diary 2016.1.

diary 2016.2.


2016.1.31 (Sun.)

なんと、サッカーのU-23日本代表が、AFC U-23選手権で韓国を下して優勝してしまったではないか!
無理なんじゃないかと言われていたリオ五輪の出場権を獲得するだけでなく、アジアの頂点に立っちゃうとはね。
これは本当にすばらしいことだ。日本サッカーは期待されていないときほど好成績を残すの法則。

実は私、全試合をきちんと見ております。日記に詳しいことを書くのが面倒くさいので、今までスルーしてきたけど。
この機会にすべてをまとめて書いちゃうけど、彼らは試合ごとに目に見えて成長していく、素敵なチームだった。
たとえば初戦の北朝鮮戦。いわゆる辛口評論家は酷評するであろう試合内容だったが、極度の緊張状態にある初戦で、
北朝鮮のなりふり構わない猛攻を無失点でしのぎきったあの内容だからこそ、彼らは成長することができたと思うのだ。
当事者たちには「北朝鮮にこれだけ攻めさせていることがマズいんだ」なんて考える余裕があるわけないのである。
余裕がない中でやるべきことをきちんとやりきった、その事実が自信につながる。もし悠々勝ったら、伸びなかった。
極限状態でプレーする経験をあそこで積んだからこそ、しっかり苦戦しつつ結果をモノにしたからこそ、成長したのだ。

タイ戦では鈴木と久保のFW2人がそれぞれ得点を奪い、いい意味での競争がFW陣の中で活性化されることになった。
サウジアラビア戦では(この試合だけじゃないけど)ターンオーヴァーをこなしつつも、大量得点でしっかり勝ちきった。
イラン戦では完全に膠着状態のままで90分が過ぎたが、延長に入ってからファインゴールを一気に3つも決めてみせた。
リオ五輪を賭けたイラク戦では寄せの速い相手に圧倒される場面が多かったが、少ないチャンスを決めきってみせた。
そして決勝の韓国戦では2点差を引っくり返しての大逆転。ひ弱ないつもの日本代表の姿はそこにはまったくなかった。

画面を通して、チームが試合ごとに成長しているのが手に取るようにわかった。守備的なサッカーと言われるスタイルだが、
本来自分たち好みのサッカーが90分続かないことを理解しているからこその、謙虚で賢いスタイルだったのだと思う。
そのクレヴァーさは攻撃のときの鋭さに十分現れていたので、彼らを批判的に見る人は案外少なかったはずだ。
ポイントを絞ることのできる賢さと、最後まで走りきれる粘り、その両方を併せ持ったチームへと見事に成長していった。
何より、試合の終盤になってから点を取りきる力は、歴代の日本代表と比較してみても絶対に突出しているはずだ。
むしろこのチームのサッカーは、オシムの言う「賢く走るサッカー」「危険なサッカー」そのものだったのではないか。
試合ごとに成長した点といい、日替わりでヒーローが現れた点といい、なんといっても最高の結果を残した点といい、
終わってみれば言うことなしのチームである。リオ五輪ではどこまで行けるんだろうか。期待しない方が縁起いいかな。


2016.1.30 (Sat.)

今日の部活はみんなでDVDを見たのだが、今の中学生たちがジーコを「名前だけは聞いたことがある……」とか、
2002年日韓W杯を「オレの生まれた年だ」とか、いろいろショックだ。冷静に考えると当然なのだが、ショック。
もっと冷静に考えると、自分たちだって前の世代に対していろいろとショックを与えてきているはずなのだ。
人類はそうやって歴史を紡いできたのだ。しかしいざ自分が当事者になってみると、時間の経過がまずショックであり、
それにより共通認識だと思っていたことがぜんぜん共通でなくなっていたという事実がやっぱりショックである。
歴史ってのは些細なことでもきちんと意識して伝えていかないともったいないなあ、なんて思うのであった。

……オレは今の中学生たちが生まれる前から日記を書き続けているわけですか。びっくり。


2016.1.29 (Fri.)

思うところがあって仕事帰りに問い合わせに出かけるが、まさか本部が移って市ヶ谷に行くことになるとはびっくり。
よく考えれば、あれから9年である。こっちの記憶はそのままでも、世間は待ってくれないのだ。変化はつきもの。
それにしても、10年近く時間が経過してもほぼ同じことを繰り返すのには苦笑するよりない。こっちは変わらん。
これがオレという人間の変わらない部分なのか、と思う。本質とまでは言わないが、そういう人間なんだなあと。
我以外皆我師ということでどうにかならんか。まあとにかく、がんばります。


2016.1.28 (Thu.)

Jリーグの日程が発表になったぞー! それを受けて旅行の予定をあれこれ考え出す自分はもう廃人かもしれん。


2016.1.27 (Wed.)

結局、川崎市市民ミュージアムでやっている「江口寿史展 KING OF POP」を見にいってきたので感想を。
なお、明治大学米沢嘉博記念図書館でやっていた「Side B」については、4日前の日記を参照(→2016.1.23)。

4日前の日記で書いたとおり、僕は江口寿史のマンガを見ると、「80年代の一番いい部分そのもの」と感じるのだ。
しかし最近では、大塚食品の「ビタミン炭酸MATCH」で広瀬アリス・すず姉妹を描いたのが話題になっており、
世間の扱いは決して「過去の漫画家」ではない。むしろイラストレーターとして安定した仕事をしている印象である。
今回の「江口寿史展 KING OF POP」は、彼の集大成となる画集が刊行されたことを記念して開催された展覧会だ。
内容は、彼がデビューした1977年(われわれが生まれた年だ!)の『すすめ!! パイレーツ』から上記の広瀬姉妹まで、
マンガの原画にイラスト作品と、時代を追って彼の仕事ぶりをそのまま展示している。非常に素直な構成である。

まず展示は、現在のデジタル出力されたイラストから始まる。「KING OF POP」とはずいぶん大きく出たな、
なんて思うが、しかしまさにポップなのだ。江口寿史ならではの、少ない線で構成された女の子の絵が並べられている。
極限まで減らされた線、色の厚みのなさ、平面的で記号的な陰影、一瞬の強力な抜き出し方などを見ているうちに、
「ああこれはリキテンスタインだ」と思い当たる。現美の『ヘア・リボンの少女』が有名なロイ=リキテンスタイン、
その現代日本における正統な後継者のように思えてきたのだ。なるほど、「KING OF POP」とはそういうことかと納得。
リキテンスタインのポップアートはシルクスクリーンによるものだが、デジタル出力の平面性はそれに通じるものがある。
手づくり感覚の残る80年代には気づかなかったが、30年の時を経て、江口寿史のポップはアートへと近づいている。
実際に展示されていたが、江口は90年代にデニーズのメニューにイラストを描いており、かなりアメリカのテイストが強い。
アメリカの消費文化を芸術の舞台に引き上げたポップアートと、アメリカの消費文化を追随するファミリーレストラン。
そこに江口寿史が介在することになったという事実は、けっこう大きいと思う。デニーズでの仕事は彼の転換点だったのでは。

