diary 2021.3.

diary 2021.4.


2021.3.31 (Wed.)

あまりにも荷物が多くて、昼飯がてら家と学校を往復する破目に。最後の最後で礼服とスーツがデカかったなあ。

年度末ということで最後まで残っている皆様は少なかったのだが、笑顔で見送っていただけたのはありがたい。
校長からは何度か「損失」という言葉をいただいたのも、まあそういうお世辞を言われる程度には働けたのかなと。
異動してきてたった1年で去るというのは、あまり貢献できずにただ迷惑をかけただけという印象になってしまうが、
それでも気持ちよく送り出していただけて、僕としては感謝しかございません。本当にありがとうございました。

しかし一度も学級担任をやることなく11年の中学校教員生活を終えるとは……。逃 げ お お せ た


2021.3.30 (Tue.)

旅行から日常に戻って、職場の片付け作業を開始する。今回はプリント類や本などの資料をかなり強引に断捨離。
英語サヨウナラ、中学サヨウナラということでバンバン処理して、送り出す荷物をダンボール箱1個に抑え込んだ。
しかし文具類が意外と大量で、ここで難儀。何でももったいないと思ってしまう悪癖が出て苦しんでおります。

午後は歯医者に行って睡眠時無呼吸症候群の医者に行って、そのまま明日職場で配る菓子を見繕う。
結局はどら焼きにしたのだが、どら焼き40個はたいへん重い。冷静に考えると当たり前か。あんこは重い(→2018.2.26)。

買い物を終えるとカフェに寄って昨日までの旅行の写真整理に取り組む。相変わらず中身の濃い旅行だなあとしみじみ。
それにしても、今回の旅程みたいな天才的な組み方を自慢できる相手が周りに誰ひとりいないのが、ちょっと虚しい。
日田から中津に出るルートを採用することで耶馬渓でのサイクリングを組み込むとか、凄くないかい? 凄いでしょ?
市役所めぐりと神社めぐりと観光地めぐりを、本当に無駄なくかなり合理的に実現できていると思うんだけどなあ。
あともうひとつ思うのが、自分は写真が上手いのかどうなのか。そもそも「写真が上手い」とはどういうことなのか、
正直自分でもよくわかっていないのだが、被写体の魅力をかなりきちんと表現できているのではないかと思っている。
それについての感想をもらったことがまったくないので、自信が持てないでいるのだ。僕は写真が上手いんですかね?
上手いと思った人は、素直にびゅく仙にその旨を伝えましょう。写真については本当によくわからないままだなあ。



2021.3.25 (Thu.)

修了式なのであった。ちなみにその前の学年集会では各教員に自由に話す時間が与えられたので、
給食を残すな、育てる人とつくる人と金出す人に感謝して食え、と熱く語るのであった(→2012.12.28)。
中学校の教員として最後の話だったけど、悪くない内容になったかなと。自分では満足しております。

午後の職員会議で来年度の人事が発表になったが、これで一気にお別れモードになってしまったなあ。
この一線を超える感じが面白くもあり悲しくもあり。1年しか在籍しなくて本当にすいません。みなさんあたたかい。


2021.3.24 (Wed.)

午前中に休みをもらって、朝イチで『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見てきたよ。
ネタバレどーのこーのというより、1回見ただけではまとまりきらない部分も多いので、きちんとレヴューを書けない。
とりあえず、マサルとのSMSのやりとりで出た僕の発言を、ネタバレにならない範囲で書き出してお茶を濁します。

「リツコさんきれいだったね」
「やっとるやっとる」
「やっとるやっとる」
「面白いのはすべての解釈が確率論で肯定できること。そこがエヴァの凄さよ」
「でも綾波かわいかった」
「まあオレとしては新劇はもちろん素晴らしいけど、旧劇の若さも否定せんでほしい」
「やはり基本はTVであってほしい。あれがあっての新劇だからね」
「なんでや、ゲンドウかわいいやん! ユイも言ってたぞ」
「オレはあらためて大人になれない自分を突き付けられて少なからずションボリよ」
「オレはもう一度行くつもり。それくらいには好き」


2021.3.23 (Tue.)

