diary 2015.7.

diary 2015.8.


2015.7.31 (Fri.)

本日は日直ということで、一日中クーラーの効いた部屋におりました。たまにはそんなのもいいじゃないか!


2015.7.30 (Thu.)

午前中の部活が終わると、午後はお休みなのでそのまま自転車で出かける。都内の神社めぐりをしてやるのだ。
どこへ行こうか迷ったが、今日はわりと気力があったので、杉並は井草八幡宮まで行ってしまうことにした。
いったん新宿に出てから青梅街道をひたすら西へ。青梅街道を走るのもずいぶんと久しぶりで、非常に楽しい。

しかし西へ西へと進んでいくにつれ、空模様はどんどん怪しくなっていく。新高円寺あたりまで来てたまらず、
ファストフード店に入って昼メシを食いながら日記を書いて雨に備える。すると30分ほどして一気に降り出した。
読みどおりである。東京アメッシュを確認して雨の状況を把握しながら日記を書き進め、晴れたところで店を出る。
でも結局、この雨のおかげで井草八幡宮に到着したのが15時半過ぎ。できれば同じ杉並区ということで、
この後に大宮八幡宮もセットで参拝したいところだったのだが、その時間を確保することはできなかった。残念。

  
L: 井草八幡宮はどっちが表参道なのかよくわからん。これは北参道。東参道は逆光でうまく撮影できんかった。
C: 参道は緑が勢いよく生い茂っている。雨上がりということもあるが、熱帯雨林的な迫力を持っているのが印象的。
R: 楼門。東参道だとクランク状に進み、北参道だと右折してこの光景。どうしてこんなに境内が複雑なのか。

楼門を抜けると右手に本殿。圧倒的な緑に包まれている神社だが、このエリアは広々とした砂利敷きの空間だ。
ど真ん中に「頼朝公お手植えの松」がひょろっと生えているが、これは2代目だそうだ。じゃあお手植えじゃないじゃん!
まあとにかく参拝だ。フォトジェニックな拝殿の奥には、1664(寛文4)年築の本殿が覆殿の中に存在するそうだ。

  
L: 境内の様子。右でひょろっとしているのが、頼朝公お手植えの松(2代目)。これをお手植えと呼ぶのはどうかと……。
C: 神門と回廊。  R: この中に拝殿。本殿はこの奥で、チラッと見えているのはその覆殿の屋根と思われる。

境内は広いが非常にストイックな印象で、鬱蒼と茂る木々と社殿のほかには何もない。本当に純粋な神社空間だ。
もともとは春日系の神社だったそうだが、源頼朝が藤原泰衡を攻める際に立ち寄り戦勝祈願をしたので八幡宮になった。
なるほど、これだけの規模でありながら極端なほどの質素さは、質実剛健な武士らしい価値観を反映するように思える。

帰りはこれまた久しぶりに環八を走る。昔はようけサイクリングしとったのう、としみじみするのであったことよ。


2015.7.29 (Wed.)

本日の練習は、コーチが小学生の指導があるということで欠席。じゃあ生徒主体でやってみれ、とお任せモードに。
そしたらこれがぜんぜん動けない。しょうがないのである程度指示を出してみるが、ぜんぜん効果的にできない。
オレの指示の出し方が悪いのも事実だとは思うが、何を目的としてこの練習をやるのか言っても、それが抜けていくのだ。

こういう能力を高めるためにこういうことをする、という練習を考えても、指示がよくないと思いどおりにいかない。
教えるのが上手い人は、目的どおりとなる練習内容に最初っから到達させるだけの論理性を持った指示が出せる人だ。
あるいは、上手くいかない原因を素早く見つけて修正するのもまた能力だ。原因と結果の関係が見えている人にはできる。
「ああなるほど、こういう指示だとこうなっちゃうのか」は前任校で顧問をやっているときからずっと経験してきたことだ。
人間、自然と楽な方へ流れてしまうものだが、いかに楽をさせないかの部分を論理的にコントロールする能力こそ、
効果的な練習をさせる能力ということになる。優秀なコーチとそうでない人の差はそこにあるのね、と思う。

効果的に練習する能力は本来、自分を律する能力につながっているわけで、賢くない中学生は本当にその能力が低い。
基本、自分にできることしかやらない。楽な方へ楽な方へとどんどん流れていくし、そのことに気がつかない。
そうして手段と目的がいつの間にか入れ替わり、目的を失ったルーティンを練習のつもりでただ繰り返す。
逆に、賢い中学生は、言われなくてもチャレンジする。楽な方へ流れることはないし、目的を見失うこともない。
そう考えると、教えるってのは難しい。賢くないヤツが楽できないようにするためにはどうすればいいのか、
それを論理的に正しく組み立てないといけないのだ。また、できないことにチャレンジするときには見本を示す必要もある。
僕なんかは「ぜんぜん賢くねえなあ!」のレヴェルで止まっているのでダメなのだ。楽をさせない論理的思考、難しい。


2015.7.28 (Tue.)

本日は部活のお別れ試合なのであった。引退した3年生を迎えてひたすらゲーム、ゲーム、ゲーム。
僕も恒例のユニフォーム姿で混じってプレー。空いたポジションにどこでも入ってやらせていただきました。
天気は最初のうちは曇りでよかったのだが、中盤以降は完全に快晴になってしまい、非常につらかった。
プレーも好パスを出すには出せたが、思ったほど動けなかったのは反省点である。日頃からもっとちゃんとやらにゃ。


2015.7.27 (Mon.)

夏休みといえば、人工芝のグラウンドを借りての練習や練習試合である。今年もいよいよスタートしたのだ。
初日の今日は、さっそくいつもの相手2校を迎えて練習試合。しかし3チームとも効果的な動きができなかったですなあ。
ちなみに僕は試合の合間に水を撒く人に徹したのであった。炎天下の人工芝は、熱がスパイクの底を通ってくるんだよね。
それでビャービャー水を撒いて気化熱で温度を下げる係。これをやっていると夏休みだなあって気がするぜ。イェイ。


2015.7.26 (Sun.)

朝起きたらさっそく筋肉痛ですよ。やはり愛宕山は甘くなかったのだ。しかし、ひるんでいる暇などないのだ。
今日はレンタサイクルで京都じゅうを走りまわらないといけない。使う筋肉が違うもんね、ということでがんばる。

少し余裕を持って地下鉄で京都駅へ。レンタサイクルの開店時刻までファストフードをいただきつつ本日のルートを確認。
昨日のうちに、巡回セールスマン問題の経験(→2007.6.20)から、論理的に最も整理されたルートは確定させておいた。
(といっても慣れない土地で一筆書きにこだわるとかえって失敗するので、同じ道を往復するパターンも込みである。)
やれることはぜんぶやってやるのだ。ひとつも無駄にはしたくない。何度か京都には来ており、ある程度の道はわかる。
その記憶と地図上のチェックポイントを脳内で重ねる作業に集中する。こうすれば、土地の「匂い」に敏感になれる。

9時になるのとほぼ同時にペダルをこぎ出した。まず最初の目標は……京都国立博物館のすぐ北、豊国神社だ。
豊国神社はその名からわかるとおり、豊臣秀吉を祀る。なんといっても国宝の唐門が有名だが、まだ参拝したことがない。
それで今回は絶対に参拝することに決めていたわけだ。今さら初参拝とは、いやはやお恥ずかしいですわ。

  
L: 豊国神社。  C: 国宝の唐門はもともと伏見城のものだったとか。  R: 唐門から参拝するが、中を覗き込んでみた。

いつもの調子でバカ丁寧に書いていくと、ただでさえとんでもない量のログが絶望的な量になってしまうので、
本日はあっさりめで行かせてもらうのであります。実際、それぞれの場所での滞在時間はあっさりめだったし。

東大路通をガンガン北上していって、次に目指すは都ホテルである。今は「ウェスティン都ホテル京都」という名称。
こちらにある「佳水園」がDOCOMOMO物件なのである。ありがたいことに、保安課を通せば外からの見学は可能なのだ。

 ウェスティン都ホテル京都。本館も村野藤吾の設計なのね。1960年竣工。

右折して一気に坂道を駆け上がって受付へ。朝から汗びっしょりの汚い格好ですみません。保安課は坂でいちばん低い、
ホテルの車の入口のところにある。そこで地図をもらって車道のスロープを7階分までとことん上がっていくと、
山に貼り付くようにして庭園がある。この庭園を囲むように建っているのが別館「佳水園」。村野藤吾の数寄屋造りだ。

  
L: 佳水園。  C: 入口はこんな具合どす。  R: ちょっと進んで入口のところを振り返る。うーん、高級感あふれるぜ。

宿泊客ではございませんので、佳水園で見学できる範囲はごくわずか。それでも根性で何枚か写真を撮ってみた。
ただやっぱりわずかな外観だけではその凄みが十分理解できないのは確か。僕の和風建築への勉強不足もあるけどね。

  
L: 庭園は小川白楊の作庭。ひょうたん型の芝が独特。  C: 玄関前から庭園を眺める。建物はこの角度くらいしか見えない。
R: 玄関前からまっすぐ見る。庭の芝は上から見ると「!」型になっていると思われる。いろんな角度から見たいもんだが。

玄関先から見ると低層の木造建築に見える佳水園だが、通路を下って本館方面から眺めてみると、確かに土台がモダン。
宿泊してみればいろいろ見えてくるのかもしれないが、佳水園は上と下でまったく異なった顔を持っていそうだ。

  
L: 本館方面から振り返った佳水園。コンクリートで水平を維持しているのか。  C: 本館側の入口。これは面白い。
R: 本館側の入口からさらに先というか奥の方を眺めてみた。こうして見ると、佳水園本来の意義がわかってくるかなと。

宿泊客でない以上、これが見学できる限界ということで次の目的地へ。全体のことを考えると少し無駄になるのだが、
せっかくなので吉田神社の再撮影を試みる。前回京都に来て参拝した際には雪だし祭りの準備だしで(→2015.2.1)、
吉田神社本来の姿を見ることができなかった。ぜひとも「ふつうの吉田神社」を味わっておきたいのである。

  
L: 南北を京都大学のキャンパスに挟まれた参道を進んだ先、吉田神社が現れる。  C: 鳥居をくぐって本格的に境内へ。
R: これが通常営業の吉田神社・本宮か。鳥居、拝殿、中門と少しずつ中心の位置がずれていてやっぱり独特な感じ。

なお、昨日の大原野神社と同様、吉田神社ももともとは藤原氏が春日大社から勧請した神社だ。こちらは平安京の中。
(平城京に春日大社、長岡京に大原野神社、そして平安京に吉田神社という対応関係があるとか。なるほど。)
平安時代の藤原氏の神社なんだからそりゃあ凄かったんだろう。江戸時代には全国の神職の任免権を持っていたとか。

 本宮・中門の奥にある本殿は見えないが、やはり春日式4連発なのだ。

ごくごくふつうの吉田神社を参拝できて気が済んだ。次は西へと針路をとるが、京都御苑を迂回しないといけない。
突っ切れないこともないけど砂利道(→2010.3.27)は自転車には不便だもんね(いわゆる「御所の細道」ってやつ)。
その京都御苑のすぐ南東にあるのが下御霊神社。政争に敗れて非業の死を遂げた人たちを祀った御霊信仰の神社だ。
後で参拝するけど上御霊神社も祭神は一緒。それなのにどうして上下2つに分かれているのかはよくわからん。

  
L: 道路を挟んで眺める下御霊神社。  C: しっかり市街地にあるためか、境内はコンパクトな印象である。
R: 社殿は仮皇居の内侍所仮殿を1791(寛政3)年に移築したもの。金属製の屋根が過剰に目立っているんですが。

 境内の奥にある神輿庫がなんだか凄い。今の社殿よりも古いんだと。

次のターゲットは京都御苑の西だ。京都の南北の中心・烏丸通は、御苑の南端・丸太町通から細くなるのね。
そうしてやって来たのは護王神社。道鏡の野望を阻止したことで知られる和気清麻呂と和気広虫を祀っている。
清麻呂は道鏡からの刺客に襲われた際、猪に助けられた伝説があるためか、手水舎では猪の像の口から水が出ていた。
また、大隅国へ流される際にヘロヘロだった清麻呂は、やっぱり猪のおかげで歩けるようになったんだそうで、
足腰関係の御守が一押しとなっていた。いや、オレには猪と足腰バッチリの関連性がサッパリなんですが……。

  
L: 護王神社。  C: 境内の様子。南側には猪関連のコレクションが充実。  R: 中門と奥には本殿。

続いては京都御苑の北西、堀川通のすぐ手前にある白峯神宮だ。サッカー部顧問なのに今ごろ初参拝ですいません。
なんでサッカーが出てくるのかというと、もともとこの場所は蹴鞠の宗家として知られた飛鳥井家の屋敷跡なのだ。
祭神は崇徳天皇・淳仁天皇だが、摂社の地主社で蹴鞠の守護神・精大明神を祀っており、それが売りになっている。
生来、陸上競技や水泳などと比べると球技が得意でない自分としては、ここで一発、しっかり神頼みをしておくのだ。
ちなみに授与所はスポーツ関連の御守やグッズほとんど一色。頂戴するときも「ケガなさらぬよう」と一言いただける。

  
L: 白峯神宮。  C: ここも街中だからか、境内はコンパクト。もともとが公家の屋敷だからか、その雰囲気が少し残る。
R: 拝殿。スポーツは隣の地主社(精大明神など)が担当のはずだが、こっちもかなりスポーツ色に染まっている。

