昨日、ヤクルトの敗北=オリックスの日本一で今年の日本シリーズが決着したわけだが、
毎度おなじみ姉歯メンバーとSMSでやりとりする中で僕が考えたことを軽くまとめておこうと思う。姉歯メンバーは「オリックスのリリーフ陣がこんなに充実しているとは……」というトーンで、世間もそうみたい。
僕は先月たまたま、千葉マリンでオリックスのリリーフ陣を生で見る機会があった(→2022.9.4)。
中島監督はリリーフ陣にそうとう自信を持っていて、積極的に継投策に持ち込んでいたのが印象的だった。
その日に登板したリリーフ陣は、吉田凌・村西・ワゲスパック・阿部。基本的にみんな球が速くてびっくり。
ロッテの投手も速くて、「技巧派の中継ぎ投手はもういないんだねえ」なんて思ったものである(比嘉がいるけど)。
ヤクルトもその傾向があるが、パワーピッチャーをベストな状態で1イニングごと起用していくのがトレンドのようだ。
単純なイメージでしかないが、なんだか価値観がメジャーリーグっぽくなってきているなあ、と思う。
えんだうさんは「恒常的に『野手しかいない打線とあたっている』強みでしょうか」とDH制との関連を考えているが、
確かにその要素は否定できないと考える。投手の打席は1/9だが、戦略的な要素は1/9より大きい割合を占めるわけで。もうひとつ、選手のコンディションと控えの起用についての問題も話題にのぼった。
ヤクルトでは山田とマクガフが絶不調で、その処遇でヤクルトが後手を踏んだことが明暗を分けたのは間違いない。
僕はそこに高津監督の優しさを見る反面、昔の野球なら当然だった冷淡なまでの替える決断がなかったことに、
社会全体の「甘さ」、「傷つきやすい若者」「甘やかされている若者」という実態の反映もまた感じてしまうのだ。
組織の強さ、個人の強さ、忍耐力、パフォーマンスを最も発揮させられる手法、優しさ、信頼と愛情。
たかが野球の試合だが、実は社会的にものすごく深い要素が詰まった7試合を見せてもらったと思う。お疲れ様でした。
いよいよ本日は信州ダービーの第2ラウンドなのだが、デジカメをぶっ壊したことで当方のテンションは最低レヴェル。
それでもどうにかやる気を奮い起こして早朝のうちに宿を出ると、大糸線でまっすぐ松本駅まで出てしまう。
榑木野の松本駅舎店が朝蕎麦をやっているということで、温かい蕎麦をいただいた。写真を撮っておけばよかったな。
それからMIDORIのスタバでひたすら日記。雑念を振り払って集中したおかげか、思ったよりも捗ったのであった。10時30分に駅からすぐのバスターミナルへと向かう。13時キックオフだがすでにアルウィン行きの行列ができていた。
観光用の4列シートのバスがテンポよく動いているようで、そこまでひどく待つことなくバスに乗り込むことができた。
しばらく西へ進んでからは長野道と付かず離れずを繰り返す感じで南下していき、30分ほどでアルウィンに到着。
キックオフほぼ2時間前だが、自由席のゲートにはすでに果てしない行列ができており、ただただ呆れる。
L: バスを降りたら大行列。向こうに見える白い構造物がアルウィンだが、皆さん反対向き(こっち向き)で並んでいる。
C: 少しアルウィンに近づいたところ。この画像で左へ進んだところが入場ゲートだが、自由席の行列は右へと延びている。
R: そのまま右を向いて120°くらいか、行列はまだまだ延びている。これが右で蛇腹状に折り重なって最初の写真の場所に至る。まあこうなることはわかっていたので、今回は指定席を確保しておいた。でも帰りにこの大集団とバスを待つわけだ。
デジカメを今日中に修理に出したいし、試合が終わったら素早く脱出しなくちゃいけない。面倒なことになりそうだ。
L: アルウィンのバックスタンド。のどかな雰囲気である。 C: ホーム側のサイドスタンド裏。やっぱり穏やか。
R: 久しぶりのアルウィンなのだ。両親と観戦してからもう6年が経つとは早いものだ。そして松本は長野とともにJ3である。指定席のあるメインスタンドは裏のスロープ側にまわれば並ぶことなく入場できて、呆気にとられるのであった。
入ってすぐのところに出店があったので、信州ダービーのアクリルキーホルダーとステッカーを記念に購入した。
スタジアムグルメに並ぶ雑踏を抜けて、北側(アウェイ)寄りの指定席へ。しっかり日陰でなかなか寒い。
とりあえず買っておいた駅弁をさっさと食べて、スマホでの撮影の要領を確認しながら練習を眺め、キックオフを待つ。
L: 信州ダービーのロゴは共通なのだ。 C: 気勢を揚げる長野のゴール裏。 R: 松本のゴール裏は北アルプスですかな。アルウィンでの観戦は3回目。最初がJFL時代の信州ダービーで(→2011.4.30)、次が両親と観た6年前(→2016.4.9)。
長野県出身といえども僕はイマイチ山雅が好きではないので、どうしてもアルウィンに積極的に来る気にはならない。
地元の皆様がおらが街のクラブに熱を上げるのは正しいとは思うのだが、やはり中信は僕には別の場所なのだ。
山雅サポーターは定番の「ワンソウル」コールで盛り上がるが、「ワン・ソウ・ル!」と3拍のリズムが気に入らない。
「one soul」は2音節だからそっちで発音しないと野暮ったくってたまらない、そう元英語教師は思ってしまうのだ。いざ試合開始。長野市長の荻原健司が松本市長・エプソン社長と一緒にキックイン。
松本は現在4位で、J2昇格をうかがう位置につけている。対する長野は7位で、J2昇格がかなり難しくなっている状況。
長野は純粋に選手の登録ポジションからすると4-5-1だが、実際のフォーメーションは3-3-1-3を採用しているとのこと。
前にログで書いたことがあるが、3-3-1-3とは僕にとって最も思い入れのあるシステムなのだ(→2017.9.19)。
シュタルフ監督がどこまで完成度の高い3-3-1-3を見せてくれるか、期待しながらピッチを見つめる。
L: 前半6分、森川がヘディングシュートも松本GKビクトルがセーヴ。 C: これを外山がクリア。長野は詰められず惜しかった。
R: このクリアをつないだ松本がカウンターでシュートまで持ち込む。前半はこの形で松本が優位に立つ場面が目立っていた。信州ダービーということで選手たちのテンションは明らかにふだんよりも高く、少々荒いプレーが目立つ展開となる。
試合開始前に前節のハイライトが映し出されたが、松本は継続して相手に対して非常に上手いプレスをかけている印象。
名波監督がしっかり指導しているのだろう、長野はパスの出しどころがなかなかなくて、テンポのいい攻撃ができない。
思えば5月の信州ダービー第1ラウンドもそうだった(→2022.5.15)。守る松本が有利な状況をつくって中盤を押さえる。
長野はどうしても前線のワンチャンスに賭ける形になってしまうが、これをやりきるにはFWの圧倒的な個の力が必要だ。
果たしてそれは長野が今まで(薩川監督時代から)追求してきたはずのクラブのスタイルとして正しいのか? そう思う。アルウィンは松本空港を発着する飛行機が見られるのがよい。絵になるよなあ。
松本のように巧妙なプレスをかけてくるチームには、足元の確かな技術と的確なポジショニングで対抗することになる。
しかしどちらもまだまだ長野には欠けている。前半はそんな長野の攻撃をしっかり防いで松本がカウンターを仕掛ける、
そういう場面が非常に多かった。松本は前線に菊井・小松・横山といったスピードのある若手FWを揃えており、
3バックの裏を容赦なく突いていく作戦。田中パウロとルカオはベンチスタートで、後半圧力かけてくる意図も明らかだ。
L: 松本は守備陣がしっかり対応。 C: こぼれ球を三田がシュートするもビクトルがセーヴ。 R: 迫力ある攻防である。得点の匂いがあまりしない長野を尻目に、先制したのは松本だった。前半26分にCKのチャンスを得ると、
逆サイドの篠原がダイレクトで合わせる。GKが弾いたところを横山が蹴り込み、これを長野はクリアしきれなかった。
今まで何度も見てきた、シュートを撃った後の二の矢が重要、というプレーである(最近ではまさにこれ →2022.4.16)。
逆を言えば、とにかくシュートを撃って現状を変化させなければ試合は動かないのだ。松本はそこを考えてプレーした。
L,R: 前半26分、CKを篠原がダイレクトで合わせてシュート。これをGK大内がいったん弾くが、横山が蹴り込み松本が先制する。スマホで写真を撮らざるをえなかった事情もあって、本日のログで貼り付けた画像はアウェイ側のゴール付近、
つまり前半では長野の攻撃シーンが多い。しかし実際のところは松本が中盤で長野からボールを奪って前線を走らせる、
そういうプレーの連発なのであった。長野の攻撃は人数をかけたものが少なく、松本の守備にしっかり対応されていた。
(2017年発売のスマホでここまでしっかり写真を撮っている僕を誰か褒めて! これって本当に大変なんだぜ!)
