diary 2020.8.

diary 2020.9.


2020.8.29 (Sat.)

練習試合なんだけどさ、7時に家を出ても遅刻ってつらすぎるんですけど! 気合いでどうにかした。

「マツシマくん、焼肉キャンプっていうキャンプ感ある焼肉屋行かない?」
という連絡が入って、場所はどこだと訊いたら高島平だと。時間こそかかるが一本で帰れるのでむしろ便利。
いきなりの話だったのできちんとしたデジカメが用意できなかったが、とりあえずスマホの画像でお送りします。

  
L: 新高島平駅からまっすぐ南に歩いて焼肉キャンプ。ゼンショーが送る焼肉の新業態とのこと。もとは華屋与兵衛なん?
C: 待合スペース。小道具でキャンプ感を入念に演出している。家族連れだとこのタイプの椅子に座ってコンロを囲む席に。
R: マサルが撮影した私。西日が眩しかったのでサングラス着用で怪しい人である。部活の練習試合そのままの格好なのね。

今回はマサルの「お前の日記なんだからお前が写れ!」という意向によりオレの写真多め。誰が喜ぶんだそんなの。
オレの日記なんてcirco氏とみやもりしか読んでねえぞ。まあとりあえず、奥の席に通されて焼肉スタートである。
マサルは人気どころの肉を的確に見繕って注文。対する私はとにかく米を食いたい。正直、肉より米が好きなのだ。
しかしそこは焼肉キャンプ、わざわざ飯盒で炊いた米が食えるのである。さっそく注文してIHにセットする。

  
L: 「Camp de 飯盒ご飯」が到着。手前のコッヘルがご飯茶碗代わりと雰囲気がある。しかしIHでの調理で20分かかる罠。
C: そのままセットして点火。炊くのに9分、蒸らしに11分。サッカー審判用の腕時計が役に立つとは。  R: 肉奉行。

マサルは順調に肉を食べていくが、米待ちの僕はひたすら我慢の子であった。その間、いろいろダベる。
「この世でいちばん旨いのは、他人が炊いた米なんだよ」と力説する私。しかし、いま待っている飯盒の米は、
果たして他人が炊いた米なのか、自分が炊いた米なのか。IHを点火する一手間さえも他人に任せた方が旨いのだ。

  
L: 20分が経過して、いよいよ開封の儀。緊張の面持ちで蓋に手をかける私。  C: 蓋を取るとそこは……中蓋でしたー!
R: 中蓋を開けて今度こそ炊き上がった米とご対面。しかし本当にうれしそうだなオレ。焼肉のときの米って最高においしい。

  
L: 炊け具合は上々。うまく炊けた証拠であるという「カニの穴」がしっかりとできている(『BE-PAL』知識)。
C: 満面の笑みでコッヘルに米を盛る私。  R: それではいただきますなのだ。飯盒の米はやっぱ特別な味がするね。

というわけで話は僕の幼少期、なぜかcirco氏が創刊号から100号まで『BE-PAL』を欠かさず買っていたことについて。
実際にキャンプに行ったことは数えるほどしかないのだが(両手で足りるくらい?)、おかげでいろいろ知識がついた。
マサルはそんなcirco氏の行動について、「家から解放されたいって深層意識があったんじゃないの」と指摘するが、
うーん、どうなんだろうか。僕の母親は「お父さんは(マザコンならぬ)『ファミコン』だから」と言っていたけどねえ。

  
L: せっかくのキャンプ気分なんだから、とスカートステーキを注文。いやあ、これはさすがに迫力がありますね。
C: 肉奉行その2。この後、フタをして蒸し焼きにする。  R: 燻製キットもある。桜のチップで香りをつけるのだ。

やるからにはとことんやろうと、鮎の塩焼きにも挑戦。ニジマスもあったのだが、鮎の方がキャンプっぽいと僕が判断。

 こんな感じで登場である。

それでは焼き上がりを串に刺したままで、マサルにタイガー・ジェット・シンのポーズで食べていただきましょう。
マサルは『有田と週刊プロレスと』でプロレスの歴史に目覚めており、アマゾンプライムに入れと言ってくる。
またYouTubeの『アメリカ横断ウルトラクイズ』BGM集を再生するんだけど、そんなん、もう、僕は射精してしまうわ。

  
L: 鮎にかぶりつくマサル。  C: なかなかの迫力である。  R: 一口かじったらもう満足。あとは僕がいただきました。

最後は、淹れたてキャンプコーヒー。これまたコッヘルで雰囲気を演出なのだ。ふつうにおいしゅうございました。
僕の個人的な感想としては、焼肉キャンプは局所的にキャンプ感を出してくるけど、やっぱりファミレスの延長線上。
キャンプとは野外であることが絶対条件だと思うわけです。風と戦いながら火を守るのが醍醐味だと思うわけです。
とはいえ焼肉店としては、「キャンプらしさ」を目指した部分が確かに魅力的。あれだけ食って値段もリーズナブル。
タレ以外はふつうにいい感じの焼肉店だったと思うのである。タレ以外は。残念ながらタレは致命的に旨くない。

 コーヒーで一服どころかキューバとキリマンジャロで二服しちゃったよ。

あれこれダベる中、マサルの僕へのダメ出しが炸裂。お前はなんでも自分にとって都合よく解釈している!と。
なるほど確かにそれは僕の悪癖であるので、とりあえず黙って聴く。謎解きでのスタンス(→2020.3.1)から、
この日記での僕の行動の記述など。謎解きについては納得できたのでまあ世間はそういうものなのねと言うしかないが、
「きみは絶対に権力を持ってはいけない種類の人間なんよ!」とまで言われる筋合いはないのではないかと。
これはあくまで僕の日記なので僕の視点がこびりつくのは当たり前で、公正なジャーナリズムとは違うのだ。
よく自分の考えとは合わない視点の情報をもたらすマスコミを批判する人がいるけど、重要なのは受け手のリテラシーだ。
情報をどこまで信じればいいかは受け手の能力の問題。送り手が追求すべきなのは、誤読の可能性を減らすことだ。
とはいえ僕は、まともなブログや人気のYouTubeなんかと違い、お客さんの存在をまったく想定していないのである。
そこをきちんと想定する方が社会的に正しいし、意義のあるものとなるんだろうけどね。僕にそのコストは苦痛なのだ。
この日記なんてcirco氏とみやもりとあと好奇心旺盛な誰かに向けての生存報告でしかないのだから、しょうがないのだ。
相変わらず興奮すると言葉の選択が極端になるやつだなあ、本を読まねえからだ、なんて思いつつ拝聴するのであった。
とりあえず、マサルに「権力持つな」と言われたんで、結婚しません。家庭持ったり親権持ったり一切しません。
そしてみんなもこの日記に書いてあることを信じちゃダメだよ。これはあくまで僕個人専用の備忘録なんだから。

帰り道はマサルがプロレスラー・田村潔司の入場曲をめぐるドラマについてプロレスの歴史から詳しく説明してくれた。
マサル的には、将棋におけるAIソフトやプロレスにおけるグレイシー柔術といった、いわゆる「黒船来航」な事件、
そしてそれを乗り越えた先にあるドラマがたまらないんだそうだ。さらにその「黒船来航」で生まれた因縁について、
メディアで盛り上げる際の演出映像がまた最高に面白いとのこと。かつての『アメリカ横断ウルトラクイズ』でも、
決勝戦のクイズよりもその前にヘリでニューヨーク上空を飛んでいるときのトメさんの口上がたまらないのだと。
なるほど。今日の焼肉キャンプもそうだったが、「演出」とは僕らが思っている以上に心理的に効果のあるもので、
技術として磨くことができると劇的に人を楽しませることができるのだろうと思った。「演出学」か。興味深いね!


2020.8.28 (Fri.)

国会も開かず記者会見も開かず、何もしないで時間を稼ぎ、首相在任の歴代最長記録を更新したタイミングで投げ出す。
しかも、批判しづらい病気を理由にして投げ出す(13年ぶり2回目)。それならなんでもっと早く次に託さなかったの?
自分の名誉しか頭にないんだよね、結局。国はお前のオモチャじゃねえぞ。最後の最後まで性根が腐っていたなあ。

「病気でもがんばっていたんだから責めるな」とか言う人は、感情で物事を判断して論理的な思考ができない人です。


2020.8.27 (Thu.)

いのちの輝き、ですか。2025年大阪万博のロゴマークが決まって、多方面に衝撃を与えておるようで。
僕自身の感想としては、そもそも2025年大阪万博じたいに興味がないので、このロゴマークにも興味がない。
だからあれこれ言いたいという気持ちがぜんぜん起きない。ご勝手にどうぞどうぞ、である。もう本当にそれだけ。
それでも好きか嫌いかだけ言えば、僕はまったく好きではない。話題を喚起することだけを目的とするように思えて。
本当に優れたデザインをつくろう! 1970年の桜のロゴマークを超えよう! という気概をまったく感じないので。

心の底からイヤだなあと思うのが、「話題になったから成功である」という意見だ。これはマジで最悪だ。
この意見、実はロゴマーク自体に対する評価ではない。話題になる/ならないという点だけでの評価なのだ。
つまり、ロゴマークへの価値判断を作品じたいに置くのではなく、周囲の反応に置いている点がとってもズルいのだ。
端的に言えば、「周りが騒いでいるからいい作品だと思う」ということ。お前自身が好きか嫌いか、をスルーしている。
僕はそこに、現代社会の「話題になればそれでいい」という品のなさを感じる。善悪でなく損得で判断する価値観。
話題になっているうちにたくさん売ろう、賞味期限が切れたらハイさようなら、そういう使い捨てのやり口だよね。
目先のことしか考えない本当に品のない世の中になったなあと思う。まあそれを象徴できているデザインではあるよな。


2020.8.26 (Wed.)

