午前中は部活で、いったん家に帰ってから自転車で買い物の旅に出る。消費税対策でモノを買い込むのは品がないが、
それはそれで身の周りをきちんとするいい機会なのは確かなのだ。買うべきものをきちんと買っておこう、ということ。新宿に出て、下着とひげ剃りと外付けHDDを買う。外付けHDDを買ったのは、勘。特別に必要というわけではないのだが、
自宅と職場で1回ずつハードディスクがぶっ飛んだ経験のある僕としては、臆病にならざるをえないのである。
言ってみれば「予備の予備」ということになるのだが、いざとなったらテレビにつないでもいいし、ということで購入。さて今日は年度の最後の日ということで、異動される先生の送別会。そのまま自転車で職場近くの繁華街へ。
話題は今後の作戦会議だったり異動先についての話だったりその周辺にまつわる武勇伝だったりいろいろ。
今日の午後、僕が帰った後でなかなか面白いお客さんが職場に来たそうで。なんとか挟み撃ちにしたいねー。
ともかく、たった一年間だけだが本当にお世話になりました。異動先でもお体に気をつけてがんばってくださいなのだ。
天気がよければ群馬まで遠征して、高崎の公共建築を見たり前橋の公共建築を見たり午前中を優雅に過ごして、
午後は群馬×富山の試合を観戦しようと思っていたのだ。しかしあいにくの暴風雨ということで、あきらめる。
その代わり、消費税が8%になる前にいろいろ買っておこうということで、あちこち買い物をしてまわることにした。
雨なので電車での移動ということになって非常に面倒くさいのだが、まあそれはそれでたまにはいいか、と思っておく。まずは東急ハンズで買い物。以前と比べるとハンズを利用する頻度が落ちており、ポイントがぜんぜんたまらない。
ハンズが魅力的でなくなったのか、僕が無駄遣いをしなくなったのか。真相はよくわからないが、淋しい気分だ。
それから銀座のFREITAG公式ショップでBOBを見る。消費税が上がるから慌てて買う、というのはどうも品がない。
やはりまず新しいものを買う必要性があって、それで気に入った柄があったから、という手順が重要なのである。
銀座店のラインナップは悪くはないけどやっぱりイマイチで、どうも決定打に欠ける。こういう状態はつらいものだ。
とりあえず、MacBookAir向けに「SLEEVE for 11 Ultrabooks」は購入しておいた。お店のおねーさん曰く、
パソコン用のスリーヴはもう単色しかつくっていないそうで、柄モノはレアとのこと。いやあ、よかったよかった。
L: 青地に黄色の羽根っぽいデザインはFREITAGではちょこちょこ見かける。 R: 裏面。封筒っぽくつくってある。渋谷のFREITAG公式ショップにも行ってみたが、相変わらず。それですぐ近くのアーバンリサーチに寄ってみたら、
まさかの新しいBOBが! しかもめちゃくちゃ珍しい紺色! 柄も面白い! ……というわけで買ってしまいました。
店のイケメンのお兄さん曰く、ブログに上げたら問い合わせがけっこうあったそうで、なんだか皆さんスイマセン。
でもとことんまで有効活用させていただきますんで。オーナーとして責任を持って使っていきます、ハイ。
L: ついに買ってしまったBOBです。いかがでしょう。 C: 正面から見たところ。紺に白いカーヴのストライプが強烈。 R: 裏は無地。これで安心してCLARKを修理に出せる。使う機会を分散させることで、できるだけ劣化を抑えたいってことなんだよね。
まあそういうわけで、納得のいく買い物ができてよかったよかった。しかしFREITAGは止まらねえなあ! トホホ。
前任校で同僚だった先生の結婚式である。モテない仲間だと思っていたら、いつの間にやらどえらい差がついており、
正直なところ、それなりにしょぼくれた気分で出席する。ご祝儀もつらいです。僕、返してもらうアテがないですもん。しかし会場では前任校の皆さんに加えて異動された先生方にもお会いすることができ、ああ出席してよかったなと。
懐かしい調子であれこれ話ができたのがやっぱりうれしかったのであった。いやー、このメンツは落ち着く落ち着く。
さらにはこないだ卒業した連中の文集やらアルバムDVDやらお手紙なんぞもいただいた。これは非常にありがたい。
異動した人にここまでしてくれるなんて、感動で言葉がございません。お礼を言う機会がないのが悔しくて悔しくて。
肝心の会なんですが、新郎の父ちゃんがそのキャラを存分に大爆発させて、たいへん面白かったです。
あとはいかにも体育会系の皆さんがいかにも体育会系な反応をしていて、たいへんほほえましかったです。2次会はやっぱりいつものメンツで居酒屋に入ったのだが、異動についての細かい情報を聞いて激しく驚いた。
僕ですらまったく納得がいかないのだから、現場の皆さんは不安どころではない心境だろう。いや、呆れ果てた。
まあ僕は僕で今年度は別種の問題と格闘していくことになるけど、そんな自分の問題がわりと小さく見えるくらいの激震。
皆さんが無事にこの一年を乗り切れることを心よりお祈り申し上げたい。陰ながら応援しております。家に帰るとさっそくDVDを拝見。異動したはずの僕が修学旅行に出現したシーンもばっちり入っていた(→2013.6.15)。
(3年生を送る会でDVDが上映された際も、このシーンでしっかりと笑いをとっていたそうでなによりである。)
お手紙もけっこうなヴォリュームで、一人ひとりコメントを返してやりたいけど返せないので悶えてみたりして。
振り返ってみると、なんだかんだで愉快な学年だったなあと思う。連中の面倒を最後まで見られなかったのが本当に残念。
そんなわけで、自分も前任校を「卒業」していて、あの場所でいろいろ学んでいたんだなあとしんみり思ったのであった。
昼に新宿に着くバスは、渋滞に巻き込まれて遅れてしまった。おかげでけっこうヒヤヒヤさせられた。
まあこれは渋滞というものを計算に入れていなかった自分の責任なので、しょうがないことではあるが。午後から部活。今日は卒業生のお別れ試合ということで設定したのだが、肝心の卒業生が半分くらいしか来なかった。
都合のいい日を教えてくれたらそれを考慮して予定を組むよ、と何度も何度も言ったが、連中は最後まではっきりせず、
その結果がコレである。こういうところがきちんとできない思考回路ってのがどうも理解できないんだけどねえ。
まあとにかく、来てくれた卒業生は偉いのだ。みんなで最初から最後までひたすらグラウンド全面でゲームをやる。ちなみに僕も夏に引き続き(→2013.7.13)、生徒と同じユニフォームを着てプレーしたのであった。
やっぱりなんだかんだでこういうのってうれしいのね。いやー、今日もよく走らされたわ。
実家ではひたすら会議などの文字起こし。本当にひたすらそれだけやって過ごした。すごく不健康だよ。
それにしても今年はどれくらいこの作業をやることになるのかねえ。まあ、早いところ慣れてしまおう。
待ちに待った春休みに突入である! でもいきなり部活! かわりばえがしない!
◇
夜にバスで実家へ。当初は春休みに帰るつもりはなかったのだが、2週間前に荒れに荒れた勢いで帰ることにした。
すでに親しい皆さんと話をして僕のやるべきことははっきりしているので、特に突っ込んだ相談はしなかったのだが、
正直なところ、個人的には少し考えさせられる点があった感じだ。僕が東京にいる間、飯田での時間は意識しないので。
客観的に見た場合に、何が正しくて何がよくないのかがわからない。まあ、今の僕にはどうしょうもないんだけどさ。
修了式なのだ。式が終わるとまず不要になった物品の片付け。これが今年は非常に大変で、とにかくモノが多い。
なんだかんだで2年生が素直に働く連中なので助かったが、それでもけっこう手間がかかった。お疲れ様である。
その後は机と椅子を新しい教室へと移動。休みが明けたら新年度ということを、ここでようやく実感した。生徒を帰した後は職員室で打ち合わせ。……なのだが、予想どおりの展開となる。詳しくは書きませんが。
大まかには、僕は来年度も今年度と同じような感じで過ごすことになりそう。2週間前から考えるとだいぶ改善した。
しかし細かい点がまったく見えてこないうえに先送りの事項がいっぱいということで、もうニンともカンとも。
まあ僕は冷静に資料を集めて整理していくだけですけどね。意識して余裕いっぱいにふるまっていかないとね。
本日をもって今年度のレギュラー授業はおしまい。最後はALTを中心にした内容ということで、のんびりモード。
実はお世話になったALTが故郷に帰ってしまうということで、今日がその別れの日でもあったのだ。
しかしわれわれ油断をしていて、もうちょっといるもんだと思っていたから、特に何も用意できずにがっくり。
あれこれ噂を聞くに、ALTは人によってだいぶ差があるそうだ。僕はいい人にしか当たったことがないけど、
それにしても特に気づかいの人だったので、この一年間は本当に助けられたのであった。感謝してもし足りない。
丁重にお礼を言うことしかできないのが申し訳なくってたまらん。本当にありがとうございました。またきっとどこかで。
学年旅行・函館編の2日目である! まあ夕方には帰りの飛行機に乗るので、無理をせずにいろいろ見ようという感じ。
朝風呂を浴びてすっきりした後は、バイキング朝食でしっかりと栄養を補給。朝から楽しくてたまりませんぜ。宿を出ると、まずは昨日のトラピスチヌ修道院に続き、男の修道院であるトラピスト修道院へ行ってみる。
トラピスト修道院は函館市の隣、北斗市にある。位置としては渡島当別駅のわりとすぐ近くになるのだが、
そこにアクセスするには函館湾に沿って大きくカーヴ国道を走っていくことになるのだ。少し面倒くさい。
とはいえその分、海を挟んで函館山の側面をバッチリ眺めることができるのである。これがまた絶景なのだ。そんなこんなでトラピスト修道院に到着。まっすぐに延びる並木道にまずは圧倒される。しかもこの道、
振り返ればその先に海が見える。海を見下ろす小高い丘の上の修道院なんて、いかにもな立地である。
さてトラピスト修道院は、トラピスチヌに比べると空間的に大雑把というか、小洒落た工夫がない。
男子の修道院ということでか、質実剛健な印象のする場所となっている。スロープ通路の除雪もテキトーだし。
そのスロープを上っていくと、入口の門は堅く閉ざされていた。見学には事前の申請が必要で、しかも男性のみ。
おまけに日曜日には見学不可ということで(売店も休み)、門の内部にある写真を眺めることしかできない。
