。
L: 焼津神社の境内入口。 C: 進んでいって拝殿。ちょっとお寺っぽいね。 R: 本殿。緑豊かだな。まだまだ時間も気力もあるので、焼津の市街地を走りまわってみることに。前回は神社と市役所くらいしか歩いておらず、
もうちょっとあちこち探索してみようと思う。というのも、焼津の平野はかなり広く、それに応じて市街地もベタッと広い。
それに道路の入り方がどこも直角ではなくて、非常にわかりづらい構造になっているのである。イマイチ感覚がつかめない。
しかし電動自転車だと気ままに動くことができるので、本能の赴くままにペダルをこいで雰囲気をつかもうというわけだ。焼津市役所。別館も議会庁舎もなく、この本庁舎だけになってしまった。
まず市役所へ行ってみたら、別館も議会庁舎もなくなっており、本庁舎だけになってしまっていた(→2013.3.10)。
焼津市産業会館もそうだが、特徴的な建物があっさり消えてしまっているのは非常に悲しい。茫然としてしまった。それでも天気がよくなってきたこともあって、なんとか気を取り直して動きだす。うろうろしてみてわかったのは、
焼津には駅に近いエリアや港に近いエリアでそれぞれ商店街の雰囲気を残した通りがいくつもある、ということだ。
かつてはそれがきちんと機能していたんだろうが、広がった分だけ郊外化による衰退のダメージが強く出ている。
L: まずは駅前のアーケード(駅前通り)。3年前には「かなりの壊滅ぶり」「さびれとる」と書いたが、人が少ない……。
C: 市役所付近から港に沿って南北に走る昭和通りではイヴェント中。 R: なんか戦隊ヒーローっぽい皆様がいたんですが。
L: 昭和通りの南側にある神武通り。小じゃれた雰囲気で道幅の狭さが効いている。商店もちょこちょこ営業中である。
C: 浅草通り。昭和の雰囲気を残すも、もはや住宅でしかないと思われる。 R: 最も港に近い八雲通りの一角。それっぽい。いくつかの商店街をまわって駅まで戻ると、自転車を返却して静岡へ。ここからは切り替えてサッカー観戦モードだ。
実を言うと本来、このサッカー観戦は3月の静岡訪問時(→2016.3.12)に予定していたのだ。そのリヴェンジである。
おかげで対戦カードも変更で、清水×北九州ということになったのだ。まあそれはそれで別に構わないけどね。
静岡駅の向かいにあるデパート、そこには日本平スタジアム行きのバスがやってくる。けっこうな列ができており、
オレンジ色のユニの皆様と一緒に僕も並ぶ。レンタサイクルは……さすがに今回はやめておく。静岡からだと遠いし。
L: というわけで日本平スタジアムに到着。正式名は静岡市清水日本平運動公園球技場。これはホームゴール裏側ね。
C: メインスタンド側へ行ってみる。 R: メインスタンド入口。ネーミングライツで「IAIスタジアム日本平」なのね。バスに揺られて無事に到着すると、さっそく恒例のスタジアム一周を開始する。ここでの観戦は2回目になるが、
前回は実に9年前で、甲府が大木監督の下でJ1を戦っているという状況だった(→2007.9.15)。懐かしいなあ。
清水駅から走ってキックオフぎりぎり間に合った記憶は今も生々しい。だからスタジアム一周をやっていなかったのだ。
しかし日本平スタジアムは山裾につくられたスタジアムなので、恒例の一周をするのが非常に大変。高低差がありすぎる。
とはいえその分、眺めは抜群に良い。特にアウェイゴール裏のてっぺんから見下ろす三保半島はもう最高だろうと思う。
L: アウェイゴール裏てっぺんからではないが、そっち方面の高台から見下ろした三保半島。うっすら松原が見える。
C: サイドスタンド・アウェイゴール裏側を見上げる。豪快だなあ。 R: というわけでピッチ。相変わらず見やすい。さて本日の試合について。昨シーズン、清水は契約第1号選手でもあったレジェンド・大榎監督が途中で解任され、
後を受けた田坂監督もチームを立て直せずについに降格。オリジナル10のJ2降格ということでだいぶ話題になった。
ゴドビ監督解任以降、どうもいろいろと末期的な状況だったようだが、詳しくは知らないし積極的に知る気もない。
とにかく心機一転、昇格請負人の小林監督を招聘し、後半戦に入ってからは怒涛の勢いで勝ち点を積み重ねている。
対する北九州はJ3降格の大ピンチ。来年からは新しいスタジアムで戦うというのに、舞台がJ3ではシャレにならない。
昨年は本城でプレーオフまであと一歩の7位に食い込んだ瞬間を見たが(→2015.11.23)、信じられない凋落ぶりだ。
V字回復と大失速、だいぶ対照的な状態にあるチームどうしの対戦である。北九州に少々判官贔屓しながら観戦する。
L: アウェイゴール裏。北九州からはるばるお疲れ様です。 C: これは帰る際に撮影したバックスタンド側。
R: バックスタンドをもう一丁。日本平スタジアムが山裾にドーン!と造られていることがよくわかる構図である。大方の予想どおり、試合は清水が序盤から押しまくる展開となる。さすがに地力もあるし、好調だし、何よりホームだし、
清水エスパルスというクラブが今まで培ってきたものが北九州を圧倒している。7月の愛媛戦(→2016.7.16)と同じように、
強者の清水と弱者の北九州では基本的な位置取りがすでに違うのである。ハーフウェイラインは確かに真ん中にあるが、
選手たちの位置からして2/3ほど北九州陣内に食い込んだところに実際の線がある感じ。北九州はストレスが溜まるね。
L,C: 好調な清水がホームの声援を得て序盤から攻勢をかける。北九州はヒヤヒヤするシーンがしばらく続くことに。
R: それでも北九州・風間宏希がミドルで反撃。逆を言うと、これ以上相手ゴールに近づけない、ということでもあるが……。どう考えても圧倒的に優位な相手に対し、北九州がどれだけ意地を見せてくれるかがこの試合の見どころ。
