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※すいません、マサルと絶滅メディア博物館に行った件はがんばったんだけど間に合いませんでした。
 
書きかけですが、それも面白いと思いますので今回はそのままアップしてみます。
 世界で5人しか読んでいない日記だけど、全国98億7654万3210人のマサルファンのために公開するよ!

2026.2.7 (Sat.)

マサルがいきなり言ってくるんですよ、「牧野真莉愛の写真集買いませんか?」と。
「六本木の蔦屋書店で渡してもらえるんよ! マツシマくん、牧野真莉愛大好きでしょ!」と。
いや確かに僕は、牧野が中学生だったときに、彼女が通っていた学校に勤務していた。しかし大好きというわけではない。
むしろ僕は、直接英語を教えていた羽賀派なのである(→2015.1.8)。いつ引退するのか(→2025.7.10)よく知らんけど。
羽賀朱音の写真集なら買って一言お疲れさんと言ってやるのもいいが、牧野とは特にこれといった接点はないのである。
ところがマサルは僕が熱烈な牧野派であると盛大な勘違いをしており、すでに写真集を購入済み。そそっかしいなあ。
で、あれこれ調べていくうちにそのイヴェントは「お話し会」だと判明し、話題が何もない僕はパスさせてもらった。
(そしてその流れで、すでに羽賀が引退していることをようやく知った。当方、本当にアイドルに興味がないのだ。)
しかしまあせっかくだし、マサルと僕とでお話し会をすることに決定。なかなかいい感じのネタが見つからなかったが、
神田にある絶滅メディア博物館が面白そうだ!ということで、マサルが牧野真莉愛とお話しした後に集合するのであった。

 
L: 絶滅メディア博物館。BSでやっている『伊集院光の偏愛博物館』でも紹介されたスポットである。見てないけど。
R: スタジオを背に記念撮影。「牧野真莉愛のファンは女性が半分でみんなマトモで、太った中年男は僕と数人だったんよ。」

絶滅メディア博物館は「紙と石以外のメディアはすべて絶滅する」という考え方にもとづいてメディア機器を展示している。
入って奥の受付で入場料2000円を支払うが、展示品はなんと写真撮影もお触りもOK。ダイスケ的にもオールオッケーじゃん!
むしろ積極的に撮ってSNSにアップし、触って遊んでもらいたいという方針。ネットの海に永遠に記録を残すのが目標だと。
まあ26年目を迎えた当方の日記がどれだけ残るかはわからないけど(潤平の三つ子しだいか?)、少しは貢献しましょうか。

  
L: 壁一面にさまざまな機械が陳列されている。意図しているのかいないのか、「メディア=機械」という現代の性質が窺える。
C: 黒電話と「保留オルゴール」。これは日本独自の装置とのこと。  R: オルゴールの『イエスタデイ』を動画で保存するマサル。

  
L: 中央のテーブルには二眼レフカメラが置かれている。  C: 階段までモノがびっしり。  R: 置かれている本も自由に閲覧可能。

あまりにも展示品が多いので、ふたりでなんとなく室内を動いて、まずは最初にアンテナに引っかかった携帯電話から。
なお今回の写真は、展示されている場所を無視してだいたいのメディアごとにまとめて貼り付けているのでご了承ください。

  
L: マグネットで脱着可能なガラケーの皆さん。90年代の騒がしさが脳内に蘇る。下には各種の計算機。ちゃんと算盤もある。
C: INFOBAR! 隣はtalbyはオレたぶんまだ持ってるぞ。当時のauのデザインケータイは、いま見てもめちゃくちゃオシャレ。
R: せっかくなのでマサルと記念撮影。「ニシキゴイ! このデザインのApple Watchケースが出て、即売り切れたんよね」

  
L: フェラーリのケータイなんてあったんだなあ。「なんか戦隊ヒーローの変身アイテムみたいやね」「お前アタミレッドじゃん」
C: 「こうやってワンセグ見たねえ」  R: 算盤と電卓が合体したソロカル。「デジタル・トニー谷になれるんよ」「さいざんす」

