ナポレオンズのパルト小石が亡くなった。これは本当にショックだなあ……。
マジックの面白いところは、純粋なマジックの技術だけでなくトークでも楽しめる点にあると思う。
今までトークで笑わせてもらったマジシャンは数多いが、その中でもナポレオンズが出てきたときのワクワク感は別格。
「すごくて面白い」のは、単に「すごい」だけの倍以上の喜びがあるのだ。それが見られなくなるのは本当につらい。
熱海ロマンでもあったまぐるぐるをやったし(実際につくるとわかるが、スムーズにやるには意外と構造が難しい)、
膝の入れ替えは必死で練習したので今でもできる。ナポレオンズのネタはマネせずにはいられなかったなあ。
日常生活にふと現れて笑わされるナポレオンズがもう見られない。考えれば考えるほど、さみしくなってくる。
なんと、日ハムでは新庄監督が本当に爆誕。個人的には、かつて横浜で中畑監督が誕生したのと重なる(→2012.2.8)。
明るくてパフォーマンスが得意という方向性を極限まで振り切った人選であるが、記者会見の内容はたいへんマトモ。
とりあえず、育成のことしか考えていないようだが、それがハマったらおのずとすごいことになる、ということか。
しかし面白いのは、新庄氏も実はバリバリに野村監督の影響を受けていること。むしろ化学反応という意味では、
どこか本家としての縛りを感じるヤクルトよりも、発展的な何かをポロッと生み出してしまいそうな予感がある。
固定観念を相手にしない落合っぽさもなんとなくあるし。少なくともそんなことを感じさせる記者会見だったと思う。中日はファン待望の立浪監督だし、高津監督も中島監督も経験を積んだし、元祖天然に見えて理論家の石井監督もいるし、
辻監督も残ったし、来シーズンのプロ野球は監督を見ているだけでも楽しめそうだ。すごくいい傾向だと思うんだよなあ。
来シーズンからソフトバンクの監督が藤本さんになるそうで。これはさすがの人選だなあと唸るしかない。
僕の中で藤本氏とは、福岡移転後のダイエーホークスで昭和の(おっさん)プロ野球の香りを大いに放っていた存在で、
これぞパ・リーグ!という印象の選手なのだ。藤本氏から逆算して昭和のパ・リーグの歴史を学習していったわけだ。
そんな選手が令和の世になって育成面の実績が高く評価されて安定して強いソフトバンクの監督になるというのは、
かなりの驚きである。でも、昔好きだったものが時を経て復活するという喜びもたいへん大きい。うれしいことだ。工藤監督の後釜でこういう手を打てるソフトバンクは、いろんなタイプの人材がいて、そりゃ強いはずだわと感心する。
オリックスが優勝。おめでとうございます。2位のロッテにマジックが点灯して首位のオリックスは隠れマジックで、
正直なところ終盤戦はワケがわかりませんでした。まあでも中島監督の下で実力を発揮すりゃ、そりゃ強いわなと思う。
はっきりと監督の力で勝ってきたチームなので、それが優勝するのはたいへん喜ばしい事態だと思うわけであります。
今年は両リーグとも、個の力を上手くマネジメントして集団の力につなげた印象のチームが優勝したのではないか。
なんとしてもヤクルトとオリックスで日本シリーズをやってほしい。監督の力が注目される日本シリーズが見たいぜ。
信じられないことに、ヤクルトが優勝してしまった……。コロナの影響でイレギュラーなシーズンとはいえ、
既存戦力の持っている実力をうまく出させて優勝。ヤクルトの底力と高津監督のマネジメントの上手さで勝ちきった。
9月の13戦負けなし9連勝と、今月上旬の勝負の巨人・阪神6連戦を5勝1敗で切り抜けたのがすごかった。
チームの雰囲気の良さは抜群だし、誰一人必要のない選手がいない戦いぶりがまたいい(あ、内川は不要)。
最後は阪神に追いかけられて本当に怖かったが、客観的に見て勝つべくして勝った優勝なのが最高にうれしい。
あとは短期決戦である。巨人・阪神6連戦を勝ちきった経験で、絶対に日本一になってほしい。
ただでさえ週明け午前4連発の授業はキツいというのに、昨日の自転車のダメージが残っていて本当につらかった。
2日連続で最高の秋の晴天ということではしゃいだツケは、あまりにも大きいのであった。歳とか関係ねえし!
