diary 2013.9.

diary 2013.10.


2013.9.30 (Mon.)

それにしても、だ。あらためて思うのは、日本にはとんでもない数のゆるキャラが生息しているな!ということだ。
昨日の万博競技場だけでも、ガンバボーイが、みきゃんが、一平くんがいた。オ~レくんと伊予柑太もいちおういた。
まあもともとサッカースタジアムはゆるキャラがよく出没する場所であるにしても、街を歩けば必ずゆるキャラに出会う。
日本には昔からキャラクターの文化があって、それを「ゆるキャラ」として定義したみうらじゅんの功績は非常に大きい。
総括する名前がついたことから一気にゆるキャラは一般化していき、気がつけば日本はどこもかしこもゆるキャラだらけだ。

ふと思ったのだが、ゆるキャラとはつまり、現代の日本社会における神様なのではないか。
これは単純に、「ゆるキャラの数ってどれくらいいるんだろう?」と考えてみたときに、僕の中で冗談混じりに出た答えが、
「それこそ八百万くらい?」というもので、考えついてみたらなるほど、ゆるキャラが神様の一種に思えてきたってことなのだ。
日本は、八百万のゆるキャラたちが生息する神の国なのだ、って考えてみたらどうだろう。意外といけるんじゃないか。

日本全国あちこちの神社を参拝して、産土神に一宮など、いろんな神様がいろんな形で祀られているのを目にする。
神社にもいろんなサイズがあって、それが多層的に日本の空間を覆っている。その多層性はゆるキャラにも通じると思う。
それぞれの組織・団体・地域が、それぞれにゆるキャラを生み出し、アピールする。そのさまは、産土神の誕生を思わせる。
人気のあるやつは別の使われ方もしだす。何かをアピールする要素はそのまま残しつつ、活躍の場を広げていく。
それは、土地を代表する神、土地と結びついた神が競争を勝ち抜き、別の場所へと広がる「勧請」にも似た状態である。
その一連の様子を見ていると、日本における神様も最初はそんな感じだったのかもしれない、と思えてくるのだ。
神様といってもそんなに畏れ多いものではなくて、もうちょっとフレンドリーでカジュアルで、身近にいる存在、そんな感じ。
時代を経て神様が威厳を持ちすぎちゃったから、僕たちはゆるキャラという形を借りて再生産をやっているように思える。

そういえば、境港では水木しげるロードを中心にして、妖怪たちが賑わいを生み出していた(→2013.8.20)。
鬼太郎というフィルターを通すことで、妖怪たちはただ怖いだけの存在ではなくなり、親しみやすいキャラクターとなっていた。
ここにも、現在のゆるキャラの源流があるように思える。その土地における想像力が、妖怪として可視化されていく。
するとそれはキャラクターとして扱われるようになりうる。人智を超越した存在についての想像力は神様にも妖怪にもなり、
そのベクトルをちょこっと変えれば、ゆるキャラを成立させるものにもなる。これらの間にはかなり強い親和性があるはずだ。

言いたいことはぜんぶ「空間の肯定」で書いており(→2013.1.9)、あれが僕にとっての結論なので細かくは書かない。
でも、ゆるキャラが日本全国を騒がせている今の状況は、各地の住民が自らの魅力を見直して誇りへと転化しようとする、
非常に好ましい状態にあると僕は考える。粗製濫造と批判することは簡単だが、そもそもたくさんゆるキャラを生み出せる、
その切り口の多さを肯定的に捉えるべきなのだ。そしてまた、ゆるキャラを生み出す想像力の絶対量も評価すべきなのだ。
恵まれた自然環境を親しみを込めて擬人化するという発想は、絶対神を崇める一神教からは決して出てこない発想だ。
それはきわめて日本的な感覚のなせるわざであると思う。こんなに想像力の豊かな国、そうそうあるもんじゃないでしょ!?


2013.9.29 (Sun.)

昨日のログで書いたように、今回の大阪旅行のいちばんの目的は、安藤忠雄設計の「光の教会」を見学することだ。
でもその周辺には興味深い場所があるし、光の教会が見学できるのは午後1時半からなので、それまでめいっぱい動く。

本日まず最初のお勉強は、昨日の続きから始めたい。すなわち、大阪モダニズムによって生まれた御堂筋の地下を走る、
大阪市営地下鉄御堂筋線の各駅について考察をするのだ。御堂筋線はDOCOMOMO100選に指定されているので、
その辺の機微というものを味わってやろうということである。まだ朝の5時台後半に宿を出ると、さっそく難波駅へ。
空はまだ真っ暗で、昨晩の土曜日の興奮がまったく醒めていない。大方の人にとって、時刻は5時ではなく29時なのだろう。
酔っ払った大学生の脇を抜け、券売機で一日乗車券を買う。大して得するとも思えないが、大して損でもないはずだ。

難波駅の地下空間は複雑怪奇というイメージしかない。どの通路がどこにつながっているのかがまったくわからないのだ。
慣れていればスイスイ進めるのかもしれないが、梅田や天王寺と比べるとはっきりと難度が上がるように思えてならない。
とりあえず目的地は列車の行き交うプラットホームだ。改札を抜けて階段を降りる。さあDOCOMOMO、出て来いや!
気合を入れてホームへと歩いていく。が、特段珍しい要素はみられない。朝の5時台なのに人がいるのがいちばん珍しい。
しばらくウロウロ歩きまわって様子を見てみるが、やはりごくふつうの地下鉄のホームである。実に味気ない。

 
L: 難波駅のホームにて。天井は低く、内部がむき出し。まあこれはこれで面白いんだけど、ひどい味気なさだ。
R: レールのところまで寄ってみた。やはり、これといってモダンな要素は見られない。これはどうしたことか。

実は僕は勘違いをしていたのだが、御堂筋線で最初に開業したのは梅田−心斎橋の区間なのである(1933年)。
難波駅まで延伸したのはその2年後のこと。後になってみると「たった2年なのにぜんぜん違うじゃん!」と思うのだが、
おかしいなーと首をひねりながら梅田方面行きの列車に乗り込むのであった。この時点では先行きに不安いっぱい。

次の心斎橋駅でホームに降りた瞬間、すべてを理解した。ああ、これは確かにDOCOMOMO物件だわ、と。
高い天井、凝った意匠の蛍光灯。地上の華やかなモダニズム建築に比べれば、そりゃあずいぶんと地味ではある。
しかし御堂筋とともに新しい時代の象徴としてつくられたこの空間は、確かにその価値観を体現するものだ。
特に天井の描くカーヴが優美だ。この余裕をたっぷりと含んだ曲線こそ、機能と美を兼ね備えたモダニズムそのものだ。

 
L: 心斎橋駅のホーム。高い天井とおしゃれに並ぶ蛍光灯が、昭和初期のモダニズムを今も色濃く残している。
R: 断面がわかりやすい一枚。この天井のカーヴは、アール・デコを究極的に要約したものと言えるのではないか。

続いては本町駅だ。本町駅は少し特殊で、天井がカーヴを描くようにはなっていない(だから少し戸惑った)。
現在、御堂筋線では、混雑の緩和を目的としてその高い天井の上半分を通路にしてしまっている箇所が多いのだが、
本町駅の場合には天井が高くない分だけ、通路はかなり強烈な圧迫感となっている。なんとなく首をすくめてしまうね。

 
L: 本町駅のホーム。この駅はモダンな要素があまりないので戸惑ってしまった。なんでこうなんだろう?
R: 上半分を通路にしているが、圧迫感が強烈。よく見ると天井の蛍光灯が「HOMMACHI」になっている。

そして中之島の南に位置している淀屋橋駅である。やはりホームの天井は高くて優雅なカーヴを描いており、
蛍光灯のデザインも心斎橋とはまた違ったものとなっている。地下鉄を運営する大阪市役所の最寄駅ということで、
ここでは試しに改札を抜けて外に出てみたのだが、難波駅とそんなに変わらなかった。ホームの天井は高かったのに、
地下1階の天井は異様に低い。ホームから上へと上がると、アール・デコの「ア」の字もなくなってしまうのが凄い。

  
L: 淀屋橋駅のホーム。蛍光灯はこういうデザインできたか。  C: 通路から見下ろすホーム。ゆったりと優雅さを感じる。
R: 改札を抜けて地下1階に出てみた。味気ないごくふつうの地下空間で、こっちの天井は異様なほどの低さである。なぜ?

最後に梅田駅だ。列車を降りてホームに出ると、ここもやはり優雅なカーヴと蛍光灯の対比が見事である。
が、よく見るとホームの反対側には壁があり、通路が開いている。これがほかの駅とまったく異なっている点だ。
じゃあその向こうには何があんのよ、と通路を抜けると、中百舌鳥方面行きのホームとなっていた。デザインは味気ない。
つまり、もともと御堂筋線の梅田駅は現在の千里中央方面行きのホームしかなかった、ということなのだ。
それを拡張して現在の姿ができあがっているというわけ。両者のデザインのコントラストがあまりに強烈で、
デザインに凝るだけの余裕が豊かなものを生むという事実を、あらためて教えられた気分である。

  
L: 梅田駅・千里中央方面行きのホーム。かつてはこのホームのみだったが、後に拡張したというわけ。
C: 階段から見下ろしてみたところ。地下空間は最初にきれいにつくっておくことが肝要だ、と思わされる。
R: こちらは中百舌鳥方面行きのホーム。よくあるどうでもいい感じの地下鉄駅となってしまっている。

見落としている箇所もあるだろうが、大阪モダニズムの気概にたっぷりと触れることができて満足である。
やはり空間の痕跡から歴史や政治を読んでいくのは面白い。そういう点でも大阪は魅力的な街なのだ。

DOCOMOMO物件を堪能した次は、やっぱりDOCOMOMO物件である。次に目指すのは千里ニュータウンだ。
1962年より入居が開始された千里ニュータウンも、実は丸ごとDOCOMOMO100選に入っているのである。
とはいえ御堂筋線も千里ニュータウンも、明らかに「建築」と呼べる規模を逸脱してしまっている。
都市の構成要素だったり、あるいは都市そのものだったり、これはもはや建築への分析という域を超えており、
むしろ社会学的な観点から見ていくべきレヴェルになっている。僕としてはむしろそっちの方が専門となるので、
(大雑把な性格をしているので、個々の建築をきちんと見ていくよりは空間をざっくり体感する方が得意なのだ。)
いつも以上にテキトーに、思ったことを書いていくことにするのだ。細かいことは気にしない。

というわけで、梅田駅からさらに御堂筋線で北へ。淀川のちょっと手前で地上に出ると、空はすっかり明るい。
僕が地下でウハウハしている間に、お天道様はきちんと本日のお勤めを始めたようである。今日もいい天気である。
いったん江坂駅で降りて、メシは食えないか周辺を探索してみるが、やはりまだまだ時間は早くてどこも開いていない。
しょうがないので空腹をガマンしてさらに先へと進むことにする。どうも千里ニュータウンの方がメシが食えそうだ。

厳密には、御堂筋線の終点は江坂駅である。ここから先は北大阪急行電鉄という、聞き慣れない名前の会社になる。
この北大阪急行電鉄が実に強烈で、切符を買おうとして思わずうろたえてしまった。初乗り運賃がなんと、80円なのだ。
終点の千里中央まででも120円。江坂を含めてぜんぶで4駅しかないとはいえ、この料金体系にはさすがに驚いた。
北大阪急行は阪急の子会社で、大阪府も関わった第三セクター。御堂筋線を万博会場へと延ばす目的で設立された。
今もこの運賃でやっていけるということは、それだけ万博で得た収益が莫大だったということだ。すごい話である。

終点の千里中央駅に着くと、いったん大阪モノレールに乗り換える。つまり、千里ニュータウンから離れるのだ。
ゆったりと東に移動していくと、やがて窓の外に緑に包まれた一帯が見えてくる。その真ん中には、あいつが立っている。
岡本太郎がデザインしたあまりにも有名な存在、「太陽の塔」だ。この万博記念公園駅で、北へ進む路線に乗り換える。
そして次の公園東口駅でモノレールを降りる。改札を抜ける際、駅員に一声掛ける。「レンタサイクルを借りたいんですが。」
大変ありがたいことに、大阪モノレールでは各駅でレンタサイクルを貸し出しているのである。これを利用しない手はない。
今日は最後にガンバ大阪の試合を観るので、スタジアムの最寄駅である公園東口駅でレンタサイクルを確保したのだ。
初回なので手続きに少々時間がかかったが、無事に自転車をゲット。このレンタサイクルで西は千里ニュータウン、
東は光の教会までをカヴァーしてしまおうというわけ。われながら、実に周到に練られた計画であると思うんですが!

ではまずはさっそく、千里ニュータウンを目指して出発。万博公園をぐるっと一周するように大阪府道1号が通っており、
歩車分離で車道の外側につくられている道を、健康の維持に余念のないランナーの皆さんとともに走っていく。
いちおうiPhoneで自分の居場所を確認していたはずなのだが、うっかりしていて一度、大阪大学の前まで行ってしまった。
これで万博公園の外周を2/3ほど走ったことになる(本来は1/3程度でよかった)。しかもこの道は微妙な高低差がある。
おかげでそこそこなダメージを食った格好に。いかんいかん、と反省しながら正しいルートに入って山田駅の脇を抜けるが、
これがまた強烈な下りと上りのコラボレーションなのであった。さっそく自転車ならではの苦痛を味わわされる。
そりゃまあ、「千里丘陵」っていうくらいなんだから、それなりの高低差があるわけだよなあ……。トホホ。

とはいえその上り坂は実はもう、千里ニュータウンの範囲内なのである。知らず知らず僕はその中に入っていたのだ。
ここで軽く千里ニュータウンの地理的な範囲についてまとめておこう。東の吹田市域は「○○台」という地名、
西の豊中市域は「新千里○町」という地名がついている。なので地名を基準にするとけっこうわかりやすい。
ただしその範囲内にあるものの、東側の「弘済院」と、ど真ん中にある「上新田」は、千里ニュータウンではない。
弘済院は現在の土地の利用具合からみて、土地所有者が宅地開発に巻き込まれるのを嫌ったと思われる。
上新田は開発する以前からすでに集落があった場所である(ニュータウンとの空間的な詳しい違いは後述する)。

津雲台・高野台・佐竹台という、いかにもニュータウンな地名3つが交差する場所に出た。
周りを見れば背の高い集合住宅が建ち並んでおり、なるほど確かにニュータウンだ、と納得する。
道路を挟んだ両側の集合住宅にデザイン的な統一性はない。ある程度、多様性を意識して建てられたのかと思う。
さっきも書いたが、千里ニュータウンの入居開始は1962年で、半世紀が経過している。しかし集合住宅はしっかり新しい。
つまりこれは、千里ニュータウンは新陳代謝しながら現在も新たな住民を受け入れ続けているってことなのだろう。

そんなことを考えながら西へ走って南千里駅に向かう。が、その途中で思わず急ブレーキをかけてしまう建物に出会った。
千里ニュータウンの開発が始まった1960年代初頭らしい凝ったファサードの建築で、これはなんだと興奮してしまう。
それもそのはず、1964年竣工で村野藤吾設計の千里南センタービルなのであった。圧倒的な外観である。

  
L: 千里南センタービル。さすがにこの外観には驚いた。  C: 近寄ってみたところ。単純なはずなのに複雑な印象の窓だ。
R: 角度を変えてもう一丁。なるほど、千里ニュータウンがDOCOMOMO認定されている理由がわかる建築だ。

いきなりの先制パンチを食らった気分だ。そして、「もしかしてこれはさっきの地下鉄と同じ構図かもしれない」と思う。
御堂筋線が1933年に梅田−心斎橋間が開業したのは上で述べたとおり。その後に延伸された難波駅は味気なく、
またゆったりとしたホームの空間じたいも上に通路がつくられるなど、どんどん機能優先で改装されていった。
それは、1960年代前半には凝った建築が建てられたものの、その後は平凡な建物が増えていく千里ニュータウンの姿と、
見事に重なっているのではないか。人間の経済的な活動とはそういうものだ、という本質が、両者の歴史から見えてくる。
朝っぱらからいきなり、志を高く保つことの難しさを突き付けられてしまった。腕組みしながら唸ってしまったよ。

ここからは半ばサイクリングのような形で各街区を見てまわった。どれも「いかにも団地!」な光景であり、
それらが上り坂と下り坂の中で複雑に折り重なりながら広がっている。ひとつひとつの集合住宅には違いはあるが、
全体として眺めたときには無個性な建物としてまとめられるものばかりだ。その連続性がニュータウンということらしい。

  
L: 右が高野台、左が津雲台、僕の背後に佐竹台。「台」のつく地名がいかにもニュータウンだ。集合住宅は比較的新しい。
C: 南千里駅近くの集合住宅。こちらはやや古くて、敷地の余裕を生かしたデザインが面白い。ニュータウンもいろいろだ。
R: 見事なまでに画一化された光景が続いている。さすがにこれだけずーっと続いていると強烈だ。『団地ともお』の世界?