江口は80年代には時代の寵児として活躍したが、『すすめ!! パイレーツ』というドタバタギャグから入ったことが大きい。
次いで『ストップ!! ひばりくん!』で頂点を迎えた。ひたすらポジティヴで軽いタッチは、イケイケの時代にマッチした。
マンガ自体は、ひばりくんをかわいく描くことにこだわるあまり、連載が続行不可能になってしまったというが、
それが逆に「漫画家だけど単体の絵を売れる」という側面を生み出すことになる。江口の丁寧な絵は80年代半ばから、
雑誌や本の表紙、あるいはポスターとして活躍の幅を広げていく。やがてドタバタギャグのマンガが古いものとなってくると、
江口の漫画家としての活動はほぼなくなる。かといって、イラストレーターとしても試行錯誤の時期に入った印象である。
その姿はもう、バブルが弾けた90年代における社会の迷走とそのまま重なる。イケイケの時代が終わるとともに、
ポップという概念が日本の社会から消えてしまったようだ。80年代を謳歌した江口には、それが直撃したというわけだ。
それでもかわいい女の子を描けるということで、90年代にはキャラクターデザインの仕事が目立っている。
とはいえ個性あるキャラクターを生み出すということまではできていない。かわいいけど、それ以上のものがない。
ある意味、90年代の「迷走」は、江口の作家性を自覚させる時期だったと思う。上記のようにデニーズの仕事を経て、
むしろ個性を排した絶対的にかわいい女の子を描く能力を研ぎ澄ませていった感じ。無個性だからこそ、無数に次がある。
無個性、つまり名のある女の子のキャラクターを生み出せていないという事実は、江口寿史最大の特徴と言えるだろう。
最も名の知れたキャラクターはもちろん「ひばりくん」だが、彼はしっかり男の子なのだ。このパラドックスはかなり興味深い。
思えば、リキテンスタインの『ヘア・リボンの少女』にも名前はない。名前がない、キャラクターの個性がないからこそ、
受け手が自分の好きに解釈できる余地がある。江口寿史はわれわれに、まっさらなかわいい女の子を提供してくれる。

江口の描く女の子の特徴をいくつか挙げると、「目」「唇」「女の子ならではの柔らかいポーズ」などがあると思う。
対して鼻の表現は最小限に抑えられており、基本的には穴2つのみに集約されている。つまり、ミニマルなかわいさなのだ。
女の子のかわいさを抽象的に取り出して再構成する。抽象性とは、個性を取り除いた先にある本質のことなのである。
江口が真正面から見た女の子を得意としている点は、特筆すべきことだ。それは誰かに似ているし、誰にも似ていない。
(「ビタミン炭酸MATCH」の広瀬姉妹の絵を見た女性が、「本物よりかわいいじゃん」とつぶやいたのを聞いたことがある。)
そこに、江口寿史の独自性がある。純粋に取り出した「女の子のかわいさ」、日本のカワイイ文化の一面を凝縮したもの、
それを江口は新しいポップアートとして提示しているのだ。というわけで結局、江口寿史は女の子を描いてナンボですな。
女の子と何か、それは服でもヘッドフォンでもギターでもバイクでも車でもワインボトルでも景色でも何でもいいのだが、
純粋に取り出した女の子のかわいさとの相乗効果でその魅力を伝える、江口寿史はそういう作品を生み出せる人だ。

最近の江口寿史の活躍ぶりは、80年代のポップが90年代の雌伏を経て、21世紀に再び求められている、と読めるのか。
そうであるなら、今の時代はどういう形状をしているのか。80年代はどのようなものとして消費されようとしているのか。
江口寿史の描くかわいい女の子にただただウットリするも一興、80年代リヴァイヴァルの空気として読むのもまた一興。


2016.1.26 (Tue.)

3年生を送る会向けの画像掘り出し作業に勤しむ。昨年まではよけいなお世話なややこしいセキュリティのせいで、
容量の関係やら暗号化の関係やらで取り出すのに恐ろしく時間がかかった。1週間まるまる放課後を取られたもんよ。
でも今年はいろいろ変わって、信じられないほど楽になってありがたい。というか、これが本来の姿だと思うのだが。
まあとにかく、教育委員会はよけいな制約をかけて仕事の手間を増やすんじゃねえ!ってのが結論ってことで。


2016.1.25 (Mon.)

土日のおかげで肋骨がだいぶ楽になったけどまだまだね。や、これは絶対に折れとったわ。


2016.1.24 (Sun.)

日記を書きまくろうと思ったけど日頃の疲れが出て結局たっぷり寝てしまったが少しも後悔していないわ。


2016.1.23 (Sat.)

リョーシさんが上京してきたぞー!ということで毎度おなじみ姉歯祭りなのである。
川崎チネチッタで黒澤明の『生きる』をやるという情報をキャッチしたので、今回は午前中に僕とリョーシさんで鑑賞。
その後に神保町に移動して、みやもり・ニシマッキーをまじえて明治大学博物館に行ってみよう、となったのだ。

午前9時、駅でリョーシさんと合流するとベッキーだのSMAPだのの話をしながらチネチッタへ。今年は1月から濃すぎる。
『生きる』については前に日記で書いているが(→2005.5.29)、10年経っても僕の感想はだいたい同じである。
リョーシさんと共通していたのは、「現代の感覚だとテンポが悪い」ということ。そのじっくりじっくりやっている点が、
意志を固めてからの強さにつながるのも確かだ。でも「思ったよりも志村喬はあちこちでたっぷり遊んどったな」なのだ。
そう、『生きる』という映画は、印象的なシーンが精彩に記憶に残る映画だ。それ以外の部分は人間の脳みその特性で、
短く都合よく記憶を編集してしまう。でも印象的なシーンは、ほかの映画より強烈かつ鮮明に残るのである。そこが凄い。
もうひとつ、これは感動できる映画であるが、「笑ってもいい映画」としてつくってあるところが凄いと僕は思うのだ。
本質を衝いているから、人間の意志の強さに感動すると同時に、周りの人々を通して人間の滑稽さもちゃんと描いている。
どちらか片方に寄っていないので、笑うことが感動を邪魔する不謹慎な要素にならない。感動的な場面なのに笑わせる、
そういう両極端を観客に瞬間的に許してしまう作品は珍しい。言うのは簡単だが、これを実現するのはかなり難しい。

そんな具合に感想戦をしつつ京急に揺られ、浅草線に乗り入れ、三田で乗り換え、神保町へ。神保町も久しぶりだ。
改札でニシマッキーと合流すると、さっそく昼メシである。神保町でお昼というとカレーがまず選択肢にあがるが、
今回はリョーシさんのやんわりながらも強い希望により、「さぼうる」のナポリタンに決定。非常に楽しみである。
行ってみると「さぼうる」の隣には「さぼうる2」があって、食事はそっちが中心らしく、しっかり行列ができていた。
寒空の中、われわれも覚悟を決めて行列に並ぶ。少し待ったが、列が進みだすとあっという間で、地下の部屋に通された。
雰囲気がロージナっぽいですなーと国立時代を懐かしむわれわれ。ナポリタンは大盛を頂戴したが、本当に大盛でしたな。
ふつうサイズでも十分に量が多いと評判なのだが、とことんまでナポリタンを食い尽くすことができて大満足である。
しかしあの量のナポリタンを最後までまったく飽きずに食わせるとは、すごいものだ。麺の食感もいいんだよ。

 「さぼうる2」のナポリタン(大盛)。

みやもりからさらに遅れるという連絡が入り、満腹になったわれわれ、先に目的地へと向かってしまうことにした。
明治大学博物館はアカデミーコモンという建物の地下にある。入場無料なのでそのままスルッと入っていく。
最初は明治大学に関する資料がいっぱいで、なるほどなるほどと。よくここまで大きな学校になったもんだと素直に思った。

そしてさらに地下深くに行くと、「商品」「刑事」「考古」の3部門についての展示。一般的な博物館とほぼ同じ感触だが、
特に強烈というか今回のメインエベントが、刑事部門。古今東西の拷問用具・処刑用具を展示している(複製が多い)。
やはり他の来館者もここが圧倒的に気になる模様。ここまで露わでしっかりまとめている場所なんて、なかなかないもんな。
趣味が良くないと言ってしまえばそれまでで、たまにはこんな現実を直視する機会があってもいいだろう、とは思う。
とはいえさすがに鉄の処女とギロチンは強烈だった。鉄の処女はねえ、ありゃあ外観がもう、悪い夢そのものですわ。
カメラは持っていたけど、とても撮る気にはなれなかったなあ。だから写真はナシです。画像検索でもかけてくれ。
なお、「商品」はカテゴリーが広すぎて収集基準が曖昧で(明治大学が持っている貴重品を一箇所に集めただけだろ)、
「考古」は石器がやたらと多かった。これは明治大学の得意分野ということだろう。総合大学はいろいろやっているね。