スピードスター・広末涼子のポップを見て、ふたりして大学時代を思いだす。僕が新宿に行こうとしたところ、
国立駅前のさくら銀行が何やら騒がしい。マサルは広末涼子のマジファンで、その広末はさくら銀行のCMに出ていたから、
もしやと思ってアパートに引き返し、マサルに電話(当時の僕はケータイを持っていなかったが、マサルは持っていた)。
アイドルに興味のない僕はそのまま新宿へと向かったが、マサルは国立に来て生ヒロスエを拝むことができたのであった。
マサルから一生分の感謝をされたのだが、おかげでそれ以降の人生でマサルから感謝をされたことがない(→2024.11.16)。

 マサルを狂わせたスピードスター。

たいへん豊富なケータイの展示と比べ、固定電話はかなりあっさり。とはいえクランクを回すタイプの電話がちゃんとある。
そして昔は当たり前だったダイヤル式電話が懐かしい。「ダイヤル」なんて完全に死語だもんなあ。その脇にプッシュホン。
プッシュホンの「#」と「*」の使い方はいまだに知らない。ダイヤルっ子の僕はプッシュホンの書体がわりと好きでなあ。

  
L: テレビ。上がVHFで下がUHFとか、もう懐かしすぎて。マサルはサンヨーのロゴに興奮し、僕は左のコインタイマーに悶絶。
C: クランクを回す電話。赤い公衆電話はだいぶ小さくないか?  R: ダイヤル式とプッシュホン。プッシュホン! それも死語だ。

何の道具だかわからないけど、ソニービルのミニチュアを発見。取り壊し前にわざわざ撮りに行ったなあ(→2017.4.15)。
個人的には芦原義信の最高傑作だと思っている。建築もメディアであり、モダニズムが絶滅の危機にあるのは実に残念だ。

 
L: ソニービルのミニチュアの何か。  R: 興奮して激写する私をマサルが激写。

そのうちマサルがタイプライターが置かれているのを発見。オリヴェッティの「赤バケツ」ことヴァレンタインである。
おそらく僕が大学に入って以降にcirco氏が入手したと思うのだが、これはなぜか実家にあるのだ。マサルは夢中でタイピング。

  
L: オリヴェッティのヴァレンタインを夢中でタイプするマサル。  C: デザインが本当に美しい。キーを押すとアームが上がる。
R: タイプライター、ワープロ、パソコンのコーナー。「パソコン」ではなく「マイコン」と言う方がしっくりくる時代ですな。

MZ-2000とPC-9801で育った自分としては(→2006.7.8/2017.7.14)、やはりこのマイコン/パソコン展示に惹かれる。
しかし残念なことに、館長さんがMac使いであるせいか、国産パソコンの歴史はノートパソコンがちょっとある程度。
NECが富士通(とSHARP)と激しい戦いを繰り広げていたのがちょうど僕の思春期だったので、そこが弱いのはたいへん残念。

  
L: MZ-80K。SHARPのMZ-80シリーズの初代。  C: PC-98LT。初のラップトップパソコンだが、膝を壊すほどの重さで知られる。
R: PC-9801NS。ラップトップがクソ重かったので、あらためて「ノートパソコン」が登場する。NSは定着してきた時期の製品。

  
L: NECの「バザールでござーる」。佐藤雅彦(→2025.9.6)プロデュースで大人気。 今年の年末で引退でござーる。いや息が長い!
C: 対する富士通は「タッチおじさん」。バザールでござーるの財津一郎に対してこちらは坂田利夫が声を担当。90年代最高だな!
R: 『ゲームセンターあらし』で知られる、すがやみつるサイン入りのモデム。しかしゲームもまたメディアなんだよなあ。

地下への階段も無数の展示品でいっぱい。踊り場にはソニーのウォークマン。音楽を持ち運ぶことで人間の身体感覚を変えた、
とまで言われる革新的な製品である。80年代に世界を席巻した日本製品、ジャパン・アズ・ナンバーワンの象徴と言える存在。

  
L: 踊り場の陳列度合い。ここはウォークマンをはじめ音楽関係の製品が多い一角。僕もマサルも思わずのけぞるのであった。
C: ウォークマン。circo氏が買った雑誌の広告で本当によく見たわあ。当時の日本の電気製品は本当にとんでもない勢いだった。
R: カセットテープ。左が標準的なコンパクトカセット、真ん中がマイクロカセット、右がエルカセット。エルカセットでけえ。

