diary

past log


2024.7.10 (Wed.)

『響け!ユーフォニアム3』。今までさんざん「気持ち悪い」と言ってきて、どうせ気持ち悪いんだけど、意地で見た。
今回はやたら雰囲気のエロい転校生が登場。性的な匂いのない久美子との対比ということだろうか。エロいのう。
(参考までに、今までのシリーズのレヴューはこちら。→2016.4.222021.3.172023.8.21

世間では原作ラノベ(小説?)とまったく異なる展開になったことが話題を呼んだようだが、正直どうでもいい。
とりあえずアニメに絞って感想を書くが、ただただ気持ち悪い、その一言である。吹奏楽部特有の閉塞感に加え、
問題発生→解決のプロセスがたいへん独りよがりで、問題が降りかかる側にも解決する側にもまったく共感できない。
何から何までご都合主義にしか見えない。そのご都合主義の先に「感動させよう」という安い狙いが透けて見えて最悪だ。
なお、この展開でソロを転校生が吹くのはどう考えてもアホとしか言いようがない。制作陣は笑えるほど無能である。

今回は金賞を取りたい!ということで噛み合わない部分が描かれるが、まずその金賞を目指す努力が十分に描かれておらず、
各キャラクターにおける金賞の重みがわからない。それでいて、変な人間関係のトラブルと、なんとなくの解決のみを描く。
結局、人間関係のアヤが尺を稼ぐ道具でしかなくなっているのだ。それは本来描くべきキャラクターの成長とは無関係の、
ねじれの位置にある。成長を描くのが目的になっておらず、人間関係の問題発生→解決だけで自動的に時間が過ぎていき、
知らないうちに金賞を取れるだけの力がついている。こんなもののどこに感動できるというのか。理解ができないし、
理解したくもない。そりゃ確かに絵はきれいだが、それで思考停止している人間の多さに絶望的な気分になってしまう。
終わり方もまたハァ?という感じ。キャラクターのその後はさらっとナレーション、そこがあっさりとか、ありえない。
結局は吹奏楽部特有の閉塞感を肯定するだけのアニメなのであった。最後まで気持ち悪く終わって実に見事ですね。



2024.7.7 (Sun.)

北海道旅行もついに最終日である。朝6時、温泉の露天風呂に浸かった時点では雨は降っていなかったが、
朝食をいただいている間に地面が濡れていた。とりあえず今日は朝のうちに士別市役所を押さえておいて、
特急を乗り継いで一気に旭川から札幌へと向かう。それで札幌市北西部の神社の御守を頂戴しようという計画だ。
夕方16時からは、なんとエスコンのスタジアムツアーに参加する。どうせ雨なら屋内で動こうと考えた結果なのだ。
しかしながら、最初にいきなり雨となるとどうにもならない。雨雲レーダーでは雨がやむという予測なので、信じて動く。

8時に宿を出る。雨なら雨で、士別市役所でやむタイミングを待とうと考えたのだが、だんだんとおさまっていく感じ。
これなら市役所に着いたときには雨粒のない状態で写真が撮れるんじゃないか。早く決着をつけられればそれでいいのだ。
そうして歩くこと20分ほどで士別市役所に到着である。5年前には雪だらけだったけど青空で(→2019.2.23)、
湿っぽい今日のコンディションとどちらがマシなのかは微妙な感じだ。でもまあ、雨はやんでいるのでヨシとしよう。

  
L: 士別市役所。敷地入口には「士別市廰」の銘板がはめ込まれた縁石がある。冬には雪に埋もれていたなあ。
C: 士別市役所の新庁舎。向かって右側(西)は消防エリア。  R: 東が事務棟となっており、ずいぶんコンパクトだ。

士別市役所の敷地入口にはど真ん中に「士別市廰」という銘板がはめ込まれた縁石が置いてあり、風格を感じさせる。
しかし旧庁舎時代から横向きの位置関係となっており、これは先々代の士別市役所が建てられたときのものかもしれない。
新しい庁舎は、第2庁舎となった旧庁舎と向かい合うように建てられていて、これでやっとバランスがとれた印象である。

  
L: エントランス。向かって右のガラス部分が事務棟と消防署を分けるスペースで、市民テラスとなっている。
C: 北東から全体を眺める。旧庁舎と白黒の対比になっているのが面白い。  R: 東側の側面も実にシンプル。

士別市役所新庁舎は2020年の竣工で、基本設計を久米設計札幌支社、実施設計を清水建設北海道支店が担当している。
その辺の詳しい経緯については、5年前のログである程度追いかけているので、そちらを参照されたし(→2019.2.23)。
(今でも士別市は、公式サイト上に設計変更前と変更後を比較した図面データをPDFで残しているのがたいへん偉い。)
旧庁舎をほとんど残しているためか、非常にコンパクトな仕上がりである。しかも西側が消防署となっているので、
実際には昭和の町役場くらいのスケール感である。内部も1階は窓口、2階は市長室と災害対応、3階が議会という具合に、
各フロアで役割を完結させているのが特徴とのこと。士別市の人口は16,000人という規模なので可能なのかもしれないが。

  
L: 南東の空き地から背面全体を眺める。実に落ち着いた配色だ。  C: 反対側から見た事務棟背面。手前が市民テラス。
R: 左を向いて消防エリア。敷地の南西端には鉄塔があり、消防の訓練塔として活用されているとのこと。

  
L: 南西から全体を見たところ。  C: 西側の側面。消防署ですな。  R: 北西から。これにて新庁舎の一周を完了。

  
L: エントランス脇にある郵便ポスト。各種羊のイラストが貼り付いている。羊の足跡まで付いている。
C: 市民テラスの中を覗き込む。これは正面、北側から見たところ。  R: 南側から覗き込んだところ。

せっかくなので第2庁舎となった旧庁舎も撮っておくか、とデジカメを構えるが、なんとなく違和感。
前はもうちょっと堂々とした感じがあったと思うが、なんだか変に親しみやすくなっている気がする。
それで手元のスマホで過去ログを確認してびっくり。西側(手前)にあった4階建ての高層棟が消えているではないか。
統一されたデザインでつくられていたので記憶がごっちゃになっていたが、低層棟と大ホールだけが残っているのだ。
つまり、高層棟は1965年の増築だったので(→2019.2.23)、1964年に旧庁舎が竣工した当時の姿に戻ったというわけ。
だから旧本庁舎の高層棟の代わりとして、そのまま新庁舎を建てたということになる。これまた珍しいパターンだ。
新庁舎の設計変更といい、士別市はややこしいことをやるのが好きなんだなあと思う。こだわりと言えばこだわりだが。

  
L: 士別市役所第2庁舎。実態としては、1964年に旧庁舎が竣工した当時の建物がそのまま改修されて残ったというわけ。
C: 角度を変えて眺める。向かって左が低層棟、右が市民会館として建てられた大ホール。どちらも端正なモダニズムで好き。
R: 低層棟をクローズアップ。5年前には単なるつなぎにしか思えなかったが、こちらが元祖の士別市役所だったのだ。

  
L: 大ホールをクローズアップ。  C: 正面から。  R: 東隣の市民文化センターとセットで眺める(もともとセットだが)。

  
L: 市民文化センター。1996年に市民会館だった大ホールに増築して建てられた。しかし本当にややこしい経緯である。
C: 北東から眺める市民文化センターの側面と背面。  R: 大ホールの背面。こうして見ると確かに「大」ホールだ。

  
L: 低層棟の背面。モダニズムだ。  C: 北西から旧庁舎全体を眺める。  R: 西から見た側面。一周完了、お疲れ様でした。

というわけで、旧庁舎が建てられた経緯も、市民文化センターが増築された経緯も、新庁舎が設計変更した経緯も、
もう何から何までややこしい士別市役所なのであった。しかし白を基調する第2庁舎と黒を基調とする新庁舎の対比は、
なかなか印象的で面白い。もしかしたらこの白と黒の組み合わせはサフォーク種を意識しているのか?と、ふと思った。
まあさすがにそれは意味を深読みしすぎだろうが、時代の価値観を反映した建築がしっかりと残るのはうれしいことだ。

 道道を挟んで西の士別市総合体育館ではイヴェントを開催中。天気悪くて大変ね。

納得いくまで写真を撮ることができたので、天気のわりにはすっきりした気分で駅まで歩いていく。
士別の街は相変わらず全力でのサフォーク推しで、そんなに推すならさすがに一度は食ってみたいなあと思う。
しかし日本で最も多く飼育されている品種ではあるものの、羊の絶対数が少ないため、かなりの高級品となっている。
士別市内でもそんなに簡単には食えないらしい。いつかサフォーク種のジンギスカンを食えますように。

  
L: 国道40号のサフォーク推しっぷりをご覧あれ。  C: まずはデカい看板。  R: ビルにも「株式会社サフォーク」の看板。

  
L: マンホールにもサフォークランド。  C: 駅へ向かう途中にもサフォークランド。そんなにPRするなら食わせてくれよ……。
R: 図書館などが入る生涯学習情報センター・いぶき。真ん中にでっかく貼ってあるのはもちろんサフォーク種のイラスト。

そんな具合に駅に着くまでの間にすっかり刷り込み効果が発揮されてしまったわけだが(本当に常軌を逸した密度なのだ)、
士別の街路じたいもやっぱり広くてなかなか特徴的。スカスカ空間にみっちりサフォークで、そりゃサブリミナルですわ。

  
L,C: 士別駅へと向かう道道297号。やたらめったら空間的余裕がある。  R: やっとこさ士別駅に到着。

稚内発旭川行きの特急に間に合うように士別駅に着いたはいいが、なんと鹿と衝突して18分遅れとのこと。
こないだの只見線では枕木が焼けたし(→2024.5.26)、今年はいろいろトラブル続きだなあとションボリ。
まあ北海道で鹿と衝突は日常茶飯事か。結局遅れは20分以上に拡大してしまい、予定していた乗り換えが不可能に。
とりあえず旭川からの札幌行きは、次の特急列車とする。正直かなり無茶なスケジュールで神社めぐりを考えていたが、
天気も天気だしここは余裕を持って対象を絞ることにした。アクセスするのが面倒くさい、西野神社に行ってみるのだ。

