国立近現代建築資料館でやっている『日本の近現代建築家たち 第1部:覚醒と出発』を見てきた。
平日だと隣の湯島地方合同庁舎から入って無料で見学ができるのだが、土日なので400円払って旧岩崎邸庭園から入る。日本の近現代建築家ということでどうしてもモダニズムな面々がクローズアップされるわけだが、
吉田鉄郎・岸田日出刀という戦前にも活躍した建築家から原広司・安藤忠雄という存命の建築家まで、12名を選んでいる。
正直、基準がよくわからない。展示も1名につき1建築を選定しているが、図面から個人の使用品まであまり脈絡がない。
たいへん中途半端でなんともコメントしがたい。岸田日出刀が海外モダニズム建築を撮った写真がいちばん面白かった。日本の国立・公立の美術館・博物館はたくさんあるが、建築に焦点を当てたまともな施設がないのは恥ずかしいことだ。
寺社建築やモダニズム建築の歴史の厚みを考えれば、企画展なんてこの先200年以上ネタが尽きることなんてないのに。
国立近現代建築資料館はあくまで体裁を整えるための場所にすぎない。こんなもので留まっていることがおかしいのだ。
旧岩崎邸庭園に寄生していることがそもそも大問題なのである。日本においては明らかに、建築が虐げられている。まずはこの展示形態から変えていかねばなるまい。
結局のところ、日本においては建築というものが空間を占有することについて(仏教用語でいう「質礙」)、
欧米ほどポジティヴに捉えられていないということではないか。建物は劣化する。劣化した建物は危険で、邪魔だ。
また経済的にも、建物は新しいものに置き換えられて然るべきである。そういう考え方がとことんまで染み付いている。
だから建築を顕彰する施設は、極端な表現をすれば反体制思想に等しいのだ。国立近現代建築資料館に来るたびそう思う。当然、旧岩崎家住宅にも寄る。もちろん何度も訪れているが、こちらに滞在した時間の方が資料館よりずっと長かった。
山口悟/ひだかなみ『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』。
転生令嬢マンガを読んでみたいとつねづね思っていたんですよ。でもいっぱいあって、何を読めばいいのかわからない。
決め手に欠ける中、映画を見にいったときに予告編を見たわけですね。なるほど、映画化されるんなら読もう!と。結論から言うと、これしっかり面白いです。ではなぜ面白いのか。それを社会学的に分析すると、もっと面白い。
最大のポイントは、男が読んでもまったく違和感のない内容になっている点。ユニセックスマンガの頂点に近い存在だ。
もちろん少女マンガがベースにはあるが、細かいギャグをはじめ少年マンガの文法をかなりきちんと採り入れている。
おそらく力点としては、女の子たちも兄弟を通して慣れ親しんできたであろう少年マンガのリズムを優先している。
特徴的なのが大きめな口の描き方で、おてんばを演出しながら少年ギャグマンガでも通用させるという意図を感じる。
そうとうセンスがいいというか、バランス感覚がすごい。転生令嬢マンガでこんなに抵抗なく読めるとは思わなかった。異世界モノとしては、あんまり男と変わらないテンプレ具合。ギャルゲーが乙女ゲーになっただけである。
主人公が努力する点も一緒。ただ、この作品についてはその努力はあまり実らない。実る必要がないところが重要か。
(ただし最大の努力の対象である農業はしっかり実る。ガーデニング、植物を愛する優しさ、趣味への没頭。巧い設定だ。)
『水滸伝』の宋江のように、周りがどんどん助けてくれる。根拠は主人公の心の優しさ。これが絶対的なのである。
また、貴族という設定で自然にクラスの「一軍」入りしているところも女子としては押さえておくべき点なのだろう。
この辺りが少年マンガとの相違点と言えそうだ。なお、主人公の「悪役顔」はかえって勝気さの表現となっており、
女の子だって暴れたい精神を体現している印象。幼少期のデコの傷もその一環だろう(キャプ翼の浦辺反次かと思った)。
なるほどこれが「おもしれー女」ってやつか!と今さらながら理解した。これをいかに造形するかの勝負ってわけだ。破滅悪役令嬢と見せかけて、実は主人公こそ絶対的なヒロインそのものなのがうっすらわかるバランスがよい。
しかも、こいつ男だけじゃなくて女も攻略しとんのか!と言いたくなるが、まあつまるところ、仲良きことは美しき哉。
まるでもこっち(→2020.1.1/2020.3.14/2021.12.11)のように、この主人公はいい意味で思考が男子寄りなので、
男子相手には朴念仁ラブコメを、女子相手には日常系を展開できる。どう考えても最後にひとりに絞るのは無理だから、
どうしてもぬるま湯友情エンドに収束するしかない。終わりの形はすでに見えている。しかし延長モードに入っており、
さらなるぬるま湯の継続を選択したことは、作品じたいのクオリティということで考えるともったいないのではないか。
今の世の中、スピンオフでいくらでも稼げるのに。この作品については本体とスピンオフを分ける方がいい気がする。
親友あっちゃんの扱いがものすごく上手いので、本体はそっち絡みで早めに終わらせてしまう方がクオリティが上がる。
そうして朴念仁ラブコメ&日常系のぬるま湯と、闇魔法をめぐる冒険に分けてほしい。少年マンガの発想かもしれんが。
小野伸二が現役引退を発表ということで、関連するネット記事をむさぼるように読んでいる。
すべての記事にある表現が、「天才」。そうして彼の偉大さを今さらながら確かめている状況である。わりと最近までサッカー観戦する習慣がなかったため、残念ながら彼の全盛期は目にしていない。
しかし運よく8年前にJ2の札幌×千葉戦を観ていた(→2015.11.1)。生で見たのはこの1試合だけだと思う。
プレーオフ争いの中、ラストワンプレーで逆転勝利が決まった劇的な試合だったのでそっちの印象がやたら強いが、
周囲が小野を信頼しきっていて、リードされていてもつねにポジティヴな雰囲気のサッカーだったのは覚えている。
小野というと足に吸い付くトラップに代表される異様に高い技術で知られるが、明るい雰囲気でチーム全体を包む、
そのキャプテンシーもまた特筆すべき能力だったわけだ。それを実際に見られたことを喜んでおこう。以前、マラドーナの身体感覚について書いたが(→2020.11.26)、彼と同じ精度を小野も持っているのだと思う。
超絶ミクロな単位での身体制御と、マクロで試合を俯瞰する能力。遠くから眺める観客では理解しきれない、
圧倒的なレンジでのサッカーの表現。そういえば、ずっと前に中学生の部活応援でバスケの試合を見たとき、
上手いやつが触るとボールが喜んでいる感じがしたことを覚えている(→2010.10.17)。小野もまさにそれで、
彼の扱うボールははしゃぐ子犬のように従順で躍動していた。1試合だけでもそのプレーを見られてよかった。
私立探偵濱マイクシリーズ・第3弾『罠』。三部作(→2023.8.17/2023.8.23)のラストである。
荒唐無稽と言われようが、やりたいことを詰め込む、描きたいものを描く、というスタイルは相変わらず。
ただ、3作目にしてダレた感は否めない。何をいちばん描きたいのかが絞れていなかったのではないか。
今作では濱マイクに罠が仕掛けられるが、それをめぐってミステリに寄った分だけ構成に難が出たように思う。
ミステリということはつまり、動機と犯行にそれぞれ「why」と「how」の謎が仕掛けられることになるわけだ。
物語の進行にしたがってこの2点を解きほぐしていくことが必要になるのだが、そこがあまり意識されていない。
わりと直線的な展開はむしろTVドラマ的で、制作側にはもう少し話を練り込む時間が必要だったのではないか。
具体的には、最初の依頼シーンがまったく生かされていない点がもったいない。この伏線が回収できなかったのは痛い。
またせっかくの一人二役(永瀬正敏みたいだなと思ったら永瀬正敏だった)も、まったく生かしきれていない。
この2点の理由づけをきちんとするだけで話の厚みが違ってくるはずで、ただ安易な謎解きに全体が流された印象だ。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG』の失敗が典型的だが、追い詰められてからのカウンターというのは、
