diary 2016.12.

diary 2017.1.


2016.12.31 (Sat.)

年末のテレビ特番そっちのけで麻雀三昧だよ。これだけ密度濃く麻雀をやる時間が続くのはずいぶん久しぶり。


2016.12.30 (Fri.)

昨日はフルパワーで三河のあちこちを動きまわったが、今日は尾張が舞台。特に名古屋市内の神社を巡るのだ。
なんでも「名古屋三大天神」とされる神社があるそうなので、ほかの有名神社も押さえつつ制覇するのである。

しかしまずは、伏見の宿から歩いて若宮大通へ。西へ行って、堀川の手前に鎮座しているのが洲崎神社だ。
安房国一宮とはまったく関係がない。もともとこの地の石神を祀っており、後にスサノオを祀るようになった。
かつては栄1丁目全域が社地だったそうだが、名古屋城が築城されて武家屋敷がつくられ、堀川も開削されて、
現在は本当にわずかな面積を残すのみとなってしまった。身を削って名古屋を繁栄させた神社ってところか。

  
L,C: 洲崎神社。境内は小さいが、その分だけ凝縮されている感じはある。名古屋の街とともに都会化した神社か。
R: 拝殿。いろいろと物が多くて本殿を覗き込む余裕はない。でもやっぱり、そのおかげで密度が高い感触がする。

東へ戻りつつ若宮大通を渡って南下、大須観音へ。浪人時代は大須が大好きで、本当によく入り浸ったものである。
最近は相対的に名古屋の存在感が遠くなったこともあってサッパリであり、大須観音にきちんと参拝するのはおそらく、
「ハシバJAPANの絶対に負けられない戦い」以来ではないか(→2006.8.15)。……10年も前! びっくりだ。
大須観音はもともと羽島に勧請された北野天満宮の別当寺としてスタートしている。山号が「北野山」なのはそのためか。
そう考えると、浪人時代に入り浸っているうちに菅原道真のご加護をもらえた気がしてくる。感謝しつつ参拝する。
その後はあらためてじっくりといろんな角度から写真を撮っていくが、いかにも寺らしい自由なつくりをしていると思う。

  
L: 仁王門。年末のお祭りモードで撮影するのがとにかく大変。  C: 本堂。  R: 角度を変えて眺める。

残念ながら、今日は大須の商店街をのんびり歩いている暇はない。若宮大通に戻ると東へ進んで若宮八幡社へ。
もちろん、「若宮大通」という名の由来はこちらの神社だ。名古屋総鎮守とされ、とても影響力のある神社なのだ。

  
L: 大通りの歩道とスムーズに接続している感じの若宮八幡社境内入口。  C: 境内はかなり開放的な雰囲気である。
R: クランク状の参道を進むと木々に包まれた社殿に到着。手前の提灯には「名古屋総鎮守 若宮八幡社」の文字が。

あらためてきちんと訪れてみると、境内はかなり開放的な印象がする。まず、大通りに面しているが、塀が非常に低い。
そして周囲が都会化しきっていることもあり、緑が境内の奥の方にだけ集中していて、砂利の空間が広いのである。
すぐ近くには白川公園があるが、若宮八幡社は古くから公共的な使い方をできるようにしていたんじゃないかと思える。

  
L: 拝殿。さすがの迫力である。  C: 本殿の脇には多数の摂末社が鎮座している。  R: 本殿を覗き込む。

これで名古屋の中心部の神社はだいたい押さえた格好だ。それではいよいよ「名古屋三大天神」めぐりをスタートする。
地下鉄の一日乗車券で大曽根駅へ。僕の浪人中にはナゴヤドームが建設中で、大曽根駅はその最寄駅のイメージ。
しかし現在は名城線が延伸したことでもっと近い駅ができた。いろいろと時間の流れを感じる部分である。ニンともカンとも。
さてそんな大曽根駅からJRの線路沿いにまっすぐ北上したところにあるのが、山田天満宮。まずはここから参拝するのだ。

  
L: 山田天満宮。  C: 合祀されている金(こがね)神社。境内の西側にある。  R: 街中らしく境内は木が少なめ。

山田天満宮は1672(寛文12)年に尾張徳川家の2代目・徳川光友が太宰府天満宮から勧請して創建された。
名古屋城の鬼門に当たるというのも、この地が選ばれた理由とのこと。いかにも神社らしい外観をしているが、
境内は地面の露出が少なく都会的である。いかにも名古屋の街中にある神社という印象がするなあ。

 
L: 拝殿。後ろに木々がないのがなんとも新鮮である。  R: 本殿。手前の機械はよくわかりません。

参拝を終えると次の目的地へと向かう。名城線でそのまま東へ進んで、茶屋ヶ坂で下車する。
正直、名城線の東側は浪人中には存在しなかったので今もよくわからないのだが、とりあえず県道に出て坂を上がる。
すると歩道橋の足元に公園があって、そこから緑道を南下していく。そうして住宅地を抜けると上野天満宮に到着だ。

  
L: 上野天満宮。やはりこちらも土の露出が少なく、いかにも名古屋の街中にある感じの小ぎれいな神社なのであった。
C: 境内を進むと衝立越しに拝殿が現れる。この衝立は愛知県にやたらと多く、「蕃塀」というそうだ(⇒こんなサイトも)。
R: 上野天満宮の拝殿。柱の赤と屋根の緑青がとっても対照的である。全体的に清潔感のある神社だと思う。

上野天満宮の歴史は古く、平安時代中期に安倍晴明の一族が菅原道真を祀ったのが起源とされている。
全体的にきれいな神社で、社務所もガラス面積が大きくてかなりモダン。やる気を感じさせる神社である。

  
L: 本殿。  C: 本殿の脇には梅園。奥の方はふつうの公園になっている。  R: 厄除ひょうたん奉納所。

面白いのが「天神みくじ」の人形があちこちに置かれていること。これがけっこうかわいいのである。
たぶん自然発生的にそうなったと思うのだが、梅の木や撫で牛を囲む瑞垣の上や蕃塀に並んでいるのが微笑ましい。

 
L: 合格祈願水とは……!  R: あちこちに並ぶ天神みくじの人形。これは蕃塀の裏側にいた緑色。

参拝を終えると大須に戻る。ランチタイムということで、大須でいただくのは当然、スガキヤラーメンなのだ。
毎度毎度写真に撮っているのだが、やっぱり今回も撮っちゃう。名古屋に来たら3食のうちひとつは必ずこれなのよね。

 おいしゅうございました。

そのまま大須で御守探訪である。朝に大須観音を訪れたが、もう一箇所、有名なお寺があるじゃないか。
そう、萬松寺だ。現在の大須の商店街は、もともと萬松寺の寺領(今でも萬松寺が大須一帯の大地主とのこと)。
名古屋城築城の際に移転したが、移転前には織田信長が父・信秀の位牌に抹香を投げつける事件を起こしている。
「あの寺かよ!」と思うと、参拝するのも非常に楽しい。で、実際に訪れてみたら、あまりにも都市的寺院でびっくり。
いくら名古屋大空襲ですべてが燃えてしまい、再建が1994年のこととはいえ、これははしゃぎすぎではないかと。
お寺というものは神社とは比べ物にならないほど自由な発想を繰り出してくるものだが、それにしてもフリーダムだ。

  
L: 商店街の中にしっかりと溶け込んでいる授与所。御守の種類も非常に多い。近くには万松寺茶屋もあるぞ!
C: 萬松寺の本堂。都市のお寺を追求していった究極形であろう。  R: 背面。もうちょいなんとかならんか。

大須を出ると門前町通を南下する。「門前」とはつまり本願寺名古屋別院の門前ということだが、これまた強烈。
1972年再建の本堂は築地本願寺を思い起こさせるスタイルと見せかけて本体はモダン。ところがまったく対照的に、
大空襲から奇跡的に残った鐘楼は1729(享保14)年ごろに移築されたもので、かなりの存在感がある。面白い。
まあ何よりすごいのは門前町通それ自体で、とにかく仏壇屋ばかりが並ぶ。この圧倒的な密度は田原町にも負けない。

  
L: 本願寺名古屋別院。かつては名古屋大学医学部の前身である医学講習所が置かれていたそうだ。
C: 鐘楼。名古屋の大空襲は特に文化財の被害が大きかった印象。それをくぐり抜けた貴重な存在だ。
R: 門前町通の仏壇屋。南側から北の大須方面を眺めた構図だが、出ている看板は100%仏壇屋である。

そのまま南へ行ったところにあるのが、日置神社。式内社で、織田信長が桶狭間に出陣する際に祈願したそうだ。
市街地の中だが細長い境内となっており、木々がよく茂っている。神社らしい湿り気を持った神社なのであった。

