ウルフルズのベスト盤を今さらながら借りてきて聴いているんですけどね。
ブレイクしたのはご存知『ガッツだぜ!!』で、『That's the Way (I Like It)』のサビがヒントになったという話も有名だ。
まさにその一発がきっかけとなって運命が変わったわけだけど、その後の息の長い活動ぶりを見れば、フロックではない。
つまり、「That's the Way=ガッツだぜ」はウルフルズにとっての「正解」が導き出された一発だったと考えるわけだ。
ウルフルズはその単純明快なやり方を磨きあげていくことで、自らの道を切り開いていったということなのだ。ベスト盤を聴いて思ったのは、ウルフルズとはきわめて大阪という意識を強く持っているバンドであるということ。
しかし決してローカルな存在になることはなく、むしろ全国規模での支持を得ている。冷静に考えると不思議な存在だ。
そこで、上で述べた「ウルフルズの単純明快さ」をもうちょっと掘り下げてみる。ウルフルズのヒット曲には特徴があって、
それは、「タイトルから何から決め台詞でできている」ということだ。これがすなわち、彼らの「単純明快さ」だ。
(『明日があるさ』はCMとのタイアップという要素もあるが、ウルフルズだからこそ最も効果的にカヴァーできたはずだ。)
ウルフルズは本質を極限まで簡略化して抽出できるバンドなのである。そしてそのセンスは、大阪仕込みならではなのだ。
関東の人間にはできない本質ズバリの指摘、それを臆面もなくやってしまう。でも歌詞に関西弁らしさはそんなにない。
「That's the Way」を持ってきちゃうところも含めて、非常にバランス感覚がいいのだと思う。嫌われづらいバンドですね。
本日が学年末テストの最終日だったけど、部活の時間をいつもどおりの時刻に設定してしまったので、
しょうがないのでそれまで採点して過ごす。3年生は受験を経たにもかかわらず、いつもどおりなデキだった。採点が終わってふと考えたのは、自分が中学でも高校でもテスト勉強を一切しなかったのはなぜだ?ということ。
これは自慢でもなんでもない。中学で学年5位という中途半端な位置に甘んじても悔しがることのなかった僕の姿勢は、
負けず嫌いという要素のない、向上心に欠ける性格を端的に示していたと今は思う。おかげで今もぱっとせんしな。
当時は「勉強すればたぶん1位になれるんだろうけど、なったところで別にうれしくないし」と思っていた。
「勉強なんてきちんとやれば誰だって結果が出るじゃねーか、オレはそんなことより他人にない才能を伸ばしたいんだ」
そんな生意気な意識があったのも確かである。まあそういう人間に限って、何の才能も持っていないもんでして。
とにかく「勉強ができる」ということにそんなに価値を見出していなかったのは事実だ。それしか取り柄なかったのにね。もうひとつ強い意識としてあったのは、テスト勉強という「特別さ」がめちゃくちゃ気に食わなかったということ。
「オレはテストでいい点を取るために勉強しているんじゃねえ!」という気持ちは非常に強かった。
それは日頃抜群の集中力を発揮して授業を受けていたことへの誇りの裏返しでもあった。好奇心だけで生きていた。
さすがに高校に入るとレヴェルが上がってそんな悠長なことを言っていられないくらいに成績は落ちていくのだが、
それでも僕は頑としてテスト勉強を拒否しておりました。いつもどおりでいいじゃねえか、と。それが実力だ、と。しかし今、教員になってできない連中の面倒を見ていると、過去の自分は間違っておりました!と猛省させられる。
十分に準備をして、やるべきときにやるべきことを100%やりきる。本当に求められていたのは、その能力なのだ。
過去の僕はそれをまったくわかっていなかった。わかっていなかったのだが、僕の生まれついての性格を考えると、
そのことをいま反省しても、それを今後きちんと生かせるように成長しているかどうかは非常に怪しい。
まあどうにか自分の甘さを理解できるまでにはなったかな、と思っておこう。人生これ反省だらけでござる。
仕事が終わるとわざわざ自由が丘へ。今日がいつもお世話になっているおねーさんの最後のカットなのだ。
だからって特別どうこうということはないけど、10年以上世話になっているので(→2013.12.14/2014.1.25)、
そのテクニックを目に焼き付けておこうじゃないかと。おねーさんも心なしかいつも以上に丁寧だった印象。
10年以上って時間は直視したくない気もするんだけど、新しい価値観を教えてくれてありがとうございました。
いろいろと勉強させていただきました。長野バンザイ。
本日は学年末テストの1日目。なのだが、僕は卒業遠足の下見に出かけたのであった。仕事でディズニーシー。
下見のディズニーシーというのはけっこうな苦行である(→2012.2.9)。しかし2年前と違い、今回は2人なのだ。
特別支援学級の先生(女性だがすでに大学生の娘さんが2人いるぜ! 残念!)と現地で合流し、説明を受けると、
いざ夢の国へ。歩いてまわるだけでなく、船やら電車やらを中心に実際にいろいろ乗るという体験は初めてなので、
それはそれで僕も楽しませてもらったよ。ほかにも行列の長さを確認するなど、仕事もしっかりとやったよ!
L: うきわまん。ピンクはつまりエビの色であり、中はプリプリのエビが餡として入っている。意外と早く買えた。
C: ギョウザドッグ。大人気で、30分も並んだのであった。たっぷりの餃子の餡を細長い中華まんの皮で包んだ感じ。
R: ウォルト=ディズニーとミッキーの像。ディズニーに来るたび、その徹底ぶりには感心させられるわ。下見作業が終わった後はちょっと残って、毎度おなじみビッグバンドビートで大興奮。たまらんわー。
この土日の旅行では、初日の夜のうちにMacBookAirを使ってその日の日記用の画像をつくってしまっていたのだが、
なんだかどうもしっくりこない。今日になってWindowsの方で2日目の画像をつくってみたら、こっちの方がいい。
専門的なことはよくわからないのだが、どうもWinとMacではPhotoshopの精度がぜんぜん違うようなのだ。いつも写真を200×150に縮小してからシャープをかけるという加工をしているのだが、Macだと少し粗いのだ。
その差はトーンカーヴの修正をかけると明白に出てくる。Winの方が明らかに粘り強く、Macは簡単に灰色が出る。
人間の目はたいへん優れた性能を持っており、意識しなくても陰影を素早く調節して映すようにできている。
でもデジカメで撮影すると陰影はかなり強く出る(冬場の日差しは特にキツい)。日陰部分は真っ暗になることが多い。
そこで毎回トーンカーヴをいじって、できるだけ陰影を緩くするようにも加工をしているのだ(そりゃ手間かかるわ)。
この加工をやりすぎると灰色が出てきてしまう、また色合いが全般的にくすんでしまうという2つの副作用がある。
それをごまかすのに彩度を上げるという工夫を、実は画像のひとつひとつでやっているのだ。ホントに手間がかかる。
そうしてWinで納得のいく画像を仕上げてみると、Macでつくった方はもう見ちゃいられないほど劣っているのだ。ぜんぶをつくり直すのは面倒くさいし、そもそもが微妙な差でもあるので、仕上がりの悪いものを選んでつくり直す。
まあ坂越の日当たりのいい写真以外はだいたいつくり直しになったけどね。あらためて検証したら意外な差があったわ。
今後、旅先で画像整理をする際には、上手い方法を新しく考えなくちゃいけない。実に面倒くさいが、しょうがない。
いつもの旅行なら朝まだ暗いうちに宿を出るのが定番のパターンなのだが、今回は少し余裕があるのだ。
7時32分の列車に乗ればオーケーということで、ふだん仕事の日に家を出るときとほぼ同じ感覚で動く。
コインロッカーに荷物を預けて切符を買うと、改札の中にある吉野家で牛丼をしっかりといただいた。
しっかりと栄養を摂取しないことには、旅先での行動範囲に支障が出るのだ。文句なしの準備ができたと言えよう。少し早めにホームに出ると、停車していた列車に乗り込んで発車を待つ。まずは姫新線で播磨新宮駅を目指す。
中国地方を南北に抜ける鉄道網は複雑かつ本数が非常に少ない。いつか中国山地に点在する街にも行ってみたいが、
効率よくまわることが難しいため、なかなか実行しづらいのである。のんびりまわる暇が欲しいもんだわ。姫路駅を出た列車は穏やかな住宅地へと入っていき、いかにも地方都市らしい風景の中を抜けていく。
20分ほどで本竜野駅に到着。ここはたつの市の中心駅だが、寄るのは伊和神社に参拝した後で。
終点の播磨新宮までそのまま揺られるが、手前の東觜崎駅周辺は倉庫っぽい建物が多くてけっこう気になった。
素麺の超有名ブランド「揖保乃糸」はこの辺りが本拠地で、少し東へ行ったところには資料館もある。まあ、またいずれ。そんなこんなで播磨新宮駅に到着。駅舎も含めて、周辺はわりと最近になって整備されたようだ。
しかし脇にコンビニと喫茶店がある程度で、辺りはどうということはない住宅地という印象である。
ここからは路線バスになるが、バスが来るまで30分ほどある。しょうがないので駅前の観光案内板を見て過ごす。
いくらその案内板を眺めてみても、播磨新宮の「新宮」がその中のどの神社のことなのかはわからなかった。播磨新宮駅。ここから先へ行く列車は急に減ってしまうのだ。
やがてバスはきちんとやってきて、僕を含めて3人の客を乗せて出発。揖保川沿いの県道26号をゆったり北上していく。
山間の農地と集落、それをひたすら繰り返しながらバスは走る。景色に変化が乏しくてついつい眠くなってしまう。
睡魔と格闘しながら過ごすこと20分、バスは県道から離れて旧街道の雰囲気を残した道へと入っていく。
中国自動車道に近づくにつれて郊外型の店舗が目立つようになり、その下を抜けて県道53号にぶつかるとゴール。
そこは明らかに街らしい匂いが漂っており、鉄道駅がないとは思えない場所だった。失礼ながら、ちょっと驚いた。右折したバスはそのままターミナルへと入っていく。矢印型の断面をした建物には「神姫バス山崎待合所」とある。
ターミナルにはほかにもバスが3台ほど停車しており、この地域でのバス交通の重要性をはっきりと教えてくれる。
なるほど、鉄道がないからこそバス交通のハブとして機能していて、それできちんと賑わいがあるのか、と納得。
鉄道とバス、そして都市の関係というのは、条件によって大きく変化するものなのだ。先入観はいけないなと実感した。1時間に1本くらいのペースで三宮との間をバスが往復。便利じゃん。
というわけで、バスに揺られてやってきたのは「山崎(やまさき)」という街である。江戸時代には1万石の藩だった。
山崎町は2005年に周辺の3町と合併して宍粟市となったが、市役所があるなど現在もこの地域の中心となっている。
さて、宍粟。めちゃくちゃ読みづらいのだが、もともと郡名であり歴史のある地名なのだ。「しそう」と読むのが正解。
宍粟市役所はバスターミナルから少し東へ行ったところにある。ここでは1時間ほど歩きまわる時間を確保できたので、
まずは東で市役所を撮影してから山崎の旧市街を抜けて西の方へと行ってみる。戻ってくればちょうどいい時間だろう。交差点には「鹿沢」という文字がある。「宍粟」とは、この「鹿沢(しかざわ)」を古くは「ししさわ」と呼んだのが、
訛って「ししあわ」になって「宍粟」という漢字が当てられて、さらに訛って「しそう」という読みになったという。
宍粟は郡名となって、旧町名は「山崎町」。でも今は「宍粟市」。地名の大小が複雑に入り組んでワケがわからん。そうこうしているうちに国道29号にぶつかる。さすがに山陰と山陽と結ぶ2桁ナンバーの国道はそれなりに交通量が多い。
そのため狭いながらも道の両脇には郊外型の店舗が並んでいる。宍粟市役所はそんな国道に面している公園の奥、
揖保川と挟まれている位置に建っている。見るからにできたてホヤホヤの、ガラスとアルミで軽やかな庁舎建築である。
公園と川の間ということで遮るものがまったくなく、駐車場もきちんとあって、とっても撮影しやすい市役所だった。
L: 2009年竣工の宍粟市庁舎。設計したのは梓設計大阪支社。基本計画を見るに、プロポーザルで選定されたらしい。
C: 角度を変えて撮影。 R: 背面はこんな感じになっている。手前も駐車場なら、庁舎との間にある段も駐車場。敷地をぐるっと一周して撮影したのだが、宍粟市の読み方を一発で覚えられる面白いものを発見してしまった。
本庁舎の北西には宍粟市役所の北庁舎と兵庫県宍粟警察署がほぼ同じデザインで並んで建っているのだが、
その宍粟警察署の壁面に大きく「しそうけいさつ」と書いてあるのだ。当然ながらその文字から想像してしまうのは、
「思想警察」である。おう、こんなところに思想警察が!!なーんて具合にひとりで大爆笑したのであった。
幼稚園児や小学生たちにもわかりやすいように、ひらがなで書いてあるところがいいよね!
L: 公園(国道)側から見た宍粟市役所の本庁舎。 C: こちらは宍粟市役所の北庁舎。もともとは何だったんだろう?
