diary 2024.3.

diary 2024.4.


2024.3.27 (Wed.)

ここ最近、どうもしょっぱさについて敏感になった気がする。メシを食っててしょっぱさが気になるのである。
今まで意識していなかったのに、最近は「そこまでしょっぱくしなくてもいいじゃん」という感覚になることが多い。
逆だと塩分の過剰摂取につながるので危険だろうが、まあこれは高血圧に対する防衛機制だろうということにして、
いい機会なので食事の塩分を減らす方向にもっていこうと考える。……が、外食だと何をどうやっても塩分を減らせない。
その事実に気がついて震えておるわけです。家でメシ炊いてよけいな物を食わない生活をするしかないわけです。
あとは意識して水分をとるくらいか。現代社会は塩にまみれておるなあと、あらためて実感しております。


2024.3.26 (Tue.)

金田一蓮十郎『ゆうべはお楽しみでしたね』。
勘違いから始まるネットゲーム仲間とのルームシェアから展開していくラブコメであります。うらやましいであります。
ネトゲやればモテるってことなのでしょうか。僕はドラクエやらんので、ぜんぜんわからん。ノーチャンスであります。

一見すると、いわゆる「おたくに優しいギャル」と「陰キャ男」という典型的な組み合わせのラブコメだが、
結論から言うとこのマンガ、ラブコメに見えて実はまったくラブコメではない。そこ(ラブコメ)に目的がないからだ。
ではどこに目的があるのかというと、陰キャ男を「理想のダンナ」として育成することであろう。ミミック並みの罠だぜ。

まずヒロインからきちんと検証せねばなるまい。確かに初登場時は、いかにもキツそうなギャルとして描かれている。
しかしプライヴェイトではストレートヘアのメガネ女子。しかもゲーム歴は一般男性にまったく引けを取っていない。
外見の変化により性格が変わるわけではなく、キャラクターとしての一貫性をしっかり描いている点はすばらしい。
この一貫性によってギャル状態にヒロイン本来の優しさがフィードバックされ、「おたくに優しいギャル」が仕上がる。
でもこれはあくまで属性としての話で、実際には陰キャ男を全肯定してくれる「無限に優しい女」なのである。
さらに出産後にもギャルに戻って陰キャ男に箔をつけ続ける。実は男にとっても女にとっても理想のヒロイン像なのだ。
この「無限に優しい女」、言い換えると「答えを知っている女」が導く盲導犬RPG的人生、それがこのマンガの本質だ。

主人公の「陰キャ男」は何をするにも自信が持てないが、とにかく優しい。相手を思いやることにかけては完璧だ。
「答えを知っている女」は、それを見抜いている。そして彼を肯定し、人生の通過儀礼を勢いよく後押ししていく。
つまりは無限の優しさをもって、「陰キャ男」に対して「この程度できれば及第点」という正解を示してみせる。
だからこのマンガはラブコメではない。キャラクターの対立→問題解決→深まる愛情というプロセスがないからだ。
男と女の優しさによって実際は対立していない→育成のフェイズ→順調に深まる関係性というプロセスなのである。
むしろ理想の家庭づくりを啓発するマンガと表現すべきだ。結婚までの早さと出産までの早さがその現れで、
作者は恋愛じたいを描くことにはまったく興味がないのである。どちらかというと友情に近い信頼を描いている。
恋愛と見せかけて信頼を中心に据えて描くにあたり、ネカマ・ネナベから始まる設定を用意したのは実に鋭いと思う。
そしてその信頼が家庭を支えるという構図は確かに正しい。ただ、恋愛と信頼のズレに肩透かしを食う層もいるはずだ。

というわけで、タイトルが盛大に詐欺である。実際には「ゆうべはおたのしみでしたね」の要素がカケラもない。
おそらくベースがドラクエということもあり、全年齢対象のゲームに表現の基準を合わせているのであろう。
世の陰キャ男たちを「理想のダンナ」に育成するという意味では、同じドラクエネタでタイトルをつけるなら、
『導かれし者たち』とする方が適正だと思う。「無限に優しい女」「答えを知っている女」が「理想のダンナ」に導く。
ま、未来ある独身若手男性にはいいんだろうけど、中年の独身のおっさんには今さらつらいぞガハハ!
いちばん凹むタイプのマンガでしたねー……


2024.3.25 (Mon.)

こないだ東京国立博物館で『本阿弥光悦の大宇宙』を見たわけだが(日記は平日だが見たのは週末 →2024.2.9)、
本館でやっている『中尊寺金色堂』建立900年特別展の方がどうも人気みたいで、朝からとんでもない行列ができていた。
それならまあ、せっかくだし見てみるかなあ……ということで、春休みに入った隙をついて平日午後に行ってきた。

平泉には2回行っており、どちらの機会でもきちんと中尊寺で讃衡蔵と金色堂を見ている(→2008.9.122015.10.1)。
やはり国宝は凄い、何より800年以上の時を超えて目の前に存在しているのが凄い、というのが当時の感想である。
それからまた時間が経って、さまざまな美術品を見てきたうえであらためて中尊寺の国宝と向き合ってみたが、
工芸品としての美しさと時間の厚みを超えてきた迫力とで圧倒されるのであった。当方、10年前とあまり変わらず。
でもそれはある意味、価値が味わえる領域に10年前に到達できていたって解釈もできるので、ポジティヴに捉えておく。

最初に大写しになっている8K映像は、実際に中に入るとこういう感じかーと、けっこうわかりやすい。
阿弥陀三尊像や地蔵菩薩像は、細やかな彫刻の台座にゆったりとした平安の身体という安定感・完成度がすばらしい。
素朴なところからスタートした日本の仏像は確かに洗練されていって、たぶんここがある種のゴールなのだろうと思う。
この路線ではこれ以上やれることはないだろう、という印象がするのである。で、鎌倉で写実の筋肉美に走っていく。
その直前のところを物質的に留めているのが持国天・増長天の二天像で、腰を捻るポーズとそれに伴ってはためく布、
これらの要素が来る鎌倉の美を明らかに先取りしていて見事である。また踏んづけて台座となっている邪鬼が粗彫りで、
丁寧に仕上げられている二天像との差のつけ方も実にいい。近くでじっくりと見ることができて、たいへん幸せだった。
あと個人的に興奮したのが、北畠顕家(→2017.8.10/2023.1.7/2023.1.9)が清衡の中尊寺建立供養願文を写した書。
鎮守府将軍(→2023.10.18)をやっている間に写したのねと納得。これがあのスーパースターの字か……とウットリ。

  
L,C,R: 会場で唯一撮影OKだった1/5スケール模型。ふだん覆堂の中でまったく全容がわからないから、これはありがたい。

展示室内はそれなりに混み合っており、週末だったらえらいことだった、と思う。わざわざ平日に来てよかった。
なおショップでは、持国天に踏んづけられる邪鬼のもっちりぬいぐるみを販売しているのであった。よう考えるなあ。

 
L: 邪鬼のもっちりぬいぐるみ。クッション系のグッズは必須なのか。  R: アクリルスタンドの充実ぶりもすごい。

せっかくなので、本館の日本ギャラリーもさらっと見てまわる。ぜんぶ撮影する余裕なんて到底ないので、
ジャンルを限って本当に気になったものだけを記録しておく。トーハクは展示替えが頻繁にあるので油断できませんな。

  
L: なんか初音ミクとコラボしておりました。  C: 織田信長の書状。  R: こちらは千利休の書状で古田織部に宛てたもの。

  
L: 国宝の「童子切安綱」 が展示されていた。源頼光が酒呑童子の首を斬り落としたという太刀で、天下五剣のひとつ。
C: 「安綱」の銘をクローズアップ。  R: 切先をクローズアップしてみる。それぞれの刀の違いがわかる人はすごいと思う。

 童子切安綱の拵、「梨地糸巻太刀」。こちらは江戸時代初期の作。

  
L: 焼き物は京焼特集だった。こちらは野々村仁清『色絵牡丹水指』。 仁清についてはじっくり勉強したい(→2023.4.15)。
C: 青木木米『染付龍濤文提重』。サントリー美術館でやった『没後190年 木米』(→2023.3.18)では代表作扱いだった。
R: 仁阿弥道八『色絵桜樹図透鉢』。これもどっかで見て、器を通して木漏れ日の方を再現するという発想にたまげた。

というわけで、今回も存分に堪能したのであった。首都で暮らす恩恵は、美術館・博物館がいちばん大きいと思う。


2024.3.24 (Sun.)

東京都写真美術館でやっている『没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる』を見たのであった。やはり古典は押さえたい。

展示内容は、沖縄、著名人の肖像写真、昭和の風景、ヨーロッパ、中国、秋田、最後にカラーでパリ。
木村伊兵衛といえばライカでスナップ写真ということで、その観察眼が存分に堪能できる展覧会なのであった。
やっぱり写真は「時代の記録」だからこそ価値がある(→2024.2.4)。それを没入感たっぷりに見せられるから、
木村伊兵衛は偉大なのだと感じた。単にその瞬間をフィルムに焼き付けましたよ、というだけではなくって、
プリントされた写真を眺めていると、目の前のその風景にすっと入っていけそうな感覚があるのだ。
時間を飛び超えてリアリティを感じさせる、存在感のある写真というか。写っているものに「be」を感じる。
でもまあ究極的には『秋田おばこ』に尽きるんですけどね。この一枚を撮ったっていうだけでもう究極ですよ。

併せてやっている『記憶:リメンブランス ―現代写真・映像の表現から』もいちおう見た。
毎年写真館で撮ってもらっていた幼少期の篠山紀信が抜群に面白く、東日本大震災の記録もさすがだなあと感心。
あとは米田知子によるかつて日本領だった場所の現在を記録した写真が面白かったが、これはまあ結局のところ、
「時代の記録」としての写真という要素が僕の興味関心とリンクしたからだろう。それ以外は特に何もなし。

ショップに『FRONT』の復刻本が置いてあって興奮したのだが、さすがに2万は出ない。やたらデカいし。
木村伊兵衛なら『FRONT』の写真も見たかったなあと思うのであった。ぜひどこかで企画展をやってほしいなあ。


2024.3.23 (Sat.)

本日はソフトボール部の3年生を送る会なのであった。雨が降ったり降らなかったりで、見ているこっちはただただ寒い。
それでもOGをまじえて充実した時間になったようで何よりである。来年度はどうなるかねえ……。

夜は所属する学年での飲み会。いろいろ話しているうちに、僕は反抗期で家出したまま就職した設定になったのであった。
しかしまあ、飲み会はいろんな話が聞けて楽しいけど、頭の刺激になるような話題にならないのは淋しいところである。
知識のつく飲み会、もっと「発見」のある飲み会がいいなあと思う。そういう機会が激減してしまった気がするなあ。


2024.3.22 (Fri.)

本日をもって今シーズンが終了。午後には机も移動して来年度が始まりだす。淡々としたもんだなあと思う。
この切り替えの早さについては正直なかなか慣れない。まあ個人的にひっそり感傷に浸るとしましょう。


2024.3.21 (Thu.)

おてんば娘だと思ったらおデンパ娘だった、という夢を見た。


2024.3.20 (Wed.)

