diary 2016.5.

diary 2016.6.


2016.5.31 (Tue.)

そこの腐女子! オレのことを「カゼ松」とか呼ぶな!


2016.5.30 (Mon.)

風邪に苦しむ。この時期はホントに毎年恒例で、気をつけても気をつけてもある程度は体調を崩してしまう。
理由は簡単で、部活で休日を削られるから。それで十分に疲れをとることができず、風邪を引いてしまうのだ。
特に部活が勝てば勝つほどこちらの症状が悪化する(→2013.6.182013.6.212013.6.242013.6.28)。
(だから新人戦の時期もやっぱり体調が悪くなる。去年の咳は異様に長引いて困ったもんだ。→2015.10.16
もっとも、体調を崩しているのは自分だけではなくて、教員の方でも調子悪そうにしている人が何人もいる。
できるだけ影響を受けないようにがんばってきたのだが、案の定ついに陥落してしまったというわけである。

予測したとおり、熱はこの夜がピークだったが、どうにか耐えきった。あとは早く回復するように心がける。
でも授業と部活のおかげでどうしても思うように調子が上がらないんだよねえ。スパッと休めないニッポンジン。


2016.5.29 (Sun.)

今日はそんなに強くない学校が相手で、順当に5-0で勝利。スコアだけ見れば上出来だが、もっとできただろ、
という面も多々ある試合内容。しかし昨日と合わせて考えると、サッカーって本当に弱肉強食なスポーツだなあ。

姉歯メンバーで東京都江戸東京博物館に集合する。『NHK大河ドラマ特別展・真田丸』を鑑賞するためである。
上京してきたリョーシさんが三谷幸喜好きなので、その希望を受けてのチョイスなのだ。試合後の僕も遅れて参加。
ご存知のとおり僕は重度の真田フェチをこじらせておるわけですが、三谷幸喜は大嫌い(→2011.4.23)。
だから展示についても「ふーんあっそう」ぐらいの興味で見ていくというひねくれぶりでありました。
で、歴史に詳しいニシマッキーやえんだうなんかも説明より詳しいツッコミを入れていくし。面倒くさい客でごめんな。

その後はマサルのリクエストで、秋葉原でパソコンを見る。そしてそのまま秋葉原で飲む。
キュキュットママが妙にエロいのではないか?というくだらない話題で盛り上がる。なんかエロいからしょうがないじゃん。
あとは僕とマサルで前に新宿の末広亭で見たバイオリン漫談のマグナム小林(→2009.1.1)の話をしたら、
「その人、さっき江戸東京博物館にいて、ぼくたち漫談見たよ……?」というリョーシさんたちの言葉にびっくり。
どうやら皆さん、僕とマサルが合流する前に偶然彼のパフォーマンスを見ていたようだ。なんたる偶然!
相変わらず『暴れん坊将軍』がキレッキレだったようで何より。動画でいろいろ見られるいい時代になったね。

なお、今回のリョーシさんは松岡茉優だそうです。スタンド「ウェディング・ヘル」はいつ発動するかな?


2016.5.28 (Sat.)

今日の試合は予選リーグの大一番である。いつも変にライヴァル関係になってしまっている学校が相手である。
が、CKから逆にふられてボールウォッチャーになったところをやられる。そのときの相手の大喜びっぷりがすごかった。
こちらはパスミスも多くて、全体的に動けていない試合だった。で、結局そのまま負けてしまったのであった。
相手が勝利に大喜びするのはつまり、だいたい同じくらいの力とみなしている相手にきっちり勝ち切ったからであり、
それだけ自分たちの力が伸びている、差をつけたという確信が得られたからであろう。その気持ちはたいへんよくわかる。
でも負けた側がそれを想像して納得する、という立場に置かれるのは切ない。生徒はその天地の差をわかってほしい。


2016.5.27 (Fri.)

オバマが広島に来たことは純粋によかったなあと。いろんな意見があり、いろんな考え方があり、いろんな立場があり、
人によって現実の見え方は違っているんだろうけど、そういうものをぜんぶひっくるめても、純粋によかったと思う。
1945年8月6日午前8時15分に核兵器が歴史上初めて使用されて、膨大な数の一般市民が亡くなった、傷つけられた、
そういう現実に対してアメリカの大統領が無視を決め込むことなく正面から向き合った、そのことだけでも価値がある。
いろんな意見やいろんな考え方やいろんな立場があるから、これからどうしていくのかは本当に困難なことだけど、
そのスタートラインを意地で築いてくれたオバマ大統領には素直に感謝して、その勇気を心より讃えたい。

それにしても、オバマが被爆者のおじいちゃんを抱きしめた、その写真の構図のつくり方がすごいなと思う。
オバマにはフォトジェニックな構図がわかっているのだ。感動的な写真を撮らせる演出の仕方がわかっている。
歴史の1ページをより劇的な記録として残す方法を熟知していて、その辺がやっぱり大統領だなと感心するのであった。


2016.5.26 (Thu.)

OBがしっかり参加する真剣な練習のありがたさよ。現役中学生たちだけだと3年生が少ないこともあって、
残念ながらなかなか緊迫感のある練習にならない。1,2年生から「ぼくたちまだまだだし」感が漂ってしまい、
どうしてもギラギラした感じが出てこないのだ。でもOBが加わると、途端に真剣勝負の迫力が増すのだ。
本当はそれをふだんの練習から発揮できないといけないんだけどね。まあそれは顧問の指導力の問題としておこう。


2016.5.25 (Wed.)

仕事の方でのドタバタが続いているが(→2016.4.132016.4.18)、生徒の僕への支持率がすごいらしくてよ。
具体的にはわからんけど、生徒たちがいろんな先生に「なんとかして」と言っているらしい。まあそりゃそうだろう。
こっちは自分で考えられる限り最高の知を地道に伝える授業を淡々とやっているわけで、生徒に媚びているわけではない。
それでも趣旨を理解してくれている生徒が多いことがわかって、困った状況ではあるがうれしい、そんな感じである。
即効性はなくても、後になってから絶大に効果が炸裂する授業を目指す、その気概はいつでも変わりませんよ。

その一方で自分の勉強も一生懸命である。必死でリポート書いていますよ! たまには自分で自分を褒めたいよ。


2016.5.24 (Tue.)

2日間、快晴の下で走りまわっていたせいか、日焼けがすごくて赤鬼状態。いやホントに。
今まであまり自覚したことはないのだが、冷静に考えると僕は昔っからけっこう日焼けしやすい性質だと思う。
毎年、部活三昧の夏休みが終わって2学期の始業式には女子生徒からウンコを見るような目で見られるし、
沖縄旅行に行った後には「チョコボール松島」になっていたこともあったっけな(→2007.7.25)。
色が落ち着くまでが大変で、今はちょうどいろいろつらい時期である。赤鬼怒らしたらあかんぞなもし。


2016.5.23 (Mon.)

奈良県2日目。天気を気にして平日を充てたわけだが、起きたら見事な快晴。今日も紫外線がたっぷりになりそうだ。
でも当然、晴れてくれた方がありがたい。レンタサイクルでテンポよくあちこち行けるので、絶対にその方がいいのだ。
本日の最大の目的地は、二十二社で最もアクセスが面倒くさい丹生川上神社(中社)なのだ。それから宇陀松山。
さらに長谷寺まで行っちゃう。時間にもし余裕があれば、ぜひ室生寺にも再チャレンジしたい。欲張りなのよ。
事前にレンタサイクル事情を調べた結果、菟田野アグリマートという地元農産品の販売所で借りられることが判明。
うれしいことに、朝8時開店で、なんと宇陀松山や榛原駅で乗り捨てが可能。これを利用しない手はないのだ。

榛原駅に到着すると、通勤・通学する皆様を横目に見ながらコンビニおにぎりで朝ご飯。せわしないけど優雅なもんだ。
4年前には駅のすぐ近くにある宇陀市役所を訪れたが(→2012.2.19)、ついに宇陀松山に行けると思うと感慨深い。
自分の旅がどんどん細分化というかマニアック化というか、キリがなくなっていることを変に実感するのであった。
さて、途中で燃料切れを起こさないために何か買っておこうと駅前のコンビニに入ったら、白バラコーヒーを発見。
ウェヒヒヒと雄叫びをあげて購入すると、地元住民の皆様とともにバスに乗り込むのであった。最高のスタートだ。

古市場水分神社前というバス停で下車する。ここは国宝・宇太水分神社の最寄のバス停なのだ。まずはここから。
後で時間的余裕がなかった場合に備えて参拝&散策&撮影を済ませるが、昼にもっといい写真が撮れたので割愛。
気が済んだところで菟田野アグリマートまで歩いていく。あまり利用者がいないのか手続きに少々手間取ったものの、
無事に9時前に電動自転車を借りることができた。国道166号を南下していくが、順調すぎて怖いくらいである。

菟田野を出ると、ひたすらじっとりとした上り坂である。吉野の山の中へと入っていくわけだから、予想どおりだ。
上り坂ということは、帰りは下り坂ということである。楽ちんでいいではないか。機嫌よくペダルをこいでいく。
そういえば小学生ぐらいのとき、ドリフがハワイに行く特番があり、高木ブーが「上り坂と下り坂のどっちが多い?」と、
クイズを出していた記憶が蘇る。どっちが多いのか僕はわりと真剣に考えたのだが、答えはもちろん「同じ」。
自分の頭の弱さを実感させられるできごとなのであった。ペダルをこいでいる間、妙にそのことを思い出したなあ。

さて菟田野は現在、宇陀市の一部で、丹生川上神社(中社)は東吉野村。途中で市と村の境界を通るのだが、
その佐倉峠を過ぎると一気に下り坂となる。その勢いはかなりすごく、しかも長い。当然、帰りはかなりの上り坂である。
苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。ブルーな気分になりつつトップスピードで快調に移動するという変な状態になった。

途中で複数の集落を抜けて、東吉野村役場を合図に県道16号から分かれる。川に沿ってグリグリと進んでいくと、
ついに丹生川上神社の幟が見えた。そこからぐるっとカーヴして正面入口に到着。時刻はまだ9時半前である。
雨でバスを頼る場合を考えると奇跡的なハイペースだ。しっかり晴れてくれた天気には感謝するしかない。