R: 思想警察……じゃなかった、宍粟警察署。これが実際にディストピアの舞台になったら笑うなー。市役所の撮影を終えると、旧市街地を歩いてみる。ずっと鉄道駅がない状態でがんばってきたからか、
昭和の雰囲気を残す商店街は老朽化していると思われるものの、それほど悲惨な印象がしないのが興味深い。
昔から細々とやっているだけ、そういう落ち着きを感じさせるのだ。あまり陰を感じないのである。
L: 商店街っぽい街灯があるが、営業している店舗は点在といった程度。でも、暗い雰囲気がしないのがいい。
C: 山崎を拠点とする西兵庫信用金庫付近。建物の手前にある食い違いに屋根をかけて独特なスペースとしている。
R: 西兵庫信用金庫から西側にも商店街が延びる。上に布を掛けてアーケードにするのかな。だとしたら面白い。そしていかにも城下町らしく、あちこちに食い違いの街路が残っている。これが本当に多くて、とても驚いた。
今までそれなりにたくさんの城下町を歩いてきたが、この宍粟市山崎町の食い違い密度は全国トップクラスだ。
戦争(空襲)や再開発の影響により、日本の近代以前の都市空間はほとんどが姿を消してしまっているが、
かつてはこういう空間構成が当たり前で、それがそのまま近代化したらこうなる、という貴重な体験ができた。
実際の身体的な経験として空間を認識してみるとさまざまな発見があるものだが、山崎のそれはなかなか強烈だった。
ちなみにこの町割をつくったのは、池田輝政の四男である池田輝澄。今ではとても信じられないが、山崎藩は一時期、
播磨では姫路・明石に次ぐ石高にまで規模が拡大したそうだ。その財力が今の宍粟市にも大きな影響を与えている。食い違いが残る例。山崎の食い違い密度はものすごい。
山崎の土地の歴史を語る要素はまだあって、造り酒屋が木造の店舗をしっかりと残している一角がある。
食い違いとそれらの建築を体験すると、この街がまだ守っているものの価値をとことん実感できる。
宍粟市山崎町は表面的なものではなく、もっと深いものを今も保っているのだ。わざわざ訪れてよかった。
L: いちばん東には山陽盃酒造。 C: 少し西へ行くと老松酒造。今もこの2軒は元気に日本酒をつくっている。
R: 食い違いを挟んだ位置には本家門前屋。かつては造り酒屋だったが、現在はオシャレなカフェになっている模様。ではこの山崎町の城はどこにあったのかというと、県道53号の南側、現在の山崎小学校の西隣である。
敷地内では1889(明治22)年築の旧龍野治安裁判所を山崎歴史民俗資料館として活用しており、
その手前には幕末期につくられたという紙屋門が残る。紙屋さんが費用を寄付したからそんな名前だとさ。
L: 本家門前屋の前にあった自動販売機。なるほど、遠目からだと違和感がなくっていい工夫かもしれない。
C: 山崎城(鹿沢城・山崎陣屋とも呼ばれる)紙屋門。正面の門で、現存する建物はこれだけだそうだ。
R: 門を抜けると山崎歴史民俗資料館(旧龍野治安裁判所)。明治期の和風な庁舎建築は貴重なのだ。用途のよくわからない宍粟防災センターという新しい建物の前を通ってバスターミナルまで戻る。
(それにしても、NTTファシリティーズは日本全国に悪趣味な建物ばっかりつくっているように思う。)
バスターミナルの入口のところには宍粟市の観光案内所があって、パンフレット類をもらおうと中に入ると、
待ってましたと言わんばかりに一人のおじいちゃんが話しかけてきた。気ままにパンフレットを選ぼうと思ったら、
あらかたぜんぶ入っている封筒がすでに用意してあって、それを渡される。こんなことは初めてなので驚いた。
おじいちゃんは「まあまあ座りなさいよ」と言ってくれるのだが、若い美人のねーちゃんならともかく、
面識のないじいちゃん相手にじっくり話し込むなんて勘弁願いたい。まあ、めちゃくちゃ暇なんだろうけどさ。
伊和神社に参拝しますと言ったら、論文のための調査に来た大学生と間違えられた。じいちゃん早合点。バスが来たので乗り込んだが、客は僕ひとりだった。ひたすら揖保川と並走する国道29号を北上していく。
山に挟まれた土地だが、川に沿って細長く集落が点在しており、人の気配はつねにしっかりとある。
初めて伊和神社の位置をネットで調べたときには「こんなところどうやって行くんだ……?」と愕然としたが、
いざこうしてバスに揺られていると、あんまり違和感がないというか、なるほどこういうもんかと納得できる感じ。
確かにバスとバスの乗り継ぎがあるのは面倒くさい事態だけど、それはたまたま鉄道がないというだけであって、
それが特に変な要素になっているわけではない。鉄道だけでは見落としてしまう街があるのだ、と勉強になった。20分弱で「一の宮伊和神社」バス停に到着する。その名のとおり、伊和神社の真ん前にバス停があるのだ。
バスを降りるとさっそく参拝。さっき観光案内所のじいちゃんが言っていたが、伊和神社は北向きに鎮座している。
表参道はまず国道29号から西へと入る形になっており、神門を抜けると南に折れる。バスでアクセスした場合、
参拝するために「コ」の字に戻って動く感覚になり、これが思いのほか強い違和感をもたらしてくる。
伊和神社の境内は背の高い木々に包まれているが、拝殿の前に出るとぱっと開ける。またそれが逆光になるので、
よけいに印象深くなる仕組みになっているのだ。ほかの神社とは違う、ちょっと独特な雰囲気が確かにある。
L: 国道29号を挟んだ伊和神社の真向かいには道の駅・播磨いちのみや。メシも食えてけっこうありがたい存在。
C: 伊和神社の境内入口。国道29号に面しており、まずはここから西に向かって歩いていくことになる。
R: 神門。ここを抜けると参道が左(南)に折れる。さらに西の裏参道(弁天さん側)にも同じタイプの神門があった。さすが一宮ということで参拝客はそれなりに多く、つねに誰かが必ず境内の中にいる。バスで来た団体客もいた。
最初境内に入ったときには、ちょうど車が2台、交通安全祈願の真っ最中。車がいなくなってから撮影し直した。
公共交通機関だととってもアクセスが面倒くさい神社だが、車だったら国道沿いだからそんなに大変ではない。
兵庫県民の皆さんにとってはわりとカジュアルに訪れることができる神社としておなじみのようだ。
L: 境内西側にある神楽殿。 C: 拝殿。中ではつねに祈祷している人がいるほどの人気ぶりである。
R: 拝殿の奥には幣殿と本殿。拝殿の脇に出てこの姿を見たときには、その立派さにかなり驚いた。さて、伊和神社において最も重要な存在は、鶴石である。本殿のさらに奥に行くと、しっかりと石が祀られている。
祭神である伊和大神(大己貴命、つまり大国主)から自分を祀るように神託があった際、2羽の鶴がこの石の上にいて、
北向きに眠っていたそうだ。それで伊和神社の社殿は北向きになっているとのこと。なかなか不思議な伝承である。
L: 本殿の両脇には、播磨国の式内社をまとめた播磨十六郡神社をはじめとする複数の末社が鎮座している。
C: 本殿の奥にはこのように鶴石が祀られている。 R: 覗き込んで撮影。本殿に近いこの位置にあるのは珍しい。参拝を終えると、向かいの道の駅でお昼をいだたく。レストランがあって、メニューが実に豊富なのであった。
名前につられてスタミナ丼をいただいてエネルギーを充填。この後のことを考えると非常にいい栄養補給ができた。
地方都市では思うようにメシが食えないことが時々あるのだが、その心配をしなくて済んだのは本当にありがたかった。帰りもまったく同じルートで戻る。山崎のバスターミナルに着くと、いったん待合室へ。しばらく待ってからまたバスに乗り、
播磨新宮駅で降りる。実は、乗っていたバスはそのまま僕の次の目的地である龍野の市街地へと向かうのだが、
あえてJRを利用して本竜野駅から市街地にアクセスすることにしたのだ。駅から市街地までは、かなり距離がある。
でも駅のすぐ隣にレンタサイクルの店があるので、いきなり市街地に乗り込むよりもそっちの方が効率がはるかにいいのだ。手続きを済ませると、さっそく市街地へと走りだす。見るからに最近になってから整備された雰囲気のする道だ。
まっすぐ延びていて、歩道が広い。しかもバリアフリーということでか車道と歩道の間の段差を小さめに抑えている。
自転車にとっては非常にありがたい。何より自転車がよく整備されており、ただのママチャリとは思えないスムーズさだ。
これだけで僕の龍野に対する印象はぐっと良くなった。訪問者を何気ない優しさで迎えてくれる街だと感じた。本竜野駅から延びる道。自転車の調子もよくって非常に快適。
まずはたつの市役所を目指すことに。本竜野駅とたつの市役所は揖保川の左岸にあるが、市街地は右岸にある。
この揖保川を渡るだけの距離が、歩きだと厄介になってくるわけだ。レンタサイクル様々だなあと思いつつ走る。
ところで、たつの市はもともと「龍野市」といった。2005年に合併した際、残念なことにひらがなになってしまった。
しかし駅名は本竜野である(山陽本線に竜野駅もあるが、こちらは龍野の旧市街からはかなり距離がある)。
ややこしいからぜんぶ旧来の「龍野」で揃えてくんねえかなあ、と思う。漢字って非常に重要なんですけど。
L: たつの市役所。龍野市役所として1972年に竣工。70年代らしい凝り方をした建物だが、耐震補強が目立つ。
C: 角度を変えて撮影。手前の駐車場が木々に囲まれているので、全体をすっきりと見渡せないのは残念だ。
R: 裏側はこのようになっている。なんというか、潔い印象の建物で、僕はけっこう好きだけどな。揖保川の手前で左に曲がると、兵庫県の出先庁舎がある。公園を挟んだそのさらに南にあるのが、たつの市役所だ。
いかにも1970年代らしい凝り方をした建物で、当時の庁舎建築の流行をはっきりと示してくれる事例であると思う。
きれいに白く塗って使っているのも好印象で、建物を大切にしているのが伝わってくる。うれしい気分で撮影できた。もう一度、正面を別の角度から撮影してみる。
ここであらためて、たつの市について整理しておこう。地名の由来は、この地で野見宿禰が亡くなったことによる。
野見宿禰は当麻蹴速を破ったことで、日本の相撲の始祖とされる人。また、殉死の代わりに埴輪を考案したともされる。
彼が亡くなった際に人々が野に立ってバケツリレー的に石を運んだことから、「立つ野」そして「龍野」となったそうだ。
そのためか長野県の「辰野」とは違い、龍野は「た」を強めるイントネーションで読む。まさに「立つ、野」のとおり。
そして龍野は素麺(揖保乃糸)と淡口(うすくち)醤油の生産で非常に有名だ。非常に特色のある街なのである。
しかし、たつの市において最も存在感のあるもの……それは「トンボ」だ。これは童謡『赤とんぼ』の作詞者・三木露風が、
龍野の出身であるから。その一点だけで大々的にフィーチャーしている。当然、ゆるキャラも「赤とんぼくん」である。
龍野のトンボ密度は『シティーハンター』(→2005.1.27)に匹敵する、と言ってもまったく過言ではない状態なのだ。
L: たつの市における案内板はこんな感じで赤トンボが全面に押し出されている。本当にトンボだらけなのだ。
C: マンホールにもトンボ。真ん中のシャネルみたいなのは旧龍野市章。立つ野の「立」と脇坂家の家紋「輪違い」から。
R: 小さいマンホールにも徹底してトンボ。龍野におけるトンボ密度には執念すら感じてしまう。そんなこんなで揖保川を渡って市街地へ。右岸の市街地は道が狭く、まさに城下町らしい雰囲気を保っていた。
さっきの宍粟市山崎もそうだったが、龍野の場合には寺やヒガシマル醤油関連の施設が点在していることもあり、
伝統的な建築物の比率が高い。鉤の手や食い違いもしっかりと残っており、線ではなく面的に歴史を感じられる。
全国各地に残る重要伝統的建造物群保存地区でも、建物のファサードが並ぶ光景で勝負している場所は多いが、
広い範囲で昔ながらの街路を体験できる箇所はそれほど多くない。龍野はどちらかというと建築物そのものではなく、
町割で近代以前を感じさせる場所である。目で見るよりも、足で体験する、その点に大きな価値のある街だと思う。
L: 如来寺の脇。カーヴする道、塀や門などの瓦屋根が複雑に並ぶ光景、そういった城下町らしさが残る一角だ。
C: うすくち龍野醤油資料館別館(旧龍野醤油醸造組合本館)。1924(大正13)年の築で、現在は中に入れない。
R: レンタサイクルの店主曰く、別館の東側界隈にはかつて遊郭があったそうだ。確かに独特な雰囲気が残る。そのまま龍野城址に行ってみる。三木露風の生家は埋門のすぐ近くにあり、ええとこの坊ちゃんやのう、と思う。
埋門を抜けて石段を上がると、そこには1979年に再建されたという本丸御殿があった。山が迫っており、本丸は狭め。
龍野城は城主がコロコロ代わったが、1672(寛文12)年に脇坂安政が入るとそのまま脇坂家で明治維新を迎えている。