出光美術館『池大雅─陽光の山水』を見てきたのでレヴューなのだ。

まず最初に言いたいことを言っておく。池大雅は文人画(日本では南画とも)の代表的な画家として知られているが、
正直なところ僕はそんなに好きではない。全体的に線が太くて野暮ったく、どこかヘタウマの雰囲気を感じるからだ。
そもそもが「文人画」とはその名称が示すとおり、専門の画家ではないインテリの余技を尊ぶところが起源である。
つまり前提として、中国の宋代において芸術が成熟した結果、芸術が新たなネタを求めてインテリの知性に根拠を求めた、
その結果としての文人画なのだ。日本では中国への憧れと狩野派(→2017.11.1)に対するアンチテーゼとして成立した。
まあ言ってみりゃ江戸時代のポストモダンである。既製品にはない手作り感サイコーとか言っているようなものである。
今回はその力加減を確認しつつ、そうは言っても池大雅は偉大なので、その偉大さをきちんと確認するのが目標だ。

作品を見ていくが、やはり基本は線が太めでディフォルメ度合いが強い。軽妙なところはあるが洒脱とは言えない、
そんな感じの作風である。まず素朴ではあるけど、単純に「ヘタウマ」と断ずることのできない差異が確かにある。
そこが文人画として成立する境界線となるが、がんばって言語化してみると、和から離れきらないところにある気がする。
繊細で色鮮やかなやまと絵(→2023.11.11)とは似ても似つかないが、描き込み方がどうにも凝り性で日本的なのだ。
中国に憧れてはいるんだけど(想像上の中国の景色を描きまくっている)、中国人の視点による山水画ではなくて、
あくまで日本人の視点を失わないというか、逆に想像上だからと好きに編集しちゃうセンスがやはり優れている。
文人画なので写実性を求められないこと、視点のズレが許容されることを逆手にとって、自由な構図を生み出している。
そういう意味では「文人画」を名乗っているけど、画家としてのセンスで仕上がっているという逆説を感じるのである。
本当は斬新な発想をいろいろ持っているけど、「模範的な文人画」という周囲の求めに応じてやっていた感がある。
遠景で岩ガチガチ緑モサモサ枝カールというテンプレートを開発し、中国好きにウケる独自の世界観を構築している。
おそらく池大雅は本来なんでも描ける人なんだけど、当時のポストモダンの旗手として「文人画」のトップを目指し、
そのジャンルを確立して喜ばれた人なんだと思う。あとはもうジャンルの好みの問題。そういう領域を感じた。

印象に残った作品について書いておく。まず『岳陽楼図』で地平線を斜めに描いたこと。水平でない面白さは斬新だ。
『天産奇葩図巻』では書(文人画は書も作品の重要な要素だ)の一部が葉っぱの絵と融合するという発想が面白い。
ミクロをクローズアップするセンスも優れていて、『騰雲飛濤図画』は文人画らしからぬ迫力にあふれている。
『西湖春景・銭塘観潮図屏風』の右隻(西湖春景図)と左隻(銭塘観潮図)でスケールを変えるのは、とんでもない発想。
『浅間山真景図』はやや写実的で、画家としての本来の実力がよくわかる。またさまざまな瀟湘八景図を描いており、
季節などで微妙なタッチの描き分けをやっている。離合山水図でもマンガの続き物の背表紙みたいなセンスを持っており、
コレクター心をくすぐるのが上手い。だから僕としては、池大雅の文人画はわざと実力を隠しているように感じるのだ。
キレッキレの構図をもっと生み出してほしかったなあと思う。「文人画」というジャンルに収まってしまったのが惜しい。
あと、この人はものすごい旅行好きだったそうで、山にもバンバン登っている。そこでの経験を作品に生かしているが、
晴れている天気の下での景色が大好きなんだなあと、そこでの「映え」を描こうとしていると感じる。そこは深く共感。


2024.3.19 (Tue.)

ぷらっとこだまがリニューアルですと。当初、ぷらっとこだまがなくなると勘違いして真っ青になっていたのだが、
チケットレスになるって話でちょっと安堵。しかし新大阪は値段が上がるらしいので、やっぱりがっくりしているしだい。
昨年がんばって大阪府の市役所をだいぶつぶしたが、まだまだしっかり残っている。無間地獄でございますよ。



2024.3.15 (Fri.)

ヤクルト1000を飲んでみたけど、これはふつうのヤクルトよりたくさん飲めるという満足感がデカいんじゃないですかね。
満足感に浸っているうちにスヤァと眠っちゃう、と。プラセボプラセボ。まあ継続しないと実際のところはわからんけど。


2024.3.14 (Thu.)

クラスマッチ。クラスTシャツ(→2023.7.12)の数字を赤いマジックで修正し、「完全制覇まであと37市役所」とする。
周りの皆様からは呆れられるのであった。自分としてはよくがんばって減らしたなあと思っております。来年度もがんばる。


2024.3.13 (Wed.)

そういえば僕がふだん使っているハンコだが、こんな感じであります。

江戸時代の誇る奇才・耳鳥斎(→2017.10.52023.3.23)。いいでしょう!


2024.3.12 (Tue.)

ふと思い出したが、かつてマツシマ家では、スポーツドリンクではサントリーのNCAAがぶっちぎりで人気だったのだ。
銀色の缶で、黄色い逆三角に黒字で「NCAA」。なんで全米大学体育協会が商品名なのかよくわからんかったが、
スッキリした柑橘の風味が好みでございました。当時、街で食えたダイキュリー(ダイキリ)のアイスがライム風味で、
それと似た香りがツボにハマった記憶がある。うーん、どっちも懐かしい。期間限定でいいから再発売してくんねえかな。


2024.3.11 (Mon.)

東日本大震災が発生した日付。十年一昔というけど、そこからさらにどんどん時間が堆積していく。過去が遠ざかる。
今年は常磐線を完乗すること、そして新しくなった陸前高田市役所を見にいくこと、この2つを実現したいと考えている。
あっちこっちの「ふつう」を見に行ってやる(→2007.2.7)。新しい「ふつう」の生活を、ぜひ見に行ってやるのだ。

朝6時をまわったところで甲板に出てみる。進行方向右手には、朝焼けの佐多岬があった。岩の上で灯台がたまに光る。
佐多岬はそりゃもうぜひとも行ってみたい場所だが、公共交通機関がないので難しい。鹿屋でバイクを借りるのか。
車があれば内之浦とセットで楽しめそうなのに。もはや意地で車を使わない旅をしているようなもんだと苦笑する。

  
L: 朝焼けの佐多岬。  C: 佐多岬の先っちょの岩には佐多岬灯台がある。この辺りが九州の南端なのだ。
R: 南を見れば、竹島(左)と硫黄島(右)……だと思う。さすがに種子島と屋久島ではないだろう。

やがて左手に朝靄の開聞岳が現れる。開聞岳はその見事な円錐形でまっすぐ立っており、自然とこちらの背筋も伸びる。
麓は朝靄に覆われており、それがよけいに開聞岳の存在感を際立たせている。登ってからもう15年が経つ(→2009.1.7)。
鹿児島行きのフェリーは佐多岬と開聞岳に迎えられるわけだ。なんとも贅沢な組み合わせだなあと思うのであった。

 
L: 朝靄の開聞岳。  R: 開聞岳はどこから見ても美しい(→2016.3.20)。海から迎えてもらうのもいいものだ。

入港まではまだ時間があるので、昨夜は疲れてできなかった船内の徘徊をする。クイーンコーラルプラスは浴場付きで、
中が非常に気になったものの怖気付いてスルーしてしまった。日記を書いている今は後悔している。入るべきだった。

  
L: エントランスホール。  C: 売店。まあこれは往路のマルエーフェリーも似たような感じ。  R: 風呂。入るべきだった。

6時半になったので朝食をいただいた。迷わず和食である。やっぱりお米を食べるとやる気が出ますなあ。
やがて進行方向右手に桜島、左手には鹿児島の市街地が現れる。しばらく甲板で呆けながら景色を見て過ごす。

  
L: 朝食。  C: 甲板にて。こちらは煙突が2つなのね。  R: 桜島。やはり絶大な存在感である。

  
L: 海から見た鹿児島県庁(→2009.1.6)。  C: 鹿児島新港に入るのだ。正面に鹿児島中央駅の観覧車が見える。
R: あらためてマリックスラインのクイーンコーラルプラスを撮影。マルエーフェリーもそうだけど、楽しい旅をありがとう。

手荷物預かり所でミニ焼酎を受け取ると、バス乗り場でポートライナーを待つ。フェリーは予定より遅れての到着で、
そのせいかバスが来るまでそこそこ待った。スケジュール的に余裕があったので問題はなかったが、少し焦った。
大半の乗客が鹿児島中央駅で下車するが、僕はそのまま終点の鹿児島駅まで揺られる。今日はここからが本番なのだ。
さて鹿児島駅に着いてびっくり。以前(→2011.8.10)とはだいぶ異なる姿となっていた。前の雰囲気好きだったけどなー。

  
L: 路面電車の鹿児島駅前停留所。新しい屋根で広島の横川駅っぽさ(→2008.4.232013.2.24)が少しあるような。
C: 鹿児島駅は2020年に現在の駅舎となった。  R: 南には鹿児島市上町ふれあい広場の屋根付きイベント広場。

鹿児島駅から桜島を眺めながら日豊本線で鹿児島湾を北上する。帖佐駅で下車して、目指すは姶良市役所だ。
ついに建て替えとなったのである。8年前にはバスの遅れと市役所の撮りづらさに辟易したなあ(→2016.3.19)。
ただ開庁は5月ということで、建物はほぼできあがっているものの周囲が絶賛工事中。がっつり作業の真っ最中だった。
そして場所はまったく一緒なので、やっぱり道幅が狭くて撮影しづらい。半ばヤケクソになりながら撮っていく。
なお設計者は、山下設計・永園設計・ゲンプラン設計JV。市のサイトに詳しい資料があるのが素晴らしい。

  
L: 新しい姶良市役所。まずは斜向かいの駐車場から撮影。  C: 交差点に出て撮影。  R: 向かいの駐車場から。狭い!

  
L: 東から見たところ。  C: 北東に寄って眺める。  R: 駐車場越しに眺める側面。駐車場は開庁後に整備されそう。

  
L: 北から眺める側面と背面。  C: 西から見たところ。  R: 連絡通路をくぐって南から。これで一周完了。

  
L: せっかくなので2号館も撮影なのだ。南東から。  C: 東から見たところ。  R: 再び連絡通路をくぐって北から。

これでどうにか撮影完了。帖佐駅に戻ると日豊本線をさらに行って隼人駅で下車。隼人駅といったらやることはひとつ。
大隅国一宮・鹿児島神宮への参拝である。もう3回目だが(→2011.8.92016.3.19)、一宮はスルーできないのである。

 末社・保食(うけもち)神社を前回とは異なるアングルで撮影。

平日なのだが参拝客はけっこういて、あまり間を空けずに大鳥居を車がくぐっていく感じ。さすがだなあと感心する。
鹿児島神宮は2022年に本殿・拝殿・勅使殿と摂社の四所神社が国指定重要文化財となったので、その効果もあるのだろう。
なお、主要な御守については前回参拝の8年前と変わらず。天気もよく、非常にすっきりとした気分で参拝できてよかった。

  
L: 鹿児島神宮の参道入口。  C: 境内に入っていざ石段へ。  R: 今回は勅使殿を正面から撮ってみた。

  
L: 拝殿内部の天井画。今回は「撮影禁止」という表示が見つからなかったので撮影。重文に指定されたからOKになったのか?
C: 外に出て真横から見た拝殿。  R: 本殿。鹿児島神宮は空間構成の独特さからも島津家の本気度合いを感じる神社である。

  
L: 本殿脇の摂社・四所神社。こちらも国指定重要文化財。  C: 武内宿禰を祀る武内神社。  R: 日本武尊を祀る隼風神社。

鹿児島神宮からはバスに乗って霧島の奥へと入っていく。ラムネ温泉という面白い名前のバス停でいったん下車すると、
すぐ近くの新川渓谷バス停で乗り換え。少し時間的な余裕があったので、新川渓谷を見てみる。紅葉の名所とのこと。