制作側が思っているほど面白いものにはならないのだ(→2005.9.6/2021.12.24)。フラストレーションの方が大きい。
それでもこの展開でいくのであれば、探偵バンザイの要素を強めてその魅力で中和を図るのが正解だったと考える。とはいえ、古ぼけた都会とスパイっぽさが相変わらずかっこいいには違いないので、まあいいかなという気もする。
前回登場した俳優をまったく違う役で使う大胆さがまたすごい。映画館のポスターなどで仕掛けるメタ演出も楽しい。
やはりシリーズ全体を通して魅力的な「古き良き現在」とでも形容できる世界観が構築されているのは見事である。
2002年のTVドラマは中島哲也監督の回(→2002.8.26)以外はぜんぜん面白くなかった。監督・脚本が毎回替わって、
それぞれが原作映画の世界観を尊重せず自分のエゴを優先した結果、全体がまとまらず支離滅裂になった記憶がある。
「濱マイク」という素材への理解が足りないというか、前提条件を理解する気のないスタッフばかりだったわけだ。
その点、映画版は黄金町とスパイ映画への敬意がまっすぐで清々しい。そこに共感できるから、全体が魅力的なのである。
L: 横浜日劇の看板。今回『罠』を見たシネマ・ジャック&ベティは、日劇の隣・名画座の流れを汲む映画館なのだ。
C: 壁に貼られた写真。左上の横浜日劇を背景にした写真が抜群にかっこいい。 R: TVドラマ版を含むポスター。黄金町の映画館で見たのはいい締めだったなと思う。過去になってしまった「古き良き現在」を、少しは取り戻せた気分。
『ライザのアトリエ ~常闇の女王と秘密の隠れ家~』のアニメを全話見てみたよ。よくわかっていないオレでも、
ライザといえばふとももであり、ふとももだけで天下をとってしまったことは知っている。恐ろしい子!ニコニコの動画で毎週のんびり見ていったのだが、視聴者のコメントがやっぱり面白いのである。
その中に「ゲロ甘師匠」というコメントがあって、なんだそりゃと思っていたら本当にゲロ甘師匠だった。
ひたすら優しい世界。とことん安心して見られるアニメですな。ライザとクラウディアは結婚しちゃえばいいんだ。
というわけで、特に文句はございません。落合福嗣のギャラが発生するのせんののコメントに業界の世知辛さを感じる。
あと、全盛期のオレは1.2ライザくらいはあったけど今は0.8ライザくらいかなあ……なんて具合に老化を感じる。
ところで常闇の女王って何?ちなみに3ヶ月前、地理のテストの自由コメント欄で「ライザの第1話見逃した……」と凹んでいる女子がいたので、
赤ペンで「そんなふともも知りません」と返しつつ、「第1話なら動画サイトで無料で見られるんじゃないスか」と、
そっと書き足しておいてあげた僕なのであった。……オレがゲロ甘師匠じゃん。
仕事終わりに国立新美術館でやっている『テート美術館展 光 — ターナー、印象派から現代へ』を見てきたよ。
L: 夜の国立新美術館。2階から見たアトリウム。 C: 2階カフェ部分。 R: 1階から地下におりるエスカレーターにて。テーマが「光」だし、とりあえずターナー見とけばいいんだ、という気持ちで鑑賞開始である。
序盤は18世紀終盤から19世紀前半の絵画が並び、宗教画の雰囲気。ルネサンス的視点からするとイギリスは最も辺境で、
最も遅く影響が到達した場所なので、まだまだ神話ネタに寄ってしまうのだろうか。しかし19世紀に入ると明らかに、
風景画として一段クオリティが上がった印象となる。さすがイギリス経験論や産業革命を生み出した国って感じ。
L: ウィリアム=ブレイク『アダムを裁く神』。なんとなくエル・グレコ(→2014.7.23)っぽい感触。つまり好きではない。
C: ジョージ=リッチモンド『光の創造』。なんかクイーンのアルバム『世界に捧ぐ』のロボットっぽさを感じるんだが。
R: ジェイコブ=モーア『大洪水』。18世紀末のイギリス絵画はこんな感じで聖書をテーマにやっていたわけですな。
L: ジョン=マーティン『ポンペイとヘルクラネウムの崩壊』。19世紀に入ると風景画としてのクオリティも上がってくる。
C: ジョゼフ=ライト・オヴ・ダービー『トスカーナの海岸の灯台と月光』。うーん、テート・ギャラリーって感じ。
R: 同じくジョゼフ=ライト・オヴ・ダービーで『噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め』。ではいよいよターナーである。僕が大学1年のとき、カワジョー先生の造形芸術論Iの授業をとっていたこともあって、
横浜美術館でやっていた『テート・ギャラリー所蔵 ターナー展』を見にいった(そしてダニエルに偶然会ったっけ)。
当時の僕は美術なんてぜんぜんわからなくて、きちんと知識のあるcirco氏から後でいろいろ聞いたものだが、
僕としては精密な前期の風景画の方がずっと魅力的で、後期の朦朧体よりひどい超絶朦朧っぷりには閉口したっけ。
今になってみると、上手い精密な風景画は究極的には写真に近づくことになり、もはや技術の問題に収束してしまう。
その点、超絶朦朧体は画家としての景色の見え方の表現ということで、そこで個性を発揮するのが大事というわけだ。
あれから25年以上経ってあらためてターナーを見てみると、結局は印象派を先取りしたという点が重要なのかなと。
でもやっぱり、素直な精密風景画時代の作品も少しは展示してほしかったと思う。比べてこそのターナーでしょう。
L: ジョゼフ=マロード=ウィリアム=ターナー『陽光の中に立つ天使』。今回のターナーはすべて1840年代、70歳前後。
C: 同じくターナーで『湖に沈む夕日』。これは朦朧としていますね。 R: ターナー『陰と闇─ 大洪水の夕べ』。ターナー『光と色彩(ゲーテの理論)─ 大洪水の翌朝─ 創世記を書くモーセ』。
なお今回のターナーの作品では、金属球面への部屋の映り込みとか遠近法の影の付き方などの習作が面白いのに撮影禁止。
こないだのガウディ展(→2023.8.30)もそうだったが、そういう画家の試行錯誤がわかる資料が撮影できないのは淋しい。
そうして建築を通して風景画を極めようとする前期のターナーだが、後期に印象派的というか解釈を受け手は委ねたのは、
画家として上手いと表現すればいいのかどうなのか。正直、個人的には「ずるい」と思ってしまうところもけっこうある。続くコーナーではジョン=コンスタブルとジョン=リネルの風景画をクローズアップ。やっぱりイギリスは風景画だなと。
いかにも『嵐が丘』(→2006.12.6)っぽい感じの荒涼としたイギリスの風景をみっちり味わえるという点でよろしかった。
やはりむしろそっちメインで展覧会をやってくれた方が個人的にはありがたかった。風景画には科学的精神を感じるのよ。
L: 原画:ジョン=コンスタブル/彫版:デイヴィッド=ルーカス『イングランドの風景』より「浜辺」。
C: 同じく『イングランドの風景』より「夏の朝」。 R: 「ストゥーア川の水門、サフォーク」。
L: 「秋の日没」。 C: 「ヤーマス、ノーフォーク」。 R: 「ハドリー城、ノア近郊」。
L: ジョン=リネル『風景(風車)』。あー、なんだかいかにも西岸海洋性気候(Cfb)って感じ。
C: ジョン=コンスタブル『ハムステッド・ヒースのブランチ・ヒル・ポンド、土手に腰掛ける少年』。
R: 同じくジョン=コンスタブル『ハリッジ灯台』。イギリスの風景画にはなんとなく科学的精神を感じる。続く部屋では19世紀終盤から20世紀初頭にかけての作品を展示。前半は時期的に最後の宗教画って感じで、
後半はさまざまな画家の風景画が並んでいて面白い。こういうのでいいんだよ、こういうので。
L: ジョン=エヴァレット=ミレイ『露に濡れたハリエニシダ』。いわゆる『オフィーリア』の人ですな。
C: エドワード=コーリー=バーン=ジョーンズ『愛と巡礼者』。19世紀終盤に描かれた宗教画はこうなる、と。
R: ウィリアム=ホルマン=ハント『無垢なる幼児たちの勝利』。これも19世紀終盤に描かれた宗教画。
