diary

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2021.9.18 (Sat.)

一日中おしっこのことばかり考えています……。


2021.9.17 (Fri.)

病院に行ったらやっぱり尿路結石だったニョロ。3mmくらいの石が膀胱直前に引っかかっているニョロ。
しばらくは大量飲水で石が出るのを待つとするニョロ。コーヒー日記漬けの生活を改善しなくちゃいけないニョロ。
そして当初の計画どおり、午後は自宅からオンライン授業だニョロ。やってみるとやっぱり調子が狂ってダメだニョロ。
他人から一方的に見られるのは苦手だニョロ。ユーチューバーとかホントよくやるわ、と呆れてしまうニョロ。

原因がわかったので精神的に楽になったのはいいけど、これ、石が出るまで語尾に「ニョロ」が付くニョロか?
早く「ニョロ」をはずして「ベシ」とか「ピョン」とか言いたいニョロ。


2021.9.16 (Thu.)

腹痛で血尿ということで、職場の皆様は口を揃えて「そりゃ石ですな!」なのであった。
ティコ=ブラーエをイジったバチが当たったのだろう(→2021.4.14)。どこへお参りに行けばよいのやら。


2021.9.15 (Wed.)

先週からの腹痛に加えて人生初の血尿が出る。俺の血尿浴びてろー! 鼻くそ丸めてマンキンタン!


2021.9.14 (Tue.)

授業は1コマだけだったが、廊下でのテストの番とか調査書チェックとか雑務が目白押しで地味に疲れた。
教科を変えて1年目の今年は完全にゼロからのスタートで、しかも専門ではない科目を3つも抱えているので、
授業準備に集中させてほしい……。明日から午前授業ではなくなるので、本当に不安しかない。


2021.9.13 (Mon.)

HEARTY MUSIC CLUB BAND(→2020.10.16)のCDが届いた。コロナの影響もあり作業はかなり難航したそうだが、
無事アルバムが完成してよかったよかった。待たされても完成すればいいのよ。さっそく聴いてみたので感想をば。

1曲目がオリジナル。「Memories Of A Winter Island」ということで、矩形波ファンには強い意志を感じるタイトルだ。
しかし魅力的なメロディが確立されているとは言いがたく、それがループするだけなので、正直かなり残念。
『HOPE』(→2016.10.2)や古川氏の1stソロアルバム『Sound Locomotive』が凄すぎたのでしょうがないが、
やっぱりあの頃の切れ味を求めてしまうんだよなあ。プロフェット深見氏もいるし、今後に期待しましょう。

2曲目以降はゲームミュージックのアレンジ。原曲がよいのでどう料理しても形になるのはさすがだと思う。
まあ結局は昔の名曲をシンプルに再現すればそれで十分なんだよなあ。過去の財産があるのは誇らしいことなのだ。
後半は原曲を知らないアレンジ曲となるが、アレンジということを意識せずともしっかり聴ける曲が揃っている印象。

個人的には、まだアレンジされていない名曲たちをシンプルに料理してどんどん聴かせてくれるといちばんうれしい。
まあそうなると究極的には、自分でアレンジしろよ、という話にはなるのだが。中学・高校時代にはやっていたわけだが。
今の時代にはネットという発表の場もあるし、それも趣味としていいかなあ、という気にさせるアルバムだった。
つまりは久しぶりにこっちのアレンジャーとしてのハートに火をつけうる内容ってことだ。のんびりやってみようかねえ。


2021.9.12 (Sun.)

だいぶ長く週刊ペースで日記を更新しているけど、今週はけっこうつらいでございます。メンタル的にキツかった。
日曜夜の更新になっているのは週末に一気に書き進めるからで、書けるだけ書いて一段落ということなのだ。
どうせ読んでいる人は世界で3人だけなんだからそんなに必死にならなくてもいいんだがね、自分へのケジメもあるので。
また、この日記は自分が賢くなるための手段でもあるので。まあそうやって自分を追い込んでいたのかもしれないが。
もし日記がなかったら空虚に思える自分の生活に問題がありそうね。日記がメインになってちゃいけないんだけどね。


2021.9.11 (Sat.)

