diary 2014.7.

diary 2014.8.


2014.7.31 (Fri.)

直射日光を受けた人工芝があまりに熱すぎて血マメができるの巻。
サッカーのスパイクの底を通して熱が伝導してきて、ぐっと踏み込んだら簡単に血マメができたんでやんの。
おかげでずっと痛みをこらえてプレー。過剰にドタバタした走り方になってしまい、格好悪かったのであった。
まあそれでも今日はいつもより広い視野を持てて、自分でもこりゃいいわと思うようなアイデアのパスを何本か出せたけど。
グラウンドが狭いとボールを収められない僕は厳しいのだが、グラウンドが広いとスペースがあちこちいっぱいなので、
相手の隙を衝くパスをわりとよく出せるようになる。今日は自分のプレーをちょっとは客観視できたかな。


2014.7.30 (Wed.)

今年の東京ヴェルディは東京スタジアム(味スタ)以外でも試合をやるので、じゃあ行くか、ということで今日も観戦。
先月は駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場まで自転車でお出かけしたけど(→2014.6.14)、
今日は西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)までのお出かけなのだ。いやー、遠いぜ北区。
西が丘はJ3開幕戦・長野×福島(→2014.3.9)の観戦に来ているので2回目になるが、J2以上では初めてだ。
あのスタジアムがいったいどんな形で使われるのか、興味津々なのだ。すっかりスタジアムマニアだぜ。

今回は外苑東通りを延々と北上するスタイルで西が丘を目指した。ふだん走ることのない道なので、非常に新鮮。
東京の環状3号線にあたる道路なのだが(→2006.7.15)、四谷三丁目から北はもう未知の世界なのだ。
気がつきゃ曙橋を渡っていて(いつも下から眺めて抜けてばっかりだった)、市谷から牛込へと住宅地を抜けていく。
オレって東京のほんの一部分しか知らないんだなあと痛感しているうちに、新目白通りとの丁字路にぶつかる。
ここで外苑東通りは終わりで、東の江戸川橋にズレてまた北上。住宅とオフィスがぐちゃぐちゃに混じった景観で、
なんとも不思議な気持ちで走っていると左手にどデカい講談社。呆けていたらすぐに護国寺の前に出た。
ここから池袋までは高速道路のすぐ脇を走っていくのだが、雑司が谷霊園の横をこの角度で抜けるのは初めてなので、
もういろいろと新鮮で。そういえばサンシャイン水族館で「毒毒毒毒毒毒毒毒毒展(もうどく展)」をやってたな、見てえ!
なんて思いながらさらに北上。陸橋で山手線を越えるときには『池袋ウェストゲートパーク』を思い出す。BDで見てえ!
そこから先も高速道路に沿って行けばいいのに、間違えて直進して大山方向へ。でもこれまた新鮮な景色が広がる。
自分がいかに板橋・練馬文化圏と縁のない生活をしているかを実感したなあ。いつかきちんと探索しないといかん。
結局、日大病院の交差点から東へ抜けて中山道へ合流。いったん環七に出てから十条駅へ行って一休み。
ブリブリブリと日記を書き倒して時間調整を図ると、いざ西が丘へと出陣したのであった。いや、面白い旅だった。

西が丘サッカー場に到着すると、バックスタンドに陣取る。前回はメインスタンドだったので、今回は逆にしてみた。
そしたら地元の幼稚園児チアチームが登場してパフォーマンス。なるほどこういう文化もあるんだな、と思うのであった。
で、そのチアの家族連れがそのままバックスタンドに残るのであった。周囲はすっかりファミリー席状態である。
この牧歌的な感じもまた、西が丘ならではということだろう。そう納得して待っていると、選手たちが練習を始めた。

  
L: 西が丘サッカー場、バックスタンドからの眺め。7,258人の収容人員とアクセスがネックだが、もっと公式戦をやってほしいスタジアムだ。
C: 京都の選手たちが登場。本当にすぐ目の前を通っていくので、なんだか興奮してしまったではないか。いやー、驚いた。
R: こちらは東京Vのゴール裏、挨拶をする選手たち。これだけ近い距離でやりとりができるスタジアムなんてほかにないよなあ。

さて京都は昨年まで大木さんが監督だったが、J1昇格プレーオフでの敗退(→2013.12.8)を受けて退任。
代わって新監督に就任したのが、元イラン代表監督で元長野パルセイロ監督のバドゥ=ビエイラときたもんだ。
バドゥはさっそく変態FKを次々に編み出して、おかげで京都のFK動画が大人気という効果を生んだものの、
肝心の成績はなかなか上向かず、先月解任されてしまった。で、後任が川勝監督。実は選手として京都OBなのだが、
それ以上に経歴が読売クラブ出身で2年前まで東京Vの監督だったということで、この試合は特別な意味を持っている。
まあ僕としては、大木京都がどの程度変化したのかを見極めようというところ。そこから大木サッカーを振り返りたいなと。

先月観戦した福岡戦では東京Vはいいところがまったくないままでボロ負けしたこともあり(→2014.6.14)、
京都があっさり勝ってくれるんじゃねえのと思っていたら、なかなかそうならない。東京Vはとにかく守備が積極的なのだ。
相手にまったく前を向かせない守備を徹底しており、先月とはまったく別のチームである。おかげで京都はやりにくそう。
京都は中盤に工藤や山瀬といったテクニシャンを置き、トップには大黒(以前在籍した東京Vからもエールが贈られた)。
何より驚いたのは駒井の左SB起用だが、面子を見る限り、去年の攻撃の破壊力は維持されているはずである。
しかし東京Vはそれに真っ向からぶつかって、クリーンにボールを奪ってカウンターを仕掛けることができている。
実は僕は東京Vが南側をホームとして使うことを知らず、真ん中からやや南のエリアに陣取ってしまったのだが、
周囲はしっかりとヴェルディを応援する人ばかり。声援があがる中、ひとりで渋い顔をしてピッチを見つめるのであった。

  
L: 選手入場はやはりフィールドの端っこから。J2でこの光景はやっぱり新鮮だなあ。  C: さっそくシュートを撃つ山瀬。守備が踏ん張る。
R: 対峙する両チームの選手。ボールを持つ駒井は川勝体制では左SB起用。しかし東京Vの守備に隙がなく、攻めあぐねている。

東京Vは嫌いだが、やっているサッカーの内容がよければそれはきちんと評価しなければならない。
今日の東京Vは守備については文句のつけようがない、パーフェクトな内容。穴を開けないポジショニングと、
前にボールが入ったときの素早い対応は、まさにお手本。いくら京都がテクニシャン揃いでも、これでは点が取れない。
もっとも、そうなってしまった一因は京都の1トップ・大黒にもあるように思う。この日の大黒はチャンスメークに徹しており、
ストライカーとしての野性は影を潜めていた。きれいに決めたい京都は強引さが足りず、そこを東京Vに見透かされていた。

そうして前半も終わりに近づいた38分、東京Vの南がドリブルで横移動。京都はプレスをかけずにただ構えているだけで、
ワンツーを交えて隙をつくったところで縦パス。これを受けた右SB田村が落ち着いてシュートを決めて東京Vが先制。
守備の積極性がまるっきり対照的だったので、これは必然の結果ということなのかもしれない。周りは大喜びで僕がっくり。

後半に入っても京都の攻撃からは得点の匂いが感じられない。というよりは、東京Vの守備がまったく綻びを見せない。
この日の東京Vの守備は本当にすばらしい。ボールホルダーへのチェックといい、セカンドボールへの食らいつき方といい、
見ていて惚れ惚れしてしまうほどセンスがいい。勝つに値するサッカーをしているのはもうはっきりと東京Vの方だった。
こうなると京都はリズムを変えた攻撃を考えなくちゃいけないのだが、そこのスイッチを入れる選手はいないようで、
攻めようとしてはつぶされるというおなじみの展開が延々と続くのみ。東京Vの守備を前にしてひるんだ感じもあったなあ。

  
L: 東京Vが先制したシーン。まさに、守備からリズムをつくったサッカーが実を結んだという印象。
C: 国立市出身・安在のキック。東京Vは選手紹介の際、東京都出身の場合は市区町村まで紹介するのだ。
R: これなんか典型的な、東京Vの積極的な守備を象徴するひとコマ。京都の前線はぜんぜん前を向けない。

というわけで見事に東京Vが京都を完封。福岡戦で完全に崩壊してしまった守備が、いつの間にか完璧になっていた。
これがヤスの手腕なのかどうなのかよくわからんが、とにかくしっかりいいサッカーだったのは間違いない。

 バックスタンド前で勝ち誇るヴェルディくん。

僕としては大木サッカーの香りを残した攻撃で東京Vを粉砕してほしかったのだが、まるっきり期待はずれだった。
もうちょっと大木さん仕込みのパスワークを出してほしかったなあ。大黒に預けてなんとかしてくれ、が多すぎた。

ちなみにこの日の観客数はちょうど3,333人で、電光掲示板に表示された瞬間にどよめきが起きたのであった。
別に大当たりでもなんでもねえよ、と唇を尖らせつつ延々とペダルをこいで家まで帰ったとさ。


2014.7.29 (Tue.)

今日は人工芝を4時間確保できたので、いつもお世話になっている学校を呼んでの練習試合なのである。
ひたすらカメラを回しておったのだが、炎天下に集中して作業をするのはやっぱり非常に疲れた。
生徒たちは通用する部分と課題の両方を出した感じ。でもどうすれば通用する部分を増やすことができるのか、
そこがまだまだ運任せなので難しい。理詰めでこっちの思う展開にもってこれないのね。相手があってのことだし。
僕を含めて、みんながもっとサッカーをわかってレヴェルアップしていかなくちゃなあ、と思ったとさ。


2014.7.28 (Mon.)

さあ部活だ! 旅行も終わって今日からいよいよ本格的に部活生活である。まあ夏休みなんてそんなもんさ。
今年は人工芝のグラウンドを使う機会をできるだけたくさん確保しており、今日もさっそく人工芝。
ふだんは土のグラウンドばかりなので生徒たちはもうちょっとはしゃぐかと思ったら、意外と冷静。贅沢な。

せっかくなので3年生の引退試合ということでOB連中も交えて試合をしたのだが、現役連中にいいところがあまりない。
やっぱりプレーの迫力が違うのである。まあ上級生のプレーを学ぶいい機会にはなったとは思うけどね。
ちなみに今年も僕はユニフォームを着て一緒にプレーするのであった。センターバックからフィードしまくりでしたとさ。


2014.7.27 (Sun.)

中国グランツーリスモ、ついに最終日の9日目である。本日の目標は、「蒜山焼きそばを食いに行くこと」である。
前々からいずれ食いたいねえなんて話はしていて(→2011.2.20)、ついにその夢を実現させるときが来たのだ。
で、蒜山焼きそばをメインに据えつつも、今日も途中でいろいろ寄ってみようというわけなのだ。

リョーシさんの提案により、本日最初の目的地は湯原温泉の砂湯に決定。湯原温泉は美作三湯のひとつである。
岡山からだと蒜山の手前にあるので、ぜひ浸かっていこうじゃないかと。そしてぜひ砂湯に浸かろうじゃないかと。
で、高速道路だと快調に飛ばしてけっこうすぐに到着してしまう。湯原温泉は真庭市で(旧湯原町域)、
鉄道で真庭市に行くのにじっくり時間がかかったこと(→2014.7.21)を考えると、車の便利さには驚嘆するしかない。

湯原温泉はハンザキ(オオサンショウウオ)で有名ということで、まずはとりあえず「はんざきセンター」に行ってみる。
オオサンショウウオは体を半分に裂いても生きている、ということでハンザキという異名があることは知っていたが、
それがここ真庭での異名だとは知らなかった。センター内では実際に数体のハンザキが飼育されていたほか、
剥製や研究の展示があるなど、比較的小規模で見学無料のわりには、なかなか見応えのある施設だった。

さて、はんざきセンターの斜向かいには、見るからに学校っぽい木造建築がある。その正体は真庭市役所湯原支所だが、
学校っぽいのも当たり前、もともとは小学校(旧湯原町立湯本小学校)。駐車場はほぼ完全に校庭の感触を残している。
残念ながら詳しい竣工年はわからないが、昭和初期と思われる。廃校になったのが1968年とけっこう前のことであり、
役所として利用されるようになってかなり時間が経過しているが、学校らしい雰囲気がまったく抜けていないのが面白い。
役所マニアのマツシマさんとしては、偶然こんな興味深い事例に出会えてうれしいったらありゃしない。

川原が駐車場になっており、車を止めるとリョーシさんと湯原温泉の温泉街を奥へ奥へと歩いていく。
山間の温泉地ということもあって、温泉街の雰囲気はとっても穏やか。しかし観光客は多く、バランスのいい感じ。
都市部からは距離があるが、高速道路や国道でアクセスしやすく利便性が高い。そりゃ人気があるわな、と思う。

  
L: 真庭市役所湯原支所(旧湯原町立湯本小学校)。端整な木造学校建築の雰囲気を保つ現役の役所ってのは珍しい。
C: 湯原温泉の温泉街を行く。落ち着いているなあ。  R: 途中には薬師堂。いかにも湯治で効いてくれる温泉って感じ。

さて湯原温泉といえば砂湯だ。昨年、僕は三朝温泉で河原風呂にチャレンジしているが(→2013.8.21)、
こっちはもっと本格的というか、スケールが大きいというか、まあとにかく昔から知られている露天風呂なのである。
混浴ということにはなっているが、川のすぐ脇に複数の岩で形成された湯船があるだけという状態なので、
実際には明るいうちはなかなか難しいところがある。いや別に混浴を期待していたわけではないけどさ。ジイサマばっか。
服を脱ぐとさっそくお湯の中に入る。「砂湯」とは川底の砂を噴き上げながらお湯が湧いていることからついた名前で、
緑の藻がお湯の中でけっこう激しく動いている。ということで、底にある石には藻がかなりしっかりとついており、
油断するとすべってしまう。でもおとなしく浸かっている分には非常に快適。いつまでも浸かっていたくなる心地よさだ。
すぐ近くにダムがあるので、温泉好きのダムマニアにとっては一粒で二度おいしい聖地と言えるだろう。いい湯でござった。

 こんな感じでダムと温泉の両方を堪能できる。

まああんまり大っぴらに書くようなことではない事態があったりもしたが、すばらしい温泉を堪能させてもらった。
朝イチからこれって、本当に贅沢な旅行である。昨日もそうだったけど、やっぱり旅行に温泉があると幸せだね。

さて、湯原温泉を後にすると、目指すは蒜山である。一口に「蒜山」と言っても実際のところはけっこう複雑というか、
複数の要素が重なっている場所である。山としての蒜山は主に上中下3つの山からなっている(いわゆる蒜山三座)。
地域名としての蒜山は旧川上村・旧八束村・旧中和村の辺りのことで、これらは合併して真庭市の一部となった。
観光地としては「蒜山高原」という表現を使うことが多い。岡山県内の国道482号線沿いがだいたい蒜山高原だが、
この国道482号、走っていてもまったく「高原」という感触がしない。窓の外の景色はごくふつうの田舎のそれで、
こちとら長野県出身で高原的景観には一家言あるので、リョーシさんに対して「ふつうじゃねえか」などと文句を垂れる。
後で一本北の県道422号を走ったらこっちは完全に高原で、それでようやく蒜山高原という言い方に納得できた感じ。
まあ結局、日本人は田んぼがあると高原の景観とは感じない、という社会学的な結論に落ち着いたのであった。

 
L: これよ、これ。高原といったらこんな感じだよ。ひるぜんジャージーランドにて。
R: ジャージーランドを名乗るだけあって、ジャージー牛がいっぱいである。

蒜山高原で人気ナンバーワンの観光スポットと言えば、なんといってもひるぜんジャージーランドである。
家族連れでごった返している中、独身男ふたりで乗り込む。でもそれが目立たないくらいに賑わっていた。
まずは当然、独身男ふたりでジャージー牛のソフトクリームである。そんなもの、濃厚で旨いに決まっているのだ。
たいへん満足すると、これはジャージー牛の牛乳じたいも味わっておかないといかんわな、ということで、
職場へのお土産のお菓子とともに500mlパックの牛乳を購入。「premium」とか「成分無調整5.0」とか書かれた日にゃ、
地方牛乳好きな僕としては500mlを飲まないわけにはいくまいて。で、飲んでみたら確かに乳脂肪分は高かったが、
低温殺菌ではなかったので風味はイマイチ。それなら「premium」を名乗るなよ、と正直ちょっと思った。

  
L: 蒜山ジャージー牛乳Premium。確かに乳脂肪分は高いのだが、低温殺菌ではなかったのが非常に残念である。
C: 200mlの無調整・無均質・75℃殺菌モノを飲むリョーシさん。フタ裏にクリームができていた。こっちが正解だったか。
R: ひるぜんジャージーランドの2階には休憩室があるが、そこの天井が面白かったので撮影。蛍光灯がランダムとは。

独身男がふたり、混浴露天風呂の後に乳でキャッキャウフフしたと言ったらなんだか誤解を招きそうだが、
まあ実際のところはこんなものである。そりゃまあしっかりと堪能させていただきましたけどね、ええ。

ちょうどお昼のいい頃合いになったので、さっきの国道に戻って本日のメイン・エベント「蒜山焼きそば」をいただく。
2011年の第6回B-1グランプリで優勝したことで一気に全国的に知られるようになったのだが、まだ食ったことがない。
地方のB級グルメにはさまざまな焼きそばがあるにもかかわらず、その中でも特に有名になってしまったからには、
何か特別なものがあるはずなのだ。いったいどんな味なのかものすごく期待しつつ、国道沿いの人気店にお邪魔する。
昨日の卵かけご飯同様、多数の観光客を相手にしているためか、いい意味でシステマティックさを感じさせる素早さ。
そうして出てきた焼きそばはしっかりと味噌ダレの香りで、鼻腔に入った瞬間にその独自性を理解させてくれた。
いざ箸を入れると、歯ごたえ十分のかしわ肉が絶妙なアクセントとなって手が止まらない。なるほどこれは旨い!
同じ旧美作国ということで、津山のホルモンうどんに似た要素があるものの、こちらははっきりと味噌の味である。
焼きそばでソースの代わりに味噌ダレを使うだけで、こうも味の変化を楽しむことができるものだったのか、と驚いた。

 蒜山焼きそば。これは自宅でぜひ再現してみたくなる旨さである。

感動をおぼえつつ店を出ると、せっかくだからさっき看板で見かけた塩釜冷泉に行ってみる。温泉も冷泉も制覇なのだ。
もともと蒜山高原じたいが人気の観光地だが、その中のスポットとしてけっこうはっきりと認知されているようで、
少し奥まった位置にあるものの、わざわざ訪れる客は多かった。まあ大したことはないだろうなと思っていたのだが、
澄みきった水がこんこんと湧いているのを実際に目にすると、やっぱりどこか感動してしまう。人間はきれいな水に弱い。
生物にとって水は必須だから、きれいな水が贅沢に湧き出している光景を見ると、本能的に神聖さを感じてしまうのだろう。
冷泉の中に直接入ることはできないが、流れ出す水に触れることはできる。その冷たさがまた心地よいのであった。

 塩釜冷泉。きれいな水が湧くということは、それだけで神聖なことなのだ、と実感。

これでいちおう本日の最低限の目標は押さえたのだが、まだまだ時間的な余裕はたっぷりとある。
どこへ行こうか?と言うリョーシさん。その言葉に、僕の頭の中では毎度おなじみ無茶な欲望が渦巻きだす。
蒜山に来ているということは、もう鳥取県がすぐそこにあるじゃないか。倉吉がすぐそこにあるじゃないか。
倉吉まで行ったら東郷池がすぐそこじゃないか。倭文神社があるじゃないか。車がある今がチャンスじゃないか。
というわけで、リョーシさんの優しさにつけ込んで、倭文神社(→2013.8.21)まで御守を頂戴しに行ってしまったとさ。
もうね、本当に申し訳ないんだけどね、これって千載一遇のチャンスなの。これを逃すわけにはいかないんです……。
瀬戸内海に面する岡山から、日本海まで2km弱の東郷池までまさかの中国山地縦断ですよ。つくづく申し訳ない。

国道313号で倉吉の旧市街に出ると、さらに北東へ進んで倉吉駅前へ。山陰本線に沿って東郷池に出る。
ここまで来てしまえば道はわかっているので道案内。燕趙園や東郷温泉の脇を抜け、県道234号をねちねち上がる。
去年、あれだけ苦労した道のりが、車だとほんの一瞬である。悔しいというか切ないというか、そんな気持ちだ。
誰もほかに参拝客なんていないだろうと思いきや、さすがに一宮ということで、先行する車が1台いた。
無理やり連れてきてもらった後ろめたさがあるので、「ほら一宮ってことでわざわざ参拝する人がいるんだよ」と、
必死になってリョーシさんにアピールする僕なのであった。ご利益きっとあるよ、安産が(倭文神社は安産が有名)。

  
L: というわけで倭文神社の神門をもう一度撮影。よく見ると彫刻が凄いことになっている。あいかわらず賽銭箱はここ。
C: 参道を行く。途中の経塚は当然、無視である。  R: 拝殿を昨年とは異なる角度から撮影。やっぱり戸が閉まっていた。

いやーまさかこんなに早く倭文神社を再訪問できるとは。リョーシさんにはいくら感謝してもし足りないくらいだ。
肝心の御守だが、まだ午後1時半になったばかりだというのに神職が帰ろうとしていて、慌てて頂戴したのであった。
何もない丘の上、林の中なので気持ちはわからないでもないが、日曜日なんだしもうちょっと参拝客のことを考えてほしい。
まあとにかく、これで伯耆国一宮・倭文神社の御守を手に入れることができた。いやあ、本当にうれしい。大切にするぜ。

 あらためて撮影しなおした本殿。一宮の本殿は例外なく立派なのである。

もう何も思い残すことはないっス。満足っス。呆けている僕とは対照的に、リョーシさんは何か思いついた様子。
それは国道179号で帰り、途中にある人形峠に寄るというアイデア。そして奥津温泉にも寄ってしまおうというのだ。
地図を見ればわかるけど、これはものすごく合理的なアイデアなのである。さすが弁護士センセーは違いますなあ!

というわけで、国道179号をグイグイ山の方へと入っていって、途中で左に曲がる。しばらく行くと人形峠だ。
人形峠といえば、なんといってもウランの鉱床として有名な場所だ。「人形」というどこかオカルト的雰囲気な名前もあり、
小学校時代にはある種のトラウマ的な存在感を発揮していたように思う。まさか実際にそこに行くことになるとはねえ。
とはいえ人形峠でのウラン採掘は、採算がとれないのですでに終了している。通算で84tのウランを取り出したそうだ。
国道は峠を抜けるトンネルへ向かうが、脇道に入る。そうしてくねる道をしばらく行くと、駐車場のある場所に出る。
車を降りたら地面がずいぶん斜めだ。駐車場の下側は公園として軽く整備されており、四阿にはオオサンショウウオがいた。
公園を下りきった先には、2つの建物が並んでいた。右が「人形峠アトムサイエンス館」。原子力について紹介する施設だ。
しかし左の建物は名前のところが黒く塗りつぶされており、ただでさえ人形峠というだけでも怪しいイメージで満載なのに、
それを加速する仕打ちだ。見ると、「人形峠展示館」と読めた。今は「岡山大学人形峠サテライト研究室」の看板がある。
「お前を人形峠に連れて行ってやろうか!」「はい」ってな感じでやってきた人形峠だが、予想以上に寂しい場所だ。

  
L: 人形峠。峠とはいえ、ずいぶんと斜めな駐車場である。物好きな観光客が訪れるようで、 家族連れが何組かいた。
C: 人形峠の名の由来を示した案内図。しかし劣化しすぎて詳しいことがわからない。それもまた怪しさを加速する。
R: 駐車場の坂を下りきったところには2つの施設。手前にあるのが岡山県が運営する人形峠アトムサイエンス館。

アトムサイエンス館の説明によると、「人形峠」の名の由来は以下のとおり。かつてここには巨大な蜂が棲んでおり、
人間を襲っていたという。しかしおとりの人形を置いて蜂を退治することができたので、人形峠という名になったそうだ。
由来を聞くと意外とふつうというか、そこまで珍しい感じのないエピソードではある。やはりウランの影響が大きいのだ。
ウランが採掘できるということで、どこか殺生石めいた先入観ができてしまうのである。「人形」とは魂の抜かれた人、
そういうイメージがどうしてもついてくるので、両者のネガティヴなところが重なって必要以上に不気味さが出るのだ。
しかし実際に寂れた光景を目にすると、現実がどんどん名前の印象へと近づいているようにも思えてくる。

アトムサイエンス館の中は、いかにもな子ども向けの原子力学習施設。奥には上齋原スペースガードセンターの展示。
ざっくりといいかげんに見学していた僕には、いきなりスペースデブリを監視する話が出てきてびっくりである。
ほかの家族連れとスクリーンに映し出された映像を見るなどしたが、原子力行政についての後ろめたさがどうしてもあり、
そのマイナスをデブリ監視という正義で無理に中和しようとしているとしか思えない。結果、内容がすごく散漫だ。

  
L: 旧人形峠展示館。黒く名前が塗りつぶされているところが、よけいに人形峠の怪しい雰囲気を加速している。
C: アトムサイエンス館から旧人形峠展示館部分を通ってスペースガードセンターのコーナーへ。これは旧人形峠展示館部分。
R: 日本原子力研究開発機構・人形峠環境技術センター。平日にはウラン坑道の見学もできるようだ。

まあ最初から期待していなかったが、それにしてもアトムサイエンス館は切なくなる展示施設だった。
なんとなく淋しい気分で峠を下っていったら、「妖精の森ガラス美術館」なる施設があった。実に怪しい名前である。
せっかくなので寄ってみたら、ここはウランが名物の人形峠ということで、実態はウランガラス(→2012.9.23)の美術館。
なるほどこれは上手い!と感心してしまった。紫外線で光るウランガラスを妖精の光に例えてそういう名前なんだとさ。
ウランガラス製品は19世紀からつくられており、それらをキワモノではなくきちんと美術品として扱う姿勢、
そして人形峠のウランを素材として活用し、実際に工房で新しい製品をつくっているマジメさに好感が持てた。
さっきは原子力をめぐるネガティヴさを見せられたが、こちらは非常にポジティヴ。これは高く評価したい施設である。

 妖精の森ガラス美術館。取り組みはものすごく面白いが、名前がイマイチだと思う。

人形峠訪問がポジティヴに終わって、なかなかいい気分で奥津温泉に到着。湯原温泉と同じく、美作三湯のひとつだ。
今回の旅行では2日目に湯郷温泉を訪れているので(→2014.7.20)、これで見事に美作三湯を制覇したことになる。
リョーシさんも美作三湯で最もアクセスするのが面倒くさいという奥津温泉に来れたことで、満足そうである。
さっそく入浴施設に行ってみるが、どうも施設の半分を閉鎖しているようで、中に入るのに少し手間取った。
しかし入ってしまえばこっちのもの。のんびりゆったりと温泉を堪能したのであった。これも実にいい湯だったねえ。
朝に夕にそれぞれ温泉を楽しめるとは、本当にすばらしいことです。とことんまで岡山県を満喫させてもらったわ。

 
L: 吉井川に架かる奥津橋が奥津温泉の中心。河原風呂があるが、ここで足踏み洗濯をするのが有名らしい。
R: 奥津温泉の温泉街はたいへん鄙びている。アクセスしづらいだけあって、美作三湯で最も質素である。

その後は国道53号で南下。途中でリョーシさんオススメの「ぶたかば」をいただく。これはそのまま、豚の蒲焼きだ。
岡山発のB級グルメとして奮闘しているそうで、まあ確かに、言われてみればこれは今までありそうでなかった発想である。
実際に食べてみると、うなぎを豚に置き換えただけ、なのだが、なるほど焦げている部分の風味が確かに蒲焼きで、
なかなか新しい発見だ。帯広の豚丼もそうだが(→2012.8.17)、豚肉をおいしくいただくキーワードは「焦げ」なのかも。

 ぶたかば重。肉食ってるぜ感がたいへんすばらしい。

そのまま岡山空港へ直行し、コーヒーをいただきながら時間ギリギリまでリョーシさんとあれこれ話す。
今回の旅行は9日間と常軌を逸した非常に贅沢なもので、前半はいつもの調子で無茶ばっかりやっていたが、
後半はリョーシさんに面倒を見てもらったおかげで、たいへん締まった内容になったと思う。ありがたやありがたや。
本当に、岡山県をとことんまで、隅々まで楽しませてもらったもんなあ。いい思いばっかりさせていただきました。
そんなこんなで、まだ訪れていない岡山県内の市役所は井原市だけ、というところまで来てしまった。
これについてはまたいずれ、井原鉄道と矢掛町とセットで堪能できる日を楽しみに待つとしましょう。

リョーシさん、言葉には表現し尽くせないほどに充実した経験をさせてもらってありがとうございました。
この恩はいつ、どういう形できちんと返せるかはわからないけど、とりあえず日記はがんばったぜ。本当にありがとう。


2014.7.26 (Sat.)

たっぷりと楽しませてもらっている中国グランツーリスモも、ついにラス前の8日目になってしまった。
さあ、今日はリョーシさんが車を出してくれるぜ! どこへでも行きたい放題だぜ! 毎回ワガママ言ってすまないね!
本日の僕の希望は、2日前にスルーした鬼ノ城と、車じゃないとアクセスがものすごく大変な石上布都魂神社の2ヶ所。
それにリョーシさんがアレンジを加えつつ、夕方には岡山市内に戻ってJ2・岡山×栃木を観戦するというスケジュールだ。
リョーシさんは僕のマニアックな方向性に半ば呆れ気味に、しかし気がいいのでイヤな顔ひとつせず対応してくれた。
ありがたやありがたや。お礼としてがんばって日記書いているんだけど、旅行の中身が濃すぎてぜんぜん進まん。

朝メシをどうするか逡巡した挙げ句、「やっぱり西日本はジョイフルですよね!」ということで(→2011.2.19)、
ジョイフルで朝メニューをいただくのであった。なんだかんだ豚汁朝食は好きです。なのでやる気は出たよ!

さて、リョーシさんは「どうしてもまつせんさんの感想を聞きたい」という建物があるそうなので、連れていってもらう。
それは、岡山西警察署。現在の建物は1996年の竣工で、設計は磯崎新+倉森治。調べたらそれなりに有名みたい。
リョーシさんは向かって右側の柱がやたらとあるスペースが気になるらしい。デッドスペースじゃないか、無駄じゃないかと。
なので僕は単純明快にこう答えましたとさ。「これは留置場のイメージだね!」そしたらリョーシさん苦笑。でもそうじゃん。

 岡山西警察署。僕は絶対、留置場の鉄格子からデザインしたと思うんですが。

そんな感じで朝から全開である。岡山西警察署を後にすると、3年前にも通った吉備津彦神社近くを行く道を進み、
やっぱり吉備津神社の近くをそのまま通って西へ。リョーシさんにはここで最上稲荷に寄るプランもあったそうで、
そうと知っていれば遠慮なくそうしてもらったのに!と、僕はおとといのことを思い出して泣きそうになるのであった。
というわけで気がつきゃ総社。自動車という文明の力を最大限に発揮して、あっという間に砂川公園へ。いやー便利だ。
ここを抜けると鬼ノ城なのだが、公園から先の道が完全に山の中で、とにかく幅が狭い。対向車が来たら超面倒くさい。
しかし朝早いうちに鬼ノ城から下りてくる車などなく、そのまま駐車場まで行くことができた。朝だったのが幸いしたね。
それでも駐車場にはすでに何台か車が止まっており、なんでわざわざここに来るかね、と自分のことは棚に上げて呆れた。

鬼ノ城。「きのじょう」と読むが、その名のとおり「鬼の城」である。岡山と言えば桃太郎、つまり吉備津彦命だが、
彼が戦った相手・温羅(うら)の本拠地とされるのが鬼ノ城なのだ。ちなみに吉備津彦命の本陣は、今の吉備津神社。
(鬼の本拠地といえば、昨年末に「鬼ヶ島」とされる女木島に行っているけどね。海と山、どっちだ。→2013.12.28
ただ実際のところは、白村江の戦い(663年)に敗れた当時の大和朝廷が、大陸からの侵攻に備えて築城したという話。
なんでわざわざそんないろいろはっきりしない伝承の城跡に行くのかというと、いちおう百名城を押さえよう、ということ。
せっかくだからきちんと見ておこうじゃないかという、毎度おなじみの野次馬根性でやってきたのであります。

鬼ノ城の範囲は非常に広く、鬼城山の山頂、周囲2.8km。近くにあるのは鬼ノ城ゴルフ倶楽部、あとは山。
城と名乗ってはいるものの、まあ実際に古代の城ではあったものの、現代の価値観で言えばこれは「山」である。
いちおう遊歩道が整備されているものの、くねった上り坂となっており、しっかりと歩かされる仕様になっている。
ちょっと進んだ時点で体力に自信のないリョーシさんの息が早くもあがってしまう。貴重なドライバー様が大ピンチだ。
体力バカの僕としては、まるで三杉くんとサッカーをしているような気分である。ガッツ足りなすぎですよセンセー。

  
L: 鬼ノ城の序盤の序盤の光景。くねくねとした上り坂が続く。「城」とは言っても、これはもう完全にハイキング。
C: 西門に到着。展望スペースがあって、そこから眺めてみたところ。  R: 西門。時代が古すぎて考証とか大変だよなあ。

この先には礎石建物跡だとか非常に眺めのいい展望急崖(ただし見えるのは山とゴルフ場だけ)とかいろいろあるらしいが、
ウチのガラスのエースが、西門を見ていわゆる鬼ノ城的な景観を堪能できたからもういいじゃないか的なことを言い出し、
僕としてもドライバー様の御機嫌を損ねる気はないし、山歩きの時間があったらほかの名所に行った方がいいだろうし、
あいわかったと二つ返事で引き返す。正直、鬼ノ城を百名城からはずして米子城(→2013.8.20)入れろと言いたいです。

 手前の学習展望台から眺める西門。うーん、鬼ノ城的な景観だ。

そんなわけで麓に戻って総社の市街地へ。おととい総社駅で宝福寺を薦められた話をしたことで、じゃあ行こう、となる。
国道180号でいったん伯備線を抜けると、高梁川に沿って少し走ったところできゅっと東に入る。そこが宝福寺だ。
宝福寺というと、なんといっても雪舟が少年時代に修行した場所として有名だが、見るべき建物もけっこう多い。
境内は高低差のある林の中で、駐車場に車を止めてから重要文化財の三重塔まで道に迷いそうになりつつ歩いていく。
まあ実際は一本道なので迷うわけなどないのだが、これでいいのかな?という不安感を呼び起こす高低差なのであった。

そうして境内のいちばん低いところに到着。ここからだんだんと上がっていく形で境内がつくられているのだ。
まず立派な山門がお出迎え。脚が細くてすらっと立つ姿が三次の照林坊や専法寺(広島・梵の実家)に似ている。
その素朴なシルエットにかえって歴史を感じる。そして目に留まるのは、なんといっても「少年雪舟像」である。
柱に縛り付けられた雪舟が涙で鼠の絵を描いたという有名な伝承だが、なぜか鼠が雪舟の膝の上に乗っている構図。
これはちょっと、話が違ってくるんじゃないかい?とリョーシさんと首をかしげるのであった。

  
L: 宝福寺の山門。  C: 少年雪舟像。これだと「身動きのとれない雪舟を鼠が助けに来た」って構図なんですが。
R: 仏殿。宝福寺は臨済宗で、そのせいかなんとなく中国っぽい(黄檗っぽい)デザイン要素を感じる。

雪舟という偉人を輩出したことがうれしいのはわかるが、境内のあちこちに縛られている雪舟がいて、
それはそれで雪舟がそういう特殊な性癖の持ち主のような感じがしてしまうではないか。ホントに多いのよ。
正直なところ、雪舟の画業における功績の方をもうちょっとクローズアップしてほしかったなあ。

  
L: 仏殿の天井に描かれている龍。雪舟が描いたわけではないだろう。  C: 庫裡と方丈。SMの現場はこの辺りですかね。
R: 重要文化財である三重塔。1376(永和2)年の築。備中国分寺もあるし、総社市は個性的な塔をふたつも抱えている。

リョーシさんの案により、そのまま吉備線方面に東へ戻って足守に行ってみる。昔の街並みが残っているそうで、
そりゃぜひ見てみたい。吉備線には足守駅があるものの、街並みまでの距離はめちゃくちゃ遠く(4kmだってよ!)、
車で訪れないと大変面倒くさいのだ。国道を180号、429号と走り継いですぐに到着。車って本当に便利だね……。

国道429号から足守川を渡って右岸に入ったところが、足守の中心部である。道は昔の街並みにしては広めである。
木造建築はよく残っているものの、道の広さや並ぶ電柱、あとは看板などのせいもあり、往時の雰囲気はやや薄く感じる。
とりあえず、非常に目立っている藤田千年治邸までを往復してみた。この邸宅ではかつて醤油の製造を行っていて、
建物の中にはその道具が展示されていた。でもぜんぜん観光客がいないのが不思議だった。もっといてもいいのに。

  
L: 藤田千年治邸。江戸時代末に建てられたが、その後に現在のような姿に改装したとのこと。かなり立派な建物だ。
C: 内部の様子。醤油づくりの道具が展示されている。  R: 中庭。しっかりリニューアルされていて非常にきれい。

いちおうそんな感じで足守の中心部を往復してみたのだが、週末の午前中なのにぜんぜん観光客の気配がない。
北政所(ねね)の兄・木下家定が姫路から移って陣屋を築き、足守藩が発足。子孫の歌人・木下利玄も有名だが、
なんといっても適塾で知られる緒方洪庵が生まれた土地だ。もうちょっとそれを生かして知名度を上げられないかと思う。

  
L: 足守の中心部はこんな感じ。古い建物はよく残っているか、どうも生活感の方が強くて観光地らしい雰囲気が薄い。
C: 旧足守藩侍屋敷の外観。建物の中には入れず覗き込むだけ。イマイチ。  R: 中はこんな具合で居心地よさそう。

侍屋敷(家老・杉原家旧邸宅)を覗いて北へと歩いていくと、木々の中に木下利玄生家と近水園(おみずえん)がある。
木下利玄生家はだいぶリニューアルが施されており、正直僕は再建じゃないかと思ってしまったほどだ。
これも侍屋敷と同じく建物の中に入ることができず、外から覗き込むだけだった。なんとも興ざめである。
観光資源ではなく史跡として残すことに重点を置いているようで、そういう考え方があることは理解はできるが、
僕は「その偉人と同じ空間に立つこと」に価値を感じるのである。同じ空間に立つことで広がる想像力がある。
たとえば絵画もそうで、画家が絵筆を取った距離に自分も立つからこそ、絵画の価値がより身に迫ってくるのだ。
だから木下利玄と同じ空間に身体を重ねることができなければ、その偉業を感じる度合いは激減することになる。
近水園の吟風閣も同様に中に入ることができなかった。足守全体が閑散としている理由が、ここでようやくわかった。

  
L: 木下利玄生家。姫路からずいぶん田舎に押し込められた印象だが、徳川の世でも大名として生き残れただけ立派なのだ。
C: 近水園のほとりに建つ吟風閣。ここから庭園を眺めることができないんじゃ、存在する意味がないだろうと思う。
R: いちおう吟風閣方面から眺めた近水園。足守はポテンシャルを発揮する気がない、非常にもったいない場所だった。