 複雑に配置されてはいるものの、どれも似たような建物である。

桃山台の辺りをフラフラしていたら、商店街があるという看板を見つけたので行ってみる。
団地の中に計画的につくられた商店たちというのは、よく考えてみると初めて見るような気がする。
千里ニュータウンは歩車分離がきっちりしているので、商店街はグラウンドレヴェルより一段上にあった。
しかし遠回りでも自転車でアクセスできるようにつくられており、その点はあまり気にはならない。
気になったのはむしろ、商店の衰退ぶりと、商店に替わって入ったと思われるデイサービスの事務所だ。
もっとも、訪れた時刻が9時前なので、商店はシャッターを閉めているに決まっている。朝早く来すぎた。
できれば開店してからの様子を見たかったのだが、時間的にも体力的にもその余裕がなかったのは残念。
ただ、その空間の雰囲気として、商店が賑わっているところはあんまり想像できなかったのは事実なのである。
むしろ積極的に文字が踊っているのは医者やデイサービスで、ニュータウンの帰結を目の当たりにした思いだ。

  
L: ニュータウン内の商店街(桃山台、朝早く来すぎた)。右はスーパーで左は個人商店。イマイチ寂れている印象。
C: こちらは道を挟んだ竹見台の商店街。賑わいはなさそう。デイサービスや医者などの比率が高いのが気になった。
R: 新御堂筋に出た。ニュータウンの集合住宅たちに囲まれた中を道路が走り、さらにその間を鉄道が走っていく。

いったん新御堂筋に出てから、大阪府道2号線を北東方向へと走ってみた。実はこのエリア、千里ニュータウンではない。
先ほど「開発する以前からすでに集落があった場所」と書いた、上新田地区である。ニュータウンとの違いを考えてみよう。
まず、歩車分離が徹底されていない点。自転車で走ってみた雰囲気としては、横浜にある神奈川県道2号線に近い。
坂と住宅のバランスが、大倉山駅の北側辺りの住宅街に似ている印象だ。神奈川の方の2号線を走っている気がした。
さらに上新田地区の道の脇にはコンビニがある。ニュータウン内はロードサイドの店は出せないので、これは大きな違いだ。
そして僕が感じた最大の違いは、神や仏の存在である。上新田には複数の寺があり、神社がある。その看板も出ている。
これは千里ニュータウンにはまったくない要素なのだ。ニュータウンにとって土地はただ、開発の対象でしかない。
以前、「埋立地ゼロ空間論」ということで、埋立地について書いたことがある(→2005.11.32008.7.27)。
そこからさらに、国立を対象にして「神の不在」と「産業が主役の近代の到来」について書いた(→2008.7.28)。
千里ニュータウンとは違い、上新田地区には神がいる。完全にぐるりと取り囲んでいるニュータウンの波にもまれながら、
上新田はまだ従来の生活スタイルをぎりぎりのところで守っている。それはある種、嵐の中の灯台にも似た光景だった。

  
L: ニュータウンを背にした上新田地区。個建ての住宅に駐車場というお馴染みの光景も、ここでは異質に映ってしまう。
C: 上新田の道路(大阪府道2号)。このなんでもない光景を見ることで、ニュータウンの特性が逆説的にわかるだろう。
R: 最も象徴的な一枚。ニュータウン的な集合住宅開発が襲いかかる中、神社の看板はたくましくその存在を誇示している。

都市社会学的に非常に興味深い事例をフィールドワークできて、大いに満足しながら千里中央駅へと向かう。
さっき来た場所にやっとこさ戻るというのは、なんとなく徒労感を覚えてしまうものだが、そこは気にせずゴーだ。
そして大阪モノレールの方の千里中央駅から千里阪急の前に出た瞬間、思わず「うおう!」と叫んでしまった。
千里阪急は、ただただ美しかった。明るい青緑色と白、その組み合わせがトラスの格子で装飾されている。
これには本当に度肝を抜かれた。いろいろ調べたけど設計者がわからないのが切ない。オープンは1970年で、
大阪万博の3日前とのこと。当時のこの辺は想像を絶する大騒ぎだったのだろう。しかし、見れば見るほど美しい。

  
L: 高速道路とモノレールが並走する千里中央駅付近の光景。高度経済成長期の夢はまだ続いているって感じ。
C: 千里阪急のデザインには驚かされた。これは傑作だよなあ。  R: 北大阪急行の千里中央駅側から見るとこう。

いったん自転車を停めて、千里セルシーへ。ここはペデストリアンデッキ状になっている部分があって、
さっき北大阪急行から大阪モノレールに乗り換える際に歩いたのだ。そこでぼちぼち朝メシを食おうじゃないか、と。
モスバーガーで朝メニューのハンバーガーをいただきながら、iPhoneでGoogleマップを見て今後の作戦を練る。
実際に自転車で走ってみた感覚としては、万博公園から千里ニュータウンまではやや距離を感じるのだが、
千里ニュータウンの内での移動についてはけっこう快調に走りまわれる。これなら北千里にも行ってみて、
それからじっくりと万博公園内を攻めることができそうだ、という方向で意志が固まった。やってやるのだ。

 
L: 千里セルシーの屋外ステージ。これはなかなか大胆。逆光なのが残念だったが、楽しい空間だと思う。
R: 北大阪急行と大阪モノレールの乗り換えの際には、この屋上部分を歩くことになる。テーマパーク的なデザイン。

北千里駅方面へ出る道は歩車分離が行き届いており、間にはしっかりと木々が植えられている。
高低差もきっちりあるし、集合住宅も個建て住宅もある。一口に「千里ニュータウン」と言っても、
場所によってはさまざまな違いがあるもんだ、とあらためて学ぶのであった。坂を下って北千里駅に到着。
駅のロータリー周辺をウロウロしてから、南にある小学校の前を通る。独特なデザインに少し驚いた。

  
L: 北千里駅周辺。ロータリーには商店や商業施設が集まっていて、住民たちの生活をしっかり支えている印象。
C: 近くの古江台小学校(1964年開校)。ニュータウンの小学校ってのも、非常に興味深いテーマだ。
R: 屋根は採光目的で飛び出ているようだ。各教室がブロック状に配置されていて、なんだかすごく独特だぞ!

古江台をそのまままっすぐ抜けて、弘済院地区へと入ってみる。前述のとおりここはニュータウンには含まれない。
もともと公共機関が土地を所有していたのか、この地区に住宅はなく、病院や老人ホームなどが静かにたたずんでいた。
これでだいたい千里ニュータウンとそうでない地区の温度差を味わうことができたので、万博公園方面に戻る。
山田駅の脇を抜けて大阪府道1号に帰ってきたのはいいが、万博公園への入口がわからない。だから郊外社会はイヤだ。

 ちなみに大阪府道1号(万博公園を一周する道)はこんな感じである。

軽い試行錯誤の末、万博公園の中に直接アクセスすることはできず、高速道路の南側にある駅から攻めることが判明。
コンクリートの構造体がずらっと並ぶ大阪モノレールの操車場の脇を抜けて、万博記念公園駅の前に出た。
すると府道1号を歩いている人はほとんどいなかったのに(昼近くなってランナーたちも姿を消した)、
駅の前はかなりの人混みとなっていた。万博公園は僕が思っていたよりもずっと人気のある場所のようだ。
できるだけ公園の入口に近いところに自転車を停めようと思って東へ行ったら、真っ白いゲートの跡があった。
瞬間的に、「なるほどこれがエキスポランドだった場所か」と理解した。もはや往時の賑わいはまったく想像できない。

ゲートの向かい側に自転車を停めると、陸橋で高速道路を渡って万博公園の入口へ。入場料のシステムがややこしい。
ふつうに入ると250円のようだが、国立民族学博物館とのセット券や大阪日本民芸館とのセット券などがあり、
どれがお得になるのかサッパリわからない。とりあえず今回は国立民族学博物館とのセット券にしておいた。

そうして公園の中に入ると、いきなり太陽の塔がお出迎えだ。その手前に広がる芝生は立入禁止になっていて、
おかげで誰でもすぐ記念撮影ができるようになっている。これは地味ながらもありがたい工夫である。
それにしても、実物の太陽の塔は強烈だ。入口からは距離をとって眺めることになるので若干冷静に見られるが、
こんな巨大で異形なオブジェをよくつくることができたものだと思う。僕はギリギリ「芸術は爆発だ!」がわかる世代で、
岡本太郎という存在はどちらかというと、天才芸術家というよりは「天才すぎてキワモノ芸人に近い人」扱いだった。
しかしあらためて彼の作品をたどっていけば、その凄さは一瞬でわかる。問答無用の圧力がどの作品にもあるのだ。
(個人的には、近鉄バファローズの猛牛マークがオリックスに引き継がれなかったことが心底残念でならない。)
唯一無二、こういう作品をつくれる人はもう二度と現れないだろうなあ、と太陽の塔を見ながら思った。

さて万博公園の中に入ったのはいいが、あまりに広大なので、どこをどう見ていけばいいのかがわからない。
レンタサイクルでの移動があまりに激しかったので、もはやあんまりあちこち歩こうという気分にはならないのである。
とりあえず西半分の自然文化園をフラフラと歩いていくが、雰囲気は昭和記念公園(→2013.5.26)と大差がない。
それで「えーい、もういいや!」と気持ちを切り替え、さっさと国立民族学博物館に行ってしまうことにした。
池を渡って国立民族学博物館の北側へとまわり込もうとしたところ、フェンスで遮られて道路に出ることができない。
しょうがないので面倒くさいけど遠回りで行くしかないや、と覚悟を決めて歩いていったら、やっぱり外に出られない。
実は万博公園の自然文化園は車道で囲まれており、歩行者は車道に出ることができないようになっていたのだ。
せっかく敷地の北西の端っこまで歩いたのに、来た道を引き返すしかなくなった。もう本当に泣きたい気分だったわ。

  
L: エキスポランドのゲート跡。かつての賑わいはすっかり夢の跡で、なんとも悲しい気分になってしまう。
C: 太陽の塔。入れない内部が実は凄いということで、外観だけだとやや消化不良な気持ちになるが、それでも凄みは十分。
R: 自然文化園はもともとパビリオンが建ち並んでいた場所。今は説明板と石碑だけが寂しく残るのみとなっている。

再び池まで戻ると、その南側をまわり込んで日本庭園前ゲートに出る。もう本当にややこしくてたまらないのだが、
万博公園の有料エリアは自然文化園と日本庭園。この範囲が入場料250円ということになっているのだ。
そして国立民族学博物館や大阪日本民芸館はそのエリアの外にあるので、入館料だけ払えばいい仕組みなのである。
つまり、自然文化園から自由に国立民族学博物館にアクセスできなかったのは、自然文化園が有料エリアだから。
日本庭園前のゲートまで行って、そこでいったん外に出る形でようやく国立民族学博物館に行ける、というわけ。
その辺の事情をまったく知らないままで歩いていたので、面倒くさいことになっていたのである。これには参った。
運営している団体が違っていろいろあるんだろうけど、料金体系をまとめてスムーズにしてもらわないと迷惑だ。

というわけで、ようやく国立民族学博物館に到着。通称「みんぱく」とのことである。
渋沢敬三が個人的に収集したコレクションが母体なのだが、本格的な博物館が建設されるまでには紆余曲折があった。
最終的には大阪万博の跡地を文化公園にする決定がなされ、その中心施設として1977年にオープンした。
その名字からわかるように、渋沢敬三は渋沢栄一の孫。蔵相や日銀総裁を務めたほどの人なのだが、
一方で自宅をアチックミューゼアム(屋根裏博物館)にするほどの民俗学者でもあった。かっこいい人生だ。
ちょうど「渋沢敬三記念事業 屋根裏部屋の博物館 Attic Museum」と題した特別展が催されており、
まずはそっちから見学していく。展示室は六角形のハニカム小部屋となっており、順路がわからなくて面倒くさい。
そういえば『風雲!たけし城』の「悪魔の館(ストロング金剛と丹古母鬼馬二が顔を黒く塗るアレ)」みたいだな、
ああいう番組が成立していたのはいい時代だったなあ、なんて思い出に浸りながら民具を見ていくのであった。

特別展を見終わると、あらためて本館の中に入る。内部空間はなかなか広々としていて万博公園の広さをそこでも実感。
2階に上がるとインフォメーション・ゾーンがあって、映像やら本やらいろんな資料に触れることができるのだが、
とにかく展示を見たいんだよオレは!ってことで、地域展示・通文化展示のゾーンに入る。展示は黒を上手く使っていて、
展示物じたいの色がより強調される工夫がなされている。全体的にかなりオシャレな味付けがなされているのが印象的だ。

  
L: 国立民族学博物館。左が特別展示館で、右が本館。設計は黒川紀章で1977年竣工だが、いろいろ増築しているみたい。
C: 中庭(出られない)はこんな感じになっている。  R: 南アメリカの展示。インディオのカラフルさは独特で素敵だね。

展示はまず、オセアニアから始まる。その左脇からはアメリカ(南→北)の展示に行けるようになっており、
どうやらこちらも順路は特に決まっておらず、自分の好きなようにあちこちを行ったり来たりできるようだ。
くまなくチェックしたい僕としては、うれしくないシステムである(金沢21世紀美術館への批判 →2010.8.22)。
とりあえずひととおり展示を眺めてから次へ行く、それを繰り返すのだが、展示物の量がとにかく膨大。
すでに自転車で千里ニュータウンを走りまわっている体には、あまりにも世界は広すぎるのであった。
国立民族学博物館は写真撮影がOKなので、それはもう大量の写真を撮影しまくったのだが、取捨選択が本当に大変。
ごくごく一部分だけをコメント付きで紹介することで、なんとなく雰囲気をつかんでもらえれば幸いである。

  
L: ヨーロッパの展示から、東ヨーロッパの東方正教会文化を。日本にはあまり馴染みがないのでよけい興味深い。
C: アフリカの展示。カラフルな衣装が実に印象的である。アフリカの街並みをざっと再現したスペースもあった。
R: 地域ごとの展示だけではなく、「音楽」「言語」など通文化展示もある。これは世界各国のギターの展示。

大まかに2階の展示スペースは北半分がアジア中心、南半分が中東を含むそれ以外、といった感じになっている。
その間には通文化展示ということで、世界各国の楽器や言語についての展示もなされている。工夫しているのね。
大量の展示物に圧倒されて「世界は広い……」と目を回しているところに容赦なく次の展示で、本当にヘロヘロ。

  
L: 世界各国の言語に翻訳されている『はらぺこあおむし』。これは面白い。『星の王子様』も置いてあったよ。
C: 人間の文化にとって仮面が重要な要素なのはわかるが、暗いところに浮かび上がって子どもが泣きまくり。
R: 遊牧民のデザインセンスに惹かれた。なんだかんだ言って、僕が最も面白がったのは各民族のファッションだった。

民族学的な展示というのは、自分の慣れ親しんでいる世界とは異質なものだけに、子どもには「怖い」ことがよくある。
展示物を見て子どもが泣き出してしまい、親がなだめながら足早にその場を離れていく光景を見て、僕も思い出した。
確かに子どものとき、親の部屋に何気なく置いてあったものが怖かったのである。それは本であり、人形であり、
あるいは模様であった。子どもはそこに異形の存在を、得体が知れないという意味を見出してしまうものなのだ。
成長すると客観視できるようになって「怖さ」を感じないようになるが、子どもにはとっては自らの文脈が絶対的だから、
それと照らし合わせて「勝手に」怖くなってしまうのだ。泣き出す子どもの姿を見て、その事実を久しぶりに思い出した。
ああそうだ、僕は怖いものたちに囲まれて幼少期を生きていたんだ、と。そういう視点に立って見つめてみると、
国立民族学博物館にあるものはけっこう「怖い」。最近の僕は日記を通してより冷静に知を増幅しようとしているが、
久しぶりに純粋な態度で「異質なものたち」と接してみて、なかなか面白かった。たまには昔に帰らないといけないね。

本当はじっくり時間をかけて写真を撮りまくって展示を見ていったのだが、キリがないので中身については逐一書かない。
とにかく世界の広さに驚嘆しましたとさ。ダイジェストの展示なのがわかるんだけど、それでもめちゃくちゃ濃かった。
国立民族学博物館は何回かに分けて、お手軽に世界旅行をする、そんな感覚で訪れるのが正解なのかもしれない。

展示の最後は日本について。アイヌの文化から日本の文化へとつながっている構成なのだが、気になる点がひとつあった。
それはアイヌの展示がことごとく日本語で行われていた点。たとえば祭祀に使う「イナウ」は、「けずりかけ」となっていた。
アイヌ語のカタカナ表記が絶対的に正しいとは思わないが、日本語だけってのは配慮に欠けるように僕には思えてならない。

  
L: アイヌの民具の展示。すべて日本語による表記となっており、その点には疑問を感じた。いちおうアイヌ語も日本の言語だよ。
C: 日本の展示では特に「祭りと芸能」のテーマが力を入れられているようで、いきなりねぶた。非常にインパクトがある。
R: 祭りということでか、各種のめでたいグッズが展示されていた。注連縄だけでもこんなにいろいろあるとは面白い。

というわけで、かなりフラフラな状態で外に出る。さすがにこのままではもたない。どうしようかと思ったら、
特別展示館の手前にレストランがあるのを発見。迷うことなく中に入ってランチをいただいたのであった。
さすが民族学博物館ということでか、エスニック系のメニューが充実しており、タイ風焼きそばのパッタイをいただく。
なかなかエスニックな香りが強烈だったが、それはそういうもんなのできちんとおいしくいただいたよ。ほっと一息。

落ち着いたところで次の施設へ。せっかくなので大阪日本民芸館にも行ってみることにした。
この施設は1970年の大阪万博で建てられた日本民藝館のパビリオンを引き継いだものなのだ。
三角形の真ん中に庭を入れた建物でモダンなのだが、誰が設計したのかはよくわからん。残念である。
まずは特別展 「民藝運動の巨匠たち―濱田庄司・河井寛次郎・芹沢銈介」から見学していく。
僕としてはいちばん印象に残ったのは芹沢銈介のデザインセンスで、特にひらがなのオシャレさにやられた。
一度きちんと芹沢銈介については勉強せにゃいかんなあ、という気にさせられたのであった。
常設展では、古伊万里そばちょこが面白くってたまらんかった。何気ない蕎麦のおちょこなのだが、
その小さなキャンバスに抜群のユーモアセンスによって多種多様なデザインが施されており、見応え十分。
無名の職人がひたすら「コレ面白いだろ?」と繰り広げる世界は、これぞまさに民芸!という説得力に満ちていた。

  
L: 大阪日本民芸館。万博終了後の1971年にあらためてオープン。手前のバラ園もけっこう見事でしたよ。
C: その中庭はこんな感じ。  R: 万博公園の駐車場越しに眺める太陽の塔の背中と、現在のお祭り広場。

再び自然文化園の中に入ると、ある施設の前に立つ。大阪府立国際児童文学館……だった施設だ。
大阪府知事だった橋下徹の意向を受けて2009年に閉館してしまった。目先の利益に飛びついて売名行為を繰り返し、
金と手間のかかる文化はおそろかにする、そういう短絡的な姿勢によってつぶされてしまったのである。
施設をきちんと活用できるかは、運営側しだいでもあり利用者しだいでもある。その質はどうとでもなりうる。
しかし空間がつぶされた以上、すべての可能性は断たれてしまった。愚かさに気がつくだけの知性が府民にあればいいが。