特に気になるのは、やっぱり本山だ。サッカーファンなら誰でも天才と呼んでいる男、鹿島の10番をつけた男が、
出身地のクラブに移籍してピンチを救う姿を見たいのである。彼をはじめとする北九州の面々の意地を見たい。
しかし現実は甘くない。北九州はボールを持ってもなかなか前に進めない。ペナルティエリアが遠いのである。
L: 今シーズンから地元の北九州に戻った本山。背番号43は彼が東福岡高校時代につけていた練習着の背番号とのこと。
C: 清水の大前は大ケガから先月復帰したばかり。もう少し痩せた方が……と思うが、自分もどうせこんなもんなんだよな。
R: 32分、清水が先制。右からのクロスを白崎が頭で落とし、大前がダイレクトで合わせた。FWらしい嗅覚の得点。北九州だって決して能力の低くない選手が集まっているはずだが、見ているとどうにも動きが重い。縮こまっている。
負のスパイラルに巻き込まれて実力が発揮できないということなのだろうか。これは本当に恐ろしいことだと思う。
対照的に、J1に在籍していてもおかしくない清水の選手たちは額面通りの働きをしっかり見せて先制点を奪うと、
その後も個の力をチラつかせながら北九州の反撃の芽を丁寧に摘み取っていく。余裕を持ってウノセロをやっている。
L: 見てのとおり、北九州はパスコースを完全に切られている。さすがは小林監督、清水の守備を徹底的に鍛えている。
C: 最終ラインでボールを保持する清水。CBがハーフウェイライン付近まで上がっており、北九州を押し込んでいる。
R: 清水は守備でも前線から積極的にボールを奪いに行く。結果として、この勢いの差がそのまま出たゲームだった。終盤になって北九州は攻勢に出るも、守備の構築に長けた小林監督の清水から点を奪うことはできなかった。
逆に清水はPKを獲得すると、チョン=テセが決めて2-0の完勝。迷いを感じさせるプレーぶりの北九州の印象は薄く、
終盤戦に入って本来の実力を発揮する清水のしたたかさだけが、ただただ記憶に残っている。やはり名門なのだな、と。
L: J3降格だけは避けたい北九州は終盤、懸命に攻める。しかし安定している清水の守備を結局破ることはできず。
R: 最後の最後で清水はPKを獲得。これをチョン=テセが決めて勝負あり。大前とのアベックゴールは3戦連続となった。試合が終わっても、僕の本日の予定はまだまだ終わらないのだ。気勢をあげる清水サポの声を聞きながら、
帰路につく観客たちとは逆方向へと歩きだす。たまに車がやってきてはトボトボ歩く僕を軽快に抜き去っていく。
道は半分工事中で砂利の迷路みたいな有様で、周りはみかん畑ばかり。清水の街がそのずっと向こうで霞んでいる。
あらかじめGoogleマップで調べて覚悟はしていたのだが、予想以上に孤独で長く感じる道のりなのであった。ひと気がぜんぜんない山裾のみかん畑の中を延々と歩く。街が遠いぜ。
約4kmにわたる修行である。なんでわざわざそんなことをしたのかというと、目的はやっぱり御守なのだ。
清水と静岡のだいたい真ん中にある草薙神社が、そのターゲットなのである。9年前に日本平で観戦したとき、
帰りのバスが大渋滞に巻き込まれた記憶があって、どうせならまるごと徒歩で最短距離を目指す方が早いんじゃないか、
そう考えての決断である。道は歩行者の存在をあまり想定してない箇所もあって、正直なかなかにキツかった。等高線に沿ったり坂を下ったりのルートなので、時間としては30分ちょっとで草薙神社に到着。
南側から下ってくると裏手になるので、いったん境内の北側に出てからあらためて鳥居をくぐって参拝を開始。
住宅地から日本平の山へ向かう入口に位置している神社で、参道となる道路が境内をよけて曲がっているのが印象的。
L: 草薙神社の境内入口。くねる川と並走するように参道が延びているが、境内にぶつかると左にカーヴしてよけて日本平へ。
C: 鳥居をくぐると日本武尊の像。 R: 境内の様子。完全なる横参道で、左の手水舎から右の神門をくぐって参拝する。曇り空だったせいもあってか、どことなく境内からは湿り気を感じる。神門をくぐってすぐ左手の舞殿がなんとも独特。
稲藁だろうか、壁板がわりにびっしり並べられている。その脇には龍勢(流星)という花火の竿がくくり付けられていた。
L: というわけで参道から右を向いて神門。 C: 拝殿と舞殿。 R: 拝殿を正面から眺めたところ。妙に小規模に見える。千木も鰹木もないので拝殿は少しお寺っぽい印象。正面からだとコンパクトに見えるが、奥行きはしっかりある。
さっきの日本平から下ってくる道もそうだったが、この辺りは緑の勢いがけっこう強いように思う。それが湿り気、か。
草薙神社の境内も、各社殿が緑の勢いに呑まれつつある感じ。「草薙」という字面とは正反対の感触なのが興味深い。
L: 本殿。拝殿から離れてすっと建っている。 C: 舞殿をクローズアップ。どうしてこんなスタイルなのか気になる。
R: 県道407号に面する一の鳥居。やはりヤマトタケルの伝説が深く関係している神社だけあって、存在感がすごい。無事に御守を頂戴すると、静岡鉄道の草薙駅から新静岡駅へ。そのまま新静岡セノバにある「さわやか」に突撃。
やはり静岡県に来ると、さわやかのげんこつハンバーグを食わずにはいられないのだ。お一人様でも気にしない。ウホーッ!
これですべてをやりきった。3月の借りを完全に返すことができたのだ。げんこつハンバーグの余韻に浸りつつ、
渋谷マークシティ行きのバスに乗り込むと、すぐに意識は飛んでいったのであった。気がつきゃ道玄坂ですよ。
マークシティからJR方面へ向かう途中、岡本太郎の『明日の神話』が目に飛び込んできて、それで目が覚めた感じ。
やっぱりこれは絶妙な場所に収まっているよなあと、あらためて思うのであった。いやもう本当に絶妙。パブリックアートの最高傑作だよなあと思う。
実にやりたい放題の誕生日でしたな。
長年憧れていたアキバへ行くぜ! ……秋葉山にな!
