diary 2016.3.

diary 2016.4.


2016.3.31 (Thu.)

年度最終日は日直なのであった。来年度のことを考えると気が重く、なんともテンションが上がらないまま過ごす。
来年度はポジティヴになれる材料がないのよね。仕事の負担は軽減してもらえる見込みで、そこだけが救い。
とにかく淡々と、与えられた任務をこなしていくことにしたい。派手にはならんが、確実にやっていきたいものです。


2016.3.30 (Wed.)

青春18きっぷを消化せにゃならんので、手頃に日帰りできる場所はないかと考えた結果、やはり群馬方面が強い。
熱海・沼津方面もいいが、高崎までの往復は青春18きっぷが最も効力・利便性を発揮するルートであるように思う。
で、考えてみれば群馬県の御守が貫前神社の1体だけなので、上毛三山の神社を攻めてみようか、と思いついた。
とりあえず今回はサラッと榛名神社を攻略である。赤城は論社が面倒くさく、妙義は軽井沢と絡めたいのね。

高崎駅でだるま弁当と峠の釜めしを買い込むと、そのまま西口のバスターミナルから榛名山方面へ。
1時間ちょっとうつらうつらしながら揺られると、榛名神社の大鳥居付近に到着である。平日のくせに乗客は多く、
10人近い客が一緒にバスを降りた。榛名神社はそんなに人気があるのかと驚いて、それではっきり目が覚めた。
それにしても歩くのがつらい。昨日のお別れ試合で尋常ならざる肉離れに見舞われており、マトモに歩けない。
右足を引きずりながら、根性で動きまわってデジカメのシャッターを切っていく。1時間だけの滞在時間じゃつらいかも。

  
L: というわけで榛名神社の大鳥居。「榛名歓迎ゲートタワー」というらしい。昨年5月に竣工したばかり。
C: 榛名神社は神仏習合度合いがかなり強い。参道の急な坂道の両脇には宿坊がいっぱい。門がまた立派なのだ。
R: 坂を上りきって榛名神社に到着。でもここからがけっこう長いのだ。肉離れの脚には少々つらかった。

榛名神社はその名のとおり榛名山の神を祀る神社だが、参道沿いの宿坊の存在からして神仏習合度合いが強い。
境内を歩いていくと、きちんと石畳や石段などが整備されているが、確かに雰囲気としては神社より修験道っぽさがある。
本殿に至るまでに塔や社殿があり、やはり山寺の伽藍のイメージなのである。そして榛名神社の特徴はもうひとつ、
重要文化財がゴロゴロしている点にある。門と社殿の合計6件が重要文化財で、どれも迫力があって見応えがある。

  
L: 境内に入るとまずは随神門 。神仏習合なので、もともとは仁王門として建てられた。1847(弘化4)年の築。
C: 境内の雰囲気は完全に山寺のそれである。  R: 石段の途中にある神幸殿。1859(安政6)年の築。

春休みとはいえ、平日の朝なのに参拝客が多く、人が写り込まないように写真を撮るのにとにかく苦労した。
なんでみんなそんなにヒマなんだ、と思うが、まあつまりそれだけ榛名神社が人気ということなのだろう。

  
L: 1855(安政2)年築の双龍門。近くで見ると細かい装飾がすごい。  C: 神楽殿。1764(明和元)年の築。屋根が独特。
R: 本殿脇の国祖社及び額殿。享保年間(1716~1735年)築の国祖社と1814(文化11)年築の額殿が合体してこの形。

双龍門を抜けると目の前には神楽殿。その脇を抜けて本殿の前に立つと、本殿と国祖社及び額殿のコンビが現れる。
派手な朱色と精緻な彫刻に「なるほど群馬っぽい!」と思ったが、冷静に考えるとそれと群馬は必ずしも結びつかない。
でも瞬間的にそう思ってしまったのは、本殿に至るまでの岩がゴツゴツする感じが妙義山の稜線に通じていて、
そこに貫前神社(→2014.9.13)と同じく凝った社殿が高低差の中に詰め込まれているから、だろうか。
とにかく直感的に納得してしまったのである。そして本殿の裏にまわって度肝を抜かれた。本社の後ろには巨岩。
本社は岩にはめ込むようにして建てられており、その岩がまた高くて神秘的な形をしているのである。
榛名神社は単純に山の神様を祀るだけでなく、群馬らしい奇岩の岩山をうまく境内に取り込んでおり、実に面白い。

  
L: 榛名神社の本殿。1806(文化3)年の築。  C: 側面を眺める。彫刻がとんでもない密度で施されている。彩色も見事。
R: そして奥の本社。岩の形だけでなく、岩にはめ込んで建てられているのがまた独特。榛名神社は想像以上に興味深い場所だった。

右足を引きずりながら走ってバス停まで戻ると、ちょうど榛名山行きのバスがやってきたところ。間に合った。
バスはカーヴが連続する坂道を15分ほど上っていき、終点に到着。すぐ目の前が榛名湖、そして榛名富士だ。
季節がまだ春になりきっていないところにうっすら曇った天気ということで、雰囲気はまったくよろしくない。
寂れた印象だけがやたらと強調されているなあと思いつつ、榛名山ロープウェイまで歩いてみることにする。

  
L: バス発着所から湖越しに眺めた榛名富士。こりゃ見事な三角形だ。榛名湖も見事なカルデラ湖っぷりだよな。
C: 湖岸から眺める。山肌のまっすぐな線はロープウェイ。  R: ロープウェイから榛名湖を見下ろしたところ。

というわけで、せっかくなのでロープウェイで榛名富士のてっぺんまで行ってみた。しかし呆れたことに、
南東側・渋川方面の市街地はうっすら見えるにもかかわらず、すぐ近くの榛名湖をきれいに見下ろせるポイントがない。
ふつうなら山頂に展望台をつくって意地でも湖方面のパノラマを確保するだろうに、その要素がまったくないのだ。
山頂には本家と同じく木花開耶姫命を祀った冨士山神社があるが、コンクリートの社殿がただあるだけ。
ここまで観光資源を生かしきれていない事例はほかにないんじゃないかと思う。それくらいひどかった。

  
L: 榛名富士山頂駅の脇から眺める渋川方面。天気がよければいいんだろうけど。  C: 榛名富士の山頂。
R: いちばんのてっぺんは冨士山神社。もうちょっとどうにかならんのか。そして展望台をつくる気はないのか。

見るべきものが何もないのでさっさとロープウェイで下山。少し遅れてバスがやってきて、そのまま伊香保温泉へ。
伊香保温泉を訪れるのは3年ぶりである(→2013.8.4)。こちとらとにかく右脚太ももの肉離れを湯治したいのだ。

  
L: というわけで再びやってきました伊香保温泉。代名詞とも言える石段を整備したのは、われらが真田昌幸だよ!
C,R: 石段付近のこの密度の濃い感じがいかにも伊香保温泉。やっぱり平日にもかかわらずなかなかの賑わい。

途中の医王寺薬師堂にお参りして、早く脚が良くなるようにとお願い。こちとらけっこう切実なのよ。
どうもここ最近、右脚のケガが続いていて困る。十分治っていないけど無理して旅に出てばっかりで。

 医王寺薬師堂。1574(天正2)年の創建とのこと。

石段のてっぺんにあるのは、伊香保神社。もちろん3年前にも参拝しているが、今回あらためてお参りするのだ。
伊香保温泉全体の観光客が多いので、参拝客が絶えることがない人気ぶり。さて御守を頂戴しようと思ったら、
無人販売所形式で「子授け守」しか置いていない。よりによってそれかよ、とがっくりくるが、そこは頂戴しておく。
祭神は大己貴命と少彦名命だが、どうも安産・子宝の神様として定着しているようで、そっち方面が強化されていた。

  
L: 伊香保神社へと向かうラストスパートの石段。  C: 拝殿。  R: 本殿。平安時代ごろにこちらに移ったそうな。

伊香保温泉にじっくり浸かったおかげか、この後肉離れは思ったよりも早く回復したのであった。よかったよかった。
さて、ここまで来たらやっぱり最後は水沢観音こと水澤寺も参拝しておこうということで再訪問(→2013.8.4)。

  
L: 釈迦堂。無料でいろんな仏像を拝観できるミュージアム的な建物である。思っていた以上によかったです。
C: 水澤寺といえば駐車場の露店というイメージがあるなあ。  R: そのまま下段の境内へと続いていく。

せっかくなので、前回はスルーした釈迦堂の中にお邪魔したのだが、二十八部衆像があったり円空の仏像があったりと、
思っていた以上に充実していた印象。静かな環境でしかもタダでいろいろな仏像を拝めるのは、なかなかすばらしい。
そして坂を下ると六角二重塔と本堂(観音堂)。仁王門も見事で、あらためてきちんと眺めることができたのはよかった。

  
L: 本堂(観音堂)。 1787(天明7)年の築。  C: 六角二重塔。こちらも1787(天明7)年の築だが県の重要文化財。
R: 石段の下から見上げる仁王門。やはり1787(天明7)年の築。本堂と仁王門は市の重要文化財と一段低い評価なのね。

水澤寺のすぐ東からは、延々と水沢うどんの専門店が続く水沢うどんロードとなる。前回はおいしくいただいたが、
今回はすでに峠の釜めしをいただいているのでパス。そのままバスに揺られて高崎駅まで一直線なのであった。

 水沢うどんロードより眺める榛名山。やっぱりここってけっこう独特な場所だ。

バスの車内からは何度も何度も「珍宝館」の立て看板が見えて、さすがにこれは非常に気になった。
でも男一人で行くのは絶対に避けたい場所である。いつか姉歯の皆で行けるといいね、ということでチャンチャン。


2016.3.29 (Tue.)

本日はお別れ試合なのであった。とにかく気の済むまでゲーム、ゲーム、ゲーム。走って蹴ってまた走る。
今年の卒業生はフィジカルよりは足元の技術でなんとかしたがるタイプが多く、その分だけ運動量が課題だった。
前に出て走るタイプが本当にいなかったもんなあ。で、その分だけ走るのが私なわけです。ヒー。
受験が終わって運動量がいっそう落ちているので、なかなかに大変でございました。まあ走るのも楽しいんだけど。

来年の新入生がどれだけ入るかわからないので、まとまった人数のいる卒業生がいなくなると本当に不安だ。
でもサッカーは続いていくのである。顧問は生徒たちが存分に楽しめる環境を用意するのが仕事なので、
何がどうなろうとやれることをやるのみである。卒業生たちが満足できていたなら、それでいいのだ。


2016.3.28 (Mon.)

練習試合であります。しかしわが部活、本当に部員が揃わない。卒業生を加えてもまだ揃わない。
で、結局、前任校に声をかけて合同チームということでやっと11人以上。もう情けなくて情けなくてたまらん。
協力してくれた前任校の皆様には感謝してもし足りない。もう本当にすいません&ありがとうございます。
試合の相手は地元のサッカークラブと他区の合同チームとウチらとで、5団体が複雑に入り乱れる状態。
それでもスムーズに進むんだからちゃんとしたものである。どのチームにとっても実のある内容になったし。

しかし前任校は見ていてもったいない。ふだん練習している校庭がめちゃくちゃ小さいことが影響しているだろうけど、
運動量がすごく少なくて、相手の裏をとるプレーができない。この2つができればもっともっと強くなるのに。
コーチと「もったいないですよねえ」なんて話をしながら、なるべく優しい言い方で指示を出すのであった。

「どこが足りないか」が明確にわかるようになったのは、間違いなく今の学校の部活で鍛えられたおかげだろう。
その足りない部分を的確に指導できるかどうかはまた別の話だけど、最近は自分のチームだけでなく、
相手チームのサッカーについてももどかしさも感じるようになってきている。もったいない、と思うことが本当に多い。
今の学校に来たときには言葉でうまく説明できなかったことが、ある程度は言葉にできるようになってきている。
マズいプレーかどうかは直感的に判断してきたけど、今はある程度は理詰めで判断できるようになってきている。
着実に自分の中でサッカーの常識が育ってきているんだなあと思う。これを指導力につなげないといかんなあ。


2016.3.27 (Sun.)

春休み・原作がライトノベルのアニメ祭り、第3弾。『とある科学の超電磁砲』。
前にボロクソに書いた『とある魔術の禁書目録』(→2012.6.29)のスピンアウト作品で、元はマンガらしい。
『禁書目録』の方ならアニメすら見る気はしないが、こっちならまあなんとか、ということで見たわけで。

全24話を非常に上手く使い切っている構成で、これはすごいと唸らされた。シリーズ構成が圧倒的に優れており、
大枠の物語と各話の展開の関係がかなり考え抜かれていて、終わってみれば伏線を実にきれいに張っていた形。
各キャラクターを大切にしている点も非常に好感が持てる。婚后たちが端役や噛ませ犬だと思ったら大間違いで、
しっかり活躍させているのがすばらしい。佐天は無能力者だからこそ最後のところで切り札にならなくてはいけないが、
(というのも、われわれ視聴者は無能力者だから。われわれが物語にがっちり介在する余地をつくることが必要だ。)
それがきちんと実現されている。鎌池は本物のバカだが、このスピンアウトを考えたスタッフはそうとうな切れ者だ。
何から何まで面白くって、アニメできちんと楽しませてもらったのは久々な気がする。いや、これは見て正解だった。

いちばん「まいりました!」なのは、なんといっても白井黒子。最初出てきたときは「なんやこの声」と思ったが、
すいません、このキャラクター最高だわ。ボケもツッコミもシリアスもできて最高のトリックスターではなかろうか。
白井黒子が存分に暴れまくるとそれだけで楽しいです。最強のトリックスターに最高の構成。文句なしの作品だった。

というわけで黒子の活躍を大いに期待しつつ、2期シリーズの『とある科学の超電磁砲S』も見てみた。

……そしたらもう本当につまらなかった。途中で見るのがつらくなってきて、何度か諦めかけたほど。
前半は学園都市第1位の一方通行との戦いが描かれるのだが、物語全体がめちゃくちゃ暗くて本当にウンザリ。
ヒロインの美琴が独断で動きまわるため、白井黒子がボケを挟む余地がない。そこがまず絶対的にダメな部分。
そして美琴が今までにない大ピンチに追い込まれることで一方通行の強さを表現していると思うのだが、
ピンチ、ピンチでフラストレーションばっかり。カタルシスがない。『狼と香辛料II』(→2016.3.23)と一緒。
アニメの2期シリーズってそういう失敗をしやすいものなのだろうか。当麻の見どころにはなったが、遅すぎだ。
とにかく物語の基本線がクローンの無断作成と大量虐殺ということで、あまりにも暗すぎるのである。
こういう設定をつくった連中は何を考えているんだろうと神経を疑いたくなる。どうせ鎌池のバカなんだろうけど。

もうひとつ不快なのは、(これは1期のテレスティーナからそうだが)言葉の悪さでキャラの悪さを表現する点。
つまり、悪役に深みがないのである。本来は悪が悪に堕ちた理由にこそ感動の下地があるもんだが、それが皆無だ。
そもそも路地裏にいかにもステレオタイプな不良がいっぱいいる点からして、悪が薄っぺらいってことなのだ。
(ただし1期では、スキルアウトを上手く利用してしっかりと魅力的な物語を組んでいる点は留意すべきだ。)
人生経験の薄っぺらい鎌池による原作のダメな部分を変に引き継いでしまっているのが非常にもったいない。
原作者の関わる比率が高い部分は面白さが急激に落ちる。スタッフは優秀なのに、原作が足を引っ張っている。
(学園都市やら常盤台やらというユートピア的な空間設定、安易な完璧さを兼ね備えた登場人物たち、
 そういった中二病っぽい価値観が維持されている点は、いかにもライトノベル出身といったところか。→2016.3.15

後半は本来のペースを取り戻しかけるが、テレスティーナが出てくる理由がまったくわからない。
(そういえばテレスティーナが座っている椅子は、リートフェルトのレッド・アンド・ブルーだった。
 映像作品中に出されているのは初めて見た気がする。この椅子を出してくるとは、やはりスタッフは切れ者だ。)
そうやって面白かった1期からの正統性を主張しているのだろうか、と思う。またセリフの節々からも、
前半の物語を受け手に肯定させようという感じがありありと見える。それがかえって興ざめである。
最後の最後ではほぼオールスターで非常に中身の濃い活躍の場面を用意して、華々しく終わってみせる。
一方通行とミサカ妹をめぐるエピソードは残念だったが、最後はきちんとスタッフが力量を見せてくれた感じ。

なんかよくわからんけどWikipediaを見るに、おおもとである『禁書目録』の方はいろいろと狂っているようで。
『超電磁砲』のアニメは『禁書目録』に引きずられた設定がワケわかんなくなる直前で終わった感じなのかな。
そうなるともうこれは、続きをやらない方がいいんじゃねえのかと思う。あるいはパラレルとして独立しちゃうか。
公式の二次創作の方が一次よりもはるかに魅力的、というのも大変なものだ。原作者の存在が明らかに癌だよな。


2016.3.26 (Sat.)

