diary 2021.6.

diary 2021.7.


2021.6.30 (Wed.)

そろそろネタバレOKだろうから、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(→2021.3.24)についてきちんと書いておこう。
(過去ログはこちら:『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』→2007.9.23、『破』→2009.6.29、『Q』→2012.12.23

冒頭、パリでの戦いからしてすごい。観客を問答無用で一気に物語の世界にもっていく力にあふれている。
おそらく大半の観客は『Q』の展開についていけなかったはずで、それでも結末を確かめに来た、そんな感じだろう。
オセロをひっくり返すがごとくアンチになりかねない僕のような客に対し、全力のアクションで機先を制してしまった。
エッフェル塔を武器にするのがすごいが、これは『シン・ゴジラ』(→2016.8.23)の発想であろう。成功例の応用だ。
そんでもって第3村とはまたすごいことをやってきたなと感心。TVシリーズを知る者として、トウジには感動しかない。
しかも医者とは最も的確に思えるポジション。またケンスケはどこか加持さんを思わせるたくましさ。立派になったねえ。
(3ヶ月前のログ「やっとるやっとる」「やっとるやっとる」とは、つまりそういうことである。やっとるやっとる。)
何より綾波がかわいい。そしてアスカが完全にオカン。シンジへの愛情を母性に振ったのか、と少し切なくなった。
でもアスカがシンジと結ばれる限り、ループは続いてしまう。悔しいのはたぶんアスカも一緒だろう。
もはやどうにもならない恋愛感情を心の奥底に抑え込んで生きていくことは、大人ってことなのだ。

物語の展開に関しては世界中のあちこちで語り尽くされているし、そもそも僕にファンタジー脳(能?)はないし、
ということで、あくまで僕の視点だけで通用することを書き連ねていく。もはや『エヴァンゲリオン』はそういう領域、
それについて語ることで「むしろ受け手の過去や思考を掘り下げることのできる作品」に到達したんだな、と思う。
おそらく、『エヴァ』について語ることは、もはや「自分語り」となってしまうのだ。庵野監督の「自分語り」に対し、
そことの差異によって自らのルーツを、経緯を、アイデンティティを、晒さざるをえない。恐ろしいことだと思うが、
しっかりと時間をかけてきた社会現象だからこそ可能なことなのだ。ここは素直に敬意を表して、自分を語ろう。

TVシリーズから実に四半世紀、そのクライマックスは壮絶な親子ゲンカなのであった。なるほど、男子にとって父親とは、
「最も身近な超えるべき相手」である。男児として生まれたからには、父親よりも優れた実績を残さねばならない。
僕の場合、父親が飯田高校出身であることから飯田高校を卒業することを義務付けられ(曽祖父も祖父も飯田高校だが)、
父親が国立大学出身であることから国立大学への進学を義務付けられ(祖父も国立大学の出身だが)、
父親が大学院を出ていることから大学院への進学を義務付けられた。ただしそういうことを言うのはつねに母親の方で、
当の父親が僕にそういうことを言ったことは一度もないんだけどね! まあでも「へいへい」と受け入れてきたのは事実だ。
もしかしたら、父親を超えることを僕に最も強く課していたのは母親なのかもしれない。古い価値観の人だからなあ。
で、冷静に現状を考えると、人の親をやっていない時点で僕が絶対的に負けている。勝てなかったなあ、と苦笑いの毎日。
この点についての僕のロジック(言い訳)は、いずれ日記に書く日が来るはずだが、とりあえず今の段階で言えることは、
人の親をやっていない僕の絶対的な敗北をもって父親と弟に対する敬意を表現している面が少なからずある、ってこと。
つまり僕はシンジ君とは違って敗北を受け入れてしまっているのである。そしてなんだかんだゲンドウは偉いのである。
「なんでや、ゲンドウかわいいやん! ユイも言ってたぞ」
「オレはあらためて大人になれない自分を突き付けられて少なからずションボリよ」
マサルに対してそう返したのは、そういうことなのだ。父親を超えることを、いつしか諦めてしまっていたなあと。
父親を超えることを課してきた母親への反抗として、最後のところで自らすすんで父親への敗北を実行している僕──?

