diary 2016.11.

diary 2016.12.


2016.11.30 (Wed.)

今日もシャペコエンセの墜落事故のニュースにうなだれているのだが、時間は刻一刻と流れている。
今度はJ2岐阜の監督に大木さんが就任したという朗報である。それはそれとしてきちんと喜ばないといかん。

ご存知のとおり、僕は大木サッカーに深く魅了されたわけで、あの変態的なサッカーがまた見られるのがうれしい。
J1昇格プレーオフという残酷な制度の最大の被害者だった大木さんだが(そう表現して差し支えあるまい →2013.12.8)、
再びチャンスが与えられたことが本当にうれしい。岐阜は毎年降格候補に挙げられるクラブなので大変だと思うが、
今度こそぜひ、ポジティヴな結果を残してほしい。circoさん、山雅だけじゃなくってこっちも観戦しませんか?


2016.11.29 (Tue.)

そうでなくても十分悲しいニュースなのだが、サッカーファンには耐えられない悲報が届いた。
南米での飛行機墜落事故により、Jリーグに在籍した監督や選手が複数亡くなってしまったようだ。
かつてトリノFCやマンUも飛行機事故で大きなダメージを負った過去があるが、今回がいちばん被害者が多い。
放課後にネットのニュースを更新するたび、やりきれない気分になる。こんなことが現実に起きてしまうとは。

僕にとって最も衝撃的なのは、C大阪と千葉に在籍したFWケンペスが巻き込まれてしまったことだ。
それぞれのクラブで1試合ずつ、僕は彼のプレーを生で観戦しているのだ(→2012.6.232014.7.13)。
特にフクアリで行われた天皇杯の長野戦では、彼が頭から飛び込んで同点ゴールを決めるのを目にしている。
やっぱり格上のクラブにはいいストライカーがいるなあ、そう思わされた選手が、不慮の事故でいなくなった。
屈強なアスリートなのに、まだ若いのに、こんな形で強制的に生命活動を終わらされてしまうなんて。
個人の悲しみ、街の悲しみ、サッカーの悲しみ。あらゆる層の悲しみが折り重なって、そこに打ち立てられている。
さすがに、これはきつい。サッカー観戦をするようになって街とクラブの関係に想像がつくようになった分、
今回の事故がどれだけ広範囲に痛みを与えたのかが客観的に見えて、よけいにつらい。喪失感を共有せざるをえない。

今後、シャペコエンセ復興のために何かできる機会があるなら、微力を捧げようと思う。ぜひそうさせてほしい。


2016.11.28 (Mon.)

橋爪大三郎『戦争の社会学』。地政学方面に関わる本を読みたいなあとテキトーにリストアップしたら出てきたので、
最優先で読んでみたというわけ。結論から言うと、これは中学生以上であればぜひ読んでおくべき基本の書である。

15年前、金髪だった僕は、東工大の大学院で橋爪先生の授業を受けていた。恥ずかしながら、過去ログに記録がある。
(「言説編成」(→2001.10.192001.11.92001.12.72001.12.142002.1.102002.2.1))
この授業の内容は、政治家をはじめとする責任ある立場に自分がなったとき、どのように言葉を使うか、というもの。
言葉を吟味することを面倒くさがる僕にとって、これは目から鱗が落ちるとともに、非常に厳しい内容の授業だった。
さてその言説編成の授業で、特に印象に残っていることがある。時は2001年、つまりアメリカ同時多発テロの直後だ。
前年には西鉄バスジャック事件が起きている。そこで両者を綜合し、テロリストを射殺した対応を責任者としてどう語るか、
というテーマで文章を練り、実際に読み上げるという試みを行ったのだ。僕は今ひとつピンとこないふわふわした感覚で、
その場で思いついたことをしゃべったのだが、橋爪先生からかなり厳しい調子で怒られてしまったのであった。
それは、「テロリストの主義・主張を絶対に認めてはいけない」というものだった。僕は今でも生徒を怒るとき、
「気持ちはわかるけどそれはダメ」と言うことがある。この「気持ちがわかるけど~」に近いことを、そのとき僕は言ったのだ。
橋爪先生はおっしゃる。「殺人にはランクがある。いちばん軽いのが職業としての殺人で、死刑の執行。次に軍隊の戦闘。
一般人の殺人は犯罪であり、過失致死、殺人と罪は重くなる。最悪なのが無差別に命を奪って恐怖を与えるテロ。
テロに論理を認めてはいけない。」と。僕はそれまで殺人のランクなんて想像したこともなかったので、衝撃的だった。
その後の社会の展開や実際の犯行(→2016.7.13)を鑑みるに、なるほど、これは深く納得できることだ。

また、社会科・公民科の教員免許取得の勉強をする中で、国際法について触れたことも僕には大きい(→2016.9.16)。
勉強不足の人間が考えた結果もログに残したが(軍隊という存在――法律による暴力の独占について →2005.6.13)、
そのときに勉強しておくべき内容のひとつが国際法だった、と今ならわかる。ハーグ法とジュネーヴ法に代表される戦争法、
この法律を遵守する存在は正規の軍隊であり、法律に反する者は違法な武装勢力さらにはテロリストとして扱われる。
(まあそもそもが、交戦権を保持するのは近代国家のみであり、国家に属する軍以外はすべて違法となるわけだが。)
そうして僕がこれまで断片的に学んできたことを、この本は戦争という軸をもとに、非常にわかりやすくまとめている。

「はじめに」で橋爪先生は、東工大における軍事社会学講座の開講を振り返りつつ、入門書の完成を大いに誇っている。
この本の優れているところは、戦争の本質を堂々と論じている点にある。戦争を「すでにあるもの」としてではなく、
人類の歴史を裏打ちしてきた兵器の発達史ををなぞりながら、戦争行為じたいの変化を丁寧に追っているのだ。
近代国家の法規(つまり現代の国際法)に基づく戦争だけではなく、そこに至るテクノロジーの流れを押さえることで、
戦争行為の本質に迫る。この理論の中の理論を逃げずにやる点に最大の価値がある。理論社会学者の面目躍如だ。
古代の戦争について橋爪先生はテンポよく要点をまとめており、読者はその戦いぶりを頭の中で生き生きと再現できる。
平易な文章で歯切れよく事実を断定していくこの力こそ、橋爪先生の文章の最も特徴的なところだ(→2013.1.7)。

序盤は世界史をベースに進む。石器時代からスタートし、ナポレオンの没落まで大まかな歴史の流れを振り返るが、
武器/兵器とそれを用いた戦法について説明することで、戦争行為の進化が語られる。この視点はなかなか稀有だ。
中盤は戦争についての理論が語られる。グロチウスの国際法、クラウゼヴィッツの戦争論という古典をテンポよく紹介し、
マハンの海戦論、プロイセンでの軍制改革を経て第一次世界大戦へと入っていく。しかし戦争じたいの記述はあっさりだ。
大切なのは戦争の経過ではなく、結果なのだ。同様に第二次世界大戦もあっさりとした結果の記述で終始する。
むしろ力点が置かれているのは、核兵器という最終兵器がもたらしたパラダイムシフトについて。どこまでも冷静である。
そして終盤は日本軍の非論理的な実態を論じ、さらに未来の戦争の姿も明確に描き出す。恐ろしく整理された構成だ。
本当に、この一冊で戦争をめぐる基礎的な教養が身につく内容となっている。橋爪先生の底力が感じられる一冊だ。
『はじめての構造主義』(→2004.12.1)といい『世界がわかる宗教社会学入門』(→2006.5.31)といい、
『ふしぎなキリスト教』(→2013.1.7)もそうだが、橋爪先生の本はわれわれの知の扉を開く刺激的な本ばかり。
そう感心してばかりではダメで、その開かれた知の扉の先を今度は自力で切り拓いていかなければならないわけでして。

一点、どうしても納得いかないというか、絶対に納得してはいけないのではないかと思う点がある。
第二次世界大戦におけるアメリカ軍の日本各都市への空襲と広島・長崎への原子爆弾の投下、この合法性だ。
国際法では戦略爆撃の対象は軍用施設に絞られており、民間人にも被害を与える無差別爆撃は国際法違反である。
この本では、日本軍が1938~1943年に行った重慶爆撃と1942年~1943年に行ったオーストラリア空襲を、
日本各都市への空襲と広島・長崎への原爆投下の正当化(合法的な報復行為)の理由として挙げている。
しかし日本軍の重慶への大規模な無差別爆撃は中華民国の連合国参加(1941年12月8日)以前に行われたようで、
これを理由に集団的自衛権の行使としてアメリカ軍が日本全土に空襲を仕掛けるのは、僕にはなんとも理解しがたい。
オーストラリアの空襲でも民間人に被害が出たが、Wikipediaによれば「死者は400人以上、負傷者1,000人以上」。
日本は1945年3月10日の東京大空襲ひとつだけでも比較にならないほどの被害が出ており、規模が違いすぎる。
そして何より原子爆弾の投下は大量破壊兵器を無差別な対象に使用した事例であり、これはもはや別次元の話だ。
当時すでにあったハーグ陸戦規則のマルテンス条項に明らかに抵触するもので、合法的な報復とはとても認められない。
橋爪先生はこの部分の議論をすっ飛ばして、原爆投下がなかった場合に考えられるもっと大きな惨劇を描いているが、
百歩譲ってそのとおりだったにしても、原爆投下の過剰防衛の可能性を考えない方が理性に欠けると思うのだが。
(まあその部分にばかりこだわってしまうと、それだけで何冊も本が書けちゃうような泥沼なのも、また確かではある。)

まあとにかく、理性で暴力を制御するという人間性の本質からして必読の書であることは間違いない。読んでください。


2016.11.27 (Sun.)