黒野耐『「戦争学」概論』。講談社現代新書ということで信頼したオレがバカだった。

この本は、筆者にとって都合のよいように事実をねじ曲げている可能性がある本だ(これと一緒 →2017.6.10)。
いちばんの問題点は、クラウゼヴィッツの『戦争論』に対するズルい評価である。ズルいというか、汚い。
都合のよいときだけ「政治の継続としての戦争」という『戦争論』のフレーズを引用して絶対的に持ち上げるが、
基本的には近現代の犠牲の大きい戦争をもたらした元凶として扱い、殲滅戦思想を強調するものと決めつけている。
このダブルスタンダードがなんともいやらしい。本当にクラウゼヴィッツを理解できているようには感じられないのだ。
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」んだから、戦争は政治的な目的を達成するために行われる。
そして「戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」んだから、
意志が通れば戦争は終わる。筆者は個別の戦闘における敵戦闘力の撃滅と、殲滅戦の絶対戦争を、恣意的に混同している。
過去、クラウゼヴィッツを誤読したバカが殲滅戦に躍起になったからって、それはクラウゼヴィッツの責任か?
「筆者もまた、未熟な批判者の一人であるかもしれない」と言い訳をしている姿勢もズルいが、本当にそのとおり。
しかしこれは未熟というよりは筆者の性格の問題だろう。よけいな修飾語が入るこの筆者の表現はいちいち不快だ。
「無能で腐敗した高級将校」「堕落した役人」などの表現があるが、その具体的な事例は出さずに自説を繰り広げる。
「ルーズベルトは、戦後のソ連との協調関係を無邪気に信じていた」なんてのもある。「無邪気に」とかよく言い切るわ。
当時の価値観や当事者の立場ではなく、現代の価値観と政治状況だけで過去を論じる。結果だけを上から目線で語る。
登場する人々が本当は何を考えていたかが見えないし、そもそもきちんと見ようとしていない。あるのは好き嫌いだけだ。
時間が経って歴史の総括者として感情的な言葉で語るから不快なのだ。後出しジャンケンで勝ち誇る種類の幼稚さだ。
(その点、呉座勇一『応仁の乱』は当時の感覚を丁寧に紹介しており、教養を感じさせる。実に対照的だ。→2018.2.21
文章を読むに、なんだか、つねに仮想敵がいないと気が済まないって感じ。誰かが悪くないと安心できない人なのかな。

そもそも「戦争学」と題しているが、内容は主観の入った叙述ばかり。図版も少ないうえにわかりづらい。グラフもなし。
データを挙げて客観的に戦況を説明することが一切ないのに「戦争学」って名乗っちゃうこの本はすげえな、と思う。
本来であれば「地政学」をテーマとしたかったのだろう。しかしそれをやるには国際政治学の知識がまるで足りない。
歴史に対するセンスもない。そこで筆者の専門領域として「戦争学」という言葉を生み出してタイトルにしたと思われる。
でもやはり軍事史についての記述が足りない。テクノロジーの革新による戦術の変化を丁寧に追わなければならないのに、
そこがわからないから現代アメリカの外交戦略を絶対的なものとして、そこからの逆算だけで済ませようとしている。
おそらくこの筆者にとっては、「地政学」=「アメリカの外交戦略」でしかないのだ。恥ずかしいほど視野の狭さだ。
橋爪大三郎『戦争の社会学』(→2016.11.28)とは比較にならない内容の薄さ。しかも感情的なので、どうしょうもない。

中国が嫌いっていう感情だけで先走っちゃうシンプルな人は、この本をふむふむなるほどと読めるのかもしれない。
共産主義者を人間と見るかエイリアンと見るかで、この人は後者。戦時の軍人ならそれでいいかもしれないけど、
それでは済まない人も多いのだ。 経済や倫理とのバランスで政治を考えられるレヴェルにある人は困っちゃうよね。
(僕は中国を共産主義ではなく、官僚制の帝国主義の国と見ていますが。そんでもってロシアはツァーリの専制国家。
 和辻哲郎の『風土』ほどでなくても、国民性をもとにした地政学という視点がまるでないので本当にイライラする。)
また、軍事的にアメリカにつかなければならないのは間違いないが、だからといって政治的にアメリカは信頼できるのか、
そこの視点が完全に抜けている。だけど筆者はそんなの気にしない。軍は悪くないよ、悪いのはぜんぶ政治のせいだよ、
という姿勢が一貫している。でも「軍事を主役にせず政治を主役に」と言うわりに、軍事の視点からの政治批判しかない。
つまりこの本は、軍人にはそのまま政治を任せられないという本質を示している。筆者の態度がその原則を体現している。
結局、政治も歴史もわからないのに戦争を論じようとして、でも政治も歴史も避けられなくて、変な本になっちゃった、
って感じだろうか。なかなか困ったものである。講談社現代新書のレヴェルが落ちているのではないか?と思わせる本。


2020.8.25 (Tue.)

久米田康治『かくしごと』。完結したら読むぜリストに入っていた作品。アニメもチェックしておりました。

アニメとほぼ同時に終わるということで、アニメを見終わってからマンガも全巻一気に読むという形にしてみた。
ちなみにアニメはエンディングが大瀧詠一「君は天然色」なのがまず衝撃。その選曲もさることながら、
マンガ本編をうまく編集して密度の高い内容としている。マンガのコマの間を完全に補完できているアニメ。
唯一残念なのが最終話が駆け足になってしまったこと(コロナの影響という噂を聞いたが本当なのだろうか)。
もう1話分の時間を足して、じっくりと間をとってやってほしかった。でもそれ以外に一切不満のない作品。

さてではマンガ本編について。とにかく、言葉遊びが全開である。キャラクターの名前といい各話タイトルといい、
そもそもこの作品のタイトルも「隠し事」「描く仕事」、さらに「隠し子と」まで織り込んでいるとはびっくりだ。
今まで発揮されてきた久米田氏の各種の才能が、最もきれいに融合して結実している作品なのではないかと思う。
典型的なのが非常に多彩な種類のギャグで、漫画家あるあるを基本に据えながらも、読者に訴えるメタなネタ、
古典的な久米田ギャグも健在だし、うまいこと言うパターンやアンジャッシュ的なすれ違いまでヴァリエーション豊か。
作者のネガティヴ発言がすごく心配になってしまうが、やはり久米田氏は唯一無二の才能の持ち主なのは間違いない 。
アニメに追いついて終わるメディアミックスも斬新。この人でないとできない、ということを今回とことんやっている。
思えば久米田氏は『行け!!南国アイスホッケー部』『ルートパラダイス』からずいぶん絵柄が変化してきたが、
主人公が「〇〇だろ!」と周囲のキャラクターに自分の意見を言うときの感じだけは変わらないなあと思う。
『南国アイスホッケー部』以来の読者としては、その感じが昔ながらの安心感にどこかつながっているのだ。
だからなんというか、確実に引き出しを増やして多彩なギャグを操る一方で、下ネタで楽しませてもらったあの時期を、
自虐的ながらもイジって楽しめる形で肯定していて、漫画家としてのスキルをさらに成長させている凄みを感じる。

それにしてもG-PROの居心地が本当によさそうである。実際に父の日の描写もあるが、こっちももうひとつの家族。
特にアニメではそこの空気感についての描写が絶妙で、こんな面白おかしい職場があったら最高じゃないかと思わせる。
可久士は姫との2人家族で奮闘する一方で、もうひとつの「家族」もしっかり回しているわけだ。それも大きな魅力だ。
アニメではテンポよく編集したせいで十丸院に対する反感が強まってしまったようだが、これは見事なトリックスター。
G-PROの内部に近い外部の人間として暴れまわり、家族としてのG-PROの魅力をうまく引き立ててくれているのだ。

さてそんなG-PROの面々でも、墨田羅砂が最高なんじゃー! これ、作者も実質ヒロイン扱いしているよなあ。
好きな人「私先生」発言、「密会みたいでいいよね」発言、「もしいつか再婚して誰かを家庭に入れるのなら
新キャラは世界観壊さない人選ばないとね」発言などなど、これ狙ってますよね? もう狙ってますよね?
可久士が昏睡から復活すると「作者取材で2週休載」を即決するし、最後の最後でも出てきて仕事場を間借りさせ、
しかもそこで可久士に「幸せだぞ」と言わせているし。こういうヒロインを生み出すとは、久米田氏は底が知れないぜ。


2020.8.24 (Mon.)

ついに新学期が始まってしまった。今日は授業はなく、班に分かれての帰宅訓練が終わるとひたすら会議モード。
会議のない時間帯に授業準備を進めていくが、3学年分の資料づくりは本当につらい。これを今後も延々と続けるのか……。


2020.8.23 (Sun.)

今日が今年の夏休みの最終日。はっきり言って、今年ほどネガティヴな気分で過ごしている最終日はない。
新学期が始まったらやらなければいけない仕事がたっぷりある。やらなくてもいいのだが、当方プライドがありますので。
まあそもそもが、もう英語に向き合いたくない。もはや何ひとつ面白い要素がない。毎日イヤイヤ過ごすのがイヤだ。
旅行で気分転換も、できるようになるんだかならないんだか。気分転換できたとしても、結局それは一瞬の話なので、
いかに日常生活のストレスを軽減できるかが本質的な問題なのだ。うまい具合に自分をだましていく方法を見つけないと。


2020.8.22 (Sat.)

本日は練習試合である。先日の部活ではぜんぜんいいところがなかったが、今日は思ったよりいい内容だったのでヨシ。
守備では相手に前を向かせない粘りを見せる。本音としてはそれを最終ラインではなく中盤からやってほしいのだが、
十分褒められるレヴェルだった。攻撃でもサイドを攻めきってCKを取るシーンがようやく出てきた。得点も奪ったし。
まだまだわざわざ狭い方へ突っ込んでいく悪癖はあるが、サイドチェンジを覚えつつある感じで、感触は悪くはない。
どうにかこの調子でサッカーの質を改善していってほしいものだ。まずは対戦相手から学んでほしいんだけどな。


2020.8.21 (Fri.)

「起きてから何か食べましたか?」
「バリウムだけです」

というわけで健康診断である。消化器検診とふつうの健康診断を一日で一気にやるという強行軍。
午前中の消化器検診では発泡剤とバリウムという苦行。これを考えたやつを○○して△△して××してやりたい。
それくらい相性が悪い。とりあえず、飲む発泡剤の量をこっそり減らすという手を思いついたので覚えておけ、オレ。

午後は健康診断。コロナの関係で担当の方がいちいち消毒ふきふき作業をしなくちゃいけないので本当に大変そうだ。
でもおかげでこれまたひどく苦手な血圧測定で落ち着くだけの余裕ができた。担当の方がまた指示が上手くて、
見事に正常値に。「上手にできました」と褒めていただいたが、むしろこっちが丁重にお礼を返したほどであった。
ふつうに吸ってからゆっくり息を吐くといいらしいので覚えておけ、オレ。


2020.8.20 (Thu.)

本日は夏休み唯一の部活デーである。しかしメイン顧問も外部コーチも来やしねえ。
あさってに練習試合が組まれているので(オレは毎回事後承諾なのだが)、とりあえずミニゲームやっとけと。
で、申し訳ないけど、今まで面倒みてきたチームの中でパスがいちばん雑。受け手のことをまるで考えていない。
パスを受けに動くこともせず見ているだけ。目の前に来たボールに対する反応だけはいい。やっているプレーはそれだけ。
一人でボールを前に蹴ることにしか興味がないとか、まるで小学生。なんかもう、見ていて頭が痛くなってくる。

というわけで、午後は気分転換にマンガ喫茶にこもる。小林有吾『アオアシ』を読んで頭をすっきりさせるのだ。

Jリーグのユースを舞台にしたマンガで、ユースという環境の特異性や高校部活サッカーとの比較などで実に読ませる。
育成のトップを行くユース、というのが面白い。2番手の成長物語という従来のやり口ではなく、王者の内部を描くのだ。
ゆえに出てくる人がみんな天才的である。さらに性格的にも悪人がいないのでストレスフリー(阿久津も含めてだ)。
つまり各キャラクターが実力を出し切れば勝てる設定なのである。なるほど、この視点はなかなか斬新ではないか。
こうなるとケガとの戦いが怖いのだが、そんなリハビリ話が面白くなるはずなどないので、そこは避けていく。賢明だ。
読者は無限の才能を持つ主人公と一緒にメンバーたちの活躍を追っていけばいいのである。強さのインフレの応用だ。
ちなみにキャラクター設定について、この作品は逆説的に『SLAM DUNK』をうまく消化していると見るが、どうだろう。
かなり巧妙に換骨奪胎していると思うし、竹島が坊主にするシーンで間接的な言及がある。ってか、栗林が仙道に見える。

