♪オレを旅行に行かせろー オレはいつでも役所にこだわーるぜー♪(筋肉少女帯『日本印度化計画』の替え歌)
というわけで、2週連続の旅行なのだ! 文句あるか! どうせどっちも1泊だ、そんなにガタガタ騒ぐようなこっちゃない!
……ってな感じに自分で自分に言い訳をして、夜行バスを降りる。イヤな予感はしていたのだが、やはり雨だった。
終点へと向かって走り去るバスを見送ったところで、周りを見回す。うーん、何もない。
観光案内所の脇につくられたバス停に僕は立っているのだが、当然、朝早くて案内所はまだ開いていない。
雨のせいで空は薄暗く、アスファルトやその脇の草たち、住宅の塀、すべてが濡れて元気がなく見えてしまう。朝の7時半過ぎ、僕が降り立ったのは二見浦表参道バス停留所だ。二見浦は著名な観光地ではあるものの、
さすがにこの時間にこの雨では訪れる人もいないと思われる。聞こえるのは折りたたみ傘を叩く雨の音だけ。
せっかく旅行に来て乗り物を降りたところで雨、というのは、いきなりビンタを食らったような気分になる。
でもネガティヴな気持ちに染まってしまえば行動範囲が狭くなり、旅行を存分に楽しめなくなってしまう。
できるだけ心を落ち着かせ、二見浦に向けて一歩を踏みだす。とにかく、歩きだすことだ。二見浦への表参道は、見事に昔ながらの旅館が軒を連ねている。旅館だらけなのだ。古い建物のままのものもあれば、
鉄筋でちょっと規模の大きいものもある。夫婦岩の間から昇る太陽を撮影する客が多く訪れるんだそうで、
それがこの旅館の数につながっているのだろう。これだけの密度で旅館が集まる地方の観光地は珍しい。
そうして旅館通りを抜けると、左に曲がって道はさらに海へと近づいていく。適度な狭さに土産物店が並ぶ。
もちろん朝早すぎて営業していないのだが、規模は小さいながらも昔ながらの雰囲気で商売を続けているようだ。
そこを抜けると、左手に堤防越しに海を眺める松の並木道となる。ここが、二見浦というわけだ。松並木の間に、実に立派な木造建築があった。「賓日館(ひんじつかん)」という名前がついている。
これは皇族などVIP向けの宿泊施設として1887(明治20)年に建てられた旅館なのだ。さすがに風格が違う。
現在は資料館となっているのだが、当然、今の時間には開いていない。これはぜひ中身を見たいなあ、と思うが、
どうしょうもないので先へと進む。ぜひいつか中に入って、内装をじっくりと味わいたい建物である。
L: 二見浦へと向かう参道。周辺にはとにかく旅館がいっぱい。宿泊しないと味わえない名所ってことなんだなあ。
C: 賓日館。2010年に国の重要文化財に指定された。これはぜひ、中に入ってみたい建築だわ。
R: 堤防に上がって眺める二見浦・二見興玉神社方面。天気がよくないのが実に残念である。二見浦は「ふたみがうら」と読むのが標準的と思うのだが、駅名だと「ふたみのうら」である。よくわからん。
ここは1881(明治15)年に日本初の公認海水浴場が開設されたことで知られる場所なのだ。
そのいちばん東端にあるのが夫婦岩。その夫婦岩の手前に二見興玉神社が鎮座しており、そこまで行ってみる。
鳥居をくぐって二見興玉神社の境内に入るのだが、海岸線に沿って進んでいき、海に面する社殿で参拝。
神社というのはある程度敷地に余裕があるのがふつうだと思うが、二見興玉神社は山が海へ沈み込む場所にあり、
空間的な余裕がほとんどない。夫婦岩の沖合700mの海中にある興玉神石を祀る神社ということで、
海中の聖地に面する場所に無理やりつくられているわけだ。ある意味、正しい信仰の場所と言えるように思う。
ちなみに境内に入った瞬間から、カエルの像のオンパレードとなる。狭い空間に無数のカエルがひしめきあっていた。二見興玉神社の境内より眺める夫婦岩。早朝だが観光客が3~4組いた。
二見浦には中学2年の臨海学校で来ているはずなのだが、記憶力のいい加減な僕は当時のことをよく覚えていない。
まあでもとりあえず、これで20年ぶりに空間の記憶を正しく修正できたのでヨシとしよう。帰りは少し急ぎ足で戻り、二見浦観光案内所を通り過ぎてそのまま二見浦駅まで行く。
駅に着いてホームに出たところで、本日は強風の影響で列車が少し遅れている、とのアナウンス。
せっかく旅行に来たのに、出迎えたのは雨と風のダブルパンチということで、あらためてがっくりである。
で、5分ちょっとの遅れで参宮線の列車が到着。鳥羽行きの列車内はなかなかのスカスカぶりなのであった。
二見浦は無人駅だったので、車内で鳥羽までの切符を買う。10分も乗らないうちに鳥羽駅に到着。鳥羽駅に着くと、JRから近鉄の駅舎へ移動する。JRが遅れた影響であまり余裕はなかったのだが、
ここでメシを食わないことには絶対にもたないので、無理して駅のうどん屋でうどんをいただいた。
なんとかギリギリのタイミングで近鉄の列車に乗り込み、さらにその先へと進む。JRは鳥羽が終点だが、
近鉄は賢島まで行くのだ。というわけで、次の目的地は賢島だ。実はこの春のダイヤ改正の影響で、
賢島に滞在できる時間が大幅に削られてしまった。結果、なんと11分ですぜ、11分。何もできないよ。
まあもっとも、賢島で何かすることがあるのかというと、何もないので、特に問題はないと言えばない。
とりあえず近鉄の伊勢志摩観光開発ぶりをちょっとでも体験できればいいかなあ、という程度だ。そんなこんなで賢島駅に到着。列車を降りると同時にダッシュで改札を抜け、階段を駆け下りて駅舎を出る。
駅前は適度にひなびた雰囲気で、やたらめったら真珠のアクセサリーを売る店が多い印象。あとは魚料理の店。
海岸に沿ってそのまま先へ行くのだが、なんせ滞在可能時間が11分間じゃどうしょうもない。
テキトーにデジカメのシャッターを切ったらすぐに戻ってハイおしまい、なのであった。
とはいえ僕が賢島で楽しめる要素などほとんどないのは現地に降り立ってすぐにわかったので、特に気にならない。
すぐに駅に戻って切符を買い、列車に飛び乗ると即、発車。これでいいのか? これでいいのだ。
L: 賢島駅。周辺は真珠関連の土産物屋や魚料理の店などが数軒。天気がよければ印象も違ったかもしれないがなあ。
C: スペイン帆船型遊覧船「エスペランサ」による賢島エスパーニャクルーズも、この天気じゃなあ……。
R: 英虞湾を眺める。賢島は地図で見ると特徴的で面白い。車であちこち走りまわるともっと面白いんだろうな。賢島は干潮時に徒歩で渡れたことから「かち(徒歩のこと)こえ島」と呼ばれ、訛って「かしこ島」になったという。
その後、1929年に近鉄が通ったときに「賢島」という漢字が当てられたそうだ。そんなに歴史が新しいとは意外だった。
賢島は英虞湾最大の島だが、この英虞湾の地形が実にリアス式海岸で、きわめて複雑に入り組んでいて興味深い。
よく晴れた夏の日に来ればまた違った印象になるんだろうなあ、と思いつつ、鵜方まで戻って下車。鵜方でわざわざ降りたのは、そこに市役所があるからだ。2004年に志摩郡の5町が合併して誕生した志摩市だが、
その新しい庁舎が2008年に竣工しており、そこに寄ってみようというわけである。オレはいつでも役所にこだわるぜ。
近鉄が大胆に走っている関係で、鵜方駅を出てから志摩市役所までの道は少し複雑になっている。
とりあえず北口から出て東へ進み、適度に行ったところで南に戻る。そうして小高い坂の上にある庁舎とご対面。
L: 志摩市役所。公募型プロポーザルを経て、大建設計が設計。 C: 裏手を眺める。表とほぼ同じデザイン。
R: これはすぐ脇を通る近鉄の線路越しに眺めた側面。2000年以降の典型的な小型庁舎って印象がする。市役所を撮影して満足すると、すぐに鵜方駅に戻って電車に乗り込み、今度は上之郷駅で下車。
降ったりやんだりを繰り返していた天気だが、ここでついに雨で確定、というくらいの降り方になる。
内心ションボリしながら歩いていった先にあるのは、旧志摩国の一宮・伊雑宮(いざわのみや)である。
上之郷駅から徒歩5分ほどということで歩くこと自体は苦にならなかったが、やはり雨だと足取りが重くなる。
春先の旅行はやっぱり天気が不安定で、なかなか難しいものだなあと思う。伊雑宮は伊勢神宮・内宮の別宮である。伊勢神宮の別宮で唯一、旧伊勢国外にあり、また神田を持つ神社だそうだ。
この神田で行われる御田植式は非常に権威のあるものとのこと。ぱっと見、田舎の質素な神社なのだが。
しかし確かに、鳥居をくぐってその境内に入った瞬間、周りの空気はとても厳かなものへと一変するのだ。
少しくねった参道を進んで拝殿へと向かうが、鬱蒼と茂る木々が周りを包み込んでおり、
雨が降っていることをあまり感じさせない。晴れた日であっても薄暗く感じるであろうくらいに緑は厚い。
参道はわりと短く、すぐに横向きの本殿の前に出る。横参道だったのだ。そしてこの先は行き止まりになっている。
L: 伊雑宮の入口。ホームだけの上之郷駅を降りて、住宅地を抜けるとすぐの位置にある。実に質素な印象。
C: 境内の中。入った瞬間、空気が変わる。よけいな要素が一切なく、純粋に神を祀っている場所なのだ。
R: 参道を進んでいった先に本殿が現れる。この本殿もまた簡素で、かえってその分だけ迫力を感じる。伊雑宮の本殿は、伊勢神宮の別宮ということで、内宮に準じたものなんだそうだ。
大掛かりな拝殿がつくられているわけではなく、二重の垣に囲まれてたたずむその姿は、
自然崇拝から始まった純粋な信仰の匂いを強く感じさせる。崇高さを感じさせる空間となっている。
シンプルであるだけにかえって、日本らしさ、日本の構造、そういった根源的な部分を露わにしているように思った。伊雑宮・本殿。この神社には本当に、よけいな要素がない。見とれてしまうわ。
雨はさらに強まってきたのだが、一宮の参拝をどうにか済ませたので、いよいよ旧志摩国の中心都市へ。
あえて鳥羽駅のひとつ手前、中之郷駅で降りる。鳥羽駅と中之郷駅の間には、鳥羽城址がしっかり立ちふさがっている。
これを東・海側のルートでまわり込む途中にあるのが、鳥羽水族館。西・旧市街側のルートで行くと、鳥羽市役所。
当然、どっちにも行きたいのだが、鳥羽城址が邪魔になるので効率よく歩くには工夫が必要になるのだ。
それで結局、見学中に雨がやんでくれることを期待して、先に鳥羽水族館へ行くことにした。
駐車場に入る番を待つ車が延々と列をつくっているのを尻目に、チケットを買って中へと入る。
わかっちゃいたけど、もう見事に子どもだらけで閉口。男の一人旅で来る場所じゃないのかと、ちょっとがっくり。鳥羽水族館は私営の水族館だが、その設立の経緯が面白い。もともとは丸幸水産という会社だったのだが、
隣のミキモト真珠島を訪れる客が帰りに生け簀を見学しに来るようになったので、本格的に水族館を始めちゃったのだ。
これが1955年のことで、以後どんどん規模を拡大していき、今では「太陽系最大級の超水族館」を名乗っている。
特に海生哺乳類の展示で実績を残している水族館であり、ジュゴンが見られるのは日本ではここだけなのだ。というわけで中に入ると、いきなりホールの大きな水槽に「鳥羽水族館・水中入社式」という飾りがあった。
始まるのを待つ客でごった返しており、真ん中にはマスコミのカメラやら何やらが用意されていた。
もう入社式なんて時期なのか、と少々ブルーになりつつ先を急ぐ。のんびりそんなものを見ているヒマなどないのだ。
鳥羽水族館の大きな特徴のひとつに、順路をなくして自由通路としていることが挙げられる。全長は実に約1.5km。
子どもだらけで歩くのも大変なのだが、せっかくなのでぜんぶ見てまわってやるぜ!と意気込んでスタート。
特にあれこれ書いていくことはせず、論より証拠ということで、撮ったデジカメ画像を貼りつけていくのだ。
L: まずはコウイカ。無脊椎動物の中で最も知能が高いんだってさ。全身に占める脳のサイズが無脊椎動物で最大とな。意外だ。
C: ラッコ。そういえば、僕が子どもの頃に異様なほどのラッコブームがあったなあ。まあ確かにかわいいんだけどね。
R: パンダイルカはやたらとスピードが速くて撮影に苦労した。日本での正式な名前はイロワケイルカだそうだ。
L: のんびり生きているアザラシの皆さん。 C: ジュゴン。ウミガメと一緒に優雅に泳いでいるのであった。
R: ひたすらぐるぐると泳ぎ続けるアシカ。いかにも哺乳類っぽいシルエットをうまく撮影できた。鳥羽水族館は確かに広く、地球上の海の様子が極地から赤道直下までさまざまに再現されていて面白い。
そして広さを感じている余裕もないくらいに、次から次へと大量の生物たちが展示されている。
展示されているのはなにも魚介類だけではなく、熱帯のカエルにワニまでいるのだ。
日本の川の生物たちの水槽の上ではカモがプカプカ浮いているし、実に多種多様な動物たちがいるのだ。
そしてペンギンの行進やアシカのパフォーマンスも特別に用意されたスペースで行われており、
じっくり見ていけばしっかり一日楽しむことができる規模なのだ。確かに親子連れにはいいわなあ。
L: 「古代の海」ではオウムガイが並んで浮いていた。生で見るとものすごい迫力があるなあ。うーん、ノーチラス!
C: 「古代の海」の展示スペース。足元のガラスの下には化石模型があり、なかなか凝ったデザインとなっている。
R: 大量に集まって浮かんだまま動かないエンゼルフィッシュたち。これはこれで、ちょっと気持ちの悪い光景だ。
L: なぜかカピバラがいた。かわいいけど。 C: ピラニアの皆さん。人間を襲う可能性はゼロというわけではないそうで。
R: ピラルク。デカいのは知っているけど、あらためて見るとやっぱりデカい。うまくカメラに収まってくれなくて苦労した。……とまあ、画像を見てもらえばわかるとおり、かなり堪能させてもらいました。いやあ、面白かった。
周囲は子どもばかりでちょっと移動するのにも苦労するほどだったのだが、気にならないくらい楽しめた。
展示は質も量も充実しているので、もうそれだけで十分満足できちゃうほどなのだ。勉強になりました。しかし、なんといっても鳥羽水族館でいちばんの役者といえば、やっぱりこいつだ!