  
L: 山の中を進んでいくと、幟と鳥居が現れた。ついに来たぜ。  C: そのカーヴをまわると丹生川上神社(中社)。
R: 鳥居をくぐって拝殿。丹生川上神社(中社)は道路がきれいに弧を描く、その内側を境内としているのだ。

さてここで丹生川上神社(中社)の歴史を少々。「丹生川上神社」は雨乞いの神様で二十二社にも数えられていたが、
どんどん衰退していき応仁の乱以降はどこにあるのかわからなくなってしまった。やはり山奥すぎたのだろうか。
やがて江戸時代以降になって神道の研究も進んでくると、「丹生川上神社」の候補が挙げられるようになった。
しかし明治に入ってもうひとつの候補が有力となり、それぞれ「下社」「上社」という扱いがなされるようになる。
ところがさらに研究が進んで大正時代に蟻通神社が「丹生川上神社」だ、ということになり、「中社」の名称が誕生。
この丹生川上神社(中社)を中心として3つの神社が一体化することになったが、戦後にそれぞれが独立する。
現在は3つとも別々の権威ある別表神社ということになっている。今回、とりあえず代表として中社を訪れたわけだ。

  
L: 授与所の前で境内の様子を横から見たところ。  C: 拝殿をクローズアップ。  R: 中を覗き込んでみる。

丹生川上神社(中社)には重要文化財があるが、建物ではなく石灯籠。しかも見えない。しょうがないのでとりあえず、
できる範囲で本殿周辺を覗き込んで満足しておく。天気に恵まれたこともあってか、境内の雰囲気は非常に爽やか。
神社の背後にある緑は勢いよく茂っていてやや湿り気を感じさせるが、鮮やかな日差しがそれを瑞々しいものにする。
授与所のすだれがまたその印象を強めているのだ。ここまで来るのは大変だったが、最高の条件で訪れることができた。
なお、御守は拝殿内の額にもあったように白馬と黒馬が描かれている凝ったもの。雨がやむのを願うときは白馬を、
雨が降るのを願うときには黒馬を奉献したことに由来する。白・水色・紺と3色あったが、特に紺の色合いが見事で、
喜んで頂戴したら実際は真っ黒だった。見本は日に焼けて紺になってしまっただけのようだ。最初から紺なら最高だったが。

  
L: 拝殿の奥、本殿につながる石段。  C: 本殿とその周辺を覗き込む。非常に美しい。本殿は1829(文政12)年築。
R: 丹生川上神社(中社)のすぐ手前を流れる丹生川(高見川)。清冽とはこのことか。小魚もいっぱいいたよ。

すぐ手前の丹生川に下りることができたので(川遊びができる場所になっているようだ)、そこで一休みする。
買っておいた白バラコーヒーでいい気分。いい天気、いい神社、いい御守、いいコーヒー。もう最高じゃないですか。

 思わず自撮りなんてしてしまったではないか。

ちなみに神職さんはとても親切な方で、それがまた最高。自転車で来たことを不思議がられてしまったが、
まあ想像つかないわな。平日の朝イチで山の中の神社に自転車で来る男。自分で書いていてもおかしいもんな。

川の水を頭からかぶって気合を入れると、来た道をグイグイ戻っていく。東吉野村役場に到着したら、
ちょうど榛原駅からのバスがやってきたところ。天気が悪かったらこれに乗っていたはずなのだ。助かった。
ちなみに現在、奈良交通はこの役場までで、ここから先はコミュニティバスの運行となっている。

  
L: 東吉野村役場。奈良交通のバスが停車中だ。  C: 役場庁舎をクローズアップ。  R: 右手前の住民ホール。

せっかくなので、東吉野村役場についても見てみる。竣工は1997年で、隣とホールと一緒に建てられている。
川に沿った地形そのままに全体をカーヴさせ、その内側にエントランスとロータリーを配置していてちょっと面白い。

  
L: 役場庁舎の中に入ったらこんな感じ。建物の平面が扇形ということもあってか、だいぶ開放感がある。
C: 背面はこうなっている。  R: 役場から橋を渡って東に行ったらこんな建物が。旧役場庁舎っぽいんだけどな。

東吉野村役場の辺りは小川という集落で、歴史を感じさせる見事な建物もちょこちょこ残っている。
これらはまた、天誅組の史跡にもなっているようだ。東吉野村は天誅組が壊滅した地で、墓碑や石碑が点在している。
幕末の動きはかなり複雑で、佐幕・開国派と尊王攘夷の対立から公武合体を模索する人に倒幕へと舵を切る人と、
正直自分はまったくきちんと追いきれていない。まあ単純に勉強不足なのだが。とりあえず天誅組は尊王攘夷勢で、
決起したはいいが公武合体派に押されてハシゴをはずされてしまった人たちである。かわいそうといえばかわいそうだ。

 小川の集落。東吉野村の天誅組推しはかなり熱狂的である。

宇陀市の菟田野に向かってひたすらペダルをこぐ。やはり電動自転車は強力で、往路で想像していたよりは楽だった。
といっても、じっとりとした坂道を根気よく上っていかなくちゃいけないことには変わりはない。つらかったねえ。

 国道166号にて。このじっとりとした上り坂を我慢強く進んでいく。

どうにか佐倉峠を上りきると、菟田野へと下っていく。位置エネルギーを解放すると、すべてが一瞬で過ぎ去っていく。
そのまま菟田野アグリマートも通り過ぎ、朝イチで訪れた宇太水分神社を再訪問。11時近くで太陽の角度もいい感じだ。

  
L: 国道166号に面している宇太水分神社の鳥居。ここから住宅の並んでいる参道を進んで境内へ向かう。
C: というわけで境内入口に到着。  R: 宇太水分神社の拝殿。国宝の本殿はこの裏側にあるのだ。

飛鳥京の時代、都の東西南北に水分神社がそれぞれ配置された。吉野水分神社(→2010.3.302015.9.20)は、
このとき南に置かれた水分神社だ。そしてこちらの宇太水分神社は東の水分神社。北は奈良市の都祁水分神社。
西は御所市の葛木水分神社だが、すいません昨日寄るのを忘れておりました。今は小さい神社なので許してください。

  
L: 拝殿と本殿の位置関係。さすが背後の緑が迫力満点である。  C: 本殿をクローズアップ。  R: 美しい……。

せっかくなので、500円を納めて本殿を瑞垣内から拝観させていただいた。神職さんの説明つきなのだが、
摂社に宗像神社があるけどその由来がわからない、というのがちょっと面白かった。まあ水関連の神社だし、とのこと。
昔の人は、「本殿も3つ並んでいるし、三女神でちょうどいいんじゃねえか?」と思って勧請したのかな。
建築から社会を読むのが僕のライフワークだが、こうして神話から当時の社会を想像して読むのもまた一興である。

  
L: 写真撮影OKということで、瑞垣の内側から本殿を眺める。2004年に塗り替えが完了したそうだが、実に見事な彩色だ。
C: 3つ並ぶ本殿を眺める。端整だなあ。  R: 本殿の向かって左には摂社が2つ並ぶ。どっちも重要文化財に指定されている。

じっくりと国宝を堪能できる、おまけに写真も撮影OKということで、最高に贅沢な経験をさせていただいた。
こういうふうにカジュアルに芸術品を味わえるというのは本当にありがたいことだ。わざわざ来た甲斐があったよ。

宇太水分神社への参拝を終えると、国道166号を西へと進んでいく。まさに山と山の間を抜けていく道で、
電動自転車のバッテリーを心配しつつも快調に走り抜けて丁字路に出ると、そこが道の駅・宇陀路大宇陀。
土産物売り場のカウンターでバッテリー交換を申し出る。この仕組みのおかげでやりたい放題できている。ありがたい。

 道の駅・宇陀路大宇陀。バスの終点にもなっており、宇陀松山の拠点だ。

これでしばらく安心して自転車をこげる。落ち着いたところでさっそく宇陀松山の街並みを味わうとするのだ。
重要伝統的建築物群保存地区は国道166号から宇陀川を挟んだ東側のエリアである。南北に長く、全長1.5kmほど。
まずは南側から攻めてみるが、造り酒屋を中心になかなかの雰囲気。北へ進むとカーヴを描きながら家々が並び、
旧街道の空間感覚をしっかりと残している。昭和な商店と昔ながらの建物が入り混じっているが、全体的に穏やか。
天気がよかったのでごまかされたのかもしれないが、仕舞屋の比率がやや高めな印象がある。活気としてはイマイチ。

  
L: 宇陀川と造り酒屋の見事な建物。  C: 南側は造り酒屋が中心。  R: 北へ進むと旧街道の雰囲気が強くなる。

この辺りは飛鳥時代には「阿騎野」と呼ばれる宮廷の狩場だったそうだ。戦国時代に秋山氏により城下町がつくられ、
豊臣家の天下となった頃に現在の街並みの基本ができた。江戸時代には宇陀松山藩として織田信雄の領地となるが、
天領として明治を迎える。その後は大宇陀町となり、2006年に菟田野町・榛原町・室生村と合併して宇陀市となった。

  
L: 街を見下ろす神楽岡神社の参道の脇にある都司家住宅。1868(明治元)年ごろの築とのこと。
C: 奈良県指定文化財の山邉家住宅。江戸時代中期の築。かつては宇陀紙の総元締めだったというすごい家。
R: 宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」(旧細川家住宅)。江戸時代末期の築で、松山地区のシンボルとのこと。

旧街道の雰囲気もあるし、フォトジェニックな木造建築も残るしで、宇陀松山はなかなかいい街並みである。
ただ、観光地としての受け入れ態勢はまだまだ。それはつまり、住民の生活感が優先されているということでもあるが。

