diary 2023.4.

diary 2023.5.


2023.4.30 (Sun.)

本日はソフトボール部の引率当番だが、天気が悪いことがもうわかりきっているけど、中止が決まるのは試合の当日。
だから中止になるとわかっていて6時前に家を出たのであった。正式に中止の連絡を受けたのは鷺沼に着いたタイミング。
ホームで朝食のおにぎりを頬張りつつ、しばし呆然とする。あれこれ考えた結果、東京国立近代美術館へ行くことに。
スマホでチケットを購入してから神保町のドトールで日記を書いて時間調整すると、歩いて竹橋へ。雨はやんでいた。

というわけで、東京国立近代美術館『東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密』である。
昨年大人気だった東京国立博物館の『国宝 東京国立博物館のすべて』(→2022.12.6)に対抗したのかはわからないが、
展示されている作品がぜんぶ重要文化財で人気があるみたい。午前中だったからか、GWのわりには良心的な混み方。

 東京国立近代美術館。訪れるのは6年ぶりですね(→2017.10.18)。

中に入ると半分以上の作品が撮影可能ということで、こちらとしてはうれしいけどつらい。まあ撮るんだけど。
ネットにあげる場合は所蔵元を明らかにしてくれという注意書きがあったので、今回はそれについても併記していく。
基本的に印象に残った作品の写真を貼り付けていくつもりだが、さすがにほとんどが印象に残るレヴェルなので、
結果として大半の作品について書いていくことになるのであった。まあ、後学のためってことでがんばってまとめる。

  
L: 狩野芳崖『悲母観音』(東京藝術大学蔵)。トップバッターがこちらということで、大変インパクトのある始まり。
C: 下村観山『弱法師』(東京国立博物館蔵)。  R: 川合玉堂『行く春』。どれも伝統を踏まえたうえでの革新という感じ。

  
L: 今村紫紅『熱国之巻』(東京国立博物館蔵)。インドや東南アジアを題材にしたカラフルな日本画。なるほど近代。
C,R: 安田靫彦『黄瀬川陣』。義経(左)が頼朝(右)と初めて対面した場面を描く。現代風に洗練された感がある。

まずは日本画から。時期としては明治の後半、20世紀に入るの入らんのという辺りの作品が並んでいる。
近代化の波が押し寄せてからしばらく経って、じゃあこれまでの伝統を受け継ぐべき日本画としてはどう進化するの、
というテーマが大きく横たわっているのがわかる。「日本らしいもの」とは何なのかという問いに直面する一方で、
新たな価値観に対する興奮もあり、芸術家として「できることが増えた!」という純粋な喜びが強く感じられる。
しかし慎ましさというそれまでの品性のひとつが退潮していく戸惑いもまた感じる。全体的にどこか不安定さがある。

 高橋由一『鮭』(東京藝術大学蔵)。日本画の題材で描かれた洋画ってわけだ。

続いては、日本でいちばん有名な鮭の絵を皮切りに洋画の展示となる。こちらも明治の後半、1900年前後の作品が多く、
日本の洋画の黎明期ということで、上手い人が素直に上手く描いている作品ばかり。ビッグネームはさすがなのである。
まあただ、それゆえに明治にしてやり尽くしちゃった感があったのだとも思う。歴史を体感できる展示なのであった。

  
L: 浅井忠『収穫』(東京藝術大学蔵)。たいへんミレーな感じである。当時の日本でミレーをやるとこうなるのかと思う。
C: 黒田清輝『湖畔』(東京国立博物館蔵)。  R: 藤島武二『天平の面影』(石橋財団アーティゾン美術館蔵)。

  
L: 青木繁『わだつみのいろこの宮』(石橋財団アーティゾン美術館蔵)。前に厳しいことを書いておりますが(→2011.3.27)。
C: 和田三造『南風』。僕はこれ、なんか好きなのよね(→2011.1.30)。ポジティヴな要素が満載で描かれているからかなあ。
R: 萬鉄五郎『裸体美人』。この辺りから「逃げ」が始まった印象。いち早くモダンを取り入れたが、つまんねえんだよなあ。

真ん中には高村光雲の『老猿』がデンと置かれ、みんなスマホを構えるのであった。光雲はもともと仏師であり、
木彫に西洋の写実主義を採り入れて日本における近代彫刻を確立したという。明治の空気がなんとなく見えてきた。

  
L: 高村光雲『老猿』(東京国立博物館蔵)。  C: 角度を変えて眺める。  R: 手(足)をクローズアップ。上手いよなあ。

洋画の方は大正時代に入って岸田劉生が登場。明治の洋画は物語性を強く漂わせていたが、大正は私的なものに変化。
しかしモチーフに対する思い入れがたっぷりなので、見ているとこっちもなんだか優しい気分になってきますな。

  
L: 岸田劉生『麗子微笑』(東京国立博物館蔵)。5ヶ月ぶりだが(→2022.12.6)、やっぱり実物はいいですね。
C: 岸田劉生『道路と土手と塀(切通之写生)』。こっちは日本でいちばん有名な坂道。  R: 中村彝『エロシェンコ氏の像』。

洋画の次に荻原守衛。いわゆる荻原碌山で、長野県の誇る夭折の彫刻家である。昨年10月に訪れた碌山美術館は、
大正ロマンに浸る美術館だった(→2022.10.29)。立体造形にうるさい僕だが、荻原守衛はまずきちんと写実的で好き。
モノとしてきちんとしているところにテーマを乗っけてくるから説得力があるのだ。あらゆる角度から眺めて楽しむ。

  
L,C,R: 荻原守衛『北條虎吉像』(公益財団法人碌山美術館蔵)。いろんな角度から見ちゃう。舐めるように見ちゃう。

  
L: 朝倉文夫『墓守』(台東区立朝倉彫塑館蔵)。朝倉文夫は東京国際フォーラムの太田道灌(→2010.9.11)も有名。
C: 新海竹太郎『ゆあみ』。  R: 台座が隣に分けて展示されていた。こちらも重要文化財の指定を受けているとのこと。

明治の陶磁器も展示されていた。技術の高さが前面に出ている作品で、見事であるのはそりゃもう確かなのだが、
その一方で「技術はすごいが趣味は悪い」という作品が現れてくるのも明治の工芸に見られる傾向ではないかと感じる。
僕が最も嫌うのは、手段と目的を履き違えているものである。技術はあくまで目的を達成するための手段であるはずだ。

  
L: 初代宮川香山『褐釉蟹貼付台付鉢』(東京国立博物館蔵)。陶器における高い技術を見せつけるが、趣味は悪い。
C: 初代宮川香山『黄釉銹絵梅樹図大瓶』(東京国立博物館蔵)。宮川香山が磁器に転向した後の作品。こちらはいいと思う。
R: 三代清風与平『白磁蝶牡丹浮文大瓶』(東京国立博物館蔵)。白磁の白さを追求していったらこうなるということか。

技術と悪趣味の問題は鈴木長吉の置物でも突きつけられた。さまざまな姿をした12羽の鷹がとまっている『十二の鷹』、
さらに『鷲置物』があったのだが、細部まで本当によくつくってあるんだけど、だからどうなんだ、となってしまう。
いや、欲しいと思う金持ちが買えばそれでまったく問題はないのだが、僕にはつくる意味がわからないんだよなあ。
技術を誇るためにつくった、それ以上の意味が見出せないんだよなあ。手段のために目的が設定されたのが気持ち悪い。
明治の前半には日本の伝統工芸が貴重な外貨獲得の手段で、高い技術が持て囃されたことが時代背景としてはある。
だから趣味は悪くとも、その技術を歴史的な文脈として評価しようというわけでの重要文化財指定ではあるのだが。

 
L: 鈴木長吉『鷲置物』(東京国立博物館蔵)。すごいんだけど、趣味は悪い。困ったものである。
R: 濤川惣助『七宝富嶽図額』(東京国立博物館蔵)。無線七宝による日本画的な表現が見どころ。

以上で『東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密』はおしまい。さまざまなジャンルの作品を見ていくと、
「鎖国により国粋化された文化になだれ込んできた近代をどう評価するか」「明治という時代をどう消化するか」、
そういった問題が横たわっているのがわかる。新たな風が吹き込んだ喜びと、価値観が大いに揺さぶられる混乱と、
さらには職人的な技術と芸術的センスとのせめぎ合いと、フロンティアゆえの不安定さと可能性が見える展覧会だった。

続いて常設展「MOMATコレクション」である。こちらも大半の作品が撮影可能となっている。時代は変わったなあ……。
『東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密』と関連する作品をクローズアップしつつ、膨大な作品を展示。
部屋ごとにテーマが設定されており、最初は東京国立近代美術館のオススメ作品。定期的に展示替えがあるようだ。

  
L: 東山魁夷『道』。僕は東山魁夷が嫌いなのだが、唯一気に入った『月篁』(→2017.10.18)じゃなくてすごく残念。
C: 上村松園『雪』。  R: ポール=セザンヌ『大きな花束』。「近代」美術館としてはセザンヌの所蔵は必須なんですな。

  
L: ピエール=ボナール『プロヴァンス風景』。セザンヌとともに日本絵画の影響を受けているので展示されているわけね。
C: 三岸好太郎『雲の上を飛ぶ蝶』。三岸アトリエ(→2021.10.2)のダンナの方。竣工を見ず31歳の若さで亡くなった。
R: 三岸節子『静物(金魚)』。三岸アトリエの奥さんの方。こちらは94歳での大往生。だからどうだというわけではないが。

 
L: 坂本繁二郎『水より上る馬』。  R: 日本のキュビズム作品群。当時の最先端を必死で追いかけていたんだなあと思う。

僕としては絵画より立体物である彫刻の方が面白くて、高村光太郎とか荻原守衛とかちゃんとした作品が並ぶのは楽しい。
有名な作品がそこにポンと置いてあるのは圧巻だ。かつて修学旅行(→2019.6.3)で興福寺国宝館の阿修羅像を見た生徒が、
「先生、こんなにあっさりと置いてあっていいんですか?」と言って「わかるわかる」となったが、あれと同じ感覚だ。

  
L,C,R: 高村光太郎『手』。これもいろんな角度から見ちゃう。舐めるように見ちゃう。やっぱりいいわあ。

  
L: オーギュスト=ロダン『トルソー』。さっきのセザンヌと同様、ロダンも日本の「近代」には欠かせないというわけ。
C: 荻原守衛『女』。背景を知らないとただの裸婦像だが、背景を知っていると(→2022.10.29)これ凄いってことになる作品。
R: 荻原守衛『坑夫』。まあまずモデルがいいとは思うのだが、こういう構図でさらっとつくる(ように見える)のがすごい。

続いてはおなじみのバウハウス周辺の20世紀抽象絵画。大学に入って建築やら美術やらに興味を持つようになって、
いちばんの中心地がこの辺りだったので、もはや「あーそうねハイハイ」ぐらいの感じになってしまっている。
いかんことだと思うのだが、パウル=クレーとかマジメに向き合っても見ているこっちがおかしくなるし(→2023.2.20)。

  
L: ワシリー=カンディンスキー『全体』。  C: パウル=クレー『花ひらく木をめぐる抽象』。
R: パウル=クレー『黄色の中の思考』。「どうだい? 頭がおかしくなってきただろう?(マッスル北村の声で)」

国立近代美術館ということで逃げずに展示しているのが戦時中の絵画だ。ナチスの芸術の政治利用は有名だが、
(そのナチスに「退廃芸術」という烙印を押されて迫害されたのが、上のバウハウス周辺の20世紀抽象絵画。)
日本も画家を戦地へ従軍させて戦意の高揚を狙ってやっていた。特に藤田嗣治(→2016.7.31)は翻弄されたことで有名。

  
L: 梅原龍三郎『長安街』。直接的な戦争絵画というわけではないが、時代性をはっきり感じさせる作品。
C: 鶴田吾郎『神兵パレンバンに降下す』。  R: 小川原脩『成都爆撃』。これが戦争末期の空襲を招くんだよなあ。