あとは万博公園内に残っている、大阪万博の残り香を追いかけながら歩いていくことにする。
かつて丹下健三が日本中の度肝を抜いてみせたお祭り広場は、大屋根の構造体をオブジェとして一部だけ残している。
この日はフリーマーケットが開催されていたせいで、入場料を払わないと中に入れなかったのは残念だった。
外からオブジェを眺めてあれこれ想像してみるが、やっぱり一部だけでは全体を思い浮かべるのは難しかった。
そしてかつて日本館があった東の広場の前を歩く。ここで運動会が開催されていて、ずーっとうるさかったんだよなあ。

  
L: 旧大阪府立国際児童文学館。たった一人のバカによって台無しになった施設である。文化には長期的な視野が必要だ。
C: オブジェとして残されているお祭り広場の大屋根。これだけじゃ淋しすぎるわ。  R: 広ーい東の広場は日本館の跡地。

さて、万博公園内にはもうひとつ、現存しているパビリオンがある。大阪万博の記念館、「EXPO'70パビリオン」である。
もともとは前川國男設計の鉄鋼館で、2010年に現在の形でリニューアルオープンしたのだ。当然、中を見学するのだ。

  
L: EXPO'70パビリオン(旧鉄鋼館)。2階が大阪万博の記念展示スペースとなっているのだ。
C: デザイン計画が面白い。こういうマークや公式フォントが決められていたのか、と面白がるのであった。
R: 内部の様子はこんな感じ。赤を基調とした空間で、その強烈さが当時のインパクトを呼び起こすのだろう。

僕は1977年生まれなので、大阪万博の影響をほとんどまったく受けていない(はずの)世代である。
むしろ1985年のつくば科学万博の方が印象に残っている。当時は本当につくばに行きたくて行きたくて行きたくて、
でも親にその金はなくって、しょうがないから赤塚不二夫先生のニャロメのガイドブックでガマンしなさい、
そういう悔しい状況だったのである。いやー、泣いた泣いた。だからもし僕が1970年の大阪万博を体験していたら、
たぶんとんでもないことになっていたであろうことは容易に想像できる。大阪万博の熱気は他人ごとじゃないのである。

  
L: 各パビリオンの建築を紹介する展示。当時最先端でキレキレのデザインが咲き乱れていたと思うと、卒倒しそうだぜ。
C: 太陽の塔の内部を再現するスペースもあった。まあ、あくまで一部の再現に留まっているのが非常に残念である。
R: 大阪万博のピクトグラム。僕はピクトグラムから記号の世界に引き込まれた経験があるので、面白くてたまらんかった。

こうして展示を見て、大阪万博というものの残り香をちょろっと吸い込んでみると、それが微量であるにもかかわらず、
圧倒されてしまうのである。これはブームなどではなかった。「トラウマ」と形容すべき影響を与えた事件だったはずだ。
そう、大阪万博とは国営の期間限定テーマパークであり、その空前絶後のお祭り騒ぎは日本人にトラウマとして残った。
光があれば、そこにまた陰も生まれるのは当然のことだ。しかし大阪万博についての「陰」は、語られることがほとんどない。
日本の現代史上で不自然なくらいに「陰」を感じさせない大阪万博という事件は、そのスーパーポジティヴな面がまた、
「『陽』という陰」を、やはりトラウマとして国民たちに刻み付けたように思えてならないのだ。反物質的なはじけ方。
書いていることにぜんぜん具体性がなくて申し訳ないのだが、成長神話への脅迫観念へ通じる何かを僕は感じるのだ。

展示は2階を一周して終わり、なのだが、最後の方に嘉門達夫のコレクションが展示されていたので撮影してみた。
茨木市出身の嘉門達夫は大阪万博に通い詰めていて(そういえば昔、ラジオでよく万博関連の話を聴いたなあ……)、
友人たちとバッジを競って集めていたそうだ。その成果が下の写真。当時の熱気がはっきりと伝わってくる。

 
L: 嘉門達夫の大阪万博バッジコレクション。  R: 表だけじゃないところが凄いよなあ。

これで大阪万博の何たるかが理解できたとはまったく思わないが、かつて僕が生まれる前に起きていた、
存在そのものがトラウマとして刻み込まれるような大事件の輪郭は、おぼろげながらつかめた、と信じたい。
そんな気持ちで太陽の塔を下から見上げながら、自然文化園から出た。自転車にまたがり、府道1号を行く。

万博記念競技場の最寄駅・公園東口駅を通過して、さらに先へ。iPhoneで位置を確認してから坂を下る。
周囲はすっかり住宅地。ニュータウンとは異なる、小ぢんまりとした街区に個建て住宅が集まった景色だ。
その突き当たりを左に曲がって次の交差点、角地にあるのはコンクリート打放しの建物とそれを囲む木々。
目を凝らして枝の間を見ると、コンクリートには黒い十字が引いてある。どうやらガラス板がはめ込まれているようだ。
なるほど、これが噂の「光の教会」か、と納得。まずは建物の周囲をぐるっと歩いて観察してみる。

  
L: 光の教会はこんな感じで住宅地の中に潜んでいるのだ。  C: 南側からは教会ホール(日曜学校)が奥に見える。
R: 礼拝堂の側面はこのようになっている。見学者がけっこう群がっていて、この角度で撮るのに時間がかかったよ。

光の教会は正式名称を「茨木春日丘教会」という。1989年竣工の礼拝堂は安藤忠雄の代表作として名高い。
教会なのにコンクリート打放し、しかも十字の窓から光を取り込んで十字架とする、という発想は衝撃的だったようで、
僕が行ったときにも見学者が絶えずどこからか湧いてくる、という状況なのであった。特に外国人が多い。
パッと見て日本人かなと思ってもアジアのどこかの言語をしゃべる、そんな人がちょくちょく現れる感じだ。
キリスト教が浸透しているからか、韓国からの見学者も多いようだ。「韓国女性の2人組」が目立っていた印象である。

  
L: 十字の窓をクローズアップ。僕の第一印象は「ギャン(『ガンダム』でマ=クベが乗るMS)そっくりじゃん!」だった。
C: エントランス部分。左側が礼拝堂で、右側が日曜学校。辺りは実に多国籍な見学者たちであふれていたよ。
R: 駐輪したときに目に入ったのだが、なんかよくわかんないんだけど、わざわざ十字架が置いてあった。教会だなあ。

日曜学校の入口のところで受付をして、礼拝堂へと入る。明るい外に対して内部空間はある程度暗くしておかないと、
光の十字架はドラマティックにならない。そのためか、礼拝堂の入口はトラップ(排水口のやつね)のようになっていて、
いったん奥まで進んでから振り返って光の十字架とご対面する仕組みだ。思い出すのは直島の「南寺」(→2007.10.5)。
真っ暗闇の中のごくごくわずかな光を体験する施設で、あれも安藤忠雄の設計だった。やり方がまったく一緒なのだ。

  
L: 礼拝堂の脇には階段があったのだが、用途がよくわからない。日曜学校側の円形ベンチも存在意義が謎である。
C: 礼拝堂に入る。まずは左に曲がって奥まで行く。  R: 入口を振り返ったところ。よく見るとここにも十字架が。

ではいよいよ光の十字架とご対面である。見た瞬間の僕の感想としては、昨日の「住吉の長屋」とまったく同じで、
「もっと早く世に出てもよかった発想だと思う」、とにかくそれに尽きる。それ以上でも以下でもなかった。
実際に打放しのコンクリートに切り取られた十字架を見て、これは誰にでも考えつくはずのアイデアだとまず思う。
しかしそれを実行してみせたのは安藤忠雄が最初なので、それはもう安藤忠雄が偉いに決まっているのだ。
でも、僕の中でそれ以上の評価は出てこない。「出オチ」と言ったら失礼かもしれないが、「なるほど」で終わり。
周りにいた外国人見学者の皆さん、特にクリスチャンの皆さんはどう思ったのかわからないのだが、
社会学しか信じていない僕には正直、感動的な体験とまではいかなかった。最初にやった安藤の勝ち、それだけ。
しばらくじっと眺めていたのだが、この発想が1989年まで出てこなかったことの方が意外に感じられてならなかった。
まあ逆を言えば、安藤忠雄はそういう「発想の穴」を見つけて提示するのが抜群に上手い建築家ってことなのだろう。

 光の十字架。「なるほど」と同時に、もっと早く世に出てもよかった発想だと思う。

コンクリート打放しの空間は実にミニマルで、見ているうちに「これはプロテスタントだから成立するのか」と気がついた。
キリストの権威、教会の権威を前面に押し出すカトリックや東方正教会では、この発想はたぶん認めてもらえないだろう。
聖書を通した神との対話を追求するプロテスタントだからこそ、この空間は劇的なものとして映るというわけだ。
礼拝堂は敷地に合わせて全体が下りの傾斜となっていて、信者の席にはまるで大学の教室を思わせる段差がついている。
机や椅子も黒に近い焦げ茶色に塗られており、ストイックな印象を強めている。祈りと研究が合体しているような空間だ。

光の十字架についてもう少し書いておくと、実はデジカメではけっこう撮影しづらいのである(オートで撮影する場合)。
全体の光量が多くないのに対象だけが明るい、そのバランスが特殊なのか、ピントが合いづらい。マクロ撮影モードになる。
また、肉眼では外の景色がけっこう透けて見えるのだが、カメラを通すと劇的に映るのである。上手くつくってあるもんだ。
実際にはそこまで光があふれてはいないのに、撮るとフォトジェニック。その辺もまた安藤の評価される点なのだろう。

  
L: 祭壇側から礼拝堂全体を振り返ってみたところ。ノアの方舟を思わせる、というのはちょっと言い過ぎかな?
C: 祭壇といっても机と椅子と聖書があるくらい。その辺はさすがにプロテスタントということか。
R: 十字の外をクローズアップ。実際にはすぐ近くにある木や電線、住宅の屋根などがけっこう見えるのだ。

僕は建築に大いに興味を持っている人間だが、建築をわざわざ見に来ている人間にも興味があるので、いろいろ観察。
さっき韓国女性の2人組が目立つ、と書いたが、正直、もうちょっと気を遣ってほしいかな、というところはある。
みんな撮影したいと思っているわけで、延々と自分たちのペースで撮影するのはなんとも。譲り合いの精神を深めてほしい。
その辺、日本人は素早く撮影して場所を移してから確認、ってのをごく自然とできるんだけどね。地味だが美点である。
あと、見学者たちはたいてい、光の十字架をバックにして自分撮りもしくは人に頼んで撮影してもらっているのね。
クリスチャンじゃないしむしろ一神教の単純明快さに疑問を持っている僕には、その心理がまったく理解できない。
逆光で写真を撮りまくって何が楽しいんだろう?と思うが、まあこれはつまり、ふつうの教会の祭壇でやらないこの行為を、
光の教会ではやりたい気持ちにさせているわけで、そこに光の教会の意義があるんだろうな、と受け止めておこう。
もちろん座って静かに十字架を見つめる人もいたけどね。でもそれはそれで「何も見えてきませんが」と思うひねくれた僕。

日曜学校の方もきちんと見学させてもらった。こちらも打放しのコンクリートで構成されている空間だが、
机や椅子、本棚、そして十字架を、自然な木の色を残して配置しているので、ずいぶんと明るい印象がある。
空間の居心地としては、こっちの方が圧倒的にいい。ストイックな礼拝堂とは違い、こちらはかなり温かみがあるのだ。
きちんと光を受けた打放しのコンクリートは無機質な印象よりも、まるで空気のような透明さを感じさせるようになる。
無彩色のコンクリートは背景となり、その分だけ木の温かみが強調される。なるほどこれはいいわ、と素直に思った。

最後にもう一度、礼拝堂の中に入る。大まかな印象はさっきとまったく変わらなかったのだが、一点気がついた。
それは光の十字架ではなく、側面の壁だ。十字の窓に切り取られて飛び込んでくる光は、状況に応じて微妙に変化する。
壁はそれを映し、ゆっくりとさまざまな模様を描き出していくのだ。座ってそれを眺めていた、って人がいるかもしれない。
僕は神を信じるよりも先に社会学を信じているし、神よりも人間の方に興味がある。だから光の十字架じたいについては、
「なるほど」の一言止まり、それでおしまいだったわけだ。しかし、僕は神を信じる人間の方に興味があるからこそ、
十字架からの光を映す壁の方に興味を持ったのかもしれない、そう思った。どうやら僕は光の教会に一本取られたようだ。

  
L: 日曜学校。打放しコンクリートは透明な空気のような存在となり、地に接する木の色を強調する。
C: 祭壇の方から振り返ったところ。2階もあるけど収まりきらなかった。穏やかでいい空間ですね。
R: 最後にもう一度、光の十字架と、その光を映す壁。光源の状態はさまざまに変化し、壁はそれに応える。

教会の方に礼を言うと、自転車にまたがって坂をうんせうんせと上っていく。府道1号は一段高いところにあるので、
まるでインターチェンジのようにぐるっとまわり込んで復帰。快調に飛ばして公園東口駅のところまで戻る。
まだスタジアムの開場時刻にはなっていなかったが、すでに周辺は人であふれ返っていた。さすがはガンバ大阪だ。

  
L: 公園東口駅から眺める万博記念競技場。  C: 長居と違い、フードコートの充実ぶりが凄い。メニューが魅力的で店の数も多い。
R: 今年の12月に着工する新スタジアムの模型。ゼネコン3社から竹中工務店の案を採用。今の球技場の位置に建設するようだ。

一日お世話になったレンタサイクルを駅に返却すると、万博記念競技場へと向かう。まずとにかく驚いたのは、
フードコートの充実ぶりである。昨日の長居が閑散としていたのとはまったく対照的で、質・量ともにとんでもない。
これだけの人がいるのに行列に苦しむことなく食い物を買えるというのは、実にうらやましいことである。
店の反対側では新スタジアムの模型が展示されていた。新スタジアムの建設問題はかなりの紆余曲折があって、
結局は「みんなの寄付金でつくる日本初のスタジアム」として計画が進行中である。行政のトップダウンの判断でなく、
サッカークラブが関わりながら資金を集めてスタジアムをつくるってのは、冷静に考えるとかなりすごいことである。
(またその反面、ハコモノをポンとつくってしまう行政の力がいかに巨大なのかも逆説的に実感できる。)

  
L: 万博記念競技場のメインスタンド側。1972年竣工ということで、昭和なお堅い雰囲気を漂わせるスタジアムである。
C: この日はG大阪×愛媛の試合ということで、愛媛県のイメージキャラクター・みきゃんが来場。日本はゆるキャラの国だなあ。
R: 万博記念競技場の中はこんな感じである。昨日の長居球技場と比べるとやはり、陸上のトラックが気になるところではある。

圧倒的な攻撃力を武器にJ2の首位を走っているG大阪。本日の対戦相手は愛媛FCである。かつて愛媛FCといえば、
レンタル移籍で戦力を確保することで有名で、新しいシーズンが始まるたびにチームをまたイチからつくり直す、
その繰り返しで伸び悩んでいる代表的存在だった。広島からのレンタルが定番で、高萩や森脇は愛媛で鍛えられた。
最近では「エヒメッシ」でお馴染みの齋藤学が有名である。まあそういうクラブのカラーも面白いとは思う。
(齋藤は横浜Mに戻ったが、「ハマのメッシ」ではなく「愛媛のメッシ」「エヒメッシ」でいくと公言。かっこよすぎる。)

さて観客席に視線を移してみると、さすがオリジナル10のクラブだけあって、G大阪のゴール裏の勢いはすさまじい。
歌に合わせて両手を上げてたたく、それをスタンドの左右で交互にやってのけるのだ。人数がいないととてもできない。
対する愛媛は人数こそ少ないが、能田達規デザインのキャラクターが描かれている旗を振って元気いっぱいである。
能田達規はめちゃくちゃサッカーをわかっている人なので(→2008.3.13)、デザインも一工夫あって面白い。
特にオ~レくんのシャークマウスな顔つき(しかも、よだれが果汁)は魅力的で、松下進のガンバボーイとは雲泥の差だ。

 
L: ゴール裏にびっちりのガンバサポ。20年間を着実に歩んできたビッグクラブの風格を感じる。
R: 愛媛のゴール裏で踊るキャラクターの旗。オ~レくん・伊予柑太のほかにもう一匹、アイツがいる……。

さて試合が始まると、当然のことながら圧倒的にG大阪ペース。余裕を持ってゆったりとボールを回すG大阪に対し、
愛媛はがっちりと人数をかけて守ってからのカウンターを狙う。しかしホームの声援を受けて攻めるG大阪の圧力は強く、
ほとんどの時間が愛媛陣内でのプレーとなった。愛媛としては「守備的に」という意識を持ってやっていたとは思うが、
おそらく想定していた以上に「守備的にさせられてしまった」ってところではないかと思う。前に出られないのだ。
失礼ながらサンドバッグと形容できるほどに、一方的にG大阪がボールを保持して攻め込んでいく展開となる。
ところが意外とそのサンドバッグは硬く、ゴールを割ることはできない。愛媛の選手は相手の動きがよく見えていた感じだ。

  
L: 愛媛ゴール前での攻防。余裕を持って攻めるG大阪に対し、愛媛は必死の守り。見事に集中していて点を与えない。
C: クロスを上げようとする加地の図。対する愛媛はご覧のように、めちゃくちゃ人数をかけてそれに対抗している。
R: クラブにおける遠藤はまさにレジスタ。プレスのかからない低い位置から前線へ、一気に仕掛けるボールを蹴る。

0-0のままハーフタイムに入ると、ガンバボーイとともに「アイツ」が登場。みきゃんでもオ~レくんでもなく、
「アイツ」がグラウンドを一周する。そう、知っている人は知っている大人気マスコット・一平くんである。
もともとは「ゆうゆう亭」という店のキャラクターで、愛媛FCのサポーターとして試合に出没するようになったのだが、
イベントでケガをして担架で運ばれるというネタが確立され、Jリーグのファンにはすっかりお馴染みの存在となっている。
(僕は個人的に、一平くんと「あだっちぃー」こと足立梨花が、Jリーグに来る人気者という意味で双璧だと思っている。)
そして一平くんは無断欠勤を理由に店を解雇されてしまったが、横浜に戻った齋藤学を応援するために三ツ沢に行ったり、
日本代表を応援するためにオマーンやヨルダンまで行ってしまうなど、今はフリーの身分でやりたい放題を繰り広げている。
実は一平くんは、今日の試合前にもメインスタンド前で両軍のサポーターたちと組んず解れつして過ごしていたのだが、
あまりの人気ぶりに写真が撮影できなかった(どうしても組んず解れつしている皆さんの顔が入ってしまうのだ)。

