実家に着いたら三つ子がいた。そして「ロックマンやりたい」と連呼の嵐。うん、情操教育は正しくできとるね。
ロックマンをやるためにはファミコンをTVにつながなくちゃいかんのだが、古いのでRFスイッチを使うことになる。
もう本当に久しぶりなので、それを接続するのにまず一苦労。スーパーファミコンまで持ち出して対照実験した結果、
ファミコンが壊れていたことが発覚する。これはけっこうショックである。一方、スーパーファミコンは無事で、
テスト目的で用意した『ストIIダッシュ』に三つ子はきちんとハマったとのこと。うん、情操教育は正しくできとるね。
潤平は「すぐに波動拳が出せるようになった」と、親バカっぷりを見せていたのであった。順調そうで何より。
『アイドルマスター ミリオンライブ!』のアニメについて書くよ。
まず、怒られそうだけど、正直に書く。ミリマスのキャラクターデザインは知性を感じられないので、僕は嫌いだ。
知性のない感じはもともとのアイマス時代からうすうすあった。デレマス(→2015.4.11/2015.11.5)については大丈夫で、
わりと魅力的なデザインだなと思っていたのだが、アイマス・ミリマスはどうも知性が感じられなくてダメなのだ。
具体的には、口の開き方がよくないのかなと思う。おかげで表情が一様というか、深みがないのである。
『ハイスクール!奇面組』に左真紀というキャラクターがいるけど、みんなあんな感じの口をしている印象だ。内容としては、アイマスの正統な続編ということにものすごくこだわっている印象。デレマスは鬼子ですか。
つかみきれていないキャラを大量に出されてもなあ、というところでつまずいた。もともとキャラ知識のあるファンは、
スムーズに入っていけるんだろう。でもいきなり39人も一気に出されて、こちらはとてもついていけません。
「8th」と「エース」を掛けるためか、ユニット名をすべて英語の序数にした点に、知識のない新規軽視の姿勢が見える。
デレマスがアニメで新たなユニットを生み出してキャラクターの魅力を高めた(*(Asterisk)がその成功例だろう)のと、
正反対のやり方であるだろう。属性の表現でしかないキャラクターたちが、入れ替わり立ち替わり登場するだけって感じ。展開じたいもなんというか、安い……。『ラブライブ!』シリーズの薄っぺらさ(→2023.12.18)が波及したのか。
アニメーションによってステージでのライヴを再現することにこだわりがあり、そこに重きを置いているのはわかる。
この点はミュージカルやPVになってしまう『ラブライブ!』との大きな違いだろう。CGの動きが少し気持ち悪いが、
もともとがアーケードやXboxで踊っていた(→2018.12.20)ことを考えると、これが正統な進化なのね、という気もする。
でも作品を通してキャラクターを掘り下げるのではなく、すでにあるキャラクターを前提にライヴを見せる、それだけ。
ストーリーをやりたいのではなく、ライヴをやりたいだけなのだ。それはそれで正直ではあるが、内向きだなあと呆れる。
結局のところ、ただ推しキャラのライヴシーンが見たい客を満足させるだけのもの。ファン以外には時間の無駄ですね。
『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』を見たのでレヴュー(前作はこちら →2019.4.23)。
前作は南関東を舞台にしたワチャワチャだったが、いよいよ関西に進出ということで、特に滋賀をフィーチャー。
琵琶湖以外の要素というと、ゲジゲジナンバー(→2010.1.9)やとび太くん(→2010.1.10)がイジりどころだろう。
でも正直、それ以上は苦しい。そこをなんとか平和堂でごまかしており、いくら出したんだとか邪推してしまうなあ。制作側は開き直っているが、それにしてもストーリー性が弱い。ネタを詰め込むのに必死で、その密度はものすごい。
スタッフが思いついたネタをほとんどボツにせず詰め込んだんだろうなあと思う。ストーリーの弱さをネタで埋める、
その戦略は正しいのだが、知らない人は置いてけぼりになりかねない。僕は旅行しているからだいたいわかるけど、
なんでもアリのこの密度は、関東の人(というか関西圏以外の人)には打率低めになってしまうのではないか。前作は東京一強(+金魚のフンのような神奈川)だから、その下で千葉と埼玉というバランスが成り立ったのである。
関西だと3対3で強者と弱者がはっきりしているから、バランスが難しい。きちんとフォローは入れているんだけど、
強者側が複数で強すぎるせいでイジメの雰囲気が出てしまう。結果的に3府県民は不快感を持ってしまうかもしれない。
弱者側には3府県が結託して見えるけど、強者側の感覚は三つ巴でしかないのである。そうなると滋賀はよけいに霞む。
やるなら奈良と和歌山にも華を持たせて、3対3ではなく「1対1×3」とした方が、盛り上がったのではないだろうか。
『キン肉マン』が参考になるんじゃないか。ああいう感じで6府県それぞれに見せ場をつくった方が面白くなっただろう。
まあ、もはや「つくることに意義がある作品」という領域にあると思うので、三部作での大団円を期待しております。最後に雑感。とりあえず、GACKTがどうにもならん間に二階堂ふみパートをがんばって撮ったのはわかった。
あとは藤原紀香が体張りすぎで面白い。しかし奈良県代表で今さら加護を出すのは人材不足がひどすぎませんかね。
今年もM-1グランプリが熱うございましたね。モテない同級生3人でSMSしながらのTV観戦でございました。
しかしなんでよりによってクリスマスイヴにやるかなあ!? みんなで集まってワイワイ楽しめないじゃないの。で、いちおう採点したりしなかったりで、僕らとしてはこんな感じでございます。
びゅく仙 リョーシ マサル 令和ロマン 88 87 採点せず シシガシラ 85 86 さや香 94 95 カベポスター 88 94 マユリカ 85 90 ヤーレンズ 90 91 真空ジェシカ 88 87 ダンビラムーチョ 85 89 くらげ 86 86 モグライダー 90 91 ★決勝 令和ロマン ヤーレンズ ヤーレンズ 僕は大声が大嫌いで、それで緊張をごまかしたりツッコミの代わりにしたりするコンビは絶対に評価しない。
一時期よりは減ったとはいえ、今回もそういうコンビがいたのは残念だった。あとはマサルが審査員について、
「くらげのネタについて女性受け云々というコメントはおかしい」と言っていたが、これはまったくそのとおり。
きちんと「おっさんが女性向けのものに詳しいギャップ」を論ずるべきだろう。あれか、コンプライアンスか?決勝でのさや香にはひっくり返ってしまった。最後の山田邦子のコメントに「さすがクニちゃん」と3人とも感心。
そしてネットの反応を見るに、まあみんなさや香好きね、と。いろんな方向性のネタを持っているのは強いけど、
ぜひとも来年は正統派漫才でわれわれを圧倒してほしい。「出てきてうれしいコンビ」のお笑いを見たい。
6時8分の始発で只見線にリヴェンジするという作戦もあったのだが、昨日の今日でどうなるかわからない。
そもそも、その列車に間に合うように朝イチで動くのが本当に面倒くさい。さすがに2日連続で運休・遅延を食らったら、
僕は只見線を嫌いになってしまうかもしれない。ここは意地を張らずに、緑の美しい季節に再チャレンジすべきだろう。というわけで、素直に往路と同じコースを引き返して東京に戻ることに。今夜のM-1グランプリに間に合わせないと。
ただ、せっかくなのでもちろん寄り道はする。福島県の市役所めぐりで唯一残ってしまった須賀川市がターゲットだ。
郡山のリヴェンジとセットで訪れようと考えていたのだが、喜多方や会津若松の市役所建て替えの影響もあって、
なかなか踏ん切りがつかないままでいたのだ。いい機会なので、須賀川を味わってから東京に戻ってやるのである。磐越西線から眺める磐梯山。何度か撮ったが、いつも美しい(→2007.4.29/2010.5.15)。
10時過ぎに須賀川駅に到着する。須賀川市役所は駅からまっすぐ南へ2km弱行ったところにあり、少し面倒くさい。
とりあえずリュックをそのままコインロッカーにブチ込んで歩きだす。釈迦堂川を渡って坂を上ると中心部の商店街。
L: 須賀川駅。手前にあるのは、2013年に須賀川市とM78星雲 光の国が姉妹都市提携したことを記念した像。
C: 駅前商店街の街灯に掲げられているバナー。ウルトラヒーローや怪獣が須賀川の名物などを紹介している。
R: 須賀川のメインストリート・松明通り。区画整理をしたのか、アーケードを撤去したのか、道幅が広い。
L: 松明通りのランプには、ウルトラヒーローや怪獣がデザインされている。こちらはもちろんジャミラ。
R: カヴァーにもデザインが施されている。しかしこのシルエットによるキャラ造形は家紋みたいな面白さだ。須賀川市は特撮の巨匠である円谷英二の出身地ということで、ウルトラシリーズによる町おこしを全力でやっている。
松明通りにはウルトラヒーローと怪獣のモニュメントが13体も置かれているのだ。実際に見るとかなりのインパクトだ。
全体的にデキがよく、どれもフォトジェニック。見比べていくともっとたくさんの怪獣を置いてほしくなるが、
つまりはそれだけ怪獣のデザインが優れているということなのである。とりあえず9体をピックアップしてみた。
L: 駅からだと最初にウルトラマンタロウが登場。 C: ゼットン。ラスボスとしての存在感の強さは圧倒的ですなあ。
R: 新マンことウルトラマンジャック。よくわからんが、ウルトラスパークを持った姿がお決まりのポーズなのか。
L: ウルトラセブン。55周年おめでとうございます。 C: エレキング。しかしいいデザインしているよなあ。
R: ウルトラマン。動きのあるポーズとなるとスペシウム光線になるのか。像としては珍しいような気がする。
L: 古代怪獣ゴモラ。 C: カネゴンは一緒にベンチに座れる仕様。 R: こちらはピグモン。ガラモンだと大変だ。須賀川の総鎮守である神炊館(おたきや)神社に参拝する。主祭神は石背国造だった建美依米命で、
神社の名前はその建美依米命が国づくりを行った際に新穀を炊いて神前に供えたことに由来している。
二階堂為氏が諏訪大社から勧請した建御名方命も祀られており、「お諏訪さま」とも呼ばれている。
L: 神炊館神社。かつては西の牛袋に鎮座していたが、1598(慶長3)年に現在地に遷座。ちなみに町名は諏訪町である。
C: 参道を行く。市街地のわりにはしっかり長さがあるところに、歴史ある神社としての威厳を感じる。 R: 拝殿。御守を頂戴したが、期待どおりウルトラマン関連の御守が充実していた。でもウルトラマンとセブンは残念ながら、
よくあるSDタイプのデザイン。とはいえセブンは珍しいので頂戴しておく。そもそもセブン大好きだし(→2012.4.19)。
L: 本殿を覗き込む。 R: 商店街で販売している「ウルトラ怪獣印」の紹介。須賀川のウルトラ推しは全力である。松明通りをさらに南下していくと、須賀川市交流センター「tette」がある。東日本大震災の復興事業として、
2018年に竣工した複合施設である(オープンは翌年)。設計は石本建築事務所・畝森泰行建築設計事務所JV。
先ほどの神炊館神社を参拝している途中で曇ってきてしまったので、先にtetteの中を動きまわることにした。
どうにかすっきり晴れた青空の下で須賀川市役所を撮影できるといいなあと期待しつつ、中に入る。
L: 須賀川市交流センター「tette」。松明通りから見た東側。 C: いったん通り抜けて西側から見た裏面。
R: 後で須賀川市役所のウルトラフロアから見たtette。この愛称は「みんなが手と手つないで、笑顔あふれる様に」が由来だと。
L: tetteの内部。1階、松明通りから入るとこのアトリウム。 C: 同じく1階、真ん中らへんまで進んでみたところ。
R: 5階の円谷英二ミュージアム手前から見たアトリウム。3階と4階の図書館を見下ろすかなり大胆な構図となる。では円谷英二ミュージアムを見学するのだ。5階の西半分が展示スペースとなっており、入場無料で見学できる。
(ちなみに東半分には地元の学生たちが自由に勉強できる部屋が確保されていて、満員の盛況ぶりなのであった。)
円谷英二ミュージアムの展示はだいたいが撮影可能で、フォトジェニックさをかなり意識している印象である。
