diary 2013.6.

diary 2013.7.


2013.6.30 (Sun.)

まさかのブロック大会1回戦勝利により、6月の最終日である今日もサッカー部の試合となったのであった。
ブロック大会2回戦、これに勝つとなんと、都大会への出場が決定してしまうのである。ここまで来てしまうとは!
対戦する相手は昨日僕らの前の試合で勝った、別の区の優勝チームだ。冷静に考えれば勝ち目はないんだろうけど、
つまんない計算なんてもうどうでもよくって、とにかく自分たちのできることを集中して最大限にやる、それだけだ。
面白いことに生徒たちは都大会とかそんなこと全然考えてなくって、ただ目の前の敵を倒す、そのことしか考えていない。
ここまで勝ち上がってきたこと自体がおまけのようなもんだと自覚しているわけだ。ひとつひとつを積み重ねるだけ。

都大会出場チーム決定戦ということで、運営本部の雰囲気もいつもとちょっと違って、どこかフォーマルな感触がする。
審判の仕草、試合を見守る専門委員の先生方の目、そういったもののひとつひとつが威厳を感じさせるというか。
一言で表現すると、それは「出場チームに対する敬意」だ。ここまで勝ち上がったチームに対する礼儀を感じるのだ。
Jリーグの試合とまったく同じように、ピッチに入った両チームの選手が整列し、本部と客席にそれぞれ礼をする。
そして、列をつくったままするする進んで、相手選手や審判と握手を交わしていく。やはり、Jリーグと同じ形だ。
こうやって本当に高いレヴェルで公式戦をやれるところまで来たのだ、そう思うと身震いがする。

キックオフすると、まずは相手の様子をうかがう感じで試合は進んでいく。3-4-2-1でしっかり守ってカウンター、
それがウチのスタイルだ。中央をしっかり締めて相手の攻撃をサイドからのクロスに限定する守備から入っていく。
相手にチャンスをつくらせても、本当に危ない場面だけは絶対に抑え込むというサッカー。序盤はそれが機能する。
個人的にウチの弱点というか惜しい点はボランチにあると考えている。守備を優先している事情が大きいのだが、
素早く中央のゾーンを固める意識が強いため、どうしてもセカンドボールを積極的に拾うことができない。
そのために相手陣内でボールを持てるチームが相手になると、どうしても全体が下がり気味になってしまって、
カウンターの起点が自陣深くならざるをえないのだ。今回はピッチが慣れているグラウンドより広めなこともあって、
攻撃陣が思うように相手ゴールに迫れないシーンが目立つ。頼みの俊足1トップもがっちりマークされている。

圧倒的にボールを保持してサイドをえぐろうとしてくる相手に対し、集中して中央を固めていた守備陣だったが、
一瞬の隙を衝かれた。技術の高いFWが上手く切り返してこちらのDFをはずすと、そこから隅へ蹴り込んでゴール。
強いチームは一瞬の動きの中でもしっかりとコースを狙ったシュートが撃てるものなのだ。感心するしかない。
それ以降、なんだかんだでよくしのいではいるのだが、正直なところ、肝心の得点を取れる気配がなかなかしない。
それでも負けず嫌いの生徒が走りまわってプレスを掛け、それなりに高い位置でボールを持つ場面が何度か出てきた。
1トップと2シャドーでどうにか持ち上がろうとするのだが、敵もさるもの、決定的な隙は見せてくれない。
攻撃をなんとか枠外シュートで終われるようにはなってきたものの、得点を奪うためにはもうちょっと工夫が必要だ。
チャンスには勇気を持って全体が上がってプレーエリアを高くしないとどうにもならん……と思っているうちに前半終了。

コーチは失点シーンを分析して基本を再確認すると、攻撃意識を広いピッチに合わせて微調整するように指示を出す。
失点こそしているものの、中から外へと追い込む守備は機能しているので、それを集中して続けることが大事なのだ。
あとは空いているスペースにボールを出して、どれだけ多くこちらのチャンスを演出できるかだ。
しかし後半が始まると、相手はチャンスと見るやしっかり人数をかけて押し込んできて、こっちがクリアしきれない。
最後はペナルティエリアのサイドぎりぎりの辺りからドリブルで入り込まれてシュート。2失点、万事休す。
これで足が止まる生徒が出だして、粘り強く守ろうとはするものの、勢いづく相手を止めることができない。
押し込まれる状況から必死のカウンターを繰り出すものの、逆に「強者のカウンター」を食らってしまい、
中央を割られて3失点目。これで完全に勝負はついてしまった。せめて一矢報いようとするものの、相手の守備は堅く、
矢はペナルティエリアまで届かない。そしてタイムアップの笛が鳴り、われわれの冒険はここで終了となった。

「3失点か……、よくがんばりましたね」とは去年まで僕がいた区で都大会出場を決めたチームの先生のコメントで、
まあ実際そうだったと思う。でも真剣勝負の試合をこなしていく中で、部員たちは本当によく成長してきた。
特に守備については試合をするたびにどんどん自信を深めていったわけで、強豪を相手にして真正面から戦って、
この0-3というスコアを僕に妥当と思わせるだけの実力を発揮したことは誇っていいと思うのだ。相手は本当に強かった。
やるべきことをきちんとやれば結果はついてくる、その事実を思う存分体験できたことは、最高の勉強だっただろう。
お前たちの姿勢は見る者に言葉以上のものを訴えかけた、この経験を日常生活にきちんと還元して色褪せさせないこと、
そして自分たちと同じ経験を次の世代ができるように支えられる人間になれ、そういったことを僕は話した。
部員たちは自分たちがここまでできるようになるとは思っていなかった、努力が報われることが本当によくわかった、
そういったことを涙ながらに語るから、こっちまでちょっとウルッとしちゃったよ。わかっているなら言うことは何もない。

でもここでひとつだけ、本音を。僕はうれしかったけど、それ以上に悔しかった。
それは、前任校で面倒を見ていた連中を勝たせてあげられなかったことだ。当時も悔しかったのだが(→2012.6.10)、
オレにもっと指導する力があれば、あいつらはどこまで行けたのか、と本当に悔しくなった。悔しくて悔しくてたまらん。

まあそれはとにかく、だ。今の部員たちには、この3ヶ月間、最高の勉強をさせてくれてありがとうと言いたい。
オレは今までの人生の中で、最も勉強になる3ヶ月を過ごしたように思う。生徒も学んだが、オレも本当に学ばせてもらった。

……あ、ちなみにウチのALTはすべての試合を応援に来てくれた。あんたナイスガイすぎるよ!


2013.6.29 (Sat.)

本日はいよいよブロック大会の1回戦である。ここまで来れるなんて夢にも思っていなかったので、
顧問の僕は少し緊張しながら会場入りするのであった。生徒たちはいつもどおりの表情でウォームアップをこなすが、
それは「負けてもともと」という開き直りなのか、それとも勝ち進んできたことから生まれた自信か。
とにかく、連中はすっかり慣れた様子で準備をしていくのであった。さあ、どうなるもんだか。

僕らの前の試合では、区大会準決勝でわれわれを0-3で破ったチームが別の区の優勝チームと対戦し、
スコアレスドローの末にPK戦で敗れた。無失点に抑えたとはいえ、あのチームがあれだけ押し込まれるとは。
世界は広いなあ、とあらためて実感。僕らはその端っこで、どれだけがんばれるか。弱虫の意地の見せどころなのだ。

相手は別の区の7位ということで、決して強豪ではない。そしてスコアの経緯を見るに、ウチと似たがんばりを感じる。
似た者どうしで戦うのであれば、ふだんどおりにやるべきことをやりきった方が勝つことになるだろう。
コーチのアドヴァイスに乗っかり、ひとつひとつをていねいにやっていくその積み重ねだぞ、ということで送り出す。
連中、ふだんは円陣なんて組まないのに、今日に限って円陣を組んでサッカーに似つかわしくない掛け声を出す。
実はこの掛け声は先週敗退してしまったバスケ部のものだそうだ。なかなかいいところあるじゃねえか、と思う。

試合開始早々、受け身にならずにプレーしたのが功を奏してCKをゲット。これをきっちりヘッドで決めてウチが先制。
今まで想像したことのない展開である。いつもより少し賑やかな観客席からも歓声があがる。実にいいすべり出しだ。
しかし5分ほどで今度はこちらが失点。相手の俊足FWふたりが粘り強くディフェンスラインを突いてくるのだが、
こっちの3バックが人への守備を怠った瞬間をやられて決められた。その後、やはり同じように失点。
予想外の鋭い日差しとそこそこの湿度と日頃の疲れのせいか、守備的なポジションにいる部員たちの動きがやや悪い。
今まで「しっかり守ってカウンター」で勝ってきたのに、守ることができなけりゃどうしょうもないのだ。
結局、1-2でハーフタイムを迎える。コーチが失点時の状況と正しい対応の仕方、攻撃時のボールの出し方を確認。

これで本来のスタイルを整理できたのか、後半になると守備が機能してカウンターの芽が出てきはじめる。
そのうち、相手がディフェンスラインとGK間でボールを回そうとしたところ、息が合わずにパスミスでオウンゴール。
多少微妙ではあったものの、確かにオウンゴールで、わずかな時間の混乱の末、得点が認められてキックオフ。
しかし相手からの抗議が入りかけるなど、やや混沌とした流れになる。そりゃあ生徒たちは動揺してしまうわな。
ゲームが再開されると、パスを思うように回せない心理状態の相手に対し、こっちはややリラックスしたムードになる。
なかなか中盤でセカンドボールが拾えないものの、3バックがきっちり守ってサイドからカウンターを展開。
スペースを使ってこっちの俊足1トップに勝負をさせる作戦がハマってチャンスを連発するようになる。
同点になったってことは運を味方につけたということ、それにPK戦になったところでもうこっちは慣れっこだ(→2013.6.23)、
そんなピッチ上の思考回路がベンチにいても手に取るようにわかる。開き直った強さで的確にジャブを打っていく感じ。

何度もチャンスをつくって流れをつかむと、ついにこっちが逆転した。カウンターで俊足1トップにボールが入ると、
相手DFを引きつけてから空いているスペースにボールを出す。走り込んだ2列目がこれをきっちり蹴ってついにゴール。
今度は正真正銘、自分たちであげた得点。そしてまさかのブロック大会初勝利を大きく引き寄せる得点だ。
相手の攻撃パターンはわかっているので、3バックがていねいに対応すれば怖いシーンはそれほど多くない。
俊足1トップをフル活用してのカウンターでボールを自陣から遠ざけつつ、時間の経過をひたすら待つ。
そしたらアディショナルタイムは3分で、もうこれが長い長い。観戦している人には面白かったようだが。
前の試合がスコアレスドローだったこともあり、緊張感満載の逆転劇となったウチの試合はドラマチックすぎ。
結局、長くてたまらないアディショナルタイムも守りきって、なんと3-2で勝ってしまったのであった。

次の試合では久しぶりに第4の審判をやる。去年まで僕がいた区の強豪が、先週ウチがPK戦で勝った相手と戦う。
選ばれたチームたちが集まるブロック大会ってのはやっぱり特別なんだなあ、と思いつつ経過を見守るが、
めちゃくちゃ選手交替が多くて忙しいのなんの。でもきっちりできるようになった分だけ僕も成長しているようだ。
その後、去年までいた区の先生から「おめでとうございます」と声をかけられる。なんとも不思議な気分だ。
去年まで僕が格闘していた上のレヴェルはこうなっていたのか、とあらためて実感する。こういう世界なのね、と。

戻ってみると、生徒たちはテンションこそそれなりに高いものの、わりと冷静でいたのでちょっと意外だった。
彼らは「やるべきこと」をやったご褒美の価値を、大きくもなく小さくもなく、正しく受け止めているようだった。
正直、勉強は大丈夫なのか!?という不安はあるが、まあこれはこれで成長するいい機会なのは間違いないので、
これからもピッチで全力を出して、その経験を勉強や日常生活に生かしていこうぜ、と話すのであった。
サッカーの評価を日常生活で落とすようなことはしないように、と。いっつもそのことしか話していないんだけど。

帰る前に本部まで挨拶に行ったら、いま僕のいる区で勝ち残っているのはウチだけになっちゃったそうで、
「ぜひがんばってください」なんて言われてしまう。えー!? オレたちゃどこまで背負い込めばいいのぉー!?


2013.6.28 (Fri.)

まだ咳が止まらねえ……。夏風邪はしつこいとはいうが、しつこすぎるだろ……。
治りが遅いのは、今月は完全なオフが2日しかない(明日・あさっても試合があるのだ)ほどの多忙ぶりのせいだけど、
それにしてもこれはちょっと……。体力が落ちているのか、働きすぎなのか。絶対に後者であってほしい。


2013.6.27 (Thu.)

ブロック大会の顧問会で、前にいた区の先生方と再会したのであった。前任校ではろくすっぽ勝てなかったので、
「すいません、こんなところにいて」という気分になってしまうのだが、まあ結果は結果なのでしっかり抽選なのである。
ある程度は勝手がわかるので、できれば前にいた区の学校と当たってみたかったのだが、そうもいかない組み合わせに。
ただ、順位だけ見れば1回戦は突破できなくもない感じである。でも勝ったとしても都大会進出を賭けた2回戦の相手は、
たぶん別の区の1位と戦うことになりそうだ。ま、とりあえずまずは1勝を目指すのだ。ここまで来たらとことん行こう!

