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2026.3.14 (Sat.)

信州ダービーである。秋春制への移行期間ということで、J2・J3百年構想リーグでの第1戦となる。

長野行きのバスに乗るために新宿を目指して山手線に乗り込んだら、救護対応で渋谷でストップ。3分ほどで動きだすが、
今度は安全確認で代々木でストップ。イヤな予感がしたのですぐに下車し、バスタまで歩いてギリギリセーフ。
バスに乗ったら乗ったでワケのわからん外国人が席を替わろうとしてくるし、関越道に乗る前から渋滞だし、
高速道路を降りた長野市内でも渋滞するしで波乱の往路なのであった。眠気と格闘しつつも妙義山の撮影はやりきる。

  
L,C,R: 関越道から上信越道へ。上信越道といえば、僕にとっては妙義山なのだ(→2002.2.282024.10.5)。だいたい東側から。

 横川SAから見た妙義山(だいたい北から)。今日は天気がいいので見応え抜群。

  
L: トンネルを抜けてだいたい北西側から。  C: だいたい西側から。  R: いろんな角度で妙義山を眺める贅沢さよ。

景色がいいのは妙義山だけではなくて、長野県内に入ってからの北アルプスがたいへん美しいのであった。
北アルプスの格別な存在感は3年前にも味わったが(→2023.10.14)、雪を戴く春の雄姿は言葉にならない。

  
L: 雪を戴く北アルプス。写真だと伝わらないが、実物は本当に美しい。地味な山ばかりの南信出身としては羨ましい限りだ。
C: やたらきれいな独立峰。飯縄山? 黒姫山? 妙高山? 知識がないのでよくわからん……。  R: 松代大橋から眺める北アルプス。

長野駅に到着するが、30分遅れで済んだから想定内。ナカジマ会館で素早くきのこそばを手繰ると、東口のバス乗り場へ。
まったく下調べしていなかったけど、スタジアム行きのシャトルバスがちゃんといた。われながら慣れたもんだなあ。

 毎度おなじみ長野駅。

スタジアムに到着すると、手前の体育館・プールが改装中なのであった。こんな建物あったっけ?となる記憶力の弱い私。
戸惑いつつまずはショップへ。信州ダービーグッズはライオーとガンズくんの缶バッジくらいしかなくてがっくり。

 
L: 南長野運動公園総合球技場(長野Uスタジアム)。右が改修中の体育館・プール。こんなんあったっけ?
R: ホームゴール裏では、選手入場時に巨大なフラッグが登場したのであった。「LIONHEART」とな。

さて今回はメインスタンドビジター2階席での観戦である。山雅サポに囲まれての観戦は正直うれしくないのだが、
今回は2階でのんびり観戦したかったのである。で、自由席だと面倒くさいので指定席となると、ビジター側しかないのだ。
メインスタンドは西側で、直射日光が当たらない分しっかり日陰なところにビュービュー風が吹いてきてたいへん寒い。
信州ダービーなのに客もあんまり入っていないし、自由席の方がいろいろよかったかもしれないなあと思いつつキックオフ。
なおこの試合は百年構想リーグで、長野が紺、松本が白のユニフォーム。おかげであまり信州ダービーという感じがしない。

  
L: 開始2分、松本のCKから白井が押し込みあっという間の先制点。  C: 続いて前半8分、がら空きのゴールに加藤がシュート。
R: これが決まって2点目。これまでわりと拮抗した内容になっていた信州ダービーだが、今回は両チームにかなりの差があった。

始まって10分も経たないうちに松本が2点リード。周りの山雅サポは大興奮である。まあそりゃそうだわな。
褒めるべきは松本の守備である。ボールホルダーに対して適度な距離感を保ちつつ、まずはしっかりと圧力をかける。
そうして複数での対応により相手のパスコースを消し、味方がカヴァーに入れることを確認したらデュエルで奪いにかかる。
これがフィジカルで優位に立っており、まず負けない。初手で奪いきれなくてもカヴァーが入ってボールをしっかり回収。
今シーズンから松本は昇格請負人としておなじみの石﨑信弘監督が指揮しており、その確かな指導力がはっきりわかる。

  
L: ブロックをつくって守備をする松本。ボールホルダーをつねに複数で警戒し、パスコースもしっかり切る。これは強い。
C: 長野はサイドに付けようとするが、松本は連動して対応。人もスペースも抑える守備となっており、なかなか隙がない。
R: 松本は長野に前を向かせない。前後で挟み込んでボールを奪いきる。対する長野はボールを受ける動きができていない。