それにしても、まだこれが週の1日目なんだぜ……。
心打たれた好きな言葉もあれば、見るのもイヤになる嫌いな言葉もある。
僕が最も嫌いな言葉は、「非理法権天」。このまるで理性に欠ける5文字がどれだけの命を無駄に奪ったか。
どんなに曲解して弁護しようとも、論理性からはずれて恣意性が強まるだけの、救いようのない言葉だ。
本来ならこんなこと日記に書きたくもないくらい嫌いなのだが、ネタがないからしょうがない。
指定校推薦の季節である。推薦に選ばれた生徒たちが推薦書などの書類を仕上げる作業を一緒にチェックしたのだが、
書類の折り方も入れ方もすごく雑で、まるで気持ちを感じない。今の職場で1年目だからあれこれ言うのは抑えたけど、
正直なところ「お前ェ何様だよ?」と説教しなけりゃいけないレヴェルだった。今まですげえ甘やかされてきてる感満載。
なんなんですかね、大学が自分を推薦で入れてくれるのを生まれ持った当たり前の権利だとでも思っているのかね?
ちゃんと金を払うからいいだろう、くらいのお客さん感覚なのかね? 理解できないし、理解したくもない。
世界史の研究授業を見学させてもらう。中世の始まりはどこからか、という問いから話し合いで掘り下げていく内容。
正直、「どっからだっていーじゃねーか、そんなもん」と興味の湧かない自分は歴史に向いていないと思う。申し訳ない。感想としては、70点くらい取れる生徒じゃないと自分で考えさせる授業は意味をなさないんじゃないか、というところ。
伸びる生徒はぐんぐん伸びるし、そうでない生徒はどうにもならんだろう。後者に属すると自覚する僕にはそう思える。
授業じたいは興味深い要素があったけど、結局は座学が最強で、そこを疎かにしては何も積み上げられないと思った。
頭のいい人の話を聞いて賢くなることはあっても、頭の悪い人の話はせいぜい他山の石をもって己をみがく材料止まり。
それでデキのいい生徒の反応だけを集めたところで、それは誇大広告でしかないわけで。ニンともカンとも。だからといって現状の自分の授業も決して褒められたものではないのである。自分の研究発表の場と化しているだけ。
まあ申し訳ないけど、今年一年はある程度その要素でベースをつくらせてもらうつもりではあるが、それにしても極端だ。
そういう自覚があるだけに、それなりに苦しんではいる。地理ならもうちょっとマシになるのに、という思いもある。校長は、今日の研究授業と僕の研究発表的授業と足して2で割ればいいと言っていたが、そんなもんかねえ。
3年生男子がクイズアプリをやっておる。前にマサルもやっていたやつなので見覚えがある。
僕としては、今時の高校生がクイズで一喜一憂しているものだとはまったく思っていなかったのでびっくり。
見ていると実力的には全然なのだが、いい時代になったもんですなあ、と遠巻きに眺める感じである。
週が明けていきなり授業も雑務もフルスロットル、おまけに世界史も中間テストがあるんだと。
今のところはいちおう日記が好調だけど、そのうちまた停滞が始まるはずである。今のうちに謝っておくのだ。
本日をもって名古屋の東急ハンズANNEX店が閉店とのこと。セントラルパークアネックスじたいが閉館するそうで。
確かに、何年か前に訪れたときは急激に弱っていた印象で、名古屋駅ビルに新たな店ができた影響を大きく感じさせた。
しかしANNEXのハンズこそ、「名古屋に出ること=都会に出かけること」であったわがマツシマ家にとっては、
その都会の象徴そのものであった。誇張なしに、ANNEXハンズこそが飯田暮らしにおけるハレの機会なのであった。
さらに名古屋で浪人中にはどれだけストレス解消させてもらったか。名駅・久屋大通・矢場町・大須観音(上前津)は、
僕にとっての黄金のカルテットだったのである。今日をもって、その一角が崩れてしまったということでもある。
すべてのものは時間の流れとともに変化するが、池袋といいANNEXといい、過去が断ち切られるのはつらいものがある。