メインとなっているのは「空想アトリエ」で、生物学や機械学など分野を設定して関連図書を置いている。
なんとなく角川武蔵野ミュージアムの荒俣ワンダー秘宝館(→2023.7.2)を思いださせる趣味の部屋、書斎みたい。
正直、展示は「きれい」で終わってしまっていて、「学びの大切さ」を直接的にアピールできているとは感じられない。
キツい言い方をすると、展示する側の自己満足止まりかなと。特撮での独創的な工夫こそ、紹介すべきものではないのか。
L: 円谷英二ミュージアムの展示空間。 C: 端っこに生涯を紹介する「円谷英二クロニクルボックス」。ヴィジュアル先行。
R: 「空想アトリエ」の展示はこんな感じ。内容は模型と関連図書だが、ただ来場者に写真を撮らせるためだけって感じだね。
L: 初代ゴジラスーツ。 円谷英二ミュージアムの展示は基本的に『ゴジラ』シリーズ中心で、ウルトラシリーズは扱いがない。
C: オキシジェン・デストロイヤー。そんな危ないもん(→2014.7.11)展示すんなよ!とツッコミを入れるのが様式美であろう。
R: ゴジラの背びれの比較。左から『ゴジラ2000ミレニアム』、『ゴジラvsビオランテ』、『キングコング対ゴジラ』。
L: ヘドラ。これはひどい(褒め言葉ね)デザインだなあと思うが、それだけ公害が凄まじかったということなんだなあ。
C: ミニラ。これはひどい(文字通りね)デザインだなあと思うが、なんでよりによってチビ太をモデルにしてしまったのか。
R: 『シン・ゴジラ』(→2016.8.23)のゴジラ。「手のつけられない圧倒的な災厄」を日本人が造形した究極形と言えるかも。
L: 「特撮スタジオ」ではミニチュアジオラマで東宝撮影所が再現されている。こちらは大プールでの海戦シーン。
C: 書割の裏側にはビルや車、飛行機などの模型が置かれているところまで再現。こういう展示をもっと見たかったのだが。
R: 「須賀川でゴジラを撮影する」というifの世界も再現されている。この後、ゴジラが中央奥のtetteを破壊すると思われる。最後に1階の西側にあるウルトラ怪獣たちを撮影。しかしあらためて見ると、怪獣をデザインする想像力というのは、
独特な感性を要求されるものだと思う。さまざまなモチーフをどういう方向に広げるか。そして立体化していくか。
プリキュアの悪役を考えるのも大変ねーなんて前に書いたが(→2023.2.4)、直に造形する怪獣はさらに大変そうだ。
L: バルタン星人。脇の解説によると「怖い物:スペシウム光線 (V)o¥o(V)フォッフォッフォッ」だってさ。
C: キングジョー。ロボット系もあるもんなあ。「怖い物:ライトンR30爆弾 I+I〇△〇I+Iグワーングワーン」だってさ。
R: レッドキング。別名は「どくろ怪獣」だが、特にドクロ要素を感じないのだが。そもそも赤くないのだが。結局空が晴れることはなく、須賀川市役所は曇り空での撮影となってしまった。新しい市役所だし、かなり残念。
先代の須賀川市役所は東日本大震災で壊滅的な打撃を受け、使用不能となった。復興交付金を活用して工事を始めるが、
東京オリンピック関連事業の増加などによる資材不足もあって完成予定が二度ずれ込み、竣工したのは2017年のこと。
設計は佐藤総合計画。須賀川の誇る火祭り「松明あかし」の大松明をイメージしたという「松明の塔」がシンボルだ。
僕としては、ここまで見てきた須賀川の街が全力の円谷推しだったので、「……ブルトン?」って印象なのだが。
いや、もう、どうせなら、須賀川市役所はブルトンで建てちゃえばよかったんじゃないか。史上初の四次元市役所って。
L: 須賀川市役所。先ほどの須賀川市交流センター「tette」の前年に竣工しており、大きい施設をよく2つも建てたなあと思う。
C: 駐車場から見た正面(南側)。 R: 南東から見たところ。建物のすぐ手前オープンスペースが「光の広場」である。
L: 「光の広場」。カメラスタンドが設置されていて、ウルトラの父との記念撮影が推奨されている。
C: というわけでウルトラの父(母は松明通りにいる)。「すかがわ市M78光の町」の町長に就任しているそうで。
R: 須賀川市役所の側面(東側)。tetteや松明通りから来るとこちら側になるのだが、やや地味な印象。
L: 北東から。 C: 北西から見た背面。 R: 西側の側面。手前が広めのオープンスペースで、イヴェントをやる感じ。駐車場にも一工夫がある。確か東京ディズニーランドの駐車場には、エリアごとにキャラクターの看板があった。
須賀川市役所でも同じようなことをやっていて、ウルトラセブンとガラモンがいる。さっきの松明通りのランプと同じく、
オープニングのシルエットが元。こういう表現ができるところも、いかに怪獣のデザインが優れているかの証拠だろう。
L: 駐車場のシルエット看板。 C: ウルトラセブン。 R: ガラモン。シルエットをもってくるのは巧いなあと感心する。ではいざ、中に入ってみるのだ。今日は日曜日だが、1階の西側は「みんなのスクエア」として開放されている。
かなり大胆な吹抜となっていて、須賀川市役所が「みんなの家」をコンセプトに整備されたことを象徴しているのだろう。
L: エントランス。 C: 入って右手(東)の窓口空間。日曜日なので閉じている。 R: 左手(西)は「みんなのスクエア」。
L: 奥の方から東側を眺める。市役所としてはかなり豪快なアトリウム。 C: 「みんなのスクエア」にあるウルトラマンの像。
R: 須賀川出身のもう一人の円谷さん、東京オリンピック(1964年)のマラソン銅メダリスト・円谷幸吉の像もちゃんとある。松明の塔6階は「ウルトラフロア」という展望スペースとなっている。天気がよければなあ……と心の底から思いつつ、
東西南北それぞれの方角を眺める。ウルトラの父は身長が45mということで、その高さの視点になっているとのこと。
L: 6階、ウルトラフロア。須賀川市役所はこれ以外にも「光の会議室」「ウルトラ会議室」などがある。
C: まずは南から。 R: こちらは東。住宅を中心とした建物が、盆地をびっしりと埋めている。
L: 北。手前の長松院のインパクトが強い。須賀川城址はその辺り。左の安達太良山は山頂が雲に隠れていて残念。
C: 西。山を越えた先に猪苗代湖、そして会津若松の街がある。 R: 磐梯山を拡大してみた。ぎりぎり見えた。いちおうこれで市役所見学は完了。松明通りで駅まで戻るが、途中のすかがわ観光物産館flattoに寄ってみる。
手前側に非常に多くの種類のウルトラグッズがあり、奥には須賀川の土産物がたっぷり。どちらもかなりの充実ぶりだ。
せっかくだから何か買おうかなと思ったところ、いい感じのウルトラ怪獣アクリルキーホルダーを発見してしまった。
『ウルトラマン』のダダ、『ウルトラセブン』のメトロン星人を購入。メトロンはちゃぶ台モードなら最高だったが。
L: すかがわ観光物産館flatto。商品の密度がすごい。 R: ダダとメトロンのアクキーを購入。ダダのポーズがいいよなあ。というわけで、天気がそんなによくないところをいきなり訪れたわりには、存分に須賀川を堪能できたのであった。
正直、須賀川がこんなに面白いとは思わなかった。ウルトラシリーズのファンなら、かなりの聖地度合いだと断言できる。そのまままっすぐ東京に帰ることはせず、白河駅で下車する。すぐ脇の観光案内所でレンタサイクルを借りると、
阿武隈川を挟んで市街地の対岸に鎮座する鹿嶋神社へと向かう。811(弘仁2)年に坂上田村麻呂が勧請して創建した。
「日本三鹿島の一社」とのことだが、勧請元の鹿島神宮(→2007.12.8/2012.7.21/2014.8.30/2018.11.21)は当然として、
残る1つがどこなのかは謎。南湖神社(→2014.12.23/2019.3.24)とはまた別に白河を代表する神社ということで参拝。
L: 参道入口。阿武隈川に少し並行するような感じでかなりきっちりつくってある。 C: 参道はかなり長め。
R: 途中には池と太鼓橋。太鼓橋は実際に渡ることができるが、高さがあって、濡れていたらけっこう怖そうだ。
L: 太鼓橋から見た随神門。 C: 南東から見た境内。左が祈祷殿で右が拝殿。 R: 拝殿を正面から見たところ。鹿嶋神社の社殿は1912(大正元)年の再建。鹿嶋神社には境内社が7社あり、これを「鹿嶋七福神」としている。
そして境内のすぐ東には神仏習合時代の神宮寺だった最勝寺のお堂が2つあり、「鹿嶋七福神+2堂まいり」を推奨。
また驚いたのは本殿の北西にある御神体の山(甕の森)で、大きな岩がいくつも集まっている磐座があった。
古代の磐座信仰から鹿島信仰、そして神仏習合と、日本の神道の歴史が今もまとまって味わえる興味深い空間だった。
L: 本殿。 C: 境内のすぐ東には神宮寺のお堂が2つ現存。 R: 武甕槌命が姿を変えた十一面観音を本尊とする観音堂。
L: 弥勒菩薩を本尊とする弥勒堂。 C: 境内を出てまわり込んだ山にある磐座。 R: 奥の方へ。圧倒的な迫力である。帰りはせっかくなので往路と違う阿武隈川左岸のルートをとったが、途中の田んぼでハクチョウの群れに遭遇した。
小さい灰色のやつは幼鳥で、カモフラージュの灰色が成長すると白くなるわけだ。ゴマフアザラシの逆パターンか。
L: ハクチョウの群れに遭遇。水に浮かんでいる姿しか見たことないので、田んぼにいるのは新鮮。 R: 親子ですかな。そんなこんなで1時間ほどで白河駅に戻ってくる。最後に駅のホームから白河小峰城(→2009.8.10)を撮影する。
東日本大震災の影響でダメージを食ったが(→2014.12.23)、御三重櫓じたいは無事で石垣が派手に崩れたとのこと。
石垣の修復が完了したのは2019年ということで、やはりそれだけ地震の威力が凄まじかったわけだ。
L: 白河駅の駅舎。1921(大正10)年の築で、いかにも大正ロマンな価値観がしっかり反映されたデザインだとあらためて思う。
C: ホームから眺める白河小峰城。石垣が見事である。 R: 御三重櫓をクローズアップ。前も書いたが、1991年の再建。列車は新白河止まりで、昼メシに白河ラーメンをいただく。本来であれば白河駅周辺の有名店でいただきたいが、
新白河で必ず乗り換える面倒くささとそれなりのクオリティとで、どうしても新白河駅構内で食ってしまう。白河ラーメンを大盛で。結局こういうシンプルなラーメンが一番なのよね。
新白河からは黒磯、宇都宮と列車を乗り換えて、そのままグリーン車で恵比寿までガリゴリと日記を書きまくる。
そうして無事にM-1グランプリに間に合うように帰宅完了したのであった。M-1の詳しいレヴューについてはまた明日。
さあ、いよいよ只見線なのだ。……が、朝起きたら会津若松の街は真っ白い雪に包まれていたのであった。
昨夜からいちおう雪は舞っていたが、積もるとは思えない小粒っぷりだったので、これには少々驚いた。
L: 朝起きたらそこそこ雪が積もっていた。 C: 雪の会津若松駅。 R: 只見線のホームにて。いよいよ出発なのだ。昨日の日記でも書いたが、只見線は2011年7月の新潟・福島豪雨により長らく不通となっていた(会津川口-只見間)。
しかし昨年ついに全線で運転が再開されたので、満を持してのチャレンジとなったのだ。いやあ、本当に待たされたぜ。
そしてせっかく乗るのだから、どこかで途中下車してみたい。八木新宮バスもそうだったが(→2017.7.21/2017.7.22)、
途中駅に一歩も足跡を残すことなくただ列車に揺られて過ごすだけなんて、移動手段が目的になった馬鹿者のやることだ。
ぜひとも途中の温泉にしっかり浸かってやろうじゃないか。ところが只見線は一日で通り抜けるには本数が少なすぎる。
昼間のいい時間帯に、なんと6時間も列車を待つことになるのだ。夏ならまだしも、冬にそれはさすがに厳しいものがある。
(なお今回の逆方向、小出→会津若松は始発が5時36分なので物理的に無理。おまけに次の列車が13時12分発という有様。)
いろいろ調べた結果、早戸駅から徒歩圏内で充実した施設っぽい「早戸温泉つるの湯」に寄ることに決定したのであった。
L: 雪で白く染まった会津盆地。うーん只見線。 C: 会津柳津駅にて。いよいよ奥会津に入ったぜ。
R: 雪に包まれた街を見下ろす。どうでもいいけど「会津柳津」って「ライブアライブ」みたいね。列車は会津盆地の南側をぐるりとなぞるように進んでいく。見渡す限り真っ白で元の景色があまりよくわからないが、
