diary 2013.11.

diary 2013.12.


2013.11.30 (Sat.)

いつかやろうやろうと思っていたのだが、去年はなかなかその機会がなかった。今年もなしになるかな、と思ったが、
先週の3連休を見事にスルーしてしまったことで、じゃあ代わりに一丁やっておくか!という気になったのである。
それは、「わ鐵」ことわたらせ渓谷鐵道に乗って足尾銅山まで行ってみること。紅葉の時期がいいらしい。
わたらせ渓谷鐵道は桐生駅が起点なので、ついでに桐生の街並みにもリヴェンジしようというわけだ。

始発で家を出ると大手町まで三田線、そこから千代田線に乗り換えて北千住へ。まだ頭が十分起きていない時間に、
慣れない乗り継ぎをやるのは非常に不安である。でも眠気の方が強いので、あんまりうろたえることはない。
北千住からは東武である。東武なんてもうぜんぜんわからんので、ひたすら寝て過ごす。気がつきゃ群馬の太田。
太田駅では意識がろくすっぽないまま学生たちに混じって乗り換えをして、無事に相老駅で目を覚まして降りる。
いったん改札を抜けて、わたらせ渓谷鐵道の一日フリーきっぷを購入。改札を戻ってやってきた列車に乗り込むと、
コンビニで買い込んだ朝メシをいただき、そしてまた眠る。ふだんどれだけ寝不足なんだか。

通洞という駅で降りたのが9時半ごろ。旧足尾町の中心部だが、現在は日光市に含まれている。日光広すぎ!
(前にも書いたが、日光市は栃木県の北西側1/4を占める。関東で最大、全国で3番目の面積だ。→2008.12.14
とりあえず、駅から5分の距離にあるという「足尾銅山観光」へ行ってみる。よくわからないがこれが正式名称。
「観光」という名詞で終わる観光地は初めてで、なんとも不思議な気がするのだが、そうなんだからしょうがない。

  
L: 通洞駅。われわれが想定する足尾銅山の見学はここが拠点となる。近代産業遺産じたいはもっと広く点在している。
C: 地面に埋め込まれている足字銭のオブジェ。足尾銅山で鋳造された寛永通宝の裏にはこのように「足」の字が印されていた。
R: 足尾銅山観光の入口。朝早いにしても観光客がやたらと少なく、僕以外にもうひとりおっさんがいただけ。大丈夫か!?

800円払って中に入ると、そこはトロッコの待合室。石油ストーブが出ていて、この場所の寒さをそれで実感する。
室内に展示されている写真を見ていく。往時の足尾は「足尾千軒」と呼ばれるほどの活気を誇ったというが、
駅からちょっと歩いた限りではひどい寂れ方をしており、特に高齢者人口の多さには愕然とするばかりだ。
それを反映してか足尾銅山観光を訪れている観光客は僕以外におっさんがもうひとり、以上。なんだか不安である。

  
L: まずはトロッコで通洞坑という坑道に入っていく。  C: ある程度進んでいったところで下車、見学開始。
R: 坑道内の様子。足尾銅山は江戸から昭和まで採掘していたが、時代を追った展示となっている。水がよく出ている。

足尾銅山の採掘が始まったのは江戸時代初期。足尾で採れた銅が日光東照宮(→2008.12.14)に使われたそうだ。
しかし採掘量は減少し、幕末には閉山状態となってしまう。そこに登場したのが古河財閥の創業者・古河市兵衛。
市兵衛は新たな鉱脈を掘り当てることに成功し、1884(明治17)年には日本で最大の銅産出量を誇るまでになる。
その反面、田中正造の人生を賭けた告発でいまだに広く知られている鉱毒事件を引き起こすことにもなった。
足尾銅山観光では、江戸・明治&大正・昭和と順を追って、人形を使って採掘の様子を紹介している。
まあ正直なところ、展示としては特別これといってキレているわけではないのだが、現場ならではの迫力はある。
(なお、通洞坑の採掘開始は明治に入ってから。足尾の間歩・坑道の総延長は東京−博多間に匹敵するそうだ。)

  
L: 江戸時代の採掘の様子。  C: 明治・大正時代の採掘の様子。  R: 昭和時代の採掘の様子。うーん、なるほど。

しかし石見銀山もそうだったが(→2013.8.18)、江戸時代から当時の手持ちの科学を駆使して金属を精錬する、
その知性がやっぱり凄いと思う。規模が違うにしろ、やっていることの中身は今もまったく変わっていないのだ。
人間の欲望の深さ、権力の強大さ、現場の実直さ、そして現在のわびしさなど、さまざまなことを考えさせられた。
ちなみに足尾銅山観光の最後は土産物屋なのだが、雰囲気があまりにも昭和で、タイムスリップした感覚になった。

  
L: 坑内の天井にある銅の鉱石。青緑色が銅化合物。中学生のときは硫酸銅の青さに惹かれたもんよ。
C: 坑道をつくる職人たちの人形。薄暗い中、いきなり人形が現れるので、けっこう驚かされる。
R: 通洞坑の近くにある通洞動力所。レンガが見事なのだが、あまりにもひどい廃墟ぶりとなっている。

さて、わたらせ渓谷鐵道に乗っていていちばん驚いたのが、通洞駅の手前にある住宅群と選鉱所である。
列車の窓から見ていてあまりにも興味深い光景だったので、実際にそこまで足を伸ばしてみることにした。
選鉱所は現役で稼働している施設で中に入れなかった。素直にあきらめて、住宅群に焦点を絞って行ってみる。

その住宅群は、中才(なかさい)鉱山社宅というそうだ。見た瞬間、夕張(→2012.6.30)のことを思い出す。
映画『幸福の黄色いハンカチ』(→2012.10.15)の光景、あれがまさにそのまま目の前に広がっているのだ。
僕がまだ幼稚園児で白山町に住んでいた頃には、家と家の間にこういう路地が残っていたように思う。
あまりにも懐かしい空間に出くわして、僕は言葉もなく夢中で歩き続けた。失われつつある日本がここにあった。

  
L: 中才鉱山社宅を行く。木造住宅の妻が並ぶ光景は、まさに鉱山住宅。土地の高低差がまた、いかにも鉱山だ。
C: 住宅と住宅の間、この舗装されていない私的で公的な空間こそが懐かしいのだ(舗装論 →2010.5.16)。
R: ところどころにこのようなレンガ壁があるのが特徴的だった。いつごろ、どういった経緯で建ったのか知りたい。

階段でわたらせ渓谷鐵道の線路のそばに出ることができるようになっていたので、迷わず上ってみる。
そこにあったのは、さっき車窓から眺めて圧倒された光景。赤、緑、また赤、青と、切妻屋根の波が踊る。
日本全国あちこちの歴史的な街並みを歩いてきたが、この住宅群もそれらに勝るとも劣らない絶景だ。
この景色こそが、日本の近代化の証人なのだ。日本という国や日本人の本質を示す景観が確かにあって、
足尾銅山における中才鉱山社宅は、まさにその好例であるはずだ。ただただ、見とれてしまった。

 
L: わたらせ渓谷鐵道の線路脇から眺めた中才鉱山社宅。これは日本の近代化を見事に映し出した光景と言えるはずだ。
R: 本来パノラマ撮影していない画像を無理やり合成したもの。左側に歪みがあるが、雰囲気は伝わるのではないか。

足尾の街が思った以上にコンパクトだったので、足尾駅周辺まで歩いて行ってみることにした。
途中で通洞駅から少し入ったところにある商店街を抜けたのだが、本当に数えるほどの店が営業しているだけで、
なんとも切ない風景だった。寂れやすい鉱山の街だし、閉山してからずいぶん時間が経っているし、しょうがない。
あとはどれだけ、産業遺産を維持していけるか。足尾銅山観光を見るかぎり、けっこう厳しそうに思える。

 足尾の商店街を行く。どうにかならんか、どうにもならんか。

渡良瀬川に沿って東へと進んでいくと、対岸に巨大な学校建築が見える。足尾中学校だが、生徒はいるのか心配だ。
それくらいに足尾の街は高齢化が進みきっている印象だったのだ。さらに歩いていった先、道は左にカーヴする。
これをそのまま進むと正面に足尾駅が現れる。ちょうど観光バスから乗客がわらわらと降りてきたところで、
どういうコースになっているのかよくわからないが、これからわたらせ渓谷鐵道に乗るつもりのようだ。
それとなく皆さんの会話を聞いていると、わりとしっかり関西弁である。わざわざ足尾までご苦労さんだ。

駅から離れて、さらに東へ。ちょっと行ったところに洋館があるというので、当然そこまで足を伸ばす。
すると足尾駅とその洋館の間に木造の住宅が並んでいた。掛水社宅というらしい。整然とした光景を撮っていると、
僕の後ろを毛むくじゃらのおっさんが素早く通り抜けていった。「……毛むくじゃらのおっさん?」
それが僕の第一印象で、違和感をおぼえた僕が慌てて視線を移すと、全身毛だらけの背中が板塀を乗り越えて消えた。
瞬間、3匹ほどの猿が屋根や板塀の上をつたって逃げていった。「野生の猿だー!」叫んでその後ろを追いかける僕。

  
L: 掛水社宅。今はもう現役ではないのか、建物はかなり老朽化してきている印象。  C: 板塀と路地。昭和だなあ。
R: 猿が現れた! ケツをまくって逃げる猿を追いかける僕。まあ、追いかけたからといってどうにもならんのだが。

社宅敷地の角のところでデジカメを構えて様子を探っていて、ふと視線を感じて左を向いたら、
まるでマンガのように塀のところに顔の上半分だけ出して、こちらを凝視している猿がいた。
僕も驚いたがそれ以上に猿が驚き、ガタガタと物音を立てて逃げていった。シャッターチャンスを逃したのが悔しい。
まあとにかくそんな具合に、しばらく猿たちと対峙しながら過ごしたのであった(猿と同レヴェルとか言うな)。

  
L: ♪飛猿飛んでも猿飛ぶなー!(by 岩崎マサル)  C: 塀の上からこちらを見つめるふてぶてしい姿。やんのかオラ。
R: 社宅は完全に占拠されており、その後も猿たちのやりたい放題は続くのであった。もう観光名所にしちゃえば?