19歳までのANNEX店と19歳からの池袋店。両者がなくなることは、自己同一性を揺さぶられる事態なのだ。さみしい。
マサルから「緑のロフトがもうすぐなくなるよ!」とメッセージが来て、なんて失礼な奴だと思う。
言うに事欠いて東急ハンズをロフトと一緒にするとは。東急ハンズ原理主義者の僕としては、それは許せない発言だ。
そんな僕にとって、東急ハンズ池袋店がなくなってしまうのは、太陽系の惑星が1個減るのに等しい衝撃の事態である。
それも外惑星よりは内惑星が減るインパクトである。水星がなくなるくらいのショックである。さようなら亜美ちゃん。
これはきちんと別れのご挨拶をせねばなるまい、ということで本日、東急ハンズ池袋店に行ってきたのであった。
L: サンシャイン60通りから眺める東急ハンズ池袋店。これがなくなるってのは、ただただ衝撃だなあ。
C,R: ふだん意識することのなかったエントランス。上京してからどれほどお世話になったことか。閉店が近づいてほぼ全品10%オフとなっており、店内はすでにスカスカ状態。まずは一気に7階に上がり、
各フロアを動きまわってだんだんと下りていく。いい機会なので、文具や日用品などをバンバン買い込んでいく。
気がつけば背中のHAZZARDは破裂寸前なのであった。これで最後だけど、いい買い物ができた。……もう最後なのか。たいへん興味深かったのが、2階エスカレーター横の「東急ハンズ池袋店メモリアルコーナー」。
1984年の開業以来さまざまな場面を撮った写真、店舗の図面、記事、チラシなどが展示されている。
古き良き昭和末期の香りがなんとも懐かしい。やはりなんでもない日常の風景を写真に撮っておくのは大切だ、
そうあらためて思うのであった。そしてその日常からハンズの池袋店が消えるというのは、もう本当につらい。
渋谷・新宿・池袋に大店舗が揃っているところにも価値があったのだ。ワンフロアハンズが撤退するのとはワケが違う。
確実に、自分の中の一部分を抉り取られる感触がする。つらい。本当につらい。ありがとう、でもつらくてたまらない。
15日である。死のロード的(祝日のない)10月の半分をようやく乗り切った。今のところどうにか無事。
しかしテンポの早まっている授業への準備に追われている感覚は変わらない。なんとかペースを保ちたいところ。
先日、いきなり「差押の予告」が送られてきた。品行方正に生きている当方としては理解しがたい仕打ちである。
結局これ、都から県に移籍したことで住民税の引き落としがうまくいかなくなったことによる影響のようだ。
そのことでこちらがよけいな延滞金を払わなくちゃいけなくなったのが本当に納得いかないのだが、
そういえばボーナスの件(→2021.6.25)についてもいまだに怒りがまったく収まっていないのだが、
財産(主に御守)を差し押さえられるわけにもいかないので、仕事終わりに区役所へ行って納税したのであった。
今後よけいにイライラさせられることがないように、本年度分を一括納入。来年度は大丈夫なんだろうな?しかしこうやって現金で1年分の税金を目にすると、あらためていろいろと実感が湧いてくる。
税金というものの重さ、それについての責任、社会との関わり。可視化されたことで、現実に触れたわけだ。
やはり目に見えないところでの引き落としは、金に対するありがたみを薄れさせてしまうものだと思う。
キャッシュレス決済は確かに便利だが、それはそれで物事の本質を忘れさせられてしまうのは間違いないだろう。
そうすることで有利になる人がいるから、それを推し進めようとする人がいる。そして乗せられるままの人がいる。
何も考えないまま便利さに流れることは、確実に人を劣化させる。不便さの中には大切なことが隠れているのだ。
今回の延滞金はその授業料にしておこうと思うが、……やっぱり納得いかない。来年度は大丈夫なんだろうな?
