diary 2021.3.

diary 2021.4.


2021.3.31 (Wed.)

あまりにも荷物が多くて、昼飯がてら家と学校を往復する破目に。最後の最後で礼服とスーツがデカかったなあ。

年度末ということで最後まで残っている皆様は少なかったのだが、笑顔で見送っていただけたのはありがたい。
校長からは何度か「損失」という言葉をいただいたのも、まあそういうお世辞を言われる程度には働けたのかなと。
異動してきてたった1年で去るというのは、あまり貢献できずにただ迷惑をかけただけという印象になってしまうが、
それでも気持ちよく送り出していただけて、僕としては感謝しかございません。本当にありがとうございました。

しかし一度も学級担任をやることなく11年の中学校教員生活を終えるとは……。逃 げ お お せ た


2021.3.30 (Tue.)

旅行から日常に戻って、職場の片付け作業を開始する。今回はプリント類や本などの資料をかなり強引に断捨離。
英語サヨウナラ、中学サヨウナラということでバンバン処理して、送り出す荷物をダンボール箱1個に抑え込んだ。
しかし文具類が意外と大量で、ここで難儀。何でももったいないと思ってしまう悪癖が出て苦しんでおります。

午後は歯医者に行って睡眠時無呼吸症候群の医者に行って、そのまま明日職場で配る菓子を見繕う。
結局はどら焼きにしたのだが、どら焼き40個はたいへん重い。冷静に考えると当たり前か。あんこは重い(→2018.2.26)。

買い物を終えるとカフェに寄って昨日までの旅行の写真整理に取り組む。相変わらず中身の濃い旅行だなあとしみじみ。
それにしても、今回の旅程みたいな天才的な組み方を自慢できる相手が周りに誰ひとりいないのが、ちょっと虚しい。
日田から中津に出るルートを採用することで耶馬渓でのサイクリングを組み込むとか、凄くないかい? 凄いでしょ?
市役所めぐりと神社めぐりと観光地めぐりを、本当に無駄なくかなり合理的に実現できていると思うんだけどなあ。
あともうひとつ思うのが、自分は写真が上手いのかどうなのか。そもそも「写真が上手い」とはどういうことなのか、
正直自分でもよくわかっていないのだが、被写体の魅力をかなりきちんと表現できているのではないかと思っている。
それについての感想をもらったことがまったくないので、自信が持てないでいるのだ。僕は写真が上手いんですかね?
上手いと思った人は、素直にびゅく仙にその旨を伝えましょう。写真については本当によくわからないままだなあ。



2021.3.27 (Sat.)

4日間の春休み旅行、2日目である。本日は津久見市と臼杵市がテーマで、まずは朝から津久見市内を動きまわる。
昨日の津久見駅のホームでも印象的だったミカンだが、街中には津久見市公認キャラクター「つくみん」がいっぱい。

  
L: 見るからにガソリンスタンドを改装している、JAの直売所・のぞみ市場 だんだん。つくみんが描かれている。
C: つくみんは津久見みかんから生まれた妖精とのこと。  R: その名も「つくみん公園」にて。

津久見駅からまっすぐ北に行った津久見港には、その名もなんと「つくみん公園」が整備されている。
2004年4月にオープンしたそうだが、広い芝生に「海遊王国」をテーマとした大型の遊具が置かれている。
そして港の向かい側は太平洋セメントの大分工場となっており、無骨なプラントが並んで実に壮観である。
むしろこっちの方が石灰石を産出するリアス海岸の港町という津久見の本質を教えてくれる光景だろう。

  
L: つくみん公園の大型遊具。子どもは大興奮だろうなあ。  C: 高くなっている敷地西端から見た工業地帯。
R: 太平洋セメントの大分工場がよく見える。津久見市は「セメント町」という町名があるくらいにセメントの街なのだ。

  
L: 津久見駅北口のサンロード中央商店街。昭和の雰囲気が漂うが、さすがにだいぶ弱っている印象。
C: 駅前通り。津久見の街は駅の北が商店街、南が住宅地とはっきり分かれている。  R: 津久見駅。

さて津久見といったらヤクルトファンには川崎憲次郎だ。川崎は佐伯市の出身だが津久見高校からドラフト1位で入団。
僕がファンになった1992年は故障で全休だったが、翌年に大活躍して日本一に貢献。野村ヤクルトの勝ち頭だ(→2020.2.18)。
こんな小さい街の高校で甲子園に出場してヤクルトのエースになったのか、と思うとなかなかびっくりである。
なお津久見高校出身のプロ野球選手は他にも高橋直樹、大田卓司、鉄平といった面々がいる。すごいものである。

  
L: 駅前ロータリーの中心には大友宗麟像。津久見は大友宗麟終焉の地なのだ。  C: 津久見の観光ガイドマップ。つくみん大暴れ。
R: 南口へ向かう跨線橋には津久見高校をアピールする横断幕が。津久見高校には「つっくん」というゆるキャラがいるようだ。

跨線橋で日豊本線の南側へと移動するが、弱りながらも商店街があった北側と比べると完全に住宅地となっており、
雰囲気の変わりように驚く。まあリアス海岸だから、奥まっている方が津波を避けて住宅になるのは理解できるが。
おそらく津久見川に沿って埋め立てが進んでいき、石灰石が産出する勢いで経済規模が「市」レヴェルに至ったのだろう。
津久見市役所があるのは宮本町の西寄りで、その「宮」とは赤八幡社のことである。まずはそちらを参拝する。

  
L: 日豊本線沿いの道路に鳥居。  C: 鳥居をくぐると津久見市営グラウンド。赤八幡社は右手で、左は津久見市役所。
R: 表参道はグラウンドと反対の南側。そちらから見た赤八幡社は、さすが旧県社にふさわしい堂々たる風格である。

赤八幡社は「閼伽八幡社」とも書くようだが、1190(建久元)年に石清水八幡宮からの勧請により創建された。
1586(天正14)年には大友軍の兵火で焼けたそうだが、江戸時代には佐伯藩主の毛利氏の庇護を受けていた。
運よく宮司さんから話を伺うことができて、隣接する広大な市営グラウンドは、かつて赤八幡社の神田だったそうだ。
現在の社殿は1856(安政3)年の築で、彫刻が見事な楼門は1916(大正5)年の建立で宮大工最後の時代のものとのこと。
楼門は鳥居側(外側、南面)と拝殿側(内側、北面)の両方とも唐破風の上に千鳥破風が載っている造りとなっているが、
鳥居側にはお多福の顔、拝殿側には天狗の顔が中央に飾られている。なんとなく「鬼は外、福は内」を思わせる工夫である。

  
L: 参道を進んで赤八幡社の楼門。  C: 破風の中央には確かにお多福が。  R: 楼門を抜けて振り返ったところ。

  
L: こちらは天狗。たいへん粋なものである。楼門は津久見市の指定文化財だが、そのうち国の重文になるんじゃないか。
C: 拝殿。幅が広くて瓦屋根、向拝付きなのが寺のお堂っぽい。そもそも「閼伽」というのが仏教用語だが。  R: 本殿。

御守を頂戴してすぐ脇の津久見市役所へ。宮司さんによると、先代の津久見市役所は山の麓にあったそうで、
もともと中学校だったこちらに新築移転したとのこと。津久見市役所の竣工は1958年で、設計は日建設計工務。
そう、僕の大好きな1950年代キレキレ日建設計(→2008.4.232009.1.92013.2.242014.7.232017.8.6)の作品なのだ。
老朽化により建て替えの話が進んでおり、それでこの春休みに慌ててやってきたというわけである。間に合ったぜ!

