今日も悔しくなるほど天気がいいけどお勉強なのだ。つらくないのだ。泣いてないのだ。
昼休みに散歩がてら、三崎稲荷神社に参拝してきたよ。……って、どこで勉強してるかモロバレじゃねーか!
L: 三崎稲荷神社。 C: 拝殿。 R: 本殿はJR水道橋駅のすぐ南から見ることができる。肝心のお勉強は、ソクラテスやプラトンの理想主義っぷりがかっこいい。今まできちんと哲学を勉強したことはなかったが、
高校の世界史で習った内容の価値がこの歳になってようやくわかってきた。知識が有機的につながるのが本当に楽しい。
GWだ! 絶好の晴天だ! ……しかし今年の僕はどこにも行かず、ひたすらお勉強なのだ。
どうせどこに行っても混雑しているし、それならいっそ、やるべきことをきちんとやっておこう!と。日本神話の天地開闢の話になって、アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビが見えない独神ということで、
レジュメの端っこに思わずこんな落書きをしてみちゃったりして。だって、見えない神様っていったら、ねえ。日本人にしてみりゃ、メジェド様は絶好のゆるキャラだよな。
……いや、マジメにやってますよ。ホントに。
午後は離任式、夜は歓送迎会である。顔を合わせるのが当たり前だった方々と1ヶ月ぶりにお会いするわけだが、
現実的にこの久しぶりの再会をもって「ハイこれが区切りです」となってしまう感覚は、かなり切ないものがある。
この時期には必ず、川島雄三監督が好んだというフレーズ「サヨナラだけが人生だ」が、いつも頭の中を回っている。今回の歓送迎会では用務主事の方と隣になったのだが、まさか大木さん(→2009.1.8)トークで盛り上がるとは。
その方も僕に負けず劣らずいつもアンブロのウェアを着ているので(アンブロ1号2号って感じなのであった)、
サッカー経験者なのかなと思っていたら、プレーしたことはないがサッカーファンであるとのこと。
なんでも友人に連れられて、当時大木さんが監督だった清水エスパルスの試合を観戦したことがきっかけだそうだ。
ファン感謝デーで大木さんと一緒に大縄跳びをしたこともあるそうで、かなり強烈なエピソードをお持ちなのであった。
どこで何がつながるかわからないもんですなー。そんな感じで感傷的になりつつも愉快な歓送迎会でした。
サッカー部の顧問会。今年度も夏季大会は5月からスタートして着実に週末がつぶれていくスタイルで、
結局いつもと変わらないじゃないか……と深く深くうなだれるのであった。覚悟はしていたけどよー。
まあ顧問2人体制になってくれたので、無理はしないで済みそう。毎年毎年この時期に体調崩してるもんなあ。
今年こそは充実した活動ぶりと健康第一を両立したいものである。部活って大変だとしみじみ再確認したとさ。
スティック羊羹が素晴らしい。安いし、手軽だし、量も多すぎないし、脳みそに的確に糖分を補給できる。
来たるゴールデンウィークにはお勉強の予定が入っているのだが、スティック羊羹は本当に頼もしい味方なのだ。
ちょっと疲れてきたな、と思ったところで一発つるっと補給すると、その後かなり粘り強く対応できるのである。
昨年の大福ブーム(→2015.11.25)から継続してあんこのお世話になっているが、スティック羊羹の手軽さは最高だ。
机の中に何本かストックしておくのがもう習慣になっております。こういう商品を最初に思いついた人は本当に偉い。
最近の中学生って、ガラスの割れる音が聞こえると条件反射的に『名探偵コナン』のテーマ曲を歌いだすのな。
これは自分にはまったく思いつかない反応だったので、爆笑してしまったではないか。なるほど、と妙に納得。
circo氏が上京してきた。そんでもって、銀座にあるエルメスのビルに連れて行かれる。
エルメスなんぞまったく興味がないのだが、へいへいへいと素直について行ったら8階にギャラリーがあった。
で、なんだかよくわかんないまま展示を見ることに。そしたら会場構成を潤平がやっているんだとさ。へー。展覧会のタイトルは、「YÔKAÏNOSHIMA」。フランスの写真家・シャルル=フレジェという人の作品が並ぶ。
日本各地の民族衣装や祭祀の衣装を撮影しているのだが、うん、おんなじことを岡本太郎が60年くらい前にやってるよ。
とはいえ切り取り方は悪くない。日本のものについてはヨーロッパとの対比からの興味という間接的な感触はあるが、
現地できちんと見ているんだろうなという印象は受ける。偉そうな感想ですんませんな。わりと好印象よ、念のため。で、会場構成については、これはもう、もともとの建物の断面が悪すぎる。展示室内に高低差をつけていたのだが、
おそらくこうしたかったんだろうけど空間的な余裕がなくてこうなっちゃったんだろうな、という箇所も(階段とか)。
全体を通してきちんと意図について説明を受けたわけではないので、特に批判的な意見はございません。
ただただ、建物の断面がひどいけどよくがんばったね、という気持ちである。オレなら絶対やる気が出ないもん。せっかくの銀座なので、その後はFREITAGの店を見て伊東屋へ。さらに有楽町の無印良品へ。恒例のパターンか。
そこから地下鉄で新宿に行ったのだが、2人でバスタ新宿の計画の悪さにひたすら悪態をつくのであった。
もっとひどいのが隣のNEWoManで、やたらと狭いし徹底して日本語の表示を避けているしで本当に最悪である。
なんだこの非国民な施設は!と怒りが収まらないのであった。マジで早くつぶれてしまえ。おしまい。
しっかり休める土曜日というのは本当にありがたいものだ。がんばって日記を書きまくる。
本日ようやく、昨年夏休みの九州旅行・5日目の日記を書き終えた。豊肥本線に乗り阿蘇神社を訪れた日の分である。
すでに姿を変えてしまったものについて、その悲しい未来を知らないふりして日記を書くのは、正直つらい作業だった。
東日本大震災では僕の知らない場所が失われた(→2011.3.13)。しかし今度は、僕の知っている場所が失われた。
以前にもこの日記で書いたように、僕にとって旅行とは、僕の中にある日本を拾い集めていく作業であり、
日本に自分自身を埋め込む作業だ(→2010.9.24)。その大切な過去――自分自身を、その結末を知っていながら、
知らないふりをして書いていく。だから2倍の深さで傷つくことになるのだ。そのよけいな傷の深さに自己の責任を感じる。
これは勝手で傲慢なことだ。でもそれが自分の中での正しさなのだ。つらい気分を勝手に味わっても救いにならないのにね。
『響け!ユーフォニアム』を無料動画で見てみたよ。個人的には「ユーフォニウム」って呼び方に慣れているので、
わざわざ「ユーフォニアム」と呼ぶのに違和感がある。じゃあアルミも「アルミニアム」って呼べよオイ、と言いたい。
しかしまあ、ユーフォニウムとはまたマニアックなところを突いてきたなあ、と思いつつ見る。さらに見ていくと、
これ唯と澪じゃんポニテにしたら憂じゃん、と思う。京都アニメーションとか細かいことわからんけど、そうじゃんコレ。第1話冒頭のやりとりで、自分の中学時代にあった吹奏楽部へのレンタル移籍を思い出した。日記には書いてなかったが、
僕は中学時代には人にボールをぶつける専門のテニス部員で(通称「スナイパー」)、いてもまったく役に立たないし、
音楽のテストで毎回学年トップだったので、顧問同士の密約で3年の春に吹奏楽部にレンタル移籍することになったのだ。
で、やることになったパートが大太鼓。なんだ簡単じゃんと思ったら、演奏する曲は3/4に4/4が入り混じる変拍子だった。
しかも楽譜に大太鼓のパートが書いてないんだぜ。渡されたテープには大太鼓の音が入っていて、これをやってくれ、と。
最初の2,3日はもうメタメタで頭を抱えていたが、楽譜に載っているトロンボーンと同じリズムであることに気づいて解決。
その翌日からノーミスで叩くようになったので部員どもから気持ち悪がられたとさ。曲は覚えているけど曲名は忘れた。
(※後日、思い出した。レニー=ニーハウス作曲の『キングスベリー宮殿(Kingsbury Court)』。よう思い出したわ!)
で、大会に出て飯田市民会館で演奏したのだが、これが本当に気持ちよかった。今でもその光景は鮮明に覚えている。
客席とステージには絶対的な壁がある、つねに演奏する側に主導権がある、そのことを実感したのはこのときのことだ。
それで興奮して知り合いの男子と笑って話していたら、ひとりの女子に「笑ってんな!」と涙目で怒鳴られてしまった。
なるほど、僕にとってこれは「いい経験」だが、吹奏楽部員にとっては今までの努力が悔しい結果に終わった経験なのだ。
以来、他者として何かに参加するときには気をつけるように心がけている。今でも素直に申し訳なかったと反省している。
まあそんな昔話を思いだずにはいられなかった。唯……じゃなかった、久美子と同じ心情から入っていった感じね。ストーリーとしては吹奏楽部を舞台にした部活がんばるドラマなのだが、吹奏楽部の独特さはよく出ているように思う。
そう、吹奏楽部というのはどこかちょっと独特なのだ。僕なんかは吹奏楽部員特有の絆の強さに排他的な匂いを感じるが、
徹底して吹奏楽部の内部しか描かないところ、部内で世界が完結する感じは、その独特な匂いを濃密に漂わせている。
だからおそらく、吹奏楽部経験者からの評価は自動的に高いアニメじゃないかと思う。イジワルに言えば自己弁護っぽい。
しかしそういう世界観を優先させたせいなのかどうなのか、序盤は論理的に不自然な部分がどうしても気になった。
たとえば、主人公の久美子が中学で同級生だった麗奈の進学先を知らなかったっておかしすぎるやろ、と。
合奏を酷評した滝がしれっと練習を見るのもよくわからん。ドラマ・伏線のために過去のエピソードを無理に入れて、
その結果として論理性や人物造形がズレた感じがする。主人公につかみどころがないのもなんとも。人物描写が浅い。
部活の性質上、登場人物が多くて造形を深くするのは難しいとは思うが、そこが甘くて非常にイマイチである。いちばん気に入らないのが、過去にあった部員の大量離脱を具体的に出さず、謎解きっぽくしている点だ。
ここでの現3年の動きがわからないので、残った2年に感情移入できない。でも話は進んでいくので置いてけぼり。
後になってきちんと伏線として回収されるのかと思ったらそんなことないし。ミステリ的価値観の罪悪を感じる。
リボン優子の中世古先輩への思いなんてもっと深く描けるはずなのに、謎解きっぽさを優先したせいでまるで浅い。
それなら大量離脱の真相を1回分まるまる使って描いて、その機会で登場人物の造形を深めりゃいいのに、と思う。
まあ要するに、ストーリーテリングがヘタクソなのである。全13話で何を軸にするかが定まっていないのだ。特筆すべきは第8回。「これは良い百合じゃ……。これは良い百合じゃ……。」とウンウンうなずきながら見た私。
上述のようにずっといろいろと違和感を拭えないでいたのだが、すばらしい百合を見せてもらってほっこり大逆転。
……と思ったら第10回で麗奈が優男ラヴとか言い出してもうガックリですよ。あの展望台での合奏はなんだったのかと。
おかげで第11回がとってつけたような百合って感じになっちゃったよ。そういうところもまたブレているのだ。
まあとりあえず杏子先輩じゃなかった夏紀先輩がかわいいからいいけど。先輩が出てくるたびに『まどマギ』思い出すわ。というわけで感想としては、全体的に悪くはないんだが、ことごとくなんか惜しい。完成度は低いと思います。
最後の最後での「次の曲がはじまるのです」の締めはきれいに決まったんだけどねえ。それだけじゃ満足はできない。
人物造形も中途半端、謎解きも中途半端、練習光景も中途半端、大会への姿勢も中途半端、百合も中途半端。
「これは愛の告白」とか「命を落としても」とか「殺す」とか、全般的にセリフに安っぽいものが多いのも非常に気になった。
結局、元吹奏楽部員のノスタルジー以上の意味が見出せない。それ以外に何を言いたいのか、よくわからなかった。
御守を収納したいのだが、その収納ポケットを貼るための壁がもうないのよ。ついにここまで来てしまったか。
この日記では今まで集めてきた御守をちょこちょこと紹介してきたし(→2014.11.25/2015.1.11)、
特設ページもつくった(→2015.5.18/⇒特設ページ)。しかしもはや整理が追いつかない状況なのである。
しかも御守によっては直射日光に晒されなくても色落ちしてしまうものもあって、新たに迂闊に出せない。
御守のコレクションをどのように保管していくかは喫緊の課題なのだが、落ち着いて考える暇がない。困った!
山本崇一朗『からかい上手の高木さん』がすごいという話なので、さっそく読んでみたら確かにすごかったという話。
古き良き少年漫画を思わせるあっさりとした日常世界で、ただただ高木さんが西片くんをからかいまくる。
よくまあネタが尽きないものだと思う。それだけ作者の妄想力がとんでもないのかというと、そういう感触はない。
下品にならないラインを楽々とキープしつつ、あくまで淡々としたペースでふたりのやりとりを描いていく。
かわいいかしこい高木さんが鮮やかに西片くんを弄ぶ、その基本線をこれだけ多様にやりきるのには、驚くしかない。よく指摘されているように、問題は西片くんのキャラクター設定にある。高木さんと釣り合わないのである。
女の子としての魅力の塊であるところの高木さんに対し、西片くんの魅力は具体的にはまったく示されていない。
でも、高木さんが西片くんに好意を持っていることは暗示されている。じゃあ西片くんのどこがいいのよ?と。
不特定多数の男子に感情移入させるためにそうしているのかよくわからないが、そこがどうにもモヤモヤする。
理由がわからないままに高木さんはからかい続け、西片くんは延々と翻弄され続ける。釈然としなくってたまらん。
ぶっちゃけ、そこに疑問を持つ必要はないのである。そんなことなんて気にしない方が絶対にこのマンガを楽しめる。
しかしながら「理由を知りたい男子」の私は気になって気になって仕方がないのだ。かゆいところに手が届かない!