防火の本場・秋葉山には当然ずっと行ってみたかったが、地図を見ると天竜二俣のさらにその先、かなりの山奥っぽい。
こりゃあ自家用車じゃないと無理じゃないかと思っていたが、さすがに公共交通機関でアクセスできないことはなくって、
本数は多くないけど西鹿島からバスで行けることがわかった。そうなればもう、チャレンジするしかないのである。
唯一の問題は、7月末に捻挫した右足首がまだ完全とは言えない状態であること。日常生活で困ることはもうないが、
さすがに山を登るには少々不安がある。特に雨なんかで山道が滑りやすくなっていたら、トラウマもあって厳しそうだ。
とはいえ尻込みしていてもしょうがないので、日頃の行いをできるだけ良くして準備を進め、いざ夜行バスに乗り込む。
浜松駅に到着したのは午前5時半。吉野家で牛丼を食ってエネルギーを充填すると、駅周辺を散歩して時間を調整し、
遠州鉄道の新浜松駅へ移動する。西鹿島駅に着いた頃にはいい感じの青空になっていた。なんとかなりそうだ。
L: 朝焼けの浜松駅南口。アクトシティの存在感がすごいね。浜松駅は意外にも24時間営業の飲食店が近くにないので困る。
R: 西鹿島駅。遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道が乗り入れるが、どっちもローカルなので付近は道路と住宅。店はあんまりない。西鹿島駅周辺は見える範囲にコンビニがなく、少々途方に暮れつつバスを待つ。程なくして北側のスペースにバスが到着。
いつもどおりにできるだけ前の座席で40分ほど揺られる。バスは二俣本町からどんどん山の奥へと入っていくが、
国道なので道はしっかりと整備されており、特に不安感はない。そして、その名も「秋葉橋」というバス停で下車する。
北へと向かうバスを見送ると、自分は南へ針路をとる。といっても、道は川に沿ってすぐにぐるっとカーヴしてしまう。
その曲がった先にあるのが、秋葉山本宮秋葉神社の下社だ。駐車場の道を挟んだすぐ向かいから境内がはじまっている。
L: 秋葉山本宮秋葉神社の下社入口。 C: 山道を進むとこんな感じ。時刻はまだ8時だからか、店は開いていない。
R: さらに進むとなかなか堂々とした石段。でもその外側の杉林は、わりと自然に任せている感じのする勢い。というわけで、まずは下社から参拝する。もともと秋葉神社は秋葉山の山頂に鎮座していたが(現在の上社)、
1943年に山火事でほぼ完全に焼けてしまった。ちょうど戦争の時期であり、再建する余裕がなかったため、
現在の下社を造営して祭祀を続けたそうである。その後、1986年に山頂・上社の再建を完了して今の形になった。
L: 下社の境内。石段を上って左手を眺めたところ。手前に授与所があって(軒だけ見える)、その右に社務所。
C: 正面に向き直ると拝殿。素朴につくってある分だけ、周囲の木々と溶け合って自然体の美しさを感じさせる。
R: 奥にある本殿を覗き込む。やっぱり建築的にはぜんぜん凝っていないのだが、穏やかでいいんじゃないでしょうか。参拝を終えるといったん境内を出て、道をさらに奥へと進んでいく。川に沿ったカーヴは180°に近いヘアピンぶりで、
真北へと歩いていくことになる。山の合間に住宅が点在する光景の中をトボトボ行くと、いかにもな真っ赤な橋があり、
渡ると急に坂道になる。これがかなり勾配のきつい坂で、正直少しつらかった。捻挫で運動不足になっていたってことか。
L: 下社から上社へと向かう山道へと向かう道(ややこしい)。 C: 急に急な坂道になるんよ。 R: 山道の入口。坂道を抜けるといよいよ上社へと向かう山道入口に到着。ここからもう、はっきりと山登りである。
感じとしてはやっぱり、京都の愛宕山を思い出す(→2015.7.25)。雰囲気はどうしても似てくるものだと思う。
しかしこちらの方がちょっと勾配が急で、かつ道が狭い感じ。でも距離じたいはそこまで長くはなかったので、
そんなにイヤではなかった。あらためて愛宕山のしつこい山道を思い出すが、あれはとにかく面倒くさかったなあ。
L: 序盤の山道。けっこう急である。 C: 石灯籠みたいだけど擬宝珠が載っている。かつては建物があったんだろうなあ。
R: 五の鳥居跡。かつては銅の鳥居が建っていたそうだが、今は基礎部分にミニチュアの鳥居が置かれているのみ。50分ほどで朱塗りの門が見えてきた。秋葉山秋葉寺(しゅうようじ)の仁王門である。脚部に比べて屋根が低く、
なんとなくずんぐりとした独特な形状である。「秋葉大権現」の扁額も大きいし、軒下の彫刻もかなり凝っており、
下から見上げることに特化している門だ。山道だからこそこうなったのだろう。全身真っ赤なのもまた珍しい要素だ。
L: 秋葉寺仁王門。ものすごい存在感である。 R: 抜けると秋葉寺境内。神社と比べてだいぶ弱体化している。「秋葉権現」という名称から容易にわかるが、秋葉神社はもともと神仏習合。明治の神仏分離で神社と寺に分離し、
その後に寺の方がいったん廃寺になってから復活したという経緯がある。そのせいか、秋葉寺はけっこう寂れ気味。
それでもちゃんと御守を頂戴できたのでありがたかった。ここまで来れば、上社はもうすぐそこである。
L: ラストスパート。 C: 1831(天保2)年築の神門。立川流2代目・和四郎冨昌を中心に建てられたそうだ。
R: 山道を登りきるとこの光景。下社と比べるとずいぶん立派で、いったい何事? ここはどこ?と最初は目を疑った。9時半過ぎに上社に到着。スタートして75分くらいか。捻挫の後遺症はなく、実に快調なペースで到達できた。