烏丸通に戻って北上し、鞍馬口駅の手前で右折。今度は上御霊神社だ。さっきも書いたが祭神は下御霊神社と一緒。
なお、こちらは正式には「御霊神社」であるようだ。上賀茂と下鴨もそうだけど、京都の神社ってややこしいね。
上御霊神社では何やら写生大会の真っ最中のようで、境内のあちこちで子どもたちが絵を描いていたのであった。

  
L: 上御霊神社。  C: 楼門。伏見城の四脚門を移築したものとか。  R: 境内はこんな感じである。

なお、上御霊神社は応仁の乱が始まった場所とされる。応仁の乱は山名宗全と細川勝元を中心にした内乱だが、
発端となったのは、山名宗全が支援する畠山義就と細川勝元が支援する畠山政長による畠山家の家督争いだった。
将軍・足利義政が義就支持に傾き、山名方が幕府内で力を強めたため、細川勝元は畠山政長への支援を打ち切る。
これにキレた政長が上御霊神社で挙兵したのだ。義就が鎮圧したものの、逃げた政長を細川勝元が匿い緊張が高まり、
やがて山名方と細川方が正面からぶつかって応仁の乱が本格的に始まったというわけだ。歴史って複雑なんだなあ。

 本殿。手前で写生している子どもは気にせんといてください。

この次はちょっと離れた場所へと移動。自転車をかっ飛ばして鴨川を渡り、広大な京都府立植物園の北側にまわり込む。
その東にあるのが京都コンサートホールだ。公共建築百選に入っているので、ちょっと見に行ってみたというわけである。

  
L: 京都コンサートホール。1995年竣工で、設計は磯崎新だって。  C: 奥にあるエントランス部分。
R: さらに奥の通路に進んで振り返って柵と空き地越しに眺める。今後どのように整備していくのか気になる。

別にホールの中に入ってどうこうするわけでもないので、本当にただ外観を眺めただけである。さっさと次へ。
北山通をそのまま西へとひた走り、スーパーで水分を確保すると、住宅地を南下して今宮通まで突き抜けてしまう。
というわけで、今宮神社に到着。疫病の神を祀ることで生まれた神社で、特に桂昌院から崇敬を受けたことで有名だ。

  
L: 今宮神社の楼門。  C: 境内に入るとまず真ん中に木々があって参道が少し折れている。その奥に拝殿がある。
R: 右が本社で左が疫社。本社は大己貴命・事代主命・奇稲田姫命を祀り、疫社はやっぱりスサノオを祀っている。

桂昌院というと室生寺を修理したり護国寺を建てたりといろいろやっているが、なんといっても玉の輿の元祖だ。
西陣の八百屋の生まれなのだが、大名・本庄家の養女となり、やがて徳川家光の側室となって綱吉を産んだ人である。
それにあやかって今宮神社には玉の輿御守が置いてある。八百屋の生まれなので野菜がデザインされているのが面白い。
色の種類がすごくいっぱいで、かなりの気合を感じた。逆玉はあれこれ面倒くさそうなので頂戴しませんでしたが。はい。

 
L: 境内の西側には立派な織姫社。さすが西陣ですな。  R: 南にある一の鳥居。歩道の上にいろいろ乗ってますね。

そのまま南下して建勲神社へ。「たけいさおじんじゃ」が正式な名前だが、面倒くさいので「けんくんじんじゃ」とも。
以前、同じ名前の神社を山形県の天童市で見かけている(→2013.5.12)。これは織田信長を祀る神社の名前なのだ。
歴史はけっこう新しく、創建は明治に入ってから。船岡山は豊臣秀吉により信長の廟所と定められていたそうで、
それを根拠に神社がつくられて今に至る。愛宕山の登山道からも市街地の中で特別な存在感を持って見えていたなあ。

  
L: 建勲神社の参道はこちらの東側が表参道になるようだ。  C: がんばって石段を上がっていくと境内に入る。
R: 拝殿。内側に功績のあった信長の家臣18名の額を飾っている。本当は36名だが、スペースの都合で半分だと。

ちなみに建勲神社の社殿はほとんどが国登録有形文化財に指定されている。確かにどれもフォトジェニックで、
写真に撮ると見映えがする。なお今回、御守は赤色を頂戴したが、その理由は『信長の野望』で織田家は赤色だから。
ご多分に漏れず僕も『信長の野望』から戦国時代の知識をつけていったので、これはもうしょうがないのである。

 神門(祝詞舎)。非常にフォトジェニックであります。

船岡山からは金閣寺方面に抜ける……と思いきや、いったん下ってわら天神へ。なお、正式名称は「敷地神社」である。
天神なのに菅原道真は関係なく、祭神は木花開耶姫命。加賀国二宮・菅生石部神社からの勧請で創建された。
安産御守に藁をくれるので「わら天神」と呼ばれている。摂社の六勝稲荷神社は試験合格の神として知られる。
参拝して御守を頂戴しようとしたが、各ジャンルに分かれており見本もない。「ふつうの御守ないですか?」と訊いたら、
逆に「ふつうってなんですか?」と返された。ダメだこりゃ。しょうがないのでとりあえず健康方面のものを頂戴した。
六勝稲荷神社の合格御守もお高かったし、あんまりいいイメージの持てない神社でございました。ニンともカンとも。

  
L: わら天神こと敷地神社。扁額も「わら天神宮」となっていた。なんだかちょっと特殊な印象が強い神社である。
C: 左が本社で、その右にあるのが摂社の六勝稲荷神社。  R: わら天神の本殿。拝殿と比べてかなり立派だ。

そのまま西大路通を下って平野神社へ。先ほどの吉田神社と同じく今年の2月に参拝しているが(→2015.2.1)、
雪景色ではないところをあらためて見たくて寄ってみた。そしたら中門を背にして外国人のおばちゃんが座り込んでやがる。
「あんた、神様の前で座らないでくれるか」とプリーズを付けた英語でしゃべったら、少しイヤそうにどいた。
いちおう雰囲気を悪くしないために「Thank you.」と礼を言っておくが、本当にわかってんのかよ、と疑問に思う。
キリスト教の価値観を基準にされても困るぜ(逆に、日本の神社の感覚を教会に持ち込むのも違うんだろうけどね)。
確かに暑いし境内にベンチはなかったのだが、日本に観光に来るならもうちょっと勉強してこいよとちょっと思った。
まあこのおばちゃんに限らず、地下街や店先に平然と座り込む外国人観光客は非常に多い。なんとかしないといかんぜ。

  
L: 平野神社であります。  C: 拝殿。やっぱり穏やかでいい雰囲気だ。  R: あらためて中門と本殿を眺める。

平野神社を後にすると、もうひとつのDOCOMOMO物件である本野精吾自邸を探して、等持院の周辺を右往左往。
しかしこれが見つからない。モタモタしているとほかの場所を攻める時間がなくなるので、断腸の思いで今回はパス。
結局、事前の調査が甘いのだ。いずれ機会を見つけて、山科の方にある旧鶴巻鶴一邸とセットで訪れたいものだ。

気持ちを切り替えて西へ進んで仁和寺へ。ここも以前に訪れているのだが(→2010.3.27)、御守はまだなのだ。
巨大な二王門を抜けると、おなじみの広大な境内。この突き放された感じに「ああ、仁和寺だぁ」となる。
左を見れば、御殿の勅使門。1913(大正2)年の竣工と新しい(といっても築100年が経過しているが)のだが、
その威厳にはやっぱり圧倒されてしまう。設計したのは京都府技師の亀岡末吉とのこと。見事なものです。

  
L: 仁和寺の二王門。いつもタクシーが停まっている気がする。  C: この広大さが仁和寺だなあ。  R: 勅使門。

金堂の前で頂戴できる仁和寺の御守は、なかなか種類が豊富。ふつうのものは「身代り守」で、実にお寺らしい。
神社の御守が一般的に紙のお札であるのに対し、お寺の御守って各種仏様の身代わりであることが多いように思う。

 国宝の金堂。1613(慶長18)年築の旧皇居の正殿・紫宸殿を移築したもの。

仁和寺の次は一気に西へ行って車折神社を目指す。国道162号を南下して新丸太町通を嵐山方面へぶっ飛ばすが、
かなり距離があるという先入観のせいでオーヴァーランしていたのであった。自分の脚力をナメていましたわ。
こまごました住宅地を抜けて嵐電の車折神社駅までたどり着いたはいいが、駅からの道は見るからに裏参道。
もしやと思ってやっぱりこまごました住宅地を抜けきったら、果たして南からの道が表参道だった。かなり立派だ。
するすると進んでいくと、境内はなんとも独特な雰囲気。木々は多いが鬱蒼と茂っていないため全体的にかなり明るい。
その小ぎれいさが、ちょっとテーマパークのような感触なのである。言い換えると「女子受けしそう」って感じか。

  
L: 車折神社の一の鳥居。なんとも独特。  C: 境内の雰囲気もまた独特。なんというか、少しテーマパークくさい。
R: 拝殿。車折(くるまざき)神社とは、レンタサイクルで来た自分にはちょっと縁起の悪い気もするが、気にしない。

車折神社はその名のとおり、牛車が裂けたという伝説がある。祭神は清原頼業で、たいへん賢い人だったそうな。
僕は例のごとく「ちったあ賢くなりてえなあ」と思いつつ参拝したのだが、ほかの参拝客はあまりそういう感じじゃない。
境内の雰囲気が妙に明るいこともあるのだが、非常にふわふわした雰囲気なのである。その原因となっているのは、
間違いなく芸能神社のせいだろう。境内末社なのだが、朱塗りの玉垣に黒い字で芸能人の名前がびっしり並んでいる。
それを見て主に女性参拝客が大はしゃぎなのである。僕はマジメに「ちったあドラムスが上手くなりてえなあ」と参拝。

 
L: 車折神社への参道の途中にある芸能神社。特に女性参拝客に大人気なのであった。まあわからんでもないが。
R: 芸能人が奉納する玉垣は駐車場まで延々と続いており、こんな具合。むしろ芸能人の多さにあらためて驚いた。

さらに西へと進むと嵐山そして渡月橋である。周辺のふわふわと浮わっついた感じは、さっきの車折神社と変わらない。
そんな中を自転車で北へと駆け抜けていくと、雰囲気がガラッと変わって嵯峨野に入る。こっちはこっちで落ち着きすぎ。
さて今まで意識したことはなかったのだが、あらためて「嵯峨釈迦堂」こと清涼寺の建物の規模の大きさに圧倒される。
仁王門と本堂(釈迦堂)は京都府指定文化財だが、とにかくデカい。国宝の仏像も有名だろうが、いやこれは見事だ。

 
L: 清涼寺仁王門。1784(天明4)年の築。  R: こちらは本堂(釈迦堂)。1701(元禄14)年の築。

京都市内の重要伝統的建造物群保存地区はすべて訪問済みだが、今回あらためて嵯峨鳥居本に行ってみた。
というのも、今までは重伝建であることを意識していなかったからだ。きちんと奥の奥まで見てやるのだ。

  
L,C: 嵯峨鳥居本は坂の一本道となっている。下半分は土産物店にもなっている町家建築が主に北側に並んでいる。
R: 化野念仏寺入口。嵯峨鳥居本はもともと人々が埋葬される土地なので、今でもうっすら現世離れした雰囲気が漂う。

片側が緑に包まれた細い坂道を奥へ奥へと上っていくと、だんだん俗世を離れていく気分になっていく。
中学生のときに修学旅行で嵯峨野はちょっと歩いたが、この俗世と隔絶した雰囲気にだいぶ魅了された記憶がある。

 化野念仏寺付近にて。嵯峨鳥居本・化野を象徴する一枚って気がする。

化野念仏寺の先には嵐山高雄パークウェイの入口が陸橋となっており、ここからまた雰囲気が一段と変化する。
現在の穏やかな住宅も並んでいるのだが、より緑の割合が強くなって自然の中へと入っていく印象が強くなるのだ。
ちなみにその嵐山高雄パークウェイに分岐する道をもうちょっと行くと、昨日バスで訪れた清滝に着くのである。
というわけで、嵯峨鳥居本の「鳥居」とは、愛宕神社の一の鳥居なのだ。集落のいちばん奥に立派な鳥居がある。
この鳥居まで実際に来たことで、僕の中での愛宕山と嵯峨野とがきれいにひとつにつながった。そういうことか、と。

  
L: 嵐山高雄パークウェイの陸橋の下にある、京都市嵯峨鳥居本町並み保存館。明治初期に建てられた住宅を利用。
C: その先では茅葺き屋根の家が店になっている。  R: いちばん奥に愛宕神社の一の鳥居。なるほど、鳥居本ね。

来た道を引き返して嵐山まで戻る。途中で天龍寺に寄って御守だけ頂戴しておく。そりゃ庭園も見たかったけどね、
世界遺産ってことで観光客はいっぱいだし、太陽がこれ以上傾くと逆光の撮影が増えちゃうしで、今回は断念。
そうして桂川を渡ってさらに南下し、昨日パスした松尾大社に突撃。相変わらず駅前近辺は交通が混乱気味である。

  
L: 松尾大社に到着。この近辺は交通量が多いのに道が少し狭くて踏切があって川を渡ってで、交通が混乱気味だ。
C: 鳥居をくぐって曲がった参道を進んでいくと境内の前に出る。見事に西向きで、そろそろ逆光が厳しい時間。
R: 1667(寛文7)年築の楼門。一の鳥居から二の鳥居、そして楼門と、松尾大社の参道は少しずつ曲がっている。