そんな一平くんたちが無事にグラウンド一周を終えると、後半開始。おそらく愛媛の石丸監督は後半勝負のプランで、
選手たちも前半をしのぎきったことで自信を感じさせるプレーぶりだった。フィニッシュまではなかなか行かないが、
中盤でチャレンジできる場面がでてくるようになる。対照的に、余裕たっぷりのG大阪のペースは特段上がらない。
こうしていればいつか点が取れるだろう、という意識が動きのひとつひとつから感じられる。が、時間だけが過ぎていく。
やがて68分、愛媛がいい位置でFKを得ると、蹴ったボールに後ろから走り込んできたDFアライールが頭で合わせて先制。
あまりにも鮮やかな得点の奪い方で、思わず僕も叫んでしまったではないか。「弱者のサッカー」の最高のお手本だ。

その後もG大阪は攻め続けるが、愛媛の守備はもう完全にノリノリ。見ていてG大阪が点を取れる感じはしなかった。
守備的なサッカーはつまらないとよく言われるが、この日の愛媛の守備は、なんとなくだが、面白かったのである。
まあそれは僕が判官贔屓で愛媛に肩入れしながら観戦していたせいもあるが、やはり「選手が見えていた」感じなのだ。
G大阪はサイドからのクロスや遠藤からのロングパスをどんどん入れてくるんだけど、愛媛はそのひとつひとつに対し、
着実に対応して危ないシーンをつくらないのだ。もぐらたたきでビシバシもぐらをたたく爽快感があるような守備だった。
そして試合は、そのまま愛媛がリードを守りきって終わった。まさかの大金星に、愛媛のゴール裏は大いに沸き上がる。
G大阪のサポの皆さんには申し訳ないんだけど、こんな胸のすくようなウノゼロゲームは初めて観た。いや、面白かった。

  
L: 一平くんとガンバボーイ。サッカースタジアムにおける一平くんの人気はなかなかすごいものがあるんですよ。
C: 決勝点を叩き込んだアライール。セットプレーから一瞬の隙を衝く、まさに「弱者のサッカー」のセオリーどおり。
R: 試合終了後、大盛り上がりの愛媛ゴール裏。いやー、たいへんいい試合を観させていただきました。

帰りは大急ぎでモノレールに乗り込んで北大阪急行に乗り換えて新大阪で降りて、新幹線に乗り込んだ。
ボサッとしていると東京に帰れなくなってしまう、シャレにならない乗り継ぎだったが、どうにかオーライ。

帰りの新幹線の中で弁当を食べながら、大阪のサッカー事情についてちょろっと考えてみる。
今回の大阪旅行では運がいいことに、大阪を本拠地とする2クラブについてサッカー観戦をすることができた。
初日は御堂筋を中心に大阪のど真ん中を歩きまわってからセレッソ大阪の試合を観戦し、
2日目は千里ニュータウンや万博公園といった郊外を走りまわってからガンバ大阪の試合を観戦した。
ではその都市空間の違いがファン層の違いにつながっているかというと、そういう印象はまったくない。
たとえばマンチェスターなら、ユナイテッドが郊外、シティが中心部といった具合にファン層が分かれているという。
メジャーリーグでも、ニューヨークはヤンキースが山の手でメッツが下町というファン層の違いがあるという。
以前大阪ダービーでセレッソ側から「俺たち大阪、お前ら吹田」という横断幕が掲げられたという話は知っているが、
実際のところはそれほどきちんとファンの棲み分けがあるようには思えなかった。それぞれのクラブのカラーが好き、
そういうところでファンが分かれているように思うのである。まあそれはとっても健全なことではあるのだが。
ただ、長野県出身の僕としては、信州ダービーを地域の代理戦争に見立てて楽しみたい人間としては、
郊外やニュータウンの住民はガンバ、下町の住民はセレッソという色分けができると面白いのにね、と思う。

というわけで、実際に旅行するのも文章にまとめるのもめちゃくちゃ大変だった2日間の日記はこれでおしまい。
まあその分、とっても賢くなることのできる経験だったのは確かである。俺様は本当にお疲れ様でした。


2013.9.28 (Sat.)

毎度おなじみテスト前の旅である。今回は土日の2日間、大阪にポイントを絞ってあちこち歩きまわる。
なぜ今さら大阪なのか?という疑問を持つ人もいるだろうが、発端はズバリ、安藤忠雄設計の「光の教会」である。
かねてよりcirco氏と潤平から「ぜひ感想を聞きたい」と言われており、そんなら行こうじゃん、と思っていたわけだ。
しかし地図を確認してもらえばわかるとおり、光の教会の所在地は茨木市なのだが、万博公園の近所にあるのだ。
万博公園といえば、まあ、ガンバ大阪なわけだ。だから僕の頭の中では光の教会とガンバの観戦は最初からセットだった。
で、万博公園には国立民族学博物館もある。そこで「国立民族学博物館→光の教会→ガンバ大阪」という、
なかなか見事な3連コンボが成立したわけだ。今年のガンバはJ2に降格しているので、これが日曜日の予定となる。
では土曜日はどうするか。そう考えた次の瞬間には一宮参拝が頭に浮かぶのだが、それだけじゃもったいない。
ということで、大阪市内のDOCOMOMO物件めぐりというプランが当然そこにミックスされることになる。
そして調べてみたら、土曜日には大阪市長居球技場(キンチョウスタジアム)でセレッソの試合がある。決まり。
こんな経緯でできあがった旅程は当然ながら、かなりの過密具合となってしまった。中身が濃いのは事実だが、
さすがの僕でも「これはちょっと……」と二の足を踏みたくなるほどの、常軌を逸した旅程である。でもやっちゃう。

バスが大阪駅から少しはずれたバス停に到着したのが6時半過ぎ。見事な快晴で、これはありがたい歓迎だ。
まだまだ眠い頭を左右に振りながら地下街経由でJR大阪駅を目指すが、途中でドトールが営業中だった。
時間的にも余裕があったので、朝メシをいただきつつ30分ほど日記を書いて過ごす。ずいぶんいいスタートである。

 というわけで朝の大阪駅。トラス構造がセクシー(→2012.2.24)。

予定どおり大阪環状線に乗り込むと、鶴橋駅で近鉄の奈良線に乗り換える。僕は大阪を走る近鉄にはひどく疎いので、
市域としては東大阪市にいることはわかるのだが、具体的にどんな街を通過しているのかはよくわからない。
東花園駅で各駅停車に乗り換えてさらに東へ進むと、それまで平らだった土地がはっきりと上り坂となる。
このまま標高が上がっていった先にあるのは生駒山地だ。つまりは奈良県。大阪からそのまま奈良へ出るという経験は、
6月の修学旅行でやっているのだが(→2013.6.15)、やっぱり自分の中では今ひとつピンとこないところがある。

本日最初の目的地は、その生駒山地の麓から中腹といった辺りに位置している枚岡神社だ。河内国の一宮である。
東大阪市は1967年に布施市・河内市・枚岡市が合併して成立している。まあつまり、かつて市名となっていたほど、
枚岡神社一帯は重要な場所だったということだ。しかしそのわりには枚岡駅は規模の小さい印象がする。
改札を抜けて駅の東側へ出ようとまわり込むと、ホーム端っこに「元春日 枚岡神社」という横断幕が掲げられていた。
やはりこの辺りでは昔から大きな影響力を持っていたんだなあ、と思いつつ坂を上がって参道に出る。
右を向いたら鳥居があり、木々に覆われて厳かな雰囲気となっている。そのまま進むと左手に立派な境内が現れた。

  
L: 枚岡駅から参道に出たところ。  C: 河内国一宮・枚岡神社。上り線のホームからだと石段でそのままアクセス可能。
R: 鳥居をくぐるとすっきりとした参道となる。そこそこな上り坂が続く形で、それもまた厳かさを感じさせる要素だ。

参道の幅は広く、そこそこの勾配となっている。進んだ先には手水があるが、建物ではなく磐座のようになっている。
川を渡った先には石段があり、拝殿はそれを上りきってすぐ。朝なので逆光となり、これがものすごく撮影しづらい。

 参道を進んだ先にある石段。確かに枚「岡」神社だわ。

枚岡神社は「元春日」ということで、祭神である天児屋根大神と比売大神が春日大社に分祀されており、
また春日大社からも祭神を分祀するやりとりをしている。その関係か、本殿は春日大社と同じく4つ並んでいる。
境内の南側には山の緩やかな斜面につくられた梅林があり、地元の皆さんには散歩コースになっているようだ。
木々の間からはちらちらと東大阪の街が覗いてるのだが、勢いよく生い茂る葉っぱが邪魔してよく見えない。
なんとも残念なもんだなあと思いつつ拝殿まで引き返して参拝。なかなか空間的な要素が充実している神社だった。

  
L: 枚岡神社の拝殿。石段からすぐのところにあるのできれいに撮影しづらくて困る。  C: 中門もなかなか見事。
R: 4連発の本殿がちらりと見える。枚岡神社は石段まではわりと広々しているが、そこから上は聖地らしい密度が濃くなる。

帰りは参道からまっすぐ石段を下って、そのまま枚岡駅へ。近鉄奈良線を西へと戻り、若江岩田駅で降りる。
かつてはすぐ北に東大阪市役所(旧河内市役所)があったそうだが、2003年に移転して再開発ビルが建った。
というわけで、この若江岩田駅を起点にして現在の東大阪市役所まで歩いてしまうことにしたのだ。
現在の東大阪市役所は、同じ近鉄でもけいはんな線の荒本駅のすぐ近くである。同じ近鉄のくせに面倒くさくって、
奈良線もけいはんな線もきっちり東西方向に走っており、奈良県に入った生駒駅まで接続することがない。
しょうがないからその分だけ南北にオレが歩く、ということなのだ。実に面倒くさいのだが、しょうがない。

若江岩田駅からしばらくは商店街となっているが、ふらっと西側へ入り込んでいくと、純然たる住宅地となっている。
新しいマンションなども点在しているが、ところどころで路地が昔ながらの細かい曲がり方を残している。
そして大きめの道に近くなると、東大阪名物として有名な中小の工場の姿があちこちで見られるようになる。
高速道路の西側にも出てみたが、やはり住宅がほとんどを占めている。新築の小ぎれいな家がけっこう多い。
こちらでも中小の工場が点在しており、なるほどこれが東大阪らしさなのかな、と思いながら歩く。
さっきも書いたけど東大阪は布施市・河内市・枚岡市というきちんとした規模の3市が合併してできた自治体なので、
今ひとつ核となる場所がない。「そこへ行けばだいたいわかる」という代表的で便利な場所がないのだ。
とりあえず今回はこれでヨシとしておくことにする。そんなこんなで高くそびえる東大阪市役所に到着。

  
L: 南側より見上げる東大阪市役所。設計は安井建築設計事務所で、2003年に竣工。いやー、こりゃ高い(115.8m)。
C: 北東側から見上げたところ。  R: 市役所の北には大阪府立中央図書館。こちらは1996年竣工で設計は日建設計。

最上階の22階はお約束の展望ロビーということでお邪魔してみる。が、エレベーターを降りたらあまりに殺風景で驚いた。
まるで「来るな!」と言わんばかりの素っ気なさ。物音がするのでそっちに行ってみたら、展望レストランの撤去工事中。
どうも様子がおかしいなあ、と思いつつ窓ガラスに寄ってみると、そこには撮影禁止の貼り紙がしてあるのだった。
近隣住民のプライバシー保護ということで、これはまあ納得するしかないのである。しょうがないのである。

 そんなら展望ロビーじたいをつくるなよ、と言いたい気がしないでもない。

まあ正直なところ、僕も事態をきちんと正しくしっかり詳しく認識しているわけではないので、迂闊に書けない。
ただ、この場所では他意はなくとも安易にカメラを構えることができない、ということだけは確かなのである。
いちおう大枠だけは知ってここに来たわけだが、やはり事実として突き付けられるとウーンと唸るしかなくなる。
街を歩いてきた僕の感想としては、「表面上は見えなかった」。見えなかったものが、貼り紙で可視化された印象だ。

念のために書いておくと、この東大阪市役所22階展望ロビーから見える景色はとんでもない絶景である。
天気に恵まれたこともあったが、とにかく凄まじいと言えるほどの絶景だ。西は大阪市のビル群が完全に一望でき、
東は生駒山地の雄大なパノラマをこれまた完全に一望できる。これだけのものを撮影できないのは本当に悔しい。
そんなわけで大いにモヤモヤしながら大阪市内へと戻るのであった。もうこれは「モヤモヤ」としか書けねえよ。

近鉄けいはんな線は大阪の地下鉄に乗り入れており、谷町四丁目で乗り換えて天満橋で降りる。
朝から歩きどおしですでにけっこう疲れているのだが、今日はこれからもっと歩かされることになるのだ。
せめて駅から近いところにあればなあ、と思いつつトボトボ歩いて到着したのは、泉布観(せんぷかん)。
1871(明治4)年に造幣寮(現・造幣局)の応接所として建てられた洋館だ。「泉布」とは貨幣のことだそうだ。
奥には旧桜宮公会堂(旧造幣寮鋳造所正面玄関)があり、これまたすばらしい風格をたたえている。
どちらも重要文化財に指定されているが、なるほど明治初期の気合をはっきり感じられる建物だ。

  
L: 泉布観。木がすばらしく邪魔である。  C: というわけで角度を変えて眺めてみたところ。
R: 奥にあるのは旧造幣寮鋳造所正面玄関。撮影していたらいきなり結婚式が始まって驚いた。

歩くのがすっかり面倒くさくなっちゃったので、大阪天満宮駅から電車に乗る。北新地駅からまた歩かされるのだが、
とにかく少しでも楽をしたかったのである。今日の歩きは本当に凄まじいものがあるのだ。少しでも休ませろ!ということ。

北新地駅からは地下街でJR大阪駅の西側に出る。いよいよDOCOMOMO物件めぐりをスタートするのだ。が。
そう、残念ながらDOCOMOMO物件だった大阪中央郵便局は、昨年末をもって取り壊しが完了してしまったのである。
今まで大阪に来るたび何度も見ていたのに、きちんと撮影しなかったオレのバカ! バカ!と嘆いてももう遅い。
やはり、「いつでもできる」という油断は大敵なのである。広大なオープンスペースを見て思い知ったわー。

気を取り直して「びゅく散歩」のお時間です。今回の「びゅく散歩」の舞台は「御堂筋」です。
キタからミナミまで御堂筋を歩いて、途中にあるDOCOMOMO物件や一宮を押さえようということですな。
大阪では東西方向の道は「通」で、「筋」とは南北方向の道を指す(京都はどっちも「通」のようだが)。
で、北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)がある筋ということで「御堂筋」となったとのこと。
かつてはそれほどメジャーな道ではなかったが、大正から昭和にかけて大阪市長を務めた關一が大拡張。
(この際に地下鉄御堂筋線も建設されており、各駅がDOCOMOMO物件となっている。これは明日チェックする。)
こうして現在も商都・大阪を代表する幹線道路として大いに親しまれているというわけだ。
ちなみに梅田新道以南の国道25号部分はキタ→ミナミの一方通行。6車線ぜんぶが一方通行とはすごいもんだ。

まずはキタこと梅田のシンボルである梅田阪急ビル(阪急百貨店うめだ本店)を撮影し、いざ南下スタート。
阪神間モダニズムの香り漂う旧店舗の風情はどこへやら、ウソくさい建物になってしまって悲しい(→2009.11.22)。
やっぱりここでも「いつでもできる」という油断は大敵だ、と思い知らされるのであった。もう本当にがっくり。

  
L: 大阪中央郵便局の跡地。吉田鉄郎の端整な名建築が……。後悔先に立たずとはまさにこのことか。
C: 大阪駅のサウスゲートビルディング(大丸梅田店・ホテルグランヴィア大阪)。オシャレだな。
R: 梅田阪急ビル。こちらもやっぱり、後悔先に立たず。小林一三が草葉の陰で泣いているぞ、チクショー。

御堂筋はまず梅田周辺のオフィスビルの脇をするりと流れていき、東にある新御堂筋とだんだん近づいていく。
この道はかつて「梅田新道」と呼ばれていたが、御堂筋のメジャー化によってその一部と認識されるようになり、
現在では国道1号との交差点としてその名を残すのみとなっている。確かにどこかちんまりとしている。
その梅田新道交差点を抜けると新御堂筋と合流。ここからいよいよ本格的に御堂筋らしさが全開の道となるのだ。

  
L: 村野藤吾設計、梅田換気塔。1963年竣工。やっぱり村野の造形センスは非凡すぎるわ、と思わされる逸品。
C: 御堂筋北端、梅田阪急ビルを眺める。かつては梅田新道という名前だったそうで、確かにどこか裏通り感がある。
R: 御堂筋・新御堂筋の合流地点。ここから本格的に幹線道路らしさが満載となる。ちょっと南下するとすぐに中之島。

御堂筋が新御堂筋と合流して100mほどですぐに堂島川。渡るとそこは中之島で、大阪市役所がすぐに現れる。
大阪市役所は当然、以前にも訪れているが(→2007.2.12)、あらためて今のカメラで撮影してみる。

  
L: 大阪市役所。大江橋を渡って高速道路の高架を抜けるとこの光景。  C: 正面より撮影。つまらんデザインだなあ。
R: 大阪市役所は第1期(1982年竣工)、第2期(1986年竣工)に分けて建てられた。設計は日建設計・大阪市都市整備局。

というわけで中之島で少し寄り道。やはり以前にも歩きまわったことがある市役所周辺をあらためて見てまわる。
残念ながら大阪府立中之島図書館は改修工事中で、日本銀行大阪支店旧館と大阪市中央公会堂だけ撮影。

  
L: 日本銀行大阪支店旧館。 辰野金吾・葛西万司・長野宇平治の設計で1903(明治36)年に竣工。
C: 大阪市中央公会堂の側面。 岡田信一郎・辰野金吾・片岡安が協力して設計し、1918(大正7)年に竣工。
R: あらためて正面を眺めるが、やはりアーチの屋根をドンと出してくるそのデザインは独特だ。