L: ジョン=ブレット『ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡』。なんだか沖縄の海を思いだすねえ(→2007.7.24)。
C: クロード=モネ『ポール=ヴィレのセーヌ川』。うーん印象派。 R: 同じくモネで『エプト川のポプラ並木』。
L: ジェームズ=アボット=マクニール=ホイッスラー『ペールオレンジと緑の黄昏─バルパライソ』。
C: アルフレッド=シスレー『春の小さな草地』。 R: 同じくシスレーで『ビィの古い船着き場へ至る小道』。
L: カミーユ=ピサロ『水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、朝、霞がかった曇天』。
C: フィリップ=ウィルソン=スティーア『ヨットの行列』。これはヘタクソだと思います。
R: アルマン=ギヨマン『モレ=シュル=ロワン』。明るい色調なのがいい。こういうの、暗いとダメ。真ん中には脈絡なく草間彌生の作品が置かれていた。前に秋田県立美術館で「草間彌生 永遠の永遠の永遠」を見たが、
そのときラストを飾った『魂の灯』と同じ系統(→2014.8.22)かなと思う。やっぱり世界が水玉に見えているんだなあ。
L: 草間彌生『去ってゆく冬』。 R: 中を覗き込むとやっぱり水玉の反復。スマホを構えている人は気にするな。室内をテーマにした19世紀末から20世紀初頭の絵を挟んで、展示はさっき言及したターナーの習作群へ。
あとは20世紀前半の光をテーマにした抽象的な写真が並ぶ。そういうのには興味がないので(→2023.5.3)さっさと次へ。
L: ヴィルヘルム=ハマスホイ『室内』。 C: ヴィルヘルム=ハマスホイ『室内、床に映る陽光』。
R: ウィリアム=ローゼンスタイン『母と子』。写真と絵画の関係をテーマにした展覧会もあったら面白そう。展示の後半戦はカンディンスキーでスタート。抽象画や20世紀後半の現代美術が並ぶようになる。
こうなると東京都現代美術館あたりとやっていることが変わらなくなる。光がテーマのはずだが、うーむ……。
L: ワシリー=カンディンスキー『スウィング』。 C: ブリジット=ライリー『ナタラージャ』。
R: ゲルハルト=リヒター『アブストラクト・ペインティング(726)』。クソみたいなというか、クソそのものな抽象画。
L: ペー=ホワイト『ぶら下がったかけら』。確かにきれいなんだけど、出オチ感もある。労力に見合っていない気が。
C: デイヴィッド=バチェラー『ブリック・レーンのスペクトル 2』。現美のドナルド=ジャッド『無題』みたいね。
R: デイヴィッド=バチェラー『私が愛するキングス・クロス駅、私を愛するキングス・クロス駅 8』。
L: ピーター=セッジリー『カラーサイクル III』。中心から外へと色がどんどん変化していく。
C: オラファー=エリアソン『星くずの素粒子』。 R: 横から見るとこんな感じである。こうして18世紀から21世紀まで通時的に美術作品を見てみると、現代美術のひねくれ方というか自信のなさというか、
19世紀までの美術がいろいろやり尽くしちゃった事実を見せつけられているなあと思う。もはや奇を衒っていくしかない。
今回の「光」というテーマに即して言うなら、光そのものを対象にすることから、光つまり電気を利用する方向への転換、
それが明確にある。好ましいかはどうかはもう好みの問題だが、どこか「逃げた」ように感じるのは僕だけだろうか?
いいかげんそろそろ、国立競技場でサッカーの試合を観たい。できれば天皇杯の決勝がいいと思っているが、
当該クラブのサポーターでない人間が席を占有するのはなんだか悪い気がする。熊本が決勝進出すりゃ無問題だが。
そんなことを考えていたら、湘南ベルマーレがJリーグ加盟30周年記念で国立で試合を開催するとのこと。行ってみる。
L: やってきました国立競技場。コロナ中の23区サイクリングで来ているが(→2020.10.31)、中に入るのは初めてである。
C: ファサードは正直、味気ないね。敷地に余裕がないのはしょうがないか。 R: 千駄ヶ谷門。ホームゴール裏にあたる。
L: 東側(バックスタンド側)を行く。 C: 旧国立競技場の炬火台。 R: 東側の通路を振り返る。
L: 仲良く並ぶエア遊具。夢の競演ですな。 C: 南東側から見たところ。 R: 国立競技場前広場。初観戦のスタジアムということで恒例の一周をしてみるが、とにかく敷地の余裕のなさが印象に残る。
場所が場所なのでこれ以上どうにもならないことはわかる。神宮外苑の雰囲気でなんとかカヴァーしているが、
正直なかなか苦しいところである。あちこちの出店に長い行列ができていたが、目立った混乱がなかったのはすごい。なんだかよくわからない2次元キャラが動きまわっていたよ!
ではスタジアム内へ。しかし今回は最も高い位置にある3層のメインスタンドで観戦することにしたのだが、
どのゲートから入ればいいのかわからなくて迷う。「A2/E2ゲート」ということで、北と南どちらでもOKらしく、
それでかえって迷ったのだ。すっきり1箇所指定してもらえる方がありがたい……。結局1.5周くらいした。
L,C,R: メインスタンド(ホーム寄り)から眺めるスタジアム内。全体的に見やすいが、狭さが気になる。国立競技場の内部は非常にせせこましい。スタンドは角度がついているので、見やすいことは見やすい。
しかし視線の先にあるピッチもトラックもまったく余裕のない造りであるのが一目でわかる。選手は使いづらそうだ。
そして座席は本当に余裕がない。誇張なしで、観客が自分の席までたどり着くのに日本一苦労するスタジアムではないか。
ヴィッセル神戸の御崎公園球技場(→2014.7.19)といい勝負で、なかなかエコノミークラス症候群にまっしぐら感がある。
スタジアム全体のデザインはきわめて凡庸。国が全力を傾けたとは到底思えない、「ごくふつうのスタジアム」である。
屋根は木材でかえって重い印象を与えている。悪いんだけど、隈研吾はM2に次ぐ明確な失敗作を出しちゃったねえ。
もっとも、ザハ=ハディドの案が否定された時点で誰がやっても貧乏くじ。箔を付けるためにあえて引き受けたんだな。というわけで、本日は川崎Fを迎えて神奈川ダービーです。
試合前のエキジビションで湘南・川崎Fの両OBを迎えてPK対決。メンツは湘南が小島・名良橋・岩本・石原・坪井、
川崎Fが吉原・井川・武岡・鄭大世・大久保。ヨダレが出るレヴェルのレジェンド具合である。これだけでもう楽しい。
(ベルマーレのOBといったら「ベッチーニョ!」って言いたくなってしまうのだが、さすがにそりゃ無茶なのだ。)
結果はサドンデスまでもつれて時間切れ引き分け。小島さんがケガしなくてよかったとこっそり思うのであった。
L: 岩本輝雄のキック。きれいだなー。 C: 大久保はコロコロ気味に確実に決めた。 R: サドンデスでの鄭大世。仲良きことは美しき哉。
さて試合開始……前に、さらに湘南乃風が登場。正直僕はよくわからんが若旦那という人がいるのは知っているので、
がんばれ若旦那と思いつつパフォーマンスを眺める。川崎サポも適度にノリノリでたいへんいい雰囲気なのであった。
でもやっぱり生の『SHOW TIME』(→2015.9.12)はいいですね。湘南はいい曲もらったよなあと毎回聴くたび思う。
L: スタメン発表時に火を噴射するのであった。なんかこれってアクションかシューティングのゲームみたいね。
C: 湘南乃風のみなさん。湘南を応援しつつも川崎サポへの気づかいを感じた。 R: 生『SHOW TIME』。よい。選手入場でも火を噴いとる。
戦闘開始。でもすぐに「や、これはダメだわ」と思ってしまう。現在最下位の湘南は意地でも勝ちたい試合のはずだ。
しかしまるで連携が取れていない。もともと高い技術のある川崎Fは連動して湘南陣内に侵入。湘南はすべてが後手だ。
開始早々の11分、パスを受けた山田が左サイドから狙いすました先制ゴールを決める。36分にはPKを与えるピンチ。