L: スナメリ登場! C: 「おう、かわいく撮ってくれや!」 R: 「兄ちゃん、もう一丁どうだい?」というわけで、もうこのスナメリのかわいいことかわいいこと! こいつ、本当に賢い。
明らかに、自分がきれいに撮られることを期待されているのがわかっている。そういう動きをしてくれる。
スナメリみんながそういうわけではないのだが、1匹、もうはっきりと人間の気持ちがわかっているやつがいて、
客が手を振ればそれに応えるし、カメラを構えればそれに収まるように動くし(大きいカメラほど反応がいい)、
どこまで賢いんだお前、と呆れたわ。もうこいつに会えただけで、オレは満足だ。お前、ホント最高だよ。帰りにホールを通ったら、水中入社式の段取りがひととおり済んだようで、サーヴィスタイムになっていた。
新入社員の皆さんが、スーツにアクアラング姿で水槽の中から客に手を振っている。いい意味で罰ゲームみたいで、
予想を上回るバカバカしさ(これは純粋に最上級の褒め言葉です)に思わず爆笑してしまった。
すばらしいエンタテインメントだわ、これは。鳥羽水族館には心の底から楽しませてもらったなあ。すいません、これ本当に面白かったです。実際に見るとすごく微笑ましくていい。
雨は相変わらずの勢いで降っているのだが、それがまったく気にならないくらい鳥羽水族館は面白かった。
かなりポジティヴな気分で中之郷駅まで戻り、鳥羽市の旧市街地側に出る。静かな地方都市らしい雰囲気で、
鳥羽水族館やミキモト真珠島のある国道42号とは対照的に、完全に地元住民向けの空間という印象。
なんだか表と裏って感じだなあと思っていたら、いきなり強い風が吹き付けてきて、なんと、
その力だけで折りたたみ傘のカーボンの骨がボキッと折れてしまった。これはまったく予想外の事態である。
唖然としてその場に立ち尽くすが、雨は容赦なく降り続ける。さっきまでのポジティヴさは一変、
とってもネガティヴな気分で半分濡れながら鳥羽市役所を探し歩くのであった。鳥羽市民会館が目立っているせいか、それより規模が小さく奥まっている鳥羽市役所は、少しわかりづらかった。
しかし建物じたいはけっこう印象的なデザインをしている。1962年の竣工だそうだが、
なかなかモダンな円筒の塔を軸にしてつくられている。ただ、円筒の塔以外の部分は特に美しくないのが難点だ。
市役所は鳥羽城址の入口から少し上がったところにつくられており、鳥羽城址へは市役所の横を抜けて行くことになる。
狭苦しい鳥羽の中心市街地ではこういう立地にするしかなかったのだろう。いろいろと特殊な例だと思う。
L: 鳥羽市役所。中央の円筒の塔とそれに準じたエントランスが印象的だが、それ以外は特にこれといって面白くない。
R: 角度を変えて、鳥羽城址への登り口を少し行ったところから撮影。鳥羽ってけっこう土地が狭い街だな、と思う。市役所を撮影すると、そのまま鳥羽城址へと行ってみる。雨の中、石段や坂を上がったり下がったりというのは、
なかなか心理的には切ないものがある。ましてや今さっき、傘の骨が折れたばかりときている。
でもそこは無理やりにでもカラ元気で行ってみるしかないのだ。ネガティヴ気分に呑まれる方が後悔は大きい。鳥羽城は九鬼嘉隆が1594(文禄3)年に築城。九鬼家は水軍で有名だ。そのためか大手門は海側にあったという。
面白いのは海側が黒、山側が白に塗られていたというエピソード。それで二色城・錦城とも呼ばれたそうだ。
そして九鬼家は嘉隆と守隆の親子が東西に分かれて関ヶ原の合戦を戦う紆余曲折を経て、三田(→2012.2.25)へ。
その後は城主がコロコロ代わって、最後は譜代大名の稲垣家によって治められて明治維新を迎えた。
鳥羽城址は今も城らしい地形をよく残している。天気がよければもっと印象もよかったのだろうが、
城としての歴史を強調するような記念碑などはそれほど多くなく、そこまで大切に扱われていない印象がした。
L: 鳥羽城址にて。海側はこのように石が積まれた段々となっている。 C: 本丸跡。かつては鳥羽小学校の運動場だったそうだ。
R: 鳥羽城址より眺めるミキモト真珠島。これが丸ごと、真珠や御木本幸吉に関する一大施設となっているのだ。豪快だなあ。本丸跡からは鳥羽水族館越しにミキモト真珠島が見えた。真珠博物館のほか、御木本幸吉記念館もあるそうだ。
海女さんの実演もやっているとのことだが、独り身にはなんだか楽しめそうな印象がなかったので、今回はパスなのだ。
それにしても、御木本幸吉が明治天皇に切った啖呵「世界中の女性の首を真珠で締めてご覧に入れます」は、
完璧な名ゼリフだと思う。彼にしか言えない言葉だし、言い回しも上手いし、この言葉を言った相手もいい。
いつかきちんと彼について勉強すべく、この場所を訪れることにしましょうか。そう思って城跡から下りる。鳥羽市の旧市街は、山に挟まれた空間にべったりと貼り付くように広がっているのだが、
川沿いに東西方向に延びるエリアになると、昔ながらの建物もそこそこ残っており、より懐かしい雰囲気は強くなる。
特にこれといって強力な観光資源があるわけではないし、雰囲気だけで建築的にはそこまで貴重なものはないが、
狭苦しい地形の中で今も生活の舞台として機能している印象は強く、歩けば歩くほど東西の対比が不思議に思えた。鳥羽の「裏側」は穏やかな住宅地でしかない。コントラストがなんとも不思議。
鳥羽を後にすると、本日最後の目的地である伊勢市へ。伊勢には5年前にも来ているが(→2007.2.10)、
そのときにはまだ市役所をきちんと撮影する習性がなかったので、まずはその点をリヴェンジする。
それから宇治山田駅が見事だったのに撮影しなかったので、それもきちんと撮って記録に残しておく。
さらに猿田彦神社についても押さえたうえで、おはらい町とおかげ横丁についてあらためて考えるのだ。近鉄で鳥羽から伊勢市駅に乗り込むと、JR側の改札を抜ける。伊勢神宮の外宮はJR側なのだ。これでいいのだ。
駅舎を出るとそのまままっすぐ外宮への参道を進んでいくが、先に伊勢市役所を撮影するのである。
というわけで、外宮の目の前に出ると、そのまま左折して伊勢市役所を目指すのであった。罰当たりで申し訳ない。
後でしっかりと参拝するので許してください、と思いつつトボトボ歩いていく。雨がやんでくれたのが実にうれしい。伊勢市駅からまっすぐに延びる外宮への参道。
伊勢市役所に到着。市役所のデータは残念ながら、ネットで調べても出てこなかった。
かつて伊勢市は「宇治山田市」という名前だったが、1955年の合併を機に現在の名前になった。
(「宇治」とは内宮周辺、「山田」とは外宮周辺のこと。その2つを単純にくっつけていたのだ。)
さすがに今の市庁舎はそれより後に建てられたとは思うのだが、詳しいことがわからないのは悔しい。
L: 伊勢市役所。とても無骨なオフィス庁舎建築である。「伊勢らしさ」を追求しなかったのは、ある意味正解か。
C: 建物全体が収まるように撮影してみた。 R: 裏手はこんな感じ。市役所にすら見えないくらいに地味だなあ。伊勢市役所を撮影すると、さらにそのまま進んでいって、目指すは宇治山田駅。
前回のお伊勢参りではバスの車窓から眺めて「すげえ」と声をあげただけだったので、今回はきちんと撮影。
あらためてカメラを構えてみると、その規模の大きさに驚かされる。広角レンズの視野にも収まらないのだ。
それだけ伊勢神宮の威厳が大きいということだ。空間は権力の容器だから、大きい力には大きい空間が用意される。
宇治山田駅の開業は1931年。長距離列車の発着に対応する伊勢神宮最寄のターミナル駅としてつくられた。
設計したのは久野節で、南海の難波駅(1932年竣工、→2009.11.22)の設計者と聞いてなるほどと納得。
都市や聖地の顔となる駅舎建築というのも奥が深いものだと思わされる、気品あふれる建物である。
L: 宇治山田駅を歩道橋の上から撮影してみた。幅は全長120mということで、本当に長い。伊勢神宮の威厳が長さになっている。
C: グラウンドレヴェルから眺めたところ。モダンと装飾のバランスがすごくいい。これは美しい建築だわ。
R: ロータリーを別の角度から眺める。宇治山田駅は現在も伊勢神宮への玄関口としてしっかり機能しているのだ。かつて伊勢市消防本部にもなったという塔屋。これがまたいいアクセントなのだ。
ちなみに宇治山田駅の周辺にも目を惹く物が複数あったので、ちょろっと紹介しておく。
まずは宇治山田駅の向かいにある伊勢市観光文化会館。1971年竣工ですごくマッシヴ。
そしてそのすぐ南には、伝説の大投手・沢村栄治の出身地ということで大きな看板を出している明倫商店街。
明倫商店街は中に入ると凄まじいシャッターぶりで、もうこれはどうすればいいものか、途方に暮れてしまった。
L: 伊勢市観光文化会館。幅のある宇治山田駅に対抗するように、がっちりとした塊として向き合っている。
R: 明倫商店街の内部。この寂れぶりは尋常ではない。これは……もうちょっと……なんとかなりませんかねえ……。ということで無事にタスクを済ませたので、いよいよ本格的にお伊勢参りをおっぱじめるのである。
まあ詳しいことは5年前のログであれこれ書いているので(→2007.2.10)、今回はざっと書くだけにする。外宮の境内に入ってしばらくすると、しっかりと日が差してきた。やはり旅はこうでなくっちゃ。
前回の参拝は早朝だったので参拝客は比較的少なかったが、現在は午後3時ほどということで、
わりとしっかり賑わっている。外宮の魅力は木々が醸し出す穏やかさだと個人的には思っているので、
参拝客が多いのは少し残念。でも外宮はその賑わいをしっかり受け止めたうえで、十分に穏やかだった。さすがだ。
L: 参道を進んでいき、御木本道路に出る。ここから先が外宮の境内なのだ。神宮奉納相撲ののぼりが立っている。
C: 鳥居をくぐるとそこは神聖な空気でいっぱい。見事なもんです。 R: 日が差してきた。晴れやかな気分にさせられるわ。外宮の拝殿。縄文・弥生以来の和の雰囲気は相変わらずだ。
5年前には外宮から内宮まで御木本道路をひたすら歩くという修行をかましたわけだが、
さすがに今回はそこまでやる気はないのだ。おとなしくバスに揺られる。バスって本当に速いね。驚いたわ。
しかしながら終点までは行かないで、途中の猿田彦神社前で降りた。せっかくだからここにも参拝しちゃうのだ。猿田彦はニニギ(→2011.8.10)の先導をしたということで、猿田彦神社は交通安全のご利益があるそうだ。
また、万事最も善い方へ「導いてくれる」ということで、開運方面にも対応しているという。まあつまり、万能ですな。
境内には天岩戸から天照大神を出すべく踊った天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀る佐瑠女(さるめ)神社もあり、
こちらはその経緯から芸能方面にご利益ありとされている。そういえば先月、「六代 桂文枝」を襲名予定の桂三枝が、
猿田彦神社を訪れて落語を奉納したというニュースがあったが、これは佐瑠女神社との絡みもあってのことだろう。
やはり手塚治虫『火の鳥』の影響は大きくって、「猿田彦」と聞くとどうしてもあのキャラクターを想像してしまう。
桂三枝もその旨のコメントをしっかり残しているし、ここに来る人はおそらくみんなそうなんだろう。これは凄いことだ。
(「黎明編」でウズメがジャンプして猿田彦にキスするコマがあるが、これは僕が『火の鳥』で最も好きなコマのひとつだ。)猿田彦神社の拝殿。なかなか面白い形状をしている。
猿田彦神社から内宮まではそれほど致命的な距離があるわけではないので、おとなしく歩く。
内宮に近づいていくと、車やバスが大渋滞となって悲惨なことになっている。歩く方がずっと速いくらいだ。
まずはきちんとお参りだぜ、ということで、観光客でごった返す鳥居をくぐる。五十鈴川を渡って境内へ。さすがに内宮は参拝客でいっぱいだ。そして大量の参拝客がスムーズに歩けてしまうほどに境内は大きい。
前回の参拝ではお年寄りのツアー客ばっかりだった印象しかないのだが、現在は家族連れが非常に多く、
若い人の姿も適切なバランスでみられる。近年のパワースポットブームを反映してのことなのか。
まあとにかく、観光客で賑わっているのは決して悪いことではないのだ。そう思いつつ歩いていく。
L: 内宮前。前回参拝時とまったく違うのは、参拝客の年齢層。非常にバランスのいい配分になっていた。
C: 五十鈴川を渡るの図。 R: 境内をどんどん奥へと進んでいく。しかし内宮は本当に広いなあ。前回同様、石段のいちばん下から本殿めがけてデジカメのシャッターを切ると、石段を上っていく。
外宮でもそうだったのだが、相も変わらず二礼二拍手一礼でいいのかよくわかんなくなりつつ参拝。
こんなにテキトーでご利益があるものか、非常に心配。でもまあ、しょうがないのだ。まあ、お参りしに来ることに意義があるってことで。
やはり御守をいただいて帰る。すると晴れかけていたはずだったのに、途中でいきなり雨が降り出した。
慌てて境内から出るが、雨はどんどん本格的な勢いになっていく。おはらい町は大パニックである。
折りたたみ傘の骨が無残に折れてしまっている僕も、途方に暮れるのみ。春は本当に旅には厄介な季節だ。しょうがないので雨宿りついでに、名物である伊勢うどんを食べることにした。
前回のお伊勢参りでは空腹のせいで写真を撮り損ねるという間抜けっぷりを発揮してしまったのだが、
今回はうどんを待っている間にしっかりとデジカメを取り出して準備万端。
やがてうどんが登場すると、待ってましたとばかりに飛びついて、ありとあらゆる角度から撮影。
満足したところで、伊勢うどんならではの黒いタレをいっぱいにからめていただく。熱い。
そうだったそうだった。なんせ伊勢うどんは1時間近くゆでるので、極太の麺の芯までアツアツなのである。
(店では客が来る前から厨房でずっとうどんをゆで続けているわけだ。非常に独特なスタイルである。)
甘くてしょっぱくて柔らかい。混ぜ麺系はずっと食べていると飽きてしまうという欠点があるが、伊勢うどんもそう。
つまりはオリジナリティが評価されている名物であり、味が特別にいいという類の名物ではないのである。
とはいえそれなりにしっかりおいしくいただいた。やっぱ食う物を食わないときちんと旅をしたことにはならないのだ。伊勢うどん。これをしっかり混ぜていただく。所変われば品変わるもんですな。
食い終わって店を出たら、運のいいことに雨はやんでいた。雨は最後の力を振り絞ってから去っていったようだ。
とりあえずあてもないままで、おはらい町を歩いて過ごす。ほぼすべての店舗が妻入の木造建築となっているが、
これは1970年代以降に民間(赤福)主導で行われたまちづくりの成果とのこと。確かに、雰囲気がどこか新しい。
江戸時代には伊勢神宮への参拝客で賑わった門前町だが(神崎宣武『江戸の旅文化』に詳しい →2006.8.30)、
高度経済成長が終わった頃になると、内宮に参拝した後はそのまま車やバスで鳥羽に向かうようになってしまい、
おはらい町はかなり衰退した状況となっていたそうだ。しかしおはらい町に本店を構える赤福がまちづくりを先導し、
伝統的な街並みを再生させたことで現在のような賑わいを取り戻したという。凄いな、赤福。
L: おはらい町の様子。参道の両側は、とにかく徹底して木造建築で固められている。空間が物語をつくるんだなあ。
C: 赤福本店。ものすごい賑わい。 R: 新橋からおかげ横丁方面を眺めたところ。右手の建物は赤福本店。小笠原にもいたイソヒヨドリ(→2012.1.1)が、おはらい町を飛びまわっていた。
そして、その赤福が140億円をかけてつくったおかげ横丁にも行ってみる。
おはらい町の隣につくられたおかげ横丁は、古い建物を移築したり再現したりして見事に伝統的な雰囲気をつくっている。
まるでテーマパークのような状態なのだが、入場料はなく、おはらい町と同様に土産物店や飲食店が連なっているだけ。
しかし、細かいところまでよく見てみると、空間の演出がものすごく上手いことに驚かされるのだ。まず、おはらい町が内宮に向かってまっすぐに延びる参道の両側に線的に広がっているのに対し、
おかげ横丁は完全に面的な展開をしている。この対比がまず上手い。対照的な空間を並べることによって、
観光客は空間的な広がりをより強く感じさせられるのだ。より広いと錯覚することになるのである。
そして何より、おかげ横丁では建物を整然と配置させないで、それぞれを少しずらした形で配置させている。
これにより、城下町の防衛でお馴染みの「食い違い」があちらこちらで発生することになるのだ。
20mも進まないうちに食い違いに行き当たる。道じたいは参道と平行か直角か、2つの角度しかないが(斜めがない)、
十字路がないどころか食い違いをそこらじゅうに連発させることで、これもよけいに広さを錯覚させる効果となっている。
言ってみれば、観光客を迷路に引き込んでいるのだ。でも斜めの道がないので、慣れればまったく迷わない。
しかもこの食い違いが、別の効果も生んでいる。それは、やたらと建物の正面が目につくということだ。
道の先には妻入の木造店舗が待ち構える、そういう場所が無数につくられている。妻入なのが、うまく効いている。
そうかと思えば、側面も平入として店舗への入口を広くとり、「どこも正面」という状態を演出することもしている。
L: おはらい町、赤福本店からおかげ横丁に入っていったところ。通路の両側は店舗や休憩スペースとなっている。
C: 建物に囲まれた広場にある太鼓櫓。店舗だけでなく、ランドマークがしっかりと用意されている。
R: 食い違いによって、妻入の木造店舗の正面が通路からまっすぐ見えるように演出されていることがわかる。
L: 建物が出っ張ったり引っ込んだりしており、まっすぐ配置されていないことがわかると思う。これで各店舗が目立つわけだ。
C: 道の両側は平入となっており、まっすぐ行くと妻入の入口。つまり、「どこも正面」という状況がつくられているのだ。
R: 建物に囲まれたスペースには藤棚か何かで日陰が確保され、長椅子が置かれて自由に休憩できる場所となっている。一見、日本の伝統的な街並みだが、ここまで複雑に形成されている例はほかに存在しない(僕が訪れた限りでは)。
つまり、おかげ横丁の街並みは完全にフィクションなのだ。でも食い違いが多用されており、密度は抜群に濃い。
それでいて、建物に囲まれた空間には長椅子が置かれるなどして、自由に休憩できるようになっている。
芦原義信『街並みの美学』(→2012.3.15)では優れた広場の条件として、周囲がしっかりと囲まれている
いわゆる「入り隅み」の空間となっていることが挙げられているが、おかげ横丁では一様ではない建物の配置によって、
囲まれている感覚になる広場空間があちこちに発生している。『街並みの美学』にならいゲシュタルト心理学的に言えば、
図(本来は建物)と地(本来は通路・広場)が反転可能になるほどきわめて複雑に建物が配置されているというわけだ。
ここまで戦略的にまちづくりがなされた例は、そうそうないだろう。本当によく考えてつくられているのである。
おかげ横丁の都市社会学/都市工学的な凄みをしっかりと実感させられて、これはもう、呆れるよりほかになかった。夕方5時になって、おはらい町は猛烈な店じまいモードに。帰りは素直に伊勢市駅前までバスに揺られた。
そして宿にチェックインしたのだが、明らかにアパートの2フロア分を無理やりビジネスホテルにしており、
その強引さがなんとも面白かった。世の中にはいろんな宿泊施設があるなあ、と思ったわ。
一日中、徹底的に歩いていたせいか、気がついたら寝ていた。まあそれだけ充実している旅行ってことなのだ。
昨日の日記ではコナミのコンシューマのゲームミュージックについて熱く語ったわけだが、
もうひとつ動画サイトでシビレてしまったゲームミュージックがあるので、今日はそれについて書く。
それは……『F-ZERO』なのだ! 任天堂がSFC本体の発売と同時に投入したソフトで、
最初はスーパーマリオの陰に隠れていたんだけど、じわじわと人気を呼んで末永く支持されたゲームだ。
ちなみに僕は枕を使ってブリッジした状態(上下逆さま)で、「MUTE CITY I」を2分59秒で走った記録を持っている。
そんなバカなことは誰もやったことがないだろうから、これはおそらく世界記録なのだ。破らないでね☆『F-ZERO』で僕と潤平が最も魅了された曲は、なんといっても「BIG BLUE」である。
これはいま聴いても本当にかっこいい。オーヴァードライヴ全開のサビがコースの明るい印象と相俟って、
なんともいえない開放感を味わわせてくれた。このBGMを聴くだけで幸せな気分になったもんよ。
しかし「MUTE CITY」もファーストステージにふさわしい魅力を持った曲だ。この曲こそ、最初でなければならない。
静かなイントロから勇敢なイメージのAメロに移行する。サビで段階的に盛り上げていき、静かなイントロに戻る。
この対比が本当に見事なのだ。そして短調だからこそ、タイムを削るにあたっての冷静さを保たせてくれる。
考えれば考えるほど「MUTE CITY」はよくできた曲なのだ。それだけに、「BIG BLUE」とのコントラストも生きる。あらためて『F-ZERO』の曲全体を聴き直してみると、これはリズムをテーマにしたゲームミュージックだと気づく。
ベースとドラムスのリズムセクションへの凝り方が凄まじいのである。特にドラムスの複雑さは変態的ですらある。
「SAND OCEAN」にしても(YMOの『U.T』を思い出す)、「DEATH WIND」にしても(ドラムスが休むか暴れるかどっちか)、
「RED CANYON」にしても(複雑ではないが大胆すぎる)、「FIRE FIELD」にしても(SFCなのにダブルベース)、
当時のゲームミュージックのことを考えると、かなり前衛的なのである。この思い切りはどこから出てきたんだろう。もうひとつ面白いのは、各曲に対するわれわれの反応で、動画サイトにはそれが文字でしっかり記録されている。
「SILENCE」が早見優の『夏色のナンシー』だったり、「WHITE LAND」が「さだまさし」だったり、
「RED CANYON」がコロッケ食べたらサクサクだったり、「FIRE FIELD」が「武田鉄矢」だったり、
なんというか、子ども特有の自由な想像力が時を経て蘇っていて、かなり笑わせてもらった。
そして、ああそうだった、オレたちはそういう生き物だったんだ……と、懐かしい感覚を思い出した。さて、SFCの『F-ZERO』が発売されてから1年以上経ってから、ひっそりと(?)1枚のアルバムが発売された。
タイトルはそのままズバリ、『F-ZERO』。でもSFCのBGMをそのまま収録したアルバムではなく、
海外のミュージシャンによってアレンジされた曲が収録されたものだった。買ったのは潤平なのだが、
「BIG BLUE」が聴きたかった僕は、オリジナル音源ではないことを少々残念に思っていた。
当時はこのアルバムにその程度の評価しかしておらず、長いことそのまま放っておいた。ところが久しぶりにこのアルバムを引っぱりだしてあらためて聴き直してみると、これがとんでもなくいいのである。
フュージョンのアルバムとしての完成度が、もうめちゃくちゃ高い。すさまじく聴き応えのあるアレンジ揃いなのだ。
いったい中学から高校の頃のオレはどんだけみすぼらしい感覚をしておったのだ、と恥ずかしくなるくらい。
当時は「DEATH WIND」のアレンジがかっこいい、という程度の認識しかできていなかったのである。
今はもう、捨て曲ゼロの名作中の名作アルバムとして最大限にリスペクトしている(実際、中古の値段はとても高い)。というわけで、長く遊べる質の高いゲームをつくる任天堂は、ゲームミュージックでも同じだ、という結論。
『F-ZERO』の前衛ぶりを味わうと、その懐の深さが実感できる。ファミコンが天下を取ったのも至極当然ということか。
動画サイトで昔のゲームミュージックを聴ける喜びったらない。
いい時代になったもので、小中学生の頃にハマりまくったファミコンなどのゲームミュージックが、
かなりいい音質で動画サイトにアップロードされているのである。ちょこちょこと聴いてはいい気分になっている。特にうれしいのが、黄金時代とも言うべき1990年前後のコナミのゲームミュージックがたっぷり聴けることだ。
あらためて聴き直してみると、もうこれが鼻血が出ちゃうくらいに素晴らしくって大興奮である。ホントにたまらん。
そういうわけで、いくつかピックアップしてあれこれ書いてみることにする。まずはなんといっても『がんばれゴエモン2』(→2009.12.27)。
我が家でファミコンが解禁される前から駒ヶ根のドライブイン太郎で遊びまくった名作で(でも毎回伊賀で死んだ)、
今でもこのゲームについては並々ならぬこだわりがある。そしてその音楽には徹底的に魅了された。
あらためて『がんゴエ2』の音楽を聴いてみると、とにかく「歌える」音楽であることに驚かされる。
ゲームミュージックだから当然、歌詞はないんだけど、歌いたくなる音楽なのだ。メロディが、曲ではなく歌なのだ。
(実際、僕と潤平はひたすらハモって過ごしたもんだ。そしたらマサルもそうで、よく一緒に歌った。)
個人的に一番の傑作は4面(中国地方)のメロディだと思うのだが、これはいま聴いてもサビが泣ける。
エンディングもよくって、初めてクリアしたときには電源を落とさずにずっと聴いていたものだ。
和風のメロディを電子音で鳴らすというのはマジメな話、音楽的にはとても挑戦的な試みであると思う。
『がんゴエ2』はそれにとどまらず、ゲームミュージックらしいグルーヴまで持たせてあって、非常にレヴェルが高い。
冗談抜きで、これは世界的な評価を受けちゃってもおかしくないはずだ、と僕は妄想しているのである。MSX版の『グラディウス2』もたまらん。コナミのMSXといえばSCC音源がめちゃくちゃ有名である。
我が家ではMSXにはまったく興味を示すことなくMZ-2000でのBASICライフを満喫しておったので、
このゲームミュージックについてはまったく予備知識がなかった。しかしいま聴いてみると、なかなか衝撃的だ。
SSG音源のような貧弱さはないが、FM音源ほど表現が豊かではない。でもその中間に位置する味わいがある。
曲じたいも魅力的なメロディがそろっている。残念なことに、実際にゲームをプレーしたことがないので、
各曲本来の魅力をきちんと味わえていない。でも、SCC音源が独自の世界観を完全に築いていたのはわかる。
1990年代というあの時期に、この音色でかっこいいメロディを流されりゃ、そりゃあノックアウトされるに決まっている。しかし個人的にはサントラに親しんだ関係で、FC版の『グラディウスII』への思い入れの方が強い。
『グラディウスII』はアーケード版のBGMが非常に高い評価を得ているのだが、僕はFC版の方が好きなのである。
まず音色がきれいなのだ。コナミは音楽が売りだったから当然とはいえ、細部まで徹底的にこだわって音をつくっていて、
よくファミコンなのにここまでいい音を出せるなあ!と感心するしかなかった。たとえば空中戦の「TABIDACHI」の場合、
主旋律の伸びのある音とか、ループが終わるときの音の落とし方とか、曲と音との相性がまさに完璧なのだ。
FC版はほかのハードと比べると音の数がいちばん少ないと思うが、逆にいちばん完成度が高くなっていると思っている。
特に「Over Heat」はお気に入りで、飽きることなく狂ったようにコピーしたテープを繰り返し聴いたものだ。『ドラゴンスクロール』(→2009.12.27)もまた、たまらない魅力を持った曲がそろっている。
僕も潤平もマサルもBGMを歌ってはハモってはを繰り返して過ごしたものなのである。
ゲームじたいは非常にバランスの悪いアクションRPGということで、世界観はファンタジー。
でもBGMはかなり無国籍な印象なのだ。それでいてしっかりとグルーヴ感があり、どこか不思議だ。
それはつまり、純粋にメロディの美しさで勝負しているBGMばかりと言えると思うのである。
しかし冷静に聴いてみると本当に無国籍だし、本当にジャンル分けしづらい曲ばっかりだ。
まあ、かっこいい曲ばかりということで、われわれ男子のハートをいまだに惹き付けてくれるのだが。そして動画サイトよありがとう!と言いたくなるのが、MSXの『スペースマンボウ』である。
MSXということで、僕は一切このゲームについて詳しいことをまったく知らなかった。
中古ゲームミュージックの店でCDを見かけていたのだが、動画サイトで曲を聴いてすっかり魅了されてしまい、
このたびそのCDを買ってしまった。FCでは発売されずMSXしかなかったからそれほどメジャーではないのだが、
これはかっこいいわ。隠れた名曲ばっかり。SCC音源をフルに生かしたメロディに一癖あるリズムが満載。
特に印象深いのは、変拍子(7拍子)によるスピード感の演出が抜群に上手い曲が複数あること。
(7拍子は8分音符1個分足りないことで、ワンテンポ先へ先へ進む感覚になり、独自のグルーヴが生まれる。)
そしてなんというか、曲に「広がり」があるのだ。ゲーム画面に収まらない「広がり」を感じさせる曲が揃っている。
当時のコナミの有名なタイトルのBGMと比べても遜色がないどころか、完全にトップレヴェルのクオリティだ。
もし10代前半だった僕がこのBGMを聴いてしまっていたら、どこまで狂っていただろう。想像するのが怖い。しかし、この時期のコナミサウンドチームの仕事は神懸かっているとしか言いようがない。
アーケードだけでなく、MSXで、FCで、ゲームボーイで、SFCで、ありとあらゆるハードで、
とんでもなく魅力的なメロディたちが日々生み出されていたのだ。この生産密度は常軌を逸している。
ほかのゲームメーカーも名曲をたっぷり生み出していたのだが、コナミのその密度は本当に異常なのだ。
当時のコナミはいったいどういう状態だったんだろうか。ぜひいつか、その内幕を知りたい。
天才たちが輝いた時間について、その奇跡を検証してみたいと思うのである。幸せな時間は永遠に続くことはなかった。アーケードではサンプリングによるPCM音源へと進化するが、
プレイステーションの登場とともにCDによる音楽の再生が可能となり、チップで音楽を鳴らす時代は終わる。
そうしてゲームミュージックと「ふつうの音楽」の垣根はあっという間に解消されてしまった。
今ではノスタルジーを含んだ形でチップチューンというジャンルが形成される逆転現象が発生しているくらいだ。
絶対に、ゲームミュージックという職人芸が存在したことを忘れてはいけないと思う。
制約だらけの中で、いかに美しい音楽を創りあげるか。音楽史の中では小さな小さな徒花かもしれないが、
そこには確かに天才たちがいて、確かにたくさんの少年たちを魅了していた。その事実は決して消えることはないのだ。
本日は日直。とっても平和な一日で、部屋には僕ひとりだけ、という時間がけっこうあった。
それでずっと机上整理をしていたのだが、丸一日かかってもまだ終わらない! ひどい!