L: トラピスト修道院へ至る並木道を振り返る。まっすぐ延びる道の先には青い海が見えて、なんとも詩的な風景。
C: 除雪が中途半端なスロープで入口へ。 R: 正門に到着したが、鉄格子で閉ざされていた。左手に写真の説明あり。トラピスト修道院というとバターやらクッキーやらが有名だ。昨日訪れたトラピスチヌでもつくっていたが、
その製品には女性らしい多様性があった。でもトラピストは限られた主力製品をあちこちに卸しているイメージだ。
正門の内部では、彼らのモットー「祈り働け」を体現した、ミサの光景と乳製品づくりの写真がいっぱい展示されている。
しかしそれ以外の要素がまったくなくって、その極度にストイックな生活ぶりが衝撃的な印象として残った。
写っているのはもう本当にふつうのおっさんたちだが、世俗にまみれた僕らとはまったく違う価値観で生活している。
われわれはただ、「こういう人生もあるんだなあ……」とつぶやくことしかできないのであった。いやー、すごい。
今回、函館近辺にある2つの修道院を訪れることができたが、本当に衝撃的だった。勉強になるなあ。視野が広がるなあ。門の内側。雪がそのままってことは、出入りの必要性がないってことか。
再び函館山の見事な側面を眺めながら市街地に戻る。別にキリスト教に感化されたというわけではないのだが、
函館といえばやはり元町周辺の教会群が有名なので、それらをあれこれ見比べていくことになった。
外国の文化が早くから流入してきた函館では、箱館山の麓の元町が山の手の外国人居留区として発展した。
「横浜も神戸も函館も外国人の街が『元町』なのね。『元町』ってのはそういう意味合いがあるのね」
とは国語の先生の指摘だが、なるほどさすが鋭い。当時の言語感覚で「元町」が何を意味したのか、調べてみたいね。さてキリスト教にはいくつかの教派があるが、函館は狭い範囲にそれぞれの教会が見事に集まっているのである。
それぞれの建築様式を眺めながら、その価値観の違いについて考えるのも面白いだろう。勉強になるなあ。
L: 1979年築の日本聖公会函館聖ヨハネ教会。聖公会(イギリス国教会)はカトリックとプロテスタントの中間を自認。
C: カトリック元町教会。1924(大正13)年の築だが外観は大幅なリニューアルがなされている。内部空間はいかにも教会。
R: 元町の街並みはこんな感じである。賑やかな函館港周辺とは違い、山の手のこちらは現在も閑静なたたずまい。期せずして今回の函館旅行ではキリスト教に関連する施設をあちこち訪問することになったのだが、
神社に参拝しまくっている僕としては、正直なところ一神教の安易に答えを求める部分は好きではない。
とはいえ、その価値観をいかに空間的に再現するかのさまざまな事例に触れることができて、面白くてたまらん。
L: 出ました、重要文化財の函館ハリストス正教会(北東側)。1916年築、東方正教会(日本正教会)の教会である。
C: こちらは南西側。設計したのは河村伊蔵(内井昭蔵の祖父)で、豊橋の教会も手がけている(→2009.12.30)。
R: 北西側から見たところ。この教会は周囲のスペースが狭いので、非常に撮影しづらいのが難点。きれいに撮れない。ハリストス正教会の内部はやっぱりイコンが見物。空間的には非常に狭いが、その奥には神の世界が広がっているのね。
ラテン十字に混じって八端十字架が使われているのも独特だ(塔のてっぺんも八端十字架になっているのだ)。
同じキリスト教でもずいぶん違う、それが視覚的にわかる。これは実に正しい函館観光だ、と思うのであった。いいかげん腹が減ったので昼メシをいただく。函館といえばやはり塩ラーメンなのだ。ガイドブックの載っていた店へ。
皆さんふだんあまり塩ラーメンというもの自体を食べることがないようで、その旨さをあらためて実感した模様。
そのまま金森赤レンガ倉庫周辺を散策。せっかくなので僕も実家向けの土産物を買うなんて珍しいことをしてみた。
あとは自分向けにトラピストバター飴も購入。世俗を離れたおっさんたちのことを思いつつ職場で舐めるとしよう。
L,C: 金森赤レンガ倉庫周辺。6年前にも訪れているが(→2008.9.15)、相変わらず観光客がいっぱいね。
R: 1928年築、なんと木造洋風建築の銭湯・大正湯。住宅地にしれっと建っていてびっくり。見事なものだ。その後はあまった時間で洋風建築めぐり。大正湯があまりにきれいでウヒウヒ興奮しながら撮影していたら、
「本当に建物が好きなんだねー」と言われてしまったではないか。まあそれが本性だからしょうがないよね。
あとは異様に急な幸坂から海を眺めたり。途中の船見公園は完全に雪で埋まっていたが、みんなハイテンションなので、
雪を掻き分けて海を見ようとするのであった。でも家の屋根が邪魔であまり見晴らしはよくなかったなあ。
L: 幸坂から眺める函館湾。とにかく傾斜が急だった。函館の坂の中ではまったく人気はないのだが、まずまずの眺め。
C: その途中にある旧ロシア領事館。1908(明治41)年の築で、玄関の唐破風がすごく独特。しかしすごい坂だ。
R: 最後は日本基督教団函館教会(プロテスタント)。1931年の築。設計は北海道帝国大学営繕課の萩原惇正。そんなこんなで予定の時刻になったので、函館空港へ。レンタカーを返却してお茶をしてと、順調に飛行機に乗り込む。
機内で僕は毎度お馴染みぐっすり寝っこけていたのだが、どうも着陸のタイミングが混雑していたようで、
窓際に座った先生はけっこう怖い思いをされたようだ。やたらと低く飛んでいたとのこと。うーん、それは怖い。
まあとにかく、心の底から楽しませていただいた旅行でした。本当にありがとうございました。しかし函館は中国人観光客が多かったねー。まあ函館に限ったことじゃなくて日本全国そうだと思うけど。
もしかしたら、彼らは僕たち日本人以上に日本の魅力を知っているのかもしれない。そう思うくらい多かった。
あとは、函館名物・ラッキーピエロでメシを食えなかったのは心残り。いつかお邪魔したいですな!
学年旅行である!
教員の世界には学年旅行ってのがあり、3年生を送り出した後にはその学年の先生方で集まって旅行することがある。
僕の場合、前任校でもその話があることにはあったのだが、なんだかんだで忙しくって、結局話は立ち消え。
旅行の計画を練ることはエネルギーを使うことなので、実際にやるのはなかなか大変なのである。しょうがないのだ。
でもこのたび、異動して1年目であるにもかかわらず、学年旅行に行ったのだ。うれしいけど気恥ずかしさもある。
まあいちおう僕もサッカー部を中心にいろいろがんばったには違いないので、気持ちよく参加させてもらうのだ。
ちなみに学年では僕がいちばんの若輩者。年上とのコミュニケーションが苦手なのでけっこう緊張しつつの参加なのだ。朝4時に起きて6時に羽田空港に集合。目的地はなんと、北海道の函館である。いやー、ワクワクしますな。
函館を訪れるのは3年半ぶり、3回目である(→2008.9.15/2008.9.16/2010.8.12/2010.8.13)。
実はどこへ旅行に行くかはけっこう最近まで決まらなくて、九州で温泉とか南紀で温泉とか、いろんなアイデアが出た。
僕はどこでもうれしいのでニコニコついていくだけです。で、まあ結局は温泉もあるし海産物もあるしで函館に決定。
飛行機に乗って爆睡すると、すぐに函館空港に到着。2時間で北海道に着いちゃう飛行機ってのは本当に便利だ。
函館空港からはレンタカーで移動する。主任の先生が運転してくださるということで、僕は助手席でナビ操作。まずはとにかくメシを食いたいので、函館朝市に直行する。海鮮丼で北の恵みを満喫しようというわけだ。
3連休の中日ということもあって、朝市は観光客でいっぱい。店先のカニやら何やらを眺めながら歩いていき、
テキトーなところで店に入って丼をいただく。ウニ・カニ・イクラの三色丼で、当然おいしゅうございました。
その後もあちこちブラついたのだが、函館朝市の建物は来月リニューアルオープンをするそうで、仮店舗が営業中。
リニューアル後はどんな繁盛具合になるのか気になるところだ。さらに活気づくといいですな。
L: 函館朝市は今日も繁盛している。デカいカニが脚をワラワラ動かしている光景はさすがに圧巻なのであった。
C: 仮店舗で営業中の様子。これぐらいのバラック感がちょうどいい。 R: リニューアルオープンを待つ新店舗。朝ご飯に満足した次は、やはり函館といえば五稜郭だ!ということで五稜郭へと向かう。
公共交通機関だとちょっと面倒くさい五稜郭も、レンタカーだとすぐなのだ。駐車場が少し面倒くさいけど。
まずはタワーにのぼって上から五稜郭を拝見なのだ。雪で白く染まった五稜郭も、それはそれで雰囲気抜群。
反対側はこれまた見事な函館山。陸繋島とそこへ至るまでの市街地が織りなす光景は、やはり見応え十分である。
L: 白い五稜郭。青々とした五稜郭も美しかったが(→2008.9.15)、これはこれで風情があっていいですなあ。
C: 市街地の向こうに箱館山。 R: タワー内にあった五稜郭の模型。箱館奉行所の全容が再現されている。全員で実際に箱館奉行所の前まで行ってみた。が、皆さん急に面倒くさくなって中には入らず。まあ再建だし。
最初に函館を訪れたときには工事中だった奉行所の再建が完了したのは、個人的にはけっこう感慨深かったけどね。箱館奉行所。2010年再建完了。
函館の市街地から離れた観光地に行ってみよう、という話になり、次に向かったのは大沼公園。
何があるかと訊かれれば特にこれといって思いつかないのだが、名前は聞いたことがあるので行ってみたって感じ。
途中で僕は完全に寝っこけてしまい、気づいたら大沼公園駅のちょっと先の駐車場に到着していたのであった。
単線の函館本線の脇で、白鳥と鴨の群れを眺めて一丁あがりなのであった。レンタカーって便利だね。
L: 大沼公園の小沼の方です。 R: 白鳥がいっぱい。鴨もいっぱい。皆さん白鳥を見て気が済んだみたい。ちなみに後で調べたところ、大沼公園の名物は「大沼だんご」らしい。気づかず買わなかったことを後悔したとさ。
いいかげん腹が減ったのでメシを食うことに。北海道といえばスープカレーだな!ということで市街地に戻り、
スープカレーの人気店に入る。いちおう僕はスープカレーの経験者ということで(→2010.8.8)、
どう食べればいいの?と、慣れない皆様にアドヴァイスを求められる。結局は食い方は自由なのだが、