  
L: キレキレ日建設計による津久見市役所。手前が本館で奥が別館だが、ともに1958年の竣工である。
C: 本館をクローズアップ。同じ日建設計の日南市役所にそっくり(→2017.8.21)。  R: いかにも昭和なエントランス。

  
L: 中を覗き込んだところ。 1950年代の庁舎にしてはかなり広々としており天井もきれい。最近改修されたのではないかと思う。
C: グラウンド越しに眺める津久見市役所。こうやってしっかりと全体を眺められるのはありがたい。端正で美しいなあ。
R: 角度を変えて撮影。なお上部には「祝 津久見高校硬式野球部 2020大分県高等学校野球大会 優勝」の横断幕が張られている。

グラウンド越しに建物の正面をまっすぐ見据えることができるのはありがたいが、それ以外のアングルはなかなか苦しい。
そこはやはり、リアス海岸の街の古い市役所なのだ。どうにか意地で撮影していくが、正直なかなかつらいのであった。

  
L: 本館の西側の側面。  C: 裏にまわり込んだところ。  R: まっすぐ見るとこうなる。うーん、モダン。

  
L: 本館と別館をつなぐ連絡通路がたいへんにモダン。さすがの日建設計だぜ。  C: 右を向いて別館に接続している部分。
R: 本館の裏、別館と並んで1976年竣工の新館。こちらには社会福祉課(社会福祉事務所)と大会議室が入っているようだ。

  
L: 本館、東側の側面。  C: 東側から見た本館と別館の連絡通路。  R: 別館の東側の側面。やはり凝っている。

  
L: 別館を南側から見たところ。  C: 別館の背面、南西から。  R: その奥、新館の背面。これで一周完了とするのだ。

いい天気の下でしっかりと記録を残せてうれしい。満足して津久見を後にすると、次のリアス港である臼杵で下車。
臼杵市役所は10年前に訪れているが(→2011.8.12)、神社には参拝していないので今回はそのリヴェンジとなる。

  
L: 臼杵駅のホームにて。10年前にはなかった気がする。ハートマークを「すき」と読ませるわけだ。右下は「かみう・すき」。
C: 駅前ロータリーの臼杵磨崖仏レプリカ。  R: 市役所へ向かう途中にある卯寅稲荷神社の鳥居。なんだか横長である。

駅からまっすぐ北上して、まずは臼杵市役所へ。10年前とまったく変わらない姿で安心するのであった。
臼杵市役所は梓建築事務所の設計で1974年に竣工。場所も津波に弱い海辺で、新築移転の話が出そうな気がするが。

  
L: 臼杵市役所。左が西館、右が東館。  C: まずは東館から見ていく。  R: 正面から見たところ。

  
L: 南東から。  C: 東側の側面。  R: 北東から。敷地に余裕があって前も後ろも駐車場だらけですな。

  
L: 東館の背面。  C: 西館の背面は公用車の駐車場で見づらいのでスルー。こちらは西館の西側の側面。
R: 南西から見た西館。臼杵市役所の東館は事務系に特化しており、窓口と議会は西館に集められている。

  
L: 西館を南から。  C: 南東から見た西館。これにて一周完了。  R: 後で臼杵城址の本丸跡から見た市役所。

撮影を終えると臼杵城址の臼杵公園をかするように西へと移動。そうして臼杵川の手前にある臼杵八坂神社に参拝する。
もともとは奥州の磐前郡鶴ヶ峰(現:いわき市)に鎮座していたが、後三年の役を避けて海路はるばる臼杵にやってきた。
しかしキリシタン大名となった大友宗麟が神社仏閣を徹底的に破壊したため、一時は飫肥にまで避難したという。
大友氏が改易された後、臼杵城の三の丸だった現在地に戻ってきた。これだけ徹底的に争いを避けてきた神社は珍しい。

  
L: 臼杵八坂神社の参道。手前に臼杵藩主・稲葉家の旧下屋敷などがある。  C: 境内入口。  R: 横参道で右を向くと拝殿。

  
L: 1776(安永5)年築の本殿は大分県指定有形文化財。施されている彫刻がたいへん立派である。
C: 摂社。八幡社と愛宕社をまとめて「The 摂社」としている模様。  R: 灯が独特な本護稲荷社。

 臼杵川の中州にはフンドーキン醤油の本社工場がそびえている。

御守を頂戴すると、臼杵川沿いに南下して福良天満宮へ。もともとは1600年ごろに創建された称名寺という寺で、
周防に移った菅原道真の子孫が祀っていた天神像を臼杵藩主・稲葉典通(一鉄の孫)が称名寺に遷座させた経緯がある。

  
L: 臼杵川沿いの県道33号に面している福良天満宮の入口。  C: 境内は高台にあり、かなりしっかりした石垣で整備されている。
R: 拝殿。明治の神仏分離で神社となったが、現在はあまり寺っぽさを感じさせない。参道がまっすぐでないのは神社らしくないが。

さて福良天満宮では「赤猫」が大々的にフィーチャーされている。もともと「赤猫」とは放火魔を指す言葉だそうで、
火事の後には何も残らないことから、「自分たちの商売を食い荒らす連中」という意味を込めた蔑称だったそうだ。
特に「赤猫」呼ばわりされていたのが明治期の商人・大塚幸兵衛で、実業家・政治家として活躍し、慈善事業も行った。
その幸兵衛をはじめ臼杵商人を祭神として祀ったのが招霊(おがたま)赤猫社で、赤い招き猫が置かれている。
そんなわけで御守も赤猫をはじめ猫デザインのものが多数。お世話になった先生が猫好きなので、その方の分も頂戴する。

  
L: 招霊赤猫社。1999年創建と歴史は新しめ。奥は福猫たまりの井戸で、赤猫を描いた石やらなんやらが多数置いてある。
C: 1895(明治28)年築の福良天満宮本殿。  R: 境内社の愛宕神社(左)と瑜伽神社(右)。愛宕神社は大塚幸兵衛が信仰。

二王座経由で臼杵城址方面へと戻る。やはり10年前にも歩いたが(→2011.8.12)、城下町らしい雰囲気がよく残る。
かつて臼杵八坂神社は避難前にはこの辺りに鎮座しており、仁王門があったことから二王座という地名になったという。

  
L: 坂の入口にある金毘羅水。  C: 二王座歴史の道は石畳の坂道。  R: しっかりと武家地である。

北側の「八町大路」こと中央通り商店街に出て、軽く往復してみる。石畳の道に土蔵造りの店舗が点在するなど、
こちらもまた城下町らしい歴史を感じさせる。そんな中に「サーラ・デ・うすき」という観光案内や情報発信の施設があり、
なかなかの異彩を放っているのであった。大友宗麟が本拠地としたからって、はしゃぎすぎであるような気がするが。
対照的に「鑰屋(かぎや)」ことカニ醤油は、主屋が1877(明治10)年、西店舗が江戸末期築の国登録有形文化財。
稲葉貞道(一鉄の次男で嫡男)とともに臼杵に来た可児傳右衛門が1600(慶長5)年に創業した老舗である。

  
L: 「八町大路」こと中央通り商店街。  C: カニ醤油。壁の色は戦時中にB-29の目標になるのを避けるため、墨で塗った名残り。
R: サーラ・デ・うすき。「サーラ」はポルトガル語で居間のこと。中庭を囲む複数の建物からなる多目的交流施設。

そんなこんなで臼杵城址の臼杵公園に到着。10年前にも歩きまわったが(→2011.8.12)、今回もやっぱり歩いてみる。
桜のシーズンど真ん中ということで、臼杵城址桜まつりが開催中。多くの来園者で賑わっていたのであった。
二の丸跡は臼杵護国神社にグラウンドと、かなり広い。その一角には大友宗麟公の碑があり、レリーフが飾られている。
日本サッカー協会の八咫烏のデザインでおなじみの日名子実三の作品だが、戦時中に供出されて現在のものはレプリカだと。