静岡が傷心の日帰り旅行となってしまったせいで(→2016.3.12)、今月のJリーグ観戦の予定がズレることとなった。
本来はそのつもりはなかったが、ここで観戦しておかないと自らに課した「毎月観戦」が達成されなくなってしまう。
(厳密に言うと今年の開幕は2月最終週だったが、そこは許してほしい。日程の発表は宮崎行きの予定を立てた後だった。)
しょうがないのでいろいろ考えた結果、横浜C×愛媛を観戦することにした。理由は、三ツ沢が大好きだということ。
そして、昨年J2で誰も予想しなかった5位に入った愛媛のサッカーを確認しておきたかったということ。その2点である。

 というわけで、僕の今年のサッカー観戦がようやく開幕である。

昨年の終盤は旅行しながらのサッカー観戦が多く、近場のスタジアムで観るのはけっこう久しぶりな気がする。
目の前で練習する愛媛の選手たちを眺めながら、三ツ沢はやっぱりピッチが近くて素晴らしいなあ、と再認識。
やがて練習が終わり、スタメン発表も終わり、選手が入場する段になって「アイツ」が姿を現した。
そうだった、愛媛FCといえば「一平くん」だった(→2013.9.29)。堂々と選手と一緒に写真撮影されていた。

  
L: 一平くん登場! そうだ、愛媛といばコイツだったわ。  C: 挨拶を終えた選手たちとハイタッチ。  R: そのまま写真撮影にも加わる。

さて試合が始まるとだいたい互角の展開。ホームの横浜Cは昨シーズン、ロス監督が体調不良により途中で辞任。
しかしそのロス監督を再登板させるというウルトラCで今シーズンに臨んだところ、さっそくまた体調不良でお休み中という、
実に意味不明な迷走ぶりを見せている。まあ、ある程度実績を持っている選手を集めてピッチ上は10番の寺田にお任せ、
そんなサッカーをやってりゃいいかな、という路線だろう。ファンじゃないけど三ツ沢にはちょこちょこ来ているんでわかる。
むしろ個人的には切れ者と評判の愛媛・木山監督がどういうサッカーをやるのか、そこにしか興味が湧かないのだ。

横浜Cは右サイドをロングボールで走らせる攻撃一辺倒。そこから中央の寺田に折り返してディフェンスをかわしてもらい、
シュートチャンスをつくる、という作戦っぽい。やっぱり寺田のアイデアとテクニックにべったりと頼ったサッカーなのである。
対照的に愛媛はパスをつないでいき、右サイドの白井を中心に前にグラウンダーを出して走らせることを企図していたが、
肝心の裏に抜け出す選手がいない。長身の瀬沼にロングボールを当てるならわかるが、瀬沼は右サイドが定位置の模様。
そのうちDFどうしで横パスをひたすら交換しはじめて時間つぶしなのか何なのか。ワケのわからないプレーに首をひねる。
まあおそらく後半勝負のゲームプランなんだろう。消耗を避けておいて、どこかで人数をかけるつもり、なのだきっと。

  
L: 愛媛は白井(14番)が縦パスを出すシーンが目立ったが、複数の選手が走り込まなきゃ脅威にならない。意味不明なカウンター。
C: しかし三ツ沢はピッチが近くていいなあ。迫力満点。  R: 愛媛のDFどうしでの意味不明なパス交換。何をしたいのやら。

波乱のないまま前半終了。それでも後半に入るとコンパクトさを保ちながらも少し愛媛の圧力が増し、やや積極的に。
パス交換の様子を見るに、ボランチの小島にいい形でボールを持たせたいのかなと思うが、パスの精度が正直イマイチ。
また、選手の意識は前に抜け出すよりもボールをつなぐ方にあるようだ。集中力を切らさない横浜Cの守備に引っかかり、
寺田を経由してのカウンターを食らう場面もチラホラ。愛媛は高い位置でプレーできているけど運動量がないのよね。

 
L: 本日、カズの出番はございませんでした。  R: 崩しきれず、強引にシュートにいく愛媛。横浜Cの守備も良かったってことか。

ふと愛媛のゴール裏に目をやったら、なんと「アイツ」がいるではないか。ふつうにサポーターに混じって応援している。
途中からプレーそっちのけで一平くんばっかり撮影しとったわ。それくらい、戦略的な意図の見えない試合内容だった。
木山監督は何がしたかったんでしょうか。それがわからない僕はまだまだシロートということでよろしいんでしょうか。

  
L: ゴール裏にふつうに混じっている一平くん。まあ、彼、サポーターだもんな。  C: 一緒に応援している光景。
R: 一平くんフラッグを振って応援。なんか、もう、日本ってすげえ国だな。こんなことしてるの絶対に日本だけだぜ。

というわけで、気がついたら試合中の選手たちの写真よりも一平くんの写真の方が多い日記になってしまったではないか。
まあでもしょうがない。「やりたい放題の一平くんが見られたから、今日三ツ沢に来てよかった!」ってのが本音だもんね。

 スコアレスドローに疲労困憊のご様子。

最後には両チームとも惜しいシーンがあったが、結局はスコアレスドローで終わった。うーん、微妙な90分だったぜ。
マッチデープログラムに書いてなかったからわからなかったけど、横浜Cが17位、愛媛が18位での対戦だったそうだ。
そりゃこんなサッカーだったらそんな順位になるわな、と納得。点を取るためのプランが見えないゲームは退屈だ。

 試合終了後、愛媛の選手たちの挨拶。一平くんもお疲れさまでした。

帰りは速足で坂を下ってスタ丼食って、東急ハンズと無印良品であれこれ買い物。休日としてはなかなかだったね。


2016.3.25 (Fri.)

築地の寿司で学年の納め会なのであった。料理に関しては感動の連続でございましたね。予算をかけただけあり、
その予算にふさわしい、いやそれ以上ではないかと思えるほどの中身。損して得とれとはこのことか。すごい得だわ。

しかしトークの内容は、ふだんノホホンと生きている自分にはちょっとショックな面も。厳しい現実を突きつけられた。
本当に厳しい状況に置かれている人のことを自分はわかっていなかったよね、知ろうとしていなかったよね、と。
自分が知ったところで状況が変わるわけではないのだが、知って優しくなれなかったことがやはり悔しいのである。
とても想像できない事態があったんだけど、それでもそれを想像する可能性を自分から摘んでいたことが悔しい。


2016.3.24 (Thu.)

2015年度のレギュラー部活は本日で終了。なのだが、卒業したばかりの3年生がいるのに1年生がゼロという有様。
のっぴきならない事情がある生徒もいるとは思うが、それにしてもこれでいいのかと。ほとほと。なんなんずら。


2016.3.23 (Wed.)

春休み(正確にはまだだが)・原作がライトノベルのアニメ祭り、第2弾。『狼と香辛料』。
なお、原作は第1巻だけを読んでいる。そのときのレヴューはこちらを参照(→2009.7.28)。

論理的な展開がぜんぜんわかんねー! 原作に忠実につくられており中世の商人の頭脳戦がテーマとなっているので、
経済がペッペケペーな僕にはもう何がなんだか。確かにセリフの響きは日本語なのだが、中身が外国語にしか思えない。
いちばん困ったのは、貨幣に種類があること。これは近代国家による経済の統制が入る以前では当たり前なんだろうが、
ただでさえワケのわからない経済のやりとりに、複数の貨幣それぞれの価値が絡み合ってくるので、もうお手上げ。
現実にある通貨ならまだどうにかなるのかもしれないが、フィクションの通貨どうしでのやりとりなのでついていけない。
損得の説明もセリフのみで、まったくヴィジュアル化してくれない。残念ながら僕の頭ではまったく入り込めなかった。
フィクションの世界ながらがっちり構築されている貨幣制度だが、こっちとしてはどうもリアリティが感じられない。

もうひとつ面倒くさいのが、セリフが凝りすぎている点。ホロとロレンスによる気の利いたセリフのやりとりは、
原作の大きな魅力のひとつと見なされているのだろう。でも僕にとっては過剰なレトリックばっかりで、もうウンザリ。
頭のいいかわいい女の子には翻弄されたいものだが、それしてもこのアニメ、どうにも「しゃべりすぎる」のである。
なお、ホロの声はいい具合にいい意味でやらしい。それだけに、過ぎたるは猶及ばざるがごとし、となっている気がする。

あと雑感としては、一神教が多神教を抑え込みつつある状況が描かれている点は、それなりに興味深い。
宗教が封建制度と結びつきながら経済を取り込んでいき、より強固な権力システムが構築されていく、その真っ只中。
そういう意味では社会学的に楽しめる作品になっているのも確かである。まあそれはもともとの原作がそうってことか。
アニメについて言えば、原作がきれいな絵になって動いていることはファンにとっては非常に喜ばしいことだろうが、
それ以上のものはないのではないか、という感触である。アニメ化したことで作品にプラスになったものを感じない。
登場する商人たちは基本的にみんな食えない性格をしているというのはなかなか。そこだけはリアリティがあったね。

せっかくなので2期シリーズの『狼と香辛料II』も見てみた。基本的にはやっぱり原作以上のものはない。
ショタを出して視聴者たちをやきもきさせてくるのだが、結局はただイチャついとるだけやないかい!と私は言いたい。
他人がイチャつくのを見てもつまらんのじゃ! なんか1期よりもイチャつき度合いが増しとる。やってらんねーぜー

見ていて明らかに1期と差があるなと思うのは、上記のイチャつき度合いと説明ゼリフの増加っぷりである。
これがマーケティングというやつなんでしょうか。経済による生きるか死ぬかの勝負はなんとなく激しさが弱まっており、
その分だけ色恋沙汰に割く時間が増えている。一言で表現すると、「女子受け狙い」にシフトしつつある気がする。
また1期で論理がペッペケペーだった人はやはり多かったようで、他者(ロレンス以外)による解説も自然に入れている。
そういう工夫ははっきりと感じるんだけど、やはりセリフでの解決に頼っているので結局はわかりづらい。イマイチだ。
お金も苦手で色恋も苦手な私には、2期は輪をかけてついていけない内容なのでは……と震えながら見ていったとさ。

2期ではホロとロレンスの信頼関係が試されるので、展開としては仕方がない面もあるとは思うのだが、
ロレンスをどんどんピンチにしていく構図にはウンザリ。主人公が追い込まれて追い込まれて追い込まれて……
かーらーのー大逆転劇!というのを制作側は意図しているのだろうけど、フラストレーションのたまる時間が長く、
途中で黄鉄鉱を買い占めようとしているのが誰なのかもわかったので、あーやっぱそーですか止まり。
後半のエピソードにしても、あーなるほど岩塩彫ったのねとわかって、こっちは収束せずに投げっ放しジャーマン。
カタルシスがカタスカシである(上手いこと言ったつもりがあんまり上手く感じられないのはなぜだ)。
思えば『攻殻機動隊』の2nd GIGもそうで、フラストレーションの発散をもったいぶると失敗する(→2005.9.6)。

もう最後んとこなんか、何がどうなっているのか全然わからねえ。心理もわからねえし論理もわからねえ。
結局何も面白くなかったんだけど、僕はどうすればいいの?


2016.3.22 (Tue.)

春休み(正確にはまだだが)・原作がライトノベルのアニメ祭り、第1弾。『僕は友達が少ない』。

外見のせいで誤解を招いて友達ができない主人公が、女子たちに巻き込まれるままに部活をつくって楽しく過ごす話。
なんかスタートの設定がどこかで見たことある感じなのだが(→2006.7.6)、こっちはダメさを強調して差異を演出。
結局はぬるま湯のハーレム状態を楽しむ辺りがラノベらしい安易さなのだが、その魅力を否定する気はございません。
その源流はわれわれが90年代にどっぷり浸かっていたエロゲー・ギャルゲーにあるわけで、受け手が成長していないのさ。
ただ、ヒロインを「静」「動」という2つの類型に収斂させたのは『エヴァンゲリオン』の功績であると私は思うわけです。
そうやって形成された三角関係をダラダラ提示することで収益が発生する、そういうモデルになっておるわけです。

「静」が夜空で「動」が星奈。ひねくれまくる夜空に対して星奈は素直なのでこりゃ星奈の圧勝だろと思うわけです。
そしたら最後で夜空を強烈にかわいく描きやがった。こうして無事に「静」と「動」の三角関係が継続されたのであります。
個人的には理科の演技力も好きなのだが、まとめちゃうと夜空と星奈のかわいさを堪能するだけのアニメでしたな。
でも肉が超かわいいからいいや。

せっかくなので2期シリーズの『僕は友達が少ないNEXT』も見てみた。そしたら話がきちんと進んでびっくり。
「NEXT」とはよく付けたもので、まさにテーマはお友達から次の段階。ぬるま湯状態をしっかり壊してしまった。

最初のうちは夜空がショートになったので理科が髪型をいろいろできるのね、よかったね、と単純に思っていたが、
それにより1期では否定すらされていたはずの女子力が一気に目覚め、女子らしさを象徴するほどのキャラに成長。
動きの悪い夜空の代わりに動いてそのままトリックスターの位置を脱出、ついに「ヒロインになれない悲劇のヒロイン」、
そんな唯一無二の位置を獲得してしまった。「静」「動」の殻を破れないでいる夜空と星奈とは実に対照的である。
終盤の理科はまさに独壇場と言うべき活躍ぶり。この理科の変化はもちろん「作者の成長」と見ることは可能だろう。
そして幸村も次の段階へ進む(執事の幸村はすばらしい)。サブキャラの方がガマンできずに、先に一歩を踏み出した。
しかし作者の中でキャラクターが成長したのはいいが、もはや作者には扱いかねるレヴェルであるのもまた事実のようで、
結局、話の終わり方としてはどうしょうもないものとなってしまった。キャラほど作者が成長できなかったな、と。

友情と恋愛という永遠のテーマにぶつかってしまったが、「静」「動」の構図の前に、何もできずに思考停止して終了。
結果としては「ひねくれラブコメ」とでも言えばいいのか、そういうジャンルにどうにか収まってくれはしたが、
作者とキャラクターが論理的に物を考えている以上、どこかで素直にならざるをえない。ずっとひねくれてはいられない。
いち早くそこを脱出してしまった理科と、脱出の兆しをみせる幸村・星奈。ラノベがラノベでなくなる瞬間はすぐそこだ、
というタイミングでぶった切るのはどうにも後味が悪い。この大いなる矛盾こそがライトノベルの本質のように思う。


2016.3.21 (Mon.)

