週末に天気が良すぎるのも本当に困りもので、今日は日記を書いてから中野区方面へ。新しい中野区役所を撮るのだ。
ぜんぜん疲れがとれねーよ、3年前の日記もぜんぜん進まねーよとボヤきつつ、中野駅に降り立ったのであった。
現在、中野区では、中野サンプラザと旧中野区役所の跡地の再開発がけっこう頻繁にニュースのネタになっている。
工事費が高騰したせいで事業費が当初の見込みの倍近い3500億円に膨らんで、計画の見直しするのせんので大モメ中。
いち早く建てた新しい中野区役所は難を逃れた格好である。旧中野区立総合体育館の跡地で、今年2月に竣工した。
L: 南東から見た新しい中野区役所。旧区役所と同じくけやき通りに面するが、1ブロック北西に移動した形になる。
C: 少し東にずれて撮影。 R: ファサードはこんな感じでいかにも現代風な凝り方である。商業ビルみたいね。建設プロセスは少々ややこしく、2018年にプロポーザルで基本設計の事業者を日本設計に決定。
その後、ワークショップや意見交換会を行って区民の意見を盛り込み、翌2019年に基本設計ができあがった。
そして2020年に実施設計と施工をセットにしたプロポーザルを新たに行うという、なかなか珍しい段階を踏んでいる。
結果、竹中工務店+協永建設+明成建設工業+武蔵野建設産業+INA新建築研究所JVが事業者に選定された。
公式な書類では、INA新建築研究所が代表的な設計者ということになっているようだ。いろいろややこしい。
L: 北東から見たところ。なかなか撮影が苦しい。 C: 北西からマンション越しに意地で撮影したところ。
R: 西側にある中野四季の森公園の北端部から見た西側の側面。この角度からが、いちばんすっきり見られる。「TOKYO SWEEP!! 23区編」の中野区編でも書いたが(→2021.10.2)、この一帯は「中野四季の都市」の一部となる。
もともと警察大学校と警視庁警察学校のあった場所で、21世紀に入ってから大規模な再開発が行われたというわけ。
なお、この土地の歴史をさらに遡ると陸軍中野学校、もっと遡ると生類憐れみの令による「お囲い犬屋敷」があった。
L: 西側エントランス。「憲法を生かそう くらしに 中野のまちに」の横断幕。革新都政でおなじみのフレーズを令和に見るとは。
C: 西側エントランス前のオープンスペース。中野四季の森公園の北端部と一体化している。 R: 中の通路はこんな感じ。
L: 植栽の端に「中野の犬屋敷」の像。旧区役所時代に置かれていたものをこちらに移してきたのだ。
C: 南西から見たところ。 C: 南から見たところ。冬の日差しを反射して画像の調節がなかなか大変。土曜日だが1階は入ることができ、コンビニのローソンもふつうに営業中。庁舎内に入ってくる人は意外と多くいて、
いちばん西の「ナカノバ」というイヴェントスペース兼滞留スペースを中心に、みんなのんびり過ごしている感じ。
L: 南東側のエントランス。 C: こちらから中に入るとこんな感じ。奥でローソンがふつうに営業中だった。
R: 外からだとローソンの入口はこんな感じ(東側にある)。奥まっていて、看板が出ていなかったらスルーしそう。
L: ローソンの手前には「区政資料センター」 という名の本棚。これはあまりにも貧弱すぎないか。
C: ローソンの前から西側を眺める。まっすぐ行くと、さっきの西側エントランス。左はなんかアートのコーナー。
R: 「シェアノマ」という名前のワークショップスペース。いろいろ積極的にイヴェントを開催しているようだ。
L: 区民交流スペース「ナカノのナカニワ」。姉妹都市などの紹介のほか、行政系のPR、生徒のポスター作品などを展示。
C: 大型モニターを備えたイヴェントスペース「ナカノバ」。イヴェントがないときはご覧のとおり、自由に滞留できる。