楼門をくぐるとちょっと段差があって拝殿。その奥には中門と本殿がある。そういえば今日参拝してきた神社はやたらと、
門の先に舞殿のような拝殿があり、その先に中門があって本殿、という空間構成ばっかりだった。京都はそういうもんか?
不思議に思いながら二礼二拍手一礼して参拝。松尾大社はもともと磐座からスタートし、秦氏の神社として創建された。
距離をとって社殿を眺めると、まさに京都の西端を占めるにふさわしい威容である。炎天下の中、思わず見とれてしまった。

  
L: 拝殿と境内の様子。  C: 反対側から中門と本殿を眺める。奥では岩肌が大きく露出しており、かなりの迫力がある。
R: 逆光に耐えつつ中門を正面より眺める。こちらは1851(嘉永4)年に改築されたとのこと。立派なもんですなあ。

さて松尾大社といえば、お酒の神様として非常に有名である。神輿庫には酒樽がいっぱいに積まれていて実に壮観。
この前の明治神宮でも思ったが(→2015.5.10)、やっぱり酒樽のデザインというのも奥が深いものである。
これだけ多くの種類が集まると、ぼーっと見ているだけでもぜんぜん飽きない。土地の特性が感じられるのもいい。

 神輿庫に積まれた酒樽たち。杉玉がぶら下がっているのがまたいいねえ。

こんな立派な神社を今までスルーしていたとは本当に恥ずかしいなあ、と思いつつ松尾大社を後にする。
次の目的地はいよいよ本日最後の神社、梅宮大社だ。位置的には桂川を挟んだ松尾大社の反対側という感じ。
こちらは橘氏の神社だが、これまた松尾大社と同様にお酒の神様として崇敬を集めている神社でもある。

  
L: 梅宮大社の一の鳥居。こちらは住宅が入り組む地域に境内があり、参道は路地を行くような感じである。
C: まっすぐ進んだ先にはまた鳥居。  R: さらに進むと随神門。酒樽が乗っているのがやや独特だなあ。

梅宮大社の主要な建物は1700(元禄13)年の築で、やはり風格がある(拝殿のみ1822(文政5)年の築とのこと)。
ただ、境内は全体的にコンパクトな感触で、先ほどの白峯神宮にもやや似たような屋敷っぽさも漂っているように思う。
困ったのは御守で、やはりジャンル別で「ふつうのもの」がない。神職の方に訊いたら「寿命御守ですかね」とのこと。
寿命御守は菊の紋で、できれば梅宮大社の神紋である橘をあしらった御守を頂戴したかったが、まあしょうがない。
とにかくこれで、京都の二十二社は押さえたわけだ。そう思うと、急にフラフラしてきた。いかん、熱中症だコレ。

  
L: 拝殿と境内の様子。  C: 拝殿からまっすぐ中門を眺める。京都の神社はこういう空間構成ばっかりだなあ。
R: 梅宮大社もお酒の神様を祀る神社なので、手水舎の横がなかなかすごいことになっていた。見事である。

それまでは気を張っていたからどうにか持ちこたえていた、ということか。梅宮大社で御守を頂戴する段になって、
自分でもはっきりわかるくらいに判断力が落ちてきた。鈍く痛みはじめた頭を慌てて冷やして境内を出る。
あとはもう特に急ぐ必要もないので、冷たいものをとって休むことにした。近くの激安スーパーに飛び込むと、
アイスと飲み物を確保して店先の日陰で一休み。よく考えたら今日は昼メシを食う間も惜しんで自転車をこいでいたのだ。
背負っていたバッグに入っていたパンを頬張ってようやく落ち着いた。いやあ、危なかった。まいったまいった。

回復しきったら府道132号を北上して広隆寺へ。秦氏の氏寺ということで、松尾大社の仏教版的な存在と言えるかも。
広隆寺といえばなんといっても国宝の弥勒菩薩像である。せっかくの京都だし、御守を頂戴しつつ見学しようというわけ。

 
L: 広隆寺の楼門。1702(元禄15)年の築とのこと。京都はこんなのがゴロゴロしているから恐ろしいわ。
R: 上宮王院太子殿。1730(享保15)年の築。広隆寺は写真撮影の制限が厳しい。この角度からだと問題ない模様。

弥勒菩薩像については以前のログで少し生意気なことを書いたが(→2010.3.27)、今回はそこまで攻撃的でない感触。
裸の上半身がリアリティのない美しさであるのに対し、下半身の布地はかなり繊細に彫られている。ずいぶん対照的だ。
つまり、この像の作者はそうとう精緻に彫れる人ということだ。しかし上半身はきわめてなめらかに仕上げてあるのだ。
ってことは、そこには意図がある。5年前の僕はそのなめらかさに「人間になりきれていない感じ」を見出したが、
今回の僕は素直に「当時の人たちは仏様をそう見ていたのだ、明確に人間ではない存在と捉えていたのだ」と思った。
人間の形状を大まかに持ちつつも、物質性の純度を高めた感じがする。仏道とは存在の純度を高めることなのかねえ。

それに関連して、あらためて思ったのは「鎌倉より前の像はツルッとしているなあ」ということだ。なめらかなのだ。
鎌倉時代に入ると慶派なんかが身体性を極限以上に追求してきてもうめちゃくちゃ面白いことになってくるのだが、
それ以前の価値観はツルッとしている。上でも書いたように、そのツルツルしているところが仏としての純度の高さで、
純粋な信仰の証明ということになるのだろう。広隆寺には弥勒菩薩以外にも千手観音や十二神将などの国宝があって、
どれも本当に見事なのだがツルッとしている。それが退屈に思えてしまう僕は俗世にまみれているのかもしれない。

なお、弥勒菩薩像の前には御守が置いてある。1体500円で、赤・青・緑の各色がある。当然、頂戴したのだが、
どの色にするか困ってしまったよ。しょうがないので弥勒菩薩像はアカマツ製ということで、赤にしておいた。根拠が欲しいの。

車でごった返す国道162号を南下。道が狭くて困ったが、途中から脇を流れる天神川の対岸にも道が出てきて一安心。
なぜわざわざこの道で駅まで戻ろうとしたのかというと、京都サンガF.C.の本拠地・西京極総合運動公園にぶつかるから。
いつも阪急でのアクセスで、スタジアムがだいたいどの辺の位置にあるのか自分なりにきちんと体感しておきたかったのだ。
実際に自転車で来てみると、思っていたよりも京都駅から近かった(といっても、しっかりそれなりの距離があるのだが)。
新スタジアム建設予定地の亀岡(→2014.11.8)とはまったく比べ物にならない。西京極って便利な場所なんだなあ。

 
L: 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場。実は非常に便利な場所だったんだなあと今ごろ実感した。
R: 覗き込んだら高校生くらいの選手によるサッカーの試合中。夜にはJFLのSP京都×栃木ウーヴァが開催される予定。

西京極からは七条通をひたすら東へ。最初のうちはいかにもな旧街道だったが、途中からいきなり広くなって驚いた。
そんなこんなで京都駅近くのレンタサイクル店に到着。予定どおりに17時に返却完了、これで本日のタスクは終了だ。

そういえば京都駅で、白地に黒い字で「なんでやねん」と書かれたTシャツを着ていた外国人観光客がいたんだけど、
そのTシャツを見た瞬間に僕は「なんでなんでやねんやねん」とツッコミを入れていましたとさ。はい、おしまい。


2015.7.25 (Sat.)

御守頂戴ツアー in 京都! 昨年から今年にかけて、御守収集という名目で何度か京都には来ているが(贅沢だなあ)、
今回は2日間の旅程を基本的にすべて京都に集中させて、そろそろ京都の御守収集にけりをつけてしまおうというわけだ。
僕にとって京都というとレンタサイクルなのだが、今日はまず郊外にある著名な神社を押さえていこうと思う。

 毎度おなじみ京都タワー。上ってみたことはまだない。

6時55分、バスに乗り込む。市バスと京都バスの一日乗車券(500円)を買った後で、均一料金が230円だと知る。
これじゃもとが取れないじゃん、と寝ぼけた頭で思うが、よく考えたらコインロッカーに預けた荷物を取りに駅まで戻るのだ。
結局のところ、「これでいいのだ」なのであった。振り返ると、今回は今まででいちばんバスを駆使した旅になったなあ。

さて、本日最初の目的地は、愛宕神社である。二十二社ではないが、「いつか参拝しなければ」と前々から思っていた。
しかし参拝それ即ち往復5時間ほどの登山なのだ。なんせ愛宕山は旧山城国と旧丹波国の境界となっているくらいで、
生半可な気持ちで挑戦するわけにはいかない。京都にはほかにも行きたい神社仏閣があるので後回しになっていたが、
このたびようやく意を決して参拝……いや登山を敢行したのだ。終点・清滝に着いたのが午前8時ごろで、いざスタート。

  
L: 清滝のバス停から歩くこと5分ほどでこちらの鳥居に到着。ここをくぐるといよいよ愛宕神社への参拝がスタートだ。
C: ご覧のとおり、ふつうに登山が延々と続くのであります。4kmの道のりだが、正直けっこうしんどかったです。
R: 遭難時に場所を把握するため、約100mごとに目印としてこのような立て札が設置されている。内容は気にしないで。

とにかくきちんと登山なので、汗びっしょりになりながら黙々と一歩一歩踏みしめて登るしかないのである。
それ以外に特に書くことはない。体重をもっと軽くしないといけないわーとさんざん実感させられた、ぐらいかね。
もう本当にストイックな山なので、はしゃぐこともなく、ただ黙って足を交互に持ち上げるよりほかにないのだ。
ドラマーらしく、なるべく一定のリズムを保つように心がけて登るのだが、ペースが落ちてきたなと感じたら、
ちょっと立ち止まってカロリーメイトをもぐもぐ。そうして過ごすこと75分、ついに黒門が現れた。いやー疲れた。

  
L: 途中の半分ちょい過ぎくらいのところで京都市街への眺望が開ける。盆地は実に暑そうだ。山は山で大変だけど。
C: 鳥居をくぐってから黙々と歩き続けて75分、黒門に到着。速いペースだが、ダラダラ登る方がつらいと思っているだけ。
R: 黒門を越えてしばらく行くと境内らしい雰囲気になってくる。右は休憩スペース、左は神職さんの滞在するエリア。

別に速く登るのが偉いとはまったく思わないし、僕よりもっとスイスイ登る人も実際にいたのだが、悪くないペースだ。
僕としては単純に、つらい時間をできるだけ短くしようと思っての結果である。キツいのがダラダラと続くのはイヤなのだ。
ただ正直なところ、そんなに厳しい山道ではないにもかかわらず、登山中が思ったよりも苦しかったのはショックだった。

  
L: 参道を進んだ先にまた石段。まだ上があるのかよ!と切なくなったぜ。  C: 石段を上りきると立派な鳥居。
R: その先もまた石段で、門があるのでまたくぐる。くぐった先も石段。とことん上がらされるなあ!とヤケ気味に。

愛宕神社は境内に入ってからもまた長い。さっき写真に撮った地元消防団の立て札は分母が「40」のはずなのに、
「41/40」の立て札があるんだぜ。思わず、ウソつきー!と叫んじゃったよ。最後の最後も猛烈な石段責めだし。
そんなわけでようやく拝殿の前にたどり着いたときにはけっこうなヘロヘロぶりとなってしまったのであった。

  
L: ラストスパートだ!この割拝殿っぽいやつを抜けるとゴールだ。  C: 進んだ先の社殿はこんな感じである。
R: 参道を進んでこちらで参拝。脇にイノシシの彫刻が施されている。天井から吊られた菱灯籠が寺っぽい。

しっかり山の上にあるからか、愛宕神社の社殿は回廊から何から屋根でつながって一体化しているのが興味深い。
向かって左奥には若宮社と奥宮があるのだが、そちらもしっかり一体化してつくられている。本来独立している屋根が、
ずーっとくっついているというのは非常に独特。彫刻がきれいに施されているのに素木の社殿はいかにも山っぽい。

  
L: 社殿をつなぐ回廊には屋根がついており、そのまま若宮社と奥宮へ。  C: 本殿の背面を撮影してみたところ。
R: 若宮社。奥には額の掛かった奥宮入口がある。社殿の屋根がそのまま拡張して一体化している構造が面白い。

愛宕神社の御守は、種類は多くないがちょっと独特な要素があった(御守よりも「火迺要慎」のお札の方が人気だ)。
赤やら紫やら黄色やらはごくふつうに神紋のデザインなのだが、黒だけ神紋とともに猪が描かれているのである。
こういうことをされると困るんだよねえと言いながら2種類とも頂戴する私。今回の御守もさっそく容赦がないぜ。

15分ほど滞在すると、下界に帰るべく石段を下っていく。下山は足元に気をつけながらリズムよく転がっていくだけだ。
しかし大腿四頭筋というのか、太ももの前の筋肉で体重をぐっと抑えるので、それはそれでしっかりハードである。
だいたい10時くらいに社殿を後にしたのだが、11時に清滝を出るバスに滑り込みセーフ。いや本当に疲れましたわ。

バスは阪急の嵐山駅に到着。一休みしてから電車に乗り込む。ここで松尾大社を参拝しようかちょっと迷ったが、
明日のスーパーサイクリングでも大丈夫だろう、それより少しでも愛宕山登山の疲れを癒しておこう!ということで、
桂駅まで行ってしまうことにした。これだけの大ダメージを受けるとは予想できなかった。歳のせいとは思いたくない。