ちなみに脇坂安政が龍野に来る前に治めていたのは、わが信州飯田藩である。なんとも不思議な縁を感じるところだ。
安政は現在も残る町割をつくり、淡口醤油の生産を奨励するなど、名君としてバッチリその名を残している人物だ。
ヒガシマル醤油や揖保乃糸など豊かな龍野の産業を見るに、この人が飯田から去ったのはかなり惜しいことだと思う。
L: 龍野城埋門。もともとは後ろの鶏籠山の山頂に城があったが、脇坂安政が1672年に現在の位置に築城。
R: 本丸の端には復元された隅櫓。フォトジェニックな角度だが、無断駐車が雰囲気ブチ壊し。呆れるね。本丸御殿の中に入ると、まず驚いたのがすぐ左手の洋室。再建してコレというのが実に面白い。
おそらく明治維新後には実際にここだけ洋室に改装していたのだろう。その再現はとてもいい工夫であると思う。
奥の部屋はヒガシマル醤油の寄付で障壁画が再現されている。確かな産業の強みを見せつけられたのであった。
L: 本丸御殿。脇坂安政がそのまま飯田藩主だったらどんな飯田になっていたんだろうねえ……なんて考えてみる。
C: 入ってすぐにいきなり洋室で驚いた。 R: ヒガシマル醤油の寄付のおかげで再現された部屋。うーん、すごい。龍野城址を後にすると、さらに西へと行って龍野神社を目指す。この辺りの道は鉤の手全開で非常にややこしく、
城下町特有の都市空間を存分に味わえるのは面白いけど、観光する立場としては正直面倒くささもある。坂道だし。
それでもどうにか龍野神社のある方向へと進んでいって、坂道をウンセウンセと上っていくと、信じられない光景を見た。
そこにあったのは、猛烈な勢いの石段である。これを上るの!?と、しばしの間、茫然と立ち尽くしてしまったよ。
しょうがないので覚悟を決めて、一段抜かしで上っていく。酸欠状態で意識が少し朦朧としながらもどうにか拝殿に到着。
藩主・脇坂家の初代である脇坂安治を祀る神社なのだが、1862(文久2)年の創建と歴史が浅いからか、やや小規模。
L: 龍野神社の石段。ペダルを踏み踏み坂道を上った後に先の見えない石段というのは、なかなか厳しいものがある。
C: 石段を上りきると拝殿。奥には本殿もあるが、全体的に非常にせせこましい印象。強烈な石段のわりには小規模だ。
R: 境内の隣にある聚遠亭。脇坂家の屋敷跡にある建物と庭園の総称である。紅葉の名所だが、さすがに今の季節は地味。帰りは思う存分に位置エネルギーを解放して城下町を行く。山の手の武家地はだいたいこれでオーケーとして、
今度は揖保川近くの町人地を目指すのだ。龍野は東西ではっきりと、武家地と町人地の違いが残っているのが面白い。
苦しめられた坂道も鉤の手も武家地だからこその空間的要素で、対照的に町人地は街道沿いにすっきり並んでいる。
そして南北方向に寺を点在させて、防御拠点としている。龍野の街はそういった近代以前のまちづくりの意図が、
地図からも実際の空間からも容易に読み取ることができるのだ。この街を散策すると、歴史が見えて本当に面白い。龍野観光の核と言える「うすくち龍野醤油資料館」にお邪魔する。立派な建物だが、道幅が狭くてきれいに撮れない。
木造建築が多く残る龍野において、同じく木造ながらレンガで構成された外見は、圧倒的な存在感を漂わせている。
もともとは1932年に菊一醤油の本社として建てられたが、後身のヒガシマル醤油もかつては本社として使用していた。
その後、新社屋の完成にともない、1979年に世界初の醤油の博物館として開館したという経緯があるのだ。
訪れていちばん驚いたのは入館料。なんと、10円なのだ。これには「御縁の重なる重縁」という理由があるとのこと。
受付でわざわざ教えてもらって、いかにも商才に長けた関西圏の企業だなあと感心するのであった。
L: うすくち龍野醤油資料館。1978年まではこの建物がヒガシマル醤油の本社だった。入館料10円にはびっくり。
C: 向かいにはヒガシマル醤油の工場。木造建築で往時の雰囲気がばっちり残る。 R: 資料館の中はこんな感じ。展示されている資料は醤油づくりの各種道具が中心だが、さすがに淡口醤油についての説明に重点が置かれている。
単に道具だけではなく、同じく兵庫の宝塚歌劇のスポンサーだったことを示す資料や、中庭にある企業内神社など、
伝統産業の多様な面影を知ることのできる要素があって、非常に興味深い施設だった。勉強になるわー。
L: 1952年のプログラム。関西における淡口醤油とタカラヅカの影響力というものを感じさせる資料である。
R: 中庭には神社が(ガラス窓で撮影しづらかった)。企業内神社ってのも調べてみるとめちゃくちゃ面白そうね。淡口醤油についての理解を深めた後は、龍野の旧町人地をまわりながら次の目的地を目指して西へ。
揖保川に沿って走る道は木造建築がよく残っており、道は幅もくねり具合も昔のまま。貴重な空間である。
武士の屋敷という塊をずらしながら配置していく武家地と、ところどころで曲げつつも道という線を通していく町人地。
龍野にはその両者のはっきりとした違いが、今も明確に残っている。つくづく勉強になる街だ、とあらためて思うのであった。
L: かどめふれあい館。明治後期築の町家を1998年に再建したもの。地元の集会所や観光客の休憩所として利用されている。
C: 城下町の南側にはこんな感じ。町人地らしく通りにそって木造建築が並んでおり、複雑に配置された武家地とは対照的。
R: 水路と食い違い。南北方向(手前-奥)も東西方向(右-左)も、一本の橋でつなげつつ、ずらしているのがわかる。町人地のはずれにはヒガシマル醤油第二工場があり、この塀が白塗りと板張りという城下町らしい要素が全開。
中にはレンガの煙突もある。観光資源としてはあまり有名ではないようだが、いい武器を持っているなあ、という印象。
L: かつては酒屋だったと思われる建物で、日本酒やビールのホーロー看板が貼り付いている。でも真ん中は「ヒガシマル醤油」だった。
C: ヒガシマル醤油第二工場。残念ながら内部は公開していないようだが、うまくやればこれも強力な観光資源になるはずだ。
R: 龍野城から見て南西、白鷺山を挟んだとことにあるのが粒坐天照神社。播磨三大社のひとつとされているそうな。というわけで粒坐天照神社に参拝。「粒坐」は「いいぼにます」と読む。「坐」の「にます」はわかるけど(→2011.9.10)、
「粒」の「いいぼ」がとても読めない。「飯粒」には「いいぼ」という読み方があるそうなので、まあ納得はできるけどさ。
この「粒」=「いいぼ」は「揖保」となり、それが川や郡の名前になったくらい古い歴史がある神社なのだ(594年創建)。
参拝してみて驚いたのは、昨日の坂越・大避神社と同じく、拝殿の手前にある絵馬殿。立派な絵馬だらけだった。
L: 境内はこのように山に貼り付くようにつくられている。 C: 絵馬殿の絵馬。神社は火災に遭っているが、絵馬は無事だったようだ。
R: 拝殿。粒坐天照神社はやたらと火災が多く、現在の社殿は1962年に再建されたもの。よく絵馬が助かったなあ、と思う。さて今回、レンタサイクルにこだわった最大の理由は、永富家住宅まで行きたかったから。これは自転車じゃないと無理。
なんせ山陽自動車道よりもずっと南側、むしろ山陽本線の竜野駅に近いくらいなので(合併前の揖保川町域にある)。
それでどれくらい走らされるのか不安になりつつペダルをこいだのだが、揖保川沿いの県道120号はものすごく走りやすく、
呆気ないほど簡単に到着してしまった。まあこれは自転車だったからで、徒歩だったらとてもこうはいくまい。県道は揖保川の堤防の上につくられており、周りがどんな土地利用になっているかが非常によく見えたのだが、
永富家住宅の周辺は見事なまでに農地ばかり。それもまた、昔とあまり変わらない光景なのだろうな、と思う。
案内板に従って県道から下ると、まず目に入るのが永富家の墓地。この地における存在感の大きさがうかがえた。
その奥に半田小学校。プールが道を挟んだ向かいにあって、贅沢というかのんびりとした土地の利用の仕方だ。
さらに進んでいくと、永富家住宅である。長屋門から入るのだが、その辺りでウロウロしていたら係の人が来た。
L: 永富家住宅・長屋門。ここからすでに重要文化財(敷地内の建物はぜんぶ指定を受けている)。入場料は300円。
C: 長屋門を抜けるとさっそく1822(文政5)年築の主屋が現れる。その威容には圧倒されずにはいられない。本当に凄い迫力。
R: まずは土間から入るのだが、中に入っても圧倒されるばかり。吹抜大空間にどでかい桁と梁で、思わず立ち尽くしてしまった。主屋はその外観からして見る者の度肝を抜くほどの迫力があるが、中もまた実に立派なのである。
そもそも永富家は戦国時代にこの地に定着したらしく、江戸期には庄屋となったがとにかく賢い家柄として知られたそうだ。
あんまり賢いんでどんどん裕福になり、龍野藩の財政を何度も救っている。上級武士としての待遇を受けているほどで、
藩主が永富家を訪れるたびにがんばって豪勢にもてなした料理の記録もバッチリ残っている(大蔵の中に展示されている)。
さらには、この住宅の設計図(板に墨で描いたもの)や材料費、大工の賃金の記録までもきちんと残されているのだ。
永富家住宅がこれほど豪華なつくりをしているのも、龍野藩主が訪問するという関係があったからこそなのだろう。
L: 手前が下座敷、中座敷を挟んだ奥が上座敷。藩主が滞在する中央の上段の間を守る意味合いもある空間。
C: 庭も風情があってよろしいです。 R: 料理部屋と漬物部屋に挟まれた洗い場。調理スペースの充実ぶりが独特だ。ちなみにこの永富家住宅は、大手ゼネコン・鹿島の中興の祖である鹿島守之助の生家としても知られている。
もともと鹿島守之助はこの永富家の四男で、当時の鹿島社長の猛アタックを受けて養子に入ったという経緯があるのだ。
鹿島の特徴は建設部門だけでなく、本に関わる仕事もやっていること。建築の世界で鹿島出版会は重要な存在だ。
そして守之助の「どんな本でもすぐ手に入るような書店が欲しい」という生前の希望を叶えるべくつくられた書店こそ、
八重洲ブックセンターなのである(店の入口近くにはその設立理念が出してある)。永富家住宅の威容を眺めていると、
政治家・実業家・学者として活躍した鹿島守之助の凄さもそりゃ当然、と納得できる。とことん賢い家柄なんだなあ。
L: 大蔵(陳列館)。永富家に関する書類などが展示されている。代々かなりのメモ魔だったようで、生活の詳細がわかる資料が多い。
C: こちらは籾納屋(道具館)の内部。庄屋なのに男性用と女性用、計2台の駕籠があるのはふつうじゃない。永富家の凄みがわかる。
R: 長屋門の外、道を挟んだところには庭園の秋恵園。この季節はあまりフォトジェニックではないが、花が咲くといいらしいですよ。大いに余韻に浸りながら揖保川沿いの県道を戻る。永富家住宅は本当に見ごたえがあった。来た甲斐があったよ。
さてせっかくなので、揖保川沿いで気になったものを写真に撮ってみた。最後にちょろっと並べてみようじゃないか。
L: 赤とんぼ文化ホール(たつの市総合文化会館)。安井建築設計事務所の設計で1997年にオープン。近くまで行くずくはなかった。
C: ヒガシマル醤油第一工場。たつの市は揖保川左岸にヒガシマル関連の大きな工場があり、企業の強さを実感できる。
R: 揖保川の畳堤(たたみてい)。よく見ると溝が入っており、そこに畳をはめ込んで洪水に対抗する仕組みになっているのだ。以上で龍野観光はおしまいである。思っていた以上に見どころが多くて、やたらめったらウハウハしてしまったではないか。
レンタサイクルを返す際、店主に龍野の感想を訊かれたので、昔ながらの町割をここまで体験できる街は珍しいですよね、
と正直に答えた。そしたらかなり気を良くされちゃったようで、気になったことはなんでも電話で聞いてよと言われてしまった。
午前中の宍粟市山崎でもそうだったが、播磨の人はとことん親切すぎるくらいに親切な面があるようだ。ありがたいけどよ。姫路に出る姫新線はきっちり30分に1本で、すぐに姫路に出た。早く帰りたくって、さっさと荷物をまとめて新幹線に乗る。
新幹線の車内では、龍野の街の構造について考える。あれだけ旧来の街が空間的に残っている事例は非常に珍しい。
今は赤トンボと童謡の宣伝ばかりなので空回りしているのではないかと思う。その気になればもっと観光客を呼べるはずだ。
実際に訪れてみて、龍野にはポジティヴな要素ばかりを感じた。市名がひらがななのがマイナスだが、まあその程度だろう。
龍野の旧市街地が今もきれいにその姿を残している理由を考えると、やはり駅から距離があることが大きいと思われる。
ヒガシマルは、揖保川の東側(左岸)に蔵があったことから生まれた名だ(「日の出の勢い」の願いも込められている)。