  
L: 奈良漬と和菓子の看板が並ぶ光景。  C: 西口関門。松山城下町の旧大手門。  R: 宇陀川の西側もなかなかの雰囲気。

せっかくなので、阿紀神社まで足を延ばしてみた。訪れてみて特に何があるというわけでもなかったのだが、
行くまでが飛鳥時代の「阿騎野」の穏やかな感じを思わせる山裾の田園地帯で、サイクリングにはちょうどよかった。

  
L: 阿紀神社入口。境内の形状がいろいろ独特。  C: 入って軽く右へ曲がるのだ。右手には能舞台がある。
R: そのまま進むと社殿なのだが、完全に横を向いている。どうしてこうなっているのか、実に不思議だ。

式内社の県社ということで、社殿はなかなか立派である。もともとは「神戸大神宮」という名前だったそうだが、
確かに伊勢神宮や神明系の神社を想起させる堂々たる姿をしている。御守を置いていれば、なおよかったのだが。

 
L: 拝殿。  R: 瑞垣から本殿を覗き込む。しかしなぜ横向きになっているのかわからない。

このまま北へ進んで榛原駅まで戻ることもできるのだが、それでは面白くないのだ。さっき行きのバスから見た、
八咫烏神社にも参拝してしまおう。途中から県道217号で東に入り、再び山の間にある道を抜けていく。
そうして芳野川沿いの県道31号へ。するとすぐ左手に、5時間前に通った神社が現れる。一気に突撃である。

  
L: 八咫烏神社。両脇の田んぼより少し高い参道をまっすぐ突撃していく。  C: 境内入口に到着。
R: ヤタガラスということで、境内にはサッカーボールで遊ぶヤタガラスの石像があった。まあそうなるわな。

八咫烏神社も式内社の県社だが、一時期かなり衰退してしまっていたそうだ。現在はしっかり社殿が再建されているが、
やはり周辺はそんなに人口密度の高い感じのしない穏やかな里なので、きれいにしてあるけどひと気がなくって、
少し不思議な感触がする。神職さんは常駐していないけど、きちんと御守を手前の家で頂戴できるのがうれしい。

  
L: 境内右手に拝殿。  C: 拝殿の後ろにけっこう長い石段があり、その先に本殿。  R: こんな感じで鎮座。

後は素直に位置エネルギーを開放するだけで榛原駅に到着。観光案内所で電動自転車を返却したのだが、
応対してくれたおねえさんたちはまさか、この自転車が丹生川上神社まで行っていたとは思うまいて……。

駅前のコンビニでやっぱり白バラコーヒーを買い込むと、近鉄で1駅西に戻って長谷寺へ。
いい機会なので、御守を頂戴しておこうというわけだ。長谷寺は一度訪れたことがあるが(→2012.2.18)、
そのときは冬だったので魅力を十分に味わえなかったのではないか、という思いもある。リヴェンジである。

  
L: 長谷寺駅から長谷寺へ向かう階段の入口。こっからが長い!  C: 初瀬の街を行く。  R: 長谷寺門前の商店街。

実際に歩いてみると、やはり長谷寺駅から長谷寺までは遠かった。時間でいえば15分もなかったのだが、
さんざん動きまわった後なのでつらかった。そして長谷寺は着いてからも石段を上りまくることになるのだ。
朝のうちに重い荷物は榛原駅のコインロッカーに預けていたとはいえ、たいへん厳しゅうこざいましたね。

  
L: 長谷寺に到着。仁王門は現在修理中。  C: 牡丹と登廊を振り返る。これはなかなか絵になりますなあ。
R: 登廊内部の様子をあらためて撮影。石段はぜんぶで399段ということで、もう気合で上りきるのであった。

本堂に到着すると、さっそく御守を頂戴してからお参りする。舞台から眺める緑は5月ということで勢いがいっぱい。
しかしここまでの行程が思っていたより時間のかかるものだったので、わりとそそくさと戻らざるをえなかった。

 
L: 本堂と鐘楼を側面から眺める。長谷寺の本堂は正堂と礼堂に舞台までが一体化した複雑な構造で面白い。
R: 舞台より伽藍を眺める。先の方にある本坊がよく見える。ってことは、本坊から本堂もよく見えるはず。

舞台からは本坊がよく見えたので、こりゃ本坊に行けば本堂をすっきり見渡せるかも、ということで行ってみる。
思っていたよりは木々が遮ってしまっていたが、まあそれなりに見えはする。舞台の懸造が見えればいいんだけどねえ。

 
L: 本坊。観光向けの場所ではないので近寄りがたい雰囲気。さすがに立派な建物である。
R: 本坊の手前から眺めた本堂。木々に遮られてちょっと残念。懸造が見えればいいのになあ。

長谷寺から門前商店街を抜けたところで與喜天満神社に寄ろうかと思ったが、予想よりも石段が長くて断念した。
それでも途中にある無人の授与所で御守だけは頂戴しておいた。神社にきちんと参拝していないので心苦しいが、
いつの日かしっかりリヴェンジできることを期待しよう。本当にいつになるかわからないが、必ず、きっと。

長谷寺駅まで急いで戻ったのは、ここまで来たらせっかくだから室生寺にもリヴェンジをしようと考えたからだ。
やはり4年前の冬に訪れているが(→2012.2.19)、新緑を背景にした国宝建築群だって見てみたいじゃないの。
榛原駅を跳び越して室生口大野駅からバスに揺られる。終点からちょっと歩いて小規模な門前町を抜ければ入口だ。
そうして室生川を渡ると境内。仁王門は近代の再建でそれっぽい派手さがあるが、通り抜けると空気がガラリと変わる。

  
L: 室生寺の門前町は小規模で、ちょっと心配になってしまう感じ。  C: 門前町を抜けると入口である。
R: 仁王門。手前の授与所が充実している。ここを抜けると雰囲気が変わって、山の中の静かな寺院となる。

前回訪れたときには冬なので陰影がキツく、またそれぞれの堂宇も雪をかぶっていたので、あらためてきちんと撮影する。
まずは国宝の金堂から。見れば見るほど独特な形をしている建築だ。床を踏みしめ平安前期の独創性に思いを馳せる。

  
L,C,R: 少しずつ角度を変えながら金堂を眺める。前半分と足元の石垣・懸造の融合ぶりが本当に独創的な建築だ。

金堂の脇にある弥勒堂と、一段先にある本堂(灌頂堂)は鎌倉時代の築。鎌倉レヴェルになると木材は水気が抜けて、
色彩の拒否というか、黒ずんで物質らしさが増してくるというか、そんな印象がある(→2010.8.202015.11.21)。
そうなると単純な建築というだけでなく、彫刻っぽい硬さというか動じなさを感じるようになるのだ。不思議だね。

  
L: 弥勒堂。  C: 国宝の本堂(灌頂堂)。これは側面を強調した角度。  R: ちょっと正面側に寄ったところ。

そして室生寺といえば五重塔である。だいぶ日が傾いてきたので、左斜め後ろから光が当たって少し神々しい。
石段との関係からして徹底的に考え抜かれたその美しい姿を、あらためてさまざまな角度から眺めてまわる。

  
L: 本堂の脇、石段の下から見上げる室生寺の五重塔。  C: 石段の途中から見上げる。これがベストの構図かな。
R: 石段を上がって少し端にずれたところから眺める。やっぱり屋根の逓減率が低いなあ(→2012.2.19)。

木々が多いので五重塔を眺めることのできる場所は意外と限られているが、その中で自分の好みを探すのも面白い。
室生寺の場合には塔じたいが小さくて境内の高低差がかなりあるので、よけいにいろんな角度から楽しむことができる。

 振り返る感じで見下ろす。カメラの性能がはっきり出ますな、これ。

五重塔からさらに進んでいくと奥の院である。長谷寺でさんざん石段を上下したが、もうこうなりゃ一緒なのだ。
壁のように目の前をふさぐ石段と新緑の対比を素直に楽しみながら行くとするのだ。もうなんかハイになってきたわ。

 奥の院へと向かう石段。なかなかの壁っぷりだが、意外とあっさり攻略。

何も考えず一気に足を動かしていったら、思いのほかあっさりと奥の院に到着してしまった。うーん、ハイテンション。
奥の院では前回参拝時にうっかり忘れた御影堂を撮影して一丁あがり。奥の院の御守は袋守型ではなかったのでパス。
これで室生寺でやりたいことをきっちりぜんぶできて言うことなしだ。あらためてここは名建築が揃ったいい寺だと思う。

  
L: 「ASHIMOTONI」はまだいいが、「GOTYUIKUDASAI」はないだろう。こういうローマ字表記を見ると手塚マンガを思い出す。
C: 常燈堂。中の位牌がすごいことになっている。  R: 4年越しで御影堂。隣で奥の院限定の御朱印やら御守やらが頂戴できる。

バスに揺られて室生口大野駅まで戻ると、さらに1駅、榛原駅へ。ロッカーから荷物を出すと、近鉄の特急券を確保する。
そしてもう一度駅前のコンビニで白バラコーヒーを購入してから電車に乗るのであった。もうこりゃ完全に中毒だわ。
名張からは特急で、伊勢中川で名古屋行きに乗り換え。近鉄に乗る機会はなかなかないので今まで意識しなかったが、
伊勢中川の手前で線路が描く三角形(スイッチバックに短絡線を通した)は非常に豪快。近鉄ってすごいなあと感心。

名古屋駅に着くと寿がきやラーメンを食ってから新幹線。今回は「ぷらっとこだま」に初挑戦してみたが、
車内ではひたすら日記を書いていたので3時間弱でも特に気にならなかったなあ。充実した旅になってよかった。


2016.5.22 (Sun.)