キーの利かないMacBookAirでも画像整理じたいに支障はないので、午前中はその作業に集中して取り組む。
午後は図書館へ出かけてリポートを仕上げる。あとは買い物で気ままな一日。やるべきことをやれると気分がよい。


2016.11.26 (Sat.)

日帰りでちょっとお出かけなのだ。青春18きっぷのシーズンではないので、私鉄でお安く遠くへ行こうと思い、
栃木市と佐野市をセットで訪れることにした。栃木市は嘉右衛門町をあらためてじっくり歩いてみたかったし、
佐野市はそろそろ新しい市役所を押さえなければ、ということで。ついでにアウトレットにも行ってみようというわけ。

朝6時に家を出ると、地下鉄を乗り継いで浅草へ。ここから一気に新栃木まで東武線に揺られるのである。
うつらうつらすること1時間20分で到着。意外と近くて、もっと気軽に東武線方面を攻めてもいいのでは、と思った。

 新栃木駅。三角屋根が小じゃれた駅舎じゃないの。

新栃木駅は市街地の北側にあるので、栃木駅に向かって嘉右衛門町をのんびりと南下していけばいいのである。
初めて栃木市を訪れたのは10年以上前で、都道府県庁所在地ひとり合宿の一環として訪問した(→2005.11.13)。
しかしながらそのとき日記に貼り付けた写真は2枚のみという具合で、そこまで街並みにはこだわっていなかった。
その3年後にあらためて街並みを味わうべく再訪問し、蔵の街大通りと岡田記念館周辺を歩いた(→2008.8.20)。
そして2012年になって、「在郷町・嘉右衛門町」として重要伝統的建造物群保存地区に登録がなされたのである。
今回は、その重伝建の範囲にこだわって歩いてみるつもりである。そのための新栃木駅スタートというわけなのだ。

  
L: 油伝(あぶでん)味噌。朝早すぎて営業していなかった。北側では抜群の存在感をみせる。
C: ゆったりとS字のカーヴを描く旧日光例幣使街道。往時の雰囲気を残す。  R: 見るからに頑丈そう。

岡田記念館より北側のエリアを歩くのは、三度目の栃木市訪問にして今回が初めてとなる。いいかげんなものだ。
やはり古い建物の密度はそれほど高くはないものの、昔ながらの街道の雰囲気をしっかり残している点はさすが。

  
L: 岡田記念館の北側。  C: 岡田記念館の入口を正面より眺めたところ。  R: 南側もこのように建物が続く。

嘉右衛門町のS字カーヴは南北2つあって、本来まっすぐな道がカーヴ2つで西に膨らんで戻る、そんな形をしている。
その南側カーヴの内側を占めているのが岡田記念館なのだ。せっかくなので、あらためてお邪魔してみる。

  
L: 陣屋。屋根は大丈夫か。  C: 中庭。冬の朝らしい穏やかさがよい。  R: 庭から座敷の方を覗き込む。

8年前には石灰工場の方にも入った記憶があるのだが、残念ながら今回は入れなかった。これだけ大きい家だと、
維持管理するのも大変なんだなあ、と思うのであった。もっと観光客が増えればいいんだろうけどねえ。

  
L: 由緒ある生活用具が展示されている3号館。  C: 石灰工場には入れず。前は入れた気がするんだけどなあ。
R: 駐車場で栃木ウーヴァFC仕様の自販機発見。JFL入りを機に日立から独立し、J3を目指して戦っているクラブだ。

当然、別邸の翁島にもお邪魔する。8年前よりは「違いのわかる男」になっているはずだ、と思いつつ見学開始。

  
L: まずは巴波川越しに眺める翁島。  C: それではお邪魔します。  R: 建物の外観はこんな感じである。

敷地内にさまざまな建物が配置されていた本邸(岡田記念館)と正反対で、翁島はコンパクトな印象の2階建て。
本邸は広い敷地の外側を建物で囲んで中央に空白の空間をつくっていたのに対し、こちらは中心に建物を置いて、
川と木々で囲んだ庭を外側にぐるりと配置している。あえて正反対にするという、別邸らしい余裕を感じさせる。

  
L,C,R: 室内。広すぎない分、密度の濃いこだわりを感じさせる。必要十分の広さで、その分だけ質を高めている。

いちばんの見どころは1階廊下。ボーッとしていると気づかないかもしれないが、ヒノキの一枚板でできているのだ。
公式サイトによると「長さ六間半、幅三尺、厚さ一寸」とのことなので、幅90cmちょいが実に12m弱という大きさだ。
なんだか廊下に使うのがもったいないが、それが施主のこだわり。確かにそんな家、ほかに聞いたことがないもんなあ。

  
L: 廊下のヒノキの一枚板。これだけの長さってのはさすがに見ない。この一枚板が北側と西側に配置されている。
C: 庭の竹林を行く。これは風情がありますなあ。  R: 庭から眺めた翁島別邸。本邸とは好対照なのが面白い。

翁島の見学を終えるとそのまま街道を南下していく。重伝建の最南端にある舘野家住宅店舗が洋風で面白い。
なんだかんだで「伝統的な街並み」は明治以降に形成されたものがほとんどなので、モダンな建物が混ざるものだ。

 
L: 舘野家住宅店舗。  R: 正面から眺めるとこんな感じ。1932年築ということで、幾何学的な意匠が見事である。

さて、栃木市は嘉右衛門町のエリア以外にも昔ながらの建物が点在している。それらを気ままに追いかけてみる。

  
L: 下野新聞社栃木支局。もともとは1861(文久元)年築、肥料商・毛塚惣八の見世蔵。支局としての利用は1999年から。
C: とちぎ歌麿館。1845(弘化2)年築の古久磯提灯店見世蔵を改装したもの。歌麿は栃木出身という説もあるそうで。
R: 山本有三ふるさと記念館。右の南棟が先に建てられ、左の北棟は増築とのこと。山本有三ははっきりと栃木出身。

 
L: 旧足利銀行栃木支店。1934年の築ということで、この手の建物にしては、実はけっこう新しい。
R: 現在はオサレなレストランとして営業している。かつては栃木市教育委員会の庁舎だったこともあるそうだ。

さて、そろそろ栃木市役所の撮影に行こうか。8年前にも撮影したので(→2008.8.20)、場所は把握しているのだ。
旧足利銀行栃木支店から東武百貨店の裏を抜けて西へ向かおうとしたら……、ん!? んん~~~~~~!!??
あ……ありのまま今起こった事を話すぜ! おれは東武百貨店・栃木店の裏手を歩いていたと思ったら、
いつのまにか栃木市役所の脇を通り抜けていた。な……何を言っているのかわからねーと思うが、
おれも何をされたのかわからなかった……。という状態に陥ったのであった。いやあ、これには目を疑ったね。

  
L: 南東側から見た東武百貨店・栃木店。  C: 東武百貨店である。真正面だとカメラの視野に収まらないので。
R: 北東側から見た東武百貨店・栃木店。実にデパートらしいデパートである。1990年に福田屋栃木店としてオープン。

結論から言うと、この建物は東武百貨店・栃木店であると同時に、栃木市役所そのものなのである。
商業施設を市役所化した事例は以前に北見(→2012.8.19)や土浦(→2015.12.20)で経験していたものの、
さすがに外観が完全にデパート、それも東武百貨店の看板が前面に出ている建物が市役所だとは想像できなかった。
これは資本主義が行政を呑み込んだ究極の事例と捉えることができるかもしれない。「TOBU」の文字ばかり目立ち、
「栃木市役所」の文字は本当に一部分だけ。Googleマップがパチンコガンダム駅ぐらい狂ったのかと思ったらマジだった。

  
L: 背面。  C: 入口を正面から見る。「TOBU」と比べると「栃木市役所」の文字が本当に小さい。びっくりしたわー。
R: 南西側から眺めた栃木市役所。この角度だと商業施設らしさをまるで感じさせない。かといってオフィスにしては窓が小さい。

経緯としては、2011年に福田屋栃木店が閉店。福田屋は栃木市にデパートの建物の無償譲渡を申し入れており、
庁舎建て替え検討中の栃木市は翌年、市庁舎として再利用を決定。土地代と改修費用などで済ませる格好となった。
そして要望のあった生鮮食品売り場を1階に入れることになり、東武がテナントとして入って現在の形になったわけだ。
つまり、デパートなのは1階だけで、2~5階は完全に市役所なのだ。でも外から見ると東武百貨店でしかない。不思議。
2014年3月に工事が完了したそうなので、現行の状態になってもう2年半以上が経過している。いやー、知らなかった。

せっかくなので、旧庁舎がどうなったのかも見ておこうと、そっちまで足を延ばす。市街地から西へと向かうと、
常盤橋という橋で巴波川を渡る。あらためて見てみると、非常に風格を感じさせる造りである。栃木の底力そのものだね。

  
L: 巴波川に架かる常盤橋。歴史ある宿場町、そして旧県庁所在地としての威厳を感じさせる橋だと思う。
C: 旧庁舎の東側にあるのが栃木市役所別館。1921(大正10)年に栃木町役場として県庁の跡地に建てられた。
R: 角度を変えてもう一丁。もっと上手く活用してほしい建物だなあ。なお設計者は栃木町の技師・堀井寅吉とのこと。

そうして常盤橋を渡った先には、左手に木々が壁のように茂っている。この奥にあるのが栃木市役所別館だ。
こちらは8年前とまったく変わらないで佇んでいる。隣の木のせいでフォトジェニックな角度が限られているのが惜しい。
玄関先には「本庁舎は移転しました。」という立て看板があるのみ。もっと上手く活用できないもんですかねえ。