ケータイの契約者を変更したせいでいろいろ問題が発生していたので、夜になってまたケータイ屋へ出かける。
事態は思っていた以上にかなり複雑に推移していたため、また長時間拘束を強いられてしまうのであった。とほほ。
ケータイの契約システムの複雑さには本当に腹が立つ。やはりいちばん賢いのはケータイを持たないことなのだ。
そう、僕としては、ケータイがないならないで、ぜんぜん困らないのだ。でも周りに迷惑がかかるので持っている。
好きで持っているわけではないので、せめて煩わしくないシステムにしてほしいのだが、そうもいかない。本当にイヤだわ。


2013.6.26 (Wed.)

英語のテストがどうにか間に合ったぜ! 本当、よくこの苦境を切り抜けていると思う。自分で自分を褒めたいです。

午後は光ケーブルの工事である。スマホに替える際、一緒にADSLからオサラバすることにして、その工事なのだ。
世間の常識からすれば「今までADSLでガマンしていたの!?」と呆れられてしまいそうだが、面倒くさかったからねえ。
動画を見るわけでもなし、ニュース閲覧と日記の更新くらいしかネットを使わん身としてはそれでよかったのである。
で、工事が終わってみると、光ケーブルは確かに速いなと思う。でもそれだけ。それ以上の感動はあんまりない。
スマホといい光ケーブルといい、技術の進歩に中身の追いつかない(追いつく必要のない)人間ですいませんね。


2013.6.25 (Tue.)

1学期の期末テストが開幕である。授業ないのでその分、体力的には助かる。テストつくる負担はあるけどね……。

午後は健康診断に出かける。ばっちり風邪が長引いている状況で健康診断かよ!と思うが、日程を入れたのは自分。
まさか今月がこんなことになるとは思っていなかったので、気楽にテスト前に予定を放り込んだのだが、失敗だった……。
鼻をずるずる言わせながら病院まで移動。そしたら午後は3時からということで、しばらく時間をつぶすことに。
で、あらためて病院に行って健康診断スタート。診断そのものは順調に終わった。それにしても今の区は都会だなあ……。
その後は職場に戻らなかったが、テストづくりの最終調整に追われる。結局、今日もじっくりと休む余裕はないのであった。


2013.6.24 (Mon.)

咳が止まらないが、体は軽くなってきた。この土日を体力の回復にほとんど充てられなかったのはつらいが、
なんとか授業をがんばることができたのはよかった。根性でどうにか切り抜けたね。いやー、大変だったわ。
職場の皆さんも僕がヘロヘロになりながら動きまわっているので、いろいろ心配してくださる。ありがたいことです。
なんとか早く元どおりになりたいんだけどね、部活の方が絶好調なのでなんとも。あっちを立てればこっちが立たねー。


2013.6.23 (Sun.)

ブロック大会進出が決まっても順位を決めなければならないので、今日も試合なのだ。3位決定戦である。
本日のお相手はいつも会場で使っているグラウンドを持っている学校。公立のくせに贅沢なものだと思う。
で、申し訳ないんだけど体調は昨日と同じく最悪で、本当に記憶がスカスカになってしまっているのだ。
スコアは1-1だったんだけど、先制されたのか先制したのか、それすら覚えていない始末。情けないったらありゃしない。
で、順位を決めなくてはいけないので、延長戦に入る。それでも決まらずPK戦までもつれ込んだのであった。

春の大会ではPK戦で敗れたのだが(→2013.4.14)、今大会の2回戦はPK戦で勝っており(→2013.6.8)、
連中はPK戦に絶対の自信を持つようになってしまったのだ。笑えてくるほどの変貌ぶりだが、自信があるのはいいことだ。
PK戦になった時点でみんな勝ちを確信しているほどで、その強気さをほかの場面でも発揮してほしいもんである。
で、キッカーは全員成功、GKも好調で、彼らの自信どおりに勝利。区で3位という結果をたたき出してしまった。
1回戦がこのチームの公式戦初勝利ということで浮かれに浮かれていたのだが( →2013.6.2)、まさかここまで来るとは。
まあ、連中が部活については本当によくがんばっていたのは事実なので、結果がついてきたのは心の底からよかったと思う。

しかしまあ、3位に入った記念ということで保護者が生徒とコーチ、あと僕に牛丼をふるまってくれたのだが、
さすがにそれってどうなんだろう、と思ってしまう。会場のグラウンドで牛丼。なんか違うと思うんだけど。うーん……。


2013.6.22 (Sat.)

週末になっても調子はまだ悪い。それでも僕が行かないことには試合に出られないので、がんばって電車に乗って会場へ。
本日の相手はなんと、ダニエルさんの母校。賢い私立の学校は、部活も一生懸命やって強いのである。
まあ勝っても負けてもブロック大会への出場は決まっているので、胸を借りてどーんと行け!と送り出す。
いつもならオーソドクスな4-2-3-1なのだが、今日はサイド攻撃に厚みを持たせたいということで、3-4-2-1。
3バックでもやることは変わらないわけで、今までの経験を生かしつつ次の段階へ進めるか、勝負である。

……しかしながら僕の体調があまりに悪くって、試合の記憶がほとんどないのよ。確か始まってわりとすぐに失点して、
そこからは気を引き締めて注意すべきサイドの選手をきっちりケア。簡単にやらせない守備は機能するようになったのだが、
こっちの攻撃もなかなかいいところまで行けずにガマンの展開。そしたら終盤になって相手CKが直接ゴールに入ってしまう。
これでがっくりきたのか、最後は中央をばっくり割られて0-3での敗戦となった。終わってみれば力の差が出たスコアだった。

最後の失点はそれまでの守備から考えると絶対に防げるミスによるもので、失点して自信をなくしたところをやられた。
それだけセットプレーは危険ということだとあらためて教えられたし、一瞬でも気落ちしてはいけないということも教えられた。
悔しい敗戦ではあったが、得られた教訓は非常に大きい試合だったとも思う。明日の試合ではなんとか勝ちたいねえ。

試合が終わった後、挨拶やら何やらをしているうちに時間はどんどんと過ぎていく。これはマズい。
本日は6月のサッカー観戦デーということで、当方、すでに横浜FC×富山のチケットを確保しているのである。
サッカーの後にまたサッカー。自分でも呆れてしまうほどのサッカー漬けっぷりである。まあしょうがない。
慌てて南武線に乗り込むと、風邪でヘロヘロなのだが、それでも頭とスマホをフル回転して経路を計算。
武蔵小杉で降りると全力疾走で横須賀線に乗り換え。これが効いて、思った以上の早さで横浜に到着できた。
とはいえ勝負はこれから。やはりスマホで調べておいたデータを参考に、いったん地下に出てから地上のバス停へ。
三ツ沢球技場へ行くバス停はいくつもあるので多少戸惑ったものの、要領よく最速のバスに乗り込めた。
が、夕方の横浜駅西口はなかなかの渋滞ぶりで、バスはなかなか調子よく進んでいくことができない。
結局、メインスタンドに到着できたのは、試合が始まってから5分ほど経ってからになってしまった。

さて今回体調が万全でないにもかからず、サッカー部の試合が終わった後に無理して観戦に来たのは、
安間監督率いる富山のサッカーをチェックするためだ。富山が三ツ沢に来るなら、観るしかないじゃないか。
噂によると、最近の富山は3-1-4-1-1という、実に変態的なフォーメーションを採用しているという。
まあ要するに、3バックで中盤をダイヤモンド型にしたところに左右のサイドMFと1トップ、という布陣なのだ。
安間さんは以前に3-3-3-1を採用して注目されたことがあった(そのサッカーは面白かった →2011.3.62011.5.8)。
3-1-4-1-1も各ポジションのプレーヤーの数ではそれと同じ「3-6-1」にまとめられる形だが、
その真ん中のダイヤモンドがリボルバー式にぐるぐる回るところに特徴があるんだそうだ。
決して調子がいいとは言えない横浜FC相手に、その戦術がどこまで通用するのか勉強させてもらうのだ。
……と思っているうちに横浜FCが先制。まず黒津がシュートを放って、これはいったん富山が防いだ。
しかし右サイドで大久保がこぼれ球に反応し、泥臭いんだけど文句のつけようのない見事なゴールを決めてみせた。

1点ビハインドとなった富山だが、凝ったパスワークをやろうとはしているが、まったく効果的でない。
サッカーでは「パスの出し手」「パスの受け手」に続く「3人目の動き」が重要であるのだが、
富山はまず「2人目の動き(つまり受け手の動き)」すらないので、パスがほとんどつながらないのだ。
選手たちはただ突っ立っているだけで、パスを受けるための効果的なポジショニングができていない。
そして出し手も出し手で動かないので、パスアンドゴーにもならない。本当にひどいサッカーをしている。
3-3-3-1の頃には躍動感あふれるサッカーをしていたのに、その面影はまったくないまま(→2012.3.25)。
安間さんが口ではどんなに格好いいことを言っていても、現実には3バックからボールが出ないサッカーだ。
これは本当にひどい!と心底呆れていると、なぜか富山が同点に追いついた。CKからの強引な得点。

  
L: CKからの大混戦を舩津が押し込む。なんとも不思議なサッカーで富山が前半のうちに同点に追いついた。
C: 3バック(右端)からなかなかボールを前に出せない富山。MFがちょっと下がればいいのに、まったくそれをしない。情けない。
R: ハーフタイムの光景。富山のライカくんと横浜FCのフリ丸が仲良くポーズをとる。……あれ? 後ろになんかいるぞ?

後半に入っても富山の動けないっぷりは健在。52分にはCKをクリアしきれなかったボールが黒津のもとに飛び、
ヘッドで決めて横浜FCが勝ち越し。あとは丁寧に富山のチャンスを切っていくだけでいい、そんな展開となる。
横浜FCが良かったというよりは、単に富山にやる気がない、そんなふうにしか見えないゲームなのであった。

 
L: CKがファーに流れたところを黒津がヘッドで決めて、横浜FCが勝ち越し。富山は攻めても守っても動けんなあ。
R: 最後まで富山の攻撃は鈍いまま。得点の匂いがぜんぜんしないよ。安間監督のポジティヴ発言の根拠がわからん。

正直言って、これだけひどい戦い方をするチームはJリーグでほかにないんじゃないか、ってくらいだ。
3-1-4-1-1だとかフォーメーション以前の問題で、サッカーの基本的な部分での欠陥が目に余る状況である。
安間監督は戦術論をぶつ前に、まずやんなきゃいけないことがあるだろう。なんで解任されないの?と思う。
北陸の人は気が長いんだなあ、と呆れております。安間監督にはがんばってほしいが、今はそのベクトルが違う。

コンフェデレーションズカップ・メキシコ戦についてのレヴュー。

メキシコというと、なんといっても昨年のロンドン五輪で日本を破りブラジルを破り金メダルを獲得しており、
俊敏性を生かしたパスサッカーに定評のある国だ。ある意味、「日本のお手本」と言える存在ではないかと思う。
それだけにグループリーグ敗退が決まっている者どうしの対戦とはいえ、勝っておきたい相手なのは間違いない。

試合は序盤からパスサッカーどうしがぶつかりあう展開となる。日本もメキシコも見事にパスをつなぎたがって、
ボールを奪ってパス交換はどっちが上手か品評会の様相を呈してくる。日本はさっそく序盤に好機を演出するが、
決めきれなかったりオフサイドだったりで得点できず。せっかくパスをつないでゴール前まで入っていっても、
相変わらずの他人任せのパスがどうも気になるところだ。ボールホルダーが自分でシュートを撃たないから怖くない。
メキシコが前がかりになっているところをカウンターで持ち上がっても、シュートの決断が遅いので追いつかれ、
守りを固められてしまってばかりだ。とはいえ守備の場面ではメキシコのパスまわしをしっかりカットできており、
パスサッカーのぶつかいあいは、お互いに攻めあぐねる千日手のような展開となってくる。
攻撃して切り替わっての繰り返しは、ちょっとバスケットボールじみている気もする。点は入んないけどね。
そうして攻めきれないでいるうちに、徐々に日本の守備にイージーミスや集中力の欠如が目立ちはじめるようになる。
日本はいいシーンをつくっても、シュートで終わることができないのが痛い。停滞ムードがチームを覆っていく。
中身がありそうで中身がない、そういうゲームだ。なんとも空虚なパスサッカーだと思っているうちに前半終了。

後半、メキシコが日本を押し込みにかかる。日本はよく耐えるものの、全体が前に出られないので苦しい時間となる。
すると54分、ついにメキシコが先制。DFを抜き切らないアーリークロスに対応できず、ヘディングを決められて失点。
きれいに崩してからでないとシュートを撃てない日本と違って、メキシコには攻撃のヴァリエーションの差を感じる。
日本はもはや足が止まってしまって、プレスぜんぜんかからない。そりゃ押し込まれるわ、と呆れながら見ていた。
たまーに攻めてもやっぱりシュートが撃てない。このままズルズルと時間だけが過ぎていくのかと思ったら、
ザッケローニは吉田を入れて3-4-3にフォーメーションを変更する。変化が必要なんだから、これは悪くない判断だ。
しかしこの交代で集中が途切れてしまっていたのか、直後のCKからまた失点。完全に出鼻をくじかれてしまった。
それにしても、ニアで当てて流してからファーで決めるって、狙ってできるんだからプロってすげえよな、と思う。

日本は最後に意地を見せて、遠藤から岡崎へ美しくつないでゴールを奪った。やはりダイレクトで速くいかないと、
シュートチャンスをつくることはできない、と再確認した感じ。これを90分間できるようにならないといかんのだ。
しかしアディショナルタイムの日本は焦っているのが丸わかりで、ひとつひとつのプレーにまったく精度がない。
こうなると、「ずるさ」のわかっているラテン系の皆さんの方が有利だ。案の定、特に何もできずにそのまま敗北。
せっかくのコンフェデなのに、悔しい3戦全敗という結果に終わってしまった。イタリア戦の前半だけが収穫って感じ。


2013.6.21 (Fri.)