僕はライスをスープに浸す派なので、そっちでいかがでしょうと回答。イマイチ自信が持てないんだよね。
皆さんはなるほど面白い、と大満足でよかったよかった。マジメな話、スープカレーは優れた発明だと思う。その後はリクエストにより、修道院に行ってみようということになる。が、北海道には修道院が2つあるのだ。
名前も「トラピスト」と「トラピスチヌ」で、非常に紛らわしい。とりあえず観光地として充実しているのはどちらか、
スマホを使って調べてみたところ、「トラピスト」の方が男の修道院で、「トラピスチヌ」の方が女の修道院と判明。
結局、じゃあ今日は近い方の「トラピスチヌ」に行ってみよう!という結論に落ち着いたのであった。例によって起きたら駐車場に着いていた。トラピスチヌ修道院は函館空港のちょい北にあるのだ。
レンタカーってのは自由な順番にどこにでも行けるもんだなあ、とその便利さになんだか悔しくなってしまう。
トラピスチヌ修道院の入口をくぐると、そこは絵に描いたような西洋っぽい庭園空間となっているのであった。
皆さんはその「それらしい雰囲気」にけっこう感動していた。建物などは比較的新しいものがほとんどな感触。
通路をそのまま進んでいくと、途中に19世紀半ばのフランスで起きた奇跡「ルルドの泉」を再現した箇所があった。
それより奥には聖堂やら司祭館やらがあるのだが、観光客はその手前でストップ。引き返して売店へ行ってみる。売店にはシスターの皆さんがつくったクッキーやら編み物やらさまざまな製品が置かれている。けっこう種類が豊富だ。
資料館も併設されていて、そこで説明を見てようやくトラピスチヌ修道院の実態がわかって、みんなで驚愕した。
トラピスチヌ修道院は厳律シトー会の修道院で、これが猛烈に厳しい規律に従って暮らしているのである。
まさに一生を神に捧げて働き続けるという世界で、どういう環境で育ったら中に入ろうって気になるんだろう……、
そんな具合に絶句してしまったのであった。なんというか、世界は広い! 価値観いろいろ!と思うしかない。
L: トラピスチヌ修道院の入口。 C: くぐるとこんな感じの空間。奥にある聖堂・司祭館までは行くことができない。
R: ルルドの泉。フランス・ピレネー地方の少女が聖母マリアを見た、という奇跡を再現している一角である。そのまま湯の川温泉にある本日の宿に入る。立派だし部屋は広いしで、オトナの旅行って素敵!と思ったとさ。
部屋の中では1時間ほど仮眠をとる。あれだけ車内で寝といてまだ寝るとは、ふだんどんだけ睡眠不足なんだか。17時、ロビーへ移動。函館の夜景を見るツアーに申し込んでいたのだ。函館に来たからには、やはり夜景を見なければ。
しばらく待ったらバスが来たので、みんなで乗り込む。昨日の函館は大荒れの天気で、ロープウェイは運休したそうだ。
ただでさえ3連休の中日なのに、昨日の夜景を回避した皆さんが集まってきているとのことで、夜景ツアーは大盛況。
ロープウェイも15分待ちで行列ができていた。120人乗りのゴンドラで一気に大量輸送するものの(→2008.9.15)、
さすがにそれでもどうにもならないくらいの人気ぶりだった。まあ、日本三大夜景だから納得するしかないのだ。展望台に到着すると、案の定最上階の4階は何層もの人垣ができていて、とても落ち着いて見られない状況である。
それでも一段下がって3階からだと、みんなで交互に見るだけの余裕があった。みんなカメラを構えて激写、激写。
夕暮れの青い空がだんだんと彩度を落としていくさまをじっくりと味わうことができたのは、とてもすばらしかった。
夜景なんてそこまで大したことないんじゃないの、と高をくくっていたという先生も、さすがに感動していた。
東京のべったりとした夜景と違い、函館はやはりその独特な地形が浮かび上がって見える。それがたまらないのね。
L: 夕暮れの中の函館。この夜景の始まりの時間ってのは初めて味わう。やっぱりいいもんですね。
R: 30分ほどで日は落ちてこのような光景に。いいものは何度見てもいいよね。しかし感動している間にも展望台の中はどんどん観光客が押し寄せてきて、帰りのロープウェイは30分待ち。
土産物売り場を突っ切る動線などもうメチャクチャ。最終的には45分待ちぐらいにまでなったらしいし。
まあそれでも文句を言うことなく素直な気持ちで帰ることができたのは、夜景にそれだけの価値を見出せたからだ。宿に戻って晩ご飯。たいへんおいしゅうございました。がんばって函館まで来た甲斐があったねーなんて言いつつ、
北海道限定のサッポロクラシックなんていただいちゃっていい気分。そして温泉に入ってまたいい気分。
教員の旅行というと飲みたい人がひたすら飲んだくれるというパターンが容易に想像できるのだが(他業種もか)、
皆さん好奇心旺盛な方ばかりなので、酒はほどほど、いろいろ見たい!という大変ありがたい旅行となった。
ここ最近はネガティヴになることもあったけど、今日はこんなに楽しくていいんか!と感動させていただきました。
やはりこれはチェックしておかないと!ということで、国立近代美術館の「あなたの肖像―工藤哲巳回顧展」に行く。
工藤哲巳はハイレッド・センター(→2014.3.8)やら篠原有司男やらといった面々と同世代の芸術家で、
「反芸術」はもともと、彼の作品を評した言葉だ。その後、「反芸術」は1960年代の美術の流れを指す用語となる。
しかし工藤はパリへ移り、それらの現代美術運動とは一線を画した活動をする。藝大教授になった後、1990年に死去。
僕は反芸術のバカバカしさが大好きだし、東京都現代美術館に作品があったので彼の名前は知っていたのだが、
Wikipediaには工藤哲巳の記事がなくって驚いた。国内での知名度はその程度ってことなのか。よくわからない。
坊主頭の彼が目を閉じたところに「KUDO」と書かれているポスターを見かけた記憶があって、それを見た僕は、
「なるほど、これくらい単純な名字の方が海外ではウケるんかな。MATSUSHIMAとか絶対無理だわな」と思ったもんだ。展示はまず、工藤が世間にかなりの衝撃を与えたという「インポ哲学」で幕を開ける。いきなりインポである。
さらに一部屋使って読売アンパンの「インポ分布図とその飽和部分に於ける保護ドームの発生」が完全再現されている。
男根状の物体がぶら下がったり壁に引っ付いたりしている中にコッペパンが混じっていて、思わず爆笑してしまった。しかし渡仏後はさらに挑戦的になり、トレードマークのサイコロを使いながら、身体や顔のパーツをクローズアップ。
また、電子回路にヒントを得ながら放射能や環境汚染をテーマにするなど、攻撃的な作品づくりの傾向が顕著になる。
それはウジェーヌ=イヨネスコの顔を使った作品で頂点を迎える。完全に個人攻撃の様相で、見ていて気分が悪くなる。
工藤としては異邦人・異人種の立場から、欧米由来の文明が生み出す価値観に疑問を投げかけたかったのだろうが、
いかんせんその手法がグロテスクあるいは直接的な攻撃によるものが中心で、どうにも不快な印象が先に立つのである。
言いたいことはわかるし技術もすばらしいんだけど、偏執的というか。あまり関わり合いになりたくないタイプに思える。その後、工藤は「ヨーロッパ人をいじめるのに飽きた」そうで、内省的な作風へと変化していく。鳥かごを使った作品だ。
最初はイヨネスコの顔を鳥かごの中に入れていたのだが、現美にある「遺伝染色体の雨の中で啓示を待つ」のように、
鳥かごの中に入るのはむしろ工藤本人といった形へと変わっていく。そこからさらに作風は変化し、糸を使って模様を描き、
抽象的なオブジェを制作していくようになる。展示内容は膨大だが、ひとりの芸術家の軌跡がはっきりわかる内容で、
工藤本人の面倒くさそうな性格はともかくとして、ライフヒストリーを克明に描いた展覧会として興味深く見られた。
というわけで、僕としては工藤哲巳という芸術家の特性はよくわかったし、好きになれない部分もきちんと認識できたし、
人間が歳をとってそれなりに丸くなっていくさまも概観することができて、いろいろ学ぶことができたと思っている。だいぶ体力を消費してしまったが、せっかくなので常設展の方も見ていく。国立「近代」美術館ということでか、
以前に比べて「時代」を強く意識させる展示になっていたように思う。杉浦非水の作品を多く展示していたのも印象的だ。
そのためか、純粋な美術館というよりは少し博物館的な感触がするようになった。世間の評価が知りたいところだ。
あとは奈良美智の絵を買って浮かれているのが非常に残念。あんなものを評価しちゃいけないよ。ところで国立近代美術館に来るのは二度目なのだが(→2011.1.30)、2002年に改修されていたとは知らなかった。
それ以前の谷口吉郎が設計した当時のスキップフロアの館内写真があったのだが、その見事さにはとことんたまげた。
なんでオレは改修前に訪れなかったんだ!と今ごろ激しく後悔。意地でもスキップフロアを残してほしかった……。
本日は卒業式なのであった。あっという間の一年間も、ついにこれで一段落である。
6月の夏季大会の頃などを考えると一年間の長さをきちんと実感できるんだけど、授業と部活に追われている間に、
気づけばもうここまで来てしまった、そんな感覚になる。長かったものを短く感じるのは悔しいものである。今年の卒業生たちはサッカー部員が多かったこともあって、どうしてもサッカーを通しての思い出ばっかりだ。
僕の感覚だとやはり、一年間だけの付き合いというのは、無条件の信頼関係をつくるには短いのである。
ゆえにどこかウェットにならずに卒業を受け止めているところがあって、そこがまたちょっと申し訳ない。
彼らにとって僕の存在は時間的な比率でいえば1/15だったわけだが、それが今後の彼らの人生において、
1/15以上のインパクトを与えているように願いたいものだ。僕にとっては……うーん、どうなんでしょうね。◇
午後には部活をやっちゃうのである。卒業式だけどあいにくの雨だったので、グラウンドは使えず。
いつもならバスケ部がほぼ年中無休の勢いで活動しているのだが、さすがに今日はお休みということで、
われわれサッカー部が体育館を占領してしまったのであった。クリミア状態とか言ってみたりして。すいません。というわけで、本日のサッカー部は体育館でバスケットボールなのである。
サッカーとバスケットボールには共通する動きも多く、それはそれでけっこう参考になるのだ。
そしたら僕もろくすっぽ準備運動をしないままで一緒にバスケをやることに。中学生相手にそれって大変なのに!
