1年生にテストを返却。しかし、問題用紙を忘れる不届き者があまりにも多くて驚いた。常軌を逸した多さだった。
言われなくても自分で考えて行動できんのか! 何のために学校に来ているんだ!と、びゅくさん激おこだったとさ。
今日は期末テストの3日目である。本来なら2日目である金曜日に休みを取って、3連休をつくるつもりだった。
しかしわがサッカー部が予想外(失礼)の快進撃を見せたことで事態は一変。2年前に続き、部活優先の6月末となった。
おかげで疲れはピークに達している。周りの先生方も「ぜひ休んでください」というくらいのハードワークだったので、
今日一日はのんびりさせてもらうのだ。まあ、のんびりと言ってもせわしなくどこかへお出かけしちゃうんだけどね。
やっぱり僕にとって、一番のストレス解消法はお出かけなんだからしょうがない。気ままにふらっと旅に出るのだ。梅雨時ということもあって天気予報とにらめっこしていたのだが、結局、懸案だった奥日光へ行ってみることにした。
日光へは昨年10月の都民の日に出かけて雨に降られているが(→2014.10.1)、そのときのリヴェンジというわけだ。
「曇り時々晴れ」とか「晴れ時々曇り」という予報だったので、せっかくの平日休みだ、意を決してチャレンジするのだ。朝3時に起きて自転車で職場に行き、ビデオを設置するとそのまま繁華街の方へ。しかしいい具合に入れる店がなく、
始発の地下鉄で浅草へ。浅草では真っ先に東武の「まるごと日光 東武フリーパス」を購入。今日はこれが大活躍だ。
朝メシを買い込むなどしてしばらく周辺を散歩すると、6時20分に列車は浅草駅を出る。快調に北へと向かっていくが、
天気はどんどん怪しくなっていく。栃木県に入った頃には、分厚い雲が空をしっかりと覆ってしまって薄暗いほど。
「日光で太陽を見たことがない」というジンクスは、どうやら今回も炸裂してしまいそうな気配だ。まったくツイてない!東武日光駅に到着すると、バスが来るまでしばらく散歩。やがてバスが来たのはいいが、3台ほど一気に来てしまって、
どれに乗ればいいのかよくわからない。しょうがないのでいちばん空いている日光世界遺産めぐりバスに乗り込んだ。
そしたらメインストリートをはずれて大谷川を渡ってしまった。それもまた自由な旅の醍醐味よ、と気持ちを切り替える。
バスはそのまま裏手の方から二社一寺方面へと入る。ほかの客が降りる中、粘って二荒山神社の手前まで揺られる。
僕にしてみれば、ちょいと順序を変更しただけだ。下野国一宮から旅をスタートさせるのも趣があっていいじゃないか。
L: というわけで世界遺産めぐりバスを降りると常行堂&法華堂。にない堂形式だけど、よく見るとサイズが違うんだな。
C: そのすぐ前が日光二荒山神社である。やっぱり曇り空なんだな、とため息。どうしてこうも日光と相性が悪いのか。
R: 日光二荒山神社の拝殿はやっぱり見事。残念ながらこの奥の本殿は現在工事中なのであった。なので神苑には入らず。今回は日光二荒山神社の本社よりも、むしろその別宮に用がある。滝尾神社と本宮神社で、どちらも重要文化財。
せっかく日光に来たからには、やはりきちんと見ておきたいのである。というわけでまずは滝尾神社を目指す。
神苑の脇を通る山道をまっすぐまっすぐ歩いていくと滝尾神社なのだが、これが完全に石畳敷きの山道だった。
しかも最初は上り坂。大股でグイグイ進むと、途中に輪王寺行者堂があった。黒い覆屋のせいで建物がよく見えない。
覗き込んだら中に行者の像が置いてあって少しギョッとした。そして道はここから下りとなる。やはり石畳敷きだ。そんなこんなで本社を出てから10分後、目の前に小高い丘が現れた。手前に社号標があって、滝尾神社と確認。
滝尾神社は「たきのおじんじゃ」と読む。本社が男体山の大己貴命を祀るのに対し、こちらは女峰山の田心姫命を祀る。
辺りは完全に山の中で、梅雨時ということを差し引いても湿り気が強く、元気いっぱいに緑が茂っている場所だ。
そこに赤い社殿がよく目立っている。その派手さはいかにも日光らしい価値観だと思う。カメラ片手に散策してみる。
L: 滝尾神社。 C: 石段を上がると意外と広い空間となっていた。 R: 楼門。1697(元禄10)年の築とのこと。楼門をくぐるとすぐに拝殿。楼門・拝殿・本殿は一直線に並んでいる。摂末社と言うには非常に立派な構成であり、
滝尾神社の重要性がうかがえる。まあ本殿の見事さからしてレヴェルが違うが。その手前の唐門もまた凝っている。
L: 滝尾神社拝殿。楼門から本当にすぐで撮影しづらい。 C: その奥には本殿。 R: 本殿前の唐門も立派だ。境内のさらに奥には、滝尾稲荷神社や酒の泉、無念橋、神木の三本杉など、もっといろいろな要素がある。
まあいかにもパワースポット扱いされそうな場所である。平日の朝、自然を独り占めできるのは悪くない。
L: 手前の柵の中が、酒の泉。この水で酒をつくると旨くなるんだと。 C: 無念橋。俗世と聖域を分ける存在であるらしい。
R: 神木の三本杉。わざわざ鳥居と玉垣で囲まれていて、なんだか雰囲気がすごく厳か。バカにすると罰が当たるとか。アスファルトの別ルートがあるので、帰りはそっちで一気に下っていく。そしたら途中に真っ赤な祠があって、
よく見たら軒下に香車の駒が無数に置いてある。ひと気のまったくない湿った空間にそんな曰くありげな祠とは、
さすがにちょっと怖い。しかし好奇心が勝ったのでおそるおそる近づいてみると、輪王寺観音堂という案内板があった。
香車は戻らず直進する駒なので、安産のご利益があるとのこと。うーん、論理的にはイマイチよくわからない理屈だ。
妊婦がこの駒を借りて自宅の神棚に祀ると無事に出産できるそうで、お礼に新しい駒と一緒に返すことになっている。
そのため、香車の駒は増える一方という話である。面白い風習だけど、説明がなかったら、ひたすら不気味だわな。
そこから少し行くと日光東照宮の社務所。輪王寺近くまで出て参道にまわり込もうとしたら、途中に御仮殿があった。
仮殿といえば遷宮などで仮設でつくられるものだが(出雲大社の例 →2009.7.18、宗像大社の例 →2014.11.24)、
日光東照宮の場合はそれが常設で存在している点が特徴的だ。ふだんは見られないが、たまたま無料公開中だった。
L: 輪王寺観音堂。さすがに「香車堂」という異名もあるようだ。何の知識もなく偶然見たので、めちゃくちゃ驚いた。
C: 日光東照宮の御仮殿。いつもの豪華なつくりなのだが、木々に包まれた非常に静かな空間にあって対比が印象的。
R: 入口の上部を見上げるとこんな感じで、まあやっぱり東照宮の建物である。これらもしっかり重要文化財なのだ。なんせ8ヶ月前(→2014.10.1)に来ているので中に入るかどうか少し迷ったが、日光に来ておいて東照宮を無視するのは、
さすがに無理だった。観光客も前回よりは少なかったし。というわけで、1300円払って表門(仁王門)をくぐる。
曇り空ではあるものの、雨が降っているわけではないのが、前回や前々回(→2008.12.14)とは違うところだ。
L: 偶然、観光客がいなくなってきちんと撮影できた五重塔。 C: 表門(仁王門)。ここから本当に別世界だぜ。