その後は同じく地下の阿久悠記念館へ。日本レコード大賞の盾やら書斎の再現コーナーやらいろいろ興味深かったが、
やはりいちばんインパクトがあったのは、阿久悠が作詞した歌のシングル盤ジャケットをずらりと並べたスペースだった。
あれも阿久悠、これも阿久悠!と驚きっぱなし。特に1970年代の多作ぶりが凄い。阿久悠の超人ぶりを実感できた。

さて阿久悠記念館で無事にみやもりも合流し、せっかくなので米沢嘉博記念図書館にも行ってみることにした。
スペースは広くないが、置かれている本の種類がとにかく雑多。そのまとまりのなさにはクラクラしたぜ。
奥の方では「江口寿史展 KING OF POP」のSide Bということで、80年代の音楽と関連する作品を展示していた。
『すすめ!! パイレーツ』の扉絵では、当時流行したテクノポップのアルバムジャケットをキャラクターたちに再現させている。
(具体的にはクラフトワーク、YMO、ディーヴォなど。さっきの阿久悠が大活躍していた「歌謡曲」との対比が面白いぜ。)
その新しいものに軽いフットワークで乗っかっていく感じが、いかにも80年代。絵柄も80年代。なんだか懐かしくて。
しかしみやもりは「自分たちは江口寿史の世代ではないよね?」ということで首をひねる。確かにそのとおりで、
『ストップ!! ひばりくん!』の連載打ち切りは、われわれが小学校に入学する前のことなのだ。彼の全盛期を知らない。
いちばん記憶にきちんと残っているのは、ファミコンソフト『おたくの星座』のキャラクターデザインかもしれない。
だからわれわれにとって江口寿史は、「すげー絵が上手いけど、すげー遅筆で完結できない人」という伝説でしかない。
(もっとも、僕は『すすめ!! パイレーツ』が文庫化された際に立ち読みして、「これはいつか買いたい」と思っていた。
 しかしどういう事情があったのか知らないが、いつの間にか本屋から消えていた……。欲しかったのによぉー)
あとその絵柄を見ているうちに、「おおこれは『奇面組』(→2005.1.12)に通じる丁寧さだな」と。これが80年代か。

そのままお茶の水でカラオケ大会となるのであった。今回は「阿久悠&SMAP&ゲスの極み乙女。&ベッキー♪♯縛り」。
もはやわれわれ、ふつうに歌っても面白くないので、何かしらの制約をつけないと楽しめないのである。
しかし「阿久悠」で検索をかけたらさすがにこれが強烈で、歌える曲がいっぱい出てくる。しかもジャンルが幅広い。
歌謡曲はもちろん、アニソンなら『宇宙船サジタリウス』があるし、演歌なら『津軽海峡・冬景色』がある。
「Aメロとサビは知っているけどBメロがわからないから歌えなくて残念」な曲も多数。いやはや、とんでもない影響力だ。
途中からはSMAP縛りに切り替える。『夜空のムコウ』の予言的な歌詞に驚いたり、山城新伍ママを久しぶりに歌ったり。
最後は当然、杉田かおる『鳥の詩』をみんなで合唱。これも阿久悠の作詞ということで、本当に恐れ入りました。

娘さんを風呂に入れるというニシマッキーと駅で別れると、東京駅に移動して3人で飲むのであった。
ベッキーだのSMAPだのの話から入って、あれこれ雑多に話す。岡山に帰るリョーシさんを見送ってからもダベる。
特に盛り上がったのは、『キン肉マン』と『おそ松さん』から横滑りしての『聖闘士星矢』(→2013.9.4)トーク。
『聖闘士星矢』は絵の丁寧さとキャラクターの魅力とバトルの巧さのバランスが大変すばらしい作品なのだが、
いかんせんポセイドン編とハーデス編で晩節(だいぶ長い晩節だが)を汚してしまった印象がするのは否めない。
じゃあどうすればいいのか、なんてことをふたりで(といっても主にオレが)勝手に考える。当方の結論としては、
青銅聖闘士にイケメンをもっと増やして、いわゆる「一軍」「二軍」の垣根をなくすことじゃないかと思う。
ユニコーンの邪武はともかく、ヒドラの市とかライオネットの蛮とかベアーの檄で腐女子はどう萌えりゃいいのよ。
マトモな顔した青銅が10人くらいでワチャワチャしていれば、5巻分くらいのエピソードはどうにかなるでしょ。
あと個人的には青銅と白銀の区別の基準がわからない。黄道十二宮があるから黄金聖闘士の基準はわかるが、
何をもって青銅より偉い白銀の星座とするのか。一等星があるかどうかなら、十分納得ができるんだけどねえ。
というわけで、できるだけたくさんのキャラクターを出して、できれば88星座すべてをきちんと押さえておいて、
青銅ではなく白銀扱いとなる必然性を持った白銀聖闘士たちとのバトルをきちんとやっておいて、
黄金十二宮編に持ち込むのを極力遅らせるのが正解だったのではないかと思う。7巻から黄金編とか早すぎるよ。

いちばん盛り上がったのは、88星座をぜんぶ押さえる場合、かみのけ座の聖衣はどうすんだ、という話。
バトルのときは、相手の体じゅうの毛穴という毛穴から毛が伸びるという技とかどうだ、なんてアイデアが出る。
まあ結局、くだらない話ほど面白いわけですけど。やっぱ80年代って楽しいな!という結論でどうだ。ダメか。


2016.1.22 (Fri.)

アメリカ空軍の攻撃機・A-10が退役をまぬがれたそうだ。運用開始が1977年で1983年に生産終了。
四半世紀より前の話である。そう考えると退役が予定されていたのも当然なのか、という気もしてくる。
1991年の湾岸戦争でとんでもない大活躍をして以来、A-10はずーっと中東に睨みを利かせていた。
で、もういいやとなりかけたところでISが登場。おかげで退役は無期限延長となったのであった。

軍用機には中学生のときに一気に興味が湧いて、以来さんざんプラモをつくってきた。つくりまくってきた。
(新谷かおる『エリア88』の影響も大きい。CAPCOMのゲーム経由で読むようになったが。→2007.8.23
その中でいちばん魅了されたのが、A-10なのである。まるでグライダーのようなミニマルな機体。
そして無骨なエンジンが2つ(そこ、キ○タマって言わない!)。このバランスがなんとも絶妙なのだ。
飛ぶための形と飛ぶための機能の純粋な融合。飛行機としての研ぎ澄まされた美しさがあると思う。

実は15年くらい前に1/48スケールのA-10のプラモを買ったのだが、もったいなくてまだつくれていない。
僕には「1/72こそが正統派であり、1/48は邪道じゃ!」という妙な信念があって、1/72しかつくったことがない。
でもA-10は、そんな僕に「もっと大きいサイズでつくりたい!」という特別な気持ちを起こさせるのである。
高校時代にはベッドに寝転がって音楽を聴きながら1/72のA-10を日がな一日眺めていたっけなあ。見とれてた。

じゃあ締めは……革命の父、グレッグ大尉に敬礼!


2016.1.21 (Thu.)

「止まれ」の交通標識を変えるというあまりにも愚かすぎる動きがあるようだ。
日本ではお馴染みの下向き三角形なのだが、外国は八角形なのでそれに合わせるとかなんとか。
これは日本の都市景観を変えてしまう、ものすごく深刻な問題である。もういいかげんにしてほしい。
こんなことを思いつく売国奴はいったい誰なんだ。顔と名前を出せ。オレが修正してやんよ。


2016.1.20 (Wed.)

