diary 2024.5.

diary 2024.6.


2024.5.26 (Sun.)

ではいよいよ本日は只見線リヴェンジなのである。昨年12月の借り(→2023.12.23)を返すときが来たのだ!
半年前は雪に覆われていた会津若松駅までの道を歩く。あれから半年近いというのに、吐いた息は白く広がって消える。
いくら早朝とはいえ、会津の涼しさに驚かされる。まあ今日はその分、温泉をしっかり堪能できそうではある。

  
L: 会津若松駅。市役所が来年5月に新しくなる予定なので、また近いうちに訪れることになるんですけどね、どうせ。
C: 前回同様、鼻息荒く只見線に乗り込む。今度こそ……。  R: 雪のない会津盆地はただただ農地が広がる穏やかな光景。

前回の日記で書いたように、只見線のリヴェンジは緑の美しい季節にやると決めていた(→2023.12.24)。
雨の季節をまたぐとまた橋が落ちる可能性があるので、できるだけ早めにということで新緑の季節に訪れたわけだ。
もともと、只見線は雪と緑をそれぞれ味わってみたいと思っていた。だからどうせ2回乗るのは運命だったのだ。
僕の記憶の中にある白に染まった景色は、本来の色をしっかり取り戻していた。このコントラストを味わいたかった。
会津本郷駅の手前にはキジがいたが、不意を突かれて撮り損ねた。でもこれはいい季節に訪れることができたと思う。

  
L: 会津盆地から眺める磐梯山。本当にどこから見ても美しい。  C: 前回の水墨画は鮮やかな緑の微妙な差異に切り替わった。
R: やはり前回も撮影している会津西方駅周辺。一面の雪に身を潜めていた冬とは打って変わって、生命感に溢れる景色である。

列車行き違いのため、今回も会津宮下駅で小休止。前回と大きく違うのは、雪による遅れがないことである。
それでも駅舎の写真を撮影するくらいの余裕はあり、景色の違いをそれなりに楽しむ。雪がないと実にのどかだ。

  
L: あらためて会津宮下駅の駅舎を撮影。  C: 駅前の風景。  R: 行き違いの列車がやってきた。急いで戻らねば。

できるだけ前回と比較できる構図になるように写真を撮っていくが、早戸駅から先はいよいよ未知の領域である。
カメラを構えて落ち着きなく左右の窓から景色を撮影する。霧幻峡の渡しに赤いトタン屋根と、独特な光景に魅了される。
これは雪の季節には絶対に味わえなかったものだ。やはり只見線は四季それぞれの景色を味わうべき路線なのだ。

  
L: 宮下ダム。  C: 霧幻峡の渡し。早戸温泉から見た景色をのんびりと渡し船が行く。  R: トタンの赤い屋根が並ぶ。

乗り込んだ列車は小出行きだったが、会津川口駅で下車する。前にも書いたが、途中駅に一歩も足跡を残すことなく、
ただ列車に揺られて過ごすだけなんて、移動手段が目的になった馬鹿者のやることだ。只見線の正当な魅力を味うのだ。
会津川口駅には金山町観光情報センターが併設されており、そこで電動レンタサイクルを借りることができる。
そりゃもう、玉梨温泉に行くしかないではないか。次の列車は約3時間後、臨時の快速・只見線満喫号がやってくる。
それまでのんびり温泉に浸かってやるのである。というわけで、国道400号を意気揚々と南下するのであった。

  
L: 会津川口駅。  C: 駅周辺の商店。商店街と言うには店が少ない。  R: 坂を上って駅周辺を見下ろす。

坂を上る途中で北へとまわり込むと、金山(かねやま)町役場である。せっかくなので撮影しておく。
その奥にはグラウンドを挟んで金山町立金山中学校。金山町の中学校はここ1校だけで、通学が大変だなあと思う。

  
L: 金山町役場と金山町開発センター。開発センターの建物には教育委員会や川口公民館が入っている。
C: 正面から見た金山町役場。1982年竣工とのこと。  R: 金山中学校のグラウンド越しに眺める町役場の背面。

坂を上った川口の集落は、昔ながらの雰囲気がよく残っている。なんとなく新川田篭(→2022.8.7)を思いだす。
川に沿って道があり、その両側に家が点在する。そこから階段状に農地が細長くつくられる。同じ感触なのだ。
まあそれは山間の田舎ならどこもそうなんだろうけど、建物がしっかり伝統的な形を維持しているので特に印象的。

  
L: 坂を上った川口の集落。  C: かなり立派な住宅。  R: 道路の両側に昔ながらの形で住宅が並ぶ。

さらに進むとスノーシェッドが現れる。Googleマップを見たときにはトンネルかと思って緊張したが(→2024.3.10)、
片方が開放感のあるスノーシェッドだとだいぶ心理的余裕がある。まあそもそも交通量が極めて少ないから大丈夫だが。

  
L: 玉梨温泉まではいくつかスノーシェッドを抜けていく。  C,R: 途中の集落。日本の原風景を思いっきり味わう。

駅から20分ほどで玉梨温泉に到着である。電動自転車だと本当に簡単にアクセスできて、こりゃ来ないともったいない。
さて玉梨温泉はちょっとややこしい。厳密には野尻川の左岸が玉梨温泉、右岸が八町温泉と分かれているようだ。
左岸には日帰り入浴施設のせせらぎ荘と共同浴場、右岸には温泉旅館の恵比寿屋とやはり共同浴場の亀の湯がある。

  
L: 野尻川沿い、玉梨温泉が見えた。  C: 川の両岸に温泉があり、弁天橋で行き来する。  R: 日帰り入浴施設のせせらぎ荘。

せせらぎ荘の営業は9時からで、まだちょっと早い。じゃあ玉梨温泉の共同浴場に軽く浸かってみるかと行ってみたら、
これがまあ完全に小屋。そして中がもう「独房」と表現していいくらいの簡素さなのであった。200円を箱に入れる形式。
いちおう男女別に分かれてはいるものの、いやさすがにこれは……。見なかったことにしていったん外に出た。はずだが。

  
L: 玉梨温泉共同浴場。完全に小屋。  C: さらに中はほとんど独房。  R: そして気がついたら入っていた私。

というわけでしっかり堪能させていただいたのであった。温度は少しだけ熱めだが(おそらく42℃から43℃)、
その分だけ短時間でも効果がある感じ。狭い、いや狭すぎる湯船なので長居は難しいが、軽く浸かっても大丈夫だろう。

さてそうなると対岸の八町温泉・亀の湯にも浸からなければなるまい。不公平はよくないのだ。よせてりょーせーばい。
弁天橋を戻って坂を下り、亀の湯へ突撃。さっきの玉梨温泉共同浴場と比べるとだいぶしっかりしている印象だが、
入って左手が男性、右手が女性の更衣スペースで、湯船はひとつ。なんと混浴なのだ。ちなみに料金は300円を箱に入れる。
こちらの方が明らかにぬるいのだが、亀の湯は玉梨温泉と八町温泉をブレンドしているそうで、それが原因というわけ。