しかし実は中学・高校と体育の授業のバスケはきちんとやっていたので、そんなに苦労することなくプレー。
こちとら高校時代にはインターセプトの鬼と呼ばれていたもんよ。頭を使って守備をやるのは得意だったのね。
途中からは「敵を四角(昔は台形だった)の中に入れない!」とか「スクリーンアウトでリバウンドを取る!」とか、
それっぽい指示も出したりなんかして。リバウンドでコーチに競り勝ったのはちょっとうれしかったねえ。
というわけで、バスケについては箸にも棒にもかからないレヴェルではないことが判明してよかったよかった。
でもさすがにきちんと準備運動をしなかったせいで足が攣った。ふだんからもっとしっかり運動しなきゃ。
本日は会議だったのだが、状況は少し変化をしつつあるように感じる。僕のやるべきことは、とにかく証拠を集めることだ。
集めて集めて集めまくって、きちんと整理する。日常の方では今よりもっと賢く仕事をしていくこと。それをやるしかない。
本日は上京してきたリョーシさんに人生相談なのだ。リョーシさんは当日記の顧問弁護士ということで(勝手に決めた)、
専門的な見地から僕の現状についての正しい認識と今後とるべき対策をご教授願おうというわけなのだ。
こちらにも出張が入っていたので、有楽町で合流。予定していたよりも遅れることになってしまって申し訳なかった。
どこで話すか多少迷った末、おいしくビールをいただきながらだと気分もよくなるだろうってことで近くのビアホールへ。実は今日、新しい書類が出て、昨日までの有無を言わせないような状況が少し変化してきた。
それも含めて話をしていく。みやもり・ニシマッキーのアドヴァイスを受けて、個人的な部分と集団の部分とを分けて話す。
リョーシさんの見解はだいたいふたりと同じ。個人的な部分は現状では難しいので今後を賢くふるまっていくしかない。
集団的な部分に関しても、周囲と連絡をとりつつ証拠を固めていくことが重要とのこと。まあそりゃそうか、と思う。
ただ、リョーシさん的な仕事のつながりもなくはないとのことで、僕としては資料をしっかり集めてきちんと整理しつつ、
しかるべきタイミングを待つということになる感じ。おとといもアドヴァイスをバッチリもらって、焦る気はもうなくなっているので、
あとは冷静にやっていくしかないわなあ、という結論になるのであった。それを再確認できたのは非常にありがたい。残念ながらえんだうさんの到着はリョーシさんの撤退間際になってしまい、城跡がアツい、という話を軽くしたくらい。
いやーオレ、クイズ研究会に入ってよかったわーと心の底から思いつつ、近いうちの再会を約束してリョーシさんを見送る。
で、えんだうさんとはPRONTOでひたすらサッカートーク(夜のPRONTOって、実に的確にニッチを埋める存在だな!)。
2時間近く日本サッカーの現状について話したのだが、その間ほぼずっとポジティヴな内容だけを話し続けたのであった。
褒めるところだらけってことだから、これはけっこうすばらしいことだと思うのだ。おかげで僕もえんだうさんも超上機嫌。
J1にはフォルランがいる、J2は岐阜が面白い、J3はついに始まったし、今年ほどポジティヴな年はないよなあ!てな具合。
われわれは単純にサッカーの競技それ自体だけでなく、地域振興が絡んでいるからこそ面白く感じているのである。
日本全体で、着実に街とサッカーの関係を楽しむ要素が増えていることを喜んでいるのだ。もう大盛り上がりでしたよ。というわけで、今日も参考になる話、ポジティヴになれる話を聞かせてくれてありがとうございました。オレこれでがんばれる。
昨日の各種アドヴァイスとガス抜きのおかげで、今日はだいぶポジティヴな気分で過ごすことができた。
気持ちが萎えると悪循環のサイクルにどんどん引き込まれてしまうものだが、うまく回避するきっかけがつかめた感じ。
迎撃と言ったら変だが、カウンターを狙うだけの心理的な余裕ができたことは大きい。やはり人間、余裕がないといかん。
メールと掲示板で緊急招集をかけたところ、さすがに皆さんビシッと集まってくれた。ありがたやありがたや。
まあさすがに、僕が「人生でも屈指のピンチだ! 酒を飲もう!」なんて呼びかけたことなんて今までなかったので、
そのあまりの異常さに皆さん反応するしかなかったんだろうねえ。本当に、持つべきものは友であります。ピンチのあれやこれやは夕方からの飲み会で語るとして、せっかくだから昼間に何かしようぜ、となる。
しかしなかなかいいアイデアが出なくって、けっこう前夜の遅い時間までノープラン状態だったのだが、
みやもり嫁であるマユミさんから「谷根千を歩こう」という提案をいただいて即決。日暮里駅に集合なのだ。谷根千も日暮里も、きちんと訪れるのは僕は初めてなのである。なんだかすごく新鮮な気持ちで改札をくぐるが、
残念なことに11日以来の怒りやらストレスやらが複雑に交錯していて、その新鮮さを素直に味わえないのが切ない。
ともかく重苦しい感じを抱えながらニシマッキーと合流。みやもり夫妻は10分ほど遅刻しての登場ということで、
「お前らがガイドブックを買えよ」と言ったらすでに持っていたのであった。やる気まんまんでございますね。日暮里駅の西口から出るとそこは陸橋の上で、道は右へとカーヴしながら上り坂となっている。「御殿坂」という。
すでにこの段階で観光客とみられる人々がパラパラと歩いており、谷根千人気を実感させられるのだった。
坂道の途中は住宅と個人商店が調和した一角となっていた。なるほど、これは確かに懐かしい感触である。
途中には寺もいくつかあり、それもまた古き良き昭和の時代を思い起こさせる。今までノーマークだったのが恥ずかしい。
やがて坂を上りきると、道はけっこうな人口密度となり、事実上の歩行者天国状態になっていた。いいのかなあ。
こんなに人気があるもんなんだ、と呆れながら進んでいくと、今度は下り坂。坂の先は人で埋め尽くされている。
いやー、無知とは恐ろしい。谷根千は東京の観光名所としてバッチリ定着していることを思い知らされたわ。
L: 日暮里駅から御殿坂をちょっと行くと、昔ながらの個人商店が並ぶ一角に出る。まあまだこれは序章だったんだけど。
C: 御殿坂を上りきった辺り。事実上の歩行者天国となっており、古き良き昭和の東京といった雰囲気を感じさせる。
R: 「夕やけだんだん」から見下ろす谷中銀座。ものすごい人口密度となっており、みんな思わずうなってしまった。さて、谷中といえば猫、らしい。谷中銀座には猫関連のグッズがあちこちで売られており、それが目玉であるようだ。
僕らが行ったのは日曜日の午後で猛烈な混み方をしていたからか、商店街で本物の猫は1匹たりとも見かけなかった。
でも「聖地」のような扱いを目指すことで猫好きをうまく取り込む工夫がなされており、その戦略には感心させられた。
マユミさんはさっそく猫グッズの専門店に入り、われわれも店内を興味深く見学。「なめ猫ないの~?」とか言いつつ。
でもぶっちゃけ、猫ってのはキャラクター化されたものより本物の方がかわいいよね(→2008.2.2/2012.2.24)。
まあいちばんショックだったのは、段ボール箱の上にある皿にコインを置くと、箱の中から猫が出てきてコインを取り、
そのまま引っ込む貯金箱があったことだな。僕とニシマッキーはトラウマでガクガク震えてしまったよ(→2010.10.10)。御殿坂から谷中銀座へ入る道は、見事な石段となっている。だから車が入らず歩行者が余裕を持って観光できる、
魅力的な商店街となっているのだ。なるほど、こういう事例はなかなか見かけない。それだけでドラマチックな存在感だ。
しかし残念なことに、この石段には「夕やけだんだん」という、信じられないくらいダサい名称がついているようだ。
地元住民は反対しなかったのか? 土地の歴史、石段が成立した経緯や不思議さを一切無視した、愚かな名称である。夕やけだんだんを下りると谷中銀座へと入る。商店街の幅は適度に狭く、人がいるだけで賑わいを感じさせるレヴェルだ。
どの店も元気に営業しており、商店街は純粋に各種商店の連なりとして機能している。これは見事なものだ、と感心する。
特に目立つのは土産物屋と揚げ物系の店。食べ歩きしながら土産物を買う楽しみに関しては最強クラスの充実ぶりだ。
その特徴が、僕にはなんとなくだが、伊勢のおはらい町(→2012.3.31)が重なって見えた。街の姿や形はぜんぜん違うが、
食べ歩きと土産物という組み合わせは共通している。そういう観光商店街のたくましい本質が強く感じられる場所だった。
L: トラウマ全開! 僕とニシマッキーには小歩危駅のシュレーディンガーはいまだに思い出したくない事件なのだ。
C: 谷中銀座を行く。狭い道いっぱいに観光客が詰まっている。食べ歩きと土産物に非常に強い商店街である。
R: 谷中銀座の突き当たりは、よみせ通り。左は文京区千駄木、右は台東区谷中で、両者の境界線でもある。谷中銀座の雰囲気はやはり東京の街としては特殊であり、これは勉強になったわ、と思いつつ歩いていく。
突き当たりは、よみせ通り。小さい店舗が密集していた谷中銀座の後ではどうしても迫力不足に感じてしまうが、
飲食店などが穏やかな密度で点在しており適度な生活感が漂う。一本西側の不忍通りとはずいぶん雰囲気が異なる。
道灌山通りに出ると、左折して不忍通りを南下。そういえば自転車で走ったことあったな(→2006.5.6)、と思い出す。
そうだ、会社員時代に上野から池袋の辺りまで走った。でもそのときだけで、この辺りにはまったく馴染みがない。
