diary 2022.5.

diary 2022.6.


2022.5.31 (Tue.)

体育祭が延期でテスト返しなのであった。記述問題の出来栄えをもとに檄を飛ばしまくる。

地理の授業ではオンライン授業の要領で生徒のスマホに写真を提示することやってみた。わりとうまくいった感じだが、
もともと興味のない生徒にはイマイチな気配も。社会は興味関心がそのまま成績に反映されるからね、しょうがないね。


2022.5.30 (Mon.)

毎日きちんと2回ずつ苦しんでいるバス酔いの件だが、音楽を聴いていると比較的酔いづらいことが判明。
おかげでコーラは飲まず、ひたすらにイヤホンで音楽を再生して没入することでやり過ごしております。


2022.5.29 (Sun.)

サントリー美術館『大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―』を見てきたよ。
こないだの北斎館(→2022.5.14)のチケットを提示したら200円引きなのであった。ありがたいことです。

予想していたとおりの混雑ぶりだったが、行列はわりと序盤の版画に集中している感じか。
中盤辺りの展示からはそんなにフラストレーションを感じることなく見られたのでよかった。
内容は還暦までをかなりあっさりで済ませ、北斎の全盛期に集中するスタイル。サントリー美術館らしい手際のよさだ。
『冨嶽三十六景』『諸國瀧廻り』『諸國名橋奇覧』などの傑作が並べられているが、さすがの大英博物館ということで、
どれも刷りのクオリティが非常に高い。じっくり眺める余裕がないのが残念だったが、まあこれはしょうがないか。
終盤には肉筆画が登場して、この辺りになると混雑もかなり解消されて、それなりにじっくり堪能できて満足である。

しかしまあ、何をどう描いても傑作になってしまう領域に思えて恐ろしい。たとえば『胡蝶の夢図』なんか、
荘子の服は濃く太くがっちりと描いているのに対し、荘子の顔は薄く柔らかくと描き分けている。彼の頭上で舞う蝶は、
少し大雑把なタッチ。そうして荘子がいま現実か夢の中か曖昧な状態にいることを表現している、と解釈できるのだ。
こういうことをさらりとやっているように見えてしまうのがねえ。本当に恐ろしい画家、恐ろしいジジイである。


2022.5.28 (Sat.)

『映画 五等分の花嫁』を見てきたのであった(マンガについてのレヴューはこちら →2020.11.20)。
いちおうアニメも無料動画でチェックしたが、マンガと大して変わらないのでレヴューは書いておりません。

感想は特にないです。もともとがかわいい女の子の絵を楽しむマンガであり、ストーリーがキレているわけでもない。
原作どおりの展開で、きれいな絵が動いてよかったね、くらいしかない。いやもう本当にそれだけ。

ではなぜわざわざ映画館まで見に行ったのかというと、原作と違うエンドに一縷の期待を寄せていたからであります。
もし事前の予告なしに原作とは別の相手を選んだら、これ、ものすごい祭りになるわけですよ。それが見たかった。
で、ギャルゲー的マルチエンディングで次は誰の番だ?──なんてやれば、ぜんぶで5回分儲かるわけですよ。
相手を選ぶまでのプロセスはできるだけ簡略化して(だって原作のストーリーがつまらないんだもん)、
ヒロイン固めて付き合ってからの機微をじっくりやれば、そうとうな支持を再び集められるんじゃないか。

でもおそらく作者はそれを望まないんだろうなあと思いつつ、原作どおりに進む展開を眺めるのであった。
この作品は先に結婚というゴールが設定されていて、結婚とはいいものだという作者の古き良き(?)信念があって、
そこにまっすぐ向かっていく。五者五様の結婚へのプロセスを描けるほどオトナではないわけですなあ。残念残念。

オトナ二乃がたまらんでした、ハイ。


2022.5.27 (Fri.)

現実逃避で夏休みの計画を考えはじめる。夜行バスの運休がまだまだあるのがつらいところ。


2022.5.26 (Thu.)