僕も高木さんにからかわれたいんですよ! でもどういうポイントを押さえれば高木さんに気に入っていただき、
毎日毎日からかっていただけるのか、そこが全然わからないからこの胸のムズムズがおさまらないんですよ!
……書いてて自分でも気持ち悪くなってきたのでいったんストップ。西片くんの魅力って何ぞや、と考えているうちに、ふと頭の中に浮かんできたことがある。僭越ながらですね、
「もしかしたらオレって西片くんのポジションではなく、実は高木さんのポジションだったんじゃね……?」と。
私の少年時代を知り尽くしているトシユキさんからは「宇多田ヒカルの『甘いワナ』を地で行く男」と呼ばれたわけで、
街で偶然会う度に深まっていった疑惑 行く先々に現れる変なヤツ いつもあぶないことばかりしてるから
どうしても気になっちゃう love trapですよ。なーんにも考えていない行動が思わせぶりなからかいと解釈されて、
なーんにも結末を考えないまんま独り走り続けている。好意ゼロでからかってくるだけの高木さんなんて、最悪ですよ。
というわけで、突如として自分の人生を大いに反省させられるのであった。いや、なんか、もう、ホントすいません。
西片くんに魅力がないとか言う資格はないんですよ。そりゃ高木様にからかっていただけない人生なわけだ。がっくし。
昔の日本人はすごかったなあと思う。現状と単純に比較はできないけど、戦艦つくるわ空母つくるわで飛行機つくるわで、
列強とバリバリに渡り合っていたわけだ。もちろん背伸びしていた部分もあったろうけど、確実に気概が違ったはずだ。
今はアメリカという家父長の下で、「国際化」とか「グローバル化」とか言って順調に骨抜きにされておるわけです。
「国際化」「グローバル化」はまるで大義名分のように幅を利かせているが、実態は日本人の感性を切り崩す手段なのだ。
他の国に合わせるということは、他者をゴールにするということ。本来、日本人はなんでもかんでも「道」にしちゃって、
ゴールのない世界を突き進むという習性を持っていた。そうして他国にはない独自の価値観を切り開いてきたはずだ。
欧米の進んでいるところを取り入れても、そこに日本ならではの付加価値を付けて勝負する、そういう発想はもはやない。
まあ時代として昔ほど単純な構図ではないのは確かなのだが、日本国という枠が溶けかかっているのは間違いあるまい。教育現場で考えてみると、確実に今のお子様は甘やかされている。まず親が甘やかされて育っているんだもん。
学校は親からのクレームが来ないように来ないように完全に守りに入っている。子どもが傷つく要素を減らす一方だ。
でも、研磨されなければ切れ味はどんどん鈍っていく。きちんと挫折を味わわせなければ一人前にはなれないものである。
「お前、何様のつもりだ?」そう言いたくなる、大人に対して自分の権利を主張する一方の子どもがどんなに多いことか。
道を極めようとする人間ほど、自分の未熟な部分を直視しているものだ。でも今の日本人にそれはほとんど見られない。思うに、戦前と戦後の最大の違いは、「真剣勝負の機会が豊富にあったかどうか」ではないか。やるか、やられるか。
近代以前にはもちろん日本国内で真剣勝負があったし、明治維新後は列強と食うか食われるかの真剣勝負をしてきた。
真剣勝負をすれば、未熟な方が負ける。負けた者は自分が未熟である現実を突きつけられる。だからまた努力をする。
そういう切った張ったの真剣勝負の経験が、大人としての威厳につながっていた。経験は何者にも代えがたい財産なのだ。
しかし戦後はアメリカさんという新たな家父長に守られて、真剣勝負をとにかく避けてきた。アメリカもさせないできた。
だって下手に日本がまた研ぎ澄まされた国家として立ち上がってきたら面倒だから。うまーく牙を抜いちゃったわけで。だから、今の日本には真剣勝負が必要だ。もちろん、戦争以外で。対外的には真剣勝負ができない状況なので、
せめて国内では真剣勝負をできる環境を用意しないと国民の能力は衰える一方である。格差を固定する今の社会は、
完全に逆方向をひた走っている。下剋上が社会の安定と相容れないのであれば、その社会はゆったりと滅ぶだけだろう。
たとえばサッカーの日本代表で見ると、Jリーグの下部組織出身者と高校の部活動出身者とでは、後者の方が多い。
強豪校になるとその部活動はブラックそのものなのだが、その理不尽な指導が原動力になるという話はよく聞く。
高校の部活で地獄を見たから、以降は何があっても動じない。こりゃもうまるで戦前の軍隊そのものではあるのだが、
そういう真剣勝負を経験した者だけが持つ、食物連鎖を勝ち抜いた生物としての絶対的な強さがあるのは否定できまい。
(今年の正月にウチの家族で議論したテーマ「個としての強さ」は、まさにそれである。→2016.1.2)受験もそうで、たった一回の勝負に全力を出せるかどうか、そこが人間として重要なのだ。体調管理も実力のうち。
真剣勝負に臨んで実力を発揮できる能力をきちんと持っているかどうか。受験の本質は、実はそこにあるのである。
でも世間はどんどん子どもを甘やかす(→2015.3.2)。「国際化」と言っては、なんでも他国の基準に合わせようとする。
あるいは、中国や韓国を見て日本は優れていると安心しようとする。他人を下に見る者が最も卑しいという事実を忘れて。
かつて日本人にとって、敵は自らの内にあった。そうして自らを研ぎ澄ますことで真剣勝負に向き合ってきた。
真剣勝負のない現代は、自らの未熟さを痛感する機会がない。それで親も子も揃ってありもしない可能性を夢見ている。
オレは昔の人間に劣るのって、子孫としてすごく悔しいけど。考えれば考えるほど八方塞がりな状況で悲しくなってきますな。
今年度相方となってしまった人の英語の教え方があまりにも僕の理想とかけ離れているので(→2016.4.13)、
自分の確固たる方針やら勉強についての信念やらをきちんと言語化してみた。題して、『マツシマさんの哲学。』。
せっかくなのでPDFファイルを公開する。内容は過去ログ(→2010.8.2/2010.8.3/2010.8.4/2010.8.5)に、
英語の勉強のコツやら何やらを書き足したもの。今後マツシマさんの授業ではこれが必修のガイダンスとなる予定。『マツシマさんの哲学。』(⇒PDFで読める版)
しかしその相方となってしまった人の授業を見るたび、頭を抱えてしまう。今まで何人の生徒を不幸にしてきたのだろう。
ヘタクソというか、自分の教え方の欠点をまったく自覚できていない。生徒はすでにそれを見抜いて不満いっぱい。
受け手の感情をまったく理解できていないで、自分のやりたいこと(しかもほぼ無意味)を押し付ける一方なのだ。
これってつまり、生徒を自己満足に利用しているだけだ。とても授業と呼べる内容ではない。怒りしか湧いてこない。
さっそく4月から休みが一日じゃ足りないよ状態。疲れがぜんぜんとれねえよお!
午前1時25分だから、僕はぐっすり眠っていた時刻だ。それがただの余震ではなく、むしろ今回の本震になるとは。
2日前の地震がただの前震にすぎなかったなんて、まるで想像できなかった。そんなの反則だろ、と思っても遅い……。朝起きたらニュースはさらに深刻なトーンになっていて、画面に映し出される映像はさらに大きな被害となっていた。
石垣が崩れた熊本城は櫓まで倒壊し、宇土市役所は折れるようにして壊れ、阿蘇神社の楼門と拝殿は潰れてしまった。
跡形もなく流された阿蘇大橋は、こないだ高千穂からの帰り(→2016.2.28)に通った橋じゃないか。他人事ではない。
自分がかつて訪れて目にしたものが(→2011.8.8/2011.8.9/2015.8.21)、確かめた日常が、失われた悲しみ。
東日本大震災のときにはまだ行ったことのない場所が変わり果てた姿になり、永遠に触れることができなくなってしまった。
しかし日常が失われてしまったという点では、今回の熊本の地震もまったく一緒なのだ。その事実を突きつけられた。復興を果たすその日が来るまで、僕の知っている熊本とは異なってしまった、傷ついた熊本がそこにある。
実際に訪れたことで、僕の心の中には確かに熊本の街が息づいている。そうそう気軽に行ける場所ではないけど、
その熊本のために、他人事ではない熊本のために、できる範囲のことをしておきたい。日常の中で、熊本を、想う。
職場でパソコンを見るたびに、熊本では新しい余震が発生しているようだ。やはりそのしつこさが気持ち悪い。
威力のある一発で終わらず、それなりの規模のボディブローがどんどん打ち込まれている。明らかにふつうじゃない。
なんというか、悪意を感じざるをえないタイプの地震なのだ。2011年以来、悪意の漂う世界に迷い込んでしまった、
そういう種類の気持ち悪さなのである。でも悪意の存在を認めてしまったら負けだ(→2011.3.17)。理性の負けだ。
だからどうした、と泰然と構えて復興につなげていく、そういう誇りが試されていると思うしかないのだ。
本日の部活は新入部員3名と卒業生で大家族ゲームとなったのであった。いつもこれくらいの人数ならいいが、
新入部員がわずか3名なのは非常に厳しい。しかし悩んでもどうにもならないので、すべてを忘れてボールを追いかける。◇
夜になって大きな地震が熊本で発生した。しかも震度5以上が頻発して、九州でそんなことが起きるのかと驚いた。
冷静に考えれば阿蘇も鹿児島湾もカルデラで火山天国なのだが、ここまで大規模な地震が起きたのは聞いたことがない。
東京からはかなりの距離があるが、一気に非日常に引き込まれる恐怖(→2011.3.11/2011.3.17)が再び頭をよぎる。
東日本大震災でも大規模な余震があったが、それと同じくらいひっきりなしに余震が発生しているのが気になる。
部活に変化があったように教科の方にも変化があって、英語を一緒に担当する先生が替わった。
しかしこれが困ったことに、教え方の違いがあまりにも大きいのである。大きいだけならまだいいが、
まあはっきり言ってヘタクソ。授業を後ろで見学しながら、思わず頭を抱えてしまった。これはマズい、と。
しかも輪をかけて困ったことに、本人は自分がヘタクソという自覚がまるでないようなのだ。むしろ自信満々。
ただただ呆れ果てたね。このままだと大変なことになる……と、鳥肌が止まらないのであった。嵐の予感だわ。
ありがたいことに今年度の部活は顧問2人体制となったのだ! なんと諏訪出身で銀行員から体育教師への転職者。
専門は野球とのことだが、僕にしてみればもう本当にやりやすくってたまらない。ありがたやありがたや。というわけで、本日の放課後の部活からさっそく参加。コーチも含めて大人3人が子どもと一緒に全力プレー。
今年度も全方向から全力でいろいろ学べる、しかも新鮮に学ぶ人を見ることでまたこっちが学べるという、
これ以上ない環境である。あとは生徒がどれだけ賢く全力で取り組んでくれるか、である。それがいちばん難しいのね。
「先生、好きなコンビニって何?」
「あ、待って待って、みんなで予想するから」
「サンクスって店員のレベルが高いっすよ。だからサンクス」
「オレ、ヤマザキデイリーストアだと思う」
「えっとねえ、スリーエフ」
「ポプラって、あったよね? それでしょ」
「お前らオレのことをどんだけマニアックな人間だと思ってんだよ」
「じゃあ先生、答えは何なの?」
「セイコーマート! 北海道だけじゃなくて埼玉や茨城にもあるんだぜ! 安いしうまいし品揃えいいし最高よ?」
「やっぱマニアックじゃないすか」
東京に戻る。実家から東京に戻ってくると、100%自分の空間に戻ってきたという安心感もあるんだけど、
それだけに固定された日常のルーティンに取り込まれるような気分もある。毎日毎日が似たようなページ、
まるでパラパラマンガぐらいにしか昨日と動きの違わない日々。まあ、その毎日を元手にメシを食っているんだけどさ。
「いつかアルウィンで松本山雅の試合を観戦しようぜ」という話を何年も前からウチの両親としていたのだが、
本日ようやくその約束が実現することになったのであった。6年前には松尾の運動場で観戦したが(→2010.4.4)、
あのときからずいぶんと状況は変わった。長野県におけるサッカーの現在地を見ておきたいという思い、
そしてそれを実際にウチの両親にも体験してみてほしいという思い、それで今回の観戦を企画したのである。始発に乗って新宿に出る。後で気づいたが、僕は1時間早い便に乗るもんだと勘違いしていたのだ。
でも余った時間でのんびりとメシを食い、バスタ新宿を歩きまわる。これくらい余裕がある方がいいってもんだ。
メシは南口の松屋で食ったのだが、外国人の男2人がメニューについて外国人女性の店員に質問していた。
しかし店員さんは英語がしゃべれないので、結局は片言の日本語で会話するのがいちばんマシという感じになる。
やがて料理が出てくると、客の男2人はきちんと「いただきます」と言ってから箸で食べたのであった。