なるほど今の土地利用を見ると、本竜野駅と揖保川の間にヒガシマル関連の工場があり、旧市街地は揖保川の対岸。
つまり、旧市街地を再構築する必要がまったくない形で、鉄道を利用した大規模な工業化ができる空間配置だったのだ。
とはいえ街を守る意識がもともと高かったことは確かだろう。そうでないと、今も木造の建物があれだけ残っていないはずだ。今回もいい旅ができたなあ、としみじみ余韻に浸りながら新横浜まで。菊名までの非常に面倒くさい1駅を乗り越えると、
東急への乗り換えついでにメシを食う。菊名のメシ屋はまったく充実していないのが切ない。なんとかならんのかね。
でもまあわりと早い時間帯に家まで戻ることができたのはよかった。じっくりと風呂に入ってのんびり過ごして寝る。
さあ、テスト前の旅行である。どうも長崎作戦失敗(→2013.11.22)以来、なんとなく釈然としないところがあるが、
日頃とってもストレスが溜まる生活をしていることもあり、旅行をきっかけに気持ちを切り替えるしかないのである。
ほかに方法がないんだよ。そんなわけで朝の7時に降り立ったのは岡山駅。そう、昨年末(→2013.12.27)と同じ便だ。
あのときには岡山駅から宇野線で南の玉野市へと向かったが、今回は東へと向かうのだ。岡山は交通の要衝だなあ。岡山はファジアーノが順調に盛り上がっておりますね。いつか試合を観たい。
今回の旅行でいちばん最初に核として考えたのは、播磨国一宮・伊和神社への参拝である。
地図で見る限り、伊和神社は非常に面倒くさい場所にある。鉄道の線路から、かなり離れた位置にある。
しかしそういう場所ってのはバス交通が発達しているもので、調べてみたら2時間に一本くらいのペースで行ける感じ。
せっかくなので伊和神社と城下町・龍野(現在は「たつの市」)をセットにしてしまって、これで一日使うとしよう。
そうなると宿は姫路だ。姫路と岡山の間は僕にとって未知の世界なので、赤穂を中心に一日使ってみようじゃないか。
そんな具合にプランが固まったというわけ。岡山スタートで切符を用意し、途中下車を繰り返せばいいのである。岡山駅から乗り込むのは赤穂線。相生−岡山間は山陽本線と赤穂線が並走しているのだが、鉄道に詳しくない僕は、
赤穂を通る赤穂線の方がメジャーだと勘違いしていた。大阪では「播州赤穂行き」の列車もよく見かけるし。
しかし実際には驚くほどローカル色の強い路線だった。西からだと播州赤穂まで行く列車が本当に少ないんでやんの。
まあとりあえず、赤穂線沿線には市役所が並んでいるので、それらを確実につぶしながら姫路まで行くのだ。
まずは邑久(おく)駅で降りて、瀬戸内市役所へ。瀬戸内市は邑久町・牛窓町・長船町が合併して2004年に誕生。
牛窓なんてすてきな名前だし、長船といったら刀で有名だし、東側には虫明という地名もあって面白くってたまらん。
それらが無個性な名前で一気に消されてしまったのが非常にもったいなく思える。なんとも愚かな事態である。さて瀬戸内市役所だが、最寄駅の名前からわかるように、もともとは邑久町役場だった。1987年の竣工とのこと。
駅から少し南に歩けばすぐの位置にある。ここからさらに東へずーっと歩いていけば、竹久夢二関連の施設がある。
牛窓も備前長船刀剣博物館も興味があるけど、どちらにも寄れるだけの余裕がないのがとっても残念である。
瀬戸内市に観光資源はそれなりにあるのだが、市役所周辺がちょうどエアポケットになっている印象なのであった。
L: 瀬戸内市役所(旧邑久町役場)。 C: 側面と背面。 R: 背面。周辺は商業施設が点在するくらいでつまらんです。赤穂線に再び乗り込むと、香登駅から新幹線・国道2号と並走する。ちょっと開けた感じの伊部(いんべ)駅を抜け、
西片上駅で降りる。ここがいちおう備前市の中心部であり、市役所の最寄駅ということだ。が、だいぶ弱まっている感触。
備前市じたいは1971年に市制施行しているが、2005年に日生町・吉永町とともに合併して新しい市となっている。
市役所はそのまま旧来の備前市役所を使用しているので、この西片上駅周辺が昔からの市街地になるはずなのだが、
山と海に挟まれた狭苦しい街並みは確かに歴史を感じさせるが、賑わいの要素はまるでなくなってしまっているのだ。
なんとも不思議な気分になりつつ国道250号に出ると、それをまっすぐ東に歩いて備前市役所に到着する。
L: 備前市役所の南西端。こりゃ増築した部分だな。 C: 備前市役所のエントランス付近。昔ながらの役場スタイルだ。
R: 備前市役所の竣工年はわからないが、右側が備前町時代に建てられた3階建てで、左側が後からくっついたのは明白。備前市も実はけっこう観光資源があるところで、なんといっても国宝・閑谷学校がある(旧吉永町域)。いずれ行きたい。
日生(ひなせ)では3年前にカキオコをいただいているし(→2011.2.19)、牡蠣関連のイヴェントもあるようだ。
そして何よりきっと備前といえば備前焼なんだろうけど、それはさっきの伊部駅周辺の方が盛んであるらしい。
ってことはつまり、隣の瀬戸内市と同様に、備前市役所も市役所の辺りだけエアポケットになっている感じである。
市役所撮影後に商店街っぽい道を散策してみたのだが、ほとんど住宅街になりかけている有様だった。切ないものだ。
L: 備前市役所の裏側。 R: 旧街道(山陽道)を歩いてみたが、商店街としての機能はもはや失われていた……。カキオコがいまだに思い出深い日生の先は、いよいよ兵庫県赤穂市だ。赤穂市は行きたい場所が散らばっているので、
それなりに時間をとって動きまわる予定である。播州赤穂駅に到着すると、まずは駅前のレンタサイクル屋に直行。
ちなみにわざわざ「播州赤穂」なのは、わが飯田線の駒ヶ根駅がかつて赤穂(あかほ)駅という名でかぶっていたから。
駒ヶ根市役所の近くには今も赤穂小学校と赤穂中学校があるよ。駒ヶ根市役所もきちんと訪れないといかんな……。
L: 播州赤穂駅前には四十七士のリーダー・大石良雄の像が。城下町・赤穂の主人公は城主ではなくこの家老さんです。
R: 国道250号沿いのソーラーパネル群。この光景を目にして、これは新しい形の農業なんじゃないかとふと思った。自転車を確保すると、千種川に沿う国道250号を一気に北東へと走る。橋を渡ってさらに東へ抜けると坂越の街並み。
坂越は「さこし」と読む。聖徳太子の側近だった秦河勝が亡くなった地だそうで、湾に浮かぶ生島に墓があるという。
この辺りは今も伝統的な木造建築が残っているらしいので、ちょいと足を伸ばしてみたというわけなのだ。
千種川から東へ入ると緩やかな上り坂で、ある程度えっちらおっちら進むと今度は海までくねった下り坂となる。
この下り坂に木造建築が集中しており、旧奥藤銀行の坂越まち並み館、奥藤酒造、海に面する旧坂越浦会所と続く。
まずは坂越まち並み館で勉強をして、のんびりとデジカメのシャッターを切りつつ旧坂越浦会所まで歩いてみる。
L: 坂越の街並み。くねりながら坂を下っていくと坂越湾へ出る。 C: 海に近い方から坂を振り返ってみたところ。
R: 後で大避神社の脇にある公園から木造建築群の屋根を眺めたところ。伝統的な街並みの面積はそんなに広くない。確かに中心部である大道(だいどう)はきちんとフォトジェニックなのだが、それ以外はそれほどでもない感じ。
昔ながらの街並みが残っているエリアは線的なようで、坂越湾に沿っている道はごくふつうの住宅地となっている。
したがって街歩きの楽しみはさほどでもない、というのが正直なところ。もうちょっと厚みがほしいかなあ。
L: 坂越まち並み館(旧奥藤銀行)。大正時代の築で、中にはデカくて古い金庫がある。坂越の歴史がよくわかる施設。
C: 奥藤酒造の店舗。奥には酒蔵を利用した郷土資料館もある。展示内容はやや雑多、造り酒屋のいい香りが漂っていた。
R: 大道沿いの建物。具体的にどんな用途なのかはよくわからなかったが、あまりの迫力に思わずシャッターを切った。坂越湾の手前はオープンスペースのような公園となっており、道はここで丁字路となる。
そしてちょうどこの場所に位置しているのが旧坂越浦会所。1831(天保2)年の築であり、単なる地元の会所だけでなく、
赤穂藩主の茶屋としての利用もされた建物なのだ。現在は無料で内部を見学できるようになっているのだ。
L: 旧坂越浦会所。2階の「観海楼」からは海がよく見える。なるほど、のんびり過ごすには最高の建物である。
C: 中庭がなかなか面白いデザインになっていた。 R: 赤穂藩主の昼寝部屋。こりゃあ実にうらやましい。坂越の住宅地に入ったところにあるのが、大避(おおさけ)神社。この地で亡くなったという秦河勝を祀っている。
海に面した小高い丘を利用して神社としており、小ぢんまりとしているものの、雰囲気はなかなか厳かである。
歴史ある港町を代表する神社ということで、何より圧倒されたのが絵馬堂だ。奉納されている絵馬がどれもすごい。
社殿なども18世紀半ばに建てられた立派なものばかりで、坂越の本領は街並みよりも、こちらにあるように思う。
L: 大避神社の石段と神門。神門は1746(延享3)年の築とのこと。 R: 同じく1746年に建てられた拝殿。
R: しかし最も圧倒的だったのは、拝殿の手前にある絵馬堂の絵馬たち。どれも歴史と信仰を感じさせるものばかり。赤穂市内の自転車移動はけっこう大変なので、これくらいで坂越を後にする。もうひとつ武器がほしかったかな、と思う。
大道を戻って千種川の脇に出ると、そのまま川に沿ってペダルをこいで一気に南下する。トンネルを抜けるとそこは、
わりと最近に整備されたらしい街並みとなる。坂越とはスケール感がずいぶん違い、ひとつひとつが広い印象がする。
そんな直線的で密度の薄めな一帯を南の果てまで突き抜けたところにあるのが赤穂海浜公園。もともとは塩田だそうで、
1987年に兵庫県立の公園として開園している。面積が非常に広く、テニスコート、遊園地、オートキャンプ場など、
実に多様な区画が集まっている。その中の一角に赤穂市立海洋科学館と復元された塩田があるということで、
まあせっかく赤穂に来ているわけだから塩田見学をしてやろうと思ったわけである。自転車は園内に入れないので、
トボトボと歩いて塩田を目指すのであった。開園から四半世紀が経って施設は老朽化が進みはじめているのが気になる。
来場者は決していないわけではないのだが、あまりに広いので閑散とした印象がどうしても強まってしまう。損している。
L: 赤穂海浜公園の様子。左端に遊園地の観覧車が見える。 C: 高台から園内を眺めるとこんな感じ。
R: 赤穂といえば昔から塩が非常に有名。これは江戸時代に発達した入浜式塩田を復元した一角。敵から塩を贈られないと生きていけない山国育ちの僕には、塩田というのはなかなか不思議な文化なのである。
竹原(→2013.2.23)や防府(三田尻 →2013.12.22)など、製塩業で知られた街に行ったことはいちおうあるが、
きちんと現場で勉強したわけではないので、今回塩田を景色として体感できたのはとてもいい経験になったように思う。
L: 製塩作業所(釜屋)。トンガリが謎なんですけど。 C: 流下式塩田。枝条架という装置に塩水を垂らして濃縮。
R: 最も原始的な揚浜式塩田。製塩技術の発達を見るに、昔の人の知恵って凄いもんだと心の底から感心させられる。満足して公園を出ると、千種川の右岸に出て赤穂城址を目指す。ほどなくして体育館の先に堀と石垣が見えてくる。
が、どうも不思議なのだ。自然の地形を利用した山城はともかく、平城はふつう矩形で縄張が構成されると思うが、
地図を見てわかるとおり赤穂城はかなり複雑な形である。どこか函館の五稜郭(→2008.9.15)に似た印象すらある。
これは銃撃戦を意識して設計したからだそうだ。江戸時代初期(1661年)の竣工だが、非常に興味深い事例である。
赤穂城は当然、『忠臣蔵』こと元禄赤穂事件の舞台のひとつだ。実際に見てみると、物語のリアリティが増してくる。
鈍角で折れている石垣を眺めながら、ぐるっと北からまわり込んで大手門へ。この虎口でまたまわり込まされて、
もう何がなんやらと思っていると、右手に長屋門が現れた。赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助良雄の屋敷の長屋門である。
L: 赤穂城大手門。今の赤穂城址できちんと矩形なのはここくらい。ちなみに門と櫓は1955年の再建とのこと。
C: 大手門前にあったポスト。左の「右二ツ巴」は大石家、右の「丸に違い鷹の羽」は浅野家の家紋ですな。
R: 大石良雄邸長屋門。さすがにこれをきちんと残しているところに、赤穂の皆さんの誇りを感じる。この長屋門の裏には現在も大石邸の庭園がある。この大石邸があった位置に鎮座しているのが大石神社だ。