日曜日と運動会の振替休業日ということで、本当に久しぶりに自由な休日である。そりゃ旅行ですよ、旅行。
新緑のいい季節なので行き先は少し迷ったが、せっかくの平日が絡むので、今回は奈良県を選択したのであった。
天気が悪いとバスに頼るしかなくなって、平日にしか動いてくれない路線なので。晴れてりゃ自転車借りるけど。
で、初日の日曜日は御所からスタート。「ごしょ」ではなく、「ごせ」である。奈良県御所市。
そして午後には電車とバスを乗り継いで、天河大弁財天社まで行ってみる。奈良市をはずれるとアクセスが大変。

バスタ新宿を出発したバスからボロッと転がり落ちたのが朝7時ちょい過ぎ。予定よりも40分くらい早い。
毎度おなじみ、大雑把に道路に放り出されると、寝ぼけた頭を振り振り、ここはどこだと呟く。答えなんて返ってこない。
スマホの地図で確認すると、ここは国道24号。駅から少し北に進んだところのようだ。方角を確認して南へ歩く。
程なくして右手に見えてきたのが近鉄御所駅。ってことは、左手の先にはJRの御所駅があるはずだ。が、よく見えない。

  
L: いきなり放り出された国道24号。夜行バスの旅で途方に暮れて一日がスタートするのにももうすっかり慣れたなあ。
C: 少し進むと近鉄御所駅。近鉄御所線の終点である。  R: こちらは後で昼近くになってから撮影したJRの御所駅。

時間はたっぷりあるので、目覚ましがてら周辺を散歩してみる。国道24号に並走して、西は近鉄、東はJRである。
近鉄御所駅は終点になっていることもあって、JRの線路の方が市街地をしっかり分断している印象がする。
特に近鉄御所駅とJRの線路の間は複雑な商店街空間となっており、いろんな角度から空間を味わえて楽しい。
しかし踏切を渡ると新地商店街のアーケードに収束する。さびれ気味だが屋根の鉄骨が見事でこれまた楽しい。

  
L: JRの線路から眺めた近鉄御所駅前の商店街。なんでこういう空間構成になったのか。アーチの風情がいいなあ。
R: 踏切の反対側は新地商店街。さびれ気味なのが非常にもったいない。  R: アーケードの屋根の鉄骨がいいのだ。

それでもまだ時間があるので、近鉄御所駅の西側にあるショッピングセンターで一休み。のんびり座れてありがたい。
昨夜のうちに買っておいたおにぎりを食べて優雅な二度寝をすると、8時を過ぎたので移動開始。抜けるような青空だ。
まずは駅からすぐ南にある鴨都波神社に行ってみることにした。もし早すぎて御守が頂戴できなくてもいいのだ。
先に撮影やら参拝やらをしておいて、後であらためてサラッと頂戴すればいい。国道24号沿いの入口は横道っぽいが、
境内の南側を中高一貫校に取られているので、ここからアクセスせざるをえない。なかなかややこしいのね。

  
L: 国道24号沿いの境内入口。見るからに側面っぽいのだが、しょうがない。  C: 反対側の境内入口。こっちが表参道か。
R: 社殿を眺める。奈良県の神社らしく、自然と人工を両立しつつも、少し自然寄りの印象(→2015.9.202015.9.21)。

御所市には鴨氏ゆかりの神社が多く、鴨都波神社もそのひとつ。横参道になっている点、不規則な境内の形など、
地形というか自然を優先している感じが印象的である。まさに穏やかな土地の守り神といった神社だと思う。

 本殿を覗き込む。やっぱり立派。

さて、御所市では近鉄御所駅前の和菓子屋さんで自転車を貸してくれるということで、9時ちょっと前に行ってみる。
料金が高くて少し迷ったのだが、電動自転車を選んだ。後でこれがどれだけ大正解だったか、思い知ることになる。

無事に自転車をゲットすると、国道24号を一気に南へ。途中のスーパーで2リットルの飲み物を買い込み、さらに南へ。
脇目も振らず、何も考えずにひたすら南へ突撃していき、葛城郵便局を合図に右へと舵を切る。目指すは高鴨神社だ。
しかしこれがまあとんでもねえ上り坂で、電動なのにヘロヘロになりつつ進んでいく。葛城の里はとにかく起伏が激しい。
なんとか気合で県道30号に出ると、ぐるっとまわり込んでどうにか高鴨神社に到着。いちばん遠い神社から攻めて戻ろう、
なんて気軽に考えて高鴨神社まで来たのだが、いきなりこれだけの労力がかかるとは。ただただ戦慄したさ。

  
L: 高鴨神社の境内入口。高鴨神社は全国のカモ系神社(鴨・賀茂・加茂)の総本社とのこと。プライド高いです。
C: 鳥居をくぐって左手には池がある。非常にいい雰囲気である。  R: 授与所とその周辺。これまた小ぎれい。

高鴨神社はカモ系の総本社。つまり上賀茂だって下鴨だって(→2013.6.17)、手下のようなものなのだ。
だからなのか、いろいろうるさくて閉口した。まず重要文化財の本殿は撮影禁止。まあそれはしょうがないとして、
御守も撮影禁止だってさ。「神様をお分けするものだから」とのことだが、そんなことを言われたのは初めてだ。
頭に来たので、御守ページに載せる写真は中身を抜いてから撮ることにする。オレの興味は守袋のデザインだし。

  
L: 参道。美しく整えられた緑の豊かさが、この土地の豊かさということか。  C: 拝殿を見上げたところ。
R: 摂社の東神社は最近修復が終わったそうだ。本殿も三間社でだいたいこんなん。柱の彩色がすごかったけどね。

境内の雰囲気は落ち着いていてよかっただけに、空間を共有しきれない気分になったのは非常に残念である。
しかしモヤモヤしている暇なんでないのだ。御所に滞在できるのは午前中だけで、行きたい神社はいっぱいある。
2時間前までベンチで二度寝ぶっこいていたとは思えない勢いでペダルをこぎ、さらに西の坂道へと突撃。
思えば韮崎の武田八幡宮でも坂というより明らかに山裾の道を駆け上がったが(→2015.12.26)、
こっちも負けず劣らずしっかりと山である。もう完全に山との戦い。そして着実に消費されるバッテリー。
まさかこんなに早く電池表示が1コ消えるなんて思っていなかったので、少し焦る。賢くこいでいかないと。

  
L: 20分ほどの自転車登山の末、高天彦神社に到着。まずはその参道から。  C: 境内入口。  R: 鳥居をくぐる。

そんな山の中にあるのが、高天彦(たかまひこ)神社である。御朱印は高鴨神社で受け付けるということで、
どうせ御守がないことは予感していたのだが、せっかくだから来た。金剛山への登山口に位置しているそうで、
登山ついでに参拝する人は多いようだ。場所のわりには人の気配がある、なかなか不思議な神社だった。

 本殿が立派。来なかったらたぶん後悔したと思う。これでよし!

参拝を終えたらもう、後は徹底して位置エネルギーを開放するだけである。しかしこれがものすごかった。
ずーっと急な下り坂が続いて、延々と続いて、オレはここまでどれだけ労力をかけて移動してきたのか、本当に呆れた。
この下り坂で電動自転車のバッテリーを充電できたらどんなによかったか。葛城の里は本当に高低差がありすぎる。

国道24号を抜け、いったん北へ入ってから戻る。葛木御歳(みとし)神社にはそうやって参拝するしかないからだ。
こちらは御歳神社・大歳神社の総本社とのこと。高鴨神社が「高鴨」、鴨都波神社が「下鴨社」であるのに対して、
葛木御歳神社は「中鴨」でもあるそうだ。しかし周辺は自然の気配が強く、御守も拝殿に置いてあるスタイルだった。

  
L: 葛木御歳神社の参道。国道24号から東に入り、少しだけ郊外のガサガサした雰囲気のする一角の奥にある。
C: 境内入口。自然がいっぱい。手前には宮司さんの奥さんがやっているらしい店がある。  R: 拝殿。

御所市の名神大社を押さえようということで、軽い気持ちで計画してみたのだが、実際はもう本当に大変である。
でもこうして、今も参拝客がいっぱいの神社から地域でひっそり愛される神社までいろいろ見てまわることができて、
歴史の残り香を味わうことはしっかりできている。とりあえず、この経験がどこかで生きることを祈ろう。

 本殿。ひと気のないわりには立派でちょっと驚いた。

国道309号で再び西へ。今度は葛城一言主神社である。県道をスロープで下りてまわり込まないと参拝できない形で、
今日はとことん高低差に苦しめられているなあと思う。で、参道をまっすぐ走っていくと境内にぶつかるのだ。
辺りを見下ろすことができる、ちょうど山裾と平地の境目のところに拝殿がある。それだけに歴史の古さを感じる。

  
L: 葛城一言主神社の参道。  C: 突き当たりが境内入口。  R: 拝殿を眺める。本殿は山裾の中でよく見えない。

ちなみに一言主神は鴨氏の神で、土佐国に流されたことがあったとか。土佐国一宮・土佐神社(→2015.3.1)は、
高鴨神社の祭神・阿治須岐高日子根命(=味鋤高彦根神)と葛城一言主神社の祭神・葛城之一言主大神を祀る。
歴史ってのは意外なところがつながってくるんだなあ、と思う。レンタサイクルで歴史を追いかけております。

 拝殿を正面より眺める。一言で願いを叶えてくれる、とは面白い。

最後は厳密には御所市ではないけど、すぐ近くなので参拝するのだ。葛城市に入って葛木坐火雷神社である。
「かつらきいますほのいかづちじんじゃ」と読むのだが、どうやら「笛吹神社」という通称の方が一般的な模様。
これは、かつて名神大社だった葛木坐火雷神社が衰退し、後から創建された笛吹神社の末社になってしまい、
明治に入ってからその末社を笛吹神社に合祀して社名を葛木坐火雷神社に改めた、という経緯が理由のようだ。

  
L: 葛木坐火雷神社の境内入口。  C: 鳥居をくぐると参道が斜め45°になっている。かっちり斜めなのは珍しい気が。
R: 境内に置かれているロシア製の大砲。日露戦争後に政府が日本各地に奉納したそうで、現存するのは珍しいとのこと。

社殿はさらに一段上がった場所にあり、ずいぶんと狭っこい。さすがに授与所はなさそうだと一度下りたのだが、
トイレを探してもう一度上がり、拝殿の裏にまわり込んだら人がいっぱいいた。この後、琴の奉納演奏会があるそうで、
もし時間があれば聴いてくださいと言われたが、本当に申し訳ないけど断らざるをえなかった。余裕のない旅ですいません。