L: 体を張ってゴールを守るビクトル。今日のビクトルは当たっていた。 C,R: パスを受けた森川がシュートも枠をはずれる。松本ペースで前半が終了。後半は松本がこっちサイドに向かって攻めることになるので撮影が大変だなあと思う。
やがて後半キックオフとなる。やはりどこか松本の方が余裕を感じさせるプレーぶりで試合が進んでいくものの、
なんだかんだで長野も相手ゴールに迫るシーンを増やしていく。惜しいのは相変わらずの後ろの重さで(→2022.4.16)、
味方がボールを奪っても後方の選手が追い越していく動きがほぼ皆無。3-3-1-3には形が非常に崩れやすい欠点があり、
相手カウンターへの恐怖から、選手が流動的にポジションをチェンジしていくプレーがなかなかやりづらいのである。
僕がかつてやっていた「サナダ式3-3-1-3」は自分たちからフォーメーションを崩すことで攻撃に厚みを持たせていたが、
さすがにカウンターが武器のプロチームを相手にそれは怖すぎるのだろう。どうしても攻撃が前線の選手に限定される。
L: ハーフタイムが終わった長野の選手たち。 C: 最近はどこのチームもダッシュしてから後半に入るね。 R: 後半の攻防。もはや選手たちの流動性のなさが長野のカラーになりつつあるなあ、なんて思っていたら、長野が同点に追いついた。
これも4月に観た試合(→2022.4.16)と同様、ワンシーンだけ厚みのある攻撃が出現して得点を奪いきった形だ。
自陣から丁寧につないで左サイドに入り込むと、森川が深い位置から折り返して中央に入り込んだ山中がシュート。
これはバーに当たったが、やはり中央にいた三田が反応して体で押し込んでゴール。まさに二の矢が重要、である。
時間が経過するにつれ松本のプレスは明らかにルーズになってきており、長野はその隙をきっちり衝いてみせたわけだ。
それまでのプレーぶりから思わず「よく追いついたなあ」と呟いてしまった。ダービーにふさわしい試合になってきた。
L,C,R: 63分、長野の得点シーン。左サイドから森川が切り込み、山中がシュート。バーを直撃するも最後は三田が押し込んだ。その後、松本は選手交代のカードを切り、田中パウロやルカオらが次々と投入される。サッカーの質が変わってきた。
後半はもはやはっきりと長野の方が躍動感のあるプレーを連発するようになり、相手陣内に果敢に攻め込んでみせる。
しかし最後のところで精度を欠いて得点を奪えない。松本も迫力のある攻撃を展開するが、長野が意地で食い止める。松本の猛攻に対応する長野。
終盤の85分、長野のパスミスから松本がカウンターを展開。チェックに行こうとした選手が審判とぶつかる不運もあり、
長野は後手にまわる形になってしまう。最後は田中パウロからのスルーパスをルカオが決めて、松本が突き放した。
なるほど終わってみれば選手交代がしっかりハマった格好である。上位にいるだけの試合巧者ぶりを発揮した感じだ。
見方を変えれば、長野はそれまであったチャンスを決めきれなかったツケが回ってきた、ということになるのだろう。
最後のところで現れた両チームの差は、長野の経験不足とアウェイの苦しさが作用したものかもしれないな、と思う。85分、スルーパスに抜け出したルカオが決勝のゴールを決める。
長野は時間いっぱい攻撃を試みるが、試合はこのまま松本が落ち着いて締めて2-1で決着した。
奇しくも11年前に前回アルウィンで行われた信州ダービー(→2011.4.30)と同じスコアとなったのであった。
長野は来シーズンJ2昇格を果たすためには、アウェイで2点取るためのサッカーを磨かないといけないね、と思う。では総括。松本のゴール裏には「ダービー勝利は通過点 俺達が目指すのは昇格」という横断幕が掲げられていた。
今回実感したのはまさにそれで、今の松本山雅には信州ダービーがそれほど特別なものではない、という感触だ。
5月の南長野にあった横断幕は「パルセイロだけには負けられない 教えてやれ俺らが信州」(→2022.5.15)だった。
この文面からはある意味「対等な立場」という前提が透けて見える。しかし今回は同じJ2昇格を目指す立場ながら、
松本の方がより昇格に近い位置にあるという格上感が強く漂っていた。行列に並んでいる松本サポーターの目には、
「ダービーの勝利」よりも「昇格への勝ち点3」の方が魅力的に映っている……そういう雰囲気が確かにあったのだ。
信州ダービー──いや「長野戦」は、松本にとって現実になりつつある昇格への単なるワンステップでしかなかった。
地理的に最も近いクラブのサポーターが来るだけだ、という余裕がどこかにある、それが以前と比べての変化だった。
これはJ1を経験するなど松本にサッカーが定着したことの証左であると思う。でも同時に、僕には淋しくもあった。
かつてあった県庁所在地への対抗心が背後に引っ込んでしまうような、ライヴァルに対する勝利よりも甘美なもの。
それを松本は知ってしまったのだ。むしろ長野のゴール裏の熱さに、先行するクラブへの嫉妬と羨望を僕は強く感じた。少しでも早く帰りたいので、試合が終わるととにかく素早く松本駅行きのシャトルバス乗り場へと向かう。
たどり着いてから後ろを振り返ると、ドミノ倒しを思わせるスピードで行列の最後尾が向こうへと延びていった。
6年前にはさんざん待たされたが(→2016.4.9)、やはり松本駅行きは本数を多く確保しているようですぐに乗れた。
やはりアルウィンでの観戦は松本駅からのバスがベターではないかと思う。無料だし(チケット代に上乗せなのかも)。素早く動いたのが功を奏して、松本駅で手続きをして予定より40分早い特急に滑り込みセーフで乗ることができた。
車内では朝の続きでひたすら日記。家に戻るとすぐにデジカメを修理に出す。そして晩メシ食って日本シリーズ第7戦。
オスナの3ランで肉薄するも先頭打者ホームランと押し出しとエラーのダメージが大きすぎてオリックスが日本一。無念。
鄭大世が引退するとのこと。これって全サッカーファンが衝撃を受ける大ニュースですがな。
僕が最も衝撃を受けたプレーは、2017年の静岡ダービーで見せてくれたオーヴァーヘッド(→2017.4.1)。
ナチュラルボーンFWの凄みというものをまざまざと見せつけられた一発である。いやもう、身体の次元が違う。
そんな具合にプレーも凄ければ人格もたいへん立派で、掘り出せば心揺さぶられるエピソードが満載な人なのだ。
やはり「国籍」をめぐる話がどうしても出てくるが、それが人間の属性としていかに瑣末なことなのか思い知らされる。
結局のところ人として尊敬できることが何よりも大事で、その要素に溢れまくっているサッカー選手の引退なのである。
耳を傾けなければわれわれが損をする、そういう経験を持っている選手。最大限の敬意をもって送り出さねばなるまい。
お疲れ様でした。と同時に、これからもわれわれにとって価値のあるパフォーマンスをぜひずっと見せていただきたい。
吉田正尚のサヨナラHRに言葉を失うのであった。オリックス、やっぱり強いわ……。
ハンズの新しいロゴが床に落ちてる縮れっ毛みたいになっちゃって泣いた。ぶち壊しだよあーあ。
丸山眞男『日本の思想』。1回目で大枠を理解して2回目で細部の表現を味わう、という読み方をしてみた。
結論から言うと、タイトルに偽りなしで、明治以降の日本の思想史というかその流れの分析として超一流の本。
日本固有の思想面における傾向や問題点を的確に指摘する。扱うテーマに対して新書ならではの薄さが信じられないが、
それはつまり、何ひとつ無駄な文がないということである。恐ろしい切れ味で文が綴られていく凄みに溢れている。
「I 日本の思想」「II 近代日本の思想と文学」「III 思想のあり方について」「IV 『である』ことと『する』こと」の全4章。
とりあえずは各章の構成に応じ、それぞれのウルトラスーパー上っ面なまとめと感じたことをだらだらと書いていきたい。I 日本の思想。まず展開されるのは、しっかりとした思想の座標軸を持っている西洋に対する日本の特殊性である。
西洋思想は共通する一本の軸を持っており、派生しても帰るところがある。それはキリスト教の歴史が育んだものであり、