  
L: 西側の大手門公園から見た臼杵城址。  C: いざ古橋口から登城である。  R: 南西端の井楼櫓跡。

  
L: 大門櫓から二の丸跡方面へと向かう。臼杵城址はしっかりと公園の雰囲気に整備されている。桜がいいですなあ。
C: 大友宗麟公の碑。日名子実三は臼杵の城下町出身。  R: 臼杵護国神社。一鉄を含む歴代臼杵藩主を祀る稲葉神社を合祀。

  
L: 広大なグラウンドと桜。  C: 本丸跡の桜の下を抜ける。  R: 本丸北西端にある天守櫓跡。

本丸の南側には卯寅(うとの)稲荷神社。さっきの鳥居からはだいぶ離れているが、こちらがその本体ということになる。
1562(永禄5)年に大友宗麟が丹生島城を築城した際に創建された。現在の社殿は1985年に建てられたものだそうだ。

  
L: 卯寅稲荷神社。  C: 本丸方面を眺める。城だけどそれ以上に公園らしい雰囲気。  R: 卯寅口。

以上で臼杵の街歩きを完了とする。臼杵駅に戻って日豊本線をさらに北上し、大分市域に入って最初の幸崎駅で下車する。
すると駅前に佐賀関行きのバスがやってきた。というわけで、本日の後半は佐賀関を目指すのだ。国道197号を東へ行く。
バスは佐賀関港のフェリーターミナルよりもさらにその先、佐賀関市民センターで停車した。こちらがバスの終点なのだ。

さて佐賀関といったら関アジか関サバか、とにかく青魚が有名である。是非とも本場で食ってみたいではないか。
近くに食堂は1軒だけで、まあ迷う必要がないのはいいのだが、飛び込んで名物の「りゅうきゅう丼」をいただいた。
「りゅうきゅう」とは新鮮な魚の刺身をゴマ・ショウガ入りの漬け汁に浸したもので、もともとは漁師たちのまかない料理。
名前の由来は、調理法が琉球から伝えられたからだとか。残念なことにこの日は青魚の入荷がなく、魚は鯛なのであった。
鯛よりも青魚の方がいい!というのも変な話であるが、アジかサバがよかったなあと思いつつも大変おいしくいただいた。

 
L: 佐賀関市民センター。役場機能のほか、図書館や子ども向けのスペースなどが入っている。
R: りゅうきゅう丼。鯛なんだから旨いに決まっている。新鮮な青魚でどれくらい旨いか味わいたかった。

とにかく栄養を補給してやる気を充填できた。ここからが勝負なのだ。佐賀関を代表する神社である、早吸日女神社に参拝。
豊後水道はかつて「速吸の瀬戸」といい、潮の流れを鎮めるために海底に住みついた大蛸が神剣を守っていたという。
紀元前667年、即位前の神武天皇が東征の際にこちらを訪れると、海女の姉妹が大蛸から神剣をもらい受けて神武天皇に献上。
その神剣を御神体として神武天皇が創建したのが早吸日女神社である。なおこちらの神職さんはタコを一切食べないそうで、
参拝客もタコの絵を奉納して一定期間タコを食べない「蛸断ち祈願」を行っているとのこと。独特な伝承のある神社は面白い。

  
L: 早吸日女神社。「関の権現様」として篤く信仰されており、昔から地域の核になっているのがわかる規模である。
C: 総門。1697(元禄10)年に熊本藩主・細川綱利が建立。「神門」ではなく「総門」なのが神仏習合的で、歴史を感じさせる。
R: 総門を抜けて境内を行く。早吸日女神社の境内は山裾という立地だが、奥行きをしっかり持たせているのがさすがである。

  
L: 参道の先には境内社の伊邪那伎社。  C: 伊邪那伎社をクローズアップ。  R: 早吸日女神社の社殿はその右手奥になる。

参道を進んだ先は境内社の伊邪那伎社で、拝殿と本殿はそこから右手に入ったさらに奥にある。
拝殿は擬宝珠の銘から1850(嘉永3)年の建立と考えられるが、非常に幅が広く正面からだとカメラの視野に収まらない。
特筆すべきは瓦の装飾で、この地方に伝わる技法「青海波唐破風」によってつくられており、ものすごく凝っている。
千鳥破風の大棟瓦には獅子やら虎やらが載っており、その手前にある唐破風の向拝は中央にきわめて精密につくられた龍、
向かって右に亀に乗った浦島太郎、左の三重塔は竜宮城。またこの唐破風の前面に施されている渦の表現が実に美しい。

  
L: 拝殿。彫刻も見事だが、それ以上に瓦のクオリティが凄まじい。これはもっとアピールした方がいいんじゃないでしょうか。
C: 本殿。1763(宝暦13)年に熊本藩主・細川重賢により再建。千木の先端の切り方を垂直と水平で交互にしているのが独特。
R: 拝殿の反対側にある神楽殿。現在のものは1808(文化5)年築の衛士所を改装したもの。よく見ると断面が八角形の柱である。

御守を頂戴すると、いよいよ関崎の先端を目指す。早吸日女神社からだと約5kmの距離があるが、徒歩で行くしかないのだ。
JX金属の製錬所の脇を通り、山の中に入っていく。あとはひたすら、くねる山道を行く。覚悟はできているので淡々と歩く。

 
L: 県道635号の坂道を歩きながらJX金属佐賀関製錬所の煙突を眺める。  R: 道はこんな感じである。まあ毎度のことです。

けっこう早いペースで歩いたようで、関埼灯台への入口にある関崎稲荷大明神の鳥居まで45分ほどなのであった。
残念なのは空がだんだん曇ってきたことで、佐田岬がすっきり見渡せると絶景なのだが、なかなか難しい感じに。

  
L: 県道635号から関埼灯台へと入る目印となっている関崎稲荷の鳥居。  C: 関埼灯台への道。  R: 敷地入口。門柱に擬宝珠。

それでもとにかく歩を進め、関埼灯台の前に出た。1901(明治34)年に初点灯した、大分県最古の灯台である。
躯体すべてが鉄でつくられている現役灯台は全国で4基あるそうだが、そのひとつ。鉄板リベット留めが歴史を感じさせる。

  
L: 関埼灯台。  C: 石段を上がると全身鉄板リベット留めの見事な姿。  R: 角度を変えて眺める。

  
L: 背面というか海側にまわり込む。  C: そこから眺めた関崎の先っちょと佐田岬(左奥にうっすら)。右手前は高島。
R: 南側を眺めたところ。うっすらとリアスな海岸線が見える。大分県は南北で海岸線がだいぶ違う。岩手県みたいね。

  
L: 「波除地蔵」こと関崎地蔵。ここで激しい風波に遭った役小角が地蔵菩薩に助けられたそうで、養老年間から置かれている。
C: 灯台から少し北に入ったところに関崎稲荷大明神。かつて神馬を救った安産の守護神とのこと。   R: だいぶ激しく傷んでいる。

関埼灯台の西側、一段高いところに関崎海星館がある。その名のとおり海と星を見ることができる複合施設で、
平日は18時、金・土・日・祝日&8月はなんと22時までやっている。天体望遠鏡があり、夜空をじっくり観察できるのだ。
さすがに夜まで滞在したら帰れないし、そもそも曇り空だしで、敷地の奥にある庭から佐田岬を眺めて過ごすのであった。
なお、関崎海星館の売店には宇宙グッズが多数あり、860円で隕石御守を売っていた。中身は本物の隕石。買わいでか!