しかし山頂に着いて最初に目に飛び込んできたのが白くてきれいなコンクリートの構造体で、かなりびっくりした。
自分が今まで登ってきて山道はどっからどう見ても裏口だったので、境内をそのまま抜けて、あらためて駐車場側へ。
そうして写真を撮っていくのであった。しかし下社からの山道が表参道なのに裏道扱いとは。車社会ってことなのね。
L: というわけで、いったん境内を通り抜けて反対側へ出る。こちらは駐車場から続いている石段。車で来るのが標準なのね。
C: 西ノ閽(かどもり)の神門。鎮座1300年の記念事業で2005年に竣工。 R: 左が社務所で、社殿はそれより一段高い。それにしても、上社は静かで穏やかな下社と正反対である。最近になってきれいに、大規模に、がっちり整備した感じ。
公式サイトで上空から見た上社をさまざまな角度から確認できるが、その姿は山の中に突如現れた近代的な神社で、
どことなく竹田城(→2014.10.27)的な不自然さというか、幾何学的潔癖さを感じる。まあやっぱり独特だなあと。
L: 一段上がるとこんな感じ。拝殿と本殿はさらに一段上。 C: 右手にある神楽殿。1992年竣工とのこと。
R: 神楽殿にはジュビロ磐田の大きな祈願絵馬が置いてあった。勝利祈願となると、規模の大きい秋葉山なのか。さらに一段上がって拝殿で二礼二拍手一礼。拝殿の脇はもう一段高くなっていて展望スペースとなっているが、
見えるのは折り重なっている山々のみ。遠州も奥深くなると、足の踏み入れがたい非常に険しい山が続くのである。
いつ完成するかわからない三遠南信道や飯田線での川村カ子トの大奮闘ぶり(→2010.8.10)を考えると、
山しか見えないのもごく当たり前に思う。秋葉山はそんな南アルプス(赤石山脈)の南端の南端の入口なのだ。
L: 拝殿。1986年竣工。境内が整備されたのもその辺りだろう。 C: 角度を変えて眺める。 R: 本殿。天気がよくって非常に清々しい。存分に雰囲気を満喫すると、決意を固めて下山を開始。足首が不安だったが、
特にこれといったトラブルもなく快調に下りることができた。帰りは下社の前からバスに乗り、西鹿島駅まで。遠州鉄道に乗ると新浜松までは行かず、ひとつ手前の第一通りで降りる。そこからまっすぐ西へ行くと、次の目的地だ。
五社神社・諏訪神社という、もともと隣接していた2つの神社が一体化した神社である。現在は別表神社となっている。
L: 五社神社・諏訪神社の境内入口。1962年に合祀。 C: 1982年竣工の社殿。両社の祭神が祀られている。
R: 拝殿は翼廊を持つタイプ。ちなみに旧社殿は旧国宝指定建造物だったが、空襲によって全焼してしまった。浜松は徳川家康が岡崎の次に本拠地とした場所だ。五社神社と諏訪神社はどちらも徳川秀忠の産土神ということで、
子守り・子育て方面に特にご利益があるとのこと。こちらの境内も秋葉神社上社と同様にしっかり整備されている。
L: 本殿を見たところ。家光好みの彩色彫刻だなと思ったら、東照宮を勧請して徳川家康も祀っているとのこと。納得。
C: 境内にある五宝稲荷社。 R: 浜松市役所のすぐ西にある鎧掛松。家康が鎧を掛けて休んだそうで、現在の松は3代目。秋葉山はすっきり晴れていたのに、浜松の市街地に戻ってきたらなかなか分厚い雲の曇り空となってしなった。
でもせっかくなので、あらためて浜松市役所をきちんと撮影しておくことにした(前回は写真2枚だけ →2007.9.17)。
L: まずは正面の東側から撮影。 C: 南側にまわり込む。 R: そのまま南西へ。しかし見事にメタリックな四角だな。浜松市役所は1980年の竣工で、設計者は久米設計。県庁所在地ではない政令指定都市の市役所という仲間では、
北九州市役所を設計した実績がある(1972年竣工 →2007.11.5)が、こちらはガラスではなくメタリック全開である。
L: 西側より眺める。 C: 近づいて裏側エントランスをクローズアップ。 R: 北西にまわり込む。ファサードをよく見ると、縦線で波打つように凹凸をつけた金属で覆うようにしており、なんともオシャレなのだ。
かなりミニマルな印象を与える大胆さだが、正面エントランスがクールな雰囲気をぶち壊していて非常に惜しい。
L: 北東側より眺める。メタリックな本館とは対照的な北館が存在感をみせる。 C: 一周してきました。
R: ファサードのメタリックさを演出している金属板。お役所とは思えないクールな感触が浜松の凄みを感じさせる。さらにせっかくなので、浜松城址も再訪問する。野面積みの石垣は相変わらず見事だが、思った以上に全体がコンパクト。
非常に狭い通路をぐるっと遠回りして天守までたどり着かなくちゃいけないのが、なんともリアルだなあと思う。
L: 浜松城址の徳川家康像。家康が浜松城を本拠としたのは29~45歳までの17年間。その後、駿府を経て江戸へ。
C: 天守に向けて遠回りさせられるのがよくわかる図。 R: 市役所・門・石垣の3点セットだが狭くて構図が苦しい。天守は1983年、天守に至る櫓門は2014年の復元ということで、前回来たときには門はなかったのだが、うーん……。
観光客はけっこう多く、天守付近の人口密度は比較的高く写真を撮るのが少し大変だった。前回にそんな記憶はなく、
赤備えをイメージしたっぽい赤い幟を見ながら「これも来年の大河ドラマの『直虎』効果なのかなあ」と思うのだった。
L: 浜松城の再建天守。 C: 角度を変えてもう一丁。 R: 9年前とほぼ同じ構図で浜松市役所を見下ろす。とりあえずこれで浜松の中心市街地は押さえた。今日はここからさらにもうひとつ、郊外の観光名所に足を延ばす。