  
L: 坂を下って振り返ると布袋像とお堂。温泉だから薬師堂ではないのか? 布袋は弥勒だと思うが(→2010.3.282019.11.17)。
C: こちらが亀の湯。  R: 中に入るとこんな感じ。同じ共同浴場でもさっきよりだいぶいい感じ。でも実は混浴なのだ。

  
L: 角度を変えて眺める。  C: 奥から入口を眺める。右が男、左が女の更衣スペース。まあ女性なんて来ないだろうけど。
R: こちらでも記念に撮影する私。運よく一人しかいないタイミングで入れたが、ちょこちょこ客は訪れていた。男ばかり。

そんなこんなで9時になったので、満を持してせせらぎ荘に突撃である。朝から3箇所も入浴できるとか最高なのだ。
ちなみに入浴料は500円。それで玉梨温泉と八町温泉の両方を楽しめるのだから、もう天国としか言いようがない。
玉梨温泉は後述するが、いかにも奥会津の鉄分強めのスタイル。そして八町温泉は国内では珍しい天然の炭酸泉。
炭酸泉は39℃くらいで少し高めなので、よくある強化された炭酸泉とは違って、体に派手に泡がくっつくことはない。
動くとうっすら泡が浮いてくる、という程度ではあるが、血行がよくなっているのは確かに感じられるのである。
そして熱めの玉梨温泉とバランスよく楽しむことができる。いや、これはクセになる。温泉好きなら来なけりゃいかん。
休憩室で日記も進めつつ時間いっぱい温泉を堪能すると、会津川口駅へと戻る。只見線リヴェンジ、絶好調だぜ。

 途中で空を見上げると、太陽に暈(ハロ)がかかっているのであった。

やってきた臨時快速・只見線満喫号に乗り込むと、そこは旅行者でいっぱいなのであった。座れないことはなかったが、
だいぶ満席に近い人気ぶり。しかしお前ら、玉梨温泉と八町温泉に浸からないで只見線を満喫しているつもりか!と、
私は問いたい。小一時間問い詰めたい。それくらいよかったのだ。レンタサイクルは4月中頃から11月まで。ぜひ浸かれ。

  
L: 会津川口駅の手動転車台。慌てて撮った。  C: 第六只見川橋梁を渡る。  R: 本名ダム。

列車はいくつも鉄橋を渡るが、そのたび乗客たちはカメラを構えて車窓に貼り付くのであった。まあ自分も撮ったが。
でも橋梁を渡っているところを列車の内側から撮るよりも、外から列車を撮影する方がいいに決まっているわけで、
ワシは何をやっとるんじゃろうか、と思わなくもない。で、そのうち先頭から橋梁を眺めるアングルで撮りはじめる。

  
L: 第八只見川橋梁に迫る。  C: 浅草岳(だと思う)。  R: 叶津川橋梁のカーヴ。

 只見の中心部が見えてきた。それまでと違ってしっかり開けている印象。

12時5分、只見駅に到着である。地元の方がシャボン玉を飛ばして歓迎してくれたのだが、とにかくだだっ広い駅で、
ホームから駅舎まで60mほど距離がある。豪雪時には両側が雪の壁になるとか。味わってみたいが運休リスクが高すぎる。

  
L: 只見駅。続々と下車する乗客と、歓迎してくれる地元民の皆様。  C: 駅舎まで遠い。  R: 只見駅の駅舎。

とにかく腹が減ったので、メシをどうすべえかと考えつつ、しばらく只見町の中心部を歩きまわってみる。
建物の間にスペースがあるためか街区は意外と広く、思ったよりも時間がかかる感じ。空間にかなり余裕がある。

  
L: 駅からまっすぐ南東へ下ってから振り返る。  C: 交差する国道252号。なお、国道289号と重複している。
R: 右端に只見公民館。左には除雪車が並んでいる。この大空間は町内の雪捨て場にでもなっているのだろうか。

  
L: 只見町役場も撮ってみる。南東から撮影。  C: 正面から。1960年竣工で年季が入っているなあ。  R: 北西から。

結局、メシが食える場所はあまりなく、只見町インフォメーションセンターの隣のカフェで味付マトン丼をいただいた。
味付マトンは只見町の名物だそうで、店先に大きな看板がある店舗もあった。かつてこの辺りでは緬羊を飼育しており、
寿命を迎えると貴重なタンパク源として肉をいただいたとのこと。戦後の食糧難の中、食文化として定着したそうだ。
食べてみると「おう、マトン」だが、ジンギスカンで慣れているのでまったく問題なし。おいしゅうございました。

  
L: 線路を越えて西側から見た只見駅。のどかだ。  C: 只見町インフォメーションセンター。土産物がたいへん充実。
R: 味付マトン丼。マヨネーズの油分がマトンとうまく馴染んで食べやすい。なるほどこれは上手い工夫だと感心した。

距離があるのと背中のCPAPで躊躇していたが、まだ少し時間に余裕があるので、意を決して三石神社に参拝してみる。
只見線の線路の西側には瀧神社が鎮座している。1180(治承4)年の創建だが、どんな神を勧請したのかは書いていない。
享保年間には水神である瀬織津姫命を祀って只見川が鎮まることを祈願したという。社殿の彫刻がかなり見事である。

  
L: 線路を渡って瀧神社。  C: 拝殿。  R: 彫刻が見事なのだが、案内板からは詳しい経緯はわからず。

 本殿は覆屋の中。1897(明治30)年の遷座当初からこのようになっていたようだ。

瀧神社の脇にある道をさらに奥へと進んでいくと、10分ほどで三石神社の鳥居に到着。そしてここからが大変だ。
半ば山道のような感じになっており、いつ社殿にたどり着けるのかわからない。バスの時刻が迫っており不安でいっぱい。

  
L: 三石神社へと向かう道。右手の林へと入っていく。  C: 境内入口。  R: これはだいぶ開けた場所だが、ほとんど山道。

 シャガ(→2024.4.14)に似ているが、こちらはヒメシャガで日本の固有種。

途中には青〜紫の花が地面を覆う箇所もあって目を奪われるが、急がないといけない。汗びっしょりになりつつ登ると、
目の前に大きな岩が現れた。後ろにまわり込むと「一の岩」とある。おそらく岩は3つあってそれで「三石」なのだろう。
次は「二の岩」か、と思いつつ進むとすぐに岩にはめ込まれた社殿が現れた。結局「二の岩」を探す時間はなかった。

  
L: 一の岩。  C: 三石神社の社殿。  R: 岩には小さな穴があり、紐を通して結ぶと縁が結ばれるんだとさ。

急いで駅まで戻るとすでにワゴン車が停まっていた。こちらが会津田島駅まで往復するバスというわけだ。
終点までは行かず、途中の深沢温泉まで揺られる。最初の乗客は僕だけだったが、途中で3人ほど拾って走る。
でもやっぱり深沢温泉で下車したのは僕だけなのであった。只見線に乗るなら温泉に浸かれよ、と心底思う。