終点の東京駅でムーンライトながらを降りて、24時間営業のマクドナルドでコーヒーを飲みつつ日記を書いて過ごす。
3時間くらいやって飽きたので家まで戻ることにしたのだが、見事に出勤ラッシュとぶつかって泣きそうになる。
そうだ、世間は平日だったのだ……。でも浜松町駅で大量の乗客を吐き出した後は一気に空いた。よくわからん。◇
今日は午前中を休暇にしていたのだが、まさか砺波で落としてから24時間以内にケータイが自宅に届くとは思わなかった。
日本の流通システムは本当に優秀だなあ、と呆れた。ケータイはオレと別行動の旅をしていたんだな。面白いじゃないか。◇
出勤して昼は職場近くの肉屋による気合のカレー(→2011.8.1)。これを食わないと休みに入った気がしない。もう習性。
午後の部活では、走るたびに腹の中がカレーの唐辛子で熱くなって困った。どんだけ強烈なんだか、まったく。◇
夜は電話でリョーシさんと打ち合わせ。今週末にリョーシさんは伊勢神宮に公式参拝なさるんだそうで、
本当にたまたま伊勢湾近辺の市役所めぐりをする予定を立てていた僕と合流できそうな雰囲気だったのだ。
しかし常識的なスケジュールのリョーシさんに対し、僕はよけいなスポーツマンシップ全開のトライアスロン風味。
結局、伊勢神宮への参拝は別行動にして、日曜日の夕方に名古屋で落ち合うことになった。でもまあ、楽しみである。
目を開けたらそこにはMacBookAir。画像整理の途中で寝てしまっていたのだ。
こりゃしまったわ、と思いながらつないでいたデジカメをMacBookAirからはずす。
そしたらなんと、「電池の残量がありません」という文が表示された。突然のことに、一気に目が覚める。
USBでつないでいるんだからふつうはむしろデジカメを充電しているはずだろ、と思って確かめてみるが、
何度やっても結果は一緒。今回の旅行で唯一の忘れ物はデジカメの充電器で(オレって懲りないなあ……)、
昨日の富山×北九州の試合中にデジカメの電池を入れ替えた記憶がある。その新しい電池が、残量ゼロってことだ。
つまり、いまデジカメを動かせる電池は、サッカーの試合中に一度残量がなくなった電池だけ、ということ。
電池は放っておけばちょっとだけ復活するけど、そんなにたくさん撮れるわけがない。どこまで撮影できるのか……。
そんなわけで、危機感いっぱいで出発の準備をする。しっかり電池を節約しながら動いていかないといけない。困ったことになったなあ、とため息をついて外に出ると、そこは雪国そのもの。真っ白な銀世界なのであった。
天気予報では今日は雪ということで、ある程度の覚悟はしていなくもなかったけど、3月下旬に一面の雪ですぜ。
やっぱり北陸は甘くないなあ……とトボトボ歩いて富山駅を目指す。が、容赦なく積もった雪が、
あっという間に靴を濡らしてしまう。富山駅にたどり着くまでに、しっかりぐちょぐちょになったのであった。
踏んだり蹴ったりとはまさにこのことじゃのう!と思うが、それでかえって開き直ってしまった感じ。富山駅からはいったん西へ動いて高岡へ。ここから南に延びている城端(じょうはな)線に乗ってやるのだ。
いやそんな乗りつぶし目的ではなく、そう、砺波市を歩いてみようと思ったのだ。
でもせっかくだから終点の城端までいちおう行ってみる。城端まで行って引き返して砺波。悪いか!春休み中とはいえ平日なので、けっこう学生の姿が多い。2両の車内に乗客はけっこういっぱいである。
高岡を離れると、城端線は完全に日本の田園風景の中を突っ走る。もっとも、今日はただ一面の雪に覆われていたが。
高岡から城端までは1時間弱。その間、ひたすら同じ光景が続くと言っても過言ではない。
でもよく考えてみると、南へ進んでるわけだから、どんどん山に向かって走っているはずなのだ。
乗っていてもそういう感触はあんまりなくって、平野が延々と続いている印象しかない。
つまり、これが富山ということなのだ。壁のような山々を背後に、平野がただ広がっている風景。これが富山らしさだ。
そして富山湾で海に接するが、海面下では急激に深度が落ち込んでいく。富山の海の幸はその地形による恩恵なのだ。
まったく同じ光景が延々と続くのは退屈ではあったが、それはそれで富山の特性が実感できて有意義だった。城端駅に到着すると、ホームに降りて恒例の最果ての撮影をしてみる。もう、真っ白。雪もしっかり大粒だ。
改札を抜けてロータリーに出て振り返る。城端駅の駅舎は白に塗り込められていた。いや本当に参った。
標高差があり坂の町として知られる城端は、善徳寺の門前町として栄えた歴史があり「越中の小京都」と呼ばれている。
2004年の合併によって、現在は南砺市の一部となっている。そんな城端の中心部は駅から少し南にあり、
街歩きをしようとするとけっこう本格的に時間がかかってしまう。それにさすがにこの雪ではどうしょうもない。
城端の街並みには大いに興味があるのだが、とりあえず今はおとなしく引き返すのだ。
いつか世界遺産にもなっている五箇山の合掌造りの集落と併せて訪れることができるといいなあ、と思う。
L: 城端駅のホームにて。3月の末とは思えない景色だ。やはりこの時期の北陸は甘くないのであった。
R: 城端駅は1897年の開業時からずっと同じ駅舎なのだそうだ。海抜がちょうど123.4mなんだって。15分ほど城端駅周辺をうろついた後、引き返す列車に乗り込む。今度は砺波で降りるのだ。
城端駅から2駅の福光駅でたっぷり人が乗り、福野と砺波でけっこう入れ替わる。
どうやら城端線は地元住民の足としてしっかり機能しているようだ。よかったよかった。砺波駅の改札を抜けると、まずは南口に出る。砺波市の中心市街地は北口の近くなのだが、
市役所は城端線沿いとはいえ、駅からはかなりの距離がある。とりあえず南口から出て、
砺波チューリップ公園を経由して砺波市役所を目指すことにした。やはり砺波といえばチューリップなのだ。しかしながら城端では積もったままだった雪も、砺波辺りまで来るとだいぶ融けはじめていた。
天気がよくなってきたことも大きい。天気予報では雪のはずだったが、空はほとんど青が占めている。
この雪が融けはじめている状態というのは予想以上にクセ者だった。水をたっぷり含んだゼリーみたいで、
踏むと弾けて水が溢れだす、そんな感じなのである。駅から100mもいかないうちに靴は完全に水浸し。
交差点では歩道と車道の境界がたいてい低くなっていて、そこに雪融け水が溜まるのだ。避けられない。
オレはわざわざ何しに来たんだろう……と思いつつ歩を進めるのであった。ふやけちまうぜ!そんなこんなで砺波チューリップ公園に到着。といっても、地面は白一色なのであまり感動はない。
広場も白一面で、芽を出しはじめたであろうチューリップたちは完全に雪に埋まっているのであった。
公園から少し東に行くとチューリップ四季彩館という施設があり、そこでは一年中チューリップを展示している。
日本のチューリップの首都である砺波に来て、生チューリップをひとつも見ないで帰るというのはもったいない。
というわけで、雪のゼリーを踏みつつ車の飛ばしてくる水を避けつつ、四季彩館まで行ってみるのであった。チューリップ四季彩館は特に博物館的な施設というわけでもないようで、なんとも不思議な雰囲気だった。
300円払って中に入ると小規模なアトリウム。その中央にはさまざまな花が飾られており、ほのかな香りが漂っている。
奥へ行くとチューリップスクエア。一口にチューリップといってもさまざまな種類があるわけで、
それらが色とりどりの美しい姿を見せている。でも僕はもっと広々とした空間を想像していたので、なんとなく肩すかし。
その先にはチューリップミュージアム。チューリップの歴史や砺波での栽培の歴史などが学べる一角となっている。
チューリップの原産地は、中央アジアは天山(テンシャン)山脈辺り。ここからトルコへ行って品種改良がなされ、
さらに16世紀ごろにオランダへと渡った。オランダでは「チューリップ狂時代」と呼ばれるほどのブームも巻き起こしたという。
砺波でチューリップの栽培が本格化したのは大正時代。戦前にはアメリカへ球根が輸出されたが、戦争で頓挫。
しかし戦後、栽培を再開させて出荷は着実に伸びていき、現在は世界的な評価を得るまでになっているとな。
L: 砺波チューリップ公園……なのだが、見事に一面の雪景色。芽を出したチューリップはすっかり埋もれていたのであった。
R: チューリップ四季彩館のチューリップスクエア。もっと豪快な花壇を想像していたので、ちょっと残念だった。チューリップ四季彩館を後にすると、砺波市役所を目指す。国道156号をまっすぐ行けばいいので道は簡単なのだが、
ひとつ困った事態が発生した。それは、城端線を越える陸橋があるのだが、その歩道が全面ゼリー状態なのだ。
いや、白く積もった雪の間を融けた水がだくだく流れている状態。雪融け水って、濁りがまったくないんだなー。
……なんて現実逃避もしてみたのだが、これを越えないことには市役所にたどり着くことができないのだ。
もう今さら、濡れている靴がさらに濡れたところで大したことないわ、と開き直って歩きだす。
でもやっぱり、この雪と雪融け水のハーモニーは強烈だった。荒木村重に捕まった黒田官兵衛気分だよ、まったく。ようやくたどり着いた砺波市役所はなかなか変な構成になっていて、それらしい正面がない。
南側が一般来庁者の玄関になっているようだが、いかにも取って付けた印象である。
元は3階建ての1960年代庁舎だったのだろうが、増築を繰り返してかなり複雑な姿になっている。
後でネットで調べてみても、砺波市役所については詳しいデータが見つからなかった。残念である。
L: 砺波市役所の南側にある一般来庁者向け入口。 C: 裏手にまわって最も中心的な建物を撮影してみた。
R: 砺波市役所の増築ぶりはかなり強烈で、建築物としての全体像がまったくもってつかみづらくなっている。帰りは県道20号をトボトボ歩いて駅まで戻る。途中で地元のおばちゃんたちの会話が聞こえてきたのだが、
この時期にこれだけの雪というのはさすがに富山でも珍しいことのようだ。なんでそんなときに来ちゃうかな、自分。
まあでもいちおうは晴れてくれたから、旅行している身としてはそれだけで十分ありがたいのである。雪のせいでかなりの手間がかかってしまったが、砺波駅から市役所までの距離は僕が想像していたより近かった。
おかげでのんびり本町のアーケード商店街まで来ることができた。商店街はやはり、山の麓らしいがまん強さを感じさせた。
10時を過ぎていたのでもっと活気があってもいいだろうと思ったのだが、青空のせいか、暗い雰囲気はなかった。
アーケードは長くなく、規模が小さめだったのは少し意外だった。砺波ってわりと純粋に農村だったのね。本町のアーケード商店街。2ブロックほどの長さしかない。
駅に戻ってもまだ時間的な余裕があったので、ケータイを片手にあれこれ考えごとをする。
やはりほかの地方都市と同じように、砺波でも駅前の商店街はかなり衰退しており、郊外の交通量は多かった。
全国的に見られるこの状態について、名張では生活の郊外社会化として分析した(→2012.2.19)。
その後、福知山では「逆のスプロール現象」という表現を使って考えてみた(→2012.2.25)。
そして今日、砺波を歩いてみて、ひとつの仮説を思いついたのだ。
それは、駅前の商店街の衰退は地方都市レヴェルでの、政治ではなく「経済の分権化」ではないか、ということだ。
(政治には大雑把に、中央集権と地方分権の2種類のやり方がある。奈良時代には仏教が中央集権のツールとなり、
地方で力を持った武士たちは戦国時代という地方分権のピークを自らつくりだした。
その後、明治政府は天皇制を再生産しながら幕藩体制の地方分権を強力に切り崩して中央集権化を図った。
そして現在の日本では盛んに地方分権が叫ばれている。中央集権と地方分権を繰り返して時代は推移してきた。)
今、地方都市は全国的に衰退傾向にあり、駅前商店街はそれを象徴する空間となっている。
城下町にしろ門前町にしろ、かつての地方都市は周辺地域の核として、ある程度の経済的な独立性を保っていた。
しかし近代化を経て、河川による水運中心の流通体制から鉄道網の発達による陸路中心の流通体制に変化する。
この段階で、都市と都市が直接的に結ばれるようになる。都市間で綱引きが発生し、「都市圏」が形成される。
交通網のさらなる充実は「大都市圏」を生み出し、地方都市はさらにエネルギーを吸い取られていくようになる。
(地方都市は「都市圏」として空間的に拡大するが、「大都市圏」に敗れた結果、縮小を余儀なくされる。
その縮小の際に「逆のスプロール現象」が発生すると僕は考えるわけだ。ちなみに名張は「都市圏」未満ね。)
そうなったとき、地方都市では政治的な力と経済的な力のバランスが決定的に不均衡になる。
地方都市は政治的な力を持ってはいるものの、それを経済面で十分に発揮することができなくなってしまうのだ。
そこで逆説が発生する。政治と経済が完全に分離したことで、地方都市の周辺地域の生産力は経済的に独立する。
全国規模のロードサイド店が郊外で林立する光景は、地方都市の経済の中央集権化から離れた周辺地域の
生産力の逆襲、そう捉えられるのではないか。かなり乱暴な議論なんだけど、そういう要素を砺波で僕は嗅ぎ取ったのだ。ケータイにそんな内容のメモを取りながら列車を待つ。それからトイレに行って、改札を抜け、列車に乗り込む。
氷見線(→2010.8.24)だけでなく城端線でもハットリくん列車が走っているのね。
砺波から高岡へ向かう列車の中は、信じられない混雑ぶりだった。本当に、朝のラッシュ時の山手線と変わらない。
ぎゅーぎゅー押されながら、なんでオレは富山でこんな目に遭っているんだろう、と疑問に思うのだが、しょうがない。
結局これは終点の高岡に着くまで続いた。城端線は今すぐ車両の数を増やしていただきたい。さて、高岡駅で北陸本線に乗り換えて富山へ戻るつもりだったが、クロスシートにどっかと腰を下ろしたところで気がついた。
あれ? オレ、ケータイを持ってないじゃん! すべてのポケットの中を探すが、ない。いったいどこで落とした!?