R: ナカノバの向かいには、カフェテリア「ナカノヤ」。時間帯によってメニューを替えつつ21時までやっている。酒も提供。というわけで、新しい区役所を撮影できてすっきり。そして今日も今日とて美術鑑賞に出かけるのであったことよ。
週末に天気が良すぎるのも困りもので、今日は日記を書いてから千代田区方面へ。横の構図で千代田区役所を撮るのだ。
ぜんぜん疲れがとれねーよ、3年前の日記もぜんぜん進まねーよとボヤきつつ、九段下駅に降り立ったのであった。まずは築土神社から。旧麹町区めぐりのときになぜか完全に忘れてしまっており(→2018.8.2)、今回あらためて参拝。
現在はニニギ(天津彦火邇々杵尊)を主祭神としているが、もともとは平将門が主祭神であり首を安置していたという。
江戸城の拡張工事を受けて筑土八幡神社(→2020.10.31)の隣に遷座するが、東京大空襲により社宝ごと焼失してしまう。
1954年に世継稲荷神社の境内に移転し、1994年に境内地にビルが建てられたことで現在のような都市型神社となった。
L: 築土神社。 C: 参道はこんな感じでいかにも都市型神社。 R: 拝殿の前に出た。
L: 拝殿脇の世継稲荷神社。 C: 本殿を支える柱が豪快である。 R: 裏門から見た本殿。御守を頂戴すると、千代田区役所へ。23区一筆書きチャレンジと旧麹町区めぐりで訪れたが(→2007.6.20/2018.8.2)、
やはり国合同庁舎や図書館が入っている地上23階建ての建物なので、撮影が大変である。しかしありがたいことに、
お堀を挟んだ清水門から北の丸公園に入ると、わりときれいに千代田区役所を眺めることができるポイントがあった。
L: 西から見た千代田区役所。このアングルで撮影するのも3回目である。 C: 清水門への入口から見上げる千代田区役所。
R: 清水門から北の丸公園に入って撮影。手前の千代田会館ビルが若干邪魔だが、これなら御の字なのだ。よかったよかった。横の構図であらためて撮影してみた。うーん、決定版!
L: 南東から見たところ。 C: 清水濠越しに眺める。 R: 九段下交差点付近、北西から見たところ。
L: こちらは清水門(櫓門)。1658(万治元)年の再建で、国指定重要文化財。中世の頃に清水寺があったのが名の由来。
C: ついでに旧役所跡地の九段坂病院と千代田区立高齢者総合サポートセンター「かがやきプラザ」をあらためて撮っておいた。
R: そういえば九段会館はファサードの一部を残した「九段会館テラス」となったのであった。2022年に竣工、開業。その後は東京国立近代美術館へと向かうが、あまりにいい天気なのであらためてパレスサイドビルを撮影する。
13年前にもやはり国立近代美術館ついでで撮影しているのだが(→2011.1.30)、相変わらずの雄姿である。
L: 竹橋から望むパレスサイドビル。この構図じゃないと視野に入りきらない。13年前と違って北側から見てみた。
C: 竹橋交差点からがんばって眺める。20基ものエレヴェーターが入る円筒形のタワーが存在感抜群。 R: 側面。
L: 南西側のエントランスをクローズアップ。 C,R: 横に日除けのルーバー、縦は雨樋でファサードを構成している。というわけで本日もそこそこ重量級の写真撮影をやってから美術鑑賞なのであった。レヴューは後日じっくり書きます。
KK線こと東京高速道路が来年4月に廃止になるということで、現状を記録しておかねばと突撃したのであった。
有楽町界隈は出光美術館だの静嘉堂文庫だのでそれなりに来るし、先月は東映高倉健まつり(→2024.11.19)で通った。
ハンズ銀座店もあるし無印良品の旗艦店もあるしFREITAGもあるし東京交通会館はアンテナショップの聖地だしで、
なんだかんだでちょくちょく来ている場所である。でも東京高速道路を意識したことはなかったのでなかなか新鮮。