そんなわけでイマイチ消化不良な気分を抱えつつも、いよいよ本日の(僕にとっての)メイン・エベントである場所へ。
もうひとつの備前国一宮である石上布都魂神社を目指すのだ。地図を見てのとおり、この神社、本当に山の中にある。
公共交通機関だけでアクセスしようとすると、まずは岡山駅から津山線に揺られて金川駅で下車することになる。
津山線は昼間はだいたい1時間に1本ペースだが(朝夕は増える)、ここから先が大問題となってくるのだ。
御津・建部コミュニティバスのお世話になるのだが、日曜はお休み。しかもこのバス、確実に走るのは一日1便のみ。
1時間前までに電話予約を入れないと残りの2便は走ってくれないのである。はいそうです、一日最大3便です。
で、バスに乗ったら石上公民館で下車。さらにそこから山の中を延々と歩かなくてはいけないのである。
帰りも同じだけの手間がかかるので、公共交通機関だけを使って参拝するには丸一日を要するであろうと思われる。
おそらく島を除けばアクセスが最も難しい一宮だろう。ここをどうするかがかなりの懸案事項だったわけである。
だからリョーシさんが運転してくれるって言うからもううれしくってよう。オレだけハイテンションなのであった。

足守の国道429号から国道53号を目指す。しかしこれがけっこう厄介というか、いかにも中国山地なのだ。
ひとつひとつの山はそこまで急峻ではないが、面的に連続しているので、道が曲がりくねって複雑に絡み合っている。
山地なのでまっすぐ抜けることができないのだ。そして舗装などはしっかりしているが、ぜんぜんひと気はない。
日本アルプスに行く手を遮られて育った僕にはこの感覚はけっこう新鮮で、ああ中国山地だ、と毎回思うのだ。
そうして岡山空港の北側をくねくね走ってようやく東へ抜けると、旭川のちょうど手前で国道53号にぶつかる。
そこから少し北へ行けば金川駅だ。駅を越えると橋を渡って左岸に出ると、再び山の中をナビに従い登っていく。
本当に山の中の細い道だが、やがて案内板があって、安心しているうちに到着。いやー、一宮参拝って厳しいですなあ。

  
L: 石上布都魂神社の一の鳥居。右手がアスファルト敷きの車道で、歩行者向けの参道はこんな感じ。
C: 鳥居を抜けて進むとこんな感じ。舗装が途切れてますね。駐車場はこの先左手の、路肩が膨らんでいる部分である。
R: 駐車場からこちらの入口を上がっていく。杖が置いてあるけど、参道というよりも、もう完全に山道。

まあこれらの写真を見ていただければ、石上布都魂神社がシャレにならない山の中に鎮座しているのがわかるだろう。
だって車道の途中に蛇がいたもん。まあある意味、この神社に向かう途中に蛇ってのはなかなか面白いけど(後述)。
坂道、次いで石段を上がっていくと、さすがに神社らしい雰囲気になってきて、石段の曲がるところに手水舎がある。
そうして石段を上りきると拝殿。ネットなんかで検索して出てくる画像よりも、ずいぶん立派に神社である。

石上布都魂神社は「いそのかみふつみたまじんじゃ」と読む。「石上」というと奈良県の石上神宮(→2012.2.18)が有名。
スサノオがヤマタノオロチを斬ったときの剣が「布都御魂(ふつみたま)」で、こちらの石上布都魂神社に祀られていたのだ。
これが崇神天皇の時代に石上神宮へ移されたそうだ。これってけっこうすごい話だ。ただの山の中の神社じゃないのである。
ちなみに「布都御魂/布都魂」の「ふつ」とは物を断ち切る音を表すそうだ。よく切れる刀ならではの名前なのだろう。
なお、香取神宮(→2008.9.1)の祭神・経津主神(ふつぬしのかみ)の「ふつ」もそれと同じ意味を持っているそうで、
鹿島神宮には「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」という2.24mの直刀が収められている(→2012.7.21)。うーん、面白い。

  
L: 石上布都魂神社の境内。ネットなんかの画像と比べ、実物の拝殿は山の中にあるわりにはきれいだった。
C: 角度を変えて拝殿を眺めたところ。  R: 本殿。さすがに一宮だけあって、きちんと立派である。

お茶を勧めてくれた神職のおじいちゃんといろいろ話す。もともと石上神宮は物部氏の系統の神社なのだが、
物部氏は兵器の製造・管理を担当していた一族だ。そんな感じで「部」のつく氏族のそれぞれの仕事だとか、
現代における「部」としての部活動にまで話は及んで、なかなか興味深い内容だった。奥が深すぎる気もする。
話を聞きつつ僕はぼけーっと、そういえば石見国一宮は物部神社だなあ(→2013.8.18)、関係あるのかなあと考える。

さて、石上布都魂神社には山上に本宮(奥の院)があるそうで、せっかくなのでそこまで行ってみることにした。
神職のおじいちゃん曰く、スリムドカンの斎藤一人社長がパワースポットぶりを絶賛したことで人気が爆発したそうで、
一時期はバス数台分の参拝客が押し寄せたこともあるそうだ。そんなの、なんだそりゃ、と驚くしかないじゃないか。
道は純粋に登山道なのだが、途中に見晴らしのいい場所があるなど(ただし山しか見えない)、雰囲気はなかなか。
体力的に不安のあるリョーシさんも、特にヘバることなくきわめて順調に登っていき、最後の鳥居をくぐると石段となる。
この石段が少し蛇のようにくねっていて、スサノオとヤマタノオロチ、そして布都御魂の伝承が、なんとなく納得できた。
そうして到着した本宮は岩の上に建つ小さな祠で、奥は禁足地となっている。昔から信仰されてきた磐座なのだろう。

  
L: 本宮(奥の院)へと向かう山道。純粋なる登山道だがそこまできついわけでもない。ちょうどいい感じ。
C: 途中には周辺の山々を見渡せる場所があった。これがスリムドカン大絶賛の景色なんですかね。
R: 本宮(奥の院)に到着。大きな岩を背にして祠が建っている。いかにも古来の聖地っぽい磐座ぶりである。

戻ってくると御守を頂戴する。せっかくなのでふつうの御守のほか、刀の形の「必勝 太刀守」も頂戴してみた。
どうしても倒したい、蛇のようにいやらしいヤツがいるんだよ。この御守はリョーシさんも気に入って頂戴したのであった。
そんなわけで、実際に訪れたら石上布都魂神社はただの神社ではなく、古来の聖地らしさを存分に持っていた。
やっぱり一宮には何か特別なものがあるな、とあらためて感じさせてくれる場所だった。参拝できて本当によかった。

そろそろ昼メシの時間である。石上布都魂神社からそのまま北上していって、国道53号に合流してさらに北上。
美咲町の中心駅は亀甲駅で、駅舎は亀の形をしているそうだ。でもそんなキテレツ建築に興味はまったくないので、
それより早くメシを食おうぜと、反対方向の中央運動公園を目指す。リョーシさんの提案で決まったのだが、
なんでメシを食うのに運動公園へ行くのかよくわからない。でもこれが全国的に大人気なんだからしょうがない。
で、その魅惑のメニューの正体は、卵かけご飯である。2008年、卵かけご飯専門の定食屋がオープンして、
ずいぶんと話題になった。それがここ、岡山県美咲町の運動公園内にあるのだ。その名も「食堂かめっち。」。
なんでここが卵かけご飯の聖地になったのかというと、岸田吟香の出身地だから(ちなみに岸田劉生は吟香の四男)。
岸田吟香は日本で初めて卵かけご飯を食べた人物。そんなことのはじめて物語が確定していることにびっくりだ。
まあともかく、それで美咲町は町おこしをして大ヒットしたわけである。だからぜひ食ってみようじゃないかと。

オープンから6年経った現在も人気ぶりは健在で、店内に入りきれない客が外で待たされる。うーん、期待が高まる。
呼ばれて中に入ると食券を購入。卵かけご飯のみの「黄福定食」は350円。卵もご飯もおかわり自由なのでありがたい。
せっかくなのでさらに出汁巻き卵の「黄福巻き」も注文。人気店だけあって料理はシステマティックにすぐ出てくる。
そしたら卵はいつも近所のスーパーで見かける「地養卵」。確かにちょっと高いけど、品質がいいのでたまに買う。
つまりこれは僕にとって、「ふだん最も食べる確率の高い卵かけご飯そのもの」なのであった。けっこうがっくりである。
それでもおいしく卵3個でご飯3杯をいただいた。調子に乗っておかわりしすぎたせいで、出汁巻き卵が少しつらかった。

  
L: 食堂かめっち。の入っている黄福広場。向かいには米でつくったアイス「じぇらいす」を売る店も入っている。
C: 卵かけご飯の聖地・食堂かめっち。。つねに中に入るのを待つ人がいる感じで、いまだに根強い人気があるようだ。
R: これが大人気の卵かけご飯だ。350円のお値段相応、味はふつうに卵かけご飯だ。まあ、卵かけご飯だもんな。

黄福広場の向かいにある公園には、卵かけご飯の顔ハメがあった。卵かけご飯の顔ハメって、よくわからないんですが。

 まあ、お決まりのパターンで撮られるわけですが。

黄福広場の観光案内板によると、この近所には大垪和西(おおはがにし)棚田という見応えのある棚田があるようだ。
いっちょ見てみることにする。道のところどころに案内が出ているので、それを見ながら山の中へと進んでいくと、
目印の大垪和郵便局に到着。近くの地域センターに地図が置いてあったので、それを参考にしながら棚田を一周。

  
L: 大垪和西棚田。棚田なので当たり前だが、けっこう高低差がある。これは低いところから見た景色。
C: 高いところから見下ろす。車ってすぐ移動できて便利だねえ。  R: もう一丁、高いところから眺める。

正直なところ、悪くはないけど、そこまで凄いというわけでもない。白米千枚田(→2010.8.23)ほどではないなと。
棚田の範囲はわりと広めで、ぐるっと回るのはけっこう大変。でもそのわりには見映えのいいアングルがあまりないのだ。

このまま東へ抜けて、誕生寺に行ってみることにする。さっきも書いたように岡山県の山道は複雑なのだが、
iPhoneのGoogleマップを参考に、県道373号を行けば大丈夫じゃないかと判断して、ひたすら走っていく。
が、これが大失敗だった。「県道」ということで安心していたのだが、予想とまったく違って完全に山道。
幅が本当にぎりぎりの細さで、片側はずっと崖で、反対の山側にも溝があって、しかもめちゃくちゃくねる道なのだ。
脱輪の恐怖におののきながら延々と進むことになってしまった。これは本当に怖かった。リョーシさん本当に申し訳ない。
まあひとつだけよかったのは、道に迷った途中で野生のキジを見かけたこと。岩の上に赤い顔の鳥が休んでいて、
キジだー!と思って車を停めてもらったのだが、デジカメで撮る間もなく猛スピードで逃げられた。残念である。
さすが岡山、ファジアーノだぜ……とつぶやくのであった(ファジアーノとはイタリア語でキジのこと)。

命からがら、やっとのことで名ばかりの県道を抜けると誕生寺に到着。リョーシさんは本当に運転お疲れ様でした。
さて、誕生寺とは誰が誕生した寺なのかというと、浄土宗の開祖・法然である。平敦盛を討ち取った熊谷直実が、
無常を感じて出家したのは有名な話。法然の弟子となった直実は、法然の生家に寺を建てた。これが誕生寺なのだ。
旅行とは知識が広がるものだなあと思う。境内はわりと広めで、あちこちに堂宇が点在していて興味深い。
風格のある山門とどっしりしている御影堂が印象的だが、どちらも重要文化財となっている。さすがに迫力がある。
奥へ進むと片目川という面白い名前の川が流れており、無垢橋という橋で渡る。この川には片目の魚が現れるとか。
川を渡った先には法然の両親を祀る霊廟、そして六角堂があった。最後に真新しい瑞應殿と仏像を眺めて境内を出る。

  
L: 美作国誕生寺の山門。1716(正徳5)年の築。  C: 1695(元禄8)年築の御影堂。なかなか独特な形状だ。
R: 津山藩主・森忠政が1631(寛永8)年に生光院霊屋として建てた観音堂。境内で最も古い建物とのこと。

左手の山ぎわを走る津山線を眺めながら、国道53号を南に戻る。途中で旧建部町(2007年に岡山市に併合)に寄る。
さっき石上布都魂神社で「部」についての話があったけど、この「建部」もおそらくその辺の歴史と関係があるのだろう。
建部には旭川沿いに八幡温泉郷があり、そこの公営入浴施設に入る。露天もあって、リョーシさんとのんびり堪能。
これは本当にすっきりしましたな。明るいうちにのんびりと入る温泉は最高である。岡山も温泉天国なんだよな。

岡山の中心部に戻る車が集中する構造になんだそうで、国道53号がにわかに混み合いだす。それでもスーパーに寄って、
この後困らないようにと飲食物を軽く買い込んでおく。そう、本日のラストはJ2・岡山×栃木のサッカー観戦なのである。
すでに岡山県総合グラウンド周辺は混雑しており、臙脂色のユニフォームを着た人たちがウジャウジャいる。
毎回恒例の初訪問スタジアム撮影をやりたい僕は入口の前で降ろしてもらい、リョーシさんは駐車のためいったん去る。

岡山県総合グラウンド内に入ってまずびっくりしたのは、運動施設と関係がないであろう洋風建築が建っていたことだ。
実はもともと岡山県総合グラウンドは日本陸軍練兵場の跡地で、1962年の岡山国体のために整備された歴史がある。
そして1910(明治43)年築の旧日本陸軍偕行社は移築されて、現役のクラブハウスとして利用されているのである。
また総合グラウンドのど真ん中には弥生時代の遺跡・津島遺跡があり、「津島やよい広場」として整備されている。

 岡山県総合グラウンド・クラブハウス(旧日本陸軍偕行社)。珍しい再利用だ。

ではいよいよスタジアムを一周だ。正式名は岡山県総合グラウンド陸上競技場で、愛称は「桃太郎スタジアム」。
しかしネーミングライツにより「kankoスタジアム」と一般には呼ばれている(略称は「カンスタ」である)。
いちおう一周はできたものの、敷地の端っこに建っていることもあり、バックスタンド側は狭くて何がなんだか。
でもメインスタンド側はいい意味で滞留しやすい空間となっており、スタジアムグルメの行列も邪魔になっていない。
スタジアムグルメの種類は豊富で、家族連れなどで訪れるにはだいぶ利便性のいいスタジアムであると感じた。

  
L: 敷地の中に入ると、まずメインスタンド側面。  C: 少し進むとこんな感じになってくる。ゆとりがあって動きやすい。
R: 津島やよい広場方面から距離をとって眺めるメインスタンド。こうして見ると、なかなか大きいスタジアムである。

無事に駐車を完了したリョーシさんと合流すると、スタジアム内へ。QRコードでそのまま入場できなかったのは切ない。
今回はリョーシさんにお世話になっているお礼ということで、メインスタンドの指定席を用意させていただきましたぜ。
リョーシさんとは東京にいるときにプロ野球観戦もサッカー観戦もしているが(→2007.7.72007.8.18)、
地元の岡山にお邪魔してスポーツ観戦というのは初めてである。まさか岡山でプロスポーツ観戦ができるとはねえ。
ファジアーノ岡山は川崎製鉄水島サッカー部(現・ヴィッセル神戸)の流れを汲むクラブで、2007年にJリーグ準加盟。
翌年にJFLに昇格するとその翌年にはもうJ2と、かなりスルスル順調にJリーグ入りしてしまったクラブである。
リョーシさんは「岡山県民は娯楽に金をかけない。全国ツアーとかやっても岡山だけは本当に客が入らない」と言う。
しかし兵庫と広島の中間で、かなりの交通の要衝でもあり、ポテンシャルは高い。それが近年は存分に発揮されており、
影山監督が就任すると、きわめて着実に順位をあげてきている。松本山雅とともに地元の支持が評価されているクラブだ。

  
L: メインスタンド側の向かいにはスタジアムグルメがずらりと並ぶ。非常に整理されており、利用しやすい。
C: 岡山県総合グラウンド陸上競技場(kankoスタジアム)内の様子。  R: 熱烈サポはバックスタンドの端にいる。

影山監督率いるファジアーノ岡山の最大の特徴は、徹底した3バックということになるだろう。
ちょっと前までJリーグでも左右のSBがいる4バックが全盛だったが、岡山はずっと3バックをメインに採用している。
WBが縦に動いて3バックにも5バックにもなるスタイルは今回のW杯で完全に市民権を得る格好となったが、
岡山はもう何年もそれを継続して着実に成績を上げており、J1昇格プレーオフに入ってくる可能性が高いと見られている。
今シーズンは序盤にだいぶもたついたものの、引き分けで粘るサッカーで徐々に順位を上げてきて、現在はなんと4位。
対する栃木SCは昨年途中に松田監督が解任され、71歳の松本育夫がまさかのリリーフ。もちろんJリーグ史上最高齢。
それはそれでケーシー=ステンゲルみたいで面白かったし、成績も急上昇で最後は9位にまで順位を上げたのだが、
さすがに留任はなくって今シーズンは阪倉コーチが監督に昇格。しかしJ1昇格を焦るあまり経営問題が発覚したため、
主力選手を放出せざるをえない再スタートとなってしまった。序盤は快進撃を見せたものの、現在は8位で停滞中である。

スタメン発表で驚いたのは、東大出身の久木田がDFにコンバートされていたこと。先月から3バックに入っているようだ。
運動量の多い献身的なFWというイメージだったのでびっくり。……と思ったら、先制点を奪ったのはその久木田だった。
前半15分にFKからのヘッド、それをGKが弾いたところに久木田が頭から飛び込んだのだ。鮮やかな先制点に沸く客席。
その後も岡山が攻め続ける。というよりは、あまりにも栃木の動きが悪すぎる。レンタル中のFW瀬沼に期待がかかるが、
全体の動きが重くてカウンターがまったく入らない。対照的に岡山は押し込んで積極的にセットプレーへと持っていく。
両者の圧力はまるで金槌と針金ほどの違いがあった。岡山の守備の出足が鋭いというよりは、栃木の自滅という印象。
37分にはCKからのヘッドで岡山が追加点を奪う。セットプレーに栃木はまったく対応できておらず、すっかり棒立ち。
前半終了間際にも寄せの甘い栃木の選手の間にパスをつないで3点目。これで勝負はほぼ決した。観客席は大歓声。

  
L: 15分、FKからのヘッドをGKが弾く。これを久木田がダイビングヘッドで押し込んで岡山が先制する。
C: 岡山の2点目。しっかりと圧力をかけて得意のセットプレーに持っていく戦術に、栃木は後手の対応だった。
R: ハーフタイム抽選会、ファジ丸とみさっきー。みさっきーに興奮していたらリョーシさんに呆れられたよ!

ファジアーノ岡山は、なかなか独特なクラブである。すでに書いたように3バックを徹底してきた点もそうだが、
試合開始前の円陣をベンチもスタッフも含めて全員でやる、相手が倒れていてもプレーを切らない宣言をする、などなど。
岡山は神戸と広島という大都会に挟まれながら自らの個性について自問自答する、そんなイメージのある県だが、
旅行者の目から眺めれば、しっかりとした独自性を持っている。それはファジアーノのサッカーにも言えることだ。
ファジアーノ岡山のサッカーは、金をかけてスター選手を配置していく現代のビッグクラブとは真逆のものである。
かといって単純に弱者のカウンターを研ぎ澄ますスタイルでもない。一言で表現するなら「勝負強さの地道な追求」だ。
5バックも厭わない姿勢、セットプレーの精度、そこへもっていくための組み立て。それらは地味ではあるのだが、
じっくりと時間をかけて「自分たちのサッカー」を「勝負強い」という方向へ構築していった成果なのだ。
引き分けが多くて勝ちきれなくても、決して負けない。そういう玄人好みなサッカーがピッチでは披露されていた。
ただ、ロングボール志向であるためにゴール前でつなぐ技術が足りない印象も受けた。チャンスのわりには決めきれない。

 後半を圧力をかけていく岡山。臙脂色が躍動する。

しかし、着実に成長していく選手たちとは対照的に、正直言って観客席のレヴェルは非常に低かった。
特に審判の判定に対する暴言(野次という次元ではないと感じた)がひどい。それも正当性のかけらもないもので、
まったくファウルでないプレーに対していちいち噛み付き、審判に対して心ない言葉を平然と投げつける。
実際に審判の経験があればとても言えないようなことを上から目線で叫んでいる。恥を知らないとは恐ろしいことだ。
客観的に見ればかえってサッカーを知らないことがはっきりしてしまうような言葉を発していることに気づかず、
岡山の選手だけを見て怒号をあげる。いい歳した年配の人に限ってそうだったから、よけいにみともない。
彼らが岡山を応援することが、かえって岡山の足を引っ張っている、そんなレヴェルである。本当に情けない。
そういう客は岡山のプレーひとつひとつに対しても短絡的な声をあげる。チャンスではずすと罵声があがる。
岡山のサッカーはじっくりと自分たちのペースに持ち込むサッカーで、90分を通しての駆け引きの度合いが強い。
でも低レヴェルな観客たちは直線的なプレーばかりを要求する。本当にサッカーが好きとは思えない観戦ぶりなのだ。
僕が思うに、本当にサッカーが好きならば、まったく縁もゆかりもないチームどうしの試合でも観戦する気になるはずだ。
そうして客観的に、選手のプレーや審判のジャッジや観客の態度を学んでいくことができるはずなのだ。
でも、彼らはそういう「外」の目で試合を見るほどには、サッカー自体が好きなのではないのだろう。
では彼らはなぜスタジアムに来るのだろう? そもそも彼らが観ている対象は、応援している対象は、サッカーなのか?
残念ながら、そこまで問いたくなるほどにレヴェルの低い観客が、岡山のメインスタンドには複数存在していた。
ファジアーノ岡山というクラブをめぐるすべてが順調に成長していると思っていた僕にはなかなかショックで、
岡山という街のレヴェルじたいに対して首を傾げたくなってしまった。ものすごく印象が悪かった。

終了間際には栃木が意地の1点を返す。このときの岡山の守備はそれまでと比べるとルーズな対応だったが、
観客席の大方の反応は「3点あるもん、どうってことないや」というものだった。勝てばそれでいいのかね。
まあとりあえず、岡山は持ち味を発揮してしっかりと勝ち点3を確保。岡山のサッカーを実際にこの目で確認できて、
そのこと自体は非常に有意義だったと思う。久々にリョーシさんとスポーツ観戦できたことも本当にうれしかったし。
ただ、申し訳ないけど、観客の観戦レヴェルはJ1昇格には値していない。一部の人間が台無しにしていてもったいない。

  
L: 試合終了後、遠路はるばるやってきたサポに挨拶する栃木の選手たち。わざわざ岡山まで来てこの内容じゃ納得できんわな。
C: 大勝に大歓声の岡山サポ。  R: ヒーローインタヴューの久木田。「FWをやっていたんで」と余裕のコメント。

そんなこんなで明日はいよいよグランツーリスモの最終日である。悲しいような、ほっとするような。


2014.7.25 (Fri.)

リョーシさんは本当にもう、いい人なんで、朝練よろしく5時台には起きて身支度を整えている僕と一緒に動いてくれて、
自分の自転車まで貸してくれるのであった。おかげで岡山に戻ってきてから、思う存分あちこち走りまわることができる。
そんなわけで、リョーシさん宅から岡山駅まで快調に安全運転で飛ばして、地下の駐輪場に自転車を預ける。

さて今日は中国グランツーリスモの7日目である。東京からスタートした切符も、本日が有効期限の最終日なのだ。
姫路から中国山地の真ん中を横断して瀬戸内に出てきたが、相生まで行く。2月に赤穂線に乗っており(→2014.2.22)、
今回は山陽本線を利用する。これで山陽本線は完乗なのだ……って、すっかり鉄っちゃん的な行動パターンだ。
とはいえ山陽本線でないと困るのも確か。今日は国宝・閑谷学校が最大のターゲットで、赤磐市役所も攻める。
そうしてできるだけ早いうちに岡山市街に戻ったら、県庁をはじめとしてあちこち動きまわるつもりなのである。

7時過ぎに岡山駅を出た列車は一路、東へ。東岡山までは5ヶ月前と同じ光景だったが、そこから北へと分岐する。
里と山が適度に入り混じった景色の中をダイナミックに抜けていくこと1時間ちょっと、ついに相生駅に到着した。
(途中の三石駅周辺はなかなかワイルドな工業地域で驚いた。兵庫と岡山の境目はやっぱり山なんだねえ。)
きっちり計画を立ててそれをやりきるというのは、それだけで楽しいものである。使用済みの切符を見てそう実感する。

 相生に来たところで、できることは何もないんですが。

引き返して今度は吉永駅で下車する。閑谷学校は山陽本線と赤穂線のだいたい中間という、ちょっと面倒くさい山の中。
コミュニティバスがいちおうあるので、そいつのお世話になるのである。乗客は途中で通る病院目的のおばあちゃんと、
僕と同じく観光目的のおっちゃん。まあ平日だしこんなもんだろうな、と思いつつ揺られる。バスがあるだけありがたい。

バスは山の中へとグイグイ入っていき、10分ちょっと揺られるとトンネルを抜けたところでぐるっとカーヴ。ここで下車だ。
まだ営業時間前の土産物屋と公衆トイレ、あとは大きめの観光案内板があるが、見るからに観光客は多くなさそうだ。
でも訪れる人は確実にいるようで、全体的にきれいにしてある。橋を渡ったところに土産物屋がもう1軒あったが、
やっぱりこちらも小ぎれい。これくらいだと「知る人ぞ知る観光地」って感覚が味わえるなあ、なんて思いつつ奥へ進む。
そしたら瓦屋根の見事な建築群の手前が芝生の広場となっており、小学生たちが何やら活動中だった。
そう、「閑谷学校」は現在、行政的には「岡山県青少年教育センター閑谷学校」となっているのである。
僕が目的としているのは「特別史跡 旧閑谷学校」ということになるのだ。まあ面倒くせえから閑谷学校って書くけど。

  
L: 泮池。中国の学校には池があるのでそれに倣ったとか。ふつうは半円形だが、閑谷学校の場合は細長い長方形となっている。
C: 芝生広場より眺める閑谷学校の建築群。国宝を核に重要文化財がゴロゴロで、その威容にため息が出る。晴天でよかったわー。
R: 閑谷学校の施設はすべてこの石塀で囲まれた中にある。この石塀は排水機能を持つそうだ。1701(元禄14)年に完成。

閑谷学校は取り囲んでいる石塀からして国宝・重要文化財の塊なので、まずは門から眺めてみることにする。
江戸時代の学校らしく、門を3つに分けている。向かって右から聖廟の正門・校門、藩主用の公門、一般向けの飲室門。

  
L: 中国風に大小3つの屋根がある校門。1686(貞享3)年の築。このバランスは三ツ鳥居(→2013.9.28)を思い出すなあ。
C: 藩主用の公門。石塀が築かれた際に設置されたそうだ。  R: 飲室門。まっすぐ行くと飲室なのでその名前なんだろう。

ではここで閑谷学校についてまとめる。閑谷学校は岡山藩主・池田光政が設立した、日本最古の庶民のための学校だ。
武士階級向けの藩校とは別に、地域のリーダーを育てるべく庶民を教育する場所としてこれだけのものをつくったのが凄い。
しかも転封になっても存続できるように財政を独立させたというんだから、どこまで志が高いんだと感動してしまうではないか。
池田光政はとんでもない名君として知られているが、それにしてもこの発想の柔軟さは群を抜いている。

  
L: 敷地内に入ったところ。左が校門、右に講堂。  C: ちょっと右を向くと、孔子を祀る聖廟(奥)と池田光政を祀る閑谷神社(手前)。
R: 閑谷神社をクローズアップ。神社といってもだいぶ中国風である。かつての日本は、教育についてはかなり中国を模範としていたのね。

400円払って中に入ると、芝生が広がる奥に国宝の講堂があり、一段高くなっている右手には聖廟と閑谷神社が並ぶ。
閑谷学校に体育の授業があったのかは知らないが、広々とした屋外空間がとられているところに教育の本質を感じる。
やっぱり体を動かさないとダメなのである。確か水戸の弘道館は、現在残っている施設はそんなに広くはないものの、
もともとは水戸城の三の丸にかなり広い面積でつくられていたという記憶がある(→2006.8.27)。頭と体はつながっている。

閑谷神社と聖廟をそれぞれ見てみるが、昔の日本の学校における孔子の存在がいかに絶対的だったか実感する。
思えば鶴岡の致道館にも足利学校にも孔子廟があった(→2009.8.122011.1.5)。論語が教養の基礎だったのだ。
今ではすっかりそんな基礎はなくなってしまったが、それってけっこう日本人にとっては致命的な事態である気もする。

 聖廟の中を覗き込む。中国風で、黄檗山萬福寺を思い出す(→2010.3.28)。

続いて講堂を中心とする建築群を見ていく。われわれが「閑谷学校」という名前から想像する講堂は実は側面で、
正面にまわると手前に小斎という藩主の部屋がくっついている。奥には周辺の農民も講義を聞いたという習芸斎、
さらに奥には休憩室である飲室。身分制度もあるが、現在と当時の価値観の違いが空間的に出ていて面白い。

  
L: 講堂。われわれにとってはお馴染みの構図だが、これは側面。  C: 正面側にまわるとこんな感じでお寺っぽい。左は小斎。
R: 奥へまわり込むと、習芸斎(右)と飲室(左)。これらの建物が講堂にくっついて学習空間を形成しているというわけ。

講堂から入って建物の中をぐるぐる見学。講堂は1701(元禄14)年に完成したというが、本当にきれいにしてある。
もちろん改修やらリニューアルやらがなされているとは思うが、それにしても自然な美しさを存分にたたえている。

  
L: 講堂の内部。回廊と柱で区切られた内部の二重構成となっている。  C: 廊下はこんな感じ。中国風の要素を持っている。
R: 習芸斎の天井がとても見事だったので撮影。そうです、これは床に寝転がるようにして撮りました。雰囲気伝わるでしょ。

近代以前の勉学の空間ということでももちろん面白いのだが、純粋に建物としての美しさにもすっかり魅了された。
これだけのものを庶民向けにつくったその志の高さには圧倒されるばかり。なんというか、とにかく次元が高い。

 文庫。裏は火除山で、奥にある学舎や学房から火が出たときの防火対策。

敷地のいちばん奥には資料館。かつては学舎や学房(寄宿舎)があったが、明治に入って閑谷学校が閉校になった後、
私立旧制閑谷中学校として再出発した際に新たに校舎が建てられて、それが現在は資料館となっているのだ。
こちらだって1905(明治38)年の築なので、立派な歴史的建造物である。この建物もまた、実に魅力的である。

  
L: 文庫・火除山から細い道を通っていくと資料館。  C: 一段高いところから背面を眺めたところ。端整ですな。
R: 正面玄関。閑谷学校に関する資料はここにすべて集められている。講堂の和とこちらの洋の対比がまたいい。

展示されている資料を見学するが、あらためてその先進性に驚かされた。教育ってのは大きく分けて2種類あって、
エリートをさらに研いでいく方向性と、そうでない人々を底上げする方向性があって、その両立は現在の課題でもある。
閑谷学校は明らかに後者を目的にしたものだが、それをここまで高い質で実現しようとした例はほかに見たことがない。
(まあ庶民の中のエリートを育成する場所だったので前者の要素も色濃いが、それにしても画期的なのは違いない。)

最後に椿山とその奥にある御納所(ごなっしょ)を見学する。御納所とは池田光政の遺髪などを納めた塚である。
さっきの閑谷神社もそうだが、この空間を創設した池田光政がいかに尊敬されていたかがうかがえる。
そして彼を尊敬することを通して教育というものを絶対的に肯定していた、そんな人々の姿勢もうかがえる。

少し時間的な余裕ができたので、閑谷学校本体からは離れた場所にある石門まで行ってみることにした。
なんせ山の中なので、道は起伏しながらカーヴして、けっこう面倒くさかった。門のくせに、思った以上に距離があった。
かつてはここからが閑谷学校の敷地だったそうなので、さらに広かったわけである。門柱は3.8mとのことだが、
埋め立てによって現在はその頭がぴょこっと出ているだけ。ただ擬宝珠が地面から顔を出しているにすぎない。
いちおう門の外から閑谷学校方面へと向き直ってみたが、さすがに往時の雰囲気を想像するのは難しい。

  
L: 椿山。閑谷学校の施設が現在あるようにすべてそろったのを記念してつくられた。  C: 御納所。池田光政は偉大だったんだねえ。
R: 閑谷学校本体から1kmほど離れたところにある石門。県道の脇にひっそりと残っている。これは……いくらなんでも埋めすぎだよ。

帰りもコミュニティなバスで揺られて吉永駅に到着。駅のすぐ近くにスーパーがあったのだが、どうも雰囲気がちょっと違う。
地域住民向けのスペースっぽい感じで少し入るのに躊躇したが、奥まで行ったら小規模ながらも確かにスーパーだった。
水分補給ついでにアイスをいただいたが、暑い日のアイスは体温をしっかり下げてくれるので、ものすごく体が楽になった。

吉永駅から4駅、瀬戸駅で下車する。ここから目指すは赤磐市役所。しかし、これは本当に距離がある。
でも覚悟はすっかりできているので、黙々と歩くのみである。ちなみに瀬戸駅の所在地は、岡山市東区になる。
別の自治体にある駅から歩きで別の市役所へ乗り込むという経験は、記憶をたどってみても出てこない。たぶん初だ。

駅前からカワムツだかヌマムツだかが泳ぐ水路に沿って西へ進み、砂川沿いの県道に出る。じっとりとした上りが続く。
しばらくは住宅があって集落の端っこらしい雰囲気があるが、そのうち山が迫ってきて郊外っぽい風景へと変わる。
ここが岡山市と赤磐市の境目で、赤磐市に入るとすぐ左手に山陽自動車道の山陽ICが現れる。
「山陽道で山陽ICとは、ここは『The 山陽』か」と思うが、これはつまり赤磐市の中心部がもともと山陽町だったことによる。
赤磐市は平成の大合併で2005年に誕生。HQSのカナタニ先輩の出身地(ただし旧熊山町)ということになるのだ。
(僕らの学年は「カナタニチルドレン」と呼べるほどにカナタニ先輩を尊敬しているのだ。元気でいらっしゃるのかなあ。)
さてそんな山陽ICから先は田んぼの広がる田園風景となって、空間のスケール感もちょっと拡大した感じ。
しかし県道の交通量は多く、行く手には建物が集まっているのがわかる。あの辺りが赤磐市の中心なのだろう。
田んぼの中の店舗群という光景がどこか砂漠の中のオアシスと重なって見えたのは、やはり炎天下だったせいなんだろうな。

 というわけで、どうにか赤磐市の中心部(旧山陽町)に到着。

赤磐市中心部(旧山陽町)は見事に車での移動が前提の空間となっていて、郊外型店舗と駐車場が本当に多い。
そんな空間構成を見るに、われながらよくここまで歩いてきたもんだと独り呆れる。ストレンジャー気分が増幅されますぜ。
さて肝心の赤磐市役所は、郊外型店舗の並ぶ県道からもう一歩先へ行ったところにある。周囲には公共施設があり、
裏には小学校。余裕を持ちながら平らな土地に施設が集まっている点は、なんとなく開拓地らしさを感じさせる。

  
L: 赤磐市役所(旧山陽町役場)。1975年に隣の中央公民館・保健センターとともに竣工している。
C: 敷地内に入って角度を変えて撮影。  R: 反対側から眺めてみたところ。うーん、役場だなあ。

いちおう中にも入ってみるが、実にお役所。玄関から入ってすぐ左手が来庁者向けに開放された空間となっていたが、
特にこれといって資料が置いてあるわけでもなく、本当に休憩するだけの場所だった。なんとももったいなく感じる。

 
L: 内部の様子。絵に描いたような役所ぶりである。  R: もうちょっと有効活用できる気がするけど。

外に出ると敷地を一周してみる。裏にある小学校の校庭がたいへん広く、その真ん中から市役所の背面を撮影。
周囲に余裕がなくて撮影しづらい市役所も多い中、これだけやりたい放題に撮影できる環境はたいへんありがたい。

  
L: 小学校の校庭から撮った赤磐市役所の背面。役所と学校(特に小学校)は、実は歴史的に関係が深い場合が多いのだ。
C: 市役所の西側増築部。色が違って明らかに異質。どうやら1986年に図書館として建てられたようだ。役所にくっつけるとは珍しい。
R: 市役所の北東(正面から見て右隣)にある中央公民館・保健センター。市役所とは連絡通路で接続している。

撮影を終えると近くのスーパーで水分を確保。今回の旅行は本当にそればっかりである。真夏の晴天だからしょうがない。
そうしてやる気を充填すると、再び砂川沿いの県道に出て、来た道を戻る。途中にあったバス停の時刻表を見たら、
なんと、5分ぐらい後に瀬戸駅まで行く便があるではないか。これはラッキーである。しばらく待ったらバスがちゃんと来た。
ツイているなあと思う反面、そういえばなんでオレは事前に赤磐市役所へアクセスするバス路線を調べなかったんだろう、
と反省する。あらかじめ調べておけばもっと楽ができたかもしれないのに、ぜんぜんそのことに気づかなかった。アホである。
バスは岡山駅まで行くらしいが、おそらく瀬戸駅で山陽本線に乗り換えた方が早い。というわけで瀬戸駅で下車する。

程なくしてやってきた山陽本線に乗り込み、岡山駅まで戻る。ここからはリョーシさんの自転車が大活躍なのだ。
広い広い岡山の市街地も、自転車ならスイスイである。一気に岡山県庁まで行ってしまう。いやー便利便利。
というわけで、昨日の岡山市役所に続いて、本日は岡山県庁をクローズアップするのだ。やはり6年ぶりの撮影となるが、
あのときはあまりに複雑な構造に閉口してしまい、半ば諦め気味にシャッターを切った記憶がある(→2008.4.22)。
今回はじっくり時間をかけて、岡山県庁という建築の正体とは言わないまでも、せめて志には触れてみたいと思う。
なのでいつもなら写真は1ヶ所あたり、なるべく1ケタになるように抑えているが、岡山県庁については度外視でいきます。

  
L: 交差点より眺める岡山県庁舎。今回はじっくりと時間をかけて、たっぷりと写真を撮っていく所存であります。
C: 建物の手前はオープンスペースとなのだが、木々が置かれてこのような姿となっている。無駄と言えば無駄だが。
R: エントランスの手前には回廊。コンクリモダニズムによる車寄せというわけである。1950年代だなあと思う。

いちおう確認のために書いておくが、岡山県庁舎を設計したのは前川國男である。竣工は1957年であり、
岡山県庁舎は前川の作品ではかなり初期のものだ。弘前のデビュー作・木村産業研究所が1932年で(→2014.6.28)、
戦争を挟んで高度経済成長へと入っていくと、コンクリートによるモダニズム建築がもてはやされて前川の時代が来る。
したがって岡山県庁舎は「巨匠としての作品」ではなく、彼が評価を高めていく過程で生まれた建築ということになる。

  
L: エントランスより正面のファサードを眺める。こうして見ると、山下寿郎の岡山市役所と構造は一緒だと思う。
C: 向かいの岡山県立図書館より見たところ。  R: エントランスの向かって左側。こんな感じでファサードは続く。

県庁舎ということで、50年以上前の建築だが、規模は当然大きい。岡山県庁舎だけでひとつの区画を押さえていて、
複雑に建っていることもあって、ある意味で要塞というか現代の城郭というか、そんなことを感じさせもするのである。
6年前にはそのことが「迷宮っぽい」という印象につながっていたのだが、あらためてそのサイズに驚かされた。

  
L: 岡山県庁・西庁舎。  C: 西庁舎のファサード。  R: 同じデザインの南庁舎がくっついている。

敷地をぐるっと一周してみる。まず西側にある西庁舎と南庁舎は、1976~1977年ごろに竣工しているようだ。
側面に地味に貼り付く純粋なオフィス建築とはいえ、はっきりとコンクリートが主役で、本庁舎とはだいぶ雰囲気が異なる。
なかなか端整なミニマルぶりで、僕は嫌いではないが。2004年に免震工事が終わっており、設計はやはり前川の模様。
そこから裏側にまわり込むと、議会棟である。本庁舎とは独立した建物となっているが、入口が狭く全容はつかみづらい。

  
L: 議会棟の手前から眺める南庁舎の側面。  C: 議会棟入口。狭くて見づらい。  R: 少し入り込んで議会棟を撮影。

一周の最後は旭川沿いにまわり込んで正面に出る。非常に幅の広い本庁舎を視野に収めるにはこの角度しかない。
少しずつ位置を変えるなどしながらシャッターを切っていく。いやー、本当に今回の撮影は手間がかかった。

  
L: 議会棟からさらに北東へ進んで本庁舎の背面を撮影。旭川の堤防が緑地になっており、蜘蛛の巣と格闘しつつ撮った。
C: 交番の前の辺りから、警官の視線を気にしつつ撮影。  R: 少し位置を変えてファサードをもう少しクローズアップ。

外の撮影を終えたら、今度は中である。外から見ても複雑な岡山県庁舎だが、当然中も複雑になっている。
というか、部外者には行ける範囲がわりと限られているのである。特に議会棟が立ちはだかっている感じ。

  
L: 本庁舎1階部分のピロティ内部。ここを通り抜けると中庭に出る。  C: 中庭。向かいは議会棟である。
R: 議会棟の手前から本庁舎側を振り返る。コンクリ車寄せと同じデザインで議会棟までの渡り廊下としている。

1階のピロティ東側はホールとなって開放されている。南側をガラス張りにして雰囲気はだいぶ明るい。
この方法論は丹下健三の香川県庁舎(→2007.10.6)とほぼ一緒。竣工はこちらの岡山県庁舎の方が1年早い。
つまりはそういう時代だったということだろう。……ってことはむしろ、岡山市役所は岡山県庁舎から刺激を受けたのかな?