一度はGKが防いだものの、やり直しで失点。湘南サポにはなかなかキツい流れだが、理不尽への抵抗力があるあたり、
Jリーグで30年やっている経験を感じさせる。田舎のジジイみたいに不満を叫ぶようなバカがいないのはさすがだ。
L: 試合の見え方はこんな感じ。観戦じたいはしやすいのだが、いかんせん遠い。でもトラックはトラックで狭苦しいという。
C: 川崎F・山田のゴール。相手GKが取れない位置に蹴っていて、巧い。 R: その後もひたすら攻め込まれる湘南。
L: VARの後、PKの判定。スタンドからだとよくわからなかったのだが、湘南がボックス内で川崎Fの選手を倒したみたい。
C: 一度はPKを防いだものの、少し早く動いていたらしくてやり直しに。 R: しかし昔のGKユニは派手だったよなあ。
L: やり直しが決まって2-0に。 C: 2点リードされているのにCBから前にボールを入れられないとか、虚しくなってしまう。
R: 対照的に川崎Fは狭いエリアも素早くつないで優位に立つ。スピードに乗っていても正確にボールを扱う技術の差だろう。後でネット記事を確認したところ、湘南は川崎の3バックを想定していなかったとのこと。毎試合観戦している人なら、
その辺の機微についてわかるのかもしれないが、僕としては単純に「技術と気持ちの問題」に思えてしまったのだが。
川崎Fは攻撃では足元の技術で湘南を圧倒し、守備では縦に入れさせないポジショニングと前を向かせない体の向き、
その基本を徹底していて、そこの質が最後まで効いた印象だ。また、積極的に奪ってからのカウンターも機能している。
したがってフォーメーション以前の問題と感じたが、今のJ1はその細かい部分で決着がつく僅差のレヴェルなのかも、
という気もする。とにかく、川崎Fは急造3バックとはまったく思えないほどに相手のコースの切り方が上手かった。
これはつまり、守備時に5バックでサイドを閉じることで、ひとりひとりが余裕を持って対応できたということか。
前半のうちに2点を奪うことができ、川崎Fにとっては理想的な展開である。おそらくプランどおりなのだろう。
L: ハーフタイム、隣の東京体育館と代々木のスカイラインを眺める。NTTのビルは景観を破壊しているなあ。
C: 『ブルーロック』の声優さんが登場。表紙を見ただけでつまんないとわかるので僕は『ブルーロック』を読んでません。
R: 後半61分、福田が登場。この試合の湘南は30周年記念ユニフォーム。ダイヤ模様は「湘南の暴れん坊」の風格を思い起こす。後半は湘南が押し込む場面も出てきたが、すでに2点リードして守備に割り切る川崎を崩すことができない。
崩すためのアイデアもなく、チームで連動というより個人のアイデア任せ。見た目ほど惜しい感じはないプレーが続く。
61分、黒手袋をしていないFW福田が登場する。先月、J3・Y.S.C.C.から個人昇格を果たしたのだ(→2023.6.10)。
あのハットトリックは凄かった。この試合でもぜひあのときのような活躍を見せてほしいと思うが、なかなか目立てない。
L,C,R: 終盤はさすがに湘南が攻め込む場面が多くなるものの、選手が連動している感触はなく、個人任せという印象。そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。「湘南スタイル」(→2014.4.26)とは、もはや死語なんだなあと思う。
J2で相手をボコボコにしていたあの躍動感は見る影もない。むしろ現代的に洗練したものを川崎Fが見せている印象だ。試合終了。湘南はJ2降格の可能性がいよいよ高まってきた。
この日の入場者数は54243人で、湘南にとっては史上最多記録。それだけの人数が帰るのは大混乱になるのではと思うが、
早めに脱出したせいか、そこまで極端に詰まることなく千駄ヶ谷駅までたどり着けた。でもホームに行くまでがやや混乱。
地下深い大江戸線の国立競技場駅はどんな具合だったのだろうか。気になるけど、確かめる気には到底ならない。
スタジアム建築に始まり、サッカーの強い弱い、交通の利便性、いろいろ考えさせられる一日となったのであった。
戸栗美術館の『古伊万里の「あを」-染付・瑠璃・青磁-』を拝見。年パス買った方がいい勢いで行ってるなあ……。
呉須の染付を中心に瑠璃釉や青磁と、素朴な初期伊万里だけでなく安定感のある青さが楽しめるのはよい。
同じ作品で青磁と染付を分けて焼いている「青磁染付」もあって、当時の職人たちの想像力に圧倒される。
文化財クラスではなくても好みの方向の優れた作品を気ままに見られるのはたいへんありがたい企画である。
やっとこさ2019年分の日記を書き上げた。いやあ、長い道のりだった……。
2020年分はコロナの関係で(あんまり)旅行できず、その一方で自転車の23区めぐりが全盛期。それはそれで大変。
まあ、読んでいる人は5人くらいの日記だが、気長に待っていただきたい。レヴュー系はレヴュー系で手間かかるのよね。
オリックスバファローズがパ・リーグを3連覇。ヤクルトとえらい差がついてしまったなあ……。ただただ、強い。
『パーフェクトブルー』の4Kリマスター版を上映中なので見てきたよ。真犯人だけはっきり覚えているというダメな状態。
やはり1997年にあの内容ということがまずすごい。同時代性をベースにしつつ、ちょっと先を行くというさじ加減。
それでいて、単に「インターネット」「解離性同一性障害」「現実と虚構の境界」というネタで満足することなく、
見ているこっちも不安にさせられるほど、きちんと表現のレヴェルで観客にリアリティを感じさせているのが圧倒的だ。
自己と他者の境界がブレる経験──「自己の中に潜む他者」と「他者に背負わせている理想の自分」が的確に描かれる。
実際の芸能人もそういう境界を綱渡りしているのかもしれない(→2013.3.20)、 そう思わせるほどにリアリティがある。特徴としては、物語のテンポが非常によい。これは状況説明を省いているから。実際には説明ゼリフがあるのだが、
これを「現実と虚構の境界」に盛り込んでいる点が巧いのだ。だから状況説明と物語本体が無駄なく同時に進行し、
結果息つく暇ないサスペンスとして成立している。もうひとつ効果的なのが江口寿史(→2023.4.14)のキャラクターで、
最初のうちはアニメとして懐かしさを感じるなあなんて思っていたが、気がついたら完全に引き込まれてしまっている。
多様なヒロインを描き切ることがこの物語にとっては正解で、それを見事に確実にやりきっているからこそなのだ。
どこまでが現実で、どこからが虚構の世界なのかはわからない。でもその実際のところを確かめる必要なんてない。
そこがすごい。ミステリの正解を観客に求めさせない勢いを維持し、事件に巻き込まれる恐怖、自己が保てない恐怖、
それを純粋に描いているのだ。だから本物の現実についてさまざまな解釈ができるし、矛盾せず並行して存在しうる。
自分という存在があらゆる可能性を持ってしまっている、どれが本物なのか、そもそも本物とは本当に本物なのか、
実はこれを客観的に証明することはできない。結末についても標準的な解釈だとヒロインが無事のエンドとなるが、
最後のセリフと表情はヒロインの成長ともとれるし、どこか影を落とした解釈も可能としているところがまたすごい。
あらゆるパラレルの可能性を残すことができるのに、物語が続きうる。その迫力が観客の現実に染み込んでくる感覚。
アニメの枠を超えているというか、アニメの枠を広げたというか。あらためて今敏監督の凄みに痺れております。
今年の夏もレンタサイクルを借りまくりだったが、ファミマの世話になったのは前に書いたとおり(→2023.7.25)。
1リットルの台湾烏龍茶とクーリッシュを褒め讃えたが、後半になって現れたダークホースがガリガリ君なのである。
ガリガリ君はとにかく安い。そして甘さがしつこくない。ものすごい勢いで融けるのは弱点だが、体がよく冷える。
おかげでだいぶ熱中症を防いでもらった。終末医療でも大活躍と聞くし、あらためてその偉大さを実感しているのだ。
もうこれは、さん付けするしかない。今後は「ガリガリさん」と呼ばせてもらうのだ。ガリガリさん、ありがとう!