それもまた冬の只見線ということだ。やがて会津坂下駅から先は山へと入っていき、白い集落と渓谷が交互に現れる。
谷は川面のぎりぎりまで木々に覆われ、載せている白い雪との対比で黒く見え、水墨画にも似た光景となっている。
彩度をまったく欠いた世界は、ただただ静かで単調である。しかしその息の潜め方こそ、奥会津の冬そのものなのだ。
L,C: 白と黒の世界。新緑や紅葉と比べたらどれほど違うのか、あらためてこの目で確かめてみたい。
R: 会津西方駅周辺。僕は田舎の飯田線出身ではあるが、こういう場所での生活というのが想像できない。実は会津若松駅を出発する際にアナウンスがあったのだが、小出発の列車が雪のせいで30分遅れということで、
会津宮下駅で列車行き違いをするためこちらも30分停車することに。温泉の開業時刻を考えると、ありがたいが。
L: というわけで、せっかくの機会なので会津宮下駅のホームに下りてみた。「豪雪」というほどではないかなと。
C: 行き先の只見方面を眺める。線路が完全に雪に埋まっている。 R: 乗ってきた車両を撮影。鉄じゃないナリよ。駅で連絡をとっている係の方と少し話し、この先、遅れないで無事に小出まで抜けられますかねえ、と訊いてみる。
次の列車まで6時間空くのでさすがに大丈夫でしょう、という回答で、やっぱり雪に慣れてらっしゃる、と思う。
L: 会津宮下駅の駅舎を撮影。 R: 消雪パイプが動いているところ。これだけ元気に水を出しているのは初めて見たかも。30分ちょっとの遅れで下り列車がやってきて、こちらも出発。遅れはしたものの、想定内の範囲でよかった。
これが予想以上の遅れとなると、小出の方へ抜けられるかがかなり不安になってくる。まずは一安心である。
列車はトンネルに入って、それまではなんとなく里が連続している印象だったのが、本格的に山に入る感じに。宮下ダム。
会津宮下の次が早戸駅。下車したのは僕ひとりで、自分でもなかなか狂気の沙汰だと思う。でもそうでなくちゃね。
これから6時間近く温泉でのんびり過ごすのだ。スマホ片手に道を確認するが、雪が積もって歩道が消えている。
駅から国道252号に出るとすぐ東がトンネルで、ここを抜ければ早戸温泉だ。トンネル内は歩道があるのでまあ助かる。
L: 早戸駅にて去っていく列車を見送る。 C: 雪の早戸駅。 R: トンネルを抜けるとこんな感じ。右手に入って坂を下る。足元に注意しながら坂を下って早戸温泉つるの湯へ。建物に入るといきなりエレヴェーターの3階で、1階まで下りる。
それでようやくエントランスである。すげえところに温泉施設をつくったな、と思う。客は車でポツポツいる感じ。
チケットは3時間と1日が選べるが、3時間で放り出されてもどうしょうもないので、もちろん1日券を購入する。
さっそくルパンダイヴのごとく脱衣して、迷わず露天へ。温泉に浸かって眺める雪景色は、どうしてこうも美しいのか。
なお、温泉としては色合いがちょっと土っぽい感じ。いかにも天然成分がしっかり入っている感じでたまりません。
L: 早戸温泉つるの湯の入口。ここからエレヴェーターで下る。車で来ている客がちょこちょこいてすごいなあと。
R: 露天からは写真を撮れないので、メシ食ったときに近いアングルで撮影してみた。こんな景色を眺められます。一度上がって休憩所で呆けつつスマホでチェックを入れると、なんと只見-小出間で運休となってしまった。
わはは、詰んだ詰んだ。……いや、笑いごとではない。せっかくの雪の只見線だが、過ぎたるは猶及ばざるがごとしか。
しょうがないので本日泊まる予定だった長岡の宿をキャンセルし(只見線だけでなく新潟県の鉄道ほぼ全体がマヒ)、
会津若松に戻る算段をつける。12時48分の列車で戻るなんてもったいないので、15時53分の列車で帰ることにする。
それまで温泉に浸かったり休憩所で日記を書いたりを繰り返して、できるだけ優雅に過ごしてやるのであった。
帰りは早戸駅まで送ってもらったのだが、こっちより先の降り方はレヴェルが違うそうで。
それを体験してみたかった気もするが、どうせ白一色の景色は変わらないだろうから、温泉で正解なのだと思っておく。
15時53分に間に合うように駅に届けてもらったものの、会津若松行きはしっかり遅れており、40分ほど待つことに。
せっかく温泉であたたまったのに、コンクリの待合所で心頭滅却して待つのはなかなか切のうございました。会津若松にどうにか戻ると、晩飯をいただいてからバスでネットカフェに移動。われながらたくましく生きておりまする。
温泉でのんびりな一日のはずが、ひどく疲れた。冬の只見線だからしょうがないが、運休ドンピシャリとはねえ……。
本日から冬休みということで、旅行をかましてやるのだ。年末の帰省では派手に動かない分、ここでそれなりに動く。
さて最近ではあまり話題にしていないが、僕のJR完乗率100%がそろそろなのだ(現在98.255%)。鉄じゃないナリよ。
まあせっかくだから100%を目指してみるのもいいだろうと密かに思っているわけで、今回はそのための旅である。
ボサッとしていたら東海道本線の相鉄直通線や西九州新幹線が開業して、乗っていない区間のある路線は5つに増えていた。
で、今回はいちばんの大物であり、昨年11年ぶりに完全復活した只見線がターゲットだ。只見線はやはり、冬だろう!と。
しかしあまりにも遠いし長いし本数が少ないしで、青春18きっぷで行って帰ってくるにはどうしても3日かかってしまう。
それで職務が一息ついたこのタイミングでの決行となったのだ。まず初日は「会津若松にたどり着くまで」である。朝の6時30分に大岡山駅を出発。大井町、品川と動いて宇都宮線のグリーン車に乗り込む。平日なので料金が高いのだが、
さすがに1000円となっているのはショックである。毎回恒例、宇都宮までバリバリと日記を書いて過ごすのであった。
宇都宮を出ると氏家駅で下車。西口は国道4号の郊外社会となっていて、そこで朝食。辺りは全般的にスケールが大きく、
地図で見るよりもずっと距離を感じる。東北本線をくぐって東側に出て、いったんさくら市役所をスルーしてさらに北上。
L,R: 今宮神社へ向かう途中にある酒蔵「せんきん(仙禽)」。仙禽とは「仙人に仕える鳥」つまり鶴のこと。そのまままっすぐ行くと、今宮神社である。東口側もやっぱりスケール感が大きめで、意外と時間がかかった。
今宮神社は、1060(康平3)年に勝山城主・氏家公頼が宇都宮二荒山神社(→2011.1.10/2014.10.1)を勧請して創建。
しかし氏家公頼は1160(永暦元)年生まれだそうで、100年の差がある。というわけで、なかなか謎の多い神社である。
L: 今宮神社の参道入口。 C: 参道を進むと楼門。参道は1913(大正2)年に整備したそうだ。 R: 拝殿。楼門の脇には御神木のイチョウがあり、それでか授与品はイチョウ推し。ふつうの御守のほかにいちょう御守があり、
交通安全シールもイチョウの葉の形となっていた。「さくら市」という間抜けな市名とのズレがもったいなく思える。
L: 境内社。右端の貫なし鳥居がなんとも独特。 C: 本殿。 R: 1663(寛文3)年の造営で鮮やかな色である。時間的な余裕があり、せっかくなので、さくら市役所もあらためて撮影。10年ぶりになるのか(→2013.7.20)。
1969年竣工の旧氏家町役場をさくら市役所としている。平日で中に入れたので、定礎で竣工年を確認できた。
L: さくら市役所(旧氏家町役場)。まずは南西の駐車場から。 C: 南、正面から。 R: 少し東に寄って撮影。本庁舎の南東にある第2庁舎。
せっかくなので10年前よりは丁寧に撮っていく。やはり冬の低い日差しがキツいのと周囲の道路に余裕がないのとで、
非常に撮りづらくて苦戦する。まあ撮ったところであまり面白みのない典型的な昭和の町役場建築でしかないのだが。
L: 東から見たところ。これは第2庁舎の背面となる。 C: 北東から、本庁舎の側面。 R: 本庁舎東側の背面。
L: 北から。周りに余裕がないので背面をすっきり見渡せない。 C: 北西から。 R: 最後に西から本庁舎の側面。撮影を終えると氏家仲町からバスに乗り込む。ふつうに東北本線を北上しても面白くない。温泉に浸かってやるのだ。
というわけで、バスに15分ほど揺られて東へ。氏家町と合併してさくら市を構成する、旧喜連川町域へと行ってみる。
喜連川本町で下車して、まずは旧喜連川町役場であるさくら市喜連川庁舎へ。入口に仰々しい門があって驚いた。
この場所はもともと喜連川藩の陣屋があった場所で、それでわざわざ大手門を1991年に再建したとのこと。
L: 大手門。 C: くぐると駐車場で、右手に旧喜連川町役場のさくら市喜連川庁舎。 R: 西には、お丸山公園の入口。門から神社方面へ抜ける途中、喜連川藩陣屋跡を眺める。
そのまま、南にある喜連川神社に参拝する。東の商店街から入るとまっすぐ拝殿まで行けるのだが、雰囲気が微妙。
南の武家屋敷通り側にも参道があり、こちらが表参道っぽいのだが横参道になる。実は東参道、1907(明治40)年に、
わざわざ新しくつくったものだという。その際に社殿の向きも変えてしまったそうだ。武士より市民が強くなったか。
L: 商店街側の参道入口。 C: 進んでいくと境内入口。 R: 喜連川神社の拝殿。なお神社は無人で御守はなさそう。喜連川神社は1563(永禄6)年に領主の塩谷惟朝が、尾張の津島神社(→2018.8.11)を勧請して創建した。
その後、喜連川氏からも崇敬された喜連川の総鎮守とのこと。それなら丸に二つ引両紋の御守をつくってほしかったが。
L: 御輿倉。 C: 本殿。 R: 帰りは南の表参道から出た。やはりこっちの方がしっくりくる感じ。では喜連川にやってきた最大の目的である喜連川温泉に浸かるのだ。実は歴史は浅く、1981年にボーリングで開湯。
しかし「日本三大美肌の湯」ということでアピールしている。武家屋敷の先にある施設「第一温泉浴場 もとゆ」へ。
印象としては、黄色なところやモール泉っぽい匂いなど、野比温泉に似ている。それにしても300円とはありがたい。
しっかりあたたまったし、変に汗っぽくもならないし、最高でございますな。アクセスの面倒くささがもったいない。第一温泉浴場 もとゆ。
時間的な余裕があったので、道の駅きつれがわまで行ってみることにした。デジカメで喜連川の街角を撮りつつ、
のんびりと東の方へと歩いていく。まず武家屋敷通りだが、喜連川神社に近いエリアでは御用堀が興味深い。
これは第9代藩主・喜連川煕氏が、生活用水のほか灌漑や防火の目的もあって1842(天保13)年に整備したもの。
その一本南側には寒竹囲の生垣。こちらは第5代藩主・喜連川茂氏が、板塀だと修理に金がかかるとして推奨したもの。
L: 通りと屋敷の塀の間にあるのが御用堀。 C: 寒竹囲の生垣。 R: クローズアップするとこんな感じである。ではぼちぼち、江戸時代を通して最も特殊な藩であった喜連川藩について、きちんとまとめておかねばなるまい。
藩主は喜連川氏を代々名乗っていたが、実際のところは古河公方と小弓公方のハイブリッドである足利氏だ。
徳川氏としては前将軍家である足利氏の格式を無視できないし、足利氏としても徳川氏には逆らえっこない。
それで石高は5000石ながら10万石の大名格、でも幕府と正式な主従関係は結んでいないという喜連川藩が成立したのだ。
参勤交代も免除されたものの、10万石レヴェルの出費を求められてクソ貧乏だったらしい。喜連川宿が唯一の収入源で、
仙台藩が最大のお客さん。毎回喜連川藩主自ら出迎えたそうで、スルーされたときはわざわざ文句を言いに行ったとか。
L: 旧奥州街道の県道114号。喜連川でいかにも商店街らしい箇所はここくらいで、かなり小ぢんまりとした印象である。
C: 街の情報館 和い話い広場(旧喜連川興業銀行本店)。1913(大正2)年築。 R: 喜連川本町バス停の周辺。商店街の街灯に掲げられているバナー。
市街地の南東端にある道の駅きつれがわへ。日帰り入浴施設が入る本館と特産品売り場がメインの新館からなり、
平日の昼にしては人が多かった。土産物を見てまわり、あさっての帰りのグリーン車で飲もうと仙禽の日本酒を購入。
ランチにラーメンをいただいて帰る。本当に表面を舐めた程度ではあるが、喜連川を訪れることができてよかった。