まだまだ僕は東京を知らなすぎるなあ、とガイドマップ片手に痛感しながら歩く。気づけば千駄木のエリアだ。千駄木の不忍通りはマンションが多いからか、日陰っぽい印象があるなあ。
不忍通りの西側にまでは足を伸ばさなかったため、きちんと千駄木を味わったとは言えないだろうと思うのだが、
千駄木は基本的に住宅地であり、観光するにはやや魅力に欠けるかな、という印象。谷中のついで、って感じ。
せっかくなので、千駄木駅のある団子坂下からもう一度東に入って三崎(さんさき)坂を少し上ってみたのだが、
やはり谷中銀座の強烈な引力と比べてしまうと、店の密度が低すぎてイマイチ。谷中霊園へのアクセスルート、
それ以上のものは見出せなかったのであった。でもまあさすがに寺町・谷中だけあって、右も左も寺がいっぱい。
気になったのは寺が日蓮宗ばっかりだった点。われわれ、そんなところばっかり見て歩いているわけです。三崎坂を引き返して再び不忍通りまで出る。まあ僕の「根津神社までは行こうか」という提案によるのだが。
一口に「谷根千」と言っても、さすがに3つの区域をひとまとめにしているので、実際に歩くとけっこう広い。
とはいえ別に急ぐ必要もないので、のんびりとダベりながら南へと歩いていく。そうして千駄木2丁目の三叉路へ。
案内に従ってそのまま西へ歩いて、北口から根津神社に入る。北からなので、まずは乙女稲荷神社から参拝。
僕としては「乙女」ってことで、それはもう全力で参拝せざるをえない立場なのである。いろいろ大変なのよ。
五円玉を9枚用意して「始終御縁がありますように!」と二礼二拍手一礼。皆さんはあたたかく見守ってくれたとさ。
L: 根津神社、北参道入口。 C: 乙女稲荷神社の鳥居群。右にあるのは第6代将軍・徳川家宣の胎盤を納めた胞衣塚。
R: つつじ苑。根津神社はツツジの名所として知られている。これが白やピンクに色づいたら、そりゃあ見事だろうなあ。根津神社に来るのは2回目なのだが(→2006.5.6)、前に来たときも結婚式をやっていた気がする。
記念撮影の皆さんが撤退するのを見計らって写真を撮影したり参拝したり。さすがは重要文化財らしい迫力で、
朱塗りとところどころに施された金色とが、いかにも徳川家光っぽい価値観に思える(→2008.12.14/2010.12.26)。
が、この社殿を建てたのは徳川綱吉。根津神社は綱吉が家宣を養子に迎えたのをきっかけに、現在地に移ったのだ。
社殿が完成したのは1706(宝永3)年のこと。それがそのまま残っているところに、谷根千の歴史の古さがうかがえる。
L: 楼門。 C: 進むと唐門。 R: その先に拝殿。権現造なので拝殿・幣殿・本殿は一体化している。帰りは南側の表参道から出る。そのまま不忍通りを横断し、あかじ(あかぢ)坂を上っていく。辺りは完全な住宅地だが、
店もなくはない。ただ、全般的に敷居が高いというか入りづらいというか、あからさまに面倒くさそうな店ばかり。
マユミさんが「コワイコワイコワイ」と言うので、もうちょっとガマンして歩いてみましょうか、となる。あかじ坂の途中では、いきなり謎のコスプレ軍団が登場して驚いた。貸スペースになっている住宅もあるようだ。
そして坂を上りきる直前、ふらっと猫が現れた。首輪はしていなかったのだが、妙に人間に慣れており、
われわれが近づいても逃げるどころかリラックスして寝転がってみせるくらい。猫派のマユミさんは大興奮。
期せずして本物の猫とコミュニケーションをとることができ、みんな大いに満足して過ごすのであった。
L: あかじ(あかぢ)坂。面倒くさそうな店がチラホラ。名の由来は、破綻した銀行の頭取が地主だったからとか、赤土だったからとか。
C: リアル猫が登場! 逃げるどころか、目の前でこんな具合に寝っ転がってみせるのであった。マユミさん大興奮。 R: ウニャーあかじ坂の上は谷中のだいたい南端になる。けっこう歩いたのだが、われわれはまた谷中に戻ってきたのだ。
突き当たりの丁字路を右に曲がると、思わず「おおっ!」と声が漏れてしまう。テレビで見た光景が目の前に現れる。
『あまちゃん』(→2014.1.14)でアキが暮らしていた谷中寮、まさにそのまま。さすがに反応してしまうではないか。
そしたらみやもりが「びゅくさんは聖地巡礼しているんでしょ?」とか、またテキトーなことを言いだすのであった。
聖地巡礼とかやってねえよ! ……まだ。まあ、暇がありゃ、岩手の方とか行っちゃうかもしれないけどな!
L: 谷中寮(まごころ第2女子寮)だ! 実際は、和時計を集めている「大名時計博物館」。入館料は300円。
C: この出入口! これまたドラマに出てきた光景そのままだ(当たり前だけど)。アキが出入りしとったのう。
R: こちらが大名時計博物館の入口。もともとは美作勝山藩の下屋敷だった場所。確かに庭は少しそれっぽい。せっかくなので、大名時計博物館の中に入ってみる。陶芸家・上口愚朗による私設の博物館ということで、
まあ正直なところ展示はクセがなくもないのだが、芸術品と言える和時計をこれだけじっくりと見るのは初めて。
おかげでそれなりに興奮しつつ堪能することができた。実際に動いているやつもさりげなく置いてあって驚いた。
しかし和時計こそ、最も日本人らしい発明品であると思うのは僕だけだろうか。西洋の技術を応用しつつも、
日の出・日の入りを基準にした不定時法に対応させてしまうその器用さ、緻密さは、まさに日本人ならではのものだ。
(その究極はやはり、ぜんぶ自動的にやっちゃう田中久重の万年自鳴鐘(→2010.9.4)だろう。凄すぎるわ。)
大名時計とは「大名クラスでないと所有できない時計」という意味合いとのことだが、確かに時計としての機能のほか、
植物をモチーフにした緻密な彫刻など、凝りに凝った要素が満載。日本人のデザインセンスもまた堪能できた。その後は谷中のまさに寺町らしい部分、ひたすら寺ばっかりが続く中を抜けていく。やっぱりなぜか日蓮宗が多い。
それにしても谷中の寺町エリアは、あまりに寺の広々とした感覚が連続しているので、そんなに東京らしさを感じない。
どこか地方都市を歩いているような、そういう気分になってくる。東京ってのは本当に奥が深いもんだと呆れるのであった。いいかげんどっかカフェ的なところで休もうぜ、ということになり、ガイドブックにあったオーギョーチ(愛玉子)の店に突撃。
外観はいい感じに古びた定食屋そのものなのでマユミさんはだいぶビビっていたが、好奇心が勝った格好である。
店内もやっぱり中華定食屋の雰囲気だったが、メニューはかなり多彩で、けっこう真剣に迷ってしまったではないか。
結局、シンプルにオーギョーチとアーモンド(杏仁)ドリンクのセットにした。食欲が安定しなくて昼飯食ってなかったんで。
そんなわけで人生初オーギョーチである。バーミヤンでも食ったことがなく、非常にワクワクしながらいただいたのだが、
シンプルなレモンシロップだけだとちょっと飽きるね。まあそれだけの量があったということだが。ゼリーとしての食感は、
硬すぎず軟らかすぎずちょうどいい。夏に氷入りで食ったら絶対に最高だ!と思った。いつか本場の台湾で食いたいね。
L: 谷中のシンボルであるというヒマラヤ杉。なるほど、これは絶妙な位置に植わっている。ここも昭和の風情が残る一角。
C: オーギョーチをいただく。異文化の食い物は面白い。黒蜜・アンコ・アイスクリームを入れたチークリームアンミツも食いたかった。
R: 旧吉田屋酒店。1910(明治43)年築の建物を移築保存している。もうちょっといろいろ活用できそうな気もするが。最後は上野桜木を突き抜けて東京藝術大学へ。われわれ、特にゲーダイがどうこうというわけではないのだが、
これは特殊な世界だよなあと思いつつ美術館周辺をプラプラ。その後は上野公園経由で上野駅前に出る。
今年の桜の開花は例年より遅いとのことだが、上野公園はすでに花見に向けて準備がバッチリ整っていた。すっかり臨戦態勢になっております。
飲むにはちょっと早いがほかにやることもないので、居酒屋に入ってさっそく人生相談。今日の本来の目的なそれなのね。
まずは僕が状況を説明し、それをみやもりとニシマッキーに整理してもらう。で、客観的な意見やら感想やらを聞く。
まとめると、「とにかくガマンして賢くふるまって、相手の失策を待つ」ことに尽きるようだ。納得したので、まあがんばる。
方向性が固まったところで、続いて愚痴モードに入らせてもらう。とにかく不満を吐き出すことで解消するしかないので。
どれだけ無茶な注文を押し付けられているかをただただ語る。アドヴァイスが聞けたし愚痴を聞いてもらったしで、
両方できたおかげで店を出るときには非常にすっきりとした状態になることができた。やはり、持つべきものは友なのだ。20時を過ぎてマサルがようやく合流。とにかくやたらと腹が減っているようで、飲むだけでなくしっかり食えそうな店に入る。
最近のマサルは将棋の電王戦(プロ棋士とプログラムが戦うやつね)に夢中。僕もそこそこの興味は持っているけど、
マサルのハマり方は尋常ではなく、昨日もニコファーレへ観戦に行ったとか。各種ガイドブックも持参しているんでやんの。
将棋がまったくできないのにそこまでハマることができるってのが凄い。浦和レッズの無観客試合の話題になると、
「こっちの無観客試合も面白いよ!」と電王戦の話題に戻そうと画策。まあ確かに面白いのはわかるけどな。
そんな具合に佐村河内問題やらSTAP細胞問題やら、最近の定番であろう飲み会トークを繰り広げるわれわれであった。というわけで、大変参考になる話を聞かせてもらえてありがとうございました。おかげで翌日からかなり体調が回復したよ!