わりと久しぶりに自由が丘の西口周辺をうろついたのだが、だいぶ変わりつつあるなあと。
駅前の再開発がいよいよ本格化していて、世話になった美容院がもう跡形もない。なんとも切ないものである。
絶望的に狭くて毎回バスが悶絶している道も拡張されるのだろうか。そうしてよくある景観に変化してしまうのだろうか。
特に思い入れがある街並みというわけではないつもりだったが、やっぱりそれなりに思い入れがあったんだなあと思う。
『F-ZERO』がNintendo Switchで『F-ZERO 99』として復活したそうで。バトルロイヤルという新機軸ではあるが、
グラフィックもBGMもほぼ当時のSFCのままという気の利き方がさすが任天堂。Nintendo Switchを持ってない僕も興奮。関連記事をいろいろ読んでいくうちに、「BIG BLUE」の名曲ぶりが話題になっていて僕もうれしくなる。
前も書いたが(→2012.3.30)、「MUTE CITY」もいいけどやっぱり「BIG BLUE」なのである。名前がまたいいのだ。
YouTubeで歴代の「BIG BLUE」を聴いてみたが、やはり原曲が最高。『F-ZERO X』でのメタルという解釈には驚いた。
でもやっぱりギターの音が嘘くさくなっちゃうのが難点なのである。凡庸で聴く価値のないアレンジも多くて残念だ。
実は「BIG BLUE」でいちばん大事なのは、イントロのバスドラム。ここでしっかりロックのリズムを刻まないといけない。
あとはベースが音階を下げるサビへのつなぎ。やはり『F-ZERO』はリズムセクションで成り立つ音楽なのである。原曲をリスペクトする意味でフュージョンから離れるのであれば、最も適したアレンジは吹奏楽部向けになると思う。
いろんな楽器でメロディをリレーしていくとよろしい。文化祭でやったら間違いなくみんなヒーローだぞコレ。
平日代休で動いたダメージは非常に大きく、この3連休はおとなしく過ごすことに。しかしサッカーはある。
大木さん率いる熊本が大宮にやってくるということでお出かけ。熊本は前回の観戦で千葉に負け(→2023.9.3)、
先週はホームで藤枝に負け(主力の平川が怪我するおまけつき)、13戦勝ちなしの4連敗中という状況である。
順位は20位で、J2残留圏のギリギリ。対する大宮は引き離されつつある最下位。裏天王山的6ポイントマッチなのだ。
L,C,R: 大宮に来たからには氷川神社に参拝。というか、スタジアムは旧境内地の大宮公園内にあるので参拝するのが自然。さいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)に来るのはずいぶん久しぶりだ。過去ログを調べてみたら、
どうやら9年前の天皇杯以来みたい。当時JFLのヴァンラーレ八戸が善戦した好ゲーム(→2014.7.12)。よく覚えている。
「十年一昔」とは言うが、まさかその八戸と来シーズン同じカテゴリで戦う可能性が高そうとは、サッカーは恐ろしい。
キックオフまでまだ1時間半以上あり、雰囲気は非常に牧歌的。よく見たら大木さんがのんびりとピッチを眺めていた。
三ツ沢と同じく大宮のスタジアムの雰囲気は好きなのだが、なぜか大宮での気になるゲームは旅行とかぶることが多く、
なかなか観戦する機会がない。今回はバックスタンド観戦だが、次回はアウェイゴール裏の高いところから見下ろしたい。
L: さいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)。やっぱりこのスタジアムはいいなあと思う。
C: よく見たらリラックスモードの大木さん。この後、熊本のスタッフの皆さんと談笑。順位のわりにいい雰囲気。
R: 熊本ゴール裏の横断幕より。大木さん、愛されているなあ。長野は大木さんを招聘できりゃよかったのにといつも思う。
L: それにしても熊本の横断幕はやや独特で、だいたい何かしらのパロディになっているのだ。島村の場合はこんな感じ。
C: 熊本ゴール裏に挨拶する大木さん。めちゃくちゃ盛り上がっていた。 R: 目の前で熊本の完全ワンタッチ鳥かごを見る。さて試合開始。熊本の猛攻が予想されたが、序盤は大宮がテンポよくパスをつないで熊本の上を行く。
特に島村のドリブルが狙われている感があった。そこで奪って、裏をとっていくイメージか。しかしジャッジに苦しむ。
大宮サポからするとことごとく熊本贔屓に見える笛でリズムを殺がれる感じになってしまう。妥当かどうかはわからんが、
審判が信じられないならサッカーやめちまえ、とはかつて部活で聞いた言葉だ(これをパワハラと受け取るのはアホだ)。
近くで見ている人がそう判断したのなら、それに従うしかないのである。大宮サポは怒りの声をあげるが切り替えが早く、
すぐに冷静に戻るのが偉い。そういう細かいところにサッカーどころの矜持を感じさせるなあ、と思うのであった。
L: うーん、近い。 C: 大宮ではDFカイケが奮闘。鳥取に移籍したら皆生温泉とコラボできるな……。 R: うーん、近い。やがて大宮の攻撃が落ち着くと熊本が本領を発揮し、大宮を押し込み続ける展開に。でも最後が雑で決まらない。
大宮に最後のところの中央を固められて、サイドからゴールを狙ってもなかなか精度がなくって決めきれない。
熊本はいつものペースを取り戻した島村をはじめ全員がよく動いており、平川の不在を感じさせない健闘ぶりだ。ハーフタイムにイチャついてまわる2匹。
後半に入っても結局は熊本ペースに。湿度が高くてつらいコンディションだが、そういうときに技術の差が出る。
機動力の落ちない熊本は前半と同じことを同じクオリティで繰り返す。大宮の対応が少しずつルーズになっていく。
52分、大本のシュートは相手GKに弾かれるが、この浮き球を松岡がダイレクトで合わせて熊本がついに先制する。
L: 大本のシュートを弾くGK笠原。 C: しかし浮いたボールを松岡(16番)がダイレクトで蹴り込んで熊本が先制。
R: その後も攻撃の手を緩めない熊本。1点では足りない。中押し、ダメ押しが欲しい。それにしてもうーん、近い。大宮は今夏加入のFWシュヴィルツォクを投入。マッチデープログラムによれば「絶対にボールを奪われない」そうだが、
確かに強くて懐が深くてボールが収まる。ユニを引っ張られたらその直後に関係ないところで引っ張り返すなど、
性格もなかなかである。大宮は彼を軸にして何度かチャンスをつくるが、この反撃がことごとく決まらない。
前半に引き続いてGK田代がビッグセーヴを見せたのも大きい。そうして試合のモメンタムは再び熊本へと移っていく。
75分、左サイドから東山がグラウンダーのクロスを出すと、これが大宮のOGを誘う。84分にはCKを撥ね返されるが、
これを中央に戻したボールに江﨑が直に合わせて3-0。これで完全に勝負あり。熊本は14試合ぶりとなる勝利をあげた。
L: 東山のクロスから2点目。ブレた。 C: 後ろからのロブに合わせて3点目。 R: 最後まで熊本は攻撃を仕掛け続ける。大宮は外国籍選手を中心に確かなクオリティがあるものの、個がチームとして連動していなかった感じがした。
パスがつながらないわけではないのだが、ボールに対して反応しているだけで、全体のヴィジョンが見えてこない。
時折、致命的なミスもあった。何より、負けている状況を悔しがる姿勢が見えず、ただ漫然とプレーしている印象だ。
仮に熊本贔屓に見えないジャッジだったとしても、大宮の負けという結果は変わらなかったのではないかと思う。試合後のゴール裏は猛烈なブーイング。そりゃそうだよ……。
大宮の陥っている負のスパイラルは、これはなかなか難しい。自分では抗っているつもりでも、集団が呑まれてしまう。
じゃあその流れから抜け出すためにはどうすればいいのか。神頼みが効かないことは、氷川神社がすでに証明している。
選手、監督、会社、サポーター。責任の所在はそれぞれにあるはずで、擦り付け合いだけは避けていただきたい。
李忠成が引退を表明したとのことで。
いろいろ活躍したけど、まあやっぱり、アジア杯決勝・オーストラリア戦での左足ボレーだよなあ(→2011.1.29)。一言で表現すると、「時が止まった瞬間」を見た。まるで魔法使いのように、どフリーになっていた李忠成。
そして長友のクロスが上がって、李忠成はシュートの態勢に入る。時間はここで李忠成のためだけに止まったのだ。
次の瞬間には左足を振り抜いていて、ボールはゴールへ突き刺さる。少しの間を置いてから再び時間が流れ出し、
日本サイドは歓喜に包まれる。あの「時が止まった瞬間」を、僕は忘れることはないだろう。ありがとうございました。
阪神がリーグ優勝でおめでとうございます。ヤクルトファンとしては死球の件が本当に申し訳ない。
あらためて岡田監督の知識・見識を実感させられるシーズンだったと思う。やっぱり野球は監督しだいよ。おーん。胴上げの写真記事を見たら今年亡くなった横田のユニが掲げられていて、もらい泣きしてしまったよ。
本日は文化祭の片付け日。相変わらず生徒の動きがいいので午前中で大方が終了。
◇
今回の文化祭でいちばんの個人的収穫は、以前お世話になったカメラマンさんとの再会である。
修学旅行では引率教員と同レヴェル、いやそれ以上に活躍していただいた方で(→2019.6.4)、
ぜひお礼をということで、おごと温泉駅で白バラコーヒーをご馳走させていただいたっけ。いやあ、懐かしい。多摩川をまたいだ移籍劇について報告したところ、カメラマンさんも実は独立しましたとのご報告。
つまりは会社を起こして社長になったということ。おお、都畜から県畜になっただけの僕とはえらい差がついたぜ!