松本のポジショニングが絶妙なこともあって、長野はパスコースがつくれない。こうなると何かしらリズムを変えて、
相手の守備に綻びをつくる必要があるが、長野の攻撃にはまったく工夫がみられない。単調に攻めてはボールを失うだけ。
そうして全体が前がかりになった裏にできた広大なスペースを突っ込まれて失点する、その繰り返しなのであった。

  
L,C: 前半35分、味方のパスに抜け出した村越がゴール。  R: 前半43分、ポストの撥ね返りを金子が押し込んで4点目。

前半が終わって4-0。後半も血祭りの予感しかない。ここまで一方的な展開になるとは……と思いつつトイレへ直行。
そしたらハーフタイムのパフォーマンスが始まって、観客がみんなスマホで撮っている。興味がないので気にしなかったが、
Little Glee Monsterなのであった。実は六本木での中学校教員時代、長谷川芹奈と小林あさひには英語を教えたのよね。
ずっと寝とったけど。もう一人いた坂本さんはメジャーデビュー前に脱退しちゃって残念。あさひさんは元気そうで何より。

 みんな必死で撮っとると思ったらリトグリやった。どれが誰だかわからん。

後半に入って松本の守備に少し疲れが見えたものの、最後まで長野には松本を崩しきるための明確なアイデアはなかった。
長野は攻めても意思が統一されておらず、噛み合わない場面ばかり。点を取るヴィジョンがずっと見えないままだった。

  
L: 疲れが見えてきても松本は基本が徹底されているので大きなピンチにはならず。前半と同じく前を向かせない守備。
C: DFにボールが戻っても、隙があれば松本は襲いかかる。そうやって長野に90分間ずっと圧力をかけ続けていた。
R: 村越のシュートを弾く長野GK田尻。松本は後半に勢いを落としたものの、きっちりシュートを撃ちきる場面を連発。

的確なプレーができるチームと無策なチームとが正面からぶつかったら、そりゃあこれだけの差になるよね、という試合。
監督も選手も無策が過ぎる。これは本当にJFL降格が見えてきたように思う。どうするんだ長野。もう堕ちようがないぞコレ。

  
L,C: 71分、DFの横パスを奪った村越がゴール。  R: 最後の最後まで長野は広大な裏を突かれまくるのであった。

トータルスコアは5-0となったが、実力差はそんなもんじゃない。入場者数はついに1万人を割り込んで9,792人だった。
松本が良すぎたにしても、長野にポジティヴな要素がまったく見当たらない内容で、正直なかなかの絶望感である。

  
L: これ以上ない完勝ぶりに大喜びの山雅サポ。  C: ブーイングの長野サポ。どうすればいいんだろうね。困っちゃうね。
R: この日が石﨑監督の誕生日ということで、さらに盛り上がる山雅のゴール裏。やはり石﨑監督の手腕はものすごい。

 帰りに撮影した、改修中の体育館・プール。こんなんあったっけ?

長野駅に戻るとカフェで写真を整理する。一段落ついたところで前にネット記事で知ったスパゲティの専門店に突撃する。
「変わらぬ昭和の雰囲気」ということでワクワクしつつお邪魔するが、ロゴからイラストから古き良き手作り感がたまらない。

  
L: アルデンテ。  C: 看板のイラスト。たまりませんなあ。  R: 紙ナプキンもかわいいのである。

 あさりしめじ青じそ大盛。おいしゅうございました。

大盛にしたけど思った以上にヴォリュームがあり、たいへん幸せ。肝心の味もニンニクをうっすら効かせているのが絶妙で、
夢中で一気に食べきってしまった。いろいろ極端な一日だったように思うが、最後をいい感じに締められたことはヨシとする。


2026.3.13 (Fri.)

『億万長者』。市川崑監督作品ということで観てみた(ただしラストシーンについてモメたため、クレジットはせず)。

一言で言うと、ブラックユーモアだけでてきている群像劇である。ブラックユーモアを詰め込めるだけ詰め込んでいる。
根底にあるのは、戦争・原爆に対するアレルギー。そこに戦前に活躍の場がなかった女性のエネルギーを掛け合わせる。
結果、戦後わずか9年で「太陽を盗んだ女」(→2003.11.16)をやるという、なかなかとんでもない映画となっている。
さらに山田五十鈴をはじめとする芸達者な人々が全力プレー。非凡なカットもいっぱいで、いろいろさすがである。

しかしながら、監督と役者がやりたい放題を繰り広げすぎており、まとまりはゼロ。内容と完全に乖離したタイトルに、
すでにヤケッパチ感が漂っている。現代からすれば、昭和という時代のいいかげんさをこれでもかというほど堪能できる、
まさに怪作としか言いようのない仕上がりである。原爆マグロがわからんとコレ、どうにもならんなあ。時代の徒花。


2026.3.12 (Thu.)

