diary 2023.11.

diary 2023.12.


2023.11.30 (Thu.)

蒼川なな『合コンに行ったら女がいなかった話』。スマホの広告でけっこう見かけたやつですな。

タイトルからして壮大な出オチであり、男装BARと大学生活からいかに話を広げていくか、というマンガなのであった。
タイプとしては、以前も指摘したような安心感優先のラブコメ系統(→2023.1.32023.1.302023.8.25)かと思う。
最初から固定されている3組の組み合わせがブレることは絶対にない。もはやドロドロなんて誰も期待していないのだ。
そのうえで、組み合わせをあえて動かすことによって話を進めていく面があり、これは上手い工夫であると思う。
ただ、安定感が強すぎるせいか進みは悪い。ドロドロラブコメは恋愛感情を混線させることで自動的に加速度がつくが、
そういう要素が一切ない純情ラブコメが各駅停車で描かれる。しかも3通りなので、3倍の時間がかかるわけだ。
言い換えるとそれはぬるま湯の楽しさでもある。長く続けられるけど、もう少しスピードをつけてほしい気もする。

キャラクターそして社会学面としては、基本的に女性がつねに優位に立っていることが最大のポイントである。
(琥珀の場合は俺様を修行中というエクスキューズを与えられ、そこに萩が勝手に劣位に入るバランス感覚も秀逸だ。)
変身した魔法少女は一般男性より強い(→2023.2.4)。このマンガは男装を変身の一種として利用していると言えそうだ。
だからあくまで女性であることがベースなのは変わらない。女性ゆえ、しなやかに強い。男装は「強化モード」なのだ。
そんなイケメン女子に対し、男3人は冴えない部分が強調されており、それはそれで男性読者の共感を得やすいタイプ。
男からすれば凛々しい美人に翻弄されたい欲があるわけで、そこを満足させつつ優位な女性像との両立を果たしている。
つまり、前提としては、男装をキーワードにして「女性が理想とする女性像」をメインで提示しているマンガなのだが、
そこに男性読者も巻き込んでいける要素をしっかり含んでいる。これは上手い角度から攻めてきたものだと感心する。

これも前に日記で書いたことだが、究極的には、性差とは娯楽の一分野である(→2018.10.26)。
このマンガは、根底にある性別は絶対なんだけど(女性であることがつねに優位であることに直結するため)、
そのうえで性別の記号性だけ取り出して遊んでいるという先進性を持っている。男は懐深く翻弄されればそれでいいのだ。
女の子なんて生まれつきかわいい存在に決まっているので、そこに凛々しいが兼ね備えられたらもう最高なのである。
男だと思っていた凛々しくてかわいい女子にぐちゃぐちゃのげちょげちょにされるなんて、実に夢のある話ではないか。
(まあ二十歳ぐらいまでの限定ではあるが。それ以上になっちゃうとさすがにキツいのである。なんかすいませんな。)
蘇芳さんのミステリアス美人具合と女の子モード琥珀ちゃんのかわいさはたまりませんな。バッチコーイ!!
メガネはどっか行け(でも藤くんは好き)。



2023.11.28 (Tue.)

テストのつくりすぎで目がやられる。ずっとパソコンの画面を見ていりゃ無理もない。しかし目が悪くなったなあ……。



2023.11.26 (Sun.)

今シーズン最後のサッカー観戦は三ツ沢でY.S.C.C.×長野である。長野も松本も結局はJ2に昇格できず、
来年もJ3で信州ダービーをやるわけだが、長野は高木監督の下でどこまで伸びるんだろうと思いつつの観戦である。

 天気予報がはずれてうっすらと雨が漂う試合前。つらい。

「午前中に雨がやむ」という予報ははずれ、ただ「クソ寒い」という部分だけが大当たりのつらいコンディション。
たいへん腰にクる寒さである。正直ぜんぜんやる気がしないので、テキトーにシャッターを切るだけでいくのだ。
さてY.S.C.C.だ。6月に観戦したときには超絶ハイラインとFW福田のハットトリックに悶絶したが(→2023.6.10)、
福田はJ1湘南に個人昇格を果たし(→2023.9.24)、星川監督はJ3残留争いの中で8月に解任されてしまった。
僕としては監督のやりたいことは明確だし、選手はそれについていっているしで、なぜ解任となったのか理解に苦しむ。
そんなにY.S.C.C.の上の人たちは超絶ハイラインがイヤだったのだろうか。個性的なサッカーが減ったのは残念である。
ちなみに後任は倉貫一毅。甲府時代に彼が長期離脱したことで大木監督が「クローズ」(→2007.11.24)を編み出した、
なんてエピソードのあるテクニシャンである。今シーズンはFC琉球の監督としてスタートしたが、5月に解任されていた。

