diary 2021.4.

diary 2021.5.


2021.4.30 (Fri.)

3年生は緊急事態宣言により東京への校外学習がダメになってしまい、校内で謎解き大会となったのであった。
学校向けにいろいろアレンジして問題のセットを送ってくれる会社があるんですよ。いやはや、すごいものだ。
みんなマジメに取り組んでいて、けっこうな盛り上がりなのであった。流行の先端を行っているねえ、マサルくん。

午後は3月まで働いていた中学校に行って離任式。開催してもらえてありがたい。去年はやってもらえんかったもんね。
しかしきちんと式をやるとなると緊張していけねえ。完全に頭の中が真っ白になってしまった。情けないものです。
生徒の方も緊張していて、お互いに堅苦しいのなんの。いやもう本当になんだかひたすら申し訳ないのであった。
特に僕の場合は無茶な移籍劇ということで現状を否定する要素が少なからずあって、後ろめたさがどうしてもある。
きちんとみんなの前に顔を出してけりをつけなくちゃいかんかったのだ。その機会を持てたことに感謝しなければ。

このご時世で歓送迎会がないので頃合いを見て退出したが、帰り道はなんとも言えない感情に汗をかきっぱなしだった。
ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになってしまった感じ。喜怒哀楽、怒りはゼロだけどそれ以外ぜんぶといった感じ。
当たり前だが、僕がいなくても学校はちゃんと動いている。久しぶりの3年生からはきちんと頼れる発言を聞けたし、
平穏無事な学校を確認できたのはよかったなあと思う。もうちょっと彼らと面白おかしく過ごしてもよかったかなあ、
なんて思いも正直出てきて、まあでもたった1年間で信頼関係をそこまでもっていけたというのは、自信につながる。
さあここからしっかり切り替えて、今の自分の仕事に邁進せねば。彼らは彼らで平穏無事だ、僕は僕でがんばらねば。


2021.4.29 (Thu.)

ゴールデンウィークとかそんなのぜんぜん関係ないもんね。授業準備の勉強を進め、去年のテスト問題を解析する。
粛々と日記を書き、部屋の片付けをする。公私ともに、やるべきことが多すぎる。時間がいくらあっても足りない。


2021.4.28 (Wed.)

元T-SQUAREの和泉宏隆が亡くなったとは……。僕の好きなフュージョン界隈で訃報を聞くのは初めてかと思う。
スクェアにおける和泉氏の存在は、僕の中ではやはり大きい。リーダーが異様な量の曲を書くのに対し(→2021.2.1)、
和泉氏は平均するとアルバム1枚に1曲、という感じ。しかしキーボーディスト/ピアニストらしいメロディで、
それが非常にいい感じにスクェアに多様性を与えていたのだ。実際、吹奏楽方面では大人気だし(→2021.3.17)。
今までは純粋にメロディと一体化する感じで和泉氏の曲を聴いていたけど、しばらくいろいろ考えちゃうんだろうな。

そしたらもう一人、菊池俊輔氏(→2017.9.3)も亡くなったとのニュース。名曲を遺す人は偉大だと心から思う。


2021.4.27 (Tue.)

僕の担当している授業は、ほかの先生と比べてかなり進みが速いようだ。理由はいくらでも挙げられるので、
自戒を込めて備忘録ってことで書き出しておく。初心忘るべからずってことで、今後もきちんと反省しなければいかん。

1. 知識がないので無駄話ができない
専門の地理が開講されず、それ以外のすべての科目(世界史・日本史・現代社会)を担当しているという状況。
なんとかがんばって勉強してから授業に臨んでいるが、まだまだ知識不足。いつも生徒にプリントを配布しているが、
今週からは自分の分にあらかじめ勉強した内容を書き込むようにしている。そうして細かい知識を必ず出すようにした。
プリントに直に書き込むという一手間を加えないといけないので準備によけい時間がかかるが、それがいちばん確実だ。
そんな感じで毎日、質の高い授業をやるための努力しかしていない。まだまだ、ここまでやって人並み、なんでなあ。

2. 生徒の反応を待つだけの間がない
10年前に初めて教員になったときもそうだったが、授業中の沈黙を怖がってはいけないのである。
やっている授業内容に自信があれば、授業中に無言の時間があってもへっちゃら。でも自信がないと、そう開き直れない。
またそれはつまり、生徒が自分で考える時間が少ないということでもある。「なぜ」を考えさせるミニ課題を出そうと、
いろいろ考えてはいるのだが、これがなかなか難しい。なんとか習慣づけてどんどんミニ課題を思いつけるといいが。
まあ結局のところ、これも知識不足に起因する。まず自分が「なぜ」を考えながら知識を吸収する癖をつけないといかん。

3. 単純に早口である
これはもう、教育実習中からずっと言われていること。すいませんね、頭の回転が早いんで口もつられるんですよ。
でもそれって、あらかじめ準備したことよりもその場で考えたことを優先している証拠なのだ。まだまだ準備が足りない。

こんなところか。どれも地道に改善していくしかないんだよなあ。


2021.4.26 (Mon.)