マイクロカセットがあまりにも懐かしくて、思わず声が出てしまった。マツシマ家ではcirco氏が好きだったのかなんなのか、
僕の幼少期にはマイクロカセットのプレーヤーがふつうにいくつもあったのである。で、僕も潤平もそれをいじくりまわす。
再生速度を落としてザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』を聴くと、本来の歌う声が聞こえるのである。
それで音楽の手法を学ぶとか、いったいどういう小学生なのか。メディアが楽しくてたまらない幼少期を過ごしていたなあ。
(マサルは「マイコンといいマイクロカセットといい、マツシマ家は情操教育が行き届いとるね」と言ってくれたが。)

  
L: マイクロカセットのレコーダー。いやー懐かしい。  C: わずか2機種で生産終了したというデジタルマイクロカセット。
R: 8トラックテーププレーヤー。真ん中に書いてあるとおり、カラオケ機器とのこと。これは世代じゃないからわからないなあ。

 カーオーディオのイジェクトを体験するマサル。

カセットテープの次はMDの登場である。僕が高校生のときに一般化して、これは本当に憧れの存在なのであった。
だって自分でお気に入りの曲を集めて、曲順を入れ替えて好きに聴けるんだぜ! でも高校2年のときには廊下で転んで、
放送委員会のMDデッキを壊して死ぬほど凹んだなあ(無償で修理してもらえたのでセーフ)。わずかにトラウマが残るぜ。
大学時代にテープからMDに移行すると、毎週録音した『伊集院光・深夜の馬鹿力』をMDに編集し直したっけなあ。
あまりにも量が多すぎて、実はまだこの編集作業は終わっていない。モタモタしていたらMDの時代が終わってしまった。

  
L: 最初期のMDウォークマン。デカい!  C: MDプレーヤー各種。いやもう懐かしい。青春ですよ、青春時代1.2.3!ですよ。
R: MDのディスクも色で分けていろいろ買ったなあ。CDではなく、わざわざMDでアルバムを買ったこともある。

 ガムのサイズの電池もあった。マサルはこのガムの方に強烈なノスタルジーを感じていた。

そしていよいよiPodの時代なのだ。ちなみにマサルはMDを一切経由せず、テープから直接iPodに移行した珍しい人である。
MD大好きっ子の僕はマサルの選択が理解できなかったが、マサルは確実に時代の先を読んでいた。もっともマサルの場合、
「好きなときに好きなだけ落語を聴けるのがうれしかったんよ」とのこと(→2006.4.25)。iPodで僕とマサルに共通なのは、
クイックホールがいかに凄い革命だったか、である(→2005.1.22/2011.10.6)。あのカリカリカリカリという音と感触は、
身体の感覚を更新するものだった。そしてもうひとつ、小さな容積(空間)に圧倒的な量の情報(時間)が入ってしまい、
サイズの感覚が変革された点も衝撃的だった(→2005.4.29#x050429-05)。メディアによる感覚の変容という経験では、iPodが最強だ。
(iPodについての過去ログ →2006.2.1/2006.2.8/2006.4.4/2006.4.6/2007.9.22/2009.12.21/ 2014.9.10/2017.4.20/
 2017.6.28/2018.12.3/2022.5.12 これだけいろいろ書いていることで、iPodの衝撃がいかに凄まじかったか窺える。)

  
L: iPodの第2世代(左)と第3世代(右)。僕は第4世代のモノクロからだと思うが、とにかく衝撃的な体験だった。
C: iPodとしては2004年がいろいろターニングポイントであるようだ。真ん中はiPod miniで、カラーヴァリエーションが始まる。
R: クリップ型のiPod shuffle(上3つ)のデザインは僕の好みを直撃した(→2006.11.10/2007.1.4/2007.3.20/2010.9.2)。

