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2026.1.23 (Fri.)

瀬尾公治『女神のカフェテラス』が完結したので読んでみたよ。

このマンガ、確かにいかにも講談社らしい学歴コンプレックスラブコメではあるが、それだけだと思うともったいない。
作者も途中で気づいて面白がってやっているが、実はギャグマンガとしてなかなか優れているマンガなのである。
コマ割りがギャグマンガ仕様になっていないのでストレートに伝わりづらいが、ギャグの中身はかなりきちんとしている。
キャラクターの魅力を出しつつギャグに振った回はどれも面白い。ツッコミにしっかり1コマ使えばもっと笑えると思うのだ。
抱えている狂気が一周まわって魅力になっている女性キャラクターの構築が上手いので、そのやりとりだけで十分いける。
この作者にはぜひ、ラブコメ要素抜きで「おもしれー女」のギャグマンガをやってほしい。絶対に面白い作品になるはずだ。
どうせ現実離れした話をやるんなら、ギャグに徹してほしいのだ。ラブコメというブレーキをかけずに突っ走ってほしい。

え? オレ? 流星派だよ。



2026.1.21 (Wed.)

『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』。フランスの映画監督が撮った坂本龍一のドキュメンタリーがここにきて公開。
タイミングとしては1984年、『音楽図鑑』(→2003.1.252017.3.3)を制作しはじめた時期の1週間だと。教授は当時32歳。

 教授若いなー。

この映画は若き日の教授に焦点を当てつつ、適度なバランスで80年代の東京の姿もしっかりと記録している。
両者を並べることで、当時の東京そして日本の最先端と日常を客観的に見つめることに成功している作品である。
これは教授が東京出身であること、監督がアメリカ人ではない外国人であることが大きい(フランス人なのがまたベスト)。
教授のファンにはたまらない内容であるうえに、都市社会学的に非常に意義深い映画でもある。かなり素晴らしい作品だ。

先に教授について書くか。個人的に80年代の教授は全盛期で、この時期のインストゥルメンタル曲からは多大な影響を受けた。
オレの高校時代は教授のきわめて強い影響下にあったなーと、あらためて実感させられる。しかしタイムラグがあったので、
動いている若き日の教授をじっくり見るのはほとんど初めて。僕が約10年遅れて追いかけていたのはこれだったのか、と思う。
先にレコーディングしたパートをバックに「一人ジャム」と言えるやり方で曲を掘り当てようとしているのが興味深い。
僕が教授の曲に最も魅力を感じている点は、それが無国籍であることだ。ジャンルは消化しているし、深く理解しているし、
その上で無国籍なのだ。西洋音楽をがっつり学んだ東洋人だからたどり着ける無国籍の領域があるのだ、そう感じさせる。
しかもそこに哀愁が乗る。わかりやすい例だと『パースペクティヴ』であり、『邂逅』であり、『以心電信』の間奏である。
日本人に最も認知されているのは間違いなく『Merry Christmas Mr. Lawrence』だろう。この点は真似ができないものなのだ。
(戦メリは内容はクソだったけど、デヴィッド=ボウイががんばって、教授が曲をつくって、たけしが抜群の存在感を見せた、
 その3点で十分に価値があったなあと今なら思える。ものをつくる意義をあらためて考えさせられた。→2023.1.22
そういう魅力を乗りに乗って引き出している(ように見える)教授が味わえたのは純粋にうれしかった。ありがたい。

次に、1984年の東京について。街としては主に渋谷と秋葉原が登場するが、もちろん今となっては懐かしい昭和の風景で、
そこに僕は「神秘的」という印象を受けたのだ。21世紀の1/4が過ぎた時点の東京を生きる者として見て、1984年の東京は、
純粋すぎるほどの神秘性に溢れていたのだ。これはフランス人監督の目を通したから、あるいは自分が田舎の出身だから、
さらには当時の東京には外国人がほとんどいないから、などという単純な理由ではない。特別な何かが確かにあるのだ。
整備されきっていない街にはそこかしこに裂け目があり、そこにヴァイタリティがある種の「余裕」となって潜んでいる。
演じられるのを待っているのだ。補完してくれる物語を、空間が求めている。それを意識的だったり無意識だったり、
1984年の日本人は独自の様式による行為で埋めるのだ。祭りは前近代の匂いを残し、テクノロジーは現代の先を見せる。
過去と未来、1984年の日本人は東京という空間で双方に属す行為を演じてみせる。「神秘性」とは、その様式美のことだ。
示唆的なのが、積極的に差し込まれる竹の子族とローラー族の映像である。竹の子族はパラパラの元祖のような踊りを見せ、
ローラー族はツイストを踊る。ファッションの方向性は異なるが、どちらもそれぞれ演じる身体を補強するものである。
自己顕示欲は現代の若者と変わらないのだろうが、外からの評価に流されるのではなく、自分がやりたいことをやっている。
凸凹のアスファルト、不揃いなフォントや手書き文字の看板、原色で塗られた道具、それらの隙間を埋める身体のエネルギー。
対照的に現代は、空間の表面がきれいに整備されたことで、むしろエネルギーが噴出しないように綿密に蓋された印象である。
(久しぶりに東工大のキャンパスに入ったら、きれいに整備されたことで学生の自由が奪われた感覚をおぼえた。→2021.8.5
現代の日本は標準化や情報化や国際化の結果として、神秘の潜む隙間が失われている。日本人が自らそれを捨ててしまった。
やはり日本はガラパゴスであるべきだし、だからこそ世界を惹きつける魅力を持つのだ、あらためてそう思わされた。