桂といえば桂離宮をいつか見学したいに決まっているが、予約も何もしていないので、さっさとDOCOMOMO物件へ。
ジョージ=ナカシマの設計によるカトリック桂教会を見てやろうというわけだ。ジョージ=ナカシマは家具デザイナーで、
木材本来の自然な感触を残す作風で知られる。個人的には好きでも嫌いでもなく、そもそもあんまり興味が湧かない。
(彼はわりと民芸寄りな価値観だと思うが、僕は民芸に「デザイン上のエクスキューズ」以上のものを感じないのよ。)
ジョージ=ナカシマは両親が日本人の日系アメリカ人。もともと建築が専門で、アントニン=レーモンドの事務所を経て、
前川國男の事務所にも在籍。戦時中はアメリカで強制収容されており、それと前後して家具デザイナーに転身した。

桂駅から南西に行った住宅地にカトリック桂教会はある。が、見学には予約が必要で中には入れないのであった。
しょうがないので外から眺めたのだが、残念ながら木々や塀に邪魔され、見られる角度はかなり限定されてしまっていた。
ぱっと見た感じでは、……うーん、やっぱり興味が湧かない。レーモンドの影響を強く感じる造形って印象がするかなあ。
(似ているかも、と真っ先に思いついたのは、新発田カトリック教会だ(→2009.8.12)。両者は同じ1965年の築である。)
機会があればもちろん中も見てみたい気持ちはあるが、あまり惹かれそうにない予感もある。どんなもんですかねえ。

  
L: ジョージ=ナカシマ設計、カトリック桂教会。  C: 角度を変えて眺めるが。うーん、なんとも……。
R: 裏側にまわってみた。鉄条網つきの金網ってのがまったく教会らしくない。刑務所じゃないんだから。

駅まで戻るとファストフードでお昼をいただきつつバスを待つ。さすがに気がついたら寝っこけていたのであった。
そんなこんなでバスに乗り込み、次の目的地へ。ちなみに、残念ながらこのエリアは一日乗車券の対象外である。
バスは西へと進んでいくが、小畑川を越えてからの坂道は、見るからにニュータウンらしく整備されていた。
南へと針路を変えてからもその光景が続いたが、再度西へと入ると、今度は穏やかな山裾らしい雰囲気となる。
景色の変化に戸惑っているうちに、南春日町というバス停に到着。降りたらもう、絵に描いたような田園風景だった。

  
L: 南春日町のバス停からしばらく行ったところ。右手の森が、二十二社で旧官幣中社・大原野神社の社叢である。
C: 大原野神社の鳥居。穏やかな山裾にあり、緑の豊かさが印象的。  R: 参道を行く。どこかさっぱりと明るい。

やって来たのは二十二社のひとつに数えられている大原野神社だ。「だいげんや」ではなく「おおはらの」と読む。
藤原氏が鷹狩を行っていた地に春日大社から氏神を勧請してできた神社だ。なるほど、南春日町という地名に納得。
面倒くさい場所にあるなあ、レンタサイクルだとちょっと時間がかかるなあ、ということでバス利用としてみたのだが、
いざ実際に来てみたら天気に恵まれたこともあって非常にいい雰囲気。緑の元気がいいにもかかわらず、明るいのだ。

  
L: 鯉沢の池。ハスが大繁殖。  C: 参道。朱色が映えて、やっぱりいい雰囲気。  R: 手水舎の前。うーん、平安な感じ。

境内に入ると一気に開けた印象。この開放感がまた心地いい。とにかくやたらと爽やかな印象のする場所だ。
きれいに言語化できないが、この土地本来の魅力をもとにして、うまく祭祀空間を構成したということなのだろう。
観光客がぜんぜんおらず、自然と人工物の調和を素直に味わえる、隠れた名所ということになるのかな。

  
L: 境内。やはり緑に包まれているが、開放感があってとても居心地がいい。  C: 中門。狛犬ならぬ狛鹿である。
R: 春日大社からの勧請ということで、本殿は4つ並ぶスタイル。本殿は中門からもしっかり覗き込めるけどね。

帰りは別ルートのバスに乗り込み、阪急の東向日駅方面へ。しかし途中で向日市役所のバス停に寄るということで、
予定にはなかった途中下車。せっかくだから向日市役所も見ておこうじゃないの。鼻息荒く正面入口へと向かう。

  
L: 向日市役所。  C: 本館を正面より眺める。  R: 角度を変えて別館側から眺めたところ。

そもそも向日市を「むこうし」と読める人はそう多くないのではないか。関東方面では知名度はあまりないように思う。
しかし歴史は古く、1889(明治22)年に町村制が施行されて以来まったく合併をしないままで来ている自治体である。
そのせいもあり、蕨市・狛江市に次いで全国で3番目に狭い市となっている。なかなか強烈な個性を持っているのだ。
市役所のすぐ南には競輪場があるので、それで安定した財政基盤を確保しているのかもしれない。面白いものである。

  
L: 本館の側面。  C: 裏側にまわり込んでみたところ。  R: 坂道を上がって北西側より眺めた背面。

向日市役所の本館は1970年の竣工。市制施行が1972年なので、向日町役場として竣工したことになる。
見た感じでは3階建てだしデザインも特別に凝ったところがないので1960年代前半か1950年代と思ったのだが、
これが1970年というのはかなり意外である。でもまあ、町役場として建ったのであれば、わからないでもない。

  
L: 別館をクローズアップ。こちらは1983年の竣工。  C: 本館の西側。デッドスペースに緑のカーテン。
R: 本館と別館をつなぐエリアは少し複雑で面白い。この裏側は駐車場になっていて、土地の高低差にも対応。

向日市役所は線路の通る市街地より一段高いところにあり、敷地じたいもけっこうな高低差がある。
最初は本館だけだったのが別館も建ち、裏に駐車場もつくり、西別館もつくり、と地道に拡張していった様子が、
庁舎のジョイント部分からうっすらと見えるのが面白い。これもまた、正しい役所らしさだと思うんだけど。

 別館の車椅子用スロープ。上の通路とデザインをリンクさせている。

バスで東向日まで出ると、さらに南下して水無瀬駅で下車。本日のラストを飾るのは水無瀬神宮だ。
今日の日記の冒頭で「旅程を基本的にすべて京都に集中させて」と書いたが、水無瀬神宮は正確には大阪府。
でも京都府から徒歩圏内ということで、せっかくだからそこまで足を延ばして参拝しちゃおうというわけである。

水無瀬神宮は水無瀬駅と大山崎駅のちょうど中間くらいにある。が、おそらく水無瀬駅からの方が少しだけ近い。
せっかくだから神社の名前を冠した駅から行こう、ということで水無瀬駅から大山崎駅へ抜けるルートをとった。
駅から神社までは完全なる住宅地であり、非常に複雑。しょうがないのでiPhone片手にどうにかした感じである。
地図だと広そうに見える府道も、実際には路地といっていいくらいのレヴェルなのである。スマホ様々ですよ。

  
L: 住宅地にいきなり水無瀬神宮の社号標。「○○神宮」というと広いイメージがあるが、周囲はぜんぜんそんな感じでない。
C: まっすぐ進むと鳥居である。  R: 参道を進むと神門。右上に石川五右衛門の手形が残るとされるが金網でよくわからず。

周囲がとことん宅地化している水無瀬神宮だが、ここはもともと後鳥羽上皇の離宮だったのだ。やっぱり邸宅。
ご存知のとおり後鳥羽上皇は承久の乱で隠岐に流されたが、死後に上皇を祀ったのが水無瀬神宮の始まりである。
確かに神社ではあるものの、いろいろ特殊さも感じる。たとえば鳥居をはじめ参道付近は狭くて小ぢんまりとしている。
また神門も小さいし、寺の境内に横側から入り込むような雰囲気がある。官幣大社にしてはずいぶんと慎ましい印象だ。
やはりもともとが屋敷ゆえの空間構成が今に残っているのだ。歴史をきちんと伝えている空間という言い方もできる。

  
L: 神門を抜けて境内に入ったところ。神門からまっすぐ拝殿、という構成ではないところがまた特殊なのである。
C: 拝殿を正面より眺める。京都御所の内侍所を移築したという。  R: 拝殿の脇に横向きでたたずむ客殿。重要文化財。

いつも「○○神宮」の御守は赤いものを頂戴しているのだが、水無瀬神宮については青色を頂戴しておいた。
というのも、「水無瀬」という名前のくせに、境内には「離宮の水」が湧いており大人気。汲むのに行列ができていた。
しっかりと水があるじゃねえか、ということでの青色である。非常に個性的な神社なのであった。

 手水舎の脇にある離宮の水。そんなに旨いのか。

参拝を終えると大山崎駅を目指して北上。線路沿いを歩いていたら、さっき車窓から見た景色を再び見ることができた。
それは淀川の向こう、石清水八幡宮が鎮座している男山(→2015.3.28)だ。南側の山裾が宅地化しきっている光景で、
これがまるで、横たわる巨人の足元を小人たちが埋め尽くして侵食しているように見えたのだ。そう、まさに侵食。
実際のところ、自然が人間たちに「食われて」いるのは確かだろう。それがはっきりと光景として現れていたのだ。

 線路越しに眺める、「侵食」される男山と人間たちの構成物。

旧街道に出ると、関大明神社という神社があった。その名のとおり、ここはかつて関所だったそうだ。
そのすぐ横には大阪府と京都府の境界。昔は摂津国と山城国の境であり、それがそのまま今も生きている。
そしてJRの山崎駅前には妙喜庵。国宝の茶室・待庵があることで知られている。待庵は千利休がつくったとされる、
現存する唯一の茶室である(なお、高台寺の傘亭と時雨亭(→2013.6.16)も「利休好み」とされているが、
『へうげもの』では古田織部が利休を再解釈して建てたという設定になっており、僕もそっちの見解に同意)。
残念なことに待庵の見学には1ヶ月以上前からの許可が必要とのこと。今日はそんなんばっかりだなあ。

  
L: こっちは大阪府三島郡島本町。  C: 府境を越えて京都府乙訓郡大山崎町から関大明神社を見たところ。
R: 山崎駅前に妙喜庵。ものすごく駅前なので驚いた。こんな交通の便の超いいところに待庵があるのかよ。

阪急の大山崎駅から松尾大社まで行って、そこでバスに乗り換える。これで一日乗車券がフル活用できるわけだ。
京都駅で荷物を取り出し、晩飯をいただき、やはりバスで本日の宿へ。京都のバスも慣れると便利でございますな。


2015.7.24 (Fri.)

朝6時半より前に自転車で家を出る。渋谷経由のコースで目指すは飯田橋。今日はそっちで練習試合なのである。
平日午前に自転車で動くというのは贅沢なものである。信濃町だとか四ツ谷だとか、通勤客で混み合う各駅を見て思う。
そして飯田橋。自分がかつて勤務していた場所だ。人混みは相変わらずメトロポリスだった(→2005.4.172008.4.16)。
モスバーガーで日記を書きながらモーニングなBLTをいただくと、8時に間に合うように試合会場の運動場へ。
都会の真ん中なのに人工芝でしっかり広い。贅沢なもんだなあと思いつつウォーミングアップを眺めるのであった。

集まった生徒は12人だけど1人ケガでボールを蹴ることができない。つまり総力戦とならざるをえないのである。
コーチが知恵を絞って4-3-1-2に生徒を配置していざキックオフ。3年生が引退してこれが新チームの初戦となるのだが、
もう恐ろしいまでに小学生のサッカーである。指示の出しようがねえよ。結局、個の力でウチが1得点だけして終わる。
これはいかん!ということで2試合目はポジションを変え、テーマを明確にして臨む。今度は比較的いい内容。
CKからのこぼれ球を1得点で終わったのだが、攻撃面についてサイドを中心にはっきり改善できたのはいい傾向である。
しかし守備面は相手の拙攻に助けられているだけ。新チームの初戦なのでしょうがない面もあるとはいえ、ねえ……。
まあ試合内容はともかく、課題がはっきり浮き彫りになったという点では、非常に有益な練習試合でした。

さてせっかく飯田橋まで出てきたので、そのまま御守頂戴のサイクリングと洒落込むのだ。午後は休暇なんだもんね。
まずは飯田橋駅から南に行った、東京大神宮。4年前には姉歯メンバーで訪れている(→2011.7.10)別表神社なのだ。
そのときのログでも書いたけど、ここは日本初の神前結婚式が行われた神社ということで、縁結びを前面に出している。
おかげで女性の参拝客が本当にやたらと多いのである。女子高生もいた。で、おみくじなんかで興奮してやんの。
オレなんか「東京大神宮は伊勢神宮の出張所だから縁結び関係ねーだろ」と無駄に知識をひけらかしてモテないわけで。

  
L: 東京大神宮。坂の途中にある。  C: 拝殿。伊勢神宮(→2012.3.31)と比べると過剰な感じでありがたみがイマイチ。
R: 角度を変えて拝殿を眺める。意識してか、コンパクトな境内にいろんな種類の緑を配置している点は非常に好印象。

4年前もやたらと暑かった印象があるが、この日も太陽が顔を出すと猛烈な暑さ。練習試合中から厳しかったもんなあ。
やはり4年前と同じく、境内にはミスト全開の休憩スペースが設けてあって女性客には大人気。上手いことやるなあと感心。