特急列車に揺られている間、ぼーっと車窓の景色を眺めながらいろいろ考える。テーマはこれまでの自分の態度だ。
昨日の旭川から士別までのバスの続きで、今の自分の置かれた状況をじっくりと見つめ直す。とにもかくにも、まず認めよ。
そして自分の選んできた選択肢に対する責任をあらためて噛み締める。やってきたこと、やらないで済ませてきたこと。
さらにはおとといの潤平とのやりとりを踏まえつつ、今の自分の立場について論理的帰結を振り返る。当然のことなのだと。
否定など意味をなさない。ただただ肯定していくしかない。それで初めてスタート地点に立つ資格があるってものなのだ。
そういえば、2年生の国語のテストでは、中島敦の『山月記』が出題されていた。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。
李徴と袁傪、愚兄と賢弟。今の自分は虎にすらなることができていない。なる覚悟すらない。まだ始まってもいない。
天気がよければ青空にあてられて、落ち着きなく次の目的地に思いを馳せてばかりになる。この蝦夷梅雨の無彩色の空は、
じっくり腰を据えて物事を考える時間を与えてくれる。たまには素直に乗っかって、自己を省みようではないか──。

札幌駅に到着すると、函館本線に乗り換えて琴似駅で下車。本当はもっと西まで行きたかったのだが、しょうがない。
荷物をコインロッカーに預け、本屋で少し時間調整してからバスに乗り込む。山の方へと揺られること、30分弱。

 予定を変更して琴似駅で下車。ま、これもご縁ということで。

平和1条3丁目というバス停で下車すると、そこがもう西野神社である。事前の調査では御守がいっぱいとのことで、
期待に胸を膨らませつつ境内に入る。境内は緑の密度が高いが、実際にはけっこうコンパクトではないかと感じる。
そして拝殿の前に立ったら改修工事の真っ最中でがっくり。参拝は脇の儀式殿でどうぞ、ということで二礼二拍手一礼。
なお、世間的に西野神社は福山雅治が参拝に来たことで人気なんだと。参拝客のおばちゃんが自慢げに言ってた。
私ゃ福山のどこがいいのかサッパリわからんのでなんとも。オレん中では人気の理由がわからない芸能人No.1です。

  
L: 西野神社。琴似発寒川を渡って坂を上ったところにあり、 境内は広いようでだいぶコンパクトな印象。
C: 参道を行く。管理されている緑の密度が高い。社殿は絶賛改修工事中。  R: 儀式殿。2019年竣工で新しい。

ではいよいよ待望の御守タイムである。これまで訪れた異様な数の御守を用意している神社というと、
まず日本第一熊野神社、そして沖田神社(→2022.3.26)。あとは琴崎八幡宮もかなりのものだった(→2016.4.4)。
それと比べると御守コーナーがひとつの建物に収まってしまうのはまだまだだが(冷静に考えるとおかしい表現だ)、
一般の人から見れば呆れるほど大量に御守が用意されているのは確かである。多種多様な願いごとに対応というよりは、
身体健全や部活の御守、キャラクター御守など、それぞれのジャンルの中で多くの種類を用意している感じである。
そういう意味では単純にネタ的に大量の御守を置いているというよりは、細かな需要に応えようという印象がする。

  
L: 西野神社の授与所。窓の開いているところはぜんぶ御守が並んでいるのだ。  C: 近づくとこんな具合。
R: 一例として、身体健全の御守(上段)。「足腰病」「目耳鼻病」「首肩病」「糖尿病」などで色分けされている。

  
L: 各スポーツ種目に応じた御守(中段)。  C: おみくじは自動販売機なのであった。  R: 本殿方面を眺める。

帰りのバスはJR琴似駅まで行かないので、ちょうどいいやと西区役所前で下車する。琴似神社にも参拝するのだ。
1875(明治8)年、最初の屯田兵が琴似に入植する(ちなみに最後の屯田兵は1899(明治32)年の士別と剣淵)。
旧亘理藩の人が多かったようで、藩祖の伊達成実を武早智雄神として祀って創建された。そのような経緯もあってか、
境内には琴似屯田兵屋が保存されている。まずはとりあえずふつうに参拝したのだが、拝殿付近がちょっと独特。
正面に植栽と高い木があり、左右からまわり込むことになる。また、境内社も回廊の左右で対称に配置されていて、
上から見れば「♀」という形に石畳が整備されている。どういうこだわりでこうなったのか、少し気になる。

  
L: 琴似神社。琴似のメインストリートである道道276号に面している。中心市街地の南端にどっしり構えている感じ。
C: 参道を行く。開拓された街の神社にしても、かなり規模が大きい。  R: 神門。これまた堂々たる造り。

  
L: 拝殿。琴似神社は境内社の社殿の配置が独特で、神門と拝殿、報徳神社と御門山琴似天満宮で十字型になっている。
C: 拝殿向かって右にある報徳神社は改修工事中だった。  R: 拝殿向かって左には御門山琴似天満宮。

  
L: 後で琴似屯田兵屋の方から覗き込んだ本殿。  C: 回廊の端にある授与所。風情がありますね。
R: 境内には劇団の公演テントがあった。花園神社の紅テント(→2017.6.5)みたいなことやっとるのね。

さて、単純に参拝したところ、琴似屯田兵屋がどこにあるのかわからない。境内をローラー作戦で動いたら、
本殿の脇という隅っこオヴ隅っこの位置にあった。かなりひっそりと佇んでおり、貴重な文化財なのにもったいない。
この建物は1875(明治8)年の入植時に支給されたものなので、まさに歴史の証人だ(後期のものはこちら →2013.7.14)。
残念ながら老朽化によって内部に入ることはできなくなっている。できることならもっと広くて目立つ場所に移築して、
改修して内部見学可能にしてほしい気もするが、琴似の精神的支柱と言える場所に残っているから意味があるのも確かだ。

  
L: 琴似屯田兵屋。本殿脇でだいぶ場所に余裕がない。  C: 側面。  R: 裏側。やはり撮影するのが苦しい。

 琴似神社の斜向かいにある西区役所。まあ南区の方が西を占めているんですけど。

帰りはJR琴似駅まで歩く。琴似の中心市街地は、北のJR駅と南の地下鉄駅の間に発達している。
歩いていて、なんとも懐かしい感覚になる。南からだとゆったりとした下り坂となっているのだが、
まっすぐで緩やかな坂に商店が並ぶ様子が、かつての飯田の中央通りにかなり似た雰囲気だったからだ。
今の中央通りはだいぶ寂れてしまったが、僕が飯田で暮らしていた頃の元気な中央通り、そこに戻ってきた気がした。
これはおそらく僕だけではなくて、全国の地方都市出身者が似たような感想を持つのではないかと思う。
もはや失われて久しい「駅前商店街の記憶」、それが琴似にはあった。これだけで観光客を呼べるんじゃないか。

  
L: 道道276号、地下鉄琴似駅付近の交差点。  C: JR駅へ向かって歩いていく。  R: 途中で地下鉄駅方向を振り返る。

重い荷物を回収して快速エアポートに乗り込む。札幌をスルーして、そのまま北広島まで行ってしまう。
冒頭で書いたとおり、本日のラストはエスコンのスタジアムツアーなのだ。運よくバスがあり、一気にエスコン入口へ。
試合のない日でもエスコンは営業中で、自由に中に入ることができる。TOWER 11は通年営業、七つ星横丁は土日営業。

  
L: あらためてエスコンこんにちは。お久しぶりです。  C: 中に入ってあらためて三塁側の大空間を眺める。
R: 三塁側にあるファイターズフラッグシップストア。これ以外にも球場内に4箇所のオフィシャルストアがある。

16時が近づいてきたので、集合場所の三塁側コンコースへ。プレミアムツアーとベーシックツアーの2コースがあるが、
どちらもファイターズガールのおねえさんが案内してくれる。僕はファイターズの熱烈なファンというわけでもないので、
おとなしくベーシックを選択するのであった。最終枠だったけど、15人くらいいたかなあ。プレミアムの方が多かった。
案内してくれたのは「はっち」こと初田さん。公式サイトの写真とだいぶ雰囲気が違うが僕は実物のほうがいいです。
というか、ファイターズガールの皆さんの写真、もっと写りを良くしてあげてくださいよ。逆パネマジだよ!