部活での接触が原因なんだろうが、やたらめったら胸が痛い。これは絶対に肋骨にヒビが入っていると思う。
肋骨というのは意外と脆い。ポケットに入っていたボタンごと押されてヒビが入ったり(→2010.11.1)、
転んだ拍子に体をねじったことで簡単に折れたりしてしまう(→2012.12.162012.12.21)。
そういう経験があるので「またやったかー」という感じ。医者に行っても、レントゲンを撮って「ここヒビです」、
「でもこれは固定しようがないし、自然治癒を待つしかないですね」と言われることまで経験で想像がつく。
なので、おとなしくしているよりないのである。困ったものである。


2016.1.19 (Tue.)

10日前に見た映画、『海難1890』のレヴューをやっとこさ書く。

あの旅行をしてからもう10年近く経つのが信じられない。紀伊半島をまわる途中で潮岬に寄った(→2007.2.11)。
その際、エルトゥールル号事件について詳しく知った。そしてイラン・イラク戦争で恩返しされたことも知った。
そうなりゃもう、この映画は見にいくしかない。なお、このエピソードは来年度からの英語の教科書にも採用されている。

物語の展開は実に正統派である。まずは不安を抱えつつエルトゥールル号が出航。一方で舞台となる紀伊大島では、
登場人物と住民の生活をオーソドクスに紹介していく。次いでエルトゥールル号のクルー内でのやりとりを描く。
レスリングを通してオスマン帝国軍人の勇猛さと友情をきっちり押さえる。そしていよいよ台風、爆発、沈没。
そこからは村人たちの懸命な救助ぶりを克明に描写。竹中直人の役どころはさすがにフィクションの面が強そうに思うが、
日土合作だしジャパネスクな要素も入れておきたいところなのかもしれない。遺留品をめぐるトラブルが解決し、
友情を確かめたところでエルトゥールル号遭難編は終了。そして時間は95年後に飛び、舞台はテヘランへ。
イラン・イラク戦争が勃発して取り残されてしまった日本人に対し、トルコ首相は飛行機を送る決断を下す。
時系列に沿ってできごとをひとつひとつ配置していく構成で、無難というと語弊があるが、奇を衒わずにつくっている。
元のエピソード自体にクライマックスになりうる要素が少ないので、コツコツ愚直にやらざるをえないのだろう。
そもそも悪者がいないし。やるべきことを手順を踏んできちんとやっている、真面目な映画なのは間違いない。

少々気になるのは政治的な色がなんとなく漂っている点だ。自衛隊の海外派遣のあり方が問題となっている昨今、
異国で戦争に巻き込まれた日本人を救えない困難な状況が、理性よりは感情に訴える形で扱われているように思う。
また、周囲の反対を独断で押しのけるトルコ首相の姿も、英断ではあるにせよ、過度なドラマ化を感じるのである。
もっとも、最後の最後でエルドアンがドヤ顔で出てくるので(『水曜ロードショー』における水野晴郎を彷彿とさせる)、
トルコ側にしてみればそれで十分、政治的である。そういった流れでちょっと気持ちが冷めちゃったのは否めない。

とはいえ、エルトゥールル号の海難事故と救出劇を映像化したという点だけでも、この映画には十分な価値がある。
実際に事故が発生した現場でロケが行われたそうで、救出シーンの迫力やリアリティは確かなものがある。
日本人として知っておくべきことが描かれている作品なので、みなさん一度は見ておいてほしいです。


2016.1.18 (Mon.)

SMAPの生放送での謝罪を見たのだが……晒し者ですなこれは。ちょっと、信じがたい。信じがたい光景。

まず、彼らは誰に対して謝っているのか。いやそもそも、何について謝っているのか。それがわからない。
われわれはニュースで前提となる情報を知っているので、事務所からの独立をめぐる騒動、ひいては解散をめぐる騒動、
そういう「『お騒がせ』に対する謝罪」として受け止める文脈に組み込まれている。彼らは世間を騒がせた、と。
でもはっきり言っちゃうと、僕はぜんぜんそれを迷惑と受け止めてはいないのである。むしろ楽しませてもらった。
部外者として、野次馬として、「おう、やれやれー!」とワクワク見守っていた側なのだ。彼らが謝る必要性を感じない。

とにかく、生放送された3分弱の映像は、「謝罪」ということになっているようだ。
「お騒がせしました」に対する謝罪であれば、林家三平(先代)ばりに「どーもすいません」のトーンになるはずだ。
しかし彼らはそれとまったく違う極度の緊張感の中で、異様に重いトーンで、まったく生気のない虚ろな目で、
完全に犯罪者としての空気の中で謝罪をしている。そこのズレに言いようのない気持ち悪さを感じずにはいられない。
具体的な動きはわからないが、間違いなく彼らは事務所内という狭い空間における罪を犯してしまったのだろう。
でも、それに対する「謝罪」が、国民の1/3が注視している公共の電波に乗せて公開されたということが異様なのだ。
おそらくこういう種類の映像、プライヴェイトの謝罪がパブリックに出されたことは、日本で初めてのことだろう。
われわれに向けて、われわれの知覚できない罪について、いい歳した分別のある大の大人たちが謝罪を強要される。
むしろこれは「謝罪」という表現よりも、「自己批判」という表現の方がしっくりくるかもしれない。The 自己批判 Show。
どうしても現実のものとは信じがたい、吐き気のするような光景が、露わになった。近年まれに見る気持ち悪さだ。

もともと僕は、SMAPが売れに売れてあちこちに顔を出している状況を快く思っていなかった。あいつらウザい、と。
大学1年のとき、中居正広の司会ぶりを褒める同級生に対し、「どこが?」と全否定したことを今でも覚えている。
そのようにSMAPを嫌悪している期間はだいぶ長かったのだが、僕も歳をとって、いろいろどうでもよくなってきて、
ツヨポンが「裸だったら何が悪い!」と叫んだときにはもう完全に、「忙しいんだね、大変だね」と肯定的になっていた。
嫌いだった中居氏についても、最近のバラエティでダメな部分を積極的にさらけ出すようになってかなり好きになってきたし、
落ち着いて番組を見てみると、上に対しても下に対して絶妙なバランスを保っていて、やっぱり司会が上手いのである。
稲垣メンバーについては実物を見ているし(→2005.1.23)。慎吾ママには山城新伍ママの件でお世話になりました。
そういうわけで今の僕にとってSMAPは、積極的に好きというほどじゃないけど、嫌いなグループでは絶対にないのだ。
だからこそ、この異様な光景が不特定多数に向けて晒されたという事実に対しては、ホリのマネするキムタクのように、
「おい! ちょ、待てよ!」と言いたいのである。……いや、もうちょっと踏み込んで、やっぱり怒りを感じるわ。
大の大人に対する私的制裁を傍観する役の一人に勝手に組み込まれてしまったことに、言いようのない怒りを感じる。
自分とさして歳の変わらない男たちを問答無用で晒し者にしてしまう連中の神経に、同じ男として怒りを感じる。

今後、事態がどうなるかわからないけど、僕はSMAPの人たちに対して、積極的な支持の姿勢を取り続けたいと思う。
まあキムタクについてはね、今後の事務所内での立ち位置次第だよね。彼の事情を知らないで安易に否定もできんし。
しかし現実にこういう種類の光景を目にしてしまうとはね。僕には想像できなかったよ。想像できるはずがねえよ、こんなの。


2016.1.17 (Sun.)