午前中は学年で球技大会。ドッジボールにサッカーと、のびのび楽しんだようでなにより。

午後は授業だが、僕の英語科教員としての最後の授業なのであった。とはいえ特に気負うことはなく、
いつもどおりに「なぜ勉強するのよ」という話で締める(→2020.3.162020.3.17)。恒例行事で無事終了なのだ。

気持ちはすっかり社会科に向いているので淡々としたものである。でもせっかく作成して好評だった資料があるので、
機をみてフリーにダウンロードできるようにしておきましょうか。10年粘ってできた財産、死蔵するのももったいない。


2021.3.22 (Mon.)

美術室の独特の雰囲気って、あれはいったい何なんだろう。うっすらと背筋を冷やしてくる、あの雰囲気。

大掛かりな器具はなかなか買い替えることができないからか、どうしても古いものがそのまま残りがちである。
また、絵の具をはじめとして、落ちなくなった汚れがあちこちに染み付いている。埃っぽさは粘土によるものか。
机にやたらと傷が多いのは、彫刻刀の痕跡だろう。筆を洗う流し台の辺りも、どこか歪んでいて落ち着かなくて、暗い。
動かしがたい「美術室らしさ」が空間全体に固着しており、そこを満たす空気も沈着してしまっている。

ただ、そういった要素をひとつひとつ挙げていったとしても、それで説明しきれない何かがこびりついている気もする。
むしろ、一度ついた汚れを落ちなくさせるような「何か」が存在するから、美術室が独特の雰囲気に染まるのか。
ふと「情念」という言葉が思い浮かんだ。衝動が突き動かす美術、その根底には、言葉にならない情念が存在する。
この独特の雰囲気は、美術室が情念に支配されている空間だからなのか。薄暗い放課後の美術室で、そんなことを考える。


2021.3.21 (Sun.)

起きてからひたすらベッドで画像の整理。しかし昼メシを食って以降の作業、気がついたら疲れて寝ていた。

滞在時間24時間未満で、バスで東京に戻る。まあやっぱり、実家は寝てばっかりになって無益ですな。


2021.3.20 (Sat.)

午前中は部活のお別れ試合なのであった。昨年開催できなかったのでOBも参加、保護者も参加で盛り上がる。
しかし正直、現役の1年生がほとんど試合に出られないのに大人がはしゃぐのもどうなの、という気持ちもある。
まあとにかく、卒業生たちは笑顔でグラウンドを後にしたので、そこはよかった。

午後になって新宿からバスに揺られて実家に帰省。緊急事態宣言の解除は月曜からだが、許してけれ、と思う。
新年度になる前にいろいろ知らせておきたいこともあるわけで。新たな勤務先でもらった資料だけでなく、
CPAP持参で帰るあたりにその気持ちが表れているわけです。車窓から見る景色が妙に新鮮だったなあ。

実家に着いたら即、風呂へ。ずっとマスクでトイレも隔離。まあ、しょうがない。


2021.3.19 (Fri.)

卒業式でした。自分のためではなく、他人のための時間を全力で支えるのは本当に疲れる。
まあ今年はコンビを組んだ先生がものすごくがんばってくださったので、だいぶ負担は軽かったけど。
さて、ここから学校は加速度を増して消化試合モードになっていく。油断して踏みはずさないように、最後まで集中だ。


2021.3.18 (Thu.)

明日は卒業式ということで、今の中3には最後の給食である。来週にはオレもそうなるんだなあと思いつついただく。
自分には、他人のつくったふつうのメシが食えなくなることとしての影響が大きい。スープのおかわりがもうできない。

午後は卒業式の準備。コロナの影響で例年と違う事情はあるのだが、それにしても細かい動きで混乱が目立つ。
それは僕がこれまで小規模校ばかりでコンパクトな環境が当たり前で、それを基準に考えているからだと思う。
組織が大きくなると不満分子も増えるし単純に動きも悪くなるもんだなあと、ぼんやり眺めているしだい。
なんだか他人事で申し訳ないが、組織加入1年目なんてそんなものである。来年改善する機会がないってだけで。

そんなわけで、当方のカウントダウンも着実に始まっておりますよ。感傷的になっている部分がほとんどないのは、
やはり中学校という組織や中学校の教員という人種に対して本質的な興味がないからだろうな。いまだに違和感だけだ。


2021.3.17 (Wed.)