いいかげんいつまでも猿と遊んでいるわけにもいかないので、周辺にある建築をできる範囲で見てまわる。
まずは荒野と化したテニスコートの先にある赤レンガ建築から。これは1910(明治43)年築の旧足尾鉱業所付属倉庫。
社宅の奥には1911(明治44)年築の掛水重役役宅。現在は鉱石資料館として利用されているらしいが、入れず。
そしてメインは1899(明治32)年築の古河掛水倶楽部。現在も使われており、機会があればぜひ内部も見学したい。

  
L: 旧足尾鉱業所付属倉庫。  C: 猿の社宅の奥にある掛水重役役宅。  R: 古河掛水倶楽部は国登録有形文化財だぜ。

ぼちぼち帰りの列車の時刻ということで足尾駅に戻ったのだが、ホームは猿のフンだらけだった。
足尾銅山の感想としては、「いろいろもうちょいなんとかなんねえもんかなあ」である。ポテンシャルは感じる。

帰りの列車でいちばん楽しみは、車窓から眺める選鉱所と中才鉱山社宅だ。ばっちりデジカメを構えてスタンバイ。
特に選鉱所は山の麓に貼り付くように屋根が階段状に並んでおり、その光景はやはり見事なものだった。
石見銀山で清水谷製錬所跡に圧倒されたが(→2013.8.18)、あれもかつてはこれと似たような姿だったのだろう。

  
L: 車窓から眺める足尾の選鉱所。これはすごい。  C: ちょっと西に進んで眺めたところ。うーん、鉱業だぜ。
R: 残念ながら渓谷の木々は冬枯れの色がほとんどとなっており、紅葉を楽しむには少し遅かったようだ。

気がつきゃ熟睡しており、どうにか終点の桐生駅に着く前に起きた。別に猿との格闘で疲れたわけでもないのだが。
桐生駅に着いてまずやることは、2年前(→2011.1.5)と同じで、レンタサイクルを借りることである。
あのときには滞在時間がわずか1時間ほどということで、桐生の魅力をまったく味わうことができなかった。
今回はそのリヴェンジということなのだ。街が夕方の日差しに照らされるまで、あちこち建物を見てまわるのだ。

まずはやっぱり桐生市役所へ。建物じたいは2年前に訪れたときとなんら変わっていない。
しかし2年前にはあっさりと写真1枚撮っただけで済ませた桐生市市民文化会館を、あらためて眺めてみる。
なんとも大胆不敵な造形だ。繭をイメージした屋根の下面には、一見するとヒビのように不規則な線が引いてある。
だが、見ているうちに、その線が五芒星(☆)を描き出していることに気づく、という仕組みになっているのだ。
桐生市は「織都」という異名を持つほどに絹織物の産地として知られており、この場所もかつては織物工場があった。
そして1929年には「織姫町」という地名がついてしまったのである。それを意識してのこのデザイン、というわけだ。

  
L: あらためて桐生市役所。所在地は「桐生市織姫町1番1号」なのだ。市民文化会館との間には織姫神社もあるよ。
C: 桐生市市民文化会館。ようやるわー。  R: 角度を変えて眺めたところ。屋根の下にある模様がわかるでしょ。

ではさっそく、桐生市内の歴史的な建築を見ていくことにするのだ。桐生駅南口から少し入ったところにあるのが、
1917(大正6)年築の絹撚記念館(旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟)。残念ながらリニューアル塗装がひどく、
往時の風格をまったく感じさせない仕上がりとなってしまっている。これはいくらなんでも無神経で情けない事例だ。

 絹撚記念館(旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟)。これはひどい。

あとは両毛線の北側にある中心市街地を見ていくのだ。メインストリートである本町通りを北上していくが、
線路を越えてすぐの交差点から、特異な景観がはじまる。実は2年前にも僕はこの空間には驚かされているのだが、
とにかく時間がなくて検証できなかった。今回、桐生を訪れたのは、この景観についてリヴェンジしたかったから、
という要素もかなりあるのだ(正直、後述する桐生新町よりこっちに興味があったと言っても過言ではない)。

僕の興味を強く惹いたのは、一見すると窓が互い違いについているように見えるビルのファサードだ。
しかもそれが本町通りに沿って点在している。その密度は明らかに異常で、確実に狙って建てられているのだ。
強烈な地主がいたのか、共同店舗づくりをやる中で出てきたアイデアなのか、きわめて特徴的な景観を構成している。
僕はこのファサードが点在する光景を見て、心の底から感動を覚えた。個性ある街並みをつくる工夫として、
これだけの大冒険をやってのけたとは! 建物のファサードをこんなに統一させようとした事例は、おそらくほかにないだろう。
すでにコンクリートは老朽化しており、その様子から考えて1960年代か70年代前半に建てられた感触がする。
それはつまり、この共同店舗たちが威容を見せる景観は、そう遠くない未来に姿を消す可能性があるということだ。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されている桐生新町について言及しているサイトはたくさん存在しているが、
この特異な街並みについてふれているものはまったく見当たらない。みんなどれだけ感性が鈍いんだ、と残念に思う。
桐生新町など、まったく評価に値しない。それよりも、こちらの街並みを正当に評価しなければならない。
中途半端な桐生新町に金をかけることは愚の骨頂。保存すべきはこちらの建物たちだ。これこそが、街の力の発露だ。

  
L: 本町5丁目の交差点に建つ共同店舗。周辺にはこのように、庇と花台を交互に配置している建物が点在。
C: 本町通りで最も目立っているビル。これこそ残すべき価値を持った建物だ。ぜひこれらの歴史を知りたい。
R: その先にも同じファサードを持ったビルが点在している。本町4丁目から5丁目にかけて、こんなのがいっぱい。

いちおうcirco氏にも確認してみたのだが、このようなデザインには特に専門用語はついていないそうだ。
ファサードをプロデュースした建築家がいたのだろうが、それを許したところに桐生の文化度の高さを感じる。
サッシュと深い青のレンガタイルの組み合わせがなかなかにモダン。これは本当に気になる事例である。

 ファサードを見上げたところ。建物じたいはサッシュがかなりモダン。

大いに感動しながら、さらに先へと進んでいく。すると右手に見事な酒屋が現れる。矢野本店店舗だ。
裏には蔵があって、その奥には「有隣館」として知られているレンガ蔵。実にフォトジェニックである。
この辺りから重要伝統的建造物群保存地区・桐生新町となるのだが、残念なことに街並みとしての迫力はあまりない。
ところどころに歴史を感じさせる建物は確かにあるが(2年前のログ →2011.1.5)、連続していないのが痛い。
桐生の場合にはノコギリ屋根の織物工場跡があるので、それが重伝建に指定されたポイントということなのだろう。
しかし、街並みとしてはまったく魅力に欠ける。これだけ中身のない、情けない重伝建はほかにないと断言できる。
重伝建でなくともすばらしい街並みは全国にいっぱいある。桐生には勇気を持って重伝建の指定を返上してもらいたい。
でないとほかの街並みに対して失礼だろう。本町通りの共同店舗を指定するんなら大いに納得できるけどね!

  
L: きちんと正面から撮影した矢野本店の店舗。  C: その奥にあるレンガ蔵の有隣館。フォトジェニックだなあ。
R: 桐生新町の街並みは最も見映えのする場所でもこんな程度。これで重要伝統的建造物群保存地区とは悪い冗談だ。

前回スルーした群馬大学工学部同窓記念会館を撮影すると、ノコギリ屋根の織物工場を探してあちこちフラフラ。
レンタサイクルを借りる際に地図をもらったので、それを参考に見ていくが、必ずしもすべてがフォトジェニックではない。
中に入れるように改装されているものが少ないのもまたもったいない。せっかくの観光資源を生かしきれていないのだ。
思うに、かつての桐生は現代に残る建物を見ればすぐにわかるように、非常に高い文化を誇っていたのだろう。
しかしながら、桐生新町はもはや「街並み」を名乗ることができないほどに伝統的な建物の数が減ってしまっているし、
絹撚記念館も非常識な色に塗り込められてしまった。本町通りの共同店舗たちもまったく評価されていない様子だ。
どうやら桐生は近年になって大幅にその品位を落としているようだ。市民文化会館を建てて喜んでいる場合ではない。
申し訳ないが、はっきり言って、桐生の印象は「愚かな街」である。今ならまだ間に合うが、タイムリミットは近そうだ。

  
L: 群馬大学工学部同窓記念会館(旧桐生高等染織学校本館・講堂)。近くに同じ1916(大正5)年築の正門と守衛所もある。
C: ノコギリ屋根の織物工場。活用の手段がもっとありそうに思えるが。  R: こちらはワイン貯蔵庫として利用中。うーん……。

それでも店舗として活用されているノコギリ屋根の建物があるので、お邪魔してみた。ベーカリーカフェ レンガだ。
工場だった建物は見事な赤レンガだが、さらにまたいいのがその隣の事務所と思われる建物。しっかりモダンなのだ。
せっかくだからそのノコギリ屋根っぷりを見たいなあと思ってまわり込んだら、そこはお寺で墓地なのであった。
すいませんすいません、とつぶやきながら撮影。で、中では遅い昼飯用にとパンを買った。おいしゅうございました。

  
L: ベーカリーカフェ レンガ。おしゃれなこと極まりない。  C: 塀の向こうはお墓だった。でも見事なノコギリだ。
R: 店内はこんな感じですごく落ち着いた空間である。パンを買ってここでのんびり食うなんて最高じゃないか。

気がつけばだいぶ日差しが傾いてきている。もう11月の最終日だから、それも当然のことなのだ。
少し慌ててペダルをこいで、桐生市内の残りの名物建築をつぶしにかかる。けっこうあちこちに離れているのだ。
で、すっかり日陰に包まれてしまった桐生倶楽部会館を眺める。いかにも「瀟洒」という言葉が似合う近代建築だ。
こういう建物を見ると、往時と現在の落差が本当に悲しく思えてくる。建物は土地の誇りの体現なんだよな。

  
L: 桐生倶楽部会館。設計は清水巌で、1919(大正8)年の竣工。  C: こういう建物って側面がまたいいんだよなあ。
R: 角度を変えて完全に側面を眺める。凝った造形が実に面白い。中身はもっと面白いんだろうなあと思う。

最後に桐生織物会館(旧館)へ行ってみる。1934年竣工の建物だが、きれいにしてあってそんなに古さを感じない。
さっきの桐生倶楽部が地元有力者の社交場だったのに対し、こちらは織物業者のオフィスなのでデザイン自体は質素だ。
同じ近代建築でも性格の違いが建物のファサードにしっかりと出ていて、それでいてどちらも見応えがあるのが面白い。
やはり往時の桐生は文化の高い街だったのだ。桐生ってのは、いろいろ考えさせられる街である。

 桐生織物会館(旧館)。冬の日差しは本当に写真が撮りづらい。

前々から企んでいたとはいえ、かなり突発的な日帰り旅行だった。でもそのわりには収穫が大きかったと思う。
まあこうやって、少しずつでも、いろんなことに気づいていけるようになればいいと思うのである。よかったよかった。


2013.11.29 (Fri.)

春と秋の交通安全運動に生徒会が参加しているんだけど、その表彰式で近くの警察署に出かけたのであった。
別にウチの学校だけが特別に表彰されるわけではなく、ほかの団体さんと一緒に一気に表彰されるんだけど、
名誉なことには違いないので、生徒会の連中を引率して行ってきた。警察署の中に入るのは初めてである。

表彰式は最上階(だと思う)の講堂で行われた。いやー、警察署ってのは予想以上に殺風景だったわ。
機能に特化して当たり前の場所だからそりゃそうなんだけど、本当に味気ない、純粋な事務空間なのであった。
車の免許の試験場(→2004.11.4)、アレとまったく同じ味気なさだった。正直、かなり苦手な空間である。
それでも講堂は四方の壁に紅白の幕が張られており、演台には立派な花も置いてある。懸命の飾り付けだ。
その幕の上には警察署の署歌(って言うのか?)の歌詞が書かれた額があって、そんな歌があるんか、と興味津々。
無骨な警官たちがここで歌っている姿を想像すると、やはり警察ってのは特殊な業種だと思う。

会場いっぱいにパイプ椅子が並べられており、われわれの席はいちばん左端の後ろ。しばらくおとなしく待っていると、
式が始まって挨拶、続いて感謝状の授与。シャッターチャンスを無事に収めると、署長と協会会長のありがたい話を聞く。
睡魔に襲われて防戦一方だったのだが、署長は近所で発生した自転車の死亡事故について詳細を説明してくだすって、
おまけにその自転車の写真まで見せてくれちゃって、血の気が引くのと同時に睡魔が完全に消えてしまったのであった。
本当に怖い。想像させないでください……。というわけで、署長の思惑どおりに交通安全を願う人間がひとり増えたとさ。
最後に生徒会の人数分だけピーポくんの小さい人形をいただいた。引率教員の分はないので、正直ちょっとうらやましい。
おまけにもう一丁、紅白幕の前で記念撮影をしてから学校まで戻る。都会の警察署はずーっと忙しそうだった。

職場を後にして駅まで向かう途中、例の事故現場を通ったのでさすがに黙祷。交通事故、本当に勘弁してください。


2013.11.28 (Thu.)