R: 何度も書いているけど、やっぱり日光東照宮の中は現世って感じがしない。装飾ばかりのデコレートな世界。もう3回目なので特にそんなに必死になってデジカメのシャッターを切りまくることもないかと思うのだが、
そうはいってもやっぱりせっかくなので撮影せずにはいられない。どこをとっても見事なんだからしょうがない。
L: 御水舎(おみずや)。 C: 陽明門に向かって左の鼓楼。反対側には同じような感じで鐘楼がある。
R: 陽明門は現在も修復工事中。予算がついて工期が2年ほど短縮されたらしいけど。こちらはその脇の廻廊。どの装飾も見事な日光東照宮だが、やはり陽明門の迫力は別格なので、それが味わえないのは非常に淋しい。
その先にある御本社と唐門も国宝なのだが、どこか片手落ちのように感じてしまう。背後にある陽明門と、
目の前の御本社と唐門に囲まれたときのクラクラする感覚がないのは残念である。ホントに現世って感じがしないもんな。
L: 唐門。この目の前で無神経に立ち止まる観光客が多くて困る。 C: 唐門と御本社を眺める。家光好みの究極形だな。
R: あらためて眠り猫を撮影してみた。暗くて毎回ブレるんだよなあ。たくさんある彫刻のほんの一部なのにすげえ人気。当然、今回も奥宮まで往復である。いつもなら雨やら霧やらなんて大迷惑でしかないのだが、こと奥宮に関しては、
それらのヴェールがある方が幻想的でいい。そういう意味では前回の写真(→2014.10.1)はなかなか傑作だったな。
L: 奥宮へのラストスパート。手前の立て札には「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し いそぐべからず」。
C: 石段を上りきると右手に御宝蔵。 R: 奥宮拝殿を眺める。月曜の朝ってのは観光客が比較的少なくていいわ。月曜の朝は奥宮まで来る人がわりと少ないようで、運よくじっくりと奥宮の拝殿を撮影する余裕ができた。
さっきの唐門は白さが強調されていたが、こちらは落ち着いた黒い色がベースとなっている。見事な対比だ。
L: 奥宮拝殿を眺める。派手ではないが、やはりしっかりと装飾が施されているのがわかる。 C: 全体を眺める。
R: 今回も失礼ながら御宝塔の写真を載っけてみた。はっきり見えすぎちゃうと風情がないなあ。贅沢な悩みである。というわけで、日光東照宮の参拝を終えると神橋方面へと戻る。が、次の目的地はその途中にあるのだ。
先ほどの滝尾神社とともに日光二荒山神社の別宮となっている、本宮(ほんぐう)神社を目指すのだ。
案内がなくて困ったがなんとか到着。二荒山神社の旧鎮座地とのことで、どこか物悲しいというか、寂しさを感じる。
L: 本宮神社の入口。 C: 境内の様子。そんなに広くはなく、閑散としている印象がする。 R: 拝殿。拝殿と本殿のデザインや両者がすぐ前後に位置している点は、さっきの滝尾神社によく似ている。が、楼門もないし、
敷地にもあまり余裕がない。最も異なっているのは本殿の後ろで、観音堂と三重塔が並んでいる。寺じゃないか!と思う。
もともとこの観音堂と三重塔は四本龍寺という寺のものだった(現在は輪王寺が所有、四本龍寺は輪王寺の前身)。
というか、勝道上人がここに四本龍寺(後に満願寺、そして輪王寺となる)を建てたことで信仰の核ができたのだ。
日光二荒山神社は四本龍寺の鎮守社としてスタートしたという話で、この本宮神社一帯はまさにその現場なのだ。
L: 本宮神社の唐門と本殿。 C: さらに奥へ進むと四本龍寺三重塔。 R: 四本龍寺観音堂とセットで眺める。これで前回はスルーしていた日光二荒山神社の別宮も押さえたので、いよいよ奥日光へ向けて出発なのである。
神橋のバス停まで出てジュースを飲んで一休み。しばらくしたらバスが来たのでフリーパスをかざして乗り込む。
L: 神橋。相変わらず興味を持てない。 R: むしろこっちの日光物産商会が面白い。国登録有形文化財。さて、時刻はまだ11時前である。素直に中禅寺湖周辺を歩きまわるのもいいが、それだとフリーパスがもったいない。
せっかく湯元温泉まで行けるわけだから、とことん行ってしまう方が面白いんじゃないか、そんな気分になってきた。
その帰りには戦場ヶ原に寄るのもいい。いちおう中禅寺湖周辺は出版社時代に社員旅行で来ており(→2006.10.20)、
まったく初めてというわけではないのだ。どうせ天気も良くねえし、いっちょやったるか、と終点まで揺られる。そんなわけで終点の湯元温泉に到着したのが正午ちょい過ぎ。なんと、青空が見えるではないか。これはうれしい。
集落のいちばん北には温泉寺という、全国でも珍しい「入浴のできる寺」がある。でも残念ながら時間がなくてパス。
敷地のはずれにある湯ノ平湿原を往復したのみ。硫黄の匂いが強烈で、湿原と地獄が隣接している珍しい場所だった。
L: 終点・湯元温泉のバスターミナル。ただ広大なアスファルトなのであった。 C: 温泉寺。お堂の隣が入浴施設。
R: 湯ノ平湿原の源泉。中禅寺湖畔にある中禅寺温泉は、実はこの源泉を引っぱって持っていったものなのだ。湯元温泉について予備知識はほとんどない状態で訪れたのだが、いざ歩きまわってみて驚いた。さ……寂れとる!
温泉街らしい温泉街はなく、どちらかというと高原の合宿所といった風情なのである。あまりにもストイックすぎる。
それでも宿屋には都内の小学校を歓迎する看板が出ていたので、日光見学とセットでコースが設定されているのだろう。
なるほど戦場ヶ原と合わせれば、1泊2日でちょうどいいプランになるわけだ。そう考えると面白いものである。湯元温泉はひたすらこんな感じで高原の合宿所的な雰囲気だった。
30分ほどブラついた後、帰りは三本松というバス停でいったん下車。ここには戦場ヶ原の展望所があるので、
ちょっと見てやろうというわけだ。そしたら湯元温泉の青空は完全に消え去り、山々は霧に包まれていた。何これ。
L: 戦場ヶ原。これじゃあ魅力がわからんです……。 R: 三本松には梅宮辰夫の漬け物屋が! がんばってるねー。中禅寺湖まで戻ってきて唖然とした。戦場ヶ原よりも霧の勢いは強くなっており、もう何も見えやしない。
やっぱりオレは日光との相性が最悪なのか……とヘコんだヘコんだ。湯元温泉の青空が恋しゅうございます。中禅寺湖。いったい、もう、どうすればいいのか。
とりあえず二荒山神社前のバス停で降りる。このバス停の名前だけ聞くと日光山内のような印象を受けるのだが、
実際には中禅寺湖畔の中宮祠(ちゅうぐうし)のすぐ前にある。ヘコんでいてもしょうがないので、素直に参拝、参拝。
L: 日光二荒山神社中宮祠の浜鳥居。 C: 石段を上ると八脚門。 R: 門を抜けると立派な境内。日光二荒山神社は中禅寺湖のすぐ北にそびえる男体山を大己貴命として祀る神社である。男体山には奥宮があるが、
その中間ということで、この中禅寺湖畔に中宮祠が建てられた。こちらも重要文化財が目白押しなのである。
前回は雨でここまで来る気が起きなくて、その分だけ今回はやる気十分で臨んだのだが、薄暗いほどの霧となった。
やはり十分な光量がないと魅力的な写真を撮ることはできないのだ。切ない思いを抱えつつシャッターを切る。
L: 中門から拝殿へ至る参道は屋根付き。 C: 拝殿。 R: 本殿。どっちも重要文化財でございますよ。授与所を覗いてみたら、中宮祠の御守は男体山と中禅寺湖が描かれており、本社とは異なるデザインとなっていた。