  
L: 関崎海星館。展示ホールでは宇宙について学べるが、基本的にはお子様向けな印象。夜に天体望遠鏡を味わうのが正しそう。
C: 裏手の庭から眺める佐田岬と高島。佐田岬は行ってみたいけど先っちょまでクソ長いのがなあ……。  R: 関埼灯台を見下ろす。

曇り空ではあったものの、満足感に浸りつつ関崎海星館を後にする。えっちらおっちら来た道を戻って佐賀関の中心部へ。
佐賀関市民センターからバスに揺られて幸崎駅まで戻るのであった。そうして大分駅に到着。なかなかの大冒険であった。
大分駅ではどうしても関アジか関サバを食べたかったが結局ダメで、次善の策ということで、とり天定食をいただいた。

 旨いんだけど悔しい。いつか関アジか関サバを食べたいものだ。

本日の宿は別府なのだ。大分は県庁所在地のくせに意外と安宿が貧相で、別府の方が充実しているのだ。さすが温泉地。
いつも竹瓦温泉なんだけど、今回は趣向を変えて駅前高等温泉にお邪魔する。やはり一度はきちんと浸かっておかないと。
ヨーロッパ風の建物でインパクトがあるが、1924(大正13)年に地元住民の寄付で建てられており、マジもんの大正ロマン。

 
L: 駅前高等温泉。「高等」って響きがいいなあと思う。  R: 中もしっかり大正ロマンなのであった。

温泉に浸かって疲れをしっかりと癒やすことができた。そんでもって明日は由布院温泉だもんね。興奮しつつ寝る。


2021.3.26 (Fri.)

今年の春休みの旅行は土日を挟んだ4日間なのだ。正直まだちょっとコロナの後ろめたさがあるけど、
移籍が完了したら何がどうなるかわからないので、行けるうちに行っておく。今回は宮崎から大分の市役所をつぶしていく。

  
L: 羽田空港。  C: 横浜。手前にベイブリッジ。  R: 本牧と根岸湾。奥の方に4月からの勤務先がある……はず。

  
L: 上空からはっきりわかる鎌倉。  C: 右に山中湖、左に富士山。  R: 宝永火口と山頂。

  
L: 知多半島。  C: 十津川村上空って言っておけばだいたいOK。広いから。  R: 田辺市上空。

恒例の航空写真を撮ったり意識を失って爆睡したりしつつ、なんだかんだで宮崎空港に到着。
今回は宮崎市はスルーして、特急にちりんで日向市まで行ってしまう。テゲバジャーロ宮崎がJ3入りしたが、
日程が合わなかったので観戦はまた次の機会に、新しい小林市役所や西都市役所とセットで訪れるとしよう。

というわけで日向市役所である。5年前、新庁舎建設工事が始まる直前のタイミングで訪れているが(→2016.2.27)、
それが2018年に竣工した。ログでも書いたが内藤廣の設計で、安曇野市役所(→2016.4.9)と似た雰囲気である。

  
L: 日向市役所。正面がわかりづらい建物だが、手前にロータリーがあるということで、おそらくこの西側が正面。
C: 西側。敷地に余裕がないのでこちらから全体をカメラの視野に収めることはできない。  R: 南西から見たところ。

  
L: 南から見た側面。  C: 南東から。  R: もう少し東に寄って眺める。こちらが背面ということか。

  
L: 東側のエントランス。  C: 北東から見たところ。  R: 北から見た側面。

  
L: 平日なので中に入ってみる。敷地に余裕はないが、中は余裕たっぷりな感触。  C: 市民の滞留スペースは多めに確保してある。
R: 日向市市民栄誉賞を受賞しているジョニー黒木とヤクルト青木のユニフォームが展示されていた。この2人とは日向市すごいな!

  
L: こうなると土日に開いているのかどうか気になる。  C: 窓口。  R: 再び外に出てみる。西側はこんな感じである。

  
L: 東側。セットバックしたオープンスペース。  C: テーブルやベンチがある。  R: 2階にもベンチがあった。

市役所から南へ50mほど行くと幸福神社。もともとは富高陣屋の鎮守稲荷社だそうで、明治に町内の神社を合祀した。
小さめの神社で、御朱印が書き置きになっていた。御守は期待できなさそうなので、素直に二礼二拍手一礼して撤退。

  
L: 幸福神社。市街地にはほかにそれなりの規模の神社はなさそう。  C: 拝殿。  R: 本殿。

日向市から北上して次は延岡市である。こちらも目的は新しい市役所である。やはり5年前に訪れているのだが、
このときは高層棟だけが竣工して低層棟の建設が始まった、という中途半端なタイミングだった(→2016.2.28)。
今回は満を持しての再訪問というわけである。期待に胸を膨らませつつ、市役所方面へのバスに乗り込むのであった。

 延岡駅も新しくなっていた。市役所まで約1.5kmと少し距離がある。

先代の延岡市役所(→2009.1.9)は、日建設計の設計で1955年に竣工している。しつこいくらい何度も書いているが、
当時の日建設計は特にキレッキレで、良質なモダニズムの雰囲気が香る庁舎建築を次から次へと生み出している。
(過去ログでは、広島県庁舎 →2008.4.232013.2.24、笠岡市役所 →2014.7.23、筑後市役所 →2017.8.6
それだけに新しい延岡市役所は、「現代の市庁舎建築」として典型例ではあるんだけど、特別に美しいわけではなくて、
なんともちょっと残念(設計は山下設計+延岡設計連合JV)。これと似た感じの市役所、全国各地にできている感じで。

  
L: 完成形の延岡市役所。まずは南東から見たところ。  C: だいたい正面、南から。  R: 手前の駐車場から見た正面。

  
L: 少し西にずれて眺める正面。  C: 南西から見たところ。高層棟と低層棟の2段構成なのがわかる。   R: 西から高層棟の側面。

  
L: 北西から。  C: 北東から。5年前(→2016.2.28)とまったく変わらない。   R: 南東から。周囲に余裕がないのよ。

中に入ってみるが、企業城下町(旭化成)らしい堂々とした造りである。高層棟と低層棟の接合部であることを生かして、
入ってすぐの吹抜はかなりのインパクトである。また外から見えていた高層棟南西側の水色ガラスは展望ロビーとなっていて、
延岡市街の南部を眺めることができる。愛宕山の存在感が非常に大きく、工業地帯があまり目立たないのは意外だった。

  
L: では平日なので中に入るのだ。  C: その前にエントランスをじっくり見ておく。   R: 中に入るとまず吹抜。

  
L: 市民がくつろげるスペースはきちんとある。  C: 低層棟の南西端は市民スペース。  R: 7階の展望ロビーからの眺め。

 野口記念館の跡地。新しい建物が来年できるそうだ。モダニズムに優しくない世の中だねえ。

延岡の市街地は5年前に歩きまわったので(→2016.2.28)、テンポよく次の目的地へと向かう。さらに北上して大分県だ。
さすがに各駅停車というわけにはいかないので(→2009.1.9)、特急にちりんのお世話になる。時間ももったいないし。

というわけでやってきたのは大分県佐伯市である。前回訪問から12年(→2009.1.9)、ここも市役所が新しくなったのだ。
2013年の竣工で、設計は山下設計。さっきの延岡市役所も山下設計で、東日本大震災以降の新築ラッシュでかなり強い印象。
恐ろしく正面がわかりづらい建物で、最初は駐車場を手前にして北西が正面かと思ったのだが、そうではなく南西が正解。
どう見ても側面でしかないデザインなのだが。それでいて南東側も北西同様に正面っぽいので本当にややこしい。

  
L: 南西から見た佐伯市役所。側面にしか見えないのだが、フロアマップによるとこちらが正面であるようだ。
C: 南から見たところ。  R: 南東から見たところ。むしろこっちの方が正面っぽいデザインなのだが。

  
L: 東から見たところ。手前にあるのが別館である。  C: 東から見たところ。  R: 北東から見たところ。これは確かに背面だ。

  
L: 北から見たところ。  C: 北西から駐車場越しに眺める。これも正面っぽい。  R: 最後に西から見て一周が完了。

中に入ろうとするが入口は正面の南西にはなく、西(北西)と東(南東)に2つある。もう本当にややこしい。ヤヌスかよ!
結局、われわれには「きちんとした入口があるのが正面」という意識が常識として刷り込まれているので混乱するのだ。
エントランスってのは客を迎え入れる空間なので、ここを疎かにするのは本質的に失礼なことなのである。その点、雑だ。
中に入ると大胆なアトリウム。周囲にオープンスペースなど凝った要素がまったくない分、ここでバランスをとっている。
しかしど真ん中のエレヴェーターのせいで、どこか狭苦しさを感じてしまう。いろいろとヘタクソな建築ではなかろうか。