本日は歴史総合のテスト。6クラス240人分という量は予想以上に凄まじい。記述問題は10問に絞ったが、
この程度ならなんとかなる感じ。むしろマークシートの採点の方がかなりつらい。画面を見すぎて目がシパシパする。
それにしてもやはり、記述問題は誤答の仕方でどれだけ真剣に取り組んだかが丸わかりになって面白い。


2022.5.25 (Wed.)

地理のテストでマークシートをやってみた。機械で読んだものはExcelに数字として落とし込まれるだけで、
正誤判定まではやってくれない。結局はExcel上で手作業の嵐となるわけで、それなりに手間がかかる。困ったなあ。



2022.5.20 (Fri.)

「今の常識に囚われない」という点で、歴史は想像力のいいトレーニングになるかもしれない、と思う。

授業をやっていると、生徒が現在の感覚を歴史に持ち込んでいるケースによく出くわす。
「スイスといえば?」と訊くと、「永世中立国」という答えがまず返ってくるのである。真面目だねえ。
しかしそれ以前に山で牧畜だろう、と私は言いたい。そこから出稼ぎの傭兵という事実を導き出してほしいのだ。
傭兵の活躍によりスイスの国際的地位が上昇して、1648年のウェストファリア条約で正式にハプスブルク家から独立する。
そういう経緯を経て1815年のウィーン会議で永世中立国となるわけで、時系列に沿った因果関係を考えてほしいのだ。
いつから今のような姿になったのか、それ以前はどんな姿だったのか、歴史ではつねに想像力が問われている。
できるだけ正確に想像力を駆使するためには、どうしても知識が必要だ。そのことを痛感させられる日々である。
確かな知識を仕入れるためには現地へ行って空気を肌で感じるのが一番で、本を読むのもまた有効である。
そのふたつが圧倒的に足りないなあと思いつつ、できる限りで想像力を高めながら、今日も歴史の授業に向かう。


2022.5.19 (Thu.)

テスト問題が仕上がったので印刷。歴史総合の6クラス分は凄まじい分量で、冊子を組むのにてんてこ舞い。
この作業だけでかなり時間を取られた。昨年度はだいぶ楽な環境だったんだなーと思うのであった。


2022.5.18 (Wed.)

阿武隈急行が6月下旬に全線再開、さらに只見線が10月1日に全線運転再開とのこと。うれしいニュースである。
これで福島県の行きたくても行けないというジレンマがようやく解消された感じである。行くぞー!


2022.5.17 (Tue.)

武蔵溝ノ口駅の改札向かいではよく地方名産品を売っていて、これが危険である。
この前は沖縄、今回は東北で、吸い寄せられては何かしら買ってしまう。まあそうは言っても、一人暮らしだと、
量の関係で買わない(買えない)食品がほとんど。しかしお菓子方面は職場で消費するのでついつい買ってしまうのだ。
かつて旅先で見た物があると、うれしくなってしまってねえ。武蔵溝ノ口駅付近が関所に思える今日このごろ。


2022.5.16 (Mon.)

夜行バスで東京に戻ると、いったんヒゲを剃ってから出勤する。われながらようやるなあ、と思う。
放課後はひたすらテストづくりだが、Photoshopの切り抜き具合が不調。時間があるときインストールし直すか……。



2022.5.13 (Fri.)

地理のテストづくりはスキャナが大活躍である。いざやってみると各種画像を処理する手間が多いので、こりゃ大変。
まあ確かに、Illustratorでテストをつくる自分には向いているといえば向いているのだが、作業量がとにかく多くて困る。
何回かやっているうちに要領がつかめてくるんだろうけど、今はまだつらさが勝っている。試行錯誤しておきましょう。


2022.5.12 (Thu.)