ずっと書きたかった隠岐の日記を書き上げて(→2018.7.28)、一晩明けても余韻に浸っていい気になって出勤したら、
いきなりオンライン授業の話が出てきてびっくり。5月10日はオンラインデーということで試しにやってみるんだと。
ほかの先生方は去年の経験があるからいいだろうけど、僕は知識ゼロなのに4時間連続授業になるんですが……。


2021.4.25 (Sun.)

朝に日記を書いてから、昼は引っ越し先候補の探索。カメラ片手に歩きまわって徹底的に様子を探る。
それにしても、神奈川県は海から離れると見事に高低差のある住宅地ばかりだ。わかっちゃいたが(→2018.4.30)、
いざ実際に体験してみると、これは強烈。空間的に今までとまったく違う文化圏に飛び込むのは度胸が要るなあ。


2021.4.24 (Sat.)

歯の治療。信頼できるのかヤブなのかわからない歯医者に任せるのは正直怖いが、放っておくのもまた怖い。
いちおうこれで、手術のときに指摘された大物については解決した格好である。歯の問題は大変でございますな。


2021.4.23 (Fri.)

高橋ゆたか『魔女娘ViVian』を全力で分析しつつ再評価してみたい。単行本はわずかに全4巻ということで、
ヒットした前作『ボンボン坂高校演劇部』(→2008.1.16)と比べると世間的にはイマイチなのかもしれない。
でも僕にとっては、『ボンボン坂』でコツをつかんだ後の絶大な安定感があるゆる~いギャグが心地よい作品なのだ。

『ボンボン坂』が単行本全12巻なのに対し、『ViVian』はその1/3。ある意味、これは妥当なヴォリュームである。
それは登場人物の数を反映しているからだ。『ViVian』の「苦しさ」は、登場人物を増やさなかったところにある。
ライヴァルが次々に現れた『ボンボン坂』に対し、『ViVian』ではビビアン・一休・アラウネの三角関係が維持される。
この三角関係というテーマ性を破綻させなかった生真面目さを、そのためにキャラクターの数を絞ったストイックさを、
残念ながら時代が認めてくれなかったのだ。今なら絶対にいけると思うんだけどなあ。もったいないことをした。

一休=正太郎で、外的要因とまじめな性格からラブがコメになるという構造は、基本的にまったく変わらない。
ヒロインのビビアンは、実は『ボンボン坂』で登場した属性がてんこ盛りだ。外見はまず、三輪友紀のショートカット。
そこに日比野真琴のパワーとヒロイン力、観月リサのドジっ子と素直さ(あと口調)を混ぜればできあがり、である。
アラウネには典型的なライヴァル属性を用意。大桜山之小路丸蘭子が基本形である(甘髪ねねの要素もあるが薄め)。
つまり、『ViVian』の三角関係はこの時点でもう完成していて、ほかの女子キャラが出てくる余地がほとんどない。
作者はその覚悟を決めて連載をスタートしたのではないか。だからストーリーに可塑性を持たせることがなかった。
ちなみに男子キャラも同じ。春日春の能力、ナルシスのナルシストぶり、鯉三のアウトローさに花吹要の外見で、
丈飛鳥となる。彼と同等の存在感を持つ者は最後のキモだけ。これは作者の限界か、それとも三角関係の維持のためか。

ギャグ自体は『ボンボン坂』よりも洗練されている。徳大寺ヒロミが一手に引き受けた変態性をあかり伝休が受け継ぎ、
かつラナン(&ゲートボール仲間)と分散させることでヴァリエーションを持たせている。ビビアンもボケである。
そうしてギャグの発信源が増えたのはいいが、コメディが面白くなってしまってラブの方がなかなか進まない。
この状況で割りを食うのはアラウネだ。『ボンボン坂』でも真琴・リサ・友紀と比べると蘭子・ねねの存在感は弱く、
アラウネ側の描写がもともと不利なのは否めない。ここでキャラクターを増やせばアラウネがさらに埋没するだろう。
(※これは僕が圧倒的にビビアン派であるからそう見える、ということかもしれない。連載時に僕は浪人していたが、
  仲間のミネちゃんもシンゴちんもアラウネ派で、ビビアン派は僕だけだった。なんでや、ビビアンかわいいやろ!)
ギャグをやるには三角関係がかっちり設定されすぎているし、恋愛物に徹するためにギャグを捨ててしまうのは惜しい。
アラウネを相手するには一休の身持ちが固すぎるというのもある。読者が先走ってぬるま湯で満足しなかったのかも。
いろんな要因が指摘できるが、結果的に全4巻で、だらけた感のない手頃なサイズに収まった、という気もする。
個人的にはもうちょっとだらだらとゆる~いギャグを続けてほしかったが、同じことを繰り返さずに済んだとも言える。

