diary 2021.12.

diary 2022.1.


2021.12.31 (Fri.)

小雪が舞う中、今日も今日とてカフェで日記である。大晦日なんて関係ないのである。
そうして勢いにまかせて、こないだの千葉シリーズ3連発の2日目までを書き上げる。オレ偉い! オレ大きい!
しかし体力の限界……気力もなくなり、本日はここまで。日記に始まり日記に終わる一年。まったくもっていつものこと。


2021.12.30 (Thu.)

年末大掃除である。午前中に昨日までの千葉3連発写真を整理する。首都圏の市役所を早く終わらせなければと反省。

午後は意を決してトイレと風呂と台所の掃除。正直かなり久しぶりで、徹底的にやるには道具が足りない感触。
それでもできる限りできれいにはした。きれいなうちに追い込みをかけないと、またズルズルと汚れていくのだ。
年が明けたらハンズでいろいろ揃えよう。しかしハンズもいつまでハンズでいてくれるのやら。切なくってたまらない。

夕方はカメラを修理に出す。夏に壊れた箇所を冬の間にきちんと直しておくのだ。5ヶ月間、よくもってくれたと思う。

夜は年賀状づくり。新年が来る2日前ですいません。昨年は移籍報告もあって早めにつくったのだが、今年は例年どおり。
いろいろ考えるのが面倒くさいので、前年に訪れた場所の中で最も印象に残った景色の写真でお茶を濁しております。

2018年 果無集落(→2017.7.22
2019年 国賀海岸(→2018.7.28
2020年 尾瀬の燧ケ岳と至仏山(→2019.9.222019.9.23
2021年 宮島・弥山からの眺め(→2020.2.24)
2022年 青の洞門(→2021.3.29)

去年も今年もコロナの影響でろくに動けていないので、消去法で一択となっております。来年は絶景をたくさん見たい。

……そんな感じで懸案事項を地道に片付ける一日なのであった。来年は運気がよくなりますように。切実でございますよ。


2021.12.29 (Wed.)

千葉シリーズ最終日は我孫子からのスタートである。が、改札は抜けない。青春18きっぷだから気にしなくていいが。
用があるのは我孫子駅のホームなのだ。そう、鉄道マニアからも立ち食いそばマニアからも熱い支持を集める逸品、
弥生軒の「唐揚げそば」をいただくのである。しかも弥生軒、かつて山下清が働いていたというエピソードまである。
期待に胸を膨らませてホームに降りると、さっそく唐揚げそばを注文。時刻は8時ちょい過ぎ、客はすでにいっぱい。
そして出てきた唐揚げそばは、目を疑うヴォリュームなのであった。店先の見本の写真よりも明らかに唐揚げがデカい。
ふつうの唐揚げなら4~5個になるであろう肉塊がそばの上にボン!と鎮座している。これで一気に目が覚めましたなあ。

  
L: 弥生軒にある山下清の紹介文。読みやすい字に驚かされる。デザインとして成立しているのが、本当にさすがだなと。
C: こちらも紹介文。魚のイラストが明らかに非凡。  R: 唐揚げそば。これを440円で売っているとか、わけがわかりません。

満腹になって成田線をさらに東へ。「きのした」ではなく「きおろし」と読む木下駅で下車する。
本日最初のターゲットは印西市役所なのだ。印西市というと千葉ニュータウンのイメージがたいへん強いが、
市役所があるのは木下宿のあった木下駅の方。なお本来の中心部は、利根川の水運で栄えた木下河岸の辺り。
利根川とは反対側の南口から南西へ10分ほど歩いていくと、山を背にしてそびえる印西市役所に到着である。

  
L: 印西市役所。  C: 印西市役所はしっかり北向きなので基本的にいつでも逆光になる感じ。  R: 北西から見たところ。

  
L: 西から見た側面。  C: 西から背面を見ようとするとこれが精一杯かな。  R: エントランスホールを覗き込んでみた。

  
L: 北東にある附属棟。1階は主に車庫で、2階は会議室。  C: 北東から見たエントランス。  R: 附属棟の背面。

  
L: 附属棟を南東から見たところ。  C: 南東、駐車場の脇から全体を眺める。  R: 背面。右手前は会議棟で左奥は別館。

印西市役所は1976年の竣工。当時は印西町であり、日本で最も人口の多い町となった後、1996年に市制施行した。
市役所のすぐ手前には1994年竣工の印西市文化ホールがあり、木下地区が中心だと意地でもアピールしている感じ。
機会をみて北総鉄道で千葉ニュータウンにも行く必要がありそうだ。そうでないと印西市の本質をつかむことはできまい。

  
L: 印西市文化ホール。  C: エントランスを正面から。いかにもな平成ホール建築だなあ。  R: 市役所の敷地内から見る。

木下から我孫子に戻ると、バスに乗り込む。我孫子市役所は手賀沼の近くにあり、駅からは少し離れているのだ。
まあ連日の温泉施設通いでこの路線のバスに乗るのは3日連続なんですが。もうすっかりヴェテラン利用者気分。

 県道8号沿い、市役所入口にある西別館。1991年竣工

市役所バス停で降りると病院で、そこから少し南に行くと我孫子市役所の西別館がある。
これを目印に坂道を上っていくとすぐに我孫子市役所の本体である。丘の上に複数の棟が集まっており、
中心には低層のモダニズム庁舎が構えている。今となっては珍しい実に古典的なスタイルで、妙に安心する。

  
L: 我孫子市役所本庁舎。丘の上の低層モダン庁舎というと、個人的には旧土浦市役所(→2015.1.10)を思い出す。
C: 各種モニュメント。いちばん左はなんだか稲中の田中を思い出すなあ。  R: 鯉の泳ぐ池もある。昭和である。

我孫子市役所は1968年の竣工だが、市制施行が1970年なので我孫子町役場として建てられたことになる。
ちなみに手賀沼ディズニーランド計画は1965年に中止となっているので、タイミング的には微妙なところ。
県道を挟んで西側にある我孫子高校までがディズニーランドを建設する予定だった埋立地とのことなので、
現在の我孫子市役所が駅から離れたこの位置に決まったのは、ディズニーランド計画の影響があるかもしれない。

  
L: 隣にある議会棟。こちらも1968年の竣工で、わざわざ本庁舎と分けて同時に竣工させているのがまた古典的。
C: 角度を変えて眺める。議会棟をピロティにするのが昭和なのよ。  R: 議会棟の背面。木で手賀沼は見えない。

  
L: 議会棟の手前から見た本庁舎東側の側面。  C: 角度を変えて眺める。  R: 本庁舎の南側を覗き込む。

我孫子市では庁舎の個別整備計画を今年の1月に出していて、それによると本庁舎と議会棟の耐用期限は2048年。
新庁舎を検討するのに15年くらいかかると見ており、そこから逆算して2033年ごろに検討を開始する予定とのこと。
いやあ、粘るねえ!と思ってしまうではないか。というわけで、あと10年はこの昭和な庁舎を楽しめそう。

  
L: 本庁舎の北東にある東別館。1984年竣工。  C: 北東から見た本庁舎。  R: 坂の途中から眺める西側の側面。

  
L: 西側の駐車場から見た側面。モダンである。  C: 角度を変えて眺める。  R: さっきと反対側から見た本庁舎の南側。

この後、市役所から手賀沼方面へと歩いていったのだが、振り返りながら丘の上の我孫子市役所を撮影してみる。
木々が生い茂っていてその姿をなかなかすっきり見られないのが残念。手賀沼ディズニーランド計画が実現していたら、
果たしてどんな景色となっていたのか。市役所は手賀沼のいいヴュースポットになるのに、現状は本当にもったいない。

  
L: 駐車場から見る我孫子市役所本庁舎。けっこう気合いの入ったいいモダン建築だと思うが、見せる気ゼロでもったいない。
C: 手賀沼側の交差点から見た我孫子市役所。  R: 手賀大橋から見た我孫子市役所。この現状はもったいないなあ。

景色を眺めつつ手賀沼に架かる手賀大橋を渡る。感覚としては、多摩川を渡って川崎に行くのとあまり変わらない。
ゆったり流れるデカい川という印象である。実際、手賀川によって利根川に注ぐ支流の一部となっている。
かつての手賀沼は土砂で堰き止められた「つ」の字をした広大な沼で、戦後の干拓により大幅に面積を減らした。
手賀川と下手賀沼で結ばれる水田が、往時の姿をわりとしっかりと留めている。昨日の椿海よりはわかりやすい。

  
L: 手賀沼、手賀大橋から西を眺める。遠くに柏市街。  C: 何か養殖してますな。  R: こちらは東を眺めたところ。

手賀沼の南側に出ると、再びバスのお世話になる。終点の手賀の杜ニュータウンまで揺られて、そこから200m先へ。
すると小野塚台というバス停があるので、そこでまたバスを待つのであった。なんとも間抜けな手続きである。
これはつまり、我孫子駅から手賀の杜ニュータウンの路線は阪東バスで、小野塚台から柏駅へ行く路線は東武バス。
どっちの会社も同じ駐車場にバスを待機させているのにややこしい。そんなに乗り継ぐ人がいないのかね。