  
L: 日置神社の境内入口。  C: きちんと奥行きがあるのだ。  R: 拝殿。緑に包まれているのがかえって新鮮というか。

 奥にある廣富稲荷神社。この辺りはだいぶ窮屈である。

いろいろと寄り道したが、いよいよ「名古屋三大天神」の最後となる桜天神社を目指して移動する。
大須観音から丸の内までは鶴舞線だが、丸の内は桜通線も通っていて、この乗り換えが僕の心象風景の一部なのだ。
浪人中にさんざん乗り換えをしたのだが、まったくひと気のない通路を歩いていると、SF世界の中に入った気分になる。
今回、いい感じの写真が撮れたので、貼り付けてみるのだ。どうですかね、夢に出てきそうじゃないですか?
『ウルトラセブン』第43話「第四惑星の悪夢」のあの廊下に近いものがあるんじゃないかと僕は思うんですけど。

  
L: 丸の内駅、鶴舞線サイド。ベージュなのに無機質、かつ一定のリズムの空間がずーっと続いている。
C: 鶴舞線サイドから桜通線サイドに切り替わる地点。  R: 桜通線サイド。この水色がまたなんとも独特で。

……いかがでしたでしょうか。名古屋中心部の地下鉄の乗り換え(栄・伏見・丸の内・久屋大通)はどこも個性的だが、
この丸の内の乗り換え空間がいちばん強烈だ。本当に人が少ないので、異次元に入り込んだ錯覚をおぼえる。

さて、地上に出て現実に戻ろう。丸の内駅から桜通をしばらく東へ行くと、ビルの間にひっそりとたたずむ神社がある。
これが「名古屋三大天神」のラストを飾る桜天神社である。というかそもそも、桜通の名の由来はこの神社なのだ。
したがって、地下鉄桜通線もこの桜天神社が大元ということになる。移転前の萬松寺の鎮守としてスタートした神社だ。

  
L: ビルの合間にひっそりとたたずむ桜天神社。  C: なんか柄杓がすげえぞ。  R: 拝殿。これ以外の角度では撮れない。

境内はとにかく小さいが、奉納された柄杓を見ればその人気ぶりはよくわかる。しっかり二礼二拍手一礼しておいた。

 対照的に広々としている桜通。名古屋駅からまっすぐ東へ延びている。

参拝を終えると、近くのカフェでしばらく日記を書いて過ごし、辺りが暗くなる前に店を出る。
地下鉄桜通線に乗り(これを「チェリーする」という)、名古屋駅へ。メシをいただくと飯田行きのバスに乗って帰省。


2016.12.29 (Thu.)

さあ年末だ! 実家に帰るぞ! でもふつうには帰らないぞ!

……ということで、夜行バスで降り立ったのは名古屋駅。自分としては、わりとふつうな部類である。
でもここからが違う。すぐに地下鉄に乗って、御器所で名鉄に乗り換える。2年ぶりの豊田市駅だ(→2014.8.9)。
ファストフードでサラッと朝メシをいただくと、「とよたおいでんバス」という小型のバスに乗り込む。
足助のとき(→2015.8.12)にもお世話になったコミュニティバスだ。豊田市もいろいろと広いのである。

30分ほど揺られ、猿投神社前で降りる。本日最初の目的地はここ、猿投神社だ。ちなみに名鉄三河線の猿投駅から、
直線で6km以上の距離がある。ぜんぜん最寄駅とは言えないのである。神社は人里から山に入った先って感じの場所。

  
L: 猿投神社の鳥居。県道349号沿いだが、なんとも独特な角度である。  C: 真正面から見た境内。  R: 参道を進む。

猿投(さなげ)神社は三河国の三宮とされる。しかし「猿投」とは、なんとも面白い地名だ。猿を投げたのかと思ったら、
本当に猿を投げた伝承から来ている。景行天皇が海に投げ捨てた猿が住んだ山が、猿投山。まあ実際は部下だわな。
猿投神社の祭神は大碓命。景行天皇の息子で、日本武尊の双子の兄だ。東征を拒否したため美濃国に封じられ、
猿投山に登っている途中に蛇に咬まれて亡くなったという(ちなみに大碓命の代わりに日本武尊が東征することになった)。

  
L: こちらの妻入の長い建物が拝殿。  C: 正面から見たところ。  R: 奥にある四方殿。拝殿と中門をつなぐ。

猿投神社といえば、「左鎌」を奉納することが有名である。これは大碓命が左利きであるという伝承によるもの。
双子の片割れの日本武尊が右利きなので、もう片方は左利きという理屈。彼が開拓に使った左利き用の鎌を奉納する。
現在ではそれが絵馬の一種(実際に左鎌が描かれている絵馬もある)として定着しているようで、とても壮観だった。

  
L: 本殿の手前に位置する中門。猿投神社はここで参拝するスタイルなのだ。  C: 角度を変えて眺める中門。
R: 奉納されている左鎌。愛知県内の工場が安全祈願に奉納するようだ。中京工業地帯の底力が感じられる光景である。

写真の数がいつもより多いことからもわかるとおり、猿投神社の社殿は非常に見応えがある。撮っていて面白い。
まずはやはり細長い拝殿に、四方殿を経ての中門。奥の本殿の手前にも幣殿がしっかりと建っている模様。
その東側には境内社がいくつも並んでおり、古くから篤く崇敬されてきた歴史を感じさせる光景である。

  
L: 本殿の東側に並ぶ境内社。  C: 本殿の手前にある幣殿と思われる建物を覗き込んだところ。  R: 太鼓楼。

御守も、左鎌をかたどった安全御守や、金色の左鎌がくっついているカード型の仕事御守などがある。
その神社ならではの要素を持った御守があるのは大変すばらしい。今回はふつうの御守と安全御守を頂戴した。
大いに満足してバスに乗り込み、豊田市駅まで戻る。2年前には天気が悪かったのでスルーしていたが、
今回はしっかりと豊田市役所を撮影するのだ。駅から南へとしばらく歩き、冬の低い日差しと格闘しつつ撮影。

  
L: 豊田市役所は南庁舎・東庁舎・西庁舎という3つの庁舎からなる。まずは北側から東庁舎(左)と西庁舎(右)を撮影。
C: 左を向いて東庁舎をクローズアップ。いかにも新しめのデザイン。  R: 右を向いてこちらは西庁舎。実に昭和である。

豊田市役所は現在、南庁舎・東庁舎・西庁舎という3つの庁舎からなっている。面白いのは、3つとも8階建てなこと。
ただ、デザインを見てわかるように、建設された年代はそれぞれ異なる。最も古いのが西庁舎で、1971年の竣工。
当時としてはスリムというか、上に伸ばして敷地面積を抑えた感じ。調べてみたら当時は1963年竣工の旧東庁舎があり、
その隣に増築した感じだった(Wikipediaの「豊田市役所」には、4階建ての旧東庁舎と西庁舎が並んでいる写真がある)。
1999年には南庁舎が竣工。旧東庁舎は2009年に取り壊され、2012年に新しい東庁舎が竣工して現在の姿となった。
どの庁舎も建築された各年代を象徴するような、その時代の典型的なデザインとなっている。保守的な感触である。

  
L: 敷地内にある銅像。右がトヨタ自動車の工場を誘致した挙母町長・中村寿一、左はトヨタ自動車創業者・豊田喜一郎。
C: 南東側から眺めた東庁舎。設計者は山下設計。2012年竣工ということで、いかにも現代風の軽さのある建物だ。
R: 南庁舎の手前(南西側)から眺めたところ。なお、南庁舎と東庁舎を結ぶ連絡橋は2001年にできたそうだ。

低層の旧東庁舎と高層の西庁舎はなかなかの好対照だったが、西庁舎だけだとひょろっとしていてどうも頼りない。
でもこの西庁舎がひとつの基準となり、複数の庁舎が対等に並ぶという豊田市役所のスタイルが確立された、と思う。
日本最大と言っていい大企業城下町である豊田市だから、もはや市役所はひとつの建物にはまとまりきらないのだろう。

 
L: 連絡橋から見た西庁舎。  R: 道路を挟んで南側から見た西庁舎。ちょっと香川県庁(東館)っぽさがあるかも。

なお、1984年に現在の環境センターが南庁舎として建てられている。1999年に現在の南庁舎が建てられたため、
環境センターに改称した模様(Wikipediaの記事はその辺が混乱しており、市の公式サイトで確認する必要があった)。