そんな心の叫びはさておき、ツアーが始まった。最初はバックネット側のダイヤモンドクラブシートの紹介から。
お席のフカフカ感からして違いますよと。ラウンジで飲み物もらい放題ですよと。なるほど販促を兼ねているわけですな。

  
L: ダイヤモンドクラブシート、ラウンジのレセプション。  C: ダイヤモンドクラブシートのバックネット席からの眺め。
R: 振り返るとこんな感じである。僕らくらいの歳になると、気の合う仲間との観戦ならこっちの方がいいのかもしれんなあ。

 
L: 最前列から下を覗き込んだら、なんか席があった。解説の人とかがここに陣取るんですかね。
R: 3日前に観戦した席の方を眺めてみる。左は今回案内してくれた「はっち」こと初田さん。

次はヒストリーエリア。ファイターズの歴史を振り返るのはいいが、「駒沢の暴れん坊」ことフライヤーズ時代がなく、
それはちょっと淋しいなあと思う(東映フライヤーズのユニフォームでバットを構える大杉の写真があることにはある)。
まあやはり北海道に移転して以降を強調したいのだろう。個人的に納得いかないのは、大島康徳(→2021.7.5)の扱いだ。
2000年〜2002年にはファイターズ監督も務めた名選手であるにもかかわらず、背番号11を特別視しているにもかかわらず、
ヒストリーエリアでの言及がない。球団での事情はわからないが、古くからの日ハムファンなら怒りを覚えるはずである。

  
L: オールドファンにはたまらないなあ。どれが誰だか容易にわかるぜ。ちゃんと大杉がいるのはいいけど大島がいねえぞ!
C: 北海道移転以降はヒルマン・梨田・栗山と、歴代監督別での扱い。最後に新庄。  R: 頭上にはペナントが並ぶ。

  
L: 奥は大林組によるエスコン建設の経緯をまとめたコーナー。  C: 模型。  R: アイデアスケッチも展示。

続いては階段を下りて一塁側クラブラウンジへ。試合ごとではなく年間での販売で、お値段150万円以上160万円未満だと。
食べ放題飲み放題砂かぶり放題ということで、好きな人にはいいんじゃないでしょうかね。何を目的に観戦するかって話。

  
L: クラブラウンジ内、全選手を紹介する銘板。  C: ラウンジ内はこんな感じ。  R: 大谷の写真も掲げられている。

 ガラス越しにインタヴュールームも見ることができる。

  
L: 日本一記念のサインボールが2つ置いてある(→2006.10.262016.10.30)。こちらは2006年のやつ。
C: 2006年の方にはダルビッシュのサイン(あってるよね?)。  R: 2016年の大谷のサイン(台座で見えない)。

  
L: 150万円以上のお金を出すと、こちらの座席で観戦可能。いちばん端っこからだとベンチもいちおう覗き込める。
C: すぐ目の前がグラウンド。  R: ではいよいよグラウンドウォークなのだ。おねえさんの後について出る。

ではいよいよグラウンドウォークである。まずはベンチ。3日前の試合(→2024.7.4)で選手たちがいた現場なのだ。
両端には新庄監督が希望して設置されたという専用のベンチがあり、実際に座ることもできる。記念に撮ってもらったよ。

  
L: ベンチ。  C: 奥の棚のところにグローブなどを置くそうな。  R: ブルペンが見られるようになっている。

 新庄ベンチにて。いかにも日本人的はにかみ笑いな私。

ベンチ見学を終えると説明を聞きながら外野の方へと移動する。ブルペンを上から見られる観客席があるとか、
フェンス際の土は富士山の溶岩を砕いたもので踏むと音がして選手がわかるようになっているとか、なるほどなるほど。
実際に軽くぶつかりフェンスの素材を味わってみる。フェンスはわりと低め(2.8m)で、本気でがんばればよじ登れそう。

  
L: ベンチから見たフィールド。  C: 天井を見上げる。ロマンだのう。  R: ダイヤモンドの外側は人工芝だった。

  
L: TOWER 11。ダルビッシュ・大谷だけじゃなく大島にも敬意を表せよ。中にはホテルや温泉(モール泉)、サウナもある。
C: 11番と新庄の1番で「111ホームラン賞」の看板。当てると賞金111万円。練習でも1万1100円もらえる。なおモデルは新庄。
R: 5月15日の西武戦で郡司が放ったホームランがブルペンのカメラを破壊。その現物が展示されていた(弁償は免れた)。

  
L: 外野の芝生。エスコンの高さ70mの大ガラスは、芝生の養生という意味もあるのだ。当然ながら、芝生はお触り厳禁。
C: 最後に外野からバックネット側を眺める。  R: 大社オーナーの壁画。背番号100はオーナーとして史上初の永久欠番。

以上でスタジアムツアーはおしまい。エスコンをしっかり堪能したぜ。はっちさんどうもありがとうございました。
最後に3日前には見ていなかった部分を軽くまわって退出。雨で屋内行動にしたけど、実にいい判断をしたと思う。

  
L: 反対側には歴代選手の壁画(後で1階席から見た)。日ハム壁画好きだなあ。ちなみに新庄が選手と監督で2人いるのだ。
C: 上から見たブルペン(三塁側)。これも商売にしちゃうんだからうまいものである。  R: トイレの出口に大谷の言葉が。

帰りは早歩きで北広島駅まで戻り、快速エアポートで新千歳空港へ。ついに旅が終わるのだ。終わってしまうのだ。
でもその前に、まずは晩メシである。旭川ラーメンの有名店のひとつ、梅光軒が新千歳に店を出しているので突撃する。
やはり醤油ラーメンはラードによって醤油豚骨気味なのであった。でも麺はシワシワ感があって個人的には好き。
食べ終わって落ち着くと、職場への土産を買い込む。自分向けで久々にボルタ(→2012.8.222015.11.3)を探したが、
ばっちり健在なのであった。職人が減って大変というニュース記事を見たのだが、人気が衰えていないのは結構である。

 
L: 梅光軒の醤油ラーメン。ラードによる豚骨要素が旭川ラーメンの鍵なのかね。あらためて青葉を食いたくなった。
R: 新千歳空港で売っているボルタ。安定した人気があるようで何より。インバウンドでさらにウケているのかもしれん。

やることをやると、さっさと保安検査場を抜けてしまう。日記を書くだけのガッツが残っていなかったので、
ボケーッとバスケットボール日本代表の韓国戦をテレビで観戦するのであった。なんだかピリッとしない展開だったが、
ホーキンソンがキレッキレだったおかげで勝った感じ。それにしてもやはり、3ポイントシュートの威力は大きいなあ。

帰りの飛行機は21時20分に離陸の予定だったが、飛行機が来ねえということで最終的には50分遅れになってしまった。
今日は最初っから最後まで予定が狂いっぱなしである。しかし50分遅れとなると、羽田から出られなくなる可能性が高い。
AIR DOということで新作のほたてスープをいただきつつ、札幌行きの特急の続きで再びあれこれ考えるのであった。
今回の旅行はだいぶ天気に苦しめられたが、ベストは尽くした。まあこれは次への貸しということにしておこう。
でももし潤平の世話にならなかったら、メンタルがベコベコになって一歩も動くことができなかったのではないか。
この4日間、ポジティヴさを少しも失うことなく動けたのは、内省する余裕を持てたのは、間違いなく潤平のおかげだ。
そしてもしかしたら僕が考えている以上に、潤平にもまた、僕との会話で救われた面があるのではないか。
遠い北海道で、来客向けの部屋を用意し、僕とマサルを待っている。朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。
「be」という言葉の価値を噛み締める(→2012.1.22013.1.9)。この旅で、僕は以前よりも優しく、賢く、強くなれた。
ちなみに、ほたてスープはいかにも塩ラーメンの一要素という味だった。ほかの魚介がない分、物足りなく感じてしまうね。

羽田空港に着陸したのが23時59分、そこからAIR DOということでしっかりバス移動で、帰宅は完全にアウトなのであった。
1階で途方に暮れていたところ、警備員が生意気な態度で、もう閉めるから出てけと。無料バスで第3ターミナルへ行け、
そう言うのでさっさと乗車する。しかし航空会社の不備で残った客に対する態度じゃねえだろう。神経を疑うぜ。

 まあ、バスが無料なのはありがたいが。

第3ターミナルは大量の外国人観光客でごった返していた。2階に上って空いているベンチをどうにか確保すると、
うるせえ大声の会話をものともせず、しかし浅い眠りにつくのであった。時々目が覚めて意識的に寝返りを打つ。

ここが私の寝床でございます(おお、今回の旅行にふさわしい、なんときれいなサゲ!)。


2024.7.6 (Sat.)

北海道旅行も後半戦の3日目である。北海道に梅雨はないぜ!ということでの訪問だったが、がっつり蝦夷梅雨。
日差しなんて贅沢なことを言っていられない。写真を撮りまくる都合上、いかに雨粒をよけて動いていくかが鍵である。
で、本日は函館本線で北上しながら建て替えられた各市役所を見ていくという当初の予定を完全に破棄して、
明日の計画だった富良野方面へと出てしまうことにした。そっちの方が若干マシっぽいので。まあ、賭けである。

 早朝のテレビ塔。僕はテレビ父さんTシャツ(→2011.9.102011.12.30)を3枚持っている。

朝9時前に富良野に着くためには、朝イチで旭川行きの特急に乗らなければならない。そうしないと雨が降りそうだ。
想定外の出費が痛いが、つまらんところをケチってその場所本来の魅力を味わえなくなる方がしょうもないのだ。
そもそも旅行なんてェのは臨機応変、状況に応じて最善手を打っていくのもまた立派な楽しみ方なのである。
というわけで日記を書きつつ滝川まで揺られ、根室本線で富良野へ。そしたら到着直前で雨が降りだした。キエー

 未来の富良野からやって来た「薫紫(くんし)ラヴ」。今年4月デビューとな。

どうにも富良野とは天気の相性が悪い気がする(→2010.8.122015.11.2)。雨、曇り、そしてまた雨。
しばらく駅の待合室で呆けるが、雨雲レーダーによると10時少し前くらいに雨がやむタイミングがあるらしい。
まあ多少時間がズレてもフラノマルシェで待機すりゃいいや、と割り切って、傘をさして駅舎を後にする。
果たして富良野市役所に着く頃には雨がやみ、最悪な状況は回避する形で市役所を撮影することができた。

  
L: 新しくなった富良野市役所。旧庁舎時代は前庭的なロータリーだった部分に建ったので、非常に圧迫感がある。
C: 丁字路を直進していってエントランスにぶつかる。  R: 北から眺めるエントランス付近。余裕がないなあ。

  
L: 北から全体を眺める。手前側には富良野文化会館としてのホールが入っている(ネーミングライツで「サンエーホール」)。
C: 北西から見た側面。  R: 西から見た背面。この日は窓ガラスの掃除中なのであった。雨なのに大変ですなー。

  
L: 南東から見た背面と側面。  C: 隣の平和公園から見た側面。  R: 東から。これにて一周完了。しかし幅が広い。

新しい富良野市役所は、富良野市複合庁舎「ネーブルふらの」として整備されている。「へそ」へのこだわりが激しい。
竣工は2022年、設計したのは北海道日建設計。完全なる直方体にベージュでグレー。特別な面白みがあるわけではないが、
絶対に怒られることのない建築。そして内部では木材を的確に使用。組織事務所の手堅いお手本そのものでございますね。