  
L: 只見町交流促進センター・季の郷 湯ら里。  C: むら湯。  R: むら湯は展望風呂になっているのだ。

深沢温泉には2つの施設がある。只見町交流促進センター、つまりは第3セクターのホテルである「季の郷 湯ら里」と、
日帰り入浴施設である「むら湯」だ。むら湯は600円だが、「湯ら里」でも700円で日帰り入浴可能となっていた。
大いに迷うが、できるだけ地元の温泉感のある方がいいだろうということで、むら湯に入る。休憩してから浸かるが、
こちらも鉄分強めでどことなく土っぽさを感じるお湯だった。さっきの玉梨温泉といい早戸温泉(→2023.12.23)といい、
奥会津の温泉は感じがよく似ている。 炭酸の八町温泉はさすがに違うが、基本的にはどこか1箇所堪能すればよさそう。
とはいえこのような秘湯めぐりこそ、只見線の最も正しい楽しみ方であると思う。やはりハシゴしてナンボであろう。

帰りのバスは順調にやってきて、予定どおり只見駅に到着。これで軽く土産物を見繕って小出に抜けようかと思ったら、
車を降りたところで地元の方から「只見線が70分遅れ」との情報を伝えられる。思わず言葉を失って呆けてしまった。
なんでも六十里越トンネルを抜けた大白川で線路の枕木が焼けたとかなんとか。消防車が出るほどの騒ぎだったとか。
只見線で70分の遅れというのは、もはや死刑宣告にも等しいではないか。まずそれでも小出を目指すか会津若松に戻るか、
スマホで帰る手段を探る。結果どっちもアウトっぽく、そうなると明日できるだけ早い時間に東京に行けるバスを探す。
昨年の豪雪で運休という事態はこちらも少しは覚悟していたからいいけど(日記のネタ的にはオイシイのでまあ)、
さすがに枕木が焼けるとかなんなんだよ……と凹む。SMSで姉歯メンバーに愚痴ったところ、「只見線は試される大地」、
「相性悪いですね」等の反応が返ってきたのであった。2回乗って2回ともトラブルというのはさすがにキツい。
しかしふと気がついて、スマホの検索設定を見たら新幹線がオフになっていた。オンにしたら大丈夫そうで一安心。
そういえば昨年の冬は青春18きっぷだったので予定の只見線が少しでも遅れたらアウトという旅程だったのだが、
今回は週末パスで浦佐からは新幹線にしたのだ。それでどうにかなったというわけ。SMSでみんなにその旨を報告。

  
L: 只見駅に列車がやってきた。到着したときには50分遅れにまで短縮しており、予定の上越線に乗り換えできそうな感じに。
C: 少しでも営業の足しになればと只見線のキーホルダーを購入したが、いろいろ濃ゆい思い出の逸品となったのであった。
R: 六十里越トンネルを抜けて新潟県に入っても豪雪地帯であるのは同じで、だいぶ派手なスノーシェイドに目を奪われる。

只見線に乗っていて感心するのは、沿線の人たちが必ず列車に手を振ってくれることである。徹底していてすごい。
つまりはそれだけ只見線が愛されているということだろう。観光客も定着しているし、ものすごくいい雰囲気を感じる。
動きだした列車に向けて、地元の皆様が手を振って見送ってくれた。こっちも全力で大きく手を振り返すのであった。
(後日、ネットの記事で「只見町只見線にみんなで手をふろう条例」があることを知った。見事に浸透しておりますな!)
只見線はきちんと各駅に停車しながらも遅れを回復させ、小出駅に着いたときには40分遅れにまで挽回していた。
これはすごいと思う反面、30分短縮できるってどういうことなのかと首をひねる。橋では乗客向けに速度を落とすが、
それをやめたとしても30分は削れないだろう。あらゆる面で只見線とは油断のできない路線だなあと思うのであった。

  
L: 新潟県はやはり会津と違って広々としている。そして田んぼがいっぱい。  C: 住宅の形も会津とは違う。特に屋根。
R: 小出に近づくと越後三山がお出迎え。この辺りでは圧倒的な存在感を見せる(→2015.5.8/2022.8.21/2023.4.23)。

小出駅では予定の上越線に余裕を持って乗り換えることができた。小出駅で45分待つ予定だったのが解消されただけ。
マサルが将棋会館で買った大山康晴筆の扇子「助からないと思っても助かっている」(→2017.9.2)が頭に浮かんだ。
今はまさにその心境だ。なお、僕が乗った列車は結果的に40分遅れとなったが、その一本前の13時27分発小出行きは、
どうやら90分以上の遅れとなっていたらしい。慌てて小出に抜けることなく温泉でのんびり過ごしてよかったのである。

 小出駅に到着。上越線のホームから世話になった列車を見る。お疲れ様でした。

どうにか只見線にリヴェンジを果たしたが、いろんな温泉を浸かり比べて十分に堪能できた。それがあまりに楽しくて、
前回雪で運休を食らってかえってよかったのではないか、なんて思えるほどだ。まさに「災い転じて福となす」である。
僕と只見線の相性は実は悪くなくて、むしろスリルとショックとサスペンスを十分すぎるほどに味わわせてくれる、
そういう面白おかしい関係性なのではないかとすら思える。というわけで、次は紅葉の季節ですかな(フラグ)。



2024.5.24 (Fri.)

成績データをまとめる社会科伝統のExcelファイルがあるのだが、その取り扱いでほぼ瀕死状態になるのであった。
いや、本当にExcelはワケがわからない。地理で組んでいる新任の先生がどうにか解決してくれたので助かったけど、
自分一人だったら原始時代に戻るところだった。苦手を放ったらかしているダメなおっさんで申し訳ございません。
生まれてすみません。


2024.5.23 (Thu.)

授業の準備をしているときに、ふと気がついた。「雨」である。読みとしては当然「あめ」だが、
別の単語の後ろに続くと「さめ」と読むことがある。小雨、春雨、秋雨、長雨、霧雨。村雨もそうか。
なぜs音が入るのか。まあこれは母音の連続で発音しづらいから子音が入るのはわかるとして、
なぜs音でなければならなかったのか。これがわからない。発音するエネルギーのコストが低いからなのか。
日本人全体の感覚でs音がしっくりくるということになるわけで、その感覚、価値観を探る必要がありそうだ。


2024.5.22 (Wed.)

地理総合のテスト結果が出たのだが……。いくら出題範囲がろくにないとはいえ、荒稼ぎされ放題となってしまった。
これで調子に乗られても困る。地理を舐められたらもっと困る。どうにかして締める方法を考えなければ……。

地理探究の方は予想以上の二極化。よくやっている生徒はたいへんよくやっているが、そうでない生徒は喝だ、喝!
2科目つくるとどうしても、どこかで思いどおりにいかない部分が出てくるものだ。なんとかならないものか。


2024.5.21 (Tue.)