夏風邪が長引いている。まあ夏風邪じたいが長引きやすいものではあるんだけど、予想以上に重症だ。
結局、今日は部活がないこともあって早退することになってしまった。完全にフラフラで帰って即、寝る。
しかしこんな状態でよく授業を進められるよなあ、と自分で自分に呆れております。プロですぜ、プロ。


2013.6.20 (Thu.)

のどが壊滅状態で授業に大いに支障をきたしております。まあ毎年どっかで声が出なくなっている気がするけど、
この商売でそれは非常に困った事態なのである。特に英語はしゃべらなくちゃならん商売だしなあ。
もっとも、お前がしゃべるよりも生徒をしゃべらせりゃいいんじゃん、と言われればそれまで。ニンともカンとも。

コンフェデレーションズカップ・イタリア戦についてのレヴュー。
ブラジルに0-3で敗れてしまって後のない日本は、このイタリア戦に賭けるしかない。
W杯のグループリーグを勝ち上がることの難しさを、あらためて痛感させられている状況である。

しかし試合が始まると日本は序盤から気合十分、イタリア相手に互角以上の戦いぶりを見せる。
スピード感、特に球際での速さがアジアレヴェルを超えている。これはJリーグでは絶対に見られない処理速度だ。
少年マンガみたいだが、強い相手を乗り越えようとすることでこっちの強さが引き出されている、そんな印象。
一歩も引かずに前でサッカーができている光景を見て、サッカーって集中力なのねと思うのであった。
唯一気に入らないのは、強引にシュートを撃たない点。相手を完全に崩し切る必要があると僕は思わない。
半分崩したらもうシュートで、そこに詰めればいいんだよ、と思うのだが。その判断が世界との差だと思うのだが。

前半21分、PKで先制点を奪えたのはラッキーだが、本当は流れの中からゴールしたいところだった。
それにしてもブッフォンは絶対に本田が真ん中に蹴ってくると思っていたな。そこを隅に叩き込むのはさすが本田。
そして日本の2点目、ゴール前の混戦から反転しての香川のシュートは、ブラジルの2点目に匹敵するファインゴールだ。
これは間違いなくワールドクラスのシュートだと思う。ボールを認識してからシュートへの判断が速いのがすごくいい。
格下の日本が臆することなく戦って2点リードという展開に、観客たちはめちゃくちゃ盛り上がっている。
ラテンのノリに火をつけるサッカーってことだ。日本がこれだけ判断の速いサッカーができるなんて信じられない。
しかし前半終了間際、集中しきれていないところをCKから失点してしまったのはいただけない。
まあこれはピルロの正確なキックを褒めるべきなんだろうけど。惚れ惚れするほどの精度だなあ。

この失点で、どうもいつもの日本っぽくなってしまったように思う。後半に入ると前半ほどの輝きはなくなってしまう。
後半開始まもない50分、ライン際なのに吉田の守備が甘く、折り返しに過剰に慌てた印象のオウンゴールだった。
これで同点に追いつかれてから2分後、長谷部の不運なハンドでPKをとられて逆転。やはりイタリアの試合巧者ぶりは、
伝統としてしっかり受け継がれているんだな、と悲しくなってしまった。日本に追いつける日は来るのかね……。
そしたら69分、遠藤のFKに飛び込んだ岡崎が同点ゴールを決める。これはふたりの持ち味が出た見事なゴールだ。
特に遠藤のキックはさっきのピルロのCKを彷彿とさせた。ここで同点にできたことは日本の大きな成長と言えるだろう。
しかし最後はやはりイタリアが一枚上をいっていた。日本の一瞬の隙を衝いて、流れるようなパスから決勝ゴール。
またしても日本はグッドルーザーとなってしまったのであった。グループリーグ敗退がこれで確定。

客観的に見ればゴールがバカバカ決まる面白い試合だっただろう。観客にしてみればうれしい試合である。
日本としてもよく3-3の同点までもっていったとポジティヴな要素のある内容ではあったのだが、満足は到底できない。
それはスコアからだと見えてこないが、やはり前半と後半でクオリティに差がありすぎるからだ。
前半のような処理速度の速いサッカーが後半まで続かなかったこと、それがいちばんもったいないのだ。
ダイレクトパスをつなぎまくって相手を崩していくサッカー、そこが日本の目指すべき地点だと前半で確信できた。
でもそれを続けるだけの集中力が、前半終了間際の失点で途切れてしまった。本当に残念でならない。


2013.6.19 (Wed.)

コンフェデレーションズカップ・ブラジル戦についてのレヴュー。
修学旅行中で直接見られず、録画しておいたのだ。ちなみに深夜に起きて見るだけの根性のある生徒はいなかった。
サッカー部顧問として黙認してやろうと思っていたんだけどね、そこはちょっと残念なのであった。

さて開始3分、いきなりネイマールの得点。これは部活をやっていて感じることなんだけど、相手が上手すぎると、
こっちの想像力が追っ付かないのだ。それでやられてしまう。ネイマールのゴールはそういう感じがした。
ふだんやっているサッカーの上をいく次元のプレーだった。Jリーグがそこまでいくのに何年かかるんだろう。

それにしてもブラジルの守備はひとつひとつのクオリティが高い。どう寄せれば相手がやりづらくなっていくか、
二、三手先まで読んで相手を追い込んでいく。そういう動きが本能レヴェルで染み付いているように思う。
さらには、ボールがどう撥ねるかも知り尽くしている感じだ。日本のボールタッチがどうしても雑に見えてしまう。
圧力がかかったときにどれだけ精密にボールを扱えるか、その部分で恐ろしいほどの差があるのがはっきりわかる。
日本はそれなりによく戦えているけど、11人じゃ足りない印象。もうひとりいればって感じの戦いぶりだ。

前半はどうにか0-1のままで切り抜けるも、やはり後半開始直後の48分、パウリーニョのゴールが決まってしまう。
速いクロスは1点目のネイマールのときと共通している。即、シュートを狙うという意識の高さが日本とだいぶ違う。
ボールが出てからシュート、あるいはトラップしてからシュートのタイミングが速い。寄せる前に撃ってしまう。
それと上で書いたようなもともとのボールコントロールのうまさが、決定力の差という形で現れているんだと思う。

終了間際の3失点目は本当によけい。攻め疲れたところをカウンターでしっかり衝くブラジルの試合巧者ぶりがすごい。
地力の差から考えると、客観的に見てグッドゲームではあったのだが、ブラジルの余裕がはっきり見て取れた。
ドイツW杯のときもそうだったけど(→2006.6.22)、ブラジルと戦うと絶望的な差を見せつけられる気がする。
そう考えるとマイアミの奇跡はどんだけ奇跡だったんだよ、って話だ。奇跡の価値がようやくわかってきた。


2013.6.18 (Tue.)

せっかくの休みなのに、なんか鼻が詰まってのどが荒れてて38℃の熱が出ているんですけど。
修学旅行が終わって気が抜けたらイキナリ風邪って、本当に勘弁してほしいんだけど……。
それでもせっかくの休みなので根性で自転車をこいで買い物に出かける。が、帰りの記憶がない。
とりあえず風邪対策ということでスタ丼食ったことは確かなのだが。無事に帰れただけよかったのか。


2013.6.17 (Mon.)

生徒たちにもだいぶ疲れはあるようで、初日の夜に比べればすいぶんと余裕を持って眠ることができた。
修学旅行もいよいよ最終日、今日はすべての任務から解放される夢のような一日なのである。
生徒の面倒はタクシーの運転手さんが見てくれるので、われわれ教員は自由に動くことができるのだ。
で、そうなりゃ当然、僕は京都市内の名物建築や街並みを見学しまくるに決まっているのだ。
鼻息荒く地下鉄に乗り込むと、終点の国際会館駅まで揺られる。本日はまず、国立京都国際会館からスタートだ。

国立京都国際会館は、日本で初めての国立会議施設だ。設計者を決めるコンペが1962年から開催されており、
大谷幸夫と沖種郎の案が最優秀となった。このコンペは国立劇場(→2008.1.13)のコンペから3ヶ月しか経っておらず、
当時の建築家たちは二者択一を迫られたとのこと。ちなみにコンペの審査委員長は伊藤滋(→2005.11.8)で、
最優秀者の実施設計を確約したり、総工費の1%を装飾費とする条件をつけて建築と美術の融合を印象づけたり、
審査過程を詳しくまとめた報告書をつくったり、作品の展示会を開催したりと、非常に先進的な試みを行っている。
ところで大谷と沖は「設計連合」名義でこのコンペに当選したものの、着工直前にケンカ別れしてしまい、
大谷が単独で設計を担当することになった。それで現在、設計者は大谷ひとりということになっている。
そんなこともあってこのコンペは、チームでの設計か個人での設計かという問題も提起するものでもあったそうな。
(詳しいことは、近江榮『建築設計競技 コンペティションの系譜と展望』(→2004.12.4)にたっぷり書いてある。)
竣工は1966年で、合掌造りとモダニズムを融合したという台形のデザインは、かなりのインパクトを与えた。
ちなみに『ウルトラセブン』(→2012.4.19)には地球防衛軍の六甲山防衛センターとして登場しており、
当時における「最先端よりちょっと未来」の価値観がうかがえる建築と言うことができるだろう。
そういう背景を考えても、京都を訪れた際にはぜひチェックしておきたかった建築なのである。

烏丸線の終点・国際会館駅の改札を抜けてから、国立京都国際会館の出口まではけっこう歩く。
特に何かイヴェントをやっているわけでもないので、通路を歩いているのは僕ひとりだけ。
地上に出ると屋根のついたコンクリートの通路をさらに歩かされる。これはなかなか面倒くさい。
通路が終わると車が敷地内へと入るエントランスである。ここから初めて眺めた国立京都国際会館は、
確かにものすごいインパクトなのであった。1960年代の景気のいいコンクリ建築がやる気を全開している。
見るとてっぺんのところで改修工事をやっているようだ。なるほどこれはいかにも雨漏りの心配がありそう。

  
L: 車両の入口のところから眺める国立京都国際会館。実物のインパクトは映像以上である。いや、これは凄い。
C: 角度を変えて眺めてみる。建物のエントランスはここをまっすぐ進んだところ。でも中には入れなかった。
R: 歩行者通路に入ってみた。細部まで非常にこだわってデザインがなされている。1960年代の気合が全開。

残念なことに国立京都国際会館は用がないと入れないようで、中身をいろいろ見てみたかったのだがしょうがない。
とりあえず外からさまざまな角度で見てみようと敷地内をウロウロ歩きまわる。が、なかなかうまくいかない。
国際会議場でテロ対策って側面もあるんだろうけど、建物へのアクセスが限定されているようで、
全貌をうまく眺められる場所が見つからない。正面入口以外は、どこも建物から離れるように迂回させられる。
僕としては中に入れなかった時点でそこそこやる気をなくしていたので、こりゃしょうがないやとあきらめる。

  
L: 改修工事関連の仕事をしているらしい人たちの通用口。  C: 側面を眺めてみるが、わかりづらい。
R: これは後で宝が池公園の中から覗き込んだところ。なかなかきれいに建物の全容がつかめなくて困った。

切り替えて、国際会館駅のバスターミナルを経由して宝が池公園へとまわり込む。
もともとは農業用の溜池だった宝ヶ池の周りを整備してつくられた公園である。園内はそれほどきれいではなく、
郊外の山らしい大雑把な雰囲気がけっこう強い。それでも平日の朝のくせに、それなりに人がいたので驚いた。

 宝ヶ池。この反対側に国立京都国際会館があるのだ。

せっかく国立京都国際会館に来たのに、イマイチ建物の雰囲気をつかめないままで、なんとも消化不良な気分だ。
とはいえここでぼーっとしていても時間がもったいないので、素早く次の目的地へと移動することにした。
地下鉄に乗り込んで、2つめの北山駅で降りる。地上に出ると京都府立植物園の入口だが、それを無視して北上。
比較的穏やかというか、密度のあまり濃くない感じの住宅地をiPhone片手にトボトボと歩いていく。
目的地は駅からちょっと距離があるので、iPhoneでGoogleマップを見て確認しながら進んでいくのだ。
京都の住所は細かいので、電柱に表示されているのを見ても、それが具体的にどの位置かぜんぜんつかめない。
こまめにGoogleマップで確認して、どうにか大田神社前の交差点に出た。ここまで来れば、あとは西へ歩くだけ。