最後に雑感。教授が矢野顕子と『東風』を連弾するシーンがあるのだが、完全に矢野顕子のノリに呑まれていて笑った。
ユニコーンの『すばらしい日々』をカヴァーしたときと同じ状態で、矢野顕子には独自の揺るぎない構造があるのがわかる。
『Self Portait』でエンドロールに入るのがむちゃくちゃかっこよい。なるほどこの曲が最も輝くのはこの形だわと納得。


2026.1.20 (Tue.)

『チャック・ベリー ブラウン・アイド・ハンサム・マン』。アメリカのドキュメンタリー番組を生誕100周年で劇場公開。
死ぬまでに一度は全裸美女で満員の日本武道館でもみくちゃにされながら 『ジョニー・B・グッド』を歌いたい私としては、
観ないわけにはいかないのであります。まあそれはともかく、洋楽知識をきちんと仕入れないといけませんのでな。

お恥ずかしいことに、これまできちんとチャック=ベリーを聴いたことがなかったわけでして、あらためて聴いてみると、
もうこれこそロックのいちばんの基礎じゃねえかと。ピアノが重要な役割を果たし、ベースラインがブギウギである点など、
前の時代の音楽性を残しているが、明るい曲調でグイグイ押しており、これは広く支持されるわなと実感したのであった。
自分で作曲しておいて、熱海ロマンの『東京23区ショー歌』の起源はここにあったのか!とか、どんだけ教養がないのか。
いずれじっくりと勉強し直さなくては、と激しく反省するのであった。しかしどの曲もグルーヴィでたまらないわ。

チャック=ベリー本人だけでなく、さまざまなアーティストのカヴァーも収録しているのがまた面白い。
最も衝撃的だったのがジミ=ヘンドリックスで、こりゃもうジミヘンがギターなのだと理解ができた。
「ギターを弾いている」なんてレヴェルではなく、「ギターが体の一部」でもなく、「ギターと一体化している」でもなく、
ジミヘンがギター!なのである。だから歯で音を出すのも当たり前のことなのだ。ジミヘンは完全に別格。ありゃヤバい。
リンダ=ロンシュタットの歌の上手さに卒倒しそうになる。本物の歌手の歌を聴いたのは、いったいいつ以来になるのか。
ローリング・ストーンズは女子ファン(女性ではなく女子)の歓声が凄すぎてミック=ジャガーの声が聞こえないくらいで、
往時の人気ぶりがストレートにわかって面白い。そしてキース=リチャーズのチャック=ベリー大好きっぷりもまた面白い。

というわけで、たいへん教養が深まるすばらしいドキュメンタリーなのであった。知識と感性が磨かれる経験って最高だ。


2026.1.19 (Mon.)

『悪魔のいけにえ』が公開50周年記念で4Kデジタルリマスターされたらしく、リヴァイヴァル上映されているので観た。

6年前のログではわりと好意的に書いているが(→2020.5.10)、あらためて見ると「怖い」以上に「気持ち悪い」。
「全米気持ちが悪いことを考える選手権」の最有力優勝候補はダテじゃないのだ。そしてとにかくひたすらうるさい。
そういう方向性のホラーを発明したんだから偉大だが、合わない人は究極的に合わないよなあ、と思うのであった。
こっちとしては面白い/面白くないというよりも「古典」「教材」「ネタ元」さらには「教養」として見ているので、
いきなり見せられた50年前の衝撃を想像しつつ、きちんと映画館という場で再確認できたのはよかったなあと。



2026.1.16 (Fri.)

平尾アウリ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(→2022.4.21)。完結したのであらためてレヴューを書くのだ。

衝撃的な展開を乗り越えてきちんとタイトルを回収して終わったわけだが、結局はぬるま湯だったなあと思うのである。
もちろんぬるま湯が全面的に悪いわけではない。しかし、過去ログで書いた「内部」と「外部」のコントロールは、
ファンの良識という曖昧な壁によって保たれるという、毒にも薬にもならないただの現状維持で終わったのであった。
れおがいなくなり、くまささんもいなくなり、しかし「推し」という祭りは続くというのは、事実として正しい。
このマンガはギャグを絡めながらその記録に終始したわけだ。そしてそれ以上のものにはなりえなかった。残念である。