小テストやらなんやらで生徒の評価の機会を増やすということは、こっちがヘロッヘロになるということである。
でもどんなに評価の機会を増やしたって、そのチャンスを生かそうという意志がなければ意味がないのが切ない。
往々にして、こっちの負担は増すけど結果は大して変わらない、という悲しい結末に至るものなのである。
ウチのカンダタどもは蜘蛛の糸に気付きすらしない!


2013.11.27 (Wed.)

ということで、いよいよ本日は研究授業。テストが終わってわずか2日後なのに、われながらすごいもんである。
今回は校内の研修会ということなので、見学するのはウチの先生方ばかり。でもそれが僕には緊張する要素だった。
知らない人相手なら開き直ってできるんだけど、知っている人ばっかりだから逆に意識しちゃって大変なのであった。

今になって考えてみれば、事前に年表をカードで用意しておいて、それを黒板に貼り付けていけばよかったのだ。
でも頭が真っ白な状態でいちいち板書していった僕は、明らかにシミュレーション不足だったのである。完全にナメていた。
手は震え、字も震え、もう情けないったらありゃしない。でも後悔している余裕もない。ひたすらつらい時間でございました。
後で生徒たちに「どんだけ緊張してたんですか」とさんざん言われてしまったが、もう小者感満載で申し訳ない。
久しぶりに、心の底から恥ずかしい思いをしてしまった。あまりにも恥ずかしくて悔しくて、意識を飛ばしたいくらい。

対照的に、相方の先生は万全の準備で臨んでおり、頼もしいことこの上なし。力の差というものをとことん痛感した。
そしてそれに呼応してか、得意な生徒も苦手な生徒も次から次へとめちゃくちゃ積極的に英作文を読み上げて大活躍。
おかげで非常に活気のある授業に仕上がったのであった。周りに救われた……。けどオレは穴があったら入りたい……。

まっすぐ家に帰ると一人になって恥ずかしくって死にそうになるから、ギリギリまでカフェで日記を書いてから帰った。
でもやっぱり家で一人でいたら猛烈に恥ずかしくって悔しくなったので、さっさと寝た。自分が情けなくて情けなくてたまらん。
自分の気に入らないことでも、それはそれとして切り替えて割り切って全力で取り組まないと、恥をかくのである。
何ごともナメた態度で臨んではいけない。それをイヤというほど味わった一日だった。オレはまだまだ甘い。甘すぎる。


2013.11.26 (Tue.)

テストが終わったら当然、次の仕事はテストの採点だ。ヒイヒイ言いつつどうにか終えるも、間髪入れずに研究授業ですよ。
それもただの研究授業ではない。人権の視点から行う研究授業なのだ。英語で人権! そんなの簡単にできないってば!
なんでこんな日程でこんなことになっているんだ!……と、わめいてみても始まらないので、黙々と準備を進めていく。

英語の授業はふだん少人数ということで、もうひとりの先生と連絡を密に取り合いながら2クラス展開でやっている。
でもお互いに「ここは負担を軽減しましょう!」ということで、得意な部分を出し合っての1クラス合同授業にしたのだ。
で、英語で人権っつったらまあキング牧師のスピーチくらいしかないわな、ということで、ネタはわりと早々と決まった。

僕の役割は細かい資料の用意と説明で、キング牧師の資料に加えてジャッキー=ロビンソンの資料も用意してみた。
ジャッキー=ロビンソンは映画が公開されたばかりということ(だから見に行ったという要素もある →2013.11.6)、
まああとは僕の好みということもあって、キング牧師と直接関係ないけど無理やり授業の中にねじ込んでみたのだ。
試しに2人の年表を並べてみたら、アメリカ現代史が意外と立体的に見えてきたので、それで強行突破することにした。

肝心の授業の中心部分は、差別と戦った人々の意識に触れたうえで英作文で自分の夢をアピールしようというもので、
これは相方の先生が意識の高い方なので出てきた感じ。時間のない中、ギリギリのところをつなぎながら授業案を練る。
幸いなことに当方、中身はないけどそれっぽい文章をこねくりまわすスキルを教育実習でみっちりと身につけているので、
授業案づくりの事務的な部分でそれなりに役に立てた。そんな具合に準備を進めて明日が本番。どうなることやら……。


2013.11.25 (Mon.)

2学期期末の最終日、本日は英語の出番。やってみたら連中、関係代名詞の機微をぜんぜん理解していない。
本当にがっくりしてしまったよ。例文の蓄積が足りない。つまり手を動かして勉強するのをサボっているのだ。
その辺をキツく指導しないといけないなあ、と反省。教養・知性・学問ってのは、自己と向き合わないとダメ。

なーんて思っていたら、変なニュースが出てきた。東京都は3年目の教員を全員3ヶ月留学させるんだって。
留学じたいは悪くないが、発想に短絡的な匂いがプンプン漂う。これは長期的な視野から出たプランではないだろう。
どうも元凶は2020年の東京オリンピックにあるようで、それまでに「話せる英語教育」を進めたい模様。
そこが短絡的なのだ。「話せる英語教育」は、絶対に教養ある人間を育てるところまでは届かないんだよね。
物事の表面だけを舐めるようなものだ。英語の中へ入っていって一神教を客観的に検証するところまでは行かない。
これでまた短絡的な価値観による教育の崩壊が早まるなあ、と悲しくなる。日本人はどんどんバカになっていく。
そもそもわれわれは、ひらがな・カタカナ・漢字を使いこなすことで日常生活レヴェルから脳みそを鍛えまくっているのだ。
アルファベット26個しか使わない言語なんか頭の体操になるわけないだろう。ましてや話すだけの語学なんてねえ。
ぶっちゃけ、英語を話すということは、英語を母語とする人間に使われるということだ。オレは魂売りたくないね。
奴らに日本語をしゃべらせることこそが本質。国際化とは日本という枠組みを溶かすことにほかならないと気づけ。
本質を見抜けない頭の悪い人間が権力を持つ今の状況は本当にまずい。Japanese gentlemen, stand up, please!


2013.11.24 (Sun.)

今日もただひたすらに日記を書いてばかりなのであった。生産的なのか非生産的なのか。
旅行に行けなくなった3連休の精神的なダメージは予想以上に大きくて、研究授業の準備が進まない。
とにかく何が悔しいって、この3日間のとんでもない天気のよさだ。鮮やかすぎる秋晴れが恨めしいのなんの。
長崎に行っていれば……今ごろオレは……と考えるのも癪に障るので気にしないように心がけはするものの、
爽やかな太陽光線を浴びると「あ゛あ゛ー!!」と叫びたくなってしまうわけですな。もう本当にヤダ。

明日以降、うまく気持ちを切り替えられるか本当に心配。まあ仕事の忙しさに追われて考える暇もないだろうけど。
日常生活が充実しないことには、旅行もクソもないからね。しばらくは無心で仕事に集中するしかないやな。


2013.11.23 (Sat.)

早起きできたら腹いせにどっかに行ってやろうと思っていたのだが、結局ふて寝をかましてしまった。
おかげで朝から日記を書くことになり、山陰旅行のログが本日すべてロールアウト。うれしいけど、やはり悔しい。
自分としては、山陰旅行のログを仕上げてこの3連休を存分に旅行してやろうと前々から目標にしていたのだが、
あともう一歩の状態で3連休を迎えたところ旅行失敗、つまりこれは一種の罰が当たったんではないか、そう思える。
だからここですっきりと負債の返済ができたことは、まあ素直に喜んでおこうかと思う。でなきゃやってられん。

こうなったら午後は久しぶりに秋葉原に出てダメに過ごしてやるぜ!と自転車に飛び乗ったのだが、
いざ秋葉原に来てみるとやることがない。ゲームミュージックCDを物色して、それでおしまい。
前はいろいろと欲しいものがあったのだが、今はどれもほとんどいらない。興味が湧かないのである。
つまりそれは僕の好みが変わったということなのだ。秋葉原で売っているものを「卒業」してしまったのだ。
ずいぶん前からそのことに気づいてはいたのだが、あらためてそれを確認した感じ。で、結局また日記を書く。

帰りにFREITAGのオフィシャルショップに寄ってみる。通勤で使っているCLARKがだいぶ痛々しくなっており、
どうにか代わりになるものはないか考えてみようというわけ。僕は「FREITAGはそれぞれの種類をひとつずつ」
というルールを設けているので(そうでないとキリがないし、ひとつひとつのバッグを愛せない。CHEYENNEは例外)、
CLARK以外でどうにかならんかと考えてみるものの、あれだけの大容量に対抗できるものはなかなかない。
結局、中身が少ないときにはBOBで通勤するってのはどうだろう?ってところに落ち着いたのであった。
まあこりゃ動くにしても年明けですな。「m」印のFRINGE(→2012.10.5)はもったいなくって、通勤用にはとても使えまへん。

さらに有楽町の無印良品に寄って、長袖の衣類をお買い物。基本的に僕は半袖人間なので、この季節はつらいのだ。
けっこう充実した買い物ができて満足である。もう明らかに秋葉原よりもこっちの方が楽しい。人間、変わるもんだ。


2013.11.22 (Fri.)

テスト期間ということでお休みを頂戴しまして、3連休をつくったわけですよ。となると当然、旅行ですわな。
先月はどこにも行かずに日記を書くことに集中したけど、それはこの3連休があるからこそできたガマンなわけです。
それはもう鼻息荒く、「待ってろよ長崎!」と意気込んでいたんですけどね、昨日確認してみたら、ないんですよ。
ずっと前にしておいたはずの飛行機の予約が、ないんですよ。これには唖然としました。でも何度確認しても、ないんです。
どうやら僕は確かに飛行機を予約したけど、支払い手続きを忘れていたので予約が解除されていたみたいなんですな。
そして、そのことにまったく気づかず3連休の前日を迎えてしまった、と。宿も含めてキャンセル料は一切なしで済んだけど、
さすがに精神的なダメージはあまりにデカくて、せっかくの休みなのに今日は一日、何もできずにへこんでおりました。
うおー、うらみはらさでおくべきか! 雲ひとつない青空が涙で霞んで見えないぜ! 絶対に長崎に行ってやるからな!


2013.11.21 (Thu.)