もうひとつ面白かったのは、500円で中身の入っていない守袋だけを売っていたこと。中身は自分で決めろ、と。
そういう事例は初めてである。両方とも迷わず頂戴するのであった。いやー、やっぱりわざわざ来てよかったね。
L: 本殿の脇には1769(明和6)年建立の鳥居。 C: その奥には登拝門。男体山への登山はここから始まるのだ。
R: 東側の鳥居。ふつうに参拝する場合はこちらからアクセスすることになる。いずれ登るのかなあ、男体山。霧の勢いは凄まじく、中禅寺湖は水面こそ確認できるものの、とてもとてもその対岸を見ることなどできない状態。
そもそも至近距離すら霞んでよく見えないくらいで、中宮祠の参拝を終えるとなんだかもうやる気がなくなってきた。しかし、面倒くさくってもやっておかないといけないことがあるのだ。それは、旧イタリア大使館別荘の見学だ。
奥日光の観光名所は華厳の滝を中心に、中禅寺湖の北東がメインとなっていると言っていいだろう。中宮祠もそうだ。
しかし、旧イタリア大使館別荘はそこからはずれた中禅寺湖の南東にあるのだ。これは中禅寺よりもさらに南になる。
バスがあるだろ、フリーパス持ってんだろお前、と思うかもしれないが、バスは夏休み中と紅葉の時期限定の運行なのだ。
(これはルートの終点が半月山になので。ただし、半月山から男体山と中禅寺湖を眺めるのは、かなりの絶景らしい。)
じゃあどうするか。……歩くしかないでしょ。というわけで、片道30分をかけて行ってきましたよ。つらかったわー。
L: 公園となっている敷地の奥へと進んでいくと、本邸の建物がたたずんでいる。 C: まずは側面から。
R: 石段を下りつつ見上げる。もうこの時点でタダモノではないことがよくわかる建築である。到着するまで本当に面倒くさかったのだが、実際に旧イタリア大使館別荘を目にした瞬間、疲れが一気に吹き飛んだ。
なんというか、こういう発想の建物はそうそうあるもんじゃない。和の素材で洋をつくってみたら絶妙のバランスになった、
それがそのまま存在しているのである。市松模様がもうオシャレでオシャレで。かなりの衝撃を受けましたわ。
L: 旧イタリア大使館別荘は中禅寺湖に面して建っている。湖岸から見上げるとこんな感じに映るのだ。
C: まっすぐ突き出ている桟橋のところから見る。 R: 近づいてみたところ。和風の良さが全開である。これはわざわざ見に来た甲斐があった、と興奮しながらシャッターを切って建物を一周。外観だけでも凄いのだが、
内装はどうなっているのだ、と鼻息荒く中へと入る。維持管理協力費ということで100円を払う仕組みになっている。
L: さっきと反対側の側面。 C: 中禅寺湖の反対側が玄関ね。 R: というわけで玄関をクローズアップなのだ。ではここで旧イタリア大使館別荘についての基本データをまとめる。竣工は1928年で、設計はアントニン=レーモンド。
なんでも当時の中禅寺湖畔には各国大使館の別荘が集中し、「夏には外務省が日光へ移る」なんて言われていたとか。
実際、中禅寺の手前辺りには現役バリバリのフランス大使館別荘とベルギー大使館別荘が前後して並んでいたし、
さらには旧イタリア大使館別荘のすぐ手前では、旧イギリス大使館別荘がかなり大規模な修復工事の真っ最中だった。
完成すれば中禅寺湖の南東側にも観光拠点が増える格好になるわけで、今後が非常に楽しみな物件と言えるだろう。
なお、旧イタリア大使館別荘は1997年まで歴代イタリア大使が実際に使用していた。国登録有形文化財である。
L: 中に入って右手(北側)のこちらが大使の書斎。 C: 中心部は居間。 R: 入って左手(南側)が食堂。これらで一部屋。外観も魅力的だったが、内部もまた独特なデザインが施されており、ただただ圧倒される。やはり天井の模様に目がいく。
この辺りはアントニン=レーモンドが師であるフランク=ロイド=ライトの影響を受けつつも独自性を出した部分だろう。
特徴的な模様を構成するのは杉の皮だが、日本産の素材を上手く再解釈したそのセンスはさすがである。
また、テーブルやソファなど洋式の家具が持ち込まれているが、部屋の造りは和風の木造ぶりを基本としており、
その調和ぶりもまた見どころだろう。部屋は北から書斎・居間・食堂となっているのだが、それらを仕切る壁はない。
外光もたっぷり採り入れられており、従来の日本家屋にはない開放感があるところがやはり洋風の方法論であると思う。
L: 書斎(北)から居間を通して食堂(南)を眺める。 C: その反対方向。この開放感は凄まじいものがある。
R: 1階の中禅寺湖側(西)は広縁。御用邸(→2011.11.20/2014.10.1)の廊下を滞留空間化した感じがする。それ以外の部屋もあちこち覗いてみたのだが、やはりいちいち凝っていて面白かった。2階は寝室が3つあって、
いちばん北側の眺望室1(大使の間)がきちんと復元されているくらいだったのが、ちょっと残念かなあ。
L: 休憩室。外側の市松模様がここにも配置されて面白い。 C: 階段で2階に上がったところがホール。
R: 眺望室1(大使の間)。非常にシンプル。2階は1階と比べるとだいぶ差があったが、往時もそうだったのかなあ。ちなみに霧で覆われたこの日の午後は、半袖だとしっかり肌寒いほどになっていた。信じられないことに、
6月の末だってのに旧イタリア大使館別荘の中ではストーブが点いていたもんね。奥日光は本当に涼しい場所なのだ。広縁のガラス越しに眺める中禅寺湖。天気が本当に残念すぎるぜ。
帰りは当然、中禅寺に寄ってみる。輪王寺の別院で、もともとは日光二荒山神社の神宮寺だったそうだ。
重要文化財に指定されているいわゆる「立木観音」が有名だというので、霧の粒が舞う中、参拝してみた。
立木観音があるのは本堂で、前の参拝客への説明が終わるまで待ってからご対面。はっきりデカくてかなりの迫力だ。
しっかりつくってある千手観音像という印象だが、桂の大木をそのまま彫っているので「立木観音」というそうだ。
今でも根を張った状態とのことで、足元を覗き込んだら床のその部分に確かに穴が開いていた。これは面白い。
L: 中禅寺の山門。拝観料は500円でござい。 C: 本堂。立木観音はこの中に植わっている。興味深い。
R: 立木観音の拝観を終えるとそのまま階段を上がって五大堂へ行く仕組みになっており、中禅寺湖が見える。奥日光の最後は当然、中禅寺温泉で締めるのである。さっき書いたとおり、中禅寺温泉は湯元温泉を引いたものだ。
「まるごと日光 東武フリーパス」があると、日光レークサイドホテルの日帰り入浴施設「湖畔の湯」が安くなるので、
迷わずそちらにお邪魔する。運よく客は僕一人だけで、温泉を心ゆくまで堪能させてもらった。なかなか強烈だったね。最後に中宮祠の赤鳥居を眺める。今回も晴れなかったなあ……。
日光は今まで雨で、今回は霧。「日光で太陽を見たことがない」記録をまたしても更新してしまったのであった。
もうしばらく日光は来なくていいだろうけど、次に来るとしたら、男体山登山と華厳の滝だろうか。半月山もいいなあ。
そのときには是非とも快晴であってほしいものである。いいかげんそろそろ、なんとかなってくれていいんじゃないの?