社会学的に言うならば、「推し」に捧げるコスト(費用と労力、そして時間)をどのように正当化するかが問題なのだ。
それをChamJam側とえりぴよ側でそれぞれ言語化してほしかった。ヒントになるのは、「内部」と「外部」の関係だ。
アイドルを「内部」とすると、ファンは「外部」である。「ヲタ」を「内部」とすると、「推し」は「外部」である。
このそれぞれの「内部」と「外部」を隔絶するものがなくなることで、ドラマが始まる。それが古典的な、物語の構図だ。
しかしこのマンガは良識を崩さず、「内部」と「外部」を最後まで維持する。事実として正しいが、何も始まらないままだ。
だから良識あるヲタの自己弁護以上のものにはならない。現在進行中のヲタにとっては自己肯定してくれる作品かもしれない。
でも僕としては、「推し」に対する社会学的な分析を読みたかったのに、その一歩目を踏みだすことすらしない内容だった。
「推し」にコストを搾取される「ヲタ」と、流行に身体を搾取されるアイドル。現代社会で、その相似形は何を意味するか。
結局は資本主義における消費の一手段ということになるのだろうが、そこに切り込むだけの鋭さが欲しかったのである。
でもこのマンガはただ、カワイイ女の子たちが奮闘するマンガであり、それを応援するだけのマンガでしかなかった。

われわれはなぜ「推し」を求めるのか。人間にとって、そして社会にとって、その消費行動の効用はどう位置づけられるのか。
キリスト教や天皇制にまで踏み込める社会学的な分析、それに耐えるだけのマンガが現代だからこそ生まれてもいいと思うが。


2026.1.15 (Thu.)

『冒険者たち ガンバと7匹のなかま』。TVアニメ『ガンバの冒険』を、放映から9年後に総集編として映画化したもの。
ノロイがたいへん怖いという話で、ぜひ体験したいと長年思っていたら、イオンシネマでリヴァイヴァル上映。ありがたい。

ふだんすっかり令和の標準化されたアニメに慣れてしまっていると、芸術性がたいへん高い作品だな、という印象である。
出崎統監督は「芸術」なんてまったく意図していないんだろうけど、波や太陽光線をはじめとする風景の描き方、色づかい、
それらのアニメーションとしての動かし方が、「絵画を動かす」という本質を見事に衝いていると感じられるのである。
「出崎演出」はもはやアニメーションの表現として古典中の古典の位置を占めているが、その価値を再認識させられた。
そもそも冒頭、転がる缶の縦横無尽な動かし方から一気に惹きつけられる。物語の入り方にはある種の美しさが必要なのだ、
そういう根源的なものをあらためて教えられた。そして総集編で密度が高くなったにしても、気を抜いた瞬間がまったくない。
注目のノロイについても、最初の印象は「圧倒的に強大な敵」だった。まずガンバが思わず見蕩れてしまうというのが巧いし、
知性を大いに感じさせて魅力を漂わせるのが絶妙だ。毒の甘さというか。これはとことん手強いなーなんて思って観ていたが、
最後の最後で現れたときには鳥肌が立ってしまった。いやもうまいった。トラウマ級の怖さという評判にもただただ納得。
綿密な計算のうえで最大のインパクトを与える出崎監督のセンスには脱帽だ。しかもガンバたちの力できちんと決着がつく。
痛快な冒険譚が見事な形で90分に凝縮され、観客は時代を超えて喜怒哀楽を最大限まで振り切る経験を味わうことになるのだ。

「しっぽをたてろー!」は大人になっても通用する名言でございますな。


2026.1.14 (Wed.)

『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』。復活した「昭和ガメラ映画祭」が3作目までやっているので観たのであった。
まあ、ヤクルトファンとしてはギャオスの元ネタをきちんと見ておかねばなるまい。ギャオーって鳴くからギャオスなのね。
(1作目『大怪獣ガメラ』のログ →2025.12.18、2作目の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』のログ →2026.1.11

興奮するほど面白いというわけではないけど(怪獣映画じたいにそこまで興味がないので……すいません)、
今作はすごくまとまりのよさを感じる。人肉大好き設定はなかなかドギツいもののSFとしての理屈は悪くないし、
高速道路建設という社会的な背景も適度なスパイスになっている。子どもの活躍も怪獣が好きな子どもの視点を代弁しつつ、
自然な範囲に収めている。人間の戦いとガメラの戦いのバランスもいいし、全体のテンポがいいので飽きさせない。
何より特撮が意欲的だ。超音波メスで真っ二つなど(半分になった車がそのまま走るシーンには大いに笑わせてもらった)、
それまでにない新しいものを生みだそうというがアイデア勝負がたいへん魅力的だ。今作の評価が高いのも納得である。

しかしながら、僕の中で特撮はやはり『ウルトラマン』(→2012.2.27)と『ウルトラセブン』(→2012.4.19)が基準なので、
怪獣のデザインは明確に劣っているなあ、と思ってしまって申し訳ない。造形は絶対に大変だから文句を言いたくないけど、
それでもやっぱり、もうちょいなんとかならんかと思ってしまう。せめて色だけでもどうにかできると思うんですけど……。


2026.1.13 (Tue.)