最後は奴隷(ムコ)自慢格闘大会でバトル物になってしまい、これが迷走と捉えられているようである。
一休の設定からしてバトル物という要素はある程度想定されていたと思うのだが。むしろ、終わる決意を感じる。
というのも舞台空間や進行などが『幽☆遊☆白書』に非常に似通っており、よけいなコストを抜いているからだ。
魔吸石の洞穴についても同じで、これまた『幽☆遊☆白書』の魔界を思わせる。ここから独自の発展をする要素がない。
作者はきちんとバトルだって描けますよ、というところを見せてサッと締めた、それが真相であると僕は信じている。
結局、作者のマンガ家としてのスキルが上がった結果として、かなりハイレヴェルな器用貧乏状態に陥ってしまい、
拡散する読者の欲望と乖離せざるをえなかったのではないかと思うのだ。いや本当にもったいない。あらためて残念だ。

みんな今あらためて読み返してみ? ちゃんと面白いから。話も締まっているから。何よりビビアンが最高にかわいいから。


2021.4.22 (Thu.)

電子書籍で集英社のマンガが半額になっているけど、それが早く終わっちゃうということで慌てて購入。散財じゃー!

そんなわけで今日は、桂正和『D・N・A² ~何処かで失くしたあいつのアイツ~』を振り返りたいと思います。
単行本を潤平が買って実家に置いてあり、何巻まであったっけ?と確認していったら、実は全巻揃っていたのであった。
完全に忘れていたではないか。途中までなのは『I"s』の方だったか。そっちは電子では買う予定はないです。

かりんちゃん主人公なのよね。これが桂正和の巧いところで、われわれは純太視点で読んでいくことになるのだが、
きちんとかりんちゃんで締めている。お色気ハーレムマンガとしては当然、純太視点でないと成立しない。
しかし作家性ということで考えれば、これはかりんちゃんの話である。その意地を感じられるのがいいのである。
作者のその思いはラスボスとの対峙で一気に噴出する。ただ、その流れをラストの場面で生かしきれていないと思う。
まだあっさりしすぎているのだ。もっとじっくり逡巡する描写を入れてから振り切る、という形で構成してほしかった。
あと1ページあれば十分それができたと思うのだが。まあそうすると全体がかりんちゃんの成長譚に完全に染まるけどね。

純太については作者が鳥山明公認でサイヤ人的な変身をするようになったそうで。読者から抗議が殺到したそうで。
そりゃいかんだろうと思う。というのも、作者の持ち味はどう考えても『電影少女』で見せた詳細な心理描写にある。
作者本人はそんなに得意と思っていなかったようだが、『電影少女』がヒットした理由はまさにそこにあったはず。
極端な話、悩んでいる女の子を描けば読者は満足しちゃうんですよ。上記の逡巡するかりんちゃん不足とはそういうこと。
しかし作者がバットマン好きな点からしても、アクションをやりたいという意欲が強いようで、それでバトルに流れたか。
そう考えると次の『I"s』で揺り戻したのも納得がいく。しょうがないとはいえ、中途半端になったのがもったいない。

葵かりんという非常に魅力的なヒロインを用意しながら、彼女を明確な主人公として描けなかった苦しみ。
そうなると純太というキャラクターをどう構築すべきだったか、という話になる。いっそのこと弄内洋太タイプではなく、
新舞貴志タイプでいった方がよかったのかもしれんと私は思う(→2005.8.17)。おバカなかりんとの対比も面白くなるぞ。
でもそうするとマッハで打ち切りになったかもしれんけどね。僕は新舞タイプで深い心理描写を読んでみたかったなあ。


2021.4.21 (Wed.)

まん防にしろ緊急事態宣言にしろ、晩メシを食えるのが20時までということで、日記とメシと通勤の舵取りが大変だ。
職場の最寄駅が日記の書きやすい環境だと判明したのはよかったが、メシについては非常に貧弱。最悪に近いレヴェル。
それで途中下車して晩メシをいただくスタイルにすると、日記を書く時間が不十分になるし外食過多にもなる。
さてどうするかと困っていたところに20時までの制限が来た。こうなりゃ割り切って家で食うか。悩ましい。


2021.4.20 (Tue.)

世界史のプリントづくりで完全にヘロヘロである。自分でも要点をよくまとめたと思うが、おかげで本当に疲れた。
でもこれで終わりではなくて、ここからさらに、説明だけで終わらない授業の展開を練らないといけない。
日本史・現代社会についても同じである。正直なところ、ゼロからスタートする人間には負担が大きすぎると思う。

基本的に最初の一年はポンコツだと覚悟しているけど、それでもやっぱりなかなか思うようにいきませんなあ。
まあポジティヴに試行錯誤しながらやっていくしかないのだが、そのためにはメンタルのバランスをとる材料が欲しい。


2021.4.19 (Mon.)

