diary 2025.7.

diary 2025.8.


2025.7.31 (Thu.)

『JUNK WORLD』。狂気のストップモーションアニメ『JUNK HEAD』(→2021.6.12)三部作の2作目である。

感想としては、「残念」。前作にあった狂気が大いに削られているからだ。変によくできているのがつまらない。
狂気よりもタイムスリップなシナリオで勝負する感じになってしまっており、かなり中途半端な印象である。
そのシナリオも3歩進んで2歩下がる感じで、100分使って少ししか進んでいないのだが。巧いけど、つまらない。

今作ではCGを使っているのだが、実際のところ、CGとはストップモーションアニメの否定ではないのか?
ストップモーションアニメとは、現実の物理的存在をわざわざ1コマずつ動かすという行為に意味があるはずなのだ。
それなのにそこに安易にCGを合成してしまうと、仕上がった映像の持つ意味が完全に宙ぶらりんになってしまう。
これってつまり、自殺行為に他ならないだろう。今回、図らずもその辺りの哲学的な意義を突きつけられたように思う。

オトナの事情ってやつですかな、つくらされてる感が出てきている。堀貴秀監督をマネした誰かがつくったような作品。残念。


2025.7.30 (Wed.)

五島美術館『極上の仮名 ―王朝貴族の教養と美意識―』。古筆は前に見てはいるが(→2024.2.92024.12.252025.2.3)、
正直なところ刀剣と並んでわからん世界である。みんな違ってみんないい、としか。とりあえず経験を積みに来たって感じ。

まず達筆すぎて読めないわけで、それはつまり日本人の長い歴史から見れば、われわれはごく最近の活字の時代に生きている、
というだけのことなのかもしれないと思う。そういう意味では、実はむしろ制約の強い時代を生きている、ということか。
活字によって文字が標準化されたことにより、かえって許容範囲が狭まってしまった文字の世界を生きているのかもしれない。
そんな状況で本当に「極上の仮名」を楽しめているのかどうか。客が多くてびっくりしたが、彼らは何をどう感じているのか。
なお第2室は拓本(→2023.4.102023.4.15)が展示されており、こっちの方が個人的にはまだマシな受け止め方ができるのは、
文字の書体として認識できるからだろう。標準形がないと手も足も出ない自分の知識・教養のなさにあらためてがっくりくる。
ちなみに最も興奮したのは藤原道長の経筒(→2025.6.1)の中身で、道長の身体性を想像してみるのであった。

奥が深すぎてキリのない世界なのは間違いないが、五島美術館の展示はただ淡々と掛軸を並べているだけで、
どの人にどんな特徴があるか、同時代や後世にどう影響を与えたかなど、古筆を見るのに必要な視点はあまり学べなかった。
五島美術館はすべてが旧態依然としていて、訪れることで知識を得て満足するということが本当に少ない美術館である。


2025.7.29 (Tue.)

午前十時の映画祭で『天使にラブ・ソングを…』を見たのであった。いざウーピーの顔芸を堪能するのである。

感想としては、やはり面白い。全盛期ハリウッドらしい、客が満足する要領をわかっているテンポのよさがすばらしい。
そして出てくる人が全員芸達者という恐ろしさ。憎みきれない悪役もよい。 ウーピーが本職の絶対的な歌手じゃないことで、
いい具合に脇役が目立ち、群像劇としての魅力が増しているように思う。双方が変化しての成長を描いた物語は楽しいのだ。

テーマとしても、植民地においてキリスト教が土着の音楽と融合して信仰を深めていったのは歴史的事実なのである。
そういう本質を根底に押さえながら、きっちりエンタテインメントとして昇華させたアイデアが凄い。よくできているのだ。
シスターたちがカジノ街で大暴れする姿は、モンティ・パイソンをなんとなく思わせるセンスである。いかにも西洋的だ。
でもそれが日本人でもしっかり面白い、洋の東西を問わないエンタメの本質を衝いている、というところがたいへん偉い。

あらためて、全盛期の洋画、ハリウッドの切れ味は本当に凄まじいと実感させられたのであった。いい時代だったねえ。


2025.7.28 (Mon.)

山種美術館でやっている『上村松園と麗しき女性たち』を見てきた。個人的には5月のリヴェンジ気分(→2025.5.31)。

上村松園の描く女性には独特のほんわり感があると思う。本人のコメントを見るにそれは「歴史のゆらぎ」らしいが、
浮世絵美人画の伝統を消化したうえで古きよき女性像をモダンに表現する、そういう正統派に連なる作風を確立したのは強い。
まず印象的なのは色で、グラデーションをはじめ明るく淡い色彩感覚が絶妙である。これが着物の美しさと連動している。
そして西洋画からいいとこ取りをした目の表現。それらの要素が相俟って「上村松園の美人画」を成り立たせている。
見ているうちにモンティ・パイソンではないが、「Always Look on the Bright Side of Ladies」なんて言葉が思い浮かんだ。
女性をリアルに描くのではなく、理想的な女性を明るくほんわり描く。そりゃあ何をどうやっても人気なはずなのだ。
画家の独創性を下品と感じさせるほどに正統派で、それだけ純化させた点に逆説的な独創性がある、といったところか。
もうひとつ興味深いのは、女性ならではの性的魅力に頼らない美しさを描いている点。つまり問答無用にうめえってことだ。

 唯一撮影OKだった『杜鵑(ほととぎす)を聴く』。1948年、73歳での作品。

さて展示で松園は1/3くらい、あとはさまざまな画家による美人画となっていた。鏑木清方はもう少し多く見たかった。
印象的だったのは伊東深水で、洋画からの逆流とすら思えるほど、さらにモダンさを深めた上手さがさすがなのであった。



2025.7.26 (Sat.)

丸の内TOEIも今週末で閉館である。個人的に最後を締めるのは、名作とされている『飢餓海峡』とした。

水上勉の推理小説が原作だが、おそらくこれは原作を含めて、まったく大した作品ではないのであった。本当にがっくり。
所詮は社会を描けていないミステリにすぎず、いちばん大事な貧困をセリフで済ませるだけで、まるで描けていない。
あれだけ三國連太郎を映しておいて、その善と悪を描ききれないとは。内田吐夢はどれだけ無能なのかと呆れ果てた。
善人が悪に堕ちていく、しかし救いは求めている、という点をもっと描かないといけないのにスルー。阿呆である。
序盤の強盗殺人を捜査する伴淳が「あいつらの手口」と言っているが、2人じゃなくて3人いたことを思いだせばいいのだ。
それによって三國がただの悪人なのか、些細なきっかけで悪に堕ちてしまった人なのか、扱いがかなり変わるはずなのだ。
そもそも「犬飼多吉」が本名なのか、「樽見京一郎」が母親に仕送りしていた事実をどう扱うのか、その辺がかなり雑だ。
最重要人物をまったく掘り下げないで話を進める神経が理解できない。こんなものを傑作と感じる人が多いことに驚いた。

印象的だったのは音質のよさで、内田吐夢がこだわったという画質よりも音質の方が圧倒的にいい。それくらい。

 
L: スクリーン1。短い間だったけど本当にお世話になりました。  R: 今後は銀座の印象も変わるんだろうなあ。

さよなら、丸の内TOEI。短い間だったけど本当にお世話になりました。みっちり教養をつけさせてくれてありがとう。


2025.7.25 (Fri.)

海堂尊『チーム・バチスタの栄光』。だいぶ前に文庫本を買ったけど、長らく存在を忘れ去っていて、久々に発見して読破。

現役の医者が鮮烈なデビューを果たしたミステリということで、あーなるほどこりゃ確かに上手いわと感心するんだけど、
やはりミステリは合わんなと思うのであった。ミステリである以上、手段が目的になっている感じがどうしても拭えない。
評価されている点は、医者ならではの深い知識によってミステリの新しい舞台が発掘されたこと、その見事さだと思うのだ。
作者はオートプシー・イメージング(Ai)に熱い思いを持っているのが明らかで、その価値を示すための作品と言える。
つまり作者の思いは本来ミステリとは別のところにあるけど、ミステリだと多くの人に読んでもらえるからということで、
ミステリという手段を選んだわけだ。でも読者の中では、Aiはミステリを構成するツールとして通り過ぎていくだけ。
それでも構わないのだろうが、作者の目的は読者の手段として収まり、ミステリ業界の次のネタ探しがまた永遠に続く。
医療ミステリに一瞬のスポットライトが当たって、消費されて終わる。それが僕には建設的とはまったく思えないのだ。
筆の早い作者は同じバディで作品を量産しているが、キャラクターと謎解きの構造が変わらず繰り返されるだけだろう。
それを虚しいと感じるのは僕の勝手でしかないのだが、もうちょっとこう、何か残るものが欲しいよなあと思う。


2025.7.24 (Thu.)

「さよなら丸の内TOEI」も最終盤ということで、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』。
後の東映社長・岡田茂の初プロデュース作品であり、「日本初の反戦映画」であり、また東映が生まれるきっかけとなった、
そういったさまざまな側面のある映画。これはきちんと丸の内TOEIで観ておかなくちゃいかんだろう、ということで鑑賞。

学生たちがいかに死んでいったか、その記録。 人間が命を奪われる、あるいは捨てる、そのさまを克明に、そして真摯に描く。
「まるで見てきたように」という言葉があるが、まさにそのように、命が散っていく様子を滔々と提示していく映画である。
われわれはただ、彼らの最期を知るだけだ。「敵」の姿は一切見えない。ただただ、人が死んでいくのを見つめるだけだ。
冒頭でジャン=タルデューの詩の一節「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は何が判ればいい?」が示され、
観客たちに問いが投げかけられる。答えようとしても、すでにその相手はいない。いない以上、もはや言葉は響かない。
となると生きている人間たちは行動するしかないのだが、そのように言葉では収まらない反応を喚起する死者の「無言」、
対話以上に力を持った声にならない呼びかけ、それを具体的なものとして示してみせたところに、この映画の凄みがある。
「きけ、わだつみの声」とは、生きている者にしか聞こえない死んだ人々の「無言」を想像して、そして行動で答えてみせろ、
そういうことだろう。メッセージを送るのではなく、死という「無言」を提示することで、純粋に受け手の反応を呼び起こす。
死んだ人々が生き残った人々を信じたように、観客の人間性と想像力を全面的に信じている。そういう映画だった。

それにしてもこの映画をわずか24歳でつくらせた岡田茂はとんでもない。そして社長就任後には「不良性感度」を標榜し、
エロにヴァイオレンスになんでもありの社風で暴れまわったことがまたとんでもない。本当に同一人物なのかとすら思う。
西条で彼の実家の前を通ったときには東映について知識がなかったので「ふーん」くらいなものだったが(→2019.9.7)、
東映の世界にどっぷり浸かった今になってみると、ヤクザ映画もポルノもまんがまつりもあそこが源流だったのかとしみじみ。


2025.7.23 (Wed.)

『女囚701号 さそり』。全身を黒で固めたいわゆる「さそりルック」は復讐に燃える女のアイコンだとか。

おっぱいと梶芽衣子をひたすら堪能する映画なのであった。ワンレンロングの美人にしかできない映画があるのだなあ。
というか、『殺しの烙印』(→2022.11.4)の真理アンヌもそうだったけど、昭和40年代のワンレンロングの美人って、
ミッドセンチュリーからポストモダンに入り込むギリギリのデザインと異様に相性がよくって、かつエターナルではないか。
「女性ならではのかっこよさ(→2023.10.3)」が発掘された時期だが、ワンレンロングはその基準って感じがする。
東映の文脈で言えば先行していたのが『緋牡丹博徒』で(→2024.11.17)、それと比較するのも社会学的には面白そうだ。
結果的に、着物だけの『緋牡丹博徒』にはなかったファッション性(囚人服→さそりルックなど)を獲得しており、
同じように活躍するダークヒロインでも、この5年足らずで社会の側が劇的に変化したことが見て取れるのではないか。

肝心の中身については、思いつくことがおかしいレヴェルの演出が突き抜けており、もはやほとんどギャグになっている。
いや、ギャグとして成立してしまうことも覚悟のうえで、斬新さを貫きとおしているのだ。正しい意味でも誤用でも確信犯。
その斬新さを求める覚悟をリスペクトして、後続のつくり手たちがオマージュしたがる気持ちはわからんこともない。
東映らしいめちゃくちゃさが全開で、ストーリーより欲望、いや欲望のためにシーンが並べられている状態である。
すると上記の要素から、ひたすらおっぱいばっかりのくせに、一周まわって芸術性の匂いが漂いだしてしまう。
でも高尚さは皆無の娯楽でよしとする。おっぱい。これが岡田茂の目指した世界なのか、と驚愕するよりないのであった。

しかしヒロインの名字が松島とは。偶然とはいえ、なんかこう、いいっすね。


2025.7.22 (Tue.)

「さよなら丸の内TOEI」もいよいよラストスパートである。本日は『鬼龍院花子の生涯』。

夏目雅子が花子ちゃうんかい!というツッコミから入らざるをえないのであった。あとは仲代達矢の目玉。
結論としては、主役から脇役まで強烈な演技を味わうだけの映画。そんでもって夏目雅子を鑑賞するだけの映画。
支離滅裂な毒親に振り回される話が面白いわけないじゃないの。映画をなめたらいかんぜよ。



2025.7.19 (Sat.)

本日は信州ダービーである。素直にそのままスタジアムに直行するのはもったいないので、当然寄り道するのだ。
今回テーマとしたのは、飯山である。16年前に訪れているものの(→2009.8.13)、それ以来一度も行っていない。
市役所の写真もいちおう撮ったけど雑だし、気になる神社もあるし、あらためて訪れることにしたのだ。

長野新幹線が金沢まで延伸して北陸新幹線となったことで、飯山駅は移設工事が行われてだいぶ姿が変わった。
完全に浦島太郎気分で新幹線の改札を抜けると、左手に恐ろしく質素な飯山線の入口。しかも豊野以南はしなの鉄道だ。
こうやって地方は衰退していくんだなあと思うが、全力で反抗している要素が『名探偵コナン』なのであった。
今年のコナン映画「隻眼の残像」は長野県が舞台ということで、駅はひたすらコナンコナン。来年どうすんだろう。

 飯山駅。野沢温泉に向かう拠点でもあり、外国人観光客もそれなりにいた。

野沢温泉に向かう大型バスを見送ると、しばらくしてやってきた地元のバスに乗り込む。こちらも終点は野沢温泉だが、
僕は途中の場所に用があるのだ。30分ほど揺られて関沢というバス停で下車する。ここから1.5kmほど東へ行くと、
戸隠(→2017.9.10)・飯綱とともに信州三大修験霊場のひとつとして栄えた「小菅山」こと小菅神社の里宮があるのだ。
そしてその先には小菅神社の奥社もある。朝のうちに小菅山を押さえ、昼に飯山市内を歩き、夕方に南長野へ移動する。

  
L: 関沢のバス停からすぐのところに小菅神社の二の鳥居。  C: 穏やかな風景だけど、坂道はなかなかのキツさ。
R: 長野県指定文化財となっている仁王門。17世紀後半に元隆寺の西大門として建てられ、現在も変わらぬ位置にある。

関沢のバス停からすぐのところに小菅神社の二の鳥居があるが、ここからがなかなかしんどい。天気はしっかり晴れ。
直射日光じたいは温暖化以前と変わらないはずだが、より厳しくなっているのは気のせいだろうか。そして坂道が急勾配。
午前中なので気温がそんなに高くないのが救いである。さて今日はちょうど式年大祭の柱松柴燈神事が行われるようで、
仁王門前の通りで大幟を立てていたり講堂を飾りつけていたりと、地元の皆さんが何やら作業中なのであった。

  
L: 今週末が柱松柴燈神事ということで登場している大燈籠。国重要無形民俗文化財に指定されており、3年に一度の開催。
C: くぐって左手が小菅神社里宮の境内である。  R: 参道を進んでいくとこの光景。石段を上って拝殿へと向かう。

  
L: 石段を上りきると神楽殿(拝殿)。  C: 手水鉢の底にはさまざまな色のガラス玉があってきれい。苔も見事である。
R: 神輿殿。柱松柴燈神事で担ぎ出される神輿が収められている。公式サイトによると、出番は明日の日曜日のようだ。

  
L: 小菅神社里宮の本殿。1660(万治3)年に飯山城主・松平忠倶が建てた。茅の輪は式年大祭仕様ということみたい。
C: 角度を変えて眺める。  R: 本殿の脇に神饌殿。本殿は1923(大正12)年に改修され、周囲の建物はその頃に整備された。

本殿の東側から下りると講堂の背面に出た。1741(寛保元)年の築で、こちらの前庭が柱松柴燈神事のメイン会場となる。
2基立てられている柱松は、柴をブドウの蔓で結んでつくったもので、高さ4m。祭りでは若者たちがこれによじ登り、
火打石と燧金を使って点火する速さを競う。上(東)が勝つと「天下泰平」、下(西)が勝つと「五穀豊穣」とのこと。

  
L: 参道の東側にある小菅神社の講堂。本殿を参拝した後に寄ったので、まずは背面から。   C: 正面から見たところ。
R: 奥社の参拝を終えて講堂前の庭に戻ってきたら、準備がだいぶ進んでいた。両側に立っているのが柱松である。