鹿児島旅行の3日目にして最終日なのだが、なんと舞台は鹿児島県ではなく宮崎県へと移るのであります。
宮崎県は先月行っとるやないかい、とのツッコミが入るだろうが、そのときスルーした南部の内陸部を行くのだ。

朝5時に宿を出て暗い中を歩いていき、青春18きっぷで鹿児島中央駅の改札を抜ける。隼人、吉松と列車を乗り継ぎ、
8時半過ぎに降り立ったのは、えびの駅。そんなわけで本日はえびの市からのスタートなのである。吉都線を行くよ。
なお、えびの駅は国登録有形文化財となっている。1912(大正元)年に加久藤駅として開業して以来の駅舎だ。

  
L: えびの駅の外観。  C: 駅舎の中からホーム側を眺める。えびの市の中心となる駅だが、無人駅なのだ。
R: 駅は映画『美しい夏キリシマ』に「霧野駅」として登場。駅舎内にはそのときの小道具があちこちに置いてある。

えびの市の中心となる駅ということだが、降りてみたら無人駅。そして駅前に商店街はなく、住宅が点々と延びる。
まあはっきり言って、想像していなかったほどに田舎である。これが本当に「市」なのかよ、と呆れてしまう。
えびの市の市制施行は1970年なので、けっこう古い。でも雰囲気は平成の大合併で無理やり市になった場所に近い。

 えびの駅前の風景。とても市とは思えない、閑散とした雰囲気である。

いつもなら駅前を中心に、まず商店街を歩いて市の雰囲気をつかむ。しかしえびのの場合、商店街そのものがない。
それでどうしようかと考えた結果、かつてこの辺りは「加久藤(かくとう)」と呼ばれる場所だったということで、
加久藤城址まで歩いてみることにした。だってそれくらいしか見るべきところがない感じなんだもん……。

 加久藤城へ行く途中にある島津義弘の長男・鶴寿丸の墓。わずが8歳で病死。

戦国時代、島津義弘が東側にある飯野城に入ってこの一帯を治めていたが、妻子は加久藤城に住まわせていた。
そうして日向国統一に燃える伊東義祐をおびき寄せて、木崎原の戦いが勃発する。島津義弘はわずか300の軍勢で、
10倍の伊東軍を撃退した(ただし島津方も85%以上が亡くなった)。これをきっかけに伊東氏は一気に没落する。

  
L: 農地混じりの住宅地を山の方へと進んでいくと加久藤城址に入る。こちらは大手門の跡。
C: 本丸跡には加久藤城竃門神社。  R: 本丸の南側は少し低くなっていて、梅園となっている。

以上である。えびの本当に何もねえよ。城跡から国道に戻ると三叉路から川内川を渡っていよいよ市役所を目指す。
というか、熊本県の東南からスタートして宮崎県西部を抜けて薩摩川内まで行っちゃう川内川の長さにびっくりだ。
やっぱり農地と住宅が盆地いっぱいに茫洋と広がる中を歩いていくと、えびの市役所の側面にぶつかる。
東側が正面入口なのだが、陸橋の長い通路がなんとも独特な建物である。鼻を伸ばしたゾウみたいに思える。

  
L: 東側の正面入口から眺めるえびの市役所。  C: なんでつくったのかよくわからないが、長い陸橋の通路がある。
R: まあこのように、えびの市役所はエントランスをわざわざ2階にしているのだ。どういう意図があったのやら。

1966年に飯野町・加久藤町・真幸町が合併してえびの町になり、1970年に市制施行してえびの市となっている。
つまり、ひらがな名前の「えびの」は1966年からで、なかなかの歴史なのである。えびの高原がそもそもの由来。
では、えびの高原の「えびの」は何かというと、ススキの原っぱが火山ガスで葡萄色になっていたこと、らしい。
葡萄はかつて「エビカズラ」と呼ばれていて、その赤紫色が「えび色(葡萄色)」なのだ。つまり、「えび色の野」。
ちなみに、海や川に棲んでいる蝦/海老が「エビ」と呼ばれるようになったのは、この「えび色」が理由なのだ。
われわれ、エビが日常生活であまりにもお馴染みなので意識しないが、まさか色からその名前になったとは。

  
L: えびの市役所のエントランス。わざわざ2階につくってある。  C: 入口の手前には「田の神」(後述)が並んでいる。
R: 玄関前から建物を見る。この市役所、2つの建物をくっつけたような少し複雑な形状なんだよな。建設の経緯がきになる。

特徴的な陸橋部分をクローズアップしてみる。非常にモダニズム感覚あふれる造形で、特に柱の凝り方が面白い。
手前側は階段とスロープがそれぞれ別個になっているというこだわりだ。どういう意図でつくったのか知りたい。

  
L: 陸橋をクローズアップ。  C: 下に潜り込んで上り口側を見る。階段とスロープが別個。  R: 横(北側)から見る。

さて、そんなえびの市役所の竣工年などをネットで調べてみたものの、これがぜんぜん出てこない。
困ったなあと思ってデジカメの写真を確認してみたら、ちゃんと「えびの市庁舎工事記録」のレリーフを撮っていた。
それによれば、1974年の竣工。すばらしいので他の市もわかるところに付けてほしい。設計者の名前もよろしくね。

  
L: 北東側、広い駐車場から見たところ。  C: 1階はピロティで駐車場となっていた。  R: 北側の側面。

最後は、敷地西側を流れる長江川の堤防から背面を見下ろすようにして一周。裏手も駐車場となっているようだが、
それがなんとなくグラウンドっぽくて学校のような雰囲気である。実際には市役所の南側に加久藤中学校があり、
そのグラウンドをよけるようにして市役所が建てられているので、学校建築との直接の関係はなさそうなんだけど。

   
L: 川の堤防から見た、えびの市役所の背面。  C: 西より眺める。  R: 裏手にまわり込んで南西側から。ピロティ。

さて、エントランスにいた「田の神」とは何なのか。この地域では霧島山の噴火がある中で稲作をしており、
被害の軽減と豊作を願って田の神の石像を祀るようになったそうだ。「田の神様」を「たのかんさあ」と発音する。
自然の石を利用したものから、神官型・農民型・地蔵型などの類型があるとのこと。えびのの主流は農民型で、
シキ(蒸すときに使う藁製の敷物)をかぶりしゃもじとお椀を持つ田の神が「みなほ」というゆるキャラになっている。

 
L: 市役所エントランスに並ぶ田の神たち。中にはM78星雲から来た田の神や、ネコ型ロボットの田の神もいる。
R: 加久藤城址に行く途中で見かけた田の神。自然石に「田之神」と彫られている例。大切にされているなあ。

えびの市を堪能すると、次は小林市だ。小林駅のホームに降りて改札を抜けると……そこは踏切なのであった。
前も踏切、後ろも踏切。踏切と踏切の間に駅がある。しかも行く手を見ると、そこにもまた別の駅舎がある。
一瞬、どういう事態なのかワケがわからず、うろたえてしまったではないか。これはつまり、従来の駅舎とは別に、
ホームに接続する形で新しいコンパクトな駅舎をつくったということ。こういう事例は初めてなので、びっくりした。

 
L: 昨年3月に供用開始の新しい小林駅。  R: こちらは旧駅舎。観光案内所が入っているのだ。

さっきのえびの市も特にこれといった名所が市街地になかったが(そもそも「市街地」と呼べるのかどうか……)、
小林市も正直なかなか厳しい。観光案内所でガイドマップをもらったはいいが、途方に暮れてしまったのであった。
しょうがないので困ったときには城跡だ、ということで、北にある小林城址まで歩いてみることにした。

  
L: 国道221号が小林のメインストリート。商店が並んでいる。  C: でも駅から離れるとだんだん仕舞屋が増えていく。
R: こちらは小林城址へ向かう国道265号。商店街を形成してはいるが、全体的に古い建物が多くて苦しそう。

しかしまずは腹が減った。ガイドマップを見た瞬間、昼メシに何をいただくはもう決めてしまった。チョウザメである。
その卵が世界三大珍味のキャビアとして知られている、チョウザメ。実は日本の各地でチョウザメの養殖が行われており、
宮崎県はキャビアの生産日本一を誇る。そして小林市ではチョウザメをご当地グルメの食材として売り出しているのだ。
食わせてくれるっていうんなら、これはもう、食うしかないじゃないか! というわけでマップを片手に歩きだす。

小林市のチョウザメ料理は「にぎり膳」と「炙りちらし」の2種類がある模様。市街地では「にぎり膳」は難しいので、
小林青果地方卸売市場の隣にある市場食堂にお邪魔して「炙りちらし」を注文。こちらはその場でつくるお弁当なのだ。
食堂内でイートインも可能ということで、できたてのホヤホヤをいただく。つくりたての弁当で880円ならお得だな。
中を見てみると、左にはシロチョウザメの炙り、右にはシベリアチョウザメの炙りという豪華2本立てである。
シロチョウザメには柑橘類を絞っていただき、シベリアチョウザメには蒲焼のタレをかけていただくという仕様。
あっさりしていていくらでも食える味でございました。しかし自分、ついにチョウザメまで食ってしまったか。

 小林チョウザメ炙りちらし。おいしゅうございましたよ。

では小林城址へ突撃なのだ。思っていたよりは少し距離があり、軽くジョギングする感じでのチャレンジとなった。
そんながんばって行ったからって何かあるわけでもないんだけどね、せっかくわざわざ訪れた街なんだから、
いろいろ見てみたいものなのだ。大手橋の向かいにある坂を駆け上がると、住宅を抜けて山道に入る。
その階段を上りきると、小林城の本丸跡なのだ。うん、わかっちゃいたけど、やっぱり何もない。

  
L: 国道265号から右に曲がってこの坂を上ると小林城址だ。  C: 山の中を駆け上がる。  R: 本丸跡。うん、何もない。

城跡の何もないっぷりを確認すると、途中まで戻ってから西へと進み、小林市役所を目指す。
しばらく歩くといかにも役所らしく整えられた敷地に、周囲の住宅とは異なるスケールでそびえる建物が現れる。
が、東側の側面は明らかに、本来くっついていた建物を取り壊したと思われる跡がある。いったいこれは何なのか。

  
L: 南側の交差点から小林市役所の入口を眺める。敷地は正方形に近いが、周囲とは異なる角度になっているのだ。
C: 小林市役所を正面より眺める。  R: 玄関をクローズアップ。いかにも時代を感じさせるコンクリートの造形だ。

現在の小林市役所は1964年の竣工で、さすがに新庁舎の建設計画が進んでいる段階である。
おととしの3月には設計者選定のプロポーザルが行われており、梓設計九州支社が最優秀となっている。
建設基本計画によれば、新しい庁舎は現在の庁舎を取り壊した後、角度を変えて敷地の東側に寄せて建てるみたい。
来年6月に竣工予定とのことだけど、さすがにおそらくもっと遅れることになるだろう。どうなることやら。

  
L: 東側から眺める。手前に小さい門柱があるのが気になる。  C,R: 庁舎の東側は何かを取り壊した跡が生々しい。

敷地を一周してみたが、実にそっけない感じが昭和を感じさせる庁舎である。またひとつ、昭和の証人が消えるのか。
小林市役所でいちばんびっくりしたのは、玄関の手前にプールがあり、そこでチョウザメが堂々と泳いでいることだ。
チョウザメで街おこしをしているとはいえ、市役所のオープンスペースで飼うというのは実に大胆。面白くっていい。

  
L: 反対の西側から見た小林市役所。  C: 側面から裏側へとまわり込む。  R: 背面。典型的な昭和の役所でいいと思う。

最後に、小林市を歩いていて気になったものをあれこれ。さっきも書いたように市街地にはこれといった名所がないけど、
ざっくり見た感じでは、面白がれる要素はそれなりにけっこうある。ポテンシャルを感じる街なので、がんばってほしい。

  
L: 市役所のプールで泳ぐチョウザメ。  C: 市街地の湧き水。小林は霧島山からのきれいな湧き水が豊富とのこと。
R: クレープの自販機があって驚いた。買って食っている時間がなかったのが本当に残念。市役所と一緒に再挑戦したい。

急いで小林駅に戻ると、吉都線をさらに東へ。10分ほど揺られて高原(たかはる)駅で下車する。
次の目的地は、狭野(さの)神社だ。神武天皇を祀る神社ということでかつては宮崎神宮の別宮となっていたが、
戦後に独立して現在は別表神社となっている。ならば御守を頂戴しなければなるまい、というわけなのだ。

  
L: 吉都線の車窓から眺める霧島山。機会があればぜひ、えびの高原とともに訪れてみたいものだが。
C: 高原駅。地元の農産品などを売る施設を兼ねている。  R: 駅前の通り。商店街とはちょっと呼べないかな……。

いろいろ調べてみたのだが、結局、狭野神社までは歩いていくしかないという結論に至った。片道3kmほど。
ただし、狭野神社の入口から境内までは1kmほどの距離があるので、実質的には4kmほどということになる。
こりゃもうどうしょうもないので、春の気配を感じながらポジティヴに歩を進めていくよりほかにない。

 
L: 霧島山が見事だなあ。  R: アブラナとミツバチ。春でございますなあ。

黙々と30分ほど歩いたところで一の鳥居に到着。右に曲がって今度は1kmを黙々と歩くことになるのだ。
宮崎神宮もそうだったけど(→2009.1.82016.2.26)、さすがに初代天皇を祀るだけあって規模が大きい。

  
L: 高原駅からトボトボ3km歩いて一の鳥居。でもちゃんと看板には「神前まで1km」と書いてある。
C: アスファルト舗装の参道を進んで二の鳥居。ここから先は木々の茂る道になる。  R: いざ行かん。

周囲には農地と住宅がそれなりに集まっているのだが、この参道の両側は木々がしっかり生い茂って壁をつくっており、
かつてあったであろう自然の姿をよく残している。それがまた、狭野神社の風格を高める作用をもたらしていると思う。
参道に並行して道路が走っているので、それぞれの鳥居の前に車で出ることも可能である。でも参道だけを歩いていると、
まるで神代の昔からある深い林の中をさまよっているような気分になるのだ。なかなか不思議な神社である。