  
L: 中は大胆なアトリウム。  C: 2階から見下ろしてみる。   R: テーブルのある滞留スペースもつくられている。

市役所の見学を終えると北に戻りつつ五所明神社に参拝。加茂・春日・稲荷・住吉・梅宮の5社を勧請したそうで、
それで「五所/明神社」というわけである。806(大同元)年創建で、毛利高政を祖とする佐伯藩の総鎮守とされる。

  
L: 五所明神社。手前を臼坪川と日豊本線が通っており、神社の入口は踏切を渡ってすぐである。
C: 臼坪川は親水空間として整備されている。河童の像が池を覗き込んでいる。  R: 境内入口。

  
L: 拝殿。1899 (明治32)年の再建とのこと。「丸に矢筈」の神紋は毛利氏の家紋。「毛利」の名字は毛利輝元から与えられた。
C: 角度を変えて眺める。立派である。瓦屋根が独特だ。  R: 拝殿の裏にまわってみたら、拝殿と本殿が離れているスタイル。

 本殿。こちらは1892(明治25)年の再建。

御守を頂戴すると駅方面へと歩いていくが、スルーしてさらに北へ。佐伯というと「佐伯の殿様、浦でもつ」と言われ、
海産物の豊かさ、そして寿司でも有名な街なのだ。せっかくだから寿司を食いたい。しかし独りで寿司屋に入る度胸はない。
そこで佐伯港近くにある鮮魚系土産店エリアに行ってみた。ここならいい感じの魚介類を食えるのではないかと思ったのだ。
いざ行ってみると平日の夕方近くにしてはなかなかの賑わいで、パックにされた寿司がどれも実においしそうである。
対費用効果を考えつつ慎重に吟味して選ぶのであった。寿司屋で食うのがベストなんだろうけど、これでも十分ベターだ。

 こんな感じで平日の夕方近くにしては賑わっていた。

佐伯を後にすると、本日の宿のある津久見に到着。津久見で下車するのは初めてである。市内の探索は明日の午前で、
今日はとりあえず早く宿に入って寿司をいただくとするのだ。素早くチェックインすると、いざ実食である。

  
L: 津久見駅のホームにて。津久見には日本最古の柑橘類であるミカンの古木・尾崎小ミカン先祖木がある。樹齢850年以上だと。
C: 佐伯で買ったパック寿司。上はアジ特集、下は本マグロ中トロ入りである。  R: 日本酒とギョロッケ(左下)もいただくのだ。

ふだんたまにお安くなったパック寿司を買って帰ることはあるが、佐伯はもうパック寿司ですらレヴェルが違いすぎて。
その場でトイレット博士的に足をバタバタさせるアクションをしてしまうほどに旨かった。居ても立ってもいられない旨さ。
一口食べるたびに蕩ける、それを延々と繰り返す。佐伯市民は毎日これを食っているのかと思うと心の底から妬ましい。
そしてギョロッケもまた、かなり旨かった。その名のとおり、魚のすり身に野菜を混ぜてコロッケ的に揚げたものだが、
この野菜が歯ごたえと風味の両方で絶妙なバランスをとる役割を果たしている。地元グルメに大興奮な夜なのであった。


2021.3.25 (Thu.)

修了式なのであった。ちなみにその前の学年集会では各教員に自由に話す時間が与えられたので、
給食を残すな、育てる人とつくる人と金出す人に感謝して食え、と熱く語るのであった(→2012.12.28)。
中学校の教員として最後の話だったけど、悪くない内容になったかなと。自分では満足しております。

午後の職員会議で来年度の人事が発表になったが、これで一気にお別れモードになってしまったなあ。
この一線を超える感じが面白くもあり悲しくもあり。1年しか在籍しなくて本当にすいません。みなさんあたたかい。


2021.3.24 (Wed.)

午前中に休みをもらって、朝イチで『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見てきたよ。
ネタバレどーのこーのというより、1回見ただけではまとまりきらない部分も多いので、きちんとレヴューを書けない。
とりあえず、マサルとのSMSのやりとりで出た僕の発言を、ネタバレにならない範囲で書き出してお茶を濁します。

「リツコさんきれいだったね」
「やっとるやっとる」
「やっとるやっとる」
「面白いのはすべての解釈が確率論で肯定できること。そこがエヴァの凄さよ」
「でも綾波かわいかった」
「まあオレとしては新劇はもちろん素晴らしいけど、旧劇の若さも否定せんでほしい」
「やはり基本はTVであってほしい。あれがあっての新劇だからね」
「なんでや、ゲンドウかわいいやん! ユイも言ってたぞ」
「オレはあらためて大人になれない自分を突き付けられて少なからずションボリよ」
「オレはもう一度行くつもり。それくらいには好き」


2021.3.23 (Tue.)

午前中は学年で球技大会。ドッジボールにサッカーと、のびのび楽しんだようでなにより。

午後は授業だが、僕の英語科教員としての最後の授業なのであった。とはいえ特に気負うことはなく、
いつもどおりに「なぜ勉強するのよ」という話で締める(→2020.3.162020.3.17)。恒例行事で無事終了なのだ。

気持ちはすっかり社会科に向いているので淡々としたものである。でもせっかく作成して好評だった資料があるので、
機をみてフリーにダウンロードできるようにしておきましょうか。10年粘ってできた財産、死蔵するのももったいない。


2021.3.22 (Mon.)

美術室の独特の雰囲気って、あれはいったい何なんだろう。うっすらと背筋を冷やしてくる、あの雰囲気。

大掛かりな器具はなかなか買い替えることができないからか、どうしても古いものがそのまま残りがちである。
また、絵の具をはじめとして、落ちなくなった汚れがあちこちに染み付いている。埃っぽさは粘土によるものか。
机にやたらと傷が多いのは、彫刻刀の痕跡だろう。筆を洗う流し台の辺りも、どこか歪んでいて落ち着かなくて、暗い。
動かしがたい「美術室らしさ」が空間全体に固着しており、そこを満たす空気も沈着してしまっている。

ただ、そういった要素をひとつひとつ挙げていったとしても、それで説明しきれない何かがこびりついている気もする。
むしろ、一度ついた汚れを落ちなくさせるような「何か」が存在するから、美術室が独特の雰囲気に染まるのか。
ふと「情念」という言葉が思い浮かんだ。衝動が突き動かす美術、その根底には、言葉にならない情念が存在する。
この独特の雰囲気は、美術室が情念に支配されている空間だからなのか。薄暗い放課後の美術室で、そんなことを考える。


2021.3.21 (Sun.)

起きてからひたすらベッドで画像の整理。しかし昼メシを食って以降の作業、気がついたら疲れて寝ていた。

滞在時間24時間未満で、バスで東京に戻る。まあやっぱり、実家は寝てばっかりになって無益ですな。


2021.3.20 (Sat.)

午前中は部活のお別れ試合なのであった。昨年開催できなかったのでOBも参加、保護者も参加で盛り上がる。
しかし正直、現役の1年生がほとんど試合に出られないのに大人がはしゃぐのもどうなの、という気持ちもある。
まあとにかく、卒業生たちは笑顔でグラウンドを後にしたので、そこはよかった。

午後になって新宿からバスに揺られて実家に帰省。緊急事態宣言の解除は月曜からだが、許してけれ、と思う。
新年度になる前にいろいろ知らせておきたいこともあるわけで。新たな勤務先でもらった資料だけでなく、
CPAP持参で帰るあたりにその気持ちが表れているわけです。車窓から見る景色が妙に新鮮だったなあ。

実家に着いたら即、風呂へ。ずっとマスクでトイレも隔離。まあ、しょうがない。


2021.3.19 (Fri.)