ココイチビーフカツの不正転売問題や夜行バス事故の問題がニュースであれこれ報じられているわけだが、
どうもこれは偶然じゃなくて、根は同じところにあって、日本という国の品性が問われているんじゃないかと思う。
質を確保するためには当然、コストがかかる。きちんと対価を支払うこと、そうして正当で良好な関係性を結ぶこと。
当たり前だが、それができない人間は品格がないということだ(→2014.11.11)。本物の金持ちほど金の使い方が上手い。
金を稼ぐのが上手いのではない。金を上手く使うことで、自分も相手も社会も得をするのだ(→2015.8.9)。
質に対して不当に低いコストを求めると、倫理が成り立たなくなる。それがココイチカツ不正転売の本質だ。
コストを下げて質を維持しようとすると、労働する側に無理が生じる。それが夜行バス事故の本質だ。
きちんとしたサーヴィスは受けたいけど、それに見合う金は払いたくない……そんなワガママが成立するはずがない。

自称「保守」のメディアはお隣の国々のダメな部分を紹介することに夢中で視野の狭い連中の支持を集めているが、
本当に取り扱うべき問題は、日本国内で品性を下げている部分だろう。そこを改善していくためのメディアだろうに。
他山の石以て玉を攻むべし、アホとケンカしていたら傍目にはどっちがアホなのかわからないのである。
まあそもそもが、こういう問題が発覚することでわかるように、われわれが思っているほど日本人は優秀ではないのである。
相対的なことを考えず、絶対的に考える。ほかの国とか関係ない。そうして自らの品性を磨いていくしかあるまい。


2016.1.16 (Sat.)

百人一首大会なのであった。夢中で札を取り合う生徒たちを激写しつつ、美声を響かせて札読みをするのであった。
自分はマイクを通すといい声が出ますんで。就職活動中には「ディレクターよりアナウンサーじゃないの?」と言われ、
出版社時代に電話に出たら「ふだんと声が違うねえ、巧言令色鮮なし仁」と嫌味を言われたこともあったっけな。
まあとにかく、才能を着実に無駄遣いしながら生きております。


2016.1.15 (Fri.)

国道18号・碓氷バイパスで発生したスキーツアーバス事故が痛ましくてたまらない。
単純に死傷者の数もショックだし、よりによって若い人ばっかりが被害に遭っているし、とにかくやりきれない。
自分がしょっちゅう夜行バスを利用していることもあって、これは他人事ではない。仲間がやられた、という気分。

ただただ、亡くなった方へお悔やみを申し上げるとともに、ケガをされた方の回復を祈るのみです。ご愁傷さまです。


2016.1.14 (Thu.)

『ポリスアカデミー』。マツシマ家においてポリアカにおける「ブルー・オイスター」の存在は基礎教養である。

久々に見てみたら、思ったよりも下ネタがキツかった。いや、80年代アメリカバカ映画の王道で面白いんだけどね。
本当にくだらないことを金にモノを言わせて全力でやる、その精神が本当に素晴らしい。そりゃ冷戦に勝つわ。
ただただ純粋に楽しめる、娯楽そのもの。この時代のアメリカは心から尊敬できるなあ、いい時代だったなあと思う。

しかしあらためて聴いてみると、テーマ曲がなかなかよい。気分が上がるのだ。やっぱりクオリティが高いんだよなあ。


2016.1.13 (Wed.)

外国人に合わせて地図記号を変えるという話を聞いて、心の底から驚いた。ここは外国の植民地か!?
日本には世界に誇る記号の文化がある。それに対する冒涜にほかならない。提案した人間を絶対に許すわけにいかない。

たとえば郵便局の「〒」を変えるということは、「逓信省」という記憶を否定するということになる。
記号には文字と同様、あるいはそれ以上に意味が込められているのだ。記号を消すということは、歴史を削ることだ。
その記号が生まれるに至るまでには、必ず物語が存在する。記号とは過去と現在を美しくつなぐ財産なのである。
確かに記号には言語を超える側面があるがゆえに、できるだけ多くの人に認知された方がいいという見方はある。
しかし言語が社会を規定する力は非常に強い。記号を解釈する基準は結局、言語に縛られた文化的背景なのだ。
多くの人に理解されることだけを目的に生み出された記号は、単なるツール以上の価値を持つことはないだろう。
記号の共時的側面ばかりを強調すると、通時的な価値を軽んずることになる。いま問われているのはまさに、
日本独自の文化により鍛えられてきた記号の歴史とその価値を理解できるだけの教養の有無である。

自分にはグローバル化という口実で、外国人に合わせて言語を変えるという究極的な自殺行為への流れが見える。
記号を変えるということは視覚に直結するだけに、決して大げさではなく、日本の終わりの始まりになりかねない。
ここにも日本を外国に安く売る動きが顕著に見られる。いいかげんに自覚して止めないと取り返しのつかないことになる。


2016.1.12 (Tue.)

焼肉屋での議論(→2016.1.2)から10日が経ったのだが、どうもいろいろ考えてしまうことが多くて。
振り返ってみると、最初に引っかかったのは結婚式の新郎略歴で、熱海ロマンについて1行だけ、と(→2015.12.13)。
しかしそれ以外の記述についても、どうも「ぼくは兄の影響をいかにして抜け出したか」という意識の強さを感じる。
確かに、次男とは長男にとって最初の子分であり、そこからの独立、インディペンデンスは次男には重要なテーマだろう。
そんなことも露知らず指令を出しつつも、知らず知らず反面教師としての役割を果たしてしまう、それが長男なのである。
つまり僕にしてみれば、むしろ潤平から教えてもらって趣味の幅を広げたことの方が多いんじゃねえかとのん気に思うわけだ。

手元にあるもので、もともと潤平が持っていたものがいつのまにか自分のものになっていたもの。『GRADIUS III』のCD。
これは中学時代から僕はゲームミュージックのCDを買っており、潤平も好きで、それでお互いにCDを買っていったのだが、
『GRADIUS III』は潤平の番というか担当というか、まあとにかく潤平が買った。しかし潤平はそのうち洋楽に手を広げ、
ゲームミュージックCDは僕の方が多く持っていたから結果として僕の管轄になった、そんな感じだ。で、今も手元にある。
でもよく考えると僕に『ロックマン2』を紹介したのは潤平なのである。こっちもしっかり影響を受けているんだけどな。
音楽ということで考えると、僕に人並みの洋楽知識があるのは間違いなく潤平のおかげだ。潤平が軽音部じゃなけりゃ、
たぶん僕はドラムスを叩く人間にはなっていない。それに僕をユニコーン大好きっ子にハメた犯人は完全に潤平である。
あとよく考えてみたら、僕が演劇に本格的に興味を持ったのも潤平が世界一団を紹介したのがきっかけじゃないか。
そして何と言ってもFREITAGである。きっかけは潤平の紹介で、気がつきゃ僕の方が大量に持っているというこの現実。
というわけで、実はこちらもしっかり影響を受けている。でもそれを過度に受容的と捉えていないのは長男だからなのか。

何がどうなろうと絶対に潤平にはかなわない!と思っていることは2つある。ひとつは絵を描くセンス。
立体造形なら勝てる自信はあるのだが、平面だと絶対に勝てない。挑戦しようという気すらもうまったく起きない。
高校のときに潤平が市役所でテキトーに描いた『大きな樹』(このタイトルは後で他人に勝手に付けられたもので、
つまり潤平本人は特にタイトルを付ける気もなかった絵ということである)があり、「これをテキトーに描いちゃうとか、
もう無理無理かないっこない」と思わされた。潤平とは絵で同じ舞台に乗らないように、微妙に気をつけていたなあ。
そしてもうひとつはマンガを評価するセンスである。ジャイアンにおけるのび太のごとく、崇拝するよりない。
潤平から紹介されたマンガを読んで「おおう、これはすごい!」と唸らされることは枚挙にいとまがないのだが、
こちらが紹介したマンガで潤平を唸らせたことは2回しかない。そのうち1回は恋緒みなとの『オレ通AtoZ』で、
「これでパソコン通信というものがわかったありがとう」という反応でしかなかった。まあそんなもんである。
あともう1回がジョージ朝倉の『ハッピーエンド』で、確かにこれは潤平が驚愕するのも頷けるほどの名作で、
「アニキはこれをどこで知ったんだ」と不思議がっていたのだが、その相手とはケンカ別れして恨みしかないので、
イヤな気持ちになるから詳しいことは訊かないでください。まあとにかくその2回だけなのである。一方的な関係なのだ。

まとめると、作用には反作用がつきもの、ということで。長男は泰然としているだけで、実は密に影響を受けている。


2016.1.11 (Mon.)