L: 道の駅きつれがわ。左が本館、右が新館。 C: 新館付近。 R: ホルモン焼き「もっこりもっちゃん」。すごい名前。氏家駅東口に戻ってくるが、10年前からだいぶ変わった感じがする(→2013.7.20)。いろいろオシャレになっている。
何かがあって人が滞在する場所となっていないのが惜しいが、イヴェントスペースとしては充実したと思われる。
しかし同じ市内であるはずの喜連川をアピールする要素は弱く感じる。氏家と喜連川の分断がなんとももったいない。
L: 氏家駅の東口。東西連絡通路が派手な模様で塗られて印象が変わった。でも喜連川をアピールする要素は弱い。
C: 「さくら」市ということでポストが桜仕様。 R: 東口の南側は「さくらスクエア」として整備された。黒磯で乗り換えとなるが、時間的な余裕があるので駅周辺を動きまわる。こちらもやはり10年前に市役所まで歩いたが、
今日はそこまで行かず、黒磯神社への参拝をしておくのだ。いい機会なので、御守を頂戴するのである。
L: 黒磯駅。 C: 駅前の明治屋。 R: 黒磯駅から西へと延びる通り。10年前にはあったアーケードが撤去されていた。黒磯神社は駅からかなり近い。黒磯駅周辺の商店街はなんとなく空間的に余裕がある並びをしており、
その辺に開拓の歴史をうっすら感じるのだが、黒磯神社の堂々とした境内もその雰囲気にしっかり溶け込んでいる。
創建は1902(明治35)年で、鉄道が開設されて黒磯が交通の要所となったことで人が集まり神社ができたそうだ。
L: 黒磯駅から北へ行けばすぐに黒磯神社。 C: 参道。木の刈り方が面白い。 R: 神門がかなり特徴的。
L: 神楽殿。 C: 拝殿。 R: 本殿を覗き込む。現在の社殿は1964年竣工とのこと。駅に戻ってくると、まだ時間に余裕があったので、西口南側に2020年にできた那須塩原市図書館に寄ってみた。
設計はUAo(Urban Architecture office)。愛称は「みるる」で、本は読むんじゃなくて見るものなの?と思ってしまう。
中はかなりオサレな雰囲気で、なんだかCCC系が運営しているような印象を受ける(→2017.7.15/2020.2.22/2020.9.21)。
となると撮影禁止かと思ったが、どこにもその旨が書かれていないので、おそるおそる撮影しつつ動きまわる。
L: 那須塩原市図書館 みるる。 C: 中に入るとこんな感じ。CCCの運営ではないようだ。 R: 館内の案内ボード。ふだん利用している人の感想が正しいと思うが、ササッと見てまわった印象では、奇を衒いすぎているのではないか。
凝った本棚には主観が入るが(→2023.7.2)、それが公立図書館としてフェアな態度であるとは僕には思えないのだ。
また、図書館内は確かに既成観念を壊した空間となっているが、図書館内で完結していて黒磯の街に広がっていない。
冬に訪れたこともあって、空間的にスカスカ感があり寒々しい黒磯の駅前と比べると、閉じこもっている感触が強かった。
L: 2階から駅ロータリー方面を振り返ったところ。 R: 2階はこんな感じ。黒磯から新白河へ。ここで30分近い強制休憩を経て、さらに40分北上してようやく郡山である。やっぱり遠いなあ。
さて郡山ではどうしてもピボットに入っている海鮮丼の店に行ってしまう。店名が「魚河岸処 仙」だからしょうがない。
L: 魚河岸処 仙。 R: 海鮮丼。それなりのクオリティを気軽に食えるのが最大の強み。食べ終わると80分ほど揺られて会津若松に到着。これで只見線の下準備がようやく完了である。明日はがんばるのだ。
『幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-』。『ラブライブ!サンシャイン!!』(→2023.12.13)のスピンオフアニメ。
「またラブライブかよ」というツッコミは甘んじて受けよう。だって期間限定無料動画で見られるんだもん。
社会学的には見ておきたいのである。でもわざわざ金を出して見たいとは思わないのである。しょうがないのである。さてこの『幻日のヨハネ』、設定が少し面白い。主要キャラクターはそのままに、舞台をファンタジーとしている。
なるほど流行りの異世界かと思うが、わりに実際に近い沼津をスチームパンク風味で再解釈するのは興味深い試みだ。
現実の都市空間の魅力をフィクションを通して穏やかに(日常系で)描く手法は、実はけっこう斬新ではないかと思う。
町田ゼルビアが野津田を「天空の城」などとやっていたが(→2022.6.12)、あれを街に拡大した感じで楽しめそうだ。さて、ここからはあえて僕の黒歴史を踏まえて深入りしていきたい。それだけの価値を感じる作品だったからだ。
2000年代の前半、最も人気のあるアイドルはモーニング娘。だった。そしてこの時期はインターネット定着期だった。
結果、二次創作の世界では、モーニング娘。を対象としたネット小説がものすごい勢いで成長していたのである。
現在でもネットは「なろう」系発のライトノベルが湧き上がる場所だが(そして異世界モノの発生源となってもいるが)、
この時期の「娘。小説」の質の高さは完全に常軌を逸していた。あれほど高品質な二次創作の世界を僕は他に知らない。
作品は大きく「リアル」と「アンリアル」に分かれる。「リアル」は芸能人としてのモーニング娘。についての妄想、
「アンリアル」はメンバーのキャラクターを抽出して学園生活やらファンタジー世界やらに送り込んでの妄想である。
で、僕は当時、演劇の影響を強く受けていたので、「アンリアル」を劇団モーニング娘。の公演として読んでいた。
つまり、『ラブライブ!サンシャイン!!』を「リアル」とすると、『幻日のヨハネ』は「アンリアル」に当たるわけだ。
だから『幻日のヨハネ』にはスクールアイドルの「ス」の字も出てこないことに憤慨する人がいることは想像がつくが、
そもそもこれは劇団Aqoursの公演なのだ。『ラブライブ!』がそういう領域に入ったことに、僕は衝撃を受けている。
(なお、先行する『THE IDOLM@STER』は、『アイドルマスター XENOGLOSSIA』をすでに2007年の時点でやっている。
また、タカラヅカは独特な芸名とともに役を演じて、これも二重にやっていると解釈できるかもしれない。→2012.2.26)本家のスクールアイドルものでは完全に欠如していた要素にチャレンジしていることは、素直に評価したい。
それは「キャラクターの成長を描く」ということである。失敗や挫折、あるいは周囲との摩擦を通して人は成長する。
スクールアイドルでは排除されている要素だ。でもこの作品は本家で最も痛々しいヨハネを主人公に据えることにより、
真正面から成長を描こうという、だいぶマトモな意志を感じる。結論から言うと、まだまだヌルくて中途半端だったが。
どうせやるなら、もっと踏み込んだセリフで心をえぐる言葉の応酬ぐらいやってほしい。まだまだ表面的というか、
きれいごとレヴェルというか、解決に安易さがみられる。キャラクターを汚せないから無理はできないだろうけど、
罵倒のひとつやふたつくらいあってもいいんでないかい? 「あんたとは絶対わかりあえない、でも尊敬はしている、
だから関係を切らない、私はそれで成長ができる」くらいやってほしい。せっかくいろんなキャラクターがいるんだから、
多様な化学変化を用意しなくちゃもったいない。やるなら九者九様に心理的な問題をそれぞれ抱えさせて、
カップリング的な要素を意識しながら数珠繫ぎで解決していくとかやってほしい。というか、オレならそうする。
(『アイドルマスター シンデレラガールズ』の第17話はその点における傑作と言っていいだろう。→2015.11.5)結局は歌で解決というラブライブ要素が残っているのが残念である。また、どうしても主人公が特別になってしまう。
最後もたついたのもそのせいで、キャラクター間での関係構築よりもライラプスを優先しすぎており、バランスが悪い 。
ここが『ラブライブ!』というシリーズの限界かなと思う。自分の抱えている課題を自分から話しちゃダメなのである。
他者との対話や齟齬の中で自覚して改善する段取りこそがドラマになるのだ。いわゆるアウフヘーベンってやつですな。
「自分の中に飼っている他者をヒントに、他者とのコミュニケーションを確立する」というテーマがもっと明確なら、
アンリアルに乗せた人間ドラマとして非常に価値あるものになっただろうと思うのだが。けっこうもったいない。
ヨハネひとりのドラマなので尺が長くて歌で埋めることになったが、ヨハネの成長だけではドラマとして中途半端だ。
他のキャラクターがヨハネを通してどう成長したのか、そこを描かないことには片手落ちなのである。残念でならない。さて、ネットで検索すると「幻日のヨハネ つまらない」というサジェストが出てくるようで、評判はイマイチな模様。
安易な成功を求める、摩擦を越えての成長を理解できないスクールアイドル好きの低能な層には刺さらないだろうし、
ラブライブに批判的な層はそもそも相手にしないだろうし、なんとももったいない作品だ。意欲は大いに買うけどね。
具体的には、ライラプスの口がセリフと比べて動きが足りなすぎる、だからクオリティが低いという批判があったのだが、
そりゃ実際はライラプスは吠えているだけなんだけど、ヨハネはきちんと言葉として聴いているって表現に決まっている。
この程度のことが読めないでボロクソに批判してしまう辺りに、スクールアイドル大好っ子層の頭の悪さが現れている。
まあファンタジー能(脳?)がないからオレも細かいことはわかんねえんだけどよ、こっちの方が本家より数倍面白いし、
作品としてそれ以上の意義がある。少なくともアンリアルの創作の思い出に火をつけた、それだけの価値はあった作品だ。
耳鼻科へ行く。この週末には完全に声が出なくなって、そこからは回復傾向ではあるのだが、治りが遅いので。
鼻の穴からカメラを入れて、直接声帯を撮影する。すげえ時代になったものだと思いつつ、なすがままになる僕。
結果、炎症ということで解決。声帯には職業病でタコ的なものが存在しており、今後は喉に気をつかわねばと反省。
Jリーグが秋春制に移行決定ということで、抗議のため、来シーズンから月イチ観戦をやめることにします。
信州ダービー観戦は継続するし、気になるクラブのサッカーや生で見たい選手はチェックするつもりだが、
今後は観戦する試合を減らす。秋春制実施までには全クラブ現地観戦を済ませてしまいたいものだ。それにしても、移行が決定してから、いきなり秋春制のメリットを強調する報道ばかりで本当に気持ちが悪い。
秋春制程度で世界と互角に戦えるようになるわけがない。むしろ北日本のサポーターが減って足元から崩れるだろう。
まるで金の卵を産む鶏を絞め殺すようなことだ。これは残念ながら、日本のサッカー文化の終わりのはじまりである。
この愚行をすぐに改められる体制づくりをしておかないとまずい。日本人のいちばん苦手なことなんだが。
『ラブライブ!スーパースター!!』。シリーズ第4弾。もう面倒くさくてたまんねえんだけどよ、
つらいだけなんだけどよ、社会学的分析ということで、無料で見られる期間にがんばって見たのであります。
これも「日本〜ゆるキャラ〜カワイイ文化〜アイドル〜天皇制〜日本」分析(→2023.11.27)の一環ですので。
結論から言うと、やっぱり苦痛でしかなかったけどね。これに熱狂できる人の心理だけはまるで理解できない。*シリーズ過去ログ
『ラブライブ!』(→2018.12.9/2018.12.14/2018.12.17/2018.12.20/2021.7.21)
『ラブライブ!サンシャイン!!』(→2023.12.13/2023.12.14)
『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(→2022.12.23)今回はヒロインが挫折からのスタートだったり、声質も低めだったり、弱みを抱えていたりと、今までと少し違う印象。
海外市場を意識したのか中国出身者に引っ張られる形で、今度は外側から触発されてスクールアイドル化する流れ。
ヒロインが誰かに似ているなーと思ったら御坂美琴(→2016.3.27)だった。キツそうに見えてぜんぜんキツくない、
気取らないけど周囲がカリスマ視という立ち位置、流れに乗りながら話を転がしていく感じがよく似ていると思う。
ちなみに親友の方はグリッドマンだかダイナゼノンだか(→2023.4.7)に脇役で出てませんでしたか?