明治に入ってからの創建だが、大石良雄をはじめとする四十七士のほか、討ち入りできなかった萱野三平(重実)、
浅野家の皆さん、その後の赤穂藩主である森家の皆さんとその祖先(蘭丸も含む)など、多数の人々が祀られている。
さすがにここは観光客の皆さんがけっこういっぱいいた。赤穂の観光名所はここがいちばんの核と言えるだろう。
江戸城松の廊下で浅野内匠頭がやらかすと、赤穂にいた大石良雄は突如として昼行灯から切れ者リーダーに変身。
まずはタカ派をなだめて無血開城にもっていき、その後はお家再興を目指して根回しを展開。しかし望みが絶たれると、
今度は目標を討ち入り一本に絞って周到に作戦を練り、ついに本懐を遂げる。やるべきことをすべてやりきった人だと思う。
ふだんの昼行灯ぶりといい非常時のキレ具合といい、心の底から尊敬したい人物である。そんなわけで丁重にお参り。
L: 大石神社の参道。松の廊下ならぬ松の参道ですか。四十七士の石像も並んでいて、いちばん手前は寺坂吉右衛門だった。
C: 拝殿。さすがに大願成就のご利益があるそうな。 R: 義士宝物殿は湊川神社の宝物館を移築したもの。大正時代の築。参拝・宝物殿見学を終えると、赤穂城の本丸跡に入る。堀を渡る際、大石良雄が城を明け渡す場面を思い浮かべる。
隣の龍野藩主・脇坂安照が感心するほど鮮やかに撤収したのも、大石の巧みな手腕があったからこそなのだ。
もっとも大石は事件の7年前に備中松山城の受け取りを見事に果たしており(→2011.2.19)、その経験が生きたのだろう。
L: 赤穂城址の周囲は非常に広大な空き地となっている。かつては赤穂浪士たちの屋敷がここに建ち並んでいたそうだが。
C: 赤穂城はかなり広い城で、それが経済的な負担になっていたそうだ。石垣は今も独特な形を見せてくれている。
R: 本丸への入口。広いだけに赤穂城址は整備されていない部分が多く、この手前の二の丸周辺ですら空き地だらけだった。赤穂城の本丸跡にはかつて旧制赤穂中学(現在の赤穂高校)があったが、今は屋敷の間取りが再現されている。
奥には天守台があり、これは浅野氏時代からのもの。しかし幕府への遠慮と金欠で、天守が建てられることはなかった。
L: 赤穂城の天守台。 C: 天守台の上から眺めた本丸。 R: 庭園を眺める。まあ何にせよ広大な城だ。城の見学を終えると、自転車で広大な城址を走り抜けて、少し西ある赤穂市立民俗資料館へと向かう。
これは1908(明治41)年に建てられた旧大蔵省赤穂塩務局庁舎を利用しているそうだ。見ないわけにいかない。
赤穂といえば浪士と塩。つい10年ほど前まで日本では塩が公社で専売されていたくらいで、塩は重要なのである。
だから明治政府も塩の産地に塩務局なんてのをつくったわけだ。赤穂の塩務局庁舎は日本で最古とのこと。
いざ到着してみると、建物は思ったよりもちょっと大きく、手前の道を挟んでも真正面から撮影できないくらい。
瓦屋根で擬洋風なスタイルである。非対称でずいぶん凝ったデザインだ。細部まできれいにしてあるのも好印象。
L: 赤穂市立民俗資料館(旧大蔵省赤穂塩務局庁舎)。塩で栄えた赤穂の誇りを存分に感じさせる建物である。
C: 角度を変えて現在のエントランスを中心に撮影。 R: 裏側の中庭部分から見るとこんな感じになっている。入館料は100円。この時期には定番になのか、雛人形の展示が大胆になされていた。それ以外にも実にいっぱい、
レトロな物が置かれていた。昭和ぐらいまで、カメラにおもちゃにバリカンに、生活用品を中心にありとあらゆるものがある。
そのコレクションは「懐かしさを感じられるものならなんでもOK」という方針で貫かれているようで、もうなんでもあり。
私立の施設ならまだわかるが、公立でこういうやりたい放題をやっている例は珍しいように思う。まあ嫌いじゃないけどね。もともとお役所だからか、室内の装飾は基本的にシンプルになっている。
最後に赤穂市内を軽くぐるっと散策しながら市役所へと向かう。途中で気ままにシャッターを切ってみたのだが、
やはり赤穂の印象は城と同じで、空間に余裕を感じさせる箇所が多い。城下町にしては街があっさりしている。
城の北側は昔ながらのこまごまとした空間になっているが、商店街の要素があんまり強くないのである。少し独特。
L: 赤穂市立歴史博物館の裏側。蔵が5連発というなかなか変態的なデザインとなっている。 C: 花岳寺の本堂。
R: 駅から延びるお城通り。歩道が広くて、最近になって整備された感触がする。商店の数はやや少ないかな。そんなこんなで赤穂市役所に到着。7階建てでなかなかデカい。てっぺん近くの出っ張りは議場のせいみたい。
L: 赤穂市役所を南東側から見たところ。 C: 東側から見た。 R: 北側。こっちは明らかに背面って感じだな。赤穂市役所は1981年の竣工。正直なところ、どこが正面なのかよくわからない建物だ。東側がメインの入口っぽいが、
見かけとしては側面である。ビシッとかっこよく決まる角度がないので、個人的には撮りづらい感触の市役所だ。
L: 北西側より撮影。 C: 南西側から見た。 R: 南側から見たところ。どうもすっきりと撮影できない建物である。というわけで、自転車を返却して赤穂市探訪はおしまい。駅にある観光案内所にも寄ったのだが、塩と忠臣蔵、
それでだいたいおしまいという印象なのであった。係の人が討ち入り衣装っぽい羽織を着ていたのは面白かったけど。
忠臣蔵が非常に強力なコンテンツなのはわかるが、赤穂城址が広大すぎて整備が間に合っていないのが現実なので、
何かもうひとつ街並みの方で魅力があると違ってくると思うのだが。物語に空間が追いついていない印象である。赤穂から先は新快速の車両で、これでようやく中国地方から近畿地方に来たんだ、という気分になるのであった。
3駅進んで相生で降りる。本日最後の市役所探訪は相生市なのだ。が、相生市役所は駅からかなり遠いのだ。
相生市内に何かいい感じの観光名所でもあれば、のんびり歩いてそこを経由して市役所を目指すところだが、
これがもう笑えてくるくらい本当に何もないので、結局バスに乗って直接市役所まで行ってしまうことにした。
新幹線の駅もある交通の要衝、IHI(旧社名は石川島播磨重工)の企業城下町だが、ただそれだけって感じ。バスに揺られること7分ほどで相生市役所に到着。3階建てで、見るからにこれは古い!と思ったら1962年竣工。
この時期にコンクリート本来の色を残さない(つまり色を塗らない)庁舎はないので、茶色は後になっての着色だろう。
ぐるっと一周して撮影していくが、その真四角ぶりがまた昭和30年代である。うーん、これはこれで味わい深いぜ。
L: 相生市役所。質実剛健である。 C: 角度を変えて撮影。うーん、お役所だ。 R: 裏側はこんな感じである。さて市役所の敷地入口のところに「相生市役所」の看板があるのだが、その下にはこんなパネルが据え付けられていた。
ど根性大根! なつかしい!
もはやすっかり風化してしまったど根性大根だが、それが相生市で発見されたなんてことはまったく記憶していなかった。
意地が悪くて申し訳ないけど、ど根性大根で盛り上がろうと必死になるあたり(そしていまだにそれをネタにするあたり)、
相生市の観光資源の異様なまでの乏しさを実感せずにはいられない。そこまで観光資源に飢えているのか……。なんだか虚しくなってしまったので、もうさっさと本日のゴールである姫路市へ行ってしまうことにした。
姫路に来るのは2回目で、前回はまだ姫路城が改修工事に入る前だった(それで少し焦って訪れた →2009.11.21)。
あれから4年、姫路城はまだ工事中。姫路駅からまっすぐ先に見えるその姿は、まだ四角いヴェールで覆われている。
すべての工事が終わるのは来年3月ということで、やっぱりあのタイミングで行っておいて正解だったわと思うのであった。
久しぶりの姫路で驚いたのは、駅が大胆にリニューアルされていたこと。そういえば4年前はなんだか工事中だったわ。
新しい駅ビルは全体が南にずれたようで、旧駅ビル跡地はけっこう深めに掘られたサンクンガーデンになっていた。
ヒップホップダンスの練習をしている若者の姿が目立っていて、姫路のわりとストリート文化な面を感じた。さて姫路に来たはいいが、市役所はすでに前回訪れているため、特にこれといって見たいものはない。
いちおう村野藤吾が設計したというヤマトヤシキを眺めてから、縦横無尽に走るアーケード商店街を歩きまわる。
ヤマトヤシキは本当に村野の設計かと思うほど外見的な特徴がなく、なんだか狐につままれた気分になった。
L: 村野藤吾が設計したというヤマトヤシキ。ふつうのデパートと変わらんやん。 C: 姫路城はまだ工事中。
R: みゆき通り商店街を行く。姫路は岡山からも神戸からも適度に距離があるので、その分しっかり賑わっている。ひととおり歩きまわると駅ビルへと戻る。そして5階に直行。そこにあるのは……東急ハンズ姫路店なのだ。
やはり東急ハンズ大好きっ子としては、ぜひとも全店制覇しなければならないのである。うーん、つらいぜ。
姫路店は姫路駅とともに昨年4月にオープン。ざっと見てまわった印象としては、典型的な地方都市型店舗で、
オシャレさが全面に押し出されている。その分だけ工具などハンズ本来の「らしさ」が非常に弱いのは残念である。まあそんな具合に1日目は終了。たっぷり市役所を見てまわることができてよかったでござる。
浅田真央をかっこいいと思ったのは初めてだよ。いや別に美談に仕立て上げたい人たちに乗っかりたいわけじゃなく、
前日の失敗を振り切って自分のやりたいことをやりきったその姿勢に対して、僕は素直にかっこいいと思ったのだ。
実際、演技の際の表情からは最大限の集中力を感じることができて、ああこれは本当にかっこいいな、と。
僕はぜんぜんフィギュアスケートに興味なんてないし、今でもなんで世間にそんなにファンがいるのか理解できないけど、
真剣勝負の世界で生きる人が一世一代の集中力を見せたのを目にして、その凄みを全肯定せずにはいられなかったよ。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』。……え? Solid State Survivorじゃないの?
神山監督による『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG』(→2005.9.6)の続編になる。
もともとは映画として企画されたらしいのだが、結局はオリジナルアニメ作品として収まったようだ。
僕は1stについては大絶賛だが(→2005.3.6/2014.1.5)、2ndについてはそこまで評価していない。
なので2ndの続編と聞くと、正直ちょっと不安である。そんなに期待しないで見はじめるのであった。主人公であるはずの草薙素子は失踪してしまっており、公安9課のリーダーにはトグサが就任している。
素子が失踪したという設定は、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(→2005.8.19)を思わせる。
9課が追いかける相手の名前も「傀儡廻(くぐつまわし)」で、「人形使い」を容易に想像させるではないか。
というわけで、これは神山監督版の『GHOST IN THE SHELL』と解釈することができるんじゃないかと思う。
そう判断して、神山監督はどんなアレンジが挟んでいくのか、いろいろ考えながら見ていくことにした。素子失踪以前の9課は少数の精鋭による全力での問題解決を行っていたが、さすがに素子抜きとなってはそれは難しく、
最も一般人らしい思考をするトグサをリーダーとして、やや官僚的なスタイルで任務を遂行する組織となっていた。
そこにテロを企む工作員たちが傀儡廻に怯えて次々と自殺する事件が発生。バトーは独自の捜査を進めるうち、
失踪したはずの素子に遭遇。そしてその状況から、傀儡廻の正体が素子かもしれない、と疑念を抱くようになる。
というわけで、観客は「素子は犯人なの?」「9課を抜けて何をやってるの?」という疑問を持たされる。
そして神山監督が挟み込んでくるのは、まさに現代社会が直面している、高齢化と児童虐待というテーマ。
STAND ALONE COMPLEXならではの社会学が見事にストーリーに融合しており、これには大いに唸らされた。
攻殻機動隊シリーズが単なるアニメの枠を超えているのはまさにこの要素があるからで、今回も切れ味は十分だ。しかし、その社会学としての要素が今回、物語としての面白さにブレーキをかけているのもまた事実である。
というのも、「テロ組織に対する傀儡廻」と「貴腐老人をめぐる陰謀」という問題が、うまく整理されていないから。
序盤は傀儡廻をめぐる捜査だったのが、素子の謎と絡んでよくわからないうちに貴腐老人の問題にすり替わっている。