無料動画でようやく『響け!ユーフォニアム2』を見たよ。1期の感想はこちら(→2016.4.22)。

1期の第8回で「これは良い百合じゃ……。これは良い百合じゃ……。」となったが、それはみんなに効いたようで、
まあとにかく、隙あらば百合。マジで隙あらば百合。ビジネス百合が凄まじいです。新キャラなんて百合100%だし。
いや、かわいい女の子がわちゃわちゃはいいんですよ。こっちは勝手に「尊い、尊い」なんて言ってりゃいいんで。
ただ明らかに、純粋なストーリーの一環・必然性というよりも、興味を惹くための手段としての百合になっている。
キャラクターが軽いからそうなるのだ。いや、逆か。ビジネス百合だからキャラクターが軽い。軽くて嘘くせえ。
なんでもかんでも百合にしているおかげで、麗奈が滝先生と久美子を同時に狙うサイコパス感が半端ない仕上がりだ。

1期でも「人物描写が浅い」と書いたけど、結局これ、すべての人間関係が久美子を通過するところに不自然さがある。
舞台が吹奏楽部ということで、キャラクターの特徴と担当楽器の特徴が重なるというのは、実に興味深い着眼点だ。
(その姿勢をはっきり示している「黄前ちゃんはほんと、ユーフォっぽいね」というセリフも実際に出てくる。)
飼い主がペットに似てくるようなものだ。互いに引き合う何かがある、というのが楽器の面白いところである。
となれば、楽器がアンサンブルするがごとく人間関係が描かれるべきだ。つまり、群像劇となるべきなのだ。
しかしこの作品はすべてが久美子中心であり、しかも久美子は受動的な人間だ。ドラマが向こうから勝手に来てくれる。
後半には田中あすかとの関係で主体的に動くが、その転換も唐突である。いちおう姉との関係を踏まえているが、
示されるのは過去の回想であって現在の心情の変化を丁寧に追っておらず、ずっと三人称的な描き方なのである。
主人公すら三人称で動かす話なんて、群像劇から最も遠いものでないか。作者の人形遊びに付き合わされている感じ。
結局、描かれているのは久美子の周辺だけで、吹奏楽部全体の本当に面白い各パートの動きはぜんぜん描けていない。
キャラクターの抱える悩みも安直なら、久美子に叫ばせることで無理やり解決して感動させようという意図も安直だ。

と、だいぶ批判的に見ていたが、正直その最大の理由は、僕が田中あすかというキャラクターが大嫌いなことにある。
もう本当に気持ち悪くて苦手。何から何まで気持ちが悪い。メガネで頭がよくて思わせぶりで……ということで、
作者にとって都合のよい超人を造形している感じがたまらなく厭だ(すいません、僕はメガネっ娘が生理的に無理です)。
その田中あすかの弱みを直接描けばよかったのに、それをしないで久美子視点の三人称。最後まで超人の他者だった。
この作品で作者は何を描きたいのかがわからない。久美子の成長? 演奏者としての久美子の成長って、描かれていた?
大人へ向けての久美子の精神的な成長って、していた? どっちも中途半端だよね。まさか、麗奈との百合の成長かな?
最後に伏線回収の形で作品タイトルを巧くまとめたのは事実だが、これこそ本来のスタート地点だったのではないか。
そこから久美子がどう人間として、演奏者として成長するのか。田中あすかがどう影響したのか。そこを描くべきだろう。
結局のところ、吹奏楽部OG・OBに向けた自己弁護以外の何物でもなかった。僕らはただ時間の経過を見ていただけね。
吹奏楽経験者向けノスタルジーを共有できない者には時間の無駄でしかない。見てくれはきれいだけど中身のないアニメ。

一点、京都駅でのコンサートではスクェアの『宝島』が演奏されるのだが、こういうアレンジになるのね、と驚いた。
バリサクでソロって発想はすごいなあと素直に感心。ここは全力で評価しておきたい。演奏だけしてりゃよかったのにね。


2021.3.16 (Tue.)