  
L: 長野は東京Vから移籍してきた加藤弘堅(→2022.9.7)が先発。ぜひ長野のJ2昇格の立役者になっていただきたい。
C: 前半からY.S.C.C.は積極的にセカンドボールを拾い、手数をかけずにシュートまでもっていく印象。なかなかの躍動感。
R: 長野はじっくりチャンスをつくって押し込んでいくサッカー。しかしY.S.C.C.の守備がよく粘り、点を奪えない。

Y.S.C.C.はさすがに以前のような超ハイラインではないものの、GKを最終ラインに入れてしっかりつなぐサッカー。
攻撃のヴィジョンをきちんと擦り合わせており、試合開始早々に少ない手数からシュートまでもっていったプレーは見事。
相手より先にボールに触ってテンポよくゴールに迫るサッカーは、客観的に見れば応援しがいのあるものだと思う。
対照的に長野は焦らずじっくり押し込むサッカー。しかしこれは相手の守備態勢を上回るテクニックが前提なのだが、
そこまでの技量はなくどこかで引っかかってしまう。そのたびY.S.C.C.の鋭いカウンターに肝を冷やす一進一退ぶり。

  
L: 後半70分、CKからのこぼれ球をDF船橋がダイレクトボレー。ごちゃごちゃしないでとにかくシュートを撃つ大切さを実感。
C: 終盤のY.S.C.C.の攻撃。10人になった長野をサイドから押し込んでいく。もともと全体が重い長野には苦しすぎる展開だ。
R: アディショナルタイム、今度はY.S.C.C.のCKのチャンスから、こぼれ球を橋本がシュート。これに萱沼が触って同点に。

後半70分になって長野が船橋のダイレクトボレーで先制するが、その約10分後に遅延行為が2枚目のイエローとなり退場。
天国から地獄である。これで流れは一気にY.S.C.C.に傾き、結局アディショナルタイムに同点に追いつかれてしまった。

これはもう審判云々以前に、2点目を取ることができない長野の力不足である。勝ちきれないサッカーで満足していた。
薩川退任以降の長野は動きの重さ(特にディフェンスライン)が目立つ試合が多く、躍動感のないサッカーになっている。
信州ダービー第2戦(→2023.5.13)ではその弱点がしっかりと解消されており、実際J3の首位に立つこともできた。
しかし転落してからは以前の姿に逆戻りしてしまい、監督交代した今も改善される気配がまったくないままである。
寄せの甘さ、ミスの多さ、予測の悪さ。目標をどこに置くのか。やっているサッカーはJ2で通用するサッカーなのか。
選手がそこを意識して死にものぐるいでやらないと、成長のないまま選手だけが延々と入れ替わるループが続いていき、
クラブとしてはすべてがなあなあのままで、昇格どころか「クラブを存続させること」が目標にすり替わってしまう。
この負の連鎖をどうやって断ち切るのか、クラブはロードマップをきちんと示すべきだろう。惰性のサッカーなど不要だ。


2023.11.25 (Sat.)

期末テストの作業を始めつつ、歯医者と無呼吸の医者をハシゴ。気分転換に日記も書いてなかなか大忙しだった。

将棋の達人戦では羽生会長がセルフ表彰式を敢行したそうで。世の中、こういうほっこりニュースばかりならいいのに。


2023.11.24 (Fri.)