iPod touchが製造終了とのこと。これにより、Appleがポータブルオーディオプレイヤーをつくることがなくなった。
2005年にiPodを購入して以来(→2005.1.22)ずっとお世話になってきたが、また一歩未来は形を変えるということか。
(iPod関連の過去ログ:→2005.4.292006.2.82007.1.42009.12.212014.9.102017.4.202018.12.3
世間の皆様の音楽事情はスマホでクラウド化しているということだろうか。ネット環境のないところだとどーすんの?
いや、これは本当に分岐点である。iTunesとiPodの組み合わせが非常に便利でそれ意外の選択肢がない状態が続いたが、
それが失われるとなると、これは本当にダメージが大きい。自分の音楽を聴くスタイルを根本的に変える必要がある。
とりあえず予備のiPod touchを買っておいて、最低でも今後5年くらいは今のスタイルを維持するようにするか……。
すべての音楽を持ち運べるiPodは革命そのものだったが、今後の動きは自由を制限する方へ邁進しているとしか思えない。


2022.5.11 (Wed.)

ダチョウの竜ちゃんこと上島竜兵が亡くなってしまった。職場のパソコンで知って、思わず声が出てしまって、
しばらく椅子に寄りかかって頭を抱えてため息をつくくらいショックだった。この訃報は本当に、本当に受け入れがたい。

まあやはり、スーパージョッキーやお笑いウルトラクイズ、あとはものまね王座決定戦の頃から見ていたわけで。
当初は若手の賑やかし枠で、ものまね王座決定戦では特にその役割が顕著で、この時間はそれなりに長く続いたと思う。
しかし竜ちゃんの山城新伍のものまね辺りから潮目が変わり、ドリカムのものまねで彼らの芸の方向性が見えた気がする。
(3人のうち誰か1人がすごく似ていて、1人がよく似せてあって、1人が完全なるオチ担当。絶妙なバランスである。)
最終的には納得の優勝までしているし、ダチョウ倶楽部の芸が研ぎ澄まされていく過程をわれわれは見ていたのだ。
そこからさらにダチョウ倶楽部はバラエティのお約束を伝統芸に昇華させていく。歳をとるたび面白くなっていく。
ダチョウ倶楽部の芸は、誰でもできて、しかもきちんとみんなが盛り上がることができる、ものすごく稀有なものだ。
でもどうやってもいちばん面白いのは、ダチョウ倶楽部の3人なのである。彼らのお約束を見るたびにほっこりする。
その本家が見られなくなったこと、そして彼らの芸をやるたびに淋しい思いを抱えてしまうことが、どれだけつらいか。
竜ちゃんという心優しい芸人がいなくなっただけじゃない。彼らの開発した僕らみんなの伝統芸まで失われてしまった。

人間は事象に対して意味を見出さないと納得できない性質を持っているので、この件についても解釈が語られている。
実際のところは竜ちゃん本人に訊いてみないとわからない。もしかしたら本人もうまく説明できないかもしれない。
だから手元にはすべての可能性が残っている。コロナで彼らの伝統芸が奪われた、というのが今のところよくある言説だ。
いちばん厭な可能性は、還暦を過ぎた芸人としての自分と本来の「上島龍平さん」との乖離に耐えられなくなった、
という言説。本来、他人を自分の思いどおりにすることは決してできない(→2021.5.16)。しかし芸能人とは、
人格を他者に委ねることで成立する商売である(→2013.3.20)。もしそのことに耐えられなかったのだとしたら。
僕らの大好きだった上島竜兵というキャラクターを、演じていた本人が死を選ぶほどに肯定できていなかったとしたら。
絶対にそうではないと信じたいけれども、その可能性が残ってしまったことが、僕にはいちばんつらいのである。
もっともっとジジイになっても元気にバカバカしいことをやっている竜ちゃんが、お約束をさらに高める竜ちゃんが、
これからも見られると固く信じていたから。ダチョウ倶楽部は歳をとって、もっともっと強烈に面白くなるはずだった。
それが究極の形で否定されてしまったんだ。失望、いや絶望、そういう種類の感情が僕の中で渦を巻いている。

僕は今さら芸人になれないが、歳をとっても元気にバカバカしいことをやっているジジイになりたい。竜ちゃんの分まで。


2022.5.10 (Tue.)