アメリカの同時多発テロ(→2001.9.112001.9.122008.5.10)から20年が経った。
アフガニスタンから米軍が撤退してタリバンが政権を発足させようという中での20年目。
20年が経ったけど、「テロとの戦い」という事態はまったく解決されていない。むしろ世界は混迷の中にある。

「世界線」というオタク用語があって、僕はあまり好きではないのだが、9.11テロや東日本大震災を考えると、
正直かなりしっくりくるものがある。あの日に入った「世界線」から、われわれは抜け出せていないのだ。
それどころか、ポイントは次々に悪い方へ悪い方へと分岐しながら時代が下っている、そんな感触すらある。
われわれは事象に対してその都度、判断を迫られる。そしてその判断の影響を大きく受けながら次の事象を迎える。
しかし本当に重要なのは、事象が目の前に現れる前にあるのではないか。平時における因果に対する嗅覚と危機感、
「このままではああなってしまう」という予測こそが大事なのではないか、そう思える。現在ばかり相手にして、
過去に学ぶことを疎かにし続けているのではないか。失敗した過去は軽視され、よけいに感情による判断がまかり通る。
事象がまだ地下に潜んでいる段階で、その危険性を見抜く目が必要なのだ。小さな「世界線」を感じるセンス、
そしてその「世界線」のつながる先を読むセンスが問われているというわけだ。表面だけ見て騒いでいては愚かなのだ。


2021.9.10 (Fri.)

ここんとこ精神的に非常に弱っているのは事実である。マクロでは、将来へのぼんやりとした不安がやはり大きい。
どこをどうとってもポジティヴな結論に至らないのである。幸せとは何か、というたいへん哲学的な疑問を感じるが、
今の自分には正直よくわからない。家族がいれば違うのかもしれないが、違わなかったときは絶望である。

ミクロでは、今の生活に対する不満と閉塞感。自分の得意でない授業の準備でつねに追われている感じがかなわない。
しかも生徒が真面目なので、かえって「これでいいのか」と不安になっている。まあもし生徒が真面目じゃなかったら、
それはそれで不満爆発となるのだが。つまりは八方塞がり。他人には言えない妬みや嫉みだってあるしね。
天気もずっと悪いままで鬱屈とする日々が続き、だいぶごまかしきれない状況になってきている。

バカバカしいことをしたいなあと思う。くだらないことをして、もちろんちゃんとしたことでもいいんだけど、
「ああこれは面白いなあ」という感情を対等に共有する経験が足りないように思う。自分の学生時代を振り返ると、
本当にそのことだけを求めていたような気がする。でも気づけば年々、そのチャンスがなくなっているのだ。
同僚や生徒にブラックジョークを吐いたり(→2019.10.15)、職員会議で耳に洗濯バサミを挟んだり(→2019.12.18)、
去年までは多少なりともバカバカしいことを確保はできていた。でも今年に入って本当にそれがなくなった。
コロナによる閉塞感もけっこう大きい。旅行も封じられて(旅先の日常が変化しているので行く意味がないのだ)、
ストレス解消の手段、イヤなことをとりあえず忘れるだけの手段が現状まったく見つからないのである。

昨日の腹痛をきっかけに問題を掘り下げて言語化してみるが、その果てしなさに眩暈がしてくる。こりゃまずいね。


2021.9.9 (Thu.)

急な腹痛でぶっ倒れる。12年前の大腸炎のこともあるので神経質にならざるをえず、午後に医者へ行かせてもらう。
血液検査とレントゲンの結果は異常なし。しかし大腸には張りがあると感じる。いちおう薬をもらって帰宅する。

いろいろ考えたのだが、急に腹痛が来るのはストレスが要因ではなかろうか。僕の場合、胃ではなく大腸が痙攣する。
だからしばらく安静にしていると、それまでの痛みが嘘だったように落ち着くのだ。この状況は、そう解釈できる。
本当にそうかどうかはわからないが、とりあえず原因をそういうことにして対策を考える。それで様子をみればいい。


2021.9.8 (Wed.)

