diary 2017.2.

diary 2017.3.


2017.2.28 (Tue.)

アキラ100%のR-1優勝は本当にうれしい。好みがはっきり分かれる芸だけど、僕は大歓迎派である。

2年前の年末か、実家で母親が録画したテレビ番組を一緒に見ていたら、出てきたのである。丸腰刑事が。
くだらない宴会芸をここまで見事に練り上げるとは! あまりの衝撃に笑いが止まらず呼吸困難になりかけた。
ウチの母親なんて絶対に名前を忘れないようにと、即座にメモを取ったくらいだ(品のない母親ですみません)。
その番組には錦織圭が出ていて、僕は彼があまり好きではなかったが、アキラ100%を絶賛したので好感度が上がった。
まあとにかくそれ以来、ブレイクは難しいかもしれないけど、どうにかもっとテレビで見たいなあと思っていたのだ。
R-1ぐらんぷりは歴代優勝者がイマイチ不遇というか微妙というか、いろいろ言われているが、うれしいものはうれしい。

彼の芸風を批判するのは簡単だが、実はその批判は笑いというものの本質を遠ざけるものでしかないと思う。
というのも、アキラ100%の芸は、「それをやっちゃあオシマイよ」という究極兵器をあらゆる紙一重で避けるという、
お笑いの世界においては核兵器をお手玉するような危険な芸なのだ。ありとあらゆるアイデアのすべてを、全力で、
くだらないものをくだらないで済ませるレヴェルでキープすることに使っている、そういう逆説的な笑いなのだ。
(『4分33秒』で「それをやっちゃあオシマイよ」をやってしまったジョン=ケージとは似ているけど似ていない。)
対照的なのが落語家で、客にすべてを想像させるというリアリティの構築に全力をかける、正反対の努力をする。
これは地道な白兵戦であり、核兵器のくだらない笑いという破壊力の前には無力感をおぼえても致し方あるまい。
しかしその「それをやっちゃあオシマイよ」を弄ぶ技術も、それが軽やかであれば立派な芸として成立しうるのだ。
そして、笑いというものには本質的に上下がない。笑うという行為はどのような経緯で引き起こされたものであれ、
「笑う」という結果でしかないのだ。笑いという現実に、貴賎など存在しない。仮に、落語が高尚で色物が低俗、
そういう意識があるとすれば、それは勘違いも甚だしい。上から目線で客を笑わせようなど、おこがましい。

アキラ100%のやっていることは、本当にギリギリのところまで笑いの可能性を広げる挑戦だ。僕は彼を断固支持する。


2017.2.27 (Mon.)

3連休・兵庫旅行も最終日となりました。本日も市役所をガンガン制覇しながら最後は神社を押さえる予定である。
ただ昨日と違うのは、本日は海沿いではなく山の方へと切り込んでいくこと。慣れない兵庫の私鉄のお世話になりまくる。

7時半ごろ、宿を出ると神戸電鉄に乗り込む。地下からスタートしたのが、すぐに地上に出る。そして山へと入っていく。
昨日はひたすら海沿いに高低差がほとんどないまま揺られていたが、今日はのっけからだいぶ異なる感触を味わっている。
しかしこれもまた、神戸市あるいは兵庫県の真実なのだ。やがて鈴蘭台という駅を出ると、電車は西側へと方向を変える。
反対側は有馬温泉で、いつか浸かりたいなあと思う。しかし電車はそんな気持ちを置いてけぼりにして緑の中を走る。

1時間弱で三木上の丸という駅に着いた。降りてみたらこれがまあずいぶんとローカルな雰囲気で、軽く途方に暮れる。
とりあえず駅のすぐ南側にある三木城址を目指して商店街へと歩いてみたら、いきなり三木合戦の大きな看板を発見。
三木城主・別所長治が非常に若かった(若くして亡くなった)こともあってか、なかなか腐女子向けのタッチなのだが、
この戦いは後に鳥取の飢え(渇え)殺し(→2013.8.22)につながる秀吉の兵糧攻めで、微妙な気分になるのであった。

 
L: 三木合戦の大きな看板。木が上から飛び出しているのが見えるが、そこはもう三木城址なのだ。
R: 城山のすぐ下にあるナメラ(滑原)商店街。昭和の雰囲気がそのまま残っているアーケードである。

商店街の途中にある石段を上がっていくと、三木城址に出る。正確に言うと三木城は実際にはもう少し広くて、
現在城跡らしい姿を残しているのは本丸だけで、しかもその半分ほどは保育所となっている。平日なので園児が来るし。
なんとなく怪しまれているような視線を受けつつ(被害妄想)、城跡を見てまわる。広場は静かで穏やかな空間だったが、
木々の生い茂っている辺りはどこか寂しげで、湿り気を感じさせた。祠などがいくつもあって、悲しい歴史を物語る。

  
L: 三木城址本丸跡。広場部分は保育所の駐車場みたいな感じになっている。奥には天守台と別所長治の騎馬像があるね。
C: 鬱蒼とした木々に覆われている箇所も多い。  R: 稲荷神社のほか、複数の祠があって湿り気を感じさせる空間。

美嚢川沿いの市街地から一段上がった台地がそのまま三木城の城郭部分となっていて、本丸以外は宅地化している。
三木市役所は本丸から南東側の鷹の尾曲輪にあるので、そこまで歩く。途中、タダモノではない雰囲気の建物に遭遇。
1927年築という旧三木高等女学校の校舎だ。活用しようにもさすがになかなか難しそう。風格があって素敵なのだが。

  
L: 三木市立金物資料館の入口は、併設されている金物神社の鳥居をくぐるスタイルであるようだ。
C: 古式鍛錬場。毎月第1日曜日にはこちらで実際に鍛冶の実演が行われるとのこと。屋根があって土俵みたいね。
R: 旧三木高等女学校の校舎。木造のいかにもシンプルな学校建築なのだが、いかんせん状態が悪すぎる。

住宅地を抜けると三木市役所の背面にある駐車場に出た。市役所はガラスが青空を映してギラギラしている。
これはいかにもな平成オフィス建築だなあと思いつつシャッターを切っていく。かなり規模は大きめだ。

  
L: 三木市役所の背面。まずは北西側から。  C: 北側からまっすぐ背面を見据える。  R: 北東側にまわり込む。

三木市役所の設計者は昭和設計で、1993年に竣工している。昭和設計の公式サイトにはきちんと説明があって、
「城の面影、城下街の家並のシルエットに山々の連なりのイメージを重ね、庁舎の形態のコンセプトとした」そうだ。
そして正面にまわると目に入るのは、三木市役所でも三木市庁舎でもなく「みっきぃホール」という文字。
高層のオフィス棟の手前に市民ホールをくっつけていて、それが「みっきぃホール」という名称なのだ。
(ちなみにさらに手前のオープンスペースは「みっきぃ広場」というらしい。夏場は照り返しでクソ熱そうだ。)
昭和設計によれば「別棟の市民ホールはヴァナキュラーな要素を持たせて個性化を図っている」とのことだが、
基本的に「ヴァナキュラー」というのはセンス皆無のポストモダン建築が言い訳に使う常套手段である。
言っちゃあ悪いが、三木市役所は平成ポストモダンオフィス建築の悪い典型例といった感触。田舎丸出しだなあ。

  
L: 南東側より。  C: 正面にまわり込む。謎のオブジェがお出迎えである。  R: みっきぃ広場とみっきぃホール。

昭和時代とは一味違う役所をつくろうとして勘違いすると、どういうわけか美術館のテイストを混ぜたがるのだ。
アートへの理解をアピールしてセンスがいいのだと主張したいのかもしれないが、それはもう本当に逆効果でしかない。
三木市役所はその勘違いぶりがわかりやすく建築に投影されており、撮影していて乾いた笑いしかこみ上げてこない。
庁舎建築を地域の誇りそのものとして捉えた場合、かつてと比べて日本人の知的レヴェルの低下は深刻である。

  
L: みっきぃホールを経由しない場合はこちらが市役所入口となる。  C: 市役所低層棟との接合部分。南西側。
R: オフィス棟の手前には池が設置されている。当然泳いでいますよ、鯉が。折れた通路を行くとレストランに入る。

参考までに、Wikipediaの「三木市役所」のページには先代、先々代の庁舎の写真が掲載されている(すばらしい!)。
先代の三木市役所は典型的な昭和モダニズムだが、丁寧さを感じさせるデザインであり、センスは決して悪くない。
しかし先々代の三木市役所はさっきの旧三木高等女学校の校舎を思わせる木造板張りに瓦屋根となっているが、
その玄関2階部分にはペディメントにオーダーを載っけちゃうようなはしゃぎっぷりで、ああ先祖返りか、と。
好意的に解釈すれば、「三木市民はとにかく単純に新しい物が好き」ということなんだろうけど、節操はないですね。

  
L: そのままヴォールト状の回廊を行くとオフィス棟に入る仕組み。いや、もう、センスが……。言葉にならない。
C: 向かって右手、みっきぃホールの内部。端っこにはFM局のスタジオあり。  R: 南西側から見た三木市役所の外観。

圧倒されたまま、坂を下って市街地へと向かう。しかし途中で大宮八幡宮という神社へ至る脇道があるとのことで、
そっちへと方向転換。同名の神社が杉並区にあるなあ(→2016.1.10)と思いつつ木々の中を抜けていくと、
広々とした境内に大きな社殿があって驚いた。さすがに三木城よりも古い歴史があるだけのことはあるのだ。

  
L: 市役所側から境内に入ったので、まずは本殿。1603(慶長8)年に池田輝政によって建てられたそうだ。
C: 脇にある摂社・大宮天満宮。  R: 割拝殿。1994年に能舞台の隣という現在地に移されたとのこと。

御守も種類が豊富で、大きめの氏子守とふつうの肌守の両方を頂戴しておいた。やはり市役所の写真だけでなく、
その街を代表する神社の御守も苦労することなく手に入れられるのはうれしい。満足しつつ石段を下りて市街地へ出る。

  
L: 拝殿。割拝殿を移動させた際に建てられたそうだ。  C: 石段を下りて振り返る。  R: 一の鳥居。立派である。

最後に軽く市街地の雰囲気を味わいながら三木駅まで抜けようとしたのだが、街路の構造がなかなか複雑。
三木城址と一体化した八幡山(大宮八幡宮)が、緩やかに蛇行する美嚢川と南北から市街地を絞る格好になっており、
城下町はかなり入り組んだ形をしている。八幡宮への参道と県道20号がカーヴしながら重なっているところに、
放射状に道路が貫かれているところもあって、歩いているとなんとも独特な感触がする。個性的な街である。

 一の鳥居から少し進んだところ。ここがいちばん放射状で面白い。

三木駅から再び神戸電鉄粟生線に乗り込んで、さらに北へと進んでいく。次の目的地は小野市だ。
小野市といっても正直あまりピンとこなくて申し訳ないのだが、神戸と姫路の中間に位置するベッドタウンとのこと。
駅を出ると北へとのんびり歩いていく。田舎すぎず街すぎず、商店と住宅が穏やかに入り混じる道を行く。
しばらく行くと、少し高くなったところに大きな池があって、その向こうに複数の建物があるのが見えた。
小野市役所があるのはその辺りだ。小野市はやたらと溜池が多く、市役所も象徴的な場所として建てたのか。

  
L: 小野市役所。耐震補強満載の本庁舎はシンプルだが、そこにアプローチする入口部分がかなり独特なのだ。
C: 角度を変えて南東側から。  R: そのまま南へまわるとエントランスが非常に目立つ。おそらく増築されたな。

小野市役所の本庁舎は東側が正式な入口のようなので、西側から敷地に入ったがそちらへとまわり込む。
本庁舎は真っ白で非常にシンプル。しかし手前のエントランスはエスカレーター付きでなかなか独特である。
よく見ると微妙に青みがかっており、後から増築された感触がする。バリアフリーってことでやったのだろうか。

  
L: 真南から見たところ。西側はエスカレーターで、東側はエスカレーターと階段で2階部分に入るという構造。
C: 少し南西側に動いて眺める。  R: 南西側より。本庁舎の西側は複数の建物が入り組んでいてけっこう複雑なのだ。

小野市役所は1964年竣工。1971年に第2庁舎と第3庁舎が、1981年に第4庁舎が、1995年に西庁舎が建てられた。
老朽化と分散化がひどいことから案の定、新庁舎建設計画が進行中である。竣工後にまた来なくちゃいけないのか……。
なお、小野市役所は市有地でない場所に建っており、借地料を支払っているそうだ。兵庫県内の市では唯一とのこと。
そのため、市有地への移転も新庁舎建設の理由に挙げられている。さすがにこれはかなり珍しい事例なのではないか。

  
L: 北側にまわり込んでみた。ちなみに敷地のすぐ北には王塚古墳という古墳があって、市役所の分散化状況がよく見える。
C: 北東側。このすぐ右側には消防署がある。  R: 敷地内にあったオブジェ。そろばん全国シェアの70%を占めるそうだ。