電子書籍のマンガが割引キャンペーンということで、けっこうな散財をしてしまった。たかが電子データに。
でも古典をすぐに読める環境にしておくのは、悪いことではないんじゃないかと思う。それゆえの散財というわけだ。
要するに、以前ならばちまちま買っていた文庫版を徐々に電子化していこうか、と考えるようになったわけである。
かといってその文庫版も処分しないんだけどね(→2020.12.30)。作品へのアクセシビリティを上げたいということ。
買ったCDをすぐにMP3化するけど手放さないのと同じ感覚なのである。金がよけいにかかるのは困ることだが。
当面の目標は、『ドラえもん』を全巻電子ベースで揃えること。物理的に読み慣れたものを電子で気軽に振り返りたいね。


2021.3.15 (Mon.)

姉歯メンバー間でのSMSグループは「びゅくびゅくネットワーク」という名前なのだが(命名:ニシマッキー)、
マサルからの「シン・エヴァンゲリオン観ましたか?」というメッセージがきっかけになり、あれこれ話が進む。
そこからなぜか前田健の話になり、矢崎滋と都はるみの話になり、僕の新たな赴任先の話になるのであった。
地理をやるには一年ガマン、来年度は日本史をメインで教えるけど不安ばっかり、ということでいろいろダベるが、
そこで僕は「生徒が面白いかよりもオレが面白がれるかが問題でして」と発言した。振り返って、実に自分らしいなと。

僕はよい先生であろうとはまったく思っていないが、まず誰よりもよい学習者でありたいとは思っている。
いや、申し訳ないけど、英語については完全に情熱を失ってしまっているので、現状これは正確には当てはまらない。
しかし英語という括りをはずせば、より広い知識という点において、貪欲に吸収する姿勢は維持しているつもりだ。
まあ究極的には、どんな生徒にも負けたくないんですよ、僕は。どの生徒よりも優れた学習者でありたい、そう思う。
そこのプライドだけは今もビンビンなのである。これまでを冷静に振り返ると、それだけが僕の取り柄だったのだ。
そうして学ぶことに貪欲な姿勢を身をもって生徒に示せれば、オトナとしてそれでいいのではないかと思っているしだい。

先日、区の教員の互助会だかなんだかで図書カード5000円分をもらったので、神保町に直行した。
それで日本史の参考書を買おうと思ったけど、なかなか納得のいく本がなかった。地理なら欲しいものがあるのだが、
日本史だとない。どれもキーワードをびっしりと並べてあるような本ばかりで、似たり寄ったりなのである。
こちとら地理人間なので、図解だとか論理的な説明だとかで納得できるような本が欲しい。でもそういうものがなくて、
これが日本史の現実か、と思う。となれば、自分でやるしかあるまい。論理的な日本史を自分で考えて学ぶしかない。
そんなことを踏まえたうえでの、「生徒が面白いかよりもオレが面白がれるかが問題でして」という発言なわけである。
たいへんつらいが、自分のやりたい日本史の方向性は見えた。できるかどうかはわからん。でもやりたい方向は見えた。

とりあえず、評判のよさげな日本史の実況中継的な本をまとめ買いしてみた。まずはここから面白がってみようと思う。


2021.3.14 (Sun.)

『カメラを止めるな!』を今さら見たよ。この作品についてはネタバレはダメですね。
ネタバレにならない範囲で書こうとすると、書けることが激減してしまう。でもそれでいいと開き直れる面白さ。

この作品が最もリスペクトしているのは、トリュフォーの『アメリカの夜』ですな(→2006.4.5)。
「どうなるの?」を二重に引っ張っている構造なのが巧い。ミステリ的答え合わせを上手に機能させていると思う。
最後のスタッフロールまでお見事。めちゃくちゃ面白いというよりは、しっかり面白い作品。本当によくできている。
一時期カメ止め俳優さんたちがもてはやされたけど、そういう一次と二次のブレをくすぐってくるクオリティだ。
低予算でも面白いものをつくれる、ということを示した点では歴代トップクラスの作品なのは間違いないだろう。
むしろ全体に漂っている「低予算だから」という雰囲気が、リアリティをもたらして面白さの源泉になっているけどね。

……これ以上書けない。あれこれ言うより、とにかく見て楽しめって作品なのだ。完成度が高いってことだね。


2021.3.13 (Sat.)