(たぶんこの作品を見た人の大部分が、テロ組織の自殺から物語が始まったことを忘れてしまっていたんじゃないか。)
お前の頭が悪いんだと言われればそれまでだが、アクションの見せ場を優先した結果そうなったように思うのだ。
言い換えると、謎の解明とアクションの展開の間につながりが見えない。アクションの必然性を感じないのである。
たとえばバトーが素子を目撃するアクションシーン、ここはテロ組織問題と貴腐老人問題が交差する重要な箇所だが、
素子が傀儡廻なのかという謎をメインにもってきてしまったことで、全体像がぼやけてしまったのではないか。
そしてテロ組織問題の要素が見られた最後の場面であるサイトーさんの狙撃シーン。めちゃくちゃかっこいいんだけど、
かっこよさを最大限に表現してくれちゃったおかげで、やっぱりテロ組織と貴腐老人のつながりがうやむやになった。
電脳ハックされたトグサが自殺に追い込まれそうになるシーンも非常に印象的だが、それだけであるように感じる。
つまりこの作品は印象的なシーンのパッチワークとなっていて、その分ストーリーの全容はかなりつかみづらいのだ。改善のポイントは、傀儡廻にあると思う。人形使いは人間に思われていて実はプログラムという仕掛けだったのだが、
傀儡廻についてはあえてなのか、人間らしさを一切発揮しないように、実体性を感じさせないように描かれている。
これは素子=傀儡廻ではないかという謎を優先させた副作用かもしれない。傀儡廻に実体を感じさせるとその分だけ、
素子らしさからは離れていくことになる。謎を保つためにはどうしても、傀儡廻からキャラクター性を抜かないといけない。
ところがそうなると今度は、テロ組織を自殺させる一方で貴腐老人を操っている傀儡廻の存在感が薄れていく。
つまりわれわれは(素子のいない9課と一緒で)傀儡廻の犯行という形跡を追いかけるしかない立場に置かれているが、
犯行する主体の実体がいつまで経っても感じられないうえに、正体が素子かも疑惑まで重ねられちゃうもんだから、
もうワケがわかんなくなって、マテバを自分に向けて構えるトグサと同じくらいの混乱状態に陥ってしまうのである。
社会学全開のゴール地点についてはそれなりに納得できるだけに、ストーリーテリングの拙さがどうしても引っかかる。
まあ、やるんだったらもうちょっとじっくり話を練ってからにしてほしかったね、というのが正直な感想である。
それって2nd GIGのときの結論とまったく同じじゃねえか(→2005.9.6)、というオチ。神山監督は成長していませんね。
詳しく書けないけど、今日はついに皆様がキレてしまいました。まあ僕も一緒にキレたんですけどね。
怒りを通り越して呆れるってやつでして。呆れてもう何も言えない。同じ人間とは思えない。理解しがたい。
ジェイクがいないのでエルウッドとほか3人で『ブルース・ブラザーズ2000』(前作のログ →2014.2.4)。
ちなみに「ほか3人」の内訳は、子どもとデブと黒人(カーティスの隠し子という設定)である。
つまり、ジェイクすなわちジョン=ベルーシは、無邪気な子どもであり、ぽっちゃりであり、
ブラックミュージックのセンスを生まれながらに持っている人間である、そう解釈できるようにも思う。結論から書いてしまうと、見れば見るほどにジェイク(ベルーシ)の不在が強調されてしまうのは否めない。
前作を最大限に配慮したキャストとさらに豪華なキャストが新たな物語を動かしていくが、それがまるで、
変な表現になるが、見えない神輿を担いでいるように見えるのだ。その神輿には、ジェイクが乗っている。
たとえば前作では、エルウッドが車を運転すると必ずトラブルが発生した。そんなふうに殺気全開の前作と違い、
『2000』はどこかほのぼのとした雰囲気が漂っている。全編が前作へのリスペクトで貫かれているからだ。
(お約束ということで車が壊れまくるシーンはきちんとあるが、一箇所に集中させてあるのだ。)
そしてその姿勢は、なんとなくお祭りを思わせるのである。だからジェイクを祀った見えない神輿が見える。
「ブルース・ブラザーズ」という枠が本当に大切にされているからこそ、その不在の存在が可視化されるのだ。はっきり言って、この作品の物語としての完成度は非常に低い。前作もあんまり高くはなかったが、
今作は目に見えて完成度が低い。魔法を使う女王の存在が何もかもぶち壊しにしてしまっているのだ。
でもなぜか目をつぶってあげたい気分になる。『ブルース・ブラザーズ2000』はそういう映画なのだ。
理由は、前作そしてベルーシへの敬意がストレートに伝わってくるから。すごく優しい映画なのである。
前作を見た経験があると、今作が本当に細かいところまで気を配ってつくられていることがよくわかる。
各キャストの再登場はもちろん、その出し方まで実に凝っている。BOB'S COUNTRY KITCHENもうれしい再登場だ。
歌い踊るアレサ=フランクリンを突っ立って見つめるマーフィの猫背っぷりなんてもう、前作とまったく一緒。
(でも前作と比べるとアレサ=フランクリンの演技はソフトで、それがやっぱり敬意あるお祭りを象徴している。)
時間が経って変わった部分と変わらない部分(変えない部分)、そこのバランス感覚が絶妙なのである。とはいえ今作は前作へのリスペクトだけに留まらず、新たな要素も加えられている。
B.B.キングとエリック=クラプトンを擁するライバルバンド(ルイジアナ・ゲーター・ボーイズ)の存在もそうだし、
ブルース・ブラザーズ・バンドはブルーグラスやカリビアンなど前作にはなかったジャンルも演奏している。
このことは、「ブルース・ブラザーズ」という存在が、みんなの中で前作よりもはるかに大きくなったことを表していると思う。
(ただし大物ミュージシャンが参加しすぎて焦点がボケてしまい、そのことで何かが失われたという感覚も強く残るが。)
つまり、ブルース・ブラザーズという存在を通してみんなが音楽そのものへの敬意を深めたってことは確かだと思うのだ。
すごく逆説的なのだが、ジェイクの不在が「みんなブルース・ブラザーズでいいのだ」という状況を許可した。
ベルーシの死じたいは究極的にネガティヴな事態なのだが、それによってブルース・ブラザーズの独占が不可能になり、
しかしながらベルーシへの敬意はきちんと保たれているので、お祭りのような続編が生まれることになったのだ。
これは非常に不思議なことだ。でも、すばらしいことだ。だから話としてはつまんなくてもきちんと肯定できるのだ。
(もちろん、良質な音楽がストーリーを乗り超えちゃった、という側面は大いにあるだろう。→2010.2.23)
ネガティヴをポジティヴに転化した、それは昇華と言ってもいいだろう、その軌跡を味わうことができる作品だ。それにしてもジョー=モートン(チェンバレン署長)って、いい声してんな。
『COWBOY BEBOP 天国の扉』。名作アニメ(→2005.1.21)の劇場版で、オリジナルストーリーである。
何から何まで謎に包まれたテロと莫大な懸賞金という壮大な設定が用意され、いつものメンバーが活躍する話。
とにかくアクション映画のありとあらゆる要素が詰め込まれている贅沢な作品であると思う。まず、すべてのキャラクターに見せ場がしっかりと与えられている点が印象的だ。
レギュラーメンバーのそれらしい姿はもちろんのこと、ゲストキャラクターもかなり丁寧に描かれているし、
本編でさんざん出てきたアントニオ・カルロス・ジョビンのジジイ3人組にまで活躍するシーンが用意されている。
「同窓会のようだ」というツッコミを入れることもできるだろうが、不満に思う人はほとんどいないだろう。話の展開は大雑把に言えば謎解きとアクションに尽きるわけだが、特にアクションの充実ぶりが目を引く。
スパイクお得意の格闘シーンにドッグファイトにと、これでもか!と言わんばかりにしっかり盛り込まれている。
舞台空間も観客の印象に残りやすいようによく練られており、なかなか贅沢に組み合わせてつくってある。
それに比べると謎解きの方はやや凡庸な感触がしなくもないが、そこをこってりに描く必然性はそもそもない。
映画館のスクリーンで暴れまくる爽快感が最優先されていて、それはきわめて妥当な判断だと思うのである。そんなわけで、文句なしの総集編というか、本当にまとめをやりきっている作品であると言えるだろう。
『COWBOY BEBOP』の魅力はキャラクター、セリフ、格闘、メカニック、そして音楽と多岐にわたっている。
映画というフォーマットでそれぞれの及第点をしっかりクリアしながら一貫した物語に仕上げてあるんだから、
それだけで十分にすばらしい。きれいにまとまりすぎている分だけ続編がなさそうな予感が強く、それが唯一の難点か。
ダグラス=アダムズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』。おバカSFの金字塔ということで読んでみた。
「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えが42」でおなじみのアレである。あちこちで面白いと絶賛の嵐なのだが、僕にはまったく面白くなかった。もう読むのに疲れちゃって。
ところどころに『モンティ・パイソン』に通じるいかにも英語圏らしい笑いのセンスを嗅ぎ取ることはできるのだが、
だからといってそれを素直に楽しむことはできなかった。頭の中では英語の笑い声がこだまするけど、取り残される感じ。
(まあそもそも、僕は『モンティ・パイソン』のスケッチすべてを面白いと思っているわけではないし。)
これはおそらく僕が35を過ぎても結婚できないくらいにクソマジメな性格をしていることが原因なのだろう。
誰のセリフなのかわかりづらくてそれをマジメに考えたり、情景描写を素直に脳内で再現したりするとすごく疲れる。読んでいる間ずっと、落語との違いを考え続けていた。やっぱり僕は落語の方が好きな日本人なのだ。
あともうひとつは『モンティ・パイソン』のことで、映像だと面白いであろうことが、文章になるとそうでもなくなる。
読者の想像力に委ねる余地の多い「ホット」な文章よりも、映像の方が「クール」なわけで(マクルーハン式の分け方)、
その差が思っている以上に大きいということなんだろうか。とにかく、すごいとは思うけどまったく面白くはなかった。
英語圏あるいはギャグセンスのある人なら「面白い」となるところが、僕には「なるほどすごい発想だ」なのである。
大いに感心はするけど、それは「面白い」とはまるで別の感情だ。「よくそれが出てくるなあ」どまりであって、
笑うところまではいかないのである。笑いとは違うところは頻繁に刺激されたんだけどね。「これはすごい」と。
まあとにかく、僕はナンセンスギャグと非常に相性が悪いということがよーくわかった。
昨日ずーっと降り続いていた雪はまたしても見事に積もって、夜には東京が南極のように白くなっていた。
風に乗って吹き付ける雪と格闘しながら環七を歩いて帰ったのだが、別の世界に飛ばされた印象しかしなかった。
日付が変わるころに窓の外を眺めたら、舞う雪と降りた雪のせいで空がまだ明るい。白夜かよ、と思ったくらいだ。そんなわけだったから、雪が雨に変わったところで東京の混乱ぶりがマシになるはずもない。
今日も交通機関はあちこちでマヒしているし、歩道に積もった雪はたっぷりと水分を含んで踏んだら弾けるしで、
出勤するのに本当に苦労した。なんで土曜日に授業をやりやがるんだ、と猛烈にむくれるけどどうしょうもない。
授業は1時間目をカットして2時間目からのスタートとなった。出勤することにかなりエネルギーを使ってしまったので、
それはそれでいい休憩にはなったけどね。対照的に、遅めの登校をしてきた生徒たちのテンションは高め。モチベーションが上がらないので、授業ではスクラブルをやることに。前の学校ではふつうのやつでできたのだが、
今の学校には子ども向けのやつしかない。子ども向けはいろいろ簡略化されている分だけ駆け引きが大味でイマイチ。
とはいえ案の定、生徒たちは非常によく食いついてきて、頭と辞書を引く指先のいいトレーニングになったようだ。
スクラブルはどんなに勉強が苦手な生徒でも真剣に取り組む、本当によくできたゲームだと思う(→2013.2.1)。で、午後には室内で部活。本来であれば練習試合をやる予定だったのだが、さすがにこの大雪では無理なので延期。
コーチの提案でヘディングやキックのフォームをビデオに録画してみた。コーチの指導には毎回目からウロコが落ちる。家に帰るべく地下鉄に乗ったら、夕方なのにまだダイヤがイカレていて週末とは思えない混雑ぶりなのであった。
事故が起きた東横線は復旧の見通しが立たないそうで、なんとも面倒くさい状況である。来週末は何も起きるなよ!