京都府道103号にもなっているこの道は上賀茂本通といい、地元では藤ノ木通とも呼ばれているという。
しばらく歩くとクスノキがランドマークの藤木社から、明神川が道の南側を並んで流れるようになる。
そしてこの通り一帯が、社家の町並みで知られる重要伝統的建造物群保存地区の「上賀茂」なのである。

  
L: 周辺のランドマークとなっているクスノキと藤木社。ここから上賀茂神社に続く道が「社家の町並み」ってわけだ。
C: このように、明神川が道端を流れている。社家はこの川に橋を架けて出入りする形になっているのだ。
R: 振り返ってクスノキを眺めてみた。重要伝統的建造物群保存地区のわりには、独特な雰囲気はそれほど強くない。

さて、そもそも「社家」とは何か。これはもうそのまま、決まった神社の神職を世襲している家のことだ。
当然ながら社家の皆さんは自分が勤める神社の近くで暮らすわけで、社家の家々が集まると、社家町ができる。
ここ上賀茂は、その代表的な事例として知られているのだ。まあ確かに、どこかよそ者を寄せ付けない空気はある。

  
L: 一般に公開されている西村家別邸は、外から見るとこんな感じ。  C: 上賀茂神社付近。川にカモが浮いている。
R: というわけでカモのコンビを撮影。上賀茂だけにカモもふつうにいるようだ。京都の街にはいろんな鳥がいるなあ。

西村家別邸にお邪魔して、社家の内部がどうなっているか見学してみる。門から敷地内に入ると、まず貼り紙。
見学する人は呼び鈴を押してください、とある。素直に押して、邸宅の入口まで続く生け垣の通路を歩いていく。
程なくして邸宅に到着すると、玄関に受付の方がいた。500円を払って資料をいただくと、邸内に上がらせてもらう。
廊下をまっすぐ行った突き当たり、右手に青い敷物が広がっていた。その先には庭園(西村家庭園)。
来訪者向けの説明アナウンスが流れ出したので、素直にそれを聞きながら庭を眺める。

  
L: 西村家別邸の中から眺める庭園。6月なのになぜモミジが赤いの?と思ったが、そういう品種みたい。巧いなあ。
C: 庭園内には明神川の水を引いてある。画面のやや左奥には神が降りるという降臨石も置かれている。いい庭である。
R: 庭園の左端には禊をするためにつくられたという井戸がある。なるほど、いかにも社家の庭園らしい。

住人以外に対してどこかよそよそしい雰囲気のする街並みとは対照的に、邸宅の内部空間は居心地が抜群にいい。
外はすでに暑くてたまらない温度になっているのだが、明神川のきれいな水を引いた庭園はさっぱり涼しげ。
活力いっぱいの緑の中に鮮やかな紅葉がたたずむ対比は、眺めていてもまったく飽きることがない。
平日ということもあってか、ほかの観光客は来る気配がまったくない。これは実に素敵な穴場だと思う。
あぐらをかいてしばらくボケーッと庭を眺めていたのだが、穏やかな風とともにさまざまな鳥もやってくる。

 メジロが撮れたよ!

京都の伝統的な街並みにもいろんな種類があって、昨日訪れた祇園新橋や産寧坂は明らかに観光客向けだ。
しかしここ、上賀茂は完全にプライヴェイトな空間である。その魅力を静かに味わうのも、また楽しいものである。

天気もよくなってきたし、せっかくここまで来ちゃったので、上賀茂神社を公式参拝しておくことにする。
上賀茂神社の正式名称は賀茂別雷神社。3年前にもきちんと参拝しているのだが(→2010.3.27)、
当時は諸国一宮ということをあまり強く意識していなかったので、あらためて一宮ってことで参拝するのだ。

  
L: まずは一の鳥居。  C: 鳥居を抜けると芝生と砂利道の広大な空間となっている。爽快感があるけど暑い!
R: 歩いていくと二の鳥居に到着。この中には重要文化財の社殿があちこちに散らばっているのだ。キリがない。

  
L: 細殿と立砂をあらためて撮影なのだ。  C: 社殿はまず、御手洗川に沿って配置されている。それでこんな向き。
R: 細殿と土舎の間にある橋殿を真正面より撮影。その名のとおり、御手洗川に架かっているのだ。

  
L: 細殿の脇を抜けると楼門。なんとも物語性を感じさせる構図だ。  C: 中門。本殿はこの先にある。  R: 右を向けば幣殿。

前回訪問時はレンタサイクルだったので坂を快調に下って上賀茂神社を後にしたのだが、今回はそうはいかない。
慣れないバスを頼りにせざるをえないのだ。というわけで、バスに乗り込むとさっき歩いた北山駅周辺を通り、
下鴨本通を南下して下鴨神社へ。正式名称は賀茂御祖神社で、やはり3年前にも参拝している(→2010.3.27)。
上賀茂・下鴨の両神社の総称が「賀茂神社」で、旧山城国はそれを一宮としているのである。ちょっと複雑。
今回は時間がもったいないので、申し訳ないけど、境内から糺の森へ下っていく逆コースを選択したのであった。

  
L: というわけで、まずは下鴨神社の境内からスタートなのだ。こちらは供御所。  C: 舞殿。
R: 中門。上賀茂神社と同じく、下鴨神社の境内の重要文化財のオンパレードとなっている。

  
L: 中門を抜けると、言社(ことしゃ)。大国主命の別名ごとに社殿が7つあり、十二支の守り神が祀られている。
C: 言社と幣殿。敷地に余裕がないのでどうしても窮屈な角度での撮影になってしまう。  R: 参拝を終えて楼門を眺める。

  
L: 南下していくと南口鳥居。ふつうに参拝する場合、ここが糺の森との境界となると思われる。
C: 糺の森の入口。前回参拝時は3月だったが、今回は6月ということで木々の勢いがまったく違う。
R: さらに南下して下鴨東通の三叉路。ここから下鴨神社の参道がスタートするってことだな。

今出川通まで出たところでうまくバスがつかまったので、迷わず乗り込み京都市役所前まで揺られる。
今の職場でも僕が市役所マニアだということはすでに皆さんに知れ渡っているので、いちおう市役所を撮影しておく。
しかしまあ、京都市役所は手前の広場の存在も含めて、日本でも屈指の市役所と言えると思う。

 歴史ある市役所建築はいっぱいあるが、京都市役所は広場が特にすばらしい。

京都市役所前でバスを降りたのは、この近くに見ておきたい建築が2つあったから。
御池通をそのまままっすぐ西へと歩いていき、高倉通を南下。すると狭い道の先に頑丈そうな建物が現れる。
京都文化博物館である。本館は1988年の竣工だが、重要なのはその南側にくっついている別館の方で、
重要文化財の旧日本銀行京都支店を使用しているのだ。設計は辰野金吾と長野宇平治で1906(明治39)年竣工。
なるほど、赤と白の対比がいかにも辰野金吾だ(→2008.9.122012.11.3)。リニューアルがきつい。

  
L: 狭苦しい京都の街中にある京都文化博物館。  C: エントランス。今日は月曜日なので休館なのであった。
R: こちらが別館。やはり道が狭くて撮影しづらい。リニューアルがかなりきつくて、そこが非常に残念。

そしてこの京都文化博物館のわりとすぐ西側にあるのが中京郵便局である。こちらも赤レンガ建築で、
これだけの至近距離に2つもあるのはちょっと面白い。こちらは逓信省の設計で、1902(明治35)年の竣工。
1974年に取り壊しが決定するが、反対運動によって外壁を残すことになり、内部のみ新しくしたとのこと。

  
L: 中京郵便局。  C: 交差点を挟んで撮影。いやー、実にいい雰囲気をぶっこいとるね。
R: 中に入って、かつての正面玄関の裏側を見てみた。ここから出入りできないのはちょっと淋しい。

ほかにも見ておきたい建築はまだいっぱいあるのだが、時間の都合で今回はここまで。しっかり京都を堪能したよ。
烏丸御池駅から地下鉄で京都駅まで行ったのだが、地下の改札を抜けてから地上に出るのにけっこう苦労した。

お土産と自分用の生八ツ橋を買い込むと、集合場所へ直行。そしたらウチの学校の隣にいたのが前任校で驚いた。
そんなわけでタクシーで京都駅に来る生徒たちを待っていたら、先に前任校の生徒たちが到着して、それはもう、
ものすごい勢いで男女問わず絡んできてもみくちゃにされるのであった。写真も撮られまくるし。ツンデレどもめー!
その様子をすぐ近くで見ていたウチの校長は「ものすごい人気ですねえ」と唖然としていたのであった。へっへっへ。

帰りの新幹線の中でも生徒たちはパワフルで、ぜんぜん寝る気配がないんでやんの。
多摩川を渡ってしばらくすると、学年の先生方みんなで窓に貼り付いて前任校の旗振りイヴェントを眺める。
屋上で旗を振っている皆様の様子はバッチリ見えて、先生方にも大好評なのであった。よかったよかった。
そんなわけで、案の定睡眠時間の短さには辟易したのだが、楽しく過ごさせてもらった3日間でした。


2013.6.16 (Sun.)

今回の修学旅行は本当に定番のスタイルなので、2日目は奈良から京都への班行動での移動である。
当然、ある程度のチェックポイントの割り振りはあるのだが、それ以外は基本的に自由時間となるので、
うまく予定を組んで奈良と京都の気になる場所を訪問してしまうのであるウヒヒヒヒ。

まず僕は近鉄奈良駅で奈良を発つ班のチェックをする係となったので、ちょっと寄り道させていただくのだ。
そうして東向商店街の中にある「日本聖公会奈良基督教会礼拝堂」にお邪魔する。1930年築で登録有形文化財だ。
入口から軽やかな足取りで石段を上っていき、建物に近づいてみてびっくり。寺としか思えない姿なのだが、
その鬼瓦の上にはしっかりと十字架が乗っている。なるほど、これは凄い。中に入る余裕がないのが悔しい。

  
L: 日本聖公会・奈良基督教会の入口。商店街の中にいきなりこの入口が現れるのだ。ちょっとびっくり。
C: 石段を上るとこの建物。実際に目にすると圧倒されますな。  R: 側面はこんな感じになっているのだ。

ゆったりしている暇もないので、素早く近鉄奈良駅へ。行基像の噴水は待ち合わせのいい目印なのだが、
見上げるとガラスの屋根がついている。以前はなかったような気がするのだが。着実に整備されている印象である。

 奈良観光の拠点っぽい雰囲気が着実に増している気がする。

ただ呆けて待っているのももったいないので、本を読みながら生徒たちの到着を待つ。
ドゥルーズ+ガタリの『アンチ・オイディプス』である。勢いづいて新訳となった文庫版を買ってしまったのだ。
装丁が見事なハードカヴァーの旧訳版(→2004.7.1)はさすがに旅行に持っていくにはつらい、ということもある。
今こそあらためて読み直さないといかん!という理由のない使命感に燃えてしまったのだからしょうがない。
しかし内容は相変わらずで、読んでいるこっちの方が分裂してしまいそうだ。苦しみつつ読み進めるのであった。

決められた時刻になって役割をほかの先生と交替すると、そのまま近鉄奈良駅を後にしてしまう。
が、素直に京都へ向かうようなことはしないのだ。このタイミングでもうひとつ、寄り道をさせてもらう。
奈良にある唯一のDOCOMOMO物件、大和文華館に行ってみるのだ。大和西大寺を通過して、学園前駅で降りる。

「学園前」というのは帝塚山学園のことで、なるほど駅周辺を帝塚山学園の建物が要塞のように取り囲んでいる。
案内に従って坂道を下っていき、丁字路を右に曲がる。ほどなくして大和文華館の広い駐車場に出る。
天気は昨日の雨がまるで嘘のように、抜けるような青空となっている。文句なしの旅行日和である。
いい気分で入口へと歩いていくと、途中で左手にいかにも凝った和風の建物が鎮座していた。
これは「文華ホール」。辰野金吾が設計した奈良ホテルの旧ラウンジを移築したものだ。
時間的な余裕があれば奈良ホテルも眺めてみたかったのだが、今回それだけの暇はなく諦めざるをえなかった。
なので奈良ホテルに関連するものを見ることができたのはよかった。現役ならではのさりげなさがうれしいね。

木々に包まれて静かな雰囲気の坂道を上っていくと、いわゆる「伝統的な街並み」の要素を持った建物が現れた。
しかしそれにしては異様なほどに幅が広い。そしてよく見ると塗装の奥にモダニズムの匂いがする。
大和文華館は吉田五十八の設計で1960年にオープンした。運営している母体は近鉄。つまり近鉄の美術館なのだ。

  
L: 文華ホール(奈良ホテル旧ラウンジ)。1909(明治42)年の築。現在はその名のとおり、ホールとなっているそうな。
C: 木々に囲まれた坂道を上っていくと現れる大和文華館の建物。和を強調する外観だがずいぶん直接的である。
R: エントランスから入って展示室へと至る通路。展示スペースは意外と狭く、この奥にある部分のみなのだ。