集大成の物語でゲンドウに焦点が当たるのはきわめて妥当というか、これで完全に旧作が補完された、という感覚だ。
足りないピースが完全に埋まった感触がある。人間が減数分裂をやっている以上、自分のうち半分は絶対に父親である。
だから自分の存在を世の中に認めさせるためには、自分の存在価値を自分で肯定するためには、父親と戦うことになる。
シンジを描写するには、その半分を占めるゲンドウを描写しなければならない。シンジが人類補完計画の鍵を握るなら、
一人の女のために世界を敵に回した男・ゲンドウの物語で終わることは必定なのだ。それを踏まえての父殺しへの挑戦を、
マイナス宇宙だか何だかを理由にして、エヴァでの親子ゲンカで次々と背景を変えてギミックたっぷりにやるのが最高だ。
TVシリーズを含めてそれまでの各シーンでの葛藤を完全に回収しているわけだ。シンジの葛藤とゲンドウの葛藤が重なる。
(あと背景で言えば、綾波とのやりとりでいかにもスタジオのセットな空間によって虚構を強調するのも多様でいい。
 『幕末太陽伝』の実現できなかった幻のラスト(→2012.1.9)をきっちりやっているなあと感心しきりである。)
ギミック満載のエヴァでの親子ゲンカは、なんでこんな私的なものを見せられてんだ、という感覚が同時並行で起きる。
しかし正しく表現されているからこそ、そうなる。寺内貫太郎のちゃぶ台返し。パブリックでプライヴェイトな争い。
誰もが一度は通る道。みんなが抱えているこっぱずかしい記憶。これを逃げずに描ききったところが偉いと思うのである。
最後のアスカのところも含めて、見事にぜんぶやりきっている。そこで外から見ればそれなりに父親をやれているのに、
どうしても内罰的なゲンドウを、外側から見させるのがまたすごい。そこの「外から見ればちゃんとしてんのに、
自分ではどうにも納得できない」感じが『人間失格』っぽくて、うーんやっぱ『エヴァ』だなと思わせるのもまた上手い。
やるべきことをぜんぶやっている、だからこそ、『Q』から8年以上かかって上映時間が155分という長さになるわけだ。
飲尿ピンクも含め、誰もが大切な人がいるのがよいのだ。傍から見ればこっぱずかしいプライヴェイトの争いごとも、
当人どうしには天下分け目の合戦である。小事が大事なら大事も小事、そうやって人間は生きていくってわけである。
オイディプスがコンプレックスするけど、世はすべてこともなし。All's right with the world. そういうことかなと。

ところでマサルとSMSでの感想戦をやってみて、マサルがそこまで強硬なアスカ派だと思っていなかったのでびっくり。
僕は「惣流と式波は別だよ派」なので問題なしです。世はすべてこともなし。All's right with the world.


2021.6.29 (Tue.)

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』。この話のうれしくない結末だけはなぜか知っているので、
最初は見るつもりがまったくなかった。しかし評判があまりにいいので、平日休みを利用して見たのであった。

いやしかし、まさか今ごろになって映画でやるとはなあ……。うれしくない話なのにやる意義あるんかなあ……。
三部作の1作目ということで、ストーリーについては保留。うれしくなる気配はぜんぜんないですね……。
設定からしてハッピーエンドになりっこないんだよなあ。逃げ場のない悲劇とわかっていながら見るつらさよ。
出てくるモビスルーツのデザインがダサいことで感情移入せずに済んでいる。どうにかそれで距離をとれる感じ。
あと、ペーネロペーのパイロットにはカミーユ混ぜとるね。ハサウェイにおけるカツと同じくらいの混じり具合。

やはり見どころは現在の技術によるアニメーションということになるだろうが、確かにこれはすごい。
これまでのガンダム(僕の場合は逆襲のシャア(→2005.4.202021.1.2)で止まっている)が「動く絵」だったのに対し、
きちんとした質感を持ってモビルスーツの威力というものを知らしめる。圧倒的にリアルに感じられる。
おそらく実写を取り込んで、そこに絵を重ねることもやっていると思う。それに違和感がないのがまたすごい。
ホテルの内装なんかも妙にリアル。フィクションとしてのCGの挟み込み方がすごく上手いんだと思う。
アニメーションという土台における映像づくりとしては、できることをぜんぶやっているのではないか。

結局のところ、ガンダムに出てくる女はみんなやべえ、ということですな。あのオッサン、どんだけこじらせてるんだ。


2021.6.28 (Mon.)

『シドニアの騎士 あいつむぐほし』。1期(→2021.6.15)、2期(→2021.6.21)ときて、映画で完結編である。
レヴューは例のごとくネタバレ気味ですので、避けたい人はマンガなり映画館なりで先回りしてくだしい。

ストーリーは2期から10年経っているそうだが、変化しているのは主人公の顔だけなのであった。別人やんけ。
10年という時間があるのにキャラクターの関係性がまったく変化しないというのは、さすがに不自然ではないか。
せめて3年、ぎりぎり5年くらいが許容範囲だろうに。時間を経過させる必然性がわかりませんでしたなあ。
後述の後輩たちを出すためのエクスキューズにしても、10年というのはようわからん。ウラシマ効果か?