  
L: 1階ホール。ガラス窓で光を採り入れつつパブリックアートを配置するという定番のやり方。  C: 反対側から眺める。
R: ピロティ通路から地下に降りたらかなり殺風景なのであった。実務のみの空間だから当たり前なんだけどね。

炎天下の中、1時間半かけて撮影を完了。本庁舎と議会棟の間にあるコンビニでガリガリ君を買って食う。うまかった。
ちなみに後でリョーシさんに県庁舎の撮影に1時間半かけた話をしたら本気で呆れられたよ! まあそうだわな。
でもおかげで岡山県庁舎の感じが以前よりははっきりとつかめるようになった気がする。よかったよかった。

あとは特にやることもないので、あらためてきちんと岡山城でも見ておこうかと思う。と、その前に、
リョーシさんが岡山市内で古い建物に挙げていた旧日本銀行岡山支店まで行ってみる。今はルネスホールというらしい。
1922(大正11)年の竣工で、設計は長野宇平治。そういえば広島の日銀支店も彼の作品である(→2013.2.24)。
なるほどよく見ると向かって左側に新しい入口がついている。でも外から見た限りでは何をやっているのかわからない。
今の状態だとただあるだけなので、もうちょっと飾り付けなどをしてその存在を目立たせていいんじゃないかと思った。

 ルネスホール。正式名は「岡山県おかやま旧日銀ホール」。国登録有形文化財。

岡山城へ向かう途中でもうひとつ気になる建物を発見。見るからにタダモノでなく、こりゃなんだ、と自転車を停める。
で、その正体は岡山市民会館。1963年竣工で、設計は佐藤武夫。調べてみたらその名前が出てきて、すごく納得。
高度経済成長期はホールが建設されていく時代でもあったが、これは実に強烈。いまだに古びない前衛的な感覚だ。

  
L: 岡山市民会館。これは……とっても強烈だ。1階席よりも2階席の方が多いらしくて、そこもまた前衛である。
C: 角度を変えてみたところ。面白いなあ。  R: 全容を撮影しづらい建物で、側面もまた独特となっている。

この向かいには山陽放送本社の山陽放送会館がある。もともとは岡山市立図書館があった場所だそうだ。
こちらの竣工は1962年で、設計者は市民会館と同じく佐藤武夫。似たデザインの部分があって「おや?」と思ったら、
やっぱりそうだった。公共建築と地方マスコミが統一的にデザインされて建つという事例は初めて見たかもしれない。
両者ともに末永く活用されていってほしいと思う。どちらももっと注目されていい作品だと思うんだけどなあ。

 山陽放送本社(山陽放送会館)。ファサードが網目になっていてオシャレなのよ。

というわけで、ようやく岡山城に到着したのであった。6年前にも来ているけど、あのときはすごく雑な訪問だったので、
あらためてきちんとその魅力を味わおうというわけである。今回はちゃんと再建天守の中にも入っちゃうよ。

  
L: 旭川が弧を描き、その内側南半分が県庁と県立図書館で、北半分が岡山城。県庁から遠回りして来ました。
C: 石垣と不明門。  R: 岡山城の石垣はきれいなんだけど、傾斜が緩くて少し歪んでいるような気がするのだが。

岡山城の本丸は三段構成で、中の段にはかつて御座所と表書院があったそうだ。現在は間取りが地面に示されている。
搦手側には江戸時代初期に建てられた月見櫓。天守は空襲で焼けてしまったがこちらは残り、重要文化財である。
ほかにも宇喜多氏時代の石垣がそのまま展示されているなど、きちんと歴史に触れられる要素があるのだ。

  
L: 本丸中の段の表書院跡。本段は城主の生活の場(勝手方)で、こちらは仕事の場(公事方)だそうだ。なるほど。
C: 宇喜多氏時代の石垣。現在より低い位置ということで、池田氏が埋めたのか。  R: 月見櫓。うーん、本物だ。

不明門から本段へ。門の脇のいちばん大きな石には「岡山中学の址」と彫ってあった。なんとも大胆なアピールである。
そうして上がると天守の礎石があった。これはおそらく天守再建の際、礎石をずらして配置し直したものだろう。
岡山城の再建天守は相変わらずリニューアル感が非常に強い。1966年竣工だが、そんな感じがぜんぜんしない。

  
L: 不明門。天守とともに再建されたが、ひときわ大きな石に彫られた「岡山中学の址」がけっこう目立っている。
C: 天守の礎石。再建天守があるのに礎石だけあるってのも妙な感じ。  R: 再建天守。6年前と何も変わらんなー。

再建天守の中は定番の博物館スタイル。足早に通り抜けて最上階へ行くと、岡山の街が……そこまでは見渡せない。
もともとが平山城で、中心市街地から少し離れた位置にあり、なおかつ岡山の街じたいが広く延びているので、
そこまで印象的な眺めというわけではなかった。が、岡山県庁がいい距離感で見られるので、個人的にはまあまずまず。
惜しむらくは後楽園(→2008.4.22)で、手前の木々が邪魔してすっきり眺めることができなかった。ちょっと残念。

 
L: 岡山城の再建天守から眺める岡山県庁。手前の岡山県立図書館がちょっと邪魔だが、なかなか悪くない。
R: 残念ながら後楽園を見渡すことはできない。まあ簡単に見えちゃったら後楽園の儲けが減るもんな。しょうがないか。

今回、後楽園の中には入らなかった。いいかげん夕方になっていたし、前回見たし、まあいいかなと。
のんびり休む場所はどこかないかと考えた末、岡山の中心部から離れてしまって、ある程度リョーシさん宅の近くに移動。
国道2号をズバッと南下して、なぜかイオン岡山店で一休みするのであった。……と、それがスッキリいかないのである。
あまりにもズバッと自転車をこぎすぎて、前カゴに入れてあった自転車の鍵が飛び出して行方不明になってしまった。
うわどうしよう、借り物の自転車なのに鍵が掛けられない!と焦ったのも束の間、イオンに入ってすぐに自転車コーナー。
そこで新しい鍵を買って万事解決。ボクは日頃の行いがいいから運もいいんですね!などと一人悦に入るのであった。
で、キーホルダーがないといかんぜということで、店内でたまたま見かけたプリキュアのガチャガチャを回してみる。
できればキュアなんちゃらのディフォルメ人形がよかったのだが、残念ながら、なんやよくわからん下僕の動物が出た。
いや下僕の動物かどうかもよくわからんのだが。まあとりあえずアレだ、キュウベエ的な存在。……よけい違うか。
まあとにかくそんな感じで、リョーシさんに失礼のないフォローができた。よかったよかった。

イオンでは1リットルパックの白バラコーヒーを買い、フードコートで飲み干して爆睡。いやー疲れた疲れた。
それにしても白バラコーヒーは、数あるコーヒー飲料の中でも世界一旨いと思う。僕は本当に大好きなんですよ。
東京にはどこにもぜんぜん置いてなくって、新橋にある鳥取県のアンテナショップまで行かないといけない。
関西だとあちこちにあって、旅先で見かけるたびに衝動買いしているのだ。あー白バラコーヒー飲みたいなー。

仕事が終わったリョーシさんと合流すると、そのまま岡山名物のえびめしとデミカツ丼を扱うレストランに入る。
で、僕はえびめし、リョーシさんはデミカツ丼を注文。いやー、おかげで岡山を満喫した一日になりました。

 えびめしって、もともとは渋谷にあるカレー屋の料理だったんだけどねえ。

昨日と同じく夜食やら何やらを買い込んでリョーシさん宅に戻る。そして録画しておいた『孤独のグルメ』を拝見。
松重豊がひたすら旨そうにメシを食うという話題のドラマ(?)なのだが、僕はぜんぜんチェックしていなかった。
見てみて、なるほど『水曜どうでしょう』や『モヤモヤさまぁ~ず』が好きなリョーシさんのツボに入るわな、と思う。
これも同系統の、個人の経験(悪く言えば内輪ネタ)を親近感を持たせて提示していくタイプの番組と言えるだろう。
僕なんかは短絡的で、他人の経験が自分の経験にならないもどかしさ、ただうらやましい気持ちが残るだけなので、
あまりこういう系統の番組は得意ではない。でも経験の垂れ流しはふだん日記でやっているので、悪口を言うつもりもない。
とりあえず、松重豊が頬張るステーキ丼がやたらめったら旨そうで、悶えた。グルメ番組って見るのがつらいのよ。


2014.7.24 (Thu.)

中国グランツーリスモ、6日目。いちばん最初に組んだ予定では、この日が最も体力的にキツい日になるはずだった。
始発に乗って片道5kmの道を歩いて鬼ノ城を目指そうとしたのである。これは頭がおかしかったと自分でも思う。
結局、リョーシさんの車に頼ることができると確定したので、素直に吉備線回りで岡山市内へと入ることに。
まあ倉敷から岡山へ行くのにわざわざ吉備線を使うところは、十分に「おかしい」ままではあるが。
とはいえ個人的には吉備線沿線は見どころの宝庫で、今日もデジカメのシャッターを300回は切るんだろうなってところ。
総社市をレンタサイクルで爆走した後は最上稲荷へ徒歩で往復。一宮をふたつ制覇してから岡山市役所を目指すのだ。

倉敷を出ると、伯備線で総社まで向かう。伯備線はその後、備中高梁から新見、そして米子へと抜けていく。
いつかそこまで行ってみたいが、とりあえず今回は岡山県をきっちり味わっておくのだ。まずは総社を押さえなきゃね。

 総社駅。ロータリーに五重塔がさりげなく置いてある。

観光案内所に飛び込んでレンタサイクルについて聞くと、すぐ横にある建物で貸し出してくれるとのこと。
行ってみたら確かに貸し出し所だったが、家族経営らしい大らかな感じで少し驚いた。こういう場所もあるんだね。
9時からの営業なのだが、わりとすぐに対応してくれた。地元のオススメは備中国分寺と宝福寺のようだ。
時間的に両方攻めるのは難しいので、今回は備中国分寺のみにチャレンジする。その帰りに総社と市役所に寄る。
なお、総社市では一日コースで鬼ノ城へ行く利用客も想定しているようだ。うーん、その手があったのか。

なんだかんだで備中国分寺は遠いので、気合を入れて東へとペダルをこいでいく。起伏がないので走りやすいが、
やはり距離という要素はいかんともしがたく、着実に時間を消費しながらの移動となる。こういうのはけっこうつらい。
途中に作山古墳があって、さすがにこれは寄らねばと思い近づくが、間近で見るとかなり大きくて、上陸は断念。
そりゃまあ上ってみたかったけど、労力に比べてメリットが少なそうだったので。時間的な余裕もないしね。

 作山古墳。全国9位の大きさとのこと。吉備国が強大だったことがわかる。

作山古墳まで来てしまえば備中国分寺はすぐで、国道を挟んだ向かいの森にシンボルの五重塔が建っているのが見える。
間違って裏手から入ることになってしまい少々迷ったが、どうにか境内に到着。江戸時代の堂宇が複数残っており、
律令時代の空間に近世の価値観が重なった姿がなかなか興味深い。そして五重塔も江戸時代・弘化年間の再建だ。
しばらく境内を歩いて吉備路の独特な雰囲気を味わって過ごす。やっぱりどこか奈良っぽさ(→2010.3.29)があるね。

  
L: 南の県道270号側(たぶん正面側)から眺めた備中国分寺。ゆったりした田園風景に杜と五重塔は吉備路のシンボル。
C: 五重塔。弘化年間(1844~1847)の再建で、重要文化財。  R: 本堂。こちらも江戸時代の築。ほかに大師堂もある。

地図で見ると大した距離ではなさそうなのだが、延々とべったり続く道を実際に走っていくと、意外に時間を食う。
少し慌て気味で国道429号を北へ走ると国道180号との交差点で左折。こちらは旧来の街道らしい雰囲気がやや残る。
東総社駅の手前に備中国総社がある。正式には「總社」で、当然、市名のもとになった由緒ある神社だ。The 総社。
北側の国道からだったのでいきなり境内に入ったのだが、その空間的な配置があまりにも特殊で驚いた。
南の鳥居から回廊がだいぶ長く延びている。しかし回廊は東の鳥居からも続いていて、両者のぶつかる点に拝殿がある。
向きから考えると東からの参道がもともとのもので、南からの参道は門前町からのアクセスでできたように思える。
大胆な回廊の存在は備中国一宮の吉備津神社を思い出すが(→2011.2.19)、こちらには高低差がない。

  
L: 境内南側の鳥居。この左手前に後述するまちかど郷土館(旧総社警察署)がある。門前町はこっち側かな。
C: 回廊を行く。けっこう長い。東からの回廊も右手に見える。  R: 拝殿。回廊とアーケード的に一体化している。

自治体の名前にもなっているので總社はさぞかし大きな神社なんだろうと思ったら、実際はまったく違っていた。
旧市街地の地元密着型なサイズで、住宅地に静かにたたずんでいる感じ。そこもまた、歴史を感じさせる要素である。

 
L: 東側の参道から回廊を見たところ。こちらはだいぶ回廊が短い。ふたつの参道がアーケードになっているとは面白い。
R: 南側の回廊をはずれたところから社殿を眺める。なかなか複雑な形状。本殿は1979年の再建とのこと。

そのまま回廊を南に抜けて、旧総社警察署のまちかど郷土館にお邪魔する。1910(明治43)年築の洋風建築だ。
係の方からけっこう詳しく教えてもらったのだが、内部は竣工当時からいろいろと改装されているとのこと。
日本は戦後にGHQ占領の影響で、アメリカ式の自治体警察を採用していた時期があった(市警や保安官のイメージ)。
その際に、国家地方警察の吉備地区署と自治体警察の総社町警察署が2階建ての上下で棲み分けていたという。
このときの改装がわりと大規模だったそうだ。なるほど、権力が空間を規定する。面白い実例を聞いた。
(自治体警察については、大学院時代に住民投票の歴史を調べていたときに知ったので懐かしかった。
 警察組織を各自治体が持つのは財政的に非常に大きな負担で、廃止をめぐって全国で住民投票が行われたのだ。
 だから住民投票が初めて行われた時期をまとめてみると、意外なことに戦後の時期に集中しているのである。)

  
L: まちかど郷土館(旧総社警察署)。すぐ右手に總社の鳥居がある。門前町の一等地に建てられたってわけね。
C: 1階に入ってすぐ。銀行みたいなカウンターだと思ったら警察。  R: 1階の展示室。奥の壁は後でつけられたそうだ。

警察の庁舎というと質実剛健で機能重視、パノプティコン的価値観の空間というイメージがあるが(→2013.11.29)、
さすがにけっこう華やかな要素があった。公的機関が誇りであった時代の産物ということで、いいものを体験できた。
正直、展示物はそれほど強力ではないが、建物が大切にされているのはしっかり感じられる。オススメできる場所だ。

 
L: 2階に上がると八角形の部分がオシャレ。  R: 2階展示室。人形は備中売薬の売り子。これでいいのか総社。

そのまま西へ進むと、古い建物がいくつか点在。この道は備中松山(現在の高梁市)へと向かう松山街道だそうで、
總社が「The 総社」として自治体名になるほど崇敬を集めたのは、街道沿いという立地が大きかったんだなあと思う。
古い建物は特に公開されていないようだが、それは現役の住宅ということでもある。現役ならではの迫力を味わう。

  
L: 旧松山街道沿いの風景。  C: 立派な住宅がしっかりと残っている。点在している感じなのでチェックは大変だが。
R: 総社の街並みは有名ではないが、一度じっくりと時間をかけて丁寧に探索してみる価値はありそうだ。

南に入って、その名も市役所通りを行く。時間に余裕があればもっと旧松山街道を調べることができたのだが。
そうして総社市役所に到着したときには本当に時間的にピンチで、手早く撮影してまわる。テキトーですいません。

  
L: 総社市役所。とにかく幅の広い建物で撮影するのに困った。絶対にカメラの視野に収まらないんだもん。
C: エントランス付近をクローズアップ。  R: 手前の小さいオープンスペース越しに撮影し直してみた。

総社市役所は1969年の竣工。設計は石本建築事務所である。無彩色でいかにも鉄筋コンクリートなデザインは、
まあ確かに1960年代のものだ。しかし1970年代の直前にしてこの市役所は、かなり古風であるようにも思う。
極端なほどの幅の広さはその解答で、3階建ての鉄筋コンクリート庁舎がその床面積を拡張していった最後の市役所、
という解釈が妥当だろう。ある意味では絶滅寸前の恐竜を見るような思いだ。貴重な歴史の証人ということだ。

  
L: 角度を変えて、できるだけその幅を収めてみようとしたのだが。  C: 背面はこんな感じである。
R: そのままぐるっとまわり込んで、背面と側面を眺める。見れば見るほどシンプルなデザインである。

余裕のない旅行はいけないわ、と毎回反省しているはずなのだが、結局今回もそうなってしまった。
レンタサイクルを借りる際、地元のオススメは備中国分寺と宝福寺の2ヶ所に特に絞られていたと感じたが、
それ以外の要素も悪くないと思う。総社市サイドが街並みなんかももうちょっとアピールしてくれれば、
もう少し時間配分を考えたんだけどな……と他人のせいにしてしまう今日このごろ。うーん、悔しい。

 総社市役所の西庁舎。本庁舎正面の右手にくっついている。

駅まで猛ダッシュでレンタサイクルを返却すると、汗びっしょりで総社駅を後にする。いやー疲れた。
でもこの後にはもっと疲れることをやるんだよな……と吉備線の車内で苦笑い。覚悟を決めるしかない。

吉備線はぐねぐねと曲がりながら総社と岡山を結んでいる路線である。そうやってぐねぐね曲がっている分だけ、
沿線に名所を抱えている、ともとれる……気がする。少なくとも僕はそうだ。備中高松駅で下車すると、
近くのスーパーでコインロッカーがないか探り、ないとわかると気持ちを切り替えて飲み物を買い、いざ出発。
備中高松駅からトボトボ歩いて目指すは、岡山県民の30%近くが初詣に訪れるという最上(さいじょう)稲荷である。
それだけ凄い支持率ならば、きっと凄い寺(最上稲荷は寺なのだ)なんだろうという希望を糧にひたすら歩く。
どんどん歩く。延々と続くまっすぐな坂道を、フル装備のBONANZAを背負ったまま、無言で歩いていく。

 こんな感じの風景を、延々と。

時間でいえば20分強ぐらいだったみたいだけど、僕にとっての体感時間は2時間ぐらい。炎天下でつらかった。
ようやく鳥居をくぐったのだが、そこから参道はまだまだ続く。参道はアーケードの商店街となっており、
平日昼間だからかほとんどが閉まっていて、なんとも言えない寂寥感を漂わせているのであった。
そんな中を脇目も振らず、一心不乱に大股で上っていく僕もまた、参拝客にしては異様だったと思う。

  
L: 最上稲荷の最初の鳥居に到着。しかしここからがまた長かった……。脇の池が異様に赤くて怖かったんですが。
C: 鳥居を抜けてしばらく行くと参道入口。昭和だ。  R: しかし参道のアーケードは閉まっている店がほとんど。

アーケード商店街が終わって目の前に現れるのは、石造りの門。寺は寺でも、東南アジアな上座部系の雰囲気だ。
まったく想像していなかった構造物が突然出てきたことで、僕は大いに混乱してしまった。何これ、新興宗教?
稲荷だけに狐につままれた気分である。しばらく境内をウロウロするが、やたらとスケールの大きい空間となっている。
冒頭で書いたように、もともとこの日は午前中を鬼ノ城チャレンジにあてるつもりで、それが浮いてできた分の時間を、
最上稲荷参拝にはめ込んだわけだ。リョーシさんが「最上稲荷には行かないの?」と言ったのでねじ込んだ、そんな感じ。
それであらためて最上稲荷について調べたら、岡山県民の絶大な支持を集めているということで参拝を決めたのだ。
だからよっぽど霊験あらたかな堂宇が味わえるんだろうなあと思っていたら、新興宗教のような大空間なのである。
オレは炎天下を歩き続けておかしくなってしまったんだろうか、と首をひねるが、どうもこれが現実のようなのだ。

  
L: 長い長い参道のアーケードを抜けるとこちらの仁王門。最初、本当に目が点になった。でもこれが最上稲荷の通常運転。
C: 1881(明治14)年再建の根本大堂。建物じたいはまともだが、とにかく周辺のガチガチコンクリートっぷりが凄いのだ。
R: 本殿(霊光殿)は1979年の竣工。やたらと頑丈そうな建物である。そして巨大。中ではずーっと護摩的な声がしていた。

最上稲荷特有の違和感は、歴史的な経緯が大きく影響している。本殿から聞こえる声から「真言系か?」と思ったら、
日蓮宗の寺院なのであった。最上稲荷の正式名は「最上稲荷山妙教寺」。「妙」が入っているから、なるほど日蓮宗だ。
しかしもともとは天台宗で、それで神仏習合しやすい土壌があったのだろう。一時期は日蓮宗からも独立していたが、
現在は復帰。ゆえに日蓮宗で稲荷という実に独特な形態となっている。新興宗教っぽい自由さもそのせいなのか。
個人的な好みとしては、こういうデカくてマッシヴな施設には惹かれない。延々と歩いてコレでは、けっこうがっくり。
それでも一段高いところにある旧本殿(霊応殿)はきちんとした風格のある建物で、しっかりと参拝しておいた。

  
L: 旧本殿(霊応殿)は1741(寛保元)年の再建。僕にはこっちの方が圧倒的にありがたいなあ。
C,R: さまざまな角度から旧本殿を眺めるが、立派である。これがあったおかげで救われた気分である。

わざわざつらい思いをして来るほどのことはなかったかなあ……とうなだれつつ、来た道を延々と引き返す。
帰りは下り坂になるのでマシではあるが、これならもうちょっと余裕を持って総社を見たかった、と後悔。
最上稲荷には失礼な話だが、それ相応のコストがかかっているので、どうしてもそういう気持ちになってしまう。

途中で案内板に従って西へ入って、備中高松城址に寄る。羽柴秀吉による常識破りな水攻めの舞台となった城だ。
この城を水攻めしている最中に本能寺の変が勃発しており、まさに歴史の転換点となった場所でもあるのだ。
城主だった清水宗治もまた名将で、自らの命と引き換えに城兵全員の安全を確保して切腹。武士の鑑とされた。
現在の備中高松城址は純粋に公園という印象で、城にしてはあまりにも高さがなさすぎる。完全に周囲と同じ高さだ。
こんなところを水攻めされたらそりゃ水没するわ、と思うが、この全体が平坦な土地でその発想が出ること自体が凄い。
4kmにわたる堤防をわずか12日間で造ったそうで、墨俣もそうだが秀吉&蜂須賀小六の土木センスは規格外だと呆れる。

  
L: 備中高松城・本丸跡。この城はどの曲輪にも高さにほとんど差がない。城っぽさは本当に希薄で、単なる公園という雰囲気。
C: 南側から本丸を振り返ったところ。蓮がいかにも低湿地って感じ。  R: いかにも水攻めされました的に整備している気も……。

ちなみに周辺は本当に穏やかな田園地帯で、向かいの川の方では鳥たちが異様なほど集まって井戸端会議中。
これだけ多種で多数な鳥たちが集まっている光景は珍しい。さぞかしこの辺りは平和で暮らしやすいのだろう。

 これだけ鳥がワンサカ集まっているのは珍しい。いったい何を話し合っているのやら。

スーパーで再び飲み物を補充すると、再び吉備線に乗り込む。ここからは一宮リヴェンジの旅となるのだ。
車内でろくに涼む暇もなくわずか1駅、吉備津駅で下車する。備中国一宮・吉備津神社に参拝である。
3年前にリョーシさん&ラビーと参拝しているのだが(→2011.2.19)、あらためてじっくり歩きまわってみようと。

無人駅の改札を抜けて線路沿いに東へ進むと、そこは松並木の参道。吉備線の線路が参道をぶった切っており、
参道の起点は少し北に行った丁字路となっている。後で時間があまったらそこまで行くとして、とりあえず参道に入る。
南下していくと参道は国道180号と交差するが、落ち着いた調子でそのまま続く。右が車道で左が歩道と分かれ、
歩道をトボトボ歩いていって駐車場に到着。吉備津神社の規模のわりには土産物屋は数が少ない気がするのだが、
ともかくその前を通っていくと境内入口にぶつかる。鳥居と石段は参道から横向きについており、なんとも独特。
むしろ無理やりまっすぐに参道をつくらないところに、聖地・吉備の中山の威厳があるってことなのかもしれない。
参道はあくまで吉備の中山のためにあり、吉備津神社はその麓にある参拝所、そんな関係が根源にあるように思える。

  
L: 吉備津神社の参道を行く。今回は3年前の参拝時よりちょっと丁寧に写真を貼り付けていくとするのだ。
C: 吉備津神社・境内入口。参道に対して横向きになっている。  R: 石段の途中にある北随神門。撮りづらい。

3年前にも圧倒された吉備津神社だが、凄いもんはやっぱり凄いのである。今回もしっかり見とれてしまった。
なんといっても本殿の比翼入母屋造が見事なのだが、それを構成する要素ひとつひとつが美しいのである。
今回はお一人様なので、思う存分時間をかけて見てまわる。デザインの独創性にまず純粋にやられてしまうが、
それをきれいに維持している点もまたいいのだ。吉備国の総鎮守、それだけの威厳にしばし酔いしれる。

  
L: 拝殿。  C: 今回も覗き込んでみました。  R: 比翼入母屋造の本殿。これはもう、ただただ見とれることしかできない。

回廊を下って御釜殿にも行ってみる。いちおう境内の隅々まで探索してみたのだが、本殿が凄すぎることもあるが、
摂末社はそこまで特別に立派なものはなかった。しかし高低差のある複雑な境内のあちこちに摂末社がある点は、
さすがに歴史のある神社だ。それらを見てまわるだけでも、何か神聖さに触れていくような感覚になれる。
前回テキトーに済ませた御釜殿は、鳴釜神事の真っ最中らしく小規模な行列ができていた。人気があるなあ。
重要文化財にも指定されている御釜殿だが、裏手にまわると手前に廃墟があるせいで印象がだいぶ違う。
さらに牡丹園から境内の外に出ると、やたらと立派な長屋門。旧社務所らしいが、詳しいことはよくわからない。

  
L: 一段高い祈祷殿の方から眺める本殿。これもまたいい。しかし見れば見るほど独創的である。
C: 1357(延文2)年の再建で、吉備津神社では最も古い建築の南随神門。その間から回廊を眺めたところ。
R: 御釜殿。回廊に近い価値観で建てられている。回廊は天正年間(戦国末期)で、御釜殿は1606(慶長11)年の築。

大いに興奮して吉備津神社参拝を堪能すると、参道を起点まで戻ってそれから駅へ。しばらくして吉備線がやってきて、
またも1駅だけ揺られる。吉備線は吉備の中山に沿って走り、そのまま南へとカーヴする。すぐに備前一宮駅に到着。
備前国の一宮は吉備津彦神社である。やはり3年前にもリョーシさん&ラビーと参拝したが(→2011.2.19)、
あらためてじっくりあちこち見てやるのだ。しっかり住宅地な雰囲気の中を南へ歩くと丁字路にぶつかり、
回れ右すれば吉備線の踏切、そして鳥居である。3年前とまったく変わらない風景に懐かしい記憶が蘇る。

  
L: 吉備津彦神社の鳥居。うん、3年前と変わらんね。  C: 参道を行く。うん、3年前と変わらんね。
R: 前回とは違う角度で随神門を撮影。さすがに17世紀末に建てられたものなので独特な風格がある。

吉備津彦神社の拝殿はけっこう幅があり、石段を上りきった状態だとどうしてもカメラの視野からはみ出る。
なかなかうまく撮れなくて苦労した。あれこれ試行錯誤した末にようやく参拝。で、どれどれ本殿はどうだ?と、
拝殿から後ろへ行ってみてびっくり。拝殿的な建物が何重にもなっているではないか。前回はまったく気づかなかった。
いちばん手前の拝殿だけ見て「あんまり大したことないな」なんて思っていた自分の浅はかさをとことん痛感させられた。
これは熱田神宮の社殿配置にならったものだそうで、本殿・渡殿・祭文殿・拝殿の4つが一直線に並んでいる。
わざわざこんなことができるだけ、やはり一宮ってのはすごいのである。いや本当、これにはまいった。

  
L: 拝殿。まさかこの裏に社殿が3つもあるとは。  C: 手前が拝殿、その奥に祭文殿。隠れているが渡殿があって最後に本殿。
R: 本殿。随神門と同じく1697(元禄10)年の築。この立派な本殿を見れば、吉備津彦神社の凄さが実感できるってもんだ。

これだけ立派な吉備津彦神社だが、実は備前国一宮の地位はもともと吉備津彦神社のものではなかった。
かつては神武天皇の兄・五瀬命を祀った安仁(あに)神社が一宮だったが、藤原純友の乱で純友の側についたため、
一宮の地位を剥奪された。そしてさっきの吉備津神社から分祀されたこの吉備津彦神社が備前国一宮になったそうだ。
そうなりゃ当然、安仁神社にも行ってみたいところだが、西大寺だけどほとんど牛窓というとんでもねー位置にあるので、
さすがにそこまでマニアックになるのもどうずら、ということでパス。まあ平安時代の話だし。吉備津彦神社でいいじゃん。

 反対側から渡殿と本殿を眺めたところ。渡殿の手前に地下通路があるよ。

そういえば3年前、ラビーはこの吉備津彦神社を参拝した際にそうとう危険な発言をしていたわけだが(→2011.2.19)、
気がつきゃ3人の中でラビーだけがモテたのである(→2012.10.62013.6.15)。そんでもってマイホームパパである。
なんなんだ、この理不尽すぎる状態は。吉備津彦命さま、これはあまりにもおかしくないですかい? なんとかして!

吉備線は大安寺、備前三門と、地域住民の足としての役割を存分に発揮して、かなりの乗車率で岡山駅に到着。
岡山市じたいは昨年末の香川旅行の帰りに新幹線に乗ったとき以来(みやもりと街の広さに圧倒された →2013.12.30)。
でもきちんとした街歩き目的での訪問となると、昨日の倉敷と同じで6年ぶりとなるのだ(→2008.4.22)。
なんだかんだで時刻はすでに14時半を過ぎている。とりあえず今日は駅からまっすぐ南の岡山市役所だけを撮影し、
岡山県庁を再訪問するのは明日にまわすとするのだ。というわけで、でっかい街をトボトボ南下して市役所へ。
6年前にテキトーだった部分を反省しながら、あらためてきちんと岡山市役所を撮影しなおしてみるのだ。

  
L: 市役所筋をまっすぐ南下していって向き合う岡山市役所。周辺は交通量が非常に多い五叉路で、事故も多いそうな。
C: 敷地内に入って正面から撮影。6年前もほお同じ構図で撮っているな。  R: 側面には備前焼が使われているという。

岡山市役所は1968年の竣工。設計は山下寿郎で、彼による市役所建築はほかに仙台市役所がある(→2013.4.28)。
ガラスの印象的なファサードはがっちりとした構造で支えられ、垂直に低層棟が交差しているデザインは、
良く言えば堅実だし、悪く言えばお役所らしさ全開。まあ個人的には端整な建築であるとは思う。嫌いではない。

  
L: 背面。南にある公園から眺めてみたところ。  C: 低層棟の南端をクローズアップしつつ撮影してみた。
R: 低層棟のある東側側面。本当に絵に描いたようなお役所建築である。でもガラスと茶色は1970年代を予見。

中に入ると1・2階部分はホール。香川県庁舎(→2007.10.6)から10年後の量産進化形、そう考えるのはイジワルか。
奥の壁には「正以處人」「廉以律己」「恭以事長」「信以接物」「寛以待下」「敬以處事」と文字が刻まれていた。
陸紹珩『酔古堂剣掃』の中の「居官之七要(官に居るの七要)」だが、「忠以事君」が抜いてあるのでこれでは六要だ。
「忠以事君」は確かに民主主義的に難しいとは思うが、そこは「忠以事民」ぐらいの機転を利かせてほしかったところだ。

  
L: 本庁舎内に入るとなかなか開放的なホール。  C: 「居官之七要」ならぬ「居官之六要」。ただ抜くのは芸がないと思うが。
R: ホールを抜けるとオープンスペース。建物の裏手にあってわりと小規模。緑はあるけど暑すぎて人がいないのが残念。

あとは岡山市北区役所が入っている低層棟や2002年竣工の分庁舎などを撮影する。やはりじっくり見ると、
新しい発見があるものだ。今までの県庁所在地めぐりはけっこう雑だった、と反省。反省するけどどうしょうもないぜ。

  
L: 低層棟を西側より撮影。  C: 北西側より眺めたところ。  R: 道を挟んで向かいにある分庁舎。

とりあえず本日の冒険はこんなところで終了。今夜からリョーシさん宅でお世話になるので、ある意味で、
岡山に到着したことで「ゴール」なのである。思えばみっちりと濃ゆい移動を繰り返してきたもんだ。
そのまま市役所筋を北へ少し戻って、イトーヨーカ堂のフードコートで一休み。ひたすら日記を書いて過ごす。

やがてリョーシさんの仕事が終わったので合流することに。荷物を岡山駅のコインロッカーに預けていたので、
取りに戻るついでに駅でリョーシさんの車に乗せてもらうのであった。いやー、4ヶ月ぶりだが元気そうで何より。
リョーシさん宅に到着すると、晩飯をどうするかで延々と悩む。リョーシさん的には客人の希望を聞きたいが、
僕は「なんでもいいっス」という主体性のなさを存分に発揮し、リョーシさん自身も特に希望がないので、
結果、「どうしましょう」の応酬で千日手という膠着状態に陥るのであった。これがまたけっこう長く続いたのよ。

やがて意を決してふたりでトボトボ南へひたすら歩き、大通り沿いの回転寿司屋に入るのであった。
家族連れを中心にけっこうな繁盛ぶりで、確かにおいしゅうございましたね。回転寿司もいいもんだとあらためて思った。
リョーシさんは食べたいものを積極的に注文するタイプだが、特にこだわりのない僕は流れてきたものを気まぐれに取る。
あれこれダベりつつ、内心「僕は女性との出会いも気ままに回ってくるのを待つタイプなのかねえ」などと考えてしまった。
そんでもって僕は同じ種類のものは食べないようにしていたので、これまた内心「一度抱いた女は二度と抱かないって、
オレは『攻殻機動隊』のパズかよ」などと下らないことを考えてしまうのであった。ま、モテないのが悪いのである。
すいませんリョーシさん、僕はダベっている最中に同時並行でそんなことを考えておりました。えへへ。

帰りに夜食やら明日の朝食やらを買い込んでリョーシさん宅に戻る。お世話になりっぱなしで申し訳ないです。
明日はまだ金曜日なのでリョーシさんは仕事、僕は早朝からの単独行動である。もう本当に申し訳ない。
そんなわけで迷惑をかけられないので早々に寝る。昨日のひとり倉敷市民から、今度は居候の岡山市民になったよ。


2014.7.23 (Wed.)