  
L: 土曜日だが中に入ることは可能。さっそくお邪魔するのだ。  C: 中に入ってすぐ。  R: 右手がホールである。

  
L: ホールを背にして眺める1階。総合案内があるが、役所としての機能はほぼ2階より上に集中させている感じ。
C: 少し奥へと進んでホール側を振り返る。  R: 1階の南東側(右手)には市民向けの会議室が4つ並んでいる。

  
L: 会議室の向かいにある「へそキッズランド」。  C: 会議室の中はこんな感じ。これは最も広い会議室A。
R: 2階の窓口エリアを覗き込む。こちらの中には入れず。中央は吹抜になっており最上階に議場が鎮座する。

せっかくなのでお隣の富良野神社に参拝。9年前に参拝しているが(→2015.11.2)、あらためて見てみるとやはり北海道。
ここまで社殿の様式に統一感があると、何かしらの思惑がはたらいていた(いる)んじゃないかって気がしてくる。

  
L: 富良野神社の境内入口。参道はしっかり長い。  C: 拝殿。北海道である。  R: 本殿。前回とアングル完全に一緒。

御守を頂戴して富良野神社を後にしたところで雨が降りだした。測ったようにギリギリのタイミングである。
開店時刻を迎えたフラノマルシェにいったん寄って、中を覗きつつあらためてきちんと写真を撮っていく。

  
L: フラノマルシェ。前回のログでも書いたが2010年、富良野協会病院が駅の東側に移転した跡地にオープン。
C: 開店直前だが、すでにオープンを待つ観光客が集まっていた。  R: 中央のサンクンガーデン。雨じゃなあ……。

  
L: 反対側から眺めたサンクンガーデン。  C: 東側の出入口。  R: 道を挟んだ北側にフラノマルシェ2。

  
L: さらに北の低層側。  C: 高層側の店舗エリア。  R: 低層側のTAMARIBA(タマリーバ)という多目的空間。

本日の宿は士別なので、旭川に向けて動くことに。でもせっかくここまで来たのだから、美瑛町に寄ってみるのだ。
富良野線はタイミングが合わなかったので、バスのラベンダー号を利用する。そっちの方が鉄道より少し安いのもある。

 バスの車窓から。自転車でラベンダー畑を走りまわれりゃよかったけどねえ。

美瑛駅に到着すると、まずは駅周辺で情報収集。そして11時半ということで、お昼をいただいてしまうことにする。
美瑛町ではご当地グルメとしてカレーうどんを売り出しているのだ。しかしさっきバスから「美瑛豚」の文字が見えた。
この両方の条件を満たす店は……駅の近くにあるではないか! ということで突撃。混みだす直前に滑り込んだ感じ。

  
L: 美瑛駅。美瑛軟石を使った石造駅舎で、1952年に竣工。  C: 四季の情報館にあった美瑛周辺の模型。奥に控えるは十勝岳。
R: 美瑛豚カツカレーうどん(びえい牛乳付)をいただいた。うどんは美瑛産の小麦粉「香麦」を使うことが条件となっている。

そのまま近くのバス停から白金温泉行きのバスに乗る。美瑛駅前で大量の観光客が乗り込んできてかなりの混雑ぶり。
特に外国人観光客が目立つ。まあもともと美瑛は人気があるのだろうけど、それにしてもすげえもんだと呆れる。
彼らが目指すのは終点近くの「青い池」なのだろうが、こんな天気で見てもしょうがねえだろと思ってしまう。
そもそも堰き止められた人工の池だし。俺ァ白神の十二湖、青池(→2014.8.21)見てるからいいやー、と途中で下車。
で、その丸山町バス停からすぐ近くにあるのが美瑛神社。美瑛の街と畑のちょうど境目に鎮座している。

  
L: 美瑛神社の境内入口。奥は自動車向けの鳥居。横参道。  C: 参道を進んで右手に社殿。この時点では雨が降っていた。
R: 市街地のある西側には徒歩より詣でけりな人向けの裏参道。しかし鳥居がないのでこれだと神社とはわからないなあ。

1896(明治29)年に和歌山県民が美瑛に入植、その翌年に熊野本宮(→2013.2.10)からの勧請で美瑛神社が創建された。
なので基本は熊野系だが、現在は家都御子神だけでなく天照大神や伊邪奈岐神・伊邪奈美神・大國主神も祀っている。
美瑛神社で特徴的なのは、波状丘陵の景色をあしらった「丘まもり」。大小あるので、両方頂戴しておくのであった。
天気がよければ自転車を借りて走りまわりたかったのだが、今回はこの御守のデザインで満足しておくとしよう。

  
L: 裏参道は風鈴が吊ってあってなんともフォトジェニック。映えですかね。表参道とまったく異なるスタイルなのは面白い。
C: 拝殿。神明系ではなく、かなり重厚な造り。熊野系だから、というのもあるのかな。  R: 本殿。堂々としている。

美瑛神社は駅からは距離がある。のんびり街歩きしながら戻っていく。途中で図書館と丘のまち郷土学館の脇を通ったが、
どちらも2010年代の建物で、美瑛町の観光収入はなかなかのものなのかねと思う。商店街は少し弱り気味な印象だが。
それにしても、丘のまち郷土学館の「美宙(みそら)」という愛称はニンともカンとも。天文台を併設していることで、
その名前ってわけだ。まあそもそもが「郷土学」館というのもなんとも不思議である。十勝岳ジオパークとの絡みもあり、
単純な郷土資料館じゃつまらないってことだろうけど、なんだかだいぶいろいろ欲張っているような気がしないでもない。

 
L: 美瑛町図書館。2012年オープン。  R: 丘のまち郷土学館「美宙」。2016年オープン。

駅から延びる丸山通りを挟んで丘のまち郷土学館「美宙」の隣にあるのが、美瑛町役場である。竣工は1994年で、
「四季の塔」という高さ32.4mの展望塔が併設されており、いかにもバブルを引きずった平成オフィス庁舎である。
天気が天気なので塔には上がらなかったが、晴れてりゃ絶景が楽しめるのだろう。しかし外観がニンともカンとも。

  
L: 美瑛町役場。左の塔が「四季の塔」。  C: 西のやすらぎ広場から見たところ。  R: やすらぎ広場はこんな感じ。

  
L: 西の駐車場から眺める。  C: 北西から見た側面。  R: 北から見たところ。1990年代だなあ。

  
L: 東から見たところ。  C: 南東から見た側面。  R: 南から。これで一周完了である。

最後にもう一度、美瑛町の駅前商店街を歩いてみる。どうも美瑛駅の石造駅舎がヒントになっているようで、
切妻屋根で統一した景観がいかにもリゾートの雰囲気を漂わせている。それはそれで確かに小ぎれいな街並みなのだが、
これが実に「平成」って感じなのである。昨日のログで書いたように、北海道は明治以降の建物しかないから、
逆に大切にしていてあちこちに残っているのが特徴的だと思う。しかし美瑛ではその「開拓のイメージ」を追いかけて、
結果として実に「平成」な空間ができあがっているのが興味深い。一言で表現するなら「ポストモダン」となるけど、
観光都市・美瑛の平成ポストモダンは当時の日本社会の価値観を克明に反映しているはずである。いずれ深く分析したい。

  
L: 美瑛駅前。Wikipedia「美瑛駅」によると、1989年から2001年にかけて商店を集約し、街並みに統一感を持たせたそうだ。
C: 富良野線と並走する本通り。美瑛の中心的な商店街。  R: 道の駅 びえい「丘のくら」。1917(大正6)年築の倉庫を活用。

美瑛駅前から旭川行きのバスに乗り込むが、乗客はさっき「青い池」に向かった人たちだった。大半がここで降りて、
僕が入れ替わりで乗車。果たしてどっちが有効な観光をしたのだろうか、なんて考えてみるけど、結局それはわからない。
確実に言えることは、美瑛の街並みについて僕はもっと深く考えて、何かしらの結論を得なけりゃいけないってことだ。
バスは順調に北へと走っていくが、バス停の名称が「17号」から「16号」「15号」などとほぼカウントダウンしていき、
さすが北海道は違うなあ、と思うのであった。「13号」はなくて「4号」まで行ったのだが、何が基準なのやら。

旭川駅に到着したのが14時半。天気が悪いせいでかえって移動のテンポが早くなっている。が、中途半端な時間である。
とりあえず駅の観光案内スペースでリボンナポリンを飲みながら明日の予定を組み直すのであった。しなやかな旅行だぜ。
士別行きのバスから逆算して、ちょっと早いが16時半に本日の晩ご飯をいただくべく移動開始。雨がなかなか厳しい。
旭川ということで醤油ラーメンをいただくことにしたのだが、蜂屋(→2010.8.10)も青葉(→2012.8.20)も経験済み。
今回はそれ以外を体験してみようということで、らーめんや天金にお邪魔してみた。正油ラーメン900円を注文する。
旭川は寒いので、ラードで油膜をつくってスープを覆う手法が定着しているようだが、そのラードのせいで豚骨風味。
僕の感覚だと明らかに豚骨醤油の範疇である。まあ確かに、麺を食べ終わる頃には「脂強めの醤油スープ」だったが。
「そんなに脂が食いたきゃこれでも食ってろ」という芹沢達也のセリフを思いだしたのであった。まあ好き好きですけど。

  
L: 旭川駅に到着。北海道第2の都市としての風格を感じるし、人も多くて賑わっているが、動物園以外の観光って意外と弱くね?
C: そんなに謝らんでも……。  R: 天金の正油ラーメン。公式サイトには「トンコツをベースにした」って書いてあった。テヘ。