今週はまるっきり冷静さを欠いてしまう事態が発生したせいで、授業と部活をギリギリどうにかこなしているだけで、
それ以外の仕事がぜんぜんできていない。でも生徒がしっかり動いてくれたので、きちんと球技大会ができた。
もう、生徒と学年の先生方には土下座してもし足りないくらい申し訳ない。周りの皆さんに救われて生きております……。◇
午後は卒業を祝う会。母ちゃんたちとしゃべらなくちゃいけないなんて、僕にとっては拷問そのもののイヴェントである。
しかしそこはオトナとしてがんばるしかないのだ。悲壮な(すいません)決意を固めて、いざ会場へと向かったのであった。
でも座った席は尊敬すべきベテラン先生のすぐ近くで、おかげでその先生のさまざまなエピソードが話題の中心に。
これがまた凄くって、じっくりきちんと聞けたのは本当によかったと思う。もうそれだけで参加してよかった。めでたしめでたし。
fox capture plan『BRIDGE』。昨年末に出たものを今ごろようやくチェックするという情報弱者ぶりである。
1曲目のイントロを聴いて、「ん?」となる。前に似た雰囲気の曲があったじゃん、と。
2曲目なんかもっとはっきりしていて、前の曲をちょっと別の音階に変えただけじゃん!というフレーズで始まる。
もともとがミニマルなリフから曲を組み立てていくスタイルなので(→2013.10.30)、ワンパターンがいちばん怖い。
リフのパターンをどんどん開拓していかないと、同じような曲ばっかりの末期服部克久状態に陥ってしまうだろう。
全体的にはサビなどで変化をつけているのできれいにまとまってはいるが、やや限界を感じさせるアルバムとなった印象。
キラーチューンの比率が落ちている点も気になる。まあ今までその比率が高すぎたから、そう感じるだけかもしれないが。
これまでが「超」が付くほどの快調ぶりだっただけに、なんだかちょっと心配である。勝手に心配してすみません。
冷静になっているつもりでも、食欲と睡眠がイマイチ安定しない状態である。人間ってのは弱いもんだと思う。
日記を書く気にもなれないで、とにかく思考実験を繰り返している。テーマは現状の正しい認識と今後の方針。
でも僕には自分を客観視する能力がまったく欠けているので、その辺をこの週末に教えてもらうつもりでいる。
相手はこっちの動向を気にしているようなので、当面は「読めない動き」で向こうのペースをかき乱したい。
ちなみに本日、ICレコーダーを買ったのだが、その目的は相手の言質をとるだけでなく、僕の感情の抑止でもある。
ありがたいことに具体的な話を聞くことができた。客観的な意見も聞かせてもらって、本当に参考になった。
それにしても各種エピソードを聞いていくと、本当に気持ちが悪い。こんな気持ちの悪いものを相手にするなんて。
結論としては、これはものすごく難しい戦いになるということ。勝ち目は非常に薄いし、勝ってもメリットがまったくない。
状況は本当に絶望的だ。よくぞここまで、と思わず笑ってしまったほどに、相手に有利な条件だけが取り囲んでいる。
とはいえ僕にとっては、自分の尊厳の問題。「座して死を待つ」のは好きじゃない。やらなきゃ、やられる。やるしかない。話を聞いていく中で、ポイントが自分にあるということがわかった。どれだけオトナ、いや大人になれるか。そこが勝負なのだ。
僕は、賢く変わらなければならない。賢く変わることを報酬と受け止めるよりほかにない。そうすりゃ大人に近づけるだろう。
この一年間は非常に厳しいことになるだろうけど、僕の自信と余裕が試されている。そう思って、やられる前にやるしかない。
東日本大震災から3年が経った。この一年間は、本当に進展の感じられない一年間だったように思う。
それは僕らの感覚が鈍ってきているということだと思うし、現実に復興が進展していないんじゃないかとも思う。
このままただ時が流れていき、うやむやのうちにゆっくりと事態が変化したりしなかったり、そうなっていく予感がある。なんとかして今年は、「被災地」の街を訪れたいと考えている。傷跡と癒えた部分を見つめる旅をしたい。
今を生きている人々のつくりだしている現実に触れるところから、自分の想像力を正しくはたらかせていきたい。
それが被災地のためになるとはまったく思っていないけど、大切な何かを学べるはずだと確信している。◇
あらゆる人々、あらゆる方面への災厄だった東日本大震災が起きた「3月11日」。
この日の日記として書くにはあまりに個人的なことで、本当に気が引けるけど、これは事実なので書いておく。昨日から今日にかけて、僕は、どうしょうもないほどの怒りに襲われた。原因は2つあって、片方は小さなことだ。
小さなことなんだけど、きちんとそれなりに重要なことだ。どうしょうもない失望感が体につきまとって、苦しい。
でも自分にも確かに責任はあるので、事実は事実として受け止める。納得はしないよ。でも、失望を受け止める。もうひとつはとても大きなことで、大袈裟になるけど、これは僕の人間としての尊厳、生きる意味にも関わることだ。
これについてはあまりに怒って、周りの皆さんが本気で心配してしまうほどに取り乱した。時間が経っても収まらない。
涙がこぼれ出しそうなくらい怒った。食欲がまったく湧かないほどに怒り狂ったのは大人になってからは初めてだと思う。
今までこれほどの理不尽な状況に置かれた記憶はない。その理不尽さが許されてしまう今の自分の立ち位置を呪う。
でもそれでは後退するだけだとわかっているから歯を食いしばり、冷静さをまったく失った頭で冷静さを無理して演じる。
なんで35を過ぎてここまで怒りがオーヴァーフローするんだみっともねえ、と思うのだが、とても勢いは止まってくれない。
自分でもどうかしているのをわかりながら怒り狂うのだが、結局、最後の最後までいつもの状態に戻ることはなかった。
誇りを、尊厳を、小さな空間での権力でいとも簡単に否定されることの理不尽さ。それを、とことんまで味わわされた日。
おかげで僕の人生は、一気に難しいものになったと思われる。さすがにここまでの難局は、今までなかったはずだと思う。
どうしてこうも単純なことが、ちょっとしたことが、思いどおりにいかないのか。なぜ僕は裏切りられ続けなければならないのか。
勝ち目はないし、完全な勝ちなど期待できない。でも、やるだけだ。やってやるだけだ。僕は人間として生まれたから、
自分の尊厳を傷つけられて黙っているなんて選択肢はない。状況は最悪だが、絶対に僕は屈しない。やるだけだ。
3年生を送る会。前任校よりも学年ごとの出し物にかなり気合が入っており、生徒たちのエネルギーはかなりのもの。
それがダイレクトに伝わってくる内容で、なんというか、「きみたちは本当に偉いねえ」と言いたくなるのであった。この手の出し物はまさに、「表出と表現の問題」(→2012.3.6)そのものだと思うんだけど、生徒の間に温度差がなくて、
本当にみんなが一生懸命に関わっていたので、「表出」だけの自己満足でぜんぜん「表現」に達していないじゃんとか、
そういうことは今年は感じなかった。むしろ、中学生が自分なりに「表出」できるってことは重要なんだな、と思った。
「さあ、春が来たぞ!」とメインスタンドで誰かが言った。なるほど、春だ。僕はその声に、心から納得した。
よく晴れた朝、日記を書き終えると自転車で環七をのんびりと行く。急いでヘロヘロになりたくはなかったので、
観戦するだけの体力がもつように計算しながら走っていく。しかし久々の自転車での遠出はそれなりにキツくって、
目的地に到着したのは予定より10分遅れくらい。体力が落ちたのか?と内心ドキッとするが、忘れておくことにする。今年最初のサッカー観戦の舞台は、西が丘サッカー場だ。正式名称は「国立スポーツ科学センターサッカー場」だが、
命名権の関係で「味の素フィールド西が丘」と呼ばれている。その略称は「味フィ西」。もうワケがわかりません。
最初、てっきり、東京スタジアム(味スタ)の脇にあるサッカー場で試合をやるのかと思っちゃったくらいだもんね。
で、本日、ここで開催される試合は、AC長野パルセイロ×福島ユナイテッド。そう、今年から始まるJ3リーグの開幕戦だ。
長野パルセイロは現在、南長野(→2012.10.14)をJ規格に改修工事中(あーあ)。それで佐久をホームとしたのだが、
こないだの大雪の影響で佐久での開幕戦開催を断念。結果、東京の西が丘で試合が行われることになったのである。
僕はもともと西が丘に興味があったのだが、申し訳ないながらも棚からぼた餅ということで、意外な形で観戦が実現した。
それで都内ということで、自転車で乗り付けたわけなのだ。自転車で長野パルセイロのホームゲームを観られるとはねえ。もともと1200円の前売券は確保していたのだが、当日券売り場で500円出してメインスタンド観戦券を購入。
今シーズンの長野パルセイロはこのようなスタイルをとっているようだ。なかなか面白い仕組みだと思う。
すでにけっこうな盛況ぶりで、自転車置き場に駐輪できたのがちょっと意外だった。まあ珍しいだろうけどさ。
いざ中に入ってみると、青い空に緑の芝というコントラストに、思わず声が出た。なんとも気持ちのいい空間だ。
雰囲気はどことなく改修前の南長野に似ているように思う。気取らないけどしっかりしている感じがそっくりだ。
メインスタンド前から3列目に陣取ってメシを食っていたら、長野の選手たちが登場して挨拶。めちゃくちゃ近い。
JFLからJ3になっても、このカジュアルな距離感は変わらないのだ。J3リーグ、こういう感じで行くのか、と思う。
L: 西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)。カジュアルにサッカー観戦できる、すばらしいスタジアムという印象。
C: 長野パルセイロの選手たちが登場。近い! 昨シーズンのJFL王者は下馬評どおりにJ3の初代王者になれるのか?