  
L: 社殿は一段高いところにあるのだ。おかげで狭い。  C: 拝殿。  R: 奥には古墳。この脇が本殿だが見づらい。

というわけで、御所市周辺の主要な神社はこれで押さえたはずである。あとは市役所と「御所まち」を味わうのだ。
さっきの新地商店街を抜けて東へ行くと、御所中央公園にぶつかる。その先を流れているのが葛城川だ。
御所市役所はこの葛城川に面しているのだが、その北側、左岸にアザレアホール、右岸に御所小学校がある。
アザレアホールは図書館とホールの複合施設でいかにもだが、残念なのは小学校の校舎。センスなさすぎである。

 
L: 1994年竣工のアザレアホール。  R: 葛城川を挟んだ反対側には御所小学校。これはないだろう。

ではいよいよ御所市役所の撮影タイムである。御所市役所は主に東西2つの棟からなり、東が古くて西が新しい。
この日は日曜日だったせいか、本館入口は閉鎖され、新館入口しか開いていなかった。まあこっちがメインのようだ。

  
L: まずは御所市役所を南側から眺める。左が新館で、右が本館。  C: 葛城川に架かる橋から本館を眺める。
R: 葛城川越し、小学校の体育館近くから見たところ。体育館ではバスケットボール部が練習試合中なのであった。

御所市役所の本館は1961年の竣工。確かにデザインとしてはきわめて正統派の昭和3階建て庁舎建築だが、
うっすらと茶色でまとめているのはこの時期にしては珍しい。塗り直している可能性もあるが、それにしては汚れがある。
葛城川に面した側には正面らしい風格があるが、市街地は反対側にあるので、元から両方とも正面らしくつくったかも。

  
L: 本館の葛城川に面する側は正面玄関としての風格を感じさせる。  C: 側面。  R: まわり込んで新館。

対する新館は2000年の竣工である。もともとは駐車場だった場所につくったのだろう。入口はかなり狭い印象で、
残った駐車場の部分はごくごくわずかとなっている。この新館入口からお邪魔すると、まず市民向け滞留空間で、
右手の奥の方に窓口となっている。本館と新館がどのように役割を分担しているのか、ちょっと気になるところだ。

  
L: では新館入口からお邪魔します。  C: 入ってすぐの市民向け空間。狭め。  R: 右手は窓口となっている。

市役所の次は、「御所まち」だ。市の財政事情などの事情があって重要伝統的建造物群保存地区ではないが、
指定されてもおかしくない街並みが残っているという。葛城川を挟んで東西に分かれており、市役所以南が西御所。
まずはそちらから徘徊してみる。しっかり舗装されているが、建物は確かによく残っている。雰囲気のある住宅街だ。

  
L: 西御所を行く。現在は住宅街としての要素が強いが、かつて栄えていたであろう商家が見事に並んでいる。
C: 東西方向の街並み。西御所はふたつの川に囲まれた三角形の空間だが、碁盤目状の市街地が形成されている。
R: 市役所に近い一角。駅は御所まちの北西端に位置しており、その距離が今の御所まちを守ったということか。

  
L: 油長酒造。創業は1719(享保4)年とのこと。  C: 新地商店街アーケードの南には食い違いと高札場がある。
R: 高札場は2008年の復元。よく見ると右上は「御所まち式目平成版」で、右下は霜月祭、左下は高札場の説明。

商家が主役の西御所とは対照的に、東御所は圓照寺を中心とした寺内町である。古い街並みも維持されているが、
どちらかというと圓照寺へ向かう道について特に力を入れている感じ。圓照寺じたいもさすがに立派でございました。

  
L: 東御所、圓照寺へと向かう道。  C: 建物に食い込むように置かれている石灯籠。  R: 圓照寺の本堂。すごい。

御所まちを目一杯動きまわり、わりとギリギリのタイミングで自転車を返却してJRの御所駅へ。間に合って安心。
和歌山線で南下していき、吉野口駅で近鉄に乗り換え。逆パターンは5年前にやったことがある(→2010.3.30)。
そうして近鉄吉野線に揺られるが、終点までは行かないで下市口駅で下車。わりと多くの客が駅舎内にいて、
まさかと思ったらほぼ全員が同じ目的だった。15分ほど待って、やってきたバスに一気に乗り込む。

1時間ちょっと揺られると天河大弁財天社に到着である。乗客は見事に全員ここで降りたのであった。人気だな。
人混みが散り散りになるのを待って、のんびり撮影してまわる。実際に来てみたら、思ったよりふつうの神社だった。

  
L: 天河大弁財天社前の道。こんな狭い道をバスは通っていくのだ。奈良県南部って本当に容赦なく山だなあと思う。
C: 天河大弁財天社の境内入口。道幅が狭いので構図をとるのに苦労した。  R: 境内、拝殿へと上がる石段。

ついにここまで来てしまったか、というのが正直な感想である。以前、「日本三大弁財天」について調べたら、
竹生島の宝厳寺・都久夫須麻神社(→2008.2.22015.8.7)、江島神社(→2010.11.272015.9.12)、
厳島神社(→2008.4.242013.2.25)というのが一般的。しかし天河大弁財天社も自称しているとのこと。
それで「どこだろ?」と検索をかけてびっきり、吉野よりもっと山の奥じゃないか。こんなん行けるかー!
……しかし気がつけば来ていたのであった。いやあ、バスって偉大ですね。バスで結局、だいたいの場所に行ける。

  
L: 境内。奥が授与所。その手前では神職さんがおみくじの結果を分析しているんだかなんだか。女子大盛り上がり。
C: 御守はデザインが統一されているが、ご利益別で色分けしているパターン。個人的にそういうの好き(→2014.11.13)。
R: グラウンドレヴェルから眺める本殿。つまり天河大弁財天社は横参道で高い場所にある拝殿に上るのだ。珍しい。

さっき「思ったよりふつうの神社」と書いたが、空間的にはしっかり独特で、天河大弁財天社は本殿が横向き。
つまり横参道として境内に入る感じ。そのまま石段を上がると拝殿で、ここまで横向きが維持されているのだ。
参拝を終えてそのまま反対側へ抜けて出てみたが、石段を下がって境内終わり、で特に何かあるわけではなかった。

  
L: 拝殿内。賽銭箱の上に吊るされている鈴が「五十鈴」。  C: 抜けて本殿を眺める。  R: 反対側から見上げた本殿。

参拝を終えて御守を頂戴すると、しばらく辺りをブラブラ。奥へ行ってみたら温泉施設があって、これはしまったと思う。
わかっていれば入浴できる準備をしてきたのに。時間的な余裕もなくて、泣く泣く断念してバスに乗り込むのであった。
そしてよく考えたら、途中でバスを下車して丹生川上神社下社に参拝しておけばよかったのである。いろいろ失敗した。

まあとにかく、そのまま近鉄で本日宿泊する天理市へ。近鉄天理駅のホームの広大さに驚愕しつつ改札を抜けると、
地下道を通って直進して天理郵便局前へ。ここに天スタこと天理スタミナラーメンの屋台があるということで、
当然いただいてしまうのである。思い出すなあ、雪の舞う桜井で食べたのを(→2012.2.18)。ただただ旨かった。
今回は天理大学の体育会系な皆さんや地元住民の皆さんとともにいただいたのだが、やはりおいしゅうございました。

  
L: 近鉄の天理駅ホーム。すげえなあ。  C: 天理スタミナラーメンの屋台。  R: 5月でもおいしゅうございました。

宿は天理という土地柄のせいなのか、しっかり民宿テイストだった。しかし英語の案内があちこちに貼り付いており、
奈良の観光資源が国際的に人気なのがうかがえた。ま、自分としては和室でのんびりできればそれで十分ですが。


2016.5.21 (Sat.)

運動会。張り切れば張り切るほどケガ人が出るのが心配な行事だが、大きなケガ人がなく終わってほっと安心。
生徒がきちんとがんばっていい運動会になるのはどうせわかっていたので、ケガ人さえいなければ完璧に大成功だ。
よかったよかった。あとはこっちも体調を崩さずに部活の夏季大会を乗り切ることだ。がんばらんとね。


2016.5.20 (Fri.)

国際経済論の勉強を日々黙々と進めているのだが、勉強すればするほど、違和感が大きくなっていく。

序盤はめちゃくちゃ面白かったのだ。20世紀に入って帝国主義による植民地争奪戦が激化していき、
第一次世界大戦を経て大不況からブロック経済が確立、しかし第二次世界大戦後はアメリカが大活躍、と。
かつて世界史の時間に学んだことが政治・経済においてどういう意味を持っていたのかがすっきり整理できて、
事象のつながりが明確に把握できた感じ。今さらだけど。25年前にきちんと勉強しておくべきだったと反省。

しかし話題が経済史から国際貿易の理論に移ると、途端に話が嘘くさく思えてきてしょうがない。
結局のところ、第二次大戦後の経験が絶対的でアンタッチャブルな成功例として崇め奉られているだけに思える。
第一次大戦後には賠償賠償ブロック経済でグチャグチャだったトラウマが、その対比をより大きくしている。
確かにアメリカが私財を投げ打つ形で自由貿易を推進したことで、われわれの生活は信じられないほど豊かになった。
でもその1回こっきり、1種類の成功例にしがみつくことで、何か大切なものを失いつつあるんじゃないか、と思う。
具体的に言えば、自由貿易は各国独自の文化を破壊する。今まさにしている真っ最中だから、世界中が荒れつつある。
(『悲しき熱帯』(→2010.3.17)、アイヌ文化を破壊する和人(→2013.7.23)など、事例は枚挙に遑がない。)
それに、国境をなくして自由貿易を広げていったとして、その先はどうなるのか。地球は有限だ。
われわれは貿易のパイを広げることで豊かになってきたけど、これ以上広がらないところまで来たらどうなる?
僕には正直、自由貿易の成長モデルはネズミ講的な前提で成り立っているように思えてならないのだ。
このようにちょっと考えればわかるはずの無理が不思議と無視されたままで、話はどんどん進んでいく。

国際経済論は「自由貿易はすばらしい」という結論ありきで、そこに至る言い訳を羅列しているだけに思える。
でも上述のように、自由貿易は文化の保持という視点が抜け落ちているし、地球の有限性をまったく考慮していない。
それらは数値として計測するのが難しいので、パラメータとして盛り込むことが非常に難しい。そりゃそうだ。
だからとりあえず無視してやっています、と開き直っているのは大変潔い。そういう意味で、学者は正直である。
しかし問題は、現実の政治家たちがその「本質的に欠けている理論」を自分たちの都合によって取捨選択し、
現実に実行される政策の論拠として金科玉条のごとく扱っていることだ。これは本当に危険なことだと思う。
国際経済論は、権力のエクスキューズとしてしか機能していない。僕には学ぶ価値をまったく見出せない分野だ。


2016.5.19 (Thu.)