卒業式でした。自分のためではなく、他人のための時間を全力で支えるのは本当に疲れる。
まあ今年はコンビを組んだ先生がものすごくがんばってくださったので、だいぶ負担は軽かったけど。
さて、ここから学校は加速度を増して消化試合モードになっていく。油断して踏みはずさないように、最後まで集中だ。


2021.3.18 (Thu.)

明日は卒業式ということで、今の中3には最後の給食である。来週にはオレもそうなるんだなあと思いつついただく。
自分には、他人のつくったふつうのメシが食えなくなることとしての影響が大きい。スープのおかわりがもうできない。

午後は卒業式の準備。コロナの影響で例年と違う事情はあるのだが、それにしても細かい動きで混乱が目立つ。
それは僕がこれまで小規模校ばかりでコンパクトな環境が当たり前で、それを基準に考えているからだと思う。
組織が大きくなると不満分子も増えるし単純に動きも悪くなるもんだなあと、ぼんやり眺めているしだい。
なんだか他人事で申し訳ないが、組織加入1年目なんてそんなものである。来年改善する機会がないってだけで。

そんなわけで、当方のカウントダウンも着実に始まっておりますよ。感傷的になっている部分がほとんどないのは、
やはり中学校という組織や中学校の教員という人種に対して本質的な興味がないからだろうな。いまだに違和感だけだ。


2021.3.17 (Wed.)

無料動画でようやく『響け!ユーフォニアム2』を見たよ。1期の感想はこちら(→2016.4.22)。

1期の第8回で「これは良い百合じゃ……。これは良い百合じゃ……。」となったが、それはみんなに効いたようで、
まあとにかく、隙あらば百合。マジで隙あらば百合。ビジネス百合が凄まじいです。新キャラなんて百合100%だし。
いや、かわいい女の子がわちゃわちゃはいいんですよ。こっちは勝手に「尊い、尊い」なんて言ってりゃいいんで。
ただ明らかに、純粋なストーリーの一環・必然性というよりも、興味を惹くための手段としての百合になっている。
キャラクターが軽いからそうなるのだ。いや、逆か。ビジネス百合だからキャラクターが軽い。軽くて嘘くせえ。
なんでもかんでも百合にしているおかげで、麗奈が滝先生と久美子を同時に狙うサイコパス感が半端ない仕上がりだ。

1期でも「人物描写が浅い」と書いたけど、結局これ、すべての人間関係が久美子を通過するところに不自然さがある。
舞台が吹奏楽部ということで、キャラクターの特徴と担当楽器の特徴が重なるというのは、実に興味深い着眼点だ。
(その姿勢をはっきり示している「黄前ちゃんはほんと、ユーフォっぽいね」というセリフも実際に出てくる。)
飼い主がペットに似てくるようなものだ。互いに引き合う何かがある、というのが楽器の面白いところである。
となれば、楽器がアンサンブルするがごとく人間関係が描かれるべきだ。つまり、群像劇となるべきなのだ。
しかしこの作品はすべてが久美子中心であり、しかも久美子は受動的な人間だ。ドラマが向こうから勝手に来てくれる。
後半には田中あすかとの関係で主体的に動くが、その転換も唐突である。いちおう姉との関係を踏まえているが、
示されるのは過去の回想であって現在の心情の変化を丁寧に追っておらず、ずっと三人称的な描き方なのである。
主人公すら三人称で動かす話なんて、群像劇から最も遠いものでないか。作者の人形遊びに付き合わされている感じ。
結局、描かれているのは久美子の周辺だけで、吹奏楽部全体の本当に面白い各パートの動きはぜんぜん描けていない。
キャラクターの抱える悩みも安直なら、久美子に叫ばせることで無理やり解決して感動させようという意図も安直だ。

と、だいぶ批判的に見ていたが、正直その最大の理由は、僕が田中あすかというキャラクターが大嫌いなことにある。
もう本当に気持ち悪くて苦手。何から何まで気持ちが悪い。メガネで頭がよくて思わせぶりで……ということで、
作者にとって都合のよい超人を造形している感じがたまらなく厭だ(すいません、僕はメガネっ娘が生理的に無理です)。
その田中あすかの弱みを直接描けばよかったのに、それをしないで久美子視点の三人称。最後まで超人の他者だった。
この作品で作者は何を描きたいのかがわからない。久美子の成長? 演奏者としての久美子の成長って、描かれていた?
大人へ向けての久美子の精神的な成長って、していた? どっちも中途半端だよね。まさか、麗奈との百合の成長かな?
最後に伏線回収の形で作品タイトルを巧くまとめたのは事実だが、これこそ本来のスタート地点だったのではないか。
そこから久美子がどう人間として、演奏者として成長するのか。田中あすかがどう影響したのか。そこを描くべきだろう。
結局のところ、吹奏楽部OG・OBに向けた自己弁護以外の何物でもなかった。僕らはただ時間の経過を見ていただけね。
吹奏楽経験者向けノスタルジーを共有できない者には時間の無駄でしかない。見てくれはきれいだけど中身のないアニメ。

一点、京都駅でのコンサートではスクェアの『宝島』が演奏されるのだが、こういうアレンジになるのね、と驚いた。
バリサクでソロって発想はすごいなあと素直に感心。ここは全力で評価しておきたい。演奏だけしてりゃよかったのにね。


2021.3.16 (Tue.)

電子書籍のマンガが割引キャンペーンということで、けっこうな散財をしてしまった。たかが電子データに。
でも古典をすぐに読める環境にしておくのは、悪いことではないんじゃないかと思う。それゆえの散財というわけだ。
要するに、以前ならばちまちま買っていた文庫版を徐々に電子化していこうか、と考えるようになったわけである。
かといってその文庫版も処分しないんだけどね(→2020.12.30)。作品へのアクセシビリティを上げたいということ。
買ったCDをすぐにMP3化するけど手放さないのと同じ感覚なのである。金がよけいにかかるのは困ることだが。
当面の目標は、『ドラえもん』を全巻電子ベースで揃えること。物理的に読み慣れたものを電子で気軽に振り返りたいね。


2021.3.15 (Mon.)

姉歯メンバー間でのSMSグループは「びゅくびゅくネットワーク」という名前なのだが(命名:ニシマッキー)、
マサルからの「シン・エヴァンゲリオン観ましたか?」というメッセージがきっかけになり、あれこれ話が進む。
そこからなぜか前田健の話になり、矢崎滋と都はるみの話になり、僕の新たな赴任先の話になるのであった。
地理をやるには一年ガマン、来年度は日本史をメインで教えるけど不安ばっかり、ということでいろいろダベるが、
そこで僕は「生徒が面白いかよりもオレが面白がれるかが問題でして」と発言した。振り返って、実に自分らしいなと。

僕はよい先生であろうとはまったく思っていないが、まず誰よりもよい学習者でありたいとは思っている。
いや、申し訳ないけど、英語については完全に情熱を失ってしまっているので、現状これは正確には当てはまらない。
しかし英語という括りをはずせば、より広い知識という点において、貪欲に吸収する姿勢は維持しているつもりだ。
まあ究極的には、どんな生徒にも負けたくないんですよ、僕は。どの生徒よりも優れた学習者でありたい、そう思う。
そこのプライドだけは今もビンビンなのである。これまでを冷静に振り返ると、それだけが僕の取り柄だったのだ。
そうして学ぶことに貪欲な姿勢を身をもって生徒に示せれば、オトナとしてそれでいいのではないかと思っているしだい。

先日、区の教員の互助会だかなんだかで図書カード5000円分をもらったので、神保町に直行した。
それで日本史の参考書を買おうと思ったけど、なかなか納得のいく本がなかった。地理なら欲しいものがあるのだが、
日本史だとない。どれもキーワードをびっしりと並べてあるような本ばかりで、似たり寄ったりなのである。
こちとら地理人間なので、図解だとか論理的な説明だとかで納得できるような本が欲しい。でもそういうものがなくて、
これが日本史の現実か、と思う。となれば、自分でやるしかあるまい。論理的な日本史を自分で考えて学ぶしかない。
そんなことを踏まえたうえでの、「生徒が面白いかよりもオレが面白がれるかが問題でして」という発言なわけである。
たいへんつらいが、自分のやりたい日本史の方向性は見えた。できるかどうかはわからん。でもやりたい方向は見えた。

とりあえず、評判のよさげな日本史の実況中継的な本をまとめ買いしてみた。まずはここから面白がってみようと思う。


2021.3.14 (Sun.)