 
L: 連絡橋から見た南庁舎。北東側から見た構図となる。平成らしいマッシヴさだ。
R: 地上に下りて、北西側から見たところ。なお、こちらの設計者は梓設計。

時間的な余裕があまりなくて、急いで駅まで戻る。今日はまだこの後に、3つの市役所を押さえる予定なのだ。
勝手のよくわからない名鉄に乗り込み、三河知立駅で下車。もう1駅先が知立駅だが、市役所には三河知立が近い。
駅はなんとも小さく、周囲は完全なる住宅地。スマホの地図を頼りに南東へと歩いていき、どうにか市役所に到着。

  
L: 知立市役所。まずは南西側だが、こちらは中央公民館となっている。市役所が公民館を内蔵するのは少し珍しい。
C: 公民館側から市役所本体を眺めたところ。木がすっごく邪魔。  R: 市役所前の丁字路から見た知立市役所。

知立と書いて「ちりゅう」。なんとも不思議な響きの地名だが、歴史は古い。三河国二宮・知立神社は式内社だ。
ただし、市政施行は1970年と比較的新しい。東海道の宿場としては「池鯉鮒」の字が当てられたが(池鯉鮒宿)、
これは知立神社の池にコイやフナが多かったのが由来とのこと。歴史があるのに表記ゆれもあるのは珍しいと思う。

  
L: 南東側から見たところ。  C: 少し北へ動いてエントランス部分を眺める。  R: さらに近づいてみました。

知立市役所は1978年の竣工。最初から中央公民館とセットで建てられたようだ。わりと大規模ピロティで、
ガラス主体のホール部分をつくる手法は1980年代の印象があるので、調べてみて少し驚いた。先進的なのだ。
設計者は三橋建築設計事務所(現・三橋設計)。三橋建築設計事務所は名古屋にも事務所があって、
1970年代には中部地方でいくつか庁舎を設計している。関東では龍ケ崎市役所(→2015.12.20)も設計。

  
L: 北東側。  C: 北側にまわる。南側とはずいぶん対照的にはっきりと背面。  R: 北西より。目立つのは公民館部分か。

撮影を終えると駅へと戻るが、道路と道路に挟まれた歩道があり、明らかに様子がおかしい。線路跡かなと思ったら、
「明治用水緑道 西井筋周辺図」という看板を発見。明治用水は幕末の計画が明治維新をまたいで実現されたもので、
西三河の南西部(碧海台地)を原野から一大農業地帯に変えたという。現在は暗渠化して水を供給している。

 明治用水緑道を行く。

三河知立駅に戻ると、600mほどの距離をわざわざ電車に揺られて知立駅へ。はいはいどうせ乗りつぶしですよっと。
さて知立駅前だが、五叉路になっていてなかなか複雑。しかも道幅が狭めで、駅前空間がずいぶん狭苦しい印象だ。
駅から真北にある知立神社を目指して歩きだすが、道がかなり複雑に入り組んでいて苦労した。なんとも独特な街だ。
それでも旧街道に出るとスムーズに動けるようになる。坂道を下ってまっすぐ北へ行くと、ガードを抜けて神社に到着。

  
L: まるで鳥居のような国道155号、豊田南バイパスの下をくぐる。  C: ガードを抜けると知立神社の境内だ。
R: 境内に入って右手に国重要文化財の多宝塔。1509(永正6)年の築で、廃仏毀釈に巻き込まれた過去を持つ。

上で述べたように、知立神社は三河国二宮である。三嶋大社・熱田神宮と並んで「東海道三社」にも数えられる。
天気がよかったせいもあってか、境内は開放的な雰囲気。東海道に面しており、参拝者で賑わった影響もあるだろうか。
拝殿は長めの妻入で、さっきの猿投神社と似た価値観を感じる。こちらは尾張造で、国登録有形文化財になっている。

  
L: まっすぐ進むと石の太鼓橋。1732(享保17)年につくられた。  C: 角度を変えて眺める。見事なもんです。
R: そのまま社務所前から拝殿を眺める。妻入で長いのは、さっきの猿投神社と共通している要素だ。面白いものだ。

もちろん御守を頂戴するが、「長虫除守」という見かけない御守があったのでそちらも頂戴しておいた。
実は知立神社は東海道の旅人たちに「まむし除け」のご利益で知られていたという。「長虫」とは蛇のことなのだ。
まあそもそも「虫」とは蛇に由来する象形文字なのである(なお「蟲」は生物全般を表し、「虫」とは別物の字だ)。
なぜ知立神社がマムシに対してご利益があったかはよくわからないが、非常に面白い個性を持っていると思う。

  
L: 拝殿を正面から見たところ。  C: 幣殿の奥に本殿。  R: ちなみに外側から見るとこんな感じである。

帰りは東海道池鯉鮒宿の史跡をチェックしながら戻る。街道らしい雰囲気を残している箇所もあることはあるが、
全体的にそれらしい匂いは薄い。点在する歴史が複雑な濃淡を描いている感じで、これはちょっと独特である。

  
L: 知立神社の手前にある了運寺。食い違いの道をそのまま直進すると山門に入る。もともとは知立神社の神宮寺とのこと。
C: 知立古城跡は公園となっている。かつては郡役所や知立町役場がここにあったそうだ。  R: 和風を意識した山車蔵。

スマホを頼りにどうにか池鯉鮒宿本陣跡にたどり着いたのだが、なんとそこはただの駐車場でしかなかった。
いちおう石碑・灯籠・案内板のセットが端っこにあるが、ここまで雑というかぞんざいな扱いをされている例は記憶にない。
これはつまり、知立市は過去の歴史よりも現在の生活を優先する価値観が強い土地であるという事実を示しているのだ。
豊橋のような普請道楽な街(→2009.12.302013.8.19)ともちょっと違うが、きわめて現実的な感覚の街だと思う。

 
L: 東海道の雰囲気をよく残す一角。でも他の東海道の宿場と比べると、知立に残る歴史的要素は本当に少ない。
R: 池鯉鮒宿本陣跡。これを最初に見たときには驚きで言葉が出なかった。本陣跡は宿場の中心であったはずなのだが……。

宿場としての過去の記憶にまったくと言っていいほど価値を見出そうとしない街、知立。ここまで徹底しているとは、
そう驚きながら駅前に戻ると、そこにはまた信じられない光景が広がっていた。広大な空き地が駐輪場になっていたのだ。
これは区画整理と再開発を一気にやっているため、その過渡期ならではの措置だろう。しかしとんでもない規模だ。

 
L: 区画整理・再開発の途中とはいえ、駅前の大空間をこのように利用していることが信じられない。
R: 整備が進みつつある箇所。でも規模が大きすぎて、計画の全容はまるで見えない。将来どうなるんだろう。

Wikipediaの「知立駅」の項に詳しいが、知立駅周辺は鉄道が非常に複雑な構造で走っている。あまりに面倒くさいので、
細かな経緯についてはそちらを参照していただきたい。とにかく、もともと区割りがかなりグチャグチャなところに、
さらに複雑に線路を引いたことにより、知立の都市空間に対する価値観がそうとう混乱することになったのではないか。
以上は僕の勝手な想像だが、知立市街地の異様とも言える混乱ぶりには通常ではありえないアナーキーさを感じる。
これだけアナーキーな感覚だからこそ、駅前を大駐輪場にしてしまうし、宿場町の消失にも冷淡でいられるのだろう。

気を取り直して三河線に乗り込むと、南下して西三河の市役所を押さえに行く。三河高浜駅で下車して高浜市役所へ。
市役所じたいは駅からそんなに離れていないのだが、どうも市街地は駅から見て市役所よりさらに先にあるようで、
よくわからない位置関係の街である。しかも高浜市役所、なんと新しい庁舎に引っ越しの真っ最中なのであった。

  
L: 県道47号と50号の交差点より撮影。手前が旧庁舎、奥に新庁舎。  C: 旧庁舎を東から眺める。  R: 南東より眺める。

  
L: 坂道に入ったところから眺める旧庁舎。なかなかの高低差。  C: 一段高い敷地内の駐車場から見るとこうなる。
R: 旧庁舎を正面より眺める。こちらの庁舎は1977年に竣工とのこと。同い年がこれから取り壊されるのは淋しいのう。

  
L: 少し角度を変えて撮影。  C: 新庁舎の入口。旧庁舎が取り壊されると全容がわかるね。  R: 新庁舎の背面にまわり込む。

  
L: 北西側より眺める。手前の真四角が新庁舎。なんだか工場っぽくて、僕は旧庁舎の方が圧倒的に好きだなあ。
C: なんだか旧庁舎が邪魔でしょうがないって感じ。  R: 北側から眺めた旧庁舎の側面。こうして見ると個性派。