 休憩スペース。上手いこと女子の人気をゲットしてますなあ。

外堀通りに戻ってそのまま東へと進み、水道橋の交差点を合図に左折してひたすら北上。次の目標は白山神社だ。
余談だけど私、幼少期には飯田市の白山町で育っておりまして、「白山」という地名にはちょっとグッとくるものがあるのね。
快調に飛ばしていったら途中で道が二股に分かれる。右の旧白山通りを進んでいくと、三田線の白山駅に到着する。
西を行く豪快な白山通りとは対照的に、駅周辺は活気を保ちながら落ち着いたなかなか面白い商店街となっていた。
まあ、これが文京区らしいっちゃらしい雰囲気なんだろう。住宅地の中にある坂道を進んでいくと、突き当たりが白山神社。

  
L: 白山神社の鳥居。誰だ、神社の前にゴミを置いたやつは!  C: 石段を上がると境内なのだが、ちょっと違和感。
R: どうやら横参道になっているようで、右手に拝殿が現れた。徳川綱吉の命により1655(明暦元)年に現在地に移る。

鳥居をくぐって境内に入るが、どうも雰囲気が神社っぽくない。どちらかというと寺のような印象がしたのである。
緑が濃く、その配置のされ方が寺っぽく思えたのだが、じゃあ神社っぽいのとどう違うのかは上手く言語化できない。
横参道でいきなり拝殿の前に出たのもまた、神社にしては空間構成が特殊なのである。落ち着き方が寺っぽいと言うか。
そんなわけで境内の隅々まで歩きまわってみたのだが、やはり横参道でいきなり拝殿、で正しいようだ。

  
L: 境内の端に行ってみたら、周囲よりかなり高いことを実感。  C: 境内の南西側には各町の神輿を収める倉庫が並ぶ。
R: 境内の南側がしっかり駐車場になっているのもまた独特なのだ。摂末社などは西側の緑の中で一列に並んでいる。

白山神社はその名が示すとおり、加賀国一宮の白山比咩神社(→2010.8.222014.12.27)を勧請した神社だ。
なるほど社務所や手水舎を見ると、同じ神紋がある。准勅祭社で東京十社だが、そのアピール度合いは非常に薄い。
東京はすでに梅雨明けしたはずだが、境内はしっかりと湿り気を感じさせる濃い緑で包まれており、少し暗さも感じる。
ちょっと不思議な場所だと思う。本殿を見ようと裏手にまわったら、白山公園という緑がいっぱいの公園になっていた。
北東側には紫陽花園。花が見られる期間中のみ開放しているようだが、入口には「浅間神社」という扁額の鳥居があり、
小高い緑の山になっていた。なるほど、富士塚も兼ねているわけだ。だんだん神社知識がついてきたことを実感する。

  
L: 境内の南側から拝殿へはまっすぐ参道が延びている。やっぱりこっちの方が表参道っぽいんだけど。不思議だわ。
C: あらためて正面より眺める拝殿。  R: 本殿の背面。白山公園側から眺めたところ。緑の多い神社である。

御守を頂戴すると、秋葉原へ移動してスタ丼をいただく。店から出てしばらくしたら、いきなり雨粒が落ちてきたので、
近くのカフェに避難する。そのまま日記を書きはじめたら、いきなり大雨になって驚いた。ナイス雨宿りである。
で、集中して一気に写真を整理して文章も書いて、はい本日の日記はこれで一丁あがり、と。よかったよかった。

では雨もあがって道も乾いたので、さっさと帰るとしましょう。家に着いたら荷物をまとめて旅行の準備だ。御守だ。
夜になったらバスに乗るためにまた秋葉原まで戻ってくるのね。それはそれでなんだかって気がしないでもないぜ。


2015.7.23 (Thu.)

浅野いにお『ソラニン』を読んでしまったよ。ちなみに『おやすみプンプン』はざっと見た5ページくらいで挫折しているよ。

出だしからなんか文学っぽいなと。ふと、潤平が買っていたよしもとよしとも『青い車』なんかを思い出したのだが、
ああいう系統のマンガなのかなと思ったら少し違う。現実の生々しい感じと、ところどころ挟まれるギャグと、几帳面な絵と、
その対比が新しくて評価されたのかなあと考えながらページをめくっていく。で、そのうち気づく。これ稲中だなと。
ギャグの表現に稲中卓球部を感じる。なるほど、作者は稲中のテイストをモラトリアムの表現として使っているわけだ。
それは考え方としては正しい手法ではあるものの、稲中を矮小化する結果になってしまっているのもまた事実であると思う。
稲中という絶対的な領域のギャグをパーツとして利用するだけの物語になっているかというと、残念ながら遠く及ばない。

30をとうの昔に過ぎた僕にはなんともな内容である。「青い」という一言では片付けたくない物語と設定だが、
僕らの年代はそこの部分で悩むレヴェルをとうに過ぎてしまっていて、それとは別の部分での格闘を日々しているので、
あらためてその「青さ」を提示されたところでなんとも言えない。まあ僕が歳相応の生活をしていないのは確かだが。

このマンガ、結局は人がひとり死んだだけ、なんじゃないのかな。それでいて仲間が増えたよ、だけじゃないのかな。
登場人物は心情を掘り下げている分だけ魅力はある。その組み合わせは確かに楽しい。でもそれだけじゃないのかな。
中心にいる人間がいなくなっても関係性は続くよ、というのがテーマなのかなと思う。それ以上のものを僕は感じませんが。
もし僕の考えている上のようなテーマ性で正解だとしたら、人を殺さないで済むもっと巧いやり方があるなずなんだけどな。
読んでいて僕がいちばん最初に引っかかったのは、この物語がどの程度の長さを想定していたのか、ということだ。
単行本で2巻というヴォリュームになっているが、作者はそれより長くなることを想定して連載を始めたのか。
それとも最初から2巻で終わる予定だったのか。さっぱり見当がつかない。日常を描いているとはいえ、着地点が見えない。
だからはっきり言っちゃうけど、「まさか展開に困って種田を死なせたんじゃないだろうな!?」という疑念が消えない。
たとえば『タッチ』(→2004.12.14)はそのタイトルからして、和也の死が最初から想定されていたわけだ。
そうして精神的(恋愛)にも肉体的(野球)にも絶対的な障壁となってしまった存在を乗り超えるさまが描かれた。
しかし『ソラニン』における登場人物の死からはそういった意図が感じられない。死の扱い、死の感触があまりに軽い。
タイミングが悪い。1巻から2巻に切り替わるタイミングというのは、種田を死なせるには中途半端に遅いのだ。
ちょうど半分で生前/死後を分ける意図があったなら、それは人の死というものをナメすぎているってもんだ。
だから僕は登場人物たちが現実と格闘する構図に「青さ」を感じるよりもむしろ、死の軽さに作者の「青さ」を感じる。

絵でごまかされてしまっているが、確実にこの作者は物語を紡ぐのが下手だ。それを「青さ」として寛容に受け止めるか。
僕の予感では、この先も同じ過ちを繰り返すタイプのように思う。人形を動かして満足するタイプであるように思う。
さっきの稲中云々もそうだけど、マンガという手段のためにストーリーという目的を見失うタイプであるように思う。
『おやすみプンプン』を読めばそれがはっきりするんだろうけどね、僕にはそれが無駄な時間になる気がしてならない。


2015.7.22 (Wed.)

長かった夏季学園も今日で終わりだぜ! ところが朝イチでいきなりイージーミスをぶっこいて申し訳なかったです。
お別れ会の会場に集まった生徒たちは全員見事に充実した表情で何より。キミたちは楽しかったかもしれないけど、
受け入れ先のご家庭に苦労をかけたんじゃあるまいな、という不安がどうしても消えないのだが、まあ胸にしまっておこう。
お別れ会の合唱のパフォーマンスも思ったより良くて何よりである。最後まで心優しく送り出していただいた。

帰りのバスの中ではお決まりのDVD鑑賞。僕は最近流行の子ども向けアニメ作品におっそろしく疎いわけだが、
行きの車内ではアナ雪だったのね。寝てたけど。だから結局、いまだにどういう話か知らない。たぶん平和になるんでしょ。
で、帰りのバスでは「すいません、アナ雪しかないです」と。……冷静に考えると、これってけっこうすごい事態ではないか。
だって、全国の観光バスで「アナ雪にしとけばいいや」って流れがあるわけでしょ。少なくともみんなアナ雪積んでるだろと。
小学生なんかバスの中でレリゴー合唱が恒例行事になっている可能性もあるわけだよ。これはおそろしい浸透ぶりなのだ。

で、休憩のタイミングでもう1台のバスとDVDを交換して『怪盗グルーのミニオン危機一発』。おう、声が鶴瓶やないかい。
おう、こいつらミニオンっていう名前だったのかい。ヒロインのドSの声誰やねん超ヘタクソで見る気なくすわー(後で納得)。
……そんなことを思いながら寝たり起きたりしているうちにエンディング。なるほど、この最新作が近く封切りになるのか。
感想としては、ピクサーなんかの3DCGアニメには猛烈な違和感というか嫌悪感がもともと僕にはあったのだが、
話が進んでいくうちにその違和感はだいぶ減った(ゼロにはならなかったが)。ま、結局はストーリーなのかなと。
ただ、現代の子どもたちが3DCGアニメに違和感なく入っていっている状況は、もうちょっと考察が必要な気はする。
オレなんかやっぱり、「アメリカの文化的侵食」みたいな感覚はどうしても拭えないんだけどね。素直には受容はできん。

渋滞に巻き込まれつつも、どうにか勤務時間ちょっとオーヴァーくらいに学校に戻る。疲れた。本当に疲れた。


2015.7.21 (Tue.)

3日目は生徒たちが地元の方の家にお泊まりしてしまう「民泊」である。生徒たちは朝からバスなどで現地に移動。
おかげでこっちは余裕たっぷり大助かりなのだ。それでもやっぱり3泊4日は本当に長い。神経を使うのは一緒なんだよね。

特にやることもないのでテレビの大相撲を見ていたのだが、ふだんあまり相撲を見ない僕にはいろいろ新鮮で。
(若乃花(お兄ちゃん)が横綱になってよかったよかったね、くらいで相撲への興味はなくなっているのだ。)
見ていると力士たちがすごく多国籍なんだけど、まあ自ら進んで日本文化に染まっているわけだからいいんじゃねえかと。
それにしてもモンゴル出身の力士がやっぱり多い。ハングリーさが違うんだから、これはもうどうしょうもない気がする。
そんなことをぼんやり考えていたら結びの一番。やたらと好調な栃煌山が全勝の横綱・白鵬に挑むという熱い展開だが、
1勝28敗というこれまでの対戦成績を見てのけぞった。こんなん勝てるわけねーじゃん、と思った瞬間にはたき込み。
無数の座布団が舞うのを見て、一緒に見ていた先生方に「一度でいいから座布団投げてみたいですねー」とつぶやく。
相撲くらい一度は見に行きたいというのと、どうせ見るんなら番狂わせを見てみたい、という正直な気持ちである。
中入りくらいからじっくりと相撲を見るというのもまあ、たまにはいいものである。ジジイの気分がちょっとわかった。

夜は宿舎から少し離れたところにあるコテージに泊まる。温泉から出て、真っ暗な道を星明かりだけで歩いていく。
その暗さに正直ちょっと怖さもあるのだが、見上げればさすがに星空は見事なもので、星たちが夜空にひしめきあっていた。
顔を上げればもう北斗七星が見つかる。ふだんは見えにくい3等星のδ星(ひしゃくの椀と柄の接点)もはっきり見えて、
その光の力強さにしばらく見入ってしまった。こういう機会でもないと星を眺めないってのは、貧相な生活じゃのう。


2015.7.20 (Mon.)

2日目は午前中に食体験、午後に自然体験、夜に合唱練習なのだ。けっこうみっちり予定が詰まっているのだ。

まず食体験。これは地元の郷土料理をみんなでつくって食べようというもの。新潟県といえばやはりコシヒカリなので、
それを使った米粉ピザ、あんぼ。それに笹寿司とのっぺ汁、さらに蕎麦までつくるのである。なかなかのフルコースだ。
ちなみに「あんぼ」とはもともと、残った米を集めてつくった饅頭のようなもの。具を凝っていない「おやき」的存在かな。
現在ではコシヒカリでわざわざつくって観光資源化しているが、元が元だけに昔はおいしいものではなかったようで、
地元の人にはあまりいいイメージがないらしい。だったら変に高級路線化して観光資源にするなよと思ってしまうのだが。
観光資源にするのであれば、地元の人は、よそ者があんぼに対してポジティヴな解釈をすることに不満を持つべきでない。
まあ話が逸れてしまったが、とにかく郷土料理をつくって食べるのである。僕は写真を撮りまくる係に専念であります。

  
L: できあがった米粉ピザ。もちもちっぷりがすごかったです。  C: のっぺ汁。地元の野菜が入って見た目どおりの味。
R: 問題の蕎麦。つなぎが強烈だったせいか、コシが強すぎ。切るのも下手っぴなので食べるのに本当に苦労したぜ……。

完成したものをみんなでいただいたのだが、まあ量が多いこと多いこと。去年に引き続きがんばって食ったが(→2014.6.9)、
あんぼの密度が濃いところにやたらコシの強い蕎麦ですよ。この蕎麦がまた「ほうとうかよ!」ってくらい不器用な切り方で、
長野県出身の蕎麦好きとして極限までがんばったけど限界でしたわ。というか、長野県出身として許せない蕎麦だった。
地元の皆様のサーヴィス精神を存分に感じさせるメニューだったけど、サーヴィスしすぎてとんでもない量だったなあ……。

 あんぼ(左)と笹寿司(右)。笹寿司の中身はちらし寿司で現代風。

午後は自然体験。「森の学校」キョロロの館内見学と森林散策、そして水辺の生き物を捕まえるという3点セットなのだ。
館内ではヘビやらカエルやら魚やら昆虫やらを観察し、カブトムシやクワガタたちと遊ぶ。最近、動物が面白くって。
昨日のホタル観察でもそうだったけど、生徒と同レヴェルで興奮してまわる。幼稚ではない。学ぶことに貪欲なだけだ。
後半に野外に出たのだが、やっぱりインストラクターの方の話が面白くってもう。生徒気分で真剣に聞いちゃうよね。
その後、生徒たちは男子も女子もタモ網片手に夢中で生き物集め。そんなに熱心になると思わなかったので妙に感心。
カエルをポンポン捕まえていたのには驚いたなあ。泥の中で地味な色合いなのによく見つかるもんだわ。エラいエラい。

戻って晩ご飯をいただくと、マイクロバスで移動して合唱練習。本番と同じ会場を借りてのリハーサルなのだが、
やっぱり実際の場所でやってみないといけないなあと実感。ケチらなくてよかった。おかげでどうにかなりそうかな。

ちなみにテレビ父さんTシャツ(→2011.9.10)は今年もバカウケ。


2015.7.19 (Sun.)