平日なので当然、中に入ってみたが、もともとが古い建物ということもあり、特にこれといって特徴はなかった。
新しい市役所はどのようなデザインになるのか。加古川線を乗りつぶしながら確かめに来る日はいつになるやら。

  
L: それではエントランス西側から中に入ってみよう。  C: エスカレーターを上がって右を向くと入口。
R: 玄関。入口を振り返るが、特にこれといって何かあるわけではなかった。1964年築にしては中が明るい。

市役所の撮影を終えると、池を渡ってアーケードの小野商店街を南下して駅まで戻る。営業している店も少なくないが、
シャッターが目立つ部分もある。駅に近くなると元気がなくなっていく感じで、全体的にはちょっと寂しいと思う。

 
L: 小野商店街、駅にいちばん近い側。空き地を公園として整備するなど、ちょっと寂しい部分が目立つ。
R: とはいえ、きちんと営業している昔ながらの個人商店も少なくない。活かしきれてないのがもったいない。

小野駅から5分、終点の粟生(あお)駅に到着。いま乗ってきた神戸電鉄、北条鉄道、そしてJR西日本加古川線の、
3つの路線が乗り入れる駅なのだ。駅舎はかつて「シルキーウェイあわの里」というレストランが入っていたようだが、
現在はすでに閉店しており、「あお陶遊館アルテ」という陶芸体験ができる施設がひっそり併設されているのみだった。
周囲は閑散としていて特に何もないのでさっさと北条鉄道に乗り換える。神戸鉄道がバリバリの私鉄だったのに対し、
北条鉄道は旧国鉄の特定地方交通線で、いかにも経営が大変そう。フリーきっぷを購入したが、なんとなく申し訳ない。
終点の北条町まで20分ちょっとの旅だったが、車窓の風景は見事にローカル。沿線に何か観光資源があればいいのに、
どうにもならなそうな気配である。北条鉄道はよくがんばっているなあと、驚きを通り越して呆れてしまうほどだ。
応援したくても何をどう応援すればいいのかわからない。本当にそれくらい穏やかすぎる田園風景なのである。

終点の北条町駅に到着すると、駅でレンタサイクルを貸してくれるのでさっそく申し込む。これでばっちりだ。
加西市でまず最初に訪れたのは、旧播磨国三宮の住吉神社だ。1851(嘉永4)年再建の社殿は国登録有形文化財。
東隣が行基が創建したという酒見(さがみ)寺で、住吉神社とは境内がいちおう分かれているが、半ば一体化した感触。
というわけで、先に酒見寺からご紹介。神社も寺も何度も火災に遭っているが、酒見寺の方が古い建物が残っている。

  
L: 酒見寺の楼門。1825(文政8)年の築だが、かなりのインパクトがある。まずこの風格に圧倒された。
C: 楼門をくぐって境内の様子。銅の灯籠が並んでいる。  R: 楼門をくぐってすぐ左手にある引聲堂(常行堂)。

  
L: 多宝塔は1662(寛文2)年の築で、国指定重要文化財。  C: 独特なフォルムの本堂。1689(元禄2)年の築。
R: 鐘楼。1664(寛文4)年の築。極彩色の色づがいが見事である。こんなのがさらっと建っているんだもんなあ。

ではいよいよ住吉神社だ。歴史ある神社ということで御守を期待していたのだが、残念ながらなさそうな気配。
それでもさすがに建築は見事で、夢中でデジカメのシャッターを切ってまわる。わざわざ訪れた甲斐があった。

  
L: 住吉神社の境内入口。酒見寺の楼門からそのまま西にスライドするとこうなる。  C: 拝殿。ちょっと独特。
R: 裏から眺めた本殿。東・中・西の3棟が並ぶ姿は確かに住吉三神。見事なだけに、御守があればよかったなあ……。

 酒見寺と住吉神社の境内の間には池があり、そこを渡る石橋。酒見寺側より撮影。

いったん北条町駅まで戻り、加西市役所へと向かう。北条鉄道に乗っている間はその沿線の何もなさに呆れたが、
いざ加西市内を走ってみると、駅のすぐ近くにイオンモールがあるし、加西市役所周辺は再開発で郊外型店舗が点在。
神戸電鉄粟生線と北条鉄道北条線が思いっきりローカルだった分を、一気に取り戻すと言わんばかりの気合いを感じる。
宍粟市の山崎もそうだったけど(→2014.2.23)、果てしない田舎の中で、なんだか「陸の孤島」といった雰囲気なのだ。
播磨地域は鉄道が市街地の勢いとあまり関係がないものなのか。突如として市街地が現れる感じは、ちょっとほかにない。

 
L: 北条町駅。「ほうじょうまち」が正しいのだが、どうしても音のリズム的に「ほうじょうちょう」と言いそうになる。
R: 市街地を行く。比較的最近に再開発されたのか、小ぎれいな街並みに郊外型店舗が余裕を持って散らばっている。

ほどなくして加西市役所に到着。加西市は1976年に3町の合併で誕生しており、そこまで新しい市というわけではない。
ただ、市役所のある中心部が北条町(こっちは「ほうじょうちょう」)であったところを郡名から加西市としたので、
なんとなく違和感をおぼえてしまう。平成の大合併に近いスタイルで、それが静かに時間経過したらこうなるって感じ。
なお、加西市は「かさいし」である。「西」が「さい」なのか「せい」なのか、これが意外と難しい(→2016.7.18)。

  
L: 加西市役所。右が7階建ての本庁舎棟、左が4階建ての議会棟。  C: 中央がエントランス。ガラスで囲っている。
R: まずは本庁舎棟からクローズアップしてみる。見てのとおり、質実剛健なオフィス建築である。実に標準的だ。

加西市役所は1989年竣工とのこと。なるほど確かに1980年代の保守系オフィス庁舎らしいシンプルな仕上がりだ。
その一方で側面が大規模なガラス張りになっている点、本庁舎棟と議会棟をアトリウム風につないでいる点など、
来たる平成オフィス庁舎を先取りする大胆さも併せ持っている。時代の特徴をはっきり反映した好例であると思う。

  
L: 南側から眺めたところ。正面から見るとシンプルだが、実は側面が大胆というオシャレな水着みたいな建築ね。
C: 側面。こちらが南東になるわけで、就業時間中は建物内にしっかり自然光が入る工夫がなされているわけだ。
R: 東側、背面にまわり込もうというところ。正面とほとんど同じデザインとなっている。これはちょっと珍しい。

市役所の正面と側面には広大な駐車場が用意されているが、背面側はけっこう広めの芝生広場となっているのが独特。
とにかく空間を贅沢に使っている印象である。さっきも書いたとおり周辺は郊外型の店舗が余裕を持って点在しているが、
航空写真を見ると市役所の南東には非常に整然とした住宅地が広がっている。どちらも実にニュータウン的なのである。
おそらく市役所の建設は、このニュータウン整備計画の中心として進められたのだろう。当時の状況をぜひ知りたい。

  
L: 北東側の出入口から撮影。  C: 市役所の背面となる北側には広い芝生広場がある。でもただ芝生で広場なだけなのだ。
R: 一周して西側から撮影。正面側に戻ってきた。議会棟は本庁舎棟をきれいにミニチュア化したデザインなのも特徴的。

平日なので当然、市役所の中に入ってみる。本庁舎棟と議会棟のつなぎであるエントランスから両側を眺めるが、
さすがにかなりの開放感がある。そして本庁舎棟には独自のアトリウムがあって、やはり当時としては先進的だなと思う。
インターネットでの検索では設計者がわからなかったが、勘のいい組織事務所がやっていそうな気がするなあ。

  
L: エントランスに入って左手、議会棟側を向いたところ。  C: 反対側、本庁舎棟側を向いたところ。
R: 本庁舎棟へさらに入っていったらこんな感じ。こっちはこっちでアトリウムがあるのがわかる。

この後の神社ラッシュを考えて1時間ほどしか滞在できなかったが、そのわずかな時間だけでもいろいろ楽しめた。
加西市の場合、特に市役所を含めて街づくりの痕跡を追いかける面白さが抜群で、ぜひ歴史を知りたいと思った。

北条鉄道と神戸鉄道をそのまま戻って新開地駅まで行ってしまう。時間が非常にタイトなので迷ったが、
乗り換えて1駅揺られ、高速神戸駅で下車する。地上に出てすぐのところにあるのが楠木正成を祀る湊川神社である。
昨晩もっこすからの帰りに脇を通ったのだが、きちんと参拝するのは初めてなのだ。なんで今まで来なかったのか。

  
L: 多聞通越しに眺める湊川神社。さすがに規模が違うぜ。  C: 社号標を入れてちょっとかっこよく撮影してみた。
R: あらためて表門を撮影。非常に独特で、三ツ鳥居を模したように思える。徐福公園の楼門(→2013.2.9)に似ているかな。

楠木正成はさすがに南朝のエースであり勤王派にとってのスーパースターということで、神社の規模も非常に大きい。
湊川は楠木正成が戦死した地であり、ここに南朝側の人物を祀る神社が創建されたことで新たな神社の流れができた。
明治に入って建武の新政に関わった人物を祀る建武中興十五社がつくられたが、国家が人間を神として祀り、
その人の縁のある地(最期の地)に神社を設立するという手法が成立したのは、この湊川神社の影響が大きい。

  
L: 参道を行く。市街地の真ん中にあるのにずいぶん長い。  C: 拝殿。  R: 拝殿から振り返って眺める。

もうひとつ、天皇を祀って「神宮」を号する神社が明治に入ってから大規模に整備された動きも興味深い。
こちらは都市計画レヴェルなので建武中興十五社とは規模が異なるが、それでも根底に通じる価値観はあるはずだ。
(具体的な例は、橿原神宮(→2010.3.292015.9.20)、平安神宮(→2011.5.152014.12.13)、
 昭和に入って近江神宮(→2014.12.13)。宮崎神宮(→2009.1.82016.2.26)も同列と考えられる。)
王政復古の勢いで湊川神社を整備したところそれがひとつの基準となり、さらに大規模に新たな神宮が整備された、
そういう流れが感じられる。天皇の物語を投影した空間を考えるうえで、湊川神社は示唆に富む事例なのである。

  
L: 社殿の脇にある菊水天満神社。菊水といったら楠公だもんな。  C: 本殿を覗き込む。  R: 反対側の奥には殉節地。

参拝を終えると素早く電車に乗り込んで西宮へ。レンタサイクルを借りると国道171号を一気に北へと走る。
阪急の線路を越えると南北に延びる廣田神社の参道にスイッチ。するとすぐに大きな看板と一の鳥居が現れる。
これがなかなか独特で、中央分離帯が歩行者向けの石畳の参道になっている。鎌倉の段葛っぽい(→2008.9.3)。
こちらは東側が2車線に対して西側が1車線と幅が異なるので規模は小さめだが、廣田神社の威厳は感じられる。

  
L: 廣田神社の参道。わりと最近になって整備したのか、ミニ段葛といった雰囲気。車線数が少ないのでやや地味だが。
C: 一の鳥居をクローズアップ。スロープもあって自転車でも通行可能。  R: 石畳の参道を快調に進んでいく。

というわけで、二十二社では最後の参拝となった廣田神社に到着である(丹生川上神社の完全制覇はまたいずれ)。
西宮駅から微妙な距離があったのと僕の無知とで参拝が遅くなってしまったが、これでようやくスッキリなのだ。

  
L: 参道を450m進んだところで左に真新しい鳥居が現れる。  C: 進んでいって神門。規模の大きさに感心する。
R: 境内の様子。いきなり緩やかな傾斜のある広場に放り出された感覚で、最初、何がなんだかよくわからなかった。

そもそも、「西宮」とは廣田神社のことなのである。二十二社で兵庫県に鎮座しているのは廣田神社だけ。
なるほど都から見れば最も西にある神社というわけだ。神功皇后が天照大神の荒魂を祀ったという由緒がある。
戦前には広田山の西側、つまり現在の公園部分に鎮座していたそうだが、空襲で全焼してしまったため、
現在は山の東側に移ったとのこと。境内に不自然な傾斜があり、神社らしく整備されている部分が限られているのは、
どうもそれが理由のようである。境内本体よりも参道の方に力が入っている辺り、価値観が垣間見えて面白い。

  
L: 広場から右側(北)に向き直ると、きちんと整備された社殿となる。立派な参道と社殿の間に公園が挟まる独特さ。
C: 拝殿。同じ祭神を祀る内宮・荒祭宮の旧社殿を譲り受けた。  R: 本殿を覗き込む。有刺鉄線は無粋でござるよ。

なお、阪神タイガースには球団創立時から廣田神社に必勝祈願の参拝をする伝統行事があるそうで、
奉納されている酒樽のいちばん上はタイガース仕様になっていた。なるほど、虎党の聖地というわけですな。

 灘が誇る錚々たる銘柄の上に阪神タイガース。

さて西宮に来たからには西宮神社にもお参りせねばなるまい。御守もまだきちんと頂戴していないし。
本日のラストは西宮神社への再訪問で締めるのだ(前回のログ →2009.11.21)。写真もきちんと撮っていく。
なお、西宮神社はえびす宮総本社ではあるが、もともとは廣田神社の境外摂社としてスタートしている。

  
L: 境内東側の表大門。  C: 南側の南門。  R: 南から入って左手に沖恵美酒神社。

  
L: 境内の様子。カーヴして社殿へと向かう。  C: 南宮神社。こちらの管轄は今でも廣田神社とのこと。
R: カーヴを越えるとまっすぐに延びる参道。でもゴール近くにある鳥居の辺りで微妙に石畳がブレる。

  
L: 最後にもう一丁左に曲がって社殿。  C: 正面から拝殿を眺める。  R: 奥の本殿。きらびやかね。

さすがに人気のある神社だけあり、御守のデザインは複数あって凝っている。いい気分になりつつ頂戴すると、
レンタサイクルを返却してちょっと遠いJRの西宮駅から新大阪へ。ハードな旅行だったが、存分に楽しめた。


2017.2.26 (Sun.)