  
L: 後ろ側はこんな感じ。まずはこの手前のブロック建築をぶっ壊さないことにはどうしょうもないなあ。
C: 側面。旧庁舎・小学校・栃木高ごと四角く囲む県庁堀に架かっているのは栃木橋。歴史の証人である。
R: あらためてエントランスを撮影。せっかくきれいに残っているのに、なんとも寂しい状態である。

旧庁舎は栃木市役所別館の西隣。上述のように栃木市役所は2014年に移転しており、2年半ほど経過している。
しかしこちらも外観は以前のとおり。ただ、近づいて中を覗き込んでみると、見事にスッカラカンである。
あとは壊されるのを待つばかり、か。歴史ある土地だけに、別館も含めてどのように再開発するか気になる。

  
L: 旧栃木市役所。外観は現役当時と何ら変わらないのだが。  C: 8年前は写真1枚だけだったので、あらためて撮影。
R: きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。移転した後なんだぜ。それで…。……なんて言いたくなっちゃうなあ。

ちなみに旧庁舎は1960年竣工だが、それにしてはヴォリュームがある。4階や1階の手前部分は後からの増築っぽい。
さらに裏にまわると東側も増築っぽい。やっぱりけっこう限界が来ていたんだなあ、と思いつつ写真を撮るのであった。

  
L: 旧議会棟っぽい西側の出っ張り。さらにこっち側にも非常階段を挟んで増築ピロティがあるのな。
C: 背面にまわり込む。この視野に入っている3階までがおそらく1960年竣工当時の庁舎だろう。
R: 同じく背面を南東側から眺める。こっちから見ると、手前側は明らかに増築されている感触である。

さて、もうひとつ県庁堀の内側にある歴史的建造物を見学しておく。栃木県立栃木高等学校は歴史が古いだけあり、
敷地内に歴史的建造物がいくつかある。その中で最もフォトジェニックな「養正寮」こと記念図書館を一発撮影。

 1914年(大正3年)竣工。擬洋風なのは旧栃木県庁舎へのオマージュかな?

久々の栃木で暴れるだけ暴れたので、あとは気ままにシャッターを切りながら巴波川沿いに栃木駅へと南下していく。
街のど真ん中を穏やかな清流が走っているというのは、なんともうらやましいものだ。飯田の川は田切地形だもんね。

  
L: 常盤橋のたもとにある横山郷土館。木造商店建築の両側を石造りの蔵が挟むという非常に独特なスタイル。
C: 横山家は麻問屋を経て栃木共立銀行を設立した豪商。  R: 今日も巴波川は静かに流れるのであった。

栃木駅が近くなると、道路がまるで毛細血管のようなややこしさになるのが興味深い。線的な宿場町の匂いは消え、
同じ「商店街」でも猥雑な雰囲気が経年劣化した街並みに変化するのだ。栃木の街は時間的にも空間的にも面白い。

 栃木駅にほど近い商店街。くねる道にこびりついた昭和の猥雑さがまた魅力的だ。

両毛線で栃木駅を後にすると、西隣の佐野市へ。日記を書いてて気がついたが、大平山神社に寄るのを忘れていた。
ここはいつか、日光(今市)・鹿沼と一緒に訪れるとしよう。あちこち行けば行くほど、もっと行きたい場所が増える。

それはそうと、佐野市である。はいラーメンラーメン。時刻は11時過ぎ、先んじて人を制して佐野ラーメンを食うのだ。
前回も食ったけど(→2011.1.5)、佐野ラーメンは飽きることがないので、同じく森田屋総本店で大盛をいただいた。
5年前と違うのは、駅でレンタサイクルを借りたこと。おかげで移動が非常にスムーズだった。それでも並ぶ人気ぶりよ。
個人的には正統派の醤油味中華そばが大好きなので、佐野ラーメンは喜多方ラーメンと並んで超ド・ストライクなのだ。
何も考えずに佐野ラーメンをすする幸せといったら! これを腹一杯食える喜びというのは格別なものがありますなあ!

  
L: 森田屋総本店の外観。いかにも中華そばの旨そうな食堂の雰囲気である。  C: 佐野ラーメン大好き。やっぱり麺がいい。
R: 佐野のゆるキャラ・さのまる(佐野市役所内で撮影)。ラーメンで大ヤケドしたオレ( →2002.12.12)には微妙なの……。

満腹になって落ち着いたところで、ちょうど正午になる頃合いだし、満を持して佐野市役所の撮影に向かう。
だいぶ日差しは冬の傾き具合となってきているので、できるだけ太陽が高い時間帯に建物を撮りたいという計算なのよ。
5年前の日記でも書いたように、佐野市役所は駅からすぐの位置にある。ただ、その姿は5年前から大きく変化した。
さっきの栃木市役所については何も知らなくて度肝を抜かれたが、こちらはニュースを通して経緯を知っている。
2011年3月11日、1962年竣工の佐野市役所は東日本大震災により大損害を受け、建て替えを余儀なくされたのだ。

  
L: 2015年11月に竣工した、新しい佐野市役所。設計者は佐藤総合計画・都市環境建築設計所のJV(プロポーザルで決定)。
C: エントランスとど真ん中の穴を見上げたところ。なるほど、ただの四角ではないということか。  R: 角度を変えて眺める。

まずは敷地を一周して外観を撮影していく。これだけの見事な立方体は函館以来だぜ(→2008.9.15)と思うが、
建物のど真ん中になかなか大規模な空洞を取り込んでいる。福岡銀行本店ほどではないが(→2014.11.24)、
それでもかなり思いきったプランだ。凝った意匠を嫌う風潮がある昨今の市庁舎建築にしては珍しい気合いを感じる。

  
L: 北東より眺める。左が側面、右が背面になる。  C: 背面となる北側エントランス。  R: 側面、西側のファサード。

では中へと入ってみよう。土曜日でも佐野市役所は自由に中に入ることができる。まず1階は南北にまっすぐ抜けられる。
通路でありながらホールとしても機能するだけの広さがある。実際、新庁舎完成記念にコンサートが開催されている。
階段下のスペースにはグランドピアノが置いてあった。冷静に考えると、そんな市役所、今までになかった気がする。
南北に走る通路の東側には市民活動向けのスペースが広々と用意されており、窓口機能は西側に集約されている。
設計者の説明によれば市の南北に「歴史軸」を設定し、そこに「通り庭」としてホールとなる通路を配置したようだ。

  
L: 1階の南東側、佐野市紹介スペース。  C: 1階ロビー。グランドピアノからして、ただの通路ではないことがわかる。
R: 市民活動スペース。公民館的な機能を市役所の中に堂々と入れている事例は珍しい。かなりの気合いを感じさせる空間だ。

エレヴェーターで7階にある展望ロビーに行ってみた。同じ7階には議会があるが、議場を北側に配置して、
南側を展望ロビーとして開放しているのだ。栃木の見事な平野っぷりをしっかり味わうことができて面白い。

  
L: 7階の展望ロビー。テーブルまで置いて滞留スペースとしている。  C: 途中の吹抜脇はこんな感じの空間。
R: 外を眺めると、このような茫洋たる関東平野をしっかり味わうことができる。栃木は群馬と違ってホントに平ら。

あとは建築的に興味深い構図の写真を貼り付けてみる。こうして見ると、佐野市役所はなかなか面白い凝り方だ。
場所を絞って冒険している感じである。このようにデザイン的にはっきりと凝った要素を持っている市役所は珍しい。

  
L: 7階、窓ガラスに張り付いて内側の吹抜を見下ろす。奥にあるのが展望ロビー。空中に廊下がある市役所は珍しいのよ。
C: 反対側、展望ロビーから内側の吹抜を見上げる。おー穴が開いとるわ。  R: 窓ガラスにもさのまるが貼り付いている。

はっきりと気合いを感じさせる佐野市役所は非常に興味深い建物だった。志のある市役所ってのはいいものだ、と実感。
満足して撮影を終えると、ペダルをこぎだして西へと向かう。佐野といえばラーメン、そして厄除け大師なのだ。
長野県出身の僕でもなぜかTVのCMでおなじみだ。佐野厄除け大師の正式な名前は「惣宗寺(そうしゅうじ)」という。

  
L: こちらが山門。というか駐車場の中に門が埋もれている感じ。正直、あんまりありがたみを感じられないなあ……。
C: 金銅大梵鐘。あらためて、寺というのは神社と比べるとずっと自由だよなあ、と思う。良くも悪くも即物的というか。
R: 佐野厄除け大師には田中正造の墓がある。ここは本葬を行った場所なので、これだけ立派な墓があるのだろう。

寺というものは伽藍という建築空間によって仏教の世界観を再現するため、どうしても豪華な建物で勝負しがちである。
また開祖や開山、さらには名物住職といった影響力のある個人の哲学が、宗教的な権力構造として空間に投影される。
(その点、磐座などの神奈備崇拝からスタートしている神社は個性を消去する方向にあり、かなり対照的な空間となる。)
「佐野厄除け大師」という愛称を前面に押し出す惣宗寺は、まさに現代的な個性の塊と言える空間を形成している。
建築には、空間の所有者に対し、権力者としての箔を付けることが大なり小なり求められる。特に私有物件は直接的だ。
(僕の究極的な問題意識は、民主主義下で市民の公共建築における所有者=権力者としての振る舞いを問うことだ。)
そして惣宗寺は日光に近いことから、威厳を高める手法としてその建築的文法を積極的に採用している点も特徴的だ。
(日光についての過去ログはこちら。家光の建築空間は非常に権力的だ。→2008.12.142014.10.12015.6.29

  
L: 本堂。向拝幕には徳川家の葵紋。  C: 元三大師堂。完全に日光の文法を利用している事例である。
R: 元三大師堂の辺りから本堂方面を振り返る。仏の種類ごとに様々な堂宇を建てるのも仏教寺院の特徴。