マーティン=スコセッシとロバート=デ=ニーロ、『キング・オブ・コメディ』。
まず見ていて思ったのは、「これは、うれしくない映画だなあ」ということ。われわれがストーリーに触れる際、
ふつうは登場人物に感情移入することで作品の世界へと入り込んでいく。そうしてキャラクターとともに作品内を駆け抜け、
鑑賞し終わったときには何かしらのお土産(主なものではプラスな感情など)を受け取って現実世界へと戻るものである。
しかしこの作品は、見ていてもその途中にカタルシスがぜんぜんないのだ。感情移入すればするほどつらくなるだけ。
それはデ=ニーロ演じる主人公の痛々しさがとてつもないから。ガンプラをガシンガシン戦わせていた幼年時代を思い出す。
まあそういう自分の中の狂気を見つめさせられるという意味では確かに鋭い作品なのだが、それは娯楽ではないのだ。デ=ニーロが演じるのはコメディアン志望の男。でも現実の舞台に立とうとせず、ひたすら妄想ばっかりの日々。
そして山城新伍に似ている大人気のコメディアンに憧れるあまり、ストーカー女と組んで誘拐を実行してしまう。
要求は、山城新伍の代わりに自分をテレビに出演させること。そこからの話の展開はけっこう急で、そのままラストへ。
誘拐以前の妄想の日々に割かれている時間はかなり長く、主人公の狂気をこれでもか!というほどじっくりと描いている。
その気持ち悪さを的確にえぐり出すのがデ=ニーロの演技力か。でも、それが徹底している分だけ娯楽からは離れていく。この作品の終わり方には賛否両論あると思うが、結末をそのまま素直に受けとめるとすれば、僕としては違和感がある。
やはりそれまでの主人公の気持ちの悪さから考えると、そのハッピーエンド的な終わり方はどうしても納得ができないのだ。
ところがこの作品は、妄想と現実をくっきり区別しない演出をしている。受け手は主人公の気持ちの悪い性格から類推し、
いま見ているのが妄想のシーンなのか現実のシーンなのか、状況に応じていちいち判断する仕組みになっているのである。
そのため、一見ハッピーエンド的な結末は、実は妄想とも解釈できるのだ。その辺はさすがスコセッシってことか。
とはいえ、ほとんどの観客は、その結末を現実として解釈するだろう。まちがいなくその方が自然な解釈であるはずだ。
でもそれはそれで、ストーリー全体が壮大かつ強烈なブラックジョークとして仕上がることになるわけだ。
つまり主人公の狂気が肯定されることで、ショウビジネスの世界全体に強烈な狂気の影が烙印として押されることになる。
どっちを向いても狂気が残る。この「逃げ場がない」感じ、こういう質感の映画を見たのは初めてではないかと思う。
『コーラスライン』。もともとブロードウェイのミュージカルだったのを、リチャード=アッテンボロー監督で映画化。
つまんない。そういえば『シティーハンター』(→2005.1.27)にこんなような設定の回があったなあ、
北条司はこの映画が好きだったんかなあ、なんて思いながら見たのだが、途中でけっこう眠くなってしまった。
たまらず見るのをいったんストップして、しばらく経ってから続きを見たのだが、僕がそうすることは非常に珍しい。
まあ結局はそこそこ意識を持続して最後まで到達することができたのだが、つまんないという感覚は最後まで変わらず。音楽は80年代全開の音で、これがけっこういい。80年代の音はシンセサイザーのおかげでつくりものっぽいんだけど、
その分ポジティヴだという印象がある。新しい種類の音を手に入れた喜びがあって、どこか純粋さ、純朴さを感じるのだ。
『コーラスライン』ではその80年代っぽさが、登場するダンサーたちの前向きさとうまく合致しているように思える。
その一方、音楽の「間」が少し独特で、従来のミュージカル映画とはやや感覚が違って戸惑ったところもあった。この映画がつまんない理由についてもうちょっときちんと書いてみる。最大の要因は、「メディアの違い」だろう。
もともとのミュージカル作品では、「舞台上で舞台裏を描く」という逆説が存分に効いていたのだと思う。
メタフィクションという形で、目の前にいるダンサーたちの人生ドラマが語られる。リアリティが直接的に感じられる。
しかし映画のスクリーンというフィルターを通してしまうと、その効果は半減どころかゼロに近くなってしまうのだ。
空間に変化がないままで、ただ登場人物がしゃべって踊る。それだけ。時間も空間も共有できないから意味がない。
観客が目の前にいる役者とフィクションを共有することで演劇は成り立つわけだが、そこにはひとつのメカニズムがある。
それは、役者が自らの身体を媒体として観客の想像力を加工するということだ。空間は想像力でいくらでも変化する。
しかしその場に身体がないことで、観客の想像力は十分にはたらかない。だから空間は劇場から広がることなく終わる。
僕が退屈に感じた一番の原因はそこにある。空間は変化しないし、過去を語るダンサーの中の時間も動いてくれない。
これだけ体が動けば気持ちいいわなあ、と思わせるダンスは披露されるが、それ以上のものは引き出されないのだ。
最も割を食ったのはキャシーかもしれない。物語に対して何ら厚みを加えていない。むしろ混乱させる要素でしかない。
ミュージカルではトリックスターとしてうまく動いたのかもしれないので、彼女がパラメータであるような気がする。
演劇と映画の違い、そこにまったく気づかないリチャード=アッテンボローは、本物の馬鹿なんじゃないか。そう思う。というわけで、演劇には演劇のやり方があるし、映画には映画のやり方がある。その真実を逆説的に教えられた作品だ。
かといって劇団四季のミュージカルを観に行く気には絶対なれないのね(→2012.9.12)。いろいろ残念である。
カーリング、ロシアは美人ぞろいすぎるだろ……。オレも転がされたい。
しかしゴールデンタイムにカーリングの中継をやるようになったとは、なんだか感慨深いなあ。
ここ最近の天気はどうにも冴えず、週末の大雪を融かすまでにはいかなかった。おかげで部活の試合が中止になった。
それをめぐって一悶着あって、結局早起きして会場まで行く破目になる。寒い中、自転車をかっ飛ばすのであった。おかげで中途半端な時間に中途半端な街にひとりたたずむこととなる。家に帰って読書とDVD鑑賞でもいいのだが、
せっかく自転車で出てきているのにもったいない。最近はどうも行動パターンがインドアっぽくなってきているので、
少し無理してちょろっとFREITAGめぐりをやることにした。消費税が上がる前にBOBを買っておきたい、というわけ。午前10時よりちょっと早く有楽町に着いたので、近くのカフェで読書をしつつオフィシャルショップの開店を待つ。
これはなかなかに優雅な時間の使い方だなあと思う。ふだんどれだけ日記にエネルギーを食われているか逆説的に実感。
そして10時半ごろになってオフィシャルショップに入る。BOBのラインナップはあまり変化していない印象である。
こういうときに限って、BOB以外のすでに持っている種類のバッグで面白い柄が見つかっちゃうものなのだ。
うーん、これはキレているなあ、なんて感心しつつも店を後にする。FREITAGはキリがございませんね。そのまま勢いあまって秋葉原まで行ってしまう。最近はホントに精神的に低調なので、一丁おたくに楽しもうかと思うが、
やっぱりこれといって楽しめる要素がないのである。違和感しかないのだ。ストレス発散の手段がすっかり変わった。
変わったことはわかるのだが、具体的にそれがズバッと見つかってくれない。こういう状態がいちばん困ってしまう。
結局、ファストフード店で読書をしつつ昼メシを食って過ごす。もうそれくらいしかやれることがないんだよな。FREITAGのオフィシャルショップは気がつけば渋谷にもできていて、そっちへ移動する途中にちょうど国立新美術館がある。
かなり前から地下のミュージアムショップでFREITAGを扱っているので、せっかくだから寄ってみることにした。
が、港区の道というのはどうもやたらと気取っていて鼻につく。全力で敷居が高そうに振る舞っている感じが好かんのだ。
特に六本木が「虚栄の市」そのものって感じでイヤだ。飾りだけでできていて中身のないあの感触はどうにかならんもんか。
まあとにかく、国立新美術館に到着すると自転車を置いて中に入る。そしたらちょうど文化庁メディア芸術祭の真っ最中。
そう、僕はイベントスタッフで食いつないでいた頃、文化庁メディア芸術祭で働いたのだ(→2009.2.15/2009.2.16)。
あれからもう5年も経つのか!と驚きつつ、これも縁だということで、軽く見学させてもらうのであった。会場はこんな感じ。5年前より規模が縮小しているなあ。
当然、現場のスタッフたちは入れ替わっているが、見覚えのあるディレクター格の皆さんは元気そうにしていた。よかった。
5年前には1階フロアを大規模に借りて実にさまざまな展示を行っていたのだが、今回の展示は一部屋に収まっていた。
知らないうちにだいぶ規模が縮小している印象である。でも客の入りはなかなかで、やはりいろんな言語が飛び交っていた。僕がこの手の作品展示をきちんと細かく見ていくわけなどないのだが、それでもいちおう感想を軽く書いておくと、
「『時折織成 -落下する記録-』の独り勝ち!」である。あとはいい意味でも悪い意味でもくだらないものばっかりだった。
くだらないことをやっているのをちゃんと自覚できている作品は褒められるし、自覚できていない作品は救いがたい。
一度そこの自覚を通過していると、作品は謙虚かつ素直なものに仕上がるものだ。そういう作品は純粋に楽しめる。
『時折織成 -落下する記録-』は複数の録音テープが左右に並べられた装置である。テープは上から下へと降りていき、
独特な曲線を描きながら下からたまっていく仕組みになっている。最初、僕はその曲線を見せるだけだと思っていたのだが、
テープが限界までくると一気に巻き上げられ、それとともに録音されていた曲が大音量で流れたのでかなり驚いた。
この瞬間、会場にいたほぼすべての客が呆気にとられてその光景を見つめ、人間たちのブラウン運動は完全に止まった。
実は上の写真はそのときのもので、文化庁メディア芸術祭の本当の勝者が誰なのか、答えは明らかだった。
それ以外では、功労賞の関係でナムジュン=パイクの作品にふれられたのがよかった。まあでもそれくらいかな。国立新美術館の地下ではBOBを扱っておらず(そもそもモノ自体が少なかった)、失望しながら渋谷へ出る。
渋谷のFREITAGオフィシャルショップは銀座に比べると客が多く、気兼ねすることなくあれこれ見られるのがうれしい。
ラインナップはまずまず。BOBを買うまではいかなかったが、ちょっと惹かれるものもあった。引き続き検討である。そんな感じでFREITAGめぐりは今回も保留で終わるのであった。こればっかりはまあ、しょうがない。
今日はこの世で最も醜い老人を見たねー。醜いというか、情けないというか、権力欲だけで生きているって感じ。
論理的に完全に破綻しているのに、地位だけでワガママを言う。完全に駄々をこねる子ども、そのものだったよ。
当然、これ以上具体的に書くわけにはいかないのだが、僕たちは毎日そういう環境でがんばっておるわけです。そういったこともあって、最近は精神的に非常に低調である。支えになるものがまったくない感覚がつらい。
表面的にはどうにか取り繕ってはいるけど、フラストレーションはかなり溜まっているのだ。イライラ。
雪で舗装が隠された空間は、昭和の匂いがする。そのことに、ふと気がついた。
上の写真は、午前10時ごろの洗足駅付近の様子である。雪は路面を覆って土に似た感触をつくりだしている。
それだけでなく、歩道と車道の境界を消し、中央線も消し、道路を純粋に通路としての空間、虚の空間としている。
試しに写真をモノクロに加工してみる。モノクロ自体にノスタルジーがあるものの、路面の感触にもどこか懐かしさを感じる。
この境界の曖昧さが、かつての昭和、いや高度経済成長期以前の都市空間を想起させるのだ。
現在の日本で、土がむき出しになっている道路は非常に少ない。舗装が近代化を完成した、そう思う。
われわれは空間の舗装を通して、空間認識そして社会認識を変化させてきた。いつか、舗装の社会学を論じたい。●島原・武家屋敷跡(→2008.4.28)
●大内宿と舗装論(→2010.5.16)
●舗装されきっていない『ウルトラマン』(1966~1967年)の都市空間(→2012.2.27)
●やっぱり舗装されきっていない『ウルトラセブン』(1967~1968年)の都市空間(→2012.4.19)
●足尾銅山・中才鉱山社宅における家と家の間の路地(→2013.11.30)
天気予報のとおりに雪が降っている。メディアでは「10年に一度の大雪」だとか「20年に一度の大雪」だとか、
台風のときにさんざん聞き飽きた表現がまた使われている。去年もあっただろ(→2013.1.14)、と思うのだが。
雪の降り方じたいは、牡丹雪がひっきりなしに舞い降りてくるようなものではなく、大したものじゃない感じ。
でも細かい粒でじわじわと降り続いている。それが延々とやまないでいるので、知らず知らずどんどん積もっていく。
夜になってもまだやまず、こんもりと積もった雪が家々の明かりを反射してか、空がうっすらと明るい。
雪には保温効果があるはずなのだが、部屋は芯まで冷えきって実に寒い。おかげでなんにもやる気が出ません。
土居健郎『「甘え」の構造』。1971年に出版された日本人論の名著中の名著だが、今ごろになって読んだ。
そもそも僕がこの本を手に入れた経緯が謎である。買ったはずがないのに、なぜか部屋に転がっていたのである。
ダニエルが卒論(その名も、『「萌え」の構造』)を書いたときにもらったのかなあ。まあとにかく、読んだのだ。筆者は精神科医で、アメリカで受けたカルチャーショックをもとに、自らの仕事での経験をふまえたうえで、
「甘え」という言葉を手がかりにして日本人の本質を探り、さらには現代社会の課題について分析していく。
論拠となっているのは、日本語の「甘え」に対応する単語が欧米の言語にはない、という点である。
ここから、「甘え」とそれに関連する言葉をもとに、日本人や日本社会の性質を時間的な変化も交えて論じていく。
面白いのは日本人だけを論じるのではなく、「甘え」の無視っぷりから西洋についても客観的な分析を加えていること。
おかげでバランスよく相対的に日本人の本質を描くことができている。この点にこそ、この本の大きな価値がある。言葉の意味を深く掘り下げており、これほどきちんと言葉と格闘しながら分析ができるものかと驚いた。
またその一方で、精神科医としての分析も入ってくる。そもそも異常と正常の境界なんてものは曖昧であるわけで、
その曖昧さゆえに日本と西洋の性質の違いが肯定的に浮き彫りになるのが興味深い。どちらかが標準なんてことはない。
だから「甘え」をもとに集団社会が成り立っている日本が西洋社会から見て異質とされるのも納得ができるし、
自らの「甘え」を発見できない西洋は西洋なりに悩みを抱えているのもわかる。すごくバランスがとれている本だ。
つまり、「甘え」の肯定は日本人の困った部分であると同時に、日本人が持つ可能性でもある。実に鋭い指摘である。もうひとつ重要なのは、この本が1970年代に入った時点での社会の戸惑いをきちんと描き出している点だ。
第2次世界大戦から25年ほどしか経過しておらず、世界中でカウンターカルチャーが暴れまわっていた時代。
そこに筆者は「甘え」概念を武器にして、社会の変質を大胆に論じていく。その切れ味は大変すばらしく、
21世紀に入ってちょっと経った現在の状況でも十分に応用が利くものだ。よくここまで見えるものだと感心させられる。