テスト1日目が終わった午後に人権教育の研修ということで、有志の先生方でお出かけ。
八重洲にあるアイヌ文化交流センターでお勉強なのである。アイヌっつーことで当然、僕も嬉々として行ったんだけど、
「講師として行くんでしょ?」と言われてしまったのであった。まあおかげさまでそれなりに詳しくなりまして。ええ。

アイヌ文化交流センターはビルの3階にあり、事務所の一角を展示や図書閲覧スペースにした、そんな感じの規模。
徹底しているのは現在のアイヌ文化についてサポートするということで、歴史的な資料は展示されておらず、
現代の作家による工芸作品が並んでいた。アイヌ文化は過去のものではないよ、という事実を見せられたように思う。

所長さんの挨拶の後、DVDを鑑賞。そして所長さんの説明を聞く。アイヌ語についての説明など、かなり勉強になった。
「ロ」や「プ」などの小さい文字での表記は、単純に子音を挟むだけだと思っていたのだが、まったく違っていた。
特に驚かされたのはアイヌ語には3種類の促音(「っ」のことね)があるという話。語学というものは本当に奥が深い。
その後はセンター内の工芸品を中心とした資料を見学して、ムックリの演奏体験。これが意外と難しくて、
どうしてもうまく音が出せない。まずは頬に当てずに糸を引っ張って音を出す練習をするのだが、ここで引っかかる。
言葉では説明しづらいコツがあって、それを見つけるのに四苦八苦。わりと強めに引くことで、どうにか鳴りだす。
しかしそれを口の中で反響させるために頬にもっていくと、鳴らない。最初は誰でもそういうものらしいのだが、
要領のいい先生はしっかり音が鳴っていて、うらやましいのであった。結局、うまく鳴らせないうちにタイムアップで悔しい。
アイヌの伝統衣装を着てみる時間では、男なんでサパンペもかぶって体験。僕は居酒屋の呼び込みにしか見えないそうで、
まあなんつーか、僕はアイヌの皆さんからは学生にしか見えないゴボウ男(→2013.7.23)なので、しょうがないのだ。

というわけで、短い時間ながらアイヌ文化について非常にフレンドリーに接する機会を持たせてもらってうれしい。
僕は博物館を中心に見てきたので、どうしても主に歴史について学んできたが、視点を新鮮にするいい機会だった。
いやー、生きている文化に触れることができて勉強になりました。よかったよかった。


2013.11.20 (Wed.)

日本代表のヨーロッパ遠征・第2弾の第2弾、ベルギー戦。
日本が日韓W杯で対戦して以来すっかり地下に潜ってしまった感のあるベルギー代表だが、気がつきゃFIFAランク5位。
いくらなんでもそりゃねーだろと思うのだが、若手が伸び盛りでヨーロッパ予選を無敗だってんだからしょうがない。
そんな「今や強豪」を相手に、オランダと互角以上に戦った日本の実力は今回も発揮されるのか、大注目なのだ。

オランダ戦でも驚きの先発メンバーだったが、この試合もターンオーヴァーで新鮮味のある先発メンバーとなった。
特に思い切ってきたなと思うのはディフェンスラインで、吉田を残して3人替えるというのはまったく予想できなかった。
が、やっぱりというかなんというか、前半14分にいきなりミスから失点。それもGK川島が不用意に飛び出してしまい、
中央にボールが出されたのにDF酒井高が背後の敵にまったく気づかずシュートを決められるというお粗末さ。
いくらなんでもこの失点の仕方はひどい。すっかりションボリしながらテレビ画面を見つめるのであった。

ベルギーはやはりヨーロッパらしい球際の速さがあるが、日本のパスの精度はイマイチな印象。それならいっそのこと、
もっとエゴに撃っていこうぜと思う。日本はなんでもかんでもコンビネーションで崩しにかかるので効率の悪さが目立つ。
対照的に、ベルギーは攻めるときはワイドに、守るときはコンパクトにという基本がしっかりと定着している感じ。
やっぱり先発メンバーの息が合っていないのか、と思っていたら、時間が経つにつれて日本の動きがよくなってきた。
37分にSB酒井宏のクロスを柿谷がヘディングで決める。身長差があってもきっちり決められるとはすばらしい。
そして前半終了間際に出た、本田が落としての長谷部のミドルシュートは理想型だと思う。もっとそれをやってほしい。
面白いのは、先制したら大騒ぎしていた観客たちが、同点ゴール以降は見事に静まり返ってしまったこと。
日本が意外と粘ることで黙ってしまい、スタジアムの雰囲気があんまりホームっぽくなくなった。これは日本にはプラスだ。

後半になると真打登場と言わんばかりに遠藤が投入されて、日本はさらに勢いづく。こうなるとたまらない。
さっそく効果が現れて、53分にその遠藤から横パスが出ると、本田が右足で合わせてゴール。本当にファインゴール。
さすがは遠藤の戦術眼だが、おかげでチーム全体が自信を持ってプレーしている。こういうチームを見るのは楽しい。
オランダ相手に優位に戦った経験がものを言ってか、日本はゴール前でパスがつながる積極的なプレーを連発。
今日の試合は見ていて本当に気持ちがいい。序盤の失点のことなんてすっかり忘れて浮かれていると、
62分に柿谷が彼らしいダイレクトの浮き球のパスを送って岡崎が決める。これまた文句なしのコンビネーションだ。
日本がヨーロッパの国を相手にアウェイでここまでやりたい放題できる日が来るとは思わなかった。感慨深いぜ。
が、残念ながら油断があったのか、79分にCKからあっさり失点。まるで中学校の部活を見るような情けない失点で、
スタジアムはようやく大盛り上がり。さすがにこれ以降は日本も集中力を切らすことなく、3-2で逃げ切った。

ベルギーぜんぜん強くないじゃん、と思ったのだが、それは日本がよかったからそう見えたってことなのだろう。
スタジアムが簡単に一喜一憂していたことも、日本にとって大きな追い風になっていたのは間違いあるまい。
まあとにかく、この2試合で「いいときの日本はここまでできる」というのがはっきり見えたのはすばらしいことだ。
あとはその「いいとき」をいかにコンスタントに出せるかが勝負だ。来年の本番で結果が残せるといいねえ!

仕事が終わるといそいそと電車に乗り込み、いろいろ乗り換えて小机駅まで。小机といえば横浜国際総合競技場。
いわゆる日産スタジアムである。そう、今日は天皇杯の4回戦、横浜F・マリノス×AC長野パルセイロ戦があるのだ。
先日、JFLで優勝を決めた長野パルセイロだが、これまでになんと名古屋グランパスを倒し、ギラヴァンツ北九州を倒し、
今年の天皇杯における台風の目となっているのだ。かつて北信越リーグ時代に浦和を倒した松本山雅もそうだったが、
長野県代表はなぜかジャイアントキリングをやってのけるということで、サッカーファンにはよく知られているのだ。
そして今日の相手はJ1で首位を走るマリノス。相手にとって不足はないどころか、これ以上ないシチュエーションである。
これはもう、観戦しないなんてありえない。というわけで、今日一日限定の長野サポとして応援しようじゃないの。

メインスタンド、ほぼど真ん中に陣取って周りを眺めるが、信じられないことに8:2くらいでオレンジ色の方が優勢である。
さすがにゴール裏の量と声援ではマリノスの方が圧倒的だが、ここがマリノスのホームスタジアムであることを考えると、
むしろ長野側の健闘ぶりが際立っている。平日の夜なのによくまあ、と呆れてしまう。長野も本気になってきたか。

試合が始まると、やはりマリノスがボールを持つ展開となる。スタメンを見ると栗原もドゥトラもマルキーニョスもいて、
そんなにメンバーを落としているわけではない。確かにリーグ戦が佳境で天皇杯に全力を注げない状況ではあるのだが、
だからといってカテゴリーが2つ下の長野に負けることは究極的な屈辱なのは間違いない。手を抜けるはずがない。
しかも長野はすでにJFL優勝を決めており、天皇杯に全力でぶつかってくるのは明白。隙を見せるわけにはいかないのだ。
マリノスは焦らずボールをまわしながら長野の守備の穴を探っていく。取られたら即、取り返して圧力をかけていく。
対する長野もしっかりブロックをつくりながら、チャンスと見るや前線からのハイプレスを敢行してみせる。
足下の技術に差があるのは、はっきりとわかる。収まるマリノスと対照的に、長野のトラップはどうしても大きい。
しかしそこを気持ちでカヴァーして粘っている。結果、本当に見応えのある好ゲームが繰り広げられることとなった。

両チームともしばらくガマンの時間が続いたが、前半31分に試合は動く。マリノスが左サイドでボールをつなぎ、
クロスがあがった次の瞬間にボールがゴールに入っていた。遠くでよくわからなかったのだが、混戦の中、
どうやらクロスボールが長野のDFに当たってしまったようだ。押し込んだマリノスが偉かった、ってことだろう。
しかし6分後に長野はFKを得ると、エースの宇野沢が直接決めて同点に追いつく。これにはしびれた。
宇野沢がJFLどころかJ2すら超えるレヴェルの選手であることは十分知っているが、それにしてもこのFKは見事だった。
その後のプレーで宇野沢は頭を負傷するものの、包帯をグルグルに巻いてプレー続行。しかもその動きは別格で、
周囲を生かしながら自分もまた生きるそのプレーは、ピッチ上ではっきりと輝きを放っていた。本当にかっこいい。

  
L: 長野パルセイロのゴール裏。晴れの舞台ということで、平日夜にもかかわらずこれだけの勢い。いやはやすごいもんだ。
C: 左からのクロスにほとんどオウンゴールという感じのマリノスの先制点。それだけ押し込んでいたから文句ないです。
R: 対する長野も宇野沢(右端)がFKを決める。ものすごくわかりづらいが、ゴール右隅に鮮やかに決まったのだ。

前半終了間際にも長野はバーに当たる惜しいヘディングシュートが出て、勝負はまったくわからないままハーフタイムへ。
客観的に見れば予想外の善戦ということになるのだろうけど、長野は劣勢でありながらも一筋縄ではいかない何か、
そういう嫌らしさを存分に発揮していた。格下なのは確かだが、何か貫禄めいたものを感じさせる堂々たる戦いぶりだ。
メインスタンドでは「もしかしたら……、もしかしちゃうんじゃないの!?」という期待がうっすら広がっている。

後半に入ってマリノスは積極的に攻め続けるものの、体を張る長野の守備からどうしてもゴールを奪うことができない。
すると59分、ついに病み上がりの中村俊輔を投入。長野サポから「やめて~!」と悲鳴があがるのがちょっと面白かった。
中村が入ったことでマリノスの攻撃はがぜん迫力を増す。長野は自陣に釘付けになる時間がかなり長くなってしまう。
それでも宇野沢を中心にカウンターを仕掛け、前がかりになっているマリノスを焦らせるシーンもしっかりつくる。
中村のプレーはまさにレジスタのそれで、遠藤がこないだのオランダ戦で見せた、あるいはふだんG大阪で見せている、
フリーになって空いているスペースにボールをどんどん供給するプレーをする。ときにはディフェンスラインまで下がり、
さらにはゴール前の混戦にまで顔を出し、やたらめったらボールを受けては一番イヤなところにパスを出す。
ひょろっと立つ姿は明らかに本調子ではなさそうなのだが、そのセンスと運動量はほかの選手とまったく別次元で、
敵ながら思わず見とれてしまうほどだった。しかしどんなに押し込まれても長野は耐えて、カウンターを仕掛ける。
そして決着がつかないまま、ついに延長戦に突入。JFLの長野パルセイロ、まさかここまでやってくれるとは!