2期で宿題が残ったわけだが、それらはほぼクリアされている。この時間内によく収めきったなと感心するレヴェル。
戦闘シーンにしろ、いちゃつきシーンにしろ、やるべきことをはっきりさせてリズムよく畳み掛ける形になっている。
おかげで「どうすんだこんなの」と言いたくなる大ピンチが濃縮されて襲いかかる。メリハリが実に見事である。
ただ、小林艦長が長道に過去を語る場面はうまくやってほしかった。母性を出してほしかったのに全カットとはなあ。
説明ゼリフになるのもイヤだし、単純な回想はかっこ悪い。ヒ山とクロスオーヴァーして中和するとか、手はあったはず。
原作と比べるとかなり駆け足になっているらしいが、確かに長道・つむぎ以外のキャラクターの感情がせわしない。
ヒ山と落合、イザナと纈の辺りはもったいないなーと思う。観客が補完できるギリギリと言えばギリギリではあるが。
個人的にはけっこう重要な課題だった「頼れる男子がいない問題」は、後輩と海苔夫でどうにか体裁を保ったところ。
TVの頃からサマリの活躍を勢威と鶴打に分けときゃもっと盛り上がったのに。まあ上手く帳尻を合わせた感じではある。
とはいえ纈の変化は必要だったのかどうか。結局のところキャラを生かしそびれた結果そうなったのではないかなあ。

2期のエナでラストの展開はだいたい想像はついていた。異類婚姻譚でくるかとも思ったが、妥当な平和的解決ですな。
結局のところ、人間性とはコミュニケーションの積み重ねとしての記憶ということか(→2005.8.192014.9.12)。
でももはや触手じゃないと興奮できない長道だったりして。それにしても「触手系ヒロイン」とは恐れ入ったなあ。
まあとにかく、現代とは異なる世界観を創り出さなければならないSFをやりきったことは、それだけで賞賛に値する。

エンドロールを見ていて思ったのは、東亜重工フォントは一種の簡体字なんだなということ。
なるほどそういう発想になれば、文字というのもさらに遊べる余地が広がる。SFという観点からもマッチしている。
あとは、最初からテーマ曲をcapsuleに依頼しておけよと。エンディングはマトモな曲だな、capsuleみたいだな、
と思ったらやっぱりcapsuleだった。クライマックスの出撃シーンで1期のオープニング曲が流れて、私は萎えた方なので。

仄姉妹に寄ってたかってめちゃくちゃにされたいです、と書くと、映画はロリがついてくるので非常に危険である。
困った! カテーテル!


2021.6.27 (Sun.)

本日は片付け日ということでふつうにお仕事。でも午後に休みをとる。とらなきゃやってらんねえ。

宮内庁長官が「五輪開催への天皇陛下のご懸念を『推察』」の件について少々。

このニュースを見たときの最初の感想は、「すごいな」である。こういうやり方をとるのか、さすがだな、と。
オリンピックが政治と深く絡んでしまっているために、天皇はそれについての発言ができない。そりゃそうだ。
そこで、宮内庁長官が推察するという発言の形にしたわけだ。これがやんごとなき方々のやり方なのか。実に賢い。
政治と言葉のバランスが絶妙で、ボールは確実に投げられており、メッセージを受け取る側の品格が問われている。

しかし政府やら何やらの対応は「宮内庁長官の見解にすぎない」ということで、実際のところこれはこれで正しい。
ただ、これもまた本音と建前をきちんと考慮しないといけないわけで、「長官の見解にすぎない、だけど~」と、
そのメッセージに対して何かしらの譲歩があってしかるべきなのだ。そうやって受け止めるセンスが問われている。
天皇がルール違反にならない方法をとって送ったメッセージに対し、建前を掲げつつもオトナな対応をしなければ、
これはだいぶみっともない。そして現政権のとった反応は、完全なる黙殺というセンスのかけらもないものだった。
最大限の配慮に対して額面どおりに受け取ってスルー。そんな恥をかいてでも押し通したい利益があるということか。
知性のかけらもない連中に政治ができるわけがない。現政権は完全に狂っている。価値観が正常なものでなくなっている。

最後にもうひとつ。ネット上では「天皇だから絶対的に正しい」ととれる考え方をしている文面が目立っており、
これはこれで非常に危険。アイドルがうんこしないと本気で信じるのと同じくらいイージーな発想である。
現在の皇室が信頼のおける存在であるのは間違いないと思うが、いつイギリスみたいなことになるかはわからない。
盲信するのは絶対によくない。ま、国民が今の皇室と釣り合うくらい穏やかで賢ければいいんだけどねえ。
あんたがたの崇拝している皇室にふさわしいだけの国民をやれてますか?