大和文華館は鑑賞のための美術館というコンセプトで設立されたそうで、少し特殊なスタイルをとっている。
よくある常設展と特別展という組み合わせではなく、特別企画展をやる中でコレクションを小出しにしているのだ。
正直、これは僕のように頻繁に来られない人間にはありがたくないスタイルである。当たりはずれが大きいのも困る。
今回の特別企画展は「中国陶磁の広がり」ということで、タイトルどおりに中国の陶磁器を中心に据えつつも、
日本やヴェトナム、さらにはオランダのデルフト窯まで登場する多彩な内容の展示となっていた。
しかしながら中国の陶磁器は全体的にもっさりとした冴えないフォルムのものばかり。絵もなんだかぼやけている。
対照的に日本はいかに鋭くデザインを追求してきたのか、それがかえって浮き彫りになっているような展示だった。
中国の作品が展示されればされるほど、その甘さが気になる。「これは!」と思ったものはみんな日本製なのである。
特に別格の存在感を見せていたのが尾形乾山(→2008.10.31)。そして柿右衛門ははっきりと新たな地平を開いている。
柿右衛門の繊細さと鮮やかさは中国のものには絶対にない要素で、海外でも珍重されたのがよくわかる美しさだ。
陶磁器については本家であるはずの中国とは比較にならないレヴェルで美を実現している柿右衛門の偉大さに驚いた。

 
L: 大和文華館名物の竹の庭。なるほど確かに、美術館の中にこのような自然の光を取り込む工夫はなかなかない。
R: バルコニーからは菅原池(蛙股池)が見えるのだが、そのバルコニーに出られないのはちょっとがっくり。

展示されている陶磁器は圧倒的に中国のものが多く、その分だけ全体として冴えない印象に染まったように思う。
今回の特別企画展は「はずれ」だったかなあ、と残念がりつつ建物を出ると、あらためてその外観をじっくり眺める。
大和文華館は、お城や蔵でおなじみの「なまこ壁」をモチーフにしてファサードをつくっているのだが、
その地となる部分の色は意外と明るい青となっている。どこか外国風、ややシルクロード的な、そんな青なのだ。
よく見ると建物の「なまこ壁」部分以外は慎重にその色で覆われており、窓や設備の存在をうまく隠している。
はっきりモダニズムながらも「キッチュ」に属する感じがして、僕は正直言ってこの建物はあまり好きではない。
しかし青の細かいタイルを貼り付けている部分など、ある種の誠実さを感じるのもまた確かではあるが。

  
L: 「なまこ壁」をクローズアップ。エキゾチックな青いタイルを貼り付けてこだわりを見せている。
C: バルコニーはエントランスのちょうど反対側になる。見てのとおり、はっきりとモダニズムなのである。
R: ピロティ部分を撮影してみた。モダニズムによる和風表現というテーマが見えるが、僕は吉田の限界を感じる。

建物の周囲は文華苑という木々の植えられた庭園となっている。今はアジサイが主人公で、カメラを構える人も数組いた。
アジサイの反対側では梅の木々が青い実をつけていた。敷地内の植物群への配慮は、たいへんすばらしいレヴェルだ。
訪れた季節と天気のバランスは絶妙だったが、肝心の展示内容は全体的にイマイチで、その落差がなんとも残念である。

駅まで戻るとそのまま北口に出て、ファストフード店でお昼をいただく。せっかくの旅行なのにもったいないが、
それほど余裕があるわけでもないし、時間がある限りはあちこち行ってみたいしで、メシに気を配っていられないのだ。

丹波橋で近鉄から京阪に乗り換えて、そのまま祇園四条駅まで突撃してしまう。今回、これが一番効率がいいのだ。
次の仕事は八坂神社での班行動チェックなのである。合法的に伝統的建造物群保存地区に寄り道できるこの喜び。
そんなわけで、祇園四条駅で京都の土を踏むと、ちょろっと北に歩いて祇園新橋と呼ばれる地区を経由する。
「祇園」というと八坂神社の手前、四条通を挟んだ南北のエリア(特に南かな)を指すことになると思うのだが、
祇園新橋はその北西に位置している。鴨川へ注ぐ白川の脇、白川南通とその一本北にある新橋通が中心となる。

  
L: 祇園新橋・白川南通。車がちょろちょろ通る。  C: 白川と木造建築群。手前で鳥がたたずんでいるのが絶妙だわ。
R: 白川沿いの建物は店舗として利用されているようで、すだれの向こうで優雅なランチをとっている人々の姿が見えた。

祇園新橋は、1712(正徳2)年に祇園内六町の茶屋街として開発されたのが始まりとのこと。
白川南通は石畳の街並みもいいのだが、やはり白川を挟む緑と木造建築の共演が本当に見事だ。
賑やかな四条通からすぐ近くとはまったく思えない落ち着きぶりが奇跡的なものに思えてくる。

 白川南通と新橋通が合流する地点にある辰巳神社。何かの撮影のようで。

また、新橋通は白川南通とはまた少し異なった趣を見せている。ゆったりとした白川南通とは違い、
新橋通は木造の町家建築がぎゅっと集まって、かなり密度が濃い印象の街並みを構成しているのだ。
京都はずっと昔から都をやっているので、整然とした碁盤目の街並みの中にも都市的な要素が輻輳しており、
実際に歩いてみるとかなり重層的というか、複雑に折り重なったものを強く感じずにはいられない。
鴨川、祇園新橋、そして四条通へと歩いてみると、街がまるでキュビズムのような印象がするのだ。
差異を保ちながら微妙な角度で交わる白川南通と新橋通は、そのキュビズムっぷりの象徴だと僕は思う。

  
L: 巽橋より眺める白川。  C: 巽橋の南詰もまたこんな感じで独特の世界である。犬矢来が大活躍だ。
R: 新橋通。白川南通とは異なり、木造建築がぎゅっと集まった密度の高さを感じる。実に京都っぽい光景である。

四条通に出ると、そのまま東へ進んで八坂神社に出る。班行動チェックをしようとしばらく待ったのだが、
日曜日の京都はあまりにも凄まじい大混雑で、チェック対象の班は大行列に巻き込まれて予定の40分遅れ。
さすがにプラス40分も炎天下に放り出される状態はきついということで、チェックは中止となったのであった。
そのやりとりをする間、日差しがあまりにも厳しくて、たまらず隣接する円山公園の木陰に避難したほど。
いやー、京都の盆地っぷり、観光地っぷりはどっちも容赦ないものでございますね。

 八坂神社の南楼門。いちおう撮影しておいた。

そういえば円山公園は一度歩いて通り抜けたことがある程度なので(→2011.5.15)、軽く散歩してみる。
が、斜面に散策路が複雑につくられているばっかりで、申し訳ないんだけど雑な印象しかしなかった。
確かに公園ではあるのだが、庭園ほどの繊細さがなく、まとまりのない空間にしか思えなかったのだ。
まあでも、たっぷり確保されている緑のおかげでだいぶ助かったので、そこは素直に感謝なのだ。

  
L: 円山公園はだいたいこんな感じ。  C: 坂本龍馬と中岡慎太郎の像。  R: 回遊式庭園としては雑な印象。

運がいいことに、今回の修学旅行ではもうひとつ合法的に伝統的建造物群保存地区に寄り道できるのだ。
次の班行動チェックポイントは清水寺。八坂神社から清水寺まで移動するには当然、産寧坂を通りますわな。
この産寧坂が伝統的建造物群保存地区なのである(範囲は広くて、周辺のねねの道や二年坂も含める)。
内心ウヒウヒ言いながら円山公園を出ると、そのまま南下してねねの道に入る。で、気がついた。
「そういえばオレ、高台寺に行ったことないわ(→2010.3.26)」と。せっかくなので寄ってみることにした。

ねねの道から緑に包まれた台所坂を上っていくと、高台寺の庫裡の前に出る。3年前はここで引き返したが、
ようやくきちんと訪れることができた。掌美術館・圓徳院とのセット券を購入して中に入る。
まずは方丈にお邪魔して、そこから前庭を眺める。まあこれはあくまで前座のようなもので、
方丈から小堀遠州の作という庭園に出る。見る角度によってさまざまな表情を見せるのは面白いのだが、
これといった決定的な角度がない感じもして、庭園の全貌がかなりつかみづらい。つまり撮影しづらい。
もうちょっとあちこちいろいろな場所に入れると印象も変わるかもしれないが、ちょっと惜しいところだ。
そうして重要文化財の開山堂にお邪魔する。外見は特に珍しくもないお堂なのだが、ふと見上げたら天井が凄い。
思わず「うわこれすごっ!」と言ってしまったではないか。後で調べてみたらそれもそのはずで、
秀吉の御座舟と北政所の御所車の天井を使っているとのこと。そりゃあ見事なはずだわ。

  
L: 台所坂。雰囲気ありますなあ。  C: 高台寺庭園。奥が開山堂で、そこへ至る廊の途中に観月台がある。
R: 開山堂。1605(慶長10)年の築。正直、中の木像はどうでもよくって、ずっと天井を見上げておりました。

高台寺の見どころはこれだけじゃなくって、さらに奥へ進んでいったところに霊屋がある。
実際に秀吉の正室・北政所(=ねね=高台院)を埋葬している場所で、秀吉と北政所の像を安置してある。
また、さらに東の高台には重要文化財の茶室がふたつ並んでいる。傘亭と時雨亭で、利休好みだそうだが、
そのわりにはだいぶはっちゃけすぎている感触がする。このはしゃぎっぷりになんとなく見覚えがある気がして、
まさかと思って後で『へうげもの』を見たら、12巻の伏見城山里丸落成のシーンで傘亭と時雨亭が登場していた。
そう、古田織部がやりたい放題にやって細川幽斎が焦るあのシーン。つまり『へうげもの』作中で傘亭と時雨亭は、
秀吉の「利休好み」という要求を織部が無視し、自分のセンスを優先して建てた、ってことになっているのだ。
実物を見ると、なんだか納得してしまう脚色だ。と同時に、作者の凄まじい研究熱心さに脱帽するしかない。

  
L: 霊屋。まあつまり北政所のお墓ってことなんだけど、秀吉と北政所のラヴラヴっぷりが存分に味わえる。
C: 傘亭。  R: 時雨亭。これらふたつの茶室は、実際に伏見城から移築されてきたものなのだ。……作者すげえ!

そんな具合にたっぷりと高台寺を堪能すると、台所坂を下って再びねねの道に出る。
そのまま向かいにある圓徳院に突撃。実は当初、僕はあんまり期待していなかったのだが、ここが凄かった。
北政所が晩年を過ごした場所で、諸国大名が領内の優れた岩を提供したという北庭が国の名勝になっているのだが、
まあそれはまずまず。「まずまず」ってのも失礼な話だが、庭が霞んでしまう名品があったからしょうがない。

 圓徳院の北庭。それぞれの岩には各大名の印が付けられているとか。

南庭から北庭へと向かう廊下にしれっと展示されていたのが、長谷川等伯が描いた襖絵『冬の絵』。
最初見たときには「なんだこりゃはっきりしねえなあ」と思ってしまったのだが、なぜか目が離せない。
そして見ているうちに、等伯の意図が理解できて、その瞬間にとてつもない衝撃を受けてしまったのだ。
この襖、全面に無数の桐の紋が刷られており、それが光って見える。そこに等伯がすらすらと墨を引いているのだが、
桐の紋をしんしんと降る雪に見立てているのだ。これがわかると、もうただただ感動するしかなかった。
「雪の降り積もる無音が聴こえてくる」という矛盾した日本語で申し訳ないのだが、本当にそういう感想で、
何もできずにその場に突っ立って息を呑んで過ごした。今回の旅行でいちばん感動したのはこの作品だった。
またこの作品にまつわるエピソードが凄くて、等伯が寺に襖絵を描かせろと言ったけどぜんぜん許してくれないので、
住職が留守の間にいきなり上がり込んで一気に描きあげてしまったという。何から何までとんでもねえ!