期せずして天気のいい日曜日。テストも終わって、やらなければいけないことは特にない。
のんびりと自転車に乗って東京十社めぐりでもやろうかなあと思ったのだが、一気につぶすのももったいないなあと。
それならもっと手軽な距離で、まだ御守を頂戴していない神社を参拝するのも悪くなかろう、と方針転換したのであった。
というわけで、本日は気楽にペダルをこいで、近場の神社をめぐる。うまいことに、源氏に縁のある神社があるので、
それをテーマにしてサイクリングと洒落込むのである。昼までカフェで日記を書くと、いざ出発。久しぶりの洗足池だな。
まず最初は洗足池のほとり、千束八幡神社。すぐ近所だというのに、まだ御守を頂戴していなかったのだ。
境内は池より一段高いところにあり、空間構成は氷川女体神社(→2011.4.29/2014.12.7)にそっくり。
やはり独特の湿り気があって、緑が元気よく茂っている。見沼もかつては洗足池みたいだったんだろうなと思う。
L: 千束八幡神社の境内入口。 C: 石段を上がると拝殿だ。 R: 角度を変えて眺める。さて洗足池といえば、名馬「池月(生食)」だ。安房を脱出して鎌倉へ向かう源頼朝がこの地に泊まった際、
青い毛並みに白の斑点が池に映る月のように見える馬が現れた。この馬・池月は後に佐々木高綱に与えられ、
宇治川の戦いで梶原景季&磨墨と先陣を争う(結果はご存知のとおり、佐々木高綱がズルして一番乗り)。
実際に宇治川の流れる様子を見てみると、その意外な速さに驚かされる(→2010.3.28/2015.1.31)。
あの流れをものともしないだけの名馬を想像してみる。ちなみに北千束駅は開業当時、池月駅って名前だったそうだ。拝殿のすぐ脇にある、池月の絵馬。誇らしいねえ。
洗足池に限らず、この近辺には源氏にまつわる伝承を持つ場所が多い。次は品川区の旗岡八幡神社を参拝する。
荏原町駅のすぐ北にあるのだが、参拝すること自体が初めて。雨の日は前任校までこの駅から歩いていたのにねえ。
旗岡八幡神社は平忠常の乱(1030年)の際、源頼信が八幡大神を奉り戦勝を祈願したことがその起源となっている。
このときに源氏の白旗をなびかせたことで、旗岡八幡神社という名前になり、周辺の地名も「旗の台」となった。
(また、近くには「源氏前小学校」もある。1000年近く前のできごとが今でも痕跡として残っているのは凄い。)
頼信が乱を平定したことで、源氏は東国で勢力を拡大することになる。まさに源氏の旗揚げの地と言っていい場所だ。
L: 旗岡八幡神社の境内入口。手前の道は鎌倉へ通じる「鎌倉道」だが、すごく狭い。往時のサイズそのままって感じ。
C: 境内の中から北側の入口を眺める。こんな感じで緑がいっぱい。 R: まっすぐ延びる参道は緑がよく茂っている。荏原町駅の商店街をはじめ、周囲には複数の直線の商店街があって、ちょうどエアポケットのようになっている場所だ。
商店街ではない部分は住宅が広がっているので、旗岡八幡神社の印象はとにかく静か。驚くほど閑静な神社だった。拝殿。源氏ってことで、白い御守を頂戴しておいたよ。
旗岡八幡神社を後にすると、そのまま五反田に出て大崎を抜け、東海道に出る。源氏ゆかりの神社めぐり、
最後を飾るのは東京十社にもなっている品川神社だ。もちろん以前に訪れたことがあるが(→2010.1.7)、
あらためて参拝するのだ。場所は京急・新馬場駅のすぐ北。新馬場は「しんばんば」と読む。「しろばんば」は井上靖。
すいません、疲れてきてそろそろふざけたいの。この日記、参拝を終えてから家に帰る途中の五反田で書いてるの。
L: 品川神社。相変わらずの高台ぶりである。かつては海のすぐ近く、東海道を望む絶好の位置だったわけだ。
C: 石段を行く。途中のアジサイが本当に美しい。 R: 石段を上りきって境内。高台なのだがしっかりと広い。品川神社は1187(文治3)年に源頼朝が安房国の洲崎神社(→2013.3.23)から神様を勧請したのが始まり。
洲崎神社は周りに何もないような場所だったので、それを考えると勧請先のこっちの方が立派に思えてしまう。
でも海に面する石段をだーっと上がっていく構成は一緒だ(かつての品川神社は、東海道を挟んだすぐ東が海だった)。
きっと、その点も意識して品川神社をこの地に建てたのだろう。そう考えると、この共通項はものすごく面白い。
しかし御守の中央にある紋は、徳川家の三つ葉葵だった。江戸時代以降に徳川家との関係が一気に深くなった影響か。
L: 拝殿。 C: なかなか立派な神楽殿。 R: いちばん奥には板垣退助の墓。これは前のログでも扱ったなあ。ところでやはり、品川神社といえば富士塚である。高さ約15mは都内で最大とのこと。とはいえ実際のところ、
富士塚の入口は石段の真ん中ぐらいにある。つまり富士塚の高さの半分くらいは品川神社じたいの高さのおかげなのだ。
東海道を見下ろす富士塚はいいランドマークだっただろう、と思ったら、現在のものは1922(大正11)年に築かれたそうだ。
意外と最近のものなのである。また本物に登りたいなあ(→2013.8.6/2013.8.7)、と思いつつ、頂上でのんびり一休み。
L: 石段の途中の富士塚入口。1合目から2合目までは4段。楽でいいなあ! C: 富士塚はこんな感じでできている。
R: これは後で国道1号に降りてから眺めた富士塚。確かに高さはあるのだが、品川神社じたいの高さに助けられている。品川神社の富士塚から眺める景色は、つくられた当初と比べると恐ろしく変化していることだろう。
できれば往時の景色も味わってみたいものだ。写真とか残ってないのかな。頂上で展示できれば面白いのにね。京急の赤い電車とともに撮影ってのが典型的なパターンだろうな。
品川神社まで来たら、国道1号を挟んですぐそこにあるのが荏原神社。こちらもかつて准勅祭社となっていたという。
……アレ? 旧准勅祭社の東京十社には、荏原神社ではなくさっきの品川神社が入っている。いったいこれは何なんだ。
どうも、北でスサノオを祀る品川神社と、南でスサノオを祀る荏原神社で、何かしらの混同があったようなのだ。
荏原神社では「『品川貴船社』が准勅祭社だったから、高龗神を祀るウチが正当!」と主張している模様である。
神社で明治というとかなり最近なイメージがあるが、それでも一宮の論社のような混同が簡単に発生してしまっている。
まあ、所詮は東京十社なんてそんなものなのである。神社なんて、自分なりにありがたがって参拝しておけばいいのだ。
L: 荏原神社は境内の形が独特。目黒川に架かる鎮守橋から行くと、右に社号標と社務所、左に社殿となっている。
C: 参道は目黒川と平行になっておらず、斜めに入る感じ。これは目黒川が改修工事で流れを大きく変えたためとのこと。
R: 拝殿は立派。玉垣が近くてちょっと余裕のない感じもあるが、どっしり構えていて迫力がある。いつ建てられたんだろ?荏原神社というと、とにかくカンヒザクラが見事な神社、という印象がある(→2010.1.23)。
今回は6月なのでふつうに緑が茂っているだけだったが、その分、拝殿の彫刻の見事さが目立って見えた。
またあらためて、カンヒザクラの時期に参拝したいものである。御守にはカンヒザクラのヴァージョンもあるようだ。
L: 拝殿の彫刻をクローズアップ。 C: 本殿を覗き込む。簡素ですな。 R: 少し離れて舞殿。今日は近場の神社をターゲットにしてみたが、思いのほか濃い内容だった。やっぱり足元をおろそかにしてはいけないね。
いよいよブロック大会である。雨の影響を受けずにできる場所ということで、試合会場は大井第二球技場となった。
この場所、都大会でも使われるそうで、本当にきちんとした球技場なのである。観客席までついているんだぜ。
こんなすばらしい舞台で戦えるなんて、もうそれだけでテンションが上がるってもんだ。そうじゃないといけねえやな。
しかし対戦相手が毎度おなじみの学校だからか、生徒たちはいたっていつもどおり。特別に緊張しているわけでもなく、
まるっきりたるんでいるわけでもなく、見事にいつもどおり。僕個人としては、ギアが上がらないのが不思議だが。試合が始まるとやっぱり相手ペース。雨こそ降っていないが湿度がかなり高くてプレーしづらい状況なのはわかる。
でもそれは相手も同じで、言い訳にならない。ここまでウチの生徒たちは試合を通じて粘り強さを身につけてきたが、
どうもイマイチそれを発揮しきれていない。なんだかふりだしに戻ってしまったような印象の試合内容である。
根性論というわけではないけれど、気持ちの面がいつも以上でなければ、勝つことなんて到底できないのだ。結局、前回の対戦と同じスコアの0-3で負けてしまった。しかし生徒たちは悔しがる気持ちよりもむしろ、
自分たちはここまで来ることができたという安堵感の方が大きいようだ。ぜんぜん泣かないのである。
別に無理して泣けと言うつもりもないし、泣くことに意義があるとも思わないが、それにしてもあっさりしすぎだ。
どこか開放感に浸っているような表情に見えたのは気のせいだろうか。なんかどうも、違和感がある。
とはいえまあ、決して強いチームではなかったが、試合を重ねるごとにいちばん成長できたチームだったのは確かだ。
そういうチームがそれ相応の舞台に立つことができたというのは、立派な成果だ。素直にお疲れ様と言っておこう。
学校に泊まり込むのはいろいろと手間がかかるので、今日は出勤時間を早めてみた。午前3時に起床ですよ。
それで午前4時からカメラを設置して張ってみたのだが、なんと裏をかかれてカメラの写さない死角にやられた。
いつもの犯行現場と違う場所で、これはもう、こっちの動きをしっかり観察した上での犯行としか思えない。
いやこれは僕の被害妄想ではなくて、実際にこっちを見渡せる場所があるの。そこで確認してから動いたとしか思えない。
もう絶対に許せないぜ。テスト期間で今は余裕があるから、こっちもとことんやってやろうじゃねえか!