  
L: シルエットで誰だかわかる中村俊輔。今シーズンはキレキレで、体調が万全でなくても段違いの実力を発揮していた。
C: 後半は中村が効いてマリノスが攻めまくるが、長野は集中して対応。特にマルキーニョスは完全に封じ込められていた。
R: 延長戦の前、えらい長いことミーティングをやった後に円陣を組む長野の皆さん。最高のジャイアントキリングなるか!?

延長戦の前半も長野はよく耐えていたのだが、ヴァイタルエリアの中村にいったん戻すと、左サイドのドゥトラにパス。
ペナルティエリアまで侵入したドゥトラは積極的にシュートを放つと、これが長野のDFの足に当たって止まる。
その瞬間を見逃さないのがJ1なのだ。藤田が鮮やかに蹴り込んで、ついにマリノスが長野を突き放した。

ところがここからの長野の反撃が凄かった。延長戦も後半に入り、後のなくなった長野は怒涛の攻撃を繰り広げる。
完全にマリノスを押し込んで、実に四度にわたる決定機をつくりだす。が、どうしても決まらない。ゴールが遠い。
シュートは枠をそれていき、長野のサポーターは頭を抱えて座り込む。「なぜ、なぜ決まらない!」と僕も叫んだ。
長野の選手たちは懸命に襲いかかるのだが、どうしても最後のところでボールがゴールから逃げていくのだ。
頼みの宇野沢もゴール前でつぶされ、片腕を伸ばしたGKにシュートを阻まれ、得点することができない。
結局、そのままマリノスが2-1で逃げ切り、長野の快進撃はここで止まった。しかし、本当に誇らしい敗北だった。

  
L: 延長前半、マリノス・藤田のシュートが決まってしまう。一瞬の決定力は、さすがJ1。押し込まれるとどうしてもこうなる。
C: 延長後半に怒涛の反撃をみせる長野。これは宇野沢がつぶされたシーン。長野は果敢に攻めるもあと1点が本当に遠かった。
R: 試合後、インタヴューに答える長野の美濃部監督。徳島時代(→2011.7.16)とは違う、非常に魅力的なサッカーを見せてくれた。

この試合は、天皇杯という究極のカップ戦だからこそ実現した、サッカーの魅力を最高に凝縮した試合だった。
ふだんなら戦うことのないチームが、カテゴリーを超えて対戦する。弱者であるはずの長野と強者であるはずのマリノスが、
それぞれに持ち味を出し合いながら拮抗した戦いを繰り広げた。まずそこにサッカー本来の魅力が示されていた。
そして延長戦後半の長野の戦いぶりは、ゴールという結果につながることはなかったとはいえ、すばらしいものだった。
一瞬たりとも目を離すことのできないこんなに面白い試合は、そうそうお目にかかれるもんじゃないだろう。
JFLとJ1がこれだけ魅力的な試合をやったという事実は、日本のサッカー文化の成長を証明するものであるはずだ。
まあ欲を言えば、できることなら試合後に、マリノスサポには長野パルセイロをコールで讃えてほしかった。
そうすることで、お互いを讃えあう、さらにすばらしい関係を築くことができただろう。もったいなかったなあと思う。

 試合後、選手たちを讃える長野サポの皆さん。どっちも、よう戦った。

……が、僕には非常に残念なことがひとつあった。それは毎度おなじみ、サポーターの観戦態度だ。
メインスタンドの長野サポーターの中に、審判を中傷したりマリノスを小馬鹿にしたりする声をあげる男がいた。
わざわざ横浜まで来て品性・知性のない罵声を浴びせることは、長野県全体の恥をさらすことだと気づかないのか。
痛んでいるマリノスの選手に「(早く)出ろ!出ろ!」と叫び、業を煮やしたマリノスサポに「お前が出ていけ!」と言われる。
挙句の果てには、ピッチ上のマリノスの選手から直接注意される始末。長野県出身としてオレが恥ずかしかったよ。
もったいないのは、彼がポジティヴな声援を送るときには、すごく「いい」ことだ。その純粋な言葉が、すごく響くのだ。
「死ぬ気でいこうぜ!」「がんばれ!」そういった単純な言葉で鼓舞する声は、スタンドをひとつにする効果を持っている。
でも語彙が足りなくなって、ついつい罵声になってしまう。残念ながら、長野市民のサッカー観戦レヴェルはまだまだ低い。
ぜひとも周囲のサポーターたちと応援のレヴェルを高めあって、長野県全体の評判を上げていってほしいと心から願う。


2013.11.19 (Tue.)

昨日がんばって出題する問題はだいたい固まったので、今日はひたすらIllustratorでレイアウトを調整していく。
この作業が細かくって面倒くさいのだが、ここにこだわっているからこそIllustratorを使っているのである。
前の学校ではALTに「えー、Illustratorでテストつくってんの!? クール!」と(英語で)言われたもんだが、
わかってくれる人はわかってくれるのである。やっぱMSゴシックなんてかっこ悪いぜ。小塚ゴシックの威力を食らえ!

今回のテスト制作はペースが早い分だけイージーミスがありそうで不安である。慌てるとどうしても隙ができるのだ。
とはいえここで一気に進めておかないと、今週末に安心して旅行ができないのだ。注意深く作業をやっていくのみ。


2013.11.18 (Mon.)

授業5連発は本当にキツイのだ。すっかりヘロヘロ。で、放課後も帰宅前の喫茶店でもひたすらテストづくり。
この作業をしていると、勝負は集中力だと思う。よけいなことを一切考えずに、時間いっぱい仕事をやりきる。
僕はその能力だけでここまでどうにか生きてきている。その自慢の集中力で一気に大勢を決めてしまう。

3年生のテスト問題について、僕にはちょっとだけこだわりがある。読解問題は対話と長文の2題を用意するが、
そのうち長文は伝記にする。理由は簡単、つくっているオレ自身が興味を持って読めるから。伝記って面白いのよ。
国語や英語の問題で出てきた人物に興味を持って知識が広がる経験が僕にはめちゃくちゃたくさんあったので、
それと同じ感覚を生徒にも味わってもらいたい、ということでやっているのだ。エピソードも書き足しやすいし。
まあ出題範囲の都合で毎回必ず伝記にできるわけではないのだが、できるだけ伝記を出すように心がけている。
ただ問題を解いてそれでおしまい、ではつまらないのだ。せっかくだから刺激をやりとりする機会にせんとね。


2013.11.17 (Sun.)

午前中は日記を書いて、午後は川崎に出てテストの中身を考えるも、イマイチ不発。
気分転換ということで買い物を楽しんじゃったのであった。うーん、本末転倒。こりゃまずいな……。


2013.11.16 (Sat.)

日本代表のヨーロッパ遠征・第2弾の第1弾、オランダ戦である。強豪相手にどれだけ戦えるのか、心の底から楽しみだ。
しかし「オランダ戦」というと、4年前の悲しい記憶がどうしても蘇ってくる。そう、岡田監督で0-3で負けた試合。
当時の代表には現・京都監督の大木さんがコーチに入っており、岡ちゃんから「接近・展開・連続」なんてフレーズも出て、
日本の志向するパスサッカーがオランダにどれだけ通用するかが注目を集めた。そして前半は、互角に戦っていた。
だが日本のプレスは90分間続かず、失速した後半に3点を奪われた。オランダの得点はどれもアジアの発想にないもので、
高い技術に裏打ちされた、一瞬で相手の隙を衝くプレーによるものだった。この敗戦が日本に大きなショックを与えて、
岡田監督はポゼッションへの理想を捨ててカウンター重視のサッカーへと転換することになる。苦い記憶である。
そして先月のヨーロッパ遠征で、ザッケローニ率いる日本代表はまったくいいところがなく、解任論まで出ている状況だ。
4年の時を経て再びオランダに挑む日本代表は、W杯に向けて今度こそポジティヴな内容で戦いきれるのだろうか。

まず驚いたのがスタメンで、GK西川・MF山口螢・FW大迫ときたもんだ。香川と遠藤がベンチスタートで、
ここんところ微妙な感じもする川島も先発からはずれた。ザッケローニの思惑がものすごく気になるスタメンだ。
そして日本は序盤からやる気を感じさせるプレーぶりをみせる。オランダ相手にも臆せず、よく押し込んでいる。
先月のヨーロッパ遠征での失敗(セルビア戦・ベラルーシ戦)を取り返す意識が感じられるのはいい傾向だと思う。
まあでも、それは4年前も同じことだった。上でも書いたように4年前にも果敢に攻めたが、最後は引っくり返された。
それがなければいいんだが、とひたすら祈るような気持ちでテレビ画面を見つめるのであった。

しかし先制したのはオランダ。前半13分にロングボールが入り、内田が変なふうにヘッドで当てたらあっさり奪われ、
そのままファン=デル=ファールトに決められた。ウッチーはふだんドイツでやっているくせに、世界レヴェルの球際の強さ、
急に速くなるスピードを忘れていた感じだった。そう、オランダはやはりプレーのひとつひとつが上手いのである。
体の入れ方にしても、視野の広さにしても、「こうすればいい」という方法論が体に染み付いているのが見ていてわかる。
たとえばボールホルダーに対する寄せ方だが、自分ひとりが単にパスコースを切るだけの守備にはなっていないのだ。
一緒に守備をしている味方との連携で、ボールホルダーからパスが出たその先で相手を封じる動きになっている。
また、オランダはボールの転がり方、撥ね方を熟知している。だからパスの処理速度が日本とは違いすぎる。
あまりにも相手が上手いと、こっちの想像力を超えたプレーをしてきて、なす術もなくやられてしまうことになる。
部活の練習を通して、サッカーが上手いとはそういうことだとわかった。想像力の引き出しに差がありすぎるのだ。

日本の想像力を超えるパスワークはさらに展開され、39分にはファン=デル=ファールトが信じられないサイドチェンジ。
左サイドからのボールを胸トラップしてそのまま右サイドに送ってしまった。これには思わず「うわー!」と叫んじゃったよ。
そしてそこからペナルティエリア付近まで入り込んできたロッベンがシュート。レヴェルが違いすぎる2点目を叩き込まれた。
この一連の流れはあまりにも美しすぎて、すっかり絶望的な気分になってしまった。4年前よりひどい状況じゃないか!
……ところが前半終了直前、大迫がやってのけた。いや、その前の長谷部のターンがまず凄かったのだ。
相手を背負った状態からきれいに抜け出してラストパスを送ると、ダイレクトで大迫がゴールの隅に決める。
長谷部のプレーは世界クラスのものだったし、この時間帯にこの状況で決めるところが大迫の凄みなのだ。鳥肌が立った。
先月のヨーロッパ遠征とは異なる展開が、この大迫のゴールで引き出されることとなった。値千金とはまさにこのこと。