週明けの1時間目からさっそくの日本史漬けである。キーワードというか、覚えてもらわないといかんことが多くて、
どうしても説明一辺倒になりがちである。どうにかして「なぜ」を考える授業にしたいとは思っているのだが、
その段階へ持っていくためには基礎知識が必要で。生徒の様子も勘案しながらコントロールするのが難しい。


2021.4.18 (Sun.)

日記を書きたい、授業の準備をしたい、しっかり休みたい、気分転換したい。25%からのトレードオフはなかなかつらい。


2021.4.17 (Sat.)

雨のせいもあって近年まれにみる低調ぶりなのであった。御守を整理する作業を意地で進めるのがやっと。
日記も進まねえ、教材研究も進まねえ、気晴らしもできねえで、なんとも悔しい。がんばっちゃいるんだけどなあ。


2021.4.16 (Fri.)

しかしまあ、地理以外の社会科をぜんぶゼロから担当するというのは本当に負担が大きい。勉強にはなるけど。
さすがにこりゃキツい、と思うたびにcirco氏の「頭のいいところを見せてちょうだいよ」という声が空耳で聞こえて、
それでこっちもやってやろうじゃねえか!と再びアクセルを踏む(つまりベタ踏み、当社比)ってな具合である。
そうやって最初の一週間が終わったのであった。どの程度どんな感じでできればOKなのかがわからないのがつらい。
自分では必死でやっているけど、その努力の方向が適切なのかどうかがイマイチ客観的にわからないのがつらい。
昨年度の研修で高校を見学したときの授業をなぞる感覚でやっているけど、これでいいのかどうか。
とりあえず、土日も教材研究予定。なんとか早く「及第点のライン」を見つけたいものだが。


2021.4.15 (Thu.)

ワカメが上京してきた。このご時世によく出張できたもんだなあ、なんて互いに言いつついつものメンバーで集まる。
愛知に移ったふぐさんもリモートで交えての会となった。全員いろいろと変化があって、おめでとうの嵐なのであった。
2年近く会わないとみんな状況が変わるもんだなあ、としみじみ。しかしハセガワさんも結婚で独身が少数派になったか。
今回もオトナならではの話題から懐かしいヲタヲタしい話題までとことん話すことができて楽しゅうございました。
しっかりマスク会食だったので安心されたし。やっぱりこのメンバーはみんなきちんとした人たちなんですよ。
ということで今回の結論。手塚治虫に「ハズレ」という概念は存在しない。以上!


2021.4.14 (Wed.)

トリチウムを含む原発処理水の問題はつまり、「もうおしっこガマンできないから出します!」という話でしょ。
これ以上ガマンするとティコ=ブラーエになっちゃうから薄めて出させて!ってことでしょう。そりゃしょうがない。
懸念される問題はふたつで、政府の発表が信用できるのかってことと、風評被害を抑えることができるのかってこと。
本当に、政府はきちんと基準値より下まで薄めているのかどうか。風評被害についてはもちろんわれわれの問題だが、
まずそもそも政府の行動を信用できることが前提としてある。現政権は前政権のやりたい放題の嘘つきを継承しており、
コロナ対応もあるし、この点の不安が払拭されないわけよ。それなのに風評被害の責任をわれわれに押し付けられてもね。
政府がとことん正直に行動することが確認できてはじめて、われわれ国民はそれを受けて冷静に行動する責任が生じる。
しかしその前提が崩れるようなことを繰り返してきた政府を、どう信用しろと。処理水を議論するなら、まずそこからだ。


2021.4.13 (Tue.)

この僕を かわいいってきみが 言ったから 4月13日は 女子高生から「かわいい」って言われた記念日


2021.4.12 (Mon.)

初めての日本史の授業だったけど、その内容は理科に片足を突っ込んのだものなのであった。
旧石器時代からのスタートということで、ミランコヴィッチ・サイクルとかベルクマンの法則とかやっちゃうから。
針葉樹林と落葉広葉樹林と照葉樹林の違いとかやっちゃうから。放っておくと理系になる日本史。だって僕、地理だもん。
授業準備の段階から、つくづく自分は理系だなあと実感しております。どうしても興味がそっち方面から入る。

それにしても日本史に世界史に現代社会にと、勉強しては教えてと、心の底から申し訳ない自転車操業っぷりである。
空き時間なんて概念はまったくなくて、教科書参考書インターネットをフル活用してひたすら勉強勉強また勉強。
ひとつひとつのキーワードについて、そもそも名前の意味だとか、事態の背景だとか、学習する意義だとか、
本当に細かく調べて知識をつけて挑んでいる。努力して勉強してばっかりの人生だなあ、と思っておりやす。



2021.4.10 (Sat.)