2021.6.26 (Sat.)

文化祭2日目。私は受付の担当だったが、午後のみ公開、事前に申込みのあった各家庭2名まで、ということで、
それほどひどい目に遭うことはなかった。混み合う最大要因は出し物の観覧チケットがらみとわかったので、
そこは来年改善してほしいところである。あとはひたすら授業準備とテストの下ごしらえ。追われている感じがイヤだ。


2021.6.25 (Fri.)

文化祭なんだけど、それよりも県庁から「東京都が勤務年数を合算するのを認めないからあんたのボーナスは最低限ね」
という通知が来て怒り心頭である。これ東京都を裁判で訴えたらいいのかね。嫌がらせとしか思えない。本気で腹が立つ。


2021.6.24 (Thu.)

本日は文化祭準備なのだが、その間も授業準備と教務系の雑務で少しも休めない。テストも近づいてきているし。


2021.6.23 (Wed.)

なーんか、コロナで旅行できない間にどんどん全国各地の市役所が新しくなっとるね。
日記を書くのに調べていると、そういった新築の情報が検索結果にちょこちょこ出てきて驚かされる。
溜まっている日記といい、訪問できていない市役所といい、もちろんコロナの状況といい、事態が改善する気がしない。
とてつもない閉塞感の中で毎日を過ごしている。何をどうすりゃスッキリするものかねえ。


2021.6.22 (Tue.)

日本史も世界史も必死で授業準備しているけど、他人に教えることがいちばん勉強になるね! それが真理だわ。


2021.6.21 (Mon.)

『シドニアの騎士 第九惑星戦役』、つまりアニメ2期。1期のレヴューはこちら(→2021.6.15)。

やはりオープニング曲がダサくて笑ってしまった。なんだこりゃ。そしてエンディング曲のねっとりネトネト感。
インパクトとしては絶大かもしれないが、まともな曲はいくらでもあるだろうに、なんでこんなことにしてしまったのか。

話としては、いきなりシドニアなんちゃら虫が出てきて、「え、そっち方面のホラーなん?」となる。
そしてこのシドニアなんちゃら虫は結局解決しないまま。惑星ナインの気持ちの悪い巨人もそのまま。
いろいろほったらかしなのに、ラストは明らかに「もうTVシリーズやりません」って感じで、それでいいのか感がある。
いや、ぜんぜん大団円ではないだろう、と言いたい。裏では映画でけりをつけることが確定していたのかもしれないが。

ただ、2期と比べるとかなり面白い。僕がこの世界観、このアニメに慣れてきたこともあるのかもしれないが、
ちゃんとラブがコメになっている。キャラを掘り下げると面白くなるってことだ。きちんと描かれている。
はっきり言ってしまえば、ある種のバカバカしさが上手く採り入れられている。ここが1期にはなかった魅力なのだ。
2期で単なるシリアスなSFから話の幅が広がって、きちんと人間関係のドラマで魅力を持たせたことは大歓迎だ。
特に感心したのは白羽衣つむぎで、異形をできるだけかわいく動かしてみせたのは斬新だった。効果音も効いている。
しかしまだまだ世界の狭さが気になる。もっと人々をしっかり描くことで、守るべきシドニアの魅力を提示すべきだ。
SFではぶっ飛んだ設定を用意するだけでなく、そこに説得力を持たせる必要がある。それは論理的な説得力だけでなく、
キャラクターたちの動機でも説得力を感じさせないといけない(→2008.10.10)。そこがまだまだ、主人公中心で、弱い。
原作マンガや、いま公開中の映画ではその辺どうなんですかね。ぜひチェックしてみたい!とは思わされる。

しかしやっぱり、仄姉妹に寄ってたかってめちゃくちゃにされたいです。結局のところ、結論はそれしかない。



2021.6.19 (Sat.)