さて、惣宗寺を参拝して最も驚いたのは……御守の自動販売機である。いやー、ここまでやっちゃうかね。
おみくじの自動販売機は珍しくないが、御守となるとさすがに初めてでびっくり。ついに一線を超えた感がある。

 
L: ずらりと並ぶ御守の自動販売機。マジでやりおった。  R: 自販機で扱っている御守じたいの種類も多い。

境内の北西端にはそのものズバリ東照宮が鎮座している。家康の遺骸を久能山から日光に移す際に滞在した縁があり、
それで東照宮を勧請したようだ。本殿はガラス張りの覆屋の中というのがなんとも寺の自由さを感じさせる部分だが、
拝殿と唐門は家光的価値観による見事な造作をしっかり味わうことができる。栃木県指定文化財とのこと。

  
L: 佐野東照宮拝殿。神社というよりはコンパクトな堂宇のサイズで建てられている。  C: さすがに彫刻が美しい。
R: 唐門。屋根を盛りすぎてややアンバランスだが、家光的な価値観を優先させた結果だろう。白い板がとっても邪魔。

佐野厄除け大師の次は、さらに西へ進んで秋山川を渡る。目的地は、公共建築百選の佐野市郷土博物館。
田中正造関連の展示が充実しているそうだが、この後のことを考えると、中に入って見てまわる時間はなさそう。

  
L: 佐野市郷土博物館。  C: 門から中に入って右手を見る。  R: 裏手から見たところ。なんかタイルが青く光っとる。

とりあえず外観だけぐるっと見てまわって写真を撮って済ませるのであった。特に惹かれなかったなあ。
建物の印象としては、本当にいかにもな1980年代の博物館建築で(1983年竣工)、それ以上のものを感じない。
まあ、中の展示をきちんと味わってみないことには正当な評価はできないんだろうけど。すいませんね。

 門から入ってすぐ右にある田中正造の銅像。なんかすいません。

なんせ11月なので、油断するとすぐに暗くなってしまう。その前に市街地まで戻ってこないとつらいのだ。
じゃあレンタサイクルでどこまでかっ飛ばすのかというと、関東七名城のひとつに数えられる唐沢山城だ。
距離的には10kmほどなのでなんとかなる範囲だが、なんせ相手は上杉謙信を何度も撃退した山城である。
レンタサイクルでどこまで行けるのか(いちおう変速ギアはある)、それによって展開がだいぶ変わってくる。

でもその途中にある神社に寄り道するのが私の旅なのだ。せっかくのレンタサイクルなんだから活用しなきゃね。
まずは両毛線の南側、星宮神社から。なんとも御朱印女子なんかが好きそうな名前だが、北関東には複数あって、
そこまで極端に珍しい名前ではないようだ。神仏習合時代には妙見菩薩と絡んでいてその名前であるみたい。
特に栃木県のものは日光修験道と関係があるそうで。まあいろいろ複雑でようわからんが、歴史は確かってことか。

  
L: 佐野市の星宮神社。参道が角地から斜めに入っていくスタイルが独特。  C: 青銅の鳥居が見事である。
R: 拝殿。安定感のある造りであるし、手前の銅の灯籠との相性も良い。非常に見栄えのいい建物だと思う。

脇にまわって本殿を見てたまげた。とにかく彫刻が立派なのだ。色は褪せつつあるが、細部まで装飾を詰め込んでいる。
1683(天和3)年に社殿を改築したとのことなので、当時のものが残っているのか。とにかく圧倒されてしまった。

  
L: 本殿。色は褪せつつあるけど、精密な彫刻には度肝を抜かれた。  C: 本殿の背面。ここにも日光の影響があるわけだ。
R: 境内社がいくつもあって独特な雰囲気。後ろの木もずいぶん立派だ。いい意味で歴史が異質さを感じさせる神社だと思う。

御守を頂戴すると、両毛線を越えてもう一丁、神社を参拝する。栃木県立佐野高校の隣で、朝日森天満宮という。
さっきの星宮神社はコンパクトな境内に高低差をつけて神秘性をぎゅっと凝縮していたが、こちらは広大である。

  
L: 朝日森天満宮。まっすぐ延びる参道と朱色の灯籠が独特の迫力。  C: 進んでいっても灯籠の密度が変わらない。
R: 参道の先には見事な唐門様式の神門。ここから境内に入るとまた一気に空間が広がったような印象を受けるのだ。

平将門を討った藤原秀郷が築城した(とされる)のが唐沢山城で、その子孫・足利家綱が冤罪で太宰府に流された際、
太宰府天満宮にお参りしたら救われたという。それで天神様を唐沢山城に勧請したのが、朝日森天満宮の由緒である。
その後、足利氏は地名を採って佐野氏に改称、1602(慶長7)年に山城の唐沢山城から駅前の佐野城に移ると、
朝日森天満宮も現在地に遷座した。市街地からは少し離れているが、その分だけ広い面積で威厳を感じさせる神社だ。

  
L: 神門を抜けてもまだ拝殿までは距離がある。緑が多くて厳かな雰囲気。  C: 拝殿。地面の緑は苔で、湿り気も感じさせる。
R: 本殿を覗き込む。社殿は1937年に建て替えられたそうだが、全体的にどっしりとした造り。緑青と木のバランスがよい。

参拝を終えると、いよいよ唐沢山城への挑戦である。気を引き締めて、北へとペダルをこぎだす。
関東平野を北へ行くわけだから、道は緩やかな上りが続く。最近になり区画整理したような比較的新しい街区もあれば、
昔ながらの農道が残っているような箇所もある。いかにも北関東の平和な片田舎といった風情の中を走り抜ける。

県道144号を進んでいくと、やがて道は二手に分かれる。右に進んで右折すると、秋山川の先に唐沢山が立ちふさがる。
川を渡れば即、山である。自転車でどこまで行けるかわからないが、できるだけ進んで下りで楽をしたいところだ。
大きくひとつ深呼吸して一気に駆け上がる。全体をスラロームで上りつつ、カーヴではアウト・イン・アウトを決める。

  
L: 坂道の入口にある鳥居。山頂にある唐沢山神社への遊歩道というか歩道の参道入口と思われる。
C: ヘアピンカーヴも気合いで上がるぜ。たまーに通る車にはご迷惑をおかけしました。
R: 坂の途中もいい景色。というか、この高さまで自転車で来たことに自分でも驚くのであった。

ヘアピンカーヴでグイグイ行くが、道がきちんと整備されていて走りやすいので、意外と進めてしまうのである。
勾配もそれなりにあるけど、我慢の限界というほどではない。スラローム走法でどうにかなってしまうのだ。
それで結局、20分ちょっとで駐車場まで自転車で走りきってしまったのであった。これには自分でもびっくり。
上杉謙信も攻めあぐねたという山城なのに、レンタサイクルで登りきることができたというのは、うれしい誤算。

  
L: というわけで唐沢山城址入口に到着してしまいました。気合いでどうにかなるもんですね。自分でもびっくり。
C: ぐるっとまわり込むと鳥居が現れる。参拝スタートである。  C: 進んでいくとそれっぽい橋。空堀に架かっている。

さっきも書いたように、唐沢山城は藤原秀郷が築城したとされている。現在は城跡がそのまま唐沢山神社となっている。
山城らしい遺構を神社の要素で上書きしたような感触で、なかなか独特な雰囲気である。でも参拝客はけっこう多い。
ちなみに神社の入口でも社務所でも、飼われているネコたちが大人気。人に馴れていて物怖じしないため、
参拝にやってきたおばさんたちがスマホで激写しまくりなのであった。当方も少々じゃれ合ったのであった。

  
L: 山城の要素をしっかり残したまま神社として整備されているのが特徴的。  C: 参道左手の帯曲輪(三の丸)。
R: 社務所のある蔵屋敷から二の丸方面に向かうルート。右手は本丸の石垣で、かなり見事な造りである。

参道をまっすぐ行くと社務所のある蔵屋敷にぶつかる。ここから石段を上がれば本丸跡の唐沢山神社となるのだ。
しっかりと山城なので面積の広い箇所はなくって、仕方ないとはいえ全体的に狭苦しい。そして社殿は大きめなので、
撮影しようとするとどうしても圧迫感のある構図になってしまう。全容がつかみづらいのはしょうがないけど、切ない。

  
L: 唐沢山神社は唐沢山城の本丸跡に鎮座する。  C: 拝殿。面積のないところに大きめの社殿なので全体がつかめない。
R: 脇から本殿を眺める。仕方ないのだが、フォトジェニックな角度がほとんどなく、非常に撮影しづらい神社だった。

唐澤山神社の祭神は藤原秀郷だが、創建は1883(明治16)年と新しい。明治創建の南朝系の神社と同じ流れで、
逆賊である平将門を討った藤原秀郷の忠臣ぶりを讃えようというわけである。南朝系の神社は歴史が新しいこともあって、
人里など一切関係なく祭神ゆかりの地にドカンと建てられるため、交通の便がまったくよろしくないものが多い。
唐沢山神社も公共交通だと厳しい場所に建てられたが、唐澤山城の歴史的意義を考えると十分納得のいく立地だ。
歴史に思いを馳せながら山城っぷりを味わい、神社で御守を頂戴して帰る。理想的な流れができていると思うのである。

  
L: 唐澤山城の入口近くにある天狗岩。  C: ここから眺める関東平野は実に雄大。  R: 自転車で来た記念に一枚。

帰りは位置エネルギーを解放するだけなので楽チン。余韻に浸りながら快調に下っていくのであった。
……が、途中で何かがおかしいことに気がついた。信号機の表示が、奇妙なのである。下の写真を見てほしい。

 「吉水新田」の交差点にて。これは……どうすればいいの?