小野塚台で10分ほど呆けると、やってきたバスに乗り込んで柏駅方面へ。しかし途中の中の橋バス停で下車する。
ここから歩くこと15分、大津川を渡った対岸の廣幡八幡宮に参拝するのだ。川沿いには農地が広がっているが、
それを囲む東西の微高地は森林だったり住宅だったり。ここもまた干拓された歴史があるんだろうなあと思う。
そんなこんなで到着した廣幡八幡宮は、宇多天皇による創建。なんだかおとといの葛飾八幡宮に似た感じか。

  
L: 廣幡八幡宮。農業中心の穏やかな場所に鎮座している。かつては大津川を望む小高い場所だったのだろう。
C: 参道を行く。  R: 境内。農地の中の神社だと思ったら、けっこうきっちり整備されている感じ。

廣幡八幡宮の境内はもともとの木々の多さを活かしつつも、うまく整備して自然と人工のバランスをとっている。
本殿は天保年間の造営とのことだが、残念ながら境内は行動範囲が限られていて、その姿を見ることができなかった。

 
L: 拝殿。境内がきれいに整備されているのはいいが、決まった角度でしか撮影できなくなっているのは少し残念。
R: 脇に並んでいる末社群。この辺りからも、近代になってから境内を整備し直した感触が強く漂っている。

無事に御守を頂戴すると、中の橋バス停まで戻る。そしていよいよ柏の中心市街地へと入っていく。
柏の街中を動きまわったのはもう14年も前のことで、甲府のJ2降格がショックだったなあ(→2007.11.24)。
いつかもう一度、日立台でサッカー観戦をしたい。そして街歩きと市役所訪問のリヴェンジをしたいと思いつつ、
結局ここまで来てしまった。今日はとりあえず神社と市役所だけなので、サッカー観戦はぜひまたいつか必ず。

柏神社のバス停で下車し、ちょっと戻っていざ参拝。街のど真ん中にある神社ということで参拝客が絶えない。
開放的な感じで商店街に溶け込んでいるのが興味深い。柏神社の由緒は個性的で、羽黒神社と八坂神社を合祀している。
羽黒神社(→2014.8.24)が勧請されたのは1660(万治3)年ごろとのことだが、なぜ柏に出羽三山なのか少し不思議。
もともとこの場所は八坂神社の境内だったが、羽黒神社をこちらに合祀して1974年に柏神社と改称した。

  
L: 柏神社。ちょっとお寺っぽい開放感。  C: 正面から見た境内。  R: 手水がすごいことになっていた。正月モード?

  
L: 拝殿。街中だからかコンパクト。  C: 右を向くと神楽殿。  R: いったん境内の外に出て横から見た本殿。

 個性的なデザインの御守は大歓迎である。レイソルとのコラボはないのかな。

参拝を終えると柏市役所を目指して歩く。柏神社が市街地の中心にあるのに対し、市役所は駅から1km弱、北にある。
イメージ的にはおおといの松戸に近いが、あちらが丘の上という地理的特性によるものだとはっきりしているのに対し、
柏市役所はどうにも微妙である。中途半端な斜面の途中という感じなのだ。調べてみると、かつての柏市役所は、
イトーヨーカドー柏店の第1駐車場(旧水戸街道と元町通りの北西)にあったそうだ。しかし1965年に現在地に移転。
このとき建てられた第一庁舎は改修工事中である模様。ネットで調べても細かいことはよくわからなかった。

  
L: 柏市役所。こちらは第二庁舎として1983年に竣工している建物。こっちが「本庁舎」扱いなのか。
C: 距離をとって眺める。坂の下という位置が不思議。  R: 第一庁舎は改修工事中であるようだ。

柏の歴史は意外と複雑だった。そもそも「柏」とは「河岸場(かしば)」が変化した名前だそうで、
昔から「柏村」が存在していたが、1889(明治22)年の町村制施行により千代田村の一部となってしまった。
しかし常磐線の駅名に「柏」が採用されたことで(「千代田」が皇居を指す言葉で畏れ多いということらしい)、
「柏」がメジャー化し、1926(大正15)年に千代田村が町制施行した際には「柏町」という名前に変わっている。

  
L: 第二庁舎のエントランス。第一庁舎に替えてこちらをメインにするべく建てられたのだろう。
C: 中を覗き込む。これは1階の東側。  R: 1階の西側。レイソルの旗が掲げられている。

ところが1954年9月、柏町・小金町・土村・田中村が合併して東葛市が誕生し、「柏」の名前はまたしても消えてしまう。
その1ヶ月後の10月に旧小金町の大部分が松戸市に移り、11月には富勢村が分割して東葛市と我孫子町に編入される。
これで市域が変わって「東葛市」という名称に疑問が持たれるようになり、そこから半月で「柏市」に変更された。

  
L: 東側の側面を見上げる。  C: こちらはカフェとして利用されているみたい。  R: 第二庁舎の南側。こちらが背面か。

  
L: 柏市役所別館の背面。本庁舎が駅と反対側を向いているせいで、本庁舎と別館は互いに背中を向け合っている感じか。
C: 別館の正面。  R: 距離をとって南側(駅側)から全体を眺める。柏市役所は立地から何からよくわからんなあ。

柏市役所の撮影を終えると、柏駅へ行って常磐線を南へ。そして馬橋駅で流鉄に乗り換える。知らなかったのだが、
「流山電鉄」ではなく「流鉄」が正式名称の模様。流山町民116名の出資で設立され、今も独立を貫く鉄道会社だ。

 
L: 馬橋駅にて。この車両には「流星」という名前が付いている。流鉄は各車両を色分けして名前を付けているのね。
R: 終点・流山駅。つくばエクスプレスができても旧市街を大事に!というのは朝に訪れた印西市と似ているかも。

流山市役所は流山駅の裏にある高台に位置している。北からぐるっとまわり込むと、すぐに到着である。
敷地内に第1庁舎・第2庁舎・第4庁舎があり、向かいに第3庁舎がある。第1庁舎は1988年の竣工。

  
L: 流山市役所。  C: 角度を変えて眺める。右のいかにも1980年代なのが第1庁舎で、左にくっついて見えるのが第2庁舎。
R: 第1庁舎の中を覗き込んだところ。緑色が目立つが、これはキャッチフレーズ「都心から一番近い森のまち」の影響か。

  
L: 西から見た側面。  C: 少し南に寄って眺める。手前は守衛室・喫茶室とのこと。  R: 南西から見た背面。

  
L: 南東から見た背面。  C: 市役所の東側は「平和台3号公園」となっている。  R: 公園から見た東側の側面。

  
L: 平和台3号公園はこんな感じ。  C: こちらは第2庁舎。南東から見たところ。  R: 第2庁舎を北東から見たところ。

  
L: 第1庁舎の手前から見た第2庁舎(西側)。第2庁舎は2010年に建て替えられたようだ。
C: 第1庁舎・第2庁舎の手前にあるオープンスペース。  R: 道を挟んで第3庁舎。1985年竣工。

西日と格闘しながら流山市役所の撮影を終えると、坂を下って旧市街を軽く散策してみる。
流山の名物といったらなんと言ってもみりん、特に白みりんで有名である。そんな醸造業で栄えた歴史が、
街並みとしてある程度残っているということで、駅周辺を気ままにぐるっと一周してみた。

  
L: 三叉路から北を眺める。  C: 流山浅間神社の辺り。このまま行くと三叉路に至る。  R: 閻魔堂の路地。独特な曲がり方。

さて「流山」の地名の由来だが、これがなかなか強烈。なんでも赤城山(→2016.9.10)の一部が洪水で流れてきたから、
というのだ。さすがにそれはエキセントリックすぎるのか、赤城神社のお札が流れてきた、という説もある。
それで「流るる山」が転じて「流山」となったという話なのだ。中心市街地の南にはきちんと赤城神社が鎮座している。
そこまで行く気力はなかったが、まあこれは次回の課題としておきましょう。今回は流山浅間神社に参拝しておく。

  
L: 流山浅間神社。  C: 拝殿。  R: 流山の誇る文化財であるという富士塚。1886(明治19)年から3年がかりでつくられた。

流山浅間神社は個人の祠が町の神社へと成長していった神社とのこと。浅間神社ということで富士塚があるのだが、
富士山の溶岩を運んできて1886(明治19)年から3年がかりでつくったそうだ。流山の産業はそれだけ栄えていたのだ。
100円の志納金を納めて富士塚に登ってみる。高さ約6mということで、適度な登り甲斐があってちょうどいい感じ。

 富士塚の頂上から見た拝殿。周囲にビルがあって景色はそれほどでも。

最後に流山の見事な建物たちをご紹介。街並みと呼べるほどではないが、明治期の建物が点在して残っており、
それらを追いかけながら歩いていくことで江戸川水運で栄えた往時の勢いを感じることは十分にできる。
本来なら白みりんでも舐めながら歴史に想いを馳せたいところだが、冬の夕方でやる気がなくってすいません。

  
L: 呉服新川屋店舗。1890(明治23)年築の国登録有形文化財。  C: 丁子屋。1923(大正12)年築のレストラン。
R: 清水屋本店店舗兼主屋。明治中期の築で、こちらも国登録有形文化財となっている。現役の和菓子屋さん。

  
L: 万華鏡ギャラリー 見世蔵(寺田園旧店舗)。茶と乾物を売っていた。1889(明治22)年築、国登録有形文化財。
C: 新撰組・流山本陣跡。近藤勇と土方歳三はここで別れ、近藤は新政府軍に出頭、土方は会津から箱館へと転戦する。
R: 流山の建物を案内する切り絵の行灯があちこちに置かれている。『アド街ック天国』で紹介していたなあ。

今回は本当に市役所が主目的なのでこれで勘弁である。今日もここまで来たからせっかくということで、温泉に浸かる。
正直、いつも浸かっている京浜名物の黒湯の方が効く感触があるが、リラックスできるのはありがたいことだ。

帰りは柏でスタ丼の食べ納めをした後、やっぱり日記を書きまくる。おかげで久しぶりに旅行記を週内更新できそうだ。
柏からは贅沢にもグリーン車で品川まで揺られるのであった。グリーン車でやる画像整理は驚くほど捗りますな。


2021.12.28 (Tue.)