中国グランツーリスモも5日目ということで、今日が折り返し点である。昨日まではひたすら内陸部を進んでいたが、
ここからは瀬戸内沿いに進んでいく。そして今日は福山発の倉敷泊なので、最も時間的な余裕のある旅程となっている。
いつもの行動パターンから考えると、福山から倉敷までしか進まないというのは、オイオイどーしちまったんだい自分、
なんて言いたくなるくらいのスローペースである。まあ理由としては、倉敷をもうちょっとじっくり味わおうということと、
そろそろ「旅している状態」に飽きが来る頃なので無理をやめてのんびり気分転換を図ろうという、その2点である。
福山を訪れるのは3年ぶりで(→2011.2.20)、倉敷を訪れるのは6年ぶりとなる(→2008.4.22)。けっこう経っている。
3年前の福山はホントにちょっと寄っただけって感覚で、6年前の倉敷も最低限のポイントを押さえての訪問である。
本日は途中にある2ヶ所の市役所も押さえつつ、あらためて両都市の魅力を探ってみようというわけなのだ。

余裕たっぷり、8時ごろに宿を出る。中央公園にわりと近い宿だったので、まずはそこからのスタートとする。
さっき書いたが、福山を前回訪れたときは「ちょっと寄っただけ」で、市街地を歩くことはできなかった。そのリヴェンジだ。
中央公園からはまっすぐ北へと久松通りが延びていて、これが小ぢんまりとしながらも多彩な店が並ぶ商店街となっている。
8時過ぎなのでまだ賑わう前だが、歩行者にはうれしいサイズで、こういう通りの存在から福山の都会ぶりがうかがえる。
大幹線の国道2号を渡って吉野家で牛丼をいただいても、久松通りはまだ続く。このまま駅前に出てしまうのはつまらない。
せっかくなので、もうちょっと福山の都市空間を堪能しよう。地図を見ると、福山の市街地は基本的には碁盤目である。
しかし駅の東側、ゆったりとカーヴを描きながら国道2号にぶつかっていく道が並走しているのがわかる。これが気になる。

久松通りから右折して、福山神社を目指していく。今日も快晴、日差しがやたらと眩しい。目を細めながらしばらく歩くと、
通りが交差する位置にポケットパークのような形で神社があった。真っ赤な色から鳥居をモチーフにしていることはわかるが、
それにしてはずいぶん豪快にデザインされた屋根がかけられている。裏にはポストモダンなコンクリート打ちっ放し建築。
こりゃなんだと思ったら公衆便所なのであった。もっと歴史的な神社を想像していたので、あまりのギャップに驚いた。
さてこの福山神社から先は、「Joy. ふなまち」とでっかく字が出ているアーケードの商店街となっている。
緩やかにカーヴしながら続くアーケードは幅が広くてずいぶん立派だ。ふつうの都市なら悲惨な老朽化が進むのだろうが、
さすがは福山、それなりの活気でもたせているようだ。しかもアーケードは南北方向にもあり、途中で交差している。
さっきの国道2号もすごかったが、これだけのアーケードが維持できているという事実に、大いに感心する。すごいな福山。
ただ、軽く調べてみたらどうも、福山ではアーケード撤去の流れがあるようで、さっきの久松通りも撤去済みとのこと。
もしかしたら、5年後に訪れたらまったく異なる姿になっているのかもしれない。貴重な事例だと思うんだけどな。

  
L: 中央公園内にあるまなびの館ローズコム(福山市生涯学習プラザ)。中央図書館に公民館を合体させたような施設。
C: 福山神社は三角形の広場にある小さい祠。しかしその祠に至るまでのデザインがけっこう強烈なのである。
R: 福山のアーケード商店街を行く。幅も広いが距離も長い。これだけのものを維持しているところに福山の底力を感じる。

今度は西側へと移動して、あらためて福山市役所を撮影する。3年前にも撮影しているのだが、あれはかなり大雑把で、
車を停めてもらっている間に慌ててシャッターを切ったという程度なのである。きちんと一周して落ち着いて撮影するのだ。
で、ぐるっと敷地を歩いてみてようやく気づいた。「3年前に撮った福山市役所って、正面じゃなくて裏側やんけ!」
もう自分で自分が情けなくて。よく考えればそれは当たり前で、正面は国道2号に面しているに決まっているのだ。
その事実にまったく気づかないでいたとは恥ずかしい。今回きちんとリヴェンジして本当によかったと思う。

  
L: というわけで、国道2号側から眺めた福山市役所。  C: 国道を挟んで正面を撮影。交通量が多くて撮るのがすごく大変。
R: 国道に面する南側には木々がたっぷり植えられている。その手前にはバラ園も。福山のバラに対する執着は凄まじい。

福山市役所は佐藤総合計画の設計で1992年に竣工した。46万人という人口から考えると素直に納得できる規模だ。
しかしこれだけの都市がいまだにまったく知名度のないままで存在しているという事実には、首を傾げるしかない。
政府によって何か情報統制でもされているんじゃないかと妄想してしまうほどに、存在感がないのが本当に不思議だ。
ある意味、福山を訪れた際には「あなたの知らない世界」「夢の中にしか存在しない大都市」を体験した感覚になれる。
そんなひねくれた新鮮さを味わうためだけに福山を観光するってのも、それはそれで大いに有意義ではないかと思う。
いや本当に、SFでもファンタジーでもいいけど、フィクションの世界に紛れ込んだような感覚になってしまうのだ。
ずいぶんと失礼なことを書いてしまったが、福山という存在は砂漠の中に宮殿が現れるような、奇妙な感覚なのである。
間延びした岡山と広島の間にこれだけの大都会がいきなり現れることで、なんだか狐に化かされたような気がしてしまう。

  
L: 福山市役所の中に入ってみた。  C: 側面。  R: 背面。3年前にはこっちの面しか撮影していなかった。猛省なのだ。

福山駅の南側はこれで終了。次は駅の北側を歩きまわるのだ。それで福山駅まで行くと、大規模なバスのロータリー。
そしてその周囲の歩道はバラでいっぱい。あらためて福山のバラに対する異様なまでの執着を見せつけられた。
思えば市街地の南東部には「ばら公園」があるし、公共施設にはやたらと「ローズ○○」という名前が付いているし、
商店街にはバラの鉢植えが並んでいるし、アーケードの天井からは折り紙でつくられたバラが吊り下げられている。
福山のバラに対する執着は、本当に度を超えているのである。「バラキチ福山」とでも呼びたくなるくらいなのだ。
そのきっかけは、空襲で焼け野原になった街を復興する中で公園に1000本のバラを植えたことだそうだが、
バラが福山の「市の花」に指定されたのは1985年と意外に遅い。でもそのせいか、バラへのこだわりは尋常ではない。

 福山駅のローズガーデン。「執着」という言葉を使いたくなるこだわりぶりだ。

福山駅の構内を抜けて北側に出ると、いきなり福山城の石垣が目の前を塞ぐ。3年前にも驚いて(→2011.2.20)、
実は去年も驚いているが(→2013.2.23)、今回もやっぱり驚いた。さすがにこの距離感には慣れることがない。
石段を上っていくと、広場のようになっている本丸に出る。せっかくなので復興天守の博物館から街を眺めることにする。

  
L: 福山駅と福山城の石垣がどれくらい近いかを示した一枚。絶対これ、一度ぶっ壊して削ってから積み直しているだろ。
C: あらためて筋鉄御門を撮影。  R: 1966年竣工の復興天守。旧国宝に指定されていたかつての天守は、空襲で焼失した。

朝早かったのだが、天守の中は鉄っちゃんくさい若い男たちでいっぱいだった。各フロアにまんべんなくいて、
みんなけっこう熱心に展示を眺めている。なんとも異様な光景に、驚くしかなかった。しかしいちばん気持ち悪いのは、
その理由がわからないことだ。なんでわざわざ福山なのか。なんでわざわざ朝9時過ぎから天守博物館の見学なのか。

  
L: 福山城の復興天守から眺める福山市街。駅が目の前にしっかり横たわっている影響で、眺めは意外とそれほどよくない。
C: 西側を眺める。手前の美術館や博物館が目立っているが、それ以上に教会建築に度肝を抜かれる。正体は結婚式場らしいが。
R: 北側には福寿会館。もともとは個人の別荘で、見てのとおり洋館と和風建築の本館がセットになっている。

というわけで、実際に福寿会館を訪れてみた。現在は本館が福山市の公民館的な施設として利用されており、
洋館の方はカフェが入っているようだ。見学するのは無料なので、歩いてまわって雰囲気を味わって過ごす。

  
L: 福寿会館の洋館部分。1937年ごろの築とのこと。1階の一部がカフェとして営業中。それ以外の部分も見学できる。
C: 和風な本館の入口。内部はふつうに座敷。  R: 庭園越しに福山城の天守を眺める。これは贅沢な別荘だなあ。

とりあえず今回はこんなところで福山の街歩きを完了とする。福山駅から山陽本線を3駅東に進んで笠岡駅で下車。
昨晩ラーメンを食ったときとまったく同じ動きである。ただし今日の目的はラーメンではなく市役所なのだ。
笠岡市役所は駅からまっすぐ進んだ右手にあるので、アクセスするのは非常に簡単。なお、笠岡市は岡山県である。
さっきまでいた福山市は広島県。でももうこの辺りは岡山県や広島県という意識はあんまり感じることができない。
むしろ「瀬戸内の真ん中らへん」という感覚でつながっているように思う。縄張り意識が大らかだという印象である。

 
L: 笠岡駅からまっすぐ延びる道。笠岡の旧市街地は非常に穏やかな雰囲気だが、大規模な再開発の成果らしい。
R: 笠岡は江戸時代に幕府代官により統治されていたが、その代官所の跡地には旧小田県庁門が残る。現在は小学校。

駅からまっすぐ延びる道の突き当たりには小学校。ちょうど駅からの延長線上に旧小田県庁の門が残されている。
この向かって右側手前に笠岡市役所があるのだが、非常に強烈なデザインをしている。モンドリアンっぽいのだ。
こりゃあタダモノじゃねえ!と思って後で調べたのだが、あまり注目されていないようで資料はあまりなかった。
むしろ後述する市議会の方が人気のようだ。しかし、僕はこの笠岡市役所を高く評価したい。純粋にかっこいいもん。
日建設計の設計で、1955年の竣工だそうだ。それでピンときた。この時期の日建設計が建てた庁舎といえば、
なんといっても大傑作の広島県庁舎(→2008.4.232013.2.24)を思い浮かべずにはいられない(1956年竣工)。
笠岡市役所には、あれと共通する価値観を感じるのだ。これだけ上質なモダニズムを組織事務所がやってのけた、
ってのが今となっては信じられないが、むしろこういうことができる事務所だからこそトップに立てたのだろう。
なんとかもっともっと笠岡市役所に注目が集まるようにならないもんかねえ。DOCOMOMOとかどうですかね?

  
L: 笠岡市役所。60年近く前にこれを市役所として建てたんだぜ。僕は末永く残すレヴェルの作品だと思うんだけど。
C: 角度を変えて眺める。締まっているねえ。  R: 側面を眺める。うーん、かっこいいなあ。端整だなあ。

小学校側にまわり込むと、そこにもまた一味違う古典建築が。現在は笠岡市の議事堂として使われているのだが、
1899(明治32)年に笠岡町役場として建てられたという話である。明治にしては妙にコンパクトにまとまっており、
昭和初期ぐらいじゃねえのと思うのだが、詳しいことはよくわからない。まあ僕としては、この議事堂と市庁舎、
2種類のモダンが華麗に並んでいるところに猛烈な感動をおぼえるのだ。これはどっちも永久保存だよ、すげえよ。
笠岡市では旧小田県庁の門も旧笠岡町役場も残しているので、ぜひ今の市役所も残してくれ。期待しとります。

  
L: 笠岡市議会議事堂。本当に明治の建築はどうかはいいとして、これをきちんと残しているところが大変偉い。
C: 正面より眺める。  R: 笠岡はカブトガニで有名。市ではゆるキャラのカブニくんを売り出している模様。

さて笠岡市は、昨年末に訪れた塩飽諸島(→2013.12.30)のちょうど西にある笠岡諸島もその領土に含んでいる。
笠岡諸島への連絡船の乗り場は駅の南側にあり、地下道を通ってアクセスするのだ。ちょっと行ってみたのだが、
まあ、特にどうということはなく、すぐに引き返してきてしまったのであった。でも客は女子大生に外国人にと、
それなりにいた。英語の乗り場案内もあったし、島になんかあるんですかね。千鳥の大悟以外で。

 笠岡諸島にはきっと魅力的な何かがあるんでしょうなあ……。

笠岡市役所の次は浅口市役所だ。浅口市は2006年に3つの町が合併して誕生。郡名から新しい市の名前が採られた。
しかし市章はカタカナの「ア」と「サ」をつなげて円形に配置したもので、平成の大合併の匂いがまったくしない。
まあ、ワケのわからん流線型なデザインよりはよっぽどいいと思うけどね。そっちの方がかえって安っぽくない。

浅口市役所は旧鴨方町役場である。鴨方駅からすぐのポコッと小高い丘の上に位置しており、大変ありがたい。
敷地を一周するのは少し大変だったが、比較的あっさり撮影できたので、それだけで好印象である。

  
L: 手前の川から眺める浅口市役所。「浅口」は「あさくち」と濁らないのが正式だが、「あさぐち」でも問題ないらしい。
C: 階段を上るとこんな感じ。  R: 角度を変えて撮影。1974年に鴨方町役場として建てられた。築40年のわりにはきれい。

さっきも書いたが浅口市役所は周囲より高いところを占めているので、ほかの建物に遮られるということがない。
周りにはよけいな樹木もあまりなくて、あらかた駐車場となっている。敷地は広くないものの、撮影しやすいわけだ。

 
L: 浅口市役所の裏側。  R: こちらは手前にある分庁舎。

以上で浅口市役所もクリアである。残念ながら、天草総合公園の方まで行くずく(長野県方言)はなかったなあ。
それよりは、早く倉敷入りしてそっちで動きまわりたかったので。市役所が駅から近すぎるのも問題かもしれん。

そんなわけで、正午のギリギリ直前に倉敷駅に到着。午後をめいっぱい倉敷観光に使えるとは、なんとも贅沢だ。
倉敷に到着してまずやることは前回と一緒で、レンタサイクルの申込みである。倉敷って実際は広いんだよね……。
さっそくコインロッカーに荷物を預けてレンタカー屋に行くと、おっちゃんから「ぜんぶ出ちゃったよ」との言葉が。
確かに倉敷のような観光都市では、午前中でレンタサイクルがなくなってしまうことはありうる(→2010.3.28)。
対象を絞り込んでバスに切り替えればある程度はなんとかなるかな……なんて考えはじめたところで、
おっちゃんが「あ、さっき1台だけ戻ってきてたわ」と思い出した。いやー、助かった。今日は運がいいぜ。

レンタサイクルにまたがると、工事中の倉敷駅舎の前を抜けて北口へと向かう。倉敷駅の北口といえば、
以前は倉敷チボリ公園なのであった(→2008.4.22)。ちなみに、もっと以前は倉敷紡績の工場だった。
結局、チボリ公園の跡地はイトーヨーカ堂が三井不動産と共同で再開発し、東がイトーヨーカ堂の「アリオ倉敷」、
西が三井不動産の「三井アウトレットパーク倉敷」となった。南側には倉敷市による倉敷みらい公園が整備された。
テーマパークが商業施設に変わったところで、実は本質的には何も変わっていないように思う(→2006.11.12)。
僕なんかは、「ベアスタ(鳥栖スタジアム)みたいにしてサッカー専用スタジアムをつくればいいじゃん、
そうして倉敷にサッカークラブをつくってファジアーノ岡山と『おかくらダービー』やっちゃえばいいじゃん」
なんて考えちゃうんだけどね。フジタクフジタク。そうすりゃ商業施設も儲かるぜぇ。いかがざんしょ。

  
L: 倉敷駅のペデストリアンデッキから眺めた北口ロータリー。チボリ公園は完全に商業施設へと姿を変えていた。
C: グラウンドレヴェルから眺めるアリオ倉敷。  R: 倉敷みらい公園。緩やかな起伏の芝生がほとんどを占める。

チボリ公園跡地をぐるっと一周すると、そのまま県道24号を北へとひた走る。やはり工場跡地ということで、
再開発されたと思しき空間が豪快に続いている。倉敷駅周辺地区は「都市景観100選」に選ばれているが、
(観光地として絶大な人気を誇る美観地区ではなく、駅前地区。美観地区はヘリテージング100選と重伝建)
おそらくは旧チボリ公園だけでなく、この工場跡地一帯も意識してのことなのだろう。なかなかに独特だ。
まるで滑走路のような幅の道路がまっすぐに延びており、車に負けじとぶっ飛ばす。目指すは酒津公園。

  
L: アリオ倉敷と三井アウトレットパーク倉敷の間にはこのような水路がある。ここも倉敷みらい公園の一部。
C: 倉敷警察署・万寿(ます)交番。あまりにもミニマルな交番だったので驚いた。これは思いきったなあ。
R: 滑走路のような県道24号をぶっ飛ばす。駅前にこれだけの道路ってのは、やはり工場跡地だからなんだろうな。

倉敷の街を地図でよく見ると、無数の水路がけっこう複雑に走っていることがわかる。実は倉敷の市街地は、
江戸時代から干拓によって継続的に拡大してきたのだ。結果、築堤による川が市内のあちこちに流れることになった。
しかし当然ながら、そういう土地は洪水に弱い。そこで高梁川の改修工事を行い、1925(大正14)年に完了させた。
その際に、農業用水を公平に配分するために建設されたのが、東西用水の酒津(さかづ)配水池と配水樋門である。
この施設、実際に見てみるとかなり強烈だ。池に溜められた水は5つのルートに分配されるが、豪快なカーヴを描いていく。
ここから流れ出した水が、倉敷市街を複雑に、かつくまなく走り抜けていくと思うと、非常に興味深いものがある。
ところが面白い要素はそれだけではない。樋門から分かれる用水路では子どもたちが水遊びの真っ最中。
この場所は倉敷っ子の絶好の遊び場となっているのだ。すげえなーと思って眺めていたら「楽しいよー」と声を掛けられ、
「うらやましいな!」と返す。景観としても面白いし、親水機能も充実しているし、心の底からうらやましい。

  
L: 東西用水酒津樋門。左から西岸用水、西部用水、南部用水、備前樋用水、倉敷用水として倉敷市内を駆け巡る。
C: それぞれの樋門はアーチによって構成されている。ここで子どもたちがはしゃいでいるのが倉敷の夏のようだ。
R: 配水池を背にして、樋門上の通路から5つの用水が分かれていくところを眺める。これは独特な景観だ。

さすがは倉敷、美観地区以外にも面白いものがあるなあと感心しながらペダルをこいで、倉敷駅まで戻る。
そのまま南側に抜けると、さらに南下。今回訪れる予定でいちばん南に位置している倉敷市役所まで行ってしまう。
倉敷市役所は6年前に訪れたときに呆れ果てた建物だが(→2008.4.22)、あらためてそのバカバカしさを紹介なのだ。
こんなものを選んじゃうわけだから、公共建築百選ってのはアテにならないなーと思いつつ撮影してまわる。

  
L: まずは北の駐車場棟。そもそも「駐車場棟」があるってのにびっくりだ。  C: 駐車場棟の脇から見る低層棟。
R: 低層棟の1階部分にはこんなエリアが。「八角池」というらしい。そんなわけで低層棟には穴が開いているのだ。

倉敷市役所の竣工は1980年。設計は浦辺鎮太郎。倉敷出身でクラレの設計部長を務めた人だそうだ。
倉敷アイビースクエアも手がけているという。うーん、アイビースクエアもどこかニセモノ感があるんだよな。
前のログでも書いたとおり、この倉敷市役所は全国各地の自治体に大きな影響を与えることになった建物である。
特に「市庁舎建築がより高層オフィス化していく流れ」という点で先駆的な存在となったと言えるだろう。
しかし倉敷市役所は、そこに「1980年代のバブリーな発想」もまた先駆的に融合させており、これはもはや、
悪夢のような建築である。このような公害が許されてしまうところに、企業城下町の悲しさがあるのかもしれない。
地元出身者のエゴがもたらした悪夢という点では、毛綱毅曠の釧路(→2012.8.17)に似たものを感じる。

  
L: 八角池を抜けて眺める低層棟と高層棟。  C: 正面玄関より眺める。10階+塔屋が本当に高いが、木々も茂っている。
R: 南東側から眺めたところ。メインストリートから奥まった東側は、わりと無骨というか役所らしい乱雑さがある。

あらためて実際に敷地内を歩きまわってみると、周囲にたっぷりと緑を配置しているため、近くから市役所は見づらい。
基本的に、敷地内のどこからも高層棟をすっきりと眺めることができず、低層棟を中心に低い階しか視界に入らない。
そうなると印象としては「緑の中の市役所」となるわけで、それはなかなかマイナスイメージにはなりづらい。
一方、遠くから眺める場合には「緑の上に浮かぶ市役所」となる。デザインは見てのとおり醜悪なポストモダンであるが、
ディズニーランダイゼーションに染まったセンスの悪い素人には「わぁー、お城みた~い」と映ってしまうかもしれない。
市役所の食堂で昼メシにカツ丼をいただきつつ、どうしてこういう価値観がまかり通ってしまうんだろう?と考える。

  
L: 北東側から低層棟と高層棟をセットで眺める。倉敷市役所は市民を西側に、職員を東側に振り分けているようだ。
C: 外からは見えない高層棟の足下(南側)はこんな感じ。もうデザインが悲惨なことになっているんですが。
R: 高層棟の1階にある市民ホールを覗き込んだ。表彰やイヴェントで使うらしいけど、外見同様に悪趣味だ。

口直しに、市役所の隣にある倉敷市歴史民俗資料館へ。正面エントランスの真上には桜の紋があって特徴的だ。
この建物、もともとは幼稚園。1915(大正4)年の築だそうで、中央にある八角形の遊戯室がいちばんの見どころ。
幕末から現在に至るまでのさまざまな教科書が展示されるなど、主に教育面についての資料が置かれている。

  
L: 倉敷市歴史民俗資料館(旧倉敷幼稚園)。  C: 裏側。八角形の遊戯室はこちらでございますな。
R: 正面玄関から入っていくとそのまま遊戯室に入る。グランドピアノにアップライトピアノに、いろいろ展示。

この建物は何から何まで特徴的で、桜の紋や八角形の遊戯室のほかにも、東西に延びる両翼部分もまた面白い。
白と赤の市松模様になっている「物入」の戸、八角形の影響で複雑に折れている通路、アーチで開放的な廊下。
幼稚園という用途を和洋折衷で意欲的に解釈した空間となっており、むしろ新しい発見をしたような気分である。

  
L: 八角形の遊戯室の影響なのか、玄関から入っていくとこんな感じでちょっと複雑に通路が折れている。
C: 玄関の左右にある物入。戸の市松模様がこの建物のハイカラっぷりを強調する。これにはかなり驚いた。
R: 両翼の廊下を進むとこんな感じ。壁の代わりにアーチで開け放たれた空間となっている。これまた特徴的。

ここからは美観地区を目指して北上しつつ、倉敷市の公共施設や観光施設をざっと見ていく。
思ったのは、近年の倉敷市は公共施設のセンスがまったくよくないなあということ。市役所はその最たるものだが、
それ以外の施設もポストモダン的な崩れ方をしており、端整さがまったくないのだ。思わず首を傾げてしまう。
後で設計者を調べてみたら、やっぱり浦辺鎮太郎がやりたい放題をやっている模様。倉敷市民がかわいそうだわ。

  
L: 倉敷市芸文館。1993年竣工で、設計は浦辺設計、つまり浦辺鎮太郎の事務所(ただし浦辺自身は1991年没)。
C: 倉敷市民会館。1972年竣工。設計はやはり浦辺鎮太郎。倉敷市民はよく黙っていられるよな。恥ずかしくないのかな。
R: いがらしゆみこ美術館。すいません、中には入っていないけどけっこう人気のようで。1998年オープン。

いがらしゆみこ美術館から北へ行って美観地区の街道エリアへと入る。よく見るとリニューアルのきつい建物も多いが、
それにしてもこの街並みの長さ、木造建築の量は圧倒的だ。そして観光客の量も圧倒的だ。日本人も外国人も多い。
観光都市としての利便性が高ければ高いほど、歴史性がフィクションの度合いを強くするのは仕方のないことだ。
大量の観光客を受け入れている倉敷の街だが、ではこの場所の木造建築たちはどの程度のリアリティを持っているのか。
賑やかな店先を見るたび、本来あったはずの歴史に上塗りされた要素が強すぎやしないかと思ってしまう。
つまり、往時の倉敷の繁栄ぶりは現在の形とは異なっているはずで、賑やかな分だけその誤差が見えづらいのである。
でも観光客たちは、過去と現在、二重の賑わいを持っている街並みに満足しているわけだ。疑うことなどまったくなく。

  
L: 倉敷川から離れた街道沿いのエリアは静かな雰囲気。しかしけっこうリニューアルされている雰囲気も感じる。
C: 見てのとおり、右側はアイビースクエアの壁。文明開化と木造伝統建築の共演は、正しい明治の姿なのである。
R: 商品でいっぱいの木造建築店舗。でも、かつてはこんなに物質的に豊かじゃなかったはずではないか? そう思う。

まあこれは僕が社会学部でもまれたひねくれ者だからそう思うってだけなんだろうけど、どこかだまされている気がして、
どうにもならない気持ちの悪さもまた感じるのだ。昔の人はこの空間で生活をしていた、金を稼いでいた。
今の人もこの空間で生活をしている、金を稼いでいる。その絶対値は、たぶん変わっていない。そう考えれば、
二重性を持って賑わっている街並みは、それはそれで正当なものでもある。人間の本質が、ここで生々しく続いている。
しかし浦辺鎮太郎の建築を受け入れている倉敷の現在の姿を見ていると、空間を大切にしているとは思えないのだ。
「商業空間の勢い」というリアリティと、「伝統的建築空間」というリアリティ。倉敷が前者に傾いていることは確かだ。

  
L: 倉敷物語館。旧東大橋家住宅を整備して2009年に開館した。長屋門は位置関係からして移築だよな、これ。
C: 美観地区の入口は見てのとおり、不自然に広い。こういうところに商業優先のフィクションを感じてしまうわけだ。
R: 街道をまっすぐ駅へ向かうとアーケード商店街。そこまで賑わってないが、僕にはこっちの空間の方が自然に思える。

倉敷といえばやはり倉敷川沿いの風景なので、あらためて訪れてあちこち眺めてみる。観光客だらけで撮影しづらいが、
そこは根性で影響の少ない構図を探してシャッターを切っていく。まずは建物よりも川を中心に見つめてみる。

  
L: 大原美術館前の今橋から眺める倉敷川。  C: うーん、美観地区って感じ。  R: 川沿いの木造建築たち。

続いては倉敷川沿いの建築に焦点を絞ってみる。やはり有隣荘の存在感が絶対的である。これは見とれてしまうね。
後で大原孫三郎について批判的に書くけど、そしてこの建物は決して正統派とは言えないものだと思うけど、
少なくとも有隣荘の外観に関しては、僕は「まいりました」と脱帽するしかない。「はずし方」が見事なのだ。

  
L: 倉敷川を挟んで大原美術館の向かいにある旧大原家住宅。重要文化財だけど見られるのは外観だけ。
C: 同じく大原美術館の向かいにある有隣荘。1928年に大原孫三郎が病弱な妻のために建てた。ふだんは非公開。
R: 倉敷考古館。江戸時代の米蔵を改装している。非常にフォトジェニックな建物である。側面すごいね。

倉敷の(市役所マニアにとって)面白いところは、古い庁舎建築が別の形でしっかりと活用されている点である。
6年前のログにも書いているし後述もするけど、先代の倉敷市役所は美術館になっており(→2008.4.22)、
1917(大正6)年に建てられた倉敷町役場は「倉敷館」という名称で、美観地区の観光案内所となっている。
上ではやや批判的なトーンで書いたけど、積極的に建物を残しているのは倉敷の優れている確かな部分なのである。

  
L: 倉敷館こと旧倉敷町役場。倉敷川が曲がる地点にあり、立地もよい。  C: 裏側にまわり込んで眺めたところ。
R: これは倉敷民藝館の入口を覗き込んだところ。蔵の重なり方がすごく独特で、贅沢な美しさの空間である。

というわけで、せっかくなので丹下健三設計の先代の倉敷市役所もあらためて写真を貼っちゃう。
この近辺は北から倉敷市立自然史博物館、倉敷市立中央図書館、倉敷市立美術館と3つの公共施設が並んでいる。
ざっと調べた限りでは、旧本庁舎が美術館、旧水道局庁舎が自然史博物館となったが、中央図書館はよくわからない。
しかし3館は1983年11月3日に同時オープンしており、かなり気合の入ったリニューアルだったことがうかがえる。
ちなみにこのリニューアルにも浦辺鎮太郎が関わっていた。倉敷の公共施設には浦辺の手垢が付いている。

  
L: 倉敷市立美術館。丹下健三の設計で1960年に竣工。1983年より現在のように美術館として使われるようになる。
C: 倉敷市立中央図書館。1983年に美術館、自然史博物館と同時に開館。これは両端の庁舎建築をつなぐ新築なのかな?
R: 倉敷市立自然史博物館。倉敷市の旧水道局庁舎を改装して1983年に開館。売りはナウマンゾウの模型らしい。

 交差点から眺めた倉敷市立美術館。木々で遮られているのがもったいない。

これで倉敷市内の主要な公共施設はだいたい押さえたので、いよいよ本日のメイン・エベントの大原美術館へと向かう。
先ほど倉敷川や旧大原邸や有隣荘を眺めた今橋を渡ってそのまま敷地の中に入ると、巨大なイオニア式の建物と対面。
あらためて眺めてみると、なんだか滑稽に見えてしまった。周囲の建築と違和感がありすぎて、ひどくキッチュに思えた。
浦辺建築のせいで僕の心がだいぶ攻撃的になっていたのかもしれない。でもとにかく、好意的には受け止められなかった。

  
L: 大原美術館。1930年にオープンしている。設計は大原家のもとで倉敷にさまざまな建物を建てた薬師寺主計。
C: 裏側にまわってみたところ。  R: 隣接して倉敷川沿いにある喫茶店「cafe EL GRECO」。ツタがすげー。

6年の時が経ち、一般の入館料は1300円になっていた。妥当なところではあるが、以前のお得感はもうない。
さてここで、6年前に初めて大原美術館を訪れた際のログへのリンクを貼っておく(→2008.4.22)。
当時の僕はかなり好意的に「大原美術館は確かに、誰でもいい作品とわかるものをしっかり展示していて、
行く価値あり!と実感したのであった。」なんて書いている。しかし2回目の今回は、あまりそう思わなかった。
いや、確かにいい作品はいい。でも「これいいか?」と、その魅力が理解できないものがチラチラあった。
肝心のエル・グレコ『受胎告知』にしても、マリアが上向きな構図の取り方はものすごく非凡で感心してしまうのだが、
「そこまでいいか?」という思いがどうしても浮かんでしまう。戦国時代にマンガを描いたギリシャ人がいたぜ!
っていう以上の感動がないのだ。今回はどうも噛み合わない。大原美術館、そして大原家の価値観と、噛み合わない。
大勢の観光客たちが押し寄せている中で、ありがたがっている中で、僕は「いや……?」と独り、首を傾げる。
工芸館の陶芸もいいと思えたのは半々くらいで、むしろ蔵が連続しているその外観に感動したのであった。

 
L: 中庭を取り囲むように蔵が連続している工芸館。  R: 赤い蔵が妙にかわいいのだが。

大原美術館は分館がDOCOMOMO物件となっており、今回はそれをじっくりと確認する目的もあって訪れたのだ。
しかしこの建物もまったくいいと思えない。設計は倉敷レイヨン営繕部ということで、つまり浦辺鎮太郎である。
どこにも美しい点、興味深い点、興奮させられる点がなくて、ずいぶん困ってしまった。ダサいの一言である。
そのせいか、中に展示されている作品たちについても「そこまでいいか?」と思ってしまった。

  
L: 大原美術館分館。竣工は1961年。まったく魅力を感じられない建物だったので、写真の点数も少なめです。
C: 意味不明なデザイン。  R: 裏通りに面する壁。正直言って、こんなに心の動かないDOCOMOMO物件は初めてだ。

というわけで、恥を忍んで書いてみる。大原家の美的センスはそれほどよいわけではないのではないか、と。
いやこれは単純に僕の趣向と合わないということで、傲慢極まりないことを書いちゃっているんだけど、
1930年に倉敷川沿いにあのイオニア式を建てちゃったことから始まって、数撃ちゃ当たれ的なコレクション、
そして何より浦辺鎮太郎の重用と、どこか感覚がズレているような気がしてならないのだ。今回はその違和感が大きい。
倉敷の観光地としての地位はすでに揺るぎないものとなっているから、倉敷が支持される理由は正当なものなのだろう。
でも今回訪れてみた結果、そこには過大評価があるように思えてならない。「倉敷だから」で思考停止している、
そういう流れがあるように感じるのだ。もちろん世の中には100%良いものや100%悪いものなどあるはずないが、
少なくとも倉敷の街が誇りとしているものの実態は、世間が言うほど優れたものであるようには思えないのだ。
有隣荘ではそのセンスのズレが奇跡的な結晶となったが、基本的には打率が低い。クリーンヒットがたまにある程度。
もし僕があちこち行って目が肥えた結果だとすれば、それはうれしいことだ。そうでない可能性もあるけどね。

レンタサイクルを返却すると、アリオ倉敷のカフェでじっくりと日記を書く。腹が減ったらレストランのエリアに移動、
ホッケの定食をいただいたのだが感動的においしゅうございました。そのままイトーヨーカ堂で夜食を買い込んだのだが、
プライヴェイトブランドの商品が無機質に大量に並ぶ光景はIKEA(→2011.2.13)なんかのアウトレット感が満載で、
これだけ大勢の客がみんな同じものを食っているということに、少し気持ちが悪くなる。これが資本主義の現在なのか。
安価な商品の安定供給は幸せなのかもしれないが、この買い物に幸せを感じるということは、安っぽい価値観だと思う。
人類は生物である以上、食べられないことへの恐怖に怯えるものだ。効率的に食べられる幸せを追求し続けてきた。
特に日本人は食料を得やすい自然環境に恵まれており、その状況に感謝の意を示すことで自らの文化を育んできた。
以前書いたように、日本人の根底にあるのは「食わせてもらっている」ことへの感謝なのだ(→2012.12.28)。
でもプライヴェイトブランドが並ぶ光景は、食い物に困らない日常が当然といった雰囲気に染まっており、
感謝の気持ちが見えてこない。買ってほしいという作り手の気持ちを込めた賑やかなデザインもそこにはなく、
ただただ永遠の「ケ(褻)」が無言で棚に横たわっている。この光景が個人商店を駆逐するなんて、イヤな世の中だ。

今日は倉敷市内に入ってからずっと社会学モードになってしまっているな、と苦笑いしながら本日の宿にチェックイン。
いちばん安い宿を選んだら、なんと隣のアパートの鍵を渡された。半信半疑でドアノブに鍵を差し込み中に入ると、
そこはまさに一人暮らしの男の部屋だった。なるほど、こうしてアパートの部屋を有料で貸しているわけだ。
絨毯敷きの居間、畳敷きの寝室、洗面台と向かい合っている浴室、すべてが完全に男の一人暮らしのそれで、
旅先なのにひどく日常慣れ親しんでいる空間に放り込まれて爆笑するしかなかった。はっはっは、こりゃいいや。

 思わず記念に撮影してまわっちゃったよ。

この晩は信じられないほどゆったりとくつろぐことができた。特に何かあったわけじゃないけど楽しかったねー。
それはきっと、倉敷という遠く離れた土地に自分の空間を、自分の日常を確保できた、という感覚があったからだ。
一晩だけの倉敷市民。旅行と定住という相反するものを両立してしまった夜は、本当に贅沢な経験だったよ。


2014.7.22 (Tue.)