里宮の参拝を終えると、いよいよ奥社である。さらに200mほど坂道を上ると、鳥居が建っていていかにもな入口。
しかしその鳥居の足元にはクマ出没注意の看板が立っていた。いや本当にシャレにならない。先週は鈴を借りたが、
もはやマイ熊除け鈴を買った方がいいのかもしれない。とりあえず今回はiPodの音量を最大にして突き進む。

 もはや日本の山の中は、どこもすっかり油断できなくなっている。

鳥居をくぐっていざスタート。奥社への参道は「小菅神社の杉並木」として長野県の指定文化財となっているようだが、
その「杉並木」という名前に完全にだまされた。戸隠神社奥社の杉並木がわりと平坦でその記憶が強く(→2017.9.10)、
こちらもそんなもんだろうと高をくくっていたら、途中まではまあ並木だったけど、後半の半分以上は完全に登山だった。

  
L: 奥社への入口。  C: 序盤は確かに「杉並木」の形容が許される雰囲気。  R: それでも足元は全般的に荒っぽい。

  
L: 途中から明らかに登山となるのであった。  C: 戸隠の奥社と違って、小菅山は完全に修験道の世界である。
R: 賽の河原。どこが河原じゃ!とツッコミを入れずにはいられない急勾配。もはや意地だけで両足を交互に出していく。

  
L: 愛染岩。  C: ゴール手前で分岐するが、険しい方を行くのが男ってもんよ。そしたら鎖場が登場しやがった。
R: といっても鎖場は写真で示した範囲だけなので大したことはない。登りきると奥社の本殿はもうすぐそこである。

入口の鳥居をくぐってから30分、奥社の本殿に到着した。北側にそびえる岩肌にはめ込むようにして建てられており、
南側はそれほど高くないが懸造となっている。なんせ足場がよろしくないので正面からしっかり見られないのが切ない。
国指定重要文化財ということであちこち眺めるが、アングルが限られる。しばらく休んで気が済むと、下山を開始する。

  
L: 奥社の本殿に到着。  C: 反対側から見た本殿。室町時代中期の建立とのこと。  R: 正面はこんな感じ。

岩がさまざまな角度で露出しており、捻挫した右足首(→2016.7.30)の靱帯がときどき変にズレる感覚になりつつも、
どうにか無事に下りきった。時間はほぼ20分。鳥居の手前であえて左に入り、護摩堂の背面に出る。こちらにはかつて、
小菅山元隆寺の別当寺である大聖院があった。1963年までは建物があったそうだが、現存するのは護摩堂だけである。
護摩堂とはいかにも密教と習合した修験道らしい。1750(寛延3)年の建立で、柱松柴燈神事の出発点となっている。

  
L: 鳥居の手前で左に入り護摩堂の背面に出たところ。  C: 正面から見た護摩堂。  R: 石垣の積み方は梅鉢積みというそうだ。

里宮の授与所で御守を頂戴したところ、神職さんから「修験だからねえ」と言われてぐうの音も出ない僕なのであった。
フラフラになりつつ坂を下って関沢のバス停に戻ると、瑞穂郵便局の日陰で呆けて休んで過ごす。朝から激しかったなあ。

  
L: 小菅の集落の典型的な住宅。  C: 新築された住宅も伝統をうまく継承している。  R: アパートにも屋根。雪対策かな。

 途中に千曲川左岸の風景を眺められるスポットがあった。左奥に見えるは妙高山か。

やってきたバスに乗り込むと、千曲川を渡った福寿町バス停で下車する。まずは北へとトボトボ歩いて飯笠山神社へ。
16年前に参拝しているが(→2009.8.13)、御守を頂戴するのだ。現在の市街地からは城を挟んだ反対側で離れているが、
もともとはこの辺りの有尾地区の方が早くから集落が形成されていたそうだ。室町時代の応永年間に泉氏が八幡神を勧請、
飯加佐(いいかさ)八幡と称して飯山城内に祀っていたが、信濃に進出した上杉謙信が飯山城の拡張を進めていき、
1579(天正7)年に神社を有尾地区に遷座させて、産土神の諏訪明神や少彦名神と合祀した、という経緯があるそうだ。

  
L: 飯笠山神社の入口。  C: 鳥居。  R: 手水。アジサイが鮮やかである。

  
L: 飯笠山神社の拝殿。なかなか独特な形式が残っている。  C: 本殿は覆屋の中。  R: 少し離れて社務所。

御守を頂戴すると南に戻るが、途中で飯山高校の前を通る。飯山高校といえば、2019年に甲子園に初出場(→2019.8.9)。
そしたら1回戦の相手が仙台育英ということで県民大爆笑、その後すべての盆地を超えて全県民からの応援を受けるも、
20-1で敗れるという豪快な伝説を残した学校である。先制点を取ったんだから立派なのだ。いや本当にかっこいい。

 
L: 長野県飯山高等学校。  R: 甲子園出場を記念したレリーフ。県立高校にこれがあるってのはかっこいいよなあ。

そのまま飯山城址公園へ。こちらも16年前に訪れているが、あらためて写真を撮りながら歩きまわる。
本丸跡には葵神社が鎮座するが、1717(享保2)年から飯山藩主となった本多家の祖である本多広孝を祀っている。

  
L: 飯山城址公園。  C: 復元された城門。  R: 切り通しを行く。

  
L: 本丸跡に鎮座する葵神社。  C: 角度を変えて眺める。  R: 本殿。

 本丸跡の石垣。飯山城址は遺構が中途半端に残っている印象。

飯山城址から南側が、現在の本格的な中心市街地である。市役所へ向かう前に、目立っていた飯山復活教会を撮影。
珍しいことに日本聖公会(英国国教会の系統)の教会で、1932年に建てられて国登録有形文化財となっている。

 
L: 飯山復活教会。  R: 角度を変えて眺める。きれいにしてある。

いろいろ寄り道してようやく飯山市役所に到着である。1984年の竣工で、ネットでざっくりと調べてみたところ、
久米設計に在籍した方が内装を担当したらしいデータが見つかったので、設計は久米設計がやったのかもしれない。

  
L: 飯山市役所。  C: 敷地内に入って北西から眺める。  R: 北から見た側面。

  
L: 北東から見た背面。  C: 南東から見た背面。  R: 電柱と電線が邪魔なので近づいてあらためて見たところ。

  
L: 南側の側面。  C: 南西から。  R: 敷地内に入って南西から見たところ。

  
L: 土曜日だけど参議院選挙の期日前投票を実施中ということで中に入ることができたので激写。
C: 敷地の端っこに雪があった。なぜ雪? こないだ降ったとか、さすがに飯山でもそれはないよね?
R: メインストリートの本町通りに出た。16年前と比べるとけっこう劣化している印象を受ける。

そのまま飯山駅前へと向かうが、その手前に公園があって寺の山門らしきものがポンと建っている。
中に入ると善光寺の旧仁王像が安置されていた。これは1912(明治45)年の御開帳に合わせてつくられたもので、
わずか1ヶ月で完成させたという。その後、近くの寺に譲られたが大きすぎて放置されたり別の寺にもらわれたり、
紆余曲折を経た後に「寺のまち飯山」のシンボルとして2012年に飯山市が譲り受けた。飯山は確かに寺が多いのだが、
寺町を形成しないであちこちに分散しているので、巡るとなるとけっこう大変なのだ(過去ログ参照 →2009.8.13)。

  
L: 雪と寺の街シンボル公園の一角に仁王門。  C,R: 中には善光寺の旧仁王像が安置されている。

もうひとつ気になったのが、飯山線の西側にある飯山市文化交流館「なちゅら」。2016年のオープンで、設計は隈研吾。
地元産のカラマツとコールテン鋼による外壁がトレードマークとのこと。雪国でどれだけもつか、壮大な実験中ですかな。
イヴェントを開催中で中を動きまわることはできなかったが、隈事務所や施工した清水建設などのサイトを見るに、
太宰府参道スタバ(→2017.8.5)や白馬のスタバ(→2023.10.14)とほとんど同じことをやっている印象である。

  
L: 飯山市文化交流館「なちゅら」。この日は音楽イヴェント「信州いいやまノーナ・フェス2025」を開催中。
C: 市役所に雪があったのはこれが理由か。わざわざとっておいたんだなあ。  R: 飯山線越しに眺める側面。

飯山駅からは在来線で長野へ。途中の豊野でJR飯山線からしなの鉄道になるのが、なんともすっきりしない感じがする。
長野駅に着いたのが14時半過ぎ。遅い昼メシをナカジマ会館でいただくと、駅東口からの無料シャトルバスに乗り込む。

 ナカジマ会館のきのこそば。

篠ノ井駅でワンクッション挟まなくて済むのはなかなかありがたい。何より指定席が拡大したのが本当にありがたい。
おかげでボケッと大行列に並ばなくてよくなった。今回、飯山市内をじっくり堪能できたのはそのおかげなのだ。

 指定席だと行列に並ばずに済んで本当に楽である。

さて信州ダービー。J3リーグ戦としては第2ラウンドで、県サッカー選手権(天皇杯予選)を入れると3戦目である。
今年のこれまでの結果をおさらいすると、3月のJ3が延期で(→2025.3.16)、5月の県サッカー選手権が1-0で松本の勝利。
その3日後に実施されたJ3延期分が2-2(→2025.5.14)。というわけで、松本の1勝1分けという状況となっている。
ホームで松本を迎える長野としては絶対に負けたくない戦いだが、それ以前にJ3での順位が17位という体たらく。
対する松本もプレーオフ圏内に踏み込めない8位で、どちらも浮上のきっかけとしたいところ。……毎回そんなんだな。

  
L: エキジビションでPK戦をやったライオーとガンズくん。アルクマもいる。しかし日本って国はキャラクターの帝国だな。
C: ウォーミングアップに出てきた選手がゴール裏で肩を組み、選手入場時のチャント(Sky)を長野サポと一緒に歌う。
R: 恒例となっているスタジアムDJの煽りにブーイングで応える松本サポ。両者ともに「わかって」熱くなる理想型。

  
L: 本日の信州ダービーはホクトPresentsとして開催。そんなわけでさまざまなキノコの子実体たちがやってきたのであった。
C: いくらホクトPresentsとはいえ、ボールスタンドがなんだか悪い夢みたいなのだが。  R: 子実体どもによるキックイン。

試合が始まると、とにかく長野の動きがよい。ボールが相手に入るのを眺めるのではなく、必ず競り合うのだ。
そうして相手より先に触って、絶対に自由にやらせない。たいへん気持ちの入ったプレーが展開されて、思わず興奮する。
長野は攻撃時にはチーム全体がどんどん押し上がっていき、松本をしっかりと押し込んで、攻撃をしっかりやりきる。
逆に松本ボールとなったときも、ラインを高く保って我慢。ボールを動かされても集中して守れており、言うことなしだ。
後半もこのままいけるとは思わないが、かなりいい入り方ができている。5月(→2025.5.14)とはまるで別のチームだ。

 
L,R: 5分、長野は右サイドの安藤がインスイングでアーリークロスをあげるとFW進が飛び込む。鮮やかすぎる先制点。

開始わずか5分、長野は右サイドの安藤につけると、思い切ったタイミングで左足のクロスをあげる。
これに逆サイドでFW進が頭で合わせて鮮やかに先制。いつも前から献身的な守備をする進のゴールが本当にうれしい。
もしいま長野のユニをつくるなら進の11番だな、と思っているくらいに好きな選手なので、活躍が見られて最高の気分だ。
その後も長野はまったく緩むことなく攻守に集中力を見せる。松本も調子が悪いわけではないが、長野がよすぎるのだ。
ただ、長野はチャンスをつくるが決めきれない。シュートで終わることができている、と評価することもできなくないが、
点を取れるときに取っておかないと後半苦しくなるのも事実。この集中力が90分フルに続くとは思えないのである。

  
L: この試合の長野はディフェンスラインもしっかり上がっている。ケツが重くてイライラすることがない長野は久しぶり。
C: 松本ボールでもディフェンスラインが高さを維持してコンパクトに守れている。  R: 松本を縦に入れさせない守備。

  
L: 前半は完全に長野ペース。松本はよく守りきったと言えるほど。  C: 松本のFKも撥ね返される。ひとつひとつ丁寧に対応。
R: 長野は2ヶ月前とは比べものにならないくらい足元が上手くなっていた。……というか、2ヶ月前がひどすぎたのだが。

後半はさすがに疲れが見えるのと松本が修正したのとで、長野は相手よりも先に触れなくなり押し込まれる場面が増える。
それでも相手の攻撃にひとつひとつ丁寧に対応し、GKのところでギリギリ防ぐというピンチをわずか1回程度に抑え込む。
5月にはボールを相手にプレゼントしまくっていた長野だが、この試合ではミスが少なく、またミスしても対応が早かった。
松本の攻撃のターンをきっちり切ることで、相手にモメンタムが傾かないようにしている。本当に丁寧な守備ができている。
このクオリティのサッカーができるのなら、降格圏外ギリギリの今の順位にいるはずがないのだが。首を傾げつつ観戦。

  
L: 後半はさすがに松本がだいぶ押し返すが、長野は受けにまわらず攻撃を仕掛ける。攻撃を最大の防御とする感じ。
C: 競り合う進。ゴールキックは基本的に進をターゲットとして、そこからセカンドボールを押さえていく作戦。
R: 長野はしっかり攻め込むことで時間を消費して、松本の攻撃の残り回数を削っていく。愚直にやるしかないのだ。

松本は交代カードを切ってフレッシュな選手を入れていくが、なかなか思うように長野への圧力へとつながらない。
すると最終盤に入ってゴタゴタが発生。藤本監督にはイエローが出る始末。なんでそんな状況になるのかわからないが、
長野にしてみりゃこれはクリンチも同然なのだ。集中を切らさずに、残り時間をのらりくらりとかわせばいいだけである。

 警備員が登場するほどモメるとは……。

松本はFW田中が抜け出してGKとの1対1が決定的だったくらいで、なかなか攻撃の糸口がつかめなかった感じ。
客観的には「長野がよく耐えた」ということになるのだろうが、集中している守備を破るだけの特別さは出せなかった。
(小松蓮がすごかったなあ(→2023.10.15)と思ったら、つい先日J1神戸へのステップアップが発表されたのであった。)
まあとにかく、長野は追加点が欲しかったけど攻撃と守備のいい形を実現できたので、今後も続けていきたいところ。

 やや殺伐とした雰囲気の中、長野のウノセロ勝利で試合終了。

さて、暗くなってからのシャトルバス乗り場のわかりづらさは、松本に劣らずこちらもかなりひどくてまいった。
ちょっと明かりをつけて示せばいいだけなのに、なぜそれをやらないのか。指定席は改善されたので、こっちも改善希望。

なお本日の入場者数は10,677人。この分だと、次回の信州ダービーでは1万人を割り込んでしまいそうだ。
まずはいつもの試合の質を今日と同レヴェルまで上げること。順位が上がらないことにはどうにもならんだろう。



2025.7.14 (Mon.)