同じく仲代達矢の追悼特集で『切腹』。残念ながら、こちらはこの世で最もつまらない映画のひとつだった。

1秒たりとも優れた場面がない、究極的につまらない映画である。133分もかけて最後までつくった神経を疑うレヴェル。
ふつうなら途中で気づいてつくるのをやめるだろ、と呆れてしまうほどのつまらなさ。駄作という言葉すら生ぬるい。
冗長という言葉を煮詰めたようなテンポの悪さ、大したことのない話を進めるのに回想とモノローグに頼る品性のなさ、
ごっこ遊びにもならない情けない殺陣、主演の俳優にすべてを頼りきった演出、独りよがりな音楽、ひたすら根暗な展開。
キャラクターはどちら側もとことん陰湿で、それで満足するスタッフもまた陰湿極まりない。短所だけでできている。

「武士の面目は上辺だけ」と言うために、これだけ無様で冗長な映像を垂れ流さなければならないとは。頭が悪すぎる。


2026.1.12 (Mon.)

仲代達矢の追悼特集で観た『斬る』。岡本喜八監督の作品である。

これだけ面白い邦画を観たのはいつ以来か。練られた脚本は実に巧みであり、無駄のない展開とテンポのよさが快感を生む。
あらゆるカットが記号として意味を持っており、目にしただけで状況を把握できる。そして観客に情報をとりこぼさせない。
物語の流れが非常に鮮やかで、114分間ずっと中身が濃くて飽きさせないやりとりが続く。自然と惹きつけられてしまうのだ。
何よりすべてのキャラクターがよい。飄々とした仲代達矢の源太は超人的すぎる感触があって過剰にかっこよすぎなのだが、
高橋悦史の半次郎が絶妙なバランスをとる。若侍の生真面目さ、組長の悲哀、悪役の鋭さ、家老のいい加減さ、すべて完璧。
魅力的なキャラクターたちが絡み合って読めない展開が続く一方、軽やかでモダンなギャグも遠慮なく展開される。
これがことごとく時代を超える面白さで、個人的には山中貞雄(→2022.11.5)に通じるエターナルなものを感じる。
真剣な戦闘の後に「あ、俺こっちじゃねえや」をやって爆笑をとることがどれだけすごいか。かっこよくて、面白い。
骨太なテーマにあらゆるエンタメ要素がしっかり詰め込まれている。これはもう、喜八ファンにならざるをえないぜ!!

たいへんな傑作なのに、タイトルが一般動詞で損をしているように思う。英題は『KILL』だそうで、そこを優先したのか。


2026.1.11 (Sun.)

『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』。昨年末の「昭和ガメラ映画祭」が1週間限定で復活したおかげで観ることができた。
1作目『大怪獣ガメラ』(→2025.12.18)の半年後に公開された続編で、巨額の予算が投じられたが特撮に凝りすぎて赤字。

いきなり隕石でガメラが戻ってくる潔さには呆れた。予想外の大ヒットに慌てて続編をつくった勢いが臆面もなく全開だ。
しかし気合いの特撮は相変わらず見事である。工夫されたアングルは健在で、派手に展開される炎、孵化のシーンも印象的。
大映の特撮の魅力を存分に味わえるが、暗い中での戦いがほとんどであり、自慢の特撮が見えづらいのがもったいない。

対照的に本編のストーリーはやっぱり雑で、これは昭和という時代ならではの部分もあるので仕方ない面もあるんだけど、
論理的にどうなのと思ってしまう理屈がまかり通るのはどうしても気になってしまう。SFとしての厳密さがもう少し欲しい。
殺人光線発射機とか、なにげに物騒だし。まあわれわれのよく使う「必殺技」って言葉も、「必ず殺す技」なんですけどね。
ぶっちゃけ今回のガメラはバルゴンにとどめを刺すためだけにいるのも痛い点である。最後、ガメラはどこへ行ったのか。

あらためて、怪獣映画をつくるのは難しいんだなあと思った。特撮パートについては気合いで魅せることができるけど、
物語の論理性は気合いではどうにもならない。怪獣は論理的には存在しないけど、そこをどう説得力のある嘘で押し切るか。
研ぎ澄ませるほどSFとしての厳密さが必要となるが、子どもも楽しめるエンタメの枠内で収めないといけない。大変だ。


2026.1.10 (Sat.)

午前十時の映画祭で『ショーシャンクの空に』をやっているので、そりゃあ観るでしょう!