そういえば、正月の実家で太川陽介と蛭子さんのバス旅番組(ローカル路線バス乗り継ぎの旅)を見た。
感想としては、いつもオレがやってることと変わらないじゃんかと。最近は旅先でバスを利用する頻度が高く、
時にはいろいろ乗り継いで目的地を目指すこともある。だから「そうそう、そんな感じだよね」と思う部分ばかり。

今回見たのは「紀伊半島ぐるり! 大阪 堺~三重 鳥羽(第21弾)」。紀伊田辺から熊野本宮経由で新宮へ行くバスは、
逆方向でかつて自分が乗っているし(→2013.2.10)、潮岬も鉄道だけど行っているし(→2007.2.11)、
あれこれ解説できてしまうのが怖い。自分もそれなりにドキュメンタリーな旅をしているんだなあと思うのであった。
で、結局この回は目的地の鳥羽の手前、伊勢市でゲームオーヴァー。自分だったらと思うとけっこう恐ろしい。

しかしまあ、経由地や目的地を紹介する番組がふつうだろうに、移動の行程じたいが人気番組になるとは恐ろしい時代だ。
ドキュメンタリーでもあり、価値観の多様化の極みでもあり。これからテレビはどうなっちゃうんだ、という気もする。


2016.1.10 (Sun.)

今日も今日とて日記三昧の予定だが、やっぱり絶好の天気なのでサイクリングもするのである。
本日の目的地は、夏休み中に行くつもりが先延ばしになっていた(→2015.7.30)大宮八幡宮とする。
家で朝メシを食うと、やっぱり久々に環七を北上。しかし甲州街道に出たところで西へと針路を変え、
まずは明大前のカフェへ。朝の日記はここで書くのだ。駅前の地下駐輪場は3時間無料でたいへんすばらしい。
おかげで快調に書き進んで昨年3月分をクリア。さらには8月の九州旅行の分まで書きはじめることができた。

正午を過ぎたタイミングでカフェを出ると、ちょっと戻って井の頭通りを行く。この道は本当に本当に久々だ。
下り坂のカーヴを進むと広くてまっすぐな道になる。この感じが僕の中では「いかにも杉並区」って感じなのだ。
杉並区は東西も南北も広くて走りやすい道がしっかり整備されている。自転車好きとしては暮らしてみたい気もする。
程なくして永福町駅の脇を通過。野口五郎が思わず歌いだすくらいにいかにも私鉄沿線の瀟洒な雰囲気である。
天気がいいのでよけいに魅力的に見える。この辺にイマイチ馴染みがない生活が、なんとなくもったいなく思える。

30°くらいのターンで方南通りに入ると、しばらくして左手に大宮八幡宮の自動車向け入口が見えてきた。
が、ここで昨日と同様に唖然とする。やっぱりこちらも昨日の川崎大師を思わせる混雑ぶりだったのである。
この時期ってそんなに寺社仏閣が混み合うものなのか、いまひとつ自分にはピンと来ない。ワケがわからんです。
とはいえせっかく来たからにはきちんと参拝しようということで、自転車を降りると境内へ突撃する。

  
L: 大宮八幡宮の南側鳥居。1983年になって整備されたそうだ。この鳥居は日本初・ステンレス製の鳥居だと。
C: 神門。とにかくすごい混雑で、奇跡的に人影がなくなった瞬間を撮った。  R: 拝殿。鎮座900年記念で1965年竣工。

かなりの混雑具合の中、どうにかいい角度で写真を撮ろうと四苦八苦。境内はどこか穏やかな雰囲気が漂っており、
古墳時代から聖地とされてきたという話になんだか納得。23区内だが多摩のような、緑がのびのびした感じを受ける。
さて、せっかくだからとおみくじを引いてみたところ、なんと凶が出た。新年一発目からコレってのはなかなかである。
よく読むとそこまで悪いことは書いてないが、まあこれより悪くなることはないと思っているわけで(→2011.2.20)、
気を引き締めるにはいいのではないかと。スタート地点が最も低いってのは、僕としては望むところよ。

 右肩上がりの一年と行きましょうか!

あとは気ままに境内を散策する。大宮八幡宮には「小さいおじさん」がいるという都市伝説があるようだが、
さすがに新年始まってすぐは賑やかすぎるようで、僕は妖精の類を見かけることはできなかった。うーん、残念。
でも非常に雰囲気のいい神社だという感触はあるので、ヒマなときにぜひまたふらっと参拝したいものである。

  
L: 本殿を覗き込む。  C: 大宮天満宮付近の社叢。気配を感じて見てみたらハトがいっぱい。さすが八幡宮だな。
R: 正式な入口は東側。一の鳥居からは250mほどしっかりと参道が続き、さっきの神門に出る。善福寺川がすぐそこ。

昼には濃い味噌ラーメンをしっかりいただき、三軒茶屋のカフェで日記を書く。グイグイ進んだねえ。
そして夜には学芸大学のカフェで日記。一日三食、三回日記でがんばった。休みとは、かくあるべきですな。


2016.1.9 (Sat.)

待望の3連休で雲ひとつない最高の晴天で旅行日和だけど、日記のことを考えて遠出はしない3連休とするのである。
しかし日記だけに集中するのはあまりにもったいないので、サイクリングして出先で日記を書くことにした。
今日はまず川崎に出て、朝イチで『海難1890』を見ちゃう。潮岬に行って以来(……10年近く経つの!? →2007.2.11)、
エルトゥールル号のエピソードは僕にとって忘れられないものなのである。これについてのレヴューは後日じっくり。
で、映画を見終わると昼前のいい頃合いの時間になるので、稲毛神社に参拝して御守を頂戴するのである。
そこからさらに川崎大師まで行ってみようというわけだ。われながら、なかなかいいアイデアだと思う。

というわけで、呑川沿いに国道1号といういつものパターンで川崎へ。といってもずいぶん久しぶりだ。
川崎に着くと、軽く朝メシを食ってからDICEへ。エレベーターで7階へ直行するのはとっても新鮮。
朝の8時15分から映画というのは初めてだが、これは時間を有効活用するという点ではなかなかよい。
何より、空いているし。「早起きは三文の得」を地でいくような行動だなあと思いつつ映画を鑑賞。

DICEから稲毛神社はすぐそこだが、天気があまりにも良すぎるので、やはり川崎市役所を軽く撮影しておく。
敷地が狭くて何をどうやっても上手く撮影できないのがもどかしい。前もテキトーに撮ったなあ(→2007.10.28)。

 どーにもならねーっス。

というわけで市役所からすぐ東にある稲毛神社へ。松が明けても初詣モードで、飾り付けがいろいろと派手である。
こっちとしてはできるだけふつうの状態を撮りたいので、こういうのはちょっと残念なのだ。参拝客も多いし。

  
L: 稲毛神社の境内入口。交差点から国道15号に沿って入る参道に、かつての東海道川崎宿を想像してしまう。
C: 稲毛神社は参道が境内の端なので少し独特。公園のような雰囲気。  R: 樹齢1000年以上とされる大イチョウ。

稲毛神社の現在の祭神は武甕槌神となっている。しかし平安時代末期に領主が山王権現を勧請して以来、
長く「山王」がメインの呼び名となっていた。明治になって神仏分離の考えから旧地名を採って稲毛神社となる。

  
L: 大イチョウを背にすると大鳥居。  C: 拝殿。  R: 脇にある摂末社から覗き込んだ本殿。うーん、見えん!