セブンイレブンの「わさびめし」のおにぎりが好きだ。大好きだ。

もともと「かつおめし」のおにぎりがあって、それがなくなってしまったことを非常に残念に思っていたのだが、
まさかここまですばらしくパワーアップして帰ってくるとは。食事を軽く増量したいときのファーストチョイスである。
かつてサッカー日本代表監督だったアルベルト=ザッケローニは白飯にワサビを大量に入れて混ぜて食うのが大好きで、
北朝鮮戦のときにピョンヤンの空港でワサビを没収されてキレていた、という記事を見かけた記憶がある。
そのときは「日本びいきはうれしいけど、食い方だいぶ間違っとりゃせんか」と大笑いしたのだが、
いざ「わさびめし」にハマってしまうと、ザッケローニの慧眼に驚くしかない。すいませんでした。うまいです。
どこのセブンイレブンにも置いてあって助かるけど、世間ではどれくらいの人気なんだろうか。非常に気になる。


2021.6.18 (Fri.)

「ぽぎゅ」という擬音を思いついたよ。ぽぎゅぽぎゅ。


2021.6.17 (Thu.)

毎年楽しみにしていたチキンと夏野菜カレーがなくなっていたとは……。さよならココイチ、もうあんまり行かない。


2021.6.16 (Wed.)

天皇杯2回戦、鈴鹿ポイントゲッターズが自腹で試合をYouTube配信したというニュースを見た。
非常に面白い試みで、検索して自分も見てみた。対戦相手はヴィッセル神戸。ただしイニエスタはベンチ外。

序盤から鈴鹿が積極的に攻める。神戸は良く言えばしっかり様子見、悪く言えばひたすら受け身。
ひたむきに攻める鈴鹿の姿勢は好感が持てる。でもJ1には一瞬で決める余裕があるわけで、その差が実に大きいのだ。
スコアレスの時間がしばらく続いたが、29分に神戸が先制。技術も高いが、ホームの芝をわかっているプレーだった。
鈴鹿のがんばりは画面越しによく伝わってくるが、神戸の方が明らかに球際が速くてセカンドボールを取らせない。
また、ムダなくひとつひとつのプレーを効果的にやっている印象。その積み重ねが最後には大きな差となるのだ。
というわけで、鈴鹿はよく走ったのだが4失点。最後のFKもポストに嫌われて得点できず。惜しかったなあ。

鈴鹿はかなり危なっかしいというか、一歩間違えると大ヤケドになるようなことをやるクラブ、という印象だ。
一昨年にはネット検索からスタートして女性監督を探して就任させている。もちろん実績をちゃんと見ての選定だが、
まず「女性監督ありき」という点が大冒険である。まあこの試合を見ても、ミラ監督の招聘は正解だとは思うけど。
そして昨シーズンは、そのはるかに上をいってみせた。なんと「ポイントゲッターズ」に名称を変更し、
エンブレムは完全にヘタウマ路線となる。今治のバリィさん以上の衝撃。いやあ、これには呆然としたねえ。
三重県は長野県に負けず劣らずの寄せ集め県であり(伊勢を中心に伊賀・志摩・紀伊の一部が合体したわけで)、
同じJFLにヴィアティン三重もいて、地域リーグにはTSV1973四日市もある。他県よりも厳しい状況なのだ。
(鈴鹿は名張市を本拠地とするFCランポーレと鈴鹿市を本拠地とする鈴鹿クラブが合併したクラブである。)
目立ってナンボは品がないと思うけど、鈴鹿の場合は熟慮した結果というのもわかるので、僕は肯定的に見ている。

今回の配信へのチャレンジは、突貫工事にしてはかなりレヴェルの高い仕上がりだったと思う。
解説を担当した佐藤選手はケガで出場できなかったのは残念だが、チーム情報から選手の心理まで聞きやすかった。
これだけ上手く話せるということは、ふだんの地域貢献活動をそうとうがんばっているからに違いない。
ちなみに神戸の藤本(→2017.8.19)と佐川印刷で同僚だったそうで、こっちも感慨深い気持ちになってしまったよ。
また、カメラ1台だけでがんばっていたのだが、ズームや俯瞰などしっかりとポイントを押さえていたと思う。
僕も部活でカメラを回したことがあるのでわかるが、集中をずっと切らさないで撮り続けるのは意外と大変なのよ。
すごくいい企画を本当にありがとうございました。やっぱり上で書いたように鈴鹿は誤解されがちなんだけど、
「モデルを提示できるクラブ」ということで、その底力を全国に見せつけてくれたと思います。

しかし、おこしやす京都(お京都)が広島に5-1で勝つとは……天皇杯はすごいぜ。すごすぎるぜ。


2021.6.15 (Tue.)