では昨日見たサントリー美術館『激動の時代 幕末明治の絵師たち』の感想を書くのだ。

幕末から明治にかけてということで、前に見た展覧会(→2023.4.302023.6.11)と少し重なる部分もある。
しかし全4章中の3章が幕末(江戸画壇・洋風画・浮世絵)で、時代の変化により伝統が崩れる危機感よりも、
新しい視点・技法が入ってきたことへの興奮を感じさせる作品が揃っている。ポジティヴな日本人の本性を感じる。
狩野養信や狩野(逸見)一信は色鮮やかだし日本画のパターンが完成されてきている印象。その分、伸び代はない感じ。
古い日本画も完成当時は同じくらい色鮮やかで、色が劣化したものを見ているから幕末の作品を色鮮やかと感じるのか、
なんてことを思うのであった。岡本秋暉は和から洋に食い込んでいく感じの作風で、これは売れるよなあと思う。
服部雪斎の日本画はしっかり西洋の目を経由している写実という印象。過渡期の博物画の位置付けが非常に興味深い。
ポジティヴな西洋への関心という点では、安田雷洲の銅版画も面白い。しっかり写実の風景画でも構図が和風なのだ。
水平な視線のイギリス風景画(→2023.9.25)と違い、どうも和風は俯瞰になってしまうようだ(→2023.11.11)。
幕末の浮世絵はやっぱり歌川国芳(→2023.5.29)。西洋の構図や科学をきちんと勉強したうえで浮世絵を高めている。
個人的には五雲亭貞秀の『横浜本町景港崎街新廓』にすごく価値を感じている。3月にも見たのだが(→2023.3.6)、
開港当時の横浜の街を俯瞰する絵で、近世最終盤の町割りがはっきりわかる点は都市社会学的に重要であるはずだ。

 撮影コーナーは歌川国芳『相馬の古内裏』。科学的に精確な骸骨で浮世絵をやる。

最後の第4章は「激動期の絵師」ということで菊池容斎と月岡芳年がメイン。芳年は『和漢百物語』『魁題百撰相』で、
初期なので比較的おとなしい印象だが、それでも師匠の上を行こうとする構図のひねりっぷりはさすがである。
河鍋暁斎はつまるところ、国芳譲りの大胆な構図に狩野派の技術を兼ね備えたところに凄さがあるということか。
最後は開化錦絵と光線画。開化錦絵は当時の日本人の面白がりっぷりが伝わってたまらない。特集してほしいなあ。

ショップで『月百姿』の本を買ってしまった。全作品が味わえて最高。この調子で『芳年武者无類』もぜひお願いしたい。



2023.11.22 (Wed.)

MacBookのバッテリーがメタメタじゃー! 年内は絶対にどうにかもたせて、それからもできるだけなんとかもたせて、
年度が変わったら買い替えかなあ……。Rosetta 2が動くかわからんので(→2023.10.31)、大バクチである。怖い……。



2023.11.20 (Mon.)

毎度おなじみ戸栗美術館で拝見した『伊万里・鍋島の凹凸文様』について。マジで年間パスポートを買うべきか。

今回のテーマは表面に施された凹凸の文様ということで、わりと地味な内容かと思ったらとんでもない。
陶磁器の立体造形としての魅力を絶妙な力加減で付け加える、そういう工夫を存分に味わえる作品ばかりだった。
ささやかで慎ましい表面への彫り跡から、染付・絵付とともに豊かな想像力が発揮された大胆な造形まで多種多様。
展示されていた作品はどれも、本体の形状と装飾という関係を逸脱せず、全体の調和がとられているのがよい。
技巧のためのデザインではなく、デザインのための技巧なのである。きちんと節度が保たれているのがよいのだ。
現代の作家にありがちな手段と目的が転倒したような無様なものはなく、どれもお見事で大満足なのであった。


2023.11.19 (Sun.)

根津美術館でやっている『北宋書画精華』を見てきたので感想を書く。

1階は山水・花鳥、道釈・仏典、李公麟特集の3部構成で、2階に書蹟。根津美術館の展示スペースは広くないため、
量で不利な分だけ質で勝負することになる美術館だと僕は捉えているのだが、正直言って非常に貧弱な内容だった。
撮影もできないのに、この内容で2000円は高すぎる。オンラインで予約すれば1800円とのことだが、それでもまだ高い。
北宋をテーマにしておいて徽宗の絵がないとか、ちょっとダメすぎませんかね(最後の3日間だけ展示があるようだ)。
あと、北宋は僕にとってはまず『水滸伝』(→2006.7.4)で、蔡京の書に興奮。でも「さいきょう」のルビには呆れたね。