市役所前のバス停からバスで揺られること40分ほど、舘山寺総合公園へ行ってみるのだ。フラワーパークにて下車する。
舘山寺総合公園は日本の都市公園100選ということで訪れることにしたのだが、少し西へ行けば舘山寺温泉がある。
公園の植物園と動物園を堪能した後に温泉に浸かってやろうじゃないか!ということで、実に合理的なプランなのだ。まずは下車してすぐの浜松市フラワーパークへ。今まで日記に何度も書いてきたけど、植物園は大好きなのだ。
雨が降っていないのでいちおうまだマシだが、空はそれと同じくらいに暗ったい。写真が魅力的にならないんだよなあ。
L: 浜松市フラワーパークの中心部にある噴水とクリスタルパレス(大温室)。噴水の規模がけっこう豪快で今どき珍しい。
C: 園内を走るフラワートレイン。 R: クリスタルパレス前にて。フラワートレインは複数の車両があるのね。植物園大好き、特に温室大好きということで、喜び勇んでクリスタルパレスに突撃する。単なるガラスと鉄骨で済ませず、
内装を庭園っぽくしているのが特徴的だ。中にはカフェまで入っていて、そこまでやっている事例は珍しいと思う。
L: 入るとまずコレ。 C: 温室のど真ん中はこんな感じ。 R: 池まで用意している。こっちの区画は南国風。あてもなく歩いて過ごすが、やはり植物園は気ままにシャッターを切っているだけでも面白くってたまらない。
何かしら発見があるから楽しいのである。まあ、後で写真を整理するときにヒーヒー悲鳴をあげることになるのだが。
L: サボテンな区画。 C: 「ミルフィーユ」という名前のクローバー。いろんな品種があるんだな!と驚いた。
R: クリスタルパレスの隣にあるローズガーデン。出たよ、キリのない世界。バラの奥深さは格別なんだよねえ。クリスタルパレスの隣にはローズガーデン。やはりバラ園というものは、温室とともに植物園の華なのである。
一口にバラと言ってもさまざまな色や形があるわけで、見惚れているといくら時間があっても足りない。困ったもんだ。
今回はその中でも特にきれいに撮れたものの写真を貼り付けておく。しかしまあ、これは贅沢なものだなあと思う。
L: 日本で生み出された「万葉」。そういえば日本には百葉箱も千葉も万葉もあるよな。 C: その名も「ラブ」だそうで。
R: 「ブルーヘブン」。フラワーパークには青バラを集めた「青いバラの小径」がある。確かに青みがかっているような。そのまま奥へ抜けると浜松市動物園である。もちろんこっちも面白くって、写真を貼っていくとキリがないので、
特に印象に残った動物たち9枚ということにする。植物園も動物園も人間の根源的な知と権力の空間なんだよなあ。
L: フライングケージ内。ある意味これも温室に近いものがありますな。 C: ルリコンゴウインコ。カラフルすぎるで。
R: キュウカンチョウ。有名な鳥だけど、きちんとそれと認識して見たのは初めてかもしれん。これがそうかーって感じ。
L: あまり乗り気ではないようだ。 C: 2匹揃って何を見ているのやら。 R: トラに凝視されるとやっぱ怖いよね。
L: オリの金網で見えづらいけど、ユキヒョウです。こんな超貴重な動物がいるとは思わなくてびっくりした。
C: ペンギンたちは相変わらず哲学している。 R: リンゴをかじるカピバラ。こいつら一気に一般化したよなあ。そんなわけで、存分に堪能すると正門から抜けてバス停へ。16時半を過ぎてだいぶ暗くなってきてしまった。
動物園正門。植物園とともに政令指定都市の底力を感じる展示だったなあ。
バスに乗り込み内浦沿いに西へ進んでいくと、左手に遊園地。この辺りはなんでも揃っているんだなあと感心する。
遊園地を抜けた先、丁字路の手前が舘山寺温泉のバス停。時刻は17時になる直前ということで、舘山寺へ行ってみる。
上手くすれば御守が頂戴できるのではないか、という読みである。温泉地らしく飲食店が点在する道を進んでいくと、
突き当たりにある小山が舘山寺である。まずは隣の愛宕神社に参拝し、そのまま境内を東に抜けて舘山寺にも突撃。
L: 舘山寺へと向かう途中のいかにも温泉地な飲食街。 C: 突き当たりの愛宕神社。 R: 社殿はなかなかの風格。舘山寺は810年に空海によって創建されたとされる寺で、今朝訪れた秋葉山の末寺とのこと(山号は秋葉山である)。
小山の麓に貼り付く立地上、境内が非常に狭苦しくって撮影が本当に大変。暗くなってきているし。参拝客もいるし。
そう、夕方になっているわりに、参拝客がけっこう多くて17時近いけど授与所はまだまだ元気いっぱいなのであった。
特に面白かったのが「合格御守」で、「MODS御用達のターゲットマーク風」という説明に吹き出してしまったではないか。
見ると確かにイギリス空軍のラウンデル柄なのである。お寺でモッズとは、なんとも不思議な組み合わせで愉快愉快。舘山寺。まあ確かに、お寺の方が神社よりはるかにモッズ精神あるもんな。
参拝を終えると歩いてバス停近くの日帰り入浴施設まで戻って温泉にしっかり浸かり、再びバスに揺られて浜松駅へ。
駅ビル内の浜松餃子の店にササッと入って晩飯をいただいたのであった。浜松餃子はキャベツに特徴があるそうで、
あとはモヤシが添えられる点もアイデンティティらしい。でもなんか、いかにも観光客向けな雰囲気だったかなあ。浜松餃子。やはりフライパンにぐるっとスタイルという視覚が重要な気がする。
予約しておいた駅裏の宿は1階がカバン屋で驚いた。宿泊するとカバンが割引になると言われましても……。斬新!