さあいよいよ夏季学園がスタートなのだ! 今回は「なんちゃって責任者」ということで、忙しい授業の合間を縫い、
メールやらFAXやらでいろいろ交渉しまくったのである。下見(→2015.5.72015.5.8)以来ずっとつらかったなあ……。
しかし実際に生徒たちを連れていく本番がいちばんつらいに決まっているのだ。3泊4日、なんとかがんばらんとね。

学校を出発したはいいが、夏休みの浮かれた渋滞に捕まってしまい、予定よりも1時間遅れで新潟県の現場に到着。
さっそく道の駅でお昼をいただくが、生徒が思いのほかよく動いてくれて、比較的順調に差を詰めることができた。
お昼を食べ終わるとそのまま宿に行くことはなく、まずは信濃川でラフティングなのだ。いきなり今回の目玉である。
いちばんの若手の僕は、生徒たちのお目付役も兼ねてラフティングに挑戦することに。おう、やったろうやないけ!
青いヘルメットをかぶったら、各方面から「ロックマンだロックマンだ」と言われまくるのであった。けっこううれしい。

  
L: 話を聞く生徒たちを撮った写真の背景に写り込んでいたロックマンな私。今の中2がロックマンを知っているのがまたうれしい。
C: ラフティング中の私(いちばん後ろのロックマン)。パドルを使って水をかける遊びができるのだが、集中砲火を食らう。
R: 信濃川を下っていくわれわれ。これ炎天下だったら、遮る物はないわ水飲めないわでそうとうつらいよね。曇りで助かった。

中流域の信濃川はゆったり流れているのだが、浅くなったり深くなったりが意外とけっこう激しいのである。
深いところでラフト(ボートね)から落ちる分にはいいのだが、浅いと川底に体が当たって危ない場面がありうる。
今回、生徒は落ちなくてよかったのだが、よりによって僕が足を滑らせていちばん浅いところでラフトから転がり落ち、
見事に反面教師を演じてしまったのにはまいった。無事だからよかったけどね。もうホントにドジっ子ですいません。
あと、信濃川はところどころで流されたテトラポッドが水面に出ており、それが複雑な流れを生む箇所となっている。
実際に川を下ってみると、テトラポッドはけっこう多いのである。なんとかならないものですかねえ。
とはいえ、生徒は大満足で何より。僕も貴重な経験をさせてもらってありがたかったであります。

生徒たちはそのまま日帰り入浴施設へ直行し、上がると宿へ。晩メシをいただいて空が暗くなったらホタル観察だ。
ホタルが本格化する時期からは少しはずれているそうだが、コンディションは良好とのことで、期待して移動する。
お恥ずかしいことだが、僕はホタルをきちんと見たことがないのである。もうその点は都会っ子と完全に同レヴェル。

で、会場の田んぼに行ってみると……最初は白色LEDが点滅するような感じで頭上をふわーっと越えていくだけだったが、
車のライトを点滅させたらそれに反応して小さな光が面で広がって飛んでくる。さすがにこれには度肝を抜かれた。
『ハイスクール!奇面組』に、ホタルを見た一堂零が「ゆ… UFOだ!」と言うコマがあったことを思い出す(文庫版4巻ね)。
確かにこの光景は、UFOの群れがこっちに向かってくるような現実離れしたものだ。見とれるよりほかなかったねえ。
光はそんなに強いわけじゃないし、点滅しているし、動くスピードもそれなりなので、写真に残せないのが残念だ。
でもこれは記録に残して満足できるものではなく、やはり実際に見て感動すべきものだと思うので、それでいいのである。

 
L: それでも意地で発光するホタルを撮影してみた。画像だとだいぶ黄色く見えるが、実際には白色LEDな感じ。
R: あ、そうだ、懐中電灯を使えばいいんじゃん!ということでホタルを照らして撮影。ヘイケボタルですな。

童謡『ほたるこい』の歌詞に納得してしまった。ホタルがこっちに来てくれると無条件にうれしいものなのだ。
なんというか、「好かれている」という感覚になれるのだ。体に止まったときにはもう最高よ。そういう特別さがある。
完全に周りの生徒たちと同レヴェルで「ホタルサイコー!」と興奮して宿に戻ったとさ。いや、ありゃ興奮しますわ。

しかし宿に戻れば不寝番である。今回の宿は管理が非常にしやすく、時間帯で割当を決めてがんばるだけでOK。
担当時刻にちょっと遅刻しかけたが、特に問題もなく朝が来たのでよかったよかった。宿泊行事って本当にヤダわー。


2015.7.18 (Sat.)

新国立競技場の現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで新しい計画を作りなおす、だそうです。
(オレはぜんぜんポジティヴに感じないけど)ポジティヴな情報を与えることでネガティヴな現状を忘れさせようとする、
国民の目をそらす感じが漂いますなー。日本の国民はオリンピックと聞くと舞い上がっちゃうバカばっかりだから、
ダメなザハ案サヨウナラもっとポジティヴな新しい案コンニチハということで、興味がそっちにすぐ移っちゃうんだろうね。
そうやって失敗を繰り返しているけど、都合の悪いことは忘れちゃって、なかったことにする。またそれですか。
計画見直しは決して英断ではない。英断の逆を繰り返してきたからこういう現状になっていることを忘れちゃいけない。

もういいかげん、オリンピックやめちゃえよ。たかが4年に一度のスポーツ大会、やっても何もいいことはない。
むしろそれに振り回されるだけで、プラスになるものが残るわけがない。金もうけのチャンスだと騒ぐのは浅ましい。
今さらスポーツイヴェントで産業を振興する時代でもあるまい。日常生活がかき乱されてそのまま終わるだけだ。
いちばんの英断は、オリンピック開催を返上すること。そしてオリンピックとは別に、きちんと国立競技場を建てること。
スポーツと金もうけの機会をきちんと分けること、それが本当にアスリートに敬意を払うことになると思うんですが。
一時の気分の盛り上がりで末代までの恥をさらしている現状を、きちんと見つめるべきでしょう。本物の日本人ならね。


2015.7.17 (Fri.)

昨年の夏、名古屋にいた私は台風の動向にやきもきしておりました(→2014.8.10)。
FC岐阜の試合は果たして開催されるのか。情報を待ちながらヴィレッジヴァンガードをウロウロしていたわけです。
そしたら女の子の絵が印象的ないかにもオシャレなCDを売っていて、4枚組で6480円(税込)とのことである。
さすがに躊躇したものの、スピーカーに耳をくっつけてデモを聴いてみて、「よし、男の子!」と購入を決断したのだ。
これが、私のTokyo Audio Waffleとの出会いであります。おかげでレートが★5つの曲がしっかり増えたのであった。

よくわからんが、Tokyo Audio Waffleは、世間的には同人音楽サークルというものにカテゴライズされるらしい。
ヴィレヴァン以外にもコミケやコミケ的な何かでCDを出しているらしく、どうにかそっちも入手したいと思ったら、
池袋にあるそういうCDの専門店にわずかに在庫があるという情報をキャッチ。それで本日、仕事終わりに行ってみた。

スマホ片手に住所をあたってみたら、店は表通りから一本入ったオフィス雑居ビルの一室だった。
秋葉原の怪しげな店もそういう感じといえばそういう感じだ。本質的にそういうもんなんだな、と思う。
店内は壁に沿って棚が並び、CDがびっちり。しかし暗い感じはまったくなく、プラスマイナスでは明らかにオシャレ。
部屋は決して狭くなく、そこにCDが一面に並べられていることを考えると、とんでもない量の音楽が収納されている。
で、目的のCDはあっさりと見つかった。大量のCDがあったけど、それでも目につくジャケットなのはさすがだなと。
家に帰って聴いてみたけど、これが大変すばらしゅうございました。要チェックの音楽があるのはうれしいことだ。

さて、店内にいるときから、僕の頭の中ではひたすら「熱海ロマンはどこまでやれたのか」ということでいっぱいだった。
あれだけ膨大な量のCDがある中で、もしわれわれが今も活動していたら、どのような位置を占めていたのだろうかと。
SABEさんが描いてくれたジャケットは圧倒的に有利なのだが、中身については完全に何でもアリでジャンル分け不可能。
コンスタントに新曲を出す体力もなくバーンアウトしたわれわれ、動画全盛の現代ではどうなっていたのだろうか。
世の中には同じようなことを考えている輩がいっぱいいるわけで、あれだけ大量のCDを見せつけられてしまうと、
もうそれだけで自信を喪失してしまいそうになる。われわれは、自分たちにとってはオンリーワンの存在だが、
いざ世間に出ればone of themとなる。そこで差をつけるために何があるのか。何で世間を納得させられるのか。
これは音楽に限らず、すべてにおいて言えることなのだ。膨大なCDはそれを如実に視覚化していたというわけだ。
あの部屋の中で無数のCDたちがうごめいている光景は、世の中の本質の一端そのものだった。汗が止まらなかったぜ。


2015.7.16 (Thu.)

本日で1学期のレギュラー授業が終わり。……なのだが、今日は最初から最後まで見事に忙しかったなあと思う。
トップスピードのまま終わったこともあり、終わったという実感がまったくない。マンガやアニメなんかでよくある、
走っていって崖から飛び出したのに気づかなくて、しばらく経ってから気づいて落ちる、みたいな、あんなイメージ。
しかしその落ちるシーンはまだなので、非常にイヤな感じである。そもそもこの後すぐに宿泊行事があるせいもあって、
「終わったー!」という満足感がないんだよね。ほかの先生方は、こういうドサクサ紛れでそのまま行事に入る方が、
変に一息ついてから行事に行くよりずっとマシ、とおっしゃるんだけどねえ。どんなもんなんだろうか。
まあとにかくそんなわけで、今年は例年とは違う形で夏休みを迎えることとなる。がんばってリフレッシュせねば!


2015.7.15 (Wed.)

憲法違反の法案を可決するとは世も末。仮にお前らが憲法を変えたとしても、それを反故にするのも認めたってことだぜ?
前も書いたけど、これで完全に日本は法治国家ではなくなってしまった。日本は着々とアメリカの植民地になっている。
これでTPPが締結された日にはおしまいだ。TPPってのはすなわち関税自主権の放棄だぜ。自民党は完全に狂っている。

イヤな気分を振り払うべく、仕事が終わるとサッカー観戦。今回のカードは横浜FM×柏。久々のJ1である。
わざわざ急いで電車を乗り継いで横浜F・マリノスの試合を観に行ったのは、試合会場が三ツ沢球技場だから。
一度でいいので、大好きな三ツ沢でやるマリノスの試合を観戦してみたかったのだ。三ツ沢がどんなふうに染まるのか。

  
L: いつもは横浜FCやY.S.C.C.でお馴染みの三ツ沢も、今日はマリノス仕様のトリコロールとなっている。
C: 試合前の練習風景。三ツ沢はやっぱりピッチが近いなあ。J1の選手がすぐ目の前ってのは本当に贅沢だ。
R: キックオフ直前の夕暮れの空。圧巻である。まさか試合後、横浜駅へと帰る際に雨がしっかり降るとは……。

「J1は隙がなくって膠着状態」とはいつも僕が日記で書いていることだが、この試合はそういう要素を若干含みつつも、
けっこう派手にボールが動く好ゲームとなった。試合の主導権を握ったのは、横浜FM。序盤から積極的に攻めていく。
対する柏は守備に追われる時間がやや長めになったものの、しっかり守って危なっかしいシーンはまったくつくらない。
時間が経つにつれて横浜FMの攻撃は「決定力不足」という評価に傾いていく感じ。攻めるけど得点の匂いがしないのだ。

  
L: 横浜FMのゴール裏。横浜FCだと隙間が目立つのだが、さすがにびっしりぎっしり。さすがJ1の古豪である。
C: FKを獲得。キッカーはもちろん中村俊輔。なんともいえない緊張感にスタジアムが包まれるが、近くて最高!
R: 今度はCKのシーン。前にも書いたけど、中村俊輔は一目でそれとわかるシルエットをしているのがかっこいい。