週末に軽く買い物に出た際、駅で沖縄物産展に出くわした。それで思わず買ってしまったのが、ボンタンアメのセット。
いや、ボンタンアメは鹿児島名物なのだが、シークワーサーアメとパイナップルアメと紅いもキャラメルが付いていて、
それらが沖縄限定品なのである。で、これがまあおいしゅうございまして。特に紅いもキャラメルが最高なのである。
そういえばだいぶ前にマサルがお土産で買った紅芋タルトを気づいたら機内でぜんぶ食っていた、という話をしていたが、
今になってその気持ちがよくわかる。紅いもキャラメルの派手ではないが優しい甘さに癒されてしまうのである。
宮古島市役所と石垣市役所に行けるのはいつの日か。とりあえず紅いもキャラメルを甘噛みしながら妄想するのであった。


2022.5.9 (Mon.)

評判のいいアニメ『宇宙よりも遠い場所』を見てみた。先月、館林を訪れた際には聖地となっており(→2022.4.9)、
駅にはスタンドポップが、茂林寺にはファンブックが置かれていた。気になってパラパラとめくってみたのだが、
脚本に「花田十輝」の名前があり、こりゃダメだと認識。結論から言うと、まさにそのとおりの不快なアニメだった。
このアニメを褒める人は、何も考えていない人だと思う。考える力がなく、お涙頂戴の安い感動に絡み取られてしまう。
なぜ評判がいいかまるで理解できないが、単細胞なアニメファンには物の良し悪しがわからないのだろう。哀れなものだ。

僕がここまで酷評する理由は、「女子高生が南極に行くこと」をすべてに優先させて現実を捻じ曲げていること、
それに尽きる。このフィクションを成立させるため、南極をめぐるあらゆる現実が犠牲となっている。それが許せない。
実際のところ、女子高生が南極に行くことは絶対に不可能だ。ところがそのフィクションを成立させるためだけに、
現実が大幅に捻じ曲げられている。確かに初代しらせはウェザーニューズに売却されたが、船橋港に係留されたままだ。
それが南極を目指すのは許容範囲にしても、昭和基地の民間払い下げはありえない。一度ついた嘘はどんどん連鎖して、
物語のリアリティを遠慮なく奪っていく。そうして、南極をめぐって実際になされた努力が相対的に軽くなっていく。

南極をめぐる現実は、苦難に挑戦する人々の歴史である。これはちゃんと描くと、非常に地味な話になってしまう。
責任ある大人の地味な仕事が物事を支えているから、そうならざるをえないのだ。卑近な例で申し訳ないが、
僕は旅行の日記を書くとき、実際には大半を占めるつらい移動の時間を、他人が読んでもつまらないのでカットしている。
でも本当はその時間がないと、旅行は成り立たない。冒険の本当の価値は、地味な仕事を着実にこなす点にあるものだ。
スポーツや音楽で、延々と練習をした末に感動があるのと同じだ。そのつらい時間を青春や成長の根拠として描くことが、
本物の感動につながるのである。キャラクターの努力を視聴者の努力に重ねられるからこそ、作品に感動が生まれる。
しかしこのアニメはそこをすっ飛ばして、人間関係の乱高下でごまかしている。そんなものは偽物の感動でしかない。
結果、南極を目指す大人の地味で着実な努力は、安易に差し込まれる人間関係ドラマの前に矮小化されてしまっている。
そもそも、動機付けとして南極での人死を設定すること自体、神経を疑う(実際にあったが、1960年代のことである)。
これもまた、南極をめぐる現実・努力への冒涜である。安い感動のために高尚な現実をねじ曲げる姿勢には反吐が出る。

冷静に考えると実は、舞台が南極である必要などないのである。むしろ完全にSF、月面などを舞台にする方が自然だ。
月面で消息を絶った母親を追いかけたい女子高生と、彼女と意気投合した女子高生たち。それで何も問題ないはずだ。
現実を徹底的に捻じ曲げてまで、好き放題に改変してまで、南極にこだわる必要があったのか? 僕にはわからない。
「女子高生が南極に行くこと」、ただそれだけの話題性のために、南極をめぐる現実・努力を貶める意図がわからない。
そんなものを理解したくもない。偽物の南極に、偽物の感動。それで喜んでいるような連中と同類になんてなりたくない。

しかしまあ、ヘスティアと一花と高山マリアと楓さんが会話しているみたいでしたなあ。別にいいけど。


2022.5.8 (Sun.)