中之島をフラフラして御堂筋に戻ってくると、淀屋橋越しに御堂筋を撮影。まだ距離にして1/3弱である。

 淀屋橋越しに眺める御堂筋・中之島。まさに大阪の中心部である。

さて、淀屋橋で土佐堀川を渡ると、そのまま川に沿って西へと歩いていく。すぐ左手に巨大な建築が現れるが、
これが住友ビル本館。その西隣にあるのが、住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店)。実にややこしい事態である。
(この辺りには住友グループの建物が集まっており、「住友村」と呼ばれているそうだ。なんで「村」なのやら。)
DOCOMOMO物件なのは住友ビルディングの方で、1926(大正15)年の竣工で、設計は住友合資会社工作部。
つまり日本最強の組織事務所・日建設計の前身となる組織が、この建物の建設を機につくられたというわけだ。
現在は大規模な改修工事中。つまりこの建物をこのまま保存するということだ。さすがは住友、英断である。

  
L: 住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店)。終戦直後はGHQの拠点としても使われたという。
C: 改修工事中ということで、西側は灰色のカヴァーをかぶっている。  R: 中之島に戻って撮影したさ。

ちなみにお隣の住友ビル本館の設計はやっぱり日建設計。1962年の竣工で、住友グループの本社がいくつか入っている。
形はどちらも真四角だが、1926年のモダニズムと1962年のモダニズムが交差するようで、非常に興味深い対比だ。

 
L: こちらは住友ビル本館。ふたつの「住友ビル」が並んでいることにすばらしい意義があると思うのだ。
R: 淀屋橋を渡った北浜辺りの御堂筋。これは南向きの写真だな。さすがにガッチガチのオフィス街となっている。

御堂筋に戻ってさらに南下していく。さすがに大阪経済の中心地・北浜ということで、雰囲気が実に味気ない。
ただ、建物としては威厳を前面に押し出したものが多く、ひとつひとつはそれなりに見応えがある。
平日はサラリーマンの往来が激しくて、きっとまた違った雰囲気なんだろう、と思いつつ歩いていく。

やがて右手に一味違う建物が現れた。大阪瓦斯ビルヂング(大阪ガスビル)だ。まずは増築された北館から見たが、
そこからまわり込んで南館を眺めると、その端整な美しさに思わず声が漏れた。なるほど、これはいい。
堂々とした建築の多いこの周辺では「ちょっとレトロで瀟洒」という印象で終わってしまう人も多いだろうが、
よく見れば古典的な様式から機能美へ移る時代にふさわしいデザインをしている。そう、やはりこの建物は、
御堂筋というメインストリートが關一の拡張によって生まれた時代のことを想像しなければ正しく味わえないのだ。
1926年、中之島以北の御堂筋ができあがり、その年に先ほどの住友ビルディングもその豪快な姿を現した。
しかし中之島以南の御堂筋の工事は難航し、竣工したときには1937年になっていたという。
住友ビルディングは大正という時代の総決算として、新しい時代の予感を大いに漂わせながら完成した。
その7年後、昭和という時代の価値観を示して、できかけの大通りの脇に大阪瓦斯ビルヂングは生まれた。
ふたつの建築の違いは時間の違いそのもので、それは御堂筋という新しい空間がもたらした違いということでもある。

  
L: まずは大阪瓦斯ビルヂングの北館側から。1966年に安井の後継者・佐野正一の設計で竣工した。面白い増築ぶりだ。
C: こちらが南館。安井武雄の設計で1933年に竣工。安井はさっきの東大阪市役所を設計した安井建築設計事務所の創始者。
R: 南館はの裏側はこんなふうになっていて意外。正面の端整さに比べるとけっこう見劣りするなあ……。ちょっと残念だ。

個人的な話になるが、やはり僕の中では飯田市立追手町小学校(→2006.8.13)という存在が絶対的なものとしてある。
僕はどうしても、追手町小学校を基準にして戦前のモダニズムを眺めてしまうのである。そのことを逆説的に実感した。

そのまま下っていくと本町となる。相変わらず銀行が多くて雰囲気はまだまだお堅いが、南船場は柔らかくなる。
街全体が細かく雑多になっていて、肩肘張らずに済む感じがする。軽くメシを食ってほっと一息つくと、
御堂筋から一本西に入って神社に参拝。そう、こんな街中に一宮があるのだ。摂津国一宮・坐摩神社だ。
「坐摩」は「いかすり」と読むのが正しいのだが、難しいためか「ざまじんじゃ」と呼ばれることが多いそうだ。
確かにこれは、倭文神社(→2013.8.21)以来の難読ぶりである。しかしイカをスリスリする様子を想像すれば、
こんなものは一発で覚えられるのだ。罰当たりな覚え方をしてごめんなさい。まあ、間違えるよりはいいでしょ?

坐摩神社はもともと淀川の河口に位置しており、その場所はかつて摂津国の中心部だったという。
熊野三山の参詣道に点在する九十九王子でいちばん最初の窪津王子は、まさに坐摩神社の旧社地にあったそうだ。
またこの場所は源氏の流れを汲む渡辺綱が拠点としたことから、「渡辺」姓の発祥の地でもあるとのこと。
その後、豊臣秀吉の大坂城築城の際に現在地の船場に移転。ちなみに住所は「中央区久太郎町4丁目渡辺3号」。
全国の渡辺さんに配慮して、無理やり「渡辺」をねじ込んでいるのだ。まあ地名は守らないとすぐ消えるからねえ。

  
L: 坐摩神社は三ツ鳥居。三ツ鳥居というと大神神社(→2012.2.18)が有名だが、何か関係があるんだろうか?
C: 拝殿。鉄筋コンクリートで頑丈そう。  R: 摂末社が並ぶ奥にはビルがそびえる。さすがに都会の真ん中の神社だ。

今まで全国あちこちの一宮を参拝してきたが、これだけしっかり都会の真ん中にあるというのは珍しい。
周りの近代的なビルに合わせてがっちり鉄筋化されており、境内もかなりコンパクトにまとめられている。
まあしょうがないよな、と思いつつ参拝したのだが、ひとつだけ納得いかない点があるのだ。
それは手水で、人が近づくとセンサーで水をジョボジョボ出す仕組みになっているのである。全然ありがたみがない!
やはり柄杓で左手、右手、口、左手、最後に立てて柄を洗う、その一連の儀式をしないとすっきりしないのだ。
そんなこんなで首をひねりつつ参拝。拝殿の奥には緑の中に陶器が並んでおり、その先に末社の陶器神社があった。
そして西側の鳥居を出ると、そこは高速道路の高架。その歴史からして、坐摩神社は大都会の神社なのだ。

  
L: 全然ありがたみのない手水。どうすりゃいいのか、だいぶ戸惑った。  C: 防火のご利益があるという陶器神社。
R: こちらは西側の鳥居。塀と一体化しているのがなんだか斬新である。反対側は高速道路の高架で実に大都会。

一宮参拝を終えて御堂筋に戻る。さっきも書いたが南船場まで来ると、御堂筋の雰囲気はだいぶ柔らかくなる。
商業建築が増えてきて、人どおりも多くなる。長堀通との交差点は、いわゆる「心斎橋」の中心部である。
ここから難波までは大阪の中でも特に賑やかな一帯で、上品さと猥雑さがうまく融合しているのが心地よい。

 心斎橋(御堂筋と長堀通の交差点)を北向きに眺めたところ。

しかしボヤッとしている暇はないのだ。交差点からちょっと南に進んだところにまたDOCOMOMO物件があるのだ。
W.M.ヴォーリズ設計、大丸心斎橋店(本館・南館)である。1922年から1933年にかけて建てられており、
これまた御堂筋の建設と軌を一にした、新しい価値観の象徴となった建築と言える存在だろう。

あらためて眺めてみると、御堂筋の幅をもってしても建物をカメラの視野に収められないほどのサイズである。
が、スケール感じたいはむしろ窮屈さを感じさせる。いかにも戦前の建物らしい身体スケールという印象だ。
街路樹が邪魔することもあって、マッシヴな建物としての存在感よりむしろ、ファサードが壁として機能している、
そんな感じがするのだ。この壁の向こうには、大丸心斎橋店という別の空間が待ち構えている、そういう感じ。
それは百貨店が非日常として機能していた、古き良き時代の記憶そのものであるように僕には思えるのだ。

  
L: 大丸心斎橋店。  C: 窓などスケール感は小さめだが、御堂筋の幅をもってしても建物の全容を収めることができない。
R: 大丸心斎橋店のファサードは、非日常の空間との境界となっている壁なのだ。そういう時代の記憶が埋め込まれている。

いちおう、周囲をぐるっとまわってみる。北・西(中央)・南とそれぞれの入口を撮影してみたのだが、
三者三様にそれぞれスタイルが違っていて面白い。商業建築は統一されていない魅力がより効いてくるってことか。

  
L: 北側の入口。  C: 西側の中央入口。華やかである。  R: 南側の入口。工期の違いもあるだろうけど、三者の違いが面白い。

さらに御堂筋を南下していくと、道頓堀を渡ることになる。相変わらずの大阪らしいガチャガチャとした光景で、
お上品さ漂う心斎橋から雑多な難波へと雰囲気が変化していく、その最も見えやすい部分であると思う。

 道頓堀。でも一昔前のことを考えると本当にきれいになっちゃったなあ。

ここまで来てしまえば、御堂筋もあともう少しである。行く手に白っぽいモダンな建物が見えてくる。
南海の難波駅、南海ビルディング(高島屋大阪店)だ。キタが梅田阪急ビル(阪急百貨店うめだ本店)で、
ミナミはこの南海ビルディング。大阪で最も重要な幹線道路である御堂筋の両端に、阪急と南海がいる。
阪急は残念な建て替えとなってしまったが、モダンな香りを大いに振りまいていた百貨店が両端にあったことが、
御堂筋という道の性格を象徴しているわけだ。大阪という街はモダニズムの巨大な実験場となっていたように思える。
(阪急百貨店は1929年に改築されており、1932年と1936年にも増築。南海ビルディングの竣工は1932年。)
かつて阪神間モダニズムについて考えたが(→2012.2.26)、阪神間モダニズムは郊外の兵庫県が主な舞台で、
六甲山麓という「山の手」の新しい空間が切り開かれていき、そこに新しい価値観が植え付けられていった。
その一方で、時代の空気に敏感な商人たちの大都市・大阪でも大規模なリストラクチュアリングが行われていたのだ。
そして大阪のモダニズムは従来の価値観と融合しながら独自の進化を遂げていったのではないか。

  
L: 御堂筋より眺める南海ビルディング(高島屋大阪店、難波駅)。2011年にリニューアル工事が完了している。
C: 村野藤吾設計の新歌舞伎座(2009年閉館)。以前にも撮影したが、やはり無視できない存在感なのでもう一度撮影した。
R: こちらもあらためて撮影した南海ビルディング。大阪モダニズムの証人として見事な再生を果たした。

御堂筋をキタからミナミまで歩いたわけだが、本当はあともうひとつ、地下空間についても考察しないといけない。
上でも書いたけど、地下鉄御堂筋線も大阪モダニズムの重要な証人なのである。なんてったってDOCOMOMO物件だし。
でもそちらは明日の早朝、あまり人が多くない時間帯に各駅を訪れることにするのだ。お楽しみに!?
というわけで、これにて本日の御堂筋探検はおしまいである。実は9年前にも歩いているのだが(→2004.8.11)、
あのときと比べて街並みからずっと多くのものを吸収できるようになっている。成長しているってことにしておこう。

難波駅から各駅停車で揺られて住吉大社駅で降りる。もうひとつの摂津国一宮・住吉大社に参拝するのだ。
住吉大社には以前にも来たことがあるので(→2009.11.22)、わざわざもう一度来なくても、と思われるかもしれない。
しかしまあ、本日の最後は長居でセレッソ大阪の試合を観戦するわけで、長居公園は住吉大社からほぼ真東にあり、
どうせなら「住吉の長屋」の表面でも拝んでおこうということで、僕の中ではルートができあがってしまったのだ。
こうなるともはや選択の余地はない。ここまで歩き倒せば、住吉大社から長居公園までの距離も関係ないのである。

住吉大社駅の駅舎を出ると、4年前とまったく同じ光景が目の前に現れた。阪堺の路面電車の軌道越しに境内がある。
相変わらず住吉大社の境内は、少し錆びたような色合いをした石灯籠が緑とともに並んで俗世から隔離されている。
その数はとても数える気になれないほどで、住吉大社がいかに篤く崇敬されているかを否応無しに実感させられるのだ。

  
L: 阪堺の軌道越しに眺める住吉大社の境内。  C: まっすぐ進むと、多くの参拝者たちを迎える鳥居。
R: 鳥居をくぐったら両脇に絵馬殿。その先には反橋。さすがに住吉大社はいつも参拝者で賑わっておりますな。

前回訪問時には修理中だった反橋で住吉鳥居の前に出る。怖くはないが、カーヴは思ったよりもきつかった。

  
L: 反橋。天と地をつなぐ虹を模したのでこのカーヴなんだとさ。  C: 反橋の上から眺めた池。ミドリガメ多数。
R: 住吉鳥居。断面が四角い柱でできているのが特徴とのこと。国宝の本殿4棟はこの奥でL字に並んでいるのだ。

今回はきっちりと晴天に恵まれたので、いい気分で第一本宮から第四本宮まで参拝してまわる。
住吉大神は海の神様なので長野県出身の僕にはあんまり関係ない気がしないでもないが、気にしちゃいけないのだ。
外国人観光客の姿がけっこう目立っていて、どうやら大阪観光の国際的な目玉スポットとなっているみたい。

  
L: 境内の様子をあらためて撮影。  C: 本殿の様子はこんな感じ(これは第二本宮)。これがL字に並んでいるのだ。
R: 住吉大社の大量の石灯籠は、航海の安全のためにつくられた常夜灯が奉納されたもの。なるほど、納得である。

参拝を済ませると、すぐ近くの「住吉の長屋」へと行ってみる。安藤忠雄を一躍有名にしたコンクリート打ちっ放し住宅だ。
ただしこの建築はいまだに現役の住宅なので、さらっとその前を通り抜けるくらいのことしかできない。
明日訪れる「光の教会」の予習のつもりで行ってみたのだが、いやまあ、幅が狭い狭い。一瞬で通り過ぎたわ。
非常にミニマルなその外観は、隣の建物の増築部あるいは倉庫といった印象で、独立した住宅にしてはとにかく幅が狭い。
でもむしろ、この狭さならこの何もない外観が正解である気もするのである。よけいなことができない、そう思える。
この箱の中ではいったいどんな生活が営まれているのか。表面がミニマルな分だけ内部の想像力はどんどん広がりそうだ。

 住吉の長屋。1976年竣工だが、もっと早く世に出てもよかった発想だと思う。

国道479号は、その名も「長居公園通」である。これをひたすら東へ歩いていけば、長居公園に着くわけだ。
一日中歩き倒しで正直けっこうヘロヘロである。トボトボと歩いていると、ピンクのユニを着たサポーターたちが、
自転車で軽快に僕の脇を抜けていく。それが何度も繰り返される。今回用意したのは指定席なので、焦る必要はない。
なんでもない大阪の街を肌で感じながら東へと進んでいくと、やがて大規模な公園の入口にぶつかった。

長居公園には昨年も来ていて、やはりサッカー観戦をしている(→2012.2.24)。しかしこのときは日本代表の試合で、
会場も長居陸上競技場だった。しかし今回の試合会場はその隣、長居球技場(キンチョウスタジアム)である。
こちらはサッカー専用のスタジアムで、2010年より試合が行われるようになった。ぜひ観戦したかったスタジアムだ。
ワクワクしながら長居駅から続く道を早足で歩いていくと、まず巨大な陸上競技場が目に飛び込んでくる。
さらに進むと、豪快なコンクリートの構造物の手前で、前回も圧倒された2列のモニュメントに目が引き付けられる。
「こころよりからだへ からだわがいとしきものよあひともにこのおもきつちけりてかなたへ」
「からだよりこころへ こころわがたのもしきものたづさへてはしりたたへむこのつちをこそ」
さすがは陸上競技場らしい表現だが、身体性というものを考えるうえではなかなか勉強になる詩であると思うのだ。
そんな気分に浸っているのも束の間、さらに進んだらそこはスタジアムへの入場を待つ人の列がとぐろを巻いていた。
開場時間まではまだ余裕があるし、指定席だしで、その列に加わることなく辺りをブラブラして過ごす。
不思議だったのは、大量の人がいるにもかかわらず、長居のフードコートはガラガラだったことだ。みんな食わないの?