彼らのバックグラウンドはぜんぜんわからないが、ああこれは正しいな、と僕は一人感動した。
みんなが郷に入って郷に従っているのである。こういう人たちばっかりなら、日本に来てもらえてうれしく思える。
自分が外国に行ったときにもこれと同じことが発生するから、そこはがんばらないといけないなあとも思う。バスタ新宿。久しぶりに南口に行ったらいきなりコレで驚いた。
つい5日前に開業したばかりのバスタ新宿だが、朝の6時台に来たこともあってか、あちこちスカスカしている印象。
人が多ければその印象も大きく変わると思うのだが、全体的に空間に余裕を持たせてつくってあるのがわかる。
バスタ新宿は、なんと19ヶ所も分散していた新宿駅周辺のバス乗り場を1ヶ所に集めた画期的なバスターミナルだが、
たまたますれ違ったおじいちゃんが言っていたように「1ヶ所にすると大したことないように思えるねえ」って感じ。
そのかわりバスの発着はけっこう頻繁である。出入りさえしっかり管理できれば、空間的には小さくて済むのだろう。松本行きのバスに乗り込む。出発時は何の問題もなかったが、中央道の諏訪−岡谷間で事故による通行止めが発生。
しかもこの日は御柱祭りで、それにもかかわらず上諏訪駅前を強行突破したもんだから、1時間以上の遅れとなった。
神林のバス停で下車する予定だったのを変更し、みどり湖PAで降りて両親の車に拾ってもらったのであった。さて、みどり湖PAといえば、我が家では昔っから「ラーメンが旨い!」ということでおなじみなのである。
本来は安曇野方面の蕎麦屋で昼食の予定だったが、せっかくみどり湖に来たんだからということでラーメンをいただく。
僕が小学生だったときからまったく変わらない正統派の支那そばっぷりがすばらしい。やっぱりしっかり旨かった。
ネットで検索しても「山賊焼きラーメン」が人気らしいが、ラーメンじたいの旨さは特に話題になっていないようだ。
シンプルな支那そばということで、僕の中では味の基準になっているラーメンである。ぜひ一度食べてみてほしい。みどり湖PAのラーメン。見た目どおりの味である。正統派のおいしさ。
松本×徳島のキックオフは15時である。それなのにわざわざ朝早いバスで出かけたのは、寄り道をしたいからだ。
そう、昨年5月に開庁した安曇野市役所を見たいのだ。iPhone片手にナヴィゲートして連れていってもらう。
circo氏はすでに訪れたことがあるのだが(⇒こちら)、その際にはそうとう迷った末にたどり着いたらしい。
しかしスマホの地図だとまったく迷うことなくまっすぐ到着。circo氏は「こんなに近かったのか!」と驚いていた。
L: 正面より眺める安曇野市役所(東側)。 C: というわけで東エントランス前。 R: 北東側から眺めたところ。安曇野市は明科町・豊科町・穂高町・三郷村・堀金村が合併してできた、長野県で最も新しく生まれた市だ。
長野県は長らく17市だったが、2003年に更埴市が合併して千曲市に生まれ変わり、2004年に東御市が誕生し、
そして2005年の安曇野市の誕生で19市となりけっこう変わった。その分、「更級」も「埴科」も「豊科」も「明科」も消え、
それはそれとして信濃ナショナリズム的にはどうなのという気もする。蓼科にはもうちょっとがんばってもらわねば。
L: 北側外観。オシャレなデザインではあるが、素材や色づかいに安っぽさを感じるのが正直なところ。
C: 角度を変えて北側。 R: 背面の西側。4階のこっち側は展望デッキとなっている(後で訪れる)。安曇野市役所の設計は内藤・小川原・尾日向設計共同企業体。要するに内藤廣である。プロポーザルで決まったが、
安曇野では安曇野ちひろ美術館の設計で実績がある人だ。僕が今まで訪れた中では、旭川駅(→2012.8.20)、
高知駅(→2015.2.27)、日向市駅(→2016.2.27)を手がけている。駅ばっかりやんけ。ぜんぶ似とるやんけ。
と思ったら益田のグラントワ(→2013.8.18)もそうだった。まあなんとなく方向性はわかるわな。
個人的には矩形ぶりに岩国市役所(→2013.2.25)を思い出したが、あそこまではっちゃけきれてはいない印象。
4階建ては庁舎建築では低い部類に入るが、その分だけ床面積をしっかりとっており、幅があって撮影しづらい。
L: 南西側より眺める。 C: 南側ファサード。県道に面した表側って感じか。 R: 南西側より。一周したので中に入ってみる。安曇野市役所は休日でも4階の展望デッキを開放しているので、そこまで行ってみる。
まずは入って左手。多目的スペースとなっており、行政の資料が置かれているほか、期日前投票にも使われるとのこと。
僕が大学院で市役所の調査をしていたときは「情報公開コーナー」の有無もポイントとして調べていたが(2002年ごろ)、
これだけ居心地のよい空間が最初から用意されているというのは、正直その当時と比べると隔世の感がある。
右手には小規模だがカフェスペース。コンビニをぶち込んだ甲府市役所(→2015.12.26)ほどの冒険ではないが、
やはり市民向けにはっきりと役所の空間を開放する意志を見せている点は、きちんと評価したいところだ。
L: エントランスから左手の多目的スペース。 C: 右手はカフェ。 R: 窓口は1階に集約されている。休日なので暗い。安曇野市役所内部の最大の見どころは、吹抜を大胆に利用した階段だろう。これで市民にインパクトを与えたい、
そういう建設側の意図を明確に感じる。エントランスから入ったら、まず左右に空間がしっかり延びている。
こうして水平方向の意識を持たせておいたところに、窓口へ向かおうと真ん中へ進んだらこの階段、というわけだ。
鉛直方向の吹抜が最大のインパクトになるように演出がなされている。そして天井からそのまま光を採り入れて、
開放感を最大限にもたらすようにも配慮している。先手を打って来庁者を圧倒する工夫がしっかり込められているのだ。
L: エントランスから水平方向に細長い空間を体験した後、この吹抜へ進むことになる。光も満載でインパクトは最大。
C: 4階から眺める階段。吹抜の階段は休日には開放されていないので、これを上がる体験は平日に来ないとできないね。
R: 西側の吹抜を見下ろしたところ(吹抜は2つあり、左の写真は東側のもの)。机と椅子で市民の滞留を想定している。個人的な感想としては、「これは外部よりも内部の建築かな」といったところ。外観もそれなりにオシャレだが、
いかんせんどこか安っぽい印象が漂っているのが惜しい。長野県産カラマツはいいが、金属の色合いがいけない。
金属に塗られたグレーが明るすぎる。もっと暗い色で塗れば、より木材の質感が対比として生きるはずなのだ。
4階の赤っぽい茶色もよくない。これは黒で塗るべき。この2点を改善するだけで、高級感がぐっと増すだろう。
それに対して内部は目立つ部分に徹底してカラマツが使われているので、外観のような問題がかなり減っている。
休日に訪れたのでなんとも言えない部分はあるが、光の明るさと暗さをきちんとコントロールすれば魅力的には映る。
1階に比べると4階は無機質な白が占める割合が多いものの、ポイントを絞ってカラマツを上手く使っていると思う。
L: 北側を眺める。隣接する豊科近代美術館・豊科図書館のキッチュなセンスはダメ。花咲く庭園は悪くないが。
C: 4階の展望デッキへと向かう通路。このベンチは不要だが、市民向けに開放しているぞアピールで置いているね。
R: 展望デッキの手前にあるパノラマラウンジ。いかにも職員が客と打ち合わせするんだろうなあって空間である。展望デッキに出たら、両親が缶コーヒーを飲みつつ目の前の北アルプスを眺めて上機嫌で過ごしていたのであった。
僕が気ままに撮影している間、そこで待っていてもらっていたのだ。春の陽気と山々の眺望にうっとりしていた。
この土地ならではの観光資源を上手く使っているものだと感心しつつ、あちこちシャッターを切ってみる。
印象としては、小規模な富士山駅屋上のデッキ(→2015.12.19)って感じ。よくこの要素を市役所に取り入れたと思う。
L: 4階の展望デッキ。市役所にこれをつけるってのはかなりの英断だよ。 C: 北アルプス、安曇野の眺め。
R: 振り返って眺望を堪能するウチの両親を撮影。春霞ですっきり山が見えなかったのは残念だが、居心地抜群。というわけで、総合的な評価としては、かなり意欲的ないい市役所と断言できる。外観の安っぽさがマイナスだが。
circo氏は「この建物ができたことによって 市民のデザイン意識が向上し 続くあちこちの建築物の造形に影響をあたえ
さらに未来をささえる青少年のデザイン感覚の伸長まで期待できるとすれば 大成功といえそうだ」と述べているが、
それは公共建築の究極の使命を見事に表現した言葉である。そして安曇野市役所はその可能性をしっかり持っている。
あと、circo氏は「『安曇野市』って名前がいいんだよ」と何度も繰り返していた。確かに結局は地名しだいだもんな。安曇野市役所を後にすると、僕の希望でいったん松本の中心市街地に入ることに。御守を頂戴したいんですよ。
殺人的なデザインの長野県立こども病院の脇を抜け(とはいえ病院建築のファサードが難しさを抱えているのは事実)、
国道19号から渚の交差点にぶつかると東西方向に激しく渋滞していたが、比較的スムーズに国道143号に入れた。
そこから篠ノ井線をくぐって松本の市街地へ入ったのだが、城下町への攻め込みづらさは昔も今も変わらんね、と発言。
ふだん車に乗らないので、こういう形で城下町の都市構造を実感するのは新鮮だった。面白いもんだと思う。松本の中心部を流れる女鳥羽川。長野県は今が桜のピークのようで。
これまたスムーズに中心部の駐車場に入ることができた。今日はいろいろと運がいいようだ。
僕が希望したのはまず、四柱神社の御守。「しはしら」なのか「よはしら」なのかわからなくなるのだが、
大町からよく出てきてここで遊んだという母親が言うとおり「よはしら」という読み方が正しい。覚えておかねば。
(個人的にややこしくしている原因が「四条」。京都は「しじょう」だけど旭川は「よじょう」なんだよな。)
四柱神社はその名のとおり4柱の神様が祀られているのだが、創建は1879(明治12)年とかなり新しい。
縄手通りに面していることもあって、かなりの賑わいとなっている。みんなで二礼二拍手一礼するのであった。
L: 四柱神社の大鳥居は縄手通りに直に面しているので、こうやって女鳥羽川に架かる橋の上からでないと撮影できない。
C: 境内の様子。参拝客がひっきりなしに訪れる。縄手通りに面して適度なオープンスペースとなっているのがいいわけだ。
R: 拝殿。大火に遭ったので現在のものは1924(大正13)年の再建とのこと。奥の本殿は撮影ができなかった。御守は大小の種類があるし、大も色が5色あるしでいろいろ迷ったが、青空が印象的ってことで青を頂戴。
そのまま3人で縄手通りを散策するが、案の定ウチの母親はところどころ雑貨屋で行方不明になるのであった。
そして女鳥羽川の左岸に移ると中町通りで、ここは蔵造りの街並みが実に見事なのである(→2008.9.9)。
僕は全国あちこちの街を歩いているが、松本ほどさまざまな要素を兼ね備えている街は他にない、と断言できる。
国宝の城があり、城下町として昔ながらの街並みがあり、大学があり、旧陸軍の連隊があり、日銀の支店があり、
私鉄が走り、豊かな湧き水があり、PARCOがあり、そして何よりプロサッカークラブがある。ないのは県庁ぐらいだ。
とは言ってもかつては筑摩県庁があったわけで(燃えちゃったけど)、松本ほどすべてが揃っている街はほかにない。
ウチの家族で松本を訪れるたび、飯田との格の違いに悲しくなるんだよな。でもこれはもう、相手が悪すぎるのだ。
L: 縄手通りを行く。春の陽気で観光客もいっぱいだ。 C: 縄手通りといえばカエル。店先のカエルグッズが凄い!
R: 女鳥羽川の南側には中町通り(中町商店街)。全国あちこち歩いているが、松本ほど多彩な要素を兼ね備えた街はない。さらに南下してまつもと市民芸術館の脇を抜けると、もうひとつの目的地である深志神社の裏手に出る。
こちらを訪れるのは初めてだが、祭りで曵かれる舞台(山車)の倉が並んでいる光景にまず圧倒される。
さすがは松本の古名「深志」を冠する神社だけあり、確かな歴史を感じさせる。しかし松本は本当になんでもあるな!
L: 実際に訪れたときとは逆に、西側に延びている表参道からの順番で写真を貼っていくのだ。まずは鳥居が2つ。
C: もともとは拝殿だったという神楽殿。1672(寛文12)年築で、深志神社で最も古い建物。 R: 現在の拝殿。深志神社はもともと1339(暦応2)年に小笠原貞宗が諏訪明神(建御名方命)を祀ったことで創建されたが、
1614(慶長19)年に小笠原秀政が天満宮を勧請して現在の形となった。後発の天神様の方が存在感があるのは、
松本の教育や文化を重視する土地柄によるものだろうか。文武両道って感じで、やっぱりなんでも揃っているな!