  
L: 三の鳥居。いきなりここまで車で来ちゃうことも可能だけどね。  C: やっと神門が見えてきた。
R: 神門をくぐると実は横参道だったことに気がつく。回れ右して社殿と向き合う。左手には御神木の狭野杉。

神門をくぐると右側に見事な社殿が集まっている。狭野神社は横参道だったのだ。社殿は島津氏が改築してきたそうで、
その堂々たる姿に思わず息を呑んでしまう。参道だけでなく、社殿も実にスケールが大きい。こっちの背筋も伸びる感じ。
狭野神社は神武天皇の幼名・狭野尊から名前をとっている。神武天皇が生まれたという皇子原に創建されたが、
何度か霧島山の噴火に巻き込まれてしまい、1610(慶長15)年に現在の位置に落ち着いたそうだ。いい場所ですな。

  
L: 少し角度をつけて社殿を眺める。手前から外拝殿・拝殿・本殿。  C: 拝殿。  R: 本殿。彫刻がすごいぜ。

二礼二拍手一礼して御守を頂戴すると、参道を戻ってまた駅へと歩いていく。手間をかけてでも行く価値のある、
そんな清々しい素敵な神社なのであった。帰りは途中にある「杜の穂倉」という農産物直売所で一休みする。
こういう地元製品が豊富な施設は見るだけでも楽しい。一人暮らしなので積極的に買い物しないのが申し訳ない。

高原駅に戻ると、吉都線をさらに東へ進む。途中で東霧島神社の脇を通過したが、霧島六社権現も気になる存在だ。
また機会があればぜひ参拝を、ってなところだ。そんなこんなで、15時半ごろに終点の都城駅に到着する。

 都城駅。なんだかんだでよう来ているな、自分。

都城では駅にほど近い神柱宮(かんばしらぐう)に参拝するのだ。大淀川沿いに神柱公園に入るが、祭りの雰囲気。
というか、宮崎市の市街地を二分する大淀川がこの都城も流れていることにびっくり。九州の川って長いのか。
さて、神柱宮である。平安時代の荘園・島津荘の総鎮守として伊勢神宮から勧請された神社ということで、
島津氏発祥の地・都城において長く精神的支柱の役割を果たしていたわけだから、そりゃもう重要な神社なのだ。

  
L: 神柱宮。公園の端っこにある神社、くらいの印象。拝殿の前に平然と駐車しているバカがいてムカついた。
C: 石段を上ったところ。  R: 拝殿。現在の神柱宮は、明治になってから島津御茶屋敷跡に遷座したものだ。

現在地に遷座したのは1873(明治6)年で、神柱公園として整備されたせいか、神社らしさはそんなに感じない。
公園のいちばん北側に神社がくっついている、くらいの雰囲気になっている。しかし公園内には巨大な鳥居があり、
本来はこの公園じたいが神柱宮の境内なんだぜと強烈に主張している。開かれた空間としてよく機能していると思う。

  
L: 神柱公園内にある神柱宮の大鳥居。  C: 神柱公園。都城市民でごった返している。  R: 本日は植木市。

これで今回の旅行はすべての予定を終了。今回の3日間も実に濃い内容だった。満足しつつ宮崎空港へ。
先月降り立ったばかりの宮崎空港に戻るというのも変な気分だが、スケジュールの都合でそうせざるをえなかった。
本来は鹿児島から宮崎へ入って最後に高千穂というルートで計画をスタートしたのだが、分割して実現させたのだ。

宮崎空港では、宮崎県の郷土料理として知られている冷や汁定食をいただいた。冷たい味噌汁をご飯にぶっかける、
そういう類のものなのだが、キュウリと豆腐のほかにネギやミョウガなど薬味が効いていて、これがすごく旨い。
いくらでも食える、食いたくなる。確かに夏にコレなら食欲がなくてもバッチリ栄養補給ができるなあと感心した。
あとは地鶏の炭火焼きが非常に気になった。カゴ状にした金網の中で焼くのだが、肉がどんどん黒くなっていって心配。
でもできあがったものは確かにおいしそうなのだ。店員さんが延々と焼いていて、人気のほどを実感したのであった。

 
L: 宮崎名物の冷や汁。これは確かに、暑い夏の盛りに食べたい料理である。地方の食文化は本当に面白い。
R: 宮崎空港のトイレの表示。なるほど、宮崎ってのはそういう目的で訪れるリゾート地なのねと思い知る。

今回もいろんな街を訪れた。いろんな名物をいただいた。それらの証拠として、僕の手には御守が残っている。
いや、本当に幸せでございます。自分の中に確かなプラスが残る旅行はやめられない。困ったもんだぜ。ウヒヒ。


2016.3.20 (Sun.)

6時30分、宿を出ると天文館のバス停へ。しばらく待つと、加世田行きのバスがやってくる。意気揚々と乗り込む。
今まで鹿児島県を訪れた際には、鉄道を頼りにあちこち移動してきた。しかし、正直なところ鹿児島県は廃線だらけ。
バスを利用しないと行けなくなった街がいっぱいあるのだ。今日はそれらのうち、薩摩半島側の街を攻めるのである。

天文館から揺られること1時間半、旧加世田駅のバスターミナルに到着する。かつては伊集院から枕崎までを結んでいた、
鹿児島交通枕崎線の駅だった。現在は南薩鉄道記念館が併設されており、車両や遺構がしっかりと保存されている。
枕崎から加世田経由で薩摩半島を一周とか、すごくロマンがあったろうなあ……と、うらやましく思うのみである。

  
L: 旧加世田駅の加世田バスセンター。  C: 構内には鉄道駅時代の遺構がいっぱい置かれている。乗ってみたかった。
R: バスセンターから南へと延びる商店街を行く。穏やかだがそれなりにきちんと賑わいを感じさせる街並みである。

まだ朝の8時台なので店は閉まっており、人どおりもまばら。しかし商店街は小ぎれいで、落ち着いた賑わいを感じさせる。
この街は現在は南さつま市となっているが、もともとは加世田市である。昨日の霧島市と同様、市が母体となっているのだ。
つまりはそれだけの規模があるのだ。鉄道の廃線が意外に思えるくらいにきちんと街で、訪れてよかったと思う。

 キオビエダシャク。きれいだと思ったら、イヌマキの害虫で嫌われ者だった。

さて、国道を挟んだ東側にある南さつま市役所を撮影するのだ。敷地は加世田川の蛇行跡を整備したのか、扇型。
それを効果的に使って駐車場だけでなく前庭空間を用意してあり、最近の市役所らしい威厳を持たせている。
南さつま市は、2005年に加世田市・笠沙町・大浦町・坊津町・金峰町が合併して誕生した市である。
本当にしょうもない名前を付けたものだ。この後に訪れる南九州市もしょうもない。区別がつかないよ。
「加世田」という名前を捨てたことによって、大きなマイナスを被っていると思う。いいこと何もないだろう。

  
L: 南さつま市役所(旧加世田市役所)。  C: 正面より眺める。  R: 南側の駐車場から見たところ。

南さつま市役所の設計は石本建築事務所。竣工が1980年なので、加世田市役所として建てられたというわけだ。
雰囲気としては局面的なのが平成オフィス建築っぽいので、昭和50年代半ばというのはけっこう意外である。

  
L: エントランスを眺める。  C: 東側側面。  R: 北側から見た背面。西へ行くにしたがい軽くカーヴしている。

面白いのは加世田川の蛇行跡を防災用の調整池にしているところ。そうして洪水対策としているわけか。
ふだんは駐車場として利用しているのがまた興味深い。特徴的な立地を上手く生かした工夫であると思う。

 加世田川の蛇行した跡を調整池にして、ふだんは駐車場として利用。

市役所の撮影を終えると、国道270号を南下して加世田麓を抜けて、竹田神社まで行ってみることにした。
「麓(→2015.8.172015.8.18)」ということで、つまりこちらの南側はもともとの武家地というわけだ。

  
L: こちらは国道270号の一本西にある通り。加世田麓の武家屋敷群がそのまま宅地化しているのがよくわかる。
C: 左はアパートだが武家屋敷の遺構を残している例。  R: 地頭仮屋跡。ここが加世田を治める中心だったわけ。

歩いてみると、さすがにそれらしい雰囲気がする。県職員住宅の前には旧加世田町役場の門柱が碑として立ち、
小高い別府城址はかつて小学校として使われていた(現在は公園)。国道も余裕ある街道らしさをよく残す。

  
L: 地頭仮屋跡から国道を挟んだ向かいが別府城址という位置関係。  C: 国道270号も旧街道の雰囲気を色濃く残す。
R: 別府城址の脇にある旧鯵坂医院。昭和前期の建築で、現在は雑貨とカフェの店となっている。国登録有形文化財。

そんなこんなで竹田神社だ。祭神は島津氏中興の祖・島津忠良。貴久の父で義久・義弘・歳久・家久四兄弟の祖父。
そう書けば島津氏にとってどれだけ重要な人物であるかがわかるだろう。もともとは彼の号を冠した日新寺という寺で、
廃仏毀釈の影響で神社となったそうだ。さすがに境内も社殿も立派で、その堂々たる雰囲気に圧倒されるのであった。
ただ、朝早く訪れたせいか、授与所が開いていなかったのが痛かった。御守が頂戴できなかったのが心残りである。

  
L: 竹田神社前にはわざわざ加世田川から分岐させた堀があって、それを石橋で渡るようになっているのだ。
C: 境内に入る。拝殿はガラス面積が大きいのが独特ね。  R: いちばん奥のこちらが本殿かな。御守欲しい……。

残った時間で加世田の市街地を動きまわり、9時30分に加世田バスセンターを出発。次の目的地は知覧である。
南東へ川辺経由で抜けると40分ほどで知覧に到着する。知覧といえば、なんといっても知覧特攻平和会館が有名。
当然、見学したいのだが、市街地から2kmほど離れた位置にある。最寄は特攻観音入口バス停なので降りるつもりが、
うつらうつらしていたせいで終点まで揺られてしまったのであった。おかげで無理な往復運動を強いられることに。

 知覧特攻平和会館へ向かう県道27号には特攻隊員の像を彫った石灯籠が並ぶ。

というわけで、まずは知覧特攻平和会館へ。最後の上り坂がかなりキツく、敷地内に入ってからも広くてまいった。
さて、昨日の霧島神宮もそうだったが、知覧も公共交通機関の便が悪いわりに、観光客の姿がけっこう多いのが印象的。
施設の中も外も、さまざまな年齢層の観光客でごった返していた。そんなに人気のある場所なのか、と驚いた。

  
L: 長い坂を上りきると知覧平和公園。そしたらまた石灯籠の続くこの光景である。いや、もう、まいった。
C: 石原慎太郎制作の映画で復元された戦闘機「隼」。  R: 特攻隊員の銅像。脇にあるのは自衛隊の練習機T-3。

知覧特攻平和会館の展示についてはもう、言葉がない。以前、大和ミュージアム(→2013.2.23)を訪れた際には、
「人も、物も、すべてがひどくもったいない。亡くなった方にはぜひ、生きて戦後の復興に貢献してほしかったと思う。」
そのように日記に書いた。基本的には今回もそれと同じ感情だ。だが、亡くなった方一人ひとりの顔写真を見ていると、
彼らのあどけない表情を見ていると、そしてその写真の量の膨大さを見せつけられると、もはや何も言葉が出てこない。
われわれは、彼らの命を犠牲にして、いったい何を得たのだろうか。人間として倫理的に許されないことは確かにあるが、
この「特攻」というものはその中のひとつだと思う。こんな手段を許した時点で、完全に人間性を失ってしまっている。
われわれは、このあまりにも悲しすぎる手段によって亡くなった人たちに「同じことはもうさせません」と誓うのみだ。
正直なところ、悲しくって悔しくって、途中から展示を直視できなくなってしまった。ただただ、見るのがつらかった。

  
L: 知覧特攻平和会館。展示内容は過去あった苛烈な現実を静かに語る。  C: 裏手に復元された三角兵舎。
R: 法隆寺の夢違観音を模した特攻平和観音を収めるお堂。悪夢を良い夢に変える観音様というのが、もう、泣ける……。

見学を終えるとため息をつきながら坂を下って、知覧の中心商店街へと戻る。雰囲気は非常にひなびており、
合併前から「市」だった加世田との違いを実感する。なるほどこれは確かに「町」レヴェルの穏やかさである。
市役所寄りの一角には、特攻の母と呼ばれた鳥濵トメさんの富屋食堂が資料館として残されている。切ない。

 
L: 県道23号はそのまま知覧の中心商店街となっている。  R: 資料館となっている「ホタル館 富屋食堂」。

と、まあ知覧の悲しい歴史ばかりをクローズアップすることになってしまったが、知覧はもともと薩摩藩の「麓」だ。
特に知覧麓は、いかにも武家屋敷らしい石垣と生垣だけでなく、公開されている複数の庭園の見事さで知られている。
というわけで、ここからは知覧のポジティヴ要素満載な観光名所の側面をじっくりと味わっていくとするのだ。
上述のように県道23号が知覧のメインストリートだが、その一本南側にある本馬場通りが武家屋敷通りとなっている。

  
L: 知覧麓の本馬場通り。薩摩藩の麓は入来( →2015.8.17)や出水(→2015.8.18)も有名だが、ここが最強かなあ。
C: 本当にここは現代の日本なのか!?と思ってしまうような、見事な景観が維持されている。距離が長いのもいい!
R: まっすぐな道とゆったりとした曲がり具合の組み合わせがまたいい。非常に贅沢な空間体験ができる場所である。

知覧の武家屋敷群は今も現役の住宅となっているものがほとんどで、おかげで生活感がリアリティとして迫ってくる。
これだけ貴重な空間が丸ごと残っているというのは、本当にうれしいことだ。大興奮しながら往復するのであった。

  
L: かぎの手の突き当たりには石敢当がある。石敢当といえば沖縄なので( →2007.7.22)、なんか納得。
C: 武家屋敷の入口は、通りに対して奥まった位置に門がある。  R: 石垣で中を直視できないようにしている。

では、お待ちかねの知覧武家屋敷庭園めぐりなのだ。市役所の南にある裁判所・検察庁の先に入園料取扱所があり、
500円払ってここでパンフレットを頂戴すれば、本馬場通りに点在する武家屋敷庭園を見学できるという仕組み。
公開されているのはぜんぶで7箇所。そのどれもが現役の住宅なのだ。ありがたく拝見させていただきました。

  
L: 平山克己庭園。知覧の武家屋敷は枯山水式庭園が多くを占めるが、手前にある三角形は無人島のイメージとか。
C: ミニマルな造形が信じられない平山亮一庭園。江戸時代にこの形で庭をつくるか!?と圧倒されてしまった。
R: 佐多美舟庭園。1751(寛延4)年につくられたもので、知覧の武家屋敷庭園では最も豪華で広い、とのこと。

個人の邸宅でこれだけ芸術性の高い庭園をつくり、それを今もきちんと維持していることには驚くしかない。
本当にどの庭園もレヴェルが高く、これだけのために知覧を訪れる価値は十分あると思う。ぜひ実際に見てほしい。

  
L: 佐多民子庭園。石の峰と塔を並べて水墨画のような世界を展開するのが知覧の武家屋敷庭園の特徴なのね。
C: 佐多直忠庭園。しかしこんな庭が各屋敷にあるんだから島津ってのはとんでもねえな。  R: 並ぶ植木も美しい。

気になったのは、一部の外国人観光客が我が物顔で庭園に入り込んで写真を撮っていたこと。お前の庭じゃねえんだよ。
侘び寂びを理解して庭を撮りたいというわけではなく、ポーズをとっている自分たちを撮影したいだけなのね。
その間、ほかの観光客が庭園を撮影できなくて困っていることに気がつかない。いやそもそも、庭園の所有者に対し、
無礼をはたらいていることに気がつかない。そういう輩は日本に来ないでほしい。「おもてなし」とか、ありえない!