毎週水曜日は「平日のヤマを越えた日」ということで、仕事帰りにモール泉に浸かる日としている。
京浜地域ではおなじみとなっている、いわゆる「黒湯」である(→2021.5.28/2021.8.10/2021.8.11)。
実際のところ効能はよくわかっていない感じだが、じっくり浸かればリラックスできることは間違いなく、
帰りの電車内ではいつも以上にうつらうつらになるし、家に帰ってからもフニャフニャ状態が続くので、
とりあえずそれでヨシとする。そうして全力でメンタルをマネジメントして、平穏無事に日常を乗り切らんとす。
毎日お気に入りの音楽を聴きながらがんばって日記を書いている。人を喜ばせる音楽を生み出すのは偉大なことだと思う。
おそらく僕の場合、最期の瞬間にはきっと音楽を聴いているんでしょうなあ。お気に入りの音楽をシャッフルで聴いて、
いろいろ思い出しつつ素敵な音楽に出会えたことを感謝しながら死ねればいいやな。最近はそんな境地である。
電車の本の広告なんかで不労所得とかあるんだかど、それってダメ人間なだけだろ。
30歳を過ぎてから失業保険で食いつないだ後にアルバイトで食いつないで再就職を果たした私としましては、
何もしないで収入を得ようとすることがどれだけ品性を失わせるかをイヤというほど実感しておりますので、
不労所得に憧れる発想じたいが卑しく映る。精神が卑しい、としか言いようがないです。恥を知るべし。働くことはたいへん面倒くさい。できれば本を読んで日記を書くことが仕事になればいいと、つねに思っている。
しかしそれは現実には絶対に不可能であろう。もし社会が僕に対して本を読んで日記を書く仕事を要求しているのなら、
それは収入という形で保障されているはずである。でも実際のところ、それを許してくれることはまあ、ありえない。
建前としては、企業活動にしろ行政にしろ、人は社会に対して何かしら貢献した対価として収入を得ているのである。
社会が必要とすることをやるからお金がもらえるのだ。日記で収入を得られるとしたら、逆にその世の中の方が危ない。不労所得は、その社会との関係性――信頼関係と言っていい――にもとづいた収入ではない。
投資で必要なのは人間ではなく、あくまで資金でしかない。不労所得は個人に対する報酬ではなく、資金への評価だ。
そこを履き違えてはいけない。資金を持っている人に対する評価ではなくて、資金じたいへの報酬にすぎないのだ。
だから「あなたに出資してほしい」と言われる投資家レヴェルの場合には、立派に社会に参画していることになる。
結局のところ、人として生まれたからには社会に参画せざるをえず、それは仕事という形で実行される。それが本質。
そこまで考えずに不労所得だけ欲するのは、それは社会のことを無視して自分のことしか考えていないってことだ。不労所得で許されるのは年金ぐらいか。以前、選挙権の返上と年金をセットにすべしと書いたが(→2009.7.12)、
そうなると年金の受給によって、社会からはかなり切り離されることになるな。買い物で関わるのがメインになる。
まあ人間、収入よりも支出の方が大事ですからってことで(→2021.9.24)。
かつて晴れの特異日ということで「体育の日」だったはずの日は、その地位を追われて以来、空模様が崩れがちである。
それどころか「スポーツの日」という名前に変わってしまい、祝日としての威厳は無きに等しい状態だ。悲しいねえ。晴れていれば恒例の23区めぐりを敢行するつもりだったが、今週末はどちらも曇りということでパス。
おかげで日記の方はだいぶ捗り、ショボショボだった先週更新分の貯金もあって、今週は大量のログをアップできた。
あともう少しで2018年10月分をクリアできる勢いである。日記の負債が丸3年になるのをまたギリギリで回避できそう。しかしその好ましい状態が維持できるかは微妙である。謎のコロナ感染者急減により緊急事態宣言が解除されたことで、
旅行欲がムクムクと湧いてきつつあるのだ。年内はおとなしくしているつもりだが、年明けからいかに動こうか、と。