早朝の迷惑行為を押さえるには、犯人よりも早く起きなければ意味がないのである。というわけで午前4時起床。
いつもサッカー部の試合で使っている三脚とビデオカメラを用意して、いつもの犯行現場を見下ろす位置に設置する。
最初は暗くてほとんど何も見えない状態から、だんだんと空が白んでくる。気配を覚られないように室内で待ち、
本日最初に出勤する人がやってきたところで終了。しかし職場で迎える朝というのは、ただただ虚しいものだな。さて結果はどうだったかというと、なんと今朝は迷惑行為がなかったというオチ。うーん、ニンともカンとも。
◇
午後にブロック大会の顧問会に出かける。強いところばっかりだけど、前にいた区の学校が相手ならワンチャンあるかも、
そんなことを思いながらくじ引きの結果を見たら、初戦の相手はダニエルの母校でやんの。もう飽きたよ!!!
まったく代わり映えのしない学校との対戦で、全力でがっくり。まあ前回はそれなりに戦ったので(→2015.5.16)、
自分たちがあのときより成長していると信じて、どうにか倒せるようにもっていくしかない。しかしまあ、飽きた!!!
テスト本番がいよいよ明日なのだが、ようやく完成にこぎ着けた。そんなものと言えばそんなものだが、
ここ最近のめちゃくちゃいろいろ抱えている状況を考えると、本当によくがんばったと思う。限界ですよ限界。さてテスト完成でテンションが上がっていたわけではない(と思う)のだが、今日はそのまま学校に泊まるのであった。
もちろんそんなことをするのは初めてである。街に出て晩飯を食うと、職員室の床に寝転がっておやすみなさい。
なんでわざわざそんなことをするのかというのは詳しく書かないけど、どうも早朝に迷惑行為をするヤツがいるようで。
その迷惑行為の瞬間を押さえることはできないか、ということでチャレンジしてみたのだ。やべえ、面白くなってきた。
テスト前なのに雑務がやたらと多い。それにブロック大会に進出したおかげで、本来ならお休みのはずの部活もあるし、
テストの仕上げ作業もあるし、自分じゃないとどうにもならない仕事が妙に多くて抱え込まざるをえない状況になのである。
結局、外でもできるテストづくりは帰る途中でカフェに寄ってやるしかない。一日の労働時間が恐ろしいことになっている。
マジで疲れがピークですぜ。レギュラー授業に部活にテストづくりで、息つく暇がまったくない。ヤバい。
すでにブロック大会出場は決まっているのだが、本日は5位になるか6位になるかの順位決定戦である。
正直、どっちに転ぼうが、出番の遅いくじ引きの順番がひとつ前になるか後ろになるかの差しかないので、
体力的にキツい現状としては雨が降りそうな中でわざわざ試合を入れていただかなくてもいい。そう言いたい。
しかしきちんとした人工芝のグラウンドで真剣勝負ができる貴重な機会なので、「いいです、やります」と。結論から言うと、こんなんだったらやらなくてもよかったよ、という気持ちになってしまう、そういう試合。
ブロック大会出場決定で気が抜けたとは言わないが、ぜんぜん戦えていなかった、集中できていなかった試合だった。
それでもどうにか失点しないで粘っていたのだが、終了直前、本当に最後の最後のワンプレーで点を取られて負けた。
ちゃんとやらないヤツにはそれ相応の罰が待っている、それを生徒が学んだのであれば試合した意味があったけど。
その程度の収穫しかない時間だった。でもこっちの体力は確実に削られているんだよなあ。たまったもんじゃねえよ。◇
午後は毎月恒例のJリーグ観戦である。カードは横浜FC×大宮ということで、大好きな三ツ沢での試合だ。
そしてこのカードを選んだ理由はもうひとつある。J2首位を行く大宮の強さを見てみたい、という純粋な興味である。
昨シーズンついに降格してしまった大宮(→2014.12.6)は、千葉や磐田のようなJ2どっぷり生活が懸念された。
しかし序盤こそ少々モタついたものの、第8節から2分けを挟んで怒濤の9連勝。今や首位の座をがっちり確保している。
そんな「負けない大宮」の強さの秘訣は何なのか、実際にこの目で見て、自分なりに考えてみたかったというわけだ。
L: フリ丸。横浜FCの鮮やかなブルー具合はけっこう好きだ。しかしフリ丸は先進的な思いきったデザインだよな。
C: 試合が始まるぜー。三ツ沢はやっぱりいいなあ。 R: この試合の主役はやっぱり家長なのであった。格が違った。大宮の鋭いシュートを横浜CのGK南が弾きまくる、という形で序盤はスタート。横浜Cもよく反撃していたのだが、
27分に中央でパスを受けた横谷が少し運んでからシュート。これがしっかり決まって大宮が早くも先制してみせる。
この得点シーンに限らず、大宮はとにかく思い切りがよかった。チャンスとみれば非常に積極的にシュートを撃っていて、
「ボールをつなぐのはシュートのため」という意識がはっきりと見て取れた。この部分の迫力がJ2離れしているのだ。
その攻撃の核となっているのは家長で、家長にはパスもドリブルもシュートもあるから注意しないといけないのは当然だ。
しかし今の大宮は、家長以外の選手も積極的に絡んでシュートを狙ってくる。守る側が的を絞れない状況になっている。
単に連携して崩そうとするのなら、好調なチームはどこもある程度やってみせるだろうが、大宮は必ずシュートまで行く。
崩すだけで終わらないで、最後にシュートが付いてくるのだ。ここを徹底しているので、守る方はどんどん消耗していく。
L: 横浜FCの攻撃の核は寺田。いろいろ工夫したパスを送って戦っていたのだが、大宮の守備が鉄壁すぎた。
C: 序盤は横浜FCもよく攻めていたのだが、ゴールは割れず。 R: 大宮はかなり積極的にシュートを放ってくる。しかし試合をじっくり見ていると、大宮の本当の強さはその攻撃の圧力だけにあるのではないことがわかってくる。
大宮の強さの秘訣は、抜群の安定感を誇る守備にあるのだ。大宮の守備陣は、どんな状況でも落ち着いている。
見ていると非常にオーソドクスな4バックなのだが、そのオーソドクスさをやりきっているところが王者の風格。
中盤の両サイド・横谷と泉澤がガンガン前に仕掛けるので、SBはそこまで積極的に攻撃参加する必要はない。
また、中盤はボールがしっかり収まる選手で構成されているので、CBがビルドアップを無理に強いられることもない。
しかも大宮の攻撃は大半がシュートで終わるので、相手の厳しいカウンターを食らって慌てるような場面もない。
DF4枚がつねに余裕を持ってプレーできる環境が達成されているし、実際にまったくミスすることなくプレーしている。
渋谷監督がすごいのは、この好循環を持続させて安定感満載のチームをつくったことだ。この完成度は他に類を見ない。
もともと降格組で選手の能力の高さは折り紙つきだが、その実力をしっかり発揮させ続けているのがすごいのだ。
L: 後半、ドリブルで持ち込んだムルジャが2点目を決める。さらっと決めてしまうあたり、ものすごい得点感覚だ。
R: さらに泉澤のパスを受けた家長が左足を一閃して3点目。一連の動作が速くてシャッターチャンスを逃しちゃったよ。というわけで、首位の貫禄を見せた大宮が3-0で横浜FCに快勝。これはもう、大宮が強すぎるとしか言いようがない。
大宮は首位になるべくしてなっている。攻撃ではきちんとシュートを狙い、守備では落ち着いてミスなくプレーする。
当たり前のことを当たり前にやることがどれだけ重要なのか、今の大宮の試合を見れば本当によくわかる。まさにお手本。
L: 敗れた横浜FC。相手が悪かった、と言うこともできるけど、「当たり前」ができなくて負けた、とも言える。
R: 連勝を伸ばして12戦負けなしとなった大宮。今の大宮は本当に強い。たとえ負けても、それで崩れる気がしない。去年の湘南(→2014.4.26/2014.11.15)は「極端で面白いサッカー」で、大木さんのチームも好調なときはそうで、
僕はそういう独特な特徴を持つチームに肩入れしたくなるのだが、今の大宮はまさに正統派で、しかもきちんと強い。