いちおう感じたことを羅列していく。絵画は絹本墨画で全体的に黒ずんでいるのがつらいところである。
おかげでやや朦朧とした印象が強い。風景の端に小さい人や民家が描かれてマン盆栽みたいだ。雄大さの表現なのか。
北宋では線画も多く描かれたようで、細部まできっちり描く作品が目立つ。少しやまと絵(→2023.11.11)っぽいが、
場面転換をぼかしたり場面を飛ばしたりすることはない。ただ、絵巻物と比べると全体的にやや稚拙な印象である。
特集が組まれた李公麟は確かに多彩なタッチを持っており、それがいかにも芸術が充実した北宋らしいってことか。
仏典の書は太く力強いのが特徴であるようだ。楷書として魅力的だが、そればっかりだと疲れるかもしれないなと思う。
書蹟では黄庭堅をはじめ米芾・蔡襄ら宋の四大家の作品が並ぶ。宋代は完成されたものを崩した時代かなという印象。
比較対象ということでか日本の舶載唐紙による書もあったが、紙じたいに意匠を加える感性が明らかに中国と違う。
なお、テーマが北宋だからか来場者は中国人ばかり。こいつらが平然としゃべりまくっていて非常に不快だった。

根津美術館は不満があっても殷周の青銅器コーナーでチャラになってしまう。特に3つの盉は見るたび蕩けるね。


2023.11.18 (Sat.)

新しい自転車を受領。長年スペシャライズドの世話になってきたが、今回は手頃な値段のジャイアントである。
そのまま家まで乗って帰ったのだが、フレームのサイズがSということでいろいろコンパクト。長距離は少し疲れるかも。
先代よりも明らかに軽いので、そこはありがたい。昔ほど激しく遠出しないだろうから、まあこれでいいのではないかと。

 これからよろしくなのだ。

近くの自転車チェーン店で11年間世話になった愛機をリサイクルにまわしてもらう。非常にセンチになるのであった。
僕がボケーッとしていても、確実に時間は流れているのだ。万物流転という言葉を突きつけられた土曜日の午後。


2023.11.17 (Fri.)

鈴木清順監督生誕100年ということで4Kデジタル完全修復公開中の『ツィゴイネルワイゼン』を見た。
『殺しの烙印』の経験(→2022.11.4)から印象的なカット集なのはわかっていたが、それにしてもつらい145分だった。
一言で感想を述べると、「このバカに映画を撮らせるな!」である。俳優としての鈴木清順は好きだったんだがなあ。

確かにスクリーンに映る対象は一流を集めている。鎌倉や建築などの空間、そして俳優の存在感は特別なものがある。
でもそれだけに頼っている。『殺しの烙印』もそうだが、鈴木清順は魅力的な空間を見つけてくるのが上手くて、
『ツィゴイネルワイゼン』では鎌倉の切通しや鶴岡八幡宮、海岸、和風の民家と対照的な洋館など、背景が効いている。
そしてカメラの前に立つのは存在感たっぷりの俳優たちだ。俳優とは本質的に、演技力よりも存在感こそが重要なのだ、
そんな真理を突きつけられる作品ではある。でもそれだけ。カメラに映る素材だけでの勝負になってしまっており、
本来ならその魅力を加速するはずの物語が欠けている。「アヴァンギャルド」「不条理」という言葉に逃げているだけ。
展開されるドラマは容赦ない間延びの連発であり、観客にとってはただの拷問でしかない時間が延々と続く。
服装などを中心に細部に溢れる昭和感が克明に刻まれているのは興味深くて、それでどうにか集中は保てたってところ。
舞台と俳優は一流なのに、監督だけが三流以下。これだけの素材でこれだけのクソ映画になる才能が、むしろ恐ろしい。


2023.11.16 (Thu.)

温度差アレルギーで鼻水が止まらねえ。そういえば3年前にもそんなことがあったが(→2020.12.172020.12.22)、
加齢を指摘されて凹んだ記憶が蘇る。今回も無様な鼻栓をキメつつ凹むのであった。歳はとりたくないねえ、マサルくん。


2023.11.15 (Wed.)