17時20分、乗り込んだ名寄行きのバスが旭川駅を出発する。ここから士別まで2時間弱の旅である。
鉄道なら1時間ちょっとなのでだいぶ差があるが、ここまで来たらとことんバスで行ってやるのだ。安いし。
なお、バスは旭川市役所前を通ったのだが、新しい庁舎がすでにできているようだった。佐藤武夫の旧庁舎も残っている。
完成は来年だと思っていたので軽く混乱する。これから1年かけて旧庁舎を解体して完了となるのか。切ない別れだ。

雨の中、バスは基本的には宗谷本線と同じ方向へと走っていくが、比布、和寒、剣淵と丁寧に中心部を経由する。
気がつきゃ乗客のほとんどは旭川市内で降りたようで、延々と続く薄暗い雨の農地をバスは無機的に走り抜けていく。
特に比布町の「北2線 n号」バス停がずっと続く辺りは強烈だった。雨と夕暮れと緑と自分が一体化した気がしてくる。
和寒から先では、ついに乗客は僕一人に。なんとも淋しく心細い時間だ。孤独感ですべてがいっぱいになる。

19時過ぎに士別駅に着いたが、完全に夜にはなっていなかった。薄暗い中に5年前の記憶が蘇る(→2019.2.23)。
ああ、そうだった。あのときは雪で距離感がつかめなかったが、広かった。確かに士別の空間スケールは広かった。
5年前の自分の記憶が今の自分と重なったせいか、孤独感が薄れていく。まるでこれから名寄に向かう無人のバスが、
さっきまで僕を包んでいた孤独感をそのまま乗せて去っていったようだ。気を取り直し、宿へ向かって歩きだす。
今日はさんざん雨に降られたが、肝心なところでは奇跡的にやんでくれた。きっと明日もそうだろう。

 雪のない士別を歩くのは初めてだ。とにかく広い。

宿は温泉なのだが、日帰り入浴施設としても開放されているパターンで、安く泊まれるだけありがたいってものだ。
さっそく温泉に浸かってこの3日間の疲れを癒す。静かな客が多かったので、よけいに快適に過ごすことができた。
フロントではマンガを貸し出していて、見事に僕の好みからはずれる熟年男性向けのラインナップだったのだが、
開き直って『静かなるドン』を読みまくるのであった。さすがに108巻全巻(置いてあった!)制覇は無理で、13巻が限界。
読めば読むほどめちゃくちゃなマンガですな。深く考えたらダメだ。でも秋野さんも大概だぜ。理江ちゃんの方がよくね?


2024.7.5 (Fri.)

北海道旅行の2日目は、当初は小樽から札幌市内の神社についてひたすら御守集めをやるつもりだった。
しかし札幌には潤平がいるので連絡を取ったところ、お相手してもらえることになり、そちらをメインに変更した。
ただ、平日なので午後から授業があるということで、午前中に潤平宅を訪問・見学。午後は勝手に札幌市内を徘徊する。

さて泊まったのが大谷地ということで、朝イチでまずは大谷地神社に参拝する。開拓によってできた典型的な神社だが、
周囲より一段高い境内といい木々の茂りっぷりといい、周辺の開発からきちんと残された神社らしい神社である。

  
L: 道道3号の交差点に面する大谷地神社の境内入口。交通量が多く撮影が大変。  C: 昔から残っているであろう木々が印象的。
R: 拝殿。昨日の夕張神社と同様、しっかり木造感がある。神明造をベースにする点は明治創建の北海道の神社らしさを感じる。

 神明造ではないが、本殿も神明造的な要素をしっかり保っている。

御守を頂戴すると、バスで真駒内駅へと移動する。住宅街をひたすら抜けていくが、途中で札幌ドームを経由する。
エスコンの快適さからすると、札幌ドームでのスポーツ観戦(→2010.8.82015.11.1)は欠点だらけに思えてしまう。
まあ、最高の反面教師になってくれたと思えば。札幌市民にしてみれば、たまったもんじゃないだろうけど。

 9年ぶりの真駒内駅。前回とは逆に、駅舎を背景にしての一枚なのだ。

さて、そんな札幌市民となった潤平さんのお宅を拝見するのである。車で迎えにきてもらってあれこれ雑談しつつ到着。
場所とか具体的に書くとアレだろうし、建物内についても勝手に写真をネットで大公開するのもアレだろうしで、
とりあえず今回はデジカメを構えることなく見学させてもらうのであった。最初は「渡辺篤史ごっこ」ということで、
モノマネをしながら会話していたのだが、車庫上テラスと表札の2箇所でモノマネに飽きたので以降は通常モード。
昔懐かしい本やらグッズやらを買い直しているのを見て、やはり大人としてそうなるよなあとしみじみ思った。
さらにギターやら革ジャンやらが多数あるのを見て金あんなあオイと思ったけどメルカリで安く仕入れたそうで、
そういう習慣のない僕としては目から鱗。というか、僕だって他人から見れば旅行狂いで贅沢に見えるはずだ。反省する。
肝心の建物は、入れ子構造が毛綱毅曠の「反住器」(→2012.8.172012.8.18)を想起させる。寒いから入れ子なんだと。
中心に趣味の部屋を置いているのが信念だそうで、仕事と趣味が一体化しているcirco氏の書斎とは対照的と感じた。
ただ、全体的には素材感がなんとなくマツシマ家な感触で、その辺はやはりきちんとcirco氏の息子なのではないかなと。
三つ子についてはカプセルホテル形式で個々のスペースが確保されており、その発想はなかったなあと感心するのであった。
一点、気になるとすれば、三つ子が育ったときにもう少し幅の広い居間があった方がうれしいかなあと個人的には思う。
東福寺(→2010.3.26)にヒントを得たという四方の庭だが、そのうち1箇所を改装することになるんじゃないかって予感。
ということで、自邸は建築家にとって最も本質的な作品とされるが、「潤平好み」がなんとなく見えた気分にはなった。
今後、三つ子の成長とともに空間がどのように変化していくことになるのか、のんびりと楽しませてもらいましょう。
まあ僕としては「熱海ロマンは黒歴史ではない」という言質が取れたこともうれしかったけどな。そろそろ解散やめる?

お昼は僕の強い希望で、アジャンタ総本家でいただいた。こちらの「薬膳カリィ」は札幌名物スープカレーの元祖なのだ。
ぜひ食ってみたいとずっと思っていたのだが、こりゃいい機会だぜと、出勤する潤平と一緒にいただいたのであった。
さすが元祖だけあって標準的な方向性の味……かと思いきや、最後に漢方っぽい香りが残るのが実に独特である。
なるほどこれが他の店に真似のできない部分かと納得。この漢方っぽさは、慣れるとけっこうクセになる感じがする。
他の店でもスープカレーは食えるが、余韻が物足りなくなって、たまにはアジャンタで食いたいな、となりそうだ。

  
L: 潤平が撮影した、期待して薬膳カリィを待つ僕。誰もうれしくないだろうと思うのだが、せっかく撮ってくれたので貼る。
C: 人気No.1だという「とりかりぃ」。初訪問の店では無難なメニューを選ぶ僕。ちなみに潤平は「ハンバーグかりぃ」
を選択。
R: スープをクローズアップ。30種類のスパイスと15種類の漢方薬を使い、6時間かけてつくるそうだ。おいしゅうございました。

その後は北大で潤平の研究室や建築スタジオ棟を見せてもらう。充実した日々を送っているようで何よりである。
本日は午後から課題の講評会があるそうで、もぐってもよかったのだがさすがにそれはやりづらいだろうと思い、
いったんここで別れるのであった。北大構内にあるバイクシェアを利用して、いざ神社の御守集めに出発なのだ。

 北大は観光名所として確立されているのが凄いと思う。

まっすぐ南下していって、まずは中島公園を目指す。14年前にも訪れているが(→2010.8.9)、今回の目的は神社なのだ。
南端の伊夜日子(いやひこ)神社を目指して公園内を爆走するが、ものすごい量の綿毛が舞っていたので驚いた。
調べてみたら、正体はポプラの種子とのこと。綿毛といい雪虫といい(→2015.11.2)、いろいろすげえな北海道。
せっかくなので豊平館も撮影。北海道は明治以降の建物しかないから、逆に大切にしていてあちこちに残っている感じ。

  
L: 中島公園にて。  C: カモがいた。  R: 天気が下り坂で雲が厚くなる中、最後の日差しを浴びた豊平館を撮影しておく。

伊夜日子神社が現在地に遷座したのは、中島公園で開道五十年記念北海道博覧会が開催された1918(大正7)年のこと。
「いやひこ」ということで、越後国一宮・彌彦神社(→2011.10.82014.10.192019.1.132023.4.22)からの勧請である。
主祭神である天香山命を通して現在もそれなりのつながりを維持しているようだ。なお、伊夜日子神社は菅原道真も祀る。

  
L: 伊夜日子神社。中島公園の一部という感じで境内はコンパクト。  C: 拝殿。  R: 本殿。

豊平川を渡って東へ移動して豊平神社へ。こちらはその名のとおり豊平地区の氏神だが、主祭神は上毛野田道命。
東北地方からの移住者が多かったそうで、猿賀神社(→2019.9.15)からの勧請。北海道の祭神ルーツも味わい深いものだ。

  
L: 豊平神社。  C: 拝殿。鉄筋コンクリ社殿だが、やはり神明造をベースにしている。  R: 本殿。手前に昔の社号標。

国道36号の月寒通を南下していき、月寒公園へ。日本の都市公園100選ということでの訪問である。
もともとは歩兵第25連隊の小演習場だった場所で、1961年に開園。5年ほど前にリニューアルが完了したとのこと。
平日なので人はまばらだったが、週末にはけっこうな賑わいがありそうな雰囲気。自転車で走りまわってみる。