細かいことは前に書いたレヴューのとおりである(→2007.4.25)。正直、初めて見たときほどの感動はないけど、
面白いものは面白いのである。21世紀の現代から見ると、「ざまぁ」的な面白さという指摘もできるかもしれない。
とはいえ有能な主人公が自らの力で周囲と環境を変えており、その点も物語をしっかり魅力的に彩っているのでよい。
単純な復讐譚というわけではなく、なんだかんだでやむにやまれず切り札を行使した格好だから、納得できるのだ。

そんなわけで満足はしたんだけど、個人的には2点、どうしてもやってほしかったことがある。
ひとつは、他にも魅力的な仲間がいる中で、レッドが特別だった理由。ふたりだけの絆を強調する仕掛けが欲しい。
そしてもうひとつは、前も書いたけど、レッドがハーモニカを吹くシーンを入れること。それがないのが本当に惜しい。


2026.1.9 (Fri.)

個人的にこっそり「日本橋高島屋の説教部屋」と呼んでいる高島屋史料館TOKYO(→2023.2.5)だが、
『闇市と都市―Black Markets and the Reimagining of Tokyo』を開催中。都市社会学者の端くれとして見てきたぜ。

 入口。中の資料は撮影禁止だが、貴重な写真のオンパレードで大興奮。

展示の中心となっているのは戦後の新宿。後に盛り場へと発展していくが、その源流として存在していたのが闇市なのだ。
戦時中、空襲の被害拡大を防ぐため、家屋を強制的に解体撤去する「建物疎開」が実施された。これが空地を生みだし、
戦後の混乱期になるとそこを埋めるように、仮設の市場つまり闇市がつくられていったのである(→2020.11.1)。
主導したのは尾津組をはじめとするテキヤの親分。親分→子分→素人というピラミッド構造が成立していたのだ。
(高倉健主演の『昭和残俠伝』は浅草が舞台だが、「マーケット」の建設をめぐる争いが描かれた。→2025.5.7
そうして新宿の東口には尾津組の新宿マーケットと野原組の野原マーケット、南口には和田組の和田マーケット、
西口には安田組の安田マーケットがつくられた。ちなみに安田マーケットでは店主たちが集団で地主から土地を購入し、
その部分が今では思い出横丁として残っている。新宿ゴールデン街(→2020.10.31)は三光町の闇市/青線から発展した。

展示はまず都内の闇市280ヶ所をプロットした地図で始まるが、よく調べあげたものだと圧倒される。
新宿関連では、1937年の新宿西口都市計画図なんて初めて見た。広場と周辺街路は戦時中だったがつくられたそうで、
その骨格が淀橋浄水場跡地の再開発、つまり現在の新宿副都心(→2010.9.11)へと通じている部分が確かにあるのだ。
そして写真の説得力も凄まじい。1947年に前川國男の設計で建てられた木造2階建ての紀伊國屋書店が代表例だが、
モダンな復興も行われていたのだ。1950年代後半、低層の建物ばかりの新宿西口ロータリーのカラー写真にも驚いた。
新宿ではないが、焼け野原の上野では住宅が露店からアメ横に発展していく、その初期段階が写真として残っていていた。
とにかく往時の雰囲気がよくわかる貴重な資料だらけで、興奮しっぱなし。これをテンポよくまとめた本がぜひ欲しい。


2026.1.8 (Thu.)

今敏監督の『パプリカ』をリヴァイヴァル上映しているので観てきた。

 PARCOでキャンペーン中。いま令和だぞ……。

前にDVDで見たときにも書いたが(→2007.10.24)、夢をきちんと映像化している点がまず圧倒的である。
オープニングから発想がすごいのだが、見たことのないもの、脈絡のないものを表現する想像力と実現力が凄い。
平沢進の音楽がまたバッチリで、物語・映像表現・音楽の組み合わせとしてつくられるアニメならではの可能性、
それを確実に広げた作品と言えるだろう。監督の作家性が最大限に発揮されたアニメーションという点で価値がある。
好き嫌いがかなりはっきり分かれる作品だろうが、ひとつの形として世界観をやりきる偉大さは認めなければなるまい。
これが自分たち一般人にできるかといったらできっこないわけで、そこは冷静に評価すべきと考えているのだ。

とはいえ、夢がもたらす脈絡のなさを真に受けてしまい、見ていてつらい気分になってしまうのはわかる。
でもそれは、現実と幻想がごっちゃになった状況にリアリティを感じているということだ。やはり、よくできているのだ。
そこまで込みで監督の手のひらの中というわけで、やはり今敏監督は表現者として時代の先を見ている感がある。
また、設定の説明が最小限で、描かれたものをとにかく受け止めるように求めてくるのも、この作品の独特な部分である。
そこにコストをかける必要はないという判断だろうが、バーのサイトやバーテン(原作者と監督が演じている)をはじめ、
説明不足というか最初から説明を諦めている要素はかなり多い。説明ゼリフの排除、これがすっきりしない人もいるだろう。
だから物語上はいちおう事件が解決しているものの、どうして解決できたのかは非常にファンタジー的力技であるし、
それが妥当であるかどうかを現実に即して確認することは不可能である。それをモヤモヤと捉える人もいるはずだ。
上記のようにそこを「一般人にできっこない」「監督の作家性」というブラックボックスで妥当と結論づけてしまうのを、
よしとしない考え方も理解できる。『エヴァンゲリオン』には語る余地があるが、『パプリカ』にはあまり余地がない。
結局のところ、作品のほぼすべてが今敏監督の特殊な能力に帰する、その強すぎる引力を受け容れられるかどうかなのだ。
僕はその力に素直に圧倒されているので肯定的な評価をしているが、「独善的」という見方もありうるとは思う。