『葬送のフリーレン』のアニメがアウラ様の自刎シーンで盛り上がっているわけであります。
当方、マンガについては以前絶賛したが(→2023.4.2)、アニメもきちんとチェックしておりますよ。
レヴューは最終回まで待とうと思っていたが、連続2クールやるそうなので、とりあえず今の段階での雑感をば。

ふつうにやればふつうに人気になると思っていたが、順調な感じ。まず感心したのがYOASOBIによるオープニングだ。
前シーズンの『推しの子』に続いてのオープニングで、その「アイドル」がバカウケしたので二番煎じかと思いきや、
これがかなりうまくハマっていると思う。エヴァン=コールによる本編の劇伴が無印良品的民族楽器でケルトっ気満開で、
そっちが「過去」を象徴しているのと対象的に、YOASOBIの「勇者」は「現在」を強調する効果を持っているわけだ。
つまり、劇伴がヒンメル一行の過去の冒険譚とその反復を演出しているのに対して、テーマ曲は現在の冒険が焦点なのだ。
ここをきちんとわかっているYOASOBIの器用さがすごい。個人的にYOASOBI最大の強みはリズム感だと考察しているが、
まあそれについてはいずれきちんと書くことにしよう。とにかく、YOASOBIはそうとうよくやっていますよ。

しかしまあ、アウラ様については演出も作画も演技も相乗効果でものすごく魅力的にやってくれたと思う。
淡々とした原作のトーンを壊さずに、さらにはるか上を行ってみせた。絵を描いた人、絶対に変態だよ。ド変態だよ。
これって最高の褒め言葉じゃない。


2023.11.14 (Tue.)

先日映画鑑賞で渋谷に行った際、ハンズ(もう「東急ハンズ」じゃないんだよなあ……)に寄って買い物をした。
渋谷ハンズは最上階からスキップフロアをぐるぐるしながら下りていくのがマツシマ家のしきたりなのだが、
4Aフロアのバス用品で長年欲しかったものをついに発見。ハンズなら置いてくれよと思っていたものが、念願のバラ売り。

 こいつです。命名「ぴよぴよ丸」。

コストを抑えるためかクチバシまで黄色かったので、家でオレンジに塗ってこれでカンペキなのだ。
狭苦しいユニットバスもこいつがプカプカ浮かんでいると和む。超小型なので転覆しやすいのが玉に瑕ではある。
もうちょっと大きくて握ると音が鳴るやつだと『セサミストリート』のアーニーとお揃いになるのだが。

しかしなぜアヒルなのか。最初にこれを思いついたやつは誰なんだと思って検索をかけてみたら、
Wikipediaにちゃんと「ラバー・ダック」という項目があるのだった。19世紀後半のゴム製造の開始が発端だと。
そういえば1992年に太平洋に解き放たれたアヒルたちが世紀を越えて大西洋に到達した、なんてニュースもあった。
人類ってのは変なことを思いつくし、そこからまじめな研究までもっていってしまうし、面白い生き物だと思う。


2023.11.13 (Mon.)

夏のとき(→2023.8.2/2023.8.19)とはまた別の稲中ポップアップショップが開催中ということで行ってみた。
ご存知のとおり僕は稲中大好きっ子なので(→2002.4.72022.9.6)、そんな大魔境には吸い寄せられてしまうのだ。

  
L: 店頭ディスプレイ。後半には展示替えがあるらしい。  C: 陳列されているお宝たち。今回はコマの選出がなかなかよい。
R: 死ね死ね団のパンダにまたがって記念撮影ができる。外人カップルに頼まれてスマホで撮ってあげたが、それでいいのか?

「そのコマじゃねえだろう!」と言いたくなるラインナップだった夏のやつとは違い、今回はかなり妥当な選出。
熱望していたピンポンマンもTシャツがあったりキャップがあったりキーホルダーがあったりで、たいへんうれしい。
やっぱり稲中は、ワンシーンで読者を殺せる芸術性・デザイン性がすごいのである。今回のグッズ企画者は、
その辺のことをしっかりわかっている。とりあえずピンポンマンTシャツを購入したが、田原年彦も買っちゃいそう……。


2023.11.12 (Sun.)