  
L: 月寒公園の入口。手前に駐車場と野球場。  C: 遊歩道の入口。  R: 池では貸しボートが待機中。

  
L: ボート池。細長い。  C: 東側の丘にて。  R: 月寒開基百年之碑。なお月寒は戦前まで「つきさっぷ」と読んでいた。

  
L: 散策の森の入口。キタキツネが住んでいるそうだ。  C: 月寒の丘の滑り台から見た景色。多目的広場の奥に坂下野球場。
R: 反対に、多目的広場から月寒の丘を眺める。月寒公園は高台と池、芝生と森といった対照的な要素を上手く盛り込んでいる。

公園から南側にまわり込んで月寒神社に参拝する。ちょうど向かいの小学校から子どもたちが下校するところで、
お調子者が「その自転車かっこいいですね!」などと声をかけてくる。シェアバイクだっつーのよ、と苦笑する。
月寒神社は広島県出身者が移住したことで嚴島神社(→2008.4.242013.2.252020.2.24)からの勧請である。
「月」にちなんでさまざまなツキに恵まれるように、という「つき守」が特徴的だったので頂戴しておいた。

  
L: 月寒神社の入口。境内は月寒公園と一体化している。  C: 拝殿。工事中。  R: 本殿も工事中。

本日の最後は白石神社である。方角としては東だが、矩形の開拓街路が斜めに走ってまっすぐ行けないのがつらい。
国道12号にどうにかたどり着くと、そこから少し入ってすぐに境内。参道がかなり短いのが、やや独特な感触である。
白石区は白石市からの移住だが(だから「しろいし」)、白石の神社といえば神明社だった(→2018.9.16)。
ところが白石神社は神武天皇を祭神としており、これはちょっと意外。神社の勧請事情もいろいろあるのだなあと思う。

  
L: 国道12号から北に入って右手が境内。火災で社殿が焼失し、1967年に再建したのでそのときに配置が変わったのだろう。
C: 拝殿。しかし北海道の神社は本当にこの形式が多いな!  R: 本殿。月寒川に向かって下がっていくので見上げる格好。

天気も限界だし、これで今回の札幌神社めぐりは終了である。国道12号を挟んだ向かいのセイコーマートで一服。
北海道に来たらセイコーマートで買い物をするのは当然だが、ペットボトルのミルクティーがいちばんの好みである。
豊富町産牛乳のおかげで明らかに旨いのだ。あとは山わさびのおにぎり。これを食わないと北海道に来た気がしない。
そんな具合にやる気を充填すると、国道12号をひた走って札幌駅付近を目指す。シェアバイクを返却すると、
東急百貨店の8階に入っているハンズ札幌店をさらっと徘徊。かつては独立したビルだったのに今はワンフロア。
ちゃんとネジを売っていたので(ネジ いる?)品揃えはきちんとしているとは思うが、北海道グッズもなく淋しい。
あとは北海道ならワンチャンあるんじゃねえかと思って本屋でガルシア=マルケス『百年の孤独』の文庫本を探すが、
こっちでも絶賛品切中なのであった。そんなこんなでついに雨が降ってきたのでカフェに入ってひたすら日記を書く。

18時を過ぎて潤平から連絡が入り、三つ子に会うべく潤平宅に戻る途中で晩飯を一緒にいただく。
最も標準的な味噌ラーメンということで、味の時計台へと突撃するのであった。僕は新橋で一度食った記憶があるが、
調べてみたらすでに撤退してしまっており東京では食えない模様。チャーハンとセットでありがたく頂戴するのである。

 
L: 味噌ラーメンを激写する私を潤平が激写。誰もうれしく(以下略)  R: こういうのでいいんだよ的な味噌ラーメン。

満足して潤平宅に戻ると気配を察した約一名がお出迎え。私ゃ三つ子に好かれるようなちゃんとしたおじさんとして、
きちんと対応をしているとは到底思えないのだが、それでも慕ってくれるのは潤平夫妻の教育のおかげでありますね。
なんだか本当に申し訳ない。ダメなおじさんでゴメン。だけどそれが優しさなんだね。『ウソゆず』歌ってあげようか。
しかし夜の潤平さん邸はなんともムーディーですな。白い模造紙をオシャレ模様で切り抜いて貼ってみるとかどうずら。

 記念の一枚。

ぜひ近いうちにマサルを連れて、教育上よろしくないおじさんコンビで再訪問させていただくとしましょう。
たぶん潤平さん邸についてはマサル込みで写真を撮った方が面白いだろうし。これはリヴェンジしたいですな!
しかしまあマンガ話やらゲームミュージック話やらいろいろ楽しゅうございました。アジャンタも一人で食うより、
一緒に食えてよけいに旨かったと思いますマジで。もっと早く札幌に来ておくべきだったわと反省しきりな夜だった。


2024.7.4 (Thu.)

毎年この1学期期末テストの時期は梅雨なので、大型の旅行ができても選択肢が大幅に限られてしまう。
つまりは、北東北か、北海道か。今年は姉歯メンバーのリョーシ・えんだう両氏がエスコンで野球観戦をしているので、
じゃあ僕も北の大地を目指そうと。北海道の市役所はいちおう全制覇したが、建て替わったものも多いので再訪問したい。

  
L,C: 離陸直後の羽田。北海道方面はこの景色が味わえるのがよい。  R: 海の森公園上空。この先が東京ゲートブリッジ。

  
L: 東から眺める東京の下町とスカイツリー。  C: 埼玉スタジアム(→2009.3.18)。  R: 飛行機は雲と雲の間を飛ぶ。

  
L: 雲を抜けるとそこは北の大地だった。  C: 北海道はやはり土地利用が本州と違う。  R: あー北海道に来たー

新千歳空港に着陸すると全力ダッシュで駅へと向かい、最も早く札幌に着ける快速エアポートに乗ることができた。
車窓の景色を眺める。残念ながらしっかり蝦夷梅雨だが、北海道に来たという事実だけで自動的にテンションが上がる。
前も「常口アトム」の文字を見ただけでテンションが上がったもんだが、そういえば今回ぜんぜん見かけなかったなあ。

 札幌駅に到着なのだ。

さて、本日最初の目的地は夕張市である。理由はきちんとあって、札幌との間を結ぶ高速バス「ゆうばり号」が、
今年9月に廃止になってしまうからだ。夕張に行くのがたいへん面倒くさくなる前に、夕張神社の御守を頂戴するのだ。
あとはやはり、12年前(→2012.6.30)からどれだけ状況が変化したのかを見てみたい、という社会学的な欲求。
札幌駅から少し南に行ったバス乗り場から乗り込むが、僕と一緒に乗った客はおばさん1人だけだった。
その後、ターミナルで大学生くらいの女子3人を含む5人ほどが乗車。平日ということは、仕事か学校だろうか。
この人たちは9月からどうするのだろうか。少し感傷的になりながらいろいろ考えて夕張まで揺られるのであった。

  
L: 直線の道路に路側帯を示す矢印。北海道である。  C: ジャガイモ畑。北海道である。   R: 建物がなんか北海道である。

  
L: 夕張市内に入る。まあやっぱりメロンだよな。  C: 夕張の観光案内看板。単位がすべて「km」となっている。
R: 終点のマウントレースイに到着。12年前にはこちらで自転車を借りたが、現在は閉鎖されてしまっている。

南幌ビューローで大学生くらいの女子3人が降り、継立バス停でおっさん1人が降り、夕鉄本社でおばさん1人が降りた。
終点のマウントレースイまで残ったのは、オレと今からすでにファイターズユニを着ているおっさんの2人だけである。
やはり世の中、似たようなことを考える人はいるものだ、と思うのであった。そして石炭博物館行きのバスに乗り込み、
終点のひとつ手前で下車。そこが夕張神社なのだ。12年前にも参拝しているが、御守を頂戴するのは今回が初めてだ。

  
L: 夕張神社。長大な市街地の最北端となる。  C: 参道を行く。  R: 拝殿。北海道で木造感があるのは珍しいかも。

  
L: 角度を変えて撮影。直線的で好き。  C: 本殿はよく見えない。  R: 絵馬はメロン型なのであった。

御守を頂戴するが、本当にふつうの神社という印象。メロン絡みのものがあるかと期待していたが、残念ながら絵馬のみ。
社務所内には日本海軍の軽巡洋艦・夕張の模型が置いてあった。小型艦ながら重武装と高速度を実現したプロトタイプ。

 軽巡「夕張」の模型。

帰りは写真を撮りながらのんびり歩いていく。夕張市石炭博物館は現在も開館しているが(5年前に火災があったが)、
夕張の観光資源はほとんど壊滅状態と言っていい感触である。平日と週末で多少の違いはあるだろうが、絶対的に弱った。
同じ炭鉱でもいわきは温泉で盛り返したが(→2024.6.16)、夕張にはない。温泉があればまた違う未来があっただろうに。

  
L: 夕張神社の境内から見た夕張市石炭博物館。今回は寄る時間がない。12年前に行ったのでそちらを参照(→2012.6.30)。
C: 花畑牧場の店舗跡。12年前にはソフトクリームを食ったなあ。夕張メロン味を食いたかったが、夢は叶わなかったか。
R: 廃墟化が進行した夕張図書館。なお現在、図書館機能は拠点複合施設「りすた」(後述)に移っている。

そんなこんなで夕張市役所に到着。1978年竣工でもともとが老朽化気味だったが、周囲が弱ったこともあってか、
この12年で考えるとそれほど変化していない印象である。新庁舎は2029年度の供用開始を目標にしているそうで、
「りすた」北側に計画中とのこと。しかし建設関連費用が高騰している昨今、そして夕張市の現状からすれば、
おそらくその計画はなし崩し的に延期されていくのではないか、という気がする。正直、未来が見えない。