夢のようなGWの日々も今日で最後である。期間中に軽い買い物はしたが、見事にどこにも出かけないで過ごした。
レーニンは「勉強して、勉強して、勉強しろ」と言ったそうで、オシムは「走って、走って、走れ」と言った。
こうなると自分はもう完全に「日記書いて、日記書いて、日記を書け」である。それでもまだ膨大な負債が横たわる。
収穫としては、いくら旅行をしても、いくら作品に触れても、それを日記でまとめなけりゃきちんと締まらない、
そういう感覚が当たり前のものになってきたことか。つねに感性と頭を働かせる習慣はできてきたかなと思う。
あとはその精度を上げていくことが重要なのだ。勉強して、走って、日記を書く。ひたすらその繰り返しですなあ。


2022.5.7 (Sat.)

今日も今日とて日記であります。髪の毛切ったり御守の整理をしたりもしているんだけど、あとはひたすら日記。
想定していたよりも進みが悪くて苦しみながらも、今日は相馬へ行ったときの分(→2019.4.7)をどうにか書き終えた。
苦しんだ分、けっこう社会学していると思う。理想は、和辻哲郎『風土』の感性なのだ(→2008.12.28)。がんばるのだ。


2022.5.6 (Fri.)

GW中の平日である本日は校外学習なのであります。こどもの国で高校1年生のお相手。
字面だけ見るとなんか矛盾している気もするが、そういうものらしいので納得しておくのである。
ちなみに生徒から「先生、こどもの国の主権を持っているのは誰ですか?」と質問があったので、
「あー東急東急」と答える私なのであった(本当は「社会福祉法人こどもの国協会」が正解)。

もともと弾薬庫だったことは知っていたが、実際にこどもの国に来るのは初めてで、すべてが新鮮。
基本的には子どもを遊ばせる公園なのだなと認識。神奈川県民の皆様にはかなり評判がいいようだ。
本日はサッカー場を借りきっており、午前中は各種レクリエーション。ウチのクラスは整列するのは抜群に早いが、
お人好しすぎて勝負には弱いのであった。うすうすわかっちゃいたが、はっきり形になって見えた感じである。
教員が出題する自分についての○×クイズがあり、「オレは『ドラえもん』の単行本を45巻ぜんぶ持っている」
という問題を出題したのだが(正解は○)、間違えたのは勝負に出た2人だけですぜ。オレ、そんなにわかりやすい?

カラスがメロンパンを奪って飛んでいくトラブルもあったものの、無事に校外学習は終了。お疲れ様でした。
溝の口の無印良品で買い物をして帰る。家に荷物を置くと、カフェに行って日記を書いて晩メシ。うーん、GW。


2022.5.5 (Thu.)

うおおおお日記が好調すぎてテストづくりに入れねー! でも日記は中身が濃すぎてぜんぜん進まねー!
ゴールデンウィーク最高! 人混みはイヤだけどずっと休みって最高! 働きたくない! 現実に戻りたくない!


2022.5.4 (Wed.)

今日は日記と部屋の片付けというかゴミ選別作業に撤するのであった。
抜群に天気のいい日に出かけることなく作業をする背徳感よ。世間が浮かれているときにどこにも行かず、
断固たる決意でもって自分のやるべきことをやる。たまにはそんな日があってもいいじゃないか(コロナ対策もある)。

そしたら夜になって、大木さん率いる熊本がJ2で無敗の首位・横浜FCに土をつけた、というニュースを見つけた。
三ツ沢での試合だったのに、まったく気づかずに見逃してしまっていた……。あああああ! しまったああああ!
いや、今月は完全に信州ダービーのことしか頭になかった。また熊本が近場に来るときに行けばいいかと思うが、
期待して行くと大木さんのチームはいいところなく負けちゃうんだよなあ。うーん、これは悔しい。全力でがっくりだよ。


2022.5.3 (Tue.)