急に寒くなったこともあって、この週末は記録的なレヴェルでメンタルが落ち込んだ。
それでも「メンタルがやべえ」と自覚していろいろ先回りして動けたのは、われながら上手く対応したもんだと思う。
メンタルが落ちた理由は複数あるが、わりと大きな要因が自転車の買い替え(→2023.10.31)を決断したことである。
11年も付き合った相棒と別れるのはつらいのだ。前回(→2012.7.4)とまったく同じで、申し訳ない気分になってしまう。
納車まで1週間から10日ほどあるので、今までの感謝の気持ちを込めてじっくりペダルをこがせてもらうとしよう。

さてせっかくの神保町。神保町らしいカレーがどうしても食いくなって彷徨うが、日曜夜はほとんどやっていない。
それで久しぶりにガヴィアルにお邪魔する。ビーフカレーが1750円となっており、物価の高騰がつらいのである。

 ビーフカレー辛口、ふつうサイズ。

ガヴィアルは4年ぶりだが(→2019.11.22)、相変わらず甘さと辛さがはっきり分離している味である。
これが最後までしっかりと両立されるのがすごい。好みの分かれる部分ではあるが、よくこんなことできるなあと思う。
ジャガイモにバターつけて中和しつつのんびり食うのであった。たまにはこういうメシを食って気分を上げなければ。


2023.11.11 (Sat.)

東京国立博物館でやっている特別展『やまと絵-受け継がれる王朝の美-』を見てきた。朝イチなので比較的快適。
展示は1069(延久元)年に描かれた国宝の『聖徳太子絵伝』からスタートする。そこから平安・鎌倉・室町の名作を並べ、
最後に雪舟と比較してやまと絵の特徴をつかませることで序章とする構成が面白い。雪舟を見られたのは僥倖である。
あとは本物の『御堂関白記』がしれっと置いてあったことに興奮する。日記野郎として、道長さんは偉大な先輩なのだ。

やまと絵の基本は俯瞰にあるようで、水平方向の横長で細部までじっくりと描いていくスタイルが共通している。
これは屏風や後述する経典や絵巻物との相性ということで自然とそうなったのか、もともとそういう文化があったのか。
垂直方向の縦長な掛け軸との対比で考えたことがなかったので、この基本的な部分をきちんと考察せねばと反省。

平安時代の貴族文化は仏教の経典も美術作品としてしまう。絵が加えられた装飾経が絵巻物の源流のひとつとなり、
やまと絵の重要な作品を生んでいく。そして絵巻物は物語文学を広げるものとして鎌倉時代に全盛期を迎える。
武士が政治の表舞台に立つのと対照的に宮廷文化がさらに成熟していく一方、往時の権勢への追慕も感じさせる。
そうして摂家将軍、承久の乱、宮将軍と力関係が変化していく中、やまと絵のモチーフも移り変わっていく。
大雑把に、平安は仏教、鎌倉は宮廷文化の回顧、やがて武士や鎌倉仏教もテーマとなり、室町には制度として完成。
まるで蒲焼のタレのようにそれまでさまざまな題材を消化したものを、土佐派が整理していった感がある。
おそらく禅宗がらみで中国の影響を受けた水墨画(さっきの雪舟など)の勢いによりナショナリズムが刺激され、
「やまと絵」というジャンルが自覚されることになったのだろう。そして狩野派がそれをまとめた(→2017.11.1)、と。
展示を見て感じたのはそんな流れ。美術としての分断はあるものの、やはりマンガはこの延長線上にある(→2004.8.6)。

奇跡としか思えないほど状態の良いものもあって、何でこんなにきれいに残っているんだと驚愕してしまった。
繊細さ精密さ、そして鮮やかな色彩。表情の多彩さは現代のマンガにまったく劣らないし、つながりを十分感じさせる。
また『地獄草子』『餓鬼草子』『土蜘蛛草子』『百鬼夜行絵巻』など、現世を離れた想像力による表現も見事である。
『信貴山縁起絵巻』をじっくり見られるのもすばらしい。『鳥獣戯画』(→2015.5.29)は丙巻だったが本当に上手い。
擬人化と表情、動き、これを軽妙洒脱にやる凄み。『華厳宗祖師絵伝』も状態がいいし、高山寺はどんだけすごいのか。
『西行物語絵巻』の建築表現は完全におかしくて、モダニズム建築家の図面にまったく見劣りしない精密さだった。
狩野元信も押さえているし、高階兼隆など宮廷絵所も充実。やまと絵だからって安易に土佐派に頼らない展示ができる、
そんな東京国立博物館はやはりとんでもない施設なのだ。展示替えの前半も見たかったなあと後悔しても遅い。