『シドニアの騎士』。映画公開にともなってアニメ1期を無料で見られたので、感想をば。原作は読んだことない。
どうでもいいが、「シドニアの~」って言われると、「……理髪師?」と答えたくなってしまう。そりゃセビリアやがな。

オープニング曲がだせえ。「軍歌をイメージしたエレクトロニカ」なんだろうけど、なんだこりゃ?である。
なんか絵がなあ。ポヨさん(ポヨ=ナマステ)の劣化版という感じがしてしまう。ポヨさんのポップさを見習え。
しかし独自のフォントを多用している点は、なかなかにポップであると言えよう。エヴァンゲリオンの明朝体以降、
世界観を象徴するフォントという演出が一般化した。エヴァの最も偉大な点はそこかもしれないなあ、なんて思う。

ストーリーテリングは上手くない。むしろ下手。偉い人(=つくり手)とパイロットたち(=受け手)で知識に差があり、
これを会話を通してクリアにするのが技術というもの。でもそれをせず、本来悪手である回想シーンで済ませている。
しかもインパクトを狙ってか、平然と時間軸を入れ替える。設定の説明と話の進行が同時だったり飛び飛びだったりで、
何の準備もないこっちはついていくのが本当に大変だ。やたらと展開が唐突に感じられるのも、そのせいだろう。
ちょっと善悪がイージーじゃないかい?と言いたくなる安直な場面も多い。やたら主人公が強い、特別扱いもまた安直。
頼りになる男性キャラクターが他にほぼいないため、チームワークで魅了したり成長を実感したりという要素が皆無。
これが「なろう系」的な幼稚さを含んだ感触であるため、せっかくの個性的なSF設定を生かしきれていない印象だ。

というわけでストーリー面では不満が大なのだが、CGによる戦闘シーンについては文句なしである。
カメラワークが巧みであるし、スピード感があってリズムも良い。それで強制的に感動させられる作品である。
このアニメは、面白いというよりは、熱い。その熱さを戦闘シーンが一手に引き受け、作品の質を維持している。
ドラマ部分の欠点を戦闘シーンが覆い隠しているからか、世間的な評価は高いようだ。でもみんな冷静になるべきだ。
まあとりあえず、仄姉妹に寄ってたかってめちゃくちゃにされたいです。今の私がいちばん冷静さを欠いている。

カテーテル!


2021.6.14 (Mon.)

海外の大学へ進学したいコースで、1年生が夏休みに論文を書くことになっている。
あらかじめどんな内容を希望するか聞いて、その内容に近い教科の教員が担当でつく仕組みなのだ。
それで僕が担当するのが、ポップス(音楽)・ファッション・建築・ホロコーストという4人。最後重いんですけど!
彼らの話を聞きながらあれこれアドヴァイスを出すのだが、うーん、こりゃゼミですね。大学時代を思い出す。
もちろん相手は高校1年なので、右も左もわからないっぷりは大学1年の比ではない。いろいろ大変である。

しかしまあ、大学のまねっこが好きな学校とはいえ、自分も師匠のミニチュア的なことをやるとはね……。
ちょっとだけ感慨深いところもあるが、高1に無理にやらせんでもなあとも思う。こっちも試行錯誤してがんばる。


2021.6.13 (Sun.)

本日はなかなかメンタル的にすっきりせず、日記も片付けもかなりの不調なのであった。不調なりに踏ん張ったが。
日常生活において、なかなか上向きになれる要素がないのがつらい。なにかこう、パーッといかないもんですかね。


2021.6.12 (Sat.)

見ました、『JUNK HEAD』。堀貴秀監督がほぼ1人でつくりあげたという、話題のSFストップモーションアニメ。
これはもう、完全に狂気の塊だ。日本は定期的に狂気まみれのSF映画が世に出る国だと僕は認識しているのだが、
そういう意味での正統な最新作である。ニッチかもしれないが、そのニッチな中での頂点を極めていると言えるのでは。

話としては、三部作になる予定とのことで、これから面白くなっていくんだろうな、というところ。
まずは技術で圧倒して世間にインパクトを与える、世界観を知らせる、そういう第1作目として十分に成功している。
それゆえにストーリー性は弱い。主人公は体を乗り換えることになるのだが、これは飽きさせない意図によるものか。
主人公と虫以外はすべてマリガンの変種ということで、基本的にはチェストバスター的な生き物の連続である。
まあこれは地下世界での進化ということで、理解できる。彼らの弱肉強食はなかなかにスプラッターなので注意。
不死となったが機械の体で危機をくぐり抜ける主人公と遺伝子の安定しないマリガンという組み合わせによって、
逆説的に人間性を描いているのは鋭いところ。ここを掘り下げる話が展開できると本当に面白くなってくると思う。