なんて具合に冗談を言いつつ、おめでとうございますとあらためてご挨拶。久々のうれしい再会はやる気が出るなあ。
朝の3時45分に起きてドイツ×日本の試合を見たよ。
今回の親善試合は、ドイツが1億円かけて日本を招待して実現したそうだ。あのドイツがそこまでして!
というのも、W杯のリヴェンジ(→2022.11.23)とEUROに向けての景気付けを兼ねてのこと。悔しかったんだなあ。
しかしドイツ代表は現在絶不調の只中で、この日本戦の結果しだいで監督のクビが飛びかねない状況なのである。
ゆえに間違いなくガチ勝負となる。勝てるかどうかはわからないが、絶対に面白い試合になることは確かなのだ!いざ試合が始まってびっくり。はっきりと日本が押している。W杯の前半はきちんと見る気も起きないほど押されたが、
立場がすっかり入れ替わってしまった感じ。のび太がジャイアンにやり返すがごとし。しかもスタイルが洗練されていて、
スピードに乗っているのに針の穴を通すようなパスがビシビシ決まる。ひとつひとつのプレーの精度が以前と別次元だ。
伊東の先制点にしろ上田の2点目にしろ、きわめて速いボールに対して正確に反応できるところなど、その集大成だろう。
これが、勝利を経験することで自信を持つということなのか。対するドイツは明らかに圧倒されて萎縮している。
もちろん細部はヨーロッパの強豪国らしい繊細さなのだが、これが連動して日本を押し返すところまで届かない。
日本はボールの受け方、ボールの運び方、ボールを出す位置、すべてに次のプレーにつなげる意図が込められている。
まるで言語のようなサッカー(→2010.5.8)。これは……強い。ドイツ代表の絶不調ぶりを差っ引いても、純粋に強い。
しかも後半に入って3バックにする余裕っぷり。確かにテストマッチだが、ドイツ相手に日本がテストする側になるとは。
そうして唯一の脅威だったサネを封じてクボタケを軸にしたカウンターが2発炸裂。4-1……。4-1 !? ドイツ相手に4-1 !?
知らないうちに寝ていて夢を見ていたというわけではなく、きちんと現実。しかしどこか夢心地である。4-1!今日も文化祭なので職場に向かうが、隙を見てネットニュースの記事を確認。さすがに世間は大騒ぎである。
どの記事もポジティヴだが、そりゃ褒めるしかない内容なんだもん。無理にネガな要素を探すのが難しいほどなのだ。
勝って兜の緒を締めよ、油断するでない、というのが精一杯。まあそれ以上の粗を探すのは野暮ってもんだろう。
今の日本代表が歴代最強との声も目立つ。確かに、こんなにいい時代はなかなかないんじゃないかってくらいだ。
あとはJリーグのレヴェルを地道に上げて、海外組との差を愚直に縮めることだけだ。でも前にも書いたように、
Jリーグも以前と比べて着実にレヴェルが上がっている(→2023.2.25/2023.6.3)。粘り強く支えていきましょう。
今週末は文化祭である。しかし去年(→2022.9.10)以上にコスプレばかりですなあ。8割以上がそうなんじゃないか。
女装も多い。まあ自分も「やる」側だったので(→2012.4.23)、おうがんばれ!ってな心境ですが(→2011.2.15)。
ふだんできない恰好をやるチャンス、というのはわかる。そりゃ『2.5次元の誘惑』(→2023.6.25)もアニメ化するわ。先輩の教頭(→2023.4.4)と高松祭(飯田高校の文化祭)について話すが、こちとらクイズ大会の記憶しかない。
あとは『ともしび高くかかげて』を歌うのが死ぬほどイヤで合唱コンクールをボイコットした記憶。偏っていていかん!
飯田高校についての空間的記憶もかなり断片的になっていて、これはまずいと正直思った。記憶を取り戻さねば。
生徒相手にブラックジョークが絶好調。HQSで鍛えられたせいだよまったく(→2023.9.2)。
「先生、銀杏が臭いからイチョウを伐採しましょう」「よし、お前はビッグモーターに就職しろ!」「勘弁してください」
「先生、これ映画泥棒のコスプレです」「よし、お前は廊下をパルクールで練り歩け!」「勘弁してください」
「先生、遅刻してすいません」「よし、お前の履歴書をJャニーズ事務所に送るの刑!」「勘弁してください」
東山選手の守備範囲の広さにはあらためてびっくりであります。
◇
元がスペシャルにゲスな犯罪行為なんだから、それについての質問もゲスになるに決まってんだろ。
もっと言うと、知っていて放置していた事務所も先輩タレントもメディアもファンも、みんなゲス。
つまり日本人はみんなゲスということである。みんながみんな、この件を我がこととして恥じようではないか。
股間に響くタレントに魅了される以上、芸能界がゲスじゃなくなる日なんて来ないのよ(卑しさの社会学 →2013.3.20)。
生姜は大好きだが、紅生姜は大嫌い。なんで世間はよけいなことをするのか。
じゃあ、昨日訪れたSOMPO美術館『生誕100年 山下清展-百年目の大回想』について書くんだな。
まさかそんな卒倒しそうなほどの大行列だとは思っていなかったんだな。『裸の大将』人気はいまだに健在なんだな。
L: SOMPO美術館。かつては東郷青児美術館だったが、2020年に新たな建物をつくって移転。設計は大成建設。
R: 歩道橋から損保ジャパン本社ビル(旧安田火災海上本社ビル)と一緒に眺める。行列は右下のファミマ前まで続いていた。結局、展示室に到達するまで1時間かかった。展示は5階から始まって4階、3階と下りていく構成。2階はショップ。
まずは「第1章 山下清の誕生―昆虫そして絵との出合い」、そして「第2章 学園生活と放浪への旅立ち」と、
その才能を開花させるに至るまでの経緯をじっくりと追っていく。この時期のハイライトが『長岡の花火』。
次は「第3章 画家・山下清のはじまり―多彩な芸術への試み」で、画家として確固たる地位を築いた後、
ペン画や油彩などの作品が展示される。「第4章 ヨーロッパにて―清がみた風景」でヨーロッパ旅行の成果が示され、
最後の「第5章 円熟期の創作活動」では負担の大きい貼り絵から陶芸の絵付けやペン画へと移った作品が並ぶ。
質も量も充実しており、山下清という人の内面もしっかり窺える内容。かなり決定版という印象の展覧会だった。
卒倒しそうなほどの大行列に並んだ甲斐は確かにあった。以下、見ていて考えたことをがっつりと書いていく。まず、山下清という人は、遠近法についてきわめて敏感な画家である、ということが大前提として言える。
幼少期の作品から一貫して、背景を徹底した透視図(パースペクティヴ)として描いているのだ。しっかり3次元的。
ところが遠慮なくそれをぶち壊してくる。遠近法の背景の手前に、上から見た構図あるいは平面の人間を置くのである。
(具体的な例を挙げると、左右方向に走る線路や、布団で並んで寝ている人など。上から見た絵を手前側(下)に置く。)
厳しい言い方をすると、これは子どものやることだ。客観の光景を厳密に再現するのではなく、主観を優先させる。
言い換えると、山下清の絵には「主役」と「背景」しかない。3次元の「背景」に、2次元ペープサートのような「主役」。
だから舞台の一場面を見ているような感覚になる。おそらく彼の目にはすべてがそのように映っていたのだろう。
『長岡の花火』は、平面の「主役」と遠近法の「背景」というバランスが絶妙にマッチした最高傑作だ。モチーフの勝利。
逆に、展示の脇にある本人のコメントからすると、「主役」と「背景」の区別がつきづらいものは苦手としていたようだ。
たとえば、正面を選びづらい建物、また立体的な花(一輪ではなく群れて咲く花)など。花は影の入れ方が難しいそうで、
3次元空間に置かれた対象のどこまでを「主役」として捉えるべきか、という判断が苦手だったと思われる。
L: 『長岡の花火』(1950)。 C: 『グラバー邸』(1956)。 R: 『スイスの町』(1963)。撮影可のバナーをトリミング。ところが面白いことに、キャリアの後半つまり画家としての名声を確立してからの作品は、徹底して遠近法を貫く。