日本史の授業をやるのに近所の大森貝塚に行ったことがないというのはマズいんじゃねえかってことで、
日記を書き終えると昼ごろに自転車でふらっと大森貝塚遺跡庭園へと向かう。大森駅山王口から品川区に入ったところ。

  
L: 大森貝塚遺跡庭園。家族連れの定番の散策コースって感じで、けっこう人がいた。まあいい天気、いい季節だしね。
C: 中央の広場。  R: しばらくすると、なぜかミストな水を噴き出しはじめてびっくりした。意図がわからんです。

  
L: 広場の地面には縄で模様をつけてある。なるほど、縄文というわけか。なんだかテキトーな気もするが。
C: 奥にある水飲み場も遺跡風。壁は貝塚を模しているようだが。  R: ちなみにトイレも縄文土器っぽいデザイン。

  
L: 広場から外に抜けるとこんな感じ。ツツジの季節には良さそうだ。  C: 上は芝を植えた緩やかなスロープとなっている。
R: 上から見下ろす大森貝塚遺跡庭園。こうして見ると、本当にごくふつうの公園である。遺跡という感じはあまりない。

  
L: 大森貝塚を発見したモース博士の像。発見当時は39歳なんですけどね。完全なる両利きで、倍速でスケッチしていたとか。
C: 貝塚の標本があるのはこの一角だけ。これ明らかに二枚貝のイメージね。  R: 中はこんな感じ。見下ろして終わり。

 
L: いちばん低いところ、線路脇にある大森貝塚の碑。  R: 線路脇はこんな感じ。ただの空き地状態である。

というわけで、大森貝塚遺跡庭園は行ってみたら単なる公園なのであった。憩いの場としては悪くないかもしれないが、
「縄文時代・大森貝塚について学習できるようになっています」という触れ込みはウソだな。がっかり名所ですな。
さすがにこれでは消化不良が過ぎるので、ちょっと北に行って品川歴史館で大森貝塚についての知識を補充する。
かつて品川区の中学校で教えていたのに一度も来たことがなく、今回ようやく初入館。料金は100円とリーズナブル。

 品川歴史館。サッカー部で鈴ヶ森での試合のたびに横を通ったなあ。

展示はもちろん大森貝塚から始まるが、それほど長くは続かない。どちらかというと東海道品川宿へのこだわりが強い。
第2展示室は企画展で1964年の東京オリンピック関連をやっていて、これがけっこう興味深かった。昭和は面白いのだ。
特に丸の内時代の東京都庁に世界各国の旗を差している光景は壮観。丹下のモダニズムが抜群の相性を見せていた。
あとは聖火リレーがかつての品川区役所前を走る写真があって、一部ではあるが、こんな建物だったのか!とわかった。
現在の品川区保健センター、京急新馬場駅前の交差点ということで、はっきりと場所を確認できたのもうれしい。
大森貝塚関連はむしろ2階の展示コーナーが強く、モース博士の細かいオモシロ情報もあって、意外と楽しめた。
あとは土蔵相模の模型。『幕末太陽傳』(→2012.1.9)についてもふれてほしかったが、廓噺だから厳しいのかな。

さて、品川歴史館と大森貝塚遺跡庭園の間にあるのが、鹿嶋神社だ。地名から「大井鹿嶋神社」と呼ぶこともあるが、
そうすると艦これの一部のカプ厨が大騒ぎしてしまうではないか。まあ嫌いではないですが。むしろ好きですが。
閑話休題、ここもまた、かつて品川区の中学校で教えていたのに今回ようやく初参拝である。なかなか機会がなくて。
10月の例祭では教員も警備に駆り出されて、そのときに神社の周りや境内を歩きまわったもんだ(→2010.10.16)。
1年目で生徒がケンカに巻き込まれて警察沙汰になり、警官が自転車のスポークに警棒ねじ込んで動きを止めたときは、
菊と桜に逆らっちゃいけねえと心底思ったもんよ(→2009.10.18)。いまだにあのインパクトがすごくて。

  
L: 大井鹿嶋神社。  C: わりとすぐに拝殿。  R: 拝殿向かって右の脇に境内社の稲荷神社。

大井鹿嶋神社はもちろん、常陸国一宮・鹿島神宮(→2007.12.82012.7.212014.8.30)からの勧請である。
江戸時代にはすぐ近くの来迎院と一体化しており、明治の神仏分離によって大井地区の総鎮守となったとのこと。
例祭のときには境内いっぱいに屋台が並んでかなりの賑わいをみせるのだが、ふだんは本当に静かな神社だ。
そして意外と境内が小さいことに驚く。でも微妙に湿り気を感じさせて、何かをしっかり守っている印象がある。

 
L: 本殿。さすがにきちんと立派なのであった。  R: 神楽殿。例祭のときはここでちゃんと神楽を演奏するよ。

御守を頂戴し、帰りはかつて部活の試合で行き来したルートで国道1号まで出る。建物がいろいろ新しくなっていて、
時間の経過を感じる。まあ10年近く経っているからなあ。自分はその10年で前に進むことができたのかねえ。
そして次の10年でしっかり前に進むことができるのかねえ。まあ一歩一歩まじめにやるしかないですが。


2021.4.9 (Fri.)