  
L: 南九州市役所(旧知覧町役場)。見事に町役場サイズの庁舎である。手前の駐車場も昭和感があふれている。
C: 少し角度を変えて撮影。玄関にきちんと車止めがあるのが律儀。申し訳程度の前庭もかわいらしくてよい。
R: 交差点越しに眺めるとこんな感じである。敷地の端をわざわざ生垣で囲っているところに矜持を感じる。

庭園の見学をひととおり終えると、すぐ北の南九州市役所を撮影する。もちろん、もともとは知覧町役場だった建物だ。
南九州市は2007年に川辺町・知覧町・頴娃町が合併して誕生。さっきも書いたが南さつま市との区別がつかんわ。
つまらん地名で伝統ある地名を上書き消去してしまったせいで、かえって知覧というブランドが損をしているのにねえ。

  
L: 西側にまわり込んで側面を眺める。  C: 北西側から見た背面と側面。  R: 裏手より。この役所感がたまらん。

南九州市役所(旧知覧町役場)は、1963年の竣工。合併時の資料がPDFファイルになっているとこういうとき助かる。
旧川辺町役場が1967年、旧頴娃町役場が1969年竣工なので、旧知覧町役場が最も古い。それでも新築しないで、
このまま行こうと決断できたのは、そもそもが本質的に「市」レヴェルの合併ではなかったということではなかろうか。
個人的にはやっぱり、「知覧」という名前を表舞台から消して「南九州」というアホな名前にしたのが納得いかない。

 エントランスにて。今やこのいかにもな役場感は貴重なのよね。

思う存分に知覧の魅力を堪能させてもらった。特攻の悲しすぎる歴史も、知覧麓の見事な武家屋敷通りと庭園も、
どちらもわざわざ訪れるだけの価値を持っている。あらためて知覧の観光資源の強力さを実感させられたなあ。

指宿温泉方面へのバスに乗り込み知覧を後にすると、1時間ほど揺られて二月田(にがつでん)のバス停で降りる。
JRの指宿枕崎線では、指宿駅の1つ手前の駅になる。指宿市役所は、指宿駅ではなく二月田駅が最寄駅となるのだ。
というわけで、本日3つめの市役所は指宿市役所である。もうちょっと指宿温泉の中心に市役所をつくってほしかった。
しかし道を歩いていて驚いたのは、この二月田の辺りでも、道端から温泉くさい湯気がけっこう盛んに出ていることだ。
僕がかつて砂むしをやった温泉(→2009.1.7)からは4kmほどの距離があるのだが……。阿多カルデラ恐るべし。

  
L: 国道から線路をまわり込んでやってきました指宿市役所。  C: 敷地の南西端から見たところ。  R: 玄関。

ネットで調べた限りでは指宿市役所の竣工年はわからなかった。駅に近いとはいえ、温泉街から離れた郊外に位置する。
そこに広大な駐車場を用意して建設している点を考えると、モータリゼーションが本格化して以降の建築なのだろう。
しかし延床面積はあるものの、建物じたいは3階建てと低め。デザインも実に味気ない。1960年代の香りさえ漂う。

  
L: 北側にまわり込んでみました。  C: 駐車場越しに北から見た側面。  R: 西へ。敷地内を左回りに動いてみる。

というわけで、指宿市役所がいつ建てられたのかは結局わからずじまい。建物の規模は大きいけど、意外と古そう。
時代を先取りして思い切って建てちゃった市役所なんじゃないかな、と想像してみる。実際のところはどうなんだろう。

  
L: 南西側、指宿枕崎線の近くから眺めたところ。  C: 南側から見た側面。  R: そして東南へ。ヤシで南国ムードか。

市役所の撮影を終えると二月田駅方面へ戻る。しかしここで列車に乗る予定を勘違いしてバス停で待ってしまい、
結果、1時間ほど列車を待つ破目になる。しょうがないのでインターネット経由で次善の策をどうにか調べ上げ、
残った時間で日記を書いて過ごす。結果的には思ったよりも小さいダメージで済んだが、もったいなかったなあ。

次の列車が山川駅止まり。駅前で海を眺めつつしばらくボケッとしてバスを待ち、やがてやってきたバスに乗り込む。
20分ほどで枚聞神社だが、当初の予定から1時間以上の遅れとなってしまった。おかげで滞在時間が大幅に削られた。

 バスの車窓から見る開聞岳(→2009.1.7)。相変わらず見事なものだ。

というわけで、やっとのことで枚聞神社に到着である。参拝は2回目だが、きちんとした時間に訪れるのは初めて。
前回は薄暗い中で社殿を眺めたのだが、あらためて見てみると本当に立派。開聞岳は思わず拝みたくなる美しい山で、
その麓から山体を眺める神社なんだから崇敬を集めて当然か。薩摩国一宮にふさわしい威厳だなあと感心。

  
L: 枚聞神社は麓側から開聞岳へと向かっていく空間構成になっているので、北側が表参道となっているのだ。
C: 鳥居をくぐると駐車場で、そこを抜けていく。  R: 正面に勅使殿。長庁は左が授与所で右がおみくじ置き場。

現在の社殿は1610(慶長15)年に島津義弘が寄進したものを、1787(天明7)年に島津重豪が改築したそうだ。
最近になって修理されているようで、朱塗りだけでなく彫刻の彩色も実に鮮やか。大切にされているのがわかる。

  
L: 勅使殿をクローズアップ。彫刻がまた凝っているのよ。  C: 奥の拝殿。  R: 少し角度を変えて拝殿を眺める。

参拝しつつ境内の写真を撮りまくっていたら、観光バスがやってきて老若男女がワンサカ降りてきて神社を占領。
ほかにも家族連れが複数いるなど、思っていたより人気のある神社のようだ。開聞岳が航海の目印だったことから、
枚聞神社は特に交通安全のご利益が期待されているようだ。交通安全御守の充実ぶりで、それがはっきりとわかる。

  
L: 拝殿の脇から本殿を覗き込む。  C: 本殿からはかつて開聞岳がまっすぐ見えたそうだが、今は木々が生い茂って何も見えず。
R: これぜんぶ交通安全の御守。実にさまざまな種類が用意されている。もちろん、ほかの御守もひととおり揃っている。

いちおうこれで本日予定していた市役所と神社はすべて押さえたのだが、せっかくなので開聞岳の先まで足を延ばす。
実は開聞岳は薩摩半島の最南端ではない。その東側には長崎鼻という岬があって、ここが最南端になるのだ。
7年前に開聞岳の7合目から眺めた美しい姿が今でも忘れられない(→2009.1.7)。ぜひ訪れてみたかった。

3連休ということもあってか、観光客は多かった。バス停から土産物店の並んでいる細い道を下っていく。
土産物店は薩摩焼酎だったり知覧のお茶だったりアロハシャツだったり、店によってけっこう個性があるのが面白い。
長崎鼻がそんなに着実な人気のある観光地だとは思っていなかったので、失礼だけど正直かなり驚いた。

  
L,C: 長崎鼻の土産物店。わりと活気があって驚いた。  R: 中にはこんな看板も。バリバリ営業中だったよ。

土産物店地帯を抜けると左手に神社が現れる。竜宮神社というそうだ。長崎鼻は竜宮伝説発祥の地なんだとか。
本殿の前には江島神社の瑞心門(→2010.11.27)みたいな門があるが、もっと風情のある造りにしてほしかった。

  
L: 竜宮神社。観光客には大人気のようで。  C: ではいざ、長崎鼻の突端へ。  R: 灯台から先を眺める。

薩摩長崎鼻灯台(「長崎鼻灯台」は同じ鹿児島県内に別のものがある)から先にもコンクリートの遊歩道があるが、
さすがに台風の影響などがあってか、ところどころで途切れている。それでも行けるところまで行ってみた。
そうしてのんびり、開聞岳を眺めて過ごす。旅していることを実感できる、贅沢な時間を味わったのであった。

  
L: 長崎鼻の先っちょ。実に穏やかな岬である。  C: 長崎鼻より眺める開聞岳。  R: 薩摩長崎鼻灯台を振り返る。

長崎鼻を後にすると、指宿温泉の辺りでバスを下車。今回は砂むしではなく、ふつうの温泉を楽しむことにする。
というわけで、旧市営温泉である元湯温泉にお邪魔してみた。300円でのぼせるまで浸かる。最高ですじゃ。

 
L: 元湯温泉。こういう地元の温泉がいいのよ。  R: いい気分で指宿駅までの長い道を行く。

1.5kmほど歩いて指宿駅に到着。駅の中でのん気に鹿児島中央行きの列車を待つ。温泉の影響でずーっといい気分。
知覧の観光資源には感動したし、枚聞神社の御守は頂戴できたし、温泉は堪能できたし、言うことなしである。

 
L: 久しぶりの指宿駅。  R: 駅の中のベンチは、背もたれが温泉の湯気のイメージですかね。

鹿児島中央駅に着くと、まずは晩ご飯である。鹿児島を訪れたときには毎回食べている黒豚トンカツ屋に行くが、
なんだかすごい人気になっていて、なかなか長い行列ができていた。外国人観光客からも支持を集めているようで、
客の半分近くが外国人だった。万国共通、旨いものは旨いんだなあと思う。みんな違和感なく箸で食うね。

 鹿児島に来たらこのトンカツを食べないと落ち着かないのさ。

栄養を補給して落ち着くと、アミュプラザ鹿児島の中に入っている東急ハンズ鹿児島店に突撃。
4階から6階までの3フロア分で、狭い中でよく揃えているという印象。でもオシャレなものが中心になっていて、
そこがやや不満。工具なんて棚ひとつだけだもん。もっとひどいのがパーティグッズで、本当に端っこの一角のみ。
コスメやボディケアよりもそういう本来のハンズらしさを充実させてほしいなあと思うのであった。そんな鹿児島の夜。


2016.3.19 (Sat.)

財布を落としたショックは途轍もなく大きいのだが、戻ってきたからにはきちんと切り替えないといかんのである。
旅のマイナスは旅で取り返すしかないのじゃ!というワケのわからん論理もあって、いざ出発。目的地は鹿児島じゃ!
(もちろん各種予約を入れたのは、財布を落とすよりもずっとずっと前のことなのだ。ご理解いただきたい。)

  
L: 機内では当然、写真を撮って気晴らしなのだ。こちらは足摺岬(→2007.10.72015.2.28)の上空であります。
C: 九州が見えてきた。宮崎県は一ツ瀬川上空。右上の滑走路は航空自衛隊の新田原(にゅうたばる)基地。
R: 着陸態勢に入る。なんだよ、鹿児島県は曇りじゃんかよー。雲の上から覗いているのは霧島連山ですかな。

そんなこんなで鹿児島空港に着陸。まず最初にすることは、鹿児島交通の一日乗車券を購入することである。
霧島方面をウロウロするのには、これがいちばん都合がいいのだ。今日はとにかくバスを利用しまくるのだ。

 鹿児島空港にて。曇り空はテンション下がるわー。

40分ほど空港で待った後、隼人駅行きのバスに乗り込む。本日最初の目的地は隼人駅の手前、鹿児島神宮だ。
やはり以前に参拝したことはあるものの(→2011.8.9)、あらためて御守を頂戴しようというわけなのだ。
バスは空港を出発すると、まず肥薩線の嘉例川駅に寄る。この駅舎が1903(明治36)年築の国登録有形文化財で、
そりゃもうじっくり見学したいに決まっているのだが、バスの本数が少ないので降りられない。泣く泣くスルー。
で、うつらうつらしながら40分ほど揺られると、鹿児島神宮前のバス停に到着。見覚えのある参道に出る。

  
L: 鹿児島神宮の参道。あらためて立派なものだと感心。  C: 宮内小学校の手前辺り。  R: さらに進むとこう。

周辺は穏やかな地方の住宅地なので、全体的な雰囲気としては田舎にあるそれなりの規模の神社といったところ。
しかし境内に入るとひとつひとつの要素が威厳を持って整備されているため、進んでいくと身が引き締まる感じ。
そして右手に現れる勅使殿にやっぱり圧倒される。「鹿児島」で「神宮」の社号にふさわしい威容である。

  
L: 鹿児島神宮はひとつひとつがきちんと威厳を持っているんだよな。  C: さらに進んで右手に御神木。
R: 圧倒的な迫力を持つ勅使殿。扁額には「正八幡宮」とあるが、これは八幡神が大隅国に現れたとの伝承から。

前回はテキトーに写真を撮ってテキトーに貼り付けただけだったので、あらためて社殿をきちんと眺めてみる。
勅使殿から奥へ抜けると、大きな拝殿、そして本殿。脇には四所神社・武内神社などの摂末社が点在している。
現在の社殿を再建したのは1756(宝暦6)年、島津重年によるそうだ。空間づくりが豪快かつ端整という印象。

  
L: 勅使殿を異なる角度からクローズアップ。  C: 左が拝殿、右が本殿。  R: 本殿。独特なスタイルだが実に豪快。

参拝を終えて無事に御守を頂戴すると、参道を戻って交差点に出る。向かいには保食(うけもち)神社がある。
鹿児島神宮の末社であり、規模は小さいが見事な造りをしている。鹿児島神宮は摂末社の配置が面白いんだよなあ。

 交差点の角っこに保食神社。小ぎれい。

隼人駅まで歩いて列車に乗るという手もあったが、春の気配を感じながら歩くのも悪くないやと徒歩で国分駅へ。
田んぼのあぜ道に咲く菜の花なんぞを眺めつつ線路沿いに歩いて駅前に到着。国分駅周辺は再開発が盛んという印象。
そんな一角にあるのが、霧島市役所である。もともとは国分市だったが、2005年に合併で霧島市となった。

  
L: 市役所手前の「お祭り広場」から見た霧島市役所。  C: ぐるっと一周してみる。まずは西から議会棟を眺める。
R: 北側から見たところ。手前の高層が行政棟で、奥が議会棟。両者をアトリウムで接続しているわけですな。