とりあえず、慌てて荷物をつかんで列車を降りる。タッチの差で列車は発車。これは面倒くさいことになった。
すぐに高岡駅の窓口でケータイを落としたことを報告。可能性があるとすれば、さっきの満員の城端線の中か。
いや、砺波駅で夢中でケータイを操作した後、しまい忘れたこともありうる。おそらく、このどっちかだろう。
さっきまで乗っていたハットリくん列車は車庫に入ってしまい、確認するのに時間がかかるとのこと。
ということで、先に砺波駅に確認をとってもらう。改札からちょうど真向かいの位置のベンチに座っていたので、
そのことを報告してもらうと、運がいいことに無事にそこですぐにケータイは発見されたのであった。た、助かった。
書類に住所などを書き、着払いで届けてもらうことに。どうにか一件落着だ。これだけ早く解決するとは、本当に運がいい。
それにしても今週、ケータイを落としたのはこれで二度目だ。ここ何年も、ケータイを落としたことなんてなかったのに。
いったいどうしちまったんだ自分。なんというか、非常に虚しい気分である。僕は旅の行動予定をすべてメールの文面の形でケータイに入れてあるので、これでけっこうピンチになってしまった。
しょうがないので高岡駅のホームにあるキオスクで駅弁と一緒に中部地方限定の時刻表を買ってみた。
ちなみに僕は時刻表を読むことができない。したがって、時刻表なるものを買ったのは生まれて初めてのことなのだ。
それで富山駅へ向かう列車の中で、ずっと時刻表とにらめっこして過ごした。4つ数字が並んでいるのはたぶん時刻なので、
路線の乗り換えで矛盾が起きないようにページを行ったり来たりしてじっくり確かめる。なかなかつらい作業だ。
富山駅に着くと、越中八尾から高山までの特急券と乗車券を買っておく。青春18きっぷでは特急に乗れないからだ。
行けるだけ鈍行で行って、時間の都合に合わせて特急を使う。高山本線は各駅停車が弱いので、そうするよりないのだ。富山を出た各駅停車の列車は、終点の越中八尾駅ですべての乗客を降ろす。僕もその群れに混じって改札を抜けた。
越中八尾といえば、なんといっても「おわら風の盆」だ(→2010.8.24)。今はまったくそのシーズンではないので静か。
駅前はいかにも穏やかな日本の田舎の商店街といった風情である。八尾の中心部は駅からだいぶ離れたところにあり、
そこまで行けるほどの時間的な余裕はない。残念だけど、とりあえず今回は駅前をうろつくだけでガマンするのだ。
地図を見るとかなり特徴的な構造をしている街なので、ぜひ将来訪れてみたいものである。
L: 越中八尾駅。厳しい地形に無理なく線路を引いたためか、八尾の中心部からはかなり離れた位置にある。
R: 駅前の様子。穏やかな商店街となっている。中心部はどんな光景になっているのか、とても気になる。越中八尾駅の駅舎内には石油ストーブがあり、椅子に腰掛けて濡れきった靴と靴下を乾かして列車を待つ。
程なくして特急列車がやってきた。さっき富山駅で買っておいた特急券と乗車券を取り出すと、自由席に腰を下ろす。
特急列車に乗るなんていつ以来のことなのか思い出せない。高岡で買った駅弁を食べていると、もうなんというか、
これが本来の正しい旅なのだ!という気分になってくる。いつも貧乏な旅行ばかりで忘れてしまっていた感覚が、
突然呼び起こされる感じ。そんなわけで、久々に旅情らしい旅情を感じて高山までの優雅な時間を過ごすのであった。高山駅に到着すると、晩メシに向けて駅弁を確保する。2食連続で駅弁とは、われながら贅沢なものである。
でもこの先の旅程を考えると、この方法がいちばんマトモな晩メシになる見込みなのだ。まあ、やむをえまい。
そして今度は青春18きっぷを取り出して改札を抜けると、下りの各駅停車に乗り込む。次の目的地は、ここから1駅。飛騨一ノ宮駅で下車する。駅名が示しているとおり、旧飛騨国の一宮に参拝しようというわけなのだ。
あらかじめGoogleマップをプリントアウトしておいたので、駅から神社までの道のりはわかっている。
駅からまっすぐ行って橋を渡り、交差点を左へ。そこからちょっと行けばすぐに神社の境内にぶつかるのだ。
そこは飛騨一宮水無(みなし)神社だ。ぜんぶで16柱と、だいぶたくさんの神様を祀っている神社である。
かつて島崎藤村の父親が宮司を務めていたとか、熱田神宮の天叢雲剣が一時避難していたとか、
そういうエピソードはあるものの、全体的にはこれといった売りのない神社だなあ、と失礼なことを思いつつ参拝。
L: 飛騨一宮水無神社。住宅が点々としている山沿いにあるが、さすがに立派な雰囲気をしている。
C: 鳥居をくぐって境内に入る。高い木々と余裕のある空間構成がなかなか荘厳。 R: もともとは拝殿だったという絵馬殿。参拝客は石段を上った神門で参拝する。奥には拝殿、さらにその後ろには本殿がある。
飛騨一宮水無神社は位山をご神体としているそうだ。なるほど確かに拝殿の奥にさらに木々があるところが、
同じように背にした山をご神体とする大神神社(→2012.2.18)に似た雰囲気を漂わせている。
L: 神門。ここで参拝する。 R: 神門から奥の拝殿を覗き込んだところ。いかにもこの先にある山がご神体って感じだ。参拝を済ませると、あらためて神社の雰囲気をしばらく味わって過ごす。飛騨ってのは山ばっかりの土地で、
高山を除けばそれなりの規模の街はなかったわけだ。でもむしろそういう土地だからこそ飛騨一宮水無神社は、
質素ながらも確かな信仰を集めてきたのだろうと思う。飛騨の代表という風格は存分に感じられる場所だった。
そんなことを考えつつ、軽く走って飛騨一ノ宮駅まで戻る。列車はやや遅れてやってきた。さて、せっかく高山本線に乗っているわけだから、時間に余裕もあるわけだし、下呂温泉に寄ってみなければなるまい。
南信の人間にとって、下呂温泉というのはわりと馴染みがあるというか、感覚的には近い部類に入るのではないかと思う。
しかしながら僕はまだ一度も行ったことがないのだ。どれだけいいお湯なんだろうとワクワクしながら下車する。
駅舎を出ると、まず右手にある観光案内所へ。そこではかなり丁寧に温泉街への行き方や外湯について説明してくれた。
言われたとおりに地下道で線路をくぐる。そうすると、目の前にパッといかにも温泉街らしい風景が開けるのだ。
なぜ下呂駅が今もわざわざこういう構造のままになっているのかはよくわからないが、とりあえず温泉だ。飛騨川(地元では益田(ました)川と呼ぶそうな)を渡る下呂大橋の上からは、対岸の温泉旅館群が一望できる。
さすがは有名な温泉街だけあって、かなり壮観だ。そして河原に視線を落とすと、そこには噂の河原露天風呂。
入浴は無料で、水着着用が義務となっているのだ。おそらく卒業旅行で来ているのか、
露天風呂では5人ほどの男子大学生らしき皆さんがはしゃいでいた(下呂全体で学生っぽい若者が非常に多かった)。
でも僕としては、露天風呂が想像していたよりもずっと貧相な姿をしていたので、本気でがっくり。
いかにも最近になってわざわざつくられました感が漂っており、入ってみようという気は完全になくなってしまった。下呂の温泉街は、飛騨川へ向かって下ってくる阿多野谷沿いにも広がっている。もっともその分だけ高低差があり、
それが全体的に狭苦しい印象にもつながっている。とりあえず飛騨川と一緒に坂を下っていき、
ちょっと左手に入ったところに下呂市役所があるので撮影。構図をしっかり練ってシャッターを切ったら、
そこでちょうどデジカメの電池が切れてしまった。どうにかギリギリのところまでもってくれた。よかったよかった。
L: 飛騨川(益田川)と、その左岸にかたまっている旅館群。なるほど、これが下呂温泉的な光景か。手前には河原露天風呂がある。
R: 下呂市役所。1966年に下呂町役場として竣工している。実に典型的な役所モダニズム建築である。たまには露天もいいか、ということで、観光案内所で割引券をくれた露天風呂へと歩いていく。
やはり今の季節、外へ裸で出るのはとっても寒い。温泉じたいは適温で、露天風呂ならではのバランスをとりつつ浸かる。
予報で言っていた天気とはまったく異なる青い空を眺めながら入る風呂は、やはり特別な心地よさなのであった。
望みどおりにふやけるまで浸かりまくってから出る。ふわふわした心持ちで街を歩くが、何かが足りない。
それを埋めるべくコンビニに入るが、残念ながら地元の牛乳は売り切れていたのであった。みんな考えることは一緒か。
隣のコーヒー牛乳は最後の1個で、それを購入。店の前で腰に手をやって飲むが、ストローではやはり気分が出ない。
まあともかく、これで温泉に浸かって出た水分はいちおう補給できた。満足して駅まで戻る。やはり温泉はいいなあ。下呂駅の駅舎内にはけっこう広く待ち合いスペースがとられており、そこで日記を書きながら各駅停車の列車を待つ。
石油ストーブのすぐ近くに陣取り、少しでも足下が乾くように地道な努力をしながらがんばってキーをたたく。
そして気分転換に、壁にあった下呂温泉の歴史の紹介を読んでいく。下呂温泉は飛騨川のすぐ近くに源泉があるが、
そのせいで川が氾濫するたびに壊滅的なダメージを受け、粘り強く復興してきたそうだ。
ちなみに「下呂」という名前は昭和に入ってから定着したんだそうで、もともと「下留(しもどめ)」といったそうだ。
それが音読みで「げる」と呼ばれ、訛って「げろ」になって漢字表記も「下呂」へと変化したという。
2004年には合併によって下呂市が誕生。地名の変遷と拡大の経緯が実に興味深い事例だなあと思う。すっかり日が落ちてから列車がやってきた。下呂駅から美濃太田駅まで、そこからさらに岐阜駅まで各駅停車で揺られる。
途中で晩メシに駅弁をいただいた。少しだけ豪華な駅弁にしたのだが、その分の満足感はしっかり得られたのであった。岐阜駅からムーンライトながらに乗って東京へ。天気に振り回された分だけ、いつもより疲れた。
でも下呂温泉でしっかり充電できたはずなので、残り少ない今年度もパワフルにがんばるのだ。
3時39分、長岡着。次に乗る予定の列車は、6時39分発の直江津行きだ。
あと3時間、どうすりゃいいのだ。……どうしょうもない。というわけで、長岡駅の待合室へ行く。
敵もさるもの、ベンチにはわざわざ手すりと称する区切りがあり、横になれないようになっている。
大学院の授業で「環境的不公正」ってやったなあ、と思い出す。自分が当事者になるとムカつく仕様だ。
しょうがないので、空いているスペースの床にそのまま寝転がる。ものすごく冷たい。下に敷く新聞紙が欲しい。
そんな感じで寒さと格闘しながら仮眠をとって過ごした。おかげで大学院時代の夢を見たわ。無事に起きて直江津行きの列車に乗ると、そこからさらに西へと揺られる。
正直、直江津では居多神社をリヴェンジしたくてしたくてたまらなかったのだが(→2011.10.9)、
今日はまだそのタイミングではないのだ。がまんして糸魚川からさらに西の、未知なる街を目指す。
天気予報では今日の北陸は雨もしくは雪とのことだが、柏崎あたりで目を覚ましたときには、
空は分厚い雲と青い部分とが拮抗していた。でもどちらかというと、西には雲が広がり、東に青。
これから訪れようとしている方向に黒い雲が広がっている光景は、非常に切ない。
それでも旅はポジティヴにならなければどうしょうもない。無理やり、かなり楽観的な気分で過ごす。降りた駅は、魚津。今日はまず、この街から探検していくのだ。
さて、僕は今までずっと「うおつ」と勘違いしていたのだが、正しくは「うおづ」と濁る。
高校時代に魚津市出身の数学の先生がいたのだが、丸坊主で痩せていたその先生は、
強歩大会の際にオウム真理教の信者と間違われて職務質問を受けたという伝説の持ち主なのであった。
(デキの悪かった僕は、その先生から「お前、ラーメン大学(→2010.3.16)を目指せ」と言われたことがある。
あと、教育実習のときには「理系だったのにどうして?」と言われた。いやー、記憶に残る生徒だったようで。)
魚津というと僕の頭の中にはその思い出しか出てこない。いいかげん、それを更新しようというわけだ。そんなわけでけっこう楽しみにしていた魚津市探訪だったのだが、改札を抜けるとそこは雪景色。
隣の黒部まではどうにか持ちこたえていたのだが……。ともかく、まずはレンタサイクルの申し込みだ。
魚津の観光案内所は駅を出てすぐ右手にある。中には3人のおばちゃんがいて、あれこれ世話を焼いてくれる。
こんな雪じゃ自転車借りに来る人なんていないでしょ、ということでのぼりを引っ込めたらしいのだが、
いるんですねーここに。おばちゃん方は、電動マウンテンバイクというけっこうな代物を用意してくださった。
でもちょっと世話の焼きすぎではないかと個人的には思った。過保護な母親みたいで僕は苦手です。
レンタサイクルの申し込みが終わったら雪は本格化した感じ。いきなりの先制パンチに戸惑いつつも、
そんなことにひるんでなどいられないわけで、さっそく魚津市役所を目指すのであった。魚津の中心市街地は駅よりも海側(西側)にあるようだ。が、市役所は山側(東側)なのでまずはそっちへ。
さすがに自転車だと非常に快調で、あっという間に魚津市役所に到着してしまう。
雪が舞う中、寒さに震えつつデジカメのシャッターを切る。それほど面白みのない建物だったので、
興味よりも寒さが優先して特にこだわることなくあっさりと撮影を終える。とりあえず、これでよしだ。
L: 魚津駅の西側へと延びている県道128号。さまざまな店舗やオフィスビルが並んでいるメインストリートですな。
C: 魚津市役所。1967年の竣工とのこと。 R: 裏側はこんな感じ。この時期には典型的な、無難な4階建て庁舎だ。さすがに雪がつらくなってきた。駅の脇にある地下道を抜けて海側に出る。
観光案内所では魚津市の施設についていろいろ紹介してもらったが、時間の都合もあるし気力の都合もあるし、
とりあえず最低限ということで、魚津埋没林博物館には行くことに決めていた。
それで走りだしたはいいんだけど、いきなり方向を間違えて冬景色の田園風景の中をしばらくウロウロ。
そしたら「ありそドーム」というド派手な建物があったので思わず撮影してしまった。
ありそドームは正式名称を「魚津テクノスポーツドーム」といい、1998年に竣工している。設計は久米設計。
スポーツ用のアリーナとイベント用のホールが合体した施設だが、周囲の田園風景との違和感がかなり大きい。撮影を終えて、海岸へ向かって走る。海沿いの県道2号に出るが、この道は「しんきろうロード」と名づけられている。
実際に蜃気楼が見えることで有名なんだそうだが、今日のような天気ではとてもとてもそんなものは期待できない。
海の反対側は日本カーバイド工業の工場。すべては天気が悪いせいなのだが、なんだか視界が灰色一色で困った。
L: ありそドーム。総工費64億円の建物が閑散とした田園地帯にいきなり現れると、まるで蜃気楼みたいだわ。
R: 富山湾といえば蜃気楼。天気がよければ見えるんだろうか。右手の柵は日本カーバイド工業の工場。やっとの思いで魚津埋没林博物館に到着。係の人には半分遭難しかけている感じにしか見えなかったろうなあ。
レンタサイクルのカードを見せると団体料金の410円で中に入れるのだが、とにかくあたたまりたかった。
地下道を通って施設の1階にたどり着くと、もうすぐ蜃気楼のハイビジョン映像を上映します、との説明。
1回10分とお手軽そうなので、じゃあ見ましょうか、と1階の展示をサラッと見てから2階のハイビジョンホールへ。
中に入ると300インチのスクリーン。うーん、ありそドームもそうだが、魚津はけっこうハコモノ好きっぽい。
映像の内容はわりと一般的な蜃気楼の説明に終始。きれいな映像をたっぷり見てね、という感じではない。
まあオーロラと違って蜃気楼は現実の物体を映しているわけだから、「変なふうに映って面白い」止まりだよな。
でも春と冬で蜃気楼の見え方が異なるなど、興味深い点もあったので、それはそれで有意義であった。
上映が終わっていちおうそのまま展望台にも行ってみたが、来たときよりも激しい雪ばかりでうんざり。
気を取り直してまずはドーム館から埋没林の展示を見てみるが、あまりうまい構成にはなっていない印象。うーむ、困った。
L: 魚津埋没林博物館。怪しげな建物がいくつか並んでいる。 C: エントランスは県道を挟んだこちら。ここから地下を行く。
R: ドーム館の内部。なんとなく派手なわりには、あまりその建築的な特性を生かした展示になっていなかったなあ……。そもそも埋没林とは何ぞや。1930年、魚津港を建設しているとき、海底に木の根っこが埋まっているのが確認された。
実はこれ、2000年前の杉の木で、その後も同じような根っこがいくつも海中から発掘されたのだ。これが埋没林。
なぜ根っこだけが埋まっていたのかというと、もともとここは杉林だったのだが、川の氾濫で土砂に埋まってしまった。
やがて海面が上昇して、地面から出ていた部分は腐ってなくなってしまった。しかし地下水によって根っこだけは残り、
それが2000年ぶりに日の目を見たというわけなのだ。冷静に考えてみると、これはけっこうすごい話だ。
そしてなんと、水中展示館では、2000年前に埋まった根っこが現在も水中でそのまま保存展示されているのである。
本来、陸上の植物が、水中なのにそのまま残っているというこの不思議。自然の奇跡を目の当たりにした感じ。
L: 水中展示館の中で眠る杉の木の根っこ。本当はもっと薄暗くて、上からだとかなり見づらい。デジカメならではの画像。
C: 水槽を横から眺めると、こんな光景。水面にもうひとつの根っこが反射して逆さに映っている。とにかく、不思議。
R: こちらは乾燥展示館。実際に根っこに触ることができる。感触は……ふつうに杉の木です。薄暗い水中展示館の中では、根っこが2つ、静かに沈んでいる。しかし、ときどき小さな気泡がゆっくり上がっていく。
まさに、眠っているかのようだ。僕らの想像をはるかに超えて、無言のまま歴史を語りながら、ただ眠っている。
しかしまあ、発掘したときにこの根っこの価値がわかった魚津の人って偉いよな。埋没林博物館を出るときには、先ほどとは比べ物にならない荒れ模様になっていたのであった。
雪ははるかに大粒になり、風もビュービュー吹き付ける。のん気に市街地めぐりなど、とてもできない。
本来であればレンタサイクルを活用して海側のアーケード商店街をふらふらしてみたかったのだが、
雪・風と戦いながら駅の西側に戻り、レンタサイクルをさっさと返却。すべてが終わった頃には、
列車がやってくる5分前になっていたのであった。絵に描いたような北陸っぷりにすっかり降参である。魚津を脱出すると、そのまま富山駅まで行く。おととしの夏に来たときには駅は工事中だったが(→2010.8.24)、
いまだに富山駅は工事中で、ホームから改札までやたらと歩かされた。今回の旅はこれがけっこうつらかった。
しかし僕が初めて富山に来たときには(→2006.11.2)、もうここに来る機会なんてないだろうな、
なんて少々感傷的になりながら次の金沢へと向かったのだが、気がつきゃ5年ちょっとで3回目でやんの。
僕にはなじみのない北陸の一都市にすぎないからもう二度と来ないかも、なんて思ったんだけどねえ。はっはっは。
まあ、すべては青春18きっぷのせいだ。あと、ムーンライトながらのせいだ。で、富山駅の仮設駅舎から出ると、そのまま目の前のバス停に停まっていたバスに乗り込む。
富山県総合運動公園への直通バス。そう、カターレ富山の試合を観戦するのである。これが今回のメインイヴェント。
バスに乗ったら加藤弘堅の脱臭シールをくれた。富山もいろいろ工夫しているんだなあ、と思う。
ちなみに加藤は去年まで大木監督率いる京都にいたのだが、なぜか戦力外となってしまった選手だ。
(天皇杯では就職活動を兼ねてか起用され続け、きちんと活躍してみせた。ホントもったいないなあ。)
結局、大木さんの弟子にあたる安間監督率いる富山が加藤を獲得し、加藤は開幕から安定したプレーを続けている。
ケガ人続出の富山では、加藤の活躍がチームの浮沈のカギを握っているのである。そんなことを考えつつ揺られる。甲府駅から小瀬までもけっこうあるなあと思っていたのだが(→2008.3.9)、富山はそれ以上に遠く感じた。