朝から晩まで日記を書いたり写真の調整をしたりで本当に一日ずっと日記関連の作業をしていたのだが、
GWということでさすがにちょっともったいない、という気持ちも正直ある。でも日記の負債についての申し訳なさで、
まとまった時間がとれるときに書きまくらなくては!という気持ちの方が強い。はい、罪悪感を原動力に書いてます。


2022.5.2 (Mon.)

イヴィツァ=オシムが亡くなった。

僕がどれくらいオシムすげーと尊敬していたかはこの辺(→2006.6.242014.6.222020.10.28)を見てもらうとして、
(日記では書いていなかったが、サッカー部顧問として、オシム率いる千葉の練習を収録したDVDを買っている。
 あと実際にオシムの多色ビブス練習をやってみて「頭がクルクルパー状態」になったこともあったっけ(→2013.2.27)。
 そういえば日本代表監督に就任して最初の代表メンバーに北海道出身の山瀬と沖縄出身の我那覇を招集し、
 日本全国の選手を見ているぞ、というメッセージを送ってみせたのも、個人的にはかなり凄みを感じたことだ。)
そりゃもうショックである。まあ純粋な衝撃度で言えば日本代表監督在任中に倒れたとき(→2007.11.16)が最大だが。
最近は体調を崩していたという話もあったし(ネットに出る電話インタヴュー記事には必ず目を通していたのだ)、
その日が来るだろうという覚悟もうっすらしていたが、こんなに早く訃報を聞くことになるとは思わなかった。

いちばん悔しいのは、オシムが指揮する千葉の試合を観戦できなかったことだ。スタジアム観戦はもちろん、
テレビ観戦すら1試合もしていない。当時はJリーグを観る習慣がなく、月イチ観戦はサッカー部顧問になってから。
そうしていろんな試合を観ていく中で、オシム時代の千葉の試合がある種の「伝説」として存在感を増していったのだ。
「賢く走る」「危険なサッカー」をこの目で確かめることができなかった、それが悔しくて悔しくてたまらない。
オシム率いる日本代表が南アフリカW杯で躍動すると信じていたから、僕はそれでいいやと完全に油断していたのだ。

ネットに上がっているダイジェスト動画を見てみた。空いているスペースにどんどん選手が入り込んでいくのが特徴で、
ダイレクトプレーで相手より先に動いて主導権を握ることを好むようだ。また、3人目の動きで点を取るシーンが目立つ。
全体的にボールへの反応が早く、「技術で上回るというよりは判断で上回るサッカー」とまとめることができそうだ。
味方がボールを奪った瞬間には周囲が切り替えて動き出しており、考えながら走るサッカーが確かに実現されている。
一方で、出入りが激しいというか、けっこう失点しているところは少し気になる部分だ。守備の構築は苦手だったのか。
あらためて、90分を通しての駆け引きをぜひ見たかったと思う。「伝説」を日常にしていた人たちがうらやましい。

知性をもってサッカーを語るオシムが亡くなった喪失感は、頼れる父を失ったということか(→2010.2.32015.10.21)。
かつてオシムは日本のサッカーの「日本化」を掲げた。それはおそらく、「自立」を意味する言葉であるだろう。
オシムがいなくとも自らの力でサッカーを進化させること。まさに今が自立するときなのだ。ありがとうございました。


2022.5.1 (Sun.)

午前中は荷物の受け取りと御守の撮影。毎度おなじみ録画しておいた『タモリ倶楽部』を見ながらの撮影で、
うっかり発売開始時刻を忘れていたが、信州ダービーのチケットを無事に確保することができた。よかったよかった。
これにより今月の長野旅行が確定したため、GWの後半はテストづくりに専念しなければならない状況となった。
本当は倒れるまで日記を書きまくりたかったのだが、そちらはよくて通常ペースになりそう。すいませんね。


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