 末期のiPodたち。いま使っているiPodが壊れたら恐ろしいことになるんですが……。

地下はMacintoshやフロッピーディスクなど。個人的に最も思い入れが強いのは、やはりMacBookAirである。
まさか自分がコンピューターをデザインで衝動買いするなんて、夢にも思わなかった(→2010.12.17/2010.12.23)。
店舗で実物を見たらもう、究極的にミニマルなデザイン。純粋に形で心を奪われてしまった機械は後にも先にもこいつだけ。
そして買ったら本当に便利で(→2011.1.9/2011.7.6)、ずっと毎日触っている(Airを売らない時期はMacBookを使ったが)。

  
L: 地下にも展示品がびっしり。  C: MacBookAir。これをスティーヴ=ジョブズが封筒から取り出したことですべてが始まった。
R: AIBOがいた。僕は「かったるい機械の何が楽しいんだ」とバカにしていたが、ウチの祖母が持っていたと知ってずっこけた。

 Macintoshコーナーを前に興奮しているマサル。

僕とMacintoshの関係は前に書いたが(→2011.10.6)、あらためて思うのは、実機を並べてもあの感覚はつかめないってこと。
PC-98やDOSマシンに慣れていた者にとっては、Macintosh(あえて「Mac」ではなく「Macintosh」と書きたいのだ)とは、
それらとまったく別種の体験だったのだ。ジョブズの思想が隅々まで行き届いた結果、それは「文化」と呼べるものだった。
それを象徴するのがサッドマックだと僕は思っているのだが、いちばん悲惨な事態でもユーモアを忘れない、そういう文化。
従来の機械とは異なる「文化」がAppleそしてMacintoshにはあったのだ。どうにか体験できたことは本当に幸運だった。

  
L: 全世界12,000台限定で販売されたというApple設立20周年記念モデル(スパルタカス)と斉藤由貴のポップ。なぜ斉藤由貴?
C: Macの中でも名機とされるMacintosh SE/30。  R: Macintosh Portable。キーボードとトラックボールは左右入れ替え可能。

 マサルは出版業界で影響を受けてiBookを使っており、思い入れたっぷり(撮影:マサル)。

さてパソコンが日常生活に浸透しつつある1990年代初頭、記憶媒体はフロッピーディスクが主役なのであった。
僕は5インチフロッピーをやたらと使った世代だが、世間がパソコンに慣れてくると3.5インチが主流となっていった。

  
L: さまざまな記憶媒体。額装とは面白い。  C: 左が8インチのフロッピー、右が5インチ。真ん中のテープとか懐かしいぜ。
R: なんと2ED! 2DDが720KB、2HDが1.44MBだが、2EDは2.88MB。当時ビビったが、世間はMOに行ってぜんぜん普及しなかった。

  
L: スチルビデオフロッピーのパッケージ。  C: うおーマクセル! パソコンのフロッピーも同じデザインだったのでグッとくる。
R: パソコンソフトの箱。これもまた懐かしいデザインの嵐である。ソフトは今じゃすっかりダウンロード販売だもんなあ。

マサルはかつて雑誌で担当していたこともあり、ケータイが最も響くメディアだったようだ。僕はこれまでをご覧のとおり、
マイクロカセットとMDとパソコンである。家庭環境によってメディアの得意ジャンルに差が出るなあ、としみじみ思う。
絶滅メディア博物館のわりと主力はヴィデオカメラであるようで、8ミリも含めてかなりの充実ぶりとなっている。
館長さんがもともと映像業界の人だそうで、その影響だろう。反面、デジカメ(特にコンデジ)がかなり弱いのが残念だ。
マツシマ家はヴィデオカメラにまったく興味を示さなかったので、僕は思い入れが皆無。マサルもそんなでもないようだ。

  
L: 陳列されているヴィデオカメラの密度が凄まじい。デジカメを含めてスチルカメラも置かれているが、だいぶ差がある。
C: 写ルンです。まだまだ現役なのが偉い。  R: コンデジはこの一角くらい。個人的には日本の家電の最後の牙城だったと思う。

  
L: よくわからんけど1950年代のダブル8とかその辺。  C: 電力を使わずゼンマイを巻いたそうで。
R: トリプルレンズを見比べて「歴史は繰り返すんやね」とマサル。そうだね、スコープドッグの時代だね。