オレに苦情を言うなよって話。いやまあつまり、毎度おなじみのクズ野郎が相変わらずのクズっぷりでして、
生徒たちがオレに文句を言ってくるのである。オレに言っても解決しないってのによ。クズに直接言ってくれよと。
まあ聞く耳を持たないからクズなんですけど。何をどうしたらああいう教員が生まれてしまうのか、甚だ疑問だ。部活とテストは子どもたちが真剣勝負の場数をこなすためにある、というのは揺るぎない僕の持論である。
そして、その究極は受験である。ここを甘やかしたら子どもは成長する絶好の機会を失うことになる。
ウチの生徒たちは賢いから、そのことをよくわかっている。わかっているから、真剣勝負への万全の準備を望む。
でもそういう事実をまったく知ろうとせずに、自分のやりたいことを押し付けるクズがいる。本当に困ったものだ。
変に暑いし、職場はワサワサするし。今日はなんとも落ち着かない一日なのであった。まあ、たまにはそんな日もある。
国際経済論のリポートをがんばる。取り掛かりはじめたときにはまるでワケがわからないアッパッパー状態でも、
あれこれ考えて1時間ほど粘れば活路が見出せるのが不思議だ。思いつく方向性が正しいという保証はないものの、
1時間集中すればなんだかんだ思考がある程度シェイプされるというのは、まあとりあえず便利な脳ミソではあると思う。
ゼロからのスタートでも、無数のトライアンドエラーを繰り返して理想形をつくりあげる作業は、疲れるけど悪くない。
いつの間にか、1時間前には想像できなかったほどの議論が頭の中で成立している。それを振り返るのはけっこう楽しい。
旅行なんかで地道に歩き続けてふと振り返ったら、思いのほか遠くまで来ていたときの喜びに似たものがあるのだ。
本当に集中した1時間には、とんでもない可能性があるものだ。その1時間を生み出せることが自信となるのである。
通信教育のリポートを書きあげたと思ったら、またリポートである。休む暇がない。経済学は本当につらいわ……。
おかげで日記をぜんぜん書けないです。テストづくりもリポートも日記も、何ひとつ手を抜くことができないので、
優先順位からして、どうしても日記が後回しになってしまうのだ。つらいけど、今年はひたすら我慢しかないです。
中間テストの採点が終了。全体のデキはイマイチながら、コツコツやっているやつがしっかり点を取る結果に。
これはつまり、オレのつくるテストの質がいいってことだよな!と思うのであった。がんばっているやつは報われて、
サボっているやつは報われない。まるで狙ったようにそういう結果を引き出すテストを毎回つくっているわけです。
本当に手間暇かけてやっとりますので。その気持ちにきちんと成績で応えてもらえると最高にうれしいもんですよ。
やらなくちゃいけないリポートをやるのと、部屋の片付けをやるのと。でもどっちもあんまり進まなかったね。
なんでいい天気なのに職場にいなきゃいかんのって話。おまけにつまらん事件で動かにゃならんし。土曜授業なくなれー。
テストである。中間テストは5教科で、期末テストは9教科。で、今回は中間テストなので5教科なのだが、
これを一日でやりきるのは、やっぱりけっこうつらいのだ。生徒もつらいが、準備して監督するこっちもつらい。
2日間なら、それまでのテストづくりの苦労に見合うだけの体力回復期間がとれるし、採点も余裕を持ってできる。
しかし一日で済ませてしまうと、疲れがとれないままで、すぐに部活は始まるわ採点もあるわ授業準備もあるわで、
負荷だけが大きくかかることになる。来シーズンの予定を立てる年度末に忘れないように、ここにメモしておくのだ。
『艦これ』を始めて1ヶ月経ったけど(→2016.9.12)、現時点での感想などをつらつらと。
僕はこの手のゲーム(ソーシャルゲームっていうの?)、エンディングのないゲームをやるのは初めてである。
前に「作品」ではなく「サーヴィス」としてのゲームってどうなのよ?と批判的に書いたことがあるが(→2016.7.5)、
体験してみないことにはわかんねえやな、と思ってやってみたわけだ。『艦これ』は課金がキツくないって話だし。
(まあ一番の決定打は、小池一夫提督が江風欲しさに着任したって話。そのフットワークにシビれる! あこがれるゥ!)まず、あえて時間をかける仕組みになっているのが新鮮である。ダメージを回復させるのに、相応の時間がかかる。
最近のスマホゲームとかはそんなんかな、と驚いた。逆を言うとゲームの時間が日常の時間にも侵食するってことだが。
好きなタイミングで気軽に始められて、好きなタイミングで気軽に終われる。その気軽さで、ニッチな時間が食われる。
ただ、『艦これ』は遠征や演習があるので、早起きの習慣をつけることもできる。まあやはり日常の時間への侵食か。羅針盤のランダムさ、戦闘のランダムさには本当に腹が立つ。『信長の野望』(昔のやつ)なら勝てるパターンがあるが、
『艦これ』はとにかく運の要素が大きい。自分は戦い方が妥当であれば勝つのは当たり前という感覚を持っているため、
負け戦では運に翻弄されたことに納得がいかなくて、ストレスが溜まりまくる。ここはどうにもならない部分だ。
このゲームでは勝つ確率を上げることはできるが、必ず勝つことはできない。そこを割り切る心の広さが必要なようだ。今後もこのゲームを続けるとしたら、それは育成のゲームだからだと思う。『シムシティ』、『プリンセスメーカー』、
過去にハマったゲームを考えると、育成が無条件に楽しいことが理由なのである。『信長の野望』だって結局は育成で、
『ときめきメモリアル』だって自分を成長させることがいちばん楽しいのである。館林見晴しか相手してくれなくたって、
エンディングで「女々しい野郎どもの詩」がカラオケで流れたって、自分の能力がとことん高ければ気にならないのだ。
だから自分の手駒である艦娘はしっかり育てている。それも、極力レベルが均等になるように育てているのである。
戦艦も空母も巡洋艦も駆逐艦も依怙贔屓せずに均等に育てるオレ、マジ教員。などと思いながらレベル上げに勤しむ。興味深いのは、キャラクターのイラスト担当者(絵師っていうの?)が複数いて、その作風の違いを埋めようとしない点。
昔のゲームだったら絵柄が統一されているのが当たり前で、「おい、ここだけ田中美沙の顔がぜんぜん違うじゃねーか!」
というような事態は非常に珍しかった。それを個性とできるところに、新旧のゲーム観の違いが最も現れていると思う。そんな感じで、しばらくのんびり楽しませてもらうとしよう。……え? イベント? 何それおいしいの?