後半、N.デヨングがベンチに下がり、遠藤と香川が入ったことでゲームの内容は完全に変化する。
すべてがポジティヴになり、オランダのスピードにつられて日本のパスもスピードアップした感じさえする。
コンフェデのときのイタリア戦前半(→2013.6.20)みたいな印象である。これができれば日本は互角以上に戦える。
後半の日本はもう面白いほどに躍動し、次から次へとアイデアを凝らしてオランダゴールへと迫っていく。
そして59分、遠藤の右サイドへのロングパスを起点に、大木サッカーのようにスモールエリアでの鮮やかなパスがつながり、
最後は大迫の落としに「これは取れないだろ!」という早いタイミングで本田がシュート。これは日本代表がついに、
オランダの想像力を超えた瞬間だった。百戦錬磨のオランダの想像力を、日本の選手たちが超えてみせたゴールだった。
それにしてもサッカーってのは面白い。香川が入ったことで前半ほとんど存在感のなかった本田が急激に輝きだした。
そして今日の遠藤はガンバの遠藤だ。相手の干渉を受けない位置から自在のロングパスで勝負をつけにいっている。
選手たちそれぞれの持ち味がきちんと発揮できればここまでやれるんだ、というのを世界に示している。痛快この上ない。

その後のオランダは完全に防戦一方。まさか日本代表がオランダに、失点しないように必死なサッカーをやらせるとは。
今までまったく想像することのできなかった「怯えるオランダ」が、画面に映し出されている。どっちがネコでどっちがネズミだ。
日本は最後までオランダを圧倒、オランダは3点目を喫しなかっただけよかった、そんな空気で試合は終わった。
しかし柿谷が絶好のチャンスをはずしたのはもったいなかったなあ……。本人がいちばんそう思っているだろうけどね。
まあ、この借りはW杯の本大会で返してくれればよし。本当に面白い、本当に痛快な試合だった。

それにしても松木は絶好調すぎないか。純粋に、ものすごい頭の回転をしているとは思う。そこは本当にすごい。
いい加減なコメントではあるけど、あのスピードであれだけ出せるってのは、そりゃあやっぱり非凡だよ。
でも最近、実際にサッカースタジアムに行くと、いい加減なことを言う観客が前より増えている気がするのだ。
松木の解説が少なからず影響を与えている気がするんだよなあ……。そこは勘弁願いたいんですけどね。


2013.11.15 (Fri.)

仕事が終わると渋谷に出て、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を見る。
魔法少女モノのアニメと高をくくってテレビ版を見てみたら見事にやられた僕としては(→2011.12.21)、
完全新作の劇場版は絶対に見なくてはならない作品なのだ。それはもう、大いにワクワクドキドキして劇場へ。
そしたらほとんど満員の勢いで、あらためて『まどか☆マギカ』の人気を実感した。まあそうだよな。面白いもんな。

さて、今回もなるべくネタバレなしでレヴューを書いてみたいと思う。でもその作業はテレビ版のときよりは簡単だ。
テレビ版はその真相へ切り込む展開じたいが伏せられるべきものだったが、劇場版はその「裏切り行為」が前提だから。
すでにテレビ版を経験している観客たちは、いかに自分たちを裏切ってくれるのか、それを大いに期待している。
だから「いかに見事に裏切っているのか」「その裏切りは効果的なものなのか」、そこに焦点を当てればレヴューになる。

結論を一言で述べれば、「これは駄作とは言わないが、完全に蛇足である」となる。「ださく」と「だそく」、その差。
「叛逆の物語」というサブタイトルは実に的確で、「叛逆しすぎやろ!」と思わず叫びたくなる展開が続いていく。
しかしその叛逆、つまり裏切りが見事かと問われれば「蛇足」と返すしかないし、裏切りが効果的かと問われれば、
「いや、それ以前に蛇足」としか言いようがない。やらんでもいいことをわざわざやっている、そういう作品である。

ファンタジー脳(能?)のない僕は、相変わらず物語内部における論理的な展開にぜんぜんついていけなかったのだが、
ついていけないなりにがんばって考えて、魔女の正体ととりあえずの黒幕についてまでは読むことができていた。
しかし物語はそこからさらに裏切る。その展開はまったく予想できるものではなかったので、大いにうろたえてしまった。
結果だけを見れば、そこに大多数の観客が望むシチュエーションはある。内部のキャラクターひとりひとりは幸福だろう。
しかし、観客たちとほむらだけは、真実を知っている。真実を知っていることで、外側に取り残されることになる。
これは「裏切り」としては鮮やかではあるが、わざわざ前作の感動的な終結に付け加えるほどのものとは思えない。蛇足だ。

まあはっきり言って、この劇場版は、二次創作である。公的な規模でやっている、しかし私的な発想の二次創作なのだ。
(二次創作についての僕の詳しい見解は、こちらの過去ログを参照してくださいまし。→2007.11.9
せっかく前作のラストで共有できた感動を、わざわざ壊して何が楽しいのやら。蛇足、泥を塗る、そういった類のものだ。
「裏切り行為」を純粋に娯楽として楽しめる人は、続編がつくられてまあよかったんじゃないのかな、とは思う。
しかし僕にはこの上なく蛇足だ。公的二次創作でここまで見事な蛇足をやってのける事例はそうそうないだろう。
たぶんこの作品はコアなファンとライトな層を分ける役割を果たすんだろうけど、客観的に見て、蛇足以外の何物でもない。


2013.11.14 (Thu.)

9月のログでロックマンのアレンジCDについてあれこれ書く予定だったが、入りきらなかったのでここで書く。
6年前にはロックマンが20周年ということでロックとテクノのアレンジCDがそれぞれ発売されたが(→2008.1.29)、
つまり昨年はロックマンの25周年だったのである。……四半世紀! 時間の流れの恐ろしさにただ驚愕するのみだ。
で、25周年記念のアレンジCDがやはりロックとテクノでそれぞれ発売されたので、1年遅れでレヴューを書くのだ。

まずは『25th Anniversary ロックマン Rock Arrange Ver.』から。
収録曲にメドレーがやや多い印象を受ける。しかしメドレーってのは基本的には「逃げ」であるように僕は思う。
いいとこ取りをすることでお茶を濁そうとする精神は気に入らない。正々堂々と原曲の隙間を埋めてほしいものだ。
全体を総括すると、残念ながらアレンジの完成度がきわめて低い曲がほとんどだ。まともに聴ける曲はまあ1曲、
ロックマン4のコサックとワイリーをつなげた曲ぐらいしかない。あとは加工のしすぎで原曲の痕跡が薄い曲ばかり。
アレンジとして変化球ばかりで、まったく魅力に欠ける。聴くに値する曲が本当にないのである。ひどい有様だ。
20周年のときとは比べ物にならないほどクオリティが大幅に落ちていて、もう心の底から悲しくなるのみである。
こんなもん聴いてもぜんぜん楽しくならねえよ、という自己満足な曲ばかり。これはリリースしない方がいいレヴェル。

続いては『25th Anniversary ロックマン Techno Arrange Ver.』だ。
第一印象は、「ぱっとせんなあ」。ロックの方に比べるとイラつくアレンジは少ないが、ぱっとせんなあ、である。
しかしこれまたメドレー比率と原曲の加工度は高く、僕としてはあんまり満足できる内容ではない曲が続く。
とはいえ「Mr.X Stage from ROCKMAN6」はしっかり褒められるし、それ以降はきちんと聴ける曲が収録されている。
原曲に思い入れのないロックマン8以降のアレンジなのだが、純粋にきれいな感触の曲が多くてまずまず楽しめた。
結論としては、やっぱり不満だなあ。名曲ぞろいのロックマン1・2・3あたりで楽しめるアレンジを聴かせてほしかった。

しつこいけど、前に書いたことをここでもう一度繰り返させてもらおう。
「アレンジは原曲に何をプラスするかが重要になる。ロックマンなら原曲を生音で鳴らすだけでも成立してしまうけど、
原曲のどの部分を伸ばして強調するかがセンスの見せどころなのだ。そこで共感を得られれば、名アレンジとなる。
つまり原曲を骨の髄までしゃぶるようにして解釈しないといけない。(→2013.9.25)」……これなのだ。
せっかくの25周年企画だったのだが、独りよがりなアレンジが大半になってしまっていて、非常に残念である。
もし30周年でまた新しいアレンジのアルバムが出るのなら、ぜひ原曲を尊重したアレンジを聴かせてほしいと思う。


2013.11.13 (Wed.)

本日は区の英語の発表会。スピーチと英語劇に謎の小学生の歌というラインナップで、行く前からゲンナリである。
会場にはわりと早めに着いたのだが、そもそも責任者がいない状態で開催されたので、何がなんだかわからない。
しょうがないのでボランティアで受付をやったけど、ここまで段取りの悪い運営ぶりは初めてで、心底呆れた。

でも、心底呆れたのはそれだけじゃない。さすが都会の区ということで、参加する生徒の発音は全体的に高レヴェル。
しかし暗記も審査対象となっていたにもかかわらず、優勝者は原稿用紙をガン見しており、まったくワケがわからない。
審査員のほとんどはALTで、連中は単にネイティヴに近い発音を評価しただけじゃねえか!と、かなりイラついた。
(ちなみに、ウチのALTは「あの審査は絶対におかしい」と言っていた。ホントにウチのALTは人間性が立派だわ。)
そして2位・3位・4位と、入賞者は全員、区内の英語科をまとめる立場の先生がいる学校から出たんでやんの。
そもそも、入賞が4位までって何!? ふつう3位か5位だろと、会場の皆さんは総ツッコミしたと信じたい。

そして英語劇部門がまたひどくて、指導したのはかなり有名な先生らしいんだけど、これがもう泣きたいくらいのデキ。
開会前に「魅せますよ」とか言ってガッツポーツしておいてコレ!?と目が点になってしまったよ。呆れ果てたね。
まあ僕はもともと英語劇なんて生徒を巻き込んだ教員の自己満足でしかないと思っているわけだけど(→2011.8.21)、
それにしてもこれには本当に呆れた。恥を恥と思わないのもここまで来ると立派だな、とため息が出るばかり。

帰りにはALT連中がその英語劇の中のセリフを茶化して笑いながら歩いているのを見かけるし、気分は最悪。
ウチの生徒が努力した成果をしっかり発揮できたのが唯一の救いだ。もうこんな会には二度と参加したくないね!

そうとうに怒りを溜めた状態で、上京してきたcirco氏と合流。冷静さを欠いていて申し訳なかったけど、
最近は本当にそういう怒りが多くてかなわん。きちんと頭を使って考えることのない人間が多すぎてイラついてばかりだ。
自分が賢いとはまったく思わないが、まるっきり思慮のかけらもない行動をあちこちで見せつけられて毎日が不快である。


2013.11.12 (Tue.)