最後に高台寺掌美術館に寄る。その名に偽りはなく、まさに「手のひらサイズ」の美術館なのであった。
工芸方面でそこそこ面白い展示はあったが、やはり規模が小さいのがネックという印象。
まあ、等伯にコテンパンにやられた後だったから辛めの評価になってしまったのかもしれない。

そんなわけで等伯の余韻に浸りつつふらふら歩いていくと、一念坂周辺に出る。
いよいよ本格的に産寧坂伝統的建造物群保存地区に入るわけだが、さっきも書いたように範囲はけっこう広く、
面的に展開しているのでどういうルートをとって歩くか少し迷う。とりあえず八坂の塔は見上げねば、というわけで、
ちょっと下ってから路地を入っていき、八坂の塔の前に出る。そしたら思った以上に風情があって、見とれてしまった。
八坂の塔は法観寺の五重塔で、1440(永享12)年に再建されて重要文化財にも指定されている。
法観寺の歴史は非常に古く、592年に聖徳太子が建てたという。周辺はかなり狭くて建物が密集しているので、
歩いていると50m近い高さの塔がいきなり視界に入ってくるのが面白い。ほかではなかなか体験できないことだ。

八坂の塔の脇を通って坂道を上っていく。穏やかに店が並びながら緩やかにカーヴして、物語性を強く感じさせる。
そして右へと曲がるカーヴが強烈になるところで、坂道は二年坂と合流する。二年坂は観光客で埋め尽くされており、
坂の上から写真を撮るのも大変だった。いちおうさっきの一念坂まで往復してきちんと雰囲気を味わってみたのだが、
二年坂は元からある財産をうまく活用して観光客向けに演出している印象。とにかく小ぎれいで、和風を徹底している。
むしろきれいすぎる印象がするくらいで、歴史というよりは現在進行形というイメージを強く感じた。

  
L: 八坂の塔(法観寺五重塔)。いきなりこれだけの大きな建築が視界に現れるというのは珍しい体験だ。
C: 八坂の塔の脇から二年坂方面へと続く坂道。観光客の姿が多すぎず少なすぎず、実にいい雰囲気である。
R: 二年坂の上から見下ろしたところ。二年坂の人気っぷりはすさまじい。まあ納得できるけど。

二年坂を往復して雰囲気を味わうと、元の坂道に戻ってカーヴを南へ進んでいく。これが本来の産寧坂だ。
さっきの二年坂が小ぎれいに演出されてキャイキャイした新しさをどこか感じさせるのに対し、
産寧坂はさすがに落ち着いている。ある意味、歳をとってオトナになったような、そんな感触なのだ。
店舗の密度が少しまばらになり、その分だけ緑が入り込む余地ができているからそう思えるのかもしれない。

ところで二年坂・産寧坂周辺を歩いていて目立っていたのは、浴衣姿の観光客である。
一見すると日本人と変わらない人もいれば、明らかに外国から来ているなとわかる人もいる。
でも彼らがしゃべっている言語を聞くと、みんなアジア系の言語なのである。この事態をどう捉えるか。
つまり、京都では外国人観光客向けに浴衣を貸し出すサーヴィスをやっているのではないか。
そして外国人観光客たちはかなり好き好んで浴衣を着て歩いている。そう考えるのが自然だろう。
これはある意味、女の子たちが舞妓さんの恰好を体験して街を歩けるのと同じ感覚と言えるはずだ。
日本文化を体験してもらうという点では、外国人観光客の浴衣体験は、かなり好ましい事態と言えるだろう。
浴衣が「クール(かっこいい)」という感覚が、僕らが思っている以上に広がっているのかもしれない。
実際、蒸し暑い梅雨の晴れ間を浴衣で歩くのは非常に快適であるはずだ。いいサーヴィスを思いついたものだ。

  
L: 二年坂はこんな感じで小ぎれいな店が並んでおります。でも正直、ちょっと商魂ギラギラ感もある。
C: 二年坂を上りきって少しカーヴした先が産寧坂。こちらは二年坂に比べると少しオトナな印象がする。
R: 産寧坂上から見下ろすとこうなる。それにしても浴衣姿の外国人観光客が多い。いいことだと思うけどね。

しっかりと雰囲気を堪能して産寧坂を上りきると、五条坂と松原通が合流する地点に出る。
ご存知のとおり、ここから先は清水寺に向かう最も賑やかな通りであり、その混雑ぶりは常軌を逸していた。
日曜日の午後、ありとあらゆる観光客が全世界から集まってきているのだ。気絶しそうになるほどの混み具合。

 あああああああああ!!

命からがら、といった感じでやっとこさ清水寺の門前に到着。なんとか班行動チェック交替の予定時刻に間に合った。
しばらくそこで生徒たちが無事に来ているかどうかを確認する。が、途中で前任校の生徒たちと会って激写されたり、
前任校の校長先生(ただし今年度着任されたので一度顔を合わせただけ)と会ってご挨拶したり。お疲れ様です、と。
校長先生とはさっき書いた「浴衣の観光客はみんな外国人で、そういうサーヴィスがあるんでしょうね」の件について話す。
そんなこんなで過ごしているうちにすべての班の無事を確認したので、茶碗坂を下って清水寺を後にする。
松原通が凄まじい混雑ぶりだったのに対し、茶碗坂はスッカスカ。えらく拍子抜けしてしまったよ。

さてそうして東大路通に出たのはいいが、軽く脱水症状になりかけてしまったようで、頭がうまく回らない。
どうやって宿舎まで行けばいいのか、イマイチよくわからない。だいたいの位置はきちんと理解できているので、
レンタサイクルであれば迷うことなく到着できるだろうけど、バスを使うとなるとサッパリなのである。
ワケのわからんバスに頼るより、いっそ歩いてしまおうかとも思ったのだが、さすがに距離があって躊躇する。
そうこうしているうちに、生徒たちがバス停にやってきた。どうやら清水寺の見学をかなり素早く済ませたようで、
残っていた3つの班が一緒に登場。じゃあ生徒たちについていけば大丈夫か、と思ってしまうダメ教員な僕。
ところがここで思わぬ事態が発生してしまう。バス停にやってきた路線バスがほかの観光バスと接触してしまい、
サイドミラーを破損してしまった。「京都は道路が狭いから、さもありなん」な光景を実際に目の前で見てしまった。
僕も生徒たちも目を丸くしてその顛末をただ見つめるしかなかった。路線バスはハザードをつけてバス停に緊急停止。
そして乗客を全員降ろしてしまった。当然、バス停には僕ら以外の観光客たちがいっぱいいたわけで、大混雑。
こりゃあ埒が明かねえぞ、ということで、マツシマ先生はまるっきり回らない頭で対応を迫られてしまう。

ここで路線バスを待ってもいつ乗れるかわからない、ということでとりあえず移動し、まずは別のバス停を探す。
五条通なら広いからなんとかなるんじゃねえかと思ってみんなで西へと歩いていくが、適度なバス停が見つからない。
しかも日差しはかなり強烈で、女子が明らかにつらそうである。このままじゃピンチになるぞ、ということで、
しょうがないので本部の先生に事態を報告し、タクシーをつかまえる作戦に切り替えた。オレの頭じゃそれが限界。
五条通を走っているタクシーはさすがにみんな客を乗せていて、軽く絶望的な気分になったのだが、
運がいいことに東山郵便局の脇から五条通に出る道は空車のタクシーの通り道になっているようで、
比較的スムーズにタクシーをつかまえることができた。3台のタクシーに分乗してどうにか宿舎に到着できた。
僕としては生徒によけいな出費をさせたことが悔しかったのだが、清水寺で僕とチェックを交替した先生によると、
バスの中は気持ち悪くなるほどの大混雑だったそうだ。やはり事故後のバス停の混雑具合から考えても、
また熱中症のリスクも考えても、早めにタクシーを選んだ僕の判断は客観的に見てそんなに悪くはなかったらしい。
まあ何かが起きてからでは遅いわけで、生徒に極力よけいな負担をかけなかった結果でオーライとしておこう。

宿舎で晩ご飯をいただいた後は、蒔絵の体験。意外と仕上がりの金色がきれいに出て、なかなか面白い。
生徒たちも昨日と同じく非常に真剣に取り組んでいたので何より。でも自由時間の王様ゲームは品がないぞ。

 生徒が激写したオレ。今日は長い一日だったなあ。

ところで昨日はテレビ父さんTシャツ(→2011.9.10)がバカウケだったのだが(これは絶対にウケるなあ)、
今日は藤子・F・不二雄ミュージアム(→2013.3.17)で買ったコロ助Tシャツで登場して、やはり人気だった。
生徒からはすっかり「オモシロTシャツの人」という扱いである。まあ、マサルには負けるけどね。


2013.6.15 (Sat.)

6月のこの週末は、後輩であるラビーの結婚式が予定されており、僕もクラウザーさんも行く気満々だったのだが、
まさかの異動+まさかの3学年配属により、まさかの修学旅行丸かぶりという奇跡的な事態が発生してしまった。
仕事は仕事なので、これはもう、しょうがない。断腸の思いで僕もクラウザーさんも泣く泣く博多への出動を諦めて、
奈良と京都で中学生の不寝番の任務に当たることになったのであった。そんなわけで、朝7時前に東京駅に到着。
銀座線で煙が出た影響で丸ノ内線まで運転を見合わせるトラブルもなんのその、どうにかみんな集合。よかったよかった。
おおっぴらに関西旅行ができるのはうれしいが、やはり悔しさを抱えたままで、修学旅行専用の新幹線で西へゴー。

実はこの修学旅行にはもうひとつの「まさか」があって、なんと前任校の修学旅行とも日程が丸かぶりなのである。
学年の先生方から「行ってあげてよ」の後押しを受けて、新幹線の中を一気に走り抜けて前任校の車両へ。
離任式以来の顔合わせとなる前任校の3年生たちは、「なんでマツシマ先生がいるの?」としばし唖然とすると、
猛烈な勢いでデジカメのシャッターを切りまくるのであった。オレ、人生であんなに激写されたの初めてだわ。
特にあれほどオレのことをキモイと言っていた女子どもの激写ぶりが凄かった。このツンデレどもめー!と絶叫。
そんな具合にひと暴れすると、素直に戻って自分の学校の面倒を見る。特別にひどいマナーもなく、順調に新大阪着。

新大阪駅からはバスで奈良まで移動するのだが、バスに乗る直前になって雨が降り出し、出発と同時に本降りに。
高速道路からは噂の「あべのハルカス」がよく見えた。高さが300mということで、横浜ランドマークタワーを抜いて、
日本一高いビルになるという。2日前に近鉄百貨店部分がオープンしたそうで、現地は盛り上がっているのかねえ。
しかしながらある程度高さのある高速道路から眺めているせいか、あるいは雨で周囲が煙って見えているせいか、
「言うほどあんまり高くは見えないねえ」なんて話をほかの先生方とするのであった。どんなもんなんずら。

生駒山地を抜けて奈良県に入ると、最初の目的地は法隆寺である。やはり修学旅行の中学生たちでごった返している。
まずは最古の木造建築群をガイドさんの説明を受けながら眺め、その後は大宝蔵院の有名仏像群や工芸品を見学。
時間がないのでポイントを絞って見ていかざるをえなかったのだが、ゆったり歴史を味わえないのはやはりもったいない。
まあこういうものは、歳をとってから個人的に再度訪問してしっかり見ればいいものなので、しょうがないわな。

夢殿まで行かずにテンポよく撤退すると、次の目的地である薬師寺へ。実に修学旅行の定番コースである。
薬師寺は現在、肝心の東塔が解体修理の真っ最中で、僕なんかは「訪れる意義ゼロ!」と判定してしまうわけだが、
修学旅行で薬師寺といえば、お坊さんのありがたいお話を聴くという名物イヴェントがもれなく用意されるのである。
というわけで、いよいよバケツを引っくり返したようなザンザン降りの中、お坊さんの独演会がスタート。
ホワイトボードにいろいろ書きながら薬師寺の縁起を語ってくれるそのさまは、まるでケーシー高峰の医事漫談。
まあ当然、下ネタ要素は一切なかったけどね。本日のルートである法隆寺→薬師寺→東大寺の歴史面からの解説と、
新しいお堂を建てまくっている薬師寺の存在意義、そしてありがたいお言葉と、さすがにうまくまとめて話してくれて、
なかなか楽しゅうございました。生徒たちも案外熱心に聴いていたな。その後は薬師三尊像をお参りして撤退。

  
L: 法隆寺の金堂と五重塔。なんだかアシュラマンとサンシャインのような存在感ですね、と言ったらバカにされるかな。
C: 薬師寺の南門にて。この縞々の中で東塔がバラされておるわけです。  R: 漫談じゃなかった法話の様子。勉強になるよ。

というわけであっという間に本日最後の目的地、東大寺に到着。雨の勢いはまったく弱まることなく、
こんな降り方だと鹿はどっかに避難しちゃっているんじゃないの?とみんな心配していたのだが、
行ってみたらまったく杞憂で、雨もなんのその、鹿たちは観光客のくれるせんべいを期待して変わらずたむろしていた。
そして都会の中学生たちは迫ってくる鹿たちに完全に逃げ腰。オレが口移しでせんべいあげたらみんな目を丸くしていたよ。

 
L: 雨もなんのその、いつもと変わらずやりたい放題の鹿たちなのであった。中学生恐がりすぎ!
R: 大仏さんをふつうに撮るのに飽きたので、今回は背面がどうなっているかピックアップしてみました。

東大寺ではお土産購入が解禁されたので、男子たちはさっそく各種の面白グッズを競って買うのであった。豪気だなあ。
「そんなもんわざわざ買うなよー」と口では言うものの内心「確かにそれはオレも欲しい!」というおバカアイテムがいっぱい。
仕事じゃなかったら喜んで買っていたかもしれない。そんなオレはやっぱりいまだに中二病なんだなあ、と思うのであった。

 
L: その頃のラビー。  R: ラビーのウェディングケーキ。世の中をナメているね。(どちらもニシマッキー撮影)

宿に到着すると風呂、メシ、そして体験学習である。今回は「雅楽」がチョイスされたのであった。
僕は正直なところ、生徒たちが礼儀正しく聴けるのかとっても不安な心持ちでいたのだが、これまた杞憂。
登場した皆様はいきなり『越天楽』の演奏を始めたのだが、集中をまったく切らさずにきっちり聴いて、
雅楽の説明もちゃんと聞き、続く楽器の体験コーナーも非常に盛り上がり、最後の演奏もいい雰囲気で聴いた。

 雅楽の生演奏。やはりライヴだと違いますな!

そんな感じで初日はまったく問題なく終わった……と言いたいところだったが、案の定、夜になっても寝ない。
5分間起きて圧力をかけ、15分間寝てからまた5分間圧力をかける、そんな感じで午前4時まで踏ん張ったよ……。
で、6時に起きて部屋に入ったらみんなスースー寝てやんの。もう本当にいいかげんにしてほしいわ。


2013.6.14 (Fri.)