三井記念美術館『茶の湯の美学 ―利休・織部・遠州の茶道具』。タイトルどおり、千利休・古田織部・小堀遠州、
その3人の関係した茶道具を大量に展示する内容なのであった。そしてその量からそれぞれの好みを読ませる趣向。

利休は「わび・さびの美」、織部は「破格の美」、遠州は「綺麗さび」、とする。まずはそれぞれの好みを提示。
どっしりとした正統派は利休好みで、ひしゃげさせたものは織部好み。この両者はわりとわかりやすい。
山田芳裕『へうげもの』(→2011.8.252013.1.122018.5.13)がいかに勉強になるかという話である。
もはやバイブルですな。おそらくキュレーター側も大いに影響を受けての、今回の企画なのではないか。
さて、ふたりと比べて遠州はイマイチつかみどころがない印象である。それはつまり、強烈な個性こそないものの、
織部がやらかした無茶を軌道修正してきれいにまとめたというところか。茶の湯の歴史を茶道につなげた一人だ。

  
L: 藤原定家『小倉色紙「うかりける…」』 。武野紹鷗が小倉色紙を茶室の床に掛けてから、茶席に掛けられるようになった。
C: 『千利休風炉切型』。千利休がつくった風炉断面の切型。風炉の表面を表す右上の「陽」の字も利休の筆とのこと。
R: 『千利休筆消息』。千利休から津田宗及に宛てた手紙。このとき利休は大坂城の秀吉のもとにいたとのこと。

  
L: 『竹茶杓 筒千宗旦』。利休の師である武野紹鷗の作。筒は血のつながりはないが利休の孫である千宗旦による。
C: 『竹茶杓 共筒』。利休の作。共筒は利休の花押を〆印としている。筒の背面には細川幽斎が狂歌を直書きしたそうだ。
R: 『波桐蒔絵竹二重切花入』。利休が北政所に贈ったとされる。波と桐紋を中心にクローズアップ。たいへん美しい仕上がり。

  
L: 『唐物肩衝茶入 北野肩衝』。足利義政が所持した東山御物で、国指定重要文化財。「唐物肩衝茶入の代表」とのこと。
C: 『町棗』。利休が所持したもので、蓋裏に利休の花押が記されている。町棗とは、無名の塗師の手による棗のこと。
R: 『黒楽平茶碗』。利休のもとで茶碗をつくり、楽焼を創始した長次郎の作。長次郎の平茶碗は珍しいんだと。

今回、最も衝撃を受けたのは、その遠州の筆跡である。撮影ができなかったので写真を出せないのが残念だが、
箱書や挽家字形に残された筆跡が、よくある崩した文字にはなっておらず、完全にデザインの領域にあるのだ。
強いて言うなら、隷書の少し篆書寄りといった感じか。彼の文字を見ているだけで十分に楽しめるほど。
みんながぐちゃぐちゃな字を書いている中、遠州は独り何を考えていたのか。これが「綺麗さび」の真髄かもしれない。

前にやっていた能面スペシャル(→2024.1.20)と今回の企画を合わせて考えてみると、三井記念美術館の特徴は、
かなりの誇りを持って自前のコレクションを見せている、ということだ。どこかの根津美術館(→2024.5.6)と比べると、
明らかに歴史の厚みを感じさせられるのである。江戸時代の頃からこれだけ持っている三井ってすごいでしょ、と。
明治になって出てきた連中とは違うのだよ、と。もちろん直接言っているわけではないが、展示からはそこの差を感じる。


2024.5.20 (Mon.)

ダルビッシュ投手の200勝達成、おめでとうございます。コメントも振る舞いも、その勝ちっぷりも、何から何まで偉い。
自らの置かれている状況を客観的に見つめ、進んで変化・適応しようとしているからこそ、凄いままでいられるのだろう。
全力で意固地になって進んで保守的であろうとしている自分には、まったく想像のつかない境地である。
それでもなんとか、彼の凄さを素直に尊敬できる心持ちでいることで、爪の垢を煎じて飲ませてもらっている気分。


2024.5.19 (Sun.)

国立新美術館でやっている『マティス 自由なフォルム』についてなのだ。

マティスといったらフォーヴィズム、原色ペッペッペッのイメージなのだが、この展覧会は晩年の切り紙絵作品が中心。
そうは言っても序盤は初期の作品をきちんと展示しており、原色ペッペッペッぶりを確認することができる。
油絵については「対象に見える塗り方」という感じで、対象に似せようとしたり写実だったりではなくて、
「そう見える色と塗り方」を追求しているのかなと思う。初期はCMYKではないが原色に近い色を交差させ、
色彩の見え方を試行錯誤している印象。そのため全体的に明るく風景も穏やか、意外とよいなあと思う。
まあ根暗ではないから人気あるわな。時期としては20世紀初頭なので、それを受けてのポジティヴさを感じる。

1930年代くらいからか、原色を残しつつ曲線による形態の抽出が始まる。抽象画だが線による対象の本質探しというか。
デッサンの女性はなんとなく藤田嗣治に通ずるものがあるなと思う。藤田嗣治については先月のログ(→2024.4.7)で、
「線の決め方が実は日本的なのかも」と書いた。そういう意味では日本画みたいな方向性へ向かうのはわからんでもない。
そうして、線や形態への興味から切り紙絵に行くのはわかる。原色大好きだからこそ、そちらに進めたのだろう。
面白い形を求めるのだが、いい意味で絵本じみている(『はらぺこあおむし』のエリック=カールは貼り絵 →2017.7.1)。
人間についてはピクトグラムのようになっている面もあって、なるほど究極的にはそうなるのか、と思うのであった。
結局、マティスとはソフトな抽象画を追求した人だったのかなと。それが原色センスとのセットで評価されたわけだ。

  
L: 『花と果実』。ロサンゼルスにあるヴィラの中庭に飾る大型装飾として作成。5枚のカンヴァスを繋げた巨大な切り紙絵。
C: 『葦の中の浴女』。  R: 『波』。マティスの抽象化していくスタイルとミニマルな切り絵は相性がよかったようで。

  
L: 『ブルー・ヌードIV』。  C: 『アンフォラを持つ女』。  R: 『陶の習作 切り紙絵《アポロン》』のシリーズ。

  
L: 『木(プラタナス)』。  C: 『大きなアクロバット』。  R: 『大きな顔、仮面』。

 
L: 『顔』。  R: 『アンリ・マチス マチス展記念出版』(左)、『別冊文藝春秋』(右)。1951年の展覧会で大ブームに。

さて、マティスはヴァンスのロザリオ礼拝堂の建設に関わり、内装と上祭服のデザインを行っている。
自身でもそれを芸術人生の集大成とみなしていたそうで、今回の展示ではこれが目玉のひとつになっているようだ。

  
L: 『ヴァンス礼拝堂の外観のマケット』。 マケットとは模型のことで、特に彫刻の試作のための雛型を指す言葉。
C: 『ヴァンス礼拝堂の敷石のマケット』。  R: 『ステンドグラス、「生命の木」のための習作』。

  
L: 『告解室の扉のための習作』。  C: 『聖ドミニクス』。のっぺらぼう。  R: 『星形のある背景の聖母子』。

 
L: 『蜜蜂』。  R: 飛んでいるミツバチをクローズアップ。実にミニマルである。

 
L: 『祭壇のキリスト磔刑像』。抽象的な表現により「キリストの犠牲」を一般化している感じ。  R: 横から見たところ。

  
L: 『白色のストラ(頚垂帯)のためのマケット』(左)、『白色のカズラ(上祭服)のためのマケット(正面)』(右)。
C: 『白色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)』。  R: 『白色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)』。