全般的にどっかで見たキャラの要素がブレンドされている印象。それまでのキャラデザインをゆっくり崩してきたか。
一方で、これまでのシリーズとまったく変わらない点も多い。制作側は要素を精査しているのだろう。基準がわからんが。
またしても廃校の危機だが、そうしないと中学生の興味を惹けないのか。子どもが学校を動かしたい欲を感じる。
どうしても生徒会長がデレてスクールアイドルにならなくちゃいかんのか。しかも天涯孤独とかめちゃくちゃで呆れる。
1期で5人は斬新だったが、その人間関係を掘り下げることはない。負けてから学年またいだ2期で後輩を入れて9人に。
むしろ5人では掘り下げが可能になってしまうから、それを避けるためにキャラの百花繚乱でごまかしているのだろう。やっぱり見ていて死ぬほど眠かったのだが、それはつまり、ストーリーがまったく魅力的でないということだ。
その場を盛り上げるためのマッチポンプにしか思えないのだ。たとえばマルガレーテに勝てなかったパフォーマンス、
そこの差を具体的に示さず話が進んでいく点。課題があるようでない、示されない。これで本当に成長譚と言えるのか。
また唐突なナンバーワンよりオンリーワン宣言は、やはり「私はがんばっているのであなたは救われてください」という、
自己中心的なエクスキューズ(言い訳)としか思えない。何をどのように克服するか、そこにドラマがあるはずだが。
各キャラクターの造形や掘り下げが甘いから、それぞれの抱える課題が薄っぺらいのだ。しかも簡単に解決してしまうし。
スクールアイドルは本格的に悩む前に自己解決してしまうのである。ひたすらその繰り返しで時間だけが流れていく。
キャラクターは制作側にとって都合のよい人形でしかない。魂の入っていない空虚なドラマに感動できるわけがないのだ。
まあアイドルを「人格を客に委ねる存在(→2013.3.20)」と捉えるならば、スクールアイドルもそうなるのは正しいが。
シリーズが代替わりしてもやっていることは一緒で、受け手は小手先の変化を味わっているだけ。何も進んじゃいない。
ファンはそれでいいのだろう。そうして永遠に学校という夢に浸かっていたいのだ。学校は生徒を成長させる場なのに、
実は何も成長していない、そんな皮肉な逆説を見て見ぬ振りをして、次から次へと人形を消費して過ごすのだろう。
成長の代わりに減価償却という消費を繰り返し、時間だけが過ぎていく。それがスクールアイドルということだろう。いや含みを持たせるエンド!と思ったら、え? 3期あんの? つまんないからもうやめようよ……。
出光美術館『青磁—世界を魅了したやきもの』。勉強、勉強である。
展示は西周の灰釉陶器からスタート。青銅器デザイン(→2023.2.23)の影響で文様びっしり。
この辺の価値観については、できることなら当時の人の話を聞いてみたい。それくらい僕には不思議なのだ。
陶器と比べると青銅器の技術の高さは圧倒的である。そして春秋・戦国と時代が下ると陶器の文様は減っていく。
南北朝から隋に至ると蓮の花弁など仏教的デザインが顕著になる。唐から五代の陶器は形じたいの美しさが追求される。
西晋の越州窯では造形技術がかなり進んだようで、立体的な装飾がきわめて精密に施された作品が現れる。
青磁を軸にして中国における焼き物文化の造形面での発達ぶりがよくわかる内容だった。勉強になるなあ。北宋でいよいよ装飾と形の美しさが統合された完成形に至る印象。また北宋は青銅器をデザインソースにもしており、
宋という王朝が文化面でとことんレヴェルが高かったこと(→2023.11.19)をあらためて実感するのであった。
靖康の変で金がやってくると、青磁は色鮮やかになった印象。これは作品をつくった窯の特徴かもしれないが。
金から逃げた南宋は、装飾が簡略化されモダンな印象。色といいデザインといい、南宋でやり尽くした感はある。
元はやや重たいというか野暮ったいというか、前の時代に戻った感がある。停滞期という感触は否めない。
展示は官窯の紹介を経て明へ。明は彫った装飾を釉にうまく溶け込ませてうっすら表現する優品が目立つ。
清は白く上品な印象で、白く澄んだ磁器の価値観に合わせているように思える。以上、時代に沿ってまとめてみた。中国以外の青磁もあった。朝鮮青磁は象嵌へのこだわりが凄まじい。基本となる釉の色が灰色に近いせいだろうか。
異なる質の土をはめ込むことで違う色を表現することに熱心で、美意識がそっち方面に進化した差異が興味深い。
日本からは鍋島の青磁と木米。どっちも見事で、鍋島(→2023.3.25)はやっぱり簡素であることで上品だし、
木米(→2023.3.18)はデザインと技術の融合が頂点を迎えている感じ。東南アジアの青磁は、まあおまけですな。
最後は古典を消化した板谷波山ということで、非常に締まったいい内容だったのではないでしょうか。皇居方面を眺める。あまりに天気がよかったので撮らずにはいられなかった。
声が出ないのでどこかへハシゴする気力もなく、地下のドトールで充電しながら日記を書き、戻ってもまた日記。
◇
中村俊輔の引退試合に中田ヒデ来たんか。本当によかった……。世の中、結局は「仲良きことは美しき哉」なのよね。
先日、ゆずの聖地だという岡村町に行ったので(→2023.12.9)、そのついでに『ウソゆず』豆知識を箇条書きで残すなり。
・『ウソゆず』をつくるために本家の『夏色』と『少年』を死ぬほど聴いた
→聴いてもらえば、パロディでありつつも本家を全面的にリスペクトしていることがわかってもらえると思う。
・イントロをどうしても思いつかなくて、最初の4小節だけ潤平にギターでつくってもらった
→その後はぜんぶ僕の作曲だが、このイントロがないと全体ができなかったので作曲者の名義は僕と潤平のふたり。
・最初にカッカッとリズムが入るのは、これがないとイントロのギターが入るタイミングをつかめないから
→ない方がかっこいい気がするが、ライヴで目印にもなるしまあいいかって感じ。
・本家はとにかく音程が高いイメージだったので思いっきり高い音程でつくったらマサルの歌える音域じゃなくなった
→それでマサルは御神体からクラッカーを飛ばす係になった(→2012.7.18)。
・音程を高くしすぎて僕も潤平も息も絶え絶えで歌う破目に
→おかげで音をはずしまくってヘタクソな仕上がりになってしまった(特に僕の高音パート)。
・低音パートのハモりメロディは特に決めてなくて、レコーディングのとき潤平がその場で高音パートに合わせて歌った
→そういう意味でも作曲者の名義は僕と潤平のふたりってことでいいわけですな。
・『ウソゆず』はもともと仮タイトルで、ゆずのパロディをやることだけ決まっていて『ウソゆず(仮)』と呼んでいた
→結局これを超えるタイトルが出なかったので正式なタイトルになった。
・マサルが「ゆずっぽさ」ということで一番こだわっていたのは、ベルの音を入れること
→SC-88Proのベルの音が弱くて、最大音量であの程度。ここはいまだにちょっと残念である。
・1番が終わってすぐ2番に入るのは作曲していたときにふと思いついた工夫
→本家に引っ張られて自然とそうなった感覚。
・♪愛なんてチェリーの僕には大してわかるはずもなく
→「そんなことはない」というのが、作詞者のマサルを含むメンバー全員の統一見解 。
・間奏は誰もハーモニカを吹けないのでライヴでは僕がピアニカで演奏
→そのためだけにわざわざピアニカを用意したのにどこへ行ったのか……。
・マサルは本当に動物占いが「ひつじ」
→きっと気持ちライオンなんだね。
・途中で「1、2、3、ハイ!」と入るのも作曲していたときにふと思いついた工夫
→これも本家に引っ張られて自然とそうなった。
・♪ウソゆずは関係ない の元ネタはなぜか奥田民生『マシマロ』
→当時リリースされたばかりだったのだ。それをここにもってくるマサルのセンスよ。
・筆下ろしライヴの御神体(→2012.7.18)は大学のトイレから持ってきたトイレットペーパーに布テープで製作
→その後、第9回一橋オープン(→2006.7.14)の優勝トロフィーになった(オスカー像)。
・ディナーショウのときに用意した御神体(→2001.7.1)は最終的に燃えるゴミとしてしれっと出した
→大量のポリパテで覆った(→2001.5.7/2001.5.8)ので本当にクソ重かった。
・屋外ステージの「東大コンプレックス2001」では自主規制と称して下ネタ部分だけを歌った(→2001.11.3)
→一橋祭実行委員に怒られる。大学を卒業したOBが現役の学生に怒られるのはたいへん恥ずかしかった。
・このときは自主規制と重さへの反省とで、四角い発泡スチロールでモザイクを演出した御神体を製作
→その後、HQSにもらわれて第10回一橋オープン(→2003.3.9)の優勝トロフィーになった(デジタルオスカー像)。
・自転車をこぎながら『ウソゆず』を歌うとめちゃくちゃ気持ちいい
→たまに旅先でレンタサイクルをこぎながら大声で歌う。みんなも歌おう。
・その後も「『ウソゆず』みたいなキャッチーな曲をつくれよ」とマサルがすごく言ってきた
→「じゃあキャッチーな曲がつくれる歌詞を書けよ」と堂々巡りをやっているうちに熱海ロマンが解散した。
次は映画だ! 『ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow』。
のっけから沼津のあちこちで踊り狂って『サザエさん』かいな、とツッコまずにはいられない。
舞台となっている場所がどの辺なのかだいたいわかってしまうのが、われながらニンともカンとも。全体的な感想としては昨日のTVシリーズと同じで、相変わらずの他者が不要なマッチポンプ自己解決。
具体的にどこが悪かったか今回はいちおう言語化されているけど、やはり掘り下げて描くことはないのである。
したがって、何をもってパフォーマンスが「失敗した」のか明確に示されないまま。そして高海千歌はいつでも正しい。
すべてが主観的なので、「スクールアイドルがすばらしいと証明する!」なんて言っても論理的に成り立っていない。
おまけに親戚が小さい頃イタリアにいたとか、御都合主義がすごすぎてもう。見ていて頭がおかしくなりそうでござる。
『ラブライブ!サンシャイン!!』をようやくぜんぶ見たのでレヴューなのだ。
これでやっと、沼津におけるあれこれ(→2017.10.8/2022.7.2)の意味がわかった。まあわかってもうれしくないが。
(きちんと見るまでは、ヴィジュアル的にヨハネがダイヤの妹だと思ってたんだが、違ってびっくりした。)*ラブライブ!関連過去ログ一覧
第1弾「他作品との比較による『ラブライブ!』総論」(→2018.12.9)
第2弾「キャラクター造形論」(→2018.12.14)
第3弾「組織論/時間論」(→2018.12.17)
第4弾「身体論/空間論」(→2018.12.20)
『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(→2022.12.23)やっていることは前作と一緒で、その地方版というだけ。何ひとつ成長していない。また廃校ネタとかねえ……。
『ラブライブ!』の続編ということで、正統性の主張に余念がない。そうして地域活性化方面にアレンジしているだけ。前作の感想で「誰かが勝手にうまいことやってくれる、ただ自分たちにとってのみ都合のよい世界。」と書いた。
『サンシャイン!!』もその点はまったく変わらない。ストーリーは完全に欠如しており、各話やっていることに差がない。
毎回毎回主人公たちにとって都合のいい流れに乗っているだけ、その中で自己啓発的な宣言を繰り返すだけなのだ。
今作では「輝く」がキーワードとなっているようだ。しかし「〜したい!」というセリフを重ねていくワンパターンで、
自分語りと自己肯定にまみれたモノローグの宣言をただ聞かされて、こっちはどうすりゃいいのと途方に暮れるのみだ。
(だいぶ前に研修で講演会に行かされて、闘病中の子どもを元気づける某活動をしている人が講師だったのだが、
「ぼくは○○したいんです!」という主張を大声で繰り返すだけで、心の底から呆れ果てたことがある。あれと同じ。)
まず未来とか希望とか夢といったキーワードがあり、各話ともそこに流れを合わせていく、というつくり方をしている。
おかげで見事に中身がない消費となっている。本当に空虚。御都合主義がひどくて。もう何から何まで陳腐すぎて。結局のところ、自分が輝くことで他人が救えると信じている、まことに都合のいい幻想を見せつけられているだけ。
他人のためと言いながら自分のことしかしゃべっていない。それは自分にとって都合のいい他人のため、ということだ。
本当の他者に寄り添っていない、論理的につながっていない救済。共感できなすぎて、ただ唖然とするしかない。
(道徳の授業で「自分が活躍すれば周囲には納得してもらえるはずだ」と言ってのける生徒と同レヴェル。→2018.2.22)
なんか宗教じみてねえか。このマッチポンプにハマれるとか、ヤバくねえか。これがウケてしまう日本はヤバいというか、
終わってるというか。齟齬を経験したことによる成長こそが、物語を魅力的にする秘訣であるはずだ(→2006.3.22)。
しかし今作も結局、スクールアイドルどうしのやりとりでしかなく、他者がいない。コミュニケーションは不在のまま。
スクールアイドルは自動的に正しく行動してしまい、表面的な葛藤しかない。失敗したくない若者を代弁しているのか。
そうして「輝く私」を主張するが、他者とぶつかることによる彫琢を回避しているため、説得力はまったくない。インパクトのために全体の自然さや論理性をねじ曲げる傾向も相変わらずだ。ドラマチックにもっていくために、
肝心な場面すらすっ飛ばす。印象的な演出だけを固めてのパッチワーク。ミュージカルの不自然さが強調されている。
たとえば学校の始業式をスクールアイドルの話に終始させるとか、あまりにもリアリティをねじ曲げすぎだろう。
論理的につながらない似たような展開を毎回見せられて、やたらと眠くなった。見るのが本当につらかった。それにしても今作は、教員の不在を徹底しているのが気になる。学校を子どもの民主主義空間とする夢なのか?