3連休・兵庫旅行の中日である。本日は朝イチで姫路の神社を攻略し、市役所めぐりをしつつ東へと移動していき、
最後にはやっぱり神戸の神社を押さえるという予定である。神戸ってけっこう神社だらけな土地なのよね。

7時過ぎ、昨日と同様に姫路駅の北口からバスに揺られる。しかし書写山が北西方面だったのに対し、今日は北東方面。
陸上自衛隊の姫路駐屯地と姫路競馬場の東側にある交差点で、なんとも大雑把な区画だなあと思いつつバスを降りる。
本当はもうちょっと北へ行ったところにもバス停があるのだが、時間の都合でこの「白国南口」が限界なのだ。
面倒くさい道のりになることはわかりきっていたので、毒食わば皿まで、と覚悟を決めてのスタートである。

そんなわけで朝っぱらから、緩やかな上りとなっている住宅街の道をトボトボ歩いていく。実に面倒くさい。
1kmほど進むと、住宅が終わっていよいよ山道へと入る雰囲気に。ここが「広峰」のバス停ということで、
つまり本日最初の目的地は広峯神社なのだ。牛頭天王・祇園系の神社の総本宮のひとつに位置づけられる存在だ。

 
L: 住宅地を抜けると山道がスタート。毎度おなじみ気力体力まかせの参拝が始まるよ! トホホ。
R: よく見たら、道路の脇にはこのような丁石があった。舗装されてもしっかり残っているのがよい。

道は急に細くなり、山陽自動車道の下を抜けると「歩行者なんてどうせ通らねえだろ」といった雰囲気になる。
きちんと整備されているのだが、どんどん山の上へと向かっていくのがわかり、どこまで行くのかと途方に暮れる感じ。
途中に姫路市街がよく見える箇所があるのだが、ここまで登ってきたのか、と自分で自分に呆れてしまったよ。

 
L: だいたいこんな感じの道を行きます。  R: 姫路市街を見下ろす。中央右が姫路駐屯地と姫路競馬場。

最初の鳥居が現れるまで30分。距離としては大したことないのだが、ひと気のない山道はやはり不安になるもの。
ほっと安心して境内へと入る。参道は舗装された左と山に入る石段の右という二手に分かれていて、少し迷った末、
朝でまだ元気なので山道コースを行く。石段を上っていくと石垣があり、そこはちょっとした広場になっていて、
端っこに天祖父社の社殿があった。その先は参道の両側に土塀が並ぶ下り坂で、住宅やその跡地が点在している。
これは社家の屋敷で、広峯神社ではこの社家のみなさんが御師として動くことで大きな影響力を発揮していたそうだ。

  
L: 広峯神社の鳥居に到着。  C: 鳥居をくぐると参道が二手に分かれている。  R: 山側の参道沿いの天祖父社。

予定より早く、8時半前には無事に広峯神社に到着。天気がよくて助かった。雨で山道をトボトボ歩くのはかなわん。
とりあえずシャッターを切りながら境内を探索してまわる。早朝なのでほかの参拝客がほとんどいないので快調である。

   
L: 広峯神社。門の前に石柱が2つ並んでいるが、これはどちらかというとお寺のスタイル。神仏習合の雰囲気が感じられる。
C: 門前にたたずむ宝篋印塔。しれっと置いてあったが、国指定重要文化財なんだよな。ふつうは奥まった林の中にあるが。
R: 広峯神社の拝殿。やはりお寺っぽい。手前にあるのは八方位のやつで、やはり牛頭系だなあと(大将軍八神社 →2016.6.12)。

境内で目立っていたのは黒田官兵衛孝高に関するもの。2014年の大河ドラマが『軍師官兵衛』だったこともあり、
そもそも姫路全体が官兵衛ブームに乗っかっていることもあるのだが、広峯神社はさらにやる気を感じさせる。
黒田官兵衛の祖父・黒田重隆が広峯神社の社家とともに目薬を売って財をなし播磨国の武士として定着したそうで、
また親戚が社家のひとりとなっていたようで、官兵衛は幼少期から広峯神社に出入りして知識を蓄えたとか。

  
L: 境内の様子。門から拝殿までが近く、敷地が横長な感じがするのがまた、お寺っぽさを感じさせる。
C: 黒田家三代(重隆・職隆・官兵衛)が描かれた看板と、蘇民将来を祀る地養社。蘇民将来とは実に祇園系である。
R: 「開運 福付 おみくじ」はいいが、ガチャガチャのカプセルとは驚いた。中身は招き猫・ダルマ・リラックマの3種。

社殿を覗き込むと、そこはやはり伝統ある神社らしく、威厳を感じさせる要素にあふれている。
拝殿の幅も広かったが本殿も同様で、主祭神を祀る正殿と配神を祀る右殿と左殿を横に一体化させているようだ。

  
L: 拝殿の隅には1717(享保2)年につくられたという神輿が置かれていた。  C: 拝殿の裏にある本殿。
R: 本殿を覗き込んでみるとこんな感じ。なんと11間の造りということで、非常に独特。吊り灯籠がまた仏教的。

本殿の裏手にまわると7つの摂末社があるのだが、この配置がまた不思議なのである。手前の4つは本殿側を向き、
奥にある3つはお互いに内側を囲む向きとなっている。そもそも一定の広い空間に点在させること自体が不思議だ。
広峯神社は陰陽師としての吉備真備が創建したという話だが、ふつうの神道の枠には収まらない何かが今もあるのだ。

  
L: なんとも不思議な配置の摂末社。  C: 本殿の裏側には、一白水星から九紫火星までの九星の守護神が鎮まる穴がある。
R: ひっそりとたたずんでいる広峯薬師堂。かつてスサノオの化身の本地仏として祀られていた薬師如来を安置する。

せっかくなので、山の奥の方まで行ってみることにした。門前だけでなくこちら側にも社家の屋敷跡が点在しており、
あらためて広峯神社の影響力の強さを実感する。10分ほどで荒神社と吉備社に到着し、こちらもきっちり参拝。

 
L: 境内の案内板には「かんべえくん」が描かれている。これは社家・家守家の屋敷跡。しかし面白い名字である。
R: 最も奥まった地点には荒神社(手前)と吉備社(奥)。ずいぶん大きめの覆屋だ。両者の間には磐座もある。

参拝を済ませると拝殿・本殿の辺りまで戻る。無事に御守を頂戴すると、もったいない気もするけど下山を開始。
よく黙々とがんばってこの道路を上がってきたなあと自分で自分に感心しながら坂を下っていくのであった。

住宅地に戻ってくると、そこから今度は西へと入って白國神社に参拝する。安産と育児の神様ということで、
それだと僕にはまったく縁のない神社ということになってしまうのだが、それはそれ、これはこれなのだ。
先ほどの広峯神社とは対照的に、境内は緩やかな斜面をうまく利用して、まっすぐ延びる石段で威厳を演出する。

  
L: 住宅地を抜けると境内の入口。  C: 境内はまっすぐに石段が延びる。  R: 石段を上りきると拝殿。堂々としたものだ。

景行天皇の皇子・稲背入命が大和からこちらに来て屋敷を構えたが、孫の妃・高富媛が出産の際に大いに苦しんだ。
そのため安産を祈願したら、木花咲耶姫が現れて無事出産。それで木花咲耶姫を祭神に創建されたのが白國神社だ。
なお「しらくに」という地名は、新羅からの渡来人がこの地に定着したことに由来するそうだ。いろいろ興味深い。

 本殿。手前にあるのは干支が描かれた絵馬だな。とってあるのね。

帰りもバスのお世話になって姫路駅を目指すが、なんと「世界遺産姫路マラソン」とぶつかっており、市街地は大混乱。
しょうがないので途中で下車して次の目的地である神社を目指す。大手前公園はいつも以上に混雑していたなあ。

姫路城の南東側にあるのが、射楯兵主神社。「いたてひょうずじんじゃ」と読むが、播磨国総社と呼ぶ方が一般的かも。
ちなみに「そうしゃ」と濁らず読むらしい。いろいろ面倒くせえなあとちょっと思うが、気を取り直して参拝する。

  
L: 南側の国道2号から見た一の鳥居。  C: 進んでいくと神門。  R: 神門をくぐって左手の恵美酒社・住吉社。

射楯兵主神社は射楯大神と兵主大神を祀っている。射楯大神はスサノオの子、五十猛命。兵主大神は大己貴命。
この大己貴命は播磨国一宮・伊和神社(→2014.2.23)の祭神(伊和大神)でもあり、両者は関係が深いそうだ。
祭りにはそれがはっきり現れており、伊和神社では61年に一度「三つ山祭」が、21年に一度「一つ山祭」が催される。
これをもとにして、射楯兵主神社では60年に一度「一ツ山大祭」が、20年に一度「三ツ山大祭」が催されている。

  
L: 神門からまっすぐ進んで拝殿。  C: 奥にまわり込んで本殿を眺める。保護する金網の方が目立っていて残念。
R: 総社だけあって、摂末社の密度がすごいことになっている。ありとあらゆるご利益を司る神社が集められている。

御守を頂戴したのだが、特に面白かったのが「しあわせさん(幸せ山)守り」である。もともと祭りの山車とは、
磐座を持つ山をかたどったものから来ている。三ツ山大祭・一ツ山大祭では5色の布を巻いた五色山(高さ18m)をつくり、
そこに神を降臨させるのだ。「しあわせさん(幸せ山)守り」は、その五色山が3つあしらわれたデザインとなっている。
つまり三ツ山大祭を図案化しているというわけだ。神社の誇りを味わえる御守は、目にするだけで本当にうれしくなる。
最初のうち「いろいろ面倒くせえなあ」なんて思っちゃってすいません。こういう正統な面倒くささは尊重してナンボ。

 
L: 境内の西側に2006年に再建された総社御門。マラソンのせいで撮影するのが本当に大変だった。
R: 総社御門は姫路城方面からだとかなりのインパクトで迫るが、抜けた先の西参道はこんな具合。

参拝を終えて姫路城方面に戻ろうとしたら、総社御門の南側に興味深い建物を見つけた。姫路モノリスという名前で、
現在は結婚式などに使われるレストランとなっている。アール・デコというには装飾が少ないが、モダニズム精神満載だ。
もともとは1930年築の旧逓信省姫路電信局別館であり、関東大震災の復興建築の流れを汲んでいるという。
公式サイトを見るに、中はだいぶ派手に改装されているようで残念。外観と対照的にしたかったのかもしれないが、
僕にはやりすぎに思えるなあ。結婚式場だからって力を入れすぎて、建築本来の美しさを相殺している感触だ。

 内装は外観が漂わせる深い精神性を理解していないっぽい。下品とすら思う。

さて、せっかくの姫路である。ここは一発、やはりきちんと姫路城にお邪魔しておくべきではないだろうか。
姫路城には8年前に登城しているが(→2009.11.21)、平成の大修理が終わって「白すぎる」状態になってからは、
遠くからちょこっと眺めただけなのだ(→2014.7.20)。あらためてきちんとお邪魔してみようではないか。

  
L: というわけでやってきました姫路城。やはりこの威容は、ほかの城にはない別格のものなんだよなあ。
C: 三の丸広場から見たところ。広場はマラソンのせいでぐちゃぐちゃな混雑具合だった。しかし白いな。
R: では重要文化財の菱の門からお邪魔します。姫路城は天守と櫓が国宝だが、あちこちが重要文化財なのだ。

いつも観光客だらけの姫路城だが、マラソンによる大混雑が抑止効果になっていたのか、城内は三の丸よりマシだった。
まっすぐ歩くのが難しいほどの大混雑を抜けてきたせいで、相対的にそう感じただけなのかもしれないけど、
それなりにテンポよく動くことはできた。もっとも、大天守の最上階にある長壁神社を撮るのはかなりつらかったが。