声優の水谷優子さんが51歳の若さで亡くなったというニュース。これは本当に悲しい。悲しすぎる。

高校時代にけっこう大きな声優ブームがあって、しかし僕としてはおっさん声優が好きで、
個性的な声のおっさん声優たちが面白くってたまらなかった時期があったわけです。まあ、今もだけど。
僕の高校時代の夜は遠方のラジオを無理して聞く習慣が最盛期でありました。北朝鮮の妨害電波がウザいのなんの。
当時はラジオドラマも最盛期。アニメのスピンオフだったりラノベ黎明期のラジオドラマ化だったりで、
メディアミックスの波がテレビとOVAとCDとラジオとゲームを一体的に襲いはじめた最初の時期だったと思う。

そういうものすごいエネルギーが田舎にもガンガン伝わってくる時期に、ポリケロコンビのラジオが始まったのだ。
きっかけは『爆れつハンター』だったと思うのだが、アニメ系作家のあかほりさとると声優の水谷優子がラジオでしゃべる。
正直なところ僕はあかほり作品を読んだことはなく、水谷優子も「『ナディア』のマリーの人」という認識しかなかったが、
これが面白くってたまらなかったのだ。なんというのかねえ、ずっと聞いていられる楽しいコンビネーションなのだ。
たまたま初回放送を聞いたのだが、多少のよそよそしい感じから始まって、あっという間に阿吽の呼吸となっていく、
そのプロセスでこっちも一気に引き込まれた気がする。決して内輪の盛り上がりではない夫婦漫才の呼吸で、
しゃべっている二人の充実感がそのまま電波に乗っていた。だからアニメは見なくてもラジオはほぼ毎回聞いていた。
くだらない男子代表のあかほり氏に、優しく的確なツッコミを入れてくれる水谷さん。楽しい時間を味わわせてもらった。

大学入学後はアニメ方面のラジオを聞かなくなり(そのかわり伊集院ラジオのヘヴィーリスナーになるのだが)、
それにともなってポリケロラジオを聞くこともなくなった。やがてラジオを聞くこと自体がなくなった(→2006.12.13)。
そしてこの訃報である。訃報とともに、『爆れつハンター』以来二人がずっとラジオ番組を続けていたことを知った。
そこまでラジオ番組が続いたということは、本当にすばらしいことだと思う。誰もが認める楽しい時間が提供されていた。
でもそれだけに、水谷さんが若くして亡くなってしまったことは、悲しくて悔しくて悲しくてたまらないことだ。
多くの人に愛されたポリケロコンビのラジオが始まった瞬間に立ち会えたことがまず幸せだったなあと思うのだが、
どうにもならない形でそれが終わるということが悲しい。僕の高校時代の一部分も一緒にそのまま削り取られた気分だ。


2016.5.18 (Wed.)

炎天下で運動会の予行。デキ具合としては、まあ悪くないかなって感じである。
あとはとにかくケガのないように本番までを終えてほしい。この時期はとにかくそれが心配。


2016.5.17 (Tue.)

本日は雨なので部活はビデオ鑑賞なのであった。録画しておいた自分たちの試合を見たのだが、
コーチはひとつひとつのシーンについて細かく指摘してくれるので、やはり勉強になる。
問題はそれを練習の中で活かせるかどうか。そして実際の試合の場面で修正できるかどうか。
それができて初めて意味を持つのである。簡単なようで、それがいちばん難しいんだよねえ。


2016.5.16 (Mon.)

施光恒『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』。昨年、集英社新書から出た本だ。

この日記で僕は、現在まかり通っている英語教育がどれほど短絡的で危険なものか、折に触れて書いてきた。
→2009.8.52009.10.162009.12.42010.9.82011.7.132012.11.13
 2013.4.162013.9.162013.10.232013.11.252013.12.132014.8.5 などなど。)
そんな僕の危機感を実に的確にまとめてくれているのが、この本である。

第1章でまず現在の英語化の流れを整理し、第2章では世界史をもとにラテン語からの脱却による教養の広がりにふれ、
第3章では明治期の日本において英語を消化することで国内の教養レヴェルを高めていった経緯を描き出す。
第4章ではグローバル化による各国の危機を紹介し、第5章で諸悪の根源と言っていい新自由主義に切り込む。
第6章では日本語の特徴からその長所を客観的に見つめ、第7章でまとめと今後のあるべき方向性を指し示す。
非常に整理された内容で、かつ不足していると思われる部分もない。過不足なく問題点を正確に衝いている。

つまるところ、人間は連結可能な機械ではなく、能力に限界のある個人にすぎない。だからこそ人間なのだ。
しかし新自由主義の想定する人間は、神の見えざる手で動かされるだけの、経済にとって都合のいい駒でしかない。
言語というものは人間という生物を規定する根拠と言っていいし、言語は社会を編成してその中に人間を生かす。
つまり、言語とはそれだけ大きなものなのだ。人間が言語を操るのではなく、人間が言語に操られているのだ。
短絡的な新自由主義者は言語を簡単にコントロールできるツールと思っているかもしれないが、とんでもない。
言語とは社会・文化・個人のあらゆるレヴェルを規定する存在であり、それは宗教よりも根源的なものなのだ。
したがって、外来語を尊重し、母語を軽視することがどれだけ恐ろしいことか。アイデンティティの喪失そのものだ。
ほかのどの国にもない穏やかできめ細かやかな文化、今まで培ってきた文化を尊重してなおいっそう高めていくのか、
それとも経済を優先して欧米に追随し、人間の上に絶対的な神を置くプロテスタンティズムに隷属した社会を生きるのか。
日本は今、大きな岐路に立たされている。そして英語化の推進は、取り返しのつかない事態を招くものである。
武士は食わねど高楊枝。ガラパゴス化という言葉がネガティヴな意味でなく、誇りとともに語られることを期待したい。

真実はつねに逆説の中にある。単純な解決策ほど、後に禍根を残すものだ。すべての人に読んでほしい本である。


2016.5.15 (Sun.)

夏季大会第2戦。今日の相手は要所要所で対戦している印象の公立中。ここで勝っておかないと、
決勝トーナメントへの進出が難しくなる。かといって勝てるかというと、それも簡単にはいかない。そんな相手。
とりあえず僕自身の興味は、昨日の悔しさをきちんとぶつけられるかどうか、その一点である。勝ち負けはその先のこと。

いつもは別チーム優先の正GKが今日は合流できたのはラッキー。序盤にはミドルを見事に弾いてくれた。
さらに相手ゴール前でドリブルからFKをもらうと、これをそのGKが直接決めてウチが先制。まさかまさかの展開である。
その後、真ん中を一本のパスで崩されて同点に追いつかれてしまう。ダイレクトに撃ってくるのは予想したんだけどねえ。
でもそこからすぐ、FKのチャンスから競ってつないで、最後はFWがヘッドで反応して2点目をもぎ取る。
FKを蹴ったのはやっぱりGK。つないだのはさっきドリブルでFKをもらった生徒。積極的なプレーぶりがすばらしい。
しっかり体をぶつけて競ったうえで、チャンスをモノにできたのは大きい。昨日の悔しさが見事に表現されたゲームである。

昨日よりも守備陣が格段に集中しており、相手にボールを持たせていても決定的なところまで踏み込ませない。
技術的には負けていても粘りでは決して負けていないので、要領がつかめてくると危ないシーンも明らかに減っていく。
こっちの攻め込む時間はそう長くなく、突き放せないでいるのだが、それが緊張感につながっている感触もある。
でもそうだとすると、失点したら緊張の糸が切れてしまいかねない。ギリギリの戦いが延々と続く。

結局、2-1のままで逃げ切ってまさかの勝利を挙げたのであった。この戦いを制した経験は非常に大きい。
大会の成績なんかよりもよっぽど意味のあるものをつかんだように思う。活躍できずに悔し泣きした者がいたのも、
それはそれでいい傾向である。反対にちょっと調子に乗ってい生徒もいたので、そこは最後に締めて無事解散。
とにかく、真剣勝負を通して成長するという点では文句なしである。これが部活の醍醐味なんだよな。

しかし強いのか弱いのか、客観的にみてウチのチームはワケがわからないと思う。他校から見ればやりづれえわなあ。


2016.5.14 (Sat.)

本日より夏季大会がスタート。そんでもって自分も副審である。判定じたいの難しさはそんなにない試合で、
思ったよりはマシな副審ぶりだったけど、軽卒さがあるのは毎度おなじみ。どうしても一瞬の気が抜ける。
成長しないなあと今日も反省。本当は主審を無難にこなせるくらいにならなきゃいかんのだが……。

さて肝心のわれわれの試合だが、またしてもダニエルの母校との対戦である。向こうも飽きていると思うが。
スコアは0-10ということで、見事にボコボコにやられる。前半を2失点で折り返してコレってのはもう情けない。
が、それはふだんの練習不足が招いた結果なのである。日常のクオリティを上げずにひたすらサボってんだから、
こうなるのは当たり前のこと。サッカーはウソをつかないねえ、と思いながら惨殺される光景を眺めていたわ。

試合後、予想していたよりは悔しそうな感じだったから、次に期待しておこうか。ここがきみたちの勝負どころだ。


2016.5.13 (Fri.)