L: 有楽町駅から東京高速道路の高架下を抜ける。銀座インズなど、この高架下は川を埋め立てたので境界未定地域になる。
C: うーん、こうして見ると高速道路だ(ただし指定最高速度は40km/h)。 R: 有楽橋の交差点越しに眺める東京高速道路。東京高速道路は1951年に会社が設立され、1959年に部分開通したので首都高速道路よりも古い歴史を持っている。
建設費用と維持運営費用は高架下の店舗からの収益で回収しているため、通行料が無料となっているのが大きな特徴。
河川を埋め立てて建設したため区境が画定しておらず、高架下の店舗には住所が割り振られていないことも有名だ。
わりと戦後のドサクサでつくっちゃった感があるが、無料化した発想と道路の利便性は高く評価されている。
なお廃止後は、緑に囲まれた歩行者中心の空中回廊「Tokyo Sky Corridor」にするんだと。もう少し高さが欲しいかな。
L: 東京高速道路の向こうに東京交通会館。東京都交通局と三菱地所が組んで建てた。 C: 北の八重洲方面を眺める。
R: 銀座西二丁目交差点。実は「銀座西」という町名は現存しない。住居表示の実施により消えた地名が交差点と高架下に残る。
L: 数寄屋橋付近から見たところ。 C: 数寄屋橋交差点。トンガリ屋根の変なのは数寄屋橋交番。 R: 角度を変えてもう一丁。
L: 新数寄屋橋も東京高速道路の一部である。 C: 西の日比谷側に抜けて振り返る。 R: 南側の高架下は銀座ファイブ。銀座ファイブから南はJRの線路と並走し、銀座コリドーとなる。この辺りの雰囲気はJRの高架下店舗とあまり変わらない。
有楽町界隈とはまったく異なった感触で、いかにも下町としての銀座らしさ(→2020.8.14)を感じさせる一角である。銀座コリドー。ひたすら飲食店という印象である。
銀座コリドーが終わるとそこは新橋。東京高速道路は大きく東へとカーヴして汐留方面へと向かっていく。
この先の高架下店舗は銀座ナイン。銀座は8丁目までで9丁目は存在しないのだが、なんとも粋な名称であると思う。
なお住所としては「中央区銀座8丁目10番地先」となる。東京高速道路の廃止後もそのままだと面白いのだが。
L: 土橋交差点にて。東京高速道路はここから銀座の南端を囲うように汐留方面へと向かっていく。
C: 交差点を渡って振り返ったところ。新橋らしいガチャガチャ感が漂う。 R: 土橋入口。地味だなあ。さて土橋交差点の北側にあるのが、静岡新聞・静岡放送東京支社ビル。丹下健三の設計で1967年に竣工している。
丹下流のメタボリズム作品として知られるが、山梨文化会館(→2012.5.6)とは対照的に明らかなペンシルビル。
しかしそこに見事なデザインを施していて、さすがは世界のタンゲだと圧倒される。この500mほど南東にはかつて、
黒川紀章による中銀カプセルタワーがあった(→2020.8.14)。こちらの建築がそのヒントになったような気もする。
L: 静岡新聞・静岡放送東京支社ビル。セットバックしてわざと道行く人の頭上に建物を張り出した姿にしているのだ。
C: 新橋駅銀座口から東京高速道路越しに眺める。 R: 新橋駅の東海道線ホームの端っこから見たところ。というわけで、東京高速道路探検はこれくらいで終了。東海道線に乗って横浜まで揺られるのであった。
◇
本日は三ツ沢球技場でJ3・JFL入れ替え戦の第2戦が開催されるので、サポーターではないけど野次馬観戦するのだ。
J3で19位に終わったY.S.C.C.と、JFLで2位の高知ユナイテッドSCが対戦する(J3最下位の岩手はJFLに自動降格)。
実は2013年にはJ2・JFL入れ替え戦が実施されており、JFLで2位の讃岐がJ2で22位(最下位)の鳥取を破っている。