  
L: 菱の門を抜けてから眺める天守群。よく考えると、天守「群」って表現ができるのってすごい。姫路城は特別だわ。
C: 大天守の内部。もうスケールが違う。  R: 大天守最上階の長壁神社。空襲でも焼けなかったからご利益あるよね。

前回登城時はわりと夕方だったが、今回はちょうどお昼もいいところ。天気もいいし、大天守からの眺めを撮ってみる。

  
L: まずは南、三の丸広場方面を中心に。  C: 大手前通りをクローズアップ。姫路城から見ても見事なものである。
R: 東側。手前は姫路市立美術館。1905(明治38)年に姫路陸軍兵器支廠の倉庫として建てられた。実は先代の姫路市役所。

  
L: 北側。手前はシロトピア記念公園となっている。山の真ん中やや左側にはさっき参拝した広峯神社が鎮座している。
C: 西側。折れ曲がりながら連なる西の丸の櫓と「百間廊下」がよく見える。その内側は藩校にちなんだ名前の庭園・好古園。
R: あらためて備前丸から見上げる大天守。姫路城の規模にはただただ圧倒されるよりない。城郭建築の究極形だよなあ。

思う存分に姫路城を堪能できた。満足すると、動物園経由で素早く城を後にする。商店街を一気に通り抜けて、
JRではなく山陽姫路駅から電車に乗って東へ向かう。海沿いの山陽電鉄でないと次の目的地に行くのが難しいのだ。

伊保という駅で降りて、川を渡ったところにあるのが高砂市役所。北側にある分庁舎(議会棟)から見たのだが、
なかなかのこだわりを感じさせる建物である。そのまま南にまわって本庁舎を正面から眺めるが、見事な昭和モダン。
調べてみたら本庁舎は1957年竣工、分庁舎は1968年竣工とのこと。残念ながら設計者はわからなかったが、
「高砂市役所」という書体と配置からして、きちんとモダニズムのセンスを持った人が設計したことは明らかだ。

  
L: 高砂市役所を東側から見たところ。モダンだ。  C: 正面から見るとこんな感じ。高度経済成長期のモダンっぷり。
R: 少し西側から近づいてみたところ。車寄せの威圧感を拒否して、親しみやすさを演出する意図が感じられる造りだ。

竣工から60年ということで、やはり建て替え計画進行中となっている。これだけ端正な純度のモダン庁舎は珍しいので、
個人的には非常に残念だ。新しい庁舎は東畑建築事務所大阪事務所の設計で、2021年秋に供用開始の予定。
周辺の整備が完了するのは2022年になるようだ。5年後に……また来ることになるのかな……。いろいろ無念である。

  
L: エントランス付近。「高砂市役所」の配置が非常にいい感じ。往年のモダニズム建築らしい品格を感じさせる部分だ。
C: 中を覗き込んでみた。内部はそれなりにリニューアルされている感触。  R: 南西側から眺める。けっこう幅があるのだ。

一歩間違えると味気ない量産オフィス建築となってしまうのだが、高砂市役所は昭和30年代ならではの雰囲気が強くて、
矩形ならではの美学をところどころで感じさせる。こういう建築空間が失われていくことで、時代の感覚というものは、
不可逆的に更新されていくんだろうなと思いつつシャッターを切る。この市役所が消えてしまうのは本当に惜しい。

  
L: そのまま背面にまわり込む。後ろに望楼が付いているのは、かつて消防本部があった名残なんだそうだ。
C: 北東側から撮影。このまま右に視線を移すと分庁舎となる。  R: 東側の側面。正面と比べて質実剛健。

せっかくなので分庁舎もきちんと撮影しておく。こちらは鉄筋コンクリート万能時代のモダンデザイン全開で面白い。
当時のよくあるパターン(市民会館とか典型)と言えるのだが、今後はどんどん貴重になっていくと思うと淋しい。

  
L: 南東側つまり本庁舎の東端から見た分庁舎。  C: 側面。コンクリモダン。  R: 北東側より眺める背面。

ちょろっと気軽に寄ってみた高砂市役所だったが、思った以上に見応えのある建築だった。建て替えが本当に惜しい。
そして高砂は市役所だけじゃなくって、駅周辺も面白かった。乗り換えの関係でいったん高砂駅で降りたのだが、
駅前に旧国鉄高砂線の廃線跡がかなりはっきりと残っている。10分ほどしか余裕がなかったので探検できなかったが、
新庁舎が完成した際には高砂神社とセットで周辺を歩いてみたいと思った。行きたい場所ばかり増えて困る。

そのまま山陽電鉄で山陽明石駅へ。やはり明石も以前来ていて駅周辺を歩きまわったが(→2009.11.21)、
今回はレンタサイクルでもう少し効率的に動く。まずはやっぱり明石市役所から。前回はデジカメのバッテリーが限界で、
本庁舎と議会棟を1枚ずつ撮って済ませた記憶がある。それじゃいかんだろうということで、あらためてきちんと見るのだ。

  
L: というわけでやってきました明石市役所。まずは手前にある駐車場(2階)から見た本庁舎と議会棟。
C: 本庁舎。こちらは高層の事務棟で、右側に低層の窓口棟がくっついている。  R: 駐車場から見下ろす。

明石市役所は1970年の竣工。手前にある2階建ての駐車場が独特だが、こちらは平成に入っての建設で(1989年)、
竣工当時はまた現在とは大きく違った姿をしていたと思われる。海に面している立地もまた独特で興味深い。

  
L: 1階レヴェルから見た場合こうなる。  C: 駐車場からアプローチした事務棟。  R: 1階の中を覗き込む。

前回のリヴェンジということで、とにかく写真を撮りまくる。いろんな角度から撮れるので、それだけで面白い。
敷地を抜けて海の方まで行くことができるので、釣り人に混じってできるだけ端っこまで行って振り返って撮影してみる。

  
L: 北東より市民会館側を背にして撮影。  C: 釣り人がいっぱいいる海側から眺めた明石市役所。  R: 本庁舎。

さらに議会棟も撮影。明石の場合、デザインは異なるものの議会棟も本庁舎と一緒に建てられている。

  
L: 駐車場側から見た議会棟。  C: 北東側にまわり込んで撮影。  R: 東側の側面、本庁舎の向かい。

なお、本庁舎の北東には明石市民会館があり、1971年の竣工ということで、市庁舎とセットだったことがうかがえる。
駐車場を挟んで反対の北西には似た配色で分庁舎があり、こちらは1979年の竣工。当時の整備の勢いが知りたい。

  
L: 分庁舎。本庁舎の量産型って感じ。  C: 明石市民会館。駐車場とセットで市役所と一体化している印象である。
R: 市役所付近から明石海峡大橋を眺める。この風景をボケーッと眺めながら釣りをするのもいいですなあ。

あとは前回も訪れた場所をテンポよくまわりつつ、次の目的地へと向かう。中崎公会堂も天文科学館もはずせないのよ。

  
L: 中崎公会堂。1911(明治44)年の竣工当時は海に面していたとのこと。  C: とりあえず玄関を見てみる。
R: 手前が墓地でおなじみの明石市立天文科学館。1960年の開館で、建物が国登録有形文化財になっていることに驚いた。

天文科学館も手前の人丸前駅も東経135度の日本標準子午線が通っているが、その「人丸前」とは何のことか。
「人丸」とは「人麻呂」、つまり柿本人麻呂。明石市立天文科学館の裏山にある柿本神社こそが、次の目的地なのだ。
柿本人麻呂は飛鳥時代の人なので、いろいろと謎が多い。彼を祀る柿本神社は益田にもあったが(→2016.4.3)、
こっちもいちおうお墓があったということで神社がつくられているのだ。それだけの人気があるんだなあと思いつつ参拝。

  
L: 柿本神社の東側、人丸山公園にある鳥居。左側は明石市立天文科学館。見事にくっついております。
C: 石段を上りきって右手が境内。  R: 拝殿。こうして見るとふつうのきちんとした神社である。

柿本人麿が「歌聖」と崇められていることから学問のご利益はもちろん、人丸=「人生まる」「火止まる」ということで、
安産や火除にもご利益があるとされているそうだ。それくらいの言葉遊びが展開されるところに日本語の深さを感じる。

 
L: 本殿。  R: 境内から出ると日本標準時子午線の標示柱がある。天文科学館と重ねて見る私は東経135度に立っている。

せっかくなので、最後に明石城の城内を抜けて明石駅へと向かう。城内は公園としてしっかりと面積がある。
もともと天守のない城で、重要文化財の櫓を眺めながら駅へと下っていく。明石城址は最高の憩いの場だと思う。

  
L: 前回は坤櫓なので(→2009.11.21)、今回は巽櫓の写真を貼る。  C: 明石城址はいい感じの公園だ。  R: 天守台。

 坤櫓を見上げる。姫路城が近いので明石城を地味に感じてしまうが、やはりすごい。

明石を後にすると、やはり山陽電鉄で東へと向かう。山陽垂水駅で下車してすぐのところにあるのが海神社。
正式には本居宣長説にもとづき「わたつみじんじゃ」と読むが、「かいじんじゃ」と読むのも一般的であるらしい。
(なお、公式サイトのURLは「kaijinja」となっている。この規模でどちらで読んでもいいというのはなかなか面白い。)
駅の手前がすぐ境内なのだが、そこはきちんと正面から参拝すべく海の方までまわり込む。鳥居から漁港がすぐそこだ。

  
L: 漁港からすぐの位置にある一の鳥居。  C: 国道2号を挟んで境内。  R: 鳥居をくぐるとこんな感じ。車もあって開放的。

境内には平然と車が停まっていて驚いた。どうやら境内が駐車場として利用されているようなのだ。びっくりである。
もともと海がすぐの駅前という立地で十分な駐車場が確保できなかったから、開き直って境内を駐車場にしたのだろうか。
まあそもそも海神社の祭神・綿津見三神は航海安全の神様であり、交通安全は最も得意とするご利益ということで、
車に対して寛大なのだろう。神社にしては木々が少なめで、やはり陸地に社叢をつくるより海に意識が向いている感じだ。

  
L: 拝殿。  C: 右手にまわると本殿。これだけすっきり眺められるのは珍しくて、都会型な神社だと思う。
R: 拝殿の向かって左側には、宝物館と蛭子大神・猿田彦大神・稲荷大神を祀る社殿。ここから駅まで50mくらいか。

さあラストスパートだ。なんとか16時前には本日最後の神社にたどり着きたい。山陽垂水駅から直接、高速長田駅へ。
神戸の私鉄は地味にいろいろ入り組んでいて、正直ワケがわからない。わからないけど地上に出ると、商店街を進む。

  
L: 地下鉄長田駅の入口脇にある長田神社の社号標。こんな状態になっている例はさすがに初めて見た。
C: 長田神社前商店街。鳥居を模したアーチに長田神社の影響力の大きさを感じる。  R: 商店街側の境内入口。

長田区は阪神淡路大震災で大きな被害を受けており、旧来の商店街に混じって大規模に再開発された形跡もあった。
でもまあ正直なところ、街全体の雰囲気としてはガサガサ感が少し強めに漂っている印象。車の勢いがちょっと怖い。

  
L: 長田神社の正式な境内入口は商店街側ではなく、南側になる模様。  C: 鳥居をくぐって境内の中へ。
R: 長田神社の境内はなんとも特徴的で、東側が広場になっている。商店街側から入るとこんな感じである。

境内に入ったときには16時を過ぎており授与所はすでに業務終了モードだったが、社務所で無事に御守を頂戴できた。
ルート的にどうしても夕方の参拝にせざるをえなかったのだが、対応していただいてありがとうございました。

  
L: 境内の南側。建物としては絵馬殿っぽいが、「和敬清寂」と額が掛かっているので茶会でもやるんだろうか。
C: 拝殿。震災の際にかなり大きい被害を受けたそうだが、現在は立派な姿となっている。  R: 本殿。小ぶりだ。

由緒のある神社ということで、確かに長田神社の境内はずいぶんと落ち着いた雰囲気である。駅前とだいぶ違う。
帰りは商店街ではなく境内南側の鳥居からまっすぐ南下していったのだが、ごくふつうの穏やかな住宅街だった。

  
L: 左が蛭子社つまり恵比寿様。右が出雲社つまり大黒様。蛭子と出雲を意識して並べているのはけっこう珍しいのでは。
C: 摂社・楠宮稲荷社。アカエイの絵馬を奉納すると特に痔に効果ありとのこと。この裏には御神木のクスノキがある。
R: 境内からまっすぐ南下して神社を振り返ったところ。商店街ではなく、こちらの道がもともと参道だったわけか。

晩御飯にふさわしい時刻になるまで駅前の喫茶店で日記を書いて過ごす。そして地下鉄で大倉山へ移動する。
神戸の人気ラーメン店「もっこす」、その総本店でラーメンをいただこうというわけである。
もっこすは今月4日にスープ工場が火災したというニュースが話題になっており、その反応が大きかったので、
それはさぞかし旨いのであろう、と思ったのである。食べることが支援になるだろうし。というわけでいざ出陣。

 
L: もっこす総本店にやってまいりました。  R: ラーメン。なるほどこういう系統ですか。

たまに無性に食べたくなる感じのガテン方面ラーメンでございました。しかし解せないのは、なぜ「もっこす」なのか。
「もっこす」といえば肥後さ、熊本だろう。ラーメン食ってもこの謎は最後まで解けなかったのであった。わからん!