都立中央図書館でお勉強する目的で、職場から歩いて行ってみた。元麻布のど真ん中を抜ける形なったのだが、
まあなんというか、イヤだな、と。もともと港区じたいが好きじゃなくて、広尾とか六本木とか大嫌いで、
あらためて麻布をきっちり歩いてみると、思っていたとおりにすべてが鼻につく。被害妄想はもちろん否定しないが、
やっぱり合わない空気を肌で感じるのである。江戸時代の麻布はいいけど、その上に乗っかっているものが気に入らない。
結局はよそ者が盛り上げて盛り上げてつくった街なのだ。その盛り上げたい雰囲気の方が土地本来の匂いより濃いから、
僕は好きになれないのだと思う。不自然さというか、噛み合わない感じがどうしてもする。うまく言葉にできないが。
東京でいちばん苦手な場所かもしれない。価値観の違いを空間全体で突き付けられるところはどうもね。


2016.5.12 (Thu.)

夏休みの予定を立てはじめております。今からもう旅行の算段かよ!と思われるかもしれないが、まあそれもなくはないが、
どちらかというとお勉強の計画の方がメイン。そこに影響を及ぼさない範囲でできそうなことを考えてみる、ぐらいか。
お勉強がやっぱり重要なので、今年はあんまり派手に動けないかもしれない。日記を考えるとそれが妥当なんだが。
できることなら夏休みに限らず、要領よく動いてガス抜きもしていきたいものだ。その中で日記もきちんと書きたい。

それにしても、テメエの金で旅する楽しさったらない。そしてテメエの金で勉強する楽しさったらない。
これこそが本物の自由ということだ! 自分の意志で、自分を高めるために、自分の金を使えるという喜び。
ガキには絶対にわかるまい。今年の夏休みは、そのふたつと部活で予定が埋まる。幸せなことじゃないか。
オレは完全に自由だぜ!


2016.5.11 (Wed.)

フィッシングされてしまいました。言い訳はしたいけどしません。詐欺サイトに釣られました。
途中で怪しいなと思って、午後に時間をつくって確認してみたら、やっぱりアウトでがっくり。
そのまま手続きをして被害は出さずに済んだけど、自分の愚かさをとことん反省することになるのであった。
対応してくれた方は本当にありがとうございました。同じミスはしないように、肝に銘じておきます。


2016.5.10 (Tue.)

部活動保護者会で吼える。4月以降の情けない出席状況のデータを包み隠さず出して、協力をお願いする。
だいたいの保護者の方にはご理解をいただけて安心。言いたいことをぜんぶ言わせてもらえてありがたい。

しかしながら、それはどうなの?と思うようなお願いというか主張をしてくるケースもあった。
結局、チームよりも個人を優先する人間が増えているのだと思う。親にしろ子にしろ、自分が中心という意識。
部活ってのは社会性を身につける場、あるいは、チームのためにっていう心を育てる場であるはずだ。
しかし最近は、部活=楽しくスポーツをさせてくれる場所、という勘違いをしているケースが着実に増えている。
そういう考え方をする人は、学校をサーヴィス産業だと思っていて、自分をお客さんだと思っている。
今年は授業にしろ部活にしろ、それに断固としてノーを突き付けていくつもりである。徹底的にやる。


2016.5.9 (Mon.)

新宿西口・ヨドバシカメラ横の高速バスターミナルが、昨日をもって45年の歴史に幕を下ろしたとのこと。
これはバスタ新宿(→2016.4.9)の開業にともなう事態なのだが、いざそうなると、なんとも切ない。
新宿高速バスターミナルは1971年の開業だそうだ。僕が生まれたときにはすでに当たり前の存在で、
むしろそれ以外の手段で東京に来ることが考えられないくらいお世話になりまくった施設である。

高校在学中、物理班の連中と買い物で東京に出たときが、僕が家族と別行動で東京に出た最初のことだと思う。
父親の命を受けて秋葉原で外付けハードディスクを買う、そんな「はじめてのおつかい」なのであった。
以来、数えきれないほど新宿西口のバスターミナルから飯田まで行き来した。それが当たり前のプロセスだった。
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と石川啄木は歌ったが、僕にはまさに、
新宿西口のバスターミナルがそんな感じの場所だった。新宿の雑踏の中に、飯田が小さく口を開けていたのだ。

circo氏がこないだ上京してきた際(→2016.4.24)には、下車についてはバスターミナルだったそうで、
今となればそれが少しうらやましい。ああこれが最後なんだ、と味わうことなく当たり前が消えてしまった。
いきなり日常を奪われてしまうのは、当たり前が当たり前じゃなくなって強制的に次の段階に進むのは、
過去の手の届かない感覚がよけいに増幅される。高校時代が、僕の過去ひとつひとつが、また遠くなっちまったな。


2016.5.8 (Sun.)

5月で自由に動ける休日はたぶん今日しかないだろう、ということで、やるべきことをやる。
朝から日記を書いて、昼は神保町で本を買い、都立中央図書館で調べものと下準備。夜は日記とお勉強。
正直なところ、日記の方にだいぶ力が入っちゃって、お勉強は少々遅れ気味である。弱いなあ、自分。
でもその甲斐あってか、本日ついに昨年8月分の日記を完済した。旅行がたっぷりの8月を、ついにクリアした。
うれしいけど、喜んでなんていられない。まだまだ残っている分はいっぱいあるし、何よりお勉強が優先だ。
ホント、毎日毎日やるべきことがいっぱいだ。何かにチャレンジしていないと生きていけない性分なのかね、オレは。


2016.5.7 (Sat.)

人によってはまだGWが続いているのかもしれないが、こっちは土曜授業だよ。やっぱり淡々とこなす。

昼はPTAの歓送迎会つまり昼食会があったのだが、僕のつくるテストが難しいというお話がお母様方からチラホラ。
といっても苦情のトーンではない、いちおう。僕にとってのテストの位置づけは生徒にはっきり説明していて、
十分理解してもらっているのだ。簡単なテストなんて何の足しにもならねえ、受験に向けての助走にもならねえ。
むしろ難しい問題を確認することで賢くなる、そのためのテストだもんね。「解けば賢くなるテスト」、それが理想よ。


2016.5.6 (Fri.)

やはり呆気なくGWが終わったわけだが、まあだいたい予想どおりなので、淡々と職務をこなすのみである。
それにしても困ったのは今後のスケジュールだ。週末に夏季大会がしっかり入ってくるので、思うように動けない。
もっとも、無理に遊ぶ予定を自ら入れてしまったのも事実なのだ。自分で蒔いた種は自分で刈り取らないといけない。
いかに週末を無駄なく動くか、いかに平日を有効活用していくか、そのふたつがカギになるなあとあらためて思う。
後から振り返ったとき、「最高に充実した5月でした」と言えればいいのだが。30分も無駄にできない日が続く。

……とか言いながら今日は仕事帰りに下北沢に寄るのであった。残念ながら目的のものは空振りだったが、
新代田駅まで歩いて出てバスで帰ってみた。環七を走るバスに乗るのは初めてなので、とにかくいろいろ新鮮。
ふだんさんざん自転車で通っている道なのに、バス停は知らない名前。そうなるのか!と新たな発見をした感じ。
車内広告では4月から東急が運行することになった今治行きの夜行バスが気になる。ああ、愛媛にも行きたいねえ。
ま、たまにはこんなのもいいなあと思うのであった。バスはふだん気づかない角度を見せてくれるよね(→2006.1.30)。


2016.5.5 (Thu.)

今日も今日とて日記と片付けとお勉強。特に日記はものすごい勢いで書いております。でもぜんぜん追いつかない。
旅行とそれにまつわるエトセトラでいつも分量がとんでもないことになっている。しかもまだまだたっぷり溜まっている。
まあ、がんばっちゃいるんですけどね。自業自得だからしょうがないんですけどね。黙々と書き進めるのみであります。


2016.5.4 (Wed.)

今日も日記と片付けとお勉強である。しかし毎月恒例のJリーグ観戦もしておくのだ。自転車で最寄の等々力へゴー。
天気予報では雨になるという話だったが、雨雲の動きが速くて午前中から快晴になってくれた。ありがたいことです。
しかしやたらと風が強い。こりゃ試合に差し障るんじゃないかなあと思っているうちに到着。わお、ニュー等々力だ!

  
L: アウェイゴール裏からメインスタンド側へ。だいぶ変わった。以前の等々力はこちら(→2007.9.302011.6.18)。
C: メインスタンド側。デカくてカメラの視野に収まらないので、半端なこの角度で。  R: 反対側からもう一丁。

そうだった、等々力陸上競技場は昨年2月にメインスタンドの改修工事が終わったのだ。来てから気づくアホな僕。
今年の1月にはすぐ近所にある川崎市市民ミュージアムで「江口寿史展 KING OF POP」を見て(→2016.1.27)、
だいぶ変わったなーなんて感心したばかりだというのに。ってか、改修工事中にも観戦しているのに(→2014.4.11)。
まあとにかくスタジアムを一周して雰囲気をつかむ。今季の川崎は開幕から7戦無敗で首位に立っていたのだが、
前節の浦和戦で敗れて2位に転落。それでも好調ということで、サポーターの表情は晴れやかである。いいGWだ。

  
L: ホームゴール裏へまわり込む。2階のガラスの部分はグッズ売り場。しかしまあ、ずいぶんとオシャレになったもんだ。
C: バックスタンド側は従来のまま。手前では年度ごとの選手たちの名前を刻んだプレートが貼り付けられている。
R: 以前と何ひとつ変わっていないバックスタンドだが、将来的には改修する計画。半々ずつやるのは上手いやり方かも。

改修したのはメインスタンドだけで、バックスタンドは完全に従来のまま。でも向かいの野球場が建った後には、
こちらも改修する予定とのこと。いつになるのかわからないが、川崎サポにとっては楽しみが増えたようなもんだな。
感心しながらスタジアム内に入る。いつもならバックスタンド観戦なのだが、GWでチケットは売り切れたみたい。
しょうがないのでメインスタンドの端っこ指定席にした(買った段階では改修したことを完全に忘れていた……)。
まあこれはこれで怪我の功名ってことで、せっかくだからあちこちとことん見てまわってやるのだ。ウキウキ。

  
L: スタジアム2階外側通路。ちなみに設計者は日本設計・大成建設JVとのこと。日本設計もいろいろノウハウ持ってるな。
C: メインスタンド2階の通路。お、オシャレだ……。売店の中になぜか「山田うどん」があった。お前ら埼玉ちゃうんか。
R: さっきと反対側(アウェイ寄り)に出てファサードを眺める。屋内っぽさと屋外っぽさのちょうど中間って感じの空間。

スタジアムには藤子・F・不二雄先生(→2013.3.17)のキャラクターオブジェがちょこちょこと配置されている。
2階のコンコースには有名どころ総出演のオブジェ。のび太とパーマンがヘディングで競っている構図なのだが、
足元に「ころばし屋」がいる辺りがマニアック。まあいちばん感心したのは、レフェリーをやってるエスパー魔美だな。
指がちゃんと兜指愧破になっている(この指の形、「兜指愧破」としか表現できないんだけど正確には何て言うの?)。

 ファウルしたやつの胸には風穴が開くぜ!