特別企画ということでか、開館翌年の1953年に開催された「抽象と幻想」展を再現している部屋があった。
ハイレッド・センター結成の10年前ということで、戦後わりと間もない時期の日本の前衛美術をそのまま再現するのは、
かなり面白い試みだと思う。過去の空気を体感することは非常に難しく、どうしても美術館の視線は醒めたものになる。
当時の熱気は、運がよければ現美で味わえるかも(→2022.10.16)、ってくらいか。東京国立近代美術館は所蔵品が多く、
テーマを決めて部屋をまるまる過去で固める展示をやるのは、ものすごく有意義なことだろう。続編を期待しちゃう。

  
L: 伊藤憲治『抽象と幻想 非写実絵画をどう理解するか』。というわけで、「抽象と幻想」展のポスター。
C: 「抽象と幻想」展の趣意。レタリングが……いい……。  R: 「“抽象と幻想”を前に」『アサヒグラフ』1535号。

 再現された一室。もっと密度を上げてみっちりやってほしいなあ。

時代はいよいよ戦後へ。抽象芸術が全開となるのだが、有名作家の代表作をきちんと取り上げていく感じ。
あの時代特有の混沌に焦点を当てるというよりも作家について品よく扱う印象で、それはそれで悪くないスタンスだが、
上品すぎるのではないかとも思ってしまう。公設の美術館としては至極真っ当な視線だが、落ち着きすぎていないかと。

 岡本太郎『夜明け』。

「近代」美術館としてはやはり、明治以来消化しきれていない混乱状態が大きなテーマとして横たわっているわけで、
しかし混乱しているからこそ、それぞれの作家が解決を目指してうごめく原動力となる。その解決の方法については、
社会でなんとかしようというのが全体主義でコケて、個人の活動に還元された状況にある。混乱はさらに助長された。
でもまあ、無理に解決しようとして不幸な人を出すよりは現状放っておく方がマシなんじゃないの、というのも確か。
醒めた視線の展示からは、過去の個人の格闘を平等に扱うフェアな精神を感じる。投げっぱなしジャーマンではあるが。

  
L: 熊谷守一『畳の裸婦』。  C: 荒川修作『作品』。  R: 工藤哲巳『あなたの偶像』。

  
L: 高松次郎『日本語の文字』。  C: 草間彌生『天上よりの啓示』。  R: 拡大するとコレ。うーん、草間彌生だなあ。

展示は洋画ベースのやりたい放題から日本画の世界へと移行するが、圧倒されたのが杉浦非水『非水百花譜』である。
杉浦非水は日本のグラフィックデザインの草分けというか戦前のモダンな商業美術を引っ張ったいちばんの元祖だが、
もともと日本画からスタートしている。その実力が遺憾無く発揮されていて、もう大興奮。夢中で撮っていく。

  
L: 杉浦非水『非水百花譜』「じやかうれんりさう(麝香連理草)」。木版画の図案集で、関東大震災で版木が失われた。
C: 「ぼたん(牡丹)」。  R: 「やへざくら(八重桜)」。この作品だけ花が枠線をはみ出しているのがいいのだ。

対象に対する線の選び方がモダニズムであると思うのだ。日本画の伝統がしっかりとベースとなっているうえで、
写実と簡略のバランスが絶妙で、その洗練ぶりにモダニズムを感じる。最もその花らしい一枚、という感触がいい。

  
L: 「れんげつつじ(蓮花躑躅)」。全体をぼんやりと撮ってもつまらないので、花の箇所をクローズアップ。
C: 「ふぢ(藤)」。  R: 「やまぶき(山吹)」。美しくトリミングできているかはわからんが、いちおう。

  
L: 「ばら(薔薇)」。  C: 「そめゐよしの(染井吉野)」。  R: 「らしゃうもんかづら(羅生門葛)」。

日本画は屏風絵をどっしりと並べる構成で、戦前のわりに正統派な作品から戦後の加山又造まで座って鑑賞できる。
正統派は正統派でいいが、先達がいろいろやり尽くしちゃっているのは事実で、後から生まれた人は大変なのである。
前にも書いたけど、個人的には船田玉樹『花の夕』がたまらない(→2011.1.30)。これこそ正統派かつ現代的だと思う。

  
L: 菊池芳文『小雨ふる吉野』。約100年前の吉野の光景。  C: 桜をクローズアップしてみた。立体的に描かれている。
R: 加山又造『春秋波濤』。加山又造は「現代の琳派」と言われるそうだがようわからん。いかにもポストモダンって感じ。

 
L: 船田玉樹『花の夕』。  R: クローズアップしてみる。カメラで言う「ボケ」がかえって精密となっていくような。

現代というか現在進行形の作家の作品も置いてあるのだが、個人的には惹かれるものがまったくなかった。
基本的にオレは、死んでそれ以上方向性の変化しない芸術家にしか興味がないのかもしれん。後ろ向きなものだ。

最後は「修復の秘密」ということで、修復という観点から東京国立近代美術館の収蔵品を紹介する内容。
中心となっていたのは藤田嗣治。藤田嗣治といえば独特の白によって日本人ながらパリで大人気となったわけだが、
(もっとも戦争画により批判され、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」とフランスに帰化したが。)
これが経年劣化しやすくて保存修復が大変とのこと。展示された作品はどれも見応えあり。よかったねレオナール。

  
L: 藤田嗣治『ソロモン海域に於ける米兵の末路』。上述の戦争中の絵画だが、ふつうに関係ない作品にも見える。
C: 藤田嗣治『自画像』。こちらは鉛筆で描かれている。  R: 藤田嗣治『自画像』。比べると面白いなあ。

  
L: 藤田嗣治『五人の裸婦』。藤田嗣治といえばこの白い肌。この白によってパリで天下をとったんだよなあ。
C: 岸田劉生『麗子肖像(麗子五歳之像)』。同じ麗子像でも作風の変化が面白い。時期的には坂と微笑の中間。
R: 安井曾太郎『金蓉』。もともとひび割れがあって一度直したが、再度割れて、それを安井本人は面白がっていたんだと。

ということでかなりのヴォリュームを楽しませてもらった。量が多いのでこれまで途中でワケわかんなくなっていたが、
写真できっちり記録を残して展示をたどると、国立の近代美術館にふさわしい充実した内容なのがよくわかった。

 竹橋駅にて。いろいろやっていますなあ。強力な収蔵品を持っているからこそだな。

それにしても、美術館の新しい建物を個人でつくって丸ごと国に寄贈した石橋正二郎は本当にすごいな。来るたび思う。


2023.4.29 (Sat.)

信州ダービーのチケットを確保してから町田×熊本を観戦にお出かけ。このカード、去年も観たなあ(→2022.6.12)。
お目当てはもちろん大木さんのサッカーなのだが、町田は青森山田高校を率いていた黒田監督を迎えてJ2首位と絶好調。

  
L: 今回もバックスタンド3階席の最前列である。  C: 熊本の試合前の練習。ボール回しが複雑すぎて手順がわからない……。
R: 選手入場時の熊本サポーター。大木武マフラーを掲げる人も。横断幕にも大木さんがいるし、愛されていますなあ。

個人的な見どころとしては、毎度おなじみ大木さんのサッカーだが、どういう方向にアップデートされているか。
あとは町田が黒田監督になってどう強くなったのか。高校サッカー仕込みのデザインされたセットプレーも見たい。
しかし開始すぐに「ああこりゃ熊本は去年と変わらんやんけ」となる。あんまりよくないときの大木サッカーだ。

  
L: 開始早々の8分、町田が先制。ミッチェル デュークの落としを奥山が蹴り、DFに当たってゴールへ。シュート撃ったもん勝ち。
C: 相変わらず出しどころのない熊本。ボールをもらいに下りてくる動きが皆無で、ポジションが連動しないので膠着状態に。
R: 町田は非常に積極的にDFへプレスをかける。そうしてミスを誘い、あるいは単純なクリアに終わらせて優位に立つ。

熊本は確かに技術は高いのだが、まったく怖さがない。なんとかつないでサイドに行くが、そこから踏み込めない。
全体が流動的にポジションを動かすことがないので停滞がひどい。コーナーを取るとかそういう発想ないのか、と思う。
シュートへもっていくまでのアイデアが見えないのだ。異端者のいない純国産スカッドがよくない方向に出た感はある。

  
L: 町田は熊本のボールの持ち方を熟知してプレッシャーをかける。熊本はなかなか前を向かせてもらえない。
C: サイドに展開する熊本。しかし結局チャレンジせずに後ろに戻すいつものパターン。コーナー取ってこいや、と思う。
R: 相手DFを追いかける町田の攻撃陣。熊本は足元に自信があることが、かえってプレーの制約を生んでいる気がする……。

町田が上手いのは後ろからの体の当て方。前を向かせないことを前提にしつつ、ジリジリと熊本に後退させるのだ。
熊本はスペースに入ってつなぐのではなく、足元で受けて回り込むことで相手をはがす発想であると思われる。
しかしそれが町田のプレスがハマる要因となっているのだ。体の当て方が上手いので熊本は思うようにはがせない。

 ハーフタイム、熊本サポと交流するゼルビー。ほほえましいですな。

町田はミッチェル デュークがたいへん効いている。ヘッドが強くて必ず触るし、相手守備陣へのプレスも速い。
熊本で目立っていたのは島村のドリブル。でもそれ以外に個性を感じさせるプレーヤーがいないのが残念。
技術はそこそこあるけど似た感じの選手が揃っていて、緩急や差をつけられるポイントが見当たらないのだ。

  
L: ミッチェル デューク。頭でも足でもいいところに出せる。  C: ボールホルダーに後ろから仕掛けるエリキ。
R: 63分、ミッチェル デュークが獲得したPKをエリキが決める。結果的には外国人選手の個性がきれいに出た感じ。

74分にミッチェル デュークとエリキが揃って交代すると、ようやく自由になった熊本がらしい攻撃を開始。
でもこれは単純に町田の2人が抜けたおかげだ。アイデアを駆使してこの攻撃の圧力を最初からやりなさいよと思う。
88分に石川がクロスからきれいにディングを決めて熊本が1点差に迫り、さらにどんどんボールを放り込んで攻め込むが、
町田に粘り切られて試合終了。そういえば町田はCKがゼロで、デザインプレーは見られず。しょんぼりである。

  
L: 前線がしっかり守るので後ろは余裕を持つことができる。町田のディフェンス陣が神経を使う機会は少なかったのでは。
C: ミッチェル デュークとエリキがいなくなって猛攻を仕掛ける熊本。  R: 石川のゴール。きれいに決まりすぎてびっくり。

試合終了と同時に素早く撤退したので詳しくはわからないのだが、最後よけいなトラブルがあったらしくて非常に残念。
特にミッチェル デュークはいい選手だと思っただけにねえ。チームを代表して謝罪したというエリキは偉いと思います。



2023.4.23 (Sun.)