せっかく神戸にいるので、久しぶりの東急ハンズ三宮店まで足をのばす。スキップフロア的なつくりになっていて、
特に6階で高い方から低い方のフロア全体を見渡せるのがいい。2階も売り場面積を犠牲にして吹抜としていて面白い。
やっぱり建物じたいにこだわりがあると、その店を訪れるという空間的な体験も魅力的になるものだと実感した。


2017.2.25 (Sat.)

毎年恒例、学年末テストにともなう3連休を活用しての旅行である。しかしながら、市役所探訪にはあまり向かない。
まず、冬場は昼が短いので建物の撮影に適する時間が短い。そして太陽の位置が低いので、陰影の強弱がキツくなる。
そうはいっても貴重な3連休、動かないのはもったいない。ある程度は妥協して、スケジュールを組んでいくのだ。

さて、今回のテーマは兵庫県。訪れたい市役所もいっぱいあるし、参拝したい神社もいっぱいあるからだ。
市役所と神社というおなじみの課題を、考えられる最も効率のよいペースで制覇していく。腕の見せ所である。
スタート地点に設定したのは、姫路。最初はここを拠点に兵庫県の西側を攻め、内陸部にも切り込んでいく魂胆だ。

 
L: 早朝の姫路駅。前回訪問時は工事中だったが(→2014.2.22)、ついに完成したようだ。
R: というわけであらためて北口から姫路城方面を眺める。この威容こそ姫路の誇りなのだ。

前に姫路を訪れたのは3年前で、そのときは岡山スタートで赤穂・相生を抜けて姫路までやってきた。
今回はその逆で、姫路スタートでまず赤穂にリヴェンジする。それから相生を無視して播州龍野へ向かう。
つまりは御守目的である。でもそれだけで終わらせるつもりはなくて、午後には姫路に戻って初めての書写山へ。
なかなかのてんこ盛りとなっているのだ。なんとかがんばって、やり残したことをすべてやりきりたいと思う。

8時半すぎ、播州赤穂駅に到着。さっそく駅前でレンタサイクルを借りると、前回同様に坂越までぶっ飛ばす。
目的はただひとつ、大避神社の御守を頂戴することだ。道はわかっているので、快調に飛ばして境内に突撃。

  
L: 大避神社に到着。さっそく二礼二拍手一礼なのだ。  C: 拝殿の脇にある絵馬堂。  R: 拝殿をクローズアップ。

前回は絵馬堂の絵馬にひたすら圧倒されたが、あらためてじっくり眺めたら本殿も見事。1769(明和6)年の築で、
拝殿・神門と比べると20年ちょっと新しい。しかし年代のわりには木々が生き生きしていて、金具の緑青と対照的だ。
でもその差異が独特な美しさをもたらしているように感じる。再訪問できてよかったなあと思いつつ御守を頂戴した。

  
L: 絵馬堂にて。やっぱり迫力がすごい。  C: 兵庫県の文化財となっている楽船。祭りの際、中で雅楽を演奏したそうだ。
R: 本殿を覗き込んでみた。前回訪問時には拝殿にしか注目していなかったのが恥ずかしい。さすがに本殿も見事なものだ。

天気もいいし、坂越の街並みをまったく無視して戻るのも申し訳ない。数枚の写真を撮影しつつ、坂越を撤退。
せわしない再訪問だったが、もう一度来ることができたのは本当によかった。満足感に浸りながらペダルをこぐ。

  
L: 朝日の中の生島。  C: 海に面する家々は一段高く建てられている。  R: メインストリートはやはり雰囲気がある。

3年前と同様、千種川の左岸をそのまま南下していく。トンネルを抜けてまっすぐ行けば赤穂海浜公園だが、
今回は東側へと避けて南下する。そして半島の先っぽを上がっていくと、伊和都比売神社の境内にぶつかる。
赤穂を訪れる観光客にはなかなか人気があるようで、御朱印女子を中心に境内は人が絶えない感じである。

  
L: 陸路だと伊和都比売神社の境内には横から入っていく感じになる。  C: 一段下がって海側から見た鳥居。
R: 境内側から振り返る。伊和都比売神社は岬の突端に位置しており、海から参拝したくなる感じの神社なのだ。

伊和都比売(いわつひめ)神社という名前から想像されるとおり、式内社としての歴史を持っている。
そして祭神は播磨国一宮である伊和神社(→2014.2.23)の比売神とも言われる。参拝できてよかった。
なお、周辺の赤穂御崎は日本の夕陽百選に選ばれているそうなので、赤色の「健康の御守」を頂戴しておいた。

  
L: 道路で横からまわり込むとこの光景。  C: 拝殿。唐破風がやや大きめというか。  R: 本殿。

最後は前回も参拝した大石神社だ(→2014.2.22)。実を言うと3年前には(も?)不倶戴天の敵とバトルの真っ最中で、
大願成就の御守を頂戴したらこれが抜群の効果を発揮してくれたのであった。今回はそのお礼参りでもあるのだ。
大石神社には感謝の気持ちしかございません。できる限りで礼儀正しくふるまいつつ、あらためて二礼二拍手一礼。

  
L: あらためて撮影する大石神社。広大な赤穂城址の端ということもあって、境内はとっても開放的である。
C: 神門。右側の像は大石内蔵助で、左側の像は大石主税。  R: 境内。観光客が多くて忠臣蔵人気が実感できる。

せっかくなので、ふつうの御守だけでなく、大願成就の御守を受け直しておいた。効くと思うと安心感があるのね。
さらに大石内蔵助が描かれた勝守と、討ち入りモードになっているハローキティの御守まで頂戴した。面白い。

  
L: 義士宝物殿。あらためて見事なもんだと思うのであった。  C: 拝殿。   R: 境内の外から眺めた本殿。

赤穂の再訪問はなんとしても果たしたかったので、これでようやくスッキリした。天気にも恵まれたし、
言うことなしである。やりたかったことをすべてやりきることができて、本当にありがたい。

 赤穂城大手門にて。

せっかくなので、最後に赤穂市役所も再訪問。3年前(→2014.2.22)と大して変わらない角度からの撮影となったが、
邪魔な車を避けての撮影ができた分だけマシだと思うことにする。ま、当方どうせ大して成長してませんので。

  
L: まずは南側から撮影をスタートなのだ。  C: 南西側から。  R: さらに西側へとまわっていったところ。

  
L: 北西側より眺める。  C: 北側の駐車場から隙をうかがって撮影。  R: 北東側より。まあこんな感じで。

播州赤穂駅を出ると、竜野駅で下車する。3年前の日記にも書いたが、龍野の中心部は山陽本線の竜野駅ではなく、
姫新線の本竜野駅が最寄りになる。竜野駅からだと根性ではどうにもならないくらいの距離があって困るのだが、
たつの市コミュニティバスのお世話になればどうにかなる。日祝運休なので今日しかチャンスがないってわけで。
駅前で15分ほど待つと、無事にバスがやってきた。10分ほど揺られて日山というバス停で下車し、住宅地を歩いて抜ける。
そうして到着したのは、粒坐天照神社。いいぼにますあまてらすじんじゃ。いまだに読み方があやしくて申し訳ない。
ちょうどお祭りの真っ最中で、それでテンポよく御守が頂戴できた感じである。運がよかったと思っておこう。

  
L: 粒坐天照神社。地元の子どもが乗ってきた自転車が何台も置いてあるんでやんの。  C: 相変わらずの石段。
R: 参道を少しはずれて神門を撮影。名前から想像できるとおり、境内のつくりは確かな歴史を感じさせる。

  
L: 神門から境内の脇を眺める。祭りの舞台が設置されている。  C: さらに石段。その先にあるのが絵馬殿。
R: お祭り中の絵馬殿。お菓子が地元の子どもたちに配られていた。なかなかの賑わいぶりで何よりです。

  
L: 今回も絵馬殿から拝殿を覗き込む。  C: やはり風格を感じさせる本殿。  R: お隣の摂社・菅原神社。

前回は自転車を借りたので移動が楽だったが、今回は徒歩なので大変。それでも気合いで龍野神社へ駆け上がる。
3年前にも愕然とさせられた龍野神社だが(→2014.2.23)、こちとらもう覚悟は決まっているので怖くないのだ。
なお、途中の聚遠亭で「龍野神社に御守はない」と確認できたので、半ばヤケを起こしての暴走である。
で、暴走ついでにさらに上がって野見宿禰神社まで行ってしまったのであった。前回そこまで行かなかったからね。

  
L: 前回はきちんと撮影しなかった龍野神社の本殿。こうして見るととても美しい。……が、足元は日陰でグチャグチャ。
C: 龍野神社への参道の途中で分かれている、野見宿禰神社への参道。いちおう鳥居でわかるが、雰囲気は完全な山の中。
R: それでも龍野公園展望台まで出てしまえば、参道は実に威厳のある姿へと変化する。と同時に、石段に足がすくむ。

野見宿禰といえば相撲の元祖であり、龍野という地名の由来となった人だ(詳しくはこっちを参照 →2014.2.23)。
そのエピソードを思わせるように、野見宿禰神社は神社というよりむしろ、墳墓というような外観をしている。
街を見下ろす展望台よりも高いところで、古来から変わらないであろう姿で残っている。神話そのものを見た気がした。

  
L: 野見宿禰神社。石の扉に刻まれているのは野見宿禰と関わりがあるという出雲大社・千家氏の家紋(二重亀甲に剣花角)。
C: こうして見ると、神社や祠というよりも墳墓そのもの。龍野の伝説を思わずにはいられない姿である。
R: 龍野公園展望台から眺めたたつの市街。左側(揖保川左岸)の茶色がヒガシマルの工場。格別な存在感だ。

帰りは前回中に入れなかった、旧龍野醤油醸造組合本館にお邪魔した。この地にはかつて龍野町役場があったそうだ。
立て看板によれば、「小学生が作った流し雛コンクール」の作品を展示中とのこと。まずは手前の旧事務所に入ってみた。
1924(大正13)年築で、1階は事務所と試験場を併設、2階の集会所大広間ではさまざまなイヴェントが催されたそうだ。

  
L: 旧龍野醤油醸造組合本館(※10月8日より観光交流施設「醤油の郷 大正ロマン館」としてリニューアルオープン)。
C: 手前のこちらが旧事務所。  R: 角度を変えて眺める。建物の角っこが入口になっているという珍しい形をしている。

正直なところ、当方、流し雛よりは建物そのものに興味があるわけで、入れる部屋にはあらかた入ってみた。
しかし入口に近い一部屋が展示スペースとなっているほかは特に使われておらず、古い事務所そのものなのであった。

  
L: 敷地の外から見た側面。  C: 廊下はこんな感じ。非常に狭い。蛍光透明プラスチックの室名札が独特である。
R: 部屋の中はこんな感じで、純粋な事務所建築なので実に質素なのであった。やっぱりどこか学校くさいなあ。

敷地入口から見て奥の方には1915(大正4)年築の旧醸造工場。こちらも流し雛の展示会場になっているが、
端の方にはレンガ造りの竈の跡が残されているなど、工場としての雰囲気はそれなりにきちんとある。

 
L: 旧醸造工場。最近きれいにリニューアルしたんだろうな。  R: 工場だった過去をしっかり感じさせる内部。

これで前回の借りは返した。本竜野駅から姫新線で姫路に戻ると、いよいよ書写山は圓教寺を目指す。
姫路といったらどうしてもまず姫路城だが、書写山だって国指定重要文化財がゴロゴロしていて無視できない。
市街地を歩いていても、書写山ロープウェイ行きのバスをそれなりに見かけるので、ぜひ一度訪れておきたかった。

というわけで、姫路駅北口からバスに30分ほど揺られて、まずはロープウェイ乗り場に到着。乗客はけっこう多い。
4分ほどで山上駅に着いてしまうので、行列に並んでいる時間の方が長かった。書写山って人気あるんだなあと驚いた。
さて、山上駅から先がなかなか独特で、しばらく行くとテントがあって、そこで入山志納金500円を支払う仕組み。
ここからバスのお世話になる場合は1000円となる。せっかくなので、山岳寺院の雰囲気をしっかり味わうべく歩く。

  
L: 見てのとおり、どちらかというと山道といった感じでスタート。仁王門まで5分ほど、摩尼殿まで15分ほど。
C: 途中、姫路の市街地を展望することができた。姫路城は真ん中の山の裏にあるらしく、残念ながら見えない。
R: 仁王門に到着。1617(元和3)年の再建で、シンプルながらも風格がある。ここからは山寺っぽい雰囲気に。

仁王門を抜けると宿坊や塔頭が点在するエリアとなり、権現坂という石段を下る。すると目の前に見事な堂宇が現れて、
思わず嘆息が漏れた。脇の石段を上ると、迫力満点の懸造。これだけ大規模で美しいものがこんな山の中にあるとは。
書寫山(山号は「寫」を使う)圓教寺は「西の比叡山」と呼ばれるほどの格式があることに、問答無用で納得させられる。

  
L: 湯屋橋を渡った辺りから見た摩尼殿。  C: 懸造が本当に見事なのだ。  R: 石段を上がりきると入口となる。

実はこの摩尼殿は、武田五一の設計で1933年に竣工したものであり、建物としてはそんなに古いものではない。
しかし京都電灯株式会社(現・関西電力京都支店 →2011.5.15)でもわかるように武田五一はモダニズムの人で、
(大阪市営地下鉄の「○」に「コ」のマークや、出身地・福山市のコウモリをあしらった市章などの意匠も手がけている。)
そのセンスを上下で二重の斗栱や豪快な懸造で存分に発揮している。個人的には、ファサードに唐破風を並べてみせた、
村野藤吾の新歌舞伎座(→2009.11.22)を思い出す。この摩尼殿と比べると、村野がだいぶポストモダンなのがわかる。
というよりも、摩尼殿が正統派のモダニズムなのである。本当に面白い建築をつくってくれたものだ!と感動する。

 「舞台」の様子。畳まれた扉もまたモダニズムの香りを漂わせる。

摩尼殿の先は上り坂となっている。室生寺もそうだったが、山の中に伽藍がつくられた山岳寺院というものは、
高低差による「見える/見えない」「現れる/消える」視覚的効果を巧みに演出する(→2012.2.192016.5.23)。
この突然性は平地の伽藍では絶対にありえないもので、参拝者に予想外の大きなインパクトを与えるものだ。
特に書寫山圓教寺は建物の規模が大きく、また歴史を感じさせる堂宇が多く、その分だけ印象が深いものとなる。

 さあ、何が出るかな?