『「甘え」の構造』は、いい意味でも悪い意味でも今となってはある種の古典となってしまった感があるが、
1970年代にこの本が出版された意義というのは非常に大きいと思う。時代はいつだって混迷しているものだろうが、
その混迷が特に強く可視化されていた1970年代に対してこの本が投げかけたものは、実に本質的であると僕は思うのだ。現在から過去を振り返ったとき、1970年代という時代はまだどこか過去になりきれていない宙ぶらりんな位置にいる。
その時代に対してコンテンポラリーなメスを入れたこの本が論じていることは、おそらく未来にも通用するものがある。
いや、通用している限り「日本人」という枠組みが残りうる、と表現することができるのかもしれない。
それはつまり、日本人論としてはかなり決定的な位置を占めるということだ。そう感じさせる鋭さに満ちた本だ。
『STEINS;GATE』。もともとは非常に評価の高いアドヴェンチャーゲームで、アニメ化したやつを見た。
まあとにかくつまんないし気持ち悪いしで、途中で寝っこけることもありつつ、どうにか最後まで見た。オレ偉い。
結論としては、最大限に褒めて「2時間の映画に圧縮すれば見られる作品になったかもしれないね」である。
そしたら続編の映画があるそうなんで、いずれチェックしたい。イヤな予感もするけどね(→2012.11.9/2012.11.15)。難点は2つ。気持ち悪いキャラクターと冗長なストーリーである。ってことは、すでに作品の大半が難点ということだ。
まずはキャラクターから。主人公があまりにも痛々しくって気持ち悪い。どこにも感情移入する余地がないんだもん。
演技も非常に下手で、神谷明のダメな部分だけを抜き出してきたような印象。序盤は見るのが本当にキツかった。
女性陣も気持ち悪い。正統派ツンデレの助手は別にして(ああそうさ、この辺が僕のダメ人間なところさ!)、
おたく属性満載だったり明らかに病的だったり、そりゃあ相対的にるか子の評価が上がらざるをえないですぜ。
僕なんか平然と、まゆしー気持ち悪いからもうそのままほっといて助手とくっつけよーと思っちゃったんですけどね。
そんなこんなでダルこと橋田くんが一服の清涼剤に思えましたとさ。彼はいいね、彼は。セクハラ発言最高。もともとストーリーが分岐するゲームであることが、アニメ作品としては致命的なマイナスになっていると思う。
本筋と関係のないところを描くことでスピード感が削がれ、全体の流れが散漫としたものになってしまっている。
ゲームから入った人にはわからないかもしれないが、アニメだけを見た場合、その点にかなりイライラさせられるのだ。
Dメールによって枝葉を広げておいて、延々とそれを回収するだけ。しかもその間に殺人シーンが何度も繰り返される。
残り2話になってようやく本来のスタートラインに立つわけで、これは視聴者には時間の無駄でしかないのである。
理屈としては、元の世界線に戻るまでの岡部の苦悩を視聴者に味わわせるべくじっくりと描いたのかもしれないが、
そこをテンポよく編集しつつ視聴者を納得させてしまうのがクリエイターの腕の見せ所なのではあるまいか。
さっき「2時間の映画に圧縮」と書いたのはそういうこと。第22話のクライマックスじたいは非常にいいので、
そこを軸に序盤と中盤をガンガン削ってラストへもっていけば、なかなかいい作品に仕上がっただろうに、と思う。結局SERNは悪の組織のままじゃねーかとか、ラボの「楽しい部室」な雰囲気だけで押し切ってんじゃねーかとか、
冷静に考えればツッコミどころは満載。なんでこの作品の評価が高いのか理解できない。おたくの内輪受けですかね。
舞台が秋葉原からぜんぜん動かない(たまに有明)のを含めて、おたくの猛烈な自己弁護で終わってしまっている。
うまくリメイクすればもっと広い層からそれなりに支持されそうな予感があるだけに、とっても残念である。
チャンチキトルネエド『CHANCHIKI TORNADE-1st tornade for flying around the world-』。
まあ要するに、『あまちゃん』(→2014.1.14)効果で聴いてみようと思ったわけだ。ホーンセクションにピアノ/アコーディオンがメロディを奏で、小太鼓を中心にパーカッションがリズムをとる。
特徴的なのはバンド名のとおりに摺鉦(チャンチキ)が入ってくることだが、内容的にはきちんとした音楽をやっている。
16分音符を連発するような忙しいメロディラインの曲が目立つが、それぞれの楽器をきっちり聴かせる曲もある。
確かに多国籍というか無国籍な音楽だとは思うのだが、適度にクラシックの知性や日本的な要素も混ぜてある。
こういうのっていわゆるフリージャズ(きちんと聴いたことないけど)っぽいのかな、といういいかげんな感想を持った。
スカパラほどは聴きやすくない(わかりやすくない)ので、聴く人を選ぶ音楽だとは思う。僕は嫌いではないが。このアルバムはスタジオ録音なのだが、やはりチャンチキトルネエド本来の魅力はライヴにあるんだろうな、と思う。
彼らが野外で演奏している動画、パレードしながら演奏している動画を見ると、これがものすごい引力なのだ。
スタジオ録音だとその魅力が半減してしまうバンドってのは確かにあって(前にカシオペアについて書いた →2006.6.3)、
チャンチキトルネエドはまさにそれだと思うのだ。彼らは聴衆と音楽を分かち合いながらより魅力を高めていく、
そういうタイプのバンドなのだと思う。チンドン屋のエキスが入っているだけに、彼らはストリートの系列にあるのだ。
道行く人を巻き込みながら音楽の喜びを交換していくライヴこそ、彼らが最も輝く演奏形態である、そう感じる。
めちゃくちゃに上手い演奏を生で聴いてこその興奮、それを聴衆と共有することで特別な時間をつくりあげる凄み。
だからスタジオ録音では、そのきれいにまとまっている部分がかえってマイナスに感じられてしまう。贅沢で申し訳ない。しかし何よりまず秀逸なのは、そのバンド名だ。チャンチキでトルネエド。一言ですべてを表現しているではないか。
独特のスタイルでその場にいる者すべてを巻き込んでしまう音楽を演奏する集団だってことが、見事に伝わってくる。
無期限活動休止は非常に残念だが、どこかでふらっと演奏を聴かせてほしいなと思う。いつかライヴで聴きたいね。
ジェイクとエルウッドで『ブルース・ブラザーズ』。
われわれ、黒いサングラスで黒い帽子で黒いスーツで黒いネクタイで黒い靴、太めとノッポの組み合わせというのは、
すっかり「古典」の領域として感じているところがある。そのコメディとしての元ネタになるのが、この作品だ。
兄・ジェイク役のジョン=ベルーシは残念なことに若くして亡くなってしまうのだが(ホントにもったいねえなあ)、
弟・エルウッド役のダン=エイクロイドはやっぱり80年代アメリカ映画の『ゴーストバスターズ』でも活躍している。出所するジェイクを長々と映すオープニングに少々辟易。しかしどこか得体の知れないペンギンシスターが面白く、
比較的聞き取りやすい英語だったこともあって徐々に話に入り込んでいく。そして圧倒されたのが教会での礼拝シーン。
出てきた牧師がジェームズ=ブラウンで、本気のパフォーマンスがものすごい引力なのだ。いきなりびっくりである。
その後もアメリカ全開な話の展開と豪華ミュージシャンによる贅沢な楽曲とが繰り広げられ、すっかり引き込まれた。
さらっと出てきたレイ=チャールズもやっぱり凄いし、無知な僕が名前を知らない皆様もいっぱい出てきたのだが、
ことごとく「ただものじゃねえ!」と鳥肌が立つようなパフォーマンスを見せてくれる。サントラ購入を即決したよ。
出てくる曲はどれも本当にすばらしいものばかり。もっと早く、10代のうちにこの映画を見ておくべきだった!この作品はあらゆる意味でアメリカの映画である。エルウッドの運転する車が走りまわる空間はアメリカそのものだし、
良質なブラックミュージックがこれでもか!と聴けるのもアメリカならでは。細かいことを気にしない展開もアメリカで、
人種の差というものもはっきりと描いてみせているのもアメリカ。この作品は、社会学的な価値もかなり充実している。
そもそも、ベルーシはアルバニア系でエイクロイドはカナダ出身。そんなふたりがブラックミュージック映画の主役になる。
カントリーミュージックだってちゃんと演奏できる面も見せつつ、白人至上主義のイリノイナチスと戦いもする。
つまり、二重三重にねじれた状況なのである。そして、その複雑さは現代のアメリカの姿そのものでもあるのだ。そんな中で白人ふたりがスクリーンいっぱいに繰り広げるのは、ブラックミュージックへの全力のリスペクト。
だから抜群に面白いのだ。「いいものはいい、だからやる」そういうポジティヴな姿勢が全編を貫いているのがいい。
おかげで僕は見ている間ずっと、ブラックミュージックのグルーヴ感がいかに強烈かを思い知らされることになった。
でもひとつだけ、不満を書かせてほしい。それはあまりにも物を壊しすぎること。何から何まで壊しまくるのだ。
この映画は物を壊すシーンとブラックミュージックだけでできている、と言ってもまったく過言ではないのである。
せっかくブラックミュージックという美しい創造物で楽しませてくれるのに、破壊に次ぐ破壊でかなり興ざめさせられる。
まあ、それもまた80年代のアメリカらしいと表現することができるのかもしれないが。でもその点は本当に残念だ。黒人音楽と白人音楽が融合したジャンルであるロカビリーの代表曲『監獄ロック』を演奏するというオチがまた凄い。
このあまりにもきれいな落とし方には思わず唸ってしまった。エンタテインメントとしての力加減はズレているものの、
むしろ文化史的な視点から見て非常に意義のある作品となっている。アメリカの強みを存分に見せつけられた気がする。
今日は本当に休みがなかった。最初っから5連発で授業で、6時間目は各クラスでやった道徳の授業を見学。
生徒を帰すとその研修会がスタート。なぜか司会をやる。意見が出ないからフォローを入れるなどの奮闘ぶりである。
すべてが終わって、席に呆けて座ることしかできないのであった。本当に疲れた。部活がなかったのは幸いで、
いつもより早めに帰ってしっかり休むのであった。日記に追われることがないと、夜はかなり楽に過ごせるね。
本日をもちまして、日記過去ログの清算が完了しました。見事、借金完済である! まさかこの日が来るとは……。
Appleがアホをやらかしたようで、iTunesがまるっきり起動できなくなってしまった。それで朝からずーっと悪戦苦闘。
終わったら池袋にでも出かけようかと思っていたのだが、結局どうしてもダメで、昼まで身動きが取れない状態が続いた。
しょうがないので予定を変更して、遠出せずに『あまちゃん』(→2014.1.14)を見直したり日記を書いたりして過ごす。
その結果として借金が完済されたわけである。うれしいけれども、iTunesのせいでその気持ちも半分くらいな感じ。今まで日記を書くのに使っていた時間を、今後は本やDVDなどを吸収する時間に充てていきたいと思う。
そうやってレヴューを増やしていって、より中身のある日記にしていきたい。より中身のある人間になりたい。ヨロシク。
イーフー=トゥアン『空間の経験―身体から都市へ』。地理学方面では超・名著として知られている作品だ。
実は、僕はこの本を一度挫折している。サイクリング中に雨でドロドロに溶けてしまい、読めなくなってしまったのだ。
それからずいぶん長い時間が経って、ようやくこのたび最後まで読み終えたというわけだ。情けない話である。感想は、「ものすごくつまらない」。溶けてしまった文庫本を買い直すことなく10年以上を経過させてしまったのは、
結局のところ、この本がものすごくつまらなかったからだ。つまらないから読む気がしなかった、そういうことだった。
なんでつまらないのかというと、タイトルのわりに、筆者自身の「経験」を感じさせる部分がほとんどないからだ。
もっとも原著のタイトルは『Space and Place : The Perspective of Experience』である。「経験」はサブ扱いだ。
それでもやはり、読んでいても総花的な事例の紹介ばかりで、こちらの身に迫るものがない。だからつまらないのだ。
(しかし日本語タイトルの付け方のヘタクソさには腹が立つ。売るために事実をねじ曲げて恥ずかしくないのかね。)
まあ結論としては、知識をまとめる作業はお疲れ様だけど、この本はそれだけで過大評価されている!である。読んでいて、2冊の本を思い出した。ひとつはヨハン=ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(→2006.8.25)で、
もうひとつは和辻哲郎の『風土 人間学的考察』(→2008.12.28)である。もちろん、前者は類似、後者は相違。
『ホモ・ルーデンス』がクソつまんないのは、現場に出ない安楽椅子学者の知識の羅列でしかないから。
この『空間の経験』もそうなのである。イーフー=トゥアンは猛烈に頭がいいのは間違いない。凄まじい量の知識を、
見事にまとめあげている。これは常人にできることではない。でもそれだけ。知識のカタログといった仕上がりでしかない。
対照的に、『風土』は和辻個人の経験をベースに書かれたものだ。そこから科学を飛び超えたスリリングな想像が広がる、
まさに冒険の書なのである。現場を実際に冒険し、思考でも冒険しているからこそ面白い。真理は現場にあるものだ。トゥアンは確かに本当によく勉強しているけど、センスがまったくよくない。自分で感じたものが書けない人だからこそ、
他人の感じたことをまとめる作業を徹底したのかもしれない。彼は学者だが、芸術家ではなく編集者タイプなのだろう。
記述じたいにも、ところどころに的外れなものが混じっていると思う。ものの見方にやや偏りがあるというか、
複数の解釈が可能なところを自分好みの一通りで押し通すような姿勢が気になる。そこの価値観がどうも共有できない。
そういえばもう1冊、真木悠介(見田宗介)の『時間の比較社会学』(→2008.1.9)を読んだときのことも思い出した。
当然ながらこちらの本のテーマは「時間」だが、知識の豊富さと分析に切り込む鮮やかさに圧倒された記憶がある。
『空間の経験』には、ああいう感動がまったくないのだ。数えきれないほどの「経験」の事例が陳列されているけど、
その「経験」たちはあまりに客観的でありすぎて、博物館の展示品のように生気がない。ただの知識で止まっている。それでも章によってつまらなさには差があって、「空間の能力・空間の知識・場所」は事例がわかりやすくてまずまず。
「建築的な空間と認識」は、賛成できるところと納得いかないところの差が激しい。過去には鋭いが、現在には鈍い。
「母国への愛着」は訳者がひどくて、homelandを母国と訳したことでもうメチャクチャ。これはトゥアンがかわいそう。
「可視性――場所の創造」こそ具体的事例をひとつに絞って深く取材すべきだろうに、やっぱり事例の羅列ばっかり。
「時間と場所」はちょっと面白くて、空間を論じるには時間を論じないとダメ、とあらためて再確認した。そんなところ。きちんと足を使って考えた論文は面白く、ネットでデータを集めてまとめた論文はつまらないものである。それと一緒。
知とは溜まったものの上澄みをかすめ取れば得られるものではないのだ。自分で取材しないと得られないものなのだ。
(だから本を読むだけではダメで、実際にさまざまな経験を得ておかないといけないし、自力で考えなくてはいけない。)
この本は、「場所になれない空間」と同じように、僕の中の親しみを感じさせる位置に入ってこなかったのである。
それはつまり、この本を読むことが魅力的な経験ではなかった、ということなのだ。頭はよくてもセンスのない本だった。