でもせめて、黒幕の動機という謎はほぐしてほしかった。そこが示されれば、観客の満足度はもう少し高まっただろう。
「自分が主導して夢と現実の境界線を乗り越えることで、若さや満足な体を手にしたかったから」で、よろしおすか?


2026.1.7 (Wed.)

サンシャインシティの展示ホールCで『画業55周年記念 あだち充展』を開催中なので突撃したわけです。ムフ♡

  
L: 受付の脇には単行本の表紙が並べられており実に壮観。  C,R: 画業55年のあゆみ。しかし55年とは凄まじい。

まずは「画業55年のあゆみ」ということで年表から。僕が小学生のときに『タッチ』がアニメ化もされて大人気で、
主題歌を♪タッチ、タッチ、あそこにタッチ!……エッチ!と替え歌していた。それから40年近く経っているとは恐ろしい。
そしてそれより前から第一線で活躍し続けているわけだ。とんでもねえことだなあと思いつつ進んでいくと、
足元に赤い線。ここで待機して、まずはオープニングの映像を見せられる。終わるまで先に進めないとのこと。

 キャラクターが並んでいる絵から始まり、各作品からピックアップしたシーンの映像を見る。

映像が終わると、時系列に沿ってあだち充作品の展示を見ていく形となる。というわけで、まずは『ナイン』からである。
しかし基本的に撮影OKと聞いていたのだが、肝心の原画がことごとく撮影NGとなっていた。これには本当にがっくりだ。
どのように描いているのか、こちらとしてはその軌跡を追いかけたいのに、いちばん面白いところを記録させてもらえない。
しかも展示はカラーの扉絵などに限定されており、マンガの生原稿は1枚もなかった。テンションだだ下がりである。
いちおうカラーの絵について思ったことを書いていくと、水彩絵の具をぼかすように塗っていくカラーリングが印象的だ。
またホワイトを塗ることを躊躇しないというか、校名のフォントをホワイトで書くなど積極的に使っている感触もある。

  
L: 展示はこのように、各作品について解説、次いでキャラクター紹介。カラー原画を経て見開きページをピックアップ。
C: 見開きページは原画ではなく、パネルに出力されたもの。  R: 連載デビュー作からすでに完成されているのがよくわかる。

 『みゆき』の展示。ちなみに当方、相性診断では若松みゆきと「♥♥♥」だった。

最も重要な作品であろう『タッチ』(→2004.12.142012.5.12)では、パンチとセットで勉強部屋の外観が再現されていた。
……が、どうにも安っぽい。中を覗き込めるわけでもなく、ただの撮影スポットにしてはムダな金をかけてしまった感じ。
展示にしてもコメントとページの見開きぐらいで、キャラクターどうしの関係性に注目することすらない。がっくりである。

  
L: 再現された勉強部屋。もうちょっとなんとかならんかったか。  C: パンチはあだち充氏の私物とのこと。イマイチ似ていない。
R: 『タッチ』のイントロはなかなか斬新だった。場所を固定してキャラクターを出入りさせるのは秀逸なアイデアと思うが。

  
L: そのスタート地点から組み上げるとは。  C: 右には和也の遺影のコマがある。  R: さまざまなマンガをまとめた一角。

しかし展示を見てみると、あだち充が画業55年だけあって恐ろしいほどコンスタントに作品を連載していることと、
自分がそれをきちんと追いかけていないことに気がつく。『タッチ』以外で読んだのは『H2』くらい(→2008.7.15)。
さすがに『MIX』は完結したら読む意思はあるけど、いつになるやら。まずは『ナイン』から押さえていくべきか。

  
L: 『ラフ』。水泳がテーマなのでそんなライティング。  C: 『H2』。Hが4つあるやん。  R: コマをアニメーションさせる。

  
L:『MIX』。勢南の西村が監督をやっているのか! 原田もいるじゃないか!
C: 西村が柏葉英二郎みたいになっとる。  R: 原田がギャグをやっている。

 
L: 『タッチ』と『MIX』の風景を比較。うーん、だからどうなんだ、と思ってしまうなあ。
R: 結局のところ、コマと一緒に記念撮影ができるよ!というだけの意味しかない展示である。

最後の方で仕事机の再現コーナーが登場。机の上だけかなりとっ散らかっているのだが、リアルなんだろうか。
脇にゴミ箱があったので覗き込んだら、スケジュール表が捨てられていた。これもどの程度リアルなんだろう……。