坂道を上りきったところで視界に現れるのは、常行堂である。ただし正面ではない。一見して全容がつかめず、
右手からまわり込んでようやく事態が把握できる仕掛けとなっているのだ。最初に目にしたのはほんの一部の一部で、
実際にはそれは3つある堂宇のうちひとつ、しかも裏側でしかなかったことがようやくわかる。そして3つの堂宇は、
互いに中央を向き合う「コ」の字に配置されている。参拝者はいきなりその真ん中に立たされることになり、
自分が宇宙(寺院の伽藍は仏教における宇宙を表現したものだ)の中のちっぽけな存在であることを自覚させられる。
常行堂の一部を見つめる自分はマクロな存在だが、少し動いて視点を変えるだけで、巨大な3つの堂宇を眺める自分、
つまりミクロな自分を突きつけられるのである。実に見事な空間体験を味わわせてくれる。これが書寫山圓教寺なのだ。
なお、この3つの堂宇、常行堂・食堂・大講堂があるエリアは「三之堂(みつのどう)」と呼ばれている。

  
L: 常行堂の背面。1453(享徳2)年の築で、ここから見る限りは均整のとれた美しさを感じさせる。しかし……
C: 背面から右手にまわるとこの光景。これが参拝者が最初に見る光景であり、どんな建物なのかまるで見当がつかない。
R: 視線はそのままで右に動いて常行堂の側面。ここだけを取り出して見た場合、ほかに例のない実に異様な建物である。

  
L: さらに進むとこの光景。正面かと思った部分は正面ではなく、ひとつの堂宇の側面にしかすぎなかった。
C: 向かって右側が大講堂。下層が1440(永享12)年に、上層が1462 (寛正3)年に建てられたという。
R: 正面より眺める。わかりにくいけど中も内陣・外陣の二重構造となっており、こちらも独特な建物なのだ。

  
L: 真ん中から左側を向き、あらためて常行堂を眺める。実際にはこのような正面を持った建物だったのだ。
C: 正面に向き直る。唐破風の舞台がやはり独特。ちょっとコロニアルな雰囲気もあり(→2008.4.27)、不思議。
R: 食堂の2階から常行堂を見下ろしてみた。入母屋破風と唐破風のズレ具合が自然に感じられる。やっぱり不思議。

  
L: 真ん中にある食堂。長いし2階建てだし、やはりほかに例がない建築である。長く未完成だったが1963年に完成。
C: 角度を変えてファサードに注目。さっきの武田五一の摩尼殿に影響を与えたんじゃないかって気がするなあ。
R: 食堂の1階は写経道場となっている。2階は宝物館で、現役バリバリで現代的な用途で活用しているのがまた面白い。

  
L: 食堂の2階より。やっぱり摩尼殿に似てませんかね。  C: 奥之院に行く途中に見た食堂の側面。  R: 背面。

食堂の脇から下ってすぐに奥之院がある。偶然なのか意図的なのか、こちらも「コ」の字で建物が配置されている。
とは言っても規模は対照的で、顔を付き合わせた建物たちの中に「やあやあどうも」と入っていくような感覚で、
こちらはどこか親密さを感じさせるような空間となっている。だが、並ぶ建物たちはやはり風格満点である。
真ん中が開山堂で、右に護法堂、左にその拝殿。ということは、もともと純粋な神社建築だったところに、
後からいかにも寺院な開山堂を脇にくっつけて袋小路な空間にしたということか。3つとも国指定重要文化財。

 
L: 奥之院の中央に位置する開山堂。1671(寛文11)年の築。左には「弁慶の学問所」こと護法堂拝殿がある。
R: 開山堂の右側は護法堂。乙天社(右)と若天社(左)が並ぶ。春日造はよく並ぶなあ。1559(永禄2)年の築。

あともうふたつ重要文化財があるので、それを見にいく。三之堂の南西には鐘楼があって、その先は公園っぽい雰囲気。
進んでいくと、ひとりぼっちの金剛堂が竹の柵で囲まれてたたずんでいる。この鐘楼と金剛堂が重要文化財なのだ。
鐘楼は見た目がきれいなのでそんなに古く思えないが、鎌倉時代の築という。金剛堂はもともと塔頭のお堂であり、
ポツンと建っているのはそのため。塔頭がなくなって金剛堂だけが残ったのだ。なんだかちょっと淋しいなあ。

 
L: 鐘楼。しっかり修理されているのか、古さをあまり感じない。  R: 金剛堂。中には天女の天井画があるそうだ。

以上、存分に建築群を堪能すると、ロープウェイで下山する。バスのタイミングが合わずに少し待ったものの、
非常に興味深い空間体験をさせてもらったのでいい気分で過ごすことができたのであった。よかったよかった。

姫路駅に着くと、駅ビルのピオレ姫路の5階に入っている東急ハンズの姫路店へ。中身についてはワンフロアハンズなので、
まあこんなもんだわな、と。通路があって各区画がはっきりしており動きやすいのはいい。地域のオシャレ拠点な感じ。
ただ、工具が文具の一角に収まってしまっていて、ホームケア用品で数える程度しかないのは悲しいところである。
レジはすごい行列で大人気。個人的に面白かったのは建物内のサイン表示で、化粧室やら授乳室やら喫煙室やらに並んで、
いつものマークで東急ハンズの案内が出ていたことだ。しかもそこだけハンズのグリーン。目立っていていいじゃないか。

 設備の案内に混じる東急ハンズ。面白い。

そんな感じで3連休の初日は終了。明日は神社を中心に、姫路からだんだん東へと移動していく予定である。


2017.2.24 (Fri.)

どうにか一定の仕上がりはできた、あとはデバッグじゃ! プリントアウトを見てイラレで修正して、の繰り返し。
完成するとフラフラになりつつ街へ出る。プレミアムフライデーとか関係ねえし。単にテスト期間中なだけだし。


2017.2.23 (Thu.)

細部のところをがんばって考えるのだが、なかなかのスランプ。がんばって考えすぎなのか。ニンともカンとも。
変なところにこだわるとキリがなくなるのである。そこが気になっちゃうというのがスランプの本質に思える。


2017.2.22 (Wed.)

テストもいよいよIllustratorでの作業を開始。大まかな部分はできあがりつつあるが、細部がなかなかね……。
とはいえイラレまで来ちゃえば具体的なイメージが構築できるので、なんとか勢いで押し切りたいところだ。


2017.2.21 (Tue.)

せんべいにハマっているけど絶対に塩分採りすぎだよな。でもしょっぱいせんべいって本当にうまいの。


2017.2.20 (Mon.)

1,2年生にはプリントつくってレギュラー授業を準備して進めて、3年生には受験の過去問を用意して、
テストの問題づくりも進めていく。もうヘロヘロである。努力しているオレは美しい。でももう少しなんとかならんか。


2017.2.19 (Sun.)

練習試合である。最初は久々の11人どうしの試合だからか、狭くて最悪。基本技術が鍛えられると言えなくもないが、
だいたい同レヴェルどうしでやればそんなものはグチャグチャの蹴り合いという結果になってしまうのが関の山である。
人が少し減ってからはマシになったが、なんともイマイチな感触なのであった。難しいものであります。


2017.2.18 (Sat.)

昨年の誕生日をきっかけにやった「びゅく仙的名盤紹介(→2016.10.252016.10.262016.10.27)」だが、
第1弾と第2弾はあっさり決まるものの、第3弾が決まらない。ログでも書いたとおり結局のところ個人的名盤なんてものは、
その人が10代のときに衝撃を受けて延々とヘヴィローテーションさせていたアルバムでしかないのかもしれない。
じゃあもうここはひとつ開き直ってしまって、次点の候補をつらつらと挙げてみたいと思う。それはそれで面白そうだ。
基本的には、お気に入りのミュージシャンからいちばん気に入ったアルバムをそれぞれ1枚、という形式にしてみようか。
しかしながらこれがけっこうな分量になってしまいそうなので、とりあえず今日は高校時代前半くらいまでということで。

まずは昨年も挙げた(→2016.10.27)、東京スカパラダイスオーケストラの『GRAND PRIX』(1995年、エピックソニー)。
これはちょうどクリーンヘッド・ギムラが亡くなったタイミングで出たアルバムで、そのせいかゲストだらけになっている。
ギムラというカリスマが抜けたのは痛いが、誤解を恐れずに言うと、それによって良くも悪くもアングラなトーンが消えた。
また、著名なゲストを迎えることで、スカパラの活動の幅が飛躍的に広がっていくきっかけをつくったアルバムでもある。
内容もオリジナル曲だけでなく、カヴァー曲を多く収録して「スカパラならではのアレンジ」を聴かせる秀逸さが光る。
つまり、ギムラの死というピンチとゲストとのコラボという活路により、またオリジナルとカヴァーの対比という点からも、
「スカパラとは何者なのか」が確定したアルバムであると言える。現在のスカパラはまた異なる方向性を固めているが、
誰とでも組めるしそれでいて独自性を失わないという、世間におけるスカパラの柔軟なイメージを確立した1枚と言えよう。
個人的な好みでは、この『GRAND PRIX』と次の『トーキョー・ストラット』(1996年)がスカパラの頂点である。
彼らの標榜する「トーキョー・スカ」が完成されたのはこの時期だ。この後、初のベスト盤を出してエピックソニーを去る。
エイベックス移籍後も歌モノ3部作(「めくれたオレンジ」「カナリヤ鳴く空」「美しく燃える森」)で貫禄を見せるが、
もはや彼らのやっている音楽はスカというよりただのロックなのよ。全曲カヴァーのアルバムを出せと言い続けて20年経つ。

T-SQUARE(THE SQUARE、以下毎度おなじみ「スクェア」表記)から1枚となると、けっこう難しい(→2006.8.23)。
スタイルの確立では『R・E・S・O・R・T』(1985年、ソニー)、安定感の継続なら『TRUTH』であり(1987年、ソニー)、
この2枚のいいとこ取りをしたベスト盤『F-1 GRAND PRIX』(1989年、ソニー)がとんでもない完成度なのである。
スクェアとの出会いはまさに『F-1 GRAND PRIX』で、中学生のときにクラス紹介の放送だかなんだかでBGMが必要になり、
何かいいインスト曲はないかということで、みんなそれぞれ先生の許可を取ってCDを持ち寄ったことがあったのだ。
そのときF-1好きな誰かが持ってきたのがスクェアの『F-1 GRAND PRIX』。聴いたらそれが確かにいいので貸してもらい、
以降すべてのアルバムを押さえていくことになったというわけ。スクェアは毎年春になるとニューアルバムを出す、
というスケジュールが確立されていた。カプコンのゲームミュージックアルバムも年に1枚のペースだったので、
この2つを毎年楽しみにして生きていたっけな。当時いちばん衝撃だった曲は『夏の惑星』収録の「夜明けのビーナス」で、
後になってアルバム『HUMAN』のスルメ感にもじんわり魅了されるようになる。なんだよ、ぜんぜん1枚にまとまらねえよ。