L: 1875(明治8)年築の本殿。2つ並んでいるのは祭神が2柱いるから。手前が梅、奥が梶の紋なので推して知るべし。
C: 参拝前にまつもと市民芸術館も撮影してみたが、敷地に余裕がないので全体像はまったくつかめないのであった。
R: 側面。伊東豊雄の設計で2004年竣工ね。印象は前回訪問時(→2007.1.2)と一緒。「捕鯨博物館」って感じね。帰りは縄手通りに戻ってソフトクリームを3人で舐めつつ駐車場まで戻る。街のあちこちに緑の旗が飾られ、
ポスターが貼られ、手のひらサイズのユニフォームが窓にくっついていた。山雅の浸透ぶりを実感しながら歩いた。もしかしたらキックオフに間に合わないかもしれない、と思いつつアルウィンへ。車内でMacBookAirを取り出し、
iPhoneと合わせて地図を確認しながら臨時駐車場の位置を調べる。工業団地から無料のシャトルバスに乗ったが、
結局スタメン発表のタイミングで客席に入ることができた。両親はスマホの威力をあらためて実感していたなあ。
L: アルウィンといえば周りのマレットゴルフ場って印象がある(→2011.4.30)。いかにも長野県だよなあ。
C: メインスタンド側から入場してすぐの光景。まさにフットボール・ウィークエンドって感じである。
R: 山雅のゴール裏は相変わらずの白熱ぶり。母親はこの光景に圧倒されていた。ま、そりゃそうだわな。僕は中信に何の思い入れもないし、放り込むサッカーにはあまり魅力を感じないので6:4ぐらいで応援する感じ。
しかし大町市出身のウチの母は大糸線で松本は馴染みが深い土地なので、タオルマフラーを購入して振り回す。
まあそれは正しい姿勢であると思うわけです。サッカーの内容しだいで応援できなくなる自分は、それはそれでさみしい。試合が始まると私の軽い解説つきで観戦なのである。いちおう全国あちこちのスタジアムで観戦していますんで、
他クラブとの特徴の違いなんかを中心にいろいろと。思うのは、松本のサポーターはやっぱりちゃんとしているってこと。
客席からのヤジでイヤな気分になることがないもんね。今回は僕が親を招待したような形で観戦したわけだが、
連れてくる人を不快にさせる心配がないってのは本当にすばらしいことだ。長野県はやはり教育県なのかもしれない。さて試合は序盤から松本が攻勢に出る。これが本当にロングボール一辺倒のキック・アンド・ラッシュなのである。
徳島もきちんと対応してカウンターを仕掛けるが、GKのシュミット ダニエルは非常に安定感があって安心して見られる。
シュミット ダニエルは遠目でもひと際デカさが目立っており、存在感が違う。これはいいGKを取ったなあと思う。
それにしても松本の選手を見てみると、當間がいて岩間がいて宮阪がいて喜山がいて工藤がいて高崎がいる。
つまり、他のJ2クラブの主力を着実に集めているのだ。それならもっとつなぐサッカーができるだろって気もするが。
松本の象徴である田中隼磨は今日もしっかり右サイドでプレー。気の利いたパスを供給して違いをはっきり見せていた。
隼磨が偉いなあと思うのは、いつでも必ずピッチに立っていることだ。見たい選手をスタジアムで必ず見ることができる、
それは観客たちにはものすごくありがたいことなのだ。特に僕らみたいに毎回来れない気まぐれな客にとっては。
生観戦は初めての母親だが、選手たちのプレーぶりについて「地味に上手いのがわかる」と言う。おっしゃるとおりである。
その地味な部分、基本技術の上手さがわかるというのは大したものだ。的外れなことはまったく言ってなかったですよ。
L: ピッチで違いを見せる田中隼磨。相手にとって明らかに危険な位置にパスを出しており、経験の豊かさがうかがえる。
C: 宮阪のFK。けっこう枠のギリギリに飛んだのだが、GKが横っ飛びで掻き出した。どっちもいいプレーで見応えあったなあ。
R: 守備で抜群の安定感を見せるGKシュミット ダニエル。熊本時代にも見たのだが、この試合は特に印象に残った。前半はスコアレスで終えたものの、後半開始から少し経った55分、松本がついに先制。左サイドからクロスが入り、
右サイドの田中隼磨がヘディングシュート。これはポストに当たってしまうが、撥ね返ったところを工藤が蹴り込んだ。
松本お馴染みの放り込むサッカーが展開され続けていたが、そこに異質な存在といえる工藤が決めたってのがさすが。
ある意味できわめてサッカーらしいサッカーとなったわけで、両親とその辺の采配の妙をあれこれ語り合うのであった。
L: 高崎が落として那須川が上げたクロスに田中隼磨のヘッド。しかしこれは逆サイドのポストに当たってしまう。
C: 山本(19番)と重なって見えづらいが、撥ね返ったボールを工藤がシュート。 R: これが決勝点となった。最終的にはウノセロゲームとなったが、全般的にチャンスシーンは多くて見応えのある試合だったのはよかった。
両親を招待した形の僕としては、何よりホームの松本も勝つことができたし、ほっと一安心のゲームである。
しかし松本は明らかに運動量が少なく、両親も「ぜんぜん走れてないじゃん反町何やっとるのよ」と言う始末。
スタイルは完全にキック・アンド・ラッシュだが、そのわりにはラッシュしきれていないもどかしさが目立っていた。
そしてもうひとつ僕が気になったのは、松本の選手は去年(→2015.9.12)から上手くなっていないということ。
反町の采配は確かで、「勝たせる監督」ではあると思う。でも彼は「育てる監督」ではないな、というのが感想だ。
L: アルウィンは松本空港のすぐ脇なので、着陸する飛行機がかなり大きく見える。circo氏大興奮。
C: 勝利のダンスを踊る松本サポ。真ん中にぎゅーっと大移動してワサワサ動くのだが、その様子に母親大興奮。
R: メインスタンドに挨拶に来た選手の皆さん。やっぱり最後の挨拶までスタンドで味わわないといけないよな。思えばcirco氏と松尾の運動場で観戦したのは、松本山雅がJFLに昇格した初年度だった(→2010.4.4)。
あれから6年、松本山雅はJ1を経験したクラブとなって、アルウィンのゴール裏をいっぱいに埋めている。
もう6年も経っちまったんかという気持ちはもちろんあるが、わずか6年でここまで昇り詰めたのか、という思いが強い。
(Jリーグクラブとしての松本山雅の試合をアルウィンで観戦するのは、僕も今回が初めてなのである。)
シンデレラ・ストーリーの行方は、今日僕らの目の前で展開されたすべてだ。これが現実の日常としてあるのだ。
それをとてもいい形で両親と確かめることができたのは、本当によかった。長く機会を待った甲斐があったってもんだ。しかし工業団地へ戻るシャトルバスがぜんぜん来ないんでやんの。ヒマなんでいろいろ観察しながら過ごして、
バスの行き先はバス会社ごとに割り振られている法則を見抜いたりしていたのだが(頭を使うのが好きな家族だな!)、
次から次へとやってくる松本駅行きのアルピコ交通と比べてあまりにも工業団地行きのバスが来ないのでまいった。
30分近く待ってバスが来て、それが来たときと同じバスだったので「おお!」となる。いや、大したことではないのだが。
で、バスに乗っているうちに、アルウィン周辺の道路が全体的に渋滞しているという事実がわかってきた。
アルウィンの駐車場から車が出入りするし、周辺の駐車場からも車があちこちに出るし、それでバスが遅かったのだ。
だから松本駅行きのバスもスイスイ来たのはいいが、乗り込んだバスの中でそうとう待たされることになったはずだ。iPhone片手に松本ICから高速に乗ると、車の中ではアルウィンの渋滞を解消する方法について考える。
とりあえず北から来た車は北の駐車場に、南から来た車は南の駐車場に、という具合にハブの駐車場を指定してしまい、
すべて各駐車場からのシャトルバス運行でアルウィンまでアクセスして、スタジアムの周りには車を一切入れないようにする、
という解決策がいいんじゃないかという結論になるのであった。……本当に頭を使うのが好きな家族だな!
時間割の調整で午後10時過ぎまで職場に残る。つらい。あと自分の言葉遣いを反省。いつまでたっても成長せん。
入学式。あいにくの雨になってしまったが、無事に終わって何よりである。
しかしまあ、時間ってのは淡々と進んでいくものね、と思う。卒業、入学、卒業、入学。
自分は何も変わっていないつもりでも、周囲がどんどん成長していく。まだかっこよく歳をとることができない自分。
さーあ新年度のスタートだ! 正直、今までで最もモチヴェーションの維持が難しいシーズンなのだが、
それはそれ、これはこれ、ということでがんばる。……にしてもやっぱり雑務で働きまくりなのね。
昼メシを食えたのが午後3時前だったもんなあ。忙しい者どうしで歩調を合わせるのがいちばん手間がかかる。
新年度の準備にいろいろ追われるのであった。今年度は数字のうえでは1名増員。人が増えたのは純粋に歓迎したい。
今のところはいつもとあまり変化のない感じだが、徐々にそのプラスが効いてくるだろうと思う。
どうも今日が山口大学の入学式のようなのだ。朝、ファミレスでメシを食っていると、ピチピチした若者とその両親、
そんな組み合わせが周りにちょこちょこいる。服装は全員パリッとしていて、ハレの日であることが容易にうかがえる。
せっかくの日、スカッと晴れてくれればよかったのだが、昨日降っていた雨が朝になってなんとかやんでくれた感じ。
思えば旅行中ほとんどが曇り空の下だった。まあ春の天気はそんなものといえばそんなものだが。昨日の雨が悔しかったので予定よりも早く行動を開始して、バスに揺られて維新百年記念公園を再訪問する。
日本の都市公園100選にも選ばれているし、昨日できなかったスタジアム一周もしたいし、じっくり見てやろうと。
そしたらまさに、山口大学の入学式がこの公園内にある山口県スポーツ文化センターで開催されるようで、
スーツ姿の若者たちがポツポツと現れては奥の方へと消えていく。うーん、なんか妙な気分である。
L: 維新百年記念公園の入口。昨日サッカーがあった陸上競技場を核に、スポーツ施設と野外音楽堂が整備されている。
C: 池があるけど、デザイン的に維新は関係ないようだ。 R: 奥の方を眺めるが、施設が並んでいるだけの模様。陸上競技場は公園の南西側にある。もともとは国体のために1963年に建設されたものだが、2011年に改修済み。
改修のきっかけとなったのはやはり国体だが、J2の試合開催も念頭に置いたとのこと。スタジアムの強みを感じるわ。
設計は山口県建築指導課と佐藤総合計画。充実しているメインスタンド側と対照的に、バックスタンドは簡素である。
L: 東側から眺めた維新百年記念公園陸上競技場。 C: メインスタンドをあらためて撮影してみた。
R: 南西の駐車場から撮影してみる。見てのとおり、屋根はマストを立ててそこから吊っているのが独特。昨日できなかったスタジアム一周をしてみるが、バックスタンド側は本当にコンクリートの塊で簡素である。
トラック競技やフィールド競技の線画が施してあるなど、陸上競技場としての矜持を感じさせる工夫もしてある。
L: バックスタンド側。オレンジの線で100m走、やり投げ、ハンマー投げなどのデザインが施されている。
R: 一周してマストとアンカーレイジを眺めたところ。オシャレだけど経年劣化したらけっこう大変そうね。これで気が済んだので、再びバスに揺られて山口駅方面へ。駅前の貸自転車店で自転車を借りるのだ。
8年前の前回訪問時にはすべてを歩きで済ませたが(→2008.4.24)、今回は効率よく走りまわるのである。
リヴェンジ目的の場所ももちろんあるが、それだけきちんと見ておきたい場所が増えたってことなのだ。山口県林業会館。中村稔設計で1967年竣工。モダンだが冒険しとるね。
まずは小手調べに山口市役所を再訪問だ。1961年竣工の3階建てで、昭和の庁舎の見本のような雰囲気。
さすがに建て替えの計画が進められているようで、今は用地選定の段階らしい。どうなることやら。
L: 山口市役所。サビエル記念聖堂を背にしてどっしり構える。 C: 敷地内に入って左を見ると、正面入口。
R: パークロードを行くのだ。この広々とした道路をつくれたのは、山口市の人口密度の低さを示していると思う。続いては当然、山口県庁だ。前回同様、山口県政資料館こと旧山口県庁舎・旧山口県議会議事堂から見ていく。
詳しいことは8年前のログでしっかり書いているので、そっちを参照してくださいなのだ(→2008.4.24)。
L: 東側にある歩行者向けの門。 C: 旧県議会議事堂。1916(大正5)年竣工、100周年だ。 R: 正面より眺める。
L: 旧山口県庁舎。こちらも1916年竣工で100周年。 C: 角度を変えて眺める。けっこうな幅があるのよ。
R: 旧山口藩庁門。毛利敬親の頃からの門なんだもんな、そう考えるとさすがにグッとくるものがありますな。続いては現在の山口県庁舎。相変わらずデカい。山口藩庁跡という立地、敷地いっぱいの高層建築という規模、
そういったあたりに強烈なプライドを感じる建物である。山口市という県庁所在地にしては小さすぎる街に、
「オレたちゃ歴史を変えた長州だ!」「総理大臣もいっぱい出てるぜ!」と言わんばかりのこの庁舎。
L: 山口県庁舎。大きすぎてなかなかすっきり撮影できないんだよ。 C: 本館棟・厚生棟。 R: 入口より眺める。挨拶がわりの役所撮影を済ませたところで、お次は神社である。県庁のすぐ西側には山口大神宮が鎮座している。
石段を上っていくと左手に摂社の多賀神社があり、右手が山口大神宮の神楽殿となっている。なかなか独特な配置だ。
L: 山口大神宮の境内入口。 C: 神楽殿。一般的な拝殿のような感じ。 R: 反対側には摂社の多賀神社。「大神宮」というけど大したことないんじゃないかと高を括っていたら、境内のいちばん奥まで行って驚いた。
まさに伊勢神宮やその別宮を思わせる空間なのである(→2012.3.31/2014.11.9)。簡素な中の威厳がすごい。
そもそもこの山口大神宮は、戦国時代に大内氏が天皇の許可をもらって伊勢神宮を勧請したという、
まことに正しい由緒を持つ神社なのだ。その凄みが今もきちんと感じられる。いやはや、恐れ入りました。
L: 手前にあるのが外宮、奥のさらに一段高いところにあるのが内宮。外宮・内宮とも隣に式年遷宮のための土地がある。