調子に乗ったマサルは、僕の日記からNotebookLMでさらに2本のポッドキャストを作成したのであった。

★NotebookLMが作ったポッドキャスト③「朝5時に車を出す弁護士の哲学」(⇒こちら

「リョーシ氏について語ったポッドキャスト。」

★NotebookLMが作ったポッドキャスト④「高倉健と裸芸が暴く社会の正体」(⇒こちら

「この日記について、特に指示をせずに出力したポッドキャスト。
 内容的には、AIが勝手にマツシマ君の考察をテーマにしています。」

④を実際に聞いた感想としては、曲解されまくっている感じなのが怖い。でも読解力のない人も同じようなものか、とも思う。
部分部分では表面的なところをもっともらしく語ってはいるけども、全体を通して眺めてみると、まるで一貫性がないのだ。
僕としてはマサルの娯楽に付き合った感じだが、現時点でのAIの性能を考えるうえで非常に参考になる「遊び」だった。

ここ数日のマサルのAI遊びに付き合ってみて、感じたことを書いてみる。

もともと僕は、AIにまったく興味がない。無責任な言説を集めたものに価値を見いだせないからだ。
掛け算にゼロが混じった瞬間、意味がなくなる。確かに数は力となるが(→2020.11.11)、量が質に転化するとは限らない。
マサルはその弱点を十分に理解したうえで遊んでいるが、弱点を理解しない読解力のない人間には埋伏の毒になるだろう。

以前、完全に支離滅裂な内容のレポートが提出されて、こっちの頭がおかしくなりそうになったことがある(→2023.7.28)。
AIはいろいろデータを拾ってくるけど、論理的な構成をつくることができないのだ。AIの仕事はすべてが引用であるから、
各個の事例と結論も別々に引っ張ってくる。もっともらしいつなぎ方をするけど、論理的にズレがある。これは思考ではない。
ここから逆説的に、人間には生来の論理的な構造が存在していて、それにもとづいて各自が価値を判断していることがわかる。
この各個人に特有の論理性が「人間の自己同一性」なのだろう。言い換えると、それが「人格」なのだ(→2013.3.20)。
前に人間性の根源として「記憶」を挙げたが(→2005.8.19)、記憶の積み重ねによる自己同一性の保証(→2020.4.18)、
それこそが人間ならではの論理を形づくるのだ。それぞれの人間の数だけ論理があり、それに支えられた価値観がある。

一例として、マサルが僕の日記を利用して遊んだ記録を使って分析してみよう。

このようにAIは過去ログから具体名を引っ張ってくるが、すでに書かれたものしか扱わないので昔の女優さんばかりである。
ここ最近の僕のお気に入りとしては、引退しちゃったけど白桃はなとか朝田ひまりとかたいへんお世話になっておりまする。
天馬ゆいはもうちょっと前が全盛期で惜しいんだよなあ。逢沢みゆもよいし、石川澪もよい。たまの松本いちかは効きます。
でもAIは、そういった女優さんたちの名前を具体的に出すことができないのだ。ログから確率論的な帰納っぽいことはしても、
「びゅく仙の好み」という構造を見つけての演繹ができない。紳士諸兄はここに挙げた女優さんたちから僕の好みが想像でき、
あなたきっとこの女優さん好きでしょ?と、根拠にもとづいた提案ができるだろう。しかしAIにはそれができないのだ。
女優さんの属性を細かくタグ付けして定義していくことで、AIに提案させた場合の精度を上げることはできるかもしれない。
ところがそもそも、属性を抽出してのタグ付け作業自体が、ひとつひとつ価値判断を必要とするため、AIには不可能なのだ。
人間が丁寧に下ごしらえをしてあげて初めて、AIは統計的なまとめをはじき出すことができる。でもその当否は確率論による。