『カメラを止めるな!』を今さら見たよ。この作品についてはネタバレはダメですね。
ネタバレにならない範囲で書こうとすると、書けることが激減してしまう。でもそれでいいと開き直れる面白さ。

この作品が最もリスペクトしているのは、トリュフォーの『アメリカの夜』ですな(→2006.4.5)。
「どうなるの?」を二重に引っ張っている構造なのが巧い。ミステリ的答え合わせを上手に機能させていると思う。
最後のスタッフロールまでお見事。めちゃくちゃ面白いというよりは、しっかり面白い作品。本当によくできている。
一時期カメ止め俳優さんたちがもてはやされたけど、そういう一次と二次のブレをくすぐってくるクオリティだ。
低予算でも面白いものをつくれる、ということを示した点では歴代トップクラスの作品なのは間違いないだろう。
むしろ全体に漂っている「低予算だから」という雰囲気が、リアリティをもたらして面白さの源泉になっているけどね。

……これ以上書けない。あれこれ言うより、とにかく見て楽しめって作品なのだ。完成度が高いってことだね。


2021.3.13 (Sat.)

本日は合唱コンクール。練習期間は10日ほどしかなかったのだが、どの学年どのクラスもよくがんばった。
しかし3年は合唱が上手いと評判だったが、本当に上手かった。これを1年に直接聴かせて鼻をへし折りたかったなあ。
今回は学年ごとに体育館に交代で入り、他学年の合唱についてはリモート中継で見学という形だったのだ。
(保護者には編集した動画を後からYouTubeで配信。IT化を強いられる時代に一気になりましたなあ。)
合唱隊形もディスタンスということで前後に距離をとり、マスクもつけ、めちゃくちゃ歌いづらかったはずである。
校外学習も入って空前絶後の逆境だったが、無事にやり遂げられて何より。末永く伝説として面白がっていただきたい。

ちなみに各学年の上位は僕が予想したとおりだった。好みがズレていないことにホッと一安心。無難な男である。


2021.3.12 (Fri.)

昨日の校外学習で東京タワー大神宮を見て、ああそうだった、あったあった、となる。スマホのカメラで撮影した。

  
L: メインデッキ2階にこんな感じで鎮座する。  C: 失礼して正面から撮影。  R: フットタウン3階の売店に御守あり。

東京タワーを経営する日本電波塔が、創立20周年を記念して1977年に創建。芝だから勧請元は芝大神宮かなと思ったら、
しっかり伊勢神宮からの勧請なのであった。おととしの展望台の改修にあたって新たに社殿をつくり直したそうだ。
ちなみに東京23区で最も高いところにある神社……って、当たり前やないかい。なお、御朱印をもらうには、
メインデッキの展望チケットが必要となる。御守はチケットがなくても頂戴できるので、後日頂戴に行くつもり。
(緊急事態宣言の関係で平日は午後にならないと売店が開かず、昨日は御守を頂戴することができなかったのだ。)


2021.3.11 (Thu.)

本日はわが1学年の校外学習で東京都内めぐり。午前中は東京タワー、午後は雷門を担当。いい天気でよかった。

東日本大震災から10年である。

あのとき教えていた中学生たちが(→2011.3.11)、20代半ばになっている。それだけの時間が経過したということだ。
久慈と宮古に行き(→2014.5.4)、釜石と大船渡に行き(→2016.9.18)、陸前高田と気仙沼に行き(→2016.9.19)、
石巻に行き(→2018.8.18)、女川に行った(→2018.8.19)。そして新型コロナ。以来、三陸には行けていない。

ゆっくりと復興は進んでいき、コロナによる停滞を挟みつつも、街の姿は変わっていることだろう。
前を向いた人々が、たくましく生きている。10年という時間をかけて積み重ねられた思いが、そこにあるはずだ。
僕はただ現地に行って、見て、感じて、メシを食って、それをささやかな記録に残すことしかできない。
どこまでたくさんのものを目にすることができるのか。積み重ねられた時間を、思いを、そろそろ確かめに行かなくては。


2021.3.10 (Wed.)

千葉県知事選挙の政見放送がR-1グランプリを超えるネタの披露会になっていて、批判が巻き起こっている。
まあ、わかる。ここ最近、品のない動きもいろいろあったし(→2020.6.28)、批判したくなる気持ちは実に正しい。

しかしここは冷静に、批判の矛先や方法をきちんと選ばないといけない。ここは民主主義の国なのだ。
まず候補者。批判はきちんと投票という形で表明すればいいだけのこと。彼らの主張が気に入らないからといって、
それを制限するのは民主主義ではない。他者を害さない限り、思想や表現の自由は認められなければならないのである。
次に現状の選挙のシステム。供託金を上げるべきという見解は筋違い。問題の本質は金額の大小にあるのではない。
むしろそれは政治を一般市民から遠ざける結果となるだろう。既得権益を守る動きだけが強まる結果になるはずだ。
そもそもこのような事態は今に始まったことではなく、昔っから困った主張をする個人や政党は存在していたものだ。
それを今になって問題視して供託金を上げようとか、むしろ金権政治をやりたい政党の回し者なんじゃないの?
当然、政見放送の内容に検閲を入れようなんて考えは、民主主義から最も遠い行為だ。立候補者の良識を信じるしかない。
面白おかしく報じるマスコミがけしからんという人は、しょうがない、ニュースの受け手がけしからんからそうなる。
前にも書いたが、マスコミは一方通行で情報を垂れ流す存在である。ボールは受け手のわれわれの側にある(→2020.4.8)。
われわれが良質な情報だけを相手にすればよく、情報を遮断しろと主張するのは、実は最も客観性を欠いた思考である。
安易なマスコミ批判は自由への挑戦でしかない。誰かを悪者にするのは簡単だけど、そのこと自体が悪者のやり口なのだ。
自分と違う見解を報じるからって文句を言いなさんなということ。あなたの正義を他人に押し付けなさんなということ。
そんなわけで、あなたがた本当に社会・公民を勉強したのかね、と言いたくなる意見が渦巻いていて悲しくなってしまう。

つまるところ、民主主義の担い手としての知識・意識・教養が足りないのである。政治の問題を「他者の問題」と捉え、
「自分たちの問題」として捉えないから、安易かつ民主主義的でない解決策に走る。そしてそれに気づくことができない。
困った候補者が出たところで動じることなく、自分の一票を毅然と行使すればよいだけなのだ。本当にただそれだけだ。
政治の「政」は「まつりごと」、もともと「祀る」「祭る」から来ている言葉である。お祭りなのは、しょうがない。
アメリカ大統領選挙なんてまさに民主主義の祭典ではないか。大切に保持してきた一票を投じる、何年かに一度の祭り。
それで羽目をはずす人が出ても、落ち着いて対処するのが大人ってもんだろう。選挙権は大人だけのものなんでしょ?


2021.3.9 (Tue.)

今週は勝負の一週間であります。自粛やら緊急事態宣言やらで、なんと各学年の校外学習が同じ週に入るという事態に。
しかも週末には合唱コンクールである。こんな修羅場、二度とあってたまるか。いや、究極のイレギュラーである。
個人的には移籍についての面接から週がスタートしたので、よけいに「勝負の一週間」の色合いが濃いってわけでして。
まあ人間、忙しいときの方がかえって集中力が増して充実した内容を残せるものである。そう信じてがんばろう。


2021.3.8 (Mon.)