近代にはマルクス主義という新たな理論を生み出すこととなった。しかし日本ではすべての思想が雑然と同居してしまう。
思想が伝統として蓄積されることはなく、それぞれが空間的配置を変えるだけで、無時間的に併存してしまうのだ。
もちろんこれはある意味では、すべてを思想的ストックとして脱構築をしていく、可能性に富んだ性質であるとも言える。
西洋の歴史への誇りはモダニズムとして「未開」に対する上から目線の形をとり、迷惑をかけてきたのもまた事実なのだ。
しかしだからと言って日本の特殊性が抱える困った面を放っておくわけにもいくまい。批判的に検証する方が健全だ。
日本における近代化の進行と前近代の残存という逆説の中、精神を支えるものとして生み出されたのが「國體」である。
トップダウンの國體とボトムアップの人情が、責任転嫁を繰り返す家父長制で日本を動かした。結果はご存知のとおりだ。
だから現実の世界を変革する社会科学の綜合的な理論としてマルクス主義が日本の思想に与えた衝撃は非常に大きかった。
もっともそれだけにマルクス主義はその硬直性(公式化)が批判の的となり、近代の問題点を丸抱えする破目になった。
結局、日本人は西洋が段階を踏んで獲得した近代を、今もうまく消化できないままでいる、というわけである。
僕は単純なので、日本は積極的にガラパゴス化して、むしろこいつら日本人がいないと世界の多様性が確保できない、
という需要を満たす方向を目指すべきだと思ってしまうが、それを的確にやるには洋の東西を問わず古典の勉強が必須だ。
著者は「強靱な自己制御力を具した主体をうみだすこと」と表現しているが、自分たち自身の力で近代を手に入れる、
その努力を積み重ねなくてはいけないのは一緒なのである。余所から与えられてばかりで忍耐力が足りないってわけだ。
橋爪大三郎『はじめての構造主義』(→2004.12.1)p.226の「日本人に必要なのは、ポストモダンじゃなくて、むしろ、
自前のモダニズムだと思う。」という一文の意味が、今ならよくわかる。我慢してじっくりと考えることが必要だ。II 近代日本の思想と文学。前章と比べるとだいぶ細かいテーマだなあと思うが、総論に対する各論として的確なのだ。
まず明治末期の感覚になることが必要で、往時の社会状況をトレースするのが自分には新鮮で、なかなか面白かった。
当時は列強の帝国主義に食らいつくことが国家としての成熟度を示す価値観となっており、政治はそこを優先していた。
だから外国との比較により政治と文学のどちらが進んでいるか、優劣を判断するような風潮が当たり前に存在したのだ。
ところが第一次大戦後にマルクス主義がやってきて、「国家」向け政治から「社会」向け政治が意識されるようになる。
さらにマルクス主義は文学に理論の概念を持ち込んで、政治と文学の対立に科学という新たな対象が導入された。
しかし政治は人間の情動と切り離せないことから、ファシズムにしろマルクス主義にしろ非合理的な結果を生み出した。
また政治は状況に対する決断の積分であり、そこには国の文化や伝統によって非合理性の度合いという差が出る。
マルクス主義は世界規模のマクロな政治を掲げるが、ミクロの日常生活を積分していったものとは一致せず、
そこをつなげる理論を構築する際にはどうしても恣意性を抱えることになる。ここに転向への圧力が加わることで、
国家と個人の関係が見つめ直され、それにともなって文学・芸術も政治に対しての自律性が求められていく。
日中戦争が深まる中、広い文化の連帯は実現せず、マルクス主義由来の方法論の制約を超えることはできなかった。
まあ結局は、キリスト教とか科学とかヨーロッパが自前で育てた絶対的なもの、拠るところが日本には欠如しているため、
マルクス主義のインパクトに翻弄されてしまった。知性と空想、「弾力ある知性」などをヒントに取り組むしかない。
(なお個人的に興味深かったのは、義理や人情などの当時の社会慣習が本音と建前の乖離を大きく引き起こしており、
それに対して当時の人々がしっかり嫌悪感を示していたということである(筆者は田山花袋の文章を引用している)。
われわれは「昔はよかった」という感覚で義理と人情を懐かしみさえするが、むしろそれが強すぎたわけだ。
そして当時の人々は、今のわれわれが当たり前に享受している個人の自由を、確かに渇望していたのである。)III 思想のあり方について。講演に加筆したものだが、これがまあわかりやすくて面白い。そして今でも問題だ。
人間は入ってくる情報量が多いので、まずイメージをつくっておいて、それをもとに物事を判断する、という指摘。
これは人間の想像力のなせるわざだが、かえって現実との間にあるイメージの層が厚くなってしまっており、
むしろイメージが新たな現実をつくりだしている(芸能人はそれで稼いでいる典型的な例だ。→2013.3.20)。
筆者は共通の文化的伝統を持つヨーロッパの「ササラ型」と、学問が分化・専門化した先の「タコツボ型」を挙げ、
日本の文化・社会が近代化以来タコツボ型であるからイメージの厚い壁による弊害が大きくなっている、と指摘する。
共通する基盤を持たないところにそれぞれイメージだけが先行して、しかも異なる機能集団をつなぐ組織もないと。
日本の場合、家族主義・封建的といった前近代性と、近代の機能分化のタコツボが逆説的に結合してしまっている。
話はさらにインズ(内輪)とアウツ(よそ)の峻別に至るが、芦原義信『街並みの美学』を読むようだ(→2012.3.15)。
そして各集団は相互の摩擦から自己をマイノリティと捉え、被害者意識を持つ。共通基盤がないので修正できない。
それで自己の正当性を相手に押し付けるだけになっている。これはある意味、21世紀の現代の方が深刻であろう。
戦前には基盤に國體と臣民の概念が差し挟まれたが、現代はマスコミが一方通行で浸透するだけ。さらにネット社会では、
ビッグデータで受け手にとって都合のいい情報ばかり流されるんだから、事態は悪化する一方になるってわけである。
筆者が鋭いのはこれを言葉の問題として捉えていることで、組織内でしか通用しない「コトバの沈澱」を打破し、
流通度の高い言葉により自主的なコミュニケーションの幅を広げていくことを、社会科学の課題として指摘する。
個人的には、日本語に特有の性質も事態を助長させているはずで、それがいったい何なのか、まで踏み込んでほしかった。
さすがにそれは別の議論ということになるのだろうが、事態を改善するためには日本語の弱点への自覚が必要であろう。IV 「である」ことと「する」こと。これも講演に加筆したもので、やはりわかりやすくて面白く、今も通じる話だ。
まず冒頭で、「自由であろうとすることによって、はじめて自由でありうる」という逆説が示される。
そして民主主義も同様に、不断の民主化によって辛うじて民主主義たりうる、と述べる。こちらとしては、
本質をめぐる熱かった時代の思想が、今では左がかったものとして粗雑に扱われるのが惜しいなあと思うばかりである。
江戸時代には儒教をもとに身分という「である」論理が道徳を形成し、それが閉じた社会を円滑に動かしていた。
しかし赤の他人同士が関係をとりむすぶ社会となると、個人がそれぞれの役割を演じる「する」論理が重要性を増す。
この「である」から「する」への推移はすべての領域で同じテンポで進むわけではなく、状況によって異なる。
特に経済の領域ではこの変化が最も早くて深く、対照的に政治はずっと遅くて「である」原理が根深く残っている。
それは政治家の人間関係もそうだし、イデオロギーについてもそう。「である」は持続的な「状態」であって、
「する」論理との対照は、「状態」の側面を重視するか運動・過程にアクセントを置くかの違いなのである。
しかしこの静的な「状態」を神聖化すると、寝た子を起こすな、臭いものに蓋をする姿勢となってしまうわけだ。
今の日本の自称保守による歪んだ民主主義観、他者に対するレッテル貼りを見ると、まるで成長がない。ああ耳が痛い。
やはり近代が天から降ってきた日本では、「である」の優位性を覆すのにはそうとうな自覚とエネルギーが必要になる。
筆者は、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくこと、とまとめている。