個人的には、監督を目指すご令嬢を登場させる視点が上手いと思う。アシトだけでは不足する理屈の部分をフォローする。
サッカー経験がなくても、さらには女子でも、男子チームの指導者になる、というのはそっち方面の設定としては究極だ。
この究極さをしれっと入れることで、登場人物全員が自分なりに戦っているという構図の幅が劇的に広がっているのだ。
サッカーをやる楽しみと観る楽しみ、主観と客観をこれだけバランスよく混ぜているサッカーマンガはそうそうあるまい。
実際にサッカーをやるとまず技術の部分でつまずくわけだが、ユースの王者という設定でその枷をあっさりと取り払い、
サッカーの考える部分を徹底的に言語化してみせる。ストレスフリーに読ませる工夫と実践、どちらもハイレヴェルだ。

いちおう阿久津について補足すると、彼は悪人なのだが、実際は「教えるのがクソ下手」というアシトの指摘に尽きる。
悪意としてしか発露しえない性格というものを描いておいて、2年生たちはそれを理解したうえで彼を受け入れている。
そこがまた彼らの天才的な部分という表現にもなっている。冨樫もそうだが極端な性格がサッカーを介してつながる、
そういう側面を味つけるためのものでもあるが、その重要性は「もう一人の主人公」といっていいほどのものがある。
キャラクターの悪意を阿久津が一人で背負いこんでいるので大変だが、そのまま「教えるのがクソ下手」でいてほしい。
そうして「教えるのがクソ下手」な読者たちを代表して、不器用に突き進んでほしいものだ。たぶんそうなるだろうけど。
対するわれわれは、阿久津を阿久津のままで受け入れることに価値がある。この作品はそこに気づかせるだけの力がある。
ユースという究極に恵まれた環境と、家庭環境によるハングリー精神との対比・融合がこの作品の真のテーマなのでな。



2020.8.18 (Tue.)

マンガを電子書籍に移行できないかと企んだのだが、どのサーヴィスがいいのか非常に迷う。
もはや追いかけているマンガがほとんどないため月極め読み放題が理想だが、世の中そんなに甘くなくて、
読み放題の対象となっているのはだいたいが古いマンガとのこと。まあそれはそれで楽しめそうではあるが。
すでに持っているマンガを買い取って電子化の足しにできるものがあれば最高だが、さすがにそれは無理か。
何もサーヴィスをひとつに絞る必要はなく、マンガの特性に応じて使い分ければいいのか、とも思う。
いちばんの問題は、じっくりマンガを読んでいる暇がないことなんですけどね! 日記がー


2020.8.17 (Mon.)

「TOKYO SWEEP!! 23区編」、第4回は港区である。が、港区はあまりに広い。なのでこれまた旧15区にもとづき分ける。
港区は、東の芝区・北西の赤坂区・南西の麻布区が合併して成立した。この中で最も広い旧芝区が本日のテーマなのだ。
しかし旧芝区だけでもアホみたいに広く、それだけで一日仕事である。しかもお台場なんて飛び地まであるし……。
申し訳ないけど交通の関係から、お台場についてはまた今度。がんばって港南・芝浦まではまわるので許してください。

スタート地点は八ツ山である。僕は混同していたが、実際には御殿山と八ツ山は別物なのだ。八ツ山は港区の最南端で、
旧岩崎家高輪別邸である三菱・開東閣が現存する。御殿山はその南側で品川区になる。英国公使館焼き討ち事件の場所で、
つまりは品川宿とともに『幕末太陽傳』(→2005.10.222012.1.9)の舞台というわけだ。品川区についてはまた後日。
(山手線の内側、目黒駅から品川駅にかけての島津山・池田山・花房山・御殿山・八ツ山を「城南五山」と総称する。)
というわけで、三菱・開東閣のある旧八ツ山を眺めてからのスタートだ。ここからまずはいったん品川駅の東側に出る。

  
L: 三菱・開東閣の門。  C: 新八ツ山橋交差点から眺める。こうして見ると、いかにも八ツ山の名残という感じである。
R: 八ツ山橋。現在の橋は1985年に架け替えられた4代目。『ゴジラ』(→2014.7.11)でゴジラが上陸した地点とのこと。

品川駅の東側にはこれといった観光名所もないため、軽くサイクリングで済ます。東京海洋大学(旧東京水産大学)、
あとは芝浦周辺をうろついたり、レインボーブリッジを眺めるくらいしかないかなあと。気楽にシャッターを切る。

  
L: 東京海洋大学。ワークショップ研修以来だ(→2016.7.26)。水産資料館はぜひもう一度見学したい(現在はコロナで休館中)。
C: レインボーブリッジのループを眺める。この角度から眺めることはあまりないのでは。展望向けに整備してもいいんじゃないかなあ。
R: 芝浦に架かる渚橋にて。東京モノレールの高架と漁船と乗り物いっぱい。対岸には屋形船まである。マンションとの対比も東京だ。

芝浦から田町駅へ。すぐ左手が東京工業大学附属科学技術高等学校。東工大の受験をここでやった人がいたっけ。
工業高校なのか何なのか正直よくわからん学校。ちなみに文化祭は「弟燕祭」。東工大の附属って意識が強いんだなあ。

 東京工業大学附属科学技術高等学校。正直よくわからん。

自転車だと品川駅の東西を抜けるのが非常に面倒くさいので、ここで山手線の内側に戻る。札の辻から国道15号を南下。
都営浅草線・泉岳寺駅の北口付近にあるのが高輪大木戸跡。東海道で江戸に出入りする際のポイントとなった場所だ。
大木戸はほかに甲州街道の四谷大木戸もあったが、そっちは1792(寛政4)年にすでに撤去されてしまったそうだ。

  
L: 高輪大木戸跡。  C: 横から見た石垣。  R: 北から見たところ。遺構が残っていることから東海道の重要性がわかる。

そこから少し南に行くと、高輪ゲートウェイ駅。山手線なのにクソバカ駅名ということで批判の集中砲火を浴びたものの、
JR東日本はどこ吹く風でそのクソバカ駅名のまま開業。周辺はまだ開発も進んでおらず、祝福されていない感触が切ない。

  
L: 高輪ゲートウェイ駅。歓迎されない駅というのは悲しいものだ。高輪でも芝浦でもいいので、名前変えませんかねえ?
C: 夜行バス利用者にはおなじみの京急の品川バスターミナル。高輪ゲートウェイ駅が最寄となったが、周辺に何もないのがつらい。
R: 品川駅まで戻ってみた。港区だけど品川駅。個人的には地下鉄がないので利便性が低いと感じる。品達品川が閉まったのも痛い。

ではあらためて国道15号を北上するのだ。こちとら自転車だから左側通行をきちんとやっているってわけです。
先ほどの高輪ゲートウェイ駅から見て真西に位置するのが、高輪神社。その名のとおり、高輪一帯の総鎮守である。

  
L: 高輪神社。ビルの合間でちょっとわかりづらい。  C: 拝殿。境内に入るとさすがに立派である。
R: 角度を変えて眺める。高輪神社は稲荷神社としてスタートし、八幡神と猿田彦を合祀して今に至る。

泉岳寺駅まで戻ると、西に入って泉岳寺。泉岳寺といえばなんといっても赤穂浪士の墓があることで有名だ。
今まできちんと参拝したことがなかったので、きちんとお墓参りをするのだ。まずは山門に圧倒される。

  
L: 中門。泉岳寺というアピールがなく「高輪中学校・高等学校」の看板の方が目立つので、ちょっと戸惑った。
C: 泉岳寺山門。1832(天保3)年の築。  R: 境内はこんな感じ。港区の丘にこれだけの規模とはさすがである。

本堂にお参りした後、南側に離れてある赤穂義士墓地へ。石段を上ると線香を200円で売っており、せっかくなので購入。
竹製の器にたっぷり並んで、47本の倍くらいありそう。しょうがないので、まず四十七士に公平に1本ずつ置いていく。
炎天下、途中で「オレは何をやっておるのだろう」と思わないでもなかったが、きちんと線香をお供え完了する。
討ち入りを果たせなかった萱野三平の墓もあるので、これで48本。それでも余るので、リーダーとその息子を多めに足し、
それでも余るので浅野内匠頭長矩の墓とその家族の墓にもお供え。意地で線香を供えきったのであった。変に疲れた。

  
L: 本堂。  C: 赤穂義士墓地はまず手前側に浅野家の墓。こちらは内匠頭長矩の墓。  R: 赤穂義士墓地はこんな感じ。

ちなみに赤穂義士墓地へ至る石段の途中には吉良上野介の首級を洗ったという「首洗い井戸」があるが、
その玉垣には「川上音二郎建之」の文字が刻まれていた。新派なのに『忠臣蔵』とは面白い。オッペケペー。

  
L: 四十七士&萱野三平の墓はこんな感じで並んでいる。切腹しなかった寺坂吉右衛門以外、戒名が「刃」で始まる。
C: リーダー・大石内蔵助良雄の墓。  R: リーダーの息子で最年少で裏門の大将だった大内主税良金の墓。

泉岳寺の御守は赤穂浪士の関係もあってか、大石内蔵助の信仰した摩利支天による勝守が基本であるとのこと。
頂戴すると高輪消防署二本榎出張所を目指してペダルをこぐが、この辺りの坂道の激しいことといったらない。
道幅の狭さといい急勾配といい、江戸時代の地割がそのまま残っている。これはかなり強烈な空間体験だった。

 高輪消防署二本榎出張所。設計は警視庁総監会計営繕係の越知操で、1933年竣工。

しばらくそのまま二本榎通りを北上し、伊皿子交差点から再び国道15号へ。次の目的地は御田八幡神社である。
国道15号を北から行くと隣のビルにでっかく名前が出ているのでよくわかる。南からだとどうしょうもないが。

  
L: 御田八幡神社の隣のビルにでっかく名前が出ている。  C: 御田八幡神社の境内入口。  R: 拝殿。

御田八幡神社の境内を奥へ進むと階段を上って亀塚公園となる。しかし公園に比べて一段低い御田八幡神社は、
不思議とかなり湿り気の強い場所なのだ。本殿を覗き込むと、鬱蒼と茂る木々にどこか妖しげな感触をおぼえる。
前に職場体験のルートとして歩いたことがあるのだが(→2015.9.18)、そのときもここは非常に印象的だった。
Wikipediaによればかつては芝浦越しに江戸湾を眺め、周囲の木々の剪定は最低限とのこと。往時の雰囲気が残るのだ。

 
L: 境内奥の五光稲荷神社・御嶽神社。一体化した独特なデザイン。  R: 本殿。近代以前の雰囲気がよく残る。

さて、札の辻へと戻る途中、聖坂にとんでもない建物があるのが視界に飛び込んでくる。これはぜひ確かめないと!
ということで、ちょうど次の目的地も聖坂なので、がんばって坂道を上っていくと、それは「クウェート大使館」だった。

  
L: 国道から見たクウェート大使館。  C: 札の辻交差点の工事現場越しに眺めるクウェート大使館。これはすごい。
R: 聖坂を突撃してみました。クウェート大使館は港区立三田中学校の敷地に囲まれながら独自のオーラを放っている。