自民党総裁選のニュースを見ていると、日本人の底の浅さを突き付けられている気分になってイヤになる。
尺(時間)を言い訳にイメージ優先で報道するマスコミと、そのマスコミに対してイメージだけで批判する大衆と。
元来マスコミは多方面を相手にしているから支離滅裂なのである。話半分なのである。それがわからない軽薄さ。
確実に言えることは、現代は自分好みのニュースに囲まれる時代なので分断が進んでいる。そしてそれはよろしくない。
ならば、自分にとって気に入らない情報もニュースソースも込みで、できるだけ量に当たるしかないのだ。
都合の悪い情報を相手にしたとき、無視して逃げるのではなく、それを乗り越えるだけの材料を集めなければならない。
そこを楽してサボろうとするから知性が劣化するのだ。ゼロサムゲームで物を考えるから正解が出てこないのだ。
せめて自分が不完全であることを自覚している、自分の欠点を自覚できる人間でありたい。謙虚でありたい。
そういう精神があれば、イメージで縛られることのない、バランスのよい判断力が身に付いたオトナになれるだろう。
支持する候補/政党の美点は話半分で、嫌いな候補/政党の欠点も話半分で、多くの根拠をもとに判断できるといい。
いい意味でも悪い意味でも「裏切られる」備えをしておくこと。それだけの余裕が必要なんじゃないですかね。


2021.9.7 (Tue.)

自分が入っている学年では会計を担当しております。「金の計算ができない一橋の人」に会計をやらせるなよ、
なんて思っちゃいるのだが、これぐらいやらないと申し訳ない状況なのも事実なので、我慢しております。

本来なら夏休み中にやっておくべき確認作業ができなかったので、今日は先人にいろいろ聞いて作業を進めた。
今までまったくわからなかった目的「なぜこれをやるのか?」と、手段「どうやってこれをやるのか?」がわかり、
一気に進めることができたのであった。というか、今までその初歩的な部分を放っておいたことにあらためてびっくりだ。

今年度から職場が変わって、この目的と手段の問題が僕の中で消化しきれていないことが非常に多い。
周りのみなさんは「自明の理」として動いているが、目的と手段が十分に整理されていない印象があるのだ。
おかげで非効率になっていることに気づけていないのではないか、と思う。思うだけで断言できるほどではないけどね。
まあ、今年一年は我慢である。慣れなくちゃいけないことが多すぎて。せめて授業準備を優先して集中させてほしいが。


2021.9.6 (Mon.)

DIMENSIONのベスト盤を聴いてみたのだが、見事に★3つの曲ばかり。悪くないけど、特別良くもない曲のオンパレード。
(僕のiPodでの基準は「★…嫌い」「★★…ふつう、あってもなくてもよい」「★★★…悪くない、まあ良い」
 「★★★★…良い」「★★★★★…すばらしい、びゅくびゅくしちゃうわ!」といった感じである。)
インプロヴィゼーションで気になるフレーズがあるなど断片的にはいいが、1曲が無駄に長く構成がまるでなっていない。
きちんとしたメロディを生み出し、それを主体に曲をまとめることがそんなに難しいものなのか?と思ってしまう。
あと、使われている楽器がサックスばかりで、連続で聴いていると本当に飽きる。リリコンだったり生楽器だったり、
スクェアの多様性が逆説的にわかる感じ。メロディが弱く楽器が同じなので、曲ごとの色の変化も非常に乏しい。
フュージョンということで何かのBGMで一部分だけ使うにはいいが、曲としてきっちり聴くとまるで大したことがない。
すべてにおいて単調なのである。それなのに大量のアルバムを出せているのがすごいなあと思う。みんなよく飽きないな。


2021.9.5 (Sun.)