急に僕の中でTHE SQUARE/T-SQUAREを再評価する機運が高まってきて、『The Box』を中古で買ったのだ。
今までのアルバムをリマスタリングしたものにDVDを加えて全44枚組というシロモノで、MP3づくりが大変である。

THE SQUARE/T-SQUARE(面倒くさいので、以下「スクェア」)については前にも書いた(→2006.8.23)。
やはりスクェアは僕にとって、今でもどこか特別な存在なのは確かだ。中学~高校時代をかなり強烈に染めあげて、
僕をメロディ至上主義に仕立て上げた決定的なグループだから。しかし歳をとって相対的にスクェアを眺めた結果、
アルバムのうちの2/3くらいはどうでもいい曲なので、MP3化を機に、所有していたCDをすべて売却してしまったのだ。
で、スクェアのメロディが欲しくなったらiPodを再生。そうして別に不便を感じることもなく過ごしていたのである。
しかしこのたび、意を決して『The Box』を購入した。手元に1枚もCDがなかったからこそ買っちゃったのかもしれない。

リマスタリングして音質が良くなったのは事実だが、そこまでの感動はない。というのも、メロディが堪能できればいいから。
そこで満足できてしまうのだ。確かにひとつひとつの楽器の音は、解像度が上がった感じで鮮明になった。いい音している。
特にベースの音はかなり改善されている。弦の振動が細かいところまできちんと再現されており、実に聴き応えがある。
でもメロディは一緒。聴き慣れたメロディに違いはないので、感動よりも安心感の方が大きいのだ。うれしいことだけどね。
初期のアルバムから2008年のアルバムまでを一気に聴くというのは贅沢な体験だが、すべてを聴いてみて思うのは、
やっぱり僕が10代をやっていた頃のスクェアが最高だってこと。その全盛期をまとめて再びに手元に置いておける喜びはある。
反面、スクェアがどんどんつまんなくなっていったという当時の感覚は、やはり正しかったんだ、という悲しさもある。
僕が離れてからの『Sweet & Gentle』以降では、「Future Maze」を除けばこれといった曲がない。新しい発見がなかった。
(逆を言うと、「Future Maze」はとんでもなくすばらしい。あのドラムスを則竹さんが叩いているとは……。驚いた。)

決して昔を懐かしむつもりで『The Box』を買ったわけではない。リマスタリングがいちばん有力なきっかけだった。
本当はどういう音だったのか確かめたかった、そして僕が知る前のスクェアと僕が離れた後のスクェアを確かめたかった、
そういう気持ちで買ったのだ。で、聴いてみたらやっぱり、スクェアのメロディは僕にとって非常に重要な要素だった。
それだけのことである。なんつーか、スタート地点を確認した感じだね。いいものはいい、それを実感したということ。


2013.11.11 (Mon.)

CAPSULE『CAPS LOCK』。こしじまとしこが初音ミクになっちゃったよー!

このアルバムは「CONTROL」に尽きる。この曲を聴きながら夜の都会を自転車で走り抜けると、もう最高。
でもそれ以外はどれも「中田ヤスタカのダメな方」。CAPSULE(capsule)はいい曲はいいが、ダメな曲は本当にダメ。
このダメな曲の量をいかに抑えるかによってcapsuleのアルバムは完成度が決まる、今まではそういう特性があった。
だが今回の『CAPS LOCK』についてはもう、ダメの極致。時間の無駄でしかない電子音の羅列がほとんどである。
「CONTROL」が非常にいいのでどうにか形にはなっているが、これがなかったら暴動が起きているんじゃなかろうか。
確かに『FRUITS CLiPPER』以降の路線は完全に行き詰まっていたけど、これはとても正解とは言えないね。

まあ、このアルバムを褒めるやつは馬鹿だな。勝ち馬に乗っているつもりかもしれないけど、馬鹿丸出しだな。


2013.11.10 (Sun.)

便座が割れた! どうすりゃいいんだ!? すげー困ってるんだけど! ってか、今の部屋に長く住みすぎていないかオレ!?


2013.11.9 (Sat.)

午前中の部活が終わったら気ままにサイクリングでもしようかと思っていたのだが、いつ降り出すかわからない天気で、
しょうがないから素直に帰って途中でちょろっと日記を書いて過ごす。まあ日頃の疲れを癒すことに集中しましょうか。


2013.11.8 (Fri.)

物欲とは恐ろしいものでございます。あれやこれや、欲しいものだらけでございます。
何かを手に入れるには、何かをあきらめないといけないことは、重々承知しておるつもりでございます。
しかし何をあきらめなくてはいけないのかがわからないまま欲しがってしまうので、困っているのでございます。
とりあえず、旅行と同じように「これを買うのは○月まで待つ」という形でどうにかやりくりをしているわけですが、
買いたいリストの予定表はすでにびっしり、いっぱいなのでございます。待っている間に欲しくなくなるんじゃないか、
なんて淡い期待もしているんですが、あんまり欲しくなくならないんでございますね。欲しいもんは欲しい!
そんな具合に毎日のたうち回っているのでございます。まずiPhoneをやめちゃえば金が浮くんだけどねえ……。

昔は売らなかったくせに今ごろになって発売するBOXセットって、本当に凶悪だわ!


2013.11.7 (Thu.)

授業、授業、プリントづくり、授業、授業、授業、授業、英語スピーチ練習のおつきあい、生徒会、部活。
本日は実質9時間授業でもう本当にヘロヘロでございました。なんなんだこりゃ。働きすぎだぞオレ!


2013.11.6 (Wed.)

『42 ~世界を変えた男~』。「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」についての映画じゃないよ。
全米の野球チームが永久欠番にしている背番号42をつけた男、ジャッキー=ロビンソンを描いた映画だよ。
今度の研究授業の題材にできないかという考えと、個人的な趣味嗜好とで、仕事帰りに見てみたのだ。

ハリソン=フォードがブランチ=リッキー役ということで注目されているようだが、まあわかりづれえ英語だわ。
本当にそういうしゃべりだったんだろうけど、ガッチガチの生の英語はいくら聞いてもわからんですわ。
まあそれはさておき、映画の内容はものすごく正統派である。ニグロ・リーグにいたジャッキー=ロビンソンが、
ブランチ=リッキーにスカウトされてドジャースとマイナー契約を結ぶ。南部を中心に猛烈な差別に遭いながら、
実績を残し、メジャーに昇格し、ドジャースがリーグ優勝を果たすまでを描いていく。実にオーソドクスな映画だ。
めちゃくちゃ面白いというわけではないのだが、当時の雰囲気が細かいところまで再現されていてとにかく興味深い。
「いいもん」「わるもん」もかなりはっきりしている。「いいもん」代表はキャプテンのピーウィー=リース。
背番号1が永久欠番にもなっている名選手で、もうちょっとそのキャプテンシーを強調してほしかったが、まあヨシ。
「わるもん」代表はなんといってもフィリーズの監督だろうけど、まあこの人のしゃべりがひどいひどい。
つまり素晴らしい演技ということなんだが、実際の差別はこういうひどさだったのかー、とすごく勉強になった。

この手の伝記映画は、当時の雰囲気をきちんと再現してつくること自体に意義のあることだと思うので、満足である。
特別すごく面白いというわけではないけど、メジャーリーグファンなら必見。そうでなくても勉強になるのでオススメ。


2013.11.5 (Tue.)

教員とは種を蒔く仕事じゃのう、と思う。義務教育で教える内容は、どれも本来、即効性のないものばかりだ。
教科という形を借りて、その能力は伸ばされる(→2010.8.22010.8.32010.8.42010.8.52010.8.6)。
最近は短絡的な結果ばかりを求めるようになっており、浅ましいことこの上ない。社会全体が近視眼的になっている。
正直な話、すべての生徒が平均点を取れるわけではない。平均点を取れる見込みのない生徒もけっこういるものだ。
そんな連中に勉強を諦めさせずに食らいつかせるためによく言われることは、レヴェルを下げてあげるというもの。
しかしそれで一時的な満足を与えたところで、最終的には何のプラスも残らないだろう。無意味なのだ。

僕は一切レヴェルを落とさない。習熟度別の「苦手クラス」でも平然と発展的な内容を教えている。
こだわっているのは、苦手なりに勉強を続けろということだ。続けようとする意欲にこそ、本当の勉強の意義がある。
究極的には、いま理解できなくても構わないのである。勉強を続けていれば、30年後には理解できるかもしれない。
その部分、30年後まで学ぶ姿勢を保持できること、そこを僕は教えているのだ。それが人間として存在する理由だから。
「勉強って面白い」まで行かなくても、「勉強って面白いのかもしれない」というところまでは最低限持っていく。
世の中にはそういう面白さがあるんだ、ということを僕は教える。だから苦手な生徒もだいたい満足してくれる。

よくたとえ話にあげるのは修学旅行で、奈良だの京都だのあんなもん、中学生にわかるわけがないのだ。
中学生なんて国宝建築物よりも自動販売機のジュースの方が気になって仕方のない生き物なのだ(→2011.9.11)。
それは僕もそうだったので、奈良や京都の良さがぜんぜんわからなくてもまったく構わないと思っている。
それよりも新幹線での往復や、宿でのレクリエーションや、夜中のヒソヒソ話の方が楽しくってもいいのである。
むしろそれくらいの方が健全な中学生だと思う。でも、10代半ばで奈良や京都に行ってみる、その経験が重要だ。
おそらく大人になってから、友達と再び奈良や京都を訪れることになるだろう。そのとき、10代の記憶が発芽する。
自己の時間の経過を経験しているからこそ、歴史という時間の厚みがわかるだろう。そういう仕掛けになっているのだ。
そして、すべては同じことなのだ。教育とは、いつ発芽するのか見当もつかない種を地道に蒔く仕事なのだ。

大切なのは、学ぶという習慣をつけること。結果は人それぞれだが、習慣はみんな同じくついていないと困る。
学んでこそ人間である。ただ食べるだけではなく、学んで考える存在が人間。人間を人間らしく育てるのが教育。
また、将来学びたくなったときに土台となるもの、原点となる場所をつくることも、われわれの仕事である。
歳をとってからようやくわかることがある。そのときに、教育は最大の成果を発揮することになるのだ。
目先の結果にとらわれては、教育本来の機能を見失うことになる。「生きる力」なんて下らないものは教えなくていい。
英語なんて話せるようにならなくていい。大切なものは、もっと向こうにある。そこに目標を定めてやっていく。
旧来のカリキュラムは、その真理を見事に衝いているものなのだ。この高尚なシステムを、絶対に壊してはならない。
50年の休眠期間にも耐えられるだけ詰め込め。最高級のインプットを授けよ。それが本当の教育にほかならない。


2013.11.4 (Mon.)