サントリー美術館でやっている『鈴木其一 江戸琳派の旗手』を見にいく。なるほど、「旗手」という表現か。
正直なところ、僕は日本画の各流派の違いをきちんとわかっているわけではないので、どうしても感覚的な感想になる。
きちんと勉強して論理的に、体系的に特徴を理解しないといけないのだが、それを面倒くさがっている無精者である。
だからあれこれ書くのが恥ずかしい。でも「無知を隠さない」のがこの日記なので、思ったことを素直に書いておく。鈴木其一は確かに、師である酒井抱一が切り開いた琳派の王道、ど真ん中からスタートしている。それはわかる。
僕にとって琳派は、東京国立博物館で8年前にやった『大琳派展』(→2008.10.31)の経験が基礎になっている。
ここで琳派の価値観というか方向性というか、彼らの「好み」を漠然ながらもつかむことができたのは大きい。
そして昨年のサントリー美術館、『着想のマエストロ 乾山見参!』(→2015.6.10)も大いに勉強になった。
この両者を綜合して僕が感じた琳派の特徴は、「デザイン」という言葉に集約されると思うのである。
つまりモチーフをある意味「記号」として割り切って捉え、それを自在に再構成していくという方法論によるのだ。
植物にしろ鳥にしろ、一般的な容態をまず引き出し、それに複数によるヴァリエーションを与えながら構成していく、
そういう特徴を感じる。したがって彼らは現実をそのまま写すのではなく、理想的なバランスで再現し直すのだ。『大琳派展』では其一について、「抱一没後に独自の世界を切り開いた」というような説明がなされていた。
今まではそれがどういうことかよくわからなかったのだが、今回展示されていた作品を見ていくうちに、
なんとなくつかめてきた気分になった。其一の感覚は、すごくモダンなのだ。非常に現代的なのである。
其一はアーティストとしての我の強さを失わないままで、それまでの絵画の価値観を上手く取り入れるような、
引き出しの多さを感じさせる。微妙な表現かもしれないが、「お金になる絵」を描ける人だったのだと思う。
琳派を下敷きにしながらも、色彩をどんどん派手にして、単純化できるものはさらに単純化していく。
でも細部を見れば、先輩たちよりも高い技術を持っているのがわかる。そこはしっかりとアーティストなのだ。
琳派の価値観は、ともすればデザインの方法論という様式に縛られる可能性もあった(様式化を進めたのが狩野派?)。
しかし其一は優れた技術とアーティストとしての矜持により、琳派がただのデザイン集団で終わることを防いだ。
その根源にあったのが、商業と芸術のバランスを見抜く力、つまり現代にも通用するモダンな感覚だったと思う。
極言すれば、其一の作風は「ポップな琳派」となるだろう。この威力は絶大で、ひとりで頂点を極めた感がある。
おかげで其一を最後に琳派は急速に地味な存在となっていく。そりゃそうだ、其一がやりきっちゃったんだから。
元来、呉服屋の兄弟が始めた琳派はポップであったはずだ。それを100年以上通用するポップさに進化させた男こそ、
鈴木其一なのである。彼のポップさは、まだまだもう100年以上通用しそうな気がする。いやはや、恐れ入りました。
ロシアW杯のアジア最終予選、オーストラリア×日本。難敵オーストラリアにアウェイで挑むということで、
ただでさえ非常につらい戦いになることが予想されるのに、そこに岡崎・酒井宏樹・長友が離脱で、もう大ピンチ。
ふつうに考えれば「負け」の2文字がチラつくのを無理やり払いのけてヤケ気味の応援となるところだが、
試合が始まったらどうにも様子がおかしい。つなごうとするオーストラリアはどうも変なおっかなびっくりで、
5日前のイラク戦の日本よりもひどい。転がる先はボールに訊いてと言わんばかりの中学生的なサッカーなのである。
パスサッカーをやろうとしているのかもしれないが、受け手が動かないからどうにもならない。なんだこりゃと呆れる。
そうこうしているうちに、意外にも日本がすんなりと先制。5分もしないうちに、抜け出した原口がしっかり決めた。パスについては判断が遅いのでまったく怖くないオーストラリアだが、一転FKとなるととんでもない迫力をみせる。
しかしそれを丁寧にしのいで時間は過ぎていく。時たま画面の中をカモメと思しき白い鳥が飛んでいき、やや牧歌的。
それがオーストラリアのテンポの悪いパス回しと妙にマッチしていたのがなんとも印象的だった。不思議な世界である。
すると原口がペナルティエリア内で相手FWを後ろから倒してPK献上。攻撃でずっと大活躍していただけにもったいない。
その後のオーストラリアはさすがに改善してきて運動量を増やし、さらにケーヒルも投入してくるが、落ち着いた対応。
勝ちきれなかったものの、十分すぎるほどの余裕でドローに持ち込んだのであった。全然悪くないだろ、この戦いぶり。
オーストラリアが異様に冴えないサッカーをしていたのは確かだが、日本のオトナな手堅い戦いぶりはポジティヴだ。結論としては、この試合でいちばん生き生きとしていたのはカモメさんたちでしたね。特に終盤がすごかった。
今日も新人戦なのである。しかし守備が遅れたところから強引に叩き込まれた0-1で力尽きるのであった。
サッカーってのはメンタルだよなあと思う。結局、最後は気持ちなのだ。その一歩、足を伸ばせるかどうかの勝負。
今まで顧問としてその事実をイヤというほど経験してきたのだが、生徒は毎年フレッシュになるわけで、
同じことを何度も何度も言い聞かせなくちゃいけない苦しみ。メンタル部分での指導ほど難しいものはない。
阿蘇山が噴火したというニュースを見た。まず画面に映ったのは2年前の御嶽山と同じような灰一色の光景で、
なんともやりきれない気分になる。かつて自分が訪れた場所が(→2008.4.29)、一瞬で壊れてしまったという悲しさ。
半年前に熊本地震でも味わった感覚だ(→2016.4.23)。阿蘇山の規模は本当に大きいからただ受け入れるしかないが、
自分の中にある大切な記憶まで灰色に塗りつぶされるこの悲しみを、前向きに次の行動へ進むエネルギーに変えたい。
3連休とか関係なく試合だよ。毎年この時期は新人戦(秋季大会)なのである。夏休みの過ごし方が現れるのだ。
試合は左サイドを破られて先制を許すも、後半にエース(本職はGK)が抜け出して1-1に追いついた。
やっぱり公式戦で点を取るには本物の実力がないとダメなのだ。それを持っているのが本来GKのそいつだけという悲しさ。