 
L: 新川渓谷のバス停からラムネ温泉バス停を眺める(左カーヴの先)。この微妙な距離の乗り換えがなんとも不思議である。
R: 天降(あもり)川が流れる新川渓谷。奇岩を売りにするにはイマイチ、と思ったら紅葉の名所だと。水の色がいいですな。

空港から来たバスに20分ほど揺られる。国道223号はとにかく温泉だらけ。ラムネ温泉バス停までもそうだったが、
新川渓谷から先もあちこちに温泉がある。これをハシゴしていったらそうとう贅沢な旅になるなあ、なんて思う。
そんなこんなで柳平のバス停で下車。ここから南へ10分ほど歩いていったところにあるのが、みやまコンセール。
正式名称を霧島国際音楽ホールといい、公共建築百選ということでわざわざ来たのだ。いやアクセスが面倒くせえ。

  
L: まずは最も北にある野外音楽堂。  C: 正面から見たところ。  R: 霧島の雄大な景色を背景にするのはいいが、遠い。

野外音楽堂から南の音楽ホールへ行ったところで残念ながら日が陰ってきた。天気予報からすれば、むしろよくもった、
ってところだろう。気にせず建物を撮影していく。みやまコンセールの設計は槇文彦で、1994年にオープンしている。
音響について非常に評価が高く、「すべてS席」と言われているそうだ。しかしこのアクセスの面倒くささはひどすぎる。

  
L: 建物の全体をすっきり眺めるのは難しい。まずは西側を見てみる。この2階が小ホールとなっている。
C: 東側。こちらがエントランス。主ホールはこちら側。  R: 北東から見たところ。主ホールはこの中。

  
L: 東から見た主ホール。  C: 南東へ。見るからに船のイメージ。  R: 南から見た小ホール方面。

  
L: 裏にまわって北西から。  C: 2階に上ってコンサートコートから主ホール方面を眺める。
R: 月曜日は休館日なので中には入れず。とりあえず2階小ホール前のロビーを覗き込んだところ。

まあやはり実際に中で音を聴いてみないことにはなんとも。そんなに凄いんならぜひ一度体験してみたいところだ。
さて、外観の撮影を終えるとやることがない。とりあえずバス停に戻ろうかと道路に出たら、反対側に温泉の看板を発見。
県立霧島自然ふれあいセンターのキャンプ場だが、「シンフォニー温泉」があるという。こりゃもう、入るしかない!
小走りでスロープを駆け上がり、グラウンドのようなキャンプ場を突っ切ると、奥にある管理棟には温泉マーク。
受付で「入れますか?」と訊くと、「380円です」との返事。「安(やし)いー!バッバッ」と叫んで飛び込むのであった。
無茶な旅程でめいっぱいに動いているが、まさかここで温泉に入れるとは思わなかった。もう本当にこの旅行、最高。

 
L: 霧島高原国民休養地「森のパラダイス総合受付」の文字の上に温泉マーク!  R: 管理棟を抜けると温泉。

来る前まではみやまコンセールはアクセス最悪とむくれていたが、温泉がセットとなると評価は大逆転なのだ。
いや本当に、ここで温泉に浸かることができたのはありがたかった。僥倖に惚けつつ、空港行きのバスに乗り込む。
が、時刻はまだまだ15時前。僕が素直にこのまま空港に行くわけがないのだ。途中の嘉例川バス停で下車する。
嘉例川といえばそう、嘉例川駅だ。肥薩線で通過したことはあるが、さすがに下車する余裕はなかった。
バスが来るまで1時間半以上。今回の旅のラストは、この嘉例川駅を思う存分味わってやるのである。

  
L: 嘉例川駅。  C: 角度を変えて眺める。  R: ホームに出て駅舎を眺めたところ。

嘉例川駅の駅舎は1903(明治36)年の開業当時からのもので、大隅横川駅とともに鹿児島県で最古の駅舎である。
なお、どちらも国登録有形文化財となっている。車で観光客がちょこちょこやってきては、写真を撮っていく。
さすがにわざわざ列車でやってくる人はいなかったが、人気の観光スポットとしてしっかり定着しているようだ。
なお肥薩線は2020年の豪雨の被害が大きく、吉松-隼人間のみが運行している状態で、廃線の危機となっていた。
おかげで昨年の夏は人吉に行くのが大変だった(→2023.8.5)。全線復旧の方向に動いたようで何よりである。

  
L: 肥薩線の列車がやってきた。  C: 反対側から見た駅舎。  R: いちばん奥の事務室か何か。

  
L: なんだかよくわからんが鉄道関連の物が置いてある。  C: 展示スペースとなっている駅員室。  R: 駅員室から見た窓口。

  
L: 待合室。これは駅舎に入ったところからホーム側を見たところ。  C: 窓口側を見たところ。
R: 「さんちゃん」の寝床。「さんちゃん」は2022年に2代目嘉例川観光大使に任命されたネコ。

僕は知らなかったのだが、嘉例川駅にはネコが居着いており、嘉例川観光大使に任命されているとのこと。
先代の「にゃん太郎」は2020年に亡くなったそうだが、翌年から別のネコが居着くようになり、2代目大使に就任。
なんせ1時間半もここに滞在できるので、それならそいつが出てくるといいのになあ、と思いつつ写真を撮っていると、
キジトラのネコが鳴きながら駅舎の中に飛び込んできた。ところがこいつは人間に対してぜんぜんフレンドリーでない。
ある程度は近づけるが、触れる距離となると敵意むきだし。そうなるとこっちとしてもイラッとくるではないか。

 イマイチ人に馴れていないキジトラ。

すると、駅舎から少し離れたところにもう1匹、ネコが現れた。鈴のついた首輪をしていて、こちらが「さんちゃん」。
とっても泰然自若としたネコで、キジトラがちょっかいをかけようとしてもまるで相手にしない。いい気味である。
そのうち雨が降りだしたが、さんちゃんは平然としているのであった。こちとらたまらず駅舎の中に避難する。
やがてさんちゃんが駅舎の前にあるベンチまで来たので、記念に一発撮影すると、ひっそり期待しつつ隣に座ってみる。
さんちゃんはさも当然のように僕の太ももの上に乗っかってきて、背中を撫でてやると目を細めてこっちを見上げる。
もうこれだけでメロメロですよ。バスが来るまで、ずーっとさんちゃんを撫でてはアイコンタクトしてはを繰り返す。

  
L: えらく泰然自若としているさんちゃん。  C: ベンチで記念に撮影。  R: 撫でられてご機嫌なさんちゃん。

 スマホでさんちゃんと一緒に自撮りしてみる。

やがて鹿児島空港行きのバスが嘉例川駅にやってきた。ちょうどさんちゃんに餌をあげるおばあちゃんが来たところで、
バトンタッチして撤退。嘉例川駅で過ごす1時間半は退屈かと思ったが、さんちゃんのおかげで楽しゅうございました。
空港に着くと、土産物を確保して晩ご飯をいただく。なんと山形屋がレストランを出していて「焼きそば」を食える。
迷わずいただいたのであった。13年ぶりになるのか(→2011.8.10)。今回は大盛である。三杯酢をかけて、最高に旨い。

 山形屋の「焼きそば」。いわゆる、あんかけかたやきそば。鹿児島県民のソウルフード。

天気が悪くなっていく最終日ということでテンションはやや落ち気味だったが、温泉とネコがしっかりついてきて、
最後に山形屋の焼きそば大盛とか、もうどんだけ恵まれた旅行なのか。最初から最後まで完璧な旅行となってくれた。
帰りの飛行機だけでなく、電車内でも、家に帰っても、いやその後もずっと何日も余韻に浸ってしまう僕なのであった。


2024.3.10 (Sun.)

フェリーはまだ暗い朝の5時に奄美大島に到着した。船客待合所に入るとまずはコインロッカーを探しまわるが、
残念ながらすでに撤去されてしまったようだ。コンテナの出し入れで忙しいフェリーを撮るなどして過ごす。

 いったん外に出て名瀬港に入ったフェリーを撮っておく。

今回、奄美大島での交通手段はバイクを借りることにした。対馬でたいへん有効だったので(→2018.11.5)、
奄美大島もそれでいくことにしたのだ。昨シーズンには北海道でも乗ったなあ(→2022.8.3)。本当に便利なのだ。
バイク 借りて 特攻(ぶっこみ)。BKB! ヒィーア! ……もうBKBネタはやり尽くしたっつーのよ(→2024.3.7)。
ところがひとつ大問題があって、それは「日曜日にバイクを貸してくれる店が名瀬近辺にないこと」である。
奄美空港まで行けばあるのだが、島の東端なのでさすがにそれは行動範囲がかなり限定されることになる。
で、どうするかというと、瀬戸内町古仁屋で借りる。……島の南西端じゃねえか! 地図を見れば狂気の沙汰なのがわかる。
僕の思考回路としては、名瀬〜古仁屋が片道約40kmなので、対馬のときより10km少ないから行けるだろうと。
つまり古仁屋を起点に名瀬まで行って、奄美の主要部をざっくり一周してやろうという魂胆なのである。
空港からだと一周するのはちょっとつらいが、古仁屋から名瀬までの範囲ならやれるだろうと判断したのだ。
それでわざわざ5時半発の瀬戸内行きのバスに乗る。車内で路線バス乗り放題券を購入できるので、それで往復。

バスは1時間ちょっとで終点のせとうち海の駅に到着。昨日のうちに買っておいたパンとおにぎりで朝食とすると、
開放されている海の駅で情報収集。古仁屋にやってくる人は、大島海峡を挟んだ加計呂麻島に渡るのが一般的な模様。
そりゃもちろん僕だって行けるものなら行ってみたい。が、今回は奄美市役所のある名瀬まで行かなくちゃならんのだ。
0泊3日じゃ諦めざるをえないのである。いつか加計呂麻島に上陸する機会があるといいなあと思いつつ支度をする。

  
L: せとうち海の駅。フェリーかけろまはここから発着。  C: 脇の池では南の魚が泳いでいた。  R: ハイビスカスがきれい。

 
L: クロマグロ養殖日本一の像。瀬戸内町には近大マグロの養殖拠点がある。  R: 口がデカい。

事前の予約どおり7時半にバイクを借りると、まずは県道626号を南東に行ったマネン崎展望広場へと向かう。
交通量がまだ少ない早朝のうちにしっかり動いて、久しぶりのバイクに慣れておこうというわけである。
絶対に“不運(ハードラック)”と“踊(ダンス)”っちまうわけにはいかないのだ。慎重すぎるくらいでちょうどいい。
感覚を呼び起こしつつ軽めのアップダウンを繰り返すうちにマネン崎展望広場に到着。だいぶ小ぢんまりとした場所だ。
とりあえずデジカメのシャッターを切るが、アングルが限定されるし朝早すぎて海の色もイマイチだしで、
なんとも消化不良な感じでスタート。来た道を戻ると、やはり慣らし運転ということで、油井岳の高知山展望台を目指す。
国道58号で古仁屋の集落を後にするが、坂を上るとトンネルが現れる。実はトンネルに入らず脇道に逸れるのが正解だが、
まだ気が動転している僕はそのまま素直にトンネルに突撃するのであった。バイクでトンネルを通るのは本当に怖い。
で、抜けたところでスマホを確認すると、実はトンネルを入らなくてよかったことに気づいて愕然とするのであった。
でも出た方にも脇道があって、そこから山へと入っていけば大丈夫。山道をグイグイと上がっていって無事に到着。