本日は合唱コンクール。練習期間は10日ほどしかなかったのだが、どの学年どのクラスもよくがんばった。
しかし3年は合唱が上手いと評判だったが、本当に上手かった。これを1年に直接聴かせて鼻をへし折りたかったなあ。
今回は学年ごとに体育館に交代で入り、他学年の合唱についてはリモート中継で見学という形だったのだ。
(保護者には編集した動画を後からYouTubeで配信。IT化を強いられる時代に一気になりましたなあ。)
合唱隊形もディスタンスということで前後に距離をとり、マスクもつけ、めちゃくちゃ歌いづらかったはずである。
校外学習も入って空前絶後の逆境だったが、無事にやり遂げられて何より。末永く伝説として面白がっていただきたい。

ちなみに各学年の上位は僕が予想したとおりだった。好みがズレていないことにホッと一安心。無難な男である。


2021.3.12 (Fri.)

昨日の校外学習で東京タワー大神宮を見て、ああそうだった、あったあった、となる。スマホのカメラで撮影した。

  
L: メインデッキ2階にこんな感じで鎮座する。  C: 失礼して正面から撮影。  R: フットタウン3階の売店に御守あり。

東京タワーを経営する日本電波塔が、創立20周年を記念して1977年に創建。芝だから勧請元は芝大神宮かなと思ったら、
しっかり伊勢神宮からの勧請なのであった。おととしの展望台の改修にあたって新たに社殿をつくり直したそうだ。
ちなみに東京23区で最も高いところにある神社……って、当たり前やないかい。なお、御朱印をもらうには、
メインデッキの展望チケットが必要となる。御守はチケットがなくても頂戴できるので、後日頂戴に行くつもり。
(緊急事態宣言の関係で平日は午後にならないと売店が開かず、昨日は御守を頂戴することができなかったのだ。)



2021.3.10 (Wed.)

千葉県知事選挙の政見放送がR-1グランプリを超えるネタの披露会になっていて、批判が巻き起こっている。
まあ、わかる。ここ最近、品のない動きもいろいろあったし(→2020.6.28)、批判したくなる気持ちは実に正しい。

しかしここは冷静に、批判の矛先や方法をきちんと選ばないといけない。ここは民主主義の国なのだ。
まず候補者。批判はきちんと投票という形で表明すればいいだけのこと。彼らの主張が気に入らないからといって、
それを制限するのは民主主義ではない。他者を害さない限り、思想や表現の自由は認められなければならないのである。
次に現状の選挙のシステム。供託金を上げるべきという見解は筋違い。問題の本質は金額の大小にあるのではない。
むしろそれは政治を一般市民から遠ざける結果となるだろう。既得権益を守る動きだけが強まる結果になるはずだ。
そもそもこのような事態は今に始まったことではなく、昔っから困った主張をする個人や政党は存在していたものだ。
それを今になって問題視して供託金を上げようとか、むしろ金権政治をやりたい政党の回し者なんじゃないの?
当然、政見放送の内容に検閲を入れようなんて考えは、民主主義から最も遠い行為だ。立候補者の良識を信じるしかない。
面白おかしく報じるマスコミがけしからんという人は、しょうがない、ニュースの受け手がけしからんからそうなる。
前にも書いたが、マスコミは一方通行で情報を垂れ流す存在である。ボールは受け手のわれわれの側にある(→2020.4.8)。
われわれが良質な情報だけを相手にすればよく、情報を遮断しろと主張するのは、実は最も客観性を欠いた思考である。
安易なマスコミ批判は自由への挑戦でしかない。誰かを悪者にするのは簡単だけど、そのこと自体が悪者のやり口なのだ。
自分と違う見解を報じるからって文句を言いなさんなということ。あなたの正義を他人に押し付けなさんなということ。
そんなわけで、あなたがた本当に社会・公民を勉強したのかね、と言いたくなる意見が渦巻いていて悲しくなってしまう。

つまるところ、民主主義の担い手としての知識・意識・教養が足りないのである。政治の問題を「他者の問題」と捉え、
「自分たちの問題」として捉えないから、安易かつ民主主義的でない解決策に走る。そしてそれに気づくことができない。
困った候補者が出たところで動じることなく、自分の一票を毅然と行使すればよいだけなのだ。本当にただそれだけだ。
政治の「政」は「まつりごと」、もともと「祀る」「祭る」から来ている言葉である。お祭りなのは、しょうがない。
アメリカ大統領選挙なんてまさに民主主義の祭典ではないか。大切に保持してきた一票を投じる、何年かに一度の祭り。
それで羽目をはずす人が出ても、落ち着いて対処するのが大人ってもんだろう。選挙権は大人だけのものなんでしょ?