最終的に正しく行動してしまうスクールアイドル(高海千歌は決して間違わない)は、その担い手の象徴なのか?曜ちゃんいい女。
部屋の乾燥っぷりでまず鼻がやられ、次いでのどに移行し、テスト返却だというのに声が出ない。気分は人魚姫。
まあそれはとにかく、生徒はマジメなので、つぶれた声での解説をきちんと聞いてくれるけど、すごく申し訳ない……。
では、昨日見た国立歴史民俗博物館の『陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-』について。
L: 国立歴史民俗博物館の外観。芦原義信の設計で1981年に開館。京成佐倉駅からギリギリ徒歩を許容できる面倒くさい距離。
C: 階段を下りて企画展示室へと向かう。 R: 『泣不動縁起絵巻』で安倍晴明に呼ばれて出てくる式神たちと記念撮影可能。まあおたくというか、とても博物館らしい内容なのであった。コピーだろうが複製だろうがとにかく資料を大量に集め、
中身の濃い説明とともにびっしり展示。これは結局、図録を買って帰って家でじっくりと説明を読むべきなのであろう。
最終日ということもあって客の入りは凄まじかった。きっと図録はバカ売れだろう。博物館としては正しい気もする。展示は3部構成で、最初にいわゆる「陰陽師らしさ」を膨大な資料から検証し、次にその代表として安倍晴明を特集する。
最後に陰陽師の重大な仕事であった暦の製作をクローズアップ。人文的ファンタジーを押さえつつもそこに留まらず、
彼らの科学的な側面をむしろ積極的に掘り下げるところに国立歴史民俗博物館の矜持を見た。その視点を通してみると、
時代に合わせて陰陽師側が変化していったことがうかがえるのだ。日本の歴史には「○○時代」という区分があるが、
その各時代における「近代化(modernization)」を丁寧に追う内容となっていて、そこが非常に興味深かった。
つまりは、海外の知識や国内の技術革新によりパラダイムシフトが発生し、それを受け容れて陰陽師の仕事が変化する。
彼らの仕事は当時の人々が抱えていた生活への不安に直結しているので、仕事の変化から時代性が読み取れるわけだ。
だから更新される理系的知識をベースにしつつも、それが政治や生活に波及していくと心理学や民俗学に回帰する、
というレヴェルまで掘り下げた研究がなされている。西洋は政教分離や科学が神学から分離するところまで行ったが、
日本はそこまで行かずに明治維新を迎えた。その差はどこにあったのだろう、とあらためて考えさせられる内容だった。
(展示を見るに日本の場合、科学はあくまで主観的であり、宗教的世界観の応用という枠内に留まっているのが特徴的。)
これを突き詰めていくと結局は、人間の好奇心と向学心をテーマとして人間性を探る「哲学」となっていくのだろう。
(海外の大学における博士号のほとんどが 「Ph.D.」=Doctor of Philosophyとなってしまうのも、そういうことか。)ふだん美術館に行くことが多いので、地味めの博物館的展示は「図録で説明を読んでください」が基本スタンスに思える。
その中で圧倒的だったのが、渋川春海が描いたとされる『天文図・世界図屏風』である。左隻が天文図、右隻が世界図。
天文図の星座はわれわれの知る88星座とはまったく異なる体系によるが、当時の世界観の究極形が表現されている。
世界図は意外と正確で、大航海時代を経た知識が鎖国の日本に入ってきた状況を想像するだけでも面白くてたまらない。
そしてこの好奇心の塊が美術としてしっかり成立しているところに、凝り性な「日本人らしさ」を感じてしまうのだ。
ほかにも美術・工芸として優れた作品があり、日本には昔っからデザインの目で見ている人がいたのが実感できて、
それがまた楽しいのである。陰陽師のつくるお札なども、デザインとして捉えていた人がいっぱいいたはずなのだ。
もし今回の展示に足りない部分があるとすれば、おそらくその点だろう。「デザイナーとしての陰陽師」という視線。展示の最後は明治維新によって陰陽師が消えた事実と、それでもカレンダーに今なお残っている要素の紹介。
あらためて明治維新という近代化インパクトのデカさに驚かされる。西洋に伍するため、すべてを因習として切り捨てた。
でも、果たしてわれわれの心理学は近代化できているのか?という問いは残る。近代化が全面的に正しいわけでもないし。
陰陽師というキーワードから日本人の好奇心と向学心を探る「哲学」、その第一歩を感じられる展示でございました。
今シーズンの青春18きっぷ利用開始日である。そして国立歴史民俗博物館の陰陽師展最終日である。行かいでか。
というわけでほぼ朝イチで千葉県を目指す。国立歴史民俗博物館だけなら別にそんなに焦らなくてもいいのだが、
せっかくの青春18きっぷだから寄り道するに決まっている。本日最初の目的地は、下総神崎(こうざき)だ。下総神崎駅。大杉神社で黒猫と戯れて以来(→2015.12.20)だなあ。
到着したのが8時前。いくらなんでも早すぎである。しかし成田線の端っこは本数が少ないからしょうがない。
運がいいことに駅前にはデイリーヤマザキがあるので、そこで朝メシを確保。しかしあまりにも個人経営で、
菓子パン2つと飲み物くらいしか買うものがないのであった。で、駅の待合室で日記を書いて時間調整である。
テーブルがあるだけマシだが、高さがないので無理な姿勢になってしまい、腰を痛めた。カイロでどうにか対応する。
そんなこんなで8時半になってから行動開始。目指すは利根川の手前に鎮座している神崎神社だ。国道356号に出て北上。
L: 国道356号はかつての銚子街道。往時の雰囲気がよく残る。 C: 鍋店(なべだな)の神崎酒造蔵。1689(元禄2)年創業。
R: 神崎の中心部。良質な米と醸造に適した地下水、そして利根川の水運により、江戸時代から醸造業が盛んな場所だった。宿場街らしい雰囲気が終わったところに神崎神社の参道入口がある。まずはしっかりと石段を上がっていくが、
登りきると今度は下り坂。なかなか複雑な地形となっているようだ。進んでいくとまた石段で、これで境内に入る。
L: 神崎神社の入口。 C: 石段を上がりきると今度は下り。位置エネルギーがもったいない。 R: そしてまた石段。授与所は閉まっているかと思ったら、テンポよく御守を頂戴することができたのであった。たいへん助かる。
成田線沿線ということでか、航空安全御守が妙に充実していた。とりあえず、最もふつうな御守を2種類頂戴する。
L: 神崎神社の拝殿。石段を上りきったところから少し西にずらして配置しているのが特徴的か。 C: 奥の本殿。
R: 拝殿脇に「なんじゃもんじゃの木」。徳川光圀が「この木は何というもんじゃろうか」と言ったからだと。クスだけど。駅に戻り、1駅手前の滑河(なめがわ)駅へ。地味に難読駅名が続くなあと思いつつ改札を抜けて駅舎の外へ。
今日はここがいちばん面倒くさい。ここから南へ3km、やはり徒歩である。目指すは小御門(こみかど)神社だ。
L: 滑河駅。向かって右側がガラス張りの待合室。 R: 小御門神社の大鳥居。いざ行かん!気合いを入れて歩きだす。いかにも千葉県らしい半分農業半分放置といった穏やかな山道を進んでいく。
やがて県道79号に合流。時間の経過は正直だが、意外と距離を遠いと感じない不思議なルートである。
すると途中で左手に面白そうな建物を発見。「オートパーラーシオヤ」とあり、バイクが何台か駐めてある。
気になって中を覗き込んだら、そこはレトロな自販機が現役で動いている休憩所なのであった。入らいでか!
L: オートパーラーシオヤ。 C: 中に入ると自販機がズラリ。これは懐かしい光景だ。故障中のものが多くて少し残念。
R: 激めん! 昔、『ぴったしめんめん』というカップラーメンの神経衰弱おもちゃがあったが、あれでしか見たことないやつだ!
L: てんぷらそば(350円)をいただく。 C: 時間表示がニキシー管! これには大いに感動。完璧だよ! 完璧じゃねえかよ!
R: 出てきたものがこちら。上野駅のセルフ駅そば(→2023.8.27)をはるかに上回るコスパ。上野駅にはこれを置いてくれよ。
L: ハンバーガー(280円)もいただいてしまうのだ。 C: こんな箱で出てくる。 R: 中身は想像どおりのフニフニ感。いや、これはお金がいくらあっても足りませんなあ。レトロな自販機の独特な魅力を再確認したのであった。
余韻に浸りながら歩いていき、本来の目的地である小御門神社にようやく到着。境内の入口が敷地の真北なので、
低い冬の太陽が思いっきり逆光になって撮影しづらいのなんの。ただ、境内の中に入ると紅葉がすごく美しい。
小御門神社は建武中興十五社のひとつで、後醍醐天皇の側近だった藤原師賢を祀る。師賢は1331(元弘元)年、
元弘の変で京都を脱出する後醍醐天皇の身代わりとなって比叡山で戦った。しかし敗れて下総国に流され、
翌年病死してしまった。二礼二拍手一礼すると、これで建武中興十五社をすべて参拝完了である。長かった。
L: 小御門神社の境内入口。県道79号は社地をしっかり避けて南下していくが、おかげでなかなか厳しいクランクである。
C: 近づいてみたところ。 R: 鳥居をくぐって境内。社叢は明治に入って植栽されたもので、100歳の人工林というわけ。御守を頂戴しようと思ったら、なんとこの日は授与所が開くのが午後からだと。親切な地元の方が教えてくれた。
今日は午後から成田市内の神社めぐりを計画していたのだが、ここまで来るのが本当に面倒くさいことを考えると、
予定を変更して授与所が開くのを待つ方が合理的な気がしてきた。境内のベンチに腰を下ろして日記を書いて過ごす。
L: 小御門神社は横参道。突き当たりで左を向いてこの光景。 C: 進んでいって社殿は玉垣の中である。
R: 向拝が目立っている拝殿。建築様式はなかなか独特。1882(明治15)年の創建時からこんな感じなのだろう。しかしあまりに腰が痛くて集中できず、600mほど北のローソンまで戻って、そこのイートインコーナーで日記。
充電もWi-Fiもあるし、環境として完璧なのであった。なぜ旅先なのに日記がはかどっているのだろうと思いつつ書く。
そうして頃合いを見計らって再突撃し、どうにか御守を頂戴することができたのであった。よかったよかった。
L: 中門と本殿。 C: 角度を変えて反対側からもう一丁。 R: 校倉造の奥宮。本殿の方を向いている。帰りはしもふさ循環バスで滑河駅まで戻るが、西へと大回りをするルートだった。滑河観音こと龍正院の脇を通るが、
観音堂も仁王門もかなりの迫力で、これはしまったと思う。無知とは罪だ。いずれ機会があれば参拝したいものである。バスの車窓から眺める利根川。
成田駅に着くとのんびりする余裕もないまま京成成田駅へと移動。そこから京成佐倉へ行って国立歴史民俗博物館へ。
陰陽師展はたいへん中身の濃い内容だったので、明日の日記でじっくりレヴューさせていただくとするのだ。
見学を終えると京成成田に戻る。JRの成田駅にある立ち食い蕎麦屋はラーメンが正統派の中華そばで好きだったが、
なくなってしまっていて全力でがっくり。代わりにいろり庵きらくとTOKYO豚骨BASEができていた。失望である。成田からの直通列車で品川へ。もちろんグリーン車でまた日記だが、新車両はAC電源とWi-Fiでやりたい放題だぜ。
そんなわけで、旅先なのにかえって日記がはかどってしまう、なんだか妙な一日なのであった。いやー、進んだ進んだ。
昼前に歯医者へ行くことになっていたので、ついでに神奈川県の神社めぐりを敢行することにした。
東のJRからバスでアクセスして、西の京急に抜ければちょうどいいだろうということで、まずは岡村天満宮へ。
しかし横浜駅で根岸線が遅れたため、スマホを参照してルートを調整。根岸駅からバスで岡村町へと向かう。
L: 天神前で下車して岡村天満宮の大鳥居へ。 C: 坂道を上っていくと境内入口。 R: 石段を上っていく。石段を上りきったところには、ゆずの絵が飾られていた。僕は知らなかったのだが、岡村町はふたりの出身地だそうで。
「ゆずっこ」の皆様にとっては聖地みたい。僕は「ウソゆずっこ」なので、なんだか申し訳ない気分になってしまう。
しかし個人的にはゆずというと身曾岐神社の宗教的な方面が気になってしまう(→2019.8.25)。ウソゆずっこだもの。
L: 横浜松坂屋から移築されたゆずの絵。どっちが北川でどっちが岩沢かイマイチわからないくらい似ていない。
C: 岡村天満宮の境内。境内の西側は岩沢が卒園したという岡村幼児園の領土となっている感じ。 R: 拝殿。御守を頂戴するが、ふつうの御守のほか、天満宮ということで学業の御守も頂戴しておく。どちらも2色で計4体。
そうなるとなかなかの出費となってしまう。なお、ゆず関連の御守はなかった。芸能の御守でもつくればいいのに。本殿。すぐ隣が岡村公園のテニスコート。
しばらく呆けてバスを待ち、いったん上大岡に出る。午後の神社めぐりのための軍資金をおろして一安心。
その後、歯医者へ行って虫歯の治療。歯医者に行くたび、虫歯の治療が充実した現代に生まれたことを幸せに思う。麻酔で唇右半分の感覚がないが、それでも寿司を食いたいのだ。意気揚々と坂を上って寿司屋(→2022.9.13)へ。
そしたらネットでの評判があまりにもいいせいか、土日は予約が必須になっているとのことで、愕然とする。
でも入れてもらえたので感謝。にぎり大が1200円に値上がりしていたが、増えてないか? お得さは変わらない感じ。
残念ながら大将は年内で引退とのことで、いいタイミングで食えたなあと思う。跡を継ぐ息子さんにも期待である。前よりも増えている気がする。毎回感動するなあ。
