diary 2017.6.

diary 2017.7.


2017.6.10 (Sat.)

島田裕巳『「日本人の神」入門 神道の歴史を読み解く』、講談社現代新書である。

「入門」と題しているが基本的には「ぼくの考えるファンタジー」であり、思いつきをただ書きとめているにすぎない。
神宮にしろ八幡にしろ春日にしろ、とにかく論が乱暴。自論にとって都合のよい知識だけを並べて強調している印象だ。
図や写真が異様に少ない点も、読者にできるだけ反論の余地を見せないようにしているのでは?と勘繰りたくなる。

たとえば、出雲大神宮(→2011.10.22014.11.8)と大神神社(→2012.2.18)という2つの一宮が登場するが、
どちらも山を御神体としており、かつては社殿が存在しなかった。そこから日本の原始的な信仰の形を論じているが、
そうは言っても一宮である。しかも、それぞれ1国に1ヶ所しかない、時代による変化のない「確定した一宮」だ。
『延喜式神名帳』の時点(927年)でどちらも名神大社となっているので、それなりの規模・知名度だったはずなのだ。
この本でもとりあげられている『徒然草』の第236段「丹波に出雲と云ふ処あり」では、出雲大神宮について、
獅子と狛犬が逆向きで何か由緒があるだろう……と思ったら子どものいたずらだった、という話の流れとなっている。
つまりこの時点で、出雲大神宮には遠方からの参拝者に伝統と格式を感じさせるものがあった、と考えるべきだろう。
でもこの本では、『徒然草』に社殿建設の記録が残る鎌倉時代まで社殿はなく、鳥居があるだけだったと断定している。
平安時代当時の神社の状態や人々の感覚への分析を放棄しており、事実を自分の都合でねじ曲げている感触がする。
「日本的三位一体」なんて表現は、もうめちゃくちゃ。「三位一体」という言葉についてまわるものをまるで無視しており、
自分が上手いこと言いたいからって現実ねじ曲げとりゃせんかと。そもそも身近な稲荷について完全にノーマークだし。
それでいて確実な資料が豊富な新宗教の話題になると、途端に生き生きしてくるのがまたなんとも情けない。

宗教について論じるのは難しいことだが、それは複雑な人間の精神の本質に迫ることになるからだ。
ミクロでは人間が祀る「心理」を、マクロでは社会が祀る「政治」を論じるべきなのだ。宗教はこの両輪から成る。
しかしこの本はそのレヴェルにまったく到達できていない。筆者にとって都合のよいただの知識の羅列なのである。
心理についても政治についても弱いということは、神を祀る人間の精神がまったく理解できていないということだ。
特徴的なのは、筆者は断定と推定の感覚が逆であること。ファンタジー部分については断定口調でどんどん進めるが、
資料などから断定してもいい部分では「かもしれない」「考えられる」などと弱く主張する。ふつうの人間と感覚が逆だ。
だから読んでいて非常に気持ちが悪い。すべてにおいて(事実すらも)筆者の感覚の方が優先されており、
神を祀ってきた人間たちの気持ちに寄り添えていない。それでいて『「日本人の神」入門』というタイトルとは。いやはや。

褒めるところの少ないこの本で唯一、興味深い視点は、最後の最後に出てくる「神/仏」と「戦争/平和」の構図だ。
やや単純化しすぎているところはあるが、さまざまな神を対象にもっともっと掘り下げていく価値はあるだろう。
また、今ある寺社が神仏習合からいかに分離して現状の形に落ち着いたかをひたすら解説することに徹していれば、
優れた本になったかもしれない。『「日本人はどのように神を分離したか」入門』なら、鋭く近代をえぐることができたのにね。



2017.6.5 (Mon.)