  
L:『紫色のカズラ(上祭服)のためのマケット(正面)』。
C: 『紫色の聖杯用覆布のためのマケット』(上)、『緑色の聖杯用覆布のためのマケット』(下)。
R: 『緑色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)』。

  
L: 『紫色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)』(左)、『紫色のストラ(頚垂帯)のためのマケット』(右)。
C: 『薔薇色のカズラ(上祭服)のためのマケット(正面)』。  R: 『薔薇色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)』。

 
L: 『黒色のストラ(頚垂帯)のためのマケット』(左)、『黒色のカズラ(上祭服)のためのマケット(正面)』(右)。
R: 『黒色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)』。白と黒だけだと装飾のパターンも変わってくるのが面白い。

  
L: ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内部を原寸大で再現。  C: 角度を変えて眺めてみる。
R: 身廊の北側壁面に設置されている《聖母子》の陶板壁画を再現したもの。

以上。どうせ大したことないんだろ、お前らマティスって情報食って喜んでんじゃねーよなんて思っていたが、
結果的にはわりに好みのアプローチで意外と面白かった。まあ、ピクトグラム最強ってことで。そんなもんずら。



2024.5.17 (Fri.)

ウホーッ! テストをようやくつくり終えた! なんで初日に地理総合と地理探究が両方あるんだバカヤロウ!
いや本当に今回はつらかった。週末に入る前に仕上がったのは非常に大きい。オレ強い! オレ大きい!



2024.5.14 (Tue.)

引き続いて京都国立近代美術館である。20年前に見ているが、常設展がヘボだった印象が強い(→2004.8.7)。
主目的は企画展の富岡鉄斎だが、まずはエレヴェーターで上りきって4階の常設展から見ていくことにする。

 
L: 平安神宮の大鳥居。  R: その左手に京都国立近代美術館。槇文彦の設計だが、パッとしねえなあと思う。

常設展はまずピカソから。とりあえずピカソで来場者に一発かまそう、という意図なのだろうが、正直よくわからん。
なぜ京都の国立の近代の美術館で、トップバッターがピカソなのか。単なる思考停止にしか思えないのだが。

 パブロ=ピカソ『静物―パレット、燭台、ミノタウロスの頭部』。

続いて明治時代の京都・大阪の日本画。特別悪くもないが、特別良くもない。当時の美術界における関西の位置、
それが客観的に示されていないとなんとも。特に撮影したいと思ったものもないし、撮影したいものは禁止だしで、
盛り上がることなく次の部屋へ。そしたらよくわからない現代のインスタレーションで何がなんだか。何をしたいのか。

抜けると近代の超絶技巧。いつも書いている「技術はすごいが趣味は悪い」(→2023.4.30/2023.5.15)作品群だ。
ただ、京都国立近代美術館に展示されていたものは、技術はすごいがそんなに趣味は悪すぎるわけでもない印象。
撮り応えのある作品が並んでおり、ここを見せ場としてもっと強調していけば面白いのではないかと思った。

  
L: 初代田辺竹雲斎『唐物写 花盛籃』。  C: 石川光明『蓮根に蛙 牙彫置物』。これは趣味が悪い。見事だけど。
R: 七代錦光山宗兵衛『花鳥図六角花瓶』。江戸時代の京焼の進化以降、木米・道八・仁清と作家性がどんどん出てきたわけで。

  
L: 四代長谷川美山『京都名所図透彫飾壺』。  C: 濤川惣助『柳燕図花瓶』。無線七宝の人ね。  R: 並河靖之『桜蝶図平皿』。

  
L: 初代富田幸七『水貝蒔絵内朱七寸重箱』 。  C: 池田泰真『青海波稲舟蒔絵料紙硯箱』 。  R: 駒井『吉祥図飾壺』。

 岸田劉生『静物(果物)』。西洋画はこれくらいだなあ。

あとは京都ということで河井寛次郎が充実。まあ上で書いたように京焼は江戸時代から個の作家性の世界なので、
広い意味でその系譜として捉えることは可能だろうし、そういう雰囲気を持っている。正直、個人的には興味はないが。
河井寛次郎に限らず明治以降の作家はどうしても我を強く感じてしまうので、まったく惹かれないのである。

  
L: 河井寛次郎『二彩鳥形注』 。  C: 『呉洲丸紋壺』 。  R: 『三色打薬扁壺』。

というわけで、同じ「国立近代美術館」でも東京とは天と地ほどの差があって、まったく埋まる気配がない。
結局のところ、「そもそも近代の京都とは何なのか?」という問いをまったく考えていないのでどうしょうもないのだ。
ここの答えが明確にならない限り、悲惨な展示のままだろう。上で書いたように、超絶技巧はひとつのヒントだと思う。
なお、僕なりにいろいろ考えているうちに、上記の問いに対してなかなか厳しい答えが浮かんできてしまった。
それは、「天皇を失った近代の京都は、ただの抜け殻でしかないのかもしれない」ということだ。
京都国立近代美術館の中身のなさは、図らずもその事実を象徴しているのではないか。だとすれば、事態は絶望的だ。

では企画展『没後100年 富岡鉄斎』。「最後の文人画家」と言われる人である。
ついこないだも書いたとおり、僕の中で文人画とは、わざと隙をつくるヘタウマでしかない(→2024.3.20)。
文人という言葉を言い訳にしていないか、と思うのだ。野暮ったいというか、仕事に対する厳しさがないのが厭だ。

で、富岡鉄斎の作品を見ていくと、メリハリが弱いというか散漫というか描きすぎというか、一言で言うとヘタクソ。
技術に乏しいのもあるが、それ以上に描きたいものが整理されていない。自分のそのときの気分で筆を走らせており、
完成形が見えていない。描く動機と描いた結果が一致しない。もちろん写実的な絵ばかりがすばらしいわけではないが、
絵を描きたいという衝動が、描いているうちに線を引きたい衝動に切り替わってしまっているような感触なのである。
さっき京都国立博物館で味わった雪舟が、見る人に自然と焦点を絞らせる天才だったので、よけいにひどく思えた。
主客転倒、目的と手段が対応していない醜さを感じる。書についてもラーメン屋の「一生懸命商い中」のようなレヴェル。
最後には「なんでこんなヘタクソな絵がありがたがられてんだ」と、見ていて腹が立ってきた。子どもの絵と変わらない。
『博覧余事』などちっちゃい顔がいっぱいある感じのやつはかわいいし、『維摩居士』などいい表情のものもあるけどね。

常設展で近代の京都が空虚になってしまっているのを実感した後なので、こんなのをありがたがるとかそりゃダメだわ、
と不快な気分になった。まあ結局は好みの問題だが、気に入らないものを気に入らないと言える勇気が大切なのだ。
どんなに京都人が富岡鉄斎を褒め称そうとも、ヘタクソなものはヘタクソなのである。ハイもうこの辺でおしまい。


2024.5.13 (Mon.)