コンコースを突き抜けてアウェイゴール裏方面まで行ってみたのだが、スタジアムの見え方に感動してしまった。
ピッチの見え方はまあ当然、陸上競技場なんだけど、建築構造体としての見え方が面白くてたまらないのである。
「ハレとケ」のハレ、イヴェントが始まる前の昂揚感。それがスタジアムという器で増幅されている光景が直接見える。
また、メインスタンドの端っこに立つと、J2なのに天皇杯をガンガン勝ち上がる大木京都の記憶が蘇る(→2011.12.24)。
ゴール裏を見下ろすと、キックオフを待つ仙台サポがすぐそこ。風邪を引きながら観戦した記憶が蘇る(→2007.9.30)。
空間を眺めることで、そのときの感情を鮮明に思い出せるのだ。空間を通して過去を俯瞰する、不思議な感じだ。

  
L: ゴール裏とのジョイント部から眺めるメインスタンド。これはかっこよく生まれ変わったなあ。屋根もあるし。
C: ジョイント部から見下ろすアウェイゴール裏。この部分を客観的に眺められるのって、けっこう楽しい。
R: 新旧ジョイント部分。左側の従来どおりのゴール裏と右側の新しいメインスタンドはこのようにつながっている。

選手入場前、懐かしくも新しい姿を目にした。マスコットの「カブレラ」だ。以前は「ピーカブー」というキャラで、
もともとはスポンサーだった日興コーディアル証券(現・SMBC日興証券)の投資サービスのキャラクターだった。
本家のサービスが終了した後もそのまま活動を続けており(それだけでも十分にすごい話なのだが →2014.4.11)、
ふろん太・コムゾーと仲良く一緒に動きまわっていたのだが、2014年6月に突如、活動終了が決まってしまった。
その後、ピーカブーのキャラクターとしての権利がSMBC日興證券から川崎フロンターレに委譲されて(すごい英断)、
新たに「カブレラ」として生まれ変わったというわけ。こういうキャラクターを大切にできるクラブって素敵だ。

  
L: 新しいメインスタンドの端っこから眺める等々力陸上競技場。サッカーをめぐる昂揚感がダイレクトに伝わる。
C: ピーカブー改めカブレラ。頭にフロンターレカラーのマフラーを巻いているところがオシャレだな。
R: やっぱりこの3体が並んでいるところがいいのだ。こいつらが仲良くしているのを見るために来るのもアリだ。

前節に初黒星を喫したとはいえ、今シーズンの川崎が好調であることには変わらない。前半は風下だったが、
積極的に攻撃を仕掛けて仙台陣内に入り込んでいく。ゴールネットを2回揺らしたが、どちらも判定はオフサイド。
しかしひるむことなく風間監督好みのパスサッカーを展開。グラウンダーのパスは風の影響を受けないもんな。
足元にグラウンダーのパスをどんどん入れていくスタイルは、先月観戦したレノファ山口に似ている(→2016.4.3)。
しかし山口が前へ向かうために速い縦パスを入れる印象なのに対し、川崎はあくまで崩すためのパスという印象。
つけてはがしてを繰り返すが、仙台の守備の出足がいいのでペナルティエリアまでいい形で踏み込めないことが多い。

  
L: 好調の大久保だが、この日は連携がうまくいかず。小林もそうで、つまり仙台が相手FWを上手く封じていたということか。
C: ゴールと思ったらオフサイド。  R: 金久保のボレー。おととしは川崎に所属したので、スタメン発表で拍手されていた。

等々力に乗り込んできた仙台は、現在16位という少々マズい状況である。しかし今日のプレーぶりを見る限り、
内容は決して悪くない。ホームの川崎が自分たちのペースで攻めても集中を切らすことなく対応しているのが頼もしい。
反撃もきちんとシュートまで行けている。先月の広島戦(→2016.4.1)よりもずっといいサッカーをしている。

  
L: グラウンダーのパスをつなぐ川崎。大木サッカーはダイレクトを好むが、風間サッカーはトラップとターンが入る。
C: 驚いたのはトイレ。このような流し台を点々と配置しているのだ。でもトイレへ至る動線が稚拙で長蛇の列ができる……。
R: 川崎サポじゃないんでグッズを買うつもりはなかったが、タオルマフラーがカブレラだったんで買っちゃったよ……。

後半に入ると仙台ペースに。川崎の守備が明らかにザルと化しており、仙台は何度か決定機をつくりだす。
しかしこれを決めきれないシーンが続く。思わず「これをはずすかぁ?」とつぶやいてしまうほど。
川崎は攻撃がリズムに乗り切れないことから守備も動きが悪くなっている感じで、明らかに仙台の方が優位である。
仙台はペナルティエリアの手前で川崎の攻撃を切ると、きっちりサイドからカウンターを仕掛けていく。

  
L: 仙台が左サイドから完全に崩したが、金久保のシュートは残念ながらはずれてしまう。これは決まったと思ったが。
C: 仙台・二見のロングスローにスタジアムが騒然となる。CK並みの威力だが、スローインにオフサイドはないのでこれは脅威。
R: プレー中に強風で飛んできたビニール袋を回収した蜂須賀と渡辺監督。周りでは「いい人だ!」と好感度が急上昇していた。

こうなるとそれ相応の罰を受けてしまうのがJ1のサッカーなのだ。70分にも仙台は左サイドから攻め込んでいき、
クロスから富田がダイビングヘッドを決める。川崎の守備陣は仙台の選手を捕まえきれない場面が目立っていたもんな。
しかし3分後には川崎の大島が右サイドからドリブルで持ち込み、そのまままったく角度のないところからシュート。
それまでどっちのGKもファインセーヴを連発していたのだが、ともに頭上を抜かれる形で得点を許したのは偶然か。
まあどちらのシュートもそれだけ見事なものだったということなんだけど。観戦していて納得のプロの技だねえ。

 
L: 70分、富田のヘッドで仙台が先制。それまでも川崎の守備はルーズだったが、ついに仙台が決めきった。
R: しかし73分に大島が同点弾を決める。パスが通じない展開だからこそドリブルからのシュートが効いたという印象。

最後は川崎が攻勢に出るが、前線と噛み合わない感触のままで試合終了。川崎は非常に痛い星を落とした格好で、
仙台にしてみればかなりポジティヴな勝ち点1である。内容も、客観的に見て仙台の勝ちに等しいものだったと思う。


2016.5.3 (Tue.)

GW前半戦はお勉強に充てたわけだが、後半戦もどこにも出かけずにやるべきことをやりきる。
溜まっている日記をがんばったり、部屋の片付けをがんばったり、自力でやるお勉強をがんばったり。

プレミアリーグ、レスターが創設133年目で初優勝、やったね岡崎!ということだそうで。
Jリーグしかわからない自分には、とんでもねえ快挙であることが頭ではわかっているけどイマイチ実感できないのが切ない。
まあとにかく、どんなことであれ可能性の扉は開かれているという事実を証明してくれた、ということだと認識しておく。
おめでとう、以上に、とことん前向きになれる現実をありがとうございますなのだ。


2016.5.2 (Mon.)

GWの合間の平日である。テンションが上がらないのは生徒も教師も一緒だぜ。こっちもつらいんだぜ。
この日はたまたま僕がメインでやることになったので、1年生で今までできていないと考えていた部分を徹底的にやる。
そういう意味では日頃のフラストレーションを解消する絶好の機会になったので、まあ悪くなかったかなと。


2016.5.1 (Sun.)

お勉強も本日がラストである。古代ギリシャからキリスト教世界へと舞台は移る。楽しいなあ。
それにしても、トマス・アクィナスと聞くと高校時代から反射的にピエール瀧の顔を思い出す。なぜだ。

先生がたいへん優しい方で、昼休みを多めにとらせてもらえた。せっかくなので、スタ丼食ってから築土神社まで散歩。

  
L: 現在の築土神社は九段のビルの中にある。  C: 神殿みたいね。  R: ピロティを抜けると拝殿。

築土神社は主祭神こそ天津彦火邇々杵尊だが、もともとは平将門をメインで祀っていた神社である。
戦争で社殿が焼けてしまうまでは将門の首を納めた首桶があったとのこと。将門ファンには最大の聖地かな。

 
L: 本殿の裏側にまわってみた。  R: 隣の世継稲荷。大都会の神社だなあ。

その後は喫茶店で午後のテストの構想を練る。学習した内容はそれなりに理解できているつもりなのだが、
それをどのように課題に合う形でアウトプットしていくかが問題なのだ。ルーズリーフにいろいろラフに書いていく。

教室に戻ったら将にテストが始まらんとス、ってところでまいった。開始時刻をきちんと把握していなかったとは情けない。
あらかじめ思考訓練をしていたおかげで、制限時間の60分間いっぱいでどうにか書くことはできた。疲れたわー。


diary 2016.4.

diary 2016

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