クウェート大使館。この建築について事前にきちんと知らなかった僕が恥ずかしいのである。設計はあの丹下健三だ。
言われてみれば、なるほど今治の作品群(→2015.5.6)に近い匂いを感じる。ただそれらが1950~60年代なのに対し、
こちらは1970年の竣工だ。その分だけ、アヴァンギャルドさが増している。ポストモダンの匂いがするモダニズム、か。
これ以降の丹下は国内から海外(特に中東)へと活動の軸を移していくのだが、それを示唆する作品というわけだ。
なお、近くには蟻鱒鳶ル(「ありますとんびる」と読む)がある。周囲からの浮きっぷりがすごい。完成は遠そうだ。
その斜向かいに普連土学園。キリスト教フレンド派の学校だ。肝心の本体は奥まったところにあるので、そちらへ向かう。

  
L: クウェート大使館を南側から眺める。耐震強度に問題があり改築が予定されているらしいが、この傑作は壊せないわなあ。
C: 蟻鱒鳶ル。建築系の美術展で見かけたことがあったが、いざ実物を目にするとその違和感に驚く。周囲と比べて小さいし。
R: 普連土学園の聖坂に面している側の建物。これはDOCOMOMO物件ではないと思うが、デザイン的に統一させている。

というわけで、DOCOMOMO物件としての普連土学園を見てみるのだ。しかし僕には大きな不安があった。
私立の学校である。女子校である。そんなもん、どう考えたって自由に撮影させてくれるはずがないのである。
しかもこっちは半袖半ズボンで自転車にまたがったおっさんなのだ。カメラを構えれば不審者にしか見えないはずで。
それでも撮れる範囲で撮って、建物の概要をつかみたいなあと思いつつペダルをこいで坂を上がっていく。
すると右手に曲がってさっそく警備員の方とバッチリ目が合ったのであった。「建物の撮影……いいですか?」
それに対する答えは、僕の不安を完全にかき消すものだった。「今は生徒がいませんからどうぞどうぞ」と。
しかも警備員の方は、敷地内の少し高いところから眺める構図がいいですよと案内までしてくださった。
いや、これはなんという理解。「フレンド」の名にたがわぬ寛容さ。やはり建物目当てに来訪者がいるようで、
学校側がきちんとわかってくれているのだ。むしろ建物を通して名を知ってもらおうという前向きさを感じる。
いやもう本当にありがとうございました。こういう親切な対応を通じて学校の雰囲気の良さがうかがえるものです。

  
L: 潮見坂から見た普連土学園の校舎。大江宏の設計で1968年の竣工。大江の法政大学(→2018.8.2)は本当に傑作だと思う。
C: 正面より見た中学校舎。  R: 警備員の方オススメの角度による中学校舎。なるほどこれだと建物の面白さがよくわかる。

丁重にお礼を言って普連土学園を後にすると、せっかくなので慶應義塾大学も外から眺めておく。特に興味はないが。

 
L: 慶應義塾大学を正門から眺めたところ。  R: こちらは東門というか東館というか。

慶應義塾大学の脇にあるのが、三田春日神社。由緒はけっこう古く、958(天徳2)年に武蔵国の国司・藤原正房が勧請。
境内は小さいが、むしろコンパクトな公園のような雰囲気となっており、落ち着いて休憩できる場所という印象。

  
L: 三田春日神社の入口。  C: 石段を上ると拝殿。  R: 拝殿脇は公園みたいな雰囲気。奥に本殿。

少し北上してから、綱の手引き坂を西へ上がっていく。港区は坂が多いが、その中でも特に個性的な名前の坂だ。
「綱」とは源頼光四天王の筆頭・渡辺綱のこと。摂津国一宮・坐摩神社(→2013.9.28)は渡辺姓発祥の地とされるが、
その元祖が渡辺綱だ。茨木童子という鬼の腕を切り落とし、以来渡辺さんは節分でも「鬼は外」と言う必要がないそうで。
さてそんな綱の手引き坂には目立つ建築がある。北側にはかんぽ生命保険東京サービスセンター(旧逓信省簡易保険局)。
1929年築の震災復興建築だが、1920年代らしい合理的な装飾が非常に特徴的。ただしすでに解体工事が進んでおり、
正面部分だけを残して見事に消えていた。両腕のないトルソーみたい。まあなんとかうまくリニューアルしてほしい。
対する南側には綱町三井倶楽部。一般公開されていないので、敷地に入らない形でどうにか撮影してみた。

  
L: かんぽ生命保険東京サービスセンター(旧逓信省簡易保険局)。今後いったいどうなるのか。この正面部分は残るようだが。
C: 綱町三井倶楽部。  R: 反対側から。ジョサイア=コンドルの設計で1913(大正2)年に竣工。現役の「倶楽部」とはすごい。

交差点から北へ下ると神明坂。この通りはその名のとおり、天祖神社こと元神明宮の参道となっているのだ。
この神社がまたなかなか強烈で、社殿はがっちりコンクリート造。しかしその中に木造の拝殿が収まっている。

  
L: 神明坂をまっすぐ下ると天祖神社・元神明宮の境内にぶつかる。  C: 石段を上るとこの建物。周りはふつうの神社なのだが。
R: 脇の階段を上がって2階に拝殿。コンクリートはどうやら覆屋となっているようで、中にはこのように木造の拝殿がある。

 坂を下って天祖神社・元神明宮の背面を振り返る。これまた強烈な造形である。

そのまま古川を越えると東麻布で旧麻布区である。しかしあくまで本日のテーマは旧芝区なのだ。少し東へ移動して、
それから古川の北へと入ると、そこは芝公園。いよいよ本格的に芝に来たぜ、という感覚になる。花のお江戸の南側。
ではまずはとりあえず、DOCOMOMO物件でもある東京タワーを目指すとしよう。正式名称はもちろん「日本電波塔」。
タワー建築の第一人者・内藤多仲が日建設計とタッグを組んで設計し、1958年に竣工。スカイツリー開業後も人気は健在。
今回は上っていないが、15年近く前に男ふたりで東京タワーから夜景を眺めたときのログはこちら(→2007.3.13)。

  
L: 南西側から見上げる。  C: さらに近づいて見上げる。  R: 南東側から見た下のビル。こちらもまたモダン。

  
L: 東側から見た塔脚とビル。こうして眺めていると怪獣映画を見ているような、スケール感が狂った気分になってくる。
C: 見上げると色のバランスのせいか、非常にウルトラマンっぽい。ウルトラマンの身長は40mなんでだいぶ差はあるが。
R: 北東側から見たビル。タワーのおもりとして設計されているとのこと。現在は『ONE PIECE』の施設も入っているそうで。

  
L: 北西側から見たビル。なかなかに昭和。  C: そこから見上げる。やはり鉄骨構造体としての美しさは群を抜くなあ。
R: 東京タワー下の交差点付近から見たところ。芝公園は木々が多いので、すっきり足元を見渡せないのは残念である。

さて突然ですが、ここで東京で初めてつくられた公園5ヶ所をめぐる企画の第4回である(2年ぶり4回目)。
第1回が深川公園(→2002.8.25)、第2回が飛鳥山公園(→2002.8.31)、2年前の日比谷公園が第3回(→2018.8.2)。
結局、この企画が長いこと頓挫していたのは、芝公園がややこしかったせいなのだ。どうまとめるか思案しているうち、
16年の時間が経ってしまって、新たに23区をまわる企画をおっぱじめたのだ。というわけで、芝公園について整理。
芝公園は上述のように、「東京で初めてつくられた公園のひとつ」だが、現状、非常に複雑な状況になっている。
というのも、公園としては都立公園と区立公園に分かれており、さらに港区の公式な地名にもなっているからだ。
いったい「芝公園」とは本来何なのか。結論から言うと、「増上寺の敷地だったものが公園化された領域」である。
もともと徳川将軍家の菩提寺である増上寺は広大な敷地を有していたが、明治の上知令と廃仏毀釈により境内が縮小され、
ど真ん中の部分を残して周囲は1873(明治6)年の太政官布告によって芝公園として整備されることとなったのだ。
やがて公園内に公共施設やホテルなどが建設されていき、それ以外の部分が緑地として扱われている感じになっている。
というわけで、都立芝公園は明確な公園というよりは、「建物の建っていない緑地エリア」というのが実態なのだ。
それがややこしさの理由。なお、港区立の芝公園は、増上寺と芝東照宮の間にある芝生を中心とした開放的なエリア。

  
L: 芝公園・東京タワーの東側。  C: 芝東照宮の南にある梅園付近。芝公園駅はこの辺り。  R: 港区役所の西側。

大雑把にまとめたところで、芝東照宮にお参りするのだ。目の前をよく通ったけど、きちんと参拝するのは初めて。
芝公園は木々が多く起伏もあるので、どこか湿り気のある土地だ。もともとお寺の境内だったこともあるかもしれない。
芝東照宮は、芝公園の中でもその湿り気が特にピークと言える印象。木々が元気に生い茂る境内は独特な雰囲気がある。

  
L: 芝東照宮の境内入口。参拝は初めてだ。  C: 参道を行く。両脇がふつうに駐車場として使われている野放し感がなんとも。
R: 拝殿。芝東照宮は日光・久能山・上野と並ぶ四大東照宮に数えられている。思ったとおり、明治に増上寺から分離して独立。

芝東照宮への参拝を終えると、北上して増上寺へ。さっきも書いたが、両者の間にあるのが港区立芝公園。
都立芝公園が全体的に木々が生い茂っているだけという印象なのに対し、このエリアは気合いを入れて整備してある。

  
L: 港区立芝公園。開放的な公園で、東京タワーを眺めるのに最適。  C: 芝生から眺める東京タワー。いい感じである。
R: 旧台徳院霊廟惣門。港区立芝公園に隣接し、増上寺のかつての広さを感じさせる。1632(寛永9)年築で、国指定重要文化財。

増上寺に到着。丁字路のギリギリいっぱいにそびえる山門(三解脱門)が、本当にものすごいインパクトを与える。
かなり広い範囲が芝公園になったとはいえ、現在の境内でもそれなりにきちんと広い。トボトボ歩いて大殿で参拝。

  
L: 丁字路に面して絶大な存在感を示す増上寺三解脱門。1622(元和8)年の築ということで、家光の時代の建築。
C: 門をくぐって眺める大殿と東京タワー。  R: 大殿の北にある安国殿。ちなみに旧安国殿が現在の芝東照宮である。

さて、増上寺は徳川将軍家の菩提寺ということで、安国殿の脇から奥へと入っていき、徳川将軍家墓所にお邪魔する。
こちらは有料で拝観可能。かつては見事な霊廟(御霊屋、おたまや)があったのだが、空襲により焼失してしまった。
現在は石造や銅造の宝塔が並ぶ形となっている。将軍は6人分で、秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂という面々。

  
L: 徳川将軍家墓所の鋳抜門。かなりの迫力。  C: 宝塔はこんな感じで並んでいる。やはり独特な雰囲気である。
R: 旧崇源院宝塔。もともとは秀忠夫人・崇源院の墓だが、秀忠の宝塔が焼失したので合祀され、夫妻の墓となっている。