千葉シリーズ2日目の本日は成田からのスタートである。移動距離的には今日がいちばんハードなのだ。
まずはJR成田駅から成田市役所を目指す。途中の陸橋がたいへん成田山を意識していたので思わず撮影。

 成田山からはだいぶ距離があるのだが。

まずは朝イチで成田市役所の撮影を開始。10年前に訪れているが(→2011.9.19)、そのときは西側のみ撮影。
今回はきちんと一周して全体を眺めるのである。冬の朝ということで低い日差しと格闘しながらの撮影である。
成田市役所は佐藤総合計画の設計で1988年に竣工しているが、なるほどいかにもそれっぽいなあと思う。

  
L: 成田市役所。これは後で富里へ行く前に撮影したところ。どのみち日差しが大変だったが。
C: 行政棟に近づいてみたところ。  R: 向かって右に議会棟。パブリックアートごと撮影してみた。

  
L: 正面から見た議会棟。前も書いたが、新興宗教団体の施設っぽさを感じる。  C: 行政棟の中に入るとこんな感じ。
R: 成田市役所も敷地にだいぶ高低差がある。これは北側の駐車場に下りて、行政棟を中心に眺めたところ。

  
L: あらためて駐車場から眺める側面。右にくっついている議会棟の屋根が、実に新興宗教団体の施設っぽい。
C: 国道51号に出て眺める。高低差を生かして国道側は消防本部としているのがわかる。  R: 国道側ファサード。

  
L: 交差点越しに南から眺めた成田市役所。  C: 左が議会棟、右が行政棟。  R: 議会棟の背面をクローズアップ。

撮影を終えると成田駅前のバス停へ。次の目的地である富里市へ向かうのだが、鉄道がないのでバスに乗るのだ。
成田駅の周辺にはバス停がいくつもあって、どれが「京成成田駅東口」なのかと大いに迷う。バスの発車時刻が迫る。
京成成田駅から階段を一気に下りた先、さっきの成田市役所議会棟の裏っ側すぐがその場所だとわかったときには、
タッチの差でバスが出た後だった。撮影を終えてからJR成田駅方面に戻らずに坂を上りきれば何の問題もなかったのだ。
この事実に、さすがにその場に膝から崩れ落ちた。バスを一本逃したことで、今後の予定が大いに狂うことになる。
しょうがないので駅近くの喫茶店でスケジュールを組み直す。八街市役所のリヴェンジをあきらめたのは残念だが、
旭市でコミュニティバスをつかまえられることがわかり、多少機嫌が直ったのであった。昨日からトラブル続きだなあ。

約1時間遅れでバスに乗り込み、20分ほど南下して富里市役所に到着。やっぱり道路は細くて渋滞気味なのであった。
富里市は2002年に市制施行したが、1889(明治22)年の町村制により富里村が誕生して以降、一度も合併していない。
ちなみにこの町村制施行の際に13の集落で村ができたことから、「十三の里」で「とみさと」→「富里」となった。
富里市役所は1974年の竣工なので、富里村役場として完成したことになる。南北に両翼を持つ、少し複雑な形状だ。

  
L: 富里市役所。中学校の裏という奥まった位置にあり、県道102号から横参道的に細い道を入ってアプローチする。
C: 南西から見る。手前の赤い物はスイカのオブジェ。富里は全国第2位の生産高・出荷量を誇るスイカの名産地とのこと。
R: 正面から見たエントランス。このポンパドゥール(リーゼント)的出っ張りが議場になっているというのがお約束なのね。

まずは一周してみるが、もともとの形が複雑なところに増築がなされていてたいへんややこしい。
北からまわり込むと、北棟の裏に2016年竣工のすこやかセンターがある。間を抜けると、富里市中央公民館。

  
L: 北西から見たところ。手前が北棟で、エントランスの出っ張りは中央棟となっている。
C: 右が北棟、奥がすこやかセンター。  R: 両者の間を抜けて北東から本庁舎を見たところ。

  
L: 東から見たところ。右がすこやかセンター。  C: これが中央棟の東端。  R: 中央棟の南側の側面。

  
L: 中央棟の南側にくっついている分庁舎。  C: 分庁舎の前から見た南棟。  R: 南棟の南側をクローズアップ。

  
L: 南西から見た南棟。これでだいたい一周が完了した感じ。  C: 南棟の西端をクローズアップしてみる。
R: エントランス前から見た南棟の北側。エントランス付近は「ヨ」の字みたいに北・中央・南の各棟が出ているわけだ。

いちおうこれで富里市役所の一周が完了したが、やっぱり非常にわかりづらい。広い土地にのびのびつくってあるが、
のびのびしすぎて全容がつかみづらくってたまらない。昨日の市川市役所なんかとは本当に対照的な役所である。

  
L: エントランス。  C: 中に入るとこんな感じのホールである。  R: ホールの奥から入口を振り返る。

さて、富里市役所の前にはさまざまなオブジェが置いてあり、富里市のアイデンティティがわかりやすい。
一押しなのは上述のスイカだが、中世から馬を育てる牧としての歴史があり、江戸時代には幕府直轄牧場となった。
明治時代には御料牧場も設けられていたという。千葉の広さが実感できる土地なんだなあと思う。

  
L: 入口そばのスイカのオブジェ。  C: 反対側には馬の親子の像。コミュニティバスの「さとバス」にもデザインされている。
R: ホールにいた公式マスコットキャラクターの「とみちゃん」。電飾とは強烈な。実際はスイカ頭にランニングシャツです。

 市役所内の一角、富里PRコーナー。かなりの気合いを感じる。

富里から成田に戻ると、佐倉で乗り換えて一気に旭まで行ってしまう。青春18きっぷはありがたいなあ。
旭市役所は2年前に訪問しているが(→2019.3.27)、今年4月に新庁舎への移転が完了ということでリヴェンジなのだ。
旧庁舎から南へ500mほど移った分だけ駅から遠くなったが、気ままに歩いていく。と、ダークグレーの雄姿が見えた。

  
L: 旭市役所。これが市役所建築の最新形ということか。前の庁舎の素朴な感じがけっこう好きだったのよね。
C: 日差しと格闘しつつ北東から撮影。うーん、四角くて丸い建物だなあ。  R: 東から見たところ。

  
L: 川を挟んで南東から見たところ。  C: 南側の田んぼ越しに見た側面。  R: 南側、駐車場の端から見たところ。

  
L: 南西側、背面。  C: ちなみに反対側には芝生の広場。旭文化の杜公園というようだ。  R: 西から見たところ。

  
L: 北東側、遊具広場から見た側面。  C: 少し北に寄って眺める。  R: 遊具広場はこんな感じ。親子連れがチラホラ。

旭市役所の設計は、横河建築設計事務所による。前身は1903(明治36)年に横河民輔が創立した横河工務所で、
病院建築や学校建築での実績が目立つ組織事務所だ。ちなみに横河グループはこの設計事務所がいちばんの大元。
中に入ってみると、コンパクトながらもしっかり開放感を持たせてあるつくりで、非常に興味深い。

  
L: エントランスから入ってちょっと左側から窓口を眺める。  C: 右奥(北東側)。  R: 反対側から振り返る。

 
L: そのまま東端のスペース。この右奥が「歴史を学ぶ場」の入口。  R: 南東側。左は市民ホールとなっている。

歴史を学ぶ場に入ってみると、旧旭市役所の銘板が置いてあった。旭を代表する書家・古橋飛山の筆とのこと。
部屋の反対側には、1964年の旧庁舎竣工当時の写真がいくつか展示されており、旧庁舎への愛情を感じさせる。
後でコミュニティバスで旧庁舎の脇を通りかかった際には、残念ながらすでに取り壊しが終わってしまっていた。
高度経済成長期の標準的なオフィス建築として、旭市役所旧庁舎の歴史をしっかりと残していってほしいものだ。

  
L: 歴史を学ぶ場。  C: 旧旭市役所の銘板。  R: 部屋の反対側には旧庁舎竣工当時の写真が掲げられている。

最上階の展望回廊に行ってみる。あまり広くないがテーブルが3つ置かれてくつろげるようになっているが、
学生たちがダベっていた。あと小学生男子も来るなど、地元民にはそれなりにきちんと親しまれている模様。
でも開放感がないので、屋上部分を半解放的なスペースに改装して自由に動けるともっと魅力的になるかと思う。