  
L: 少し東側に出て眺めたところ。  C: 引っ越し中の旧庁舎内部。壁面アートが昭和である。  R: 閑散としている。

古い庁舎に間に合ったという喜びはあるものの、取り壊されたら新しい庁舎を再び撮影に来なければならないだろう。
複雑な気持ちになりつつも、敷地を一周してシャッターを切る。次回は春日神社八劔社にもきちんと参拝しよう……。

 市街地は市役所よりも南側にある模様。次回は余裕を持って探索せねば。

高浜市の次は、その南にある碧南市だ。「碧南」とはなんだか平成の大合併っぽい名前だが、誕生は1948年。
3町1村が合併して市制施行した際、碧海郡の南側ということで生まれた地名だ。市制施行は愛知県内でも早い方だ。
市役所の最寄駅は碧南中央駅。郊外ロードサイド店が並ぶ道路を越えると、大規模な平成オフィス建築が見えてくる。

  
L: 碧南市役所。駅からアプローチしたので、まずは北西側から見たところ。手前のレストランが目立っている。
C: 反対の北東側から全体を眺める。2000年の竣工で、設計は安井建築設計事務所。  R: 正面から見たところ。

  
L: あらためて北東側より庁舎本体を眺める。  C: レストラン部分をクローズアップ。2階はぜんぶで5つの談話室。
R: 敷地内に入って北東側から眺める。エントランス脇にはなんやよくわからんパブリックアートが置かれております。

  
L: 東側から見た側面。  C: 南東側より。  R: 南側から。周囲には広大な駐車場があって、たいへん撮影しやすい。

  
L: 南西側より。  C: 西側から見た側面。ふつうは議会を別棟にするのだが、なぜレストランなのか実に不思議だ。
R: 中を覗き込んでみた。こちらは待合スペースになっている模様。手前にはテーブルもあって過ごしやすそうだ。

市役所がここに建ったのは1948年の市政施行時だが、全体的に空間に余裕があってスケールが大きめである。
そのせいか、この辺りは最近になって開発が進んだ場所という感触がする。愛知の平野はポテンシャルがいっぱい。
航空写真を見ると駐車場が目立っていて、トヨタ王国によるクルマ社会ゆえのスケール感ということかもしれない。

 市役所近くにあって驚いた。正体は和菓子店(※2018年閉店)。

さてこれで本日の市役所探訪は終了なのだが、名鉄三河線はまだこの先にもう1駅ある。その名も「碧南駅」。
……ってことはこっちの方が元祖かよ!と思い、そこまで足を延ばしてみることにした。1駅なので歩いたのだが、
これが意外と距離があり、体力的にも時間的にももったいなかった。帰りはどうせ電車に乗るしと思っていたけど、
行きもケチらず素直に名鉄のお世話になっておけばよかったなあと後悔。はいはいどうせ乗りつぶしですよっと。

  
L: 市役所から20分かかって碧南駅に到着。年末は15時近くとなると、もはや夕暮れの日差しであります。
C: 旧大浜町のメインストリートを行く。じっくり拡張工事中。  R: 藤井達吉現代美術館。旧碧南商工会議所を改修。

碧南駅は1914(大正3)年に大浜港駅として開業している。つまり、合併前の旧大浜町中心部につくられた駅だ。
特に予備知識もなく訪れたのだが、実際に歩いてみたらなかなかすごいのである。かつて海運で栄えた歴史が、
寺や路地にしっかりと残っているのだ。これはもっとしっかり予習して、早い時間帯に来るべきだったと大後悔。

  
L: 西方寺。太鼓堂の存在感がすごい。裏手にはこの寺で亡くなった宗教家・清沢満之の記念館が併設されている。
C: 路地を行く。なだらかに曲がる下り坂は、衣浦湾の存在と旧家の豊かな暮らしを想像させる風情にあふれている。
R: 九重味淋の大蔵。1706(宝永3)年に建てられ、1787(天明7)年に現在地に移築。黒塗総下見板張で本当に見事。

  
L: 海徳寺。立派な寺が本当に多い。  C,R: 旧大浜警察署。1924(大正13)年の築。これはぜひ有効活用してほしい。

市役所4つに三河国の二宮と三宮を訪問する、非常に中身の濃い一日だった。明日もがんばってあちこち行ってやるぜ!


2016.12.28 (Wed.)

午前中は部活で午後は日記を書きまくり。実に健全な冬休みである。でも明日から帰省の旅で、負債は増えるばかり。


2016.12.27 (Tue.)

サッカー部は午前中の練習試合と午後の練習で2部練習だったが、僕は日直で、職員室でずっと待機なのであった。
なんだかすごく置いてけぼりを食らった気分である。顧問2人制ならではのありがたさなんだけどね、ニンともカンとも。


2016.12.26 (Mon.)

本日も練習試合。よくわからん手順だったんだけど、そのおかげでかえっていろんな学校とできた感じか。
部員が11人そろわないので、他校からFWに入ってもらって試合が成立するのがなんとも情けない。
でもこのFWがすごく献身的に動いてくれたおかげで、ウチは実力以上のものが出た感じ。見ていて面白かった。
いやまあ、ウチの生徒も確かな成長はしているとは思う。サッカーをわかってきてる感触がある。よくやっているよ。


2016.12.25 (Sun.)

サッカー審判員に登録している人は無料で観戦できるというメールが届いたので、皇后杯の決勝戦に行ってきた。
試合会場は蘇我のフクアリということで、それなら午前中に千葉神社を参拝しちゃえ、ということで出発。

相変わらず千葉駅のロータリーは複雑だなあと思いつつ千葉神社を目指す。前に一度参拝したことはあるが、
そのときは自転車がパンクしており、暗くなっていたこともあって自分がどこをどう歩いていたのかわからなかった。
(もうあれから12年も経ってしまったと思うと本当に恐ろしい。しかし代わり映えしないな自分。→2005.11.3
意識して駅から歩いてみると、なかなか興味深い。栄町の南側を行くのでどこか雰囲気がガサガサしているが、
国道126号との交差点に出ると前にも歩いた感じがする。そのまま南下すると千葉市美術館・中央区役所で、
さらにその先には千葉県庁やら千葉県文化会館やら千葉県立中央図書館やらがあるのだ(→2014.9.27)。
ようやくこれで頭の中の地図がつながった感じがする。千葉は難しいなあと思いつつ千葉神社の境内に入る。

  
L: 国道126号越しに眺める千葉神社の境内入口。  C,R: 狛犬が岩ごと彫られているようで、なんかすごい。

千葉神社は空間構成が非常に特殊。鳥居をくぐると広場のような空間となっており、左に楼門(+社殿)、右に拝殿。
まっすぐ先には木々と池と摂末社があるが、玉垣ではなく建物で周りを囲む神社というのはなんとも珍しい。
寺っぽいなと思ったら案の定もともと寺で、神仏分離の際に妙見菩薩を天之御中主大神として祀る神社になった。

  
L: 境内の様子。明らかに寺の伽藍の雰囲気である。  C: 楼門型の分霊社「尊星殿」。南側の公園から見たところ。
R: 拝殿。1990年竣工で、上下に2つの拝殿がある「重層社殿」とのこと。そういう自由な発想がまた寺っぽいのね。

境内のいちばん奥には摂社の千葉天神。ただし、摂社といっても千葉県内最大の天神様だそうで、風格はさすが。
実はこの拝殿、空襲を経て1954年に再建された千葉神社の旧本殿とのこと。こっちははっきり神社っぽい。

  
L: ずらりと並ぶ末社群。かつて千葉氏がいろいろ勧請しまくったほか、最近になって勧請されたものもある。
C: 千葉天神。梅の紋だけでなく千葉神社の神紋である月星も並べる。  R: 脇から千葉神社の本殿を覗き込む。

御守を頂戴すると、スタ丼を食おうと千葉駅方面へと戻る。が、モノレールをくぐった辺りで方向感覚がわからなくなり、
スマホを見たら千葉中央駅の方へと歩いていてびっくり。僕にとって、千葉は本当に難しい街なのだ。必ず迷うんだよな。

栄養補給をすると蘇我へ直行。さすがに決勝戦ということで、フクアリへ向かう人の数は思っていたよりも多い。
無事にタダで入れるんかなと少々不安になりつつ到着するが、なんのことはなくあっさりチケットをもらえた。
少しでもゴール裏の人数を増やしたいのか、サイド限定。INAC神戸を応援してもつまんないので、新潟Lサイドに陣取る。

 
L: バックスタンドの角っこから眺めるフクアリ。やっぱり冬の直射日光がキツかったなー。グラサン欲しかった。
R: 目の前は新潟Lのゴール裏。新潟から千葉は決して近くないと思うが、かなりの数のサポーターが集まっていて驚いた。