そうこうしているうちに柏がCKを獲得。これにヘッドで合わせたが、GK飯倉の正面でキャッチ。……と思ったら、
その飯倉がボールを落としてしまい、それを工藤がしっかりゴールに押し込む。さすがは工藤ということになるのか。
この失点が前半27分ということで、横浜FMはまだまだ余裕を持って攻めるのだが、柏の守備がしっかりしている。
目立っていたのは齋藤学で、ドリブルが危険な匂いを漂わせていたのだが、柏は中を切って簡単には侵入させない。
横浜FMはボールを保持して何度もチャンスをつくるのだが、なかなかゴールに近いところまで行かせてもらえない。
やはり横浜FMは中村俊輔がボールを持たないと攻撃が始まらない感じで、それはそれでしょうがないことだと思うが、
俊輔以外のところで起点をつくれなかったのが痛い。俊輔がボールを持った瞬間、柏はパスの受け手を上手く封じていて、
決定的なパスを通せない状況をつくっていた。かといって齋藤のドリブルは、中に入られないように慎重に対応する。
つまり横浜FMの攻撃は柏に読まれていたのだ。柏の守備陣は途中から完全にコツをつかんでいた印象を受けた。

 
L: 横浜FMの失点シーン。このように飯倉はしっかりキャッチしていたように見えたのだが。直後に工藤がゴールを決める。
R: 齋藤が迫力のあるドリブルを見せる。が、ゴール前に切り込むことができず、ただ外へ外へと運ばされてしまう。

後半に入っても基本的な構図は変わらない。横浜FMが攻めて柏が守り、ボールを奪ったらカウンターが入る。
横浜FMは俊輔を経由しない攻撃をもっと企図してもよかったと思うのだが、どうしても頼ってしまって、読まれる。
俊輔を直接つぶすのではなく、その先をつぶす守備が機能していた。柏ではクリスティアーノがよく目立っていた。
とにかくフィジカルが強くてボールが収まる。そこからゴールに迫るが、横浜FMも守備陣が気を吐いて守りきる。
58分にはクロスを受けた齋藤がワントラップしてシュートを放つが枠を捉えられず。スタジアムはみんながっくり。
70分にも俊輔の虚を衝くパスから藤本が合わせるも、柏のGK桐畑が絶妙なブロック。あらためてJ1の隙を衝く鋭さと、
それでもゴールを割ることが難しい現実を知らされた。やっぱり選手ひとりひとりのレヴェルははっきり高いのだ。

  
L: 突然ですがここで中村俊輔劇場。撮ってて面白いんだもん。この写真は左のクリスティアーノが切れちゃったのが残念。
C: この蹴り方がいいんだよなあ。  R: 左サイドへ目の覚めるような展開。俊輔に頼りきってしまうのは問題なのだが……。

それにしてもやっぱりJ1の身のこなしは違う。相手の次のプレーを予測した体の動きが本当に上手いのである。
ちょっとの動きで相手を釣る、それを瞬間の判断でやるのだが、凄まじいサッカーの経験値を感じさせるプレーばかり。
特に三ツ沢だと、日産スタジアムではわからないようなテクニックがよく見える。本当に贅沢なサッカー観戦である。
わざわざ平日開催の三ツ沢の試合を観に来てよかったーと感動。ゴールシーンをはっきり見られれば言うことなしだったが。
あと気になるのは、中澤にイージーミスが目立ったこと。ヘッドで競り勝っていたのはさすがなのだが……。

  
L: 終盤、横浜FMはパワープレーを敢行。CKのチャンスでGK飯倉(左にいる黒い人)が競り合うが、ゴールを割れない。
C: 試合が終わってバックスタンドにやってくる横浜FMの選手たち。サポーターは監督の采配に不満を持っている模様。
R: 勝利の歓喜に沸く柏のゴール裏。柏は1stステージで14位と不調に終わっており、アウェイの勝ち点3に大喜び。

バスを待つのが面倒くさかったので、歩いて横浜駅まで帰る。が、途中からかなりの勢いで雨が降ってきて驚いた。
噂によると、この雨が横浜スタジアムで巨人のサード・村田のミスを誘発したとか……。キヨシ監督絶好調ですな。
暇を見て横浜スタジアムでベイスターズの試合も観てみたいもんです。すごい大人気らしいからなあ。


2015.7.14 (Tue.)

ふと中島敦を読み返してみたのだが、やっぱり面白い。なんだかんだで僕のいちばん好きな作家は中島敦かもしれない。
当然、中島敦との出会いは高校生のときだ。国語の教科書の『山月記』、あれで一気にやられてそのまま今に至るのだ。
(調べたら最近では高校2年の教科書で定着しているようだが、オレの記憶だと1年生でやった気がするんだけど。)

あるとき高校で読書感想文の課題が出て、それならぜひ『名人伝』で書いてみよう、と思った。
物語では紀昌がどんどんエスカレートしていくので、僕もそれを倣って「なぜ」と問題提起を繰り返していって、
最後に帰納法で結論をまとめる、という書き方をしたことを覚えている。具体的な内容はもう忘れちゃったけど。
国語科からのコメントは「面白い構成をしている」の一言だけでしたとさ。どの先生のコメントかは知らない。
『名人伝』の何が好きって、最後の一文なのだ。紀昌が行き着くところまで行ってしまったその「不射之射」の境地、
それをギャグとして笑い飛ばすのは簡単だが、邯鄲の人々はそうではない。画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、
工匠は規矩を手にするのを恥じる。その、究極の境地の価値を「わかっているところ」がすごくいいのだ。

『山月記』についてもこの際、書いておこう。日本の高校で『山月記』をやるというのはものすごく重要なことだ。
中学生では早いのだ。高校に入学したての連中に突き付けて、しっかりとそのプライドを折る通過儀礼が必要なのだ。
(昨今の無差別殺人の犯人どもは、ちゃんと『山月記』でプライドを折られとるんかいな、と思う。
 潤平は高校時代、同級生が『山月記』をマトモに読むだけの力がないことを深く嘆いていたっけなあ。)
臆病な自尊心と尊大な羞恥心が人を獣にするというあまりにも鋭い設定が、われわれにどれだけのエールとなっているか。
最後の一文の不自然さ、「再びその姿を見なかった。」がまた深い。読み手の多様な解釈をどこまでも喚起する。
文体を噛み締めて読んでみると、漢文の硬さとともに、非常に入り込みやすい口語が多く用いられていることに気がつく。
漢文からは格調とリズムを、口語からはストレートな感情を、そして物語全体からは皮肉と逆説によるリアリティを、
読み手は一気にぶつけられる。すべてがまっすぐというわけでないことと、しかし演劇のようになめらかな口語とに、
僕は中島敦の一種の「照れ」あるいは「若さ」を勝手に感じる。でもその「照れ」と、表現者ゆえの抑えきれない発露に、
最高級の共感を僕は覚えてしまうのだ。最高に頭のいい人が、最高にいいバランスで表現した、最高のエール。
こんな贅沢なものを高校時代に味わっておかないでどうする。『山月記』の「青さ」は永遠に古びることはない。

しかしながら『李陵』だけはまったくよろしくない。だってあれは、単なるシノプシスにすぎないから。
あれを作品として読んではいけない。中島敦はあのシノプシスをもとに、もっとデカいことをやろうとしていた、
僕はそう確信しているのだ。未完の原稿を完成品のように読むのは、作者に対して失礼なことでしょう。


2015.7.13 (Mon.)

今週をやり過ごせば夏休みに入るというのが信じられない。あと5日、金曜日までたどり着けばそこには天国が……!
実際には夏休みに入った瞬間に夏季学園という宿泊行事があるので(しかも自分が担当)、パラダイスはもう少し先だが。
まあとにかく、今週さえ、今週さえ乗り切ってしまえばいいのである。無難にやりきるぜー!!!!


2015.7.12 (Sun.)

こないだ洗足池まで行って千束八幡神社の御守を頂戴した(→2015.6.28)。でもよくよく考えてみたら、
もっと近所に神社っぽい場所があるではないか。「神社っぽい場所」というのは、神社か寺かよくわからないから。
せっかく天気もいいので、ちょっとご紹介。洗足池の水源として知っている人は知っている、清水窪弁財天だ。

  
L: 清水窪弁財天の境内。駐車場の奥がそのまま境内として整備されている。  C: こちらが弁財天の祠。鳥居があるね。
R: 境内の奥には摂末社と呼んでいいのか、複数の祠が並んでいる。水を求めてオナガアゲハがひらひら舞っていた。

「清水窪」というのがこの辺り本来の地名で、こちらの湧水のほかには小学校の名前として残っている。
わかりやすくていい名前じゃないのと思う。大岡山と清水窪。地形が圧倒的な説得力を持って見えてくる。
清水窪弁財天は北&西、東&南でずいぶん高さが違う。いちばん右の写真を見てのとおり境内の端は崖になっており、
祠たちはその崖にへばりつくようにして並んでいるのだ。この高低差があるからこそ、伏流していた水が出る。

 祠の奥にある滝。清水窪弁財天はこれだけ大岡山より低い位置にある。

境内のいちばん奥には滝があるが、こちらの水はポンプで循環させているらしい。でも今も確かに水は湧いている。
非常に湿り気の強い場所で、その分だけ木々も茂っている。しっかり窪地なこともあり、やや暗い印象がなくもない。
しかし宅地化しきっている周囲とまったく異なり、土地本来の記憶を深く刻み込んでいる貴重な場所である。

天気もいいし今日は日記を書きまくってやるぜ!と鼻息荒くあちこち動きまわったのだが……。
残念なことに自転車をめぐって不愉快なトラブルが発生。意図の見えないイヤガラセは非常に気持ちが悪い。
肝心の自転車じたいはいちおう無事だったんだけどね。ちょっとイヤな流れを感じるかなあ。


2015.7.11 (Sat.)

前任校との練習時代だったのだが、応援に来た生徒の母ちゃんとものすごい話し込んじゃったのであった。
兄は僕が顧問だった当時のサッカー部員で、弟も僕が異動した後にサッカー部に入っており、それでいらしたのだ。
話題はもっぱら兄の進路について。けっこう僕が言いたいことをズバズバ言わせてもらっちゃったのだが、
自分のためにも文字にして残しておきたいと思ったので、ここに概要を書いておく。失礼があったら書き換えます。

その兄は鉄道が好きで、僕が「乗りつぶしオンライン」を紹介したこともあって、そっち方面の雑談も多かった子。
彼は最初から高専を志望していたが、成績的には少し難しいかもしれないと僕はずっと思っていたのである。
しかし彼は見事に合格。それを聞いた僕は無神経なので「お前が合格するとは思わなかった」と言ってしまったのだが、
本音としては「オレの不安をお前は超えてみせたのだ!」という褒め言葉で、言葉足らずだったのが本当にスイマセン。
まあこれに関しては母ちゃんに「さすがに高専は見るべきところを見ているな、と思いましたもん」と言っといたけど。

兄は高専入学後も元気にやっており、具体的な違いはよくわからないけど、このたび進路を決める岐路に立ったようだ。
それでいろいろ悩みもあるようで、どうも母ちゃんは僕の意見も聞いてみたかったようなのだ。うっすらそういう感じがある。
しかし僕としては、彼が自分の意志でこの先どうにでもできるだけの力を持っているのをわかっているので、
「どっちを選ぶかについては、僕からは特にないです、それはもうお好きなように」と答えるのであった。
選んだ先でちゃんとやれるかがむしろ重要で、彼はちゃんとできる人だから、どっちを選ぼうとできますよ、と。
それでどっちの方が結果的により幸せになれるかはわかりません。ただ、こっちを選んだからより幸せになれるとか、
そういう単純な二択は存在しないと思います。この先も選択を繰り返していく中で、より豊かな選択肢を出せるようにする、
なんて言うのかそういう「引きの強さ」はすでに持っていると思うんで、僕は彼についてあんまり心配してないんですけどね。
……という無責任な発言ばっかりに終始していましたスイマセン。でもまあそれが本音ですので。ハイ。

こういう発言をしたときは、発言をする一方で「じゃあ自分はどうなのよ」を必ず振り返るようにしている。
自分も選択を繰り返してきたけど、どうなのよと。おそらく「もっと野心的にできた人生」があったと思うんだけど、
僕の性格的にありそうもない気もしているし、考えてもネガティヴになるだけなので呆けてごまかしている。
偉そうに他人のことを言える立場じゃないからねえ。自分のことは自分で決めるけど、自分で評価はできませんので。

で、練習試合はいいところが出たけどベストとは思えない内容。まだまだである。
とはいえ、成長が見て取れる瞬間というのはいいものだ。それだけで何杯もいけます、とメシを食っているなオレは。


2015.7.10 (Fri.)

久々に晴れたのはいいが、晴れたら晴れたで湿度がつらい。梅雨が明けきらない中での晴れ間はそれはそれでキツい。
以前は特に湿度というものを気にすることはなかったが、部活でサッカーをやるようになると、湿度が大変で大変で。
30を過ぎて「湿度がこんなにつらいものだったのか!」と実感するとか、どんだけ文化系だったんだよ!と今は思う。

それにしても、あと1週間で夏休みとか心の準備ができてないよ! ふだん抑圧(?)されている分、夏休みにはもう、
あんなことやこんなことをやってやるんだ!!と鼻息を荒くしているわけだが、いざ1週間前になっても実感が湧かない。
やりたことはいっぱいあるのだが、夏は短いのである。そういえば樋口師匠(→2014.9.29)はこうおっしゃっていた。
「我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である。」
まあどうせ部活と旅行と日記で終わるに決まっているのだ。そういう形の日常を享受できることを素直に喜ぼう。


2015.7.9 (Thu.)