  
L: 夕張市役所。南から見たところ。  C: 道幅が狭いのですっきり正面から眺めるのが難しい。  R: 東から見たところ。

  
L: 北東から。敷地の北側は傾斜に応じて一段高い駐車場。  C: 駐車場から見た北側の側面。  R: そのまま裏にまわり込む。

  
L: 北西から見た背面。  C: 背面をまっすぐ眺める。  R: 南西から。市役所内はあまり整理されている感じがない。

  
L: 平日なので、いざ中にお邪魔してみる。  C: エントランスから入るとこの光景。  R: 反対側から見た壁画。

  
L: 上述のように、夕張市内の施設はkm単位で離れているので、実際の人口以上に寂れた印象を与えるのだ。
C: 1階東側の滞留スペース。  R: 反対側から振り返ったところ。「がんばれ夕張!」の布が掲げられて何年経つのか。

市役所の南側には夕張市民会館が隣接しているが、完全に閉鎖されており廃墟と化していた。12年前には現役だったが、
その3年後の2015年に閉館したのだ。ちなみに当時ネーミングライツを取得していたアディーレ法律事務所だが、
2017年に業務停止処分を受けて大ピンチに(現在は復活した模様)。なんともキナ臭いものだなあと思うのであった。

  
L: 旧夕張市民会館。夕張鉄道・夕張本町駅の駅舎と一体で1963年に竣工した。現在は出入口がベニヤ板で完全封鎖。
C: 大ホール。  R: こちらが駅舎などの複合施設か。よく見るとモダンで端正な建築なのだが。もはや駅前には見えない。

 映画の看板はだいぶ色褪せているものの、今もあちこちに残っている。

平日のお昼どきというタイミングではあるものの(夕張市役所の正午のサイレンがめちゃくちゃうるさい)、
夕張の街はただそこに佇んでいる感じ。商店はほとんどが仕舞屋となっており、営業をやめて久しいようである。
しかしひと気がまったくないわけではなく、新しめの集合住宅などを中心に気配はしっかりと感じられる。
この夕張の姿は、おそらく明日の日本の地方都市の姿そのものだ。高齢者が淡々と日常を送る、それだけの空間。
何かを新たにやるには時期を逸してしまった、でも日常は続く。諦めというよりは、悟り。そんな空気を感じる。

  
L: 閉鎖された夕張市立診療所。  C: 2002年竣工の本町1丁目栄団地。最近改修されたのか、かなりきれいな印象。
R: 休業中のホテルシューパロ。夕張本町の中心的存在だったが、新型コロナウイルスの影響によりギヴアップ。

  
L: 夕張本町の商店街を行く。  C: 「ゆうばりキネマ街道」の文字。  R: 12年が経ち、風化の度合いが一気に進んだような。

  
L: 旧夕張小学校。  C: 旧夕張中学校。  R: 荒れ放題の公園の中で、おそらく往時の輝きのままであろうパブリックアート。

思ったよりも夕張神社からマウントレースイまでの距離が遠く、戻ってきた頃にはお昼を食べる余裕がなくなっていた。
しょうがないのでセイコーマートのホットシェフで豚丼を購入。まあこれはこれでたいへん北海道らしいランチだが、
夕張を総括するには実に淋しい。本来であれば、2020年にオープンした複合拠点施設「りすた」に行くべきであろう。
そうして夕張の未来を、さらには地方都市の未来を探るべきであろう。しかし場所が新夕張駅の7km北ということで、
どうにもならないのである。夕張市は国道沿いの「りすた」周辺に拠点を移しながら、ゆっくりと縮小していくのか。

 
L: 夕張のセイコーマート。  R: 豚丼をいただいた。夕張じゃないと食えないわけではないが、北海道名物ということで。

帰りのバスにマウントレースイから乗り込んだのは僕だけ。夕鉄本社で知人と別れるババア1人を乗せ、
継立バス停でばあちゃん1人を乗せ、ゆうばり号は走る。しかし僕は終点まで行かず、途中の南幌町で下車する。
ここでバスを乗り換えて、北広島を目指すのだ。せっかくなので10分弱の待ち時間で南幌町役場を撮影しておく。

  
L: バスの窓から見た麦畑。北海道である。  C,R: 南幌町役場。典型的な農業地帯の町である。

広島市街のバス停で下車する。歩いてすぐの場所に北広島市役所があるので、さっそく撮影。6年前に訪れたときは、
いちおう竣工していたが周囲の整備が終わっていなかった(→2018.7.22)。今回はそのリヴェンジというわけである。
それにしても周囲は商業施設ができてけっこう様変わりした感じ。エスコン効果もあって、かなり元気な印象がする。

  
L: 北東から交差点越しに見た北広島市役所。  C: もう少し近づいてみたところ。  R: 北、正面から眺める。

  
L: 北西から。  C: 子ども向けの小さい庭がくっついているけど効果あるのかね。  R: 南西、駐車場から眺める。

  
L: 南から見た背面。  C: 東から。2階に接続するこちらが正式なエントランスのようだ。  R: 市庁舎別館。

中に入ってみるが、1階は地域子育て支援センター「あいあい」や保健センターが入っており、市役所は2階から。
最上階の5階は南側が議場など議会関係となっているが、北側は石屋製菓が運営するイシヤカフェとして開放されている。

  
L: 1階。右手が地域子育て支援センターや保健センターとなっており、市役所機能とはしっかり分かれている模様。
C: 2階、東のエントランスから入ったところ。  R: 真ん中が吹抜となっており、その周りに各種窓口が配置されている。

  
L: 5階のイシヤカフェ。  C: ファイターズやFビレッジに関連する展示。  R: きたひろ まいピー。赤毛米の女の子だと。

  
L: 展望テラスに出てみる。  C: 北西にエスコンが見える。  R: 東に広がる市街地。寂れる街もあれば、賑わう街もある。

ではいざエスコンへと向かうのだ。エスコンへのアクセスは駅から徒歩で20分ほど。昨年の開幕戦では大混雑となり、
期待の新球場に大きな課題が突きつけられた。JRの新駅開業は2028年頃なので、すぐに事態が改善されるのは難しい。
まあ、覚悟を決めて歩くしかあるまい。市役所からだと距離は半分ほどだが、雨ならなかなかキツいなあと思う。

 ここから千歳線の下をくぐっていく。

平日だというのに観戦目的でエスコンに向かう人はそこそこいて、お前らふだんいったい何をしているんだと思う。
特にロッテユニのファンが目立つ。まあ有給とって来たんでしょうけど。そんなこんなでエスコンに到着すると、
恒例の初訪問スタジアム一周をやるのであった。開場時刻まで余裕があるので、のんびり一周できるのはうれしい。
ちなみにエスコンの正式名称は「エスコンフィールドHOKKAIDO」。不動産会社である日本エスコンの命名権によるが、
自治体が建設した球場ではないこともあり、最初からネーミングライツ込みでの正式名称となっているのだ。

  
L: エスコンに到着。やはりこのガラスが圧倒的なインパクトである。外野の芝を育てる工夫なので、こっちが外野となる。
C: 向かいにはグランピング的な施設。エスコンを核に「Fビレッジ」としてリゾート的な整備がなされているようだ。
R: KUBOTA AGRI FRONT。農業機械のクボタが手がける農業学習施設とのこと。よくわからんが、カフェが売りらしい。

  
L: 時計回りに動いていく。  C: 一塁側。ネーミングライツで「Coca-Cola GATE」。  R: 消火栓もファイターズ仕様。

  
L: バックネット側。  C: 北東の三塁側の方が低い傾斜地となっている。  R: 三塁側。こちらは「F NEOBANK GATE」。

今回は三塁側の内野席にしたので、一周を終えるとそのまま開場を待つ。せめてショップだけでも開けてくれれば、
いい感じに混雑を避けることができるように思うのだが。やがて入場待機列が本格的にできはじめたので、僕も並ぶ。

 ちなみにモニュメントには記念撮影してくれる係員がいる。

16時になって入場開始。通路はかなり広くて、移動するのに人とぶつかりそうになることがない。これはありがたい。
自分の席を見つけると、さっそく落ち着きなく球場内を徘徊する。できるだけあちこちに行ってやろうと思ったら、
これが信じられないほどあちこちに行けてしまうので驚いた。ふつうは席種で行ける範囲に制限があるはずなのに、
それがないのだ。しかも通路からグラウンドがよく見える。試合中でも気兼ねすることなく買い物に出かけられる。

  
L,C,R: まずはグラウンド全体を眺めてみる。札幌ドーム(→2010.8.82015.11.1)と比べると、かなり観戦しやすい印象。

  
L: ロッテのみなさんが打撃練習中。  C,R: 通路はかなり広々としている。さすが最新鋭の球場だと感心する。

  
L: できるだけあちこちに行ってやろうと動きまわったのだが、本当にかなりあちこちに行くことができて驚いた。
C: 3階(STAR LEVEL)から見た景色。本日の僕の席は1階(FIELD LEVEL)なのだが、こちらの方まで来れるとは。
R: せっかくなので外野のいちばんキワまで行ってみた。いろんな角度を体験できるとは、なんとも斬新な試みだ。

  
L: スタメン発表時はこんな感じ。  C: 後で2階(MAIN LEVEL)から見た景色。  R: バックネット側からだとこんなん。

試合開始まではまだ時間があるので、ショップにも寄る。今年は日本ハムが球団を買収してファイターズになって50周年。
それを記念して今日は特別ユニフォームで試合をするそうで、ふだんどおりの試合を観たい僕としては少し残念な気もする。
しかしショップには歴代ファイターズのユニフォームが置いてあり、そこには大興奮。ただ、背ネームは現役選手のもので、
懐古野郎としてはうれしいような悲しいような、微妙な気分である。大島康徳のユニなら買っちゃったのになあ。

  
L: きつねカチューシャ、2500円。  C: しっぽも売っていた。どこに差して付けるのかなあ。そういうプレイかなあ。
R: 50周年記念ユニフォーム。歴代の「Fighters」ロゴを2文字ずつ使っているのだが、うーん。わかるけど、うーん。