京都国立博物館『雪舟伝説―「画聖(カリスマ)」の誕生―』。絶対に大混雑だよ……と思ったら通常の混み具合だった。
(過去ログをチェックしてみたら22年前に東京国立博物館の雪舟展に行っていた。22年前って……。→2002.5.18

 せっかくなので展示室入口のタイトル部分を撮影。富士山が三峰なのは雪舟の影響だと。

のっけから全力で仕掛けてきて、まず第1章「雪舟精髄」で国宝6点と重要文化財3点を展示。いや、フルパワーである。
来場者はここでまず、後の画家たちを魅了した雪舟的景色を学ぶわけだ。そこで展開されるのは水墨画の理想的な情景。
中国の先達を下敷きにしつつ、わびさびユートピアとでも呼べそうな景色が広がる。思わず引き込まれてしまいそうだ。
雪舟庭園(→2013.8.172016.4.32020.2.22)もそうだが、雪舟は頭の中に理想形がはっきり具体的に存在していて、
平面にしろ空間にしろ、それをアウトプットするのがとんでもなく上手いのだと思う。ある意味、建築家の脳ミソ。
流派とならなかったのは個の力量に依存するからだろう。F. L. ライトをマネできないのに似ているかも(→2024.3.2)。
それでも後続の画家たちは、風景画の様式として雪舟のセンスを受け継ごうとする。そうしてさらに神格化されていく。
しかし『四季花鳥図』は複雑にからみあう対象がせり出してくるようで、風景画だけでは済まない凄みを見せつける。
さらに『慧可断臂図』では顔・布・岩で異なるタッチを用いて、独特の迫力を持たせる。タッチを使い分けることで、
見ているこちらが注目すべき焦点が絞られるのだ。つまり、雪舟は鑑賞者に対して「わかりやすい」のだと思う。
その凄みがわかりやすい。わかりやすく凄い。万人に受け入れられる基本形をはっきり提示した、そこが何より凄い。

今回の展示では雪舟の真筆だけでなく、伝雪舟の作品も「雪舟らしさ」を意図して展示している。
そして狩野探幽や狩野常信を中心に、模写も豊富に展示している。また雪舟の影響を受けた作品も広く集めている。
雪舟にはただただ見惚れてしまったが、それ以外で個人的に衝撃だったのは長谷川等伯の『竹林七賢図』である。
竹の描き方が見事な記号となっていて、ミニマルな美しさに魅了された。あとは司馬江漢の絵が和洋両方あるのも面白い。
なるほど「雪舟伝説」とは上手いタイトルだと思う。京都国立博物館の平成知新館は意外と広いのだが(→2022.10.10)、
それを生かしきった質も量も充実した内容だった。きちんと通して見れば「雪舟らしさ」を学べる納得の内容だ。
もし僕が関西在住だったら何度かリピートしていたはずだ。この密度で雪舟が見られるってのは贅沢極まりないわ。

ショップに『国宝事典』が置いてあって、思わず声が出てしまった。しかしよく考えると754頁で8,500円+税は安い。
こんなの、いくらでも時間を吸い取られてしまうのではないか。ジジイになったら買って枕にでもするかな。


2024.5.12 (Sun.)

千里中央駅で朝メシをいただきつつ時間調整。そうして乗り込んだ大阪モノレールはものすごい混雑ぶりだった。
万博公園でそんなにすげえイヴェントをやるのか……と辟易しつつ2駅揺られ、大群と一緒に下車、そして入園。
そしたら入口が分かれていて、どうやら全体の半分以上はフェスの参加者である模様。後でネットニュースで見たのだが、
ダウンタウン浜田氏主催の「ごぶごぶフェス」だった。天気のせいか、むしろ混雑は控えめな方だったのかもしれない。
なお、もう半分くらいがお祭り広場で開催されたフリーマーケットの参加者。そりゃ朝から混み合って当然なのだ。
ちなみに太陽の塔は前日までに予約すれば中に入れると、ここで初めて知って地団駄を踏んだのであった。今でも悔しい。

  
L: 朝10時近く、混雑気味の万博公園入口。  C: ごぶごぶフェスの会場入口。  R: お祭り広場のフリーマーケット。

さて今回の旅行では「2日間のうち片方は天気が悪くなるかもしれないからそっちで美術館・博物館めぐりじゃ」、
そう決め打ちで予定を組んだわけだが、それが恐ろしいほどハマった格好である。国立民族学博物館に到着すると、
僕にとってのメインエベントである創設50周年記念特別展『日本の仮面――芸能と祭りの世界』から見ていく。
縄文の仮面から始まり、まずは時代を追って大小さまざまな仮面が並んでいる。獅子舞の獅子頭も展示されており、
なるほどこれも仮面だったかと思う。しかし伎楽などで使われた古の仮面は歴史に埋もれてしまっているようだ。
どうも今でも残っている仮面が本格化したのは能の成立以降のようで、能以前と能以後ではっきり分かれるみたい。
特に地方の場合、能が伝播することによって仮面の文化が洗練される印象である。そうして神楽と融合したのか?

仮面について論じるとキリがないが、見ているとどうも「変身」という要素が絶対的に存在しているように思う。
豊穣を願う信仰というか理想を背負うものとして、また畏れる/恐れるべき災厄として、あるいは純粋な感情の依代として、
要素を抽出して仮面がつくられ、使われる。つまりはキャラクターであり、ゆるキャラの発端と言えるかもしれない。
シニフィエとしての想像力が形となって、シニフィアンとしての仮面が生まれる。そして人は記号に変身するのだ。

そこには造形技術の巧拙ではない世界が広がって入るが、洗練されたデザインとなるとやはり能面が基本となっている。
能面については前に最低限の知識をつけることができていたので(→2024.1.20)、その影響力の強さがよくわかった。
本場の京の能面と比べると地方の仮面はどうしてもヴァナキュラーなアレンジ(野卑さ)が入ってしまうのだが、
抜けない個性を抱えつつも本場に近づこうとする努力が垣間見えて、それがまた確かなひとつの味となっている。
とはいえ元祖である能面の洗練され具合はもはや究極形であり、これ以上どうにもできないところまで来ている。
その事実を逆説的に突きつけられた。個人的には癋見にまだまだ可能性を感じる。もっとクローズアップされていい。
あとは仏像や文楽もネタ元となっている。それにしても奄美など南国の島で強烈に素朴な仮面が現存するのはなぜなのか。

展示についてとりとめのないことを書いていくと、神楽に登場する神様のヴァリエーションが興味深かった。
イワナガヒメ(→2016.7.24)のゴツさの表現が面白い。矢田山金剛山寺の仏面もさまざまな菩薩がいろいろでなるほどと。
飯田近辺では遠山の霜月祭の仮面もあった。四角い面に細い目が特徴と言えそうだ。やはり能面からの影響を感じる。
同じ長野県では雨宮坐日吉神社(→2022.5.14)の仮面もあったが、こちらは変顔ばっかり。先人は何を思ったのか。
そうして他にもある変顔を見ていると、志村けんのコントは仮面の表情だったのだ(→2020.3.30)とあらためて実感する。
きちんと気が利いていたのは、仮面の裏だけ並べる一角があったこと。実際に覗き込むこともできてすばらしい。
展示の最後は仮面ライダーや戦隊ヒーロー、タイガーマスクなどプロレスのマスク、さらにお祭りで売られるお面、
そういったものまで扱っていた。仮面とは、誰でも何者かになれる可能性があるってことか。つまるところ変身なのだ。
仮面ではないが、『蠅の王』では顔に色を塗ることで聖歌隊が堕ちていったなあと思いだす(→2020.8.9)。
先ほどキャラクターと書いたが、仮面とは純粋な記号に変身するアイテムだ。人間の本性を映す鏡なのかもしれない。