道東旅行もいいよいよ最終日である。これまで晴天続きだったが、さすがに限界。でもしばらくは曇りで済むようで、
それで十分ありがたい。感謝の気持ちを胸に世話になったゲストハウスを後にすると、感傷に浸りつつ釧路駅へ向かう。
しかし今日の釧路は霧がものすごい。でも意外にあったかい。まあ「あったかい」という表現になってしまう時点で、
夏としては違和感があるのだが。そういえば釧路って平地で街路がやたらと広いのに自転車に乗っている人がいないなあ、
そんな疑問が頭の中に浮かんできた。少し考えてみたのだが、やっぱりそれだけ天気が悪いってことか、と結論が出た。
街路が広いからこそ、雨が降ったらたっぷり濡れることになるので、自転車に乗りたくないということなのだろう。
釧路駅に到着すると、構内にあるコインロッカーに荷物を預ける。そして改札とは逆方向のバスターミナルへ。
本日の最初の目的地は、初日に通過した厚岸である。ただし鉄道ではなく、バスで乗り込むという作戦なのだ。

  
L: 夏の釧路といえばやっぱり霧なのだ。幣舞橋方面を眺める。  C: 釧路駅方面。なかなかの濃さである。
R: 厚岸・子野日公園行きのバスにて。「0号線」というバス停にちょっとホラーみを感じてしまうのであった。

なぜわざわざバスを利用したのかというと、厚岸の市街地が厚岸大橋を挟んで南北の両側に広がっているため。
歴史が古いのは厚岸湖を囲む半島(調べても名前がわからない)の先っちょにある南側で、郵便局を基準にした場合、
「本厚岸」と呼ばれている模様。1804(文化元)年創建で蝦夷三官寺のひとつである国泰寺があるほか、漁港もこちら側だ。
対する北側は、厚岸大橋からJR厚岸駅までゆったり市街化している。こちらはもちろん、鉄道が通ってからの開発である。
厚岸駅から国泰寺までの距離は4km。今回は国泰寺よりもさらに奥まで行こうというのに、とても歩いて往復できない。
それで往路だけでもバスで本厚岸に乗り込むことにしたわけだ。復路は覚悟を決めての歩きである。いい運動だぜ。

釧路駅前バスターミナルを出て1時間半弱、8時半少し前に国泰寺バス停で下車する。本厚岸のいちばん奥といった感じだ。
本日最初の目的地は、DOCOMOMO物件の北海道大学北方生物圏フィールド科学センター水圏ステーション厚岸臨海実験所。
ここから直線距離では1.2km南にあるが、山に入っていくため歩くと距離が倍になる。まあそんなもんだ。しょうがない。
坂を上りはじめると、道路脇の斜面の上で何やら工事中。下を通るときにはけっこうけたたましい音を立てていたのだが、
2日前の熊除けの鈴と比べると、工事の音はぜんぜん遠くまで届かない。まさかヒグマは出ないよなあ、とビビりつつ先へ。

  
L: というわけでスタートである。さすがにヒグマは出ないよなあ、とビビりつつ歩いていくのであった。
C: 途中で見た本厚岸の街並み。霧に覆われている。  R: 淡々と歩いていく。このままとことん行くと愛冠岬。

公的な国立大学とはいえ研究施設なので、自由に出入りはできないだろう。それでも少しでも姿を見られれば勝ちなのだ。
非常に分の悪い戦いだが、せっかく道東に来ているのでチャレンジだけはしておきたい。当方、好奇心だけで動いている。
舗装された道路から砂利道の坂をひたすら下っていくと、海に出た。そしてその先にはベージュの建物が見える。
サッシュを見ただけでモダニズムっぷりが窺える。でも怒られてすべてに拒絶された気分になるのはイヤなので、
おとなしく引き返す。まあそもそも全体をきちんと眺めるには船で海から見た方がいい建物だし。淡々と来た道を戻る。

  
L: こんな具合の坂を下る。  C: 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター水圏ステーション厚岸臨海実験所の一部分。
R: 崖にエゾシカがいた。こいつら本当にどこにでもいるなあ。何度か道東には来ているが、これほどの頻度で見かけるのは初めて。

戻ってくると時刻は10時前で、御守を頂戴するにはいい頃合い。まずは国泰寺の隣に鎮座する厚岸神社から参拝する。
1791(寛政3)年、アイヌの人々の教化と蝦夷地の守護を願って最上徳内がバラサン岬に創建した神明宮を前身とする。
1875(明治8)年に厚岸の総鎮守として厚岸神社に改称、現在の場所へ遷座したのは1913(大正2)年のことである。

  
L: 厚岸神社の入口。  C: 石段を上って拝殿。うーん北海道。  R: 本殿を覗き込む。現在の社殿は1973年の築とのこと。

拝殿の中にお邪魔すると「えぞみくじ」があった。厚岸は牡蠣が名物なので「幸牡蠣あつめ(幸せ搔き集め)みくじ」。
本物の発泡スチロールやキャンプ用具の網に火の人形で焼く様子を再現するなど、かなり凝った演出となっているのであった。
ちなみに並んで置かれていた巨大な牡蠣のぬいぐるみは子野日公園脇の海産物店で買えるそうだ。いろいろ愉快である。

 
L: 根室ではサンマを釣ったが(→2025.7.11)、厚岸ではトングで牡蠣を拾いあげる仕様となっている。面白いなあ。
R: こちらが「幸牡蠣あつめみくじ」。結果は「中吉」で、根室に続いてなんともコメントしがたい中途半端な結果に。

さて、厚岸神社の境内ではエゾシカがやりたい放題。なんともふてぶてしい感じで動きまわり、草を食っては子鹿に授乳。
春日大社(→2016.6.11)や嚴島神社(→2020.2.24)周辺のシカほどのかわいげはなく、食って減らせねえかと思ってしまう。

  
L: 厚岸神社の境内ではエゾシカの親子が我が物顔でくつろいでいた。  C: 子鹿がおっぱい飲みまくり。
R: あっちでもこっちでもおっぱい飲みまくり。まじめな話、エゾシカの増殖ぶりはなんとかせんといけませんぞ。

厚岸神社の社務所で御守を頂戴したが、厚岸湖に鎮座する牡蠣島弁天神社の御守もあったので歓喜しつつゲット。
牡蠣をあしらったデザインで、いかにも厚岸の神社らしい仕上がり。きちんと凝った御守が頂戴できるとうれしい。

  
L: 厚岸町郷土館。残念ながら月曜なので閉館日。  C: 手前で育てているアッケシソウ。強耐塩性で食用になる。秋には赤くなる。
R: 郷土館と国泰寺の間にあるアイヌ民族弔魂碑。国泰寺におけるアイヌ民族と和人の文化接触は比較的緩やかで良好だったそうで。

続いて国泰寺に参拝する。上述のように、1804(文化元)年創建で蝦夷三官寺のひとつである。つまりは幕府が建てた寺。
(残りの2つは伊達市の有珠善光寺、様似町の等澍院。有珠善光寺は826(天長3)年、円仁の創建とされており歴史が古い。)
ラクスマンの根室来航が1792年、レザノフの長崎来航が1804年。南下政策のロシアが着実に迫ってきている状況で、
幕府としては蝦夷地を支配していることを示す狙いがあったのだ。ロシアはアイヌにキリスト教の布教を行っており、
それに仏教で対抗していく拠点だったわけだ(もうひとつ、蝦夷地で亡くなった和人の葬儀を行うという目的もあった)。
江戸時代後期のアイヌというと場所請負制で苛烈な搾取が行われたイメージが強いが(→2013.4.62013.7.23)、
この制度を主導していたのはあくまで松前藩であり、幕府はむしろ直轄化の際にアイヌ救済策を何度か実施している。
そのためか、国泰寺はアイヌ文化の儀礼や祭祀の独自性を保護しており、かなり友好的な関係を維持していたそうだ。

  
L: 国泰寺の山門。  C: 扉には葵の紋。さすがである。  R: 門を抜けると境内はこんな感じ。

  
L: 境内北側には仏牙舎利塔。仏舎利はもちろん釈迦の遺骨だが、「仏牙」とは特にその顎の骨を指すそうだ。
C: やたらと岩の多い庭園。境内は近世の雰囲気を残している。  R: 調べたら本堂は1985年の改築とあった。

国泰寺の本堂の内部には、ぜんぶで15幅の地獄極楽絵図が展示されている(厚岸町指定有形文化財)。
本堂の中で写真を撮るのは気がひけるが、特に撮影NGとは書かれていなかったので1枚だけ写真を貼り付けておくのだ。
あとは長寿御守があったので頂戴する。郷土館が閉館日だったのは残念だが、しっかり歴史に触れることはできた。

 地獄も極楽もたいへん色鮮やか。きちんと解説も付いていてありがたい。

国泰寺を後にすると、いよいよ本格的に本厚岸からJR厚岸駅までを歩いていく。4kmの気ままな街歩きである。
最初のうちは住宅ばかりだったが、だんだんと店舗が混じりだす。そして雲も薄くなっていき、青空から日が差してきた。
晴れてくると思わなかったので、いい気分で本厚岸の商店街を行く。しかし仕舞屋が多く、セイコーマートが元気なくらい。

  
L: 郷土館向かいの厚岸翔洋高等学校にある厚岸会所跡。1799(寛政11)年に東蝦夷地を幕府直轄地として以降、役人が滞在した。
C: 本厚岸の住宅群。意外と新しめな家が多い印象。  R: さらに松葉町通りを北上すると店舗が増えていく。が、仕舞屋が多い。

さてせっかく本厚岸まで来ているので、お供山展望台に寄ってみるのだ。2021年に完成した階段でアプローチするのだが、
踏み面が金網になっていて高所恐怖症には正直つらい。そしてお供山の標高は74mで、これがかなりハードな上りなのだ。
涼しい道東とはいえ晴れてきたので気温はしっかり上がってきており、ふつうの汗と冷や汗とでびっしょりになるのであった。
さっきセイコーマートで買った玄米茶を飲みつつ頂上を目指す。今回の旅行では、なぜかこの玄米茶にハマってしまった。

  
L: 松葉町通りから東に入ってお供山展望台の登り口。  C: 途中で見下ろす厚岸港。  R: 金網なので、少したわんで怖い。

  
L: 金網階段をいったん上りきると公園のような場所に出る。そこから下って上ると鹿落しのチャシ跡に至る。
C: 展望台があるのは鹿落しのチャシ跡の一角。  R: 展望台から眺める厚岸大橋。晴れてくれて本当にありがたい。

展望台のてっぺんから見下ろす厚岸大橋、そして厚岸湖は、いかにも北海道らしい雄大な風景なのであった。
3日前に根室本線の車窓から見た厚岸湖は曇り空の下だったが(→2025.7.11)、まさか対岸から絶景を見られるとは。
しばらく無言で見惚れて過ごす。本当に贅沢な旅行、贅沢な時間を味わっているなあと思う。ありがたい。


パノラマで撮影。この旅行は本当に天候に恵まれて言葉がない。

 厚岸湖に鎮座している牡蠣島弁天神社を見下ろす。

下界に戻ると厚岸大橋に向かって松葉町通りをさらに北上。と、目の前をエゾシカが横切っていった。
先ほどの厚岸神社の境内や郷土館裏の国泰寺史跡だけでなく、本厚岸の街中までもエゾシカに占領されているとは。
エゾシカは民家の玄関先に植えてある木の葉っぱを食べるなど、やりたい放題。これはいくらなんでも増えすぎだろう。
北海道ならではの開放的な空間構成(→2012.8.172017.6.24)が、エゾシカどものやりたい放題を助長している。

  
L: 本厚岸の市街地を我が物顔で闊歩するエゾシカ(左端)。  C: 民家の玄関先にある木を平然と食っている。
R: 本町交番付近から振り返って眺める松葉町通り。建物の間には隙間のような空間があり、全体的な密度が低い。

厚岸大橋を渡って本厚岸を後にする。かつては渡船が、1959年からはフェリーが就航して、厚岸の南北を結んでいた。
しかし輸送能力の限界と冬には結氷で欠航することから、北海道で初となる海上橋として厚岸大橋が1972年に架けられた。

  
L: 厚岸大橋。  C: 橋の途中から眺める牡蠣島弁天神社。  R: お供山を振り返る。さっきまであのてっぺんにいたんだなあ。

 欄干でたたずむオオセグロカモメ。

厚岸大橋を渡りきると、北側の比較的大型の店舗が集まっているエリアに入る。しかし駅まではまだ1.3kmほど距離がある。
橋のたもとにエーウロコという厚岸漁業協同組合の直売店があるので寄ってみる。主力の商品はひたすら海産物なので、
一人暮らしの一人旅としてはあまり買う物がないのが正直なところ。しかし厚岸の産業を知るには勉強になる施設だ。

  
L: エーウロコ入口のポストに載っているのは全身海産物の「うみえもん」。総選挙を経て決定した厚岸町の公式キャラクターだ。
C: 水槽には牡蠣がどっさり。三陸産の稚貝を育てた「マルえもん」というブランドで、確かにデカい(手前がLL、奥が3L)。
R: 海産物がメインだが土産物も置いている。菓子類では実際に牡蠣エキスを配合しているという「かき最中」が一押しみたい。

 エーウロコの向かいにある五味石油。これはもうDOCOMOMO物件でいいんでないかい?

エーウロコから道道123号を西へ行くと厚岸町海事記念館がある。もちろん中を見学したかったのだが、月曜なので休館日。
ションボリしつつ脇を抜けると、駐車場を挟んだ向かいにあるのが厚岸町役場である。1988年の竣工とのこと。

  
L: 東の駐車場から見た厚岸町役場。  C: 建物は真栄町1条通りに沿って東西に細長い。  R: 北西から見たところ。

  
L: エントランスから中に入るとこんな感じのホール空間となっている。おそらくこの直上の3階部分が議場なのだろう。
C: 厚岸町出身のスポーツ選手を特集。佐藤龍世は中日にトレードされたのだが。  R: なかなか開放的な町民ホール。

 厚岸蒸溜所のPRコーナー。2016年からスコットランド的なウイスキーを生産しているそうで。

建物が細長いのと撮影できるアングルが限られているのとで、わりとあっさり撮影を終えて厚岸町役場を後にする。
海岸線ときれいに並行して走る真栄町1条通りを西に行き、厚岸駅を目指す。商店街はいちおう成立してはいるものの、
こちらも本厚岸と同様に建物の密度は低めで、仕舞屋が多い印象である。平日の午前だからおとなしいのかもしれないが。

  
L: 真栄町1条通り。店がないわけではないのだが、閑散とした印象。  C: 中央分離帯が散策路みたいになっている箇所も。
R: 駅前通りの辺りで振り返る。青く塗られた街灯が目立っているので商店街の雰囲気がするが、なかったらかなり寂しい。

 街灯をクローズアップ。デザインされているのはもちろん牡蠣なのであった。

厚岸駅に到着すると、向かって左手前にある氏家待合所に直行する。厚岸駅前といえば氏家待合所の「かきめし」なのだ。
駅弁フェアでおなじみの逸品である。近所の東急ストアで買う機会が一、二度あったが、ついに本家本元に来てしまった。
昼メシは釧路に戻ってからいただくつもりなので、かきめしは非常食として購入。非常食はいくつあってもいいのだ。
しかしさすがに現地で買うことはないだろうとずっと思っていたのだが、まさか実現してしまうとは。感慨深いものがある。

  
L: JR厚岸駅。  C: 厚岸駅前といえば氏家待合所のかきめしなのだ。ついに来てしまったぜ。  R: かきめしゲットだぜ!

ホクホクしながら歩道橋で根室本線の北側に出る。「厚岸味覚ターミナル・コンキリエ」という道の駅があるので、
ぜひとも寄ってみるのだ。昼メシは釧路に戻ってからいただくつもりだが、牡蠣のひとつやふたつ、食っちゃえるもんね!
コンキリエは 丘の上にあるので意気揚々と坂を上っていくが、建物の周囲にはまったく活気がない。イヤな予感がする。
近づいてみたら、月曜定休なのであった。牡蠣が食えず、膝から崩れ落ちる僕。いや、かきめし買ったけれどもさ。
恨めしい気持ちで中を覗き込んだら、コンキリエのイメージキャラクターなのか、謎のラテン系ダンサーのポップがあった。
見るからにハイテンションで腹立たしい。そんなにテンションが高ぇんなら、夏の間くらい無休で営業してくれよと思う。
コイツは絶対、月曜を除く毎日旨い牡蠣を食っとるんよ。でも僕は厚岸まで来ても牡蠣が食えないドジでノロマなカメなんよ。
彼我の差に打ちひしがれていてもしょうがないので、とりあえずコイツ何者なんだと調べてみたところ、驚愕の事実が判明。
コイツの正体はなんと、制作会社が選んだフリー素材にすぎず、コンキリエ側は何者なのか一切関知していないというのだ。
これだけ大々的にフィーチャーしておいて、正体不明だと。さんざんグッズ化してんのに! 今どきそんなことがあるなんて!