試合会場の富山県総合運動公園陸上競技場に着くと、富山のタオルマフラーを購入。今日は富山サポでいくのだ。
今年の富山のタオルマフラーは3種類の柄があるが、いちばん富山らしい立山連峰が描かれた柄にした。面白い。
そして恒例のスタジアム一周。陸上競技場はトラックの分だけ膨らむのか、思いのほか時間がかかってしまった。
L: 富山県総合運動公園陸上競技場。国体に向けて1993年にオープン、カターレ富山のJリーグ入りに合わせて改修。典型的だ。
C: メインスタンド前にあるオブジェ。手前はトイレで、奥が自動販売機のスペースと案内所になっている。これは斬新で面白い。
R: 試合開始直前、黒い雲の合間に青い空が見えた。それにしても、ここはピッチまでかなり距離を感じるスタジアムだなあ。スタジアムに着いてからは天候は安定してきて、空には青い部分すら見えるようになってきた。
さっきの魚津は何だったんだ、と思いつつメインスタンドへ。富山の座席構成はけっこう独特で、
メインスタンド指定席、メインもバックもOKな自由席、そしてゴール裏の3種類しかないのだ。
せっかくなのでメインスタンドの前めの位置に陣取る。トラックなどがしっかり幅をとってあり、
あまり観戦しやすさを感じられない。サッカー場としては正直あまりうれしくないつくりである。
右を見ればはるばる北九州から来た強者たちが30人ほど。なんだかJFL気分になってしまうが、偉い。
そして左を見ればアッツアツの富山サポが……うーん、あんまりいないなあ。
ほかのスタジアムならゴール裏を埋めるはずの人数が、メインスタンドに分散している感じ。
ゴール裏の富山サポの数は、アウェイのときの人数とあまり変わらない気がするくらいだ。
三ツ沢でも味スタでも西京極でもフクアリでもこれくらいだったように思う(オレもけっこうな富山ウォッチャーだ)。
まあ、それはそれでアウェイに押し掛けるサポの勢いがすごい、ということでもあると思うが。
L: ホームでもアウェイでもあまり量が変わらないゴール裏の富山サポ。 C: 遠路はるばる北九州から来た皆様。お疲れ様です。
R: スカパー!のピッチリポーター・豊田さん。「美人すぎるリポーター」として評判だそうだ。結婚してください。というわけで本日のカターレ富山の相手はギラヴァンツ北九州。J2初年度に1勝12分け23敗という成績を残し、
サッカーファンに強烈な印象を残した2010年のシーズン終了後、なんと監督にカズの兄でおなじみの三浦泰年を招聘。
前年にわずか1勝のチームが監督経験のないヤスに命運を託すという、非常にリスキーな道を選んだ結果、
なんと2年目の昨年に8位に食い込む大健闘をみせたのだ。これは誰も予想できなかった快挙である。
で、そのヤスが率いる北九州のサッカーは両SBがガンガン上がってとっても攻撃的と評判で、
ぜひとも一度はこの目で見てみたい、と思っていたのだ。もっとも今年は昨年ほどの勢いはまだ出ておらず、
前節にようやく初勝利。春休み、その北九州が富山と試合をやるということで、わざわざ来たわけだ。対する富山の置かれている状況もきちんと書いておかねばなるまい。今年の富山は4試合が終わってまだ勝ち星がない。
上述のようにケガ人続出で思うように戦えていないという話なのだが、それにしてもかなり状態は悪そうだ。
果たして富山はホームで初勝利をあげることができるのか。はてまた北九州のサッカーが圧倒するのか。
スタジアムは目の前で富山の初勝利を見たい!という思いでいっぱいなのが、もうヒシヒシと伝わってくる。キックオフからしばらくして、天候は急激に悪くなる。大粒の雪、いや、あられが容赦なく降り注ぐ。
バックスタンドが霞んでみえるくらいの勢いで、観客も選手もたまったもんじゃない。これはひどい。
そうかと思えば急にやんで青い空から太陽が顔を出す。と思った次の瞬間にはまたあられ。気温は4℃だったそうだ。
前に今井町や法隆寺でめちゃくちゃな天気に遭ったことがあるが(→2010.3.29)、
春の気まぐれな天気が思う存分にやりたい放題を繰り広げ、試合への集中力をかき乱してくる。そういう悪いコンディションを差し引いても、富山のパフォーマンスはまったくよくなかった。
とにかく動きが鈍く、走れていないのだ。北九州はヤスに徹底的に足下の技術を鍛えられているようで、
ボールをうまくコントロールしてつないでいく。富山の守備はそのテクニックに押されて後手後手にまわり、
クリアボールもルーズボールもことごとく北九州が拾って前線へ送り続ける展開となる。
富山は自陣に釘付けの状況が続く。たまにボールを持っても全体が連動して押し上がっていかない。
この試合、富山はFWに黒部と苔口を同時に起用する2トップを採用したのだが、攻撃は完全にその2トップ頼みで、
相手の攻撃におびえる3バックと中盤がなかなか前に出ていかないのだ。これでは攻撃も散発的にならざるをえない。
(前半26分に苔口が負傷退場。代わって西川が入るが、その後も2トップ頼みの構図はまったく変わらず。)
しかしサポーターの後押しもあり、富山は北九州の猛攻に耐え抜く。そして前半のロスタイムに入ると、
前半終了までもうあとほんの少しということでか、全体が一気に押し上がるシーンが生まれる。そのチャンスに、
ゴール前中央の本当に狭いスペースでうまく富山がパスを交換して最後は西川が移籍後初ゴールを決める。
今期初勝利に向けて大きな一歩を踏み出した富山にスタジアムは大いに沸いたまま、前半が終了。
L: 試合開始からしばらくして、青空はすっかり消えて、雪やあられが降り注ぐ。この状況はやる方も見る方もつらい。
C: 池元に指示を出すヤス。身なりをもうちょいなんとかしていただかないとただのおっさんに見えちゃうぞ。
R: 前半ロスタイム、ゴール前で細かくつないだ富山が念願の先制点を奪う。気迫で押し込んだ感じにも見えた。後半、多少は天候はマシになったのだが、富山のサッカーはあまり改善されていなかった。
開始直後の48分、池元のヘッドであっさり北九州が同点に追いつく。ところがホームで初勝利をあげたい富山は、
50分にCKから黒部がポストギリギリのところにうまく頭で流し込んで勝ち越しに成功。これは取れないわ。
富山は勝ちたいという気持ちが徐々にプレーに出てきて、なんとか2-1のまま行けそうな気配が漂ってくる。
L: ハーフタイム、両チームの選手がごっちゃになってロッカールームへ。メインスタンドから応援の声がかかる。
C: 後半開始からすぐに北九州が同点に追いつく。あーあ。 R: と思ったら黒部がゴール。さすがFWだと思ったわ。しかしやはり、富山の攻撃時の押し上がりは遅い。動きのいい北九州がだんだんペースを握っていき、
66分に18歳のルーキー・渡がこぼれ球を押し込んで同点。北九州サポの数が少ないこともあり歓声が聞こえず、
ゴールしたのかよくわからなかったのだが、富山の選手たちはボールを中央に運んでキックオフ。
それでようやく、ああ、本当に失点したんだ、と気づく感じ。富山の場内アナウンスはもうちょっと工夫してほしい。これで2-2、勝負はふりだしに戻った。こうなるともう、純粋に、勝ちたい気持ちを表現した方が勝つ。
僕はいつも部活の試合でやっているような感じで「全体の押し上がりをもっと速く!」「プレス遅い!」などと、
周りの観客に混じって大声を出してしまっていて、迷惑なエセ監督ぶりを発揮してしまってすいません。
でも富山のプレーに弱気さ、思い切りのなさを感じてフラストレーションがたまっていたことは事実だ。
そして85分、北九州がショートコーナーからきれいにシュートを決めてついに逆転してしまう。
富山は残りの時間、必死に相手を押し込むが、肝心なところで精度を欠くプレーに終始して、そのまま試合終了。
L: 試合終了が近づいてきた後半85分、ついに北九州が逆転。富山は最後のところで臆病さが出てしまった印象。
C: 今シーズンはなかなか結果が出ない安間監督。それでもサポーターからの信頼はかなり厚そうな感じだが……。
R: メインスタンドに挨拶する富山の皆さん。ゴール裏のサポーターは選手たちを拍手で迎えたが、がまん強いと思う。正直に書く。富山はかなり重症だ。今のサッカーを続けている限り、初勝利はシーズン半ばを越えてからになるだろう。
3-6-1だとか3-5-2だとか、システムの問題ではない。やっているサッカーが、完全に受け身の、臆病者のサッカーだ。
僕はこの試合を観戦して、ひどくショックを受けた。昨シーズンあった躍動感が、まったくなくなっていたからだ。
横浜FC戦(→2011.3.6)にしても、FC東京戦(→2011.5.8)にしても、千葉戦(→2011.8.21)にしても、
ひたむきに走って、相手に対して果敢にチャレンジするサッカーを展開していた。だから贔屓していたのだ。
でも今の富山に応援したくなる要素は皆無に近い。相手がボールを持ってもプレスに行かず後ずさりながら見ているだけ、
味方がボールを持っても追い越したり押し上がったりする動きがない、典型的な弱いチームの特徴しか出ていない。
あの躍動感にあふれていた富山はどこへ行ってしまったのか? 味方がボールを持った瞬間、
周囲の選手がダッシュで空いているスペースへ散らばっていった、あの勇気のある富山はどこへ行ったのか?
安間監督は試合後のコメントでは強気を貫いていたが、僕は解任もチラつくレヴェルの試合だったと思っている。
去年より積み上げると言っていたのに、内容は明らかに去年より後退している。もう一度言う。重症だ。一方の北九州は、これはもう一言、良くも悪くも非常にヨミウリっぽいチームカラーである。
ヤスが監督になったことで、北九州はヨミウリらしさを存分に身につけたチームとなった。
良さという点では、確かな足下の技術を生かしたパスワークによる崩し、SBが積極的に上がる攻撃重視の姿勢。
ただし、ヨミウリっぽさとはズルさも意味する。スローインする場所のごまかし、逆転後の時間の使い方、
正直あまりクリーンな印象が残らない。だから僕としては、イマイチ評価をしたくないチームである。
(調べてみたら、ヤス監督が就任した昨シーズン、北九州は反則ポイント・反則金がJリーグ全クラブ中最多だったと。)
あと、この日は審判がまるで見えていなくって、結果として北九州寄りの判定が多かった。
北九州に逆転されて以降の富山の猛攻で判定のバランスをとったのがありありとわかる。遅えっての。しかしいくら天候がめちゃくちゃだったとはいえ、ホームの試合に1692人(オレ含む)ってどうよ。
スタジアムだってそんなにいいわけじゃないし、それならAC長野パルセイロと入れ替えたらどう?
本気でそう思った。まあとにかく、監督も選手もサポーターも、富山がんばれ。お前らそんなもんじゃないはずだ。富山の変貌ぶりにがっくりしつつ、気がついたら寝ていたようで、あっという間に富山駅。
ポケットの青春18きっぷを再び取り出し、せっかくなのでもう1ヶ所、市役所めぐりと街歩きをするのだ。
さっきとは逆方向の北陸本線に揺られ、魚津を通り越して黒部へ。本日は黒部市で締めるのだ。
黒部と聞いたら「黒部ダム」と反応してしまうが、実は黒部ダムがあるのは立山町なのだ。
でも『ウルトラマン』(→2012.2.27)のハヤタ隊員役・黒部進は黒部市出身だからその芸名なのだ。これでいいのだ。JRの黒部駅は市街地からは少し離れた位置にある。近くにホテルがあるのだが、めぼしい建物はそれだけで、
非常に閑散としている印象である。とりあえず、ひたすらまっすぐ東へと進んでいく。
しばらく行くと、富山地方鉄道の電鉄黒部駅の辺りに到達する。ここからが市街地という感じ。
商店街はとても穏やか。地方都市らしくダメージを受けつつも、それなりに細々とがんばっている印象だ。
さらに進んでいくととっても昭和っぽい電光掲示板のあるアーチがあって、一気に懐かしい気分になってしまった。
山の麓の都市にある昔ながらの商店街には、独特な風情があると思うのだ。僕の原風景なのかもしれない。
L: 後ほど撮影した電鉄黒部駅。停まっていたタクシーは「くろべ交通」と「桜井交通」。『ウルトラマン』のファンには聖地ですかね。
C: 電鉄黒部駅まで行くとようやく商店街が登場。 R: このアーチは実に風情があっていい。ああ、なんだか懐かしくなるわ。その電光掲示板つきアーチのすぐ手前を北に入ると黒部市役所である。質素でありつつも風格を感じさせる。
1952年竣工ということで、少し南に行った旧三日市小学校跡地に新しい庁舎を建設することがすでに決定している。
ちなみに、設計者はプロポーザルを経て山下設計が選ばれている。で、今の市役所の跡地利用は決まっていない。
個人的には現在の庁舎はかなり好きだ。無名でも味のある建築が簡単に壊されちゃうのは淋しいなあ。
L: 黒部市役所。商店街の中、少し奥まった位置にある。いかにも昭和っぽい空間構成で面白いんだけどなあ。
C: 近づいて撮影してみた。左側にくっついているのは1963年竣工の新館と思われる。 R: 市役所の裏側。けっこう差がある。黒部市は山の方へ行けば宇奈月温泉があるのだが(黒部市は2006年に宇奈月町と合併した)、
市街地には特にこれといった観光資源があるわけではない。市役所を撮影すると、駅までトボトボ歩いて戻り、
そのまま列車で富山駅へ。ぜひいつか黒部峡谷鉄道に乗ってみたいもんだねえ。晩メシをどうしようか考えながら富山駅に到着すると、仮設駅舎の手前にある土産物店の一角で、
「白えび天丼」なるものを発見。そりゃもう、食べるしかないでしょ!ということで注文。
残念だったのは、ご飯を大盛にしたのだが、それでも少ないくらいだったこと。
もともとの丼のサイズが手のひらサイズだもん、まあしょうがないんだけど、個人的にはけっこう残念。
まあでも、非常に富山らしいものを食えたのはとてもよかった。おいしゅうございましたよ。白えび天丼。白えびは正式にはシラエビというんだと。
富山市役所に近い宿に入ると、そのままMacBookAirにデジカメをつないで画像を整理。
富山は繁華街が駅から遠いので、外に出てハッスルすることはないのだ。僕がハッスルできる場所もないしね。
ムーンライトえちごの強行軍でさすがに疲れていたのか、気がつけば画像整理の途中で寝ていたのであった。
天気予報じゃ晴れのはずなのに雨が残って部活ができず。部活開始予定時刻をちょっとすぎたところで雨があがった。
でもどのみち、グラウンドはとてもサッカーができるようなコンディションではないので、本日は何もできず。
なんとも低調なものである。春休みに入って、いきなりテンションがガタ落ちである。◇
夜になって新宿駅に移動。春休みじゃ、どっか行かせろ!ということで、毎度おなじみの一人旅である。
今回は初めて「ムーンライトえちご」というものに乗ってみた。ムーンライトシリーズの元祖なのだ。
「ながら」と違い、「えちご」は距離が短いこともあって、新潟県に入る時刻が早い。
僕は長岡で降りる予定で、到着時刻が午前3時39分。これはいくらなんでも早すぎる。
長岡でうまく時間を使う特にいいアイデアもないまま、列車は北へと走りだすのであった。ムーンライトえちご。東北方面へ出るには便利、なのか?
車内はあっという間に満席に。高崎で車掌が来て切符のチェックをした以外は、昏々と寝っこけた。
本日は修了式ということで、これにて平成23年度の授業日は終了なのである。お疲れ様でしたなのである。
これで僕は1・2・3とすべての学年を経験してひとまわりしたわけだ。もう「わかって」いなくちゃいけないのだ。
そう考えると、こないだの卒業式とはまた別の意味で緊張感のある修了式なのであった。午後になり生徒たちがいなくなると、学校の中の雰囲気は、さっきまでの日常とはまったく別のものへと変わる。
束の間の休息の時を迎えて、まるでじっとうずくまって呼吸を整えているような、そんな空気に染まる。
でももうちょっとすれば、何ごともなかったかのように喧噪ばかりの日々が始まるのだ。ここはそういう場所なのだ。
しかし、確実に時間は経っており、変化は起きている。昨日と同じ今日などありえない。
果たして僕は来年度、どのようにふるまっていくべきか。少しばかりの余裕の中で、静かに考えてみるのであった。
本年度最後の授業。忙しくっていろいろ思うように内容を工夫できなかったのは大きな課題である。
スケジュールがギッチギチでどうしょうもなかったのは事実なんだけど、それを賢く乗り越えたうえで、
もっとうまくできなかったもんかと素直に反省しております。特に少人数じゃない1年生には迷惑かけたなあ……。
来年度は教科書が変わるので負担が大きいのだが、「使える」教科書になるので、そこはポジティヴにいきたい。
うまくできなかった経験を繰り返さないように、引き出しを増やしていきたいと心底思っております。◇
午後には大掃除があったのだが、まじめな生徒たちのおかげで予定どおりにタスクをこなすことができた。
大まかな指示はこっちが出すんだけど、それをきちんと受け止めて想定以上のクオリティでやってくれる。
実に優秀、優秀。いろいろ期待されている2年生たちだが、掃除ひとつとっても安心感がある。大変すばらしい。
上から来年度の話が具体的にあったのだが、なんというか、びっくり。
誰もが予想していたであろう「マツシマが満を持して担任」ではなく、来年度も副担任とのこと。
誤解を招きそうだが正直に書くと、僕はそれほど担任という役割にこだわりはないし、こだわりたくない。
周りを見ていると、担任を持ちたがる先生がけっこういるのだが、僕にそういう感覚はあんまりない。
もし担任になることでクラスを「所有する」感覚になるとしたら、これは絶対に間違っていると思う。
ただ、担任を持って一人前という感覚は正しいとは思う。要するに、担任という役割についてドライなだけなのだ。
クラスという刺激を与えあう空間のコントロールを主にする役割、それ以上でも以下でもなく考えている。
(まあこれは担任を持ったことのない人間の「気楽さ」ゆえだ、と言われれば返す言葉はございませんが。)来年度も副担任、と言われた僕の頭の中は、見事に対立する2つの意見が渦を巻いている状態である。
ひとつは「いや、ここで担任をやらないと、人間としてマズいだろ」というもの。僕はもう、決して若くないのだ。
でももうひとつ「これで生徒へのダメージが最小限で外に出られるぞ、授業の質を上げることに専念できるぞ」という、
偽らざる気持ちもある。この2つの意見が僕の中で猛烈に葛藤して、完全に身動きが取れなくなってしまった。夜は中華街で学年の締めの会が開催されたのだが、話題の半分はこのことでしたな。
周りの先生は100%、いかに僕が来年度に担任をやる方向へと事態を変えるか真剣に検討してくださったが、
僕としてはいろいろと思うところがありすぎて、半分思考停止で今後食えなくなるフカヒレうまいですと現実逃避。
教員としての常識的な感覚というものを僕が徹底的に拒否していることが事態をややこしくしているのは明白だが、
そこを譲るつもりもないのでなー。もう本当に困った。どうしょうもないですぜ。ええい、もう、なるようになれ。
昨日のダメージはあまりにデカく、今日は房総半島へのお出かけを予定していたのだが、見事に失敗した。
事前に立てておいた計画では、始発に乗らないといけなかったのだ。でもさすがに起きられなかった。無理、無理。
結局、昼近くになってようやく起き上がり、落としたケータイを回収してそのまま近辺をブラつくに留めた。房総半島を完全制覇する計画は、もう2年以上前から練っている。しかしなぜか、これがなかなか実行できない。
ホリデー・パスだと西は木更津、東は茂原が限界なので、それより先へ行くには青春18きっぷを使いたい。
素直に正規の料金で行くと、けっこうな出費になるのである。ホリデー・パスを絡めてもけっこうかかってしまう。
また、あちこち動きまわる予定が詰め込まれているので、日が早く沈む冬にはちょっと無理な計画なのだ。
それで春分の日になら実行できそうだ、と考えていたのだが、まさかこんな形で失敗してしまうとは……。無念である。
こうなったら、今年の夏に絶対に実行してやろうと思う。意地でもやってやるもんね!