C: 社殿の並び方がまた神々しいわ。根源的な祈りを感じさせる空間になっているのだ。 R: 内宮をクローズアップ。山口大神宮は御守の種類がわりと多かったが、いちばんオリジナリティのあるデザインのものを頂戴した。
空間じたいもすごく説得力があるし、さすが!と思わされる立派な神社だった。大内氏の勢いってすごかったのね。さて、自転車を確保しているが、東西に長い山口市の市街地をけっこう目一杯動くことになるので油断は禁物。
素早く次の目的地へと移動する。東の方へと一気に走り、目指すは常栄寺。ここは雪舟作と伝わる庭園があるのだ。
雪舟庭園は益田の2つを見ているが(→2013.8.17/2016.4.3)、今度はどんな庭なのか興味津々である。
国道9号から護国神社を合図に北上。面倒くさい坂道をがんばって上っていくと、そのどん詰まりが常栄寺だ。
境内に入ると小ぎれいな空間となっている。鐘楼門をくぐって中に入り、300円の拝観料を払ってお堂に上がる。
手前側の南溟庭は枯山水だが、雪舟作ではなく重森三玲の作庭(東福寺の市松模様などがある →2010.3.26)。
雪舟庭は北側で、下りて一周することができる。タイプとしては益田の萬福寺に近く、無数の解釈を許す感じ。
とりあえず一周していろんな角度から眺めてみたのだが、なかなかに難解でございました。雑念が多いんかな。
L: 常栄寺。もともとは大内政弘の別邸で、その庭を雪舟がつくったとのこと。寺になってからも庭園は維持され続けた。
C: 南溟庭もなかなかのものです。 R: 雪舟庭。高低差がほとんどない中に池と芝生と石が配置されている。うーむ。常栄寺を後にすると、南下して周防国三宮という仁壁(にかべ)神社に行ってみる。参道が斜めに入って独特だが、
これはきちんと南北方向になっているから。途中の石段には地元のおっちゃんたちが腰掛けていて撮影しづらかった。
2000年に社殿が再建されたそうで、全体的に新しい。御守は頂戴できなかったがちゃんと参拝しておいたよ。
L: 仁壁神社の鳥居。住宅街にあるが、参道が斜め。 C: 拝殿。毛利家の家紋入りの提灯が目を惹く。 R: 幣殿と本殿。仁壁神社から山口線に沿ってカーヴしていくと、古熊という地区に入る。このいちばん奥にあるのが古熊神社。
大内氏が北野天満宮から勧請して創建した神社で、「山口の天神様」と呼ばれている。本殿・拝殿が重要文化財。
住宅地の中にある参道をまっすぐ上っていくと、途中に神社らしく整備された鳥居があり、その先に石段。
これを上りきると見事な楼門があるが、これが拝殿。公式サイトによれば、山口市では珍しくないパターンとのこと。
L: 参道を行くと古熊神社の鳥居。この一角だけ舗装していないのだ。 C: 楼門式拝殿。 R: 角度を変えて眺める。拝殿に見とれながら本殿へとまわり込む。こちらはごくふつうな印象。肝心の御守は授与所が開いておらず焦ったが、
下の社務所で無事にあっさり頂戴することができたのであった。よかったよかった。学業の御守も頂戴しておいたよ。対照的に本殿は質素。それなりに大きいけどね。
毛利氏だけでなく大内氏からの歴史を誇る山口、訪れるべき場所はまだまだある。山口は「西の京」として栄えた街で、
竪小路(かたこうじ)は旧来の雰囲気をよく残す街並みとなっている。県庁所在地には思えない穏やかさがあるのだ。南側の下竪小路にて。旧街道の雰囲気がそのまま残る。
その竪小路からすぐ東に入ったところにあるのが、龍福寺。この寺、もともと大内氏館だった場所にあるのだ。
1479(文明11)年に建てられた釈迦堂(本堂)は重要文化財である(2012年に大規模な復元修理を完了した)。
地図を見てわかるように龍福寺の敷地は正方形になっており、確かに中世大名の居館らしさを感じさせる。
(同じように正方形の居館が寺として残っている事例としては、足利の鑁阿寺などがある。→2011.1.5)
現在、敷地の南側はしっかり寺の境内だが、北側は土塁が、西側には西門が復元されている。中はお墓だけどね。
L: 龍福寺・釈迦堂(本堂)。ガラスはちょっとなあ……。 C: 2005年に復元された大内氏館の西門。
R: 土塁も復元されてそれっぽい雰囲気はあるのだが、お寺なので中身はやっぱりお墓なのね。壮観だなあ。龍福寺からさらに北東へと行くと、きれいに整備された建物群が見えてくる。「山口市菜香亭」というのだが、
これはもともと長州藩の料理番だった人物が経営していた「祇園菜香亭」という料亭で、現在は文化交流施設だ。
その料理番の名前が「齊」藤「幸」兵衛で、井上馨が「さい」「こう」に「菜」「香」の字を当てて命名した。
昔の人の教養を感じさせるエピソードである。当然、山口県出身の古今の有名政治家が贔屓にしたとのこと。
L: 山口市菜香亭。周りは最近に整備した感じだが。 C: 入口。 R: まずは庭園からじっくりと。100円で中を見学できる。首相クラスが贔屓にした料亭なので、食器からしてまず見事。でも派手すぎないんだよな。
いろいろ説明を受けながら見てまわったんだけど、やっぱり出てくる名前にそれだけで圧倒されてしまうのであった。
大広間がそれ自体でもう圧倒的なのだが、掛かっている扁額の書がまたビッグネームばっかりでクラクラしてしまう。
でも有名政治家たちの書を比較しながらまとめて堪能できるというのは、贅沢な楽しみであると思う。すばらしい。
L: 佐藤栄作が好んで利用したという北客間。大広間から中庭を挟んだ2階にあり、眺めが非常によい。
C: その北縁側。佐藤栄作夫人の提案で後から取っ付けたとか(うろ覚え)。納得の居心地のよさだった。
R: 大広間。その広さにも圧倒されるが、飾られている扁額と書がまたすごい。教養と性格がうかがえて面白い。菜香亭のすぐ東側に鎮座しているのが、豊榮(とよさか)神社・野田神社である。一体化しているが、別の神社。
東にあるのが毛利元就を祀る豊榮神社で、西にあるのが毛利敬親を祀る野田神社だ。ちなみに「野田」はここの地名。
この辺りは道路が変にややこしく、どこをどう行くのが表参道なのかまったくわからず混乱したまま境内に入る。
豊榮神社も野田神社も同じような形をしているので、ここからは参拝したルートのとおりに写真を貼っていく。
L: 豊榮神社・野田神社の入口。社号標にも両社名が併記してある。 C: 右手の建物は能楽堂。本格的ですな。
R: では境内を進んでいくのだ。まずは西側の野田神社から参拝する。しかし一気に緑の密度が濃くなったなあ。
L: 野田神社の神門。 C: 石段を上がってすぐに拝殿。余裕がない。 R: その奥に幣殿。ここの間隔も狭い。
L: 失礼して幣殿の先を覗き込む。釣屋を挟んでから本殿という構成になっているのだ。なんとも独特である。
C: 東の豊榮神社側に寄ってから眺めた野田神社の全体。 C: 今度は逆に野田神社側に寄って眺めた豊榮神社。
L: こちらは豊榮神社の本殿。 C: さっきの反対側から眺める豊榮神社。 R: 豊榮神社の神門。これで一周なのだ。なお、授与所が開いていなかったので御守は頂戴できなかった。ガラスの向こうに見えているのに……。
張り紙を見るに、どうやらさっきの古熊神社が問い合わせ先であるようだ。もうそこまで戻る気力ないよ……。
山口県神社庁の事務所は豊榮神社・野田神社の境内にあって人がいるのに、何その縦割りっぷり。納得いかねえ!豊榮神社・野田神社の南側には小高い丘になっていて、今八幡宮が鎮座している。当然、そっちもお参りするのだ。
あまり有名ではないようだが、社殿が非常に立派で驚いた。さすがは重要文化財に指定されているだけあると感心。
(もうひとつ重要文化財になっている八坂神社は……すいません、訪問し忘れました。あーあ。)
もともと大内氏が山口にやってくるより前からあった神社で、現在の社殿は1503(文亀3)年に大内義興が造営。
公式サイトによれば、明との交易で得た莫大な財力を象徴するそうで、大内氏の力を実感できる最高の証人である。
L: 今八幡宮の境内入口。こちらの南側が表参道で、豊榮神社・野田神社からだと裏手に出ることになる。
C: 拝殿。先ほどの古熊神社と同じく、楼門が拝殿を兼ねるという山口独自の形式。 R: 角度を変えて眺める。なお、御守は境内から少し離れたお宅で頂戴できる。ただ単純に歴史ある見事な社殿に感心するだけでなく、
ちゃんと御守が頂戴できるのはありがたい。歴史の一部を持ち帰ることができるってことだからね。
L: 楼門というか拝殿の裏はそのまま延びて本殿へ。 C: 本殿。そうとう古びてきているが、風格はさすが。 R: 本殿の背面。では最後に、大内氏の威光を伝える国宝の五重塔がある瑠璃光寺(→2008.4.24)を再訪問。
さすがに観光客でいっぱいで、駐車場の広さにあらためてびっくり。やっぱり国宝ってのはワンランク上ですな。
晴れていた前回と比べると曇天の下なのでイマイチかと思ったが、落ち着いた美しさは相変わらずだった。
瑠璃光寺の五重塔は塔だけを単独で見るのではなく、周りの庭と合わせて味わうことでより深く楽しめる。
逆を言うと、庭園の一部として一級品の塔を建ててしまう大内氏の文化センスがいかに高かったか、ってことだろう。
L: 瑠璃光寺五重塔。周りの木々や桜、池に囲まれて絶妙なバランスで建っている。こうして眺めるのがいちばんいい。
C: 正面から塔を見たところ。 R: 少し角度をつけて眺める。桜がまたいいな。いい季節に来たもんだと思う。もともと五重塔は香積寺の塔として建てられたものであり、毛利輝元が萩に移る際に香積寺も移転。
その後、1690(元禄3)年になって瑠璃光寺が香積寺の跡地に移ってきたので瑠璃光寺五重塔となった経緯がある。
つまり、寺の本体よりも五重塔の方が長い歴史を持っているのだ。実際、お寺の方はまだちょっと威厳が足りない。こちらが瑠璃光寺の本堂になる。ふつうに寺ですな。
というわけで、時間いっぱい動きまわって山口市の観光を終了。8年前よりはだいぶしっかり見学できたのではないか。
満足感に浸って山口線に揺られると、新山口で山陽本線に乗り換える。宇部とは反対方向だが、防府を目指すのだ。
防府は3年前に来たが(→2013.12.22)、玉祖神社と防府天満宮の御守を頂戴していないので確保しようというわけ。
前回同様、観光案内所で自転車を借りると即、出発。県道187号を西へすっ飛ばしてから佐波川を渡り、玉祖神社へ。
3年前と変わらない光景にほっと一安心。天気は前回の方がよかったので、写真はそこそこに抑えておく。
御守は種類が複数あったので、とりあえず代表的と思われるものを2つ頂戴しておくという解決法をとる。
L: 玉祖神社の拝殿。 C: 本殿。 R: 山の中にところどころ岩が露出しているのがカルストっぽいな、山口県っぽいなと。帰りはそのまま佐波川の右岸を東へと戻っていく。左手に見える山々は山頂付近に岩を露出させていて、
それがカルスト(→2015.11.21)っぽい感触をしている。山口県の山ってそういう印象が強いのである。
そんなこんなで市街地に戻ると今度は防府天満宮へ。そしたらようやく青空が見えてきた。遅いっての。
L: 前回も撮ったけど防府天満宮の境内入口。参拝客がやっぱり多かった。 C: 参道を行く。
R: 参道脇にある大専坊跡。神仏習合時代は萬福寺となっていて、大専坊はその別当坊だったそうだ。毎度お馴染み「ちったあ賢くなりますよーに」と二礼二拍手一礼して参拝。天神様では毎回コレである。成長せんのう。
あとは裏手にまわって本殿の背面も撮影してみる。社殿は国登録有形文化財だが、1958年竣工でそれは早くないか。
L: 楼門。 C: 拝殿。 R: 本殿の背面。もっと先に国登録有形文化財にすべき建物いっぱいあるだろと思うのだが。特筆すべきは「LOVE神社御守」ですな。説明に「あなたをLOVEで満開にします」とある。なんだこれはと驚愕。
思わずLOVE満開にされそうになっちゃったが、それでいいのか自分と、結局は踏みとどまったのであった。
いやー迷った迷った。調べてみたら大田区の新田神社が本家っぽいので、気が向いたらそっちで頂戴するかも。問題のブツ。いや、まあ、御守ってのは神社の自由なもんですけどね。
こうして無事に防府でのリヴェンジを完了すると、コンビニで白バラコーヒーを買い込んで駅のホームで一服。
この味を存分に堪能できる中国地方の旅行ももうすぐ終わろうとしているぜ、と独り黄昏るのであった。新山口に戻って宇部線に乗り換え、琴芝という駅まで揺られる。さんざん世話になった切符もここまでだ。
琴芝駅は宇部の中心・宇部新川駅のひとつ手前だが、商店街や市役所はこっちが最寄駅になる。宇部は広いのよ。
で、そんな広い宇部市の市街地を北に行った国道490号沿いに、本日最後の目的地・琴崎(ことざき)八幡宮がある。
調べるのが少々ややこしかったのだが、琴芝駅から宇部市営バスで一発で行ける(その名も八幡宮バス停で下車)。
白バラコーヒーをちびちび味わいながら30分ほど待つと、駅前の非常に狭い道路をグイグイとバスがやってきた。
宇部って表通りは広い道路が整備されているが、ちょっと奥に入るとどこも道がかなり狭くてなかなか大変なのだ。狭っこい住宅地の中を何をどうやってぐるぐると通り抜けたのかよくわからないけど、とにかく国道に出た。
そうなるとあとはもうスイスイで、快調に琴崎八幡宮に到着。いざ訪れてみると、さすが別表神社という規模だ。
地図をよく見ると国道490号は、にゅるっと琴崎八幡宮をよけた格好になっている。それだけ偉大な神社なのだ。
L: 国道490号の脇というか、国道がわざわざ境内を避けている琴崎八幡宮。1377(永和3)年からここに鎮座する。
C: 石段を上がって参道を行く。きれいに整備された石畳が長くまっすぐ続いている。かなりいい立地でございますな。
R: 拝殿。現在の社殿は1935年に伊勢神宮の用材を使って建てられたとのこと。境内もそのときに整備されたそうだ。さて、公式サイトにも記述があるが、琴崎八幡宮の大きな特色として挙げられるのが、御守とお札の充実ぶりだろう。
僕は事前知識なしで訪れたのだが、まあぶったまげましたわ。平成27年5月現在で770種類以上ですって。びっくり。
御守マニアとしてはありがたいんだけど、さすがにこれはもう収集が……いや、収拾がつかないレヴェルである。
とりあえず心を落ち着けて参拝をして、社殿をひととおり撮影すると、いざ御守を見てまわる。いや、こりゃキリがない。