  
L: 展望回廊。エレヴェーター前にテーブルが集まっており、ちともったいない。  C: もう一工夫できそうな。
R: 南西側の旭文化の杜公園を眺める。この屋上空間を展望回廊と一体化できると最高なのだが、難しいかな……。

  
L: 北東を眺める。このまままっすぐ先には鹿島港があるそうで、煙を吹く煙突が何本か見えた。
C: まっすぐ旭駅方面。  R: 南東は飯岡刑部岬(→2019.12.15)。そうそう、この地形!と懐かしい。

旭市役所からコミュニティバスに乗り、目指すは鎌数伊勢大神宮である。当初は干潟駅から旭駅まで歩く予定だったが、
コミュニティバスのおかげでだいぶ楽に動ける。ありがたい。スポーツの森公園西のバス停から1kmほど歩いて到着。

  
L: 鎌数伊勢大神宮。  C: 鳥居を抜けて参道を行く。  R: 拝殿。きちんと伊勢系の社殿である。

旭市役所の展望回廊にも説明があったが、かつて旭市・匝瑳市の辺りには縄文海進の名残である椿海があり、
江戸時代初期に干拓が進められて「干潟八万石」と呼ばれる広大な新田がつくられた。しかしもともと湖だったため、
水害の被害が非常に大きかったようだ。旱魃や塩害にも悩まされたそうで、調べるとけっこう壮絶な歴史がある。
鎌数伊勢大神宮はこの干拓に関わった桑名藩士・辻内刑部左衛門が伊勢神宮から勧請したことで創建された。

  
L: 本殿。しっかり神明造。  C: ちょっと独特な形の神楽殿。  R: 境内にある落花生の碑。

参拝を終えると干潟駅まで2kmほどを歩く。「The 干潟」とは大胆な名前だが、それこそが椿海の名残なのである。
失われた空間の記憶を取り戻すことは、本当に大変なことだ。苦難の歴史まで質感をつかめなくしてしまう。
とりあえずは駅までの道をトボトボと歩きつつ、その距離感を受け止めることで、かつてあった広大な湖のことを思う。

 もとは椿海だった国道126号を行く(西日の逆光がすごいので東向きで撮影)。

干潟駅に着くと、総武本線と成田線でZ字に戻り、昨日と同じく温泉に浸かるのであった。明日もやったるで!


2021.12.27 (Mon.)

年末に向けて職場が「閉庁日」となり、休むことが半ば義務づけられた感じとなった。さて、どうする。
通常の年末であれば帰省ついでに旅行ということになるのだが、今シーズンは帰省をずらすことにしており、
特に予定があるわけではない。それなら、と気ままに青春18きっぷで首都圏の市役所を押さえていくことにした。
わざわざ青春18きっぷなわけだから、往復でお得な距離感がいい。というわけで、ターゲットは千葉県に決定。
せっかくなので市役所と一緒に、気になる神社の御守も頂戴するのだ。うーん、結局やっていること変わらんやんけ。

朝イチでやってきたのは光風台駅。五井から小湊鉄道で20分ほどのところにある。ここからまっすぐ西へ行き、
鶴峯八幡宮に参拝することからスタート。東北や北陸方面は雪がすごいらしいが、関東は凄まじいまでの快晴である。

 
L: 光風台駅。  R: ここからひたすらまっすぐ、田んぼの中を西へと行く。

10分ほどで鶴峯八幡宮に到着。鎌倉の鶴岡八幡宮(→2010.12.11)・館山の鶴谷八幡宮(→2019.3.10)とともに、
「関東三鶴」と言われているそうだ。しかし明らかに鶴峯八幡宮は規模が小さい。旧村社らしい穏やかさである。

  
L: 鶴岡八幡宮の境内入口。光風台駅からまっすぐ来ると本殿側に着くので、いったん境内を抜けてから撮影。
C: 参道途中の橋。正月モードである。  R: 拝殿。集落の神社がこだわりを持って前向きに運営されている感触。

授与所が開くのが9時半なので、境内でストレッチをして待つ。おそらく復路は光風台駅まで走ることになるから。
しばらくすると神職さんがやってきて御守を頂戴するが、デザインがきちんと凝っていて色違いもあり、非常に魅力的。
御朱印にも力を入れているようだが、デザインを通してわざわざ訪れる価値を生み出すモデルになる神社だと思う。

 
L: 神楽殿と社務所が一体化しているのはちょっと珍しい。  R: 本殿は取り壊したのがそのままになっている?

授与所が開いてから駅に列車が来るまで6分しかないので、ダッシュで戻る。毎回こんなんばっかりだー!と叫びつつ。
なんとか無事に五井に戻る列車に乗ることができたが、一息ついてスマホで次の予定を確認している最中に気が付いた。
市原市役所へ行くスケジュールがすっかり抜け落ちているではないか。慌てて列車内で予定を組み直す。間抜けである。

五井駅に着くと8年前に訪れたときと同様(→2013.8.3)、待機していたバスに乗り込む。けっこう遠いのだ。
さて市原市役所はこの8年の間に動きがあって、それで再訪問を余儀なくされたのである。それは、新庁舎の建設だ。
2018年に新しく第1庁舎(防災庁舎)が建てられ、これまでメインだった1972年竣工の庁舎は第2庁舎となった。
第1庁舎の基本設計は昭和設計東京事務所、実施設計は大成建設。かつて駐車場だった一角に建てた感じかな。

  
L: 市原市役所第1庁舎(防災庁舎)。  C: 向かいの市原市消防局から見たところ。  R: ペデストリアンデッキ上から。

  
L: ペデストリアンデッキから見た東側の側面。  C: ペデストリアンデッキ上、北から眺める。  R: 北西から見た背面。

  
L: 通りを挟んで眺めるさっきと反対側の側面。  C,R: 中はこんな感じである。1階は広々と窓口に特化させてある。

 市原市消防局は健在なのであった。

第2庁舎は老朽化と耐震性能の不足で、6階以上の上層階は閉鎖されている。建て替えの計画があるようで、
山下設計・三菱総合研究所のJVが庁舎等整備基本計画策定支援業務委託プロポーザルに当選したとの情報がある。
将来どのような姿に変わるかはわからないが、今の第2庁舎がけっこう好きなので、ちょっと残念な気もする。

  
L: 第2庁舎。前にも撮ったけど、あらためて一周してみる。近くで見るとさすがに老朽化を感じさせる。
C: 近づいてみる。白と黒い窓の対比がきまっているんだよなあ。  R: 北西から見上げたところ。

  
L: グラウンドレヴェルに下りて見上げる。  C: 北へまわり込む。  R: 東側、背面。前と同じアングルだ。

  
L: 駐車場から土手に上がる。  C: 低層部。ミース的かも。  R: 南東から見たところ。

建て替えの計画には議会棟やペデストリアンデッキも含まれているようだ。もともと敷地にはしっかり勾配があり、
それをペデストリアンデッキで豪快に解決しようとしているところが、市原市役所の1970年代らしい面白さなのだ。
大規模な宅地開発のシンボルを務めた市原市役所の役割を、きちんと歴史として語り継いでほしいものである。

  
L: 第2庁舎の向かいには議会棟。  C: モダンであるが、老朽化も感じる。  R: 北へ抜けるとこんな感じ。

  
L: 北に出て西へまわる。  C: 南西にまわったところ。  R: 1階部分は子どもの一時預かりを行う「おやこでスペース」に。

五井駅に戻ると内房線を一本南に行って姉ケ崎で下車。ネネさんネネさん言っている場合じゃないんですよ。
私が用があるのはあくまで姉埼神社。市原市役所を組み込んだ分、テンポよく動きたいので早歩きでの往復である。

  
L: 姉埼神社・一の鳥居。  C: 並木を抜けるとこちらが入口。  R: 石段は左にカーヴしながら続く。

姉埼神社は内房ではおなじみの、日本武尊の妃・弟橘姫の伝説に関連する神社である。日本武尊が弟橘姫を偲び、
風の神である志那斗弁命(しなとべのみこと)を祀って創建されたという。夫神の志那津彦命を待っている女神で、
「待つ」→「松」ということで、松が嫌いとのこと。松島ですみません。氏子の地域も門松を置かないんだってさ。

  
L: 石段を上りきったら思いっきり茅の輪。  C: 少し角度を変えて拝殿を眺める。立派である。  R: 本殿。

 神門は先ほどの鳥居と反対側にある。いったん境内を抜けて撮影。

参拝を終えると一気に市川駅へ。しかしここでまたしても間抜けな行動。市川市役所が市川駅にあると勘違い。
1934年に市川町と八幡町が中心となって合併したことで市川市が誕生した経緯があるが、その影響をモロに受けるとは。
中山町を巻き込んだことで役所が東寄りになり、結果、本八幡が所在地なのである。13年前に訪れたときは自転車で、
それでわからなかったというわけか(→2008.7.22)。慌てて総武線各駅停車に乗り換えて本八幡へ。まいったまいった。