アウェイでの勝利にはしゃぐ大宮のゴール裏を見て、王道じゃのう、とつぶやくのであった。J2ぶっちぎりそうだなあ……。
土曜だってのに時間割がまた無茶なことになって、情報空間上でにらめっこ(→2015.4.13/2015.4.14)。
といっても一度確たるものが決まっていれば、あとはそれを調整していけばいいので、30分で解決したけど。
自分ひとりの問題ならいいけど、時間割はすべからく皆様に関係することなので、非常にプレッシャーを感じる。
今まで時間割に文句を言ったことはないけどさ、これは本当に二度とやりたくない仕事だわ。神経を使いすぎる。◇
ココイチのチキンと夏野菜カレーが値上げですとな! 毎年夏場になるとそればっかり食っている自分には大ダメージだ。
ただでさえ高くて、もう100円安けりゃなあ……と思っていただけに、値上げとなると頻度を落とさないといけない。
まあそれはそれでいい抑制になるのかもしれないが、もう常軌を逸して好きなんですよ、チキンと夏野菜カレー。
今以上においそれと食えなくなるのか。困ったなあ。一夏いくらで食べ放題の定期券とかになりませんかね。
ドラえもんのジャイアン役やヤッターマンのトンズラー役で知られる声優・たてかべ和也師匠が亡くなった。
ここ最近の、おっさん声優が次々と亡くなっている状況はオレには厳しいのなんの。自分が高校時代くらいかな、
90年代後半くらいに声優ブームがあって、若手女性声優を中心にいろいろと盛り上がった時期があったのだが、
私はその頃から一貫しておっさん声優が大好きでありました。その人にしか出せない声を持っている個性派が好きで、
挙げていけばキリがないわけです。たてかべ師匠は出演する番組こそ限られていたけど、やっぱりジャイアンがねえ。
年に一度のドラえもん映画でみっちり育ってきた僕としては、そりゃもう特別な存在に決まっているのだ。
目を閉じれば今でも『のび太の日本誕生』での「オレはかあちゃんの奴隷じゃないっつーのー!」が鮮烈に蘇る。最後に一言、この言葉で締めさせていただきたい。ジャイアン死んじゃいやん!
授業が終わってすぐに、夏季学園の保護者説明会である。PowerPointを大画面に映し出してあれこれ説明。
特に気をつかわなくちゃいけない場面があったわけではないのだが、人前でしゃべってそれだけで疲れたわー。
連日の大調査である。職務上イヤな気分にさせられるのはたまったもんじゃない。品性が欠けておる!
今日もヘロヘロである。なんだか毎日、ただただ消耗しているだけのような気がする。なかなか前向きになれない。
◇
日本代表のシンガポール戦。しっかりと人数をかけて守る相手を崩せずにスコアレスドロー。なんだこれ。
しかし相手GKが神懸かっていた。あそこまで大当たりされてしまうと、運も絡むスポーツはもうどうしょうもない。
自分たちの流れではないゲームを強引に打ち破るだけのプレーが日本になかったのも事実ではあるが。いやはや。さて、ここからは自分たちの問題について。解説のくせに「ファウルだろ!」とやたらと叫ぶ松木の罪は非常に重い。
こういうことを平然と許しているから、サッカーを実際にプレーした経験のない人たちが審判を信頼しなくなるのだ。
それはつまり、一般層・ライト層の観戦レヴェルが下がるということである。スタジアムの雰囲気が悪くなる遠因だ。
冗談ではなく、松木の解説になっていない感情の吐露は、日本サッカーが後退する原因のひとつに挙げられると思う。
今回の松木は、この試合における選手たちのパフォーマンス以上に最悪である。存在そのものが悪影響でしかなかった。一喜一憂する松木の解説がもてはやされているうちは、日本は本当にサッカーがわかる国にはなれないな、と思う。
ハリルホジッチ云々じゃなくて、本田に香川云々じゃなくて、サッカー協会云々じゃなくて、これはオレたちの問題だ。
他人のせいにしてはいけない。自ら進んで、松木の解説で喜んでいるレヴェルから抜け出していかないとダメなのだ。
非常にイヤな事態が発覚した。生活指導上のことなので詳しくは書きませんが、まあほとほと呆れ果てた。
いったいどういう感覚をしているんだろうか。われわれの理解の範疇を超えている。品性の問題ですわ。品性の。
大宮まで買い物に出る破目に。大宮じゃないとダメなところが面倒くさいが、しょうがないのだ。
まあ要するに、ウチの部活のユニフォームをお願いしているスポーツ店が東京から撤退してしまったので、
新規に注文するには大宮まで行く必要があるってわけ。注文するに至る過程がだいぶイラつく要素を含むため、
「大宮まで買い物に出る破目に。」という表現になるのである。まあこれ以上詳しくは書かないけどさ。注文を済ませると軽く自分の分を買い物し、スタ丼を食って帰る。それだけ。天気がよけりゃ機嫌も違ったんだが。
さあ、今日も今日とて夏季大会。今日はブロック大会進出を賭けた試合だ。われわれを待ち受けるのは天国か地獄か。
まあどっちに転んでも僕にはつらいんだけどね! やるんならとことんやってほしいけど、体力的には限界に近いぜ!試合ごとごとにメキメキと音を立てて成長しているウチのチーム、相手の攻撃にただ焦るようなことなどもうない。
ひとつひとつ確実に対処して、落ち着いてスペースを探して攻撃を仕掛けていく、それができるようになっている。
本日の相手は公立の学校で、相手の方がやや強いかなと思っていたが、しっかり対等な戦いぶりである。
そして前半終了間際、遠めから放ったシュートがうまく転がってこちらが先制。ブロック大会進出をたぐり寄せる。負けたら即、引退という状況。後半に入って相手は果敢に攻めてくる。一瞬の隙を衝かれて失点してしまったが、
すぐに攻め返して相手のハンドを誘うと、PKを決めて再びリード。それ以降は相手の攻撃を着実にいなすプレーぶり。
おとといの試合を経験した影響もあり、失点しても別に焦らずコツコツとチャンスをつくって取り返せばいい、
そういう境地に達しているようだ。ちっとやそっとじゃペースを崩さないぜ、という余裕を感じさせるのだ。
こっちが戦いの中で守備のコツをつかんできたためか、見ていると相手はなかなか上手い攻め手がないようだ。
「コイツが危険だぞ」という軸になる選手を守備がしっかり押さえている。みんなもうわかっているのだ。そんなわけで2-1で勝利してブロック大会へ進出。この夏季大会は試合がやたらと多くて体力的にキツくてたまらん。
でもその分、生徒たちは確実に成長して結果を出してみせた。そこは素直に大喜びしたい。オレもうれしい。この試合は高校のグラウンドを借りてやったのだが、副審をしていたら前任校で教えていた生徒に声をかけられびっくり。
「似てると思ったら先生だった」とのこと。元気そうで何よりである。この仕事、たまにこういう楽しみもあるんだよな。◇
午後は姉歯祭りだ! なんというハードスケジュールだ。でもリョーシさんが上京してきたんだから当然だべ。
試合が終わるとすぐに移動して国立へ。今回はわれわれの母校・一橋大学をちょっと散歩しようというのである。
まったく愛校心に溢れる連中だぜ!と思いつつ僕も合流。僕の一橋愛はだいたいこの辺を参照(→2015.1.27)。西正門からキャンパス内をフラフラと歩きまわる。その後、当然の流れで部室方面へ。すると中から声がする。
ドアを開けたら現役のクイ研メンバーがクイズ中なのであった。それでなんだかんだで混ぜてもらうことに。
L: 現役の皆さんに気をつかっていただいて、先輩方はベッドに座らせていただく。お前ら牢名主みたいだな。
R: クイズ中のわれわれ。15年前もこんな感じでやってましたな。ホントに何ひとつ変わらない感じ。それにしても現役の皆さんのお強いことお強いこと。僕らは上を見ても下を見ても最弱の世代かもしれん。
僕が驚愕したのは自分の老化っぷり。「わかる!」「知ってる!」と思ってボタンを押すはいいのだが、
答える段になるとうまく記憶が手繰れずに答えが出てこないのである。ここが本当にうまくつながらない。