  
L: マネン崎展望広場にて。  C: 高知山展望台へと向かう山道。人がいない道は楽しい。  R: 展望台の看板。血の気が引く。

油井岳には2つ展望台があるのだが、時間的制約を考えて今回は高知山展望台だけにしておく。
入口にはハブ注意の看板があり、鬱蒼と茂る木々を見て足がすくむ。そう、奄美大島にはハブが棲息しているのだ。
実際のところ、ハブとの遭遇率はそんなに高くないらしいのだが(アマミノクロウサギの方がずっと高いって話)、
怖いもんは怖いのである。しかし躊躇していても時間の無駄なので、覚悟を決めて大股で奥へと進んでいく。
わりとすぐにトグロ的というかバベル的な展望台が現れて一安心。上ると確かに絶景で、奄美に来てよかったとしみじみ。

  
L: 高知山展望台へ向かう道。いやーハブ怖い。  C: 展望台から見た古仁屋。  R: 右を見てこちらは手安の集落。

目の前には大島海峡を挟んで加計呂麻島が長々と横たわっている。典型的なリアス海岸で、実に見応えのある景色だ。
加計呂麻島の向こうに水平線があるのがまたいい。島と海とが交互にリズムをつくって、他にはない光景となっている。

展望台に来るまでの道もそうだったが、さすがは南の奄美大島、緑の勢いが本州とは違う。生命感が漲っている。
印象的なのはやはり日本最大のシダ植物であるヒカゲヘゴ。小笠原で見たマルハチ(→2012.1.1)とかなり似ており、
大きく広げた葉っぱが南国らしさを感じさせる。とりあえずこれで金作原(きんさくばる)に行った気になっておこう。

  
L: 高知山展望台のヒカゲヘゴ。  C: ヒカゲヘゴを下から見上げる。  R: ゼンマイみたいなデカい芽が伸びている。

これで古仁屋周辺の探索は完了。いよいよ本格的に奄美大島の探索を開始すべく、国道58号に戻ってひたすら北東へ。
しかし困ったのが、トンネルがやたらと多いことだ。同じリアス系の島でも、対馬はそんなに多くなかった気がする。
まあ冷静に考えれば当たり前の話で、それなりに起伏のあるはずの島の中をまっすぐ道が通っているわけだから、
どうしてもトンネルが多くなるのだ。全長が4kmを超えるトンネルもあって(網野子トンネル)、本当に神経をつかった。

そんなこんなで黒潮の森マングローブパークに到着。名瀬に向かう途中で寄りたいチェックポイントを2つ設定しており、
住用マングローブ林はそのひとつなのだ。国道58号からの眺めが素晴らしかったので、パノラマ写真をつくってみた。


国道58号から見た住用マングローブ林。

道の駅にもなっているので、ここで休憩。マングローブパークの名物は、動植物を観察できるカヌー体験だ。
ミナミトビハゼやミナミコメツキガニ(→2015.3.27)が間近で見られるみたい。そりゃもう見たいに決まっているが、
残念ながらその時間はない。地理人間としては、マングローブを実体験するのはぜひやっておくべきことなのだが……。
今回は石原ヨシハラウエノ遺跡(グスク跡)の展望台から見下ろすだけで我慢である。いつか体験したいなあ。

  
L: 国道58号から見た住用マングローブ林をスマホで撮影した写真。いかにもスマホらしく劇的な色合いで仕上がるなあ。
C: 黒潮の森マングローブパーク。カヌー体験の申し込みはこちらみたい。規模は大きくないが土産物も売っていた。
R: 脇にある奄美大島世界遺産センター。奄美大島は徳之島・沖縄島北部・西表島とセットで2021年に世界自然遺産に登録。

そもそもマングローブとは何なのか、ここできちんとまとめておこう。「マングローブ」という植物があるわけではなく、
ヒルギ類、またそれが構成する植物群落の総称である。奄美大島ではオヒルギとメヒルギがマングローブを構成している。
熱帯から亜熱帯の干潟に形成されるが、樹木が密集していることで非常に豊かな生態系を維持する空間となっている。
基本が泥なので酸素が少なく、ヒルギ類は根を地上に出す呼吸根が発達している。オヒルギは一部を地上に出す膝根、
メヒルギは板根が特徴的とのこと。そうして多様な動物を受け入れつつ人間が侵入しづらい環境を生み出しているが、
東南アジアではマングローブを破壊して日本向けにエビの養殖場をつくる動きが活発で、大きな問題になっている。
浪人時代に地理の授業でさんざん聞いたのう。あれから実物のマングローブを見るまで25年以上もかかっちまったよ。

  
L: 世界遺産センターの内部はこんな感じ。  C: 石原ヨシハラウエノ遺跡の展望台から見た住用マングローブ林。
R: せめて望遠でマングローブを撮影してみる。わりと干潮なのか、土と根が露出している。じっくり観察したいなあ。

バイクにまたがり次のチェックポイントへ。早朝の名瀬で見た観光案内板にあったフナンギョの滝を見てみるのだ。
奄美大島にはいくつか滝があるのだが、すべてをまわる余裕はない。とりあえずフナンギョの滝は扱いが大きかったので、
見てみることにしたわけだ。国道58号から農地の中を突撃していくが、いざ行ってみるとわりと奥まった位置にあり、
少し後悔する。駐車スペースにたどり着いてもそこからの砂利道が長く、バイクを降りて早歩きの僕はけっこう後悔。
いや、これはけっこうな時間的ロスになるんじゃないかと思ったところでようやく到着。なかなかフォトジェニックだ。
フナンギョとは「舟行」で、舟をつくるための木を切り出したことに由来。かつてはノロの巫女が滝修行したそうだ。

  
L: フナンギョの滝への道。長い。  C: 現れた滝はいい感じにフォトジェニック。  R: 滝の末端。ここで水行したのか。

国道58号に戻って長めのトンネルを2つ抜けるといよいよ名瀬の中心部に到着である。トンネルもつらいのだが、
僕としては街中をおそるおそる走るのもつらい。レンタサイクルだと気楽に動きまわれていいんだけどなあ。
というわけで、さっさと奄美市役所に行って、駐車場にバイクを置いてしまう。ここからは歩行者モードだ。
日が陰り気味だったので、先に高千穂神社に参拝しておくことにした。南西へ歩くこと5分ほどで到着する。

  
L: 高千穂神社。奄美大島でいちばん大きい神社なのだが、創建は1869(明治2)年と近代に入ってから。
C: 参道を行く。  R: 石段を上って拝殿が見えてきた。全体的にコンクリート感のある境内である。台風来るしな。

奄美大島にはあちこちに高千穂神社がある。霧島神宮(→2016.3.19)との関係が深くて瓊瓊杵尊を主祭神としており、
瓊瓊杵尊が高千穂峰に降り立ったことから高千穂神社となったそうだ。なお、こちらの名瀬の高千穂神社はその後、
八幡神社と厳島神社を合祀したことで応神天皇と市杵島姫命も祭神としている。ちなみに奄美大島の宗教は多様で、
ベースは琉球文化で神社や仏教は弱め(特に仏教は薩摩藩の影響で弱く、廃仏毀釈後に進出した浄土真宗の8寺院のみ)。
特徴的なのはカトリックが強いこと。宣教師ががんばった結果、長崎県よりも比率が高いそうだ。戦前には迫害もあった。

  
L: 拝殿。社殿は1999年に改築されている。  C: 本殿。木々の勢いがすごい。  R: 境内の奥にある祠。実に亜熱帯である。

二礼二拍手一礼して御守を頂戴すると、日がしっかりと差してきた。“待(ま)”ってたぜェ!! この“瞬間(とき)”をよォ!!
というわけで満を持しての奄美市役所の撮影である。設計は内藤建築事務所+重信設計JVで、竣工したのは2021年。
ちなみに旧市役所(名瀬市役所)の設計も内藤建築事務所だったとのこと。鹿児島県産業会館といい、鹿児島に強いのね。

  
L: 奄美市役所。まずは南西から見たところ。  C: 南、正面から見たところ。  R: 南東から。こっちはあまり余裕がない。

  
L: 階段を上って西を見る。市民広場として整備されており、奥には立体駐車場。  C: 東には四阿が2つ。  R:エントランス。

  
L: 中に入るとこんな感じ。日曜でシャッターが下りていたのが残念。まあ中に入れるだけマシではあるが。
C: 左を見ると滞留スペース。  R: 右を見るとこちらも滞留スペース。奥にはパンフレット類が並んでいる。

  
L: 南西から見上げる。こちらも敷地に余裕がない。  C: 南西側から入った1階。右が入口なのだが、だいぶ地味。
R: 北西から見たところ。道路を挟んで北側には2階建ての駐車場。余裕がないのは、島に平らな土地があまりないからか。

  
L: まわり込んで北東から。  C: 東側から見たところ。  R: 正面(南)の「紬スクリーン」。十字絣がモチーフ。

奄美市役所では日差しや暴風雨対策として、白い「紬スクリーン」を東西南北に取り付けている。
これは大島紬の柄をモデルにしているそうで、それぞれでデザインは異なっている。なかなか面白い工夫だ。

  
L: 西側の 「紬スクリーン」。  C: 北側の「紬スクリーン」。  R: 東側の「紬スクリーン」。

これで本日最大の目的は果たした。あとは時間の許す限り動きまわりつつ、無事に古仁屋へ戻ればいいのだ。
せっかくなので名瀬でランチをいただく。地元のものが食べたい、ということで、海鮮の食える人気店へと突撃する。
全体的にかなり安い価格だったのでいちばん豪勢な定食をいただいたのだが、すさまじいヴォリューム。でも1050円。
奄美大島はなんていいところなんだ!と感動するのであった。時間があればもっとのんびり歩きまわれたんだがなあ。

  
L: 市役所の北にあるカトリック名瀬聖心(みこころ)教会。   C: この量を1050円でいただけるとは……。奄美大島すごい。
R: ツツジにナガサキアゲハ(尾状突起がないのでたぶんそう)。南の島に来ているんだなあ、としみじみ実感するのであった。

  
L: 名瀬の市街地も撮っておくのだ。これは広々とした末広本通り。  C: 一本西の中央通りはアーケード商店街。寂れ気味。
R: もう一本西の県道79号。市役所やカトリック名瀬聖心教会はこの通りに面する。名瀬は住宅・商店・ビルが混在している。

せっかく名瀬に来ているので、上から市街地を見てみたい。というわけで、ちょっとがんばっておがみ山展望台に上る。
バイクで時間短縮を図り、あえて裏から山道を登っていく。急坂がきついが、素早く展望台までたどり着くことができた。
名瀬の市街地を存分に動きまわる時間的余裕はなかったが、その代わりとして十分満足できる素晴らしい景色だった。

  
L: おがみ山展望台から眺める名瀬の市街地。ちょうどいいスケール感で味わえると思う。天気がいいので最高である。
C: 奄美市役所をクローズアップ。狭苦しい中から見上げるよりも、こっちの方が全体像がずっとわかりやすい。
R: 下界に戻って北の名瀬港方面へ。さっき暗い中で撮った名瀬港の船客待合所をあらためて撮影する。

名瀬港よりも北側にある観光施設も押さえておくのだ。まずはやっぱり奄美観光ハブセンターだ。ハブ見とかなきゃね!
いざ訪れてみると、予想をはるかに上回る昭和感。最初は客は僕だけだったが、滞在中にちょこちょこ人が増えてきた。
ハブも昭和も味わえる楽しい施設だと思うので、みんな行こうぜ! 気の合う集団で行くとよけい楽しいと思います。