R: 選手の出入りはフィールドの端っこから(それも南長野っぽい)。待ち構えるメディア関係者がいっぱいいて驚いた。さてこの試合は、単なるJ3リーグの開幕戦だけではない、深い意味を持った試合なのである。
2011年3月11日、東日本大震災が発生し、福島県は津波に加えて原発事故によっても多大なダメージを受けた。
その翌日というか深夜には、長野県の栄村でも震度6強の地震が発生して大きな被害が出た(長野県北部地震)。
つまりこの試合は、3年前に発生した2つの地震と、そこからの復興を象徴するクラブ同士の戦いという意味も持つのだ。
キックオフ前には黙祷が行われた。J3のスタートは、サッカーと被災地復興の新たな段階でもあるわけだ。
L: キックオフ前の黙祷。3年前に地震の被害を受けた街のクラブ同士が東京で戦うというのは意味のあることだろう。
C: 試合が始まると長野ペースで進んでいく。福島は全体的に選手の位置が低く、押し込まれ続ける展開となってしまう。
R: 西が丘の試合観戦は楽しい。やはり目の前で選手たちのプレーを細かいところまで見られるのは幸せである。試合が始まると、圧倒的な長野ペースで進んでいく。昨シーズンから長野は美濃部監督が指揮を執っているが、
がっちりと4バックでディフェンスを固めたうえで、長めのボールを前線のスペースに出して走らせるサッカーは、
薩川監督が志向していた前からのプレスとコンビネーションで崩すサッカー(→2011.4.30)とは明らかに違っている。
まあ松本山雅(→2013.8.4)ほどは徹底していないからいいが、中盤より後ろの躍動感があまりないのは残念だ。
そして押し込む長野は前半17分、向から出たスルーパスを今期から加入したFW高橋が受け、ドリブルで持ち込み先制。
つまりは上述の攻撃パターンがハマったわけだが、個の力を頼りにサッカーをやる宣言に思えて、僕にはうれしくなかった。
L: 長野の先制シーン。J3初ゴールはFWのセンス頼みのサッカーによるもの。個人的には残念だった。
R: 喜ぶゴール裏と美濃部監督。勝負強いかもしれないが、美濃部監督のサッカーに僕はあまり魅力を感じないのね。対する福島のサッカーは、足下の技術がかなり高くて、ショートパスで崩そうという意識が明確なスタイルである。
しかしフィジカルに優れる長野のディフェンスをかいくぐるまではいかない。攻め手がなくてDFに戻すプレーを連発。
これは長野が中盤でパスを受ける選手に対してしっかりプレッシャーをかけていることも大きい。守備の判断がいいのだ。
福島の問題点は明らかで、パスをつないでいった先に人がいないこと。つまり、ボールは動くものの人が動かないのだ。
勇気がなくて全体が高いポジションをとろうとしない。だからボール回しがどうしても低い位置になり、攻めきれない。
また、パスを出した後にスペースに走る動きが足りないのだ。ボールと逆のサイドが上がるシーンもまったくなかった。
パターンの決まったサッカーをやる長野と、勇気の足りないサッカーをやる福島。前半ははっきり凡戦で終わった。さてハーフタイム。なんと長野は電光掲示板を使って『信濃の国』を観客たちに歌わせようとした。
これには猛烈に反対したい。長野パルセイロは長野県北部のクラブであって、長野県全体のクラブではない。
(同様に松本山雅も長野県中部のクラブであるから、もし観客に『信濃の国』を歌わせるのであれば、反対だ。)
長野が『信濃の国』を歌うというのは、県内の他クラブに対する敬意を欠いたものであると僕は感じる。
それは長野県特有の事情による感情なのだが、歌うなら信州ダービーに限定するなど、配慮をしてほしい。
まあスタジアムで素直に『信濃の国』を歌っている人はほとんどいなかったけどね。即刻やめてもらいたい。後半の福島は選手を替えて修正してくるが、長野ペースの展開はあまり変わらず。時間が経って尻に火がついたのか、
終盤に福島が長野陣内に入り込むシーンもチラチラと出てきたが、守備陣が落ち着いて対処してゴールを割らせない。
福島は、左SBの堀米と左MFの久野がずっといい動きをしていた。堀米は札幌から来た期待の若手で、技術が高い。
攻めようとするタイミングも面白いのだが、いかんせんボールが来ない。もったいないなあとずっと思いながら見ていた。
久野は甲府時代に注目していた選手で(→2007.12.8/2008.3.23)、福島でプレーすること自体がもったいないと思う。
長野で目立っていたのはやはり宇野沢。とにかく体が強い。そしてMF有永がやたらといいところでボールに触っていた。
L: ハーフタイム、電光掲示板に表示された『信濃の国』の歌詞。これを長野パルセイロがやるのは僭越ではないのか?
C: 今シーズンから長野でプレーする伊東輝悦。もともと清水、昨シーズンまでは甲府。なるほど、本当に山が好きなんだな。
R: 試合終盤、必死の攻めを見せる福島。確かに長野の守備は堅かったが、尻に火がつくのが遅すぎる印象である。結局、1-0のままで試合は終了。僕個人としての感想としては、凡戦だなあ、と。本当にごくふつうの試合。
しかし試合終了後には両チームの選手たちが相手のゴール裏に行って挨拶をするというやりとりがあったし、
両クラブのサポーター同士も互いにエール交換をするなど、J3の歴史の幕開けにふさわしい光景を見ることができた。
この試合は収容人員7,258人のところに4,312人が集まったが、ゴール裏やバックスタンドはかなり観客が入っていた。
が、やはり「+500円」の追加料金はそれなりの抑止力になったようで、メインスタンドにはわりと余裕があった。
なお残念なことに、メインスタンドには横浜にも来た変なやつ(→2013.11.20)や、審判を無神経にヤジるやつなど、
長野のサッカー観戦レヴェルの低さを証明する連中が若干いた。サッカー経験のないおっさんほどそうなるよね。
まあ今日は長野が終始優勢だったから比較的おとなしかったが、いずれなんとかしないといけないだろう。
L: 長野のゴール裏に挨拶する福島ユナイテッドの皆さん。JFLでは珍しくない光景だが、すがすがしくっていい。
C: 長野の選手たちも福島のゴール裏に挨拶。こういう光景が見られることこそ、日本の誇るべき点であると思う。
R: 選手たちがピッチを去った後も、長野と福島の両サポーターはエールを交わす。こういうリーグがずっと続くといい。最後に恒例の儀式である、初めて訪れたスタジアムの一周をやる。よくある地方自治体のスタジアムとは違い、
さすがに規模は小さい。でも逆にそれがアットホームな雰囲気、サッカーがカジュアルである雰囲気へとつながっていて、
かえって「豊かさ」というものを感じさせる。国立競技場の権威とは正反対の、もうひとつの国立サッカー施設は、
中身・ソフトがもたらす充実感を逆説的にクローズアップしてくれる場所だった。本当に魅力的な空間だった。
こういうものを見ると、スポーツイヴェントを期待する地方都市がどでかいスタジアムをつくることの虚しさがよくわかる。
松本(→2011.4.30)にしろ鳥取(→2013.8.21)にしろ、ハコモノ先行が優位にはたらいた事実は確かにあるのだが、
目的が明確で適切な規模の施設だからこそ生み出せる充実感があるのだ。建築学的にも参考になる事例であると思う。
L: スタジアム内部への出入口は南側(ゴール裏)の下にある。珍しい構造だと思うが、この規模だとこんなものか。
C: メインスタンドを外から見るとこんな感じ。石垣なんですね。 R: 正門付近はこんな感じ。手前が駐輪場。しかし西が丘は公共交通機関でのアクセスが少々面倒くさいようだ。バスを待つ人たちがけっこう多くいたし、
横断歩道を渡るのに変に待たされたりで、帰りはちょっと混乱気味だった。自転車だとスイスイだけどね。そのまま池袋に出て東急ハンズで買い物をして、暗くならないうちに帰る。充実した休日を過ごして満足である。
渋谷区立松濤美術館で「ハイレッド・センター:『直接行動』の軌跡展」をやっているので、迷わず突撃。
ハイレッド・センターは1960年代に活躍した前衛芸術家グループ。その凄まじいまでの活躍ぶりは、
ちくま文庫の『東京ミキサー計画』(→2004.12.20)に詳しい。絶版になっているのが許せないんですけど!ハイレッド・センターの歴史は高松次郎・中西夏之らの「山手線事件」から始まり、そこに赤瀬川原平が合流。
以降はさまざまな都市空間を舞台に、芸術と日常の境界を揺さぶるような挑戦的な活動が続いていく。
今回の展示では高松・赤瀬川・中西を中心人物としながらも、「参加したみんながハイレッド・センターだった」
といった形での解釈が特徴的である。また、展示の順番もあえて時系列を無視したランダムなものに徹底している。
その姿勢から見えるのは、敗戦から高度経済成長期に入り、日本という国が大きく変容していた時期の特殊さだ。
1960年代という時代、そこにハイレッド・センターが必然的な存在として現れた。そういう肯定の形だと思う。
確かにハイレッド・センターの周りには、鋭い感性を持ったジャンルを問わない芸術家たちが揃いに揃っていた。
ハイレッド・センターとは、そんな彼らが活動していく中での「象徴」だったと思う。実際にはもっと緩やかに、
時代の空気に合わせて若い芸術家たちがうごめいていた。ハイレッド・センターというわかりやすい記号の向こうに、
高度経済成長で変質していく東京の風景が見える。そこまで見越した展示を実現したのは、なかなか見事だった。
だから、ハイレッド・センターという眼を通して、当時の東京・日本社会を見ることができた。そういう作品展だった。
シンボルマークである真紅の「!」をフィーチャーした装丁の図録もすばらしい。そりゃ買わずにゃいられねーや。しかし、当時は本当にいい時代だったなあと思う。今なら振りかざされる社会的正義によってつぶされてしまうことが、
自由に許されていた。社会の許容範囲が今よりもずっと緩やかで、可能性が満ち満ちていたのがありありとわかる。
いい意味でテキトーだったのである。言い換えれば、余裕があった。その余裕が、芸術の幅を広げさせてくれていたのだ。
(たとえば高松の紐が美術館から外に出て線路に結ばれたが、今なら絶対に早い段階でストップがかかるだろう。)
彼らがやっていたことは確かにメチャクチャだったが、振り返ればそれは、時代を映す鏡そのものだったのだ。
果たして現在は、芸術という鏡が映すに値するだけの特徴を、価値を、余裕を、持っているのだろうか?