ただし翌年からJ3がスタートしたので鳥取はJFLではなくJ3に移行している。JリーグクラブがJFLに降格したのは、
2012年に自動降格した町田のみである。そんなつらい歴史があるのに、町田は今年J1で優勝争いしているわけで。
L: 三ツ沢でのサッカー観戦は本当に楽しい。でももし来シーズンからここでJ3観戦ができなくなると、けっこう淋しい事態だ。
C: 選手入場時のY.S.C.C.サポーター。 R: こちらは高知サポーター。噂によると他クラブサポーターが混じっていたそうだが。先週行われた第1戦は1-1のドロー。アウェイゴールルールは採用されていないので、純粋に五分の状況である。
僕としては中立の立場での観戦だ。心情的には初のJリーグ入りを賭けての挑戦である高知を応援したいところだが、
三ツ沢でのJリーグ観戦ができなくなるのは淋しいではないか。まあJFL観戦になってもいいっちゃいいのだが。
むしろ下位カテゴリーを気軽にチェックできるという点ではいいのかもしれないが。でもY.S.C.C.嫌いじゃないし。
なお高知は昨年の天皇杯でJ1のG大阪と横浜Cを破り、ラウンド16で川崎Fに0-1で敗れるも善戦ぶりが注目された。
高知の試合を観戦するのはこれが初めてだが、よさこいの鳴子を鳴らして応援するのは地域性が出ていて面白い。
L: 前半7分、右からのクロスにFW新谷(右端の金髪)が合わせて高知が先制。高い打点で頭を振り抜いた見事なゴールだった。
C: その後も高知は新谷を中心に攻め込む。新谷は神戸の大迫(→2024.10.6)を思わせる体の強さで高知の攻撃を牽引。
R: 33分、Y.S.C.C.の奥村がFKをバーに当てる。数ミリの差が今後の両クラブの命運を分けると思うと恐ろしくなる一瞬。試合開始早々、力強く攻め込んだ高知が先制する。右からのクロスにFW新谷がきれいに頭で合わせてみせた。
高知サポがどよめく。あまりにあっさり、そして鮮やかだったので、デジカメのシャッターを切るのが遅れてしまった。
その後は技術に勝るY.S.C.C.がボールを保持してチャンスをうかがう展開に。高知はボールを持ってもあまり回さず、
ボールホルダーが前へ前へと進んでいくサッカー。止められはするものの、守備は人数をかけて対応して耐えている。
L: 後半もY.S.C.C.が押し気味にゲームを進めるが、高知は耐えてチャンスをつくる。このシュートははずれたがきれいに撮れた。
C: 東家のシュートはGKがファインセーヴ。 R: 押し込むY.S.C.C.。技術的に上のY.S.C.C.の攻撃だが、高知は体を張って阻止。後半に入ってもY.S.C.C.がゲームの主導権を握る展開は変わらない。リードされているわりには焦りの色がなく、
落ち着いてボールを動かして高知の隙をつくろうという意図が見える。見えるのだが、必死さの欠如という面もまた感じる。
時間が刻々と過ぎていき、Y.S.C.C.はさすがにだんだんと前のめりになっていく。対する高知はフレッシュな選手を投入し、
押し込むY.S.C.C.の裏にある広大なスペースにカウンターを仕掛けだす。でもY.S.C.C.としては、攻めるしかない。
そしてアディショナルタイムに入ったところで再びカウンター。左サイドから抜け出したFW内田がシュートを決める。
その瞬間、スタジアム全体が沸き上がった。これで勝負は決まった。昨年三ツ沢で劇的な逆転劇を観たが(→2023.6.10)、
あのときのような余力は今のY.S.C.C.にはあるまい。周りの高知サポーターたちは笑顔でじっくりとピッチを見守っている。
L: 押し込み続けるY.S.C.C.に対し、高知は裏の広大なスペースをカウンターで襲うシーンが目立ちはじめる。
C: 後半アディショナルタイム1分、やはり長距離のカウンターからFW内田優晟がダメ押しのゴールを決める。