フュージョン界で双璧をなしていたCASIOPEAについては、スクェアほどの異様なハマり方はしなかった(→2006.6.3)。
CASIOPEAもやっぱりベスト盤、『BEST OF BEST』(1990年、ポリドール)から入った。これはライヴ音源中心で、
それがかえってよかった感じ。ここに収録された曲のスタジオ盤というと『EUPHONY』(1988年、ポリドール)なので、
これがマイベストか。調べてみるとこの前の『PLATINUM』からポリドールに移籍しており(以前はアルファレコード)、
当時ベスト盤が乱立していたのはその影響と思われる。おかげでスクェアと比べてアルバムのリリース状況が複雑で、
非常に追っかけづらかった。結局それがスクェアとの興味の差に通じたのではないかと思う。分裂騒動もあったし。

インストからもう一丁、服部克久の音楽畑シリーズも紹介しておきたい。これは中学・高校時代の友人の影響で、
彼は僕にインストではCASIOPEAと服部克久を薦めてくれたのだ(ゲームミュージックでは熱烈なファルコム派だった)。
ジャズの系譜を受け継ぎつつロックバンドのスタイルであるフュージョンに進んだのがスクェアとCASIOPEAなら、
歌謡曲のDNAでクラシックも取り込みつつビッグバンドのスタイルを失わないでいたのが服部克久、と言えるのではないか。
(そういう意味では、松岡直也(→2015.1.14)は両者の中間的な位置を占めていたのかもしれない。面白いな。)
わがマツシマ家で服部克久が存在感を放っていたのは、TBSでやっていた『新世界紀行』のテーマ曲、「自由の大地」。
これが収録されていた『音楽畑6 La Monde』(1989年、ワーナー)もいいのだが(「コンソレーション」もあるし)、
そのひとつ前の『音楽畑5 QUATLE SAISON』(1988年、ワーナー)がベスト。各月をテーマにした11曲なのだが、
もうなんというか、脂が乗りきっている。季節同様に音楽もヴァリエーションが豊かで、それでいてまとまりがある。
シリーズまとめて、ぜひ再評価とともにリマスタリングした音源の発売を期待したい。前半10作だけでもいいから。

ゲームミュージック関連から1枚出すと、まあふつうならカプコンかコナミ、あるいはファルコムとなるのだが、
ここはひとつ、完成度からいって『F-ZERO』(1992年、徳間ジャパン)を推そうではないか(→2012.3.30)。
やっぱりゲームに夢中だった当時の中学生たちは、ジャズアレンジの高尚さを理解できなかった者が多かった。
しかし今になって聴き直すと、単純にテクノ方面へのアレンジをしてしまうのではなく正統派のジャズで料理する、
それもフュージョンというよりあくまでジャズの楽器構成でやりきる意義、その偉大さに圧倒されてしまうのだ。
僕がアホなので「よく知らない外国人ミュージシャンが好き勝手にやったアレンジ」という受け止め方をしていたが、
これって実はフュージョン全盛だった当時の日本人には絶対にできないオトナ向けの音楽への昇華そのものなのである。
SFCから流れていたあの曲たちが、まったく違和感なく聴ける本物のエレクトリック・ジャズになっているのだ。
こういうアルバムをブレることなくつくって発売するあたり、任天堂の一味も二味も違うセンスを感じさせる。

中学生から高校生の前半くらいまではこんな感じでインスト一筋。世間とは完全に隔絶した好みに染まっていた。
でも当の本人は、気持ちのいいメロディーに囲まれていればそれでよかったのだ。イデア的生活だったのう。


2017.2.17 (Fri.)

「3年生を送る会」のスライドで使うために、3年生一人ひとりの写真を撮影していったのであった。
こちらとしてはまったく大した腕があるわけでもなく、テキトーにシャッターを切っていくだけなのだが、
クラスには芸能活動をしている女の子がいるわけでして、これがまあ本当に写真映りがよろしいのである。
その撮られ慣れているっぷりに驚いたしだい。学年の先生方と仕上がりを見て、やっぱ違うなー!と唸るのであった。
いや、なんというか、クラスにかわいい女子ってのは何人もいるわけで、でも一瞬を撮るとイマイチだったりして、
本物はもっとかわいいんだがなあ、と思うこともあるわけです。そこに写真の腕が出るのかなと思うわけです。
しかし、芸能活動をする子にはその辺りにまったく隙がない。いい意味で、自分が最も魅力的に映る方法論を持っている。
撮影する人がどんなにテキトーにシャッターを切っても、きちんといい状態で収まってくれるのである。
これは決して悪いことではない。他者からの視線をコントロールする能力を持っているということだから。
大いに感心すると同時に、芸能活動で鍛えられる容赦ない研ぎ澄まされたセンスを見せつけられて呆けてしまった。


2017.2.16 (Thu.)

ちまちまとテストの本体をつくっているのだが、なかなか調子が上がらなくて困る。


2017.2.15 (Wed.)

定期テストを通して何を見るか、ということについて、きちんと整理しておこうか。

以前、「テストでいい点をとるとはどういうことか」を5日連続のログで書いたことがあった。
(国語 →2010.8.2、数学 →2010.8.3、英語 →2010.8.4、理科 →2010.8.5、社会 →2010.8.6
これは各教科の特性について考えた各論ということになるが、では本質的にテストは何を問うているのかと。
答えは簡単で、テストとは「授業で習ったことができるようになったかの確認」にほかならない。
当たり前だが、範囲を設定している定期テストには、授業でやった内容しか出ないのである。その確認なのだ。

この絶対的な事実をわかっていない人はけっこう多い。特に英語の場合、勘違いをしている者が必ず出てくる。
英作文が典型で、授業と別のやり方で書いて、答えが一つとは限らない、これも正解だと言う生徒がいるわけだ。
それはそうだが、そういう人間に限って自分の得意な一つのやり方だけで満足して他のやり方を覚えようとしない。
海外で英語をかじった生徒にはわりとよくあるパターンで、視野の狭い自信がある分だけ非常にタチが悪い。
このタイプの人間は他人の意見を聞かず自分の意見に固執するので、結果的に引き出しが少なく、低い能力で終わる。
ただし、ある程度の英語を知っていてもこちらの要求の枠内で工夫する生徒もいる。賢い生徒はきちんとそう対応する。

究極的には、こっちはテストを通して能力があるかどうかを問うのではない。人の話を聞いていたかを問うているのだ。
いや、言い方を変えれば「人の話を聞く能力の有無」を問うているのである。だから定期テストは受験とは別物だ。
この両者の違いがきちんとわかっていないと、内申点が伸びなくて不満タラタラという状態に陥りやすい。
短絡的な思考しかできない者は損をする。学校の評価システムは本当によくできているなあと思う。


2017.2.14 (Tue.)

だいぶキャラクターが把握できてきたので、今さらなんだけど『艦隊これくしょん -艦これ-』のアニメを見てみたよ。
テレビアニメとしては、わが『アイドルマスター シンデレラガールズ』(→2015.4.112015.11.5)の1期と同期。
シンデレラガールズがかなり好評だったのに対し、艦これの方の評価は散々。リアルタイムでは見ていなかったけど、
悪評だけは延々と聞こえてくる状況だったなあ。で、このたび怖いもの見たさでチャレンジしてみたわけだ。

結論から言うと、確かにぜんぜん面白くねえんだけど、絵がそれなりに丁寧なので見られないわけではないなと。
あとは声優さんが一人何役もこなしていて、そこはやっぱり見事。きちんとした演技と絵で画面には惹きつけられるけど、
何も残らない。「艦娘が動いてるよ、ヤッタネ!」以上の意味はないね。ストーリーがこれだけ虚無なのはすごいなあ。

意味がわからなかったのはまず、吹雪が落ちこぼれである必要性。つまりは成長ドラマにする必要性だ。
駆逐が学校に通う設定もわからない。駆逐も重巡も仕事に就いている点じゃ同僚なのに、なんで生徒と教員になるの?
ゲームをやっていないとついていけない要素もかなり多いと思う。出撃シーンも変に凝りすぎてかえって白々しい。
3話で轟沈とか、まどマギのマネをせんでもええのに。人身御供を出したのに、そのマイナスをぜんぜん回収していない。
そしてやはり、提督の姿形を出さないのは無理ありすぎ。どうしてこのやり方で通用すると思ったのか理解に苦しむ。
物語に柱がないからシリアスにもギャグにも振れるけど、あまりに全体が見えなくて何をしたいかがわからない。
理屈がゼロなのをごまかすために、細部の戦闘シーンにばかりやたらと力を入れて、肝心の全体像をぼかしておいて、
最後は無理やり決着をつけて感動させようとしてくる。でもちょっとでも知性のある人間なら、納得できるはずがない。
何の説明もないままに吹雪を特別扱いしているところなんか、もう、安くて安くて。非常にデキの悪いドラマだ。

主人公を設定しない方がいろいろ描けて良かったんじゃないの、純粋に群像劇にすべきだったんじゃないの、と思う。
これだけ多種多様なキャラクターがいれば、視点を変えていくことで伏線を張っていく話が十分つくれるはずなのだ。
艦種と編成という横糸・縦糸を活用しながらポイントを設定していけば、いくらでも魅力的な話が組める。
加賀と瑞鶴の和解なんてもっときちんとやらないともったいないし、北上と駆逐なんかもやりがいがあるだろう。
深海凄艦との戦闘をメインには据えず背景に抑えることで、鎮守府内でのドラマが強調されることになるわけだ。
でも逆にストーリーの不足を戦闘シーンでごまかしたせいで、本当に描くべきものが描けないままになってしまった。
キャラクターの成長は、強さではなく関係性の改善で描くものだ(→2015.11.5)。頭のいい人がやればよかったのにね。

ま、鈴谷と摩耶が出ていない時点でダメですな。


2017.2.13 (Mon.)

学年末テストに向けて、クロスワード問題の準備を進める。単語問題としてクロスワードを出すのだ。
前任校ではテストのたびにつくったこともあったのだが(→2010.9.292011.5.192011.6.27)、
最近はもうそんな余裕はないのである。それでも3年生の中学校最後のテストには「受験お疲れさん」ということで、
半ば娯楽のような感じで、特別にクロスワード問題を入れているのである。ま、僕のポリシーですな。

問題数と得点の関係から、6文字×6文字でつくる。教科書巻末の索引を参考に、使える単語を確認しながら、
あーでもないこーでもないとトライアンドエラーを繰り返す。これがつらい。でも粘って粘って考える。
そうやって、なんだかんだで一日で仕上がるのは偉いと自分でも思う。逆を言うと、どうしても丸一日かかる。
それだけの手間がかかるけど、解くのはあっという間なんだよなあ。……解けないでタイムロスするやつもいるけどね。


2017.2.12 (Sun.)

清水富美加についての感想は、「あーあ、変態仮面の続編がつくれなくなるなあ!」のみである。
スタッフにしろキャストにしろ、全員が三部作に仕上げたかったと思うんだよな(→2013.4.292016.6.14)。
それがこんな誰も予想のつかない展開でおじゃんになってしまうとは。その一点だけにおいてもったいない。

本日をもって経済学のスクーリングが終了。われながらよくがんばった。やっぱりマクロはまだマシだと再認識。
マクロ経済学は理想的な数字の組み合わせのモデルが最初にあって、それについていくのにかなり苦労した。
高校時代には授業中に「その説明じゃ、かえってわかりづらいんじゃないの?」とよく思っていたけど、
その感覚を久しぶりに思い出した。「この内容について、こういう説明はできないの?」と質問に行ったっけなあ。

僕は昔っから先生の板書をそのままノートに写すことはせず、自分の頭の中でまとめた内容を加味して記録していた。
だからこういう講義を受けるときは、思いついたことを黒以外の色でレジュメにどんどん書き足していくのが基本なのだ。
そうやって相手がどんな全体像を頭に描いているのかを探りつつ、どんどんメモをとっていくというやり方である。
いちばん大事なのは、相手がどんな価値観をベースにしゃべっているかをつかむこと。その論理的構造を丸ごと理解したい、
そうすれば早いし正確なものが手元に残るじゃん、という発想だ。というわけで、今回レジュメの裏面に書き込んだメモを、
スキャナで取り込んで貼り付けておく。表面にもメモがびっしりなのだが、こっちは著作権があると思うので省略。
とりあえず、苦手な経済学だけど真面目にやりましたよ、という記録を公開しておくのだ。

いかがなもんでしょうか。講義を聴きながら同時進行でこれを書いておりました。たまには自慢させてくれよ。


2017.2.11 (Sat.)

天気がいいのに経済学である。祝日とかそんなの関係ねえ。

市ヶ谷で授業を受けているのだが、意外とメシのヴァリエーションのない街だと思う。
まあ三崎町にはスタ丼があるからあまり迷うことがないのも確かだが、その気になればいろいろ見つかる。
しかし市ヶ谷は濠の内側はパッとしないし、濠の外側はもっとパッとしない。昼飯にも晩飯にも困るのである。

遠くへ行くのも面倒くさいので、近場の店でカレーをいただくようにしている。スクーリングは土日の2日×2週なので、
4回分それぞれ違うカレーを食えばええやん、という安直さである。そのうちパブロフの犬的な条件付けがなされてきて、
カレーを食ったらスクーリングで気合いを入れる、スクーリングではカレーで気合いを入れるという雰囲気になってきた。
モードを切り替えるという意味では、悪くはないルーティンだと思う。カレーは辛くてスイッチがわかりやすいのがいい。

しかしまあ、そう考えるとカレーというのは実に面白い料理である。自衛隊のカレーもすごく理にかなっているんだろうな。


2017.2.10 (Fri.)