3年生の授業が終わって多少の余裕ができたので、午前中に来月からの職場(→2021.2.172021.2.18)で面接してきた。
雨の中、今まで降りたことのない京急の駅から徒歩20分。家からしっかりと遠い。雨が降っていることもあるし、
英語についての不安もあるし、ひたすら坂だし、よけいに道のりを遠く感じる。でもやれる範囲でやるしかないのである。

いざ面接が始まると、やはり国際バカロレアのプログラムも担当とのこと。昨年11月に見学したやつだ(→2020.11.30)。
ただし授業は日本語でやるということでやや安堵。とはいえ話を聞くに、バカロレアは欧米中心主義だなあと思う。
『タモリ倶楽部』の地理教師の回で覚悟していたが、地理を誰もとらないので(単位制)、やっぱり開講せず。
それで日本史Bメインでやってくれとのこと。オレ理系だったから、高校で日本史習ってないんですけどぉー!
まあ国内旅行の写真が大量にあるので、それを元ネタとしてやっていくか……。旅行で前よりは日本史に詳しくなったし。
部活はパントマイム部顧問になるっぽい。が〜まるちょば、ピンになっちゃったんだけど! パントマイム部って、
野田クリスタルの影響かな? 全身黒タイツの「シャドウ」のネタを見て、野田クリスタルをけっこう見直した。
まあとにかく、新年度になってみないとわからないことだらけ。ポジティヴにしぶとく生き抜いていくしかない。
面接が終わって今の職場に戻るのに時間がかかって大変だった。やっぱり神奈川県は遠いわ。引っ越しどうしよう……。

なお、学校は女子が75%くらいとのことで、非常に怖い。女子高生怖い。ここらで一杯、濃いお茶が怖い。


2021.3.7 (Sun.)

母方の伯父(長兄)が亡くなったとのこと。母と歳が離れていることもあり幼少期の僕はあまり懐いてはいなかったが、
お互い照れくさい感じがあったのははっきりわかる。大学時代に山岳部に所属しておりとてつもない大怪我をしたが回復、
地元に戻って土建会社を経営して成功、息子を街でいちばん稼ぐ歯医者にするなどエネルギッシュな人だったなあと思う。
でもかつて手塚治虫の影響を受けた少女漫画を描いて単行本を何冊も出していた事実は衝撃的だった。ツン子! ツン子!
父方からアーティスティックな血はたっぷり受け継いだが、母方の血もなかなかだったなあとあらためて思うしだい。

透析で入院中に新型コロナに感染したというのは初耳。回復したけど亡くなってしまったと。まあ89歳なので大往生だ。
ご冥福をお祈りいたします。うーん、やっぱり淋しいなあ。しかしあらためて新型コロナが他人事じゃなくなったなあ。


2021.3.6 (Sat.)

午前中の部活が終わって、五反田へ出る。最近、ここで昼メシと電源を確保しての日記執筆が可能なことがわかり、
それでひたすらがんばる。『危機の二十年』のレヴューが本当に重い。とにかく厚いのでチェックしていくのが大変。
今日はなんとか書き出し作業を終えたが、これを要領よくまとめていくのがまた大変。明日もまたひたすらがんばるよ。


2021.3.5 (Fri.)

緊急事態宣言の延長でも、現場はもう慣れたもので、書類をささっとつくって対応。
それよりも来週には校外学習と合唱コンクールが一気に来るので、それらの準備だけで十分に忙しいのだ。
一方、英語の授業は英作文と発表モード。しかし個別の質問に素早く答えなくちゃいけないので、これが疲れる。
何がなんだかよくわからないままに一日が過ぎていく。このままドサクサ感満載で突き抜けていくんだろうなあ。


2021.3.4 (Thu.)

英語の先生ということで、卒業間際の生徒に英語の格言を送ることがたまにあるわけです。
そういえば昨年は学年末テストに簡単なものを和訳問題として出したっけ(→2020.2.26)。

次の英語の名言を、自分なりの言葉でかまわないので日本語に訳しなさい。[理解:2点×5]
(1) To live is to think. (Marcus Tullius Cicero)
(2) A problem is your chance to do your best. (Duke Ellington)
(3) You’ll never find a rainbow if you’re looking down. (Charles Chaplin)
(4) If you haven’t cried, your eyes can’t be beautiful. (Sophia Loren)
(5) Love the life you live. Live the life you love. (Bob Marley)

今年の3年生とはあまり馴染めなかった印象だが、エマーソン(Ralf Waldo Emerson)の言葉を送ったのであった。
曰く、“The only way to have a friend is to be one.”――「友達欲しけりゃまずお前がその友達になれよ」と。
成績ばっかり気にしてんじゃねえぞ、学校は勉強するところである以前に友達つくるところだぞ、
いい学校に入学したところで性格悪けりゃ頼れる友達はできねえぞ、という懸念があるときに出す言葉である。
いや別に彼らは性格が悪いわけではなかったけど、成績ばかり気にして枠にはまって小さくまとまっていたので。

僕が最もよく引用するのはチャーチル(Sir Winston Churchill)の言葉で、
“To improve is to change; to be perfect is to change often.”である。どこかのサッカーサイトで見つけた。
「向上とは変化することである。完璧とは変化し続けることである」という訳がついていて、それがなかなかよい。
僕自身は変わり映えのしない毎日を送っていて、大胆な変化を拒否して今に至っているので、自戒を込めての言葉だ。
もっとも、ほかの人から見ればこのたびの転職活動はchange oftenそのものなんだろうけどね。性根は変わらんのよ。

究極はやっぱり、モンティ・パイソンのThe Meaning of Lifeだろう。
“Try and be nice to people, avoid eating fat, read a good book every now and then, get some walking in,
and try and live together in peace and harmony with people of all creeds and nations.”
「(人生の意味とは……)健康に気をつけ、良書をよく読み、全ての人と仲良くすること」
というたいへんざっくりした訳がDVDにはついていたが、さすがはパイソンズ、究極を見事に言い切ってくれる。

高校レヴェルだといい感じの格言がいくらでもあるのだが、中学レヴェルだと少々難しい。まあそれも勉強なんだよね。


2021.3.3 (Wed.)

放送委員会のリクエストでAKBグループというか坂道系の曲を流すことがあるけど、みんな同じじゃねえかと呆れている。
10年くらい前からずっと思っていたが、こいつら全然ハモらないよね。ぜんぶユニゾンだけの歌とか、劣化も甚だしい。
結局これ、メンバーを固定化できない、もっと言うと使い捨てだから、パートを分けていられない、ってことでもある。
歌謡曲からJ-Popへの道のりは、音楽的には少なからず劣化の歴史ではないかと最近あらためて思っているのだが、
研ぎ澄まされたプロフェッショナルの仕事であるはずのアイドルソング(→2013.9.11)も、いよいよここまで来たかと。
ハモることすらできないとは、音楽性のかけらもない。そりゃあ昭和歌謡のリヴァイヴァルも当然だよなと思う。


2021.3.2 (Tue.)

学年の打ち合わせで今後のスケジュールを確認したのだが、一日として隙がない感じ。いや、これは本当に恐ろしい。
それとは別にレギュラー授業があり、また僕個人でやらなくちゃいけないこともあって、同時進行の対象が多すぎる。
無事に春休みまでたどり着けるのだろうか。そして4月からは落ち着いた心を維持できるのだろうか。不安しかない。


2021.3.1 (Mon.)

最後の1ヶ月が始まった。しかし今月はイヴェントが目白押しで、今日はその影響もあって休みがほとんどなかった。
こんな感じでドタバタしたまま春休みまで行ってしまうのだろうか。行ってしまうんだろうなあ。着実にがんばろう。


diary 2021.2.

diary 2021

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