  
L: 厚岸味覚ターミナル・コンキリエ。ちなみに「コンキリエ」とはイタリア語で貝殻という意味。同名のパスタもある。
C: 謎のラテン系ダンサー。このテンションなら夏の間くらい無休で働いてほしいと思ってしまう。大作戦中なら休むなよ。
R: 下の駐車場から見上げるコンキリエ。なおコンキリエの周囲は展望台になっているが、お供山ほどの絶景ではない。

牡蠣は食えないし(いや、かきめし買ったけれどもさ)ダンサーの正体は謎だしで、ぐちゃぐちゃの感情のまま駅に戻る。
駅構内には厚岸蒸溜所のウイスキーボトルが並べられていて、カラーヴァリエーションに弱い僕としては(→2024.3.29)、
見ているだけで圧倒されてしまう。寒色系が多いのはおそらく、冷涼な厚岸のイメージを反映してのことだろう。

 
L: 厚岸蒸溜所のウイスキーボトル。赤系が弱いのは少々残念だが、壮観である。  R: ラベルはこんな感じ。

やがて釧路行きの列車がやってきたので、コンキリエの悔しさをこらえつつ北海道&東日本パスを提示して改札を抜ける。
乗り込んだ列車は2日前の釧網本線と同じく、普通列車であるにもかかわらず有料の一部指定席が設定されていた。
これは利用者をイヤな気分にさせるだけの愚策だと思う。いちいち声をかけるJR北海道の職員の皆さんだってイヤでしょう。

釧路駅に到着すると、早足で市街地を南下する。13年ぶり(→2012.8.18)に、銀水でラーメンをいただくのだ。
やっぱり大盛にしたところ、細い平打ち麺が本当に大盛。いかにも正統派な釧路らしい醤油ラーメンという見た目だが、
あらためて食べるとそれほどしょっぱくない。そしてやはりスープの量が多い。ダシは強くなく、飲みの締めに向く感じ。
2日前に僕が感じた釧路ラーメンの方向性は正しかったようである。汗をかいた体には最高の塩分が摂取できたのであった。

 
L: 銀水の外観。  R: 大盛で940円。麺もスープも本当に大盛なヴォリュームである。

満足感に浸りながら駅に戻って荷物を回収すると、軽く土産物店を見てまわってから再びバスターミナルへ。
大楽毛(おたのしけ)方面へ向かうバスに乗り込むと、4日前急遽泊まった宿にほど近い鳥取神社前のバス停で下車する。
目指すはもちろん鳥取神社。鳥取地区はその名のとおり、1884(明治17)年に鳥取から士族が集団移住して開拓した場所だ。
かつては独立した自治体だったが、1949年に釧路市に編入された。なお、鳥取神社が創建されたのは1891(明治24)年。

  
L: 鳥取神社の北東端。参道は敷地の東端にあって、ちょっと独特な配置である。おかげであまり表参道という感じがない。
C: 参道を行く。右手は駐車場と神社に属する資料館の鳥取百年館。  R: 東側の神社入口。奥に見えるのが鳥取百年館。

  
L: 横参道となっており、進むと右手に鳥居と拝殿。  C: 拝殿と本殿を横から眺める。  R: 本殿の脇には神楽殿。

御守を頂戴するが、二重亀甲に大文字の神紋があしらわれており、いかにも出雲系という印象である。
祭神の大国主大神は、移住者の総意によって出雲大社(→2009.7.182013.8.192016.7.22)から勧請したそうだ。
因幡の白ウサギをデザインした御守もあって、祭神と故郷への敬意をしっかり感じられる神社なのであった。
鳥取百年館にもお邪魔したが、故郷への執念をなかなか強く感じさせる展示。アイデンティティだったんだなあ。

  
L: あらためて眺める鳥取百年館。鳥取地区の開基100年を記念して1984年に建てられた。モチーフはもちろん鳥取城(→2013.8.22)。
C: 民具系の展示物が多いが、雄別炭礦鉄道が走るかつての鳥取村の地図(1934年)が面白かった。アミカケは放牧地と村有未開地。
R: 奥の第二展示場では鳥取藩主池田家の家宝が展示されている。幼少時の徳川慶喜&池田慶徳が並んでいる肖像画などがある。

鳥取神社前から阿寒湖バスセンター行きのバスに乗り込むが、釧路空港を越えたところにある鶴公園バス停で下車。
今回の旅行の最後は釧路市丹頂鶴自然公園で締めるのである。2日目に意地でタンチョウヅルを見たけど(→2025.7.12)、
じっくり観察できる施設があるのだから寄らない手はないのだ。しかし鳥取神社を出てから急速に天気が悪くなっており、
バスから降りたときにはけっこうな雨となってしまったのであった。まあむしろ、今までよくもってくれたと思う。

  
L: 釧路市丹頂鶴自然公園。雨がー  C: 展示室のある建物とタンチョウの屋外飼育スペースで構成。園路は約500mの直線。
R: 金網にはこのようにタンチョウを観察できる穴(カメラアイ)が開いており、そこから覗き込んで撮影が可能となっている。

タンチョウは明治時代に乱獲されて絶滅したと考えられていたが、1924年に釧路湿原で十数羽残っていたのが見つかり、
そこから保護活動が始まった。現在は道東を中心に、国内では1800羽以上のタンチョウが生息しているとされる。
(なお、鹿児島県出水市(→2015.8.18)にやってくるツルはナベヅル・マナヅル。タンチョウもいる極東ロシアから来る。)
飼育スペースはかなりの広さで、タンチョウのサイズを考えると当然か。ふつうの動物園にある鳥のケージとはだいぶ違う。
タンチョウの縄張り意識は非常に強く、攻撃性もあるそうで、各スペースでつがいごとに分けて飼育しているとのこと。

  
L: 園内にいるタンチョウはこんな感じ。  C: まっすぐ立っているタンチョウ。  R: 歩くタンチョウ。

  
L: 基本的にはエサを探してこの姿勢。  C: もう一丁。  R: 後ろを向いたところ。翼を広げてほしかったけどダメだった。

雨にもめげずにシャッターを切りまくっていたのだが、いちばん手前にいたツルがどうもなんとなくフレンドリー。
タンチョウはあまり人間に興味を持たない種と認識していたが、なんとはなしに近寄ってきて僕と一緒にボケッとする感じに。
このツルは「ケマ」という名前のオスで、鶴公園で生まれた30歳だと。なるほどそれで人間に馴れている感じがあるのだ。
デジカメを構えてしばらく撮影するが、ずっとその場から離れずのんびり過ごしている。こいつ絶対に人間好きだろ、と思う。

  
L: ケマの横顔。  C: いろんなアングルで顔を撮ってみる。  R: 正面から。完全にコミュニケーションが取れている。

 別のツル。よく見ると顔つきに個体差があるね。

ケマと一緒にいる時間はなかなか楽しかったが、金網があるので見つめ合って友好的なオーラを出すしかやることがない。
けっこう長い時間そうしていたのだが、雨の中で突っ立っているのもつらいので(タンチョウは平気なんだろうけどさ)、
手を振って別れるのであった。実物のタンチョウをしっかり観察できて大満足だ。その後は展示室を見学し、売店を眺める。

  
L: タンチョウのエサ。ドジョウやウグイなどの魚から昆虫、カエルまでなんでも食べる。植物の葉っぱや果実も食べる。
C: 右が生後6ヶ月のオス、左が成鳥のオス。  R: 右が生後5日、左が生後39日。3ヶ月で親と同じくらいにまで大きくなるそうだ。

 世界のツルの分布。寒冷地だけでなく世界中にいるのだ。

来たときは駐車場にあるバス停で降りたが、帰りは国道に出ないとダメと親切な職員の方が教えてくれたので助かった。
バスに乗り込んで10分ほどで釧路空港に到着。土産を買って搭乗手続きを済ませるが、気になるのは台風の動向だ。
予報どおりに北海道に向かってくるようだが、まだ三陸の辺りということでか、空港内は特に混乱した様子はない。
とりあえず、厚岸で買っておいたかきめしで気合いを入れる。台風が不安ではあるが、安定のおいしさに心がだいぶ安らぐ。

 
L: かきめしをここで御開帳。安定のおいしさですなあ。  R: 飛行機に乗り込む際に見た光景。霧雨がすごいことになっている。

霧雨で視界がほとんどない状況だけど、まったく緊迫感はない。飛行機はふつうに離陸すると太平洋へとちょっと避け、
何ごともなかったかのように針路を戻して東北上空へまわり込むのであった。さすがに慣れたものだなあ、と感心する。
そうして予定どおりに羽田に着陸。往路と同じようにだいぶあっさりした感触である。京急蒲田はいつものとおり。
せっかくなので、前から気になっていた「担々麺で有名」だという「パンダ」で晩メシをいただくことにした。
中国人の店員が暇そうにしていて大丈夫かよと思ったが、いざ食ってみたら確かにふつうに旨かった。うーん蒲田。

 パンダの担々麺。なお辛い担々麺は「李担々麺」という別メニュー。それはまたいずれ。

無事に家に戻ってきても、なんだかまだ夢見心地な気分だ。これだけ天気に恵まれるとはまったく思っていなかったからだ。
何から何まで完璧で、本当にすばらしい旅行を楽しませてもらった。全方面に感謝の気持ちを抱きながら眠るのであった。


2025.7.13 (Sun.)

道東旅行も3日目だが、今日もまだ晴天が続いてくれている。ありがたいことである。
本日は阿寒湖方面へ行ってみるが、バスの時刻の関係で、スタートがふだんの行動パターンよりもやや遅めとなる。
そうなりゃせっかくなので、釧路の街を軽く散策してみる。晴天の下で釧路の街を歩けるなんて、滅多にないことなのだ。

  
L: 青空の下の北大通。こちらは釧路駅方向。  C: 反対側、幣舞橋方向を眺める。  R: 末広すずらん通り。朝が似合わない。

釧路市役所も撮影するのだ。3回目だが(→2012.8.172022.8.3)、青空の下では初めてなのでウハウハ言いつつ撮る。
釧路は街全体の区画が大きいので、それに応じて市役所もべったり敷地面積がとられている感じ。つまり撮りづらい。

  
L: まずは南から。  C: エントランスを中心に正面から見たところ。  R: 少し東にずれてエントランス付近を眺める。

  
L: 北東から見た背面。  C: 北側にある防災庁舎。もう竣工から10年経つのか。  R: 東から見たところ。

3年前にも撮影した新釧路道銀ビルもあらためて見ておく。10階建てで、3階から7階までが釧路市中央図書館となっている。
なお、1972年に建てられた旧図書館は、幣舞橋を南から見下ろす場所にあった。先代の釧路市役所の跡地とのこと。

  
L: 新釧路道銀ビルを南東から。  C: 北大通は幅が広いけど、それ以上にしっかりと高さがある。  R: 北東から見たところ。

  
L: 矩形の釧路の街路。全体的にゆったりとしているが、古くなった建物が取り壊されて空き地ばかりになりつつある。
C: 北大通のバス停をクローズアップ。釧路はタンチョウヅルを全力アピール。  R: 別のバス停でもやっぱりタンチョウヅル。

釧路駅前のバスターミナルから阿寒湖方面へと向かう路線バスは一日4便。しかし始発が10時と遅めである。
これだと遊覧船に乗って温泉に浸かろうとすると、わりとタイトになってしまうのだ。そこで金はかかるが奥の手を使う。
まず釧路空港行きのバスに乗る。そうして釧路空港からエアポートライナーで阿寒湖へと向かうのだ。1時間早く着く。
残念ながらレストランはまだ開かないので、買っておいたセイコーマートのおにぎりを空港で食べて朝食とする。

 
L: 釧路空港に到着。釧路はとことんタンチョウヅル推しである。  R: 釧路空港のターミナル。

エアポートライナーに乗り込むと、バスは国道240号を悠々と北上していく。途中で旧阿寒町の中心部を通る。
釧路市は2005年に阿寒町・音別町と合併し、市域は南北に大きく広がった(そして旧音別町が広大な飛び地となった)。
釧路駅-阿寒湖の路線バスはちょうど2時間かかるが、そのルートすべてが現在は釧路市内となっている。

  
L: 車窓から見た釧路市阿寒町行政センター(旧阿寒町役場)。釧路市公式サイト「旧阿寒町の概要」によると1973年竣工。
C: 旧阿寒町の中心部。北海道の典型的な矩形街路(→2012.8.27)である。  R: さらに北上していくと農業地帯となる。

  
L: さらに進むと森林地帯。行く手の先に雌阿寒岳が見える。  C: 国道240号、阿寒湖温泉の温泉街はこの右手となる。
R: 阿寒湖バスセンターに到着。1階に入っているセイコーマートがかなりの存在感。実は温泉と宿泊施設が併設されている。

国道240号は阿寒湖にぶつかる直前に西へと大きく曲がり、そのまま阿寒湖温泉の温泉街の脇に入ってバスセンターに到着。
バスを降りるとさっそくエゾシカの洗礼である。一昨日は列車でさんざん、昨日は津別峠の展望台で見たが、阿寒湖は別格。
人間の生活圏内にふつうにいるのである。住宅地を堂々と闊歩してやがる。その余裕っぷりにはムカついてくるほど。
ちなみにキツネもいたけど、素早くて撮れなかった。最初は野良犬かなと思ったらキツネで、ネズミか何かをくわえていた。
後日、生物の先生が「人間のゴミを狙うキツネは自分で餌をとれない弱ったやつ」と話していて、なんとなく納得。
確かに昨日のキツネは痩せていて、ちょっとみすぼらしかった。それと比べると今日のキツネは動きがまったく違った。

  
L: 住宅地を平然と闊歩するエゾシカ。  C: できるだけ接近して撮ってみた。  R: 湖岸の遊歩道でも悠然と葉っぱを食っていた。

バスセンターからすぐなので、まずは阿寒岳神社に参拝する。ふだんは無人の神社で、御守は正月に出るらしい。
1905(明治38)年の創建で、祭神は大山祇神・大国主大神・少彦名大神。北海道らしい神明系の社殿だが木造で味がある。

  
L: 阿寒岳神社の入口。阿寒湖に対しては真横を向いている。  C: 境内はこんな感じ。  R: 拝殿。北海道らしい神明系。

 本殿。

そのまま阿寒湖温泉東端の阿寒湖畔ビジターセンターに向かう。阿寒摩周国立公園・阿寒地区の自然を主に紹介する施設で、
マリモはもちろん、ヒメマスやイトウなども展示されている。ただ、水槽での生体展示は充実しているものの、
動物についてなどそれ以外はけっこう大雑把。飲食可能なスペースもあるが、学習施設としては正直ちょっとイマイチ。

  
L: 阿寒湖畔ビジターセンターの外観。  C: アクティビティゾーンはこのような展示。  R: やはり阿寒湖といえばマリモなのだ。

  
L: ヒメマス。  C: こちらはアルビノのヒメマス。  R: イトウ。日本に分布する最大の淡水魚(→2010.8.11)。

 ヒグマの剥製は見ているだけで恐ろしくなるぜ。

阿寒湖畔ビジターセンターから外に出ると森の中の遊歩道となっており、そのいちばん奥には阿寒湖展望台がある。
そこまで行って阿寒湖を見てやろうと、のんびり歩いていく。遊歩道は高原のような雰囲気で、なんとも爽やか。

  
L: ボッケ遊歩道は針葉樹と広葉樹が混じった森で、たいへん爽やかな雰囲気。まさかヒグマは出るまいな。
C: 奥まで行くと阿寒湖岸に出る。手前の島は小島という名前。  R: 対岸を眺める。阿寒湖もカルデラ湖である。

 展望台の手前にあるボッケ。泥の温度は97℃ほどということで近づけない。

展望台の手前にあるのがボッケ。ボッケは「煮え立つ」を意味するアイヌ語の「ポフケ」から付いた名前で、
火山ガスで泥の泡が弾けている場所なのだ。別府の鬼石坊主地獄(→2009.1.10)とまったく同じやつである。

  
L,C,R: 連写で泥の泡が弾ける様子を撮ってみた。だからどうだということはないのだが。

戻って阿寒湖畔ビジターセンターを出ると、さっきまで森の爽やかな空気に包まれていたせいか、とにかく暑い。
道東とはいえ、暑いものは暑いのである。上着を脱いで、この旅で初めて半袖になるのであった。それも凄いことだが。

  
L: 阿寒湖温泉の商店街を行く。東側からすでに工芸店が多い。  C: 土産物屋。インバウンドの影響か新しめの店もチラホラ。
R: 通りに面した足湯「ウレ・カリプ」。 アイヌ語でウレは「足」、カリプは「輪」を意味する。観光客にかなり人気の模様。

 ウレ・カリプ脇の自販機では手ぬぐいを売っていた。豆絞りが緑でマリモで、そりゃ買うさ。

阿寒湖の南側にへばり着くように商店街は延びているのだが、なんとなくだが東西で新旧に分かれている印象。
東側は昔ながら、西側はわりと新しめ、そんな感触である。その東側エリアのなんとなく最後にあるのが、阿寒湖まりむ館。
阿寒湖温泉支所やホールなどの複合施設で、メインストリートに面した1階には観光インフォメーションセンターがある。
チラッと寄ってみたら『バキ』特集なのであった。これは作者の板垣恵介が中学時代を阿寒湖温泉で過ごした縁によるもの。

  
L: 阿寒湖まりむ館。  C: 中は『バキ』の聖地なのであった。  R: 色紙。目だけ色を塗っているのはさすがだなあと。

 マリモから生まれた妖精・水森天音もいた。まりもっこりよりははるかにいいだろう。

旧阿寒町の役場はさっきバスの窓から見た辺りで、阿寒湖温泉からは直線距離で35kmほど離れている。
つまり旧阿寒町には2つの核があったわけだが、それにしても距離がかなりある。そして今はこれがぜんぶ釧路市域。
さすがにちょっと広大すぎないかと思うが、北海道全体の地図から見るとあまり違和感がない。北海道の広さを実感する。

  
L: 阿寒湖温泉の商店街、西側はまっすぐな道で比較的新しめに整備されたイメージ。
C: 土産物店が軒を並べている。  R: どこもアイヌ的工芸品がかなりの密度で置かれている。

阿寒湖温泉商店街の西端にあるのが阿寒湖アイヌコタンである。傾斜した土地をうまく利用してつくられており、
中央の駐車場を囲むように配置された店舗が独特な雰囲気を醸し出している。阿寒湖アイヌコタンの公式サイトによると、
前田一歩園の3代目園主である前田光子氏(元タカラジェンヌ)がアイヌ民族に私有地を無償で貸与したそうだ。
その前田一歩園の公式サイトには財団が所有する土地が図で示されており、阿寒湖温泉の大部分はもともと前田家の土地。
それを寄付したり貸したりして阿寒湖温泉は成り立っているのだ。光子氏が園主を継いだのは1957年のことなので、
阿寒湖アイヌコタンの成立はそれ以降ということになる。実際に訪れてみると、ほとんどすべてが工芸の店だった。
ランチを期待していたのだが飲食店は極めて少なく、ものすごく混雑していて時間が読めず、泣く泣く諦めたのであった。