というわけで今年の皇后杯の決勝は、アルビレックス新潟レディース×INAC神戸レオネッサという組み合わせである。
レジェンド・澤が引退したとはいえ、INAC神戸がタレント集団であることは変わらない。初優勝を狙う新潟Lを応援する。

さて試合が始まると、うーん……中学生のサッカーのような印象。ピッチに対して、使えている面積がそれくらい。
男子との最大の違いはキック力で、届かないんだから必然的に選手の間隔は狭くなる。それでテクニカルになる。
しかしそれでは男子並みのガタイを誇る海外の代表チームとは正面きって戦えない。女子の代表は本当に大変だ。
その点、INAC神戸の方がフィジカルに優れる選手がいて、そこの違いを生かして攻めていく感じ。高瀬とか怖いもん。
いちばん怖かったのは中島のミドルで、この試合で2回もバーを叩いた。やっぱり身体能力が高い(→2012.11.4)。

  
L: 中島のミドルがバーを叩いた場面。この距離を一瞬で打開してしまうキック力は、女子の中では圧倒的である。
C: 女子はキック力がないので、どうしても同じサイドをつないで崩すサッカーになる。逆サイドへの展開が難しい。
R: INAC神戸のゴール前に迫る新潟L。地力では神戸が優位だと思うが、よくチャンスをつくっていた。決めきれなかったが。

INAC神戸が圧倒的に攻めまくるかと予想していたが、実際には新潟がよく粘って戦っており、だいたい互角な感触。
新潟Lは中村と左山のCBコンビと左SBの渡辺が非常にいい働きをしており、危ない場面は中島のミドル2つだけに抑える。
中村と渡辺が高瀬を見事に抑えており、INAC神戸には攻め手がなかった。特に中村の守備の安定感は群を抜いていた。
対照的に攻撃面では課題がいっぱい。左SHの八坂はドリブルで中に入ってしまうので、その都度捕まってしまう。
これはクロスを上げるキック力がないのでサイドを突破しきる発想になれないという、中学生によくあるパターンか。
蹴れなくてもサイドを上がりきって相手の脚に当ててコーナー取ってこいや、というのが正解なんだけどねえ。
あとは右SB小原の人気がすごいなと。でも途中から入ったMF斎藤の方がかわいいと思う。この試合で引退とは残念。
そしてCBの左山も美人なのだ。すいません、結局はそんなところばっかり見てました。まあしょうがないよね。

  
L: この試合で最も感動したのはCB中村楓のプレー。手強いINAC神戸の攻撃を、ことごとくつぶしていた。
C: MF八坂芽依もかわいいのだが、この日は若さが目立ったなあと。  R: MF斎藤友里。引退しちゃうのか……。

試合はスコアレスのまま90分が過ぎ、延長戦に入る。新潟Lは守備が奮闘してINAC神戸をどうにか抑え込む。
しかし攻撃では崩しきれずに時間が過ぎていく。やはりINAC神戸は守備も手堅いのだ。得点の匂いはしなかったなあ。
さっき女子の試合は狭くてテクニカルと書いたが、男子と比べて縦方向つまりゴールまでの距離も遠くなるのだ。
そのため、いかに相手ゴール前に迫っていくかという点が、ちょっとアメフトっぽい。女子サッカーにはどうも、
アメフトで前進していくための戦略、しかもランプレー中心、それに近い要素が含まれている気がするのだ。

  
L: やはり女子サッカーは男子と比べると全体が狭くなる。相手ゴールまでが遠いので、どう迫っていくかという戦略ね。
C: 新潟Lの攻撃。ここからどのようにさらに深い位置へ入っていくかが問題。アメフトのランプレーを見ている気分。
R: INAC神戸・中島のミドルが再びバーを叩く。高瀬のフィジカルだけでなくこれもあるから、INAC神戸は本当に強いよ。

結局、スコアレスで120分が終了。勝負はPK戦に委ねられる。INAC神戸が先行し、新潟Lが追いつき、
最後はINAC神戸が決め切って5-4で勝利。新潟Lは本当にあと一歩だったんだがなあ。残念である。

  
L: PK戦で決着がついた瞬間。直射日光が眩しい時間から夕暮れまでよくがんばりました。  C: 表彰式。
R: 優勝したINAC神戸の皆さん。やっぱり強かったなあ。新潟Lは通算5回目の準優勝。ぜひ来年がんばってほしい。

ここまでフルコースのサッカー観戦になるとは思わなかった。表彰式が終わった頃にはもう真っ暗だったし。
それにしても、フクアリの向かいのグローボ蘇我にまでスタ丼屋があるとは。さすがに食わなかったけどびっくり。


2016.12.24 (Sat.)

「松島くん、遊ばないか」
午前8時51分、そんなメールがマサルから届いたので、こっちとしても、
「えー別にいいけど」
と返信して、そこから何をしようか考える。そんなクリスマスイヴの朝。しかしアイデアはぜんぜん浮かばず、
結局は僕の提案でワタリウム美術館の「ナムジュン・パイク展 2020年笑っているのは誰?+?=?? 後半」に決定。
午後1時に外苑前駅集合となったのはいいが、やっぱりマサルは遅刻。池袋駅が尋常じゃなく混んでいたそうで。
困ったことにマサルは開口一番、「関節が痛い」とインフルエンザの初期症状を訴える。なんたるクリスマスイヴじゃ。

マスクを強制的に買わせていざワタリウム美術館へ行こうとしたが、僕が道を間違えて秩父宮ラグビー場方面へ。
間違いに気づいて都立青山高校の脇を抜けようとしたところ、マサルが突如目を輝かせて異様な反応を示す。
「マツシマくん、先端技術を体験しようよ!」
そこは、TEPIA 先端技術館という入場無料の施設だった。入場無料なら大した内容じゃないだろうと難色を示すも、
マサルは梃子でも動かない勢いで絶対に入ると主張。別に急いでいるわけでもないし、しょうがないので一緒に入る。

 先端技術ってすごーい!!

1階の展示室では企業のさまざまな最新技術を体験できるようになっている。僕はテキトーにスルーしようとするが、
マサルは展示のひとつひとつにバカ丁寧に反応。本当にしらみつぶしに展示を見ていくんでやんの。何歳児だよ。
係員にお願いしてパワードスーツを装着したり免震技術を体験したり、マサルはやりたい放題を繰り広げるのであった。

  
L: パワードスーツを装着するマサル。  C: 空気の力で重い物を簡単に持ち上げることができるんだとさ。
R: 一度震度6を体験してから免震ぶりを味わう。ちなみにマサルは4月の熊本地震に現地で遭遇したんだと。

さらに神奈川工科大学による、モーションキャプチャーを利用したオリジナルマンガ作成を体験。
あらかじめ複数用意してあるマンガからひとつを選び、そのコマの中に入るようにポーズをとるというもので、
マサルは熱演を繰り広げるのであった。でも手ぶらで来ていたので完成品のマンガは結局、僕が受け取ることに。

  
L: マンガの中に入り込んだマサルと僕。  C: 熱演を繰り広げるマサル。  R: 上着全開でオチをつけるのであった。

マサルも僕もいちばん感心したのは、将棋の電王戦にも登場したデンソーの「電王手くん」でおなじみのロボット。
2箇所あるシャープペンシルの先に、持った芯をものすごい速さで出し入れしてみせるパフォーマンスをするのだが、
これが実にお見事。動きもマジシャンのアクションを彷彿とさせるような、魅せる工夫がしてあるのがすばらしかった。
3階のホールでは中高生の研究発表イヴェントであるサイエンスキャッスルをやっていた。こちらもちょろっと見学。
というわけで、結局はそれなりに満足してTEPIA 先端技術館を後にするのであった。ふたりとも科学技術系には弱い。

ワタリウム美術館に行く途中でブラジル大使館の前を通る。こんな狭っこいところに大使館があるとは。
さすがにオスカー=ニーマイヤーっぽさを漂わせるモダンな建物だと思ったら、設計は日系2世のルイ=オオタケだと。
いかにもラテンな香りの壁画がまた面白い。国の個性を出してくる大使館めぐりも面白そうだと思うのであった。