R: 高知のJ3昇格をほぼ決定づけるゴールに沸き上がるアウェイゴール裏。スタジアム全体に歓声が爆発した。試合終了の笛が鳴り、念願のJリーグ昇格を果たしたクラブとJFLへの降格を余儀なくされたクラブとで明暗が分かれた。
高知は野球どころとして有名ではあるが、高知大学のサッカー部は国立の強豪として知られているので(→2015.3.1)、
今までJリーグクラブが存在しなかったことがわりと不思議ではあった。でもその歴史が今日、塗り替えられたのだ。
あーこれで高知に観戦に出かけなくちゃいけなくなってしまった。今治とセットでなんとか行ってやるぜウヒヒ。
L: 試合終了の笛が鳴る。この瞬間、高知がついに念願のJリーグ入りを果たした。これで四国4県すべてにJクラブが揃った。
C: 喜ぶ選手たち。泣いている選手も多かった。 R: メインスタンドへの挨拶。僕も高知県民のフリをして喜んでおく。
L: JFLへの降格が決まったY.S.C.C.サイド。悲喜こもごもとはまさにこのこと。それでもサッカーは続いていくのである。
C: かなり待ってからゴール裏での祝勝会がスタート。 R: 横断幕を掲げての記念撮影。おめでとうございました。それにしても、一歩間違えば長野(J3で下から3番目)がこうなっていたかもしれないと思うと、本当に本当に恐ろしい。
なおJ1昇格とJ2昇格のプレーオフでも凄まじいドラマが生まれたようで、松本山雅は2-0から追いつかれて来年もJ3だと。
とりあえず来年も信州ダービーが開催されるということで、良かったのか悪かったのか。まあポジティヴに捉えましょう。
『ルパン三世 カリオストロの城』が公開45周年記念上映されているのでわざわざIMAXで見てきたよ!
内容についてはもう何度も見ているので言うことはないが、CMが入らないでノーカットとなるとかなり新鮮である。
それで気づいたのだが、冒頭(アヴァンタイトル)以外はぜんぶカリオストロ公国内でのできごとなのだ。
『ダイ・ハード』(→2003.4.5)並みに舞台空間が狭く、おかげで徹底したファンタジー空間が構築されている。
「カリオストロの城」は『ルパン三世』シリーズの中でも特に宮崎駿色が強く出ていることで知られているが、
それが許されるようにまず空間的なところから固めているというわけだ。すべては宮崎駿の手のひらの上なのだ。
そしてこれをブラッシュアップして『天空の城ラピュタ』(→2024.8.30)につながるのかなと思うのであった。以上。
寝ている間に韓国で非常戒厳令が出て、寝ている間に非常戒厳令が解除されていた。起きたらワケがわからなくてびっくり。
「無課金おじさん」が来日というニュース。
オリンピックを一切無視して生きている私には「無課金おじさん」ブームがまるで遠いことだったのだが、
さすがに気になって事情を調べて深く深ーく納得したのであった。言い得て妙とはまさにこのことだなあと感心した。
実に現代風な敬意を込めた愛称。世の中にはあだ名をつける天才がいるものだ。まあ単純にかっこいいもんな。
太田記念美術館『広重ブルー』。F.L.ライトもハマった(→2024.3.2)という浮世絵師・歌川広重。
東京国立博物館の総合文化展でも見たが(→2024.11.3)、あらためてきちんと見ておかなければ、と行ってきた。
広重というと遠近法とベロ藍(プルシアンブルー)を用いた風景画が有名で、今回の展覧会はまさにそのど真ん中。
つまりは広重らしい広重をとことん味わえる内容なのであった。「広重ってこういう感じ」を実感できたのはありがたい。特徴としては、なんといってもベロ藍の美しい色を生かしきっていること。青のグラデーションがたいへん印象的だ。
かつてPC-9801でドット絵を描いた個人的な経験からすると、「なんだかレーザーの表現みたい」という感想が出てくる。