  
L: 国道14号沿いの市川市役所第1庁舎。これは西側の歩道橋から見たところで、右手前は八幡の藪知らず。
C: 地上に下りてあらためて撮影。道は狭いわ、交通量は多いわで、ウルトラ撮影しづらい。日本一撮りづらいのでは。
R: 南側から見た市川市役所。もう何がなんだかである。よくこんな敷地に余裕のない建物を今どき建てたものだ。

  
L: 南東側から見たところ。  C: なんとか無理やり南東端を眺める。  R: 京成本線の踏切手前から見た北東側。

  
L: 踏切越しに少し余裕を持って撮影。  C: 京成の列車と市川市役所。  R: あらためて北西側から見たところ。

市川市役所は本八幡の第1庁舎と南八幡の第2庁舎に分かれているが、意地で本八幡の役所を残した感じがする。
第1庁舎は昨年竣工したばかり。設計したのは山下設計だが、コンクリート製ルーバーに欠陥があったとかなんとか。
大丈夫かよと思いつつ中に入ってみると、非常に斬新な空間となっていた。まず総合窓口があり、奥はテーブルと椅子。
どうも総合窓口で内容を聞いて、その後、指定されたテーブルで係員と手続きをするスタイルをとっているようなのだ。
決まった担当窓口に並んで順番待ちという従来のやり方ではなく、係員の方がやってくる。いや、その発想はなかった。
そして南側はフリースペース。雑誌などが置いてあり、かなり自由に過ごすことができる模様。端には永井荷風コーナー。

  
L: 市川市役所の中に入るとまずは総合窓口。  C,R: このように開放されたスペースで手続きをするみたい。

  
L: こちらは南側のフリースペース。コンセント完備。  C,R: 雑誌が置いてあるなど自由に使える空間となっている。

  
L: 旧庁舎を紹介する案内板を発見。  C: 東の端には永井荷風コーナー。  R: 書斎を再現している。

やっぱり新しい市役所はきちんと平日に訪れてその工夫を体感しないといけない、と思うのであった。勉強になった。
帰りはすぐ近くにある八幡の藪知らずを見学。この中に足を踏み入れると二度と出てこられなくなるという禁足地だが、
それが市役所前の市街地ど真ん中に今もあるというのがすごい。かつてはさまざまな種類の木々が生い茂っていたが、
今ではほぼ竹林となっている。人の手が入らないと竹がどんどん勢力を拡大するとはよく聞くが、まさにそんな感じ。

  
L: 市役所前から見た八幡の藪知らず。こんな街中に禁足地があるとは。  C: 中央の不知森神社。  R: 中はほとんど竹。

 高いところから失礼します。歩道橋から見た八幡の藪知らず。

国道14号沿いには葛飾八幡宮の大きな鳥居があり、その規模の大きさがうかがえる。そのまま北上していき、
葛飾八幡宮に参拝。もちろん、「本八幡」の地名のもとになった神社である。下総国総鎮守とのこと。
そもそも「葛飾」とは下総国の郡名で、千葉県の方がオリジナルと言えるのだ。「葛飾区」や「葛西」など、
現在は東京23区内に含まれている葛飾の西半分は、江戸時代初期に武蔵国に編入されたという経緯がある。
葛飾八幡宮は寛平年間に宇多天皇の勅命で石清水八幡宮から勧請され、東国の武士たちから大いに支持された。

  
L: 国道14号沿いの葛飾八幡宮の大鳥居。  C: 京成本線の線路を越えると境内入口。  R: 参道を進んで随神門。

  
L: 随神門を抜けて左手に市川市役所八幡分庁舎。  C: さらにその先に市川市中央公民館。  R: 神門。

  
L: 拝殿と脇に神楽殿。  C: 横から見た社殿。御神木の千本公孫樹が見事である。  R: 本殿。

京成八幡駅方面へ歩いていくと、ジャガーさん(→2021.10.5)の「#京成八幡を元気にする会」ポスターを発見。
フキダシのセリフが容易にジャガーさん本人の声で脳内再生されるなあ。今もジャガー星から千葉を見守っているはず。
葛飾八幡宮でジャガーさん御守とかつくってみればいいのに。下総国総鎮守にふさわしい存在だと思うんだけどなあ。

 
L,R: しかしジャガーさんほど「さん付け」がしっくりくる人もそうそういないと思う。

本八幡駅からわざわざ市川駅に戻って、バスで松戸へ移動する。本日最後の目的地は松戸なのだ。
総武線の市川から常磐線の松戸への移動は地味に面倒くさく、路線を2つ乗り換えるよりはバスだろ、という判断。
しかし県道1号はたいへんに混み合っており意外と時間がかかる。千葉の道は前近代の要素が強く残っているなあ。

松戸駅に着くと早歩きで北へと進み、松戸市役所へ。駅前の商店街を抜けると丘があって、その上が市役所なのだ。
今は駅前に背の高い建物がいっぱいあるが、役所ができた当時は駅と街を見下ろす最高の場所だったのだろう。
ちなみに松戸市役所はマツモトキヨシの創業者・松本清が市長を務め、すぐやる課を設立したことでも知られる。

  
L: 石段を上って丘の上に出ると、こちらの松戸市役所本館。  C: 角度を変えて眺める。  R: 東側の側面。

松戸市役所の構成は少々ややこしい。いちばん南の本館は1959年の竣工で、その裏にある新館は1969年の竣工。
さらにその裏には1983年竣工の別館と1978年竣工の議会棟がくっついている。さすがに移転を検討している状況である。
昨年には、2026年に新庁舎を松戸駅東口法務省跡地に建設するという新聞記事が出ている。どうなることやら。

  
L: 新館。  C: 角度を変えて眺める。  R: 東側にまわり込んで新館と別館の側面を眺める。

  
L: 新館の背面。  C: 道路に沿っている別館。  R: 北から眺める。左が別館、右が議会棟。

  
L: 敷地内に戻って別館の裏側。  C: 新館の背面を見上げる。  R: 西に出て新館を眺める。

  
L: 本館と新館の間にはオープンスペース。でもこれ、実は建物の屋上庭園となっているのだ。下に部屋がある。
C: 本館の背面を眺める。  R: 南西から見た本館。丘の上という立地だが、敷地内に起伏がそのまま残っている。

  
L: あらためて眺める本館。  C: 中に入って待合スペース。昭和である。  R: ガラス越しに中庭を眺める。

駅を抜けて反対側にある松戸神社に参拝。がんばったのだが、時刻は午後3時を過ぎてだいぶ日が傾いてきた。
素早く撮影をしつつ参拝。祭神は日本武尊で、待ち合わせ場所にしたことで「待つ土」→「松戸」の地名ができたとか。

  
L: 松戸神社の境内入口。手前の県道5号の交通量が多くて、撮影はけっこう大変なのであった。
C: 鳥居をくぐって参道を行く。  R: 坂川に架かる潜龍橋。横参道で社殿に至る形である。

この辺りは江戸時代には水戸街道の松戸宿として栄えた場所で、松戸神社は水戸徳川家から篤く崇敬を受けたとのこと。
徳川光圀をはじめ水戸藩主や徳川将軍が鷹狩りに訪れたなんて話もあって、のどかな農村の宿場町だったわけだ。

  
L: 拝殿。1863(文久3)年の再建。  C: 本殿。1739(元文4)年の松戸宿大火後に建てられたものとのこと。  R: 秋葉神社。

これにて本日の予定は完了。我孫子まで行くと手賀沼の脇にある温泉施設でのんびりと湯に浸かるのであった。


2021.12.26 (Sun.)

 


2021.12.25 (Sat.)

今年のM-1グランプリをようやく見たよ。泣いている錦鯉にはつられてしまうよな、やっぱり。

思ったのは、決勝初進出組と決勝経験組では明らかに差があるということ。場数を踏むと確実に上手くなるのだ、と。
ゆにばーすとかオズワルドとか明らかに前とイメージが違うし、インディアンスなんか完全に安定期に入っている。
悔しい思いをしてから練習して練習して練習すれば成長できるという、すべてに通ずる真理を見た。本当にそう思った。
そんな中、トップバッターで本当にいい仕事をしたモグライダーはたいへん偉いと思うのである。
でもあとの決勝初進出組はみんな審査員に甘やかされている印象。ランジャタイはイジられてよかったね。

来年は姉歯のみんなで見ますかね。マトモなカラオケ屋をきちんと予約しなくちゃいかんね。


2021.12.24 (Fri.)