交差点じたいは六叉路で、右側は直角に1方向だが左側だけ3方向に分かれているという特殊な道である。
特殊であるのはわかるが、それにしてもこれはいったいどうすればいいのか。大いなる矛盾に頭を抱える。
そしてこの矛盾に気づいた自分を褒めてあげたいと思っているんですけど、いかがでしょうか? 地味にすごくね?
しかも私、自転車ですよ? 自転車は歩行者信号を見て動くわけで、車の信号はそこまで細かく見ないけど気づいたよ?

※後日、ネットニュースの記事で事実が判明したので、内容を以下に要約。

*矢印信号(右折以外)は、車線が複数ある交差点に設置される。
*左折・右折の矢印が出る際に歩行者信号は赤となっており、歩行者と車両の事故を防いでいる。
*赤信号からいったん全方向の矢印信号が出て(上の写真)、それが消えた後で青信号が表示されるケースも。
*これは右折車が多い交差点に見られるケースで、全方向の矢印信号が出ているときの対向側の信号は赤。
*(対向側が赤なので)右折OKなんだけど、直進も左折も問題なくできますよ、という意味だそうで。
*それなら単に青信号でいいじゃん、となるが、対向側が赤だと知らない右折車が躊躇してしまう可能性がある。
*その点、矢印信号なら右折車が自信を持って右折できるので交通の流れがスムーズになる、とのこと。
*つまり全方向の矢印信号は、「どの方向でも自信を持って行け!」という、青信号よりも強いメッセージである。

オレの結論:かえって青信号よりも自信が持てなくなってしまうのは気のせいか?

この信号ではどうすればいいのか、結局わからないままで佐野駅に到着。レンタサイクルを返却すると駅近辺をぶらり。
「佐野駅前交流プラザぱるぽーと」には「らーめんミニ博物館」があり、佐野ラーメンの各店舗の紹介コーナーがあった。
これがなかなかユニークで、ラーメンのサンプルがそのまま展示されているというもの。確かにこれはわかりやすい。

 
L: 佐野ラーメン、各店舗の紹介コーナー。  R: これほどわかりやすい展示方法はあるまい。

やがて駅前のバス乗り場に目的のバスがやってきたので乗り込む。本日の最後は佐野のアウトレットに行くのだ。
といってもアウトレット自体に用があるのではなく、そこで腕時計を見ておきたい、ということで行くだけ。
到着すると、まず周囲の広大な駐車場に呆れ、客の多さに呆れるのであった。資本主義の欲望は計り知れないのう。
目的の腕時計をチェックし、テキトーに晩メシをいただき、おやつのベーグルを買い込むと、新宿行きのバスで帰る。

まあこんな具合に、最初っから最後まで、好奇心をくすぐられっぱなしの一日なのであった。実に愉快でござった。


2016.11.25 (Fri.)

MacBookAirは現在の僕にとって生命線と言える存在なので、一刻も早く調子を取り戻してもらわないと!
ということで、渋谷に出かけて修理を試みる。しかしなんと、ヴィンテージすぎるということで断念せざるをえなかった。
なんでも、修理可能な期間がちょうど切れたところなのだそうだ。Appleがソニータイマーすんなよ!と思ったが、
考えてみれば、MacBookAirは買ってからもう6年になるのである(→2010.12.23)。時間経過を忘れて使いまくった。
冷静になってみると、5年以上経っているんだから常識的に買い替え時を過ぎているのである。納得せざるをえない。
(この「ヴィンテージすぎる」という表現がまたいかにもApple的だなと思う。パソコンにvintageって発想はないわ。)

で、僕が浦島太郎している間もパソコン業界は進んでおり、ついに先月、11インチのMacBookAirが販売終了となった。
つまり、いくら今のMacBookAirがお気に入りであるとはいえ、同じものはもう売ってないから手に入らないのである。
したがって選択肢は以下の3つとなる。1. MacBookAirの後継機を買う。2. MacBookAirの13インチに移行する。
3. MacBookAirの11インチを中古か何かで買う。というわけで、まずMacBookAirという存在じたいにこだわるか否か。
僕としてはそのシャープなデザインに魅了されて買ったので、できることならMacBookAirで行けるところまで行きたい。
とりあえずApple Storeの1階で、後継機と言えるMacBookの12インチをいじくってみる。違和感はまったくない。
むしろサイズ的にはAirの11インチよりもコンパクトになっているようだ。そうなりゃもう、迷う余地はない感じ。
唯一引っかかるポイントはお値段だ。MacBookAirは10万円が目安だけど、MacBookはその1.5倍。さすがにこれは困る。
しかし13インチだとはっきりと大きくて、MacBookAirとしての有利さはなくなる。13インチへの移行はありえない。
さあ、どうしましょうか。おとといの日記で書いたように、出費が集中する見込みなので、抑えるられるところは抑えたい。
あれこれ迷うのも楽しい、と言いたいところだが、なんせ生命線のMacintoshなので、迷っている暇はあまりない。うー。

腕組みしつつ東急ハンズ渋谷店に入ったら、なぜかエジプト特集になっており、メジェド様グッズがいっぱいでやんの。
メジェド様(→2016.4.29)はウチの母親がいかにも好きそうなので、小さいぬいぐるみを購入。自分用も購入したよ。
(ウチの母親は、せなけいこ『ねないこ だれだ』のおばけの人形をタオルで自作した人で、ああいう路線が好み。)

これはなかなかいい買い物ができたわい、と満足しつつ近くのスタ丼屋に入ったら、「先生」と声をかけられる。
振り向いたそこには、去年の3月にウチの中学校を卒業した女子生徒がいた。……なんで店員の恰好してんの!?
スタ丼はふるさとの味だけどよ、その生徒についてはまったく想像できなかったバイト先である。いやもう驚いたのなんの。
久々の再会で、元気そうでうれしいんだけどね。なんというか、恥ずかしい。やべーよ、迂闊にどの店にも入れねえよ。


2016.11.24 (Thu.)

スピーチやらテスト返却やらで、いつもミッチミチのギッチギチであるはずの授業が奇跡的に空いたんだけど、
プリントづくりで結局暇はないのね。貧乏暇なしですか。毎日毎日、やらなくちゃいけないことに追われ続けているよ。


2016.11.23 (Wed.)

ここにきてMacBookAirのキーの調子が悪い。キーが1個利かないだけで、日記を書くのにものすごくストレスがある。
MacBookAirでは文章を書く以外にも、Photoshopによる写真の加工もやっている。これもけっこう溜まっているので、
そちらを優先してストレスを感じるばっかりにならないようにしているのだが、画像に名前をつけて保存する際に、
言うことを聞かないキーがいるせいで、やっぱりイライラさせられるのである。うおーもうどうにもならねえ!
しかも調子が良いときもあれば、キーボードの左半分が広範囲にボイコットするときもあって、原因がわからない。
対処のしようがないのである。外的要因で思うように作業が進まないこの苦しさよ。たまったもんじゃない。

調子が悪いのはMacBookAirだけではないのだ。物が壊れるときは、複数が一気に来る傾向があるものだと思う。
これは本当に不思議なんだけど、いつもそう。特に機械類は、連鎖的におかしくなる流れがあるように感じるのだ。
腕時計のバンドもガッタガタだし、BOSEイヤホンのコードもちぎれそうだし、外付けハードディスクも挙動が怪しい。
ここにきて一気に、身の周りにあるものが壊れてきているのである。出費が集中するのは本当につらいんだけどなあ。


2016.11.22 (Tue.)

テスト明けで久々の部活だが、ゲームをとことんやったら股関節が痛いという体たらく。
筋肉系が悲鳴をあげるんならわかるのだが、関節にダメージが行ったというのは初めてのことではないかと思う。
まあ厳密には股関節周りの筋肉なのかもしれないけど、今までにない箇所がやられたことにショックを受けております。
関節、それも「歩く」という基本的な動作に関わる股関節が痛いというのは、これはもうヨボヨボ感が半端ない。
おかげで、運動不足という認識以上に、変によけいな精神的ダメージを食った気がする。歳はとりたくないのう……。


2016.11.21 (Mon.)

休みを頂戴したので映画を見に行くのだ。たまにはそんな贅沢な日があってもいいんじゃないか。
テストも一段落ついたし、スクーリングも一段落ついたし、張り詰めていた気持ちを解放させるのだ。

昼メシに、シェイクシャックのハンバーガーをいただいてみた。前にALTがオススメしていた記憶があるので。
確かに肉は旨いけど、だいぶしょっぱい。ハンバーガーってのは質を求めると際限なく高くなっていく食い物だと思う。
自分の中にはランチとして適切なお値段のラインがあって、それを超えても許容できる価値を認められるかというと、
正直厳しい。つまり、そもそもが僕はハンバーガーに高級路線なんて求めていないのだ。そのことを実感したなあ。

 旨いけど、この値段なら別の物を食った方が満足度が高いということ。

さて、本日のメイン・エベントである映画は、『聖の青春』。松山ケンイチが村山聖を演じて話題になっている。
もともと将棋にはまったく詳しくないのだが、電王戦以来、棋士のみなさんに興味が出てきて(→2014.4.27)、
そこに松ケンが役作りで体重を大幅に増やしたというニュースが話題になったので、ぜひ見てみようと思ったのだ。

物語は村山聖が拠点を大阪から東京に移したところから始まる。棋士になる人はみんな天才なのだが、
作中で強調されるのはその中でも輝く天才性と、それゆえのこだわり。天才ゆえに築き上げられた独自の価値観と、
村山聖という人の純粋さを描きながら物語は進んでいく。村山は名人位と羽生善治、ふたつの目標に向かって突き進む。
それはどこか人生を生き急ぐような危うさも孕んでいたが、実際、彼は生きることを急がねばならない運命にあった。
われわれはその悲劇的な(と形容するのは失礼なのかもしれないが)結末を知っているだけに、彼を受け入れるしかない。
太く、短く。時代に確かな爪痕を残した天才といっても人間であり、目標と現実の生活、そして病の間で彼は苦しむ。