増上寺の御守は安国殿で頂戴するのだが、家康が天下人ということで「勝運」の御守が標準となっているようだ。
ちなみに増上寺では2020年限定ということでオリンピック仕様の5色の勝運守(2020の刺繍あり)を用意していたが、
肝心のオリンピックはコロナで延期……。御守が不良債権化してしまうとは、御守マニアとして残念である。

  
L: 2020年限定・オリンピック仕様の5色の勝運守のポスター。オリンピックは嫌いだが、発想は嫌いではない。残念である。
C: 芝大門の交差点にある増上寺大門(旧総門)。所有者不明でモメていたが、東京市が建てたもので増上寺に譲渡されたとのこと。
R: 有章院霊廟二天門。戦災を免れた第7代将軍・家継の霊廟の門で、日比谷通りに面する。残ったのはこの門だけで本当に切ない。

芝公園の端っこに隣接するのが港区役所である。厳密に言うとここは芝公園6号地なので、もともと芝公園の範囲内だが。
さてこの港区役所こそ、15区時代の旧芝区役所である。現在の建物は1987年竣工。週末や休日に改修工事を進めていて、
それが昨年3月に完了したとのこと。港区の規模から考えるとずいぶんと小さいイメージである。まだこれでいくのね。

  
L: 港区役所。  C: 正面から見たところ。  R: おそらく旧芝区役所時代から敷地の広さが変わらないんだろうなあ。

港区役所というと個人的にはイヤな思い出しかない……本当にヘドが出そうなほどイヤな思い出しかないのだが、
それはそれとして淡々と撮影していく。なお前も書いたが、港区議会は道を挟んだ南隣のビルである(→2007.6.20)。

 
L: 南東側から眺めた裏側。表と変わらない。  R: お隣、港区議会のエントランス。

芝大門を抜け、芝大神宮に参拝しておく。東京十社ということで前にも参拝したことはあるが(→2015.1.18)、
芝エリアでは絶対にはずせない規模の神社なのであらためて訪問。しっかりと神明造でさすがだなあと思う。

  
L: 芝大神宮。  C: 拝殿。  R: 角度を変えて眺める。都会の神社なので境内に余裕がない。でもさすがに立派。

さてここからいったん西へ。思い出の地にちょっと寄ることにしよう。それは、芝給水所公園だ。通称「芝給」。
給水所の上を人工芝のサッカー場として整備した公園なのだ。4~7年前には夏休みにここで部活をしたものよ。
9月には港区中学生サッカー大会(通称:オランダ杯)の舞台となる。隣がオランダ大使館なのでそんな感じ。

  
L: 東京都水道局芝給水所。左の上の部分がサッカー場。  C: 改築前の給水所の一部をレリーフ的に残した部分。
R: 芝給の向かいは幸稲荷神社。稲荷神社だけど伊弉冉命(イザナミ)が祭神として倉稲魂命より先に記載されている。

神谷町の交差点からちょっと戻って西久保八幡神社へ。「西久保」とは麻布と愛宕山に挟まれた窪地ということ。
こちらは現在、社殿を新たに造営している真っ最中。仮殿が完全なるプレハブで、それはそれで面白いなあと思う。

  
L: 西久保八幡神社の境内入口。  C: 石段を上ると、そこは工事現場だった。  R: こちらの仮殿で二礼二拍手一礼。

北に戻るとトンネルを抜けて東へ。そう、愛宕山をブチ抜いた愛宕隧道である。愛宕山は標高25.7mであり、
人工ではない自然の山としては23区最高峰である(ただし武蔵野台地の方が高くて最高点は練馬区南西端の58m)。

 東から見た愛宕隧道。1930年にできたそうだ。

というわけで、その愛宕山の山頂に鎮座する愛宕神社に参拝するのだ。江戸の街の防火を祈願すべく、
1603(慶長8)年に徳川家康が京都の愛宕神社(→2015.7.25)から勧請して創建。なんといっても有名なのが、
山の高さをそのまま生かした参道の石段である。3代将軍・家光が増上寺に参詣した帰りに山頂に咲く梅の花を見て、
「誰か枝を取ってこいや。馬で。」とパワハラ全開。みんなが躊躇する中、丸亀藩士の曲垣平九郎だけが石段に挑み、
見事に往復に成功したので家光は褒め称えたとさ。以来、この石段は「出世の石段」と呼ばれているのである。
僕も出世すれば他県の高校の教員に採用されますかね。さすがに自転車で往復は無理なので、徒歩で石段を上る。

  
L: 愛宕神社の表参道。  C: 鳥居をくぐると「出世の石段」。踏面はやや狭めで、確かに馬で行くのは非常につらい。
R: 頂上から見下ろした石段。真ん中にあるのが手すりではなく鎖ということで、やはり登山なんだなあと思う。

愛宕神社は最近になって社務所をリニューアルしたのか、置いてあるものがどれも非常にオシャレ。
さすが港区のど真ん中にある神社だけあって、デザイン的な工夫を感じさせる。女子受けしそうだなあ。

  
L: 石段からまっすぐ行くと境内はこんな感じ。  C: 拝殿。  R: 社務所(授与所)。オシャレな工夫がなされている。

境内には池があって、山頂なのによくまあ、と驚いた。全体的に緑が多いのだが、それは整備されたというよりは、
昔から愛宕山にあったものが今も残っている感触。御田八幡神社・芝東照宮と同じく江戸期以来の湿り気を感じるのだ。
周囲はすっかりオフィスビルだらけとなっているが、かつての空気を感じられる点でも貴重ないい場所だと思う。

  
L: 池。すぐ脇には弁財天社。  C: 境内にある三等三角点。  R: 曲垣平九郎の顔ハメを発見。僕も出世したいものです。

愛宕神社から虎ノ門ヒルズの前に出ると、そのまま環二通りを東へ。西へ東へ忙しいなあ。走りやすいからいいけど。
この道と国道15号との交差点にあるのが、日比谷神社。その名のとおりもともとは日比谷公園の大塚山にあったそうだが、
江戸城の拡張を受けて東新橋に移り、2009年に現在地に遷座。こちらは御守がかなり独特で、マニアな僕でもびっくり。
歯の御守は、虫歯に苦しむ人が鯖断ちして祈願するとご利益があるという伝承にちなむもの。なぜ歯と鯖が関係するのか。

 
L: 日比谷神社。  R: 拝殿。御守は「歯の御守」「祓戸四柱御守」「奇跡の御守」など個性派多数。

そんなこんなでようやく新橋駅に到着である。新橋駅というと個人的には、ニュー新橋ビルの印象が非常に強い。
骨を格子状に組み合わせたようなファサードが電車の車窓から見えるたび、「ああ新橋だ」と思うわけでして。
僕はひそかに「新橋ホネホネビル」と呼んでいたのだが、再開発の対象となっているようだ。ホネホネロック。

 
L: ニュー新橋ビル。松田平田坂本設計事務所の設計で1971年に竣工。  R: 駅前のSLもいちおう撮影。

新橋駅の西側にある飲食店街の中に、烏森神社がある。かつてこの新橋駅周辺は松林と砂浜だったそうで、
カラスがいっぱいいる森だったとのこと。そこに平将門を倒した藤原秀郷が稲荷神社を創建したのが起源である。
なお、現在の新橋駅は1909(明治42)年の開業時は烏森駅という名前だった(初代の新橋駅は汐留駅に改称された)。

  
L: 新橋駅前のファミリーマートの後ろにはこのような参道がある。  C: 進んでいくと烏森神社。
R: 鳥居をくぐって左を見る。これは神輿庫かなあ。烏森神社は鳥居から拝殿からこんなような形。

1971年造営というコンクリート社殿は非常に独特なデザイン。御朱印にもこだわりがあるようだし、御守も種類豊富。
いろいろと凝っている神社である。もともと神仏習合色の強い稲荷神社なので、発想が自由なんだろうなと思う。

 
L: 拝殿。  R: 拝殿の脇にある社務所。

旧芝区にある神社めぐりの最後は、虎ノ門の金刀比羅宮だ。丸亀藩主・京極高和が江戸藩邸に勧請したのが起源。
現在は虎ノ門琴平タワーの公開空地に社殿がある、みたいな感じの仕上がりとなっている。非常に独特なのだ。

  
L: 国道1号から見た金刀比羅宮。オフィスビルの足元だが、きちんと神社である。1階部分が社務所となっている。
C: 銅鳥居と社殿。鳥居は1821(文政4)年と歴史がある。拝殿は伊東忠太の設計で戦後の再建。  R: 本殿。

これで旧芝区の大部分は押さえた。あとは山手線の外側をまわって完了としよう。お台場についてはまた後日。
汐留の一角に旧新橋停車場があるので、ちょろっと寄ってみる。さっきも書いたが、ここが鉄道発祥の新橋駅なのだ。

 
L: 旧新橋停車場・鉄道歴史展示室。  R: 手前にある駅舎玄関の遺構。これしか残っていないのかー。

汐留から首都高とともに南下していき、浜離宮に沿ってちょっと東に出る。すると竹芝客船ターミナルに到着である。
竹芝のお世話になったのは2回。八丈島(→2009.8.21)と小笠原(→2011.12.29)である。どちらもすごく楽しかった。
なので僕にとってはいい思い出の起点となる場所なのだ。コロナが落ち着いたらほかの島にも行ってみたいなあ。
姉歯の面々による島部の活動は果たして復活するのやら。調布から伊豆大島に行くのはぜひやりたいところだが。

 
L: 竹芝客船ターミナル。  R: 建物側から眺めるマストのオブジェ。

2階のプロムナードデッキから東京湾を眺める。浜松町の裏側、けっこう奥まっている場所なのでなかなか来ないが、
のんびりと景色を眺めるには悪くない場所だ。正直、穴場だと思う。築地大橋からレインボーブリッジまで眺め放題。

  
L: 竹芝桟橋から北東方面。真ん中に築地大橋、右には豊海の冷蔵地帯。  C: 南にはレインボーブリッジ。船は日の出埠頭かな。
R: 真ん中の晴海には東京海洋大学の練習船・海洋調査船である海鷹丸が停泊していた。南極海の観測航海にまで行けるんだって。

本日のラストを飾るのは、旧芝離宮恩賜庭園である。先日の浜離宮と違い、こちらはもともと小田原藩の屋敷。
老中を務めた大久保忠朝の庭園・楽寿園として作庭されたが、所有者は堀田家・清水徳川家・紀州徳川家と変わり、
明治には皇室の迎賓館が建てられた。1924年に昭和天皇御成婚を記念して東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園となる。

  
L: 旧芝離宮恩賜庭園の入口。浜離宮と比べると非常に慎ましい。  C: 園内に入るとこんな光景である。
R: 回遊式庭園としてちょうどいいサイズ。周囲はビルだらけだが、それも対比で楽しませる懐の深さを感じる。

先日の浜離宮恩賜庭園(→2020.8.14)が広大な敷地の中にさまざまなポイントを持っていたのに対し、
旧芝離宮は回遊式庭園としてひとつにまとまっている。個人的にはこっちの方が圧倒的によくできていると思う。
庭園として単体で考えれば「よくできている庭です」という感じだが、ビルとの対比でさらに面白くなっている。
夕方だったのでビルによる日陰がきつかったのが残念な点ではあるが、日本庭園の底力を感じさせる魅力がある。

  
L: 大山と枯滝。  C: 蓬莱山を模している中島。  R: 奥の方から入口側(北)を振り返ったところ。空、ビル、木々、池。

すっかり旧芝離宮を気に入ってしまった。特に何も考えないまま、池の周りを歩きつつ目に映るものを受け入れる。
これだけの見事な庭で入園料が150円というのは、たいへんにお得である。ここもまた東京の穴場だなあと思う。

  
L: 石柱。政治力は高いがすぐ謀叛することでおなじみの松田憲秀の邸宅にあったものだそうだ。かつては茶室に使われていた。
C: 鯛石。なるほど。  R: 洋館の遺構。迎賓館となった際に洋館が建てられたが、関東大震災で焼けてしまったのだ。

入口の近くには藤棚があり、小田原風鈴が吊るされて澄んだ音色を奏でていた。庭園が日陰に包まれるまで、
ベンチに腰掛けてぼんやり過ごす。炎天下を自転車で走りまわった一日だったが、最後の最後でなんと穏やかな時間。

  
L: 鵜。  C: カルガモですかな。  R: サルスベリがとってもきれいなのであった。あと咲いていた花は藤が一房、くらい。

庭園を十分に堪能すると、竹芝の客船ターミナルに戻る。この夏休みは帰省しなかったので、せめて土産を送ろうと。
売店に八丈島と青ヶ島の焼酎を置いてあったので、それぞれテキトーに見繕って購入したのであった。以上でおしまい。


2020.8.16 (Sun.)