AIの話がAVの話になってしまったが、価値判断(=決断)できないくせに価値判断しているように語るのが気持ち悪いのだ。
繰り返すが、AIは水平移動して、表面に浮かんでいる断片をただ拾ってくるだけにすぎない。それは結論ですらそうなのだ。
それに対し人間の思考は、垂直方向に伸びていくものだ。その軌跡を描く根拠が論理であり、その人の構造つまり人格なのだ。
僕はいま、この文章を書きながら考えている。書くという行為を通すことで、いままさに思考を論理的に整理しているわけだ。
朝、バスを待ちながら考えてスマホにメモをとり、夜に日記として論理的に落とし込む。掘り下げるとはそういうことだ。
垂直方向に論理を掘り下げ/積み上げ、時にはアリの巣/樹木のように複雑な軌跡を残しながら、思考の総体を築き上げる。
マサルのポッドキャストでも、分析したのはぜんぶ僕だ。AIはそれをもっともらしく紹介しているだけ。しかもミスがある。

AIの学習は「もっともらしさ」の精度を高めようということにすぎない。それは人間の知能とは根本的に異なるというか、
人間にできることの一部分に特化しているというか。やはり人間が束になって思考を掘り下げることの価値は特別なのである。
ただし、膨大な個人の結論を束ねるAIを上位と見て、人間がその下でデータを掘り下げる道具となるペシミスティックな社会、
そう捉える考え方もありうる。とはいえ価値判断、つまり決断は最終的に人間が下さざるをえない。AIは責任取れないからね。
どんなにAIが水平方向に素早く動いたところで、垂直方向を掘り下げる自己同一性はない。そこが決定的な人間との溝である。
言ってみりゃ、AIのやることは良くて2次元。人間の思考は3次元での泥臭い格闘そのもの。+1次元に必要なのは、人格だ。

それにしてもAIについてなんて、興味がなさすぎてマサルが遊ばなきゃわからんかったからなあ。そこは素直に感謝だな。


2026.3.11 (Wed.)

東日本大震災から15年となった。

★ 関連する過去ログ
東日本大震災当日から1週間(→2011.3.112011.3.122011.3.132011.3.142011.3.152011.3.162011.3.17
震災から5年後の三陸沿岸を訪れる(→2016.9.182016.9.19
石巻と女川を訪れる(→2018.8.182018.8.19
浪江町を歩き、東京電力廃炉資料館を見学する(→2024.6.15
陸前高田市の復興と石巻市の震災遺構(→2025.8.23/2025.8.24)

震災関連のネットニュースを読み漁る。
一定の復興が果たされている前提で、落ち着いて過去を振り返る内容のニュース。
一定の復興が果たされているけども、いまだ残る傷跡をどのように受け止めるか問いかけるニュース。
年を経るごとに、体験は情報となっていく。痛々しかった触感は、ツルツルとした感触へと摩耗していく。
それでもあの質感を忘れないでいるためには、できるだけたくさんの情報に接して量を積み重ねるしかないのだ。
そして貧しくとも想像するしかないのだ。当事者意識を共有することで、相手の立場を理解すること(→2005.4.29)。
想像力を駆使して、自分の中に他者を受け入れること(→2009.2.19)。そうしてともに歩んでいくしかない。


2026.3.10 (Tue.)

昨日の分のログではAIについて僕とかなりマジメなやりとりをしていたマサルだが、まあそうは言っても、
「バカみたいに褒められたいんよ」「僕は褒められて伸びるタイプなんよ」などとまったく臆面もなく言ってのける人である。
このたび、僕の日記をNotebookLMに読み込ませて「マサルに学ぶビジネス風ポッドキャスト」をつくりやがったのであった。

★NotebookLMが作ったポッドキャスト①「銭湯Tシャツとマサルのフェアマインド」(⇒こちら

ここ数年の日記を中心に作成:
「タイトルも構成も勝手にAIが作りました。『マサルのことについて語って』という指示だけしてます。」

★NotebookLMが作ったポッドキャスト②「無邪気な天才編集者マサルの圧倒的人間力」(⇒こちら

2000年代後半~2010年代の日記を中心に作成:
「褒めすぎですが、タイトルも構成も勝手にAIが作りました。僕の肩書が編集者になってます。」

これをリョーシさんに聞かせたところ、車の運転に支障をきたすレヴェルで笑い死に寸前になっておりました。
僕は「あいつは何やってんだ……」と呟くことしかできませんでしたとさ。結局これ、究極のマスターベーションなんよ。


2026.3.9 (Mon.)