猪ノ谷言葉『ランウェイで笑って』。ワカメのオススメリストにあり(→2018.6.6)、完結したので読んだぜ。
結論から言うと凄まじく面白くて僕は好き。そのうえで、社会学的な観点からこの作品の意義を考えてみることにする。

天才ばっかりだなこのマンガ、というのが最初の感想。どのキャラクターも天才的な才能があるから成り立つ話だ。
まあでもそれはしょうがないことなのだ。モデルにしろデザインにしろ、ごまかしのきかない生まれついての天性のもの、
それが最も剥き出しになる世界だから。持たざる者は土俵に上がることが許されない世界だから。美とは残酷なのだ。
身体で金を稼ぐことについては以前書いた(→2013.3.20)。理想の身体を不特定多数に所有させる究極形がモデルである。
またデザインを生み出す能力は努力が介在する余地が確かにあるものの、結局は個人の感性に頼る面が大きい。
客観的な数字ではなく主観的な「好き/嫌い」で判断される世界が、ファッションという舞台において交差する。
生物として最も根源的な身体性に創造性を加えた、実に度胸あるマンガである。当然、天才でなければ話が始まらない。
でも冷静に考えれば、「血筋」で勝利が約束されたバトル物の少年マンガも、構造としては変わらないのである。
戦いの舞台に立つか、ガヤで終わるか。このマンガではそれがモデル/クリエイターと消費者の絶対的な壁として現れる。
モデル/クリエイターに努力の要素がゼロではないとはいえ、比率として薄い点は、現代のなろう的チートを感じさせる。
客観的な数字ではなく主観的な「好き/嫌い」で判断される世界、と書いた。実はこのマンガ、それを可視化している。
『キン肉マン』の超人パワー、『ドラゴンボール』の戦闘力(スカウターのやつね)、『幽☆遊☆白書』妖力値とランク、
これらに対応する位置付けとなっているのが、フォロワー数である。東京ガールズコレクションに登場するモデルたちは、
インスタフォロワー数とともに紹介されている。ここは社会学的に非常に興味深い。「いいね」の数は直接的な力となる。
まるで元気玉のようなものである。だからバズることが何より重要、となるわけだ。育人にしても千雪にしても、
この数字の力に押されてトップにのし上がる。この点において、『ランウェイで笑って』は明らかに少年マンガである。

『ランウェイで笑って』が少年マンガなのか少女マンガなのか、という議論は、非常に有意義なものであると考える。
作中において時代の潮流がユニセックスに向かっている、と示すと同時に、作品じたいもユニセックスを模索している。
結果、逆説的に少年マンガ性と少女マンガ性、それぞれの要素を問い直して再構築した作品となっているのだ。
少年マンガ性については上で述べたほかにも、師匠である柳田の存在と彼を通して業界のイロハを読者にも教える巧みさ、
主人公の先を行く天才でライヴァルである綾野遠の存在、適材適所のチームを組んで最終決戦に向かう展開も指摘できる。
このように基本的なストーリーは少年マンガの要素が大きい。ところが6巻辺りから少女マンガの文法が多用されていき、
ギャグの要素も変質するようになる(主要キャラクターによるギャグが消え、カルロスらトリックスターへ移行する)。
具体的には、アニメ用語での「止め絵」の使い方の変化、これが大きい。それまでにも「止め絵」的演出はあったが、
あくまで主体は情景描写に置かれていた。つまり客観的なワンシーンだ。しかし6巻以降の「止め絵」的演出は、
心情メインに切り替わっている。つまりキャラクターの主観的な衝撃の描写だ。驚いた表情がジャブのように多く描かれ、
その極大表現として「止め絵」的演出が使われるように変化する。端的に言えば、言う顔か言われる顔か、ということだ。
少年マンガ的「言う顔(=客観的ワンシーン)」から、少女マンガ的「言われる顔(=主観的な衝撃)」へ。
また、バトルもわかりづらくなる。少年マンガはひとつのバトルをきっちり終えてから次のバトルに進む傾向がある。
まるでゲームのステージをクリアするように段階を踏む。しかし6巻では母の健康問題と資金面という大ピンチが発生、
そこから千雪と心が組んで敵/味方の関係性が急変する。感情が主体となって、複数のバトルが並行する状態となるのだ。
それまでのすっきりした構図からするとかなり異質な展開で、この辺りから少女マンガの文法が優位に立ったと考える。
キャラクターの構造としては、ストイックさゆえに育人以外の可能性が排除されている一途なヒロインは少年マンガ的で、
千雪だけのための服をつくるという究極の奉仕つまり私(ヒロイン)のために全力を尽くす男性は少女マンガ的である。
しかもこれがゴールでありながらスタート地点でもある。両方の文脈で読める点は、まさにユニセックスと言えよう。
第1話で「これは君の物語」、第2話で「これは僕の物語」 としているのは少年誌(マガジン)での連載だったからか。
最終話で「これは2人の物語」としておいて特定しないラストも気になるところだが、議論の余地をあえて残したか。
(個人的には22巻の最後のショーは、『あしたのジョー』におけるホセ・メンドーサ戦みたいに思える。→2011.10.14