天気もよかったし、本当は東京23区探検の続きをやりたかったのだが、昨日の疲れと心理的な疲れといろいろで、
結局無理せずのんびり過ごすことにした。といっても日記を書いたり写真を整理したり、やることやってますけどね。
今後はどうやって気分転換しながら日常生活の精神状態を平穏に保てばいいのか、そこが本当に気に掛かる。困るなあ。


2020.8.15 (Sat.)

言い出しっぺはマサルだったのだが、コロナのドタバタで計画がしばらく頓挫していたのだ。
しかしいよいよ今月いっぱいで閉園ということで、それならお盆のど真ん中に行ってやろうじゃねーか!と、
姉歯の2家族+2人のおっさんでとしまえんに突撃したのであった。正午集合なのだが、もう暑くて暑くて。
ちなみにみんなでとしまえんを訪れるのは10年ぶりである(→2010.5.2)。乗り物酔いの記憶しかねえや。

  
L: としまえん入口。  C: 閉園まであと16日のカウントダウン。「としまえんど」の文字が、なんか、切ないね……。
R: としまえんのシンボル的存在、1907年製造で世界最古とされるメリーゴーラウンド「カルーセルエルドラド」。

皆さん考えることは一緒のようで、園内はなかなかの混み具合。カルーセルエルドラドの行列を見て臆したわれわれ、
とりあえずあまり人が並んでいない乗り物を押さえようということで、スナッピーに挑戦。水鉄砲をひたすら発射である。

 
L: お父さんコンビが仲良くチャンレンジの図。  R: こちらも液体を発射するマサル。

続いてバタフライダー。ペダルをこぐ意味がよくわからんなあと思いつつ見ていたのだが、こげば上昇するのだ。
みやもりの娘さんを隣に乗せたマサルは、例のごとくひたすらフルスロットルで舞い上がっていたのであった。

 
L: 親子でバタフライダー。  R: こげばこぐほど上に上がるらしい。フル回転で舞い上がるおじさん。

炎天下で屋外はキツく、レストランに入って食事をしつつ休むことに。しかし皆さん考えることは一緒なのだ。
席を確保してから注文の列に入るというルールのようで、二手に分かれたはいいが、席の確保が本当に大変そう。
そして僕とマサルが列に並んだのだが、さんざん待たされた。なんかもっと賢い仕組みはないものなのか。
なお、メニューのお値段について話をする中で、「西武税」という表現を久々に聞いたのであった。懐かしい。
あの鬼押し出しは、なんと13年も前になるのか(→2007.5.4)。時の流れとは残酷なものであるなあと震えるわ。
「ぼくどうしてこんなところに来なくちゃいけないの?」の名言はいまだにわれわれの語り草である。録音したかった。

 苦労して確保した席だとよけいにおいしゅうございましょう。

注文を待つ行列にいる間、ミラーハウスが僕とマサルの視界に入っており、ぜんぜん並ぶ人がいなかった。
としまえんが閉園したらもう、ミラーハウスなんてこの世から消滅してしまうんじゃないのか?なんて話になり、
食事が終わるとみんなで「人生最後のミラーハウス」を体験すべく移動。そしたら行列ができていたんでやんの。
とことん、皆さん考えることは一緒なんだなあと思うのであった。でもすぐ入れたし、鏡の迷路は複雑で楽しかった。

 
L: ミラーハウスの中ではふつうに面白い写真が撮れる。なかなかの迷路でけっこう迷ったねえ。
R: ミラーハウスを堪能するわれわれ。さまざまな映り方をする鏡が置いてあった。

さて次はどうしようかと歩いていたわれわれの前に、200円で動くパンダたちが現れた。正式名称は「メロディペット」。
『稲中』で育ったわれわれとしては、乗らないわけにはいかないのだ。ジョージ=マロリーのようなもんだな。

  
L: まあ、乗らずにはいられませんわな。  C: 正しい2人乗り。  R: 重量オーヴァーの2人乗り。目がズレとるで。

 楽しそうで何よりであります。

すっかり堪能したわれわれだが、またしても屋外での行動限界時間を迎えたのであった。こればっかりはしょうがない。
女性陣はアソブラボー!に避難するのであった。ボーネルンドが運営しており輸入品のミニカーやおもちゃも販売。
僕はてっきりスウェーデンの企業だと思っていたら、思いっきり日本なんでやんの。勘違いしていてお恥ずかしい……。

日陰とベンチを求めて歩いていったら北の端っこにたどり着いたのであった。木製立体迷路のトリックメイズがあり、
正直やってみたかったがみんなお疲れだったので僕もおとなしくベンチで休憩するのであった。一人で迷ってもねえ。
しばらくダベって過ごすが、そのうちにだいぶ夕方の雰囲気になってきた。そしてマサルも反応した宝石探しをしたい、
ということでそちらへ移動。向かいがカルーセルエルドラドなので、お母さん方がそちらに並んでいる間に宝石探し。
なお、マサルは宝石探しをやらないのであった。秋芳洞で石を買ったくせに(→2007.11.3)、やせ我慢しやがって。

 宝石探しに熱中するお二方。後でおまけの石をいっぱいもらった。

カルーセルエルドラドは定員154名なので、順番が来るのは思ったり早かった。宝石探しがちょうどいい時間調整に。
せっかくなので僕は撮影係に徹して皆さん乗りなせ乗りなせ、と。でも思ったより回転の速度が速くて上手く撮影できず。

  
L: みやもり夫妻とマサル。  C: ニシマッキー夫妻とお二方。  R: 「機械遺産」ということで興味津々の皆さま。

かなり日も傾いてきたので、お手軽に乗れるものに乗っておこうと、ミニフリュームライドに乗り込むのであった。
本家のフリュームライドが大行列で確かに豪快に水しぶきをあげているのに対し、こっちは本当にミニサイズ。
それでもマサルはミストで大はしゃぎなのであった。よかったよかった。こっちもいろいろ撮れてよかったわい。

  
L: なんか、罰ゲームの御柱祭みたいだな。  C: ミストに夢中の42歳。  R: 後ろに倒れそうになるくらいの興奮ぶり。

ここでニシマッキー家が撤退。お疲れ様でした。娘さんたちはすっかり打ち解けたようで何よりである。
残ったわれわれは最後の力を振り絞って乗れそうなアトラクションを探し、模型列車を堪能するのであった。

 夕暮れのエルドラドはなかなかムーディである。

模型列車はさっきわれわれがダベっていた北のエリアまで往復。その端っこにあったカーメリーゴーランドに乗るが、
どれも基本的に子ども向けなので座席に入れない。大人たちは車の脇にある椅子に座って我慢するのであった。
そして最後の最後はくるくる回るアニマルカップで締める。そんなもん酔うに決まってんじゃねえか!と僕は回避するが、
マサルは全力で回転するのであった。宇宙飛行士にでもなるつもりなのか。終わったときには完全にグロッキーでやんの。

 全力でコーヒーカップを回転させるマサル。

みやもりの娘さんはセブンティーンアイスのグレープシャーベットをご所望だったが、残念ながら売り切れ。
それはさっきダベっているときに僕も食いたかったのだが、やはり売り切れでワッフルコーンバニラにしたのだ。
皆さん考えることは一緒なのである。自販機を探しながらエントランスまで戻るが、結局最後まで見つからず。
その後、ユナイテッド・シネマに避難しつつ、近くで晩飯を食える店はないかチェック。その間もマサルはグロッキー。

 マサルは完全に昇天していたのであった。

「僕ばっかりカッコ悪いんよ!」とマサルから文句が来そうなので、女装ログにリンク張っとく(→2012.4.23)。
これでええか!? これで気が済んだか!? すっかり泥仕合だのう。まあ読んでいる人が面白けりゃそれでいいけど。

運よく居酒屋に入れたので、そこで思い思いに食事を注文。飲み物を飲んでマサルはようやく復活したのであった。
さて話題はみやもりの娘さんが遊んでいるファミコンミニのレトロゲーム。『ロックマン2』について訊かれるとは……。
お兄さん、いろいろ教えちゃうよ! さらにみやもりの娘さんは『スーパーストリートファイターII』が大好きで、
われわれが中学生のときとほぼ同じレヴェルでいろいろ語ってくれるのであった。すげえとしか言いようがない。
次回は『ロックマン2』攻略&『スーパーストリートファイターII』対戦大会ですかね。俺より強い娘に会いに行く。



2020.8.13 (Thu.)

2次の面接。幹部候補生が欲しい先方と地理を極めたいこちらとで、まるで噛み合わず。無念である。
世間はおっさんに対して厳しいのう。優秀な教員よりも優秀な役人が欲しいのなら、はっきりそう書いてくれや。


2020.8.12 (Wed.)

面接対策を考える。考えれば考えるほど、不器用な自分を突きつけられる。現場じゃ不器用なりにがんばっとるけどな。


2020.8.11 (Tue.)