戦後処理で区役所に行く。本来必要のなかったことなんだけど、僕の中できちんと結論を出したかったので。

できればどんなときもどんな人にも敵対的な態度はとりたくないに決まっているけど、僕は不器用な人間なので、
一定の限界を超えると「やるかやられるか」という姿勢で臨むことがある。この限界を自分でもつかめないでいる。
昔と比べると、気長な態度で接しすぎて自分が損をする、というパターンに寄ってきているのかな、と思う。
それはそれで人間的にはだいぶ穏やかになっているはずだが、やはり損をするのは本意ではない。後悔がすごい。
自分はいい人であろうとしすぎているのではないか、妥協して本質を曲げてまでいい人であろうとしているのではないか。
だから戦うべきときにはきちんと戦うべきではないかと反省もしている。けど、どうにもいい具合の限界がつかめない。

なんでそんなことを書いたのかというと、今回、結局、役所は役所なんだなと実感させられたからだ。
本当に見事に責任をとろうとしないんだよね。あれだけオレたちを苦しめておいて、ぬけぬけと。呆れるほどに。
相手の方が年上だし失礼のないようにとずっと抑えていたけど、抑えなかった方がよかったかなあと今は思っている。
オレはただ気持ちよく働きたいだけなんだよな。それをわかってほしかったんだけどね。ただそれだけどね。

でもまあ、相手から僕の本当に欲しかった一言は出たので、納得はしておく。心のナイフはしまっておくよ。
実際、「その一言が欲しかったんです」と言うことができたから。オトナのいい感じのバランスがまだまだ見つからないです。


2015.7.8 (Wed.)

梅雨があまりにも梅雨らしくて困る。異常気象まみれの昨今、それはそれで気象的には健全なことなのだが、
「晴れの日はもう二度と来なくなってしまうんじゃないか?」なんて妄想じみた心配をしてしまうではないか。
僕の中では高校1年だった1993年の夏、晴れることのなかった夏が、いまだにトラウマとして存在しているのだ。
とにかくああはならないでくれ、今年も楽しく旅行に行かせてくれ、そう願ってばかりである。


2015.7.7 (Tue.)

新国立競技場をめぐるトラブルが本当にみっともない。日本という国の醜い面を見事にさらけ出している。

すべての根底にあるのは、「他人の金はどうなろうと知ったことじゃない」という感覚だと思う。
日本の役人は汚職が少ないかわりに、税金を預かっているという責任感がとんでもなく希薄な国である。
たとえば消費税が8%に上がったとたん、待ってましたとばかりに役所という役所が競うように予算を上げてきた。
税収が上がっても支出はそのままに抑えます、という国士のいる部署はどこにもなかったのである。
そして今回の新国立競技場。オリンピックというエクスキューズを得て湧いてきたビジネスチャンスに対し、
既成事実をつくろうとまず既存の施設をぶっ壊したところで問題が噴出。早く建てないと間に合わないと焦り、
税金という「他人の金」の使い方をきちんと吟味することよりもメンツを優先している国、それが日本なのだ。
このことは、年金の運用をめぐるトラブルと根が同じだと言える。ひとつひとつは名のある個人のお金だけど、
集めれば匿名性が生じて顔が見えなくなる。そうなると「単なる他人の金」で一括りにされ、雑に扱われてしまう。
個のレヴェルを超えて金額が大きくなって判断の規模も大きくなると、日本では急に別の意志がはたらき出すようだ。

公共団体に個人から金を集めて使う権限があるとすれば、そこには当然、責任というものが発生するはずなのだ。
しかしこの責任、責任感があまりにも希薄なのである。封建時代を引きずった感覚で、民主主義が未熟だと言える。
日本人は、個人と集団の境界線の引き方、そして集団の意志のコントロールのやり方が非常にヘタクソだと思う。
これは戦前とまったく同じで、「集団の意志は個人の意志よりも正しいはずだ」という不文律がまかり通っていて、
集団をコントロールする責任者の姿は見えないくせに強大な権限を行使し続ける、という困った国民性が存在している。
それで結局、集団が間違った方向性に走っても、誰も責任を取ることなく軌道修正できないまま破綻するのだ。
国民全体が個として弱いお子様だから、家父長制をとるのだ。そうして天皇制に寄りかかり、アメリカに寄りかかり、
責任をとれる個が育たないままで他人のせいにしてやり過ごしている。そう何度も都合よく神風が吹くと思うなよ。
無邪気で素直なのは日本人のいい点だが、そろそろきちんと自分たちの困った国民性を見直すことをしたらどうだろう。
夢中になって近所の国々をバカにして喜んでいる暇なんてない。気高くあるためには、まず自らを律すべし。


2015.7.6 (Mon.)

カナダで女子W杯が開催されていたわけですが、なでしこは残念でございました。
序盤から立て続けの4失点に、本気の本気で来たアメリカの恐ろしさをまざまざと見せつけられた。
世間では当たり前のように決勝に進出したという感覚がありそうだけど、実際には非常に難しいことだと思う。
そこで満足しちゃいけないんだけどね、でもアメリカの本気の本気っぷりは、もうなんというか別次元。
日本国内の女子サッカーをめぐる環境は依然厳しいものがあるし、世界は世界でアメリカが別次元の強さだし、
正直なかなかポジティヴになれる要素が見つかりづらい状況である。それでもコツコツやっていかないといけなし、
われわれも諦めずにできる支援をやっていくしかないのである。とりあえずは本当にお疲れ様でした。


2015.7.5 (Sun.)

午前中に髪を切って、午後は検定の二次試験を受ける。やっぱり準備不足で、なかなかの玉砕ぶりだった。
何も準備をしないでなんとかなるほど世の中は甘くないのである。あらためてその絶対的事実を思い知らされたなあ。

帰ってスマホの機種変更をしてみたけど、結局安いんでiPhone 6になった。5よりも変にデカくなったのが気に入らない。


2015.7.4 (Sat.)

音質というものについてちょっと考えてみたい。

先日、T-SQUAREの『T-SQUARE 35th Anniversary THE BOX 2013』を再販売で運よく購入することができた。
「おいお前、こないだ似たようなベスト盤を買ってなかったか!?」と思ったアナタは鋭い。まあ覚えちゃおらんわな。
そう、私は2年前に『The Box』という全44枚組のCD(うちDVDが1枚)を中古で買っている(→2013.11.12)。
(余談だが、「square」が「box」ということで、2次元を3次元化したタイトルがたいへん気が利いていてすばらしい。)
で、何が違うって、2013の方はDVDを入れて55枚組となっているのだ。さらにいろいろな音源がプラスされている。
しかもそれだけではない。『The Box』がBlu-spec CDであるのに対し、2013の方はBlu-spec CD2なのである。
つまり、音質が向上しているという話なのだ。実際のところ、Blu-spec CDやBlu-spec CD2が本当に高音質なのかは、
人によって評価がまちまちである。デジタル信号の読み取り精度が増しても音質が良くなるわけない、という意見もある。
しかし、僕個人の感想としては、2013の方が「明らかに音質が良くなった!」と感じている。その根拠を考えてみたい。

僕が初めてBlu-spec CD2を聴いたのは、すいません、『THE IDOLM@STER』のベスト盤です。
まあちょいと借りてみるかと思って軽い気持ちで聴いてみたら、その音質に腰を抜かさんばかりの驚き方をしてしまった。
思えば椎名林檎のCDってかなり音量強めにレコーディングされているのだが(DAWで録音してみると一目瞭然だが)、
あのときの衝撃に近い。一音一音が強いんだけど、音が割れることなく響いている。今まで聴いたどの曲にもない迫力で、
なんじゃこりゃ?と目を白黒させたものである。以来、Blu-spec CD2の音質には一目置いているのであります。

さらにすごい音質ということで、すいません、シンデレラガールズの『Star!!』のシングルを買っちまったんですよ。
こいつの初回限定版についているBlu-ray Disc Audio、まあ要するにBlu-rayで音楽を聴くディスクなんですが、
それを再生してみたらもう、ああなるほど音質ってのは突き詰めると5.1チャンネル、つまりヘッドフォンから離れて、
より臨場感を求めてルームシアター方面へいくんだなと。耳だけでなく全身で聴くようになるんだなと。
その端緒を理解してしまったわけです。当然、そこまでは追求できないわけで、自分としてはどこまでで満足するのか。
そういうレヴェルの問題まで、いちおう音質の究極とは何かをうっすらと体感はしたわけなんですね。

さて話を戻して、音質とは何か。これを上記の経験をもとにして、自分なりに言語化してみようというわけだ。
まず「リマスタリングして音質が向上しました」というのはよく聞くが、具体的に何が向上したのかというと、
それは「音の『解像度』」だと思うのである。画像でいう解像度、それが音で実現されている、ということ。
(最近注目されているハイレゾ音源の「ハイレゾ(high-resolution)」とは、まさに的確な表現なのだ。)
たとえばBlu-spec CD2『T-SQUARE 35th Anniversary THE BOX 2013』で何が決定的に異なるかというと、
「ベースの音のわかりやすさ」なのだ。ベース本来の響き方が細部まで聞こえる(これもそうだな →2013.3.4)。
僕は個人的に「音の粒立ち」と表現しているのだが、つまりは各パートの「解像度」ということになると思う。

だがもうひとつ、音質を左右する要素がある。それは音圧だ。音圧が高いと、音質が良いと感じるところはあると思う。
なんせ音は空気中を振動して進む縦波なので、再現された物理的衝撃がリアリティとして受け止められるはずなのだ。
たとえばFC版の『グラディウスII』(→2012.3.29)の何がすごいって、音圧である。リズム系の音圧が段違いだ。
何をどうやっているのかわからないけど、使っているのは同じ内蔵音源のはずなのに、一音一音の迫力がまるで別モノ。
さっきの全身で聴くルームシアターもそういうことだと思う。物理的衝撃波としての音というリアリティの再現。

ほかにもさまざまな要素があるはずだろうが、とりあえず「解像度」「音圧」の2点が大勢を占めていると思う。
「解像度」はソフトの精度(情報量)で決まり、「音圧」はハードの精度により再現される。音質はその掛け算、ってことだ。
もちろん個人の好みによる差が大きいことなので、絶対にこの意見のみが正しいと主張するつもりはないが。
高音から低音まで満遍なく鳴らしきる性能があって、音圧の再現度合いが高い、そんなスピーカーやヘッドフォンなどは、
「音質がいい」とされるのだろう。低音は周波数が小さいので、振動数が減るってことだ。つまり変化を捉えにくくなるので、
高音よりは低音の方が聞こえづらいということになるのか。となると、「低音に強い方が高級」という価値観になるのだろう。
したがって低音を利かせて音圧たっぷりに仕上げると、われわれは音質がいいと感じやすくなる、と思われる。さすがBOSE。

なんだか当たり前のことを確認しただけのような気がするが、とりあえずそんな結論でいかがでしょうか。


2015.7.3 (Fri.)

セ・リーグ全球団が借金だと!? ヤクルトが史上初の「借金で首位」だと!? ……もう何がなんだかである。
これも交流戦でパ・リーグにやられまくった影響かつ今年のセ・リーグが史上まれにみる大混戦である影響によるものだが、
それにしてもそんなオモシロ事態が現実に発生してしまうとは驚きである。なんだかんだでプロ野球はやっぱり面白い。


2015.7.2 (Thu.)

休み時間が終わって授業が始まる前、「先生は彼女とかいるんですか?」と書いた紙を集団で渡してくるのはいいが、
その紙が明らかに「コックリさん」をやった後の紙というのはどうかと。いくらなんでもギャグとして面白すぎるだろう。


2015.7.1 (Wed.)

よりによってメシ時に下敷きの贈呈式が行われるとは……。何の下敷きかって? こじはるだよ、こじはる。
「AKBならこじはる一択だろ(→2011.9.3)」と生徒にも言っていたら、3年生女子がこじはる下敷きを持ってきた。
ランチルームに集まっている公衆の面前で「まっつん、大好きなこじはるあげるー」ですよ。おいおいおい、ここでかよ!
AKBということで、ライバル関係にある長野県出身のあの娘の視線が痛いです! でもその視線がまたイイのーとか言って。
(後で「いや、一番は舞美だ」と正直に言ったら、それはそれで視線が痛かった。でもその視線がまたイイのー。)

さすがにメシ時はねえだろう、ということで、食べ終わってランチルームを出て、職員室へ行く前にトイレに寄ったら、
なんとこのタイミングで下敷き女子が「贈呈式がしたいんです! マツシマ先生はどこですか!」と仲間を引き連れて参上。
結果、私はトイレに籠城を余儀なくされたのであります。これは鳥取城の逆パターンなのか!と呆れる私。
(いや、あっちはぜんぜん笑いごとじゃないけど。あまりに凄惨なので日記でも詳しくは書いていない。→2013.8.22
時間が経てば諦めるんじゃないかと高をくくっていたのだが、下敷き女子たちが撤退する気配はまったくなく、
5時間目の予鈴というゴングが鳴って開城降伏。「トイレにずっと籠っているなんて、非常識じゃないですか!」
「男子トイレの真ん前で聞き耳たてて待ち構えている女子たちは非常識じゃないというのか!?」ってな具合。

そんなわけで私の机の上では、今もこじはるが微笑んでいるのであります。セクシー


diary 2015.6.

diary 2015

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