謝恩会なのであった。わかってはいたのだが、周りがみんな年上でオトナだからすげーやりづらいのであった。
何をやるにも「僕みたいな若造がスイマセン」になっちゃうもんなあ。最初から最後までなんだか申し訳なかった。
花束をもらうのも非常に照れて困る。卒業式のときも生徒が花束をくれて照れてリアクションできなかったが、
なんとかならんもんなのか。ふだん裏でコソコソとアホをやっているのに慣れきっていると、本当に困る。2次会はカラオケということで、当然のごとく『あの鐘を鳴らすのはあなた』を熱唱し、『ヤングマン』で盛り上げる。
しかし皆さん飽きるということを知らないのか、とんでもないエネルギーで歌が続いていくのであった。
日付が変わる頃にフラフラになって撤退。あまりにフラフラで、部屋にケータイを落として帰ったのであった。
天気がよくなかったんだけど、意を決してJFLの第2節、Y.S.C.C.×AC長野パルセイロを観に行くことにした。
場所が横浜の三ツ沢球技場で、そこに長野パルセイロが来るっていうんだから、ちょっと「ずく」を出したのだ。
自転車で三ツ沢に行くのは久しぶりなので、細かいところでの要領を忘れてしまっていた。
基本的には都道で神奈川県道2号の綱島街道を港北区役所まで突っ走り、新横浜駅の脇を抜ければいいのだが、
途中に階段しかない陸橋という曲者が2箇所ある。いいかげんな僕の記憶はそれも含めて、
三ツ沢へのルートの面倒くさい部分をバッサリと忘れており、思っていたよりも苦労して到着した感じである。
両チームのメンバー発表のアナウンスを聞きながら当日券を買って中に入るのであった。松本山雅FCが4位ながらJリーグに昇格してしまったことで「取り残された」前年2位のAC長野パルセイロ。
Jリーグ準加盟申請をしたもののスタジアムの規模がまったく足りずに却下され、すぐにJリーグには上がれない。
今の長野パルセイロにできることは、とにかくJFLで好成績を残して観客を増やし、経営規模を拡大すること。
幸いにも薩川監督が今期も指揮を執ることになり、JFLの雄としての地位を固めることが期待される。対するY.S.C.C.は今期からJFLに昇格してきたチーム。横浜フリューゲルスの受け皿候補となった過去もあるが、
一貫してプロ化を拒否して地元に密着したスポーツクラブとしてここまで来たチームだ。
(Y.S.C.C.とは「横浜スポーツ&カルチャークラブ」の略。NPO法人が運営の主体である。)
山雅と町田がJに上がり、アルテ高崎とジェフリザーブスがJFLから抜けて、その代わりにやってきた昇格組とはいえ、
去年昇格組だった長野がいきなり2位に入ったことで、JFLを目指して切磋琢磨してきたチームの強さは実証済み。
先週の初戦で同じく今期昇格してきた藤枝を4-0で破った長野は、引き続き油断できない相手と戦うことになる。純粋に薩川監督が展開する長野のサッカーの内容も気になるのだが、もうひとつ気になるのがサポーターの盛り上がり。
Jリーグに昇格した松本山雅のサポーターが「J1レヴェル」とあちこちで賞賛されているのに対し、
果たして長野の皆さんはどれだけ熱いのか。アウェイゲームにどれだけ駆けつけて、熱のこもった応援をするのか。
長野パルセイロも松本山雅も絶対に応援しない僕だが、都市社会学的な興味関心から、
そして南信出身で対岸の火事を見つめる野次馬根性から、「信州ダービー」のファンではある。
ゆえに、Jの舞台に持ち越しとなってしまった信州ダービーを、もう一度この目で見たいと強く思っている。
それを実現するには長野のサポーターがクラブを熱心に支えるしかないのだ。その度合を確かめたいのである。三ツ沢球技場はメインスタンドのみが開放され、両チームのサポーターはそれぞれ両端を押さえていた。
僕はわりと長野寄りの位置で、長野サポと長野の選手の両方を観察しながら過ごすことにした。
熱狂的なサポは端っこで立ちっぱなしだが、穏健的なサポもけっこう多く、これには正直驚いた。
そしてY.S.C.C.もサッカースクールの生徒やOBが中心になっているのか、こちらも意外と声が大きい。
L: 練習中の長野パルセイロの選手たち。 C: 薩川監督。いいサッカーだと思ったが(→2011.4.30)、まさか2位とは。すごい。
R: 熱狂的な長野サポの皆さん。こういう衆がどれだけ増えるかが、松本山雅に追いつくためのカギなのだ。試合が始まると、まずは長野が積極的に攻めまくる。宇野沢と松尾の2トップを軸にして相手陣内へ果敢に入る。
その勢いそのままに、先制点は長野に転がり込んだ。前半5分、中盤からいきなりロングフィードが右サイドに出て、
抜け出してボールをうまく拾った宇野沢がGKと1対1の状況を素早くつくり、落ち着いてシュートを決める。
Y.S.C.C.は一瞬の対応が遅れて守備を破られた格好。かなりあっけない先制ぶりに、JFLっぽいなあ、と思う。ところがY.S.C.C.も集中していいサッカーをしてみせる。ディフェンスラインが勇気を持って高い位置を取り、
長野のFWは思うように動けない。Y.S.C.C.は中盤で素早いプレスをかけて長野が落ち着いてボールを回せないようにし、
長野のFWへはいいボールが入らなくなる。ボールが出ても長野FWはオフサイドを恐れて対応が遅くなっており、
また高いディフェンスラインのせいでゴールまでの距離が長くなっているのでボールをうまく前へ運べない。
時間が経つにつれてY.S.C.C.は守備が機能していることから自信を持ちはじめ、よりプレスが積極的になっていく。
ボールを奪ってから早めにシュートを放つが長野のGK諏訪に防がれる、というシーンもつくりはじめる。
そんな26分、Y.S.C.C.が左サイドでつないだボールが中央右の10番・辻に出る。冷静にドリブルで長野DFをかわすと、
そのままニアサイドに豪快なシュートを叩き込んだ。長野サポも見とれるほどのファインゴール。やはりJFLに上がってくるチームはレヴェルが高い!と思わされた一発。
やがて長野のディフェンスラインに対しても前線からのショートカウンターが決まりだし、Y.S.C.C.が試合のペースを握る。
そのまま前半は完全にY.S.C.C.のペースとなって終了。小雨がパラつく天候で湿度が高いせいなのか、
今日の長野は泣けてくるほど走れていない。全体の運動量が少なく、特に攻撃時の押し上がりがめちゃくちゃ遅い。
局所的にスピードを上げてプレスをかけるY.S.C.C.とは対照的に、長野の選択肢は「逃げ」がほとんど。
地力で言ったら長野の方が上のはずなのだが、これじゃどっちがJFLの先輩なのかわからない。しかし薩川監督はハーフタイムにきっちり修正してくる。相変わらずそれほど走れている感じはなかったのだが、
後半の長野はより攻める姿勢を明確にし、中盤で激しい応酬を繰り返しながらも、徐々にY.S.C.C.を押し込んでいく。
中盤での競り合いが激しくなった場合、セカンドボールを確実に拾えるかどうかがより重要になる。
スペースを埋めてセカンドボールを押さえるセンスとはつまり、相手よりも多く動くということにほかならない。
そしてもうひとつ、足下の技術の高さが勝負を分ける。ボールをしっかり確保し、フリーの味方に確実に渡すこと。
そうしてひとつひとつのプレーを前へとつないでいくことで差が生まれる(大木京都はそれに特化しているわけだ)。
後半の長野は球際で負けないだけの強さを取り戻し、勢いに押されたY.S.C.C.はだんだんと自陣へ下がっていく。
もちろんY.S.C.C.にもいいカウンターの場面は何度かあったのだが、長野の泥臭さがそれを上回った。
(一度、バックパスに対するGKの反応が遅れて危うくオウンゴールしかけたシーンがあって、大いに焦った。
GKがぎりぎりで追いついたとき、ボールはゴールライン上だった。JFLはキーパーの凡ミスがどうも多い気がする。)
押し込む長野はCKのチャンスを何度も得る。これによってY.S.C.C.の守備の意識はさらに低い位置に下がっていく。
中盤にスペースが生まれたことで、長野は本来のパスで崩すスタイルが機能しはじめる。でもなかなかゴールが割れない。ロスタイムに入ったかどうか、というタイミングで長野がFKを得る。遠めからのFKに、途中出場の野澤がヘッドで触り、
角度を変えてゴール。CKが続いていたので、遠い位置からのFKは守備側に距離感のズレがあったのかもしれない。
ともかく、後ろからのボールに反応し、相手GKの目の前に飛び出して見事に合わせたシュートはすばらしかった。
L: 後半に入って攻勢に出る長野。Y.S.C.C.も積極的なプレスからリズムをつかもうとするが、長野がひるまず押しきった印象。
C: FKに野澤がヘッドで合わせた得点シーン。守り疲れて集中が途切れたところを上手く衝いたゴールだった。
R: 土壇場での得点に喜びを爆発させる長野の皆さん。最後の最後で点を搾り取ることができるのは、強いチームの証拠。悪くてもそれを修正し、最後には勝ちきる。長野パルセイロは非常にたくましいサッカーをするチームになっていた。
一方のY.S.C.C.も、チャレンジャーとして本当に見事な戦いぶりを見せてくれた。文句なしの好ゲームだった。
試合が終わった瞬間、長野サポから「これは面白いチームが上がってきたぞ!」という声が聞こえてきたが、
それは観客席にいたみんなが思ったことだろう。Y.S.C.C.のひたむきなサッカーは、観客を惹き付けるものがあった。
L: 試合終了後、長野サイドに来て挨拶をするY.S.C.C.の皆さん(長野の選手もY.S.C.C.側に行って挨拶)。すがすがしい。
C: クリーンで熱い試合だったからか、試合が終わるとものすごくノーサイドな雰囲気。非常にほほえましかったです。
R: サポーターに挨拶する長野の選手たち。難しい試合でも勝ちきる力をつけた感じ。今シーズン、どこまで行けるか。JFLは選手と観客の間もとっても近い。選手に気軽に声がかかり、それに選手も丁寧に応じてみせる。
まるっきり日常的な会話が交わされることも珍しくなく、そこからクラブの地元への密着ぶりもまた垣間見える。
相手への敬意、選手への敬意、観客への敬意、そういったサッカーの持つポジティヴな雰囲気がすべて出た、
本当にすばらしい試合だった。天気が怪しい中、わざわざ「ずく」を出して観に来た甲斐があったよ。
L: サポーターへの挨拶が終わって即、その場でミーティングというか反省会。すごいな長野。すごいな薩川。
C: 草津から加入した佐田が誕生日ということで、手荒い祝福を受けるの図。おめでとうございます。
R: 試合終了後、さっきまで試合に出ていたY.S.C.C.の選手たちが観客を迎える。長野の寺田もサポと写真を撮っていた。規模が大きくないからこそ、クラブや選手と近い距離感が保てる。JFLにはそういう良さがある。
そしてこの距離感が、クラブを成長させていく本当の力を生んでいくはずなのだ。
長野は松本山雅と比べれば、サポーターの数といい街の熱さといい、まだまだいろいろ発展途上なんだろう。
でも一歩一歩、確かな歩みを続けている雰囲気は十分に感じ取れた。またY.S.C.C.にもそれを感じた。
実力がありながらJFLに留まるという今の状況は、長い目で見れば長野というクラブには大きなプラスをもたらすだろう。
じっくりとクラブへの支持を熟成させて、本物のサポートを引き出していくことができれば、
上のカテゴリーに上がったとき、圧倒的な爆発力となって大きな旋風を起こすことができるだろう。
その予感をしっかりと感じることができる試合だったし、JFLというカテゴリーの魅力もまた感じることのできる試合だった。
きっと近い将来に行われるであろう「信州ダービー」が、さらに待ち遠しくなった。
やはり卒業式までの日々でそうとうエネルギーを消費したのか、一日中ずっと腑抜けであった。
本当に、何をするというわけでもなく、ただぼけーっとしているだけ。時間がもったいない!という気も起きない。
まあつまり、それだけ密度の濃い3年間を過ごしていたってことなんだろう。おかげで今日は本当に「虚ろ」だった。
本日は3年間教えてきた生徒たちの卒業式。さぞかし感慨深いんだろうとお思いの皆さん、
ここんところめちゃくちゃ忙しかったこともあって、何がなんだかよくわからないまんま今日になってしまった感じ。
僕は3年生の教員ということで、式の準備に特に関わることもなく、ただただ疲れきって呆けていただけ。
(いちおう卒業式練習では司会進行役を務めて、厳かな雰囲気づくりに多大なる貢献をしていたつもり。)
本番も静かに最前列の席に着いていればいいだけで、トラブルが発生しないように祈っているくらいしかない。
例年は体育館裏の放送室でドタバタしていて何がなんだかわかんないうちに卒業式が無事終わる、という感じだが、
今年は今年でじっとしているにもかかわらず、やっぱり何がなんだかよくわからないままで式が無事に終わった。式が終わると学年で使っている学習室に集まって最後の学年集会を軽くやって、校庭に出て生徒と一緒に学校を出る。
記念撮影をする人々でしばらく校門前は騒がしいまま。近所の公園へ移動して写真を撮影して解散となるはずだが、
なかなか移動しない。それだけ名残惜しいということなんだろう、と解釈しておく。
やっとこさ公園へ行っても写真撮影祭りは収まらない。ほどほどのところで教員たちは撤退。あっという間の3年間は、やっぱりあっけない幕切れだった。すべてが猛スピードで走り抜けていった。
この3年間を、まったく言語化することができない。一言でまとめるなんてとてもとても無理だし、
まとめようとしてもどれくらいの分量の言葉が必要になるのか想像もつかない。ただただ面食らったままでいる。
時間が経って再び連中が僕の前に現れたとき、どう思うんだろうか。今はそのことを、楽しみに待つとしようか。
芦原義信『街並みの美学』。大学時代、ゼミ論文を書く際に読んだ本である。
当時の僕はさいたま新都心について調べていたのだが、「けやきひろば」について論じる必要が出てきて、
そこで恩師にこの本を紹介してもらった……気がする。あらためてじっくり読み直してみて、感じたことを書いていくのだ。
(自分でも意外だったが、この日記できちんとこの本を扱ったことがなかった。後日書くことになる伊勢の旅行記のために、
どうしてもきちんとこの本の内容を紹介しておく必要があったので、今さらになって扱ったわけです……。)建築というのは1つの個体であり、これが線的に並んで集まることで街並み(家並み)が形成される。
それがさらに面的(さらには立体的に)集合して都市となるのだが、この本がターゲットとするのは、街並みのレヴェルだ。
筆者は非常に丁寧に、まず西洋の石造建築と日本の木造建築の考え方の決定的な違いを分析することから始めて、
和辻哲郎の『風土』(→2008.12.28)の示唆を受け入れつつ、西洋の外部と内部の境界について論じていく。
西洋の外部/内部の境界は分厚い壁で仕切られるが、それは個室から都市の城壁まで拡大・縮小するものである。
境界をどこに置くかにより外部にも内部にもなりうるため、空間は外部性と内部性を同時に持たされてつくられる。
そのため、西洋の街並みは私有地でも、通行人にも開いた公共の空間として成立しているというわけだ。
日本の場合、「うち」と「そと」の言葉が空間だけでなくコミュニティの内部と外部をも意味している。
そして「うち」では個の消失が発生し、対照的に「そと」へは徹底的な排他性を見せるという特徴がある。
結果、住宅では隔絶度のゆるい障子や襖が壁に代わる仕切りとなる一方、無表情な塀で敷地が囲まれる。
(端的に言えば、それは家に入るとき靴を履いたまま/脱ぐの差として現れる。和辻の表現を借りるなら、
西洋人は靴を履いたままでいることにより、床よりも壁による空間の仕切りを重視する自己を了解する。
日本人は靴を脱いで床の心地よさを感じることにより、壁よりも床による空間の仕切りを重視する自己を了解する。)
西洋では外部と内部の境界は自在に変えることができる。でも日本だと外部は外部、内部は内部で境界は動かせない。
「そと」への無関心によって、日本の街並みは魅力に乏しいものとなっている、と筆者は論じる。見事な指摘である。続いて筆者は、ゲシュタルト心理学における「図」と「地」の逆転から、空間の外部性と内部性について切り込む。
まず空間内の建築を「図」、街路を「地」と捉える。これを白黒反転させたとき、西洋の都市には違和感があまりない。
西洋の街並みが外部にも内部にもなりうる空間であることを視覚的に示したわけだ。実に鮮やか、百聞は一見に如かず。
日本の都市はネガフィルムのように建築は建築、街路は街路のままで反転する。外部と内部の境界は動かないのだ。
「図」と「地」が逆転可能な公共性のある空間をつくる必要性、問題意識を筆者は見事に提起している。
空間を壁で区切り屋根をかけたものが建築なら、それと反転可能な空間は当然、「屋根のない、建築の内部」となる。
つまり、建築の外皮を隙間なく連ねて囲んだ広場をつくれば、それが反転して「図」になりうる空間となるわけだ。
(かつてハイレッド・センターが「宇宙の缶詰」をつくったことがある(『東京ミキサー計画』参照 →2004.12.20)。
ふつうの缶詰は、缶の外側にラベルを印刷して中身を閉じ込めるが、ハイレッド・センターは缶の内側にラベルを印刷し、
それをそのまま閉じてしまった。つまり、これでわれわれの住んでいる宇宙が缶の中身になってしまったわけだ。
公共性のある魅力的な広場とは、内側にラベルの印刷されたこの「宇宙の缶詰」のようなものだと言えるだろう。)
そして筆者は街路の幅と建築の高さの比という概念を持ち出し、街並みを魅力あるものとして眺められる条件を探る。
さらに凄いのは、「図」と「地」が逆転可能な空間となるための条件として、「入り隅み」を挙げたことだ。
「入り隅み」の空間とは、四方が凸ではなく凹になっている囲まれた空間のこと。これをつくれば、
「図」と「地」が逆転可能な、まるで建築の内部にいるかのような居心地のよい広場が生まれる、というのである。というわけで、この本の本当に偉いところは、単なる分析に終わることなく、きちんと実現できるアイデアを出していることだ。
街路空間については、西洋の事例を参考に、日本でも塀を撤去して前庭をつくり公共性を持たせることを提案している。
商業地域では看板を撤去して建築のファサードを見せるように提案し、実際に銀座通りの改造案を出している。
広場空間については、これまた西洋の「入り隅み」事例や地面を掘り下げたサンクン・ガーデンを紹介し、
その手法により実際に日比谷公園の改造案を出している。社会学的な投げっ放しはせず、工学的に解決を図っている。
最後は世界各地の特徴的な街並みや建築の事例を紹介するが、やはりこの本の真骨頂は、その工学的精神にある。
『風土』の応用による空間認識の分析や、ゲシュタルト心理学の応用による都市空間の分析だけでも十分衝撃的だが、
そこに留まらない姿勢がこの本を本物の名著たらしめているのだ。ホント、とことん勉強させてもらいました。
諸事情によりバレンタインデーに当ホームページは閉鎖となったのだが(→2012.2.14)、
ホワイトデーになったので、何の臆面もなく復活なのである。復活ついでに微妙なマイナーチェンジも施してある。
とりあえず、旅行で再び日記がたまりだしたので、早く解消できるようにがんばる。ちなみに、閉鎖したこととオレがモテないこととは何の関係もないです。
3年生の卒業がいよいよ近づいて、今日は生徒から各先生へ向けてのメッセージが手渡されたのであった。
で、中身を見てみると、その半分以上が「彼女つくれ」「結婚しろ」だとさ。ホントにそんなのばっか。
内容がことごとく過去形じゃなくって現在形なんだよな。これって喜ぶべきことなのかどうなのか。その一方で、今日は生徒たちに卒業アルバムが渡されて、職員室はメッセージ書きを依頼する行列でいっぱい。
あらかじめ書く内容を決めていて誰に対しても同じ内容を書ける先生、あるいはビシッと一言で締められる先生はいいが、
僕は不器用にひとりひとりあれこれ考えながら書いていったので、それはもう地獄でござった。
しかも必死で考えて書いても「意外とつまんない」って言われるし。実際、面白いこと書いてないし、書けないし。
こういうのって、センスはともかく(自分にはセンスないです)、経験である程度なんとかなるもんですかね。
それっぽいカッコイイ英語のフレーズとか用意しておきゃいいんですかね。いざやってみると難しいもんだなあ。
本日は古典芸能教室なのであった。まあ要するに、毎年恒例の落語鑑賞なのだ。
この手のイベントでいちばん怖いのが、「じゃあ先生にやってもらいましょうか!」である。
これがもう本当にイヤで、今年は断固として拒否の姿勢を貫いたのであった。はっはっは。そうなると後はもう、純粋に観客として落語を楽しむだけだ。今年は家元が亡くなったことでお馴染みの立川流。
(家元関連のログはそんなにないけど、いちおう挙げるとこの2つかな。→2011.11.23/2012.2.7)
例年は落語家3人と色物1人という構成がふつうなのだが、立川流は落語家2人に色物1人。少ないのだ。
しかしその分、しっかりと落語を聴かせようということだった。『子ほめ』に『元犬』、非常に聴き応えがあった。
弟子が「師匠が去年、地獄へ行きましたけど」なんて言っちゃうあたりもさすが。それくらい言っちゃわないとね。
立川流は昇進が非常に厳しいことで有名だが、その分、落語に対する真摯さもまた感じる二席でございました。で、先生方の中ではいちばん前の席に陣取って堪能していたら、色物のところでご指名されちゃいましたね。