  
L: 阿寒湖アイヌコタン。  C: 敷地内に入ると傾斜のせいか独特な雰囲気。  R: 向かい側にも店舗が並ぶがほぼ工芸の店。

  
L: 観光客の少ない冬でも生活に困らないように工芸品づくりができる環境が整えられたそうだが、ちょっと偏りすぎな印象。
C: 傾斜を上りきったところには釧路市アイヌ文化伝承創造館「オンネチセ」。  R: その脇から阿寒湖アイヌコタンを見下ろす。

  
L: 反対側にはアイヌ生活記念館。  C: でも中は本物のチセ(→2013.7.142013.7.222013.7.23)ではないのであった。
R: 奥にはポンチセ(小さいチセ)やプ(「プー」
と表記していた)があるが、正直アイヌ文化の事例として並べた感じ。

川村カ子トアイヌ記念館のときもそうだったが(→2010.8.10)、似た系統の店が並ぶと買い物しづらい(中華街現象)。
またアクセサリー系の土産は買わないので、なかなか困ってしまった。多様な商品があればもっと面白くなるだろうに。
で、メシを求めてさまよっていたところ、エゾシカレザーの店の一角にバーがあり、エゾシカ肉のカレーをいただいた。
カレーなので肉としての風味じたいはわかりづらいが、繊維質の食感で歯に挟まりそう。脂のまったくない角煮感があった。

 エゾシカ肉のカレー。おいしゅうございました。

13時近くになり、阿寒湖遊覧船の乗り場へと移動する。遊覧船は東側の「まりもの里桟橋」から出航した後、
こちら西側の「幸運の森桟橋」に寄ってから本格的に阿寒湖の沖へと乗りだすのだ。所要時間は85分となっている。
当然、船尾のデッキに陣取って、右に動いて写真を撮ったり左に動いて写真を撮ったり、やりたい放題で過ごす。

  
L: 湖岸の遊歩道から見た、まりもの里桟橋の遊覧船と雄阿寒岳。  C: 幸運の森桟橋から出航。温泉ホテルが並んで壮観だ。
R: 遊覧船は沖へと進んでいく。温泉街が遠ざかり、阿寒湖を囲む外輪山が見えてくる。中央は火山活動で地肌が見える雌阿寒岳。

  
L: 小島。  C: きれいな形の雄阿寒岳。真ん中に山肌がまっすぐ露出しているが、これは1993年の釧路沖地震で裂けた跡。
R: 遊覧船はまず阿寒湖の東端へと向かう。阿寒川が流出する地点の滝口にできるだけ近づくのだ。カヌーの人もチラホラ。

  
L: 滝口までを往復すると、遊覧船は雄阿寒岳の麓を北上する。雌阿寒岳とそれを囲む山々の複雑な稜線は雄阿寒岳と対照的だ。
C: 雌阿寒岳をクローズアップ。主峰のポンマチネシリは標高1499mで、1370mほどの雄阿寒岳より高い。  R: チュウルイ島。

北上するとチュウルイ島が見えてくる。ここが阿寒湖遊覧船クルーズのハイライトなのだ。マリモ展示観察センターがあり、
遊覧船に乗らないと訪れることができないのだ。上陸すると見学時間が15分あり、マリモの一生を実際に見ることができる。

  
L: マリモ展示観察センター。なんだか華奢な印象だが。  C: 南西からぐるっとまわり込む。  R: チュウルイ島に到着なのだ。

  
L: 謎のキャラクターがお出迎え。サウスパークではないよな。『ロックマン2』のショットマンでもないよな。
C: チュウルイ島の看板。チュウルイとはアイヌ語で「激しい流れ」を意味するそうだ。  R: 島の中はこんな感じ。

ではマリモについてのまとめ。マリモは藻類の一種で、胞子として生まれる。マリモの胞子は2本の鞭毛を動かして泳ぎ、
小石や岩に付着して発芽する。そうしてできる糸状体が、一個体としてのマリモ。糸状体は小石を覆うように集まって育ち、
塊となって波に転がされることで、大きく丸いマリモに成長していく。やがて水の流れによって同じ場所に集合すると、
そこがマリモの群生地となるわけだ。しかしマリモはさらに大きくなると内部が枯れて空洞ができ、球体が崩壊してしまう。
崩壊してちりぢりになったマリモは再び転がって成長していく。これもまたマリモの増殖方法のひとつとのこと。

  
L: 糸状体が集まっている状態。  C: 波に転がされることできれいな球状になっていく。  R:水流で同じような場所に集まる。

  
L: 崩壊したマリモ。分裂という方が正しいのかも。  C: 阿寒湖のマリモ生息地。意外なことに、北部のほんの一部だけなのだ。
R: 阿寒湖の湖底を再現した大水槽の中に展示されているマリモ。大小さまざまなマリモがきゅっと集まっている様子はかわいい。

  
L: 大物のマリモ。最大で直径30cmまでいくそうだ。  C: 御神体然としているなあ。  R: 外から見たマリモ展示観察センター。

見学を終えると、展望台になっているマリモ展示観察センターの屋上から景色を眺める。雄阿寒岳も雌阿寒岳もよく見えて、
パノラマ撮影してみる。両者を一気にすっきり眺められる場所はそうそうないはずで、チュウルイ島ならではの景色なのだ。


左に雄阿寒岳、中央やや右に雌阿寒岳。

時間になったので遊覧船に戻る。いちばんの目玉はマリモ展示観察センターではあるが、天気がよかったので景色が最高。
雄阿寒岳も雌阿寒岳も見事な姿を眺めることができた。これは本当にいいときに来たなあ、と独りニタニタするのであった。

 あらためて眺める遊覧船。

幸運の森桟橋で下船すると、いよいよお待ちかねの温泉である。あちこちでホテル御前水が泉質をアピールしていたので、
それならといっちょお邪魔することに。露天の湯船があるんだけど、地下なのでちょっと地下牢気分があって面白かった。
阿寒湖温泉は昨日の川湯温泉ほど硫黄がキツくなく、ピーキーさを求める僕としては、硫黄系にしてはだいぶおとなしい印象。

 
L: 温泉から上がってまりもの里桟橋方面へ。ちょうど遊覧船が出航したところだった。
R: 阿寒湖温泉ではさまざまな蝶が飛びまわっていた。こちらはクジャクチョウ。

バスを待つ間セイコーマートに寄ってみたら、阿寒湖名物の「まりもようかん」を発見。当然、買ってみる。
が、イマイチ食べ方がわからない。スマホで調べてみたところ、付属するピックで刺すとゴムが破れて一気に剥けるそうだ。
思い切ってピックを刺すと、確かに一瞬で剥けて手品のようだ。でも持っている手がバッチリ羊羹本体に触れてしまう。
これは皿か何かがないと羊羹直つまみとなってしまうわけだ。いやまいった。食べてみると羊羹にしてはだいぶ甘さ控えめ。

  
L: まりもようかん。さまざまな個数のヴァリエーションがありがたい。  C: いざ勝負。球状のゴムの中に羊羹があるわけだ。
R: 思い切ってピックを刺したら、一瞬でゴムが破れて剥けて羊羹本体が現れる。手品みたいで面白いが、指先はベトベト。

16時15分の最終バスで阿寒湖バスセンターを後にすると、2時間かけて釧路駅前へと向かう。釧路市域は広いなあ。
釧路駅に到着すると、うっすら寒い。区画の大きい市街地を大股で歩いて末広町を目指す。釧路最後の夜となる今夜は、
レストラン泉屋 総本店でスパカツをいただくのだ。その名のとおりスパにカツな料理だが、釧路の誇る地方グルメなのだ。
18時を過ぎたところだが、すでに階段には10人弱が並んでいた。遅くなったらかなり恐ろしいことになってしまいそうだ。
まあ半分はクラT着ている高校生だったので、文化祭の打ち上げか何かで早めの晩ご飯ということだったのかもしれない。
スパカツ大盛1620円を注文するが、混んでいるわりにはテンポよく登場。スパゲッティにカツを載せミートソースをかける、
わりと単純なスタイルではあるのだが、熱々の鉄板で麺がカリカリになるのが最大のポイントだろう。家庭ではできない。
すなわちスパゲッティの時点ですでにきちんと特徴があるのだ。デミグラスソースの風味もたいへんよろしいのであった。
Tシャツやらアクキーやら、スパカツグッズが充実しているのもうれしい。釧路市民ならひとつは持っておきたいところか。

  
L: レストラン泉屋 総本店。  C: スパカツ大盛1620円。  R: 夕暮れの末広すずらん通り。やっぱこうでなくては。

満足して宿に戻るが、姉歯メンバーから台風が接近中との指摘を受ける。往路は大雨を運よくやり過ごすことができたが、
最後の最後でまたしてもドキドキの事態が発生である。本当にネタに事欠かない旅行である。明日はどうなるんや……


2025.7.12 (Sat.)

晴れが続くという予報だったので、本日は当初、野付半島(→2022.8.2)へのリヴェンジをやるつもりだった。
しかしトドワラ号を運行している阿寒バスの公式サイトを見ていたら、別海町の観光船には欠航日が存在し、
それが今週末ときれいにバッティングすることが発覚。それでは3年前と同じ中途半端さになってしまうではないか。
まあ中標津には日本の都市公園100選のゆめの森公園があるし、羅臼神社のシャチ御守が効くというネット記事を見たし、
それらをまとめて別の機会で訪問する計画を立てられないこともない。涙を呑んで今回はスルーとしておくのだ。
となると、スライド登板で決行するのは同じく3年前のリヴェンジ、摩周湖と屈斜路湖で決まりだ(→2022.8.3)。
半日だけで済ませようとした前回と違い、今回は朝から夕方までしっかりと使って、より完成度を高めた旅とするのだ。

今日も絶好の晴天が期待できるということで、鼻息荒く釧路駅へ向かう。釧網本線に揺られて30分、降り立ったのは塘路駅。
駅舎のベンチでセイコーマートのおにぎりをいただいていると、中にある喫茶店のご主人がオープンの準備を始めた。
このお店ではレンタサイクルの貸し出しもしているので、少し早めだがお願いすると、快く応じていただけた。
おかげでだいぶ効率よく釧路湿原の展望台をまわることができる。そう、今回のリヴェンジでは、釧路湿原でも動くのだ。
なんとかしてタンチョウヅルを見てやろうというわけだ。熊除けの鈴も貸していただいて、いざ出発である。

  
L: 後で撮った塘路駅。中にある喫茶店「ノロッコ&8001」は鉄道ファンにはたまらない凝った内装なのだ(でも撮影はNG)。
C: 釧網本線と並走する国道391号を北上。展望台を目指して爆走する。  R: ……と、何やら動物が飛び出してきた。

国道391号を走っていると、前方に草むらから動物が飛び出した。ネコかと思ったが、近づいてみると……なんとキツネ!
脚と耳の先が黒いのでキタキツネだが、キツネじたい見るのは初めてである。いや、これはまったく予想外の邂逅だ。
適度に距離をとりつつデジカメで撮っていく。キタキツネは道端に落ちているペットボトルやプラスチックのカップなど、
人間の出したゴミをチェックする。なるほど人間には直接近づかないものの、ゴミにはかなり積極的に反応している。
キタキツネといえばエキノコックスがたいへんヤバいわけだが、このように人間の生活圏に入ってくるのであれば、
けっこう深刻なことになりかねないんじゃないかと思う。まあお互いがんばっていこうや、とキツネと別れる。

  
L: 人間の捨てたペットボトルとキタキツネ。  C: 道路を横断。  R: プラスチックのカップに反応する。

 最後に決定的な一枚。警戒してか、こちらを直視することはないのであった。

いきなりの僥倖に興奮が冷めない中、釧網本線を渡って道道1060号線に入る。道道のくせに砂利道なのだ。
いったん釧路川の右岸まで行くが、特に眺めのいい要素もないようなので、戻って二本松展望地へと急坂を上がる。
意外とハエが多く、途中に哺乳類の糞がもりっと落ちていた。後日エゾシカだろうと判断できたが、怖かったですなあ。

  
L: 道道1060号線。北半分は舗装されているらしいが、湿原を突っ切る南半分はご覧のとおり砂利道となっている。
C: 二本松展望地への道。砂の露出している急坂を上っていく。なかなか大変。  R: 展望地にあった2級基準点。

二本松展望地という案内が出ているわけではないのでスマホを片手にここだろうと登っていったのだが、
いざ頂上に着いてみるとなかなかの絶景。静かに流れる釧路川の向こうには原野が果てしなく広がっている。
平地でこれだけのスケール感というのは、まさに北海道ならではだろう。僕はいま、北海道にいるのだ!


二本松展望地から眺める広大な原野。地平線の辺りが釧路湿原となるのかな。

砂利道を爆走する帰り道、頭上を鳥が飛んでいくのに気がついた。白だけでなく、黒い部分が見える。
となると、タンチョウヅルだ! 慌ててデジカメを取り出して構えるが、遠すぎて鮮明な写真は撮れない。

 意地で撮ったタンチョウヅル。デジカメ的にこれが限界。

国道391号に戻ると、今度はまた別の展望台を目指す。塘路湖の西端を北にまわり込むと、そこが入口なのだ。
まずは西側にあるサルルントーを眺めることができるサルルン展望台を目指す。林の中はわりと日が当たって明るいが、
だからといって危険がないわけではないので熊除けの鈴を鳴らして歩く。鈴の音はよく通って、かなり勇気づけられる。

 
L: サルルン展望台への道。起伏は無茶ではないけどそこそこある。  R: 展望台が見えてきた。

サルルン展望台からはいかにも湿原らしい湖沼を眺めることができる。手前にあるのがサルルントーという沼で、
その先にポントー、エオルトーが見える。左手にはひときわ大きな湖があり、これが塘路湖。釧路湿原で最大の湖だ。
縄文海進の時代には釧路湿原は巨大な湾となっており、気温が低下しても湾口が土砂で堰き止められて水分が残り、
植物が泥炭化して湿原となったという経緯がある。だいぶ奥まっているけど、塘路湖はその名残の海跡湖なのだ。
サルルントー周辺はしっかり沼地なのでタンチョウヅル来ないかなあと期待していたが、やってきたのはサギばかり。

  
L: サルルン展望台からの眺め。手前からサルルントー、ポントー、エオルトーと沼が3つ並んでいる。左奥が塘路湖。
C: そのまま右を向く。さっきの二本松展望地はこっち方向。  R: 鳥がいる!ということで拡大したらアオサギ。

戻ってそのまま今度はサルボ展望台へ。こちらは木々が邪魔で見晴らしがよくないと喫茶店のご主人から聞いていたが、
分岐点から近いしせっかくなので寄ってみる。遊歩道はしっかり整備されていたが、展望台は確かに角度が限られて淋しい。

 
L: サルボ展望台。確かに木々がもっさり。  R: サルボ展望台からは塘路湖しか見えないのであった。

塘路駅に戻ってレンタサイクルを返却する。おかげで湿原の景色を存分に楽しむことができた。ありがとうございました。
キツネにも会えたしツルもいちおう撮った。釧路湿原探索を予定に入れておいてよかった、と思いつつ列車に乗り込む。

 ではいよいよ川湯温泉にリヴェンジするのだ!

ツルはいねぇがーと目を皿のようにして車窓からも観察するが、いるのはエゾシカばっかり。本当に多い。
しかし開けた草地と林との境界に、ごくたまーにひょろっと立っている白い棒があって、それがタンチョウヅルなのだ。
ツルだ!と思ってデジカメを構えても、距離を合わせてシャッターを切るまでに木々に邪魔されてチャンスを逃してしまう。
猛スピードで走る列車の窓からコンデジでピントを合わせて野生動物を撮ることは、流鏑馬よりも絶対に難しいと思う。
そんな厳しい状況の中で撮ったのが下の写真。これが限界である。よくがんばったオレ。オレ偉い。オレ大きい。

 
L: 意地で車窓から撮ったタンチョウヅル。  R: むしろ、このレヴェルで写真を撮れたことを誇りたい。本当に難しいのだ。

レールの鉄分を舐めに来るエゾシカどもを蹴散らしながら、列車は川湯温泉駅に到着する。
駅舎を出るとそのままレンタルバイクの手続きをして、準備完了。3年前(→2022.8.3)のリヴェンジを果たす時が来た!