  
L: 1993年から2003年までのユニフォーム。すっきりしたデザインで個人的にはかなり好みだった。ウエさん時代の記憶。
C: 1982年から1992年までのユニフォーム。小学生の頃の日ハムはコレだった。トレンディエース・西崎の記憶が強いぜ。
R: 1974年から1981年までのユニフォーム。第1次大沢親分政権でリーグ優勝したときの映像でよく見たなあ。

  
L: 日本ハムファイターズの初代ユニフォーム。使用したのは1974年のみとのこと。大杉の51番はないのか。
C: TOWER11 の壁画。北海道の11番ということでダルビッシュと大谷なのはわかるが、大島もしっかり顕彰してほしい。
R: 日本ハムということで、シャウエッセンの最も長いやつを使ったホットドッグが大人気。おいしゅうございました。

場内は完全にキャッシュレスとなっており、現金大好きっ子な僕としてはそれだけで疎外感である。
クレジットカードを持ち歩いてしのいだが、いくら使ったか体感的につかめないキャッシュレスは本当に恐ろしい。
そんな僕だが、調子に乗って2500円のきつねカチューシャを購入。姉歯メンバーに自撮り写真を送りつけるのであった。
でも冷静に考えると、今後どうやって減価償却すればいいのかわからない。とりあえず文化祭で小ボケをかますか……。
なおマサルは「いくらでも使い道あるよ!」と反応。さすがガールズ居酒屋でゆで卵をおでこで割ってもらう男は違うぜ。

  
L: スマホで自撮りの私。ふだん自撮りなんてまったくしないから、ぜんぜん上手く撮れねえんでやんの。
C: この日はファイターズ50周年ということで、初代マスコットのギョロタンが登場。パ・リーグ史上初のマスコットだと。
R: 始球式には侍ジャパンDAYに向けてのPRで「ガッツ」こと小笠原道大が登場。これはいいもん見たで……。

なお、始球式に先駆けてメンバー交換で新庄監督が登場(写真の順番が構成の都合上入れ替わっていて申し訳ない)。
僕としては新庄が監督をやっているうちにエスコンで観戦したかったので、その願いが叶って満足である。
好成績を残したとしてもいつ辞めちゃうかわからないからなあ。まあそのプレミアム感も含めて新庄っぽいけど。

  
L: メンバー交換にやってきた新庄監督。新庄が監督をやっているうちにどうしても現地観戦したかったのだ。
C: ロッテの監督は吉井。ヤクルトファンとしてはこれまたうれしい。しかしあの吉井が温厚な監督になるとはなあ……。
R: 試合中は特設ベンチで戦況を見守る新庄監督。これよ、これを撮りたかったのよ。僕としてはもうこれで満足だ。

姉歯メンバーがSMSで教えてくれた情報によると、日本ハム先発の上原は今期全敗(0勝3敗)。防御率が7点を超えている。
チームのロッテ戦の成績じたいは悪くないそうだが、壮絶な点の取り合いが予想されるとのこと。ニンともカンとも。
冒頭で書いたとおり、今年は姉歯メンバーのリョーシ・えんだう両氏がエスコンで野球観戦をしており、日ハムの2勝。
特にリョーシさんはサヨナラ勝利を目撃しており、僕としても勝利を見届けて3タテといきたいところである。

  
L: 日ハム先発の上原。50周年ユニはみんな背番号が100なのだ(胸番号は本来の番号)。大社オーナーの永久欠番ですな。
C: 自分の席(FIELD LEVEL)からの全体の見え方はこんな感じ。だいぶすっきりと観戦できる。さすがは最新の球場と感心。
R: きつねダンス! やはりケモ耳は強い。「エキノコックスいないかな?ってお医者さんごっこしてよ」とか言ってすいません。

日ハム先発の上原は初回からさっそくピンチ。3安打を許して姉歯解説陣のおっしゃるとおり、不安な立ち上がり。
しかしその後はなんとなくのらりくらりとかわすピッチングで防御率を順調に下げていく。対するロッテの先発は西野。
2年前に千葉マリンで観戦したときは中継ぎでの登板だったが(→2022.9.4)、今シーズンは先発で5勝をあげている(5敗)。
日ハム打線は初回からしっかりチャンスをつくり、郡司の内野ゴロで1点を先制するものの、その後はサッパリ。
姉歯解説陣の予想とは裏腹に、スミ1を追いかける投手戦となるのであった。正直、攻めあぐねている感じの投手戦。

  
L: やはり注目は万波のバッティング。当然ホームランを期待するのだが、この日はレフト前ヒット1本のみだった。
C: 5回表、2アウトから小川が逆転のタイムリー。  R: ギョロタンが登場するのも今日がラストということで元気いっぱい。

5回表、上原が簡単に2アウトを取ったと思ったら、突如崩れた。3連打を浴びてあっさり逆転されてしまう。
上原は6回にも追加点を取られ、もう1本安打を打たれたところで交代。今回も勝利を逃した。宇梶剛士に似てるのに……。
初めてエスコンで飲むサッポロクラシックは、心なしかちょっと苦い味なのであった。まあ打線に期待するとしよう。

 北海道のスポーツ観戦なら、やっぱりサッポロクラシックが欠かせない。

先発投手が引っ込むと、1イニングごとの中継ぎピッチャーが全力投球するのがいかにも現代野球である。
個人的には宮西が観られたのはうれしい。あとは最終回を締めた山本拓実の安定感が非常に印象的だった。
ロッテも西野は7回までで、今季初登板のコルデロから澤村につなぐ万全の体制。日ハムは最後に代打・清宮を送りだすが、
ショートゴロであっさりゲームセットとなってしまったのであった。なんだよー、日ハム打線ショボすぎるじゃねえかよー。

  
L: 日ハムは7回に宮西が登場。通算ホールドと通算ホールドポイントのNPB記録保持者。生で観られたのはありがたい。
C: シャケシャケシャケ!と連呼する謎の行事・しゃけUP。  R: 9回に登板した山本拓実。167cmなのに球が速い。お見事。

  
L: ロッテは澤村が登板。  C: 最後のバッターは清宮。  R: 日ハム負けたー。自分が観戦したときだけ負けて疎外感。

というわけで、1-3で日ハムは敗れてしまったのであった。ホームランが出るわけでもなく、淡々と終わってしまった。
21時前に球場を離脱できるのは楽と言えば楽だが、わざわざ北海道まで来てこの内容というのは、ちょっと淋しい。
それにしても、ロッテの応援は本当に統率が取れていて凄い。集団なのに、完全に1種類の声に聞こえるもんなあ。
ロッテの二軍が浦和にある関係で浦和レッズサポ仕込みの応援となっているわけだが、それが抜群に効いている。

 さらばエスコン。また会う日まで。

早足で北広島駅に到着すると新札幌駅まで揺られ、地下鉄に乗り換えて大谷地駅へ。サイゼリヤで軽くメシを食い、
書けるだけ日記を書いて過ごすのであった。試合で遅くなってもいいように本日はわざわざ大谷地泊にしたのだが、
幸か不幸か当てが外れた。まあ日記を書く時間があるのはいいことだ。併せて明日以降のBプランも練っておく。


2024.7.3 (Wed.)

『終末トレインどこへいく?』。今シーズン話題になったアニメということでレヴュー。

結論から言うと、救いがたい駄作。才能のない者が無理してやっているSF(調の何か)で、見るのが苦痛だった。
理念のないSFは痛々しい。「思ってたよりつまんないみたいな」というセリフがあったが、それはこのアニメのことだ。

狂気の世界を描きたい、というのはわりとよくある欲望である。問題はそれを「目的」レヴェルで済ませるか、
それとも「手段」としてその上の次元までもっていけるか、だ。「狂気を通さないと描けないもの」があるはずなのだ。
このアニメはそこまで考えることができておらず、ただ脈絡のないカオスな世界の描写が続くだけ。本当に面白くない。
しかも主人公たち以外のキャラクターに対する愛がない。ゾンビが都合よく動いてくれるけど、これって使い捨てだし。
はっきり言ってこのアニメ、単なるデキの悪いセカイ系の亜種にすぎない。つくった意味がわからない。時間の無駄。


2024.7.2 (Tue.)

地理総合の課題で集まったレポートを見てみたのだが、なんとも困った傾向に頭を抱えている。
昨年度と比べてイージーミスは少ないものの、間違った知識を平然と書いている者が多い。ちょっと呆れるレヴェル。
これはネットで調べて出てきたことを鵜呑みにして、複数のソースで確認するという発想がないことによる。
また、出てきた知らない言葉についてさらに調べて検証しようという意識もない。知らないままでコピペしている。
要するに、知性が「疑問に思う」レヴェルにないのだ。他の誰かの知識を右から左に受け流すだけであり、
「これってどういうことだ?」「それっておかしくないか?」と気づけるだけの知性が育っていない。

これではとても調べ学習なんてできないな、というレヴェル。調べ学習させて終わり、という頭の悪い教員が多数いるが、
きちんとひとつひとつチェックして潰していかないと、間違った知識が広がってしまう。むしろ危険、害悪でしかない。
おそらく小・中・高1と無能な教員がずっと課題を与えるだけ与えて検証をスルーしてきたのだろうけど、
おかげで「自分はできている」という勘違い人間が大幅に増殖している。社会全体で矯正する必要がある大問題だ。


2024.7.1 (Mon.)

ネットで信州ダービーの記事を見ていたら、コメントに「ヒョーゴスラビア」とあって、なんだそりゃと検索。
そのとおり兵庫県の寄せ集めぶりをユーゴスラヴィアに例えた言葉なのだが、なるほど秀逸だなあと感心した。
確かに兵庫県は神戸のイメージで染まっているが、実態はかなり多様で複雑なのである(→2007.2.13)。
「七つの県境、六つの方言、五つの国、四つの新幹線駅、三つの空港、二つの海を持つ、一つの県」との説明があり、
うまいことを考える人がいるものだと。こういう面白がり方ができることこそ、教養のなせるわざだと思う。


diary 2024.6.

index