「主役」を排除し、それまで「背景」としてきた風景そのものを主題とするように、作風が変化するのである。
おそらく山下清は、 “表出”と“表現”の違い(→2012.3.6/2013.9.5)を理解して、“表現”に徹するようになった。
上で貼り付けた3つの写真を見てみると、『長岡の花火』では遠近法の「背景」に平面の花火を「主役」として対比させた。
しかし『グラバー邸』では建物と人間が同レヴェルとなる(それ以前なら人間が「主役」で建物は「背景」だったはずだ)。
そして『スイスの町』では完全に遠近法の表現に純化した。このように、山下清は一流の画家としての自覚を持った結果、
作品づくりは趣味から仕事へと変化し、他者の求める作品を素直に生み出すようになった。ただ、これが難しいところで、
そうなると貼り絵としての鬼気迫る表現力が十分には生かされず、表面的にはただの点描とあまり差がない感もある。
貼り絵の技術としてはいよいよ最高レヴェルではあるのだが、たとえば「これ刺繍でもできるよな」と思えてしまうのだ。
キャリアの晩年は負担の大きな貼り絵が難しくなったこともあり、マジックでの点描画が増える。それはそれで見事だが、
山下清にしかできない仕事というわけでもない。やはり貼り絵ならではの狂気としての芸術性は減じているように思う。そう、狂気。山下清の貼り絵には、常人には到達できない領域の狂気がしっかりと込められている。
敏感にそれを感じ取った人は、彼を「日本のゴッホ」と呼んだ。ゴッホなら『星月夜』が典型的なのだろうが、
物質の流れというか物体の持つ方向性が、ふたりには見えていたのだと思う。たとえば板の木目がわかりやすいが、
物には面的な縦と横の向きがあって、山下清は特にそれに敏感なのだ。すべての物体の縦横の向きが彼には見えている。
空気にも風という方向があり、すべての物体の向きが見えている山下清は、貼り絵でそれを几帳面に再現してみせる。
なぜ貼り絵だったのか? それはおそらく、3次元空間を背景にすべてのヴェクトルを表現するのに最適だったからだろう。
紙切れの持つ実際の物体としての質感が必要だったのだろう。細い線の表現にこよりを使うやり方を習ったことで、
植物のおしべやめしべなどの精細さが再現され、貼り絵の表現としてのクオリティはさらに高まっていった。
この貼り絵が醸し出す狂気と、初期の「主役」による遠近法の破壊は、あえて完璧を崩す表現力として噛み合っていた。
確かに後期の破綻の少ない遠近法は美しいが、ただそれだけでもある。破調の失われた作品は個性を失ってしまっている。
なお色彩感覚もやや独特で、淡い色調を好み、似た色の中での差にこだわりを感じる。濃い色は茶と黒を主体としており、
全体的にコントラストは弱い。彼にはそういう色で見えていた、ということだろう。この点もまた、興味深い。今回の展覧会では貼り絵以外の作品も多く展示されている。魚のサイン(→2021.12.29)で垣間見せたデザインセンス、
ペン画の点描にはそれを感じさせる作品がチラホラ。また、点数は少ないが、油絵も個性が出ていてすばらしい。
さらに山下清の作風は陶器との相性がよく、絵付けでも優れた作品が並んでいた。やはり貼り絵の狂気が圧倒的だが、
それ以外のジャンルでもさすが山下画伯と思わせるものが多く、貼り絵のベースにあったものを十分に実感できた。さて、展示の最後はSOMPO美術館の収蔵品を展示するコーナー。前身が東郷青児美術館ということで東郷青児『望郷』、
そしてバブルを象徴する伝説のゴッホ『ひまわり』を含む3点が出ており、撮影可能ということで僕もバシバシ撮影。
L: 東郷青児『望郷』。正直どこがいいのかサッパリ。 C: グランマ=モーゼス『さあ、ボートに乗りに行こう』。
R: フィンセント=ファン=ゴッホ『ひまわり』。1987年に安田火災が約53億円で購入したってやつである。バブル。以上、大盛況なのがよくわかる充実した展覧会だった。これでビッグモーターのダメージを取り返せるといいですな!
午前中は日記を書いて、新宿に移動。SOMPO美術館でやっている山下清展を見ようというわけである。
来週末は文化祭なので、今日しか行くチャンスがないのである。が、いざ現地に着いてびっくり。まさかの大行列。
係の方は「始まった当初はこんなことなかったけど、お盆が明けてから週末はずっとこの調子」と言っていた。
我慢して並んで鑑賞したが、結論から言うと並んだ甲斐はあった。詳しいことは明日の日記でみっちり書きます。新宿から一気に千葉へと移動し、さらに蘇我へ。というわけで、夜は千葉市蘇我球技場(フクアリ)でサッカー観戦だ。
その前に、前から食べてみたかったラーメン山岡家へ行ってみる。フクアリのすぐ近くにあることがわかったので突撃。
L: ラーメン山岡家。郊外で24時間営業をやっており、ドライヴァー中心に根強い人気があると聞く。
R: まずは最も標準的なものを、ということで、醤油ネギラーメン中盛をいただいた。ネギのせいもあってラーメンショップ(→2022.9.4)に近い印象。スープは意外と豚骨くささがなく、とっつきやすい。
ニンニクを溶かしたときの破壊力はラーショの方が上かもしれないが、幅広く人気を得ているのはよくわかる。
何より、麺のもちもち感が素晴らしい。味噌ラーメンも人気があるそうで、確かにそちらにもしっかり合いそうな感じ。
気が早いが、次回フクアリで観戦するときにはぜひ味噌ラーメンをいただいてみるとしよう。楽しみが増えたなあ。満足してフクアリへ。本日のカードは千葉×熊本である。熊本は先月現地で観たが(→2023.8.6)、引き続き応援するのだ。
スタジアムに入るとちょうど、熊本県営業部長兼熊本県しあわせ部長のアイツが撮影会を行ってあり、相変わらずの人気。
L: 毎度おなじみフクアリ。 C: くまモン。 R: 退場するくまモン。背番号が18でネームが「OSO」なら尊敬したけどな。雨の不安もあったし、のんびり観戦したかったしで、バックスタンドの3階へ。夕焼け空がたいへんきれいで、
この後に天気が崩れるという予報が信じられない。しかし余裕を持って観戦できるフクアリは本当にありがたい。
L: フクアリのバックスタンド3階席。 C: 夕焼け空が美しい。JFEスチール千葉製鉄所のシルエットがまたいいのだ。
R: 選手入場前、照明が落とされてペンライトが光る。たいへんきれいなのだが、デジカメだと再現性がなかなか難しい。さて熊本。4日前に開催された天皇杯準々決勝でJ1神戸をPK戦で破り、ベスト4に進出。J2勢では唯一の快挙である。
しかし代償は大きく、怪我人が複数出てしまった。リーグ戦では20位と降格圏がすぐそこという大ピンチなのだ。
常識的に考えれば、今日の熊本は守りに守ってスコアレスドロー決着で勝ち点だけでも確保してしのぎたいところである。
が、大木さんはやっぱり大木さんで、4日前の試合からスタメン変更は1人だけ。試合が始まると案の定サンドバッグ状態。
L,C,R: 序盤からサンドバッグ状態の熊本。天皇杯準決勝進出の代償はあまりにも大きい。今日はスコアレスドローなら御の字か。千葉はかつてJ1でも名前をよく聞いた選手が揃っており、熊本と比べると個の力の差は歴然としているように思う。
今年はホーム開幕戦を観たが(→2023.2.25)、小林慶行監督は選手たちをひたむきにプレーさせている印象がある。
大木さんは甲府監督時代から無名の若手の成長で差を埋めてきた実績があるわけだが、さすがに今日は疲れが大きい。
千葉はボールへの寄せが速く、スペースに入って受ける連携が見事。対する熊本は一歩一歩が遅く毎回後手を踏んでいる。
熊本はGK田代が当たっていて、どうにか失点を回避し続ける。失点したら歯止めが利かなそうなヒヤヒヤ感が満載だ。
前半をスコアレスで切り抜けたのが奇跡に思えるほど、両チームのパフォーマンスには大きな差があった。
L: 千葉は熊本のお株を奪うパスワークを見せる。距離感もいいし、スペースに入る連動性もいい。熊本のプレスが甘いのもある。