本日は体育祭の振替休業日。貴重な平日休みをどう使うか、あれやこれやと可能性をいろいろと考えてみた。
しかし今月は部活の夏季大会で週末が自由に動けなくなってしまうため、その分を穴埋めする内容に決定する。
期限が近くて気になっている国立科学博物館の「大英自然史博物館展」を見にいくのである。ただ、それだけじゃない。
せっかくなので、久しぶりにサイクリングをしながら都内の神社めぐりをして、そのまま上野へ向かうというわけ。
まず最初は新宿中央公園の端っこに鎮座する熊野神社だ。もともと新宿中央公園は熊野神社の土地だったんだけどね。

  
L: 西側にあるこのスロープが表参道のようだ。  C: 上ると左手に境内。  R: 火消しの纏を彫った碑。おしゃれ。

熊野ということで、当然ながら紀伊半島南東部にある熊野三山(→2013.2.92013.2.10)が勧請元である。
ここから移ってきた鈴木氏が「中野長者」と呼ばれるほど栄え、熊野の十二所権現を祀ったのが由緒とのこと。

  
L: 鳥居をくぐって境内を進む。  C: 振り返るとこんな感じ。  R: 境内の西側にある神楽殿。

平日の朝ということもあってか、都会の中にありながら非常に落ち着いた雰囲気なのが印象的である。
周囲が公園となっていることが大きいと思うが、近代的な神社と自然の中の神社のちょうど中間という感じ。

  
L: 拝殿。  C: 右手に入り込んで本殿を眺める。  R: 本殿の脇はこんな感じ。緑に包まれた爽やかな神社だ。

新宿西口から東口へと移動すると、もうひとつの「新宿総鎮守」に参拝する。ご存知、花園神社である。
花園神社は場所が場所なので、すっきり写真を撮るには平日の朝に参拝するしかないだろう、というわけ。
目論見は当たってそれなりにスムーズに撮影できたのだが、車は多いし外国人観光客はすぐに来るしで大変。

  
L: 花園神社。まずは東側の表参道から。  C: 鳥居をくぐると鬱蒼とした境内。  R: しかし社殿の前はすっきり。

花園神社はもともと稲荷系の神社である。鮮やかな朱色の社殿はその事実を示しているということか。
この場所はかつて尾張藩下屋敷の庭で、多くの花が咲き乱れていたことから「花園」という名がついたそうだ。
「花園」とは実に意味深な響きで、昭和の猥雑な新宿の雰囲気と妙にマッチして存在感を高めてきたのは確かだろう。

  
L: こちらは南側、靖国通り側の境内入口。  C: 参道を進む。うーん、新宿とは思えないというか、新宿らしいというか。
R: 拝殿の裏にまわり込んで眺める本殿。花園神社の裏側はかの有名なゴールデン街。やっぱりすげえ場所にあるなあ。

花園神社で面白かったのが社務所。かなりモダニズム色の強い建物で、凝っているなあと感心しつつ御守を頂戴した。
冷静に考えてみると、神社の社務所をモダニズムでやっている事例は珍しい。その割り切り方もまたかっこいい。

  
L: モダニズムの感触がする花園神社の社務所。  C: 境内のど真ん中にある威徳稲荷神社。ここは非常に妖しげ。
R: 境内の端っこにある芸能浅間神社。瑞垣には芸能関係の皆様の名前がズラリと並ぶ。これもまた新宿らしい。

運のいいことに、花園神社の境内には唐十郎率いる劇団「唐組」の紅テントが張ってあった。うーん、新宿!
唐十郎もきちんと観ておかないといかんなあと思ったが、上演するのは週末だけなのね。残念である。

  
L: 唐十郎の紅テント。これぞ新宿、これぞ花園神社。  C: 参道側から見たところ。  R: 裏側。すごいなあ。

新宿を後にして、戸山から早稲田、神楽坂へと抜けるコースをとる。そしたら途中で穴八幡宮に遭遇。参拝する。
やっぱり穴には引き込まれてしまうものなのだ。境内はなかなかの高低差があって、高低差と神社の関係が面白い。