油断していたら全国各地にどんどん新しい市役所が建っていて、現状を把握するだけでも大変な作業になっている。
それを踏まえたうえでどう動こうか、考えることがやっぱり楽しいのだ。まあのんびりとリハビリしていきますよ。
ボケッとしていたらDOCOMOMO物件が増えていた件。いつのまにか250件もの大増殖である。
慌てて自分の探訪リストを更新したが(⇒こちら)、ちゃんと把握して訪れていた物件もあって、首を傾げている。
特に現在、晴耕雨読的に挑戦している東京23区めぐりでは、自分でも知らないうちにチェックしていたものも。謎だ。痛快なのは、旅先で「この建物はダダモノではないぞ!」と撮影した物件が、後からDOCOMOMOになっていることだ。
垂水町役場庁舎(現:垂水市役所庁舎 →2017.8.20)や蒲郡市民体育館(現:蒲郡市民体育センター →2012.12.29)など、
自分の慧眼を褒め称えたい気分である。鳴門市文化会館(→2011.7.16)はDOCOMOMOに入れなくてもいいぞと思うけど。せっかくなので、個人的にDOCOMOMOに入れるべきと考えている建物ベスト10(私情たっぷり)を考えてみる。
後から「あ、あれ入れるの忘れてた!」とかなりそうなので、とりあえずざっと思いついたものを本当にテキトーに。第10位 香川県立体育館(1964年/丹下健三 香川県高松市 →2015.5.2)
取り壊されそうになりつつも、保存運動もがんばっている模様。いずれ入りそうな気はしている。第9位 目黒区庁舎(旧:千代田生命本社 1966年/村野藤吾 東京都目黒区 →2021.8.5)
これもいずれ入ると思っている。それにしても、目黒区が区庁舎にしたのは英断であった(→2002.9.18)。第8位 出雲大社前駅(1930年/設計者不明 島根県出雲市 →2016.7.22)
国登録有形文化財であり、すでに一定の評価を得ている。設計者が不明なのがネックなのだろうか。第7位 駐日クウェート大使館(1970年/丹下健三 東京都港区 →2020.8.17)
取り壊しが非常に心配。この時期、このスケールの丹下建築は非常に貴重であり、保存してほしい。第6位 北九州市庁舎(1972年/久米設計 福岡県北九州市 →2018.10.28)
中は見ていないが、モダニズムという点で価値ある建築だと思う。もっと評価されていいと思うんだけど。第5位 市村記念体育館(1963年/坂倉準三 佐賀県佐賀市 →2018.2.24)
体育館建築の中でも驚異的なデザイン。「肥前さが幕末維新博覧会」で評価されており、今後に期待。第4位 岡谷市立湊小学校(1973年/大髙正人 長野県岡谷市 →2010.4.3)
私情です。大髙建築はDOCOMOMOで飽和しているからなあ。岡谷市は名建築満載なのがうらやましい。第3位 飯田市立浜井場小学校(1955年/坂本鹿名夫 長野県飯田市)
私情です。現役の学校であるうえに図面が残っている点を評価。旧明倫小学校もいいがこっちもよろしく。第2位 福井神社(1957年/福井大学工学部(五十嵐直雄) 福井県福井市 →2015.12.30)
コンクリ神社は数あれど、全体がモダニズムの神社として建てられたのはこれくらいだろう。絶対に入れるべき。第1位 笠岡市庁舎(1955年/日建設計 岡山県笠岡市 →2014.7.23)
日建設計のモダニズム全盛期における最高傑作。この作品の価値をもっと広く知ってほしいと熱望している。ざっとこんなところだろうか。ほかにもあるはずなので、思い出したらその都度更新するかもしれない。
あと、千里阪急(→2013.9.29)は千里ニュータウンに含まれると思われるので除外したが、もっと評価されてほしい。
再開発であっさり壊されちゃったら悲しい。同じ「千里阪急」でもホテルの方は浦辺鎮太郎だから一緒にしないでね。本当は市庁舎をもっと取り上げたかったんだけど、取り壊されちゃったものがかなり多いんだよなあ。