旅行の2日目、朝イチでやってきたのは柏崎である。4年前に訪れたときには新しい市役所を建設中で(→2019.1.13)、
長岡とセットで攻略しようというわけだ。ちなみに4年前には健在だった良寛牛乳は経営破綻してしまった。切ない……。

 柏崎駅。「水球のまち」をやたらとアピールしていたなあ。

新しい柏崎市役所は本当に駅からすぐ。設計は佐藤総合計画で、竣工は2020年。とりあえず、駅に近い西側から撮影開始。
四角い高層棟と手前に議会棟を少しずらして配置し、微妙にカーヴした形状の敷地に合わせて低層部を囲ませた感じか。
(参考までに、先代の柏崎市役所についてはこちら(→2011.10.9)。駅からけっこう歩いた記憶があるなあ。)

  
L: 柏崎市役所。まずは西から見たところ。  C: 少し南に動いて眺める。  R: 南西から見たところ。側面となるのか。

  
L: 低層部のすぐ外側は通路となっている。  C: こんな感じで植栽も。  R: 南東から見たところ。

  
L: 南側の空き地から距離をとって全体を眺める。  C: 東側に延びている通路の屋根も込みで。  R: 南東端から。

  
L: 通路の入口と高層棟を合わせて東から。通路の手前側は駐輪場となっており、そのままエントランスへ。
C: 高層棟を南東から。駐車場からだとこっちが正面となるのか。  R: 駐車場越しに東から見た高層棟。

  
L: 北東から見たところ。  C: 北寄り、高層棟の側面を中心に。  R: 北西から。右が議会棟となる。

  
L: 議会棟をクローズアップ。  C: 中に入ったところ。西側のエントランスはこんな感じである。
R: 南西端は滞留スペースとなっている。なお、真ん中の写真はこの滞留スペースから振り返ったところ。

  
L: 滞留スペースから東側の窓口エリアを眺める。今日は統一地方選挙の投票日で、東(駐車場)側から入るのは自粛した。
C: 北西端、議場の入口。  R: 議場の脇には市政情報コーナー。各種の資料がわかりやすく置かれているのはすばらしい。

せっかくなので、道路を挟んで東隣にある柏崎市文化会館アルフォーレも一周してみる。こちらは2012年のオープンで、
ここはかつて2001年まで操業していた日本石油の製油所だった。ということで、市役所も同じく日本石油の製油所跡地。
それにしても「アルフォーレ」という名称には何かブルボン的な思惑を感じてしまう。アルフォートおいしいけどな。

  
L: 柏崎市文化会館アルフォーレ。まずは南西から。  C: 南から。  R: 東から。こちらが正式な正面なのか。

  
L: 北東から。  C: 北から見たところ。実にホールである。  R: 北西から見たところ。実にホールである。

天気がいい中、余裕を持って建物を撮影できるのは実に心地がいい。予定のタスクを終えると周辺をブラブラ。
駅の向こうに見える米山がたいへん美しく、越後国は山と平野のバランスが絶妙だよなあと感心するのであった。

 
L: 柏崎の街を見守る米山。  R: 後で柏崎駅の跨線橋から見た米山。

このまま素直に長岡駅に戻るのはつまらない。せっかくなので、手前の宮内駅で降りて青島食堂でラーメンをいただく。
時刻は開店の11時を15分過ぎたところなのにすでにしっかり行列ができていた。まあ、日曜日ですからなあ。

 8ヶ月ぶりだが(→2022.8.20)やはり旨い。が、もう少し生姜が強くてもいいとも思う。

今日もアオーレ長岡で新潟アルビレックスBBと富山グラウジーズの試合が行われ、ティップオフが13時5分。
長岡駅に戻ってくるとちょうどいい頃合いなのであった。今日は駅から直接アオーレ長岡まで行ってみる。

  
L: 駅から直接アクセスできる通路。  C: 新潟アルビレックスBBの選手の写真が並んでいる。  R: アオーレ長岡の入口。

バスケの興行について詳しくは知らないのだが、週末を連戦として土曜はナイトゲーム、日曜はデーゲームとするようだ。
ほかに平日では水曜にナイトゲームが入ることがあるみたい。なんとなく、野球とサッカーの中間という感じかなと思う。
なお、本日の席は2Fベンチセンターの1列目である。昨日とは逆のサイドで観戦してみたかったのだ。サッカーで言えば、
バックスタンド側ということになるのか。でも目の前にはスタッフが並ぶデスクが置いてある。楽しませてもらおう。

  
L: ほぼ真ん中の席ということで、アリーナ全体を眺めてみる。まずはホームのサイドから。方角的にはこちらが南かな。
C: 真ん中。1列目の席なのでたいへん観戦しやすい。  R: アウェイのサイド。手前に富山ブースターが陣取っている。

 ティップオフセレモニー。相変わらずチアの皆さんが献身的である。

昨日と同じ手順で儀式を経て試合開始。昨日の新潟はまったく調子の上がらない序盤戦だったが、今日はかなり好調。
スラムダンクでいう宮城のポジションである澁田の3ポイントシュートを皮切りに、ずっとリードを保つ展開となる。
それにしても2階席でも1列目だと非常に観やすい。確かにコートからの距離はそこそことなるが、全体を俯瞰できるし。
バスケ観戦の場合には特に、前に視界を邪魔する要素がないことが重要なのかもしれない。値段のわりにいい席だった。

  
L: いざ試合開始。  C: 澁田の3ポイントシュートで新潟が先制。ボールを運ぶ人が3ポイントを持っているのは強い。
R: たいへん迫力のあるマッチアップ。Bリーグでプレーする選手が世界的にはどの位置なのかわからないが、見応え十分。

バスケが強いとはどういうことなのか、観戦しながら考える。どうしてもサッカーとの比較がベースとなってしまうが、
スペースが少ない分、ボールを扱う基本技術の重要性という点ではバスケの方がより細かく求められるかもしれない。
足でボールを扱うサッカーには「ミスはつきもの」というエクスキューズがあるが(もちろん限度はあるけど)、
バスケにそれはない。「できて当たり前」の比率が高い。「庶民のシュート」が決められないようじゃ話にならないのだ。
そこにデザインされたプレーが乗っかる。でもそれは頻繁に出るものではないし、決まったとしても同じ2点だし、
どこまで効果的なのかはよくわからない。つまりは選手の基本技術に上乗せする戦術の機微がわからないのである。
よけいなファウルでバスケットカウントを避けるとか、やっぱりそういう地道な部分の積み重ねがモノを言うと思う。

  
L: 選手が倒れた後は床を拭く人が素早く登場。それなりの頻度でたいへんな仕事だなあと思う。  C: この日の新潟は絶好調。
R: 攻撃時、宮城ポジションの澁田が指示を出す。24秒ルールがある中で、こんなにじっくり攻め合うものだとは思わなかった。

前半が終わって49-30と新潟が大きくリード。今日は安心して見られる展開だなあと思っていたのだが、
4Qになって両チームがチームファウル5つを記録してからは、超ガバガバのフリースロー合戦となってしまう。
(ひとつのクォーター内でチームのファウルが5つを超えると、以後ファウルのたび相手にフリースローが与えられる。)
これもゲームの達人であるアメリカ人によるルールの妙味なのだろうが、それにしてもガバガバすぎないかと思う。
結局その影響で新潟は3点差まで詰め寄られたが、なんとか富山を突き放すことに成功。94-89でどうにか逃げ切った。

  
L: インターセプトから抜け出したロスコ・アレンがダンク。ダンクは本日3つあったが、井上雄彦の絵みたくきれいには撮れん。
C: 終盤はチームファウル5つでファウルが相手の得点に直結してしまうため、胃の痛くなる展開に。それもルールの妙味か。
R: タイムアウトでチアの皆さんとアルードが登場。アルードは布袋モデルのギターを持っていますな。いろいろやるなあ。

ベンチ側(サッカーでいうバックスタンド側)の席で見ていると、チアの休みのない動きっぷりに感心させられる。
コートの隅っこで待機している間もほぼずっと応援。フリースローのときも腕を斜めにあげて入れと念を送っている。
チアの皆さんを見ていると、アメリカ学校文化のクイーンビー(いわゆる「陽キャ」の頂点といえる存在)を想起する。
なるほど確かに、女子にはチア願望と呼べるものがあるだろう。女性の理想的な身体としての魅力が凝縮されているから。
男が誰もがイケメンアスリートになれるわけではないように、女も誰もがチアのような理想像となれるわけではない。
男としても、女性の魅力をとことんまで鍛え抜いたチアは完全に対称的な存在、絶対にたどり着けない領域である。
この叶えられない願望が、チアに対する尊敬を生むと思う。つまりは性差はけしからんものとして解消するのではなく、
敬意を持って肯定されるべきものなのだ。新潟のチアの皆さんのパフォーマンスを見て、そんなことをあらためて感じた。
まあ、まくしたてるように英語をしゃべるアジア系女性的な化粧は好きではないが。あいつらなんであんなにウザいの?

  
L: 新潟は連勝を飾ったのであった。  C: 恒例の最後のコート一周挨拶。  R: アリーナ全体を眺める。

入場者数は昨日が2574人、今日が2697人で、感覚的にはJ2の一般的なクラブとそんなに大差ないのかなというところ。
さて、観戦している間ずっと思っていたのだが、長岡市民の皆さんは「新潟アルビレックスBB」という名称について、
どの程度納得しているのだろうか。昨日あれだけ大規模な長岡の市街地開発ぶりと施設の並びっぷりを見た僕としては、
「新潟アルビレックス」という名称を受け入れていることは、新潟市の衛星という地位に甘んじることの許容に思える。
もしサッカーであれば、間違いなく「長岡」の名前を冠するはずで、百歩譲っても「中越」を名乗るはずである。
市街地の空間があれだけ城下町の誇りを見せつけているのに、バスケのチームだけは属領としての象徴になっている。
このバランスの悪さが不思議でしょうがない。長岡コメヒャッピョーズでもいいし、長岡ガトリングガンズでもいいし、
新潟から独立した「長岡のスポーツクラブ」としての誇りを確立しない限り、応援の熱はこれ以上高まらないと思うのだ。
意地の悪いことを言うと、戊辰戦争での敗戦により長岡城は徹底的に破壊され、駅が建設されて歴史を抹消されたが、
長岡の大規模な市街地開発からは、その「失われた長岡城」を追い求める、決して満たされることのない欲望を感じる。
(これは松本市が失われた県庁を求めて、結果、県庁以外のすべてを揃えようとしていることと似たものがある。)
しかし「新潟アルビレックスBB」の名称を受け入れるのは、城下町を蓋する長岡駅を受け入れているのと相似形をなす。
失われたものを取り戻そうという街の原動力、これは満たされないからこそ無限に湧いてくる、そんな逆説を感じる。
ある意味たいへんマゾヒズムに満ちた、でも猛烈な矜持である。市民は長岡が新潟を倒す、という構図は求めていない。
新潟という大都市の大切なもののの一部を長岡が保持する、この構図で満足しているのだ。やはりちょっと倒錯的である。

バスケの試合終了時刻がよくわからなかったので余裕を持って計画を立てていたが、早めに帰ることができそうだ。
新幹線の予約を変更すると、南魚沼・塩沢宿(→2022.8.21)の酒を買って乗り込む。おいしくいただきつつ日記を書く。

 車窓から見る越後三山。左が越後駒ヶ岳で右が八海山かな。中ノ岳は見えないのか。

しかしプロのバスケの試合はやっぱり面白かった。そしてスラムダンクを読みたくなるなあ。じっくり読み返したいねえ。


2023.4.22 (Sat.)

旅行なのだ。今回の旅行は長年の夢を実現させるものであり、昨年夏のリヴェンジ(→2022.8.20)でもある。
週末パスを利用した新幹線で降り立ったのは、長岡。市役所とアリーナを複合させた施設、アオーレ長岡が最大の目的だ。
そしてこのアオーレ長岡は、Bリーグ・新潟アルビレックスBBが本拠地としている。それなら試合も観なければなるまい!
ところがバスケは、9月に開幕して翌年5月に終わるスケジュール(2022-23シーズン)。雪をよけると機会が限られる。
そんなわけでGW前のタイミングを狙っての訪問となったのであった。天気もどうにか晴れてくれて、やる気十分である。

 長岡をじっくり動くのは、なんと12年ぶり(→2011.10.8)。

まずはレンタサイクルを確保し、9時を目処に到着を目指して南東へ。最初の目的地は悠久山(ゆうきゅうざん)公園だ。
園内には長岡藩3代目藩主・牧野忠辰を主祭神として祀る蒼柴(あおし)神社が鎮座している。というか神社が先で、
その後に長岡開府300年を記念して公園として整備された。1919(大正8)年開園、日本の都市公園100選に選ばれている。

  
L: というわけで悠久山公園の北西端、こちらが蒼柴神社の参道入口でもある。  C: 一の鳥居。公園を縁取るように行く。
R: 公園の敷地と一緒に左に曲がる。ここからはほぼまっすぐだが、かなりの距離がある。入口から拝殿まで600m弱もある。

  
L: まだまだ。  C: まだまだ。  R: ようやく神門。そういえば『るろうに剣心』に蒼柴って名前のキャラがいたような。

  
L: 拝殿。  C: 横から見た拝殿。なかなか独特の姿である。  R: 本殿。どちらも1781(天明元)年築で国登録有形文化財。

御守を頂戴すると、歩ける範囲で悠久山公園の中を徘徊してみる。もともと山であり約40haの面積があるので、
蒼柴神社から南へ行った広場の辺りまでで勘弁。悠久山公園の何たるかをあんまり理解できた感触はないが、許して。

  
L: いかにも山をそのまま公園化した感じ。  C: 河井継之助の碑。日本一写真映りで損している人だと思う(→2022.6.22)。
R: 広場に出たのでこれでゴールとする。のんびりと散歩している人が多く、長岡を代表する場所のひとつなのはわかった。