  
L: 奄美観光ハブセンター。実に昭和な外観である。  C: 中はもっと昭和。  R: 各種の動物を呑み込んだハブの標本が並ぶ。

  
L: 100円を入れると映像が見られるたいへん昭和な機械。内容もライオンの性器とかハブの交尾とかたいへん昭和。
C: 奄美ハブ神社。上のグラフの昭和感がたまらない。  R: ハブ以外にも奄美大島の動物の標本も置いてある。

  
L: ではお待ちかねのハブ。部屋の真ん中にガラスで置いてある。うわぁー  C: 鎌首もたげてこっちに迫るハブ。ひー
R: 奥の部屋に置いてあったハブの骨格標本。それ以外にもハブに咬まれた傷の写真など、強烈なものをいろいろ展示。

  
L: トカラハブ。宝島と小宝島にのみ生息する。「猛毒 出血毒」と赤字で書いてあったが、実際は毒は弱くて温和だと。
C: ヒメハブ。こちらも毒が非常に弱い。ハブよりもマムシに似ているので奄美ではマムシ呼ばわりされているらしい。
R: 金ハブ。つまりは金色をしたハブ。縁起がいいものとして扱われている模様。黄色い色素が抜けたものは銀ハブだって。

ハブの世界を堪能すると、ガソリンを給油してから北端の奄美市立奄美博物館と奄美文化センター(奄美振興会館)へ。
職場で聞いたが、実は2日前にミスチル(三橋美智也じゃない方)がこちらの奄美文化センターでライヴをやったそうで、
もしバッティングしていたらエラいことだった。当方ミスチルに興味ないのにファンの皆様と一緒に混雑とか恐ろしい。

 ♪ま〜〜〜つか〜〜〜ぜぇ さ〜〜〜わ〜〜〜ぐ〜〜〜 みすちる?

では奄美の歴史を学ぶべく奄美市立奄美博物館に入る。市レヴェルの博物館なので展示としてはそれなりだが、
琉球文化の強い影響から薩摩藩の支配、そして激しい本土復帰運動など、奄美のたどった独自の歴史をしっかり学べる。

  
L: 奄美市立奄美博物館。  C: 1階は島外の人にもわかりやすいところから。島唄/シマ唄とは本来、奄美民謡を指すそうで。
R: 1952年にサンフランシスコ平和条約で日本が主権を回復しても、奄美群島はアメリカの占領下に置かれた。翌年に復帰する。

  
L: 奄美の神祭り。名瀬大熊(だいくま)集落のフユウンメ祭りを模型で再現。最後は発酵飲料のミキが集落に配られたそうだ。
C: 奄美の一字姓一覧。薩摩藩が幕府に隠れて奄美群島を支配するにあたり、琉球風の名字ということで一字姓のみを許可した。
R: アマミノクロウサギの剥製。奄美大島と徳之島にのみ棲息。夜行性で、昼間は巣穴の中で過ごしているのを再現している。

  
L: 屋外では奄美の伝統的な民家(眞島家住宅)を移築展示。生垣で敷地を囲い、門のところは石垣としているのが特徴的。
C: オモテ(主屋・座敷、右)とトーグラ(台所・居間、左)の2棟構成が標準的とのこと。トイマという渡り廊下でつなぐ。
R: オモテの中を覗き込んだところ。奥が床の間である。なお、眞島家住宅は1894〜95(明治27〜28)年ごろの築とのこと。

帰りは国道58号ではなく、島の北側を通る県道79号を行く。来た道を戻ってもつまらんし、何よりトンネルがイヤだ。
それにせっかくなので、できるだけ他の役場も見てみたいじゃないか。というわけで、勢いよく西へと走りだす。
県道79号は国道と比べて明らかに交通量が少なくて快適。ただ、やはり海沿いに遠回りしたり山を越えたりと、
距離としてはかなりかかる感じ。それでも途中でバイクを停めては景色を味わい、奄美大島らしさを堪能する。

  
L: いざ西へ。奄美大島はこんな感じに南国系の木々がこんもり生い茂った山がずっと連続している感じである。
C: アマミブルーな海岸で一休み。  R: 浜辺にはサンゴのかけらがいっぱい。歩くと磁器のような高く澄んだ音が鳴る。

宮古崎に寄っている時間はないだろうと判断し、スルーして大和村役場へ。1972年竣工で、モダンな建物である。
大和川を渡った右岸の奥には奄美野生生物保護センターがあるので寄ってみる。貴重な動物がいるのを期待していたが、
置いてあるのは剥製ばかり。いろんな剥製があるのは確かにすごいが、剥製の数で満足してしまっている感も否めない。
剥製もガラスの中で、光って撮影しづらいし。個人的には、ここを目的にしてわざわざ訪れるほどの価値はないかなあと。

  
L: 大和村役場。  C: 正面から見たところ。幅があって撮るのが大変。  R: エントランスもモダンである。

  
L: 奄美野生生物保護センター。  C: 資料スペースが円形とは面白い。  R: アマミノクロウサギの剥製。

県道79号に戻ると、すぐに大和浜の群倉(ぼれぐら)が現れる。江戸東京たてもの園で見た高倉(→2023.10.9)で、
1箇所にまとめて建てられたものを「群倉」と呼ぶそうだ。もともとここにあったのではなく、移築してきたみたい。
さらに西へと進んでいくと、海岸沿いにさまざまな景色が現れる。気ままにシャッターを切っていくのであった。

  
L: 群倉。これが奄美の原風景だそうだが、残っているのはここだけだと。どれも築100年以上で釘はまったく使っていない。
C: 正面から見たところ。収穫したイネを乾燥・保存する。火事対策ということで、集落から離れたところにまとめて建てた。
R: 戸円ふれあいパークから見た景色。Googleマップによるとこちらの岩は「グッジョブ岩」とあるが、公式名称ではない模様。

  
L: 徳浜(どくばま)の断崖。鎌倉時代の大地震でできたそうで、トンネルができるまで地元住民はかなり苦労したとのこと。
C: 徳浜の展望所から見た貫通している岩。特に名所扱いはされていない。  R: 今里立神。信仰の対象となっていた。

慣れてくるとスクーター特有の爽快感はホントに鳥山明のイラストの世界(→2024.3.8)なのだが、
できるだけ早く古仁屋に戻りたいという気持ちと安全運転を徹底しなければという気持ちとで頭がいっぱいで、
ぜんぜん楽しむ余裕なんてない。僕にとっては移動手段という要素が大きくて、運転じたいを楽しむ境地には程遠い。

  
L: 高低差はけっこう激しい。それはそれで島をバイクで走る楽しみではあるんだろうけどね。標高が高いとしっかり寒い。
C: 道路に「クロウサギに注意」の文字。奄美ならではである。  R: クロウサギ注意の標識。これまた奄美ならではだ。

夢中で運転していたら分岐を見逃し、気づけば宇検村に入っていた。海岸線に沿って遠回りしてどうにか芦検の集落へ。
だいぶ時間をロスした感触で宇検村役場に到着する。門柱のところから雑に建物を撮影すると、県道85号を東へ行く。
せっかくなのでアランガチの滝に寄ってみるが、観光バスが駐車していて観光客がいっぱい。超徐行運転で進んでいき、
滝を撮影する。かなりアングルが限られる滝で、一発写真を撮ったらそれで終わりって感じである。戻ってさらに東へ。
短いトンネルを抜けるとアランガチのガジュマル。ガジュマルの木にはケンムンという河童的な妖怪が棲むというが、
それもなんとなく納得できてしまうほどの見事な姿だった。山の中をグイグイと南下すると、ついに国道58号に合流。

  
L: 宇検村役場。  C: アランガチの滝。  R: 道路にせり出してくるようなアランガチのガジュマル。

最後の最後で全長4,243mの網野子トンネルが再登場である。もう完全にラスボスの存在感だ。集中して切り抜けると、
ウィニングラン感覚でおまけのトンネルが2本。高名の木登りのエピソードを思いだしつつ無事に古仁屋に戻ってきた。
閉店時刻直前のガソリンスタンドにすべり込んで給油すると、無事にバイクを返却する。いや、本当に大冒険だった。
半ば虚脱状態で、お礼の意味を込めて古仁屋高千穂神社に参拝する。無事に帰ってくることができてよかったよかった。

  
L: 古仁屋高千穂神社の参道入口。国道58号に面している。  C: 坂を上っていくと境内。そして拝殿。  R: 本殿。

時刻は17時半近く。さすがの奄美大島もすっかり夕方の日差しだ。古仁屋の中心部を徘徊するが、なんとなく物悲しい。
帰りのバスは18時42分にせとうち海の駅を出るので、かなり余裕がある。できるだけ奄美の感触を味わうべく歩きまわる。

  
L: 古仁屋の中心部・中央通り。  C: 街の真ん中を流れる仲金久川。オオウナギが棲息している。  R: 屋仁川通り。

 九州に来ているということで、ブラックモンブランで一服。

これで今日やるべきことはだいたいやりきったかな、と思ったが、肝心なことを忘れていた。瀬戸内町役場である。
朝にマネン崎展望広場へ行く途中に役場の裏を通ったが、そのときはまったく精神的な余裕がなく、すっかり忘れていた。

  
L: 瀬戸内町役場。すっかり夕日に染まってピンク色だが、実際はふつうにライトグレーである。
C: 角度を変えて撮影。  R: 裏にまわったところ。ちなみに加計呂麻島は瀬戸内町に属する。

満足感に浸りつつバスに乗り込む。バイクに乗っている間はずっと緊張状態だったのであっさり寝るかと思いきや、
興奮がずっと続いて一睡もすることなく名瀬へ。国道58号を復習するように、ひとつひとつのバス停の名前を反芻する。
夜の名瀬中心部は昼間よりもずっと賑やかな印象で、歩きまわって見ておくべき場所は多かったなあと反省する。
バスは名瀬港には直接行かないので、運転手さんのアドヴァイスで最寄りの塩浜入口バス停で下車してから少し歩く。
そうして20時過ぎに船客待合所に戻ってきた。併設の喫茶店で晩ご飯をいただく。メニューはたいへん豊富だが、
「奄美の懐かしい味!!」という新港ラーメンにした。塩味でおいしゅうございました。少しソーキそば的雰囲気かも。

 
L: 奄美のラーメンはこれが標準的なんですかね。  R: 本日のフェリーが入港。復路はマリックスラインなのだ。

マリックスラインのフェリーにはコワーキングスペースが設置されており、そこで日記をバリバリと書いて過ごす。
Wi-Fiは混み気味だったが、おかげで日曜日の日記更新作業を完了することができた。世の中便利でございますね。


2024.3.9 (Sat.)