日記をもっとみっちり書きたいけど、それをするには引っ越すしかないんだよなあ。通勤時間がやっぱり長い。
まあそうは言っても、日ノ出町でスタ丼食ったり横浜で買い物したり映画見たり、通勤をけっこう楽しんでいるのね。


2021.4.8 (Thu.)

気がついたら『ガールズ&パンツァー 最終章 第3話』が公開されていた。仕事帰りに慌てて鑑賞。
(過去ログはこちら。TVシリーズ →2017.1.25、劇場版 →2017.9.22、第1話 →2018.2.5、第2話 →2019.6.17

はいここで予想。決勝でグロリアーナに勝つよ。

第2話から2年近く経っているので、「なんか知波単が撤退を覚えた、カミ車がたいへんつよい」って記憶しかない。
さすがに間が空きすぎなんだよなあ。ガルパンだから許されるけど、贅沢なもんだよなあ、と呆れながら入っていく。
で、まず思うのは第2話と同じで、戦略が面白いのにその客観的な動きがわからないのが惜しいなあ、ということ。
状況を客観的に説明するシーンを入れてくれないので、攻守の価値がわからず、ただのアクションの連続でしかない。
おそらくあえて説明を入れないで戦場のリアリティを優先しているんだろうけど、それで得する人の方が少ないと思う。
戦車道はあくまでスポーツなんだから、解説がないと魅力は半減。「競技場での観戦」を再現したいのかもしれないが、
それができるほど戦車のことを知っているレヴェルの人はそう多くないはず。ちょっと内輪に寄っている気がする。

しかしそうは言ってもちゃんと面白い。戦術で勝って戦略に負ける知波単らしさもしっかりと出しているし。
今回は特にあんこうチームの役割チェンジがまた見せ場になっているし、各メンバーの成長を示してもいるし。
キャラクターの個性、学校(各国)の個性、戦車の個性がどれも存分に発揮されているストーリーの練り込み方は絶品。
(キャラクターの魅力をストーリーに絡める巧さは、『キン肉マン』の王位争奪編を思い起こさせると思うがどうか。)
この最終章は特に、今までの戦車道を踏まえたうえで、頭を使う戦略的な要素をしっかり見せようとしていると感じる。
まあそれだけにやっぱり解説が欲しいんだよなあ。各チームの考えていることを、もっときちんと理解したいのに。

さて、第3話のラストはかなり衝撃的。ついにそれをやってしまうか。第4話では大洗の成長ぶりが確かめられそうだ。
それにしてもシモ=ヘイヘ(的なキャラ)を出すとはさすがやなあと感心。思わず「巧ぇ」と呟いてしまったわ。


2021.4.7 (Wed.)

ホッケは人類に焼き魚をおいしく食べさせるために神が与え給うた魚


2021.4.6 (Tue.)

本日は始業式ということで、いよいよ新学期が始まってしまった。まあ今週いっぱい準備期間なのでがんばる。

さすがに高校ということで、また昨年のコロナによるリモート授業なんかの名残もあって、IT関係についていくのが大変。
皆さん複数のアプリケーションを用途で使い分けているので、それに対応するだけで精一杯だ。ログイン祭りがつらいの。
生徒もスマホ経由でいろいろアクセスできる環境にあるみたい。まあなんとか徐々に馴染んでいければと思うわけです。

授業準備と並行してじっくり取り組んでいるのが、来年度からの新たなカリキュラムについて。
こないだ書いたとおり今年の努力は使い捨て気味で、その分、来年は地理のエキスパート扱いとなるのが見えてきた。
となれば、今年のうちに高校地理の常識的なものを一気に溜め込んでおかないと来年苦しくなるというわけなのだ。
そっちもきちんと考えないといけないなあと、危機感を持っております。まあ好きな科目のことだからね、がんばれる。


2021.4.5 (Mon.)