現在の霧島市役所は、1997年に国分市役所としてオープン(竣工は1996年12月)している。設計は久米設計。
特徴的なのは、図書館や公民館を一体化させた複合施設としていること。といっても独立した建物をつないでいる感じで、
敷地内に複数の建物がぎゅっと集まっている。ちょっと原広司っぽさを混ぜたような印象のする仕上がりぶりである。
総称として「国分シビックセンター」という名前がついているようだ。どの程度浸透しているのかは知らないが。

  
L: 北東側より行政棟の背面を眺める。  C: 南東側より。これはホールなのかな?  R: 南より。図書館・公民館部分。

議会棟・行政棟・複合施設棟に囲まれているオープンスペースは「市民広場」となっている。そこからぐるっと見回すが、
行政棟のファサードがどうにも耐震補強っぽい印象がする。ネットで調べた限りでは詳しいことがわからなかったのだが、
既存の庁舎を改修したところに公共施設をくっつけて、それで今の市役所ができたんじゃないかって感触がする。

  
L: 市民広場から見た議会棟。  C: 真正面から行政棟を眺める。古い庁舎を改修したんじゃないかって匂いが漂う。
R: こちらは市民広場から見た複合施設棟。図書館と公民館が入っている。行政棟に後付けした感じがするんだよなあ。

複合施設型の市役所のいいところは、土日でも堂々と中に入れることである。行政棟は1・2階をブチ抜いているが、
やはり後から屋根を付け足してアトリウム化させた印象である。建設の詳しい経緯を知りたい市役所である。

  
L: 「お祭り広場」から市役所に架かる陸橋から広場を振り返ったところ。イヴェント時にはどうなるのか気になる。
C: 霧島市役所の中に入るとまずこのホール。  R: 行政棟の1・2階はこんな感じの窓口。これ、後で屋根を付けたよね。

市役所探訪を終えると、残ったわずかな時間で商店街を歩きまわる。さすがにもともと「国分市」だっただけあり、
街としての規模はそれなりのものがある。再開発の影響なのか、山形屋がやたらと真新しいのが印象に残った。

 きりしま国分山形屋の辺り。旧来の商店街に再開発の匂いが混在。

国分駅からバスに乗り込み、目指すは霧島神宮である。本日いちばんのハイライトは霧島神宮への参拝なのだ。
しかしながら霧島神宮はかなり有名な神社であるにもかかわらず、公共交通機関で訪れるのがやや面倒なのである。
公式サイトには鹿児島空港からの乗り換えルートが記載されているが、正直言ってこれはあまり現実的ではない。
結局は国分駅発、霧島神宮駅経由のバスで行くのが妥当だろう。それに気づいてようやく参拝する気になった感じ。

  
L: 大鳥居。これをくぐった先にロータリーがある。  C: バス停のロータリー。背後にある霧島天狗館が異様な迫力。
R: 橋を渡ると霧島神宮の境内となる。それにしても公共交通でここまで来るのは実に面倒くさかったぜ。

40分ほどバスに揺られるとロータリーとなっているバス停に到着する。参拝客はだいぶ多く、実に賑やかだ。
九州の名所ということでか、外国人も多い。えっちらおっちら路線バスで来た自分にはちょっと信じられない光景だ。
そんなに人気ならもっと交通の便を良くしてほしいのだが。こういうとき、車って本当に便利だと実感させられる。

  
L: 石段を上ると二の鳥居。立派な参道が延びる。  C: その先を右手に曲がる。  R: 木々の間を抜けると社殿だ。

霧島神宮はニニギを祀る神社だが、まあもともとは霧島連山がらみの山岳信仰から始まった神社だろう。
霧島山の噴火の影響で何度か社殿が焼けているそうで、現在のものは1715(正徳5)年、島津吉貴の寄進による。
朱塗りと色鮮やかな彫刻が実に見事で、重要文化財となっている。参拝客だらけで撮影しづらいのなんの。
せっかくここまで来たのはいいが、とにかく人の多さに圧倒されるのみだった。なんだか落ち着かなかったなあ。

   
L: 霧島神宮の社殿。とにかく参拝客だらけ。左側の授与所も混み合っている。  C: 角度を変えて勅使殿を眺める。
R: 登廊下と拝殿を覗き込んだところ。本殿はさらにこの奥。霧島神宮の社殿は内部にも豪華な装飾が施されているそうだ。

列に並んで二礼二拍手一礼。きちんと参拝できたのでよかった。交通の便が良くないので食事を心配していたが、
霧島神宮の周りにはそれなりに店があって杞憂だった。天気もよくなってきたし、いい気分で霧島神宮を後にする。

国分に戻るとしばらく街中を散策し、山形屋の前からまたまたバスに乗り込む。本日最後の目的地は、帖佐。
少々ややこしい事態になっているのだが、姶良市役所の最寄駅は姶良駅ではなく、帖佐駅になるのだ。
姶良市は2010年に加治木町・姶良町・蒲生町が合併して誕生。明治になって郡役所が置かれたのは加治木であり、
現在も国や県の出先機関は加治木に多く残っている。しかし姶良市役所は1961年竣工の旧姶良町役場である。
なお、姶良町は1955年に帖佐町・重富村・山田村の合併で誕生し、郡名から名前を採用したという経緯がある。
紆余曲折を経た結果、郡の名前が全体の地名に戻って加治木にも帖佐にも山田にも重富にも蒲生にも平等って感じ。

予定では16時ちょい過ぎに着くはずだったが、バスはなんと22分遅れで到着。ほとんど16時半という時刻。
呆れながら市の中心部というにはあまりにも住宅地の印象が強い空間を歩いていくと、姶良市役所が見えてきた。
これが非常に長い。道幅が狭いところにぴったりと沿って延びていて、撮影しづらいなんてもんじゃないのだ。
高さも町役場感丸出しの2階建てで、完全に周囲の住宅地に埋もれてしまっている。いや、これには困った。

  
L: 住宅地の中を歩いていくと姶良市役所が登場。しかし道が狭いわりに幅が広く、非常に撮影しづらいのだ。
C: 反対側の交差点に近いところが玄関。だいぶ端っこに寄っている。  R: 交差点から眺めた姶良市役所。

先ほども書いたが、姶良市役所はもともと姶良町役場として1961年に竣工した建物である。設計者は衞藤右三郎。
出水市役所(→2015.8.18)など鹿児島県内の多くの役所を設計している。しかし衞藤中山設計の公式サイトを見ると、
現在の建物とはデザインの異なる絵が出てくる。どうやらこの建物、大規模な改修で表面を覆い直しているようだ。
裏側にまわると竣工当時の姿が現れるが、ずいぶんと派手に改修している。表側はもはや別の建物といっていい感じ。

  
L: このベージュは改修によって従来のファサードを覆ったものと思われる。  C: 裏側にまわってみたところ。
R: ちょっと進むと竣工当時のファサードが顔を出す。いや、これはずいぶん大規模な改修工事をしたものだ。

玄関のある交差点の向かいには、姶良市役所の2号館がある。2号館の3階は市議会の議場となっており、
本館(つまり旧姶良町役場の方)を維持していくという覚悟を感じる仕様である。新築する気ないんかな。

  
L: 反対側から本館の裏側を振り返る。  C: こちらは交差点を挟んだ2号館。  R: 西側まで行って振り返る。

撮影を終えると急いでバス停まで戻るが、来たときに22分遅れだったのでどうせまたそれなりに遅れるんだろうな、
なんて覚悟をしていたら、案の定16分遅れでバスはやってきた。もはや時刻表が意味をまったくなさない状態である。
九州って列車もやたらと遅れるし、しっかりアジアだわ、と呆れながら天文館まで揺られるのであった。まいった。

 錦江湾越しに眺める桜島。丸ごと巨大なカルデラなんだよなー(→2009.1.6)。

いきなり天文館の中心部に入ることができるのは、バスをメインで利用した場合の最大の利点かもしれない。
鹿児島中央駅から天文館までの距離は地味に面倒くさいのだ。さっさと宿にチェックインしてさっさと晩飯。

 天文館。来るたびに鹿児島の底力を感じさせられる繁華街だ。

明日もバスで鹿児島県内を動きまわることになる。日記を適度に書いたら早めに就寝。やったるでー。


2016.3.18 (Fri.)

本日は卒業式でございました。今年の卒業生たちは、僕が異動してきたのと同時に入学した生徒たちなので、
それなりに感慨深いものがある。大げさに言うと、僕だけが置いていかれる、残されてしまう感覚がある。

部活を基準に考えるとこれはものすごく顕著で、自分と同時にスタートラインに立ったはずなのに、
気がつきゃ取り残されている。で、どんどん年下になる連中と一緒に毎日走りまわっているわけです。
生徒たちはあんまりそういう感覚はないだろうけど、こっちとしては「停滞」を余儀なくされる気分である。
(みっちり練習する生徒はどんどん上手くなるが、日々の仕事に追われるこっちはあまり上手くならない。)

前にも書いたような気がするが、安部公房が『砂の女』で書いていた言葉があらためて思い出される。
「じっさい、教師くらい妬みの虫にとりつかれた存在も珍しい……生徒たちは、年々、川の水のように自分たちを乗りこえ、
流れ去って行くのに、その流れの底で、教師だけが、深く埋もれた石のように、いつも取り残されていなければならないのだ。」
まあこちらとしては妬みはないけど、流れの底にある深く埋もれた石というのは非常によくわかる感覚である。
流れに乗っていく連中を日々見上げているんですよ、この商売は。それでもできることといえばせめて、
苔が生さないように転がってみるぐらいで。そう、せめて転がる元気くらいは今後とも保っていかないとね。


2016.3.17 (Thu.)

卒業間近の3年生を迎えての部活なのに、なぜ1年生がいないのだ。最近の中学生は何を考えているのかわからん。
自分たちよりもずっと上手い先輩たちのテクニックを体感できる最後のチャンスだというのに、来やしない。
顧問は足首の捻挫を押して無理して参加しているというのに、現役のプレーヤーは来やしない。呆れ果てたわ。
チームのことよりそのときの自分の気分の方が大切なんですかね。そんなに自分のことが大切なんですかね。
それで本当にサッカーが好きって言えるんですかね。個人主義を履き違えていませんかね。年々感覚がおかしくなっとる。


2016.3.16 (Wed.)

えれえ久しぶりに『機動戦艦ナデシコ』のTVシリーズを見たので感想を。映画についてはまたいずれ。

僕の記憶だと、この作品が放映されたのは『エヴァンゲリオン』のすぐ後だったような気がする。
つまり見ている側はエヴァとの対比という視点が抜けきらないわけで、僕もどうしてもそこから逃れられない。
そもそも、エヴァの明朝体とナデシコのポップ書体からして対称性を持たせていたわけだし。制作側も意識したはず。
綾波レイが世間にショックを与えたところを受けてのホシノ・ルリなわけです。やっぱり人気はあったなあ。

あらためて見てみると、けっこう絵が粗っぽい。むしろこれは、今のアニメがきれいになりすぎているってことか。
キャラクターデザイン的に目がデカい分、ブレが出やすい面はあると思うが、それにしてもけっこう雑だなと再認識。
外面はそんな印象だが、各キャラの内面はなかなかに強烈。基本的にドタバタスラップスティックな性格ばかりで、
内省的に深く深く入り込むエヴァとはベースが異なるが、やはり影響は強いのか、ドタバタさんたちの実際の内面、
そこを掘り下げようという意欲は非常に強い。最もそれが端的に出ているのが恋愛面で、熱血の皮をかぶりつつも、
女の子キャラにある程度のリアリティを持たせることで勝負している。まあ結局はアキトさんのハーレムなのだが。
メグミちゃんの「イヤな部分」やハルカさん・ヒカル・イズミの「オトナな部分」をきっちり描写していて、
そこが従来のアニメと差をつけた箇所となっていた。しかしそれが消化できていたかというとそうでもなくて、
もう一方で70年代ロボットアニメをモチーフにした『ゲキガンガー』を大々的に扱って、おたくに媚びる。
十何年前に初めて見たときにはそっちの印象が強くって、「おたくの自己弁護」テイストに辟易した覚えがある。
結局、方向性が散漫なままで突っ走ったら26話が終わってしまった、そんな感じ。非常にまとまりが悪い。

どういう態勢でつくられた作品なのか詳しいことを知らない(知る気もない)のでなんとも言えない面がある。
しかしナデシコは企業と軍(と木星)に振り回されまくり、視聴者はそれ以上に振り回されることとなった。
まずマクロのベクトルとしてナデシコの処遇と行動があって、その中でミクロの人間ドラマが展開されるわけだが、
両者が見事に噛み合っていないうえにマクロがブレブレ、ミクロも上述のような散漫さを抱えていて、何がなんだか。
シリーズ構成が悪くて、全体の中のどのあたりでキャラクターたちが何をして、が行き当たりばったりにしか見えない。
明らかにシリアスとコメディのバランスがとれていない。ラストがドッチラケなところまでエヴァの後追いをせんでも。
スタッフたちに「やりたいこと」や「言いたいこと」はいっぱいあったんだろう。意欲は強く感じられる作品だ。
(昔のアニメで定番だった総集編の回(14話)をゲキガンガー側からメタ的な視点で振り返る工夫は面白い。)
でもそれを整理しないまま、順序を考えずに詰め込むだけ詰め込んだ感じ。そういう意味でも「おたくの自己弁護」か。

しかしまあ、当時のルリルリ旋風はなかなかにすごかった。バヒさんにご本尊をお納めしたこともあったなあ。
でも一番好きなキャラクターはプロスペクターなのだ。便利屋すぎるきらいもあるが、ナデシコを知り尽くす彼の視点、
そこから描き出すことで見えてくるものがあったはず。彼を使いこなせなくて恋愛ドラマに走れば、そりゃ破綻するで。


2016.3.15 (Tue.)

無料動画でちまちま見ていた『魔法科高校の劣等生』について感想を書くのだ。
もともとはライトノベルの作品である。ご存知のとおり僕はライトノベルとの相性が最悪なので、
アニメ化されたものだけをチェックすればいいんじゃないか(→2015.12.18)ということで、見てみた。
そしたら第一印象は「これ、絵、下手じゃね?」。イマイチ入りきれなかったが、見ていくともっと衝撃的。

結論としてはとにかく、「中二病ってすげえな!!!」である。この中二病具合はとんでもないですぞ。
SFファンタジー設定はようわからんのである。でもその設定の中で究極なんでもござれの主人公、そしてシスコン妹。
もう何から何まで主人公はやってのけちゃって、悪の組織の皆さんはひたすら消去消去だもんな、なんだこれは。
『キャプテン翼』級の、主人公の万能感である。それだけの一点突破で成り立たせちゃっている。完成度はともかく。
作品というのは多かれ少なかれ妄想としての要素を持つが、この作品は本当にすごい。ここまできたら大したもんだ。

いちおうフォローしておくと、この作品、「論理は正しい」。魔法が科学のように扱われている世界なのだが、
その魔法をめぐるやりとり、あるいは登場人物の行動などは、徹底して論理的に正しい。無理がないのである。
そこは素直に感心した点だ。『キャプ翼』が論理的に破綻しまくっているのとは対照的に、納得はいく部分が多い。
(九校戦における戦略なんかは非常によく練られていて面白い。そこだけに特化すれば名作になった可能性は高い。)
しかし論理的に正しいがゆえに、敵はテロリストばかり。テロは妄信による人間性の論理の破壊にほかならないからね。
で、そのテロリストたちを無敵の力で消去消去と。子どもの無敵のヒーロー幻想そのまんま。ニンともカンとも。


2016.3.14 (Mon.)