この作品は、まさに青春の断片を切り取った作品だ。それは主人公が極めて純粋な人間、極めて純粋な天才であり、
将棋という極めて純粋な世界で、極めて純粋な目標を持ち、若さのみからなる29年間の極めて純粋な時間を生きた、
そういった要素が重なったことが大きい。言い換えれば、村山聖の人生は青春だけで成り立っていたということだ。
だから彼の生き様を描くことは、人間の誰しもが持っているものを特別に純粋培養して凝縮した、そういうドラマになる。
その密度の濃さ、つまり純度に、われわれ凡人は「悲劇の天才」というレッテルを貼ってとりあえず納得するのである。
この映画は、そのレッテルをはがしたところにある一人の人間の内面を、あらためてわれわれに見せてくれるものだ。
村山聖と羽生善治が二人だけで酒を飲む場面がその頂点である。ああ、このうれし恥ずかしい感じ。まさに青春、と。

特筆すべきは対局シーンの迫力である。この映画における一番の見どころは、羽生善治との対局シーンだろう。
これは『クラシコ』の感想にも通じるが(→2012.3.10)、いちばん面白いのは、実際の将棋の試合そのものなのだ。
だから本当は村山本人と羽生本人の本物の対局の方が面白いに決まっているのだが、俳優どうしの集中力によって、
フィクションだとわかっていても思わず息を呑むほどの迫力を持ったシーンとなっている。俳優冥利に尽きるだろうと思う。
そしてもうひとつ、俳優としての凄みというかなんというか、リリー・フランキーという人は、いったい何者なのかと。
村山聖の師匠・森信雄役なのだが、もうその人にしか見えない。見事に化けの皮をかぶりきっている感じが不思議だ。

これだけの天才が命を削って取り組み、その短い生涯を捧げた将棋。その試合を、実際に見てみたくなる。
そして原作のノンフィクション小説も非常に評価が高いので、機会をみてぜひ読んでみたいとも思う。
そういう興味の広がりを持たせるには十分な質を持った映画である。ただの青春の記録、だけではない。


2016.11.20 (Sun.)

スクーリングも最終日だが黙々とやるのみである。EUについて21世紀以降の動きを終えると、舞台はアジアに。
アジアの課題として、民主化という観点を軸に各国の事情をみていく。東欧とも違って、これまたやっぱり面白い。
客観的に見ると、アジアの民主化運動もなかなか不安定だし、そもそも民主化運動が発生しない国もけっこうある。

EUもそうだったけど、国際政治を考えたときに経済の影響は本当に大きい。食べなきゃ生きていけないもんなあ。
でもそれだけじゃなくて、地政学的な力関係もあるし、国家としてのプライドもあるし、国内政治もあるし、
環境問題だってファクターになる。さらに難民問題がウェイトを増しているし、国際政治は本当に要素が複雑だ。
単純明快な二項対立に見えるベースがあった冷戦時代から考えると、年々複雑さが増していっているように思える。
もうこりゃ手に負えないや!ってくらい、各要素が複雑怪奇に絡み合っている。最後はそれに茫然となって終わった感じ。
スクーリングじたいは非常に勉強になったのだが、国際政治のややこしい現状には正直、眩暈がする。大変すぎるで。


2016.11.19 (Sat.)

午前中に荷物を出して、午後からスクーリング。先週は国際政治学の理論について学んだのだが、
テーマは地域研究へと進んでおります。まずはヨーロッパ統合の動きをつぶさに追いかけているところ。
1950年代のECSC発足から、1960年代を引っかきまわすドゴール、1970年代の地味だが着実な歩み、
1980年代の市場統合への動き、そして1990年代のEU成立と拡大、この流れをお勉強しているのである。
ニュースの記憶は1980年代後半からはうっすらとあるので、それを必死に思い出しつつ学習内容を固めていく。
面白いんだけど、長時間で一気にやっていくので大変。講義をする先生はすごいなあ、とただただ尊敬である。


2016.11.18 (Fri.)

テスト本番である。できるだけ丁寧につくったつもりだったが、いろいろ抱えながらつくるとどうしても粗が出る。
2学年分つくったときとちょうど同じくらいの粗で、ここ最近の忙しさはやっぱり確かな負荷だったなあと実感。
ふつうの人がやっていることのきっちり2倍動いているわけだから、そりゃキツいわけだよ、と思う。


2016.11.17 (Thu.)

テスト前の復習スペシャルということで授業6連発だぜ。当然、手を抜くことなく全力でやりきる。

しかし信じられないのは、教える側がこれだけ労力をかけているのに、聞く態度が全然なっていない受験生がいることだ。
2学期の期末テスト直前だぜ? 結果が進路に直結するんだぜ? それなのに自分の置かれた立場を理解できていない。
まあ別にいいんだけどね。そういう生徒にはそれ相応の報いが襲いかかる。僕はそれをそのまま結果に反映させるだけだ。


2016.11.16 (Wed.)

勤務時間は授業で使うプリントづくりを進めておいて、夕方になってからテストづくりに移行する、そんな感じ。
だから結局、ずーっとディスプレイとにらめっこしているわけで、どこをとっても忙しいのである。終わりが見えない。


2016.11.15 (Tue.)

あまりにも忙しすぎるので、細かく目標を決めて、やるべきことに優先順位をつけている状況である。
なんというか、一番近い言葉はたぶん「トリアージ」。締め切りと、重要性と、時間・労力のコストを計算する。
そうして「どこまでやればいいか」のラインを設定したうえで、無理なくこなしていける順番を決めて、実行する。

今日はひたすら、テストづくりに没頭する。まさかの長文問題差し替えを断行するという賭けに出るのであった。
どんなに忙しくたって、本業で不本意なことはしたくないわけで。当方、そこで意地をはるくらいの余裕はある。
そうして好ましいリズムをつくっていって、やるべきこと全体の完成度を上げるのである。それがオレのやり方よ。


2016.11.14 (Mon.)

ずーっと働いたり勉強したりで週末が見事につぶれたところに6時間連続で授業ですよ。もう限界。
それでもテストに向けて生徒がやる気まんまんなのがまあ救いかなと。彼らのポジティヴさに押されて動けてる。
彼らの前向きさに引っ張られて、どうにかこうにか自分も進むことができている。それは美しいことだと思うのです。


2016.11.13 (Sun.)

スクーリングが終わった夕方から、メディア授業の国際経済論のリポートづくりをスタートする。
でもそのおかげで、僕が英語のテストをつくる暇がないんですけど。生活の中身がみっちり詰まりすぎているぞなもし。


2016.11.12 (Sat.)

不審者対策で刺股を持つのは毎年のことよ。今年も屁っぴり腰で申し訳ございません。

午後はスクーリングである。今週末の土日と来週末の土日は、4回にわたって国際政治学を学ぶのだ。
土曜日は午後だけだが、日曜日は一日中。なかなかハードではあるが、国際政治学じたいが楽しいから問題ないのだ。
なお、内容としては、夏休みのスクーリングの続きとなる(→2016.8.102016.8.112016.8.12)。

先生が用意してくれたレジュメをもとにメモを書き入れていくいつものスタイル。
今回の講義は国際政治学の理論の紹介からのスタートである。第一次世界大戦のダメージはあまりに大きく、
学問によって平和を構築しようと、政治学と国際法という2つの潮流をもとにして国際政治学が生まれる。
ところが国際政治学の理論は、理想と現実のぶつかりあいの歴史とのこと。国家がパワーを行使する現実主義があり、
それを国際機構のルールでコントロールしようとする理想主義もある。現実に即して両者がバランスを変化させつつ、
さまざまな理論が更新されていくというわけ。そういった中でE.H.カーやモーゲンソーが議論のベースを提示した、と。
現在進行中の事象について共時態でも通時態でも本質を論じようとするのだから、理論の学者は本当に大変だと思う。
とりあえず岩波文庫の白で出ているカーとモーゲンソーについては読んでみたいと思ったけど、余裕がないかな……。


2016.11.11 (Fri.)

午後にわざわざ休暇をとってのプリントづくり。本当に自分でもエラいと思う。われながらよくやってるぜ。


2016.11.10 (Thu.)

トランプの勝利から一夜。イギリスのEU脱退(→2016.6.24)に続いて、またしても「本音」の勝利か、と思う。
選挙結果を認めることができなくて暴れている人もいるようだけど、こりゃもうしょうがない。現実は現実なのだ。
どんなにトランプがイヤだって暴れたところで、ウチのアベシンゾーよりはマシだろ? これもまた民主主義なのよ。
とりあえず、誰も得しないグローバル化よりも目先のプライドってことかね。ま、こっちも誰も得しないけどな。


2016.11.9 (Wed.)

英語の発表会おつかれさま。代表としてがんばった生徒は本当によくやってくれた。心から尊敬するぜ。
その一方で、もともと信頼ゼロだったヤツに対しては、もうとことんカスだな、と思うしかない。人間性がゼロだよね。

それにしても、英語のスピーチってのは日本語の弁論に比べてものすごく押し付けがましいのがどうも好かない。
これは平田オリザ『演劇入門』(→2002.6.23)でも出てきたような、日本語と英語の特性の違いということになる。
今回、日本語がしゃべれなくて英語が母語という生徒が本場のノリでスピーチをしたのだが、内容といい話し方といい、
非常に強い圧を感じさせるのだ。白黒をバッサリとつけてくる内容を、ガンガン勢いに乗ってしゃべりまくる。
まさにspeech、一方的なのだ。聴き手の思考をまったく考慮しない意見表明は見事だが、日本人としてイラついた。
こういう英語的な思考が世界中のさまざまな言語を駆逐するのは、本当に危険だ。遠き慮りなければ必ず近き憂いあり。


2016.11.8 (Tue.)