  
L: ショップにて。『百鬼夜行絵巻』と『鳥獣戯画 甲巻』の抱き枕を売っていた。……抱き枕? 価格は15000円。
C: 広げるとこんな感じらしい。  R: 『百鬼夜行絵巻』に登場する、よくわからない妖怪のぬいぐるみもあった。

結論としては、やまと絵はどう考えてもマンガの源流。日本人のマンガ精神、おたく気質の結晶であることを再認識した。


2023.11.10 (Fri.)

研究授業なのであった。カレーを中心テーマに据えて歴史の影響をいろいろ考えるの巻。
自分が受けたら超絶楽しいであろうピーキーな授業をそれなりに実現できたので満足ではある。
教育学部の皆さんにとっての理想とどうすり合わせるのかというオトナの課題が残った感じだが、
自分の好みを客観視できたようには感じているので、そこから足し引きしていくことを今後の目標としましょうか。
(「あそび」のないマジメな人が多いことにはちょっと辟易しているが……。「ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ」)

しかしまあ、英語のときとは見事にまったく違う種類の課題を突きつけられているなあと思う。
かつて「英語が専門じゃないから教えるのが上手い」(→2016.12.21)と言われたが、専門の地理だと力加減が難しい。

とりあえず、お疲れ様でした、俺。


2023.11.9 (Thu.)

『僕の心のヤバイやつ』、Web連載をきっちり追いかけてはいるのだが、ここ最近の展開はどうにも違和感しかない。
個人的な好みとしては、ヤベエ山田に振り回されつつもなんだかんだで距離が縮まっていく最初期の感じから、
関係が発展してお互いに意識しているけどもったいぶってぬるま湯っている(→2023.1.11)のが最高に心にクるわけだ。
いざ実際に付き合い始めちゃうと(→2023.1.24)、そりゃもうふつうのラブコメでしかない。ただの他人の恋愛なのよね。
中学生んときにピークを迎える「あいつぜってーオレのこと好きだよな」「あいつぜったい私に気があるでしょ」、
その不完全情報ゲームがたまんねえんじゃねえかよ、と思うのだが。それを見てニヨニヨするのが粋ってもんだろうが。
「ツイヤバまとめ」の力加減でいけばいいものを。そこからどんどん遠ざかってしまって私は悲しい。

ちなみにアニメは山田の声が高い(低めでないとダメ、ここ重要)のと、市川の声が耳に引っかかるのとで違和感。
ドラマチックに演出してラブコメマシマシになっており、ギャグ面の趣をまるで感じないので第2話で切った。以上。


2023.11.8 (Wed.)

ジャン=リュック=ゴダール監督で『軽蔑』。動くブリジット=バルドーとフリッツ=ラングを見たかったのだ。
また4Kレストアということで、きれいな地中海の映像、1960年代の映像を見たかったのだ。

地中海を舞台にして夫婦の関係が壊れていくのをギリシャ悲劇(→2005.6.9)と重ねているのは、わかる。
英語とフランス語のギャップを強調することで同じ言語なのにわかりあえない哀しみを表現したのも、わかる。
長回しや室内移動のカメラワークなど、挑戦的な映像のつくり方がものすごく凝っているのも、わかる。
あえて場面転換と時間の概念を崩すことで、主観的な世界を描きだしているのも、わかる。
しかし決着の付け方はさすがにどうなのか。究極の悲劇的結末ということでああせざるをえなかったのだろうか。
とはいえリアリティのない形で、記号・象徴として「絶対的な終了」を表現しているのも、わかるのである。
ふつうの映画とは目指すところが違うのだ。作家の表出が最優先で、いかにもヌーヴェルヴァーグ的価値観だ。
つまるところ男が悪い、ダメな男がすべてを失うだけの話である。これをどのように映像化するかとなったとき、
ゴダールは実験的要素をできる限り詰め込んでいるので、ストーリー重視の感覚だと「なんだこりゃ」でしかない。
通常の映画を見る感覚で批判したら、わかってないザンスねーチミは、なんて言われちゃいそう。
簡単なことを難しくやった、単純な男女の別れをできるだけ高尚に描いた、それだけのことなのかなと。
これはもう完全に好みの問題だ。面白い/面白くないというところに判断の基準がない映画であるのは確かだ。


2023.11.7 (Tue.)