 ブラジル大使館。狭っこいので全体を撮影できないよ。1983年竣工。

で、ようやくワタリウム美術館に到着。ミュージアムショップでFREITAGを見るなどした後、いよいよ展示を見学。
ナムジュン=パイクはハイレッド・センター(→2014.3.8)のお友達なのでそっち方面を期待していたのだが、
展示が前後半あるうちの後半ということで、ヨーゼフ=ボイスとの交流に重きを置いていた。うーん、そっちか。
ワタリウム美術館は狭いので、どうしても展示内容が少なくって消化不良になりがちだと思う。贅沢な要求だけど。
それでも最低限のビデオアート作品は用意されていて、「ナムジュン=パイクらしさ」はいちおう味わえたかなと。
対するマサルは、パイクとボイスのセッション「コヨーテIII」にハマりまくって大満足のご様子。よかったね。
パイクのピアノの即興演奏をバックにボイスが58分もコヨーテの鳴きマネをし続けるという作品なのだが、
「もう、58分ずーっと聴いてたいわ」とほざいていた。その後も延々とコヨーテの鳴きマネのマネをしていたよ。

 やることがなくなってワタリウム美術館前で途方に暮れるアラフォー2人の図。

いざ所期の目的を達成してしまうと、やりたいことは何もないし、行きたいところも特にない。
しばらく途方に暮れて過ごすが、結局なんとなく秋葉原を目指すことになってしまうのであった。
小さいファミコンを売っていないかチェックしようぜ、と。マサルは途中のドラッグストアで風邪薬を買って呑んでご機嫌。

末広町駅から秋葉原に上陸すると、いい時代だったなあと言いつつ中古ファミコンソフトの店をウロウロしてみる。
やはり小さいファミコンは品切れ中なのであった。しょうがないのでなんとなくゲーセンに入ってみたら、
『子育てクイズ マイエンジェル2』があったので久しぶりにチャレンジ。マサルのナイス勘がけっこう冴えわたり、
僕もそこそこ正解し(間違えるたびに金を出すようにせびられた……)、25歳になるまで粘ってどうにかオールクリア。
芸者問題やスパイ問題はキツかったねえ。マサルは「おいろけ」を目指したものの、娘は結局「まじめ」に育った。
まあわれわれはマジメだからね、しょうがないね。とりあえずクイズゲームをやっておけば盛り上がることを再確認。

 オールクリアにご満悦のマサル。よかったね。

最後は喫茶店でバファローベルや『親子クラブ』についてダベるのであった。そんなクリスマスイヴ。ニンともカンとも。


2016.12.23 (Fri.)

本日は練習試合。8人制の3ピリオドなのであった。相手の攻撃がぜんぜん組織的じゃなかったので勝てた感じ。
そういう意味では、個でのやりたい放題が通用しない程度にわれわれが成長している、と言えるのかもしれないけど。
相手だって必死なんだから、自分の得意なことだけをやれるわけではない。得意なことをやって点を取るためには、
そこまでお膳立てする必要があるのだ。そのお膳立てをチームで共通理解して精度を上げるから、組織的たりうる。
コーチと「(相手は)もったいないですねえ」なんて言いながら試合を見るのであった。上から目線っぽくてごめんなさいね。


2016.12.22 (Thu.)

糸魚川の駅前中心部で大規模な火災が発生。僕の知っている街(→2011.10.9)が、失われてしまった。
いかにも昭和なヒスイロードは、もうないのだ。雁木による街並みも、どの程度残っていることか……。
天津神社の御守もあるし、ぜひもう一度訪れたいと思っていたのに。悲しすぎてニュースをきちんと聴くことができない。


2016.12.21 (Wed.)

「英語が専門じゃないから教えるのが上手い」と言われて納得するの巻。

僕の専門は、都市社会学だ。英語科教員を仕事にしているが、専門はあくまで「都市社会学です」と答える人間だ。
そこには「中学校の、いや高校の教員レヴェルすらも凌駕した授業をやっておりますよ」という矜持があるわけだ。
そもそもが構造言語学をベースにしていて、そこに地理や歴史、そして現在進行中の政治経済に倫理も組み合わせ、
「英語を通して欧米人・一神教の思考回路に迫る」ことを究極的な目標として教えている。そういう授業をやっている。
コミュニケーションとしての英語とか言う前にまず、言語と人間の関係性についての理解を深めておいて、
その一例としての英語を論じよう、という姿勢でやっているのだ。そういう哲学が隅々まで染み付いているので、
表面的ではない根源的な理解を求める授業になっている。そのうえでの「柔軟性」「教養」って話なのだ(→2010.8.4)。

英語が専門じゃないから英語という教科を客観的に見られる、というレヴェルでは授業をやっておりません。
もっともっと深いところから語学を突き詰め、文法を、発音を、読解を教えているわけです。俺の専門はもっと深いのよ。


2016.12.20 (Tue.)

日本中に大ブームを巻き起こしている「逃げ恥」こと『逃げるは恥だが役に立つ』。
わが学年でもまず先生方がみんな見ていて、見ていないのは僕だけという有様なのである。マジですぜ、マジ。
しかも、いつもサッカー部でコンビを組んでいる先生が友人に誘われてエキストラに行ったらこのドラマで、
エレヴェーターに乗るシーンでバッチリ顔が出てしまって、翌日に学校中が大騒ぎ!ってなこともあったのだ。
先生方は羨ましいこともあって徹底的にイジっておりました。まあとにかく、世間で大評判のドラマである。
ドラマを見る習慣はすっかりなくなっている当方ですが、たまたま最終回だけは見たので、軽く感じたことをば。

正直なところ、説明ゼリフがあまりにも多くて、個人的にはドラマとしてあまり面白くなかった。
僕としては、小説でも演劇でも各キャラクターが会話を通して内面を変化させていく物語が好みなので、
映像がベースにあるからって、セリフで勝負しないで俳優の演技に変化を託す姿勢は安易でいただけない。
小説や演劇では、情景を思い浮かべるのにどうしても受け手の「協力」が必要になる。想像力を要求する。
でもこのドラマにはそういう要素がない。テンポの良さもかえってその点を助長している。薄っぺらいのだ。
たぶんこのドラマ、全体としての印象で勝負していて、ドラマを象徴する名ゼリフはなかったんじゃないか。
社会学的にはめちゃくちゃ意義深い作品なのは確かで、それが支持されたこと自体はポジティヴなことだと思う。
あと、考え抜かれたパロディも評判がいいようだ。でも僕としては、社会学的意義とパロディに力を入れすぎて、
上記のように物語としての本質を忘れた作品であるように感じた。大衆が消費するレヴェルの軽さで終わっている。
逆を言うと、その軽さのおかげで人気が出たのだろう。そこも含めて、存在する意義は大いに肯定したいドラマだ。
でも本当に面白いドラマではないよね、というのが僕の意見。「興味深い」と「面白い」は日本語では別なのだ。

とまあ、かなり批判的に書いてしまったが、そういう立場をとったいちばんの要因は星野源にある気がしないでもない。
僕は星野源がまったく好きになれない。まず、あの声がダメなのだ。少なくとも、主役を張る人間の声ではない。
だから星野源が歌手として活動していること自体が驚きだ。主題歌が売れまくったというのも僕には理解できない。
そんな星野源がガッキーとイチャイチャしているわけだから、そりゃムカつきますよ。……結局、好き嫌いの問題かよ!


2016.12.19 (Mon.)

今年の冬はいつもより乾燥がひどくないか?

お肌のみずみずしさが足りなくて手からよく物を落としたり、寝ている間に鼻や喉の粘膜をやられて風邪気味になったり、
毎年冬には地味に苦しめられているんだけど、 今年は特にひどいと感じる。おかげで「風邪気味」ではなく、
はっきり「風邪」を引いてしまったではないか。乾燥度合いが例年より強いせいで、症状がひどくなったと思うのだ。
加湿器ほど大げさではない、手頃な物がないものか。東急ハンズに何かちょうどいい物を売っていないもんかねえ。


2016.12.18 (Sun.)