とはいえ、最後はきちんと体を張れていたかなと思う。なんだかんだでそれ以上の失点を防いだことはしっかり評価したい。
テスト前だけど部活に授業に英検に、自分は本当によくやっていると思うの。誰も褒めてくれないけどね、
オトナとしてやるべきことをきちんとやって、それを一定レヴェルに収めている。当たり前を当たり前にやる偉さ。
それをまったくやらない生き物がすぐ近くにいるけど、それはともかく、日常をきちんと生きるオトナの偉さを実感する。
なんというのかな、自分がよくやっていると思うことを通して、他人のよくやっている姿の価値もわかるわけで。
オトナとして日々大過なくやっていくことの大変さが身にしみる。みんな偉いよなあ、と。オレも偉いよなあ、と。
よくやっているから自分を褒めてもいいし、他人を褒めることも許されるだろうと。なんだかそういう気持ちなのだ。
ロシアW杯のアジア最終予選、日本×イラク。イラクというと僕の中ではアジアカップで強かった印象がどうにも強くて、
日本にとってはやりづらい相手というイメージがこびりついている。実際の最近の対戦成績はまったく悪くないらしいが、
最終予選の初戦を落としてグループ3位という状況を考えると、テレビ観戦しているこっちまで硬くなってしまう。試合は序盤から激しい展開に。イラクが日本ゴールのポストに当てて始まって、お互いにガンガン攻め込み合う。
特に清武のトラップ、ターン、ゴール前のパスという一連の流れはお見事だった。あれを大舞台で出せるのがすごい。
そして先制点は日本。清武がカウンターでドリブルからスルーパス、本田が溜めて清武が折り返し、原口がヒールで決める。
攻撃を支える本田や決めた原口ももちろん偉いが、清武の凄みがもう恐ろしくてたまらない。別格の動きだと思う。どっこい後半、FKからヘッドで合わせられて失点。それまでも日本はたびたびいい形で攻めていたが点を奪いきれず、
モタモタしたところで同点に追いつかれてしまった感じ。正直これはかなり精神的に重くのしかかる点の失い方である。
その後も日本はチャンスをつくるが最後のところを粘られてなかなか点を奪えない。パスのテンポは悪くないのだが、
どことなく恐る恐る感がだんだん漂ってきて、なかなかいい形でのつなぎ方ができなくなってきたのが気にかかる。
次はアウェイのオーストラリア戦なので絶対に勝ち点3を手にしないとまずいのだが、その焦りのせいか落ち着かない。
浅野を走らせるパワープレーをバンバン展開するも、噛み合わなくて非常に歯がゆい。6分というトンデモロスタイムに入り、
時間を消費したいイラクと攻めたい日本でガサガサした雰囲気になるし、アジアおなじみのドタバタ感満載となってしまう。
しかし最後はFKでゴール方面から撥ね返ってきたボールを山口蛍がダイレクトでぶっ刺すという信じられない勝利となった。
なんだこれ。あまりに劇的なので何がなんだかよくわからない。チーム全体としてはちょっとドッチラケ気味だが、
調子のいい選手個人の力でどうにかなった感じである。喜びたいけど、これで喜んでいるとオーストラリアに負けそう。
後置修飾をねっとりと教えております。「ねっとり」という表現もどうかと思うが、しつこく丁寧にやっとるので、
「ねっとり」という表現がしっくりくる状態であります。中3の後置修飾はなんといっても関係代名詞、そして分詞。
こっちが節でこっちが句!なんて言って両者を比較しながら、何度も何度も根気強く和文英訳に取り組むことで、
日本語にはない「英語っぽさ」を感覚的につかませようとする毎日である。英語は相手のルールに合わせる勉強なのよね。
サッカーにおいて捻挫のダメージが予想以上にデカい。鳥海山の山頂でやらかして2ヶ月ちょいだが(→2016.7.30)、
くるぶしグリグリ感のおかげでどうにも動きが悪くなってしまうのである。本当によけいなケガをしてしまったものだ。
右股関節もかなりダメージの大きいケガだったが、最近になってどうにかいちおう「問題なし」と言えるまで回復した。
今回の右足首も、ゆっくりと時間をかけて違和感がなくなるのを待つしかないのだろう。気長にがんばるとしよう。
月曜からまあオレも生徒も体が重くてよ。がんばっちゃいるんだけど、どうにも体がついてこない。
やはり平日はみっちり仕事で週末に真剣勝負が入っちゃうと、体を休める暇がまったくなくって疲れがとれない。
自分ではふだんどおりのつもりでも、体は正直なものだと思う。人生、メリハリが大事なのねとあらためて実感。
というわけで本日はいよいよ試験である。朝のうちに会場周辺のカフェに陣取り、朝メシを食いつつ最終チェック。
パソコンにまとめたレジュメをルーズリーフに書き出して手で覚えようとしたのだが、途中で手が疲れてやめた。
この後、さんざん手を動かすことを考えると、キーワードの確認だけで済ませる方が賢いと気がついたってわけだ。そうして実際に出た問題は、過去問による対策が効いたり効かなかったり、まあ感覚的には8割近い感じで対応できた。
あとの2割については運を天に任せるしかあるまい。もっともらしいでっち上げがどれだけ功を奏するか、だ。
しかし、きちんと手間をかけてリポートを書くこと、テキストの内容を要領よくレジュメにまとめる作業をやること、
この2つは本当に重要なことだと実感した。人間、アウトプットすることでインプットが整理されるのが面白い。
結局、試験ってそのためにあるわけだ。真剣にアウトプットするってことが理解を深めるってことなんですなあ!
お勉強の試験対策でいろいろまとめる作業をやっております。
まずは過去問をグループ化して整理する。傾向というか問題の方向性をKJ法的に無理やりなんとかラベリングしていき、
それらについてテキストの記述内容を簡略化してレジュメの形でまとめる。今回は教育学系のテストばっかりになるので、
概要なんて覚えるもんじゃない。キーワードを絞って記憶しておき、必要になったらそれらをつなげていく方式。
言ってみれば、出そうな概念を種に圧縮しておいて、出題された内容に応じて選んで発芽させる、そういう感じだ。
どうせ教育学なんて聞こえのよい中身のない概念ばかりが横行しているので、脳内圧縮解凍で十分に事足りるのだ。もともとレジュメづくりは得意なのである。大学時代(文系)にはゼミでやるので当たり前に思っていたのだが、
大学院時代の研究室(理系)にはあまりそういう文化はなかったようで、ずいぶんと重宝されたもんだったわい。
誰かに習ったわけじゃないけどスイスイできる、というのはまあ便利なものである。本質を見抜くのは得意なのでね。