修学旅行前日だってのに、いや前日だからこそか、とにかくドタバタ。昨日からまったく空き時間のない状況が続き、
優先順位を整理して落ち着いて準備することができないのがもどかしい。思うようにスマートに動けないのがつらい。
生徒たちは生徒たちで妙にハイテンションで、落ち着きのない姿が実にみともない。怒りがどんどんこみ上げてきて、
ついには担任を差し置いて、ドスを利かせた声で叱ってしまったよ。まあそれで静かになるからかわいいもんだが。

明日から怒濤のような3日間が一気に始まると思うと、なんとも言えない気分だ。気が重いわけでもないし、
ウキウキするわけでもないし。いきなり3学年に入って修学旅行という外様なシチュエーションが、僕の感覚を鈍らせる。
とにかく無事に終わってくれればいい、それだけなのだ。生徒もオレも、きちんとした行動ができますように。


2013.6.13 (Thu.)

午前中フルの4時間授業をやってから給食を食う暇もなく電車に乗って研修へ。
あらかじめ買っておいたコンビニおにぎりを車内でこっそり頬張って空腹を満たすと、会場の学校に到着。
なんせこの研修は僕が熱望するものなので、熱意が違うのだ。昨日とは天と地ほどの差があるぜ。

まずあれこれ説明を聞いてから、実際に授業を見学させてもらう。噂どおりにほぼオールイングリッシュ。
まあはっきり言わせてもらうと、これは勉強ができる連中だから成立する授業だ。ふつうの学校じゃ無理だ。
しかしその内容には一瞬たりとも無駄がなく、大いに参考にはなった。システム化されている印象。
教員のしゃべりは大半が英語だったが、よくよく聞けば平易な表現の積み重ねで、「これなら自分もできるのでは」
って気がしなくもない。慣れの問題である気もする。まあ、見るとやるとでは大違いなんだけどね。
個人的にはオールイングリッシュは絶対に内容が薄っぺらい授業になるので強い嫌悪感があるが、
時間限定でやるのは悪くない話なのだ。ある程度準備はしておかないとマズいよなあ、という気にはさせられた。

授業見学が終わってあらためて説明を受ける。その内容は刺激的で、こういう環境で仕事したいなあ、と心底思った。
今までのことを考えると、僕はどうやら回り道を強いられる人生を送る運命になっているようなので、
準備はするけど気長に構える、そういう姿勢でいることが重要だな、と再確認させてもらった。牙を研いでおくよ。

学校に戻って部活をみて、修学旅行のカメラを用意して帰る。今日も完全に一日中空き時間がなかったぜ!


2013.6.12 (Wed.)

本日は教育会の英語部会。毎度おなじみ時間のムダなんだけど出ないといけないっぽいので行った。

今回のテーマは、教科書で生徒たちに実際に英語を使って表現させるコーナーの扱い方。
それで指導案やらビデオやらを見せられたんだけど、あまりにくだらなくって途中で意識が飛んだ。
ウチの区には教科書づくりにも関わっているというたいへん有名な先生がいるんだけど、もうくだらなくて。
実際にビデオで「成果」を見せてもらったのだが、よくできる生徒しか出てこないし参考にならんのよね。
見ているともう、偉い先生は自己満足のために生徒を使っているだけなんじゃないの?としか思えない。
英語を使えるようにするんじゃなくて、勉強する喜びを教えることが究極の教育だと僕は思うんだけどね。
一生かけて勉強を続けていく、進歩する姿勢を失わない人間を育てることが教育だと僕は確信しているんだけどね。
バカから学ぶものは何もございませんので。本当に時間のムダでございましたわ。


2013.6.11 (Tue.)

サッカー日本代表・イラク戦。日本は先日のオーストラリア戦に勝ったので(→2013.6.4)、この試合はいろいろ試せる。
……んだけど、ハーフナーはいらんやろ! ハーフナーを入れる余裕があるんなら、Jリーグの若手FWを呼ぶべきだ。
甲府時代からハーフナーがいるとサッカーがつまらなくなるので、まったく期待をしないで見るのであった。

試合はじれったい時間がずーっと続いて、最後にカウンターから相手ゴール前で岡崎と遠藤がパス交換。
終盤の時間帯にあれだけ高い位置に遠藤が走り込んでいるってのがまずすごいんだけど、うまくDFを釣っておいて、
返したパスに岡崎がすべり込んでシュートという、実に岡崎らしいゴールで日本が勝ったのであった。よかったよかった。
やっぱりハーフナーじゃダメなんですよ。高さに頼って日本の持ち味がまったくなくなってしまう。それが証明されたように思う。

それにしても、このイラク戦はコンフェデ杯に向けて本当によけいな試合になってしまった。
控え組に経験を積ませるなら積ませるで意義はあるけど、体力的な負担が増すばかりの結果になったのではないか。
かといって総取っ替えでは連携を高めることができないし。代表監督って難しいお仕事ですなー。


2013.6.10 (Mon.)

『神社のいろは 続』。その書名どおり、好評だった『神社のいろは』(→2012.12.22)の続編である。

まずすごいのは、前作のQ&A形式を大胆に削り、終盤の1/5程度に抑えてしまっていること。これは思い切ったもんだ。
そして最初からフルパワーで神社の歴史を年代順に並べていく。きわめて正統派のテキストとなっているのだ。
しかし、おかげで前作を補完するものとしては申し分のない内容となっている。本当にうまくつくってあると感心した。
終盤のQ&Aも有名な神社についての説明で、前作で物足りなかった部分を見事にフォローしている。
まさに、かゆいところに手が届く本である。祭祀について詳しい前作に、歴史について詳しい続編。
これら2冊をそろえれば、神社についての大まかな知識がしっかり得られる仕組みになっているのだ。
手元に置いておいて参照するには打ってつけ、読み返していくうちに確実に知識が補強されていく、そんな本だ。


2013.6.9 (Sun.)

この6月中、まるまる一日オフという日は明日以降にあと1日あるかないかなので、今日は貴重な休日である。
神様はこの分の埋め合わせをどこかでしてくれるんだろうな! 夏休みはたっぷり休ませろよコノヤロウ!
などと思いつつ、午前中はひたすら日記を書く。iPhoneのテザリング攻勢で日記はコンスタントに進むようになったが、
旅行は中身が濃いのでどうしても書くのに手間がかかる。やはり、もっと暇がほしい。困ったものである。

ぼちぼちのんびりと美術鑑賞をしたい気分だったので、午後は江戸東京博物館に行くことにした。
「ファインバーグ・コレクション展」ってのをやっていて、まとまった量の日本画の秀作を見られそうだからだ。
この展覧会の面白いところは、狩野派・土佐派という江戸期のど真ん中をわざとはずしたコレクションであるところ。
こないだ訪れた酒田の本間美術館では江戸時代の日本画を総括する内容を味わったわけだが(→2013.5.11)、
そこにあった「日本画における伝統と革新」のうち、「革新」をクローズアップする企画ということになるのだ。

江戸東京博物館を訪れるのはなんと、10年以上ぶりとなる(→2002.1.20)。えらく間隔があいたものだ。
両国駅に降り立つと、1929年竣工の駅舎がお出迎え。昭和モダンの駅舎はやはり風格があってたまらない。
当時の両国駅は「両国橋駅」であり、千葉や北関東方面へと向かう列車が集まる一大ターミナルだったそうだ。
総武本線の各駅停車しか停まらない現在の両国駅からは想像がつかない話だが、駅舎を見るとそれも納得がいく。
江戸東京博物館を目指し、西隣の両国国技館方面からまわり込もうとしたら、妙に力士たちの姿が目につく。
相撲やってたっけ?と首を傾げる。興味はそんなにないが、そりゃあやっぱり一度は生で観てみたいのである。
結局、後でわかったのだが、国技館では相撲をやっていたわけではなく、北の湖元&現理事長の還暦祝いなのであった。

 
L: 1929年竣工の両国駅。かつて両国駅は一大ターミナルだったという。改札の脇にはその事実を誇る展示がある。
R: 江戸東京博物館。真ん中がブチ抜きの構造になっているのは国技館への配慮だそうだが……うーん。

ウキウキしながら鑑賞スタート。「琳派」「文人画」「円山四条派」といった感じで流れをまとめており、わかりやすい。
やはり個人的に最も楽しめたのは琳派で、抱一・其一の上手さにひたすら痺れるのであった。レヴェル違いますわ。
抱一の『十二ヶ月花鳥図』十二幅セットは間違いなく、この特別展における最大のハイライトだったろう。
対象の本質を正確に捉えながらも大胆にトリミングした構図という、日本画の醍醐味を思う存分に楽しむことができた。
(5年前の「大琳派展(→2008.10.31)」のおかげで魅力がわかるようになったのが大きいな(→2008.11.1)。)
文人画では、あらためてじっくり見てみたら、与謝蕪村がめちゃくちゃ上手くてたまげた。無知とは恥ずかしい。
応挙の孔雀もきれいだったし、狙仙の猿もユーモラスだったし、全体的にしっかりとツボを押さえたコレクションで、
やりますなあファインバーグさん、と言いたくなる上質な内容だった。見たぜーという満足感を得られること請け合い。
また、客が無駄なことをしゃべらないから鑑賞しやすいのなんの。客のレヴェルが高いってのも大事な要素なのである。

そんな具合にかなりウハウハしつつ鑑賞を終えると、エスカレーターに乗って5~6階の常設展へ移動。
せっかく10年以上ぶりに訪れたわけだから、きっちり見ておいてやろうじゃないかというわけなのだ。
江戸東京博物館の常設展は、とにかく空間を贅沢に使っているのが印象的だ。吹抜の大空間に江戸を再現してみせる。
でもそのインパクト重視の展示からは、あまり品の良さを感じない。展示品もレプリカがかなり多くて拍子抜け。
確かに江戸という巨大な都市を視覚的にわかりやすくまとめるという作業は、複雑すぎて難しいのはわかるのだ。
でも大空間に翻弄されているだけで、明確なストーリー性を感じられないのはダメである。切り口があまりに散漫。

  
L: 6階、まずは大空間で再現された日本橋が登場。5階レヴェルにある中村座とともにかなりのインパクトを与えてくる。
C: 吹抜の大空間はこんな感じ。かつて銀座・和光の地にあった朝野新聞社を再現しているが、うーん、大雑把。
R: 「浅草十二階」の愛称でお馴染みの凌雲閣(1/10模型)。ここだけ取り出してもなあ……。街並みが欲しいです。

いちおうひととおり江戸から東京への変遷、そして戦後の復興を押さえている展示なんだけど、正直イマイチ。
僕なんかは空間の歴史という視点にすごく興奮するタチなので、都内各地の写真をもっと出してほしい。
CGで江戸から東京へと建物が生え替わっていく様子を再現すれば、それだけで大きな売りになると思うのだが。
中途半端なレプリカなんて必要ないので、もっと歴史上の事件に焦点を絞って展示していく方がいいだろう。
つまり、「江戸とは何か?」「東京とは何か?」という問いをもっと追究して、その答えになりうる要素を集め、
それらの点を観客の想像力で線としてつないでいく展示にすべきだ(今の展示は強弱のないただの線にすぎない)。
あるいは、展示空間を完全に東京のミニチュア化してしまえばいい。ど真ん中で江戸城/皇居の展示を行い、
その東側では日本橋や銀座の繁栄ぶりを語り、さらにフロアの東の端では東京大空襲の悲劇を語ればいい。
6階の床を全面ガラス張りにして、5階を江戸、6階を東京として、空間を重ね合わせるとなお面白い。
せっかくの広大な空間なのだから、江戸/東京という土地をもっと体感できる工夫をしないともったいない。
虚仮威しばかりで中身のない展示に、徒労感をおぼえるだけだった。少しは東京の底力を見せてくれないもんかね。


2013.6.8 (Sat.)