時代についていけない僕でも、この作品が2020年代の流れに上手く乗っている作品であることはわかる。
理想の身体を乗り越える私、私のために服がつくられる、そういった点は非常に個人主義的だ。絶対的な個の肯定。
(もっとも、現代社会ではそれが「自分が正しい」となって周囲への配慮がなくなる弊害が目立っているわけだが。)
「バズる」ことの重要性も事実だろう。情報共有が新たな段階に入ったことがすでに前提となった世代のマンガである。
ファッションがテーマであるだけに、実に敏感に最新形を押さえている。現代のスピード感に対応した作品である。
しかしそのスピード感が展開の異様な速さにつながっているようにも思う。成り上がりのスピードが速すぎる。
「フィクションだから」「天才だから」で不問に付されているものの、やはりここには不自然さを感じざるをえない。
逆を言えば、結論を急ぐ現代社会、過程(成長)よりも結果(成功)を求める現代社会の縮図なのかもしれないが。
いい人だった森山さんが消えてしまうのが残念だが、このスピードについていくだけの力がなかったのでしょうがない。
猛スピードのジェットコースターに振り落とされない運と才能を持つ者だけが成功できる、まさに現代社会を見るようだ。
先月、僕は国立新美術館の『ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会』を見に行き、1970年代以降について、
ボロクソに書いた(→2021.8.12)。そして『ランウェイで笑って』を読み、それはモードへの無理解だったと知った。
(建築とモードの共通点は、デザインにあたって根拠、エクスキューズを必要とする点にある(→2007.1.23)。
 しかしモードは消費のサイクルが速く、ショーなどをやりまくって常識という地平から離陸してしまった世界なのだ。)
なるほど、『ランウェイで笑って』の異様な展開の速さは、つねに未来へと急いでいるモードの速さと一緒なのだ。
その展開の速さは、若さも価値であるモデルの歩調にデザイナーを合わせるマンガの構造からして仕方ない点でもあるが、
(つまり千雪の年齢が上がりきってしまう前に育人がパリに到達しなければならないという時間的な制約があるのだ)
このマンガがモードであることによって必然的に求められる要素でもある。本質的に、停滞している暇なんてないのだ。
個人的に、いちばん好きなのは8巻の長谷川心のショーなのだ。これ本当に巧くて、千雪の絶対性をきちんと描きつつ、
論理的に納得できる手法で魅力ある作品群を提示し、さらに最強のモデルでもある長谷川心の強さを出したうえで、
めちゃくちゃきれいに締めている。正直、この後の綾野遠よりいいと思うのだが、確かにモードではないのである。
で、好みはともかく、綾野遠はモードなのである。作品として最高の演出よりモードを勝たせる価値観が徹底している。
これは、しょうがない。だって、もしモードが勝たなかったら作品の舞台であるファッション業界を否定してしまうから。
そこをドライにやりきる姿勢、現代社会の最先端に乗り切ったところが偉大だと思う。うまいタイミングで完結したな。