  
L: 仕事机。  C: あえてそうしているのか、かなり乱雑。  R: ゴミ箱の中を覗いたら、スケジュール表が捨てられていた。

 伊集院とのツーショットが大事に飾られていたのであった。

展示のトリを飾るのは、交友関係のある皆様からの色紙。これが撮影OKなのはたいへん意外だった。
気になったものをテキトーにピックアップしていくが、ここがいちばん撮り応えがあるというのはニンともカンとも。

  
L: 高橋留美子氏。るーみっくワールド的な南ちゃんはこうなるのか。だいぶ作風と異なる印象だが。
C: 青山剛昌氏。髪型がふつうだと全体もふつうに感じる。  R: 久米田康治氏。これは南ちゃんなのか。

  
L: ちばてつや氏。85歳でこれだけ自在に描けるって……。  C: マユリカ中谷氏。ふつうに上手くてたまげた。
R: つばくろう。涙なしでは見られないではないか。もうつばくろうをあとりえによぶことはできないんだよ……。

 個人的なMVPは若杉公徳氏(→2006.8.142007.5.8)。さすがである。

展示が終わると物販コーナー。キャラクター主体というよりは作品ごとのグッズが並んでおり、食指は動かない。
どうせなら、顔は一緒だけど髪型によっていろんなヒロインになる、みたいなグッズでもつくれば面白いのに。
個人的に最も衝撃的だったのは、南ちゃんのリカちゃん人形である。これ、今回のためにわざわざつくったんか?

 リカちゃんなのか、南ちゃんなのか。それが問題だ。

というわけで、たいへん期待はずれな内容だった。やっつけ仕事という印象で、入場料が半額でも高いくらいだ。
とても「ムフ♡」とは喜べないクオリティで、あだち充に対して大いに幻滅してしまうほど。ただただがっくり。



2026.1.5 (Mon.)

本日が仕事始めだが、いきなり電子黒板の納入という大仕事なのであった。まあそっちは手続きだけなのでいいが、
問題は捨てるモニターの片付け作業である。据え付けられている大型のスタンドを20台以上ひたすらバラしまくり。
ドライバーと六角レンチを駆使してガンガン小さくしていく。まあ解体作業は幼少期から得意分野でございますので、
(中学校でバヒさんと50ccエンジンをバラしたが、みんながバラした頃には観察も済ませて組み直していた →2020.9.4
牛に襲いかかるピラニアのごとく猛スピードでスタンドを金属片に変えていくのであった。充実した一日なのであった。


2026.1.4 (Sun.)

アメリカのベネズエラ侵攻にはたまげた。一気にマドゥロ拘束までもっていくとは、あまりにも手際がよすぎるような。
ちなみに当方、年末の地理総合の授業でちょうど南米の回があり、ベネズエラ情勢は昨年のノーベル平和賞の件も含めて、
けっこうきっちり教えております。しかしそれにしても時事ネタがドンピシャになってびっくり。生徒はどう反応するかな。

渋滞覚悟で11時発の新宿行きバスに乗り込んだのだが、なんと定刻どおりに到着。絶対に渋滞にハマるだろうと予想して、
気合いを入れて『ニューロマンサー』(→2005.1.8)の読み直しをやろうとしていたのだが、結局1/3も読めなかった。
まあおかげでこうして日記を書く余裕ができたのはありがたいけど。今年は積極的に読書をしていきたいですなあ。

夜、ベネズエラ関連のニュースをチェックする流れで、そのままウルフアロンのプロレスデビュー戦をTV観戦。
よくがんばったと思うのだが、それ以上に印象に残ったのが相手のEVIL選手の巧さ。試合のテンポをしっかり維持しつつ、
ヒールとしての役割を存分に果たす暴れっぷり。最後の白目まで完璧じゃないか。ついつい見蕩れてしまった。かっこいい。


2026.1.3 (Sat.)

バヒさんと晩メシをいただくのである。一人だと入りづらいという中央通りの燻製屋に突撃するのであった。
いろいろ注文したのだが燻製が出てくるのがなかなか遅く、その分だけ酒が進む展開に。燻製は主食系が課題ですなあ。

  
L: ピート臭を効かせたビールに各種燻製をいただく。燻製は四半世紀前にいろいろ自作したっけ(→2001.8.162001.12.1)。
C: 気まぐれ燻製セット。盛大な煙に包まれて登場。  R: ピザを頬張るバヒさん。燻製だけだと主食系が弱いのでこれは助かった。

なんだかんだでそれなりに食ったので、2軒目はバヒさんに連れられてバーへ。入ったら店内はほぼ真っ暗でびっくり。
しかしこれは提供される酒にスポットライトが当たるように、という工夫。劇場型のバーとでも表現すべきか、実にオサレ。
昨年8月にサントリー白州蒸溜所を見学した影響で(→2025.8.17)、当方、バヒさんとともにウイスキーをいただいた。
どうも今日は燻製からウイスキーまで強烈にスモーキー。でもそれもまた楽しい経験である。勉強になるなあ。