  
L: 川湯温泉駅。1936年竣工の木造駅舎。右端が足湯。  C: 駅舎の中では旧事務室と貴賓室を改修してレストランが営業中。
R: 『いつかきっと弟子屈で』のキャラクター・弟子屈くん。実家は摩周メロン農家だと。右下にいる和琴ちゃんは妹だと。

  
L: 川湯温泉駅から眺めるアトサヌプリ(硫黄山)。  C: スクーター。ピンクの花柄がかわいいしわかりやすいしいいじゃないか。
R: 摩周湖に向けていざ出陣。3年前にはヤマゲラとの第三種接近遭遇があったが、今回は天気がよすぎたせいか動物は現れず。

3年前と同様、まずは交通量が少なめである摩周湖の方から攻める。今日は土曜日なので少々不安だったが、
第3展望台への道はいい具合にスカスカなのであった。あまりにも「霧の摩周湖」すぎた3年前と違い、すべてがくっきり。
いかにも高原なつづら折りの道路をアウトインアウトで上がっていくのは、自転車では絶対に味わえない爽快感だ。
やがて視界が広がると、アトサヌプリと川湯温泉周辺の農地という北海道らしい豪快な景色が飛び込んでくる。
自然と人工の対比がまたいいのだ。感動しているうちに第3展望台に到着。摩周湖の真の姿は、果たしてどんなものか。

  
L: いかにも高原な道路を行く。爽快感がたまらない。  C: アトサヌプリ。高さはないが、山肌が削られた迫力がすごい。
R: 路肩の駐車スペースから階段を駆け上がると第3展望台だ。もうこのアングルだけでカルデラ湖とわかりますな。

摩周湖は日本で最も透明度の高い湖であり、世界でもバイカル湖に次いで2番目となっている。
冷涼な気候で流入する河川も流出する河川もないので栄養分が少なく、隔絶された場所にあるので汚染も少ない。
晴れた日には「摩周ブルー」と呼ばれる深く鮮やかな青が楽しめるというが、今日はベストと言っていい条件である。
階段を駆け上がって湖面を見た瞬間、今まで目にしたことのない色が広がっていて茫然と立ち尽くしてしまった。


パノラマにしてみた第3展望台からの摩周湖。ちょっと言葉がない。

わざわざ! わざわざ3年前のリヴェンジをして正解だった。この摩周湖の本当の姿を知らないままでいるなんて、
どれだけもったいないことだったか。周りを固める緑もいいのだが、この特別な青にはただただ見蕩れるしかない。
「時よ止まれ、お前は美しい」は『ファウスト』にあるセリフだけど、最も美しい色が一瞬ではなくずっと続いている、
ずっとそこにあるという事実に、時間の概念が揺らぐ。美術作品と向きあったときのように、息を止めて見入ってしまう。

踏ん切りをつけて第3展望台を後にする。そのまま南下して今度は第1展望台へと向かう。3年前には断念した場所だ。
世間的にはこちらの方がメジャーであるようで、まず駐車場が有料(ただしアトサヌプリの駐車場と合わせての料金)。
そして展望台がそのまま摩周湖カムイテラスの屋上に接続している。バスでやってきた外国人観光客でごった返しており、
湖とは対照的にたいへん騒がしい。しかし「摩周ブルー」はやはり美しく、喧噪をものともせずに優雅にたたずむ。
また湖に浮かぶカムイシュ島が絶妙なアクセントとなっている。この島が幻想を現実に引き留めている感がある。


第1展望台からの摩周湖。青を木々が遮るのがちょっと残念。

第1展望台から下りて、摩周湖カムイテラスに入ってみる。2022年にオープンした観光施設で、土産物がかなり充実。
しかしこちとら制限時速30kmのスクーターなのでのんびりしているわけにもいかないのだ。そそくさと撤退する。

  
L: 摩周湖カムイテラスの屋上がそのまま第1展望台となっている。  C: 摩周湖カムイテラス。観光客でいっぱいだった。
R: 摩周湖から下りてきて弟子屈町の中心部へと向かう途中、あまりにも北海道らしい景色を見かけて思わず撮影。

国道391号に合流してわりとすぐのところに、弟子屈ラーメンの弟子屈総本店がある。食ったことないけど有名店なので、
お邪魔するのだ。メニューがなかなか豊富で迷ったのだが、地元の食材にこだわったという魚介しぼり醤油を選んでみた。
たいへん煮干し感のあるスープだが、雑味をほかの魚介がマイルドに覆っている印象である。麺も黄色のいかにも正統派で、
濃い味が好きな人はうれしいだろうと思うのであった。現代風の濃いめなんだけど、多様な出汁を感じるのでよいと思う。
しかし『ラーメン発見伝』(→2024.1.19/2024.3.18)を読んで以来、ラーメンを食うたびいろいろ考えるようになったな。

  
L: 弟子屈ラーメンの弟子屈総本店。こちらのセントラルキッチンで摩周湖の伏流水を使い、「3味のタレ」を仕込んでいるんだと。
C: 魚介しぼり醤油。こってり方面だが素材感十分。楽しくいただいた。  R: 弟子屈町の中心部。仕舞屋が多くてスカスカ感あり。

釧路川の右岸に出て弟子屈町の中心部を軽くまわりつつ、弟子屈町役場へ。せっかくなので寄っておくのだ。
弟子屈町役場はエントランス向かいの植栽に石碑の形で定礎石が置いてあり、それによると竣工は1977年である。
ネットで調べたら設計は日本工房で、2010年に耐震改修が行われている。北に公民館がくっついており、東には図書館。
面積に余裕があるからか、これらの公共施設で敷地入口を囲むように配置して、斜めにアプローチさせるのが独特だ。

  
L: 弟子屈町役場。  C: 北にくっついている公民館。参議院選挙の期日前投票会場となっていた。
R: 弟子屈町役場の庁舎。敷地の北東に大きめの駐車場を用意し、そこから斜めにアプローチさせるのが独特。

  
L: 東側から見たところ。  C: 裏にまわり込んで南西から見た背面と側面。  R: 役場の東にある図書館。

役場を一周して撮影すると、弟子屈神社に参拝する。弟子屈町の中心部は釧路川と鐺別川が合流する手前にあるが、
矩形に整備された街路の西端に弟子屈神社は鎮座している。高低差はあまりないが、街を眺める位置関係というわけだ。
なお弟子屈は硫黄の採掘により1880年代に街ができたが、資源が枯渇してしまい一度は空白状態となったそうだ。
その後、御料農地となって札幌農学校出身の小田切栄三郎が着任すると、1899(明治32)年に富山県民を入植させる。
これが現在に直接つながる弟子屈の歴史とのこと。そういうわけで富山由来の獅子舞を弟子屈神社に奉納しているそうだ。

  
L: 弟子屈神社の参道入口。市街地は密度が薄いわりに緑が少ないが、その分こっちがモッサモサになっている感じである。
C: 参道を行く。かつてはこんな感じの木々が一帯を覆っていたのだろう。  R: 拝殿。いかにも北海道的統一感(→2024.7.5)。

 本殿を覗き込む。

社務所で無事に御守を頂戴できたので、いよいよ屈斜路湖に向かうのだ。3年前(→2022.8.3)のリヴェンジを果たすぜ!
交通量の少ない方がうれしいので、国道ではなくあえて西側の道道717号を走る。まあすぐに国道243号に合流するのだが。
国道にスイッチしても3年前の平日と交通量はあまり差がない印象で、まったくストレスを感じることなくひた走る。

 
L: 国道243号を行く。道はほぼまっすぐ、交通量は多くない、スクーターで風を感じるには最高の道である。
R: 途中でカルデラの外輪山(西)側を眺める。複数の川が土砂を散らして畑がつくられている。こちらはソバですな。

川湯温泉方面への分岐を一切無視して進んでいくと、屈斜路湖の西側へと入る。そして案内に従って東に入り、和琴半島へ。
3年前にも訪れているが、和琴半島は屈斜路湖の中の陸繋島である。すぐ東に河口がある尾札部川が扇状地を形成し、
その土砂が流されて湖中島とつながったわけだ。地理の授業的にはカルデラ湖の陸繋島というたいへん面白いネタなのだ。


和琴半島。今回はばっちりカルデラ感のあるパノラマ写真をつくることができた!

さらに和琴半島の西側にまわり込んでみると、湖岸の砂浜が湖水浴場となっいた。カヌーやらサップやら、
そういうリゾート感のあるアクティヴィティが定着しているようだ。そしてもうひとつ特徴的なのが、温泉。
和琴半島の陸繋砂州のど真ん中には温泉が湧き出しており、露天風呂が存在するのだ。その名もズバリ、和琴温泉。
ただ、入るにはちょっと勇気がいる感じ。周囲の視線もそうだが、もうちょっとお湯に清潔感が欲しいところである。
とりあえず手だけ浸けてみたのだが、なかなかきちんとした温度だった。さすがのカルデラ湖だなあと思う。

  
L: 和琴半島の湖水浴場。  C: そのすぐ近くに和琴温泉の露天風呂。  R: 泡が出ていてお湯が湧き出しているのがわかる。

和琴半島の次は、いったん屈斜路湖から離れる方向で山の中へと入っていく。3年前に諦めた津別峠の展望台に向かう。
道の雰囲気としてはしっかり高原という印象。車だとあっさりかもしれないが、スクーターだとなかなか大変な勾配だ。

 津別峠へと向かう道。わりと急に標高が上がるのでなかなかの勾配である。

15分くらい格闘して展望台に到着するが、津別峠から展望台に入る道が意外と長く、また勾配も急で手間がかかった。
まあその分、帰りは楽になるのだが。で、展望台は西洋の城の要素を持たせたキッチュな仕上がり。思わず腰が砕ける。
さらによく見たらエゾシカが1頭、闊歩していた。近づいたら崖を下りて逃げていった。鵯越の逆落としですかな。

  
L: 津別峠の展望台。うん……。  C: 展望台の上から見た屈斜路湖。下界は湿度が高いので、ちょっとぼやけている。
R: 和琴半島を拡大してみる。なんともオタマジャクシ感のある姿である。しかし湖でも陸繋島ができるのはすごいよなあ。


津別峠展望台からの眺めをパノラマにしてみた。屈斜路湖をできるだけ高いところから見るとなるとここか。

 屈斜路湖の反対側には雄阿寒岳(左)と雌阿寒岳(右)。明日はそっちに行くぜ。

エンジンブレーキ全開で下っていき、国道243号に復帰する。北上を再開するが、ここからは完全なる一本道で、
外輪山の内側をじっくり上がっていく。3年前には雨との格闘だったので周囲の景色はまったく見えなかったが、
標高が上がると先ほどの摩周湖同様、森林限界を超えて青空と鮮やかな黄緑の世界となり、格別な爽快感が味わえる。
そうして最後のヘアピンカーヴを曲がると美幌峠に到着である。やはりこちらも観光客でいっぱい。ライダーも多い。

  
L: 美幌峠へと向かう国道243号。森林限界が近づいて鮮やかな黄緑色が主役となり、思わずうっとりしてしまう。
C: 道の駅 ぐるっとパノラマ美幌峠。左手に展望台への入口があるが、建物の2階からも展望台の方へ出ることができる。
R: 美幌峠の展望台。入口からは意外と距離があるが、その分だけいい条件で屈斜路湖を眺めることができるのだ。

3年前には叶わなかった、美幌峠の展望台からの景色。満を持して見た光景は、それはもう言葉にならない絶景だった。
まず屈斜路カルデラは日本最大で(2番目が阿蘇(→2008.4.292015.8.21)で3番目が姶良(→2009.1.62024.3.9))、
それを外輪山の際から実感できるという感動。そして屈斜路湖は日本で最大のカルデラ湖である。これも、一望できる。
何より、中島(これも日本で最大の湖中島である)の神秘的な姿。かつて峠を越えたであろうアイヌの人々の感動を想う。
また、松浦武四郎もこの景色を見たのだろうか。摩周湖の時間は静止していたが、屈斜路湖は時間を超えた通時態の美しさだ。

けっこうな時間、絶景を眺めて過ごす。今回のリヴェンジ旅行を企画して本当によかった。摩周湖にしろ屈斜路湖にしろ、
本当の姿はこうなっていたのか!という感覚がなんともうれしくて、でも3年前に味わえなかったことがたいへん切なくて、
だけどやっぱりうれしい。この景色を見たことで、僕は救われたのだ。真実を目にした、その感動を忘れることはないだろう。

  
L: 屈斜路湖の反対側は一面の草地。  C: あらためて眺める屈斜路湖と中島。最後に1枚の写真でベストを狙ってみた。
R: 熊笹ソフトをいただいた。風味としてはヨモギ方面で、抹茶とは違う和風の魅力をあらためて感じるのであった。

このまま屈斜路湖の北側を東へ抜けられるといいのだが、そこはカルデラ、そう簡単に通してはくれないのだ。
バカ正直に来た道を戻って屈斜路湖の南側まで行くしかないのである。そうしてさっきスルーした川湯温泉方面の道へ。
アトサヌプリを見るためには湖岸に沿うよりも美留和駅経由でまわり込む方が若干早いようなので、そのように動く。
そうして川湯温泉駅を尻目に白樺の生い茂る道を抜けると、広大な駐車場に出る。摩周湖第1展望台の駐車券を取り出し、
スクーターを駐めると奥から上っている煙を目指して歩いていく。アスファルトは月面のような砂と岩へと切り替わり、
さらに進んでいくとガスに包まれた岩場となる。立入禁止の柵があるものの、その手前にも硫黄まみれの噴気孔があった。
恐山も似たような岩場があちこちにあったが(→2017.6.24)、柵の奥に巨大な硫黄の塊がいくつもあるのがさすがだ。
アトサヌプリは「日本一近づける噴気孔」を標榜しており、硫黄に加えて独特の薬品臭さが感じられるほど勢いがすごい。

  
L: アトサヌプリ(硫黄山)。アイヌ語で「裸の山」という意味。かつて硫黄を採掘した現場だからか、駐車場がたいへん広い。
C: 月面のような岩場を歩いて噴気孔に近づいていく。確かにこの規模の噴気孔にはそうそう近づけない。  R: 柵の内側の噴気孔。

  
L: 柵のギリギリから眺める硫黄の塊。  C: たいへんフォトジェニックである。  R: 振り返って眺める。雄大だなあ。

 2023年にリニューアルした硫黄山MOKMOKベース。こちらも土産物がかなり充実。

あとは川湯温泉に入るだけなのだ。3年前には午前中しか滞在しなかったので入れなかったが、今回は温泉で締めるのだ。
欣喜湯という温泉旅館が規模が大きくていいらしいので、お邪魔する。お湯は実に正しい硫黄泉で、疲れが吹っ飛んだ。

 風呂上がりの瓶コーラまで含めて完璧なのであった。

駅に戻る前に川湯神社に参拝しておく。手水は水のかわりに温泉が出ているのがさすがなのであった。
境内の土俵が立派なのも大鵬の故郷だからだろう。御守はなかったが、最高のリヴェンジができたことを感謝する。

  
L: 川湯神社。境内がたいへん広く、何かしらイヴェントで使われそうな雰囲気。  C: 拝殿。  R: 本殿。

スクーターにガソリンを入れると国道391号をヴィクトリーラン。返却作業を済ませると、やってきた列車に乗り込む。
乗ったのは僕ひとりだったのだが、登山リュックの大量の白人が小銭で下車して、いったい何ごと?と首を傾げる。
列車はボックスシートを有料化しており、JR北海道はそんな浅ましいマネをしなくちゃならんほど財政難なのか、と呆れた。

2時間弱で釧路に戻ってくるが、着いたらパーカーでもちょっと寒いくらい。ポケットに手を入れないとイヤな感じである。
そのまま繁華街で釧路ラーメンをいただく。今回チョイスしたのは蝶ネクタイの気のいいおじいちゃんが切り盛りする店で、
あっさりスープがいくらでも飲めるし、実際にスープの量が多めなのであった。縮れ細麺とマッチして落ち着く味である。
釧路は交通の要衝であり漁師の街なので、飲み屋の勢いがたいへんすごい。今回あらためて釧路ラーメンを食べてみて、
飲みの締めということで定着したラーメンなのだと理解した。夜の営業が遅めに始まり深夜までやっているからそうだわな。

 ラーメンたかはしの正油ラーメン大盛。

今回の摩周湖と屈斜路湖のスクーター旅・完全版は、もう言うことなしの完成度だ。完璧で最高なリヴェンジをありがとう。


2025.7.11 (Fri.)