  
L: 特別展示館の入口。  C,R: 唯一撮影可能だった鹿児島県の硫黄島のメンドン。大暴れするが厄払いのご利益ありだと。

続いて地域展示・通文化展示。まあいわゆる常設展である。内容は11年前のログを参照(→2013.9.29)。
今回はそのときには出していない写真、できるだけ大物の展示の写真を貼るが、展示の量がとにかく膨大なので、
撮ったものは本当に気まぐれ。結果、変にアジアにばかり偏ってしまっているが、許してちょうだい。
なお、アイヌの「けずりかけ」は、11年経って「イナウ」表記になっていたのであった。

  
L: 中国の少数民族の衣装。中国には55の少数民族が存在しているが、人口の9割以上を漢民族が占めている。
C: カザフ人の天幕型住居。20世紀半ばまでは家族ごとにこちらで暮らしていたそうだ。  R: 中はこんな感じ。

  
L: こちらはモンゴルのゲル。脇にオートバイがあるが、現代のモンゴル人は馬ではなくオートバイに乗るということか。
C: 中に入るとこんな感じ。  R: 社会主義コーナー。まあ確かに、それはそれで独自な「文化」だったと言えるだろうな。

  
L: アイヌのチセ(→2013.7.142013.7.222013.7.23)も展示。  C: 中にはちゃんと漆器も置いてある。
R: 八朔大造り物 仁王像。毎年9月、熊本県山都町の八朔祭で杉の葉やススキなどを使ってつくられる。

  
L: 平田一式飾 牛若丸と弁慶。島根県出雲市の平田天満宮の祭りで、各町内の陶磁器を使ってつくられる。
C: 沖縄コーナー。バスケットボールのユニフォームでバスケ王国ぶりを実感。あと沖縄尚学のユニフォームもある。
R: どうしても目が行ってしまうフィリピンのジープニー。デコトラとか宮型霊柩車と同じ系譜にある気がする……。

ミュージアムショップも見てみたが、収蔵品の図録が品切れ入荷未定になっているのはいただけない。
国立民族学博物館は創設50周年なんだから、この機会にしっかりした図録を発売すべきだろうに。何をやっているのか。

万博公園を出たタイミングで雨が降りだした。早足でバス停に行き、JR茨木駅へ。メシを食って京都に移動すると、
バスで京都国立博物館まで揺られる。京都はやっぱり外国人観光客を中心に混雑していたが、往路のバスは良識的な具合。
京都国立博物館では雪舟展を見て、時間に余裕があったのでさらにバスで北上、京都国立近代美術館の富岡鉄斎展も見る。
帰りのバスはやっぱり地獄絵図で、清水坂より北の京都国立近代美術館まで来ていたおかげで無事に乗り込めた感じ。
なお、展覧会の感想については明日と明後日の日記で。初日の運動と2日目の芸術鑑賞と、たいへん充実した旅行でした。



2024.5.10 (Fri.)

『魔法少女にあこがれて』のアニメを見ましたので。そんでもって原作マンガも読みましたので。

これは……バカだ! 近年まれに見るバカアニメではなかろうか。そりゃ円盤バカ売れですわ。
私はつねづね「異世界ものはバカでエロな方が面白い」と申しておりますが、これは異世界ものではないけど、
バカでエロなので面白いのである。というか、魔法少女でバカでエロってのはけっこう盲点だったなあとびっくり。
変身ヒーローギャグとしての『デトロイト・メタル・シティ』(→2006.8.14)以来の盲点を突かれた感じである。

見ていて思ったのは、魔法少女とは女子プロレスのようなものか、ということである。逆も言えるかもしれない。
無知な僕は『まどマギ』(→2011.12.21)が再定義した領域は大きいなあと思っているが、この作品もチャレンジング。
(魔法少女という概念も日本のカワイイ文化において重要かもしれない。この作品はそのアイドル面に自覚的。)
バカとエロを持ち込むことで魔法少女はベビーフェイスに、悪の組織はヒールに変化して対等な関係になってしまう。
そうなってしまえば、あとは女の子どうしが「なかよし」するのせんのでお楽しめてしまうわけである。
なおバトル面では真化(ラ・ヴェリタ)でパワーアップしていって、そこはファンタジー脳(能?)のない僕としては、
もうワケがわからなくてついていけない。しかし決着はつくので「なかよし」にクローズアップしてまあなんとか。
インフレで話の決着のつけ方がプロレス並みに難しくなっているように思うが、まあがんばっていただきたい。
とりあえず、苦悶に表情の歪むイエローがもっと見てえです。頼むぜ、マジアベーゼ!

それにしても、あらがきういって……。


2024.5.9 (Thu.)

僕が岩崎マサルという男に初めて戦慄をおぼえたのは、大学時代にクイズ研究会の例会で出たこの問題だった。

Q. 「DV」は何という言葉の略?

マサルの答え……「ダンナ・ヴォーリョク」。

世の中にはとんでもねえヤツがいる、と思い知った一問である。今でも鮮明に覚えているわ。


2024.5.8 (Wed.)

まあそうは言っても、新しいMacBook Airは画像の中の文字をコピペできてしまうのがめちゃくちゃ便利なのだが。
テストをつくっていて、いちいち入力しなくて済むのは本当にありがたい。これってAIですかな。世の中進化していますな。


2024.5.7 (Tue.)

テストをつくるためにスキャン作業で前のMacBookを使うことがあるんだけど(→2024.4.10)、
そのたびにMacBookの軽さと小ささ(→2024.3.1)に感動してしまう。なんという利便性だったのだ!と。
これだけコンパクトなのに十分な機能が詰まっていてデザインも美しい。やっぱり最高だったなァ、オイ!と。
M2とかM3とか正直どうでもいいので、Appleには原点回帰してもらいたいものである。5年後までに頼むぜ。


2024.5.6 (Mon.)