中国グランツーリスモ、4日目である。まるまる一週間の旅行であれば本日が折り返し点になるのだが、
なんせ今回は9日間という常軌を逸した旅程なので、まだまだ1/3が過ぎたところ。うーん、本当に贅沢である。
ただ、空間の移動ということでいえば、今日が折り返し地点となる。三次まで行って福塩線で瀬戸内海に戻る。
でも当然、ふつうに戻るはずがない。三次へ行ったらそのついでに、勢いあまって安芸高田まで行ってしまうのである。
安芸高田へは広島から可部線やバスという手が標準的だろうが、可部線は延伸する計画があるから先延ばしなのだ。

庄原焼に対する悔しい思いを抱えつつ、曲がりくねった朝の街を駅まで歩くと、芸備線の列車に乗り込む。
山間の田んぼやロードサイド店を横目に見ながら列車は西へと走る。車窓から見える景色は、見事に昨日の続きだ。
そうして塩町に到着する。昨年乗った福塩線(→2013.2.23)の終点である。福山から府中までは行くのは簡単だが、
府中から塩町までは本数が激減するのできちんと計画を立てないと大変なことになる。府中駅で呆れた記憶があるので、
「塩町ってどういうところなんだ?」という興味がものすごい勢いで湧き上がっていたのだが、単なる田舎だった。
田んぼと住宅と郵便局。でも、通学する生徒の利用が中心で昼間6時間以上運転されない、というのは極端に思う。
で、面倒くさいのだが僕の切符は途中下車し放題の片道切符なので、塩町から先は別料金を払わないといけないのだ。
三次までどうにかならんのかと思うのだが、どうにもならんのである。三次で乗り換えた際に車掌さんに料金を払う。

さて、三次から芸備線はローカル色が少しだけ薄くなる。広島に出る快速みよしライナーに乗ったからか、よけいそう感じる。
30分ほど揺られて降りたのは、向原という駅。安芸高田にはここからバスでアクセスすることになるのだ。面倒くさい。
実はこのバス路線、平日限定ということで、こういう夏休み中でないとなかなか実行できない作戦なのである。
もうちょっと余裕を持って三次をうろついてもよかったのだが、チャンスということでエイヤーとここまで来ちゃった次第。

20分待ったら駅舎の脇にあるバス停にバスがやってきた。ここで乗り込んだのは僕だけで、なんとなく恥ずかしい。
バスは30分かけて安芸高田の市街地へと走るが、途中、道路工事で片側交互通行となっており、その分だけ遅れた。
こっちとしては安芸高田市内での行動時間がそれだけ削られることになるので、しょうがないとはいえちょっと痛い。
というか、帰りの乗り継ぎが吉田口駅でバスを降りて1分後に列車に乗るという非常識にタイトなものだったのだが、
こりゃやっぱり諦めざるをえんな、と肚を決める。全体を1時間遅らせても予定がこなせることを確認して過ごす。

安芸高田の市街地に入ると同時にバスは国道54号から分岐して、いかにも昔ながらの街路へと進入していく。
予習ということで様子をうかがっていると、警察署で右折してそのまま進み、あっという間に安芸高田市役所に到着。
バスを降りるとすぐにそのまま市役所の撮影に入る。ずいぶん新しいうえに建物が複雑に重なっており、なかなか難しい。

  
L: バス停から裏にまわり込むとそっちが正面。正確には右側の茶色が安芸高田市役所(第1庁舎)である。
C: 総合文化保健福祉施設(クリスタルアージョ)の側面。  R: クリスタルアージョの正面を眺めたところ。

安芸高田市役所の本庁は、第1庁舎・第2庁舎・総合文化保健福祉施設(クリスタルアージョ)の3棟で構成される。
南側の茶色い建物が第1庁舎で、その奥の東側にくっついているのが第2庁舎。クリスタルアージョは北側を占める。
クリスタルアージョというのもよくわからないが、まあ要するに教育・福祉系の部署と図書館がセットになったものだ。
ガラス建築らしく内部にはホールがあり、各庁舎への通路にもなっているほか、イヴェントスペースもあるようだ。

  
L: 安芸高田市役所の第1庁舎。もともとは吉田町役場で、第2庁舎とクリスタルアージョ建設を機に改築したとのこと。
C: 第1挺者の東にくっついている第2庁舎を南東より撮影。  R: クリスタルアージョの側面反対側。だいぶ雰囲気が違う。

安芸高田市役所の第2庁舎とクリスタルアージョは2007年の竣工で、設計したのはNSP設計という会社。
この会社は来年度に竣工する予定の三次市役所の設計もやっているようだ。……え、三次市役所って建て替えるの?
まあとにかく、旧吉田町役場の第1庁舎を残しつつ、新しい施設を集積させて独特の空間をつくりだしているのは面白い。

  
L: クリスタルアージョさらにの北側には消防署。本当に行政施設を集積している一帯となっているのだな、と思う。
C: クリスタルアージョから入ったところ。それぞれの建物の入口が少し複雑に交差する。  R: 2階のホール部分。

安芸高田市(高田は「たかた」と濁らない)は、吉田町をはじめとする5町の合併により2004年に誕生した新しい市だ。
「高田」は陸前にも越後にも美作にも豊後にもある(そういえば殺生石は3ヶ所の高田に飛び散った →2014.7.21)。
安芸の高田はもともと郡名なので、まあ無理のない市名と言えるだろう。中心の旧吉田町は、吉田郡山城の城下町だ。
吉田郡山城といえば、あの毛利元就の居城である。毛利輝元が広島城に移るまで、毛利氏はここが本拠地だったのだ。
で、今日はその吉田郡山城にまで行ってしまおうというわけなのだ。しかし吉田郡山城はしっかりと山城なのである。
また山城チャレンジかよ、と正直がっくりなのだが、城めぐりなんて本来そんなものなのだ。覚悟するしかないのよ。

さて山城に登るのであれば、当然、背中の荷物はなんとかしなければならない。クソ重い荷物100%を背負って登れば、
間違いなく足首がぶっ壊れて旅行がただの苦行になってしまう。いつもならコインロッカーのお世話になるところだが、
さっきバスでアクセスしたとおり、安芸高田の中心部には鉄道がないので駅がなく、したがってコインロッカーもない。
一縷の望みをかけて市役所で「市役所内にコインロッカーってないですか」と尋ねたら、「ないです」とのお返事。
しかし北へ行ったところにある商業施設にはあるかもしれない、ということで、丁重にお礼を言って行ってみると、あった。
ついでに水分も安く仕入れることができたし、言うことなしである。準備を整えると、いざ出発。さらに先へと進むと右に、
安芸高田市歴史民俗博物館がある。ここが吉田郡山城へとアクセスする入口なのだ。この脇からさっそく坂がスタート。

まずは右手に少年自然の家、左手に吉田郡山城の石碑。さらに進めば比較的最近に整備されたっぽい大通院谷公園。
この公園は城本体とは特にそこまで関係が深くないようなので、さっさと先へ。すると少しくねってから毛利隆元墓所の碑。
隆元は元就の長男だが、若くして亡くなっていることもあって弟の吉川元春や小早川隆景ほどの存在感はない。
しかし彼の死後に毛利氏は内政・財務面で混乱が起きるなど、実際は目立たない部分でかなりの活躍をしていたという。
お参りをしてから先へ進むと、少し開けた場所に出た。鳥居があり、毛利元就の墓所の参道という碑が脇に立っている。
ここからしばらくは木々が茂って、墓所らしくちょっと湿った雰囲気となる。登山が本格的にスタートするというわけだ。
進んでいくと苔生した石段にまた鳥居。まずは毛利一族の墓所があり、その一段上の位置に元就の墓所がある。
この吉田郡山城はまさに毛利氏のルーツと言える場所なんだなあ、と思いつつお参り。歴史に触れる旅は楽しい。

  
L: 今からあのてっぺんまで登るのか……。そう思うとなんとも切ない気分になってしまう。登りはじめりゃ関係ないけど。
C: 毛利一族の墓所。  R: 毛利元就の墓。かつての居城で戦国の英雄が眠っていると思うとなんだかドキドキするね。

山城に挑戦する際には十分に時間的な余裕を確保するように心がけているのだが、結果としては吉田郡山城は、
わりと登りやすい山城だった。まあ確かに登山には違いないが、本丸跡までそれほど距離があるわけではなく、
気づけば勢いで登りきってしまった感触である。二の丸跡が居心地よく開けていたので、さっき買ったゼリー飲料で一服。
二の丸跡から北へ一段上がると本丸跡で、そこからもう一段上がったいちばん高いところが櫓台である。

  
L: 二の丸手前には御蔵屋敷跡。兵糧庫だったらしい。一国一城令のときに壊されたらしき石垣が今も残っている。
C: 上がって二の丸跡。開けていて居心地がいい。  R: 一段上がると本丸跡。さらに奥には櫓台があるのが見える。

吉田郡山城が面白いのは、まるで手のひらを広げたかのような形で「壇」と呼ばれる曲輪が築かれており、
それらが三の丸までの主郭部をぐるっと囲んでいることだ。それぞれの壇を追いかけて一周することができる。
言い換えると、上から見れば星の形をしたその真ん中に三の丸・二の丸・本丸が乗っかっている、ということだ。
これは尾根の要所要所に曲輪を築いた従来の山城とは違い、より建築としてのまとまりを感じさせる要素だ。
その一味違うセンスは、中国地方の覇者となった毛利氏の感性の鋭さを象徴しているように思える。

  
L: 櫓台に登ってみた。  C: 壇と壇の間を移動中。  R: 姫の丸跡。それぞれの壇はこんな感じで突き出している。

帰りは勢溜の壇を通って清(すが)神社・郡山公園方面へと出る。本来はこっちの方が早く本丸に行けるルートなのだ。
勢溜の壇は広く、先へ先へと行ってみたら吉田の街を眺められた。さらに下りていくと、きちんとした展望台が現れた。
ここから清神社まではすぐ。境内にひょこっと出てから社殿と向き合ったのだが、1694(元禄7)年築だそうで、
その堂々とした姿に圧倒された。参道にサンフレッチェ広島の紫色ののぼりが並んでいるのが印象的だった。
サンフレッチェ広島はここ安芸高田に練習場があることから、毎年必勝祈願に訪れているという。ご利益あるねー!

  
L: 勢溜の壇の先っちょ辺りから眺めた吉田の街。  C: さらに下った展望台から眺めた安芸高田市役所。
R: 清神社。スサノオがヤマタノオロチを倒した場所で、「清々しい」と言ったからこの名前になったそうな。

残った時間で、さっきバスで通った吉田の旧市街地を歩いてみた。県道29号沿いは昔ながらの雰囲気が残っていて、
中には木造の古い店舗もあった。交通の便がイマイチよくないが故の穏やかな生活感が漂っている街だった。

  
L: 吉田のメインストリートと思しき県道6号。左手の商業施設にコインロッカーがあったおかげで本当に助かった。
C: 吉田の旧市街を行く。昔ながらの商店街の雰囲気。  R: くねる道と木造の店舗が街の歴史を感じさせる。

荷物を回収すると、まだ少しだけ時間があったので、西日本ではおなじみのジョイフルで昼メシをいただく。
ランチのセットメニューだったらすぐに出てくるだろうと読んだらまさにそのとおりで、一瞬で食事を終わらせる。
でもここで栄養補給できたのは非常に大きい。おかげでこの後も思う存分に動くことができたのであった。

バスは予定より少し遅れて到着。まあさっき書いたように、1分遅れただけでも乗り継ぎはアウトである。
そしてバスは案の定、工事中の片側交互通行にしっかりと引っかかった。こちとらもう開き直っているもんね。
向原駅まで行くことはないので、吉田口駅でバスを降りる。無人駅だが駅舎の中には大きなテーブルがあって、
非常に居心地のいい空間となっていた。そうなりゃもう、日記を書くまでである。1時間、たっぷり書けたよ!
そんなこんなでやってきた芸備線に乗り込むと、三次まで戻る。まあ、日記が書けたことをポジティヴに捉えよう。

 三次駅はけっこう大規模に工事中なのであった。

さて三次駅に到着すると、さっそく街歩きをスタート。しかし三次市というのはちょっとクセのある街なのだ。
三次市役所は駅から北西に行ったところにあるが、ここを訪れればハイOKというわけにはどうもいかないのだ。
地図で学校の名前を確認してみると、三次小学校も三次中学校も、川を挟んだ対岸にある。むしろ尾関山駅に近い。
これが意味するものはひとつだ。もともと三次の旧市街は対岸で、三次駅は何らかの理由で遠めの位置になったのだ。
調べてみたら、やはりもともと「三次」は対岸の方で、駅のある側は「十日市」という名前の別の町だったのだ。
1954年に両者が合併して三次市が誕生し、それまでの備後十日市駅が現在の「三次駅」に改称されたというわけだ。
そうなるとぜひ、対岸の旧市街も歩いておきたい。今回は即興のウルトラCを思いついたので、それで解決させる。

まずは旧十日市町の雰囲気をつかんでみる。市役所を無視して駅から直進すると、丁字路でぶつかったのが旧街道だ。
試しに東へ進んでみたら、さっそく面白いものを発見した。食い違いになっているのだが、そこに木製の道標があった。
そこまで古くはないと思うのだが、「廣島へ十八里」「松江へ二十七里」「福山へ十九里」「津山へ四十四里」とある。
今回はずっと中国山地の真ん中を移動してきたが、鉄道と同様に、街道も網の目のように走っていることを実感した。
だが旧十日市町の街並みは、馬洗川に近づくともっと興味深いものになる。特に川沿いから一本入った本通り商店街は、
木造の古い店舗と1920年代モダンの店舗が並んでおり、これが非常にいい。目を引く建物の数はそれほど多くないが、
往時の活気を感じさせる要素が今でもしっかりと残っているのだ。さりげない街並みから歴史を想像してみる。

  
L: 木製の道標があった食い違い。駅から北へ進んだところにある旧十日市町の中心部は、歴史を感じさせる要素が残る。
C: 三次市役所に面している国道375号。地方都市らしくそれなりにダメージは感じるが、ぼちぼちやっている感もある。
R: 馬洗川に架かる巴橋付近には古い木造建築があった。本通り商店街は、往時の繁栄ぶりを感じさせるいい空間。

肝心の三次市役所を訪れてみたのだが、工事の真っ最中。訪れたときには詳しく知らなかったのだが、上で述べたように、
安芸高田市役所と同じくNSP設計によって新しい庁舎が建設されているのだ。1955年竣工の旧庁舎はすでに解体され、
新しい庁舎の竣工は来年2月の予定とのこと。見事にどっちつかずな状態のところを訪れてしまったではないか。
なんともがっくりである。新庁舎はいつか三江線に乗って訪問するとしましょう。うーん、悔しい。

  
L: 三次市役所は見事に建設途中なのであった。とりあえず仮庁舎となっている東館を建設中の新庁舎と撮影。
C: 東館の側面と、奥に新庁舎。  R: 建設中の新庁舎をクローズアップ。旧庁舎に会えなかったのは切ないなあ。

ではこれで旧十日市町の方はクリアということで、巴橋を渡っていよいよ旧三次町域に入るとするのだ。
巴橋はいかにも三次市のシンボルと言えそうな堂々とした姿だ。この橋が架かっているのは、上で述べたように馬洗川。
しかし地図を見てのとおり、ここでは複数の川が複雑に合流している。まず東から流れる馬洗川に北から西城川が合流。
そして巴橋を抜けると今度は馬洗川が南から流れる江の川に合流する。よって旧三次町は三方を川に囲まれるという、
非常に独特な条件を持った街となっている。まさに山と川に囲まれた中にあり、とても中国山地らしい特徴のある街だ。

巴橋を渡るとまず堤防のすぐ脇にある神社が目に入る。「住吉神社」とあり、この地における水運の重要性を感じさせる。
その横からは石畳の道が延びており、入口には案内板があって「卯達(うだつ)の似合う町」と書いてあった。
この時点ですでにふつうの街とは違う匂いが漂っている。期待に胸を膨らませて歩いていくと、左手に照林坊というお寺。
看板が出ていたのだが、読んでみたらこれがすごい。建物があらかた国登録有形文化財になっているのである。
街の入口からいきなりコレということで、旧十日市町以上のインパクトである。三次って、実はけっこうすごいんじゃないか。

  
L: 十日市と三次をつなぐ巴橋。  C: 渡ると住吉神社。辺りは小ぎれいに整備されていた。街の入口にふさわしい雰囲気。
R: 照林坊の鐘撞堂。江戸中期の築で、これがいちばんフォトジェニックかなと。最も古い山門は1665(寛文5)年築で素朴。

照林坊から先も石畳の道はずっと続いており、その両側には確かにうだつのある木造建築が並んでいる。
しかしどちらかというと新しめの感触で、実際に古い建物だとしてもリニューアルがかなり積極的に施されている。
とはいえ、外見はしっかり木造なのだが中身はレコード屋というオシャレなことをやっている店があるなど、
街の雰囲気は悪くない。むしろ、住宅と店舗が自然に入り混じりながら、しっかりと生きている呼吸を感じさせる。
途中には三次市歴史民俗資料館。1階は辻村寿三郎人形館となっており、2階で『稲生物怪録』を展示している。
建物も1927年にに三次銀行本店として建てられた由緒あるもので、それはもうめちゃくちゃ興味があったのだが、
祝日の翌日なので残念ながら閉館していた。安芸高田では平日なのが幸いしたのだが、なかなかうまくいかないねえ。
さらに進むと交差点。いかにも旧市街の中心地という雰囲気だが、石畳の道はまだまだ続く。長いなあ、と感心しきり。

  
L: 三次市歴史民俗資料館。中を見学できなかったのは非常に残念である。  C: 木造建築な店舗だけど中身はVANの店。
R: その向かいにはモダンスタイルと和風を高度に折衷した造り酒屋が。正直、三次という街の底力に鳥肌が立った。

僕がさらっと下調べした限りでは、三次はその街並みが特にそこまで有名というわけではなかったように思う。
しかし実際に訪れてみたら、伝統的な要素をしっかりと受け継ぎつつも、さらにそれを自由闊達に活用してしまう、
そんな進取の気質とでも言えばいいのか、どこかほかの街とは違うポジティヴさをこの空間からは大いに感じるのだ。
この都市空間はどうやら初代の三次藩主である浅野長治の影響が大きいようで、三方の川を堀に見立てた長治は、
武家地と町人地を同じ城郭の中に入れてしまうという発想で城下町を建設したという。そのせいか、どうも独特だ。
なお、三次のこの街並みには「いにしえの里 三次物怪・でこ街道」という名前が付けられているようだ。

  
L: 奥へ奥へと進んでいくと、このように昔ながらのリアリティで建っている家も多くなってくる。店舗もある。
C: 石畳の道はいったん胡子神社で行き止まりとなるが、その左手からまた道が始まるのであった。すごく長いよ!
R: 山門がちょっと面白いなと思って撮った専法寺。まさかここがプロ野球選手の実家とは……。旅先の偶然ってすごい。

石畳の道は胡子神社(えびす様)でいったん行き止まりとなる。これは同じ広島県は竹原に似ている(→2013.2.23)。
しかし左にずれると石畳の道はさらに北へと延びていく。郵便局の前には食い違いもあり、実に盛りだくさんだった。
ちなみにこの近辺には「三次町英心会」という組織による、広島カープの梵英心を応援するメッセージが出ていた。
梵ってここの出身なのか、とびっくり。後でWikipediaで見たらなんと、胡子神社のすぐ裏にある専法寺が実家だった。
なかなか歴史を感じさせる山門じゃないかと思って気軽に撮ったのだが、まさかその寺がプロ野球選手の実家とは……。
ちなみに同じく広島の永川も三次市出身で、梵とは同級生。三次町英心会では梵とともに永川も応援していたよ。
ここって広島ファンにとってはすげー聖地だったのね。いやー、知らなかったわ。どうよ、みやもり。

  
L: 進んでいくとさらに食い違い。三次の街並みは歴史と現在がほかにはない交差をみせる、非常に面白い場所だった。
C: 太歳神社の境内と、木々に包まれた中にある拝殿。  R: 本殿。やはりどこか異質な感触のある空間だった。

石畳の通りを最後まで抜けると、そこは太歳(ださい)神社。ひときわ存在感のある比熊山の麓に鎮座しており、
この比熊山で肝試しをした稲生平太郎が体験した怪異録が『稲生物怪録』ということで、どこか湿り気というか、
生い茂る緑とともにぐっと迫ってくるものを感じるような。まあ僕は霊感ゼロなので、気のせいだと思っておこう。

比熊山沿いに南下して国道375号を行く。旧三次町のメインストリートで、そこそこの交通量がある。
しばらく進むと1973年竣工の三次市文化会館。しかし今年の11月に三次市民ホールが竣工する予定で、
こちらはもう利用されなくなるそうだ。駅といい市役所といい、三次の街はだいぶ新陳代謝が激しいようである。
そこから少し南下して西へ行くと、尾関山公園にぶつかる。ここが三次城址ということで、てっぺんまで行ってみる。
途中には整備された日本庭園があるなど、城跡らしさを感じさせる要素はある。しかし頂上付近は木々がわりと元気で、
あまり開けた空間ではなかった。展望台から三次の旧市街を眺めるが、街並みはあってもランドマークに欠けるので、
特にこれといって惹かれはしなかった。なんとなく比熊山を薄めたような湿り気を感じたのは、やはり気のせいか。

  
L: 三次市文化会館。市役所は取り壊された後だったが、こちらは間に合った。記念ということで貼り付けておこう。
C: 尾関山公園。関ヶ原の合戦後に福島正則の家来である尾関さんが城主に入ったことでその名がついた。
R: 頂上にある展望台から街を眺める。かつては三次藩主・浅野長治によってここに天文台が設けられていたそうだ。

その後はいちおう、頼杏坪(頼山陽の叔父)の三次町奉行時代の役宅である運甓居にも寄ってみた。
しかし特にこれといったことのない武家屋敷で、敷地に余裕もなくてフォトジェニックではなかったので、
さらっと見る程度で済ませてしまった。三次は東側の旧町人地の街並みが非常に充実していたのに対し、
真ん中と西側の旧武家地がすっかり宅地化していて往時の面影があまり感じられない。しょうがないんだけど。
尾関山駅へと向かう道・尾関山通りは異様に広く、なぜそうなっているのか理由がわからないのが切ない。
もう少し旧武家地にも昔ながらの要素が残っていれば、この道の広さから歴史を読んでいくことができそうなのに。

さて、三次をたっぷり街歩きするための「ウルトラC」とは、この尾関山駅から三江線で三次駅に戻るというアイデアだ。
無人駅の駅舎を抜けてホームで列車を待つが、誰ひとりほかに駅を訪れる気配がない。さすがは三江線である。
ホームでのんびりと尾関山を眺めていると、遠くに列車が線路を走る音が聞こえてきて、江の川を渡る姿が見えた。
しかし次の瞬間にはパッと消えて静かになる。「あれ?」と思っていると、列車は尾関山の麓からいきなり姿を現した。
尾関山の下をトンネルで抜けてきたわけだ。江津(→2013.8.17)からはるばるやってきたと思うと感慨深いぜ。
それで意気揚々と乗り込んだら、運転士と線路の様子を見ているらしい整備士っぽい人が2人いるだけで、乗客はゼロ。
いくらなんでも、いくら三江線とはいっても、これはヤバくないか!?と思わずにはいられない。うーん、がんばれよ。

  
L: 尾関山通で尾関山駅へと向かう。ここだけ急にやたらと幅が広くて、戸惑いながら歩くのであった。
C: 尾関山駅のホームから眺める尾関山。  R: 三江線で馬洗川を渡るの図。なんかちょっと貧弱で怖い感じ。

三次駅に着くと、改札で尾関山−塩町間の料金を支払って切符を受け取る。途中の駅で切符を買うのは変な感覚だ。
いや、それにしても歩き疲れた。ジュースを買うと、府中行きの列車に乗り込んで一服。発車前に飲み干してしまった。
この疲れは、三次が地味ながらも確かに面白い街だったせいだ。それは心地よい疲れでもある。旅の醍醐味ってやつだ。

三次駅を出ると、次は八次駅。でも読みは「やつぎ」だ。乗客は高校生を中心にしつつも幅広い年齢層が集まっており、
まずまず利用されている。上で述べたように府中以北の福塩線はローカル色が非常に強いので、これは正直意外だった。
まあそう思ってしまったのも、きっとさっき乗客が自分ひとりだけの三江線に乗ったせいだろう。三江線はがんばれよ。

塩町から先は、なるほど確かにどんどん山の中へと入っていく。のんびり揺られて府中にだんだん近づいていくのだが、
中畑駅の手前の辺りからはじまる車窓の風景に驚いた。線路とは芦田川を挟んだ対岸に集落があるのだが、
とんでもなく急な山の斜面に家々が折り重なるように貼り付いていて、非常に独特な景観となっていたのだ。
乗客がそれなりにいたので撮影できずに口を開けて眺めていたのだが、日本にはいろんな場所があるなあと驚いた。

府中からは電化されており、別の列車に強制乗り換え。それにともない、列車の雰囲気も大都市近郊らしく変わる。
もし時間に余裕があったら吉備津神社(→2013.2.23)を再訪問するのもいいなあ、なんてうっすら思っていたのだが、
さすがに暗くなりすぎてしまって、素直に終点の福山まで揺られる。中国山地の中から福山に出ると本当に大都会で、
なんだかクラクラしてしまう。思えば姫路を出て以来の山陽本線である。おとといのことが遠い昔に思えてしまうではないか。

本日の宿は福山で押さえてあるのだが、いったん改札を抜けて切符を買って、山陽本線に乗り込む。うーん、面倒くさい。
目指すは3駅東の笠岡駅である。本日の晩メシとして、笠岡ラーメンをわざわざいただこうというわけなのだ。
第1希望の店はなぜか営業しておらず、第2希望の店へ。駅前の和風な居酒屋なのだが、笠岡ラーメンが食えるという。
中に入っておそるおそる注文したら、そういう客も珍しくはないようで、すんなり出てきた。いやー、よかったよかった。

 笠岡ラーメン、もちろん大盛。かしわ肉の歯ごたえがすげえ。

笠岡ラーメンの特徴はとにかく鶏づくしということで、鶏ガラ醤油味のスープにチャーシューではなくかしわ肉、
という組み合わせになっている。かしわ肉とは卵を産まなくなった鶏の肉で、非常に歯ごたえがある。
主食にもなるけど、飲んだ後の一杯として最高ですなこれは、と思いつつたいへんおいしくいただいた。
いやー、わざわざ福山からちょっと足を足を延ばしただけのことはあったね。旅行を満喫しておりますです。


2014.7.21 (Mon.)

中国グランツーリスモ3日目は、ひたすら根気よく西を目指す旅である。そう、根気よくチマチマと進むのだ。
なんせ相手は姫新線、さらに芸備線(一部は伯備線)。どちらも本数が本当に少ないところを行こうというのだ。
ふつうなら絶対にやろうなんて思わない旅程だが、なんせ9連チャンの旅なので、やらずにはいられないのである。
というわけで、本日訪れる場所はどこもまったく初めてになるので、非常にワクワクしている。

前日にスーパーで買っておいた食料とともに6時11分発の姫新線に乗り込むと、しっかり食べて7時前に下車。
まずは久世(くせ)という駅で降りる。ここでは旧遷喬尋常小学校校舎と真庭市役所という2つの建物を見るのだ。
駅から南へ進むと、すぐに国道181号に出る。これを延々と東へ歩いていく。緩やかなスラロームの道はまさに街道。
ここはかつては久世町として独立していたが、2005年に周辺自治体と合併して真庭市の一部となっている。
トボトボと歩くこと10分ほどで、左手に一目でわかる立派な建物が現れた。なるほど、これが旧遷喬尋常小学校か。
その手前には広大なグラウンドがあり、学校としての特徴を今でもしっかりと残している。まあこのグラウンドのおかげで、
威風堂々たる校舎をしっかりと眺めることができるわけだ。校舎を誇るためにはこれだけの空間的余裕が必要なのだ。

  
L: 旧遷喬尋常小学校。1907(明治40)年に当時の久世町予算の3倍近い費用で建てられた。重要文化財に指定されている。
C: 真ん中部分をクローズアップ。「久世」を高瀬舟の形に図案化した校章は、設計者でもある江川三郎八がデザインした。
R: 背面。ちなみに「遷喬」とは『詩経』の一節から採っている。昔の人は今と違って教養を大切にしていたなあと思う。

さすがに朝早すぎて、残念ながら中に入ることはできなかった。しかし歩きまわってあらゆる角度から校舎を眺められたので、
それはそれで満足である。ちなみに現在、この旧遷喬尋常小学校は久世エスパスランドの一施設として活用されている。
情報・文化・交流を合言葉に設立された久世エスパスランドは、「E:SPACE=いいスペース」ということで名付けられた。
『詩経』を参考にした明治時代とはだいぶ異なる感覚だな。恥ずかしくないのかな。日本人は確実にバカになっているよね。

 久世エスパスランドの中心施設・エスパスセンター。

そこからもうちょっと東へ進んでいくと、真庭市役所。ずいぶんとできたてホヤホヤな印象の建物である。
それもそのはず、2011年の竣工だ。設計は東畑建築事務所。カーヴしている真庭産ヒノキの滞留スペースが目立つが、
その後ろの庁舎はいかにも平成オフィス建築らしい「軽さ」を感じさせる。まあ、エコってことは軽いってことだからね。
この建物最大の特徴は、化石燃料を一切使用しない空調とのこと。真庭産のチップやペレットを燃やしているそうで。

  
L: 真庭市役所。  C: 角度を変えて眺める。ヒノキのカーヴが目立っているけど、それ以外はふつうに最近のオフィス。
R: 本庁舎の隣にある、チップやペレットを燃やすボイラーの入った棟。窓ガラスにイラストがあるけど何がなんだか。

裏側にまわると駐車場前のロータリー部分に太陽発電のパネルが置いてあった。実にエコにご執心である。
旧遷喬尋常小学校にエスパスセンターに真庭市役所と、久世には時代の感覚を象徴する建物が集まっていて、
それはそれで興味深いのは確かである。建築から社会を読むにはもってこいの場所なのかもしれないな、と思う。

 真庭市役所の背面。

帰りは国道181号を戻ってもつまらないので、一本南にある道を歩いてみた。そしたらこっちは、道はまっすぐだが、
しっかりと古い建物が残っていて驚いた。伝統的な街並みと言えるほどの数ではないが、旧街道の雰囲気はする。
川を渡るとそのままアーケードの商店街となる。小ぢんまりとしながらもきれいな看板がそれなりにあって、
ぼちぼちやっている模様。駅へ出る途中には久世代官所の跡があった。昔からぼちぼちやっていたんだな、という感触。

  
L: 久世に残る昔ながらの建物。  C: アーケードの商店街は、看板の様子を見るに、ぼちぼちやっている感触。
R: 現在は重願寺の山門となっている久世代官所(久世陣屋)の門。隣には代官として善政を敷いた早川正紀の像がある。

1時間の滞在ながら、久世ではけっこういろいろ見ることができたように思う。満足して列車に乗り込むと、
隣の中国勝山駅が終点なので降りる。ここはもっと見どころがいっぱいなのである。気合を入れて改札を抜ける。
なぜ「美作」じゃなくて「中国」勝山なんだろう、と思いながら駅前に出ると、まず「檜舞台」の文字に目を奪われる。
駅から町並み保存地区までを結ぶ商店街に、地元産の木材を使ったアーケードを載せているわけだ。すごいインパクト。
どうやら1996年にこのような姿になったようだが、ちょこちょこと劣化しつつある部分が見えなくもない。
個人的にはこの工夫は好きな方なのだが、維持管理が大変そうである。なんとかならんもんかなあと思いつつ歩く。

檜舞台のアーケードが終わると、左にマッシヴな勝山文化センター。町並み保存地区はその反対側、右を進んだところ。
最初のうちは商店が点在するだけでぜんぜん伝統的な雰囲気はなかったのだが、奥へ入っていくにつれ、それっぽくなる。
そしてまた、距離が長いのだ。川に沿ってゆるゆるとくねりながら、昔ながらの街並みがずーっと続いていくのである。

  
L: 中国勝山駅。調べたら、発音しづらいので「美作勝山」も「岡山勝山」もダメで、「中国勝山」に落ち着いたそうだ。
C: 檜舞台(ウッドストリート)を行く。悪くはないと思うのだが、奥の街並みとの連携はあまりとれていない。難しい。
R: 旭川に沿って延びる勝山の街並み。あんまり観光客向けにガツガツした感じはない。まあアクセスしづらいもんな。

勝山の街並みはランドマークに欠けるので、同じような印象でダラダラと木造建築が続いていくことになる。
まあその同じような印象をダラダラと続けられるということは、偉大なことにほかならないのだが。
後でチェックするが、山の中にある勝山にこのようなすばらしい街並みをもたらしたのは、旭川の水運である。
旭川を行き来する高瀬舟がこれだけの長い街並みをつくりあげたのだと思うと、感嘆の声を漏らさずにいられない。

  
L: 木造建築群の中で異彩を放つ勝山郷土資料館。正直、町並み保存地区の中でランドマークと呼べるのはこれくらい。
C: 延々と続く街並み。逆を言うと、これだけの長い街並みを成立させた高瀬舟による水運はとんでもないということ。

R: 勝山の街並みの中で特徴的なのは、それぞれの家に掛かっている暖簾の存在である。これが街をカラフルに彩る。

建築物としてのランドマークとはつまり、周囲と比べて異質だからこそ目印になりうるということである。
だから勝山の街並みがランドマークに欠けるということは、街並みに見事な統一感があるということを意味する。
その統一感をもたらす要因、しかしまたその一方でひとつひとつの建物に個性を持たせる要因となっているのが、
「暖簾」である。よく見ると、実は勝山の街並みの中には現代風の建物もそれなりの割合で混じっているのだ。
しかし、どの家にも暖簾が掛かっているので、街並みが全体として違和感なく統一されているように見えるのである。
もともとは1軒の家が何の気なしに始めたことらしいのだが、それが「いいじゃん」とだんだん広まっていって、
気がつけばみんなやるようになっていた、という経緯があるようだ。押しつけでないところがまたすごい。
暖簾はそれぞれに個性があり、家紋もあれば、扱う商品を直接描いたものもある。自由闊達なデザインが踊っている。

  
L,C: 伝統的な木造建築に暖簾もいいが、ごくふつうの商店に商品の暖簾というのも面白い。これだけで統一感が出る。
R: 奥には造り酒屋があり、かなり迫力のある建物が残る一角となっている。この土蔵の窓に施された鏝絵がまたすごい。

さて、勝山の街並みに掛かる数ある暖簾の中で、僕がMVN(Most Valuable Noren)に選んだのは、こちらでございます。

 真庭市役所勝山支局の手前にあったタバコ屋です。

いやまさか、レイモンド=ローウィによるデザインをここまで有効に活用することができるとは! かっこいい!
タバコ屋にしかできないことを、見事にやってのけているという点で文句なしにぶっちぎりでMVNです。美しい。

そんなこんなで気がつけば、町並み保存地区の終点である真庭市役所勝山支局に到着。実に奥まった位置にあるが、
この裏には勝山城(高田城)三の丸跡が整備・保存されている。つまりこここそ、かつて勝山の中心部だった場所なのだ。
2005年に真庭市が誕生してからさっきの久世の新庁舎ができるまでは、この旧勝山町役場が真庭市役所だった。

  
L: 真庭市役所勝山支局(前・真庭市役所)。1980年の竣工。  C: 角度を変えて眺める。山の緑と好対照の色だな。
R: 勝山城(高田城)三の丸遺跡。三浦半島から来た鎌倉御家人・三浦氏が築いたが、毛利・宇喜多連合軍に攻められて滅亡。

ここ勝山はかつては高田という名前で、室町時代には三浦氏によって治められていた。しかし戦国時代に入って以降は、
尼子に毛利に三村にとあちこちから攻められて(美作全体が安定しなかった)、秀吉の統一後は宇喜多秀家が領有。
後に森忠政の津山藩の一部となる。最終的にはやはり三浦半島の鎌倉御家人を祖とする譜代大名・三浦明次が入り、
明次が高田を勝山に改めて、美作勝山藩が成立した。なお、『あまちゃん』に登場する谷中寮こと大名時計博物館は、
この美作勝山藩の下屋敷だった(→2014.3.16)。また、政治家の鳩山家はもともとこの美作勝山藩の江戸留守居役。

では旭川沿いの街並みから、高台の武家地に上がってみよう。はっきりと高さには差があって、石段を上ってまずは寺町。
勝山城があった山の南側にはもうひとつ山があるのだが、その麓のところに複数の寺と神社がきれいに並んでいる。
いちばん西にあるのが安養寺だが、境内の祠を見て驚いた。祠の床下のスペースに犬がいたのだ。「銀」という名前らしい。
銀は興味なさそうに僕のことを一瞥するが、そのままふてぶてしい態度を崩すことなく寝転がっていた。面白いやつだ。

  
L: なかなか立派な安養寺の山門。三浦家の菩提寺で、民主党立ち上げの際に鳩山兄弟が突如ここに来たそうな。
C: 境内の祠。お寺なのだが。  R: その下ではふてぶてしい態度で犬が寝ていた。祠で犬を飼うとはびっくり。

勝山の街並みも見事だったが、こちらの寺町も立派な建築がいっぱいある。妙円寺の本堂は珍しい重層で、
1745(延亨2)年の築。建物じたいもいいのだが、特に施されている彫刻の見応えがある。見とれてしまうぜ。
その隣、玉雲宮(たまもりぐう)もすばらしい。そしてこの玉雲宮と神仏習合の関係にあったらしいのが、
やはり隣の化生寺(かせいじ)。こちらの建物はふつうだが、境内に殺生石を埋めて祀っている。
(殺生石となった九尾の狐は「玉藻前」という名の美女に化けており、それで「玉」雲宮なのかね。)

  
L: 妙円寺本堂。勝山の寺町ではいちばん目立つ建築物かもしれない。ちなみにこの手前は一面の墓石となっております。
C: 玉雲宮。石州瓦なのか、茶色の屋根と古びていい色合いになった木造の社殿、そして緑の色のバランスがまた美しい。
R: 化生寺の境内には殺生石が祀られている。玄翁和尚が割った殺生石は3ヶ所の高田(美作・越後・安芸)に飛んだという。

これらの寺社が高台にあって、そこから下っていった勝山高校の裏手に位置しているのが、高田神社。
もともとは熊野大社からの勧請だそうだが、明治に神仏分離した際、昔の地名を冠して現在の名前になったとのこと。
今も残っている本殿は1671(寛文11)年の再建。見事な中山造である。勝山は寺社建築もしっかり充実している。

  
L: 高台から下りたところにある高田神社は、このように木々に包まれている。  C: 石段を上りきると拝殿。
R: 本殿。勝山藩ができる前から建っていたわけだから、なるほど「高田」神社なのも納得がいく。しかし見事だ。

再び高台に戻って、武家地を南下してみる。旭川沿いの昔ながらの街並みはかなり長かったが、武家地はコンパクト。
さっき中国勝山駅前から檜舞台を歩いたが、駅前の交差点から広い坂道をそのまま上っていくと、武家地に出るのだ。
ここには現在、裁判所や県の出先機関が置かれているが、つまりはもともと格式の高い場所だったということだ。
さてこの東側の一角に、今も武家屋敷の街割りを残した部分がある。ちょっとお邪魔してみることにする。

  
L: 駅前からまっすぐ延びる広い道。この辺りの高台がもともと武家地だった場所だ。このまま進むと寺町にぶつかる。
C: 美作勝山藩の侍屋敷跡。区画は整然と分けられているが、路地は細くて確かにちょっと迷路のような雰囲気も。
R: 実際に内部を歩いてみる。生垣によってそれぞれの屋敷が仕切られている空間構成は、今もそのままだ。

中央の広い道から勝山高校を見下ろす崖までは住宅地で、今も武家屋敷の頃と変わらない空間構成となっている。
その反対の西側、旭川沿いの街並みとの間では、上級武士だった渡辺家の住宅が武家屋敷として公開されている。

  
L: 「武家屋敷館」こと旧渡辺家住宅。まずは長屋門。  C: 家老に次ぐ家柄だそうで、玄関からして立派である。
R: 客間。これは居心地が良さそうだ。主屋には12もの部屋があり、それだけ格式の高さがうかがえる。

1764(明和元)年に美作勝山藩が成立した頃に建てられたらしいが、長屋門にはじまり主屋、そして土蔵まで残っており、
非常に貴重な事例である。それでもかつては今の倍も敷地があったというからすごい。160石はダテじゃないですなあ。

 
L: 庭の土蔵から主屋を眺める。  R: 振り返って土蔵。土蔵の中にも展示品があるよ。

最後にもう一度旭川沿いに下りて、勝山に富をもたらしていた高瀬舟の発着場所を訪ねる。
なんでも完全な形で残っているのは岡山県では唯一とのこと。勝山の街並みは旭川に沿って細長く延びているが、
高瀬舟の発着所はその街並みの裏側に貼り付くようにして旭川に面している。石段と石垣が見事な姿を見せる。

  
L: 旭川に下りて探索。中橋周辺の左岸に高瀬舟の発着所跡はある。  C: 石積みの感触はこんな感じである。
R: 中橋から見下ろしてみた。なるほど、これを見れば旭川沿いに街並みが形成されたのが大いに納得できる。

姫新線の本数が少ないおかげで勝山をじっくりと歩きまわることができた。さらに西へと進んでいって、終点の新見へ。
当然、次の目的地はここである。が、やっぱり列車のダイヤの都合で新見の滞在時間は約75分。これは短すぎる。
しかし備後落合行きの列車はもう、涙がちょちょぎれるほどに少ないのである。嘆いている暇なんてないのだ。

新見駅を降りてまず最初にやることは、レンタサイクルを借りることだ。観光案内所に飛び込んだら、なんと意外なことに、
すぐ裏にある電器店で貸してくれるとのこと。行ってみたら店舗の方は休業日だったが、確かに自転車を貸してくれた。
こういうパターンは初めてである。驚きつつもペダルを踏み込み、まずは新見市役所を目指すことにする。
新見市役所は非常に面倒くさい場所にある。駅から市役所までは高梁川に沿って約2km。単純に往復だけで1時間だ。
しかし新見には「御殿町」という街並みがあるので、そこにもある程度時間をかけたい。それで自転車が必要になるのだ。
とりあえず様子を探りながら国道180号を突っ走るが、姫新線の線路が横たわる。車道は陸橋で越えられるからいいが、
自転車だと迂回を強いられる。しょうがないので北からまわり込んで国道に戻るが、ここからいきなり上り坂になる。
しかも坂を越えたところで南へとカーヴが始まるので、3次元的にくねっている。それで方向感覚が狂ってしまった。
まあ素直に国道を走っていけば、新見市役所には到着できるのだ。往路についてはそんなに問題なくクリアできた。

  
L: 新見市役所に到着。1962年竣工とけっこう古いが、そのわりにはきれいにしている印象。時期のわりには大きいかな。
C: 正面より撮影。いかにも昭和コンクリ庁舎である。  R: 角度を変えて正面を眺める。うーん、The 庁舎って感じ。

敷地をぐるっと一周して撮影してまわるが、新見市役所はけっこう撮りづらい。正面からだと木々が遮ってくるし、
裏手は余裕がなくてきちんと撮れない。形としては正統派というか、いかにも昭和30年代のデザインとなっている。

 
L: 側面。何やら工事中のようで。  R: 余裕がないけどいちおう背面も撮影してみた。

新見市役所のすぐ向かい、南側には何やら新しい公共施設があった。当然、気になったのでそっちにも行ってみる。
「まなび広場にいみ」という名前で、生涯学習センターに大小ホールの文化交流館をくっつけた複合施設だった。
日建設計の設計で1999年に竣工している。中に入れる感じじゃなかったので、感想はなんとも。

  
L: まなび広場にいみ、市役所側(北側)から見たところ。  C: 階段を上るとこんな感じの通路になっている。
R: 通路を抜けて階段を下りて振り返って撮影(南側)。あんまり有効活用されている印象がなかったんですが。

復路は国道180号ではなく、その一本西にある道を行く。理由は簡単、こっちの方から街道っぽい匂いがしたからだ。
毎度おなじみテキトーな下調べの結果、こっちの道に沿って「御殿町」があるんじゃねえの?と思い込んで走る。
そしたらしばらくしてなかなか見事な木造建築が現れた。茶色い瓦は石州瓦か。そういえば美作も西へ行くにしたがって、
茶色い瓦の比率がどんどん高くなってきている。つまりはそれだけ、石見に近づいているということなのだろう。
車窓の風景でそれは明らかにわかることだ。少々意外な形で、でも確かに、中国山地と山陰のつながり方を実感した。

  
L: 国道180号から高梁川側に入った道を行く。道は街道らしさの雰囲気をかすかに残しており、見事な建物も点在。
C: 呉服商だった太池邸。新見の中ではかなりの存在感をみせる。  R: 太池邸の裏側には蔵造りの建物が連続している。

新見の御殿町について、あらかじめもうちょっときちんと下調べをしておくべきだった。75分間という焦りもあり、
中心となる場所がどこなのかよくわからないままで、直感だけを頼りにウロウロする破目になってしまった。
もっとも、新見の旧市街は古い建物が点在しているものの、明らかにその密度は低い。連続していないのでわかりづらい。
そうしてウロウロしているうちに、無理やり和風テイストにまとめた公共施設をいくつか見かけた。やめときゃいいのに。

  
L: 何かと思ったら公衆電話。このセンスには度肝を抜かれたぜ。  C: 新見市立図書館。これは……アホちゃうか。
R: 御殿町センター。御殿町づくり事業のシンボル的施設だそうだが、こいつ自体がぶち壊しているんではないかい?