電車の中で隣に人がいるのにずっと鼻をすすっているバカはなんなの?
自分がうるせえって自覚がないのが恥ずかしくないの? 一発スカッと鼻をかむことがなんでできないの? バカなの?
……バカだからしょうがないのか。バカにはなりたくないねえ。


2023.11.6 (Mon.)

3連休の後遺症である筋肉痛と腰痛に苦しんでおります。派手に動いたせいで久々に日記の日曜更新が途切れてしまった。
でもおかげで市役所めぐりもだいぶ進み、残すは42市役所。だいぶ減らした(数え間違いがありそうだが →2023.7.12)。
おそらく大掛かりな旅行は年末の帰省までもうないので、隙をみてどれだけ埼玉を年内に押さえられるかが肝心だ。
なんとか来年か再来年には完全制覇を達成したいものである。まあ、建て替えも多くて一進一退なんだけどね。



2023.11.2 (Thu.)

うーん、へこむなあ……。家父長制が嫌いなくせに、予想外にへこんでいる自分がいる。
それでも容赦なく新しい一日がやってくるので、一生懸命に目の前の仕事をこなしていくしかない。ヒー


2023.11.1 (Wed.)

FC琉球の新しいエンブレムが新日に魔界村って感じでなかなか絶望的である。

Jリーグではエンブレムのデザイン刷新がわりと相次いでいるが、評判のいいものはほとんどない。
最近ではガンバ大阪がただの「G」に変えてしまい、僕としてはなんだか、のび太国の国旗みたいな印象を受ける。
世界の潮流はできるだけシンプルにする方向にあるようで、そういう簡略化されたエンブレム案が目立つ。
しかし最も成功したのはおそらく山形で、元の要素をうまく取り込んだうえでモダンなものへと昇華させた。
つまり、最初にエンブレムをデザインしたときに込められた要素がしっかりと受け継がれていること、
それが幅広く支持されるデザイン変更の鍵なのだろう。思いが込められていない簡略化など、空疎なだけだ。

日本の場合、家紋という、世界的に見ても極めて高度なデザインの伝統がある。
いかに日本がモダンデザインと相性が良かったかを歴史面で証明している存在と言えそうだが、
だからといってエンブレムを簡略化してしまうのは間違いである。エンブレムと家紋ではまったく性質が異なる。
エンブレムは「紋章」であり、盾を分割しながら要素を足していき、全体を複雑化していくことに意味があるのだ。
イギリス国旗のユニオンジャックはその精神を反映するもので、イングランド・スコットランド・アイルランドを合成。
シンプルの極致と言える日本の日の丸と対比すれば、足し算のエンブレムと引き算の家紋の差が明確になるはずだ。
サッカーはイギリスを母国とするスポーツである以上、家紋ではなくエンブレムの考え方の方がしっくりくる。
だからヨーロッパ各都市の紋章のように、誇りとなる要素を詰め込んでゴテゴテする方がむしろ正しいのである。

デザインついでにもうひとつ、2021年シーズンからJリーグのユニフォームの書体が統一されている問題についても。
これはユニヴァーサルデザインという偽物の正義を振りかざした、デザインの可能性に対する冒涜行為でしかない。
デザイン全体主義とでも表現すべき、絶対に許すことのできない事態である。観戦するたび気持ち悪いと思っていた。
でも来シーズンからは各クラブの判断によって自由化されるようなので一安心だ。あとは春秋制が維持されればいい。

それにしてもFC琉球のエンブレムが国際的な話題になるとは。世界はJリーグをしっかり見ているんだなあと感心する。
しかもFC琉球はJ3なんだが。レヴェルも上がってきているし、実は海外の方がJリーグの価値を理解しているのかも。


diary 2023.10.

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