「である」が持続的な「状態」である以上、これは本来「する」を積み重ねていった先のイメージとして生成するはずだ。
(この点を筆者はしっかり理解しているにもかかわらず、文中ではっきり明言していないことが本当にもったいない。
ちなみに現代では性別すら、「する」の積み重ねの先にある「である」として可視化されつつある、と考えられる。)
したがって、われわれは「である」立場と「する」立場、両者を適切なバランスで使い分けることが求められるのだ。
英語を教えるときにはやっぱりbe動詞と一般動詞の区別を叩き込むことになる。そこがすでに日本語の不利な点だが、
そういった作業を通して根気よく自己への理解を深めていくこと、自前のモダニズムを築く経験を重ねることが必要だ。多少は的はずれなんだろうけど、どうにか、IからIVまで問題意識が一周する形で感想文が書けたかな。
日本シリーズの序盤2試合が終わった時点でもうシビれまくっております。われわれ姉歯祭りの面々は去年同様、
SMSでコメントをつけながら見たのだが、膨大な量になって収拾がつかない。語りたくなる局面が多すぎるのだ。
で、野球のわかんないマサルはダンマリ。野球がわかる人には一瞬たりとも気の抜けない好ゲーム、もったいないのう。
今年も野球の醍醐味を煮詰めて極限まで濃縮した内容になっている。何が言いたいのかって? 日記が進まない! 以上。
おととい鑑賞した東京都美術館『展覧会 岡本太郎』についてレヴュー。巡回展で、夏には大阪でやっていたそうだ。
構成が一工夫あって、最初に入るとLBF。このフロアは順路の指定がなく、作品が高い密度であちこちに置かれている。
撮影はほぼ自由(CMなど一部の映像についてはダメ)。気に入った作品を撮って持ち帰ることができるというのは、
芸術の公共性にこだわった岡本太郎の意思を尊重する姿勢というわけだ。そんなわけで当方もスマホで撮りまくりである。
L: まずは会場に入ったところ。 C: まずは代表的な作品の展示。順路は決まっておらず、自由に見てまわる。
R: 『森の掟』は現美で見た記憶があるのだが。美術館で「さすが岡本太郎!」と感動した最初の作品なのだ。
L: 『手-赤』。 C: 『手-青』。 R: 『愛』。岡本太郎はFRPの作品もしっかり面白いのである。そうしてあちこち動きまわりながら作品を眺めていると、これはテーマパーク感がある展示だなあと思う。
これはなんだ、あれはなんだと奇妙な姿の作品を追いかけていくことで、岡本太郎の世界観をしっかり追体験できる。
思えば大阪万博は期間限定の国営テーマパークであった(→2013.9.29)。そして今は太陽の塔だけが生き残っている。
結局のところ、万博は岡本太郎が食った格好になってしまっているのだ。彼のカオスが高い純度で再現されている。
L: 『自画像』。こんな珍しい作品がきちんとあるんだなあとびっくり。 C: でも父親を描くとこうなる(『作家』)。
R: 沖縄・東北の土着文化から縄文土器を見出すまで、岡本が撮影した写真がスライドショーで映し出される。LBFのカオスなテーマパークを一巡すると、エスカレーターで1階へ。ここからは時系列に沿った展示となる。
最初にドカンと世界観を見せつけてからの時間軸準拠。上手い構成であると思う。若き日の作品もあって興味深い。
個人的には岡本太郎の撮った写真に興味があって(→2017.6.2)、日本の土着文化への眼差しがとても気になる。
今回はスライドショーで断片的に紹介されていたが、それだけをテーマにあらためてじっくり展覧会をやってほしい。
L: 「第4章 大衆の中の芸術」の展示。 C: 『若い太陽の塔』。犬山の日本モンキーパークには高さ26mの塔が現存している。
R: 『「殺すな」意見広告』。岡本は書の芸術性についても鋭かった。川崎Fがユニフォームに採用したこともあった(2011年)。1階のラストは「第4章 大衆の中の芸術」ということで、われわれにも馴染み深い「芸術は爆発だ」のCM映像も展示。
それにしても、「芸術は爆発だ」とは本当に名言である。これだけ彼のスタンスをわかりやすく表現した言葉はない。
目玉や顔など原色で目を惹く作品を大衆向けに連発していたのをあらためて振り返ると、徹底して挑発的だと思う。
大衆の挑発による社会の文化の底上げこそ、岡本太郎の究極の目標だったのだろう。わかってピエロをやっていて、
亡くなった後も作品がわれわれを刺激し続ける。岡本太郎の作品に触れるととにかく疲れるのはそのせいなのだ。
死してなお生けるわれわれを走らせているとは、本当に恐ろしい芸術家である。あらためてそれを実感できる展示だった。近鉄バファローズの帽子もしっかり置かれていた。やっぱりコレだよなあ。
2階の最初は、「第5章 ふたつの太陽 —《太陽の塔》と《明日の神話》—」である。代表作ふたつが並ぶわけだが、
万博の調和をぶっ壊す太陽の塔に、原子力への警鐘たる明日の神話がだいたい同時期につくられた事実は興味深い。
太陽の塔の中身である生命の樹の模型が展示されていたが、いつか中に入って本物を見てみたいものである。
L: 『太陽の塔(1/50)』。 C: 背面には黒い太陽。 R: 『生命の樹 全景模型』。
L: 原生類時代から三葉虫時代、魚類時代、両生類時代の辺りまで。 C: 爬虫類時代、そして哺乳類時代。
R: 『明日の神話』。展示されているのは下絵で、本物はもちろん渋谷駅に展示されている(→2016.10.23)。さて、展示室のところどころに置かれていたのが、『坐ることを拒否する椅子』である。僕はこれがかなり好きで、
川崎市岡本太郎美術館(→2017.6.2)でも岡本太郎記念館(→2020.8.19)でも、これがデザインされたハンカチを買った。
水玉感覚でデザインすれば、魅力的なグッズが無限につくれると思っているのだが。顔が1種類だけだとつまらないので、
ヴァラエティを持たせて複数の顔でやってほしい。今回のグッズではiPhoneケースしか見るべき物がなく、残念だった。
『坐ることを拒否する椅子』は、 メキシコのルチャリブレのマスクがヒントになっていると思う。ある意味縄文的だと。
L,C,R: 『坐ることを拒否する椅子』の皆さん。
L,C,R: ぜんぶで何種類あるんだろうか。最後は目玉をモチーフにした作品や最晩年の作品を展示。あらためて落ち着いて考えると、岡本太郎の軌跡は、
「ポストモダンを完全に体現した人」とまとめることができるはずである。思いっきりヴァナキュラーだし。
しかしそういう文脈を超えたスケールで捉えられているのがすごい。キッチュでなく、本物の説得力があるからか。
岡本太郎自身が核融合級のエネルギーで突き進んだ人で、そのやりたい放題を体験できる贅沢な展覧会だった。
L: 『午後の日』。 R: 岡本太郎が最後に取り組んだとされる作品『雷人』。最後の最後、物販コーナーはかなりの気合いで多数のグッズが用意されていたが、個人的にはあまり惹かれず。
やはり芸術作品として強烈なので、「デザイン」のレヴェルに落とし込むのが大変だなあとあらためて思った。
写真集が欲しかったのだが、ちくま学芸文庫から出ていた本が絶版になっていてがっくり。中古で買おうか……。
昨日の日記でふれた静嘉堂文庫美術館『響きあう名宝 ―曜変・琳派のかがやき―』についてレヴュー。
いちおう確認しておくと、静嘉堂文庫とは岩崎弥之助が創設した私立図書館である(→2021.8.28)。
世田谷区にあるのだが、美術館を併設して収蔵品が公開されていた。しかし昨年閉館し、今月丸の内に移転したのだ。
残念ながらその世田谷の方には行ったことがないが、せっかくの平日休みだから移転新館に行ってみたのである。静嘉堂文庫は図書館としては漢籍に強いイメージがあって、美術品は中国の陶磁器が確かに多めであるものの、
それ以外のものもしっかり展示されている。さすが天下の三菱、よくまあ集めたものだと圧倒させられる。
ただ、脈絡がないというか専門がないというか、集めた基準が「いいものだから」という印象がする。