  
L: 公園内には屋台が並んでいた。今週末は何かの祭りなのかな。  C: 水はない。  R: 八重桜がやたらめったらきれい。

来た道を戻って線路の西側に出ると、平潟神社に参拝する。最初は行基が自作の普賢菩薩を祀ったという話だが、
諏訪社が合祀されたことで諏訪系の神社として現在の規模になっていったようだ。10時に授与所が開いていいペース。

  
L: 平潟神社。  C: 参道を行く。  R: 向かって左に忠烈靖献之碑。1906(明治39)年建立とのこと。

  
L: 角度を変えて拝殿を眺める。コンクリートだが木造をそのまま大きくした感じ。   C: 奥の本殿はおとなしい。
R: 社務所と拝殿をつなぐ北東側の門。唐破風の屋根のデザインに、なんとなくお寺っぽさを感じる。

ではいよいよ長岡市役所本庁舎ことアオーレ長岡である。本日のバスケの試合は17時35分ティップオフということで、
市役所としての姿は午前中に撮るという算段だ。14年前の日記に書いたが、もともとここには長岡市厚生会館があった。
まあつまりは体育館だ(→2009.8.13)。老朽化により後継の施設が計画されたが、財政難を理由に頓挫してしまった。
そこに新潟県中越地震(→2004.10.23)である。これで当時の市役所本庁舎も耐震性が不十分ということで、
市役所移転と体育館建設と市街地活性化がセットになって計画が動きだし、コンペで隈研吾の案が最優秀となった。
竣工したのが2012年で、よく調べないで突撃した12年前には雨の中でしょんぼりしたっけな(→2011.10.8)。 

  
L: まずは駅に近い北東側から見たところ。  C: 正面から。アーケードは雁木文化(→2011.10.9)だからしょうがないね。
R: 北西側から見たところ。というわけで、建物全体を眺めるには市役所の敷地に入らないといけない。これも人を呼ぶ工夫か。

  
L: 北東側の端はベンチとなっていて、座る人がチラホラ。  C: では「マエニワ」へ。  R: 向かって左の東棟を正面から。

  
L: 東棟の1階はセブンイレブン。  C: 「マエニワ」の西の端。  R: よく見ると長岡市の年表になっているのだ。

  
L: 長岡城二の丸跡(→2009.8.13)は、緑を生かして「マエニワ」の一角として溶け込んでいる。よかったよかった。
C: 奥の方から振り返る「マエニワ」。  R: では「マエニワ」から東棟・西棟・アリーナ棟に囲まれた「ナカドマ」へ。

  
L: 「ナカドマ」。  C: 左を向くと長岡市役所東棟の入口。  C: 「ナカドマ」の奥はアリーナ棟である。

  
L: 「ナカドマ」で右を向くと長岡市役所西棟の入口。  C: 西棟エントランス。  R: 入るとホワイエ。

  
L: 同じ西棟の少し奥には市民交流ホールの入口。福祉のカフェが営業中で、客がけっこういた。機能してますね。
C: 西棟側のエスカレーターで2階に上がってみた。これは西棟2階から「ナカドマ」と東棟側を見たところ。
R: 視線を北東方面に移してみる。渡り廊下と東棟。全体を屋根が覆っているので屋外だけど屋内空間になっている。

  
L: 渡り廊下の手前から「マエニワ」を見下ろす。  C: 渡り廊下。  R: 右を向いて「ナカドマ」。

  
L: 渡り廊下を通って東棟の2階デッキへ。  C: 映えスポットですかな。  R: 「AORE」側から振り返るとこうなる。

  
L: 東棟2階は長岡駅から直に来ることができる。この日は統一地方選挙・後半戦の期日前投票を実施中なのであった。
C: 長岡駅からの通路を出るとこんな感じ。新潟アルビレックスBBの幟が出ている。  R: 「ナカドマ」に下りる階段。

  
L: 階段を下りる途中でアリーナ棟方面を見下ろす。  C: なんか島みたいになっている。職員はここに出られるのかな。
R: 階段から西棟を眺めたところ。上階の出っ張り方は、いい意味でメタボリズム的なお祭り感(→2012.5.6)を想起させる。

  
L: 中にお邪魔する。見てのとおり、ガラス張りのロフトで「ナカドマ」と同じ統一感を持たせている。
C,R: 長岡市役所は土・日・祝日も9時から17時までやっている。職員は大変だが賑わいのためには必要だ。

  
L: 「ナカドマ」を奥(アリーナ棟の手前)から見たところ。まあ、非常に上手いことやっている建築だと思います。
C: では外はどうかというと、非常にシンプル(南西から)。つまり大手通側を唯一の正面として徹底しているわけだ。
R: 西から見たところ。右手前が長岡グランドホテルで、アオーレ長岡のアリーナ棟がその奥という位置関係になる。

  
L: 南西から見たところ。アリーナ棟の裏側。  C: 南東から。  R: 東側、南を眺める。アリーナ棟の側面になる。

というわけで、たっぷり写真を撮れて満足である。もちろん枚数はある程度厳選したが、全体像がつかめる最低限は、
これくらい必要になるだろう。つまりは非常に多様な面を持つ建築ということ。市庁舎建築として間違いなく、
建築史上重要な存在として記録されることになるだろう。富岡(→2019.8.1)と比べてだいぶ気合いが入っている。

これで今回の旅行で最大の目的は果たした。あとは長岡市内の気になる場所をガンガン攻めるのみである。
まずは北へ行って互尊文庫。2020年にDOCOMOMO物件となった図書館だ。が、今年の2月28日に閉館してしまった。
図書館としての機能は移転するが、建物じたいは長岡戦災資料館として再スタートを切るみたい。よかったよかった。

  
L: 互尊文庫。日本図書館協会施設委員会(吉武泰水ほか)の設計で1967年に竣工。これは南東から見たところ。
C: 正面から。何もかも四角くていいねえ。  R: 北東から見たところ。中がどれくらいモダニズムなのか気になる。

  
L: 西から見たところ。手前が駐車場となって通りに面しているが、こちらが裏側なので味気ない。  C: 南西側の側面。
R: 野本互尊(恭八郎)翁の銅像。互尊独尊思想を唱えたそうだが、「互尊」って号、めちゃくちゃかっこよくないか。

一気に北上して金峯神社に参拝する。明治までは蔵王権現と称しており、なるほど吉野(→2015.9.20)からの勧請。
整備されきっていない参道の長さにむしろ伝統を感じる。御守も「ふつうの御守」が4種類と多く、しかも各色ある。
とりあえず神紋入りをチョイスしたのであった。市街地の端の端だけど参拝客が多く、篤く崇敬されているのがわかる。

  
L: 金峯神社の鳥居。  C: ここから参道が長い。整備されきっていないのがかえって歴史を感じさせる。  R: 拝殿。

 本殿は風除けで防護。長岡の冬の厳しさを想う。

少し戻って長岡大橋を渡り、信濃川左岸へ。そこは「千秋(せんしゅう)が原地区」で、都市景観100選に選ばれている。
灰燼と帰した城下町をじっくり再建していった長岡駅周辺と対照的に、いかにも最近になって整備された郊外社会だ。
文化交流施設・商業施設・医療施設が大規模に並ぶエリアとなっているが、スケール感は完全に自動車向けのもの。
さっきの悠久山公園もそれなりに距離があったが、よくまあ長岡はこれだけの都市施設を維持できるものだと呆れる。
さすがは大学を4つも持つ新潟県第2の都市である。人口25万人で平野の郊外社会だとこれが成り立つんだなあと驚く。

  
L: 千秋が原地区の北の入口。この写真を撮影している背中に長岡造形大学。私立大学から公立大学に移行した。
C: 新潟県立近代美術館。  R: その向かいに長岡リリックホール。何がリリックなのかよくわからんがコンサートをやる。

  
L: 緑の広場。子供連れに人気な模様。  C: 千秋が原地区のメインストリート。文化交流施設が並ぶ北部はこんな感じ。
R: ハイブ長岡。正式名称は長岡産業交流会館。よくこんなにたくさん大きな文化施設をつくって並べられるなあと思う。

  
L: 真ん中くらいの位置に長岡赤十字病院。  C: 向かいはリバーサイド千秋。ショッピングモールである。
R: 千秋が原地区のメインストリート、中部から南部にかけてはこんな感じ。まだまだ開発していくつもりか。

  
L: 千秋が原ビル。見るからにこいつだけ古く、いち早く千秋が原地区にやってきたわけだ。越後交通本社が入っている。
C: 子育ての駅千秋「てくてく」。つまりは子育て支援施設。  R: 信濃川の堤防上は木が植えられたりベンチが置かれたり。

 滔々と流れる信濃川。大河津分水(→2022.8.19)を経て新潟市へ。

これで長岡市内の徘徊は終了とする。レンタサイクルと天気のおかげで思う存分動きまわることができた。
レンタサイクルを返却すると、次に向かったのはなんと弥彦村。往復してもティップオフに間に合うのだ、まいったか。

  
L: というわけで弥彦村にやってきました。週末パスならではの豪遊ぶりである。弥彦村に来るのは4回目である。ははは。
C: おもてなし広場(→2019.1.13)。相変わらずの賑わいである。  R: 彌彦神社の境内に沿って西に延びる土産物店。

彌彦神社に参拝。御守を確認したら、4年前には10色だったのが半分の5色(青赤黄水ピンク)に減っていた。
もしかして10色だったのは正月仕様だったのか。個人的にはカラバリはお財布的に厳しいが、なくなるとひどく淋しい。

  
L: 彌彦神社。この鳥居もさんざん撮ったなあ、  C: 参道を行く。相変わらずいい雰囲気。  R: 神門。

  
L: 賑わっている拝殿前。  C: 拝殿の横には奉納された酒樽が並んでいた。デザインが楽しい。  R: 本殿がよく見えない。

さて、これまでさんざん彌彦神社に参拝しておきながら、やっていなかったことがある。弥彦山ロープウェイで山頂へ!
拝殿から脇に出ると無料のシャトルバス乗り場があり、そこでしばし待つ。マイクロなバスは境内の砂利道を上り、
ロープウェイ乗り場まで連れていってくれる。歩ける距離ではあるが、坂と砂利でけっこう面倒くさそうなので助かる。

  
L: ロープウェイで山上公園駅へ。往復1500円でけっこうするぜ! 「うみひこ」「やまひこ」という名前で、やや小さめ。
C: 山上公園駅から見た景色。見事なものである。  R: 山上公園駅に到着。右の高いのはパノラマタワー。

まずは景色を堪能するのだ。西には日本海が広がり、水平線はうっすらと佐渡島で縁取られている。
弥彦山展望食堂からは北隣の多宝山が美しく見えるし、東の越後平野は言葉もなくただただ見とれてしまうほど。
残念ながら北から南まで越後平野を一気に見渡すポイントはなく、なるほどそれでパノラマタワーかと納得。

  
L: 日本海、海の果てにうっすらと佐渡島(→2018.3.302018.3.31)。  C: 多宝山と弥彦山ロープウェイ・山上公園駅。
R: 眼下に広がる越後平野。姉歯メンバーに写真を送ったら、三条市出身のニシマッキーが「田植え前ですね」と反応。さすが。

しかし本当に悔しくてたまらないのだが、パノラマタワーは工事中のためお休み。営業再開は来週からなのであった。
弥彦まで行くのが面倒くさい(その割には4回目だが)うえに、ロープウェイの手間がまた面倒くさい。切ないなあ。

 所要時間8分で展望塔が回転昇降。これを味わえなかったのは悔しくてたまらん。

気を取り直して、弥彦山の山頂を目指す。ロープウェイでの案内だと徒歩20分ほどとのことで、少し面倒な感触だ。
しかしパノラマタワーの怨みをエネルギーに変えて大股で歩きだす。結果的に10分弱で奥宮に到達してしまった。

  
L: いざ、弥彦山・山頂の彌彦神社奥宮へ。  C: それなりに上りである。  R: 奥宮手前辺りから見る越後平野。

彌彦神社の奥宮は正式には「御神廟」というようで、麓の彌彦神社とは異なる御朱印が頂戴できる。
しかし御守は麓と同じだったので残念。参拝してしばらく景色を楽しむと、来た道を素早く戻るのであった。