2021.3.9 (Tue.)

今週は勝負の一週間であります。自粛やら緊急事態宣言やらで、なんと各学年の校外学習が同じ週に入るという事態に。
しかも週末には合唱コンクールである。こんな修羅場、二度とあってたまるか。いや、究極のイレギュラーである。
個人的には移籍についての面接から週がスタートしたので、よけいに「勝負の一週間」の色合いが濃いってわけでして。
まあ人間、忙しいときの方がかえって集中力が増して充実した内容を残せるものである。そう信じてがんばろう。


2021.3.8 (Mon.)

3年生の授業が終わって多少の余裕ができたので、午前中に来月からの職場で面接してきた。
雨の中、今まで降りたことのない京急の駅から徒歩20分。家からしっかりと遠い。雨が降っていることもあるし、
英語についての不安もあるし、ひたすら坂だし、よけいに道のりを遠く感じる。でもやれる範囲でやるしかないのである。

いざ面接が始まると、やはり国際バカロレアのプログラムも担当とのこと。昨年11月に見学したやつだ(→2020.11.30)。
ただし授業は日本語でやるということでやや安堵。とはいえ話を聞くに、バカロレアは欧米中心主義だなあと思う。
『タモリ倶楽部』の地理教師の回で覚悟していたが、地理を誰もとらないので(単位制)、やっぱり開講せず。
それで日本史Bメインでやってくれとのこと。オレ理系だったから、高校で日本史習ってないんですけどぉー!
まあ国内旅行の写真が大量にあるので、それを元ネタとしてやっていくか……。旅行で前よりは日本史に詳しくなったし。
部活はパントマイム部顧問になるっぽい。が〜まるちょば、ピンになっちゃったんだけど! パントマイム部って、
野田クリスタルの影響かな? 全身黒タイツの「シャドウ」のネタを見て、野田クリスタルをけっこう見直した。
まあとにかく、新年度になってみないとわからないことだらけ。ポジティヴにしぶとく生き抜いていくしかない。
面接が終わって今の職場に戻るのに時間がかかって大変だった。やっぱり神奈川県は遠いわ。引っ越しどうしよう……。

なお、学校は女子が75%くらいとのことで、非常に怖い。女子高生怖い。ここらで一杯、濃いお茶が怖い。


2021.3.7 (Sun.)

母方の伯父(長兄)が亡くなったとのこと。母と歳が離れていることもあり幼少期の僕はあまり懐いてはいなかったが、
お互い照れくさい感じがあったのははっきりわかる。大学時代に山岳部に所属しておりとてつもない大怪我をしたが回復、
地元に戻って土建会社を経営して成功、息子を街でいちばん稼ぐ歯医者にするなどエネルギッシュな人だったなあと思う。
でもかつて手塚治虫の影響を受けた少女漫画を描いて単行本を何冊も出していた事実は衝撃的だった。ツン子! ツン子!
父方からアーティスティックな血はたっぷり受け継いだが、母方の血もなかなかだったなあとあらためて思うしだい。

透析で入院中に新型コロナに感染したというのは初耳。回復したけど亡くなってしまったと。まあ89歳なので大往生だ。
ご冥福をお祈りいたします。うーん、やっぱり淋しいなあ。しかしあらためて新型コロナが他人事じゃなくなったなあ。


2021.3.6 (Sat.)

午前中の部活が終わって、五反田へ出る。最近、ここで昼メシと電源を確保しての日記執筆が可能なことがわかり、
それでひたすらがんばる。『危機の二十年』のレヴューが本当に重い。とにかく厚いのでチェックしていくのが大変。
今日はなんとか書き出し作業を終えたが、これを要領よくまとめていくのがまた大変。明日もまたひたすらがんばるよ。


2021.3.5 (Fri.)

緊急事態宣言の延長でも、現場はもう慣れたもので、書類をささっとつくって対応。
それよりも来週には校外学習と合唱コンクールが一気に来るので、それらの準備だけで十分に忙しいのだ。
一方、英語の授業は英作文と発表モード。しかし個別の質問に素早く答えなくちゃいけないので、これが疲れる。
何がなんだかよくわからないままに一日が過ぎていく。このままドサクサ感満載で突き抜けていくんだろうなあ。


2021.3.4 (Thu.)