先月マサルと会った際にいろいろダベったわけだが(→2026.2.7)、絶滅メディアの思い出からAIの話題になって、
もはや僕の日記からいかにも僕の言いそうなことをほぼ完全に再現できるよね、という結論に至ったのであった。
まあ当方、それを見越して「Byuxie Flatline」というタイトルにしたのだが(→2005.1.82009.2.182020.10.272024.7.18)。

で、このたびマサルが実際に僕の日記過去数年分をNotebookLM(※GoogleのAI)に読み込ませてみたとのこと。
それについての僕とマサルのSMSのやりとり(3月7日)を載っけてみる。なお、発言は編集してあるのであしからず。

:岡山県にいるところすみません。NotebookLMにびゅくびゅく日記の過去数年分を入れたら面白かったので、
共有したかったんです。20年以上のデータがあることの素晴らしさだと思います。これでマツシマくん自身の特徴とか、
好きなもの100とかすぐ出ます。たまに間違えてますが。姉歯(アネハ)と呼ばれる友人グループという記載に驚きました。



:無料でここまで遊べることが純粋に楽しいです。読み込ませることのできるソースの上限が無料だと50なので、
読み込ませている日記が飛び飛びで、全部読み込ませてないので偏ってます。

:これ、基本褒める評価になっているんだろうね。AIに褒められるのはすごく気持ち悪いねー。

:でもAIに貶されたくなくない? バカみたいに褒めて欲しいけど。

:AIに褒め殺しされている方が気分悪いよ。

:けなして!という方向性もできると思うよ。

:そっちの方が有用だろうね。

:褒め殺しは、凹んでる人にはいいと思う。チャットGPTをチャッピーと呼んで使っている人はそういう感じ。

:僕の場合は「AIごときにオレの良さがわかってたまるか」という古い価値観が強い。

:僕の場合、AIが人間様の評価をするとは何事か、ロボット三原則に従え、こんなことを許したら火の鳥のハレルヤになる、
という価値観が強い。だからバカみたいに褒めて欲しい。

:根本同じなのに真逆なのか。

:それこそが人間。

:僕はAIを信用していないから褒められても気持ち悪いし、批判されても深く受け止めないのね。


:僕もAIを100パー信用してるわけではないけど、ただの言語データの組み合わせがここまでできることに対する、
面白さのみです。

:文面の組み合わせでここまでできるのは確かにすごいけど、あくまで表面と割り切れないとエライことになるなあ。
結局メディアリテラシーなんですなあ。その点、マサルは健全に表面をサーフィンして楽しんでいると思うわ。

:昔『ドラえもん』の、テストの正解を書けるコンピューターペンシルって流石に無理だろと思ってた。
ただiPodとかがでてきて、大量の曲やラジオが入れられるようになったけど、
そんな人類の叡智みたいな大容量のデータを小さいデバイスに入れられないだろと思っていた。
でもクラウドが出てきて、データをクラウド上におけばペンシル自体に容量はいらないし、
歴史の年号が変わってもデータは更新されるので通信機能があればできるかもと思った。
ペン先にカメラがついて筆記をデータ化するペンも出てきたのでだいぶ近くなったと思った。
でも日本語の文章読み込めるのかな、現代文の読解無理だろと思ってた。ここでLLMによるAIの進化が来て、
現在なら実現可能だなと思う。コンピューターペンシルは無理だろと思ってたけど、今プロトタイプは全然作れるね。
精度は100パーじゃないけども。それは時間が解決してくれそう。でもこれはテストのことだけで、
基本はAIはアイデアの参考にするとか、スライドなどを作るツールでしかないと思う。

:AIって、もはや表面のテキストデータなら、それなりの精度でまとめられるって今日マサルに教わったわ。

:使う使わないは人間がその都度判断することになるし、微調整は多分限界があるので、そこで人間が必要になりそう。

:こうしてみると、AIが事実を掘り下げることは未来でも不可能だろうなー。確率論に終始する感じ。
ただ、人間は膨大な知識をまとめるための「歴史を掘り下げる道具」に特化していく可能性はあるね。

:今のAIは医師国家試験もいけるみたいな話だから、試験みたいな正解が決まっているものはいけると思う。
正解が決まっていないもの(音楽や絵画とか)は、似たものは作れるけど、結局微調整は人間がしないといけないし、
AIで作ったアートです、みたいなものは今だけ許される現代アートで、手垢つきまくったらなんの価値もないと思う。
カフェBGMみたいなもんにしかならないと思う。