寿司の余韻に浸りながら快晴の下、神社めぐりを再開する。京急は南太田駅で下車。まずは大岡川を渡り、日枝神社へ。
こちらの日枝神社には「お三の宮」という通称があるが、これは「山王宮(さんのうみや)」が訛ったものだという。
さらに「お三」という女性が吉田新田開発の際に人柱になったという伝説もあり、「お三の宮」が定着したそうだ。
なお、吉田新田は現在、関内の外側である関外地区となっている。範囲としては、大岡川・中村川・JR京浜東北根岸線、
これらに囲まれた辺り。つまり伊勢佐木町や大通り公園はその中心となる。日枝神社はその西端に勧請されたのだ。
L: お三の宮 日枝神社。1673(寛文13)年に吉田勘兵衛良信が江戸の日枝神社(→2015.11.27/2018.8.2)を勧請して創建。
C: 拝殿。 R: 本殿の方に入れないので、角度を変えて意地で本殿を眺める。日枝神社は横浜大空襲で大きな被害を受けた。
L: 神楽殿。もともとは1977年に合祀された稲荷神社の社殿だったそうだ。 C: なかなか立派な社務所。
R: 本殿脇に位置する末社・堰神社。吉田新田の用水堰の守り神で、もともとは用水取入口に鎮座していた。大岡川を再び渡って左岸に戻り、横濱水天宮・太田杉山神社へ。その名のとおり水天宮と杉山神社を合祀した神社だ。
杉山神社は横浜を中心に多くみられる神社だが、中心となる総本宮がない。かつては存在していたのかもしれないが、
信仰が広がった分、あまり規模の大きくない杉山神社が点在している格好だ。水天宮の方は経緯がはっきりしていて、
吉田新田の開発が一息ついた貞享年間に、水害の守護神として久留米(→2011.3.27/2014.11.23)から勧請している。
しかし横浜大空襲で壊滅し、境内が進駐軍に接収されたため、杉山神社に合祀された。苦難の歴史を反映しているのだ。
L: 県道218号を挟んで眺める横濱水天宮・太田杉山神社の入口。 C,R: 参道はまったく余裕がないのであった。
L: 拝殿。水天宮なので七五三の勢いがすごかった。 C: 社殿の再建は1958年。 R: 本殿。すぐ後ろが山。さて、気になったのが「Y校」である。バス停にも交差点にも「Y校前」という文字が堂々と記してある。
「Y校」とは、横浜市立横浜商業高等学校のこと。1882(明治15)年設立の横浜商法学校をルーツとしており、
現存する神奈川県内の公立高校で最も古い歴史を持つそうだ。「Y」に横浜のハイカラな歴史が込められているわけだ。
最近ではKADOKAWAがN高とかS高とかやっているけど、「Y校」の歴史とプライドの厚さは半端ないのである。
L: 「Y校前」のバス停。 C: 交差点も「Y校前」。 R: こちらが横浜市立横浜商業高等学校。校章も「Y」の一文字。南太田駅に戻ってなかなか来ない各駅停車に乗ると(弘明寺駅だとやたら各駅停車が来るイメージがあるのだが)、
横浜のひとつ手前・戸部駅で下車する。わりと規則正しく住宅が並んでいる中を歩いていくと、戸部杉山神社に到着。
先ほど書いたように杉山神社は横浜エリアにいっぱいあるが、こちらは旧戸部村の鎮守ということでか規模はそこそこ。
L: 戸部杉山神社。 C: 拝殿。 R: 戸部杉山神社の名物だという駒鼠。回転式で、回してから参拝するらしい。戸部杉山神社はネズミ推しであり、御守も大小ともにネズミがあしらわれている。これは祭神が大己貴命であり、
ネズミはその使いということでフィーチャーされているようだ。駒鼠の設置は2002年なので、わりと最近の話みたい。本殿。木に遮られて意外に撮りづらい。
参拝を終えると徒歩で北上。JR線と相鉄線が並んで走っているが、そのすぐ手前に鎮座しているのが、水天宮平沼神社。
こちらは1839(天保10)年に平沼新田の鎮守として創建されたが、やはり久留米(→2011.3.27/2014.11.23)からの勧請。
面白いのが神紋で、縄と錨で円を表現した「縄付き錨」となっている。錨をデザインした家紋はいくつか存在するが、
縄を黄色としているあたり、明治以降のデザインかと思う。これまた横浜のハイカラ精神をよく反映していると感じる。
L: 水天宮平沼神社の境内入口。すぐ手前が平沼一之橋の高架なので、あんまり余裕がない印象がしてしまう。
C: 境内に入る。 R: 右手に神楽殿。コンパクトな境内とはいえ、かなりいろいろ詰め込んだなあと思う。
L: 拝殿は1913(大正2)年の築。水天宮平沼神社は横浜大空襲でも焼けなかった。 C: 境内社。手前は安産・子育て河童像。
R: いったん境内を出て裏から見た本殿。1863(文久3)年に遷座した際に建てられたものを、1989年に改築したとのこと。参拝を終えるとそのまま平沼一之橋を渡って線路の北側へ。線路の先には平沼橋が見えて、ああ横浜駅だなあと。
横浜駅の辺りはかなりごちゃごちゃしている印象だが、少しずれた位置にある平沼橋はかえってランドマークな気がする。相鉄・平沼橋駅の脇から見る平沼橋。架かったのは1997年と、意外と最近。
最後は岡野町の先に鎮座している浅間神社である。1080(承暦4)年に源頼朝が創建したそうだ。
もともと辺りは「芝生(しぼう)」という地名だったが、縁起の悪い音なので神社にちなんで浅間町と改名された。
しっかり丘の上の神社で、今はすっかり埋め立てられているが、かつては海を望む絶好の場所だったことが窺える。
L: 浅間神社の境内入口。社殿があるのはしっかり丘の上で、富士山に関連する浅間神社にふさわしい感じである。
C: 石段を上りきると二の鳥居。入って左手は浅間幼稚園の園地。 R: 横参道になっている。本殿は戦後の再建だが見事。
L: 正面から見た社殿。 C: 拝殿。 R: 脇から見上げる本殿。富士山本宮浅間大社と同じく2階建の浅間造(→2014.10.12)。これで本日の神社めぐりは終了。横浜駅まで歩いてカフェで日記書いてメシ食って帰る。なかなかに優雅な一日だった。
タカラヅカが揺れておりますが。この状況で公演をやっている阪急本社はどういう神経をしているのか理解できない。
僕は決してヅカファンではないものの、伝統芸能としてのヅカは適度に気にしておるわけでして(→2012.2.26)、
まあ『かげきしょうじょ!!』も好きだし(→2021.9.28)、ちゃんとしていてほしいなあとは思っているわけです。
陰湿な生徒もいる反面、マトモな生徒さんも絶対にいるはずで、そういうマトモな方々の声がまるで聞こえてこない、
それが非常に問題であると考えているわけです。通常なら失われることのない命が失われた、それが現実としてある。
その異常さを理解しているのか。それで「清く正しく美しく」とか言っちゃっているのか。しょせん芸能界なんてのは、
フィクションという愛を与えてお金をいただく世界ではあるが、それにしても落差が酷すぎないか?と思うのだ。このたび、最もマトモな反応がうっすら伝えられてきた雪組がいったん公演を中止するということで、
ああやっぱりマトモな生徒さんもいるんだよなあ、と思ったしだい。組を減らしてマトモな生徒さんだけ集めて、
それで再出発しないと成り立たないところまで来ているんじゃないのか。阪急にその歌劇団を運営する資格があるのか。
『There's No Business Like Show Business』って曲があるけど、今のヅカにそれを歌う資格はあるんですかね?
鯛焼きマニアの僕(→2016.8.24/2016.8.25/2016.8.26)としては、鳴門鯛焼本舗がエアロスミスとコラボした件は、
たいへん気になる話なのであった。ニュースではスティーヴン=タイラーの鯛焼きかぶりもの写真が連日流れ、
メンバー間で鯛焼きをめぐって殴り合いのケンカが始まり解散寸前までいったというエピソードが披露され、
世の中こんなニュースばかりならいいのになあとほっこり。しかし当のコラボ鯛焼きはすぐに売り切れとなってしまい、
ぜんぜん買えない日々が続いていた。このたびようやく販売再開となったので、満を持して突撃したのであります。
L: こちらがエアロスミスコラボ鯛焼きの包み紙。 C: 中身はりんご餡。 R: かじった断面はこんな感じであります。個人的な感想としては、人工甘味料っぽい甘みを感じてそこがちょっと。果肉もきちんと入ってはいるが、
もうちょっと増やしていっそのことアップルパイ感を出した方がよかったのではないか。まずくはないけどさ。
いちばんの問題は300円という値段。「天然モノ」とはいえバイトの兄ちゃん姉ちゃんが焼いてそれは高いでしょう。
そもそもノーマルなあんこで280円というのがおかしいのである。柳屋より100円高いとか、ぼったくりだよ。
稲中ポップアップショップ(→2023.11.13)に再び行ってきたのだが、お店の「わかってる」度合いがすばらしい。
展示替えの結果がコレ。たいへんわかってらっしゃる。
田原年彦Tシャツは残念ながら売り切れなのであった。ピンポンマン関係のグッズは残っていて、ちょっとむくれる。
『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』(→2023.9.29)のアニメを見てしまった……。
結論としては、わざわざアニメ化せんでもマンガで十分やんけ、と。それに尽きるなあ。
わざとやっているんだろうけど、男性声優陣が非常にテンプレな女性向け演技って感じでニンともカンとも。
(TSジオルドの声については違和感がほとんどなく、これはすごい!と思わず唸ってしまったが。)
マンガと比べると全体的に「感動させようムーヴ」がたいへん強く、そこがどうも鼻につくのである。
いちばん気に入らないのは主題歌で、藤本美貴系の声はまだいいとしても、歌い方が本当に合わない。
崩し方やひねり方に自己陶酔が透けて見えて、とても聴いていられない。アニメファンはこれのどこを評価しているの?ぼちぼち映画が公開されるみたいだが、どうせ歌手も替わらないだろうし、話も「感動させようムーヴ」だろうし、
わざわざ見にいくほどのものでもなさそう。人気があるからとりあえずアニメ化して、とりあえず映画化して、
とりあえずそれなりの収益が出てしまうんだろうなあ。まあ流行り物なんて所詮そんなものかもしれないが。
朝早いうちは分厚い雲が空を覆っていて、こりゃ今日は御守の撮影に専念するかと作業をしていたら、
日が差したり陰ったりを繰り返してだいぶ不安定。こうなると集中して撮影するのが難しい。どっと疲れてしまう。
11時くらいになってから外で日記を書くかと部屋を出ると、雲ひとつないド晴天なのであった。なにごと!?というわけで、あまりにも天気がよかったのでサイクリングを敢行。新しい自転車(→2023.11.18)の調子を見るのだ。
昨日の続きで神奈川県に出るとして、ふつうに動いてもつまらない。昨年3月開通の多摩川スカイブリッジに行ってみる。
多摩川で最も下流に位置しており、場所としてはほとんど羽田空港である。ひたすら環八を東に行くのは面倒くさい。
でもそれが気にならないくらい天気がいいし、自転車の調子もいい。思ったよりもいい感じで到着できたのであった。
L: 環八をそのまま東へ突き進んで多摩川スカイブリッジが見えてきた。この辺りにまで来るのは2年ぶりか(→2021.8.11)。
C: 多摩川スカイブリッジの手前から見る北側方面。モノレールが行く。 R: ではいざ多摩川スカイブリッジへ。多摩川スカイブリッジでは自転車は左側通行と決められており、しょうがないのでまず東の河口方面を撮影し、
自転車を引いていったん戻ってから西の都会方面を撮影するという作戦をとった。それだけいい景色でございました。
L: 多摩川スカイブリッジはなかなかの勾配。 C: 東の河口方面を臨む。飛行機が頻繁に離陸するので飽きない。
R: 今度は西側の歩道へ移動。多摩川左岸(大田区側)を眺める。羽田空港へのアクセス道路に特化している感じ。
L: 真ん中辺りから眺めた西の都会方面。 C: 羽田空港の駐機場。飛行機が数機、置いてあるのが見える。
R: 右岸(川崎市側)に渡りきってから振り返る多摩川スカイブリッジ。今後バリバリ開発されていきそう。せっかくなので小島新田駅に寄ってみる。鉄じゃないので下車したことはなかったが、周囲はふつうに住宅が多い。
もうちょっと鶴見線(→2006.8.6/2012.1.8)のような工業主体な感じかと思っていたので、少し意外だった。小島新田駅。その名のとおり小島さんが拓いた土地で、辺りは今も小島さんが多いらしい。
軽く野良猫と目線で会話した後、そのまま西へと向かう。次の目的地は川崎大師こと平間寺(へいげんじ)なのだ。
17年前に訪れたときはデジカメを持っておらず(→2006.3.19)、7年前には正月の参拝客多数で諦めた(→2016.1.9)。
それ以来のリヴェンジである。自転車ならそれほど遠い距離でもないはずだったが、ようやく日記に写真を貼れる。
L: 川崎大師の仲見世通り。 C: だるまが並び、飴を切る音が響く。これを毎日やっているんだなあ……と思うのであった。
R: 仲見世通りの先には、1977年竣工の大山門。空襲を受けた影響で、川崎大師はほとんどの建造物が戦後のものである。川崎大師の正式名称「平間寺」は、無実の罪により尾張を追われた武士・平間兼乗が弘法大師像を引き揚げ、
高野山の尊賢上人とともにそれを祀って寺を建立したことによる。なお、公式キャラクターは「ひらまくん」である。
L: 大山門をくぐって境内へ。 C: 右手のお護摩受付所。規模の大きさにあらためてびっくり。 R: 1964年竣工の大本堂。
L: 御守を頂戴して南に抜け、不動堂へ。こちらも1964年竣工。 C: 大本坊。1934年竣工で、戦後は仮本堂となっていた。