ざまみろ、マツシマ!なんて思っている先生もいらっしゃったでしょうなあ……。結局はそうなる運命だったのか。
大勢の人が見守っている中、事前の打ち合わせなしで、アドリブで笑いを取るというのは僕が最も苦手なことで、
冷や汗をかきつつ先方とうまく合わせて、どうにか場の雰囲気を壊さずに済んだ。た、助かった……という感じ。
この色物はピエロとも違うクラウンというジャンルだったのだが、世の中にはいろんな笑いがあるもんだ、
と勉強になった。芸の世界は「世間に受け入れられる/受け入れられない」の二者択一で、本当に厳しい。
芸ももちろん楽しませてもらったけど、そういう状況で踏ん張る皆さんの姿じたいにも感動したのであった。
東日本大震災が発生してから(→2011.3.11)、ちょうど1年。
僕らを取り巻く世界が決定的に変化してしまってから、もう1年が経ってしまったのかと驚くことしかできない。
この1年、被災地を実際に訪れることのなかった僕には、テレビの向こうの風景は、まだ遠いままだ。
現実を直視しておらず卑怯だと言われればそのとおりなのだが、瓦礫のニュースにしても放射能のニュースにしても、
わざと鈍感になることで今の自分の状況をやりくりするのに精一杯なのだ。肌を敏感にした瞬間、すべてが突き刺さる。いま僕が被災地を訪れるわけにはいかない、という思いがある。
僕の本性は、ただの野次馬根性だ。訪れて、空気を吸って、肌で感じて、考える。その記録が写真であり、日記だ。
そこに被災者の助けになる要素は何ひとつない。外部の身勝手さで不快な思いをさせるだけでしかないだろう。
僕は「考える」で停まっていて、他人のために腰を据えて行動するだけの能力も時間もない人間なのだ。
人にはいろんな考え方があって、正解はひとつではない。でも今の僕に自分なりの正解を出す力も余裕もない。いつか興味本位が許されるくらいに復興した段階で、被災地をきちんと訪れたい。
その日のために、「考える」の精度を研ぎ澄ましていきたい。もちろん、お金を回して下支えしながら。
今すぐに行動するだけの勇気がなくって申し訳ない。震災に関わるものから逃げてばかりで申し訳ない。
痛みに向き合えない臆病者で申し訳ない。そのくせ、わざと鈍感にふるまうことができる性格で申し訳ない。
申し訳なくってたまらないけど、僕は東京での今をしぶとく生きる。そうすることで、できるだけ間接的に支えたいと思う。◇
新宿駅で出発を待つ列車の中で、勝手に黙祷をした。
目を開けてから2~3分後にようやくドアが閉まり、列車は西へと走りだす。調布で乗り換え、飛田給で降りた。部活が終わっていかにもサッカー部な恰好のまま東京スタジアム(味の素スタジアム)に来るパターンにも慣れた。
本日のカードは東京ヴェルディ×ヴァンフォーレ甲府。J2に落ちて城福監督を迎えた甲府が、
いったいどんなサッカーをするのか。それを確かめるために来たのだ。佐久間GMが残っているから小瀬には行かない。
でもアウェイゲームならいいだろう。いちおう甲府のタオルマフラーを巻いてバックスタンドに陣取る。
ゴール裏の勢いを見るに、ヴェルディサポと甲府サポの数は互角と言ってよさそうだ。でもここは東京だ。
アウェイゲームに乗り込んできた甲府サポの勢いは、以前よりも増しているように思う。
L: ホーム・ヴェルディ側のゴール裏。 C: 対するアウェイ・甲府側のゴール裏。山梨から近いとはいえ、勢いがすごい。
R: 今日は3月11日。試合前に黙祷が行われた。もちろん僕も、この後に目を閉じて二度目の黙祷をした。甲府のスタメンが読み上げられるが、なじみのある名前とそうでない名前が混じっていることに、複雑な気持ちになる。
それはどのシーズンが始まっても当たり前のことなのだが、特に今日は戸惑いの気持ちが大きい。
考えてみたら、僕は甲府のゲームを観ること自体が久しぶりなのだ。去年は甲府のゲームを1試合も観ていない。
大木さんの極端すぎるサッカーから始まり、安間さんが少しずつ現実味を混ぜていった甲府のサッカー。
おととしの内田甲府はハーフナー=マイクの影響(→2012.2.29)もあって、驚くほど無個性になっていた。
そして三浦・佐久間が完全に甲府のスタイルを壊した。再構築すべく招聘された人物こそが城福さんというわけだが、
彼の標榜する「ムービング・フットボール」が具体的に何をやろうとしているのか。非常に楽しみだ。甲府のスタメンで注目すべきは、右MFとして起用された堀米だ。甲府ユース出身の期待の星はどんなプレーをするのか。
序盤はその堀米がキレキレで、うまくボールを受けては攻撃を何度も演出してみせる。ボールの扱いが格段に上手く、
特にボールを思いどおりに止める技術が高い。頻繁にオーヴァーラップする右SBの福田とともに敵に脅威を与え続ける。
しかし先制したのはヴェルディ。ペナルティエリアで阿部が倒されて得たPKを19歳のキャプテンで10番・小林が決める。
荻も鋭く反応して一度は弾いたのだが、キッカーの小林の前に転がってしまったのが痛かった。ところが3分後の前半17分、CKからニアのダヴィがヘッドで決めて甲府が同点に追いつく。
甲府は得点が入ると『プロポーズ大作戦』のテーマ曲(キダ・タロー作曲)を歌うお約束ができあがったようだ。いい選曲だ。
試合は全体的に甲府ペースのまま進む。ボールを保持する甲府に対し、ヴェルディはカウンターを狙わざるをえない。
ここ最近のヴェルディは攻撃力のあるチームと評されているが、DMFの伊東と保坂、CBの山本とドウグラスが集中し、
PK以降のヴェルディの攻撃はなかなか決定的なところまで踏み込めない。甲府有利な流れのまま、ハーフタイムに入る。後半に入ってもゲームの雰囲気は変わらない。すると60分、またしてもCKから甲府が得点を決める。
GKと競り合ってこぼれたボールがルーキー・佐々木の前に転がり、これを蹴り込んでプロ初ゴール。
これで甲府が逆転に成功したが、僕としてはセットプレーからの得点しかないのがちょっと不満だ。
L: ヴェルディのPKシーン。荻は反応したのだが、弾いたボールをキッカーの小林がこの直後に押し込んだ。
C: 3分後、CKのチャンスから甲府が同点に追いつく。ダヴィ(左端)がニアからヘッドを決めてみせた。貫禄だなあ。
R: 後半、甲府が逆転。CKでのゴール前の競り合いから左SBの佐々木がゴールを決める。試合を観ていて、ヴェルディのどこが攻撃的なチームなんだ?と言いたくなった。
まるっきり決め手に欠けていて、点を取る方法が見つからない。これはあまりにもひどい。
状況を打開できるパサーもいないし、状況を打開できるドリブラーもいない。菊岡と河野の抜けた穴が、
恐ろしくぽっかりと開いたままになっているのだ。中後が負傷退場したことを考慮しても、攻め手がなさすぎる。そして甲府も、いいサッカーをしているように僕には思えなかった。
FWの高崎とダヴィによるショートカウンターが機能して、かなり試合を有利に運ぶことはできていた。
しかし、あまりにも全体の躍動感に欠ける。ポジションチェンジはほとんどなく、パスコースがきわめて少ない。
大木サッカーでは4~5個ほどパスコースができるのが当たり前だったが、この日の甲府は良くて3個。
1つか2つの選択肢をFWの身体能力頼みで解決しようというサッカーなのだ。まあつまり、ふつうのサッカー。
本当にJ1っぽい、ふつうのサッカー。これを「ムービング・フットボール」と形容できるはずがない。
まあまだ開幕2戦目だからしょうがないかもしれないが、このサッカーで満足していてはいけないはずだ。
80分には片桐が流れの中から決めて3-1となり、甲府サポは大喜び。でも僕には、この内容はまだまだ不満だ。
ダヴィという強力な武器と、片桐という藤田健とはまた違う王様がいることで、いちおう成り立ってはいる。
でも、個の力だけで押すサッカーには必ず限界がある。運が良ければ昇格できるかもしれないが、
運に頼らない部分での思想・チームカラーという点では、僕はかなり不安を覚えるゲームの内容だった。
L: 「ムービング・フットボール」を掲げて攻撃サッカーを志向する城福監督。サポからはかなり支持されているようだが……。
C: 片桐が3点目を叩き込んで勝負あり。片桐は途中出場ながら攻撃の起点として大活躍。今の甲府は片桐頼りか。
R: マークされるのはわかるが、ダヴィはちょっと痛がりすぎでは。かつての甲府では考えられないふるまいだ。そのまま甲府が3-1で勝利。スコアのわりには、甲府もヴェルディもどっちも看板倒れな試合だったなあ。
開幕2連勝を飾ったことで、甲府サポは大いに喜んでいることだろう。だが、僕ははっきりと不満だ。
今は選手層が厚いことで表立っては見えていないが、この日の甲府が見せたサッカーは、戦術のないサッカーだ。
監督のいらないサッカーと言ってもいい。城福さんの「ムービング・フットボール」が意味するものが、
僕にはまったくわからなかった。シーズンが終わるまでに、それが形になって現れる日が来るのか。
それほど期待しないで待ってみることにする。
L: 試合後、ゴール裏のサポーターと勝利を喜ぶ甲府の皆さん。サポーターは前より増えている感じ。
R: 盛り上がる甲府サポと城福監督。勝ったのはいいけど、ぜんぜんムービングしていなかったぞ。1年ぶりの甲府の試合を観て、はっきりと自覚したことがある。それは、僕はクラブよりも監督の思想を優先する、
ということだ。うすうすわかってはいたけど、今日、結論が出た。僕はもう、甲府サポではないのだ。
運動能力が残酷にモノを言う世界で、頭を使って勝とうとすること、たくさん走って勝とうとすること、
そこに憧れているのだ。僕は大木さんを支持し、安間さんを支持し、ポポヴィッチを支持する。
松本山雅も長野パルセイロも応援しないけど、心情的に薩川監督の長野にはがんばってほしいと思っている。
自分好みのサッカーをするチームでないと応援できない僕は、クラブのサポーターにはなれない人間なのだ。
それでも、長野と東京の間に挟まっている甲府を特別扱いしたい気持ちは失っていない。
いつかまた、僕好みのサッカーと甲府のやっていることが一致する日が来るのを、静かに祈ることにしよう。
『クラシコ』。北信越リーグ時代のAC長野パルセイロと松本山雅FCを取材したドキュメンタリー映画だ。
長野県出身者として見なくちゃいかんなと思ってはいたのだが、なかなか映画館で見る機会がなく、
結局DVDを買ってしまったのであった。信州ダービーファンとしてこれくらいの出費はいいかな、と覚悟をしたわけだ。
(信州ダービーについては、実際に試合を観戦した過去ログを参照してもらうのがいいと思う。→2011.4.30)タイトルになっている「クラシコ」とはご存知のとおり、レアル・マドリードとバルセロナの試合のこと(エル・クラシコ)。
地域による独立心の強いスペインの2大都市を代表するメガクラブの対決で、世界的な注目を集める特別な一戦だ。
それに対して「ダービー」はイギリス発祥の言葉で、こちらは特別な一戦を指すような使われ方はしていない。
同じ都市のクラブや隣近所のクラブ同士の対決などに、わりと気軽に使われている概念である。
それをふまえれば、この映画がわざわざ「クラシコ」という言葉をタイトルに選んだということはつまり、
長野パルセイロと松本山雅のライバル関係に、将来レアルとバルサの関係に匹敵する可能性を見ているということだ。
そしてこれは、長野県出身者として言わせてもらうと、実に「よくわかっている」姿勢であるのだ。肝心の映画の中身じたいについて書いていく。まずは辛口な部分からだ。最初に気になったのは画質の粗さ。
これは予算の関係でそれほど高性能なカメラが使えるわけではなかっただろうから、まあしょうがない点ではある。
次に、「地獄の北信越」と言いながら、その地獄っぷりがあまり伝わってこない点。ここはもっと説明しないとダメ。
当時の北信越リーグは関係者やサポーターにしてみれば本物の地獄よりはるかに地獄だったのに、それが実感できない。
そして、究極的な批判になってしまうのだが、この映画全体の編集というか話の展開が、あまり上手いと思えないのだ。
はっきり言って、地獄の北信越におけるパルセイロと山雅という題材を扱った時点で、ある程度面白くなるのは当たり前だ。
その当たり前を超えるだけの、この映画ならではの特別な何か、それがない。この映画ならではの切れ味がないのだ。
厳しい表現をすると、これはわかりづらい順序でインタヴュー映像を出していくだけの映画である。
素材じたいの魅力を超える料理ができていないのだ。でも素材じたいが旨いから食える。そういう映画だ。
もっとも、素材を超えろというのは非常に酷な注文である。なぜなら、いちばん面白いのはサッカー自体だからだ。
現実のライヴのサッカーの試合がいちばん面白いに決まっている。それを超えるドキュメンタリーなんてそうそうつくれない。
だから僕としては、つまらんインタヴューで水増しするより試合経過を丁寧に追っかける方が、映画の質が上がる気がした。ただ、インタヴューしている対象者はとっても多岐にわたっており、さまざまな人々がさまざまな想いを抱きつつ、
JFLを目指してシビアな戦いに挑んでいる事実はかなり克明に記録されている。大事なのは、現場の人々の姿なのだ。
無表情なサッカーの試合記録の裏側にある喜怒哀楽、そこをしっかりと描いていることは評価しなければならない。
この作品の持っている価値は、残念ながら、それ以上でも以下でもない。そういう仕上がりになっている。
でも、2009年という、one of themでありながらthe oneだった時間、それが多角的に描かれた貴重な記録である。
そして、この映画よりもはるかに面白いストーリーは、長野パルセイロの奮起によってのみ実現される。
僕はただ、その未来ができるだけ早く訪れることを祈るのみである。
日本のサッカーにおける八咫烏とサムライブルーという愛称について書くのだ(→2012.2.24)。
まずは八咫烏から。日本サッカー協会のエンブレムに八咫烏が用いられるようになったきっかけは、
日本に初めて近代サッカーを伝えた人の出身地が那智勝浦町で、そこにある熊野那智大社の使いが八咫烏だから、
という個人的なことのようだ。八咫烏は神武天皇の道案内をしたので、ゴールへ「導く」と解釈されることもあるみたい。
まあきっかけはどうあれ、一貫して三本足の八咫烏が日本サッカーのシンボルとして使われているのである。僕はボールを踏んづける八咫烏の描かれたエンブレムを見るたび、「これはいいなあ」と思うのだ。
鳥の中でも抜群に賢いカラスってのがいい。軽やかに賢いサッカーをやって相手に嫌われる。そこがすごくいい。
三本足なのも完璧だ。三本足ならば、二本足よりも上手くボールをコントロールできるに決まっている。
八咫烏とは、日本で好まれるサッカーのスタイルを、実に的確に表現しているシンボルだと思うのだ。
大げさではなく、僕がここまでサッカーを好きになっている理由のひとつに、八咫烏の存在がある。
日本は八咫烏を起用した時点で、世界でも屈指の魅力的なエンブレムになる可能性をつかんだと思っている。ところがそんなすばらしさを完全にぶち壊しているのが、「サムライブルー」という救いがたい日本代表の愛称だ。
これは本当にどうしょうもない。今すぐ変更してもらわないと国際的に恥ずかしい。日本の恥以外の何物でもない。
世間的にどうしょうもないのは「サムライ」の方だと思う人が多いかもしれないが、どっこい、「ブルー」が最悪だ。
なぜ英語なんだ!? 日本の代表の愛称なのに、なぜ外国語を用いるのか!? その感覚は、完全に狂っている。
きちんとした日本語の愛称に今すぐ変更すべきだ。日本語には定冠詞がないからフランス(レ・ブルー)みたいにいかない。
となると、ここは八咫烏に登場してもらうのがいいだろう。「青」と「カラス」をどう合成するか。これはなかなか難しい。
「青いカラス」じゃつまらんし、そもそもカラスは黒いから矛盾する。「青ガラス」だとガラスになってしまう。
「青きカラス」だと陳腐だから、「青のカラス」にすればいいんじゃないか、と思う。僕はこれが一押し。
「青のカラス」なら最初はたぶん笑われるだろうけど、100年後にはがっちり定着して誰もが誇りを持てるようになるよ。
百歩譲って「青の侍」でも構わん。とにかく、「サムライブルー」という誇りの持てない愛称は今すぐ捨てるべきだ。
(「なでしこジャパン」も「なでしこ」だけでいいのにね。日本のことなのになんで英語をくっつけるのか。感覚がおかしいよ。)
本日はディズニーシーへの遠足である(下見の際のログはこちら →2012.2.9)。
天気がイマイチぐずついているし、仕事で行くわけだしで、当然テンションは上がらないのであった。
生徒たちも特別はしゃいで周囲に迷惑をかけるということもなく、わりと穏やかに現地に到着。ディズニーシーに着くとさらにテンションが下がる。平日だというのに開園を待つ人の行列はすさまじく、
一気にやる気は最低値に。とりあえず単独行動で手続きを済ませるが、その後に行列に並ぶのは苦痛でしかない。
雨も降っているし、濡れないところで40分ほどボーッと考えごとをしてからようやく中に入った。ファストパスだの何だのという元気などあるわけもなく、値段の高いカフェで朝食を食いつつ過ごす。
そしたらどうやら雨だけはやんでくれたみたいなので、様子でも見てみるかな、と園内一周をしてみる。
ダッフィー屋ことアーント・ペグズ・ヴィレッジストアにも試しに入ってみたのだが、
店内は本当に身動き取れないほどの混雑ぶりなのであった。ダッフィーさんすごすき。昼メシを先生方と食べる予定になっていたので、やることもないし早めに集合場所へ。
あれこれ雑談をしつつ食べたのだが、やる気の先生は一人でも臆することなくいろいろ乗りまくったようだ。
すごいなあ、と心から感心するのだけど、僕はやっぱりそういうのは無理だわ、とあらためて思う。その後、そのまま先生方でブロードウェイ・ミュージックシアターに移動。みんなでビッグバンドビートを見るのだ。
行列はまだできはじめたばっかりで、けっこういい位置で見ることができそうな感じ。
交代で並んだのだが、どうせ僕には行く場所などないので、45分間ずっと並んでいたのであった。じっくりと並んだ甲斐があって、ステージが真っ正面、目の前な席を確保することができた。
先月は2階席だったが(→2012.2.9)、まさかここまでいい席で見ることができるとは。
それはもう、ワクワクそわそわしながら開演時刻を待つ。
ちなみに待っている間、いちばん年配の女性の先生が「ディズニーシーはキャストの年齢が高い」と、
ずっと言っていた。「もうちょっと若くて華やいだ感じが欲しいわあ」なんてしきりに言っていたんだけど、
年齢はともかく確かにもうちょっとオシャレな感じは出してほしいなと思わなくもないんだけど、
あなた、たぶん同じことを生徒からも言われているんですぜ……。若い先生がいいのに少ない、と……。
まったくもって、世の中、「荘子、畜類の所行を見て走り逃げたる語」(→2006.11.29)のとおりだなあと思う。で、いざ開演。ステージ近ええええ! シンガーもダンサーも顔の細かいところまではっきりとわかる近さ。
それどころか、バックで演奏している皆さんの様子もよくわかる。それだけですでに感動してしまうではないか。
歌にしろ踊りにしろ、独り占めしている感覚が味わえる席で、もうなんだか申し訳ないくらいだ。
そしてミッキーが登場。やはりドラムスが上手いのである。しかもしっかりと踊れるのである。うらやましい。
あまりにもステージ近くで真っ正面なので、もうミッキーが目の前に顔を突っ込んでくる感じ。
30男がこんないいポジションでミッキーとご対面とか、本当になんだか申し訳ない。ごめんね、全国の子どもたち!
生演奏はもちろん最高で、ミッキーのパフォーマンスを絶好の位置で楽しむことができて文句なしである。
ほかの先生方も「これは熱心なリピーターがいるのも納得いくねえ」なんて感じで満足げ。よかったよかった。
ただ、純粋に音楽を楽しみたいのであれば、あまりにも前の方の席はオススメできないかもしれない。
音楽に手拍子が加わった、よりスウィングのグルーヴを味わいたいのなら、真ん中くらいがいいのかも。
ただ、目の前のミッキーの迫力もそれはそれで捨てがたいので、気分に合わせていろいろ変えてみるのが一番だろう。
ちなみに先ほどの年配の先生は、「すごいわねえドラムスもダンスも。ミッキーをかぶってちゃもったいないから、
きちんと顔を出してみんなに見せてくれればいいのに」とのたまうのであった。ショウの前提、ぶち壊しやん!あとは職場への土産を買ったり、ポートディスカバリーでやっていたホーンズの生演奏(特にドラムス)に興奮したり、
最後に生徒の追い出しということで奥の方から入口へと巡回しながら帰ってくるのであった。
ディズニーシー滞在中、男子グループは少しだけ見かけたけど、ぜんぜん女子には会わなかったなあ。
あいつらどんだけ激しく動きまわっていたのやら。なんつーか、ギャップを感じたわ。集合時刻になり、みんな集まってモノレールに乗ってJRに乗って帰る。
ヘロヘロの男子とエネルギーがありあまっている女子のコントラストが非常に大きくて、ニンともカンとも。
僕は男子なので、ビッグバンドビートしか見ていないのにすっかりヘロヘロでしたとさ。おしまい。
アルガルヴェ杯、決勝戦。なでしこジャパンとドイツの試合を当然のごとく見る。
体格に勝るドイツがグイグイ縦パスで押してくるのに対し、日本はなんだかいつもと比べて調子がおかしい。
全体的に動きが重く、攻撃に迫力がないのである。前半20分と22分、ドイツにあっさりと2点を先行される。
おとといのアメリカ戦でバーンアウトしてしまったのか? 中1日では回復しきれないダメージがあったのか?