:カフェBGMで満足する人間が多数になったらオシマイですな。

:それはでも、なんというか、マヨネーズご飯でも満足できるみたいな話で、評価されるアートではなく、
ただの実用品みたいな感じだと思います。

:いやでもそういう人種は増えていると思うよ。

:増えてても仕方ないと思うし、防ぎようがないので、自分がそうでなければ良いということかと思います。

:まあ他人を自分の思いどおりにはできないからねー。おやすみ。

:では、大量のByuxie Flatlineを読み込ませてみます。明日リョーシさんと会う時間がわかればそれまでに作ります。

:明日7時集合w

:おやすめません。



2026.3.4 (Wed.)

中島貞夫監督で渡瀬恒彦主演、『鉄砲玉の美学』。国立映画アーカイブで観たけど、520円で安いからか客層イマイチ。

かつて東映がヤクザ映画でブイブイ言わせていたのだが、1970年代にはそのワンパターンに客以上に作り手側が飽きてきて、
さまざまな試行錯誤が行われた。世間的にはその白眉が『仁義なき戦い』とされる(→2006.3.272025.4.72025.5.11)。
要するに、定形化した「かっこいいヤクザ」に対するアンチテーゼが模索されはじめたわけだ。本作もその延長線上にある。

しかしながら、「これはヤクザ映画をつくりすぎた東映からドロップアウトして出てきたアンチヤクザ映画である」、
そういう文脈を理解していないと成立しないレヴェルの映画だ。確かにケーキが切れない系の悲哀を描いた作品とは言える。
英雄視されると広島死闘篇(→2025.5.11)になるけど、まあだいたいはこっちになっちゃうよね、というのも事実である。
そうしてヤクザですらないひたすらカッコ悪いチンピラを描いても、主人公がクズだとどうにもならない(→2026.2.12)。
ストーリーにもキャラクターにも魅力がないのに、何をどう楽しめというのだ。皮肉に満ちたタイトルも空回りの虚しさ。

結論としては、1970年代の宮崎の街並みを楽しむ以外には何もない映画なのであった。渡瀬恒彦の説得力は褒めるべきか。
菊竹メタボリズムの傑作・都城市民会館(→2009.1.82011.8.11)がきちんと出てくるのはよかったですな。


2026.3.3 (Tue.)

『ザ・カラテ2』。漢たる者、カラテ映画の続編ぐらい嗜んでおかねばなるまい、ということで鑑賞したのである。押忍!

 前作で盲目となった山下タダシが暴れまわるぜ!

相変わらずのカタコト演技に、もはや安心感をおぼえてしまう。というかそもそも、出てくるカラテカがみんなカタコトで、
もうどうでもよくなってくる。慣れてきて、カラテの達人ってもうそういう感じだよねと思えてくるから不思議である。
むしろカタコトでない分だけ、館長の演技がどうにも気になってくる始末。人間の適応力とは恐ろしいものである。

さて今回も東映らしさが全開。山の中でいきなり爆破だったり海で戦ったり、結局これ東映のヒーローものなのである。
ヤクザ映画に端を発してノウハウが蓄積されていった先に戦隊ヒーローものがある、そういう系譜を感じることができた。
(ちなみにその系譜の王道から少し派生したところに『ビー・バップ・ハイスクール』が位置しているわけだ。→2025.7.3
さまざまなアクションが盛り込まれているが、特筆すべきは1対1で特に中盤の金振八がすばらしく、ずっと見ていられる。
ラストのドラキュラことヤン=スエもさすが。何より山城新伍が口八丁手八丁でキレキレ。アクションの見応えはすごい。

そんなわけで、これは仲のよいみんなでツッコミ入れながら見る映画だと思う。いつかこのシリーズ見て飲み会やろうぜ。


2026.3.2 (Mon.)

卒業式。毎年毎年羽ばたいていく卒業生を送り出していく立場としては、やはりどうしても置いていかれる気分になる。
安部公房が『砂の女』で「川の流れの底で、教師だけが、深く埋もれた石のように、いつも取り残されていなければならない」
って書いていたやつだ。でもこちらは確実に歳をとっていくのである。それを理不尽だと思うことが理不尽ですかな。
うおー閉塞感がきついんじゃー。でもこちとら、のらりくらりやっていくことしかできない。がんばりましょましょ。


diary 2026.2.

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