しかし人形のクオリティといい絵コンテのクオリティといい、堀監督の芸術的センスは群を抜いている。
やっぱり元から非凡なんですよ。それでいて常人離れした忍耐力があるから、これだけのものをつくることができる。
才能と努力が正しく結びついている作品だから、われわれはまず「すごい!」という感想を持つしかないのだ。
あとは好みの問題である。設定的に清潔感はあまりないので、そこで「確かにすごいけど……」という人も出るだろう。
それはもうしょうがないことだし、そもそもSFなんてそんなものである。SFに破壊と暴力はついてまわるものなのだよ。
このいい意味でのカルト感を維持しながら、メジャーでも通用するストーリーを最後まで展開しきることができれば、
なかなか類を見ない快挙となるはずなので、大いに期待したい。目指せ、『エレファント・マン』(→2012.5.25)。
(ベクトル的にはぜんぜん違うんだけど、スカラー的にデヴィッド=リンチに似たものを感じたのだが。どうずら。)


2021.6.11 (Fri.)

引き続き顎関節症に苦しんでおるわけですが、最近は使い捨てカイロを頬から顎の広い範囲に当てて改善を画策中。
できるだけ長い時間、そうやって保温して筋肉の緊張状態をほぐすことに取り組んでいるわけです。効果はまずまず。
おかげでメシを食うのが以前と比べてだいぶ楽になった。とはいえまだ万全ではないので、さらに手を打っていきたい。


2021.6.10 (Thu.)

海外の大学へ進学したいコースがあるのだが、そこの歴史の授業でディスカッションをやるというので見学。
生徒たちはグループに分かれて冷戦下のアジア各国の動きをまとめて発表し、質疑応答というスタイルである。

ハッキリ書くと角が立つと思うが、ぶっちゃけ、言うほどハイレヴェルではないなあと。
それが自覚できていればいいんだけど、井の中の蛙大海を知らず状態で行ってしまったら困るなあというレヴェル。
まあ僕の中では大学時代のゼミが基準なので(大学院はあんまり……)、それを求めるのは酷かもしれないが。
アクティブ・ラーニングなんざ所詮は幻想。大したことのない生徒どうしで話し合ったところで時間の無駄である。
生徒の自己満足度を高めて自己評価を高めるだけのまやかしでしかない。文科省主導の愚民化教育そのものだ。
座学が最強なのである。それで知識が得られないやつは、そこまで。人間を成長させる原動力は「悔しさ」なのだ。
どのような学力レヴェルであっても、自分の限界と他者の長所を謙虚に理解することが重要なのである。
そういう教育になっていればいいが、現状はまったくそうなっていない。自信と実力が釣り合っていない。

閑話休題。朝鮮戦争と核兵器について、軍人の視点の生徒と政治家の視点の先生の対比が非常に興味深かった。
生徒は戦争を早く解決させることを考えると核兵器の使用はそんなに悪くない選択肢ではないか、と言う。
意見の多様性という点では歓迎したいところである。みんながみんな同じ意見では話し合いが深まらない。
しかしその意見は外交や環境への視点が完全に抜け落ちていて、国際法の点からいっても難しいところである。
担当の先生はその問題点をきっちりと指摘する。実際にそれでトルーマンはマッカーサーを解任したわけだし。
この手続きがシヴィリアンコントロールなのだ、というまとめ方もできる事例で、授業の流れとしてはいい感じだ。
なるほど結局は、教員の手綱捌きが重要だなあと思ったしだい。生徒云々の前にこっちが賢くならなければな。


2021.6.9 (Wed.)

天皇杯でHonda FCが横浜FMを倒したとのこと。三ツ沢でやっていると知っていたら絶対に行ったのに……。
神奈川県で働いていて観戦の絶好のチャンスだったのに、それを逃すとは……。血の涙を流すレヴェルで悔しい。
月イチでサッカー観戦する習慣を去年から一時停止しているせいで、すっかり情報弱者である。困ったものだ。

長野は長野で、J1で今季無敗の川崎をPK戦まで追い詰める活躍ぶり。長野はジャイアントキリングの実績があるけど、
過去最高の実績となるところを逃してしまったのは残念。切り替えてJ3での順位をしっかり上げていってほしい。

それにしても、試合結果を見てみると今まで知らなかった地方クラブもいろいろ出ていて、すごく新鮮である。
全国各地で地道にがんばっているクラブを知ることができて、やっぱり天皇杯は格別に面白いなあと思う。
エンブレムのデザインも面白くて、見ていて飽きないのだ。来年は1回戦から追いかけられるといいなあ。

さて、ユ=サンチョルが亡くなって、彼のさまざまなエピソードがニュースで報じられているが、すべてに心打たれる。
僕は彼の全盛期にはまだサッカーを見ていなかったが、韓国のいいところをすべて兼ね備えた選手だったのはわかる。
いい人ほど早く亡くなるというが、ただただ、つらい。彼のようにすべてに優れ、国籍なんて関係なく尊敬される、
そういう選手が再び現れるといい。何度も現れるといい。そうして、そのたびに彼のことが思い出されるといい。


2021.6.8 (Tue.)