無料動画で見た『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG』についてあらためてレヴューを。
なお、前回見たときのレヴューはこちら(→2005.9.6)。もう15年以上も前の話になるのかよ……。

『S.A.C.』1期の意義・凄みについては以前みっちり書いたとおりなのだが(→2018.1.15)、
残念ながらその良さがことごとく削ぎ落とされてしまっているのが『2nd GIG』である。
その元凶はもちろん「ストーリーコンセプト」という名義で参加している押井守。見事にぶち壊してくれやがった。
名義こそ神山健治が監督だが、主導権を握っているのは完全に押井。おかげですべてが歪められてしまっている。
いきなりの政治トークに説明ゼリフの嵐。ダイアローグ(対話)で話が進むのではなく、モノローグ(独白)による進行。
すべてが物語に対する自己弁護。言い訳。言葉を無駄に消費しないと話を進められないとか、情けないと思わないのか。
『S.A.C.』1期で炸裂していた未来の社会学は完全に消え失せ、軍事おたくの押井のやりたい放題が詰め込まれてしまった。
テーマに意義がないとは言わない。しかし押井の興味一色に染め上げられている『2nd GIG』は本当につまらない。
「眠くなった:2回」「実際に途中で寝た:1回」「更新を忘れて見逃した:2回」というのが素直な数字である。
やっていることがもはや警察の話じゃなくなっているのだ。つまり、刑事ドラマという魅力がなくなってしまっている。
結局は、軍隊よりは少し正当性の感じられる暴力装置で戦争を描きたいだけだろう。毎回よく飽きないなと呆れるばかり。
途中に箸休め的な回もあるが、有名声優を出して攻殻機動隊でなくてもいい話をごまかしているんじゃないかと思う。
終盤は神山監督の脚本ばかりで、それってつまり、『S.A.C.』1期の優秀な脚本家が見放したということではないのか。
スタッフはこれ面白いと思ってつくってんのかな、と心配になる。面白がっているのは押井とその信者だけだろう。

言いたいことがあればオリジナルでやればいいのに、その度胸がなく他人のふんどしで相撲を取るのは本当に格好悪い。
一次創作ができないのに、二次創作(→2007.11.9)をさも自分の所有物のように扱って、恥ずかしくないのかな。
他山の石以て玉を攻むべし。


2021.12.23 (Thu.)

東急ハンズがカインズに売却されるとのこと。いや、これはたいへんなショックである。
池袋店の閉店(→2021.10.16)、名古屋ANNEX店の閉店(→2021.10.17)で打ちひしがれているところにこのニュース。
そこまでの大ピンチだったとは、いやはや。東急ハンズというブランドがなくなることだけは避けていただきたい。

最近のハンズはオシャレ化路線によって県庁所在地を押さえていくスタイルで、個人的にそれはあまり好きではなかった。
DIY王手に支えられて原点回帰すればいいが、どうなることやら……。ハンズが日本のものづくりを支える文化として、
しっかり残っていくことを祈るしかない。でも結局は、客であるわれわれの好奇心の熱量が問われているのだ。
東急ハンズってのは、そういう店だから。ハンズの危機は、日本のものづくり精神の危機そのものである。


2021.12.22 (Wed.)

『お笑い実力刃』のフォークダンスDE成子坂特集に泣きながら笑うのであった。
こちとら、もともと『GAHAHAキング』も『ボキャブラ天国』も毎週欠かさず見ていたリアルタイム世代だが、
さすがに年月が経って「凄まじく面白かった」という総括的な記憶となってしまっており、新鮮な気持ちで視聴した。
あらためて見ると、とんでもない密度のボケと客をコントロールするツッコミと、本当に完成されていたなあと呆れる。
いや、完成されすぎている感触すらあった。面白いものは時が経っても面白く、普遍性を持っているものだが、
フォークダンスDE成子坂はあの若さであの領域に到達していて、いろいろ飛び超えた感じの違和感が漂うほどだ。

それにしても、フォークダンスDE成子坂を語る芸人たちの数がすごい。みんな語りたかったってことがよくわかる。
正直、語りよりもネタの比率を高くしてほしかったが、語りを削れなかったんだろうな。その熱がまたいいなあと。
ご本人たちは空の上でどう思っているのかはわからないが、一ファンとして、最高に悲しくて楽しい特集だった。
本当に、見られてよかった。


2021.12.21 (Tue.)

娘の遺骨と位牌を抱えて並ぶ両親という構図は、絶対に見たくない種類の絵面だった。それが現実というつらさ。
僕が小学生のときに赤ちゃんが生まれて、それはもう日本中が凄まじい大騒ぎだったことを知っているだけに、
こんな結末は想像できるはずがなかった。世の中には不条理としか言いようのない悲劇があるんだなあ……。


2021.12.20 (Mon.)

舞美の熱愛についてコメントしろと言われたけど、「悔しいけどおめでとう」としか言いようがないじゃないか。
日記で書いてから1ヶ月(→2021.11.15)でこの事態とか、マサルは予言者なのか。それとも預言者なのか。
あるいは裏でリョーシさんの幽波紋(スタンド)が暗躍したのか。君たち、人智を超えた力を発揮するのはやめたまえ。
独身男どうしで足の引っ張り合いをしているようにしか見えないではないか。うーん、人生これ泥仕合。


2021.12.19 (Sun.)

午前中は武蔵国一宮の氷川神社で開運招福の神頼み。氷川神社がいかに広く支持されている神社であるかは、
自転車23区めぐりで実感しているしだい(→2021.12.12)。マジで本当にどうにかなりませんかね。お願いします。

午後は姉歯メンバーで国立新美術館の『庵野秀明展』の鑑賞である。なお、本日最終日。
有志3名で早めに集まって乃木神社に参拝。その後、国立新美術館内のカフェで茶をしばきつつ残りの2名を待つ。
まあ間に合ってよかったよかった。内訳は詳しく書かなくてもわかると思うので割愛。ヒント:福田ゼミ。

 
L: というわけで、いざ見学開始。いつものパターンでみやもりが撮影。  R: 序盤の展示はこんな感じ。

まずは「過去 庵野秀明の原点と彼がリスペクトするもの」ということで、昔の特撮やアニメの紹介といったところ。
展示は総花的であり、どちらかというと昭和のいい雰囲気を体感するといった感じか。非常に興味深かったのは、
横15m×縦3mの巨大LEDスクリーンを細かく分割し、庵野氏が影響を受けた番組のオープニング映像を流していたこと。
これって映像イントロ早押しクイズができるなあ、なんて思いつつみんなでボケーッと眺めるのであった。

  
L: ウルトラマンのコーナー。  C: スーツが展示してあり、質感が面白い。  R: 特撮ヒーローのマスク群。

続いては「現在 アマチュア時代から現在に至るまでの軌跡をたどる」。アマチュア時代を過去とせず、
現在に含めている点に庵野氏の矜持を感じる。なるほど、彼は一貫して表現し続けているというわけか。
中学時代の油絵や高校地学部時代の会報など、みうらじゅんと一緒で「ようとっておいてあるなあ」(→2018.3.18)。
そして大阪芸大時代のウルトラマンや島本和彦『アオイホノオ』に出てくる『じょうぶなタイヤ!』など、
もう才能のスタート地点が違いすぎるわ……と思わされる作品群が登場。それまで自分が客として見ていたものを、
つくり方を理解してすぐに自力で再現できる能力、まずそれが突出しているのである。われわれとの絶対的な差は、
絵の上手い下手ではなく、「つくり方がわかること」にある。想像した完成形からの逆算能力がとんでもないのだ。
まあもちろん完成形を想像する力も圧倒的なのだが、ゼロからつくれるというアドヴァンテージが凄まじい人だ。

  
L: 中学時代の油絵。完成されている感が強い。色彩感覚もさすがですな。  C: 高校時代の地学部会報など。
R: 『じょうぶなタイヤ!』。別格どころの騒ぎじゃない。グッズのTシャツがこの絵なら絶対に買ったんだが。

庵野氏はDAICONの作品群を経てプロフェッショナルとなり、さまざまなアニメ作品に参加していく。
われわれの世代はやはり『ふしぎの海のナディア』で、浪人中に『エヴァンゲリオン』に取り残されたのが懐かしい。
その後の庵野氏はしばらく実写映像に取り組むのだが、ここでの経験が後年しっかり生きているのがよくわかる。

  
L: 『ナディア』の台本。サインのデザインがさすがだなあと。  C: 『ナディア』の設定資料。右下にグラタンがいますな。
R: 『エヴァンゲリオン』のサキエル。ご存知、デザインはあさりよしとおだが、これが最初に出てきた時点で勝ちだよなあ。

  
L: 『彼氏彼女の事情』の設定資料。購入したBlu-ray(→2019.2.5)のレヴューはもうしばらくお待ちを。正直見るのが億劫で。
C: 劇場版エヴァの海の絵。細かい色の指定を塗り分けて指示していると思うのだが、見ていると頭がおかしくなりそう。
R: 『シン・ゴジラ』の第5形態。『シン・ゴジラ』を見ていないみやもりは、事態を理解できていなかったのであった。

みやもりとほぼ同じペースで見ていったが、みやもりは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見ていないのであった。
マサルや僕は飛びついたというのに(→2021.3.24/2021.6.30)。『シン・ゴジラ』(→2016.8.23)も見ていないそうで。
これは気ままな独身者と日々の生活に忙しい子持ち既婚者の差ですかね。なんだかすいませんね。

  
L: 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』第3村の模型。実際にこの模型を作成してからカメラアングルを決めていったそうな。
C: 北の湖の廃墟(ネルフ第2支部N109棟)。  R: 絵コンテ。ゲンドウのセリフがしっかり書かれているのが興味深い。

最後は「未来 未来へ継承するためのアーカイブ」ということで、来年公開予定の『シン・ウルトラマン』と、
再来年公開予定の『シン・仮面ライダー』を少々。特撮業界は庵野氏にいろいろ背負わせすぎじゃないですかね。
そしてアニメ特撮アーカイブ機構の活動紹介。多彩な活動をやっているんだなあ、と驚くしかなかった。