R: 1984年竣工の八角五重塔。この建物を中心にして公園らしい雰囲気があり、どこか近世の寺院空間を思わせるのが興味深い。
L: 境内南端の薬師殿。かつては自動車交通安全祈祷殿だったそうだ。寺の自由な発想(→2021.1.16)が実感できる建物である。
C: 鐘楼堂。不動門と一緒に譲り受けたもの。 R: 不動門。かつては山門だったが、大山門の竣工により現在地に移築された。これで7年前の借りをようやく返すことができた。御守を頂戴するだけでなく、元気いっぱいな仲見世通りを味わい、
近代以前の公園的な性質を持った境内空間をあらためて確認することができた。川崎大師は魅力ある場所だと思う。
(参考までに、増上寺の敷地だったエリアが公園化されて誕生した芝公園についてのログはこちら。→2020.8.17)川崎大師駅の前を通る。柱が赤くなっているのね。
本日最後の目的地は、川崎大師駅にほど近い若宮八幡宮だ。「かなまら様」と呼ばれる境内社の金山神社の方が有名で、
かなまら祭は男根の張形を載せた神輿が登場して盛り上がることで知られる。ふだんは非常に静かな神社なのだが。
L: 若宮八幡宮。 C: まずは若宮八幡宮に参拝。拝殿が瓦屋根なのは川崎大師との関連なのか。 R: 本殿。若宮八幡宮の参道南側に金山神社の参道も並行している。まず絵馬殿があり、中央には男根の付いた金床が置かれている。
金山神社はその名のとおり、本来は鍛治の神である金山比古神と金山比売神を祀る神社だ。しかし性の神でもあるため、
だんだんとそちらが強調されるようになり、川崎の土地柄もあってかかなまら祭が一大イヴェントと化していったのだ。
L: 絵馬殿。 C: 中央に置かれている独特な金床。 R: 金山神社の社殿。もともとは独立した神社だったがこちらに遷座。大師河原酒合戦三百五十年記念碑。今も「水鳥の祭」が続くほどの飲み会だった模様。
若宮八幡宮の御守のほか、金山神社の御守とかなまらみくじも頂戴した。家に持ち帰って見てみたら中吉で、
特にこれといって面白い内容ではないのであった。ギンギンというわけではないが、困らない程度にもっこりなようで。
L: かなまらみくじ。 C: 裏におみくじが刺さっている。 R: おみくじを取った後。お、おう……って感じの穴である。おみくじを取った後の物体をどうすればいいやら……。ほとぼりが冷めた頃に返しに行けばいいのかなあ。
12月である。天気のいい日には首都圏の市役所めぐりをガンガン進めていくべきではあるのだが、冬の日差しは手強い。
先月の吉川市でそれを実感したので(→2023.11.23)、3月くらいになるまでは市役所はお休みしようかと考えている。
じゃあどうすべえかとプランを練ってみたところ、鉄道でのんびりと神奈川県の神社を押さえるのもいいのではないか、
なんてアイデアを思いついた。というわけで、善は急げでいざ実行。J1昇格プレーオフ決勝も魅力的だったのだが、
僕は東京Vも清水もどっちもガンバレ派で、人混みが面倒くさいこともあってそちらはスルーさせていただくのだ。初回は身近な東横線で行ってみよう!ということで、まずは新丸子の日枝神社から。目黒線と東横線は並走しているが、
わざわざ田園調布で東横線に乗り換えてのアクセスである。そしたら急行だったので武蔵小杉まで飛ばされてしまい、
まあちょうどいいやと昼メシ食ってから徒歩で向かう。ふだんなら自転車圏内なので、なんだかもどかしい。
境内に入ると七五三。ちゃんとしたご家庭なら神前でふざけたり走り回ったりの傍若無人なふるまいがなくていいが、
そうでない家族の場合には本当に厄介である。七五三で各家庭の民度が出ると僕は思っております。マジで。
まあでも七五三のおかげか、その場で宮司さんから御守を頂戴できたのでヨシ。小さい神社だともらうのが大変なのだ。
L: 丸子山王日枝神社。創建は809(大同4)年で、堂々たる山王鳥居がお出迎え。 C: 拝殿。 R: 本殿。そのまま歩いて京濱伏見稲荷神社へ。東京と横浜の間ということで、1951年に創建されたとのこと。
もともと稲荷系は独特な雰囲気だが、単立神社ということでさらに独特。境内には108匹のキツネの像がある。
御守を頂戴したが、ご利益のジャンルが9種類に袋が4種類で、組み合わせがややこしい。1体500円なのがありがたい。
L: 京濱伏見稲荷神社。 C: 駐車場から入ると富士塚。カラフルだなあ。 R: 参集殿だろうか、モダニズムだ。
L: 社殿は鳥居から入って右手。 C: 脇の境内社。キツネがいっぱい。 R: 外に出て交差点から本殿を眺める。新丸子から元住吉に移動。出口を間違えて東側に出てしまい、すぐに西側へ戻る。が、高架の下がなかなかの迫力。
現在の駅は車両基地の上にあるそうで、いつの間にこんなになったんだ?と思って調べてみたら、2006年だった。
17年も経っているの!?とびっくり。いくら日頃馴染みのない駅だとはいえ、無知にも程がある。反省するのであった。元住吉駅の高架下。しかし17年とは……。
元住吉からすぐ北に入ると住吉神社である。たいへんややこしいのだが、実は住吉神社、住吉系ではない。
もともとは「矢倉神社」という名前で、住吉村の名から住吉神社となったそうだ。元住吉の駅名も住吉村が由来で、
地元住民は「住吉」という名前に凄まじいこだわりがあった模様。ちなみに創建年も祭神も不詳だったそうで、
1909(明治42)年に旧住吉村の神社を合祀して現在の形になった。世の中、いろんな神社があるなあと思う。
L: 住吉神社の境内入口。やっぱりこちらも七五三。 C: 隙を見て撮影した拝殿。 R: 社務所前から見た拝殿。奥に本殿。元住吉の次は日吉ということで、日吉神社へ。駅からは少し離れており、矢上川の近くまで戻ることになる。
住宅が密集する中にある小高い丘に鎮座しているが、これまた日吉神社なのに日吉・日枝系ではなく伊勢系の神明社。
日吉不動尊の金蔵寺から「日吉」という地名が生まれ、その日吉町にある神社ということで日吉神社になったそうだ。
L: 日吉神社の入口。 C: 石段を上りきると拝殿。なるほど伊勢系の雰囲気。 R: 裏の本殿。慶應がオープンキャンパス的なことをやっているようで、日吉駅前はたいへんな混雑ぶりなのであった。
人波を掻き分けるように改札を抜ける。これではJ1昇格プレーオフと変わらん人混みだと思いつつ東横線に揺られる。
そうして綱島をスルーして大倉山で下車。次の目的地は師岡熊野神社だが、横浜北部の総鎮守とされているそうで、
そんなものは絶対に七五三で大混雑に決まっているじゃないか。覚悟を決めて綱島街道を横断して東へと歩いていく。
L: 師岡熊野神社。724(神亀元)年の創建ということで、石段のところには1300周年を記念する横断幕があった。
C: 道を挟んだ神社の南側には弁財天を祀る「い」の池。雰囲気がいいですなあ。 R: 石段を上ると堂々たる拝殿。石段を上ると境内は思ったよりコンパクト。やはり七五三の真っ最中だったがテンポよく社殿の写真を撮ることができた。
御守を頂戴するが、しれっと炭治郎・禰豆子・善逸の柄も置いてある。『鬼滅』は御守業界も潤わせたんだろうなあ。
L: 覆屋の中に本殿。1712(正徳2)年の築とのこと。 C: 御守。しかし色と柄でキャラクターがわかるってのもすごいな。
R: 西隣の法華寺(でも天台宗)。山号が「熊野山」ということで、明治の神仏分離で分けられたことがよくわかる。大倉山の次が菊名。駅からわりとすぐ北にある菊名神社へ。鳥居をくぐって境内に入るとなんとも独特な雰囲気。
まずそもそも参道が存在しないこと、そして社殿が2階にあることがその理由である。境内を360°フルに使っている。
1935年に村社5社を合祀し、1957年に現在地に移転して今のような姿になったとのこと。東横線は人口が多いからか、
勧請されてきた小さめの神社を合祀して、近代化の波の中で地域の鎮守としたパターンが特に目立つ印象である。
L: 菊名神社。参道がない。 C: 入って左手に手水舎、右は授与所。 R: 境内。拝殿は2階の高さにある。菊名神社でよく見かけるのが「がまんさま」という文字である。これは手水鉢を支えている鬼の石像のこと。
寛政年間につくられたそうで、開運招福のご利益があるみたい。歴史が弱いことを逆手にとっていろいろやっている。
L: 境内入って右手では「がまんさま」をアピールする。 C: 拝殿脇から本殿を覗く。 R: 境内社とがまんさま像。菊名からは東横線ではなくJR横浜線で新横浜へ。本日のラストは、新横浜駅の東側にある篠原八幡神社である。
しかし新横浜駅の篠原口から出たのは初めてだが、たいへん鄙びた雰囲気で驚いた。北口とだいぶ印象が異なる。新横浜駅・篠原口(南口)。都会の中のエアポケットって感じ。
新横浜駅から起伏たっぷりの住宅地を抜けると篠原八幡神社に到着。1192(建久3)年の創建当時は鶴崎八幡といい、
後に篠原村の名前から篠原八幡神社となった。丘のてっぺんということでか、木々に囲まれた境内は昔ながらの雰囲気。
L: 篠原八幡神社。周囲は横浜らしい起伏のある住宅地だが、そのいちばん高いところを広々と境内にしている。
C: 境内入口。 R: 参道がまっすぐに延びる。ちなみに新横浜駅からだと裏参道になる。菊名からだと表参道。
L: 境内の様子。こうして見ると、丘のてっぺんという感じがあんまりしないかなあ。 C: 拝殿。 R: 本殿。11時過ぎにスタートして、3時間半で7社をまわることができた。やっぱり冬はすぐに夕方の日差しになってしまう。
まあこんな感じで、今シーズンの冬についてはのんびりと神社めぐりをしていければいいかなあと考えております。◇
J1昇格プレーオフ決勝は後半アディショナルタイムのPKで東京Vが追いつき、16年ぶりのJ1復帰を果たしたのであった。
まさに天国と地獄、生死を賭けた戦いなので、プレーについてはとやかく言わない。選手にしかわからない領域がある。
ただ、冷静にジャッジできた審判がたいへんすごいと思うのである。ヴェルディは昇格おめでとうございました。
Tシャツには思想が出ると思う。いや、そもそもファッションとは「意志によりコントロール可能な皮膚」であり、
つまりは理想的な自分の身体の実現であって、ファッションの選択は自己の属性の宣言なのである (→2004.1.11)。
それを踏まえたうえで、Tシャツとは最も手軽な思想の発露であるとあらためて思う、ってわけでして。今年の夏も猛烈に暑かったが、僕はひたすら炎天下で自転車のペダルをこいでいたのであります。
特に今年は大阪府の市役所・神社をテーマに動いており、ファミマとクーリッシュとガリガリ君のおかげでどうにか、
命を落とすことなく旅行をやりきることができたのであった(→2023.7.25/2023.9.19)。ありがたやありがたや。
で、自転車を返却して電車に乗り込み次の街へ向かうのだが、スーパー汗っかきとしては非常に困った事態が発生した。
まず、色の濃い上着だと猛烈に塩を吹いて目立つこと。確率としては100%である。前も背中も確実に真っ白な跡が出る。
そして汗のせいで臭いこと。化学繊維だとその日の午後にはすでに臭い。綿だとかなり抑えられることはわかったが。
というわけで、今のうちに反省をして来年の猛暑に備えなければならないのである。いい感じのシャツを買いたいのだ。しかしここでまたしても困った事態が発生する。いい感じのシャツは、着るのがもったいないのである。
僕は基本的にファッションに興味はないが、旅先でデザインに惹かれたTシャツを衝動買いすることはたまにあって、
そうなると旅の思い出もあるのでなかなか気軽に着られないのだ。着れば着るほど傷むので、着られない。
思い入れのないシャツはそもそも買わないし、思い入れのあるシャツは着られない。ダブルバインドなのである。
「うるせえ、着ろ!」と言わればそれまでだが、デザインを気に入りつつ雑に扱えるという塩梅がたいへん難しいのだ。
結果、着倒しているのは、たぶん潤平がどこかのライヴ会場で買ったよくわからん洋楽バンドのTシャツだったり、
高校時代には同級生女子と高校生クイズに出るために揃えさせられたTシャツだったり、そういう人生なのである。
だからいざTシャツをどげんかせんといかん!というシチュエーションになると、ダブルバインドで身動きできなくなる。
それって思想以前に単に貧乏性なだけじゃねえかと自分でツッコミを入れてしまうが、それも込みで思想かもしれん。
とりあえず、デザインが気に入って小笠原で買ったTシャツを、あらためて数枚注文して対応しようかと企んでいる。まあそもそも、他人がどんなTシャツを着ているかなんて、実際のところはそんなに気にしないものだろう。
嫁さんに島T(→2012.1.2)を着せられているみやもりみたいなパターンが標準的ではないかと思っている。
僕から見ていちばんTシャツに思想を込めているのはマサルで、そのこだわりぶりは日記をご覧になってのとおり。
マサルの場合は「オモシロTシャツを着ること」じたいにこだわりがあるため、それはそれでオシャレなのである。
つねにアンテナを張ってオモシロTシャツを買い、惜しみなく着る。ぜひとも、見習いたいものである。参考ログ
*修学旅行のたびに大人気だったテレビ父さんTシャツ(→2011.9.10/2013.6.16)
*札幌土産のテレビ父さんTシャツを着て小笠原諸島の父島に上陸する(→2011.12.30)
*潤平がオシャレと評した「とび太くんTシャツ」(→2018.8.5)
*あまりにも白バラコーヒーが好きすぎて、ついに自分が白バラコーヒーそのものになってしまった人(→2019.1.27)