せめて笠岡市庁舎だけはきちんと残してほしい。新庁舎建設の検討が始まったらしいが、なにとぞ、なにとぞ。
すぎやまこういち氏が亡くなったとのこと。『ドラゴンクエスト』の「ロトのテーマ」はあまりにも有名で、
それで主にゲームミュージックとの関連で業績が語られてしまっているが、僕としては正直かなり違和感がある。
すでにすぎやま氏は作曲家として一流の実績があり、「音楽家がゲームに乗り込んできている」という感覚だったからだ。
良いメロディは前提として、オーケストレーションのできる人だからゲームミュージックをクラシック調に拡張できた。
そうしてわずかPSG音源×3声+ノイズ1声から、プレイヤーの想像力をすぎやま氏の思いどおりに誘導したのだ。
つまりはアレンジャーとしての能力が、実績を引き上げているのだ。そしてこれは、すぎやま氏だからできたことだ。
作曲とアレンジを一体的にハイレヴェルでこなしたから、ゲームミュージックが世間に可視化されたというわけだ。
主にフュージョン方面からゲームミュージックのアレンジを見つめてきた僕には、その特殊さがよくわかるのだ。
なるほどそういう意味では、ゲームミュージックにおける貢献は唯一無二のものだ。ゲームだけじゃないぞと思うけど、
もはやゲームが文化として認知されている以上、彼独自の功績を讃えようとすると、どうしてもそうなってしまうのか。RPGは得意ではないが、いつか暇になったら『ドラゴンクエスト』をじっくりやってみたい。
指定校推薦の会議なのであった。中学校とはぜんぜん違いますね。大学ごとの条件が複雑で、確認が本当に大変だ。
田舎育ちの僕としては「そんなもん、一般入試で入ればええやろ! 修羅場をくぐって成長しろや!」と言いたいが、
価値観は人ぞれぞれなのでしょうがない。それだけ。受験という修羅場は手軽でいいものだとは確信しているけどね。
45分授業になり、さらに授業準備に追われている。実際に授業をやってみると、5分の重みはかなり大きい。
中学校で、もともと50分授業だったのが45分になり、「ああ、あと5分あればなあ」と思ったことは数えきれない。
しかし今はそれが逆の形でこちらに襲いかかっているのだ。40分に短縮されていた授業が45分になったことで、
「プラス5分で進められること」が積み重なって、これまでよりも授業準備の量が確実に増えているのである。
3週間後には50分授業に戻る予定だが、雑務もあるし、果たして耐えられるのか? 不安しかない。
ジャガーさんがジャガー星に帰還されたという話。あれこれゲスな詮索をするのは控えて、
今はとにかく、誰にもマネできない彼の生き様をあらためて振り返って圧倒されていたいものである。僕は千葉県民ではないので、ジャガーさんの伝説を生で目にしていたわけではない。
しかし『月曜から夜ふかし』で拝見するジャガーさんは本当にやりたいことを見つけてそれを貫く喜びにあふれており、
その楽しそうな姿を見るとこっちも幸せな気分になったものだ。夢を実現させた大人だからこその、余裕のある魅力。
だからジャガーさんは尊敬を集めたのだと思う。面白くてかっこよいジャガーさん。僕もそうなりたいですよ。
おととい昨日と全力で走りまわったせいで、筋肉痛が本当にひどい。もし自分の太ももを輪切りにしたら、
霜降り肉の脂の代わりに痛みの塊が満遍なく入っているんじゃないか、それくらいの痛みなのである。
階段が地味につらくて、こちとら月曜から授業がいっぱいで教室移動でヒイヒイ言っている。いや、まいった。
本日から10月である。祝日がない地獄の開幕である。質を維持した日常を淡々と積み重ねるのみである。
ありがたいことに、今月から帰国クラスが解消されたので、現代社会の授業がなくなった。
担当科目が日本史と世界史だけになったのだ。最近はどっちも準備に追われ気味で、これは大いに助かる。
本来、歴史は素人であるということで、こちとらかなりのエネルギーを費やして取り組んでいるのである。
授業が減ってもいっぱいいっぱいの状況はまったく変わらないのだ。マジで暇なんてぜんぜんないぜ!