いや、広く浅くをここまでできることがすごいのだが。まあわれわれ来館者にしてみればただただ感謝しかない。しかし多くを占める中国の陶磁器は、やっぱりもっさり感というか解像度の低さがあるなあと(→2013.6.16)。
細部までのこだわりという点では、絵付けにしろ青磁の造形にしろどこか甘さを感じてしまうのである。
まあこれは日本がこだわりすぎている部分ではあるのだが。でも、もっとできるのに、って思っちゃうんだよなあ。今回は琳派もクローズアップされており、抱一のメダカのかわいさにやられた。もともと抱一は好みだが、
気合いの入りまくったものだけでなくちょっとした作品でも魅力を味わえたのはうれしい。其一もよかった。
琳派はデザインだから(→2016.10.12/2017.10.31)、乾山をはじめ工芸も見応えのあるものが展示されていた。
大規模な美術館の琳派展と比べるのは酷だが、優れた作品がきちんと展示されていて初心者にはたいへんよさそう。さて目玉の曜変天目である。藤田美術館所蔵のものは前に見て静的な宇宙という印象を持ったが(→2015.8.28)、
静嘉堂の稲葉天目もやはり静的。色がはっきりしている分だけ斑紋がトライポフォビア(集合体恐怖症)気味かも。
構造色っぽいけど実際の青色、というのがポイントなのだろう。舐めるようにいろんな角度から眺めさせてもらった。
個人的には藤田美術館所蔵のものの方が好きかなあ……。あっちの方がバランスの良さを感じるのである。
なお、こないだ京都国立博物館で見た龍光院の曜変天目(→2022.10.10)も宇宙だったけど、やっぱり地味だったなと。というわけでひととおり展示を堪能。しかしやっぱり平日はジジイとババアが多い。うーん、高齢化社会。
そんなことを思いながらミュージアムショップに入ったら、曜変天目のぬいぐるみがあって大爆笑してしまった。
いや、まあ、そりゃあ惹かれますけどね。茶碗のぬいぐるみとは……。5800円もするけど絶賛品切中なのであった。ほぼ実寸大とのこと。しかしぬいぐるみとは……。
感心しながら有楽町へ。さっさとランチをいただいて上野へと向かうのであった。ではこの続きは明日の日記で。
テスト期間中で信州ダービーと日本シリーズのチケット一般発売日ということで、平日休みを取るのであった。
せっかくの平日休みなので週末は混み合うであろう美術館めぐりをしようとするが、そういうときに限って超快晴。
これだけの超快晴は週末にとっておいてもらって、満を持しての東京23区めぐりをやりたいのに。なんとも悔しい。
さて信州ダービーのチケットは確保したが、日本シリーズのチケットは惨敗。しょぼくれつつ日記を書けるだけ書くと、
昼前に日比谷に移動して丸の内に移転した静嘉堂文庫美術館へ。その後は有楽町で昼メシを食い、上野の都美術館へ。
『展覧会 岡本太郎』を鑑賞すると、お茶の水から神保町界隈へ。再び日記を書いて大岡山に戻り、また日記。
振り返ると結局、日記ばっかり書いている一日なのであった。いやー、疲れた。美術館のレヴューはまた後日。◇
ザ・ドリフターズの仲本工事が亡くなった。交通事故ということで、こんな最期が許されるのかと。納得いかない。
このような形であのとんでもない笑いの世界がまた遠のいてしまうのか。勘弁してくれよ、本当に勘弁してくれよ。
誕生日を前に、ちょっとした決意を固めつつあります。本当にちょっとしたことだけどね。
やってみたかったことを、ちゃんとやろうと。いつか人前に晒せる日が来るといいけど、そこは目的じゃないので。
もっともっと時間を上手く使えるようになって、しっかりと時間をかけて、芸も教養もある人間になりたいなと思う。
天皇杯を制した甲府だが、J2リーグでの成績不振(18位)で吉田監督が今季限りで退任だってさ。
それはまあしょうがないとして、フロントの責任は問わないの? 佐久間がなんで治外法権で平然と居座り続けるの?
前にも書いたけど(→2017.12.2)、山梨県民ってバカなの? どこまでバカなの? 恥ずかしくないの?
昨日、僕が現美でウハウハしている間にサッカー天皇杯では甲府が奇跡の優勝を果たしたそうで。
現在の社長は佐久間ということで甲府を応援することは絶対にできないが、選手たちには素直におめでとうと言いたい。
先制ゴールを決めた三平おめでとう(大木体制の京都や片野坂体制の大分で活躍)。アフロヘアになっていて驚いた。
特にハンドでPKのピンチを招くも、PK戦では最後のキッカーとして甲府の勝利の立役者となった山本英臣おめでとう。
(僕がどれだけオミ推しかは過去ログを参照。→2008.4.29/2009.10.4/2010.10.31/2012.5.6/2014.10.18/2017.7.29)
しかしオミももう42歳なのか。甲府に在籍し続けているのが当たり前って感覚になっているけど、すごいことだよなあ。
いちファンとして、ここに来てオミにしっかりとスポットライトが当たったことが本当にうれしい。
ボサッとしていたら現美の「ジャン・プルーヴェ展」が最終日になっていたので慌てて行くのであった。
プルーヴェの作品展は17年前に秋葉原でちょっとしたものがあったので行っている(→2005.10.19)。
当時の僕の印象は、「ひたすらに金属素材を下が細い三角形で支える人」といった感じであった。今もそうだが。
モダニズムの先駆的な人で、後に建築的にインターナショナル・スタイルに収斂していくちょい手前の人、
その分だけ少しもっさり感のある人、と僕は捉えている。そう、モダニズムの先鞭を付けているのは確かだが、
必ずデザイン的に詰めの甘さが残っている人なのだ。まあそれをポジティヴに作家性と見ることは可能ではある。
L: プルーヴェの詰めの甘さの一例。机の天板を支える脚に工夫がない。椅子の前側の脚にも改善の余地が残っている。
C: いかにもプルーヴェらしい椅子とテーブル。この三角形にこだわる。 R: 移動式の脚立。こいつの完成度はすごく高い。ご覧のとおり、作品はほぼすべて撮影が可能。最近はそういう展示が増えてきてありがたい反面、日記を書くのが大変。
カメラがなくってスマホで撮影しているので、よく見るとピントが甘くて申し訳ない。なかなか慣れないんだよなあ。
L,C: 「メトロポール」チェア No. 305が並んでいる。脚が色違いでかわいい(→2014.11.13)ではないか。
R: 「シテ」アームチェア。これたぶん、一度座ったら起き上がりづらいやつ(→2022.9.15)だね。プルーヴェというと、アルミニウムを建築材料として使いはじめたことでも知られる。自ら工場で部品をつくりだし、
プレハブで組み立てるスタイルを確立。フランスというお国柄もあって、特にアフリカで多くの建物を完成させている。
L,C,R: アルミ製のルーヴァー(ブリーズ・ソレイユ)がそのまま展示されていた。なるほどこれは興味深い。後半は大胆に建築の一部を会場にそのまま持ってきて展示。17年前の秋葉原では椅子をはじめとする家具が中心で、
さすがに建築については紙の資料展示に留まっていた(と記憶している)。しかし現美だとここまでできるのだ。
実物の説得力がまあすごいこと。家具だけだとどうしてもデザイン上の詰めの甘さが気になってしまうが、
建築が直に展示されると戦後の工業化と建築の関係におけるプルーヴェの先見性・革新性がイヤでも実感できる。
L: ドンと置いてある「メトロポール」住宅(プロトタイプ)。これがファサードそのままというわけ。
C: うーん、大胆。 R: プルーヴェはこのような門型の架構を立てることで建築を成立させていった。「コンパ」鋼管脚付き作業用テーブル。なんだかハルキゲニアみたいだな。
展示の最後はアトリウムに、F 8×8 BCC組立式住宅。こちらはすべて木造で、いかにもヨーロッパだなあと。
L: 上から見たところ。 C: エントランス。 R: 窓から中を覗き込む。住宅の脇では実際に折りたたみ天板付き講義室用ベンチに座ってプルーヴェのインタヴュー映像を見られる。
でも明らかに座面が低くて膝に負担がかかりそう。家具デザイナーとしてのプルーヴェは、やっぱり詰めが甘い。折りたたみ天板付き講義室用ベンチ。座面が低すぎである。
(アップした後で気づいたのだが、このベンチ、本来なら階段教室に設置されたものだったのでは……?)