C,R: ハーフタイムでチアに合わせて千葉のマスコット・ジェフィ&ユニティと一緒に踊るくまモン。練習してたんだろなあ。後半の熊本はそれまで抑えていた攻撃意識を解禁。個人的には島村のドリブル(→2023.4.29)に注目していたのだが、
千葉もそうとう警戒しているのがわかる。今日の熊本は後半に入って島村以外の選手もいい感じに躍動していて、
さまざまな選手が絡んで何度もチャンスを生み出す。でも決めきれない。やはり疲れであと一歩が届かない感じ。
L: ぜんぜん奪われない島村のドリブル。島村は裏に走らせるパスも好きだけど、あんまり味方と噛み合わないのよね。
C: そのまま中央に持ち込んでパス。後半の熊本はリズムのよいパスがつながる。 R: しかしフィニッシュは上手くいかず。
L: パス交換から抜け出すFW松岡。 C: しかし角度のないシュートははずれる。 R: 大本のシュート。惜しかった。積極的な攻撃を見せていた熊本だったが、86分に失点。千葉の左サイドからのクロスをGK田代がファンブル。
これを呉屋が落として米倉が決めた。千葉は選手交代がしっかりハマった格好。田代は前半当たっていただけに痛いミス。
その後も熊本は攻め続けるが、最後までゴールを奪うことはできず。まあ先月観戦したときよりもはるかに積極的で、
天皇杯での疲れがある中でこれだけできるのであれば、今後は調子も上向くんじゃないか、というポジティヴさは残った。
今日は完全に「天皇杯準決勝進出の代償」という負けだが、選手のプレーには以前よりも確かな自信を感じる。しっかり押し込んでいた千葉を褒めるしかないわなあ。
なお、スタジアム内でスマホ経由でDAZN中継の音声を聞けるサーヴィスがあり、今回はそれを試しながら観戦した。
正直なところ、解説者が良ければいいのかもしれないが、そうでなければ「どの選手が」というのがわかるくらいで、
そこまで劇的に便利なものではない感じ。途中で何度も接続が切れたのもマイナス点である。改善の余地がある。帰りはタッチの差で横須賀線に乗れず、京葉線送りになってしまった。でもまあそこはポジティヴに捉え、
クソ遠いことでおなじみの東京駅京葉線ホームから有楽町駅への乗り換えをやってみる。地下丸の内口を出ると、
そこから東京国際フォーラムの中を抜けて地上に出て、有楽町駅へ。やっぱりそれなりに時間はかかるなあ。エスカレーターから振り返る国際フォーラムガラス棟(→2010.9.11/2018.8.2)。
なんだかんだで千葉は遠く、家に着いたら23時。地味ではあるが、美術館で並んだ疲れがしっかり効いたなあ。
リョーシさんが上京してくるということで姉歯祭りの開催である。今回はマサルの提案で、池袋にあるクイズバーへ。
飲み物を注文して延々とクイズができるそうで、時代は変わったなあと思うのであった。昼過ぎに集合していざ出陣。
なお、えんだうさんは夜からの参加、みやもりは諸事情により不参加。次回は参加できるといいですなあ。クイズバーではニックネーム可ということで、そうなるとブラックな方向を突き詰めるのがわれわれHQSの伝統。
ニシマッキーが「チェルノブイリ」ときて、リョーシさんは「そごう(姓)西武(名)」。僕は「ジャニー喜多山」で、
マサルが「藤島ジュリー景夫」にしたので、僕とマサルのテーブルは非常に妖しい事務所感が漂ってしまうのであった。
まあ、腐れ芸能ウンコ時事はわれわれHQSの最も得意とするところ、もはやアイデンティティであるのでしょうがない。
自己紹介もクイズ形式で、早押しで正解してからしゃべる。「ジャニー喜多山です。今日はいい男がいっぱいいるので、
がんばってお持ち帰りしたいと思います」と言ったら一般人の皆さんはドン引きしていた。でも出題・司会のお兄さんが、
いい感じのツッコミを入れてくれたので、僕はもうそれだけで満足してしまったのであった。なんかすいませんね。最初は、1セット4人勝ち抜けで、1○1休からスタートして2○1休→3○1休→4○2休とステップアップするクイズ。
4○2休に到達して1抜けをすると勝ちということで、みんなが長く楽しめる、シンプルながらよく練られたルール。
周りの皆さんは日頃しっかりクイズをやっているようで、押すポイントがきちんと早く、われわれ姉歯一家は苦戦する。
それでもニシマッキーがさすがの善戦を見せる。僕は早押し機を顔に当てて「映画泥棒」とか言って遊んでいたのだが、
なんだかんだで気がついたら4○2休に到達していたので、やっぱりルールが秀逸だわと感心するのであった。
2ラウンド目はタッグマッチ。テーブルごとにチームを組んで、ボタンが点いたら相方が答えるというルール。
誤答のときの対応が少々ややこしかったが、慣れてきてどうにかなるのであった。ゲーム性を上手く採り入れている。
3ラウンド目も「できるだけ短い年数(1年が望ましい)ごとに過去のできごとを遡っていくゲーム」で、
早押しクイズが苦手でも楽しめるように、という工夫がしっかりなされていて大いに感心。きちんと盛り上がるし。
ここでは僕の前のマサルが結果的にアシスト全開だったのと僕の社会科教員としての知識が効いて、勝たせていただいた。
最後はお会計クイズということで2○のクイズ。誤答のペナルティがないと気が大きくなって強気で押せるせいか、
いい感じで1抜けさせていただいた。まあでも周りの皆さんの方がしっかり強くて、よう鍛えてらっしゃいますなと感心。
ニシマッキーは相変わらずベタを押さえて勝負強いし、リョーシさんは差し込みか?と思うような法律問題で活躍するし、
マサルはマサルでキテレツなタイミングで正解してみせるしと、全体的に非常にいい雰囲気で楽しむことができた。
適切なルール設定でクイズを商売として成立させていることがすげえなあと思う。またいずれみんなで行きましょう。さて時事ネタが大好きなわれわれ、池袋に来ているからには西武に行かなくちゃ!となる(→2023.8.31)。
晩飯は西武池袋本店の屋上にある「天空のBBQテラス」でいいだろうと。ここは以前マサルと来て(→2020.7.24)、
たいへんよろしかったのだ。西武を支援するにもいいし。ロフトでえんだうさんが来るまで時間調整して、いざ実食。
なんだかんだでヴォリュームある肉に各種ビールが飲み放題で、屋上という雰囲気もいいし、非常に満足度が高い。
L: 盛り上がるわれわれ。 R: お前の日記だからお前が入れ!ということでマサルに撮ってもらう。リョーシさんがお遍路4周目を始めてしまった話で盛り上がったり、みんなでアワライズ(→2019.4.24)を褒め讃えたり。
僕は近年まれに見る酒量でたいへんいい気分に浸るのであった。みやもりが参加できなかったことだけが残念で、
こちらもまたいずれみんなでリヴェンジしたいところですな! 午後の部も夜の部も、いい感じのネタを見つけたなあ。
バスケットボールのW杯が盛り上がっております。僕はラグビーのときに見事に置いてけぼりを食っており、
(この辺を参照 →2015.9.23/2015.10.13/2019.9.28/2019.10.5/2019.10.14/2019.10.20/2019.11.2)
すでにフィンランド戦を見逃して置いてけぼりを食っているけど、昨日のベネズエラ戦はちゃんと見たのだ。
バスケの試合は4月に長岡で観たので(→2023.4.22/2023.4.23)リアリティを感じられる。Bリーグ、観といてよかった。3Qが終わって「こりゃ厳しいなあ」と諦めムードで見ていたのだが、まさかまさかの大逆転勝利に呆然とした。
スポーツには確かに「流れ」があって、これをひっくり返すのが難しいことはサッカー部でイヤというほど経験してきた。
それだけに、比江島を中心とした3Pシュートやバスケットカウントなどで「流れ」をつかんだプレーには圧倒される。
もともとバスケは「流れ」「勢い」がモノをいうスポーツなのかもしれないが、それにしてもこれはとんでもない。で、今日の授業では公共で経済についてやったので、「昨日のベネズエラ戦は効用の大きいサービスだったなあ!」
なんて面白おかしく言っているわけです。かつてHQSで鍛えた時事ネタへの対応力が生きているぜ。