ワシントン・レッドスキンズとカンザスシティ・チーフスの区別がつかないとは、もう切なくて切なくて。
現役の皆さんは「日頃やってないとそうなりますよね」と慰めてくれるのだが、事実そういうものなのだが、
僕は自分の力を過信しておりました。よく考えたらきちんとクイズやるのって10年以上ぶりなんだよな。
10年以上ものブランクを突き付けられて、それを取り戻すのにかなり手間がかかるところまで劣化した、
そんな現実にただ肩を落とすのであった。いやー、本当にいいところがなかった。悔しくってたまらん。1月(→2015.1.24)に改修中だった図書館が復活したので撮っておく。
その後はいつものように居酒屋でダベって飲んだくれる。リョーシさんが岡山へ向けて出発した後、
残ったみやもりには洗いざらいとことん何から何までしゃべってしまいましたな。お恥ずかしい。
体力の限界っすよマジで。2年前にまったく休めなかった結果、かなりひどく体調を崩した記憶が蘇る。
部活が快調に勝ち進むのはいいのだが、それは結局、自分が休めなくなる状況を意味するわけである。
だから部活の好調ぶりに反比例して、こちらの体調は悪化する。いいかげんこの状態を脱したいのだが……。
おととい予定されていた試合が本日に延期され、5時間目が終わったところでサッカー部の連中を連れて試合会場へ。
平日に公式戦なんて初めてのことなので、生徒はどこかウキウキ、僕は少し緊張しながら引率するのであった。
試合会場も今まで使ったことのないグラウンドで、何から何まで新鮮。審判もボランティアの高校生だし。これまでの予選リーグでどうにかベスト8に滑り込んだわれわれ、この試合からいよいよ決勝トーナメントだ。
今回からブロック大会の枠が広がったので、勝てば進出決定、負けてもまだチャンスはあるという状況である。
相手は予選リーグを1位突破してきた私立の学校で、コンスタントに上位に入ってくるチーム。だいぶ力の差がある。しかし試合が始まると、相手の鋭い攻撃に粘り強く対応。GKの奮闘もあって、要所を締めてどうにか持ちこたえる。
守備に追われてばかりのこっちはぜんぜん攻め手がなくてほとんどチャンスをつくれないが、そこはサッカー、
一度や二度は決定機が転がってくるもの。攻められている分、背筋がゾクッとするようなカウンターが出たが、
さすがに決めきれない。そうこうしているうちに、相手のスローインがファーまで転がったところを蹴り込まれて失点。
一瞬の隙を決めきれるかどうか、ここが差なんだよな、と思う。よく戦えているだけに悔しいが、事実は事実。失点してからも集中を切らすことなくプレーを続けた結果、アディショナルタイムの最後の最後でCKを獲得。
これをゴール前に上がったGKが決めて、なんと同点に追いついてしまった。まあもともと圧倒的なセンスがあるが、
相手の攻撃を防ぎまくって自分で得点と、大車輪の活躍ぶりである。これには本当に恐れ入りました。あんたすごすぎ。そして延長戦。やはり同じように体を張って生徒たちは奮闘を続けるが、相手がなりふり構わず押し込んできて、
結局それを防ぎきれずに失点し、1-2で敗れてしまった。攻め込まれてばかりだったがきちんとしたサッカーの試合で、
見ていてすごく形になっている試合、手に汗握る試合を演じられるようになったのは、本当に成長した点だと思う。
延長戦に持ち込んだのはもちろんすばらしいことだが、純粋に試合の内容、プレーぶりに保護者の皆様も大喜び。
そして対戦相手の先生方はウチのGKに大興奮。まあそういう感じに、その場にいた全員が満足する試合だった。
毎回こういう試合ができるようになればいいんだけどね、できるようになる頃には引退の足音が聞こえるという矛盾。
仕事を少し早めに終わらせて、サントリー美術館でやっている 「着想のマエストロ 乾山見参!」展を見る。
尾形乾山は大好きなので(→2008.10.31/2013.6.16)、見に行かないなんてありえない! 鼻息荒くミッドタウンへ。いちおう尾形乾山について軽くまとめておくと、尾形光琳の5歳下の弟。20代半ばにして京都の仁和寺の辺りに隠棲し、
そこで野々村仁清から作陶を学んで才能が一気に開花した。もともと呉服商の息子ということもあってセンスは抜群。
日本の古典文学や中国の水墨画はもちろんのこと、東南アジアからオランダまで海外の陶器すらも研究し尽くしており、
それらを自分なりに消化してみせた多彩な作品を残している。兄・光琳との共作が多い点もまた楽しめるところだ。乾山というと、角形の盆のような器に自在に絵を描いた作品がいちばん「それらしい」ということになるのかと思う。
月ごとに異なる花と鳥を描いた狩野探幽の絵を写した「色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿」なんかがその代表例。
この展覧会では乾山にヒントを与えた(と思われる)探幽の絵や雪舟の絵や四角い蒔絵の硯箱も展示されており、
彼の教養の深さを理解できる工夫がなされている。「着想のマエストロ」とあるが、なるほど着想の軌跡がうかがえる。作品を見ていくと、とにかく「デザインセンス」というものの鋭さをとことんまで味わわされる。
家紋なんかが象徴的だが、日本は実はデザインをとことんまで突き詰めてきた歴史を持っている国である。
光琳や乾山が呉服商の家に生まれたことは、その模様デザインが基礎的な素養として深く備わる根拠となったはずだ。
光琳の場合、そのデザイン性が着物の世界に逆輸入されていく。そして乾山は、陶芸で独自の世界を形成した。
そう、乾山のデザインはあくまで平面が基本。しかし、だからこそ、立体の世界において次元の境界を揺さぶる。
最初から3次元で凝った造形をすることはない。2次元の発想から3次元が組み立てられる、その手腕こそが見事なのだ。
2次元に基礎があるからこそ、「蓋物」の内と外とでまったく異なる世界を展開できる。また、見る角度を意識して、
3次元空間にそれ以上の物語性を持たせることができる。最初から饒舌な3次元でないところにこそ、彼の上品さがある。
乾山の優れているところは、2次元から踏み外すことのない、芸術家としての失敗をうまく避けているバランス感覚だ。
それでいて、彼にできることはとことんやり尽くしている多様性を持っている。とにかくすべてにおいてセンスがいい。
決してやりすぎることがなく、しかし確たる自己の本性から陶芸の可能性をできる限りでしっかり広げている。
竜田川の紅葉をモチーフにした鉢と皿の、なんと絶妙な力加減。そして色もいい。そうだ、これがデザインの極致なのだ。
僕は乾山の作品を見るたび、デザインがデザインである、その最高の分のわきまえ方に圧倒されてしまうのである。デザインとは「利用」であり「応用」である。それはつまり、先人のアイデアを「利用」し、「応用」するということ。
そしてまた、道具として「利用」されるところに本分があるが、あるいは使い手に新たな「応用」を促すかもしれない。
でも、「用」をなさない芸術と違い、あくまでデザインは「用」をなす領域に留まる。それがデザインの「分」である。
その「用」の領域において、どこまで突き詰められるか。尾形乾山という人は、その頂点を感じさせてくれる人なのだ。
先人への理解という深い教養を、絶対的なセンスでアレンジして、新たな作品を生み出してみせる。
(冷静に考えてみると、教養とはつねに過去を必要とするものだなあ。過去に学ぶことこそが教養なのだな。)
尾形乾山という人は、デザインという言葉よりも先にデザインの本質を示した偉人だ、とあらためて確信したのであった。それにしても「乾山見参!」って、なんちゅうタイトルよ、と思ってしまう。
でもまあ、「かんざん」ではなくきちんと「けんざん」と読ませるには、まあ、悪くないのかもしれない。
僕としては、これだけの偉人なんだから、そんな工夫がなくても名前をしっかり覚えてほしいんだけどなあ。