なんせ夏の道東の天気は曇りがちなので、前乗り込みで「釧路に4泊」ということだけあらかじめ決めておいた。
で、一日分の旅程を4つ組んでおき、天気とにらめっこしながらいつどれを実行するか直前に選ぶ、というスタイルなのだ。
予報によると今日からしばらく晴天が続き、最終日の14日が曇りになるようだ。それで本日は、最優先の課題としていた、
根室リヴェンジを実行するのである。晴れた状況で納沙布岬に行き、この目で絶対に北方領土を見てやるのだ。

ありがたいことに宿は朝メシ付きで、卵かけご飯を主食に牛乳で締めるという理想的な朝食をいただくことができた。
万全の状態で宿を出るが、天気は曇りで長袖でも少々寒い。多少の不安を抱えつつ釧路駅方面のバスに乗り込む。
平日なので通勤・通学の乗客が多く、駅北口のバス停で下車する際に少々手間取った。地下通路で釧路駅に到着する。
実は今回の旅行が始まる前から、7日間連続で普通列車限定の北海道&東日本パスを利用していて、これが微妙に効く。
JR北海道だけだと元が取れない計算だが、都内の移動で使えるのがありがたい。まあ半ば意地で使い倒しているのだが。

8時21分の「地球探索鉄道号」が根室行きの始発である。13年前には8時台に根室に着く便があったのだが(→2012.8.18)、
今年のダイヤ改正でなくなってしまった。釧路発・根室行きのバスも壊滅的で、平日は午後に2便、土日は15時台のみ。
ふだん釧路-根室間はそんなに行き来がないのか。根室がそこまで極端な陸の孤島となっているとは思わなかった。
本数を絞ったせいか、いざ乗り込むと花咲線はなかなかの乗客数である。そしてそれ以上に多いのがエゾシカだ。
うじゃうじゃいる。群れているのがふつうだが、厚岸までの森林区間では30秒に1頭以上の密度だったと思う。
さらには列車が実際にシカと衝突しやがった。ものの2〜3分で復帰するのが慣れている感。日常茶飯事なんだなあ。

  
L: 地球探索鉄道号。そういう名前を付けることでか一部を指定席化している。しかしよくわからん名前である。
C: 厚岸の手前。今日も北海道の沿岸部は昆布を干している。  R: 厚岸周辺の湿原地帯。前回も圧倒されたなあ。

厚岸町の次は浜中町である。浜中町といえば、なんといってもモンキー・パンチ。町内にある茶内・浜中・姉別の3駅は、
どれもルパン仕様となっていた。そういえばこないだ、『ルパン三世』はイタリアで大人気というネットの記事を見た。
日本のアニメがすごいのは、多種多様な作品がある中、必ずどこかの国でバカウケになるものがあることではなかろうか。

  
L: 茶内駅にて。「あ〜らら、ぜーにがたのとっつぁ〜ん」……それにしても、なんでそんな恰好をしているのだ?
C: 浜中駅のルパン三世。13年前と比べてめちゃくちゃ色褪せている。  R: 姉別駅もルパン仕様。中に不二子ちゃんがいる。

厚床から別当賀の間か、ツルがたたずんでいた。端っこのところでじっとしているので、なかなか撮るのが難しい。
根室市域に入ったあたりですっかり青空となり、落石海岸の海の青さが眩しい。が、柵が邪魔で撮影できなかった。
今年3月に廃止になった東根室駅跡がどの辺なのかよくわからないうちに、最東端に戻った根室駅に到着である。

  
L: 根室駅。東根室駅の廃止により64年ぶりに最東端の駅に戻った。  C: アピールに余念がないご様子。
R: 根室駅前バスターミナル。中には観光協会のほか、品揃えがけっこう充実している土産物店もある。

バスターミナル内の根室市観光協会でレンタサイクルを借りる。さすがに自転車で納沙布岬まで行くのは無謀だが、
前回の根室市内徘徊では根室金刀比羅神社までは行かなかった。おそらく最東端の御守となるはずなので、頂戴せねば。

  
L: 根室駅前から国道44号に出て、駅方向を振り返ったところ。さすがの北海道らしく、根室の道幅は全般的に広め。
C: 案内標識にキリル文字。  R: 上から釧路、厚岸、厚床、根室駅。いちばん下はインフォメーションセンター。読めるか!

さて時刻は11時でお昼時。根室には三大B級グルメが存在するが、最も有名なエスカロップは前回食った(→2012.8.18)。
今回は同じくどりあんでオリエンタルライスをいただくのだ! 市役所脇から坂を下って突撃する。相変わらずオシャレ。

  
L: どりあんの外観。  C,R: 店内はとにかくめちゃくちゃオシャレ。根室の文化レヴェルを一気に引き上げている存在では。

では待望のオリエンタルライスをいただくのだ。基本的にはドライカレーだけど薄くして全体を醤油味に仕上げており、
これが絶妙な力加減なのである。なるほど、カレーと醤油のいいとこ取りで「オリエンタル」ということか、と納得。
そこにハラミ肉とデミグラスソースが乗っかって、洋食としての体裁が整えられる。そしてキャベツのみずみずしさよ。
地方の名物では意外な要素を合体させたものがみられるが、オリエンタルライスはまさにシナジー効果を体現した名物。
エスカロップ以上に家で自作するのが面白そうな料理である。日本化された洋食文化という点でも興味深い事例だろう。

 どりあんでオリエンタルライスを食いたいという野望を13年ぶりに達成。

感動で震えつつ自転車にまたがると、金刀比羅神社を目指して坂と戦うのであった。根室は駅と国道が台地上なのに対し、
昔ながらの市街地は港側なので低地にある。したがって、無理に移動するとかなりの高低差を行き来することになるのだ。
今日は風がやんで天気がいいので、長袖でちょうど適温。でも日が陰るとしっかり寒い。午後は暖かくなりそうだが。
まあ自転車で走りまわるには好都合である。それにしても交通の便が悪くなった根室の街中は、活気がないわけではなく、
むしろ前回より賑わっている気がするような。平日なのに観光客はちょぼちょぼいるし、車の交通量はそれなりだ。

 根室は全体的に間延びした街なので、商店街としての密度はだいぶ薄め。

駅から根室金刀比羅神社までは2.5kmほどで、徒歩だと面倒くさい距離だが、自転車だとあっという間に到着である。
ゴローニン事件を解決した高田屋嘉兵衛が讃岐の金刀比羅宮(→2007.10.52011.7.17/2022.7.16)から勧請し、
1806(文化3)年に創建された。根室港を見下ろす位置に鎮座しており、かつてはこちらが中心だったことがよくわかる。
そういえばラクスマンが来航したのも根室の港だった。1931年にはリンドバーグが奥さんを連れて飛んできたそうだ。

  
L: 根室金刀比羅神社の参道入口。  C: 参道は大きくカーヴして北へとまわり込む。後から表参道が付け替えられたのだろう。
R: 根室港を見下ろす展望台が2つあるのだが、参道脇のものには大漁旗が掲げられている。漁港の街・根室の矜持が窺える。

  
L: 参道で270°まわり込んで、やっと二の鳥居にたどり着く。なお、現在地に遷座したのは1881(明治14)年のこと。
C: 正神門。1960年築で、寄進者の姓と名から「佐重門」と名付けられた。  R: くぐって拝殿。現在の社殿は1942年の竣工。

  
L: 拝殿の向かって右にくっついているこちらが社殿への入口だと。  C: 西神門から出ると高田屋嘉兵衛の銅像。1986年建立。
R: 銅像側の展望台から見た景色。弁天島に市杵島神社が鎮座しているのが見える。日本でいちばん早い夕日が見られるそうだ。

社務所には神輿殿・お祭り資料館が併設されており、御守を頂戴する際に見学させていただいた。
例大祭で担いで練り歩くという御神輿が誇らしげに展示されているほか、実際に高田屋嘉兵衛の店で使った袢纏、
さらにかつて北方領土にあった神社の写真、また北方領土から奉遷した神社の紹介などが展示されていた。

  
L: 1935年にわざわざ京都でつくったという御神輿。  C: 高田屋の印袢纏。  R: 現在も例大祭で使用する猿田彦の装束。

さて根室金刀比羅神社に来たらぜひやっておきたかったのが、えぞみくじ。7年前に樽前山神社(→2018.7.21)で、
「北海道ご当地みくじシリーズ」の存在を知ったのだが、これがさらに増えて「えぞみくじ」となっているのだ。
今年はなんと15社で展開中。まあそれなりの規模の神社ということで、御守集めのいい基準になるのでありがたいが。
根室はサンマということでかなり凝っていて、ミニチュアの発泡スチロールケースから釣り上げるというコンセプト。

 
L: 根室金刀比羅神社は「福ざんまいみくじ」である。サンマがテーマということで「福ザンマい」なのね。
R: 釣り上げたら結果は「吉」。解説が北海道弁だが、語尾を「〜だべさ」「〜っしょ」にすればいいんでないかい。

御守を頂戴すると、かなり強烈な坂を上って明治公園へと向かう。低地の漁港から高台の官営牧場跡地へ移動するわけで、
歴史を大いに感じて上がる。もちろん13年前にも訪れたが(→2012.8.18)、天気もいいのであらためて撮影してまわる。

  
L: 明治公園の北西端・ひょうたん池。カモメがいっぱい。  C: こちらが正門かな。  R: 国登録有形文化財のサイロ三兄弟。

そのまままっすぐ国道44号に戻って根室市役所へ。根室市役所は昨年5月に開業したばかり。旧庁舎の隣に建てて、
まさにその旧庁舎の解体工事が終わろうというタイミング。おかげで撮影できるアングルが南側からに限られてしまい、
少々残念である。まあそのおかげで仮囲いに貼り付けられた旧庁舎の写真を見ることができたので、ヨシとしておこう。
なお設計者は公募型プロポーザルによって選定されており、大建設計札幌事務所が最優秀となった。

  
L: 根室市役所を正面の西から撮影。タッチの差で旧庁舎の解体工事が終わりきっていなかった。これはちょっと無念。
C: 南西から。駐車場が足りないので車がいっぱい。  R: 国道44号を挟んでやはり南西から全体を眺めたところ。

  
L: 敷地の端にある、輸送艦ねむろの主錨。1977年に進水しているので僕と同い年だ。2005年に除籍となった。
C: 北方領土や姉妹都市などを示しているけど、花咲ガニのインパクトが強くて。  R: 根室市役所の側面、南側。

  
L: 南東から見たところ。  C: ファサードは表側と共通。  R: 北東から。ここはかなり強烈な坂になっているのだ。

平日なので中に入ってみる。エントランスはだいたい真ん中にありそのままエントランスホールとなっていて、
北側が防災ギャラリー(ふるさとギャラリー)となっている。参議院選挙の期日前投票の会場として利用されていた。
市街地を見下ろす4階北側も市民交流サロン(防災啓発コーナー)として開放されているようだが、気づかなかった。

  
L: 1階のエントランスホール。  C: 銅板を大胆に使ったパブリックアートが貼り付いている。  R: 南側の窓口エリア。

 
L,R: 解体工事の仮囲いに貼り付けられた旧庁舎の写真。先代の市庁舎は13年前のログを参照なのだ(→2012.8.18)。

これでいちおう、市街地でやらなくちゃいけないことは完了である。納沙布岬行きのバスまでは少し時間があるので、
せっかく根室に来ているんだから花咲ガニを食っておかねばなるまい。というわけで、回転寿司根室花まるの根室店へ。
さっきオリエンタルライスを食っているので、花咲ガニともう一品ということで時知らずをいただいたのであった。
本当は根室名物のさんまロール寿司も食べたかったのだが、秋の刀の魚なのでまだシーズンではないのである。

  
L: 回転寿司根室花まる・根室店。平日昼なのに大賑わい。  C: 時知らず。  R: 花咲ガニ。ただただおいしゅうございました。

レンタサイクルを返却すると、納沙布岬行きのバスに乗り込んだ。13年前にはバスが岬に向かって進んでいくにつれ、
みるみる霧に包まれていった。今日はそんなことないようにと祈りながら揺られるが、最後の最後まですっきり晴天。

  
L: 納沙布岬へと向かう道道35号線。  C: 北海道らしい豪快な景色である。  R: 珸瑤瑁の集落。納沙布岬はすぐそこだ。

バスは遅れることなく納沙布岬に到着。すべてが霧の中だった前回と違い、何から何まですっきり見渡せて逆に違和感。
実際にはこうなっていたのか……と、360°ぐるぐる眺めながら覚束ない足取りで歩きだす僕なのであった。

  
L: バスが納沙布岬に到着。放り出されて途方に暮れる。  C: 北側の望郷の岬公園へとりあえず向かう。
R: 13年前にも見た「四島(しま)のかけはし」。このモニュメントがすっきり見えることにまず感動である。

  
L: 寛政の蜂起和人殉難墓碑。クナシリ・メナシの戦い(船戸与一『蝦夷地別件』→2013.4.6)で殺された和人の墓碑。
C: 北方館・望郷の家。この施設がすっきり見えることにまず感動である。  R: 実はここ、納沙布岬の端っこではないのよね。

さて13年前の僕はスマホを持っていなかったので気づかなかったのだが(単に勉強不足なだけではあるのだが)、
各種モニュメントが並んでいるこの辺りは、実は納沙布岬の最東端ではなかったのだ。いくら霧がひどかったとはいえ、
そのことに気づかないまま13年も過ごしていたのである。今回スマホの地図を見て思わずのけぞってしまったではないか。
納沙布岬の最東端は、納沙布岬灯台のある場所。灯台の裏っ側に狭いけど展望スペースがあり、そこが最東端なのだ。
まあ本当の日本の最東端は南鳥島なんだけどな。自力でたどり着ける最東端は灯台の裏なので皆さん気をつけましょう。

  
L: 納沙布岬灯台。こちらが自力で行ける日本の最東端となります。  C,R: 納沙布岬灯台。現在の建物は1930年の竣工。


納沙布岬灯台の裏から見た光景。

眺めを堪能すると、各種モニュメントが並んでいる納沙布岬の中心部まで戻る。あらためてじっくり、北方領土を眺める。
霧がないとはっきり見えて、なんともやるせない気分になる。サハリンのときには海の間に国境を感じたが(→2010.8.11)、
こちらは日本の領土なのに外国が力づくで居座り続けている。行けるはずなのに、行けない場所。歪な線が引かれた海。

  
L: 後で夕方に撮影した北方領土。国後島の泊山か。  C: 国後島の羅臼山だと思う。これも夕方。  R: 歯舞群島の水晶島。

  
L: 水晶島をできるだけ拡大。建物があって、何とも言えない気分になる。  C: 貝殻島の灯台。中間ラインはこの手前。
R: 萌茂尻島(もえもしりとう)。灯台からはこちらの方角がわりときっちり東となる。それにしても高さがまったくない。

怒ったら腹が減ってきた。ここはひとつ、最東端のメシをいただこうではないか。スマホで最東端と思われる店に入り、
意地でもサンマを食いたかったのでトロサンマ丼を注文する。平日で昼のピークを過ぎた時間帯だったからか、
カニ汁をサーヴィスしていただいた。サンマは季節ではないけど脂が乗っていて、しっかり旨かったのであった。
落ち着いたところで土産物店の中に入るが、品数は多かったけど僕の琴線に触れるものはあまりなかったのが残念。
特にデザインのいいTシャツが売り切れていたのが痛かった。最東端をアピールするグッズは切らしちゃいかんですよ。

  
L: 望郷の岬公園の東側には土産物店がある。  C: トロサンマ丼。  R: カニ汁。どちらもたいへんおいしゅうございました。

バス停すぐ脇の根室市北方領土資料館に入ると、入場無料なのに日本本土の最東端破証明書をくれた。
これは日本本土の東西南北端でもらえるもので、4つ合わせると裏面が1枚の日本本土四極踏破証明書となるのだ。
一瞬、西(→2025.3.28)と南(→2025.3.29)でもらってねえぞと焦ったが、あくまで日本本土なので沖縄は含まない。
しかしそうなると西が佐世保の神崎鼻で、南が佐多岬。佐多岬については公共交通機関がないのでたいへんつらい。
証明書関係なく行ってみたい場所ではあるのだが。まあとにかく、野望だけは心の中で持っておくとするのだ。
で、根室市北方領土資料館は、戦前の北方領土の生活にスポットを当てた施設である。じっくり見ていく。

  
L: 根室市北方領土資料館。  C: いきなり体長4m、体重1トンのトド「トットくん」がお出迎え。  R: 北方領土の動物たち。

  
L: こちらは北方領土の海産物。  C: 色丹神社を再現。シロナガスクジラの骨を使用した鳥居が建てられていた。
R: 北方領土イメージキャラクターのエリカちゃん。モチーフはもちろんエトピリカ。本土では絶滅危機にある。

  
L: 資料閲覧コーナーはかなりの充実ぶり。  C: 北方領土の6村はふだん意識しないのでありがたい。なお歯舞群島は根室市。
R: 歯舞群島の多楽島で暮らしていた福澤さんの思い出の品々。2階にはこの他、北方四島それぞれの写真が多く展示されている。

 北方領土資料館の隣には最東端の公衆トイレ。花咲ガニがデザインのモチーフ。

ではそろそろ、もうひとつの目的地へと出発するのだ。その前に、現状最東端の神社である納沙布金刀比羅神社に参拝。
1915(大正4)年の創建とのこと。かなりきれいに整備されていて、根室金刀比羅神社がしっかり管理しているのがわかる。

  
L: 納沙布金刀比羅神社。  C: 拝殿。  R: 草が茂って本殿方面に近づけないので、距離をとって眺める。

参拝を終えると3kmほど歩いてヲンネモトチャシ跡を目指す。日本100名城の第1番は「根室半島チャシ跡群」だが、
ヲンネモトチャシ跡をその代表ということにして訪れるのだ。地形はほぼ平らなのでひたすらのんびり歩くだけ。
しかしありがたいことに天気がよすぎて眩しくってたまらない。おかげでレイバンが大活躍なのであった。
そりゃ東の端にいるんだから、行き先はぜんぶ西になる。夏の午後の日差しが眩しいに決まっているのだ。
レイバンがまったく似合わない日本人として正直、気恥ずかしさがあるのだが、いざ着けると視界をほぼ完璧に覆って、
その機能性に圧倒される。本当によくできているのである。レイバンは毎回かけるたびに感心してしまうなあ。

  
L: オーロラタワー(笹川記念平和の塔・望郷の塔)。1987年竣工で、新型コロナの影響を受けて2020年から休館となっている。
C: こんな道をひたすらトボトボ歩く。  R: アザミの花がたくさん咲いていた。東西の端に咲くとは逞しい(→2025.3.28)。

  
L: 最東端と思われるネコがいきなり現れた。地元の家で飼われているみたいだが、遊んでくれなかった。残念である。
C: 地平線。端っこなのに北海道は広大である。  R: 温根元地区の歯舞漁港付近で分岐。緑の中に家々が点在する。