本屋のマンガ売り場に行くたび思うのが、「スピンオフ多すぎだろ問題」である。いや本当に激増してしまった。

スピンオフといえば、ちょっと前まではライトノベルの十八番だったように思う。あるいは、ラノベのマンガ化。
僕はラノベが大嫌いなので、「品がねえなあ」と思いつつそれを眺めていた。新たな作品を生み出す挑戦を避けても、
一度食いついたファンを囲い続けることが大事なのかと。外部の人間からすれば、何の発展性もないように見える。

しかし気がつけば、マンガだってスピンオフだらけになってしまった。同じ作者がやるんなら、まだわかる。
描き足りなかったのかもしれない。そっちの方が面白くなっちゃったのかもしれない。とにかく、創造性は感じる。
ところが本編とは作画担当を別にしてまでもスピンオフをやる執念がやたらと目立つのである。これはもう商売の問題。
近年の出版不況で冒険ができないのと、マンガの読み手が高齢化しているのとで、安易なスピンオフが増えてきている。
かつて人気だったマンガを若手の作画担当で続けるパターンがすごく多い。読者として、それはうれしいことなのか?
あまりに守りに入りすぎていないだろうか。飽きっぽい僕なんかは、いいから次いこうぜ、次!と思ってしまうのだが。
すごい場合には現役で連載が続いているのにスピンオフ。そんな余力があるなら本編がんばれよ、と思ってしまうのだが。

僕の個人的な分析では、『ナニワ金融道』から『カバチタレ!』への流れが元祖にあると思う。
青木雄二の引退に対し、もっと読みたいという読者の声がアシスタントの起用につながったという流れ。これは正統だ。
あとは福本伸行の『天』と『アカギ』。魅力的なキャラクターを掘り下げるスピンオフはここで確立したと思うのだ。
これについても作者本人がやっているんだから、クリエイターとしてのやり方で収まるレヴェル。否定しようがない。
しかしこういった成功例をエクスキューズにどんどんスピンオフが粗製乱造されている現状はなんとも物悲しい。
クリエイターの創造力が原動力であるならまだしも、商売上の理由でやってみた、という事例があまりに多い。
企画する側のやり尽くしている感もそうとうあるんだろうが、結局それは将来が先細りにしかならないと思うのだが。


2020.8.10 (Mon.)

マサルにオススメされた『君は、エヴァンゲリオンというアニメを知っているかね?』の総集編をざっと見てみた。
内容は、『Bバージン』(→2009.6.28)の漫画家・山田玲司が2016年になってようやくエヴァのTV版を初めて見て、
その感想を動画サイトで語るというもの。『エヴァンゲリオン』があれだけ話題になった作品であるにもかかわらず、
1996年の初オンエア時ではなく、映画で一度完結したタイミングでもなく、新劇場版が始まったタイミングでもなく、
20年経って新劇場版の完結が待たれるタイミング、というのがまず笑いを誘うところである。タイトルが狙ってますなあ。

しかし内容はさすがに濃い。今までさんざん『エヴァンゲリオン』については語られてきて、語り尽くされてきたが、
「初めて見た」というタイムカプセルぶりと、「クリエイターとしての視点」そして「クリエイターとしての感情」が、
21世紀に入ったという時間的な落ち着きを背景として、余すことなく披露される。この時間差が絶妙なスパイスなのだ。
当然ながら山田玲司は21世紀以降の社会の流れを知っていて、その文脈で『エヴァンゲリオン』を眺めることになる。
しかし作品に対する反応じたいは刺激されてアッツアツの状態なのだ。この一個人の中にある温度差がむき出しで面白い。
例えるなら、サウナで完全にできあがった状態から水風呂に入った状態で語るようなもの。まずその反応で笑わせる。
そして状態を加速するのがクリエイターとしてのプライドである。冷静な視点と焚き付けられる感情、その対比で魅せる。
もともとが山田玲司は自身の感情的な勢いを作品に高い純度で乗せてくるタイプの人である。彼ならではのバランスで、
1話ごとの感想が落ち着いたり落ち着かなかったりする状態でどんどん紡ぎ出される。われわれはすでに冷え切っているが、
初めて見たときの熱さを思い出しながら見ることになるので、それもまたエンタテインメントとして楽しめる仕組みだ。

さすがクリエイター、と唸らされる場面はかなり多い。『エヴァンゲリオン』がロボットアニメであるより何より、
まず庵野監督自身の私小説であることを素早く見抜き、それを当然の前提として語っていくのである。本当に鋭い。
まあこれは先に『シン・ゴジラ』を見ているというアドヴァンテージはあるものの、それにしてもさすがであると思う。
クリエイターとしての共感がまず何よりも先に来ているからこそ、冷静な分析とは違った彼ならではの熱い感想となり、
世の中に無数に存在している「エヴァを語る」ものたちの中でも独自の価値を持つことに成功しているのである。
ネタを20年寝かせました、では済まないクオリティがある。特に25話・26話への真摯な向き合い方がさすがだなあと思う。


2020.8.9 (Sun.)

W. ゴールディング『蝿の王』(→2005.10.25)をあらためて読む。感想はやっぱり前回とだいたい一緒。
しかし今回、新たに感じたことをテキトーに書きつけてみたい。なお、今回読んだのはハヤカワの新訳版である。

あらためて読み直してみると、作品を通して疑われることのない2つの柱があることに気がつく。
ひとつは大人が象徴する理性で、もうひとつが倫理観としてのキリスト教。非常にモダニズム色あふれる作品だ。
ご存知のとおりこの作品は崩壊する子どもの理性をテーマとしているが、2つの柱はそれとの対比軸となっている。
つまり、絶対的な軸を2つ用意することで、子どもの理性の崩壊ぶりをより明確にさせているというわけだ。
テーマはかなり絞り込まれている。「人間の暗部」にまで広げない。対象はあくまで「子どもの暗部」なのだ。
キリスト教についてはそんなに強く出てこないが、イギリスと比べると確固たるものとして通底して存在している。
果物を食べる生活と蛇のような〈獣〉ということで設定としても生きているが、常識の枠組み、といっていい扱いだ。
ジャック率いる聖歌隊が狩猟隊になり、部族になり、最後は野蛮人となる。キリスト教の規範意識が基準なのだ。
インディアン的描写は時代ゆえの差別的表現だが(初出1954年)、キリスト教的な倫理観が軸だからそうなるのか。
「キリスト教的理性」→「理性ある存在としての大人」という軸について問われることはない。興味深い点ではある。

「ぼくたちはみんな成り行きまかせで、何もかもでたらめになってきている。ここへ来る前は、大人たちがいた。
先生、ぼくたちどうしたらいいんですか、と訊いたら、すぐ答えてくれた。あのときに戻りたいよ!」
(中略)
「大人はなんでも知ってる」ピギーがいった。「暗がりを怖がらない。みんなで集まって、お茶を飲みながら相談する。
そしたら何もかもうまくいくんだ――」
「大人は島を火事にしたりしない。それに――」
「大人なら船をつくるよね――」
三人の少年は闇のなかに立って、大人のすばらしさを一生けんめい言葉でいいあらわそうとしたが、うまくいかなかった。
「大人は喧嘩しないし――」
「ぼくの眼鏡を割ったりしないし――」
「〈獣〉がどうとかいったりしない――」
「大人の人たちが何か連絡をくれたらいいんだけどなあ」ラルフはやけになった口調でいった。
「何か……合図みたいなものでもいいから、送ってくれたら助かるんだ」(pp.162-163)

社会学にどっぷり浸かっている僕なんかは大人の理性こそ疑いたくなるのだが、それをやると確かにテーマがボケる。
ゴールディングが巧いのは、大人=理性的存在という仮定を絶対的にすることで、ジュブナイル小説とした点だ。
最終的にそのジュブナイルぶりは野性の前に敗北を喫するのだが、ラルフの成長物語としても読むことができるのだ。
たとえば冒頭のラルフは子どもで、喜んでフルチンで泳いでいる。本人が嫌がる「ピギー」という蔑称を平然と叫ぶ。
しかし彼はほら貝を見つけたことでリーダーとなる。リーダーとなってからは段階的に揺れ動く部分を見せつつも、
火を守るという一貫した目標を掲げて成長していく。ラストシーンでの受け答えでは、もうそこに幼稚性はみられない。

困ったことに、隊長というのは自分の頭で考えなければならない。賢い人間でなければならない。
必要なときにさっさと決断しなければ、チャンスを逃してしまう。そうなるとよく考えるしかない。
考えるというのは大事なことだ。考えることで結果がちがってくる……(p.132)

そのラルフの成長をもたらした存在は間違いなくピギーで、彼こそ最も理性的な人間であり、ゆえに狙われ、悲劇に遭う。
描写からネガティヴな根暗に思えるが、裏を返せば最悪の事態を想定して対策を立てられる実に理知的な人間なのだ。
彼が理性ある大人としてラルフの一歩先を行く。しかし非力さと容姿の醜さゆえ権力がない。ラルフは彼の理性に守られ、
また彼の理性を守り、ゆっくりと成長していく。事態が決定的になるのは、実はピギーの死が引き金となっているのだ。
そしてラストシーン、ラルフが「誠実で賢い友だち」であるピギーを思い涙を流す。ここにラルフの成長物語が完結する。
ピギーの本名が最後まで明かされないのは興味深い。その匿名性は、共にラルフを見守り成長させた読者を示唆するのだ。

「でも、どうなんだろう。幽霊っているのかな、ピギー。〈獣〉はいるのかな」
「もちろんいやしない」
「なぜわかる」
「いろんなことが意味を失うからさ。家とか、街の通りとか――テレビなんかも――全部無意味になっちまう」(p.159)

預言者であるサイモンが、〈獣〉の正体を告げるべく現れたのに、〈獣〉として殺されてしまう場面も象徴的だ。
理性を失った少年たちが取り返しのつかないことをする、これこそキリスト教的倫理観が衝撃に拍車を掛けるだろう。
また、サムネリックの双子は揺れる人間らしい二面性を象徴する。また彼らはつねに単独でなく、相談する相手がいる。
ひとりではないこと、身近な仲間がいることで理性が残存するという人間らしさを表すキャラクターではないかと思う。
ちなみに悪役であるジャックは英語圏で標準的な名前であり、無名の少年たちの依り代となっていると考える。
そんなジャックも最後にはその地位を追われかけると思しき描写がある。権力は新陳代謝するもの、という示唆がある。
以上、登場人物を中心にあれこれ気ままに書いてきた。心理描写は基本的にラルフひとりに絞って読者の立ち位置を固定、
そうしてジャックの残酷さを客観視させる点がまた巧い。自分の中の〈獣〉を客観視を通して突きつけられる仕組みだ。

ギャング・エイジという言葉があるように、青年一歩手前の少年たちは社会性が閉じて理性が確立されていないだけに、
残酷な存在となることが往々にしてある。その少年たちの野性と分別ある大人が持つべき理性が対置されているため、
大人=理性がことさら理想的に映っているのが特徴的だ。そういえば前回のレヴューで僕は訳をボロクソに批判したが、
新訳版でも舞台空間はわかりづらかった。情景描写の美しさは格段に上がっているのだが、ポイントが絞られている感じ。
島全体について詳細に描写することはなく、焦点となる場所や印象的なシーンに限って精密に描写するのである。
つまりサヴァイヴァイルする空間について、ゴールディングは興味がないのだ。冒険小説としてのリアリティを切り、
その分だけラルフの心理と少年たちの行動を詳細に描くことに集中している。作品本来のテーマにきわめて忠実なのだ。
だからこの作品には切り口がひとつしかない。ああも読める、こうも読める、と議論できる魅力で惹きつけるのではなく、
単一のテーマを恐ろしいまでの切れ味で描ききり、決着がついたところでスッパリと終わる。議論の余地は残らない。
理性を守って大人へと成長する少年が、〈獣〉と同化して欲望のままに力を行使する少年に敗れる。その記録である。
冒険小説としてのリアリティではなく、人間心理のリアリティ。有無を言わせぬその圧倒的な説得力を振り返ったとき、
誰もが自分の中に〈獣〉がいたことに気づかされることになる。この〈獣〉が過去形かどうかは、また重い問題なのだが。


2020.8.8 (Sat.)