メガロパ。久々に思い出したぜ、メガロパ。うわ、バンドかお笑いコンビを組んで名前につけたいわ。

小さい頃、家にあった子ども用の図鑑にメガロパの絵が載っていて、これが妙に気持ち悪くて。
僕が怖がる様子が面白かったらしく、cicro氏と潤平にはさんざんからかわれた。もう30年以上前の話だけどな。
「メガロパ」とはカニ類の幼生で、ゾエアから成長した次の段階を指す(卵から孵化した状態がゾエア)。
浮遊生活から底生生活へ移行する直前、つまりプランクトンからベントスになりかけている中途半端なやつだ。
変態する昆虫と同じようなもので、孵化したばかりのゾエアは成体とはだいぶ異なった姿をしている。
しかしメガロパになると少し成体らしさが出てきて、それが非常にアンバランスな印象で気持ち悪かったのだ。
特にイヤだったのが体に対する眼の大きさ。目が飛び出た、超頭でっかちな甲殻類を想像してみればいい。
それがメガロパのイメージである。当然、実際のサイズはちっちゃいのだが、絵だとそれなりに拡大されていてなあ。

以上、それだけである。オチなど何もないのだ。メガロパ。


2016.3.13 (Sun.)

失意のうちに一日を過ごすのであった。ゆうちょは通帳だけで引き出せるのがありがたい。どうにか生きている感じ。


2016.3.12 (Sat.)

春の青春18きっぷ旅行だぜ! 目的地は……静岡県! 初日は静岡市がテーマということで、旧静岡市と旧清水市を、
レンタサイクルでとことん走りまわるのである。東海道線を乗り継ぎ静岡駅に到着したのが午前9時。
静岡は駅周辺のいろんな施設でレンタサイクルを貸し出すスタイル。今回はホテルで手続きをして借りた。

実に見事な快晴だったので、せっかくだからと静岡市役所と静岡県庁をあらためて撮影することにした。
前にも撮影したことはあるが(→2007.9.16)、あのときは天気がよくなかったし、いいかげんだったので。

  
L: というわけでまずは静岡市役所から。東側にあるのが新館で、1・2階には葵区役所も入る。
C: 角度を変えて眺めたところ。1987年竣工だと。  R: エントランスをクローズアップしてみる。

  
L: 裏手にまわってみる。  C: 側面。  R: 青葉通りから見た背面。この日は何かイヴェントがあるようで。

西側には1934年に建てられている本館。浜松出身の建築家・中村與資平の設計で、国登録有形文化財となっている。
(ほかに中村與資平が設計した有名な建築には、豊橋市公会堂がある。→2009.12.302015.3.29
外観だけを見るとリニューアルがキツいかな、という印象なのだが、ちょろっと中に入ったらさすがの威厳だった。
やはり古い建築の価値は、きちんと内装を見ないと味わえないのである。またいずれじっくり見学したいものだ。

  
L: 静岡市役所本館。  C: 正面より眺める。何かのヴォランティアのみなさんがたいへん邪魔。  C: 側面。

  
L: 背面。周囲より一段高いオープンスペースとして整備されている。  C: 玄関。天井の装飾がすごい。
R: 中に入るとさすがの威厳。ここでも何かのヴォランティアのみなさんが邪魔。開放されているってことだけどね。

続いては静岡県庁舎。市役所と向かい合う位置関係となっており、県庁の方がより駿府城址の本丸に近い。
敷地内にはいくつも庁舎が並んでいて、やや複雑。まずは東側手前の東館と奥の別館から撮影してみる。

  
L: 東側から眺めた静岡県庁。左側が東館で、右側が別館。別館には静岡県警本部などが入る。
C: 角度を変えて眺める。東館は1970年竣工で、1999年に改修。  R: 正面から見た東館。

静岡県庁の本館はコンペの結果、泰井武の案が当選。それを中村與資平が実施設計して1937年に竣工した。
こちらは見るからに時代を感じさせる帝冠様式だが、やはり静岡市役所と同様に国登録有形文化財となっている。

  
L: 静岡県庁本館。両側をガッチリとしたオフィス建築に囲まれているので、実はわりかし撮影がしづらい。
C: 角度を変えて眺める。  C: 本館と東館・別館の位置関係はこんな感じ。ものすごい衝立ぶりである。

 
L: 反対側には西館。こちらは1974年竣工で2005年に改修。  R: 西館をできるだけ正面から見る。

あらためてきちんと駿府城址の中を歩きまわってみる。もともとは駿河国の大名・今川氏の居館があった場所で、
徳川家康が1585(天正13)年に近世城郭をつくり直して駿府城となった。後に隠居した家康が没した城である。
静岡市が市制100周年を迎えた1989年以降、かなり積極的に櫓の復元が行われている。東側はだいぶ城っぽい。

  
L: 2014年復元と最も新しい坤櫓。  C: 1989年復元の巽櫓。奥には静岡県庁別館。  R: 1996年復元の東御門。

陸軍歩兵第34連隊がやってきたことで駿府城の建物はすべて破却され、内堀も埋め立てられてしまった経緯がある。
しかし現在は櫓だけでなく、内堀の一部も復元されている。公園と城跡の中間っぽい感じがなんとも独特である。

  
L: 本丸堀越しに眺める静岡県庁別館。とにかくこの別館の存在感がすごくて。  C: こちらは二ノ丸水路。
R: 本丸跡はしっかりと公園の雰囲気。2012年に「駿府公園」から「駿府城公園」に改称したとのこと。

 本丸跡の徳川家康像。今度は快晴の下で撮影できてよかった。

ではいよいよ本格的に静岡市内を自転車で走りまわる。まずはなぜか今までノーマークだった静岡浅間神社から。
御守収集をやるようになってようやく「しまった、まだ行ってない!」となるんだから、われながら情けないものだ。
「無知とは罪!」とアビちゃんに怒られてしまうだよ。そんなわけでワクワクしながら参道を進んでいく。

 駿府城址の南西にある一の鳥居。しっかりと門前商店街がある。

アーケードの門前商店街をまっすぐ進むと静岡浅間神社にぶつかる。車の交通量と参拝客が多くて撮影しづらい。
それだけしっかりメジャーな神社なのである。しかしこの神社、実はかなり複雑で、3つの神社が集まったものだ。
その内訳は神部神社・浅間神社・大歳御祖神社だが、さらに境内社が4つあって、これらがまた立派なのである。
まずはいちばん南にある大歳御祖神社から参拝。そして境内を東へとまわっていき、ひとつひとつ参拝していく。

  
L: 浅間通りの門前商店街を抜けるとこちらの鳥居。  C: 奥にあるのは大歳御祖神社。建物は大きいが敷地に余裕なし。
R: 賤機山の裾を東へとまわり込むと八千戈神社。規模は小さいが社殿は壮麗そのもの。もともとは仏の摩利支天を祀った。

「駿府」とは「駿河府中」のことだが、明治になって静岡浅間神社が鎮座する賤機山(しずはたやま)から名を取って、
新たに「静岡」という地名が生まれた。つまりはそれだけ権威のある神社ということだ。家康が元服した場所だもんな。
その賤機山をちょっと登ったところにあるのが麓山(はやま)神社。なるほど、家光っぽい価値観を感じる建物だ。

  
L: 麓山神社。1834(天保5)年の築とのこと。  C: やはりどことなく家光的な価値観。  R: 本殿。

 麓山神社の本殿を横から見たところ。これは見事だ。

境内をさらに北上していくと神部神社・浅間神社の社殿があるが、あらためて東側の総門と楼門を見てみる。
手前の鳥居がまた道路のど真ん中にあって、しかも交通量が多くてもう本当に撮影しづらい。でもがんばる。
邪魔だとわかっているのに丁字路のど真ん中に昔ながらの位置で鳥居が残る、それだけで権威のすごさがわかる。

  
L: ふつう、こんな位置の鳥居をそのまま残すはずがない。つまりはそれだけ権威のある神社ということだ。すげえ。
C: 鳥居の奥にある総門をクローズアップ。  R: 抜けるとこの楼門。1816(文化13)年竣工。デカい。立派。

ここでちょっともったいぶって、北側にある境内社を参拝。残念ながら少彦名神社は改修中で、写真パネル。

  
L: 少彦名神社のパネル。本体が見たいぜ。  C: 玉鉾神社。   R: 神部神社・浅間神社の本殿を覗き込むがよく見えない。

ではいよいよ、神部神社・浅間神社に参拝である。静岡浅間神社の各社殿はほとんどが重要文化財だが(計26棟)、
その中でも神部神社・浅間神社の大拝殿はとんでもない豪壮さである。2階建てのスタイルは同じ静岡県にある、
富士山本宮浅間大社を彷彿とさせる(→2014.10.12)。あちらも見事な建築だったが、こちらの豪壮さはその上を行く。
初めてこの大拝殿を目にしたとき、言葉を失って突っ立ったままでいるしかなかった。ただ圧倒される建築だった。

  
L: 大拝殿の手前にある舞殿。1820(文政3)年の竣工。軒下の彫刻がすごい。  C: 舞殿と大拝殿を眺める。
R: 大拝殿。向かって左が浅間神社、右が神部神社となる。1814(文化11)年竣工。規模も彫刻も彩色もただただ豪壮。

江戸時代後期の神社建築としては間違いなく最高峰だろう。施されている彫刻は、わが信州は諏訪の立川和四郎、
いわゆる「立川流」(→2006.9.32014.8.172015.8.14)の3代にわたる傑作として知られている。
いずれ少彦名神社へのリヴェンジを兼ねつつ、じっくりと彫刻を堪能したいものである。

 大拝殿を真正面から見たところ。これには言葉を失って立ち尽くすのみだ。

参拝を終えると、そのまま賤機山沿いに北上していって城北公園へ。特に何がどうというわけではないのだが、
日本の都市公園100選ということで。図書館、花時計、日本庭園、グラウンドなどがあり、ごくふつうに公園。
もともとは静岡大学があったそうだ。グラウンドでは子どもがサッカーをやっていたのはさすがかな、と。

  
L: 城北公園。旧制静岡高校~静岡大学の跡地を整備。  C: 花時計。  R: 日本庭園はまずまずでした。

これで北半分は制覇した、ということで、今度は東海道線の南側へと移動。こっち側にはあまり来たことがない。
全体がのっぺりした下りの平野となっており、静岡という都市がポテンシャルを持って広く延びているのがよくわかる。
広大な住宅地になっているのだ。まあその反面、これは津波に弱そうだ、というのもヒシヒシと感じる地形である。

石田街道をガンガン南下していくが、途中のアピタで昼飯をいただく。地元住民の皆様で賑わっておりました。
さてここからもう一歩南に行ったところに、日本史で聞いたことのある地名がある。それは、「登呂」。
弥生時代の遺跡として有名な登呂遺跡は、この辺りにあるのだ。現在は公園として整備されており、博物館もある。

  
L: 登呂公園の入口にある竪穴式住居。  C: 公園内は弥生時代の雰囲気で復元されている。  R: こちらは祭殿。

  
L: 住居群に近づいてみたところ。左側には高床式倉庫もある。  C: 竪穴式住居の中を覗いてみる。  R: 博物館。

この登呂遺跡に面した南側にあるのが、静岡市立芹沢銈介美術館だ。ここは前々から来たかった場所なのだ。
建築としても白井晟一の作品として有名だが(公共建築百選)、それ以上に芹沢銈介の作品に触れたかったので。
芹沢銈介は「型絵染」で人間国宝になった人。東京高等工業学校の工業図案科卒なので、東工大の先輩でもある。
民芸運動の主軸を担った一人であり、特にひらがなや漢字の和風なデザインがよく知られていると思う。

  
L: 静岡市立芹沢銈介美術館。設計した白井晟一は松濤美術館や長崎の親和銀行( →2014.11.22)などが有名。
C: こちらは1990年竣工の美術館収蔵庫。設計は川口建設都市設計事務所。  R: 美術館の入口。まず庭園なのね。

美術館の建物じたいは芹沢らしさ、民芸っぽさはまったく感じられず、白井自身の価値観が思いっきり投影されている。
芹沢銈介の美術館である必然性をまったく感じない、エゴむき出しの建物だ。正直言って、雰囲気ぶち壊しである。
美術館としての使い勝手や完成度がどの程度のものなのか知らないが、個人的には1ミリも褒めたくない空間だ。
「合う/合わない」の問題ではあるが、こんなものを名建築とみなすのは単なる思考停止じゃないか。ダサいだけだ。

  
L: 左を向いたらエントランス。  C: 真ん中には池と噴水。  R: 右は出口とトイレ。芹沢銈介らしさゼロです。

展示内容は芹沢銈介の作品とともにその足跡を振り返るという定番のスタイル。純粋にデザインを楽しめてよい。
結局、日本に元からあった図案の要素を新たなデザインとして再構築していったところに彼の仕事の価値があるのだ。
民芸運動との絡みで言えば、無名の美を芹沢銈介という個人のブランドによって回収・再生産していたわけだが、
それは抜群のセンスを持つ彼にしかできないのだからしょうがない。民芸運動で一番の成功例だと僕は思っている。

 中庭にて。やっぱり白井晟一は押し付けがましくて好きになれない。

芹沢銈介美術館で何がいちばん楽しみだったかって、そりゃもう売店よ。さすがに魅力的なものが多くて、
じっくり吟味していろいろ買い込む。衝動買いはよくないが、買うべきときにはしっかり買わないとダメだぜ。

有意義な買い物ができてホクホクしながらさらに南下。海に面する国道150号に出ると、そこから住宅地と格闘。
Googleマップでは入口がぜんぜんわからなかったが、どうにか根性でたどり着くことができたのであった。
そんなややこしい場所にあるのが、旧マッケンジー住宅である。W.M.ヴォーリズ設計の国登録有形文化財だ。

  
L: 小学校の校庭越しに眺める旧マッケンジー住宅。しかしこの入口がなかなかわかりづらいのである。
C: どうにか入口を見つけて進んでいくと、こちらの庭。  R: 旧マッケンジー住宅。いかにもヴォーリズ。

  
L: 角度を変えて西側を眺める。  C: さらに北側へとまわり込む。  R: 反対側、東側はこんな感じである。

マッケンジーさんはアメリカの貿易商社の静岡支店長。つまりは静岡産のお茶を輸出していた人なのだ。
エミリー夫人は夫の死後もこの家で暮らして社会福祉に貢献し、静岡市名誉市民の第1号になったそうな。

 車庫にそのまんま車が残っているのもまたすごい。

旧マッケンジー住宅の竣工は1940年。まさに戦争が始まらんとしている微妙な時期の建築に思えるのだが、
今もきれいに残って地元で愛されているのはマッケンジー夫妻の人徳のよるところが大きいのだろう、きっと。
中は典型的な手の込んだ洋館なのだが、往時の家電製品がそのまま置いてあるのが立派である。これは面白い。