東京藝術大学大学美術館で開催中の「国宝 興福寺仏頭展」を見に行く。興福寺創建1300年記念とのこと。
仏頭だけなら「えー阿修羅クンいないのぉー? チョーつまんなーい」って感じになってしまう人が多数だろうが、
その仏頭の守護神としてつくられた十二神将の彫像が2種類(立像と板彫、どっちも国宝)ついてくるということで、
着いたらそこには行列ができていたのであった。意外な(失礼)人気ぶりにちょっと驚いた。

展示はまず法相宗関連の書画からスタート。きっちり書かれたお経はきれいだし時間を超えてそれはそれで凄いけど、
見ていてどうというものでもないので、わりとすばやく見ていく。続く偉いお坊さんたちの肖像画も軽やかに見ていく。
この時点では「ふーんなるほどね」くらいの興味関心しかない僕なのであった。法相宗の価値観はわかったけどね。

そして「板彫十二神将像」が登場。要するに平安時代のレリーフというわけである。しばらく見てまわったのだが、
これはたぶん正面から見てしまってはダメで、少し斜めから陰影を十分につけて見るのが正しい、そんな気がした。
デザイン的にはそれほど洗練されていた印象はないが、確かに迫力はあるものが多い。これは個人的な印象だが、
日本の立体デザインは鎌倉時代から飛躍的に発達するように思える(特に慶派の活躍ぶりがその印象を強めている)。
それに比べるとだいぶ素朴だが、インド風味な仏教の想像力の深化がうかがえて面白かった。

地下から3階へ上がると「木造十二神将立像」が登場。インド風味な仏教の想像力は、鎌倉期に入って最高潮に達し、
もうこれが面白いのなんの。まず腰をひねって遠くを見つめる毘羯羅大将からしてやられた。いやー、お見事。
中にはそれほどキレていないデザインの大将さんもいたのだが、概してどれも見応え十分だった。かっこいいねー。
特に伐折羅大将の剣の先から顔を覗き込むと、もう最高。立体造形の極致を存分に堪能させてもらったよ。
それぞれの立像の背後にまわって眺められる工夫もよかった。見学中はずっと興奮しっぱなしだったよ。

最後は仏頭。「興福寺仏頭」という形での記述が目立ち、そこがどうもちょっと気になるところだ。
「山田寺からかっぱらってきたんだろ、素直に書けよ」と僕なんかは思ってしまうんだけどねえ。
平安時代の犯行でもう時効なんだから、そこは歴史の一部ってことで正直にきちんと紹介すべきだろうに。
で、壊れる前の仏頭をCGで再現してぐるんぐるん回しておしまい。うーん、やっぱ木造十二神将立像だな。

というわけで、予想していたよりもずっと面白かった。やっぱり鎌倉期の彫刻はいくら眺めても飽きないね!


2013.11.3 (Sun.)

日曜なんだけど、祝日なんだけど、本日は防災訓練である。学校だけでなく地域の人たちも参加しての大規模なもの。
3年生たちはいちおうスタッフとして参加したのだが、無理やり仕事をつくったようなところがあり、大半の生徒が暇。
これだけ退屈な状況というのはなかなかないだろう、とこっちが同情したくなるくらい。暇な中、よくがんばりました。

防災訓練が終わるとさっさと東京スタジアム(味の素スタジアム)へ。東京V×富山を観戦するのである。
モタモタしていたら間に合わないかも、と思ったのだが、防災訓練が予定どおりに終わってくれたので助かった。
富山については6月にも三ツ沢で観戦しており、そのときにはただ怒りしか湧いてこない惨状だった(→2013.6.22)。
なのであまり期待しないで観戦することにした。いつもならバックスタンドでのんびりするところなのだが、
昼間の試合なので日が差したら見づらいだろうということで、メインスタンドの端っこに座ることにした。
わりとすぐ近くに富山のゴール裏が陣取っており、応援の迫力をけっこう感じることのできる場所だった。

試合が始まると、富山が積極性を発揮。地力から言えば東京Vの方が優位なのだが、しっかりプレスをかけている。
なるべく前からボールを奪い、中盤でパスを回してから左サイドの舩津がグイグイ押し込んでいく、そういう攻撃だ。
ボールを回すシーンでは少し落ち着きがみられる印象。余裕を持って確実につなぐことができている。
受けにまわる東京Vも前線へボールを送ろうとするが、富山の守備が粘り強く対応してシュートまではいかせない。
今日の富山のサッカーははっきりといいサッカーで、これは観に来て正解だった!とうれしくなる。

14分、絶好調の苔口がペナルティエリアの外から放ったシュートがゴールに入った瞬間、富山のゴール裏も含めて、
みんな何が起きたかわからずに茫然としていた。その後の選手の様子から得点したとわかって大騒ぎ。
つまりそれだけ全員の虚を衝くシュートだったのだ。苔口はこれで今シーズン2桁ゴールだ。ついにここまで成長したか。
(相手のパスミスを奪ってからすぐのシュートだったので、遠目からだとかなりわかりづらかったのだ。)
だが喜んでいたのも束の間、2分後に東京VはCKを得ると、ニアの高原が鮮やかに頭で合わせて同点に追いつく。
目の前でやられたゴールだが、あまりに見事だったので富山のゴール裏からも感嘆の声があがるほど。さすがは高原だ。

  
L: 富山はガンガン攻め立てる。前からプレスに、テンポよくボールを回してからのシュートと、なかなかのキレ具合。
C: 前半14分、苔口のゴール。右端の苔口から左端のボールまでかなりの距離がある。これを決めるとは立派だわ。
R: しかしわずか2分後にはCKから高原がゴール。絶妙のタイミングでGKも防ぎきれず。見事なものである。

ゲームはふりだしに戻ったのだが、富山の落ち着きと要所を見極めた攻撃の圧力は健在のまま。
ホームの東京Vを優位に立たせないだけの粘りを発揮し、流れを譲ることなく攻め続ける。こうなると富山は強い。
僕は富山のアウェイユニフォームをかなり格好いいと思っているのだ。白−黒−白というシンプルな配色がいい。
しかもよく見ると白にはグレーの縦縞が混じっていて、それが特におしゃれだと思っているのである。
そんな富山のユニフォームが躍動する姿は、ひたむきさが強調されていて、見ていて非常に気持ちがいいのだ。

36分、中央でパス交換したところを、清水からレンタル移籍で加入した白崎が決めて富山が勝ち越し。
サイドからもえぐるし中央からも切り込んでいく富山は、追加点は時間の問題、という雰囲気を漂わせていた。
しかしその雰囲気を実際の得点に結びつけるには個の力が必要で、それを白崎が実現してみせた、ってところだ。

後半に入って東京Vは攻撃意識を高めるが、富山は相手の攻撃ひとつひとつを丁寧につぶして対応する。
まずいシーンもなくはなかったが、落ち着いて人数をかけた守備ができており、それほど緊迫する場面はなかった。
むしろ、東京Vの攻撃に鬼気迫るものが感じられなかった点が不思議なくらいだ。東京Vはこの試合で負けてしまうと、
プレーオフ争いからの脱落が現実味を帯びてくる。にもかかわらず、点を取るためのプレーはほとんどなかった。
途中、激突した両チームの選手がまったく動けず、ふたりとも担架で運び出されるというアクシデントがあったが、
変にエキサイトすることもなく時間は過ぎていく。先月(→2013.10.20)とは違ってフェアな試合でよかった。
結局、焦らず着実にゲームをコントロールした富山が、6分というアディショナルタイムも切り抜けて勝利。
富山サポの皆さんにとっても、アンチヴェルディで安間監督びいきの僕にとっても、会心の試合となった。

  
L: 富山はパス交換からゴール前の混戦を呼び込むと、フリーとなった白崎の前にボールが出る。
C: これを決めて富山が勝ち越す。いいときの富山の試合は本当に面白い。悪いときは本当にひどいけど。
R: 試合終了後、サポーターの前で踊りだす富山の選手たち。まったく慣れていない感じが初々しい。

富山はいつどんな試合でも、このサッカーができるようにならないといけないですな。いかにムラをなくしていくか、
そこが課題だと思う。どんな相手であろうとこのサッカーを貫くことができれば、めちゃくちゃ魅力的なんだけどなあ。

夜は夜で、日本シリーズ第7戦だぜ! どうすんだ楽天、と思っていたら、美馬がすんばらしいピッチング。
そうか、美馬がいたからマー君を昨日投げさせたのか、と感心しながら見ていると、なんと則本も登板した。
そしてテレビではブルペンで投げるマー君の姿を中継。解説の工藤も古田も、もちろん視聴者の僕も絶句してしまう。
「こんなの、マンガやん……」つぶやいてみるが、現実はマンガ以上の興奮で迎えられることになった。
最後はマー君が三振で締めて楽天がついに日本一。これはもうまさに、神がかっているシーズンだった。
12球団の中にひとつだけマンガのような球団が混じっていて、ウソのような現実をやりきってしまった。
こんなことが本当に起きるのか、と今も信じられないが、貫徹してしまったんだからもうそれに酔うしかない。
後世はこの事態をどんな歴史として評価するんだろうか。伝説を目の当たりにしてしまった興奮がまだ冷めない。


2013.11.2 (Sat.)

本日は前任校の文化祭ということで、朝からお邪魔させてもらったのであった。ウチは運よく休みだったのね。
午前中は各種舞台発表で、午後は合唱コンクール。去年まで当たり前だったものが当たり前じゃなくなったこと、
去年までその中心で「SPみたい」と言われつつ動きまわっていたのに今はお客さんとしてのんびり座っていることなど、
ひとつひとつがどうにも違和感でいっぱい。慣れている環境のはずなのに、よそよそしくする感じがなんともねえ。

発表じたいはどれも本当に堂々としていて、たいへん立派なものだった。いい伝統ができているな、と実感する。
午後の合唱コンクールも、3年生の成長ぶりをしっかりと見させてもらった。一言で表現すると、たくましくなった。
あれだけ頼りないと言われ続けた連中だが、もはや例年の最上級生と比べてもまったく遜色のない風格があったよ。
まあ細かい点では疑問を感じるところもあった。1,2年生の課題曲が一緒で、同じ曲ばかり聴かされてウンザリしたし、
吹奏楽部の演奏もアンコールがないなど、正直それはどうだろうと思う。また、2年生は明らかに調子に乗りすぎている。
オレがいなくなったことで、とは言わないが、でもそう言えそうな歯止めの利かなさを感じる。ここもやや不快だったね。
で、当然のごとくPTA合唱には戦力として参加。そのために来たんじゃないの、と案の定言われたのであった。

ちなみに3年生の女子はいい感じに歓迎してくれたのだが、2年生の女子は相変わらずのキモイキモイコールなのであった。
男子は妙によそよそしいんだよな。節度ある対応と言えば確かにそうなんだけどね。みんな歳相応に成長したってことか。

夜は「反省会」に呼ばれたので、部外者なんだけど出席。出るかどうかとことん迷ったのだが、呼ばれるうちが華なので、
結局出席したのであった。準備の段階をまったく知らないで反省会だけ顔を出すのはやっぱり申し訳なくてたまらないが、
久しぶりに「ホーム」の飲み会でもあったので、しっかり堪能させていただいた。いや本当にありがたいことです。
気心が知れている同士のなんでもない雑談がいちばん楽しいのよ。皆様、すてきな一日をありがとうございました。


2013.11.1 (Fri.)

今日も今日とて日記を書いております。本日ようやく、今年の帰省旅行の分を書き上げることができた。
しかしまだ夏休みについては山陰旅行が3/6も残っているので、そこを早いところ仕上げてしまいたい。
今月はテストに研究授業にけっこういろいろ予定が入っており、先月ほど日記に集中できそうにない感触なのだ。
とはいえ部活の終了時刻が30分繰り上がるので、そこを上手く活用して早く負債を清算してしまいたいものだ。
日記の負担が減ればその分だけ、本を読んだりDVDを見たり、インプットに時間を割くことができるようになる。
最近はそういう欲が以前よりも出てきているので、それを逃してしまいたくないのである。オレは勉強したいんだよ。


diary 2013.10.

diary 2013

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