  
L: こちらは以前にも撮影した長居陸上競技場。前回は夕暮れだったので、あらためて青空の下の姿を撮影してみた。
C: 「こころよりからだへ」「からだよりこころへ」の詩が刻まれたオブジェ。スポーツと文学を結びつけるのは知性だ。
R: 大阪市長居球技場(キンチョウスタジアム)。やや無機質な外観も、セレッソのピンク色で鮮やかに彩られる。

では毎回恒例のスタジアム一周だ。……が、長居球技場と阪和線の高架の間は自転車の保管スペースとなっており、
結局一周することはできないのであった。非常に残念である。というか、もうこれ以上歩きたくねえよ。

 これはいったいどうしたことか。

気を取り直してスタジアムの正面まで戻る。しかし一般開場時刻になってもしばらく行列は消化されず、
疲れがピークに達していた僕は陸上競技場の階段でほかの客と一緒に座り込み、そのままおねむ。
行列がなくなった頃にむっきり起きると、さらっと中に入るのであった。そしたらこれがすばらしい景色。
サッカー専用のスタジアムは設計段階から観戦しやすさを最重要視しているのでどこも爽快感があるものだが、
長居球技場も実に見事。青い空、芝の緑に、セレッソのピンク色という対比が文句なしに美しいのだ。

やがて選手たちがピッチに現れて練習を開始する。今日のセレッソのお相手は、ジュビロ磐田だ。
かつては僕もちょろっと応援していた(→2007.11.12)名門クラブだが、今シーズンは降格危機のまっただ中。
なんとなく歯車が噛み合わないまま下から2番目の17位に定着してしまっており、状況はだいぶ厳しくなっている。
見れば日本代表の駒野と前田が一緒に基礎練習をやっており、とても降格危機にあるとは思えない選手層だ。
でも現実は現実。それだけJリーグのクラブの力は均衡しているってことだ。それはすばらしいことではあるのだが。
一方、セレッソ大阪のサイドでは、一躍スタープレイヤーの仲間入りした感のある柿谷が腕まくりをして練習中。
きちんとサッカーに興味を持っている人なら、かつての柿谷の逆境(→2011.7.16)を知っているわけで、
それを乗り越えての現在だから、どこか安心感を持って彼を見つめることができる。今のアイツなら大丈夫でしょ、と。

  
L: 大阪市長居球技場(キンチョウスタジアム)のピッチ。ふつうと違ってメインスタンドに西日が突き刺さる。眩しい!
C: 練習中の駒野と前田。このふたりが所属していながらJ2降格の危機にあるとは……。J1ってのは恐ろしいリーグだぜ。
R: ジーニアス柿谷。彼が10代半ばのときのプレーは完全に異次元だった。足下でボールがありえない動きをしていた。

阪和線との位置関係からか、長居球技場はほかのスタジアムと違ってメインスタンドが東側にある。
これがかなり迷惑で、西日が直撃してやたらと眩しい。バックスタンドより高い金を払っているのに!と憤る。
しかし試合が始まる頃には夕日はビルの合間に消え、空もセレッソのピンク色をにじませるようになった。
面白かったのはホーム側のゴール裏にそびえるマンションで、熱心なサポーターがセレッソの旗を掲げている。
こういう要素ひとつひとつがスポーツを機知に富んだ魅力的なものにしていくのである。大変すばらしいです。

  
L: 試合開始直前の光景。こうしてみると、ピンク色ってのはド派手で魅力的な色だと思う。かっこいいよ。
C: ホームゴール裏にそびえるマンション。特等席だなこりゃ。こういう要素がスポーツを面白くするのだ。
R: セレッソの右SB・酒本。信じられないことに噂どおり、完全に右足だけでプレーしていた。凄すぎる。

さて今回、僕はセレッソのある選手に注目して観戦してみた。右サイドバックの酒本である。
実はこの選手、Jリーグのファンには「絶対に右足しか使わない」ということで知られているのだ。
両足で同じように蹴ることしか取り柄のない僕としては信じがたい話で、これはぜひ生で確認しようと思ったのだ。
で、見てみたら本当に右足しか使わないのである。そこは左足でトラップだろ、という場面でも右足でしか触らない。
これには心底たまげた。ボールを受けるとドリブルもしくは鋭いロングパスを逆サイドの前線に送るのだが、すべて右足。
猛者がひしめく日本最高峰のリーグであるにもかかわらず、たった一本の足ですべてをやってしまう。
あまりの身体能力の違いに悲しくなってしまうが、でもそういうとんでもない選手が存在できるというところに、
Jリーグの面白さもまた感じるのである。世界は広いなあ、とあらためて思うことしかできねーよもう。

試合じたいはJ1らしい膠着した状況。セレッソも磐田も当たり前のプレーを当たり前にこなしてみせるのだが、
相手がミスをした瞬間にその隙を衝いてゴールに迫る、その応酬となる。やはりJ2よりも選手のミスが少なくて、
たまにはきちんとJ1を観戦しないと上手くならないなあ、と考えさせられた。それほどにボールコントロールが上手い。
当たりがかなり激しいにもかかわらず、選手たちはみんな正確にボールを扱えるのである。やっぱりレヴェルが高いのだ。
セレッソ守備陣は前田に対して集中を切らさず、ゴールに近づけさせない。そのため前田はチャンスメイクを意識する感じ。
うまく相手の脅威を減らしているのが印象的。対する磐田も柿谷を自由にさせないように特段の注意を払ってみせる。
どちらのチームも相手のエースストライカーを封じることで前半をやり過ごした、そんな雰囲気でハーフタイムに入る。

そして後半のキックオフ直後、中盤で磐田のパスをカットした山口蛍がそのまま前線の空いているスペースにボールを出す。
そこにいたのは柿谷。抜け出して相手GKと1対1の状況をつくったその瞬間、すでに勝負はついていた。
前半の45分間は集中していた磐田の守備陣だが、この瞬間は隙ができていた。そこを柿谷は完璧に衝いてみせたのだ。

  
L: 暁星出身・前田に対するセレッソ守備陣の対応。きっちりとブロックして前田にシュートを打たせない。
C: 後半開始直後、柿谷の先制シーン。GKは柿谷と1対1になってしまったら、もう勝ち目はない。
R: ガッツポーズの柿谷。今をときめく柿谷の鮮やかなゴールを目の前で見られたのは本当にうれしい。

もともと降格の可能性がきわめて高い磐田だったが、ホームの相手に先制されていよいよ厳しい状況となった。
こうなったら死にものぐるいで攻めまくるしかないはずなのだが、磐田の選手たちのプレーはどこか冷静。
落ち着いていると言えば聞こえはいいが、実際のところ、尻に火のついた感じのしないプレーぶりである。
もっともそれはセレッソにも言えることで、セレッソの焦らない着実な対応が磐田の危機感を鈍らせたのかもしれない。
そうしているうちにセレッソはFKから追加点を決める。ゴール前で混戦となったところをCB山下が頭で押し込んだ。
結局、セレッソはケガ明けのルーキー南野を起用する余裕も見せて2-0で快勝。文句なしの展開だった。
対する磐田の選手たちはサポーターたちのエールを受けながらピッチを去ったが、どこかフワフワした印象。
今シーズンのJ2でガンバ大阪が首位を独走しているせいか、J2というものに対しての余裕をなんとなく感じるのである。
J2ってそんなに甘いものではないはずなんだけどねえ。まあ、今後どうなっていくのか注目ですな。

  
L: セレッソが追加点をあげた直後の様子。しかしピンク色のユニフォームって鮮やかで映えるなあ。
C: ドリブルで仕掛ける期待のルーキー・南野。セレッソは若手の有望株が次から次へとポンポン出てきてすごいもんだ。
R: ブーイング一切なし、エールで選手たちを送る磐田サポ。名門ゆえなのか、変な余裕を感じるのだが……。

御堂筋線で難波に出て、本日の宿にチェックイン。テストをつくる気力などまったくなく、そのまま寝てしまう。
今日だけで300枚も写真を撮影しており、中身の濃すぎる一日だった。そして明日もガッツリと濃い一日ですぜー!


2013.9.27 (Fri.)

授業がみっちり詰まっている状況なんだから、選挙の準備なんてとてもきちんとできやしない。
それでも生徒たちのがんばりのおかげで、いちおう、混乱が起きることなくすべてが終了。ほっ。
右も左もまったくわからない中、よく乗り切ったと思う。さすがに来年は今回より要領よくやれるだろうけど、
完全なるゼロの状況からよくがんばった。ホントよくやった。これで安心して大阪に行けるぜ。ウヒヒ。


2013.9.26 (Thu.)

授業フルコースで生徒会選挙のリハーサルでもうダメ。落ち着いてモノを考える時間がないってのはよろしくない。
異動して1年目で慣れていないことを差っ引いても、なかなかひどい指示の出しっぷりであった。いやまいった。
リハーサルが終わると部活。まる一日みっちり仕事で本当にヘトヘトである。ただダメージだけが蓄積していくね。

さてパ・リーグでは楽天が初優勝。近鉄のオリックスへの吸収合併&新球団の設立と、激動のシーズンから9年も経った、
まずそのことにびっくりである。そしてついに優勝したわけだ。東北の皆さんも選手の皆さんもおめでとうございました。

今年の楽天はなんといってもマー君だろう。もちろん「えっ、あのアンドリュー=ジョーンズが日本に来るの!?」という、
驚きの補強をはじめとして全選手がよくがんばったからこその優勝なのはわかっているけど、やはりマー君だろう。
ひとりだけ別次元の成績でここまで来てしまった。しかも優勝を決めるマウンドにわざわざ立つという劇的さ。
これでマー君の今年の成績に記録される「1S」がものすごくかっこいい意味を持ってくるというわけだ。
マンガの中でしかありえないようなドラマを実現してしまった。事実は小説より奇なり、どころの騒ぎじゃない。
それにしてもマー君のマウンドに眼光鋭く立つ姿は仁王、金剛力士像のごとし。ああでなくちゃいかんのね。


2013.9.25 (Wed.)

ROCK-MEN『We are ROCK-MEN! 2』。これも2012年12月の発売と同時に買っているがレヴューしていない。
なんせ前作が大変すばらしかったので、ロックマン原理主義者の僕に「買わない」という選択肢はありえない。
大いに期待してCDを再生したのが懐かしい。で、結論から言うと、その期待は思いっきり裏切られたわけです。

気合のオリジナル曲でスタートするが、意味不明なフェイドアウトやあっさりエンドは相変わらずいっぱい。
そもそもオリジナル曲ってのがわからない。この「勘違い」が最後まで徹底されてしまっているように思う。
何を過信しているのか、アレンジする曲の選択が悪いところに凡庸なアレンジばかりで、何も面白くないのだ。
アレンジは原曲に何をプラスするかが重要になる。ロックマンなら原曲を生音で鳴らすだけでも成立してしまうけど、
原曲のどの部分を伸ばして強調するかがセンスの見せどころなのだ。そこで共感を得られれば、名アレンジとなる。
つまり原曲を骨の髄までしゃぶるようにして解釈しないといけない。でも今回のアレンジはどれも薄っぺらい。
前作と違って、キラーチューンと呼べるものがまったくないのだ。ただ厚みのあるギターの音で鳴らしただけ。
ホントに「凡庸」、その一言に尽きる。2匹目のドジョウを狙って大失敗、そういう印象しか残らない。

もっとも今作については、凡庸きわまりないロック側と比べるとテクノ側の健闘がちょっと感じられる。
でもそれくらいだなあ。褒めるところがほとんどない、昔からのファンには悲しいアルバムだ。


2013.9.24 (Tue.)

ROCK-MEN『We are ROCK-MEN!』。2011年9月の発売と同時に買っているはずなのだが、なぜかレヴューしていない。
というわけで、ロックマンアレンジCD強化月間ということで、あらためてきちんとあれこれ書いていくのだ。
なお、アレンジしている「ROCK-MEN」とは、カプコンサウンドチームに所属している人たちのユニットとのこと。
つまりカプコン社内にいる人がアレンジしているという点では、かつてのアルフライラと一緒なのだ。
もはや昔のカプコンとは変わってしまったとはいえ、ロックマンの楽曲について知り尽くしているのは確かだろう。

「シリーズ歴代の名曲をロックとテクノの二軸を中心に構成」とのことだが、「ROCKMAN5 DARKMAN STAGE (SIDE-R)」
「ROCKMAN X2 OPENING STAGE」「ROCKMAN X ARMOR ARMARGE STAGE」などは正統派のロックアレンジで、
かなりの聴き応えがある。テクノ側のアレンジも健闘しているが、ロック側のアレンジの方に秀逸なものが多い印象だ。
つまりそれだけ、ロックマンの楽曲はロックである、ということだと思う。ファミコンだけどしっかりロックだったのだ。

中でも「ROCKMAN3 ENDING」は出色のデキである、前半をアコースティック、後半をディストーションでまとめており、
これほど端整なアレンジができることに驚いた。おそらくほかのアレンジでこの曲を超えることは不可能だろう。
原曲の良さを知っている人であれば、このアレンジを聴くためだけにこのCDを買ってもいい。それぐらいの完成度だ。
ロックマン3はオープニングもエンディングも泣かせる曲だが、その泣かせっぷりを極限まで加速させたアレンジである。

全体的には本当によくできているアルバムなのだが、残念ながら見逃すことのできない難点もある。
収録されている曲の数が17曲と非常に多いのはうれしいが、その反面、終わり方が妙にあっさりしていたり、
不自然な強制フェイドアウトになっていたりと、難のあるものがけっこう目立つのだ。その点がかなりもったいない。
ゲームミュージックはループするのが基本という特殊な音楽である。だから、どうきれいに結末をつけるかが重要なのだ。
単純にロックの音色で鳴らせばいいわけではない。その点の工夫が乏しい曲が多かったのはいただけない。

まあでも、ロックマンの楽曲のファンであれば、間違いなく買う価値はある。新しいアレンジを聴けるってのはうれしいぜ。


2013.9.23 (Mon.)

3連休3連戦の3試合目である。相手は都大会で上位に入っちゃうくらい、区内ではぶっちぎりで強い学校なのだ。
僕としてはその強さをイヤというほど実感させてもらって、「サッカーの強さとは何か」を抽出させてもらおう、そんな気持ち。
サッカーが強いとはどういうことか、日記でも何度か言語化を試みているが(→2006.6.152010.6.14)、
中学生レヴェルであるからこそ見えるであろうその本質について、考えるきっかけをつかませてもらおう、と思うのだ。

キックオフの次の瞬間からもう圧倒されっぱなし。いや、もう、強い強い。すべてがウチとは段違いなのだ。まいった。
いちばん何が違ったかというと、スピードだ。それはボールホルダーに寄せる速さもそうだし、判断の速さもそうだ。
連携がとれているということは、チーム全体が味方ひとりひとりの特徴をしっかりとつかんでいるということだ。
状況判断の中で誰に何ができるのかを加味して、一瞬で次のプレーを選択し、それを正確に遂行する。
そのための声もよく出ている。とにかく集中を切らすことなく頭をフル回転させてサッカーをやっているのがよくわかるのだ。
そしてもちろんボールをコントロールする技術もある。ウチにはない要素がいっぱいだ、とうなだれるしかないのであった。

終わってみたら、0-9。まあスコアなんてもうどうでもよくって、相手のプレーから何が学べたか、焦点はそこだと思う。
ただ「相手は強かったです」ではダメなのである。相手の強さのうち、まずどこを参考にして吸収していくかが重要だ。
とりあえず僕は、視野を広く持ってできるだけ状況を広範に把握して判断材料を増やすこと、そのスピードを上げること、
それを練習の中で高めたいと思った。要するに、技術の拙さを頭でカヴァーする、その見本になりたいというわけなのだ。
もちろん技術も上げなくちゃいけないんだけどね。いやー、サッカーの上手さってのは本当にキリがねえわ。


2013.9.22 (Sun.)

試合は午後からなのだが、朝10時に集合して昨日の試合をビデオで分析。できたこととできなかったことを精査する。
しかしコーチの指摘はさすがで、細かい点のひとつひとつによく気がつくなあと、僕はひたすら感動するしかないのであった。
生徒と一緒に、僕もみっちりとサッカーの勉強をさせてもらっている。いやー、それはそれで本当に充実した時間ですよ。

試合に間に合うように移動して、現地でウォーミングアップ。今日の相手は、昨日よりは勝つチャンスがありそうな感じ。
ビデオの効果もあって「やるべきこと」がいつもよりはっきりしているので、生徒たちは集中して準備を進めている印象だ。

いざ試合が始まると、昨日試合をやって慣れた部分、成長した部分を見事に発揮してシュートを撃ちまくる。
受けにまわるのではなく、自分たちが試合の主導権を握るんだという意識が高い。これは見ていて実に気持ちがいい。
特にウチはカウンター主体のサッカーということもあって、守備陣が自信を持ってプレーできていることがまず大きい。
それで積極的に守備から攻撃へと転じることができていて、互角以上の戦いになっている。前半が終わって1-0。

ハーフタイムにはビデオでの反省をもう一度確認し、それと前半の状況を重ね合わせて後半のプレー方針を固める。
このときのコーチの細かい指示が本当に的確で、サッカー経験の乏しい僕としてはそこもまたお勉強なのである。
どうしても僕の場合、相手を分析しての対応の仕方ではなく、こっちのプレーぶりの反省だけで終わりがちなんだよなあ。

後半にはその修正が効いて、ゴールを連発。最終的にはなんと、4-0というスコアで勝ったのであった。
前に飛び出したボランチの得点あり、えげつないリズムのドリブルからの得点ありと、ゴールの奪い方も多彩で面白かった。
内容的にはもうちょっと取れる気がするくらいだったのだが、この点差に落ち着くあたりがまだ足りない、そういう印象。
持っている実力を正当に発揮できればこれくらいのことはできる、というのをはっきりと見せてもらった試合だった。
問題はこれを継続できるようになること、この本来の実力をいかに発揮させるかということ。これは僕らの課題である。
しかしまあ、本当にウチのいいところばっかりが出た試合だった。毎回こういう試合をやってくれれば楽しいんだけどねえ。


2013.9.21 (Sat.)

午前の授業をやってからはるばる移動してサッカー部の新人戦である。3連戦の初日なのだ。
今大会に参加したのは11チームで、レギュレーションがけっこう特殊なのである。3グループに分けて予選リーグをやり、
最下位にならなければ決勝トーナメントに進める、そういう仕組みになっているのだ。つまりとりあえず1回勝てばいい。

初戦の相手は、強い私立と比べると見劣りするが決して弱くはない公立校ということで、どこまでやれるか勝負なのだ。
が、CKからあっさり失点。弱いチームはどうしてもコレが出るんだよなあ……と頭を抱えてしまう。困ったものである。
しかしその後は意外と粘り、崩れることなくひとつひとつのプレーに対応。相手ペースではあるが、よくファイトしている。
すると、ボールを受けた10番が右サイドをドリブルで疾走。かなり長い距離を進んで相手陣内の深い位置にえぐり込む。
そこからのクロスにゴール前に走り込んだFWが合わせてゴール。強引な突破は個人的にはあまり好きなプレーではないが、
その積極性で1点をもぎ取ったのは紛れもない事実なのだ。ゴールの奪い方じたいは連携がとれていて悪くないし、
まあそもそもFWのカウンターで点を取るのは前の代からの伝統となっているのだ。それを受け継いだこともうれしい。

この1点が効いた格好で、後半もこっちが攻める時間帯をつくることができた。やはり得点は最大のエネルギー源なのだ。
1年生主体の守備陣も前半より集中力が増したのがよくわかる。体はまだまだ小さいが、一段成長した雰囲気が漂う。
しかし懸命の攻撃も相手の方が一枚上手で、結局すべて守りきられてしまった。まだまだウチの攻め手は少ない。
逆にこっちのGKが出たところをシュートされ、GKは鋭い反応で弾いたのだがそこに詰められて2失点目。これが決勝点。
1-2というスコアは試合内容からするときわめて妥当なもので、戦前の予想からすれば明らかに善戦であると言えた。
やはりチームってのは公式戦の緊張感で成長するのだ、とあらためて実感した。というわけで明日は絶対に勝ちましょう。


2013.9.20 (Fri.)