  
L: 穴八幡宮の鳥居。  C: 石段を上ってまた上るのだ。  R: 左手はこんな感じでちょっと公園っぽい。

石段を上りきると立派な楼門。1998年に室町時代の様式で再建したもので、今も境内の整備が続いているとのこと。
ただ、楼門のほかにも鼓楼があったりと、雰囲気は明らかに神社というより寺。社殿も寺のような建物である。
八幡宮がもともと神仏習合色が強い神社であるにしても、これだけはっきり寺に寄っている事例は珍しいと思う。
御守も中身と守袋が別となっているパターンで、これまた寺っぽい。なお、守袋は明治神宮と同じ形状だった。

  
L: 楼門。この先の参道右側はまだ工事中。  C: 参道の左手に出て境内を眺める。鼓楼とそれに続く建物が寺っぽい。
R: 境内の奥には社殿があるが、これもやっぱり寺っぽいのだ。いかにも「徳川家の寺」って感じだと思うのだが。

ほかにも参拝したい神社はいっぱいあるけど、これではいつ上野にたどり着けるかわかったもんじゃない。
というわけで、寄り道はこれぐらいにしておいて、あとはまっすぐ上野に向かってペダルをこぐのであった。
「大英自然史博物館展」@国立科学博物館のレヴューについては明日の分の日記にまわします。書くこと多すぎ!


2017.6.4 (Sun.)

前任校のサッカー部が区大会の決勝トーナメントに進出して、その1回戦。私立が相手の大一番である。
トーナメントということで、負けたら引退となってしまう。でも勝てばブロック大会進出に王手がかかるという状況。
僕だけでなく多数の保護者、校長先生、今春卒業したばかりのOB2人も駆けつけて、固唾を呑んで見守る。

押し込まれて最初の相手CK、ゾーンで守っていたところのこぼれ球を決められて、いきなり失点してしまう。
その後しばらく粘るも、またCKからこぼれ球を決められて2点目を失う。が、直後のキックオフをそのまま叩き込み、
1点返してハーフタイムを迎える。こうなると、同じ形で2失点してしまったことが悔しい。

後半は選手の配置を攻撃的に変えるが、なかなかチャンスがつくれない。クリアボールをすべて押さえられるなど、
セカンドボールを拾えないので攻撃に入りきれないのだ。とにかくボールが相手に引っかかって先へ進めない。
その状況を理解して柔軟に戦術を変えられるとよかったが、ビハインドではなかなか勇気を持てなくなるもの。
攻め手を欠くまま時間が経過していくと、右サイドから崩されて決定的な3失点目を喫してしまった。
結局そのままタイムアップ。悲願だったブロック大会出場はならなかったか……とみんなでがっくり。

難しいもので、こちらが成長しても相手の成長の方が上回っていれば、勝つことはできないのだ。
その成長スピードの差は、ふだんの部活に対する姿勢の積み重ねで出てしまう。振り返れば、そこの差だったわけだ。
僕もコメントを求められたので、「部活は真剣勝負を経験させる場なんだと思う」と最近考えていることを言い、
「これからの人生で求められる真剣勝負から絶対に逃げるな」と言った。僕は素直に3年生たちをよくやったと思うし、
やはり試合結果には足りない分が反映されたとも思う。よくやった、でも、まだまだ足りない。そして形は違えど、
この経験を生かして挽回しなければいけない瞬間がやがて来る。その時に備えよ、と。人生その繰り返し。
ブロック大会に出られなかったのは残念だけど、出るべき大会に出られなかった原因を客観的に見つめて、
その借りを将来いろんな場面で返していってほしいと思う。「負けたことがある」を財産にできるようにがんばれ。


2017.6.3 (Sat.)

体育祭である。当方、毎度おなじみの用具係をこなすのであった。生徒が自主的に動いてくれるから助かる。
競技については前任校より多種多様。しっかり盛り上がったし、非常によかったんじゃないでしょうか。


2017.6.2 (Fri.)