稲毛神社の御守は、最も一般的なのは身体健全のものだそうなので、社名にちなんで稲穂の黄色を頂戴しておいた。
しかし所願成就の御守はその各種内容が記号としてあしらわれている特徴的なものだったので、そっちもいただく。

大いに満足して次は川崎大師を目指す。10年前に一度訪れているが、見事にデジカメを忘れている(→2006.3.19)。
今度はきちんと絶好の晴天の下で撮影するし、御守も頂戴するぞー!と鼻息荒く国道409号を走っていくが、
川崎大師駅まで来て愕然とする。とにかく恐ろしい混雑ぶりだったのだ。歩行者は商店街の歩道からあふれ出ており、
交通整理の係員が必死で声をあげている。あーもーこりゃダメダメ!と、自転車を降りることなく引き返すのであった。

 
L: 駅前からすでにこの状況。  R: あふれる歩行者、賑わう出店。縁日か何かですかね? いやはやまいった。

しょうがないのでスタ丼を食って多摩川を渡って都内に戻る。そのまま国道1号を帰るのもつまらない。
環八周辺でフラフラしていたら御嶽山駅に来たので、こりゃいいやと御嶽神社を参拝することにした。
まあ、長野県出身の大田区民としては一度くらいきちんと参拝しておかなくちゃね。いい初詣になったわい。

  
L: 御嶽神社の境内入口。すぐ右手前にデパートがあって、街に密着している感じが非常にいい神社である。
C: 拝殿。細かいところが立派で信仰の篤さを感じる。  R: 奥の方には一山神社。寺っぽくて修験道を思わせる。

大田区の御嶽神社は1535(天文4)年ごろの創建とのことだが、江戸時代末期に一山行者が現れて規模が拡大。
1831(天保2)年には大田区指定文化財となっている現在の社殿が建てられた。確かに本殿の彫刻が見事だ。
いずれ本家の御嶽神社にも登拝したいものだと思いつつ二礼二拍手一礼。まあそれより青梅の御嶽神社が先かな。

 
L: 本殿。  R: 彫刻をクローズアップ。これはなかなかすごいじゃないですか。

そのまま御嶽山で日記を書く。おかげでなかなかいい休日になった。あと2日、充実するようにがんばるか!


2016.1.8 (Fri.)

いよいよ3学期が始まってしまった。宿題チェックで午後は終わったが、良い感触だったので機嫌よく帰った。
でも来週からまた嵐のような日々に巻き込まれると思うと、なんとも切ない。この3連休でしっかり英気を養うぜ!


2016.1.7 (Thu.)

『DENKI GROOVE THE MOVIE? -石野卓球とピエール瀧-』。あの電気グルーヴが映画になったので、見に行った。

これまでの電グルの軌跡をバカ正直に時系列で追う。本当にバカ正直で、特別にファンでない僕にもわかりやすい。
途中で割り込むように挟まれるのは25周年のフジロック、つまり電気グルーヴの「現在」だけとなっている。
僕が把握できているのは『recycled A』まで、なんとかギリギリ『The Last Supper』までは押さえた、ってところ。
なので、それ以前の電グルはどんなだったか、それ以降の電グルはどんなだったか、という視点で見るのであった。

僕としては高校生当時から、彼らの「毒」がけっこう苦手だった。彼らの意図的な悪ふざけには是々非々で、
深夜ラジオをよくチェックしていたトシユキさんは伊集院光のラジオ経由でかなり好意的に動向を押さえていたけど、
僕自身は「テクノ」としてはそれより前のYMOに夢中で、ギャグ方面よりは音楽性を真面目に求めていたのだ。
で、大学では電グル大好きなスススと笑う男がいて、カナタニ先輩もテクノ方面に非常に造詣の深い方だったので、
そんな人々を横目に見ながら僕もアルバムを借りていった感じ。つまり高校時代には食わず嫌いだったわけである。
そうして電グルをよく聴いてみて、彼らの「毒」も結局は鳥肌実並みの「ただ言いたいだけ」だとようやく気づいた。
まあそもそも、「そう言う自分が生ゴミだ」と1stアルバムの中で歌っていたではないか。で、以後やや好意的になる。
特に『Popcorn』(→2008.3.18)はさすがの名アレンジ。オリジナルを凌駕する洗練された完成形と言っていい。

映画を見て、彼らが売れた要因は「卓球の音楽センス」「瀧の存在感」「まりんのヴィジュアル」でないかい? そう思う。
この3つがものすごく上手く噛み合ったのだ。卓球の音楽センスは『VITAMIN』の時点でもう十分すぎるほど理解できる。
瀧の存在感は近年になり爆発的な評価を得たが(『あまちゃん』→2014.1.14)、時代が追いついただけだろう。
とはいえプリンストンガとしての作品を聴けば瀧の音楽センスだって本物であるのは明らか。二物を持ってんだよなこの人。
で、そんな2人が音楽ユニットとして末長くやっていける一般への間口をまりんが広げていたわけだ。絶妙だったと思う。

それにしても、卓球も瀧もどっちも声がぜんぜん老けていない。そしてやはり曲をつくる力がある人たちだと実感。
あらためてきちんと全アルバムを聴かないといけない存在だ、と思ったのであった。いい勉強になる映画だったなあ。
「グルーヴ」という言葉を日本に定着させたのは、間違いなく彼らだもんな。敬意を表してしばらく聴きまくろうっと。


2016.1.6 (Wed.)

20年近く世話になったベッドを粗大ゴミに出したのだが、思っていた以上に感傷的になってしまったではないか。
本当に、自分が予想していなかったほど切ない気持ちになってしまった。思い入れなんてそんなにないはずなのに。

結局それは、ベッドの中に僕が20年近く積み重ねた日常があったからなのだ。今まで意識してこなかったけど、
ベッドの細部ひとつひとつに、僕の日常が表象として宿っていたのである。別れの時になってその事実に気づいた。
つまり、見慣れた使い慣れたベッドと二度と会えなくなるということは、僕の日常の不可逆的変化、そのものなのだ。

もっとキツく言うと、「時間は確実に経過しているぞ」「お前はもう学生時代から遠いところに来ているんだぞ」、
そうベッドは別れ際に僕に告げてきたのである。「お前が当たり前のものと思っていた日常の時間は有限なんだ」
「人間にとって変化は避けられないのだ、自覚せよ」ベッドは無言でそう僕に告げてきたのだ。……病的とか言うな。

僕たちの身の周りにある物は、経年劣化していく。その物たちを踏み台にするようにして、人間だけが生き続ける。
もしその「踏み台」たちを集めて並べたら、僕の軌跡が浮き彫りになるはずなのだ。でも彼らに再会することはない。
別れる勇気、ですかね。現在の当たり前をいい方へ更新するためには、別れることをポジティヴに捉えないといけない。
新しいベッドとともに、僕は現在の自分をどうやって脱皮させていけばいいのか。こんな形で現実を突き付けられてしまった。


2016.1.5 (Tue.)

新年早々、前任校との練習試合である。いきなりの練習試合なのでパフォーマンスがよくないことは織り込み済みで、
実際に超グダグダな面もいっぱい。しょうがない部分もあるのだが、しかし生徒たちの意識の持ち方がどうも気になる。
上手くできないことを悔しがる前に、意識や記憶を故意に飛ばして、事実をなかったことにしていないかと思うのだ。
ものすごく言い訳じみている。認識を都合よく編集している。そうして目の前の課題から逃げるのを常としている。
こちとらがっつりとモダニズム的成長観に浸かっている人間なので(→2016.1.2)、腹が立って仕方がない。困った。


2016.1.4 (Mon.)