  
L: アニメ特撮アーカイブ機構の活動を紹介するイラスト。このレヴェルをサラッと描けてしまう才能がうらやましい。
C: しかしこうして見ると、オリジナル作品でも人気シリーズ作品でも作家性を期待されているってのはとんでもないことだ。
R: 展示の締めはこちらでございました。そういえばキングはたいへんいいキャラクターだったなあ。

物販は版権の関係か、明朝体の「庵野秀明展」と作品のタイトルロゴばかり。いちばん気になったアイテムは、
『ナディア』のキングの人形。しかし6000円超えではさすがに手が出ないのであった。小さくして売ってほしい。

その後は『M-1グランプリ2021』を見られないかとカラオケ屋を探索し、赤坂見附へと移動する。
しかし週末の六本木は混み合っており、バスが遅れて困った。しかもこれからメシを食おうというところで、
カラオケ屋がふっかけてきやがって、それならいいです、と方針変更。鳥貴族に入ってダベるのであった。
かなり前に福岡の刺繍店で注文したマサル似帽子(→2019.1.27)をようやく渡すことができてよかったよかった。

 十五代目国立姉歯一家の図。

僕は鳥貴族初体験だったのだが、野菜はないし揚げ物多いしで、いくら安くても正直満足感は低いなあと。
今回いちばん笑ったのは、猪瀬直樹が5000万円をバッグに詰めて検証するのが実に『古畑任三郎』っぽいという話。
それでアバンタイトルからラストのスタッフロールで部屋の中に誰もいなくなるところまでをみんなで想像して大爆笑。
ほかにもM-1を中心にさまざまな話題でダベったけど、すべて自分色に染めて満足するえんだうさんは相変わらずだね。
次回の姉歯祭りはいつ開催できるかわからないが、何かネタを見つけたら気軽に集まりましょうや。


2021.12.18 (Sat.)

午前中は徴収金会議つまりPTAのご意見を聴く会なのであった。スーツで出席。
並行して当番だった部活が終わると、昼に寿司屋に直行。今回もこれがなんで1100円で食えるんだと首を傾げつつ感動。
そのまま午後は、スーツ姿をこれ幸いと、相模国一宮の寒川神社で開運招福の祈祷を受けるのであった。救われたいっ!


2021.12.17 (Fri.)

結局、今週はものすごい低空飛行で終わった感じ。ただ、開き直って底を打った感覚もある。禍福は糾える縄の如し、ね。



2021.12.12 (Sun.)

自転車23区めぐりで集めた御守の撮影と整理に朝からずっと取り組むが、まあとにかく量が膨大で。
豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区の5区の分で、しっかり6時間かかった。途中で謎の地震もあったし。

それにしても、東京23区西部は氷川神社が多すぎる! マジで多い。いや、マジで多い。
歴史的には武蔵国一宮は小野神社が正式なようだが(→2015.1.242018.11.25)、影響力という点で考えると、
大宮の氷川神社(→2006.2.122009.3.182011.4.292014.12.7)が武蔵国一宮なのも納得せざるをえない。

しかし親玉の氷川神社を勧請した後、神社名の最初に地名を冠している場合はわかりやすくていいが、
そうしないで「氷川神社」をそのまま正式な名前としている神社が多いのが、たいへんにややこしい。
おかげで現地では御守を頂戴したらすぐ、裏に記載されている名前を確認する作業が必須になってしまった。
ポケットに入れたマジックで紙袋に地名を書き足し、その場で御守を一緒に撮影して記録しておくのである。
これをやっておかないと、どの御守がどの氷川神社のものなのか、ワケがわからなくなってしまう。
厳密には氷川神社に限った話ではないのだが、氷川神社があまりに多すぎて、ぶっちぎりで混乱するのだ。

自転車で23区めぐりをやるまでは、東京にこんなに氷川神社が多いとはまったく想像していなかった。
東京の神社事情で最大の特徴と言えるくらいに多い。体で実感した発見である。御守マニアとしては大混乱。


2021.12.11 (Sat.)

最近の『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(→2020.1.12020.3.14)についてちょろっと。

進みが悪い! いや、物語が進んだら卒業に向かって一直線になるので進行は順調にもったいぶってほしいのだが、
更新ペースのわりにページ数が少なくってムズムズする。単行本におまけつけなくていいから本編ちゃんとやってくれ。

前にも書いたように、ワタモテとはもこっちを触媒に周囲のキャラクターが成長する物語なのだ。
現在公開されている喪199では直接的に描かれているが、関係性の着実な広がりがさりげなく描かれているのがよい。
僕がいちばん気に入っているのは田村ゆりと内笑美莉の関係性で、喪192の自然な馴染み方とかたまらんですね。
あとは、もこっちと佐々木風夏が対立関係を脱却し、もはやほぼ同レヴェルで落ち着いてしまっているのもよい。
結局のところ、みんながそれぞれの個性を出しつつ独自の関係性で仲良くしてくれればそれでいいのである。
人気のカップリングもそれはそれでいいんだけどよ、さりげないところで確かに存在している友情が至高なのだよ。

しかしこの感覚は、前半の『彼氏彼女の事情』(→2004.12.19)に近いものがあるかもしれん、と思う。
あっちの方がしっかり少女マンガで明らかに鋭いのだが、ワタモテはエンタテインメントとして安心して読める。
時間が経過してもその辺のやりとり感が好きなのは変わらないなあと思う(何年経ったかは恐ろしいので数えない)。
自分はカレカノの友情部分の再構成をワタモテに期待しているのかもしれんなあと、ふと思ったわけである。

ついでに書いておこう。アニメ『彼氏彼女の事情』のBGMでいちばん好きなのは、ACT1.0収録の「一期一会」です。
この曲を聴いているといろんな感情が湧き上がってくる。穏やかな気持ちになるのが要素としてはいちばん大きいが、
そこに高校時代への微妙な後悔も混じって、でもそこを慰めてくれるようなところもある。まあ特別な曲ですな。


2021.12.10 (Fri.)

なんかもう本当にすみません。今日はひたすら全方向に謝りたい気分である。生まれてすみません。

詳しく書くことではなさそうなのでぼかしてすみません。授業がしゃべりっぱなしですみません。
面談で言いたい放題ですみません。察していただいてすみません。いやもう本当にすみません。
40年以上馬齢を重ねて、まあ今年は新しい環境で1年目だけど、それにしてもあまりに不器用すぎてすみません。

自分自身にいたたまれなくなって、いぶりがっこ食いながら酒飲んで寝た。逃避で酒飲んだのは初めてですみません。


2021.12.9 (Thu.)

大金持ちの前沢氏が宇宙旅行を楽しんでらっしゃる。それに対する反応がさまざまあるわけです。
僕としては『大長編ドラえもん のび太と鉄人兵団』の「あんなのちっともうらやましく……、うらやましい!!」って感じ。

「所詮は金持ちの道楽」とひがむ気持ちはよくわかる。僕にだってその気持ちはまったくないわけではないのだ。
しかし誰しも他人の金の使い方に口を挟む権利などないのだ。確かに僕も公務員に消費させろとか(→2012.11.30)、
支出に品性が出るとか(→2020.6.282021.9.24)、いろいろ好き放題に書いてきたが、本質的には私有財産の不可侵。
ひがむだけ無駄なのである。いつぞやのTwitterで金をバラまいた行動はさすがにどう転んでも賛同できないけどね。
でも今回の宇宙旅行については、羨ましがる必要はないけど、ポジティヴなものとして受け止める方が健全だろう。
人間、やってみたいことは、人によって多種多様だ。難易度も多種多様だ。その難しい部類をやってのけたってこと。
だから素直に「すごいね」でいいのである。そもそも、本当にやってみたいことを見つけることがまず難しいのだから。


2021.12.8 (Wed.)

修学旅行の影響で開店休業で、プリントづくりばかりの毎日である。調子も上がらないので早引けを決意する。
その手続きの中で、年次休暇は年度末ではなく年末で更新になると聞いてびっくり。今まで知らずに働いていた。
夏休みをはじめ、爪に火を灯すように休暇をケチってきたのはいったいなんだったのだ。ションボリである。

以前から気になっていた横須賀の温泉施設に行ってみるが、天然温泉は露天のみで、嵐のような暴風に遭う。
頭に乗せたタオルは吹っ飛び、出てきたお湯は一瞬でぬるくなる。長く浸かっていてもぜんぜんのぼせない。
結局、晩メシをいただいて帰るタイミングでも風はおさまらず。癒しになったんだかならなかったんだかよくわからん。


2021.12.7 (Tue.)

世界史のプリントを必死でつくっております。列強の植民地化のところなので、やればやるほどブルーになる。

マレーシアの歴史で、海峡植民地(マラヤ)はよく出てくるけどボルネオ島の方はどうなんだと思って調べたら、
サラワク王国ってのがあったんですね。寡聞にして知らず、とはまさにこのこと。お恥ずかしい。でも面白い。
なかなか資料が多くないが、裏を返せばそれなりに平和だったということだろう。日本が占領しちゃうけど。

知れば知るほど知らないことが増えていく。そしてそれは僕だけが取り残されていた知識ということもよくあって、
恥ずかしいやら悔しいやら微妙な感情になる。でも恥をかかないためには、知る努力を怠ってはいけないのだ。
できるだけ多角的に、質も量も知識をつけていって、恥の少ない人間になること。終わりがないけどがんばる。


2021.12.6 (Mon.)