もともと今日は平日であるにもかかわらず夏季大会の試合が予定されていたのだが、雨の影響で延期になった。
手のかかる仕事がひとつポッカリと減ったとはいえ、空いている時間も仕事のメールをやりとりをしたり、
新しい時間割を考えたりして休む暇なし。冷静に考えると、なんだかんだでいろいろ抱え込んでいるなあオレ。
もうニュースを見るのも日記に書くのもイヤなんですけどね、安保法制をめぐる狂った手続きがまかり通っている現状に、
世間はもっと怒らないといけないだろうにと思うわけだ。憲法をないがしろにする国家を近代国家とは呼べるはずがない。
憲法の好き嫌いはあっても、守るべきものは守らないと。法の世界は論理の世界で、日本が法治国家を標榜する以上、
たかが現在の政権の都合で簡単に決められるもんじゃないのよ。中国がどーのこーのとか言っている人がいるが、
それ以上に危険なのは、時の政権の都合で(アメリカの都合で)何でもアリを許す状況を将来に向けてつくってしまうことと、
アメリカによる真綿で首を絞めるような日本の併合を防ぐこと。軍事的にはすでにベッタリな現状は非常によろしくない。
ここで近視眼的に中国対策をやっているつもりが、気づけばアメリカに呑まれてるってことになりかねないのよ。
いちばんマズいのは、安保法制に対する反対を問答無用で非国民のように扱う自称・保守の連中やマスコミ。
お前らが中国を相手にして日本の法論理を必死で骨抜きにしている間に、後ろからアメリカがナイフを刺してくるんだぜ。日本の国是は「のらりくらり」。法治国家として一本の筋を通しつつ、是々非々でやっていく、そういう国家であるべき。
だから中国に対してもアメリカに対しても、是ならきちんと是、非ならきちんと非、とするべき(どっちも「非」が多めだが)。
それが本物の独立国家だと思うんですけど。安倍のやっていることは、日本をアメリカに大安売りしているだけだよ。
検定試験を受けたのであった。日頃きちんと勉強するヒマなんてなくって、完全にぶっつけ本番でのチャレンジ。
結果としては当然ながら9割以上の正解率をたたき出しているのだが、勉強不足はいけませんなあと反省した。
日常生活ではいつも同じ筋肉しか使っていないから、それ以上の動きが知らないうちに鈍くなっている、そういう感覚。
全盛期の貯金でどうにかなっているんだけど、トレーニング不足はケガの元。それを実感したけど、ヒマがないのよ。
本日は土曜授業の日なのだが、スケジュールの都合で午後に夏季大会のリーグ戦を入れざるをえないので、
申し訳ないんだけどサッカー部だけ2時間目が終わったところで会場へ移動。相手があることなのでしょうがない。さてこの夏季大会は1年生の力を借りながらギリギリで戦っていたわけだが、現在1年生が移動教室でお出かけ中なので、
ついに10人だけでの試合となってしまったのであった。情けないし相手に失礼なのだが、これまたしょうがない。
この件に関してはさすがの僕でもいろいろ思うところがあるのだが、これまで一切表に出すことなく感情を抑えている。
一度表に出したらとめどなく溢れるものがあるので。しかしまあ、年々常識が通用しなくなっていくよね。肝心の試合は2-0で勝利。といってもこっちが強いというわけではないのだが。あまり詳しく言うつもりもない。
当然、押し込まれる展開に冷や汗いっぱいな場面もあった。それを無失点でしのげたのは成長と言えるかな。
1年生が移動教室でいなくても忙しさがそれほど変わらないのはなぜだろう。
昨日、ハセガワさんと『同級生2』の話で盛り上がったこともあって、久しぶりにゲームをやってみる。
前のパソコンだと動いてくれなかった『信長の野望・武将風雲録』を起動してみたら無事に動いたんでプレー。
そしたらこれがもう、面白いのなんの。今さらハマったら日記が致命的に危うくなるのだが……うーん、ヤバい!
(過去ログを見たら、やっぱり僕は定期的にハマっていますな。→2006.11.19/2012.11.8)『信長の野望・武将風雲録』の攻略は、僕がずーっと熱中している国内の旅行に通じるものがあるのだ。
いや、むしろ、かつてこいつにハマりまくったのが、今の旅行バカの遠因のひとつなのは間違いないだろう。
ひとつひとつ国を落としていく感覚は、ひとつひとつ県を押さえていく感覚とまったく一緒と言っていい。
相手に攻められない効率的なルートを選択して版図を広げていくのは、効率的に旅行するルートを探るのに通じる。
なんだよ、オレは中学生のときからバカ旅行(旅行バカを通り越してバカ旅行)になる運命だったのかよ、
などと思いつつ、教育、教育で内政担当武将を増やしながら、じわじわ領土を増やすのであった。
困ったことにこのゲーム、複数の戦線を同時並行で進めていくから中断するタイミングがつかめない。せっかくなので、ここで謀叛大名のコレクション画像を貼り付けてみましょうか。これはめちゃくちゃレアだぞ!
謀叛その1。
謀叛その2。
謀叛その3。
謀叛その4。
謀叛その5。
謀叛その6。
謀叛その7。
ちなみに『水滸伝・天命の誓い』(→2007.3.4)ではこんなこともやっています。わはは、われながら頭おかしいわ。
というわけで、全好漢で中国統一の証拠画像でした。いやー、こんなことするバカはそうそういないだろう。
(『水滸伝』は高俅を倒せばクリアなので、無理してわざわざ全国統一をする必要がないのである。)これらの労力をもうちょっとほかのことに使えなかったのか、と思わないでもないが、これはもうしょうがない。
黄金期の光栄のゲームが面白すぎるのが悪いんだ。この2つのシミュレーションゲームは僕にとっては別格なのね。
毎年恒例、ワカメが上京してきたのでそのお相手。今回はなんと、かなり久々にお会いするふぐさんも合流。
なんでも東京近郊に引っ越したんだそうで。6~7年ぶりくらいになるのかな、まったく変わってなくって何より。いつもどおりに芸能やらスポーツやらの話題で盛り上がる。やっぱりハリルホジッチはどうなのよと訊かれて、
こないだの日記に書いたようなこと(→2015.3.13)をしゃべったり。まあどうしてもそんな話になるわな。
あとはふぐさんの近況と今に至るまでの経緯について聞いたり。そんでもって過去の思い出についてもチラホラ。気のおけない連中とただダベるというのは楽しいものだが、今回も本当に面白かった。そんなに頻繁に会えないけど、
会った瞬間にかつての「日常」がスッと戻ってきて、なんでもないことを話す。そういう仲間がいるのがうれしいねえ。
スケジュールが読めん!
今週末に1年生は移動教室で、それに向けていろいろ動いているのはいいのだが、部活としては戦力減になってしまう。
次の試合には11人未満で臨むことが確定してしまっている状況である。これについては覚悟ができているからいいが、
勝ち上がった場合、その後の予定がどうなるのか非常に流動的。それによって個人的に受ける試験も左右されるし、
例の姉歯まで絡んでくることになるので、もう何がなんだかである。ここまで予定が立たないことは、正直初めてである。
月末のテストだけは確定していて、準備をしないといかん。てんやわんや。……でも日記は書きまーす! わっ 甲高い声!
もう6月でございますよ。そしてまた一週間が始まったでございますよ。定期的に旅行にこそ出てはいるものの、
日常生活はすっかりルーティンにハマっている感じである。特に6月は祝日もなく淡々と梅雨と格闘する月だし。最近、読書やら映画やらで幅を広げる作業がすっかりご無沙汰なのが非常にマズいように思う。
なんかこう、意欲的に挑戦していく姿勢を意識的にとらないといけないんじゃないか、という気がしてならない。
でも今の生活は「時間があればまず日記」という優先順位だもんなあ、どうしょうもない。日記がはっきり足かせだ。
いかに力を抜いて日記、そして生活の効率を上げていくかが課題だ。手を抜くのではなく、力を抜く。
そんでもって余った力をほかの分野に振り分ける。テストもあってなかなか難しいけど、今月はそこを考えたい。