結論としては、御殿町の中心的存在はどうやら「三味線横丁」と呼ばれる料亭建築が並ぶ一角のようだ。
ところがメインストリートから一本はずれた位置なので、すっかり焦っていた僕はその事実に気づかなかったんですなー。
完全にスルーしてしまった。あんまり悔しい気がしないのは、新見の街並み自体にそこまで魅力を感じなかったからか。
古い建物は確かにあることはあるが、現状を見るに、この街がそれらを積極的に残そうとしてきた努力は感じられない。
それどころか、和風テイストを混ぜた変な施設を堂々とつくっているわけだ。そんな街が「御殿町」を売り出しても、
説得力がまるでないのである。とにかく、現地をウロウロしてみた僕は、期待はずれで失望する気持ちが強かった。

  
L: メインストリートの食い違いに位置している田原屋。これは見事。  C: 商店街となっているメインストリートを行く。
R: さらに進んでいくと商店街は大きくカーヴする。でもこいつが道に迷う原因になったのだ。いやー、やられた。

新見市役所は高梁川沿いにあり、御殿町もこの川に沿って延びている。しかし駅へ戻る途中には熊谷川が横たわり、
これが高梁川とだいたいT字状に合流している。商店街はこの合流地点を隠しながら90°の弧を描いて延びているため、
ボーッとしていると高梁川に沿っているつもりがいつのまにか熊谷川に沿って北上していた、ということになるのだ。
というわけで姫新線に並走して県道32号をひた走りかける。とにかく今回は時間がないので、このロスにはけっこう焦った。
それで慌てて引き返したが、次の目的地である城山公園へ行くには国道180号を東に戻って坂を上がらないといけない。
さっきの御殿町が消化不良に終わったこともあって、もう本当に泣きたい気分だった。さらに泣きっ面に蜂ということで、
せっかく駆け上がった城山公園はまったく大したことがなかった。実は、城の遺構は道を挟んだ小学校と高校にあったのだ。
結局、焦るといろいろ見逃してしまうのである。余裕のない旅ってのはやっぱりダメだなあ、とあらためて思う。

  
L: お茶屋橋東の丁字路。ここを左に行けば素直に駅に戻れたのだが。見事な酒屋の余韻に浸っていたら道を間違えた。
C: 息を切らせて城山公園のてっぺんに到着。でも特に何もない……。  R: いちおう、城山公園から御殿町方面を眺める。

あとはもう、力の限りペダルをこいで駅まで戻るだけである。しかし自転車なので国道180号の陸橋を直接渡れず、
やっぱり迂回。これで熊谷川と姫新線を越えるのはわかりづらいし面倒くさいしで、本当に手間がかかった。
まあそれでも国道180号をぶっ飛ばしたら、途中のスーパーのパン屋で昼メシを買い込む時間はつくることができたけど。

13時ちょうどに列車は新見駅を出発。車内でパンをかじりつつ車窓の風景を眺めて過ごす。いやー疲れた。
列車はだいたい1時間半で備後落合まで行くが、中国山地の路線はわりと複雑で、厳密には備中神代までが伯備線、
備中神代から西が芸備線になるのである。まあ、超ローカルであることに違いはない。ローカルすぎて乗客はそこそこいる。

広島県に入って最初の駅が、東城。駅の規模もローカルなわりには少し立派で、意外と客が乗ってきた。びっくりした。
列車はそこから山の中を縫うようにゆったりと遠回りして抜けていき、気がついたら木次線と合流する備後落合に到着。
この備後落合まで来る列車が本当に少なくて苦労させられたのである。鉄っちゃんの皆さんとウロウロ歩きまわってみるが、
笑えてくるほど鉄道以外の要素が何もない駅で、でも山陰との結節点なので人は多く、ホームも3つあって要衝らしい。
矢岳駅(→2011.8.9)に雰囲気が似ていて、鉄道のテーマパーク的な感触になってしまっている。うーん、夏休みだわ。

備後落合駅からトンネル地帯を抜けると、山沿いに田んぼが延びる人里の景色となる。途中には備後西城駅があり、
芸備線には東城と西城があるのか、なんて面白がっていたら「高(たか)」という珍しい名前の駅もあった。
そういえば呉線には「広」もあって、高かったり広かったり、広島県もなかなか面白い要素を持っているもんだ、と思う。
そんでもって昔、広島カープには「高(こう)」とか「音(おと)」とか特徴的な名字の選手がいたなあと思い出したり。
(後で調べたら、東城と西城は戦国時代の領主・宮氏が東と西にそれぞれ城を築いてそう呼んでいたのが由来だと。)

 
L: 備後落合駅にて。交通の要衝かつ秘境駅の要素満載という、なかなかアンビヴァレントな駅である。
R: ようやくたどり着いた備後庄原駅。庄原市の代表駅だが、駅の周辺は市とは思えない小規模な感触。

高の次が、本日最後の目的地である備後庄原だ。すでに時刻は15時半近く。あちこちを撮影するにはちとつらいが、
悪いのはぜんぶ新見−備後落合間の鉄道事情のせいなのだ。市役所を中心に、できる範囲で撮影していくことにする。

備後庄原駅を出発すると、まず上り坂、そしてカーヴである。そういう要素で空間をすっきりと見通せないこともあるが、
どうも庄原市は思っていたよりもずっと田舎のようだ。とにかく道は平然と曲がりくねっており、起伏もかなり残っている。
商店街も迷路のような道路のあちこちに、小規模なものが点在して散らばっている。まあきっと、昔からこうなんだろう。

駅からそのまま坂道を上っていくと、真新しい建物が目に入る。2009年に竣工したという庄原市役所である。
設計は佐藤総合計画関西事務所で、プロポーザルにより設計者は決められている。まあ、最近よく見かけるパターンだ。

  
L: 庄原市役所。エントランス手前にちょろっとオープンスペース、そことガラスを挟んでロビー。
C: 反対側、県道231号から眺めたところ。  R: 駅からアプローチするとこの面が現れる。ロビーが手前ね。

祝日だったが運よく中に入ることができたので、少し休憩。いいかげんのどが乾いていたので自販機でジュースをいただく。
中では職員の方が何やら展示の作業中。市役所のロビーを開放して展示スペースにするのも、よくあるパターンである。

 ロビーの内部は何やら展示の準備中なのであった。

これで最低限のタスクは果たしたぜ、ということで、あとは気ままに庄原市内をうろついてみることにした。
正直なところ、庄原市の中心部にはこれといった観光名所があるわけではない。東の東城には帝釈峡があり、
がんばって少し西へ行けば国営備北丘陵公園がある。しかしどちらも今回は行くのは不可能なので、諦めるしかない。
夕方になるまで市街地をプラプラして雰囲気をつかめばそれでいいや、と割り切って歩くのであった。

庄原の中心部には主要な施設を矢印で示す案内板があちこちに立っているので、それを参考にして動いてみる。
市役所から東西方向のメインストリートに出ようとしたら、手形が壁に貼り付いている通路を発見。
国営備北丘陵公園に公演に来たミュージシャンのものだそうだ。住宅に囲まれているその奥には小さい公園があり、
向かいに木造二階建てがある。三軒茶屋というようだ。悪くないと思うのだが、庄原市の市街地じたいが入り組んでおり、
それがどこか「閉じている」印象へとつながっているところがある。そのせいか賑わいはまったく感じさせない。
メインストリートに出ると楽笑座という施設が気になったので西へ進んでみる。そしたら案内板には盛んに登場したくせに、
楽笑座は祝日にもかかわらず閉まっていた。後で調べたら、店が撤退した関係で4月から基本的に休業中の模様。
歩いていてもあんまりひと気がないし、やっぱり庄原市じたいが賑わいに欠けているのだ。そう思えてしまったのだが。

  
L: まちなか広場の三軒茶屋。庄原市が賑わいを創出するために整備した。1階がレストランで2階が展示スペース。
C: 楽笑座。江戸時代に建てられたという酒蔵を庄原市が多目的スペースに改修したもの。なんとももったいない。
R: 庄原市立中央公民館・庄原市民会館。1977年の竣工で設計は大旗連合建築設計。モダニズムなホールである。

西へ東へ、最後は庄原上野公園へ行ってみた。中心市街地の端っこに位置しており、規模はけっこう大きそうだ。
何かあるかも、と漠然とした期待をしながら坂を上ると、なるほど堂々と池が広がっており、その先にはこんもりと緑。
朱に塗られた橋が架かっており、いかにも弁天様を祀っている感がある。が、どうもそれ以上のものはなさそうだ。
池のほとりでは中学生らしい連中が暇つぶしなのかふざけながら釣りをしており、 正直なところ雰囲気はイマイチ。

  
L: 庄原のメインストリートを行く。庄原は道がくねって商店が点在しており、起伏もある。かなり独特な印象の街だ。
C: 庄原上野公園。何もなかったです。  R: いちおう橋を渡って池の向こうに行ってみたけど、やっぱり何もない。

帰りは少し遠回りして、そのまま本日の宿にチェックイン。庄原の市街地は住宅と商店ばかりでメシ屋が貧弱だったので、
近くのスーパーで食料を買い込むスタイルにした。旅先でそれは、けっこう切ない事態である。できれば避けたいものだ。
そしたらスーパーの中にあるレストランで「庄原焼」なるものを発見。庄原市のご当地B級グルメということらしい。
食おうかさんざん迷ったのだが、なんせスーパーにくっついている程度のレストランだし、お好み焼きっぽいし、
カメラもケータイも持たずに出てきたし、疲れていて考えるという行為じたいがもうイヤだし、そのままスルー。
結局、内陸の街なのに寿司なんて買ってしまうのであった。庄原ではワニ(サメのこと)の刺身が名物ということで、
魚屋では確かに「ワニの刺身」を売っていてできれば食ってみたかったのだが、お一人様に適したサイズがなくて断念。
それで部屋に戻って庄原焼を調べてみたら、確かに最近新たに開発されたご当地B級グルメではあったものの、
スーパーのそのレストランではけっこう正統派っぽいものを食べさせてくれるようだった。ワニとともに大いに後悔。
宿はよかったんだけど、庄原はメシのところでなんとも悔いの残る訪問となってしまった。やっぱ冒険せんといかんわ。


2014.7.20 (Sun.)

中国グランツーリスモ2日目である。本日は姫新線で津山まで行く。いつもの調子ならもうちょっと進みたいところだが、
そこはなんといっても姫新線。播磨新宮から先は本当に本数がないのである。しょうがないので津山止まり、が真相だ。
まあそれはそれで、じっくりと観光できるとポジティヴに考えればいいのである。画像整理の余裕がある方がいいしね。

しかしせっかく姫路にいるわけだから、ちょいと話題になっている「白すぎる姫路城」を見ておくことにしようか。
姫路駅から姫路城まではまっすぐなので城がよく見えるが、けっこう距離があることはわかっている(→2009.11.21)。
それでもパッと行ってパッと帰ってくればいいのだ。ウォーミングアップの散歩ということで、いざ出発。
そしたら覚悟ができていたからか、思ったよりは早いペースで姫路城前まで来ることができた。よかったよかった。

  
L: 姫路城の門の跡と思われる遺構。姫路城のスケールの大きさが実感できる。きちんと残っているんだなあ。
C: 出たー! 噂の「白すぎる姫路城」。本来はこの色だったとのことで、そうならまあしょうがねえよなと。
R: 姫路城側から姫路駅を眺める。これだけまっすぐに大通りが延びていると気持ちがいいですな。

姫路駅まで戻ってくるとちょうどいい時間。5ヶ月ぶりの姫新線(もう一度乗るのが意外と早かったなあ)に乗り込み、
のんびり揺られて播磨新宮まで。播磨新宮で30分ほど休憩すると、いよいよ姫新線の未知のエリアへと進んでいく。
確かに龍野辺りと比べると、景色は一段と農村度合いが濃くなっている。人の気配はあるけど集落の規模が小さい。
基本的に山がちで、川に沿った狭い範囲に田んぼをつくっているのだ。姫新線はそこをするすると抜けていくのだ。
兵庫県ってのもいろいろだなあと思っていると、三日月という駅に着いた。どういう由来でそんな名前なのか気になる。

列車はさらに進んで佐用で止まる。確か洪水の被害がひどい年があって、それで佐用町という名前を知った。
ホルモンうどんは岡山県津山市が全国的に有名だが、実はここ兵庫県佐用町も名物にしているという。食ってみたいぜ。
しかし佐用町は「さようちょう」なのに、佐用駅は「さよえき」なのである。「さよう」なのか「さよ」なのか。
後でしらべてみたら、もともとは「さよ」と読んでいたのを「さよう」に変えたとのこと。じゃあなんで変えたのよ。
いろいろ疑問は尽きないのだが、姫新線はここで途中下車してしまうとシビアなことになりかねないので、
後ろ髪を引かれる思いで待機していた1両の次の列車に乗り込んだ。鉄っちゃんぽい男性で混み合っておりました。

いよいよ1両になってしまった姫新線は、さらに里から山への度合いを濃くした景色の中を抜けていく。
とはいっても飯田線で慣れている僕には、なんでそんなに本数が少ないのかがよくわからない。そこまで山深くはない。
そうして林野駅に到着すると、切符を提示して途中下車。すでに覚悟はできている。ここからひたすら歩くのだ。

 林野駅。タクシーが停車しているのを見てなるほどと納得。

林野駅から徒歩で目指すのは、まず美作市役所。そしてそのまま南下を続けて湯郷温泉まで行ってしまうのだ。
まあせっかくだから浸かっておこうじゃないかと。以前リョーシさんに連れられて訪れたが(→2011.2.19)、
今回はすべて歩きでがんばってみようというプランなのである。面倒くさいのは覚悟の上なのだ。やってやるのだ。

林野駅から南下していくと、すぐにバスのターミナルというか停車場がある。が、ずいぶんと古びている。
あわよくばとバスのダイヤを見てみたが、夕方にならないと温泉まで行ってくれない模様。ダメだこりゃと歩きだす。
駅から美作市役所までの道は商店街と呼ぶのはさすがに苦しいが、家々が並んでしっかり集落が形成されている。
平成の大合併で無理やり市になったけど、どう見ても「町」レヴェルの雰囲気である。市役所が増えて訪問が大変だ。
程なくして右手にベージュのいかにもな役所が現れる。川と山に挟まれて狭っこい場所だが、しっかり土地を確保している。

  
L: 美作市役所(旧美作町役場)。2005年に5町1村が合併して誕生したが、それでも人口は3万人に満たず、岡山県で最小。
C: 角度を変えて撮影。美作市役所は1979年の竣工。  R: 裏側はこんな感じ。敷地に余裕がないので撮影がしづらい。

市役所の隣には市民センター兼中央公民館。どうやら図書館も入っているようで、それはちょっと珍しい。
しかしこの狭い場所に2つ公共施設を置くというのはなかなか窮屈である。美作市は本当に平地がないんだなあ。

 隣にくっついて並んでいる市民センター兼中央公民館。

さて、湯郷温泉を目指してさらに南下だ。市役所のすぐ南側にある橋を渡って国道に出る。
わかっちゃいたが、ここからが本当に長い。本来なら湯郷温泉は、バスで岡山から直接来るべき場所なのだ。
わざわざ本数の少ない姫新線の駅からアクセスするヤツなんていないのだ。まあ、駅にタクシーが2台いたけど。
この距離を歩いて温泉まで行こうなんて狂気の沙汰なのだ。でも姫新線は本数が少ないからやっちゃうのだ。

歩行者はいないけど車は行き交う炎天下の国道を歩くこと15分、湯郷温泉の入口に到着。もっと歩いた気がしたけど。
しかし湯郷温泉は比較的平らで余裕のある土地利用なので、閑散とした通りをさらにトボトボと歩かされることになる。
そして3年前に訪れたときもそうだったけど、道がけっこう入り組んでいる。iPhone片手に確認しながら進んでいく。
鷺温泉館は入口がまわり込んだところにある。ああこうだったわ、と懐かしい気分になりつつ建物の中へと入った。

さっそく入浴するが、真っ昼間っから温泉ってのは本当に極楽である。時間にも余裕があるので何度も出たり入ったり。
お湯の温度もたいへんすばらしく、とろけそうな気分になりながら温泉を堪能したのであった。たまりませんなあ。
帰りはノースリーヴに半ズボンで、まるっきりサッカー部。タオルを頭に巻いて直射日光対策を施し、またトボトボ歩く。
駅に着くことにはやっぱり汗だらけになってしまったが、それ以上に気分がリフレッシュできたからヨシとするのだ。

  
L: 湯郷温泉の街並みは建物がわりと散らばっている印象。「祝 岡山湯郷ベル アイナック神戸に勝利」なんて垂れ幕も。
C: 鷺温泉館に再びやって参りました。相変わらずいい湯だったぜ。  R: 湯郷というと吉野川堤防のこの絵のイメージが強い。

林野駅から再び1両の姫新線に揺られて津山まで。津山も3年前に訪れているが(→2011.2.19)、今回は一人旅。
もっとワガママに、もっと大胆に、やりたい放題にやってやるのだ。さっそく駅の観光案内所でレンタサイクルを借りる。
津山は気になる名所が多い。重要伝統的建造物群保存地区の城東に、ヘリテージング100選の津山洋学資料館、
そして美作国一宮の中山神社。津山城址は百名城に入っているし、津山文化センターはDOCOMOMO物件である。
時間はたっぷりあるので、前回訪れたところもそうでないところも、じっくりと見てまわるつもりなのだ。ひっひっひ。

  
L: 津山駅。姫新線・津山線・因美線が乗り入れる交通の要衝である。まあどれも本数があんまりないけど。
C: 吉井川を渡って津山の中心市街地に入ったところ。  R: アーケード商店街は複数あるけど元気がイマイチ。

3年前に津山を訪れたときには車だったので、津山城を中心にしてポイントを押さえての観光だった。
しかし今回は自分勝手にレンタサイクルなのだ。中心市街地の閑散とした感じを存分に味わいつつ津山城址を目指す。

 前津山市役所の津山郷土博物館。前回とは異なる角度から撮影してみた。

津山城址・鶴山公園の中にはまだ入らずに、そのまま宮川を渡って東へと抜ける。するとすぐに食い違いがあって、
ここから先が重要伝統的建造物群保存地区の城東地区になる。実はかつては国の指定を断っていたらしいのだが、
最近になってやっぱり重伝建の仲間入りをしたようだ。よくわからんがなかなか複雑な経緯がありそうだ。

  
L: 食い違いを抜けるとこのような光景となる。なるほどなるほど。  C: 1752(宝暦2)年築という苅田酒造。
R: 作州城東屋敷。もともと学校として使われていた由緒ある場所みたい。裏にはだんじり展示館がある。

進んでいくとさらにもうひとつ食い違いがあり、ここから街並みはさらに本格的なものになる感じである。
津山観光をしているとどうやら津山で最大の偉人は箕作阮甫(みつくり・げんぽ)という人らしいとわかるのだが、
この人の旧宅があるのもこの辺りだ。恥ずかしいことに僕は彼を知らなかったのだが、箕作阮甫はもともと医者で、
幕末に翻訳家として大活躍している人だ。また、彼の子孫には高名な学者が多数いる。モーレツに賢い人だったのだ。

  
L: 大曲りと呼ばれる食い違い。ここを抜けると城東観光の中心部に入る。  C: 箕作阮甫旧宅。津山藩医は英才ぞろい。
R: 宮川に近い辺りはそれほどでもなかったが、この辺まで来ると伝統的な建築の密度がはっきりと高くなる。

箕作阮甫旧宅はそれほどでもなかったが、もうひとつ、城東むかし町家(旧梶村家住宅)はけっこう見応えがあった。
梶村家は豪商で、明治に入ってすぐの頃には津山藩の札元として藩札を発行していたとのこと。すごいもんである。

 城東むかし町家。主屋は江戸時代末期の建物だそうだ。

広々とした座敷も見事だが、奥にはモダンな風情の建物や土蔵があるなど、変化に富んだ空間となっているのだ。
江戸から明治・大正・昭和とそれぞれに建てられた時代が異なるそうで、そこに豪商の凄みを感じずにはいられない。

  
L: 座敷は実に居心地がよさそう。  C: 土蔵との間にも石を配置するなどオシャレな工夫がなされている。
R: 中庭からの眺め。城東むかし町家は外から見るだけではわからない、多彩で余裕のある空間が広がっている。

箕作阮甫旧宅と城東むかし町家の間に、津山洋学資料館がある。手前はオープンスペースと駐車場になっており、
奥へと入っていくとなんとも独創的な建物が現れる。どうやら五角形をモチーフにしたデザインのようだ。
これは「津山洋学五峰(=宇田川玄真・箕作阮甫・津田真道・宇田川玄随・宇田川榕菴)」を現しているそうだ。
設計は象設計集団の富田玲子で、現在の施設は2010年にオープン。なんだよ、ヘリテージングじゃねえじゃんか。
(ヘリテージングの方は旧妹尾銀行林田支店で、もうちょっと東の方にあるようだ。気づかず行けなかったよ。)

  
L: 津山洋学資料館とオープンスペース。津山洋学五峰の胸像が配置されておりますな。なぜか向きがバラバラ。
C: 五角形にこだわる建物となっている。  R: 奥から振り返ると屋根で五角形の構成になっているのがよくわかる。

中に入って展示を見学。「洋学」とはつまり、西洋からもたらされた学問のこと。蘭学に限らない呼び方というわけ。
津山ではその新しい学問を貪欲に身につけた人材を輩出したことから、彼らの業績を讃えてこの施設をつくったのだ。
先ほどの箕作阮甫も確かにすごい業績を残しているし、宇田川榕菴なんて日本の化学の扉を開いた人物と言っていい。
展示を見ていると幕末の津山からとんでもない勢いで優秀な人材があふれ出ていたことがよくわかる。これは凄い。

しかしながら、津山洋学資料館の建物があまりにも五角形にこだわりすぎているせいで、展示はひどく見づらい。
展示室がいちいち五角形なので、室内を一周してから次の展示室へ行くプロセスがとっても面倒くさいのである。
僕は象設計集団にいいイメージを持っていない。正直、名護市庁舎(→2007.7.22)ぐらいしか知らないんだけど、
自分たちの美学を利用者に押し付ける集団、という印象が強いのだ。美学が空回りしているように思えるんだよなあ。

 この中庭も特に意味があるようには思えませんが。

実は城東の範囲を往復し終わった頃から、だんだん空模様が怪しくなってきていた。この日の僕は勘が冴えていて、
青空が見えるうちに街並みの写真をあらかた撮っておいて、雲が広がってきたところで各施設の中を見学していった。
そして津山洋学資料館の見学を終えて、トイレに入って出てきた瞬間、アゴがはずれそうになるほど驚いた。
まさかの豪雨なのだ。本当に、豪雨としか形容しようのない勢いで降っていた。外に一歩出たら全身ずぶ濡れ確定、
それほどの雨で身動きが取れなくなってしまった。しょうがないのでさっさと諦めて、ホールで休憩。というか寝る。
ちょこちょこ目を覚まして様子を探るが、雨の勢いはまったく衰えない。これは困った事態になったと思いつつまた寝る。
そんなことを繰り返して1時間、ようやく雨があがってくれたので、資料館を出てレンタサイクルにまたがる。
カゴに入れておいたマップは完全に溶けてしまっていたのであった。まあ、やんでくれただけ御の字ですわ。

復路は一段北の道を行く。が、さっきの街道らしい道とは違い、けっこう高さがあっていかにも武家地らしい密度感。
とことんまで西に戻ると、来たときと違って宮川は濁流でだいぶ水かさが増していた。ここを渡るのはちょっと怖い。
川のほとりには千代(せんだい)稲荷神社。そのずーっと上、てっぺんには津山城の石垣がまるで冠のようにそびえる。
せっかくなので稲荷神社にお参りをしておく。狐の嫁入りではないのだが、狐につままれたような大雨だったなあ。

  
L: 宮川越しに千代稲荷神社を眺める。この濁流っぷりを見れば、いかに強烈な降り方だったかわかってもらえるはず。
C: 千代稲荷神社の狐はオシャレですな(2匹ともこうなっていた)。  R: 拝殿がけっこう立派ですよ。

そのまま津山城址の北側に出て、くるっとまわって津山文化センターへ。3年前にはDOCOMOMO物件と意識しておらず、
純粋に「なんだこのデザインは!」と興奮してシャッターを切ったもんだが(→2011.2.19)、今回はきちんと撮影する。

  
L: 津山文化センターを北側から眺めたところ。  C: 西側、坂道を上りながら撮影。傾斜がとっても急なのだ。
R: 南西側からの撮影。まあこれが代表的な眺めだと思う。しかし強烈なインパクトのある建物だよなあ。

もともとここには小学校があったそうだ。高度経済成長期に入ってホール建築が全国各地で建てられていった時代、
津山市は組織事務所に設計を依頼したのだが、出てきたプランを「つまんねえ」と蹴ってしまったという。
そして郵政省から独立して間もない若手建築家の川島甲士に依頼。そういう経緯があってこの建築が生まれたのだ。
自治体がもっともらしい言葉を並べたプランと共犯関係に陥ることなく、アーティストの意欲に純粋に賭けた時代。
今も誇らしげに威容を見せる津山文化センターを眺めていると、豪快だった昭和という時間の豊かさが懐かしくなる。

  
L: 正面より撮影。下から見上げないとかなり落ち着いている印象になる。この多彩な表情もまた魅力だな。
C: 駐車場のある東側。  R: 中に入ってみたが、やっぱり大胆な模様。残念ながらホールは開いていなかった。

続いても3年前に訪れている津山市役所(→2011.2.19)を再訪する。やたらとデカくて撮影しづらかったが、
当たり前だけど3年経ってもやっぱりそうだった。道を挟んでも余裕がないのと街路樹が邪魔なのと、ダブルパンチ。

  
L: 津山市役所。相変わらず撮影しづらい。  C: エントランス付近をクローズアップして撮影。
R: 裏側にまわって背面を撮影。駐車場があるけど水路に阻まれたりしてやっぱり素直に撮影はしづらい。

津山市役所は石本建築事務所の設計で1982年に竣工。ネットで調べたら郷土博物館の旧市庁舎のデータばっかり。
PDFで一覧データをつくってくれている石本の設計でよかった。設計者のデータって本当にあっさり捨てられちゃうのね。

  
L: 西側から撮影。津山市役所本庁舎は、南の庁舎棟と北の議会棟の二重構造なのだ。これも撮影しづらい一因。
C: 本庁舎のすぐ隣には津山市総合福祉会館。市役所とセットで竣工している。  R: 総合福祉会館の裏側。

さっきの大雨がウソのようにまた強烈な日差しが出てきた。地面はあっという間に乾いて、何ごともなかったようだ。
次の目的地はちょっと遠いが、これならスリップを気にすることなく、グイグイと自転車を思いっきりこげる。
大きく弧を描いている中国自動車道の下を抜け、さらに北上。道は緩やかな上り坂で、地元の扇状地を思い出す。
やがて宮川に沿って狭い道へと入っていく。風格のある造り酒屋もあって、なるほど旧街道らしい雰囲気がある。
左にカーヴする道をそのまま道なりに進んでいくと、まず左手に神社らしく注連縄が張られた大木が現れる。
祝木のケヤキというそうで、樹齢は800年になるという。戦国時代、尼子氏に攻められた際も生き残ったってことだ。
そうして美作国一宮・中山神社に到着。鳥居から参道が堂々と延びていて、一宮らしい厳かな空気に包まれている。

  
L: 中山神社のすぐ手前にある祝木のケヤキ。社殿は尼子氏に攻められて焼失したが、この木はその光景を見ていたわけだ。
C: 中山神社の鳥居。周辺の道は狭いが街道らしさがよく残っている。  R: すらりと延びる参道。けっこう距離が長い。

中山神社は713(和銅6)年に美作国が備前国から分立した際、吉備の中山から勧請されてその名前になったらしい。
吉備の中山はその麓に吉備津神社(備中国)や吉備津彦神社(備前国)が鎮座する昔からの聖地で(→2011.2.19)、
備後国一宮の吉備津神社も備中国からの勧請によって創建されている(→2013.2.23)。そして美作国もそうなので、
吉備の中山の影響力はまさに旧吉備国全体に広がっていたということなのだ。これは本当にすごいことだと実感。

  
L: 神門。もともとは津山城二の丸の四脚薬医門で、明治のはじめに中山神社に移築してきたそうだ。
C: 神門を抜けて拝殿方向を眺める。  R: 左手には小さいが立派な総神殿。120社をまとめたものみたい。

中山神社の本殿は重要文化財である。さっきも書いたが社殿は1533(天文2)年、尼子晴久の攻撃で焼けてしまった。
その後1559(永禄2)年になって晴久自身が再建し、それが今も残っているのだ。これが非常に大きくて堂々としている。
尼子氏というとなんといっても経久が名君で、その孫にあたる晴久は毛利元就の台頭を許す格好となってしまい、
次の義久の代で毛利氏に降ってしまった。しかしこの中山神社本殿を見れば、尼子氏の往時の影響力がうかがえる。

  
L: 手前が拝殿。 C: 奥の本殿を眺める。拝殿に劣らず大きく立派。中山造として美作地方に多大な影響を与えた。
R: 背面を眺める。このように美しいだけでなく、歴史に直に触れられる建築を探訪するのは本当に楽しい。

しっかり参拝して歴史を堪能すると、引き返して今度は新しくできたと思われる岡山県道68号をまっすぐ南下。
すると途中で「美作総社宮」という気になる案内板を発見。行ってみたら「国指定重要文化財」の文字が。即、参拝。
美作総社宮は中山神社とは対照的に、小高い丘の上に鎮座している。が、本殿の大きさはなんとなく似た印象である。
こちらの本殿を建てたのは毛利元就。1562(永禄5)年に戦勝記念で再建したそうだ。ということはつまり、
中山神社の本殿竣工からわずか3年で美作を毛利氏が奪ってしまったということだ(尼子晴久は1561年没)。
まあそれだけ毛利元就の能力がとんでもなかったと納得しておく。本殿もしっかり美しく、見応え十分だった。

  
L: まっすぐに延びる参道。こちらは上り坂&石段で、おかげで西日が直撃だよ。  C: 拝殿。西日の直撃を避けて撮影。
R: 重要文化財の本殿。中山神社は摂末社112社を晴久に焼かれたが、元就は総社を再建してそれをカヴァーしたわけか。

美作総社宮からそのまま東へと入っていき、目指すは衆楽園。正式名称は旧津山藩別邸庭園とのことで、
明治になってから「衆楽園」という名前がついたそうだ。なるほど、まあ江戸時代にはありえない名前だわな。
(そう考えると、『孟子』から「偕楽園」という名前をつけた徳川斉昭は本当に偉大だ。→2006.8.272012.8.5
入場無料でさっそく入ると、まず広大な池が目に入る。が、その大部分はハスに覆われていて完全に緑一色である。
池の中をよく見ると、巨大なオタマジャクシがひしめいており、思わず「うえっ」と声が出てしまったではないか。
ときどきハスの葉が揺れてちゃぽんと水音がするが、正体はウシガエル。衆楽園はウシガエルの親子に占拠されていた。

 ウシガエル天国となっていた衆楽園。ハスが池を覆い尽くしている。

ぜんぜんフォトジェニックでなかったのでがっくりしながら、本日最後の目的地である津山城址の鶴山公園へ。
やはり3年前にも訪れているのだが(→2011.2.19)、その石垣の美しさを堪能しないわけにはいかないのだ。

  
L: 津山城址の石垣はどこから見ても本当に美しい。これはさっき、津山文化センターの前から眺めた石垣。
C: というわけで今回も300円払って中に入った。  R: 2005年に再建された備中櫓を見上げるの図。

津山城は石垣の美しさだけで十分ゼニが稼げる城だが、かつては77棟もの櫓が建っており、5層の天守もあった。
さぞ壮観だったろうが、今の石垣だけが残ってその美が強調されている格好もそれはそれで大変すばらしい。
森忠政が津山城を建てる際、細川忠興の小倉城を参考にしたという。忠興は図面を贈るほどのナイスガイだったそうだ。
さて、本丸まで行ってみたら、3年前と比べてかなり荒れている印象がした。中央部の雑草が伸び放題になっている。
何がどうしちゃったのか不安になってしまうではないか。せっかくの名城なんだからちゃんと管理してほしいわ。

  
L: 津山城本丸跡は雑草が伸び放題になっていた。奥にはさらに高く積んだ矢切櫓の石垣がある。
C: 天守台を前回とは異なる角度から撮影。 R: やはり前回とは異なる角度から覗き込んでみた。

前回訪問時には備中櫓の写真を貼ってなかったので、それも押さえておく。ちなみになぜ「備中」櫓かというと、
鳥取藩の第2代藩主だった池田長幸(ながよし)を迎えるために建てられたから。彼が備中守だったのでそう呼ばれた。
ちなみに今の備中櫓が復元されたのは、築城400年を記念してのこと。かなり気合の入った再現ぶりとなっている。

 中身は完全に本丸御殿な備中櫓。

最後に本丸の北東にある栗積櫓の石垣から景色を眺める。中心市街地は城の南側なので備中櫓からが見やすいが、
こっちはこっちで津山の東西交通の様子や市役所、あとは津山文化センターなどが見られるのでそれなりに面白い。
山に囲まれながらもたくましく盆地を埋める津山の街の姿をじっくり眺め、土地の歴史に思いを馳せる。

  
L: これは本丸まで行く途中、辰巳櫓の辺りから城東地区を眺めたところ。上からだと街並みはあまりほかと大差ない。
C: 栗積櫓から眺める津山市役所。  R: 栗積櫓から見下ろす津山文化センター。前回とは違う構図となっております。

満足したので津山城址を後にする。駅まで戻ってレンタサイクルを返却すると、再び津山城址まで歩いていく。
今回の宿はそっちの方なのでしょうがないのだ。チェックインを済ませると、いざ晩飯をどうしようかと考える。
特に選択肢があるわけでもなかったし、しっかりとホルモンうどんを食いたかったので、宿から近い店に入った。
が、そこは基本的に飲み屋のようで、じゃあいいやと覚悟を決めてビールも注文。ふだんなら絶対しないけどね。
しかしキンキンに冷えたビールの旨いこと旨いこと。人生でビールを旨いと思ったことは数えるほどしかないが、
炎天下をレンタサイクルで走りまくった後で飲んだこの一杯は、涙が出るほど旨かった。なんでだろうねえ。

 ホルモンうどーん。

豪雨にやられたときには「まあ津山線も因美線もあるわけだし、リヴェンジかなあ」と半ば諦めかけたのだが、
終わってみれば予定をばっちりこなすことができた。今回の旅行もなんだかんだ運に恵まれているようです。


2014.7.19 (Sat.)