 
L: マサルよ、ちゃんとパンツ一丁にならないといかんぞ。  R: 「昔のカメラはこんなんやったんやね」

フィルムをルーペで実際に覗くコーナーでは、「あー、エロ本編集者だった頃はこれでチェックしたわー」とマサル。
写ってはいけないものが写っているかどうか、さんざんチェックをやったとのこと。こんな細かい作業、大変ですね。

  
L: 撮影されたフィルム。驚くほど細かくて、凄まじい情報量。でも拡大して映写することを考えれば当たり前か。
C: エロ本編集者時代を思いだすマサル。  R: ベータのヴィデオカメラも置かれていた。下にはヴィデオテープ。

  
L: 映像作品に登場する各メディアをまとめた展示。こちらは『新世紀エヴァンゲリオン』。真ん中はS-DATのモデルになったDAT。
C: 『ブレードランナー』(→2003.11.4)。  R: 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(→2025.12.16)。あー撮っていたなあ。

  
L: ウチのマーティ=マクフライ。  C: ヴィデオカメラの回転機構に興味津々なマサル。携帯性を考えてのことなんだろうね。
R: 「このわざわざ回転させるメカニズムが現代の機械からは失われてしまったんよね」と残念がるマサルなのであった。

  
L: ダブル8のカメラ。スコープドッグがいっぱいでむせる。  C: こちらは16ミリ。  R: ピピンアットマークなんて初めて見た。

  
L: キヤノンのカメラ。  C: こちらはチノン。長野県出身なので名前は知っていたが(→2019.8.25)、実物を見るのは初めて。
R: 日本ビクター。個人的には音響機器の会社というイメージだが、VHSを開発したのでヴィデオカメラも積極的につくっていた。

 『夢中で……。── ミスターVHS・髙野鎭雄さんを偲ぶ──』を熟読するマサル。

マサルは昔の一眼レフを触ってみて、重さやロゴのデザイン、そして質感に現代との違いを強く実感したようだ。
「昔のカメラは高級感があるね」とマサルは言うが、「だって高級品だもん」と返す僕。そう、昔の機械は高級品だった。
前に「質量の社会学」というログで書いたが、重い物は動かす労力が必要な分だけ、品格・威厳を纏うのだ(→2015.1.2)。
職人が手で描いたロゴも、手間の分だけ誇りがあった。かつてはそのような高級品を手にする喜びが、確かにあったのだ。
今は物が安価でわりと簡単に手に入るし、そのことがむしろありがたがられている。明らかに、評価の軸が変質したのだ。
「所有する喜び」はどんどん薄まっていき、

  
L: プロ向け一眼レフコーナー。左下にちゃんとニコンのFがある。  C: 宇宙で使われたカメラなど。小道具が多いな。
R: ミノルタのハイマチックは、初めて宇宙に行った日本製カメラ。ガラスブロックみたいなストロボが印象的(撮影:マサル)。

 デザインで一斉を風靡したiMacは、きちんとあらゆる角度から見えるように展示してほしい。

階段とは反対側にはスタジオになっている部屋があり、そちらも自由に見学が可能。

  
L: スタジオとなっている部屋。  C: 奥にはiBook G3 クラムシェル。  R:

  

  

  

冒冒グラフ

  

 


2026.2.6 (Fri.)

『ロシュフォールの恋人たち』で最も有名な曲「キャラバンの到着」にすっかり脳を焼かれてしまいまして、
サントラCDをわざわざ購入したのだ。が、公式音源は次のシーンの歌まで続いて入っちゃっていて、そこが気に入らない。
それで珍しくYouTubeをあたってみたところ、アレンジされた演奏が複数アップされておりホクホクしていたわけです。
アレンジしたのは宮川彬良先生ということで、父ちゃんも偉大だが息子もさすが。うまく魅力を引き出している。

で、これをiPodにブチ込みたいのである。以前ならばDAW技術(→2013.1.222024.2.16)でなんとかしたのだが、
先代のfutsutama 2ndがスタンドアローン化させた(→2025.3.20)ことで、思うように動かなくなってしまった。
本腰を入れてじっくりとあれこれ検討すれば解決できるのかもしれないが、それをやるだけの「ずく」がない。
そこでネットで検索をかけたところ、YouTubeをm4aファイルにするサイトを発見。世の中、便利なものがどんどん出てくる。
おかげでいい感じのアレンジ曲をローテーションして浮かれております。好きな音楽を好きなときに聴ける喜びよ。


2026.2.5 (Thu.)