川崎市岡本太郎美術館でやっている「岡本太郎×建築」展のレヴューを今のうちに書いておくか。

まず常設展は岡本太郎の絵画作品を豊富に展示。これが強烈で、非常に疲れる。まともに向き合うのが危険なくらい。
そもそも美術鑑賞という行為は、エネルギーをかなり消費する行為なのだ。それは館内をあちこち歩きまわるからではなく、
作品たちがこちらの生命力を吸収するからだ。作品たちは鑑賞者を刺激して、漏れだしたエネルギーを吸収することで、
名作としての魅力・破壊力を永続的に充填しているのである(→2008.5.82010.3.29)。美術館は怖いところなのだ。
そして岡本太郎の作品にはそういう挑発してくる要素が非常に強い。人間の原始的・根源的な衝動を刺激してくるので、
正面からぶつかると本当に疲れる。そんなのがゴロゴロ転がっているんだから危険極まりない。芸術は爆発だもんね。

うまくやり過ごす感じで企画展に突入。「岡本太郎×建築」ということで、岡本が関わった建築家をまずクローズアップ。
主なメンツはパリ時代の盟友・坂倉準三、そして20世紀を代表する建築家・丹下健三、最後にアントニン=レーモンド。
このうち最も目立っていたのはやはり丹下先生で、岡本相手にニコニコ笑っている写真がやたらと多く展示されていた。
芸術面としては丹下先生はモダニズムの本流だが、岡本太郎は縄文方面や沖縄方面など土着のパワーを掘り起こし、
むしろ後のポストモダン的な価値観に先鞭をつけている印象がある。でも二人は不思議とウマが合ったようで、
丹下先生に請われて丸の内旧都庁舎のレリーフを製作したり、大阪万博で共演を果たしたりしている(→2013.9.29)。
この企画展は岡本太郎を主役としながらも、むしろ彼を認めて大いに面白がった丹下先生の勘のよさが際立っている。
どちらかというと、丹下先生が岡本太郎のエネルギーを内包することで自らの建築の意義を高めようとしたのでは、
そう思えるのだが、まあ岡本太郎はそんな関係性には興味がないだろうし、実際にやりたい放題を貫いたわけだし。

ところで丸の内旧都庁舎は、僕が実物を目にすることができなくて最も悔しい建築・永遠の第1位なのである。
今回、模型が展示されていて舐めるように見たが、香川県庁舎(→2007.10.62007.10.92015.5.3)の前段階、
という印象が本当に強い。香川県庁舎は日本伝統の木造建築の意匠を融合した分だけ完成度が上がっているが、
旧都庁舎はそこに至る直前の横長ミース建築という雰囲気。僕が最も魅力を感じたのは屋上で、水に浮いている感じ。
F.L.ライトの旧山邑家住宅(→2012.2.26)と同系列で、優雅な艦橋を思わせるのである。その美しさに初めて気づいた。

最後に、岡本太郎でぜひ評価してほしいのは、写真である。彼が撮った写真は断片的にしか見たことがないのだが、
目のつけどころがどれも面白いし、民俗学的な感覚も鋭いし、対象の時期から考現学的な価値も十分にある。
ぜひその写真たちを整理してまとめた展覧会を企画してほしいのだが。自分で写真集を買えばいいんだけどよ。


2017.6.1 (Thu.)

今週末の体育祭に向けてラストスパートなのだが、昼の授業で見る限り、生徒たちはけっこう限界に近い感じ。
こっちもヘロヘロだし、本当お互いによくやっているよなあ、と思うのであった。奇妙な連帯感である。

夕方からはサッカー部の顧問会。帰りに松本で自衛官をやっていたという先生とトークでいろいろ盛り上がる。
ストレートに教員になった先生も悪くはないが、意外なバックグラウンドを持っている人の話はやっぱり面白い。
まあこっちもそうとうに変な経歴で、「先生もいろいろネタを持っているじゃないですか」と言われた。はい。


diary 2017.5.

diary 2017

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