◇
さて、現美でもうひとつ本日最終日なのが、「MOTコレクション コレクションを巻き戻す2nd」である。
昨年のログでは現美の常設展について、その悲惨すぎる劣化ぶりを全力で批判したわけだが(→2021.7.30)、
収蔵庫に追いやられてしまった現代美術の殿堂にふさわしい作品群が日の目を見る貴重な機会なのだ。行かいでか!展示は1960年代からのスタートで、いやもう本当に面白くって最高。中西夏之の『洗濯バサミは攪拌行動を主張する』、
そして亀倉雄策の東京オリンピック公式ポスターがもう別格。さらにリキテンスタインの『ヘア・リボンの少女』、
三木富雄の耳もちゃんとある。ああ、正しい現美だ……とウットリしながらひとつひとつ作品を味わっていく。
1960年代の作品は、見ていて不思議とデパートのような高揚感がある。いや作品たちは明らかに頭がおかしいのだが、
その頭のおかしさがいい意味でサイケデリックというか、ポジティヴなエネルギーで押し出されているのである。
実際のところ、当時の芸術家たちはギリギリのところで奮闘していたとは思うのだが、時代のせいかどこか明るい。
全体を通してワクワク感が止まらないのである。芸術家たちが互いに刺激し合っているのがよくわかるのだ。ところが1970年代になると、はっきりと様相が変わってくる。作家たちは明らかに内省的になるのである。
3階に上ってさらに時代が進むともうダメ。明らかに芸術の社会性が激減していって、共有できるものがなくなる。
まあこれは現美が悪いのではなく、実際に現代美術がそういうものなので、素直な展示になっているのは理解できる。
でも久々にあの60年代の頭のおかしいお祭り騒ぎに触れると、高度経済成長の時代に生まれたかったと淋しくなった。
いや、僕は生まれてくる時代を間違えたなあと。思わずそういう気持ちになってしまう展示なのであった。というわけで、やっぱり60年代の本気をしっかり収蔵している現美のポテンシャルはすごいなとあらためて感心。
これはきちんと恒久展示しておかないといけない。MoMA(→2008.5.9)に負けて悔しいとか、そういう感情はないのかね。
午前中は大量にたまっている御守の撮影をやって、午後は横浜の歯医者へ。帰りに東急ハンズでお買い物。
旅行や23区めぐりもいいが、やるべきことをやる週末は実にすがすがしい。夜にはしっかり日記を書いてますよ!
どうにかテストづくりが完了。画像をいろいろと調整する必要のある地理のテストが週明けすぐの月曜で、
それより前の平日に仕上げねばならかったのが本当に地獄だった。土日をじっくり使えないのは本当に痛いのである。まあそのおかげで週末は完全にフリー。天気もよくなさそうだから「TOKYO SWEEP!! 23区編」の続きはまた今度にして、
のんびり過ごすとしよう。日記を書くには「くっ! ガッツがたりない!」って感じなので、許してください。
東工大が医科歯科大と統合するとのこと。長期的視野での判断というエクスキューズを展開しているけど、
実際のところはこれ、目先の安易なアイデアに飛びついただけでしょう。むしろ大学としての研究領域を狭めてしまい、
もともとあった東工大の理系としての総合性が消える結果になると思う。つまりは先端研究ばかりが強調されてしまって、
理系の広汎な基礎研究が逆説的に危機に陥る結果になるだろう。一部のエリートのみが優遇されて分厚い中間層が消える、
そういう日本の貧しい現状が、そのまま学問としても反映されることになるだろう。学問全体が貧しくなる、ってことだ。
だからこれ、今後の日本の理系事情を考えるとかなりのマイナスであると思う。身近な工学全般がないがしろにされるぜ。まあ東工大は一橋ほど賢くないし(社会工学科と社会学部を比較しての話、20年ほど前からの僕の偏見なので気にするな)、
文科省の犬だからしょうがない。所詮は「institute」で、「university」としての教養と誇りに欠けている学校なのだ。
だから僕としてはむしろ、医科歯科大の方にびっくりである。東工大は医科歯科大に体良く消化されてしまうんだろうな。
昨日に続いて京都市美術館、『サンリオ展 ニッポンのカワイイ文化60年史』。
4年前、東北旅行で訪れた石ノ森萬画館で『サンリオキャラクターズ かわいいのヒミツ展』を見た(→2018.8.18)。
内容としては似たような感じかなと思っていたが、さすがに美術館らしく、4年前より掘り下げ度合いは深かった。
グッズの展示が中心だった4年前に対し(それでも十分面白かったが)、今回はサンリオの企業精神に迫っている印象。
用意された展示室の広さに応じて、企業精神・キャラクター・グッズなどを思う存分に紹介してみせる内容だった。撮影自由ということでこちらも撮りまくりよ。
サンリオの源流が山梨県の外郭団体・山梨シルクセンターにあることは4年前のログで書いたとおりだが、
1970年代からは出版事業にも力を入れていた。やなせたかしの詩集『愛する歌』を出版することからスタートし、
これがアンパンマンへとつながっていくことになる。さらにサンリオはSFやロマンス小説なども発行していた。
L: 初期のサンリオ製品。とにかくいちご。 C: サンリオの出版物。 R: アンパンマンもサンリオがらみだったとは!個人的に最も驚いたのは、かつてのデザイン制作室の再現コーナーである。オフィスの中にメルヘン空間をつくりだし、
そこで各デザイナーが実際に仕事をしていたというのである。そこまでやるんか、と呆れて果てるのであった。
L: 写真。オフィスの中がこんなんだったんだと。 C: 再現された一室。 R: これが仕事場だったとのこと。現在のサンリオは、大元である山梨シルクセンターと子会社だったサンリオグリーティングが合併した会社である。
両社のデザインには違いがあり、山梨シルクセンターが商品化を意識したシンプルなタッチを得意とするのに対し、
サンリオグリーティングはメッセージカードをつくることから絵の精密なタッチにこだわっていた。
合併により両社の力が噛み合った、という話だが、結果的にはシンプルなタッチだけが生き残っていると思う。
L: 山梨シルクセンターのシンプルなイラストの商品。 C: サンリオグリーティングの精密なタッチによる商品。
R: フレンドシップコレクション。家具や食器などのミニチュアなのだが、非常によくできているなあと感心した。中盤は各キャラクターの紹介コーナー。見ていくと僕ですら懐かしい気分になってくる。昭和・平成のいい部分だな。
タキシードサムとか、ゲームウォッチをクリスマスにもらったっけ。サンリオには膨大なキャラクターがいるので、
紹介コーナーから漏れてしまう面々がいるのは残念(けろけろけろっぴとか)。みんなのたあ坊もおらんやったね。
L: ハローキティ。 C: サンリオの初期を代表するパティ&ジミー。 R: なんだかんだで時代の象徴がいっぱい。来場者で目立っていたのは中国人。スマホ片手に自撮りしたりそれで動画を撮ったり、なかなか懸命である。
彼らの目から見えるサンリオは、時間軸を無視することのできない僕らとは異なるものとして映っているはずだ。
政治的なことも含めて、その辺どんな感覚でいるのかはちょっと気になる。カワイイ文化は政治を超えるのか?