学年末テストのタイミングでの旅行である。今年はついに、離島の市役所へと攻め込むのだ!
ターゲットは、奄美大島の奄美市。平成の大合併以前には名瀬市であり、2021年に新しい奄美市役所が竣工している。
まずは飛行機で鹿児島へ飛ぶ。そこからフェリーで奄美大島へアクセスするが、夕方に出て早朝に着く予定である。
そして帰りは夜に奄美大島を出て、やっぱり翌朝に鹿児島に到着。つまり、0泊3日のスケジュールとなるのだ。
なかなかの強行軍だが、どうせいつもの旅行も日の出から動いて日の入りに行動を終えているので、大差はない。
むしろ奄美大島以外の1日目と3日目に、いかに予定を詰め込めるかが勝負である。鹿児島の補遺をやってやるのだ。

さて、コロナもすっかり影を潜めてインバウンドの世の中、日本人も外国人もやたらめったら多くて難儀した。
まず羽田空港が大混雑だったのだが、そもそも京急蒲田から大混雑。客が多すぎて列車のドアがぜんぜん閉まらない。
おかげで羽田空港に着くのが遅れ、さらに保安検査場の通過でも待たされる。そしてソラシドエアは搭乗口が遠い。
余裕を持って家を出たはずが、搭乗口にたどり着いたときには最終搭乗のご案内をしている真っ最中なのであった。
これは油断すると恐ろしいことになるなあと戦慄しつつ、羽田空港を離陸するのであった。では恒例の航空写真。

  
L: 羽田空港を離陸する。羽田空港のD滑走路から富士山までよく見える。今回は鹿児島行きなのでいつもより南を通る。
C: 左に富士山、右に丹沢山地。丹沢山地はフィリピン海プレートに乗っかっている伊豆半島が本州にぶつかってできた。
R: 八景島を見下ろす。前も書いたけど、八景島は横浜市が造成した人工島。シーパラダイス楽しかったなあ(→2022.4.2)。

  
L: 下が逗子、真ん中が鎌倉。左端はご存知、江の島。  C: 江の島をクローズアップ。ここも楽しかった (→2010.11.27)。
R: 丹沢山地をクローズアップ。大山(→2017.5.3)は南端。しかし丹沢というとヤマビルのイメージが……(→2018.5.6)。

  
L: 富士山・箱根・真鶴半島が一直線という構図。  C: こうして見ると、箱根はしっかりカルデラである。  R: 富士山。

  
L: 南アルプスこと赤石山脈。朝日を浴びて、まあ確かにちょっと赤みがかって見える気がする。  C: 知多半島。
R: 室戸半島は吉良川町(→2015.2.27)の手前にある海岸段丘。地理の教科書の常連で、上空から見ると本当に面白い。

  
L: 霧島連山。  C: 上空から見ると畑はカモフラージュ柄のように色とりどり。  R: 対照的に田んぼは緑一色。

地理の授業で使えそうな写真をバカスカ撮影できたので大満足である。バスで鹿児島中央駅へ行くと、
急いで鹿児島本線に乗り込んで伊集院駅へ。本日最初のリヴェンジは、島津義弘を祀る徳重神社である。
日置市役所は9年前に訪れているが(→2015.8.17)、徳重神社は参拝し損ねていたのだ。早歩きで突撃する。

  
L: 徳重神社の境内入口。  C: 灯篭に島津家の家紋「丸に十字」が施されている。  R: 手水鉢にも「丸に十字」。

徳重神社の境内すぐ脇には弓道場があり、高校生たちの大会だった模様。しかし神社はふだんかなり静かそうな雰囲気だ。
ふつうの御守は頂戴できたものの、勝守は正月にぜんぶ出ちゃったそうで残念。島津義弘の人気をあらためて実感した。

  
L: 参道を行く。  C: 拝殿は妻入だった。向かって右側に授与所がくっついている。  R: 本殿。

次は日置市役所の写真撮影をリヴェンジである。9年前には曇り空で(→2015.8.17)、晴れているところを撮りたい。
今日は日が差したり陰ったりで安定しないが、時間はそこそこあるので粘ればいい市役所の写真が撮れるのではないか、
そう思って市役所の敷地に入ると、警備の人がいてなんだか落ち着かない雰囲気。まさかと思って正面にまわり込んだら、
そこはイヴェントの真っ最中なのであった。「ひおきマルシェ」ということでテントでさまざまなものを売っている。
僕としてはできるだけ日常の姿を見たいので、これは残念。まあでも、市役所空間が開かれているのはいいことである。

  
L: 日置市役所はイヴェントの真っ最中。  C: 「ひおきマルシェ」で並ぶテント。  R: エントランスをクローズアップ。

  
L: 東側から見た日置市役所。右は日置市中央公民館。  C: 南東から眺める。  R: 南西から。いちおうこれで一周。

 最後に伊集院駅前の島津義弘像。9年前とは違うアングルで。

鹿児島中央駅に戻ってくると、土産物店で実家に送る焼酎と自分用の100mlミニサイズ焼酎をチェックする。
さらにアミュプラザに入っているハンズでもミニサイズ焼酎をチェック。すでにこれまででけっこう集めており、
新たに買った分は2本程度だった。さらに本館の地下には焼酎の専門店があるので、そちらも探索してみる。
するとこっちは黒糖焼酎を中心に、これまで見たことのないミニサイズ焼酎がいっぱい置いてあった。
というわけで、背中の荷物が一気に重くなってしまった。いやはや、収集癖というのは本当に困った趣味だ。

バスで鹿児島市役所方面へ。天文館をスルーするのがなんとも贅沢に思えるが、今回は寄っている余裕がない。
バス停を降りるとすぐに鹿児島市役所で、もう何度も撮っているのに(→2009.1.62011.8.102017.8.19)、
やはり今回も撮ってしまう。1937年竣工の国登録有形文化財、どうしても撮らずにはいられない風格がある。

  
L: というわけで4回目となる鹿児島市役所。  C: エントランス付近。  R: 真正面から見上げたところ。

おっとっと、本来の目的を忘れちゃいけないのだ。鹿児島の補遺、リヴェンジが本日のテーマなのである。
昨年、新たにDOCOMOMO物件に認定された鹿児島県産業会館を、ぜひ見ておかなくてはならないのだ。
市役所前のみなと大通り公園から南に入ると、鹿児島県産業会館の裏手に出る。すでにモダニズムの迫力が満点だ。
設計は内藤建築事務所(内藤資忠)で、1967年の竣工。建て替えが検討されており、それでDOCOMOMOが動いたのか。

  
L: 南西から見た鹿児島県産業会館。ホールとオフィス棟で構成されており、市役所っぽい特徴を持つ建物だ。
C: ピロティの柱が凝っているのがいい。エントランスはこの右側。  R: ホール1階は鹿児島ブランドショップ。

  
L: 北西から駐車場越しに眺める。  C: まわり込んで東側。こっちのサッシュは黒。  R: 国道58号を挟んで南から。

 残念ながら土曜で中には入れず。ガラス越しに中を覗き込んだところ。

鹿児島ブランドショップに入ってみたら、こちらでも新たな種類の100mlミニサイズ焼酎を発見。背中が本気で重い。
ヒーヒー言いながら市役所前に戻り、バス停で時刻表を凝視。複数の会社のバスが入り乱れて本当にわかりづらいが、
どうにか正しいバスに乗り込むことができた。これまた鹿児島の補遺ということで、目指すは吉野公園である。
吉野公園は日本の都市公園100選ということでやってきたが、バスの本数はそんなに多くなくて、アクセスが少々面倒。
位置としては仙巌園(→2011.8.10)のちょっと先といった感じだが、そのちょっとがなかなか大変なのである。

  
L: 吉野公園の入口。  C: 敷地内に入ると桜島に向かってまっすぐ通路が延びている。やっぱり桜島が主役か。
R: 噴水広場には鹿児島県のPRキャラクター・ぐりぶー。鹿児島の豊かな自然・黒豚・西郷隆盛のハイブリッドな存在。

  
L: 公園内はこんな感じ。  C: 反対に丘の方から見たところ。この辺りは「おごじょの庭」だと。  R: ソテツ園。

デジカメのシャッターを切りながらのんびりと園内を散策する。と、「海岸展望台」という文字が目に入ったので、
そちらの方へと行ってみる。敷地の端っこ、木々に囲まれた中を抜けるとコンクリートの展望台があり、上ってびっくり。

鹿児島湾はカルデラであり、桜島はその端っこに位置する火山である。つまり、どこから見ても美しい。
知識として知ってはいるが、いざこうして目の前に広がる光景を見ていると、その圧倒的な存在感に言葉が出ない。
有無を言わせぬ説得力が、そこに実物としてある。九州南端地域の象徴たるもの。「絶対」という表現が具現化したもの。

  
L: パノラマではない1枚での撮影でも十分に美しい。これにはただただ無言で見惚れてしまうのであった。
C: 拡大してみる。湯之平展望所からの絶景(→2009.1.6)を思いだす。  R: 南にうっすらと開聞岳(→2009.1.7)。

バスの時間まで園内を徘徊する以外にやることもないので、しばらく桜島と一対一で対峙して過ごす。
噴煙が形を変える以外はすべてが不動である。変化のない対象をこれだけじっくりと凝視し続けることはあまりない。
でも夢中でそうしてしまうほど、目が離せないほどの威容に、身も心も釘付けになってしまっていた。

  
L: 公園内のグランピング区画。桜島が見えるところにつくればいいのに。  C: 建物はこんな感じ。  R: 区画内。

最初はGoogleマップを見てこんな面倒くさい場所に公園をつくるのかと思ったが、吉野公園を実際に訪れてみると、
その穏やかながら確かな人気ぶりに驚いた。駐車場はいっぱいだったし、園内の人はみなどこか楽しげである。
バスを待つ間に地元のおばあさんと話をしたのだが、1970年に開園して以来、吉野公園は鹿児島市民の憩いの場として、
完全に定着している模様。50年前に比べて木が大きくなったそうで、今後も穏やかに鹿児島市民を癒し続けるのだろう。

  
L: 児童広場。子どもたちがいっぱい。  C: 運動芝生広場。のんびりとボールを蹴っている人たちが多かった。
R: 公園の入口脇にある休憩所。奥の一角になぜかミニ四駆のコースがあった。有料だが、外に置く方が楽しくないか?

鹿児島中央駅に戻ってくる。ではいよいよ、フェリーで奄美大島に向かうのだ。が、鹿児島の港は少々ややこしい。
というのも、ターミナルが3箇所あるのだ。北から桜島行き、種子島・屋久島行き、いちばん南が奄美・沖縄行き。
このうち北の2つが鹿児島本港で、南が鹿児島新港。バスのややこしさに加えて港もどっちがどっちだかで、
ワケがわかんなくなっていた僕は、レンタサイクルで近いところまで行って、あとは歩いて港へ向かうことにした。

 鹿児島中央駅。今回の旅ではこの初日だけ。

実は鹿児島中央駅からポートライナーという新港への直行バスが出ていて、それに乗れば最も簡単だったのである。
しかし「いちばん南」ということでしか記憶していなかった僕はイマイチ自信が持てず、それをスルー。
最寄りのサイクルポートから徒歩で30分弱という間抜けな強硬策に打って出たのであった。景色はよかったけどね。

  
L: 鹿児島港臨港道路を行く。完全な郊外社会で徒歩だとつらい。  C,R: でもこの角度の桜島もきれいだったのでヨシ。

 「ウォーターゲート」だって。ディープスロート。

そんなこんなでやっとこさ鹿児島新港に到着。無駄に長い道のりであった。背中のミニ焼酎もとんでもない量で重いし。
奄美のターミナルにコインロッカーがあれば無事解決だが、窓口で訊いてみたらボロボロのものがあるかも……とのこと。
これは期待しない方がよさそうだ、ということで、新港の手荷物預かり所にミニ焼酎をすべて預けることにした。
どうせフェリーの二等の寝床じゃ電源取れねえだろうということで、今回はCPAPを持ってきていないのだ。
これでなんとか荷物を我慢できる重さになったところで、ちょうど乗船開始時刻となる。さあ、いよいよ第2ラウンドだ!