夏季大会2回戦である。今度の相手はロングボールを放り込んでしっかり走ってくるサッカーをやるそうで、
これまでの実績から考えるとウチの方がきっちり格下であるらしい。あまり勝てそうな感触はないようだ。
しかしここで勝ってしまえば諸々の都合でベスト4入りを果たしてしまうことになり、ブロック大会進出が決まる。
僕としては修学旅行もテストもあるので(あと恒例の旅行もな!)、それは正直、かなり困ってしまう事態ではある。
とはいえ、やるからには、置かれた状況に対してきちんと全力でやってもらわんことにはどうしょうもないので、
生徒には「やるだけやって燃え尽きれ」と言うのであった。全力でぶつかって散るのもまたいい経験、と。

さてこの試合は、僕の暮らしている区にある高校のグラウンドを借りて行われた。
そこには前任校をこの3月に卒業したサッカー部員(10番だった)が進学しており、会えるかな?と思っていたら、
午前中のサッカー部の練習に参加していたそいつと無事遭遇することができたのであった。よかったよかった。
真っ黒に日焼けしており、それだけで練習のタフさが想像できる。ま、とにかく、元気そうで何より。

試合が始まると、案の定ロングボールをこっちのディフェンスラインの裏に蹴り込んでくる相手に圧倒される。
また、こっちの左サイドからドリブルで切り込んでくる選手に翻弄されて、完全に押し込まれてしまう。
序盤はどうにか耐えていたのだが、広いグラウンドになかなか対応できず、セカンドボールも拾えない展開が続く。
「4-2-3-1でしっかり守ってカウンター」がウチの生命線なのだが、守りがちぐはぐで押し返せないのだ。
そうして積極性が出ないところを狙われて、寄せが甘くなった瞬間を破られて失点を喫してしまう。
弱小チームには非常にイヤな流れで、このまま弱気を克服できずにズルズルいく展開が容易に想像できる。

が、なんとか耐えきり、0-1でハーフタイムを迎える。コーチが相手の攻撃の単調さを指摘し、守備の約束ごとを確認。
そのうえで攻撃陣の配置を入れ替えて、点を取るプロセスをはっきりさせる。攻守両面で、やるべきことが明確になった。
そんなわけで後半に入って5分ほどして、こちらのカウンターから一気に畳み掛ける攻撃が効いて同点に追いついた。
正直なところ、相手GKへのファウルをとられてノーゴールの判定になってもおかしくないプレーだったのだが、
得点は得点なのだ。主審が認めた以上、それはゴールだ(でも怪しいプレーだったので、喜ぶタイミングを逃してしまった)。

その後は一進一退の攻防が続くが、相手のロングボール戦法の精度は下がる一方で、得点の匂いはまったくしない。
ディフェンスラインもまったく上がらず前線に頼りきりなので、攻撃にまるで厚みも迫力もないのだ。
対応するウチの守備陣も相手の攻撃パターンがばっちり読めるので、危なげなくはね返しては振り出しに戻す。
逆にこちらが鋭いカウンターを仕掛けて相手ゴールを脅かすシーンは何度かつくることができた。
でもこちらも厚みのある攻撃を展開することはできず、緊張感がみなぎる時間が延々と続いていく。
5分ハーフの延長線でも決着はつかず、ベスト4、そしてブロック大会進出を賭けて、PK戦に突入した。

春季大会はPK戦で敗れているので、生徒たちは多少苦手意識があったかもしれない。
しかしGKが大当たりで、相手のキックの方向をすべて読んで、セーヴや惜しいプレーを連発する。
それにつられてほかの連中も落ち着きを見せるようになり、結果、3-2で勝った。勝ってしまった。
まさかの勝利で、ブロック大会への進出も決まってしまった。顧問会のくじ引きの段階では想像しなかったことが、
現実に起きてしまった。生徒たちは無邪気に喜んでいて、もちろんそれでいいと思ってはいるのだが、
一方で、引退が延びたことで連中に悪影響が及ばないようにするためにはどうすりゃいいか、
また調子に乗るやつをどう注意していくべきか、と考えだしたらキリがなくなって気が動転してしまう。
そんな具合に生徒も顧問も、もちろん保護者も、それぞれしっちゃかめっちゃかの阿波踊り状態になってしまうのであった。

生徒が帰った後も、僕は日程調整のために会場に残る。そしてテスト前の土日が完全につぶれることが確定してしまった。
これで6月中のすべての予定が完全に狂った。旅行も、Jリーグ観戦も、今日このあと髪の毛を切りにいく予定すらも。
現実は現実として受け止めて、切り替えてやっていくことは十分承知している。しかし、しかしなあ……。
来週の土日は修学旅行、その次の土日はテスト前なのにどっちも試合、そしてその次にはブロック大会。
3週連続で土日に仕事ってのは、もう愕然とするしかないですぜ。顧問がキツいってことは生徒もキツいってことだぜ。
いいよ、もう、喜ぶよ、喜ぶ以外の選択肢はないよ。生徒の努力が実を結んだのは確かなのである。
こうなったらブロック大会で恥をかかないようにがんばるよ。うーん……がんばるよ! がんばるけど……がんばるよ!


2013.6.7 (Fri.)

英検でてんやわんやじゃー! 英検の準会場実施は前の学校でもやっていたので問題ないだろうと思っていたが、
いざやってみるとやっぱりいろいろと面倒くさいのであった。大部分の生徒はちゃんとできるんだけどね、
一部の生徒が自分の家の郵便番号や電話番号を知らないんで。どういう育ちをしているんだ?と本気で思う。
年々そういう非常識なやつが増えている気がする。こっちのよけいな仕事を増やすんじゃないよまったく。


2013.6.6 (Thu.)

今日は完全に空き時間のない一日なのであった。朝の出欠チェックから放課後の部活まで、完全なるフルコース。
そしてそのまま教育実習生おつかれさま会に突入。あまりにもみっちり詰まりすぎていてヘロヘロになる暇もないぜ。
周りの皆さんが多忙ぶりをきちんと把握・認識くれているのが救い。ご理解いただきありがとうございます。

それにしても、おつかれさま会の会場がすごかった。大都会の真ん中にあんな空間があるとは!と本当に驚いた。
超絶繁華街の裏側に閑静な住宅地ってだけでもびっくりなのに、そこに料亭のような顔つきでたたずんでいる。
ところが中に入って通路をしばらく行くと、そこはまるで山小屋。2階に上がってもっと山小屋。ビールが安い。
もう何がなんだか。あまりにも意外性が連続しすぎて脳みその整理がつかなかったね。いやー、面白い。


2013.6.5 (Wed.)

ワカメが仕事の関係で上京したので、飲もうぜ!となる。ワカメ・ナカガキさんとは4月にも飲んだが(→2013.4.4)、
今回は久々にハセガワ氏・イヌ女史が加わった。この豪華メンバーが揃うのはいつ以来だか。ワクワクして大井町へ。

仕事が忙しいナカガキさんは後で合流ということで、とりあえず4人集まったが、みんなぜんぜん変わらないんでやんの。
とりあえずよさげな店を見つけて突撃して乾杯。さっそくダメな話で盛り上がるわれわれなのであった。
もともとの気が合うので、知らないことは勉強だし、知っていることは訳知り顔で話すしで、純粋に時間が楽しい。
そのうちにナカガキさんがやってきて(彼の空間把握能力はおそらく僕よりずっと上だ。わずかなヒントで正確に来る)、
気のおけない仲間同士の雑談を思う存分堪能させてもらった。もうねー、このメンツだと何がどうなっても楽しいねー。

最後にイヌ女史が靴箱の鍵をなくすというダメダメっぷりが相変わらずでしたなー。ま、無事に私が発見しましたが。
イヌ女史もあれだけダメダメになるとは、そうとう楽しかったにちがいない。オレも日本酒でぽわぽわだったし。
まあそんなわけで皆さん次回もよろしく。また近いうちに会えると期待していますぜ。


2013.6.4 (Tue.)

サッカー日本代表・オーストラリア戦。勝つか引き分けでブラジルW杯出場が決まる大事な一戦なのだ。

ロングボールを蹴って攻め立てるオーストラリアに対して日本はつなぐ、どっちもいつもどおりにわかりやすい戦いぶり。
しかし僕にはどうしても、本田が攻撃を停滞させているように思えてならないのだ。体の強さとキープ力はさすがだが、
とにかくスピードがないのが致命的に思える。そういう選手はパスの精度がイマイチの場合、かなりのブレーキになりうる。
そういうわけで、「本田OUTで乾INだろ、香川中央で乾が左!」なんて具合にずっとイライラしながら見ていた。
そしてまたオーストラリアのGKシュウォーツァーが憎たらしい活躍ぶり。オーストラリア戦のたびにこいつさえいなけりゃと思う。

で、後半の81分に相手のクロスがそのまま入ってオーストラリアに先制される。ここまで体を張って耐えてきたのに、
なんともやる気の萎えてしまいそうな失点である。 しかもその後、ハーフナー=マイクが投入されるんでやんの。
ぎゃーこりゃもう負けだわー!……と思ったら、最後に本田がPKを決めた。日本、W杯出場決定! なんじゃそりゃ!
僕としてはなんともすっきりとしない試合だったが、結果だけ見ればまあこれでOKではある。でもぜんぜんすっきりしない!


2013.6.3 (Mon.)

運動会の振替休日だけど部活はあるぜ! というわけで今日も朝からサッカーなのであった。
記念すべき初勝利の翌日ということで、軽めの調整ではあるんだけど、どことなく気合が入っている感じ。
やる気があるのは大変いいことなので、連中をあたたかく見守るのであった。いやまあ僕も一緒にゲームに入ったけどね。


2013.6.2 (Sun.)

というわけで、運動会翌日なんだけどサッカーの夏季大会1回戦なのだ。
相手は私立なんだけど「がんばれば勝てなくはない相手」ということで、個人的には分の悪くない勝負だと思っている。
そもそも僕は初めて練習を見たときから、ウチはそんなに卑屈になるほど弱いチームじゃないと確信しているのだ。
生徒たちは運動会モードですっかりお疲れなのだが、その事実を受け止めたうえで力を100%発揮することが重要である。
言い訳せずに全力を尽くして結果を残そう、と生徒たちに言うマツシマ先生なのであった。

天気予報では雨の可能性もあると言っていたはずなのだが、ハーフタイムのウォーミングアップごろには見事な快晴に。
しかも応援に来たALT(どんだけナイスガイなんだ)が道に迷って、苦手な英語を電話で話しながら案内する破目に。
それに加えて対戦相手が会場変更を忘れて遅刻して、試合開始が遅れた。僕も生徒も軽く混乱状態となってしまった。
でも、大事なのは言い訳しないことだ、と言ったのは他ならぬ僕なのだ。各種サポートに全力を尽くしてキックオフを迎える。

序盤はみんな明らかに緊張しており、なかなか本来のリズムで動くことができない。湿度は低いが気温は高く、
直射日光が思考回路を鈍らせてよけいにパフォーマンスが落ちてしまう、そんなコンディションの時間が続く。
だが、今回はそれも承知のうえなのだ。もともと運動会疲れがあるわけで、悪ければ悪いなりにどうするか考えよう、
それをコーチは生徒にしっかりと言い聞かせて試合に臨んでいた。あとはわれわれベンチが声をかけて修正させるのだ。
今日の試合はその辺の連携が非常によく取れていて、いいアドヴァイスがベンチから飛び出す。みんなで戦えている。

0-0で折り返すと、後半に入って相手のパフォーマンスも落ちてきた。前半には個人技で突破される場面もあったが、
後半はDF陣を中心に要所をしっかり抑えてカウンターにつなげるプレーが冴えを見せはじめる。
ウチのスタイルは4-2-3-1で、しっかりと2列のブロックをつくって守備をするのが大前提というサッカーである。
そこからトップ下と1トップのコンビネーションを中心にカウンターをかけるという、かなりオーソドクスな戦術なのだ。
これががっちりハマり、後半の10分が経過したところで1トップに入ったキャプテンが相手GKと1対1を決めて先制。
(今大会は30分ハーフということで、前回より5分ずつ長い。炎天下、本当にお疲れ様なのだ。)
そこから10分後、前半1トップだったやや荒くれ者が後半はトップ下に入っていたのだが、そいつが2点目を決めた。
どちらもカウンターから素早く空いているスペースに出して、シンプルにゴールに迫る戦術が効いたものだ。
コーチの慧眼ぶりには脱帽するしかない。ロマンを求めてパスで崩す戦術だけでは、確実な結果を出すのは難しいのだ。
守備の場面でもみんな最後まで集中を切らさず守りきり、2-0というスコアで公式戦初勝利を飾ることができた。

試合が終わって保護者の皆さんはお祭り騒ぎ。おめでとうございましたなのだ。
これで引退が延びて、来週も試合ができることになった。そこでもしまた勝っちゃったとしたら、
スケジュールがキツキツなので、大変なことになってしまう。でも大変なことになってしまいたい気もしてくる。
まあとにかく、今日と明日(運動会振替休日)は勝利の余韻にどっぷりと浸ることにしよう。生徒は本当によくやった。


2013.6.1 (Sat.)

運動会である。仕方がないとはいえ、準備にぜんぜん参加しないまま当日となってしまったのは申し訳ない。
僕は用具係の担当ということで、まあがんばって生徒と一緒に動きまわればいいや、と開き直るのであった。

例年よりもずっと早い梅雨入りのせいでスケジュールどおりの開催が危ぶまれていた運動会だったが、
いざフタを開けてみると雲ひとつない天気。容赦ない紫外線がガンガンお肌を突き刺してくる快晴ぶりとなった。
用具係はテントも何もない中、青空の下に机と椅子で待機。おかげでこんがりと赤黒く日焼けし放題なのであった。
午後に入ると雲が空を覆う面積が増えてきたので多少はなんとかなったが、いや本当に厳しい天気だった。

さて肝心の仕事ぶりは、予行での反省がしっかりと生きて、戸惑った場面がまったくなかったわけではないものの、
おおむね問題なくスムーズに済ませることができた。生徒も意欲的に動いたし、文句なしのデキと言えるだろう。
学年種目もムカデ競走も真剣に取り組めてよかったよかった。ムカデ競走では負けた女子は泣き、勝った男子も泣き、
意外なところで内面の熱さを見せてもらった。見せ場も多くて、非常に充実した内容となった。よかったよかった。

運動会が終わって片付けも終わると、サッカー部は明日の試合に向けて練習。
基礎練習を済ませると、ゲーム形式で実戦の感覚を確認しておく。その後はPK練習をしておしまい。
おかげで反省会(飲み会)には大幅な遅刻となってしまったのだが、部員たちはいい調整ができたようだ。
反省会でも先生方から激励の言葉を頂戴する。しかしまあ、ほぼひとつの話題で3時間半も飲めるって……すごいなあ。
あんまりあれこれ書くわけにはいかないんだけど、職場が固く団結していることは事実なので、まあヨシとするか……な?


diary 2013.5.

diary 2013

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