『ロバと王女』。ドゥミ監督とルグランのコンビで最も客が入った映画らしい。

最初のうちはアーティスティックな方向に全力の衣装・美術とめちゃくちゃな展開に、わりとドン引きしていた。
しかし空のドレスも月のドレスも太陽のドレスも説得力があって、しだいに納得。着ているドヌーヴがいいのもある。
独自の世界を構築し、徹底してやりきるのは立派なことなのだ。やはり妄想を映像として実現するのは偉大なことなのだ。
そして最後の王様再登場シーンがそれまでの世界観を見事にぶっ壊してくれて、僕の中では勝ち越しなのであった。
実は妖精がちゃんと電池を仕込んであるし、ファンタジーの想像力に制限はない。この無茶もまた大いにアリなのだ。
やってみたいことをやりきる清々しさよ。ロバを被るドヌーヴもまたよろしい。変に面白い映画なのであった。

主演の2人がロシュフォール(→2026.2.1)の続きなので、まあよかったねと。



2026.2.1 (Sun.)

『ロシュフォールの恋人たち』。ジャック=ドゥミ監督と音楽担当ミシェル=ルグランのコンビによるミュージカル。
この3年前には同じコンビで『シェルブールの雨傘』(→2025.9.25)が大ヒットしており、2匹目のドジョウというわけ。
僕からするとシェルブールはクソ映画だったので大いに不安になりつつ観たのだが、今作は……うーん、超ピーキー。

冒頭からジョージ=チャキリスが登場するのだが、姿形がもうあのとき(→2005.4.262025.11.12)のまんまなので、
お兄ちゃんなにシャークス放ったらかしにしてんだよ、ナタリー=ウッドがトニーに取られちゃうよオイ、と気が気でない。
おかげでぜんぜん集中できねえ。音楽も祭りで曲をクロスオーヴァーさせるなど、『Tonight』を意識している感じはある。
さらにはジーン=ケリー御大(→2005.5.162025.3.16)まで登場するが、音楽家にしては体格よすぎでニンともカンとも。
フランス映画のはずなのにアメリカのミュージカル要素がチラついて、最後まで雑念を振り払うことができなかった……。

上で述べたように、この映画はとにかくピーキー。かなり尖っている。まず、なんといってもルグランの音楽が最高だ。
歌よりインストで聴きたい。力強く発音されるフランス語はメロディの良さを打ち消し気味で、その辺はジャズ出身らしさか。
シェルブールも音楽じたいはよかったが、今回は曲がきっちり場面で分けられているので落ち着いて聴くことができる。
ぜひサントラを入手してiPodにブチ込みたい。また、ダンスシーンに合わせてしれっと長回しのカメラワークも実はすごい。
そしてなんといっても最後の最後であの締め方。観客に完全に丸投げなのだが、それもまたオシャレ。素直にまいった。
というわけでこの映画、優れている部分にはかなりの魅力があるのは間違いない。……んだけど、困った部分も多い。

最大の問題は、ヒロインの魅力をまったく出しきれていない点だろう。メイクが悪すぎてどっちも完全におばさん。
カトリーヌ=ドヌーヴとその実の姉・フランソワーズ=ドルレアックが双子の美人姉妹という設定は挑戦的でいいのに、
仕上がりがあまりにも残念すぎる。いちばんかわいいのはどう見てもカフェで働くその妹(だと思う)じゃねえか。
また、登場人物の思考回路もフランス人全開で、絶対にわかりあえない感覚である。感情移入がものすごく難しい。
殺人犯とか変に入れちゃうところも、エスプリを気取るおフランスの悪いところが出ている。よけいなことはやめるザンス!
群像劇っぽく登場人物が錯綜するが、これは見事というよりも単に、ひたすらもったいぶりまくった結果でしかない。
まあその分だけ上述のラストが効果的になっているのでヨシとしておくが。上手くリメイクすればすごいことになりそう。

全体の平均をとると「凡作」という評価になってしまうが、音楽とラストの度胸ある締め方は本当にすばらしい。超ピーキー。


diary 2026.1.

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