サンボマスター『サンボマスター 究極ベスト』を借りてきたよ。

僕は基本的に、キーボードがいなくてギターが作詞作曲する3もしくは4ピースのロックバンドにいい印象がない。
というか、これといって個性を感じない。けっこう前にログに書いたとおりで(→2004.3.7)、今も考えは変わらない。
しかし、サンボマスターについては個性を感じる。感じざるをえない。あの外見、そしてあの熱さ。それでいていい声。
ギターも田端義夫を思わせる高い位置で弾いているし、実に独特である。これで個性を感じないやつがいるはずがない。

別に小馬鹿にしているわけではなくて、そのバンドにしかできないことをやっているってことは素直に偉大だと思っている。
変にかっこつけることなく、ありのままの姿を見せながらハイテンションできわめて直接的な歌詞をシャウトする。
それで十分にいいじゃないかと僕も思うのだ。そういう音楽を必要とする人は確かに潜在的にけっこういるだろうからね。
音楽と感情、その原初的な部分をさらけ出してみせるパフォーマンス。照れずにそれができるってのは類稀な才能ですよ。
僕はサンボマスターを自分のiPodにぜひ入れておきたいと思ったのだ。そりゃあいつもじゃないけど、たまには触れたい。
聴いてみたら、そういう位置を占めたのだ。いや、このバンドは本当に純朴で面白いと思うんだよね。


2013.9.19 (Thu.)

生徒会選挙の準備が大変つらいでございます……。なんせ基本的に授業がみっちり詰まった生活をしているので、
放課後の活動をやるための準備をする時間が本当にないのである。授業が終わったらもういきなり次の仕事の本番だ。
もちろん授業だけじゃなくってこういった特別活動が教育においてはすごく重要であることは理解しておりますけど、
それだけに、オーガナイズする立場のこっちがしっかり準備できていない状況ってのが申し訳なくってたまらん。
やれるだけはやっているつもりなんだけど、時間がなくてどうしても、どうにもならない部分が発生してしまうのだ。
幸いなことに前の学校でも今の学校でも、生徒が僕の穴を埋める動きをしてくれるので助かっているんだけどね。
それを含めての教育だ!と割り切れるならいいんだけど、当方、あんまりそういう性格でもないので。
教育の現場ってのは、とにかく余裕が足りなくて困る。ナマモノを扱う仕事なんだから世間はもっと理解をしてくれよ。


2013.9.18 (Wed.)

くだらない研修会に強制参加なのだ。教員の自己満足ってのは本当にタチが悪い。宗教より気持ち悪いぜ。
「生徒のためにやらない勇気」を持つべきだと思うんだけどね。何が大切か、本質を忘れちゃいけない。


2013.9.17 (Tue.)

J1が2015年のシーズンから2ステージ制になるとのこと。ファンからはあれだけ根強い反対意見が出されながら、
それほどじっくりと議論をしたような形跡を見せないままで決まってしまったのは、なんとも不可解な印象である。
おそらくJ1昇格プレーオフ(→2012.11.23)が予想外に好評だったため、ああいう機会を増やそうと考えたのだろう。
プロ野球だってクライマックスシリーズで盛り上がるし、J1でもやっちゃおう! ……まあどうせそんな発想だと思う。
2ステージ制は、過密な日程や年間を通した勝ち点の正当性などの観点から問題があるのは、皆さんご存知のとおり。
それでも「お前は自民党か」とツッコミを入れたくなるような強行突破で決めちゃった。僕は非常に短絡的に感じるなあ。

いろいろとネット上の記事を見ていたら、「2ステージ制は秋春制への下地づくり」という説があって、かなり納得した。
Jリーグを拡大していくのであれば、絶対に秋春制を導入してはならない。何がどうなろうと、僕は反対の立場だ。
しかしJリーグのお偉いさんたちは今まで、現実を無視してしつこくしつこく秋春制導入の意向を示してきた。
なるほどそういう文脈を考えれば、2ステージ制というのはきわめて危険な兆候である。これは容認できないね。

ファンにできることは限られてくるけど、スタジアムでもそれ以外の場所でもしつこく2ステージ制反対を訴えるしかあるまい。
2015年になっても現状への疑問を絶えることなく継続していくことだ。認められないものは、断固認めてはならない。
何もしないことは、権力を持っている側を支持する行動となる。世の中、そういうふうにできているのだ。
まさに、ファンの持っている本当の力が試される状況となる。サッカーとは誰のものだ!? その答えを見せ続けてやれ。


2013.9.16 (Mon.)

台風じゃ台風じゃと世間は大騒ぎなのだが、僕にとってはそれに勝るとも劣らないショッキングなニュースが報じられた。
(とはいえ被災された皆様はお気の毒様でした。来る台風来る台風、すべて特大サイズだもんなあ……。)
2015年度から「読む・書く」に加えて「話す・聞く」の力も測る新英語力テストを中高で実施するんですって。
もう本当に文科省の頭の悪さには呆れるばかり。そしてそれを見抜けない世間の皆さんも情けないものだ。

そんなにしゃべる英語をやりたいんなら、実技教科にすればいいじゃねえかと思う。
それならALTを連れてきてやりたい放題やってもまあ文句はない。授業態度と技能点で成績つけりゃいい。
当然、受験科目から英語ははずす。実技教科なんだから、あくまで内申点の一部としてのみ扱っていけばいい。

現状は非常に中途半端な状態へと移行しつつある。実技教科ではないのに、実技が求められるというおかしさ。
何度も書いているが、週に4時間の授業で英語がペラペラになる人間なんて存在しない。ハナっから無理な話だ。
だからって日常生活を英語にするのは、これは日本国の根幹を揺るがす事態である。絶対に許してはいけない。
そもそも、われわれがなぜ英語を勉強しているかを勘違いしているから困るのだ。国際化のためなんかじゃない。
「他者のルールに合わせる力」「細かいところまで気を配る力」、この2つの力を磨くことが本質なのだ(→2010.8.4)。
そこを勘違いしているバカが多すぎる。学校で習う英語が簡単に役立つはずがない。もっと深いことをやっているんだ。
特に義務教育段階においては、外国語なんてどうでもいいから母国語の運用能力を限界まで高めるべきなのだ。
文科省は新国語力テストをやってみやがれ。間違いなく、とんでもねえ結果が出る。現場の実態が見えていないのだ。
世界へ出る前に、まず本当に国を背負うことができるだけの人材になっているか、そこを高めていくべきなのだ。
話す英語は、英語を母語とする国へ行かないと身に付かない。だから今すぐ高校授業料の無償化なんてことをやめて、
その分を留学費用にまわすべきなのだ。短期でいいから高校生のうちに強制的に留学させる。これが本当の正解だ。
こういう真実が見えない愚かな人間があまりにも多すぎる。一般的な人間の能力を都合よく過信してないか?
オレたちゃ機械じゃねえんだよ。ミスもするし苦手なものだってある。そこを許さない世の中なんておかしいだろ?

まあそういうわけで、こっちはまた一段と暗い気分になっている。物事の本質を見抜く目を持った人間よ、早く出てこい。
こっちは地道に教えているが、どうしても数の上では不利だ。これ以上バカどもにこの国を腐らせるわけにいかんのだ。


2013.9.15 (Sun.)

バレンティンの件。シーズン本塁打の日本記録を更新した件。どうも気が重い。でもまあ、書く。

祝福したくないわけではないのだが、ヤクルトファンは祝福してはいけないと思うのだ。
シーズン55本の記録を破って喜んでいるけど、オレたちゃぶっちぎりで最下位なんだぜ?
バレンティンの本塁打が個人プレーであるとは言わない。でも、オレは恥ずかしくてたまらないのだ。
そういうすごい打者がいるのに最下位。これで喜べるやつはそうとう能天気だ。少なくともオレは喜べない。
バースが、ローズが、カブレラが、ということで、一昔前には「外国人の助っ人選手」が、
国民栄誉賞の王貞治の記録を破ることがタブー視されていたわけだ。王さん台湾国籍じゃん、というツッコミは無視で。
結局これは、王さんが巨人の選手だったからでしょ、巨人で長嶋茂雄とON砲をやっていたからでしょ、
誰かが更新するとON砲が過去のものになっちゃうからでしょ、そういうことだと僕は認識しているのだが。
外国人差別云々よりはそっちだと思うのだ。世論が巨人に味方していたからできなかった、そう思うのだ。

今回、バレンティンが一気に57号まで持っていって記録が更新されて、時代が変わったとか言う人がいるんだけど、
セ・リーグの順位表を見る限り何も変わっちゃいないのね。最近は巨人が圧倒的に強いから許された、そんな気がする。
ひねくれた物の見方で申し訳ないんだけど、バレンティンの記録更新に、僕は「巨人の余裕」を見てしまうのだ。
だから素直に喜べない。どんどんプロ野球がつまんなくなっていくなあ、ただそれだけ。

あ、でもマー君は本当にすごいよね。こっちの記録はみんながまったく想像できない領域に入ってしまっている。
ぜひこのまま無敗で終わって間柴の記録に並んでほしいと思う。あと上原もがんばれ。松坂もメッツを勝たせて!


2013.9.14 (Sat.)

世間は3連休のようです。が、僕は部活です。まあそういうもんなので今さら不満はないけどね。

午後はかなり久しぶりに秋葉原で中古ゲームミュージックあさりをした。でもそれが終わるとさっさと帰る。
とにかくこの3連休は体力の回復に充てたい、いや充てなければならないのだ。来週の3連休が公式戦3連発なので。
だから旅行の予定も一切入れていない。特に何もせずボケッと過ごす、それを徹底するのだと固く決めていたのだ。
まあ、8月の日記がとんでもない状況になっているので、これ以上旅行記を増やせない、ということもあるけどね。

旅行記は地道に書いております。今まではわりと古い順にきっちり仕上げていくやり方だったのだが、
日記を書くという行為にだいぶ慣れてきたので、気ままに書き進めて仕上げの順番をバラバラにしようかと思っている。
面白いから「『火の鳥』方式」ってことで、山陰旅行のログは1日目→6日目→2日目→5日目→3日目→4日目とか、
そんな感じでやってみようか。お盆の帰省旅行記も混ぜながら。ちなみに、複数ログの同時進行はすでにやっている。
うーん、いらんところで手塚リスペクトだ。もっともっと、書くのが上手くならないといかんねえ。

(※ 結局、山陰旅行のログは帰省旅行と並行しつつも順番どおりに書いた。順番を入れ替えても書けたけど、
   今回の山陰旅行は4年前の裏日本旅行へのオマージュで、その敬意に反するように思えたからやめた。)


2013.9.13 (Fri.)

おわった……なにもかも……

ということで飲み会。いやー、本当にキツい1週間だった。土日がなくて15日連続勤務、そんな感じでやっていたのだ。
なんせ6月の悪夢があるので、無理がないようにやってきたつもりだったが、それでもやはりキツいものはキツかった。
土曜には部活の練習を入れているけど、日曜は大会を予選リーグで敗退したので何もない。そして月曜は祝日なのだ。
そうだなあ、音楽聴いたりマンガ読んだり日記書いたり、思いついたことをのんびり気ままにやりたい。ホントそれだけ。


2013.9.12 (Thu.)

きゃりーぱみゅぱみゅ『なんだこれくしょん』を借りてきたよ。

結論から言っちゃうと、「中田ヤスタカは本当にとんでもねえなあ!」……それに尽きる。ヤツはどこまですごいんだ。
きゃりーぱみゅぱみゅ本体には僕はあまり興味がなくて、「口元にちょっと品がねえんだよな(でもマサルはそういうのが好き)」、
それくらいしか感じることはないのである。ホントは社会学的にもうちょっとあれこれ考えるべき対象だとは思うんだけど、
どうも僕自身の興味がそこまでいかない。このアルバムはオーヴァーチュアとカヴァー曲以外でタイアップがないのは1曲だけで、
これはとんでもないことなのである。もう間違いなく、現代社会はきゃりーぱみゅぱみゅを必要としている!ということなのだ。
そして、そこから逆算して、きゃりーぱみゅぱみゅから現代社会を読むということが可能であるはずなのだ。
(これは僕がこっそり標榜している「建築社会学」的な考え方で、モーニング娘。のときにはさんざんやったもんよ。)
しかしどうもあのねーちゃんからはそうしたい魅力をオレは感じないんだよなあ。なんとなく陰を感じるんだよなあ……。

まあそれはさておき、このアルバムについてきちんとした評価を与えておきたい。
どれもこれもタイアップになっている有名な曲ばかりで、まずはその打率の高さに素直に驚かされてしまう。
この点についてはどっちかっていうと、きゃりーぱみゅぱみゅよりは中田ヤスタカが凄いってことだろと僕は思うのだが、
(Perfumeのログのところで「(偉いのは)むしろトレヴァー=ホーンだろ」と書いたが、あの感じと一緒。→2008.1.28
そういうアイコンを演じきっていることについてはやはりきゃりーぱみゅぱみゅの功績100%なので、そこは感心している。

収録曲では『ファッションモンスター』の破壊力がぶっちぎりであると思う。これはCMで流れているときからそうだった。
まず、ファッション+モンスターという言語感覚が凄いのだ。この組み合わせを思いついたやつが文句なしにいちばん偉い。
(余談だが、われわれクイズ研究会で「ファッションモンスター」というと、「ファッションが壊滅的な珍獣のあいつら」という、
 一部の人々のことしか想像できない。もしあの当時にこの言葉があったら、われわれはどんなことになっていただろう……。)
NHKの「どーもくん」やディズニーのスティッチなどが典型例となった「怖さを含んでいるかわいさ」を受け入れる流れがあり、
それは「キモかわいい」という言葉によってまとめられ、ゆるキャラとも合流してひとつの流行の潮流を形成することとなった。
そこにカワイイ文化の担い手であるモデルとして登場したきゃりーは、怖さ・不気味さ・ホラーの要素を敏感に抽出し、
コスプレの要素をも取り込みながら、「毒のあるかわいさ」を表現するアイコンとして自らの地位を確立することに成功した。
(まあ、『なんだこれくしょん』のジャケットを見りゃそんなもん一目瞭然だけどよ。すでにみんながわかっているとおりだ。)
そもそも、もともとはサバンナ八木のネタである「ぱみゅ」を自らの名前に採用した点に、彼女の鋭さがあるのだ。
「ぱみゅ」はかわいい響きだが、連続させると発音しづらいこと極まりない。つまり、かわいさと毒の二重性がある。
そんな名実ともに「毒のあるかわいさ」を体現する存在が、「ファッションモンスター」という決定的な言葉を生み出した。
この時点で、そりゃもう天下取るわ、と思わされる。そしてそこに中田ヤスタカの楽曲が最大限の破壊力を発揮したのだ。

(これは僕の個人的な想像だが、『ファッションモンスター』はおそらく、CM向けにサビだけ先行してつくられている。
 それ以外はシングル制作の際に付け加えられたのではないか。単純に作曲していた経験からの勘なのだが、そう思う。
 これと似た事例としては、松浦亜弥の『ね~え?』を挙げることができる。あれも資生堂「ティセラ」のCMが先行しており、
 シングルは後で発売された。『ね~え?』のアレンジャーは小西康陽で、小西がハロプロに関わった曲はこの1曲のみ。
 おそらくこれは、つんくというかアップフロント側でサビとサビ以外の部分にうまく収拾をつけることができくなってしまい、
 海千山千の小西康陽に泣きついたのだと勝手に想像している。当時の松浦には失敗できない「権威」ができていた。
 なお、小西康陽と中田ヤスタカの共通性について、僕の見解は以前のログで書いたとおりである(→2008.2.11)。)

『なんだこれくしょん』には、『ファッションモンスター』以外にもクオリティの高い曲がいくつか収録されている。
いかにもタイアップで使えそうなものばかりで、中田ヤスタカの凄みをあらためて実感させられるアルバムである。
と同時に、アイコンをやりきっているきゃりーぱみゅぱみゅの敏感さについても、素直に全面的に認めなければならないだろう。
上で「なんとなく陰を感じる」と書いたが、その「陰」とはつまり、「毒のあるかわいさ」のことである気もする。
僕はどーもくんにもスティッチにも惹かれないのだが、それときゃりーぱみゅぱみゅへの無関心は似た感触がある。
でも現代の日本ではそういう「毒のあるかわいさ」がもてはやされているから、まあいいんじゃねえのということだ。
しかしまあ、『ファッションモンスター』の破壊力はとんでもないものがあるね。社会学的にさらに評価されていい名曲だ。


2013.9.11 (Wed.)

山下達郎のベスト盤『OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~』を借りてきたよ。
僕は今まで山下達郎というものをきちんと聴いたことがなかったのである。いい機会なのできちんと勉強するのである。

世間における山下達郎の評価というものは、もうしっかりと固まってしまっているように思える。
批判しようとしても、それは批判ではなく難癖をつけるだけ、そういうレヴェルにまで到達しているのがわかる。
つまるところ、焦点は、山下達郎のヴォーカルが好きかどうか、という問題になっていると思うのである。
好きならハマる、好きじゃないならスルー。そういう領域。批判の余地がほぼないところまでつくり込んでいる。
これはやはり、音楽を大量に聴きまくって素養を磨きあげたからこその職人芸である、と言えるだろう。
山下達郎はポップスとしての最適解をつねに叩き出せるのだ。アーティストである以上に職人であると僕は思う。

具体的には、バックトラックのつくり方がめっちゃくちゃ上手い、ってことなのだ。彼は妥協を一切許さない。
最後に自分のヴォーカルを乗せるまでの作業、そこの精度が凄まじい。その部分の説得力で圧倒してくるのだ。
これにはアイドルソングに近い執念を感じる。アイドルソングってのは実はバックトラックの凝り方が尋常ではないものだ。
自分で演奏するタイプのミュージシャンには、自らのパフォーマンスの満足による線引きというものがどこかにある。
それに対し、プロの他者との関係ですべてがつくられるアイドルソングでは、極限まで研ぎ澄まされた努力がなされる。
最後にアイドルの声を乗せるまでの部分で、妥協のない努力を重ねていく。売るためにできることはすべてなされる。

山下達郎の場合、ここがきわめて特殊なのだが、自らのパフォーマンスの満足による線引きがないのである。
先行する音楽を大量に聴いた経験がバックグラウンドとなっており、その編集による「いいとこ取り」がつねにできる。
自らの中に他者の経験を飼っているのである。だからこそ、まるで他者とのつばぜり合いようにして妥協なき努力を重ね、
すべての人を満足させられる客観的に優れたバックトラックを生み出すことができるのだ。音質が完全にアメリカだもん。
彼はそんなことをやってのける、唯一無二の存在だろう。彼の領域まで到達できる人は、おそらくほかにいまい。

ちなみに僕は山下達郎のヴォーカルがそれほど好きでたまらんというわけではないので(決して嫌いなわけではないが)、
上で述べたようにバックトラックでの評価が中心となる。まあ、でも、偉大ですよ。とてつもなく偉大な職人ですよ。
あ、そうだ、あと曲の終わり方がフェイドアウトばっかりな点も好みではないけど、でも偉大ですよ。ハイ。


2013.9.10 (Tue.)