温根元地区の集落を抜けるとヲンネモトチャシの入口となる。最短距離で右手に行くと一般の民家に入ってしまうので、
左の方からまわり込む。木はほとんど生えていないが土地に高低差があり、草が深いのでよくわからないまま進む感じ。
そうして納沙布岬灯台の裏にもあった野鳥観察舎(ハイド)で北から東へと方角が変わり、最後にハシゴが現れる。

  
L: ヲンネモトチャシの入口。ここから左にまわり込む。  C: 道を信じて進んでいく。  R: ハシゴを上ればゴールだ。

ハシゴを上るとそこは草に包まれた展望台のようになっていた。ここがヲンネモトチャシなのだ。
前も書いたとおり、チャシは「アイヌによる砦」と考えられているものの、実際はよくわかっていない(→2012.8.18)。
港を望む突端に築かれたチャシからの眺めはすばらしい。ここが漁業活動を指揮する拠点となっていたのだろう。


パノラマ写真をつくってみた。

ヲンネモトチャシはそれほど広くなく、城で言うなら、ちょっと大きめの天守台くらいのサイズであろう。
いろんな角度から港やチャシ自体を眺めて過ごす。漁港から船が出て、北の岩礁で何やら作業して、すぐ戻ってくる。
穏やかな日常の時間が流れているが、かつてのアイヌの人々はこちらでどう過ごしていたのか。何を思っていたのか。

  
L: ヲンネモトチャシの標柱。説明によると、盛り土してから平坦にしたそうだ。周りに7〜9世紀のオホーツク文化の遺跡がある。
C: チャシのいちばん突端から眺める景色。  R: 振り返ってチャシ全体を眺める。歴史の謎を残して、時間がただ流れていく。

そういえば、北海道大学で非常に危険なバイカルハナウド(ジャイアント・ホグウィード)が見つかった、と騒いでいるが、
北海道にはあちこちで似たような姿の花が咲いている。調べてみたらオオハナウドで、こちらは食用になる草である。
バイカルハナウドは4m以上とドデカいし、茎も毒々しい斑点があるのでぜんぜん違うけど、ちょっとドキッとしますな。

 オオハナウド。本当にそこらじゅうで咲いている。

歩いて納沙布岬まで戻る。のんびり望郷の岬公園を散歩し、17時を過ぎるとバス停近くで呆けて過ごす。
やがて根室駅前行きのバスが来たので乗り込むと、海沿いの集落を確かめるように戻って根室の中心部へと入っていく。
しかし僕は市立病院前のバス停で下車する。根室の三大B級グルメ、最後に残ったスタミナライスをいただくのだ。
根室商工会議所の1階に入っているレストラン、ニューかおりがスタミナライス発祥の店ということで突撃する。

 ニューかおりのスタミナライス。

スタミナライスという名前なので、スタ丼育ちの僕としてはニンニク全開な味を想像せずにはいられないのだが、
実態はご飯にトンカツとあんかけのない八宝菜を盛りつけたような料理なのであった。フォークで食うけど中華丼っぽく、
なんともドッチラケ感があった。店内はきちんとオシャレなレストランなのに、なぜこの手の料理が出てくるのか疑問。
もちろんまずくはないのだが、最後まで違和感が抜けなかったなあ。あと、出てくるのが予想外に遅くて少し焦った。
それにしても根室のグルメはすごいものだ。三大B級グルメに寿司をはじめとする海の幸もたいへん豊富である。
気づけば今日は一日5食なのであった(朝はセイコーマートの山わさびおにぎり)。根室に観光客が来るのも納得だ。
ひねくれた考え方をすれば、根室の観光資源は北方領土を奪われているからこその最東端、ということになる。
しかしこれだけ食が充実していると、それでもう十分に強い。根室は逞しくマイペースに客を呼び続けるのだろう。

 最東端の最果て光景。看板がしれっと「日本最東端の駅」に替わっている。

19時ちょい前に根室を出た列車は、3時間近くかけて釧路へ。まずは初日、究極の晴れをありがとうございました。


2025.7.10 (Thu.)

テストの採点やらレポートのチェックやら模擬投票やらクラスの事務やらであまりにも忙しい。
落ち着いてものを考える時間が欲しいけど、そんな余裕がないままで切れ目なく仕事をこなしていく。
そんな中、今夜から泊まる予定の宿から電話があり、手違いで今夜だけダメという話を聞かされる。
慌てて宿を探したところ、駅からは遠いがバスでアクセスできる宿が少し安くなっていてどうにか確保。
やや混乱状態のまま職場を後にすると、羽田空港へと向かう。南武線が10分遅れるというおまけつきだが無事に到着。

羽田空港を離陸する便はだいぶ混雑しているようで、頻繁に遅れや搭乗口変更のアナウンスが入る。
わが釧路便は特に何もないようだったが、乗り込んだところで混雑の影響を受けて待たされるのであった。
混雑は積乱雲が発達しているのが原因らしい。少しの遅れて離陸できたのは、だいぶ運がいい方だと思っておく。

釧路空港には10分遅れで着陸。雲が分厚かったが、うっすら雨が降っているのであった。
そういえば釧路の曇りは基本、霧雨含みだったな、と思いだした(→2022.8.3)。夏だしこんなもんか。
さて釧路駅行きのバスは飛行機が着陸してから15分くらいで出るのだが、宿を変更したので晩メシの確保が問題だ。
するっと空港のレストランでいただいて、1時間ほど後の最終便に乗ることにする。鮭たたき丼おいしゅうございました。

 鮭たたき丼。脂の乗り具合が最高なのだ。

テンポよくメシが食えたのでバス乗り場に行ってみたら、当初予定していた便にあっさり乗れちゃったのであった。
しかも宿は空港からだと釧路駅よりも手前となる鳥取地区だったので、途中で降りてすっきりチェックイン完了。
大浴場を独り占めして大いに癒やされる。振り返ってみると、トラブルが続いたわりには大ごとにならず、
めちゃくちゃ要領よく動いていた気がする。波乱に満ちた旅のスタートと思いきや、実は絶好調ではないのか。

部屋に戻ってニュースを見て、関東の大雨のニュースに驚愕する。羽田空港もギリギリセーフのタイミングだったようだ。
冷静に考えると釧路着の最終便が遅れたり飛ばなかったりする可能性もあったのだ。バスがどうなっていたかわからない。
危機を回避しただけでなく存分に楽しませてもらっているが、職場を出たところからずっと悪運強すぎだったのか。

羽賀が卒業で引退とネットニュースで知る。ついにこの日が来たか。お疲れ様でした。ケーキ屋やるんかな。


2025.7.9 (Wed.)

『トラック野郎 御意見無用』。記念すべきシリーズ1作目。池袋の新文芸坐で特集していると知って、慌てて行ってきた。

 ポスター。楽しそう。

ストーリーがこなれていない、というのが第一印象である。勢いはすごいんだけど、わりと勢いだけではないかと。
カーチェイス、ケンカ、恋愛、人探し、祭りの記録、下ネタ、さらにはBL、いろんな要素が消化されないままごった煮。
最後に泥だらけのジョナサン号を牽引しているのも謎である。むしろ2作目(→2025.6.8)のデキの良さがよくわかった。
いいかげんな時代のいいかげんな映画だが、まあわざといいかげんにつくっているのだが、だからこその面白さはある。
まさに大衆娯楽映画なのだ。欲望に忠実に振り切っているという点において、最大多数の最大欲望を実現できている。
いろんな観客がそれぞれ観たいものをとことん盛り込んで、東映テイスト全開で吐き出した。そういえばこの映画、
同じ年に公開された『新幹線大爆破』(→2024.11.182025.5.17)の大コケを補って余りある利益をあげたのだが、
あらゆる要素を盛り込みまくっている点は共通している。当時の東映の「実力者が全力でバカをやる」姿勢が凄まじい。
ただ、菅原文太ということでか実録路線を過剰に意識している感じで、カメラがやたらとブレるのは勘弁してほしい。

さて今回気がついたのは、トラック野郎はカスタム機のパイロットであるということ。
桃次郎の一番星号が1号機、ジョナサン号が2号機というわけだ。デコトラはロボットアニメの要素をうっすら含んでいる。
拡声器でやりとりする様子はまさにその感じ。子どもに受ける要素からアダルトな要素まで本当にごった煮の映画なのだ。

それにしても、『新幹線大爆破』でも使われていた、明朝体を強烈にしたあの書体が欲しいのだが。売ってくれんかなあ。


2025.7.8 (Tue.)

今井正監督作品、『米』。

結論から言うと、この監督に映画の才能はないと思う。自己満足の映像をつくるけど、それは決して他人向けではない。
確かに霞ヶ浦の映像はきれいである。帆引き船(→2018.11.21)や農地や祭りのシーンは美しく、記録のセンスはある。
でもそれだけ。この映画に戦後の貧しい田園風景の記録映像としての価値はあるが、物語をつくっていくセンスは皆無だ。
記録映像の上手さで勘違いしているんじゃないか。暗転の連発に、つながりのないシーンを平然と並べてしまう点など、
ストーリーテリングがクッソ下手。変にリアルさを優先していて、茨城弁で会話がわからないのも観客にはつらい部分だ。
死によるキャラクターの整理も安易である。キャラクターを殺すことは、育てる責任を飼い主が放棄することに等しい。
貧しさと困った性格から勝手に追い込まれていく姿を描いて、それだけ。逞しく生きる人たちを描く能力がないのである。
タイトルも言うほど「米」ではなく、付けるのに窮してシンプルなもので手を打った感じ。記録映像以外、粗しかない。

いちばん面白いのは、寝たきり父ちゃん役(砂の器の父ちゃん役)の加藤嘉が、娘役の中村雅子と結婚したって話。
この映画じたいについては、霞ヶ浦の帆引き船以外に見るべきものは何もない。本当に何もない。


2025.7.7 (Mon.)

『海賊八幡船』。八幡船は「ばはんせん」と読み、室町末期から安土桃山時代にかけて海賊や密貿易を行った船のこと。

 VHS化はされているけど、DVD化はされていない。理由はおそらく……。

いくら昭和がコンプライアンスという概念のまったくない時代とはいえ、冒頭から放送禁止用語の連発でしびれちゃうぜ。
「きちがい」「めくら」「土人」の三冠王。これはマサルが観たら大喜びなんじゃないか。そういう面白さは満載である。

しかし内容はたいへん残念。「めくら船」など用語の説明は一切ないままで進んでいき、話の流れがイマイチつかめない。
バトルは冗長であるうえ、肝心なところで暗くて見えない。慣れてくると展開はコテコテでその分、飽きを感じてしまう。
確かに特撮のデキはいいし、カラーだけど戦前のモノクロ映画の匂いを感じさせるような独特の雰囲気はある。
何より、大川橋蔵の映画を観た、と言える経験ができたのはうれしい。まあでもそれくらい。いかにも昭和のエンタメ。
みんな一生懸命やっているのにぜんぜん面白くならないのが変に面白い映画だ。壮大な空回り感を楽しむ映画ですかな。



2025.7.4 (Fri.)

午前十時の映画祭、『砂の器』。名作ということで気合いを入れて観たのだが、うーん。

まずはミステリ的な部分から。さすがに紙吹雪は無理がありすぎておかしいでしょうと呆れる。
さらに観ていて前半と後半にギャップがあって、話が飛んだ?と思っていたら、丹波哲郎の説明で橋渡しの種明かし。
出生の秘密をやられちゃうとねえ……。刑事は真実に迫れても、観客は迫れない。そのギャップがどうにももどかしい。
そして究極的にはすべてが病気のせいとなる。それで悪意の発生を抗いようのない悲劇として処理されても困ってしまう。

結局はこの映画、観客を泣かせるために病気を利用しているだけではないのか?
確かに泣けるし筋は通っているのだが、僕としては感動よりもその違和感、いや、怒りの方が圧倒的に上回った。
これを名作とは呼びたくない。これを名作と呼ぶと失礼になる人々がいる。もっと言うと、卑怯であるとしか思えない。
問答無用の社会問題を、たかがミステリの小道具のために持ち出す。娯楽のタネとしては釣り合いが取れない重さなのに。
本来であれば本腰を入れて掘り下げるべき問題を、「遊び」の材料として扱う思慮の浅さ。正直、橋本忍の神経を疑う。
この映画は、役者の熱演と音楽でぶん殴る映画でもある。そこに成功してしまっているのがまた、たいへんタチが悪い。

病気も親子の情も、ミステリはすべてを消費物にする。ミステリとは、実に品性下劣な消費社会に適応した娯楽である。
僕がミステリを嫌う理由についてはさんざん書いてきたが(→2005.8.242006.3.312006.5.192008.12.52012.7.10)、
もうひとつ、決定的な理由をここではっきり言語化できたことには素直に感謝したい。名作ではなく、性根の腐った作品。
ミステリはどんなに大切なものも、すべて消費物にしてしまう。そして責任をとらない。まことに品性下劣な娯楽である。


2025.7.3 (Thu.)

『ビー・バップ・ハイスクール』。マンガ原作で、世間的には仲村トオルをスターダムに押し上げた映画ってところか。

2000年ごろのモーニング娘。大好きっ子にとっては、『ピンチランナー』(→2001.4.112002.3.17)が大事件でして。
そして「監督は、あの『ビー・バップ・ハイスクール』で知られる青春映画の大御所・那須博之!」という扱いでして。
芸能ネタから長く離れて何も知らない僕としては、「ほう、そんな有名監督なのか」と素直に思っていたわけでして。
結果はご存知のとおり。那須監督はさらに『デビルマン』で揺るぎない地位を固めたわけでして(→2022.7.12)。
つまり『ビー・バップ・ハイスクール』は、日本史上最もダメな映画監督のひとりである那須博之が手がけた中で、
唯一評価されている作品と言っていい。いったいどこに褒める要素があるのか、探ってみようと思ったわけでして。

中身は東映ヤクザ映画と東映ヒーロー物のハイブリッドである。アクションの破天荒ぶりだけで評価されている映画だ。
電車のドアから川に飛び込むシーンが象徴的だが、ふつうじゃないことを実際にやっているからすごい、それだけ。
脚本もバカなら監督もバカで、その場のノリで印象的な画を撮りたいだけで、話をつくる能力がまったくもって皆無。
本物のヤンキーどもを鮮やかに使い捨て、リアルな映像に仕上げている。それだけで成り立たせている恐ろしさよ。
70年代からの遺産である映画の「偉さ」と、80年代の「ノリと勢い」、それが噛み合った記録映像としての価値はある。

役者陣についても書いておく。主役2人については、清水宏次朗の方が明らかに上手くて芸歴の差が如実に現れている。
でもその分「本物感」が出ちゃっているのが損。対照的に仲村トオルは下手さが現実のヤンキーとの差として解釈され、
得をしている印象。それにしても仲村トオルは今もぜんぜん変わらないのがすごい。まさに「ベビーフェイス」である。
ヒロインの中山美穂はもう亡くなっちゃったもんなあ……と思うと切ない。敵役は若き日の小沢仁志なんだけど、
成田三樹夫みたいでよかったよ。そんなわけで、結局のところ意図しなかった仲村トオルの一人勝ち、そういう映画。


2025.7.2 (Wed.)

AM編集部/じーこ『非モテの疑問に答える本』。

コミカルながらも自分を含めた非モテどもにしっかり現実を突きつけてよいではないか、というマンガ。
女性の論理的な思考をしっかり言語化して伝えているのが偉いと思う。そのうえでの指導がたいへん具体的である。
非モテからすれば、女性の視点はマスクデータに他ならないのだ。それをはっきり見せてもらえるのはありがたい。
2巻というヴォリュームもよいし、絵のヴァリエーションも楽しい。たいへん勉強になりました。


2025.7.1 (Tue.)

若尾文子映画祭、ラストは谷崎潤一郎原作の『卍』。監督は増村保造である。

観終わっての感想は「なんだこれギャグか?」である。まともなやつがいないんだから、そりゃギャグだ。
増村保造はギャグもできるんだなーと思うしかない。マジメにつくってコレとはさすがに信じたくない、ってレヴェル。

そもそもが、同性愛が云々かんぬん、という説明じたいが根本的に間違っているのである。
原作は知らんが、この映画はカリスマとカルトがテーマ。ヒロインによる最小単位のカルトの発生を描いているのだ。
同性愛は単にダシに使っているにすぎず、そこを強調するのは明らかに誤読である。おつむのデキがかなり単純な見方だ。
しかも岸田今日子演じる園子の語りで振り返る構成のため、ミステリ的要素が濃くなっているのがまたタチが悪い。
若尾文子演じる光子の魅力にみんなやられまくる話にしては、園子の立場を強調しすぎており、事態が客観的に見えない。
展開されるのは嘘だらけで、観客にしてみれば真実という基準が存在しない。ミステリのようで、ミステリにならない。
だから結局、何を描きたいのかがわからない。楊柳観音をもってきたことで、カルトの話として読むしかないのだ。
そうでないなら「バカ映画」として解釈するしかないだろう。バカなことを大真面目にやる。……やはりカルトなのだ。


diary 2025.6.

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