新京亭で中華そば。どうもウチの両親は、僕の知らない間に新京亭の中華そばが大好物になっていたようだ。
飯田市内で新京亭は超有名で、小学校・中学校時代を振り返ると同級生の話題に出ることもかなり多かったのだが、
なぜかマツシマ家では一度も行くことがなかったのだ。僕が初めて食ったのは高校の卒業式で、昼にクラスのみんなで。
マジですぜマジ。もう宗教上の理由で頑なに避けているんじゃないかってくらい、その存在を無視していた。
それが気がつけばなかなかのジャンキーぶりらしいではないか。いったい何があったのだ。旨いからいいけど。

 新京亭の中華そば。なぜ今まで頑なに避けていたのか。

毎度おなじみ中央本線の特急に揺られて東京に戻るのだが、今回は駒ヶ根市役所に寄ってもらった。
市役所めぐりもそれなりに進んできて長野県もだいぶあちこち制覇できていたが、駒ヶ根はまだだったので。

  
L: 駒ヶ根市役所。駒ヶ根市街の南側、小町屋駅が最寄になる。  C: 敷地内に入ってみた。  R: 南西より眺める。

駒ヶ根市役所は1971年の竣工であるようだ。正面から見ると1960年代3階建て町役場といった雰囲気だが、
1階部分が弧を描いて南に延びており、その箇所だけがかなり独特な印象を与える。後からの増築かもしれない。

  
L: 敷地内、東側から見たところ。南へ延びる1階が独特。  C: 弧を描いているのでエントランスもまた独特。
R: 反対に、エントランスから手前のロータリーを眺める。このちょっとした植栽がまた昭和な雰囲気なのよね。

せっかくの仕事始めなので中も覗いてみる。建物は古めだが、なるべく中を明るくする工夫をしているようだ。
おかげで暗ったい雰囲気はない。エントランスの弧の部分を活用し、市民向けのスペースも確保してある。

  
L: 中に入って左側は窓口やら何やら。  C: 弧の部分は開放感のある玄関となっている。  R: 右手のスペース。

市役所の北側には大きなグラウンド。そこから市役所の背面を撮影してみる。ちょっとした高低差があって、
市役所が周囲よりも少し高いところに建っているのがよくわかる。市街地との微妙な距離の理由が気になる。

  
L: 駒ヶ根市役所の背面。冬の低い太陽を木陰でどうにかして撮影。  C: グラウンドから見た駒ヶ根市役所。
R: グラウンドから東側をまわって戻る途中。市役所の下は、高低差を利用した駐車場となっていた。

ところで駒ケ岳の麓にある駒ヶ根市郷土館には、1922(大正11)年竣工の旧駒ヶ根市役所が移築保存されている。
赤穂村役場として建てられたそうで、今の市役所からは考えられない凝った建物だ。いずれ見学に行きたいものだ。


2016.1.3 (Sun.)

やっぱりひたすら画像づくりに勤しむ正月であります。その分を文章にしていくのもまた大変なんだよなあ。

昼には潤平を送り出しがてらピザを食ってきたのだが、夕方に戻ってからバヒさんに呼ばれたので会いにいく。
過疎化と再開発ですっかり様子が変わってしまった飯田の中心市街地を歩いて見てまわる。本当に変わってしまった。
以前、「√2倍の距離感」ということで時間と空間の距離感について書いたことがあるが(→2007.12.29)、
当たり前だがそのときよりも距離の開きは大きくなっていて、切ない。でも受け入れることしかできない。

最上階を閉めてしまったピアゴ(昔はユニーだったんだが…… →2006.5.21)でエアホッケー勝負をする。
これくらいしか楽しめるものがなかったのだが、歳だの何だのを忘れての久々のエアホッケーは楽しゅうございました。


2016.1.2 (Sat.)

焼肉屋にて。潤平の嫁さんをオブザーバーに、circo氏と僕と潤平であれこれ話したのだが、まあなんというか、
今回の議論は生産性が低かったなあと思う。少なくとも僕にとっては、時間と激しさのわりに得るものがわずかだかった。
結局、潤平は自分を正しいと言ってほしいだけなので、話していてもこっちのメリットは薄いという構造だったわけだ。
年をとると積み上げた人生経験から自分が正しいとの確信が強まりがちで、実際そうしないとやっていけないんだけど、
僕は本当にそうなのかとじっくり問い直そうとして時間がかかる分だけ強く主張ができない。相手がなぜそう言うのか、
そこまでを含めて議論の構造じたいを読み取ろうとしているので。自分の言いたいことだけを言っているわけではないのだ。
その部分での齟齬が年々強くなっていて、議論がどんどん一方的になっていく。端的に言えば、つまらない。

議論のメインテーマは、「個としての強さ」ということでまとめられると思う。それについての全般的な言い合い。
僕はなんだかんだで教員なので、年々生徒の個人の能力が落ちている現状が気になる。甘やかされ、確実に落ちている。
ケータイがないと遠足が不安だと訴える生徒がいるという現状は、個人の能力が落ちていることの証左にしか思えない。
教員というのはモダニズムを基軸にしないと成立しない商売である。できる工夫で不便さを克服するところに成長がある、
人類はまだスマホを使いこなせるほどに進化しているとは思えない(→2015.9.14)、そういう立場をとっている。
空母や大和をつくった戦前の日本人より能力は落ちていると思う。戦前の人と同じことができるとはとても思えんのよね。
しかしポストモダンな現代を徹底的に遊ぼうとする潤平は、裸の個の能力よりも社会全体での能力を重視するようだ。
みんなその時代にやれることをやっとるだけ、と。評価の軸が変化するから「落ちてる」云々は無意味である、と。
確かに、江戸時代の人々に比べてわれわれの身体能力はおそらくかなり低いが、だからといって生活上困ることはない。
そこを「困る」と考えるか、「困るかどうか考えることは無意味」と考えるか。僕は前者だが、潤平と世間は後者だろう。
潤平の立場の方が賢いことと、モダニズム的律儀さの結果、終末論にハマりかけている僕の思考がどん詰まりなのは、
いちおう理解できてはいる。理解できてはいるのだが、納得ができない。教員がそれを認めたら教育は成立せんのだ。
潤平の一押しはコロコロチキチキペッパーズなのだが、僕には何も面白くない。嫁の好みに流されているだけだろと思う。
以前、キンタロー。をオススメされてやっぱり何も面白くなくて首を傾げていたら「つまらない人だね」と言い放たれた、
そのときと同じ反応をされる。でも僕にとって彼らは絶対的に面白くないのだ。無理に相対化して笑いたいと思わない。
それよりは『イロモネア』で芸人としての強さを見せてくれる人たちの方が好きなのだ。個の強さそのものじゃないか。
でも潤平はキンタロー。やコロチキを薦めた過去をケロッと忘れて流行を追い続けるのだろう。うーん、大量消費社会。

しかし潤平は一方で無人島長平のロマンを語る。いやそれ裸の個の能力だろ、と僕はそこでまた長考に入るのだ。
こうなると、お互い同じことをズレながら話している状態のようにも思える。このズレをサッカーで例えるのなら、
組織を強くしたら勝てるという考えと、あくまで個を強化するという考え方の違いのようにも思える。
われわれの考え方にはその程度の些細な差しかないのかもしれないと思いもする。議論の構造がどうも見えない。
話しながらアウフヘーベンの落とし所を探ってみるが、潤平のスピードに押されて結論は出ないまま流れる。
タイムアップである。

とりあえず、学校の試験や大学の入試が持ち込み不可となっているうちは、個の力はまだ意味を持っていると思っておく。
自力で解決する能力よりもネットで効率よく調べる能力を重視する社会になったら、僕は完全に白旗を上げざるをえまい。
ただ、そんな社会が、自分たちの文明を長く維持できるとは思えないけどね。まあ、モダニズムにとってはつまんない時代だ。


2016.1.1 (Fri.)

ひたすら画像づくりに勤しむ正月であります。11月の山口県~北九州旅行の写真を今ごろ加工しております。
文章を書くのにはとにかく集中力が必要だけど、画像づくりは気持ちのオンオフが要求されるのと飽きやすいのとで、
居間でテレビを見ながらやるのにはバッチリ。それで実家で過ごすこの機会に、一気にやっているわけですな。
11月の旅行は曇り空が多かったので、それが写真にも反映されている。そうなると画像づくりもポジティヴな気分になれず、
がんばって作業を続けるのがなかなか難しいのだ。でも実家でやること自体がいい気分転換になっているので助かる。
この勢いで、どうにか正月のうちに、日記の下地づくりをできるところまでやりたい。今年も日記まみれの一年かね。


diary 2015.12.

diary 2016

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