来週は平日が4日間。しかしその4日間がちょうど2年生の宿泊行事とかぶっており、部活が思うようにできない。
それならいっそ、いつもじゃできない大胆な旅行をしてしまえ!ということで、計9日間にわたるプランができあがった。
でもさすがにそれを押し通すのは気が引けたので、初日の土曜日には午前中に部活を入れておいたのである。
つまり、部活が終わったら新幹線に飛び乗って一気に西へ。そうすれば19時キックオフのサッカーが観戦できるのだ。
今回の旅は、神戸でのサッカー観戦で始まり、岡山でのサッカー観戦で終わる。ただし当然、途中のルートがキテレツだ。
新幹線で新神戸まで行って、試合観戦。その後にまた新幹線で姫路まで出てから姫新線で中国地方の内陸部に出て、
あとは延々と西へと進んでいく。広島県にまで入ると今度は海沿いに岡山県を戻り、吉備線で迂回しつつ岡山に入る。
それ以降はリョーシさんの全面的なお世話になるというわけ。こんな常軌を逸したバカ旅行が実現できるとは。

部活が終わるとテンポよく着替えて地下鉄に乗り込む。浜松町からあらかじめ用意しておいた切符を使用開始。
しかしまあこの切符が実に変態的で、みどりの窓口でお願いするときにとっても恥ずかしかった(最近は毎回そうだが)。
なんせ、東京都区内を出発してから姫路まで新幹線なのはいいとして、そこからローカル線を乗り継ぐのもまあいいとして、
「塩町から福塩線で……はい。あ、すいません、倉敷からは伯備線なんですよ。総社から吉備線で岡山に入ります。
……え、7日間いける? じゃあ岡山までじゃなくって相生まででお願いします。山陽本線です。赤穂線じゃないです」とか、
もうまるっきり鉄っちゃんと変わらないのである。途中下車しまくりの旅ってのは、どうしてもこうなってしまうのである。

まあとにかく、快調に新神戸まで飛ばしてやるぜ! ……と思ったら、乗っていた新幹線が掛川でストップ。
静岡県内の大雨の影響で運転を見合わせております、ときたもんだ。この手のトラブルに巻き込まれたのは初めてだ。
ジタバタしてもしょうがないので腹を決めて、できるだけ泰然自若に過ごす。結局、1時間ほど足止めを食らったのかな。
寝てしまったのでよくわからんが、キックオフには間に合う見込みなのでヨシとすべえ。ポジティヴにいくのだ。

そんなこんなで新神戸に到着すると、改札を抜けて地下鉄に乗り換え。午前が部活で午後が神戸とは信じられない。
なんだか夢見心地で券売機の前に立つが、路線図が複雑でよくわからない。目的地は海岸線の御崎公園駅なのだが、
新神戸からだと三宮乗り換えと新長田乗り換えがあるようだ。三宮の方が安そうだが、早く着けるのは新長田っぽい。
とりあえず事前にチェックしたとおり、素直に新長田乗り換えにしておく。ホームに降りるとすでに列車が停まっていたが、
北神急行電鉄というよくわからない会社の車両のようだ。どうも関西は私鉄がやたらといっぱいあって混乱してしまう。

新長田で乗り換えると、臙脂色のユニフォームを着た人たちで混雑してきた。ヴィッセル人気は定着しているようで。
御崎公園駅に着くと、できるだけ要領よく動いてスタジアムへと向かう。明るいうちに外観の写真を撮っておきたいのだ。
それに初訪問のスタジアムは必ず一周するという個人的な儀式もある。しっかりと雰囲気をつかんでおきたいのである。
スタジアムまでは徒歩5分とのことだが、それよりはちょっとかかるかなという感触である。道はけっこう広いのだが、
その両側の歩道を観客と思しき人々が埋め尽くしている。入口に到着すると、混雑ぶりは拍車がかかって大賑わい。
スタジアムグルメの屋台やイヴェントスペースなどが1ヶ所にぎゅっと集まっているので、人口密度が非常に高いのだ。

さて問題はメシの確保である。19時キックオフというのはとっても中途半端で、特に僕は新幹線で移動してきたこともあり、
昼すら満足に食べていない状況なのだ。そんなわけでふだんはあまり食べ物に興味がないのだが、今回は買うことにした。
どこの出店も行列ばかりだったが、運良くエアポケット的な位置にある店を発見して神戸牛のステーキ丼を即決で購入。
まあ2食分ということで、これくらいの贅沢は許してほしいのだ。メシを確保すると恒例のスタジアム一周をスタート。
スタジアムの東側には広大な芝生の広場があり、多くの人たちがボールを蹴っていた。流れてきたボールを蹴って返したり。

  
L: ノエビアスタジアム神戸こと御崎公園球技場。歩道橋から撮影したが、出店が1ヶ所に集中しているのがわかる。
C: スタジアムの東側には芝生の広場が広がる。多くの人たちがボールを蹴っていた。  R: 角度を変えて眺める。

ヴィッセル神戸が本拠地としているのは御崎公園球技場である。ノエビアが命名権を取得しており、略称は「ノエスタ」だ。
とにかく規模の大きい構造体という印象で、周囲はしっかりと住宅街なのだが、大規模なデザインをやりきっている。
もともとは競輪場だったそうだが、よくまあこんなデカいものをこの位置にはめ込んだものだな、と呆れながら一周する。
実はこのスタジアム、和田岬駅のすぐ近くにある。JRの和田岬駅はとにかく本数の少ない盲腸線で(→2012.2.26)、
できることならわざわざJRの和田岬線でヴィッセルの試合観戦にやってくる、というキテレツな行動をしたかったのだが、
さすがにそれは無理なのであった。けっこうな距離を歩かされた感覚になって入口に戻ってくると、スタジアム内へ。

規模の大きいスタジアムの場合、スタンドの外周に通路があってそこから観客席へと入っていく感じになっていると思う。
しかしノエスタは敷地に余裕がないためか、観客席の真下に通路を通しているようだ。そのため、ピッチに近い席は右、
桟敷席は左と、観客席への出入口が左右にある。なるほどと思ったが、帰る際にその厄介さを痛感させられることになる。
さて観客席に出た瞬間、思わず息を呑んだ。目の前にトラス構造で矩形を描いた屋根が大胆に広がっており、実に壮観。
メインスタンドとバックスタンド側は弧を描いており、なんとも独特なデザインとなっている。所変われば品変わるものだ。
天井は開けてあるものの(屋根は開閉式になっている)、かなり屋内に近い印象を受けるスタジアムだ。これは初めてだ。

  
L: まずはアウェイ側ゴール裏から。今日の神戸の相手は鳥栖なのだが、すでにびっしりとコアサポで埋まっております。
C: ピッチとバックスタンド。大空間だが屋根があり、ほかにない印象のスタジアムだ。うーん、とにかく規模がデカい。
R: ホーム側ゴール裏。屋根の圧迫感がだいぶありそうだが、それはそれで楽しいものだ。なかなか眺めがよさそうね。

今回はメインスタンドの指定席にお邪魔したのだが、驚いたのは鳥栖サポーターの数。ゴール裏はすでにびっしりで、
メインスタンドのアウェイ側もだいぶジャックされている状況。僕の周りにはぜんぜん臙脂色が見当たらない。
3連休ということでか、九州からわざわざ駆けつけた家族連れの姿が非常に目立っている。ものすごい人気である。
アウェイゲームでこれだけの占拠ぶりを見せつけられた事例はほかにちょっと思いつかない。ただただ呆れたわ。

本日のゲームはW杯による中断期間が明けた、J1再開の初戦である。序盤絶好調だった神戸は勢いがやや落ちて3位、
そして対する鳥栖はなんと2位。それも前節首位から陥落しての2位である。つまり、堂々の上位決戦というわけだ。
思えば昨年、神戸はJ2にいたし、鳥栖もJ2生活がずいぶん長かった。この2クラブがJ1で上位決戦をやるという事実は、
日本サッカーの熾烈さを証明するものだろう。ちょっと歯車が狂うとどうなるかわからないし、その逆もまたしかり。
(神戸は先週末の天皇杯2回戦で、関西学院大学に敗れてしまうというジャイアントキリングをやらかしている。)
ちなみに今日の神戸のユニフォームは、クリムゾンフットボールクラブ10周年記念ということで黄緑色である。
思えば神戸は三木谷が勝手にクラブのカラーを臙脂色にしちゃった事件があったわけだが(それ以前は白と黒)、
10年経って臙脂色はすっかり定着している模様。世の中、結局金の力でどうにかなっちゃうのかねえ。
クリムゾン(臙脂色)で黄緑とはよくわからんが、これはつまりカワサキのバイクの色ってことのようで。

 神戸のゴール裏。スタンドの下になんか部屋があるんですが。すげーな。

序盤は神戸の猛攻。中盤にチョン=ウヨン、シンプリシオ、ペドロ=ジュニオール、森岡と、高い技術を持つ選手が揃い、
そこから前線の小川とマルキーニョスにボールが出て、グイグイとゴール前に入り込んでいくプレーを連発してみせる。
特に小川のスピードとマルキーニョスの何をやるかわからない危険な雰囲気は強烈で、鳥栖は防戦一方となってしまう。
鳥栖の守備をかいくぐってパスをつなぎながら崩していく神戸のサッカーは実に魅力的で、得点も時間の問題に思えた。
しかし何度となくチャンスをつくる神戸だったが、鳥栖のGK林が立ちはだかる。鳥栖に移籍して以降の活躍は知っていたが、
実際にそのプレーを見るとまあすごいすごい。神戸の攻撃はどれも危険なものばかりだったが、すべて止めてしまうのだ。
そのたびに僕の周りの鳥栖サポーターたちは大興奮。ふつうなら決まるシュートなのに、ぜんぶ林が好セーヴしてしまう。

  
L: まずはホームの神戸が勢いよく攻め込む。パスをつないで積極的にゴール前に入り込む攻撃は迫力十分。
C: マルキーニョスのヘッド。マルキが前線にいると攻撃のパターンが飛躍的に増えるのがわかる。怖いよなあ。
R: 中盤で激しいやりとりが繰り広げられる。とにかくボールの動くスピードが速く、ものすごく見応えがある。

結局、前半をスコアレスで折り返したことが、神戸にとってはより深い徒労感へとつながったのかもしれない。
そしてそれは、アウェイの鳥栖のペースでもあった。豊田という最終兵器に得意のカウンターで対抗する鳥栖は、
後半に入っても神戸に無言のプレッシャーをかけ続ける。そして61分、中盤の岡本から金民友にロブのパスが出るが、
これが金をマークしていた神戸のディフェンスふたりの間をスルッと抜けてしまう。金は一瞬の隙を逃さずシュートして、
鳥栖が先制。僕の周りは一気に爆発したような歓声で大騒ぎとなるのであった。皆さん遠くから来た甲斐があったね。

 鳥栖が先制。神戸はこの一瞬の守備の甘さに泣くことになった。

その後も神戸は攻め込むのだが、GK林の存在感は増すばかり。逆に、勢いに乗る鳥栖のカウンターが冴えてくる。
神戸は最後、パワープレーで押し込みにかかるのだが、鳥栖は隙を見せることなく2位の貫禄を見せつける格好に。
僕としてはシーズン序盤にそうとうな破壊力を見せた神戸の攻撃をどうにか堪能できないかと思っていたのだが、
神戸は無得点で敗れてしまった。むしろ鳥栖のしたたかさの方が強調される結果となってしまったのであった。

  
L: 神戸はどうしても鳥栖のGK林の壁を破ることができない。  C: 確かにノエスタはピッチが近いけどね……。
R: 最後はパワープレーに出る神戸。でも日本のサッカーでパワープレーが上手くいったシーンって見たことないぞ。

さて、とってもフォトジェニックなノエスタこと御崎公園球技場だが、観戦してみて僕としては不満の方が大きい。
まず座席が窮屈なこと。隣の席との間にぜんぜん余裕がなく、エコノミークラス症候群という単語が頭の中をチラついた。
席の間の通路が狭い難点もある。W杯のスタジアムということで、かなり無理をして詰め込む設計になっていると思う。
さらに、帰る際には大渋滞が発生した。上位とはいえ、鳥栖が相手でこれだけの混雑ぶりというのはちょっとひどい。
さっきチラッと書いたが、これは上段の客と下段の客が一気に同じ通路に押し寄せる構造になっていることが原因だ。
スタジアムの周囲にも空間に余裕がないため、道路に出るまでに通行規制がかけられてしまうほどの混雑となっていた。
そしてこれがまたひどいのだが、スタジアムを後にしても地下鉄駅に行くまでがまた大変。歩道が延々と混雑している。
「駅からスタジアムまで徒歩5分」と謳っているが、帰るときにはしっかり30分以上かかった。これは本当にひどい。
御崎公園駅の入口が狭いうえに階段もうねっているので、しっかりボトルネックな構造になっているのである。
おまけに三宮方面への改札でもまた入場規制。僕は新長田方面なのでまだよかったが、もう心底呆れてしまった。
ノエスタこと御崎公園球技場は、見てくれはいいけど実際に観戦してみると欠陥の非常に多いスタジアムである。

どうにか地下鉄に乗って新神戸駅まで戻ると、新幹線で姫路まで。うーん贅沢だ。ちなみにホームで待っている間、
広島カープのユニフォームを着た人がチラチラといた。なるほど、甲子園でオールスターゲームだったわけか。
なんでか知らないが、丸のユニフォームがやたらと目立っていたのであった。そんなに丸っていいのかね。

姫路に着くとさらっとメシを食って宿に入る。風呂に入って画像整理して寝る。明日からしばらくずっと大変だぜ!


2014.7.18 (Fri.)

終業式! ついに夏休みだぜイヤッホォォォォォゥ! 去年よりも授業のコマが増えて毎日ヘトヘトになっていて、
もうどれだけ夏休みを待ちこがれていたことか。おかげで今年の夏もびっちり予定が詰まっているぜウヒヒ。
詩聖・杜甫はもらった牛肉を食べすぎて死んでしまったというが、こっちも休みということで浮かれて予定を入れすぎて、
夏休み期間中ずっとヘロヘロ、なんて事態が容易に想像できるぜ。でも止まんない止めらんないのだ。
というわけでさっそく明日から旅に出るもんね。とことんまで味わい尽くしてやるもんね。


2014.7.17 (Thu.)

『グラゼニ』の続きを読んだらいつのまにかえらい展開になっとる……(→2012.6.18)。
ポスティングにユキちゃん求婚にオイオイオイと。なんだかスタート地点から離れてきちゃったなあ、と。
最初は冴えなかった夏之介が、読者の感情移入とともに活躍していくのはわかる。スポーツを扱ったマンガってのは、
主人公の成長ぶりを楽しむものなので、それは当然のことなのだ。いつまでも目立たない中継ぎじゃドラマにならん。
しかしシリーズ男になったり逆シリーズ男になったりでどんどん夏之介のプロ野球界全体での存在感は増していき、
その結果ポスティングでメジャーを目指すってところまで行っちゃうとは。個人的にはやりすぎだと感じもする。

ただ、作者は野球のことを本当によくわかっているので、それでいいのだ、という気もする。
プロ野球選手にとってポスティングやメジャーがどういうものかってのも、当然、『グラゼニ』らしい視点だ。
そこにわれわれシロートの代表でもある夏之介が切り込んでいくというのは、ある意味マンガとして正しいと思う。
たぶん作者はフィクションとリアリティのバランス感覚をきちんと保っていると思うので、この流れを否定はしない。

このマンガは出てくるキャラクターが本当に魅力的で、夏之介が遠いところに行きそうな感じになっていても、
その部分を絶対に守ってくれているので安心感がある。根底にはプロ野球関係者に対する深い愛情があるのだ。
それが随所に感じられるマンガなので、夏之介がえらいことになっていても、まあ大丈夫だろうと思える。
そんなわけで、今後も期待して読ませてもらうとするのだ。ああ、日本のマンガは豊かだなあ。


2014.7.16 (Wed.)

『けいおん! college』を今さらながら読んでみたよ。こちらはいつもの4人に加えて「恩那組」の3人と先輩が登場。
しかし4人のやりとりは相変わらず。大学生らしい部分もあるが、高校生活の延長線上という感覚も強く残している。

桜高軽音部の中だけで完結していた世界から、N女子大学の軽音部へと舞台が広がった。これはけっこう大きい。
「うち」と「そと」の関係が曖昧になったのだ。「恩那組」は「うち」だけど「そと」で「そと」だけど「うち」という、
中途半端な立ち位置にある。この微妙な位置関係を最後まで解決できなかったところに『college』の問題点がある。
『けいおん!』では唯・澪・律・紬の4人に、やや「そと」の「うち」側に梓と憂がいて、それを唯が絶妙につないだ。
一方で「うち」の「そと」側にはさわちゃん。そこの温度差を上手く使ってギャグを成立させていたわけである。
しかし『college』における「恩那組」はライバルとしての存在感がどうしても強く、「うち」と「そと」の混じり方が、
解決しづらい違和感としてずっと続いていくことになる。これは『けいおん!』本来のユルさと相反するものだ。
結局のところ、「恩那組」で最も尖っている晶がキーパーソンとなり、晶のコントロールに手こずれば手こずるほど、
晶の出番が増えてかえって「恩那組」の違和感が強調されてしまった。また相対的に唯・澪・律・紬の描写も減った。
主人公が誰なのか、ドラマの中心は誰なのか、そこがかなりぼやけてしまったこともあって、面白みは激減してしまった。

『けいおん!』本来の魅力とは、邪魔者がいない絶対的な内部空間のドラマという点である。それが「ユルさ」の秘密。
でも大学とは開放されている空間だし、18歳を過ぎると無条件に庇護される対象ではなくなってしまうのだ。
まあ要するに、いつまでもぬるま湯に浸かっているわけにはいかない、のである。ユルさを続けたくても続けられない。
『college』では大学生としての生活をある程度きちんと描いた分だけ、矛盾がどうしても生じてしまった。

『highschool』と『college』を描いたことで、作者が『けいおん!』をしっかりと終わらせたのは確かだろう。
ただ、両者の質感の違いが示唆するところは普遍的なものを孕んでおり、とても興味深い。とりあえず、お疲れ様でした。


2014.7.15 (Tue.)

『けいおん! highschool』を今さらながら読んでみたよ。唯・澪・律・紬が抜けて梓が残った軽音部に憂・純が加入。
そこに1年生の菫と直が入ってさわちゃんそのまんまで相変わらずユルい日常が続くという話なのであった。
雰囲気はもう『けいおん!』(→2011.3.19)の世界そのままで、非常に癒される内容である。特に文句はございません。

ポイントは、梓のその後が描かれたってことだと思う。大好きだった先輩たちがいなくなった状況でも楽しくやっている、
その光景が公式に描かれたことの安心感。それに尽きる。蛇足という見方もできなくはないのかもしれないけど、
時間が経っても「変わらない部分」を表現したことで、ファンにはよかったんじゃないかと。そう思うんですけどね。


2014.7.14 (Mon.)

ブラジルW杯もついに決勝戦。今大会はきっちり追いかけたので本当につらかった……。カードはドイツ×アルゼンチン。
「フットボールは単純だ。22人がボールを奪い合い、最後はドイツが勝つ」とはゲーリー=リネカーの言葉。そうなるのか。
対するアルゼンチンはメッシを擁してここまで来た。メッシは最後に残った勲章をここで手に入れることができるのか。

さすがに決勝戦ともなると両チームとも焦らない感じで、どちらも様子を探り合う比較的静かな展開となる。
点を取った瞬間にスイッチが入って相手の反撃がすごくなるに決まっているので、できるだけそうならないようにしている、
そうして本気でぶつかり合う時間をできるだけ削っている感じ、というのはひねくれた見方だろうか。でもそんな印象なのだ。
まったく全力を出していないわけではないだろうが、見ているこっちとしてはどうにもテンションが上がらない。
それでもどちらかというとアルゼンチンが攻めにかかって、空振りが続く展開。イグアインに精度がないのが気になる。
ドイツはドイツで、ギアを上げればいつでもいけるぜ的な怖さがあるのも確かである。なんとなく不気味だ。
どっちかが1点取ればドバドバいく展開になるんだろうけど、スコアレスだと本当に動かない。今大会の大きな特徴だと思う。
攻防にしっかり緩急がついているせいか、全体を通すと選手たちがあまりがんばっていないように見えるシーンが多い。
もっとも、どっちもチャンスを決めきれないのは、それが決勝戦特有のプレッシャーということなのかもしれない。

結局、またしても延長戦に入る。延長戦になったらさすがに攻撃の迫力がはっきりと増してきた。
そしてゲッツェが横からのクロスを胸トラップ、そのまま左脚でシュートして、ついにドイツが得点を奪った。
こんなのよく一瞬で決めきるなあ、と呆れるしかない。その後、アルゼンチンは攻撃をきっちり封じられて、ドイツが優勝。
メッシはマラドーナになれず、ということでまた4年後。現代サッカーはホントに11人でやるからね、難しいよね。

さて試合中、コルコバードの丘にあるキリスト像の背中に夕日がかかるシーンがあったのだが、
これは決勝戦の舞台でそうなるように計算していたのだろうか。演出としては上手いけど、ちょっと気になる。


2014.7.13 (Sun.)

はい昨日に引き続いて天皇杯観戦ですよー。今日はJ2の千葉とJ3の長野の対戦。長野は長野県代表なので、
いちおう長野を応援するスタンスでの観戦なのだ。長野といい松本といいジャイアントキリングがすっかり定着しているが、
今年もやってくれるのか。午前中に髪の毛を切ってさっぱりすると、大いに期待しつつ蘇我までのんびりと移動。

ここで両チームの現況をまとめておく。千葉は「なんでんかんでん」の社長そっくりと評判だった鈴木監督を更迭し、
ロンドン五輪代表監督だった関塚さんを招聘。関塚さんは磐田を立て直せなかったのだが、とにかく招聘。
相変わらず我慢の足りないクラブだなあと呆れてしまうが、金はあるのでしょうがない。まあがんばってくださいなのだ。
対する長野は初年度のJ3で2位につけている(首位は町田)。4ヶ月前の開幕戦(→2014.3.9)を観た限りでは、
パスアンドゴーで崩した薩川体制から美濃部監督らしい手堅いサッカーへのシフトが進んでいる印象がどうもある。
頼むから松本のようになってくれるなよ(→2010.4.42011.4.302013.8.4)、と思っているんだけどなあ。

ウットリと工場を眺めつつメインスタンドへ。ふだんは高くてとても入る気がしないフクアリのメインスタンドだが、
本日は天皇杯なのでリーズナブルなお値段なのだ。まさか自分がフクアリのメインスタンドで観戦する日が来るとはね。

  
L: メインスタンド側からサッカーグラウンド越しに見えるJFEスチールの工場群。工場とサッカーを両方堪能できる貴重なスタジアムだ。
C: メインスタンドより眺めるフクアリのピッチ。新鮮だ! リーグ戦じゃ絶対にこっちから観戦することなんてないもんなあ。
R: 関塚監督登場。サポーターの歓声に応えるが、その後ろにはオシムの横断幕が。オシム以後、何人の監督が指揮を執ったか。

サポーターの数はさすがにホームの千葉の方が多いものの、長野もかなり健闘しており、声量では決して負けていない。
4年前の信州ダービーから、ずいぶんサポーターが増えてきている(→2011.4.30)。南信の置いてけぼり感が半端ないぜ。
南長野の改修も今年度中に終わる予定で、J2昇格に向けてタイトな日々が続いている長野パルセイロだが、
天皇杯は日本で最も権威のある大会。そして何より、全国的な規模でのジャイアントキリングの期待も当然ある。
千葉と長野、さあどっちが勝つ?と訊けば、カテゴリーの差はあるけど近年の千葉のだらしなさと長野の不思議な強さから、
おそらく「長野」と答える人の方がわずかに多いんじゃないかと思う。希望的観測も多分に入っているけど、そんな気がする。
現実的なことを言えば、長野は昇格すれば、来年は千葉と同じカテゴリーに属することになる(千葉は昇格せんでしょ)。
だからこの試合にJ2とJ3の差なんてものは存在しないも同然なのだ。千葉は長野以上にそのことをわかっているだろう。
J3の首位争いと並行して天皇杯で勝ちあがる。それができなければ、クラブとして力がないということだ。

 
L: 長野の試合前の練習風景。なんだかオシャレな練習着なんて着ちゃって。長野も豊かになってきたな。
R: フクアリに終結した長野サポ。これ以外にもメインスタンドを中心にかなりの量の人たちが押し寄せていた。

試合が始まると、まずはだいたい拮抗した展開。さすがに千葉の方がやや技術の高さを感じさせるプレーをするが、
長野もよくパスを回して応戦。なかなかいい距離感でパスをつなぐシーンが散見され、なんだかほっと一安心。
強烈に崩すパスワークというところまではいかないが、相手に触らせずチーム全体でキープすることができている。

 
L: 長野は守備時に5バックになるフォーメーションを採用。しっかりと千葉の攻撃を閉じようという意図がはっきり見えた。
R: 長野がパスをつないで徐々に上がっていくシーン。以前よりは個々のスキルが上がっている印象。いいぞ、どんどんやれ。

しかし先制したのは千葉だった。右サイド深くに入り込んだ千葉はクロスを上げ、FW森本がヘッドで合わせた。
やはりカテゴリーが上がるとひとつひとつのプレーの質が高くなるのである。一瞬の隙をきっちりと突いてくるのだ。
ところがその直後、今度は長野がゴール。千葉の守備陣が回すボールにFW勝又が足を伸ばして触り、
こぼれたところをFW佐藤が見逃さずに突き刺した。勝又はこの後もしつこくて面白いプレーを連発。見応えがあった。
長野が同点に追いついたことでお互いに攻め合う展開が続くが、前半終了も近づいた39分にまた試合が動く。
FKで千葉のゴール前が大混戦になり、最後は宇野沢がヒールで流し込むというさすがのセンスを発揮。
逆転で長野がリードしてハーフタイムを迎えることとなった。さあ、逃げ切ってジャイアントキリング達成なるか。

  
L: 10分、千葉が森本のヘッドで先制。  C: しかしわずか1分後に長野が追いつく。勝又の前線からの守備はしつこくていい。
R: 39分に長野はFKから押し込んで逆転に成功。あの状況でヒールを使う宇野沢のセンスにあらためて舌を巻くのであった。

後半に入っても互角の戦いが繰り広げられると思ったが、地力を見せたのは千葉の方だった。確かに試合巧者だった。
千葉のDF山口が足首を負傷してピッチの外に出て、長野の集中力が切れた。その一瞬を、千葉は見逃さなかったのだ。
スローインからクロス、そこにケンペスが飛び込んで同点。昨日の大宮×八戸もそうだったが、サッカーは一瞬の隙、
そこを的確に突ききることが勝利の条件なのだ。おそらくカテゴリーの差で最も大きいのはこの部分ではないかと思う。
千葉は山口を心配する長野の一瞬の隙を突き、得点/失点という形でその親切心に応えてみせたわけだ。

 これで同点。長野は痛い失点を喫してしまった。

千葉はその後、山口に代えてMFを入れることで攻撃の度合いを強めていく。そして69分、千葉が勝ち越す。
ケンペスからのパスを受けた森本がミドルシュート。あまりにその判断が鮮やかだったので写真を撮れなかった。
これではっきりした。千葉と長野の差は、「ストライカー」の差だったのだ。刺す(strike)ヤツがいるか、いないか。
千葉には2人いたが、長野には0.5人くらいしかいなかった。頼みの宇野沢も明らかに動きが重いのが痛かった。
長野の急所を個の才能で刺しきった千葉に対し、長野はあまりに正直にプレーしすぎた。振り返るとそうなる。

残念だったのは、逆転されて以降、長野のプレーがはっきりと精彩を欠いてしまったことだ。その姿に僕はどうにも、
「J3の首位争いに向けてダメージを残すわけにはいかない……」という言い訳めいたものを感じずにはいられなかった。
得意の天皇杯でさらに名声を高めるチャンス、そんな気持ちを感じさせるプレーがなくなった。それがいちばん悲しい。

試合は結局、3-2で千葉が勝利した。昨日と違ってエール交換も何もなし。当然だろう。もし千葉がやったら、
それは長野に対して失礼になる。長野パルセイロというクラブは、もはやそういう位置まで来ているのだ。
来年戦うことになるかもしれない相手に対して情はかけない。これもまた、日本サッカーの進化の姿か。


2014.7.12 (Sat.)

今週末は天皇杯(2回戦)だぜ! W杯に天皇杯、ふだんの部活もあってサッカー漬けである。困ったもんだ。
さてどの試合を観に行くか、と思ったのだがリストを見て即決。今年のGWには八戸を訪れたけど(→2014.5.3)、
そのときにさんざんフラッグを見かけたヴァンラーレ八戸が、なんと大宮に来るというではないか。こりゃ行くしかない。
しかしただ大宮に行くだけでは面白くないのだ。「レンガ前川(→2014.6.28)」の埼玉県立歴史と民俗の博物館、
いやその前にきちんと盆栽村を訪れなくちゃいかんだろう!ということで、ルートが確定。鼻息荒く列車に乗り込んだ。

本日最初の目的地は「盆栽村」である。最寄駅は土呂駅で、大宮から東北本線をひとつ先へ進んだところにある。
まずさいたま市大宮盆栽美術館を訪れ、盆栽について理解を深めておく。炎天下の住宅地を歩いてわりとすぐに到着。
さて僕は大宮の盆栽村を訪れるのは初めてなのだが、実を言うと大学時代から、いつか絶対に訪れようと思っていた。
というのも大学3年のときのゼミ論文で、われわれはさいたま新都心と3市(大宮・浦和・与野)合併をテーマにしたのだが、
そのときに大宮の盆栽村について書いたゼミテンがいたから。彼はパラダイス山元が提唱したマン盆栽まで紹介してくれて、
「盆栽ってのは面白いけど奥が深すぎてキリがねえなあ」と思ったのであった、で、いつか現地に行ってみようと思いつつ、
気がつけば大学を卒業し、大学院も修了し、就職し、転職し、あっという間に14年も経っていたんでやんの。キャー!
まあそんなわけでものぐさな僕は、14年間盆栽村のことを忘れたり思い出したりしながら「いつか行こう」と考えていたのだ。
やっぱり大宮という、いつでも行ける感が満載な位置なのがいけない。14年も寝かせていたなんて恥ずかしすぎるよ。

で、さいたま市大宮盆栽美術館である。オープンは2010年ということで、だいぶ新しい施設なのである。
しかしこれができるまでには紆余曲折があった。いちばんの問題は、なんと5億円を出して盆栽を買うという計画で、
議会で大いにモメたという話を覚えている。たかが盆栽に5億円とかふざけるな!という意見が多数あったわけです。
当時の僕の立場は、「市が盆栽に対して本気なら、5億円出すのは当たり前だろ」というかなり積極的な肯定姿勢で、
最終的に市は5億円を出し、盆栽美術館のオープンにこぎ着けたのである。だから僕は行かないといかんのです。
さいたま市大宮盆栽美術館は建物としては非常に地味。ちょっと豪勢な邸宅、といった雰囲気でたたずんでいる。
中に入るとクーラーが効いていて非常にありがたい。300円払ってさっそくお勉強を開始するのであった。

  
L: 土呂駅。ロータリーのところに、盆栽を思わせる木々と「盆栽のまち大宮」と彫られた碑があった。なるほどなるほど。
C: さいたま市大宮盆栽美術館の外観。私設の美術館のような落ち着いた雰囲気。住宅地でやや迷いやすいかも。
R: 2階のテラスより盆栽が並べられている中庭を眺める。撮影可能な場所がはっきりと決められているのだ。

盆栽というと、どうもわれわれ「ジジイの趣味」というイメージがある。しかし展示を見ていって感覚的に思ったのは、
これは金魚や錦鯉の植物版なんじゃねえかということ。あとは自然を人工的にコントロールする遊び、という要素の強さだ。
そしてもうひとつ、盆栽というのはフィギュア趣味に通じるものがあるのではないか、とも感じた。ミニチュアを愛でる、
その点において似たところを感じるのだ。しかしやはり盆栽は生きた対象であり、その点ははっきりとペットに近い。
まあとにかく、日本人が本質的に持っている部分を的確にくすぐってくる趣味であることは間違いないだろう。

しかしその割には、盆栽が確固たる趣味のジャンルとして認められるまでには非常に長い苦難の歴史があった。
そもそも、「盆栽」という名称が定着したのが明治に入ってからなのだ。いちおう最古のルーツとしては平安時代、
遣唐使が持ち帰った「盆景」が挙げられるそうだが、特にひとつの美術ジャンルとしては一般には確立されないままで、
趣味人が好き放題に育てていたようだ。特に江戸幕府の3代将軍・徳川家光が好んで育てていたとのこと。
やがて明治に入って有力政治家たちが盆栽にハマったことで、ようやく趣味として日の目を見るようになったようだ。
ところが戦時中には、盆栽は贅沢ということで猛烈な逆風の中に叩き込まれている。そしていまだに地味な印象のまま。

  
L: 盆栽で好まれるのは松と真柏(イブキ)で、合わせて松柏と呼ぶそうだ。こちらは真柏で、枝が枯れた「ジン(神)」が印象的。
C: こちらは松。松も黒松と五葉松がそれぞれ人気。ちなみにこれは違うが、幹が枯れているものは「シャリ(舎利)」と呼ぶんだって。
R: 美術館の裏側(駐車場側)では即売所が営業中。手ごろな値段でいろいろ並んでいる。心に余裕があれば買えるかもねー。

14年前のゼミ論のときには「盆栽は実は外国人にも人気」ということだったが、確かに即売所には外国人の客がいた。
これもまた正しいクールジャパンだと思うんだけどねえ。ガーデニングよりは純粋に芸術に近い。もっと広がっていいと思う。
なお、マン盆栽は盆栽美術館ではその存在が完全に無視されておりました。それはそれで悪くないと思うけどなあ。
手ぬぐいなどのお土産もあって、けっこう惹かれていくつか買ってしまった。近くて遠かった盆栽がちょっと身近になったかな。

そのまま南へと進んでいくと、同じ住宅地ではあるのだが、少しだけ雰囲気が変わる。道路に少し余裕ができて、
その分だけ緑の比率が上がった感じがするのだ。なるほど、いわゆる「盆栽村」に入ったんだなと思い、さらに歩く。
緑の多い方へ多い方へと進んでいくと、やがて明らかにふつうの住宅地とは異なる空気の場所に出た。
確かに宅地化しているが、道の曲がり具合や生垣など、昔ながらの土地の使い方がはっきりと残っているのだ。
どこが最も違うのかと問われれば、「土の匂い」と答えるしかない。土の匂いの残る住宅地、それが盆栽村だった。

  
L: 盆栽村らしいエリアに入った(かえで通りの北)。ゆったりと曲がる道、生い茂る緑。しかししっかりと住宅地なのである。
C: 土の匂いがするということは、植物たちが人間の管理から逸脱しかけているということだ。自然と人間の共存か。
R: 盆栽村の中にある盆栽園をちょっと覗いてみたところ。最盛期には30軒ほどだったそうだが、現在はわずか5軒が残るのみ。

なぜ大宮に盆栽村が生まれたのか。きっかけは1923(大正12)年の関東大震災で、文京区の盆栽業者が集団移転。
その際に、盆栽を10鉢以上持て、門戸は開放しろ、平屋にしろ、生垣をつくれ、といったまちづくりのルールを決めたので、
このような特殊な景観の街ができあがったというわけだ。おかげで今ではすっかり高級住宅地となっている。

 盆栽村にある、さいたま市立漫画会館。北澤楽天の記念館である。

もうしばらく盆栽村をフラフラ歩いてみる。14年前に体験しておくべきだった空間を、今ごろじっくり味わうのは恥ずかしい。
しかしこういう感触の住宅地は初めて経験する。日本にはいろんな空間があるなあ、と目からウロコが落ちる思いだった。

  
L: こちらは東西方向の通り。南北方向ほどではないが幅に余裕があり、緑も多い。はっきりとした特徴のある街だ。
C: 盆栽村内にある公園。2つあるが、どちらも植物が生い茂ってやりたい放題。むしろそこに、緑を優先する価値観を感じる。
R: もみじ通り、盆栽四季の家付近。こちらはアスファルトでしっかりと舗装されており、だいぶふつうの住宅地である。

というわけで、これでようやく14年越しの街歩きができた。もっと早く来るべきだったと反省しきりでございます。
そのまま大宮公園に入ってしまう。敷地の北端にあるのが、前川國男設計の埼玉県立歴史と民俗の博物館だ。

  
L: 埼玉県立歴史と民俗の博物館。1971年にオープンしている「レンガ前川(→2014.6.28)」の代表的な存在。
C: 進んでいってエントランスと向き合う。  R: エントランスの向かい側。コンクリの骨格をレンガで覆っているわけだ。

埼玉県立歴史と民俗の博物館はもともと、埼玉県立博物館としてオープンした。2006年に民俗文化センターと統合し、
現在のような名称になったのだ。中に入ると見事に前川っぽい空間、そしていかにも県立レヴェルの公共施設である。
僕はそこにやはり、前川國男が「レンガ前川」を通して日本の公共施設を定式化していった、ということを思うのだ。

  
L: 内部空間。レンガとコンクリで破綻なくまとめられたその姿に、僕は前川らしいモダニズムの継続・発展を感じるのだが。
C: 椅子が並んでいる。時代をしっかり反映したデザイン。  R: こちらはスツール。インテリアもまた、モダンな公共施設っぽい。

いちおう中の展示も見学したが、まあそれほどキレている内容ではなく、ごくふつうの博物館の域を出ない印象。
それでも埼玉(さきたま)古墳群(→2012.12.8)と武蔵国の武士団についてはさすがに詳しく、興味深かった。
吹抜空間に並ぶ板碑は壮観だけど、すべてが複製。これはガックリである。もうちょっとなんとかならんのか。

  
L: 休憩スペース&ミュージアムショップ。机や椅子は開館当初から取り替えられていると思うが、天井のライトがやっぱり非凡だわ。
C: 併設されている「昭和の原っぱ」。なんかちょっと雑では。  R: 木々に囲まれていて外からは見づらい。これはテラス部分。

中の見学を終えると外を一周して眺めるが、木々に囲まれていて非常に見えづらい。「レンガ前川」は矩形である分、
全体像がつかみづらい点が特徴として挙げられると思うが、木々とレンガの調和を目指したのもその一因であると思う。
「隠れる建築」とまでは言わないが、高さを落としてべったりとした感触になっているものが多いと感じる。

 裏手にはこんなふうにコンクリートがむき出しの部分も。

さて、北端の博物館から大宮公園の中を探検するように南下していくとしよう。大宮公園は実は第三まであって、
氷川神社に隣接するのがメインの大宮公園。1885(明治18)年に設立されてからしばらくはけっこう大変だったようで、
管理する自治体が二転三転している。結局、埼玉県が運営し、野球場やら競輪場やらがつくられて今に至る。

  
L: 大宮公園の舟遊池。  C: 児童遊園地。昔懐かしいFM音源(だと思う)の音楽が流れていて、非常にノスタルジック。
R: 第2代埼玉県令・白根多助の頌徳碑。住民の意思を尊重した県政で知られた。碑の覆いがなんかロシア構成主義っぽいな。

実際に歩いてみると、博物館に運動施設に遊園地に庭園に池に木々と、実に多様な要素が混じった空間となっている。
その中でも僕がもっとも時間をかけて見たのは小動物園。確かに規模は小さいが、動物の種類はけっこう多彩なのだ。
ツキノワグマやブチハイエナなど猛獣系もいる。特にフライングケージ内ではフラミンゴを目の前で観察できる。
これは大したものだと思いつつはしゃいで撮影。もうちょっときれいにできると、ぐっと魅力が増すと思うんだけど。

  
L: 公園内の無料施設ながら充実している小動物園。  C: フラミンゴをこんな構図で撮影できるとは驚いた。
R: 構造色による羽の光の反射がきれいなムギワラトキ。鳥類をこんなに気軽にいろいろ見られるとはうれしい施設だ。

そんなわけでカメラ片手にウハウハしながら園内を一周。たいへん楽しゅうございました。
氷川神社やサッカー場には何度も来ているけど、大宮公園をクローズアップしたのは恥ずかしながら初めてである。
こうしてじっくり歩きまわってみると、今までその魅力に気づかなかったことが情けないくらい面白い場所だった。

 
L: 南側の入口に近いところにある日本庭園。見てのとおり、大宮公園はさまざまな要素を組み合わせて成り立っているのだ。
R: 大宮公園・南側の入口。ここまで来ると大宮公園サッカー場がすぐなので、すでにサポーターたちがたむろしていた。

というわけで、やっとこさサッカーの時間なのだ。いちばん上で述べたように、本日は天皇杯2回戦ということで、
ふだんなかなか見られない対戦カードが実現。JFLのヴァンラーレ八戸がJ1の大宮アルディージャに挑むという構図である。
僕の興味はただ一点、八戸がどんなサッカーをやるのか、だ。あとは八戸サポーターの数がどれだけがんばるか。
そう、後発地方クラブのやる気を見るために大宮に来たのである。日本サッカーの豊かさと底力を、僕に見せておくれよ。

  
L: 大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)。これはホーム側のゴール裏からピッチを眺めた光景である。
C: 今回はメインスタンドに陣取ってみました。向こうに見えるのは埼玉県営大宮公園野球場。高校野球やってたわ。
R: アウェイ側ゴール裏、八戸サポの皆さん。はるばる八戸からといっても、東北新幹線的には一本で来られるのね。

試合が始まると八戸が想定以上の健闘ぶりを見せる。今年からJ3がスタートしたため、JFLは4部リーグに当たる。
しかし日本サッカーは年々着実に底上げがなされており、J1だからといって余裕を持って戦うのは難しくなっている。
ちょっと前ならあった差が、目に見えてはっきりと縮まっている。油断すると、本当にコロッとやられてしまうのである。
この事態はカテゴリーが上のクラブほどやりにくいものであると思う。年々、相手のレヴェルが自分たちに近づいている。
しかしトップリーグに属している以上、勝って当たり前という空気は変わらない。大宮の選手たちは本当にやりにくそうだ。
それはプレーにも明確に現れていた。大宮は集中力に欠けるパスミスが多く、自分たちのリズムをつくることができない。
対照的に八戸は、確かに大宮ほどの技術はないのだが、積極性を前面に押し出して大宮にペースを握らせない。
罵声が飛びはじめるスタジアムだったが、それは大宮の不甲斐なさに対して向けられるもので、実に正当なものだった。
大宮サポーターからは「JFL相手に……」という驕りは感じられなくて、むしろJFLの相手が手強いことを理解したうえで、
自分たちの応援するクラブにミスが多いことに対して怒っていた。それは僕の見たかった日本サッカーの豊かさの一面だ。

だから開始5分であっさりと八戸が先制しても、それはそれとして「大いにありうるプレー」と頷けるものだった。
CKのチャンスを得ると、ニアへ小さめの弧を描くボールが入り、それにダイビングヘッドで合わせてゴール。
守備側のタイミングを微妙にはずしつつ、攻撃側はしっかりとそれに対応するというすばらしいゴールだった。
その後も八戸はリズムに乗り切れない大宮に対し、10番の新井山を中心にチャンスを演出。締まった好ゲームとなる。
それにしても、下部リーグの10番の選手は必ず確かなアイデアと技術を持っているので、見ているとそれだけで楽しい。
長野の宇野沢は体の強さと技術の高さが群を抜いているし、去年まで鳥取にいた実信もクレヴァーなプレーをしていた。
どうしてか下部リーグの10番はそういうタイプが多いのである。どっかのサッカー雑誌か何かで特集を組んでほしい。

その後も大宮のミスに助けられながら互角に近い戦いぶりを見せる八戸だったが、やはりJ1らしい賢さが効いた。
38分、大宮はFKのチャンスを得ると、橋本はそのまま単純に蹴らずにリズムを変えてからゴール前にボールを蹴り込む。
このタイミングのズレを生かし、菊地がボレーでゴールを決めた。一瞬の隙を衝くのはJ1ならではの厳しさで、
八戸は痛い時間帯に追いつかれてしまった。前半を1点リードで逃げ切るのとでは、天と地ほどの差があるのだ。

そんなわけで前半のうちに態勢を建て直すことに成功した大宮は、後半に入るとすっかり落ち着いてプレー。
特に違いを見せつけたのは、家長だった。パスにドリブルにと存在感を見せ、まさに大宮の軸として試合をコントロール。
ほかの選手も実力を見せたのだが、特に家長のところで必ず八戸をバタつかせる展開をつくったことが大きかった。
大宮は後半開始すぐの50分、55分と長谷川が2連続でゴールを決めて、八戸の希望をきっちり断ってしまった。

  
L: 八戸が先制したシーン。CKから意表を突く形で見事にゴールを決めてみせた。八戸はこの後も健闘を見せる。
C: しかし前半も終わりが近づいた38分、橋本のFKから菊地がゴール。J1らしい駆け引きの上手さが見えたプレー。
R: 後半に入ってついに大宮が逆転。長谷川は前半に負傷したズラタンの代わりに入っており、振り返ると采配ズバリ。

尻上がりに調子を上げる格好になった大宮に対し、八戸はなかなか打つ手が見当たらない状況へと追い込まれる。
家長を軸にして多彩な攻撃パターンを持つ大宮と、新井山から先が抑えられたまま続かない八戸。苦しい時間が流れる。
結局、試合はそのまま3-1で順当に大宮が勝利。八戸はすがすがしい健闘ぶりを見せてくれたが、及ばなかった。

八戸の先制点や家長を軸にした大宮の攻撃など、この試合にはたくさんすばらしいシーンがあり、見応えがあった。
しかし僕が最も感動したのは、試合終了後に両チームがとことんまでその健闘を讃え合ったことだ。これは美しかった。
大宮サポは大声援の八戸コールを贈り、八戸サポからも大宮コールが返る。さらに八戸の選手が大宮ゴール裏で挨拶、
拍手喝采を受ける。同じく大宮の選手も八戸ゴール裏に挨拶し、拍手喝采を受ける。天皇杯とはなんて素敵なんだ。

  
L: 終盤、八戸のFK。後半に入って攻め手の豊富さという点で、両チームの差がはっきりと現れることとなった。
C: 試合終了後、大宮のゴール裏に挨拶する八戸の選手たち。大宮サポは彼らを最大限の敬意で迎え入れた。
R: 同じように八戸のゴール裏に挨拶する大宮の選手たち。こういう美しい光景が日常的に見られるようになるといい。

大宮の声援の背景には、J1とJFLというカテゴリーの差、それを考慮したうえでの敬意というものがあるのは事実だろう。
しかし大宮サポにJFLを貶める意識がまったくないことは明らかで、これは純粋なエールなのだ。「早く上がって来い」と。
サッカーの実力というものは、時には残酷なほどにはっきりとしたものがある、それは日頃の部活でよくわかっている。
だが、サッカーというものはまた、平等なスポーツでもある。強い者が90分間を通して強いままでいることは絶対ないし、
弱い者が90分間を通して弱いままでいることもない。その力の差を知恵と勇気で凌駕しうるところが「平等」なのだ。
八戸は大宮の実力に拍手を贈り、大宮は八戸の知恵と勇気に拍手を贈った。スポーツの純粋さが見えた試合だった。


2014.7.11 (Fri.)