日記が書きやすくてありがたい職場近くのカフェが今月末で閉店とな。ショックに震えつつチョコクロを食っている。


2021.6.7 (Mon.)

2ヶ月前まで自分も利用していた中延駅で、JOCの経理課長が自殺とされる亡くなり方をした。言葉が出てこない。
そしてそれを報じないニュース番組。ネットニュースでもトップページに来たのは夜の11時で、1時間半ほどで消えた。
今の日本は本当におかしなことになっている。これで民主主義か? ミャンマーや中国と何が変わらないというのだ?


2021.6.6 (Sun.)

日記を書いて髪の毛を切って宗谷(→2021.5.22)を確保する。相変わらずの代わり映えのしない休日である。
明日からまたドタバタの一週間が始まると思うと切ない。その次の週も同じ感じなのがわかっているのがまた切ない。
なんというか、もうちょっと日常生活で面白い要素が欲しいのだが、そのためには通勤時間を短縮する必要がある。
いいかげん、なんとかしないといけませんなあ。毎日少しずつでも片付けを進めていかないと。停滞中である。


2021.6.5 (Sat.)

今日は3年生のマーク模試ということで午前中にお仕事。その後は部活の締め。しっかり働いております。

勤務校はいかにも山を崩して造成した住宅地の奥にあるのだが、わりと近くに非常に評判のいい寿司屋があるそうで、
そちらでランチをいただくことにした。こんなところに寿司屋があんのかよ、と思ったら軽く行列ができていて驚いた。
結論から言いますとですね、横浜の住宅地の寿司屋すげえなと。なんであの値段であのクオリティの寿司が食えるのか。
いつも何も考えないで海鮮丼を食っている僕だけど、なるほどネタとシャリとそのバランスに寿司の価値があるのか、
そうあらためて唸らされたのでございました。そこに気づけるほどの味なのに、なんで1000円+消費税で食えるのか。

このまま素直に帰るのもつまらないので、野比温泉(→2020.12.5)まで足を延ばす。京急ついでで行ってしまうのだ。
駅からそれなりの距離があるので行きは「遠いなあ面倒くせえなあ」と思うけど、帰りは呆けているうちに改札に着く。
やっぱりいいお湯である。モール泉系統かなあと思うが、ふだんお世話になっている「黒湯」ほどではない。
帰りの京急車内で一服しつつ、これで土曜出勤時の行動パターンが決まったなあ、と思うのであった。


2021.6.4 (Fri.)

晩飯のヴァリエーションに困って今日はサイゼリヤでお一人様してみたけど、なんだあの値段!? おかしいだろ。
価格破壊にも程がある。僕の中でファミレスの値段はジョイフルが基準なのだが、価値観が揺さぶられましたなー。
あんまり安いんでペペロンチーノ大盛だけのつもりが、思わずほうれん草のソテーもたのんじまっただよ。思う壺。


2021.6.3 (Thu.)

家電量販店のピンク色な美容器具売り場で、恥を忍んでマッサージ器を購入したんですよ。顎関節症対策。
USBで充電できて、ピンポイントであっためたりモーターでヴァイブレーションしたり。それでグリグリやっている。
それなりに効いてはくれるのだが、朝は症状がだいぶキツくて、ほぐすのになかなか時間がかかってしまう。
ほぐしきったところでやっぱり多少の顎関節カクカク感が残るし。関節の不調に筋肉が硬直する複合的な原因なのか。
お湯に浸かったり体を動かしたりすると一時的に改善がみられるあたり、これって肩凝りの仲間のようなもんかな?


2021.6.2 (Wed.)

今日はのび太が制定した「ぐうたら感謝の日」って話だけど、しっかり仕事をしとるで。キリがないで。


2021.6.1 (Tue.)

相変わらず顎関節症に苦しみ続けているのだが、ようやく顎の正しい3次元的ポジションがわかってきた。
簡単に言うと、右側だけ前の方にずれている感じみたい。左手で自分にアッパーをかけると噛み合わせが改善するので。
そうして矯正しても、しばらく放っておくとまたずれる。本当に困った。当たり前な健康の、なんとありがたいことか。


diary 2021.5.

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