博多駅前の大陥没にびっくりである。だってアナタ、わずか5日前に訪れた街ですよ? 一週間経ってないのよ?
九州一の大都会の駅前が、実際に歩いたことのある場所が、一瞬のうちに空虚そのものと化してしまった。
それも、その瞬間の克明な映像まで残されている。ニュースで見るたびに唖然茫然。これは信じがたい現実である。
あれだけの規模なのに早朝だったおかげで、死者はおろかケガ人すら一人も出なかったのは不幸中の幸いそのもの。
それらをすべてひっくるめて、本当のことだとは思えない。でも現実なのだ。想像力を超える事件だよ、これは。


2016.11.7 (Mon.)

ワカメが上京してきた。だいたい半年に一度のペースで、僕にとっても大変うれしい機会なので、全力でお相手。
彼とは基本的な考え方が合うので、なんでもない話が楽しくってたまらんのう。昔話ももちろん面白いのだが、
最近のオススメは非常に参考になる。日常生活ではすっかり縁遠くなってしまった刺激が存分に受けられるのだ。
そしてワカメだけでなく、その周りの仲間も楽しいのである。こういう交友関係を持てたのは最高に幸せなことだ。

そんなわけで、気がついたらハイボール3杯に日本酒まで飲んでしもたわ。酔っていてもシラフでいても楽しいのよ。


2016.11.6 (Sun.)

部屋の片付けをしようとしたけどあんまり進まなかったね。ここんとこ、メンタルけっこうやられていたし。
健全な精神は健全な肉体に宿る……かどうかは知らんが、健全な部屋で醸成されることは間違いないので、
なんとか部屋の片付けを進めたかったんだけど。なんとか悪循環から抜け出すきっかけくらいはつくりたかったが。


2016.11.5 (Sat.)

授業、雑務、部活、テスト下準備とリポート準備で忙しくてもう。よく回っているなあ、よく自分回せているなあと、
自分でも感心したくなる……余裕もないほどに動きまわっております。自分に酔っていられるほどの満足感はないね。


2016.11.4 (Fri.)

義務を果たさずに権利を主張する人間に怒りが止まりません。はらわたが煮えくり返って校長室に飛び込みましたよ。
なんでこういう人間が教員になってしまっているのかと、教員の世界に正義はないのかと、世の中狂っとるわと、
これだけ「理不尽」という言葉を痛感したのは初めてではないだろうか。いや、前の校長も理不尽なキチガイだったが。

しかしなんというか、そういう人間を呼び寄せて放置して上から目線でいる教育委員会の仕事のできなさには呆れ果てる。
区全体が狂っているね、もう。狂気が狂気を呼び寄せている。もしどんなに金があっても、この区には絶対住みたくない。


2016.11.3 (Thu.)

文化の日。どこへ行って何をしようかとサッカー観戦を軸に考えた結果、なんと博多へ日帰りという結論に。
前もって予約しておけば、飛行機代もそれなりにお安いのである。それに福岡は別表神社がやたらと多くって、
集めておきたい御守もいっぱいなのだ。たまには気軽なフットワークで遠くへ出かけてみようじゃないか。

……というわけで、意気揚々と福岡空港に飛んだのはいいが、なんと空港ビルは改修工事の真っ只中なのであった。
おかげで飛行機が着陸してからやたらめったら時間がかかり、地下鉄に乗り込む時刻が思った以上に遅れてしまった。
急なトラブルへの対処もまた旅の楽しい要素ではあるのだが、動かせないイヴェントが昼に入るといかんともしがたい。
夜や夕方ならまだいいが、昼の13時半キックオフという時間帯を押さえられてしまうと、まったく身動きがとれない。

しょうがないので予定を変更して、まずは櫛田神社に参拝する。博多祇園山笠は櫛田神社の祭りということで、
つまりは博多を代表する神社である。まあ本来、福岡に来たからには最初に参拝すべき存在なんだろうなと思う。
今まできちんと参拝したことがなかったことが非常に申し訳ない。そんなわけで気合いを入れて鳥居をくぐる。

  
L: 地下鉄・祇園駅から神社東側の表参道へ。博多を代表する神社のわりには参道が細い。  C: 境内の前に出る。
R: そのまま神門をクローズアップ。鳥居から神門までが近すぎて撮影しづらいが、神門本来の迫力はよく出た一枚。

参道も狭かったが、境内も博多を代表する神社とは思えないくらい小ぢんまりとしている。しかし社殿は豪壮。
周囲がコンパクトな分だけ、かえって密度が濃いというか、純度が上がった印象がする風格を漂わせている。
御守を頂戴しようとしたらさすがは櫛田神社、「博多守」があった。それなら、とアビスパっぽい青色を選んでみた。

  
L: 境内の様子。驚くほどコンパクトである。  C: 拝殿。なんか、ぎゅっと凝縮された感がある。
R: 裏手にまわろうとしたら博多塀。櫛田神社にあるこちらの博多塀は島井宗室の屋敷跡のものだそうだ。

櫛田神社の境内は広くはないが、見どころは驚くほど多かった。まず本殿の裏にまわろうとしたら博多塀があった。
中国との貿易港だった博多は、戦国時代に激しい争奪戦が繰り広げられた。後に天下を統一した秀吉が訪れた際、
焼け野原にあった石や壊れた瓦をリサイクルして壁に使ったのが博多塀だそうだ。楽水園のものが特に有名なようだ。
僕が最も面白かったのは、やはり本殿の裏にある、長屋状態で一列に並ぶ末社群だ。それぞれの幕には神紋が描かれ、
有名な神社の神紋を一気に眺めることができるのは実に壮観。象徴・記号・デザイン、その奥深さをあらためて実感する。

  
L: 小便小僧がいたのだが、博多山笠スタイル。  C: 本殿の背面。櫛田神社の境内はいろいろな要素を盛り込んでいて面白い。
R: 神紋の描かれた幕が見事な末社群。よく見ると神紋のデザインは一般的なものと微妙に異なっている。それはそれで興味深い。

そして常設展示されている博多祇園山笠の飾り山もすごい。これはきちんと勉強しないといけないところだが、
祇園系(つまりスサノオ=牛頭天王系)の神社の祭りは、大きな山車を引き回すものが全国的に多くみられる。
飾り山は物語に登場する要素を飾りとして立体的に配置して構成したものなのだ。物語を読む/演じる時間が、
隙間のない空間として提示される。冷静に考えると、この飾り山(ほかの山車も)という行為は多次元的なのだ。
なんだかんだ全国あちこちで事例を見ているので、一度きちんと落ち着いて考えてみたいところである。
(五所川原の立佞武多→2014.8.20、那須烏山・山あげ祭りの山あげ→2013.7.20、日田祇園祭の山鉾→2011.8.7

 
L: 「京都五條橋之上」。なるほど、真ん中に牛若丸で下に大きな弁慶だ。動と静の対比を強調した作品である。
R: 「古事記 稲羽素兎」。サメを強調している。大国主・白兎とサメの向きが合わないところに時間が表現されている。

参拝を終えると、日本の都市公園100選に入っている南公園へ。福岡市には「東公園」「南公園」「西公園」があるが、
北公園だけがない。まあ、北は博多湾になるもんね。最も歴史が古いのは県庁の隣にある東公園で(→2008.4.25)、
福岡県初の県立公園だ。西公園は、黒田孝高・長政親子を祀る光雲神社が鎮座している公園。いずれ参拝したい。
で、南公園はもともと大休山と呼ばれていた場所で、1980年に福岡市動植物園が移転。先月の浜松でもそうだったが、
僕にとって動物園や植物園というのはいくらでも時間を消費させられてしまう危険な場所なのだ。外側だけを歩きまわる。

  
L: 桜坂駅から住宅地を抜けて南公園の山の中へ。  C: 南公園の園内。なるほど、山をそのまま公園としている。
R: 動植物園を除いた中心部と思われる一角。「中山」つまり孫文の生誕100周年を記念した石碑が建てられている。

動植物園を訪れないとただただ山の中を徘徊しただけでしかないのだが、いちおうこれで南公園を押さえた。
バスで天神まで戻ると、ウエストのごぼう天うどんをいただく。福岡に来たら食っておかないと気が済まないのだ。

 自分の中で博多の味といえば、ウエストの「ごぼ天うどん」なのね。

これでようやく落ち着いた。地下鉄で福岡空港駅に戻ると、そこから出ているシャトルバスに乗り込む。
Googleマップで見ると、空港から博多の森球技場(ネーミングライツで「レベルファイブスタジアム」)までは、
まったく大したことのない距離に見えるのだが、歩けばしっかり30分ほどかかるのだ。それだけ空港は大きいのだ。

  
L: レベルファイブスタジアムこと博多の森球技場。個人的にはちょっとだけ思い入れのある場所で、観戦できてうれしい。
C: では恒例のスタジアム一周をやるのだ。球技場は丘陵地を整備した東平尾公園の中にあり、周囲はけっこう高低差がある。
R: 南側へまわり込もうとすると坂を上がっていくことになる。そして一周しようとするとやっぱり山の中って感じになる。

道は思いっきり曲がっているし高低差はあるしで、現在地がなかなかわからなくなりつつも、どうにか一周を完了。
北側がメインスタンドホーム側の入口で、付近はかなりの混雑ぶり。最終節ということを考慮しても混み合っている。
もともとが丘陵なので、スタジアムの周囲に平らな場所が少ないのだ。やたら狭苦しい印象のあるスタジアムというと、
神戸の御崎公園球技場(「ノエスタ」→2014.7.19)が思い浮かぶが、それとは別の意味で余裕のないスタジアムだ。