8色の場合、白(7)を中心に置いてその両側に水色(5)、青色(1)と置いていくと、レーザーの表現ができるのだ。
広重はそれを思いださせるグラデーションを多用している。この青のグラデーションを楽しませることから逆算してか、
水や空気はきわめて静的なものとして描かれている。同じベロ藍を使用しても国芳は対照的にうねる波紋を描いているが、
広重は波や流れをあまり描かないのだ。そのため、広重の絵は一瞬を切り取るのではなく、帰納的な本質を感じさせる。
また、その青と雪の白との対比を好む傾向がみられる。やはり静的な落ち着きの中でのベロ藍が見せどころなのだ。もうひとつの特徴である遠近法を用いた構図も、かなり大胆。作風が静的な分、わざと手前に大きく物を置くことで、
全体にドラマ性を持たせている。また諏訪湖に富士山など、見えないはずの山を描いちゃうファンタジーもやってのける。
あえて破調を採り入れることで作品の魅力を高めているのだ。もっともそれは基本が徹底しているからできることで、
透視図法で見据える構図が根底で完成されているからこそ成り立つ芸当なのだ。王道というかモダニズム的というか、
本質を見通す印象を与える作風である。なるほどF.L.ライトがハマったのもその点を気に入ったからではないかと思える。
広重はこの2点を研ぎ澄ませていったことで、確かに浮世絵の風景画としては決定版のような美しさを極めている。
こうなるともう、マンネリ大歓迎というか、「広重らしさ」がありがたがられる領域である。方法論が確立された世界。展示は広重の魅力がたいへんよくわかって最高だったが、今回も平然としゃべりまくる阿呆な客が多くてげんなり。
そもそも原宿は外人ばかりで混みすぎだし、太田記念美術館って行くのがちょっと億劫になるのが難点なんだよなあ。
今週末はあまりにも天気がよすぎるので、デジカメ片手に建物の写真を撮りに出かけるのであった。
14年前と4年前に東京都庁を撮影しているが、縦の構図ばかりだったので(→2010.9.11/2020.11.1)、
今回は横の構図で撮ることを最優先課題とするのであった。そうしないとまとめページ(⇒こちら)で収まりが悪くて。せっかく新宿西口に行くんなら、DOCOMOMO物件となった京王プラザホテルも撮影しておこう、と思う。
でもそうなると、2023年度で新たに追加選定された東工大の百年記念館も撮っておかないとまずかろう。
いちおうTOKYO SWEEP!! 23区編の目黒区の回で東工大のキャンパス内には入っているのだが(→2021.8.5)、
当時はコロナの関係で大手を振って動きまわることができなかった(オレ、いちおうOBなんだけどな……)。
それでまあ、今回あらためてDOCOMOMO選定記念ということで大岡山駅前から一発撮っておいたのであった。
正直、東工大の恥さらしとも言うべきクソ建築だと思ってますけどね。こんなのDOCOMOMOに選ぶなよマジで。
もっとも「東京工業大学」じゃなくなってしまった時点で大学じたいが恥さらしなんだけどね。お似合いですかな。篠原一男設計、東工大百年記念館。クソオヴクソな恥さらし建築である。
そんなこんなで新宿に到着すると、さっそく東京都庁の撮影をスタート。昨日に続き卒倒しそうなほどの晴天である。
今回は「横の構図で代表的な写真を撮る!」という制約があるので、とにかく距離をとる必要があるのだ。
淀橋浄水場跡地である新宿副都心の高低差に苦しみつつ、できる限りいろんなアングルから撮影してみる。
L: まずは新宿三井ビル周辺から撮影スタート。第二庁舎まで撮るならここしかない。でも足元が木々で見えない。
C: 足元を気にせず第一庁舎と第二庁舎を撮ってみる。 R: 新宿住友ビルの前から都議会議事堂越しに見る第一庁舎。今回は背面の写真を目的としていないので、新宿中央公園前からは縦の構図で撮りまくり。過去ログを確認したら、