クラブW杯決勝戦、レアル・マドリード×鹿島アントラーズをテレビ観戦なのだ。押される展開だったとはいえ、
南米王者を3-0で退けた鹿島はとんでもねえよなあ、と思う。しかしレアルはもう、メンツが違う。違いすぎる。
絶望的に強い相手に鹿島はどう戦うのか、という試合かなあと思いつつテレビにかじりつくのであった。

様子見というよりはわりと飛ばし気味の序盤、すでにレアルの足元が圧倒的で、そこをどう解決するかという感じか。
そしたら前半9分でベンゼマがGKの弾いたボールをあっさり蹴ってレアルが先制する。ポジショニングがもうなあ。
こう足元のいいチームに押し込まれると、ディフェンスは隙ができちゃって防ぎきれなくなっちゃうものかと思う。
鹿島はパスが合わないシーンが多いけど、レアルはボールのつながり方が半端ない。これが世界との差なのか。
ところが前半終了間際、柴崎が同点ゴール。トラップが大きくなっちゃった感はあるが、そこでできた隙を衝いた。
「すげえ追いつきよった!」と思わず叫んでしまったよ。これがアントラーズなのだ、と納得させられたゴールである。
チーム全体が成長していて、このクラブW杯で世界レヴェルの試合をやっていく中で引き出された力だと思う。

後半に入ってすぐ、柴崎が再びゴールを奪う。左に流れながら絶妙なコースへのシュートで、これはお見事。
解説の岡ちゃんの指摘どおりに、やはりレアルが甘い部分を柴崎が突いたってことだ。いや、これ本当にすごい!
銀河系相手にJリーグの鹿島がリードを奪うという展開が現実のものになるとは。残り時間のヒリヒリ感がたまらない。

ところが世界のレアルは容赦なく、すぐにPKを獲得。こういう形でPKを取れるところが世界なんだな、と思う。
カッと頭に血が上って力攻めをするのではなく、じっくりと落ち着いて点を返しにくる、実に狡猾なやり口だ。
それでも鹿島は粘って、それ以上の点を与えない。もう理屈じゃない感じのぶつかり合いだわ、とただただ感動。
そして鹿島はまさかの延長戦に持ち込む。Jリーグのクラブでもこれだけやれるってのは、感慨深いものがある。

しかし延長になったところでクリロナが本領を発揮してきて、決勝点となる3点目。さらにまたも押し込まれ、
一瞬の隙を衝かれて4点目。最後の最後でやっぱり、足元の高い技術で隙をつくるプレーにやられた感じである。
この試合を勝ちきるためには鹿島の努力だけではダメで、Jリーグ全クラブの努力が必要なのだなあと実感。
リーグ全体でレヴェルをしっかり底上げして、高いレヴェルを当たり前にして、初めて勝てるんだろうな、と思った。

それにしても、この試合を終えてインターネットで「KASHIMA」を検索した世界中の人々が驚いたという話には笑った。
画像検索したら出てくるのがひたすら『艦これ』の鹿島ということで、それもまた、まあ実に日本らしいですわな。


2016.12.17 (Sat.)

久々の日記書きまくり生活である。今の俺は解き放たれたプロメテウスだぜ、と言わんばかりに書きまくる。
それでも旅行の一日分がどうにか仕上がる程度なのが切ない。中身の濃い旅行のせいだが、効率が悪すぎる。
しかし書かねば次へ進めない。この冬は負債の返済に充てるつもりだけど、これは本当にキリがないわ……。


2016.12.16 (Fri.)

まだまだ声がしっかり出ないのに5時間連続で授業。全力で働いております。

それにしても、年に一度は乾燥から鼻をやられて喉へ行って、声が出なくなる時期があるような気がする。
何かしら対策を打たないといけないんだろうけど、「大丈夫だろう」って油断をしてしまうのだ。困ったものだ。


2016.12.15 (Thu.)

風邪で声が出ないのに6時間ぶっ通しで授業である。日頃の疲れに勉強勉強で、やはり弱っているのだと思う。
喉からの風邪に見事にやられてしまって、どうにもならない状態になってしまった。でも仕事はきちんとやるのだ。
休むという発想はそもそもない。僕が休むことは生徒にとってマイナスでしかないのでな。特に今年はな。
授業をやっても迷惑(下手すぎて)、やらなくても迷惑(急な欠勤)な教員とは違うのだよ。ヤツとは違うのだよ!
いやもう、本当に全力でがんばっておりますよ。


2016.12.14 (Wed.)

ようやくの生存報告であります。やっと日記を更新できる態勢になった。
とても日記に手がつけられない状況が長らく続いていたのだが、気がつきゃ負債は1年分になってしまったし、
きちんと整理できていない画像が山のようにあるし、前途はひたすら多難であります。困ったもんだ。

日記を書けなかった最大の理由は、お勉強が超・佳境に入っていたことである。苦手の経済学と格闘していた。
そして科目修得試験とメディア授業の試験課題が終わって、ようやくお勉強からいったん解放されたというわけだ。
暇を見てちょこちょこと日記のメモをとってはいたけれど、MacBookAirが壊れたせいで本格的に書けなかった。
それらの諸問題がようやく解決できたので、こうして久しぶりに通常営業に戻ったというわけ。本当にまいった。

まあその分、この冬は帰省を除いて旅行を一切自粛する方針なのだ。おとなしく日記を書いて過ごすさ。
正直言うと、「MacBookのコストを考えたら旅行に出られない」んだけどね。負債を清算する機会にしたい。


2016.12.13 (Tue.)

風邪を引きかけの状態だが、どうにか課題を終わらせた。人間、最後は気合いよ、気合い。


2016.12.12 (Mon.)

試験が終わってもメディア授業の課題があるので、そっちの作業にひたすら追われる。勤勉な学生は忙しいのだ。


2016.12.11 (Sun.)

試験である。今回いちばん手を焼いているのは国際法。過去問を確保したけど、出題範囲がまったく読めないのだ。
とりえあず教科書の内容を要約したレジュメを用意してみたが、あまりに量が多いので正直なところ覚えきれない。
そうなったらもうヤマを張るしかないのだが、テスト勉強というものを今まで一切しないで生きてきた僕は、
ヤマを張るという行為が苦手なのだ。中学でも高校でも、ヤマを張ったことがないのである。ヤマの張り方がわからない。
そもそも出題範囲を知らないでテストを受けていたわけで。教員になって振り返ると、とんでもねえ生徒だったなオレ。
とにかく、今回は当たって砕けろでいくしかない状態なのである。なんとか……なるといいなあ。


2016.12.10 (Sat.)

MacBookを立ち上げる。はい、新しいMacBookが届いたのであります。やはり持ち運びできるMacは僕の生活に必要だ。
できることならMacBookAirがよかったが、12インチのMacBookでも大差ないことがわかったので、今回こっちにした。
(その辺の詳しい経緯については、こちらの過去ログを参照なのだ。愛は値段を超える。→2016.11.25

  
L: MacBook(12インチ)の箱とMacBookAir(11インチ)の箱を比較する。12インチの方が小さくって驚いた。
C: コンニチハ。  R: 手に持ってみるとこんな感じ。あらためてMacBookAirのデザインが革新的だったことを実感する。

MacBookAirからデータを移して自分のマシンにしていく。うれしいような、つまんないような。
自分にとって馴染みのない新しいものが、飽きるほどに慣れている自分の世界に染まっていくのは、少し切ない。
この移行作業がスムーズであればあるほど、世間的には「便利」ということになるわけだけど、
僕としてはその両者のギャップに機械の個性を感じるので、そこに鈍感であろうとするのは「つまらない」のだ。
逆を言えば、日記という作業に特化しているのがよくないということか。Macはもっといろいろできるはずだもんね。

 移行完了。これからよろしく!

作業が終わった後は、ひたすら試験の準備をする。なんせ試験は明日ですからな! 遊んでいる暇がないのよ。


2016.12.9 (Fri.)

修理に出していた腕時計が戻ってくる。腕時計のない生活はなかなか不便なのであった(→2016.11.23)。
いちいちスマホを取り出すのは面倒くさい。やはり予備の腕時計は必要なんじゃないか、とあらためて思う。

当方、腕時計にこだわりがないようで、微妙にこだわりがあるのだ。それで先月も佐野のアウトレットに行ったわけで。
まず絶対条件として、チタン製であること。これは単純にチタンという金属が好きなのと、よくぶつけるのと。
後藤新平を尊敬しているのでシチズン製が望ましく(→2014.5.6)、文字盤は黒が望ましく、数字は不要。
とにかくできるだけ地味なやつがいいのである。そうやって条件をつけていくと、これがなかなかないのだ。
必ずどこかによけいな装飾が入ってしまうものなのだ。理想に近いものをどうやって見つけるか。それもまた楽しい。


2016.12.8 (Thu.)

ハーゲンダッツのラムレーズンが死ぬほど旨い。ヤバい。
強いて言うなら申し訳ないけどレーズン邪魔。アイス部分を永遠に食っていたい。
それくらい旨い。ヤバい。


2016.12.7 (Wed.)