英語の先生ということで、卒業間際の生徒に英語の格言を送ることがたまにあるわけです。
そういえば昨年は学年末テストに簡単なものを和訳問題として出したっけ(→2020.2.26)。

次の英語の名言を、自分なりの言葉でかまわないので日本語に訳しなさい。[理解:2点×5]
(1) To live is to think. (Marcus Tullius Cicero)
(2) A problem is your chance to do your best. (Duke Ellington)
(3) You’ll never find a rainbow if you’re looking down. (Charles Chaplin)
(4) If you haven’t cried, your eyes can’t be beautiful. (Sophia Loren)
(5) Love the life you live. Live the life you love. (Bob Marley)

今年の3年生とはあまり馴染めなかった印象だが、エマーソン(Ralf Waldo Emerson)の言葉を送ったのであった。
曰く、“The only way to have a friend is to be one.”――「友達欲しけりゃまずお前がその友達になれよ」と。
成績ばっかり気にしてんじゃねえぞ、学校は勉強するところである以前に友達つくるところだぞ、
いい学校に入学したところで性格悪けりゃ頼れる友達はできねえぞ、という懸念があるときに出す言葉である。
いや別に彼らは性格が悪いわけではなかったけど、成績ばかり気にして枠にはまって小さくまとまっていたので。

僕が最もよく引用するのはチャーチル(Sir Winston Churchill)の言葉で、
“To improve is to change; to be perfect is to change often.”である。どこかのサッカーサイトで見つけた。
「向上とは変化することである。完璧とは変化し続けることである」という訳がついていて、それがなかなかよい。
僕自身は変わり映えのしない毎日を送っていて、大胆な変化を拒否して今に至っているので、自戒を込めての言葉だ。
もっとも、ほかの人から見ればこのたびの転職活動はchange oftenそのものなんだろうけどね。性根は変わらんのよ。

究極はやっぱり、モンティ・パイソンのThe Meaning of Lifeだろう。
“Try and be nice to people, avoid eating fat, read a good book every now and then, get some walking in,
and try and live together in peace and harmony with people of all creeds and nations.”
「(人生の意味とは……)健康に気をつけ、良書をよく読み、全ての人と仲良くすること」
というたいへんざっくりした訳がDVDにはついていたが、さすがはパイソンズ、究極を見事に言い切ってくれる。

高校レヴェルだといい感じの格言がいくらでもあるのだが、中学レヴェルだと少々難しい。まあそれも勉強なんだよね。


2021.3.3 (Wed.)

放送委員会のリクエストでAKBグループというか坂道系の曲を流すことがあるけど、みんな同じじゃねえかと呆れている。
10年くらい前からずっと思っていたが、こいつら全然ハモらないよね。ぜんぶユニゾンだけの歌とか、劣化も甚だしい。
結局これ、メンバーを固定化できない、もっと言うと使い捨てだから、パートを分けていられない、ってことでもある。
歌謡曲からJ-Popへの道のりは、音楽的には少なからず劣化の歴史ではないかと最近あらためて思っているのだが、
研ぎ澄まされたプロフェッショナルの仕事であるはずのアイドルソング(→2013.9.11)も、いよいよここまで来たかと。
ハモることすらできないとは、音楽性のかけらもない。そりゃあ昭和歌謡のリヴァイヴァルも当然だよなと思う。


2021.3.2 (Tue.)

学年の打ち合わせで今後のスケジュールを確認したのだが、一日として隙がない感じ。いや、これは本当に恐ろしい。
それとは別にレギュラー授業があり、また僕個人でやらなくちゃいけないこともあって、同時進行の対象が多すぎる。
無事に春休みまでたどり着けるのだろうか。そして4月からは落ち着いた心を維持できるのだろうか。不安しかない。


2021.3.1 (Mon.)

最後の1ヶ月が始まった。しかし今月はイヴェントが目白押しで、今日はその影響もあって休みがほとんどなかった。
こんな感じでドタバタしたまま春休みまで行ってしまうのだろうか。行ってしまうんだろうなあ。着実にがんばろう。


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