  
L: 彌彦神社の奥宮(御神廟)に到着。右が授与所。  C: 奥宮の手前から南を眺める。これも絶景だ。  R: 奥宮(御神廟)。

空腹に耐えかねて展望食堂で弥彦ラーメンをいただくと、ロープウェイで下界に戻っておもてなし広場を一巡し、
弥彦駅へと戻る。温泉に浸かる余裕がないのが残念だったが、それは贅沢というものか。今回も楽しませてもらった。

16時半少し前にアオーレ長岡に戻ってきた。雰囲気はすっかりスポーツイヴェントのそれである。
ふだんサッカー観戦でこの雰囲気には慣れているが、屋内スポーツということもありやや小ぢんまりとした印象。
それはそれとしてアットホームな雰囲気につながっていて、悪い意味での緊張感はない。どこまでも穏やかな感触だ。

  
L: アオーレ長岡はすっかりスポーツイヴェントの雰囲気。  C: 「ナカドマ」はオープンテラス感満載である。
R: アリーナ棟方面。しかし冷静に考えると市役所に「THIS IS OUR HOUSE」というのは楽しいことだと思う。

  
L: せっかくなので渡り廊下から見下ろしてみた。  C: いざアリーナ内へ。いきなり練習中でびっくり。
R: 今回はSBメイン席。なかなか仮設感のあるベンチである。この点はアオーレ長岡の弱点かと思う。

本日の新潟アルビレックスBBのお相手は、富山グラウジーズ。「越の国ダービー」とでも表現できるのか。
なお新潟アルビレックスBBはB1中地区最下位である。2月と3月で1勝しかできず、なかなかの混乱ぶりである模様。
しかしチームの雰囲気やチアの奮闘ぶりはそんなことをまったく感じさせないポジティヴな感触。がんばってほしいなあ。

  
L: オープニングセレモニー。サッカーと違って体育館という閉じられた空間をしっかり生かした演出をするなあと感心。
C: 選手が入場。暗いのでブレまくってマトモに撮れない……。  R: 選手の集合写真撮影タイム。こんな感じで進むのね。

  
L: アウェイ・富山の選手が入場。左奥にいるのが富山のブースター(Bリーグではファンをそう呼ぶ)の皆さん。
C: ウォーミングアップの光景。背が高くてガタイのいい選手はしっかり体を当ててシュートを、そうでない選手は1on1を。
R: さらに実戦的なゲーム形式へと移る。プロの練習はそれだけで面白い。細かいことがわからなくってすいません。

  
L: ティップオフセレモニーの後にレフェリー紹介。笛を吹く必要があるからか、マスクの形がなんだかペストマスク。
C: アウェイ・富山のスタメン発表。バスケは選手をバンバン替えられるので、スタメンはそんなに重要ではないのよね。
R: ホーム・新潟のスタメン発表。さあいよいよである。バスケ初観戦なのでいちいち新鮮で面白くってたまらん。

いざ試合開始。が、完全に富山ペース。新潟はシュートがとことん決まらないのに対し、富山はバカスカ得点。
あまりにも一方的で新潟はたまらずタイムアウトを取ったのだが、その瞬間にチアの皆さんが登場して踊り狂う。
こ……こういうものなのか……。と、文化の違いに面食らうのであった。選手も凄いがチアも凄い。本当に凄い。

  
L: 試合開始。  C: 1Qは完全に富山ペース。よくわからん僕は、なるほどこれで最下位なのか、と思うしかない。
R: タイムアウトを取った瞬間にチアの皆さんがダッシュで登場。オフィシャルタイムアウトもあるから大変ですよ。

当方、授業でしかバスケをやった経験がない典型的な素人である。ポジションなんてぜんぜんわからんから、
「この人が赤木で、この人が宮城で……」とスラムダンク基準で考える。そういう悲しいレヴェルである。
とはいえ、いいプレーぐらいはいちおうわかるつもり。ファウルの機微はぜんぜんわからん。ついていけない。
高校の授業では、私はインターセプト王なのであった(この点だけはバスケ部を差し置いて本当にそうだった)。
攻撃時も自分だけ攻め込まずに最後尾に位置し、相手エースのカウンタードリブルをチェックしてディレイをかます、
その専門職なのであった。相手の内側にいればフェイントかけられても無視して次の方向に合わせて動けばいいので、
相手は僕を抜けずに攻撃が停滞する、そのうちに味方が戻る、戻ったら人が余るので今度はインターセプトを狙う、
そういうことばっかりやっておりました。だから僕の属したチームだけ明らかにバスケが異質になる、でも強いという。
で、今回初めてプロのプレーを見て、宮城役の人がやたらとじっくり攻めるのを見てびっくり。緩急がものすごいのだ。
無謀に突っ込んでくる選手がいないんだから、こりゃ自分のプレースタイルは通用しませんわ、と思うのであった。
まるで点が入らず差をつけられる一方の新潟を見ていると、バスケとは攻撃ターンの成功率がモノをいうスポーツだな、
とあらためて思う。こうも「攻撃が最大の防御」なスポーツを思いつくアメリカ人は、やっぱりゲームをつくる天才だ。
アメフトもそうだが、アメリカ人には面白いゲームをつくる天性の才能があると思う。国民性なんだろうなあ。

  
L: フリースロー。バスケはスピードが速すぎて魅力的な写真を撮るのが本当に難しい。バスケらしい写真なんてこれくらい。
C: 「強い」「高い」「速い」「3Pポイントシューター」などいろんなタイプの選手がいて、その組み合わせが面白い。
R: タイムアウトのパフォーマンスは毎回違う。チアの皆さんはよく覚えて動けるなあと感心するしかないのであった。

思ったのは、やはり3ポイントシュートの価値は大きいということ。東京オリンピックで日本の女子が決めまくり、
なんと銀メダルを獲得してみせたのは記憶に新しい。NBAでもステフィン=カリーが革命を起こしたではないか。
そりゃ3ポイントシュートがポンポン決まれば強いわ、と実感するのであった。客としてもやっぱり盛り上がるし。
あと、富山に明らかに「あなたはどこかの部屋に入門した方が向いているのでは?」と思っちゃう体型の選手がいたが、
この人がとにかく強いのだ。もう本当に大黒柱。一本丈夫な柱があるからほかの選手が安心して動きまわれるのだ。
そこでハッと思いだす。初任校のサッカー部で区内最重量FWに任命した生徒がいたのだが、ある日バスケ部顧問から、
レンタル移籍のオファーを受けたのだ。「重い体で動くということは、それだけの筋肉があるってことですから」
なんて話にそういうもんかなあと思ったのだが、この選手のプレーを見て深く理解した。極めるとこうなるのか!と。
(ただし、やはり膝に負担がかかりすぎるのか、負傷により途中で退場。翌日の試合には出場できなかった……。)

  
L: ハーフタイム。センターのマスコットはアルード。踊りもできてバスケもできて、中の人はすごいですね。
C: 3Q前の練習光景。  R: 前半が終わった時点のスタッツが表示されるのはありがたい。サッカーもできるだろうに。

1Qがグダグダだった新潟だが、2Q途中から盛り返して1点差で後半を迎える。序盤からは考えられない快挙である。
そして後半、3Qを新潟がリードして終える。「ブザービーターが見てえなあ」なんて不埒なことを思っていたら、
4Qに富山が粘って、なんと同点でタイムアップしてオーバータイムに突入。初観戦でこれは運がいいってことなのか。

  
L: 富山の選手が使っている公式のタオルがケロリン! さすが越中富山の薬売りである。いやー、これは好きだわ。
C: 後半に入り新潟は調子を取り戻す。  R: 対する富山もしっかり粘る。気づけば実にシーソーな好ゲームに。

ちなみにどうにかダンクが撮れねえか思っていたのだが、正直なかなか難しい。この試合では2つ出たのだが、
どういうプレーになるか読めないうえに動きが速いので、きれいなタイミングで撮るのは本当に至難の業なのだ。

  
L: オーバータイム。ルール説明が入ってくれるのでたいへん助かる。  C: オーバータイムでは新潟の攻撃が大爆発。
R: 勢いに乗ってゴールを次々に決める新潟に対し、富山は焦りが先行した印象。オーバータイムだけで14-2の差がついた。

富山もよく粘ったが、最後は新潟がホームの勢いで完全に押し切り、89-77で勝利。ホームの地の利が大きかったと思う。
結果を見れば、新潟にとって最高に劇的な勝利となった。ここから少しでも順位を上げられるといいですなあ。

  
L: 試合終了。最後は序盤のモタつきが嘘のような快勝劇となった。  C: 喜ぶ新潟の皆さん。  R: ヒーローインタヴュー。

  
L: MVPは得点を決めまくったロスコ・アレン。ハンガリー代表とのこと。決定力がものすごかった。
C: MIP(Most Impressive Playerだってさ)はケヴェ・アルマ。アクリルボードにサインするの、かっこいいねえ。
R: 最後にコートを一周して挨拶。お疲れ様でした。富山の選手もそうだが、いいもの見せてもらいました。

一日の締めはやはり、へぎそばであろう。食うのは14年ぶりである(→2009.8.13)。おいしゅうございました。

 へぎそば。

昨年同様、宿では新潟県の酒をいただく。新潟の酒は辛口という印象があるのでその点は少し微妙ではあるが、
それならそれで素直に辛口を味わうべきなのである。本日は加茂(→2022.8.19)の酒を頂戴した。うーん辛口。
というわけで、やりたいことをとことんやり尽くした一日で、もう何も言うことはない。おやすみなさい。



2023.4.16 (Sun.)

本日はソフトボール部の練習試合なのであった。今年度の私は「名ばかりソフトボール部メイン顧問」なので、
朝からお付き合い。ちなみに顧問はぜんぶで6人という社会主義国もびっくりの集団指導体制である。船が山に登る。

試合を見て思ったのは、野球やソフトボールってのはストライクが入らないとどうにもならねえなあ、ということ。
そのうえで当たり前のことを当たり前にやる守備があって、初めてまともなゲームになる。摂理を再確認した感じ。
しかし選手のみなさんはオレよりも肩が強いんじゃないか。バッティングもこちらが負けてしまうかもしれない。
日頃の運動不足が極限にまで達している僕としては、ちゃんと活動しているんだなあと感心しきりなのであった。

曇って寒いと思ったら青空になって暑くなったかと思ったら突然の冷たい空気で雨が降ったと思ったらまた晴れて、
練習試合が終わって戻ってきたらまた雨で、と本日の天気はたいへんめちゃくちゃなのであった。困ったものである。


2023.4.15 (Sat.)