  
L: バックスタンド側、調整池を挟んで眺めたところ。  C: 今回はバックスタンド席です。ピッチはこんな感じ。
R: バックスタンドの様子はこんな感じ。かなり豪快なアーチが平行に並んでいるが、内側はトラス構造が素敵である。

レベルファイブがネーミングライツを取得しているだけあり、スタジアムのあちこちに『妖怪ウォッチ』の絵がある。
正面ゲート前にはサッカーボールを蹴るジバニャンやコマさんたちの絵があって、なるほどなるほどと納得する。
さらには試合前にトイレに行っておこうと思ったら、こんなところにも『妖怪ウォッチ』。前面に押し出してますなあ。

 こんな調子で『妖怪ウォッチ』の存在感は抜群なのであった。

さて肝心の試合である。先ほども書いたようにこの試合は最終節であり、福岡はすでにJ2降格が決まっている状況。
かつてはしぶとくJ1に残留し続け、太宰府天満宮でお祓いをしてもらった「落ちない御守」を売っていたほどなのに、
今ではすっかりエレヴェータークラブとなってしまった。まあ、何度も昇格した経験があるだけマシでもあるのだが。
対する柏も今シーズンは波瀾万丈。新監督・ミルトン=メンデスが就任したが、1勝もできず開幕3試合で辞任。
ところがブラジルに帰国したメンデス氏は2週間後にブラジル1部の監督になっていたのであった。何がなんだか。
しかし後を受けてコーチから昇格した下平監督がしっかりチームを立て直して上位に食い込んでいる。怪我の功名ですな。
(下平監督の柏が首位の川崎を圧倒した試合については過去ログを参照。いいサッカーだったなあ。→2016.8.27

  
L: 福岡まで駆けつけた柏サポ。ゴール裏の席はずいぶん角度が緩やかだけど、かなり見づらいんじゃないのかなあ。
C: さっそく柏が先制。ボーッとしていたらいきなり点が入っていた。シャッターチャンスを逃しまくった日だった……。
R: 昨季は福岡にレンタルされて昇格の立役者となった柏のGK中村航輔。福岡サポからも大きな声援を受けていた。

福岡の観客席は柏のGK中村に対して最大限の歓迎モード。今シーズンJ1で戦えたのは彼の功績が大きいもんね。
その点に象徴されるように、非常に穏やかなムードで試合は始まる。が、開始7分、あっという間に柏が先制点を奪う。
福岡はある程度来シーズンを見据えたスタメンだったようだが、それにしても差がありすぎた。柏がただ圧倒する展開。

  
L: クリスティアーノのFK。この日は後で3点目となるミドル(その瞬間を撮れなかった……)を決めるなど好調だった。
C: 柏のアグレッシヴなプレーに対し、すべて後手後手にまわる福岡。自陣ゴール前でこの奪われ方はまずいだろう。
R: 1年でのJ2降格となったものの絶大な信頼を集める福岡の井原監督。そういえば井原監督は柏でのコーチが長かったな。

柏の選手たちはピッチ全体で躍動する。どのポジションでもしっかり走っているのでパスコースがいくつもできている。
守備も前から積極的で、福岡は相手陣内に入ることすら難しい。入っても中央をガッチリ固められ、サイドで手詰まりに。
8月の川崎戦でも柏は首位を相手に「強者のカウンター」を見せていたが、降格が決まった福岡ではもうどうにもならない。
GK中村はせっかくの凱旋試合だったのに、本当に見せ場が少なかった。福岡サポとしては、よけいに残念だったのでは。

  
L: 福岡のサイド攻撃に対し、人数をかけて対応する柏。これはパスの出しどころがまったくない。手詰まりである。
C: 別の場面。やはり柏の守備は堅い。こういう守備を破るには個での突破かパスワークしかないが、福岡にはどちらもない。
R: 柏は攻める局面でもきちんと人数が足りている。つまり選手がよく走っているのだ。下平監督、来季はブレークの予感。

この日の僕は、正直自分としては珍しく、シュートシーンなどのシャッターチャンスを逃しまくってしまった。
得点シーンを撮れないことはおそらく10回に1回くらいなのだが、それが一気に来た。4-0で柏が勝ったけど、
きちんと撮れたのは1点だけ。なんとも情けないが、逆を言えば柏のチャンスがやたら多くて的を絞りづらかったのだ。
まあ、それだけ柏がいいサッカーをしていたということで。下平監督はもっともっと評価されていいと思うなあ。

 柏がほぼ一方的に福岡を蹂躙する展開に。福岡が弱いというより柏が強かった。

試合が終わってそのまま福岡空港に引き返すようなことはしないのだ。まだまだ十分動ける時間じゃないか!
東平尾公園のすぐ東側は志免町、志免町の南に隣接しているのは宇美町。ということで、宇美八幡宮に参拝するのだ。
ちなみに志免(しめ)町は、宇美八幡宮の注連縄が張られたことでそういう名前になったそうだ。面白いものだ。
そして宇美町は神功皇后が応神天皇を産んだ場所なので「産み」→「宇美」となったそうだ。歴史が息づいている。
(調べてみたら、神功皇后が応神天皇のおしめを替えた場所ということで、志免の名がついたとも。)

バックスタンド側の丘陵を抜けてユニバ通りという広い通りに出ると、「博多の森競技場前」というバス停がある。
ほどなくしてバスがやってきたので乗り込む。30分ほど揺られて宇美八幡前のバス停で下車。実にありがたい路線バスだ。
ちなみにそういう行動パターンはよっぽど珍しいようで、運転手さんに「どこに行くんですか?」と訊かれちゃったよ。
「や、宇美八幡宮に参拝するんですけど……」としか答えようがございません。みんなもアビスパから宇美ろうぜ!

  
L: 夕日を浴びる宇美八幡宮の鳥居。  C: 境内の様子。いかにも地方都市にある大きめの神社って感じ。  R: 拝殿。

冒頭で述べたように、福岡県には別表神社がやたらと多い。昔から大陸との窓口になっていたこともあり、
それが結果として神社につながる歴史的なストーリーを多く生み出すことになった、というまとめ方ができると思う。
言ってみれば、地政学的な痕跡としての神社が多く存在するのだ。そのひとつ、三韓征伐の伝説に関係する神社として、
仲哀天皇が亡くなった地である香椎宮があり(→2014.11.24)、応神天皇が産まれた地である宇美八幡宮があるのだ。
(神功皇后に三韓征伐を促したのが住吉三神ということで、福岡県には住吉系の神社も多数あるのはご存知のとおり。)

  
L: 角度を変えて拝殿を眺める。純粋な妻入拝殿は珍しい気がする。  C: 本殿。  R: 湯蓋の森(クスノキ)。

宇美八幡宮は、雰囲気としては地方にある大きめの神社という感触だが、歴史と風格を感じさせる要素が実に豊かだ。
全国に広がった八幡信仰の祭神が産まれた地ということで、特に安産祈願に関連する要素が徹底的に整備されている。
それらを見ていくだけでも面白い。出産が命の危険を伴うものであることを、あらためて強く実感させられる。

  
L: 神功皇后を祀る聖母宮。  C: 本殿の玉垣にはさまざまなメッセージが掲げられている。郷ひろみは福岡県出身だったな。
R: 末社・湯方社の周りには子安の石。妊婦さんが持ち帰り、産後に新しい別の石と一緒に奉納するという倍々ゲームである。

参拝を終えると、そのままのんびり歩いて宇美駅を目指す。宇美駅は2年前にも訪れたのだが(→2014.11.24)、
香椎線の制覇にばかり夢中で宇美八幡宮をスルーしていたのだ。今回やっとその分の借りを返すことができたのだ。
途中で宇美町役場前を通ったので、せっかくなので撮影しておく。夕日に染まった色合いが撮りづらいのだ。

  
L: 駅からの通りに面した宇美町役場。  C: エントランスが斜めを向いているのが独特。  R: 背面。

宇美駅前に到着する。2年前とまったく変わらない姿で、なんだか忘れ物を取り戻したような気分である。

 夕暮れの宇美駅前。宇美八幡宮に参拝できてよかったよかった。

博多駅ではタフマンスーパーのある自販機を発見。この最後のピースを見つけるのに本当に苦労したが(→2016.8.5)、
ここに答えがあったのか!とひとり感動するのであった。そんな感じでせわしない日帰り旅行はおしまいなのだ。


2016.11.2 (Wed.)

前に取材を受けた(→2016.9.30)、ウチの部活について書かれたウェブ雑誌の記事が上がった。
主人公はウチのコーチであり、掲載された写真もほとんどが生徒のものである。僕の顔が出ているのは1枚だけ。
まあ部活ってのは本来生徒が主人公だし、今回はコーチが主人公だし、目立つ気もないし、そんなもんである。

しかしまあ、いつもの日常生活の一部が記事として公に紹介されるというのは、少々変な感じである。
とりたてて特別なことをやっているつもりはないのだが、ほかの人にとってはそうでないことも当然あるので。
なるほど、ほかの人にはこう見えているのね、と思いつつ記事を読む。取り上げていただきありがとうございました。


2016.11.1 (Tue.)

今年も残すところあと2ヶ月だけど、とてもとてもそんなことに感傷的になっている暇などない。
今月はスクーリングがあるし、テストづくりもあるし、リポート課題もあるしで、かなりシビアなのよ。
気がつけば日記がそうとうヤバいことになっているが、ちょっとこれはスルーせざるをえないかな、と。
それくらい今月の予定詰まりまくり具合はシャレにならないのである。なんとか乗り切れますように。


diary 2016.10.

diary 2016

index