今日から夏休みだぜイェアァァァ!

といっても遊び呆けている余裕などないのである。面接に向けて準備、準備。でも開放感にも浸りたい。
そこで気分転換も兼ねて聖蹟桜ヶ丘まで行って、小野神社に参拝してスタ丼食って世界堂でテンプレートを買う。
そして帰ってきて書類を完成させる。これで細かい決意が固まった感じね。さらに再度の気分転換で日記を書き進める。
夕方は自由が丘へワイシャツを買いに行く。勝負服を用意して気合いを入れようじゃないか、という思惑である。
何から何まで、面接当日にピタリとハマるように、一歩一歩じっくり進めている感覚である。報われたいわー。


2020.8.7 (Fri.)

殺人的な暑さの中、ようやく1学期が終了したのであった。やりきった……。
なんせ例年なら夏休み、こんな状況で授業なんてやっていないわけで。無事に乗り切った自分を褒めてあげたい。

この1学期を振り返ると、例年と違うのでなんとも言えないんだけど、自分が何者なのかを問われた時間だったと思う。
他者としてスタートして、組織に同化していく中で、では自分の強みとは何なのか。それを問い直すことが多かった。
異動の苦労を通してかえって自分の武器が見えてきている、と言えばかっこいいけど、そういう要素だらけだったなと。
問題はその自分の武器が広く認められるかどうかなのだが、正直これは2学期の課題である。まずはとりあえず、
1学期を通して感じたことを言語化して、肝心の面接でポジティヴに展開できるようにしなければ。当面の焦点はそこ。


2020.8.6 (Thu.)

本日は5時間連続授業でもう何がなんだか。どうにか勢いで乗り切ったけど、終わった後は虚脱状態。
それでも面接向けの資料づくりは継続。授業のハイテンションを引っ張って、あれこれ書き出す。一歩一歩だなあ。


2020.8.5 (Wed.)

2次の面接向けの資料づくりを少しずつやっている。「なんにもナシは、ナシ!」ということで、毎日必ずやっている。
時間を工面して1時間だけでも集中して取り組むようにしているが、やっていると不思議と着実に進むのが面白い。
勉強でも何でも、短時間でいいから毎日続けることの重要性、一歩一歩の重みというものをひしひしと感じている。

あまり乗り気ではない入り方をしても、「あ、ここをなんとかしたいなあ」となって、そこから集中していく。
本当にじっくりと進んでいくが、だいたい1時間経ったらおしまい。それ以上やっても、あまり進展がないからだ。
逆を言うと、適度に時間を空けることで不思議と異なる角度へと展開していき、結果、多角的・多元的になるのだ。
授業や雑務といった日常生活を挟むと、知らないうちに視野が広がっていて、中身にフィードバックされるのである。
別のことをやっているときに、ふと名案を思いつくこともある。今日は特にそれが効いた感じで、ほっと一安心。

こんなことを書いておいて落ちたら超かっこわるいんですけど! 合格しなけりゃ意味がないことだしなあ。
でもまあ、今の状況を総合的に面白がれているというのはいいことかなと。今日の日記はそんな些細な記録なのだ。


2020.8.4 (Tue.)

このご時世とはいえ、山手線で私鉄ターミナルになっている都会に行かないと買えないものが必要になることもあり、
仕方なしにササッと買い物に出かけることもある。滞在時間を短くしてリスクを抑えるしかないのである。

以前と変化はないかなと、あらためて都会の街を観察しながら歩いていると、今まで見ていなかったものが見えてくる。
これまでほとんど意識することのなかった店が、街の隙間を埋めるようにびっしりと存在していたことに、驚かされる。
それらの店は、どこも懸命に対策を立てながら営業しているのだ。大小の多彩な店舗が、多様な経済活動をしている、
その現実を目の当たりにする。まさに、細胞ひとつひとつが生きることで器官が成り立っている生物のごとし。
そしてコロナウイルスはどの細胞にもしっかりとダメージを与えているのだ。とんでもねえ事態だな、と実感が湧いた。
生命はたくましくてしぶとい。商売をしている人々もまた、たくましくてしぶとい。公務員の僕にはとても真似できない。
われわれは、そのたくましさとしぶとさの恩恵を受けているのだ。そんなことをあらためて考えさせられたのであった。


2020.8.3 (Mon.)

circo氏とのやりとりもあって、いろいろと考える。

先月末の日記で書いたとおり、僕は勝手に冷戦中のベルリンにいるような気分になって、東京で暮らしている。
どれくらいの人が僕と同じ感覚を共有できるのかはわからない。しかし、「壁」を感じて暮らす人は少なくないだろう。
大半の都会者は、まず「自分がキャリアである可能性」をつねに念頭に置いて行動しているんじゃないかと思う。
もはや「もらうリスク」を考えて行動しているのではなく、「うつすリスク」の方を考えて行動しているはずだ。
他人からウイルスをもらってしまったら、もうしょうがない。でも、せめて自分がうつすことはないように、と。
毎日電車に乗って通勤しなくちゃいけない人間ばっかりで、 マスクをつけることが他者への配慮として浸透している。
つねに、どこか後ろめたい。ニュースを見ても、後ろめたい。そういう内罰的な意識から逃れられないストレス、
際限のない善意を継続するストレスが、われわれに無言の圧力をかけ続けるのだ。この点が田舎と決定的に違う。
いつでも自分はウイルスを保有する被害者になりうるという危機感と諦念が、僕らの周りに壁として立ちはだかる。
このコロナウイルスによる心理的な壁の存在は、社会学的に非常に興味深いテーマとして突如現れたように思う。

他者を排除する壁は、歴史上いくつも築かれてきた。古くは万里の長城やハドリアヌスとアントニヌス・ピウスの長城。
戦後ではベルリンの壁、そしてイスラエルの分離壁は現在進行形だ。そういえば、アメリカとメキシコの国境に、
壁を建設することを公約にした大統領もいたっけな。壁という物理的存在の分断する力は、圧倒的な強さを発揮する。
いま、東京の周囲に立ちはだかっている壁は、そのような物理的存在ではない。また交通も遮断されておらず、
実質的にはコロナ以前と何も変わらないのだ。しかし、われわれの心の内側には壁が築かれている。心理的な壁が。
宗教間・民族間・言語間の対立が典型的だが、これもまた他者を排除するための壁であることがほとんどだった。
ところが今回の心理的な壁は、自己の側を閉じる壁なのだ。そしてその発生源となっているのは、教養や配慮といった、
本来ならポジティヴな文脈で語られる要素だ。従来の壁とは異なる性質の壁が、社会で求められている事態なのだ。
今回、マスクがその心理状態の身体的な表現として機能しているのが面白い。マスクは他者への配慮の宣言となっている。
そこには「恥」の文化が透けてみえる。「恥ずかしいからやらない」という日本的価値観が、自制心を生んでいる。
もちろん、田舎での感染者の特定や誹謗中傷は、他者を排除する壁である。「コロナが出ると恥ずかしい」という、
これまた日本的価値観である。その混在が、混乱をもたらしてもいる。実に、社会学的に日本丸出しな事態だと思う。

英語では、丁寧な表現で過去形を使うことがある。具体的な例を挙げると、Will you ~? や Can you ~? よりも 、
Would you ~? や Could you ~? の方が丁寧になるというアレである。これは英語では過去が現在と切り離されている、
という感覚による。I could ~. という表現には、「昔はできた、でも今はできない」という意味がついてくるのだ。
で、現在から見たときの過去の距離感を、人間関係に応用しているわけだ。過去形を使って距離をとることで、
親しさが減った分だけ丁寧になるという仕組み。僕は今回の「ソーシャルディスタンス」に、似たものを感じている。
なるほど、「ソーシャルディスタンス」は「社会的距離」と和訳してもピンとこない。元来、日本にはない概念だ。
どうしても不安定である心理的な壁を補強するものとして、解釈がブレる余地のない英語を使って強制力を持たせる、
そういう合わせ技が成り立っているわけだ。自制心と和魂洋才という日本らしさ。やはり興味深い現象が起きている。


2020.8.2 (Sun.)

関東地方はやっと梅雨明けだが、こっちはそれどころではないのだ。洗濯物が片付くのはうれしいけどね。

書類が届いたことで、2次の面接に向けての格闘が本格的にスタートである。面接資料の下書き作業をやってみるが、
右手人差し指の骨折はやっぱり影響が微妙にあって、細かい字がやや書きづらいし疲れやすくなったような気がする。
嘆いたところでどうにもならんので素直に受け止めるしかない。そもそも老化ってそんなもんだよな、と思っておく。

あらかじめ赤ペンチェックしておいた去年の自己PR書類を参考に、反省を生かした新ヴァージョンの作成にとりかかる。
熱意をいちいち込めて、かつ簡潔に。Wordで何度も推敲して推敲して推敲するのだ。そうして意識をつくるのも大事。
なんせ去年は面接の成績が愕然とするほど悪かった(→2019.10.23)。この10日間で面接向けの頭をつくらなければ。


2020.8.1 (Sat.)

土曜授業だけど運よく担当授業が3時間目だけだったので、そこからの出勤にして午後の練習試合に備える。
正直、前の方に休みを取るのは後ろに休みを取るほどの開放感はないが、少しでも余裕が欲しかったのでこれは僥倖。
昨日インターネットで1次の合格を知った。うまく精神的なバランスをとりながら今後の戦いに備えるのだ。

授業が終わって息つく暇もろくにないまま練習試合。7年前に都大会を阻止された相手の学校(→2013.6.30)が来た。
その学校は7年経ってもやっぱり強いのであった。みんなボールの持ち方がいいし、その扱い方がいちいち的確なのだ。
脳神経が脚を動かすんだけど、その身体イメージにボールが含まれているのよ。ボールまで込みの運動神経って感じ。
しかもサッカーをわかった予測をしているから手に負えない。どんなプレーが相手を困らせるか、味方を優位にするか、
きちんと知っているからこそのプレーを連発してくる。なんとなく蹴るのを繰り返すレヴェルとは天と地ほどの差がある。
(いちばんの基礎は、マークする相手から遠い方の脚で蹴ること。相手が右にいれば左脚で蹴る。鳥かごで鍛える部分だ。
 次が、味方が前を向ける側にボールを出すこと。左前方にいる味方には、そいつが左足でトラップできるように出す。
 この一歩分のプレーの差が、実戦では圧倒的な差として積み重なってくる。賢い選手はそれがわかっているわけで。)

終盤の試合でウチの生徒がケガしてしまって、相手校の先生や学校に残っていた先生に協力していただきつつ緊急対応。
なんとか病院に送り出すが、もうそれだけでこっちはブルーである。湿気とともにイヤな感触がまとわりついて離れない。
後で病院から戻った生徒が学校に顔を出し、明るい表情だったので安心したものの、こっちとしてはニンともカンとも。
ケガは、うつるものなのだ。疲れによる注意力の低下やダウナーな気持ちによって、周囲に伝染していくものなのだ。
すべての運気はここを底にして、なんとか上向きになっていてほしい。自分も他人もみんな上向きになってほしい。


diary 2020.7.

diary 2020

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