都村育人から2020年代の理想の男子主人公像を読むことは可能だろうか。彼がおかっぱであることの意味は。
ユニセックスな印象は当然として、童子的美少年性ということか。とにかく優しい。しかし芯は強く、才能の塊である。
少なくとも従来のマッチョ的価値観は否定されている。内面的な魅力が重視されている方向性は間違いあるまい。
少年マンガにおける美形ライヴァルは定番であり、綾野遠はその文脈で読んで差し支えなかろう。もっともかつてならば、
熱血系主人公との対比ということで設定されたはずで、物語の舞台が舞台なので結果的に定番になった気もするが。
「才能ある者が持たざる者に対していい人でいられるかどうか問題」から考えると、この2人の対応はなかなか面白い。
従来のマンガでは、だいたいここで持たざる者を虐げて悪役をつくるが、綾野遠は絶対的なのでそもそもそうならない。
結果、(多少危なっかしい点もあるが)悪役でなくてライヴァル、という位置を完徹する。長谷川心を育てている点から、
むしろ立場的には柳田に近いものがある。育人の影響を受けつつ才能を引き上げる側に立つライヴァルで、多面的だ。
そして主人公の育人もまた絶対的なので、個別に報われてほしいと達観する立場にある。自己責任論に近いのである。
佐久間を中心に良さを引き出していると言えなくもないが、基本的には受け身。他者への貢献は作品を通して行う。
他人に支えられていることを感謝しつつも、自分のやりたいことだけで貢献するというズルさは現代的かもしれない。
あと単純にズルさでいったら、花丘の女性恐怖症という設定もズルい。これで育人くんのハーレムが完成しますので。
たぶん作者は花丘を気に入りすぎて、SOS団における古泉的なバランスで花丘を育人のチームに入れとるね(→2010.3.2)。

全力で真面目に書いて疲れたので、最後に最低なことを書いて終わります。
ツンデレ超絶美少女と長身の超絶スタイル美女と巨乳のゆるふわお姉さんにぐちゃぐちゃにされる薄い本ないですかね?


2021.9.4 (Sat.)

政局ですなー。

なぜ今になって急に騒ぐのか。今までだっていくらでも手を打つチャンスがあったはずのに、
自民党はなぜ今になってお祭り騒ぎなのか。有権者たちはそこをきちんと見抜くべきだと思うわけです。
今そして将来の日本のことを考えず、自分たちの権力の延命しか考えていない。昨日はそれが露骨に出た一日だった。
(こんな妄想(→2021.8.25)を書いたけど、見事にはずれましたね。すいません。やはり下野は恐ろしいんだなあ。

本当に急に動き出したけど、イメージだけで判断してしまう人がまたいっぱい出てしまうんだろうなあ。
エセ保守が神輿に担ごうとしているやつをちゃんと見抜かないといかんぞ。上っ面に騙されるんじゃないぞ。
面倒くさがらずにいろんな情報源を駆使して、まともな人を探すことが大事。いなけりゃ次善の候補を探すまで。
どうしてもダメなら自分が立候補。まあそれを気軽にできないところに日本が腐っている原因があるんですけどね。


2021.9.3 (Fri.)

成績処理で怒涛の忙しさである。ウチは単位制だから授業の量が多くて関係者も多く、異様に複雑になっている。
区立の中学校に比べて県立の高校はいかにもお役所的な手続きが多く、半ばキレ気味になって久しい。我慢しているが。
専門である地理を教える機会はまったくないし、恣意的な教育に巻き込まれているし(→2021.8.4)、正直ウンザリ。
中学もヤダ、高校もヤダとなると、もう大学の先生しかないですな。はっはっは。


2021.9.2 (Thu.)

前期の成績をつけるけど、これまで慣れてきた中学のやり方と高校のやり方との違いに大混乱。
「文化の違い」が思った以上に大きくて、ベースとなる常識の違いに愕然としつつ根性で対応する。
まあここで苦しんでおけば、今後思わぬギャップにつまずいて大問題、ということもないので、前向きにがんばる。

オンライン授業にも四苦八苦している。学年が違うとアカウントが違うケースがあり、一手間かかるのだ。
もともと勝手がわからないうえによけいな複雑さが付け加えられて泣きたい。授業に集中させてくれよ、頼むから。


2021.9.1 (Wed.)

本日から分散登校である。1/3が登校して、あとはオンライン。プリントを配るのが大変。


diary 2021.8.

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