ハンナ=アレント『人間の条件』。長い通勤時間は読書が捗るぜ。

難しい本を読むとはどういうことかをとことん考えさせられる本である。いや、本当にこれは大変。
言葉に厳密であるがゆえに、古代ギリシャへの理解が深すぎるがゆえに、用語が独特に感じられる。なかなか慣れない。
書いているうちにあれも思い出したこれも思い出したでふらふら進んでいる感じがあるのも、かなり厳しい部分だ。
そもそもアレントが前提としている知識がないとサッパリだと思う。それくらいの猛スピード。正直、自分もつらい。
たとえば何の説明もなしにいきなり「アルキメデスの点」という表現が登場する。これは彼が、梃子で地球を動かせる、
そう考えたことを前提にしており、「地球を外側から客観的に見つめることができる地球外の基準点」を指している。
僕は学研マンガでアルキメデスのエピソードをどうにか知っていたが、もし知らなかったらどうにもならないだろう。
噛み合わないと、酔っぱらいもしくは分裂症と一緒である。定義を間違えると酔っぱらいで、議論を間違えると分裂症。
前もって知識をたくさん持っていないと、とてもじゃないが読み進められないのだ。いちいち調べている余裕などない。
「ネットで調べればいいじゃん」が通用しないレヴェルが、世の中には確実に存在すると思い知らされる本である。
近代化につながる土地収用の実情なんて僕にはぜんぜんわからなくて、腑に落ちない読書を続けるのは本当につらかった。
アレントは古代ギリシャ人の感覚を持っているが、われわれにはない。でもわれわれに合わせて低みに落とそうとしない。
たぶん近代を通過した説明でないとわれわれは理解できないんだけど、そうすることで純度が落ちるのを嫌がっている。
まあ、スピードや理解度で如実に出る自分の得意不得意を突きつけられる経験も、たまにはいいものではないかな。

それにしてもアレントという人はギリシャ哲学への理解が深すぎる。古代ギリシャから転生したんじゃないかってほど。
哲学者の思考を深めるということで倫理の参考書としても使えるとは思うが、それにしてもよくわかるものだと呆れる。
もうひとつ印象的なのが、マルクスへの理解。マルクスといえば社会主義というイメージが完全にこびりついているが、
アレントは哲学の文脈から見た経済学者としてのマルクスを正確に見抜いている。そのうえでの正しい敬意が感じられる。
実はここがこの本の肝でもあるのだが、家政学(オイコノミコス、経済学の語源)を忌避するギリシャ哲学/政治と、
後に社会を大きく動かした(=政治化された)マルクスの経済学の両方を正面から扱うことで、現代を浮き彫りにする。
アレントがギリシャ哲学に軸足を置いている以上、それは「ギリシャから失われたもの」として描写されることになり、
結果として逆説ばかりになってわかりづらい。しかも逆説だから、本音と建前でわかりづらい箇所が単純に2倍に増える。
とりあえずは訳者解説が非常に優秀なので、そこにまとめられている内容をもとに第一章を押さえておけばよいだろう。
「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」の差異と意義を説明できれば、最低限のタスクはクリアである。
そしてその先に進めば、まるでアルキメデスの点から哲学を俯瞰するようなアレントの世界観をイヤというほど味わえる。
哲学には古代ギリシャ・キリスト教・カントと、確かにテーマに断絶があり、哲学は科学に遅れをとったがために、
現状の帳尻合わせに奔走している。その現実を指摘するのはさすがだ。それがわかるとプロローグの危機感が納得できる。

面白いのは、古代ギリシャでの活動において政治が現実への対処(→2007.2.22)ではなく理想そのものとして機能した点。
そこに中世ヨーロッパ以来の社会、近代を通過したわれわれの社会が抱える問題点を考えるヒントがありそうだ。
もうひとつ、現代のNPOの意義は、この本における「活動(action)」の文脈で捉える必要があるのではないかと思った。
僕が大学院生のときには、研究室の性格もあってNPOについてはだいぶ掘り下げて論じることが多かったのだが、
『人間の条件』の「活動(action)」という視点は皆無だった。まあ読むようなレヴェルの研究室じゃなかったしな。
あらためてこの視点からNPOという存在を見つめた場合、硬直した政治に対する対抗策として有効であるように思える。


2021.4.4 (Sun.)

『おそ松さん』3期のレヴューなのだ。
昨日のログで劇場版について「1期からのブームにけりをつける内容」と書いた。腐女子の皆様、サヨウナラと。
そしてまさかの3期だったわけだが、内容としては今までで最も充実していたのではないかと思う。素直に面白かった。

1期の世間での異常な盛り上がりはおそらくスタッフ側も想定外で、その盛り上がりに呼応するようにして、
六つ子のクソニートっぷりが強調されていった印象だ(→2017.9.27)。そしてそのクソっぷりの象徴として、
深夜らしい下ネタが特に目立つようになり、2期ではかなり激しくシモが展開されたように思う(→2018.9.3)。
3期も第1話からコンプライアンスでメタでうんこと従来の路線を踏襲するスタートを切った印象だが、
シモに頼らない正統派のギャグが増えた。ドブスや新キャラのオムスビといった面々がうまく機能したのも大きい。