L: 本殿。やっぱり立派だ。 C: というわけで大量の御守がどう置かれているかをレポート。運動会用テントですよテント。
R: テントの内部はこんな感じで各種の御守が並べられている。これは壮観どころの騒ぎじゃないぜ! 鼻血が出そうだぜ!残念ながら品切れになってしまっているものもけっこうあるが、それにしてもこれはすごい。ここまでやるのがすごい。
しかもテントに全種類があるわけではなくて、標準的なご利益のものは授与所の前にもしっかり並べられているんだぜ。
ちなみに琴崎八幡宮はおみくじの種類も多く、これまた小さめだが専門のテントが用意されているほど。まいった。
これはもう一種のエンタテインメントと言っていいのではないか。楽しむことができる神社、僕は大好きですけどね。
気になるものを選んでいってもキリがない凄まじさなので、いちばんふつうっぽいのと社殿を描いたものを頂戴した。
L: 御守のご利益は多岐にわたる。金運・健康・開運・縁結びといった一般的なものから、ペット・釣り・重機用まで……。
C: しかしこうして見ると、あらためて御守デザインの多彩さが実感できる。品切れになっているものもけっこうあるな。
R: 授与所前にもまだまだあるぜ。神職さんに「なんでこんなことになったんですか?」と訊いたが、「さあ……」との回答。旅の最後に強烈なご褒美をいただいた気分である。御守の奥深さ(欲深さ?)をしっかり実感させられたなあ。
なんかもう、すっかり琴崎八幡宮のファンになってしまったよ。皆さんもぜひ、御守パラダイスを堪能していただきたい。琴芝駅までバスで戻ると、宇部線を3駅引き返して草江駅で下車。一見すると何の変哲もない無人駅なのだが、
実はこれが山口宇部空港の最寄駅。道路を渡ればもうそこが空港の敷地内。駐車場に入るまで3分かからない。草江駅。これが空港の最寄駅っていうギャップがすごい。
せっかくなので、駐車場から山口宇部空港を激写しながらターミナルビルへ。さすがにコンパクトではあるが、
土産物店もちゃんとしているし食事できる店も複数ある。当方、日記を書いてりゃいくらでも時間はつぶせるのだ。
そんなわけでお土産、日記、メシ、日記という感じで離陸までの時間を過ごすのであった。めでたしめでたし。
L: 駐車場から眺める山口宇部空港。 C: 近づいてみるとこんな感じね。 R: 2階の出発ロビーにて。4日間という贅沢な旅行だったが、サッカーに市役所に神社にと、いつもどおりのやりたい放題ができてよかった。
しかしまあ、最後の最後で琴崎八幡宮の御守にはやられたなあ。まさに聖地でございました。本当にいい経験ができた。
旅行も3日目、本日は午前中に益田を動きまわり、昼に津和野を動きまわり、午後に山口県に入る予定である。
益田も津和野も前に訪れたことはあるのだが(→2013.8.17)、やっぱりやり残してしまったことがある。
それを拾って拾って山口県まで行っちゃうというわけである。今日も気合い入れて行くぞー。まずは益田である。困ったことに、益田でやり残したことは市街地の東西それぞれにあるのね。
幸いなことにバスが利用できるので、朝イチの徒歩で西を攻めてからバスで東へ一気に行き、真ん中の駅に戻る、
そういう計画を立てる。前回はレンタサイクルを使ったが、今回はパス。観光案内所が開くのを待っていられない。というわけで、宿を出ると国道9号をトボトボと西へ。ガチンガチンに区画整理されている駅付近と比べると、
高津川に沿って須子町に入った辺りは個人商店が点在していて穏やかな昔ながらの街道沿いらしい雰囲気。
そこから川を渡った対岸にあるのが、高津柿本神社である。益田は柿本人麻呂が亡くなった地とする伝承があり、
益田市には「高津」「戸田」の2つの柿本神社があるのだ。戸田は行くのが大変なんで、高津だけでも参拝しておく。
L: 高津川に架かる高角橋から眺めた高津柿本神社。この一帯は、島根県立万葉公園として整備されているのだ。
C: 境内入口。 R: 石段の途中にある楼門。1681(延宝9)年に津和野藩主・亀井茲政が建てたものだと。9時には授与所が開くだろうという読みで、しばらく境内を散策して過ごす。山の中に社殿を詰め込んだ構成だからか、
どうしても全体的に窮屈な印象がする神社である。拝殿と本殿は石段に対して横向きになってしまっているし。
しかしひときわ高いところにある本殿は小ぶりながらも立派で、どうにかしてきちんと全体を見たいと思わせるほど。
あれこれ格闘してみたのだがあまりに境内が狭く、すっきりと本殿を見ることのできる場所は結局見つからなかった。
そうしているうちに9時になり、神職さんがやってきて無事に御守を頂戴できた。バッチリ読みどおりである。
L: 拝殿。こちらは1998年の築と新しい。 R: 本殿を見上げたところ。1712(正徳2)年の築だそうだ。美しい。まっすぐ高津柿本神社へ向かう道を戻り、高角橋のたもとにあるバス停でしばし待つ。周囲は昔ながらのスケール感で、
狭いし曲がる角度は急だし橋に向かって上りになっているしで、バス停としてはけっこう無理のある場所だったが、
やってきたバスは難なく停車して益田駅方面へと走っていく。早朝に歩いてきたのがなんだかもったいない快調さだ。
益田駅をスルーすると、そのまま東へと抜けて終点の医光寺前まで揺られる。観光客が多いルートなんだろうなと思う。
L: 医光寺総門。もともとはすぐ近くにあった石見の七尾城の大手門。確かに戦乱の時代を感じさせる門である。
C: せっかくなので背面も撮ってみた。 R: 総門をくぐって医光寺。雪舟庭園はお堂の奥にあるのだ。益田には雪舟がつくったとされる庭が2つある。萬福寺は前回訪れたので、今回はもうひとつの方、医光寺に来たのだ。
緑の中に石を配置してどうとでも読める萬福寺に対し(→2013.8.17)、医光寺は実に絵画的な庭園となっている。
左手には石による滝の表現、そこから刈り込まれた木々が水平に拡散するように並び、垂直の枝垂桜と十字を切る。
足元では鶴を模した池に亀の形をした島が浮いている。2次元のスクリーンいっぱいに3次元が広がっているようだ。
絵画的というのは物語性が強いということで、われわれが認知する視覚が平面をもとにしていることを十分理解しつつ、
その平面の中に流れるような立体構造で美的な要素を詰め込んでいる。確かにこれは、雪舟ならではの庭園だろう。
日本史上でも一、二を争う才能を持った画家ならではの、独自の空間感覚が存分に発揮されている庭だと納得できる。
曇り空が憎らしくてたまらないが、それをものともしない見事な庭園だ。ただ見惚れるままに時間が流れていった。
(どうも益田では「雪舟さん」という、さん付けの呼び方が一般的なようだ。皆さん親しみを持っているのね。)
L,R: カメラの視野ではどうしても限界がある。自分を囲む視野すべてに要素が詰め込まれた美しい庭である。近くに染羽天石勝(そめばあめのいわかつ)神社があり、本殿が重要文化財だというので足を延ばしてみる。
隣の益田東高校ではサッカー部が活動中で、練習風景を眺めつつ境内にお邪魔する。まず神楽殿に圧倒される。
L: 染羽天石勝神社の参道。右側のグラウンドではサッカー部が練習中。 C: 境内に入るとまず神楽殿。デカい!
R: 空間構成は特殊。現在は神門があってそこから先には行けないが、かつてはここに拝殿があったそうだ。御守を頂戴したが、神職さん曰く今日はこれからお祭りがあるそうだ。ごちゃごちゃする前に参拝できたのはよかった。
医光寺の雪舟庭園を訪れる人は多いだろうが、染羽天石勝神社にもきちんと参拝しておかないともったいないと思う。
L: 失礼して神門から本殿を覗き込む。 R: 境内社から本殿の脇まで上がっていけるので、やっぱり覗き込む。帰りのバスは市役所前で下車。残りの時間で改修の終わった(→2015.11.19)益田市役所を心ゆくまで撮影する。
3年前にはけっこう汚れており(→2013.8.17)、再開発ついでに簡単に壊されるかと心配だったが、まあ一安心。
L: 空き地のおかげで撮影できる益田市役所その1。 C: その2。 R: 東側から眺めたところ。前回のログでも書いたが、益田市役所の本館は1961年の竣工で、石本建築事務所の設計による。
改修後の建物は形こそ従来のものをキープしているが、細部はだいぶ様変わりしてしまっている。しょうがないけど。
時代を感じさせたコンクリートやサッシュはきれいに最新のものになっており、雰囲気ぜんぜん違うなあと。
L: まわり込んで本館の背面。 C: こちらも角度を変えた本館の背面。 R: 西側から側面と背面を眺める。益田市役所付近は住宅地で狭っこいが、道路が90°ではない角度で交差しており、場所によってはすっきり見やすい。
今後は再開発に合わせてゆっくり整備していって、市役所っぽい威厳を少しずつ演出していくのかな、と思う。
L: 側面。敷地がいびつなのを反映して、建物じたいも少々複雑な形なのだ。 C: 交差点越しに眺める。 R: 正面。休日なので中には入れなかったが、覗き込んで見た分にはやはり、1960年代らしい空間の取り方は健在のようだ。
その内装を現代風にしっかりリニューアルしているのが印象的である。昭和の匂いはきちんと残してある感じね。
L: 中を覗き込んだらこんな感じ。昭和の空間っぽさは残っている。 R: 分館の方はそのままなのね。これでいちおう、益田でやり残したことは押さえた。満足して山口線に乗り込むと、次の目的地・津和野を目指す。
さて山口線だが、3年前には大雨による災害でかなり大きな被害が発生しており、代行バスでの移動を余儀なくされた。
今回はそのリヴェンジでもあるのだ。こんな感じだったのか、と車窓の景色を眺めつつ津和野まで揺られる。途中の駅にキジがいたので激写。いままで何度か見たけど撮れたのは初めてね。
津和野に到着してまず最初にやることといえば、駅前の店で自転車を借りることである。津和野は広いのよ。
それでやはり、3年前のリヴェンジをいろいろと果たそうというわけなのだ。というわけで、太皷谷稲成神社へゴー。
L: 津和野の中心にある交差点と太皷谷稲成神社の鳥居。 C: ではいざ、石段上りを開始。 R: いなりっぽいね。太皷谷稲成神社が石段を上って上って上ったところにあるのは重々承知なのだ。覚悟ができているからもうへっちゃら。
ささっと参拝してささっと御守を頂戴してささっと写真を撮って、石段を下っていく。われながらせわしないものである。
L: 拝殿。 C: 本殿。 R: 境内全体を振り返る。やっぱりおいなりさまは、寺に近い空間の自由さがある。せっかくなので、麓の弥栄(やさか)神社にも参拝しておく。その読みのとおり、京都の八坂神社を勧請したもの。
雰囲気としては、「太皷谷稲成神社の鳥居前にある公園」といった感じだが、鳥居も社殿もさすがに立派なのだ。
L: 弥栄神社の拝殿。 C: 本殿。 R: 後で森鴎外記念館の辺りから眺めた太皷谷稲成神社。高いなあ。津和野にあるもうひとつの大きな神社、鷲原八幡宮へ。自転車じゃないとここまではキツいのである。
残念ながら御守は置いていなかったのだが(自動販売機によるおみくじはあったのだが……残念)、
重要文化財の社殿をあらためてしっかり堪能するのであった。構造が本当に独特で面白いんだよなあ。
L: 鷲原八幡宮。参道と垂直に流鏑馬馬場があるのが贅沢ですな。 C: 楼門。今回は斜めに撮ってみた。
R: 拝殿を覗き込んだところ。楼門から拝殿、本殿と別の棟なんだけど一体化しているのはこの地方の特徴なのか。鷲原八幡宮は社殿だけじゃなくて、境内の空間がやっぱり独特なのだ。全体が非常に開放的になっていて、
社殿の風格もあって、戦国時代からこんな感じなんだろうなという空気が漂う。歴史が形になっている場所ね。
L: 鷲原八幡宮の楼門から拝殿、本殿を一気に眺める。これらが一体化しているのが本当に独特。
R: 本殿をクローズアップ。一体化しているのは覆屋のせいもあるのだが、それにしても面白い。せっかくなので、帰りに森鴎外記念館に寄ってみた。前回は森鴎外生家の方しか見ていないのね。
入口の曇りガラスには一枚一枚に鴎外が使用していた印章があしらわれており、これが実に興味深い。
なんでも鴎外は45種類の印章を使っていたそうだ。長ーいチケットにも印章。彼の一面を知るいい工夫だと思う。
展示では、鴎外が幼い頃からものすごい学力を発揮し、家族と地元の期待を一身に背負って上京する点が印象的。
その期待にしっかり応え、医者でも作家でも超一流の業績を残したところは本当に偉人だと思うよりないですわ。
L: 森鴎外記念館にて。設計は長野県じゃお馴染みの、宮本忠長建築設計事務所だった。 C: 隣の森鴎外生家。
R: 街を貫く津和野川。桜の季節だとこんな感じで風情があってよい。天気がよければ言うことなしなんだけどね。最後に津和野の街並みをざっと見て駅まで戻る。写真だとそんなでもないように見えるかもしれないが、
さすがに観光客が非常に多かった。太皷谷稲成神社もよく賑わっていたし。津和野も元気なようで何よりです。
L: カトリック津和野教会の辺りは桜が見事。 C,R: 津和野の街並み。観光客でいっぱいでございました。津和野から山口線をさらに南へ。山口線も山口駅以南しか乗ったことがなかったので、初めてが続いて少し興奮。
そうして降りたのは、山口駅よりもひとつ先の湯田温泉駅。16時からレノファ山口の試合があるので観戦するのだ。
試合会場の維新百年記念公園までは距離があるので、バスを利用しようと湯田温泉のメインストリート・県道204号へ。
しかし待てど暮らせどバスが来ない。レノファのユニフォームを着ている人も待っているので、間違いではないはず。
そのうちしびれを切らして「もう歩いて行きます」という人も現れる(まっすぐ2kmなので歩けなくはない)。
でもユニを着た人がそのまま待つので、一緒に待つことにした。結局、バスが来たのは本当にギリギリのタイミングで、
陸上競技場前のバス停に着くと同時にダッシュしてスタジアム入りしてキックオフには間に合った。もうヘロヘロだよ。
原因は湯田温泉の「白狐まつり」。この影響でバスが運休する時間帯にぶつかっていたのだ。まさかの事態である。
防長交通は公式サイトにそのことをきちんと書いとけバーロー!と、ちょっと荒れたとさ。勘弁してくれよホント。
L: 維新百年記念公園陸上競技場。 C: 中に飛び込んだら選手入場。ま、ま、間に合ったぁー!!