都庁の背面をきちんと撮ったことがなかった。冬の日差しがキツいものの、雲ひとつない晴天なのでストレスなく撮れる。
L: 新宿中央公園の前から撮影した背面。 C: 背面をまっすぐ見上げる。 R: 南西から見たところ。このアングル初だ。南からぐるっとまわり込んで、最後は新宿モノリスの前から撮影。これだと都議会議事堂とのセットになる。
木々に遮られて第一庁舎・第二庁舎・議事堂の3点セットが見えない以上、これがベストということにしておく。
L: 新宿NSビルの北側から撮影してみた。なかなかいい感じに撮影できるポイントなのであった。
C: 東京都庁都民広場から見上げる第一庁舎。14年前に撮ったときとまったく変わらない姿である。
R: 最後に新宿モノリスの前から撮影。このアングルが「横の構図で代表的な写真!」ということでよいのではないか。せっかくなので第二庁舎も単体で撮影しておいた。東京都庁というと第一庁舎のツインタワーばかり注目されるが、
第二庁舎のデザインも地味にキレキレ。同じ丹下先生の新宿パークタワーに似ているけど、こっちの方が数段いい。
L: 4年前とほぼ同じアングルだが、第二庁舎はどうしてもこうなっちゃう。 C: 新宿NSビル北側から見た第二庁舎。
R: 北西から見た第二庁舎。第二庁舎は西側(新宿中央公園側)から余裕を持って見た方が、デザインの凄みがわかる。せっかくなので都議会議事堂も単体で撮影しておいた。こりゃもう大したヴァリエーションがないので、
14年前や4年前と同じアングルで申し訳ない。高層と低層の差、広場を囲む構成、さすが丹下先生だと思う。
L: 半円形の東京都庁都民広場を囲んでいる都議会議事堂。 C: 正面から見たところ。 R: 東側から見た都議会議事堂。では本日もうひとつの目的である、京王プラザホテルの撮影なのだ。こちらはもう何も気にせず縦の構図全開でいく。
日本設計の設計で1971年に竣工しており、淀橋浄水場跡地の新宿副都心では最も早く建てられた超高層ビルである。
その後、1980年に同じデザインで南館が竣工。DOCOMOMO認定は本館に対してだと思うので、本館を中心に撮影。
L: まずは北東から。手前が本館、奥が南館。 C: 新宿三井ビルから。日差しの関係で北側の側面はこれが限界なのだ。
R: 新宿住友ビルの前、北西から見たところ。背面をしっかり見られていい感じである。……こっちが背面でいいよね?
L: 東京都庁の第一庁舎と第二庁舎の間にあるオープンスペースから見た京王プラザホテル。
C: 新宿NSビルの北側から。 R: 2階レヴェルの議事堂通りから見たところ。薄いねー!
L: 南東からだと南館中心となる。 C: プラザ通りから見た南館。 R:右を向いて本館。以上である。帰りに新宿西口の変貌を記録しておく。実は新宿駅の西口改札を出てからが大混乱で、ものすごく迷ってしまった。
これは小田急百貨店新宿店本館の解体工事の影響。跡地には2029年度に都庁より高い超高層ビルが建つそうな。
一足先にビルが建て替わった渋谷みたいな感じになるのだろうか(つい先日、JRの渋谷駅でも出口が変わって迷った)。
まあ言っちゃ悪いが、デザイン的にはガラスで小ぎれいだけど個性のないものばっかりになるんだろうなあ。
L: 西口ループの上に工事用の橋が架かっているんだけど、なんだか伝説上の出雲大社のデカい本殿を連想しちゃったよ。
C: 南側のツタに覆われた換気塔の辺りも工事中。僕らの記憶にある新宿西口は、影も形もなくなってしまうんだなあ。
R: バスタ新宿の開業で閉鎖した京王バス発着所跡は現在こんな感じ。往時の姿をきちんと写真に撮っておくんだった。一仕事終えると優雅に美術鑑賞へと移動するのであった。この冬はこんな感じで都内をゲリラ的に動いてみましょうか。