L: かつて田園調布にあった「いちごのお家」。2011年に老朽化を理由に閉店。サンリオは徹底しているなあと呆れた。
C: いちご新聞。第1号の表紙はスヌーピーで、これはサンリオが当時スヌーピーグッズを販売していたため。恐れ入った。
R: いちご新聞の表紙が壁一面に貼り出されている。ちなみに、みんなのたあ坊はこの中にちゃんといたのであった。最後は満を持しての特大ハローキティ。そしてハローキティを通しての、サンリオによるカワイイ文化論である。
口が描かれないことで受け手のさまざまな心情に対応できる、というわりとおなじみのところから始まって、
もともとの確固たるキャラクター性を持っていないことで時代の流行を採り入れることができる、
同様にストーリー性を持たないことでどんな状況にも対応できる、そういったハローキティの強みが示される。
さらに、女の子の代表としてのキャラクターという地位を得たこと、また大人向けのグッズがつくられたことで、
いくつになっても支持できる(=卒業しない)こと、長く人気を持ったことで形状が認識されてコラボが可能となること、
などの論旨が展開される。まあどれもわからなくはないが、ネコをミニマルに描いて生存競争に勝ちきった、
その結果論であるようにも思う。リボンも女の子のミニマルな象徴であるし。ネコ+女の子、その強さですな。
L: ハローキティの第1号グッズ・プチパース。1974年に5種類発売されたうちハローキティが圧倒的人気で単体デビューとなる。
C: 特大ハローキティ。ファンは悶絶するんでしょうなあ。 R: 後ろから見たところ。僕はこういうところが気になる子。
L: 大人気で発売当初に入手困難だったというピンクキルトシリーズ。大人向けというか、社会が幼稚化したというか。
C: アーティスティックですな。 R: レディー・ガガが着たというドレスを再現したやつ。なるほど究極形である。最後はもちろん物販コーナーだが、その気合いの入り方がすごかった。売る側も、買う側も、である。
いちおうすべて見てまわったのだが、そういえば僕は好き好んでサンリオ製品を買ったことがないな、と思い当たる。
それは僕が男だからではなくて、単純に品を感じないからだ。確かにかわいいのは認めるが、惹かれないのだ。
正直言って、僕は男としてはかなりかわいいものに弱い部類に入る。ネコにとろけ、小物にとろけ、女の子にとろける。
御守を集めているのも、そこに「かわいい」を見出しているからにほかならない(御守カワイイ宣言! →2015.1.11)。
興味深いのは、上で述べたサンリオによるハローキティを通してのカワイイ文化論の中で、(アメリカでは)
「『セレブ』と呼ばれる人たちがクラブシーンで、キティを『キッチュ』なアイコンとしてファッションに取り入れ始めた」
という一文があったことだ。なるほど、サンリオは本質的にキッチュなのだ。だからこそ、商業的に大成功をおさめた。
そして商業から離れることができない。そもそもが山梨シルクセンターの売上を伸ばす努力から始まったことだし。
「可愛い」とは古語の段階では同情の意を含んでいた。根底には「be」があるのではないかと思う(→2006.5.27)。
おそらく、そこにお金が絡むことへの本能的な忌避が僕にはあるのだ。やっぱり愛は無償であってほしいのよ。
だからサンリオを日本のカワイイ文化の代表として扱うのは、誤解を招くことになるんじゃないかなって気もする。
まあ、カワイイの商業化とデザインの技術というのも現実的ですごく面白いテーマだとは思うんだけどね。
昨日は博物館・美術館を2つハシゴして3つの展覧会を見ているわけで、一気にレヴューを書くのはもったいない。
それでログとしては3日分にしようというわけだ。本日は京都市美術館「アンディ・ウォーホル・キョウト」について。アンディ=ウォーホルといえばご存知ポップアートの代名詞である。大量消費社会の肯定ですな。
(関連する過去ログとしては、ニューヨーク旅行の際に登場。メトロポリタン美術館 →2008.5.8/MoMA →2008.5.9)
ポイントはほとんどの作品を自由に撮影できること。入場料2,200円(土日の価格)はその分の上乗せってわけか。
つまりはネットにガンガンあげて宣伝してくれ、ということである。まあ、実にポップアートらしい方策であると思う。
L: 入ってすぐのタイトルロゴ。なんだか閃輝暗点(→2020.4.14)みたいなデザインだな、と思ってしまった。
C: まあ、やはりさすがですけどね。 R: スケッチに彩色した作品群。後のシルクスクリーンプリントの原型である。今回の展覧会ではまず、1956年の初来日で京都を訪れたことをクローズアップ。スケッチなどが展示されている。
その後は定番のキャンベルスープ缶や有名人のシルクスクリーンプリントが大量に並ぶ構成となる。みんな撮りまくり。
作品を鑑賞するというよりもすっかり撮影会の雰囲気である。まあそれも含めてポップアートってことになっちゃうが。
L: いかにも記念撮影しなさいと言わんばかりの展示。まあ撮るけどさ。 C: コスプレ用に売れば面白かろう。
R: 展示会場はこんな感じ。単なる作品の展示にとどまらず、「映え」を大いに意識しているのがよくわかる。
L: メトロポリタンでも見た毛沢東。 C: その左上。こういうのを見ると、やっぱりウォーホルすげえや、って実感する。
R: 『ダブル・エルヴィス(フェラス・タイプ)』。いわゆるダブ(ダビング)を絵画(シルクスクリーン)でやったわけだ。最後は死をモチーフとした作品を多く展示。彼のプライヴェイトでネガティヴな面をしっかり扱うのは珍しいが、
ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館の収蔵品を持ってきているからその辺も押さえているということか。
しかし展示は非常に呆気ない印象で、あっさり物販会場に出て「あれ? こんなもん?」と思わず口走ってしまった。
振り返ると確かに展覧会ではあったんだけど、全体としては「ウォーホル作品の有料撮影会」といった感じでしたな。
旅行の最終日も結局雨で、当初のレンタサイクル案を放棄せざるをえなくなる。旧体育の日はすっかり呪われてますな。
昨日のうちに代替案は考えてあって、天気に関係のない京都の博物館・美術館めぐりでいこうと切り替えていたのだ。
ただ、せっかく橿原にいるので、朝メシをいただいたらまず橿原神宮に参拝して御守を強化することにした。
橿原神宮の御守は1体1000円なので、種類を追求するとなると経済的には大ダメージである。困った趣味である。
L: 橿原神宮の手前にあるたいへんモダニズムな奈良県薬業会館。1970年竣工で、設計は桝谷建設設計事務所とのこと。
C: 橿原神宮にやってきました。なんだかんだで3回目(→2010.3.29/2015.9.20)。 R: 近代神宮らしいスケールの内拝殿。近鉄八木駅までは戻らず、八木西口駅からJRの畝傍駅へと向かう。途中に橿原市役所があるのでしっかり撮影。
このタイミングで雨がやんでくれたのはありがたい。しかし橿原市役所をめぐる状況はかなりややこしい。
橿原市は2018年にミグランスというホテル付きの複合施設を建てており、こちらが分庁舎として使われている。
1961年竣工の現庁舎は取り壊して新庁舎を建てるつもりだったが、市議会で市役所の移転が否決されてしまった。
さらに現地建て替えの計画も市長が白紙撤回。今の庁舎を引っ張るのも限界があるが、どういう形で決着するのやら。
L: とりあえず1961年竣工の橿原市役所。北西から見たところ。 C: エントランス。 R: 北東へと抜けて振り返る。
L: 南から見た背面。入れない。 C: 南西から見たところ。橿原市役所の問題はいったいどうなるのやら。
R: 畝傍駅前。けっこう距離があるのだが、橿原神宮の社号標が建っている。まあこれも近代神宮のスケール感か。畝傍から万葉まほろば線こと桜井線で北上し、櫟本駅で下車する。ここから徒歩で10分ほど行ったところに、
天理スタミナラーメン(→2012.2.18/2016.5.22)の本店があるのだ。11時開店から逆算して訪れたのだが、
カウンター席に着いてしばらくすると客がどんどんやってきて、あっという間に外で待つ行列ができはじめた。
帰りに駐車場の車のナンバーを見てみたが、近畿はもちろん中部地方のものがいくつかあり、その人気ぶりに驚いた。
L: 天理スタミナラーメン本店。海外に進出するよりも、まずは奈良県内の主要都市に店を出してほしい。東京にもよろしく。
R: 気合いで大盛をいただいた。昨日の彩華ラーメンと比べると、味噌豚骨ベースで細麺である点が特徴であると思う。駅に戻って再び桜井線を北上していく。奈良駅で奈良線に乗り換えるが、終点までは行かずに手前の東福寺駅で下車。
そのまま歩いて三十三間堂の脇を抜ける。これでやっとこさ京都国立博物館に到着である。実に7年ぶりだ(→2015.2.1)。片山東熊設計の本館「明治古都館」。でも今回の展示は「平成知新館」の方。
特別展『京(みやこ)に生きる文化 茶の湯』ということで、のんびり気ままに見ていくことにする。
しかし久しぶりの京都国立博物館ということで、当方すっかり時間配分をミスしてしまったのであった。
序章+全7章ということで実際にはかなりの分量があったのだが、序盤のところで「こんなもんか」と油断した。
確かに時系列に沿った展示になっているものの、全体の構成が見渡しづらいまとめ方だったのではないかい?