正直、最初オムスビは微妙だったが、シェーをめぐる分析という通過儀礼を経て他者からこっち側へと入り込んだ。
ドブスは1期からいたけど、彼女が目立つようになって赤塚らしさがあらためて確保された感じ。影のMVPである。
そういえば、1期で大きな衝撃を与えたじょし松さんがほとんど出ていない。あれはあれで僕は好きなのだが、
メタが主体になってしまうという弱点がある。実松さんも今回は実コップでの登場のみであり、けりをつけた格好。
つまり、六つ子側からキャラクターを派生させるよりも、橋本にゃーなりオムスビなり完全新キャラの方が面白くなる。
(実松さんは新キャラだが、「六つ子に異質なものを入れる」という発想なので、六つ子側のキャラと見なす。)
ドブスや村上光司など伝統を生かしながら、赤塚ワールドの枠を広げる手法が確立されたことは大きな収穫だ。

3期で僕が最も完成度が高いと思ったのは芋煮の回。すべてのキャラクターの特性が完全に生きているし、
伏線の回収がきっちりしているし、やるべきギャグがぜんぶ入っていて、おまけに爆発のタイミングも絶妙である。
この17話から19話あたりのクオリティは本当に高い。ちゃんとストーリーの流れで笑わせる内容になっていた。
つまり、ギャグを連発する中で話が進むのではなく、きちんとした話の上にギャグが乗っている構造だから面白い。
また3期での発見は、既存作品のパロディに強いということ。「やりたい刑事」はかなりの破壊力を発揮した。
やはりこれも、話の上にギャグが乗る構造になるからだろう。3期の安定感は今後につながるヒントに溢れている。

オールスターとA-1グランプリをラス前でやっておいて、最終話は日常回。これもまた、3期の賢さの現れと考える。


2021.4.3 (Sat.)

『えいがのおそ松さん』。なお、TVの1期レヴューはこちら(→2017.9.27)で、2期はこちら(→2018.9.3)。

うーん、まったく面白くない。1期の異常な盛り上がり(→2015.10.282015.11.17)と2期の異常な静けさと、
『おそ松さん』をめぐる世間の反応はなんとも分析しづらいものがあって、消費社会の恐ろしさを感じるのだが、
この劇場版については1期からのブームにけりをつける内容だと解釈するしかない。もう本当にそれだけだなあ。
(ちょうど先月末にTVで3期が終わったところだけどさ。3期のレヴューはまた明日。いちばん面白かった。)
腐女子の皆様に、六つ子を2倍にしてのわちゃわちゃを見せつけつつF6的なあなたのもとへゴーをやっている。以上。

僕の場合、見ていてむしろ「自分の高校時代ってどんなだったっけ」と考えてしまう感じかなあ。モテんやった。
でも音楽聴いて音楽つくってマンガ読んでクイズやってソフトボールやって自分なりに満喫しておりましたなー。
マセた要素がひとつもない。生息域がクラスと物理班だったからどうしょうもない。昔を思い出しただけなのであった。


2021.4.2 (Fri.)

異動はエネルギーを使うなあと、あらためて実感しております。なんもせんでも疲れる。

今日はひたすら会議で、いろいろな角度からの話を聞いているうちに、なんとなく事態が見えてきつつもある感じ。
学校の特殊性と、それゆえのこちらへの期待など。わかってくると、やっぱりふつうの高校がよかったと思うけどね。
やはり当面は授業、メインでやることになる日本史が大問題である。しかもどうやらこれは今年限りの苦肉の策で、
わりと使い捨て気味の努力となりそうな予感がプンプン漂う。どうも来年以降はガラッと状況が変わりそうなのだ。
結局、「国際」を謳っていることで世界史の先生が多すぎなのである。日本史と地理へのしわ寄せが半端ない。

さて、昼休みの組合へのお誘いで、そこでようやく初任の任期が5年と知るのであった。長いなあ。飽きるわぁ。


2021.4.1 (Thu.)

中学と高校、東京と神奈川ということで文化の違いがあると覚悟はしていたが、ここまでとは思わなかった……。
いたいけな私を待ち受けていたのは、専門用語の嵐と超絶放任の個人主義。これはまるで異世界にいるようだ。
「校務」「生活指導」「進路指導」というこれまでの教員の三大要素がなくなってしまったのだ、これは異世界。
しかも新人・異動者向けのオリエンテーションが週明けの5日に開催予定でございますので。どないせえっちゅーねん。
その情報すら、入ってきたのが午後になってからだもんね。配られたプリントを途方に暮れつつ読み込んで過ごす。
あとはひたすら事務手続き。パソコンにログインもできず、社会科の詳細もわからず、それに取り組むしかない。
事務手続きは本当に面倒で、もし引っ越ししていたらもっと面倒くさいことになっていたかもしれないと思う。
落ち着くと、校内を徘徊して空間を把握する。届いた荷物を保管する場所がなく、廊下に置いても誰も気づかない。

規模が小さめとはいえ、さすがに高校ということで、単純に人が多い。エネルギッシュな30代男性が多い印象である。
県内有数の進学校から異動してきたという隣の先生が上田出身で、たいへんありがたい。おんぶにだっこでいきます。


diary 2021.3.

diary 2021

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