2年生たちが鎌倉へお出かけしており、隙があったので早く帰るのであった。いやー、こういうのは本当にありがたい。
1週間ほど前の日記にも書いたが(→2017.2.2)、今月は本当に容赦ないのだ。のんびりするときも全力でのんびりだ。


2017.2.9 (Thu.)

この時期の3年生は受験の手続き等で人口が極端に少なくなることがあり、給食が大変なことになっている。
毎日の人口変動を細かくチェックして仕入れなどできないので、日によって圧倒的な量が余ることになるのだ。
給食の食べ過ぎが体重増を招くことは重々承知しているつもりだが、もったいないのと食わなきゃやってられんのと、
あと大ヴェテランの先生がやたらめったら盛りに来るのとで、それはもうすばらしい量を食う破目になっております。
「腹八分目」という言葉が懐かしい。いや、たくさん食べられることは幸せなことなのだが(→2012.12.28)。
育ち盛りの生徒がいっぱい食って、教員はちょっと物足りないくらいがちょうどいいんだけどねえ。いやはやなんとも。


2017.2.8 (Wed.)

この時期の3年生は受験の手続き等で人口が極端に少なくなることがあり、苦肉の策として授業でSCRABBLEをやった。
そしたらなんと、一発で153点というとんでもない単語が出てしまったではないか。さすがにこれには驚いた。
角にあるtriple word scoreから端っこの真ん中にあるtriple word scoreまでを「QUESTION」でつないで見事成功。
持ち駒7つをすべて使い切り、17点×3×3で153点。まさかの大爆発に一同騒然となったのであった。
結局、この153点だけで勝負あり。実際にできるもんなんだなあ、とびっくりである。いや、すごいものを見た。


2017.2.7 (Tue.)

毎年毎年、スーパーボウルの情報遮断が本当に大変なのである。ネットニュースが本当に危険。しれっと出してくる。
特に今年はハーフタイムショウがレディー・ガガだしトランプ問題だしで、ゲームの外側で話題性があるのが困る。
ふだんアメフトに興味ないやつのせいでよけいに掻きまわされている。ってか、ライスボウル中継しやがれ。
……話が逸れた。今年はペイトリオッツとファルコンズの対戦。ブレイディ率いるペイトリオッツはすっかり常連、
対するファルコンズはまだヴィンス=ロンバルディ・トロフィーを手にしていない。どっちを応援するかは言うまでもない。

試合は序盤からファルコンズのペース。今年は圧倒的な攻撃力で勝ち上がってきたそうだが、確かにすごい。
多少のミスもあったが、攻撃が多彩で分厚いのである。印象的なのは、選手たちの身体能力がとにかく高いこと。
パスにしてもランにしても、ファルコンズはノリノリで攻撃を仕掛けている。見ていて非常に楽しい試合である。
スーパーに出場した歴代のチームと比べてみても、身体能力を生かした豪快なプレーが際立っているように思う。
これはだいぶ一方的やん、と安心しながら観戦。対照的にペイトリオッツはブレイディがサックを食らいまくり。
ブレイディといえば4度もスーパーを制している名QBなのだが、それがこんなもんかと拍子抜けである。
前半が終わって3TDのファルコンズに対し、ペイトリオッツは終了間際のFGが1つだけ。特にファルコンズの3本目は、
かなり劇的なインターセプトリターンTDだった。どれだけ差がつくんかな、と思いつつハームタイムショウをスキップ。

後半に入ってもファルコンズがまずTDを決めてみせる。次のドライヴでペイトリオッツもTDを決めるが、PATを失敗。
どうもペイトリオッツは試合に乗り切れていないようだ。……と思っていたのが甘かった。これが油断ってことだろう。
今回のスーパーはやたらとサックが多くて、QBについてはどっちも今ひとつ冴えない感触がするプレーぶりだったが、
そんなもたもたした雰囲気の中、徐々にモメンタムがペイトリオッツに傾いていく。オードリー若林が指摘していたが、
ファルコンズは前半飛ばしすぎたのか、確かに疲れの色が濃くなっていた。決してプレーが輝いていたわけではないが、
老獪なブレイディは着実に距離を稼いでいき、点差を詰めていく。客席も奇跡の逆転劇を期待して興奮を高めていく。

決定的なターニングポイントになったのは、WRエデルマンのキャッチだろう。これを見事に押さえきったことで、
ファルコンズは完全に呑まれてしまった。百戦錬磨のブレイディはあれよあれよと2ポイントコンヴァージョンを成功。
そのままオーヴァータイムでも当然のようにTDを奪ってヴィンス=ロンバルディ・トロフィーを掻っ攫ったのであった。
ファルコンズの初制覇を期待していた僕としては、ただただ茫然とするのみ。若すぎるわー、青すぎるわー。
世間では「スーパーボウル史上最高の逆転劇!」ということで騒いでいるが、負け惜しみではないのだが、
どちらかというとブレイディがすごいというより、単純に若くて青いファルコンズが呑まれてしぼんだだけだと思う。
いやもう、不可解なくらいにしぼんだ。それがスーパー初制覇のプレッシャーということなのか、と思うしかない。
ペイトリオッツは勝ち癖がついているというか、勝ち方を知っているというか。その差。おもしろくねえっス。


2017.2.6 (Mon.)

いよいよ受験が近い3年生の授業では、自校作成都立の過去問で長文読解、私立の過去問で文法問題をやっている。
このバランスがなかなかよい。公立は「学校で勉強したことがきちんと身についているか」を見る問題になっているし、
私立は「ひらめきを持っているかどうか」を見る問題になっている。それで両者をブレンドして出題しているのだ。
結果、適度に頭を使う内容になっているので、生徒たちも面白がって非常に意欲的に取り組んでくれている。
学校でやる勉強それ自体の面白さがしっかり伝わっているようで何より。知的好奇心を刺激してこそ勉強だもんな。


2017.2.5 (Sun.)

今日も今日とてスクーリングである。マクロ経済学の世界にどっぷりと浸かる。

幸いなことに僕は10代を「得意科目なし、苦手科目なし」というバランスの良さで過ごしてきた人間で、
高校までの勉強の内容で大きくつまずいたことはなかった。ゆえに劣等感に苛まれたことがなかった。
で、大学に入ったら入ったで専門の社会学を興味の赴くまま好き勝手にやっていればそれでよかったので、
ここでも特に落ちこぼれ感覚に陥ることはなかった。大学院では別の意味で落ちこぼれさせられたけどな!

だからスポーツでよくあるような「われわれは挑戦者ですから」というような徹底して謙虚な姿勢で戦うのは、
この経済学の授業が初めてかもしれない。初めてではないにしても、もう本当に久しぶりのことになる。
自分が底辺にいることを自覚して、万全の準備をして、とにかく丁寧にひとつひとつの言葉を理解していこうとする。
ライオンがウサギ1匹に全力を尽くすの正反対で、自分は世界一準備を整えているウサギとなってライオンに挑む。
本当にそういう感覚で授業を受けている。本気の本気で苦手な授業をじっくり征服していく感覚は、なかなか悪くない。


2017.2.4 (Sat.)

本日は授業日ということで、午前中は学校で仕事がある。もうすっかり慣れたものである。
で、それが終わったら急いで移動してスクーリングに出席。今回受講するのは苦手中の苦手である経済学なのだ。
テキストを読むだけでは理解できているか大いに不安になってしまう。やはり苦手科目は直に話を聴くに限る。

大学が設定したスケジュールの関係で、今回のスクーリングのテーマはマクロ経済学だ。
一橋に通っていたときにもいちおう経済学入門の授業は受けたのだが、なんだかよくわからないうちにC評価で単位が来た。
でも周りの話を聞いていると、どうも授業はミクロ経済学が中心でマクロにあまり踏み込んでいなかったらしいので、
あらためてきちんと勉強してみようというわけ。あともうひとつ、ミクロとは絶対的に相性が悪いので(→2016.5.20)、
マクロならまだなんとかなるんじゃねえかという希望的観測による。ケインズの考え方は同意できる部分が多いのよ。

毎度おなじみのスタイルで、もらったレジュメに青いボールペンでどんどんメモを書き込んでいく。
レジュメの裏面には板書をそのまま写していく。自分でもうっとりしてしまうほど美しいが、そんな暇はないのだ。
それにしても面食らったのは、三面等価の法則についての説明である。「そういうストーリーだと理解しなさい」と。
しょうがないので言われるままに完全鵜呑みでやっていく。この辺の公理系の設定がいかにも経済学だなあと思う。
この経済学の公理系で展開される論理をきちんと自力で再現できれば単位が来るのである。そう割り切って話を聴く。


2017.2.3 (Fri.)

TVアニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』(→2015.4.112015.11.5)のサントラについて語ろうか。
金がないので当然借りてきたのだが、なんとCD3枚組。ふつうはCD1枚分に取捨選択するものだと思うが、
一気にドンと出してくる例は他にちょっと思いつかない。それだけ評判が良かったということなのか、自信があるのか。
(3枚目は既存ヴォーカル曲のBGM版なのでおまけ要素が強いが、それでもそういう曲も網羅したのは太っ腹。)

全体を通して最も目立っている楽器はピアノである。それ以外にもアコースティックな楽器の比率が非常に高く、
エレクトリックな楽器は場面を絞って効果的に使ってくる。それぞれの音色を本当に生かしているなあと感じる。
結果、一言でまとめるなら「清潔感のあるアレンジ」という印象になっている。そういう方向で統一感があるのがすごい。
たとえば喜怒哀楽などいろんな場面に対応してまったくジャンルの異なる極端な曲を用意するのではなく、
よく使う楽器を限定して(ピアノ・フルート・ヴィブラフォン・フレットレスベースあたり)世界観をしっかり守っている。
中には明らかに渋谷系(ライナーノーツにもあったが確かにCymbals全開)な曲もあって、聴いていて楽しい仕上がり。

こうしてサントラを聴いて、逆にアニメ本体が節度を持った上品なストーリーだったことを実感している。
まあ正直、卯月をわざと不調に陥らせることによってお涙を頂戴した展開には大いにがっかりさせられたのだが、
その点を除けばやっぱり非常に満足度は高かった。アイドルものなんだけど、いい意味で生々しさがなく、
最初から最後まで通して清潔感があったのがよかったと思う。すべてが「清潔感」という言葉にまとまるアニメだったなあ。


2017.2.2 (Thu.)

2月はただでさえ短くていろいろ余裕がないのに、今年の場合、特に忙しくなることがすでに目に見えている。
今日も今日とて目一杯授業をやった後に部活ということで、いかに余力を残すかにこだわっております。
決して手を抜くわけではなくて、2月28日が終わった時点で総合的に最も高いパフォーマンスになっているように、
あれこれ計算しながら動いている感じ。その中でいちばん重視しているのは、とにかく体調を崩さないこと。
ある意味ズルく、何事にも80%くらいの感覚をコンスタントに維持し続ける方法を模索している、とでも言うか。
本当に今月はそれくらい厳しい忙しさなのである。なんとか賢く切り抜けていきたいものである。


2017.2.1 (Wed.)

英語の授業は2人体制でやっているわけですが、僕じゃない方の教員がもう、本当に救いがたいクズなのである。
これほどクズな教員を見るのは初めてで戸惑っている(クズな校長やクズな教育委員会はすでに経験していたが)。
教え方が非常に下手クソであるだけでなく、とにかく休みまくる。それも計画的に、ギリギリ取れるまで休みまくる。
介護を理由に病気を理由に休み、何事もなかったかのように現れ、また急に休む。それで本当に苦労させられている。
生徒も困り果てて途方に暮れているが、本人は平然としているのが信じられない。人間の心を持っているとは思えない。

で、久々に職場に現れたそのクズは、こっちに対して一言もしゃべらない。謝罪どころの話ではない。
怒りが収まらないので周囲に愚痴ったわけだけど、みなさんオトナだから「まあまあまあ」と。
やっぱり直接的な被害を受ける立場にないわけだから他人事なのだ。でも僕も生徒もそうはいかないのである。
態度がオトナであっても、結果が変わらないんなら、現状の被害が続くのなら、そりゃ損じゃねえのと思っちゃう私。
校長は「そんな人を採用しちゃった東京都が悪いよね」と言うものの、生徒と同僚への迷惑は延々と続くのである。
なんなんですかね、この無責任体質は。客観的に見て本当に問題ある教員をなんとかする制度がないもんですかね!


diary 2017.1.

diary 2017

index