R: メインスタンドはこんな感じ。コンクリートの質感がいかにも最近になって整備された感じ。本日の山口のお相手は、カマタマーレ讃岐。讃岐は一昨年、長野とJ2・J3入れ替え戦を戦った(→2014.11.30)。
迎え撃つ山口は昨シーズン、J3を爆発的な攻撃力で制したクラブである。つまり今年がJ2初挑戦のシーズンだ。
山口のシンデレラストーリーぶりは特筆すべきものがある。わずか3年前には中国リーグを戦っていたのだが、
Jリーグ加盟申請して2014年はJFLで4位に入り、上述のように昨年はJ3優勝。乗りに乗っているクラブなのだ。
(同じオレンジのクラブとして、長野パルセイロは何をしとるんずら、と思わずにはいられない……。)
というわけで、この試合の見所はもちろん、噂に名高い山口の攻撃サッカーである。J2でもある程度通用するはずで、
それをきちんとこの目で確かめようというわけなのだ。讃岐の粘り強い守備(→2015.5.3)を、どう崩すのか。
L: 讃岐ではFWミゲルが非常に目立っていた。ボールタッチがとにかく柔らかい。ただ、ミゲル以降の攻め手がなかった。
C: 維新百年記念公園陸上競技場は、トラックがあるわりには観戦しやすい。最近整備したスタジアムの強みですな。
R: 讃岐の横断幕で毎回「おお!」と思うのがコレ。金刀比羅宮(→2011.7.17)の神紋をアレンジした「釜」。上手い。試合は案の定、山口がボールを保持して攻めて讃岐がカウンターを仕掛ける、という構図になる。
山口の攻撃は非常に特徴的。「攻撃サッカー」といってもいろいろやり口はあるのだが、山口のサッカーは明確だ。
まず、とにかく縦に速い。ボールを奪ってから狙うのは、必ず縦。サイドでも中央でも、縦への動きが基本となる。
軸となるのは10番の庄司で、彼からのグラウンダーによる速くて強いパスが前線の足元に入る。しかも受けるのは、
3人以上いるのが当たり前。登録ではFWは1人だが、3トップ以上の圧力でもってペナルティエリアに侵入するのだ。
しかもおそらく、庄司のパスはシュートを兼ねている。前線がスルーすればそのままシュートになる勢いなのだ。
仮にGKが弾いたとしても前線が詰める、そこまで計算に入れている。この攻撃を創り上げるとは、なんというクラブだ。
L: 攻めかかる山口。クロスに対してペナルティエリアに3人も入り込んでいる。これができるチームは強い。
C: 山口の攻撃の軸は10番・庄司によるグラウンダーの強い縦パス。これを前線がしっかり収めて一気に攻めかかる。
R: 「縦に速いサッカー」はよく言われるが、この山口のサッカーは本物だ。攻撃に一切の躊躇がない。本当に速い。テンポよくボールをつないでいく山口に讃岐は翻弄されるが、得意のカウンターで見せ場をいちおうつくってみせる。
しかしそれ以上に山口の攻撃は速く、讃岐は捕まえきれない。チーム全体が躍動するサッカーにきちんとなっていて、
2年前にJ2で無敵を誇った「湘南スタイル」(→2014.4.26/2014.11.16)を見たときに近い衝撃を受けた。
終盤、さすがに讃岐は庄司を抑え込んで山口のやりたい放題は弱まったが、力の差は正直かなりのものがあった。
L: 山口の得点シーン。8番・島屋がグラウンダーのシュート。雨でボールがスリッピーになることを考慮したのか。
C: これを相手GKがトンネルした格好になってしまい、そのまま決勝点に。状況をしっかり判断したプレーに感心した。
R: 勝利に沸く山口サポーターの皆さん。評判どおりの攻撃サッカーぶりで、そりゃ昨季のJ3制覇も当然だわと納得。山口は最後のところでのミスも多く、結局は1-0というスコアでの勝利となった。しかし自由奔放に見えて、
実際にはゴールへ向けての意思疎通がものすごく統一されている、そういうサッカーを見せつけられて、
興奮せずにはいられなかった。おとといの広島ではサッカーの「完成形」を考えさせられたが(→2016.4.1)、
目指すべきサッカーという答えはひとつだけではないのである。山口はこのスタイルを徹底し続けてほしいなあ。帰りはサポーターの皆さんと一緒に大歳駅から山口線に乗る。駅の規模が小さく、雨だと駅舎が大混雑である。
それでも山口のものだけでなく、アウェイの讃岐を応援するのぼりも積極的に立てられていたのが好印象だった。
宿はもちろん湯田温泉。じっくり温泉に浸かって、旅の最終日に向けて英気を養うのであった。ハァ~ビバノンノン。
本日は、今回の旅の重要な目的のひとつである、三江線へのチャレンジを敢行するのだ。僕は別に鉄ではないけどね、
数年後には廃線になるという噂なので、今のうちに体験しておかないといかんのじゃ。後悔先に立たずってわけで。
もちろん、ただ乗りつぶすのが目的ではない。三江線を利用してきちんと山陰側に出ることで、旅を続けるのだ。
だから切符も、広島から三次、江津、益田、山口を経由して琴芝までのものを用意した。必要があって三江線に乗る。早朝の広島駅。可部線の延伸まだですか?
広島駅を出発すると、2時間ほどかかって三次駅に到着。同じ広島県内なのに! 芸備線で一本なのに! 2時間!
しかし呆れている暇などないのだ。三江線を逃すととんでもないことになる。滞在できるのは1時間弱しかない。
2年前に三次市役所を訪れたときには工事中で(→2014.7.22)、今回はそのときの借りを返せばいいのだ。そういえば三次駅もまるっきり新しくなったのね。
前回のログで書いたとおり、本来「三次」は馬洗川の対岸で、駅のあるこちら側は「十日市」である。
三次市役所は旧十日市町域のこまごまとした中心部に建っている。さすがに工事はもう完了しているようだ。
L: 三次市役所。向かって左側が東館、奥が本館。 C: 東館に近づいてみた。 R: 側面を強調した構図。本館は2014年10月竣工なので、前回僕が訪れてから3ヶ月後にオープンしたというわけだ。惜しかったなあ。
東館の竣工は1985年で、なるほど昭和60年代な雰囲気を存分に漂わせている建物である。ガッチリしている。
L: 東館の本館に近い側にあるこちらが中央玄関。 C: 入るとこんな感じ。 R: 本館と東館のジョイント部。周囲が狭っこい住宅地なので、7階建ての本館は非常に撮影しづらい。非常に苦労しながら歩きまわって撮影。
デザインとしてまったく凝っていない建物なのだが、だからってテキトーに撮影するわけにもいかないし。
L: 北側から撮影。中央玄関の上に架かる屋根は、波を打ってそのまま本館のファサードに重なるというわけ。
C: 少し距離を置いて全体を眺めたところ。 R: 駐車場越しに西側の側面を眺める。とにかく狭くて撮りづらい。
L: 南西側から見上げる。 C: 南西側、住宅ごと眺めたところ。 R: 幼稚園ごと東側の側面を眺める。残った時間で馬洗川近くにある商店建築をあらためて撮影してまわる。三次市という場所は、旧三次も旧十日市も、
どちらも昔ながらの街並みが残っている部分が多い。上手く売り出せば、それなりの人気を得られると思うのだが。
L,C,R: 旧十日市の北西端には昔ながらの見事な商店建築が残る。三次の旧市街と合わせて積極的に売ってほしい。最後は駅の西側にあるスーパーで、毎度おなじみ白バラコーヒーを購入。これに関しては完全に中毒ですわ。
そうして最低限の仕事を済ませて三江線に乗り込もうとしたら、これがなぜか満員のギュウギュウ詰めでびっくり。
どうも何かのバスツアーで「三江線に乗りましょう!」とやっているらしく、とても落ち着けたもんじゃない。
こちらとしては、鄙びきった三江線で旅情たっぷりに過ごす予定だったのに、まるで正反対の状況に茫然とするのみ。車内が混んでいて、地上20mの宇都井駅もこの光景を撮るのがやっと。
バスツアー組が途中で抜けたとはいえ、乗客がいっぱいの状況は結局、石見川本駅に着くまで変わらなかった。
石見川本駅では1時間半ほどの休憩となったので、こりゃチャンスだと市街地へ繰り出す。町役場までは行ってみる。
L: 石見川本駅。ここで乗り継ぎのため1時間半の休憩。このローカル感はいかにも三江線に乗ってるぜ!って感じ。
C,R: 川本町の商店街を歩く。付近には国道がなく、完全なる山あいの小さな町。三江線がなくなったらどうなるんだろう。中心市街地のほぼ北端に川本町役場があるな、と思ったら、昨年末をもってさらに北にある合同庁舎の方へ移転済み。
なるほど確かに建物じたいは健在ではあるが、なんとなく生気がないというか、抜け殻のような感触が漂っている。
とりあえず北東にある弓ケ峯八幡宮の境内を経由して、二礼二拍手一礼してから現在の川本町役場へ向かってみる。
L: 旧川本町役場。1964年に島根県合同庁舎として建てられたものを、1985年から町役場として使っていたそうだ。
C: 弓ケ峯八幡宮。いかにも集落の産土神っぽい雰囲気満載。 R: やや寺のお堂っぽい拝殿。右は熊野、左は稲荷。川本町の商店街は「弓市商店街」という。これは、江の川が弓のようにカーヴしていることが由来なのだそうだ。
弓ケ峯八幡宮の社名もそれと関連しているのは間違いないわけで、美しい名を冠しているなあと思わずうっとり。
そんな神社の脇から抜けると、川本町役場の前に出る。僕は勘違いしていたのだが、実はメインなのは合同庁舎。
現在の川本町役場は、合同庁舎の脇にくっついている方だった。もともと保健所だった建物を改築したんだと。
上記のように、旧役場庁舎ももともと合同庁舎のお下がりで、今度の役場庁舎も合同庁舎のお下がりというわけか。
たぶん地元には「それで十分」という意識が根付いているのだろう。それはそれで立派な個性だと思うのである。
L: 川本町役場。当然ながら、がっちり県合同庁舎の敷地内なので、仮営業という雰囲気がどうしても拭えない。
R: 川本町は明治時代に邑智郡役所が置かれたからか、県合同庁舎がメインという状況に違和感がないみたい。さて、役場はこれでいいとして、もうひとつどうしても様子を探っておきたい建物があるのだ。
市街地を見下ろす東の高台に、明らかに最近建てられた感じの施設がドカンと居座っている。何者なのか。
警察署の方からまわり込んで、北からアプローチしてみる。なかなか入口にたどり着けなかったが、根性で中へ。
L: 街を見下ろすその施設。正体は、悠邑(ゆうゆう)ふるさと会館。ホール・会議室・図書館の複合施設だ。
C: 真下の坂から見上げる。 R: 中はこんな感じ。これがあるから保健所のお下がりの役場でもいいってわけね。町内にある島根県立島根中央高等学校(旧・川本高等学校)が吹奏楽でムチャクチャ強いということで、
音楽ホールに特にこだわった施設をつくったというわけ。誇れる柱になるものがあるというのはうらやましい。悠邑ふるさと会館から眺める川本町。
そんなわけで、時間いっぱい川本町を散策して歩いたのであった。地元の商店で買い込んだ昼メシを食って出発。
やはりそれなりの乗車率のままで江津まで行ってしまった。江津本町は以前歩いたことがあり(→2013.8.17)、
山の間を流れる川から、いきなり見たことのある風景が現れて驚くと同時に、三江線の旅の終わりを突きつけられ、
そのあっけない感じになんとも切ない気持ちになってしまった。三江線の廃止も同じようにあっけないんだろうね。
L: 3年前(→2013.8.17)にも撮影しているが、あらためて江津市役所を撮影。どうしても構図が似るのは許して。
C,R: やっぱりこの建物は面白い。吉阪隆正の設計で1962年に竣工。果たしてこの建物をどこまで残せるか。3年前には津和野から益田、浜田、江津と東へ移動したが、今回はまったく逆である。江津から浜田、益田へ行くが、
今日は最後に浜田でやり残したことをやっておくのだ。そうして暗くなる頃に益田に移動して泊まる、というわけ。
浜田に到着すると、まずは市役所へ直行。前回もいちおう撮影しているけど、耐震工事の真っ最中だったのだ。
L: 浜田市役所。なんか、工事中だった前回とあんまり変わんないね……。 C,R: 角度を変えて眺める。前回も書いたとおり、浜田市役所は1980年の竣工。もともとこの場所には旧制浜田中学校があった模様。
位置的にはだいたい駅と城跡の中間地点。城下町としての性格を考えれば、市役所周辺がもともと中心のはずだ。
浜田には駅前と浜田川左岸の2つの商店街があるのだが、それぞれが都市化した経緯を詳しく知りたい街である。
L: 浜田市役所の側面。 C: 背面。もういろいろ前回と同じ構図で、工夫がなくって申し訳ない。
R: 石神社(浜田城主歴代の碑)の前には城下町らしいかぎの手の跡がある。そこから眺める浜田城址。浜田でやり残したこと、それは浜田城址を訪れることだ。前回は浜田と江津を天秤にかけて、断念したのである。
今回は別に暗くなってから益田に入っても何の問題もないので、借りを返すべく鼻息荒く城跡の坂道を上っていく。
途中にあった秋葉神社のアグレッシヴさに呆れつつ、坂を上りきると砂利敷きの駐車場に出た。車がけっこう多い。