あんまり詳しく書くわけにはいかないが、生徒にとったアンケートで出てきた回答に呆れる教員が続出しております。
いちばんわれわれを呆れさせたのが、「教員に年齢制限をしてほしい」というご意見。年配の教員を替えてくれ、と。
意識だけは高い系の学校なのでダイバーシティとかSDGsとか好きな生徒が多いのだが、何が多様性だ、って話。
何様なんですかね。自分をお客様で神様だとでも思っているのだろうか。どこまで甘やかされているのか。
そもそもが授業で力がつくかどうかは、結局は本人の努力しだい。他人のせいにするヤツが伸びるはずがない。
職員室に入ってきても敬語の使えない生徒が多すぎる。自分が礼儀を身につけていないことをわかっていないのだ。
もちろんちゃんとしている生徒もいて、オレなんかよりずっと歴史のセンスがあるのに謙虚な生徒もいて、
すべての生徒が勘違いなわけではない。しかし自分のことしか考えない失礼な子どもが目立つのも事実である。困るねえ。


2021.12.5 (Sun.)

J3の全日程が終了。大木監督率いる熊本が逆転優勝ということで、私も大変うれしい。
正直なところ、大木さんには長野の監督になってほしかった。薩川監督時代の走る長野に近い要素があると思うのだ。
でもこれはしょうがない。ぜひ熊本の復興を盛り上げて、さらに活躍してほしい。来年はなんとか生観戦したいなあ。
そしてもうひとつのJ2昇格チームが岩手ということで、ついにキヅール(→2018.9.9)がJ2デビューなのだ。
あの尖った(物理的にも)デザインがさらに全国で知られると思うとたまらん。こちらも楽しみですな!


2021.12.4 (Sat.)

いい天気である。先週までは晴天の下で自転車23区めぐりに没頭していたわけだが、年内に予定した分は無事に完了。
おかげで追い立てられる感じがしないのはいいが、ド晴天だとやはりなんだかもったいない気分になってしまう。

それでもとりあえず家の外に出て、片付け作業の一環として古いCDやDVDなどを売却する。
そしたら予想外の金額になったので、欲にまかせて金をかけていたなあとあらためて反省するのであった。
しかし久しぶりに中古品を扱う店を見てみると、膨大な量のCDやDVDに圧倒される。中には気になるものもあるが、
じっくりとそれらをチェックしている余裕がない生活をしている。知っておくべき名作を知らないままでいて、
日記ばかり必死で書いている生活もどんなもんかな……。バランスのいい生活とは何ぞや、なんて考えてしまう休日。


2021.12.3 (Fri.)

2年生が今週末から修学旅行ということで、午後はその準備。おかげでこちらは開店休業。しわ寄せは年度末に来る……。


2021.12.2 (Thu.)

eスポーツはスポーツなのかどうか問題。僕は保守的な人間なので、結論としては「スポーツではない」と思う。

eスポーツをめぐる問題は、つまるところ公共性の問題だ。この視点を抜きにしてスポーツ云々を論じることはできない。
意外に思われるかもしれないが、「公共性とは何か」ということをきちんと考えることこそが、この問題の本筋である。

スポーツは身体のふるまい以上に、ルールの存在が決定的に重要である。ルールがなければ動物の狩猟と変わらない。
ルールとはその競技における法律である。数学的論理によりルールが定められてこそスポーツたりうる(→2009.12.28)。
(中島敦『山月記』で、虎となった李徴が狩りをする際に人間としての意識や言語を失うのは、鋭い描写である。)
逆を言えばルールが設定されていれば、「より速く、より高く、より強く」とは逆の微小な身体の動きもスポーツとなる。
ゴルフのパッティングもそうだし、典型的なのはカーリングだろう(→2010.2.25)。そもそもサッカーや野球でも、
微細な身体の動きでボールを扱うことが巧拙につながるのだ(一例を挙げると、マラドーナの身体 →2020.11.26)。
さらに身体能力と頭脳の比率を極限まで頭脳に振ったとき、将棋や囲碁などがスポーツに組み込まれる(→2020.9.6)。
つまり、スポーツを成り立たせているのは身体のふるまいそれ自体ではなく、ルールの存在なのである。

さて、それではeスポーツはどうなのか。微小な身体のふるまいの巧拙という点においては、スポーツに含まれそうだ。
しかし、肝心のルールについてはどうだろう。「誰が競技のルールを決めるのか?」──これを問うことが重要なのだ。
たとえばサッカーの場合、ルールは英国4協会とFIFAによって改定される。きちんと認められて権威を持った団体が、
ルールを保証しているのだ(FIFAの腐敗っぷりは今回の議論とは関係ないので無視しておいてちょうだい)。
野球の場合には公認野球規則があり、プロ野球コミッショナー事務局内にある日本野球規則委員会で話し合う。
当該スポーツの代表である団体が設定したルールに従うことで、競技者となることができる。気ままな遊びとは違うのだ。
ではeスポーツの場合、どうなるか。公的な団体を設立することは可能だから、その意味では問題はなさそうだ。
しかし、使用するゲームプログラムの提供元は営利企業だ。既存のゲームを使用する限り、知的所有権の影響を受ける。
ルールを定める組織は、プログラムの知的所有権を持つ営利企業に対し、公的存在として公平さを保つことができるのか。
格闘技団体がイマイチ胡散臭いのは、この公共性が欠如しているからだ。利害の絡んだ不透明な内紛が繰り返されている。

ルールとプログラムの関係をここで整理しておく。ルールの下で競技が行われるが、これはプログラムの実行と重なる。
審判はルールにもとづいて判断するが、競技を円滑に進行する役割を果たすため、プログラム側に属する存在である。
誤審とは、プログラムにおけるエラーのようなものだ。エラーを受け止めつつも、ルールは揺らぐことなく君臨する。
将棋に存在する千日手や持将棋などをプログラム上のバグとすると、それに対応したルールがきちんと設定されている。
eスポーツでも、プログラムを介した競技者の挙動は、プログラムの限界とは別にルールの制約を受けることになる。
しかしeスポーツの場合は特に、まずこのプログラムが公正なものであるかどうかが、非常に重要になってくるのだ。
競技中のプログラムによる制御(スポーツではドーピングや審判の買収にあたる)の可能性を排除できないのが問題だ。
スキーのジャンプ競技では日本に不利になるルール改正が繰り返されているが、それがプログラムの段階で行えるのだ。
スポーツのルールは身体の限界を担保として公平性を納得させている。逆を言えば、身体の限界を前提にしているため、
ルールの枠内なら何をやってもよい。しかし身体の限界にプログラムが介在するeスポーツは、公平性を保証できない。
スポーツの不正とeスポーツの不正は同列には考えられない。営利企業の所有するプログラム内で実行されているからだ。
真に公共性を持った非営利団体による公正なプログラムであれば、eスポーツは成立しうる。でもそれは魅力的だろうか。
僕らが遊ぶゲームの延長線上にeスポーツを置きたい気持ちは理解できる。しかし遊びとスポーツは別次元のものだ。

むしろeスポーツは、僕が大学時代にやっていたクイズに近い。クイズは公式協会ができたとしてもスポーツにならない。
出題者のさじ加減という要素があまりにも大きすぎるのである。あらゆる事象について問うことが可能である以上、
「公正な出題」はありえず、出題者の恣意性に左右される。参加者による合意の上でクイズ大会は開催しうるが、
それを厳密なルールで展開されるスポーツとして捉えることは不可能だ。クイズはあくまで「お遊び」でしかないのだ。
(極端な例としては、『古畑任三郎』のクイズ王の回、唐沢寿明がクイズ王で伊集院光が被害者の回がある。
 そのエピソードでは数字にまつわる問題という制約の中、出題者と回答者が入れ替わる形でクイズが進められた。
 実際にやらなくてもすぐわかることだが、これは成立しない。競技者と審判が交互に入れ替わる状況では、
 正誤の判定が客観的にできないからだ。番組としては成立するかもしれないが。三谷幸喜はなぜそうしたのか疑問だ。)
クイズ番組を英語では「quiz show」という。そう、お遊びである以上、ショウ・興行・見世物でしかないのだ。
eスポーツも、公共性に拠って立つスポーツとしての定義を満たすことができないのだから、本来はショウなのである。
金の生る木だからスポーツの枠内に入れてもてはやされているが、その精神はスポーツマンシップからかけ離れている。
クイズやIPPONグランプリ(大喜利)、よくてプロレスと同じくらいの位置に留めて楽しんでおくのが健全であろう。


2021.12.1 (Wed.)

2018年11月の日記を11月中に書ききれなかったせいで、ついに日記の負債が丸3年超えとなってしまった。
なんとか意地で今週末には旅行の分を仕上げられそうではあるが、論考系の内容があるのでそっちが微妙なのである。
3年も前のことを昨日のことのように書くというのは、それはそれで脳みそのトレーニングになっているかもしれないが、
現在進行中の事態を後回しにしている感覚もあって、不健全ではないかなあと思ってもいる。ニンともカンとも。


diary 2021.11.

diary 2021

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