こないだ台東区立書道博物館の『王羲之と蘭亭序』を見たが(→2023.4.10)、東京国立博物館でコラボ企画を開催中で、
せっかくなので行ってきた。なお、東京国立博物館では常設展を「総合文化展」として定期的に展示替えしている。
今回は東洋館(アジアギャラリー)を中心に見ていく。『王羲之と蘭亭序』はその中の特集という扱いである。

東京国立博物館の東洋館を訪れるのは18年ぶりか(→2005.8.28)。時の流れとは恐ろしいものである。
久しぶりに来てみたら、大半の作品が撮影可能となっていた。ウェブで宣伝してくれた方がお得という価値観が、
しっかり定着しているということだろう。日記にまとめるこちらとしてはうれしい反面、本当にキツい……。
ひとつひとつ撮っていったらキリがないので、個人的にかなり気に入ったものだけを撮影していく。それでも膨大だ。

  
L: 如来三尊立像(中国・東魏:6世紀)の背面、彫り込まれた結縁者の名前と姿。これは見ていて飽きない。
C: 菩薩交脚像(パキスタン・クシャーン朝:2~3世紀)。顔の彫りの深さがいかにもシルクロードである。
R: セクメト女神像(エジプト・第18王朝:前14世紀)。よく残っていたなあと呆れる。動物をめぐる想像力が楽しい。

  
L: 彩陶短頸壺(中国・馬家窯文化:前2600~前2300)。馬家窯文化は新石器時代後期の文化で、歴史の厚みに圧倒される。
C: 骨製容器(中国・殷:前13~前11世紀)。青銅器でおなじみの饕餮文(→2023.2.23)が骨片に施されている。なるほど。
R: 甲骨(中国・殷:前13~前11世紀)。漢字の元祖である(→2023.4.10)。下に説明があるが、解読できるのがすごい。

  
L: 饕餮文鼎(中国・殷:前13~前11世紀)。やっぱり『封神演義』、太公望の時代の遺物がそこにあるってのは感動的だ。
C:  饕餮文瓿(中国・殷:前13~前11世紀)。国宝展で見たやつだ(→2022.12.6)。ここから殷周の青銅器にハマったのだ。
R: 各種石范。左手前が布銭(中国・戦国:前5~前3世紀)、右が五銖銭(前漢:前2~前1世紀)、上が半両銭(前漢:前2世紀)。

 揺銭樹(中国・後漢:1~2世紀)。青銅で神仙思想を造形したもの。台座は緑釉陶器。

  
L: 三彩梅花文壺(中国・唐:8世紀)。典型的な唐三彩の作品だと思う。緑は銅、赤褐色は鉄による。
C: 五彩金襴手水注(中国・明:16世紀)。景徳鎮民窯による作品。景徳鎮のレヴェルの高さに圧倒される。
R: 祥瑞茄子香合(中国・明:17世紀)。こちらも景徳鎮民窯による。日本の茶人の注文でつくられたそうだ。

8室では創立150年記念特集ということで『王羲之と蘭亭序』特集。上述の台東区立書道博物館とのコラボである。
書道博物館(→2023.4.10)は撮影不可だったがこっちは撮りたい放題ということで、こんな感じかと思ってもらえれば。

  
L: 淳化閣帖巻第八(中国・北宋:992年)。こちらが王羲之の草書。宋の太宗がまとめさせたもの。
C: 淳化閣帖巻第十(中国・北宋:992年)。王羲之の七男・王献之の草書。王羲之とともに「二王」と称される。
R: 黄庭経。王羲之の小楷(細字の楷書)の代表作とのこと。王羲之は楷書も行書も草書もぜんぶできるのだ。

  
L: 蘭亭図巻(乾隆本)(中国・清:1780年)。乾隆帝が蘭亭の関連資料をまとめたもの。曲水の宴をやっとりますな。
C: 真ん中が王羲之である。  R: 蘭亭図巻(乾隆本)の蘭亭序。非常に読みやすいが、その分リアリティに疑問が。

  
L: 蘭亭図巻(乾隆本)の続き。これは虞世南が書いた蘭亭序か。  C: 定武蘭亭序(呉炳本)。欧陽詢が写した蘭亭序。
R: 呉静心本定武蘭亭序(翁覃渓手校禊帖二種のうち)。趙孟頫が跋(来歴や感想・次第などを記した短文)を加えたもの。

  
L: 停雲館帖巻第二(中国・明:16世紀)。王羲之の書の部分をクローズアップ。右側が行書で左側が草書ですな。
C: 蘭亭洮河緑石抄手硯(中国・明:14~17世紀)。甘粛省洮河でとれる緑石の硯。蘭亭での曲水の宴を描いている。
R: 楷書七言聯(中国・清~中華民国:20世紀)。ラストエンペラーこと宣統帝溥儀の書。昔の人は書が上手いよなあ。

 西王母堆朱合子(中国・元:14世紀)。漆塗りの合子。精密である。

続いて朝鮮半島の工芸品。楽浪郡とか高句麗・新羅・百済の三国時代とか伽耶とか、日本史でやったなあとしみじみ。
その時代のブツが目の前にあるというのは、やはり感動的である。歴史が物体として存在する説得力は計り知れない。

  
L: 左2つが器台(朝鮮・楽浪:2~3世紀)、右が皿(朝鮮・楽浪:2~3世紀)。目の前に楽浪郡があるとは。
C: 三国時代の丸瓦。上段が高句麗、中段左が新羅、右2つが百済、下段が統一新羅時代。それぞれの違いが面白い。
R: 四脚付壺(韓国・三国-百済:6世紀)。灰色で釉薬を使わないところが須恵器との共通点を感じさせる。

  
L: 青磁象嵌菊花文長頸瓶(朝鮮・高麗:12~13世紀)。朝鮮の焼き物は戸栗美術館で見たなあ(→2023.3.16)。
C: 粉青鉄絵魚文瓶(韓国・朝鮮:15~16世紀)。描かれている模様にイスラームというかシルクロードの匂いを感じるのだ。
R: 白磁蓋付鉢(朝鮮:16世紀)。白のモノトーンで絵がない典型的な李朝白磁。朝鮮の焼き物の推移がよくわかった。

  
L: 冠(韓国・三国-加耶:5世紀)。伽耶/任那はヤマト王権が朝鮮半島に進出していたエリアだとか。
C: 左が鳥翼形冠飾(韓国・三国-新羅:6世紀)、右が透彫冠帽(韓国・三国-新羅:6世紀)。
R: 銅製鐎斗(韓国・三国:6世紀)。かなり凝った装飾が施されている。伽耶の領域で出土とのこと。

5階まで行ってから地下へ。東南アジア方面の作品が集められており、東アジアとは明らかに異なる価値観を感じる。
砂岩を彫ってつくられた石像が多く、比較的脆いせいか精密さには欠ける印象。インドの影響が色濃いのも興味深い。

  
L: 楣(カンボジア・アンコール:10世紀)。楣は「まぐさ」と読み、出入口の上に置かれる石材。欄間のようなものか。
C: ブッダ三尊像(カンボジア・アンコール:12~13世紀)。仏像も地域が違えば仕上がりがだいぶ異なるなあと思う。
R: 浮彫アプサラス像(カンボジア・アンコール:12~13世紀)。アプサラスとは水の精のことで、女性の姿で描かれる。

  
L: ガネーシャ坐像(カンボジア・アンコール:12~13世紀)。インドの影響が直で出ている。
C: ナーガ上の仏陀坐像(カンボジア・アンコール:12世紀)。ナーガは水を司る蛇の神である。
R: ヴィシュヌとガルダ像(カンボジア・アンコール:12~13世紀)。仲良く組体操しているように見える。

  
L: 黒褐釉象形容器(カンボジア・アンコール:12~13世紀)。クメール陶器は動物をモチーフにしたものが多いとのこと。
C: ジャムバラあるいはクベーラ坐像(インドネシア・中部ジャワ:8~9世紀)。仏教かヒンドゥー教か、判別が難しいそうだ。
R: 仏陀頭部(タイ・スコータイあるいはラーンナー:14~15世紀)。スリランカ美術の影響を受けているそうだ。リアル。

 
L: アジアの染織コーナー。インド亜大陸は染織技術の宝庫とのこと。国立民族学博物館を思いだす(→2013.9.29)。
R: 彦根更紗 赤地弓を引く男性図更紗(人形手)(南インド:17~18世紀)。井伊家伝来だそうで、鎖国中によく集めたなと。

地下にはミュージアムシアターが併設されており(別料金)、ちょうど始まる時刻ということで迷わず突撃。
テーマはVR作品『雪舟 ―山水画を巡る―』で、雪舟の作品に入り込むように絵を動かしながら解説を聞くというもの。
東京国立博物館が所蔵する「四季山水図」「秋冬山水図」「破墨山水図」の3作品の世界を30分ほどじっくり味わう。
ナヴィゲーターは駆け出しの声優さんなのか、実際にその場で説明をしてくれる。よくセリフを覚えられるなあ、
よく噛まないでしゃべれるなあと感心。ふだん授業で噛みまくりな自分としては、羨ましくってたまらない。
勉強になる内容だし、非常によかったと思います。もうちょっとPRして客を入れる努力をしてほしいなあ。

時間的な余裕があったので、本館の日本ギャラリーを見てまわる。こちらは外国人でめちゃくちゃ混み合っていた。
なるほど縄文から江戸・近代までテンポよく日本の博物館的美術館的作品を味わうには絶好の施設だもんなあ。
ただ個人的な印象としては、美術的価値が高い作品というよりは、各時代について状態のいい典型的な例の展示かなと。
まあ博物館だし、それでいいのだろう。美術的価値が高い作品はそれぞれの美術館に行ってじっくり味わえばいいのだ。
ということで、江戸時代くらいまではざっくり見ていく感じ。外国人観光客は甲冑や刀剣なんかに夢中なのであった。

  
L: 雪中老松図(円山応挙:1765)。  C: 松梅孤鶴図(伊藤若冲:18世紀)。目がギョロっとしていてこれは典型的な若冲。
R: 秋山遊猿図(森狙仙:19世紀)。森狙仙といえば猿、というのは酒田の本間美術館で学んだ(→2013.5.11)。

 写生帖(丁帖)(円山応挙:18世紀)。応挙の写生というだけで興奮できる。

  
L: 詩歌屏風(良寛:19世紀)。これが良寛の書か! 『ギャラリーフェイク』でのエピソードはインパクトがあった。
C: 一行書「禮聞来學」(松平定信:18~19世紀)。寛政の改革の人だぜ。  R: 蘇詩帖(頼山陽:19世紀)。

  
L: 新板風流五節句遊・五月 岩井半四郎(歌川豊国:18世紀)。初代の歌川豊国。歌川派の中興の祖である。
C: 山吹に鶴(歌川広重:19世紀)。  R: 五月幟(歌川国芳:1849)。芳幾・芳年の師匠ね(→2023.3.6)。

  
L: 梶原源太景季と佐々木四郎高綱(鈴木春信:18世紀)。  C: 音曲恋の操・山姥、金太良(喜多川歌麿:19世紀)。
R: 羅漢図(葛飾北斎:19世紀)。鉢から雲気が昇っているが、稲妻が走って龍を暗示しているとのこと。

  
L: 渡辺の源吾綱 猪の熊入道雷雲(葛飾北斎:19世紀)。さすがに北斎の浮世絵(木版画)が充実している。
C: 冨嶽三十六景・武州玉川(葛飾北斎:19世紀)。  R: 冨嶽三十六景・御厩川岸より両国橋夕陽見(葛飾北斎:19世紀)。

 江戸時代の根付。『ギャラリーフェイク』のストラップ文化の話に納得。

焼き物も充実しているが、個人的な興味関心から、有名どころと古伊万里をピックアップするのだ。
数がかなり絞り込まれているが、状態のいいものを厳選したことがうかがえるラインナップである。

  
L: 銹絵山水図水指(仁清:17世紀)。野々村仁清(→2010.11.13)を特集した展覧会、どこかでやってくれないかなあ。
C: 色絵椿図香合(乾山:18世紀)。  R: 銹絵十体和歌短冊皿(乾山:1743)。尾形乾山の代表的な作品(→2015.6.10)。

  
L: 染付竹虎文大鉢(伊万里:17世紀)。戸栗美術館でも見た初期伊万里(→2023.3.16)。でもこれはだいぶ洗練されている。
C: 色絵鳳凰柘榴文水注(伊万里:17世紀)。柿右衛門様式によって有田焼は世界に衝撃を与えたわけですな(→2018.2.25)。
R: 色絵花鳥文大深鉢(伊万里:17世紀)。これまた柿右衛門様式。まあやっぱり鮮やかな色が魅力的だと思う。

  
L: 色絵桜人物文大皿(伊万里:18世紀)。  C: 色絵桜花鷲文大皿(伊万里:18世紀)。18世紀になると金襴手が主役に。
R: 色絵枝垂桜図皿(鍋島:18世紀)。鍋島焼は大川内山(→2023.3.25)の藩直営窯でつくられた。呉須の青で上品に仕上げる。

時代はだんだんと下っていき、特集のニール号引き揚げ品コーナーを経て着実に近代へと近づいていく。
この辺りの展示ははっきりと博物館的な内容だが、なかなかお目にかかれない資料が多くて実に楽しい。
本館全体が日本についての総花的な展示なので、ダイジェスト感があるのがもったいなく思えてしまう。

 日本沿海輿地図(中図) 中国・四国(伊能忠敬:19世紀)。これは興奮せざるをえない。

  
L: 京都御所御学問所(横山松三郎:1872)。幕末から明治の古写真もじっくりと堪能したい世界である。
C: 東寺大師堂(横山松三郎:1872)。  R: 広隆寺太子堂(横山松三郎:1872)。なぜか天秤棒を担いだ人がいる。

  
L: アイヌの品々。白老や二風谷を思いだす(→2013.7.222013.7.23)。  C: 左が木綿衣、右がアットゥシ(樹皮衣)。
R: マキリ(小刀)。左3つが北海道アイヌ、右が樺太アイヌ。文化の微妙な違いがしっかり現れている。

  
L: 葡萄栗鼠漆絵面盆(琉球・第二尚氏:17世紀)。  C: 葡萄栗鼠螺鈿小箱(琉球・第二尚氏:18世紀)。
R: ウフソデジン (白地牡丹模様紅型)(琉球・第二尚氏:19世紀)。琉球は日本と中国のいいとこ取りをしているなあ。

最後は近代の美術。東京国立博物館は1872(明治5)年に湯島聖堂で開催された文部省博覧会をもって創立としているが、
そこから収集していった作品を堂々と展示。外国人はこっち方面にはあんまり興味ないみたいね。もったいないものだ。

 
L: 龍頭観音像(河鍋暁斎:19世紀)。  R: 森の仙人(平櫛田中:1917)。でんちゅうでござる(→2022.3.28)。

以上、予想していたよりもはるかにどっぷりと浸かって楽しませてもらった。しかし撮影OKだとまとめるのがつらい!