台風が来るぞー!ということでウチの区はあっさり休校になったので、そんならオレも休む!と即決。
そしたら台風はよくわからないうちにどっかに行ってて、蒸し暑いけどいい天気の休日だけが残ったのであった。
なんかすげえ優雅なんですが。まあここんとこひどく疲れていたし、ゆっくりさせてもらいましょう。TGIF!
(TGIF=Thank God, It's Fridayのこと。もともとはレストランの名前。ALTに教えてもらって初めて知った。)
まあそんなことを書くのも品川でTGIフライデーズの店舗を見たからなんだけどね。「ああ、なるほど」と。
品川へ行ったのは映画を見るため。『ゴジラ』の60周年記念デジタルリマスター版上映が今日で最後なので。
いちばん最初の『ゴジラ』は見たい見たいと思っていたが、なかなか機会がなかった。だからこりゃチャンスだと。

『ゴジラ』。日本を代表する怪獣映画の第一作目にして、原水爆への批判を突き付けた意欲作である。
あらすじについてはここで書くまでもないのでWikipediaやらなんやらを参照してください。ネタバレありで書きます。
まあ『ゴジラ』論なんて世界中のあちこちでいっぱい書かれているんだろうけどね。とりあえず書いてみるべ。

この作品が単なる怪獣映画の枠を超えて普遍的な作品となっているのは、ゴジラが「災厄」として描かれているからだ。
根底にあるのはもちろん、原水爆という究極的な破壊力を持った兵器に対する恐怖・脅威であるのだが、
東日本大震災という歴史的な事件を通過したわれわれには、「絶対的な災厄」について問い直す要素も含んでいる。
つまり、1954年の公開当時は原水爆が原因である「人為的な災厄」としてゴジラの襲撃を受け止める要素が強かった。
しかし大量破壊兵器が拡散しきっている現状と、3年前から引きずっているトラウマがある現代のわれわれにとっては、
ゴジラの象徴するものが「防ぐことのできない絶対的な災厄」にも見える。そのズレから今の時代を考えることは可能だろう。
そしてわれわれがその災厄を回避する手段を想像する際、キーワードとして浮上するのが「科学」であることは変わらない。
そこに日本人の特性を見出すこともたぶん可能だろう。日本人は基本的に、「科学」に対してオプティミスティックである。

この作品には古生物学の権威・山根博士(志村喬)と、怪しい研究をする芹沢博士(平田昭彦)のふたりが登場する。
共通するのはどちらも科学者として真摯な姿勢を貫いていること。人々は科学者・研究者に対し尊敬の念を抱いている。
政治が彼らをないがしろにする場面がほとんどないことに僕は驚いた。確かに山根博士はゴジラを生かしたいと願うが、
だからといって周囲の人々は彼を危険人物視することはなく、それはそれとして彼の立場じたいは大いに尊重している。
作品中には1954年当時の風景がふんだんに描かれていて、テクノロジーの隙間がかえって生活の余裕を感じさせており、
「いい時代だったんだなあ」と思わせる要素が多い。それは科学・学問・研究についても同じことが言えると思う。
政治が研究の方向性を決めることはなく、研究の自由を保証し、その成果を期待する空気がはっきりと読み取れるのだ。
日本がこの60年間で最も変化した部分は、実はそこなのかもしれない。そう思いながらスクリーンを見つめた。

当然ながらこの作品中でいちばん重要な人物は、芹沢博士である。戦争によって負傷したという説明はあるものの、
片目にアイパッチをつけて怪しい研究に没頭するその姿は、過度なまでに異形の存在であることが強調されている。
それが意味することは、終盤で研究の内容が明らかにされることではっきりする。片方に「災厄」としてのゴジラがいて、
もう片方に「災厄」としての芹沢博士が配置されているのだ。つまり、ゴジラと芹沢博士は対置された存在なのだ。
芹沢博士は自分自身が「災厄」であることを深く自覚しているからこそ、最後にあのような行動をとったのだ。
そこにはあるのは知性であり理性だ。理性が強いからこそ、あのような選択をする。本能のままに暴れるゴジラに対し、
芹沢博士は理性をもってその「災厄」を有効活用して、さらにその「災厄」すらもなかったことにしてしまう。
つまり『ゴジラ』に描かれているのは人間の知性・理性そのものである。娯楽の怪獣映画なんて枠は完全に超えている。
この作品で特に優れているのは、人間の描写だ。どの登場人物もきちんと背景を持った一個人として描かれている。
そして芹沢博士が背負っているのは、表裏一体となっている「人間としての知性・理性」と「人間としての業」なのだ。

だが、そこにはもうひとつ、日本人の美意識という問題が提起されている。この物語の結末は、日本人ならではのものだ。
自分の役割を果たして潔く散る姿勢、周囲に迷惑をかけることを避ける選択、知性をもって災厄を鎮めようとする決意、
どれをとってもそれは日本人の美徳が深く染み込んでいるものだ。『ゴジラ』は日本人だからこそつくることができた。
この物語にどれだけ共感できるかにより、日本人が持っていた(いる?)価値観への理解を測ることができるかもしれない。
しゃべる人物を正面から撮影するカット(対話よりも独白の重視)、テンポのよい場面転換(歌舞伎など伝統芸能っぽい)、
ひとつひとつ地道に課題をクリアしていくように進む展開、そして何よりとことんまで粋を凝らしている特撮の技術、
そういったものもすべて含めて、『ゴジラ』は実に(「古き良き」と書き足すべきか)日本らしさが詰まった作品である。
一匹の怪獣とそれに対抗する人間、そのプロットに対してこれだけ豊かな要素を持たせているとは、驚くよりほかにない。


2014.7.10 (Thu.)

オランダ×アルゼンチン。着実に強さを発揮してきたオランダと、メッシを中心にここまで勝ち上がってきたアルゼンチン。
初戦のスペイン相手の大勝もあって、どちらかというとオランダの方が強そうかなあという先入観を持ってテレビにかじりつく。

序盤は落ち着いてスタート。アルゼンチンがボールを持ってもオランダはすぐにボールを奪いにいくわけではなく、
しっかり様子を見て対応している。そうするとことで、カウンターになった瞬間、きっちり人数をかけることができるのだろう。
オランダがボールを持つ場面でも、アルゼンチンは似た対応。無理せずに余裕を持って対応することを心がけているようだ。
アルゼンチンはメッシ、オランダにはロッベンとファン=ペルシー。絶対的なストライカーを止めることからスタートした試合だ。
静かな展開が続くが、これは終盤に全力の激しい戦いになるのを見越してのことだろう。静けさが不気味でたまらない。

メッシ以外の選手で粘り強くじわじわとチャンスをつくるアルゼンチンだが、得点は奪えないまま時間が過ぎる。
前半30分辺りからオランダも攻めるようになってきて、スナイデルのパスが実にかっこいい。距離も正確さも惚れ惚れする。
しかし確かにアルゼンチンの守備がいい。予想外と言っては失礼なんだろうけど、オランダのパスをきちんと回収して、
シュートまで行かせないのだ。組織でつぶしてという感じではなく、本当にサッカーセンスがいい選手がそろっている感じ。
アルゼンチンの守備を振り切れない姿を見るに、なんだかんだでオランダはコスタリカ戦のダメージがありそうだ。

これはゆっくりと熱が帯びていく試合だと思う。シュートまで行かせない、まさにつぶし合い。かなりの肉弾戦だし。
相手にやらせないためには迷うことなく体を投げ出す、そういうゲームだ。これはまさに「死闘」になってきている。
75分にはイグアインの惜しいシュートが出て驚いた。両軍ともに少しずつだが着実にゴールに肉薄してきている。
しかしその後はオランダがボールを持ってもアルゼンチンはよく対応。守備の集中力がまったく切れない。
終盤になって動きが活発化してきても、やっぱり最後をやらせない。アルゼンチンの守備はとことん落ち着いている。

そしてスコアレスのまま90分が過ぎて、また延長。そしてPK戦。どっちも守りきってしまったので、こりゃもうしょうがない。
しかしアルゼンチンはGKがスナイデルを含めてオランダを2本止めて勝負あり。今度はオランダが止められてしまったか。
同点でPK戦を経て次へ進むのが珍しくない展開は、なんだか高校サッカーっぽいように思う。でもここまで守備が凄けりゃ、
そうして決着をつけざるをえないのも納得せざるをえない。オランダは準々決勝のコスタリカ戦でPK戦用のGKがハマったが、
彼を出させない采配をやりきったアルゼンチンが上手だった、ってことだろう。結果論だけど、そう納得できてしまう。


2014.7.9 (Wed.)

ブラジル×ドイツ。ネイマールとチアゴ=シウヴァを欠くブラジルと、準々決勝と同じメンバーで戦うドイツ。
開催国というアドヴァンテージもあるし、ブラジルにとってこれが極端にマイナスな状況とは思えない。
しかし平然とフランスを下してきているドイツには絶対的な余裕を感じる。何がどうなるのか読めない一戦だ。

試合開始直後、まだまだ序盤のはずなのに、その攻防がいきなり迫力満点である。一流の選手になると、
守備は必ず前へのコースを切っている。つまり、ゴールに向かってパスもドリブルもさせないポジションを取れている。
一瞬一瞬で必ずそれができていることの凄みをあらためて感じた。相手に自由にやらせないプレーが染み付いている。
そして攻撃も守備もとにかく速い。相手の動きを見てから反応するのではなく、すべてを予測して動くから速いのだ。
これってプロ棋士並みの読み合いをやっているんじゃないか、そう思える。それくらいアクションの連動がスムーズ。

前半わずか11分でCKからドイツが先制。それまでの攻防から考えるとあっさり点を奪ってしまったように見えるのだが、
これもチアゴ=シウヴァがいない影響なのかな、なんて思う。やっぱりセットプレーってのは特別な要素がある。
その後のプレーも両軍ともに、いちいち体も速いが頭も速い。J1はこうはいかねえもんなあ、とうらやましくなる。

23分にクローゼが押し込んでドイツが2点目を奪う。今度は流れの中からのゴールで、右サイドに振ってから中央へ戻し、
細かいパスでボールをキープしてから押し込むという形。やはり明確な意図と正確な技術こそが絶対的な差を生むのだ。
すると2分後にも右サイドからクロスが出て、スルーしたところにフリーで待っていたクロースが3点目を奪った。
信じられない失点劇だが、完全にブラジルは相手が見えなくなっている。さらにドイツはパスであっさり崩して4点目。
冷静になる間も与えないままにドイツが畳み掛けて、あっという間にブラジルはすべてが崩壊してしまった。
パニック状態のブラジルに対し、最高に集中しているドイツが残酷なまでに攻めきる。これはまさに惨劇と言うほかない。

焦るブラジルとは対照的に、ドイツはとことん冷静、冷酷で、5点目を奪った。完全にブラジルは戦意を喪失している。
集中が切れている。もうこの試合をプレーしたくないという感情がありありとわかる。中学生ならよくわかる感情だけど、
プロでも、そしてまさかブラジル代表でもそうなってしまうのか、とショックを受ける。なんという展開なんだろう。

野球と違ってコールドのないサッカーで、ブラジルはどれだけ汚名をそそげるのか注目して観戦する後半だが、
ドイツは序盤と同じようにオトナな守備でチャンスをつくらせない。それでもシュートまで持っていけるブラジルはすごいが、
GKノイアーが最後に立ちはだかって得点できない。ドイツは前半と同じく右サイドから入って中央でボールをつなぎ、6点目。
もうどうしょうもない。さらに今度は左サイドから一瞬でつないで7点目。何が罪で何が罰なのか、そんな仕打ち。
そう、後ろから入ってくるシュールレをフリーにしているところがすでに、まったく動けていないわけだ。
ついにはブラジルサポーターもドイツのパス回しを応援するという自虐的な状況になってしまった。ただただ悲しい。
そしたらなんかいきなりオスカルが1点返したんだが、これはドイツが油断したな、という感じ。でもそこまで。
王国ブラジルが自国開催のW杯なのに1-7で敗れるとは……。感想はない。あまりに衝撃的すぎて言葉が出ないよ。

本日は会議で一悶着。相手が地位にふさわしくない態度ですごんできて、一瞬頭に血が上ったが、そこは冷静に対応。
しかしあんな態度が許されるものなのかね。こんな人間をオレは初めて見た。絶対にヤツには屈しないと心に誓ったよ。


2014.7.8 (Tue.)

『攻殻機動隊ARISE border:3 Ghost Tears』。ARISEはつまらないんだけど、見ると決めちゃったので。
どうせいちばんの敵はクルツなんでしょ、クルツを倒して素子が独立するって4部作なんでしょ、と思いつつ見る。
(border:1のレヴューはこちら →2013.7.2、border:2のレヴューはこちら →2013.12.12

今回は水ビジネスを展開する外国資本へのテロがまずあって、そこに素子が通う義体サロンとのつながりが示唆される。
素子はその義体屋のイケメン店主・ホセとデキていて、その辺のロマンスーな部分がテロのキナ臭さと交差するわけだ。
仕掛けられた爆弾の正体はわかりやすいのだが、やっぱり肝心の話のつながり方は複雑というか、とにかくわかりづらい。
テロの目的、翻弄される9課、真実へと近づくトグサ、浮かれポンチな素子というそれぞれの要素がきれいにつながらない。
素子のロマンスでパワーバランスがブレちゃって、焦点を絞りきれないのである。今回も大したことのないストーリーが、
わざわざ面倒くさい手順で進んでいく。1時間ずーっともったいぶり続けているんだもん、たまったもんじゃねえよ。

もし今回のborder:3を面白いと感じたのであれば、それはおそらく、作品じたいに魅力があったからではない。
魅力は『攻殻機動隊』本来の設定にあるのだ。border:3とは、ラストピースのトグサが公安9課に入るまでの話だ。
つまり、僕らにとっての「ふつうの攻殻機動隊」に限りなく近い位置にまで来ている。だからマシだと感じただけのこと。
話じたいは相変わらずのショボさである。そこを勘違いせず、きちんと分別して味わわないと、正しい評価にはならない。

さて、テロを仕掛けた組織のボスは伝説のハッカー「スクラサス」では?という疑惑がストーリーの柱となっているが、
最後のホセのセリフまで「スクラサス」の正体がわからなかった僕はアホでしょうか。まあ、アホでしょうね。
不覚にも、ホセのセリフで「あ、そっか」と思ってしまったのだが、そこまで僕が鈍かったのは、言い訳になるけど、
やっぱりストーリーがわかりづらかったからだと思うのである。話に乗りきれなくって、設定が上滑りしていたのね。

4部作ラストの次回は公安9課のメンバーがついにそろって、クルツの連れているロリ美少女と対決っぽい。
なんだよ、やっぱりラスボスはクルツじゃねえかよ。まあとりあえず、そのロリ美少女の活躍を期待しておくとしましょう。


2014.7.7 (Mon.)

日常生活でいろいろとフラストレーションが溜まっておりますので、ここは何も考えなくて済む映画でも見ようと。
いろんな女子たちのいろんな姿を見て心癒されようと。そんなわけで『女子ーズ』を見てきました。
後日リョーシさんから「なんでまつせんさんが『女子ーズ』を見るの!?」となんだか軽く尋問っぽく訊かれたけど、
久しぶりの藤井美菜を見たかったんよ。山本美月も見たかったんよ。高畑充希は最近注目度が上がっているらしいじゃん。
有村架純は「おー『あまちゃん』に出ていた人だわ」って感じでしたわ。かわいかったっス。桐谷美玲はあんまり興味ない。
っていうか、桐谷美玲は阿部サダヲにそっくりでしょ? 去年、その点について桐谷美玲好きの生徒と論争をしたけど、
阿部サダヲに見えてしまう瞬間があると思いませんか? 動いているとぜんぜん気にならないんだけどね。なぜだ。

福田雄一監督作品ということで、『HK 変態仮面』(→2013.4.29)と同じ匂いがプンプン漂っている。
特にひどいのがチャールズこと佐藤二朗が延々と小芝居をするシーン。すごくつまんないからああいうのカットしてほしい。
つくっている側は面白がっているのかもしれないけど、それをやっている限り世間の大多数の支持を得られないだろうと思う。
でも敵の怪獣のデザイン・造形はどれもしっかり凝っていて、本家のスーパー戦隊をしのぐんじゃないかと思えるほど。

しかしまあ、藤井美菜にはがっくりですよ。『シムソンズ』では「美人さんだが特徴がない感じ」と書いたが(→2006.3.5)、
その後しばらくしてからマシュー南こと藤井隆がMCをやっていた『Matthew's Best Hit TV』にゲスト出演したときには、
「こりゃあなんて美人だ!」と驚き、しかしMicrosoftのCMくらいしか見かけなくて残念に思っている日々が続き、
『女子ーズ』に出ると聞いて期待したら、やたらめったら化粧が濃いだけの役じゃん。ホントにがっくりですよ。もったいない。
山本美月にもがっくりですよ。『ジェネレーション天国』に出ていたときには「こりゃあ美人さんだなあしゃべらんけど」と思い、
『女子ーズ』に出ると聞いて期待したら、さほどかわいくない。もうちょっとなんとかできるんじゃねえのと思うんですけど。
まあそんなわけで期待はずれだったのだが、動く桐谷美玲はぜんぜん阿部サダヲじゃなかったのでヨシとしておく。

でも藤井美菜よりも山本美月よりももっとがっくりしたのは、岡田義徳なのだ。『木更津キャッツアイ』のうっちーや、
『下妻物語』での磯部社長など、世間の皆さんはどちらかというと個性派俳優的なイメージが強いのかもしれないが、
実際のところあの人はめちゃくちゃかっこいいと僕は思っているのである。岡田義徳こそ本物のイケメンであると。
しかし『女子ーズ』における岡田義徳の役どころは、桐谷美玲の上司の三枚目。本来なら生瀬勝久がやるべきなのに!
最初わからなくて「やけに若いなあ」としか思わなかったのだが、「あ、岡田義徳じゃん!」と気づいた瞬間、もうショックで。
岡田義徳が年上の情けない上司をやるようになってしまった、という残酷な現実を突き付けられて、一気にブルーですよ。
それだけわれわれは歳をとってしまったということなのだ。時の流れというものは残酷なのだ。とことんションボリだよ、もう。

あ、映画じたいはつまらなくはない。


2014.7.6 (Sun.)

アルゼンチン×ベルギー。前半8分、いきなりイグアインがこぼれ球を直接ボレーで撃ってゴール。
序盤からアルゼンチンが押していたので、それが得点という形になった感じ。その後は両軍攻めあぐねるが、
メッシがいる分だけアルゼンチンがやや優位に戦っているかな、という印象。プレーに絡んだときの怖さが違う。
しかしアルゼンチンはディ=マリアが前半のうちに負傷交代。ここで抜けてしまうのはかなり痛いよなあ、と思う。

後半になっても攻めきれない内容が続く。ベルギーの試合は退屈な時間帯が長め、という印象がどうしてもある。
プレーが少々雑で、荒っぽいのも気になる。延長戦に入ってからも大熱戦だったアメリカ戦の疲れが残っているのか。
そう思っていたら、ベルギーは60分に選手を2枚替えてから、はっきりとアルゼンチンを押し込むようになる。
選手交代でここまで流れが変わるものなのか、と驚いた。でもベルギーはやっぱりプレーが荒い印象がする。
解説の岡ちゃんはベルギーが後半に勝負を賭けて体力を温存していたんじゃないかと指摘していて、なんだか納得。

ところがベルギーはよく攻めているんだけど、アルゼンチンが最後のところをまったくやらせない。
押し込まれている状況でも全然焦ることなく、オフサイドをギリギリで取ってくる。その落ち着きぶりがすごい。
(昨日のログでブラジルの守備の方がかっちりしていると書いたけど、やっぱりすごいもんはすごいのだと脱帽。)
ふだんから南米という修羅場で揉まれている経験を感じさせる安定感だった。どこか余裕すら漂っていたもんなあ。
僕はベルギーにはそれほど強いという印象を持っていないのだが、さすがに最後の攻防は迫力満点なのであった。
が、アルゼンチンがしのぎきった。メッシの存在感が異様に目立つけど、それ以外のところもやっぱり一流なのだ。

オランダ×コスタリカ。さあ、コスタリカはどこまで高みに昇ることができるのか。
今大会ではオランダも超・守備重視で成果を上げており、非常に近い価値観を持った同士の戦いとなった感じ。
でもそうなると、地力に勝るオランダが攻めざるをえない展開となるだろう。コスタリカの盾は守りきれるのか。

試合が始まると、コスタリカは絵に描いたような「しっかり守ってカウンター」。やっぱりオランダが攻める展開に。
コスタリカの守備は本当にガチガチで、オランダはどうアイデアを出して崩すのか、という点が焦点となっていく。
ベタ引きの相手を崩すという明確なテーマを持った対決で、実に現代のサッカーっぽいではないか、と思う。

スナイデルのFKなどでオランダはコスタリカを押し込むが、どうしても点が取れない。守備の連携がまったく乱れず、
最後の最後でGKナバスが立ちはだかる。コスタリカは選手と選手の間隔がまったく間延びすることがなくって、
これは守備の勉強になるゲームだなあと感心。対するオランダも、味方の動きを予測しての正確なパスが満載である。
点を決めきることはできないものの、これまたやっぱり勉強になる。「当たり前」の質が高いからできるゲームだ。
結局、90分間コスタリカは集中を切らすことまく守りきった。また延長かよ!とテレビの前で愕然とする。疲れる……。
まあ冷静に考えると、90分間攻め続けて、かつカウンターの対処をし続けるのもまたものすごい集中力なんだけどね。

延長戦を見ていてふと、南アフリカのときの日本はこのコスタリカに似ていたのかな、なんて思うのであった。
カウンターのスピード感には差がありそうだが、意地で守りきるそのひたむきさは通じるものがあるかもしれない。
「ひたむきさ」というのはサッカーにおいてはけっこう重要な要素で、これがあると守ってばかりでもつまらなくない。
最後の最後には怒濤の攻めも見せたし、コスタリカの見せたひたむきな戦いぶりは本当に見事なものだった。
解説者が言葉を失ってしまうほどの熱い戦い、もはや解説しようのないレヴェルでの意地のぶつかり合いだった。

しかしファン=ハールの策はその上を行っていた。PK戦のためにわざわざGKを替えてきて、これがズバリ的中。
コスタリカを2本止めてオランダが準決勝に進出。高校サッカーならわからんでもないが、W杯でそれを成功させるとは。
すげえなオランダ、すげえなファン=ハールとただ呆れるのみ。それだけの余裕があるってのが強豪たる所以なのか。


2014.7.5 (Sat.)

フランス×ドイツ。ドイツが攻めてフランスが守る、やけに一方的というか、フランスがおとなしい。
どことなく静かというか、「平熱」という印象の試合で、レヴェルの高い内容をふつうにやっているって感じである。
どうしてそういう印象になるのか考えてみたのだが、結局、レヴェルが高くなると危機予測が速くなるので、
フランスもドイツも大きな穴を空けることがない。それでピンチを未然に防ぎ合って、表面上は静かに見えるのだと思う。

しかし先制点は意外と早く入った。FKからヘッドを撃ちきってドイツが先制。もっと膠着すると思っていたので驚いた。
解説によると、フランスとドイツがW杯で対戦するのは28年ぶりのことで、フランスは雪辱に燃えているとのこと。
でも見ている限りでは、ドイツの方が攻撃に精度があって、けっこうな差を感じる。攻撃に入ったときの迫力が違う。
フランスはちょっとベンゼマ頼りになっているような気がする。ドイツと比べるとタレント不足な印象がしてしまう。
手倉森監督の解説が鋭くて、確かに言うとおり、フランスのアンカーの横にあるスペースをドイツは使えちゃっている。
プロの監督や選手はそれをピッチサイドやピッチ内で見つけられるのだ。当方、まだまだ修行が足りないなと思う。

後半になって、劣勢のままではいられないフランスが攻勢に出ようとするが、ドイツは思いどおりにやらせない。
フランスに対して最後まで余裕があった感じである。「平熱」のままでドイツがフランスをいなしてしまった。
やっぱりフランスは、ベンゼマ以外に怖さを感じさせる選手がいなかった。その差が出たのかなと思う。

ブラジル×コロンビア。開始早々にCKからチアゴ=シウヴァがゴール。妙にすっぽりと決まってしまった感じだが、
よく見ると空いているファーサイドにしっかり入り込んでいて、お手本になるゴールだった。さすがはブラジルだ。
コロンビアも迫力のある攻撃を見せるが、やはりボールを持つ技術が高い分だけブラジルが優位に攻める感じになる。

見ていると、ブラジルは守備でスペースの消し方が絶妙だ。アルゼンチンのサッカーについてスイス戦のログで僕は、
「自分勝手にサッカーをやっているというイメージがある」と書いたが、ブラジルも個人の判断を尊重するサッカーだと思う。
でも、アルゼンチンよりも守備がかっちりしているイメージだ。チーム全体で、より洗練された方法論が確立されている印象。
場当たり的な守備ではなく、相手を誘い込む守備。自分たちが優位になるように、相手の思考を操ってしまう守備。
攻撃側は自分たちが判断しているつもりでも、ブラジルの手のひらの中にあって、そのままカウンターの餌食になる。

後半はコロンビアがギアを上げてきて、これでようやく対等な感じになった。と思ったらダヴィド=ルイスのFKが炸裂。
これが本当にきれいに決まった。インサイドでまっすぐ当てて無回転、やはりこれもお手本そのもののFKだ。
好調コロンビア相手にCBがふたりとも点を取れるなんて、もうどれだけレヴェルが違うのか。トップレヴェルは恐ろしい。
そしてブラジルのやりたい放題が強まる。コロンビアはチャンスをなかなかつかめず、むしろブラジルの強さが際立つ展開。
80分にようやくコロンビアは地道な攻撃が実ってPKを獲得し、ハメス=ロドリゲスがこれを落ち着いて決める。さすがだ。

しかし事件は最後の最後で起きた。リプレーで見たらネイマールの背中にしっかりコロンビア選手の膝が入っている。
ネイマールはめちゃくちゃ痛そうで、倒れ込んでからがずいぶん長い。これはちょっとまずいのか、とこっちも冷や汗。
なんだかいちばん変な形で好ゲームに水を差す感じになっちゃったなあ、と思う。ブラジルはそのまま勝ちきったのだが、
結局、ネイマールは脊椎骨折で今大会はこれ以上プレーできない状態に。せっかくのブラジルでのW杯なのにねえ。
試合の最終盤だったのに非常にもったいない、本当によけいなことだったなと。サッカーにケガはつきものとはいえ。


2014.7.4 (Fri.)

ベルギー×アメリカ。最初から縦に行こうとする感じが強い試合で、ゆったり感はあんまりない。
どっちのチームもGLのときとだいぶ印象が違う。まあこれが決勝トーナメントってことなんだろうな、と思う。

試合が始まってから10分ぐらい経ったところでやっと落ち着いてきた。とはいえグイグイとゴール前まで攻め合っており、
その押したり引いたり感がなんともバスケットボール的なやりとりである。それほど実力差があるとは思えないのだが、
前半の中ごろからはベルギーがアメリカを押し込む展開となる。ベルギーの方にミスが少ないのがその理由かなと思う。
全体的な傾向として、やはり縦の動きが速くて多い。つまり両チームとも、多くの選手が関わるサッカーになっている。
似たような速さの試合はほかにもあったけど、ゴール前の人数がつねに両チームとも多く映っているのがこの試合の特徴だ。
攻める方も守る方も5人ぐらいゴール前にいるのが当たり前になっている。とにかく全体がよく動いている。

後半もベルギーが押し気味で、ほぼ一方的な展開にもなるものの、GKハワードがしっかり対応してゴールを奪えない。
結局スコアレスのまま延長戦に入ると、開始早々の集中していないところをデ=ブルイネが見事に衝いてゴール。
開始当初は動きの激しい試合だったが、時間経過とともにアメリカの運動量が落ちていった、その差が出たのだろう。
失点したことで攻撃意識が強まったアメリカだが、思うように足が動いていない。対照的にベルギーはカウンターで脅かす。
これはベルギーの若さが上だった、ということか。ベルギーはさらにルカクがゴールを奪ってこれで勝負ありと思ったら、
延長後半開始すぐのファインゴールでアメリカが追撃。90分ではスコアレスだったが、延長戦で一気に試合が動いてきた。
思えばドイツ×アルジェリア戦もそうだったが、延長戦という区切りによって崩れるバランスが確かにあるようだ。
ここまで動くものなのか、とあらためて驚いているしだい。最後まで手に汗握らせる死闘は、ベルギーがしのぎきった。

ところで今ごろになって、ベルギーのアザールが「ハザード(Hazard)」なのに気がついた。面白い名字だなあ。


2014.7.3 (Thu.)

アルゼンチン×スイス。全体的にせわしない試合である。スピード感があるというよりは、せわしない。
それはアルゼンチンの攻撃が多分に即興的で、かつイマイチ精度を欠いているせいだと思う。ちょっと雑に感じてしまう。
というわけでアルゼンチンが個人技からさすがの圧力を見せるのだが、スイスもよくそれに耐えている。
コンタクトが激しいというか荒っぽいというか、11対11のぶつかり合いとなっていて、これもまたサッカーだなと。

僕の勝手な印象として、アルゼンチンは基本的に、自分勝手にサッカーをやっているというイメージがある。
といってもこれは悪いことではなくて、サッカーを知り尽くしている11人が自主的に最も効果的なプレーをしている印象。
そういう意味で、「サッカーの上手いやつを上から11人選びました」感がある。それはそれで筋が通っていると思うのだ。
ただ、あまりにもメッシがスーパーなプレーをするので(ボールがメッシひとりだけに特別なついている感じ)、
結果として、アルゼンチンはとことんみんながメッシのために動いて、とにかくメッシにボールを出して、
彼のスーパーな解決策を期待している感じになっている。それもまた、サッカーの上手いやつならではの判断だとも思う。
アルゼンチンは選手個々の実力が高いので、11人がゲーム全体の判断スピードを極限まで上げている感じがする。
でもその状態に必死で食らいつけているスイスもまたすごいのである。トップレヴェルの凄みが出ている試合だ。

試合はスコアレスのまま延長戦へ。また延長かよ! 見る方はつらいんだよ!と、もういいかげんヘトヘト。
そして最後の最後でアルゼンチンはきれいにボールをつなぎ、ディ=マリアが決勝ゴールを奪ったのであった。
やっぱりこの一連の動きも、組織化されているというよりは、野性的な判断でゴールの確率が高い方を選んだ結果っぽい。
それにしてもディ=マリアは手でハートマークつくるなよ! アップになったらけっこうキモいよ! 上手いからいいけど!


2014.7.2 (Wed.)

フランス×ナイジェリア。序盤から積極的に攻め合う展開。当たりがけっこう激しくて、いいゲームである。
ナイジェリアがうまいシュートだと思ったら確かにオフサイドで、副審のプロフェッショナルぶりに感心するのであった。
フランスはボールをつないで華麗に攻めるがGKのファインセーヴだったり精度を欠いたりで得点には至らず。
ちょっと荒っぽかったが、どちらも守備がしっかりしているのでわりと膠着した感じの前半だった。
激しいぶつかり合いにも変にエキサイトしないで冷静にプレーを続けられるのは偉いなあと感心しきりですわ。

後半も激しい内容の試合となる。抜け出したベンゼマもFKからヘッドのベンゼマも防ぎきって、ナイジェリアはよく粘る。
しかし終盤に入ってフランスが押し込み、CKからGKが弾いたところをヘッドで先制。さらにオウンゴールで2点目を奪う。
印象としては両軍に特別大きな差はないように感じたが、フランスはナイジェリアを攻め切らせなかったということか。
つまり、フランスは勝つためのポイントを知っているのだと思う。やっぱり勝ち慣れている国はしぶといものだ。

ドイツ×アルジェリア。人もボールもよく動く試合である。引き締まった好ゲームとしてスタートした感じだ。
アルジェリアもだが、ドイツは走るねえ、と感心。連動して攻めるドイツと1トップに任せるアルジェリアという印象。
しかしアルジェリアもいいパス回しを見せる。選手たちの息が合っており、これはいいサッカーだと思う。
ドイツのプレスも速いがアルジェリアはよくキープしている。ドイツGKノイアーの判断は相変わらずすごいし、
アルジェリアGKエンボリもシュートを止めまくる。これは本当にいいゲームだなあ、と見とれてしまった。
目を離すことができない、日記の感想用のメモを書いているよりも試合を見る方に集中していたい、そんな内容だった。

後半はさらにギアが上がった好ゲームとなる。これはどっちの代表も誇らしいよなあと思う。うらやましい。
時間が経ってもまったく勢いの衰えない内容で、残り20分ほどになってからの応酬なんかもう本当にすごい。
優勝候補に挙げられているドイツが強いのは当たり前にしても、アルジェリアもまったく引けを取らないプレーぶり。
コスタリカもそうだったけど、確かな実力を持った新しいチームが現れるのは喜ばしいことではないか。
90分間これだけの集中力を持続できるってなんなの!?と呆れる。スコアレスでこれだけ面白い試合は初めてだ。

さすがに延長に入ると消耗戦の様相を呈してくる。シュールレがヒールで引っ掛けていきなりドイツが先制。
この状況で、このスピードでそういうプレーを成功させるのがすごい。そういう選択をできる発想がすごい。
さらに攻めるドイツは最後をエジルが詰めて追加点。こうなるとアルジェリアの立場は非常にキツい。
……と思ったら、ここからがまたすごかった。アルジェリアは直後に意地の1点を返してみせる。
足が思うように動かないだろうに、正確なプレーで点をもぎ取った。見ている者を否応無しに感動させるゴールだ。
まあ結局はドイツが勝利したのだが、アルジェリアはこの試合で絶大な存在感を見せてくれた。ただただ、かっこいい。


2014.7.1 (Tue.)

憲法解釈変更の閣議決定をこの短期間で本当にやるとはね。こうなったらもうなんでもあり。
残念なことに日本は法治国家ではなくなってしまった。われわれは後世の人たちに顔向けできません。

安倍晋三を、憲法違反しての外患誘致罪ということでしょっぴくことはできないものか。
冷静になって論理的に考えればそれくらいのことをやっている。ルールを無視した者には裁きが必要でしょ。


diary 2014.6.

diary 2014

index