その奥に堂々と鎮座しているのが、濱田護國神社。その脇に浜田城址の本格的な入口があるのだ。
L: 秋葉神社。もともと浜田城内にあったいろんな神社を合祀したそうだ。この社殿は1967年の竣工だと。
C: 濱田護國神社。その右奥が浜田城址の入口。 R: 城跡への入口には旧浜田県庁の門が移築されている。護国神社から城跡へと入る区切りとして、旧浜田県庁の門がある。もともとこの位置に城門はなかったのだが、
貴重だからということでか、無理やり移築されている。この門は本来、津和野藩にあった武家屋敷の門なので、
城の大手門とするにはけっこうなギャップがある。それこそ元あった郵便局前に戻すべきだと思うのだが。
しかしさすがは長州の抑えだった浜田城、門をくぐると見事な石垣が残っており、城跡として見応えは十分である。
L: 三の丸の石垣。現在はだいぶ自然が優勢だが、長州が攻めてくるまではきちんと居住空間だったわけで。
R: 二の丸はニノ門あたりの枡形。この辺りは石垣がきちんとしていて城跡っぽさが満載である。本丸に出ると桜のきれいな広場となっており、その開放感に思わずうなってしまった。端には何かの台座が残る。
何か説明があればいいのに、ただ台座があるだけではなんとも(報国忠勇之碑で、戦時中に供出したままとのこと)。
かつてはその辺りに天守として三重櫓が建てられていたそうだ。ずいぶん見晴らしがよかっただろうと思う。
L: 浜田城の本丸跡。山の上としてはけっこうな広さの空間である。散策する人がパラパラと来ており、人気の様子。
C: 北側の海を眺める。この半島の右側は外ノ浦(とのうら)といい、廻船の風待港として栄えたそうだが、見えん。
R: 東側には松原浦。浜田はとことん港の街なんだなあと思わされる。市街地が大きく動いて今の姿になったのだろう。これで借りを返すことができた。満足して浜田を後にすると、夕暮れの中、益田入り。5ヶ月前にも泊まっているので、
ぜんぜん新鮮味がないのがニンともカンとも。とりあえずメシを食った後、近場のスーパーで白バラコーヒーを購入。
そうしていれば機嫌よく旅ができるんだから、われながらなんとも単純なものである。おいしいんだからしょうがない。
春休みだぜグランツーリスモだぜということで、今回選んだのは中国地方。なんだかぜんぜん新鮮味がないのは、
昨年11月に山口県を攻めているから(→2015.11.20/2015.11.21)。自分でもこのチョイスには少し躊躇したが、
結局はJリーグの日程が決め手になって決断したのであった。タイミングだって旅行の重要な要素なのだ。
というわけで、今回のルート選択の基準になったのはJリーグと毎度おなじみ神社の御守収集、そして何よりもうひとつ、
「今のうちに三江線に乗っておかないとマズいんじゃね!?」である。来年で廃止という噂があるので、今のうちに。
広島から三次に出て三江線に乗り、益田から津和野と山口を経由して宇部に行って御守もらって帰る、というルート。
三次市役所や益田市役所、山口線北半分、津和野の太皷谷稲成神社御守など、リヴェンジの要素もちゃんと満載だ。午前の部活を終えるとそのまま羽田空港へ。絶対的な曇り空を突き抜けて広島空港まで飛ぶ。広島空港は初めてだ。
なんだかよくわからない位置にある広島空港、到着するとすぐにバスに乗る。残念ながら広島県の天気は雨だった。
しばらく揺られて途中の中筋駅で下車する。ここはアストラムラインの駅だが、バスターミナルが隣接しているのだ。僕がアストラムラインの存在を初めて知ったのは、3年前だ(→2013.2.24)。なんか高架の上に軌道があるなーと、
そのとき初めて認識したのである。ええすいません僕、鉄じゃないんで。それで今回、初めてアストラムラインに乗ったが、
まずその不思議な運行ルートにこっちまで「?」という気分になった。そう、見事に「?」の形をしているルートなのだ。
いちおう最後をつなげて環状線にする計画はあるようだが、需要があるようには思えない。なんともよくわからない。
サンフレッチェ広島のメインスタジアム・広島広域公園陸上競技場(ネーミングライツで「エディオンスタジアム広島」)は、
アストラムラインの終点・広域公園前駅が最寄駅である。中心市街地からだと非常に面倒くさいアクセスっぷりとなる。
ご存知のようにサンフレッチェ広島は旧広島市民球場の跡地にサッカースタジアムを建設することを強く要望している。
近年では突出した成績を残しているクラブなのに、それにふさわしいサッカー専用スタジアムがないという事実は、
正直言って日本のサッカー文化という視点からしてもみっともない話である。しかし市長も県知事も拒否の姿勢をとる。
おそらくサンフレッチェを広域公園に留めておかないとアストラムラインの利用者がよけいに減る、という思惑があるはずだ。
サッカーの国際性と平和都市・広島の特性を考えると、旧市民球場の跡地利用はサッカースタジアム以外ありえない。
そのような決断をしない行政は、腐りきっている。サンフレッチェの関係者もサポーターも本当にかわいそうだ。そんなことをじっくり考えてしまうほどにゆっくりと揺られて、ようやく広域公園前駅に到着。雨はあがっていた。
コンビニに寄って食料を確保するとスタジアムへ。広島広域公園陸上競技場には「広島ビッグアーチ」という愛称があるが、
どの辺がビッグなアーチなんずら、と思いつつ恒例のスタジアム一周。やっぱりトラックがある分だけしっかり歩かされる。
L: 僕は中筋駅からだからまだいいが、市街地からアストラムラインだと壮大にまわり込んで広域公園に来ることになる。
C: 広島広域公園陸上競技場(エディオンスタジアム広島)に到着。1994年のアジア大会と1996年の国体のためにつくられた。
R: メインスタンド側を角度を変えて眺める。これがビッグなアーチなのかなあ? あんまりアーチ感がないんですが。公園の中にあるスタジアムでは特に珍しいことではないのだが、メインスタンド側とバックスタンド側では、
グラウンドレヴェルにかなりの差があった。こういう場合はスタジアム一周がなかなかつらいのである。
坂を下ることができればすぐそこなのに、公園なので木々や柵が邪魔して遠回りを強要されるパターン。
まあ要するに、半分山の中にあるスタジアムということだ。旧広島市民球場の跡地に新スタジアムをつくれっての!
L: バックスタンド側。上ってくるのがなかなか大変だったぜ。 C: まわり込んで眺める。遠回りさせられております。
R: サンフレッチェ広島のマスコットは「サンチェ」。その名前だと稲中で井沢が飼っていた方を条件反射的に思い出すわ。お金もないしナイトゲームだしで、今回はバックスタンド観戦。規模はデカいが典型的なベンチシートの陸上競技場で、
ホームのサポーターが陣取るエリアの上には「電光掲示板」。西京極(→2011.10.2)のようだ。ホントにJ1か?
ピッチもしっかり遠いし、今の日本でいちばん強いサッカークラブが本拠地とするにはあまりにも逆境すぎる。
L: バックスタンドより。サンフレッチェは広島市からイヤガラセをされているとしか思えないぜ。
R: キックオフ前、バックスタンドなので巨大ユニフォームを掲げたのだが、そんときの中ってこんな感じ。本日の広島の相手はベガルタ仙台。広島はFW佐藤寿人がスタメンをはずれ、注目のFW浅野はケガでベンチ入りせず、
中盤の底も森崎和幸ではなく2年目の宮原。ACLもあるしターンオーヴァーを意識したメンバーなのかな、と思う。
広島の試合はアウェイで3回観ているが、ペトロヴィッチ監督時代が2回で(→2011.6.18/2011.7.3)、
森保監督になってからは初年度の一度だけだ(→2012.4.28)。その試合はたまたま川崎・風間監督の初陣で、
ペトロヴィッチのサッカーを発展させた森保監督の広島がほぼ一方的に川崎をボコりまくる、という内容だった。
そのときから勝ち慣れている印象のサッカーだったが、まさかポイチさんがここまでの実績を誇る名監督になるとは。
あれから4年経った今も、スタイルは一緒。それぞれの選手が自分の役割を完全に理解しきっているサッカーだ。
広島の選手はプレーにまったく迷いがない。やるべきことをやる、ただそれだけ。確信を持って当たり前をやっている。
L: 攻撃時の広島。ボランチの宮原(右から2人目、ふだんは森崎和)が最終ラインに入ってボールを持ち、パスを展開。
C: 守備時の広島。最終ラインは5バックとなり、中盤でもブロックを形成。この切り替えがとにかく速いのだ。
R: 4シーズンで3回もリーグ優勝している森保監督。他人のつくったサッカーを継承してその上をいくとは、凄いの一言。広島のサッカーは本当に、やるべきことをやっている感じ。まったくブレることなく、自分たちのパターンに持ち込む。
ボランチは最終ラインに下がり、サイドは目一杯張り出し、中盤では青山がパスをさばき、FWが一瞬の隙を衝く。
3年前、当時新潟を率いていたヤンツーこと柳下監督は、広島戦の後に「つまんないサッカーに負けた」と発言した。
広島のサッカーはパスを軸とするので日本人の美学としては「つまんない」という部類には入らないと考えられるが、
どのような意図で「つまんない」なのか、実際に見て理解できた。それは、役割分担があまりにも明確すぎるということだ。
広島の選手たちは独特の戦術を高度にこなす駒なのだ。しかし、駒でしかない。意外性は皆無といっていいのである。
誤解しないでほしいが、3バックが攻め上がって得点するなど、観戦していて驚かされるような流動性はかなりある。
しかし、基本があまりにも固まっているため、得意パターンがあまりにも固まっているため、不思議と意外性を感じない。
システマティックすぎるのだ。個と組織が高度に融合しているが、その「個」が異様に目立たないサッカーになっている。
それはつまり、「この選手はこんなこともできるのか!」という発見がないのだ。すべてが「まあさすがに当然できるよね」。
もしそれを平然とやられて負けてしまったら、「つまんない」と形容したくなる監督の気持ちは見ていてなんとなくわかる。
広島の強さはまず、ユースから同じサッカーをやっていて、スタイルが完全に浸透している点にある。これはよく言われる。
しかしそれだけではない。補強が恐ろしく的確なのだ(→2015.12.5)。つまり、駒の条件がはっきりしているわけだ。
ある意味、広島はここ数年、同じことを延々と繰り返しているだけなのだ。それを維持しているのはとんでもないことだが、
チームをつくる監督の視点からすれば、ひとつの「完成形」を維持するだけのチームに負けることは、本当に悔しいはずだ。
L: 右サイドを完全制圧していたミキッチ。突破の確実性といいクロスの精度といい、とんでもないプレーを平然とやる。
C: MF青山。僕は彼にしか撃てないあの「非常識な」ロングシュートを期待していたのだが。一発かましてほしかったなあ。
R: 山の中だから春のナイトゲームはけっこう寒い。オタフクソースの広島お好み焼きが本当においしゅうございました。試合は前半をスコアレスで折り返したものの、後半に入ると51分にピーター=ウタカがPKを決めて広島が先制。
その4分後にミキッチのスローインから茶島、柴﨑と一気につないで最後はウタカが決めきって2点目を奪う。
さらにそこから7分後、左サイドをドリブルで持ち上がった柏がシュート。これが仙台DFの脚に当たるが、
こぼれたボールがちょうど茶島の前に転がりしっかり3点目。茶島はこれがJ初ゴールとのこと。CWCでも活躍したな。
L: 1点目、PKを決めるウタカ。 C: 2点目、ゴール前で素早くつないで最後はウタカ。 R: 3点目は茶島。後半に入って広島はしっかり人数をかけて攻める態勢ができており、仙台は後手にまわる一方的な展開になっていた。
そこで一気に畳み掛けて、わずか11分間で3点を奪ってしまった。勝負どころをわかっている横綱相撲といった感じ。
やるべきことがわかってる広島は、スタメンが替わっても恐ろしいほど冷静にいつもと同じサッカーをすることができている。
何が印象的だったって、プレーにまったく焦りがみられないことだ。全員が信じられないほど落ち着いてプレーしている。
広島は細部のクオリティが本当に高いからこそ、倒すのが難しい相手なのだ。特殊なスタイルに惑わされてはいけない。
L: 仙台サポの皆さん。3-0は悲しい結果だが、広島にそれだけの強さがあるのは動かしがたい事実。
R: 喜ぶ広島の選手とサポーター。誰が出ても同じサッカーをここまで維持できるのはすごいが……。確かに特殊ではあるが、それゆえに「完成形」が明確なものとなっている、それが広島のサッカーである。
「完成形」を維持し続けてJ1の頂点に君臨するサンフレッチェ広島。それをいかにして引きずり下ろすのか。
Jリーグの監督たちに突き付けられた課題は、日本サッカーが進化する可能性という高度な命題であると言えよう。
そういう視点で現在のJ1を観戦するのは、けっこう面白いことだと思う。広島の覇権は日本サッカーの停滞や否や?