放課後に大忙し。選挙管理委員会で立候補者を含めた生徒たちに選挙運動についての細かい説明を終えると、
大急ぎでサッカー部の顧問会へと出かける。当初の目論見では新人戦はウチのテスト期間とズレていたはずなのだが、
なぜかウチのテスト期間を軸に開催されるスケジュールになっていて大慌て。生徒の勉強はもちろんのことだが、
テストをつくるこっちの身にもなってほしいのである。それでテスト期間を優先的に回避させてもらったところ、
なんと、土・日・祝の3連戦になってしまったではないか。もうこりゃ勢いで乗り切るしかないよね、と覚悟を決める。
テストはテスト、部活は部活でメリハリをつけなくちゃいかんという信念は絶対に変わることはない。

サッカー日本代表・ガーナ戦。ガーナっつったらチェコを葬り去った印象がいまだに強い(→2006.6.17)。
高い身体能力があるのは当然として、アフリカ勢の中ではかなり組織的に戦える国というイメージがある。
日本のスタメンはだいたいいつものメンツに1トップで柿谷。柿谷は今度は得点できるのかな。

いかにも親善試合らしいゆったり感のある展開だが、序盤から日本はさまざまな攻め手を披露してみせる。
びっくりしたのは香川のロングパスから抜け出した清武がシュートしたプレーで、残念ながらGKの正面だったが、
これは面白い攻撃だった。特にトラップが悶絶してしまうほどに美しく、決まらなかったのが本当にもったいない。
するとガーナはカウンターでサイドに展開。ヒールで落として日本の隙を衝いたプレーがこれまた大変格好よく、
サッカーの身体の想像力を存分に見せつけるプレーが続いて、見ているこっちはそれだけでシビレてしまうではないか。
結局、クリアしきれなかったボールはガーナ選手の足下へと撥ねていき、これをねじ込まれてガーナに先制される。
その後の日本は面白い崩しを何度か見せるものの、決めきることができずに0-1でハーフタイム。

後半の日本はまず50分に香川がうまくコースを衝いたシュートで同点に追いついて、64分には中央の本田がヒールパス。
これを遠藤が蹴り込んで逆転。さらに72分には遠藤のFKを本田がヘッドで叩き込んで3-1。一気に得点を重ねていく。
この日の柿谷はまたしてもゴールを決められなかったが、うまく周りと連携がとれている印象はしっかりと感じる。
むしろ柿谷の存在につられて全体のプレーの想像力が上がっている、そんなふうに思える。多彩な攻撃はその成果だ。

相手が本気じゃないとかいろいろ言ってくるヤツがいるかもしれないが、攻撃のアイデアを増やす作業は着実に進んでいる。
まあ、グアテマラ戦も含めて、収穫はけっこう大きかったんじゃないでしょうか。あえてネガティヴにふるまう理由がない。


2013.9.9 (Mon.)

土日も仕事だったし雨にやられたしで、本当に今日はヘロヘロなのであった。まあ、あの雨ではしょうがない。
休みがない状態がずっと続くと、夏風邪で苦しんだ6月のようなことになってしまう。あれだけは勘弁願いたい。
2学期のテーマは、とにかく負担をうまく軽減しながら怒濤のような毎日を乗り切っていくことなのだ。
つまり、賢くふるまわないといけないってことだ。まあ、がんばったりがんばらなかったりしていきますか。


2013.9.8 (Sun.)

今週も区の中学生サッカー大会である。1週間経ってもウチが弱っちい穴だらけのサッカーをやるのは相変わらずで、
今日もばっちり失点しまくったのであった。が、最後の試合ではついに得点をあげることに成功。よかったよかった。
点の取り方としては悪くない形で、ドリブルで打開できるやつが持ち味を発揮して、そこからやっと一矢報いた。
自信の持てる得点パターンが見つかったという意味では、決して悪くない戦いだった。ポジティヴにいこうや。

最後の試合の途中からはめちゃくちゃな雨が降り出して、これがもう本当に絵に描いたようなゲリラ豪雨だった。
いちおう監督なので傘もささずにその場に立っていたのだが、ふと相手ベンチを見たら傘の塊になっていた。
ちょっと腹が立ったが個々の美学の問題だからまあしょうがねえ。おかげでプールに飛び込んだレヴェルの濡れ方だよ。
ずっと陸上にいたのが信じられないくらいのとんでもない濡れ方で、ここまで水浸しになったのは初めて。恐れ入った。
それでもなんと、ポケットに入れていたiPhoneは無事なのであった。交換も覚悟したけど、不幸中の幸いだった。

結局、保護者の方に協力していただき学校まで戻った。2年生も備品の運搬を手伝ってくれたし、ありがたやありがたや。
2年生たちはみんなそろってビニールのゴミ袋をかぶって腕を出すスタイルだったのが面白かった。効かなかったねえ。

さて、天皇杯の2回戦でなんと、AC長野パルセイロが名古屋グランパスに勝ってしまったそうだ。
おかげで長野県のチームはジャイアントキリングを頻繁にやってのける、と大いに話題になっているではないか。
僕は北信のパルセイロも中信の山雅も応援するつもりはさらさらないけど、でもまあ、ちょっとだけうれしいかな。


2013.9.7 (Sat.)

2学期が始まってさっそくの土曜授業だが、クタクタである。なんで土曜まで授業やらなきゃいけないんだよ。
教員も生徒も疲れているのに質の高い授業ができるわけねーだろ、こっちは準備の時間も削られているんだよ!
と、おなじみの怒りしか湧いてこない。いいかげん現代社会のなんでもロボット扱いをなんとかしてほしいものだ。
ホント、気持ちの悪い世の中になったものだと思う。現代の日本人は自分の頭の悪さにいいかげん気づけっての。
……オレは自分の頭の悪さにすでに気がついているからいいんだよ!


2013.9.6 (Fri.)

サッカー・日本代表のグアテマラ戦。東アジア組のGK西川・DF森重・FW大迫がスタメン。

相手があんまり強くないので日本が攻めまくるが、ぜんぜん点が入らない。それはそれでフラストレーションが溜まる展開。
後半開始と同時に本田と柿谷が入って、わずか5分後に長友のクロスから本田がヘディングで先制してしまう。
前半はあれだけシュートが入らなかったのに、出場してからいきなり決めてしまうのはやはり役者が違うということなのか。
さらに69分には香川が彼らしいパス交換でゴール前にボールを出すと、工藤がFWらしくしぶとく決めて2点目。
そして76分、遠藤の蹴ったFKが壁に当たりつつゴール。結局、終わってみれば日本が3-0で順当に勝ったのであった。
これがケチャップドバドバですか本田さん、ってな感じでしたなあ。サッカーって選手の化学反応なんだねえ。


2013.9.5 (Thu.)

2学期の怒濤の生活に圧倒されて、ただただその日をやり抜くだけ、早くもそんな毎日になってしまっている。
つまり日記向きのいいネタがあんまりないのである。しょうがないのでネタがない日のログについては、
ここ最近着実に数が増えてきている「ロックマンのアレンジCD」に焦点を当ててみようと思う。
以前、僕は日記にこんなことを書いた(→2012.12.10)。「今後はぜひ多様なアレンジが主役となって、
『ロックマン』シリーズのBGMが評価され続けるといい。原曲が良すぎる分、気の利いたアレンジは本当に少ないのだ。
ぜひ、原曲の雰囲気を保ったまま構成を工夫したアレンジが定期的に発表されるようになるといい。心底そう願っている。」
このログを書いた当時にもすでに何枚かアレンジCDはリリースされていたのだが、きちんとレヴューを書いていなかった。
なのでいい機会ということで、ここらで一丁、それらのアレンジCDについて気ままに書いてみたい。

まずは『ロックマン改 アレンジしてみた!!』である。ネットで大いに話題になった『エアーマンが倒せない』が発端で、
その周辺で活動している人たちがアレンジした曲をまとめたものだ。『エアーマンが倒せない』に対する僕のスタンスは、
好きでも嫌いでもなく「興味がない」である。決して嫌いではないし、「なるほど、あー確かに」と思う要素は大いにある。
が、ロックマンの楽曲のアレンジではないので、オリジナル曲なので、しかもヴォーカル曲なので、興味がない。
その程度である。でも今回のCDは「アレンジしてみた!!」と言っているわけだから、それは無視できないのである。

再生してみたらいきなりヴォーカルで、一気にナエナエ。まあこりゃ好みの問題か、と思うのだが、やはり合わない。
歌い方がだいたいみんなヴィジュアル系っぽいのはネット文化の特徴なのかしらん、と考えるのが精一杯だった。
その後もほとんどがヴォーカル入りで、なんだこりゃ、と大いにうろたえる。こんな事態はまったく想定していなかった。
呆気にとられた状態でひととおり聴き終わる。いやー、買って損した……と首をひねるのがやっとだった。

考えるポイントは2つある。ひとつは、ゲームミュージックのヴォーカルアレンジという手法への評価。
もうひとつは、ネットで活動するクリエイターたちへの評価。うまく整理できないけど、この2点を軸に考える。

はっきり言って、このCDにはほとんど嫌悪感しかおぼえなかった。「許せない」という気分にすらなっている。
このCDはアレンジということなのだが、僕にはロックマンの楽曲のよさを尊敬して生かしたという受け止め方ができず、
ロックマンの楽曲を「利用しただけ」って印象がしてしまったのだ。利用して、内輪で喜んでいるだけ。そんな印象。
まず、曲に対して勝手に歌詞を乗せることへの違和感や嫌悪感がある。ヴォーカル曲として再構成してしまうところに、
猛烈な自己満足しか感じられないのである。ロックマンのメロディを借りて歌ってお前は気持ちいいかもしれんが、
オレには絶対に共感できるはずがない。楽曲じたいの価値を貶められた気分しかしないのだ。

そういえば、爆発的な人気のあった『STREET FIGHTER II』では、ヴォーカルアレンジのアルバムが発売されていた。
僕はまったく買う気がなくって無視していたのだが、関連商品ということでそれなりに売れたような気がする。
このようなアルバムが成立したのは、ヴォーカルとして参加した面々のインパクトがあったからにほかならない。
影山ヒロノブ(ケン)、宮前真樹(春麗)、電撃ネットワーク(ブランカ)、 ウガンダ・トラ(エドモンド本田)、
島木譲二&YOU(ザンギエフ)、山本淳一(リュウ)、 巻上公一(サガット)、ストロング金剛(ベガ)などなど。
こうでなきゃ成立しないのだ(できあがったアルバムのクオリティについては、当方は一切関知していないが)。
まさに、鴻上尚史が『プロパガンダ・デイドリーム』(→2002.4.14)の「あとがきにかえて」で書いていた、
“表出”と“表現”の問題なのである。僕が思うに、“表出”を“表現”にまで高める方法は、2種類ある。
ひとつは、ストIIのように“表現”できる人をそろえること。「これは聴きたい」と思わせる面々を用意すれば、
それは“表現”として成立する。一方、ネットで好き勝手にやっている連中が歌っても、それは“表出”でしかない。
そしてもうひとつは、“表現”として広く認められるまで“表出”のパフォーマンスを愚直に高めていくこと。
しかし残念ながら、「アレンジしてみた!!」の中に“表現”にまで達しているヴォーカル曲は、ひとつもなかった。

それでも地道に聴いていくと、『エアーマンが倒せない』がいちばんマトモというか、よくできているのはわかる。
どうしてか考えてみると、それはオリジナルだから、という結論に至るのである。そう、それでいいんだよな、結局。
クオリティの高い原曲に頼ったり、それを悪ふざけで踏みにじったりすることなく、オリジナルで勝負すればいい。
オリジナルでいい曲が書けるんなら、それが一番いいのである。もうそれで十分じゃないか。以上。

唯一、『ロックマン改 アレンジしてみた!!』で聴くに値するアレンジは、「Upside Down Phenomenology」だ。
ロックマン5のGRAVITYMAN STAGEのアレンジなのだが、よくできている。なにより、変な歌声が入っていないしね。


2013.9.4 (Wed.)

車田正美『聖闘士星矢』を20年くらいぶりにきちんと読んでみた。
当時、私は小学生でございまして、いろいろとトラウマチックな思い出もございます。当然、それはここには書かない。
でもトラウマ的なハマり方をさせたという事実は直視しなければならないと思うのだ。その根源は何だったのかを考えたい。

『聖闘士星矢』はとにかく熱いマンガなのである。アッツアツ。当時のジャンプは熱いマンガばっかりだったんだけど、
その中でも『聖闘士星矢』の熱さは不思議な引力を持っていたと思う。話の展開はまったくクールダウンすることがなく、
技の応酬とともにどんどん熱が上がっていく。しかし細部まで描き込まれた描写の質がまったく落ちていないのがすごい。
迫力やスピード感を強調するためにあえて粗く描く技法があるが、『聖闘士星矢』は一切それをせずに熱を上げていく。
この絵を週刊ペースで描いていたとは……、と呆れてしまう。本当にとことんマンガを描き慣れている人なんだと思う。

あらためてじっくりと読み込んでみると、それぞれのキャラクターの性格が徹底している点が面白い。
一見単純な少年マンガにしては、意外と皆さんの価値観が異なっているのだ。たとえば黄金聖闘士たちにしても、
12人が12人なりにいろいろ考えて、教皇の側についたり星矢たちの手助けをしたり、自分なりの正義を貫こうとしている。
キャラクターが多すぎるところにそれぞれ価値観がバラバラということで、非常にわかりにくくなっている部分もあるが、
なんだかんだで皆さん魅力的なのである。その多様な個性をうまく生かして、たとえばシュラと紫龍、シャカと一輝など、
人間関係のドラマをつくっている点は見逃せない。ちゃんとカシオスにも悲劇ではあるが華を持たせているしね。

『聖闘士星矢』がいちばん上手かったのは、全天88星座を聖衣という形にして男子向けの物語に取り込んだところだ。
88個の制約が物語をシェイプする。そしてまた、車田正美には88個の個性を描き分けられる能力があったのだ。
しかしそれだけに、黄金聖闘士たちとの戦いが終わってしまうと、一気に物語は魅力を失っていってしまった。
88という制約があったからこそ、物語は形を保っていられたのだ。ポセイドンの登場で制約がなくなってしまい、
「なんでもあり」の状態に入ってしまうと、そこからはキャラクター(と聖衣)の粗製濫造が止まらなくなっていく。

海皇ポセイドン編そして冥王ハーデス編とインフレインフレで、まさにジャンプ!……なのだが、もうワケがわからん。
ポセイドンの方についてはまだマシというか、つまらないながらも追いかける気力はなんとか出てきたのだが、
ハーデスの方はもう完全にダメ。あれだけ偉大だった黄金聖闘士という存在が窮地に追い込まれてしまうことで、
僕はめちゃくちゃ熱かったあの十二宮での戦いの価値を相対的に落とされてしまったように感じたのだ。
どんどん上には上がいるって感じで、エイトセンシズだの嘆きの壁だの新しい概念を積み重ねていくのでキリがない。
そもそも冥界ってどこよ。空間のリアリティをおろそかにする作品は好きじゃない(→2006.3.242011.7.9)。

読むのにすごく疲れるマンガだった。でも疲れるわりにはやっていることがずーっと一緒なので、そこがどうも飽きる。
『聖闘士星矢』はやはり、白銀聖闘士との戦いをうまく構成しておいて、黄金聖闘士と戦って終わり、それでよかった。
当時のジャンプの悪いクセ、中身のない引き延ばし作戦で、作品としての価値を減じてしまったように思えてならない。


2013.9.3 (Tue.)

「なんで高所恐怖症なのに富士山に登ったの?」「そこに山があるからだ」


2013.9.2 (Mon.)

新学期だよおっかさん。連中は相変わらずだよ。またヘロヘロになる日々が始まったよ……。


2013.9.1 (Sun.)

本日は区の中学生サッカー大会。区内に大使館がある関係で、国の名前を冠したカップ戦っぽい大層な名称なのだが、
実際のところは新人戦の前哨戦というか、かなりエキジビション的な要素の強い大会とのこと。そういうもんですか。

僕のくじ運の関係で、ウチのサッカー部は開幕戦に登場。しかしもともと人数がギリギリなところに、
2年生のひとりが風邪を引いたということで欠席。おかげで10人で戦うことになるのであった。僕もコーチもしょんぼり。
1試合目は守備の連携がまったくとれていないところをポンポン衝かれて0-4で、2試合目も多少改善は見られたものの、
結局0-3で負けるという情けない有様なのであった。前任校でも味わったこの感覚、またこいつに苛まれるとは……。
テンポよく試合を消化していくために15分ハーフだったのだが、それでもこれだけきっちり失点しちゃうのはねえ。

つまるところ、サッカーの内容が小学生なのである。ボールばっかり気にして、肝心の相手プレーヤーに対応できない。
また、プレーの基準が自分ひとりのパフォーマンスの出来不出来で、チーム全体で戦うという意識がまったくみられない。
そこのスイッチを入れるのは「声」なのだが、そもそもそれがまったく出ない。課題がいつまで経っても改善できないのだ。
日頃の練習から細かく声を掛けて意識改革を図るしかないのだが、うーん、またそれかあ……。無限地獄ですじゃ。


diary 2013.8.

diary 2013

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