わび茶が誕生するのは第3章からで、千利休ら戦国時代が第4章、『へうげもの』(→2018.5.13)周辺が第5章。
しっかり中盤が厚い展示だったのだ。時間がなくてそれらを大雑把にしか見られなかったのは本当に大失敗だった。茶に関連するものを広く扱っているためか、牧谿の作品とされる水墨画が多くて興奮したのであった。
さらに北宋・徽宗皇帝の絵画もあり、『水滸伝・天命の誓い』(→2007.3.4/2015.6.4)にハマった僕にはたまらない。
器の方では野々村仁清の格の違いをしっかりと味わえて満足である。あとは龍光院の曜変天目茶碗も見たけど、
地味だな……と思ってしまった。同じ龍光院なら油滴天目の方が、器としてきれいにまとまっているかなと。見学を終えるとバスで岡崎方面へ。平安神宮の大鳥居の脇を抜け、「京都市京セラ美術館」こと京都市美術館に突撃だ。
こちらでは複数の展覧会を同時並行で開催していて、本日はまず「アンディ・ウォーホル・キョウト」を、
次いで「サンリオ展 ニッポンのカワイイ文化60年史」を鑑賞するのだ(日時指定の予約でこの順にしたのだ)。
L: 京都市美術館。1933年オープンでガチガチの帝冠様式である。2020年にリニューアルオープンした。
C: 中央ホール。ここから各展覧会の部屋へと分岐していく。 R: 東広間。文字を映し出してオサレなもんだ。北回廊へと向かう階段。
各展覧会のレヴューはそれぞれ後日の日記でじっくり。鑑賞を終えると晩メシ前に素早く東京へと戻るのであった。
『ぐりとぐら』の絵を担当した山脇百合子さんが亡くなったそうで。絵本で育った子としては、大きな区切りを感じる。
まあやっぱりぐりとぐら、そしてカステラが有名なのだが、「かえるのエルタ」「らいおんみどり」「やまのこぐ」など、
魅力的なキャラクターがいっぱいである。みんな動物なんだけど絶妙に人間くさい、そのバランスが本当にいいのだ。
たまたま運よく訪れることができた宮城県美術館での巡回展は、昔の仲間に会った気がして楽しかったなあ(→2007.5.1)。
(バンドの名前を勢いで「熱海ロマン」にしたけど、後から「いやいやえん」にしておけばよかったと思ったのは内緒だ。)
最近は絵本のグッズ化や美術展が盛んなので(→2021.8.9/2022.8.27/2022.9.3)、近いうちにまたどこかで会えるだろう。
今はただ、そんな魅力的な仲間たちを生み出してくれたことに感謝である。本当にお世話になりました。
大谷さんが規定打席に続いて規定投球回に到達とのこと。1901年以降の近代野球では史上初だと。
僕は高校時代の後半からメジャーリーグに興味を持っていろいろと知識を貯め込んできたんだけど、
投手と野手の二刀流を完全にやってのける選手の登場は本当に想像できなかった。それも日本人が選手やるとは。
しかも(イチローが危惧した)データ解析でぜんぶ理論ができあがっちゃっているような現代のメジャーリーグで。
想像を超える現実というのは、小さいものは実際にはわりとあちこちに転がっているものだと思っているが、
これだけデカいものを見せつけられると言葉がありませんな。この現実を形容することに対応できる言葉が見つからない。
自分の想像力のチンケさと語彙力のチンケさを、同時に実感させられる現実。ただただ、恐ろしゅうございます。
毎度おなじみスキャナ作業である。地理のテストは画像に頼る部分が本当に大きいので、しっちゃかめっちゃかだ。
テストをつくりはじめるけどなかなかつらい。前任校は2期制の単位制ということもあって負担は少なかった。
それと比べると本当に地獄である。なんでこんなにつくらなきゃいかんのだ、とやり場のない怒りが湧いてくる。
ヤクルト村上が56号に三冠王ということで、いやはや恐れ入りました。とはいえバレンティンの60号があるわけだし、
56号は通過点にすぎないだろうし、観戦には行かなかった。溝の口からだと神宮はわりと行きやすいんだけどね。それにしても、引退する内川・坂口・嶋に向けた高津監督のスピーチの上手さ、言葉の使い方の上手さは本当にすごい。
野村監督といえばID野球だったが、実はそれ以上に言葉を武器にして戦うことに優れた監督だった(→2020.2.18)。
そしてさまざまな記事を見るに、そのことを最も理解していた弟子が高津監督であるのは間違いないだろう。
あらゆるカテゴリーの野球を経験し、抑え投手らしく好調なブルペンを構築し、そこに言葉の力が加わる。強いはずだ。「ヤクルト打撃陣も悪くはないが、特別良くもない印象。正直よくこのメンツで首位に立っているなあと不思議に思う。
村上一人で30勝ぐらい上乗せしているから今の位置にいられるんじゃなかって気がする。打率見るにホントそうでしょ。」
などと先月けっこうひどいことを書いたが(→2022.9.13)、実際には取るべきタイミングでしっかり点を取れる打線で、
負けた試合でもそれなりにきちんとやり返しているのだ(→2022.9.13/2022.9.23)。派手ではないが安定感はある。
先発投手が弱点なのでどうしても不思議な勝ち方になるが、中盤以降にじわりじわりと詰め寄っていく野球って感じ。
結果、全員野球となるわけだ。まあそれを実現できるだけの雰囲気の良さが、応援する側としてはたまらないのである。首脳陣や選手はもちろん、ファンも現代プロ野球において「相対的に強いチーム」のつくり方がわかったことが大きい。
この2年間でその理論的な部分がかなり整理されたはずだ。今まさに、ヤクルトの野球というものが確立されつつある。
つまりは伝統が生まれようとしつつある。中西の打撃理論、野村の言語化、高津のブルペン。すごいことになってきたぜ。