 鹿児島新港の旅客ターミナル。奄美・沖縄方面はこちらとなる。

フェリーに乗り込み荷物を置くと、船内を動きまわる。甲板に出て周囲を眺めるのは当然の行動なのである。
乗客はけっこう多く、二等船室は半分くらい埋まっている感じ。早めの春休みで出かける学生が多めな印象だった。

  
L: 往路はマルエーフェリー。奄美・沖縄便はマリックスラインと2社で交互に運行して毎日乗れるようにしている。
C: 船尾から眺める景色。  R: 船のファンネルマークは家紋のようなもの。これを間近で見るのも楽しいのである。

18時にフェリーは出航。レストランの晩飯営業が18時40分までということで、あまり余裕のないスケジュールだなと思う。
でも18時半に行ってみたらすんなり席を確保できたので、やっぱりプロは要領がわかっているんだなあと感心する。
おが丸風カツカレー(→2012.1.3)のせいで、なんだかとってもカツカレーな気分。おいしくいただいたのであった。

 船のカツカレー食べ比べとかやったら楽しいんじゃないか。

20時ごろに鹿児島湾を出て、ちょっと揺れを感じるようになる。でも大したことないのでひたすら日記を書いて過ごす。
新しいMacBookAirはバッテリーのもちがものすごくよい。Wi-Fiもつながるし、快調に書き進めていくのであった。
なお、スマホは充電コーナーがあって、そこでバッチリ。まあそりゃ現代社会だもんな。充電できなきゃおかしいよな。


2024.3.8 (Fri.)

鳥山明が亡くなるとは……。

つねづね日記で態度を表明しているように、僕は『DRAGON BALL』についてはきわめて否定的である(→2017.9.6)。
海外でも大きな支持を集めたというけど、わびさびのわからねえガイジンにウケたからって喜んでちゃダメだろ、と。
豚骨ラーメンがおいしいんじゃなくて脂がおいしいだけの情報食ってる連中の価値観に合わせたら、それは退化だろ、と。
サイヤ人の話になる前まではよかったんだけどね。少数派なのはわかっちゃいるが、確固たる自信があるから屁でもねえ。
そんなわけで、漫画家としての鳥山明については僕はそんなに敬意を持っちゃいないのだが(ひねくれ者なので許せ)、
イラストレーターとしての鳥山明となると話はまったく別だ。ここからは世界一のイラストレーター・鳥山明についてだ。

ベースにあるのは、やはり底抜けに明るかった頃のアメリカだろう。空豆兄弟のオヤジ(→2020.5.23)、スッパマン、
そして何より、みどり先生やあかねちんといった女性キャラクター。明らかに魅力的だったアメリカの要素を抜き出し、
低い頭身で描くことで「バタ臭さ」を抜いて日本化する。これがどれだけの革命だったか、正当に評価しないといけない。
(またそれは、クソ田舎のペンギン村と最先端のアメリカというギャグとしての対比ということでもあった。)
もうひとつ重要なのがメカで、いわゆるかっこいい(かっくいー)メカではなく、丸っこくてかわいいメカである。
スポーツカーではなくてフォルクスワーゲン、ナナハンではなくてスクーター。身近さの工業デザインとしてのメカ。
これら2つの要素が鳥山明によって組み合わせられる。日本化されたアメリカっぽい雰囲気の女の子と丸っこいメカ。
『Dr.スランプ』(と初期の『DRAGON BALL』)の扉絵で存分に展開された世界は唯一無二のものであると同時に、
日本がゆるキャラを再発見する(→2013.9.30)先駆的な例だった。則巻アラレは鉄腕アトム・ドラえもんに次ぐ存在だ。
(参考までに、江口寿史の展覧会を見たときに感じた鳥山明との共通点・相違点について。→2023.4.14
やがてこのゆるキャラへとつながる方向性は、『ドラゴンクエスト』のスライムのデザインで頂点を迎える。
そもそもすでに『Dr.スランプ』で「笑顔のうんこ」が一世を風靡していたが、最も象徴的な存在がここで生まれた。
欧米のファンタジーに根差したRPGは、ついに完全に日本化を果たすことになった。その立役者こそ鳥山明だ。
だから僕は漫画家としてではなく、女の子とメカのイラストレーター、そしてゆるキャラのデザイナーとしての鳥山明を、
心の底から尊敬している。マンガではなく、絵を描いてほしかった。もっともっと、彼の純粋な絵を見たかった。

残念なことに、『DRAGON BALL』がバトルマンガとして人気を確立していくと、鳥山明本来の魅力は失われていく。
商業的な需要の方向性が完全に固まったことで本来の作家性を出す余裕がなくなった、とする方が的確かもしれない。
求められた表現は直接的な「力」についてのものばかり。世界は鳥山明の画力を「力」の新たな表現として消費した。
(本来まったく関係ない南米サッカークラブが相次いで盛大に追悼したことは、彼らが何を欲しているかを示唆する。)
ヤツらはマンガを読んでるんじゃない。「力」についての表現を読んでるんだ。それはアメコミと同じ味でしかないんだ。
僕はここに、デザインと植民地化の問題(→2024.2.13)を感じる。日本化を果たした鳥山明は、植民地化に屈した。
ひとつ象徴的なのは、コンピューターでの色塗りによってそれまでの手描きの味を出せなくなったことがあるだろう。
そうしてデザインとしての完成度は雑になっていき、鳥山明についての全体的な印象は幼稚なものになってしまった。
主題が最も原始的なものである「力」、知性とは正反対の位置にある「力」なのだから、幼稚になるのは当然のことだ。
わびさびのわからねえ脂がおいしいだけのガイジンに支持されたが、その代償は本当に大きかったはずである。
ただ、芸術とは違って、デザインは商業から離れることができない。彼の飛躍と「失速」は、時代の必然だったのか。

世界一のイラストレーター・鳥山明の冥福を、そして彼を世界が正しく評価する日が来ることを、心から祈っている。


2024.3.7 (Thu.)

本日は地理総合のテストでございました。

今年度は問題冊子の表紙に川崎市内のゆるキャラを登場させており、生徒は「これ知ってる!」みたいに反応をくれる。
で、今回は年度最後の学年末テストということで登場してもらったのが、BKBことバイク川崎バイクなのであった。
「BKBは川崎市のゆるキャラじゃねえよ!」というツッコミを期待して、一年間かけて仕込んだボケである。
このボケに何人の生徒がズッコケてくれたかな……。バリ 期待しての ボケ。BKB! ヒィーア!
注意事項の最後にもちゃんと「ベストな 解答 ぶちかませ! BKB! ヒィーア!」って書いておいたよ。

おかげでコメント欄はBKBでの応酬に。「バリ 今回のテスト 微妙」という生徒には「勉強不足に 厳しい 罰を」と返し、
解答欄で小ボケを炸裂させる生徒には「ボケた 解答が 膨大」と返す。僕の人生 こんなこと ばっかり。BKB! ヒィーア!


2024.3.6 (Wed.)

少し前の話になるが、この日に休みが取れそうだったので、日帰りで動けないかとちょっと画策したのだ。
そしたら1万円でなんでもかんでも乗り放題の「旅せよ平日!JR東日本たびキュン 早割パス」があることに気がついた。
ちょうど2021年竣工の大館市役所がエアポケット状態なので、試しに旅程を組んでみたらかなりいい感じ。
それで意気揚々と手続きを進めようとしたところ、「14日前までの発売」ということで轟沈したのであった。
なんだよ、14日前とかふざけんな!と独りブンむくれるが、ダメなものはダメなのでしょうがない。

で、本日。朝っぱらから東北新幹線がオーヴァーランで運転見合わせというニュース。
もし出かけていたら新幹線の車内で待ちぼうけを食らい、1万円払って東北新幹線を往復しただけ、となっていたかも。
塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しとはまさにこのことかもしれない、と思う。きっと今週末はいい旅になってくれるさ。

それにしても、関連記事を見てびっくり。キュンパスが大人気で平日の東北新幹線はものすごい大混雑という話なのだ。
だから仮にキュンパスが買えたとしても、新幹線に乗れなかった可能性もあったわけだ。情報弱者にはつらい世の中。


2024.3.5 (Tue.)

では、千葉市立美術館『サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展』について。

その前に千葉市立美術館の建物じたいについておさらいだ。ドラマだか何だかのロケでギョーカイのスタッフに邪魔され、
建物をじっくりと見ることができなかったのが10年前(→2014.9.2)。実に10年にわたって放ったらかしで申し訳ない。
でも「きちんと撮らなきゃ!」という意識は忘れずにずっと持っていたのだ。われながら時間の感覚がおかしい男である。

  
L: あらためて撮影する千葉市立美術館。以前はこちらに中央区役所が入っていたが、2019年にQiballに移転した。
C: 正面から見る。大谷幸夫の設計で1995年竣工。これはダメな方の大谷幸夫ですね。  R: 北東から見たところ。

  
L: 周囲に建物が密集しており、背面はこの南西側からしか見られない。見たところで別にどういうこともないが。
C: 千葉市立美術館は1927年竣工の旧川崎銀行千葉支店を「さや堂ホール」として内蔵する形で建っている。
R: 南東側のエントランス。悪いんだけど、この状態では旧川崎銀行千葉支店を残したとは言えないんじゃないかな。

  
L: 建物の中に入って北側から見たところ。  C: 西側のさや堂ホール出入口。  R: 新旧の建物はこんな感じで接合。

  
L: さや堂ホール内部にお邪魔する。これから無料公開のコンサートがあるそうで、その始まる前のタイミングで撮影。
C: ホール内はこんな感じ。銀行の匂いはいちおう残っているが、だいぶ派手に改造したなあ。  R: 玄関側を見たところ。

それでは本題に戻るのだ。『サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展』についてである。
まずは鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし)という画家について。もともとは細田時富という本物の旗本で、
狩野派に学んだ後に浮世絵師になったという異色すぎる経歴を持つ。もっとも本人も周囲もこの経歴を利用しており、
浮世絵業界に箔をつける存在として活躍する。江戸の人々にしてみれば、旗本がオレたちの側にやってきた、
そういう感覚だったのだろう。後に浮世絵から肉筆画に転向。彼の作品は特に海外で人気があるそうだ。

  
L,C,R: 『川一丸船遊び』。5枚絵とは珍しいが、これは鳥文斎栄之が旗本出身ということでやらせてもらえたそうで。

  
L,C,R: 『新大橋橋下の涼み船』 。こちらも5枚絵。単体よりはパノラマ作品として楽しむ感じだろうか。

撮影OKだった作品を軸にあれこれ書いてみる。同時期のライヴァルはバストショットの大首絵で有名な喜多川歌麿で、
彼と差をつけるためか栄之は全身像にこだわった。頭身の高いすらりとした立ち姿は、どこか清潔感が漂っている。
3枚絵や5枚絵では特に遠近の感覚が特徴的だと思う。ペープサート感というか、アクリルスタンド感というか、
立体の背景に2次元のキャラクターとして人々が配置されており、全体が群像として仕上がっている感触が非常に強い。
これはどこか山下清(→2023.9.4)に通ずるものがある。さすがにあそこまで強烈ではないが、似た要素を感じる。

美人画の顔を見ていると、なんだか稲中(→2022.9.6)、特に初期の稲中の雰囲気。だんだん前野に見えてきてしまう。
これはいかん!と雑念を振り払おうとするが、みんな同じ顔なのでよけいに稲中感が出ていて困った。オレだけかね?
まあそれはともかく、みんな同じ顔なのといい、きちんとした立ち姿といい、「標準化」を目指す意志を感じる。
構図も奇を衒ったものはなく、スタンダードという印象。写実ではなくデザイン的で、高級感のある正統派の「型」、
それを考え抜いていった結果としてのペープサート感・アクリルスタンド感なのかなと思う。パターン化されている。
この価値観は顔を中心に弟子たちにがっちり受け継がれていったが、本家の栄之と比べると背景の遠近感が弱い。