2023.4.14 (Fri.)

東京ミッドタウン日比谷でやっている江口寿史イラストレーション展「東京彼女」を見たので感想を。
江口寿史については川崎市市民ミュージアムでやった「江口寿史展 KING OF POP」でありったけ(→2016.1.27)、
および米沢嘉博記念図書館の「Side B」(→2016.1.23)でも少々書いているので、そちらを参照していただきたい。

 巡回展『彼女』にプラスアルファした東京限定版、らしい。

まずはマジックでその場で描いたという作品が別室で展示されている。タッチが生々しくてたいへん興味深い。
しかしまあ、お金になる絵だよなあと思う。これは純粋で最高な褒め言葉で、つねに需要があるのがすばらしいなと。

  
L: まずは別室のこちらから。  C: こういうのをサッと描けるというのがねえ……。  R: タッチが生々しくて面白い。

展示されている作品はすべて撮影OKで、うれしい悲鳴である。まあなんでもかんでも撮ればいいというもんではなく、
あくまで感じたことの備忘録でなければ意味がない。というわけで、思ったことをテキトーに書きつけていくのだ。
なお、貼り付けた写真は展示されている順ではなく、僕が言いたいことを言うのに都合のいい順である。悪しからず。

 セゾンカードカウンターレディーのおねーさんがお出迎えでスタート。

全体を通しての感想は7年前に書いたのとまったく同じで、「ああこれはリキテンスタインだ」である。
本人もわかってやっている。ただ、1980年代からパントーンオーバーレイ(カラーのスクリーントーン)を使っていて、
当時はどれだけ意識していたのかはわからない。途中から気がついて作品を洗練することに成功した、と思うのだが。

  
L: lyrical school『BE KIND REWIND』ジャケット(2019)。リキテンスタインをウォーホルで4倍にしている。
C: 銀杏BOYZ『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』ジャケット(2005)。リキテンスタインの方法論。
R: 楠見清『ロックの美術館』単行本カバー(2013)。明らかにウォーホルのエルヴィス(→2022.10.11)。

展示されている作品は「江口寿史展 KING OF POP」と重なっているものもあるが、もうちょっと気軽に楽しめる。
「KING OF POP」は年代別にマンガとイラストを整理して丁寧に足跡を追ったのに対し、今回は美人画に特化している。

  
L: 吉祥寺サンロード夏キャンペーンアドフラッグ(2017/2019)。もともとモノクロに鍛えられたからか、モノトーンも生きる。
C: 「マルコポーロ」表紙(1993)。シャープペンシルでの下描きと完成品の対比。やはり仕上げ方が非凡なのだと実感。
R: 「吉祥寺アニメワンダーランド」イベントポスター(2000)。女の子と乗り物を見て『DRAGON BALL』の扉絵を思いだす。

というわけで、女の子とバイクのイラストを見ているうちに、もともとデザイナーだった鳥山明と比較するとどうなのか、
なんてふと思った。もはや活動領域が完全に違っちゃっているけど、80年代ジャンプを交差点に面白い考察ができるかも。
あとマンガ家なんだけど女の子のイラストがめちゃくちゃ魅力的という人では窪之内英策が思い浮かぶのだが、
展覧会とか積極的にやってくんないかなあと思う。80年代のマンガには何か特別なものがあるのかもしれない。

  
L: 「Weekly漫画アクション」表紙『美少女のいる街風景』シリーズ〈原宿〉(1999)。自分のタッチで肖像画も描けるのね。
C: 街カードフェスタ池袋(2015)ほかのスタンドポップ。ぱっと見、いわゆる坂道系女子ってこういうことか、なんて思った。
R: 雑誌「Number」に掲載されていたイラスト(2017/2018)。Numberこんなことやっとったんか。……ヤクルト女子は?

  
L: ライブスケッチの作品も展示されていた。でも正直、これは少しタッチが変わるよね。それはそれでいいんだけどね。
C: 「illustration」221号 表紙(2019)。すぐに林檎とわかるのがすごい。画集『彼女』の表紙にもなっていた。
R: 画集『WORKs』カバー(2008)。深田恭子風か。鼻と唇をしっかり描いて、リアルに寄せた絵もできるわけだ。

  
L: 「月刊ティアラ」とじこみ口絵連載(1988)。男も描いているけど、女子のみなさん的にはどうなんだろう。
C: 『パパリンコ物語』扉絵(1986)。実に80年代だなあ。自分専用の原稿用紙で描いているところがすごいなあと。
R: 「Hot-Dog PRESS」表紙(1983)。パントーンオーバーレイを使った作品。日本人イラストレーターが多用していたそうで。

  
L: ブリヂストン 販促用カレンダー(2018/2017)。タイヤと女の子。企業の要求にいくらでも応えられる強さよ。
C: 桜美林大学 学生募集用パンフレット『2009入試ガイド』(2008)。情報の詰め込み方がマンガ仕込みの巧さである。
R: 街カードフェスタ池袋 背景(2016)。街の風景をメインで描いた作品だが、やはりアングルのとり方がいいのだ。

  
L: 芦川いづみデビュー65周年記念祭のためのイラスト(2019)。いつもと違う角度。でも鼻は絶対に最小限。そして美しい。
C: 水俣市観光ポスター(2014)。かつて別作品を水俣で見たけど、街と女の子を実に魅力的に見せてくれる(→2017.8.19)。
R: アンナミラーズに捧ぐ(習作)(2022)。なるほど、ロゴとか制服とか、記号性の強いモチーフとの相性の良さを感じる。

こうして作品を眺めてみると、やっぱり魅力的ですなあ。かわいい女の子の絵を自在に描けるとは実にうらやましい。
そしてそれが確実にお金になるクオリティなのがまたうらやましい。他人から求められる才能ってことですからね。
江口寿史って人は、分析するといろいろ勉強になる絵を描いている人だと思うんですよ。やっぱり魅力的で面白い。


2023.4.13 (Thu.)

職員室で席が移動したことで日記が滞っているという事実。前は究極の奥地だったのでやりたい放題だったのだが……。
今の席は愛を叫びたくなるくらい世界の中心でございまして。知床からマンハッタンに引っ越したようなもんですよ。
おかげで悪さがぜんぜんできない。まあ授業準備や復習プリントづくりははかどっていますけどね。ニンともカンとも。



2023.4.11 (Tue.)

毎年恒例、ワカメ上京である。前回は新宿東口だったけど(→2022.6.1)今回は西口に集合ということで、
思い出横丁の辺りで待つ。コロナの入国規制はもう完全に解除されているようで、外人ばっかりである。
特に思い出横丁が超大人気なのであった。完全に外人に占拠されている状態。外人も昭和ノスタルジーに憧れるのか。

そんなこんなでワカメ・ハセガワ両名と合流。ナカガキさんは今回都合つかずで残念なのであった。
ハセガワさんオススメの店に入ってさっそくオススメの物はなんだ、というトークが展開される。待ってました。
今回はワカメがハセガワさんに『僕ヤバ』(→2023.1.112023.1.24)を課題図書として指定しており、
ハセガワさんは素直に午前3時まで読んでいたそうである。何巻の山田がいいか、なんて話で盛り上がるわれわれ。

あとはWBCでの興奮具合とか(→2023.3.212023.3.22)、『SLAM DUNK』の映画とか(→2022.12.20)、
『BLUE GIANT』の映画(→2023.3.2)とか、『シン・仮面ライダー』(→2023.4.5)とか。映画の話多かったね。
ワカメが家族で伊根町に行くって話で、オレもぜひ行って街並みを見たいけど、周辺に娯楽はないよねえ、とか。
籠神社(→2013.8.12)を参拝して御守を頂戴して(→2015.1.11)御守マニアになりなさい(→2014.11.25)。

マンガではワカメもハセガワさんもすげー『トリリオンゲーム』って言ってたので、近いうちに読みます。


2023.4.10 (Mon.)

では昨日見た、台東区立書道博物館の『王羲之と蘭亭序』について。

王羲之といったら顔真卿とともに中国のめちゃくちゃ字の上手かった人、という認識である。テキトーである。
顔真卿の楷書が現在の明朝体のモデルとなったとされるわけだが、王羲之は楷書も行書も草書もぜんぶできる、
というかむしろ字を美しく感じさせる基準をつくったと言っていい存在。活躍したのは4世紀、東晋の人である。
(顔真卿は8世紀、唐の人。太宗は王羲之を熱烈に支持したが、顔真卿は王羲之の楷書に反発して独自の世界を開いた。)
王羲之の真筆は戦乱や太宗が墓に持っていったことですべて失われてしまったが、石碑に彫られた文字の拓本がある。
しかしさまざまなヴァージョンがあって、「これが王羲之の筆跡!」と断定できるものはない。でも神格化されている。

その王羲之の書作品の中で最も有名なのが『蘭亭序』。「永和九年歳在癸丑暮春之初會于會稽山陰之蘭亭」で始まる、
324字の文である。永和9年、西暦でいうと353年、王羲之は会稽山にある蘭亭に客を集めて曲水の宴を開いた。
盃を水に流して自分のところに来るまでに詩歌を詠むってやつである(日本の例 →2008.9.122018.8.12)。
このとき詠まれた詩集の序文が『蘭亭序』なのだ。王羲之は酔っ払って即興で書いたが、後で何度清書してみても、
それ以上の出来にはならなかったという。なお、分類としては行書になる(参考までに狩野派の価値観 →2017.11.1)。

展示はまず、王羲之の時代における書の状況からスタート。漢代には隷書が公式の書体だったが、
晋に代わって楷書・行書・草書などが生まれた。王羲之はそんな時代のスタンダードとなったわけである。
草書はだいぶ崩されていて、ひらがなまであと一歩という印象。日中の文字の比較もじっくり見てみたいテーマだ。
しかし書の世界というのは、量を見ないとわからん世界であると思う。量を経験して初めて差異を味わえる領域だ。
そして2階に上がると贅沢な『蘭亭序』コーナー。いくつもの模写本が並んでおり、ひとつひとつ比べて見られる。
でもよく見ると、正直それぞれだいぶ違う。自らが理想とする王羲之の書体があって、そこに近づける努力というか。
一言で表現すると、「王羲之フォントへの欲望」。歴史的に見て、これは究極のおたくの世界なのではないか。
ちなみに個人的に最も気に入ったのは、神龍本の『蘭亭序』である。拓本の具合がいいというのもあるが、
流麗、闊達、端正、豪壮、あらゆる要素がバランスよく含まれているように思う。いい意味での中庸って感じがする。
いろいろ見ていくと結局、古来から崇められる山に建てた邸宅で曲水の宴をやったことが中国文人の理想形であり、
それが王羲之の中でも特に『蘭亭序』への憧れを増幅したのではないかと思う。それくらい拓本にバラツキがある。
展示はその後、日本も含めて王羲之が影響を与えた書を広く紹介していく。いや、新たな世界を体験したなあ。

せっかくなので常設展も見学。漢字の起源ということで、石仏に刻まれた文字からのスタート(甲骨は後で出る)。
個人的にはそれぞれの漢字を古文・篆書・隷書で彫り込んだ三体石経が最高に面白かった。デザインとしての文字の起源。
幼少期に『漢字はかせ』という上下巻の本(小学校で習う漢字を網羅)をボロボロになるまで読み込んだ僕としては、
自分の最も本質的な部分を呼び起こされた感覚になった。ああ、オレはこっち側の人間だったわ、と思いだした。
仏像そして墓碑、墓誌と見ていくうちに、漢字というもの、圧縮された情報に込められた美をあらためて実感する。
さらに甲骨文字や塼(せん)も展示される。塼とはつまりブロックだが、漢字が刻まれているのが特徴である。
そして金文を主人公にして殷周の青銅器(→2023.2.23)も登場。中村不折が青銅器にハマった理由がわかった。
最後は時間の関係でけっこう駆け足になってしまったが、新たな分野の知識がかなり増殖してたいへん刺激的だった。

 
L: 台東区立書道博物館、中庭と中村不折の像。  R: 牡丹がきれいなので撮らずにはいられなかった。

なお、『王羲之と蘭亭序』は東京国立博物館でもコラボ企画をやっているそうで、これは困ったなあと。
GW前に終わってしまうので、せっかくだからなんとか暇をつくって見に行きたいものだ。いや、面白かったです。



2023.4.7 (Fri.)