『攻殻機動隊 新劇場版』。「ARISE」の続きなので、期待はまったくしていない。完全にゼロである。
きちんと批判するためにはきちんと見よう、という心がけでDVDを借りてきたのだ。それ以上でも以下でもない。
(参考に、border:1 →2013.7.2、border:2 →2013.12.12、border:3 →2014.7.8、border:4 →2014.9.12

こっちの攻殻は久々に見たのだが(まあ避けていたから当然だが)、本当に絵が下手だなあと。魅力がない。
素子については気合いの入ったコマもあるが、それ以外のメンバーの描写がやっぱりひどい。かっこ悪すぎだ。
というわけで、批判するポイントはいくつかあるが、まず最初にゲンナリしたのは絵のクオリティ。萎えた萎えた。

今回は大使館占拠と首相(+クルツ)の暗殺が序盤の見せ場なのだが、コロコロ簡単に人が死ぬのは相変わらず。
素子に「殺すな」と指示を出させることで彼女のヒューマニズムを強調したいのかもしれないが、結局死ぬでしょ。
そこに敵の冷酷さを表現したいのかもしれないが、受け手としては、制作側の人命の扱いの軽さしか印象に残らない。
そして黒幕がクルツだってことはこちとらborder:1の時点でわかっていて(当時は少し違った書き方をしているが)、
序盤でクルツをあっさりと殺すことで「はいラスボス確定」となってしまったのも興ざめだ。仕込みが幼稚すぎる。
そのくせ、話の大筋は今回もつかみづらい。観客の裏をかくことばかり考えているから(クルツの安い死に方もそう)、
本筋の論理展開が無駄に複雑になるのである。『STAND ALONE COMPLEX』(→2005.3.62014.1.5)の場合、
現在の社会の延長線上にある未来社会をしっかり描いている。だから未来の社会問題が現在と重なって見えてくる。
しかし「ARISE」の社会問題は現代のそれとリンクしていない。逆説的だが、つまりそれは本物の社会ではないのだ。
制作側にとって都合のいい舞台を用意するためのロジックにすぎない。だから観客には未来社会の論理が入ってこない。
また、空間の設定も非常に雑。『攻殻機動隊』では、情報空間に対する現実空間のリアリティ、実はそこが鍵になる。
『STAND ALONE COMPLEX』は、戦車が疾走する郊外、マルコの潜む地下水路、タチコマと女の子が歩く市街地など、
人間の生活の表と裏が舞台にしっかり落とし込まれていた。でも「ARISE」は、どこも制作側に都合のいい場所ばかり。
制作側の都合でつくられた閉鎖的な舞台空間。われわれが生活を共有しない偽物の舞台空間。それは社会ではない。

結局、印象的なヴィジュアルのシーンをつくることだけを考えているから、肝心のストーリーが空虚になるのだ。
こんなものは、『攻殻機動隊』の設定を借りた単なる亜流でしかない。同人誌で披露するなら許されるだろうけどね。
登場するメンバーたちがまだ未熟だからって、絵も演技もストーリーも未熟で許されると思うなよ、と言いたい。
こんなものを面白がれる人は能天気でいいね、と心から思う。きっと大して物を考えないで生きているんだろうね。

けなしてばっかりだとこっちの胸糞も悪いので、一点だけ褒めてやる。疑われる素子が尾行する連中をシメるシーン。
トグサの指で銃を撃つアクションで素子とバトーが相手の前に現れる、そこだけは素直にかっこよかったよ。以上。


2016.12.6 (Tue.)

音楽を鑑賞したよ。生徒たちに「寝てたでしょ寝てたでしょ」とすごく言われて「寝てねーし!」と返しまくる。
目を閉じて聴き入っていただけだし。ちゃんと音楽を鑑賞しないでこっちの方ばっかり観察してんじゃねーし。
いつまで経っても成長しないのはお互い様なのである(→2013.12.6)。いや、本当に何も成長していない。


2016.12.5 (Mon.)

ネタがないので、旅行で神社を参拝するときにいつも感じることを書いておくのだ。

社殿の写真を撮るときには、できるだけお参りしている人の背中が入らないように心がけている。
あまりにも長い参拝者の行列ができているときには諦めるが、そうでないときは参拝が終わるのを待つことになる。
するとどうも全般的に、男性よりも女性の方がお参りにかける時間が長いのである。これにはかなりの差がある。
男性は二礼二拍手一礼をわりとあっさりと済ませる人が多いのに対し、女性はとにかく長くてしつこいのだ。
そんなに神頼みしなくちゃいけないことがあるんか、と呆れることがけっこう多い。もうとにかく長い。
そういうわけで、どうも男性よりも女性の方が本質的に欲深いんじゃないかと思っている今日このごろ。

ちなみに僕は神社に参拝する際、二礼二拍手一礼はするけど、実は何もお願いをしていない。
だからお参り時間がめちゃくちゃ短い。それだけに女性のクソ長いお参りが気にかかるということでもある。
お参りとは本来、自力で願いを成就させるべく努力することを神様に誓うものだと聞いたことがある。
だからというわけでもないが、僕の場合は全国各地の神社にやたらめったら参拝しまくっているので、
願いが叶うよりも早く次の神社でお参りすることになる。するとお願いする一方なのが虚しくなるのである。
神頼みもたまにならいいだろうけど、かなりの頻度だと自分の非力さが情けなくなってくる。そういう境地である。


2016.12.4 (Sun.)

M-1グランプリが感動的に面白くてよかったです。ぜんぜん期待してなくて、たまたま見ちゃった感じだったけど、
思いのほか面白くって面白くって、久々に「ああこのお笑い番組を見て本当によかった」とじんわりしたくらい。
去年の年末に実家で見たやつ以来の感動なのであった。そう、今年のM-1は感動できるほどに面白かった!

銀シャリの優勝に文句はないです。というか、本当に面白いしゃべくり漫才を久しぶりに見た。
決勝のスーパーマラドーナもものすごく良かったけど、1本目と総合して銀シャリ優勝が妥当だと思うのである。
和牛は確かに面白かったけど、個人的には一番ではなかったなあ。でもスーマラも和牛も来年がすごく楽しみ。
決勝に残れなかった皆さんもすごく面白いネタが多かった。相席スタートは絶対に真ん中よりも上の面白さですよ。
全体が面白かったのは結局、1番・アキナが粘って2番・カミナリが会場をあっためた、その功績が大きい。
これで一気に「ネタを観察する」雰囲気から「ネタを楽しむ」雰囲気になったと思うのね。そこに相席スタート、
そして満を持しての銀シャリ。野球で言えばクリーンナップまで打線がきれいにつながっているんだもん、
そりゃあ全体が面白くなるに決まっている。本当に素敵な番組をありがとうございました、な気分。

それにしても、松本人志という人は本当にすごい。コメントじたいの面白さはもちろんなのだが、
すべての発言が気配りなのである。自分の影響力をわかっていて、傷つく人が出ないように配慮したうえで、
あえてみんなの気持ちにプラスが残るようにしゃべっている。この人は本当に優しい人だなあととことん感心したよ。
もちろん、上沼相談員の存在感もすばらしかった。スリムクラブへのダメ出しは、もう、愛情そのものじゃないか。
そういうところも含めて本当にいいものを見させてもらった。笑いのプロによるハイレヴェルな共演、来年もよろしく。


2016.12.3 (Sat.)

年末の予定を出しているのだが、お勉強の影響もあって今年はずいぶんと消極的になっていると感じる。
いや、これはもうしょうがないんだけど、それにしてもしかし精神的にしぼんでいないかと自問自答してしまった。
いつもなら旅行が最大のガス抜きなのだが、この年末についてはまったくそういう気分になれないのである。
旅行じたいに飽きたという可能性もある。あとは、日記を書けていないのに行けるかという良心の呵責。
もちろんここにきてモノが壊れまくっており、やたらめったら金がかかる事情が無意識に影響しているのかも。
まあそんないろいろな要素が複雑に絡み合った結果、予定がほぼゼロとなっているのだ。青春18きっぷも買ってない。
たまにはそんな年末年始もいいんじゃないか、なんて開き直る。日記を、書いて、書いて、書きまくるのじゃ!


2016.12.2 (Fri.)

今週はズタボロである。3年生の成績づけとお勉強の課題と試験が重なって、けっこう危機的な状況にある。
ひとつのことに集中するわけにはいかなくて、どれに対してもそれなりに均等に力をかけないといけない。
そういうときは時間を区切って、それぞれに集中しながら切り替えていくしかないのだが、これが体力を食うのだ。
本人の自覚のないところで確実に体力が削られていく。気を休めることのできる時間がないのはつらいのだ。
今週は特に、その緊張感にやられた感じである。のんびりほっこりしたいけど、今はまだその時ではない……。


2016.12.1 (Thu.)

ついに12月に入ってしまい、日記の負債が丸1年になってしまったではないか。今までどうにか踏ん張ってきたが、
結局陥落してしまった。本当に悔しい。MacBookAirが壊れなければまだマシだったはずなのだが。うーん、たられば。
まあここんとこ非常に苦しくて、日記に振り分ける時間とエネルギーがあれば苦手の経済学に費やすしかない状況で、
それで後回しになった結果の負債丸1年なのである。自分で蒔いた種は自分で刈り取るしかないのね。


diary 2016.11.

diary 2016

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