  
L: 旧マッケンジー住宅の食堂。  C: 窓側から振り返るとこうなっている。  R: 落ち着いた雰囲気ですな。

  
L: 配膳室。矩形が目立っており非常にモダン。  C: その奥は台所で、往時の家電製品が並んでいる。面白い。
R: 2階のホールから眺めた階段。いかにもヴォーリズな感じである。この上にある望楼には行けない。

  
L: 2階の南側は夫妻の寝室。これは居心地がよさそうな空間だ。  C: 浴室はタイル張りだぜ。
R: 夫妻の寝室から外を眺めると、こんなすばらしい景色が広がっている。鮮やかな青の水平線がいいなあ。

大いに満足すると、国道150号をさらに東へとひた走る。目指すは久能山東照宮である。御守を頂戴するのだ。
しかしまず圧倒されたのが、海と山のわずかな間をみっちりと埋め尽くしているビニールハウスである。
国道150号、走れど走れど延々とイチゴ農園が続くのだ。無知な僕はこれまでまったく知らなかったのだが、
この辺りは観光イチゴ狩りの発祥の地だそうだ。なんでも久能山東照宮の宮司がイチゴの苗を地元住民に与えたら、
日の当たる石垣の隙間に入り込んだイチゴが石の輻射熱でおいしく育った。それでイチゴ栽培が名物になったという。
独特な景観には必ず理由があるのだが、強烈な空間に強烈なエピソードの組み合わせは面白くってたまらない。

  
L: 国道150号沿いの風景。延々とイチゴ農園が続くのだ。  C: 山裾を占領する石垣栽培のビニールハウスたち。
R: この辺りは国道150号とかけてなのか、「いちご海岸通り」というらしい。久能山東照宮の参道はその真ん中にある。

ではいよいよ久能山東照宮への参拝を開始するのだ。日本平ロープウェイでいきなり境内に出る手もあるようだが、
そこはやはり1159段の石段をきちんと上って参拝すべきだろうと思うのだ。イチゴ農園の景観も面白がれたし。

  
L: 久能山東照宮の石段スタート地点。  C: つづら折りの石段を見上げる。上が見えない。  R: 石段はかなり立派。

高所恐怖症の自分としては、けっこう脂汗がにじんでくる感じの高さまで行くことになる。いやー怖い怖い。
実際、石段は端の方が崩れかけており、危険防止のロープが張られている箇所もある。幅があるからいいけどね。
ただ、さすがに眺めは美しい。海は鮮やかな青で、帯状に広がる平地をビニールハウスが埋める光景は豪快である。
その土地の特徴を一目でつかむことのできる景色を楽しめる。そんなわけで石段はぜんぜん苦にならなかったなあ。

  
L: 石段と平地と海をひとつの視野に収めるとこんな感じ。  C: 貴重な平地はイチゴのビニールハウスで埋め尽くされている。
R: 久能山東照宮の境内に到着。500円の拝観料を納めて先へ進むと、まずは楼門をくぐる。なるほど東照宮らしい仕上がり。

「東照宮」とは東照大権現、つまり徳川家康を祀る神社だ。家康が亡くなった後、遺言により久能山に遺骸が葬られた。
そして1年後、これまた遺言をもとに日光東照宮に遷座。しかし久能山の東照宮も整備が進められて現在の姿となった。
空間としてはずいぶんコンパクトで、あまり余裕がないのでとにかく撮影しづらい。参拝客も多いし。大変だったぜ。

  
L: 楼門をくぐると右手には鼓楼。江戸時代には神仏習合で鐘楼だったが、明治に入って太鼓に替えたので鼓楼となった。
C: 境内の様子と唐門。 R: 国宝の御社殿。権現造なので本殿と拝殿が一体化しているわけだ。いかにも東照宮だねえ。

敷地に余裕がないので日光東照宮ほどの異世界な印象はないが(→2008.12.142014.10.12015.6.29)、
プロトタイプっぽいというか、「東照宮様式」の確立のさせ方というか、そういう方法論を感じさせる場所である。
(たとえば、日吉東照宮(→2010.1.9)や上野東照宮(→2015.12.5)などは同じ方法論を踏襲していると思う。)
いちばん奥には神廟があり、こちらもやはり日光のプロトタイプというような印象を与える空間となっている。

  
L: 奥の本殿を覗き込む。1617(元和3)年の築だが、とにかくきれいにしてある。  C: 石段から本殿を見下ろす。
R: 境内の最も奥にある神廟。カクッと90°曲がって西向き。鳳来寺、岡崎、そして京都の方を向いているとのこと。

参拝を終えると石段を一気に下って下界に戻る。国道150号をさらに東へ進んで、そのまま三保半島へと突撃する。
三保の松原には前にも来たことがあるが(→2008.3.21)、あらためて神社に参拝して御守を頂戴するのである。
前回はバスで終点の折戸車庫まで行き、そこからトボトボ歩いたが、かなりの距離があることに閉口したもんだ。
でも今回はレンタサイクルだから快調だぜ! そう思っていたら、急に乗り心地が悪くなった。まさかのパンクである。
どうしょうもないので自転車を引いて歩くことに。これでは前回と変わらない……いやそれより厄介ではないか!
三保の松原までは徒歩だとやっぱり遠かった。いま思えば、この日はここから急激に運気が落ちていったなあ……。

  
L: 自転車を引き引き、どうにか三保の松原に到着。  C: 松林を茫然と眺める。  R: 「羽衣の松」の脇にある羽車神社。

せっかくなので「羽衣の松」をあらためて見てみる。先代の2代目「羽衣の松」は立ち枯れしてしまったので伐採され、
今やただの幹が残るのみ。2010年に3代目に世代交代したそうだ。仕方のないこととはいえ、味気ない気もする。

 
L: こちらは2代目の「羽衣の松」。2013年に伐採されてこのような姿に。  R: というわけで、3代目「羽衣の松」。

「羽衣の松」から松林を抜けた先には、御穂神社の松並木の参道がある。長さは500mほどで、けっこうな距離だ。
参道からまっすぐ鳥居をくぐると、その先には舞殿。そして拝殿があるが、どことなく寺っぽい造りである。

  
L: 御穂神社の参道。威厳を感じさせるなあ。  C: まっすぐ進んでいくと御穂神社。  R: 御穂神社の境内。

御穂神社の御守は期待どおりに凝ったデザインで、三保の松原と富士山と天女が刺繍されている。
またそれとは別に「羽衣守」なるものもあったので、両方とも頂戴しておいた。個性があるのはうれしい。

  
L: 御穂神社の舞殿。  C: 拝殿はなんだか寺っぽい仕上がり。  R: 本殿。静岡市指定有形文化財となっている。

参拝を終えるとレンタサイクルの貸し出し元に相談して、三保半島の付け根にある自転車店を紹介してもらう。
そこで修理ができたのでよかったよかった……と思いきや、国道1号に出て静岡駅に戻る途中で、なんと、
財布を落とすという悲劇が発生してしまったのである。おかげで明日の予定はすべてキャンセル、東京直行。
青春18きっぷを持っていたので最悪の事態は免れたのだが、電車内ではただただ茫然とするのみ。頭真っ白。


2016.3.11 (Fri.)

東日本震災から5年が経過した。自分の周りが当時どんな状況だったかは鮮明に覚えているが(→2011.3.11)、
そのとき見た画面の向こう側が今どうなっているのかは、なかなか想像がつかない。そのまま時が過ぎるのを許している。
「二度と触れるのことのできないものが僕の中にもできてしまった。」なんて勝手なことを書いたが(→2011.3.13)、
なんとしても今年のうちに事態を確かめに行きたい。すでに5年という、重く動かしがたい時間が経過してしまったが、
もうこれ以上は放っておけないのだ。まず何よりも、とにかく、知らなければならない事実と現実がそこにある。
その空間で僕が何をどこまで感じ取ることができるかは、それはもう僕個人の能力、感受性、想像力の問題だ。
現実を知ること。現場を訪れて、土地の記憶を自分の中に共有させること。そして、できることならもちろん、
微力ながらも何かしらの支援となるようなことをしたい。これだけは絶対に、2016年のうちに果たしたい。


2016.3.10 (Thu.)

部活でひとつのボールをふたりで争ってお互いにボールを挟んでインサイドキック!
……僕だけが捻挫になりました。なぜだ。途中で「これはヤバい」と足を引いたので軽度で済んだが、いやはや。


2016.3.9 (Wed.)

評判が悪くないようなので、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見にいってきたよ。
『マッドマックス』は第1作目だけ見ているのだが(→2009.7.4)、目ン玉見開いた激突シーンしか印象に残ってねえ。
核戦争後の地球というよりも近未来アメリカ中西部の砂漠という感じしかしなかったんだよね。話の筋も覚えていない。
しかし実に27年ぶりとなるこの4作目は、幾度の撮影断念の危機を乗り超えてアカデミー賞の各賞をたっぷり獲得。
ハゲしか出てこないのにメイクアップ&ヘアスタイリング賞かよとか上映時間中ひたすら爆発かよとかいう話なので、
どうせなら考えられる限り最高の条件で見てやろうということで、わざわざIMAXの3Dで鑑賞したのであった。

実は私、メガネをかけて3Dの映画を見るのは初めてなのであります。いや、正確には小学生のときオバQで見て以来か。
当時は片方赤で片方青で実質モノクロの3Dだったが、技術の進歩はすばらしく、思ったより違和感なく3Dを味わえた。
ただ、素早いと紙っペラっぽくなるし、わざわざ3Dにしなくてもいいシーンも多い。2Dがなくなることはないわな。

感想としては、フィクションをこれだけつくり込めるというのは本当に大したことだと素直に感心してしまった。
ストーリーというのは多かれ少なかれウソであり、そのウソにどれだけの信憑性を持たせられるかがカギになる。
そしてSFというのは、設定の共有に手間がかかる分、ストーリーの中でも信憑性を構築するのが最も難しいジャンルだ。
妄想するだけなら簡単だが、誰が見ても粗がないように現実でつくり込まないといけない。それを見事にやってのけている。
これだけ盛大で緻密なウソに大人数に協力してもらうんだから、映画づくりってのは本当に大変だ。やりきったのは偉い。
もちろん戦闘シーンに爆発シーンに、いちいち大迫力。その頂点を極めることだけを純粋に目的にした映画があっていい。
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は、もしかしたらそういう映画なのかもしれない。立派な存在意義じゃないか。

しかしながら、ストーリーじたいも悪くない。キャラ頼みの『北斗の拳』(→2012.7.12)なんかよりもはるかにいい。
舞台空間が見事に1次元なので、世界観に広さは感じさせない。そもそも、広さが否定された世界観なので問題ない。
(周囲は核戦争によって荒廃した、いわば「無」の空間しかないのだから、気にしなくていい。1次元でしっかり事足りる。)
その1次元の中で中身の濃い戦闘と爆発を繰り広げ、ハードボイルドを詰め込んで、一丁あがり。過不足がまったくない。
これ以上何も必要ないよ、というところまでやっている。だから続編もいらないだろう。それくらい完成・洗練されている。
(個人的にいちばん感心したのは、輸血袋としてのマックスを巧みに伏線にした点。これは脚本がすごく上手いよ。)
あとはその爆発の美学に共感できるかどうか、だけ。映画というメディア、映画館という空間を信じるなら肯定できるだろう。


2016.3.8 (Tue.)

オレが白いズボンを穿いていったときに限って給食がカレーうどん。


2016.3.7 (Mon.)

なんで雨なのに花粉が飛んでんだよ! 今年は地味ながらも確実にやられております。


2016.3.6 (Sun.)

渋谷でいろいろ買い物をしたのだが、その一方でまた日記も書いて書いて書きまくっております。
書いても書いても溜まっている状況はつらいけど、10月を書いたら次は8月と、気分転換しながら書き続ける。
本当にキリがなくって大変だが、すべてに発見があるのだから、それらをまとめておかないと気が済まないのだ。
1月の修羅のような書きっぷりを経て、調子が悪かろうがなんだろうが書く、というスタイルが確立された気がする。
ま、量を書く技術を高めている、とポジティヴに考えておきましょう。質もなんとかせにゃいかんのだがね。


2016.3.5 (Sat.)

店舗限定なんだけど、富士そばで「パクチーそば」なるものが食えるというので、昼にわざわざ食ってみた。

 麺も大盛、パクチーも大盛。

過ぎたるは猶及ばざるがごとしというが、風味がそこまで強烈ではなかったので、パクチーの量じたいは多いけど、
パクチーを主食で食ってるぜー感はあんまり。それなら量は少なくとも噛むたび強烈な存在感を示してくれる方がいい。
わざわざ蕎麦でパクチーとするには今一歩かな。やはり何かに加えてパクチー、という脇役ぶりが重要なのだと実感。


2016.3.4 (Fri.)

ラブプラスはじめました


2016.3.3 (Thu.)

今日の部活も参加人数が少ない。せっかくグラウンド全面を使える木曜日なのに。しかし下を向いているヒマなどない。
人数が少ない分、狭いエリアで要求される足下の技術に重点を置いたゲームをやった。これは個人的にも課題なのよね。

結果としては、ミスもそれなりにやったけど、久々にしっかり楽しい部活になった。揉まれているうちになんだかんだ、
中身のあるテクニックにチャレンジするプレーが増えていく。また、オフ・ザ・ボールの動きも気の利いたものとなる。
十分に意図のこもったプレーがつながっていくと、ゲームは充実したものになるのだ。今日は全体的にいい動きが多かった。

それにしてもオレの左足は精度いいなあ、と自分で惚れ惚れ。意図した軌道で3次元的にボールが飛ぶのは気分がいい。
しかも利き足だけじゃなくて逆足でも思いどおりにコントロールできるとなると、サッカーが面白くてたまらなくなる。
瞬間的に頭の中でイメージしたとおりにボールが弧を描いて、ネットを揺らしたり味方につながったりするのは最高だ。
いつもこの精度で蹴られるならいいのだが。まあ自分の課題はボールが収まらないことで、弱点の強化が先なんだけどさ。


2016.3.2 (Wed.)

昨日は荒れまくったテスト返却だが、2年生の方は比較的ほんわかとした解説具合なのであった。
上位グループは確実にコツをつかんだ感触なのでそうなるのだ。本質がわかっていれば文句は言いませんので。

今回は比較がメインということで、『ラブライブ!』の登場人物を比べる問題を出したりなんかして。
そんでもってそこの正解率が妙に高かったりして。誰推しと訊かれましても当方、そっちには興味がないので。
そしたら「先生、『デレマス』で出せばよかったじゃないですか」と生徒が言うので、「しぶりんしぶりん」と返事する。
今日もウチの学校は平和だなあ。


2016.3.1 (Tue.)

1年生にテスト返し。授業で説明したところがぜんぜんできていなかったので、それはもう猛烈に怒ったさ。
授業で言ったのにできていないってことは、オレの話を聞いていない、オレをないがしろにしているってことだろ!?
そういう論理である。授業をやる側に対してお前らの姿勢は失礼じゃないのか、と。本質がわかってねーんだよ。


diary 2016.2.

diary 2016

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