ゴールデンウィーク最終日は天気がイマイチだったので、根津美術館『国宝・燕子花図屏風 デザインの日本美術』へ。

尾形光琳の『燕子花図屏風』を中心に据えて関連作品を展示したりしなかったりという内容。
光琳に近いところでは、俵屋宗達が主宰した工房である「伊年」印の金地の草花図が丁寧な写実でよろしい。
乾山に仁清も展示してあってよろしい。もちろん燕子花図は相変わらずのミニマル感でよろしい。でもそれくらいか。
根津美術館は展示スペースが広くないこともあり、ラインナップには毎回イマイチ感がある。正直、打率低め。
他の美術館と比べると、ブン殴られるような破壊力のある文化財が出てこない印象だ。洗練度合いに欠けるというか。
実際、今回もテーマに対して展示されている作品の位置づけが曖昧だった。「デザインの日本美術」と大きく出たわりに、
光琳付近と二線級ではなんとも消化不良である。でも結局、青銅器の饕餮文方盉3連発でまあいっかな!となってしまう。

今回意外な掘り出し物だったのが、展示室5の南米アンデス染織特集だ。「デザインの日本美術」とは関係ないけど、
こっちの方がふだん見慣れないデザインとして興味深く鑑賞できた。紀元前6世紀とかよく残っているな!と感心した。
もともとが副葬品だったから状態がよいみたい。雰囲気はやはりラテンアメリカ先住民のそれ(→2023.8.27)。
前6世紀から紀元ごろのパラカス文化は、顔の表現がスマイルマークみたいでかわいいと思ったら首級なのであった。
原料には獣毛を使っており、なんとなく南米らしいマスク感がある。なるほどこれがルチャリブレにいくのかと思う。
8〜10世紀のワリ文化は幾何学的デザインも採り入れており図案化が進んだ印象。獣毛のほか、羽毛や木綿も使用。
10〜15世紀のチム・チャンカイ・イカ文化では、模様がより複雑化し、大柄になっている。で、最後はインカ文化。
布のほんの一部分だけでしかないが、想像力を大いに掻き立てられる内容だった。それにしても植民地化は最悪だよなあ。

そんなわけで、なんだかんだでしっかり動いたゴールデンウィークなのであった。



2024.5.2 (Thu.)

本日は校外学習デーで、僕は担当からはずれたので午後に休みをもらって東京都庭園美術館に行ってきた。
開館40周年記念で『旧朝香宮邸を読み解く A to Z』という展覧会を開催中。建物の中をとことん見られる、
絶好のチャンスなのである。大型連休の合間だけど平日だから空いていてほしい……そう念じていたのだが、
そろそろ会期末ということもあり来場者多数。いやはや恐れ入った。土日はどんな混み具合になるのやら。

東京都庭園美術館には8年前に写真を撮りまくっているので、すっきりした写真はそちらを参照(→2016.10.31)。
今回はその8年前に撮りっぱぐれたものを拾っていく。両方合わせて見ていただくとたいへんよろしいかと思います。

  
L: 東京都庭園美術館の入口。  C: 門柱の明かり。ここからもうすでにアール・デコである。  R: 旧朝香宮邸。

  
L: 正面から見たところ。午後なので逆光気味。  C: 向かって右側のエントランス。  R: 庭園に面する南側。

  
L: 角度を変えて南側をもう一丁。  C: 食堂の出っ張り。  R: 西側の背面。8年前にはなかったエレヴェーターが邪魔である。

では中に入るのだ。今回の展覧会は『旧朝香宮邸を読み解く A to Z』ということで、AからZまでテーマを設定し、
それぞれ解説のカードを用意している。来場者はオリエンテーリング気分で各部屋をまわってカードを集めていき、
最終的に冊子ができるという趣向。そんなことができるのは東京都庭園美術館だけだろう。とんでもない場所だ。
あらためてデザインの帝国ぶりに圧倒される。誇張なしに、デザインが空間すべてを埋め尽くしているのだ。

  
L: 玄関の装飾をクローズアップ。  C: ガラスレリーフはルネ=ラリック(→2024.4.7)による。そりゃすごいわ。
R: 香水塔。照明の内部に香水を施して熱で香りを漂わせたそうだ。なぜ8年前のログで写真を貼らなかったのか謎。

  
L: 大客室の扉。実にアール・デコ。  C: 大食堂との間の扉のガラス。たいへんカンディンスキー風である。  R: 裏面。

  
L: 大客室の照明もすごいが、その周りの天井の装飾も凝っている。  C: 大食堂の照明。野菜や果物がモチーフとなっている。
R: 2階に上がった広間の照明柱。 階段から直接ホールに出る設計ってのがまず豪邸で、そこに柱で照明ってのがぶっ飛んでいる。

今回はマントルピースをクローズアップしてみる。大理石などでしっかりつくってあるだけでもすごいのだが、
そこにあるカヴァーもまた凝っている。8年前にもラジエーターのカヴァーにうっとりさせられたが、センス爆発だ。

  
L: 1階大広間のマントルピース。  C: 植物のモチーフはアール・ヌーヴォー的発想だが、明らかにアール・デコな仕上げ。
R: 姫宮居間のマントルピース。波と百合の花で市松模様なのだが、脇に本物のユリを差してあるのがもうオシャレすぎて。

  
L: ラジエーターカヴァー。上のマントルピースとお揃い。8年前に「こいつすごいです。」って書いたやつはこれです。
C: 源氏香をモチーフにするだけでなくチェックまで!  R: 魚や貝がデザインされている。これはだいぶ直接的。

8年前には3つだけ挙げた照明をあらためてクローズアップ。各部屋それぞれ一点ものの照明ってのがとんでもない。
どれがどこの部屋とかもう面倒くさいので、ひたすら写真を並べるだけで勘弁願いたい。デザインってのは多様だなあ。

  

  

  
L: 妃殿下寝室の照明。  C: 妃殿下寝室のラジエーターカヴァー。円形が上、長方形が下。デザインは妃殿下本人による。

3階に上がるとウインターガーデン(温室)である。狭いので入室は9名限定で、少し待ってからお邪魔する。
どうしても人が入ってしまうのですっきりと撮影できなかったが、雰囲気はこんな感じということで。

  
L: 西側の第二階段に施されている装飾。こちらを最上階まで上がるとウインターガーデンとなる。
C: ウインターガーデンの西側はベランダとなっている。  R: 2階ベランダと同様に床は白黒の市松模様。

  
L: 排水口すら超オシャレ。ウインターガーデンでは植物を育てていたので水道などの水回り設備があるのだ。
C: 棚受け金具がすごい。宿根木の軒下の飾りを思いだす(→2018.3.30)。  R: ドアの金具も抜かりがない。

最後に新館の展示。1925年にパリで開催された「アール・デコ博覧会」(→2024.4.7)に始まり、
実際のパーツをもとに、朝香宮夫妻がいかにこだわって邸宅をつくりあげていったかが紹介されている。
わかっちゃいたが、究極の普請道楽ぶりにただ呆然。この状態で残っていることが本当に奇跡に思える。

  
L: 新館の展示室。  C: 2015年につくられた香水塔の模型。  R: エッチング・ガラスの予備。

  
L: 割れてしまった玄関のガラスレリーフ。  C: ドアノブなど。いちいち凝っている。  R:邸内の椅子。

  
L: 壁紙。こちらは妃殿下寝室で使用。  C: 殿下寝室の壁紙。  R: 姫宮寝室の壁紙。

というわけで混み合っている中、隙を見て新たな写真を撮れるだけ撮ってみた。見どころだらけで本当に疲れた……。


2024.5.1 (Wed.)

テストをつくりはじめる。地理の序盤は本当に出すところがないなあと、あらためて思うのであった。
それにしても新しいIllustratorは微妙に操作が変わっていて地味につらい。まあ13年のブランクがあるのでしょうがないが。


diary 2024.4.

diary 2024

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