 参考に、弟子の鳥高斎栄昌による『郭中美人競 大文字屋内本津枝』。

栄之の肉筆は、それまでの浮世絵で確立したスタンダードを、より彼の思いどおりに濃縮して表現した感じである。
一点ものとしてビシッと決まっているのは確かだ。それを最も素直に受け止めたのは海外のコレクターたちで、
彼らの感覚からすればいかにもな正統派で標準形なのはわかる。栄之のスタンダードはジャポニズムに適合したのだ。
もともと旗本だから使っている道具や画材の質が高く、絵の保存状態がよいのでそれがまた重宝される要因となる。
ただ、弟子も含めてどこか形骸化している感も否めない。「栄之の絵を持つことがステイタス」というレヴェルであり、
作家として継続的にどう進化していくか、という点での切れ味はイマイチ。芸術家としての狂気はほとんどないのが残念。
『三福神吉原通い図巻』は恵比寿・大黒・福禄寿の吉原通いがテーマという面白さで、もっといろいろできた人だろうに。
僕個人としては、栄之の作風じたいよりもむしろ、それを喜んで求めた社会の側に広がっていた価値観の方に興味がある。

さて今回の企画展はもうひとつ、『武士と絵画 ―宮本武蔵から渡辺崋山、浦上玉堂まで―』もやっていた。
内容は土岐洞文(土岐頼芸)に始まって、海北友松、宮本武蔵(伝)、さらに徳川家光(伝)の描いた絵まで展示。
(徳川の歴代将軍は、実は意外と絵の上手い人が多い。たまに展覧会があるので、けっこうオススメ。→2021.7.17 )
当然、姫路藩主の次男である酒井抱一(→2008.10.312017.10.31)も展示。ついでに其一も展示。狩野派も展示。
ほかには渡辺崋山、立原杏所、浦上玉堂、田能村竹田、鍬形蕙斎(北尾政美)といった面々をクローズアップ。
総花的だが優れた作品が並んでおり、もっと大々的にできそう。彼らを取り巻いた社会背景とセットで掘り下げると、
それだけで充実した分量の企画が一本打てそうである。今回をプロトタイプにしてぜひ深めた展覧会を見たい。

  
L: 渡辺崋山『佐藤一斎像画稿 第三~第七』。佐藤一斎は岩村藩(→2017.8.13)出身の儒学者。渡辺崋山は彼の門人。
C: 第三と第四。順番にどんな意味があるのかはわからない。  R: 最後の第七。だいぶラフに描いた雰囲気。

以上で千葉市徘徊の記録はおしまいである。書き応えのある美術館レヴューが続いてつらいであります。



2024.3.3 (Sun.)

千葉市役所が新しくなったということを最近になって知ったので、天気もいいし、千葉の美術館にも行きたいしで、
突撃したのである。それにしても本当にびっくりした。政令市の市役所が知らないうちに新陳代謝していたとは……。
(かつての千葉市役所の勇姿についてはこれらの過去ログを参照。→2005.11.32008.7.222014.9.27

できるだけ合理的にルートを選定しようということで、まずは開館時刻に間に合うように千葉県立美術館へと向かう。
モノレール終点の千葉みなと駅からいかにも臨海チックなだだっ広い道路をトボトボ歩いていく。行く手にポートタワー。

 千葉ポートタワー。今回はそこまで行って上るずくはない。

千葉県立美術館では『アーツ・アンド・クラフツとデザイン』展を開催中。W. モリスからF. L. ライトまで扱う。
質も量もけっこうなものだったので、レヴューについては明日の日記で。鑑賞を終えるとそのまま千葉市役所まで戻る。

  
L: 新しい千葉市役所を撮影しようとするものの、千葉都市モノレールの軌道桁がたいへん邪魔。駅が近いのはいいことだが。
C: 軌道桁をよけて交差点を挟んで撮影。すっきり眺められるアングルはかなり限られる。  R: 近づいてエントランス。

新しい千葉市役所の設計は久米設計と隈研吾建築都市設計事務所のJV。大手の組織事務所と有名アトリエ系のタッグで、
なかなか珍しいパターンであると思う。両者がどの程度の力加減で組んだのかはわからないが、パッと見た印象では、
手前の低層棟が隈で奥の高層棟が久米ということになるだろう。個人的には隈研吾の建築は「看板建築」だと思っていて、
正面から見るとインパクトがあるけど裏にまわると豆腐、というのが実態だと捉えている。また遠景に強いが細部は弱い。
「看板建築」という表現が混乱を招くのであれば「ウェブサイト建築」としてもいい。表面やエントランスホールなど、
見えるところにしか気を配らない。来訪者を第一印象で圧倒することさえできればそれでいい、という建築である。
逆を言えば、それを施主が許しているということだ。見えない細部にまでこだわる本物の施主がいない時代にふさわしい。
(参考ということでログのリンクを貼っておく。富岡市役所(→2019.8.1)、TOYAMAキラリ(→2019.8.11)、
 アオーレ長岡/長岡市役所(→2023.4.22)、国立競技場(→2023.9.24)。必ず建物を一周する僕には落差が気になる。)
で、千葉市役所について何が言いたいのかというと、手前でインパクト重視の隈と奥で手堅い久米という組み合わせは、
建物の正面だけで勝負する隈にとって、実際のところたいへんありがたいやり方だったのではないか、ということだ。

  
L: 敷地内から見上げる低層棟。  C: 低層棟のファサード。隈にしてはおとなしい。  R: 東から見たところ。

実は千葉市役所をめぐる工事はまだ終わっておらず、フェンスの向こうでは旧庁舎の解体工事が続いている。
市役所前駅からはその様子を上から眺めることができて、これがなかなか面白い。継続的に観察したかった。

  
L: 市役所前駅から眺める千葉市役所。手前が解体された旧庁舎部分で、ギリギリのところに建てていたのがわかる。
C: 解体工事が終わったら駐車場としての整備が始まる。  R: グラウンドレヴェルに下りて千葉市役所の側面を眺める。

というわけで、恒例の敷地一周をしようとしてもできないし、そもそも最後の鉄骨がまだ残っている状態で、
新しい千葉市役所の姿をきれいに眺めることはまだできないのであった。が、僕としてはそれはそれで面白くて、
どちらかというと貴重な一瞬を記録できたうれしさが大きい。まあまたいずれ県立美術館ついでに寄ればいいのだ。

  
L: フェンスから覗き込んだ側面。  C: 新庁舎と解体されている旧庁舎が並ぶのはロマンですな。  R: 北から眺める。

  
L: 高層棟をクローズアップ。  C: 低層棟は旧庁舎の鉄骨で見えない。しかし鉄骨が面白い。  R: 高層棟。

  
L: せっかくなのでフェンスから覗き込んで鉄骨を眺める。  C: 西側に抜けて高層棟を見上げたところ。
R: 隣のみなと公園から眺める高層棟。しかしこうして見ると、ずいぶんとミニマルな建物である。

最後に中を覗き込む。椅子が並んでいて壮観だったが、これは職員採用説明会を行うためだったようだ。
早めに来て覗き込んで様子を探る人みたいになっちゃって申し訳ございません。ふだんの土日はどんな感じなんだろう。

  
L: 椅子が並んで壮観。職員の方はお疲れ様です。  C: 市民向けスペースを覗き込む。  R: ついに工事が終わった国道14号。

せっかくなので登渡(とわたり)神社に参拝しておく。千葉が本場の妙見系の神社で、西千葉総鎮守とのこと。
葛飾郡の棟梁・紋次郎が1848(嘉永元)年に建てた本殿は、見事な彫刻が施されており、千葉市指定文化財となっている。
説明板によると彫刻はわれらが立川和四郎(→2016.8.21)の作で、2代富昌・3代富種あたりが関与したとのこと。

  
L: 登渡神社の境内入口。  C: 参道を行く。  R: 竹には登渡神社のシールが貼ってあった。さすがの九曜紋。

  
L: 拝殿。なお創建は1644(正保元)年と、わりと最近。  C: 本殿。   R: 立川和四郎の彫刻にここで出会えるとは。

昼メシにスタ丼をいただくと、千葉市美術館へ。こちらもヴォリュームがあったので、レヴューはまた後日。
鑑賞を終えると千葉神社(→2016.12.25)に参拝。まだ天気がよろしかったので、リヴェンジ撮影を試みる。

  
L: 千葉神社の楼門型分霊社「尊星殿」。   C: 上下に2つの拝殿がある「重層社殿」。  R: 本殿。

千葉神社は妙見系の神社で最大規模といっていい存在だが、8年前には「寺っぽい不思議な空間」と思うだけだった。
でもあちこちの妙見神社(→2018.8.122019.4.72020.3.7/2020.12.26/2022.7.31/2023.8.4)を参拝しているうちに、
実は千葉神社こそが「妙見らしさ」(→2021.1.16)を最もよく体現している神社ではないかと感じるようになった。
社殿は1990年の竣工で、拝殿が上下2つの「重層社殿」は日本で初めての事例。つまり、昭和以前に重層社殿はなかった。
となると、妙見信仰は現在進行形で内容が整理されている途中ということか。そもそもが神道とは明治政府の統制を受け、
だんだん形式が定まっていったものだ。妙見信仰が独自の発展を見せるのは、むしろこれからの話なのかもしれない。

 
L: 前も書いたけど千葉神社の旧社殿だった千葉天神。つまり千葉神社は平成に入って建物に独自性を出してきた、と。
R: 前回は特にクローズアップしなかった、千葉天神の方の本殿。シンプルな本殿で、これといって特殊な要素はない。

天気がよくって建築的にも美術的にも充実した一日だった。充実しすぎていたかもしれない。日記が大変ですよヒー



2024.3.1 (Fri.)

Wi-Fi環境の下であらためて新MacBookAirを始動である!

一番の懸案だったAdobeのCS5(→2023.10.31)は、32ビットということでインストールすらできず。
結局、教職員向けのサブスクとなるのであった。まあCS5は13年も使ったしなあ……。よく使い倒したと思おう。
実は一度サブスクを申し込んでしまえば、Windowsの方でもまったく同じものを利用できるようになるので、
完全に損というわけでもない、と納得しておくことにする。残念ではあるが、覚悟はしていたことだ。

あとはライブ変換がものすごく気持ち悪い。てめえが勝手に変換を決めてんじゃねえよと。
設定で消せたけど、ウザいことこの上ない。あとは絵文字顔文字が変換候補に入ってくるのもイライラする。
これはMacに限ったことではないんだろうけど、全般的によけいな世話を焼いてきて邪魔なものが多すぎる。
てめえが考える便利な機能なんていらないのである。こっちがてめえを便利に使うのであって、逆は不遜で傲慢だぜ。

いろいろ触ってみているけど、サブのマシンではなくメインのマシンで使えという圧力をそこかしこに感じる。
MacBookAirってのはそんなんじゃないと思うのだが。機動性のいいサブのマシンだからこそ価値があると思うのだが。
重くてデカくて取り回しが面倒になって、「Air」本来の利点がだいぶ削がれてしまったなあという印象である。

2020年の日記が3月分から6月分まで仕上がってうれしい悲鳴である。コロナで引きこもらざるをえなかった時期で、
旅行がなくて映画レヴューとよしなしごとばかりだから、リアルタイムできちんと書いた分がたいへん多いのである。
これで負債を一気に軽くできたのはいいんだけど、referenceの確認がすごく大変。時間の厚みを実感させられる。


diary 2024.2.

diary 2024

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