素人にはよくわからない領域で何かしらのトラブルを抱えているとしか考えられない。
そんなことを考えていたら、一瞬の隙を衝いて川澄が1点を返した。さすがはなでしこ、これで試合はわからなくなった。後半に入るとなでしこは本来の実力を発揮する。男子の日本代表にもある程度ビハインドを撥ね返す迫力はあるが、
なでしこのそれはもはや完全に世界レヴェルで、どこを相手にしても簡単には負けないだろうという安心感がある。
そしてついに55分、田中のゴールで同点に追いついた。こうなったらなでしこのペースだ。そう確信してテレビ画面を見る。
しかし88分に痛恨のPKを与えて失点。ダメなのか、もう。と思ったらすぐに永里が押し込んでまた同点。
あまりにもできすぎた展開に思わず大声をあげてしまった。やはりなでしこは神懸かっている。
そう思った次の瞬間にはあっさりドイツに縦パスから決勝点となる4点目を入れられて負け。うーん、なんなんだろう。試合の終盤は、なでしこらしいあきらめない姿勢がとんでもない迫力で出ていて圧倒されてしまったが、
そのバタついた雰囲気が両者とも呑み込んでいたのか、実に惜しくてもったいない失点で戦いが終わってしまった。
こういうところを有利にコントロールできる/できないの部分が本当の世界レヴェルの実力ってことになるのだろう。
もっとも今回のアルガルヴェ杯は真剣勝負ではあるものの、オリンピックに向けての前哨戦らしい余裕もあった。
なでしこはわざと澤を出さずに若手を伸ばす機会に徹していたんじゃないか、と僕は思う。
準優勝という結果は、なんというか、オリンピックに向けて実にバランスのとれた結果だったように思える。
育てながら勝つということを、なでしこは見事にやってのけた。が、一歩、本当に一歩だけ、足りなかった。
後で振り返ったとき、この経験が100%生かされていたことを望むし、たぶんなでしこにはそれができる。
今日は「3年生を送る会」なのであった。毎日3年生の相手で忙しくしていて、今年は完全にノータッチ。
それだけに、なんだかものすごく申し訳ない気分である。完全に純粋にお客さんになっちゃってすいません。さて、今年の1年生は先生方のモノマネをやったのだが、僕も餌食になってしまった。
モノマネをしたヤツが非常に器用なのはまあ事実なのだが、次々と繰り広げるマツシマっぽい発言と仕草に、
体育館は笑い声と「似てるー!」という悲鳴の大合唱となるのであった。もう本当にこっちが恥ずかしいよ。
ただ、個人的には納得いかない部分もあって、後で生徒たちに「オレあんなん?」とひたすら訊いたのだが、
返ってくる答えは決まって「あんなん、あんなん」で、もうなんだかひどくしょぼくれたさ。お決まりの3年生の写真によるスライドショウでは、僕がちまちまと撮っておいた写真がけっこう効いていた。
まあ、どんなふうに撮っても面白いヤツがいて、そいつの写真を散りばめておけばそれで成立しちゃうんだけど。
ウチの学年は写真の絶対数が少なくて慌てたのだが、結果としては例年どおりの楽しい写真が揃ってよかったわ。さて、2年生たちは昨年のパフォーマンスで自信を持ったようで、彼らは今年の「3年生を送る会」でも、
しっかりと練習をしてその成果を出してきたんだけど、僕には正直あんまり面白くなかった。
彼らは3年生を喜ばせたいのか、自分たちが喜びたいのか、そこが本末転倒になっていたように思えたからだ。
厳しい言い方をすると、自分たちが喜びたいだけなんじゃないの、という感触を受けてしまったわけだ。
テンポも悪くて時間がやたらとかかった。単なる自己満足だろコレ、と思ったけどかわいそうだから言ってない。
鴻上尚史が『プロパガンダ・デイドリーム』の「あとがきにかえて」で「表出」と「表現」の違いを指摘していたけど、
問題はまさにそれ。彼らの「表出」はそれはそれでいいと思ったのだが、「表現」には達していなかった。あともうひとつ、1年生女子も2年生女子も3年生女子もダンスを踊ったんだけど、みんな韓流なのね。
KARAだの少女時代だののダンス。この状態をいったいどのように解釈すべきか。
ひとつには、韓流のマーケティングが上手いというのは、ある。女子中高生をターゲットにしたダンスというものは、
今までちょうどエアポケットになっていた部分なのだ。安室奈美恵なんかのエイベックス系はもうちょい歳が上だし、
女子中高生のパフォーマンスは日本だとどうしても純粋なアイドルグループの領域になってしまっていて、
純粋なダンスということになると、今までなかった。ここを韓流はうまく発掘したってことは言えると思う。
結果として全学年の女子で韓流ブームが吹き荒れているというのは、僕としてはちょっとどうかなあ、ってところだ。
でも日本の芸能界がそこを埋められなかったんだからしょうがないって気もする。AKBに夢中になっとる場合じゃないよ。まあそんなこんなで、個人的にはけっこうあれこれ考えさせられる「3年生を送る会」なのであった。
忙しくて目が回る。3年生の卒業がいよいよ近づき、授業が通常のメニューではなくなっている。
結果、3年生の授業をやらなくていいというメリットはまったくなく、つねに3年生のお守りをやる状況になった。
おかげで今までのリズムで仕事をすることがまったくできなくなり、本当にヒマがなくなってしまった。
どうしてこんなに忙しいんだろう?と首をひねるが、こりゃもうどうしょうもない。
自分の思いどおりにならない時間帯がぐっと増えたことで、ものすごいストレスを感じている。もうひとつ、ストレスというかすっきりしない思いが最近はある。
自分が中学校の教員をやるにはあまりにもテキトーすぎる性格をしているのを自覚させられたことだ。
かといって、用意周到で綿密なことが売りの教員を素直にマネできるかというと、正直、反感がある。
危機管理にこだわるあまり、仕事の量を膨大にしている。そしてその状況を喜んでいるように見える。
でも僕にしてみれば、仕事の量を減らせるだけ減らすことこそが能力の証であり、誇りなのだ。
物ごとに対する考え方が根本的に違うのだ。ただ、それでもやはり僕はテキトーすぎるのである。
適切なバランスを賢く探っていきたいものだ、と思うのであった。まあ、まだそれには経験が足りない。◇
アルガルヴェ杯、なでしこジャパンのアメリカ戦。澤を欠く日本がどこまで戦えるのか、という一戦である。
が、序盤から日本のプレーは凄みがあった。アメリカの女子は、男子のように体が強くて高くて速い。
でも、それをいなして抜群のセンスのパスアンドゴーをみせて、アメリカのゴールに迫っていく。
明らかに、W杯の決勝よりも押し込む時間が長くなっているし、内容もいい。なでしこの貫禄は別次元だ。
アメリカの圧倒的な強さはわかっている。でも、なでしこのサッカーは不思議と安心して見ていられるのだ。
運ではない、センスのいいプレーがどんどん出てくるサッカーだ。そして終盤になってCKから得点。
ついに日本は歴史的な勝利をあげた。オリンピックに向けての練習試合的な側面は確かにあったんだろうけど、
誰が入ってもつねにハイレヴェルなサッカーができることは十分に証明された。
ちょっと前までアジアで苦戦していたイメージがまだ残るなでしこだが、もう完全に世界の強豪になったのだ。
なでしこは、奇跡のような存在に思える。こんなことがあるのか、って思う。神懸かっているとしか言いようがない。
本日はサッカー部の練習試合。去年修学旅行で指揮を執れずに負けた(→2011.9.13)相手の学校におじゃまする。
お隣の区の学校も来ていて、3校で25分の試合をぐるぐる回していくことになった。
僕としては当然、監督としての腕の見せどころとなるわけだ。オレがいるのといないのとでは大違い!ということを、
ぜひとも証明してやるのだ!と鼻息荒く生徒たちをピッチに送り出すのであった。25分だけの試合だったとはいえ、結果はこっちが圧倒的にポゼッションしてのスコアレスドロー。
つねに3バックがラインを高く保ち、相手陣内に押し込んでのサッカーを展開することができた。
攻撃時も無理なく最終ラインにバックパスを出し、そこからのフィードで攻撃し続ける工夫もあった。
残念なのは中央への横パスばかりで、味方を前に走らせるサイドの縦パスが不足したこと。だから点が取れなかった。
とはいえ、僕のやりたいサッカーはこの試合で8割方実現できた感触だ。これは本当にうれしい。
3-3-1-3という変態的なフォーメーションを採用して今までやってきたけど、決して間違いではなかったのだ。
(調べてみたら、3-3-1-3は、あのマルセロ=ビエルサ(→2008.1.26)が得意とするフォーメーションだそうだ。
サッカーゲームなどではなく、部活という日常の実践の中で彼と「かぶった」ことがうれしい。)
生徒たちもかなり自信がついたし、何より、僕の頭の中にあるサッカーを生徒とはっきり共有することができた。
まだまだ課題ばかりなんだけど、一段レヴェルアップした確かな感触をつかむことができたのはたまらない喜びだ。その後は1年生を入れたりポジションを入れ替えたりしながら試合をやっていった。
結局、後の試合はひとつも勝てなかったのだが、3-3-1-3での基本的な動きはだいぶ浸透してきている。
ベストメンバーがベストコンディションでないと対等な戦いができないことは、まだまだ大きな問題である。
でもこの日、ついに「ウチの学校のサッカー」が確立されたのだ。チームのスタイルができあがった。
あとはそれを信じて勝つだけだ。なんとしても、絶対に公式戦で勝たせてやりたい。◇
練習試合が終わった後は、J2の開幕戦を観に行くのだ。大木京都のアウェイ湘南戦を迷わず選択。
今年のJ2は、京都が昇格候補の筆頭に挙げられている。でもそんなに甘くはないのは十分承知している。
J2はどのクラブも見事に、戦力の足りない部分を頭脳でカヴァーする意欲のある監督ばかりなので、
僕のような立場の人間には面白くってたまらないのだ。特に今年のJ2は例年になく熱くなること間違いなしだ。平塚駅に到着すると、頭の中の地図を呼び出して平塚競技場まで歩くことにする。
地図で見た限りでは「ちょっと距離があるなあ」という程度の印象だったのだが、実際に歩くとなかなか遠かった。
競技場のある平塚市総合公園内は湘南サポーターでいっぱい。でも紫のタオルマフラーを巻いた人の割合もまずまず。
やはり開幕戦ということで、いつも以上に熱気を帯びているのがわかる。今年もまた、サッカーが始まるのだ。平塚競技場。ネーミングライツで「Shonan BMVスタジアム平塚」と名乗っている。
毎度おなじみスタジアムを一周すると、バックスタンドへ。京都サポが新加入選手のコール練習をしていて賑やかだ。
やがて各種のセレモニーが終わって京都の選手たちが練習を始める。周りの席もだんだんしっかりと埋まっていく。
バックスタンドのアウェイ寄りは両サポーターが混在するエリアになるものだが、この日は湘南サポがほとんどだった。
特に小学生ぐらいの子どもが多い。そしてこいつらが好き勝手にしゃべりまくって本当にうるさい。
しつけがなっていないわけではないので怒ることはないんだけど、子どもの脈絡のないしゃべりを延々と聞かされて、
ちょっと辟易。オレも小さい頃はあんな感じだったのか、と思うとなんだか恥ずかしくなってくるわ。
(ちなみに子どもたちの一番人気はアフロにヒゲの馬場賢治。試合中ずっと「ばばあーばばあー」と叫んでいた。)
L: 練習前、サポーターのもとに来て挨拶をする京都の皆さん。いよいよ新しいシーズンが始まるのだ。
C: 昇格の大本命に挙げられる京都を率いる大木さん。ぜひ強くて魅力的なサッカーで日本を驚かせてほしい。
R: 試合開始を待つ平塚陸上競技場。雨が今にも降りそうな天気でスタートだ。メインスタンドが霞んでいる。17時34分、キックオフ。序盤は京都が前評判どおりの厚い攻撃を見せて、湘南ゴールにどんどん襲いかかる。
だがこの時点で僕は少しイヤな予感がしていた。大木さんの率いるチームは攻撃に手数をかけたがる。
好調なときにはそれが実に魅力的な攻撃となるのだが、調子が悪いと途中でミスしてシュートまでもっていけない。
「できるだけシンプルにプレーしてくれ」と思いながら観ていたが、京都はテクニカルなボール回しを志向する。
湘南は球際での厳しい守備で対抗。京都が押し気味だが攻めきれない展開となる。これは京都に不利な流れだ。
中盤での激しいやりとりは見応え十分。だが大木京都の好調時を知っている自分にはもどかしくってたまらない。
それでも湘南のカウンターに対して京都の素早い守備が機能していたので、湘南が得点できる気配はなかった。そして31分、京都のファウルと判断して足が止まった湘南をあざ笑うように、中山がシュートを決める。
なんとなくすっきりしない得点の取り方ではあるが、1点は1点だ。そんな具合に京都が先制。
しかし6分後に京都のパスをカットした湘南が押し込んでゴールを奪う。湘南の積極的な守備が功を奏した格好だ。
L: ファウルと判断した湘南の選手たちを置き去りにして、京都の中山がシュート。この日の中山はかなりキレていた。
R: 京都は開幕戦だからか、パスの精度がイマイチ。そこを湘南は積極的にカットしてカウンターを仕掛けてゴール。この日の京都はパスの精度が良くなく、中途半端な位置にボールが出てしまうことが多かった。
そこを湘南の選手が一歩速く入り込んで拾い、カウンターにつなげるシーンが目立つようになる。
それでも地力に勝る京都はチーム全体が高い位置をとり、サイドから何度もチャンスをつくる。
しかし肝心のFW久保が最後のところでミスしたり競り負けたりするシーンが非常に多く、点を取れない。
L: 前半、チャンスを逃す宮吉。うーん、惜しい。 C: 難しい位置ではあるのだが、はずしてしまう久保。
R: 試合終了間際、GKを抜いて大チャンスを迎えるが、湘南DF遠藤にカットされてしまう久保。精度が良くないにもかかわらず難しいプレーを選択する京都は、完全に湘南にリズムを読まれていた。
ディフェンスラインは相手を押し込もうとしっかり上がるが、疲れで運動量は落ちていて戻りは遅くなる。
そこを球際に食らいつき続ける湘南がカウンターで京都ゴールを脅かす場面が何度も見られるようになる。
しかし湘南はシュートがうまく飛ばない。このままドロー決着か、という雰囲気が漂いはじめたロスタイム、
ついにカウンターからのシュートを湘南の10番・菊池が決めて、逆転に成功する。
粘り強くひたむきに自分たちのサッカーを続けた湘南に、大きなプレゼントが転がり込んだわけだ。
スタジアムは完全にお祭り騒ぎに。優勝候補の京都を相手に、去年3回戦って一度も勝てなかった京都を相手に、
互角に戦ったうえでのロスタイム弾。湘南サポにしてみれば最高に理想的で最高に面白い試合だったろう。
まあ実際、終わってみれば、ひたむきにボールに食らいついていた湘南は、勝利に値するサッカーをしていた。
逆に京都サイドにしてみれば、お得意のパス攻撃がうまくいかずに逆転負けということで、がっくりだ。しかし試合終了後、京都サポーターは選手たちを拍手で迎えた。攻撃が十分に機能しない負けということで、
ブーイングが飛ぶかなと思ったのだが、そんなことはまったくなかった。これで僕は京都の今期の昇格を確信した。
サポーターに優勝候補と言われての驕りは一切みられない。冷静に、1/42の試合として割り切ってみせた。
京都のサッカーを、サポーターが信じることができている。良い流れをじっと待つ覚悟ができている。
L: 選手たちを拍手で迎える京都サポ。謙虚に選手のプレーを讃える姿勢が本当にすばらしい。
R: こちらは開幕戦でこの上ない劇的な勝利をあげてお祭り騒ぎの湘南ゴール裏。湘南にしてみりゃ最高だよなあ。緩やかに降る雨のせいで、かなり寒い。さすがに駅まで歩く気力はなく、素直にバスに乗って戻った。
メシを食ってエネルギーを補充すると、電車に揺られて帰る。平塚は思っていた以上に遠かった。
森永あい『僕と彼女の×××』。世の中には男女入れ替わりモノというジャンルがあるっつーことで、読んでみた。
主人公は能力は高いが冴えない上原あきら。外見はとんでもない美少女だが性格は凶暴な桃井菜々子に惚れている。
この菜々子の祖父がマッドサイエンティストで、実験に巻き込まれてしまった結果、ふたりは中身が入れ替わってしまう。
男が若くてかわいい女の子になってしまうというのは、素直にうらやましいことだと思う。……まあそんなことを書くと、
「マツシマくんはド変態なんよ!」という声がどっかから聞こえてきそうだが、ド変態でけっこー、女装上等(→2011.2.15)。このレヴューをネタバレなしで書くことは不可能なので、結末を知りたくない人はここから先の内容は見ないでくださいな。
主要な登場人物は上記のあきらと菜々子のほかに、あきらの親友・千本木進之介と菜々子の親友・椎名真琴の4名。
この登場人物の少なさと、凶暴ながらもしっかりとした優しさを併せ持つ菜々子の性格が、物語の方向性を決めた。
連載期間はなんと、丸10年。非常にゆったりとしたペースの中で、おそらく作者はいろいろと葛藤したと思う。
でも、上に書いた2つの条件が存在している限り、結末は論理的に動かしようがなかった。結局、そうなってしまった。僕の個人的な好みだが、とにかく千本木が気持ち悪くってしょうがない。このキャラは生理的に受け付けない。
読者の僕としては、やはりあきらな菜々子に感情移入して読む。どうかあきらな菜々子と千本木がくっつきませんよーに、
そう願いながら読み進めていったので、千本木が結局最後にあきらのハートを持った菜々子とくっついてしまった瞬間、
もう本当にがっくりしてしまった。これでもう、僕のこの作品に対する評価はマイナスだ。受け入れられません。というわけで、あきらな菜々子が千本木とくっついてしまう結末に至った論理的な流れを検証していく。
まず、登場人物の少なさ。登場人物がたったの4人で、菜々子なあきらと椎名が早々にくっついてしまったら、
残ったあきらな菜々子と千本木がくっつかざるをえないのだ。もしあきらの初志貫徹で、あきらと菜々子が結ばれるには、
菜々子なあきらと椎名をジャマする5人目の登場人物が必要になる。でも作者は10年も連載しておいて、
誰も出すことはなかった。あきらと菜々子を結びつけるカードを切る選択肢を放棄したのか、それに気づかなかったのか。
(個人的には、気づかなかった可能性が高いと思う。ラストのドタバタぶりはそれまでと比べて非常に低レヴェル。
作者の物語を制御する能力はあまり高くないように見受けられるのだ。そもそも10年もかかること自体が異常だ。)
もっとも、そうなったのは菜々子本人の性格が大きい。男としての生活を満喫する菜々子なあきらは、
当然のごとく彼女をつくる。そしてそれまでの凶暴っぷりとは対照的に、彼女である椎名を徹底的に尊重する。
椎名に対して優しくなければ菜々子なあきらはただの野獣になってしまうので、これはしょうがないことなのかもしれない。
しかしこの椎名に対するゆるぎない菜々子なあきらの愛情が、あきらな菜々子をどんどん遠ざけていくのだ。
方策はひとつだけ。5人目を登場させて、菜々子なあきらから椎名を奪う。そうしてポジションを空けないと、
あきらな菜々子が菜々子なあきらにアプローチする余地はない。それがないなら、論理的に結論はひとつに落ち着く。
ただし、もし5人目を登場させて椎名が心変わりしたら「菜々子なあきらの魅力が足りない」ということになりかねない。
ここを無理なく描く力量があれば問題ないことだが、おそらく作者はそこまで考える余裕がなかったのではないか。
(それはチャンスでもあったのだが。菜々子なあきらの心理を掘り下げて描くチャンス。それも僕にはもったいなく思えた。)
また作者は4人全員をまっすぐな性格に設定している。こうなると、がまん比べで一番不利なのは、あきらの性格だ。
以上のような要素が何のひねりもないまま合わさっていけば、出てくる結論はひとつだ。非常に残念である。菜々子の外見はまさに反則級のかわいさだ。そしてわりと細かいところまであきらな菜々子の悩みがきちんと描かれ、
読んでいていろんな発見があって面白い。それだけに、結末が本当に本当に残念だ。あーあ。
本日は3年生の球技大会だったのだが、男子の屋外種目が始まったときにはすっかり雨模様。
おかげで審判担当の僕も生徒と一緒にずぶ濡れになってしまった。前半のソフトボールはまだよかったが、
後半のサッカーではもう泣きたくなるような悪条件になってしまっていて、生徒はドリブルのはずがドリフトになる始末。
いちいち走る審判の僕も泥水の中を行ったり来たりで結局、全身ぐちゃぐちゃなのであった。
後でサッカー部員から「あんな雨の中でやったんですか!」と呆れられたが、3年の熱意に押されたからしょうがない。
まあ生徒たちは満足していたようだし、みんなかえって気をつけていたからケガもなかったし、素直にヨシとしておこう。
画像の整理がもう大変で大変で。
来年度から始まる地獄のような日々を見越して、先月は無理に旅行を強行した(→2012.1.16)。
旅行の中身じたいはとってもすばらしいもので、僕が予想していた以上にいい経験があちこちでできたのだが、当然、
その反作用はあるわけで、その「いい経験」をしっかり反映している写真を選んで加工する作業が本当にきつい。
最近は、とりあえず気になる写真はすべて日記に貼り付けるための加工をすべてしておいて、
本文を書きながら取捨選択するやり方をしている。つまりムダになるのを承知で、いちいち加工しているのだ。
最初のうちはいいが、似たような画像を延々と扱っていると、そのうちに急激に飽きがくる。それでギヴアップ。
気がつきゃ寝ていて肝心の本文は全然書けてない、という毎日が続いているのである。
バレンタインデーの閉鎖前には快調に進んでいたこの日記だが、やはりというか何というか、旅行をきっかけにして、
またしても進度が急激に落ちてしまった。ここで状況を打開できるかどうか、正念場である。
いちおう早く「いい経験」を言語化してしまいたい、という意欲はあるので、それを頼りにがんばりたい。成長せんなあ。