 こんな具合に酒にスポットライトが当たる感じに。オシャレすぎんか。

この店で凄いのはトイレとのことで、デジカメ持参で突撃したらそこにはバラの浮いたバスタブ。言葉を失ってしまった。
棚には特製ラベルの酒が並ぶが、たいへん見事な古谷三敏ガチ勢。飯田は飲み屋だらけの街だが、それにしてもこれは凄い。

  
L: これは、いったい、何と言えばよいのやら……。  C: 反対側にはミュシャ風の絵。  R: これはガチ。凄い。

というわけで今回もバヒさんにはいろいろ楽しませてもらった。毎回尖った店を見つけて教えてくれてありがたい。
なおバヒさんは今度は北海道に行きてえということなので、またじっくりプランを練りましょう。楽しみにしております。


2026.1.2 (Fri.)

7日まで全話無料ということで、今さらながら久保帯人『BLEACH』を読破したよ!

たいへん読みづらいマンガである。しかも全74巻あって、後半たいへんダレる、という話をどこからか聞いていたのだが、
すでに16〜17巻の辺りで飽きてしまった。それでも読んでおかねばという義務感で踏ん張ったが、正直つらかった。
一世を風靡したジャンプバトルマンガの一角という扱いになっているが、こんなに長く連載が許された理由がわからない。

まずこのマンガに最も強い影響を与えた先行作品は、間違いなく『幽☆遊☆白書』(→2008.7.252011.10.31)だろう。
もちろん他の多くのマンガにも影響を与えたが、特に『BLEACH』は設定・能力・キャラクターのタッチで影響が強い。
しかし『幽☆遊☆白書』が全19巻のヴォリュームにまとまっているのに対し、『BLEACH』は上述のとおり全74巻。
(まあ長いのは『BLEACH』だけじゃなくて『ONE PIECE』も『NARUTO』もそうで、ジャンプのダラダラ展開が定着した、
 その代表例のひとつと見なせる。『シティーハンター』の簡潔さ(→2005.1.27/2025.12.25)は遠くなりにけり。)
結局のところこのマンガ、『幽☆遊☆白書』のやっとることをほぼ同じ構造で(いい意味で)中二病たっぷりに再現しつつ、
終わらない『ONE PIECE』の裏で『NARUTO』(→2019.7.22)と一緒に引き延ばしていただけなんじゃないかと感じる。
だからどうにも全体的に既視感がある。そして他のマンガと比べ、『BLEACH』が発明した新たな機軸がないのである。

結論としてはこのマンガ、キャラクターの人間ドラマをやりたいのではなくて、「すごい能力」を出したいだけなのだ。
作者のプライオリティは「すごい能力」を考えることにあり、面白い話をつくることが二の次になってしまっている。
しかもその能力が話の面白さにつながっていない。読んでいて、「すごい能力」と「話を面白く磨きあげる能力」は別物だ、
という真理を74巻にわたって延々と突きつけられた。また、「すごい能力」を出すために、登場人物がやたらと増えていく。
結果、一人ひとりへの愛が薄まってしまう。キャラクター(character)とは性格・特性・個性という意味を持つ単語だが、
その生きている部分(→2009.2.19)よりも「すごい能力」を優先するため、活躍しきれない登場人物が多くなってしまう。
逆説的だが『BLEACH』は生き残る敵が多いことで、かえってキャラクターが供養されずに中途半端に放置されてしまい、
見せ場を失ったキャラクターだらけになっている。同時進行のバトルも多すぎて、1バトルあたりの価値が安くなっている。

もうひとつ問題なのが、読者の裏をかくことを志向する点だ(これは『NARUTO』と同じ問題点である →2019.7.22)。
おかげでバトルは冗長になり、謎解きという形で言い訳が一気に来る。そうすることで全体のリズムがどんどん悪くなり、
読者がカタルシスを得られる間隔が間延びする。しかも大風呂敷を広げたわりには、後づけの理由が薄っぺらい。
裏をかくことが前提となってしまっているので、登場人物のセリフがいちいち、僕(=作者)の伏線すごいでしょ、
という響き方をしてしまう。藍染にしろユーハバッハにしろ、ボスのセリフの言い訳がましさがひどいことになっている。

がんばって全74巻を読んだので、『BLEACH』がどういうマンガなのかはよくわかった。でも二度と読み返すことはないわな。


2026.1.1 (Thu.)

今年も写真の整理と電子版のマンガばっかり読んでいる正月で申し訳ございません。100%怠惰というわけではないのだが。

昨年は西へ東へ旅行しまくってお金も日記も実に大変な一年だった。今年は昨年ほどは激しくならないはずなので、
なんとか旅行がおさまる方向へと持っていきたい。でもいちばん優れた「学び」は、やっぱり旅行で得られるんだよなあ。


diary 2025.12.

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