経済の都合がすべてを優先するような風潮は、役に立たない芸術を生かすだけの懐の深さを持ち合わせているのか?
……まあそんな具合にいろいろ考えさせられてしまったが、つまりはそれだけ楽しい作品展だったということだ。ひとつ注文。ミュージアムショップではぜひ、攪拌行動を主張する洗濯バサミを売ってくれませんかねえ? 超ほしい。
本日は卒業遠足である。先月下見に行ったとおり(→2014.2.25)、場所は東京ディズニーシーである。
実はけっこうな数の中学校と日にちがかぶっているそうで、無事に駐車場に入れるのか不安になりながらの出発。
学校を出発したバスはスイスイ進み、なんと20分で千葉県に入ってしまった。これにはびっくりである。
結局、予定より30分くらい早く入場できたのであった。まさかここまで快調だとは想定していなかった。午前中は先生方とトークしたり土産物を見繕ったりしながら過ごす。一緒にお昼を食べると恒例のビッグバンドビート。
生徒が財布を落としたと騒いだ場面もあったものの、結局は別のポケットに入れたのを忘れていただけというオチ。
トラブルらしいトラブルはほかにあんまりなく、まあだいたい無事にみんな帰ることができたのであった。
ところで前任校も本日ディズニーシーで卒業遠足だったようで、帰る間際に生徒たちに見つかってからまれた。
修学旅行もそうだったし(→2013.6.15/2013.6.16/2013.6.17)、いい具合にご縁がありますなあ。帰りにはなぜか雪が舞う。天気予報にはない事態で、なんとも不思議な天気だったなあ。
予定どおりに学校まで帰ってこれたのはいいが、変に疲れたしバス酔いだしでヘロヘロ。お疲れ、自分。
受験が終わった3年生たちが部活に合流して、ずいぶんと活気がある状況だ。逆を言えば、1,2年は元気がイマイチ。
3年生が卒業したらどうなるんだろう、と大いに不安なのだが、いくら言っても改善されないので困っている。それにしても、3年生とやるサッカーは面白い。一緒のチームに入ると猛烈に走らされることになる。けど面白い。
周りが走るから僕もサボれないし、そもそも走らせるボールが出てくるし、走らずにはいられないのである。
ふだん1,2年だけでプレーしていると気づかないのだが、これがもうはっきりと違う。勉強になるなあ、と思いつつ走る。
レヴェルの高い連中とやるサッカーは、自分のヘタクソさが申し訳なくてたまらないんだけど、やっぱり本当に面白い。
どうにかして1,2年のレヴェルを上げて、今後も面白いサッカーをばっちり楽しめるようにしていかないとなあ。
サッカー・日本代表のニュージーランド戦。日本代表の今年最初の試合にして、W杯メンバー発表前の最後の試合。
それってけっこう無茶な話なのだが、こればっかりはどうしょうもない。割り切って、試せるだけ試すしかないだろう。
さてこの試合、ニュージーランドとの対戦となったのは、ザッケローニ監督の希望によるものだそうだ。
東日本大震災をどうしても意識せざるをえないこの時期だが、その前月にはニュージーランドでも地震が発生していた。
日本人も犠牲になったのでわりとよく報道されていたが、両国の地震はほぼ同じ時期に起きていたのである。
そしてその2011年3月には日本代表のニュージーランド戦が予定されていたが、さすがに中止となってしまった。
今回のマッチメイクは、そのことを意識してのものでもあるのだ。そこに気づくとはさすがザッケローニ!と大いに感心。
サッカーの国際試合は自分の国のことだけを考えるわけにはいかない。これが本物の国際感覚なんだろうなと思う。試合は序盤から日本がイケイケの大量得点。岡崎は足を伸ばすわ香川がPKをゲットするわの大騒ぎ。
(個人的には香川がドリブルでPK奪取したプレーは嫌いである。あそこはドリブルじゃなくてミドルを撃つべき。)
4点目の本田のヒールパスなんてもう、美しすぎて泣いてしまいそうだ。17分で4ゴールとは、とんでもないペースだ。
今日の日本は、相手のパスをカットしてからダイレクトでつないでいく精度がいい。日本と世界の最大の差はトラップ、
あるいはダイレクトプレーの精度にあると思うのだが、今日の日本は世界レヴェルでも通用する速さと正確さだ。
なんだかんだで、香川・本田・長友といった世界のビッグクラブに所属している選手のプレーには風格を感じる。
これは4年前の日本代表にはなかった要素だと思う。さりげない守備もひとつひとつ相手のやりづらいようにやっている。
パスコースを限定させる守備もまた世界レヴェルでは当たり前だが(→2013.11.16)、今日はそれができている感じ。ところが良かったのは前半の中盤くらいまでで、ゴールラッシュが4点で終わると、はっきりとペースダウン。
39分には角度のないところからシュートを決められてしまう。撃った相手を褒めるべきだが、釈然としない失点だ。
後半の日本はひとつひとつのタッチがかなり雑になってしまった印象で、狙いの見えないいつものチームに戻った。
ニュージーランドも守備を修正しているが、明らかに攻撃のアイデアに乏しくて一気に凡戦模様となってしまう。
後半の80分には右からのクロスをあっさりボレーで決められて、結局4-2。まったくすっきりしない結果である。
どうして90分間集中力が続かないかなあ、と疑問に思う。いっつもそこでやられているんですけど。
Superflyについてあらためてきちんと書きましょうか。
昨年末の小豆島旅行の際、リョーシ氏がSuperflyの2枚組ベスト盤を用意していて、車内BGMで流れたのであった。
それを聴いて「おお、きちんと聴かねば!」と反省し、このたびようやく借りてきたというわけである。
前に『タマシイレボリューション』は借りたが(→2010.6.20/2010.6.24)、きちんとチェックしたのは初めて。感想としては、思っていた以上によかった。非常に打率が高い。やはり歌唱力が確かだから聴き応えがあるのだ。
『愛をこめて花束を』を境目にして、はっきりとレヴェルアップしているのがわかる。何があったんだろう?
それ以降の曲はどれもいい。めざましテレビでやたら流れてウンザリした『やさしい気持ちで』も、まあ確かにいい曲だ。
やはりヴォーカルの力ってのは大きいなあ、とあらためて実感させられる。歌手ってのは特別な声量がないといけないね。つねづね書いているが、僕はキーボードがいなくてギターが作詞作曲するバンドにあまりいい印象がない(→2004.3.7)。
しかしSuperflyはヴォーカルだけがクローズアップされており、自己完結バンドとまったく対照的な形態で活動している。
活動スタイルだけを見れば、シンガーソングライターとアイドルの中間で、これはむしろ「歌謡曲の歌手」に近いのだ。
Superflyの持っているそういう自由さというか、他者に頼れる要素がある強みは、今後もかなりプラスにはたらくだろう。
そこにあるのは、ヴォーカルの復権だと思う。純粋な歌唱力への再評価。彼女はそういう文脈で捉えていい存在だと思う。
学年末テストが終わって問題回収も完了。今回も各先生方の個性が出ていたのでちょいとご紹介を。
前に紹介したとき(→2013.10.7)よりはおとなしめだが。
「○ ハーイ」ってのが、とてもその先生らしくて面白いんですよ。自由な感じが、すごく。
下で笑顔になっていないやつは、その学年だけ成績が悪かったのだろうか。気になるところであります。
ここ最近は雨でかなわん。特に微妙な降り具合であることが多いので、もうそれだけでストレスである。
今日は貴重な日曜日だというのに朝からずっとネチネチとした雨で、やり場のない怒りがこみ上げてくる。
おかげで一日をずーっと、精神的にずいぶん落ちきっている状態で過ごす破目になってしまった。
もし降っていなけりゃ自転車でふらっとあちこち走って、いくらでも有意義な日曜日にできたのにねえ。そんな精神状態だから、せっかく開幕したJリーグもわざわざ観戦しに行く気になれない。
フォルランがいるわJ3は始まるわW杯に向けて選手の気合はMAXだわで、今年のJリーグはポジティヴな要素が多い。
昨年以上に積極的に観戦に行くつもりでいるのだが、のっけからコレでは自分で自分にガックリである。まあとにかく、天気がマトモにならないとどうしょうもない。こんな状況が早いところ改善されるように望む。
土曜授業なのだがテストを返すのがメインということで、そんなに疲れないで済んだ。ほっ。
午後には部活。いつもの1,2年生に加え、受験の終わった3年生たちが合流。そうなると一気に活気が出てくる。
なんだかんだで3年生はセンスがいいプレーをするので、見ているとフラストレーションが溜まらなくっていい。
しかし受験勉強でだいぶ体がなまっているようで、本来の切れ味が発揮できないやつもチラホラ。
3年生たちは下級生たちが上手くなったと言うのだが、ふだんから見ている僕にはその感覚はよくわからない。
確かに体が大きくなってフィジカル的には良くなってきただろうけど、僕としてはまだ不満の方が大きいなあ。最後はグラウンド全面を使ってのゲーム。人が増えるとその分だけいろいろ選択肢が増えるので楽しい。
僕も実際に体を動かすのはけっこう久しぶりだったのだが、だいぶはしゃいでプレーさせてもらったのであった。