映画『グリッドマン ユニバース』を見たので、その前提の『SSSS.GRIDMAN』と『SSSS.DYNAZENON』と合わせて書く。

まず『SSSS.GRIDMAN』。1993~1994年の円谷プロの特撮ドラマ『電光超人グリッドマン』が原作のアニメ。
僕は原作を見ていないし、興味もないので、純粋に絵のきれいなアニメとしてどうなのか、という観点しか持てない。
感想としては、エレカシ丸出しなサムライ・キャリバーと六花のふとももがたいへんよろしいというのが第一。
合体ロボットによるバトルはよくわからんし、新世紀中学生という名称はもっとよくわからんしで、
とりあえずキャラクターのドラマとして考えると、実写をぶっ込んで新条アカネを表現したのは面白かった。
あと六花の母ちゃんの声がカレカノの芝姫つばさだったので、それがなんだかうれしかった。
われながら断片的な感想しかないが、興味を持てる部分が断片的なのでしょうがないのだ。申し訳ないのだ。

で、『SSSS.DYNAZENON』。『SSSS.GRIDMAN』の直接の続編ではないのだが、大いに同じ匂いのする作品。
こっちは「怪獣使い」が主要テーマであり、円谷における「怪獣使い」という用語は特別なはずで(→2012.12.20)、
そう思って構えていたら肩透かし。まあでもウルトラマンは直接関係ないからしょうがないかと納得はしている。
しかしながら僕としてはやっぱり、「怪獣」よりも知性のある他者とのやりとりが面白いわけで(→2012.4.19)、
そっちの方には行かずに合体バトルを繰り返されてもよくわからん。キャラクターのドラマは及第点なんですがね。
まあ怪獣とは何なのかという方向を突き詰めてもエンタメにはならないだろうから、しょうがないんだけど。

という感じの是々非々具合で『グリッドマン ユニバース』を見たわけだ。キャラクターのドラマとして見た場合、
TVアニメ2作品でやり残したことはぜんぶやったなと、その点お見事な出来ばえである。続編をつくれない気もするが。
ここまでついてきたファンの見たいものをしっかり実現していた映画であると思う。満足度は高いんじゃないかな。
ただ個人的に、合体バトルはやはり醒めてしまう。自分のファンタジー脳(能?)の欠如をとことん実感した。
強い、弱い、ビームが出る、合体してパワーアップ、こういった「様式」が僕にとっては本当に難解なのだ。
だからキャラクターのドラマとしては満足、でも合体ヒーローというものは理解不能という非常に両極端な状況で、
あくまで僕の中では水と油が完全に分離したままで最後まで行くわけで、その分裂した感覚が変に新鮮だったというか。

自分の幼少期を振り返ってみると、そりゃまあヒーローものは見たけど、ハマったかというとそうでもない気がする。
覚えているのは周辺のドラマであって、バトルそのものへの興味は薄かったと思うんだよなあ。実際はどうだったろう。
『科学戦隊ダイナマン』と『宇宙刑事シャリバン』がピークだったけど、小学校に入ってからは急速に興味を失った。
(ちなみに仮面ライダーシリーズはこの時期、完全に空白期(→2023.4.5)。それで興味が湧かなかったのだろう。)
年齢を重ねるにつれてファンタジー脳(能?)が欠落していった可能性はある。ある意味で感性が硬直化したかもしれん。
それはあまりよくない歳のとり方なのかもしれないなと思う。とりあえず、変に反省するのであった。


2023.4.6 (Thu.)

入学式なのであった。さすがに来年度には担任をやることになるはずで、この感じはどうにもなあと思いつつ眺める。
なんというかね、担任をやることは、僕にとっては家父長制(→2010.2.32012.9.5)と重なるので、それでどうにも。
まあそんなことも言っていられないのだが。うーん。


2023.4.5 (Wed.)

庵野秀明監督作品『シン・仮面ライダー』。これは浜辺美波を味わう映画ですね。終わり。

……それもアレなんでいちおうもう少し書いていくと、「庵野疲れているだろ」って感じかなあ。
いろいろ考えているのはわかるんだけど、それがマジョリティにはハマらない方向に進んじゃっている感じ。
もっと面白くできただろ感が強く漂うのだ。一定レヴェルではあるけど、もっと面白くつくれる人はけっこういると思う。

まず最初が小河内ダムで、おおーあそこ(→2018.8.22)で戦っとる!という面白がり方ができたのだが、
結局のところCG全開のアクションで、やはり見づらい。しかもクライマックスは暗くて何をやっているのかサッパリ。
それでいて最後の泥仕合だけマジでやられても……。美しいアクションとの対比が成り立っていないので違和感だらけ。
さらには斎藤工(→2022.6.15)と竹野内豊(→2016.8.23)を出すのもズルいというか、保険をかけている感じに思えて。
そういうところで点数稼がないといけないのかい、自信がないのかい、と思えてしまったのだ。疲れているだろ、と。

ほかにもロボット刑事Kの出し方はこれでよいのかとか、仮面ライダー第0号を名乗るのは論理的におかしくないかとか、
話が進んでいくにつれて違和感ばかりが増幅していく。結局これはオレが仮面ライダー自体にあんまり興味がないからか、
というところが結論であります。「仮面ライダー」というコンテンツへの興味に応じて評価が大きく変化する作品ですな。
僕は『仮面ライダー』をきちんと見たことが一度もなくて、視聴時間的には『仮面ノリダー』の方が圧倒的に長いわけで、
だからすいません、「仮面ライダー」を知らない僕には『シン・仮面ライダー』については正直よくわからないです。
ただただ、浜辺美波とあんなことやこんなことをしたいなあと思いました まる


2023.4.4 (Tue.)

今度来た教頭が飯田高校でオレの1コ上だとさ! やべえ! ……ってか、飯田高校OB多くね?(→2022.2.15



2023.4.2 (Sun.)

山田鐘人/アベツカサ『葬送のフリーレン』。既刊10巻までについてレヴューなのだ。
まず前提として、さんざん書いているように、僕にはファンタジー脳(能?)が完全に欠如している。
なのでファンタジーとしての理屈はわからない。そっちの価値観にもとづいた評価は一切できないので悪しからず。

正直に書くが、読んでいていちばん最初に浮かんだ気持ちは「悔しい」である。この作者、悔しくなるほど頭がいい。
ファンタジーとしてどれくらい正しく設定をつくることができているかは僕にはわからないのだが、論理的に正しい。
言うまでもなく、この物語がテーマとしているのは「時間」だ。この難しいテーマに真っ正面から取り組む度胸、
そしてこれを論理的に正しく扱うことのできる知性。読めば読むほど、その鮮やかさに悔しさが募るばかりだ。
相対性理論で言えば運動の速度が速ければ時間はゆっくり流れるわけで、究極的には流れる時間の速さは個人で異なる。
つまり、人はひとりひとり異なる時間を生きている。しかし記憶を共有することで時間をつないでやりくりしている。
その記憶の積み重ねによって人間性が保持されていくのだ(『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』 →2005.8.19)。
この作品では、記憶に触れることで人間性を確かめていくのが実に正しい。寿命が長いから悲しみに耐えるため、
鈍感になるのはわかる話で(精神が成長しない自分は身につまされる)、だからこそ記憶の価値が問い直される。
それはフリーレン個人についてもそうだし、連綿と続いて過去が薄れていく人間の社会についてもそうなのだ。
時間は人を忘却の彼方へ送り出すし、人を癒しもする。だんだんと開いていく距離を飛び越えるもの、それが記憶だ。
人を信じることを記憶でつなげる、そこにおそらく人間性の鍵がある。この作品は、そのテーマに真摯に取り組んでいる。

また、もうひとつ特筆すべき点がある。それは魔族の扱い方だ。人間と似て非なるもの、それを論理的に正しく描く。
作者が鋭いのは、人間と魔族の差として「言語」を示したところだ。人間にとって言語はコミュニケーションの手段だ。
(上で述べたことを踏まえると、言語は人間性を保持する記憶の、最も高度に洗練された手段ということになる。)
しかし魔族にとって言語は食欲を充たすための手段でしかない。この設定を突きつけられたときの悔しさは凄まじかった。
なるほど、作中における魔族の言語は明らかにシニフィアンとシニフィエがズレている。シニフィエの先には捕食がある。
裏を返せば、嘘──つまり信頼を断ち切るその場しのぎの言語を操る者に人間性はない、と示しているのだ。実に正しい。
そして人間と魔族の差を収斂進化で説明したのがまた凄い。ファンタジーではあるけど、論理的な正しさをサボらない。
(そういえば、魔法の進化について明記しているのも珍しいのではないかと思う。時間の流れに敏感な作品だからか。)
古今東西の優れた作品はあの手この手で人間を描いてきた。その手法として人間と異なる他者との対比も用いられてきた。
現代においてはダークファンタジーという極端な手法が人気を集めているが、この作品はその安易さに頼ることなく、
記憶と言語という知的な側面から人間性を描こうとしている。哲学レヴェルでの議論に堪えるだけの強靭さを持っている。

マンガとしての技術的な面で言うと、明らかに淡々と進めることを意識しているネームのつくりがさすがである。
フリーレンの生きる時間は人間のものよりも長いため、鈍感にならざるをえない。これをマンガで表現するべく、
あえてバトルの迫力を削るコマ割りを徹底している。具体的に言うと、大きなコマを絶対に出さないのである。
サイズが均等に近い小さいコマで、数による情報量を確保しながら、等速度運動のようなバトルを展開していく。
読む側をスピードに乗せないコマ割りと言うこともできる。小さいコマの連続性はまるで映画のフィルムのようになり、
スクリーンの向こうに物語があるような距離感を生みだす。現在なのに、どこか過去の記憶のような感触で話が進む。
一方で、少年マンガとしての文法もきちんと守る。主人公たちの強さは、やはり客観的に示されないといけないのだ。
この作品では一級魔法使い試験がその要素を担う。実にNARUTO(→2019.7.22)で鬼滅(→2020.11.13)だと思ったが、
よく考えたら元祖は『幽☆遊☆白書』(→2011.10.31)か。『DRAGON BALL』は天下一武道会がその機能なのよね。
その延長線上でキャラクターを増やしてさらなるドラマを構築するのも巧い。そしてそれがさらなる記憶を生みだし、
フリーレンの目的に合致していくのがまた巧い。そんでもってスピンオフ要素もりもりとなるのも現代風である。
また、フリーレンはヒンメルとの冒険で一度「クリア」をしているため、正解を知ったうえでの冒険譚なのも現代風。
いわば「2周目」であるわけだが、1周目との差異が記憶を呼び起こしつつピンチの演出となるわけだ。とことん巧い。

というわけで、ファンタジー脳(能?)が欠如している僕でもあらゆる点で納得させられる作品となっている。
2巻が終わった時点で「葬送」の意味を明かしたり、各話締めのセリフというか落とし方に気が利いていたり、
哲学レヴェルでも賢いだけでなく、ストーリーテリングのレヴェルでも賢い。どの程度連載が続くのかわからないが、
この作品なら惰性で続ける感触にはならないのではないかと思わせる。悔しい、そして、本当によくできている。


diary 2023.3.

diary 2023

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